垣根帝督「協力しろ」鹿目まどか「ええ…」 (112)


「キュゥべえに騙される前のバカな私を助けて」

それが"この世界"の彼女の遺言だった。

ーーまた失敗した。

もう何度目かも分からない後悔と涙を連れて、少女はまた飛び立とうとしていた。

走馬灯のように駆け巡る思い出を胸の奥にしまって。

瓦礫と硝煙で覆われた目の前の惨劇から目を背けつつも、彼女はまたそれこそ何度目かも分からない決意を燃やすのだった。

(次こそは、必ず……!!)






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10月初旬の心地よい秋風が吹き込んでいた。

看護婦が気を遣ってくれたのだろうか。

1/4ほど開けられた窓を見てそんなことを考えながら、暁美ほむらはゆっくりと起き上がる。

見慣れた病院の個室だった。

(うう……んっ)

長く昼寝しすぎたような倦怠感は毎度の事ながら慣れない。

彼女はベッドの上で軽くストレッチをすると顔を洗い、身の回りの持ち物を一つずつチェックしていく。

まるで納品された商品を検品するスーパーの店員の用な仕草だ。

それが終わると、今度は病室を出てエレベーターホールへと向かい、一階へ降りる。

受け付けロビーの片隅、数台の自動販売機が設置された待合室に一直線に向かうと、彼女はフリースペースに置かれた朝刊を手に取った。

各新聞社のものを一部ずつ。

自動販売機でコーヒーを買っていた中年の男性が、年端に合わないことをするほむらを不思議な目で見つめるが、彼女は気にも留めずいくつもの朝刊をテーブルに広げ読み進めていく。

とはいえほむらは同世代の少女らが好むであろう人気タレントのスキャンダルやテレビ欄、スポーツニュースなどには目もくれず、政治や経済、さらには上場企業一覧など大抵のサラリーマンが読み飛ばすような記事ばかり熱心に眺めている。

と、スラスラと流れていたほむらの目線が急に止まった。

原因不明の集団昏倒事件があったという記事、だが彼女の目に止まったのはその内容ではない。

(……学園都市?)

常識的に考えて、場所を説明するなら○○県○○市といった風に記載されるのが当然だが、そこにはただ"学園都市"とだけ書かれていた。

まるでそれがどこにあるのか皆が知っていて当然というように。

(……、)

「あの、ちょっといいですか?」

「え? あ、何かな?」

突然声をかけられた中年男性は少し驚きながらも飲んでいたコーヒーをテーブルに置き、ほむらに向き直る。

「この学園都市って、どこにあるんでしょうか?」

「え……?」

しまった。とほむらは思った。

質問した途端、男性の目の色が明確に変わったからだ。

彼女は分かる。これは不審と憐れみの視線だ。

ほむらがした質問は、あまりに常識外れだったのだ。

「すいません。何でもありません!」

彼女はそう言うと、怪訝な顔をしている男性から視線を外し、足早に病室へと戻っていく。

どうやらこの学園都市というのがこの世界では当たり前に受け入れられているらしい。

(前の世界では聞いたこともなかった。都道府県と同レベルでメディアに取り扱われる学園都市っていったい……)








分かった事がある。

"この時代"の日本には国家とは別に独立した行政権を持つ自治体がある。

そこは東京都西部を中心に埼玉県、山梨県、神奈川県を跨ぐように、外周を高さ5メートルの壁で覆われた円形の都市である。

内部は全23学区に分けられ、人口230万人中8割が学生である。

そこは最先端の科学に基づき、超能力開発なんてものを学校のカリキュラムに組み込んでいる。

そこは12人の理事と1人の理事長によって運営され日本国内でありながら独自の条例が優先される治外法権の都市である。

「……なにこれ」

スマホの大手検索アプリが表示したページを見つめながら、ほむらは絞り出すように呟いた。

看護師が仕組んだ盛大なドッキリとかじゃないだろうかと一瞬頭に浮かんだが、すぐに我に帰る。

世界的大企業が、何をとち狂ったら個人の悪戯に加担してくれるのか。

実際にテレビを付けてみればニュースキャスターが神妙な面持ちで、9月30日に起こった謎の集団昏倒事件について報じている。

思わず食い入って見ていると、突如部屋のドアがノックされた。

「暁美さーん、入りますよー」

軽い口振りで入ってきたのは30歳前後の女性看護師だった。

「血圧計りますねー」

彼女はガチャガチャとカートに乗った器具をいじりながらテレビに目を向け、

「あ、暁美さんもそのニュース見てる。最近みんなこの話題ばっかり」

「そんなに、大きな事件だったんですか?」

「そりゃあそうですよ! あの学園都市が原因究明に苦労するなんて、普通ならあり得ないことです。なんたって壁の外と内で科学技術に2、30年の開きがあるって言われてるくらいですし」

「(そんなに……一体どうなってるの)」

ほむらの囁きは看護師に聞こえなかったようで、彼女は自分も学園都市に行ってかっこよく超能力を使いたかったと喋り続けている。

(確かに学園都市の事は気になる。でも……)

実は、彼女には為し遂げなければならない明確な目標があった。

確かにイレギュラーな事態だが、あまりそちらに傾倒して"本業"が疎かになっては元も子もない。

注目はしつつ、使える物があれば拝借して己の武器の足しにするくらいの心持ちでちょうどいいかもしれない。

「でも、所詮は学生の授業だし、超能力って言っても手品くらいのものなのでは?」

「うーん……。いくつかレベル分けがされてるとは聞いたことあるけど詳しい事は分からないや。ごめんなさいね」

(まあそんなところよね。"アイツ"を倒すための戦力には間違いなくならないでしょうね)

そんな風に考えて、ひとまず超能力という単語からは思考を離すことにした。

(自分の足しになるかどうか、それだけを考えて行動しないと。余計な寄り道は良くないわ。自分の興味に振り回されないように)

血圧を計られながら、ほむらは今一度決意を固めた。






鹿目まどかは特にこれと言った取り柄のない普通の中学生である、と自分で思っている。

「おっきろーーーー!!!」

まだ幼稚園にも通えない幼い弟タツヤのモーニングコールなどではビクともしない母親に止めの一撃(布団剥がし)を見舞い、少女はいつも通り朝の支度をする。

1階に降りると、父知久が庭に出て家庭菜園の世話をしているようだった。

「おはようパパ」

「おはようまどか。今日はよく晴れたね」

「プチトマト摘んでるの?」

「うん、朝食のサラダに入れようと思ってね」

慣れた手つきでトマトを千切っていく知久。

父が作る朝食は、まどかにとって毎朝の楽しみの一つだった。

ほどなくして、重い足取りで母、詢子が瞼をこすりながら降りてきた。

「おはよう、コーヒーでいいかい?」

「うん、頼むわ」

テキパキと朝食の準備をする知久をよそに、詢子は置いてあった朝刊に手を伸ばした。

まどかは横目でそれを見ると、

「またこの前の昏倒事件のこと? 最近本当にそればっかりだね」

少しうんざりした様な感じでまどかは話しかける。

彼女が言っているのは9月30日に学園都市で起きた事件のことだ。

「まあ被害者の数が半端じゃないようだしなあ。特定の場所にいた人達が集中的にって訳じゃなくて、ほとんどの学区に跨がって一定の割合で被害が出てるってのも気味が悪いよな」

「うーん……、確かに屋内にいた人も被害に遭ってるのも変な話だよね」

まどかにとって、集団昏倒の原因で思い浮かぶものといえば神経性のガスや食中毒などだが、今回の場合そのどちらにしても説明がつかない。

この不思議な事件は学園都市外でも噂になり、様々な憶測が好き勝手に語られていた。

SNS上でも『特殊な電波に寄るもの』『学園都市を疎ましく思う秘密結社の大規模クーデター』『宇宙人の襲撃』など都市伝説のような話まで飛び交っているのをまどかは知っている。

「そもそも学園都市が発表してる情報が全て正しいとは限らないしな。恩恵を受けてるうちらが言うのも何だが、あそこは他より進んだ科学技術で他国と対等に渡り合えるまで成長した都市だ。ある程度情報規制はされてると考えるのが自然だろう」

まどかが住む見滝原市は、近年学園都市からの援助を受け急速に発展した街だった。

そのため、彼女の通う中学校をはじめ、公共施設の外観や設備も他の都市と比べて洗練され、どこか未来的なイメージを受ける。

地元の政治家の一部は最初「これは学園都市の実験だ」と反対していたが、いつの間にかそう言った意見も聞かなくなった。

住民にしてみれば、より快適に暮らせるようになるのだ。反対する理由はない。

きっとその政治家も、科学の恩恵による誘惑に負けたのだろう。

まどかがそんな事を思っていると、丁度知久がプレートを両手に持って運んできた。






「お待たせ。今日はさっき採れたトマトをサラダに、ホウレン草をオムレツに入れてみたんだ」

真っ白なプレートには、半切りにされたプチトマトとレタス、キュウリのサラダ。さっと湯通ししたホウレン草を混ぜ込んだフワフワのオムレツが綺麗に盛り付けられていた。

「うわぁ、おいしそう、いただきまーす!」

「トーストも焼けたよ」

「コーヒーのおかわりお願い」

「うん、了解」

オムレツをナイフで切り分け幸せそうに頬張るまどか。

知久はそんな娘の表情に柔和な笑みを浮かべながら詢子のカップにコーヒーを注ぐ。

「今日も遅くなるのかい?」

「うん。ちょっと最近立て込んでてな。気張り時なんだ」

「あんまり無理はしないようにね」

「うん、サンキュー」

鹿目家は妻詢子が働きに出て、夫知久は専業主夫として家族を支えている。

結婚当初は逆だったらしいが、効率重視の詢子の意見で今の形になったと、まどかは聞いている。






朝食を食べ終えると、洗面台の前で歯を磨きながら詢子と他愛もない母娘の会話をする。これもいつもの日課だった。

「でね、和子先生なんだけど今度は上手くいきそうなんだって」

「アイツいつもそう言って上手くいった試しがないからなぁ。もういい歳だし、そろそろ身を固めて欲しいんだけど」

彼女たちが話しているのはまどかのクラスの担任教師である早乙女和子のことだ。

彼女は詢子の旧友でもある。

「和子もそうだけどまどかはどうなんだ? 中学入って告白の1つはされたのか?」

「ええっ!? そんなことある訳ないよ! む、無理だよ私なんて……」

「そうか? もしかしたら隠れまどかファンがいるかも知れないぞ」

「そんなぁ、ないって……」

謙遜するまどかだが、周りのクラスメイトや友達がラブレターを貰っただの告白しただのされただの、そういった類の恋愛話を耳にすることはよくあった。

その度に、少し羨ましいと思ってしまうのも事実だ。

自分に自信がある訳ではないが、もしこれから色恋沙汰に全く無縁で学生生活を終えるというのもいくら何でも寂しすぎる。

詢子はまどかの横顔をチラリと見ると、何本か置かれたリボンの中から一番派手な赤いものを手に取った。

「よし、今日はこれにしな!」

「えー? 派手すぎない?」

「派手なくらいが丁度いいんだよ。アンタは自分からグイグイ行くタイプじゃないんだから、せめて見た目だけでも気を遣って周りに印象付けなきゃ」

「うーん……、そうなの、かなぁ?」

「そうなんだよ」

何の根拠があるのか知らないが、詢子は断言する。

「いいかまどか、恋愛はサッカーと同じだ。自分で立ち位置を考えて動かないといつまでたってもパスは回ってこない。じっとしてても打球が飛んでくる野球とは違う」

「な、何で球技で例えたの……?」

「分かりやすいだろ?」

正直微妙な例えだと思ったが、そんなことを口にするほど彼女は愚かではない。

本人が傑作だと思ったものに対しては、明確な反論がない限り取り敢えず同意しとくのが円滑な人間関係を築く秘訣なのだ。

詢子に言われた通り赤いリボンを身につけ、まどかは支度を終える。

時計を見れば、そろそろ家を出なければ友達と待ち合わせした時間に間に合わない。

「じゃあママ、私先に行くね」

「おう、行ってらっしゃい!」

「行ってらっしゃいまどか」

知久もキッチン朝食の片付けをしながら背中越しに声をかけた。

「行ってきまーす!」

ドアを開けて家を飛び出すと、スッキリとした秋晴れの空が一陣の風と共に出迎えてくれた。

まどかはスカートを押さえつつ、いつもの登校ルートをいつもと同じように足早に駆けていく。

これが、鹿目まどかにとって朝の日常だった。






美樹さやかと志筑仁美は姫名川沿いのランニングコースで鹿目まどかを待っていた。

別にまどかが遅刻している訳ではないが、生活習慣の違いか、自然と2人がまどかを待つ構図になっていることが多い。

「……ふぁ~あ。あら、失礼」

さやかがボーっと川の流れを眺めていると隣にいた仁美が口元を押さえて涙目になっている。

あくびを噛み殺そうとしたが、声が出てしまったようだ。

「眠そうだね。昨日は日本舞踊だっけ」

「ええ。思いの外稽古が押してしまって、今日の授業の予習をしていたら深夜までかかってしまいましたわ」

仁美は裕福な家庭の箱入り娘であり、日本舞踊の他にもピアノや茶の湯など様々な習い事をしている。

もっとも、その大半は本人の希望ではなく、半ば両親からの強制らしいが。

「そんな状況でもちゃんと予習してくるあたりさすがは仁美だなあ。あたしなら誰かに聞けばいいやって思っちゃう」

私も本当はそうしたいのですけれど、と仁美は本音を漏らし、

「そうやって他の人に頼ってばかりいると、結局受験の時自分がしっぺ返しを食らうことになりますから」

「うへぇ……」

"受験"という単語が出た途端、さやかは露骨に嫌そうな顔をする。

「朝からテンション下がるようなこと言わないでよー。あー……、考えてみれば来年の今頃は受験に向けて皆ピリピリしてんだろうなあ」

彼女たちは現在中学2年生。あと半年も経たない内に3年生になる。

計画的な生徒ならもうそろそろ準備を始めているかもしれない。

「そうですわねぇ。そうなると、今みたいに登校前ゆっくりする時間も無くなるかも……」

「えー! あたしこうやって仁美と駄弁ってるの結構好きなんだけど。やだよ仁美ー、寂しいよー」

さやかはわざとらしく仁美に抱きつき、ゆらゆらと左右揺さぶる。

だが仁美にとっての受験が自分のそれとは意味が異なることは分かっている。

仁美とは小学校時代からの付き合いだが、彼女はその時から様々な習い事で忙しそうにしていた。

そういった事情や彼女の家柄を考えても、その辺の中途半端な高校への進学など許してくれないだろう。

有名なお嬢様学校か、難関大学への進学者を毎年多数輩出している進学校か。

お世辞にも勉強ができるとは言えないさやかには候補にすら挙げようと思わない学校に違いない。

別に学校が別になったからといって友達じゃなくなる訳ではないが、それでも今と同じようにとはいかない。

一緒にいる時間は、確実に激減する。

当然そういったことは口にも顔にも出さず、さやかはいつも通り明るく努める。

どうしようもないことは考えない。今を楽しく生きるのが彼女のスタンスだ。

「さ、さやかさん! どさくさに紛れて脇腹をつつくのはやめて下さい。ーーひうっ!」

「おやおや、今の声はなんですかな?」

しまった、という顔をする仁美。

こういう反応はさやかが一番喜ぶ類のものだ。

現に彼女の顔を見ると、ニヤニヤとガキ大将のような凶悪な笑みを浮かべている。

仁美は両脇を締めると、加虐心に目覚めた親友から逃げるべく、反対側から駆け足でこちらに向かってくるもう1人の親友に助けを求めることを決めたのだった。


        ☆



「0930事件、ねぇ……」

SNSのタイムラインに流れてくるワードを拾いながら、誉望万化はポツリと呟いた。

ここは学園都市にある高層ビルの中。

2つの部屋をぶち抜いたような広大な空間には不自然なほど物が少ない。

殺風景な部屋に無造作に置かれたソファに背をもたれながら、彼はタブレットを操作している。

「はぁ……、もう10月だってのに何なのかしらこの暑さは」

すると、その台詞に反して非常に涼しそうな格好をした少女が入ってきた。

ハイヒールに真っ赤なドレスを着た彼女は、街頭で貰ったのだろうか、その格好に似合わず居酒屋のロゴが入ったうちわで顔を扇いでいる。

「……誉望さん、誉望さん。私、友達とショッピングする夢が叶いましたぁ!」

続いてニヘラァ……、だらしない笑顔を浮かべて入ってきたのは髪をツーサイドアップにまとめた少女だ。

肩にかけられたスクールバックには『弓箭猟虎』と書かれたネームシールがある。

これで『ゆみやらっこ』と読む。

「いやショッピングって……、ただコンビニ行ってただけだろ」

「しかも友達じゃないしね」

ドレスの少女がうちわの柄を向けながらツッコミを入れる。

ひ、酷い! と喚く少女を無視して誉望はビニール袋からペットボトルの炭酸飲料を取り出す。

対してドレスの少女はカップのアイスコーヒーをストローで啜りながら、

「何見てたの」

「ん? いつも通りリアルタイムの情報を漁ってただけだよ」

「はぁ、今なんてどこ見たって0930事件の話題で持ちきりでしょうに」

「ご名答」

誉望は強めの炭酸で喉と胃を潤しながら、

「物的被害は少なかったから実感が湧きにくい部分はあるんだろうけど、それを抜きにしても学園都市に衝撃を与えるには十分だ」

「むしろ目に見える被害が少ないからこそ、分からない部分を憶測で埋めようとして、確証の無い噂が飛び交う原因になっているんでしょうね」

「だろうな」

誉望はドレスの少女の言葉に頷く。

学園都市は9月の終わりに外部からの大規模攻撃を受け、パニックに陥った。

しかし、攻撃といっても街がめちゃくちゃに破壊された訳ではなく、大量の死体がそこら中に転がったという訳でもない。

ただ音もなく、学園都市内のあちこちで謎の集団昏倒事件が起きただけだ。

そして彼らは、全員もう回復している。

起こった日付から『0930事件』と呼ばれるこの出来事は、学園都市ならず、今や日本中でトップニュースになっていた。

「でも不思議ですよね。原理も何も分からないのに何で外部の攻撃だって決めつけるのか」

そう言って、パックのオレンジジュースを飲みながら弓箭猟虎はソファの背もたれに座った。

「統括理事会がそう発表してるからな」

「でもそうなると、学園都市の科学技術を持ってしても解明できない技術を持った集団がいるという事になるわね」

ドレスの少女の言葉に3人は一斉に黙る。

結局今世間を騒がせている理由はそれだった。

なぜ科学の最先端を行く学園都市が原因を把握できていないのか。

学園都市を襲った未知の科学技術とはーー?

そこに天使だの変な格好の女だの黒い翼だのといった関連性があるかどうかも分からない都市伝説の用な噂話が絡んで、各々が勝手なストーリーを作り出していた。

「何だか、SF小説のあらすじ読んでるみたい」

誉望のタブレットを勝手にスライドしながらドレスの少女は溜め息をつく。

「まぁ、確かにこの中のほとんどは読む価値もない書き込みなんだろうな」

でも、と誉望は続けて、

「こういったある種の話題で持ちきりの時こそ、本当の情報をカモフラージュしやすかったりするんだよ」

傍らの少女2人が、ん? という表情をする。

補足を求められていると思った誉望はタブレットの画面を2人に見えるようにして、

「例えば、こんな書き込みとかな」

「『見滝原市を中心に、最近謎の失踪事件多発……?』」



        ☆




「何それ?」

タブレットの書き込みを訝しげに見つめながら、ドレスの少女は半ば呆れたように呟いた。

「今回の依頼」

「は?」

「見滝原やその周囲で怪死や行方不明になる人が多発してるのは事実なんスよ。それを調査しろってさ」

「はあ……。何で私たちが……?」

「確か、見滝原って学園都市と提携して急発展してるとこですよね」

口元に指を当てて考えるようにしながら弓箭猟虎が言う。

「でもそんなのどこででもあり得る話ですし、そもそも県警の管轄なのでは? 私たちの出る幕ではないと思うんですけど……」

彼女が言ってる事はもっともだった。

いくら繋がりがあろうと、街中で起きる出来事全てに干渉していてはきりがない。

学園都市は(体面上は)あくまで一自治体という扱いであり、他の自治体を調査する権限などない。

だが、

「そりゃあ地方の一般市民が多少どうなろうが学園都市は歯牙にもかけないだろうさ」

誉望は何かを確信しているように言う。

「でも忘れてないスか? 見滝原は事実上学園都市の庇護の下成長を遂げた街だ。当然あの統括理事会が博愛精神に満ちた慈善事業としてそんなことする訳ない。見返りはきっちり貰ってる」

「まあ確かにあの街には学園都市の出先機関がたくさんありますしーー」

と、そこまで言ったところで猟虎がハッ、と何かに気づいたような表情をする。





一瞬の沈黙の後、ドレスの少女がなるほどね、と静かに呟いた。

「研究員がやられたのね」

「それも1人や2人じゃない。不思議っスよね? いくら外部とはいえ、一応学園都市の研究機関だ。セキュリティに抜かりはなかったはずなのに」

学園都市が派遣した研究員。

それはもちろん大学を出たばかりの若手研修生などではない。

情報漏洩を防ぐため、選ばれた精鋭にそれをさらに監視する何重ものシステム。

世間一般には発表されていないが、当然最新鋭の技術を盗もうとするよからぬ輩の襲撃も想定に入れて、それなりの武装も常備されているはずだった。

その中で起こった、集団失踪事件。

施設が荒らされた形跡もなく、見事に人影だけが切り取られたように消えていたという。

「何人かが結託して逃げ出したとかは……、科学技術を外部に売るために」

「学園都市から外部に出る時は、ミジンコサイズのナノデバイスを血管に注入されるわ。どこへ逃げたってGPSで丸わかりよ」

「じゃあ」

「ま、そういうことだよ」

タブレットをカバンにしまい、誉望は手をヒラヒラと振りながら言う。

「半端な部隊を送り込んでも返り討ちにされると踏んだんだろう。それで俺たちに白羽の矢が立ったってこと」

「0930事件に続いてのこれ。統括理事会はある程度目星を付けてるのかしら」

「うーん……。でもそうなるとかなり危なくないですか? 相手は短時間で都市機能を麻痺させて研究員を痕跡すら残さず暗[ピーーー]るほどの手練れなんですよね」

「この2つの犯人が同じかは分からないけど、まあ危険なのは事実だな」

そこまで言って、誉望はハアと溜め息をついた。

他の2人もそうだが、話の内容の割にはどこか口調が軽い。

まるで、強力な後ろ楯により自分たちが犠牲になることは絶対にないとでも言うかのように。

「ま、ただ俺たちがここであーだこーだ言ってもしょうがないスよ。決めるのはあの人だし」

「そうね。彼も色々と"準備"をしてるみたいだから、恐らく断るんじゃない?」

誉望も同意見だった。

0930事件以来、学園都市の防衛網は弱点が露呈した形になってしまっている。

その隙をついて、いくつかの暗部組織が人目につかないところで様々な企てをしていた。

そして彼らもその中の一つであり、とある目的の為に着々と準備を進めている。

だからこんな依頼受けられるはずがない。

そう思っていたからこそ、誉望は楽観的に考えていたのだがーー。

        ☆



「おう、いいんじゃねえの?」

「はぇ?」

予想外の好反応に、誉望万化はキョトンとした顔をする。

そこにいたのは背の高いガラの悪そうな少年だった。

少年の名は『垣根帝督』。

彼ら『スクール』をまとめるリーダーである。

驚いたような表情の誉望に彼は言う。

「何か問題でもあるのか? 統括理事会経由で回ってきた正式な"仕事"なんだろ? 直轄の組織である俺たちがそれを受けるのがそんなに不思議か?」

垣根の言葉に、誉望はやや困惑しながらも首を横に振る。

「にしても前の騒動に続き今度は"外"ときたか。アレイスターのクソ野郎はどこまで把握してんのか。案外、ビルの中では顔面蒼白にして焦りまくってたりな」

詳細が記された電子メールを眺めながら、彼は気軽な調子で言う。

ビルというのは学園都市統括理事長アレイスター=クロウリーが鎮座する漆黒のビルの事だ。

入り口どころか窓すらなく、外から中の様子を伺い知ることはできない。

「本気?」

頬杖をつきながらドレスの少女は訝しげに目を細める。

「『ピンセット』の方は諦めるの? その為に色々準備してきたんでしょ?」

「別に諦めた訳じゃないさ。ただこっちの依頼に底知れぬ可能性を感じただけだ」

「?」

何を言いたいのか分からないといった様子の少女。

彼女は『心理定規(メジャーハート)』という精神干渉系の能力者だが、あくまで他者と自分との"心の距離"を操作するものなので、相手の心の内は読めない。

他の2人も同様の反応で、それを見た垣根は面倒臭そうに溜め息をついた。

「察しが悪いなオマエら。いいかよく考えろ。俺たちは今まで何に向けて準備してきたんだ? 一体誰を相手にしようとしてる?」

「何って、そりゃあ……」

3人は顔を見合わせる。

だが誰も答えを言おうとはしない。

いまいち垣根の意図が掴めていないようだ。

「まだ分かんねえのかよ……」

彼は半ばあきれたように、

「俺たちはアレイスターを出し抜こうとしてんだぞ。『ピンセット』云々もあくまでその為の手段だ。それ自体が目的じゃねえ。履き違えんなよ」

学園都市に対するクーデター。

そんな大層な計画を彼は本気で実行しようとしていた。




「何もわざわざ相手の得意分野で勝負してやる必要はねえ。『土俵外』に引きずり降ろせるならそれに越したことはないと思わないか?」

得意分野。

学園都市の統括理事長であるアレイスターにとってのそれは、まさしく科学や超能力そのものだろう。

ならその範囲外とは、

「……垣根さん。それってもしかして今ネット上で話題になってる『超能力以外の異能』って奴っスか?」

それは半ば都市伝説のような噂だった。

9月30日に学園都市の襲った謎の現象。

学園都市の科学力を持ってしても解明できないのならもうそれは科学ではない何か別の未知の力なのではないのかという。

「別におかしな事はねえだろ」

しかし、垣根は至極真っ当な顔で言う。

「この街で実用化されてるのが量子論に基づいた能力ってだけで"その他"がないとは限らねえ。まだこの世界には俺たちの知らねえ法則が眠ってるかもしれねえぞ?」

「な、何だか変に夢のある話ですね」

おずおずと弓箭猟虎が発言する。

「『超能力者(Level5)』のあなたが言うと何だか凄く違和感があるけどね」

「じゃあ垣根さんはそれを見つけて自分の糧にしようと?」

「対価としては悪くねえ」

あくまで可能性の話だが。と垣根は前置きした上で、

「もしこの一連の事件が本当に学園都市外の能力に依るものだとしたら、ソイツをモノに出来ればアレイスターに対する有効打になり得る。正直、まだまだ手札は足りねえ。かき集められるだけ集めといた方がいい」

「……そう、分かったわ」

垣根の言葉に、あっさりと心理定規は同意した。

と言っても『スクール』では彼がリーダーであり、彼の意思がグループ全体の意思である。

垣根が一度言い出した事を引っ込めるような性格でないのを彼女も知っているからなのだろう。





「もし見当違いだったらどうするの?」

「そん時は適当な理由でっち上げて引き上げるさ。ボランティアに付き合ってる暇はねえしな」

「はあ……、初めから仕事をこなす気はないのね」

気だるそうに息を吐く心理定規。

その横で弓箭猟虎は何故かソワソワしていた。

「あの……、あの……!」

「ん? どうした弓箭?」

不思議な顔で誉望が声をかける。

当の本人は、まるで新作のゲームを待ちわびる子供のような表情で、

「これって……、初の"外"での任務。当然泊まり掛けになるんですよね?」

「んー、そりゃそうだろ。さすがに見滝原まで日帰りはキツいと思うぞ」

いつ終わるかも未定だしな、と誉望は言う。

「てことはてことは……! これって……! 皆で……! お泊まりって事ですよね!? わ、私今まで友達と泊まり旅行とかしたことないんです……! わー、色々準備しないと! ト、トランプとか持って行っていいですか!?」

「いや、旅行じゃないし。てか泊まり初めてって? 修学旅行とか無かったのか?」

「休みました。ボッチが行っても楽しくないので」

「何て悲しい理由……」

しみじみとツッコミを入れる誉望。

そんな2人のやり取りを見ていた垣根は面倒臭そうな顔をしていた。

彼は言う。

「盛り上がってるところ悪いが行くのは俺と誉望だけだぞ」

「へ!?」

誉望と猟虎、2人から間抜けな声が出た。

心理定規は、特に反応もなくじっと垣根の方を見ている。

「オマエらよく考えろ。全員で"外"に出て、もし仕事が長引いたら誰が『ピンセット』回収するんだ?」

「あら、それはもう諦めたんじゃなかったの?」

「諦めてはいないさ。ただ魅力的な仕事が同時に舞い込んだからそっちにも戦力割くってだけだ」

ええー! と弓箭猟虎が悲痛な声を出す。

「せっかく……! せっかく夢が叶ったと思ったのに」

ううぅ、と露骨にテンションを下げる猟虎。





そんな彼女を気にも留めず、垣根は淡々と役割分担を言い渡す。

「俺と誉望は見滝原で研究施設中心に調査をする。その間、オマエら2人はトラブルが起きた時に対処できるよう学園都市で待機しとけ」

彼は続けて、

「もし実験予定日までに俺たちが戻れそうも無い時は下部組織の連中と協力して『ピンセット』を奪え。いいか?」

ふぁい……、と猟虎から気の抜けた返事が聞こえた。

他の2人も異存はないようなので、決まりだな。と彼は言って電子メールを返送する。

そうしながら垣根は薄く笑みを浮かべていた。

彼はこれからの予定に希望を馳せる。

学園都市製ではない未知の能力。

ネット上では都市伝説と同列に扱われるようなこの話題も、彼はそれなりに信用を寄せていた。

彼らは学園都市のカリキュラムを受けて発現した能力を扱うが、その中にもあるのだ。

どれだけ能力を解析しても、説明のつかない空白の部分が。

そのわずかな不明点をノイズとして切り捨ててしまう学者もいるが、垣根はそこにこそ能力運用の真髄があるのではないかと考えている。

彼の扱う超能力『未元物質(ダークマター)』。

垣根自身、この能力を隅から隅まで把握しているとは言い難かった。

能力の運用方法は分かるが、それを構成している理論の輪は完全に閉じておらず、一部異物のようなものが混じっている。

それを解き明かした時こそ、新たな制御領域の拡大(クリアランス)を取得し、完全に能力を支配下に置けると彼は信じていた。

「しっかし今回は、本当に棚からぼた餅になるかもなあ」

「……?」

何でもねえよ、と垣根はぶっきらぼうに言う。

あくまで可能性。

だが、もし今回の見滝原の遠征で未知の法則を発見できれば。

それを、上手く取り入れられれば。

"外"から能力を見直す事で、『未元物質』に新しいインスピレーションを付加する事ができれば。

彼はポツリと呟いた。

「……正直まだ中盤戦くらいだと思ってたが、ひょっとしたら一気に詰みまで行くかもなあ。アレイスター?」


        ☆



翌日。

朝からどこかへ出掛けていた垣根帝督は、昼下がりになってようやくホテルに戻ってきた。

「おかえりなさいっス」

「どうだ、何か分かったか?」

「……残念ながら有力な情報はないっスね」

誉望は作業に使っていたタブレットからいくつかのファイルを素早く開き、垣根に差し出す。

「あの後輩についてですけど、小さい方が『鹿目まどか』。ショートヘアが『美樹さやか』。二人とも特筆することもない普通の中学生です。調べましたが特に怪しいところは見つかりませんでした」

「んだよ使えねーな」

「すんません。その周りの交遊関係とかもあたったんスけど、本当に何の変哲もない一般人としか……」

はあぁ、とわざとらしい溜め息をついて垣根はドカッとソファーに座る。

ビクッと誉望が肩を震わせるが、彼は気にする素振りもなくソファーの背もたれに腕を乗せふんぞり返ってタブレットの画面を見つめる。

「え、ええとそういや垣根さんはどこに行ってたんスか? この街に観光するような所はないと思うんスけど」

「ああ、最近事件が起きた場所を回ってたんだよ。何か痕跡が残されていないかと思ってな」

垣根はタブレットで地図のアプリを開くと何ヵ所か印をつけて誉望へ突き返す。

印は繁華街や大型レジャー施設の周りなど、概ね人が多く集まる場所に付けられている。

「本当に魔法少女なんてもんが存在するならその『魔法』を使った形跡を未元物質でなぞって情報を読み取れるかと思ったんだが」

言うなれば、刑事が現場に残された血痕や遺留品などから容疑者の動きを推測するようなもの。

垣根曰く、レコードやCDを再生するように『魔法』を使用した際に付けられた細かい傷などを未元物質で読み取って情報を取得する事で、その場で何が起きたのか把握できるらしい。


「それで、結果は……?」

「何らかの能力同士が衝突した事はほぼ間違いない」

おお! と誉望が嬉しそうな声を出す。

一瞬遠のきかけた手がかりがまた一気に近づいた気がする。

やはりこの件に巴マミが関わっていることは間違いなさそうだ。

しかし対する垣根の表情は明るくない。

だが、と彼は前置きして、

「『魔法』とやらの詳細についてはよく分からん。俺たちの能力とは基礎となる理論やベクトルが違いすぎてその法則まで読み取ることは出来なかった。人間に紫外線や赤外線の色が識別できねえようにな」

そこに『何か』があることは分かってもそれが何なのかまでは分からない。それが今の彼らの状態。

しかし得体の知れない謎の能力が学園都市外にあるという事が分かっただけでも大きな収穫だと誉望は思う。

存在するかどうかも分からないものを追いかけるのとではモチベーションも変わってくる。

「いやいや十分っスよ。さすがは垣根さんです。昨日の今日でもうホシを特定するなんて」

「だが『痕跡』からじゃこれ以上の情報は得られそうもない。そうなると、やっぱり直接能力に見て触れて解析するしか手はねえようだな」

「と、いうことは……」

「……ああ、巴マミとコンタクトを取る」

少し考えて垣根は言った。

「全てが奴の仕業とは言い切れねえが。絶対何かしらの情報は握ってる。探偵ごっこしてる暇はねえし、直接会って話をつける」

「え、いいんスか? 相手が友好的とも限りませんし、万が一口封じにってことも……」

「最悪それならそれで構わねえよ。向こうが『魔法』を使ってくれりゃあ、そこから逆算する方法もあるしな」

まあそうならないのがベストだが、と垣根は付け加える。

何せ相手の能力は未知数。しかも学園都市製ではないときた。

第二位の超能力者(LEVEL-5)と言う肩書きは何の役にも立たない。

現に、最新鋭の防犯設備を持っているはずの研究所はあのザマだ。

不安を募らせる誉望に、垣根は巴マミの現在地を調べるよう命令する。

彼女の居場所はすぐに分かった。

「……にしても魔法少女、か」

ボソリと垣根は呟く。

「なあ、本当にそんなのが実在するとして、そいつは一体何の為にいるんだろうな?」

「え? そ、それは……、街を守るため、とか?」

「何から?」

「え、ええ!? そりゃあ魔法少女の敵だから、例えば『魔物』とかっスかねえ?」

答えを聞いて、ハッ、と垣根は小さく笑った。

よく分からないが、的外れな解答で気分を害した訳ではないようだ。

困惑する誉望に、さっさと準備しろと急かして彼は部屋を出ていってしまった。


「ハァ、大丈夫なのかよ、本当に……」

呟きながら誉望は機材がぎっしり詰まったアタッシュケースを持ち上げる。

機材といっても色々だが、今回の場合中に入っているのは主に彼の能力のサポートをする為の物だ。

別に無くとも能力は使えるが、そのままだと能力自体の汎用性が高すぎて起こす事象のイメージがボヤけてしまう事がある為、機材と自分の意識をリンクさせて主に思考を切り替える際のスイッチとして使うことが多い。

その他いくつかの使い慣れた『仕事道具』と共に、彼はキャリーバックの中から黒光りする拳銃を取り出した。

冷たい感触と重量感が生々しく手に伝わってくる。

「……まあ気休めだけど。無いよりはましか」

普段からあまり使わないせいか、マガジンに弾をこめる動作もどこかたどたどしくなってしまった。

学園都市は超能力の街。何かトラブルがあれば基本的に能力で対処する。

別に信条がある訳ではないが、すぐに武器を持ち出すのは武装無能力集団(スキルアウト)共を連想してしまって、どうにも誉望は好きになれなかった。

そもそも高位の能力者ならば、民間企業が作った携帯武器なんかより自分の能力を使った方が遥かに強いというのもある。

現に第二位垣根帝督は仕事の際もいつも手ぶらだ。

誉望はその事を少し考えたが、まああくまで予備の予備だから、と自分に言い聞かせ拳銃をジャケットの裏に隠す。

そもそも彼らが派遣された目的は調査と原因究明であり、街の制圧などではない。

学園都市としても見滝原との関係が悪化するのは防ぎたいだろうし、恐らく技術の漏洩阻止の意味もあるだろうが、指令書には極力武力行使は控えるようにと書かれてあった。

垣根個人の目論見にしたって、これを使うようなシチュエーションになればその時点でほぼほぼ失敗と言っていい。

「頼むからトラブルが起きませんように。こんなところで死ぬなんて真っ平ごめんだぞ」

街の外に出た以上、学園都市の後ろ楯にはあまり期待していない。

使わないに越したことはない物騒な機器類を身に纏い、最新科学に囲まれて育った誉望万化は胸の前で十字を切った。


        ☆


美樹さやかはエレベーターで一階の待合室まで降りてきた。

そこには親友の鹿目まどかが雑誌を読みながら待っている。

彼女はさやかの姿を見つけると、軽い調子で呟く。

「あれ? 結構早かったんだね。もしかして上条君と会えなかった?」

「いや、病室にはいたんだけどちょっと体調が良くないみたいでさ……。お土産だけ渡して、帰って来ちゃった」

「そう、なんだ。それは心配だよね」

不安そうな表情をするまどか。

さやかと小学校時代からの親友であるまどかにとって、その幼なじみである上条は知らない仲ではない。

そしてさやかが彼の様子に対してどんな思いでいるかも分かっているつもりだ。

「でもCDは渡せたんだよね? それならきっと大丈夫だよ。だってさやかちゃんが一生懸命選んだんだから。それを聞けば、きっと上条君も元気だしてくれるよね」

「そうだと、いいんだけれど……」

「……?」

何だか歯切れの悪い反応に、まどかは不思議な顔をする。

そんな様子に気づいたのか、さやかは何でもないよと笑って言う。

「いやいやその通りだよね! むしろそうでなきゃ一緒に選んでくれたまどかにも失礼だよ!」

「え!? いや、別にわたしは何も……! あれはさやかちゃんが上条君の為を思って選んだものなんだから。今は気分が乗らないかもしれないけど、絶対気持ちは伝わってるはずだよ」

「そうそう。大体2700円もしたんだから、ちょっとは喜んでくれないと散っていったあたしの数少ないお小遣いたちが浮かばれないっつーの!」

金額の問題じゃないと思うけどなあ、とまどかは呟き、二人は病院を後にする。

病院の駐輪スペースはエントランスの裏手にある。

さやかの自転車を取りに行く道中、彼女たちが人通りの少ない、側面のガーデニングスペースへ通りかかった時だった。

「ん?」

と、さやかが急に立ち止まった。

彼女の視線の先……、コンクリートの壁に何か小さなものが突き刺さっている。

「これって……」

まどかも続いて視線を向け、ぼそりと呟いた。

イヤリング程の大きさに、球状になった中央部は禍々しくも感じる怪しい光を放っている。


その独創的なフォルムに二人は見覚えがあった。

「グリーフシード……? 何でこんなところに?」

「確か、マミさんがソウルジェムを浄化するのに使ってた物だよね。退治した魔女の残骸みたいなもので、魔法少女にとってはかかせないものだって話だったけど」

まどかはキョロキョロと辺りを見回す。

近くに魔法少女がいて置きっぱなしにしているのかと思ったが、魔法少女どころか人影すら見当たらない。

「使い終わって捨てていった。て感じでもないよね。めっちゃ輝いてるし。そもそも何で壁に突き刺さってんの?」

「うーん……それは分からないけど。でも使い終わったグリーフシードって確かキュゥべえが処分してたよね? それに……うまくは言えないんだけど、前に見たグリーフシードと様子が違う気がする」

「んー? どの辺りが?」

「輝き方? が前と違って強弱があって、何か『脈を打ってる』ようにも見えるような……」

そうかなあ? とさやかを首をかしげる。

魔法少女だったり願いを叶えてくれる動物だったりここ最近で起きた事のインパクトが強すぎて、そんな細かい所まで覚えていないのか。

「まあよく分かんないけど、これを目当てに争いが起こるほど魔法少女にとっては必要不可欠なものなんでしょ? なら持って帰ってマミさんにでも渡そうかな」

と、さやかは深く考えずグリーフシードを引っこ抜こうと手を伸ばす。

だがその手にグリーフシードが収まる事はなかった。

彼女の指先が触れた途端その輝きが一層増し、同時に発生した衝撃波の様なものがさやかの身体を数メートルも弾き飛ばす。

「ーー!? きゃあああああああッッッ!!?」

「さ、さやかちゃんーーッ!?」

驚いたのはまどかの方だ。

隅にある小さな菜園にお尻から突っ込んだ親友に慌てて駆け寄ろうとしたまどかは、そこで視界の端に小さな白い影を見つけた。

「キュゥべえ! どうしてここに!?」

思わず立ち止まったまどかの前に割り込むように、キュゥべえと呼ばれる生き物はさやかの下へ走っていく。

「さやか! 大丈夫かい?」

その声を聞いて、さやかはよろよろと起き上がる。

柔らかい土壌がクッションになったのか、大した怪我はなさそうだ。


さやかはまどかとキュゥべえを交互に見ると、パンパンとスカートについた土を払い、

「一体何が起こったの……? グリーフシードじゃないのこれ?」

「グリーフシードだよ」

キュゥべえは被せるように言った。

ただし、と彼は続け、

「これはもう『孵化』寸前だ。このままだと魔女が生まれ、直に結界ができてしまう」

「ふ、『孵化』ぁ!?」

「『孵化』ってどういう事キュゥべえ!? グリーフシードはソウルジェムの穢れを取る為の道具なんじゃないの?」

不安と焦燥の混じった声でまどかは尋ねる。

もしかして、とその横で呟いたのはさやかだ。

「グリーフシードって魔女の卵なの……? そういや、マミさんが使い終わったグリーフシードはアンタが処分してたよね? それって新たな魔女が生まれないようにする為……?」

「じゃあ早く処分してよキュゥべえ! こんな所で魔女が生まれたら、大変な事になっちゃうーー!」

魔女は人間の感情を吸い取ってエネルギーにすると巴マミは言っていた。

ここは病院だ。

ただでさえ悩みを抱えていたり、苦しんでいたりする人が多く集まる場所でそういった『負の感情』を糧にする魔女が活動を始めたら一体どれだけの人が犠牲になるのか。

まどかの脳裏に旧繁華街の廃ビルで見た光景が思い浮かぶ。

あの時、魔女に操られた若い女性はビルの屋上から飛び下り自殺を計ったのだ。

これが魔女の卵だと言うのなら、さっさと処理しなければ同じ事が起きてしまう。

が、キュゥべえは静かに首を横に振った。

「悪いけど、それはできないよ」


「はあ!? な、何でさ!」

予想外の返事に勢いよく食って掛かったのはさやかの方だ。

そんな彼女を赤い目で見つめながら、キュゥべえは極めて冷静に言う。

「このグリーフシードは魔力で溢れている。こうなったらもう魔法少女じゃないと対処できない。実際、君はグリーフシードに触れる事すら出来なかったじゃないか」

「……ッ!」

さやかはギリリと歯噛みをする。

キュゥべえが手出しできない以上、残された選択肢は二つ。

知り合いの魔法少女ーーつまりは巴マミを呼んでくるか。

彼女たちのどちらかがこの場で魔法少女になるか。

「まどか! マミさんの携帯の番号知ってる?」

「えぇ!? あー、分かんない……」

クソッ、とさやかは心の中で毒づいた。

そんな彼女たちに向けて、キュゥべえが急かすように言う。

「早くしないと! 魔女が孵化して結界ができたら、場所が分からなくなってしまう!」

魔法少女が魔女の結界を探す時は、ソウルジェムに反応する魔力を足掛かりにして少しずつ場所を絞っていくしかない。

当然、そんな事をしている間に魔女は何人もの患者を食い物にするだろう。

時間がない。


「ど、どうしようさやかちゃんーーッ!」

さやかの額に汗が流れる。

自分が切れるカードと、そのリスクを天秤にかけて状況を整理する。

限られた短い時間の中、いくつもの思いが交錯した。

そして決断する。

「……まどか。マミさんを呼びに行って」

静かに、けれど力を込めた声でさやかは言った。

「あたしはここに残る」

「そんな!? 危ないよさやかちゃんッ!」

「分かってる! けど、そうしなきゃ何かあった時に誰も対処できないじゃん! もしもの時の『保険』が無いと、ここにいる人たちが犠牲になるのを防げない」

「さやか、ちゃん……」

「ここには恭介だっている。見捨てる事なんて出来ないよ!」

さやかの言っている意味とその決意は、当然まどかにも理解できている。

それでも逡巡する彼女にさやかはもう一度、行って、と小さく告げた。

「急ぐんだ、まどか」

それを後押しするように、キュゥべえが言う。

「大丈夫。さやかには僕がついている。どのみち、僕がいないとマミが結界を見つける事もできないし。さやかの言う『保険』も使えないしね」

「……、分かった」

まどかは少しの間キュゥべえとさやかの方を見て戸惑っていたが、意を決したように踵を返すと一目散に駆けて行く。

「すぐにマミさんを連れて戻ってくるから! 絶対無茶はしないでね!!」

小さくなっていく親友の背中を見送り、さやかは少しだけ表情を緩ませた。

「良かったのかい?」

傍らのキュゥべえが囁く。


「これで、もしマミが戻って来なかった場合君が魔法少女になるしか方法がなくなった訳だけど」

「分かってるわよ」

気だるそうに、しかしはっきりとした意思でさやかは答える。

「これはあたしの事情。だからあの娘を巻き込む訳にはいかないよ。……まどかは優しいから、もしあたしや恭介に危険が迫れば咄嗟に魔法少女になってでも助けようとするだろうからさ」

「だから彼女を遠ざけたのかい? でもそれで君が犠牲になれば結局まどかが悲しむ事になるんじゃないかな?」

「犠牲なんかじゃない」

明確な声でさやかは否定した。

「これはあたしの意思。もし何かの拍子でアンタと契約する事になったとしても、今のあたしにはそれに値するだけの願いがあるから」

忌々しく輝くグリーフシードを睨み付けながらさやかは言った。

キュゥべえからの返答はない。

その直後、グリーフシードの光が爆発的に増し彼女たちを飲み込んだ。

        ☆


鹿目まどかと巴マミは、急いで病院へと向かっていた。

マミが自宅にいてくれたのはラッキーだった。

もし放課後、友達とどこかへ遊びにでも行っていたらまどかは見つける事などできなかっただろう。

「早くしないと、さやかちゃんがーー!」

「落ち着いて鹿目さん」

半ばマミの手を引っ張るような体勢になっているまどかに、彼女は足を動かしつつも余裕のある声で諭す。

「グリーフシードが孵化してもすぐに魔女が活動を始める訳じゃないわ。そういった焦る気持ちさえ魔女は養分にする。むしろ今危ないのはあなたの方よ」

「そ、そうは言ってもさやかちゃんがーー」

「あの娘にはキュゥべえが付いているんでしょ? ならきっと上手く時間を稼いでくれているはず。不安になるのは分かるけど、そういう時こそ落ち着いてよく周りを見ないと、余計な犠牲が増えるばかりか救えるものも救えなくなるわ」

走りながらもマミはソウルジェムに反応するキュゥべえの位置を拾っていく。

まもなく病院の全景が見えてくる頃だが、結界の場所はほとんど把握できている。

住宅街を走り抜ける制服姿の少女二人に周りの人が奇妙な目線を向けるが、彼女たちは気にせず一目散に魔女の結界を目指す。

「ここね」

まるで見えない紐に引っ張られるように、結界の前まではすぐに辿り着いた。

「分かってると思うけど、ここから先は慎重に進むわよ。どこで使い魔の奇襲を受けるか分からないからね。鹿目さんも最大限警戒して」

「……分かりました」

短く答えて、二人は結界に飛び込んで行く。

そして、そんな彼女たちの姿を街中の監視カメラを通じて追う影があった。

「おーおーおーおー、よく分かんねえけど始まったみてえだな。自力で調べるしかねえと思ってたが、向こうから首差し出してくれんなら大助かりだ」

手元のタブレット端末を見つめながら芝居がかったように呟いたのは『未元物質(ダークマター)』の垣根帝督だ。

口の動きから発言を解析するアプリと、ハッキングされたカメラ映像を駆使する第二位はニヤニヤと不適な笑みを浮かべる。

学園都市の協力機関や出張研究所を狙った謎の襲撃者。

その重要関係者として巴マミに目星を付けていた垣根(と誉望)だったが、いくつかの手がかりからその疑惑はほとんど確信に変わりつつあった。

「垣根さん準備できました」

おう、と気軽な調子で彼は返す。

彼らは学園都市の裏で活動するいわゆる『暗部組織』の所属で、事件を解決する為の調査員として派遣されている訳だが、それとは別に彼ら自身の目的がある。

その為に準備してきた垣根は、目の前に降って湧いたチャンスを見逃すような人物ではない。

「せっかく舞台を整えてくれた訳だしそろそろ俺も行くとするかね。さて、鬼が出るか蛇が出るか。いずれにしろ、その薄皮一枚でも剥いで持ち帰りゃ俺たちの勝ちだ。学園都市の思惑なんてどうなろうが知ったこっちゃねえ」

そう言う垣根の表情に、不安や躊躇といった感情は見えない。

壮大な野望の為、彼らは行動を開始する。


        ☆


そして、

それとは別の目的を掲げる魔法少女、暁美ほむらも感知した魔力を頼りに総合病院の結界へと向かっていた。

度重なるループで得た記憶をもとに、このまま放っておいて迎えるであろう未来を彼女は良しとしない。

(学園都市の事とか、0930事件だとか色々と気になる事はあるけれど、いずれにしてもここで巴マミを失うのは戦力的にもまどかの精神的にも良くないわ)



        ☆



異彩に満ちた結界の中を、巴マミと鹿目まどかは進んでいた。

マミの姿は先ほどの制服とは一変し、今は白のブラウス、イエローのスカートにコルセットやブーツ、ベレー帽を組み合わせたどこか西洋人形を思わせる衣装に包まれている。

恐らく経験から来るものなのだろうが、辺りを警戒しつつもどこか余裕を感じさせるマミとは対照的に、半歩後ろを付いていくまどかは早く親友の下に駆けつけたいという気持ちとは裏腹に、その身体は緊張で震えているように見える。

「そんなに怖がらないで」

そんな彼女を見て、マミは手を優しく握るとゆっくりと言った。

「警戒してとは言ったけど、何かあったら絶対に私が守るから。大丈夫よ」

「は、はは。すいませんマミさん」

どこか気まずそうに、照れ笑いしながらまどかは目を逸らした。

「散々マミさんを急かしておいてわたしがこんな弱虫で……、情けないですよね」

「そんな事ないわ。結界が閉じる前に間に合ったのは鹿目さんが早く駆け付けてくれたおかげだし。それに私だって魔法少女になりたての頃は恐怖で足がすくんで……、いつもキュゥべえに励ましてもらってたのよ」

「へー……。マミさんでもそんな頃があったんですね」

今の彼女からは想像できないという純粋な疑問を口にするまどかに、マミはハア……と小さく息を吐いて、


「買いかぶり過ぎよ鹿目さん。私だってあなたや美樹さんと変わらない普通の中学生よ。ただ無理して強がって見せているだけ。全然大した事なんてないの」

「そんな……。で、でもわたしにとってはマミさんはカッコいい先輩ですよ! 使い魔に襲われた時も助けてくれたし。魔女退治に連れていってくれた時も鮮やかに魔女を倒してたし」

まどかが言うと、マミはニッコリと微笑んでありがとうと返した。

でも、と彼女は続ける。

「本当に私は強い人間なんかじゃないのよ。正直な事を言うと、今でも恐くてどうしようもない時もあれば思わず逃げ出したくなる時もある。……誰かに頼る事もできないし、辛い事ばかりよ」

でもね、とマミは言う。

「誰かがやらなくちゃ、犠牲になるのは何の罪もない人たち。だから私がやるしかないの。前に廃墟で見たでしょ? 魔女を放置してると、ああいう風に被害がどんどん広がっていっちゃう。私、魔女と戦うのは怖いけど、この街の人がそのせいで酷い目に遭うのはもっと嫌だから」

だから無理やり奮い立たせるしかないのよ、と彼女は言った。

何だか弱音の吐き合いみたいになっているが、彼女の口調に違和感はない。間違いなく本音なのだろう。

あくまで自主的にではなく、仕方なく。

好きでやっている訳じゃない。

だが、それを聞いたところでまどかは巴マミを軽蔑したりしない。

恐怖を恐怖と感じるのは人間として当たり前の機能だ。


「そうやって誰かの為に頑張れるマミさんは、やっぱり凄いですよ」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、魔法少女は魔女を倒さないとグリーフシードを得られないからね。どれだけ綺麗事並べたって結局は自分の為よ。だからーー」

「あんまり私を持ち上げないで。ですか?」

「……もう、意地が悪いわよ鹿目さん」

頬をプクッと膨らませてマミは拗ねたように言った。

それを見て、まどかは顔を逸らしてクスクスと笑った。

「すいませんマミさん。でも、マミさんがそうやって街の平和を守ってるの、本当に素敵だなって思います。誰にも感謝されずに、それでも頑張り続けるのってそんな簡単な事じゃないと思うから」

「……そう。一人でもそんな風に考えてくれているだけでも嬉しいわ。ならせめてあなたの前じゃ、カッコいい先輩でいなくちゃね」

少し照れながら言って、マミは再び周りを警戒しながら進む。

結界の中は、相変わらず例えようもない異様な空気に満ちている。

いつ使い魔が襲ってきてもおかしくない雰囲気だが、まだ結界ができたばかりで魔女が完全に『孵化』していないのか、彼女たちを妨害するようなものはない。

この調子なら特段被害もなく終わらせられるかもしれない、と少し楽観し始めた時。

再び真後ろの後輩から声をかけられた。


「マミさんは、やっぱり私の憧れです」

「まだその話するの? もう、そんなに褒めても何も出ないわよ」

半ば呆れて苦笑いするマミだが、まどかはただマミのご機嫌取りをしたい訳ではないらしい。

振り返ると、その童顔に似合わない真剣な表情で何かを訴えようとしていた。

意味が分からず困惑するマミに彼女は、願い事のことです。と短く告げた。

願い事。

彼女たちの間においてその言葉は、初詣でお賽銭と共に捧げるようなものを指すのではない。

キュゥべえと契約した者が魔法少女になる事を条件に得られる対価。

確約された未来。

それについての話となると、つまりはーー、

「魔法少女になる覚悟を決めたって事?」

「はい」

簡単な答え合わせだとばかりに、まどかは即答した。

「……それで、どんな願いにしたの?」

「……こんな事言うと、マミさんには甘いって怒られるかもしれないんですけど」

言いながら、彼女は少し目を伏せて、

「わたしの願いは、魔法少女になる事です」


「……、え?」

巴マミの脳内に疑問符が三つくらい浮かぶ。

魔法少女になる代償に叶えてもらう願いが魔法少女になる事とはどういう意味だ。

「……、魔法少女そのものに憧れているの?」

「『魔法少女に』憧れた訳じゃありませんよ」

「……なら、どうして?」

本当に意図が掴めなかった。

眉を細めるマミに、まどかは今度こそはっきりと言った。



「わたしは、マミさんのような魔法少女になりたいんです。マミさんと一緒に、皆を守っていきたいっていうのがわたしの願いです」



それは、本当に単純な答えだった。

あまりに突然な結論に、マミの思考がレールから外れる。


「魔女退治に同行させてもらった時から、ずっと考えていたんです。何でマミさんはあんなに誰かの為に頑張れるんだろうって。キュゥべえから聞いたんですけど、マミさん、グリーフシードを落とさない使い魔とも進んで戦っているんですよね? こうしないと他の誰かが苦しむからって」

小さな子供を説得するように、ゆっくりとまどかは語る。

「わたし、昔から自慢できるような特技とか、得意な科目とかも無くて……きっとこのまま誰の役にも立てずただぼんやりと生きてきていくんだろうなって思ってました」

「……、」

「でもマミさんと出逢って、あんな風に裏側から街の平和を守っている人がいるって知って……、そして自分にもその可能性があるって分かってやっと見つけたって思えたんです。自分のやりたい事」

拙い言葉で、しかしはっきりと彼女は言う。

「わたしはマミさんみたいな立派な魔法少女になりたい。何の取り柄もないわたしだけど、マミさんみたいに誰かを守れる存在になれたら、それでわたしの願いは叶っちゃうんです」

それは甘い誘惑だった。

今まで一人で魔女との戦いに身を投じて来た彼女にとっては、あまりにも優しすぎる言葉。

魔法少女は孤独だ。

どれだけ魔女を倒そうが、どんな窮地を救おうが誰にも感謝されない。

巴マミは別に見返りを求めている訳ではない。

だがそれでも思うところはあった。

命懸けで戦って、魔女に操られていた誰かを救ったとしても当の本人は自分が窮地に陥っていた事すら気づいていない。

ならば、それが自分である必要があったのかと。

いくら魔女の脅威を取り払っても、交通事故や病気で亡くなる人もいれば自[ピーーー]る人もいる。

わざわざリスクを犯してグリーフシードを回収できない使い魔まで倒す事が本当に魔法少女として正しい行動なのかと。

何度も自問自答して、それでも自分が皆の『当たり前』を支えているんだと無理やり言い聞かせて何とかやってきた。

どれだけ体がボロボロになっても、愚痴をこぼす相手さえいなくても。


誰にも認めてもらえなくても、それが課せられた使命だと信じて。

そんな彼女の行いを、鹿目まどかという少女は肯定し、尊敬すると言ってくれた。

誰も知らないが故、誰にも相談できず、判断さえ出来なかった行動原理の正誤。

それを唯一認めてくれた少女が垂らす、一筋の糸。

これは巴マミを引っ張り上げるものではなく、むしろ彼女を同じ境遇に引きずり込む為の糸だ。

堕ちれば、もう二度と這い上がれない暗い底。

永遠に続く恐怖と闘争の人生を、鹿目まどかはどこまで覚悟できているのか彼女は分からない。

冷静に考えれば、掴むべきではないだろう。

魔法少女になるリスクは、自分が一番分かっているのだから。

キュゥべえは魔法少女になる契約を交わすと何でも一つ願い事を叶えてくれる。

それは、逆に言えばそれほど魅力的な提案をしないと釣り合わないほどの責務を負わせるという意味でもある。

ならば、軽々しく決めるべきではない。

本当に人生を懸けてでも叶えたい願いがある人だけが契約するべきだ。そんな事は分かっている。

だが、都合が良すぎた。

鹿目まどかの言葉はまるで昆虫を惹き付ける樹液のように、少女の理性を越えてその手を伸ばさせる。


「……本当に、いいの?」

ほとんど無意識で彼女は呟いていた。

「何にも……できなくなっちゃうよ……? 遊びも、部活も恋も。怪我だってするし、怖い思いだってしょっちゅう……。それでもいいの? 本当に……本当に私と一緒に戦ってくれるの……?」

「はい。わたしでよければ」

言って、まどかはマミの両手を優しく包み込んだ。

両親のいない彼女にとっては、久しぶりの感触だった。

その慈愛に満ちた暖かさに、マミは胸の奥に溜まっていた黒いものが溶けていくように感じた。

それと同時に瞼の裏が潤い、何か熱いものが込み上げる。

「ありがとう……」

シンプルに、一言マミは呟いた。

今、彼女の中では色んな感情がごちゃ混ぜになっていてどう表現すれば分からなかったけれど。

全てを総括した、本心からの言葉。

ただそれだけ。
  
それを聞いた少女が、優しく笑った。

彼女が魔法少女になりたい理由は、誰かの役に立ちたいから。

その始まりに、魔法少女を知るきっかけとなった人を喜ばせる事ができたのだ。

この先どんな過酷な闘いが待ち受けているかは分からないけれど、どれだけの人々を守れるかなんて自信はないけれど。

ひとまずは一人。

これをきっかけにしていこうとまどかは胸の奥で思った。



        ☆



とはいえ、せっかく叶えてくれるというのならそれを無駄にする道理はない。

思い付かないなら一緒に考えようという事で、結界の中を歩きながら案を出しあう二人だったが、

「本当にないの? 何でもいいのよ。億万長者になりたいとか、素敵な彼氏が欲しいとか」

「うーん……。いまいちピンとこない、かなあ?」

欲望の塊のような願いを提案し続けるマミだが、この少女にとってはそれほど魅力的ではないらしく、どうも反応が鈍い。

価値観の違いか、単純に物欲が薄いのか。

いずれにしても、バブル世代を経験したおじさま方が、今の若者は活気がないなどと批判するのはこういうところにあるのかもしれないと巴マミはぼんやり考える。

ただ彼女にしても、後輩の為を思って色々とアドバイスしているのに、いつまでも煮え切らない態度でいられるのは面白くない。

ということで、

少し悪戯心も出てきたマミは、わざとらしくポンと手を叩いてこんな事をいい始めた。

「そうだ、じゃあこうしましょう! この魔女を倒すまでに願いが決まらなかったら、キュゥべえにお願いしてご馳走をいっぱい用意してもらうの! それで皆を呼んでパーティしましょ」

「え、えぇーー!?」

先ほどまでとうってかわってあまりにもスケールの小さい意見に驚きの反応を見せるまどか。


「そ、それはいくら何でも……」

「ならちゃんと自分で考える事。たった一回しかないんだから後悔しないような願いをね」

マミが言うと、少女は口に手をあてて本格的に考え始めた。

適当に考えたとはいえ我ながらそんなに悪い提案とは思っていなかったので、実はこの反応に若干傷ついていたのは内緒だ。

ただ願い事がすぐに思い付かないというのは現状に恵まれているからとも言えるし、それはそれで幸せな事だ。

マミがそんな風に考え、また結界の奥に向けて進もうとした時だった。



「忠告は無視されたようね」



突然背後から声が響いた。

彼女たちが反射的に振り向くと、そこには件の転校生、暁美ほむらが立っていた。

彼女は黒を基調とした魔法少女姿に変身している。

「あなた、あの時のーー!」

先に反応したのは巴マミの方だった。

マミの相棒であるキュゥべえを追い詰め殺そうとした件で彼女とは一触即発状態になっていた。

その時のケリをつけに来たのかと一瞬マミは思った。

だが、彼女は巴マミなど見ていない。

彼女の厳しい視線は、その隣にいる小柄な少女に注がれている。

「鹿目まどか、言ったはずよ」

ドライアイスのような声色で、彼女は告げる。


「今までと違う自分になろうとしてはいけないと。あなたはあなたのままでいればいい。自分を変えようと安易な力に手を出すと、ろくな結末を迎えないという意味だったのだけれど、伝わらなかったかしら?」

今までと違う自分になる。

それがこの場面で何を意味しているのかは明白だ。

「分かって、るよ……。でも、これはわたしが考えて、決めた事だから」

「それが周りの人たちを不幸にするものだとしても?」

「え?」

「あなたがやろうとしてる事は、巡り巡って壊滅的な事態を引き起こすわ。家族も、友人も全てを巻き込んでね」

「何でそんな事言い切れるのかしら?」

口を挟んだのは巴マミだ。

「さっきから好き勝手言ってるけど、どこに根拠があるの? 悪いけど、あなたの話は何一つ信用できないわ」

マミの口調は厳しい。

彼女はまどかを庇うように前に出る。

「大体あなたは何なの!? キュゥべえを追い回したり、鹿目さんに契約するなって迫ったり。一体何が目的? それが分からないのに一方的に要求されてはい分かりましたなんて言える訳ないでしょ」

「目的、ね」

ほむらは確認するように呟いた。

敵意のこもったマミの言葉にも、全く動じる様子はない。

「全てを説明しても分かってもらえるとは思えないけど、今回に至っては単純よ。あなた達、ここから手を引きなさい。この魔女は私がやるわ」

「……グリーフシードを横取りしようって訳」

「どう思うかはあなたの自由よ。ただ、ここの魔女は今までの奴らとは違う。後悔したくなければ、引き返しなさい」

「……ナメられたものね」

低く唸るような声で、マミは呟いた。

それと同時に、ほむらの足元から細長い物が飛び出した。

音も立てずに伸びるそれの正体は……、リボンだ。

黄色いリボンはほむらの手足に絡み付くと、あっという間に彼女を拘束する。

「ちょっーー! こんな事している場合じゃーー」

「悪いけど、その案には乗れないわね」

ほむらは身体を動かして抜け出そうとしているようだが、魔力が込められたリボンは濡れた縄のようにびくともしない。

「この先に後輩が待ってるの。魔女を倒してその子を助けたら、帰り際に解放してあげるからそれまで大人しくしてなさい」

彼女はもはやほむらの方など見ていなかった。

さっさと先へ進んでいくマミに、まどかは少し躊躇ったようだが、それでも後ろ髪を引かれるように付いていってしまった。


(クソっ!)

暁美ほむらは歯噛みする。

巴マミの行動パターンを読み違えていた事に後悔するが、考えられる事態の中でもこれは最悪だ。

このままいけばどんな事態が起こってそれが鹿目まどかや美樹さやかにどういった影響をもたらすのか、彼女はよく知っている。

そしてそれが、今後の彼女たちのどういった行動に繋がっていくのかも。

(このままでは巴マミが……。いや……最悪この場で咄嗟にキュゥべえと契約してしまうなんて事も)

考えれば考えるほど悲観的な未来しか見えなくなる。

身体に食い込むリボンが、思い通りにはさせないとほむらの意思を嘲笑っているようにすら感じた。

ただ、ほむらは一つ大切な事を忘れている。

それは『イレギュラー』の存在。

一見関係ないように思えても、実は意外なところで影響が出たりするものなのだ。

だからこその『イレギュラー』。

彼女にその事を思い出させたのは、背後から聞こえた足音だった。

「………………!?」

「オイオイ何だこりゃあ? 他にもいたなんて聞いてねえぞ」

背後から聞こえた声。

そこにいたのはスラリとした体型の、何だかガラの悪そうな少年だった。


彼は自宅の軒下に蜂の巣でも見つけたような表情でほむらを眺めている。

「テメエが一連の事件の犯人、って訳じゃねえよな。一体どういう状況だこれ? もしかしてそういうプレイなの?」

(一般人ーー!!? 間違って迷いこんだ!?)

「今すぐ引き返しなさい! ここは危険よ!」

ほむらは思わず叫んだ。

体が揺れ、リボンが食い込み締め付けられるが、そんな事はどうでもいい。

結界が完全に閉じれば、本当に出られなくなってしまう。

が、目の前の男は意にも介さず呆れたように肩を竦めただけだった。

「ハア……、そんな格好で言われてもな。ああそうだお前巴マミって奴知らねえ? 確かこの辺りにいるはずなんだが……」

「ーー!? 巴マミと知り合いなの!? 一体何者ーー!?」

「質問してんのはこっちだボケ。何? この先に居るのか? ならテメエに用はねえ。こっちは暇じゃねえんだ」

適当に言葉を吐き捨てて、彼は奥へ向かおうとする。

「待ちなさい!! あなたここがどういう場所か分かっているの!? 調子に乗ってると生きて帰れなくなるわよ!」

「ご忠告どうも。だがテメエこそ俺が誰だか知ってて言ってんのか? どこのどいつかも分からねえ奴にあれこれ言われる筋合いはねえよ」

そう言うと、ヒラヒラと手を振って男は結界の奥へ消えていった。

ほむらは唇を噛み締める。

あんなチンピラみたいなのが生き残れるとは思えない。

お化け屋敷にでも入った感覚なのだろうが、さっさと助けなければ犠牲が増えてしまう。

それに巴マミと知り合いというのも気になる。

彼女の周囲は一通り調べたが、その中にあんな少年はいなかったはずだ。

このまま二人とも死ねば、結局分からず仕舞いになる。

何とかして抜け出さなくては、と考えた時だった。



「うわっ! どうなってんスかこれ。まさか垣根さんの仕業!?」



新たな声が聞こえ、再びほむらの思考が、中断された。

        ☆



結界最深部。

さしずめ魔女が君臨する玉座といったところか。

ようやく辿り着いたまどかとマミはそこでさやか、そしてキュゥべえと再開した。

「マミ!」

真っ先に声をかけたのはキュゥべえだった。

「間一髪だったよ。間もなく魔女が産まれるところだ」

「そうみたいね。美樹さんも怪我はない?」

「はい、大丈夫です! よかったあ。マミさん来てくれなかったらどうなっていたか……。本当に助かりましたよ」

直接的な危機から解放されたからなのか、さやかは力が抜けヘナヘナと地面に倒れそうになっている。

「フフッ。お礼から鹿目さんに言う事ね。この子が急いでくれたお陰で間に合ったのよ」

「いえいえ、わたしは何も……。さやかちゃんが残って合図を送り続けてくれたお陰だよ」

「まあ、何はともあれサンキューまどか。やっぱ持つべきものは友達だねえ」

「……そろそろ魔女が産まれるよ。まどか、さやかは隠れた方がいい」

キュゥべえはそう忠告すると、マミの隣に移動した。

言われた通り、丸腰の二人はキュゥべえから離れ瓦礫の影に身を潜める。

「マミ、来るよ。気を付けて」

「分かってるわ。被害が出る前に終わらせてしまわないとね」


直後、グリーフシードが強烈な光を放った。

すなわち魔力の解放。

『器』に収まり切らなくなったエネルギーは、水風船が割れるように一気に周囲へ広がっていく。

その魔力は離れた所にいるまどかとさやかでさえも感じ取れたほど。

ピリピリと痺れるような圧力を頬に受け、二人は表情を強ばらせる。

唯一、直接対峙している巴マミだけが不適な笑みを浮かべていた。

彼女の視線の先に現れたのは、小型犬程度のぬいぐるみのような形をした魔女だった。

傍らのキュゥべえは告げる。

「結界の様子や使い魔の姿から分析するに、さしずめお菓子の魔女ってところかな」

「お菓子は私も好きだけど、入院患者をその材料にするのはいただけないわね。産まれたばっかりで悪いけど、完全に目が覚める前に倒されてもらうわよ!」

先手必勝。

巴マミは周囲にマスケット銃を展開すると、轟音と共に発射した。

弾丸を受けた魔女が勢いよく跳ねたところに、また別の弾丸が命中する。

まるでビリヤードのように小さな魔女の体が四方八方へ飛び跳ねる。

そうしながらマミはチラリと後ろを振り返った。

陰から見ている後輩の少女たちーー正確には、魔法少女になる決意を固めた鹿目まどかに向かってウィンクする為に。

(見ててね鹿目さん。先輩として、魔法少女の戦い方の模範を示してみせるわ)

「そこよ!」

魔女が弾かれてマミに向かって飛んでくる。

彼女は銃身を握ると、ゴルフスイングのようなフォームでそれを打ち返した。

空高く舞い上がった魔女は空中で縫い止められた。

先ほど暁美ほむらに使用したのと同じ、リボンによる拘束。


「おおっ! さっすがマミさん。鮮やかで隙がない!」

ギャラリー美樹さやかが歓声を上げると、マミは少しだけ口元で笑みを作った。

「マミ、安心しないで。まだ終わっていないよ」

「分かってるわよキュゥべえ。今、終わらせてあげるわーーッッ!」

叫びと共に、まるで攻城兵器のような巨大な大砲が現れる。

今まで数え切れない程使ってきたその魔法。

彼女を支える最後の切り札。

その照準が、小さな魔女を正確に狙う。 

「ティロ・フィナーレッッッ!!!」

閃光が瞬いた。

音が飛んだ。

『原子崩し(メルトダウナー)』にも匹敵するほどのエネルギーを持つ弾丸が、恐るべき速度で魔女を狙う。

自ら『究極の一撃』と評す秘技中の秘技。

恐らく小さな魔女の体は欠片も残らないだろう。

白い閃光が通過した後は、ただグリーフシードだけが閑散と転がっているはずだ。

いつものように。

それを回収してソウルジェムの穢れを取ってキュゥべえが使い終わったグリーフシードを処分して、

そんな未来しか考えていなかった。

だからこそなのかもしれない。

予想の範疇を越えた現象が起きた時、人はすぐに動けないものだから。


「………………………………え?」

巴マミは思わず間抜けな声を出す。

彼女の目の前に何か大きな顔があった。

初めて見る光景。

これは一体何だ?

よく見ると顔の奥は細長い身体が続いていて、その先は小さなぬいぐるみのような物に繋がっているようだ。

即ち、彼女が拘束し、殲滅したはずのお菓子の魔女に。

「あーー」

それを見て彼女はようやく理解した。

目の前にある物が何なのか。

そして、大きく口を開けた『それ』が今から何をしようとしているのか。

後ろに待機する少女たちが何かを叫んだようだが、もう彼女の耳には届かない。

もう遅い。

気づいた時には終わっていた。

永遠にも感じる時の中、大きな影が彼女を覆う。

鋭い牙や喉の奥が視界いっぱいに広がる。

巴マミは一連の流れをただ見ているだけしか出来なかった。

これで終わり。

そのはずだった。



突如駆け抜けた烈風が、彼女の身体を吹き飛ばさなければ。



視界が、歪む。

轟‼ という爆音が鳴り響いた。

手を伸ばせば届く位置にあった大きな顔が、高速で視界の端に流れていく。

そこまでして巴マミは初めて自分の身体が宙を飛んだ事に気付いた。

ジェットコースターに乗った時のような気持ち悪い空圧が、腹部を圧迫する。


「ーーき、ゃあああああああああああああああああああああッッッッッッ!!!?」

(何!? 一体何が起こったのーー!?)

風に飛ばされる空きペットボトルのように何度もバウンドして、最後は地面に叩きつけられるようにして止まった。

その最中で、魔女の細長い身体に何かがめり込んでいるのを見た。

(あれは、使い魔ーー!?)

勿論、魔女の手下がマミを助けるはずがない。

ただ風に煽られて飛んできただけだろう。

ならば、今の烈風を引き起こしたのは誰だ。

真っ先に思い浮かんだのは、先ほど拘束した暁美ほむらという少女。

彼女がどうにかしてリボンから抜け出し、援護してくれたのかと思ったが、

「あーあ、思わずぶっ飛ばしちまった。でもいきなり襲われたら反射的にこうなっちまうのは仕方ねえよな?」

聞こえたのは気だるそうな若い男の声。

コツンコツンとわざとらしく靴音を鳴らしながら声の主はこちらへ向かって来る。

「よお大丈夫かー? 何か巻き込んじまったみたいだが、別にわざとじゃねえんだ。悪かった悪かった。邪魔するつもりはねえから許してくれ」

本当に謝罪する気があるのかどうかも怪しいほどその声色は軽い。

彼は辺りをぐるりと見回すと、ほお……と感心するように息を漏らした。

「おお、スッゲエなこれ。今まで色々見てきたが、そんなの置き去りにするぐらいぶっ飛んじまってる。探せばあるもんだな本当に」

「一体ーー、何……言ってんのよ」

瓦礫の陰からよろよろと起き上がったのは美樹さやかだった。

彼女も風に煽られてどこかを打ったらしく、顔には苦悶の表情を浮かべている。

「ああ何だっけお前? まあ、どうでもいいや。『本命』は向こうだしな」

言って、少年は違う方向を指差した。

地面に尻もちをついている、巴マミの方を。

当のマミは、意味が分からないといった表情で目を丸くしている。

まだ上手く状況を飲み込めていないようだが、とりあえず命の危機を脱したばかりで、完全に腰を抜かしてしまっているようだった。

ただ、その脅威はまだ終わっていない。

彼女がその事を思い出したのは、すぐ横を恐るべきスピードで何かが抜けていったからだ。

つまりはお菓子の魔女。

先ほどまでマミと対峙していたが、もう彼女の事など眼中にないのか、一目散に少年の下へ突撃していく。

「ーーッッッッ!!!?」

彼女の中で止まっていた時間が動き出す。

腰が抜けていたはずなのに、巴マミは背筋にドライアイスでもぶち込まれたように立ち上がった。

悲劇が起こる。

「危ない、逃げてーーーーッッ!!!!」

彼女はありったけの声で叫んだ。

そうしながら、マスケット銃を取り出す。

が、魔女の動きは速い。

(間に合わないーーッ!)

一方で、当の少年はそれでも憮然とした態度を崩そうとしない。


かったるそうに彼は言う。

「邪魔するつもりはねえって言ってんのにこっち来るのかよ。まあいいけど」

「ちょ! アンタ!?」

「うるせえ、邪魔だ退いてろ」

さやかが駆け寄ろうとしたが、まるでカラスを追い払うように手を振って拒否する少年。

彼は、薄く薄く笑っていた。

「俺としちゃ目的を果たせれば何でもいいんだ。新たなインスピレーションの会得……。テメエがその礎になってくれるんなら有効活用させてもらうだけだ。それに個人的に試したい事もある」

迫り来る脅威に対して、まるで新品のおもちゃを目の前にした子供のような純粋な目で彼は呟く。

「なあ。ーー俺の『未元物質(ダークマター)』はこの世界でどこまで通用するんだ?」

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