宮尾美也「ネコになった日」 (23)

ぽかぽかとした春の日差しに照らされて私はゆっくりと目を開きました。

今日もあたたかくていい天気です。
きっといい日になりますね~。
今日はお仕事もお休みですし、公園へお散歩に行きましょう。
ひなたさんにリンゴを貰ったのでフルーツサンドがいいですかね~。
上手にできたらおすそわけしちゃいましょう。

そう思いながらぐっと伸びをしようとしたところで気づきました。
目の前に広がる風景はどう見ても私の部屋ではありません。
きょろきょろと周りを見渡すと、むしろ室内ですらありませんでした。
ここはどう見ても劇場の横を流れてる河川敷です。
何度もお散歩したところだから間違いありません。
私はそこに据えられているベンチで眠っていたようです。

おかしいですね~。
お散歩してる途中、ベンチでうとうとしちゃうことはよくありますが、
昨日はちゃんとおうちに帰ってベッドで眠ったはずです。
むむむ、なぜでしょう。

そう思っているとふとおかしなことに気が付きました。
いつもより視点が低いです。
なんだか景色の色合いもちょっと違う気がします。
自分の手を見てみるとふわふわの栗色の毛が生えた前足が見えました。
その前足を自分の頭に当てて、くしくしと頭をかくとピンと立った耳も生えています。
ぴょんとベンチから飛び降りて川に向かってとことこと歩きます。
前足と後足で歩くのは初めてですけど、あまり違和感なく歩けました。
そして、川べりに近づき水面に映る自分の姿を見てやっと理解できました。

栗色の毛並、淡いブルーの瞳、ちょっと丸まったしっぽ。
顔にはおひげが生えています。
ふるふると顔を振ると、水面に映る姿も一緒に動きます。
間違いないです。

私、ネコさんになってます。


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ネコさんは好きですけど、ネコさんになるのは初めてです。
どうしましょうか、困りました。
お父さんとお母さんも心配しますよね。
学校にもお仕事にも行けなくなってしまいます。
むぅ~どうしたらいいんでしょう。

?「あっ、猫」

道の隅っこで丸まりながらどうしましょうと考えていたらそんな声が聞こえてきました。
振り返ると目の前に人の足が見えました。
というより足しか見ることができません。
ネコさんからすると人間はこんなに大きいんですね。
そう思いながら顔を上げると見慣れた顔がありました。

志保「おいで」

志保ちゃんはしゃがみこんで私に手を差し伸べてきました。
すごく優しい表情で笑っています。
志保ちゃん、ネコさんが好きなんですね。
気が合いますな~。
私は体を起こすと志保ちゃんの手にスリスリと体をこすりつけました。
志保ちゃーん、美也ですよ~。
助けてくださ~い。

志保「人懐っこい子ね、可愛い」

そう言いながら、志保ちゃんは私の顎のあたりを撫でてくれました。
ふわ~、気持ちいいです~。
撫でられるってこんな気持ちなんですね~。
思わずゴロゴロと喉を鳴らしてしまいました。

志保「首輪はついてないし……野良、よね」

はっ、志保ちゃんのテクニックにうっとりさせられてしまいましたが、
そんな場合ではなかったです。
でも志保ちゃんのなでなでが気持ちよすぎて抵抗することができません。
うぅ~志保ちゃんはテクニシャンですね~。

茜「おやおや~、しほりん。どうしたのかな?」

撫でられてほわほわとした気分になっているとそんな声が聞こえてきました。
それと同時に志保ちゃんの笑顔がいつも通りの顔に戻っちゃって残念です。
いつもの志保ちゃんもいいですけど、笑っている志保ちゃんはもっと素敵ですよ~。

志保「茜さん、どうも」

茜「おやおや~。ずいぶんかわいい子を相手にしてるじゃん」

そう言いながら茜ちゃんも私の前にしゃがみ込みました。
そう言って私の背中をなでなでしてくれます。
おぉ~志保ちゃんとはまた違う良さがありますね~、
気持ちいいです~。

志保「野良猫だと思うんですが、人懐っこくて、つい」

茜「なでなでしちゃってたわけか~」

はっ、ですからそんな場合じゃないんです。
茜ちゃーん、美也ですよ~。
ネコさんですけど美也ですよ~。
そう喋ったつもりですけど、私の口からはニャーという声しか出ませんでした。

茜「おやおや~。よく見るとこの子、美也ちゃんに似てない?」

志保「美也さんに、ですか?」

茜「ほら、この毛の色とか。何より目の上の毛の色がちょっと違うのが、眉毛っぽくない?」

ですから~、美也なんですよ~。
気づいてくださーい。

志保「そうですか? まぁ、わからなくはないですが」

茜「ふっふっふ、みんなに送ってあげよう。今日の話題はこの子が独り占めだね」

茜さんはスマホで私の写真をぱしゃぱしゃと取り始めました。
最近は写真を撮られることも増えましたけど、ネコさんでとられるのは初めてです。
ポーズとかどうすればいいんでしょう?
そんな風に悩んでいると志保ちゃんが携帯の時間を見てあっと声をあげました。

志保「茜さん、そろそろ行かないとレッスンに遅れますよ」

茜「おぉっと、そんな時間か。名残惜しいけど、じゃあね」

志保「ばいばい」

ふたりはそう言いながら立ち上がって私に手を振って踵を返しました。
待ってください~、置いていかないでくださ~い。
にゃーにゃー鳴きながら二人の後を追いかけます。

茜「あらら。あの子ついてきちゃってるよ」

志保「……どうしましょう」

劇場の他の誰かなら気づいてくれるかもしれません。
だから私も一緒に行きますよ~。

茜「……劇場はもうこぶんちゃんが居るから、これ以上は飼えないよねぇ」

志保「わかってます。でも」

足を止めた志保ちゃんの足にスリスリと体をこすりつけて尻尾を絡めます。
気づいてください~。
私、美也なんですよ~。

麗花「わぁ、ほんとに美也ちゃんそっくり」

星梨花「とってもかわいいです!」

静香「わ、私もなでなでさせてください!」

美咲「確か大きめのダンボールが倉庫に……」

結局志保ちゃんに抱っこされて劇場に連れてきてもらいました。
皆にたくさんなでなでされていますが、誰一人気づいてくれません。
こぶんちゃんが居ればお話しできるかなと思ったんですが、
今日は環ちゃんが連れて遊びに行っているみたいでいません。
むぅ~どうしたらいいんでしょう。

茜「つれてきちゃったねー、しほりん」

志保「……責任持って、飼ってくれる人を探します」

茜「安心したまえ。茜ちゃんも手伝って進ぜよう」

志保「結構です」

茜「遠慮しなくていいんだよー。茜ちゃんも同罪だからね」

私が3人に代わる代わるなでなでされていると、プロデューサーが入ってきました。
プロデューサーさんなら、気づいてくれますかね~。

P「お疲れーって、なんで猫が」

志保「……すみません、私が。ずっと、着いてくるので」

茜「待ちたまえプロちゃん。茜ちゃんも一緒に連れてきちゃったのだよ!」

P「お前らなぁ、さすがにシアターではこれ以上飼えないぞ」

麗花さんたち3人は気づいていませんが、プロデューサーと志保ちゃんと茜ちゃんは
プロデューサーに怒られているみたいです。
ネコさんの耳は敏感なんですね。

志保「わかってます。私が、飼い主を探します」

茜「茜ちゃんも頑張るよ!」

P「で、見つかるまではどうするんだ?」

志保「それは、うちで……」

茜「う、うちでも大丈夫だと思うよ!」

P「親御さんに許可は取ったのか?」

志保「まだ、です」

茜「……うん」

プロデューサーの顔がみるみる真剣なものに変わっていきます。
いけないです。

P「志保、茜。気持ちはわかるが……」

待ってください、プロデューサーさん。
ふたりを責めないであげてください。

星梨花「わっ」

星梨花ちゃんの胸に抱かれていましたがするりと抜け出して
プロデューサーのもとに駆け寄りました。
私がついてきたんです、二人は何も悪くないんです。
ふたりを怒らないであげてください。
お願いです、お願いですから。

私は必死にプロデューサーの足にもとでにゃーにゃー鳴きました。
あっ、それと私、美也ですよ~。

P「……はぁ。しょうがないなぁ」

プロデューサーは私の姿をじーっと見つめていましたが、
根負けしたようにため息をつきました。

志保「えっ?」

茜「おやっ?」

P「俺の実家で飼ってもらうよ。最近、親父もお袋も仕事辞めて暇だって言ってるし、動物好きだしな」

そう言ってプロデューサーさんはわしわしと頭を撫でてくれました。
むぅ~、ちょっと痛いです。

P「とりあえず今夜はウチに連れてって、明日の午前中休みとって実家に連れてくよ」

志保「プロデューサー……」

茜「プロちゃん……」

P「今回だけだぞ?」

志保「あっ、ありがとうございます」

茜「プロちゃん、ありがとう!」

よかったです。
私のせいで二人が怒られたら、とても悲しいですから。

P「ほらっ、そろそろレッスンの時間だぞ。トレーナーさん待ってるから早く行ってこい」

ふたりは返事をして、ほかの3人と一緒にレッスンに向かいました。
事務所には私とプロデューサーさんだけが残されました。
ふたりを許してくれてありがとうございます、プロデューサーさん。
あっ、でもこのままだとプロデューサーさんのお父さんとお母さんのネコになっちゃいます。
困りましたね~。

P「名前、考えないとなぁ」

だから~美也なんですってば~。
思わずにゃーと声を上げたとき、事務所の扉が開きました。

貴音「ただ今戻りました」

小鳥「お疲れ様です。

P「おう、貴音。お疲れさん。音無さんも付き添いありがとうございました」

小鳥「いえいえ。プロデューサーさんこそお疲れ様でした。領収書だけ先に頂けますか?」

P「了解です」

貴音さんと音無さんです。
お仕事帰りでしょうか。

小鳥「あらっ、猫?」

音無さん、貴音さん、お疲れ様です。
美也ですよ~。

P「志保と茜が拾ってきちゃったみたんですよ。妙に人懐っこい猫でしてね」

小鳥「あらら。最近このあたりじゃ見なくなったと思ったんですが」

音無さんは苦笑しながらも私の首筋を軽くなでてくれました。
音無さんの手、あったかいですね~。

P「今日はうちに連れて帰って、明日の午前中に実家に連れて行くことにします」

小鳥「そうですか。よかったね、新しいおうちができるよ」

うぅ~。
やっぱり音無さんも気づいてくれません~。

P「あっ、これ領収書です。あと、明日は午前半休いただきますので、有給申請書と……」

小鳥「はいはい、確認しますね」

小鳥さんは私をなでる手を止めて、Pさんはお仕事の話を始めました。
すると、貴音さんがしゃがんで私の顔をじーっと見てきました。

貴音「もしや……」

そういいながら私を抱き上げます。
そして私を顔の高さまで持ち上げました。
高くてちょっと怖いです……。

貴音「美也、ですか?」

えっ?
気づいて、くれたんですか。
そうです、と返事をしたつもりでニャーと鳴きました。

貴音「やはり、そうですか。何らかの原因で宮尾美也の精神が猫に移っているようです」

むぅ、つまり?

貴音「狐憑きの人妖が逆転したような状態……とでも申しましょうか」

むむむ、難しいですけど。
とにかく私の心が猫さんに潜り込んじゃっているというのはわかりました。
貴音さんはプロデューサーさんと音無さんをちらりと見ました。
仕事の話に夢中になってて、貴音さんの声は聞こえていないようです。
それを確認してからこっそりと小さな声で話し始めました。

貴音「私の知り合いにこういった類の専門家がいます。頼んでみましょう」

よかったです~。
このままずっと戻れないとどうしようかと思いました~。
貴音さんは私を床に下ろすと頭をなでてくれました。

貴音「ただ、今すぐとは参りません。今夜はプロデューサーの家で待っていてください」

わかりました。
よろしくおねがいします~。

貴音「プロデューサー、申し訳ございません。本日はこれで失礼させていただきます」

P「ん? ロコが帰ってくるのを待ってお茶に誘うんじゃなかったのか?」

貴音「そのつもりでしたが……少々、用事ができてしまいましたので」

P「そうか、お疲れさま。明後日の収録は俺も一緒に立ち会うから」

貴音「かしこまりました。それでは、失礼いたします」

そう言って貴音さんは事務所から出ていきました。
ごめんなさい貴音さん、よろしくお願いします。

美咲「はーい、猫ちゃん。お仕事が終わるまで、ここで待っててね」

それと入れ違いに美咲さんは大きめの段ボールを抱えて入ってきました。
あれは以前、ひなたちゃんが持ってきたリンゴが入っていた段ボールですね。
そう思っていると私は小鳥さんは私を抱え上げて段ボールの中に入れました。
段ボールにはタオルが何枚も敷いてあってふかふかでした。

美咲「それにしてもかわいい猫ちゃんですねー。みんなが美也ちゃん似てるって言ってましたけど」

小鳥「確かに。この目の上の毛が絶妙に美也ちゃん! って感じよね」

P「うーん、言われてみれば」

3人が段ボールの中の私をのぞき込んできます。
そんなに見つめられると恥ずかしいですよ~。
そんなことを思っていたら、電話が鳴りました。
一番近くにいた音無さんが電話を取って応対を始めました。

小鳥「はい、765プロシアターです。はい、いつもお世話になっております。少々お待ちください……プロデューサーさん」

P「はい?」

小鳥「演出の○○さんからです。今度の定期公演のことで」

P「あー、そろそろ連絡入れようと思って忘れてたなぁ……」

そう言いながらプロデューサーさんは電話を取って会話を始めました。
それと同時にみんなお仕事モードに切り替わりました。
こうやって机に向かってお仕事をしている皆さんをじっと見るのは初めてです。

美咲「先輩、次のイベントの予算書です」

小鳥「はい。えーっと……あら、警備会社への支払金額、これであってる?」

美咲「え? この前のイベントと同じ人数にしたんですが……」

小鳥「美咲ちゃん。今回は会場のキャパが大きいから前回の人数じゃ足りないわよ」

美咲「えっ? あ、そっか!」

小鳥「えぇっと、去年同じ会場でやったイベントの見積もりがこれね」

美咲「……すみません、全然違いますね」

小鳥「もう一度金額だけ確認してみてね」

美咲「はい、わかりました」

いつもニコニコと優しい二人がすごく真剣な顔をしています。

P「はい、はい。いや、理解はしております。ですがちょっとその時間は……」

P「うーん……。わかりました、明日の15時に伺います」

P「はい、はい、すみません。よろしくお願いいたします」

プロデューサーさんも電話を片手にパソコンとにらめっこをしています。
みんなみんな、私たちのために頑張ってくれてるんですね~。
お邪魔をしちゃ悪いからおとなしくしていましょう。
段ボールからはほのかにリンゴの匂いがします。
ちょっとだけ、眠くなってきました。
ふぁ……すこしだけ……お昼寝……。

どれぐらい眠っていたのでしょうか。
まだちょっと眠いですけど、誰かの声が耳に入ってきました。

志保「すみません、本当にありがとうございました」

茜「たまに劇場に連れてきてね!」

むぅ~。騒がしいですね~。
まだちょっと眠いです~。

P「わかってるって。ほら、お前らも早く帰れ」

志保「はい、それでは失礼します」

茜「プロちゃん、バイバイ」

微睡んでいると、いきなり地面ガタガタと揺れて私は目が覚めました。
わ、わ、なんですか?

P「あっ、やっぱ起きちゃったか」

プロデューサーさんが段ボールごと私を持ち上げたようです。
とってもびっくりしました。

P「さっ、帰るぞ。仕事も終わったしな」

おぉ~。これからプロデューサーさんのおうちに行くのですね。
男の人のおうちに入るのは初めてなので、ちょっとだけドキドキします。

劇場の前にはタクシーが止まっていました。
いつもは電車とバスで来ているプロデューサーさんですが私のためにタクシーを呼んでくれたみたいです。
後部座席に段ボールごと載せられて、おうちまで出発進行です。

P「えーっと、猫の食事……」

プロデューサーさんはタクシーの車内で携帯電話とにらめっこしています。
私は窓の外の景色を見ていました。
もうすっかり夜になっていたんですね~。
お月様綺麗です。
貴音さんは大丈夫でしょうか?
そんなことを考えながら星を眺めていると、プロデューサーさんのおうちにつきました。
4階建てのマンションのようです。

P「ほら、着いたぞ。うちのマンション、ほんとはペット禁止だから静かにな」

プロデューサーさんはしーってポーズを渡しにしてきました。
はい、わかりました。
いい子にしてますよ~。

P「隣は空き部屋だし、大丈夫……だよな」

箱の中だからわかりませんが、どうやら階段を上っているみたいです。
段ボールを抱えながらだから大変そうです。
そしてガチャガチャと扉を開ける音がします。

P「よいしょっと。ほら、着いたぞー」

そう言いながら段ボールを床に下したので、顔を出してみました。
初めて見るプロデューサーさんのお部屋は……ちょっと、ごちゃごちゃしてますね~。
汚いというよりは本や服が片づけられずに隅に詰まれていたりしています。
わくわくしてきたので、部屋の中を探検しちゃいましょう。

P「こらこら。ちょっと待ってな」

だいたい、8畳ぐらいでしょうか。
ベッドがあって本棚があってテレビがあって……ゲームもありますね~。
でも、ちょっとほこりを被ってますから、あまりやっていないんでしょうか。
あっ、あの本棚の上にある写真は劇場の前で集まって撮ったやつですね~。
私のお部屋にも飾ってますよ~。

P「ほら。足だけ拭こうな」

台所で何かごそごそとやっていたプロデューサーさんがタオルを片手に戻ってきました。
確かに私はずーっと素足で歩きまわってたからちょっと汚れているかもしれませんね~。
プロデューサーさんは私の前に腰を下ろすと、私の顎を撫でてから私の足を手に取り、
優しく拭き始めました。
お湯で濡らしたタオルは暖かくて、思わず力が抜けてしまいました。
おまけに肉球をふにふにと優しくマッサージまでしてくれます。

P「よし、OK。奇麗になったなー」

そう言いながら私の背中をわしゃわしゃしてきます。
むふふ、奇麗って言われちゃいました。
プロデューサーさん、お上手ですな~。

P「さて、と。飯だけ準備するから待ってろな」

と言いながら、プロデューサーさんはスーツを脱ぎ始めました。
おうちだから着替えるのは当たり前なんですが、突然のことにびっくりです。
わわわ、どうしましょうどうしましょう。
そんなことを思っている間にプロデューサーさんは上半身裸になっちゃいました。
ご、ごめんなさ~い、見るつもりはなかったんです~。
私はあわてて段ボールに戻って顔を伏せましたが、さっきのプロデューサーさんの姿が
目の裏に焼き付いています。
気が付けばシャワーの音が聞こえますからお風呂に入りに行ったんでしょう。
ますますさっきのことを思い出しちゃいます。
当たり前なんですが、私たちとは違う男の人の体でした。
うぅ、恥ずかしい~。

P「ごはんできたぞー」

そんな声が聞こえてきたので、恥ずかしさを振り払いながら段ボールから飛び出しました。
プロデューサーさんはTシャツとジャージ姿で、両手にお皿を持っています。
プロデューサーさんの私服姿を見るのは初めてなのでちょっと新鮮です。
でも、そのTシャツは劇場のオフィシャルTシャツだったのでやっぱりプロデューサーさんなんだなって思います。

P「ネットで猫に食べさせてもいいって書いてあったし大丈夫だよな……」

右手の平皿には、スライスされたゆで卵と鶏ささみが乗っていて、さらに鰹節がかかっていました。
左手のシチュー皿には薄めたスポーツドリンクが入っています。

P「食べるかな?」

普段の食事と比べるとすごくシンプルですけど、なぜかものすごいご馳走みたいに感じます。
考えてみれば今日は何も食べていないのでおなかもすいています。
鶏ささみに口をつけると、あまりのおいしさに夢中になってしまいました。

P「おぉ、食べてる食べてる。よかった」

プロデューサーさんはキッチンから片手にチキンサラダとお漬物、もう片手にビールを持ってきました。
プロデューサーさんのご飯でしょうか。
テーブルにお皿を並べて座ると、ビールの栓を開けて口をつけました。

P「んっ、あ゛~うまい」

とってもおいしそうに飲んでいます。
実は以前ちょっとだけなめたことがありますが、苦くてあまりおいしくなかったです。
そんなプロデューサーさんはサラダを頬張りながらテレビの電源をつけました。

P「おっ、詩花だ」

流れてきたのは歌番組ですが、961プロの詩花さんが歌って踊っています。
歌もダンスもすごくて、私もご飯を食べる手を止めて思わず見とれちゃいました。

P「……やっぱり黒井社長の目は半端ないな。どこから見つけてきたんだか」

プロデューサーさんはビールを飲みながら難しい顔でテレビを見ています。
さっきまでリラックスした感じだったのにまたお仕事中の顔になっちゃいました。

P「次のフェス、誰をぶつけるか……」

プロデューサーさんはぶつぶつと何かをつぶやきながら鞄からファイルを取り出しました。
ご飯を食べながら、ファイルや手帳とにらめっこしています。
プロデューサーさん、ちょっとお行儀が悪いですよ~。

P「春香と千早をぶつけりゃ話は早いが……でも、うちの事務所としても……」

P「アクアリウスをぶつけてみるか。あの3人なら……」

P「……いや、うちの色をもっと出すためには」

プロデューサーさんはおうちに帰ってもご飯を食べていてもプロデューサーさんです。
……大丈夫なんでしょうか。ちょっと、心配です。

P「ん~。ゲストに誰をやるか……」

ご飯を食べ終わったプロデューサーさんはノートパソコンを取り出して
ビールを飲みながら本格的にお仕事を始めました。
テレビは相変わらず付いているのにほとんど見ていません。

P「あのディレクターきついからなぁ……可憐じゃ委縮するか。うーん……」

お部屋の中にタイプ音が響きます。
私はプロデューサーさんの横でテレビを見ていました。
あっ、このみさんが出てるCMです。
このカレーのCMいいですよね~。

P「かと言ってあの人子役嫌いだし……」

そんな時、プロデューサーの携帯がぶるぶると震えだしました。
プロデューサーはちょうど口をつけていたビールを飲みほして、
電話を取りました。

P「もしもし? おう、久しぶりじゃん」

思わずテレビから目を離してプロデューサーさんの顔を見ました。

P「今は家で仕事してるぞ。……うっせ! ほっとけよ」

口調とは裏腹にプロデューサーさんはとっても楽しそうにお話をしています。
こんな砕けた口調をしているプロデューサーさんを始めて見ます。
どなたとお話ししているんでしょう、気になりますね~。
とたんに興味が出てきて、プロデューサーのお膝に飛び乗りました。
電話の声、聞こえないでしょうか?

P「わっ、ちょ、ちょっと待てって」

突然お膝に乗った私にびっくりしちゃったみたいです。
どなたとお話してるんですか~?
教えてください~。
にゃーにゃーと声を出しておねだりしてみます。

P「ん? あぁ、そうそう。あーちょっと待ってくれ」

プロデューサーは携帯を机の上に置き、何やら操作しました。
すると電話の声が大きく聞こえました。
スピーカーホン、というものでしょうか。

友『なんだ、猫飼い始めたのか?』

電話の声は男の人でした。
お友達なのでしょうか。

P「うちの実家で飼うことにしたんだよ。ただ、今夜だけ預かってんだ」

友『お前、ただでさえ独身こじらせつつあるのに猫まで飼い始めたら終わりだぞ』

P「ほっとけっての」

プロデューサーさんは私を膝に乗せたままなでなでしてくれます。
おぉ、撫でるのがうまくなってきましたね~。

P「で、どうしたんだよ急に」

友『いや、聞いてくれよ。米内のやつ、結婚するんだって」

P「マジで!? よっちゃんは結婚しないと思ってたのに……」

よっちゃんさんという方もお友達でしょうか。
結婚されるのですか~。
おめでたいですね~。

友『職場で知り合った女の子とだってさ。俺もあいつとお前だけは結婚しないと思ってた」

P「うげぇ……あのグループで独身が俺だけになっちまったじゃん」

友『俺たちアラサーだしおかしくはねーだろ」

P「そうだけどさぁ……」

友『彼女は相変わらずいねーのか?』

その質問はドキッとしました。
そういえばそういうプライベートな話、あまりプロデューサーさんから聞いたことがありません。

P「その言い方は腹立つけど、相変わらずいねーよ。仕事が忙しいし」

ちょっとほっとした私が居ました。

友『……なぁ、お前、大丈夫か』

P「なんだよ、急に」

お友達の声色が途端に真剣になったので私もちょっとびっくりしました。
プロデューサーさんも私を撫でる手を止めます。

友『お前、ここ最近ずーっと仕事忙しい仕事忙しいって、そればっかじゃん。ちゃんと休んでるのか?』

P「ちゃんと休みは取ってるぞ」

友『休みちゃんと取ってるやつが家で仕事やるかっての』

確かにそうです。
帰ってからもずーっとお仕事をしていますし、ゲーム機や本には最近手を触れている形跡もありません。
土日関係なく、いつもいつも誰かに付き添ってあちこちの現場に飛び回っています。
私たちより先に帰ってるところを見たこともありません。

友『真面目にさ、みんな心配してるぞお前のこと。彼女云々とかじゃなくて』

P「えっ?」

友『いつか倒れちゃうんじゃないか、鬱になるんじゃないかとか』

P「おいおい、考えすぎだって」

友『んなことねーよ。ただでさえ普通の仕事じゃないんだから、心も体も疲れてくるだろ』

プロデューサーはそれに対して返事を返さず、私の頭を撫でてくれました。
プロデューサーさん、辛いんですか? 苦しいんですか?

友『ちょっと厳しい言い方だけどよ、頑張って育ててるアイドルがずっとお前と一緒にいてくれるわけじゃないんだぞ』

ずきっと、心が痛みました。
小さく喉が鳴った気がします。

友『お前がそれだけ自分を犠牲にして輝かせても、いつかは離れてくんだから。なんつーか、あんまり入れ込みすぎるのも……』

何かを言おうとしてお友達は最後の言葉を濁しました。
でも、なんとなくニュアンスは伝わりました。
私たちはプロデューサーさーんを犠牲にしているんでしょうか。
アイドルとしての私たちはプロデューサーさんの犠牲で成り立っているんでしょうか。

P「悪ぃな、心配かけて」

友『……いや、その、俺も言い過ぎた』

P「まぁ、でもさ。仕事が楽しいのは本当なんだよ」

プロデューサーさんが私の顎をくしゅくしゅとかいてきます。
ざわざわしていた心が落ち着いてくる気がします。

P「土日もないし、常識通じない人も多いし、アイドルも個性的な子ばっかりだけど」

うぅ、ごめんなさい~。

P「必死に駆けずり回って仕事とって、レッスンさせて、ステージで輝く姿を見るとさ、本当に報われた気分になるんだ」

P「あの最高の瞬間を味わうために頑張ってるんだ」

P「アイドルの皆もさ、若い貴重な時間を使って頑張ってる。普通に生きてりゃ楽しいこともっとあるはずなのに」

P「みんな、俺を信じてくれてるんだ」

はい、私はプロデューサーさんを信じていますよ。
きっと、トップアイドルにしてくれるんですよね?

P「その期待には、できる限り応えてやりたいんだ」

友『そういうの、いつか潰れちまうぞ』

P「わかってる。ただ、今はもうちょっと頑張らせてくれ」

友『はぁ……。とりあえず、今は大丈夫そうだってみんなにも伝えとく」

P「おう、ありがと」

友『お前が潰れたとき周りには誰もいないってのが怖いんだよ。なんかあったら相談してくれよ』

P「わかってるって」

そのあとプロデューサーさんは結婚式のお祝いについてお話しした後、電話を切りました。
いいお友達ですね。とっても素敵です。
優しいプロデューサーさんのお友達は優しい人なんですね。

P「はぁ……」

ため息をついてプロデューサーさんはそのまま床に寝ころびました。
どうしたんでしょうか?
膝から降りて顔に近づいてもまったく反応してくれません。

P「……あーもう、今日は寝よ」

5分ぐらいぼーっと天井を眺めていたプロデューサーさんはそう言ってパソコンを片付け始めました。
お休みの時間なのであれば私もおうちに帰りましょう。
すっかり気に入った段ボールの中に入りました。

P「本当にお利口だな。お前」

一通りの後片付けを済ませたプロデューサーさんは私に笑いかけてくれます。
むふふ、褒められちゃいました。

P「じゃあ、お休み」

はい、おやすみなさい、プロデューサーさん。
ゆっくり休んでくださいね。

部屋の電気が消えて真っ暗になりました。
お部屋の中はとっても静かです。

P「はぁ……」

だから、プロデューサーさんがしたため息は私の耳にもよく聞こえました。
まだ眠っていないんでしょうか。

P「どうせ一人、か……」

さっきのお友達のお話を気にしているんでしょうか。

P「一人。ずっと一人……か……」

誰かに向かって言っているわけじゃないのはわかります。
でも、その声はとても寂しそうで、悲しそうで。
私は段ボールからひょいと身を乗り出してベッドに近づきます。
ネコさんのおめめは暗い所でもよく見えるんですね~。
ベッドはちょっと高いですけど、ひとっとびです。
枕の横にジャンプして着地しました。

P「うわっ、びっくりした」

プロデューサーさん、美也ですよ。
ここいますよ。
そう伝えたくて、私はプロデューサーさんのほっぺたをペロッとなめました。
思わず出ちゃった行動ですけど、落ち着いて考えるとちょっと恥ずかしいですね。

P「なんだ? 慰めてくれるのか」

横向きに寝たまま、私の頭を撫でてくれます。
はい、プロデューサーさんが苦しかったり悲しかったりしたら、私が慰めてあげますよ。

P「……ありがとうな」

いいんですよ、プロデューサーさん。
ずっとずっと、私たちのために頑張ってくれてるんです。
私たちをずっと励まし続けてくれますけど、プロデューサーさんだってつらい時だってありますよね。
おうちに一人でいると寂しくなる時だってありますよね。
いいんですよ、プロデューサーさんだって、人間なんですから。
それでいいんですよ。
おうちの中でなら、どれだけ弱くなっていいんです。
私が慰めてあげますよ。

P「なぁ」

なんですか、プロデューサーさん。

P「やっぱりさ、うちの子にならないか?」

はい、いいですよ。
プロデューサーさんのおうちのネコになります。
そうすればこのおうちに独りぼっちじゃないです。

お仕事を一緒にすることはできませんけど、おうちでちゃんとお留守番できますよ。
帰ってきたときはお出迎えをしてあげます。
たまにはお土産を買ってきてくれると嬉しいですね~。

この足じゃサンドイッチを作ってあげることはできないですけど、一緒にお散歩はできますよ。
一緒に公園に行って日向ぼっこをしましょう。
ふたりでお散歩するときっと楽しいですよ。

ご飯も一緒に食べましょう。
同じものを食べることはできないですけど、おいしい気持ちは一人より二人です。
きっときっと幸せです。

寝る時も一緒がいいですね~。
寒い時はプロデューサーさんを温めてあげます。
むふふ、ちょっと恥ずかしいですね。

これからずっと、悲しい時もつらい時もどんな時でも、ずっとずっと一緒にいてあげます。
私はプロデューサーさんのネコですから。
このおうちで、プロデューサーさんと一緒にいます。
だから、さみしくないですよ。
プロデューサーさんは一人じゃないですよ。
私が居ます。
私が居ますから。

そんな、ありったけの気持ちを込めて『にゃあ』と鳴きました。

P「っ……」

プロデューサーの目に涙が浮かんでいました。
私の気持ち、伝わりましたか。

P「ありがとな」

涙をぬぐって、プロデューサーさんは笑ってくれました。
やっぱり、笑顔のプロデューサーさんが一番素敵です。

さぁ、今日はもう休みましょう。
恥ずかしいですけどプロデューサーさんにくっついて寝ちゃいましょう。
我ながら大胆ですね~。

P「あったかい……」

プロデューサーさんも、あったかいですよ。
おやすみなさい、プロデューサーさん。

P「名前……考えないと……」

だから、美也ですよ~。
そう思いつつ私も夢の世界へ旅立っていきました。

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窓から差し込む日差しに照らされて、私は目を覚ましました。
体を起こすと昨日とは違う光景が広がっています。
とっても見なれた、私のお部屋です。
自分の手を見てみると毛も生えていない五本の指が見えています。
机に置いてある鏡を取って、覗き込んでみました。

はい、朝起きたら人間になっていました。


どうやら貴音さんのお知り合いが解決してくれたみたいです。
すっかり元通りです。
それとも昨日の出来事は夢だったのでしょうか?
ちょっと考え込みながら携帯を手に取ると茜ちゃんからのメッセージが来ています。
受信日は昨日です。

『見て見て! 美也ちゃんそっくり!』

そんなメッセージと共に、栗色の毛が生えた猫が写っていました。
目の上の毛の色がちょっと違います。

やっぱり、夢じゃなかったんですね~。
そうすると、このネコちゃんは今どうしているんでしょう。
プロデューサーさんのおうちにいるんでしょうか。
一緒にいてくれているんでしょうか。

今日のお仕事は昼からですし、事務所に寄ってプロデューサーさんに確認をしてみましょう。
そう思い至って私は手早く身支度を済ませました。
昨日ずっと4本足で歩いていましたが、今日はごく自然に2本足で歩けます。
不思議ですね~。

今日もぽかぽかです。
いい天気ですね。
きっといい日になりますね。

美咲「あっ、美也ちゃん。お疲れ様です」

お疲れ様です、美咲さん。
プロデューサーさんは来ていますか。

美咲「プロデューサーさんは午前中お休みですよ。猫ちゃんを連れて実家に行くみたいです」

そういえばそうでした。
あれれ、あの子はプロデューサーさんのネコに……
いえ、違います。
プロデューサーさんのネコになったのは私でした。
でも私は今人間で……むむむ、ちょっとややこしいです。

P「おはようございます……」

そんな風に悩んでいるとプロデューサーが入ってきました。
あれれ? まだ朝ですよ。

美咲「あれっ、プロデューサーさん。午前半休じゃ?」

P「猫が……」

美咲「猫ちゃんが?」

P「起きたら、居なくなってて」

それだけ呟くとプロデューサーさんは椅子に座ってがっくりとうなだれました。
ネコちゃん、居なくなっちゃったんですか……。

美咲「えっ、そうなんですか?」

P「戸締り、ちゃんとしておいたんですけど何処にも居なくて……あちこち探したんですけどね」

美咲「それは、不思議ですね」

P「はぁ、もううちの子にする気満々だったのになぁ」

美咲「あれっ? 実家に連れてくんじゃなかったんですか?」

P「昨日一晩一緒にいたらすっかり情が移っちゃって。あいつもうちの子になってもいいって言ってた気がするんですけどね」

はい、言いましたよ。
でもごめんなさい、あのネコちゃんはもう別のネコちゃんなんです。
許してあげてください。
でも、約束はちゃーんと守りますよ。

美也「プロデューサーさん」


P「んー。どうした?」


美也「プロデューサーさんは、一人じゃないですよ」


P「えっ?」


美也「辛いことや悲しいことがあっても、一人じゃないですよ」


P「美也?」


美也「私はどんなことがあっても、ずーっと一緒にいますからね。いなくなったりしませんからね」


P「美也、何を、言って」


美也「約束しましたからねー。私はプロデューサーさんのネコですから」


P「お、お前。もしかして」


美也「ふふっ、お仕事に行ってきます~」


やっぱり今日はいい日です。
この幸せな気持ち、プロデューサーさんにも分けてあげられましたか。
そうだったらうれしいな。


これからも、たくさん分けてあげますよ。
だから、これからもよろしくお願いしますね、プロデューサーさん。

短いけど以上です。

遅くなりましたが宮尾美也さんお誕生日おめでとう。
TBのネコ役、期待しています。

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