【デレマス】デレP「宝石になった日」 (23)

総選挙支援SSです
地の文つきです
よろしくおねがいします

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1523920668

 世の中に、教え子がアイドルになった経験を持つ教師はいったいどれだけいるのだろう。
 きっとそういうコミュニティが存在するわけではないだろうが、僕もつい最近、その仲間入りをすることになった。
 もちろん、アイドルだろうと政治家のご子息だろうと、教え子の一人であることに変わりはない。仕事の関係で休むことは増えたが、高校にいる間はウチのクラスの一員だ。
 とはいえ。

「……なんだよ」

「いや。不思議なものだなと思ってね」

 アイドルとしてデビューしたのが神谷奈緒というのは、僕としては正直なところ意外だった。
 向き不向き、の問題は僕にはよく分からない。だけど僕はこれまでずっと、「アイドルはなりたい人間がなるもの」という認識だった。面倒見がよく男女ともに人気があるとはいえ、あまり積極的に前に出るタイプではないと思っていたから……スカウトされたからアイドルをやりたい、と相談を受けた時、はっきり言ってしまえば僕は面食らってしまった。

「もしかしたら教え子がアイドルに……なんて想像したこともなかったし、神谷が芸能界に興味があるなんて知らなかったからね。こうして補習してるのは、なんか、変な感じだ」

「ああもう、悪かったよ、それっぽくなくて!」

「いや、随分さまになってきたんじゃないかい? この間も男子連中が昼休みに、神谷のグラビアが載った漫画雑誌回し読みしてたし」

 生活指導担当の英語教師が没収した雑誌はその後、無事に職員室でも回し読みされていた。
 
「そ、そういうこと本人に言うなよっ! 恥ずかしいだろ!」

 こういう性格だし、活動内容も健全そのものだから、教師陣はほぼ全員が神谷を応援しているのだった。

「ああもう、なんでみんなアタシをからかうんだ……ほら、テキスト終わったから採点してよ」

「どれどれ……うん、ちゃんと理解できてるみたいだね」

「うっし!」

 顔を綻ばせて、神谷は小さくガッツポーズをした。時計を確認してそわそわする神谷に、僕は来週の宿題となるプリントを渡し、テキストをカバンに仕舞うように促した。
 
「今日も、これからレッスンかい?」

「うん。今日はさ、ユニットを組むメンバーと初顔合わせなんだ!」

 本当に、ころころと表情の変わる子だ。感情を素直に表現できる彼女なら、きっとすぐに人気者になれるだろう。

「なあ、神谷」

「んー?」

 だから……下校しようと大きく伸びをした彼女を呼び止め、そんな質問をしたのは、懐かしい人のことを思い出したからなのだと、思う。

「アイドルってのは、楽しいか?」

 一瞬きょとん、とした後。神谷は、そんなの決まってるだろ、とでも言いたげに。

「うん……すっごい楽しいよ!」

 満面の笑みを浮かべながら、教室を去っていった。
 夕暮れの教室に一人きり。
 遠くで鳴るトランペットのチューニング音を聞きながら、僕は姉のことを思い出していた。
 気がつけば、ずっと遠い存在になってしまった、姉のことを。

 コンビニに寄ってアパートに帰り、母からのメールを確認してテレビをつける。

「え……えー……今ナナは、高度何千メートルかの飛行機の中にいます! あれ、何百メートル……? もう、よくわかりませんけども!」

 おそらくは、バラエティの企画なのだろう。テレビ画面では、自称宇宙人が飛行機の中で浮いていた。

「み、見てくださいぃ……飛行機が落ちると、機内が、無重力になる、という……わわわっ……そんな感じの体験を、していますー!」

 ウサミン星……からやってきたというアイドル、安部菜々。彼女の姿を、最近よくテレビで見るようになった。
 明らかにそういう設定で売り出しているのは確かなのだけど、それを分かった上で楽しんでいるファンが多いのだそうだ。宇宙人だから、とわざわざ海外にまで無重力体験のロケに行くのだから、それなりに人気を博しているのだろう。

「って、これ、落ちてるんですよね? そのまま地表まで、まっさかさまなんて……ないですよね? ナ、ナナ、まだ死にたくないですよぉ!」

 落ち続ける、ジェットコースターのようなものだろうか。初体験となると、やはりそれなりの恐怖はあるのだろう。
 周囲にポーチや携帯を浮かべながら、彼女は次第に涙目になっていた。ワイプでは司会のベテラン芸人が、手を叩いて笑っている。

「まだ、にじゅ……十七年しか生きてないのにぃ! せっかくこれから、楽しくアイドル人生を過ごせるってとこなんですから!」

 十七歳、と言い張れば通用するような童顔が、恐怖に歪んでいた。じたばたと手足を動かしているせいで、髪の毛やらスカートやらがひらひらと舞い、体全体もくるくると横回転を始めてしまっていた。あれは……酔うだろう。
 よくやるなあ、と思う。
 きっと、仕事を選べるほどに人気があるわけでもないのだろう。彼女が本来やりたい仕事がバラエティではないことを、僕はよく知っていた。
 永遠の十七歳、安部菜々。
 姉さんが僕よりも年下になってしまってから、もう何年経ったのだろう。

「あの、この無重力、途中で止められませんか? その、スカートが、あわわ……だ、誰か助けてぇー!」

 僕はスマホを取り出す。
 久しぶりに、直接姉の顔を見たくなった。

 姉さんのことを、嫌っていたわけではない。ただ、少しずつ疎遠になっていってしまっただけ。
 お互いに進学し社会人になると、忙しくなったこともあり頻繁に連絡を取り合うこともなくなっていった。両親に連絡を取る時に、姉さんの近況を母さんから聞かされるくらい……「夢に向かって頑張ってるらしいわよ」と。
 姉の夢。幼い頃からずっと変わっていない……アイドルになること。
 母さんはずっと応援し、小まめに連絡をしていたというけれど、心配していただろうことは想像に難くない。僕にだって孫の話が飛んでくるのだから、姉さんのところにだって見合い話の一つや二つは持っていっているはずだ。
 僕も、おそらく父さんも。きっと適当なところで諦めがついて、就職なり結婚なりをするのだろうと想像していた。壁にぶち当たって限界に気づくのは、時間の問題だろう、と。
 だから、姉さんが想像を超えた時……本当にアイドルとしてデビューしたという話を聞かされた時は、とても驚いたのを覚えている。
 デビューおめでとう、とメールは送ったし、デビューシングルも買ったけれど。この半年ほど、姉さんと会うことがなかったのは……十七歳のままアイドルになってしまった姉と、どんな会話をすればいいのか分からなかった、というのが大きい。
 十七歳のまま、年を取らなくなってしまった姉。時の止まった世界に暮らす姉さんとは、なんとなく……住む世界が違ってしまったような気がしていたのだ。

 外ではお酒が飲めないから、という理由で、会う場所はあっさりと僕の自宅に決まった。今日もアニメの収録があるのだという姉さんを、最寄り駅前のロータリーで待つ。
 最後に会ったのは、確かいとこの結婚式だっただろうか。「菜々ちゃんは今をしているの?」という親戚からの質問に、父さんが答えに窮していたのが印象に残っている。
 あの時姉さんは、なんと答えたのだったか。少なくとも、アイドル志望とかではなかった。なにか取り繕った嘘をついて、少し寂しそうに笑っていたはずだ。
 後ろめたさからくるのだろう、姉さんが嘘をつくときの癖。両親に怒られる僕を庇う時も、先輩に他に好きな人がいると言った時も、姉さんは同じように曖昧な笑みを浮かべていた。それが痛々しく思えて、僕は嘘をつくまいと思いながら成長していった。
 嘘をつくのが下手だった姉さん。それでも、ウサミン星人、なんてわかりやすい嘘を公言してテレビに出ている辺り、嘘をごまかすのは多少うまくなったのかもしれない。
 ふと、携帯が震える。到着したという知らせを受けて改札の方を見ると、サラリーマンや学生たちが群れを成して階段を降りているのが見えた。
 目印になる看板の情報を返信すると、小さな人影がその人混みの中から外れてこちらに向かってくる。

「あ、いたいた」

 テレビで見ている時も思っていたけれど、手を振ってこちらに駆け寄る姉さんの姿は、本当に十七歳の頃のままみたいだった。

「……久しぶり、姉さん」

「久しぶり……大きくなったねえ」

「姉さんが小さいままなんだよ」

 そもそも、成長期なんてとっくの昔に終わっている。「これでも成長したんですよぉ!」と頬を膨らませる姿が、なんだか懐かしい。

「じゃあ、立ち話もなんだし」

 進行方向を指さし、道中スーパーに立ち寄る。自炊はするとはいえ大したものは作れないから、今日の夕飯は姉さんに一任することにした。カートにカゴを置きキャベツの葉の密度を見比べるその姿は、十七歳のアイドルだと言われてもあまり実感が湧かない。

「普段からちゃんと食べてますか? 半額のお惣菜ばっかり買ってません?」

「心配しなくても食べてるよ。米も買ってるし野菜ジュースも飲んでるし」

「ジュースじゃあ野菜を食べてるとは言いません。彼女に作ってもらったりとかしないんですか?」

 ずっとそんな調子なものだから、缶ビールをカゴに入れながら僕は思わず吹き出してしまった。

「母さんみたいなこと言うんだなあ……悪いけどしばらくは独身貴族だよ」

 未だにコンビニで年齢確認されてしまうという姉さんに代わって、レジを通って会計をする。

「姉さんはどうなのさ。恋人とか」

「え」

 エコバッグに豚バラ肉を入れたまま、姉さんは硬直した。

「い、いないよぉ恋人なんて……アイドルとしては、まだまだ駆け出しだし……ほら、今はお仕事が恋人、っていうか」

 そう言って笑いながら、姉さんは袋詰めを再開した。
 無理に作ったような、笑みを張り付けたまま。
 ……本当に、変わらないな。

 自分の部屋の掃除はできないくせに、職場や他人の部屋の掃除はやたらとしたがる姉さんの性格を完全に忘れていた僕は。結局母さんがアパートを訪ねてきた時のように、姉さんに小言を言われながら部屋の大掃除をすることになった。
 食事を終え、姉さんを送るためにアパートを出る頃には、夜はどっぷりと更けていた。

「えへへー、お姉さんの料理はおいしかったですかあ?」

「ああ、おいしかったよ」

 ほろ酔い気味で気持ちよさそうな姉さんは、夜風に当たりながら僕の手前を歩いていく。
 
「なあ、姉さん」

「はぁい?」

 そんな気分の良さそうな姉さんに聞いてしまっていいものか迷って、僕は口を開く。

「なんで、ウサミン星人なのさ」

 どうしても、気になったこと。
 世間一般の姉に対する評価は「属性盛りすぎ」「一昔前の電波系みたい」「ちょっと痛いけど面白い人」などが主流のようだった。実際、身内から見てもそれは否定できない。アイドルという仕事を否定する気はないけれど、姉さんのアイドル像はおそらく、その業界の中でも異端なのだろう。
 だから、なぜ、と。

「声優に……アイドルになるだけなら、他に方法はあっただろ。痛々しいって後ろ指さされて、笑われ者になって、俺よりも年下なんてことになって、数年後どうなってるかも分からない。それなのに」

「うーん……」

 姉さんは立ち止まり、口元に手を当ててしばらく考え込む。そうして顔を上げると、天に向かって指をさした。

「あそこに、ウサミン星があるから……かなあ」

 姉さんの指の先には、満月が浮かんでいた。

「母さんたちは、もう覚えてないかもしれないけどね。ウサミンは、子どもの頃にアニメを見てた生み出した、私の初めてのオリジナルアイドルなの。ずーっと憧れていた、十七歳の魔法少女……だからアイドルになろうって思ったときに、ウサミンになるって決めたんだ」

 それが、ウサミン星から来た宇宙人を名乗る理由。永遠の十七歳を、自称する理由。
 
「もう後戻りできない。何をしたって後悔することになるなら……やりたいことを、やりたいだけやっちゃおう、って。ウサミンのことを笑う人がたくさんいたとしても……私と一緒に同じ景色を見て、楽しんでくれる人がいたら。ファンがウサミンを見て楽しんでくれたら、きっとすごく幸せだから」

 そうして、その想いを抱いたまま姉さんは大人になり。
 子どもの頃見たヒロインが、少女から大人の女性に変身したように。姉さんは、アイドルとして十七歳の宇宙人に変身しているのだという。

「最初は、心細かったけど……今はライブでも、ウサミンコールをしてくれる人も増えててね。見つけてくれたプロデューサーさんには、感謝してもしきれないくらい……」

 アルコールで開放的になったらしい姉さんは、頬を赤らめながらそう言って笑った。
 夜空なんて、見上げなくなってどれだけ経っただろう。
 都会は星が見えない、なんて言う人もいるけれど。それでも月は確かに、僕らの頭上で輝いていた。
 月明りが眩しくて、僕には見えないけれど。
 あの丸い月の裏側に、姉さんの星は確かにあるのだという。
 その場所を指さして笑う姉さんの姿が、あまりに眩しかったものだから。

「姉さん」

「んー、なぁに?」

「アイドル、楽しいかい?」

 気がつけば僕は、神谷にしたのと同じ質問をしていた。

 振り返った姉さんは、月明りの中で、その逆光の中でもはっきりとわかるほどに。
 
「……楽しいよぉ。だって、夢が叶ってるんだもん」

 いつかの日に見たように、幸せそうな満面の笑みを浮かべた。
 嘘をつくのが苦手な姉さんの。
 だからそれはきっと、本心からの言葉だった。
 そんな姉さんの姿を見て……なんだか僕は、胸のつかえがとれたような気がした。
 そう、一人で気にしていただけだったんだ。
 姉さんは、変わらない。ずっとあの頃のまま、それでもちゃんと、僕の姉さんのままだった。
 改札の向こうで手を振る姉さんに、エールを込めて僕も手を振り返して。
 一人でアパートに戻る道を、僕は姉さんの曲を口ずさみながら帰っていった。
 ミミミン、ミミミン、ウーサミン。
 そのフレーズはまるで姉さんが、僕の背中を押してくれているみたいだった。

 職員室に出版社から郵便物が届き。
 安部菜々の熱愛報道として僕と姉さんのツーショット写真が世に出回るのは、それから二週間後のことだった。

 実家から取り寄せたアルバムを見せることで、職員室やら教育委員会やらには納得してもらえたけれど、世間様相手にはそういうわけにもいかないようだった。
 まあ、アルバムの件で電話した時、モザイクのかかっていた成人男性を本気で姉さんの彼氏だと思っていた母さんに「それは僕だよ」と説明するときも、中々骨は折れたのだけれど。
 本来はどうあれ、「永遠の十七歳の現役JK」として売り出している以上、条例だったり契約関係だったり、いろいろと問題は出てくるのだろう。
 対策を考えたい、と姉の事務所から連絡があったのが、週刊誌発売日の前日。一昨日のことになる。
 呼び出された事務所を訪ねオフィスに通されると、スーツを着た男性の隣で、姉さんはその小さい身体をさらに縮ませて座っていた。

「どうも、初めまして」

 立ち上がった男性が、名刺を差し出してくる。交換した名刺には、安部菜々担当プロデューサー、という肩書が記されていた。
 つまりはこの人が、姉さんをアイドルの世界に引っ張り上げた人。あまり業界人、という雰囲気はないけれど、こうやって個別のオフィスが用意されている辺り、それなりにやり手なのだろう。
 さっそく話を始めようとして……それで僕はようやく、姉さんの発する雰囲気の原因に思い当たった。

「ええと……彼女からは、僕のことはなんと紹介されていますか?」

 びくり、と姉さんの体が跳ねる。つまり、何も説明していない、ということか。大方姉さんのことだ、この人相手にも永遠の十七歳で通したものだから、いきなり「あれは弟です」なんて言い出せなかったのだろう。

「まあ、ご覧の通りで。ですが、名刺のお名前を拝見して大体の事情は分かりました」

「……念のため言っておきますが、婚姻関係ではありませんよ」

「そこまで節穴じゃあありませんよ、お兄さん」

 ……いつも通りの反応ではあったので、僕はそれに愛想笑いを返した。目配せをして、姉さんの前にしゃがみこむ。

「ごめんなさい……巻き込んじゃったね」

「気にしなくていいよ、姉さん。少し彼と二人で話したいんだけど、大丈夫かい?」

 憔悴している様子だったけれど、姉さんはおそらく無理に笑顔を作った。プロデューサーと二言三言言葉を交わすと、オフィスの外へと去っていった。

「……すみません。てっきり年上なのだと」

「いいんですよ、昔っからよく間違えられていましたから。中学の頃から変わらない上にあの性格なもんだから、高校の時なんかは妹に世話を焼かせるダメ兄呼ばわりされたものです」

 促されて、僕はソファの対面に腰かける。おそらくは秘書かなにかなのだろう、蛍光色のスーツを着た女性が紅茶をテーブルに用意してくれた。

「それでは、さっそくですが」

 テーブルの上に、件の記事が広げられる。事情を知らない人が見れば、仲睦まじい恋人にも、生徒をたぶらかしているクズ教師にも見えないこともない写真。
 週刊誌の記事の当事者になるのはこれが初めてだけれど、なかなかに不愉快だった。駅で待ち合わせをしスーパーで買い物をし、しばらく僕の部屋で一緒に過ごし駅まで送っていった、という事実に、週刊誌好みの憶測がフレーバーとしてふりかけられている。誌面の全部がこうなのかと思うと、頭が痛い。

「ウチのコンプライアンス部はそれなりに優秀です。彼女から『恋人ではない』という話は聞きましたから、既に事実無根の飛ばし記事であるというプレスリリースを出しています」

「……信じたんですか。本当に恋人じゃないって証拠もないのに、姉さんの話を」

「信じますよ。彼女のプロデューサーですから」

 あまりに自信満々に言うものだから、僕はうろたえた。その反応に気づいてしまったのか、彼は照れ気味に頭をかいた。

「いや、今のは半分本気てすが、半分は冗談です。半年もプロデュースしてるとね、さすがになんとなくわかるんですよ。彼女が何かを誤魔化したり、取り繕ったりしてる時っていうのは」

 報道を否定したときの彼女にはそれがなかった、と彼は語った。その様子に心当たりはあったから、僕もそれ以上は追求しなかった。

「まあ、私は信じましたが、問題はファンへの対応です。写真の男性が肉親であるのなら話は早い……と、本来であれば言いたいところなのですが」

 そこまで言って、彼は言葉を濁す。それはつまり、僕が今日この場に呼ばれた理由。

「恋愛報道を打ち消すために年上の弟なんてものを出してしまうと、逆にアイドルとしての姉が死にかねない、ということですね」

「……理解が早くて助かります」

 今までウサミン星人、なんてキャラで売り出してきて、せっかくそのキャラがお茶の間にも浸透してきたところで、実は地球出身で、弟が……なんて言い出すわけにもいかないのだろう。今更そんなネタバラシをされたって気にする人は少数かもしれないけれど、少なくとも姉さんにとって、それは深刻な問題のはずだった。
 そもそも、誰もウサミン星なんか信じちゃいないだろう……そうかもしれない。
 いい機会だし、売り出し方を変えてもいいんじゃないか……それが最善なのかもしれない。
 けれど僕は、あの満月の下で……姉さんの見ている世界に触れてしまった。

「せっかくですから、少し身の上話をさせてください」

「……どうぞ」

 どうせ、結論は何パターンかしかないのだ。いい機会だから、言っておきたいことがいくつかあった。

「子どもの頃、姉は我が家のアイドルでした……比喩ではなくね。休みの日の朝、変身モノのアニメの後が、姉の定例ライブ。僕は観客で、そのアニメの主題歌をよく聴かされていたものです」

 小学生になる前のことだ。その頃から、姉さんはアニメとアイドルが大好きだった。周りの子どもたちと、同じように。

「パン屋さん、消防士、野球選手……あの年頃の子どもがみんなそうであるように、姉は魔法少女になるんだと信じていたし、僕は宇宙飛行士になるんだと思っていた」

 そして僕は、大勢の子どもたちと同じように、少しずつこの世界のことを知っていった。自分の適性だとか、限界だとか。そんなものの影響で、夢の内容は軌道修正されていく。
 
「確か、姉が七歳の時です。母が姉を、ずっと行きたがっていたアイドルのライブに連れて行ったんです。帰ってきたのを祖母と出迎えた時の、姉の熱狂っぷりを今でも覚えています。私、絶対アイドルになる! ってね」

 そうして、僕と姉さんの人生は少しずつズレていく。
 高校生になった姉さんが、東京で一人暮らしをするための貯金をしていることを。両親には内緒に、オーディションに応募していることを、僕は知っていた。知っていたけれど、僕は何もしなかった。僕は僕で、現実ってやつと戦うのに必死だったから。

「高校の進路希望調査で、本当に『アイドル』って書いたらしいんですよ。三者面談が終わった日は、そりゃあもう大騒ぎ、家族会議です。父さんは怒鳴るわ、姉さんは目を真っ赤にして反論するわ……僕は多感な時期でしたから、勘弁してくれよ、と思っていましたね。結局両親が根負けして、卒業と同時に姉は実家を出ましたけれど」

 父さんも母さんも、そして僕も、どうせいつか諦めて……夢破れて帰ってくるのだろう、と思っていた。応援はしていたけれど、アイドルになる夢を叶えることができる人間は、一握りであることもなんとなくわかっていた。

「その後は……正直なところ、僕は姉と疎遠になっていました。実家を出て大学で教職を取り、そのまま今の仕事に就いてようやく、そういえば姉はどうなったのだろう、と思ったくらいですよ……その頃はまさか、まだ夢を追っているなんて思いもしなかった。その後の姉のことは、あなたの方が詳しいでしょうね」

 そこでいったん話を区切り、僕は紅茶を飲み干す。姉さんのプロデューサーは、僕の話を興味深そうに聞き入っていた。やっぱり、姉さん自身の口から姉さんの過去は語られていないのだろう。悪いことをしたかな、とも思うけれど、これはたぶん、僕が語らなければいけない話だ。

「公務員なんてつまらない仕事、なんて人もいますけどね。別に、機械のように無感情に仕事してるわけじゃあないんです。変わらない日常って言ったって、毎日何かしらの変化はある。それに」

 言葉を選ぼうとして、結局僕は、ずっと思っていたことをそのまま口にすることにした。

「普通の人間ってやつはたぶん、そんなに変化の激しい生活はできないんですよ。芸能人って人種は、きっと特殊な例外なんです」

「お姉さんは、普通じゃないと?」

 なるほど、分かりやすい。
 姉に似て、腹芸のできない人らしい。

「普通じゃあないでしょう。子どもの頃の夢を抱いたまま、諦めることも折り合いをつけることもなく、諦めなければ夢は叶うって信じ続けて……明日はどうなるかも分からない、そんな毎日を過ごしている」

「それが、いけないことだと言うんですか?」

「ちょ、プロデューサーさん」

 プロデューサーさんが立ち上がる。語気を荒げる彼にプロデュースされて……こんな風に怒ってもらえて、姉さんは幸せ者だと思う。

「だから僕らには、彼女の姿がとても眩しく映るんですよ」

 彼の目をしっかりと見据えて、僕は笑った。
 そう。僕にはこの二人に手を貸す理由がある。

「姉さんは……あなた方は、ウサミン星人ってやつを諦めるつもりはないのでしょう?」

 僕の問いに、ソファに座りなおした彼は即座に頷いた。

「もちろんです。彼女がもういい、と言うまでは、私はウサミン星人としてのプロデュースを辞めるつもりはありません。彼女がそう望む以上は……彼女の理想とするアイドルとしての姿で、トップアイドルにしてやりたいんです」

 ああ、きっと。きっと目の前の彼が、姉さんがあの時固まった理由なのだろう。
 確証もないただの予感ではあったけれど。おそらく確かなのだろうと僕は考えていた。

「なら、僕の腹は決まっています」

 嘘の苦手な姉さんが、それを貫き通したいというのなら。
 僕は弟として、そしてファンとして、それに最大限協力をしたい。
 できることなんて、たかが知れているけど。何もできないわけじゃないなら。

「プロデューサーさん、姉をよろしくお願いします。大勢いるアイドルの一人なんだとしても、僕の、たった一人の大事な姉なんです」

「……任せてください。彼女は俺の、一番大事なアイドルですから」

 そうして今日も、僕は教壇に立つ。
 事務所での会談から数日後、姉さんによる記者会見が行われた。
 アレは、同じように地球に来ていた兄である。熱愛報道は事実無根である。
 それが会見の要旨であり、実際に「ウサミンの兄」も会見には同席した。
 翌日昼のワイドショーではその男性の顔にはモザイクがかけられ、声も加工されていたけれど……まあ、見る人が見れば、すぐに僕だとわかるだろう。
 なんてことはない。弟が年上になってしまうのが問題なら、兄であるという嘘をついて、ついでに兄も両親もウサミン星人ということにしてしまえばいい。
 姉さんはあまり乗り気ではなかったようだけれど、ファンや自分を名誉ウサミン星人にしておいてそれはないだろう、というプロデューサーさんの意見に結局は押されたようだった。最終的には世界中の人間がウサミン星人になるのだから、肉親がウサミン星人だからって何の問題もないだろう、と。
 ウサギの耳を被るなんて経験は生まれて初めてだったけれど、おかげで世間の反応は上々だったようだった。兄想いのいい子、なんて言うコメンテーターもいたし、やっぱり面白いなあ、と笑う芸人もいれば、名前を売るための騒動だったんじゃないかと疑う人もいるらしい。

 みんな、アイドル安部菜々のことが気になっている。
 幼い姉の歌う姿を知っている僕は、そのことがなんだか無性に嬉しかった。
 それで……まあ、さて。
 教卓を挟んで教え子たちの顔を見まわす。大丈夫、覚悟はできた。

「先生な、みんなに秘密にしてたことがあるんだ」

 教師としての充実した日々を送るために。姉さんの名誉を守るために、僕も嘘をついてみるとしよう。

「なんの話か分かった人もいるかもしれないけど、まあ、笑わないで聞いてくれ。先生の故郷は、実は――」

以上です
よろしければ安部菜々に投票お願いします

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom