高垣楓「おでん」 (36)



 『続けて交通情報です――』


この街にしちゃあ珍しく静かな夜だった。


聞こえる音と言や、すぐ後ろのホームへ滑り込んで来る京浜東北線やら宇都宮線のブレーキに、
脇へぶら提げたラジオから流れるNACK5の番組ぐらい。
さっきまではそこに手元で食材を仕込む包丁の音も加わってはいたが、
それも終わった今じゃあ煙草を吹かす溜息に取って代わられていた。

意味の無いのは分かっちゃいるが、それでも俺は外へ顔を出して天を仰ぐ。
雪は何食わぬ顔で静かに、だが遠慮無く降り続いていて、重ねて零した溜息は一瞬にして凍り付いた。この分ならアスファルトの上にだって積もりそうな勢いだった。

まぁ、俺が悪かったのも否定はしない。
それこそ昨晩のラジオで降雪確率は五十パーセントを超えると聴いていたし、
なのにせっかく仕入れておいた食材を自分の飯にしちまうのも寂しいと、
こうしていつも通りにおでん種にしちまったのは完全無欠に俺のせいだ。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1523713726


修行の為に週一で開けちゃあいるが、全く客の来ない日だってある。
……その来る客だって半分以上は仕事仲間だしな。
あいつらもこんな冷え込む夜にゃあとっとと家へ帰って熱燗でも一杯やってる頃だろう。
別に儲けるつもりでやってる訳でもなし。
赤字スレスレの超低空飛行はこれからだって続くだろう。

さて。客足も雪に取られちまったようだし、閉めて俺も一杯おっ始め――


 『――あ。見てください。屋台ですよ、屋台』
 『本当だ……何と言うか、実に屋台らしい屋台ですね』


蒟蒻へ伸ばしかけた腕が止まる。
珍しい事もあるもんだ。久しぶりの一見さんらしい。


寒い日の温もりこと高垣楓さんのSSです

http://i.imgur.com/9urZzIm.jpg
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前作とか
北条加蓮「さて、ここに奈緒のチョコがある訳だけど……渋谷君」 渋谷凛「はい」
( 北条加蓮「さて、ここに奈緒のチョコがある訳だけど……渋谷君」 渋谷凛「はい」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1518702258/) )
高垣楓から脱出せよ ( 高垣楓から脱出せよ - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1483426621/) )


以前に頒布した本の一節へ微修正を施したものです
第7回シンデレラガール総選挙、大好評開催中



 『ここにしませんか? いえ、ここにしましょう。屋台飲みって憧れだったんです、私』
 『構いませんが……ちょっと入り辛いですね。こういう店って常連さんで埋まってそうで』

防寒用の幕の向こうで二人が話し込んでいる。
間違っちゃあいない。だいたい常連のお陰で保ってるような、店とも言えないような店だ。
さて、どうなるか。

そんな事を考えていると不意に幕が揺れた。
竿に吊された四つ切り暖簾を手で別けて、女らしき方が小さな顔を覗かせる。

 「あの、すみませわっ」
 「……楓さん? どうしまわっ」

外気でキンッキンに冷やされただろう二人の眼鏡を、舟から立ち昇った湯気が一瞬で曇らせた。
二人が慌てたように眼鏡を外す。
男の方は何だか冴えないような兄ちゃんで、女の方は何だかよく分からないぐらいの別嬪だった。
何だコイツら。

 「あの……やってます?」
 「見ての通りだ。まずは入んな、冷えるだろ外は」
 「お邪魔します……」
 「らっしゃい」

どこへ座りゃいいのか迷ってるらしき二人に、長椅子の真ん中を指差した。
本来なら五人掛けだが、まぁ、今日はもう他に客も来るまい。
こういう時の俺のカンはよく当たるんだ。悲しいくれぇに。


ようやく曇りの取れた眼鏡を兄ちゃんは掛け直し、姉ちゃんはポケットにしまった。
掛けないのか、ソレ。

 「わぁ……」

姉ちゃんが物珍しそうに周りを眺め回す。
まぁ眺め回す程の広さなんぞ無いが。

 「楽しそうですね、楓さん」
 「だって、だって屋台ですよ。お仕事帰りに、わーくわーくしませんか」
 「そのネタ何度目でしたっけ」
 「言う度に五パイント飲んでたら今ごろ大酒飲みです」

何とも不思議な組み合わせの二人だった。
カップルにしちゃ不釣り合いだし、
どうも同僚らしいが、普通の仕事をしているような様子でもなし。
謎だ。

 「飲むかい」
 「飲みます」


早いな姉ちゃん。


 「どんなお酒があるんですか?」
 「清酒の小中大がある」
 「大で」


飲むな姉ちゃん。


 「兄ちゃんはどうする」
 「小で」

あぁ、だいたい力関係は見えてきた。
大変だな、兄ちゃん。同情するぜ。


八海山の四合瓶を抜く。徳利に注いで兄ちゃんの前へ置き、瓶の方を姉ちゃんへ渡した。
まさかラッパ飲みしねぇだろうなと一瞬だけ思ったが、
意外にもおとなしくぐい飲みへ注ぎ直してくれた。


 『乾杯』


息ぴったりに器を鳴らすと、兄ちゃんは普通に、姉ちゃんは豪快に中身を呷る。
同時に吐き出した溜息は、まぁ、何だ。本当に頑張れよ兄ちゃん。

 「私、この一杯の為に生きてます」
 「ツッコミませんよ。それで大将さん、食事はどんな物が?」
 「見ての通りだ」

舟の上で手を広げた。
大根に始まり、玉子、蒟蒻、はんぺん、昆布、車麩、餅巾着などなど。
特に珍しいタネは泳いでない……せいぜいチョリソーぐらいか?

 「じゃあ、餅巾着を」
 「大根と昆布をお願いします」
 「あいよ」


注文の品を舟から揚げる。
器へ盛りつけてから汁を注ぎ足し、辛子の小瓶を添えてそれぞれの前に置く。
屋台の中は外に比べれば随分と暖かいが、皿からは勢い良く湯気が立っていた。

口を丸くしてその様子を眺めていた姉ちゃんが、一つ頷いて箸を割る。
大根を崩し、吐息で冷ましてから齧り付いた。

 「……ほ、あ、あふっ……ほ……」

兄ちゃんの方も大体似たような調子で、巾着を破った瞬間に滲み出した汁に慌てて口を離した。
雪夜に冷やされた唇におでんはそりゃもう熱いだろうとも。

 「……美味しい」
 「ええ。熱いけど、旨いですね」
 「どうも」

他の店に比べちゃあまだまだもいい所だが、こうして客に旨いと言ってもらえるのは何よりだ。
ま、仕事帰りの雪夜っつう調味料も掛かってるからな。

 「すいません、がんもとつみれ貰えますか」
 「私もつみれを二つ」
 「あいよ」

つみれを掬い上げながら、俺は微かな違和感を覚えていた。
姉ちゃんから受け取った皿へつみれを転がしてやった所で、ふと気付く。

 「……なぁ、姉ちゃん」
 「あ、はい。何でしょう」
 「俺、アンタにどっかで会った事あるか?」
 「うーん、たぶん無いと思いますけれど」
 「そうか……何か聞き覚えのある声だと思ったんだがな」
 「あ、それなら歌かもしれませんね。アイドルですので」


つみれを口へ放り込み、八海山を勢い良く空にする。
満足げに目を閉じる姉ちゃんから視線を外し、隣の兄ちゃんに顎で訊ねた。

 「あー、残念ながら本当です」
 「む。プロデューサー、残念とはどういう」
 「まぁまぁお酒どうぞ」
 「おっとと……すみませんね。ふふっ♪」

手慣れた様子で話題を逸らした兄ちゃんが名刺を差し出してきた。
よく分からんが、姉ちゃんにも呼ばれた通り『プロデューサー』の文字が並んでいる。

 「ほぉ……アイドルねぇ……ん?」

アイドルっつー単語が頭に引っ掛かって、それを頼りに記憶を手繰る。
煙草に火を付けて手を早めると、ようやく脇へぶら提げたラジオに思い当たった。

 「……ひょっとして、さっきまでコイツで喋ってたか?」
 「あ、はい」
 「向こうで?」
 「アルシェで」

背後を指差すと二人が頷いた。
道理で聞き覚えもある筈だ。
仕込みの最中は点けっ放しにしているこのラジオを通して、
俺は姉ちゃんにずっと語りかけられていたらしい。

カライイってか


はぁ、珍しい事もあるもんだ。
ラジオだテレビだなんてのは別世界のモンだとばかり思ってたからな。
にしてもだ。

 「姉ちゃん、アイドルなんだよな」
 「そうですそうです。けっこう人気あるんですよ、えへん」
 「の割にはさっきの番組、酒の話しかしてなかったような気がするんだが」


 「まぁ、シツレイな。ちゃんとおつまみの話もしてましたよ」
 「あの、楓さん。イメージ崩れるんでちょっと」
 「安心しな。とっくにガタガタだ」

後ろの幕を開けて煙草の煙を流す。
雪はまだまだ降りしきっていて、目の前の道路にもうっすらとだが積もり始めていた。

 「おでんが食べたくなってきた、ってのは嘘じゃなかった訳だ」
 「もちろん♪ どこで食べようか探してて、それでここを見つけたんです」
 「今どき屋台というのも珍しいですよね。他にも多いんですか?」
 「いや、少なくともこの辺りじゃ俺くらいだな」

そもそも儲けようとして屋台をやる奴なんぞほぼ居ないだろう。
席数は少ねぇし、回転率も悪い。

 「俺にしたってコイツは副業さ。だから開くのも週一。金曜だけだ」
 「勿体ないですね。美味しいのに」
 「ありがとよ。いつか小料理屋を開いたらまた来てくれ」
 「約束しましょう」


姉ちゃんがぐい呑みを空にする横で、今度は兄ちゃんがあちこちを眺め回している。
首を傾げて悩む様子に、俺の方も首を傾げた。

 「どうかしたか、兄ちゃん」
 「あ、いえ。大将。この店、何て名前なんですか?」
 「は?」

名前? そんなモン考えた事すら無かった。
ここで屋台をやり始めて数年になるが、これまででそんな質問をされたのも初めてだ。
常連の連中は酒飲んで騒ぐだけ騒いで帰るし、
一見の客はこの店の事なんぞ覚えちゃいないだろう。
結果として俺はいつまで経っても無名の屋台を回してたって訳だ。

 「そういや無ぇな、名前」
 「付けましょうよ、名前。立派な暖簾もありますし、ほら、『おでん』とかだけでも」
 「一マス余るな……」
 「大将。名前は大事ですよ」

兄ちゃんが眼鏡を拭きながら首を振る。

 「マーケティングの観点からも、認識しやすいシンボルは必要不可欠です。幾つか例を挙げますと」
 「姉ちゃん。飲ませろ」
 「まぁまぁお酒どうぞ」
 「ちょ、楓さ、んくっ」
 「良い飲みっぷりだぜ、眼鏡の大将」

姉ちゃんが兄ちゃんの口元へぐい呑みを力強く押し付ける。
口の端から豪快に酒を零しつつ、なみなみと注がれていた中身は見事空になっていた。
天晴れ。


 「けほっ……楓さん」
 「まぁまぁ。酒も滴る良い男ですよ、プロデューサー♪」
 「……む」


ほう。ほほう。


なるほどなるほど、そういうコトでもあった訳だ。
いやぁまだまだ青春だな、兄ちゃんや。
女っ気の無い人生を送って来たせいか、おじさんこういうコトは大好きでね。
どら、ここは一丁おじさんが手助けをしてやろうじゃねぇか。

 「姉ちゃんの言う通り。男を上げてぇなら飲む事だ」
 「大将まで何言ってるんですか」
 「兄ちゃんにも気になるコレの一人や百人居るだろ」
 「百人は居ませんよ……」
 「一人は居る訳だ」
 「勘弁してください」

苦笑いを浮かべる兄ちゃんの横で、姉ちゃんのペースが少し鈍る。
おう、やっぱ女ってのは鋭いもんだな。こっちの意図を伝えるまでもなしと。

 「俺がそうだったから言うけどよ、色は知っといて損はねぇぜ」
 「はぁ」
 「兄ちゃんの周りなら別嬪なんて山ほど居んだろ? 一人くれぇ心当たりはねぇのか?」
 「……えー」


明後日の方を向く兄ちゃんへ隣の姉ちゃんがチラチラと視線を送る。


いやもうチラチラじゃねぇな。滅茶苦茶見てるわ。
兄ちゃんが下手クソな口笛を吹き出すと、姉ちゃんは袖をクイクイと引っ張り出す。


……割と力を籠めて引っ張り出した。
遠慮無くグイグイ引っ張りまくるもんだから、握っていたぐい呑みから小刻みに中身が零れ出して、
兄ちゃんの右袖がますます良い男になっていく。

 「……はぁ。楓さん」
 「何でしょう♪」
 「からかうのはやめてください」


……そりゃ姉ちゃんのセリフだぜ。


 「……プロデューサー」
 「ええ」
 「飲んでください」
 「飲んでますよ」
 「もっとです」


 「え?」
 「ほら、ぐいっと。ぐい呑みをぐいっと」
 「わ、ちょ、零れ……わか、分かった飲みますから!」


兄ちゃんが慌ててぐい呑みに口を付ける。
姉ちゃんの手が底を支えて、その角度が見る見る内に垂直へ近付いていく。
アルコール度数九十度、なんてな。


何だよ姉ちゃん。何で今こっち見た。


 「ぶはっ……」

僅か数秒で飲み干した兄ちゃんが景気良く咽せ込んだ。
落ち着いてから顔を上げりゃ、ぐい呑みは今にも零れそうな程の八海山が注がれている。

 「駄目ですよ、プロデューサー」

姉ちゃんが微笑む。おお、美人の笑顔はおっかねぇぜ。


 「ちゃんと、飲まないと」


 「……いや、俺いま」
 「駄目ですよ、プロデューサー。ちゃんと飲まないと」
 「……」
 「ほらほら、そんな猪口っとじゃなく、ぐいっと飲みねぇ♪」


アルコール度数、九十度……何だよ姉ちゃん。何でこっち見るんだ。


 ― = ― ≡ ― = ―

 「しらたき貰えますか?」
 「あいよ」

卓に沈んだ兄ちゃんを尻目に舟から白滝を掬い上げる。
仕込んだタネもほとんどが姿を消して、俺は少し考えてからとろ火を消した。
ようやく降り止んだ雪は靴を半分埋めるくらいには積もっていて、
こりゃ朝には街中がスケートリンク状態だろう。冗談は厳禁だな。

 「ふぅ……」

卓に鎮座する四合瓶もまぁ、ほとんど空だった。
飲むな、姉ちゃん。

 「……」

俺は煙草をふかして、姉ちゃんは吐息を零して、しばらく音が途絶える。
背後のホームから終電が近いとのアナウンスが聞こえて、誰かが転ぶような音が続いた。

 「アイドルってのは、みんな姉ちゃんみてぇな奴なのか?」
 「え?」

姉ちゃんが顔を上げて、現れたのはやっぱりえらく整った面だった。


 「酒をかっ喰らって、良い男を振り回して、安酒屋の売れ残りを誑かすようなのばっかりか」
 「……ふふ、大丈夫ですよ。残り物には福があるって、確かな情報筋から仕入れました」
 「そりゃ良い事を聞いちまった。で?」
 「そうですね……」

姉ちゃんが脇で沈んだままの兄ちゃんを見た。
茹だったタコみてぇに赤い額が覗いて、アルコール退散だの何だのとぶつぶつ呟いてやがる。
雪の上にでも放り出してやりゃあ目も覚めるだろう。

 「アイドルも人間ですから。たまにはお酒を飲んだり、人を好きになったりもします」
 「どれくらい飲むんだ?」
 「週五くらいでしょうか」
 「コイツは?」
 「ずっと」
 「ったく、やってられっか。姉ちゃん俺にも寄越せ」

受け取った瓶を口の上で逆さにする。
すっかり温くなった中身を胃袋に流し込んで、
姉ちゃんにも聞こえるよう大きく大きく溜息を吐いてやった。

 「なぁ、アイドルなら、何つったか……そうだ、食レポとかいうのもやるんだろう」
 「よくご存じで」
 「ここはどうだ?」
 「普通ですね」

けろりと言ってのけやがった。


 「ただ、もっと賑わっても不思議じゃないと思いますよ。良いお店です」


 「そうか」
 「はい」
 「ありがとよ。店じまいだ」
 「はい……あ、そういえばお幾らでしょう」
 「ん? あー、八海山一本とつみれが……」

指折り数えようとして、止めた。雪のせいで手がかじかみやがる。

 「面倒だ。五千」
 「丼勘定ですね」
 「丼屋も悪くねぇかなと思ってる」

二人して爆笑した。酒の力ってのはつくづく偉大だ。

 「では、せめてものお礼に」

姉ちゃんが手を叩き、兄ちゃんの鞄を漁り始めた。
何だ何だと思っている内にペンが、続けて色紙が出てくる。

 「どうぞ。そのうち価値が出ますよー、きっと」

あっという間に完成したサイン色紙を手渡される。
極太に刻まれた 『オススメ!』の文字の横によく分からないコメントまで添えられていた。


 「ほら、プロデューサー。閉店ですよ」
 「……ん……んん?」

俺が首を捻っていると、姉ちゃんが兄ちゃんの身体を軽く揺すり始めた。
鈍い反応を返す声に、姉ちゃんの笑顔が一段深まった。

 「もう帰りましょう、ね?」
 「……うーん、ん、は、い……」
 「あ、でも、このままの状態じゃ、お家で転んでケガしちゃうかもしれませんね」
 「えー……んー……んん……?」
 「ですから、今夜は私の家にお泊まりしましょう」


 「…………んー、うん……楓、さん?」
 「お泊まりしましょう」
 「あー……んん……」
 「お酒が美味しかったから大丈夫ですよ。タクシーならすぐです」

多分、これが噂に聞く芸能界の闇ってヤツだろう。
俺は聞こえないフリを貫きつつ、心の中で静かに静かに手を合わせた。

頑張れ、姉ちゃん。いや兄ちゃん。



 「では、ご馳走様でした」


それを言うなら頂きますじゃねぇか?


足元の覚束ない兄ちゃんを脇から抱きかかえるようにして、姉ちゃんが雪の中へ踏み出していく。
二つの背中を黙って見送ろうとして、やめた。

 「おーい。なぁ、姉ちゃん」
 「はい、何ですかー?」

この道は街灯も少なく、もう姉ちゃんの顔は見えない。
細長いシルエットに向けて、持ったままだった色紙を振って見せた。

 「これ、どういう意味だ?」
 「そのままの意味ですよー……それでは、また」

駅前に向かう影が見えなくなって、俺はゆっくりと後ろを振り向いた。
のっぺらぼうの赤提灯をぶら提げた、小さな俺の城が静かに佇んでいる。

 「……」


暖簾を外し、俺は後始末に取り掛かった。


 ― = ― ≡ ― = ―


 「おーう! やってるかい大将!」
 「見ての通りだ。お前らも早速やってるみたいだが」
 「いーやいーや、こんなんやってる内に入らねぇっての!」
 「ダハハハハハ! ここらでいっぱい酒が怖い!」
 「いいから座れアホ共」


仕込みも終わってない内に雪崩れ込んで来たのは見慣れた面どもだった。
どかりどかりとやかましい音を立ててケツを落ち着かせた酔いどれ四人に煙草の煙を吹きかけ、
美少年の瓶を放ってやる。これでしばらくは勝手によろしくやってるだろう。
馬鹿騒ぎにかき消されないようラジオの音量を上げた。

 「そういやこないだ珍しい客が居てよー」
 「あー? また幽霊か? 聞き飽きたぜそのテのは」
 「ちげーって。それがああぁぁーーっ!」


 「何だようるせぇなまだ掛かるから飲んでろ」
 「高垣楓じゃねぇか!」
 「あ……? 何だ、知ってんのか」
 「知らないモグリが居るかっての」
 「うるせぇ」
 「は?」
 「何でもねぇ」


指差された先に飾られていたのは、まぁ、言うまでも無いと思うが、高垣楓のサイン色紙だった。


正直に言う――笑った。

ネットってのは便利なモンで、高垣楓と入力すればあっという間に数十万件のページがヒットした。
曰く、所属プロダクションでも指折りの看板アイドル。
不思議な色違いの瞳は世の男どもを文字通り一目で魅了する。
その歌声から、人呼んで『神秘の歌姫』。


……『珍味の歌姫』の間違いじゃねぇの?


ともかく、このサインにはそのうちどころかこの瞬間でも結構な価値があるらしい。
しきりに騒ぎ立ててる飲んだくれ共の様子を見ても間違い無いようだ。
と言うかうるせぇなお前ら。

 「何だってこんな場末も場末に!」
 「叩き出すぞ」
 「ん? つーかおい、この店名前なんて有ったのかよ」
 「この前付けたんだよ」
 「一発でファンかよミーハーだな」
 「そういう訳じゃねぇ」


座ったまま暖簾を覗き込もうと引っ繰り返った酔いどれを放って、飾ってあった色紙の埃を軽く払う。


 『オススメ! こいかぜに来いかぜ♪ 高垣楓』


別に、気まぐれだ。
確かに名前があってもジャマになる事はねぇし、ちょうど暖簾も四つ切りで収まりが良かった。
特にどうって訳じゃない。


おでん屋台、こいかぜ――まぁ、悪くない。


 「クッソー大将アンタ楓ちゃん来てたなら呼べよ!」
 「その前にツケ払えよ」
 「それはともかく」
 「払えよ」
 「どうだったおい、高垣楓は」
 「どうってのは?」
 「どうせ他に客も居なかったんだろ? お忍びの高垣楓とタイマン張ったんだろ?」

反射的に言い返そうとして、ぐっと口を閉じる。
どうも世間的にはそういう奴として扱われているらしい。
まぁ、何だ。色々と言ってやりたい事はあるが、今更オッサン共の夢を壊してやる事もあるまい。

昆布を巻きながら言ってやった。

 「ああ……ありゃあ、良い女だったぜ。とびきりな」


 「チクショ! 次はいつ来んだよ!」
 「俺が知るか」
 「あーあ会いてぇなぁ楓ちゃん」
 「なら毎週ここで飲め。そんで金落としてけ」
 「あのー、やってますか?」
 「見ての」


いつも通りに返そうとして二度見した。
顔を覗かせたのは若い女の子二人組で、
そんな組み合わせはこの店を始めてから一度だって見かけた事すら無かった。
しばらく呆気に取られて、それから慌てて酔いどれ共に叫ぶ。

 「ああ、もう開けるとこで。おら、てめぇら、ご新規さんに席を空けろ」
 「オイオイ常連の仕事仲間にその態度はねぇだろ!」
 「ツケ」
 「外で座ってるよ。このビール籠借りてくな」

快く席を空けてくれた友人達を片手で追い払い、長椅子の真ん中に二人を座らせる。
物珍しそうに周りを眺め回す様子へ幾らかのデジャヴを感じつつ、
急いで残りの仕込みを終わらせに掛かった。


 「……飲むかい。清酒の大中小とあるよ」
 「あ、えっと、小で」
 「私も」

まぁ、普通はこうだよな。この前がおかしかったんだ。
ごくごく慎ましく乾杯する二人に、俺は抑えきれずに尋ねる。

 「……ところでお客さん。その、何だってこんな場末の店に?」
 「え? 場末って……あの、楓さんが言ってて、それで」
 「…………はっ?」
 「昨日のトーク番組でここの事を話してて。
 『私の歌と同じ名前のお店があったんです。オススメ!』って」
 「屋台って行った事無かったし、興味が湧いて探したんです」
 「……」

やってくれるじゃねぇか、姉ちゃん。
他にどんな事を話してたのか訊ねようとすると、またしても見かけない顔が覗く。
若手のサラリーマン三人衆だった。

 「あのー、すんません。ココ楓さんが話してた店っすかね?」
 「……あー、ええ、多分」



 でもそのお店、金曜の夜しか開いてないんです。
 けっこう穴場のお店で、あ、言っちゃってもよかったのかしら。
 おでんが美味しくてですね、お酒が進みますよ。


どうもそんな感じの話をゴールデンに触れ回ったらしく、
その後も数組のお客さんがやって来た。
俺は慌てて予備の椅子を並べ、酔いどれ共からビール籠を奪い返し、
ありったけの手際でおでんを炊いた。
酔っ払い共は文句を言いながら立ち飲みを続けていた。

 「すいませーん、チョリソーもう一つ貰えます?」
 「へいお待ちを!」
 「清酒の中、お代わりお願いしますー」
 「ただいま!」
 「なぁ大将よ、本当の所さ、楓ちゃん次はいつ来んだ?」
 「黙って飲んでろ!」

ああ。
やっぱりアイツらは別世界の人間だ。
もう、こんな場末にやって来る事も無いだろうさ。


そんな感傷に浸る暇も無く、俺はただひたすらに手と目を回し続けていた。


 ― = ― ≡ ― = ―


 『センターより各車。駅西足りずー。応援願いますーどうぞ』
 『了解。十七番車向かいますどうぞ』
 「了解。十二番車も向かいますどうぞー」
 『あーそうだ大将、昨日のジッポ返せどうぞ』
 「すまん、忘れてた返すわ以上」


全く景気の良い事だ。

一頃に比べればタクシーを利用する客も随分と増えた。
バブルの頃とまではいかないが、中々に盛況だ。
忙しいのは喜ぶべき所なんだろうが、こう人手が足りなくちゃあ休む暇が足りない。
かと言って段々と客足の増え始めたばかりの店を閉めっぱなしってのもアレだし、

ううん、どうすりゃいいんだ。
なんて、こうして悩んでられるのも贅沢な話なんだろうな。

そんな考えを回しながら駅前まで車を回す。
車列のケツにくっ付き、一分と経たない内に俺の番になった。
前の車が走り去ると次の客の姿が見えて、俺はそのシルエットに見覚えがあった。


 「よいしょ」
 「……」

バックミラー越しに確認すりゃ、案の定見間違いなんかじゃあなかった。
俺の口角が自然と上がって、とうとう笑いながら訊ねてしまう。

 「珍味の歌姫さん、どちらまで?」


 「……あら。では、 『こいかぜ』まで♪」
 「今日は定休日らしいですよ」
 「残念。では、シンデレラガールズプロダクションまで」
 「あいよ」


またのご来店までには、小料理屋でも構えておこうかね。


おしまい。


第7回シンデレラガール総選挙、大好評開催中です
この度も是非、高垣楓さんへの投票をよろしくお願いします

ところでおでん炊いてる鍋って何て言うの おでん鍋でいいの
お店の人曰く舟と呼んでるらしいけどもヒットしなかった


高垣楓さんへの投票をよろしくお願いします

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