渋谷凛「ハーゲンダッツさん」 (11)


「りんー」

プロデューサーが自分のデスクから私の方へと声を投げる。

「りーん」

私が事務所のソファで休憩していると、プロデューサーはいつもこうして横着に私を呼びつける。

「りんー?」

はじめのうちは「他の子とか社員の人とかもいるし恥ずかしいからやめて」と抗議したものだったけれど、今となっては半ばお決まりのよ

うになってしまっている。

「りーんー」

四度目のそれを聞いて、さて、と軽く息を吐き腰を上げた。


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私がつかつかと歩いて来るのが見えると、プロデューサーは分かりやすく顔色を明るくする。

「十回も呼んだのに」

そして、平気でこんな嘘をつく。

「四回でしょ」

「聞こえてるんじゃん」

「はいはい。で、用件は?」

どうせ大したことではないのだろう。

大したことではないのだろうけど、それを楽しみにしている私がいることも事実で、続く言葉を待った。




「凛かなぁ、と思って」

わけがわからない。

その思いを表情と嘆息で示すと、プロデューサーが説明を加える。

曰く、ソファの方を見たら私のような後頭部が見えたため、呼んでみたということらしい。

「用もないのに呼ばないでよ。もう」

「だってさ、ちょっと凛とお喋りしたい気分のときに丁度よく凛がいたら仕方ないでしょ」

「理屈はよく分かんないけど、付き合わせるからにはコーヒーくらい出るんだよね」

「もちろん。ケーキも付くよ」

「……じゃあ、仕方ないか」

プロデューサーはにこっと笑って席を立つ。

椅子にかけてあるジャケットをそのままにして「ついてきて」と言った。

「車じゃないんだ」

「凛の次の現場的に、喫茶店入っても長居はできなさそうだからな」

「あ、休憩室?」

「そういうこと」

そうして私たちは給湯室でコーヒーを二杯分淹れて、冷蔵庫の中からケーキを一つ取り出し休憩室へと向かった。




プロデューサーは机の上にマグカップとケーキを置くと、私の座ろうとしていた椅子を引く。

「チェアサービスとか、いいから」

よくわからない小ボケを制止したところ、プロデューサーは不満そうに私の隣へ腰掛けた。

「ケーキ、それおいしいらしいぞ。なんか有名なやつだって言ってた」

「そんなのもらっちゃっていいの?」

「凛に食べられた方がケーキも幸せかなぁ、と思って」

「それはそうかもね」

「ちょっとくらい謙遜してもいいのに」

「ん。これおいしい」

「それはよかった」

「生クリームがめちゃくちゃ濃厚なんだけど、でもくどくなくて、え、おいしい」

「……そんなおいしいの?」

「ちょっと食べたくなったんでしょ。はい」

「……え、本気でうまい」

「ね。絶対高いやつだよこれ」




「おいしかったなぁ」

「うん。ほんとに。わざわざありがとね」

「結局二人で食べちゃったし、お礼言われるようなもんでもないけどな。もらい物だし」

「お礼くらいは素直に受け取ってよ」

「じゃあ、うん。どういたしまして」

「ふふっ」

「?」

「なんかさ、最近思うんだよね。こういう何でもないまったりした時間っていいな、って」

「あー。わかる気がする」

「楽しいー、って心の底から思うようなイベントじゃなくても満ち足りてる、って言うのかな。そんな感じ」

「直球でそんなこと言われたらにやにやしちゃうな」

「真面目な話なのに」

「ごめんごめん」




「そういう意味だと、プロデューサーはいつも幸せそうだよね」

「秘訣があるからな」

「秘訣?」

「そう、秘訣。毎日ハッピーに過ごすための簡単なやつ」

「それ、私も真似できる?」

「んー。どうだろう」

「まぁいいや。教えてよ、その秘訣」

「よしきた。例えばさ、冷凍庫にハーゲンダッツが入ってる状況を想像してみて」

「何味?」

「それ聞くか? えー……じゃあクッキーアンドクリーム」

「クッキーアンドクリームが好きなんだ」

「なんとなく、っていうか今はクッキーアンドクリームは重要じゃないから聞いて」

「ん」

「お仕事からのレッスンでへとへと。加えて、レッスンでは新しいステップも上手く踏めなかった、とする」

「散々な日だね」

「ああ。でも帰り道で、ふと冷凍庫のハーゲンダッツを思い出す」

「ちょっとだけ気持ちが軽くなる……かも」

「そういうこと」

「……冷凍庫に常にハーゲンダッツを入れておけって、ってこと?」

「違う違う。ハーゲンダッツは例えで、そういうものが何かあると毎日楽しくなるよ、って話」

「あー。……それで? プロデューサーの場合は?」

「秘密」

「言えないようなものなんだ」

「いや、そういうわけじゃない。でも言ったら微妙な空気になるから嫌なんだよ」

「別に恥ずかしがるようなことでもないでしょ? ちょっと変なものでも引いたりしないから、教えてよ」

「ホントに?」

「うん。誰かに言ったりもしないよ」

「……俺の場合は、それが凛」

「あー」

「ほら微妙な空気になった」




「プロデューサーは私がいると幸せなんだ」

「まぁ、そうなる」

「そっか」

「にやにやしやがって」

「面と向かってあんなこと言われたら流石にね」

「だから言いたくなかったのに」

「私はハーゲンダッツかー」

「もう勘弁してくれ」

「ごめんごめん」

「でもさ、変な意味じゃなく、挫けそうなときにもうひと踏ん張りできるのは凛のおかげだなぁ、っていつも思うんだよ」

「なんかちょっと照れるね」

「はい。恥ずかしい話おわり! そろそろ現場行かないとだろ」

「あ。ほんとだ」

「マグカップとお皿は片付けとくから、行っていいよ」

「ありがと」

「じゃあ、頑張って」

「うん。それと、私にとっての冷凍庫は事務所でハーゲンダッツはまだ耳が赤いどっかの誰かだよ、なんて」

「わかったわかった。ほら、早く行きな」

「ふふ、行ってきます」

結構本気で言ったんだけどなぁ、と心の中で呟いて、席を立つ。

もごもごと一人でごちているハーゲンダッツさんに手を振って、休憩室を出た。



おわり

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