ダイヤ「いつもと違ういつもの日」 (17)

ルビィ「お姉ちゃん…今日お父さんとお母さん居ないんだって」

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『仕事相手の家にお呼ばれして思いのほか話が弾んでしまい帰れなくなりました、明日の夕方には帰るのでそれまでの食事は冷蔵庫のありものを使って作って下さい』

最低限の要件のみを記した短いメールがルビィの元へと届いたのは十六時を少し過ぎた頃だった。両親は基本、娘達への連絡を携帯の触る頻度の多いルビィに大体の場合送る。同時に送っても返信が早いのは妹の方で、ダイヤが気付くのは数時間経ってからの事がほとんどだった。

ダイヤ「そう、分かったわ」

ダイヤは短く返事をした。別段、家に厄介事は無い。掃除も、洗濯も急いで済ませてしまわねばならないほど溜まってはいない。やらなければならない事があるとすればそれこそ、二人分の夕食を作るくらいのものだ。
そんなことを考えていると、ルビィがまだ話があると言わんばかりにこちらを見つめて来る。

ルビィ「それでね…お姉ちゃん…」
ダイヤ「何……?」
ルビィ「あの……その……」

はっきりしないルビィの態度に疑問を浮かべていると…ルビィは一呼吸おいて、おずおずと後ろ手に持っていたそれを取り出して見せた。

ダイヤ「そこ、マイナスつけ忘れてる」
ルビィ「え……ど、どこ……?」

畳の敷かれた居間に置かれた机で額を突き合わせ、二人で正座で座る。宿題をするのはダイヤの言いつけ、それを一緒にやるのはルビィの発案だった。
一切の滞りなくシャープペンシルを運ばせる姉に正座すら慣れていない妹。対照的な姉妹だった。

ダイヤは、東京の大学への推薦での進学が決まっている。別段懸命に勉強する必要はなく、課題さえこなしていれば学業に関する問題はなかった。それでも、それなりの時間を机に向かうことに割いているのは偏に彼女の性根の真面目さによるものだった
そして今妹の勉強を見ているのは単に、姉としてルビィを心配しての事だった。

小一時間経ったところで、ルビィが音を上げる。元々学業が得意な方では無かった。畳の床に手をつき、大きく息を吐き出す。時計の針は六時少し前を指し示す。外からの陽の光が部屋に深く差し込み、漆塗りの机を照らしていた。

ルビィ「お姉ちゃん…休憩にしよ…?」

ダイヤは深く溜息をついた。思えば、ルビィにしてはよく集中が持った方かもしれない。

お茶を入れて来る、そう短く言い残すとダイヤは席を立ち台所へと向かった

水道の水をヤカンに注ぎ、火にかける。引き出しから頂き物の少し高い茶葉を取り出し、脇に置いておく。
ヤカンで湯が沸くのを待つ最中、今日の夕食の献立を決めるべく冷蔵庫の中身を確認する。黒澤家の冷蔵庫は基本的に物が少ない。母親が無駄を出すことを嫌い、必要な食材を二、三日分買うのみだからだ。

ダイヤ「ありものって……何も無いじゃない…」

冷蔵庫の中身はほぼ空だった。これでは後で買い物に行かなくてはならない。面倒ごとが増えダイヤは少し肩を落としたが、怒っていても仕方がない。無い物は無いのだ。
買い物に行かなくてはならないのは少々手間だが、自分で食べるものを決められるのは少し、心躍る気がする。ダイヤはそう思うことにした。

ダイヤ「冷蔵庫に何もなかったから、先に夕食の買い物に行ってくるわ」

ルビィ用の湯飲みを運び、台所から戻ったダイヤはそう言葉をかけると席から立ち上がる。ルビィは机が影になるほど背を丸めノートを見つめていた顔を上げ、ダイヤを呼び止めた。

ルビィ「お姉ちゃん、ルビィも行く!」

ルビィがそう言い出すのは、容易に想像できた。ここで断っても、思いの外この妹はこういう事になると頑固で、頑なだ。

ダイヤ「……早く宿題を終わらせなさい」

軽く溜息を吐きながら言葉を返した。それを聞いてルビィがぱっと、顔を明るくした後机に向き直るのを横目で見ながら、ダイヤは出かける支度を始めた。

海岸通りの町を二人して歩く。ここは二人の生まれ故郷。大海原と潮風の町、内浦。
オレンジ色の夕陽が潮の流れに色を付ける。この匂いも色も全部、生まれ育ってからずっと触れてきたたものだ。
食材は学校までの道に沿って歩き、少し先まで行った場所にある直売所で普段購入することにした。馴染みの老夫婦が営んでいるので買い物がしやすく、値段も安価だった。

ルビィ「お姉ちゃんは何が食べたい?」

不意にルビィに聞かれる。
別段食にこだわりはない。人並みに好き嫌いはあるが甘味が好きなので食事自体に頓着したことはあまりなかった。親に何が食べたいか聞かれても全て、その質問をルビィに横流しにしていた気がする。

無理にでも好物なるものをと考えている最中、ふとある想いがよぎった。春からは自分で三食決めなければならない。買い物に行くにしても隣に人なんていない。全ての決定を、自分で下さなければならない。
不意に胸に穴が空いたような、冷ややかな風が通ったような、そんな心持ちがした。

ルビィ「お姉ちゃん…?」

戸惑うようなルビィの声を聴いて、ダイヤは自分が思索の世界に入り込み、返事を返していない事に気付いた。ダイヤは少し悩んだ後オムライスが食べたい、と答えた。

咄嗟に悩んだのは自分の事ではなく、ルビィの好物だった。

この季節の水道水は素肌を刺すような冷たさで、初めの方は冷たさが心地良いものの次第に手の感覚を奪うようになっていく。
花嫁修業、などと称してよく炊事や洗濯などの家事を手伝った覚えがある。その頃の経験で、今の自分は一通り家事をこなせるよう育った気がする。高校生である今も時折手伝うこともあるが、いつからか機会はめっきり減っていった。

米袋の中で計量カップを使い二人分の米を量る。オムライスを作るなら先に米を研いでおいてから買い物に行くべきだったとダイヤは少し後悔した。料理は作業の同時進行が基本中の基本だ。我ながら慣れておらず、手際が悪い。

まな板の前ではルビィが付け合わせにするサラダの野菜におぼつかない手付きで包丁を入れていた。勉強の時より、幾分か真剣な表情に少し吹き出してしまう。突然笑い出した私を見てルビィは、不思議そうな顔をみせた。

暫くして、少し硬めに炊き上げた米に鶏肉と刻んだ玉ねぎを加えてバターで炒める、チキンライス作りだ。「材料を混ぜるだけで簡単だからこっちをやりなさい」と言い聞かせたのに聞く耳を持たなかったルビィは玉ねぎで泣き腫らした目で必死にフライパンの卵の具合を見極めている。いつかルビィも誰かに料理を作る日が来るのだろうか、その度にこうして卵とフライパンとにらめっこするのだろうか。真剣な表情で野菜と相対するのだろうか。想像したら再度、面白可笑しい気持ちになった。

今まで、姉妹二人で横に立って台所に立つという事をしてこなかった。けれどもダイヤは何故か、懐かしい気持ちがした。

出来上がったオムライスの味はは可もなく不可もなく、といった塩梅だった。どこか焦がす程の失敗しておらず、店屋物の蕩けるような仕上がりに出来たわけでもなかった。

ルビィ「おいしいね、お姉ちゃん」

卵に完全に火が入りきっていて、少し形の崩れたオムライスをルビィは満面の笑顔で食べていた。共に食べる人が笑顔であれば、食事は楽しい。
オムライス自体、黒澤家で出されることが少ない料理だった。黒澤家は基本的に朝昼晩、和食であることが多いからだ。
酸っぱい湯気の立ち込めるチキンライスと卵を共に口に入れる。

偶には洋食を食べるのも悪くない。嬉しそうに話しかけてくる妹の話を聞きながら、ダイヤは心の中で思った。

洗い物を二人で済ました後、それぞれは風呂に入った。
湯上りで薄いピンク色のパジャマ姿のルビィがテレビの前の埃の被った機械を弄る。機器とテレビのコードを繋ぎ、自動で開いたディスクトレイに一枚の円盤を入れる。

「風呂上がりにパジャマ一枚で居ると湯冷めしますわよ」

ダイヤが持ってきた一枚の大きな毛布に二人で包まり、テレビ画面に釘づけになる。始まりの音楽が流れ、大歓声と共に膨大な光量が画面を覆いつくす。
そのディスクに収められているのは、二人の大好きなスクールアイドルのライブ。
興奮と熱狂の時間が詰まった、そんな一枚。それを二人で見るのがルビィの最初のお願いだった。

日付が変わるころ、既にテレビの前に座り始めてから三時間が経過していた。それでもこのディスクには五時間超の映像が収められており、未だ折り返し地点だった。
始まりから常に二人は目を輝かせて映像に見入っていた。画面の中では徹頭徹尾、十二分なパフォーマンスが披露されていた。声援の声も出したかったが夜分なので二人は控えざるを得なかった。
映像を一時停止し、手を組んで腕を伸ばして固まった体をほぐす。普段ならとうに寝ている時間だけあって、少し眠気を感じていた。


「温かい飲み物でも入れましょう……何がいい?」
「…………ココアがいいな」

妹の注文を聞き、毛布をルビィに羽織らせるとダイヤは台所へと向かっていった。
時計の針が頂を差し、畳の間に似つかわしくない軽快な音が部屋に鳴り響いた。外では小雨が降り始め、乾いた水の匂いがするようだった。

「はぁ……全く…」

居間に戻ったダイヤは溜息をついた。戻って来て見たのは毛布に包まり、すうすうと寝息を立てる妹の姿。寝ぼけ眼になっていたルビィを見た時点で半ば予想していたことだった。
こうなったら梃でも起きることは無い、長年同じ屋根の下で住んでいる以上、分かりきったことだった。

ダイヤはカップに入った二つのココアを時間を掛けて飲み干すとテレビの電源を消し、電球の紐を引いて部屋の照明を落とした。ルビィの被っている毛布に潜り込み、三割方が自分の体に掛かるようにする。居間で寝る横着をしても、両親が帰ってくるまでに起きられるだろう。

明日朝起きて朝食を作った後昼前からまた見始める。そうすれば両親が帰ってくる前に残る全て、最後まで見届けることが出来るはず。そんな算段を立てて目を瞑り、微睡みの中に溶け込むことにした。

そう遠くない日にこの日常は形を変えるかもしれない。もしかしたら、もう訪れることはないかもしれない。
でもとりあえず明日はまだ、楽しく続きそうだ。




「おやすみなさい、ルビィ」

おわり

お泊まり選挙、よければ黒澤姉妹に清き一票をよろしくお願いいたします。

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