銀子「頓死しろクズ!」八一「ああ」 (19)

九頭竜宅

 あいはJS研の皆と研究会をしに暮坂先生のお宅にお邪魔している。
そのため本来なら家には俺一人しかいないはずなのだが……

「なんでいるんですか姉弟子」

 なぜかベッドの上で姉弟子が寝転がっていた。
 今更特筆するほど珍しい光景ではないのだがセーラー服の女の子が自分のベッドで横になっている、ましてそれが妖精のような外見をした女の子であるのだから当然意識しないわけがない。

 とはいえ相手はあの姉弟子だ。甘酸っぱいラブコメに発展するわけもなく。

「八一、次はそっちのやつ取って」


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「今両手がふさがってるんですが」

「知らない。取って」

「……」

 姉弟子は何をしてくるわけでもなく淡々と棋書を読みふけっている。

 しぶしぶと持っていたものを置き、姉弟子に棋書を手渡す。

「八一」

「なんですか?」

「来週の日曜、私暇なんだよね」

 聞いても居ないのに予定を教えられた。

 来週の日曜と言えば確か……

「俺はその日JS研でご飯を食べに行く予定ですね」

「頓死しろクズ!」

 ここで一つ、いたずら心が芽生えた。

 もし姉弟子の態度にキレたふりをしたら姉弟子はどんな反応をするんだろうか。
 姉弟子の事だ。可愛い反応を見せてくれるに違いない。

「俺は……姉弟子のなんなんですか」

「は?」

「なんでいつもいつもそんなことを言われないといけないんですか!」

 自分でも何を言ってるのかよくわからない。
 しかしこういうのは勢いが肝心、声を出来るだけ大きくして姉弟子を睨み付けた。

「八一……? どうしたの……?」

「どうしたもこうしたもありませんよ!」
「世間からはロリコンだクズ竜王だとなじられ」
「姉弟子からは奴隷のように扱われ」
「もう……こんな生活うんざりなんですよ!」

 ロリコンと呼ばれるのにうんざりしているのは本当だ。

「ご、ごめんね八一……」
「私は八一のこと奴隷となんて思ってないよ……?」

 おびえて、震えて、それでも俺の目を見つめて。
 今にも泣きだしそうなその表情は俺の嗜虐心を刺激した。

 なにこれ可愛い。

 さっきまであんなにベッドの上でくつろいでいたのに今はきちんと正座をしている。

「いいや、俺はもう限界です!」

 演技にも拍車がかかってきた俺は台所に向かい、包丁を取り出し大げさに掲げた。
 もちろん姉弟子に刃を向けるようなことはせず刃先はとりあえず俺に向いている。

「嘘……八一、そんなことしないよね……?」

「もう全部終わらしてやる!」

 ということで終わり。

 ネタバラシをしたら姉弟子は凄く怒るだろうか。
 それとも安心して泣くのだろうか。

「なーんて、実はドッk」
「だめ! 八一!」

 俺がドッキリとネタバラシをするよりも先に姉弟子が俺に衝突してきた。

 驚いて体勢を崩す。

 姉弟子は俺の手から包丁を奪い取ろうと包丁の方向に手を伸ばし……

「っ!?」

 浪速の白雪姫が赤く染まった。

◇病院

 幸い、姉弟子は命に別状はなかった。
 そう、命には。

 包丁を掴もうとしたときに右手を大きく負傷し、腱を損傷。
 完治すれば多少は動かすことが出来るようになるものの元通りになることはないという。

 それは俺たち棋士にとってどれほど重大なことか。
 俺も姉弟子も、師匠や桂香さんにはもちろん、あいや天衣にだって理解できる。

 棋士にとって感覚というものは単純な棋力よりも勝負を左右するといってもいい。

 アウェーな場でいつもどおりの実力を発揮できなかったなんてことは珍しくはないし、一秒だって無駄には出来ない真剣勝負ではどんな小さな違和感が命取りになるかわからない。

「姉弟子……俺……俺っ……なんで……っ!」

 なんであんなことをしてしまったんだ。
 なんで夢を絶たれたのは俺じゃなかったんだ。

 なんで……

「なんで……俺の事誰にも言わないんですか……」

 姉弟子は誰にも俺のせいで怪我をしたと話さなかった。

『八一は関係ないの。これはただの私のミス』

 医者や急いでかけつけた桂香さんたちにはきっぱりとそう告げた。

 俺は何度も正直に話そうとしたのだがその度に姉弟子に突き刺すような目で睨まれ制止された。

「八一を追い詰めたのは……私だから……」

 この期に及んで、彼女は何を言ってるんだろう。

 病弱で、外で遊ぶことの出来なかった姉弟子が唯一出会えた生きる理由である将棋を。
 強くなるために他人との関わりを断ち切るほどに真剣に向き合っていた将棋を。
 彼女の全てである将棋を。

 彼女から将棋を奪った俺を、どうしてこんなにも……

「俺が、憎くないんですか……?」

 声が震える。

「憎いに決まってる」

 初めて彼女から出た俺への敵意が逆に俺を落ち着かせる。

「なら、どうして何も言わないんですか……浪速の白雪姫を傷つけて、将棋を奪ったなんて知れればすぐに俺はバッシングを受けて俺に復讐出来るのに……」

 それは考えうる限り最悪の結末。
 だが俺が彼女から奪ったものの大きさに釣り合うものはそれしか考えられなかった。

「八一が居なくなっちゃうのはいやだから」

「……は?」

「私にはね、将棋と八一しかないんだよ」
「八一まで居なくなったら私、全部無くなる」

「たったそれだけの理由で……?」

「私はね」
「将棋と同じくらい、八一が大切なの」
「どうせ知らなかったんでしょ?」

 俺は今まで姉弟子の何を見てきたんだ……?

 姉弟子は誰よりも不器用で、誰よりも素直になれなくて、誰よりも一途だって知っていたじゃないか。

 その一途な想いは将棋だけに向けられていた物ではなかった。
 その想いは何年も前からずっと、俺にも向けられていたんだ。

 だけど姉弟子は不器用で、素直になれないから想いを素直に表すことなんて出来なくて。

 俺は馬鹿だ。
 大馬鹿だ。

 ずっと俺の事を想っていてくれていた女の子の気持ちに気づかないだけじゃなく、彼女の大切なものまでも奪ってしまった。

「姉弟子」

「何?」

「こんな俺で、いいんですか?」
「鈍感で、将棋しか取り柄のない、世間からはロリコンだなんて呼ばれてるクズみたいな男ですよ」

「知ってる」
「そんなクズをずっと見てたから」

「俺の全部、姉弟子に捧げます」

「八一」
「絶対、逃がさないから」

 そうだ、俺はもう逃げることは許されない。
 俺が、将棋を奪った空銀子から。
 俺が、空銀子から奪った将棋から。

 永遠をかけて償うと決めたのだ。

「俺はもう逃げません」

数年後

「どうかな、八一」

 純白の衣装に身を包んだ姉弟子は、肌の透き通るような白さと相まってこの世に存在していることが奇跡にも見えて……

「ちょ、ちょっと八一!?」

 思わず抱きしめていた。
 強く、強く腕に力を込める。
 こうしていないとどこかへ消えていってしまうんじゃないだろうか。
 そんな不安に掻き立てられる。

「姉弟子」

「ばか八一」

「えっと……銀子」

「うん」

「幸せにするから」

「今以上に?」

「毎日、昨日よりも幸せだったって思わせて見せる」

「約束だから」

「ああ」

 その日、将棋界は名人・九頭竜八一とその夫人・九頭竜銀子の新たな門出を祝福した。


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