モバp「抱いてしまった…」 (23)

モバマスssです

地の文ありです

たぶんハートフルラブコメディーです

蜜のように甘く。

毒よりも強く。

間違っていると分かっていても、止められない。

背徳と快楽が離してくれない。

本能であなたを求めてしまう。

戻れない。

戻りたくても、もう。


抱いてしまったから。


「ぁっ!あんっ、い、いいですよっ!プロデューサーさん!!」

安っぽい手触りのシーツの上で、激しく乱れる女。

普段の彼女からは想像のできないその姿を見て、ひどく興奮する。

耳朶を震わせている荒い息が、彼女のものなのか自分のものなのかすら分からなくなるほど、その行為に熱中する。

汗ばんだ体を打ち付ける度に彼女は声を上げ、その声を聞くたびに俺の腰を振る速度は速くなる。

どうしようもない泥沼のようだった。

「あっ、あぁ!!んあっ、す、すきぃ!すきですよぉ!!」

蕩けた顔で愛の言葉を叫ぶ彼女。

なんて愚かなんだろうと思う。

彼女が、じゃない。

嘘だと分かっているその言葉を、信じてしまいそうになる俺が、だ。

誰よりも、何よりも、理解しているはずだ。

俺と彼女のこの関係は、利害が一致しただけの紛い物だって。

ただ、買うと買われるの関係だって。

それなのに、彼女の嘘を信じてしまいそうになる。

「くっ、あっ、俺もっ!好きっ、ですよっ!」

嘘に、本気になってしまう。

紛い物でしか無いのに。

…俺の想いは、届かないのに。


「ちひろさんっ!!」


彼女の名前を呼びながら、俺は快楽の絶頂に達した。

ビクンと体が痙攣して、下腹部から精力やら気力やらを含んだものが搾り取られていく。

その直後、強烈な脱力感に襲われる。

「はあ…」

同時に頭が冴えていき、冷静になっていく。

俺は一体何をやっているんだろう。

金を払ってまで、彼女を求めて。

何度買ったって、本当に欲しいものは手に入らないのに。

陰茎に纏わりつくゴムの感覚と、その中に満ちた自分の体液。そして彼女の温度。

その全てに急激に不快感を覚えて、俺は彼女の膣から陰茎を抜いた。

「あは、もう抜いちゃうんですかぁ?」

その声は蜜のように甘く俺を満たしていく。

だがしかし、その声によって俺は毒よりも強く蝕ばまれていく。

求められたことで喜び。

それも買ったことなんだと胸が痛み。

結果的に陥るのは自己嫌悪。

こんなことを体を重ねる度に、俺は繰り返している。

…本当に、愚かだ。

事後になると、俺たちの間で会話はパッと無くなる。

彼女は、薄いシーツを抱き締めながら、蛍光色のライトをぼんやりと見上げている。

俺は、目に五月蠅い色のカーテンを開き、喧騒に包まれている街を見下ろしている。

夜でも留まることの無い人の行き交いに、この都市の大きさを改めて実感させられた。

窓の外を見つめる。

正直、その行為に意味なんて無かった。


ただ、怖かった。

目が会うことが。

俺の想いを覗かれてしまう気がして。


なんでこんな形でしか、あなたを抱けないのだろう。

本心から好きと言い合えたら。

…あなたが、本心から好きだと言ってくれたら。

俺はあなたの何にも恐れはしなかったのに。

こんなにも俺は、自分に嫌気がさすことは無かったのに。


…分かってる。

ただの、八つ当たりだ。




そこに愛がないのに、俺たちは愛の形を作っている。

そんなの、どんなふうに作ったって歪にしかならないのに。


「…」

沈黙がこの狭い部屋を占めていた。

音が切り取られた訳ではない。

その証拠に、耳を澄ませれば、いろんな音が見つかる。

例えば、彼女が小さく身じろぎをする度にシーツの布ズレの音。

淀んだ空気を吐き出し続けるエアコンの低く鈍い機械音。

それに、遠くからの喧騒なんかも、この部屋には運ばれてきている。

多種多様。

雑多といっても差し支えないほど、音に溢れている。

なのに、その中に彼女の声はなく。

なのに、その中に俺の声はない。

いや。

だからこそ、こんなに色々な音が見つけられるのか。

ただただ二人とも押し黙っていた、そのせいだ。

「…」

沈黙。

それが占めるこの部屋は、決して音が切り取られた訳では無い。

けれどその代わり。

喧騒の止まないこの都市からは、取り残されているように感じた。

その後、結局俺たちは一言も言葉を交わさなかった。

先に部屋を出たのは俺。

シャワーを浴びて、脱ぎ捨ててあった服を着て、机の上に一万円札を置いて、ついでに室料分の金も置いて、そして、部屋を出た。

その間、彼女は変わらずにルームライトを見上げていた。

ただぼんやりと。

きっと彼女も、電球の形に興味がある訳では無いのだろう。

なら、その瞳が本当に映しているものは何なのか。

もちろん。

彼女の目を見ない俺に、分かるわけがなかった。


こんな関係、どう考えたって間違っている。

彼女との関係は客観的に見ても、主観的に見ても、唾棄され、糾弾され、罵倒されるものだ。

これを肯定するのは、同じ立場の人間くらいだろう。

俺と彼女―――千川ちひろの関係。

それは、2つある。

1つは共に働く関係。

毎日のように顔を突き合わせ、隣合ったデスクで事務処理をして、暇があれば一緒に居酒屋なんかに向かう。

健全な同僚という関係。

もう1つは買うと買われる関係。

俺は彼女の体を買い。

彼女は俺に体を買われる。


不健全な援交という関係。


あぁ、間違っている。

どう考えたって間違っているさ。

昼にはより正しい作業を求め合って、夜には嘘に塗れた言葉で求め合う。

そして明日になれば、今日も一日頑張りましょうね、なんて笑い合う。

間違っている。

誰に言われなくたって、俺が1番分かっている。

こんな関係、早く絶ってしまうべきだ。

たった1つ。

買わなければいい。

それだけなんだから。


それでももう、止められない。

きっと知ってしまったのがいけなかった。

過ちを犯す背徳感とそれがもたらす快楽を。

彼女の細い腕で抱きしめられる悦びを。

もう、離してはくれない。

俺の記憶に焼き付いた、彼女の首筋の味が、胸の谷間の匂いが、腕を回した腰の感触が、艶やかな声が、火照った頬の色が。

知覚できる全てが。

千川ちひろという女から、俺を離してはくれない。

ここまでくると、もはや本能的なものだ。

いや、むしろ本能でなくてはおかしいか。

雌の体を求める雄の欲望を本能と呼ばなければ、逆に何と呼ぶんだ。

…求めてしまうこの心を、本能と名付ける以外にどうすればいいんだよ。




いつからだっただろうか

そう思い、振り向いた。


俺たちが援交を行っているホテルは、事務所から二駅ほど離れている。

飲み屋街とも住宅街とも離れているそこは、知り合いと会う心配が少ないため、というのが理由だった。

一方、俺の自宅は事務所はホテルとは逆側に二駅離れている。

通勤のことを考えると、もっと事務所に近い場所に住めば良かったのだが、生憎良い物件が探せなかった。

つまり、俺の自宅からあのホテルまで4駅分ほど離れていることになる。

だから、自宅の前まで来た今、振り向いたところで、もうとっくにホテルは見えなくなっている。


なのにどうして俺は、そこを探してしまったのだろう。

戻れないのに。

戻りたくても、もう。



いつからだっただろうか。

戻れないと悟ったのは。

戻り方を忘れてしまった訳ではなかった。

戻る場所が無くなった訳でも無かった。

ただ、きっと遠くに来すぎたのだと思う。

あまりにも離れすぎて、ここから戻ろうとしても、時間が邪魔をする。

時間は戻らない。

残酷でもなく、非情でもなく、ただただ絶対として、時間は流れていく。

遠く、元の場所すら見えなくなった今じゃ、過去になんて戻れやしない。

戻れるわけが、無かった。

「本当に、いつからだったのかね……」

自嘲気味に笑いながら、黒革のビジネスバッグから、自宅の鍵を出す。

―――あぁ、そうさ。

鍵を差し込んだ。

―――戻れるわけが無い。

鍵を回した。

―――戻るつもりも、無い。

鍵が開いた。

―――だって俺はもう。

扉を、開けた。




あなたを抱いてしまったから。




―――パタン。

とりあえず今日はここまで

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