【艦これ】大井「顔、赤いですよ。大丈夫ですか」 (28)


 私がそう言うと、提督は開襟の首元をぱたぱたやりながら、「ここは暑いな」と呟いた。そうだろうか。暖房がついているわけではないのだけれど。

 まぁ、毎日毎日海っぺりで潮風を受け続けているひとだから、気密性の高い部屋が不慣れなのだろう。空気が籠って気温が変化しないつくりになっている、とかく病院とはそういうものだ。
 白い壁に囲まれて、私はベッドの上。ブラウン管のテレビが申し訳程度に据え付けられている。
 海軍付属の病院は基本的に二人一部屋だけれど、私は今一人部屋だった。別に特別扱いというわけではなくて、この前まで相部屋だった娘が、退院していったというだけの話。少ししたらまた誰かがやってくるに違いない。

 私は先ほどまで指先で繰っていた頁でドッグイヤーを作り、結局本を閉じることにした。とはいえ別段未練はない。入院したばかりの頃、時間つぶし目的で購入したものだ。そしてその役目は十分果たしてくれたと言える。
 病院での生活は、嘗ては死を覚悟するほど暇で暇でしょうがなかった。今は私には仲間がいて、ここは比較的都市部に近いから、仲間が行楽の帰りに必ずと言っていいほど顔を見せてくれる。

 五冊買った文庫本は、まだ一冊の半分くらいしか読めていない。



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「大井」

 提督が私の名前を呼ぶ。私のものではない、私の名前を。

 おおい。おーい。おお、い。口の中で無声発話。鎮首府にいたときは随分としっくりきていたその単語も、今の私には、少しばかりずれて聞こえてしまう。

「大井?」

「……あ、はい」

「大丈夫か? 調子が悪いなら、また日を改めるが」

「いえ、問題はありません」

 嘘ではなかった。事実、入院してからの私は小康状態が続いている。発作も起きていない。現状が維持できるならば、入院ではなく通院で様子を見てもいいかもしれない、主治医にはそう言われたくらい。
 そのことを提督は知っているだろうか? 私は言っていないけれど、主治医を通じて話が言っている可能性はあった。

 ただ。

 ……戻ってこられそうか? と尋ねられたら、私はなんと答えていただろう。

「ならいいんだが」

「体調ではなく……神降ろしの効果が薄れてきているようで、少し」


 私の言葉を受けて、提督は逡巡したように見えた。その逡巡を私に悟らせまいとしていたので、まず間違いない。
 この人は変に艦娘を慮ってしまうところが昔からある。結局私たちは海軍という組織の――深海棲艦に向けて振り上げられ、そして振り下ろそうとされる鉄槌の、それを形作る細胞の一つにすぎないはずなのに。

 私のそういった認識について、この人とぶつかったことは一度や二度ではない。私はこの人の初期艦だったから、最初は本当に、まったくもう円滑なコミュニケーションが図れなかった。
 いや、それではまるで、今は円滑なコミュニケーションが図れているような物言いだ。私はそこまで自らを客観視できない。誰だってそうじゃない?

 球磨も多摩も、北上さんも、他者と気兼ねなく関係できるきらいがある。木曽はどちらかというと私寄りだけど、あの娘は不器用なだけ。私との差は致命的だ。
 姉たちを羨ましく思ったことがないと言えば嘘になるけど、大変そうと思った回数と比べたら、どうだろう。


「神祇省に行く予定を立てておくか?」

 神祇省は伊勢にある。ここ、横浜からだと小旅行だ。
 艦娘の身分を笠に着て自由に外出ができるわけではなかった。それでも、神祇省が現在の日本において果たす役割は十二分に知られている。外出申請はほぼ十割通るだろう。
 最悪、最寄りの住吉に参拝するだけでも、ズレは抑えられる。早めに手を打っておくのがコツだ、とは提督の弁。でなければズレは段々と酷さを増して、私が「大井」でないところまで行きついてしまう。

「海防局じゃだめなの? 防衛庁の中にあったんじゃなかった?」

「あそこじゃ略式の降霊しかできないからな。本式の方が、憑きもいい。久しく海に出てないのなら猶更だ」

「ど」

 どうせ海に立てやしないですよ。ふっと浮かんだ台詞を咄嗟に呑みこむ。腐るのはまだ早かったし、それを決めていいのは私ではないように思ったから。
 矛盾の萌芽を感じた。鉄槌を形作る細胞の一片ではなかったのか。細胞に意志は必要ないだろう。

「……っちでもいいです。お任せしますよ」


「……まぁ、お前は歴も長いしな。多少現場を離れてたくらいでどうにかなるとは思わんが、一応」

「長いというか」

 最長ですけどね。
 艦娘計画第一被験者。人によっては誉れだなんだ言ってくれるけれど、当事者の私にとっては、そこまで思い入れもない。先天性の心臓の欠陥が随分と高値で売れたものだわ、それっぽっち。
 うまくいきすぎたギブアンドテイク。もしくはぶっ飛びわらしべ長者。

 目的のために全てを擲つつもりでいたから、誉れも名声も重たいだけだ。

 ……あなたはどうかしら? ねぇ「大井」。
 機関の不調がなければ、もっと魚雷を撃ちまくれたと、敵艦を沈めることができたと、そう思っているのかしら?

 ……。

 潮騒も遠い病院の一室では、応えがあるはずはなかった。


「みんなは元気?」

「あぁ。北上とかから近況は聞いてないのか?」

「そりゃ聞いてます、勿論。提督から見て、ということです。いちいち言わせないでください」

 久しぶりに顔を合わせた上司に対してこの物言い。見る人が見れば窘められてしまうかもしれない。
 あ、北上さんがお煎餅を咥えたまま「提督がかわいそうだよー、大井っちー」と言っているのが聞こえるわ。半分は幻聴で、もう半分は妄想ね。

「俺が見るには平穏無事、ってやつだ。大所帯になってきたが、人が増えるにつれて自然とまとめ役も増えるってのは、やっぱりなんかの力が働いてるのかね」

「遊びで艦娘やってるわけではありませんから」

 どうにも提督を前にすると、心の内から厳しさが顔をのぞかせてしょうがない。

「それはそうだが。遊びたい盛りのやつらも多かろうし、せめて平時くらいは楽しく振舞っていてもバチは当たるまいとも思うのよ」

 と、ここでようやく提督は、自らの近くに椅子を引き寄せた。折り畳みのパイプ椅子。多少は長居するつもりで来たらしい。


「お仕事は?」

「おいおい、嫌なことを思いださせるなよ」

「嫌、って。あなた」

「揚げ足をとるなよ、大井。俺にだって休養日くらいある」

「……わざわざ会いに来なくたっていいんですけどね」

「悲しいことを言うんじゃねぇよ。それに、一応言っておくが、買い物のついでだ。そう思えば少しは楽だろう」

 楽、というか。うぅん。
 善意と好意は、私にとってはきっと別物なのだ。好意は向けられるのも、向けるのも、苦手ではないけれど。

「どこへ、なにを」

「みなとみらい、あと中華街か」

「ひとりで?」

「ん」

 逡巡。

 少し呆れた。この人は嘘が下手すぎる。
 きっと自分でわかってるのだろう、嘘を失敗して、すぐに観念する。何かを誤魔化すかのように苦笑い、来たときと同じように胸元をぱたぱたやって、「暑いな。暖房効きすぎなんじゃないか」と言った。

 普通ですよ、普通。


「軽空母どもが野毛に行きたいって言うから、連れてった。あと明石と大淀はヨドバシに行くっつってたな」

「野毛?」

「ゲテモノらしい」

「あぁ……」

 聞いたことがあるような、ないような。

「ヨドバシって、通販でいいじゃないですか」

「俺に言うなよ。手に取って確かめたいものでもあるんだろうさ」

「でも、その言い方だと一緒じゃなかったんですか提督は」

「俺は、まぁな。うん。鹿島と」

「鹿島?」

 銀髪が風に揺らめく映像がふっとよぎった。
 決して下品でないまでに薄めた金木犀の匂いが想起される。


「……ふぅん」

 あの娘と趣味が合うとは、意外や意外、と言ったところだろうか。提督が瀟洒で洒脱なんてあまりにも……あまりにもすぎる。
 いや、あるいは? もしかしたら? 
 私が見たことある格好なんて、軍服か、でなければ目の前のスラックスに白シャツくらいのものだ。完全なオフの日に最新の流行を追求した着こなしをしている可能性は、決して、決して、決して、ゼロではない。

「いい娘でしょう?」

 彼女のことは多少なりとも知っていた。同じ鎮首府に所属する艦娘である、という以上に、私たちの間には練巡としての秘密めいた親交があった。
 あの可愛らしい美貌と性格だ。整備班にも熱をあげている男性がいると聞く。それも当然と言えば当然だと思っていたけれど、まさか提督も?

「そうだな。男を立てるのがうまい。それに対して女性らしいというと、きっと叩かれるご時世なんだろうな」

「三歩下がって師の影を踏まず。軍人が言ったら、それこそ前時代的に過ぎますね」

「艦娘に戦線の殆どを頼ってもらっておきながら、な」

「それは仕方のないことです。船は女性名詞ですから」

「露語か。できたか?」

「いえ。私は艦娘ですから」



 それは果たして返答として正しかっただろうか。私が提督の顔を見ると、彼は不思議な顔をして視線を逸らした。理解してくれたのか、くれていないのか。
 疑問は出てこなかった。ならば、拘泥する必要もないだろう。

「資材の管理は大丈夫? 艦娘の勤怠と健康については?」

 水を向けてみる。小うるさい秘書艦がいなくなって、みんな羽を伸ばしているのかもしれない、とも思った。

「私が留守の間、事務が溜まっていたりしないかしら」

 執務室のことを思う。絨毯。カーテン。戸棚。そのまま残っていてくれればいいのに、と思う心の隙間に、待ち針が紛れ込んだような痛みを感じた。

「そこはうまくやってくれてるよ。くれてる、はずだ。多分」

「……もうっ」

「入れ代わり立ち代わり、当番制にしたわけでもないんだが、大淀一人じゃ手いっぱいらしくてな。特に大人びたい盛りの駆逐艦どもが」

「あそこは遊び場ではないんですが」

 とはいえ、私の留守を預かってくれている大淀にも、彼女本来の仕事がある。そこに秘書艦の仕事を押し付けてしまっている私が文句を言える立場ではない。
 彼女に白羽の矢が立ったのは、明石と組んで在庫管理や経理業務に携わっていたからだ。事務仕事の適性が少しでもある人物がいいだろうという判断。安直だったかもしれないと今更ながらに申し訳なく思う。


「教員目指して、る、らしいぞ」

 一瞬のよどみをわたしは聞き逃さなかった。「た」か「る」か。後者だったのは、提督なりの踏ん張った結果なのだと思う。
 その努力と慮りに敬意を表し、私は気づかないふりをする。

「大淀ですか?」

「あぁ」

「聞きました。小と、中の国語だって」

「なんだかんだ得意そうに見えた。あしらい方が上手だった」

「とはいえ、大淀も私と同じ第一次徴兵でしょう? 年齢から逆算して、大して教員のカリキュラムは取得していないと思いますけど」

「年末だったな、確か。大淀はたぶん、一年目だろう」

「十一月の二十日です」

「覚えてるのか」

「えぇ。寒い日でしたよ。暖まりきってない体育館で身体検査やらされました」

「そりゃご愁傷様。しかし覚えてるもんなんだな」

「妹の命日だったもので」


 言ってから、しまった、と思った。
 底意地の悪い発言だった。何より不用意な発言だった。
 これに関しては十割が私のミス。一〇〇パーセント自業自得。

――だから、ほら、ねぇ。そんな顔しないでよ。

 あんたは何も悪くないじゃない!

「……すまない」

 すまなくない!

 心に溜まったものが口から溢れ出てしまいそうだ。たとえばそれが一週間、一ヶ月、一年なら嚥下することもできただろう――違う。できていたのだ。私はこれまでそうやって生きてきた。
 入院生活が少し長引いて、小康が保てているとはいえ、ナイーブになってしまっているのだろう。今までできていたことが、でなければ急にできなくなるはずはないのだから。

 えぇ、そう。全てはこの乳白色の壁と、廊下から漂う清潔なにおいのせいなのだ。


「気持ちは変わらないか」

 なんの、と問うほど野暮ではなかった。私の気持ち。艦娘計画の第一被験者に名乗りを上げた理由。
 誤魔化すこともできたのかもしれない。あるいは、聞いていなかったつもりで小首を傾げれば、きっとこの人は追ってはこないだろう。そう言う人だ、わかっている。いやというほどに。

 そして私のことをわかっているのだ。きっと、たぶん、恐らく。
 こちらがいやになるくらい。

「えぇ。深海棲艦は殲滅します。一匹残らず」

 海の上に立てなくなっても、練巡としてさえ落伍しても。
 ベッドが主戦場になったとて。

 私の居場所がどこにもなくったって、無理やりに体をねじ込んで、押し込んで、硝薬のけぶる第一線に立ち続けてやる覚悟が依然として私にはあった。
 あって、しまった。


 だから私は。

「報せがある」

 何も聞きたくなかった。

「俺はトラックに移ることになった」

 知っていたというと誤謬がある。こんな日が来ることは想定済みだったから。

「イベントですか」

「あぁ。来たるイベント、それに対抗するための準備段階から参画しろとのことだ」

「場所は」

「トラック」

「史実をなぞらえて、トラック空襲、ですか?」

「恐らくな」

 ……最近は平和すぎたから、周期的にはそろそろだろうと思っていた。過去の惨禍を下敷きにして深海棲艦が徒党を組んでいるというのは、比較的早期から仮説立てられていた。
 上層部はある程度の間隔を置いて頻発する深海棲艦の攻勢を指し、「イベント」と呼称している。過去、我が国は全世界的な戦争で敗者の席へと追いやられ――そしてもう二度と日陰を生きるつもりはなく、そのためにイベントの邀撃は必至である、とされている。


 提督がいなくなる。

 そしたら私はどうなる?

「……おいていかないでください」

 随分としおらしい声。それが果たして本当に自分の口から漏れたのか、実感が持てないでいる。

 おかしなことだった。そんなことを言うつもりはなかったのに。
 違う、違うのだ。私は妹の仇を討たなくてはいけなくて、だからこんな志半ばで除隊をするわけには、そのために提督の助力が、口添えが、懇意にしてもらわなければ!

「そのことなんだが」

 提督はなぜか廊下へ視線を彷徨わせながら言った。眼を逸らしているだけなのではないかとも感じた。
 ぱたぱたと胸元へ風を送っている。顔が赤い。この部屋はそんなに暑かったろうか。

「お前の気持ちが変わらないのなら、それは心配の種だ。無茶をされても困る」

「……あなたは私をなんだと思っているの?」

「病院を抜け出さないと誓えるか? 艤装を返却し、一人の女として銃後の守りに加わるか?」

「……」

 本当に、私のことをよくわかっている。腹立たしいほどに。


「だから、だ」

 背後から取り出された、黒い、両手ですっぽりと覆い隠せるサイズの箱に、私は勿論見覚えはなかった。けれども心当たりは大いにあった。
 なぜって? つまるところ、結局私も女というわけなのだ。

「置いていくつもりはない。着いてきてほしい」

 私の手のひらにそれが置かれる――自分がいつの間に手を差し出していたのか、皆目見当がつかない。




 ぎゅんぎゅんと胸の内側がうるさい。





 あぁもうこの部屋暑いわね!
 暖房効きすぎなんじゃないの!?


―――――――――――――――――――――――
おしまい

短い話が書きたかった。
素直じゃないだけとわかっている安心感よ。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2018年11月13日 (火) 21:33:31   ID: iAoPJumt

二人の会話が良いね。

後、【艦これ】カテゴリに追加して欲しい。

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