恭子「充電?」咲「はい」 (22)

大学生な恭咲です

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今日はことごとくツイてなかった。

寝坊をして家を出たところで雨に降られ、

途中購入したビニール傘は強風に煽られて見るも無残な姿となり、

トラックに水溜りの水を掛けられびしょ濡れの姿で校舎へと駆け込んだ。

着替えもなくせめてタオルを買おうと売店へ行くと、肝心の財布がない。

そういえばさっきコンビニで置いてきたような気もする。

しかもそういう時に限って今日の講義は昼を挟んで夕方までみっちりある上、バイトも入っていた。

そこで財布を置き忘れた店への連絡と、

仕方なく友人から融資を受けるために鞄から携帯を取り出そうとしたもののどこを探しても 見つからない。

そういえば自宅で充電器に繋ぎっぱなしだったのではないか?

すべてを思い出して、咲は頭を抱えてしまったのだった。

夜も更けてようやくバイトを終えて帰宅した咲は

一人暮らしのアパートの鍵を開けた。

1Kのさして広くもない部屋に入ると

暗闇の中、テーブルの上で携帯の着信を告げる緑色のライトがチカチカと明滅している。

電気を付け、雨水の滴り落ちるコンビニのレジ袋を構わずその横に置くと

すっかり冷たくなった手で充電コードを外して履歴を確認した。

メールが3件、着信が1件。

メールはゼミの友人と高校からの友人から1件ずつ。

残りの1件と着信は恭子からだ。

咲は2件を差し置いて、最新メールを表示させた。

恭子『帰りまでに雨が止まなかったら、迎えに行こか?』

ちょうどバイトが終わる頃を見計らった着信。

咲は思わず再び頭を抱えた。

つい先日車の免許を取った恭子の最近の息抜きは

練習と銘打って実家の車でドライブをすることだそうで、

「今度咲も乗せてやるわ」なんて言っていたのではなかったか。

咲(せっかくのお誘いを袖にしちゃった……)

後悔は疲労を増長させる。

咲は精魂尽き果てたようにテーブルに突っ伏した。

着信からはすでに1時間ほど経過している。

恭子はもう寝ているだろうか?

遠慮と引け目が渦巻いてもやもやしなが らも、

ただ声が聞きたくて通知のない留守番電話の履歴に無意味に恭子の名前を探してしまう。

が、見当たらない。

咲(とりあえず、今日は謝罪メールだけ入れておこう)

咲はしばらく携帯と睨めっこして、諦めたように息を吐いた。

と、そこで両手に持っていたそれが振動する。

着信だ。相手は恭子。

咲は一も二もなく通話ボタンを押した。

咲「はい」

恭子『咲か。今、大丈夫かいな』

落ち着いた恭子の声が咲の鼓膜を揺るがす。

囁くような声は深夜という時間を慮ってのことだろう。

それが今の咲の心にはやけに響いて、少しだけ目頭が熱くなった。

恭子『咲?』

訝しむ声にはっ として、携帯を握りしめる手に力を込める。

咲「ごめんなさい。じつは今日家に携帯を忘れてしまって。今帰ってきたところなんです」

恭子『まったく、そんなことだろうと思ったわ』

そう言ってため息を吐いた恭子の呆れ顔が今にも目に浮かびそうだ。

恭子『それで、夕飯は食べたん?』

咲「いえ、ちょっと食欲がなくて。プリンを買ってきたので今から食べようかと」

さっきまで所持金0円だったので食いっぱぐれました、なんて本当のことを言おうものなら

延々と続く小言の嵐に見舞われてしまいそうだったので、事実は胸に留めておいた。

食欲が落ちているのは本当だから、まるっきり嘘ではないだろう。

そう自分 を納得させて、最近やたら咲の事情を看破してくる恭子の目を逸らさせるべく矢継ぎ早に続ける。

咲「せっかく恭子さんのドライビングテクニックを体験できるいい機会だったのに、無下にしちゃってすみません」

恭子『別にいつだって乗せてやるで。それより咲、体調崩してるん?』

咲「……いえ、どうしてですか?」

ぎくりと竦む。

恭子『声に覇気がない。あんたに食欲がないのはしょっちゅうやけど、まさか風邪でもひいてるんじゃないやろうな』

咲「疲れているだけです。時期的に仕方ないですね」

恭子『疲れていても三食きちんとした食生活を送るよう心掛けろといつも言ってるやろ』

今日も長くなりそうだ。

想 い人の声がたくさん聞けて、嬉しいやら何やら。

小言モードスイッチが入ったところで

咲はビニール袋をガサゴソ漁ってプリンを取り出した。

恭子『咲、ちゃんと聞いてるん?』

右手だけでは蓋は開かない。

携帯を肩と耳で押さえ、左手でプリンを固定して右に力を入れる。すると。

咲「あ」

恭子『咲?』

咲「い……いえ、なんでも」

恭子『……』

咲「……」

恭子『……落としたんか?』

咲「……はい」

蓋の半開きになったプリンは勢いあまって咲の指を滑り、

あえなくお気に入りのカーペットを汚していた。

その時の無力感たるや。

咲「私、何か悪いことしたのかな ……」

あまりにも不運が続きすぎて悲しくなってきた。

恭子『……泣いてるんか』

咲「泣いてません」

きっぱり即答すると、逡巡する気配の後にぎしりと何かが軋むような音がした。

恭子『今から行くわ』

咲「え?」

予想しなかった言葉に目が点になる。

電話の向こうから衣擦れの音が聞こえたところで、咲は慌てて声を上げた。

咲「え、あの……恭子さん?」

恭子『30分かからへん。玄関は私が行くまで施錠しておくんやで』

反論の隙を与える間もなく、通話は一方的に切られた。


***

覗き穴からダークブラウンのコートが見える。

先日二人で買い物に行ったときに、恭子に似合 うと咲が選んだものだ。

恭子『着いたで』

再び繋がった携帯から、先程よりもさらに潜められた声が漏れる。

咲「……」

恭子『咲』

咲「……」

恭子『いつまで拗ねてるねん。はよ開けや。寒いわ』

咲「……」

まさかわざわざ家まで来てくれた恋人を凍えさせるわけにはいかない。

鍵を開けると、「遅い」という文句とともに恭子が部屋に滑り込んできた。

咲「まだ降ってますか」

恭子「日中よりはマシになったが、降ってるな」

真新しいフェイスタオルを手渡す。

恭子は玄関から動かなかった。

咲「どうやって来たんですか?終電は終わってるし、近くにパーキングはないでしょう」

恭子「タクシーに決まってるやろ」

受け取ったコンビニの袋からコーヒーとプリンを取り出して冷蔵庫にしまう。

僅かに触れた恭子の指先は、シャワーを浴びた咲とは反対に冷えていた。

恭子「タクシー、そのまま下に待たせてあるねん」

咲「え」

もう帰っちゃうんですか?

そんな思いが口から出かけて慌てて噤む。

しかし言葉よりも何よりも、その表情がすべてを雄弁に語っていた。

恭子「なんてな。嘘やで」

雨に濡れた手が咲の腕を引く。

咲「……ひどいです」

優しい声に視界が滲んだ。

咲にとって、今日は散々な一日だった。

傘は折れて服は濡れるし、財布も携帯もない。

仲の良い友人とはつまらぬ口喧嘩。

授業では珍しく課題を忘れて教授に怒られ、

バイトでは細かいミスを重ねて店長に怒られた。

しかも恋人と会えるチャンスをも無にするところだったのだ。

ひとつひとつは些細な出来事でも、こう積み重なれば弱音を吐きたくもなる。

冷たくて温かい腕の中、抱き締められる力が増すのに応えて

咲も精一杯その体にしがみついた。


***

翌朝。

恭子「……咲」

咲「恭子さん、おはようございます。いいタイミングでしたね」

香ばしい匂いが漂うキッチン。

咲がフライパンと菜箸を片手に振り返ると、

爽やかな朝日を浴びた恭子が微妙そうな表情で突っ立っていた。

昨晩眠るのが遅かったとはいえ、

珍しく咲がベッドを抜け出すのにも気付かないくらい熟睡していたところを見ると

自分以上に恭子が疲れていたのだと申し訳なく思う。

一方咲はといえば、恭子が癒してくれたおかげで気分爽快。

久々に大変晴れやかな朝を迎えることができたのだった。

こうなると気分の沈みは恭子不足によるものだったのではとさえ思えてくる。

お互い大学にバイトに忙しく、およそ2週間ぶりの逢瀬だった。

咲「晴れてよかったですね。今日は2限からですよね?」

恭子「ん。咲は?」

咲「私は今日休講なんで、ゆっくりしてます。夕方からゼミの飲み 会がありますけど」

それに昨日忘れた課題を片付けなければならないので、夕方までは家に篭るつもりだ。

咲は朝食を作りながらすでに今日の予定を大まかに立てていたので、

次の恭子のセリフには耳を疑った。

恭子「そうか、じゃあ私もそれまでここにいるで」

咲「何言ってるんですか。恭子さんは大事な授業がみっちり入ってるでしょう。単位落としますよ」

恭子「嫌や」

咲「嫌って……」

恭子「帰らへん」

子供のような我儘に絶句しているところに、

後ろから肩に頭を乗せられ、思いきりのし掛かられた。

咲「!? ちょっ、危ないし重いです……!」

慌ててコンロの火を消して菜箸を置くと、見計らったように拘束に力が入る。

咲「もう、恭子さ……んっ」

肩越しに振り向けば恋人の瞳がすぐそばにあって、

見惚れている間に唇に噛み付かれた。

昨夜散々弄ばれて腫れた唇が再び熱を持つ。

咲(流される)

顔を背け、距離を取ろうと足掻く咲をよそに

体の向きを変えられ、啄ばむだけだったものが徐々に深まっていく。

ついに苦しさのあまり胸を叩くと、恭子はやっと離れて2人の間を糸が引いた。

ぼうっとする意識の中。

必死に酸素を取り込もうと喘ぐ咲の顎を、恭子の指がついと持ち上げる。

咲「まって」

恭子「待たへん」

まるでベッドの上で睦み合っている時のような、

余裕のない表情と耐えるような恭子の声に咲の背筋が震える。

そして、再び唇が重なる。

咲は諦めたように肩の力を抜き、恭子の口付けに応えていった。


***

出し巻き卵と鮭の塩焼き、そして白飯と味噌汁。

ごく一般的な日本の朝食を平らげ、食後のデザートに二人でプリンをつつく。

恭子「咲が合鍵を寄越さへんからやろ」

脈絡のない言葉に咲がぱちぱち瞬く。

話口調からすると、恭子の中では前件と連動した台詞なのだろう。

いつの話かはわからないが。

咲「私の家の合鍵、欲しいんですか?」

恭子「当た り前や」

これには少しだけ驚いた。

今まで恭子がそんな素振りを見せたことがなかったからだ。

少なくとも咲の前では。

咲「恭子さんって『結婚前に同棲とは何事や』とか『でき婚なんて認めへん』ってタイプじゃないんですか」

恭子「やることやっといて、今さら何を言ってるんやあんたは」

心底呆れたという表情で言われ、それもそうかと頷く。

恭子「もう咲がここに越して結構経つってのに……」

咲「はあ……」

恭子「あんたが寝てる間に、鞄から持ち出してキーコピーをしようかと思うくらいには思い悩んだわ」

咲「恭子さん……それは犯罪です」

さすがに若干引き気味に言うと、メゲルわ…と呻 く。

咲は残ったプリンを完食してしまうと、おもむろに鞄を漁って、それを差し出した。

咲「これ、あげます」

恭子「……ええんか?」

驚いたように目を見張る恭子の掌に鍵を落とす。

咲「次はもっと早く呼びますね。充電が切れる前に。というか、その前に恭子さんが来てください」

恭子「充電?」

咲「はい。恭子さんと、私の」

恭子「……ああ。せやな」

目に見えて嬉しそうな表情をした恭子が、顔を近づけてくるものだから。

授業の開始時間が迫っていることを伝えるべきか、咲は少しだけ迷った。


カン!

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