曜「クリスマスツリーは綺麗ですか?雪は降っていますか?」 (44)

火曜日の朝、津島善子は虫の居所が悪かった。学校指定の椅子に脚を崩して座り、机に頬杖をついてひどく不機嫌な顔をしてた。曜が朝待ち合わせの時間に来なかったのだ。
どうせ大方夜遅くゲームでもして約束の時間を寝過ごしたのだろうと思い一本、また一本とバスを見過ごしても姿は見えず…結局一人でバスに乗り、善子は遅刻ギリギリに教室に到着する羽目になったのだった。

「善子ちゃん不機嫌ずら…何かあった?」

朝礼が終わるやいなや花丸が声をかけてくる。
普段おっとりして、やる事為す事がゆっくりしている花丸だが、こういった事…人の心の機微に関してはとても鼻が効く少女だった。
善子は説明するのが億劫だった、なにより一緒に登校できなかったくらいで機嫌を損ねてるなんてことを知られたくない。善子は足を組みなおし平静を装いなんでもないと返して見せた。

「まあいいずら、善子ちゃんが上手くいってないのはいつも通りずら」
「ちょっとそれどういうことよ!」
「あはは……」
からかう花丸に突っかかる善子…その様子をみて和かに微笑むルビィ。きっとそれはこれ以上は踏み込まないという花丸の合図なのだろう。
仲良し三人組の居るこの一年生の教室で、幾度となくみられた光景だった


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三人が談笑する最中、けたたましくベルの音が鳴り響き教室中の注目がこちらに集まる、携帯の通知音だ。音を響かせたのは花丸の携帯だった。

「あんた……いい加減マナーモードにしなさいよ…」
「よく分かんないずら…消せるなら消したいずら…」
「ああ…もう貸しなさい!」

善子は花丸の携帯を奪い手早くメッセージアプリの通知音の設定をオフにする、くらいは慣れたものだ。
操作の最中、Aqoursのグループに通知が入っているのが見える。花丸の携帯が鳴ったのもこれが原因だろう。何の気なしにそのまま花丸の携帯でグループを開く。メッセージは鞠莉からだった。
「…授業後必ず部室に集まるように…だってさ」
いつのまにか画面をのぞき込む様にしてる花丸とルビィに向かって聞かせる様にメッセージを読み上げた後善子は花丸に携帯を返す。ほんの数秒の操作に関わらず花丸は仰々しく受け取り、訝しげに帰ってきた携帯を弄くり回す。機械音痴の花丸には善子の操作が目に追えていなかった。

「テスト前なのに…何かあったのかな…?」
差し当たった心当たりはない、これからテスト期間に入る浦の星で部活動は禁止されている。時偶に空いたグラウンドをこれ幸いと不正に使う部活もあるが生徒会長と理事長を擁するスクールアイドル部ではまず、行われないことだった。
大方鞠莉本人か、それに乗せられた千歌が素っ頓狂な思いつきをしたのだろう。面倒ごとの予感に善子は大きくため息をついた、それを見たルビィは不思議そうにまじまじと善子を眺めた。
「おーい授業始めるぞー」
教師の一声で皆が方々の席へと戻っていく。善子もスマートフォンを未だに真剣に見つめる幼馴染を本人の席へ行くように促し、自らの席へと居直り、姿勢を正した。

授業が終わり、下校時刻となった。その時間になっても部活の無いはずのAqoursの面々は部室に集まっていた。それぞれいつも座っている所定の位置に着き、部室の中心にある机に向かって顔を突き合わせて座っている。



ただ一人、渡辺曜を除いて。



メンバー全員が揃わない内から、招集をかけた張本人である鞠莉が話し始める。
「実は集まってもらったのは…この場にいない曜のことなの」
当初善子の想定していたおちゃらけた仕草はなりを潜め、淡々と言葉を並べる鞠莉の姿がそこにはあった。




「曜なんだけど…昨日交通事故に遭ったと、連絡が入ったわ」

「でも安心してちょうだい、幸い数日で退院できる程度の軽症だそうよ」
ほんの少し、表情を緩めて話す鞠莉。緊張が一気に解れたような空気になった。
「良かった…どうしようかと思っちゃったよ…」
安堵と緊張で涙ぐみながら千歌が言葉を漏らす。梨子曰く今日一日連絡が無しに休んでた曜の席を延々ぼんやり眺めていたらしい。
ずっと一緒の幼馴染だ、一倍想いが強いのだろう。

「これは曜の入院してる病院の住所よ、それでねお見舞いに行こうと思うんだけど……」
その言葉を出した途端、皆が口々『行く』と言い出す。その様子を見て鞠莉は困った顔をした。

「……ってみんなが言うと思ったわ…でもあんまりおおきな病院じゃないらしくて大勢で押しかけたら迷惑だから全員で行く訳にはいかないわ」

「だから……これは本題なのだけれど…誰が行く?」

「善子ちゃんって意外と先輩思いなんだね」
「ヨハネよ!別に…そう言う訳じゃ…」
「そう?結構食い気味だったじゃない、率先して手を挙げて」

見舞いすることになったのはいつも教室で一緒の二年生、それに毎朝通学を共にしている善子を加えて病院を訪れることとなった

「それは…そんなことないわよ!」
「いいじゃん!きっと喜ぶよ!『いい後輩を持てて渡辺曜、感涙であります!』って感じでさ」

二人の先輩にからかわれながら先を行く。からかわれるのは慣れていたし、悪意のあるものでなければそれは嬉しかった。
四六時中一緒にいても物真似が上手くなるわけではないんだ…善子はどうでもいいことを思いながら病院へと続く先の道を眺めた。

病院というのはいつも特有の雰囲気を持っていて、息苦しい。徹底的なまでの清浄であろうとする空気がそうさせているのだろう。

「曜ちゃん、お見舞いに来たよ」

暗く、陽の落ちた部屋。数台しかない小さな病院の窓際のベッドにてアッシュグレーの髪を携えた少女は外を眺めていた。声に反応し振り向く。こちらの姿を認めるとぱっと明るい顔で千歌達を招き入れた。

「千歌ちゃん、梨子ちゃん、善子ちゃん!来てくれたんだ!」

三人が訪れると、曜は喜々として様々なことを話し始めた。
曜曰く、信号が青になり横断歩道を渡ったところ一台の軽自動車が確認もなしに真っ直ぐに突っ込んできて自分と正面衝突したと言う。振り向いた時には車は目の前、顔を思い切りボンネットに打ち付け道路脇に弾き飛ばされた…聞けば聞くほど痛々しい話が続くが、怪我自体は脚の軽い骨折と打撲だけで済んでいるというのだ。

「それは…ラッキーだったわね…」

梨子が目を丸くしながら言った。ともすれば大惨事、命を落としてもおかしくない出来事に相対して渡辺曜は幸運だった。

「それにしても…凄かったわよ、千歌なんて事故って聞いた瞬間顔真っ青で…」
「わー!恥ずかしいから言わないで!」

行きの仕返しとばかりに密告する善子を千歌が口を覆って止める、本人の前で強く思ってると暴露されるなど小恥ずかしいことこの上ない。
しばしの間明るい雰囲気で談笑し、曜の夕食が運ばれてくるのを合図にその日三人はそれぞれの家に帰ることにした。

「じゃあね、バイバイ!」
顔を向け、言葉無しに手を振って返す。病院最寄りのバス亭からは善子は一人だった。

一人より、二人で乗ることの方が圧倒的に多いバス。どことなく調子の出ない心持ちのした善子はいつも通り一番奥の席に座り文庫本を広げたが、車酔いが回る気がしてすぐに閉じた。
窓の外を見た。川に映る夜空では星を厚い雲が覆い隠していた。

「…………」
「あれは相当イライラしてるずら、イライラデーモンずら」
「そうなの…?」
「…聞こえてるわよ」
「「ひいっ!」」

曜の見舞いに行ってから二週間が経った。数日安静にすれば退院できるというのが当初鞠莉が皆に言い伝えたことだった。
しかし時が経ち、試験真っ只中となっても曜の姿が見えることは無かった。
一日、また一日と過ぎても曜は姿を現さない、それにも関わらず善子は毎日律儀に、遅刻ギリギリまで曜を待っていた。そのせいあって、善子は以前にも増して不機嫌だった。
昨日、曜の話を方々に聞いたが千歌や梨子、果ては鞠莉までもが何も事情を知らず、善子はただバス停で待ちぼうけを食らい続けていた。



試験終了のチャイムが鳴り響くと教員が答案を回収し、職員室へと戻っていく。それは忌々しいテスト週間からの解放を意味していた。一年生の三人は手早く荷物をまとめると三人そろって言葉少なげに部室へと向かっていく。

「テストが終わったら部室に集まるように」

あの日と同じ文言が、鞠莉からそれぞれのメンバーに送られてきていた。

テストが終わって数分後には、一年生と鞠莉を除く三年生計五人が部室の席に座っていた。前回の呼び出しの内容故に、妙な緊張が全員を襲う。神妙な雰囲気で顔を突き合わす最中、表へと繋がる扉を開け鞠莉が顔を覗かせた、その後ろに続いていたのは千歌と梨子だった。

そしてそのさらにまた後ろ、千歌と梨子の腕にべったりと、まるで依存するかのようにくっついているのは…曜だった


五人には実情がさっぱり分からなかった。只、ただならぬ気配だけは千歌達の表情からひしひしと感じることが出来た。

「今日集まってもらったのは…また曜のこと。曜、話せる?」
「…うん」

鞠莉に顔も向けずに返事をする曜。たっぷりの間を空けて、言葉が放たれた。





「私ね、目が見えなくなったの」

目を見開き驚愕する面々。そんな皆を意に介さなおように、淡々と曜は言葉を続ける

三人がお見舞いに来てくれた頃は本当になんともなかった。二日ほど経って急に吐き気がするようになったという。気分が悪くなり、視界がぼやけるようになった。車のバンパーに頭を打った時、目の部分に受けた強い衝撃が原因らしい。そうこうする内に、曜の目の光はまるみる失われていったと言う。



「じ、冗談よね…?だって目が……」
「……残念だけど本当、運良く目は開いてられるみたいけど…なにも見えない…」


部室が水を打ったように静まり返り、窓の外鳥の鳴き声がくっきりと聞こえてくる。

失明

人間の五感のうち最も重要と言っていい視覚、それを全て失うことの恐怖は計り知れない。ましてや、齢15、6の少女達がその人にかける慰めの言葉など…持ち合わせている筈が無かった。

長い沈黙の中、言葉を続けたのは他でもない曜だった。


「……私はスクールアイドルを、続けたいと思う」



その言葉に全員が俯いてた顔を上げる。

「みんなに一杯迷惑かける事になると思う…もし振り付けが間違ってても自分じゃ分からないし、みんなにちゃんと合わせられるかも分からない」
「でも、もしみんなが許してくれるなら、受け入れてくれるなら…私は、まだみんなと一緒にいたい」


淡々と、自分の想いを粛々と述べる曜。それは正しくスクールアイドルを続けたい、Aqoursを続けたいとの想いだった。


「…………もちろんだよ、曜ちゃん」

一番初めに言葉を返したのは千歌だった。


「体が不自由になっても、曜ちゃんは曜ちゃん……一緒じゃなきゃ…寂しいよ…」
「千歌ちゃん…」
声のする方に曜が首を向ける、視線が合ってないもののしっかりと言葉を受け取っているように感じられた。

「……ここに、あなたを拒むものなどおりませんわ」

ダイヤの言葉通り、この場所に曜を拒む者など居なかった。

「それと、善子ちゃん」
曜の呼びかけに善子は顔をあげる

「暫くはお母さんが車で学校へ送ってくれるけど…仕事の関係でずっとって訳にはいかないから…その…」
「登下校を手伝って欲しい…って?」

善子はここまで来て分からないほど察しの悪い人ではなかった。また、手を合わせ深々と頭を下げて頼み込む曜を無碍にするほど悪人でもなかった。善子ちゃん優しい、善子ちゃん先輩想い、と散々からわれながらも、ただ先輩の…友の力になりたい、その一点で善子は頼み事を引き受けた。






かくして曜の変化はメンバー全員に受け入れられ、少し形を変えて新たな学校生活が始まるのだった。

曜の告白から、数週間が経過した。光の無い体で、曜はそれほど元と変わらない学校生活を送っていた。


「おはよう、曜」
「善子ちゃん、おはよ」

冷え切った十二月の空。枯れ切った街路樹の隙間に寒風が鋭く吹きぬける。
善子と曜の朝の待ち合わせ場所は曜の家の前になった。失明して日が浅い曜が一人で出歩くのは依然として危険だからだ。

「……手」
「…うん」
歩行の補助する為、手を繋ぎ腕を組んで二人はバス停まで歩く。人の目となるためには、その人の体を支えなくてはならない。周囲の人目を集めるので善子は少し、気恥ずかしかった。


「……」
「……」

いまだに腕を抱え込まれるのは慣れてなくて、照れる気持ちを抑えられない。顔を見られたら、きっと真っ赤な事をからかわれていたかもしれない。そんな想像が善子の頭の中に登っては、煙のように立ち消えていた。

バスを降り、学校へと続く長い坂を上る。下駄箱で靴を変えさせた後、曜を二年生の教室へと送り届ける。

「あ、善子ちゃんと曜ちゃん」
「あら、ホントね」

教室に着くと千歌と梨子が二人同時に駆け寄ってくる。善子は密着していた腕を小突いて解き、曜の手を千歌と梨子に掴ませる。

「じゃあ、これで」
「ありがとう、善子ちゃん」
千歌が右、梨子が左の腕を引き、曜を本人の席へと導く。二人はなんだか特に曜に過保護だ。学校内どこに行くにしてもいつも二人で支えている。
曜が席に着くのを見届けると善子は一階の一年生の教室へと小走りで向かっていった。

曜は黒板が見えない。そのため教師陣も曜の意向を汲み、板書を全て読み上げながら書くなど出来る限りの協力をしてくれた。
そんな授業の終わりを告げる鐘が鳴ると、今度は部活動が始まる。当然、冬のラブライブを控えたスクールアイドル部は例え件の曜のようなアクシデントがあっても休みなし、詰め込みで練習をしなければならない。

「……曜ちゃん痩せた?」
「…そうかな?」
「食べなきゃダメだよ?」

軽く声をかけながら千歌が練習着を渡す、まだ手探りで衣服を取り出すのは難しい。それでも全て手伝ってもらわなくてはならなかった最初期と比べると、格段にこなすことのできる所作は増えていた。

「…そういえば千歌ちゃん、歌詞はできた?」
梨子の問いに千歌は苦虫を?み潰した様な顔で振り向く。とどのつまりそれは完成していないことを示していた。
千歌が作詞しないと作曲出来ない事、結果として自分締め切りが短くなるの事をくどくどと梨子は言ってい聞かせる。幾度となく繰り広げられた二人のやりとり、千歌はその明るい性格に反して割と思い悩む性分だった。

「そうそう、曲が出来ないと振り付けも作れないしね」

部屋の脇に居た果南から追い打ちを食らい、千歌は部室の椅子に小さく縮こまった。実際問題思い浮かばないものは仕方ないから、そんなに言うことないのに。当事者から少し外れた善子はぼんやりとそう思うが口にしない。
ふと、曜の方を見た。着替え途中で放られ空を見つめる深海のような青の瞳がひどく、哀しく見えた。善子はさり気ない所作で曜の元へと駆け寄り、話しかけた。

「1!2!3!4!1!2!3!4!」
ステップのリズムを取るダイヤの張りのある声が屋上に響き渡る。 Aqoursの練習は変わることなく、厳しい物だった。それでも、ラブライブ突破の為には仕方のないこと、そのことはメンバー誰もが理解してここまで付いてきていた。
突如、編列の後方から悲鳴が聞こえた、曜が転んだのだ。すぐさま近くに居たメンバーが駆け寄る。

「大丈夫!?曜ちゃん!」
「いたた、大丈夫大丈夫…手でついたから少し擦りむいただけだよ…最近は転ばなくなったんだけどなぁ…」

曜の言う通り、学校生活に復帰したばかりの曜は転倒することが多かった。先天的で、生まれつきから見えない目と付き合っている盲人と違い、視力を失って日の浅い曜にとって光の無い世界はとても楽に生きて行ける世界では無かった。人の腕に掴まっていても、誰かの手を握っていてもささやかな段差、勾配、時には何もない場所でバランスを崩して転倒することも多々あった。退院して少し経った曜の体には生傷が絶えなかった。

「…本番までには絶対転ばないようにする、だから…」
この場に居る全員への言葉。グループそれぞれのメンバーの事情とラブライブでの評価は別問題で、本番で転んでいては勝ち上がることは難しい。必死の曜に言葉を返したのは千歌だった。

「もちろん!……『やめる』なんて言わないよね…?」
いつしか親友にかけた言葉を返され、曜は声のする方へと柔らかく笑ってみせた。

「では、続きから…他の方も気を抜かないように!」
ダイヤが発破を掛ける。曜が帰って来てから何となく、緊張感が生まれたような気がした。曜が死に物狂いで頑張ってるから、自分も真剣でないと申し訳が立たない。薄っすらとそんな空気感が漂っていた。そしてそれは決して、練習を滞らせる悪い空気ではなかった。

陽の光が西へと遠のいて、果ての空を真っ赤に染め上げる。ぽつ、ぽつと立つ民家は等しく影絵のように黒く、沈んで見えた。曜と善子は二人で帰りのバスの最後尾に座っていた。

「今日は疲れたね~」
少し大きめの声で呼びかける曜。それに対する善子の返事はか細い物だった。

「…眠いの…?」
「…ごめんなさい、少し」
本当に申し訳なさそうに善子は言う。事実練習が厳しい日、二人の体力差もあって善子だけが帰りのバスで寝入ってしまうことは以前から多々あった。今回もそれだった、しかし今は事情が違う。

「いいよ寝ても、案内の放送は聞いておくから」
許しを得ると同時に意識を手放しそうになる。聞こえるか聞こえないか程度の声量で再度感謝の意を述べると善子は首を下に向け背を折り曲げて微睡みの世界へと旅立った。

「……!」

突如目が覚める。急激に意識が戻り、神経が氷水を打ったように冷え切る、額に冷や汗が滲んでいく。眠りこけてしまった。普段ならドジで済むだろう。しかし曜が居る今は事情が違う。
取り急ぎバス前方の電光掲示板を急ぎ確認する、目的地である狩野川沿いのバス停には到着してないようで一先ず安心する。

「曜、ごめん私寝…てた………」
起き抜けで張りの無い声量で善子は曜に話しかける。

善子が見たのは真っ直ぐ前を見据えた曜だった。見開いた眼球で、何も見えないはずの瞳で虚空を見据える姿。どこか憂いを帯びた、思い悩んだような姿。
ひどく痛ましくて、物悲しく感じた。善子は一瞬、声をかけるのを躊躇ってしまう。

「……善子ちゃん?」
善子が立てた物音で曜はその目覚めに気付いた。

あまりにも生を感じなかった。あまりにも命を感じなかった。ぼんやりと生気の抜けた姿に善子はどこか、空恐ろしい物を感じてしまっていた。

「よ、曜…!」
「なに、善子ちゃん?」
「何か、悩んでることとかない…?」

つい声が上ずってしまう。余計なことと分かっているのに、つい善子は聞いてしまった。つい触れてしまったのだ。

「何で…?」

理由を聞かれる。本人になんか言えるはずがない、見えない目を見開く姿が、思い悩んでるように見えたこと、寂しく見えたこと、まるで別世界の人間のように空恐ろしく見えたこと。
善子が返答しかねている内に、曜は次の言葉を発した



「……ちょっとだけ付き合ってもらえるかな?」

陽の落ち切る手前、といった時分。二人は川岸に連なる階段をベンチに見立てて並んで座った。
善子は近場にある自動販売機でソーダ飲料を二本買い、一本を曜に渡す。受け取った曜は鞄を手探りで探ると財布を取り出し、善子に突きつけた。善子は黙って百円硬貨を一枚、財布から抜き取る。
甘味のわざとらしい炭酸飲料を一口飲み、藍に染まり始めた川の辺にて曜は語り始める。

「私ね、事故に合ってから段々目が悪くなっていったの、視界が暗くなっていって…最終的には、失明しちゃった」
失明、と言う言葉を曜が使う事に善子は未だ慣れていなかった。


「最初は疲れてるからぼやけて見えるのかな?って思ってたけど、実際にこの目は…なにも見えない」
「すっごく怖かった、このまま一生暗闇で生活するんだって…もう何も見えない、誰の顔も見えない。そんな未来がやってくることを想像するだけで怖くて怖くて…仕方がなかった」




「でも少しそれが収まったらね、ちょっとだけ幸運だと思っちゃったんだ」

「視界は無くなったけど目は潰れてない、大した顔じゃないけど幸いにも傷が無くてそのままだから…きっとスクールアイドルも頑張れば続けることが出来る」
「例えば、鞠莉ちゃんが、千歌ちゃんが、善子ちゃんが……他の誰でも。怪我をして、Aqoursを抜けるってなったら私は耐えられない、この活動を続けられるか自信がない」
「だからこのまま私が頑張って、いつも通りに学校に行って、今まで通りにスクールアイドルを続ければ…みんなにとっては何の変わりの無い…いつも通りの日常」
「私さえ頑張れば、そのまんまなんだって……そう思ったんだ」



「……そんなこと…」

善子は言葉を漏らす。


「そんな理由で!あなたはスクールアイドルやるって…続けたいって!そう言ったの…!?」

曜の胸ぐらを掴み、善子は振り回した。眉を釣り上げ、その端正な顔を歪めても曜には届かない。
善子は許せなかった、確かに続けたい、欠けたものがあったとしても今の生活を精一杯続けたい。曜にはそういう意思があると善子は信じて疑っていなかった。だからこそ精一杯のサポートをしてきた。
しかしその実は消極的、退廃に満ちた意思だったことに善子は強く、檄した。

「私は!あなたがまだやりたいから!続けたいからまだ頑張りたいから…ってそう思って…手助けしてきた…」
「それなのに……それなのに……」

か細くなる声に混じるのは涙。熱い雫が善子の頬を伝い、曜の胸元へと溢れ落ちる。曜は黙りこくったまま焦点の合わない目で善子の言葉を受ける。

曜の肩口に瞳押し当て泣きじゃくる善子。先に口を割ったのは曜だった。

「…今日梨子ちゃんがまた千歌ちゃんを叱ってたね、新曲の歌詞早くしてって」
「…それが」
「新曲が出来て新しい振り付けをみんなで作って、それが出来上がって練習しようってなったら…どうする?」
「どうするって…みんなで動画を見て合…わせ……」

言葉を発する途中で善子は詰まらせる。少し考えれば気付くことだ。

「うん、今は元から覚えてた振り付けだから出来てるけど…新しい振り付けだと私は覚えられない」





「私の目は、壊れちゃったから」

渡辺曜は卑怯だった。それでも、純然たる事実だった。泣きじゃくる善子が落ち着いたのは川岸に座り始めてから一時間ほど経ってからのことだった。





ひとしきり泣いた善子はぽつ、ぽつとしゃべり始めた。一人泣き出して申し訳ない、して欲しいことがあれば出来る限り協力する。そう善子は曜の耳元で訴えた。

「じゃあ…一つだけお願いするね」

曜が話し始める。口元が少しだけ吊り上がっている気がした。




「私と、クリスマスにデートして下さい」


陽は落ち切り川の水は黒く染め上げられていた、水面でぽちゃりと小魚の跳ねる音がする。二人の影はとっくの昔に塗りつぶされていた。
善子は驚くと同時に顔を真っ赤にして狼狽えた。善子には、曜の真意を推し量ることが出来なかった。

時が流れ、クリスマス当日。師走らしい乾いた寒風が乾いたコンクリートへと吹きつけている。電線がしなり金属が撓み、唸る音が耳へと入って来た。

「おはよう」
「おはヨーソロ、善子ちゃん!今日は寒いね~」
目に見えてわかるほどテンションの高い曜。いつになく上機嫌な事が見て取れた。


結局善子は曜のクリスマスデートがしたい、との願いを聞き入れた。何故自分となのか、何故デートなのか本人に聞いてもはぐらかされるばかりで埒が明かなかった。
善子は慣れないながらも思いを巡らせデートの計画を立てた。そうすることで曜の真意に少し迫れる気がした。

「手、出して」
「…………うん!」

川沿いの堤防を駅へと向かって歩き出す。堤防は障害物が無く、一直線なので曜にとって都合がいい。歩道から連なる石の段では鳩が数羽、歩き回っていた。

二人の間でほんの少し慣れた手繋ぎ、でもそれはいつもと違い慕い合う者としての物だった。

電車を使って県外へと移動する最中、善子は曜に行先を説明する。善子の立てたプランはまず、楽団のコンサートに行くことだった。
「それなら楽しめる…でしょ?」
恐る恐る言う善子に曜は口元を綻ばせ嬉しそうに頷いてみせた。


二人は少し離れた街まで向かい、コンサートに行った。耳を使って楽しめるこの選択は善子にとって正解で、曜はとても楽しんでいる様だった。公演が一通り終わる頃になると陽が傾きかけていた。
幾許か人通りの増えた街並みを歩いて進み、高校生とっては少し値が張るディナーを二人で食べた。曜は終始、笑顔だった。

辺りが真っ暗になる時刻、二人は自宅がある沼津駅へと帰って来た。帰りの電車から二人の間には沈黙が流れ、話し始めても一言二言で終わりまた静寂が流れる…そんな様子だった。その無言の時は別れの刻が近いことを示していた


最後に行きたいところがある。曜は言葉を零した。善子は行先を訪ねる。耳を貸すようジェスチャーし、内緒話を打ち明ける子供のごとく小さな声で曜は願いを囁く。それを聞いた善子は一時、目を丸くした。

「だって…あなた…」
「いいの、お願い」
しばらくの思い巡りの後、行くわよ、と一言呟くと曜の手を引いて歩き出した。行先は商店街…見知った場所だ、携帯で調べずとも行ける。

曜の求める先へ向かう最中、繋いだ二人の手の甲に白い綿花の様なものが降ってきた。この沼津では珍しい、今年初めての雪だった。

夜の更けた商店街は誰もおらず無人だった。二人だけの世界は一層冷たく感じられた。

それは並び立つ店群の吹き抜けになった一角にそびえ立っていた。
おびただしい数のオーナメントで彩られピカピカと光り輝く電飾を纏っている、取り付けられてるのは町の子供手製の飾りだろうか。街の中心に設置されたクリスマスツリーは錆び付いた商店街には不釣り合いな、巨大な輝きを放っていた。


「着いたかな、善子ちゃん?」
「ええ…着いたわ」

曜がクリスマスツリーに向ける目に、感動はない。ただただ、顔が向いているだけだ。


「ありがとう、善子ちゃん」
善子は返事を返さず、強めに手を握って見せた。冷え切った風が体の熱を奪う。掌の熱が浮き彫りになるよう感じられた。


「善子ちゃん、クリスマスツリーは綺麗?」

「…ええ、とっても綺麗よ」

「雪は降ってる?」

「めちゃくちゃに降ってるわ、沼津の三十年に一度のホワイトクリスマスね!」

「そっか」



精一杯の明るい調子で善子は伝えてみせる。
曜はそれを聞き、小さく囁くように声を出す。

「最後に善子ちゃんとここに来れて、良かったよ」





もう恋なんてできないから。
声に出そうとしたのか、曜の意図しないものなのかは分からない。微かに聞こえる程度の音で、曜はそっと呟いた。

柔らかな温もりがが痛みを注ぐ。不意に川岸での事が思い起こされて、善子の瞳に大粒の涙が零れた。
曜の安らかさ、悲壮さを思わせる微笑みに、涙してしまう。それでも、善子は、自らの涙の理由を上手く理解できないでいた。

嗚咽交じりに泣き腫らし、遂にはしゃがみこんでしまう善子。右手は曜と繋いだままで使えず、左手で涙を拭う。

「…善子ちゃんの手、温かい」
曜は小さく呟くと、善子と同じように脚を折りしゃがんだ。善子の空いていた左手を探し当て、自分の右の手で握る。善子の体を伝い腕、肩、?へと探るように手を這わせる。
「頬っぺた、ちょっと濡れてる」
両手を善子の?に当て、愛おしそうに撫でる。いつもは大概のスキンシップを振り払う善子も、されるがままだった。

曜は手で?を引き寄せ軽く、優しく口付けをした。降りしきる雪は?に張り付き曜の赤くなった素肌に雫となって伝っていった。


クリスマスツリーは依然として、確かな重量を持ってそこに輝いていた。






年が明け、暫くして部活動が始まる。梨子、千歌、果南はそれぞれ冬休みの時間を使い新曲を作り切り、振り付けをも仕上げてきたらしい。ダイヤが一段と張り切って練習の音頭を取っている。


「さ、新曲の練習しますわよ!みなさんまずこの果南さんが手本をした動画がありますからそれを元に……」
「あ…そうだ曜ちゃん……」
「曜がどうかしたの?」
「あ、そうか……今までは前から有った振り付けだから良かったけど…新しい振り付け動画は曜ちゃんは……」


千歌が呟いた言葉を拾い、梨子が気付く。目が不自由となった曜に動画で振り付けを伝えることが不可能なこと。そして、今までその事を考えもしなかったこと。



「………後ろからマネキンみたいに体を動かして貰ってそれで覚えるよ。果南ちゃん、お願いできるかな?」


「……もちろんだよ、曜」



曜の願いを深く頷き了承する果南。部室の中で張り詰めていた空気が一気に緩む。後ろではルビィと花丸が心配事を口にしていた、運動が苦手な二人は覚えることが出来るか不安らしい。

突如、鞠莉が手をぴしゃりと打ち皆の注目を集める。金の瞳を爛々と輝かせ号令をかけ始める。


「時間は無いわ!みんな頑張って仕上げるわよ~!」


「「「おーーーー!」」」


ムードメーカーの鞠莉の言葉で一念発起し、今まで通り…ともすれば今まで以上に士気の高いAqoursの面々。これからの本番に向けての追い込みの練習は辛く苦しく、それでも明るい未来への展望を見せてくれると信じて疑わない瞳がそこにはあった。



ただ、そんな明るい空気感の中一人…善子だけはその曜の姿の痛ましさに、暗澹たる気持ちにならざるを得なかった。


ちら、と善子は曜を見る。いつもと変わらない、笑顔を絶やさない曜の姿がそこにはあった。

何となしに自分の手を眺める。掌は寒さで少し赤くなっていた。善子はほんの少し滲む目を拭うと呼ばれている皆の元へと足早に向かっていった。

おわり

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