鞠莉(16)「留学してそろそろ半年ね……」 (72)




かじかむ指で、マフラーを鼻まであげる。

2月のニューヨークは身体の奥から雪が降るような寒さだった。

鞠莉「帰ったらレポートね……」

課題を脳内で数え上げ、すりすりと凍った道を歩く。


すぐ傍らを、やたらと薄着をした集団が通り過ぎていった。

明日から週末だ。ダウンにホットパンツというアンバランスな風体で、裏通りのクラブにでも繰り出すのだろう。


鞠莉「全然 traditional なんかじゃないじゃない」

州立だけれど歴史ある学校だから、そう言う父に連れられて、秋に州のハイスクールに留学した。

もともと英会話に支障はない。授業には問題なくついていけた。

むしろ問題がなさすぎたくらいだ。


鞠莉「あーあ、なんだかつまんない……3人で温泉にでも行きたい気分だわ」

叶わない願いに、課題入りのバッグがどしりと重くなった気がした。


なんてことはない。こんな課題、すぐに片をつけられる。

週明けに発表して、先生に褒められて、「高慢ちきなアジア人」と噂をされる。それだけだ。

構っている暇はない。親から送られてくる教材のほうがよっぽど手ごわいのだ。

校内の木陰で小難しい本を読んでいれば十分。

この数か月、ずっとそうやって過ごしてきた。


コツコツと、決まったペースで足を運ぶ。

鞠莉「果南に手紙を書こうかしら」

それはいい。ふと思いついた名案に足が軽くなり、また止まった。



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「お嬢様、こちらへ」

鞠莉「……」

再びバッグが重くなる。

出たわね、諸悪の根源。

ちらちらと高級車を横目に校門を出ていく「級友」を眺めながら、ため息をつく。

これでは悪目立ちだと何度も言っているのに。

きっと週明けにはあけすけな悪口大会が始まるに違いない。


鞠莉「陰湿じゃないだけまだマシかしら」

「何かおっしゃいましたか?」

鞠莉「別に」

「今日はお父様もご出席のパーティーでございます。なんでも日系企業の社長も来られるとか」

鞠莉「じゃあ日本でやればいいのに」

「お嬢様」

窘めるような口調の運転手を睨みつけてやる。

おかげでどんな高校生活を送ることになっているかも知らないくせに。


鞠莉「ああ、そうそう、途中で郵便局に寄ってくれない? 便箋が欲しいのよ」

「それくらいなら私どもでご準備いたしますが、またですか」

鞠莉「いいでしょ、それくらい」

「もちろんでございます」

鞠莉「ありがと、出すのは自分でやるから」


ぽっかりと口を開けた車の中に滑り込む。

いいわよ、もう。パーティーでもどこでも、好きなところに連れて行けばいいじゃない。



「本日のお召し物はいかがなさいますか?」

カチカチと鳴るウインカーに紛れて質問が飛んできた。

お召し物。

パーティーに行きたくない一番の理由は、実のところそれだった。

煌びやかな布に袖を通すたび、余計なことまで思い出してしまうのだ。

半年前まで、確かにあった輝きを。

もう消えてしまった夢の残滓を。


鞠莉「……何でもいいわ」

放り投げたバッグに頬杖をついて、そう答えた。

もう自分があの友人の作ってくれた衣装を着ることもないのだから。


「そういえば、お嬢様のご学友の黒澤ダイヤ様ですが」

考えを読まれた気がして、指先に力が入った。

鞠莉「ダイヤが、何?」

「ええ、聞いた話では、なんと――」

鞠莉「嘘、ほんと? またアイドルを――」

「生徒会長に就任されたようです」

鞠莉「ああ、そう」


期待外れの言葉にどっと身体を投げ出した。

生徒会長。

ああ、ダイヤが選びそうな道だ。確か「推しが生徒会長だった」だのなんだの。

熱狂的、で収まるのかしら。


鞠莉「問題はそこじゃないわ」

ねえダイヤ。貴女はそれでいいの?

それが貴女のやりたいことだったの?


誰にともなく呟いた言葉は、曇った窓に跳ね返って消えた。





     *



   *





フロアは大勢の話し声で渦が巻いているようだった。

男は生地の良いスーツ、女はドレスに身を包み、せわしなくあたりを動き回っている。

皆が笑顔だ。

中央テーブルに並ぶ料理の大半を残したまま、お互いの声を聞き取ろうとせっせと顔を近づけあっている。


鞠莉「……はあ」

愛想笑いで顔が固まりそうだ。頬が痛む。

細いヒールのせいでふくらはぎは張っているし、きつめのドレスで胸も苦しい。

会場の端に並ぶ椅子に腰かけて、思わずため息をついた。


「……随分と疲れているみたいだけど」

不意に声が掛かる。

1人の女性が、2つ隣の席で黄金色のシャンパンを呷っていた。

勝気な、けれど大人びた紫の目だ。

濃紺のドレスに紅い髪がやけに映えている。


鞠莉「先客がいたのね、ごめんなさい、気づかなくて」

「気にしなくていいわ」

鞠莉「日本語? あら、あなたのこと、どこかで……」



真姫「西木野真姫よ。聞いたことある?」




鞠莉「μ's の……!」

驚いた様子で、彼女は少し目を見開いた。

真姫「知ってるの?」

鞠莉「友達が大ファンなの」

真姫「そう」

癖のある髪を指にくるくる巻き付けながら、そっぽを向く。

ちらちらと、不満そうな視線。

鞠莉「……私もよ」

真姫「……どうも」

ほんのり紅らんでいた頬が、また紅くなった。

面倒な人。


鞠莉「小原鞠莉よ。よろしくね、西木野さん」

真姫「鞠莉、ね。名前でいいわ。お互い父親と間違えるでしょ?」

鞠莉「それは、まあ」

真姫「私のパパ、病院の院長なの。あなたのお父様とは仕事上で付き合いがあるって」

鞠莉「……」



真姫「お父様の話をされるのは嫌い?」

図星だった。

お父様はね、君のお父様は、私は小原さんに―――。

耳にたこができるほど浴びてきた言葉だ。


真姫「ま、気持ちはわかるわよ。私もこういうの好みじゃないし」

鞠莉「くだらないわ」

真姫「……そうね」

含みのある顔で、真姫さんはじっと見つめてきた。

なんだか急に自分が幼くなったような気がした。


鞠莉「真姫さんは、どうしてアメリカに?」

真姫「私、こっちで医学を勉強しているの。わかりやすく言えば、留学ね」

鞠莉「医学……」

真姫「普段は勉強ばっかりよ。付き合いも悪いし、周りには冷たい女だと思われてるわ」

鞠莉「私も、そうかも。日本のほうが好み。留学だって、言いつけだったわ」

嘘だった。

私には、親の言いつけを断ることだってできていたはずだった。


真姫「……そう、言いつけ」

鞠莉「それに、日本の友達は手紙を返してもくれないのよ。直接文句をつけてやりたいの」

真姫「メールか電話じゃダメなの?」

鞠莉「……そうね、そう。それでも大丈夫」



私は真姫さんが苦手だった。

同じ「お嬢様」のはずなのに、一言、二言と言葉を交わすたび、なんだか逃げ出してしまいたくなる。

私になんて微塵も興味がなさそうな目、静かに弱いところをついてくる台詞、どれもがチクチクと痛かった。


そして何より、果南と同じ紫の瞳が心をざわつかせた。

目を見るだけで、じくじくと胸が痛んだ。

それなのに、真姫さんの瞳から目が離せなかった。


真姫「……そう、スクールアイドルをやっていたのね」

鞠莉「ちょっとだけよ」

ふと気がつけば、私は「そんなこと」まで話していた。


真姫「歌詞を書いたり?」

鞠莉「作曲を、少し」

真姫「一緒ね」

鞠莉「……」


一緒なものか。

片や伝説のスクールアイドル、片や招待されたイベントですら踊れなかった体たらく。

すました顔で一緒だなんて言う真姫さんは、苦労を知らないに違いない。

たくさんの仲間と一緒に、3年間スクールアイドルをやって、医学部にも行って。


鞠莉「……順風満帆ね」

真姫「そうかしら」

ほら、またすまし顔。



真姫「ごめんなさい、私もう行かなくちゃ」

フロアの奥に何かを見つけて、真姫さんは気だるそうに席を立った。


鞠莉「こちらこそ、引き留めてごめんなさい」

真姫「また会えるといいわね」

酔いでも回ったのか、やや口角があがっている。

鞠莉「ええ、それじゃあ」

真姫「……ああ、1つだけ」

急に硬くなった声音に、一瞬で血液が冷える。



真姫「あなた、何のためにここまで来たの?」


鞠莉「は……?」


じゃあね、と軽く手を挙げて、真姫さんは颯爽と歩き去った。

私はしばらく椅子に座ったままだった。


頭の芯がじんと熱い。

何のために?

そんなの決まってる。スクールアイドルに失敗して、果南と喧嘩して――。

違う、違う、「何のために」だ。



鞠莉「私、どうしてここにいるんだろう」





   *



   *




結局課題は手につかなかった。

先生には落胆された。

友達は増えた。


鞠莉「単純なものね」

カフェでコーヒーをすすりながら独り言。

授業中にもたつく私を、クラスメイトは誰も笑わなかった。

それどころか休み時間に近寄ってきて、「マリーって人間だったのね。ロボットかと思ってたわ」などと宣ったのだ。


ピコピコと音を立てて光る携帯電話に、Hi, Mary の文字を認め、口から息が漏れた。

鞠莉「ほんとは鞠莉なのよ」

画面を消し、席を立つ。

帰って課題をこなして、クラスメイトに連絡を返して、明日はまた学校に行って。

鞠莉「あの頃と同じね」


なんだか懐かしい気分だった。

果南とダイヤと、3人で過ごしていたあの頃と似た気分だ。

もちろん、密度は全然違うのだけれど。


鞠莉「でも、同じなのよ」

脳裏に紫の影が差す。

どうしてもあの瞳を思い出してしまう。

―――何のためにここまで来たの?

あの一言が胸につかえる。


鞠莉「同じなら、どこでも一緒なんだったら、日本でだってよかったじゃない」



パン屋、薬屋、銀行、デパート、通りを挟んで1ドルショップ。

オフィスビルが多いように見えて、意外と雑然とした通りを仏頂面で歩く。

鞠莉「どれもこれも、日本でだって買える物よね」


無駄な留学だなんて、思いたくない。

それでも、ここでしか出来ないことなんて思いつかない。

課題だって、別に日本に送ってきたってよかったのに。


鞠莉「そうしたら、果南とダイヤとも……」

鞠莉「……」


鞠莉「2人は、どうしているのかしら」

まだ引きずっているのだろうか。

みっともなく不貞腐れているのだろうか。

まるで、私みたいに。


ええ、そうよ。不貞腐れていることくらいわかってる。




思えば留学を決めたときだってそうだった。

いろいろ説明してくれる先生の前で、私はずっとスクールアイドルのことを考えていた。


どうして果南は歌えなかったんだろう。

どうして果南は踊れなかったんだろう。

私はどうすればよかったんだろう。


果南に直接聞いてみても、「怖かった」の一点張りだった。

やり直そう、もう一度頑張ろう、本当に諦めるの?

ぶつけた言葉は全部全部、真っ暗な海の底みたいな瞳に吸い込まれて消えてしまった。


足が治ってからは、一人で練習を続けていた。

毎日予定を伝えたけれど、果南は一日たりとも来てくれなかった。

私は部室に一人きり。

ときたま、制服姿のダイヤが遠慮がちに顔をのぞかせるだけだった。


私は、たぶん疲れていた。

何もできなかった、そしてこれからも何もできない自分に。

八つ当たり気味にダイヤを怒鳴りつけたことだってあった。

ダイヤは静かに顔を伏せ、ずっと私の言葉を聞いていた。


私は、たぶん疲れてしまったのだ。

私の言葉はどこにも届かない。

こんなに近い距離にいるのに、2人はどこか遠くへ行ってしまったようだった。

そして私も、大事なものをぽろぽろぽろぽろ溢しながら、結局、飛行機に乗ったのだった。




ぐるぐる回り始めた思考は止まらない。

「何のために」ここにいるんだろう。

私は本当に「留学」して来たのだろうか。

私は、本当は、果南から、ダイヤから、スクールアイドルから――。


鞠莉「逃げてなんかないわっ!」

「きゃっ」


ぎゅっと目をつぶった拍子に、肩を軽くぶつけてしまった。

慌てて開けた目に飛び込んできたのは、えんじ色の毛糸玉だった。

「あっ、毛糸さんが……」

鞠莉「Sorry……。前をよく見ていな―――え?」

足元に転がってきた毛糸を拾って渡そうとした。

動きが止まる。

見覚えがある。間違いない。

あの人に会った後、久しぶりに動画を見返したのだ。


ああ、これは真姫さんの呪いなのかしら。

だって、いったい、どんな確率で。


ことり「ううん、大丈夫! ことりも荷物を抱えてて……あはは」


鞠莉「南……ことりさん?」




   *



   *




ことり「ありがとね~、荷物を運ぶのを手伝ってもらっちゃって」

鞠莉「No problem! 特に用事もなかったし……」

作業スペースだと案内された部屋は、それはそれは散らかっていた。

床の上には毛糸や布、わら半紙の山。

机の上には針とペン、ノートパソコンが所狭しと重なり合い、その隣には大きなミシンと化粧道具。

部屋の中央では背の高いマネキンが無表情に斜め上を見上げている。

小さな窓枠は趣味よく飾られ、優しく差し込む日光を受けてきらきら輝いていた。


鞠莉「洋服屋さん?」

ことり「うーん、ちょっと違うかな? ことりはデザイナー見習いだから」

鞠莉「ああ、そういえば μ's の衣装係って……」

ことり「知ってるの!? うわあぁ、嬉しいっ!」

幼く目を輝かせたことりさんは私の手を優しく握った。

なにこれ、手の平、柔らかい。


鞠莉「Ah……えっと、それじゃあ」

ことり「待って待って!」

鞠莉「え?」




帰ろうとした私の手を、ことりさんは離してくれなかった。

やんわり離そうとしてもびくともしない。

結構、力持ちなのね。


ことり「小原鞠莉ちゃん、だったよね? ちょっとそこに立ってみて」

鞠莉「え、ええ」


ことり「ふ~むふむ……」

私をマネキンの隣に立たせたことりさんは、頭のてっぺんからつま先まで、じっくりと視線を動かした。

鞠莉「少し恥ずかしいわ」

ことり「あっ、ごめんね、つい真剣になっちゃって」


ことり「でもいい感じかも。身長も高くてスタイルは問題なし、歩き方も格好良かったし……」

鞠莉「……?」

ことりさんはぶつぶつと眉を寄せて呟いている。

やがてぱあっと顔をあげると、勢いのままにとんでもないことを言い出した。


ことり「ね、鞠莉ちゃん、モデルやってみない?」



鞠莉「Model?」

ことり「そうなの! 今度ファッションショーがあるんだけどね、そのモデルさん!」

鞠莉「ファッションショー……」

ことり「その企画に誘われて、ニューヨークに来たんだぁ! 普段はパリの服飾学校にいるんだけどね」

さりげなく凄いことを言っているのではないだろうか。

またもじんじんと痛み始めた頭を抱えて、聞き返す。


鞠莉「でもそういうのって、もっと professional な人がやるものなんじゃないかしら」

ことり「普通はそうなんだけどね。今回は若い人ばかりが集まって、素人さんをモデルにしてショーをするって企画なの」

鞠莉「Hmm……」

ことり「だからお洋服もね、キラキラー、パキパキーって感じじゃなくて、こう、ふわふわ~って感じなの! 鞠莉ちゃんに似合うと思うなあ」

パキパキだとか、ふわふわだとかはよくわからなかったが、どうやらモデル経験がない人を探しているらしかった。


鞠莉「面白そうね」

ことり「ほんと!? じゃあさっそく『衣装』着てみよっか、ね?」

鞠莉「ぁ……」

衣装。

忘れていた。あまり好きではなかったのに。



ことり「はい、前につくったやつなんだけど、サイズは合うと思う」

鞠莉「……」

ことり「着方がわからない? ほらほら、手伝ってあげるから脱いで脱いで!」

鞠莉「ひゃっ、あ、あの……!」

抵抗むなしく、ことりさんはにこにこ笑顔で手際よく私の服を脱がせてしまった。

何、その手際。


ことり「わあ……ほんとにスタイルいいねぇ。絵里ちゃんみたい!」

鞠莉「あ、その人」

ことり「絵里ちゃんが好きなの?」

鞠莉「友達が、ちょっと、あー、その……」

ことり「熱狂的?」

鞠莉「That's it」

ことり「絵里ちゃんはすっごい人気だったからねえ」

懐かしむような声で、ことりさんはそう言った。

その間も服についたリボンを締めたり、背中のボタンをぱちぱち閉じたり。




ことり「かしこい?」

鞠莉「かわいい」

「「エリーチカ」」

ことり「おおー! ばっちり!」

鞠莉「何回も暗唱させられたのよ」

ことり「ほんとに好きだったんだね、その子……はい、これでよしっと。どうかな?」


小首をかしげながら、ことりさんは部屋の隅から姿見を引きずり出してきた。

鞠莉「綺麗な服……」

そんな感想しか出てこなかった。


実際に、綺麗な服だった。

白を基調にした薄手の布地、きゅっと締まった胸の下には小ぶりのリボンが付いている。

スカートには色とりどりの造花がいっぱい。見ているだけで香りがしそう。

普段だったら絶対に着ないような服も、アトリエの中だとよく映えた。



ことり「やっぱり~! 似合うよ鞠莉ちゃん!」


―――やっぱり、鞠莉はこういうの似合うと思ったよ。


鞠莉「……っ」

いつの日か、姿見の前ではしゃいだことがあった。

これが「きんぱつびじょ」ってやつだね、なんて訳の分からないことを言いながら、果南はにこにこと笑っていた。



鞠莉「ちょっと可愛すぎないかしら」

ことり「そんなことないよぉ! 黄色い花も多いし、髪にも合うと思ったんだぁ」


―――ほ、ほら、ここに差し色を入れてみましたのよ。鞠莉さんの髪に合うと思って……ど、どうでしょうか……。

―――んふっ、ダイヤ緊張しすぎ!

―――だ、だって!


鞠莉「……」

初めて友達に衣装を着てもらったというダイヤは、決して目を合わせてはくれなかった。

そのくせ頬を染めながら、ぺらぺらと細部まで説明してくれるのだ。



ことり「……」

ことり「鞠莉ちゃん、こういうの着慣れてる?」

鞠莉「え、ど、どうして?」

ことり「うーん、なんだか負けてないな、って思って」

鞠莉「服に?」

ことり「うん。昔何かやってた? ダンスとか、バレエとか、それともスクールアイドルとかっ!」

鞠莉「……っ」


いたずらっぽく笑うことりさんの言葉に、胸が苦しくなった。

スカートの造花が急に色を失っていく。

鏡に映る私が、ひどくしょぼくれて見えた。

これじゃあ、こんなんじゃ、きっと。




鞠莉「やっぱり、モデルはやめておくわ」

ことり「え?」

鞠莉「服はとっても素敵だけど、私、忙しいし……」

ことり「えー! どうして? 似合ってたのに……。ことり、何か言っちゃった?」

鞠莉「いいえ、違うわ、そうじゃないの。でも―――」

鞠莉「……」


鞠莉「ごめんなさい」

ことり「そっかぁ……」

心底残念そうに、ことりさんは項垂れた。

ことり「あっ、でもでも、ショーは見に来てほしいな! まだかなり先なんだけどね」

鞠莉「ええ、予定が合えば」

ことり「うんっ!」

鞠莉「……」


鞠莉「それじゃあ、帰るわ。素敵な服を着せてくれてありがとう」


ことり「あのねっ!」

鞠莉「え?」


私を呼び止めたことりさんは、迷うような素振りを見せた。

ことり「鞠莉ちゃんは、留学してきたんだよね?」

鞠莉「ええ」


嫌な予感がした。

ことりさんはじっと私を見つめていた。

探るような、それでいて優しい瞳だった。

けれど、真姫さんと同じ顔だった。



ことり「留学、楽しい?」





   *



   *




それからしばらくは、何も変わらなかった。


ただ、私の肌にはさらさらとしたシルクの感触が残っていた。

ことりさんの衣装を着た日の夜から、ずっと。


高校生活は「普通」だった。

私は毎日課題をこなして、学校ではクラスメイトと話したり、お茶したり。

週末は出掛けてみたり、滞在先のマンションでのんびりお菓子を頬張ってみたり。

最近起きた変わったことと言えば、いつの間にかマフラーを失くしていた、それだけだった。


「マリー、新しいマフラー似合ってるわよ!」

鞠莉「Thank you! でも、前のやつもお気に入りだったのよ」


確かあのマフラーは、果南とダイヤと一緒に買ったものだった。

似合うという言葉に舞い上がって、値段も見ずにレジに向かった私に、2人は渋い顔をしていたっけ。


2人からの手紙は一通たりとも来ていなかった。


鞠莉「別にいいわよ、来なくたって。マリーはこっちで『普通に』過ごしているんだもの」

言い訳がましく口にするたび、またあの言葉がちくちくと刺さる。


―――何のためにここまで来たの?

鞠莉「目的なんて知らないわ。私は『勉強』しに来たの」


―――留学、楽しい?

鞠莉「……果南とダイヤが行けって言うんだもの。そうでなくちゃいけないわ」

鞠莉「逃げてなんかない。留学だって、楽しいに決まってる」


ことり「ことりには、そうは見えないんだけどなぁ」


校門の前に、ことりさんが立っていた。




鞠莉「ことり、さん……?」

ことり「えへへ、来ちゃった。この学校だって言ってたよね」

にこにこと手を振ることりさんは、少し疲れているように見えた。

目の下にうっすら隈ができている。


鞠莉「あの、どうして?」

ことり「ほら、これ、忘れものだよ」

鞠莉「私のマフラー……」

ことり「大切なものなんだよね? 随分使った跡があるもん」

鞠莉「ありがとう。本当に、わざわざ―――」


ことり「ね、鞠莉ちゃん、これから一緒に甘いもの食べに行かない?」

鞠莉「へ? え、ええ、時間はあるけど」

ことり「やったぁ! 鞠莉ちゃんともっとお話ししたかったんだぁ」


ことりさんと甘いもの。

ダイヤが聞いたら卒倒するに違いない。でも。


鞠莉「私にお話すること、あるかしら」





   *



   *
 



ことり「ん~! 甘ーいっ!」

鞠莉「……さすがね」

ケーキを一口頬張るたびに、ことりさんはうっとりと頬に手をあてた。

一つ一つの所作が似合いすぎている。


ことりさんのおススメだというケーキ屋は、駅から少し離れた静かな通りに面していた。

セピア色の壁紙に、少し厚い紙に覆われたライト。

ほどよく色づいた洋菓子は、表通りのデパートのものよりも幾分か毒々しさが和らいでいた。


ことりさんは、確か普段はパリに住んでいると言っていた。

ニューヨークに来てから、こんなところまでお店を開拓しているのだろうか。


ことり「あ、そういえば~」

お話がしたいと言いながら菓子を食べ続けていたことりさんは、ようやくかちゃりとフォークを置いた。

そして開口一番、爆弾を放り投げてきた。


ことり「鞠莉ちゃんってスクールアイドルやってたんだね! 言ってくれればよかったのに……」

鞠莉「……っ」

鞠莉「……ちょっとだけよ」

ことり「途中で留学に?」

鞠莉「そうなるわね」

ことり「そっかぁ……」

少しバツが悪そうな顔で、ことりさんはうんうんと頷いている。


鞠莉「私、ことりさんに school idol のこと話してないわ」

ことり「あ、ごめんね、気になってつい……。今の時代、動画とかたくさんあるでしょ? Aqours だっけ」

鞠莉「え、ええ、そうよ」

私の手は完全に止まってしまっていた。


居心地のいいはずの店内が急に冷えてきたような気がした。

息が荒くなる。




ことり「衣装もすっごい可愛かった~! みんなでつくってたの?」

鞠莉「ダイヤ――あ、黒髪の方ね――あの子が中心だったわ」

ことり「ああ、じゃあ絵里ちゃんのファンってダイヤちゃんのことなんだね」

鞠莉「分かるものなの?」

ことり「Aqours の衣装、細かいところが絵里ちゃんの衣装にそっくりだったから」


鞠莉「……もう、ダイヤったら」

ことり「あ、笑った」

鞠莉「え?」

ことり「鞠莉ちゃんはもっと笑った方が素敵だと思う! ことりが保証しますっ」

鞠莉「私、そんなに笑ってなかったかしら」

日本では、うるさいくらいだと言われていたのに。


ことり「なんだかずっとつまらなさそうだなあ、って思ってたんだぁ。でも、ダイヤちゃんの話の時だけは笑ってた」

鞠莉「そう、かしら」

ことり「大事な友達なんだね」

鞠莉「手紙は返してくれないけど」

ことり「……喧嘩しちゃった?」


鞠莉「喧嘩……そうなのかしら。少し違う気もするわ」

ことり「そっかぁ……」


そう頷いて、ことりさんはまたケーキを頬張った。

ことりさんはどこか遠いところに目をやって、大切な何かを噛みしめているようだった。

黄色の瞳の中ではきらきらと星やら太陽やらが踊っていて、何だか眩しくて、私はそれ以上見ていられなかった。




ことり「帰ったら仲直りできそう?」

鞠莉「……わからないわ。パパにはこっちの大学を出るように言われているの」

ことり「日本に戻るのは、だいぶ先だねぇ」

鞠莉「そうなるかも」

ことり「後悔してる?」

鞠莉「……」

ことりさんは、この前と同じ顔で私を見ていた。


鞠莉「……わからないわ。留学は必要なことだもの。海外で経営を学んで、パパの後を継ぐの。パパはそれを望んでる」

鞠莉「果南とダイヤもそう。私のためだって、そう思ってるの」

鞠莉「私は一人娘だもの。後を継ぐのだって嫌なわけじゃないわ。でも……」

何と続けていいかわからなくなって、言葉を切った。


ことり「でも?」

鞠莉「……」

自分の言葉に嘘はない。留学したくなかったわけじゃない。

無理やりさせられたわけでもない。


でも、それならどうして毎晩毎晩、あの日の夢を見るのだろう。

真姫さんの言葉に、どうしてこんなにお腹が痛むのだろう。

ことりさんの前で、どうしてこんなに暗い気持ちになるのだろう。


果南が歌えなかった。何もせずにステージから降りた。

そうじゃない。私はそんなこと怒ってなんかない。

私が嫌なのは、私がどうしても気にしてしまうのは、きっと、もっと……。



そうだ、きっとあの日、私は、私たちは―――。



鞠莉「失敗、したの」

選んだ言葉は、驚くほど単純な言葉だった。

驚いた様子もなく、ことりさんは軽く眉を寄せてみせた。

ことり「最後のステージのことだよね」


鞠莉「……その記事も読んだのね。あの記者、こき下ろしてくれちゃって、まあ」

ことり「あはは……記者さんにもいろんな人がいるからねぇ」

鞠莉「μ's も何かあったの?」

ことり「うん、あったよ~。特に優勝した後なんかはいっぱい記事が出たからね」

ことり「中には変なことが書かれた記事もあってね、ふふっ、部室でにこちゃんが怒ってたなぁ」


鞠莉「それでも、いい記事が多かったはずよ」

ことり「比べちゃだめだよ」

鋭い切り返しに息をのんだ。当たり前だ。比べて何になる。

拗ねたようなことを言った自分が惨めだった。


ああ、私は惨めだったんだ。

だって、失敗だった。

ダイヤも果南も、誰も何も言わなかったけれど、あれは失敗だった。


最高だと信じて疑わなかったAqoursは、あの日失敗して、終わったんだ。



ことり「……ねえ、鞠莉ちゃん」


ことり「もう一度、やってみない?」

鞠莉「え?」



ことり「ステージに立つの。アイドルじゃなくて、今度はモデルとしてだけど……でも、ステージだよ」

ことり「動画の鞠莉ちゃん、楽しそうだった。すっごい笑顔でね。知ってる? 鞠莉ちゃんの笑顔、可愛いよ」

鞠莉「……」

ことり「だからね、小原鞠莉ちゃん、あなたにもう一度ステージにあがってほしいんだ。ね、お願い」


鞠莉「もう一度、ステージに……」

ことりさんの言葉は柔らかくて、力強かった。

ふんわりと耳に入ってきたその言葉が、胸の奥の奥にちりちりと焼き付いていく。


鞠莉「無理よ。だって……」

ことり「無理なんかじゃないよ。鞠莉ちゃんならできると思う」

鞠莉「どうして、そこまで」

ことり「ごめんね、会ったばっかりなのに、びっくりしちゃうよね。でも放っておけなくて」

鞠莉「……」


鞠莉「やっぱり、無理よ」

鞠莉「確かに、ことりさんの衣装は素敵だったと思うけど……」

きっと、私が耐えられない。どうしても思い出してしまう。

思い知らされてしまう。



鞠莉「私、もう衣装は着たくないの」

ことり「嘘」

鞠莉「嘘じゃないわ」

ことり「嘘だよ」

鞠莉「嘘じゃないって言ってるでしょっ!」

ことり「……ううん、嘘だよ」

鞠莉「何がわかるのよ……っ! 会ったばかりのことりさんに、私の何がっ!」

ことり「……」


鞠莉「わかんないでしょっ! だってことりさんはあの μ's なのよ! 惨めな私のことなんか、何にも……っ!」

ことり「鞠莉ちゃんのことはわからないよ。でも、鞠莉ちゃんが衣装のこと大好きなんだってことは、わかるよ」

鞠莉「そんなことないっ!」


ことり「そんなことあるよ。だって、幸せそうだったもん」

鞠莉「ど、どういう……」


ことり「ドレスを着てもらったときね、鞠莉ちゃん、幸せそうだった」

鞠莉「……え?」



ことり「鏡を見た途端に顔がぱあぁってなってね! 細かい飾りまで触ってみたりしてね! それに……」

ことり「ドレスのこと、抱きしめるみたいにぎゅぅってしてた」


ことり「すっごく幸せそうに、愛おしそうに、ずうっと、抱きしめてた」

鞠莉「……」


ことり「それで思ったんだぁ。ああ、鞠莉ちゃんにとって、衣装はとってもとっても大切なものなんだって」

ことり「だからね、失くさないでほしい」

鞠莉「……見間違いよ」


ことり「そんなことないよ。ことりはずっと見てきたんだもん」

ことり「ことりの服を着た人が、どんな顔をして、何を考えているのか、ずっとだよ。フランスでも……日本でも」


ことり「だから鞠莉ちゃんは大丈夫だよ。あんな顔で衣装を着られるんだもん。惨めなんかじゃ、ない」

鞠莉「……勝手なこと言わないで」


ことり「鞠莉ちゃんはね、もっともっと輝けるよ。笑顔になれるよ。ことりは、そう思う……っ!」

鞠莉「そんなこと―――」

ことり「捨ててほしくないの! 鞠莉ちゃんに、衣装のこと嫌いだなんて、思ってほしくない……っ!!」

鞠莉「だから、勝手なことをっ――――……どうして、ことりさんが泣くのよ」

ことり「えっ、泣いてた? えっ、あっ、あははは……」




ことりさんはじんわりと潤んでいた目を慌ててこすっている。

なんだか、可笑しな気分。

だって、ことりさんと会ったのはこれでたったの2回目なのに。


鞠莉「……本気なの?」

ことり「うん」

鞠莉「……ほんとに、そう思う?」

ことり「うん、もちろん」


間に合うだろうか。

今からでも私はあの頃の「小原鞠莉」に戻れるだろうか。

失敗したと思っていた。

私はその程度だったんだと、そう自分を納得させていた。


ううん、思い出すんだ。

あの頃、私はずっと笑顔だった。

果南だってダイヤだって、私が笑えば嬉しそうにしてくれた。

私は素敵だった。果南もダイヤも素敵だった。「Aqours」は最高だった。


そうだ、なのに、それなのに。


鞠莉「……」

鞠莉「あの時は、失敗だった」

ことり「うん」


気づけば、言葉が零れ落ちていた。

短い返事で、ことりさんは私の言葉を捕まえてみせた。

ずるずる、ずるずる、後から後から溢れ出る。



鞠莉「果南のことだって、責められない。私もダイヤも緊張してた」

ことり「うん」

鞠莉「でも、でもね、私たち、あんなものじゃないわ」

ことり「そうだよね」

鞠莉「果南だって、そう思ってるはずだもの。ダイヤだって、そう思ってるはずだものっ!」


ぽたりぽたりと、テーブルクロスに染みができる。

身体を震わせる私を、ことりさんは優しい目でじっと見ていた。


鞠莉「わかってるっ! 失敗も含めて実力だって! でも、違う、違うのっ! 私たち、あんなんじゃない……っ!!」

ことり「……うん」


鞠莉「許されるなら、立ってもいいって言うのなら……っ!」

鞠莉「あの日を、取り返したい! ステージの上で輝きたい!」

鞠莉「あんな沈黙なんかじゃない! 冷たい笑いなんかじゃない! 拍手とスポットライトの中で、私たちは、私は……っ!」


ことり「それだけの衣装をつくってみせる。最高の鞠莉ちゃんにしてみせる」

ことり「だから、鞠莉ちゃんは――」

鞠莉「だから、私は――」


不貞腐れるのは、もうやめだ。

ぐいと袖で目を拭って、真っすぐに。



「「もう一度、ステージにっ!!」」





   *




   *




鞠莉「Hey、ことりさん! coffee が入ったわよ!」

ことり「本当? やった、鞠莉ちゃんのコーヒー美味しいもんね」

鞠莉「ふふん、褒めても cookie しか出てきまセーン!」

ことり「クッキーもあるの? じゃあ、お言葉に甘えて休憩しちゃおっかな」

ポイポイと引き出しにペンの束を放り込んで、ことりさんは椅子を引いた。


3月、雪が降る日が目に見えて減ってきたころ。

布で足の踏み場をなくしたアトリエで、ことりさんはいつものように衣装と格闘を続けていた。


ことり「うーん……もう少しなんだけどなぁ。下地はもうできてるんだけど……」

鞠莉「根を詰めすぎじゃないかしら。ことりさん、ずっと顔色がよくないわ」

日に日に隈を濃くしていくことりさんに、ホットアイマスクを渡す。

作業机にはアイマスクやらビタミン剤やら、「そういう」類の物がたくさんあった。


ことり「大丈夫だよ~。ちゃんとごはんも食べてるし、鞠莉ちゃんがいろいろ買ってきてくれるし!」

ここ数週間で気づいたこと。

ことりさんはとっても頑固。

何かに熱中し始めるときりがつくまで休まない。


鞠莉「そんなこと言って倒れちゃ Non Nonよ」

ことり「心配してくれてありがとう。でも本当に大丈夫だよ。そろそろ来る頃だろうし……」

鞠莉「来るって、誰が?」

ことり「ふふっ、お楽しみ」



ため息をつきながらクッキーに手を伸ばしたとき、呼び鈴が鳴った。

ことり「鞠莉ちゃん、出てもらってもいい?」

何だか楽しそうだ。

鞠莉「わかったわ。ノってあげる」


ここ数週間でもう1つ分かったこと。ことりさんは意外と悪戯好き。

たまに小さな悪戯を仕掛けては、面食らう私を見て「可愛い」などと微笑むのだ。

もちろん悪びれる様子など微塵もない。


でも、いつまでもしてやられるマリーじゃないわ。

悪戯なんて、今まで星の数ほど仕掛けてきたんだもの。


鞠莉「さて、ことりさんが驚かせようと呼ぶ人なんて、きっとμ's の……」

ぶつぶつ言いながら扉を開ける。

最初に目に飛び込んできたのは、トマトの山だった。


真姫「ちょっとことり。危ないから誰なのか確認してから出なさいって何度も―――え?」

鞠莉「げっ」

真姫「ちょっと、『げっ』って何よ」

鞠莉「Oops、お久ぶぅりデスね、真姫さん」

真姫「……小原、鞠莉」



ことり「真姫ちゃん久しぶり~! 来てくれてありがとうね」

真姫「ええ、久しぶりね……って、やっぱりひどい顔」

鞠莉「でしょ? 休め休めって言ってるのに、ことりさんったら」

真姫「……」

意外そうな顔で真姫さんは私を見つめている。


鞠莉「What's?」

真姫「いいえ、この前ぶりね」

ことり「聞いたよー? 真姫ちゃん意地悪言ったんでしょ」

真姫「……話したの? それに、どうしてここに」


鞠莉「ことりさんの、そうね……お手伝いかしら」

ことり「鞠莉ちゃんはね、ことりの期間限定専属モデルさんなんだぁ」

真姫「……そう、モデル」

いまだ目を白黒させながら、真姫さんはトマトを冷蔵庫に入れた。

手際よく机に並ぶビタミン剤の空き瓶を回収すると、腰に手を当ててため息をつく。


真姫「ほらことり、今日はこれから休みなさい」

ことり「はーい……」

真姫「何よ、不満なの? だいたい、こんなドリンクに頼るくらいならトマトを食べなさいって言ったでしょ?」

ことり「言われてはないんじゃないかなぁ……。でも、ありがと~」


鞠莉「えーっと?」

真姫「ことりと決めてたのよ。『私が来たら必ず休む』って。ルールを決めないと休まないから」

鞠莉「Got it」

何だか少し悔しかった。

私の言葉はちっとも聞いてくれなかったのに。




真姫「それで、今度はそこのモデルさんにお熱なわけね」

ことり「最高の鞠莉ちゃんにするって約束したんだ」

真姫「……そう」

目を見張った真姫さんは、興味深そうに私の顔をじろじろ眺めている。


真姫「ことりがそこまで言うの、珍しいわね」

鞠莉「そうなの?」

ことり「あー、うーん……なんだか放っておけなくて……ほら……」

真姫「留学生だから?」

ことり「……えーっとね、たぶん」

鞠莉「ンー?」

呑み込めずにいると、ことりさんはポリポリと頬を掻いた。


ことり「ことりにもね、留学の話があったんだ。結局行かなかったんだけどね」

真姫「もう、そんな単純な話じゃなかったでしょ」

ことり「あはは、ご、ごめんねー……」

真姫「別に怒ってるわけじゃないけど」



2人は懐かしそうな顔でくつろいでいる。少し、居心地が悪い。

真姫さんとことりさんの周りだけが、気だるげで、けれど自信にあふれたセピア色の空気だった。


どれだけ声をあげても、どれだけ笑っても、私の声は届いていない。

2人は高い高いところに腰を掛けて、じっと私を見つめているのだ。


それに、真姫さんの瞳は相変わらず綺麗な紫色だった。

クラシック・ピアノみたいな音色で、静かに私に問いかけてくる。

―――何のためにここまで来たの?


大丈夫、もう見つかってる。

私はもう一度ステージに立つんだ。

全部全部取り返して、輝く小原鞠莉に戻るんだ。

それで、その後は。


鞠莉「その後、は……?」


鞠莉「いいえ、変なこと考えちゃダメ、今は集中、集中……」

大丈夫、大丈夫。

もう一度って、決意したもの。

「大丈夫」は最近の口癖だった。



ことり「ああーっ! そういえばっ!」

突然の大声に、何事かと顔をあげた。

ことり「鞠莉ちゃんに言わなきゃいけないことがあったんだった……! ごめんね、ぼうっとしてて……」

鞠莉「大丈夫よ、たぶん。何かしら?」


ことり「リハーサルっ!」

真姫「ファッションショーの?」

ことり「そうなの! そろそろやろうって話になってて。1つ目の衣装ももうすぐだし」

真姫「ふぅん」

鞠莉「OK! 歩き方はこの前教えてもらった通りでいいのよね?」

ことり「もちろんっ! かっこいい鞠莉ちゃんを見せてあげようね」


鞠莉「Of course!」

華やかな布がかかったマネキンを仰ぎ見る。

「マネさん」などと呼ばれている木製の人形は、アトリエの中央で居丈高に顎をあげ、夕日の差し込む窓を睨み付けている。


ことりさんはすごい人。

数週間一緒にいたのだ。ダイヤに言われなくたってわかる。

もうすぐ、そんな人の「本気」を着るのだ。


鞠莉「絶対、最高の私になる、絶対、絶対よ」

柔らかな布地に触れて、身体がぶるりと震えた。


真姫「……」

ことり「あれ、部屋寒かった?」

鞠莉「……いいえ、大丈夫」


そう、絶対、大丈夫。



ことりさんのアトリエを出たのは、もう日も暮れかけた頃のことだった。

雪は降らなくなったけれど、吐く息はまだ白い。

真姫さんは私と一緒に外に出ると、寒そうに手を擦り合わせながら口を開いた。


真姫「モデルをやってたのね」

鞠莉「前会ったときにはやってなかったわ」

真姫「……そ」

鞠莉「もう少し興味を持ってくれてもいいんじゃないかしら」

真姫「相槌って苦手なのよ」

鞠莉「……もうっ」


鞠莉「ほんとに不愛想なのね、もっとこう、にっこりしてもいいんじゃない?」

真姫「それ、あなたが言うの?」

鞠莉「失礼ね! マリーの笑顔は一級品なのよ!」

真姫「……そうかしら」



ちらっとだけ私の目を見て、真姫さんはまた興味がなさそうな顔をした。

真姫さんと私は少しだけ距離をとり、駅までぽつりぽつりと会話をしながら歩いていた。

私はやっぱり真姫さんが苦手で、だからこそ不思議だった。


鞠莉「真姫さんって」

真姫「何?」

鞠莉「ほんとに μ's だったのよね?」

真姫「どういう意味よ」

鞠莉「Hmm……何となく!」

真姫「……そ」


またすまし顔。

パーティーで会ったときから、ずっとこの顔ばかり見ている気がする。

そんなだから、「冷たい」なんて言われるのに。


鞠莉「気にしていないのかしら」

真姫「うるさいわね。あなたはリハーサルのことを気にしなさいよ」

鞠莉「うぐっ」


真姫「……」

真姫「……怖いの?」

鞠莉「え?」


真姫さんは急に立ち止まると、まっすぐ私の顔を見た。


真姫「あなた、さっき震えてた」

鞠莉「震えてないわ」

真姫「ふぅん……ま、いいけど」



鞠莉「私、大丈夫よ」

真姫「そう」

鞠莉「もう一度ステージにあがるって、ことりさんと約束したのよ」

真姫「そうなの」

鞠莉「意地悪なのね」

真姫「……相槌は苦手って言ったでしょ」


鞠莉「……」

真姫「……」

何を言おうか迷ったような顔をして、真姫さんはじっと私の顔を見た。

気づかわしげな目に、妙な既視感があった。


紫の目だ。

あの時の、果南の目だ。

果南はあのステージの直前、今みたいにじっと私の顔を見つめてきた。

私は結局わからなかった。あの時、果南は何が言いたかったんだろう。


真姫「……」

何も言わずに歩きだしたと思ったら、真姫さんはぴたりと足を止めた。


真姫「……鞠莉」

鞠莉「え?」

肩越しに、小さな声が飛んでくる。


真姫「ちゃんと前を見て歩きなさい」

鞠莉「……?」


それきり、真姫さんは何も言わなかった。

マンションに帰ってからも、言葉の意味はわからないままだった。


―――怖いの?


鞠莉「そんなことない、絶対、大丈夫」






   *




   *





ことり「リハーサル、予定通り1時からだって」

鞠莉「……わかったわ」

ことり「鞠莉ちゃん、もう1回確認しておくね。まず――」

鞠莉「大丈夫よことりさん。もう覚えたもの」

ことり「ほんとに? でも、緊張してる」

鞠莉「大丈夫。ステージで取り返すって決めたのよ」

ことり「鞠莉ちゃん」


心配そうに、ことりさんが手を握ってくれる。

私、そんなに震えているのかしら。


会場は想像の半分くらいの大きさで、ステージも低かった。

本番ではないからか、周りの参加者は気を抜いた様子だった。

デザイナー同士で談笑したり、退屈そうに携帯電話をいじってみたり。

私だけが、背筋を伸ばして鏡の前で立ったままだった。


ことり「そんなに気を張らなくても大丈夫だよ。まだリハーサルだし、歩き方だってちゃんと練習したから……」

鞠莉「ええ、でも、ううん、何でもない」


朝、会場に入ってすぐ足が痛んだ。

決して歩けないほどじゃないけれど、くるぶしあたりがぼうっと重い。

嫌でも、思い出した。


鞠莉「おかしいわ。別に何もしてないのに」


―――あなた、震えてた。

鞠莉「怖くなんか、ない」


ことり「……鞠莉ちゃん?」

鞠莉「あ、ごめんなさい、何でもなくて」



ことり「どこか苦しい? 胸とか結構きつめに締めたから」

鞠莉「大丈夫」

ことり「裾の長さは大丈夫? 1回確かめてみても」

鞠莉「大丈夫、これが最高の私、でしょ?」


実際、採寸はばっちりだった。

初めて会ったときに着た衣装と比べて、何もかもが私にぴったりだった。

それだけのものがこの衣装には詰まっている。

ことりさんの本気が。


鞠莉「ほんとに素敵な衣装。きっとこの会場で一番ね」

ことり「そ、それは言いすぎだと思うけど……」


ふわふわ、という言葉の通り、ことりさんは手触りの柔らかい布で衣装を仕立てていた。

不規則に波打つフレアスカートに足を通すと、ついついポーズをとりたくなる。

今、私はことりさんの衣装を着た、最高の私なんだ。笑顔だって、きっと輝いてる。


ことり「顔がこわばってるよ。ほら、ほっぺむにむに~!」

鞠莉「……いひゃいわ」


ああ、もう、どうして。



ガタガタと物音がして、びくりと肩が反応した。

周りの参加者たちが一斉に席を立っている。


ことり「私たちもそろそろ移動しよっか」

―――そろそろ移動しよっか、鞠莉。

鞠莉「……っ」


一瞬、懐かしい声がした気がした。


ことり「ほら、深呼吸しよ? すぅー……はぁー……」

―――その前に、深呼吸をしましょうか。3人とも顔がこわばってますわよ。

鞠莉「……ええ」


機材やら箱やらが散乱する通路を歩くたびに、あのときの記憶が蘇った。

大丈夫、大丈夫。

今日はあの日の借りを返しに来たんだから。

ただのリハーサルだ。ことりさんの衣装だってある。百人力。


それなのに、耳元で果南とダイヤが騒がしかった。


ことり「足が痛いの? 大丈夫?」

―――鞠莉、やっぱり足、痛むんじゃ……。

鞠莉「痛くなんかないっ!!」


ことり「……鞠莉ちゃん」

鞠莉「……ぁ」




鞠莉「ご、ごめんなさい」

ことり「ううん」

にっこりと微笑むと、ことりさんは私の両手を包み込んだ。


ことり「鞠莉ちゃん、あのね―――」

ことりさんの声が、鳴り始めた音楽に呑み込まれて消える。


鞠莉「何? ことりさん、聞こえないわ……!」


眉を下げて、ことりさんは私の背中を押した。

私はただ音楽につられるように、ふらふら前へ進んでいった。



頭がぼうっと熱を持っている。

舞台の光だけが見えている。

あの先には、何があるんだろう。果南とダイヤがいるのかな。


一歩ずつ近づくたびに、どんどんと音楽が大きく、ガンガンと頭に響いてくる。


あと5歩。

歩き方は大丈夫かしら。前を見て、顎をあげて。


あと4歩。

そうそう、胸も張るんだった。笑顔は、つくれているかしら。


あと3歩。

鼓動がうるさい。吐く息がうるさい。音楽がうるさい。


あと2歩。

リズムが取れない。足が震える。息が乱れる。


あと、1歩。


鞠莉「……っ」


眩い光に足を踏み入れた瞬間、音が消えた。




―――鞠莉、足は大丈夫? 鞠莉さん、緊張していませんか? 東京に誘われましたわ!

いいところ見せなきゃね! 怖いの? 鞠莉ちゃん、出番だよ。

最高の曲を歌うのよ! 最高の鞠莉ちゃんにしてみせる。



鞠莉「……はあっ、はあっ」



―――何のためにここまで来たの? 留学、楽しい?

鞠莉ちゃん、どうしたの? ねえねえ、東京行くんだって?

次は静岡のスクールアイドル、Aqoursの皆さんです。あなた、震えてたわよ。

鞠莉、留学行きなよ。高校ではスクールアイドルをやりますわ!

この3人なら、大丈夫よね! 私、もうやめる。



鞠莉「はっ、はっ、はっ、はっ……」



―――Aqoursのみなさん、歌えませんか? え、果南?

鞠莉、ダイヤ、ごめんね。もう一度、ステージに! あの子たち、どうしたんだろう。

私フォーメーション考えてきたんだ。ごめんね、ケガさせて。怖かっただけって言ってるでしょ。

振り付けトんじゃったのかな。果南さんのせいじゃありませんわ。



鞠莉「は……っ、は……っ、ひ……っ、ひゅぅ……っ」

ことり「鞠莉ちゃんっ!!」



―――2人とも、降りますわよ。たまにいるんだよね、ああいう子たち。

Aqoursのみなさん、退場してください。その記事見ない方がいいよ。ずっと一緒にいられますように。

絶対上手くいくって! あの子たち、かわいそう。



鞠莉「ひゅっ……っ…………ひゅ……っ」

ことり「鞠莉ちゃん! しっかりして、鞠莉ちゃんっ!」



―――もう、終わりにしよう。鞠莉、バイバイ。


真綿に意識を包まれながら、私は2人の名前を呼んだ。





   *



   *





鞠莉「……ん」

左腕のしびれに、目が覚めた。

動かそうとすると、さわさわと何かに触れた。

薄茶色の髪だ。


鞠莉「……ことり、さん」

丸椅子に座ったことりさんは、私の腕に頬をつけてすぅすぅと寝息をたてていた。

枕元の腕時計が、午後7時を少し回っていることを告げている。

窓の外にはもう星が見え始めていた。


ここが自分のマンションじゃないと気がついたのは、少し経った後だった。

鞠莉「ここ、病院だわ」

あの後、私は運ばれたのだろうか。数時間気絶したままで、ことりさんが傍についてくれていて。


鞠莉「ん、っと……」

ことりさんを起こさないよう、慎重に腕を引き抜いて立ち上がる。

身体は問題なさそうだ。点滴もついていない。


鞠莉「……」

何が起きたかは、ぼんやりと覚えている。

私は、リハーサルで―――。


鞠莉「最低の気分」


少し乱暴に、病室のドアを開けた。

自然と早足になりながら、廊下を歩く。

どこに向かっているのかもわからなかった。

私はとにかく歩きたかった。

そうだ、歩かなければいけなかったのに、どうして。




鞠莉「……」

鞠莉「――――歌?」

大勢の靴の音に紛れて、微かに音が聞こえてきた。


鞠莉「そう、歌だわ。それと、ピアノも……」

不思議と懐かしい歌だった。

最近聞いた気もするし、ずっと前に聞いたことがあるような気もした。


鞠莉「エントランスの方から……?」

ふらふら、引き寄せられるようにして進んでいく。

なんだか自分が虫にでもなった気分だった。


鞠莉「もう、終わりがけみたい」

それは埃をかぶったような、暖かい音だった。

一音一音、懐かしむように、微笑むように音符が波になって連なっていく。


束の間の空白、ぱらぱら拍手の音がする。終わったんだ。


鞠莉「……」


解散した人のあいだを縫うようにして歩く。

思い出した。

これは、ダイヤが教えてくれた歌だった。

だったら、歌っているのは……。



鞠莉「……真姫さん」


真姫「あら、目が覚めたのね。とは言っても、あなたが寝ていたのはたったの半日だけど」



鞠莉「……」

真姫「身体に異常はないわね。2、3日したらすぐ退院できるわ」

てきぱきと楽譜をしまう真姫さんは、私の顔を見ずにそう言った。


鞠莉「……私は」

真姫「過呼吸よ。強いストレスからくるものね」

鞠莉「笑ってくれていいわよ」

真姫「お生憎様、私は医学生よ」


真姫さんは客席に腰かけながら、私にも座るよう促した。

真姫「ことりが泣きながら電話をかけてきたの。勝手にカバンをあさったのは悪いと思うけど……」

ほら、と学生証を返してくれる。

入院の手続きに、いろいろ要りようだったに違いない。


鞠莉「……ありがとう」

真姫「別に」


鞠莉「さっきの歌、綺麗だった」

真姫「ありがと」

鞠莉「いつも、ここで?」

真姫「たまにね。ピアノが弾けるって言ったら、やってみないかって」

鞠莉「……素敵な活動ね」


真姫さんは足を組んで、そっぽを向いていた。

それでも、私の言葉を待ってくれていることだけは、よくわかった。



鞠莉「……怖かったわ」

真姫「……」


鞠莉「真姫さんの言う通りだった。どうしようもなく、怖かった」

鞠莉「また『あの時』みたいになるんじゃないかって。またあの沈黙が襲ってくるんじゃないかって」

真姫「半年前のことは、ことりから大まかに聞いているわ」


鞠莉「ひどかったのよ。みんなが手を止めて、私たち3人を見るの。暗いはずなのに、顔だけははっきり見えるのよ」

鞠莉「声だって聞こえた。客席からあんなに距離があったのに」

鞠莉「今だって覚えてる。どうしたんだろう、かわいそう、緊張したのかな、ああ、あそこは『ダメ』だ―――」


鞠莉「何かできたはずだった。果南のパートを引き取ってもよかったし、私さえ踊りだせば、2人とも動けたかもしれなかった」

鞠莉「そうすべきだった。そうすればよかったのに」


鞠莉「私は、何もできなかった。ステージはすごく静かで、押しつぶされそうで、震えが、止まらなくて……」

真姫「……鞠莉」


鞠莉「呆れるわよね。それに今日は観客もいなかった。なのに」

真姫「……ステージ上の失敗は、高くつくわ」

真姫「普通の失敗の比じゃないの。見ず知らずの人に囲まれたところで、輝かなければいけなかったところでミスをする。理想とのギャップも大きい」

鞠莉「……」


真姫「プロのアーティストだって、それで何人も心を壊してしまう」

鞠莉「でも、乗り越えられる人だっているわ」

真姫「それは、そうね」


鞠莉「結局、私はその程度だった。弱くて、臆病で、ことりさんの衣装を着る資格も、ステージに立つ資格もなかった」

鞠莉「あの日と同じよ。私は『失格』だった」


真姫「そうね、あなたはとても臆病。すぐに震えて、強がって」

鞠莉「……」

真姫「でも、それの何がいけないの?」

鞠莉「……え?」



真姫「ステージに立つ資格って何? 私、3年間で免許証なんかもらったことないわ」

鞠莉「で、でも……」

真姫「不愛想」

鞠莉「え?」

真姫「あなたは私にそう言ったわ。私も、そう思う。これはステージに必要かしら」

鞠莉「それは……」


真姫「どう考えても、私はアイドルに向いてなんかいなかった」

真姫「それでも、私はステージに立っていた」


真姫「誰かの笑顔を願って、踊って、それで、今は医学生になって、たまにこの曲を歌ってる」

鞠莉「笑顔を、願う……?」

真姫「し、知り合いの受け売りよ」

少し頬を染めて、真姫さんは肩を竦めてみせた。


真姫「今でも、それが正解だったのかどうかはわからないわ。正解なんて、ないのかも」

鞠莉「優勝までしたのに?」

真姫「ラブライブではね。ことりだって、きっとそうよ。ああ、ほら、噂をすれば」


軽く手を挙げた真姫さんの視線を追うと、ことりさんがパタパタと足音を立てて向かってきていた。




鞠莉「……ことりさん」

ことり「はぁ、ふぅ……もう、びっくりしたよー……。起きたらいないんだもん、探したよ?」

鞠莉「ごめんなさい、その、今日のことも……」

目を伏せた私に、ことりさんはゆっくりと首を振った。

ことり「ううん、いいんだよ。身体は大丈夫?」

鞠莉「えぇ」

ことり「よかったぁ……」


ほっと息をついたことりさんは、私と真姫さんの顔を不思議そうに見比べた。

ことり「2人でお話してたの?」

真姫「ちょっとね」

ことり「そうなんだ! この前も2人で帰ってたし、仲良しだね~!」

真姫「そ、そんなんじゃないわよ」


鞠莉「……ことりさんは」

ことり「んー?」

鞠莉「ことりさんは、留学をやめて、正解だったと思う?」




ことり「……うぅーん、難しいかなぁ。少なくとも、後悔はしてないよ。ことりはみんなと幸せな高校生活を送りましたっ」

鞠莉「それなのに、『難しい』の?」

ことり「そうだねぇ。あのね、今の先生とか友達とかに留学を断った話をしたことがあるんだけどね」

ことり「みーんな、絶対こう言うんだよ」


「「もったいない」」


声を重ねたことりさんと真姫さんは、心底可笑しそうに吹き出した。


ことり「真姫ちゃんも言われるの?」

真姫「1回だけね。もっといい大学の医学部に行けたかもしれないのにって」

ことり「えぇ……真姫ちゃん十分いいとこ行ってるよね……」


真姫「ま、スクールアイドルとかステージなんて、他の人にとってはきっとそんなものなのよ。数ある選択肢のうちの1つで、やらなくても生きていける」

鞠莉「でも、2人はそれを選んだわ」

真姫「そう、選んだの。やりたかったから。私にとってはそれで十分」

真姫「どれだけ不愛想でも、どれだけ冷たいって言われても、私は選んだ。それが西木野真姫だった」


真姫「西木野真姫は、スクールアイドルだったのよ」


ことり「……うんうん」

真姫「ちょっと、撫でないで!」

ことり「えへへ……なんだか大きくなったなぁって」

真姫「何よ、それ」




鞠莉「……」


真姫さんは、スクールアイドルだった。

ことりさんも、スクールアイドルだった。

私はどうだろうか。あんな風に、自信満々に。


鞠莉「私には、そんな風には思えないわ……」

ことり「うーん、それはね、まだ途中だからだと思うんだ。ことりだって、高校生の時は何にも考えてなかったよ?」


ことり「鞠莉ちゃんはこれからどんな道だって選べるんだよ。ことりは、そのままスクールアイドルでも大丈夫だと思うけど」

真姫「でも、忘れちゃダメ。あなたの名前は小原鞠莉。もう、十分大きなステージに立っているの」

鞠莉「……」


真姫「ここで経営の勉強をするのだって、立派なことよ。誰もあなたを責めたりしない。逃げただなんて思わない」

真姫「でも、何かは選ばなくちゃ」

鞠莉「選ぶ……」


―――何のためにここまで来たの?

真姫さんが聞きたかったのは、きっとそういうことなんだ。


ことり「鞠莉ちゃんは何が好き? 何がやりたい?」


―――留学、楽しい?

ことりさんが心配したのは、きっとそういうことだったんだ。


「「小原鞠莉は、どんな人?」」




鞠莉「私は……」


私は、どんな人だろう。

小原家に生まれて、大金持ちで、淡島に引っ越して、果南とダイヤに出会って、そして。


鞠莉「私は、臆病だわ。緊張もするし、打たれ弱いし、アイドルなんか、向いてない」

ことり「鞠莉ちゃん……」


鞠莉「でも、私は Aqours だった。果南と、ダイヤと、かけがえのない日々を過ごしてた」

―――鞠莉。

―――鞠莉さん。


鞠莉「私の中には、あの日々が詰まってる。小原鞠莉は Aqours だった! 違う、違う、私は Aqours よ! まだ、1年生だもの……っ!」


―――卒業までに、ラブライブ優勝、ですわぁ!

―――えー? じゃあダイヤはもっと練習、増やさなきゃね。

―――え゛

―――3年間、みっちりだよ。ずっと、ずっと一緒にね。



鞠莉「私、バカだった……! 昔の私に戻るとか、名誉挽回とか、そんなことじゃなかった……!」

鞠莉「私はただ、まだ一緒にいたくて、また一緒に、ステージに立ちたくて、これからも、ずっとって……っ」


―――前を向いて歩きなさい。


鞠莉「失格とか、どうでもいいっ! どれだけ惨めでも、どれだけみっともなくても! だって、まだ Aqours は終わってないっ!」


―――もう一度、ステージに。


鞠莉「諦めなんか、つかない……っ」




ことり「……うん」

真姫「……それがあなたの答え。スクールアイドルのために、日本に帰る」


真姫「もったいないわね」


ことり「……」

真姫「……」

鞠莉「……んふっ」


「「「ふふっ、ふ、あははっ!」」」



ことり「……じゃあ鞠莉ちゃん、本番もよろしくね」

鞠莉「え?」

ことり「今の鞠莉ちゃんなら、きっと大丈夫」

鞠莉「こんなことになったのに?」

真姫「今からモデルを変えて衣装をつくりなおせって言うの? ……ほら」

鞠莉「これ、ポスター……?」


真姫「まだ勇気が出ないなら、来週もここに、ことりと一緒に聞きに来なさい」

ことり「あ~、それはいいかも! きっと元気いっぱいだよ」

鞠莉「ミニコンサート……今日と同じようなやつかしら」

真姫「そうね。ま、別にどっちでもいいわよ。曲も今日と一緒だし」


鞠莉「でも、それが真姫さんの『笑顔を願う』曲なのよね……私、ちゃんと聞いてみたいわ」

真姫「ちょっ……!」

ことり「へぇ~、ふぅ~ん、そんなこと言ったんだぁ」

真姫「ことり、黙りなさい」

ことり「にっこにっこ?」

真姫「黙りなさいってば!!」




ことり「はぁ~、楽しみ! でも、少し悔しいなぁ」

ことり「結局ことりの衣装だけじゃ、鞠莉ちゃんを笑顔にしてあげられなくて……まだまだだなぁ」

鞠莉「……それは、私のせいで」


真姫「別に、仕方ないんじゃない? 鞠莉はモデルでも、ましてや病人でもないんだから」

真姫「自分で言ったのよ。諦めきれないって」


真姫「小原鞠莉はスクールアイドル。だったら、最後はあの子じゃなくちゃ」

ことり「……うん、そうだね」

鞠莉「……?」


真姫「そのコンサート、私は1人で出るわけじゃないの。ほら」


鞠莉「……ぇ」

真姫さんの視線を追って、目を剥いた。


『Let's sing together at the Hospital!

 ………

 …

 Piano:Maki Nishikino

 Vo:Honoka Kosaka』



真姫「いい? 来るならちゃんと聞きなさい。でも、自信は失っちゃダメ」

ことり「そうはならないって、知ってるくせに」

真姫「……」

鞠莉「大丈夫よ。自信なんて最初っからないもの。もう一度、ゼロからやり直すんだから」


真姫「……だったら、まずは手紙を送る勇気くらいは持ちなさいよね」

鞠莉「え?」

真姫「倒れた時にカバンをあさったって言ったでしょ?」


真姫「あなたのカバン、手紙ばっかり。日付はずっと前のままなのに、どれも出してないし。筋金入りね」

鞠莉「ぅ……その……」


真姫「はぁ……」

俯いた私の鼻を、真姫さんが遠慮がちに指でついた。



真姫「バカね。出さなきゃ、返事なんか来るはずないじゃない」


真姫さんの目はひどく優しげで、果南の目よりだいぶ吊り目で、少しだけ薄い色に輝いて見えた。






   *




   *





その日のことを、私は一生忘れない。


穂乃果さんが、真姫さんが、そしてことりさんも、私も、その場で歌を聞いたすべての人が。

太陽のように、輝いていたのだから。





   *



   *






鞠莉「愛してるばんざーい……ここでよかぁった……」


ことり「ふふ、すっかりお気に入りだね」

鞠莉「そりゃあ、あんなの聞いちゃったらね」


ことり「真姫ちゃんね、やっぱり来ないって。『そこまで暇じゃないわ』とか、もうっ」

鞠莉「気にしてないわ。十分お世話になったもの」


ことり「そろそろ出番だけど、大丈夫?」

鞠莉「本番だもの、正直言うと、緊張してる。でも、楽しみよ」

ことり「……うんっ、だったら大丈夫!」


鞠莉「……私ね」

ことり「うん?」

鞠莉「日本に帰るのはまだ先にしようと思う」

ことり「え、どうして?」

鞠莉「こっちでやりたい、夢ができたのよ」



鞠莉「果南とダイヤも、きっと歌いたかった。踊りたかった。ステージの上で、輝きたかった」

鞠莉「私は夢を一緒に叶えたい。3人の夢の木を育てて、その先の、大きな夢まで。だからしばらくは勉強ね」

ことり「大きな夢?」

鞠莉「私たちの学校、統廃合になるの」

ことり「……!」

鞠莉「もともとは、ことりさんたちの真似っこだったのよ」


ことり「その、たしか鞠莉ちゃんたちの学校って……」

鞠莉「静岡の、田舎にあるわ」

ことり「……」

鞠莉「でもね、私はそれを選ぶの。それが、小原鞠莉なのよ。パパにもそう言ってやったわ」

鞠莉「たくさん泣くことになるかもしれないけど、でも、それでも」


―――大好きだばんざーい、負けない勇気……


鞠莉「私は、頑張れるから。あの日、ことりさんが手を握ってくれたから」

鞠莉「真姫さんが背中を押してくれたから。穂乃果さんの歌を聞いたから」

鞠莉「そして、私が、そうしたいから」


ことり「そっかぁ……。鞠莉ちゃんは、そうやって歩き出すんだね」

鞠莉「最高に素敵な衣装を着て、ね」




一歩一歩、ステージに近づいていく。

心臓はうるさいし、足は震えるし、でも。

きっとあの向こうには、楽しくて、つらくて、きらきらした世界が広がっているんだ。


一歩。

色とりどりの光に、目を細める。


鞠莉「ただいま、ステージ。またよろしくね」

震える足を前に出して、バクバク高鳴る胸を張る。


―――昨日に手を振って、ほら前向いて……


ポーズをとって、センターステージへ。

ああ、なんだか楽しくなってきた。

目の前には、光り輝く道がまっすぐ伸びている。

きっとその先は、もっともっと。

これが、穂乃果さんが言ってたことなんだ。



―――頑張って走った先にはね、こーんなに明るい、太陽みたいな日が待ってるんだよ!


―――穂乃果も最近知ったんだけど、そういうののこと、こう言うんだって!


それが何だか、まだわからないけれど。

走って走って、探しに行きたい。


―――それはね……






「「シャイニー!!」」


終わりです。お目汚し失礼しました。

最近書いたものです。お暇があれば。


ルビィ「鞠莉さんなんて嫌いです」

梨子「カードキャプター」善子「さくらうち?」

ことり「前略 木漏れ日の貴女へ」

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