LiPPS「MEGALOUNIT」 (768)

 雷は好き?

 あるいは、他のもっと、怖いもの。


 化け物とか、怪物とか――あるいは天才とか。

 自分の理解が及ばないものに、しばしば人はレッテルという秩序を与える。

 潜在的な恐怖から、目をそらすために。


 呼ばれた方は、どう思っているだろう?

 深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているという。

 じゃあ、怪物なるものは普段、どんな事を考えているのか?



 そんな怪物達を観察した記録の一端。


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【1】

 (◇)

 京都から東京までは、のぞみで大体2時間半。



 ――ん~~っ、修学旅行以来や!
 ビルたっか。人めっちゃおるし、皆歩くのはやっ。

 おっといけない、今日からあたしは東京都民。ちゃんと標準語で話さないとね。


 新幹線の中で既に半分以上減っちゃった実家のお団子を頬張り、一人ぶらぶら~っと。

 やっぱすごいなー東京は。こんな機会でも無いと来れないよねー。


 まぁ~――あんまり喜ばしい理由で来たワケじゃないんだけどさ?

 早い話、実家から追い出されたんだよね、あたし。


 ヨソの人は知らんでしょうけど、京都って結構メンドーな所でして。

 洛中と洛外、ってのがあってさ?
 要するに御所の近くに長く住んでる人ほど偉いっていう、見えざるカーストっていうんかな、あるの。

 ウチの実家は、御所の裏手で代々和菓子屋やってて、まーそういう意味では由緒あってすごい。

 問題は、それをうるさく言う人達がいるってこと。


 もうホント、アホやんな? しょーもなっ!
 若い人で今時そんなん気にする人おらんよ。

 って言いたいけど、そういう慣習を大事にするお堅い家のコなんかは、あたしに媚びったり、嫌み言ったりするのも、案外無いワケではなくって。

 両親やばあちゃんなんかは、気にしなくていいよって言ってくれるんだけどさ。何かねー?

 伝統ある和菓子屋の娘だと思われるのがイヤで、ずっとだらしなく生きてきた。
 京都人に目つけられるの、何かと面倒でさ。

 そんで高校卒業して進学も就職もせんとダラーってしてたら、この体たらく。

 ニート食わすために店やっとらんえー、だって。アハハハ、だよね―♪
 大人しく家事手伝いしとけば良かったかなぁ。


 ガチャンッ!



「――?」

 何か落とした? あたしじゃないと思うんだけど――。

 振り返ると、地面にはボロボロに禿げたケータイ――えらい年季の入ったガラケーやな。
 そして――。

 たぶん落とし主であろう、気づく様子も無くプラプラと歩いていく金髪のお姉さん。



 ――あ、男の人が親切にケータイ拾って声を掛けた。

 っておぉ、ガイジンさんやん!
 キレーなお姉さんやなー。しかもめっちゃ話しかけてる。

 何語か分からないけど、男の人タジタジやな。アハハ、かわいそうに。

 怖いとこやねー、東京は。あたしも気をつけんと。



 ――おっ、このマンションか。うわぁ、ゴッツいなー。


「すいませぇーん! こちら、塩見周子さんのお宅でお間違えないでしょうかー!?」
「へっ? あ、はいー!」

 ちょうど良いタイミングで、引っ越し屋さんも来てくれはった。

「ん、こんなもんか」

 初めての一人暮らしにしちゃ、結構リッパな部屋になったかなー。
 備え付けの家具も、思ってたよりずっと上等。

 まったく、高卒の一人暮らしでこんなリッパなマンションいらんて。
 相変わらず見栄っ張りやな。

 まぁいっか。
 おもむろにベッドの上にボフッ! とな。

「――おっほっほっほ♪」

 なんか一人暮らしっぽいかも~♪ ばたばた~♪



「――――あっ」


 そういや、お隣さんへの挨拶、どうしよう?

「あっち着いたら隣の人への挨拶くらいちゃんとおし。アンタどうせ色んな人のお世話になるやろ」


 そう言われて母さんからもらったお団子は、もう残り少なくなっていた。
 そもそも、食べかけのものを「はいどーぞ」ってのも失礼な話だけどさ。

 まぁいっか、食べちゃえ。今日のお昼ご飯コレでいーや。

 今時、こういうマンションとかは、挨拶を逆に迷惑がる人もいるっていうし。
 ていうかマンスリーだし、いいでしょ。


 と思いつつ、ケータイ弄ってダラダラ引きこもってた、東京都民初日の夜――。



 夜ご飯のこと、考えてなかった。

「――うぅ、お腹すいたーん」

 品揃えはあっちとそんな変わらないけど、そこは東京さすが。
 歩いて5分と経たずエンカウントする程度には、コンビニの数が多いよね。

「んっふっふ~♪」

 ちょっと買いすぎたかな?
 まぁ、記念すべき初日だし、ちょっとくらい奮発したっていいっしょ。


 えぇと、ここを曲がって――お、あそこにお弁当屋さんある。
 よしよし、シューコちゃん的にはポイント高いよーこういうの。

 明日の夜ご飯はアレにしよう、なんて考えながら、まだ見慣れない新居の階段を上った時。


「――ふにゃあ~~あ」

 猫――もとい、お隣さんがいた。

 この辺の高校生かな?
 ウェーブのかかった長髪で、だらしなく学校の制服と思わしき上着を着崩した女の子。

 後ろのあたしに気づく様子も無く、彼女はブラブラの袖で眠そうな目をこすりながら、
 自分の部屋に入っていった。

 その横顔にくりんと瞬く目を見て、あたしは「まつげ長いなー」とか思ったり。


 でも、こんな時間までほっつき歩くなんて、東京のコは遊んでんなー。怖いなー。

 ん? ひょっとして現役生じゃなくて――そういう、夜のおシゴト的な?
 わーお。

 それとも、実家から大層な仕送りもらってるお嬢様JKかな?
 あたしが言うのもなんだけど、こんなリッパなマンションにねぇ――。



 ま、どうでもいいか。

 さて、無事に新生活をスタートさせたシューコちゃんでありました、が――。

 課せられた、ミッションがあったんだよね。みっしょん。


 実家から提示された仕送り期間は三ヶ月。

 それまでにあたしは、この東京で、食い扶持を探さないといけないのだ。

 んー困った。何しよ?


 大人しくバイトする? ――いや~、メンドっちぃのは苦手だなー。

 養ってくれる人を探す? ――う~ん、そう都合の良い出会いがあるかなぁ。

 思い切って、ユーチューバーとか? あー無理無理、パス。


 ていうかちょっと待って。仕事って三ヶ月そこらで見つかるもん?

 賃貸契約もキッチリ三ヶ月。
 なるほど、そういやここマンスリーか、だから短期――いや無理だって母さん。


 どうすれば経済的に自立した生活を送れるか――そんな事に頭を悩ませている時だった。

 あの人に、声をかけられたのは。

「あ、あの~――アイドルって、どうかな?」


 三日目くらいかな。
 東京名物“東京ばな奈”を片手に、将来について考えるフリをしながら駅前を歩いてた時。

「――はぁ?」

 めんどくさそーな勧誘が現れた。
 これ、ひょっとしてアレかな。宗教の勧誘やな。


「どう、って――いや、ちょっとあたしそういうのキョーミ無いんで」
 面倒なのは嫌い。地元でイヤほど味わってきた。


「あ、待って。ごめんよ、名刺だけでもいいからさ」
「――?」

 手渡された名刺をチラッと見る。
 なんや、今時の新興宗教ってこんなスタイル――。

 いや、違う。芸能事務所――346プロダクション?


「高垣楓とか、城ヶ崎美嘉とか、知らない?」

 あたしでも知ってるような、すっごい有名なコがたくさん所属してる所らしい。
 事務所名、初めて知った。

 まさか、あたしをスカウトしたいって話? ――そう聞くと、スーツの人は頷いた。

 どうせやること無くてヒマだし、誘われるがまま近くの喫茶店へ。
 奢りでいいって言うから、本当に遠慮無く注文しちゃったけど大丈夫かな?

「東京には、一人で来たのかい?」

 二つ目のケーキに手をつけようとした時、唐突にその人は切り出した。
 何であたしが東京モンやないって分かったのかを聞くと、その人は笑いながら――。

「駅ビルを物珍しげに眺めながら東京ばな奈を頬張る東京人を、俺は見たこと無くてさ」

 完全にお上りさんやん、あたし。こんな初対面の人にも見透かされるワケだ。


「ウチは新しいアイドルの卵を随時探していてね。
 君みたいな可愛い子に入ってもらえると、非常にありがたいのだけど」

 あたしが可愛い? ――ふ~ん?

「そうは言っても、あたしより可愛いコなんていくらでもいますよね?
 何であたしに声をかけたんですか?」

 ちょっとカンジ悪い質問だったかな? でも、実際そうだし。


 その人は困ったようにハハハと笑い、うーん、と頭をポリポリ掻きながら、こう言った。

「ティンと来たから」


「はぁ?」

 馬鹿にしとるん? って思った。

 有名な芸能事務所らしいし、こういう人のインスピレーションは確かなのかも知れない。

 でも、あまりに適当すぎない? あたしが言えた話じゃないけどさ。

 ひょっとしたら、適当な業界人を騙るナンパヤローかも。
 あー、ソレやきっと。


「ごちそうさまでした。ケーキ、もういいです」
「あぁ、あの、ちょっとさ、待ってくれ」

 席を立って、足早に店を出ようとした時だった。


「もし、ご実家から仕送りをもらって生活しているのなら、ウチには寮もある。
 三食宿付きだ。費用もある程度まで会社が面倒を見る」



「――ホント?」

 席に座り直したあたしを相手に、彼は話を続ける。

「もちろん、いつまでも無償という訳ではないよ。
 三ヶ月程度、体験コースというものがあって、そこに候補生として入会すればの話だ」

「三ヶ月までだったら寮の家賃はタダ?」

「入会費はあるけどね。その期間の後は、仕事をもらえるだけの実力をつけて、自身の稼ぎで寮費を賄ってもらう」


 三ヶ月――ちょうど、三ヶ月。

 これを逃す手は無いな。


「でも、あたしもう三ヶ月だけ契約しちゃってるマンションがあるんですよねー」
「あぁ、そうなんだ。それじゃあ、候補生として入寮するならその後って事になるかな」
「うんうん。で、提案なんですけど――」


「寮に入らない代わりに、今住んでるマンションの家賃、三ヶ月分肩代わりしてくんない?」

「――は?」
 男の人の目が点になる。


 別にあたしは守銭奴であるつもりも、食い意地張ってるつもりも無いんよ?

 でも、今のあたしにとって、食い扶持は喉から手が出るほどほしいもの。

 呆気に取られてるこの人だって、わざわざスカウトしに声をかけてきたくらいだ。
 ただのナンパヤローじゃないなら、あたしを手に入れたいなら、それなりに譲歩してくるはず。


「う~ん――じゃあ、いいかな別に」

「えぇっ!?」
「お金の話は、経理に了解取らないと何とも言えないけど、たぶんそこまでは無理だと思う」

 引き下がるんかい!

「担当外の事が絡んじゃうと、無責任な回答はできなくてね」
「あたしを魅力的だと思って声かけたんじゃないの!?」
「というより、「寮費を払うからアイドルをやれ」ではなく、「アイドルをやる気がある子には寮費を払うよ」という規定だからね」
「知らんわ! さっきのあんた、割と「寮費を払うからやれ」の方やったやん!」


 散々な言い合いになっちゃったけど、結局は寮費分だけ今の家賃を肩代わりしてくれる事になった。
 その人が経理って人と電話で相談して、親の同意書とか、マンションの契約書とか色々持って来いって。

 今にして思えば、サイテーな勧誘のされ方だったよね、実際。

 で、書類を揃えようと週末日帰りで実家に帰って、父さんとも相談して――。

「あ、アイドルってお前――」
「ふふ~ん。大手の事務所にスカウトされたんだよー、あたし♪」
「ユーチューバーとかじゃないんよな?」
「ち、違うよ!」

 でもまぁ、似たようなもん――いや、それより結構思い切ってるかも。

 さすがに驚かれたけど、そこは可愛い愛娘を東京に単身追い出すような両親だ。
 あたしがあっちで何をしようと、結局は反対も賛成もしないというスタンスのようである。


「あぁ~周子ちゃんテレビでお歌うたうのかい? すごいねぇ~カワイイものねぇ~」

 ばあちゃん、話すか食べるかどっちかにしなよ。口から餡子こぼれてるよ。
 ティッシュで口元を拭いてあげてると、母さんがばあちゃんにお茶を持ってきた。

「良かったわねぇ~お義母さん、長生きする理由ができて。周子がテレビに出るまで死ねんねぇ?」

 うっさいわボケ。ったくこの人――。


 ま、いーや。理解ある親で助かるわ。

 契約当日、事務所の前であたしを待っていたのは、勧誘してきた人――プロデューサーさんって人と、隣にはもう一人。

 それはもう、めっちゃくちゃキレーな女の子が。


「ほ、ほえぇ――」

 青みがかったショートめの黒髪に、パッチリだけど憂いを滲ませたようなお目々。エローい唇。
 ほんで、スレンダーながら色っぽく制服を着こなすボデー。スラリと伸びた手足。

 何より、映画女優かってくらい大人びた、ふわっふわした立ち居振る舞い。

 プロデューサーさんと少し会話をした後、その子はすれ違いざま、あたしにフッと微笑みかけ、去って行った。


「彼女は都内の実家から通ってるんだ。たまたまレッスン終わりに鉢合わせてな」

 さらに驚くことに、まだアイドルじゃなくてその手前、候補生らしい。

 初めてあった子でこのレベル――うーむ、さすが東京。全然高校生に見えん。
 こういうダイヤの原石が、プロの手で磨かれて、売れていくワケか。



 まっ! ほどほどでいーんだけどね。あたしの場合。

 自分で言うのもアレだけど、運動神経はそんなに悪い方じゃないし、カラオケの点数もまぁまぁ。
 食いっぱぐれない程度にお仕事してお金もらって、自立した生活ができればそれで良し。


 と、思っていたんだけど――。

「はい、塩見さん。今のところもう一度やってみましょう」

 えぇ、今のあかんかった!?

 あたしだけ前に立たされて繰り返し発声練習。
 喉からではなくお腹から出せって言われても、声って普通喉から出るもんやないの?


 ボーカルレッスンだけでなく、ダンスレッスンもフツーにハード。
 聞いてないよーこんなの!

「グダグダ言うな、足が止まってるぞ塩見! 1、2、3、4、1、2――!」
 うえぇぇぇっ! こっちの先生怖いよー!


 家に帰る頃には体中バッキバキ。
 いやぁ~――結構厳しいねー、現実ってのは。

 当のプロデューサーさんは、あたしのレッスンを見に来たのは最初の1、2回だけで、後は全然来てない。
 何考えてんだろ、もう。

 でも、あの人の事を悪く言ってばかりはできない。

 何せ346プロは、期間限定とはいえ、東京でのあたしの生活をほぼ全面的にサポートしてくれている。
 このまま三ヶ月間、あたしにご飯を食べさせるだけというのは、事務所にとっては詐欺みたいなもんだ。

 ちゃんと売れっ子になるのも、そうなれるよう頑張るのも、一応あたしの仕事なんだろう。
 それくらいはあたしにも分かる。

 頑張るフリ、くらいはしとかないとアレかなーって。



 そこでふと疑問に思う。

 あたしは生活経費をもらう代わりにレッスンを頑張るワケだけど、そうじゃない子らは?

 実家から通ってる東京の子らは、何のために346プロにおって、レッスンを頑張っとんのやろ。


 あの日、事務所の前で会った、あのめっちゃキレーなコ――速水奏ちゃん。
 レッスンの休憩中、彼女に聞いてみる事にした。

 最近なんだかよく一緒になるなー。しっかし――ホントにこのコ、女子高生?

「一言で言えば、トップアイドルになるためね」

 速水奏ちゃんは、あたしの質問にサラッとそう答えた。

 へぇー、そうなんだ。
 こんな大人っぽいコでも、可愛い服着てぷりぷりしたいーなんて夢を見るんかなー。


 腕組みしながら頷いていると、速水奏ちゃんは右の握り拳を口元に添えて、フフッて笑った。
 仕草がいちいち女優だ、このコ。

「こんな回答でも、塩見さんは納得してくれるのね」

「シューコでいいよ。え、どういう意味?」
 あたしは、速水奏ちゃんの含み笑いの意味がよく分からなかった。


「なら、私の事も奏って呼んで」
 そう一言、断りを入れた上で、奏ちゃんは手を戻した。

「ここの人達は皆、トップアイドルを夢見て来るものなのよ。
 なぜトップアイドルを目指すのかを、周子が私に聞くまでもなく納得してくれたのが、何だかおかしくて」

「あぁ~――ってキミ、おざなりな回答してるんやん!」

 奏ちゃんはまた手を口元に添えた。
「ごめんなさい。悪気は無かったのだけれど」
「悪気は無いで済まされたら警察いらんよ?」

「ほんじゃさ、聞いてもいい?」
「何かしら」
「何で奏ちゃんは、トップアイドルになりたいの?」
「さぁ、なぜかしらね」
「馬鹿にしてんの!?」

 忍ぶような、優美な笑いを絶やさない奏ちゃん。

 小馬鹿にされてるけど、不思議と悪い気はしない。
 あたしも結構楽しいし。


 ひとしきり、お腹の中の空気を全部吐き出した所で、今度は奏ちゃんが聞いてきた。

「なぜ、周子はこの事務所に入ったの?」

「大した理由は無いよ?
 プロデューサーさんに、「生活の面倒見てやるからアイドルやらん?」って言われたから」

 休憩中なのに、変に体力使って喉が乾いちゃった。
 ペットボトルを取って、ぐいっと一飲みして息をついていると――。


 奏ちゃんは、あたしの顔をマジマジと覗いていた。

「えっ、何?」
「悪く言う気は無いのだけれど――そんな理由で?」
「うん、そうだけど」

 奏ちゃんにとっては、アイドルになりたいでもなく、ただ仕事としてアイドルをやろうとしてるあたしの事が珍しいみたい。


 そういうモンかなぁ? まぁ、他の子らからしたら、不思議なんかもなぁ。
 あたしとしては、何とかして自立しなくちゃって気持ちがまずあるもんで。

「実家でヌクヌクしたかったのに追い出されてさー。困っちゃうよね、ホント」

「意外だったわ」
 奏ちゃんは、口をぽかんと開けてあたしの話、ていうか愚痴? を聞いてくれてた。

「周子は歌もダンスも、入りたての子とは思えないくらいすごく上手だから、もっと高い意識でアイドルを目指していたのだとばかり思ってた」


 今度はあたしがぽかんとする番。

「あたしが、上手?」
「トレーナーの人達は皆、口を揃えてあなたの話ばかり」
「悪口じゃなくて?」

「どう育て上げるか、いつデビューさせるべきなのかを――どうやら、競争になりそうね、私達」

 左手で横髪をサラッと掻き上げ、奏ちゃんはフッと笑った。

 ホントに綺麗で、一瞬ドキッとした。
 あ、いや、変な意味じゃ全然なくて。

「きっとお互い、理解し得ない事情を抱えているのかしら」
「そうかもねー」

 こっちが理解したくても、そっちが話してないやん。別にいいけどさ?


「あなたが抱えている事情に、私から言える事は何も無いし、言う筋合いも無いでしょうけれど」

 ただ、ちょーっと、イヤかな、って思ったのは――。



「こっちも本気でアイドルを志している以上、あなたみたいな人に負けたくはないわね」

 なんか――ヘンな風に対抗意識燃やされたこと、かな。

「あ、うん」

 気のない返事を返し、その後のレッスンは再開された。

 奏ちゃんは、さっきよりも動きにキレが増している。
 元々クールなコなんだろうけど、レッスン室の大鏡に映る彼女の顔は真剣そのものだった。


 負けたくないって――え、どういうこと?

 まるであたしの動機が不純だとでも思われているようで、面白くない。

 あたしだって、一応本気なんだけどなー。
 そりゃあ、アイドルとやらをまだよく分かってないけど、何せこっちは生活かけてんだもの。


 東京の裕福なご家庭は、トップアイドルとゆー愛娘の夢に付き合う余裕があるんでしょうな。

 夢だけで飯が食えるなんて、良いご身分ですなぁ?

「――ふ~ん」

 理解できないし、したくもないかな。このコとは。

 ていうか勝ち負けでもないし?
 そこそこでいーのよ、あたしは。奏ちゃんはお一人でどーぞ頑張って。

 でも、うーん――。

 ダンスにしろボーカルにしろ、レッスンは奏ちゃんと二人きりの日ばかりだった。
 前までは週に一度も無かったのに、最近はほぼ毎回だ。

 いくら何でもおかしい。そう思ってプロデューサーさんに問いただすと、なんてことは無い。


 あの人が、あたしと奏ちゃんの担当プロデューサーだから、という事だった。


 曰く、彼は新人ではないけど、新しく東京の方にやってきたプロデューサーであり、ここに来て自らスカウトした子が、あたし。
 奏ちゃんは、前任のプロデューサーさんから引き継がれた子、との事だった。


「ほんじゃさ、あたし達をえーと、ユニット? ――として組ませる可能性もあるってこと?」

 そう聞くと、プロデューサーさんはパソコンをカタカタさせていた手をピタッと止めて、
「なるほど」
 だって。

 わーっ! いらん事言ったーあたしー!

「えっ? 良いじゃないか。お互い高いレベルで張り合っていると、トレーナーさんからは聞いてるぞ」
「やだー! お願いプロデューサーさん、あのコとは一緒に組ませんといて! 絶対ソリ合わんもん!」

 ボンヤリと生返事で答えるプロデューサーさん。
 もう、本当に大丈夫かなこの人。



 最初のお仕事の話がやってきたのは、それから二週間ほど経った頃。

 あの城ヶ崎美嘉ちゃんの、地方の営業に、バックダンサーとして共演する事になったのである。

 ――奏ちゃんと。

 まぁ、奏ちゃんはいいや。もうしょうがない。

 それより城ヶ崎美嘉ちゃんである。
 何でも、美嘉ちゃんの担当プロデューサーからあたし達のプロデューサーさんに打診があったのだとか。


 JKからすごい人気を集めるあのカリスマギャルと、一緒に仕事をする事になるなんて!
 こんな簡単に!?

 といっても、あたしはそこまでめっちゃ追っかけてるワケでは無くて、好きか嫌いかで言ったら、まぁ好きかなーぐらい。

 あ、でもポージングとかはカラオケで結構友達とマネしてたなー。ギャルピースの仕方とか。


 で、今日はそのカリスマギャルとの初顔合わせ。

「――――っ」

 や、やっぱオーラあるな~。
 そういやこの子も高校生なんよね。当たり前か。

 奏ちゃんはどうか知らないけど、あたしは結構緊張しちゃってて。


 でもそんなあたしに城ヶ崎美嘉ちゃんは――。

「アハハ、そんな構えなくっていいよっ★
 同じ事務所のメンバーなんだし、あまりヘンに思わないで、ね?」


 派手な外見に似合わず、現場のスタッフさん達への挨拶や気配りも丁寧――。
 そんなの、よくある事務所の作り話で、イメージ戦略なんだろうなって正直思ってた。

 でも、美嘉ちゃんはミーティングの時も、レッスンの時も、すごくあたし達に気を遣って、イベントの経緯とか、ダンスのコツとか丁寧に教えてくれたんだよね。


「それに、アタシのことは美嘉って、フツーに下の名前で呼んでよ。
 同い年くらいなんだし、アタシも下の名前で呼びたいしさっ★」


 経験による余裕からか、彼女の性格かは分からないけど――良い子だな、って思った。

 で、今回のは要するに、美嘉ちゃんの地元で定期的にやってるファン感謝イベント的なものみたい。

 商店街になってるアーケードの一角で集まるお客さんは、美嘉ちゃんの友達とか、近所のおじさんとか、ファンになる前から美嘉ちゃんを良く知る人達ばかり。

「だから、失敗なんて考えないでいいんだー。もし失敗しても笑って許してくれる人達ばかりだし」

 レッスン前の準備体操中、腕を伸ばしながら美嘉ちゃんは白い歯を見せてニカッと笑ってみせる。


 ただ、美嘉ちゃんのダンスはさすがだねー。キレッキレのばりんばりん。

 それにさ、アドバイスも上手いんよ。美嘉ちゃん。
 ターンの仕方、メリハリの付け方、ポーズのキメ方。あと何だっけ、色々。

 こう言っちゃ悪いけど、トレーナーさんよりも受け入れやすいかなー。
 同じアイドル目線、ってのもあるかもだけど。


 美嘉ちゃんのおかげで、しばらくは楽しくやれそう。ありがたいねー。

「フフフンフンフンフーン♪」

 奏ちゃんとの帰り道、つい『TOKIMEKIエスカレート』の鼻歌がついて出る。
 今度のイベントで歌う、美嘉ちゃんの持ち歌だ。

「楽しそうね、周子」
「まぁねー、案外カンジの良い子だったしさ。奏ちゃんもそう思うでしょ?」

 奏ちゃんに対しても、美嘉ちゃんは好意的だったし。


「もちろん。でも――私は、もっと気を引き締めなきゃって、思った」

 真顔のまま答える奏ちゃん。かぁー、ストイック~。

「奏ちゃーん、あのさぁ、もうちょっと楽しもう?
 美嘉ちゃんだってすごいイイ雰囲気出してくれてたじゃん」


「周子はいいわね。その鈍感さが羨ましいわ」

「――ん、何、どういう意味?」

 何でこのコ、あたしに突っかかってくるんかな。


「気がつかなかった? 美嘉があなたに対して、焦燥感を抱いていた事に」


「へ?」

 奏ちゃんの言っている意味が、まるで分からない。
 美嘉ちゃんが、あたしに焦りを感じてるってこと? 何でよ。


「私が周子を気に食わないのは、きっとそこね。
 本気でもないのに、私はおろか、美嘉ともあなたは張り合えているのだから」

 奏ちゃんは、目線だけあたしの方に向けて、フッと笑った。

「あなたの才能は、言うなればきっと、この事務所で努力している人皆の敵。
 だから、凡人代表として、私はあなたに負ける訳にはいかないのよ。美嘉はなおさらかしら」


「――ごめん、言ってる意味分かんない」
「言葉通りの意味よ。
 知りたいなら、明日のレッスン終わった後、ちょっと時間をおいてレッスン室を覗いてみるといいわ」
「えっ?」


 交差点に出た。
 駅はこの大通りを左に行った先。あたしの家は、それとは逆方向だ。

「ライバルに送る塩は、これで十分でしょう? それじゃあ、また明日」


 奏ちゃんの背中を、あたしはモヤーッとした気持ちで見送ることしかできなかった。

「そうそう! そこ、バチッて止めるとカッコイイよー★ 奏ちゃんもイケてるーっ!」

 トレーナーさんが鞭なら、美嘉ちゃんは飴だね。


「塩見っ、ちゃんと指先まで神経走らせろ! 拍数通り体を動かすのなんてサルでも出来るぞ!」

 まるで人格否定かってくらいキビシイ言葉をトレーナーさんがぶつけたら、

「周子ちゃん、そこは腰でノーサツしちゃお?
 ――そうそう! ちょっと言っただけなのにすぐ出来ちゃうんだねー周子ちゃん!」

 すかさず美嘉ちゃんが気を配ってくれる。

 まぁ、あの――しょっちゅう励まされてる自分が情けなくもあるけど、正直助かるよね。


 奏ちゃんは、そんな飴と鞭に意を介す様子も見せない、相変わらずのポーカーフェイスっぷり。

 本気――ふーん、本気ねぇ?


 ったく、あたしかて本気だってーの! 何や、好き勝手言って、おもんないな!

「くっ、こんにゃろ――!」

 よっしゃ、どうだ、どうだっ! これでも不真面目かこのーっ!!


「あ、アハハ★ あの――周子ちゃん拍数、バラバラかな?」

「――何笑てるん?」
「いいえ、別に」

 レッスン終わり、シャワー室から出るなり、奏ちゃんは私を見てまーた笑いよった。

「すいませんねぇ、つい“キアイ”が入っちゃって! 何せ“ホンキ”だもんで!」
「ムキになる、って言わないかしら? ああいうの」

 また笑う。まったく――。


 ――ふーん、身長はあたしとそう変わらんくせに、出るとこ出てんなぁ。

 あたしが男子なら、今のあんた見て鼻血出とるやろなぁ? ほぉ~?

「何かしら?」
「べっつにぃ~? 羨ましいわ~、グラマーなボデー」
「――――ッ」


 急にサッとシャツで体を隠し、プイッて顔を背ける奏ちゃん。
 えっ――あ、そういうのあまり良くなかった?

「ご、ごめんね?」
「いいえ――ところで、美嘉は今何しているか、分かる?」
「なんか、トレーナーさんと相談したい事があるって言ってなかった?」

「レッスン室、そっと覗きに行ってみなさい。きっと驚くと思うわ」


 ――昨日も言ってたな。何があるっていうんだろう。

「――――!」

 奏ちゃんの言う通り、レッスン室の扉をそぉっと開けてみた。

 ――あたしは、言葉を失った。



「はぁ、はぁ――ぐっ!」

 あたし達とレッスンしてた時以上に、すごく険しい表情で一人自主練する美嘉ちゃんがいた。

「1、2、3、4――! く、ふっ――!!」



「――――」

 そっと閉じる。

 とても声をかけられるような雰囲気ではなかった。

「――――」

 何が、あそこまで美嘉ちゃんを駆り立てるんだろう。

 あたしからすれば、地位も名声も彼女は十分に得ている。
 この間もファッション誌の表紙を飾ってたし、渋谷にもでっかい広告がずーっと貼られてるのを見てる。

 彼女へのお仕事は、きっとこれからも問題なく入ってくる。安泰そのものだ。

 なのに――たかだか地方の小さいイベントに、何でそこまで?


 ふと顔を上げると、右手の前方に喫煙スペースがある。

 プロデューサーさんは、あたしと目が合うと手を上げ、のそのそとそこから出てきた。

「タバコ、吸うんだね」
「前職の影響でな」
「前職?」

 プロデューサーさんは自販機にお金を入れ、けだるそうにボタンを二つ押した。

「4、5年目くらいかな。転職してこの会社に来て――どうでもいいか」


 あたしは、未だにこの人の事をよく分かっていない。
 いや、よく考えたら、奏ちゃんと美嘉ちゃんの事も。


「トレーナーさんから聞いてるぞ。こってり絞られてるんだってな」

 ジュースをあたしに手渡すと、プロデューサーさんは缶コーヒーをパコッと開けた。
 あたしの隣に腰を下ろし、何となく笑いながら。

「そのたんびに、美嘉ちゃんが褒めてくれるんよ」
「それも聞いた。いい子だよなーあの子、よくあの人も俺達に仕事くれたもんだ」

 あの人っていうのは、美嘉ちゃんの担当プロデューサーかな?


 正直、この人にあまり良い印象は抱いていない。
 それでも、ちょっと聞いてみたいなって思った。

「ねぇ、プロデューサーさん――あたし、頑張れてるかな?」

「トレーナーさんからは、よく頑張ってるって聞いてるよ」
「そうじゃなくて、プロデューサーさんはどう思ってるのか聞いてんの」

 あたしが詰め寄ると、プロデューサーさんは困ったような顔をしてポリポリと頭を掻いた。

「んー――レッスンの事はトレーナーさんに任せているからなぁ。
 彼女の評価がそうなら、俺もそうだろうと言う他は無いんだよね」


「――あ、そう」
 のれんに腕押しとはこの事か。あたしもそれ以上聞く気が失せちゃう。

「何でそんな事を気にするんだ?」

 逆に聞かれてしまったので、あたしはプロデューサーさんに、ここ最近の事を話した。


「――ふーん、なるほど。確かに速水さん、あぁ見えて内心熱血してそうだもんな」

 プロデューサーさんは、あたし達のことをさん付けで呼ぶ。
 何か違和感あるわー。

「あたしの事はシューコって呼んでよ」
「ん? うーん、まぁ追々ね」

 スカウトしてきたのはそっちのくせに、妙に距離感を保とうとするんだよねー。


「塩見さんは、今のままで全然良いと思うよ」

「えっ?」

 缶コーヒーをクッと傾け、天井を見上げながらホッと息をつくプロデューサーさん。
「俺も、同僚のプロデューサーさん達の仕事を見てると、何だかなーって思う時があってさ」


「ウチの会社、でかいだろ? だから、全部分業制なんだよ。
 中小零細なら、レッスンから営業、仕事の調整まで全部やらされるんだろうけど、こういうトコだと兵隊の数にモノを言わせて、業務が細分化されるのさ」

 プロデューサーさんは、面倒くさそうに手を振ってみせた。

「でもさぁ、今俺がいるチームの同僚さん達って皆、全部やろうとするんだよ。
 レッスンの様子を直接見に行ってダメ出しもするし、営業も自分で回ってさ」
「プロデューサーさんとは全然違うんだね」
「あぁ。一件一件、クソ真面目に――俺、そういうの本当は良くないと思うんだよな」

「え、何で?」

 やる気があって良いんじゃない、って思うけど?
 プロデューサーさんとは違ってさ。

「責任の境界線を明らかにするべき、って話さ。
 トレーナーさんの仕事に首を突っ込むのは、トレーナーさんへの冒涜にもなりかねない」

 プロデューサーさんは肩をすくめる。
「それに、余計なマネをして消耗して、本来果たすべき業務が疎かになったら本末転倒だろ?」


「分かんないか」
「手を抜きたい、って言ってるようにしか聞こえなーい」
「だよなぁ」

 バツが悪そうに、プロデューサーさんはハハッと笑った。

「まぁ、気を悪くしないでくれ。
 俺の仕事は、担当アイドルの育成計画に関する企画立案と、仕事量やスケジュール管理、あと対外調整。
 当たり前だが、自分の仕事はちゃんとやるさ」

 よっこいしょ、とプロデューサーさんはベンチから腰を上げ、手を差し出した。
「ジュース、もう飲んだか?」

「ありがとう」
 空になったコップを、あたしはプロデューサーさんに手渡す。


「つまり塩見さんも、塩見さんの仕事をすれば良いってこと。
 城ヶ崎さんのバックダンサーをするなら、そのためのレッスンを淡々とこなせばいい」

「――だよねー♪」

 何だか、ちょっと心が軽くなった。
 ふーん。プロデューサーさん、結構気が合うやん?

 ガコン、とゴミ箱に捨てながら、思い出したようにプロデューサーさんは続ける。

「もちろん、速水さんや城ヶ崎さんの事を悪く言うつもりも無いぞ。
 二人とも、先を見据えて技術を高めたいとか、そういう意識がたぶんあるんだろう」
「まして美嘉ちゃんはメインだし?」
「あぁ、そうだな」

「でも、あたしまでそれに付き合う必要は無い、って事でいいんだよね?」
「そういう事だ。所詮仕事なんだし、いいんだよ適当で」
「アハハハ! プロデューサーさん、担当アイドルにそーいうの言っちゃっていいん?」
「怒られそうだから、他の人には内緒な。おっ――やべ、ミーティングの時間だ」

 壁に掛けられた時計は、もう19時を回っている。

「こんな時間にミーティングをやるってのも非効率っつーか、前時代的だよなぁ。
 大手のくせに――じゃあ、塩見さんもあんま夜更かしするなよ」

「ありがとー、プロデューサーさん♪」

 プロデューサーさんは後ろ手に手を振りながら、いそいそとロビーの方へと歩いて行った。



 だよねー、あたしは適当でいいんだよねー♪


「私は、あの人を信用する気になれないわね」

 帰り道、さっそくこの事を話したら、奏ちゃんは明らかに不愉快そうな顔をした。

 あ――そういや内緒にするんだった。まいっか。

「塩見っ」
「は、はいっ!?」

 トレーナーさんは、腕組みをしながらジッとこちらを睨んでいる。


「――良くなっている。あとは、もう少し体を大きく使えるようになりなさい」


 お、怒られるかと思った――。
 プロデューサーさんと話をした翌日、少し気を抜いてレッスンしてたから。

「あ、えと、ありがとうございます」
「良い感じに力みが抜けている。何かあったのか?」
「んーいや、ちょっとですねー、アハハ」

 手を抜けってプロデューサーさんに言われたなんて、さすがに言えないよね。


 美嘉ちゃんは、両手を腰に乗せてどこか満足げに鼻を慣らした。

「周子ちゃん、いつも以上にリラックスしてるね。本番も近づいてきてるのに」
「まー、あたしは所詮バックダンサーだしー、って思ったらさ?」
「アハハッ★ ちょっとー、力は抜いても手は抜かないでよね?」
「ほーい、まっかせてーシューコちゃん自分の仕事はやるからさー」


 奏ちゃんが顎に手を当てながら、すごく真剣な顔でこっちを見ている。

 あたしをライバル視なんてしなくていいんだよ。奏ちゃんも美嘉ちゃんも。

 あたしはあたしのやり方でやる。自分にとって無理なくやんのが一番でしょ。

 別にお仕事をナメていたワケじゃないよ。決して。
 さすがにそこまであたしも自意識過剰じゃないし。


 ただ――想定外だったよね、実際。

 イベント当日、あたしと奏ちゃんは一度事務所に集合して、プロデューサーさんの車に相乗りする。
 美嘉ちゃんは地元なので、現地集合ということだった。

 現地へ向かう車内、ふと隣に目をやると、脚を組み、頬杖をついて窓の外を眺める奏ちゃん。
 珍しくアンニュイやん? 女優なのは変わらんけど。

「緊張してる?」
 何も会話しないのもアレなので、当たり障りの無い話題を振ってみる。

「いいえ――楽しみよ」
 奏ちゃんは、あたしにニコッと微笑んでみせた。
 本心なのか強がりなのか、よく分からない。うーんポーカーフェイス。


「周子の方こそ、今日は――少し、覚悟した方が良いんじゃないかしら」

「覚悟?」
 気合とか、そういうんじゃなくて、“覚悟”?

「何が起きるか、分からないものね。本番当日というのは」
「あぁ、うん」


 ――――??

 事件は正しく現場で起きた。


「城ヶ崎さんが来ていない?」

 プロデューサーさんが聞くと、既に到着していた美嘉ちゃんの担当さんは気まずそうに呻いた。

「何でも、妹の莉嘉ちゃんが体調を崩したみたいでして。
 親御さんがどちらも仕事で手が離せず、彼女が病院に連れて行っているんです」


「――そ、そうですかぁ」

 い、いやいやプロデューサーさん! そうですかぁじゃなくない!?
 そりゃあ妹さんは心配だろうけど、どうすんのコレ。

 ていうか、普通こういうのって事前にプロデューサーさんとかに知らせるもんじゃないん?
 あたし達にも連絡来てない。ちょいちょい――!

 イベント開始まで、もう1時間を切ってる。



「私達だけでやりましょう」

「へっ――」

 な、何言ってんの奏ちゃん?

「幸いにも、私達の出番はイベントの中でも最後の方。
 たとえ付け焼き刃でも、『TOKIMEKIエスカレート』をモノに出来る時間はまだあるわ」

「そうですか? それはありがたい!」
 急に顔がほころぶ美嘉ちゃんの担当さん。いや、いやいやいやっ!

「無理だって奏ちゃん!
 確かに休憩中、お遊びで美嘉ちゃんの振り付けはマネしてたけど、ぶっつけでできっこないやん!
 ていうか今日のお客さん、あたし達じゃなくて美嘉ちゃんを見に来てんだよ?」
「だよなぁ」
「だよなぁじゃなくて! プロデューサーさんも何とか言おう!?」
 このポンコツプロデューサー!


「珍しく弱腰ね、周子?」
「んん?」
 奏ちゃんが、いつものようにフフッと笑ってみせる。

「与えられた役割を果たす――いつからか、あなたがしきりに言うようになった言葉よ。
 あなたに出来ないというのなら、私一人でもやるわ」

「聞いてた話と違うもん。約束が違うでしょうよ」
「じゃあ、周子は今日何もしないでこのまま帰るのね?」
「そ、そう言いたいワケじゃ――」

 プロデューサーさんが、手を振りながら私達の間に入る。

「現場はナマモノだ。流動的に色々な事が起きるのはしょうがないし、今回は塩見さん達の責任じゃない。
 何かあったら俺が主催者側に頭下げるし、その後の君達へのフォローもちゃんとするよ」

「アイドルの第一印象を左右する初舞台って、すっごく重要だと思うんですけど?」
「そこも含めて、俺がフォローするさ。できる限りね」

 今日のプロデューサーさん、ヤケに押しが強いな。

「だからやれって?」
「ううん、帰っても構わない。どのみち俺が謝る事になるけど」
「も、もちろん僕も謝ります」
 美嘉ちゃんの担当さんも、プロデューサーさんに加勢する。


 これもう、遠回しに「いいからやれ」って囲ってるようなもんやん。
 うぅ~~ん――!


「――はいはい。もうどうなっても知らないからね?」

 とうとうあたしの心が折れた瞬間、奏ちゃんは意味ありげに彼と目配せをした。
 ――気がした。

 あーあ、何でこんな事になっちゃったんだか。

 まぁ、今度美嘉ちゃんに会ったら文句言ったろ。

 あたしのせいじゃない。
 よっしゃ、そう思ったら何か開き直ってきた――ダメな意味でだけどね、たぶん!


「ポジションは、私が左で良いわね?」
「どっちでもいーよ」

 あたし達の出番は、イベント開始から大体30~40分後くらい。

 地元出身の女性お笑い芸人さん――『川越マジカルティンカーリップス』つったっけ?
 その人達が場を暖めてくれた後、登場する事になってる。

 長いコンビ名は人の頭に残らないから良くない、って何かで見たけどなぁ。
 ってそんなんどうでもええわ!

 ギリギリまで練習しないと――あーマジカルほしいよー。時間が止まる系のマジカルー。

 んで、そのマジカルなんちゃらさん達は盛大に滑ってた。

 そりゃあ、昼間っからこんな所でおムネがどうだのアッチの口だの、下ネタ連発されたら――ねぇ?

 あはは、ひどいなー。何がシリコンメガ盛りやねん。
 奏ちゃん俯いちゃってるし。

「緊張してる?」
「えぇ、そうね」

 これもたぶん、ポーカーフェイス。
 奏ちゃん、ホントはウブやもんなー♪

「何よ」
「んーや、奏ちゃん肝が据わってるから頼りになるわぁ」
「何だか嫌みっぽいわね」


「してるわよ――本当に、こんな緊張するものなんだって、思う」

 冷え冷えの会場を、舞台袖から真っ直ぐに見つめる奏ちゃん。
 よく見ると、膝が震えている。

「そうなんだ」
 何だか悪い事、言っちゃったかな?


「じゃあ、あたしと同じだね。あたしもずっと、膝の震えが止まらないんだ」

「そう」
「ま、こんな状況だし、成功しろってのが無理じゃない? 見てよアレ」
「ふふ――それもそうね」

 マジカルさん達がでっかい重荷をあたし達に背負わせ、ステージから捌けていく。


「さて、それじゃーあたし達も一滑り、行ってきますか」
 こうなりゃ野となれ山となれ、ってね!

「まさか、初ステージがこんな事になるなんて、思いもしなかったわ」
 奏ちゃんが、憑きものが取れた笑いを浮かべたので、あたしも釣られて笑う。


 プロデューサーさんがあたし達にサインを送る。

 何その「あーあ、終わったな」って、夢も希望も無い顔! ちゃんと骨は拾ってよね!


 司会者さんから何ともヒドい、向かい風たっぷりのコールを受け、あたし達は最悪のステージに飛び出した!

「えー、どうもありがとうございました。
 それではですね、え~お次はいよいよ皆さんお待ちかね――あ」


「す、すいません。あの~、城ヶ崎美嘉ちゃん。
 美嘉ちゃんがですね、え~、あの~、ちょっと今日急遽、え~、来れなく、なっちゃったそうですね。
 すみません、体調不良とのことで、え~」

「なのでですね、あの~、美嘉ちゃんの代わりに、じゃないですね。
 代わりには失礼ですね。アハハ、あの~――」

「美嘉ちゃんと同じ346プロのアイドルさんである、このお二人にお越しいただいております。
 ご紹介しましょう、城ヶ崎――」


「あっ? じゃない、何だこれ――えー失礼、リッ、プス?
 リップスさん、で良かったですかね?」


「リップスのお二人です、どうぞー!」

【2】

 (■)

 初めてにしては上出来だ、なんていうのは、出来を評価する言葉として最低だ。


 とあるアニメ映画の監督が、何かのドキュメンタリーで言った言葉。

 自分の息子が作った映画の試写会を途中で抜けだし、カメラの前でぼやいたのを覚えている。



 でも――。

 自画自賛になるかも知れないけれど、私達のあのステージは、初めてにしてはかなり上出来だったんだと思う。

 なぜ、私達二人が『リップス』と、司会者からアナウンスされたのか?

 その理由は、会場に大きく手書きで掲示されたイベントの次第にあった。


 書いた人が悪筆だったのもあって、芸人さん達のコンビ名のうち、後ろの『リップス』だけが、二段目に表記されていた。

 そして、美嘉の不在により、私達のユニット名『城ヶ崎美嘉 with かなしゅー』が、『かなしゅー』すら残らず丸々二重線で消されたのだそう。

 結果、私達の欄にやや食い込む形となっていた『リップス』を、司会者さんが私達のユニット名と勘違いし、そのままコールした。

 愚者が揃えば事故になる、とはよく言ったものね。


 ただ、考案者である周子には悪いけれど、私としては『かなしゅー』よりは好きかしら?
 可愛いけれど、子どもっぽいもの。

 さて、そうして舞台に上がった『リップス』の初ステージは――。


 大方の予想を裏切り、非常な盛り上がりをもって、無事に幕を下ろした。

「すごいな二人とも、良くやったぞ」
 舞台袖、プロデューサーがいつになく驚いた様子で私達を出迎える。

「まさか、こんなに喜んでもらえるとは思わなかったわね」
 努めて私は平静を装い、まずはプロデューサーと、次に周子の顔を見た。


「ふぅー! まぁ、曲に助けられたってカンジ? 有名だし、アップテンポでアゲやすいもんねー♪」

 いつも飄々としているけれど、周子は冷静に物事の本質を見抜く力を持っている。

 確かに、その通りね。おそらく今回の成功は、私達の力だけによるものではない。


「いやいや、そんな事は無いですよ。お二人の練習の成果です」
「まーそれと後は、美嘉ちゃんがドタキャンしてくれたおかげですかねー♪」

 不測の事態が起きても、なんだかんだで器用に立ち回る。
 私には、とてもできない。


 私は、塩見周子に嫉妬している。



「お疲れー! すごかったよ二人とも、初めてのステージなんてウソでしょ!?」

 予定通り、美嘉が裏手からコッソリ入ってきた。


「えっ、え――美嘉ちゃん!?」

 周子が信じられないといった様子で美嘉を見つめ、固まってしまう。


「アハハ、ごめんね? 後で謝るから、ちょっとアタシもお客さん達に挨拶してこなくちゃ★」
 美嘉がステージに飛び出していくと、会場からはさらに大きな歓声が聞こえてきた。


「ちょ、えっ、ちょっ――何、えっ、どういう事?」

 そろそろネタ晴らしをしなくちゃ。
 さすがにこれ以上、周子を混乱させてしまうのは忍びないし、私は謝らなければならない。


「ごめんなさい、周子。実は――全部、私が仕組んだ事だったのよ」

「は?」

 きっかけは、プロデューサーとの話を機に、周子の意識が明らかに変わったのを確認した時だった。


 与えられた役割に徹するというのは、確かに正解の一つかも知れない。

 でもそれは、主体性や向上心を放棄する事に他ならず、アイドルを目指す者への愚弄ですらある。
 私は、そう考える。


 何より私を穏やかならぬ心にさせたのは、周子は高い水準であらゆる事をこなせてしまう点にあった。
 いい加減な姿勢であるにも関わらず、だ。


 負けたくなかった、でも――。

 何より、それだけの才能を持っていながら、それを最大限発揮させないのは凡人への冒涜だわ。

 発揮させないまま、凡人のままで終わってしまう事も。


 ギャフンと言わせれば、周子の心にも火を付ける事が出来るだろうか?
 でも、私には――。


 ――今度のイベントは、失敗したっていい。
 あの時の、美嘉の言葉が思い出される。


 あえて失敗、してみるのはどうだろう。
 そう考えたのは、きっと愚かだったのでしょうね。

「つまり」
 周子が呆れたように深いため息を吐く。

「あたしを痛い目に遭わせようと、プロデューサーさん達ともグルになって仕組んだって事?」


「そうよ。あなた一人だけが恥を掻けば良いと思ったの。
 私は、自主的にボーカルも、メインパートの振り付けも練習していたから」
「お、おいおい」

 プロデューサーが何かフォローしようとするのを、私が目で制止する。


 周子の才能を眠らせないため、などというのはただの飾りに過ぎない。
 私は、周子を見返してやりたかっただけ。

 次の瞬間、繰り出されるであろう周子からの罵倒を、私は待った。



「なーるほど。キツいジョークやね~、動機はお子ちゃまなのに」
「えっ?」

 周子はケラケラと笑った。
「でもま、そんなお子ちゃまみたいなドッキリのおかげで、いつも以上の踊りができたってのもあるかな?」

「随分、好意的に捉えてくれるのね」
「ううん、全然? 今度はあたしが、どんなドッキリを奏ちゃんにかましてやろうか楽しみやなーって」

 意地の悪そうに周子が笑った時、美嘉がステージから戻ってきた。

「いやー会場がすっごく熱くてビックリ! あ、それでね、周子ちゃんあの――」
「あ、いーよいーよ美嘉ちゃん。さっき奏ちゃんから聞いたから」
「そうなんだ」

 ポリポリと頭を掻く美嘉。
「あの、さ――ごめんね? 何も言わなくて」
「いいったら。それに、言ったらドッキリの意味無いやんな?」

 美嘉が謝る事は無い。
 美嘉もプロデューサー達も、私のくだらない提案に応じただけなのだから。


「あーあ、一仕事終えたらお腹すいちゃったなー。プロデューサーさん、あたし達に何かおごってよ」
「えぇ、そうだなぁ。せっかくの川越だし、どっか長屋の方の和菓子屋にでも行くか?」
「おっ? 和菓子屋の京娘を捕まえといてそれ行っちゃうー?」


 本当に謝らなければならないはずの私が、周子に謝るタイミングを逸してしまっていた。

 城ヶ崎美嘉に比肩する大型新人ユニット、現る。


 私達が出演したイベントの噂は、SNSを中心に若年層の間で瞬く間に広がっていった。

 後で知ったのだけど、一部の観客が当日の様子を撮影し、動画サイトに無断でアップロードしたのだ。

 当然、騒ぎに気づいた346プロ側の要請により一度は削除されるものの、様々な人の手ですぐにコピーが投稿される。

 非公式と知らず、美嘉が自身のツイッターアカウントで紹介した動画リンクも、非常な加速度でリツイートされた。



「怒られたんちゃう? そちらさんのプロデューサーに」

 あれだけ遠い存在と思っていた彼女と私達は、こうして度々一緒にお茶をする程度には親密になれた。

 事務所の中庭にあるオープンカフェで、周子はニヤニヤしながら美嘉に尋ねる。
 やはり、非公式動画を宣伝したのは、事務所的にもまずかったようだ。

「まぁ、あの動画が相当宣伝になった事も事実だし、もう上の人達も黙認してるっぽいけどね」
 バツが悪そうに頬を掻く美嘉。


 まだ美嘉には及ばないけれど、私と周子も、あの日以降目に見えてお仕事が増えた。

 彼女のイベントに応援で呼ばれたりする事も多く、世間的には城ヶ崎美嘉とセットなのだろう。

 改めて、今回の成功はやはり、美嘉のおかげなのだと感じさせられる。

「アタシのおかげ? いやいや、何言ってんの。二人が頑張ったからだよ」

 今度は、美嘉が私に対して意地の悪い表情を浮かべた。
「奏ちゃんが仕組んだイタズラのせいでもあるだろうしね★」

「あー奏ちゃ~ん、その節はどーもー♪」
 周子が頬杖をつき、今度はこっちを見る。

「勝手に動画を撮った奇特なファンにも、感謝をしなくちゃね」
 矛先を躱しつつ、私はカップを口元に寄せて誤魔化す。

「もー奏ちゃんったら照れちゃって。あっ――ゴメン、そろそろアタシ行くね?」

 ティーン誌のグラビア撮影のお仕事があるのだそう。
 美嘉が慌てて席を立つ。

「また、一緒にお仕事出来たらいいねっ★」
「次はあたしがドタキャンするんで、奏ちゃんと美嘉ちゃんよろしくね」
「もーやめようよー。アハハ、それじゃバイバーイ♪」

 鞄を肩に掛け、颯爽と事務所の本棟へと向かう美嘉の後ろ姿を、周子はジッと見つめる。

「うーむ、やっぱりな」
「何が?」

 右手の親指と人差し指を顎に掛け、周子は目を光らせる。


「バスト80はダウトやな。あたしよりでかいもん絶対」
「ぶっ」
「何で逆サバ読むんかなぁ。ってあれ、奏ちゃん大丈夫?」

「急に変な事言わないで」
 周子は時々こうして変な事を話すから、ついていけないわ。

 笑いながら、周子は私の背中をさすった。
「ごめんごめん。心配しないで、たぶん奏ちゃんの方がでかいから」
「そうじゃないわよ」

 周子と不毛な小競り合いを繰り広げていた時、プロデューサーからの電話が鳴った。

「新ユニット?」

 事務室へと呼ばれ、彼の口から聞かされたのは、8月末頃に開催されるサマーフェスの事だった。

「たぶん知ってると思うけど、ウチの所属アイドル総出で行う一大イベントだ。
 で、城ヶ崎さんのプロデューサーさんから今、提案を受けているんだけどさ――」
「ひょっとして、美嘉と私達が、正式にトリオユニットを組むということ?」
「お、そうそう。よく分かったな」

 そこまで話されれば、普通誰でも分かると思うのだけれど――。

「鋭いなー奏ちゃん! 何で分かったん?」
 そうでもないのかしら。

 いや――周子の場合、今の発言は嫌味とも考えられるわね。

「いっそ本当にユニットになった方が、君達の話題性をさらに引き立てる上でも良いだろう。
 そう、あの人とも話してきた所なんだ」
「へぇー、とうとう美嘉ちゃんとかー」


“とうとう”、“満を持して”、“待望の”――。

 しばしば関連性を取り沙汰された私達だけに、宣伝文句にも困らないだろう。
 話題をさらうタイミングとしては絶好ね。

 そして、何よりサマーフェスは――。


「トップアイドルへ至る切符の、事務所内での選抜戦――だったわよね?」

「さすが、速水さんはよく研究しているな」


 サマーフェスは、346プロが配信する公式のテレビチャンネルだけでなく、大手動画投稿サイト内にも特設ページが設けられ、一部始終が生放送される。

 実際に現地でフェスを観賞する人達だけでなく、テレビやパソコンで視聴する人達も、データ放送や動画サイトの機能により、気に入ったアイドルに投票する事ができるのだ。

 フェスの参加者や、公式チャンネル登録者による票の方が、ポイントは高いそうだけど――まぁ、それはそれとして。


 投票する制度があるのは、もちろん、勝敗を明らかにするため。

 年に一度、その年の最も輝かしいアイドルを決める一大フェス、『アイドル・アメイジング』。

 その大会への出場者を決める、346プロ内での選抜戦が、サマーフェスということ。


「つまり、事実上の決勝戦って事?」
「えっ?」

 気を引き締め直した私を尻目に、周子が思いもよらぬ一言を口にする。

「だって、ウチって一応最大手の芸能事務所なんでしょ?
 同じ事務所で何組までしか出られんのか知らないけど、このサマーフェスがウチらにとって一番競争激しいんじゃないの?」

「ぶっちゃけ俺もそう思うけどね」
「ぷ、プロデューサー!?」

 そういう気の抜いた事、言って良いの?

「あぁ悪い悪い。もちろん、油断しちゃダメだぞ。
 例えば、高垣楓さん。あの人のように、毎年ウチの代表候補に名を連ねる実力者もいるしな」

 モデル出身の美貌に加え、美麗な歌声によるステージパフォーマンスの評価も随一。

 楓さんは、私の到達目標の一つでもある。そして、アイドル・アメイジングへの切符は一枚だけ。

 サマーフェスで、彼女に勝つのは容易な事ではないけれど、目指すからには避けられない。


「ただ、他の事務所にだって、彗星のごとく現れる大型新人アイドルってのも、無い訳じゃないらしいからな。
 勝って兜の何とやらで、一つ一つの目標に誠実に取り組む事が大事だとは思うぞ」
「でも、ぶっちゃけちゃうと?」
「まぁサマーフェスさえパスすりゃほぼほぼかと」
「プロデューサー! 周子も乗せちゃダメでしょう」

 冗談だよ、なんて周子と笑うプロデューサー。いつの間にこんなウマが合うようになったのかしら。
 大体、サマーフェスで優勝する事さえ果てしなく難しいというのに。

 やはり、私はあまりこの人の事を信用できないと思う。



 その疑念が生まれつつあった頃の事――。

 私の目の前で、ガチャンッ、と落とされた携帯。

 ショートボブのブロンドに負けず劣らぬ、ギョロリと一際主張する碧眼。
 およそ日本人離れした顔立ちの下は、白とベージュのニットセーターと、片手に下げたのは蛍光ピンクのハンドバック。

 黒のショートパンツからスラリと伸びた足先には、どことなく道化を思わせる山吹色のブーツ。


 あの状況では、仕方が無かった――頭では分かっていても、自問するしかない。


「あの――携帯、落としましたよ」

 なぜ、声を掛けてしまったのか。



「えっ? あっホントだー♪ ありがとーメルシーボンボヤーしるぶぷれー☆」
「――メルシー・ボクー、ではなくて?」


 忘れもしない、私と宮本フレデリカとの出会いである。

「アタシあまりケータイって苦手でさー? 友達からも未だにガラケー使ってんの、チョーバカにされちゃうの☆
 アハハ、面白い? アタシは面白いなー、だってねー見てよ、もうハゲ過ぎて元の色わかんないし♪」

 朝、仕事や通学のため激しく行き交う駅のコンコースのど真ん中で、曰く“命の恩人”たる私に、彼女はまるで発情期を迎えたハチドリのようにまくし立てた。

「命と同じくらい大事なものなら、落とさないようもっと気をつけるべきではないかしら」

 低血圧の私には、朝からこのテンションはキツい。
 思わず、少し嫌みたらしく言ってしまったけれど、彼女は全く意に介する素振りも見せず、

「だよねー? 管理体制ずさんー、もっと無くさない所に入れとくべきだよねー♪
 あなたのケータイはどこから? アタシは鼻から」
「ぶふっ」
「うっそーん☆ あ、そういや女の人が赤ちゃん産む時って、鼻からスイカを捻り出すのと同じくらい痛くて大変だって言うけど、昔はそうして鼻からスイカ出す人もいたのかな?
 想像できないよね、だってフレちゃんやった事無いもん。うどんですら無いし。あっゴメンゴメン、さすがに今日はガッコー行かなきゃ。
 鼻水出てるからちゃんとティッシュでお鼻チンした方がいいよー、フレちゃんの鼻セレブ一枚あげるね? じゃーねーアデュー♪」


 名前は“フレちゃん”というらしい。
 くどいほどに彼女のキャラクターを理解できた朝の数分間だった。

 鼻をかみながら、私は次の日から電車を一本早める事を強く決意する。
 二度と彼女に会ってはならない。

 そういう時に限って、再会は思いのほか早く訪れるものね。


「あ、また会ったー! 今朝はケータイありがとー、鼻水大丈夫? ちゃんとお鼻チンした?」

 その日の夕方、学校帰りに立ち寄った事務所で――なぜなの。
 納得のいく説明をしてほしいわね、プロデューサー?


「俺がスカウトしたんじゃなくて、チーフが「面白い子見つけた」って俺によこしたんだよ」

 応接室のソファーで一人鼻唄を歌う彼女から少し離れ、背を向けながら、プロデューサーは私に小声で釈明した。

「俺はもういっぱいいっぱいだ、って言ったのに、チーフは「絶対速水さん達と相性良いはずだから」って聞かなくてさ。勝手だよなぁ」


「ところで、速水さん、鼻水がどうかしたのか?」
「どうでもいいわよ、そんな事」

 応接室の様子をチラと見る。
 彼女は、そこに置きっぱなしだった私のリップクリームを勝手に使っていた。

「どうするの、彼女」
「上司の意向には従わざるを得ない――ってあぁちょっと宮本さん! 契約書に落書きしちゃダメだって!」


 デザイナー志望の短大生で19歳、とのこと。
 とても年上とは思えない。なんて子どもっぽいのかしら。

 プロデューサーの上司――チーフとかいう人、お世辞にも人を見る目があるとは思えないわね。

「カナデちゃん歌すっごい上手ー! アレだっけ、毎朝腹筋してるんだっけ。ちょっとショウミーしるぶぷれー?」

「ちょ、な、何を――!」

「ワァォ、ぷにぷにー☆ 天使の耳たぶだねー、バナナで釘が打てるレベルだよー! 皆も触ろ触ろー♪」

「や、やめなさい! そもそも耳たぶなのかバナナな、あ、こら――!」

「腹筋職人☆カナデリカ」



「ミカちゃんの髪、よく見るとすんごい色だねー☆ アバンギャルドだねー、でもすごいきゅーてぃこー☆」

「コレねー、結構手入れ大変でさー。でも、フレちゃんもだいぶ明るくない?」

「あたしのは天然なんだー♪ おフランス産の超極細毛、クリアクリンだよー☆」

「な、なんか違くないそれ!?」

「あれ、タムチ○キパウダースプレーだっけ?」

「もっと違うし、何でそこを隠すの!」

「シューコちゃんシューコちゃん」

「なーに、フレちゃん?」

「呼んでみただけー♪」

「ダンスレッスン中なんやけどなー♪」

「ねー、トレーナーさんねー♪」

「どうやら先ほどのゲンコツでは物足りないようだな、宮本?」

「アハハー、堪忍☆」



 彼女を本気で叱責する者は誰もいなかった。
 甲斐性無しのプロデューサーだけでなく、厳格なトレーナー達でさえ、である。

 フレデリカの言動には、趣旨も裏表もまるで無い。
 およそ理解を超えた適当さ加減に、怒りよりも呆れが伴ってしまう。

 いいえ――なぜか、どうしても不快な思いになる事が出来ないのだ。
 おそらく天然なのだけれど、上手に距離感を保ち、心地良いタイミングで私達に悪戯をしているようにも思える。

 まるで底が知れない。


 しかし、激動は立て続けに私達を襲う。

 フレデリカと付き合う中で、地味に困ったのが連絡手段。

 彼女は携帯に頓着が無かった。
 スマホユーザーでは無いどころか、唯一持っているガラケーをすぐに紛失するのだ。

 無断遅刻や欠席こそ無いものの、有事に連絡を取れない状況に痺れを切らした私と美嘉は、ある日フレデリカを携帯ショップに連れて行く事にした。

 周子もついて来たのは、彼女曰く「面白そうだから」。


「まーさすがに同じユニット組むんだし、LINEのIDくらい交換したいやんな」
「ラインってなーに?」
「うーん、チャットみたいなもん、かな? フレちゃんも気に入ると思うよ★」

 使用料の全額を事務所の経費で落とす事は、さすがに難しかったそう。
 活動に必要な備品という名目で、機器代だけでも肩代わりできた事については、プロデューサーを評価するべきかしら。

「――よしっと、初期設定はこんなカンジかな★ 使い方は、フレちゃんならそのうちに慣れてくると思うよ」
「わぁい、やったーミカちゃん! あれ、ボタン無くない?」

 不思議そうに手の中にあるスマホを眺める。
 本当に初めてなのね。

「それがスマホっていうものよ、フレデリカ」
「この、LINEってヤツを押して――ほら、あたし達のグループに招待されとるから、承諾すると入れるよー♪」
「へぇー、ありがとー♪ いやー持つべきものは精密機械に強い現代人と和菓子屋の娘だねー」
「和菓子要素ゼロやん」


 その日以降、味を占めたフレデリカから無意味なスタンプが四六時中グループに連投されるようになり、私達は別の意味で頭を悩ませる事になる。

 グループ名は、仮で“リップス”としておいた。
 あの日の私と周子のユニット名だ。



 その足で、四人で事務所に立ち寄った時だった。

 ヒョコヒョコと、プロデューサーの後について事務所に入って来る女の子が目に入った。



「ほら、事務所も見れたからもういいだろ。さっさとお家に帰りなさい」

「まぁまぁそう言わないでよ。もうちょっとだけキミの構成要素を観察~♪」

 迷惑そうに手を振るプロデューサーの元を離れ、思いついたかのようにロビーの中央へと走る。

 そして彼女は天井を見上げ、スゥーッと深呼吸を始めた。


「う~ん、さすが芸能事務所なだけあって、ユニークな香りがいっぱいだねー。
 自信と戸惑い、不安と希望。さっきのキミの言葉を借りるなら、まだ見ぬ自分との出会いを夢見る期待感ー?」
「そんな事言ってないぞ、俺」
「えー言ってたでしょー、ボイレコ録ったけど聞く?」
「い、いつの間に――!?」
「貴重な研究対象は具に観察してデータ採らないとねー、にゃははー♪」


「あ、皆。ちょっとこの子、どうにかしてくれないか?」

 私達に気づいたプロデューサーが、助けを求めるようにこちらへ手を振った。
 背を向けていた彼女も、クルッと私達の方へ向き直る。

「――おぉ~~。あれがキミの、えーと担当? の子達だねー♪」


 紫色を帯びた、無造作にウェーブがかった長髪。
 その隙間から覗かせる丸い瞳に煌く、まるで獲物を見つけた猫のような好奇の碧い輝き。

 彼女がある種の快楽主義者である事を直感的に察したのは、その無防備なシャツの着こなし方から。

 これは強敵ね、どう接するべきかしら。そう思っているうちに――。


 前に出たのは、フレデリカだった。

「初めまして――私、宮本、フレデリカと申します」

「まぁ――初めまして、宮本さん。一ノ瀬、志希です」

「一ノ瀬さん――とても、素敵な名前ですね」

「ありがとうございます。そういう、宮本さんも」


 ――えっ、普段のあなたはどこへ行ったの?


「今日は、一ノ瀬さんは、どちらからいらしたのですか?」

「私、実は先日――某国より、日本に参ったばかりなのです」

「まぁ、はるばる自転車で?」

「いいえ――私の研究を悪用しようとする組織から逃れるため、秘密裏に」

「研究――それはつまり、自転車に関するものを?」

「詳しくは言えないのですが――世界を揺るがしかねない真実を闇に葬るべく、彼らも必死に私を追っているのです」

「自転車に乗って」

「えぇ――ママチャリで」


「――ブフッ!!」
「ふふ、アハハハハハハッ! さ、最後の最後でママチャリ認めちゃうんだー☆」
「そ、そっちこそ、何で自転車押し――うっふ、にゃははははー!」

 宮本フレデリカと一ノ瀬志希は、予め申し合わせていたとしか思えない茶番を、私達の前で披露してみせたのだ。

「しょ、初対面だよな?」
 プロデューサーだけでなく、私達も開いた口が塞がらない。

「あ、シキちゃんラインやろーよライン! 知ってる、ライン?」
「おぉー、フレちゃんさてはスマホビギナーだね?」
「ワォ、何でバレちゃった?」
「画面を人差し指でぎこちなくタップしてるからー♪」

 二人は既に意気投合している。
 結局、フレデリカは彼女に自分の携帯を手渡し、LINEの操作を委ねた。

「んー? ひょっとして、シキちゃんもフレちゃん達とトゥギャザーしちゃうカンジ?」

 そうフレデリカに聞かれると、プロデューサーはすぐに顔の前で手を振った。

「いや、この子が勝手について来たんだ。さっきから全然言う事聞いてくれなくてさ」
「つれない事言わないでよ~ミスター? 下品なナンパ集団からあたしを守ってくれたじゃん」
「俺に感謝する気があるなら、あまり俺を困らせてほしくないんだけど」


「この子の事、スカウトしたワケじゃなかったんだね――ってうるさいなもう」
 グループに入った志希への、フレデリカによる歓迎スタンプの連投に、美嘉が渋々携帯を取り出す。

「お、キミはなんて言うんだっけ? わっちゅあねーむ」
「えっ――速水奏よ。英語が堪能なのね、一ノ瀬さんは」
「志希ちゃんでいーよー。アッチでは英語だったからねー♪」

 海外から来たばかりというのは、本当だったのね。

「ほんじゃ、あたしもシューコちゃんって呼んでよ。
 せっかく来たんだし、事務室でお茶でもしてったらどうー?」
「お、いい? お邪魔しても」
「邪魔するなら帰ってやー、なんてねウソウソ。プロデューサーさん、いいでしょ?」

 周子とも相性は良いようね。フレデリカとの様子を見て、察しはついたけれど。

 ただ――。


「いーや、帰ってくれ。チーフに会わせたら絶対良くない事を言うから」
「チーフって誰?」
「俺の先輩、っていうか上司」

 プロデューサーは、彼女の事をあまり快く思っていないようだった。

「あ、そういやあたし達もチーフさんって人、会った事無いっけ、奏ちゃん?」

 ふと周子が私に問いかけた。確かに――。
「いや、あるよ?」

 美嘉が不思議そうに首を傾げる。
「あれ、言わなかったっけ? まぁ行きゃ分かると思うけどね」

「んじゃー皆で挨拶しに行こっか☆ ラインも交換しないとだよね?」

「――勘弁してくれ」
 フレデリカの一言に、プロデューサーはすっかり頭を抱えている。

 プロデューサーのデスクがあるという事務室には、彼の他に3人のプロデューサーがいた。

 童顔で私よりも身長が低いコロコロとした人と、まるでヤクザのようにガラの悪い金髪の人。

 そして――。


「初めまして。346プロへようこそ」

 ウェーブがかった、少し長い黒髪。
 芸能関係者というよりは、家庭教師でもしていそうな穏やかで優しい印象を与える顔。

 この人、見たことがある――初めてのライブ会場で会った、美嘉のプロデューサーだ。

 チーフプロデューサーという人は、理知的な印象を与える所作でもって私達を出迎えた。

「今日は、彼にスカウトされて来たのかい?」
「イエース、そうですそうですー♪ Nice to meet you, Mr.?」
 先ほどまでだらしなく着崩していた服を丁寧に締め直していた志希は、ひょうきんなサラリーマンのように腰を曲げ、右手を差し出した。

「ほぅ、一ノ瀬さんはとても愉快な子だね」
「彼も私の気質を褒めてくれました。日本人離れした感覚は、他のアイドルには無い武器だって」
「宮本さんも、陽気で茶目っ気のある気質はフランス由来だろうしね。僕もそう思いますよ」

 巧みにチーフを懐柔する志希に対し、プロデューサーは眉間に皺を寄せっぱなし。
 ある意味、こんなに感情を露わにするのを見たのは初めてかしら。

「あのですね、チーフ――」
「私見ですが彼女達、非常に良いと思いますよ」


 しかめっ面のプロデューサーとは対照的に、チーフはにこやかに返した。
「この5人で、ユニットを組ませてみてはいかがでしょうか?」

「えっ、志希ちゃんあたしんちの隣!?」
「へぇー、そうなんだー。じゃあ今日は周子ちゃんちに泊まっちゃおっかなー♪」
「隣同士なのに泊まる意味ー♪」
「せっかくだからフレちゃんも行っていいー?」
「せっかくの意味ー♪」

 まるで漫才のようなやりとりをする周子達の後ろを、私と美嘉が続いて歩く。


「急に、随分賑やかなユニットになっちゃったね」

 楽しそうに眺めながら、美嘉が独り言のように漏らす。

「そうね」

 気の無い返事と、あなたは言うでしょうね、きっと。


「奏ちゃんはさ――不安とか、ある?」
「えっ?」

 美嘉は、笑っている――自信に満ちた“カリスマギャル”のそれとはかけ離れた、少し物憂げな表情で。

「アタシは――ちょっと、不安だな」

「えぇ、そうでしょうね」

 それはそうだろうと、私は思った。
 周子だけでなく、こんないい加減そうな子達と一緒にユニットを組む事になるなんて。

 私でさえ、どうなるものかと不安よ。
 
「既に確固たる地位と実力を持っている美嘉だもの。
 自分にふさわしいメンバーなのかどうか、不安に思わないはずは無いわよね」


「ううん、そうじゃなくて」
「えっ?」

 ハハッ、と美嘉は笑いながら、夜空を見上げた。


「アタシが、皆に置いて行かれないかが、不安なんだ」

「――謙遜しているつもり?」
 それとも嫌みかしら。

「本気でそう思ってるよ。あの三人にも――もちろん、奏ちゃんにも」


 彼女の言葉の真意が分からない。

 掘り下げようか迷ったけれど、深く追求するのはやめておくわ。
 どうせ私には理解し得ないもの。


「奏ちゃんこそ、ふふ――あのコ達が自分にふさわしいか、不安?」

 いつもの顔に戻った美嘉が、今度は私に問いかける。

「えぇ、そうね」
 そこは隠す必要は無いでしょう。

「何せ、自分とユニットを組む周子ちゃんに、発破を掛けるくらいだもんね」
「いけない事かしら」
「お、本音出たカンジ?」

 ――私としたことが、つい乗せられてしまったようね。

「アハハ。うーんとね、アタシは奏ちゃんのそういうトコ、イイと思うよ。
 高めるためにやんなきゃいけない事は、同じメンバーにも頑張ってもらわないとね★」


「プロデューサーにも、かしら」

 私がそう言うと、美嘉は「あぁ~」とため息交じりに少し大きな声を漏らし、両手を頭の後ろで組んだ。

「そうだよねー、あの人、ちゃんとアタシ達のために働いてくれるのかなぁ」
「期待はできないわね。
 ただでさえ必要以上のやる気を出さない人だけれど、あの二人の加入には最後まで後ろ向きみたいだったもの」
「あっ、やっぱ普段からやる気無いカンジなんだ」


「でもさ? 何であの人、フレデリカちゃんと志希ちゃんを入れる事に、あんな反対っぽかったんだろうね」
 人差し指を口元に寄せ、美嘉は虚空を見上げる。

「単に、あの二人が見るからに問題児だからでしょう」
 手に負えない子達の世話なんて、誰も進んでやりたがらない。

 何か、ゲームでもしているのかしら。
 フレデリカが両手を合わせ、上に突き出しているのを見計らい、周子と志希も同じくそれに続いている。

 何がおかしいのか分からないけれど、それで三人は大声で笑い合っているのだ。

「あ、アハハ――まぁ、アタシもさ、ほら、たぶん前のプロデューサーを困らせてた時あったし」

 美嘉が、ポリポリと頬を指で掻く。

 えっ――“前の”プロデューサー?


「あぁ、言わなかったっけ? アタシ、正式に担当が変わったんだ。
 あの人も、今のプロデューサーさんとしっかりやれよ、って送り出してくれて」

 そうだったのね。

「だから、これからはこのユニットでの活動をメインに――あれ?」


 右手をギュッと振り上げていた美嘉が、はたと立ち止まる。



「そういやさ――アタシ達のユニット名、何だっけ?」

「リップスじゃ駄目なのか?」


 事務所1階のラウンジは、今日も朝から大勢の人が来ている。

 プロデューサーと担当アイドルによるミーティング。
 外部の業者さんとの軽い打合せ。
 昼過ぎになると、体験コース入会前の、見学会の参加者達による意見交流が行われる事もある。

 もちろん、アイドル同士の憩いの場でもあるのだけど、実際はほとんど仕事で使われる事が多い。
 今日の私達のように。


「あたし的にはちょっとイヤかなー。だってさー?」

 プロデューサーの言葉に異を唱える周子が携帯を操作し、私達に画面を見せる。
「ゲームの敵キャラに、こういうのおったやん」

 見ると、ナメクジのような、やたらと唇の分厚いモンスターが表示されている。


「うえぇぇ、き、キモ――」
 その醜悪な外見に、思わず美嘉の顔が引きつる。

「でしょー? これ連想されたらあたし達かなわんでしょうよ」


「うーん、確かにちょっと強烈なビジュアルだねー」

 興味津々に画面を覗き込んだのは志希だ。
「でも、名前自体はそんなに悪くないんじゃないかなーと志希ちゃんは思いまーす♪」

「おぉーっ? シキちゃんその心は?」
 フレデリカが志希に熱いまなざしを寄せる。


「口ってさ、物を食べたり飲んだり、声を出したりさえできれば基本的に生きていけるじゃない?
 もちろん、それらの補助的な役割は果たすけど、唇が無くても極論言うとそれは達成できちゃうんだよねー」

 志希がストローを口元で振り回すと、ジュースの水滴が少し飛んだ。
「あっ、ごめんね奏ちゃん」
「いいえ。それで?」
「うん。それでね、じゃあ何で唇という部位は生物に存在するのか?」

 ムフッ、といやらしい笑みを浮かべる志希。

「それは、種の保存のため。もっと言うと、異性を魅了するためにあるって話だよね。
 魅力的な表情や声を作り出すために精密な運動をしたり、キスして愛を確かめ合ったり、なーんてさ。
 特出した進化を遂げた経緯を考えれば、唇の名を冠するこのモンスターは、ある意味“生”の象徴とも言えるのではないかにゃ?」


「な、なるほど――」

 身を乗り出すように両肘をテーブルの上に乗せ、妙に納得してしまっている美嘉。

 創造上の、それもゲームのキャラクターへの、どこまで本気か分からないような彼女の考察に、何をそこまで真面目に――。
 と思っていたら、周子も感嘆の声を上げた。

「ほぉー、つまりアレや、“性”の象徴的な?」
「にゃははーっ♪ まぁ生物学はアタシの専門じゃないから色々違ってると思うけどねー♪」

 何ソレ、と呆れたように同調した周子と志希は笑い合う。

「フーンなるほどー、それだと唇がすんごいキレイなカナデちゃんは超強そうだねー☆」

「はぁっ!?」

 フレデリカが突拍子も無い事を言うと、皆が一斉に私へと顔を向けた。

「いや~、奏ちゃんそう言われれば――」
「あーホンマやねー。唇のエロさ的には奏ちゃんだわー」
「なるほどにゃー。奏ちゃんから漂うストイックな香りは、まさしく生への執着」
「カナデちゃんこの間リップクリームありがとー♪」

「い、いい加減にして! ちょっと、プロデューサーも何とか言ってよ!」

 堪りかねて、先ほどから黙って会話を見守っていたプロデューサーに助けを求めると――。



「じゃあ、速水さんが『リップス』のリーダーって事でいいのかな?」
「ちょっと!!」

 事務的にノートにペンを走らせる彼は、どこか面倒くさそうでさえあった。

 カタカナじゃなく、ローマ字表記の『LIPPS』にして、と周子が提案していたけれど、そんなのどうだっていいわよ。

 私がリーダー、何で――。

 サマーフェス本番までは、あと約2ヶ月半。

 曲のサンプルが出来上がるまでの約1ヶ月は基礎レッスンに打ち込み、その後は本格的な曲合わせと、ユニットと曲の宣伝を兼ねたイベント出演を行っていく、という事だった。


 およそ三週間程度、一緒にレッスンを行ってきた中での、私の個人的な感想は――。


 美嘉はもちろん、申し分無し。
 自分だけでなく、周囲にも的確なアドバイスをしてユニットの下地を支えるキーマンでありエース。

 ついて行くのが不安だと彼女は言っていたけれど、たぶん実力という意味では無かったでしょうね。
 他の問題児達のテンションに、という意図だと捉えるべきだわ。


 周子は、相変わらずのマイペース。
 トレーナーや美嘉から指摘されればすぐに修正するだけの器用さは、さすがと言ったところ。
 でも、決してそれ以上の力を発揮する事は無い。

 まぁ、それは想定通り。


 やはり問題は、この二人。

「一ノ瀬っ! 何をしている、配置につきなさい!」

 トレーナーが私達に檄を飛ばさない日は無いけれど、彼女へのそれは毎度際立っている。

「えー? もういいじゃん、十分頑張ったよアタシー」
「君一人の問題ではない。ユニットとしての士気が下がると言っている」
「にゃははーっ。トレーナーさんそれダジャレ? ゆーあーきでぃんぐみー」
「なっ――い、いいから早くしろっ!!」


 私の見立てでは、彼女の実力は、おそらく周子のそれを遙かに上回るほどに高い。

 一度見ただけの振り付けを、ほぼ止まらずに一度目で踊りきるなんて、並大抵の事ではない。
 ギフテッドというのは、どうやら眉唾ものではなさそうね。

 問題は、彼女のその絶望的な集中力の無さ。

 興味が3分以上持続しないとは彼女自身の弁で、こうしてトレーナーを困らせる事は日常茶飯事だ。

 酷い時は、無断欠勤だけでなく、休憩中どこかに行ったまま帰ってこない事もある。
 そうした“失踪”は、ある種志希の特性として私達も認識しつつあった。


「プロデューサーってヒトが気になったから入ったんだけど、アイドルって大変なんだねー」

 そう言いながら、キレ味鋭いステップを渋々踏んでみせる彼女には、ある種の恐怖すら感じてしまう。

「わぁーっ! シキちゃんすっごい上手ー、フレちゃんにもテルミー♪」

 私達の中でも一際賑やかな声――フレデリカに至っては、ある意味では志希以上に常軌を逸している。

 何せ彼女は、これまで一度足りとも、トレーナーの指示通りにレッスンをやり通した事が無いのだ。
 ダンスも、ボーカルも。

 法則性は皆無だけれど、その時が来ると決まって彼女は――。


「宮本っ! まーたお前は、勝手にアレンジを加えるなぁ!」
「ンー? あっそっかーこっち来てこう来て、ルンッ☆ だっけ?」
「違うっ! 軸足を機転に3、4でステップ、ターンだ!」
「軸足ってご飯を持つ方?」
「~~~~っ!!」

 その場のノリや感性で、勝手に内容を変えてしまう。

 差し詰め、テストで100点を取るけれど授業態度は最低なのが志希であるとするなら、数学の答案用紙にカレーの作り方を書くのがフレデリカ、といった所かしら。

「さすが、デザイナー志望なだけあってユニークな感性をお持ちやねーフレちゃんは」

 皮肉なのか本音なのか分からない感想を周子が漏らす。
 フレデリカや志希が怒られている間は休憩できるから助かる、とも以前言っていた。

「笑ってばかりもいられないわ。じきにサンプルが出来上がって、イベントも近づいてくる頃よ」
「そんなにすぐだっけ?」
「ウカウカしてると、時間って結構あっという間に過ぎちゃうからねー。経験則だけどさ」

 腕組みをしながら、美嘉がトレーナーに怒られる二人を見つめる。
「まっ。失敗しなきゃあの二人も分かんないかも、ね」


「なるほど、それや」
 周子が手をポンッと叩く。

「イベントで失敗して痛い目見るとか、アクシデント抱えてテンパるとか――不測の事態が起きれば、あの二人も本気になるんやない?」

 そう言って、周子は親指で自分の胸元を差し、ニッと笑った。
「ほら、いつぞやのこのシューコちゃんのように」

「あっ、なるほどねー★ 火事場の馬鹿力、ってヤツ?
 ていうか周子ちゃん、やっぱ本気じゃなかったんじゃん」

 腰に手を当て、呆れたようにため息を吐く美嘉に、周子は笑いながら手を振る。

「あたしは、いざって時はちゃんとするよってだけ。まぁそれはともかく」


「今度のイベントはさ――あたし達があの二人に、ドッキリをかましてみるの、どう?」

 私と美嘉の顔を交互に見ながら、周子が口元に手を添え、小声で私達に提案してみせた。


 片や、ルールに従えば最強の天才。
 片や、ルールという概念がすっぽり抜け落ちているある種の天才。

 どちらも恐れを知らない、『LIPPS』きっての問題児。
 あの二人が機能しなくては、このユニットの成功は為し得ない。


「底力を、見せてもらわないとね」

 私に断る理由など無かった。もちろん、美嘉も。

 サンプルが出来上がり、レッスンが本格化しても私達は相変わらずだった。

 私も、さすがに何度か注意しようと思ったけれど、この先に行われる“ジョーク”を思うと、余計な事はしない方が良い。


 私達の計画はこうだった。

 フェス本番を一ヶ月後に控える、とあるCDショップでの販促イベント当日。
 そこで私達『LIPPS』の新曲、『Tulip』が披露される事になる。

 志希とフレデリカには、業界関係者のみ出席するフォーマルな場だと伝えてある。

 いざ会場に着くと、そこには数百人規模のファン――実際は、ほとんどが美嘉のファンでしょうけれど――が大歓声で待ち受けるのだ。

 初舞台で味わう独特の緊張感は、私も経験している。
 ステージの規模が想定と異なれば、それは何倍にもなるだろう。

 常にリラックスした姿勢を崩さないあの二人が、その窮地に立たされた時どうなるか――。


「ま、なんだかんだ上手いことやっちゃいそうな気もするけどね」
 と周子。

「さすがにビビっちゃうんじゃないかなー。失敗してもフォローしてあげなくちゃね★」
 美嘉は相変わらず優しいのね。

 私は、そう――底意地の悪い言い方だけれど、痛い目を見てほしいと思っている。

「またそういうの、するのか?」

 さすがに、プロデューサーにまで内緒にしておく訳にはいかない。
 想定している“ジョーク”の内容を話すと、彼は頭をクシャクシャと掻いた。

「まぁ、それで上手くいけば良いけど、もし失敗したら俺が怒られるしなぁ。
 この間のだって、結構俺、ヒヤヒヤもんだったんだぞ」

 ハハハ、と困ったように笑う。


「アイドルのフォローをするのがプロデューサー、でしょう?」

 進んで困らせる事をしようとしているのに、こんな事を言ったら怒られるかしら。
 まぁ、この人にも少しくらい、ムキになってもらわないとね。


「だよなぁ」


 ――この人は、どこまでも主体性が無い人なのね。

 メンバーが増えたため、当日会場へは前回より大きめの車に乗る事になった。


「うーん、美嘉ちゃん今日は少し気合い入ってるカンジかにゃー?」

 三人掛けの後部座席で、真ん中に座った美嘉のうなじに、隣の志希が顔を埋めている。

「ちょ、ちょっと! あんまり顔近づけないでよ、メイク崩れちゃうじゃん」
 さすがに美嘉も抵抗するが、志希は案の定応じる様子も無い。

「ンー? シキちゃん何してるの? アタシのケータイ探してくれてるカンジ?」
 美嘉を挟んで志希と反対側に座るフレデリカが、自分のバッグを漁る手を止め、楽しげに首を突っ込む。

「携帯、って――フレちゃん、また携帯無くしたの?」
「にゃっはっはーそうなのだよフレちゃん。案外美嘉ちゃんの服の中に紛れてるかもねー♪」
「えっホント? やったーミカちゃん大事に懐で暖めてくれたんだねー、秀光だねー☆」
「ちょ、それを言うなら秀吉――こ、こらぁ!」
「あれ、家光だっけ?」
「秀吉っ!!」
「出光?」
「うーんハスハス、緊張しないで~リラーックス、どんとびーあふれーいど」


「まったく」

 事務所を出る前に拾ったフレデリカの携帯を彼女に渡すよう、私は周子に指で促す。

「まーまー、もう少し見守ってあげようではないか」

 周子はその携帯を手元でクルクル回しながら、ニヤニヤと後部座席を見やる。


 美嘉は災難ね。でも、二時間後には立場が変わっているでしょう。

 会場となるCDショップに着くと、駐車場から私達はスタッフ専用の通路を通り、控室に案内された。

 控室と言っても、テレビ局や劇場等にある楽屋のようなものではなく、お店の備品が雑多に保管された横に白机とパイプ椅子が並べられた簡素なもの。
 普段はスタッフの休憩室兼倉庫となっている部屋のようだった。


「へぇー、結構扱い軽いんだねー美嘉ちゃんもいるのに」
 興味深げに備品をゴソゴソと漁り出した志希を、プロデューサーがやんわりと制止する。

「まぁ、こんなもんだよ。アタシ達がどうっていうより、会場の大きさとかにもよるしさ」
 パイプ椅子に腰を下ろし、美嘉は自前の化粧道具でさっそくメイク直しを始める。
 さすがに慣れたものね。

「それに、今日は業界の人しかいないらしいし」


「――んふふ、そうねー」

 美嘉のさりげない呟きに、周子がニヤリと笑った。
「あまりお客さん多いと、シューコちゃん緊張して声出んくなるからなー♪」

「良かったぁ、フレちゃんもっとカメラマンさんとかいっぱい来てたらどうしよーって思ってたんだー」

「いや、カメラは何台か来てるよ。一応、新曲の販促イベントだからね」
 プロデューサーが訂正する。まぁ、あえて言わなくても良かったと思うけど。

「どう転ぶか知らんが、責任は俺が取る。適当にな」


「ちょっとプロデューサー、始まる前から後ろ向きな事言わないでよね★」

 美嘉が座りながらプロデューサーを肘で小突く。
 悪い、と小さく謝ると、彼は扉を開けた。

「ちょっとスタッフさん達と話をしてくるから、その間に着替えを済ませておいてくれ」


「――ひょっとして、アイドルとプロデューサーって、そんなに関わりって無い?」

 扉が閉まった後、志希が私達に問いかける。
 そういえば、彼女の興味はプロデューサーにあると言っていたわね。

「いや、あの人がただ距離を置いてるだけだと思うなぁ。アタシは前の人と結構色々喋ってたし」
 バックを空け、着替えの準備を始める美嘉。

「ほうほう、色々ってどんな話?」

 周子の無邪気な追及に、美嘉は余計な事を言ったと、大きくため息を吐いた。

 会場の袖に向かうと、既に喧騒が聞こえてくる。
 どうやら、私達の想定以上に観客が来ているらしい。

「ンンー? 何だか賑やかだねー」

 不思議そうに首を傾げるフレデリカ。
 志希も異変に気づき始めたようだ。

「ふ~む――なるほど、想定外の事態が発生した模様かにゃ?」
「シキちゃん、それ、想定できてない?」
「にゃははっ! ホントだねーフレちゃん、想定外が起きてるのを想定しちゃったら想定外じゃないよね」
「でも想定外の内容が想定できてないからセーフ?」
「どっちかっていうとアウト? まっ、アタシ達が結論づける話じゃないってコトでいい、奏ちゃん?」


「えっ――そ、そうね」

 どれだけの人が待ち受けているのか。練習通りに踊れるのか。

 自分の事で私は精一杯なのに、なぜこの二人はこんなにもリラックスしているの?

「にゃっはっは♪ あれれーひょっとして奏ちゃん緊張してるー?」

 ツンツンと、私の頬を指でつつく志希。
「どーやらすっごい人が集まってるみたいだけど、気楽に行こうよ。びーゆぁせるふ、けせらせら♪」

「けせらせら、って何?」
「あれ、美嘉ちゃん知らない? なるようになるさ、って意味~♪」
「レットイットビー的な?」
「フフンフーン フフフーン♪」

 場数を踏んでいる美嘉はともかく、周子も、志希もフレデリカも、本番を目前にしてこの有様。

 私だけ、遅れを取る訳にはいかないわ――!


 プロデューサーに促され、いよいよ私達は袖から舞台に進み出る。

 大丈夫、今日のお客さんはほとんど美嘉のファン――と思っていた。


 う、わ――わ、私の団扇を持っている人達がチラホラ――いや、何人も!?

「改めてご紹介しましょう、346プロが繰り出す大型新規ユニット『LIPPS』の方々でーす!」

 司会の女性が高らかに私達を紹介すると、先ほどまでの歓声がさらに大きく、会場を埋め尽くした。


「ほら、奏ちゃん挨拶」
「え、あっ――」

 美嘉に小声で促され、私は我に返る。

「こんにちは。私達――」
「後ろからがばぁーっ♪」
「おうふっ」

 いきなり私の後ろから志希が抱きつくと、「おぉ~」という妙な歓声があがった。

「な、何をするの!」
「にゃははーっ、奏ちゃんの緊張をほぐすため~♪ オキシトシン、分泌されたカンジあるかにゃ?」
「知らないわよ! 何でこのタイミングで――!」


「えぇと、確か『LIPPS』の方々は、速水奏さんがリーダーとお聞きしましたが」

 開始早々に乱れだしたイベントを持ち直そうと、司会の人が話題を振ると、フレデリカが躍り出た。

「そうなんですーカナデちゃん唇がすんごくキレイで“セイ”の象徴でー☆」
「せ、性の象徴!?」

 一層どよめく会場。
 司会の人、絶対に誤解したわね。

「ふ、フレデリカちゃん! そういうの言っちゃ――!」
「それで、アタシは宮本フレデリカちゃんで、こちらはミカちゃんになりまーす☆」
「あっ、い、イェーイ! 今日も目一杯たのし――」
「アタシのケータイをヒデキっぽいカンジで暖めてくれてたんだよー☆」
「秀吉だっつーの!! それに暖めてないってば!」


 志希をようやく引き剥がした私は、ため息を一つ吐いて会場に向き直った。
「ほら、あなたも自己紹介しなさい、志希」

「ん~? 奏ちゃんはあーいう紹介のされ方でもう良かったの?」
「良い訳ないでしょう。あること無いこと後で言われたら大変だから、先に済ませてくれないかしら」

 本番中にも関わらず、笑顔を忘れ、呆れ顔のまま促す私と対照的に、志希はニンマリと笑った。
「なーるほど、そだね。じゃあ――」

「一ノ瀬志希でーす! こっちはあたし達のリーダーの、速水奏ちゃん。
 フレちゃんの話によると、バナナで釘が打てるレベルの腹筋をお持ちのマッチョウーマーン♪」
「なっ、えっ!? 何でその話を知っ――」
「ほら見て、否定しないでしょー? 存分に見せちゃいないよー奏ちゃ~ん」
「す、既に見えてる衣装、ってコラっ! やめ――!」


「えーそんなカンジで口の減らない『LIPPS』でーす、名前だけでも覚えて帰ってくださいねー」

 すっかり混沌とした舞台の上で、最後に周子がうまくまとめてくれた。

 いえ、美味しいところをさらっていった、と言った方が正しいでしょうね。

 こんな子達に、ペースを振り回されてなるものか。

 そんな気概が私を奮い立たせ――!


 私は、普段の練習以上の力を発揮できた。
 美嘉は言うまでも無い。周子も上々。

 そして、それまでの想像を遙かに越える、美しい振り付けと歌声を披露する志希。


 フレデリカは――やはり、レッスン通りとはいかなかった。

 それどころか、急に鼻歌は歌い出すわ、ポジションを勝手に飛び出してお客さん達とハイタッチをし始める始末。


 どこか釈然としないのは、たぶん、“ジョーク”を受けたのは結局私だったからでしょうね。

 結果的には、大成功と言えたのだろう。


 346プロの新規ユニット『LIPPS』に、ヤバいヤツがいる――。


 そんな話題の源は、大半が破天荒なパフォーマンスを披露したフレデリカ。
 ごくたまに、本気でアイドルを愛する人達の中に、志希の可能性を高く評価するものがあるくらい。

 反響が反響を呼び、『Tulip』は新規ユニットとしては異例のヒットを飛ばし、動画投稿サイトの公式チャンネルにアップされたMVは瞬く間に再生数が伸びていく。

 テレビ等メディアへの露出もかなり増えたけれど、共演者やスタッフを騒がせない事は皆無で、その度に私や美嘉がフォローに回る羽目になる。



「まぁ、結局は話題性って所、あるんだよな」

 週刊誌をデスクに放ると、プロデューサーはペンを取り出す。
「ほら、アイハブアペーン♪ とかってあったでしょ」


「色物扱いって事?」

 事務室の、彼以外の3つのデスクには、今日は誰もいない。

「そう気を悪くしないでくれ。売れたもん勝ちというのは、この業界では一つの正義だ」

「ウケるためなら、あの子達の暴走を放っておいても良いのかしら」

 私は苛立ちを隠そうとしなかった。
「プロデューサーは、私達をどうしたいの?」

 彼は私に目線を合わせる事無く、既に冷めているはずのコーヒーを手に取り、美味しそうに一口啜る。
 すると、事務室のドアが急に開いた。

「プッロデュ~サ~♪ 見てよコレー、この志希ちゃんすーっごく扇情的じゃなーい?」

 入ってきたのは志希だ。
「おっ、奏ちゃんもいるねー。見たコレ?」

 入ってきた勢いそのままに、無遠慮に私達の間に割り込み、大きく取り上げられたLIPPS紹介の1ページを見せびらかす。
「ほとんど無名なのに、こんな大々的に取り上げられるなんて、ひょっとして良くないお金使ったんじゃない?
 なーんて、にゃはははーっ!」


「さっきまで見てたよ。今更知ったけど、一ノ瀬さんって岩手の人だったんだね」
 にこやかに返すプロデューサー。 

「俺のじいちゃん家が盛岡でさ。子どもの頃は、よく夏休みに手作り村とか行ってたよ」
「? 何ソレ?」
「あれ、知らない? 南部せんべいの手作り体験とか、藍染めとか竹細工とか出来る所があってさ」


 仕事そっちのけでローカルトークに花を咲かせる二人に呆れ、私は事務室を出る。

 プロデューサーが言う事にも一理はある。

 彼女達のおかげで、『LIPPS』はおよそ類い希な好スタートを切る事が出来たと言えるのだから。


 でも、純粋にアイドルとしての実力を評価されている気分には、依然なれていないのも事実。

 現場のスタッフからの評価は賛否両論――いえ、快く思われていない意見の方が多い気がする。

 それはそうでしょうね。縦社会の側面が強い芸能界。
 新人アイドルが勝手気ままに暴れ回るのは、長く業界に携わる人ほど面白く思わないはずだ。

 一部では、私達の急激な売れ方を「事務所のゴリ押し」と揶揄する意見もネット上で見かける。


 どこかで歯止めを掛ける必要があると思うのだけど、彼はそれをしようとしない。
 徹底して放任主義だ。

 もう一ヶ月を切ったサマーフェスに向けて、何でもいいから話題をさらっておけ、という考えなのかも知れない。
 まるで選挙前の政治家ね。

 だから――。


「お宅のところは、一体どういう教育をしているのかね?」

「大変、申し訳ございません」


 だから、そうやって毎度毎度、安っぽく頭を下げられるのでしょうね。

 芸能人は、好感を売り物にする職業だ。
 たとえ新人が失礼な事をしても、それが舞台の上なら、“表面上は”何だかんだで笑って済ませる人が多い。

 収録が終わった後、舞台裏で現場のディレクターやマネージャーを通してお叱りを受けるのは、決まって彼だった。


「えっ、別に良いんじゃない? あの人自身が良い人なのかは知らんけど、あたしらに代わって責任取ってくれてんでしょ?」

 フライドポテトをつまみながら、周子があっけらかんと答えた。
 テーブルの上のそれは、周子だけで既に半分以上消費されている。

 フレデリカは学校の課題がピンチとのことで、彼女以外の4人でファミレスに来ていた。

「ホントに危機感感じたらあの人も怒るだろうし、そん時に考えれば良いんじゃないって思うけどね、あたしは」


「それはそうだけど――ねぇ、美嘉も何とか言ってくれる?」
「んー、まぁ――ね」

 美嘉は腕を組みながら、悩まし気に呻いている。
「アタシの前のプロデューサーは、あれで結構礼儀作法とか、厳しい人だったからさ。
 正直、これだけ放任されちゃうと、ちょっとアタシ的には戸惑っちゃうってのはあるかな」

 前任のプロデューサーとは、大きくスタンスが違うのだろう。
 美嘉にも思う所はあるはずだけど、優しい心根が邪魔をして、あまり強く言えない様子だ。

「そっかー、彼にアタシはメーワクを掛けてしまってるって事だねー」

 同じ破天荒でも、フレデリカによるそれは、業界人から特に問題視されている様子は無い。
 理由は分からないけれど、やや戸惑いながらも好意的に受け取ってくれる人が多いのだ。

 プロデューサーが頭を下げる原因は、志希の言動によるものが多かった。
 私達のも、無い訳ではないけれど。


「まーそれも結局さ、彼がどうしたいのかが分からないと、どうしようも無くない?」
「えっ?」

 志希は、両手で頬杖をつき、ニンマリと笑いながら私の顔色を窺った。
「それとも、奏ちゃんは彼に怒られたいの?」

「わ、私は――」

 正直、どうしたら良いのか、どうしたいのかは私自身、よく分からない。
 周子の言う通り、彼が態度を示した時に対処すれば良いというのも一理ある。

 そう――あの人が態度を示さないのが問題なのだ。
 だから、私も美嘉も戸惑うのだし、周子や志希はすっかりあの人を舐めきってしまっている。


「――ちょっと、プロデューサーに会ってくるわ」

 ユニットの空気をシメるのもリーダーの仕事なら、行動は早い方が良い。

 甲斐性の無い人ではあるけれど、この先も私達をプロデュースしていく彼の真意くらいは、確認を求めてもバチは当たらないはずだ。

 私は皆を残し、席を立った。

 事務所に着くと、1階のラウンジが騒がしい。

 様子を見に行こうと近づくと、前から通りすがる一人の女性に声を掛けられた。

「おっ、奏じゃん」
「拓海さん」

 彼女は、向井拓海さん――プロデューサーの同僚である、あのヤクザのようなプロデューサーが担当するアイドルだ。

 この人自身も、元レディースという事もあり、何かと危なっかしい印象が強い。

「あれ、お前んとこのプロデューサーだろ。何とかした方が良くねぇか?」

「えっ?」


 拓海さんが指をさす方向には、ラウンジの一角に座り、男性と言い争いをしているプロデューサーの姿があった。



「――いや、ですからこの間も申した通り、そういうのは営業課さんの方でお願いしたいんです」

「そ、そんなぁ――何でそんな」

「何でって、こちらの要望に沿う仕事を取ってくるのはそちらの仕事だからですよ。
 我々事業三課の要望は既にお伝えしていましたよね?」


 彼の前に座り、今にも泣き出しそうな顔で何かを懇願している様子の男性。
 一方で、プロデューサーは表情を崩さず、しかしつっけんどんな態度でペンをクルクルと回している。

「他の事業課さんは、営業にも協力してやってくれてるじゃないですか。
 私達、会社として利益を上げておこうって、協力しようって姿勢が無いと、アイドル達だって」

「私が申し上げているのは、本来の業務分掌はどうなっているのか。そして、正すべき襟があれば正した方が良いんじゃないんですかって事です。
 おかしいですよね、何でウチが営業課さんの仕事もやらなきゃいけないんですか?」

「そ、そう言われても、今までそうやって――!」


 ため息を一つつくと、プロデューサーはさらにまくし立てた。

「仮に我々が営業をする横で、あなた方は定時でお帰りになられる訳でしょう。
 もっと言うと、出張費だって我々の会計から出ているんですよ。営業課さんではなく」

「えっ、そ、そうなんですか?」

「当然です、知らなかったんですか。
 管理課さんの担当が理解あるから上手くやっているようなものの、色々な所で軋轢が生じている事はご理解いただきたいんです」


 無表情ではあったけれど、プロデューサーには今まで感じた事が無いような冷酷さが見て取れた。

「大体、協力と仰いますが、そういうのはされる側が一方的に提案する話ではないと思うんです。
 では、営業課さんは我々に何をご協力いただけるんですか? 今のままだと単なる押し付けですよ」

 背もたれに寄りかかり、憮然とした表情でプロデューサーが言うと、相手の人はほとほと困り果てたように頭を抱えた。

「わ、私だけではちょっと、判断つかないと言いますか」

「いいですよ。上司とどうぞご相談ください。私も上には話しておきます」


 プロデューサーは席を立った。

「誤解が無いように言いますが、これまでの慣習に従い、我々が営業を行うでも私は良いと思っています。
 ただ、本来業務ではないため責任は負いかねる、という事だけはご理解いただきたい。失礼致します」


 コツコツと、若干不機嫌そうに靴底を鳴らし、その場を後にするプロデューサーと目が合った。

 一瞬で、私達に向けるようなあの気の抜けた顔に戻る。

「イヤなヤツだと思ったでしょう」

 薄曇りの空の合間から夕日が差し込み、事務所の屋上から臨むビル群をうっすらと照らしている。

「元からあまり、良い印象は抱いていないから」
「だよなぁ」
 ハハッと笑いながら、プロデューサーは手すりにもたれながらタバコの煙を空に向けて吐いた。

「まぁ、俺としてはどっちでもいいんだけどね。営業やるでもやらないでも」
 手近の灰皿に灰を落としながら、プロデューサーは肩をすくめる。

「ただ、ちょっと言い過ぎたかな。ついムキになってしまった。
 さっきの彼は、本来の役割分担をロクに知りもしないクセに、俺に仕事を押し付けようとしてきたから」


 風が吹いてきたので、プロデューサーは少し位置を移動した。
 私に煙がかからないように。

「不当に自分の仕事を増やされるのは、プロデューサー、嫌いそうだものね」
「もちろんそれもあるけどね」


「あなたの仕事に対するその姿勢は、前職の影響? タバコを吸い始めたきっかけっていう」

 一瞬、プロデューサーの手が止まる。

「コンサートホールのスタッフというのは、そんな縦割りのお堅い考え方をするものなのね」


「誰から聞いた?」
 キョトンとした様子で尋ねるプロデューサーに、私はフッと笑う。

「ちひろさんから。タバコの件は、周子からだけれど」
「あぁ、管理課の。そういやあの人にも話したっけか」
 合点がいったという様子で、彼は大きく頷いた。


「でも、正確に言うと、ちょっと違うかな。前職は確かにコンサートホールの職員だけどね」
「えっ?」

「お堅い考え方をするようになったのは、それの前の仕事。
 タバコを吸うようになったのは、それのさらにもう一つ前の、最初の仕事の影響」


 タバコを振りながら、プロデューサーは笑った。
「今の会社、4社目なんだ」

「――プロデューサーって、何歳?」
「そんな誰も幸せにならない事、聞いてどうするんだ」

 初めて知る、プロデューサーの意外な側面。
 彼には彼なりに背負ってきた人生があり、その中で培った信念が、どうやら無い訳ではないらしい。

「話戻るけど、営業については結局やらされる事になりそうだけどな。
 今頃は、ウチのチーフがあっちの上司に電話で謝っている頃だろう。俺と違って、あの人気ぃ遣いだから」

 何より、一番新鮮だなと思ったのは――。


「珍しく、随分と喋るのね」

 いつもは事務的なプロデューサーと、こんなに話すのは初めてだった。
「ひょっとして、まだ怒ってる? 営業課さんって人に」

「うーん――そうかもな、ハハハ」
 小首を傾げ、悩むフリをしながら、プロデューサーは誘い笑いをした。

「私達には怒らないクセに」
「あぁ、そうだな」


「何で?」

 この人が見せた二面性に、私は改めて不信感を抱いていた。

「私達に要らない気を遣っているのは、プロデューサーも同じじゃないのかしら」

「それはそうさ。大人が子供に譲らなくてどうする」
 悪びれる様子も無く、プロデューサーはすっかり短くなったタバコを未練がましくもう一度吸う。

「気づいてるでしょう? 私達、あなたをナメているのよ」
「だろうね」

 堪らなくなって、私はとうとう声を荒げた。

「プロデューサー、仕事の度に現場の人達に頭を下げているじゃない。私達のせいで。
 腫れ物に触るような態度を取るんじゃなくて、しっかり私達と向き合って素行を正す事も、担当プロデューサーとして、いいえ、大人として大切な役目じゃないの?」


「奇妙な事を言われている気もするが、怒る方も辛いんだよ」

 うーん、と言葉を探しながら、プロデューサーはタバコを灰皿に捨てた。

「自分達をどうしたいのか、速水さんは以前俺に聞いていたな」



「本音を言えば、どうもしたくない」

「えっ――」
「なぜ怒らないのか、っていうのも、同じような理由だな。どうでもいいんだ、別に」

 言葉を失う私に、プロデューサーはさらに信じられない言葉を発した。



「なぜなら、俺は君達に何一つ期待していないからね」

「!? な――!」

 怒りで我を忘れそうになる私に対し、プロデューサーは淡々と続ける。

「君も、前任からはなかなか手のかかる子だと聞いているよ」
「えっ?」


 プロデューサーは、新しいタバコに火を付けた。
「大人びていて扇情的だが、意外と我が強くて扱いが難しいってな」

「それは、前の人が勝手にそう思い込んでいたからでしょう」
「俺もそう思う」

 風向きが変わってきたので、またプロデューサーは何となく歩き始めた。

「そういうのもあって、俺は君に余計な手は掛けまいと思った。
 腫れ物に触るように、とズバリ言い当てられてしまったが、さすが、鋭いな君は」


「なるほどね」
 私の頭は、少し前までと比べて、驚くほど冷めていた。

「要するに、「俺にとって君達はどうでもいいから、どうぞ好き勝手にしなさい」という事ね?」

「もちろん、手の掛からないに越したことは無いけどな。
 君はともかく、宮本さんや一ノ瀬さんとか特に」

 ハハハと笑いながら、プロデューサーはまたタバコの煙を燻らせる。

「まぁ、たとえフェスで大コケしても死ぬ訳じゃないんだから、気楽に行けばいいと思うよ」


「――もうたくさん」

 私は踵を返し、階段に向かった。
 決して振り返るまいと思った。

 こんな、こんないい加減な人が、私達の――私のプロデューサーだなんて――!!


 何も期待していない?
 大コケしてもいいですって?

 担当アイドルに向けて言って良い言葉では無いわ。


 志希やフレデリカ達以上に、私はプロデューサーへの理解をその日、諦めた。

【3】

 (・)

「いや、でもねアリさん。マジでこれは俺、マジで言いますけど」

「やっぱね、無関心は俺良くないと思うんスよ。マジで。
 ちゃんと見てやって、今日もおっぱいエロいね、とか、何だお前だっせぇメイクだな、とか言ってやんねーと」
「ヤァさん、それ全部セクハラで捕まりますよ」
「そういう話じゃねぇーんだって! 分かってねぇなチビ太お前、俺が言いてぇのはぁ、ねぇ?」

「ちゃんとアイツらに“女”を意識させてやんなきゃダメっつーコトッス。
 ファンだけじゃなくて、一番身近な俺達プロデューサーがちゃんと見てるって思えば、アイツらもオンナを磨くんスよ。
 甘えさせちゃダメッス。どうでも良いなんて思ったらマジでどうでも良いアイドルしか育たないッスから」

「やっぱヤァさんは、アイドルは“女”であれ、と?」
「女を捨てた女ほど悲惨なモンはねーからな。経験則だけどよ」
「なるほど」

「ただ、うーん――まずは、彼女達自身の自主性を尊重したいなぁって思いますけどね」
「だーからアリさん! そういうアイドルを目指したい!!って思わせなきゃ!!
 アリさんだってチンコ付いてんでしょ!?」
「声でか――」
「うるせぇチビ太!! あーもう分かりましたアリさん、次行きましょ次! ガールズバー行きましょ!」

「えぇ?」
「あるいはもうちょいあっちのキャバクラでもいいッスよ。もっと女を求めていかねーと」
「いやいいですよ。ちょっと金無いですし、今」
「いいーッス俺が出しますから! アリさんは1アリさんだけ出してくれれば」
「1アリさん?」

「何です、“1アリさん”って?」
「1万円」
「いや絶対足りないでしょ。ヤァさんこの間だって皆を連れ回した時――」
「えっ、そうでしたっけ? まぁいいからとにかく出まスよ! 行くぞチビ太!!」
「お、俺もですか!?」
「当たりめぇだべしたっ!! そもそも今日はお前んとこのお祝いだぞ!」
「もう関係無くなってるじゃないですかぁ」


「ハハハ――」

 346プロの敷地内には、中庭を囲むように大きく3つの建物がある。

 エントランスホールやラウンジ、専用のスタジオ等がある本棟。
 社員の事務室や会議室が集積された事務所棟。
 アイドル達のレッスン室やリフレッシュルーム等が設けられたレッスン棟だ。


 今日は、年に一度開かれる合同研修会のため、俺達事業三課は実行委員として、本棟の集会場で朝から会場準備に駆り出されている。

 昔は事業部内で持ち回っていたのだが、何やかんやでここ数年はすっかり三課の担当行事となっているらしい。


 考えるまでもなく、事務所の花形、すなわち稼ぎ頭を多く擁するのは事業一課と二課。

 本社直轄とはいえ、問題児ばかり押しつけられる事業三課は、今や閑職の体を成していた。

 何となーく、そういう雑務を押しつけられるのは、俺達もすっかり慣れている。

 昨夜のダメージを引きずりながら椅子出しをしている時、総務から内線がかかった。

 今度開かれるサマーフェスの会場設営を担当する業者が、折り入ってお願いがあると、飛び込みで社までやって来たらしい。

 事業課からも誰か一人打合せに出席をしてほしいが、一課も二課も皆出払っているとのこと。

 チーフに了解を取り、打合せ場所である事務所棟1階の会議室へ向かう。


 部屋に入ると、3人の業者側と相対するように、広報一課、二課と営業一課、あと総務課の人がそれぞれ1人ずついた。

 軽く会釈をしながら扉を閉め、一番近くの隅っこに着く。

 名刺交換もそこそこに、さっそく打合せが始まった。

 ザァーッと資料に目を通す。案の定、工期が間に合わないとのことらしい。

 こういう類のものは、通常は工期が厳しくなるほど特別大掛かりな工事になることは無い。

 一方で、ウチのこのフェスは、モニュメントやら装飾やらを凝った造りにする事が多く、慣れてない業者が請け負うと度々こういう事態になる。

 それはさておき、やはりこれは、俺が喋らなくてもいい会議だ。

 必死に工期延長を懇願する業者側を、烈火の如く叱責する広報課さんと営業課さん。

 その横で俺は、資料の余白にペンを走らせる。

 今月の給料日までに、一日いくらで暮らしていかねばならないのか?

 昨日は結局、ガールズバーとキャバクラのどっちにも行くハメになったのだ。

 ヤァさんから、今目の前にいる業者さんのように土下座をされ、渋々出したのは“4アリさん”だった。

 年長のよしみで金を出したものの、やはりもう少しもらうべきだったかも知れない。


 知れずため息を漏らすと、急に業者から話を振られた。

 どうにかなりませんか事業課さん、とのことだった。


 他の課がすっかりお怒りである中で、俺一人だけ業者の擁護をできる訳がない。

 神妙な面持ちで、ダメだと突き返す。話聞いてなかったけど。


 やがて業者はいよいよ肩と頭をガックリと落とし、分かりましたと言ってトボトボと去って行った。

 困った連中ですね、と、彼らが扉を閉めた後で愛想笑いを求めた他課の連中と談笑する。

 会場に戻ると、狙い通り、準備は概ね一段落したようだった。

 頭痛を堪えながら肉体労働するより、不毛な打合せに顔を出している方がよほど良い。


 昼時になったので、チビさんに誘われ、事務所から少し歩いた所にある蕎麦屋へ行く。

 彼はヤァさんと同じく、入社が俺と同期で、やや歳は離れているけど気さくにつるんでくれる良き同僚だ。

 人員の穴埋めで本社に連れてこられた俺と違い、チビさんとヤァさんは今の部署に配属されて三年になる。

 本社勤務の長さは、それだけ能力が認められている証拠でもあった。


 彼はカツ丼セットの大盛りをガツガツ食っている。

 今日は“勝負の日”だから、ちゃんとエネルギーを蓄えておきたいんです、とのこと。

 小さい体で、それもあの嵐のような日の翌日なのに、良く食うもんだ。俺はとろろせいろで精一杯なのに。

 ふと、昼間から新聞片手にビールを飲んでいるじいさんが目に入り、思わず気分が悪くなる。


 会場に戻ると、ヤァさんと出会った。

 彼は駅前で、メガ牛丼? というのを食ったらしい。

 346プロには大きく、総務部、事業部、営業部、広報部という4つの部署がある。

 総務部は管理課、経理課、人事課。
 他の3部門は、本社内にそれぞれ一課から三課まである。

 他、各地方に点在させている支社にも、事業、営業、広報担当部署が張り付き、それぞれ四課以下の課名が割り振られている。

 今日の合同研修会は、一応そんな支社の連中にも任意で招集をかけているが、基本的には会場の定数を理由に本社がメインで対応する。

 サクラ要員として強制招集される事業三課の代わりに、いくらでも参加してほしいものだと思うが、そうもいかない。


 この研修会は、主として東京近郊のアイドル事業を担う会社が一同に介する一大イベントだ。

 各事務所の幹部やプロデューサー、若干名のアイドル達だけでなく、テレビ局や出版社等業界の役員等も出席する。

 音頭取りは、業界のトップランナーたる我が346プロが担う事となっている。

 行われる事は、ウチやどっかのお偉方のご挨拶に始まり、有識者による業界の隆盛とその背景、現在のトレンド等の考察。

 プロデューサー始めアイドル連中との淫行はダメ絶対、などというお決まりの文句。


 俺達は、一番後ろ側の入口側に近い席に三人並んで座る。

 ヤァさんがいびきをかく前に俺が肘でこづき、俺が船をこぎ始めたらチビさんがペンで突っつく。

 チビさんが寝れば、ヤァさんが俺を挟んで彼の写メを撮った。

 そして、研修会は研修で終わりではない。むしろここからが本番だ。


 30分ほど設けられた休憩時間の間、大急ぎで再度会場準備が行われる。

 椅子は会場の端に悉く追いやられ、長机の代わりにでっかい丸テーブルが通りよく配される。

 その上に乗るのは、瓶ビールとソフトドリンク、ケータリング料理の数々。

 ニコニコ顔でやってくる業界のお偉方に飲み物が手渡され、交流会――流行りの言葉で言えば、意見交換会が催されるのだ。


 プロデューサーにしてみれば、自分のアイドルを業界連中に売り込む絶好の機会でもある。

 そのため、皆は自分達のアイドルを連れ、目の色を変えて必死に挨拶に回っている。


 俺は会場の隅で、他の連中が慌ただしく右往左往するのを眺めながら、コップを片手にただ時が過ぎるのを待つ。

 それでも、我が社は曲がりなりにも大手なだけあって、俺が出向かなくても向こうから挨拶をされる場合もある。

 名刺を交換し、適当に世間話をして難を逃れる合間を縫って、俺は346プロのプロデューサーとアイドルの観察に勤しんだ。

 一際小さいので逆に目立つのは、チビさんと彼の担当アイドル――持田さん、だっけか。

 あぁいう若年層のアイドルは、家庭環境が特殊な子達が多い分、問題児の率が非常に高い。

 それを一手に引き受けて、チビさんは実に上手く立ち回っている。昨日も彼の仕事の慰労会だった。


「てんめぇ、何度言ったら分かんだ! アタシにこんなドレス着させやがって!!」
「まぁそう言うなや、持てるボインは積極的にイカさねぇともったいね――」

 今しがた強烈なボディーブローを食らい、呻き声を上げながら地面に伏したのは、俺やチビさんの同期、ヤァさん。

 その上から、向井さんという、確か元レディースだったか。彼女が罵倒を浴びせている。

 いつ見ても恐ろしいが、近く事業一課の木村さんを始め、そういうイケイケな子達との企画が進行中らしい。

 見た目はまさしく愛称通りのヤクザだが、あぁいう怖い子達と向き合う彼の手腕には感心する。


 ふと、彼らの向こうに、どこぞの業界人と話している、一際デカい図体をした男を見かけた。

 その横には新田さんという、スラッとして行儀の良い、いかにも才色兼備な現役女子大生アイドルがいる。

 彼は、俺が密かに心の中でクマさんと呼んでいるプロデューサーだ。

 入社してからほとんどの間、ずっと本社におり、現在は一課で、シンデレラとかいう一大プロジェクトを一手に任されている。

 歳は見た目に寄らず結構若いはずだが、既にチーフ級であり、我が社の出世頭筆頭だ。

 そして――。

 一際大きな、文字通り黒山の人だかりの中央にいるのは、当然、一課。


 我が346プロが誇るトップアイドル、高垣楓。

 それと、その担当プロデューサー――通称ヒゲさんだ。


 彼女クラスにもなると、挨拶回りしなくても向こうからお偉方が寄ってくる。

 楽しそうに談笑しているのを見ると、あぁいう連中との会話にも慣れているようだ。

 ビジュアルもダンスもボーカルも、圧倒的な実力を持つ彼女には、黙っていても仕事のオファーが殺到する。

 むしろ、噂によれば、仮に彼女が引退する事になれば、彼女の人気に肖った事業を展開する企業が軒並み倒産する事態もあり得るらしい。

 我が社だけでなく、誇張抜きに、およそこの業界にいるほとんどのアイドルの目標でもあるのだろう。

 そして、その担当プロデューサーも、我々一介のプロデューサーにとっての目指すべき姿、か。

 ――――。



 お――ウチの課長と目が合った。まずい。

 課長がツカツカとこちらに近づき、お前んとこのアイドルはどうした、と詰め寄ってくる。

 彼女達にはレッスンをやらせている旨を答えると、案の定小声で怒鳴られた。

 何とか適当に取り繕い、喫煙所に逃げる。

 やれやれ――。


 喫煙所の中には、男達が数人、適当な世間話をしていた。

 部屋の外にアイドルらしき子達がいないのを見ると、いずれもプロデューサーではないようだ。

 本来はプロデューサーたるもの、休憩などせず、もっと会場で忙しく営業していなくてはならないのだろう。


 部屋に入り、一本取り出して火を付け、一息つくと、残りの連中はちょうど出て行った。よし。

 今日の交流会については、担当アイドルの何人かからも申し出はあった。

 自分達も出席した方が良いだろうか? と。

 でも、丁重に断った。

 こんな退屈な会に顔を出す暇があったら、少しでもフェスに向けて完成度を高めておいた方が良い、と。

 もちろん、それも本心だ。


 ――――。



 あと20~30分したらお偉方のスピーチがあるそうだから、それまでココに籠もっておこう。

 そう思い、携帯を適当に弄ってると、男が一人入ってきた。

 チッ――。

 しかも、いきなり話しかけてきた。妙に馴れ馴れしい。

 どうでもいい世間話ばかり聞かされる。

 愛想笑いにも疲れたので、タバコを揉み消してその場を去ろうとすると、

「まぁまぁもう少し!」

 などと、その男は自分の胸ポケットからタバコのケースを取り出し、一本差し出した。


 タバコの数あるデメリットの一つだ。勧められると断れない。

 生来の貧乏性が合わされば、なおさらだ。


 一応の礼を言いながら、受け取ったタバコを渋々吹かす。

 まっず。何これ、薄荷?

 そんな俺の憂いなど歯牙にもかけず、男はなお踏み込んできた。

 あなたもプロデューサーのようですが、アイドルはお連れでは無いのですか? と。


 ――――。

 自分はまだ新米なので担当はおらず、今日は先輩のカバン持ちで来ただけである、と適当に答える。

 すると、男はイヤミったらしく――。

「へぇ~? 顔だけ見ると十分ベテランさんに見えますけどねぇ~?」


 ――なんだコイツ。


 あっ、と男は大袈裟な仕草で頭に手を付いてから、いそいそと名刺を取り出した。

 申し遅れましただと。いけしゃしゃあと。


 ――187プロ。

 何かと良くない噂は耳にする会社だ。

 実際、昔は自社のアイドルや同業他社に対し、結構エグい事をしてきたらしい。

 SNSがすっかり普及し、マスメディアだけでなく世間による監視の目が厳しくなってきた昨今は、多少ナリを潜めているらしいが。


 仕事がしづらい社会になりましたね、と皮肉を込めて言うと、「オタクもでしょ?」と返された。

 乾いた笑いを返す。

 そろそろ営業に戻ります、とようやく彼が出て行ったのを見送ってから、もらったタバコをさっさと揉み消した。


 しかし、紫のダブルスーツとは悪趣味だな、と彼の後ろ姿を見ながらぼんやり思う。

 無理矢理オールバックにさせた頭髪もやや薄いし、あれで結構苦労しているのだろうか。


 まぁいいや。口直しにもう一本吸っとくか。

 そっと会場に戻ると、ウチの課長がキョロキョロと辺りを見回しているのが見える。

 俺を探しているようだ。どうやら説教し足りないらしい。

 ヤァさんがまた騒いだ瞬間、その延長線上にいる俺を課長の視界が捉えた。

 しまった。と、そこへ――。


「あっ、失礼します! 346プロの方ですよね? まだご挨拶ができていなかったかと――」


 俺に歩み寄ってくる一人の男がいた。

 また面倒なヤツかよ――と思ったが、このまま課長に捕まるよりかは、幾分マシである。

 いやいやどうもと、数割増しの愛想笑いで迎えて、名刺を交換する。

 だが、その名刺に思わず目を見張った。

 765プロか。


 確か、女性のプロデューサーが一人いたのは記憶している。

 話を聞いてみると、どうやら彼は入社したばかりの新人プロデューサーらしい。

 繁々と名刺を興味深く見つめる俺が、彼には奇妙に見えたことだろう。


 ところで、彼にはアイドルが付いていなかった。

「今度ライブを控えていて、その完成度を高めるべきだと思ったので」

 彼はそう答えた。

 同じ質問をされたので、アイドルの本分はステージである旨を適当に答えると、彼は勝手にいたく感銘を受けたようだった。

「志を同じくする人にお会いできて嬉しいです。それも、あなたのような大手のプロデューサーに」

 彼は逸る気持ちを抑えられない様子で、勢いよく右手を差し出した。

「ですが、ウチも弱小のままで終わるつもりはありません。必ず追いついてみせます」


 握手を返すと、礼儀正しくお辞儀をして、彼は足早に去って行く。


 ――なんだアイツ。


 会話が終わるのを見計らっていたのか、課長がノソノソと近づいてくる。

 ちょうど良いタイミングでお偉方のスピーチが始まったので、説教はお預けだ。

 しかし、翌朝出社した瞬間、面倒を押しつけられた。

 サマーフェスの会場設営工事の進捗状況を確認してくるよう、課長が俺に命じたのだ。

 件の打合せなど、課長に報告しなきゃ良かった。


 どうせ俺が行ったところで工事が進む訳じゃないんだから、こんな業務は無駄でしかない。

 大体、工事の担当窓口は俺達事業三課ではなく広報だろうに。

 そうは思うものの、こういう場合、下手に逆らわない方が結局は一番マシなのである。

 幸い、会社から徒歩と電車で40分もあれば行ける距離だ。

 現場に着くと、どうやら猛スピードで工事が行われているらしかった。

 ドスの効いたオジサンの怒号がそこかしこで聞こえる。

 完全に俺、来た意味無いなコレは。


 昨日の打合せで会った人が俺を見つけ、挨拶して来た。

 低姿勢ではあるが、明らかに俺に対する敵意を滲ませてくる。

 約束の工期を守れませんとか言い出したのはそっちだろうが、とも思ったけど、そこはグッと我慢だ。

 行きがけに、駅ビルで適当に買った菓子折を差し出した。

 業者は、目を丸くしている。


 打合せではキツい事を言ったけど、あなた方がいなくては我々のアイドル達は輝けない。

 どうかご無理はなさらず、しかしアイドル達のためと思い、どうか頑張ってほしい。

 こんなつまらないもので工事が進むとは思わないが、この菓子折はあなた方を少しでも労いたいという、せめてもの気持ちである。


 適当にそんな感じの事を言うと、業者は「はい――ッ!!」などと感極まった顔をして体を震わせている。

 こんなので釣られんなよ。大丈夫かよ。

 写真を適当に何枚か撮って、その場を後にする。

 結局、20分くらいしかいなかった。

 直帰しても良いが、せっかくだし昼飯時まで時間を潰そうと、駅前の喫茶店に避難する。


 やはり、今月はもう赤字を回避する事は不可能のようだ。

 どんなに計算しても――いや、計算すればするだけ、いかに非現実的な努力が待ち受けているかが浮き彫りになる。

 来月は彼らとの付き合いを減らすべきだな。

 もちろん、今日買った菓子折は後で経理課に領収書を渡す。業者の信頼を勝ち取るための必要経費だ。


 コンビニで買った雑誌を読んでいると、携帯が鳴った。

 課長からの帰れコールかな? ――と思ったけど、違った。

 だが、ディスプレイに表示されたのは、ある意味課長よりも面倒な相手だ。気が滅入る。

 一ノ瀬さんかぁー。

 なんでも、今日どうしても話したい事があるので、午後のレッスンに来てほしいとのことだった。

 あまり気は進まないが、断る理由も無い。

 了解した旨を伝えると、彼女は電話口で例の猫みたいな笑い声を上げた。

 突如、慌ただしい音が聞こえ、宮本さんの底抜けに明るい声が俺の耳をつんざく。

 その次は塩見さんだ。落ち着き無くってごめんねー、だそう。


 さて――じゃあ昼飯食ってから行くか。

 どこがいいかな。昨日の蕎麦屋でいいか。

 昨日チビさんが頼んでいたカツ丼セットの大盛りを頼んだ事を、今激しく後悔している。

 味は悪くないが、お腹のもたれっぷりが凄まじい。

 別段勝負するような時でも無ければ、量で喜ぶような歳でもないのに。

 事務所に着いたらまずウンコせねばなるまい。


 向こうの歩行者信号が点滅しているのが見える。

 もちろん走らないし、走れない。彼女達に会う前に、お腹と思考を少しでも落ち着かせるべきだ。

 予定通りに赤になった信号を眺めながら、これから待ち受ける彼女達の狙いを空想する。


 一ノ瀬さんがあんなに楽しそうにしている当り、ロクでもない事であるのは確かだ。

 途中で宮本さんや塩見さんに変わった所からして、個人的な相談でもない。

 とすると、今のユニットの件――やはり、今度のフェスに関する事という線が有力か。

 であるなら、リーダーである速水さんからの発信でないのが少し気になる。

 たぶん、嫌われてるんだろう。俺は速水さんに。

 それはともかく、もうフェスまで1ヶ月を切ったこの時期に、俺への相談事とは?


 信号が変わった。

 思考が途切れ、代わりに激しい便意が蘇ってくる。

 差し入れのペットボトルは、そこまで彼女達に喜ばれなかったようだ。

 一ノ瀬さんは、もっと辛いのが良かったという。辛い飲み物って、例えば何だ?

 城ヶ崎さんと宮本さんはすごく喜んでくれたけれど、世界一美味しいとか絶対宮本さん適当な事言ってる。

 城ヶ崎さんも、たぶん気を遣ってるんだろう。

 塩見さんは気づいたら勝手に飲んでた。


 速水さんは――あぁ、これは相当俺の事を嫌ってるな。受け取ろうともしない。

 いつか屋上で話した事が、よほど気に入らなかったと見える。

 担当アイドルに気に入られる事がプロデューサーの本分とは思わないが、ちょっと言葉を選ばなすぎたかな。

 まして彼女はリーダーだから、俺とコンタクトを取る機会も多いであろう立場だけに、申し訳無いとは思う。


 トレーナーさんからの提案を受け、彼女達のレッスンを見学させてもらう事になった。

 こういうものの善し悪しは分からないのだが、贔屓目抜きに、おそらく彼女達のレベルは非常に高い。

 破天荒な振る舞いや派手な見た目だけでない、ちゃんとチヤホヤされる理由があるのも頷ける。

 そう思っていると、突然トレーナーさんが宮本さんを叱った。

 どうやら、宮本さんが規定の振り付けをせずにふざけたらしい。素人目にはそうは見えなかった。

 たぶん、恒例行事なのだろう。宮本さん自身を含め、皆ニコニコと楽しそうだ。

 速水さんを除いて。


 さて、その不機嫌なリーダーから、ようやく俺への相談があった。

 どうやら、今度のフェス当日にて、自分達に何かドッキリを用意してみてくれないか、との事だった。

 他の子達が後ろでニヤニヤと笑っている。


 これは、非常に奇妙なお願いだ。

 彼女達の意図は分かる。

 曲がりなりにも、彼女達のプロデューサーを3、4ヶ月勤めてきた。

 彼女達はステージの度、お互いに何かしらのドッキリ――彼女達は“ジョーク”と呼んでいるらしい――を用意し、当日にそれをぶちかます。

 ターゲットは彼女達自身。より正確に言えば、特定の一人に“ジョーク”をかますために、他の4人が周到に計画を練るらしい。

 そして、その一人が誰になるのか、当日になるまで彼女達自身にも分からない。

 一緒になって計画を練っていたつもりが、実は自分がターゲットだった、という可能性を常に疑いながらステージに臨むのだ。

 その不確実性が緊張感を生み、実際に繰り出される“ジョーク”がスパイスとなり、よりインパクトのあるステージになる。

 ――だ、そうだ。


 GW頃だったか。塩見さんに対し、速水さんと城ヶ崎さんが仕組んだステージでの一件がジンクスとなり、以後、彼女達の間で慣習となったようだ。

 俺には全く理解できない考えだが、今度はその仕掛け人を俺にやれと言う。

 というより、予め「ドッキリをやれ」というのはドッキリになるのだろうか?

 とりあえず了承し、レッスンを続ける彼女達を残し、事務室へ戻る。

 パソコンを付け、メールチェックをしている間も、頭の中はドッキリの事で持ちきりだ。

 面倒な役割を押しつけやがって、うぅむ――ドッキリ、ドッキリ――。


 いずれにせよ、シャレになるレベルには抑えなければならない。

 が、彼女達をあっと言わせ、かつプラスの効果を――。


 と思案している所へ、課長が俺を呼び出した。

 今度のフェスに関する事らしい。


 絶対、良くない事だな。こっちも。

 ――気分を落ち着かせるため、屋上でタバコを吹かしながら思案する。

 案の定、良くない事だった。それもだいぶ。



 一課の高垣楓は、現在、今冬公開される主演映画に向けた撮影の真っ最中であり、その主題歌も彼女自身が担当する。

 そして、スケジュール的に『アイドル・アメイジング』の本番は映画の公開直後となる。

 映画と曲双方の相乗効果や、その話題性によるステージ本番での盛り上がりを考えれば、彼女がその舞台に立つ事が、我が社的には最も経営戦略的に有利であるとの事らしい。



 つまり、俺達には勝つな、という事だ。

 もちろん、俺達だけじゃない。他の課の、他のアイドル達全てが、高垣楓に切符を譲らなくてはならない。

 流行りの言葉で言えば、忖度とかいうヤツだろうか。

 サマーフェスの勝敗は、視聴者とフェスの来場者、346グループの役員らの投票により決する。

 そして、346役員の1票が持つ重みは、視聴者分の何百倍、あるいは何千倍にもなるのが実態だ。


 役員らは皆、高垣楓に票を投じる。

 これはすなわち、一般の視聴者や来場者のほとんどが違うアイドルに一点に票を傾けたとしても、覆せない。

 関係者しか知り得ない、フェスの裏事情だ。もちろん、アイドル達自身も知らない。


 実際、『LIPPS』を特別視している役員も一定数いるらしい。

 まともに張り合ったとき、ひょっとしたら高垣楓を上回る票を獲得する可能性も無くはない。

 それ故に、俺達は釘を刺されたというのもあるようだ。


 フェスで敗北するであろう事実を彼女達に受け入れさせろ。

 まかり間違っても勝つ事は無いが、勝たせるための努力はもう必要無い。むしろするな、だ。



 ――――。

 一部の輩の気まぐれで、人の行く末など簡単に狂わされる。

 いつだって割を食うのは下っ端。カーストの底辺だ。

 この会社に限った話じゃない。これまでにも、同じような事を何度か経験してきた。


 正直な所、彼女達が負けること自体はそこまで遺憾ではない。

 むしろ、後の人生を考えれば、この辺で諦めてもらえた方が良いのではとも思っている。

 十分に良い夢を見れただろう。そして醒めない夢は無いのだから。


 ただ、こういう大人の事情を、如何にして彼女達に悟られず、かつしこり無く敗北を受け入れてもらうかが、非常に難題だ。

 彼女達は賢いから、いっそ本当の事を言ってあげた方が良いだろうか?

 いや――城ヶ崎さんは曲がった事が嫌いそうだから、絶対納得しないだろう。ダメだ。


 単純に、実力の差により負けたのだ。結局、高垣楓には勝てないのだと、素直に認めてもらうか?

 ――それも良いな。何も俺が余計な事をしなくても、普通に負けたと思うかも知れない。

 だが、もし万が一、速水さんや一ノ瀬さん辺りが異常な鋭さを発揮して勘付いたりするとまずい。

 相当荒れるし、事前に知っていたはずの俺を厳しく糾弾するだろう。シラを切り通せるだろうか?


 くそっ、厄介な仕事を押しつけやがって、うぅむ――。



 ――――。

 ん?



 いや、待て――――ちょっと待てよ。これは――。


 ひょっとして――いや、ひょっとしなくても、良いアイデアなんじゃないか?


 すごく良いアイデアなんじゃないだろうか!? おぉっ!

 新しいタバコに火を付けて――よし、考えを整理しよう。


 まず、フェスのドッキリと称して、他課のプロデューサーに協力を求める。

 ドッキリの内容は、「『LIPPS』のステージに有志のアイドルが飛び入りで参加する」だ。

 これなら、登場するアイドルの知名度アップにもつながるし、LIPPS達にとっても仲良しアピールできるという点でプラスだ。

 さぞかし良い“ジョーク”になるだろう。


 というのが表向きの仕込みだ。彼女達にも、そのつもりだったと説明する。



 本命は、LIPPSのステージを破綻させる。

 具体的に言えば、機器のトラブルに見せかけて曲の音声を止めさせるか、照明を落とすか。

 どっちでも良い。とにかく、アクシデントにより彼女達がステージを続行できなくなれば良いのだ。

 何て酷い事をするのだ、と、計画を知られれば思う人はいるかも知れない。

 まして、担当プロデューサーである俺が、自身の手で彼女達のステージを台無しにしようというのだから。


 だが、俺はこれを酷い事だとは思わない。

 なぜなら、アクシデントが起きた事で、彼女達と高垣楓との間には明確な優劣が付かなくなるからだ。


 例えば、100m走決勝の舞台に二人の優勝候補がいて、一斉にスタートを切った二人の、どちらかの靴紐が切れたとしたら?

 当然、靴紐が切れた方の選手は満足にパフォーマンスを発揮できず、敗北するだろう。

 しかし、それを目の当たりにした観客達はこう思うはずだ。

「もしこの事故が無ければ、どちらが勝っていたんだろう」と。


 もし、あのアクシデントが無ければ――。

 万全の状態でステージを披露できてさえいれば、高垣楓とも張り合えていたのではないか――?


 フェスで“不慮の”敗北を遂げたLIPPSに向けられる感情は、決して負ではない。

 むしろ、この一件が彼女達への新たな期待感や話題性を生む事だって多分に考えられるはずだ。

 そして俺は、この一件の責任を問われ、まんまとクビになるだろう。


 どのみち嫌気が差していた仕事だ。実際、こんな黒々とした話もあるし。

 元々この会社に転職したのだって、自分から来た訳ではなく、スカウトみたいなものだった。

 振り返ってみれば、もう5年目だ。今までの会社を思えば、最も長続きしたことになる。


 そして、次の就職先も既に目星は付けてある。961プロの用務員だ。

 先日の交流会で961の人と少し話をしてみたが、どうやら募集は随時しているらしい。

 バイトみたいなものだから、給料は下がるだろうけど、まずは煩わしい人間関係を一度リセットしたい。

 その間、何か勉強して資格を取って、次の仕事を始める準備をしようと思う。

 年齢も年齢だし、スキルを全然培ってこなかった焦りもある。そろそろ真面目に将来設計をしなくては。

 という訳で、LIPPSは裏事情を知ること無く“悲劇のアイドル”としてより一層の注目を浴び、俺はこの業界を去る。

 こんなに良く出来たWin-Winがあるだろうか。


 問題は、どうやってアクシデントを起こすかだ。

 どんな手段を取るにせよ、ステージの構造を理解しないことには計画の立てようが無い。


 ――いや、それは設営真っ最中のステージの様子を、逐次視察に行けば良いんじゃないか?

 あの業者さんのハートをもっと掴んで、図面をもらったり裏側とか見せてもらってさ。

 あのうるさい課長だって、工事の様子を見てきますと言えば簡単に了承してくれるだろう。


 いいぞ――素晴らしい。何から何まで上手く行く予感がしてきたぞ!

 次の日、さっそく事業一課のクマさんの元へ企画を持ちかける。

 別段誰でも良いのだが、彼の『シンデレラプロジェクト』は新進のアイドルを大勢擁するものだ。

 滅多なものでも無ければ、自身のアイドル達が目立てる機会をより多く欲している事だろう。


 そして狙い通り、了解をもらえた。

 飛び入りで登場する――ことは実際無いが――アイドル達は、『ニュージェネレーションズ』という三人の子達が選出された。

 15歳の子が二人と、17歳か。LIPPSの子達よりも若いな。

 トレーナーさんに話は通しておくので、体が空いた時にでも『Tulip』の振り付けを会得して欲しい旨を伝えると、快い返事が返ってきた。

 本田さんって子がリーダーか。何とも元気の良い子だな。

 工事現場の人達は、もうすっかり手懐ける事ができた。

 ちょっと高級のお菓子で餌付けすれば、彼らは大層有り難がってくれる。

 より良いコーディネートとシミュレーションのため、ステージの実態を正確に把握したい。

 そんなもっともらしい事を言って、現場の細部を、裏側を念入りに案内してもらう。

 特に注意すべきは、設備周りの配置だ。

 真剣な眼差しでチェックする俺を見て、業者さん達は大いに誤解しただろう。

 実際は、自分トコのアイドルのステージを台無しにするためなのに。


 実に有意義だ。どうやら順調に事は進んでいる。

 さて――アフターケアも用意しなくては。

 そう思い、俺は前の職場へと向かった。

 そこは、下手すりゃ熊が出るほどド田舎にある支社。

 都心部から電車で約2時間――青梅線の果てにある奥多摩支社の事業五課が、俺の前の配属先だった。


 目的の人物に会う前に、俺と入れ替わりでココに配属となったプロデューサーに声を掛けてみた。

 つまり、速水さんの前のプロデューサーだった人物だが、どうやら精神的に少し回復しているようだ。

 スカウトの調子を尋ねると、めぼしい人材は全然見つからないという。

 そりゃそうだ、そもそも人がいないしな。


 速水さんが特別扱いづらい、プロデューサー泣かせの子だとは思わない。

 ただ、人との関わり合いが特に多いこの業界、その軋轢に耐えきれず精神を病む人は我が社にも非常に多いのだ。

 奇妙な話だが、この奥多摩支社は、そんな鬱状態の一歩手前まで病んでしまった社員が回される救済施設的な役割も担っている。

 いわゆる閑職であり実績が上がらないにも関わらず、この支社が今なお奇跡的に解体を免れている理由の一つでもある。

 そして、理由はもう一つ――。


 ドアをノックし、久々に入った部屋には、変わらぬ支社長が手を上げて待っていた。

「どうだい? 本社勤務に戻ってみて」

 支社長は、本社で言う所の部長クラスに当たる。

 だが、この人は立場を気にせず、ヒラの俺の面倒を良く見てくれた恩人の一人だ。

 この会社内で、俺にとって最も心を許せる人である。

 当たり障りの無い返答をすると、支社長は扇子をパタパタと扇いで穏やかに笑った。

 血色の良い小麦色の肌がテカテカしているのを見ると、どうやら変わらず元気のようだ。


 詳しい背景は知らないが、支社長はこの辺境地に腰を据える傍ら、今なお社内で強い影響力を持っているらしい。

 アイドル事業の統括部長とも親交は深く、俺達事業部隊の人事や活動の実権を握る人物でもある。

 しかし、それを乱暴な形で公使する事は無い。俺にとっては、困った時に頼れる気の良いおじいちゃんだ。

「ふぅむ――フェスの後、できる限り彼女達のサポートをしてやってほしいと」

 オールバックさせた白髪を撫でながら、支社長は窓の外を見やった。

 万が一の事があった時、彼女達が行き場所に不自由する事が無いよう、手を回してほしい旨を伝えた。

 本社の人間相手だと、ここまでざっくばらんな相談は出来ない。


「票の裏工作のために敗れたと、彼女達が思わないか心配という事か」

 一通り自分の考えを丁寧に説明すると、彼も一応は理解を示してくれた。しかし――。

「だが、裏工作は無いんだ。なぜなら、役員達はたまたま全員が高垣楓のステージに感動し、彼女に投票をする。
 票数の操作などしない。他の客と同じ。ルールに従い自分の票を投じるのだから、何もやましい事はしていない。そうだろう?」


 支社長は、組織票が疑われるような事は無いと言っている。

 いや、むしろ役員による組織票を特に悪と思っていないようだ。この辺の認識のズレが怖いんだよな。

 ネット社会に生きる現代人の、あらゆる事物を裏側から観察しようとする精神性の怖さを、老人はいまいち理解できていない。

「だがまぁ、よろしい」

 そう言いながら、支社長はフカフカの椅子から腰を上げた。

「キミの意向は分かった。
 結果がどうあろうと、一定の充実感や成功体験を彼女達が感じられるよう、できる限りの待遇は保証しよう」


 本当は、俺がクビになった後、彼女達に新たなプロデューサーをスムーズに付けてもらえるようお願いするつもりだった。

 だが、これはこれで、想定よりも良い内容で力になってもらえそうだ。深々とお辞儀を返す。

「構わんよ。ところで、この後どうだね?」

 青梅の地酒『澤乃井』ですか。悪くないぞ。終電さえ間に合えば。

 一課に偽りのドッキリの協力を依頼し、アリバイとして機能させる。

 より自然な形で事故を起こすために現場へ赴き、何度も脳内でシミュレーションを重ねる。

 予定された不幸により、LIPPSは注目を浴び、俺はクビになる。

 アフターケアは、事業部のドンに任せた。


 完璧だ――我ながら惚れ惚れする。誰も悲しまない計画だ。

 社内のカフェで広げた資料を眺め、俺はこの会社に来て以来、久々の充足感に浸っていた。

 後は、時が来るのを待つだけだ。


 ん? 携帯が――また一ノ瀬さんだ。

 レッスンを見に来いって? いいよ、いくらでも行くよ。やる事無いしな。

 サマーフェス本番の日は、生憎の天気だった。

 元々台風だった温帯低気圧が首都圏を通過し、朝からポツポツ降っていた雨は、リハが終わる頃には土砂降りになった。

 客の入りも、パッと見たところ、満員の半分といったところか。


 1時間ほど開演を順延させることとなり、手の空いているスタッフは水浸しになったステージの養生に駆り出された。

 ヤァさんもクマさんも、水切りを持って舞台の上に溜まった水溜まりを払っている。

 チビさんは、アイドル達の体調のケアとかに走っているらしい。

 俺は、何かよく分からない資材運搬のお手伝いと、大事な仕事だが、機材の動作確認の立ち会い。


 業者さんの頑張りのおかげで、あれほど間に合わないと言われたステージの設営はギリギリ完成した。

 設備周りもバッチリである。

 そんな設備が万が一にも動作しなくなれば、せっかく練ってきた計画もご破算だ。

 俺が事を起こすまで、特に音声設備は元気に動いてもらわなくてはならない。

 アクシデントの起こし方だが、結局のところ、最も単純な手法を選択した。


 音声のプラグを引っこ抜く。

 俺が誤ってプラグを蹴飛ばしてしまい、『Tulip』の音源は途切れ、LIPPSはステージの続行が不可能となる。

 他にも色々、凝った方法を考えてはみたが、確実性を考慮すればコレが一番良い。シンプルイズ、というヤツだ。

 何より、俺がクビになるには十分すぎるほどの落ち度も発揮できる。


 設備が問題なく動作する事を確認し、俺はドッキリを依頼したニュージェネの子達の様子を見に行った。

 順延にもめげること無く、モチベーションはしっかり維持できているようだ。

 意地悪そうな顔で、本田さんがわざと忍ぶように笑ってみせる。

 こういう単純そうな子を、俺も担当してみたかったなぁ。今更だけど。


 さて――本日の主役、LIPPSのご機嫌もお伺いしておくとするか。

 ――元気だな、相変わらず。

 正念場となるステージを控えても、特に一ノ瀬さん、宮本さん、塩見さんは普段と様子が変わらない。

 リラックスしたり、忙しくはしゃいだり、城ヶ崎さんや速水さんにちょっかい出したりしている。

 かと言って、ふと彼女達が俺に振ってくる話には妙な鋭さがある。


「生半可な事でドッキリしない志希ちゃん達を、キミはどんな風にあっと言わせるのかにゃー?」

「いっそプロデューサーがフレちゃん達とトゥギャザーしてみちゃったり?」

「いやー、プロデューサーさんならもっと楽な方法とるでしょ。
 楽にステージをハチャメチャにする方法とかさー?」


 どんな態度を取っても、言葉を発しても、全てが彼女達の前ではボロになる気がしてならない。

 相変わらず速水さんの視線も単純に怖いし、城ヶ崎さんにこれ以上気を遣わせるのも悪い。

 適当に取り繕い、楽屋を後にする。

 ちょっと一服しよう。

 どうやら順延は英断だったようで、傘を差さずともそれなりに許容できる程度には雨脚は弱まった。

 体調を崩してしまった子が一課に一人いたらしいが、聞こえた話ではどうにか回復したようだ。

 お客さんも結構入ってきている。


 予定された通りに、セットリストが順調に消化されていく。

 ニュージェネの出番が終わり、本田さん達がステージから戻ってきた。

 すぐに衣装を着替えて来ますと、疲れを全く見せない様子で三人は一目散に掛けていく。

 本当に元気だ。飛び入り参加の『Tulip』を含め、あと2曲をこなす気でいるのに。


 ところで、今回彼女達に依頼したドッキリだが、ニュージェネの子達の提案で、かなり力が入っている。

 振り付けだけでなく、なんと衣装もLIPPSライクのものを三人用に新たに用意したほどだ。

 何でも、城ヶ崎さんのステージに、過去にバックダンサーで出演した事があり、ゆえに彼女が所属するLIPPSにも思い入るものがあるらしい。

 渋谷さん、と言ったか。とてもクールだけど、彼女もやはり女の子だな。

 ニュージェネの子達と入れ替わりで、LIPPSの5人が舞台袖にやってきた。

 彼女達の出番は、今出ている二課の木場さんの、次の次だ。

 木場さんを担当する新人の女の子プロデューサーに、さっそく一ノ瀬さんがちょっかいを出している。


 塩見さんにニュージェネの子達の事を聞かれたが、適当にはぐらかす。

 おっと、LIPPSがここにいる間、彼女達がうっかり戻って来ないよう忠告するのを忘れてた。

 クマさんに目線で合図を送る。

 彼は合点がいった様子で頷くと、楽屋の方へ向かっていった。


 ジッとそのやり取りを観察していたのは、速水さんだ。

 この疑り深さよ。本当に油断できないな。

 冷や汗を垂らす俺を、宮本さんと城ヶ崎さんが心配してくれる。ありがとう。話しかけてくれるな。

 携帯が鳴った。クマさんからのメールだ。

『ニュージェネレーションズは、合図があるまで機材の後ろに待機するよう手配しました。』

 よしっ! やはり出来る男だなぁ、彼は。


 やがて木場さんの出番が終わり、次は――おぉ、高垣楓か。そうだった。


 ふと、一迅の風がふわぁ、っと俺達の間を通り抜けた。

 振り向くと――。



 さすがのオーラ、といったところか。

 直前にやってきたトップアイドルとそのプロデューサーは、どちらも無言で、しかし穏やかな笑みをたたえ、俺達の側を通り過ぎる。

 そして、一言「行ってきます」と彼女はヒゲさんに告げると、彼もしっかり頷き、その後ろ姿を黙って見送った。


 しかも、次の瞬間繰り広げられるのは最高のステージだ。



 いや――これはすごいわ。

 ただただ美しいというか、うわ――これは、ファンでなくても好きになってしまうだろうなと思える。

 やらせが無かったとしても、誰も勝てないのではなかろうか。

 LIPPSの連中も、さすがに少し――いや、かなり心を奪われてしまった様子である。


 っと、と――いかんいかん、感動している場合ではない。

 次はLIPPSの出番。そして――いよいよ計画を実行に移す時なのだ。


 気を引き締め――。

 ――――。



 この計画――本当に大丈夫か?


 何だか、俺、すごく酷い事をしようとしてる気が――。

 馬鹿野郎、今さらビビってんなよ。

 俺が体よくリストラされるための布石にするんだろう?


 でも――彼女達にとって、本当にそれで良いのか?

 確かに注目は浴びるかも知れない。だが、それは確実ではない。

 俺のせいで負けた、という結果だけが残るとしたら?

 その不幸を特に注目される事無く、人々の記憶にも残らなかったとしたら――?


 いやいやいや、そのために支社長に根回ししたんだろうが!

 心配すんなって! 彼女達は上手くやっていけるさ!


 でも、冷静に考えろ。もしそうならなかったらどうなる?

 この一件がトラウマになり、アイドルを辞めてからもずっと、誰かを恨み続ける人生を背負うのは、相当ツラいものがある。

 もの凄い歓声が聞こえる。どうやら高垣楓の曲が終わったようだ。

 悠然とステージを降り、舞台袖を通り過ぎる彼女と入れ替わりで上がるのは、LIPPSの面々だ。

 城ヶ崎さんが何か俺に語りかけた――たぶん、「じゃあアタシ達も、行ってくるね!」みたいな感じだったとは思う。

 しかし、そんな自分の担当アイドルとの、大きなステージに上がる直前のやり取りさえ、頭に残らない。



 さっきの歓声を聞いてみて、どうだ?

「アクシデントが無ければLIPPSは高垣楓に勝っていたかも知れない」などと、本当に観客が思うのか?

 いや――思わない。誰もが信じて疑わない。

 おそらく彼女達だって、高垣楓への敗北を素直な気持ちで納得できるはずだ。疑う余地など無い。


 じゃあ、わざわざ俺がここでアクシデントを起こすメリットは何だ?

 会社を辞めるなんて、クビにしてもらわなくとも、俺が退職届をサラッと出せば良い話である。

 背負うリスクと期待されるリターンが、あまりに釣り合わなさすぎる。

 決めた! 止めよう、やめやめっ!!

 この計画は中止。冷静に考えて全然ガバガバだったわこんなの。あっぶねぇ。

 同時に、何て俺はヘタレなんだろうと思う。これだから俺ってヤツは――。



 あっ――。

 クマさんが俺に声を掛けた。そろそろでは、と。


 すみません、と手刀を切り、同時にニュージェネの子達に合図を送る。

 まさか、本当に彼女達の出番が来るとは――いや、これはこれで良いさ。

「待ってましたぁ!!」と、本田さんが威勢良く機材の後ろから飛び出す。

 その後ろから渋谷さん。そして、島村さん――。


 ガンッ!

「うわぁっ!」と何かにつまづき、転んだのは島村さんだ。

 気づいた他の二人とクマさんが、慌てて彼女に駆け寄る。

 どうやら、幸い怪我は無いようだ。



 ――――?


 ふと、違和感が会場を支配する。

 何か、急に静かになったような――代わりに、ステージの方からどよめきが聞こえる。


 彼女の――島村さんの足元をよく見ると、機材のプラグが――。



 音声プラグが、外れていた。

 事の重大さに気づき、見る見るうちに島村さんの顔が青ざめる。

 本田さんと渋谷さんも――そして、寡黙なクマさんの口からも「あっ――」と声が漏れた。


 すぐにクマさんがプラグをつなぎ直す。

 しかし、音源はすぐに復旧しない。機材が立ち上がり、曲が止まった時点から正確に再生し直す事はほぼ不可能だ。

 何事かと、スタッフさんが数名、血相を変えてこっちに駆け寄ってきた。


 島村さんは傍目にも明らかに動転し、頬に手を当て、ガタガタと体を震わせた。

「何てことを――ごめんなさい、ごめんなさいっ。わたし、わっ、わた――!」

 他の二人は、今にも大声で泣き出しそうな島村さんを何とか宥めようとするが、明らかに彼女達もテンパっている。


 俺だけ不思議なほど冷静でいられたのは、当初想定していた計画が思わぬ形で実現されたからだった。

 島村さん、大丈夫、これはこれで――と思わず言いかけて、慌てて口をつぐんだ。

 そう、これはこれで良いんだけど、島村さんが大変な事になっている。

 LIPPSの子達が後で島村さんを恨むような事は無い、と思うが――。


 どうしよう。このアクシデント、俺のせいにならないかな。

 そうなれば俺はサラッと大手を振ってクビになれるのに。

 あ、でも――そうなってしまうと、島村さん、すごく自分を責めてしまいそうだな。

 自分のせいで俺がクビになったと思い込んで、相当ショックを受けてしまいそうな感じだな、これ。

 いくら俺が本心で取り繕おうとしたところで、きっと聞く耳を持たないだろう。

 あーやばいやばい、とうとう泣いてしまった。いいんだって泣かなくて、むしろ感謝し――!


 フンフフンフーン…♪



 ――――?

 何だ、今のは――鼻歌?


 フンフフンフフーン フンフンフンフーン…♪



 鼻歌だ。しかもこれは――宮本さんの声だ。

 ステージから聞こえてくる。


 水を打ったような静寂の中で、宮本さんの鼻歌が響いている。

 そして次の瞬間。


 アカペラながらも、美しく力強い一ノ瀬さんの歌声が。

 続いて城ヶ崎さん。

 速水さんと塩見さんも続いた。


 最終的には5人全員の歌声が、一糸乱れぬエネルギッシュなダンスに乗せて完璧なハーモニーを紡ぎだす。


 ダンッ、ダンッと、ステージを踏み抜かんばかりの足音さえ見事なパーカッションとなって彼女達の歌声を支えた。

 何だこれ――?


 音声が切れるなどというシーンは、彼女達の想定には無かったはずだ。

 まさか、即興でやってみせているというのか?

 いや、馬鹿な、考えられない。

 だが、目の前で起きているこの状況をどう説明できる?


 ソロの有無だけでなく、AメロだかBメロだか、構成そのものが元来の『Tulip』のそれではない。

 静寂さえも計算ずくであったかのような、新曲とも呼べるほどの大きなアレンジが明らかになされている。


 だが、次のシーンは何となく分かる。

「音源いけますっ!」と、スタッフさんが威勢良く声を上げたので、反射的に返答した。


 これ以上無いタイミングで音源が蘇り、ラストの大サビへとなだれ込むと、ボルテージは最高潮に達した。

 全てが演出だったと勘違いした観客は大勢いただろう。

 彼女達がステージを去った後も、地鳴りのような歓声はまだ続いている。

 舞台袖で彼女を出迎え、とりあえず労いの言葉をかけると、城ヶ崎さんが肘で小突いてきた。

 その後ろから、塩見さんがイヤミっぽく“ドッキリ”の礼を俺に述べてみせる。


 違う、そうじゃない。俺は“ちゃんと”別のドッキリを用意していたのだと、ニュージェネの子達を紹介した。

 その上で、音声プラグが抜けてしまったのは事故だが、彼女達に協力を仰いだのは俺だし、機材の後ろから飛び出すよう指示したのも俺だ。

 つまり、このアクシデントは島村さんでもクマさんのせいでもなく、俺の責任なんだ。

 と、できるだけ分かりやすく説明した。つもりなんだけど――。

 一ノ瀬さんは聞く耳持たず、渋谷さんに抱きついてはしゃいでいるし、速水さんは含みのある視線を向けてくる。


 宮本さんは、良いステージが出来た嬉しさを、子供のように島村さんと本田さんに語っている。

 涙を流して何度も謝る島村さんの頭を、城ヶ崎さんが優しく、宮本さんが悪戯っぽく撫でると、彼女は安堵の涙を流したようだった。

 フェスの終盤、再度ニュージェネの子達が、今度は『シンデレラプロジェクト』全員と一緒にステージに立つ。

 島村さんは、無事にショックから立ち直ったようだ。


 クマさんが俺に頭を下げる。いやいや、こちらこそ何かすみません。

 しかし――どうなるか。

 やるだけの事はやった。後は、結果を待つしか無い。


 いや、何を案じる事があるのだ。

 高垣楓のステージは圧巻だったし、そうでなくとも役員が仕組んだ台本の上で俺達は踊っている。

 強いて俺が心配すべきは、このフェスの後、ちゃんと俺がクビになるのか、ならずに退職届を出さざるを得なくなるのか、だ。

 LIPPSが勝つ事を心配する必要など無い。


 だが、その時が近づくにつれ、胸騒ぎがどんどん大きくなっていく。

 何でだ。間違いなど起こるはずが無い。

 確かにLIPPSも凄かった。凄かったが――。



 えっ、大丈夫だよな? 俺達、ちゃんと負けるんだよな?

「それでは、トップ3の発表です! 投票により選ばれしサマーフェスの優勝者は――!!」

 ドゥルルルルルルルルル…!



 デデンッ!!



   LIPPS    109,861 \テッテレー♪/
   高垣楓    99,514
   シンデレラガールズ 85,773

「勝ってんじゃねーかっ!!!」

 という、ここ数年で最も大きい俺の声は、怒号のような大歓声に飲まれ、泡と消えた。


 どうなってんだよ! 役員が組織票じゃねぇのかよ!
 いやいやおかしいだろ。マジで何があったんだ。
 まさか、一般視聴者や来場者が全員LIPPSに投票したのか?

 いや全員って事はありえない。
 じゃあ役員が組織票を止めたのか?
 そうとしか考えられないが、だとしたらなぜ土壇場で方針を変えた?

 それはともかく、あれだけ勝つなと釘を刺されていたのだ。
 お偉方の、特にあの口うるさいウチの課長がなんて言うだろう。
 一課の課長や事業部長からもお叱りを受けるかも知れない。
 何かの間違いであってほしいが――どうすんべなマジで。


 ステージの上では、あの速水さんが高垣さんはじめ、ライバルのアイドル達に讃えられ、目に涙を溜めている。

 城ヶ崎さんも、速水さんの気持ちに当てられてもらい泣きをしているようだ。

 塩見さんは、信じられないと言った様子で口をポカンと開け、キョロキョロと落ち着かない。

 宮本さんは隣にいた藤本さん達と一緒に、他人事のように皆をお祝いしている。

 一ノ瀬さんは――。


 ――あれは、どんな表情なんだろう。彼女のあのような、魂の抜けたような顔は初めて見る。

 それでも、宮本さんが傍に寄ってくると、いつもの表情に戻り、一緒にはしゃいでいた。

 フェス終了後、一通り会場の後片付けを終えると、そのまま関係者は打ち上げになだれ込んだ。

 俺は参加する予定は無かったけど、優勝ユニットのプロデューサーがいないのでは話にならず、連行された。

 既に夜も遅く、アイドルはそのまま帰らされた。当然、LIPPSの子達もいない。


 打ち上げの会場は普通の飲み屋ではなく、イベントスペースを借りて、都内有名店の豪華料理が持ち寄られた。

 この会社って、何かこういう所があるよな。この間も立食パーティーだったし、いちいちセレブっぽい。

 だが、お酒が入ればそこは普通の飲み会っぽい感じになって、そこかしこでワイワイしてる。


 途中、LIPPSの担当プロデューサーとして俺が壇上に呼ばれ、挨拶をする事になった。

「私の後任は随時募集中です!」みたいな事を言って、なんとか笑いは少しだけ取れたので、俺の仕事は終わりだ。

 ヤァさんは他の人達と大変な事になっていたので、適当にチビさん達と隅っこで大人しくしていよう。

 と思ったら、彼もお偉方に呼ばれてしまったので、俺一人だけになった。


 ――あの女性。あれが、新しく来た美城常務とかいう人か。

 役員の組織票絡みで、何か動きがあったのだとしたら、彼女がその理由の一端だろうと推察される。


「今日は、お疲れ様でした」

 ほどなくして、チーフが手持ち無沙汰の俺に声を掛けに来てくれた。

 彼もどこか、疲れた顔をしている。

 ウチの課の実働部隊の取りまとめ役だから、気苦労も多かっただろう。

「この後、忙しくなりますよ。仕事のオファーは、5倍は増えると思った方がいいです。
 どうか無理はせず、必要に応じて仕事を取捨選択する事も考えながら、進めると良いかと」

 本当そうだと思う。言われるまでもなく、仕事はガンガンふるいにかけさせてもらう。

 問題は課長だ。どうせまた今後の育成計画書作れとかうるせぇんだろうなぁ。そのくせ決裁遅いし。

「育成計画、ですか――今後の彼女達をどんなアイドルにしていくのか、確かに今が大事な時期ですね」

 俺の憂いを他所に、チーフは目を輝かせている。まったく――。

 前々から、あんたに一つ言いたい事がある。

「僕に? ――何でしょう」


「なぜ、あんたは平気な顔をしてプロデューサーを続けられるんだ?」


「平気なとは、心外ですよ。僕にだって、やりたい事がありますから」

 チーフは疲れた顔に戻り、少しだけ何とか笑ってみせた。


「城ヶ崎さんを辞めさせたいと思った事は?」

 彼は俺の問いには答えず、逃げるように背を向けて俺の元を離れた。

 幹事が締めを宣言し、帰りの配車の案内をお偉方にしている。終電はもう無かった。

今日はここまで。
今後、12/17~22まで、夜の9時~12時頃を目標に100レス程度ずつ更新していければと思います。
 ※時間は前後する可能性があります。
 ※12/21(木)はお休みします。

とても長い作品になりますが、どうぞよろしくお願い致します。

【4】

 (♪)

 いやーお仕事いっぱいビシソワーズだよー! タイヘンー!

 やっぱフェスで一番になったのってすごいことだったのかな?

 でもこうして皆から注目されて、楽しんでもらえる機会が増えるのってイイよね♪

 終わった後も、楓さんや卯月ちゃん達、皆がアタシ達のこと、たくさん褒めてくれたの。

 アタシ的にはどっちが良かったとか全然分かんないんだけど、喜んでもらえたなら嬉しいな。

 それにしてもシキちゃんはすごいねー。

 遊びで作ったアカペラアレンジが偶然ハマるなんて思わないもん。先見の明デリカ☆

 あとすごいのが忘れちゃいけない、プロデューサーだね。

 ちょろっと話したおじさんが、よく分からないけど業者さん?っていう、ステージを作った人。

 その人が、

「プロデューサーさんはとても熱心に現場に赴いては我々の話に耳を傾け、より良いステージ作りを考え抜いてしるぶぷれしておられた」

 とか言ってて、ワァオッ☆ そんな事してたんだねーって! 

 アタシはやりたい事しかやってなくて、でも皆がいてくれるからLIPPSは成り立ってるんだなーって、それが嬉しいの。

 ちゃんーと、プロデューサーがアタシ達のために頑張ってくれてたの、皆にも言わなきゃ♪

 フンフンフフーンフンフフーン♪

【5】

 (★)

「むぅ――」


 下から両手で持ち上げてみる。

 ヤバい――やっぱ勘違いじゃない。絶対大きくなってる。
 下着がキツくなってきたのは気のせいじゃなかったんだ。

 これ以上デカくなるのはさすがにマズいなぁ。
 この前も、スタジオのスタッフさんから「ちょっと修正するの難しい」って言われたし。

 胸だけ痩せるって、できないもんかな。
 トレーナーさんに今度聞いて――。

「お姉ちゃん、ご飯ー!」

 莉嘉の声が聞こえるが早いか、部屋のドアがガチャッ!と勢いよく開かれる。

「お姉ちゃ、う、うわ――何やってんの鏡の前で? しかも下着姿で」

「アンタ、ドア開ける時はノックしてって言ったでしょ」
「だってご飯だって言っても来ないし。へぇー」
「何」

「またおっぱいおっきくなった?」
「ッ!! ――バカッ!!」

 握り拳を振り上げると、莉嘉は頭を抱えてさっさと退散していった。


 やっぱり分かるか――そろそろバスト80で申告するのも限界かなー。

 あーもう悩んでてもしょうがない! さっさとご飯食べて、今日はちゃんと学校行かなきゃ。

 アタシはずっと“カリスマギャル”だった。

 デビューした時から、ずっとそう。
 そういう役柄というか、二つ名を与えられてきた。

 ずっと、第一線に立たされた。


 身も蓋もない言い方をしちゃうと、事務所のゴリ押しで売り出された。

“カリスマギャル”として、ずっと。

 当時の346プロは、新しい広告塔を模索していた時期だったみたい。

 で、たまたま受けてきたアタシを見て、ギャル路線に特化したアイドル像を思いついたんだとか。

 流行の最先端、流行を作る側。文字通り、JKのカリスマ的存在。


 アタシ的には流行りのメイクとか服も好きだったし、そういうのに憧れもあった。
 だから、偉い人達から提案された時だって、何も文句は無かった。

 ただ、アイドルとしてアタシが売り出されるには、歌も踊りもそれなりにこなせる必要がある。
 しかも“カリスマ”なんだから、ヘタなものは見せられない。

 相当レッスンはキツかったけど、自分で決めた事だから、逃げたくなかった。

 当たり前といえば当たり前だけど、事務所の後押しもあって、滑り出しは順調。
 ただ、初めの頃は、やっぱりネットとかでもゴリ押しだって声は多かったんだよね。

 だから、そんな声なんてかき消してやるって、アタシのハートに火がついて、なおさらレッスンに打ち込んだ。
 きっかけはゴリ押しかも知れないけど、アタシの実力そのものに文句は言わせたくない。

 そしたら、だんだんそういう声は聞こえなくなって、皆がアタシの事を認めてくれるようになった気がして――。

 だから、今ではアタシを育ててくれた346プロやファンの人達だけじゃなくて、そういう人達にも感謝はしてるつもり。

 それに応える方法の一つが、デビュー当時から思い入れのあるモデル業だったんだけどさ。


 まさか、自分の体を恨めしく思う時がくるとは――!

「美嘉、どうかした? 大丈夫?」
「えっ? あ、ううん、ヘーキヘーキ★ 今日返されるテスト、大丈夫かなって心配でさ」
「それ平気って言えんの? アハハハ」

 友達に誤魔化して言った自分の言葉で、今日が期末テストの返却日だと気づいて、余計にヘコむ。

 実際、胸だけでなく頭も重い。

 ウチの事務所に所属する高校生以下のアイドルは、あまり学校の成績が悪いとお仕事させてもらえなくなるんだ。
 もちろん、赤点なんて取ったら一発レッド。
 そりゃ、仕事のせいで学業が疎かになっちゃったら、保護者にも顔向けができないだろうしね。

 しかも初っぱな物理だよもー! あぁ~イヤだイヤだ。
 志希ちゃんが全然教えてくれないどころか、ちょっかいばっか出してきて捗らなかったヤツだ。

 おそるおそる、先生から手渡された答案を覗き込む。


「忙しい中、城ヶ崎さんにしてはよく頑張ったね。次も頑張りなさい」

 あっぶな! 平均よりちょい下じゃん!
 てゆうか、「城ヶ崎さんにしては」って言い方、何かイヤミっぽくない?

 でも赤点はセーフだからいっか★
 ノートを写してもらった学校の友達だけじゃなくて、勉強に付き合ってくれた奏ちゃんにも感謝しなくちゃね。

 アイドルとして売れれば売れるほどお仕事に追われるから、こうして一日学校に出れるのは久しぶり。

 サマーフェス以降、今のLIPPSはそれぞれが自分の持ち味を発揮して忙しくしてる。


 フレデリカちゃんはその賑やかなキャラクターを買われて、バラエティ番組やラジオのゲストに引っ張りだこ。
 型破りだけど、誰の事も悪く言わない彼女のコメントは、局側としてもウケが良いみたい。優しい子だもんね。

 周子ちゃんは、ゆるいながらも空気を読んで上手に立ち回るから、ラジオのパーソナリティの方で活躍してる。
 あと、最近は旅番組の企画もあるみたい。『旅のしおみ』だっけ?

 志希ちゃんは、LIPPSの中でも抜群に優れた歌唱力を生かして、音楽活動に力を入れてる。
 今度、またCD出すんじゃなかったかな。

 ――ぶっちゃけあの子の場合、色々あるからそっちに専念させた方が良いっていうプロデューサーの意向もあるみたい。
 まぁ、今でもレッスンやレコーディング中に失踪する事も何度かあるみたいだけど。


 そして奏ちゃんは、映画好きという隠れた趣味が露呈してから、そういう雑誌で自分のコーナーを持ったのに加えて、モデル業。

 そう――その高校生離れした美貌から、アタシが結構メインでやってたモデル業の、ライバルになっちゃったんだ。

 てゆうか、皆スタイル良いからモデルでも十分やれちゃうんだけどね。
 アタシが未練がましくすがるのがバカらしくなるくらい。

 胸が大きいと、それが目立たないようなポージングしかできないし、修正も大変になっちゃう。
 おまけに、普段からそれを隠そうとすると猫背になって姿勢も悪くなる。

 アタシ、プロフィール上はバスト80で申告してるから、水着なんて着たら余計に疑われるっていうんで、そっちの仕事も最近無いなぁ。

 それに引き替え、奏ちゃんは最初からバスト86――86!?
 えっ、ウソ!? そんなにあったっけ!?

 と、とにかく、最初からそういう3サイズで公表してるから、堂々と胸を強調したポーズもできるし、水着も映える。
 何かと制約が多いアタシと比べて、柔軟かつ大胆にカメラさんの要求にも応えられるんだよね。

 つまり、どっちがモデルとして使いやすいかというと――。


 うぅぅマズいマズい!

「美嘉はギャル路線だし、私との棲み分けは出来ているから心配しなくても良いと思うわ」
 って奏ちゃんは言うけど、そういう問題じゃないんだよなー!

 だってアタシ、高校卒業したらJKじゃなくなるんだよ!?
 つまり、ギャル路線から転向しなきゃいけなくなるワケで、そしたら、どっちに行きゃいいのってなるじゃん。

 やっぱり、ここは3サイズを更新してもらうようプロデューサーにもう一度相談を――。

「先生ぇー、浪人も留年も一年遅れには変わらないんだしさぁー。もう一年俺の面倒見てくれよ」
「何を言っとるんだ高橋。浪人と留年はまるで違うぞ。高校の勉強もロクにできんかったヤツだと思われたいのか?」
「実際できてねぇじゃん、なぁ?」

 そっか、留年すればギャルのまま――!

 いやいやいやいやいやっ!! クラスの男子が笑いを取った教室の中で、アタシは一人かぶりを振った。

 マジヤバイって今の、何考えてんのアタシ。

 学校終わった後、事務所に行くとプロデューサーが事務室で一人、紙を片手に眉間に皺を寄せている。


「どうかしたの?」

「ん――あれ、城ヶ崎さん、今日は休みじゃなかったっけ?」
 アタシを見ると、プロデューサーは背もたれに寄りかかったまま大きく伸びをした。

「学校終わってから、ちょっと気になって来てみたんだ。それ何?」
「これは、んーまぁ――内部説明用の資料。最近こんなのばっかりでさ」

 見せてもらうと、『活動計画書』ってタイトルの下に、何か小難しい文章やら表やらばかり並んでる。
 うえぇぇこういうのすっごく苦手っ。

「課長さんだっけ? その人から作れって?」
「余計な仕事ばかり回されて、困ってるよ」

 そう言って、プロデューサーはハッと口を押さえて、「今のはオフレコな」と笑った。


 あのフェス以降、プロデューサーは難しい顔してばかりだけど、無表情じゃなくなってきた気がする。

 そういうの、良い事だと思う。
 今までは正直アタシ達の事を、腫れ物に触るみたいというか、余計な気を遣って距離を取ってるように思ったから。

 こうして、感情を表に出すようになったの、アタシ的には結構嬉しいんだよね。
 実際、嫌な顔だけじゃなくて、笑うのも増えたし。誘い笑いかも知れないけど。

「俺の愚痴を聞くために今日は来てくれたのか?」

「ううん、逆。アタシのお願いを聞いてもらえるかなあって」
「お願い」
 回していたペンを止めて、プロデューサーは私の方に向き直る。


 例のスリーサイズの事を提案されたプロデューサーの答えはNOだった。

「え、どうして!?」

「こういうのはタイミングが大事でな。
 下手にコロコロ変えると、「あの子のプロフィールなんて信用ならないよ」の出来上がりだ」

 そう語るプロデューサーの顔は結構マジっぽくて、何だか気圧されちゃう。

「何で今のタイミングで訂正したんだ、って思われても面倒だしな。
 現状維持が大正解とは俺も思わないが、最もリスクは少ない」
「だったら!」

 プロデューサーの机にバンッ!と手を置く。
「アタシが高校卒業したら更新しようよ! ほら、“オトナになった城ヶ崎美嘉”みたいなカンジでさ」


 ――自分で言って、何だか恥ずかしくなってプイッと顔を背けちゃった。
 オトナになった、ってナニがよ。

「それ、良いアイデアだな」

 プロデューサーは、手帳の後ろの方を開いてメモをした。
「引継ぎ書にも書いておこう」

「――引継ぎ書?」
 プロデューサーがボソリと言った言葉に、アタシの胸がざわついた。

「もし俺が他のプロデューサーと担当変わった場合、LIPPSの活動が滞りなく継続できるようにな。
 この先もどうなるか分からないし」
「そんな!」

「ほら、君のプロデューサーも、結構すぐ変わっちゃったでしょ、俺に。
 こういうクセを付けとくのは大事な事なんだ」

 プロデューサーは手帳をパタンと閉じると、さっきの紙を持ち直して頭をクシャクシャと掻いた。


 確かに、前のプロデューサーもすごく優しい人で、いきなり違う人になるって聞かされた時は、正直イヤだった。
 それも、3日後には変わるだなんて。

 でも、LIPPSの子達は賑やかで楽しくて、ちょっと大変な時もあるけど、すごく良いユニットだって思う。


 それに、プロデューサーもあのフェスにすごく真摯に取り組んでいたのも知ってる。

 きっかけは、フレデリカちゃんが答えていた雑誌のインタビュー。

 フェスが終わった後、フレデリカちゃん曰く、ステージ設営の工事業者さんとたまたま話したみたい。
 実に彼女らしいというか、相手を選ばずフレンドリーになれるの、本当すごいなって思う。

 で、その業者さん達は、プロデューサーをとにかくベタ褒めというか、尊敬しまくってたんだって。

 現場第一主義、という姿勢。
 工事中でもステージの様子を足繁く見に行って、どういうステージ作りにしようかとか、熱心に打合せを重ねたり、機材の位置も入念に確認したり。

 そんな業界人に出会ったのは初めてだから、その人達はすごく感動したみたい。
 元々厳しかったはずの工事のスケジュールは、現場の人達の奮起もあってすごい勢いで進んで、見事間に合ったんだとか。

 あまりレッスン見に来ないから、何してるんだろうって思ったけど、プロデューサー、そんな頑張りをしていたんだよね。

 それまでプロデューサーの事、割と本気で嫌ってた奏ちゃんも、その話を聞いてからは随分見直したみたい。
 アタシ達の誰よりも、プロデューサーの事をもっと知りたいという思いが、彼女は強い気がする。

 フェス優勝者のプロデューサーってのもあるし、そういうエピソードが物珍しかったのか、この人自身にもインタビューが結構あったのも見てる。

 だいぶイヤがってたよね、プロデューサー。
「そういうつもりじゃなかったんだよ」って言うけど、照れ隠しでしょ。ふふっ★

 そう、だから――アタシ達の事を良く考えてくれてるこの人が変わるの、やっぱりイヤかな。

「そういえば明日の仕事、ここに8時半集合でいいか?」

「へっ?」
「グラビアの仕事、あったでしょ? あのスタジオからだと、帰りは明大前で降ろそうかと思うが」
「あ、あぁ。うん、いいよ」

 そうそう、明日はモデルのお仕事があるんだった。
 プロデューサーは午後から周子ちゃんの番組に関する打合せがあるから、午前中だけアタシに付き添ってくれる。

「モデル業の事なら、心配は要らないと思うよ。むしろ、存分に噂させておけばいい」
「えっ?」


 コーヒーを啜って、プロデューサーはこう言ってのけた。

「怒らないで聞いてほしいが、胸がプロフィールより大きいかもってのは、男子からすれば結構盛り上がるもんだ」


「――あぁ~~もう、はいはい!!」

 結局この人もスケベなんじゃん! 分かっちゃいたけど、男ってホント!!

 ドアバタンッ!って閉めて、足早に家に帰る。
 明日のが冬コーデの露出の少ない撮影でホント良かった。

 でも、まぁ――。


 ネットを見てもこんなんだし。


   ・LIPPSで一番スタイル良いのってさ…(204)
   ・【朗報】城ヶ崎美嘉さん、順調に成長中(87)
   ・【フレデリカ】アイドルを思い浮かべてスレを開いて下さい【フレデリカ】(77)
   ・一ノ瀬志希にゃんのおヘソwwwwwwwwwwww(191)
   ・【今のはミカではない】城ヶ崎美嘉スレPart26【メラだ】(395)
   ・【悲報】速水奏先生、クソ映画がお気に召した模様(119)
   ・塩見周子って絶対家ではパンイチだよな(291)


 こういうの見ちゃダメって事務所から言われてるんだけど、たぶん男の人って実際こうなんだろうなって思う。

 安全圏から責任感も持たず、好き勝手に言いたい放題言える分、本音を隠す必要も無い。

 そして、それを見て傷つく子もいるから、ツイッターとかインスタをやるのだって勝手にやるのは認められていない。

「お姉ちゃーん、何見てるの?」
「アンタ、何回同じ事言ったら分かんの?」

 ベッドで寝転がってる横に、いきなり莉嘉がボフッと飛んできたから、慌てて携帯をしまった。
「ツイッター? アタシも早くやりたいなー」
「アンタは絶対ダメ」
「何で!?」
「とにかくダメ。せめてアタシと同じ歳になってからにしな」

 ぶーたれる莉嘉をしっしと追い返して、ドアを閉める。

 まったく、どうしたらコレの危険性を莉嘉に教えてやれるんだろう?


 ――ふと、アタシには無理かもと思った。

 アタシ自身、こういうのを見て深く傷つけられた経験が無いんだよね。

 元々耐性があったのかな。


 行ったこと無いんだけど、ボクシングとかプロレスの試合って、リングから遠ければ遠いほど野次の声が大きくなるんだって。

 確かに、言われてイラッとすることもあるけど、結局はアタシのいるリングからは遠い人達なのだ。
 ましてや、リングに上がってくる度胸も無い。

 同じアイドルの子や業界の人から、面と向かってキツい事を言われたらさすがに堪えるけど、それを考えれば軽いもんだと思う。ネットの声って。

 いちいち腹を立ててもしょうがない。
 だから、アタシのツイッターにも変な事言ってくる人たまにいるけど、無視無視。

 第一、そんなんでいちいちヘコたれてたら、ちゃんと応援してくれてるファンの人達に申し訳ないもんね★


 と、そんなお姉ちゃんの姿を見せてたら、妹の莉嘉もネットの怖さを侮っちゃうのも無理は無いか。
 アタシを尊敬してくれてるのは嬉しいんだけど、あまりマネっこばかりされるのもなー。どうしよう。


 ――げっ、もうこんな時間じゃん。明日8時半だから――うわっ、寝ようっ!

 ああぁぁぁフレデリカちゃんこんな時にLINEスタンプとかいらないからっ!
 チラッと見て未読スルー。無視無視。

 今日の撮影は、割と気合い入ってるカンジ。

 スタジオに、オープンカフェっぽいセットが組まれてる。
 もちろん一部分だけだけど、壁のカンジとか窓とか石畳とか、細部が結構本格的だ。

 外のカフェに腰掛けて彼氏を待つ、っていうシチュエーションで撮るみたい。
 実際あるお店で本当は撮りたかったんだけど、OKもらえなかったってディレクターさんが嘆いてた。

 仮にも冬の設定で外のカフェってシチュはどうなんだろう。
 アタシは、わざわざ寒い所で待ち合わせするのは、ちょっとイヤかな。

 なんて、そんなの関係無いけどね。
 メイクさんに直してもらって、衣装もバッチリキメてもらって、よしっ。


「よろしくお願いしまーすっ★」

 挨拶はすっごく大事にしたい、ってのがアタシの流儀、ていうの?
 元気よく言われてイヤに思わない人っていないし、アタシも気合い入るしさ。

 実際ほら、カメラさんも喜んでくれた。


 広々としたスタジオに鳴り響くシャッター音は、アタシのためだけのもの。

 優越感、っていうのか分かんないけど、特別な空間っていうカンジがこの仕事、好きなんだよね。

 カメラさんとも馴染みがあるから、どんなに細かいものでも、次に送られてくる指示がどういうものか、大体分かっちゃう。


「携帯を口元に寄せてみて。電話かけようか迷ってる風の」
「顎を手に乗せて、ちょっとアンニュイっぽいカンジのが欲しいな」
「まだかな、って期待で胸がいっぱいの雰囲気出せる? そうそう」
「逆にちょっと怒った表情でも撮っておこうか」


 順調に撮影が進んでいくのが分かる。

 LIPPSの子達にあって、アタシに無いものは、いっぱいある。
 皆、大きな武器をそれぞれ持っていて、それに全部勝とうなんてとても思えない。

 ただ、そう、アタシが武器にできるものは経験だ。
 ずっと第一線で走り続けて積み上げてきたものは、ウソになんてならない。

 ボーカルもビジュアルも、魅力ある個性だってアタシでは一番になれないのは分かってる。
 でも、売り始めの頃、フィールドを決めずに手広くやってきた事で、どんな仕事でもオールラウンドにこなせる自信はあった。


「はいもう一枚。はい、はいオッケーイ! 終了でーす」
「はぁーい、ありがとうございまーす★」

「いやー助かるよ美嘉ちゃん、ポージングとか表情とかビシッと決めてもらえるから撮りやすいのなんの」
「アハハ、そりゃーアタシとカメラさんの仲ですから」
「おっ、嬉しいこと言ってくれんじゃないの」

 ドリンクを飲みながらカメラさんと談笑する。
 こういうアフターケア、っていうの? も大事にしたいよね。
 結局仕事って人だしさ。

 ん?


「お疲れ様。良かったよ、さすが、慣れてるな」

 プロデューサーのこと、すっかり頭の中から消えちゃってた。
 そういや、これから最寄り駅まで送ってもらうんだったっけ。

「準備できたら出発しようか。ゆっくりでいいよ、俺先に車で待ってるから」


「あっ、ねぇプロデューサー!」

 ふと思いついて、スタジオを出ようとするプロデューサーを慌てて呼び止めた。
 ちょっと声が大きすぎたかな。振り返ったその顔は、ちょっと驚いたような顔してる。

「ちょっと、どこかでお茶してかない? 撮影、結構早く終わっちゃって、時間もあるしさ」

 時計をチラッと見て、プロデューサーは答えた。
「君さえ良ければ」

「コーヒーと、この、マンゴーアイスラテってヤツをください」


 ちょっとオシャレな、大学生っぽい人達で賑わってるカフェを見つけて、席に着いた。

 こういうお店に、男の人と二人で来たの、初めてかも。
 前のプロデューサーにも、そういえば連れてってもらった事無かった気がする。


 近くのテーブルの話題が恋バナであると、耳に入ってきた単語と声色で何となく察した。

 サークルで付き合って別れたとか、誕生日プレゼント何もらったとか、クリスマスの予定とか。

 アタシも、学校の友達とそういう話、しないワケじゃないけど、やっぱり高校生の恋バナより、ちょっと大人っぽい気がする。
 ホテルがどうとか。

 うっ――!? い、今、すごくいかがわしいワードが聞こえたような――!

「どうかした?」

「へっ!?」

 プロデューサーは、いつの間にか来ていた自分のコーヒーにミルクをたっぷり入れてる。

「い、いや――へぇー、プロデューサーはブラック派じゃないんだ。随分ミルク多いね」
「実家での飲み方が、染みついちゃってさ。缶コーヒーは別に何でも良いけど」
「あ、そう」

 スプーンでアイスを掬い、口に運ぶ。
 うん。普段こういうのあまり食べないけど、悪くないかな。

「今のアタシ達、どう見られてるかな?」

「ん?」
「ほら、何というか――」

 そう言いかけて、はたとスプーンを持つ手が止まっちゃった。


 どう見られてるの?
 というより――どう見られるのを期待してるの?

 プロデューサーに何て言ってほしいの?

 何となく周りの視線が気になってしまう自分が余計に恥ずかしい。
 場違いのような、チラチラ見られているような、うぅぅ~~居心地悪いというか!

 うわあぁぁ、アタシ何いきなりヘンな話振ってんだろぉ!?

「カップルみたい、ってか?」
「そっ!!」
 思わず立ち上がりそうになるのを、すんでの所で抑える。

「さすがにそれはどうだろうな、これだけ歳が離れてるし――むしろ、援交?」

「エンコー?」
「援助交際。ほら、スーツ姿のイイ歳したおっさんと、平日の昼間っから学校にも行かない不良女子高生が、こんな所に二人でさ」

 笑いながら、プロデューサーはコーヒーを口に運んだ。


「――ッ!! ちょっ!」

 そう。アタシは午後の5、6時間目だけ学校に出る予定なので、制服でお仕事に来ていた。
 だから、今のアタシ達――。

「で、出よう!!」
「単純かよ、落ち着きなって」

 声を出して笑うプロデューサー。結構新鮮かも。全然嬉しくないけど。

「誰も気にしちゃいないよ。周りの目なんて気にするだけ損だ」

 ――今の一言。

「意外」
「何が?」
「プロデューサー、もっと周りを意識してるもんだと思ってたから」
「仕事では、そりゃあ多少空気読むけどさ。仕事じゃない時くらい、好きにさせてほしいよ。そうだろ?」
「うん、まぁね」

「大体」

 そう言いかけた所で、プロデューサーの携帯が鳴った。

 ポケットから取り出し、チラッと見ただけで、プロデューサーは携帯をしまう。まだ鳴ってる。
「大体、人ってのは何かと自意識過剰になりがちだ。周りにとっては取るに足らない存在だとしても」
「出なくていいの?」
「会社からだからいい。どうせロクでもない電話だ」

 素知らぬ顔で、プロデューサーは言い切る。
「撮影の仕事中で気づかなかったとでも言えばいいさ」

 え、えぇぇぇ――そんな堂々と。
「幻滅した?」
「えっ?」
「城ヶ崎さんは真面目そうだから」
「お仕事は普通、真面目にやるもんじゃない?」

 アタシがそう答えても、プロデューサーはあまり本気に受け取ってないみたい。

「世の中、正直者が馬鹿を見る仕組みになってるんだ。もう少し早く気づくべきだったけどな」

 携帯の音が消えた。
 やっとか、とでも言いたげにプロデューサーは鼻を鳴らし、コーヒーを手に取る。


「でもプロデューサー、本当は真面目でしょ?」
「ん?」

「フレちゃんの話。本番のステージをより良くしようと、会場に足繁く通ってたって。
 あの話を聞いてから、奏ちゃんも皆も、すごくプロデューサーのこと見直してるんだよ」

「悪いんだが、あれはそういうつもりじゃなかったんだよ」
「アハハ、照れなくたってイイじゃん」
 しかめっ面を浮かべるプロデューサー。素直じゃないトコあるの、アタシ知ってるよ★

「そうじゃな――」
 反論しかけた所で、また携帯が鳴り、プロデューサーは舌を打った。
「うるっせぇな、何だよ」

「一ノ瀬さん?」
「えっ?」

 画面を見て、ボソッと呟くと、彼はそのまま電話に出た。

「もしもし」


「――いいから、どうしたんだ」

 目頭を押さえてる。
 志希ちゃんと思しき相手の声は聞き取れないけど、いつもの賑やかな調子だっていうのは分かった。

 プロデューサーは、割とウンザリした顔をしてる。

「だから、一ノ瀬さん、そういうのはマジで止めようって俺言ったでしょ。
 デートは禁止。えっ? ――いや、デートに類する物や事も禁止」


「――えぇ~~じゃない。周りの子達にも迷惑がかかるから止めよう。他の子達と行ってくるといい」


「うん、そう――あぁ、ありがとう。はい、じゃあね」

「ハァ~~~」
 通話を終えた途端、長いため息を吐くプロデューサー。
 そんなに志希ちゃんのこと苦手なのかな。

「デートって?」
「うん? うん、まぁ言葉通りの意味さ。今度デートしようだってよ、できるかっての」


「前にも、同じようなことがあったの?」

 プロデューサーは、「俺言ったでしょ」と言っていた。

「まぁね。スキャンダルなんて笑えないから止めようって、俺散々言ったのにまたぞろコレだ」
 プロデューサーは手を振った。

「それだけ?」

 気づいたらアタシは身を乗り出していた。
 プロデューサーは、アタシがムキになってるのを察したのか、怪訝な顔をしてる。
「それだけって?」

「スキャンダルを避けるってよりかは、志希ちゃんそのものを避けてない?」

「正直、それはある」

「そういうの、女のコ、傷つくよ」

 アタシは、すっかり溶けちゃったアイスをスプーンで何と無しにかき混ぜる。
「本音と建前って、結構分かるもんだし。
 志希ちゃんだって、いつもにゃはにゃは笑ってるけど、自分が拒絶されてるって気づいちゃうんじゃないかな」

「一ノ瀬さんなら、とっくに気づいてると思うけどな」

 プロデューサーは、既に空になったコーヒーを持ち上げて舌打ちし、また戻す。
「城ヶ崎さんは、俺に彼女とデートしろって?」

「そうは言ってないって。もっとマシな断り方があったんじゃないって話」
「そう言われても、実際ダメだろデートは。選択肢なんて無い」

「まったく!」
 スプーンから手を離し、アタシはフンッと腕を組んでみせた。

「女のコの気持ちも分からないんじゃ、アイドルのプロデューサーなんて務まらないよ」
「だよなぁ」
「だよなぁじゃなくて!」
 のんきに首を鳴らすプロデューサー。さすがにアタシもムッとしちゃうな。

「プロデューサーには意識改革が必要だよ!」

「うん?」

 なおもとぼけるプロデューサーに、アタシは構わず続ける。

「デートがダメでも、お出かけならイイんじゃない?」
「言い方変えただけでしょ」
「違くてっ! あぁ~~もうじれったい!
 つまり、そういうのじゃなくて、お仕事の延長って事にすればいいじゃん! たとえばさ。
 何でも全部がダメって事にしないで、多少その中でも出来る限りの事をしてあげるっていうか」

「なるほど。ゼロ回答じゃなくて、10%でも20%でも譲歩してあげようって話か」
 腕を組み、プロデューサーは天井を仰いだ。
「そう、それ! 全部100か0で振り分けるんじゃなくて、せ、せ――」
「折衷案?」
「そう、セッチュウ。それをしてあげたら、志希ちゃんだっていくらか納得できると思うし、それに」

 アタシは、自分と目の前のプロデューサーを交互に指差して見せた。
「デートがダメとか言っときながら、現にこうしてプロデューサー、アタシとお茶してんじゃん」

「――確かに」
「ねっ? だから、デートじゃない範囲ってのはあるんだよきっと。
 その時間を志希ちゃんと共有してあげたらいいんじゃないかな」

「じゃあ、346のカフェにでも連れてってあげるか」
「それはダメ」
「えっ、何で?」
「当たり前じゃん」

 この顔、本気で何がダメなのか分かってないっぽい。ホントに女心分かってないなー!
「あーもう。じゃあさ、アタシと一緒に予行演習しよ!」

「は?」
「今度の週末空いてる? アタシ、ちょうど休みだし、志希ちゃんとのデートプラン一緒に考えよう。ねっ?
 集合場所とか後で連絡するから。当日はバシッとオシャレしてきてよね、スーツとかじゃなくてさ★」

 こんなにデリカシーが無いと、これからもアタシ達をちゃんとプロデュースできるのか心配だよ。
 もうちょっと女のコの気持ちを理解してもらわないと――。

「それってつまり、城ヶ崎さんと今度デートするってこと?」


「――ッ!?」
「ていうか、デートプランって言ってるし」

「あ、揚げ足取らないでよ!!」

「何というか君は、割と深く考えずに思った事を言ってしまうきらいがあるのが俺は心配だ」

 伝票を持って立ち上がり、「駅まで送るよ」とプロデューサーは疲れた声で言った。

「そんなん、付いちまったモンはしょうがねぇだろうが」

 事務室のソファーに腰を下ろし、ため息を吐く私に、拓海さんは手を腰に置いてフンッと鼻を鳴らした。
「アタシはモデルの仕事なんてあまりしねぇから、美嘉の悩みはよく分かんねぇけどさ。
 自分を誤魔化そうとすんのは粋じゃねぇ。むしろビッと胸張ってけよ」

「誤魔化す、か――確かにね」
 トレーナーさんにも相談してみたけど、やっぱ、そういう都合の良いシェイプアップ方法は無いみたい。
 だとしたら、隠しててもしょうがないか。


「そーそー、出すモン出しときゃいいのよ。おっぱいの嫌いな男なんていねェぜ?」

 そう言った瞬間、拓海さんのプロデューサ―――ヤァさんは、後方にもんどり打って倒れた。
 体をくの字にして、お腹を押さえながら呻き声を漏らしている。

 拓海さんの拳が、彼がいた位置に真っ直ぐ突き出されたままになっているのを見ると、改めてその威力たるや――。
「す、すごい」
「大したことじゃねぇよ」
 拳をしまい、腕を組み、今度は拓海さんがため息を吐いた。

「オレはマジメに言ってんだよ」

 イテテ、とお腹を押さえながらヤァさんは立ち上がった。
「持てる武器を活かさねェのは粋じゃねェって言ってんだ。実際、多くの男にとって魅力的なのは事実なんだからな」

「普段胸でしか女のことを見てねぇヤローが言っても説得力ねぇんだよ」
「お前のはオレ的にデカすぎだけどな――とぉわ、あっぶねェなオイ!」
「口の減らねぇなおめぇはよ!!」


 拓海さんと、このプロデューサー――本当に普段からこんなカンジなんだなぁ。
 思ったことを包み隠さず口にして、ぶつけ合って。

 アタシの今のプロデューサーは、まだお互い、言葉を選んでるカンジあるし。
 前のプロデューサーだって、ここまであっけらかんとはしてなかった。

 ちょっと、憧れるかも。


「まーまー、胸の話は一旦置いといて」

 アタシの隣に座り、お菓子をつまんでいた周子ちゃんが両手を下に向けて“落ち着いて”の仕草をした。

「美嘉ちゃんがプロデューサーさんとデートするんを、もうちょいほじくり返そうよ」

「ん?」
「おっ、そうだな」

 頭が痛いのは、あの日の午後に返された英語の答案が良くなかったからじゃない。
 はぁ~何で周子ちゃんに相談しちゃったんだろ。

「心配せんでもええって。あたし、こう見えて口は堅いからさ」
「現にこうして他の人達にも話してるじゃん」
「そこはご愛敬?」


「お前らのプロデューサーって、あの辛気くせぇヤツか」
 拓海さんが、アタシ達の向かいのソファーにドカッと腰を下ろした。
「美嘉、お前あぁいうヤツが好みなのか。っていうか、アイドルとプロデューサーがデートってそれ良いのかよ」

「で、デートじゃないよ!」
 何度否定したら良いんだろう。
「ウチらのプロデュ-サー、志希ちゃんからのお誘いを断りすぎて、ちょっと志希ちゃんが可愛そうだったからさ。
 デートにならないラインで、かつ志希ちゃんの好みに合いそうなお店を探しに行こうってことで」
「ややこしいなオイ」
 しかめっ面をして、拓海さんは頭をワシャッと掻く。

「んまぁ、オレらプロデューサーなんて一般人からすりゃ誰か分かんねェしさ。
 アイドルのコらがしっかり変装しときゃぁ、派手な事しなきゃ大丈夫だと思うけどよぉ」

 ヤァさんは、人差し指を立てた。
「男として言わせてもらうが、デートってのは男が女を立てるもんじゃねェ。
 男にも女にとっても、お互いが楽しめるモンでなきゃダメだ」

 周子ちゃんが「ほう」と興味深げに、彼の方に体を向けた。
「つまり、接待じゃダメだと?」
「当たりめぇだべした」

「だから、デートじゃな――」
「いいから。あの人が美嘉ちゃんか志希ちゃんのどっちとくっつくにしろだ。
 あまり気を遣わせる事はさせないであげてくれや。させるにしても、少しはあの人の事も楽しませてやってほしい」

「男ばかり気を回すのはフェアじゃねぇって言ってんだな」
 拓海さんは、彼を睨み上げた。
「よく分かってんじゃねェか、さすがオレの担当だ」
 満足げに、彼はニッと白い歯を見せる。

 周子ちゃんがすかさず次の言葉を促す。
「ほんじゃさ、どうすりゃいいの? 女のコ側はさ」
「そりゃおめぇ、せっかくボインがあんならこう、グッと」

 また、ヤァさんが後方にもんどり打って倒れた。
 拓海さんの左足が、真っ直ぐ突き出されたままになっている。
「す、すごい」
「狙ってやってんと違う?」
 周子ちゃんが、半分呆れた様子で笑った。

「そんなに男の人って、女の人の胸が好きなの?」
 アタシには、未だに何が良いのか分からない。

「赤ちゃんは皆お母さんのおっぱいで育つから、潜在的に好きな意識が働くとか?」
 そう語る周子ちゃんは、いつになく真剣な表情だ。
「あっ、でもあたし別に女のコのおっぱい、男の人が思うソレほどに好きってワケじゃないかな? うーん?」


「理由が無きゃ好きになっちゃいけねェのかよ」

 腹を押さえながら、拓海さんのプロデューサーさんも真顔で語り出した。
「本当に好きなモンに、いちいち理由なんて探してる余裕あるはずねェべした」

「良いこと言った気になってんじゃねぇよ」
 拓海さんが拳を振り上げると、プロデューサーさんはニヤつきながらサッと身をよけた。
「アリさんだって好きに決まってると思うぜ」

 そうかなぁ――うわぁ、もしそうなら軽蔑するかも。

「まぁとにかくだ。胸をどうってのは一例だが、男と女はフェアに、だ。
 女心が分からねェとダメだっつー美嘉ちゃんの言い分ももっともだが、それがデートってんなら、お互いが楽しめるモンでねェとな」

「何か、ヤァさん過去に苦い経験でもあったん?」
 頬杖をつき、ニヤニヤしながら周子ちゃんがヤァさんの顔を覗き込むと、彼は大袈裟に咳払いをした。
「今際の際に話してやるよ」

 ちなみに、ヤァさんは東北の出身であり、「~~だべした」とかはそういう方言みたい。
 聞くと、あの人も同郷とのことだった。ふーん。


 それはともかく――フェア、か。

 アタシはいつもフェアのつもりだった。
 仕事でも、そうじゃない時でも、アタシに接してくれる人とは、誰に対してもなるべく対等でありたかった。

 もちろん、偉い人とか、仕事の関係先の人とか、上の立場の人がいるのも理解してる。
 それに、いくら対等と言ったからって、何をしても許されるなんて思っていない。

 何ていうんだろう。
 敬意? って言えばいいのかな。


 LIPPSの皆も、ファンの人達も、プロデューサーも、皆がアタシを高めてくれる。
 皆がいるからアタシがいる。

 でも、だからといってそれに媚びた瞬間、アタシと皆は対等じゃなくなる――気がする。

 敬意と媚びは絶対に違う。
 皆の事は尊重も感謝もしてるつもりだけど、アタシは、アタシが求める自分を常に持ち続けていたい。

 だから、スタンスは変えない。
 高圧的でナマイキだと思われたとしても、それが、仕事に対するアタシなりの敬意。


 の、つもりだったんだけど――そっか。

 確かにそれは、お仕事に限ってはそれで上手くやれたかも知れないけど、うーん――デート、か。


 ――ハッ!?
 い、いやいやいやデートじゃないから!!
 アタシは別に、ただ、志希ちゃんのためにっていうか、プロデューサーがあまりにだらしないから仕方なく――!

「お姉ちゃーん、バタバタ聞こえるけどどうかしたのー? ゴキブリ?」
「アンタはいいの!! 勝手に入るな!!」

 ヤバッ。そういやまだお風呂入ってなかった。

 で、当日。


「――ふーん」
 駅前で待ち合わせたプロデューサーのファッションをチェックしてみる。
「な、何だよ」

 カーキの無地のシャツ。インナーは白。
 紺色の無地のチノパン。

「地味じゃない?」
「いいじゃないか、別に」
 ぶっきらぼうに答えるのを無視して、靴は、っと――。

 おっ、靴はちょっとオシャレかも。白とグレーと、側面は青っぽい革靴。
 グレンソン? いや、この色使いはランバンかな。男の人って結構ランバン好きだよね。
「覚えてないよ。どっかのアウトレットだったと思う」
 もうちょっとこだわり持とうよ、そこは。

「――そう、それだ!」
「ん?」

「プロデューサーに足りないの分かった。こだわりだよ。もっと言えば情熱」
「よく分かったな」
「のんきに構えてないで、ほら行くよ」

 プロデューサーの手を掴んでグイッと引く。
「どこ行くんだ?」
「買い物」

 駅から少し歩いた所のショッピングモールに着くと、休日だからか、大勢の人でごった返していた。

「危険じゃないか? こんなに人がいたんじゃ、いくら変装してても城ヶ崎さんってバレちゃうんじゃ」

「誰も気にしちゃいない。周りの目なんて気にするだけ損」

 何日か前の、プロデューサーの言葉をそのまま呟いてみて、クルッと振り返る。
「そうでしょ?」

 プロデューサーは、鼻からため息を吐き、口をへの字に曲げた。


 実際、これだけ人がいたら、いちいち他人を気にする余裕なんて無い。
 はぐれないように、皆、友達や彼氏、彼女の手をお互いにしっかり繋いでる。

「どこ行くんだよ」
「志希ちゃんが好きそうなお店」
「だからそれってどこ?」
「それを今日探しに行くんでしょ? いいから適当に入ろ」

 最初は服屋さん。

「ジャケットとか着ないの?」
「この歳になったら着れないよ」
「歳なんて関係無いって。おじさんでも着てる人フツーにいるじゃん」
「それが許される人だからだろう」
「何それ? プロデューサー、背もそこそこあるし体型は悪くないんだからきっと似合うよ」

 店員さんに、流行のものを見繕ってもらう。

「ほら、似合う似合う! カッコいいじゃん」
「いや、俺はいいよ、こういうの」
「何で!?」
「俺カッコいいだろ、って思ってんだろうなアイツ、って思われそうでイヤだ。こんなカッコいい服」
「意味分かんない!! もう、じゃあいいよアタシ買ったげるから!」
「いやいいってマジで!」

 次、眼鏡屋さん。

「何で眼鏡? 俺も一ノ瀬さんも裸眼なんだけど」
「変装用に必要じゃん。アタシもしてるでしょ?」
「そうかも知れないが、現地調達するのはどうなんだ。ていうか俺が変装する意味無い――」
「プロデューサーの分、今日ココで買おうよ」
「おい」

 ザッと店内を見渡して、何となくカッコいいヤツ――。

「このゴツいのとかどう? 意外と似合うかもよ?」
「西部警察かよ。ギャグかと思われるわ」
「西部警察?」
「知らないか。俺もリアルタイムで観てた訳じゃないけどさ」
「じゃあ――この、細いフレームのとかイイんじゃない? 着けてみてよ」

「――えぇ~~、何かヤァさんみたいだな」
「あっ、似合う! グラサンいいね、プロデューサー!」
「良くないよ、こんなのさっきのジャケットよりハードル高いぞ」
「ハードルって?」

「自分がカッコいいと思ってる自意識過剰なヤツしか着けないよ、こんなグラサン――うわ、しかも高っけぇ」
「高いならいいよ、アタシ出すから」
「バカ言うな! 女子高生がそうホイホイ大人相手に出すもんじゃない」

「なるほど、フェアじゃないもんね」
「何がだよ」

 次は――。
「おい、ちょっと待った城ヶ崎さん」

 振り返ると、買い物袋を両手にぶら下げ、ウンザリした顔のプロデューサーがいた。

「買い物はいいや。もう大体分かった」
「良くないって。プロデューサー、ちゃんと自分を磨かないと」

「俺の事より、今日は一ノ瀬さんをエスコートするのに良いトコを探すんだろ?」

 プロデューサーは、首を傾げ、私を見つめてくる。

「何か、今日の城ヶ崎さん、ずっと俺のことエスコートしてくれてるよな」
「えっ――」


 慌てて手を振った。そ、それは――!
「そんなんじゃないって! ただ、気を遣ってもらうのフェアじゃないっていうか!? だから今日はあの」
「何だ、その、さっきからフェアだのフェアじゃないだのって」

 片手に荷物を預け、順番に肩と首を回すと、プロデューサーは親指で出口を指差した。
「腹減ってないか? 時間も良い頃合いだし、適当に飯にしよう」

 一度駅に戻ってロッカーに荷物を預け、ネットで見つけた洋食屋さんに移動した。

 さすが、レビューの数が30以上あったにも関わらず、星が4.3も付いてるお店。
 雰囲気もロケーションもバッチリ。天気も良いし、テラスに吹き込む潮風が気持ちイイ~★

「どれも高いなぁ」
「場所代とか、雰囲気代も入ってるんでしょ」
「だよなぁ」

 相変わらずデリカシーの無い――この人には、人生を楽しもうという気持ちが無いのかな。


 ――あれ? でも、意外と――。

「どうかした?」
「い、いや、別に――」
「手使っていいよ。別に俺、そういうの気にしないから」

 ナイフとフォーク、プロデューサー結構器用に使うなぁ。何で?
 アタシ、このエビの殻剥くの、もう手でいっちゃいたいんだけど!?

「いや、だから手使っていいって」
「何でそんな上手にできんの?」
「歳をとれば、これくらい嫌でもできるようになる。車の運転とかと同じさ」

 そんな事言われたって――ふ、ふぬっ、むぐぐ――!

 と、アタシがエビと格闘していると、プロデューサーは、自分のナイフとフォークを置き、手で殻を剥きだした。

「えっ、ちょ――」
「手で食った方がうまいぞ。あ、すみませんおしぼりいただけますか?」

 ――て、テーブルマナーは合格。うん。

 お店を出た後は、海沿いの公園を二人でのんびりお散歩。

「天気いいね。あ、見てみて、船!」
「あぁ」
「お魚釣ってるのかな?」
「遊覧船だ、あれは。どう見ても漁船じゃないだろ」

 ――むぅぅ~~、もっとオブラートに言うとかさぁ!


 あれ――ふと、散歩連れの犬がアタシ達の向かいから歩み寄ってきた。
 中型の洋犬だ。

 屈んで挨拶を交わし、首の下を撫でてあげる。
「何歳ですか?」とプロデューサーが尋ねると、飼い主のおじいちゃんは「まだ2歳の女の子ですよ」と答えた。

 犬の年齢で言えば、アタシと同じか、ちょっと年上かな?

「アタシ達、まだまだこれからだよね」
 こっそりそう語りかけると、“リカ”ちゃんは明るく、ワンッと応えてくれた。


 その様子がおかしかったのか、おじいちゃんは歯の抜けた口を大きく開けて笑った。

「人生を四季で例えれば、私なんぞはもう冬だが、あなた方はまだまだ春か夏でしょう。
 一番エネルギーに満ち溢れた時期です。どうか末永く、お幸せになりなさい」

 ――は?

「誤解をされているようですが、私達はカップルという訳では――」
 そうプロデューサーが訂正すると、おじいちゃんは薄い白髪頭をお茶目に抱えてみせた。
「ありゃ? コレは失敬。アハハ」


 リカちゃんとおじいちゃんに別れを告げると、プロデューサーは頭を掻いた。

「俺もそろそろ秋に差し掛かってるんだけどなぁ。
 あれぐらいの歳になると、俺も城ヶ崎さんも等しく“若いモン”になっちゃうんだろうな」

「プロデューサーってさ、何歳?」
「聞いてどうするんだ」
「イイじゃん、教えてよ」
「言いたくない」

 そう言って、プロデューサーはプイッと踵を返して、足早に前を歩いて行く。


 ふふっ。つまんない事にムキになるの、結構可愛いっていうか、イイカンジかも★

 跳ねるような足取りで、アタシは彼の後ろをついて行く。

「そう言えばさ、プロデューサー」
「ん?」

「タバコ、吸わないね?」

 さっきまでツカツカ歩いてたプロデューサーがようやく足を止めて、こっちをチラッと振り返った。

「まぁ、そりゃ――未成年の前だしさ」
「奏ちゃんの前では吸ってたんでしょ? 聞いたよ」
「あれは喫煙所だったから」

「いいよ、吸っても。気にしないで」
 この業界、吸ってる人多いから、プロデューサーよりタバコ臭い人も多いしね。


「じゃあ、お言葉に甘えて」
 プロデューサーはそう言うと、胸ポケットからタバコのケースを取り出して、一本口にくわえた。

 火を付け、顔を上に向けてフゥーッと煙を吐くと、内陸に吹き込む潮風がたちまちにそれを運んでいく。

 その行方を確認すると、おもむろにプロデューサーは、アタシに歩み寄ってきた。
 何のつもりかと思ったら――そのまま通り過ぎて、海沿いの手すりにもたれかかる。

 風向きを気にしてたのかな。

 やっぱり、気ぃ遣いだね。
 隣に立って一緒の手すりにもたれかかり、アタシはプロデューサーの顔をジッと見た。

 水平線を眺めながら、プロデューサーはボーッとタバコを吹かし、携帯灰皿に灰を落としている。

「そこまで気を遣わなくていいよ。アタシ達、対等なんだから」

「今日の城ヶ崎さん、随分そういうのにこだわるんだな。フェアとかそうじゃないとか」
「今日だけじゃない」

 プロデューサーは、ふっとアタシに顔を向けた。
 いつの間に隣に来てた事に気づかなかった彼は、ギョッとしている。失礼じゃない?

「アタシは誰に対しても本当のアタシを見てもらいたいの。LIPPSの皆にも、ファンにも、プロデューサーにも。
 それはたぶん、対等の関係じゃなきゃ、本当の姿になんてならない。そう思わない?」


 プロデューサーは、目をパチクリさせた後、また海の方に視線を戻す。
「偉いなぁ。それに強い」
「えっ?」

「いや、偉いってのは上から目線だな――。
 でも、まだ17、8だってのに、そうやってちゃんと考えてるの、本当にすごいと思う」

 プロデューサーは、フゥーッと煙を吐いた。口元に手を添えて、アタシの方には顔を向けず。

「でもな、本当の自分なんて、多くの人は怖くて見せられなくなるものなんだ。
 歳を重ねれば重ねるほど、特にな」

「歳のせいにしないでよ」
 また出た。言い訳がましい話なんて聞きたくない。

「イイ格好してって頼んでるワケじゃないじゃん。そりゃ、今日はイイ物買ったけど――でも!
 それがどんなに醜くても、プロデューサーの本音を知りたがってるの、アタシだけじゃないよ。
 奏ちゃんも――志希ちゃんだって、興味があるの、プロデューサーのそういうトコなんじゃないかな」

 自然と、手すりを握る両手に力がこもる。

「それに――自分がだらしないって思ったなら、自分を高めればいいじゃん。
 アタシ、ずっとそうしてきたもん。プロデューサーにだって、出来ないはずないでしょ?」



「城ヶ崎さんはさ」

 ため息にも似た煙を長く吐いた後、プロデューサーはふと尋ねてきた。

「何で人は、不幸になると思う?」

「へっ?」
 突拍子も無い質問に、目が点になる。

「いや――これは別に、面白い話をしようってんじゃない。
 まして、謎かけをして城ヶ崎さんを試すものでもないし、気の利いた説教をするつもりも無い。
 ただの雑談、話のネタとして、あまり深く考えずに答えてみてくれ」


 そう言われても――うーん。

 何で、って――。


「不満だから?」

「たぶんそうなんだろうな」

 何それ。適当に言った答えに、適当に相づち打ってるとしか思えない。


「例えば、だ――タバコを吸いたいのに吸えないというのは、俺にとって不幸だ」

 思い出したように、プロデューサーは手に持ったタバコを振ってみせる。

「だが、城ヶ崎さんにとってはどう? 不幸か?」
「何が?」
「あなたはタバコを吸ってはいけません、って言われたら?」
「全然何とも思わないけど? 元々吸わないし、アタシ」
「だよなぁ」

「つまり、俺はタバコを求めるばかりに、それが吸えないことが不幸になるわけだよな」
「そうかもね」

 ――で?

「もっと言うとさ」
 えっ、まだ続くの?

「ミカンを100個手に入れようと思ったのに、10個しか手に入らなかったら、たぶん不幸だよな」

「まぁ、欲しかった人にとっては不幸なんじゃない?」
 話の意図が掴めなくて、ちょっとぶっきらぼうに答えちゃった。まぁいいや。

「俺もそれだと思う、城ヶ崎さん」
「えっ?」

「100個欲しかった人にとって、10個という結果は不幸だ。
 でも、元々10個あれば良い人にとってはどうだ? 10個手に入ったとしたら?」

「普通だよね。むしろ狙い通り、満足のいく結果ってヤツ?」

「そう。つまり、さ――」

 彼がタバコを吸い、吐く。その味を噛みしめるように。


「求めるから不幸になるんだ。
 過剰に求めすぎて、それが達成できない時に生じるギャップが不幸なんだと、俺は思う」

 ――一理ある、かも?

「蛇口を捻れば綺麗な水が出るし、ちゃんと働けば衣食住も確保できる。識字率も高い。
 そんな国が何で諸外国と比べて自殺率が高いのか、国民の幸福度が低いのか、なんてよく騒がれるけどさ」

 携帯灰皿に、短くなったタバコを落として、彼は続ける。

「俺から言わせれば、皆、求めるレベルが高すぎるんだよ。
 自分はここまで出来るはずだ、ってすっかり思い込んで、結果が伴わずに自滅するヤツがあまりに多すぎる」


「だから、いつもそうやって自分にブレーキをかけてるんだね、プロデューサー」

 前言撤回。全くもって、一理無い。

「そんなの、夢を追い求める人の全否定じゃん」
「そうなるだろうな」
「それ、アイドルのプロデューサーとしてどうなの?」
「ふさわしくないと思う」

 あーなるほど――奏ちゃんが怒るのも、無理はないな、これ。

「そんな悲しい事、言わないでよ。
 アタシ達の夢を、プロデューサーは応援する気が無いっていうの?」

「経験者は語るというヤツだ」

「えっ?」

 プロデューサーは、タバコの箱を取り出した。
「もう一本いい?」
「うん」

「まぁ、俺のは夢というよりも、一時の嫌な事から逃れたいという後ろ向きなものだったけどさ」


 新しいタバコに火を付け、美味しそうに――でも、寂しそうに空を仰いでタバコを吐いた。

「夢を叶えた人と叶えられなかった人、どちらが多いか。
 事実、アイドルなんてほんの一握りが表舞台で輝く裏側で、どれだけ大勢の子達が涙を飲んで退いていくものか」

 灰を落として、苦笑する。
「信じれば夢は叶うなどと、戯れ言を説くヤツと一度話をしてみたいもんだよな」


「アタシが聞くよ、その話」

 プロデューサーがタバコの手を止め、アタシを見た。
「信じれば夢は叶う。アタシは信じてる」

「いや、俺が言ってるのは、そういう戯れ言で君のような若い子達をたぶらかす輩の事を――」
「戯言なんかじゃない!」

「簡単に叶う夢じゃないって分かってる。
 だから目指してるんだし、アタシにはそれができるって信じてる」

 プロデューサーに何があったか知らないけど、アタシの信じる道を否定されたくはなかった。


「自分の力を過信してイキがるのは若者の特権だ。それは結構だがな」
 改めてタバコを吸い、煙を吐きながら首を振る。

「そういう過信は危険なんだ。君みたいに真面目な子は特に、信じるものが揺らいだ瞬間にポキッと折れてしまいそうでさ。
 君達にはそういう思いをしてほしくないんだよ」

「アタシは簡単に折れない。たとえ折れても立ち直る。叶えるまで何度でも」

 気づいたら、彼の腕を掴んでいた。
 プロデューサーはビックリしてアタシを見てる。アタシもビックリしてる。でも気にかけてられない。

「若者の特権だなんて、歳のせいにしないでよ。プロデューサーだって、夢を語れるよ」


 彼は鼻を鳴らし、かぶりを振った。
「例えば、小学生がいきなり路上で『夢はでっかく総理大臣!』なんて叫んだら微笑ましいけどな。
 俺が同じ事したら馬鹿だろ」

 ため息交じりに煙を吐く。

「君が思ってる以上に、歳ってのは残酷だよ。夢には明確に賞味期限がある。
 大体、夢で飯が食えるなら世界は今頃もっと平和だ」

「だったらアタシ、証明するよ。夢でお腹いっぱいにできるんだってこと」

 何でこの人は、こんなにも後ろ向きなんだろう。
 仮にもアイドルのプロデューサーでありながら、なぜ夢を否定するんだろう。

 その疑問が、奏ちゃんは怒りに変わった。
 アタシは――怒りももちろん、ある。だけど――。

「何も追い求めない人生なんて、アタシはまっぴらゴメンだし――。
 アタシのプロデューサーがそんな人生をこの先も歩んでいくの、見過ごせないよ」

 アタシの歌と踊りを見て、夢を感じることが出来ない人がいるなんて、認めたくない。

 この人を救いたい。
 彼のためではなく、それがアタシの意地と誇りだから。


 ――アタシの顔をじっと見つめていたプロデューサーは、ふっと水平線に向き直り、タバコを口元に運んだ。

「辛かったら、いつでも立ち止まっていいからな」

 ゆっくり吸って、灰を落としながら長く吐く。
「アイドルをしている時期より、アイドルを辞めた後の人生の方が遙かに長いんだ。無理はしないでほしい」

「哀れんでいるつもり?」
 何でアタシ、泣きそうになってんだろう。

「事実を言ってるだけだ。躓かないよう安全な道を選んだとしても、誰も君達を責めない。
 過信と期待は、人を潰すんだよ」

「アタシは――!」

 どうしてもアタシの言うことを聞こうとしないプロデューサーに、とうとう激昂しかけた時だった。



 ――――ッ?

 え――――えっ、え!?



 視線の先にある植栽の陰から、周子ちゃんと奏ちゃんが顔を覗かせてこっちを見てる。
 フレデリカちゃんに至っては手を振ってる。それも大きく。



「――ねぇ、プロデューサー」
「ん?」
「ちょっとトイレ行ってくる」
「あぁ、うん。俺も行ってこようかな」

「プロデューサーはそこにいて!!」
「え、えぇ?」

 当惑するプロデューサーの声に耳を貸す間もなく、アタシはその場を飛び出した。

「何でココにいんの!!」

 ソッコーで手近にあったトイレの陰に三人を呼び出す。
 どういうつもりなのか、納得のいく説明してもらわなきゃアタシだっておこ――!

「そりゃミカちゃんのデートだもん、応援しなきゃって思って♪」
「はぁ!?」

 フレデリカちゃんは、いつも通りの満面の笑みをちっとも崩さない。
 それに引き替え、周子ちゃんの表情の邪悪さと言ったら――!

「邪悪とは人聞き悪いなぁー。あたしだって末永くお幸せになってほしいもの」
「そういうんじゃないってアタシ何度も言ったよね!?」

「まぁ、図らずも私達の中でようやく色気づいたトピックだもの」

 変装用の帽子を軽く叩き、かぶり直しながら奏ちゃんはフッと笑った。
「あなたから、幸せのお裾分けくらい頂戴しても、バチは当たらないと思うけど?」
「お裾分けしるぶぷれ~♪」

「だーかーらぁ!! そうじゃないってアタシはただ志希ちゃん――!」


 はたと、止まる。

「美嘉ちゃんどうしたん? ひょっとして漏らした?」
「漏れデリカ?」

「まさか――志希ちゃんまで来てたりしないよね?」
 おそるおそる、聞いてみる。ウソでしょ――。

「まさか。さすがに呼ばないわよ。今日は志希のための予行演習――という名の密会デート、でしょう?」
 口元に手を添えて、忍ぶように笑う。
 奏ちゃんお得意の“女優笑い”だ。

「あたしらだって、その辺のデリカシーは持ってるよ。ねぇフレちゃん?」
「もーシューコちゃん、それアタシに聞いちゃう? フレちゃんのデリカは何のデリカなのって話だよ?」

 デリカシーって言うなら、ほっといてくれたら良いのにっ!
 とにかく。

「志希ちゃんはいないんだね? 今日の事も、志希ちゃんには内緒だからね!?」

「仮に言った所で、あの子が美嘉を根に持ったり、妬いたりする事は無いと思うけど」
「いや、言わないでよ!」
「デートじゃないなら別に言ったって良くない?」
「デートじゃないから!! あっ、いや、デートじゃなくても言っちゃダメ!」

 あーもう! そろそろ行かなきゃ――!

 トイレに行くと言ったまま、だいぶ時間が経っちゃってる。
 あまり怪しまれるような事はしたくない。ましてこの子達が来てるなんて知れたら――!

「今日のが終わったらLINE送るから、どっか喫茶店かファミレスで待ち合わせようね!」
「おー、反省会ね。りょうかーい」
「スタンプ送るねー♪」

 言いたいことは山ほどあるんだっての!

 足早に、さっきプロデューサーといた場所を目指す。

 あぁあぁぁぁどうしよう。ヤバイ、さっき話してたこと全部頭から吹っ飛んでる。

 平静を装おうとして逆に不自然になるパターンだ、きっとこれ。
 ポーカーフェイスは苦手なんだよなぁ~!

  ――自分を誤魔化そうとすんのは粋じゃねぇ。むしろビッと胸張ってけよ。


 拓海さん――よしっ!

 歩道の角に立ち、頬を両手で叩く。
 ここを曲がった先にいるプロデューサーに、曇ったアタシは見せられない。

 足をグワッと勢いよく踏み出し、そこを見やると、プロデューサーはいなかった。

「な、何で――」

 アタシは目を疑った。

 そっくりそのまま、入れ替わったのかと思った。


 そこにいたのは――。

「――ん?」



 プロデューサー――アタシの、前のプロデューサーが、そこにいた。


「あれ、美嘉ちゃん。こんにちは」

「こんにちは――って、こんな所に何で」

 いや、それよりもさっきまでいたあの辛気臭い方は、どこに行ったんだろう?

「プロデューサー見なかった? 今の、アタシ達の」
「えっ、彼?」
「さっきまで一緒だったんだけど」

「えぇと、どんな格好か分かる?」
 この様子だと、本当に知らなそう。

「カーキのシャツに、紺色のチノパン」
「うーん、どうだろう――似たような格好の人、多いからなぁ」
「地味だしね」

 申し訳なさそうに、前のプロデューサーは、首を振る。

「残念だけど、見ていないよ。ここで別れたのかい?」
「うん、ちょっと皆――ううん、トイレに行ってくるから、待っててって言っといたんだけど」
「そうか」


 やがて、彼はニコッと笑い、手をアタシの頭に乗せた。
「ここで待っていれば、そのうち戻ってくるよ。大丈夫さ」

 この人の笑顔は好きだ。
 ちょっと頼りないトコもあるけど、とても優しくて、根拠のない一言でも安心する。

「しかし、ただ待っているのもなんだし、彼が来るまで話でもしていようか」
「うん」

 彼は周囲を見渡し、手近なベンチを見つけると、そこにアタシを案内した。


「評判はよく聞いているよ。あのフェス以降、仕事は順調のようだね」
「それがさ、そうでもないんだよね」
「えっ?」

 LIPPSとしてのアタシ達は確かに順調だ。それはそれで、とても嬉しい事なんだけど――。

「皆がメキメキと頭角を現していくにつれて、アタシのアイデンティティっていうの?
 どんどん、脅かされてるってカンジがしてさ」

 足元の木チップを、ツーンと蹴っ飛ばしてみる。
 まるで手応えの無いそれは、大半がアタシの足をするりと躱し、申し訳程度に宙を舞った一部も大して飛ばず、その辺に落ちた。


「焦ってんだよね、正直――高三ってのもあるし、進路、ガラにも無く悩んでるっていうか」

「まさか、アイドル辞めるの?」
 前のプロデューサーは、驚いてアタシの方に体を向けた。
「いや、そういうワケじゃないって!」

「あぁ、ビックリした――つまり、方向性の話ってこと?」
「うん、まぁそうかな」

 一通り、最近アタシが抱えている悩みを打ち明けた。

 いつまでアタシはカリスマギャルでいられるのか。
 いつかは迫られる路線変更は、どういう方向性で行けば良いのか。
 それはいつで、何を武器として売り込むべきなのか。

 今しがた、「夢いっぱい食べさせてあげる」と啖呵を切った手前、今のプロデューサーには、正面切ってこんな悩みは相談できない。
 相談したら、それ見たことかと、「無理をするな」「辛かったら辞めればいい」とか言うに決まってるし。


「ふ~む――まずは、LIPPSとしての仕事に集中すればいいんじゃないかな」

 腕組みしながら聞いていた彼は、少し唸ってみせた後、思いついたように腕を解き、両手を後ろに置いた。
「僕は美嘉ちゃんに、今のユニットで頑張ってほしいと願って彼に担当を任せたから、そう思うだけなのかも知れないけど」

「その人がさ――もし、もしだよ?」
 言って良いものかどうか、迷う。
「ん?」


「もし、今のプロデューサーが、アタシ達の夢を――」

 ――――。

「――美嘉ちゃん?」


「――ごめん、やっぱ何でもない」

 やっぱり、やめよう。

 まだあの人の事をロクに知ってもいないのに、そういう人だと決めつけるのは良くないと思うから。

「彼は真面目で誠実だよ。フェス当日まで、会場を念入りに下見をしたって話もあっただろう」
「――うん、そうだね」
 そうだった。

「あまり深く考えず、目の前の仕事を一つ一つ誠実にこなしていけばいいんだ。
 美嘉ちゃん、余計な事を考える苦手でしょ?」
「うん」

「LIPPSの仕事が上手くいってるのなら、それでいいんじゃないかな。
 結果が伴ってくれば、いずれ自分が進みたい道も、自然と見えてくると思うよ」

 良かった――この人は、まだアタシの事、ちゃんと見てくれてるんだな。
 自然と顔がほころぶ。

 同時にその一方で、疑問が次々に浮かんだ。

 なぜ、あの人はプロデューサーをやっているんだろう?

 アタシ達の夢を否定していながら、何であのフェスには力を入れていたんだろう?

 アタシ達のうちの何人かを、どうしてスカウトしたんだろう?


 パッと思いつくだけでも、矛盾が多すぎる。


「LIPPSは、アイドルもプロデューサーもアクが強いが、美嘉ちゃんなら上手くやれるよ」

 彼はおもむろに立ち上がり、大きく伸びをした。

「ほら、戻ってきた」

 振り返ると、あの人が向こうからこっちに歩いてくるのが見える。

 今までどこに行っていたんだろう――まず、それを問いかけるべきなのかな。
 それとも、触れない方が良いのかな。

「じゃあ、僕はここで」
「えっ、あの人と話していかないの?」

 はにかみながら、前のプロデューサーは手を顔の前で控えめに振った。
「大の大人、それも同僚同士、休日に顔を合わせてもお互い困るだけだよ」

 この人も歳のせいにする――もう、大人ってなんかズルくない?

「彼によろしく言っといてくれ。それじゃあね」

 そう言って手を振り、前のプロデューサーが去って行く後ろ姿に向けて、アタシも手を振った。
「ありがとう」


 さて――振り返ると、おぉ、結構近づいてきてる。歩くのはやっ。

 鼻でため息をしているのが、この距離から何となく、既に分かるカンジだ。

「あの人は――チーフか?」

「たまたまここで会ったの」
「たまたま?」

 彼は首を傾げた。

「どうしてここに来ていたんだ?」


「えっ――い、いやぁ、何でだろ」

 そういえば、全然気にならなかった――いや、気にはなったけど、聞くの忘れちゃった。

「どうして来ていたのかは分からない、か――なら、俺達が一緒に来ていた事は知っていたのか?」
「あっ、うん。それはアタシ、言っちゃったから」

「何で、って聞かれた?」
「えっ?」

 何で、アタシとプロデューサーが一緒にいたのか――あの人、聞いてきたっけ?

「――それも、向こうから特に聞かれなかったのか」
「う、うん」

 どうして聞いてこなかったんだろう。


「ひょっとして、俺達がここに来る事を、元々知ってたんじゃないだろうな」

「――えっ?」


 ポケットに手を突っ込み、プロデューサーは彼が去って行った方を静かに睨んでいる。

「ちょ、ちょっと! 別にイイじゃんそんなの。
 元々あまり細かいこと、気にしない人だし、知ってた所で何かヘンな事しようって人でもないもの。
 大体、アタシ達がいるって事について、どんな良からぬ事をしようっていうの?」

 明らかに疑念を抱いてそうなプロデューサーに、必死でフォローをする。


 でも、少しだけウソがある。
 あの人は、アタシがデビューした当時から、割と細かいんだよね。

 優しいけど、時間にはうるさかったし、仕事帰りに寄り道するのさえ難色を示すような人だった。
 とても礼儀正しい人で、業界のマナーもあの人に叩き込まれたようなものだ。

「空気を読んで、聞かなかっただけかも知れないし――どう空気を読んだのか知らないけどさ」

「城ヶ崎さんの言うとおりだ」
 プロデューサーは、まだポケットに手を突っ込んでいる。

「知っていた所で、どんな邪な事を謀れるのか、俺には想像がつかない」
「だ、だよね――」

「だが、それが問題でもある」

 踵を返して、プロデューサーはアタシを誘うように歩き始めたので、アタシもそれに続く。


「そうそう、さっきな、一ノ瀬さんに会ったよ」



「――――え」

 アタシの足が、糸の切れた人形のように止まった。

「何しに来てたのか、聞いてもちっとも教えてくれなかったけどな。
 俺を見つけた途端、獲物を――」


 アタシがついてきていない事にようやく気づき、振り向いたプロデューサーは、少しだけ首を傾げ、アタシの方に歩み寄る。

「俺も割と、本当にトイレ行きたくてさ。城ヶ崎さんとは別の方に歩いて探してたんだ。
 あっちの方だったな、その時に彼女と出くわしたのは」


 何で――?

 奏ちゃんも周子ちゃんも、フレデリカちゃんも、あの子は来ていないと言った。
 ウソを言ってるように思えなかった。

 あの子達から漏れたワケではないなら、可能性があるのは、あの日事務室にいた拓海さん。
 それと、ヤァさんしかいない。

 それか――。

「プロデューサー、喋った?」

「何を?」
「だから、志希ちゃんに今日のこと!」
「言うわけ無いだろう」

 アイドルとのデートを強く否定していたほどだ。それも、志希ちゃんその人に。
 言うはずが無いのはもっともだ。

「――――ッ!」
「あ、おい」

 さっきまでピクリとも動かなかった足は、急に稲妻のようにプロデューサーの脇を一直線に駆け抜けた。



 深く考えずに行動してしまう、みたいな事を以前プロデューサーが言っていたのを思い出す。
 本当にそうだ。彼女に会って、何て言うつもりなのアタシ?


 デートじゃないよ! ――いきなり言い訳がましいかな。

 奇遇だね、こんな所で! ――丸っきり不自然じゃんこんなの。

 いっそ開き直る? 志希ちゃんとのお忍びデートの予行演習に付き合ってたんだよって。
 ――いや、プロデューサーに怒られそう。

 さっきLIPPSの皆も見かけたよ! ――悪くない。コレだ。


「はぁ、はぁ――!」

 広場に出ると、カップルだけじゃなく、仲良く遊ぶ家族連れも多い。
 行き交う人、たむろす人が多くて、もう少し細かい場所をプロデューサーから聞くんだったと今更後悔――。

 しかけた時だった。

「あ、美嘉ちゃーん♪」



 振り返ると、橋の手すりに寄りかかり、楽しそうに手を振る志希ちゃんがそこにいた。

「にゃははー♪ 今日は実にユカイな日だねー。彼とは会った?」

「彼?」

 アタシは首を傾げた。
 演技なんかじゃない。一瞬、ホントに誰の――いや、どっちの事を言ったのか分からなかった。

 そして、思いついた。

「あぁー会った会った! いやーホント偶然そこで会ってさー。
 それに志希ちゃんにもこんなトコで会うなんて、こんな日もあるんだねーっていうか?」

 とぼけることにした。

 そうだ。一緒に来ていたワケではないフリをまずしてみよう。
 実際、“前の”プロデューサーに会ったのは本当に偶然だったし、彼の事を差してるつもりで話を合わせてみよう。
 志希ちゃんだって、アタシの前のプロデューサー――チーフとは面識があったはずだ。

「にゃははー、ホントだねー」

 志希ちゃんは、にへらと笑った表情を崩さない。
 ヘンに思ってる様子はなさそうだ。


「それでさ、彼からヒジョーに興味深い話を聞いたんだけど――むふふ、聞きたい?」

 彼――志希ちゃんがさっきまで会ったのは、今のアタシ達のプロデューサーだ。

「あの人が? どんな?」
 話を合わせたつもりは無い。純粋に、気になった。


「あのサマーフェス、ホントはアタシ達が優勝するはずじゃなかったって話」


 志希ちゃんの一言は、アタシの胸を途端にざわつかせた。
「――どういう意味?」

「まぁ有り体に言えばヤラセって事になるのかな?
 偉い人達が決めた台本通りに事が進んで、勝つ事を望まれた人がなるべくして勝つ」

 ヤラセ――ヤラセが、ウチのフェスで?

「楓さんが優勝するはずだったんだって。
 ほら、映画の公開も良い時期に重なるっていうから、宣伝もしやすいとゆー。
 そりゃー確かに話題性に勝る宣伝要素は無いよねー?」

「だとしたら、何でアタシ達が勝ったの? おかしいじゃん」

 志希ちゃんが悪いワケじゃないのに、つい口調が尖ってしまった。
「ご、ゴメン」
「んーん、いーよ気にしないで、そりゃそう思うもんね。アタシも思う」


「アイドル部門の統括常務ってヒトが、新しい人に変わったんだって。フェスの直前に」

 人差し指を立てると、志希ちゃんの笑みは悪戯っぽいそれに変わっていく。

「凝り固まった役員のオジサン達が、その常務さんには気に入らなかったんだろうね。
 組織票など断じて許さん、って役員会議でバッサリ言い渡して、もー上層部は混迷極めたり、ってね♪」

 彼女はとても楽しそうに笑った。

 大人の争いを皮肉めいて笑い飛ばす、というより、すごく単純な笑い方だった。
 空に浮かぶ雲が人の顔に見えるよ、なんて、どうでも良い事に指差して笑う子供のようだった。

「勝手な話だよねー。あの人達にとって、主役はアイドルなんかじゃない。
 それが悪いとまでは言わないけどさ」

 ヤラセ――アタシ達は、勝つ事を望まれてはいなかった。

 それを、あの人は知っていた。
 知ってて、それを隠した――そして、それでもなお、より良いステージにしようと、彼なりに最大限力を注いだ。

 なぜだろう。なぜ――?

「んふふー、美嘉ちゃん」
 黙り込んだアタシの顔を、志希ちゃんは興味深げに下から覗き込んだ。


「アタシが彼に興味を持った理由、分かってくれたカンジかにゃ?」

「えっ?」
 この子の話はいつも突拍子が無くて、アタシは間抜けな返事をするばかりだ。


「条件と方法が一緒なら、誰がやっても同じ事象になるの。これを再現性とゆー。
 お鍋に火をかけると、中の水は100度で沸騰するでしょ? そーゆーのを一つ一つ明らかにしていくのが化学」

 ほら、こうして突然難しそうな話を語り出した。
 アタシは物理専攻だったけど、この間返却されたテストの苦い思い出が、頭のむず痒さと一緒にぶり返す。
 志希ちゃんに勉強の邪魔をされた記憶も。

 そんな気も知らず、志希ちゃんは手すりから身を起こし、ブラブラと歩きながら右手の人差し指をあっちこっちに振ってみせた。

「あーすればこーなる。じゃあこーするとどーなる? 予測した通りにそーなる。
 そんな化学、っていうか科学の行き着く果ては、究極の目標は何かっていうとさ」

 立ち止まり、足元の落ち葉を屈んで手に取り、ニコッと笑う。

「未来予知、なのかもね」


 手を離すと、落ち葉は潮風に乗ってぐんぐん上昇――する事はなく、元いた居心地の良い住処へ急ぐように地べたに吹き降ろされ、転がっていった。

「ありゃ、なんだ。もっと飛ぶかと思ったのになぁ」

 にゃははーという志希ちゃんのそれは、誘い笑いなのか、他意の無い単なる笑いなのか分からない。

「風向きと風速、角度、落ち葉の向き、放す位置――条件を細かく設定すれば、再現性はより高まる。
 美嘉ちゃんち、埼玉だっけ?
 ゆくゆくはさ、この落ち葉をココから美嘉ちゃんちのポストに入れるための条件も導けるようになるんだろうね」

「アタシは落ち葉なんていらないけどね」

 冗談っぽく返した。これ以上、志希ちゃんのペースに乗せられるのも癪だ。

 でも、志希ちゃんはそんなアタシの答えすら期待していたかのように、ますます嬉しそうに笑った。

「そう。なぜいらないのか? それなの、美嘉ちゃん。アタシが知りたいのはね」
「へっ?」
 また出てしまった。

「どうしても化学で再現できない、解き明かせない、たぶんたった一つのもの。
 それが介在することで、全ての理屈は意味を無くしちゃう。
 ちょうど、楓さんの勝利を望んだオジサン達と、それでも奮闘した彼がいたように」


「――人の心?」
「せーかいっ♪」

 ピョンと跳ね、アタシの真ん前で着地すると、志希ちゃんは――。

「えいっ」

「!? ど、わあぁっ!?」

 アタシの胸にタッチしたのだ。なっ、な――!
「何すんのっ!!」

「イヤ?」
「当たり前じゃん!!」
「何で?」
「何でって、イヤなものはイヤ! こんなのにいちいち理由なんて無いから!!」

  ――理由が無きゃ好きになっちゃいけねェのかよ。

 この間事務室で聞いた、ヤァさんの言葉がふっと頭をよぎる。


「そうなんだよねー、明確な定義なんて無いよねー、そしてそれが最高ってゆーか♪」
「はぁ?」

「好きとか嫌いとか、可愛い、綺麗、美しい、そんな抽象的な言葉が飛び交って、数え切れないほど人の意思に溢れた場所。
 不明瞭で、無秩序で、ともすれば虚実さえ曖昧なものになり得るアイドルの世界って、この世で一番ワケ分かんないトコなんじゃないかにゃって、アタシ思ったんだ。
 だからね――?」


 志希ちゃんは、指をピッと差した。
 アタシではなく、よく見るとその後方を向いている。その先には――。

「その混沌の中にあってアイドルを導くプロデューサーには、そりゃー志希ちゃん興味、持っちゃうよね♪」

 振り返ると、ムスっとした表情でこちらに歩いてくるあの人が、遠方に見える。

「にゃははー♪ やーっぱり怒ってる。人を怒らせるのは案外簡単かもね、これも一つの再現性。
 美嘉ちゃん、心当たり無い?」

「“やっぱり”?」
 志希ちゃんには、心当たりがあるのかな。
 アタシには何も――。

「例えば、予定されたせっかくのデートを誰かさんに邪魔されたとしたら?」

「えっ?」


 含みのある笑いを向けてくる彼女に、アタシは強がってみせる余裕すら無くなっている。
「そ、そんな――っていうかデートじゃないし! アタシとプロデューサーはただ――!」

「そうだね。美嘉ちゃんが今日のデートの本来の相手だという“仮定”に立つと、アタシが邪魔者になるよね」
「そっ――」

 ――は?



「本当は今日、アタシがあの人とデートする予定だったとしたら?」

 ――ど、どういう事?

「ウブな“誰かさん”に気づかれないよう、せっかく段取りをしていたのに、余計なお節介から今日その子に誘われちゃって、断るに断りきれず、無理矢理ダブルブッキングを敢行していたとしたら?」



 ――アタシが、邪魔?


「にゃはは、あくまで仮定の話だよ美嘉ちゃん。確かめたいならあの人に聞いてみるのがいいんじゃないかにゃ?
 まーどこまで正直に答えてくれるか分かったもんじゃないけどねー、あの人って♪」


 自分にとって都合の悪い事は、決して言わない人だというのは分かってる。

 つまり――アタシが今日、本当はあの人を誘うべきではなかったとしたら。

 一日中、不機嫌そうな顔をしていたのが、余計な邪魔者に振り回されていたためだとしたら。



「あ、おい城ヶ崎さん」

 彼が呼び止める声から逃げるように、アタシはその場を飛び出した。



 公園を出て、信号を渡り、息を切らして振り向くと、志希ちゃんの両手が彼の腕に絡みついているのが見えた。

「いやいや、そんな器用な人じゃないと思うよさすがに」


 夕食時という事もあり、ふらっと入ったファミレスは十分広いにも関わらず、ほとんど満席だった。
 それでも、さほど順番待ちもしないで、ちょうど窓際の奥の方に座れたのはラッキーだったと思う。

 お忍びで来ているにも関わらず、フレデリカちゃんは大きな声で店員さんにスープバーの場所を問いかけ、ウロウロ怪しく彷徨っている。

「私も周子に賛成ね。考えすぎよ」
「だとしたら、志希ちゃんは何であんな事をアタシに言ったのって話なんだよねぇ」

「単にからかいたかっただけとか? 美嘉ちゃんってほら、マジメやん。
 混乱させるだけさせて、オロオロするのを見るのが楽しかったんと違うかな。おっぱい触ったのだってそうでしょ」
「おっぱい言うな!」
「ホントの事やん」

 コホン、と咳払いをして、奏ちゃんがその場を制した。

「プロデューサーには他意は無かったと思うけれど、志希のその言動に引っかかるものがあるのは確かね。
 いくら興味本位で美嘉をからかうためとはいえ、少々タチが悪い気がするわ」
「だよね? さすがに、いくら志希ちゃんでもそこまでするかなって」

 あまり、あの子の事を悪く言いたくないのは、奏ちゃんも周子ちゃんも同じなんだ。
 もちろん、席にいないけど、フレデリカちゃんも。ていうかまだ帰ってこないの?

「おっ。はい、奏先生」
 ひょうきんに周子ちゃんが手を挙げた。
「何かしら、周子さん?」

「逆に考えたらどう? ほら、元々美嘉ちゃんは志希ちゃんとプロデューサーの仲を取り持とうとしたワケでしょ?
 心配するまでもなく、ホントは二人の仲が良かったんだとしたら、それはそれで結果オーライって事で、ダメ?」

 言った瞬間、あっ違うな、と周子ちゃんは首を傾げた。
「珍しく、的外れな意見ね、周子」
「志希ちゃんが何であんな事をアタシに言ったのか、って疑問に全然答えてないんですけど」
「今のはアカンかったな。ゴメンゴメン」

「そういや美嘉ちゃんさ」
「何?」
「あの人から、何かメールとか来てないの?」

 周子ちゃんから言われ、ハッと思い携帯を取り出した。
 そうだ、今日とりあえずデー――じゃない、一緒にいたのに、急にアタシ飛び出して、何も連絡してなかった。

 ファミレスに入る前は、何も連絡無かったけど、何かしら反応があってもおかしくない。
 ていうか、本来ならアタシがゴメンってメール送らなきゃいけないヤツだ。


「――今日はごめん。買い物付き合ってくれてありがとう。また明日から頑張ろうな。だって」
「ふっつ~~~! 何やソレ」
 周子ちゃんは大袈裟に仰け反ってケラケラ笑う。

「ごめん、って謝ったということは、あの人にも後ろ暗い、やましい思いがあったのかも知れないわね」
 アタシの携帯の画面を見ながら、冷静に奏ちゃんが分析をすると、周子ちゃんが蠅を払うように手を振った。

「無い無い。何かよく分からないけどとりあえず謝っときゃいいだろ、ぐらいなもんでしょきっと。
 あたし自身そうだから分かるけど、あの人思った以上にテキトーだよ」
「あなたがそう言うと、説得力増すわね」
「おう任せて」


 ――あの人の事を正しく理解している人は、この中にどれだけいるだろう。

「あのさ」
「オボン☆ボヤージュ!」
「うわぁっ!?」

 突然、スープバーから帰ってきたフレデリカちゃんがアタシの隣に着き、お盆を置いた。

「みんなの分も取ってきたよー♪ どれにする? あ、フレちゃんコレにするから周子ちゃんコレね。はい奏ちゃん」
「残ったこれが美嘉の、という事ね」
「元から選ばせる気ゼロやん」

 ――そもそも、アタシはこの子達の事すら、ちゃんと理解できていないのかも。
 えぇい、気後れしてもしょうがない!

「あのさ、皆。一つ確認なんだけど――あの人にスカウトされたのって、この中だと誰がいたっけ?」

 スプーンを持つ手を止め、皆がアタシの方に顔を向けた。

「えーと、あたし――あれ、あたしだけ?」
 周子ちゃんが手に持ったスプーンで皆を差してみるが、反応は無い。

「フレちゃんは?」
「アタシはチーフさんにトゥギャザーしないって言われたよ?」
「私は、元々いたから違うわね」
「アタシも、チーフの担当から、こっちに移ったし」

「志希――は、スカウトと言えばスカウトかしら。あの人に無理矢理くっついて、私達に加わった」


 私は、もう一度、プロデューサーに言われた事を皆に話した。

 アタシ達の夢を否定し、哀れみ、ともすればアイドルを辞めろとさえ言いかねない彼の話を。


「志希ちゃんはともかく――何であの人は、周子ちゃんをスカウトしたんだろう?」

「えっ? い、いやぁ――」
 一瞬戸惑い、周子ちゃんは首の後ろを掻いて、天井を見上げた。

「あら、照れているの?」
「そりゃーねぇ? っていやいや違うって」
「シューコちゃん可愛い上に和菓子屋の娘だもんねー♪」
「そっちかー、やっぱあたしのアイデンティティそっちかー」

「トップアイドルにさせる気が無いのに、どうしてスカウトなんてしたのかな」

 どうしても、それが分からない。
 それに――。

 あの人は、アタシ達があのフェスで勝てない――勝たない事を、予め知っていた。


「ミカちゃん、ムニッ☆」
「ふぇっ!?」

 フレデリカちゃんが、アタシの頬を両手で引っ張った。

「んもー考え過ぎだよー。楽しい事が嫌いな人なんていないよ?
 楽しそうな子スカウトして、良いフェスにしようって頑張るの、そんなにヘンじゃないってフレちゃん思うなー」

「じゃあフレちゃんさ、志希ちゃんが美嘉ちゃんにヘンな事言ったのも楽しいから?」
 周子ちゃんが尋ねると、フレデリカちゃんは笑顔で答える。
「フレちゃんもおんなじ事するかも?」

「えぇっ!?」
 サラッと言うなぁこの子は!

「シキちゃんと一緒にいると、アタシ自身そうだから分かるんだー♪
 あれだけ自由に振る舞えるの、シキちゃんが皆のこと大好きで、安心しきってるからだよ」

 当然のように、自分のと周子ちゃんのスープを取り替えて、一口啜るとフレデリカちゃんはニッコリと笑った。

「イヤな思いしちゃったら、シキちゃんに怒ってあげると、ちゃんとシキちゃん謝ってくれると思うよ? 優しい子だもん。
 あっ、シューコちゃんコレおいしいからそっちあげるね♪」
「こらぁ、フレ公えぇ加減にせぇよ」
「うわーん、怒られリカ☆」

 頭を両手で抱え、ペロッと舌を出しながら、フレデリカちゃんは横目でアタシの顔を見て微笑みかける。


 そっか――アタシ、志希ちゃんの事、まだ知らないだけなんだよね。

 満足に直接話もしていないのに、勝手に想像を膨らませて、変に思っちゃうのは筋違いだ。


 コントのようにふざけ合う二人の横で、奏ちゃんは呆れるようにフッと笑い、アタシに向けて肩をすくめてみせた。

 アタシも、鼻でため息を漏らし、やっぱり笑うしかなかった。

 翌日のレッスン前、昨日の事を話してみると、志希ちゃんはアッサリと白状した。

「いやー美嘉ちゃんホントごめんね? まさかあそこまで真に受けるなんて予想外でさー」

 話を聞くと、志希ちゃんはアタシの真面目さ、純粋さがどれほどか確認してみたかったのだという。
 彼女曰く、想定され得る中でよりエグいシチュエーションを試し、アタシが感づく事を期待していたみたい。

 その日の更衣室で、アタシは他のLIPPSの子達から散々茶化されるハメになった。
 だーもう、触るな!


 一応プロデューサーにも聞いてみたけど、彼はため息を大きく吐いて「当たり前だろ」と言い捨てた。
「不機嫌だと思われたなら謝るが、俺は別に何とも思ってないから大丈夫だよ」

「――あのさぁプロデューサー、そういうトコがデリカシー無いんだよね」
「何が?」
「一緒にいた女のコに面と向かって、何とも思ってないってフツー言う?」
「あ、うん――悪かった。楽しかったよ」

 今更遅いっての! もう、無駄に心配したアタシが丸っきり馬鹿みたいじゃん。

 癪だから、負い目につけ込んで、あの日買わせたグラサンを今度の仕事の時にかけてくるようプロデューサーに言ってやった。

 皆すごく喜んで、特にフレデリカちゃんはめちゃくちゃ写メ撮って、あの人は心底イヤそうだったな。
 えへへ、アタシばかり弄られキャラはヤダもんね★

 あれ以来、お仕事はすごく順調にこなしている。

 冬物のお仕事が増えたのもあるけど、拓海さんのアドバイスもあって、胸をそれほどコンプレックスに思わずにいられた。

 出演する全国ネットの音楽番組に向けたレッスンでは、アタシが皆に気づいた点をアドバイスする事で、ユニットに貢献できている。

 その甲斐もあってか、収録本番は大成功。出演者の人達にもディレクターさん達にも、たくさん褒めてもらえて――。

 LIPPSが確実に、成長出来ているなって。そう思えたんだ。


 次のアタシ達の大きな目標は、もちろん『アイドル・アメイジング』。

 ホントはアタシ達が出るはずじゃなかったとか、そんな大人の事情なんて関係無い。

 アタシ達は、346プロの代表として大一番のフェスに出て、最高のステージを披露する。
 ゴチャゴチャ余計な事を考えなきゃいけない理由なんて、アタシには無かった。

 その日は、大会本番で歌う新曲の試聴会を皆でする事になっていた。

 事務室に行くと、奏ちゃんと周子ちゃんがソファーでくつろいでる。
 プロデューサーが見当たらないから二人に聞いてみると、偉い人に呼ばれてどこかに行ったみたい。

 あの人も、忙しそうだな。


「あ、フレちゃんからラインだ」

 周子ちゃんがそう言うので、携帯を取り出してみた瞬間、アタシの後ろのドアが勢いよく開いた。
「うひゃあっ!?」
「おはよー! 呼ばれてないのにフレデリカー♪」

 ラインで来たのは、何の意味も無いただのスタンプで、それに気を取られた瞬間にコレ。
「ん? ミカちゃんどうしたの、ケータイ無くした?」
「ビックリさせるの止めてよ、マジで心臓止まるって」


「不意打ちとは、フレちゃんやるねー。一杯食わされたわ」
 周子ちゃんがニヤニヤしながら携帯を弄る。
 その向かいの席では奏ちゃんが、やはり微笑を浮かべながら手元の雑誌に目を通していた。

 未だにペースを乱されちゃうの、何とかならないかな。

「あれ、アタシケータイどこやったっけ?」
「足元に落ちてるよ」
「ワォ♪ ミカちゃんありがとー! ケータイって結構難しいよね、持つの」

「シキちゃんいないカンジ?」
 フレデリカちゃんが辺りをキョロキョロ見回し、冷蔵庫を開けた。

「いやいや、そん中にはおらんでしょ」
「シキちゃんたまにすごいことするからねー」
「そこにあるプリンなら、適当に食べていいわよ。私が買ってきたものだから」
「さっすが奏ちゃん♪」

 言いながら振り返ったフレデリカちゃんは、既にプリンを二つ取り出していた。
「ミカちゃんも食べるでしょ?」

「あ、アタシは今日はいいかな。明日ちょっと大事なオーディションあるし」
 せっかくだけど、明日のお仕事終わった後でゆっくりもらおう。

「じゃあ冷蔵庫に入れとくね☆ あ、ねーねーペン無い?」
 そう言いながら、フレデリカちゃんは勝手にプロデューサーの机の引き出しからマジックを取り出して、プリンにアタシの名前を書いた。

「直前にプリン一コ食べたくらいで、急におデブちゃんにはならんと思うよ?」
 周子ちゃんが首を傾げる。

「実際どうかってより、気持ちの問題っていうか。一度自分に甘えちゃうと、ずっとダメになりそうだし」
「美嘉は本当に真面目ね」

 そうかも知れない。
 でも、アタシを育ててくれたのは仕事でありファンだから、妥協したくないし、そういう礼儀?はちゃんとしないとって思うんだ。
 皆には、それを押しつける気は無いんだけどね。

「しかし、遅いわね、プロデューサー」
 奏ちゃんがチラッと壁に掛かった時計に目を向けた。
 予定された時間から、15分ほど経っている。

 志希ちゃんが時間、というか予定そのものにルーズなのは知ってるから別にいいけど――いや良くないけど。
 何かあったのかな。

「アタシ、ちょっと探してこようか。たぶん常務の部屋でしょ?」
 バッグをソファーに置いた。
 最近は課長どころか、その上司である部長、のさらに上司――夏頃に来たっていう常務とも直接話を進めてるって言ってた。

「そう言ってたわ。よく分かるわね」
「伊達に正妻やっとらんな」
「まっ――ち、違うよっ! 最近そういう話たまたま聞いてたから知ってるだけ!」
「早くしないとプリン無くなるよー、って言っといてねー♪」

 本番が近づいてるっていうのに、緊張感をちっとも見せない皆を置いて、部屋を出る。
 うーん、ある意味頼もしいというか――。


 ううん、気にしない気にしない! 常務の部屋は、っと。

 確か事務所棟の、上から二つ目の階だったはず。

 ボタンを押して、到着したエレベーターに乗ると、後からもう一人、男の人が入ってきた。

「何階ですか?」
「いやぁ、すみませんね。あ、その階なんでいいや」

 アタシと同じ階?


 ――ウチの事務所の人じゃない。ていうか、来客用のネームプレート着けてるし。


 チラッと容姿を観察すると、そこそこ高そうだけど悪趣味な濃い紫色をしたダブルのスーツ。
 黄土色の革靴。
 顔は、薄めの髪をオールバックにして、細いフレームの眼鏡と顎が、何となく神経質っぽそう。

 あまり言っちゃいけないけど――ちょっと、イヤなカンジだなって思った。


 事務所棟は、上の階の事務室や会議室ほど、上役の人しか利用できないルールがある。
 この人は、ウチのどんな人に呼ばれてきたんだろう?

 エレベーターが止まった。
 開くボタンを押して、先に勧めると、その人は不揃いな前歯をニカッと見せて手刀を切った。

 たまたま歩く方向が一緒だから、何となく後ろをついて行く形になる。
 ますます気になる。わざとペースを落とし、距離を取った。

 やがてその人は、とある会議室の前で立ち止まり、ドアをノックして部屋に入っていく。

 通り過ぎざま、チラッと中を横目で覗くと――。


 気のせいだと思うけど――いや、見間違うはず無い。

 あの小麦色で白髪頭の人は、ウチの事務所の、どこか遠い所の支社長。

 そして、チーフ――アタシの前のプロデューサーが、たぶんいた。


 歩きながら、また疑問が増える。

 え、何で、何で?

 そう言えばあの人、今、誰か担当してたっけ――?

 考えているウチに、前の方にある部屋の扉が開いた。

 あ、プロデューサーだ。

 いつの間に、常務の部屋の近くまで歩いてたんだ。
 また余計なこと、考えちゃってた。

 部屋の中にいるであろう常務に一礼して、扉を閉め、プロデューサーはアタシの方に向き直ると、ビックリした様子だった。
「おっ、城ヶ崎さん。どうしたんだ?」

「遅いから、迎えに行こうかなって。何話してたの?」
 そう聞くと、プロデューサーは頭をクシャクシャと掻いて難しそうな顔をした。

「別に。今度の『アイドル・アメイジング』頑張れよって話と、問題行動が散見されているから気をつけるようにって」
「問題行動?」

「まぁ、普段の宮本さんや一ノ瀬さんとかのアレもあるが――ほら、この間の、俺と城ヶ崎さんの」


 あぁ――あの事、誰かに見つかって、良くない事言われたりしたのかな。

「ウチの会社、そこは大手だけあって、そういう煙が立つ前にあの手この手で火消しをする事にも長けているらしい。
 今回は、そういう火消し部隊の尽力に救われたようだが、以後慎めとのことだ」

「ごめんなさい、アタシ――」
「城ヶ崎さんが謝る事じゃない」

「あ、そうだ。常務、城ヶ崎さんとも話をしたいって言ってたぞ」
「えっ?」

 常務が? アタシと何を――?

「ちょうど良いから、今済ませとくか。どうせまだ一ノ瀬さんも来てないんでしょ?」
「あ、うん。よく分かったね」
「そんな気がした」


 プロデューサーがノックすると、「どうぞ」と中から声が聞こえた。

「失礼致します」



 美城常務――何度か事務所の中で見かけた事はあったけど、実際に話すのは初めてだ。

「常務が先ほど仰っていた城ヶ崎が、たまたま近くにおりましたので、お話ができればと」

「そうか」


 椅子に腰掛け、机の上で手を組み、アタシをジッと見定めている。

 居心地悪いなぁ。


「では、私はここで」
「君もいたまえ」

 部屋を出ようとした所を常務から呼び止められ、プロデューサーは首を傾げる。

「何、すぐに終わる。城ヶ崎美嘉――カリスマギャル、か」


「歳はいくつだ?」
「は?」

「今年で18歳の、高校三年生です」
 一瞬戸惑ってしまったアタシの代わりに、プロデューサーが答えた。


「聞いた所では、自身の路線に迷っているそうだな」

「ま、迷ってる、っていうか――」

 どこからその話を聞いたんだろう。
 プロデューサーにチラッと視線を送る。彼は、知らないと言いたげに首を傾げてみせた。

「あと半年ほどすれば、君は高校を卒業する。
 デビュー当時から長らく君に課せられてきた“カリスマギャル”という役割を、終える時が来る」

「そう――当時の横暴な幹部連中から、それを担う事を一方的に余儀なくされてきた偶像を、演じる必要も無くなる訳だ」


 立ち上がり、常務はアタシの前に歩み寄った。

「無理矢理に過度な期待を押しつけてしまい、君にはすまない事をした。
 これからの進路について、君の希望があれば聞いておきたい」

 よく分からないけれど――。
 つまり、偉い人がアタシにカリスマギャルになる事を強いてきたのを、常務は申し訳なく思っていて――?

「路線変更したいなら、その償いとして希望を聞いてくれるって事ですか?」

「私も経営者だ。何でもという訳にはいかない。
 だが、それが我が社の成長に繋がる選択であるなら、可能な限り答えたいと考えている」

 いきなりそんな事聞かれても、すぐに答えられないよ。

「どうしたらいいかな――?」
 プロデューサー、さっきから黙ってないで何とか言ってよ。


「――今、結論を出さなくてはなりませんか?」
 渋々プロデューサーが聞くと、常務は首を振った。

「無論、今日この場での回答は求めていない。ユニットの一員としての大仕事も控えているだろう。
 まずはそれに専念すべきだ。ただ――我々にはそういう意向がある、という事だけ心に留めておいてほしい」

「ありがとうございます」

 お辞儀をすると、プロデューサーもそれに合わせてくれた。
「珍しく、礼節を持ち合わせているな」
「プロデューサーに仕込まれましたから」

 常務が「ほう」と言った様子でプロデューサーを見る。
「私ではなく、私の前に彼女を担当していた者の事です」
「そうか」

「それと、さっきの話ですけど――」


 アタシは顔を上げ、常務に向き直った。

「アタシ、自分が偉い人達からそういう役割を与えられた事を、何もネガティブに思ってません。
 例えゴリ押しでも、無理矢理だったとしても、ここまでアタシを育ててくれたのは“カリスマギャル”としてのお仕事だし、関係するスタッフさんやファンの人達だったから。
 だから――むしろ、感謝しています」

 常務は表情を変えずに、アタシの言葉に応える。

「自分で道を選択する事のできなかった不幸を、君は正しく捉えていない。
 私は、事象を不当にねじ曲げる行為を好まない」


「Knock Knock♪ Knock Knock~♪」

 ふと、ドアの向こうで賑やかな声が聞こえる。
 と思った瞬間――。


「――お、いたいた♪ 志希ちゃんの思ったとーりだねー」

 ドアを開け、志希ちゃんがヒョコッと顔を覗かせた。

「えっ?」
 と思ったら、志希ちゃんだけじゃない。

「呼ばれてないのにフレデリカー☆」
「さすが、こういう時の志希の嗅覚は頼りになるわね」
「にゃははー♪ 志希ちゃんすっかりワンコ扱いだねー」
「お利口さんやねー。あ、どうも、LIPPSの白い方です」

「ど、どうして皆まで――!?」
 咄嗟に言葉だけがついて出た。プロデューサーもさすがに驚いてるみたい。

「そういえば常務ちゃんに挨拶してないなーって、シキちゃん来た後皆で話してたの☆」
「じょ――!」

 フレデリカちゃんの無邪気な回答に、プロデューサーの顔が青ざめた。
 常務との間に、遮るように立って、皆をさっき入ってきたばかりのドアの方に追いやっていく。

「お騒がせしてすみません、すぐに出ますので――おい、もう行くぞ」
「待ちなさい」


 常務は、なおも表情を崩さず、黙って立っている。


「『アイドル・アメイジング』本番では、どうか君達5人全員がステージに立てる事を期待している」



「私が言いたいのはそれだけだ。下がりなさい」


 常務は、自分の席に戻り、腰掛けると、それ以上何も話さなかった。

「さて。じゃあ新曲、聴くか」

 皆が事務室のソファーに座ったのを見て、プロデューサーがラジカセの再生ボタンを押す。

 サンプルを聴いても、ハッキリ言って、何も頭に残らなかった。
 何となく、あーアップテンポの曲なんだなーって事くらいしか思えなかった。


 どういう意味――? 当たり前じゃん、5人全員で立つのなんて。

 アタシ達のうちの誰かが、脱退でもしない限り、そんなの――。


 ――脱退?


「へぇー、なんかカッコいい曲だね。ダンサブルなカンジなの?」
 周子ちゃんがプロデューサーに聞いた。彼女は気に入ったみたい。

「専門的な事は俺には分からないけど、作曲した人の考えでは、せっかくの5人ユニットでバラードはもったいない、との事だ」
「人数によるインパクトを活かしたダイナミックなステージを、という事かしら」
「ふーん」


「にゃるほど。じゃあもし4人とかになっちゃったらせっかくの曲が台無しだねー♪」

 思わず目を見開いて志希ちゃんを見る――むしろ、睨んじゃったかも知れない。
「おーう美嘉ちゃん、冗談だって。アタシも常務の一言が気になっててさー?」


「君はサラッと爆弾を踏み抜いていくな」
 プロデューサーは、頭をクシャクシャと掻いた。彼も敢えてその話題を避けていたみたい。

「フツーに考えて、メリットが無い事をわざわざする必要なんて無いからね。
 どんな条件があり得るのかなって。例えば、アタシ達が4人にならざるを得ないシーンってさ」

「考える必要無いじゃん」
 ついぶっきらぼうに答えてしまったアタシに対し、志希ちゃんはなおも食ったような笑みを絶やさない。
「にゃはは、まーそうなんだけどさ。どーしても定義づけしたくなるんだよね、職業病っていうか?」

 また難しい話を始めそうだな――そう予感した次の瞬間、急にフレデリカちゃんがポンッと手を叩いた。

「そっか!」

「すっごいこと気づいちゃった、フレちゃん天才かも! ねーねー、LIPPSって5文字だよね。しかも5画」

「それが?」
 奏ちゃんが聞くと、フレデリカちゃんはなお鼻息を荒くした。

「えっ、カナデちゃん気づかない? アタシ達も5人なんだよ!?
 すごいよね、チョー偶然フレちゃん感動しちゃった!」

「――それが?」
「えっ、それだけだけど?」

「やっぱ天才やわ、フレちゃん」
「イェーイ☆」
 周子ちゃんが呆れ顔で、でも楽しそうに拍手すると、フレデリカちゃんは得意げにピースした。

「ていうか、正確には5画じゃなくない? Pは2画だと思うけど」
「ひと筆で書ける、と言いたいのかもね」
 野暮なことを突っ込んでしまったアタシを、奏ちゃんがフォローしてくれた。
 な、なるほど。


「にゃははー! フレちゃん的にはやっぱ5人かー」
「そりゃあねー、LIPPSは5文字でしかも5画だからねー☆」

 まるで小学生か幼稚園児のように単純な話に、志希ちゃんはすっかり牙を抜かれたといった様子だ。
 アタシまで馬鹿馬鹿しくなってしまった。


「無事に話がまとまったようで何よりだ」

 プロデューサーは、心底呆れるようにそう言った後、アタシ達の帰宅を促した。
 そっか、今日はレッスン無いんだ。

「ほんじゃさ、たこ焼きパーティしない?」

 随分久しぶりに5人で一緒に帰っている時、周子ちゃんがふと提案した。

 そう、前からやろうやろうと皆で言っていたんだけど、最近忙しくなって、空いてる日が合わなくなってたんだよね。
 確かに、今日は絶好の機会だ。

「あ、じゃあじゃあ、アタシんちでやろーよ!」
 志希ちゃんが後ろから手を挙げた。
 普段は皆に甘えるだけ甘える彼女が、ホスト役を買って出るの珍しいね。

「なーんか企んでない、志希ちゃん?」
「にゃははは、やっぱ分かる?」
「言うなや」

 楽しそうに掛け合う二人の横で、奏ちゃんは穏やかに笑いながら携帯を弄ってる。
「あぁいいよ調べなくて、奏ちゃん。買い出しなら志希ちゃんちの近くにスーパーあるから」
「そう。ありがとう」
「詳しいね、シューコちゃん」
「何せあたしもちょっと前まで同じマンションに住んでたからね。しかも志希ちゃんのお隣」

「もうちょっと早めに気づいてればなー、周子ちゃんにもアタシの実験に付き合ってもらえたのになー」
「いや絶対それアカンやつやん、美嘉ちゃんに言って?」
「うぇっ、アタシ!?」
「そっかそっか、美嘉ちゃん豊胸薬とかキョーミ無い? もしくは惚れ薬」
「ほ、ほうきょ――! いや、どっちも要らないよ!」
「あら、胸はともかく、惚れ薬は今の美嘉にピッタリだと思うけれど」
「ホレデリカ?」
「全っ然どーでもいいってば!!」


 ――楽しいなぁ。やっぱアタシ、皆の事が好きみたい。

 周子ちゃんが言っていたスーパーは、そこそこ規模が大きくて、料理の材料だけでなく、必要な道具類も一通り揃える事ができた。

 自動でたこ焼きが回るたこ焼き器の実践販売を、奏ちゃんが興味津々に眺めていたのは秘密。

 具材は、タコ以外は皆が一つずつ選ぶ事にして、アタシが選んだのはソーセージ。
 他は、奏ちゃんがチョコ――うえぇ、大丈夫それ?。
 周子ちゃんが納豆――アタシは食べないけど皆食べたいかなぁと思って、とのこと。
 志希ちゃんはキムチ――意外と手堅いチョイス。
 フレデリカちゃんはガム――いやいや!?

 ガムじゃなくてミンティアにしてもらった――それでも大概だけど。


 たこ焼き器は、結局普通のを買って、志希ちゃんちに寄贈する事にした。

 次にやる時も志希ちゃんちだ。LIPPS恒例のパーティになるといいな。

 と、思っていたんだけど――。

 甘かった。

「えっ、ちょっと志希ちゃんちお皿無いの!?」
「そうなんだよねー、なのでそこにあるシャーレをさ、テキトーに使って?」
「絶対ヘンな薬品付いてるじゃん! 洗って!!」

「美嘉ちゃーん、とりあえず小麦粉アレしてタネ作ったけど飲む? ぐいっと」
「飲まないよ! 何で!?」
「意外とお玉よりこのビーカーの方が注ぎやすそうやねー」

「奏ちゃんも、テレビばっか観てないで手伝ってよ!」
「そうは言っても、皆が働いてくれるものだから、アタシやる事が無いのよね」
「周子ちゃんくらいしかまともに働いてないよ!」

「ってごめん、フレデリカちゃんも油引いてくれたんだね、ありがとう」
「割り箸にティッシュ巻き巻きしてやると便利だよー♪」
「あぁ、フレデリカちゃんが聖人に見える」
「ミンティアは一粒ずつでいい?」
「入れないで!! 全部には入れないで!」


 焼く前からこんなカオスなパーティ、恒例になってたまるか。

 でも、始まると意外と皆真剣にやるもんだね。

 一番上手なのは、意外にもフレデリカちゃん。アタシと奏ちゃんが一番下手だった。

「やっぱこういうのは心の綺麗さが現れるもんやねー」
 そう言いながら、周子ちゃんは空いた穴にソーセージを放り込んで、竹串で炒めてる。

「ちょっと、ちゃんと数えて切り分けたんだから勝手に無駄遣いしないでよ」
「まーまー、足りなくなった分はあたしの具無しでいいからさ?」

 奏ちゃんは、自分のチョコを一生懸命強がって食べてた。
「この美味しさが理解できないだなんて、皆が可愛そうでならないわ」

 さすがリーダー。何だかんだ責任感強いよね★


 鼻歌交じりにクルクルとたこ焼きを器用に回すフレデリカちゃんを、志希ちゃんは両手で頬杖ついて楽しそうに眺めてる。

「シキちゃん、どれがいい?」
「んー、そっちのキムチとミンティア」
「ミンティアねー、ビックリするくらいマズいよ?」
「フレちゃんが選んだんじゃないんかーい」

 前言撤回。すごく楽しい。
 皆でこうして他愛の無い時間を過ごせるなら、このパーティーはやっぱり恒例にしたい。

 そう思っていると、ふと志希ちゃんが甲高い声を上げた。
「きゃあっ!」


「だ、大丈夫シキちゃん!?」
 ビックリしてフレデリカちゃんが真顔で気遣う。ちょっと新鮮だ、なんて悠長な事を言ってる場合じゃない。

 フレデリカちゃんからたこ焼きを受け取ろうと、お皿代わりのシャーレを差し出した志希ちゃんの手が、うっかりたこ焼き器に触れちゃったみたい。

 程度は軽いけど、彼女の手は火傷してしまい、こぼれたたこ焼きとソースが床のカーペットにこぼれちゃった。

「ありゃー、ごめんね汚くなっちゃって」
 火傷した本人は、特に気にも留めない様子でにゃははと笑っている。

「とにかく、お水で冷やしてきたらどうかしら。それと、何か雑巾とかは?」
「あ、雑巾なら洗濯機の横にあるよ。美嘉ちゃん取ってきてー♪」
「何でアタシが――いいから、志希ちゃんは早く冷やして」

 忙しいなぁこのメンバーは本当に――えぇと、雑巾雑巾、あった。



 ――――ん?

 ――――。


 ――――――。



 覗く気は無かった。



 脱衣かごに脱ぎ散らかされ、放られた中には、明らかに男性用の下着があって――。

 そして、その横にあるゴミ箱の中には――。



「んー? 美嘉ちゃーん、どうかした?」



「志希ちゃん――これ」


「? ――あぁ~~ソレねー」

「いやーさすがの志希ちゃんも、男の人をホイホイ自分ちに招くもんじゃないと思ったよ。
 普段の彼と違ってさ、もう野獣かオオカミかなってくらいすっごいアタシの体に襲いかかるもんだから、ちょっとビックリしてさ。
 そりゃ、最初は抵抗したんだけど、やっぱ力ではどうしたって勝てないからさ、途中から諦めて、でも不思議だよね。
 メスってのは元来オスに屈服させられる事を本能的に望んでいるのかにゃ、ってくらい、こっちも盛り上がっちゃって」


「こ、この――これ、ってさ。まさ、まさかって、思うけど――」

「どこに捨てようかアタシも迷ったんだけどさ、結構匂いキツイよね?
 とりあえずゴミ箱に捨てたんだけど、トイレに流した方が良かったかにゃ?
 でも詰まったらヤダしね。洗うのはもっとヤだし。んー困ったけれど、でもそれもカレの匂いだしね♪
 アタシとカレの心が繋がるカンジ、結構ヤミツキになりそうで、すごく楽しかったよ」


「何で、こんな――」

「ん? 何でって、にゃっはっは美嘉ちゃん、野暮な事聞くねー。
 生き物の本能に何でなんて理屈は無いでしょ。考えるより先に欲するんだから、ある種の心をすら超越した原始の姿だよね。
 そりゃー、もしバレたらカレも大変になるかもだけど、そんな損得勘定を飛び越えた世界があるのを知れて志希ちゃん満足」

「自分のしたことの意味分かってんの!!?」

 アタシの大声にビックリした三人が、脱衣所に集まってきたのがチラッと見えた。それどころじゃない。


「志希ちゃん、こんな、こういうの、絶対しちゃ――応援、してくれてる人が、どれだけ――!!」

 心臓がバクバクと破裂しそうに脈打ってる。呼吸をするのも辛い。

「にゃははー、大丈夫だよ346プロはメディアにも相当なコネクション持ってるみたいだし。
 この間の美嘉ちゃんとカレのデートだってさ、ヤバい出版社に取り上げられそうになったけど、346プロが圧力をかけて握りつぶしたって話だよ?
 この件だってそんな心配するほど大事にはならな」

「そういう問題じゃない!!! アタシは、志希ちゃんが、何でこんな、ファンや、皆を裏切るような――!!」

「裏切る? ははーん、にゃるほど美嘉ちゃん」

「美嘉ちゃんも愛しの“アリさん”に愛されたい純な乙女だもんねー? にゃははー♪」


 破裂音が鳴り、志希ちゃんの体が大きく横に揺れた。

「美嘉っ!!」

 後ろから誰かに羽交い締めにされ、我に返った時にはもう遅かった。

 左の手の平がヒリヒリと痛む。アタシは――。


 志希ちゃんは、アタシに張られた右の頬をそっと撫で、少し――どこか寂しそうな笑みを浮かべると、アタシに向き直った。

「にゃはははー♪ ぐっじょーぶ♪」



 アタシは、周子ちゃんの腕を振り解き、彼女の家を飛び出した。

 エレベーターも使わずに階段を降り、脇目も振らず一目散に駆けた。
 通りの信号の色なんて、全然気にしていられなかった。

 逃げるように、小雨が降り始めた夜の街を、どこへともなく――。

 それを目の当りにしたフレデリカちゃんの、ギョロリと覗く大きな瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。

今回はここまで。
次回は12/18、夜の9時~12時頃を目標に更新したいと思います。

レスありがとうございます。励みになります。

【6】

 (◇)

 うーん、なんだかなぁ――こういう空気、あたしあんま好きくない。
 もちろん、好きな人なんていないと思うけど。

 昨日の一件から、美嘉ちゃんも志希ちゃんも、全然来る気配ないし、連絡も取れない。
 LINEでメールしても電話しても、既読にすらならない状態。

「どうしたもんかね、奏ちゃん」

 問いかけても、奏ちゃんは腕を組み、脚も組んでジッと思案してる。

 ヘイヘーイ、何か喋ってくんないと場が持たんて。
 フレちゃんもどっか行ってるしなぁ。


 しょうがないから携帯でも弄ろうかと思った時、事務室のドアが開いた。

「――宮本さんは?」
「分かんない、どっか行ってる」

 プロデューサーさんは、ドアを後ろ手に閉めながら舌打ちし、かぶりを振った。

「偉い人達は、何て?」
「聞きたいか?」

「あなたには、私達に聞かれるまでもなく、知っている事を全て話す責任があると思うのだけれど」

 姿勢を崩さず、目線も合わせずに、奏ちゃんは静かに言い放つ。
 めっちゃくちゃ怖い。

「君達がそれを信じてくれるのなら」

 プロデューサーさんも負けじと皮肉を返した。あーあ、最悪やん雰囲気。

 ウンザリしかけたその時、今度は事務室の奥のドアが勢いよく開いて――?


「おいお前っ! 常務との話は一体どうなった!!」

 あぁ、この人あれか、上司の課長さんか。何度か見たことあったっけ。

 明らかにプロデューサーさんの顔が、不機嫌さを増していく。

「すまない、君達は外に行っててくれるか?」
 そう言ってあたし達の退室を促すプロデューサーさん。

 たぶん、オトナ同士、あたし達に聞かせたくないような綺麗じゃない話もあるんだろうな。

 課長さんは、それには気にも留めず、プロデューサーさんをひたすら糾弾する。
「おいっ、聞いてるのか!! 何度も言っているだろ、さっさと報告をしろ報告をっ!」


「――常務からは、本件についてマスコミ各社から取り上げられる事は無いだろうと、お話をいただきました。
 広報部が根回しをしたところ、まだ本件についてネタを掴んでいる業者はいないらしいとのことです。
 仮にいたとしても、これまで通り、諸々の斟酌を確約する代わりに、346が不利になる記事を書かないよう働きかけを行うと」
「本当だろうな!?」
「嘘だとお思いであれば、常務と直接お話をされるのがよろしいかと」

 釈然としない様子で頭を乱暴に掻いた課長さんは、
「それで、お前達はこれからどうするんだ?」
「どうする、とは?」
「これだけ我が社を騒がせているんだ。何かケジメは必要なのではないかね?」

「仰る意味が分かりかねます」
「何だと!?」
「事実が確認できていない以上、我々が誰かに頭を下げたり、まして活動を自粛するなどといった判断が必要とは思えません」

「き、貴様――当事者でありながらよくもぬけぬけと!!」
 顔を真っ赤にして怒りっぱなしの課長さんとは対照的に、プロデューサーさんは淡々としている。

「私は当事者ではありません。彼女と関係を持つ事などありません」
「だというなら、誰なんだ!」
「まずは事実を確認させていただきたいのです。先ほど、常務にも同様のお願いをして、ご了承をいただきました」

「なら今日中に報告をあげろ、いいなっ!!」
 そう言って課長さんはズカズカと元来たドアの奥の部屋へ、バタン!と乱暴に帰って行った。



「――外行くか。空気悪いしな、ここ」

 プロデューサーさんはそう言って、後ろにある入り口を親指で差してみせる。
 あたしは、奏ちゃんの顔色を何となく伺うと、彼女も了承したみたい。

 落ち着いて話すには、あたし的にも断る理由は無かった。

 連れられて来たのは、事務所からちょっと歩いた所にある喫茶店だった。
 事務所の人達も、例えばアイドルとプロデューサーなんかも、ここでミーティングをしているのをたまに見かける。 

「やれやれ――マジでアイツ、どっか行ってくんねぇかな」

 席に着くなり、プロデューサーさんは肩と首を慣らして盛大にため息を吐いた。
 アイツっていうのは、たぶんさっきの課長さんだろうな。

「何か、大変そうだね」
 上司がああいううるさそうな人だったのを初めて知って、ちょっと同情してみせる。
「仕事の邪魔されてばかりだよ」
 ソリも合わないみたい。力無く彼が誘い笑いをしたところで、コーヒーが運ばれてきた。

「それで――本題に入ろうか」


 砂糖とミルクを入れ、かき混ぜる。
 一変した重たい空気から少しでも逃れるための時間稼ぎではあったんだけど、そう長くかかるもんでもない。

「そうね――まず、本当の事を話して、プロデューサー」

 奏ちゃんはブラックのまま一口啜り、静かに置いた。
 うわーオトナやね、なんて、茶化せる雰囲気でないのはさすがにあたしでも分かる。


 プロデューサーさんは、表情を崩さずに奏さんを真っ直ぐに見つめている。

「俺は一ノ瀬さんと肉体関係を持っていない、と俺が言ったら、君達は信じてくれるのか?」

「信じたいと思っているわ」

 奏ちゃんの回答は意外だった。
 カップを持つ手がピタッと止まった辺り、プロデューサーさんにとってもそうだったみたい。

「あなたには感謝しているの。
 個人的な話だけれど、候補生のまま燻っていた私を、あなたは導いてくれた。
 周子や美嘉、フレデリカや志希といったすごい子達とも引き合わせ、お仕事も見る間に増えていった」

 フッと笑い、俯いて、記憶を辿るように言葉を紡いでいく。
「最初は、私達の事なんて、この人は何も考えてくれていないと思っていた。
 でも、それは間違いだったと、あのフェスで気づいたのよ。こんなにも真摯に私達の事を思ってくれているのだと」


「――いきなりどうしたんだ。持ち上げて落とす気でいるのか?」
「ううん」
 奏ちゃんは首を振った。

「信じたいだけ。あなたを信じようと思った、私自身を。だから、そう――全て、私のためよ」


 ニコッと笑う奏ちゃんに、プロデューサーさんはしばらく呆然と見つめ、改めてカップを手に取った。
「動機としては、不純かしら?」
「俺がどうこういう話じゃない」


「塩見さんは、どうだ? 俺を信じるか?」

 プロデューサーさんが、さっきから黙って聞き役に回っていたあたしに振った。
「あたしは――」

「ぶっちゃけ言うと、信じられない」

「えっ」
 奏ちゃんにとっては意外だったのかな。
 対照的に、プロデューサーさんは眉一つ動かさず、そのままカップを口元に運んだ。

「だってこの人、自分にとって都合の悪い事は絶対話さないやん」

 あたしだって、あまりこういう事を言いたいワケじゃない。
 いつだって何だって、適当に済ませられるならそれに越したことは無い。

 でも、今回のは、そういうんじゃないんよね。


「うん、そうだな」
 カップを置きながら、プロデューサーさんはゆっくり頷く。

「塩見さんの言う通りだ。わざわざ自分が不利になるような事を言う必要なんて無いからな。だが――」

「だが?」


 腕を組み、天井を見上げて少し考え込むような仕草を見せた後、プロデューサーさんはあたしに向き直った。

「何をもって、俺がそういう人間である事を塩見さんが判断したのか、それが気になる。
 この際正直に言うが、他の子達には確かに、俺は割と隠すべき事は隠して話していた事実はあったよ。
 だが、塩見さんに対しては、それはあまり無かった。気兼ねなく話せる相手というのもあるが、重要度の低い、他愛の無い話をすることが多かったからだ」

「そうだね」

 確かに、プロデューサーさんとあたしとの話は、くだらないどうでもいい話ばかりだったと思う。

 レッスンキツいなー、お仕事メンドっちぃなー、って愚痴をお互い言い合ったり。
 志希ちゃんが所望する辛い飲み物とはなんぞや、って話だったり。
 それから、あたしの実家の和菓子屋の話や、他の子達のプロデューサーの話。

 あたしはもちろん、この人も根は不真面目だから、仕事について真剣に話をしたことなんて、数えるほども無かった。


 でも――。

「美嘉ちゃんから聞いたんだ。正確には、志希ちゃんからの情報だけどね」
「一ノ瀬さんの?」

 ここまで言っても、まだプロデューサーさんには合点がいっていないみたい。思ったより鈍いな。

「あのサマーフェス、ホントはあたしらじゃなくて楓さんが勝つはずだったの、プロデューサーさん知ってたんでしょ?」


 そう言った途端、プロデューサーさんは固まった。

「――なぜそれを知っているんだ」
「へっ? いや、だから志希ちゃんがそう言ってたって」


「なぜ、一ノ瀬さんがそれを知っているんだ」

 ――は?

「何言ってんの? プロデューサーさんが志希ちゃんに言ったんじゃないの?」
「言う訳無いだろ、そんな事。
 第一、俺は都合の悪い事を言わないヤツだって、君がさっきそう言ったばかりじゃないか」
「そ、それは――」

 言われてみればそうやな――? あれ?

「志希に色目を使われてつい漏らしちゃったとかは、無いの?」
 横で聞いていた奏ちゃんが、代わりに尋ねてみても、プロデューサーは呆れるように手を振る。

「言って俺に何のメリットがあるのか、考えてもみてくれ。
 君達は混乱するし、俺だって、何で隠してたんだって君達から責められるだろうし、良いこと無いだろ」

「――確かに、そうね」


 ――ほんの少しだけ、沈黙が流れ。

「じゃあ――何で志希ちゃんは、それを知っていたの?」

 当然の疑問にたどり着いた。

「当事者に聞いてみない事には、どうしようもないな」

 プロデューサーさんは席を立ち、伝票を手に取った。
「えっ、どこ行くの?」

「一ノ瀬さんの家に行ってみようと思う」

「家にいるとは限らないわ。第一、いたとしても中に入れてもらえないかも」


 制止しようとする奏ちゃんに、プロデューサーさんは振り返り、フッと笑う。

「彼女とは、もう会いたくないか?」


「――馬鹿言わないで」

 勢いよく席を立つ奏ちゃん。

 プロデューサーさんも、奏ちゃんの扱いが上手くなったもんやね。

「346プロダクション事業部事業三課と申します。
 303号室にお住まいである一ノ瀬志希さんの、仕事上の監督をしている者です」


 事務所から志希ちゃんのマンションまでは、大体30分くらい。

 あたしも住んでたから知ってるけど、ここの管理人のおじちゃん、結構難しい人なんだよね。

 プロデューサーさんから渡された名刺を見ても、ほら――なんか、すごく怪訝そうな顔してる。

「それで、本日はどんなご用件で?」
「実は――」

 急に芝居がかった表情で俯き、少しだけ黙り込んだ後、プロデューサーさんは顔を上げた。


「今朝方から、彼女と連絡が取れない状態が続いております。
 彼女は普段からとても真面目で、無断欠勤などするような者では決してございません。
 それが、急にこのような事になり、電話にも出ないため、彼女の身に何かあったのではと不安になったのです」


「――それは本当ですか」
「嘘を言っていられるほど、今の我々には余裕がございません。
 彼女が在宅かどうかだけでも、まずは確認できればと思ったのですが」
「ちょ、ちょっと待っててください」

 プロデューサーさん――涼しい顔してよくもいけしゃあしゃあとウソ言えるな。感心するわ。
 隣にいる奏ちゃんも、呆れたように肩をすくめている。

 奥に引っ込んだ管理人さんが、慌てた様子で戻ってきた。
 管理人さんからの電話にも出ないみたい。

 管理人さん立ち会いの元で、部屋を開けてもらえないかお願いすると、OKしてくれた。
 たぶん、すごく良くない事を想像しちゃってんだろうな。


 いや――でも、そういう可能性も否定しきれない事にあたしはふと気づき、背筋が凍った。

 いやいや、確かに志希ちゃんはあたしらが及びもつかない突拍子も無い行動に出るけど――!
 そんなはずは無い。絶対に無い。理由が無い。思いつかないもん。

 そうだよね、志希ちゃん――?



 緊張が走る。
 管理人さんは部屋の鍵を開け、そっと中を覗き、声を掛けた。

 返事は無い。

「中に入っても、よろしいでしょうか」

 プロデューサーさんが聞くと、管理人さんは自分の後に続くよう促したので、それに従いあたしらも入った。



「――いないわね」
「あぁ」

 もぬけの殻だった。
 ベッドの布団が多少乱れている以外は、昨日美嘉ちゃんが飛び出し、あたし達で片付けした、その状態のまんまだった。


「――失踪、か」

 失踪――そう、志希ちゃんが度々得意技と自称する行動だ。
 実際、レッスンの休憩中にどっかへ出て行き、そのまま帰って来ない事も何度かあった。

 仕事の時も、集合時間になっても顔を見せず、散々プロデューサーさんが肝を冷やしきった所でふらっと現れる事もしょっちゅうみたい。


 でも今回のは、これまでのとは明らかに異質だ。

「彼女の足跡の手がかりとなるものが無いか、調べさせていただけませんか」

 我々だけで――と、最後にプロデューサーさんはそう付け加えて、管理人さんに頼み込んだ。
 第三者には見られたくないものも、ふとした拍子に出てくる可能性もあるよね。

「もし何か持って帰りたいものがあれば、部屋を出る時に確認させてください。
 簡単な覚え書きも書いていただく事になりますけど、よろしいですかね?」
「結構です。ありがとうございます」

 お詫び以外で、誰かに深々と頭を下げるプロデューサーさんは、何か新鮮かも知れない。


「プロデューサーでも、お礼を言う事ってあるのね」
 同じ事を思ったらしい奏ちゃんが、プロデューサーを茶化した。
 ジョークを飛ばして、少しでも場の空気を和らげたいんだろうな。

 それには答えず、リビングの中央に立ち、ぐるりと辺りを見回してから、プロデューサーさんは言った。


「まず俺が知りたいのは、どういう話の流れで「俺と一ノ瀬さんがそういう事をした」という話題になったのか、だ。
 きっかけとなるものは、今、この部屋にあるのか?」

「そ、それは、さ――」

 気まずくなったあたしは、奏ちゃんに助けを求めてみるけど、彼女も俯いてだんまりを決め込んでいる。


「――? 教えてくれ。話しづらい内容かも知れないが、黙っていては話が進まない」

 年頃の女の子に振る話じゃないでしょうよ。悪気は無いのかも知れんけどさぁ。


「アレを――」

 奏ちゃんが俯いたまま、やっとの思いで指を差した。
 それは、例のアレが入った脱衣所のゴミ箱に向けられている。

「――ゴミ箱。中身を見ろ、と言うことか?」

 何も知らなそうなプロデューサーさんが、すたすたと脱衣所の方に向かっていく。
 あぁ、分かったよ。もうプロデューサーさんが当事者じゃない事は分かったからさ。

 こんな話、もう止めにしたいんだよね。こう言っちゃなんだけど、ほら、すごく、その――。


「――――」

 ところで、話変わるけど――あたし達の事務所に、小早川紗枝ちゃんって子がいるんだよね。

 あたしと同じ京都出身の子で、紗枝はん、周子はんって呼び合う友達同士。


 ただ、地元トークで盛り上がる事はあまり無いんだよねーこれが。

 何でかっていうとさ。お里がどっちって話になると、下手すりゃランク付けが始まるのよ。
 洛中かどうかとか、ホントに京都人のメンド―な所でして。

 うっかりそんな話をして喧嘩になったり、微妙な間柄になるのも嫌だからね。
 そこはあたし達、暗黙の了解で、お互いにそういう話はしないし、詮索もしないようにしてる。

 あたしと同じで、紗枝はんもそんなつまんない事を気にする子じゃないんだけど、汲み取ってくれる辺り、優しい子なのよこれが。

 そう。すっごく良い子。京都人には珍しく。



 で、何でこんな、今と全く関係ない話を唐突にしたのかと言うと――。


 プロデューサーさんの話が、ホンットーにお下品メガ盛りといいますか。

 アレの話を割と事細かに説明しだして、これは俺がナニしたものではないとか、釈明するためにまーそれはそれは。

 コレは精巧に作られた偽物であり、ただ本物とはこういう点が違って、今なお乾燥していないのはあり得ないとかまぁ~~それはそれはっ。

 聞くに堪えないアレだったので、思わず奏ちゃんは平手で、あたしはグーパンでプロデューサーさんを殴った。思いっきり。

 なので、ちょっと綺麗な話をして中和しないとね。少しはね。うん――ね、奏ちゃん。

「――ありがとう、よく分かったよ」

 両方の頬を交互に押さえながら、プロデューサーさんはヨロヨロと立ち上がった。

「私達に殴られても良いように、わざわざ自分から近づいてきた事については認めるわ」
「それ以外はホンットに最低だったけどね」


「自覚している。本当にすまない」

 この期に及んで、この人は一体何を考えているんだろう。

「だが、一番気にしなくてはならない点は、コレのあった位置だ」

「位置?」
 あたし達は揃って首を傾げた。


「それが数日前の出来事なら、何で昨日のゴミの一番上にコレがあったんだ? これ見よがしに」

「!? それは――」

 確かに、そうだ。
 ザッと見渡して、志希ちゃん家にはゴミ箱が3つある。
 でも、台所のそばの脱衣所にあるゴミ箱には、あの日あたし達はたこ焼きパーティーで散々ゴミをそこに捨てた。

 それらのゴミの上に、アレが乗っていたのだ。
 プロデューサーさんの言葉を借りるなら、“これ見よがしに”だ。


「――昨日」
 奏ちゃんが、ふと思い出したように声をあげた。

「たこ焼きパーティーを志希の家でやろうって提案したの――志希自身だったの」

 その一言に、プロデューサーさんの眉がピクッと動いたのが分かった。


「志希は――わざと、それを私達に見つけさせるように仕向けた、という事?」

「それも“作り物”をな――ただのジョークにしてはタチが悪い」
 プロデューサーさんは深いため息を吐いた。この人も、精神的に疲弊してる感じだ。

「だとしたら」

 そして、もう一度あたし達は当然の疑問に帰結する。

「何で、志希ちゃんはこんな事をしたんだろう」


「たぶん、志希ならもっと精巧に仕立てる事も出来たんじゃないかしら」

 自ずとあたしらの目が、思案を進める奏ちゃんに向けられる。
「それでも、見る人が見れば偽物だとバレるようにわざわざ作って、見つけさせた理由――」


「バレてほしかったからとしか、私には考えられない」


「作り物だって、バレてほしかった――わざわざ作ったものをか?」

 プロデューサーさんが問いかける。
 あたしは、何となくだけど、察しがついてきた気がする――。


「気づいてほしかった。あるいは、見抜いてほしかった――。
 不自然な言動に、何かしらの意図が無いはずがないし、それにもし――」

 もう一度、部屋をぐるりと見渡して、奏ちゃんが続ける。

「そんな強い意図でもって、志希は失踪したのなら――たぶん、誰にも知られずに何かをしようとしている。
 でもこれは、そんな自分を捕まえてほしい、止めてほしいという気持ちの裏返しかも知れない」

「全ては志希ちゃんが残した、何かしらのメッセージって事?」
「私は、そう思う」

 奏ちゃんの言う通り、普段は皆に甘えきりの彼女が、自分ちでパーティーやろうなんて、珍しいと思ったんだよね。


 そして、そうだ思い出した――美嘉ちゃんがソレを発見したきっかけは、雑巾を取りに行ったからだ。

 志希ちゃんが“うっかり”零したソースを拭くために、“志希ちゃんが美嘉ちゃんに”雑巾を取りに行かせたんだ――!

「そう――それが、真面目で高潔な美嘉に見つけさせるために、わざと仕向けた事だとしたら?」


 ひょっとして、美嘉ちゃんに思わせぶりな事を言って混乱させたのも――。

 あたしらの中で一人だけ、プロデューサーさんから聞いたでもなく、サマーフェスの裏事情を知っていた志希ちゃんが――。

 美嘉ちゃんを怒らせ、わざと溝を作って――でも、どこかで気づいてほしいと願った? 何を? どうして?


「今の志希には、とてつもなく大きいものを一人で背負い込んで、何かをやろうとしている気がしてならない。
 それも、決して良からぬ事を」

 奏ちゃんの表情は、今まで見たことが無いほど強張っている。
 あたしも、考えれば考えるほど分からなくなって、不安で胸が一杯になってきた。

「――さて。俺の疑いを晴らすために、ここでやれるべき事があるとすれば、何だろうな」

 プロデューサーがあたしらの顔を交互に見る。あたしらの判断を促している。


「もう必要は無いわ。あなたはこの件に関わっていない」

 奏ちゃんが力強く言い放つ。プロデューサーは頷いて、「もう一つ質問いいか?」と聞いてきた。
 もちろん、と答えると――。

「一ノ瀬さんがサマーフェスの件について誰から情報を得たと、城ヶ崎さんは聞いていたんだ?」


「えっ? いやだから、プロデューサーさんから聞いた、って――」

 そう言いかけた所で、プロデューサーさんは何か合点がいったかのようにゆっくりと顔を上げた。


「出よう。当事者に話を聞きに行くとするか」

 (■)

「今日、城ヶ崎さんはオーディションを受けに行っているんだったな」

 志希のマンションを出て間もなく、プロデューサーは独り言のようにふと呟いた。

「速水さんか塩見さん。どちらでも良いんだけど、ここで分かった事を彼女に伝えてもらえないか?」


「それが、美嘉、メールにも電話にも全然反応してくれなくて――」
 私が小さくそう言いかけた時、周子が急にポンッと私の肩に手を置いた。
「ひぁっ!?」

「そうじゃないでしょ、プロデューサーさんが言ってんのはさ」


 周子はプロデューサーの方に顔を向け、ニッと笑ってみせた。
「あたしが行くよ。オーディションの場所、確かここからそう遠くないでしょ?」

「どうかな――これ、渡すから、タクシーで行けよ」
 そう言って、プロデューサーは財布を取り出し、一万円札を一枚引き抜いて周子に渡した。

「おっほっほ、お釣りもらっちゃっていいん?」
「好きにしろ」
「へへっ、毎度♪」

 そうか、直接会いに行けば良い――私は、何て浅はかなのだろう。

「んじゃ、ちょっくら行ってくるね」
「頼んだぞ」
「あいよー」

 軽い返事とは裏腹に、そこそこに強く地面を蹴り、周子は大通りの方へ駆けて行った。

 あの子も――今回の一件を重く受け止めている。
 それでいて、なるべく表には出さず、あくまで飄々とした姿勢を崩さないよう努めている。

「どうした?」


「私は――リーダーにふさわしかったのかしら」

 こんなに周りが見えていないのに。何一つ寄与できていないのに――。

「どうだろうな」
「フフッ――慰めてくれないのね」
「安い慰めを求めて言ったんじゃないんだろ?」
「それはそうだけど」


「第一、君達の事をロクに面倒見てこなかった俺に、答える事はできないよ。すまないが」

 そう言ったきり、彼は黙り込んでしまい、私もつい、言葉を返すタイミングを失ってしまった。


 そんな事は無い、って、言い返すべきだったのか――それは、慰め?
 この人がそう言って、喜んでくれたかどうかは分からない。

 そもそも、私はこの人を、喜ばせたかったのかどうかすら、未だに判然としない。

 信頼関係を構築する努力をしてこなかった、と言われれば、それを否定する事は難しい。
 私は――。


  ――もうたくさん。


 私の方から一度、三行半を突きつけてしまったのを今でも思い出す。

 そして気づくのは、私は彼を、必要として来なかった。求めようとしなかった。

 面倒を見てこなかった、という彼の言い分は、正しいと同時に、私がそれを望んでしまっていた事なのだと。

 彼は私を連れ、黙って周子が向かった方とは逆の通りへ向かい、タクシーを拾った。

「渋谷駅へお願いします」
「あいよ」

 渋谷? ――事務所の最寄駅だ。

「事務所へ戻るの?」
「いや、そこで張り込む」

 私達に何の連絡も寄こしてこない志希が、今さら事務所に来るだろうか?
「見つけられるかは難しいが――とりあえず、事務所からの最短ルート上の出口付近で待つよ」

 プロデューサーには失礼だけど、私は、あの子を捕まえられる可能性は低いと思う。
 私が彼女なら、もっと私達の及びのつかない――少なくとも、事務所から遠い所へ、逃げる――と思う。


「ずっとさ、妙だなと思ってはいたんだ」
「えっ?」

 ふと、プロデューサーが思い出したように私に言った。

「君達5人が、なぜ集まったのかってな」

「なぜって――偶然集まったからでしょう?」

 プロデューサーにスカウトされた周子が、たまたま私と一緒になったのも。
 たまたま一緒に地方営業の仕事をした美嘉が、それがウケたおかげで私達と一緒になったのも。

 あの日駅のホームで会ったフレデリカが、たまたまチーフにスカウトされ――。

 志希がたまたまプロデューサーにくっついてきたのだって――。


“たまたま”――。


「古畑任三郎ってドラマで、印象に残ってる台詞があってさ――“たまたま”が続いて良いのは2回まで、ってな」

 プロデューサーは脚を組み、頬杖を付いて窓から流れる景色をボーッと眺めている。

「何か変だな、って違和感はあったんだ。あまりにも展開が急すぎた」
「急?」


 景色を眺めたまま、プロデューサーは心の膿を丸ごと吐き出すかのように、滔々と語りだした。

「俺が塩見さんをスカウトしたのは、たまたまだ。本当に偶然、見かけたのを声かけた。
 そこまではいい、だが――なぜ無名の君達が、城ヶ崎さんのイベントのバックダンサーに抜擢されたのか」

「彼女のプロデューサーの気まぐれ? それはそうかも知れない。
 ではなぜ、アイドル個人が勝手にSNSで発信する事も許さない我が社が、誤って城ヶ崎さんがツイッターで拡散した君達の動画が広まっていくのを黙認したのか」

「その方が宣伝になる? 百歩譲ってそうだとしよう。
 だが、あのタイミングでなぜチーフは、君達と城ヶ崎さんの三人ではなく、新たに二人追加しようと言い出したのか。
 大事なサマーフェス前だ。俺は三人での練度を高めるべきだと主張したが、聞き入れてもらえなかった」

「そして、そこへおあつらえ向きに現れた二人。
 いずれも何より、曲がりなりにも担当プロデューサーである俺の意思などまるで無視だったのが不可解でさ」

「――誰かの恣意的な意思が働いていた、って言いたいの?」
「感じずにはいられない。杞憂であってほしいとは思うが、たぶんそうならない気はしている」


 ひとしきり喋って気持ちが少し落ち着いたのか、ため息を一つ吐いて、彼はすっきりした顔を向けてきた。

「悪いな、俺ばかり好き勝手喋って。何だコイツ、って思ったでしょ?」
「まさか」

 知らず笑みが零れる。フフッ、と握り拳を口元に寄せて、何とかそれを押し殺した。

「あなた、ずっと何考えているか分からない人だったから、そんなに私達のために色々考えていたんだって、何だか嬉しくて」

「今の話の何を聞いてそう思ったのか知らないが、君達のためではないよ」
「そうかしら?」
 照れ隠しとしか思えない吐き捨て方に、今度は苦笑が漏れてしまう。

「あのな」
 何か言いかけた時、携帯が鳴ったので、プロデューサーは舌打ちをして画面を見た。


「――城ヶ崎さんだ」
「えっ?」


 彼の表情が、途端に緊張感を露わにしていく。慎重に、電話を取る。

「――もしもし」

 (♪)

 シキちゃーん? シキちゃーん?

 あ、ちょっともしもし、そこのおにーさんしるぶぷれ~♪

 こんなカンジの子、見ませんでしたかー?

 あ、そうそう! シキちゃんって言うんだーよく知ってるね!

 えっ、有名? そっかーアタシもシキちゃんも有名人かー。これでも一応芸能人だもんねー。

 サイン? いいよ、どこに書く? おでこ? ダメ?

 フンフンフフーン♪ っと、はい! 皆にはナイショだよ?

 それで、ふむふむ、シキちゃん見なかったんだねー。ありがとー!

 シキちゃーん? シキちゃーん?

 あ、ちょっとしもしも、そこのおばーちゃんしるぶぷれ~♪

 えっ? アハハハ! そうなのおばーちゃん、アタシ日本語うまいでしょ?

 この金髪も天然のおフランス産だよ。触ってみる? サラサラだよ?

 えっ? 何でこっち側のモミアゲの方が長いかって?

 そりゃどっちも同じだとどっちが右か左か分からないもんね!

 お箸を持つ方が分からなくなったらタイヘンでしょ?

 アハハハ! うんうん、大事だよね♪ で、何の話だっけ? あ、そうそう!

 (★)

 昼過ぎには会場に到着していた。
 お昼ご飯は、とってない。というより、食べる気になれない。


 控え室に、ヒソヒソと囁く声が周りから聞こえてくる。

 既に一時間以上、腕と脚を組み、ジッと微動だにせず目の前を睨んでるアタシを、他のコ達は大いに誤解したと思う。


「346プロの城ヶ崎美嘉ちゃんだ――」
「さすがカリスマギャル、恐ろしいまでの集中力だわ――」
「そこまで、このオーディションに入れ込んでいたなんて――」


 ハッキリ言って、今のアタシに、このオーディションはほとんど頭の中に無かった。

 その理由はもちろん、昨日のこと――。


 志希ちゃんの言ったこと――志希ちゃんを叩いてしまったショックが、胸の奥にこびりついて離れない。

 アイドルは恋愛禁止、というのは、アタシ達の世界では常識だ。

 なぜなら、アイドルは皆のためのものでなければならないから。
 愛を、特定の誰か一人に向けてしまったら、それは他のファンへの裏切りにも等しい行為だ。

 ――というのが通説。


 アタシ個人としては、正直言って、そういう考えは持ち合わせていない。

 だって、たぶん人っていつかは誰かを愛するのが当然で、そういう感情を抑えるのってナンセンスじゃない?

 それに、愛はその気になれば数限りなく与えることだって出来るんじゃないかなって思う。
 誰かを愛する事が、誰かを切り捨てる事になるなんて、誰が決めたんだろう。


 でも、自分自身の考えよりも、周りがどう思うかを考えて、アタシ達は行動しなくちゃいけないことも知ってる。

 受け取る側の気持ちを、常に優先させなきゃいけないんだ。

 それをする事で不快に思ってしまう人がいるのなら、アタシ達アイドルはそれをするべきではない。

 それが、ファンの人達や、この業界に携わる人達――アタシ達を応援してくれる人達への礼儀。

 そして、志希ちゃんはそれを裏切った。

 あまりに軽薄としか言えない形で――。


 アタシは、どうしたら彼女の事を許せるのか、ずっと考えている。

 許すなんて、偉そうなこと、本当は死んでも言いたくない。

 でも――あんな事を、何で平気な顔してできるんだろう、って、考えたら――!


「えっ――」
「な、泣いてる――!?」


 アタシは、アタシを育ててくれた全ての人達に感謝していて、それに報いるために一生懸命仕事をした。

 他のコ達にまで、アタシの覚悟を押しつける気なんてサラサラ無い。
 彼女は、そんなアタシの覚悟まで、踏みにじった。


 でも――傍から見ればデートと受け取られかねない、アタシのあの行動も、やっぱりアイドルとして軽率だったんだ。

 感謝とか礼儀とか、偉そうに言ってるクセに、アタシは結局何も分かっちゃいなかった――。


 組んだ腕の中、もう片方の腕を掴む手に、知らず力がこもる。

 悔しくて、たまらない――。

「お待たせしましたー。
 えーそれではですね、番号順にお呼びしますので、呼ばれた方は控え室出て左手の――」


 どうやらようやく始まるみたい。

 今回のオーディションは、全国ネットの音楽バラエディ番組の準レギュラー枠を決めるもの。

 アタシ達にとっては業界の先輩に当たる、賑やかし役の元アイドルが、以前はその大役を務めていた。
 その人が、一般男性との結婚を機に近々芸能界を引退するために、急遽公募があったのだ。


 元とはいえ、女性アイドルが務めていた枠なら、アタシにもチャンスはある。
 色々な現場で鍛えられてきたから、トークもそれなりに自信あるし、共演者もアタシに良くしてくれてる人ばかりだ。

 応募人数は全部で約20人。
 倍率20倍か。悪くはないかな。

 アタシは14番だから、たぶんあと2時間くらいしたら呼ばれるんだろうと思う。


 そう――このお仕事は、アタシの新たなフィールドを確立させるための、第一歩になるかも知れないんだ。

 もう志希ちゃんの事は一旦忘れよう。気持ち、切り替えないと。


 一つ息をついて、脚を組み直した時、携帯が鳴った。

 誰かからのメールだろうな。皆、心配してくれてるんだろうと思う。

 でも、今は誰とも話したくなかった。
 志希ちゃんとはもちろん、奏ちゃんや、周子ちゃんフレデリカちゃん。プロデューサーとも。

 さっきまで来てたLINEだって、画面に映った本文だけチラッと見て、未読スルーを貫いている。

 今は、一人にしてほし――。


 ――?

 やけにうるさいな。誰?


 メールじゃなかった。通話だ。
 しかも――フレデリカちゃん?

 ある意味で、志希ちゃんよりも分からないコだ。

 たまに彼女は、グループLINEにスタンプを無意味に、しかも唐突にバンバン送りまくるのはあったけど――。


 しかも、LINEじゃない。普通に、あたしの番号に掛けてきてる。

 何か、重要な意味が――?

 席を立ち、部屋を出て少し歩いてから、その電話に出た。

「――もしもし?」
『あ、ミカちゃん! フレちゃんだよー元気?』
「あ、うん」
『ねぇ見てみて、これ、さっき歩いてたら看板があってね? ケーキ屋さんなんだけどその書いてるアレがさ、ほら、これ』

「いや、あのさフレちゃん、電話だからアタシ見れない」
『えっ? あ、そっかそっかごめん! そうだよねじゃあ後で一緒に行こうよ、ケーキ屋さんなんだけどその書いてるアレがさ、ほら』
「フレちゃん、ごめん。あたし、今オーディション中なんだけど」
『うん、そうだね』

「そ、そうだね、って――」
『ごめんね。ミカちゃんの声が聞きたかっただけなの。元気そうで良かったー♪』
「そ――」

『出てくれてありがとね! オーディション頑張って! んじゃ、あでゅー☆』



 ――一方的に電話してきて、一方的に切られた。

 全く内容の無い、フレデリカちゃんらしい会話だったな。

 珍しく電話してきたものだから、何事かと少し心配したこっちが馬鹿に思えるくらい。

 そうでなくても、「何で連絡してくれないの」「皆心配してるんだよ?」くらいの事は言われるかと思った。


 でも、そう――明らかに、いつも通りのフレデリカちゃんでは、決して無かった。

 彼女には、いつも通りの実の無いやり取りの中に、彼女なりに持たせたかった意味があったんだ。きっと。


  ――ミカちゃんの声が聞きたかっただけなの。


 彼女は今、どこで何をしているんだろう?
 確か、一日丸々オフでは無かったはずだ。グラビアのお仕事が午後に入ってたのを、何となく記憶している。

 ――えっ、ちょっと待って、もうその時間じゃん!
 フレデリカちゃん、ちゃんとお仕事行ってるんだよね!? えっ、大丈夫!?

 あの子、ひょっとして今一人なんじゃ――!

 急いで電話を掛ける。相手は――。

『もしもし』
「プロデューサー! 今、フレデリカちゃんと連絡取れる!? ていうかあのコ今どこにいるの!?」
『どこって、仕事じゃなかったか?』

 プロデューサー、自分トコのアイドルの同行くらいきちんと把握しときなよ!
 って怒ろうと思ったけど、相手がアレだと、ちょっと同情する。

「さっき、アタシに電話してきたの。フレデリカちゃん。ケーキ屋さんがどうとか言ってて、外にいるっぽかった」

『マジか』
「まさか、お仕事サボってたりしないよね?」
『一応、確認してみる。ありがとう』
「お願いね」

『あぁ、それとな。塩見さんが今そっちに向かってる』

「えっ?」
『連絡の取れない君に、今分かった真実を伝えるためだったけど、こうして連絡取れたらそれも無駄だったのかもな』

「な、ど、どういう事?」

 一向に連絡に出ないアタシに、業を煮やしたんだろうな。
 ただ、直接会ってでもすぐに伝えたい事、というのが何なんだろう――?


『君が見た物は、全て一ノ瀬さんが仕組んだ嘘だ。
 一ノ瀬さんは淫行などしていない。君を怒らせるために、わざと一芝居打ったんだ』


「ちょ――」
 アタシを――怒らせるため?

『それが何故かは分からない。だが、彼女は何かを背負い込んでいる。
 それを俺達が明らかにするまで、彼女を悪者にするのは待ってほしい』


 アタシは、言葉が出なかった。
 もし、それが本当だとしたら、どうしてそんな事を――?

 そんな事をさせるような、志希ちゃんの覚悟って、何だったの?

『混乱させてすまない。だが、そういう事なんだ。また連絡するよ。
 とりあえず、君が思ったより元気そうで良かった。オーディション、頑張ってな』

 プロデューサーは、アタシの事を何も叱らなかった。

「うん――教えてくれてありがとう。こっちの仕事終わったら、連絡するね?」

『あぁ、それじゃあ』

 連絡も寄こさないアタシを、応援もしてくれた。

 彼にとっては、他愛の無い、特別に意味を持たない事だったのかも知れない。それでも――。


 ちょっとだけ日常を取り戻せた気がしたのが、何だか無性に嬉しい。


「――ふぅ」

 志希ちゃんが何を考えていたのか、なんて余計な事を考えるのは後にしよう。

 志希ちゃんを恨まなくて良いのかも知れない――今はそれが、何よりもありがたい。

 そしてもちろん、許すだなんて、偉そうな事を言っていた自分を恥じる心構えもしておかなきゃ。

 オーディションが着々と進行していく。
 一人10分くらいかかると思っていたけど、早い人は5分もかからず終わっちゃってるみたい。

 つまり、その人達は不合格だ。

 経験から言って、採用する気がない人に、主催側が時間をかけるとは思えない。
 今回のオーディションは、特に第一印象の勝負と見た。

 アタシは、あまり行儀の良い方じゃないから、ちょっと不利かも知れない。
 できる限りお喋りして、本当ならその場で軽くステップを踏ませてもらえたら御の字だけど、期待は出来なさそうだ。

 ううん。そういう空気に自分が持っていかなきゃ。
 何せバラエティだもん。この程度の面接で空気作れないでどうすんのさ。頑張れアタシ。


 アタシの前の人が呼ばれ、部屋を出て行く。

 彼女もキャリアはそう短くはない。
 何度か仕事でも会ったけど、とても気さくで良い人だ。

 でも、お喋りしてる余裕なんて無いのはアタシと一緒。

 返事こそ元気だったけど、カメラの前では絶対見せたこと無いだろうなってくらい、厳しい顔だった。

 アタシの出番が来たのは、それから大体5分後。

 部屋に戻ってきた、その沈んだ顔が全てを物語っている。
 彼女も、不合格だったのだ。

 会場となる部屋に向かう途中、その子と一瞬目が合った。
 アタシに向けられたエールなのか、一緒に落ちろと呪っているのか、分からない。

 気にしている余裕は、アタシにだって無かったから。


 ふぅ、とドアの前で息をつく。
 メイクはバッチリ。何度もチェックした。
 コーデも髪型も番組の雰囲気に合わせて、あんまり主張しすぎないヤツにしたつもり。


 よし。


 ノックをして、中から返事が聞こえたのを確認して、最初の第一声は元気よく――。

「どうもー、こんに」
「美嘉ちゃん待ったぁぁぁーっ!!」
「ちわあぁぁぁあぁっ!!?」


 元気よく――いや、息を切らしてアタシの後ろから飛び出してきたのは周子ちゃんだった。

 何で、えっ!? 何でっっ!?

 二人同時に入ってきたアタシ達を見て、番組プロデューサーはじめ、主催側の人達は目が点になっている。

「どうしたの!? 何でココに、っていうか何で一緒に入って来てんの!?」
「美嘉ちゃん、よぉく聞いてほしいんやけど!
 とりあえず結論から言うわ。このオーディションはブッチして!」
「はぁっ!?」


「今すぐ志希ちゃんに会いに行って欲しいんよ!
 どうかこのとおり、この塩見周子一生のお願い!」

 (■)

「勘弁してほしいよ、また俺アイツに怒られるじゃん」

 どうやら、フレデリカが仕事を放り出して外をフラフラしているみたい。
 ほとほと困った様子で、彼は頭を抱えているけれど、運転手さんは特に気に留める様子は無い。

「お客さん、どこに停めましょうかね」
「えっ? あぁ、適当にロータリーの手前で――あの歩道橋の前辺りでいいです」

 しばらくして、ちょうど駅が見えてくる所まで来ていた。

「美嘉、元気そうだった?」
「あぁ。割と声もしっかりしていた。安心したよ」
「私達の中でも、人一倍プロ意識高いもの。美嘉が仕事に穴を開けるはず無いものね」
「宮本さんにも見習ってほしいよ」
「そうね、フフッ」


 タクシーを降り、駅に向かって歩く。
 これから夕方頃にもなれば、若者だけでなく家路につく人達でさらにごった返す、慌ただしい場所だ。

「さっきの美嘉とのやり取りを聞いて、改めて思ったけれど、あなたはやはり気ぃ遣いね」
「仮にそうだとして、大人が子供に気ぃ遣わなくてどうする。って前にも似たような事言ったな確か」
「えぇ、でも」

 今の私は、この間それを聞かされた時の私とは、捉え方が異なってきている。

「今回の一件だって、あなたはこんなにも事態の解決に率先して取り組んでくれているわ」
「当たり前だ。俺自身の釈明のためだし、何より身のある報告をしないとあの課長うるさいからな」

 私は顔を覗き込む。彼は歩みを止めない。
「それだけ?」
「――ここまで来ると、真相を究明するという事自体に興が乗っているというのも、正直ある。
 誰か裏で悪い事を企んでいるヤツがいるんだとしたら、そいつと話をしてみたい、とかさ」


 私がプロデューサーの前に立ちはだかると、ようやく彼は止まった。

「本当に、それだけかしら?」
「――君は俺に何を言わせたいんだ。君達のためにやっていると言えば、それで満足か?」
「生憎だけど、安い慰めは求めていないの」
「気が合うな。じゃあこの話は終わりだ」

 プロデューサーは、顎で駅の方を促した。

「この歩道橋の上から、出口の様子を見張ろう」

 今日のプロデューサーは、随分とよく喋ると思う。
 それだけ、実は内心、彼も追い詰められているという事なのかも知れない。

 何より、普段よりもいくらか不機嫌だ。元々、機嫌が良い時の方が少ないけれど。


「見つけたら、何て声かけるの?」
 深い意味は無いのだけれど、黙っているだけでは据わりが悪いから、それとなく聞いてみる。

「何て言おうかな――まずは、「おい」って呼び止めるんだろうな」
「あら、怖い」

 でも、実際ここまで自分が引っ掻き回されている事は、彼にとっておそらく不愉快なのでしょうね。


「転職を繰り返していたのも、自分にとっての安住の地を求めていたから?」
「まぁ、そうだな」


「なぜ、プロデューサーになったの?」

 美嘉が一番気になっていた事だった。私も、言われてからずっと不思議に思っている。
 こんなに後ろ向きな人が、なぜ――?


「大した話じゃないさ。スカウトだよ。この会社に来たのだって、元はと言えば手違いだ」

「えっ、手違い?」

 どういう事。何があったというの?

「それとな。君達が大きく誤解している事が一つある」
「誤解?」

 次々に飛び出してくる彼の新情報に、私は内心夢中になり、柄にも無くワクワクしてしまう。
 でも、対照的に彼はいつも通り、疲れた顔だ。

「あのサマーフェス、俺がより良いステージ作りのために足繁く現場に通っていたと思われているけどな、違うんだ」
「? 違うって、何が?」


「そうじゃないんだ――本当は、俺は君達のステージを、台無しにしようとしていた」


「――――え」


 その時だった。

 どこか悲しげに踊るウェーブがかった長髪が、駅に向かって歩いていくのが見える。

「皆には、後で詳しく話すよ」

 そう言い残し、プロデューサーは動いた。私も釣られてそれに従う。

 静かに、しかし威圧的とも取れる強い意志を滲ませて、彼は歩き出し、そして――。



「おい」


 そう呼び止める彼の声は、今まで聞いたどんな声よりも鋭く、重く――少し怖かった。

 (♪)

 ワォ♪ おばーちゃんすごーいコレー!

 こんなリッパなミカン、アタシ見たことないよ? ホントにいいの? ありがとー!

 ううん、切符買うことくらい何でもないよ。違ってたらごめんね?

 そうそう、京王線はあっちだよ。分かんなかったら駅員さんに聞いてね。あでゅー♪

 おぉ、そうだそうだシューコちゃんにも電話しなくちゃ。

 シューコちゃん出るかなー?

 あ、シューコちゃん! フレちゃんだよー元気?

 でね? 見てみて、これ、さっき歩いてたら看板があってね?

 (★)

「ブッチしろ、って、どういう事!?」
「そりゃーえっと、キャンセルしろとか、すっぽかしちゃえっていう」
「いや意味は知ってるって! 何でそんな事を言うのって話!!」

 ここまでめちゃくちゃにされちゃったら、どのみちこのオーディションはダメだろう。

「おい君達。用が無いならこの部屋を出て行ってくれないかね?」

 でも今は、周子ちゃんに台無しにされた事よりも、周子ちゃんがここまで切羽詰まっている事実が一層気になった。
 正直、完全に蚊帳の外にしちゃってる審査員さん達の冷たい反応は、もうどうでも良い。


「フレちゃんから電話があってさ。さっき。
 あぁコレ、美嘉ちゃんが行かないとアカンヤツやなと」

 口調やトーンこそいつもの彼女だけど、表情は本当に、今まで見たことが無いくらい真剣そのものだ。

「教えて。何があったの?」


「志希ちゃん、たぶん346プロを――アイドルを辞めようとしてる」

「えっ」
「たぶん、それだけに収まらない。あのコずっと、何かを抱え込んで、一人でそれをやろうとしてる。
 分からないけど、絶対良くない事だと思う。だって――」

「ずっと、申し訳無かったって――そればっかり繰り返し、話してたって」

「――誰に」

「フレちゃんもその誰かから聞いただけだから、詳しくは知らないって言ってた。でも――」


「美嘉ちゃんに、悪いことをしたって、すごく悔やんでたみたい」



「―――――」

 悔やむくらいなら最初からするな、というのは一つの本音ではある。
 だけど――。

 彼女は、テキトーではあるかも知れないけど、アタシみたいに単純じゃない。
 理由や考え無しに行動は起こさない子であると、今なら分かる。


 瞬時に色々な事を考え、取るべき行動を導き出せるが故に、テキトーに見えていただけなのだとしたら――。

 そして、理屈を超えた事態に彼女自身が直面し、良からぬ手段による打開策を講じようとしているのだとしたら――?

「――とりあえず、フレちゃんに電話してみる。場所分かる?」
「それがさ、肝心な情報言わんのよフレちゃん。らしいっちゃらしいけどさ」
「ハハッ、そうだね」

「おい、聞いてるのか。後もつかえているんだ、いい加減つまみ出すぞ」

 痺れを切らした偉そうな人が、立ち話を延々と続けるアタシ達に鋭い言葉を向ける。

 アタシはその人に向き直り、頭を下げた。

「ごめんなさい。アタシ、このオーディション降ります」

「フム、なら良い。さっさと――」
「その代わり、アタシ以上にもっと適役がいるので、その子を審査してあげてもらえないでしょうか?」
「――何だと?」



 頭を上げ、アタシは周子ちゃんの方に向き直り、ニカッと笑ってみせた。

「この場は任せたよ、周子ちゃん★」

「ん、何の話?」

 ラジオのパーソナリティとして人気を集める理由の一つである、ゆるいながらも上手に空気を読む立ち回り。
 タイミングの良いパスも、適当にいなしつつ時には盛り上げる受け答えも、彼女のコミュ力の高さあってのものだ。

 最初から分かっていたけど、この番組にはアタシよりも周子ちゃんの方が合ってる。

「分かってるクセに」
 アタシがそう茶化すと、周子ちゃんはケラケラと笑う。

「アハハ、まーね。ていうかこんな状況で受かれって方がムリでしょ」
「最初のライブを思い出して。周子ちゃんならやれるよ」
「そういや、アレも美嘉ちゃんがブッチしたからだったよね。ホント、始末に負えんなぁ美嘉ちゃんは」

 懐かしい思い出を共有しながら、お互いに顔を合わせ、何だかおかしくなってクスクスと笑い合った。


「事前に申請もなされていない者を審査など出来るか。さっさと帰りなさい」

 シッシと蠅を払うように手を振る審査員さんに対し、周子ちゃんは向き直り、堂々と前に躍り出た。


「まーまー、そう言わずに。
 美嘉ちゃんはシャレでお仕事をブッチするような子じゃないから、ここは一つ大目に見てやってくれませんかねぇ?」

「あ、もういーよ。ここはあたしが引き受けるからさ、美嘉ちゃんは急いで」

 憤慨する大人達を尻目に、周子ちゃんは笑顔で後ろ手に振ってアタシを送り出す。

 これ、後でプロデューサーにも怒られるんだろうなぁ。
 そう思いつつ、その後ろ姿に力強く頷いて、アタシは部屋を飛び出した。



 外を出てビックリしたのが二つあった。

 まずは、天気が見違えるほど悪くなっていたこと。
 そういえば、関東は大荒れとか天気予報言ってたっけ。今にも土砂降りの雨が降りそうな空だ。

 そして、もう一つは――。


 爆音を轟かせて、大型バイクがドリフトをキメながら入口の前に迫り、停車した。
 居合わせた周囲の人達がビックリして身じろぎする。もちろんアタシもだ。


「おう間に合ったか。さっさと乗れ」
「た、拓海さんっ!?」

 拓海さんが、迎えに来てくれたのだ。

 何で、ってさっきから言い飽きたくらい、今日は色んなことが起こりすぎてワケ分かんない。

「夏樹から連絡があった。適当に流しに行こうとしたら、街中でフレデリカを見かけたらしい。
 奏に連絡を取ったら、仕事をすっぽかしたらしいってんで、後をつけてもらってんだ」

 拓海さんが、アタシに向けて自分のスマホを見せた。
 GPSか何かだろうか、地図上に赤いマークが動いてる。

「夏樹の現在地だ、ここにフレデリカもいる。たぶん近くに志希もな。お前を連れてきゃいいんだろ?」


「あ、あの、何でこんな――」
「何でもクソもねぇんだよっ! よく分かんねぇけど志希んトコ行ってビッとかましてくんだろうが!!」
「――っ!」

 胸ぐらを掴み、拓海さんはアタシの顔をグイッと引き寄せる。

「テメェはな、志希に自分の本音を隠されて、おまけに庇われたんだ。ナメられてんだよ。
 ナメられっぱなしはカリスマギャルの柄じゃねぇだろ。それともケンカの仕方も知らねぇか?」

「ケンカ――ナメられてる?」
「本当の仲間なら、思いやりなんてチャチなモンいらねぇんだよ。分かったらさっさとコレ被って乗れ」


 志希ちゃんが――アタシを思いやった?

 ピンクのヘルメットを被り、拓海さんの体にしっかり捕まって、夕暮れ時の幹線道路を疾走する。

 爆音はすごいし、スピードも完全にオーバーしてるカンジがする。
 警察に捕まらないのコレ? 大丈夫かな。

 走る間、拓海さんはアタシに、周子ちゃんや奏ちゃんから聞いたらしい情報や詳しいいきさつを教えてくれた。

 フレちゃんが仕事をドタキャンした事を、夏樹さんと奏ちゃん達が知ったのはおそらく同時くらいだということ。
 夏樹さんが奏ちゃんに電話をしてる間に、フレちゃんはタクシーで移動中の周子ちゃんに電話をしたらしいこと。
 その周子ちゃんから拓海さんに、ソッコーでアタシの送り迎えをするよう頼まれたこと。

「アタシらだって『炎陣』の初ライブを昨日終えて、今日がたまたま休みじゃなけりゃこんなんに付き合わねぇよ」
「エンジン?」
「アタシらのユニット名だ。あの野郎、ロクでもねぇ男だが良いヤツらと組ませてくれたぜ」

 ちなみに、フレちゃんの仕事の穴は、たまたま夏樹さんと一緒にいた里奈ちゃんが急遽代わりに対応したみたい。
 頭が上がらない。


 どうやら夏樹さん――つまりフレちゃんがいる所は、ここから結構あるみたい。
 しばらくかかりそう――。

 と思った時、パトカーのサイレンが聞こえてきた。

 どこかで事故でも起こったのかな?


「そこの二人乗りバイク、止まりなさい。えー赤とピンクのヘルメット、止まりなさい」

 えっ――ウソ。

「チッ、こんな時についてねぇぜ」
「ちょ、ちょっと拓海さん、ヤバイって止まろうよ!」
「アァ? すっトロい事言ってんじゃねーよそれでもカリスマギャルか」
「関係無いし!!」

 パトカーの警告も、アタシの言う事もまるで無視して、拓海さんはむしろ思い切り加速する。
 振り切るつもりだ。ちょっと待ってマジでヤバイってコレ!!

 交差点に差し掛かると、応援に来ていたらしい白バイが2台、左右から同時に割って入ってきた。

 爆音とサイレンで、一帯がすごい騒ぎになっているのが分かる。
 たぶん沿道の人達は皆アタシ達のカーチェイスを見てるんだろうけど、視界が狭まる高速の世界では、一瞬で通り過ぎていくその人達を見分けることができない。

 やがて、雨が降ってきた。
 ポツポツと、大きい雨粒がアタシ達の体に当たり、10秒も経たないうちにそれはバケツをひっくり返すような大雨になった。

「美嘉、やっぱついてるぜ」
「えっ何!?」

「悪路でのケンカ走りはアタシの十八番だからな!」
「雨で聞こえない!!」
「体を左に倒せ!!」

 ようやく聞き取れたそれに従い、反射的に体を左に倒した。
 すると、拓海さんのバイクはサーフィンみたいな水しぶきを上げてドリフトし、幹線道路から細い道へと滑り込んでいく。

 住宅街の中に入り込んでも、拓海さんのスピードは一向に緩まない。

「ちょっと拓海さん! もういい、もういい!!」
「何が!!」
「事故るって!! 警察だってもう来ない!!」

 サイレンは鳴り止まない。サイドミラーを覗き込むと、白バイはなお追いかけてくる!

「諦めていいって!! 死んじゃうよ!!」
「馬鹿言え、マッポが怖くてアイドルできっかよ!!」
「何言ってんのか分かんないし!!」
「聞こえねーよ!!」

 いつ人や車が曲がり角の向こうから飛び出して来るか分からない。
 その角に目がけて拓海さんはハンドルを切る。
 ヘルメットが住宅の塀や、その向こうの電信柱をすり抜けたかのような錯覚に陥る。それくらいギリギリだった。

 ホッとしたのもつかの間で、比較的広めの公園に突入し、泥を巻き上げ進んだ先にあったのは――。


「拓海さん!! そっち行き止まり!!」
「階段だ!! 行ける!!」

 そういう問題じゃな――!

 階段を飛び出し、アタシ達の体は宙に放り出された。

 差し詰めスキーのジャンプ台のようなその階段は、思っていたよりずっと段が多くて、一番下まではゆうに5mはありそうな高さだった。

 つまり――5mの高さからこのバイクは落ちるのだ。今この瞬間。

「ちょ――」
「喋ると舌噛むぜ! ケツを浮かせろ、歯ぁ食いしばれ!!」


 う、ウソでしょ――ムリ、絶対ムリだって。


 死ぬ間際は、時間の流れがスローモーションになるって、よく言うけど、コレのことかな?


 この土壇場で、そんなのんきな考えがふと頭をよぎったのを戒めるかのように、次の瞬間、猛スピードで下のアスファルトが迫ってくる。

「あなたは、どうしてプロデューサーになったの?」



「――後はアリさん、LIPPSをよろしく頼む」

 彼は私の質問には答えず、それだけ言い捨てると、逃げるように出口の方へ向かう。

「待ってよ!」


 そのままプロデューサーは、ドアの向こうに消えて行った。



 なぜ、あの人は私達と向き合おうとしないのだろう。

 思えば今日、駅でアリさんを捕まえる直前、あの人が言った言葉――。
 確か、本当は私達のステージを台無しにしようとした、と。

 それがもし本当なら――あなたは、本当に私達の事が、嫌いなの?


「あの人――どんな過去があったんですか?」

 部屋にいる人達に、聞いてみた。
 だけど――答えてくれる大人は、誰もいなかった。


 外の豪雨は、未だ収まる気配を見せない。
 まるで私を脅すように、稲光が絶えず瞬いては、世界が割れるほどの轟音が空っぽの胸の中で暴れ回る。

【9】

 (♪)

 シキちゃーん! シキちゃーん!

 (♡)

「――フレちゃん」

 振り返ると、案の定いつもと変わらない満面の笑みの彼女がそこにいた。

 携帯を握りしめていない方の手を思い切り挙げて、人目も気にせず大きく振りながら近づいてくる。


「ひさしぶりー元気してた? 一日ぶり? ん、何持ってんのソレ?」

 フレちゃんは、アタシの手の中にあったミカンを興味津々そうに上から、横から、下からも見つめる。

 この子はいつもそうだ。どんなにくだらない事でも大事件にしなければ気が済まない。

「んー、これー? にゃはは、何のヘンテツも無いオーゥレンジだよー♪」


「ワァオ♪ チョー奇遇じゃないシキちゃん?
 アタシもほら、この通りでっかいミーカンをボンボヤーだよー!」

 そう言うと、フレちゃんは手提げのバッグからサッと、タネも仕掛けも無いと嘯く手品のように得意げに取り出してみせた。

「どうしたのそれ? 買ったの?」
「それよりシキちゃん、外すんごい雨だよ? 何て言うんだっけこういうの、ゴリラ雷雨?」

 アタシの問いなど歯牙にもかけず、フレちゃんは外をチラッと見たので、アタシも一応それに倣う。

 途端、ピカッと空が光り、それを照らしたでっかい白熱電球がそのまま落っこちてきたような凄まじい轟音が鳴り響いた。

「うひゃあっ、ホントに雷鳴っちゃった! おヘソ隠しておヘソ!
 あ、でもだいじょーぶ♪ なぜならフレちゃん服着てるから。しかもヘソ出しじゃないんだなーコレが☆
 シキちゃんはどう? ゴリラにおヘソ取られてない?」

 今日もフレちゃん、飛ばしてるなー。

 元々彼女は、アタシが言うのもなんだけど、頭のネジがどこか飛んでいて、予想もしない角度から話題を提供してくれる。

 それが彼女の魅力であり、退屈を忌避してきたアタシにとって快い時間を絶えず提供してくれる人。

 でも――。


 今のアタシには、フレちゃんの存在は鬱陶しい事この上ない。

 なぜなら、アタシにはやるべき事があるからだ。

 そして、フレちゃんにはそれを知って欲しくないし、決して知られてはならない。

 フレちゃんのくだらなくて楽しいフリには答えず、アタシは踵を返して駅の改札に向かおうとする。

「お待ちください、一ノ瀬さん」


 振り返ると、フレちゃんはおかしいくらい真顔になって、慎ましくその場に立っている。


「一ノ瀬さん、貴女は――とても、大いなる事を、されようとしているのではありませんか?」

 おフザケなのに、言い得て妙な台詞だ。Hmmm……乗っかってあげよう。

「はい、そうなのです――私の大事な人を守るため、この一ノ瀬、巨悪を討って参ります」


「やはり、そうなのですね――それでは、これをお持ちください」

 そう言って、フレちゃんは手に持っていたビニール傘を厳かに差し出した。

「宮本さん。これは――?」

「これは、ビ・ニールの傘。
 予言者フジ・リーナの神託に従い、この宮本が、先ほどコンビニで、500円で買ったものです」

「まぁ――そのような、貴重な傘を、この私に?」

「はい。ですが――この傘を扱うには、ある条件が必要となります」

「それは、一体何でしょう?」

「私を、貴女の旅に、一緒にお供させてほしいのです」


「――ありがたいお申し出ですが、危険な旅になります。お連れすることはできませんわ」

「そうなると、私は、自分の傘が無くなってしまうのです」

「まぁ、それは難儀なこと。ですが、コンビニで買えばよろしいのでは?」

「この宮本、今月がそこそこにピンチなのです」

「私が、買って差し上げますわ。そこのコンビニまで、一緒に参りましょう」

「ホント!? やったー!」

「おーい、フレちゃん素になってるー♪」


 やはり、いつものフレちゃんだ。彼女のペースで振り回されるのは心地が良い。

 ただ――何故だろう。普段通りのはずなのに、今日のフレちゃんには、どこか違和感が拭えない。

 今のアタシが、正気ではないから?
 それとも、昨日の今日で、フレちゃんもアタシに気を遣っているからだろうか。

 ――――。

「シキちゃん千円ありがとー! んじゃ、ちょっと待っててね☆」

 二人で傘を差し、駅前から見えたコンビニにたどり着くと、フレちゃんは楽しげにそこへ吸い込まれていく。

 アタシは特に用も無いので、お店の前で傘を差してボーッと待つことにした。

 電車はちゃんと動いているだろうか。多少ダイヤに遅れはあるかも知れない。

 だが、高架に雷が落ちるでも無い限り、目的地までの経路に大きな支障は生じ得ないはずだ。

「シキちゃーん!」


 ――?

「シキちゃんヘンタイ! あっウソ、タイヘン! 傘無かった!」
「えっ?」

「売り切れちゃってたの! 次のコンビニまでトゥギャザーレッツゴー♪」

「あ、ちょ、ちょっと」

 傘の中にスイッと入り、携帯を持っていない方の手で傘の柄をアタシの手の上から掴み、フレちゃんはニコッと笑った。


 おかしいな。さっきチラッと見た時には、出入口の辺りにそこそこ陳列されていたように見えたけど。

 その次も、その次のコンビニでも――。


「シキちゃーん! 次行こ、次っ!」

「シキちゃーん、三度目! 三度目の正直! おフランスの顔も三度まで!」

「んー、残念っ! いやー残念デリカだよー☆」


 明らかにおかしい。

 敢えて指摘をしていないが、確かにコンビニに傘は置いてあるのだ。

 それを、悉く売り切れだの予約完売だの、テキトーな理由を付けてフレちゃんはそれをはぐらかす。


 ただ一つ分かることは、明確な意志で以てフレちゃんは、こんなふざけた振る舞いをしているということ。

 駅からも、どんどん遠ざかっていく。



「フレちゃん」

「ン?」

 このまま騙されたフリをして付き合ってみるのも、悪くはない。

 でも、生憎今のアタシには余裕が無いのだ。

 要点を、結論をさっさと教えてほしかった。


「ひょっとして、どこか行きたい所、あるの?」



「うん」

 フレちゃんは、静かに、優しく笑って、一緒の傘を持った。

 土砂降りの雨の中、連れられた場所――。

「ここは――」

 公園だった。それも、サマーフェスを行った所。


 何も言わず、ステージが設営されていた場所まで、アタシはフレちゃんの歩みに従った。

 フレちゃんも、何も言わなかった。ただ、その表情はとても柔らかかった。


 やがて、一応の目的地らしい東屋にようやくたどり着き、フレちゃんは傘を閉じた。

「いやーすごいねこりゃ。あの日も雨だったけど、今日はトビキリだね。
 まー何も無いけどゆっくりしてってよ☆」

「あれ、ここフレちゃんち? にゃはは」

 フレちゃんに倣い、中央のベンチに腰を下ろした。


 長い間歩かされて、靴だけでなくスカートも袖もビショビショ。髪はシナシナだ。

 それはフレちゃんも同じなんだけど、彼女を見るとどうやらそれを鬱陶しく思っている節は無さそう。

「アタシね? あのフェスが終わった後、結構ココに来てるんだ♪」

 東屋の手すりを掴み、広場の方を見やりながら、フレちゃんが語り出した。

 アタシは、ふっと顔を上げ、黙ってそれに耳を傾ける。


「天気の良い日は、ココじゃなくて、ほら、あそこにベンチあるでしょ?
 あそこに座ってボーッとしてたり、緑道をフラフラ歩いてみたり」

「散歩してるワンちゃんにコンニチハしたり、池にプカプカ浮かんでるカモ先生を、女の子と一緒にボーッと眺めたりするの」

「たまに男の子達から、キャッチボールとか、フリスビーに誘われることもあってね?」

「でもフレちゃん、ノーコンだからあっちこっちに投げちゃって、その子達から怒られてもータイヘンでさー☆」


 ケラケラと笑い声が聞こえる。

 ただ、フレちゃんは広場の方をずっと向いているから、どんな表情なのかは分からない。


「ここで出会う、全てのことが楽しくて、大好きで、愛おしいんだー。
 アタシにとって、きっと人生で一番ステキな瞬間を手に入れた場所だから」

「――フェス、楽しかったね」

 一応、同調してみせた。

 いや――一応ではない。疑いなく、それはアタシの本心だった。


 彼のナンセンスな提案を反故にして自前の計画を決行し、見事結果に結びつけた事が痛快だったのもある。

 しかし、それ以上に、こんな賑やかで愉快な仲間達と一緒に切磋琢磨して、その喜びを共有できた事が、アタシにとって何より得難いものだった。

 ここは確かに、アタシにとっても、特別な場所だったのだ。


 フレちゃんは、思い出したように鞄を漁り、先ほどのミカンを取り出した。

「――さっき、このミカンどうしたのって、シキちゃん聞いたじゃない?」

 クルッと振り返ると――あぁ、良かった。


 フレちゃん、やっぱりいつもの笑顔だ。

 いつもの――?

「このミカンね? ――通りすがりのおばーちゃんから、もらったの」


 その一言に、アタシはハッとした。全てを合点した。

「たぶん、シキちゃんも、おんなじ人からもらったんじゃないかなって。
 ヘンな喋り方した、おばーちゃん」


「――フレちゃん」

 やはり、そうだったのか。

 あのおばあちゃんに、アタシが美嘉ちゃんはじめ、皆に申し訳ないなんて吐露していた事も、フレちゃんは知ってしまっている。

 詳細な事実は知る由も無いはずだけど、彼女はアタシの事を心配して、引き留めたかったのだ。



 ダメなんだよ。それは。それ以上、知ってはならない。

 どんなに得体の知れないものでも解明できるという、根拠の無い驕りがあったのだと思う。

 だがそれは、アタシの想定以上に取り留めが無く、それでいて大きい、怖いものだった。

 アタシの愚かしいことには、それに気づくのが遅すぎたのだ。


 どうにかならないのかと、アタシは彼にすがった。

 ケミストの端くれでありながら一切の提案も打ち出せず、こんな漠然とした情けないお願いを人にするのは初めてだった。

 彼は、苦しそうに首を振るしかなかった――そうであろう事は、知っていたはずなのに。



 島村卯月ちゃんが、アタシに話したい事があると言って、コンタクトを取ってきたのは一月ほど前。

 にゃるほど、誰がどうやって音声プラグを引っこ抜くのかは知らなかったけど、そういう事だったのねー。

 泣きながら胸の内を吐露して謝る卯月ちゃんに、努めてアタシは冷静に、穏やかに声を掛ける。

 彼女も、大人の都合に振り回され、苦しい役どころを強いられた犠牲者なのだ。

 さらには、仲間達に――未央ちゃんや凜ちゃん達にも打ち明けられず、一人で抱え込んできた苦しみは、如何ばかりか。

 そして――。


 こんなに理不尽な事があって良いのか――!

 アイドルとは、まさしく虚像だ。

 彼女達は、夢を見て、夢を生き、夢を信じている。

 それが活力となり、輝きになる。理屈も捉え所も無いものが彼女達の糧であり、生きる道理なのだ。

 それを手の平の上で転がす輩がいると知った時、彼女達はどうなる――?


 現実を見せる訳にはいかないんだ。

 それを覆い隠すための虚像がアタシ。

 皆には、どーしようもない女が好き放題やって騒がしてくれたもんだと、そう思ってもらいたかった。

 あんな始末に負えないコがいなくなって清々した、と。

 だから――。


「柑橘系のあの爽やか~な香りの正体、フレちゃん知ってる?」

 誘い笑いをしながら、アタシは全然関係の無い話を始める。まずは話題を逸らすべきだと判断した。

「シトラスの香り、なんてよくシャンプーのCMとかで使われるよね。
 まさにシトラスってのが柑橘類を指す言葉なんだけど、それらの皮に含まれる代表成分がリモネンって言ってね?
 これを嗅ぐことでリラックスできたり、ドパミンとかの神経伝達物質をドバドバ出してくれたりするんだよねー♪」

 ズラズラとくだらない事を並べ立てながら、アタシは手元のミカンの皮に指をかける。

 若いとはおばあちゃんも言っていたが、思いのほか固い上に、手が悴んで上手く剥けない。

 フレちゃんの方へ視線を向ける事ができなかったから、首を傾げながらミカンに集中するフリをした。

「ただ、香りの元となる成分は? って話だと実はリモネンじゃなくって、オクタナールっていう脂肪族アルデヒド――」

 その時。


 ビカァッ!!

 と先ほどまで文字通り鳴りを潜めていた雷が、真っ暗な空間をアタシ達ごと追い出すかのように照らし尽くした。

「キャ――!」

 堪らず小さく悲鳴をあげてしまう。遅れて聞こえる轟音。



「シキちゃんはさ」

 一方でフレちゃんは、どこか淡々としている。



「雷は、好き?」



「えっ?」

 思わず顔を見上げる。

 相変わらずフレちゃんの表情は、とても穏やかで、優しい笑顔だった。


「す――」

 好きとか嫌いとか、そういう次元で雷を考えたことなんて無かった。

 自然現象だから、当然にアタシ個人の好みでどうこう出来るものでもない。

 空と地上の電位差による放電現象を、いつかは正確に予知し、あるいは意のままに操る事も出来るだろうか。

 そうなれば、それは恐怖の対象でなくなる。だけど――。


 テキトーそうに問うたフレちゃんの、そのテンションに合わせた回答をするなら、

「嫌い、かなぁ? だって当たったら死んじゃうでしょ?」


「アハハ、だよねー☆」

 フレちゃんはニッコリと満足げに笑った。彼女がアタシに何を期待したのか、分からない。

「でもね?」

 フレちゃんは、広場の方へ向き直った。


「アタシは、好きになりたいなって、思うんだ」


「好きになりたい?」

 どういう事だろう。

 好き嫌いは感覚であり、そうでありたいと努めようとして自身の感情をねじ曲げるのはおかしい。


「アタシもね。怖いよ、雷。
 あんなにビカビカーッ! って光って、ドドーッ!! ってもの凄い音が鳴ってさ。
 この世の終わりかってくらい、ホントにおヘソ取られちゃうんじゃないかって」

「フレちゃん――?」


「雷は、どう考えているのかな?」

「は?」

「たとえばさ――実は、雷も、友達が欲しいんじゃないかな、って、思うときがあるの」


 真っ白い世界が瞬間的に訪れ、先ほどよりも激しい轟音が、東屋を切り裂いていく。

「ホントは、ゴリラみたいにイカツい顔をした神様かも知れない。
 触れた人をみんな傷つけてしまうから、余計に怖がられちゃってるのかも知れない」

 フレちゃんは、東屋の外に向けて右手をサァッと挙げ、それを握ったり閉じたりしてみせた。


「でもさ――ホントは、握手をしたいだけなんだとしたら?」

「握手?」


「不器用だけど、友達がほしくて、お空の上から地上に向けて、一生懸命手を伸ばしているんだとしたら――」


 手すりを掴んでいる方の手をギュッと握りしめる。

「そうやって、勇気を出して伸ばしてくれた手を、たとえ怖くても、アタシは拒みたくはないの」

「自分が雷に当たって死んじゃうとしても?」

「その子の気持ちには、応えてあげられるからね。
 なーんて、フレちゃんカッコつけすぎ? アハハ!」

「フレちゃん」

 言わんとしていることが、分からない。

 一つ言える事は、フレちゃんは未だにアタシに好意を持ってくれている。

 アタシを引き留めようとしてくれている。

 それがありがたくて、それ故に苦痛で仕方が無い。


「アタシ、もう行くね? 傘ありがとう、フレちゃん」

 元々びしょ濡れだし、その辺でタクシーでも捕まえよう。風体を気にしてる場合じゃない。


 さようならだ。フレちゃんにも、ちゃんとアタシの事を嫌いになってほしかった。



「怖がらないで、いいんだよ」


「――――えっ」

 フレちゃんは、いつの間にかこっちを向いていた。やはり、笑っていた。

「シキちゃんがどんな風に思っていたとしても、アタシは手を伸ばし続けるよー☆ びよーん♪」



「フレちゃん――違うんだよ。もういいんだよ」

 言うな。言っちゃダメだ。


「アタシはもうアイドルなんてどうでもいいの。ダルいし窮屈だし、メンドくさくて」

 嫌だ――。

「皆の事だってウンザリ。なんで思うようにしてくれないの? どうしてアタシに協調を強いるの?
 ユニットだからっていう短絡的な理由でアタシを束縛したいなら、もうアタシの取るべき行動は一つしか無いじゃん」

 もっと一緒に――。

「フレちゃんだって、こんな雨の中連れ回して、何を言うかと思えば――ホント呆れちゃうよ。
 友達なら何でも許されると思った? お願いだから放っといて。
 おバカな美嘉ちゃんにもよろしく言っといてよ、アタシ失踪するから」

 でも――。

「だから――だからっ!」

 もう一緒に、いられないから――。


「もう、やめてよ――アタシの事なんか、好きになろうとしないで――!」

 これ以上は、辛いだけだから――。

「シキちゃん、アタシね?」

 フレちゃんの声が聞こえる。顔を上げることができない。


「LIPPSって、すごいユニットだって思うの。
 だってシキちゃんだけじゃなくって、カナデちゃんもシューコちゃんもミカちゃんもいるんだよ?
 すんごく楽しいし、皆がいてくれるからアタシもやりたい事だけをやれて、良いカンジのバランスで成り立ってるLIPPSが大好き、でっ、さ」


 ゴトッ――!

 と、音が聞こえたので、フレちゃんの足元を見ると、携帯が落ちていた。

 疑いなく、それはフレちゃんのものだった。えっ――?


 フレちゃんの携帯――今まで、どこにあったの? 鞄から落ちたとは思えない。


「LIPPS、大好きなの、アタシ――だから、手を、伸ばし、たいのっ」


 声が絶え絶えになりつつあるのを不思議に思い、顔を上げる。

 フレちゃんは――。


 ――こんな、フレちゃんの顔を見るのは初めてだ。

 こんな、一生懸命な笑顔を見るのは。そして――。

 違和感の正体を探るため、自分の携帯を取り出した。

 案の定、皆からの着信がすごい事になっている。その内容は――。


 ――そうか。


 フレちゃんが、皆と一生懸命、連絡を取り合ってくれていたんだ。

 携帯にずぼらなフレちゃんが、皆とのつながりを確かめるように。その手が離れてしまわないように。


 おかしいと思うはずだ。

 今日出会ってから、フレちゃんはずっと携帯を握りしめていた。

 それが無くても皆と一緒にいられるという安心感から、普段の彼女は携帯に頓着を示さない。

 しかし今、彼女はその携帯で、LIPPSがバラバラにならないよう尽力してくれていた。

 皆とのつながりが途絶えてしまう事への不安を、彼女は懸命に押し殺すように、ずっと握りしめていたのだ。


「楽しいから――好き、だから」

 フレちゃんは、ぱっと東屋を飛び出した。

「ふ、フレちゃ――!」


 ザァザァ降りの雨に打たれ、天を見上げる。まるで雷を待っているかのようだった。

 やがて、それがしばらく経っても来ないのを認めると、彼女はアタシに顔を向けた。



「好き、ってだけじゃ――ダメなのかなぁ――!」



 顔をクシャクシャにして、それでもフレちゃんは笑った。

 泣いているのかどうかは、彼女の顔が雨に濡れているから分からない。


 アタシはフレちゃんのもとに飛び出した。

 今にも溢れ出てしまいそうなそれを、遠目に悟られたくなかったから。

「フレちゃん――」

「うわぁ――何してんのシキちゃん、風邪引いちゃうよ?」
「――それ、フレちゃんが言う? にゃはははー♪」

 笑いながら、フレちゃんはその場で踊りだした。

 あのフェスで披露した、アカペラアレンジバージョン――の、フレちゃんアレンジだ。

 鼻歌に促され、アタシも負けじとステップを踏んでみせる。

 抑えきれない感情を誤魔化そうと、幾分ムキになってしまうおかげで、存分に泥は跳ね、スカートはベトベトだ。

 すごいすごいと、フレちゃんが嬉しそうに手拍子をしてくれるから、すっかりその気になって、気づくと二人とも泥だらけだった。

 お互いに指を差し合い、ケラケラと笑う。

 先ほどまで渦巻いていた負の感情が、すごくちっぽけに思えた。


 同時に、大音量の雨音の合間から、パトカーのサイレンの音が遠くで微かに聞こえる。

 どこかで事故でも起こったのだろうか?



「志希ちゃんっ!!」


 ふと、アタシを呼ぶ声がした。

 フレちゃんが嬉しそうに手を振るので、振り返ってみると――。

 まさか――。


「志希ちゃん――志希ちゃぁん――!!」

 なぜ持っていたのか、ヘルメットをその場に投げ置き、美嘉ちゃんがアタシ達の元へ駆け寄ってくる。

 遠目からでも、この子の感情は本当に分かりやすい。どこまでも、呆れるほどに真っ直ぐだ。

「志希ちゃん、全部――全部聞いたっ!! 周子ちゃんから! プロデューサーや奏ちゃんからも、全部――!!」



「――そっか」

 アタシの計画は、全部――知られちゃったかぁ。


 年貢の納め時、っていうヤツかにゃ?

「そっかじゃないよ!! 何で、なんでアタシ達に、しら、せ、えっ――ぐ――!!」


 雨の中でもそれと分かるほどに大粒の涙を流しながら、美嘉ちゃんはアタシに抱きついた。

「ごめん、志希ちゃん。ほんとに、アタシ――ほんとに、ひどかったよね――!」

「苦しい、苦しいよ美嘉ちゃん。にゃははー」

 アタシの胸の中でわんわんと泣く美嘉ちゃんに、かける言葉が見つからない。


 困ったなぁ。割とホントに、苦しいんだけどなぁ。

 胸の奥が、苦しくて――。


「あはは、は、は――」

 強く抱きしめられると、こんなに温かいものなんだって、知らなかったから。


 行き場を失った感情が、溢れ出てしまうのを、もうアタシは堪える事ができない。



「ひ、いっ――う、うぅ、わああぁぁ――!」


 まだアタシは、皆と一緒にいて良いのかな――。



 脅し立てるように打ち付けていた大雨が、万雷の拍手に変わっていく。

 ようやく出会えた友達に、稲光が喜びを告げ、フレちゃんは笑った。

今回はここまで。
次回は12/20、夜の7時~12時頃を目標に更新したいと思います。

【10】

 (・)

「外ヤベーッスねー、雨」
「今日は会社に泊まりますかね」
「京王線は動いてるんじゃなかったでしたっけ? 確か、家は笹塚でしたよね?」
「まぁまぁアリさん、ヤボな事言いなさんなや。今日は皆でパーッと酒盛りしようぜ」
「や、ヤァさんあれだけ出血しといて、お酒なんて飲んだら」
「心配すんな、チビ太よ。酒はひゃくやくのチョーだろうが」

「それで、どうするんですか? 奏ちゃんもあれだけ言ってたでしょう」
「下まで送りに行った時、彼女、ずーっとプリプリ怒ってましたよ?」
「プリプリ屁こいてた?」
「いや、屁はこかないでしょ」
「ギャハハハ!」

「不必要な事を言いたくない、という気持ちも分かります。僕も敢えて言う必要は無いと思いますし。
 ただ、彼女達に不信感を与えるような態度をいたずらに取る必要も無いと思うんです」
「まぁ、そうですよね、うん」

「まーあれッスよ、あの子達に言いたくないんなら、オレ達が聞きまスよ」
「ヤァさんは酒の肴にしたいだけでしょ?」
「よく分かったな、寝る前の恋バナみたいでおもしれーじゃん」
「人の話を面白いって」
「まーまーアリさん! オレらにまず話してみればさ、ほら、この人も何つーか心のハードルが下がってあの子達に言いやすくなるかも知んねーじゃないッスか」
「――そりゃあ、そうかも知れませんが」
「でしょ?」

「いーから、とにかくさっさと乾杯しましょ乾杯。ほら、持って持って」
「じゃあ、とりあえずアリさん、音頭を」
「え、あ、あの――本日は、本当にすみま」
「ウェーイ、クソ野郎の円満退社にかんぱぁーい!!」
「あ、えぇぇ――」


「大丈夫ッス。オレらは誰にも言わないッスから、ねっ?」

「実際、俺らも興味ありますし。過去のお話」

「誰かに話して、楽になる事もありますよ」


「――――」

 小さい頃は、親父の膝の上が好きだった。

 彼がデカンタにワインを並々と注いでいくのを、特等席で見るのが楽しみだった。


 だが、それも直に見れなくなった。

 親父が仕事で干されたのだ。

 当時の職長を殴ったらしい。


 めっきり仕事が減った親父は家に居座るようになり、安い酒を大量に煽るようになった。

 俺や母さんに暴力も振るいだした。

 出過ぎた真似をすれば拳が飛んでくることを知ったので、俺は大人しいイエスマンに徹した。

 反抗するだけ無駄だと、母さんも気づいていたのだろう。黙って彼に従っていた。

 甲斐性無しの癖に偉そうにふんぞり返る親父を、俺は心の中で軽蔑していた。

 我慢して地元の高校を出て、東京の大学に進学する際、ようやく俺は上京した。

 奨学金で学費を賄い、バイトして金を貯めるだけの4年間だった。

 実家の援助は断った。


 最初の会社は、一年目は現場に張り付くことになった。

 職人さん達の怒号が一日中飛び交う中、彼らの施工状況をチェックし、時には是正を指示する。

 だが、大卒の青二才が指摘した所で、百戦錬磨の職人さん方が二つ返事で話を聞いてくれるはずもない。

 お前に何が分かると、無視して自主検査がパスされ、監理者検査で案の定そこを指摘される。

 どこ見て仕事してんだと、監理者に怒られた上司から俺は怒られる。


 職人さんが帰ってからが俺達の仕事で、先輩に怒鳴られながら次の日の工程を見直し、書類を整える。

 席を立ち、少しでもサボる時間を作るために、タバコを覚えた。

 二年目は現場から離れ、一転して本社の営業に回された。

 クライアントと設計部を行ったり来たりして、案の定その板挟みに遭う仕事だ。

「こんな事もできんのか」とクライアントにはどやされ、「何でも首を縦に振ってくんじゃねぇ」と設計部からは突き返される。

 俺は何のためにいるんだろうと、何一つ誰にも言い返せない自分がむなしかった。


 このままこの会社にいたら、俺は人の心を失ってしまう――そう思い、一度目の転職を考えた。

 安定性と仕事量のバランスを求め、狙いを付けたのは公務員だ。

 地方は暇らしいという噂は、何度か聞いていた。


 学校なんて通える暇も金も無かったから、参考書を買って、仕事の合間を縫って勉強した。

 人生最大の努力だった。

 これを逃したら俺はこの会社に殺されると思ったら、人間こんなにも頑張れるものなのかと、自分に驚いた。

 天啓があったのか、入社して三年目の夏、翌年度の俺の市役所入りが決まった。

 退職届を出し、会社の人達からは盛大に送別会を開いてもらい、意気揚々と4月から入庁した。

 努力した先に輝かしい未来が待っていると信じていた。

 期待に胸を膨らませる俺を待ち受けていたのは、クソのような現実だった。


 公共工事を発注する際には、業者に対し公平性が保たれるよう、一定の入札ルールがある。

 特定の業者に肩入れするような発注の仕方はできないのだ。

 ところが、入庁して早々、俺に課せられた仕事がまさにそれだった。


 早い話、俺の勤め先は、いわゆる“先生”と呼ばれる地元の有力者とズブズブの関係だったのだ。

 その先生が贔屓にしている業者が受注できるよう、俺達は入札ルールをねじ曲げさせられた。

 代わりに、俺達にも一定の飴がもたらされるのだが、それは俺の上司が根こそぎ回収していった。

 定年退職が決まっていたジジイ共が、最後の年になって先生共とグルになり、甘い汁を吸ったのだ。

 官製談合が横行していた昔の感覚そのままに汚職をしたジジイ共の尻ぬぐいをするのは、俺だった。


 それが優良な業者だったらまだ救いもあったが、残念な事にお粗末で、挙げ句の果てには事故まで起こした。

 管理責任を問われるのは、監督員である俺だ。ジジイ共は退職前の有給を使い切るため、職場に来ていない。

 デスマーチを経てなんとか工事は終わらせたものの、待っているのは監査と会計検査だ。

 タチの悪い事に、東京都や国からの補助金を充当している工事であり、発注方法から何から説明を求められる。

 ルールをねじ曲げた、と説明できるはずが無く、かといって合理的な説明もできない。

 俺だっておかしいと思っているのに、経緯を知らない新しい上司からは、当時の発注方法について責められる。


 どうやって無事にそれらを切り抜けたのか、覚えていない。

 たぶん、どこも似たような事をやっている手前、それを指摘して大事になれば自分達も藪蛇であると、検査員側も考えたのかも知れない。

 上手くいったと、安堵した上司が胸をなで下ろす。

 おかしな事を言いやがる。上手に不正を隠匿するのが俺達の仕事なのか?


 役所勤めの二年間で学んだことは、言い訳の仕方と、そのための資料や書類の作り方。

 そして、自分が原因者にならないための立ち回りを――責任は負うものでなく、押しつけるものだということを。

 性格は、とことん悪くなった。

 世の中にはもっと苦しい事もあるだろうし、俺の受けた苦しみなんて屁みたいなもんだと言う人もいるだろう。

 俺も、今振り返ってみれば、やりようはどうにかあったし、それに耐えた先の未来もあっただろうと思う。

 だが、人の幸不幸や苦しみは、定量的に、相対的に量れるものではない。

 誰かにとっては蟻に噛まれる程度でも、当時の俺にとっては象に踏み潰されるほどの苦しみだったのだ。

 期待は裏切られるもの――調子に乗った奴は叩き落とされる事を思い知った。


 すっかり乾いた眼に一つの求人を見つけたのは、出張先のコンサートホールだった。

 老朽化した公共施設の修繕工事を発注するに当り、現地を下見しに行った際、そこの掲示板にスタッフ募集のチラシが貼ってあった。

 おそらく、バイトみたいなものだろう。


 水が上から下へ流れ落ちるように、楽な方へ、楽な方へと自分の体を預けていく癖が、既に出来ていた。

 こっそりチラシを手にし、腹が痛いからと午後は早退して、その日のうちに電話をする。

 聞いてみると、俺がいた役所の外郭団体らしい。要するに、施設管理を役所から受託している法人だ。

 俺が役所の人間であることを伝えると、そのツテでトントンと話は進み、来春からの配属がすぐに決まった。

 年明けには、役所に退職届を提出した。

 給料は下がったが、民間時代に使う暇も無いまま蓄えたものもあったので、それほど切迫感も無かった。

 電話応対、施設使用者への鍵の貸し出し、設備や備品の点検、チラシの張り出し。

 同僚のおじちゃん、おばちゃん達と菓子を摘まみ、窓口の客と世間話をしながら、ゆっくりと時間が過ぎていく職場だ。

 今までの職場を思えば、植物のように張り合いの無いこの生活が、天国のように思えた。


 当初は非正規の雇用形態だったが、職員の一人が病気のため退職すると、直にその穴埋めのため、二年目には正職員となった。

 やることは変わらない上に、給料はちょっとだけ上がった。それでも民間時代の半分だ。

 このまま俺は、火傷も感動もする事の無い、つまらない人生を送っていくのだろう。



 転機が起きたのは、そこに勤めて三年目の冬だった。

 俺が勤めていた施設は、規模が中途半端であった分、その利用者も微妙に幅広かった。

 爺さん婆さん達で構成される生涯学習サークルの、音楽やら演劇関係の発表会。

 うさんくさそうな大学教授や某企業の社長さんによる講演会。

 芸人のライブや、オケもあったっけ。オーケストラ。


 地元の学校の生徒さん達による、合唱部の練習に利用される事もままあった。

 もちろん、合唱発表会の本番に使われる事も。

 何度も利用してくれる学校の生徒さん達とは、俺はそこそこ仲良くできていたと思う。


 そんな中、俺は一人の少女に出会った。

 その子は、小学校の合唱発表会で来ていたようだった。

 ただ、周りの子達と溶け込めておらず、一際目を引く青みがかった綺麗な長髪が、余計に異質な存在感を放っていた。

 他の子達も、露骨にイジメている訳ではないものの、明らかに彼女の事を煙たがっているようだった。

 本番前の練習で、他の子達から数歩離れた位置に一人ぽつんと立ち、ギュッと口をつぐんで頑なに歌おうとしないその子が、見るに堪えなかった。


 普段は余計な事に首は突っ込まないのだが、あまりに刺激の無い生活に、内心飽きていたのかも知れない。

 休憩時間、ロビーでやはり寂しそうに一人座っている彼女を見つけ、気まぐれに声を掛けた。


 歌は嫌いかい? お兄ちゃんもな、人前で歌うの恥ずかしいから、よく分かるよ。



 だが、少女は首を振った。歌は好きだという。


 ――――?

 学校の皆とは、一緒に歌いたくない?  ――少女は、頷いた。

 一緒に歌ったことは、あるの?  ――少女は、首を振った。


 他の子達は、歌に対して真剣じゃないから嫌い、という。



 そっか――。

 じゃあ、試しに一度だけ、一緒に歌ってみてあげたらどうかな?


 そう提案すると、少女は顔を上げて、不思議なものを見るように俺の顔をのぞき見た。


 一緒に歌ったことが無いのに、真剣じゃないなんて決めつけて、心を閉ざしたらもったいない。

 一度だけだよ。皆のことを嫌いになるのは、それからでも遅くはないと思うよ。



 ――発表会本番で、彼女は俺の提案通り、歌ってくれた。

 小さい体に秘められた声量もさることながら、驚くほど綺麗で美しく、力強くも繊細な歌声が、強烈に印象に残った。

 演奏後、彼女は興奮気味の同級生達に取り囲まれて当惑していた。

 柄にも無くキザったらしい事をしてしまったが、まぁ――これはこれで、良かったのかな。

 そう、一人客席の隅っこに立って物思いに耽っていると、後ろから肩を叩かれた。

 誰だ、館長か? やべっ、サボッてるのがバレ――た訳では無かった。


 俺の肩を叩いたのは館長ではなく、茶色いスーツを着た壮年の男性だった。


 曰く、近くアイドル事務所の立ち上げを考えているらしく、その中心的スタッフであるプロデューサーなる人材を探しているらしい。

 そして、彼は俺をそのプロデューサーとして、ぜひスカウトしたいのだという。

 なんでも、先ほどの少女とのやり取りを見て、ティンと来たらしい。原文ママ。


 渡された名刺を見ると、何ともヘンテコな名前だが、それ以上に心配なのが、新規立ち上げという点だ。

 安定性を是とする俺の価値観と異にするこのシチュエーションは、当然に忌避すべきではあるのだけど、このおっさんが思いの外しつこい。

 まぁ、半日程度話を聞くだけなら良いですよ、と渋々了承した。

 話を聞くフリだけして「やっぱ無理です、ごめんなさい」と断ってさっさと帰ってやろう。

 マルチ等の勧誘を断る際のセオリーは、その場でキッパリ断ること。

 話だけ聞く、という半端な対応は御法度であるという。


 後にして思えば、俺はここで道を踏み外したのだ。

 渡された名刺の住所から最寄り駅を調べ、当日、その駅からタクシーで向かった。

 運ちゃんに事務所名を伝えると、小首を傾げた後「あぁ、あそこね」と合点した様子で車を走らせる。


 ――何だか、やけに駅から遠いな、とは思った。


 出向いた先は、天にも届かんとばかりの、随分と立派な高層ビルだった。

 新規に立ち上げたとは思えない、格式高いエントランスをくぐると、配慮の行き届いた案内嬢が出迎えてくれた。

 社長に呼ばれて来た旨を伝えると、少し疑問符を浮かべながら、案内の女性は奥へと消えていく。


 ロビーで待つよう促され、とりあえず座ってみたものの、あまり綺麗な空間なもので落ち着かない。

 スーツを着るのも久しぶりだったので、肩が凝って仕方が無かった。


 こんな自社ビルを所有するとは、飄々としていながらあのおっさん、何者だ――。

 そう思いながら待つこと20分、おっさんがやって来た。


 だが、そのおっさんは、俺がこの間会ったおっさんとは別人だった。

 え――!?


 曰く、ここは961プロという別の事務所で、俺をスカウトしたおっさんは765プロの社長だという。

 そんなん知るかよ! いや、ロクに調べもせず、行先を正確に運ちゃんに伝えなかった俺が悪いけども。

 だが、数字3文字のヘンテコな名前した芸能事務所がそう何社もあるなんて、普通は思わねぇべ!


「フン、間抜けが――だが、良い機会だ。キミにはとっておきの転職先を用意してあげる事にしたよ」

 歳の割に派手でキザったらしく、どうにも高慢なそのおっさんが、俺に一枚の紙を差し出した。


 見ると、それは別の事務所――346プロダクションとかいう所のパンフレットだ。

 また数字3文字? 何なんだこれは。


「予定を取り付けておいたから、暇であればこれから出向いてみるがいい。
 もっとも、この話を反故にしたら、キミの身の安全は保障できんがねぇ。ン~~?」

 脅しとも取れる高圧的な態度で、おっさんはそのパンフレットを俺の手に強引に握らせ、そのまま背を向けて去って行った。


 後になって、彼が961プロの社長だと知った。
 あんなオラついた人が社長かよ、大丈夫?

 ここまで来て何もせず帰ったら、何のために今日有給を取ったのか分からない。

 そんなくだらない貧乏性から、俺の足はその346プロなる事務所へ向けられていた。


 着いてみると、これはまた趣向の違う立派さが漂う建物だ。

 とにかく超高層ビルだった961プロと違い、346プロの事務所は驚くほどという高さは無い。

 一方で、外観の装飾は煌びやかで、門塀も格調高い。外構の植栽も手入れが行き届いているようだ。

 いたずらに高層でない事が、逆に敷地内の容積を贅沢に使用していることの証左でもあるかのように思える。


 エントランスに入ってすぐそばの、一流ホテルを思わせる受付に用件を伝える。

 丁寧に会議室に通され、10分ほど待つと、白髪頭の壮年の眼鏡の男性が、秘書と思わしき緑の制服を着た女性と一緒に現れた。


 アイドル事業部の今西部長と、総務部管理課の千川さんだ。

 今西部長の口から伝えられたのは、俺にとって驚くべき内容だった。

「それでは、4月1日よりよろしく頼むよ。何か分からない事があれば、彼女に聞くと良い」


 ――?

 さっそく分からない。どういう事だ?

 聞けと言われたその千川さんに目をやると、彼女は穏やかな笑みをたたえながら俺の前に用紙を差し出した。

「ご住所と、通勤経路をこちらに書いてご提出ください。
 旅費等の経費は翌月頭の精算払いになりますので、申告は漏れが無いようにお願いしますね」


 い、いや――ちょっと待ってください。
 いつの間にか、こちらで働くみたいな話になっていませんか?

「ん、違うのかね?」

 ちげーよ! と声を大にしてツッコみたい所をグッと堪える。

 どうやら、961プロから346プロへは、俺のことは優秀な人材として紹介されたらしい。

 明日にでも働きたいと、アイドル業界の未来を憂う期待のプロデューサーである、と。

 何考えてんだ、あのおっさん。


 と、これは後で知ったのだが――。

 当然、961プロは本心でそう思っていた訳ではなかった。むしろ、俺を一見して能無しと判断していた。

 それを346プロに、紹介という形で押しつける。当然、346プロは俺の扱いに困るだろう。

 だが、これを蔑ろにした時、961プロはそれを逆手に取り、346プロのイメージダウンを謀っていたようだ。


 同業他社からの好意的なビジネス提案を反故にするばかりか、求人にも後ろ向きで閉鎖的。

 事務所協同による業界の隆盛を望まない346プロは、自分本位の城を築こうとしている、と。


 あの短時間の間にそこまで算段を付け、346側とも段取りした辺り、961プロ社長の判断力と行動力には目を見張るものがある。

 ただ、少し飛躍しすぎじゃないかと思う――が、そこは信用に過敏な346プロである。

 ここで俺を叩き出した場合の、961プロの出方もよく承知していたのだろう。

 なので、一応のゲスト対応、というか、入社を受け入れる姿勢は示してみせたという事である。

 だが、最終判断は俺に委ねた――入社しなかった場合の原因者が346側にならないよう、彼らも老獪に立ち回ったというわけだ。

 曲がりなりにもコンサートホールの職員という事もあり、一般の人間よりは芸能分野に精通しているとでも思ったのだろうか。

 とはいえ、俺には当然、今の仕事がある。

 本来であれば、二つ返事でノーを突きつけるところであるが――。


 今一度考えてみてほしいという、穏やかかつ妙に熱のこもった今西部長の、去り際の一言。

 そして――。

 事務所を出る前、千川さんに促され、案内されたレッスンルームで目の当たりにした、一心不乱に汗を流す少女達。



 彼女達は、何のために、何を求め、斯様に苛烈な環境に身を置くのだろう?

 翌日以降も、俺はそれが脳裏に焼き付いて離れず、仕事が手につかない日々がしばらく続いた。


 見かねた館長が俺に声を掛ける。

「君には、おそらくここの仕事は退屈なんだろう。
 若く未来のある人間が、自分の力を持て余してはいけない」

 体良く自主退職を促しているのかとも思ったが、この館長さんは良い人だ。


 当時の俺は、刺激も抑揚も無いあそこの仕事によほど飽きていたらしい。

 魔が差すには、十分すぎるほどに。


 館長には、年度内いっぱいでの退職届を受け取ってもらい、346プロに電話をした。



 俺の人生観が決定的となったのは、この346プロでの一年目の仕事が全てだった。

 一年目、本社の事業三課に配属された。

 そこで一緒になったアリさんとは、当時から先輩後輩の間柄だった。

 彼は真面目で、俺は不真面目だから、アリさんはさぞかし扱いに困っただろうと思う。

 ただ、同郷だし同世代というのもあって、先輩でありながら気兼ねなく話せることもあった。

 同期入社にはヤァさんやチビさんもいたが、アリさんの方が割と付き合いは多かったように思う。


 そして、俺達はとある候補生に出会った。

 既に成人していた彼女は、候補生の中でも落ち着きのある女性だった。

 悪く言えば、自己主張をあまりしない子だったように記憶している。


 一応は俺が担当になったが、一年目の俺に全権が託される訳では無く、アリさんが副担に就いた。

 分からない事は全てアリさんに聞いて処理していたから、実質俺なんてプロデューサーとは名ばかりの連絡係のようなものだ。

 その子は、優秀だったと思う。

 ビジュアルはもちろん、ダンスもボーカルも、水準以上のものは優に備わっていた。

 オーディションを受ければ、同時期にデビューしたアイドル達などは相手にならず、楽々と合格できてしまう。


 オーディションを合格するたび、アリさんは子供のように喜んだ。

 仕事にもアイドルにも情熱を傾けていたから、それが認められた時の喜びはひとしおだっただろう。

 俺は、仕事が増えるのはあまり面白くないのだけど――でも、その子も喜んでいるように見えたから、別に良いかと思っていた。


 それで、調子に乗ったんだろうな。

 もちろん、勝てる算段があった上でのことだったが、その子をよりランクの高いオーディションに受けさせたのだ。


 そして、初めて負けた。

 緊張に押しつぶされて、彼女が本来の実力を出し切れなかったのは明らかだった。

 アリさんは彼女を励ました。もちろん、俺もフォローした。

 次は上手くいくさ、頑張ろう――そう言うと、彼女も微笑みを返してくれた。


 その次も、ダメだった。

 普段の彼女からは考えられないミスを、本番で犯した。

 どうにも様子がおかしいので、俺はアリさんに、しばらくオーディションは止めにしようと進言し、彼も了承した。



 仕事先への送迎や現場立ち会い、関係先との調整は、主担当である俺の仕事だ。

 アリさんまで全て付きっきりという訳にはいかない。

 つまり、彼女の異変に気づいたのは、俺しかいなかった。


 とある仕事帰りの車内で、彼女はひどく陰鬱な表情をして、ジッと俯いていた。

 最初は、仕事が忙しくて辛いのかな、と思った。

 無理しないで、キツかったらいくらでも休んでいいぞ。

 たとえ一日二日休んだ所で、今の君ならそう信用を無くすような事も無いだろう。

 アリさんはドタキャンなんて許さないだろうけど、俺は別に何とも思わないし、何なら俺も一緒に怒られるからさ。

 そう言ったけれど、彼女は首を横に振った。

 仕事は楽しいから大丈夫、と――。


 それから幾日か後、久々にオーディションを受けさせた。

 成功体験を積ませるためのものであり、彼女の実力なら、まず問題は無いレベルのはずだった。

 彼女は、アッサリと負けた。


 本社で待機するアリさんに報告すると、もっとオーディションを受けさせろと、上層部から迫られているという。

 後でゆっくり相談させてくださいと通話を切り、彼女の楽屋を開けると、荷物だけが置いてある。


 外に出て、建物の陰を覗いてみると、彼女は一人で泣いていた。

 彼女は言った。

 プロデューサーは、「これなら出来る」と私に期待して仕事を託してくれるのに、私はそれに応えることができない。

 私なりに頑張れば頑張るほど、どんどん自分が見えなくなっていく。

 私は、なんてダメなのだ――と。


 あまりに優しすぎる彼女は、物事を上手に割り切れるだけの器用さを持ち合わせていなかった。

 俺達の夢と期待を一身に受けてきた彼女の心は、ついに決壊してしまったのだ。


 俺は、彼女に引退を提案したが、彼女は泣きながら首を横に振った。

 自分の勝手な都合で、事務所に迷惑を掛ける訳にはいかない、と。

 何が迷惑なものか、自分の身を優先しろと説得したが、真面目すぎる彼女は聞く耳を持たない。


 早々に彼女を自宅に送り届け、その足で事務所に戻ってアリさんと相談をした。

 だが、上層部は彼女に“より一層の成長”を強いるつもりらしい。


 このままでは、彼女は本当に壊れてしまう。

 とあるライブの日だった。

 単独ライブではないが、そこそこ宣伝に金を掛けてもらっていた、小さくない規模のものだ。


 その当日俺は、ステージ衣装が注文していた仕様と全然違うと、スタッフに対して盛大にキレた。


 実際は、衣装は注文通りのもので、キレたのは当然、演技である。


 精一杯騒ぎ、喚き散らし、挙げ句の果てにはその衣装をビリビリに引き裂いてみせた。

 突然訳の分からない言い掛かりで怒り狂う俺を見て、スタッフはもとより、彼女もアリさんも相当驚いたと思う。


 止めに入ったスタッフの胸ぐらを俺が乱暴に掴み、グラグラと揺らした所で、アリさんが俺を取り押さえた。

 その日の仕事は、当然キャンセルとなった。

 それどころか、培ってきた業界への信用が台無しになったとして、346プロは彼女の起用を当面見送るとした。

 アリさんは上層部へ直談判しに行ったが、無駄だった。

 一人のプロデューサーが訳の分からない暴走をしたせいで、彼女は事実上、引退に追い込まれたのだ。


 あまりに突然だった俺の行動を、彼女がどう思ったのかは分からない。

 やがて彼女は事務所を去り、アリさんは俺を責めた。

 だが俺は、これ以上道義に反することをしたくは無かった。


 上層部は、当然に俺をクビにするつもりだったのだろう。

 だが、アリさんはそれについても進言をしていた。

 彼は精神的にかなり参っている。休ませる時間を与えてやってほしい、と。


 かくして俺は、人里離れた奥多摩支社に転属が決まり、悠々自適な社内ニート生活を送る事になる。

 メンタルを壊して離職した社員が相当数いると知られたら、業界に対して都合が悪いのだろう。

 そこは面目と体裁を気にする346プロ。そういう社員を匿う部署も用意している辺り、なんとも周到な事だ。

 この会社は――というより、この国は良くない意味で優しい。

 落ちこぼれの尻ぬぐいを、他の優秀な奴がやらされるシステムになっているのだ。

 正直者が馬鹿を見る、というのであれば、尻ぬぐいさせる側に回った方が良いに決まっている。


 そして何より――この業界は、何と残酷なことだろう。

 夢を見た者は、いずれ相対する非情な現実を前に打ちひしがれる。

 見る夢が大きいほど、それを手に出来なかった時の挫折は、非常な苦しみとなって彼女達を襲うのだ。

 俺自身、それを経験し、よく分かっていたはずなのに――それを彼女に強いてしまったのは、弁解の余地も無い。


 問題は、人が手にできる夢は限られるということ。

 そして、俺達プロデューサーは、彼女達に対し際限なく夢を煽り立てる側だということだ。


 俺達が彼女達に期待をさせてしまえば、それはいずれ待ち受ける挫折において落差を付けるための持ち上げにしかならない。

 俺自身、期待を裏切られる苦しみを味わってきたから、それを年端もいかない女の子達に強いるのはまっぴらゴメンだった。

 だから、辺境の事務所でずっと、そういう仕事からは遠ざかっていたかったのだけれど――。

 奥多摩支社に配属されて三年が経とうとした頃、翌年度の本社入りが決まった。

 鬱になった社員の穴埋めで、事業三課に戻る事になったのだ。

 上手いことやりやがって、と思ったが、どうやらソイツの鬱は本物だという。


 事業三課に戻って与えられた仕事は、候補生である速水奏さんの面倒。

 そして、新しい候補生のスカウトだった。


 今いる速水さんの面倒は、仕方が無い。

 できれば辞めさせてやりたい所だが、彼女自身が高い意識でもってそれを望むなら、何も言うまい。

 一方、新しい子をスカウトする――すなわち、非情な将来を約束された被害者を、俺自身が新たに引き入れるというのは、抵抗があった。

 だが、今度の上司は口うるさく不寛容で、適当に理由をつけて無視する訳にもいかないらしい。


 まぁ、そりゃそうか。それが俺達の仕事なんだものな。

 渋々街に繰り出して、めぼしい子を探してみる。

 と言っても、これだけ人がいる中で、誰か一人を特定するというのは非常に難儀な事だ。


 理想は、あまりやる気の無さそうな子がいい。

 レッスンや仕事が思いの外キツいとか言って、すぐ辞めてくれれば、その子が受けるダメージは少ないだろう。

 変に熱を持って、狭い視野でのめり込んでしまうような子は、後が怖い。

 アイドルに重心を傾けなさそうな子を、率先してスカウトするというのは矛盾を感じるが――理想は、それだ。


 そして、一人の女の子が目に付いた。

 透き通るような白い肌、銀色の髪に、整った顔立ち。スラリと伸びる長い手足。

 だが、容姿はこの際どうでも良い。


 その子は、駅ビルをボーッと見上げながら、東京ばな奈をモグモグと頬張っている。

 いかにも上京して間もない地方出身者――それに、あの若さだと自立して働いているようにも見えなかった。

 つまり、彼女に仕送りをやれるだけの、経済力のある後ろ盾が彼女にはいるらしい。

 差し詰め実家が裕福なのだろう。

 適当に声を掛け、喫茶店に招き入れる。

 話を聞くと、どうやら彼女は京都の和菓子屋の娘らしい。

 アイドルにもさして興味は無さそうだ。


 何という僥倖だろうか。

 アイドルを辞めたとしても、彼女には実家の和菓子屋という確固たる滑り止めがある。

 俺はこの子をスカウトすれば、上司に対して一応の面目は立つし、後で適当な理由で辞めてもらっても、この子自身が受ける傷は心身共に浅い。

 俺が求める理想の人材そのものだった。


 その子から、何で自分をスカウトしたのかと聞かれ、しどろもどろになりながら、俺は――。

「ティンと来たから」

 と答えた。


 きっと、馬鹿にしてるのかと思われただろう。

 俺だって、あの社長から言われた時は「はぁ?」と、今目の前にいるこの子と同じリアクションを返していた。

 だが、不思議なもんだよな。そうとしか答えようが無かった。

 その後については、特筆すべき事は無い。

 いつの間にか城ヶ崎さんが合流し、間もなく連中の意向により宮本さん、一ノ瀬さんも仲間入りして、今に至る。

 俺は、LIPPSの傍にたまたま居合わせたに過ぎず、能動的に彼女達を導いてきた事なんてただの一度として無かった。


 なぜなら、彼女達は今すぐにアイドルを辞めるべきだと思っているからだ。

 いや、彼女達だけじゃない。ほんの一握りの、本当のトップアイドル以外のアイドル達は、舞台を降りるべきなのだ。


 過信と期待は、身を滅ぼす。

 夢を追う限り、それはいずれ必ずやってくる。

 ああいう苦しみは、もう誰にも味わってほしくない。

 まして、あの支社長のように、クソみたいな輩の都合で弱い者が簡単に振り回される業界だ。


 逃れられない挫折に怯えながら、この腐った世界に長居しなきゃいけない理由がどこにあるというのか。

 俺は――もう何も期待できないし、彼女達も、何も期待しない方が良いのだ。



 ――――。

「――ふーーん?」
「重たい話ですねー」

「そうですね――服部さんの事は、本当に残念でした」

「服部さん、っつーんスか」
「高垣楓とは同世代、かつ同期でした。
 順当にいけば、今頃は彼女と双璧を成していたかも知れません」
「本当ですか? そんな人が――」

「僕もあの時、彼女の異変にちゃんと気づいてあげられたら――お偉方を説得できていたらと、後悔しない日はありません」


「ただね――彼女に期待をした、夢を託した、そのこと自体は、僕は間違いだとは思っていないんです」


「夢や期待が人を潰す、というのは、確かにそういう側面もあるのかも知れません。
 ですが、彼女の挫折は、夢や期待のせいではない。もちろん、彼女自身のせいでも」

「あれはやはり、僕達の力不足だったんです。
 しっかり導く事が出来なかった責任は、僕達が受け止めなくてはならない」


「彼女達が恐れること無く、夢を抱き続けられるよう、導いてやることこそが、僕達の仕事なんだと思います」

「だって、アイドルは夢見てナンボだし、夢を見させてナンボじゃないですか」



「ねぇ、周子ちゃん?」

「んー、あたしはプロデューサーさんの言うことも正直、分からなくもないっちゃーないんだけどね」


「奏ちゃんや美嘉ちゃんなんかは、今の話聞いたら怒るやろなー」

 (◇)

 ソファーの陰からひょっこり姿を現したあたしに、プロデューサーさんは目を丸くしてる。
 あたし、ずーっと寝そべって聞いてたのに、全然気づかないんだもん。

 まぁあの人からは見えない位置だけどさ、分からないもんなんだねー。あははっ♪

「でもさー、あたしのあのスカウトの仕方? あれさー、やっぱあたし、無いと思うわ」


「何で、君がここにいるんだ」
「いやほら、仕事終わって事務所に戻ったらさ、すごい雨降ってきたから、止むまでココで寝てよーって」
「確信犯だろ、絶対」

 プロデューサーさんは、チビさん達をギロリと睨み付けた。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください。俺達は何もしてませんよ」
「そーそー、オレっち達は何も言ってないでしょ?
 たまたまここにいた周子ちゃんが、たまたまアンタの話を聞いちゃってただけっスよ。ねー周子ちゃん?」

「イェー♪」
 ヤァさんとピースサインを送り合う。
 いつの間にお前ら仲良くなってたんだ、とでも言いたげのプロデューサーさんの表情がすこぶる面白い。

 まー、同じ事務室にいるんだし、LINEくらいは交換するでしょ。
 プロデューサーさんのID知らんけど。ていうか教えてくんないし?

「とにかく、今タクシー呼ぶから、早く帰りなさい」
 そう言って、プロデューサーさんが受話器に手を伸ばすのを、チーフさんが制した。

「良い機会だと思いますし、彼女達と一度、向き合ってみてはいかがでしょう?
 周子ちゃんも、たぶん今の話を聞いて思う所もあるでしょうし、あなたも彼女が相手なら、比較的話しやすいのでは?」

「ちょうど酒も切れちまったしよォー」
「飲み過ぎっすよヤァさん、大丈夫ですか?」
「ひゃくやくのチョーっつってんべ」

 急にガタガタと席を立つチーフさん達に、プロデューサーさんが困惑の表情を浮かべる。
「あ、あの――」

「それじゃあ、僕達はこれで。どうぞごゆっくり」

 バタンとドアが閉まると、あたしとプロデューサーさん二人だけになった室内は、途端に静かになった。



「――仕事が終わって事務所に戻った、と言っていたけど」
 話題を選んだ風に、静寂を破ったのはプロデューサーさんだった。

「今日、塩見さん、何か仕事あったっけ? それとも、頼んでいた城ヶ崎さんへの伝令のことか?」

「んーん、ちゃんと仕事してきたよ? 美嘉ちゃんの代打でね」
「代打?」

「オーディション、あたしが代わりに受けてきたんよ。
 美嘉ちゃんを志希ちゃんのトコへ行かせる代わりにね」

 ムフフと笑ってみせたけど、反対にプロデューサーさんは頭を抱えてしまった。

「無茶苦茶だ――上手く行ったのか? というか、先方に迷惑はかけなかっただろうな」
「まぁー、飛び入り参加な上にあんな態度で、アレで合格しちゃったら、あたしは伝説になるだろうねー♪」
「勘弁してくれ」

 大きくため息を吐きながら、プロデューサーさんは缶ビールを流し込む。
「君達の相手は、本当に疲れるよ」


「プロデューサーさん、あたし達の担当を辞めちゃうの?」

 あたしが問いかけても、プロデューサーさんは黙って自分のデスクに向いたままだった。


「奏ちゃんから、その――メールで聞いてさ?」

「そうか」


「で――どうなのかなーって」

 プロデュ-サーさんは、缶ビールをもう一度煽って、それをデスクに置くと、頬杖をついた。

「塩見さんは――」

 そう言いかけて、プロデューサーさんは止まり、かぶりを振った。


「――何て?」

「いや――何でもない」
「いやいや、絶対何でもなくないやん、言ってよ」

「まぁ、その――塩見さんは、俺に続けてほしいのか、って、聞こうとしただけだよ」

 プロデューサーさんは、バツが悪そうに頭をクシャクシャと掻いて、またため息をつく。
「ただ、君達がどうとかじゃなく、俺が自分の勝手で担当を降りる訳だから、聞くだけ無駄だと思ってな」


「あたしがここで、続けてよ、って言っても、意志は変わらないってこと?」

「元々、俺には向いてない仕事だったんだ」

「あたし達のせい?」

 別に、無理に続けてほしいワケじゃない。ただ――納得したかった。

「言っただろ。君達のせいで降りる訳じゃないよ」
「本心とそうでないのを、あたしが見抜けないとでも思ってんの?」
「――――」

 プロデューサーさんの返答は、まだ、納得できるものじゃない。
 やっぱり、この人は隠してる――体の良い言葉で取り繕って、あたし達を躱そうとしている。


「自慢じゃないけどさ――あたし、LIPPSの中で、プロデューサーさんに唯一スカウトされた子なんだよね。
 美嘉ちゃんが教えてくれたんだけどさ」

「――自慢じゃないのか」
「まーまー。だから、って訳じゃないけど――っと」

 ソファーから立ち上がり、プロデューサーさんのデスクに、おざなりに腰掛けてみせる。
 プロデューサーさんは、驚いた表情であたしの顔を見上げた。


「あたしとプロデューサーさんの仲やん。
 ってことでさ。本音トーク、しちゃっていいんじゃない?」

「――もう君達が嫌いだ、顔も見たくない、だから辞める――と言えば納得するのか?」
「そーいう事じゃないってあーもー、ほんっと分かっとらんな」

 握り拳で膝をトントンと叩く。こんのオッサンときたら――。

「そういう、なんちゅーのかなぁ、打算的な返答は聞きたくないんだよね。
 本音を教えてよ。プロデューサーさんの本音をさ」
「本音」
「そう。あたし達、これでも割とけっこープロデューサーさんと仲良くしたいんだよ?
 よく分かんないまま降りてもらいたくないんよ。奏ちゃん達にも報告できんし」

「あっ――」
「報告?」


 げっ――いらん事言ったな、あたし。

「速水さん達に、ここでの話をバラすのは、勘弁して欲しいな」
「あはは、いやー少なくとも、奏ちゃんにはちゃんと話すべきだと思うよ?」

 何より、プロデューサーさんの情報を引き出せというのは、他ならぬ奏ちゃんからの厳命であったのだし――。

「奏ちゃん、未だに“君達には何も期待していない”発言を根に持ってるから、少しは誤解も解けると思う」


「何か、言い訳がましいから、いい」

 そう言って、プロデューサーさんは回転椅子をグルッと回して背を向けた。
 すかさずあたしもそっちに回り込んで、置いてあった空き椅子に座り直す。

「あたし、口軽いんだよね」
「だよなぁ」

「まぁ、悪いようにはせんて。で、話を戻すけど――」

「さっき話した通りだよ。俺は君達に、アイドルを辞めてほしいんだ。夢破れて苦しむ前にな」

 プロデューサーさんは、席を立ち、給湯器の方へ歩き出した。
「コーヒー飲む?」
「ううん、いいや」

「夢は破れるためにある。トップアイドルなんて、まさにそうじゃないか。
 それを目指したが最後、トップ以外の全てのアイドル達は敗者になるんだ。
 俺は、君達がそうなるのを避けたかった――それが望めないのなら、君達の行く末をこれ以上見届けたくはない」


 ははーん――こいつは、思ったより重症ですなぁ。随分とこじらせてはるようで。

「LIPPSは泥船だって言いたいワケ? リアリスト気取りのプロデューサーさん的には」

「LIPPSだけじゃなく、およそ夢を目指す全ての盲目的な人は、沼に片足突っ込んでると思うよ」


 カチャカチャとカップの中身をかき混ぜ、一口啜る。
 ホッと息をつくと、少し落ち着いたのか、プロデューサーさんはあたしの方に半分だけ身を向けた。

「――結構俺、酷いことを言ってるよな。気分を悪くさせて、すまない」
「いいって、あたしが本音言えー言ったんやし、それに」

「プロデューサーさんが思ってるほど、あたし達、そこまでヤワじゃないしさ」

 二口目を啜ろうとした手を止めて、プロデューサーさんはあたしの顔を見る。


「たぶんだけどね? 今度の『アイドル・アメイジング』であたし達、勝てなかったとしてもさ。
 志希ちゃんは、きっとそれを敗北だとは考えないと思う。アイドルを通して得るもの全てが、彼女の望む成果だから。
 フレちゃんだってそう。そもそもあのコ、勝ち負けなんて概念無いんやないかな?
 何でも楽しめちゃうコやし、きっと優勝したライバルを誰よりも盛大にお祝いしてると思う」

 自分で言いながら、その光景が目に見えるようで、思わず笑いが零れてしまう。


「美嘉ちゃん――美嘉ちゃんはたぶん、相当悔しがるんだろうね。
 でも、歯を食いしばって割とすぐに立ち上がると思う。そんな素振り見せないけど、色んな苦労乗り越えてそうだし。
 奏ちゃんはまぁ、ヘコみそうやなーあのコ。割と気張ってるトコあるし、それが報われなかった時は、ずーんってなりそう」

「俺も、速水さんにはそれが心配でな。城ヶ崎さんも、案外簡単にポッキリいくんじゃないかと」
「あはは、まぁそんな時はあたしやフレちゃんで上手くフォローしとくから、心配いらんて」


「塩見さんは?」
「ん?」

「君は、次のステージでもし勝てなかったら、どうなるんだ」

 恐れを隠すように、ひどく神妙な面持ちでプロデューサーさんがあたしに問いかける。
 そんなさ、大袈裟に構えんでもええのに。

「あたしは、うーん――分かんないな。その時になってみないと」
「玉虫色の回答だな。塩見さんらしい」
「あはは、そんなんじゃないよ。ホントに分かんないの。ただ――確かめたい、かな」
「確かめたい?」

 プロデューサーさんが小首を傾げる。

「まぁね。ほら、いつかプロデューサーさん、言ってくれたでしょ?
 あたしはあたしの仕事をすれば良いってさ。
 あの言葉、今でもあたしは正しいと思ってるし、これからもそれに従おうと思ってる。けど」

 グイッと椅子から立ち上がってみる。目線はまだまだ、プロデューサーさんよりも下だ。


「あたし、まだアイドルってなんなのか、よく分かってないんだよね。好きなのかどうかすら。
 適当って、それはそれで立派な処世術なんだけど、結局は一生懸命になってみないと、それの本質って分かんないのかなって思う。
 だからさ――」

 ふふ――あたしが本音を話す事になるとはね。まぁ、ギブアンドテイクか。

「お生憎様だけどあたし、今日のプロデューサーさんの話を聞いて、もっと一生懸命になろうって思ったよ。
 少なくとも、アイドルがあたしにとっての夢なのか、それだけは今度のフェスでハッキリさせたい。自分の中で。
 あたしにとっての負けがあるとすれば、それが分からなかった時だね、きっと」

 プロデューサーさんは、しばらく黙ってあたしの顔を見た後、思い出したようにコーヒーを啜った。

「――興味深い話をありがとう。参考になったよ」
「おっ、手厳しいねー。
 プロデューサーさんなら、もっと素直に「随分とよく喋るな」とかって皮肉ると思ったのに」
「自重した」
「そりゃどーも」

 ゆっくりと、プロデューサーさんがあたしの元へ歩み寄ってくる。
 何となく、緊張してしまうのを堪え――ようとしたけど、やっぱりやめた。

 この人も、たぶん相当緊張してるんだろうし。


「君達に、一つ話しておかなければならない事がある」
「ほぉ?」


「この間のサマーフェスで、俺は、君達のステージの最中に、音源プラグを抜こうとしていた。
 島村さんがたまたま同じ事をしてくれたけれど、本来LIPPSのステージを台無しにしようとしていたのは他でもない、俺だったんだ」


「――――」
「いくらでも軽蔑して、なじってくれて構わない。
 俺は、勝手な都合で君達を振り回そうとした支社長を殴ったけれど、俺の方こそ、自分の都合で君達を酷い目に遭わせようとした」


 手近のデスクにコップを置き、プロデューサーさんはあたしに頭を下げた。

「道義に反することだった――すまなかった」

 ――意外っちゃあ意外だけど、さっきまでのこの人の話を聞いてたら、そうですかぁという感じだ。
 肯定できないけど、理解はできるっていうか?

 ふふっ――。

「あたしの負けかねこりゃ♪」
「は?」

「納得できる答えを引き出すつもりが、予期せぬ形で納得させられたからね」


 ソファーの方へ向かい、ドカッと腰掛けると、そこに置いていたバッグから携帯を取り出した。

「納得、って――俺ならそれくらいの事はするだろう、と?」
「うん」
「手厳しいな。いっそ怒ってくれた方が遙かにマシだ」
「あたしはプロデューサーさんと違って、言葉を選ばないんで」
「そりゃどうも」


 メールを打ち終わった所で、あたしは膝にポンッと手を置き、立ち上がった。

「んじゃ、あたし帰るね」

「タクシー呼ぶよ」
「いい。雨も少し弱まってるみたいだし」

 でも、と言ってプロデューサーさんが反論しかけるのを、あたしは指で制してニカッと笑ってみせた。
「昼間にもらったタクシー代の残りもあるしさ?」

 そう言って手を振り、ドアノブに手を掛ける。


 このドアを開けて、バイバイしたら――もう、この人はあたし達の担当からは外れるのかぁ。


「何で、プロデューサーさんのお父さん、上司の人を殴ったんかな?」
「はぁ?」


 ノブに手を置いたまま、あたしは後ろを振り返った。
 プロデューサーさん、こうして見ると随分疲れた顔してんなぁ。

「あたし達、これでもプロデューサーさんには感謝してるんだよ。
 プロデューサーさん、頑張らなくていいみたいな事を言いながら、何だかんだあたし達に良くしてくれたし、それに――」

 ぷくくっ――と吹き出してしまったあたしを、プロデューサーさんが怪訝そうな顔で見つめている。


「意外と、蛙の子は蛙なのかも知んないよ?
 LIPPSのことでお偉いさんにどついてくれるような人が、LIPPSに一生懸命でないワケ無いやんな?」

「――風邪、引かないようにな」
「プロデューサーさんも、あんま夜更かししないようにね」

 そう言って、あたしはプロデューサーさんに別れを告げ、部屋を出た。



 エントランスまで行くと、奏ちゃんが待ってくれていた。

 プロデューサーさんが呼んだタクシーで一人帰るフリをして、あたしが来るまで停めてくれていたのだ。

 無言で手を挙げる奏ちゃんに、あたしも何となく無言で頷いて、二人で乗り込む。


 奏ちゃんは何度も頷きながら、あたしの話を熱心に聞いてくれた。
 夢や希望を持とうとしないあの人の背景を、奏ちゃんはすごく気にしていたから、さぞ興味あったんだろうね。


 ひとしきり話し終えると、奏ちゃんはジッと目を閉じ、椅子にもたれかかった。

「ありがとう、周子」
「奏ちゃんも、今日はお疲れさんやね」
「生憎だけど、明日からはもっと忙しくなるわ」

 確かに、プロデューサーさんがあの人から、美嘉ちゃんの担当だったあのチーフさんに変わるんだもんね。
 シャキシャキしてそうだもんなぁ。上手くサボれるかなぁ。

「いいえ、そういう意味じゃなくて」
「えっ?」


 奏ちゃんは、目を開けて、あたしに顔を向けた。

「映画のレビューを見ててもよく思うのだけど、私、自分の価値観を他人に押しつける人って好きじゃないの。
 夢が破れるものだと、勝手に決めつけて、頼んでもいないのにあの人は私達にそう信じ込ませようとしているんでしょう?」

「――見返してやろう、って話?」


「プロデューサーは、言わば私達の夢が叶わない事を期待している。
 だけど、期待を裏切るのは、LIPPSにとって最も得意な分野の一つじゃないかしら」


 フッと、奏ちゃんが得意げに鼻を鳴らし、妖しく口の端を歪めてみせる。
 やっぱこのコ、熱血屋さんで、反骨心メガ盛りやなー。

「だよなぁ」

 咄嗟にプロデューサーさんの口癖を真似してみせると、奏ちゃんはプッと吹き出し、あたしもケラケラと笑った。



 そう――“ジョーク”でLIPPSの右に出るものなどいないわな。

 (♪)

 うーん、風邪デリカ。

 だいぶ寒くなったこの時期にあんだけ雨に降られたらそりゃそうだよねー。

 でもシキちゃんとミカちゃんは大丈夫だったの。よっ、さすがっ!

 それで、シキちゃんちであの日、ミカちゃんも一緒に看病してくれたんだけど、もうビックリ!

 何がって、どういうワケか、あのおばーちゃんがいたんだよね!

 お互いビックリしちゃったんだけど、息子さんが帰って来ないっていうからシキちゃんが部屋に入れて、で、一緒に泊まったの。

 濡れタオルしておかゆ作って、おばーちゃんが他にも何か、えーと何か色々してくれて、本当助かったよー。

 それでもう一つビックリしたのがね? おばーちゃんが朝帰った後、入れ替わるようにプロデューサーが来たんだよー!

 こんな大事な時期に風邪なんて引きやがってー、って怒るプロデューサーに、シキちゃんとミカちゃんがすごい反論してて。

 アタシは一生懸命寝たフリしてたけど、バッチリ聞いてたんだー☆ アハハ、あいあむそーりーしるぶぷれー♪

 でも、やっぱ嬉しかったんだよね。

 シキちゃんとミカちゃんはもちろんだけど、プロデューサー、初めて怒ってくれたから。

 自分の事を気遣ってくれる人がいるの、すごく嬉しいから、ちゃんとしなくちゃって思えたの。

 チャチャッと治してレッスン復帰するね。ごめんなさい。ありがとう。おやすみー♪

【11】

 (♡)

 それじゃあ。

 (★)

「どういうこと――!?」

 しぃんと事務室が静まりかえった。
 チビさんが、見ていないフリをするようにパソコンに齧り付いているけど、聞き耳を立てているのは見え見えだった。

 部屋の中には、チーフ――つまり今のプロデューサーと、謹慎が明けたばかりの前のプロデューサー。
 そして、奏ちゃんと、周子ちゃん。

 フレちゃんの風邪はインフルだったらしく、もう少し復帰に時間がかかるというのは聞いてる。

 今、この部屋には、彼女が足りないのだ。


「志希ちゃんが、LIPPSを抜ける、って――」


 チーフは、ひどく苦しそうに顔を歪ませて、俯いた。

「――火の無い所に煙は立たないのなら、火元を取り除けという、上層部の意向でね。
 僕達も上に掛け合ったんだが、どうしようもなかった」
「どうしようもなかったって!!」

 バンッ! と目の前のデスクに両手を叩きつける。
「簡単に言わないでよっ!!」

「美嘉ちゃん――君の言うことはもっともだ。本当に、これは――僕達の力不足という他は無い」

 ただ頭を下げるチーフに、アタシは声を荒げるだけだ。
「何にも悪いことしてないのに、噂が立っただけで切り捨てるの!?
 無視すれば、堂々としてればいいじゃない! こんなっ!! こんな理不尽なこと――!!」

 自分でも何を言ってるのか分からなくなってきた時、ふと――。


 隣のデスクに座っていた前のプロデューサーが立ち上がり、アタシ達の前に歩み寄った。


「――すまない。本当に――これは俺の責任だ」

 そう言って、彼は頭を下げた。
 固く握りしめた拳と、震える肩、奥歯を強く噛みしめているであろうその表情からは、この人の悔しさが痛いほどによく分かる。


 アタシの肩に、ポンッと後ろから手が乗せられた。

 振り返ると、奏ちゃんが、やはり残念そうに首を横に振る。
 周子ちゃんも、普段からは考えられないほど暗い表情だ。

 そのまま黙って、アタシ達は部屋を出た。

『アイドル・アメイジング』まで、もう2ヶ月を切っている。
 本当なら、とっくに新曲が決まっていて、それに向けた5人でのレッスンが本腰を入れて行われているはずだった。

 でも今、レッスン室にいるのは3人だけ。
 フレちゃんが復帰したとしても、アタシ達は4人だ。

 そして、結局アタシ達は既存の曲である『Tulip』の練習を行っている。


「何をボサッとしている! 城ヶ崎、ターンが遅れているぞ!」

 トレーナーさんが檄を飛ばしてくれるけど、アタシのダンスは精細さを欠くばかりだ。

 奏ちゃんと周子ちゃんも、やっぱり同じで、涼しい顔でこなしているように見えても、どこか今ひとつだった。

 様子を見に来てくれた、プロデューサーの顔も暗い。



 ――アタシのせいだ。

 アタシが、志希ちゃんを追い詰めて、追い出したんだ。

 だから、アタシが――。

「美嘉ちゃん、しっかりな」
「トーゼンッ! じゃ、行ってくるね★」

 アタシが、皆を盛り上げて、引っ張っていかなきゃ。


 今日は、本当は志希ちゃんが出る予定だった音楽番組の収録。
 問題発言を度々してしまう志希ちゃんへの配慮からか、用意されてたトークの時間は短めだったけど、存在感は出せたと思う。

 そして、歌ったのは『TOKIMEKIエスカレート』ではなく――『秘密のトワレ』。
 志希ちゃんの持ち歌だ。


 彼女の存在を、無かった事にさせてたまるもんか。

 アタシが歌えば、それなりに話題性はある。
 一ノ瀬志希はどこに行った? と、皆に思ってもらいたかった。

 プロデューサーも、アタシがそういう意志でこの曲を歌うのを了承してくれた。

 志希ちゃんのいないLIPPSは、LIPPSじゃない。

 その日の収録が終わった後の事だった。

 スタッフさん達に挨拶して、プロデューサーともハイタッチを交わして、楽屋に戻る。

 さて、私服に着替えるかと、ロッカーを開けて中を漁って――。

「――――えっ」


 下着が無い。

 服を一枚一枚取り出して、中のどこを見渡しても、バッグの中を見ても、あるはずのそれが見当たらない。

「ちょっ、え――何コレ、何で」

 ふと、奏ちゃんから聞いた話を思い出した。美城常務が忠告していたという、あの話――。


   ――今後はおそらく187プロが何かしら妨害工作をするだろう。


 まさか――今思い出すと、見知らぬ女性スタッフが楽屋を出入りしていたのが見えた気もする。

 あの人が、ひょっとして187プロの差し金か何かってこと――?

 コンコン、とドアをノックする音がして、プロデューサーが外から声を掛けてきた。

「おーい、そろそろ準備できた?」

「あ、ううん! もうちょい待って、ごめんね」
 慌てて取り繕い、とにかく下着は諦めて急いで服を着替える。

 うぅ、胸元がスースーするなぁ――!


「お待たせ★ ゴメンゴメン、ちょっと部屋ん中にでっかい虫がいてさ? それで――」

「――何か、変な事でもあった?」


 プロデューサーが不審がって掛けてくれた一言に、アタシはドキッとした。

「美嘉ちゃん、ウソついたり、隠し事をしようとする時って、すごいうわずいた声で話すからさ」

 ――やっぱ、この人は誤魔化せないか。


 正直に話すと、彼は優しくアタシの肩にポンッと手を置いて、「今日はサッサと帰ろう」と言ってくれた。

 帰ってから奏ちゃんと周子ちゃんにも一応聞いてみると、二人も似たような事があったみたい。

 周子ちゃんは、自分のラジオで嫌がらせとしか思えないハガキばかり来てたと憤慨していた。
 奏ちゃんはグラビアのお仕事で、セクハラっぽい事をやたらと現場の人から言われたみたい。

 よくよく調べると、奏ちゃんがその日行ったスタジオは、187プロの事務所のすぐ近くだった。


 ふと気になって、ネットの掲示板を調べてみる。

「お姉ちゃーん、ご飯できたよー」

 ――これは。


   ・塩見周子をこの間街中で見かけた話をする(176)
   ・【悲報】速水奏終了のお知らせ(338)
   ・【えるしっているか】城ヶ崎美嘉スレPart41【みかたんはすごい】(288)
   ・俺達の文春、城ヶ崎美嘉の交際相手を暴露wwwwwww(227)
   ・【フレデリカ】アイドルを思い浮かべてスレを開いて下さい【フレデリカ】(190)
   ・一ノ瀬志希が干された理由の闇が深すぎる…(609)


 なるほどね。こういう狡い所で印象操作をするワケだ。
 明らかにいかがわしい話題を焚きつけて、イメージダウンを図っているみたい。

 まぁ――気にするだけ無駄か。こんなものは無かった、やめやめ。

「お姉ちゃーん、ご飯ー!」
「はーいー!」

「お姉、おわっ!?」
 莉嘉がたまらずドアを開けてくるのを見越して、ドアの前で仁王立ちしてみせる。
 開けた瞬間、莉嘉は驚きのあまり尻餅をついたので、思わず笑っちゃった。

「お姉ちゃん、そういやさ」
「ん?」

 夕食が終わった後、莉嘉の部屋でくつろいでいた時だった。
 新しい漫画を買ったというので、ベッドの上で呼んでいると、ふと声を掛けられた。

「お姉ちゃんのツイッター、見たよ」


「アンタ、そういうのやっちゃダメってあれほど」
「あ、アタシはやってないってば! 友達がやってて、それでお姉ちゃんのを見せてもらっただけだよ!」

 あぁ、見たってだけか。
 莉嘉にはあえて教えてないけど、別にやってなくても、ネットで検索すれば誰でも見れるんだけどね。鍵も掛けてないし。

「それで、さ――結構お姉ちゃん、大変なんだね」
「何が?」

 急に莉嘉が声のトーンを落とし、神妙な面持ちになったので、漫画を閉じて顔を覗き込む。


「いや――何か、お姉ちゃんに、エッチぃっていうか――ヘンな事ばっか言う人、こんなに多いんだ、って――」

「――へ?」

 慌ててアタシは携帯を手に取り、自分のアカウントを確認してみる。
 いつもは興味津々そうにアタシの携帯を覗き込みに来る莉嘉は、それを見ようともしない。


 ――通知をオフにしていたから、気づかなかった。

 なるほど、こんな所でも誹謗中傷してくるのか。
 結構辛辣で、エグい事をリプしてる人達もいるみたいだ。


「――莉嘉」

 携帯を置いて、莉嘉に向き直る。莉嘉は今にも泣きそうだった。

「ありがとう、教えてくれて。お姉ちゃんは、全然大丈夫だよ。
 こういうの慣れてるし、言ってる人達だって、どうせアタシと向き合う気のない連中だもん」

「お姉ちゃんは、平気なの?
 こんなヒドいこと、言ってくる人がいるなんて、アタシ、信じらんないよ――!」
「アハハ、心配無いって★ 今見たら、ほら、みーんな捨てアカでリプしてる人ばっかりだよ。
 つまり、自分で自分のコメントに責任持とうとしない人達ってこと。
 そんなのにいちいち構ってあげる必要無いじゃん、ねっ?」

 ベッドから立ち上がり、莉嘉の頭に手を置く。
 莉嘉は肩を縮こませ、少しベソをかいて俯いている。
 アタシへの心無いコメントを、怖くて、悔しいと思ってくれているのかな。

「心配してくれて、ありがとね」
「お姉ちゃん――」


 どうせまた変なコメントが付くかもだけど、更新を止めて、こういう荒らしの人達に屈したと思われても癪だ。
 一切無視して、いつも通り、仕事の報告とファンの人達への感謝を伝えるツイートをして、携帯を閉じた。

 まっ、思いがけずだけど、妹にネットの怖さを教えてあげられた事には、ある意味感謝してやらないでもないか、な?

 その日は、奏ちゃんと二人でイベントのお仕事だった。

 全米No.1とかいうアクション有り、ラブシーン有りの新作ハリウッド映画の上映初日で、その宣伝に呼ばれたのだ。
 映画関係だから、奏ちゃんがメインで取ってきたお仕事で、アタシはおまけみたいなもん。

 と思っていたら、アタシ達以外にも、そのイベントに出席していた他事務所のアイドルがいたのだ。

 まさかと思ったら――予感していた通り、それは187プロだった。
 小悪魔系デュオとして最近売り出し中の、ちょっと目つきの悪い子達だ。

 プロデューサーは、今回はアタシ達に同行していない。


「気にすることは無いわ、美嘉。
 たかが15分程度、笑顔で看板の前に立ち、映画についてコメントしていれば良いだけよ」

 出番前の舞台袖、奏ちゃんが小声でアタシにそっと忠告してくれる。
 そんなこと、言われなくても分かってるよ。


 司会者の人達にコールされ、笑顔で壇上に上がる。187プロの子達とも一緒だ。

「映画通としても知られる速水さんですが、この作品の見所と言えば、ずばりどういった所でしょう?」

「そうですね――まずはやはり、スタントやCGに頼らない派手なアクションシーンが挙げられると思います。
 この監督は、“本物を撮る”という事に強いこだわりを持っていて、それを感じ取ってもらえるのではないかなと。
 それと、この撮影がきっかけで交際に至ったという主演の二人の、濃厚なラブシーンも、大きな見所と言えるんじゃないかしら」


 さすが、奏ちゃんはこういうのに慣れているんだなぁ。
 たまに不意打ちで、台本に無い質問もあるんだけど、それでも微笑を浮かべながら、気の利いたコメントがスラスラと出てくる。
 知識はもちろんだけど、肝が据わっているのをすごく感じる。

「なるほど~、私も予告シーンしか観れていないのですが、かなりラブシーンは熱々のようですねー。
 ところで城ヶ崎さんは、何かそういう、憧れる恋人とのシチュエーションというのはありますか?」

 おっ、来たな。答えにくい質問だけど、これは台本通りだ。

「んー、アタシとしてはやっぱ、サプライズ的なものがあると嬉しいかなーって思います。
 ドキドキを味わいたいっていうのもありますけど、そういう何というか、アタシを楽しませようとその人が苦労して考えてくれたーっていうのが、ありがたいっていうか? ですかねー」

「おっ、経験者は語る、ですか?」
「アハハ★ いやいやそんなんじゃ無いですよー!」

 笑いながら大袈裟に手を振る。これくらいの質問なら、こういう応対で大丈夫だ。


「でも、この前男性と二人でお忍びデートをしていたんじゃなかったんですかぁ?」

「えっ――」

 いきなり、アタシの横に立っていた187プロの子達が割って入ってきた。

「人から聞いた話なんですけどぉ?
 海が見えるオシャレな公園で二人が散歩してるのを見たって、ネットでも話題だったんですよぉ」
「えー、マジ!? それホントだったらすっごいスキャンダルじゃない!?
 ただでさえさーほら、もう一人のコがお騒がせしてる時に、すごいよねLIPPSってさっすがぁ!」

 間延びした声の子の隣で、ちょっとチャラいカンジの子が派手に驚いてみせている。

「そうそう、一ノ瀬志希ちゃん! そういう一線越えちゃったから謹慎してるって、そういうウワサってホントなんですかー美嘉ちゃんっ?」

 そう言って、ひどく意地悪そうな笑みを浮かべ、アタシの顔を下から舐め上げるように覗き込んできた。


 ――――。


「お、アハハ、ちょっと映画の話題とはズレて来ちゃいましたけど、世間の皆さんにとっても関心深い事でしょうねぇ。
 さて、実際の所どうなんでしょう城ヶ崎さん?」



 ――――――。

 ――美嘉。


 アタシの手を、奏ちゃんがキュッと掴み、小声で囁いた。


 アタシは、そんな奏ちゃんに横目を向けてフッと鼻を鳴らし、小さく首を振る。

 大丈夫だよ。これくらい、なんともない。



「いやー、それなんですけど、実はそれアタシのプロデューサーなんですよね」

 笑顔でアタシは質問に答えた。

「でも、仕事の一環だったんですよ? 食レポや街頭レポのお仕事が近かったので、二人で予行練習してたんです。
 アタシのツイッターにも、実際に収録された食レポのお仕事風景が見れたりするので、ぜひチェックしてみてくださーい★」

 サッとスマホを取り出し、カリスマポーズを決めてみせつつ、アタシは続ける。


「それと、志希ちゃんは確かに、困った事ばかりするコなんですけど、人が本気でイヤに思う事はしないコなんです。
 どんなウワサかは知らないですけど、彼女は根はとっても誠実で、ファンを大切に思う気持ちはアタシ達の誰にも負けません。
 ただ、アタシにセクハラばっかりするのは勘弁してほしいんですよねー」

「ほう、セクハラとは?」

 司会者の人が、興味津々といったカンジで質問を続けてきた。

「んー、まぁアタシの胸を触ってきたり?
 後はそのー、何か変な香水作ってきて、その実験台にしようとしたり。
 おかげで本番前なのにメイクが崩れて、すっごく慌てちゃった事もあったんですよ」


 あの日、アタシが前のプロデューサーと二人でぶらぶらした事について、追求される事もあるかも知れない。
 そう思い、プロデューサーとも予め相談して、用意していた回答だった。

 それと――まぁ、胸を触られるとか、結局イヤらしい話題にはなっちゃったけど、しょうがない。
 志希ちゃんに、もっといかがわしいイメージを持たれるよりは、イタズラで済まされるレベルの話の方がよほどマシだ。



 笑いながら躱しているうちに、無事イベントが終わり、涼しい顔でアタシと奏ちゃんは壇上を降りる。

 後ろで、187プロの子達が舌打ちをしたのが聞こえた。

 伊達に芸能界長くいないし、あの程度で動揺させられてたまるかってーの。

「やるやん、美嘉ちゃん」


 待ち合わせていたいつものファミレスに着くと、既に来ていた周子ちゃんとフレちゃんが手を振ってアタシ達を呼んだ。
 フレちゃんは、ずっと咳が取れなかったみたいだけど、ようやく快復したみたい。元気そうで本当に良かった。

「スープバーだよー☆」
 もはやお決まりとなった、フレちゃんによるスープのチョイスだ。
 今日のアタシは、中華スープとのこと。


 二人ともオフだったので、アタシと奏ちゃんのお仕事を一緒に見に来てくれていたのだ。

「今日のコら、一緒に上がってみてどんなカンジだった?」
 周子ちゃんが、フレちゃんのスープに手を伸ばしながら、ふと尋ねてきた。
 今度、二人もあの子達と一緒に合同レッスンに参加する予定なのだという。

「まぁー、見たとおりってトコかな? 対策さえ間違えなければ、なんて事は無いよ」
 そう言ったけど、フレちゃんは聞いてもいない様子で、奏ちゃんのスープを引き寄せて美味しそうに啜っている。

 仕方が無いので、アタシは自分のスープを奏ちゃんに渡して、周子ちゃんのを手元に引き寄せた。
 ちょうど、反時計回りにスープがそれぞれ隣に渡った形だ。何だこれ。

「しかし、187プロの嫌がらせも、いつまで続くのかしら」

 頬杖をつき、奏ちゃんが窓の外を見やって軽くため息をつく。

「差し当たり、『アイドル・アメイジング』本番までは続くと思っといた方がええんちゃう?
 一応、節目っちゃあ節目だし、それ以外にやめるきっかけも向こうさんとして無さそうだしさ」

 まるで他人事のように、周子ちゃんがスープを口にしながら答えた。
 チラッと見ると、早くも中身が空になろうとしている。

「それもそうね――ところで、あの人はどうしているのかしら?」
「あの人って?」

「前のプロデューサー」

 奏ちゃんの一言に、アタシと、周子ちゃんも手が止まった。


「なんか――新しく誰か、担当を受け持ったワケじゃあないんよね?」
「新たにスカウトを命じられてる、って聞いたけど」

「あの人が素直に新しい子をスカウトしてくるとは、とても思えないわ」

 奏ちゃんの一言に、アタシも周子ちゃんもウンウンと強く頷いてしまう。
 何せあの人は、奏ちゃんや周子ちゃんの話によれば、アタシ達に対してさえ、アイドルである事を快く思っていないのだ。


「でも――なんか最近、忙しそうにしてるっぽくない?」

 アタシは、ふと前のプロデューサーの近況を思い返してみる。
 あれは、本当に偶然だったけど、彼を街中で見かけたのだ。

 ネクタイをビッと締めて、バッグを片手に携帯で誰かと話しながら、足早に人混みの中を歩いていくあの人の姿があった。
 見間違えなんかじゃない。

「就活してんとちゃう?」
 周子ちゃんがスプーンを振りながらケラケラと笑う。

 なんか台無し――と思ったけど、確かに、あの人は今の仕事を辞めたいみたいな話を結構してた気がする。

「ただ、デスクにいる間も、結構せわしなくパソコン叩いてる気がするけど」
「何か焦燥感があって、話しかけづらいというのはあるわね」

 心機一転して、真面目にスカウトをしているのか?
 それとも、今の事務所など放っておいて、次の仕事に鞍替えする準備を進めているのか――。


「それよりさ、ねー、次の秘密特訓の日、いつにする? フレちゃん明日と明後日空いてるよー♪」

 フレちゃんがニコッと笑って、アタシ達に話題を振ってきた。

「フレちゃん、秘密特訓って言っちゃあ秘密じゃないよ」
「あそっか。でもイイじゃん、アタシ達しかいないんだからさ☆」
「あーごめん、シューコちゃん明日はパス。187プロの皆さんと合同レッスンやわ。
 ていうかフレちゃんもやん」
「ワォ、ホントだ! ゴメンゴメン」


 秘密特訓というのは――まぁ、あえて説明するまでもないかな。言葉通りの意味だ。

「明後日は――夕方からならアタシ、行けそう。奏ちゃんは?」
「私も問題無いわ」

「じゃあソレで☆ フンフンフフーン♪」

 フレちゃんが嬉しそうに携帯を手に取り、操作していく。
 彼女は、本当にLIPPSが好きなんだなぁと、見てて微笑ましくなる。


 でも、だからこそ、不安にもなる。
 LIPPSが大好きなフレちゃんが、LIPPSに対する悪意に直接触れてしまった時、彼女はどうなってしまうんだろう。
 怒るだろうか。それとも、ショックを起こしてしまわないだろうか。

 いずれにしても、良くない事が起こる気がしてならない。



 ただ――何があろうと、志希ちゃんや皆のために、アタシは頑張らなくちゃならない。

 志希ちゃんが抜けてしまったのは、プロデューサーじゃなく、アタシのせいなんだから。

 (■)

 久しぶりに、映画を一本借りてきた。

 不祥事のために芸能界を一時退いていた、かつて一世を風靡した男性アイドルの、久々の主演作。
 それは――自らの私利私欲のために、短絡的な犯行を繰り返す、サイコパスの話。

 女を襲い、人を殺し、狂言を繰り返し、そのような精神状態に陥った背景を、取って付けたようなお涙エピソードで脚色した作品。

 悩むまでも無く、C級映画と呼んで差し支えの無いものだった。


 私も、何かのきっかけで失脚してしまったとしたら、この元アイドルのように、芸能界復帰作でも酷い役を仰せつかるのだろうか。

 そして、あるいは志希も――?

 ネットでのLIPPSの評価は、どうやら二極化されていた。

 最近降って沸いた、いわゆるアンチと呼ばれる勢力に、以前からのファンと見られる勢力がそれを押し返す。
 アンチはそれらを、信者とか社員とか呼んで煽る図式だ。

 おそらく、どちらの勢力にもつかず、ただ騒ぎを大きくして楽しむだけの連中も相当数いるのだろう。

 うわ――やだ、私のいかがわしい話題もいくつかあるみたい。


「はぁ――」

 気にするな、とは美嘉やプロデューサーをはじめ、皆から言われる事だし、私だって気にする筋合いなど無いのは分かっている。
 そして、実際気にしていないという素振りを外面には見せている。

 ただ一方で、全く気にしないというのはなかなか難しい。
 アイドルというのは、人気を売り物にする側面もあり、人からどう思われているかというのは大きな関心事だ。


 割り切って、器用に立ち回るというのは、なかなか難しいものね。
 それが自然とできる美嘉や周子は、同じメンバーながら羨ましく、尊敬の念も覚える。

 フレデリカは、どうなのかしら――。

 ただ、これは少し不思議な事なのだけれど――。

 ここ最近は、187プロからの嫌がらせはネットでの攻撃のみに留まっており、一緒の仕事場での面と向かった攻撃は鳴りを潜めている。

 どういうつもりなのかしら。
 私達がそれに屈しない姿勢を見せるから、もう諦めた?
 それとも、一旦私達を油断させ、周到に準備を整えた上で、何か大きな事をしでかそうとしているのだろうか。

 気味が悪いというのが、正直な所ね。
 いずれにせよ、油断しない方が良いでしょう。


 皆も、それは重々承知しているようで、187プロに対する警戒を解く事はしていなかった。

 ただ一人を覗いて。


「ヤッホー☆ 見てみてー、ドリンク持ってきたよーどれにする? フレちゃんコレー♪」

 レッスンの休憩中、いつものように、フレデリカがクーラーボックスからドリンクを取り出し、皆に手渡していく。

 いつもと違うのは、その相手が私達だけでなく、187プロの子達に対しても行っているという点だ。

「あ、み、宮本さん私――」
「はい、私、宮本です」
「いや、急にマジメ口調になられても――私、そっちの水でいいです」
「水ですね? かしこまりました、では、宮本の、命の水でございます」
「ちょ、これいちごミルクですよ! 何でこんなものが!?」
「ありすちゃんの、チョイスでございます。宮本のせいではございません」

 私達に対してのそれと同じ、普段と変わらないトーンで彼女は誰に対しても接していく。


「前の時もそうだったんだよね、フレちゃん」

 隣に座る周子がふと、私に話した。

「あの187プロとの合同レッスンっていうから、どんな事してくるか分からんって、あたしでさえ一応身構えてたんだけどさ。
 フレちゃんときたら、自分からあぁして相手さん達にグイグイ接していって、もう終始ずーっとフレちゃんのペースよ」


 なるほど――攻撃は最大の防御、ということか。

 187プロの子達をタジタジにさせるフレデリカを見て、最初はそう思った。

 ――けれど、どうやら違うらしい。

「うわぁっ! サヤちゃん今のステップどうやったの!?
 魔法だよ魔法、フレちゃんにも教えて? こう、右足? 右足を左足にするカンジ? えっ、魔法!?」


「ミナちゃん、すっごい声キレイだねー! そうだ、カナデちゃんもそうだったけど、腹筋すごかったりする!?
 ちょっと見せて、うわっ、やっぱりそうだー! 腹筋職人☆ミナデリカ」



 フレデリカは、レッスン中も気づくと187プロの子達の良いところを見つけ、褒めたり、悪戯したりする。
 それは決して打算的であったり、不快感を与えるものではなく、心から相手を楽しくさせるものだった。

 私自身、それを受けてきたからよく分かる。

 187プロの子達は――なるほど、すっかり毒気を抜かれて、戦意を喪失してしまっているわね。


「あぁいうのは、フレちゃんならではだよね。アタシにはとても出来そうに無いや」

 美嘉が両手に腰を当て、心から感心した様子でその様子を眺める。

 確かに――すぐに対抗意識を燃やしてしまう私や美嘉には、あんな振る舞いは出来ないだろう。


 それはフレデリカの、隠された才能に発揮されていたという事を、私達は先日、ボーカルレッスンのトレーナーから聞いた。



「相対音感?」

 レッスンが終わり、着替えてレッスン室を後にしようとした矢先、プロデューサーの声が聞こえた。

 中を覗くと、プロデューサーがトレーナーさんと何やら話をしている。
 私と周子と美嘉は、こっそり聞き耳を立てた。フレデリカは、ジュースを買いに行くと言って先に出ている。

「絶対音感ではなくて、ですか?」
「はい、相対音感です。彼女は、類い希なその才能の持ち主です」

 絶対音感というのは、私にも何となく分かる。
 どのような音でも、ドレミの音階に聞き分けられるというのが、絶対音感。

 それに対し、相対音感とは――?


 どのような音にも、快いハーモニーを奏でる音――すなわち、ピッタリとハモれる音という。
 つまり、音の高低的な関係性を正確に把握し、曲調に応じ、相対的に快くハモれる最適な音を見つけられる能力を、相対音感というらしい。

 そして、フレデリカの場合、それはただの相対音感に留まらない。
 曲調だけでなく、一緒にいる人の呼吸や距離感等、調子や特性を見出し、その時の相手にとって最も気持ちの良い音や空気感を表現できる才能がある、というのだ。


「彼女は、LIPPSのスタビライザーであり、無くてはならない存在です。どうか大切にしてあげてください」

 支離滅裂でありながら、フレデリカといて不快に思えなかったのは、そういう理由もあったのね――。

 トレーナーの話を盗み聞きしながら感心していた私達の後ろから、当の本人が全員分のいちごミルクを持って襲いかかってきた。

 187プロの子達の、フレデリカに振り回されながらも打ち解けてしまっている様は、演技とも思えない。

 どうやら187プロによる嫌がらせは今後、ネット上のそれを重点的に警戒していくのが良さようね。

 となると、残る当面の問題は、私達が当日までにしっかり仕上がるかという事だけ。

 こればかりは私達次第であり、誰かの助けに頼ることもできない。


 その日のレッスンは、珍しく前のプロデューサーが見学に来ていた。

 理由を尋ねると、気分転換に、とのことだった。

 邪魔さえしないのなら、もはや関係の無い人がたかが気分転換で私達を見に来る事に、何も言う筋合いは無い。


 ただ――そのだらしない姿を見せる事に、いくらかの後ろめたさを感じるのは何故かしらね。



「ストップだ! ――速水、やる気があるのか。キレどころか覇気も無い、ここへ何しに来ている?」

 ここ最近、同じ事をトレーナーさんから言われている。
 他の子達も、順風満帆とは行かないようで、美嘉でさえ「候補生からやり直せ」などと叱られるほどだ。

 あくまで私の場合は、だけれど――トレーナーさんの指摘は、本当だった。
 私は、手を抜いている。
 フレデリカはよく分からないけれど、周子もたぶん私と同じだろう。

 美嘉は違う。
 彼女は、この“表のレッスン”であっても本気の全力で取り組むのを信条としている。
 だが、それが逆に過度の疲労と、パフォーマンスの低下に繋がっているようだ。

「本気でやるのが、アタシの役だからね★」

 そう言って美嘉は滝のように流れる汗を拭い、震える膝を叩いてニカッと笑ってみせる。


 レッスンの壁にもたれながら黙って見ていたプロデューサーは、気づくと既にいなくなっていた。



「さぞ、ガッカリしたろうねぇ。あたしらのやる気の無さを見てさ」

 美嘉ちゃんは別として――と付け加えながら、出口の方を差して周子はニヤニヤと笑っている。


「えぇ――そうね」

 レッスンが終わり、軽い夕食を取った後で、再びレッスンルームに集合する。

“秘密特訓”の時間だ。
 私の体力は、この時のために取っておいてある。

 そのつもりで、温存していたのだけれど――情けないものね。


「2,3,4――――くっ」

 苦痛に顔が歪み、たまらず膝を落としてしまう。
「奏ちゃん、大丈夫!?」


「平気よ――もう大丈夫、さぁ、始めましょう」
「でも」
「この程度で音を上げている暇は無いわ。そうでしょう? さぁ、皆、配置について」

 心配そうに見つめる皆を、逆に私は精一杯鼓舞してみせる。


 正しく怪物達と呼んで差し支えない連中と、一緒に私はユニットを組んでいる。
 リーダーである私が、足を引っ張る訳にはいかない。

「はぁ、はぁ――――!」

 時計の針は、夜の11時を回っていた。
 仕事の合間を縫い、普段のレッスンとは別に行うものだから、どうしてもこういう時間帯になる。

 美嘉の終電も近いので、惜しみながらも切り上げて、更衣室でシャワーを浴びる。

「――――ッ!」

 そろそろ、足が限界かしら――。


 心配させまいと、先に皆を帰してから、ゆっくり準備を整えて更衣室を出て、出口に向かっている時だった。



 喫煙室で、物憂げにタバコをふかしているプロデューサー――そう、前のプロデューサーが目に入ったのだ。


 こんな時間まで、何をしているのかしら――。

 そう思ったのは、こっちに気づいた彼も同じらしかった。

「皆はもう、帰ったのか?」
「美嘉も、終電だったし」
「ふーん」

 プロデューサーは自販機にお金を入れ、けだるそうにボタンを二つ押した。

「私、コーヒーで良かったんだけど」
「そうか。悪いな」

 ジュースを私に手渡して、プロデューサーはため息を吐きながら隣に腰を下ろした。
 缶コーヒーをパコッと開けて、一口煽るその横顔には、疲れがありありと見てとれる。


「プロデューサーは、最近どうなの?」

 気にならないと言えば、それは嘘だった。
 担当を持たず、候補生のスカウトだけを任されているにも関わらず、彼はこの様子なのだ。

 疲労している中、この時間まで残っている辺り、彼が今の私達と同じ、何かに傾注しているのは明らかだ。


「最近、ねぇ――」

 隣に座るプロデューサーは、そんな私の質問には答えようとせず、ハハハと力無く笑って誤魔化した。

「だから、プロデューサ――」
「新しいプロデューサーは、どうだ。良い人だろ?」

 私の言葉を遮って、彼は逆に質問してきた。
 どうやら、私の聞きたかった事は、彼にとってあまり都合の良くない話らしい。

「――そうね。誰かさんと違って、チーフは親身に話を聞いてくれるし。
 今日は来れなかったけれど、レッスンにも顔を出してくれるわ。
 美嘉なんか、口にはあまり出さないけれど、やっぱり彼の事を好いているみたい」
「だよなぁ」
 コーヒーを啜るプロデューサーの横顔は、満足そうな笑みをたたえている。


「やっぱり、君達にはあの人の方が合ってる」


 不意に、言いようのない寂しさが、私の心にまとわりついた。
 その一言で、彼が急に遠い存在に思えてしまい、それを彼が心から望んでいるかのように感じたのだ。

「プロデューサー――」

 ジュースの缶をギュッと握りしめる。
 11月も中旬に差し掛かろうという時期に、プロデューサーのチョイスしたそれは、私の体温を刻々と奪っていく。

「ところで、足、大丈夫か?」 


「――えっ?」
 急に聞かれ、私の体が跳ねてしまう。

「どうして、分かったの?」
「足、引き摺ってただろ」
 コーヒーを傾け、それが空っぽなのを確認すると、プロデューサーはそれを椅子の脇に置いた。

「靴擦れか? それとも、指の爪でも死んだか――まさか、骨って事は無いだろうが」
「――――」


 私の方に向き直り、彼は先ほどまでの疲れ切ったそれなどまるで見る影も無い、真剣な顔つきで言う。

「見せてもらってもいいか?
 場合によっては、君のレッスンを止めるよう、俺はアリさんに進言しなくてはならない」

「それは――!」
「たとえ俺でなくても、プロデューサーなら誰もが取るべき判断だ」
「! ――――ッ」


「俺が言っても説得力無いのは分かってる。
 だが、やる気があれば何をしても良いなどと考えているのなら、それはマジで改めろ」

 時間を掛けて、革靴を慎重に脱ぐ。
 靴下がそれにかかる時、息が詰まりそうになるのを必死で堪えながら、私は何とかそれをプロデューサーに曝け出した。


「――爪か。捻挫とかは、内側は痛めてないか?」
「ううん、たぶん」
「たぶんとか言うな――ここ、押されると痛いか?」
「痛くないわ」

 真っ黒になっている爪の指辺りを触れられると、本当は泣きたくなるほどに痛い。
 それ以外は、足首を回されようが、付け根とかを押されようが、特に何ともなかった。


 それを知って、プロデューサーは小さく頷くと、片膝を立てた状態からゆっくりと立ち上がり、軽く伸びをした。

「現役女子高生の生足を思う存分触れて、満足かしら?」

 フッと笑い、精一杯の虚勢を張って茶化してみせると、プロデューサーは小首を傾げた。
「あぁ、堪能した」
「馬鹿」
「どっちが馬鹿だ」

 そう言って見下ろすプロデューサーの顔からは笑みが消えていて、私は思わず息を呑んだ。

「しかし、あの程度のレッスンでも、こんなひどい怪我を負ってしまうものなのか?」

 彼にとっては何気無い、いつものようにデリカシーの無いその一言は、私を大いに動揺させた。
 秘密特訓の事を、彼には知らせていないからだ。

 冷や汗を掻きながら、ポーカーフェイスを必死で続ける私を尻目に、彼は続ける。

「本番前に体を壊してしまっては本末転倒だ。無茶だけはしないでほしい」

「無茶はしない。でも、無理はするわ」
「そういうのを屁理屈っつーんだよ」

 クシャクシャと頭を掻いて、プロデューサーはハァ――と、どこか満足げなため息を吐いた。

「本当、君はクールに見えて、年相応に幼稚で負けず嫌いなんだな」


「リーダーには不向きかしら?」

 鼻で笑いながら、私がそう聞き返すと、彼は洋画の俳優のように大袈裟に肩をすくめてみせた。

「今のアメリカの大統領を見ていれば、そうでもない」

「何それ」
 不意に飛び出した妙なユーモアに、私は思わず吹き出してしまった。
 それを見たプロデューサーも、珍しく無邪気に笑っている。

「さて――付き合わせて、悪かったな」

 ふぅ、と息をついて、プロデューサーは手を差し出した。
「ジュース」
「えっ? ――あぁ」
 まだ空になっていない缶を渡すと、プロデューサーはそれを面倒くさそうにクッと飲み干し、ゴミ箱に捨てた。


「寒くなってきたから、風邪とか引かないようにな。体は大事にしろよ」

 そう言って、プロデューサーは踵を返し、あくびをしながら通路に出て行く。

「プロデューサーも」
「うん」

 後ろ手に手を振りながら、ノソノソと歩いていく。


 ――人にはそう言うくせに、自分はまだ仕事をして、体を酷使するつもりなのね。

「まったく――何考えているのかしら」


「だよなぁ」

 ケラケラと、背後の柱の影から、すっかり板についた彼のモノマネをする声が聞こえる。

 先に帰って、って言ったのに――本当、物好きね。

「ま、言ってもあの人なりにさ、奏ちゃんやあたしらを心配してくれてるって事で、許してやんなよ」
「えぇ、そうね」


「許してやれって、そんな上から目線な――まぁいっか」

 心配してそうな声が、また後ろから聞こえた。
 終電近いって言ったの、この子なのに――。

「でもさ、アタシがチーフさんに気があるみたいに言うの、やめてくんないかなぁ」
「だって、本当でしょう?」
「見え見えやんな?」

 振り返らず、クスクスと笑う私の後ろで、彼女はおそらく腰に手を当て、ため息を吐きながらかぶりを振っているのだろう。

 まったくもって、愉快なメンバーに恵まれたものだと、心から思う。


 突拍子も無く、観葉植物の影に隠れていたフレデリカが、いちごミルクを手にプロデューサーの前に踊り出す。

 驚きのあまり、彼が仰向けにもんどり打って倒れるのを見て、私達は腹の底から笑い転げた。

 (・)

「いや~ご多用の中お時間いただきましてありがとうございます~。えぇ、私、お電話でお話させていただきました――!」


 公務員というのは、営利目的で業務を行う事は無い。

 非営利に舵を振れるというのは民間企業には無い強みとも言えるが、同時にいくらか困った話にもなる。


「えぇ、そうなんですよぉ~私共の方ではですね、他社さんと協同でこういった一大イベントを企画してございまして――」


 詰まるところ、彼らの業務にはノルマが課せられない事が多いため、自ら進んで仕事を取りに行く事を、通常は考えない。

 やむを得ない本来業務以外は、行政サービスというお題目が立たない限り、極力排除するのが基本だ。

 給料が公金である以上、無駄な執行をしないために業務を最適化し残業をさせない、というスタンスはそれなりに正しい。


「あぁ~いえいえ! 仰る事はよく分かります、私共もお役所様とお仕事をさせていただくのは初めてではございませんでして――」

 そんなお堅い連中を相手に――。


 何をやってんだろうな、俺は。

「えっ――他の自治体でも、このような事業に参加した事例があるのですか?」

 窓口で鬱陶しそうに俺の話を聞いていたハゲ面の中年職員が、少し反応した。

「そうなんですよぉ~意外でしょう? 例えば東京都さんですとか、あとは23区ですと千代田区さん、中央区さん――」


 彼らが特に恐れるのは、自らが先駆者になることだ。前例の有無を極端に気にする。

 自分の裁量で物事を決定できず、何かしら寄りかかれる判断基準が無いと彼らは動かない。

 そう――逆に言えば、前例があると知った時、彼らのハードルはかなり下がる。

 そのための業界研究は予め行ってきたが、どうやら少しは効果があったようだ。


「ウ~ム――ただですね、やはりこちらとしては、特定の業者さんに肩入れするというのは出来かねるんですよねぇ」

 中年職員は、俺が持ってきたポスターを指差して言った。

 いくら『アイドル・アメイジング』の宣伝ポスターとはいえ、このデザインだと露骨に346プロのLIPPSをアピールする格好である。

 もちろん、その返答も想定通りだ。

「あぁ~、そうでしたか、大変失礼を致しました。そうしますとですね、うーん――例えば、こういった体裁だといかがでしょうか?」

 少し悩んだフリをしつつ、用意していた別のデザインを提示する。

「こちらですと、出演者をというより、会場をより強調してご案内する形になろうかと存じます。
 ご指摘いただきました、公平性という面においても、宣伝の主題を会場とするこのレイアウトであれば、解消されるのではないかと」

 と言いつつ、下部に寄せた出演アイドルの写真は、ちゃっかりLIPPSが真ん中だ。


 このポスターやチラシの作成に当り、俺は課長の許可を取っていない。

 彼にいちいち決裁を求めていたら、回る仕事も回らないというのもある。

 しかしそれよりも、近いうちに辞めてやると開き直れば、案外何でも出来てしまうものである。

 ただ、広報課や営業課の助けは必要だった。


 彼らは、一にも二にもなく俺の話を聞き入れて、協力してくれた。

 どうやら、奥多摩支社長を殴って辞めさせた事件が、社内ですっかり広まってしまったらしい。

 気骨のある奴と思われたか、それとも逆らうと何されるか分からないと思われているのか。

 とにかく、これは俺の独断で進めている事なのだから、何かあったら俺の責任にするよう、よく伝えてある。

 かつて俺がこっぴどく言ってしまった営業課の若い社員は、笑ってそれを承諾してくれた。

 握り拳を口元に当て、少し唸った後、職員はとりあえずと言った様子で渋々頷いた。

「他の自治体にもヒアリングをして、こちらとして支障が無いと判断できましたら、いただいたチラシと併せて掲示しておきます」

「ありがとうございます。その際は、お手数ですが私にもご一報いただければ幸いです」

 満面の笑みで、慇懃とした姿勢をこれ見よがしに強調させ、俺は深々と頭を下げる。


 最初から後者のデザインを見せても、たぶん先方の了承は得られなかっただろう。

 交渉というのは、お互いの妥協点を探ることであり、いかにこちらの譲歩を相手に認識させるかでもある。

 故に、まず無理であろう提案を先にして、そこからあたかも譲歩したかのように、こちらの要求レベルに相手を引き込むのがセオリーとなる。


 成功したかどうかは分からないが、やるだけの事はやった。次の営業先へ向かわなくては。

 課長からは、新たなアイドルをスカウトしてこいとのお達しを受けている。

 だが、当然に俺はそれをする気などサラサラ無かった。

 一方で、俺が今行っているのは、俺が最も嫌いな仕事でもあるというのが、どうにもままならない。


 最初に行ったコンサートホール――5年前、俺が元いた職場は、俺の事を温かく出迎え、親身に話を聞いてくれた。

 実際にそこが会場になる訳でもないにも関わらず、ポスターを掲示し、チラシを置いてくれるというのにはさすがに驚いた。


「私の方から、他の施設や自治体さんにも連絡を取っておくから、営業に行くならそれからにすると良いよ」

 かつての上司である館長さんは、そう言って俺の名刺を大事そうに受け取り、ニッコリと笑う。

 自然と、頭が下がった。


 一件目の営業先で勇気と助力をもらえた俺は、リストを手に片っ端から売り込みを掛けていく。


 俺は――なぜそうしようと思ったのか自分でも不思議なのだが――『アイドル・アメイジング』の宣伝を各所にしている。

 それも目についたもの。手当たり次第にだ。

 数年おきに転職を繰り返してきた俺には、培ってきたスキルなど何一つ無い。

 あるとすれば、色んな業界を渡り歩く中で得た、各方面の浅い知識と、浅い人間関係。

 それだけが俺の武器だった――いや、今はそれを武器にしなくてはならない。


 だが、さすがに役所は効率が悪い。

 その特性は十分に理解していたはずだが、しかし曲がりなりにもかつて自分が同業だった手前、遺憾ながら親近感があったのかも知れない。

 自分がかつていた役所にも一応顔を出したが、知っている人間はほとんどいない。

 もう7、8年になるか。それだけ経てば、大抵の職員はさすがに異動するだろう。


 乾いた心でテンプレ通りの営業をかけ、想定通りの受け答えをして、その庁舎を後にしようとした時だった。

 後ろから、思いもよらぬ人物が俺に声を掛けてきた。



「おー、誰かと思ったら、ピー君。ピー君じゃないか」


 振り返ると、俺がここに勤めていた時の上司――。

“先生”とグルになり、汚職まがいの事をして悠々と退職したはずの、爺さんがいた。

「――その呼び方はやめてください」
「ハッハッハ、水くさいことを言うな、元気にしていたかね?
 ん? 君はもうここの職員じゃないのか」

 その爺さんは、何かの契約のための印鑑証明を取りに来ていたらしい。

 近況を話しつつ、渋々差し出した俺の名刺を、彼はとても感心した様子で眺めていた。

「そうかー。確かにピー君には、我々の行った事で随分と面倒を掛けたようだね。あれはすまんかった」

 慣れ慣れしく俺の肩をポンポンと叩き、ワハハと笑ってみせる。ふざけやがって。


「ただ、そういう事であれば、私にも一肌脱がせてくれないかね? 営業先を探しているのだろう?」

 LIPPSファンだという彼が提示したのは、おそらく現役時代、彼がお世話になり、お世話したであろう業者の数々。

 そして、付き合いのある“先生”方の名前だった。

 俺が毛嫌いする人種ばかりだが、その中で気になるものが一つあった。


 俺が最初に勤めていた会社が、爺さんが挙げた業者の中に含まれていたのだ。


「先生方に会う時は、私も同席するよ。馴染みの店でないと、ヘソを曲げる人も多いからね」

 業者連中は気にしなくとも良いが、と付け加えて、彼はまた笑った。

 ――――。

 まさか、またここに来ることになるとは――。


 俺は――もう10年以上前になるのか――俺にとって最初の会社の、玄関前に立っていた。

 何も感慨が無いと言えば、さすがに嘘になる。


 いつの間にか新調されたエレベーターで上がり、かつての上司がいるというそのフロアへ向かう。


「――おーっ! 待ってたぞおい、ピー! 元気そうじゃねぇか、エェ、こっち来て座れや!」


 入って一年目の時、現場で青臭い俺を散々怒鳴りつけていた作業所長は、本部の重役になっていた。

 白髪の増えた頭を掻き上げ、しかしあの時と変わらないデカい声で、俺を見つけるなり手を振って呼びつける。


「そのあだ名は、勘弁してもらえませんか?」
「ガッハッハ、久しぶりに会ったってのになーに言ってんだお前は! エェ、腹の調子はいい加減マシになったのかよ、ピー!?」

「おかげさまで、はい」
「シマさんには挨拶行ったのか? あの人も寂しがってるからよぉ顔見せてやれよ、エェ!? ワッハッハ!」
「えぇ、はい」

 取り繕いながら、何となく古傷が痛むのを感じて、俺は知らず腹をさする。

 ピーというあだ名は、この人が付けたものだった。

 配属されて三ヶ月ほど経った頃、現場にてバーベキュー大会が催されたのだ。

 てっきり、車を出せる人ので数台乗り合わせて、どこかの河原か山で行うものとばかり思っていたが、全然違った。

 バーベキューは、現場で行われたのだ――工事現場の、普段はトラックの搬入経路として開かれているヤード内で。


 先輩と一緒に買い出しに出かけ、戻ってみると、既に会場がセットされていた。

 腰の高さほどに積まれた廃材のALC板が両端に添えられ、その上に一枚のデカい鋼板が置かれている。

 その周りに、おそらく椅子代わりであろう、逆さにしたU字側溝がグルリと配置されていた。

 鋼板の下には、木の廃材と新聞紙、木炭がたっぷりと放り込まれている。


 まさか、コレの上で焼くのか――?

「よーく洗っといたから心配すんな、ワハハ!」

 いや不衛生にもほどが無いっすか!? という俺の心の叫びは当然無視されて、宴会が始まった。


 訳が分からないまま、先輩方にお酌してまわり、余った肉を口に詰め込まれ、浴びるほど飲まされ――。


 漏らしてはいない。断じて、漏らしてなどいないが――。

 ケツと腹を押さえ、青い顔をしながら現場のトイレに駆け込んだ俺にあらぬウワサが付いた。


 ピーとは、すなわちそういうピーだった。断じて1ミリたりとも漏らしていないのに、だ。

 おまけに、役所に転職した直後、この人達が俺の新しい職場に冷やかしに来たものだから、そこでもあだ名が広まってしまった。


 ちなみに、さっき所長が言ったシマさんというのは、当時俺を可愛がってくれたベテランの職長だ。

 俺の悩みを度々居酒屋で聞いてくれたし、酒とタバコも彼から教わったようなものだった。

 言われるまでもなく、ここに来たからには挨拶に行かなきゃな、とは思っていた。


「しっかし驚いたなぁ、お前役人になったと思ったら今度は女の子達のえーと、何だっけ?」
「プロデューサーです」

「そうそう! はぁ~~女っ気の欠片も無かったお前がなぁ、さぞかし楽しいだろ毎日、なぁ? ワハハハ!」

 扇子を扇ぎながら、その人は豪快に笑う。

 俺は閉口した。彼が思うほど華やかな世界ではない事を、彼に知ってもらう必要も無いように思えた。


 LIPPSの事を話すと、所長――いや、統括部長殿は一層上機嫌になった。

「今年入ってきた若ぇヤツに、何か芸やれって言ったらよぉ、あの何だっけ? ピンクの、あーっと――そう、城ヶ崎美嘉!
 あれのよぉ、カリスマポーズってのか? それをキレキレにキメやがってよぉ、あー知ってる知ってる」

 他にも、社員の中には、速水さんの映画コラムや、塩見さんのラジオ、宮本さんのバラエティ番組での無双ぶりを楽しんでいる人が大勢いるらしい。
 一ノ瀬さんの曲の名前まで、部長の口から出たのには驚いた。

「当然、チケットくれんだよな?」
「えっ? あ、えぇとまぁ、あの――」
「ワッハッハ! 真に受けてんじゃねぇよマジメかお前は!
 今動いてる現場全てに貼っとくよう指示するよ、下請けで世話になってる業者にも言っとく。ポスター寄こせよ、大量にな」

 彼から口利きをしてもらえる業者のリストをもらった。膨大な数だ。

 これらに一件一件出向かなくてはならない。嬉しいという気持ちよりも、正直気が滅入る。


「ところでピー、お前今日空いてんだろ?」

 本来であれば、事務所に帰らなくてはならなかった。

 以前、役所で会った爺さんに紹介してもらった先生との約束が、明日にセッティングされていたのだ。

 対応を誤りたくはない厄介な相手なだけに、その準備はなるべく念入りに行っておきたかった。



 だが、結局俺はその人からの誘いを断りきれず、彼の部下大勢と居酒屋に来ている。

「何だお前、ピーお前、あんなトコにいりゃあ取り放題だろうがよ。これまで何人仕込んだんだ、エェ!?」

 彼女達には決して聞かせられない、下品な話がバンバン飛び交う。

 俺は「そっすねー」なんて、白けさせない程度にはぐらかす事に徹しなければならなかった。


「お待たせしました、ジンジャーエ――」

 若い男の店員が口を滑らせようとして、俺がギロリと睨む。

「あっと失礼しました、ジンジャーハイボールでーす、こちらですねー」

 今この場でバラしたらぶっ飛ばすぞてめぇ。

 とにかく、今日はできる限り酒を飲まず、早く事務所に帰らなくてはならない。

 かと言って、ウーロン茶しか頼まない俺をこの人達が許すはずが無い。

 なのであの店員には、先ほどトイレに行くフリをした際、こっそりお願いしている事がある。

 今後俺には、ジンジャーハイボールと称してジンジャーエールを持ってくるように。お代はハイボールの方で良いからと。

 若い頃、下戸の先輩を連れて合コンした際、先輩に見栄を張らせるために使った手を、俺自身が行使することになるとは。


「おうピーなんだお前、ハイボールだぁ? チャカついたモンばっか飲みやがって、飲めバカヤロウコノヤロウ!」

 すっかり出来上がった部長と、やはり重役らしいその部下の方々が、一升瓶を持って俺を囲んだ。

 俺の試みは、どうやら意味無かった。


 しかも、その後二次会に連れて行かれた。キン肉マンを3回も歌わされた。

 3回目はまともに歌えなかった。部長が俺にパロスペシャルを決めてくれたからだ。

 そこまでハマッた世代でもないから、ぶっちゃけ良く分かんねぇよ。くそ。


 最悪だ――全部奢ってもらえたけど、体力といい思考力といい、失ったものはでかい。

「――あれ?」

 フラフラになりながら事務室の扉を開けると、ちょうどアリさんが退社する所だった。

「お疲れ様です。ひょっとして、これから残業ですか?」
「うん、まぁ」

 コートを応接スペースのソファに放り投げ、バッグを隣のヤァさんのデスクに置き、俺は自分の席に腰を下ろした。

 ケツが椅子と同化したかのようだ。どうやらもう、立ち上がる事はできそうにない。


 アリさんは、心底グロッキーな俺を見てフッと笑い、羽織っていたコートを脱いでコーヒーを作ってくれた。

「申し訳ない」
「いえ、大変ですね。彼女達のために動いてくれているんでしょう?」

 それは分からない、と、俺は正直に答えたつもりだったが、アリさんは否定も肯定もせず黙って自分のコーヒーを啜った。


「アリさんこそ、こんな時間まで残業? 終電あったっけ?」

 時計はもう、明日の時刻になっている。

【12】

 (・)

   ――もっと、あの子達に、期待してあげてください。

   ――あの子達を、愛してあげてください。


   ――それだけで、きっとあの子達は、今以上に輝けるのだから。



 馬鹿を言うな。


 俺がした事を、忘れろと言いたいのか?

 過信や期待は、人を潰すんだ。もう、まっぴらだよ。



   ――ふふっ。それならどうして――。

   ――あなたは、そんなにも彼女達に尽くしたの?

「俺はな――」



 ――――。


 ――自分の寝言で目が覚めた。

 外が暗い。時間は――6時か、意外とちょうど良い時間だな。


 向かいのソファーを見ると、ヤァさんが毛布に包まり、豪快ないびきを掻いている。

 よせばいいのに、前祝い会をしましょうなどと彼が言い出したおかげで、俺もこの有様だ。

 アリさんとチビさんは、昨日は普通に帰った。何時まで飲んでたんだっけか。頭が痛い。


 1階のシャワー室へ行って――まだ替えのシャツ、あったよな?

 さすがに、ヒゲは剃っておこう。

 だが、目の下のクマは、どうにも誤魔化しようがない。


 ――いつぞや城ヶ崎さんに買わされた、このグラサンでもしていくか。無いよりはマシだろう。

 行きがけのコンビニで朝飯を買い、車の中で食べながら会場へと向かう。

 彼女達とは、現地で落ち合うことになっていた。

 普段は流れているのに、休日の国道は朝っぱらから悉く渋滞していて、何でこんな混んでいるんだとイライラさせられた。

 やがて、それが会場まで続くものだと知ると、渋滞の原因はまさに今日のフェスだったのかとようやく気づいた。


 だいぶ焦らされたが、誘導員にスタッフ専用の駐車場に案内され、どうにか予定時間ギリギリに現地に到着した。

 会場の外は、まだ設営中にも関わらず、物販目当てのお客さん達が大勢待機している。

 各事務所を代表するアイドル達が一同に会するビッグイベントだから、グッズもそれなりに価値ある物なのだろう。


 名札を見せ、専用口から会場に入り、楽屋を確認する。

 中に入ると、彼女達はもう既に来ていたようだが、荷物だけが置いてある。

 どこかで本番前の最終練習でもしているのだろうか。

 そう思っていると、入口のドアがガチャッと開き、速水さんが現れた。

「あら、おはようプロデューサー――ふふ、グラサン似合うわよ」

 少し驚いた様子で、彼女は俺を一瞥すると、自分の手荷物の所へ向かっていった。

 他の子達について聞くと、速水さんは携帯を弄りながら、どこか雑な仕草で指を差す。

「会場の裏にいるわ。皆で最後の通し練習」



 彼女に案内され、一応顔を出してみると、この寒空の下、Tシャツ一枚で皆が早くも軽い汗を流していた。

 分かってはいたが――一ノ瀬さんは、そこにいない。


 邪魔をするのも悪いと思ったので、軽い挨拶のみに済ませ、早々にその場を後にする。

 ステージリハがそろそろ始まる時間だった。

 元々、リハは希望制であり、サプライズを持ち味とする我がLIPPSはエントリーしていない。

 でも、会場の雰囲気を見ておきたい俺の足は、自然とそこへ向かっていった。

 (187)

 チッ、くそ野郎が。

 せっかくLIPPSをダシにして346の急進派を唆して、ようやく出し抜けると思っていたのによ。

 あと一歩の所で、余計な真似をしてくれやがって。
 そうか、やはりアイツが邪魔したんだな。


 ハハハ――何だ、イキがってグラサンなんかしてやがる。
 似合ってねーんだよバーカ。

 ネットでの書き込みもどういうワケか出来なくなったし、ウチのアイドルやプロデューサー共も懐柔されちまったが――。

 俺達が諦めたと思ったら、大間違いだぜ。



 既に会場には、俺達の“ジョーク”を仕込んである。
 ちょうど、LIPPSのステージでそれが起こるようにな。

 ククク、ざまぁみやがれ。
 この187プロを敵に回したことを、イヤってほどに後悔させてやる。

 おっと、携帯が――。


「兄貴、こっちは準備が出来ました」
「おうご苦労さん」

 どうやら、首尾良く手筈は進んでいる。


 照明を落としてやる――いつぞやの、おたくらのサマーフェスのようにではなく、物理的にな。

 怪我をさせるつもりまではねぇが――手元が狂っちまったら、そいつも保障できねぇなぁ? ヒヒヒッ。


 部下の報告を聞いて、満足して携帯をしまう。

 と、そこへ、誰かが俺の肩をトントンと叩いた。


 あぁん? 何だ今イイトコなんだから邪魔すん――。



 ――ッ!? えっ――?


「187プロの方、ですね?」

 振り返ると、俺の目の前には、いつの間にか男が二人立っていた。


 一人は、髪をオールバックにしてグラサンをかけ、黒シャツに青地のネクタイを締め、テカテカの黒いダブルスーツを来ているシックな男。

 もう一人は、角刈りで死ぬほど恐ろしい眼光、いかにもという傷が頬にあり、金糸のシャツの上から紫のスーツを粗雑に羽織ったノーネクタイの大男だ。

 共通して言える事は、二人とも、どう見てもカタギではない。


「おう、ニイちゃんよぉ。面白そうな事しとるそうやんけ、ワシらも混ぜてくれんかのぅ?」
 紫金糸の大男がポケットに手を突っ込み、グイッと上から俺を見下ろした。

「ひ、ひぇ――」
 何なんだコイツらは――いや、この人達は。
 およそアイドルのイベントにはこれっぽっちもそぐわないオーラを、これでもかと俺に向けている。

 声にならない声が俺の口から漏れ出た時、ふと俺の携帯が鳴った。


「あっ、あ――」

「構いません、どうぞお取りください」
 黒スーツが紳士的に俺に促す。

 その言葉に倣い、俺は努めて恐縮した姿勢を強調させながら、おそるおそる電話を取ると、モニターには本社の番号が映っていた。

『おい、お前今どこにいる!?』
「しゃ、社長!?」

 電話口の先は、てっきり俺の同僚か直上の上司かと思っていたから、俺の心臓はさらに飛び上がる。

『非常に恐ろしい事態になった。落ち着いて聞いてほしい。
 今日、お前のいる会場に、萩原組と、村上連合会の直系組織が乗り込んでくるらしいのだ』


「は、萩原組!? そ、し、しかも――村上連合会って、あの広島のですか!?」

 それぞれ東京、広島を本拠地に置く、裏社会の枢軸としてその名を轟かせる組織だ。
 な、何故そんな連中がこんなイベントなんかに――!?


 ふと、俺は目の前の男達を改めて観察した。

 見た目の迫力に気圧されたため、気づかなかったが――。
 黒スーツの襟には、クロスさせたシャベルの上に白金で縁取られた“萩”の字の白い紋章。

 そして、紫の大男の襟には、登り龍を象ったゴテゴテの仰々しい金縁のバッチ。


 この人達――まさに萩原組と村上連合会じゃねーかよぉぉ!!

「しゃ、社長、あの」
『いいか、絶対に連中と顔を合わせるな。
 鉢会うような事があれば、何をされるか分かったものではない。
 もし万が一、出くわしてしまったなら――』


 急に、社長の言葉が途切れてしまい、俺の不安はますます膨れあがる。
「しゃ、社長――?」

『その時は、その――適正に対処することだ、いいな』
「そ、そんな、ちょっと適正にって何――!」

 一方的に切られ、通話の終了を告げる無情な電子音が俺の耳にこだまする。


「おう、終わったんか? あぁ?」
 紫金糸が俺の様子を見て取り、高圧的な態度でもって俺の前に詰め寄った。

「お嬢のおる事務所が出るっちゅー晴れの舞台によぉ、なーんかキナくさいネズミがチョロチョロ走り回っとると聞いてなぁ?
 まさかそんな命知らずがおるとは、オヤジ殿も思っちょりゃせんが、万が一っちゅー事もあるでのぉ」


「ニイちゃん――舞台裏の照明装置、あの辺におった連中。あれ、ニイちゃんのお友達だって?」

「ふぇ――」

 ニッコリと笑って、紫金糸が、そのでっかい手でスマホを取り出し、画面を操作した。
「ほれ、見てみぃ」

 おそるおそる覗き込むと、そのテレビ通話画面には、先ほど報告してきた俺の部下が映り込んでいる。
 よく見ると、その後ろには、この紫金糸にそっくりな怖ーいお兄さん方が大勢取り囲んでいた。


「ち、違います! 俺は、じゃない、わ、私はこんな事をしようなんて――!」

「“こんな事”ぉ?」

 紫金糸が、目にも留まらぬ速さで俺の胸ぐらをガシッと掴み、グラグラと揺さぶる。
「何がこんな事じゃおどれコラ!! 泣いて謝って済む問題とちゃうぞ、おおっ!?」
「ひっ、ひぁっ!!? ちょ、ごめ、助け――!」


「こんな事、とあなたが仰る内容は、そこの画面にいる方から、既にお聞きしております」

 黒スーツの男が、紫金糸とは対照的に、ひどく丁寧な言葉で蕩々と語り出した。


「私共のお嬢が出演するステージに、直接影響がある訳では無い、とのお話でしたが――。
 とはいえ、お嬢の出るフェスです。いかなるミソが付く事も、我々として到底承服できるものではない」

「あっ――あ――?」

 コツコツと、ピカピカの革靴の底を鳴らし、黒スーツが俺に近づく。
 紫金糸は、俺の拘束を乱暴に解いて、黒スーツに俺を委ねたようだった。


「悪いことをしたら、謝らなければならない。
 照明装置を舞台の上に落とす事は、悪いことだ。
 人が怪我するかも知れないし、関係者にも迷惑がかかる。そうだね?」


 ニコッと一瞬だけ笑った後、黒スーツの男はグラサンを取った。

 異様としか言いようのない眼光だった。
 目の黒い部分が以上に小さく、最初何かの病気かと一瞬思ったが、そんな心配などしている余裕は無かった。

 黒スーツは、グラサンを胸ポケットにしまいながら首をゴキゴキと鳴らし、俺に顔を近づけた。


「なぁ、お兄さん――こういう時、どう落とし前を付けたらいいのか、あんたも大人なら分かるよなぁ?」


 あぁ、終わったな。
 俺はもう、五体満足で――生きてこの会場を出る事は無いのだなと悟った。

 あれかな、東京湾に沈められるのかな?


 膝から崩れ落ちそうになった俺を、紫金糸がにこやかに支えた。

 (・)

 会場は、国内外の著名な楽団や、様々なトップアーティストが好んで使うというだけの事はあった。

 3階席まである客席の数は4,000席を超え、グルリとステージを見下ろす格好となっている。

 形式こそオーソドックスな扇型のプロセニアムステージではあるが、広さも客席の数も天井の高さも、規模はこれまでに見たものの比ではない。


 数組しか予定されていなかったリハは、着く頃には既に終わっていた。

 慌ただしくステージの上で準備を進めるスタッフに紛れて、俺は素知らぬ顔でその中央に立ってみた。

 ステージは一方向にのみ開けているにも関わらず、客席があまりに広すぎて、視界にはその半分ほども収まらない。

 どっちを向いてパフォーマーは観客を楽しませれば良いのか、俺には見当もつかず、目眩がする。

 試しに何となく、手を大きく一度、叩いてみた。


 パァンッ! という乾いた音が、叩いた後もしばらく会場中に響き渡る。

 規模にもよるが、こういうステージは、残響時間は2秒ほどが最適だという話を記憶している。

 俺の叩いた音は、感覚的には、3秒ほど経ってもまだ響いていたように思えた。

 スタッフの人達が一瞬俺の方を向いて、また作業に戻った。

 偉そうな態度かつ我知り顔で、堂々と手を叩いてみせたグラサン姿の俺を、たぶんどこぞの敏腕芸能関係者だと勘違いした人もいたかも知れない。

 本当は、うだつの上がらない一介のアイドルプロデューサーに過ぎないのに。

 そう考えると、彼らの事が何となく滑稽に思え、知らず笑みがこみ上げてくる。


「おや、これは」


 ふと、俺の横で声が聞こえたので、振り向くと、思わぬ人物がいた。

「あの時会った青年が、随分とたくましくなったものですな」


「高木社長」

 グラサンを取り、反射的に深々と頭を下げた俺を、765プロの高木社長は笑って労った。

「いやいや、そんな畏まらなくても――しかし、この会場で再開することになるとは」

>>640
誤字
最下段 “再開” → 再会

 ウンウンと、満足げに何度も頷き、高木社長はなぜか、どこか誇らしげに俺を見つめた。

「やはり、私の目に狂いは無かったようだ。キミは、プロデューサーとして立派に、担当アイドルを導いたのだな」

「滅相もありません」

 俺は首を振った。
「たまたま私は、私のアイドルに連れられ、ここに来ただけです。実際、最初に担当したアイドルは――」

「高木社長っ!」


 話の途中で、また声がしたなと思うと、舞台袖の方から一人の青年が走り寄って来た。

「ここにいらっしゃいましたか。先ほど、346プロの美城常務、今西部長らが会場にお見えに――あっ!」

 彼の事は覚えている。765プロの、新人プロデューサーだ。


「346プロの、LIPPSのプロデューサーさんだ。以前、少し面識があってね」

「そうでしたか、社長も――。
 あの、またお会いできて光栄です。俺の、じゃなかった、私の事、覚えてくれていますか?」
「えぇ、もちろんです」

 元気が良いだけの軽い男だと思っていたが、今の彼からは、それなりに苦楽を経験してきた者の確かな厚みを感じる。

「LIPPSと一緒に戦える事を、私だけでなく、ウチのアイドル達もすごく楽しみにしているんです。
 あいつらは、あの高垣楓さんを破ったLIPPSを、ある種の目標としてこれまで頑張ってきましたから」

 そう言って彼は、彼や彼のアイドル達が、いかにLIPPSの一人一人に魅力を見出しているのかを熱く語った。

 他社のアイドルなのに、すごい熱意だと思う。いっそ彼が担当になれば良いのにとも。


「それでは、私はこの辺で失礼するよ」

 話が長くなりそうだったので、内心辟易したのだろう。

 ちょうど良い頃合いを見計らい、高木社長は踵を返し、ホールへ向かう劇場のメインエントランスへと歩き出す。

「後でキミに会わせたい子がいる。如月千早という子だ。会ったらきっと分かると思うよ」


 ――俺に向けて言った言葉だと、一瞬分からなかったので、俺は返事をし損ねてしまった。

「千早に? ――お知り合い、ということでしたら、後でご紹介しますね」

 彼も社長の真意は分かりかねたらしく、少し首を捻ったが気を取り直し、彼はなおも俺に向けてその熱い想いを語った。

「ですから、俺もあいつらも、今日は全力でぶつからせていただきます。
 だから、あなた方も全力でお相手してください。そうでなきゃ、ここまで上がってきた甲斐が無いんです。
 ここでしか味わえない経験を、どうか俺達にさせてください」

 そう言って、彼は手を差し出した。

 俺は返答に困った。

 なぜなら、俺が見てきた限り、ウチのLIPPSは練度の低い『Tulip』を披露する事になるのだ。

 今の彼の期待に応えられるものかは、保障できかねる。

 第一、今日のために他の事務所は新曲を用意して臨んできている中、ウチのは散々使い古してきた曲であり、新鮮味など皆無だ。


「買い被る必要は、ありません」
「えっ?」

 せっかくの彼のテンションを萎えさせないよう、注意して言葉を選び、俺は彼に答えた。


「ステージに立つ前から、格や優劣が決まっている訳ではありません。
 それに、私共のアイドルは、ユニットとしてまだまだ未成熟です。
 こちらこそ、今日は大いに勉強させていただきたい」

 そう言って、俺は彼の差し出した手を握り返した。

「お互いの健闘を祈ります」


「――ありがとうございます。こちらこそ」

 俺の目を真っ直ぐ見ながら、改めて彼は強い決意をその顔に滲ませている。

 真に受けんなよ。大丈夫かよ。

 固い握手を交わした後、俺は彼に案内され、ロビーにいるという765プロのアイドル達を見に行った。


 そこはさながら社交界の様相を呈しており、一般人はシャットアウトされているとはいえ、すごい人だかりだった。

 そこかしこで名刺交換が行われるほか、アイドル同士も銘々に世間話をしたり携帯の番号を交換し合ったりで、交流を深めているようだ。


「う、うわぁ――」

 彼も、初めてだろうから仕方が無いのだが、このような状況は想定外で、明らかに面食らっていた。

 自分も名刺交換に繰り出すべきだったと、スタートに出遅れた事を後悔していたのかも知れない。

 劇場外の通路の手すりから、吹抜けの階下にて繰り広げられる社交界の様子を見下ろし、しばらく呆然と立ち尽くしたのち、彼は正気を取り戻し、指を差した。

「あ、あそこ。彼女が、如月千早です。あの青い髪の子」

 俺は、注意深く彼の指が差す方向を確認し、その先へ正確に目を凝らした。


 青い髪というのは、この人だかりにあってそれなりに判別しやすかった。

 あの、赤いリボンをした子――天海春香さんといったか。

「あのリボンの子の、隣の子ですか?」
「えぇ」


 ――なるほどなと思った。

 随分と成長していたので驚いたが、あの社長の言葉から察するに、何年か前、あの合唱発表会で会った子に間違いないだろう。

 あの時は、とても暗く固い顔をしていたが、今の彼女は、まるで別人のように柔らかな表情をたたえている。

 良い友達に巡り会えたのだろうなと思う。


「会って行かれますか?」

 彼が提案してくれたが、俺は断った。

 せっかく楽しそうに話しているから、邪魔するのも悪い。

 彼自身も、いち早く挨拶に行きたい人がいるようで、ウズウズしている様子だった。

「私も、ちょっと、ご挨拶しておきたい人がいるもので」

「あっ、そうでしたか。それじゃあ、一旦ここで。またお会いしましょう!」

 慌ただしく俺に一礼すると、彼はサッと階下へ走り出していった。


 熱心な事だと、心から思う。

 無論、挨拶しておきたい人がいるなどというのは、嘘である。

 俺はせいぜい、ここから人々の様子を見下ろし、それを観察しているので十分だった。



 あれ? 宮本さんがいる。

 765陣営と思われる金髪の子と、何やら親しげに話しているようだった。

 誰とでもフレンドリーに接する子ではあるが、明らかに面識があるようで、相手の子もすごく楽しそうだ。


 あっちには、塩見さんと城ヶ崎さんが――あれは、187プロではなかったか?

 敵とも称していいはずの子達と、普通にお喋りをしているように見えるが、嫌味でも言い合っているのか?

 だが、彼女達の表情を見る限りでは、刺々しい会話をしているようにはとても思えない。

 友達同士の世間話のそれそのものだ。

 速水さんは、どこだろうな――お、いたいた。

 相手は――おいおい、あれって確か、武田さんっていうめちゃくちゃ偉い音楽プロデューサーじゃなかったか?

 さすがに俺も一緒に付いた方が良いだろうか。

 いや――あれだけの大物を相手に、速水さんはあんなに堂々と会話できている。

 大したもんだ。この大舞台に立とうというだけの事はある。彼女をリーダーにしたのは正解だった。


 ふと、視線を外すと、明らかに周囲と異質の空間が見える。

 護衛と思われる黒服の男達に囲まれ、白いスーツでキメている男と、仰々しい和装姿の老人が向かい合っていた。

 ここからでは良く見えないが、彼らの服の襟元には、白とか、金縁のバッジが見えている。

 およそアイドルのステージには似つかわしくない関係者だ。ヤクザでもやっていた方がよほどしっくり来る。


「あ、あのぅ」

 階下の喧噪にかき消されそうな声が、後ろから聞こえた。

 気のせいかと思えたが、振り向くと――187プロの、プロデューサーか。

 何しに俺に声を掛けてきやがった。また何か企んで――。


 ――? こんなに老け込んでたっけ?

 この間会った時より、頭髪も明らかに減っており、頬もゲッソリとこけている。

「きょ、今日は、お日柄も良く――あ、あの、お元気そうで」

 何とか笑顔を作ろうとしているその表情には、覇気どころか生気が感じられない。


 怖い上司から、こっぴどく怒られたりでもしたのだろうか?

 分かるよ。所詮、俺達はサラリーマンだし、組織の中で働く以上、そういうストレスは憑きものだ。

「あ、ぐ、グラサン――とてもよくお似合いで。えへ、えへへ」

 馬鹿にしてんのか。グッと拳を握りしめる。

 結局、あー、とか、うー、とか、要領の得ない言葉ばかり繰り返した後、そいつはその場をフラフラと去って行った。

 何がしたかったんだ、あの野郎。俺をイライラさせるのが目的か?

 これだけで、187プロの報復が終わるとは思えない。気を引き締めるべきだ。


 そう思っていたが、しばらくして美城常務と会った際、彼女の口から発せられたのは、意外な一言だった。

「187プロの事は、もう心配は要らない。既に手を打ってある。
 予期せぬアクシデントが起こる事は無いだろう」


 俺は、常務の言葉を信じる気にはなれなかった。

 現に俺は今、奴らからの――まぁ取るに足らない嫌がらせレベルではあったが――先制攻撃を受けたばかりなのだ。

 第一、組織のトップが、そんな楽観的な見解を軽はずみに口にするべきではない。

「その筋の組織に協力を求めてある。彼らが仕事を誤る事は無い」

 だが、常務は依然としてその見解を崩す事は無さそうだった。

「その筋の組織というのは、どのような人達なのですか?」
「君が知る必要は無い。君の仕事は、LIPPSのステージを成功へと導くことだ」

 俺が尋ねても、まるでとりつく島も無い。

 まぁ、美城さんがそこまで言い切るのなら、俺も反論する理由など無いが――。

 知らぬが仏というか――確かに、知らなくて良い情報なら、敢えて聞くことも無いか。


 隣にいた今西部長から激励の言葉をもらい、その隣の課長から小言を言われ、彼らと別れた。

 ホールの様子を見ると、まだ社交界は続いている。今のうちに昼飯を食いに行こう。



 会場内に併設されているレストランは案の定高いし、外の屋台も人が多すぎてウンザリする。

 この分だと、周囲の飲食店も激混みかとも思ったが、適当に検索して見つけた蕎麦屋に足を運ぶ。

 店内に入るとガラガラで、失敗したなと後悔した。


 だが、そうだな――思えば今日は、勝負の時だ。

 チビさんに倣って、俺も戯れに験を担いでみるとしよう。店の親父に声を掛ける。



「すみません。カツ丼セットみたいなものがあれば、それの大盛りをください」

 俺は激しく後悔した。

 何を勘違いしたのか、親父はカツ丼の大盛りと、せいろの大盛りを別々に持ってきたのだ。

 しかも料金はしっかり二つ分取られるという始末。

 何とか完食したが、腹の中でカツ丼の油を吸った蕎麦が大蛇のように暴れ狂っている。

 会場に戻ったら、速攻でウンコに行かなくてはならない。二度と行くかあんな店。

 この先二度とこの会場に来ることも無いだろうが。


 ようやく会場が見えてきた。トイレはどこだったっけ?

 どうやらマジでヤバイ。ヤバイ――!

 焦りながらキョロキョロと辺りを見回していた俺の目が、とある一点に留まった。



 そこには高垣さんと、服部さんが立っていた。

 二人とも、俺の方を見てどこか微笑んでいるように見える。

 立ち尽くす俺に向かって、服部さんは、その場で会釈をした。

 俺も、軽く頭を下げた。

 何と言って声をかけるべきか、かけざるべきか迷っているうちに、彼女はやはりその場で、控えめに手を振った。

 俺も、手を振った。これではオウムだと、心の中で一人ごちる。



 彼女に以前、何か言われていた事があったような気がしてならない。

 そう――今日見た夢に、彼女が出ていたらしい事を唐突に思い出した。

 彼女は俺に、何を言っていたんだったか――。



 何の言葉のやり取りも無い、その挨拶だけで彼女は満足したらしく、もう一度お辞儀した後、高垣さんと一緒に会場へと歩いて行く。


 俺はしばらくその後ろ姿を見つめていたが、やがて腹の調子に気づくと、早歩きで彼女達とは別の入り口へと向かった。

 トイレから出ると、一般客の入場門も開放したらしく、会場のホールにはさらに大勢の人でごった返した。

 これは敵わないと思い、足早にそこを立ち去ろうとしたが、元職場の部長に呼び止められてしまった。

 見ると、どうやら傘下の会社連中にまで声を掛け、連れて来れるだけ連れて来たらしい。

 中には、サマーフェスで世話になった業者のおっさん達もいて、思わず声を上げてしまった。

 しかも館長やそのお仲間、役所の爺さん、先生まで――おいおい、節操の無いメンツだな。


 頭が地面にくっつくのではないかと思わせるくらい、サマーフェスの業者さんはペコペコと恐縮そうに俺に頭を下げる。

 俺に恥を掻かすわけには行かないとか、よく分からない事を言っているが、こんなに大騒ぎしている時点で正直ありがた迷惑だ。

 そんな俺達の様子を見て、部長は大いに愉快そうな声を張り上げて笑いまくった。

 色んな人に囲まれて、誰に対してどんな顔をすれば良いのか分からない。あちこち振り向きまくって首が痛い。


 肩やら背中やらケツやらをバンバン叩かれ、ようやく解放されたのは30分ほどしてからで、結構時間がタイトになってきた。

 早々にアリさん達と落ち合い、今日の段取りについて改めて念入りに最終確認をする。

 衣装も先ほどようやく着いたとの連絡が入った。

 LIPPSの出番は、最後から二番目との事だった。

 出番前の待機場所、ステージ入りする方法、持ち時間、捌ける方向等について担当スタッフから説明を受ける。

 事前に打ち合わせた内容と変更点が無い事を確認して、俺は了承した。


 現在、午後2時。本番までは、まだ1時間以上あった。

 もっとも、イベントは二部構成であり、第一部はエントリーした各所のアイドル達の紹介映像が2時間延々と流れるだけである。

 実際に彼女達がステージに立つのは第二部からであり、それから優勝セレモニーがあるのだから、結構長い間拘束される。

 今のうちに、煙を吸っておく必要があることに気づき、俺は喫煙スペースを探した。


 いや――屋内だとまた誰かに鉢会う可能性がある。外がいい。



 たどり着いた先は、メインエントランスの真裏にある、うすら寂しい二階の勝手口だった。

 荷捌きトラックが時折通過するのが、階下に見える。

 誰も通らない通路の手すりにもたれかかり、ようやくタバコに火を付けた。

 遠くに見える高層ビル群とその手前の公園の木々をボーッと眺めながら、煙をブハーッと無遠慮に吐く。

 あまり調子に乗って勢いよく吸い過ぎたので、少しむせてしまった。

 はぁ――。


 そういや、彼女達はどうしているかな。

 まだ、練習しているのだろうか。あまり根を詰めすぎるのもなぁ――。



「プロデューサー」


 ドキッとして振り返ると、噂をすれば影だ。



「担当のくせに、私達に声をかけに来てくれないなんて、つれないにも程があるんじゃないかしら?」

「あぁ――ちょうど今、行こうかなと思ってた」
「いやいや、蕎麦屋の出前じゃないんだから」

 ケラケラと、塩見さんがからかうように笑う。

 見ると、彼女達は既にステージ衣装に着替えていて、上にガウンを羽織っていた。

「寒くないか? 出番までまだ時間はあるんだし、もう少しゆっくり」
「そ、寒いから早く済ませて」
「えっ?」

 塩見さんは、肩をすくめてみせた。
「本番前のアイドルに対して、担当プロデューサーとして何か言うべき言葉の一つや二つ、あるでしょうよ?」


 塩見さんの言葉に、隣の速水さんも、城ヶ崎さんも頷いた。

 城ヶ崎さんは――どこか、表情が固いようだ。
 百戦錬磨と言っていい彼女のキャリアでも、こういう大舞台はやはり緊張するのだろうか。


 言うべき言葉、か――。

「まさか、何も考えて来なかったの?」

 呆れるように、速水さんは俺の顔を覗き込む。

 俺は首肯する代わりに、タバコを吸った。

「何も、気の利いた説教を聞きたいワケじゃないよ」

 城ヶ崎さんが声をかけた。

 いつか、俺が彼女に言った言葉に似ている――言う人間が違うだけで、こんなにも優しく聞こえるものなんだな。

「ただ、聞きたいだけ。プロデューサーの言葉を、声を――ねぇ、お願い」


 俺は、宮本さんにチラッと目を向けた。

 彼女は、いつも通りの笑顔で、何も言わずその場に立ち、俺を見守っている。


「――生憎だけど、何も言うことは無いんだよな」

 俺は苦笑しながらかぶりを振り、タバコを吸った。

 そうさ、ここまで来て、今さら彼女達に何かを言った所で、何になるというのか。


 そう――。



「俺は君達に、何も期待をしない」

 煙を吐きながら、俺はチラッと彼女達の顔色を伺った。

 特に速水さんは、またヘソを曲げるかと思ったが――どうやら、今日の彼女は冷静だ。

 それに、城ヶ崎さんも――彼女は、どこか感情を抑えるようにして、唇をキュッとつぐんでいる。

 塩見さんは、いつも通りニヤニヤ顔を絶やさず、宮本さんは前髪を弄るのに夢中で、俺の話を聞く気があるのかさえ疑わしい。

 まぁ、いいや。構うもんか。


「君達は、明日はどうするんだ?」

 携帯灰皿に灰を落とし、俺は続ける。


「俺はさ――最近忙しくて、切る暇無かったから、明日の休みで、予約していた美容院へ、髪を切りに行こうと思う」

「その後は、近所でちょっと豪勢なランチでも食いに行って、ツタヤで映画を何本か借りて――。
 帰って、一通り家の掃除を済ませたら、ビールでも飲みながらグダグダしてようかなって」


「んーと、つまり――その」


「今日が全てじゃない、って事を言いたい――アイドルでいる時が、君達の全てではないんだ」

「むしろ、そう。アイドルでいる間より、アイドルを辞めた後の人生の方が、遙かに長いんだ」

「アイドルを引退した後、君達は、もしかしたら誰かのお嫁さんになっているかも知れないし、どこかのOLになっているかもしれない。
 あるいは、芸能関係者になっているか、まかり間違ってプロデューサーになるのか」

「いずれにせよ、アイドルとしての名声は、君達は十分に得た。
 LIPPSを知らないアイドルファンはもうどこにもいない」

「醒めない夢は無いんだ。
 ここで満足せず、下手に今以上を求めてしまったら、それを達成できない苦しみがきっと来る。だから」

「ここで、最後にしよう」


「心配するな。今すぐアイドルを辞めろとまでは言わないよ」

「ただ、現状を見つめて、細く長く生きていく方がずっと幸せでいられる。今のままでいいんだ」

「既に皆が今の君達を愛している。皆が今の君達を認めている」

「苦しみながら、走り続ける必要なんてどこにも無い。君達は、もう十分に――」



「君達は――――」

「――――」



 タバコの灰が、ポトリと靴の上に落ちて、慌てて蹴っ飛ばした。

「すまない――何を偉そうに、こんな事説教してんだろうな、俺」


 すっかり短くなったタバコを未練がましく最後に吸って、俺はそれを携帯灰皿にしまった。

「終わったら、どこか美味い飯でも食いに行こう。
 さっき調べたら、駅前に評判の高級焼肉店があるそうだ。
 もちろん、俺の奢りだ。終わったらさっさと抜けて、パーッと腹一杯食って、なっ? 楽しみだろ?」



 ――同意を求めたが、彼女達はしばらく無反応だった。

「あ、あれ?」


 やがて、塩見さんが腹を抱え、クックックと堪えきれない笑いを吐き出した。


「何も言うことは無い、なんて、よくもそんな嘘を平然と言えんなー、この人ったら。
 早く済ませろっつったのに、一体いつ終わるんやろって思ったわ」

「えっ、あ――」

 グスッ、と鼻を啜る音がしたので、ふと見ると、なぜか城ヶ崎さんが目に涙を溜めていた。


「お、おい、城ヶ崎さん」

 まさか、今の話で?

 どういう事だ。今の俺の話の、どこに泣く要素があったのかがまるで分からず、狼狽する。

「あーあー、美嘉ちゃんそうね、泣いちゃうよねー。
 ごめんプロデューサーさん、美嘉ちゃんってば何か感情が昂ぶっちゃうとこうしてワカランチンになるんよねー」

 そう言って、塩見さんが城ヶ崎さんの背中をさすると、それを皮切りにとうとう城ヶ崎さんが泣いてしまった。

 悲しかったり、悔しくて流す涙ではなく、安堵のそれのようにも思えた。

「ミカちゃんミカちゃん、フレちゃんの鼻セレブ使って? お鼻チンしよ、お鼻チーン♪」

 すかさず宮本さんが彼女にティッシュを差し出すと、城ヶ崎さんはそれを取り、鼻をかむ。


「グスッ――ありがと、周子ちゃんフレちゃん」

 ようやく落ち着きを取り戻した城ヶ崎さんは、目尻に溜まった涙を指で拭う。

「もう、せっかく時間かけてメイクキメたのに、またやり直しじゃん」

 呆れるように笑いながら彼女は言うが、呆れてるのはこっちだ。俺のせいかよ。

「でも――ありがとう、プロデューサー。本番前に、プロデューサーの話聞けて、ホントに良かった」

 彼女達にとっては、ネガティブな事しか言えてなかった気がするけど、喜んでもらえたのなら何より――。

「それと、後で説教だね」

 ――ん?


「未だにアタシ達に、やれ夢を見るのはやめろとか、アイドルを辞めた後の幸せがとか、お門違いにも程があるよ。
 それがプロデューサーなりの優しさなのは知ってるけど、アタシ達はまだ半分も満足できちゃいないんだから★ ね、奏ちゃん?」

「えぇ、美嘉の言う通りよ」


 速水さんは組んでいた腕を解き、片方の握り拳を口元に寄せ、忍ぶように笑った。

「いかに自分がおかしな事を言っているのか、それを分からせてあげる必要が、あなたにはあるようね」

「おかしな事を、か――」

 否定も肯定もしないが、俺には君達にこう言うより他に仕方が無い。

 言っても無駄か――確かに、夢に燃える10代の女の子達に、消化試合しか残されていないおっさんの説教など、ナンセンスかもな。

 今は分かり合えないが、いつか君達にも分かってもらえる日が来るだろうか。


「ところで、プロデューサーさん」

 唐突に、塩見さんが俺に歩み寄ってきた。

「何かさ、さっきステージ裏の通路でこんなの拾ったんだけど?」

 彼女が見せたのは、一枚のCDだった。それは――。


 おいおい。これ、今日本番で使うLIPPSの『Tulip』の音源じゃないか。

「音源室っていうの? そこの部屋から盗まれたんかな?」

 そう言いかけて、ハッと塩見さんが口元を手で押さえる。


「まさか、こんな事をするのって――」

 塩見さんのお察しの通り、187プロの仕業と見て間違いないだろう。

 常務め、何が心配は要らないだ。危うくステージが台無しになるところだ。だから言ったのに――。

「ありがとう。俺が責任持ってスタッフに渡しておくよ」

 CDを受け取る俺は、187プロよりも、どちらかというと我が社の危機意識の低さに怒りを覚えていた。

 まぁ、もう一度チェックするタイミングはあったので、どちらにせよ気づいたとは思うが。


 それにしても、本当、こういう狡い真似ばかりするんだな、187プロというのは。

 やはり、油断は禁物だ。今後も何が起こるか分かったものでは無い。


 だが、渡されたこのCDに、妙な違和感があるのは何故だろう?

 表紙の筆跡は速水さんによるもので、それは別に変わりないはずだが――何かが違うような――。


「じゃあ、あたし達はこの辺でね」

 訝しげにそれを見つめる俺に塩見さんが声をかけ、俺はようやく顔を上げた。

「あ、あぁ――あ、最後に」

 そういえば、一つ言い忘れていた事があったのを思い出した。

 皆がはたと立ち止まり、俺を見つめる。


「怪我だけはするなよ。くれぐれも無茶はするな。それが、俺が君達に望む唯一の事だ」


 速水さんは、それを聞いてクスッと笑い、手を振った。

「善処するわ」

 俺は、特に君に言ったつもりだったんだがな――いや、それを理解した上での返答か。



 今まで彼女達を蔑ろにしてきた俺に、どれだけその筋合いがあるのかは分からない。

 だが――彼女達が去っていった勝手口のドアを見つめながら、俺は、無事に終わる事を祈るしかなかった。

 舞台裏に行き、スタッフに事情を説明すると、やはりLIPPSのCDだけが紛失していたらしい。

 平身低頭して謝るスタッフをなだめ、不審者にくれぐれも気をつけるよう依頼をして、俺は会場に向かった。


 予めアリさんと相談し、本番の第一部では俺が会場に、彼が楽屋で彼女達の御守をする事になっていた。

 延々と映像を観させられるなど退屈でしかないが、その間彼女達のご機嫌取りをしているのも、想像するだけで冷や汗が出る。

 これも仕事だと割り切り、イベントの経過を見守る意志を固め、俺は会場の立ち見席に着いた。


 観てみると、意外とそれはそれで楽しめるものではあった。

 何せ各事務所のエース級アイドルが集まる祭典だから、デモ映像も大方プロフェッショナルな内容だろうと思いきや、俺みたいな素人でも十分親しめる内容だった。

 出演アイドルについて、その事務所の沿革から、各々のプロフィール、練習風景、過去のライブ映像、さらには個別のインタビューまである。

 研修の一環として、新人のプロデューサーなりアイドルにこれを見せても良いのでは、という気さえする。



 あれ――そういえば、俺この映像チェックしてたっけ? してないな。

 どんな映像なんだ――さすがに、アリさん内容チェックしてくれてるんだよな?

 大丈夫だよな――?

 346プロのターンになった。

 さすが最大手だけあり、事務所の規模は、先ほどまで紹介された他社とは頭二つ以上違う。

 そんな事はどうでも良い。問題は――お、アイドル紹介だ。


 ふむ――携帯でコッソリ、我が社のHPをチェックしながら映像と見比べる。

 プロフィールはHPに掲載されている内容の通りだな。当然、改ざん等も無し。

 こうして見ると、やはり城ヶ崎さんのバスト80は無理があるか。


 ――4人分だけでプロフィール紹介が終わり、シーンが切り替わると、会場がどよめいた。

 やはり、一ノ瀬さんが出演するかどうかは、今日の観客にとってもそれなりに関心事だったらしい。

 346プロが用意したその後の映像にも、一ノ瀬さんが映っているシーンは周到に軒並みカットされていた。


 そして、さぁ来た――インタビューだ。

 どうやら、俺が謹慎明けてから外回りをしていた時期に、レッスン室で各々撮られたものらしい。

 これまで流れた他事務所のアイドル達が実に品行方正だっただけに、ウチのが心配で仕方が無い。

 最初は、塩見さんか――彼女は心配無いだろう。どうせ内容の薄い事しか話さない。

 ほら。彼女は意外と保守派で、必要以上の事はしないものだ。

 次は、城ヶ崎さんか――あぁ、彼女も問題無さそうだ。愛嬌も良いし、さすがにソツが無い。

 ――いや。

『あと――今日は志希ちゃんのためにも、アタシ達は必ず勝ちます。
 あのコの想いも、アタシ達は一緒に連れて、あのコが感じられるステージにしたいなって、思うんです』

 またしても会場がどよめく――一ノ瀬さんの事を話すのは、やや冒険しすぎではなかったか。

 芸歴が長い彼女なら、事務所が隠匿しようとしている子に言及する事の重みも、よく理解しているはずだ。

 そこまで彼女の事を想っていたのかと、改めて思い知らされる。


 で、宮本さんか――最も危ない子だ。

 流れている間、何度も会場で笑いが起こる。

『そうなんです! この間たこ焼きパーティーやったらミカちゃんがボンバーしちゃって☆』

 話の内容は、ともすればスキャンダル一歩手前のものもある。

 お客さんに喜んでもらえるのはありがたいが、監督者としては冷や汗ものである。


 そして最後に、リーダーの速水さん――良かった。普通だ。

 まるで映画のコメンテーターのような、やや客観的すぎる受け答えではあるが、シメとしては十分だろう。

 346の番が終わり、次の事務所に映像が移ったのを見て、俺は思わず深いため息を漏らした。

 心臓に悪い――まだ出番でもないうちからこれでは、本番のステージではどうなる事か知れない。


 第一部と第二部の間に休憩を挟むので、もう一度煙を吸っておくとしよう。

 短いようで長い第一部が終わり、客席が明るくなったのを確認してから、俺は喫煙所に向かおうとした。


「すみません」

 その俺を呼び止めたのは、アリさんだった。


「ちょっと、困った事になりまして――」

「舞台袖に一人しか立ち会えない?」

 唐突な説明に、思わず大きくなった俺の声が舞台裏に響いた。

「事前に申請いただいた方のみ、本番中の舞台袖での待機をご案内しておりますが―一。
 原則はご担当のプロデューサーさんをはじめ、監督者の方は一名のみとさせていただいておりましてぇ」

「今回は、私が担当プロデューサーとしてこちらに来ているのですが」

 要領を得ない、融通の利かなそうなスタッフに対し、俺は苛立ちを隠せない。


「それがですね」

 アリさんが、バツが悪そうに頬を掻き、俺とスタッフの間に割って入った。

「申請の際、どうも手違いがあったようで、私が担当プロデューサーとして扱われたみたいなんです」

 どうやら、346側のチョンボらしい。そんな事か、と思った。


「これはお願いなのですが、彼の他に、私の立ち会いをお許しいただく事はできませんか?」

「うーーん――一応、他の事務所さんにも平等にご案内している事ですしぃ」

 スタッフが、困った様子で頭を掻く。どうやら望みは薄そうだ。

 頭かてぇな、お役所かよ。

「仕方がありませんよ、セキュリティ上の問題もあるようですし」

 しつこく食い下がろうとする俺をなだめるように、アリさんが手を振った。

「現に、先ほど我々LIPPSの音源CDが紛失したという事件もありました。
 裏方の関係者を極力絞るというのは、不正を未然に防ぐ上では適正な措置とも言えます」


 確かに、彼らからしてみれば、俺も容疑者の一人にはなり得るという事か。

 だが、俺には一応、この場を預かる身として、彼女達を守る義務がある。

 証拠こそ無いが、187プロによるものと思しき犯行を目の当たりにして、その場にいられないというのは、気持ちの良い話ではない。

「まぁ、不本意なのは分かりますが、こうなった以上、僕に任せていただけないでしょうか?」

 俺の意を汲んでくれたらしいアリさんが、気を配りつつ俺に同意を求めた。

「――どうにもならないというのなら、私もこれ以上何も言いません。ですが、私はどうすれば」


「あっ、どうも、失礼します!」

 元気良くその場に入ってきたのは、チビさんだ。


「あの、先ほどアリさんから聞いたんですけど、俺、客席のチケット二つ持ってるんです。
 抽選で、同期と一緒に申し込んでたヤツがそのまま通っちゃって、でもソイツ今日来れないから」

「私が、その余った客席に?」

 つまり、一般客に紛れて観てろってことか?

「良いんじゃないですか? こう言ってはなんですが、他にどうしようも無いんですし。
 関係者席はお偉方で埋まってますし、仮にそこが空いてたとして、そっちへ行きたくもないでしょう?」

 ――立ち見席も満員だったしな。せっかくの申出でもある。

 アリさんの言う通り、ここはお言葉に甘えて、観客側から舞台を見守るというのが、俺が出来る唯一の事のようだ。


「了解しました――チビさん、チケットを一枚、もらってもいい?」

「あ、はいもちろん――っと、違った。こっちですね、はいっ」

 別にどっちでも良いのに。チビさんに何かこだわりがあるのだろうか?


 まぁ、タダで――いや、業務で来ているのだから、今日の俺にはむしろ給料が発生している。

 金をもらってアイドルのライブを観れるというのは、一種の役得だと思えば良いか。

 もちろん、187プロへの警戒は怠らずに、だが。

 客席に行って自分の席を見つけた瞬間、俺は恣意的な何かを強く悟った。


「――おっと、こりゃ失敬。あっためておきましたぜ」

 俺の席で、我知り顔で隣の人と談笑していたヤァさんが、俺の姿を認めてやおら席を立つ。


「――あっ」

 そして、彼がどいた先、俺の隣にいたのは服部さんだった。


 そのさらに隣を見ると、高垣さんが手を振っている。

「奇遇ですね」

 何が奇遇なものか。絶対これ、皆で仕組んだなと確信した。

 そして、今の高垣さんの一言から察するに、彼女も仕掛け人の一人だったようだ。


「じゃあ俺、チビ太と立ち見席に行ってまスんで、ごゆっくり」

 ごゆっくりじゃねぇよ。何考えてんだ。

「――座ったら?」

 服部さんに促され、俺は渋々その席に腰を下ろした。


 ――あ、後ろの方、ニュージェネの子達が手を振っている。

 ていうか、シンデレラプロジェクト総出か。よく見たらクマさんもいた。


 彼には大きな借りが出来てしまった。今回の件で、人一倍熱心に営業活動を手伝ってくれたのだ。

 年明け以降に予定される彼のプロジェクトのライブに当っては、俺も出来る限り協力させてほしい旨を伝えてある。



「――グラサン、するようにしたのね」

「あ、あぁ――今日だけな」


 そうだった。そういや彼女は丁寧語ではなくて、普通にタメ口だったな。

 たぶん、今日の夢に出てきた人は丁寧語だったと思うから、やはり服部さんではなかったらしい。

 しかし、俺の知らない人だというのに、なぜこんなにも夢の内容が気になるんだろう。

 それにしても、あまりに居心地が悪い。

 アリさん達も高垣さんも、どういう気の回し方か知らないが、余計なお世話も良いとこだ。

 彼女と久しぶりに、しかもこんなシチュエーションで顔を合わせた所で、お互い気まずくなるだけなのに。


「始まるわ」

 壁にあった電光時計をチラリと見て、彼女が独り言のように呟いた途端、会場内が暗転した。



 ――さすがに、どの出場者も素晴らしいパフォーマンスを見せるものだと、感じざるにはいられない。

 この会場の音響効果もあるだろうが――あのサマーフェスでの高垣さんと同等かそれ以上のものを、出てくるアイドル達全員が発揮している。

 素人目で観れば、どのアイドルが優勝してもおかしくはないと思わせるステージが続いていく。

 あの187プロのアイドルも――内心、侮っていた事は認めるが――とても良い表情で、観る者に元気を与える愉快な空間を演出してみせた。


 沸きに沸く観客席。立ち上がって声援を送る人達も少なくない。

 そして、彼女達の出番が近づいていく。

「担当プロデューサーでは、なかったのかしら」


 独り言のように、服部さんはポツリと呟いた。

 俺が顔を向けて、彼女がフッと笑ったのを見て、ようやくそれが俺に向けられた言葉だと気づいた。

「ここにいていいの?」


「追い出されたんだ」

「追い出された?」

 さすがにその返答は想定外だったようで、彼女は少しだけ身を起こし、俺の方を見る。

「俺はプロデューサーとして登録されてなかったんだと。だから、しょうがなくここへ――いや」

 フフッ、と今度は俺が笑った。


 ステージでは、次のアイドル達が舞台の上に集まった――765プロだ。

 デモを観た時にまさかと思ったが、本当に、所属アイドル13人全員で出場するとは。

 しかも、そのうちの一人は、確か秋月さんという、プロデューサーではなかったか?

 プロデューサー兼アイドルとか、すごいな。そんな事できるのか。


「元々、俺はプロデューサーとしてふさわしくない人間だったんだ。
 君になら、分かってもらえると思うけど」

「そうね」

 気の無い返事をして、彼女はステージの方へ向き直った。

「でも、現にこうして今日、あなたのアイドルはこの舞台に立つのよ」

「俺の力ではない。彼女達が、勝手に俺をここに連れて来てくれたんだ」

 曲が始まった。

 申し合わせているはずの無いクラップが、自然と会場中に広がっていく。

 これまでに繰り広げられたハイレベルなパフォーマンスのおかげで、観客達は既にヒートアップしていた。

「静かに。今はこの曲を聞かせて」


 765さんの曲は、いかにもアイドルである彼女達の集大成という印象を与える雄大な曲調だ。

 明るく楽しく、そして力強く、夢見る事の尊さと誇りを、彼女達の言葉で歌っている。

 如月さんの笑顔も眩しい。以前会った時からは、考えられない姿だった。


 5分半に渡る壮大な曲が終わり、観客達が万来の拍手を彼女達に送る。

 13人もいると何となくボヤけそうな気がしたが、一人一人がしっかりと個性を主張していて、それが見事に調和していたと思う。

 完成度を高めるための練習量もうかがえる。素晴らしいステージだった。


「皮肉なもんだよな」

 次が、いよいよ346プロの――LIPPSの出番だ。

「頑張れ頑張れと、励まし続けたことで君を潰した上、辞めさせてしまった――。
 そして、もう止めろ夢を見るなと、足を引っ張りまくれば今度はこの有様だ」

 フッと鼻で笑う。本当、ままならないとしか言いようがない。

 思うように育たないのが子育ての常とは聞いた事があるが、おそらく似たようなものだろう。


 だが――。

「彼女達のおかげで、分かった事がある」

「何?」

「自分の事――自分がどれだけしょうもない人間か、って事を」


 彼女達と接して、あれこれ訳も分からず奔走する中で、一つ言える確かな事は、自分の変化だった。

 俺はたぶん以前と比べ、自分自身に幾らか興味を持つようになったと思う。

 それまでは自分の思考や言動に興味なんて無くて、誰かから言われた事に対するリアクションしかしてこなかった。

 だが今では、なぜ自分がそう考えるのか、自分の言葉がどう相手に受け止められるのかについて、少しずつ意識を傾けるようになっている。

 能動的に発意しないのはあまり変わらないが、こうしてナルシシズム的に自分を見つめ直すようになったのは、彼女達のおかげだろう。

 彼女達に言わせれば、まだまだ積極性が足りないと、怒られそうだけれど。

 そして――まだ暗いままだが、シルエットで誰が誰かは何となく分かる。

 まさに今、舞台の上に姿を現した彼女達の姿を見て、ようやく気づいた。


 俺は、彼女達に寛容であろうとした――それは、嫌われるのを恐れたとか、人に厳しくできるほど自分は大した人物ではないという後ろめたさも、確かにあった。

 だが、何よりも俺は、そうする事で彼女達に対し、精神的優位に立ちたかったのだ。

 破天荒な子達ではあるが、出来る限り許容する事で、俺は心のどこかで“許してやってる”という優越感に酔っていた。

 歩み寄っているようで、その実俺が行ってきた譲歩は、彼女達の理解の放棄に他ならなかったのだ。


 気位の小さい俺の、自分本位でしょうもない欲求のために、俺は――。

「俺は、どれだけ彼女達を不快な思いにさせてきたのかと、つくづく思う」



「私は、良いと思いますよ」


 そう言ったのは、どうやら高垣さんのようだった。

「えっ?」



「だって、そうしたかったんでしょう?」

 急な横槍に呆気にとられる俺を尻目に、高垣さんは舞台の上を見つめたまま続ける。

 どうやら、彼女達は配置に付いたらしい。


「人は誰でも、自分の思うようにしたいものですし、それをぶつけ合う事で生まれるものも、きっとあると思います。
 私は、今回はこのステージに立てなかったけれど、こうして服部さんと一緒に観客の側で楽しませてもらえますし、それに」


 こちらに顔を向けて、高垣さんはニコッと穏やかに微笑んだ。

「自分で手に入れるだけじゃなくて、人から与えられる夢もありますから。ね?」



 ――俺には、トップアイドルさんの仰る事は難しくて、良く分からないな。

 人から与えられる夢、か――。


「レッスン、たまに覗きに行ったりしましたけれど――彼女達、本当に楽しそうだったんです。
 今日のこのステージも、どうか彼女達と一緒に、楽しんであげてください」

 舞台に向き直り、どこか誇らしげに、彼女は背筋を伸ばした。



「期待してあげてください」

 ――彼女だったか。俺の夢に出てきたのは。



 楽しむ、か――。


 確かに、今回のステージで楽しみな事が一つある。

 そろそろ動く頃だろう。

 舞台上の背面に設けられた反響板の裏手には、作業用の通路がある。

 予めステージを下調べしておきたいと、謹慎が明けてのち会場側に相談したら、快く応じてくれた。

 彼女から頼まれた事でもあったが、前職の手前、個人的な興味もあり、そこそこ楽しく見させてもらった。


 その中で、俺はその作業用通路に、人一人入り込めるスペースがあるのを発見した。

 3分間しか興味が持続しない自分に、本番中ずっとここで待機できる訳がないと彼女は駄々をこねるが、贅沢を言うな。


 ただ、ルートが難しい。

 ここから舞台に出るには結局、反響板を回り込んで下手か上手のどちらかからコソコソ出てくるしかない。


 インパクトに欠ける登場にしかならないため頭を悩ませていると、彼女は涼しい顔で提案した。

「下は?」

 下?


「だから、この上から吊ってる反響板っていうの?
 これをもうほんの少しだけ上に持ち上げてくれたら、アタシここの下に潜れるよ」

 スタッフに打診してみると、反響板の下に潜る事は危険であり、許可できないとのことだった。

 確かに、もし反響板を吊ってる装置が不具合を起こし、落下して下敷きにでもなったら大惨事である。

 それでも俺は、何かあっても346プロが全責任を負うと、上司への相談も無しに単独パワープレイで押し切った。

 どうせ俺は辞めるのだからと、半分ヤケもあったが、とうとう先方は折れてくれた。


 しかし、使用者の希望に合わせて反響板の位置を可変できる仕組みになっているとは、さすがにデカい会場は違う。

 数十センチ上に上げてもらい、クリアランスを確認する。どうやら何とかなりそうだ。

 念のため2階席、3階席から俯瞰した時の見え方も確認したが、メンバーの配置に気を配れば問題は無いだろう。


 しかし、さっきはじっとしていられないとか言ってたくせに、適当なヤツだな君は本当。



「まーまー、他ならぬ美嘉ちゃんのためなら是非も無し。あいはぶのーちょいす。にゃははー♪」

 ――会場がどよめく。

 いつの間にか、舞台の上にいるのは4人だけではない事に、観客が気づき始めたようだ。


 そして、舞台が照らし出されると、会場にはより一層のどよめきと、やがて歓喜の声援が挙がった。

 それは当然、反響板の下を潜り抜け、何食わぬ顔でメンバーに加わっている彼女に対し向けられている。

 (♡)

 いつだってアタシは鼻つまみ者だった。

 優位に立つ度、一緒にいる人を不快にさせる事しかできなくて、だから、テキトーぶってた。

 そうやって、予防線張ってたんだよね。マジョリティーから外されてもヘーキだよーって。


 でも――。

 拒まれる事を恐れて、それを得る機会を自ら放棄してきたけれど、アタシは――。

 いつだってアタシは、心を触れ合える友達が欲しかったんだ。


 巡り合えた皆――巡り合わせてくれた人達には、感謝してもしきれない。

 ありのままのアタシを求めてくれるなら――それで皆が喜んでくれるなら。

 どうしたいのかだけを、図々しくやったもん勝ちというのなら、アタシのやる事は決まってる。


 それがアタシの希望――皆と一緒に、その道を志して良いのなら。



 ――にゃははー♪ なーんだ、すごい声援!

 やーっぱアタシがいないと始まんないのかにゃ? ねー美嘉ちゃん?

 (・)

 舞台の上、城ヶ崎さんは、交差させていた両手の影に隠した顔を俯かせ、やがて肩を震わせた。

 背後に現れた彼女の気配を悟ったのだろう。ポージングしたまま、泣くのを必死に堪えているようだった。

 他の子達は、ポーズを崩さないまま視線だけを彼女に送り、優しい笑みを浮かべている。


 一ノ瀬さんがサプライズで登場するのは、城ヶ崎さん以外の皆は既に知っていた。

 そう。今回俺が仕組んだ“ジョーク”のターゲットは、城ヶ崎さんだったのだ。



 実際、一ノ瀬さんは本当にアイドルを辞めさせられる所だった。

 だが、今辞めさせると、世間に流れる悪い噂を346プロ側が肯定してしまう事になる。

 俺とアリさんで美城常務にそう強く説明し、彼女の解雇を考え直すよう頼み込んだ。

 俺達の説得により、美城常務にも一ノ瀬さんの解雇が得策ではない事を理解してもらえた。


 一方で、城ヶ崎さんにだけはそれを内緒にしていた。酷な事だったとは思う。

 もっとも、レッスンは5人編成のままの配置で行われたから、城ヶ崎さんには実際バレバレだったのかも知れない。

 だが、もしやと思っていたとしても、実際その場に立ってみるまで確信を得る事は出来なかっただろう。


 城ヶ崎さんは、一ノ瀬さんが抜けてしまった責任の一端が自分にあると思い込み、自分を責めていた節があった。

 だから、今日この場で一ノ瀬さんが一緒に立ってくれる事を、誰よりも喜ぶのは彼女だろうと俺は踏んだ。

 こういうジョークなら、きっと許されるはずだ。いや、どうか許してほしい。



 さて――初めてプロデューサーらしい事ができた気がする。

 後は、ウチの『Tulip』を見て、残りのアイドル達のを見て、優勝セレモニーを見て、で、終わりだ。

 あえて言わなかったが、彼女達のレッスンを見る限りでは、まるでやる気が感じられなかった。

 トレーナーさんが怒るのも頷けたし、今日の他のアイドル達を見ても、それ以上のステージになるとは思えない。


 だが、それでいいんだ。

 高垣さんは、彼女達はレッスンしている間、楽しそうだったという。

 君達さえ良ければ、それでいいよもう。

 あ、やべっ、そういや今日日曜か。焼肉屋さん、さっさと予約しといた方が良さそうだな。

 そんな事を考えていた。


 城ヶ崎さんの震えていた肩が、ピタッと止まった。

 そうかと思うと、俯かせていた顔が上がり、彼女の白い歯がニカッと見えた。

 何だ――? 妙に、悪戯っぽい笑みだな。

 そう不思議に思った次の瞬間、会場が再びどよめいた。舞台が急に暗転したのだ。


 な、何だ――!? こんな演出は聞いていないぞ!?

 !! し、しまった! まさか、187プロの仕業かっ!?
 なんてことだ、油断してはダメだと、あれだけ気をつけようとしていたはずなのに。くそっ!


 しかし――どうやら、そういう訳では無いらしい。

 反響板に映し出された映像には、彼女達がこれから歌う曲が示されていたようだった。


 そして、俺は違和感に気づいた。塩見さんからCDを受け取った際に感じた違和感だ。



 ユニット名が違う――LIPPSではなく、“LiPPS”。

 おそらく、誤記ではない。CDに書かれた速水さんの字でも、確かに“i”が小文字だった。


 明確な意思があるはずだが――どういう意味なんだ。

 (♪)

 それ、アタシが考えたんだー♪


 なんか、外歩いてたら看板があってね?

 ケーキ屋さんなんだけどその書いてるアレがさ、うーん、お店の名前忘れちゃった☆

 でも、覚えてるのが、全部大文字なのに、お店の名前の「i」だけ小文字だったの。

 何でだろ、不思議だなって思って店員さんに聞いたら、「甘いアイはあえて控えめに」ていうアレがあるんだって。奥ゆかしさ的な?

 ワーォ♪ それすっごくステキだねーって、その日はケーキも買わずに出ちゃったんだけどさ。

 後でシキちゃんとも行ったよー☆ ガトーショコラみたいなの美味しかったよねー♪


 でね? 話変わるけど、LIPPSって、5人で5文字で、しかも5画なんだよね。

 最初はそれ、すっごい偶然だねーなんて思ってたんだけどさ。アタシ気づいちゃったの。

 5画だと、プロデューサーがいないんだよね。

 だから、フレちゃんの提案により、LIPPSはアイを控えめにしました☆

 そうすると、ほらっ! 「I」が「i」になって、点が1個増えて、6画になったでしょ?

 LiPPSは5人で5文字だけど、プロデューサーの点が、アタシ達の中心で見守ってくれてる。

 点はプロデューサーなの。だから、アタシ達はプロデューサーがいてこそのLiPPSなんだー♪


 ん? それなら1文字増やして6文字の6画にすれば良かったんじゃない、って?

 ンー、アタシは、LiPPSはLiPPSのままがいいかなって思うの。だってLiPPSが好きだから。


 好きってだけじゃ、ダメかなぁ?

 (・)

 暗転したままの舞台がよく見えないので、グラサンを取った。

 そして、映し出された曲が、俺の全く知らないものであるのを見た時、俺はようやく悟った。


 彼女達は、すり替えたのか。そして――。



 今回のジョークのターゲットは、どうやら俺だったのかと。

 何となく、そんな気がした。




   LiPPS 【 MEGALOMANIA 】



   握手を求める 雷のように
   いつだって私 手を伸ばすよ
   焦がれるものが そこにあるから


 一ノ瀬さん、こうして聞くと本当に歌上手いな。

 洗練された、澄み渡る歌声が響き渡り――これは、シンフォニックデジタルポップス、みたいなヤツか?

 やたらと激しい曲が始まった。ゆったりした歌いだしから一転、凄まじいハイテンポだ。


   卑怯な事だと思わない? 本当の姿を出さないの
   燻ぶらせるのは罪でしょう 自分の胸に聞いてみて

 美しいアカペラからハードな曲調に移るのは、トラプリの『Trancing Pulse』に似ている気がしなくもない。

 それか、どことなく挑発的で攻撃的な雰囲気は、他社さんだけど、『オーバーマスター』ってのにも通ずるものがあるな。
 プロジェクト・フェアリー、だっけか。

   拙くて深い愛を 今まで尽くしてくれたクセに
   それでもあなた 期待しないと言い張るの?

 しかし――何というダンサブルな曲だろう。

 クインテットの隊列が目まぐるしく変わっていく様は、見た目にもダイナミックで忙しい。

 凄いな――あぁして至近距離で配置を入れ替えるのって、相当難易度高いんじゃないか?

 正しくお互いがすり抜けたのではと思わせるくらい、彼女達のダンスには迷いが無く、まるで5人が一つの生き物であるかのようだ。

   届かぬ恐怖に身がすくもうとも 求める想いを失わぬよう
   宿す勇気を メガロと呼ぼう

 気が遠くなるほど厳しい練習を積んだのは間違いない。速水さんの足があのようになるのも頷ける。

 そしてサビになると、5人はV字に並び直り、キレのあるダンスを5人共がピッタリシンクロさせて見せた。

   ミカンを欲しがる ゴリラのように
   いつだって私 手を伸ばすよ
   100個を望んだとしても 悪く思わないで
   求めるレベルが高いほど ブレーキ踏まなくて済むでしょう


 ――デタラメな歌詞だな。

 ん? そういや、ミカンを100個求めて10個しか手に入らない不幸とか、そういう話を以前、城ヶ崎さんにしたな。

 これは、彼女達で作った歌詞なのか。だとすると誰がゴリラやねん。


 しかし――本当に、立派になったんだな。

 速水さんは、足の具合は平気なのか? あのまま練習を続けて、あれが悪化していないとはとても思えない。

 曲が転調した。半音上がって、ボルテージをさらに引き上げていく。

 見た目は笑顔で楽しそうでも、あんなに激しく踊っていれば、相当に苦しいはずだ。俺は――。

 いや――やはり俺は、君達の無事を祈るしかない。

 君達とまともに見ようとしなかった俺が、何を今更と思うだろうが、でも――。


   いつまで続けるつもりなの?


 ――え?


 ステージの上の速水さんが、俺を見てニコッと笑った。

   見えないフリをしていても


 次いで、城ヶ崎さんがその位置に代わり、やはり俺を真っ直ぐに捉えて指を差す。

   私に夢中になってるの とっくに気づいてるんだから


 他の子達まで、歌いながら、俺の方を見てニコニコと笑っている事に気づいた。



 ――俺?

   こんなに素敵な時間を 今まで与えてくれたクセに
   それでもあなた 夢を見るなと悟れるの?


 MEGALOMANIA――確か、誇大妄想狂とか。

 意訳すると、自意識過剰なヤツ、という感じの言葉だったと記憶している。
 あまり良いニュアンスで使われる事は無かったはずだ。

 しかし、なるほどな――激しい曲調とダンスに圧倒されて、気がつかなかった。


 この気持ちを、あえて自意識過剰とは言うまい。
 実際、俺の席はちょうど客席のど真ん中で、嫌でも彼女達は真正面の俺と目が合う格好になる。

 しかし、それでも確信を持って言える。

   灰色の予感が付き纏おうとも 極彩色の未来を描けるよう
   抱く希望を メガロと呼ぼう


 これは、俺へのあてつけだ。
 この曲は、俺にあてたものだったのだ。

 百歩譲って違うとしても、俺のような誰か。

 ひょっとすると、彼女達自身にあてたものであるのかも知れない。この曲は――。


   握手を求める 雷のように
   いつだって私 手を伸ばすよ
   遠慮する理由を探すのは もう止めよう
   自分の力を過信して イキがったっていいでしょう


 自分本位になりきれない、自分を信じられない者達への、応援歌だ。

 間奏パートに入ると、宮本さんがいきなり前に躍り出た。

 変顔をしながらゴリラのドラミングのような仕草をして、鼻歌を盛大に歌っている。

 あぁ、これはおふざけだな。明らかに、彼女のアドリブによるおふざけだと分かる。


 なぜなら、他の子達が皆笑っているからだ。宮本さん自身も、それを見て心から楽しそうに笑う。

 宮本さんだけが感じ取れる、今この瞬間、最も快いタイミングと仕草で――皆が、笑っている。



 そうか――でも、やはり俺は、君達のようにはなれない。

 君達のように、俺は強くない。自分を、夢を、未来を信じる事はできない。



 Cメロは、ソロパートらしい。まずは塩見さんが舞台の中央に躍り出た。

   意外と何とかなるもんだって、教えてくれたのはそっちでしょう

 それは違うよ。君がバランス感覚良すぎるんだ。


   アタシの夢の賞味期限を、アタシ以外の誰が決められるの?

 その通りだが、城ヶ崎さん――本当の挫折は、あっという間に夢を腐らせる。


   シャレにならないほど予測不能な未来、紡いでいくのはこれからー♪

 大人のドロドロに塗れる恐怖を知ってなお、まだそんな事を言うのか君は。


   何となく好きってだけでサイコーだよー☆ 皆はどうかなー!?

 本当にコミュニケーションお化けだ。魅せられた観客達が、諸手で宮本さんに答えている。


 俺はな――いい加減にしてほしいんだ。頼むから――!

 夢と現実は違う。
 現実は、思い通りにいかないから現実なんだ。そして、醒めない夢は無い。

 いい加減に、目を覚ませ!


   厳しい現実の只中であろうと 決してそれが冷めやらぬよう
   私が信じる人の手と 信じてくれる人の手で

   育む夢を メガロと呼ぼう

「ハハハ」

 呆れた――ここまで、俺を全否定してくるとはな。


 大サビに入って、また転調した。随分と忙しくて、欲張りな曲だ。

 光が差し込む中、彼女達が手を差し伸べてくれるような、未来への勝利を感じさせる曲調に変わっていく。


   100個のミカンじゃ 足りないくらい
   いつだってあなた 手を伸ばしてよ

「やめろよ、もう」

 そういうのはダメなんだ。辛いんだ。眩しすぎて――。


   自分本位であり続けるの きっとそれが
   あなたを信じた私の 誇りになるから

「やめろ――」


 本当か?

 誇りと思ってくれるのか――俺のことを?

   握手を求める 雷のように
   これからもずっと 手を伸ばそうよ
   焦がれるものに 手当り次第

「やめてくれ――」

 予防線を張りたかっただけなんだ、俺は――。
 しかし、君達を追い詰めまいと、期待していないフリをする事で、むしろ君達を傷つけていた。

 期待して、良かったのか――そうなのか?


   そうして 愛していきたいの
   私達で築き上げるメガロを――!


 俺の周りの観客は、皆総立ちだった。
 座ったまま、しかも両手で顔を覆っている今の俺には、ステージの様子など見えようもない。

 カツ丼セットもロクに食えないほど小さくなった俺の胃袋では、彼女達の与える夢はあまりに大きすぎた。
 キャパを優に超えた俺の感情は堰を切り、それが溢れ出てしまうのを堪える事が出来ない。

 あまりに有難くて、申し訳なくて、情けなくて――俺、ダメだなぁ――。


 どうやらステージが終わったらしい。会場中、気が狂った地鳴りで揺れている。


「勘弁してくれ――」

 抑えきれない俺の嗚咽は、雷に打たれた観客達による土砂降りの拍手と大歓声に飲まれ、泡と消えた。

【終】

 (親)

『――いやぁ~、とうとう最後のユニットが終わってしまいましたぁ』

『いずれのアイドル達も、非常にハイレベルなパフォーマンスが目白押しでしたね!』

『そうですねー。さぁそれでは! いよいよCMの後、アイドル・アメイジングの覇者が誰――!』

 ピッ!

 キュルキュルキュル…


 ピッ!

 キュルキュル…

 ピッ!



「アッハ! これ、ここヨ見て見て。これ、あなたヨネ?
 あなた会場にいたノネェ、それも座りっぱなしで、泣いてタノ? オホホホ」

「もう消せよ、飯の時間だろ」

 せがれが東京から帰ってきた。

 連絡すら寄越さなくなり、久しぶりにどの面下げて来たと思ったら、軟弱な仕事に手を付けやがって。

「ていうか何、この量」
「伊勢丹行ったラ、お肉が美味しそうだったからネェ~。年の初めだし、奮発したかったノヨ」
「伊勢丹の肉は高ぇから買うなっつったべ」
「あなたがゼンジロウさんのお肉買うって知ってタラ、あたしだって買わないワヨォ」


 アイドル何とかという、先月やった生放送の歌番組を、家内がビデオに録画していた。
 たまたま東京で出会った女の子達が、その番組に出るのだという。

 そうして俺も付き合わされたのだが、偶然その中に、俺のせがれが映り込んだのだ。

 てっきり俺と同じ職種に就いたとばかり思っていたら、こいつは転職を繰り返していたという。
 一つ所で我慢もできず、五年と経たずに音を上げるなんざ、だらしねぇにもほどがある。

 肉ばっか食ってるせがれに酒を差し出すと、ムスッとしたままコップを突き出してきた。


「故郷へ錦を飾ったつもりか?」
「何す?」

「女の子達に囲まれた仕事は、さぞ楽しいだろう。軟弱なお前に合ってんのかもな」

「馬鹿言え、ロクに知りもしねぇ癖に」

 せがれは乱暴に酒を煽り、ため息をついた。
「親父こそ、いい加減仕事辞めたら? 慎ましい生活してりゃ、年金でも十分暮らしてけんでしょ」

 家内から、俺の様子を聞いたらしい。
 右手が痺れ、だんだん箸を扱う事すら困難になってきた俺を、コイツは偉そうに。
「それとも、俺が仕送りしてやろうか? 最近、使い道が無くてさ」

「さっさと所帯を持て。何ならその、アイドルの子達がいるじゃねぇか」
「ボケてんのか。俺をいくつだと思ってんだよ」


 家内がなおも楽しそうに操作するビデオを、せがれがボーッと眺めながらコップを傾ける。

「大体、俺はもう、この子達の担当から外れる事が決まっているんだ」

「あら、そうナノ?」
「まだ正式な内示は出ていないけどね。高垣楓って、知ってる? 彼女の担当になる」
「へぇ~、あの綺麗な子デショ~? とっても歌上手いワヨネェ、あら、そう、あの子のネェ~」

 どうやら有名なアイドルらしい。俺にはさっぱり、顔が浮かばない。

「なんか、前任のプロデューサーが、鬱か何かやっちゃったみたいでさ。その後釜って事で」
「そんなすごい子の担当になるのって、出世って事でいいノ?」
「んー。まぁ一応、チーフ級っていうのになるから、一つ昇級する事にはなるのかな」

 猿のように手を叩く家内とは対照的に、せがれは浮かない顔をして酒を飲む。

「今の子達は、どうなるんだ」

 注ぎながら俺が聞くと、せがれは表情を変えず、グラスを置いた。

「たぶん、鬱から回復した奴が入れ替わりで就くと思うけど――実際上は、俺の先輩が面倒見ると思う。
 ていうか、俺もあと一年したら、今の仕事辞めるよ」
「エー、そうナノ? 何で?」

「俺には、向いてないよ。今の仕事、一番向いてないかも知れない」


 ハハハ、と自嘲気味に笑いながらせがれは酒を煽り、ため息をつく。

「だってよ。その大会だって、自分の担当アイドルが本番で何を歌うのか、把握できてなかったんだぜ。
 そんなヤツが監督者であっていいと思う?」
「んー、そうネェ」

 自分が聞いたにも関わらず、家内はさほど興味も無さそうに聞き流しながら、リモコンを操作している。
 せがれも、そう意に介していないようだ。

「彼女達は、今が大事な時期だ。そんな彼女達を導くべき人は、俺よりももっと適任がいる」


「この曲は、そういう意味で歌われたものじゃないだろう」
「えっ?」

 俺の一言に、せがれは驚いた様子で顔を上げた。


「リップス、というのは、お前も必要とされていたんじゃないのか?
 俺はこの、メガロマニア、という曲は、そういう意思を大いに感じるんだがな」

「――トンカチしか持った事ない親父に、何が分かんだよ」

 ヤケを起こしたように、半分以上入っていたグラスを一息に飲み干す。
 さすがに応えたようで、せがれは一際大きなため息を吐いた。

 黙って注いでやる。

「あまり飲みすぎないデヨ~」

 そう言って家内は席を立ち、残っている皿以外を片付け、台所へと消えていく。



「親父」

 二人だけになった食卓で、せがれが急に改まって俺の方を向いた。

「母さんから聞いたよ――昔、親父が職長を殴ったって話の、理由というか」

「それが何だ」
「いや――」

 バツが悪そうに、頬を掻いて、せがれが笑った。

「俺も、今の職場で、似たような事をしてさ――母さんに聞いたら、親父も、似たような理由だったんだな、って」


 あの時は、俺も若かった。
 体の弱いせがれを馬鹿にする職長など、無視してしまえば、それ以上は何も無かっただろうに。

 コイツも、まだまだ青いんだな。

「今まで、あまり良く思ってなくて――軽蔑してて、ごめん、親父」

 今更何を言うかと思えば、くだらねぇ。
「お前が俺を軽蔑しようなんぞ身の程知らずにも程がある。俺を超えてすらいねぇ分際で」

「子は親を超えられないんだよ。子が親を超えるのが当たり前なら、世界は今頃もっと平和だべ」

 またよく分からん戯言をほざきやがるので、黙って酒を突き出すと、せがれは先ほどまでのムスッとした表情に戻った。
「まだ入ってんだろ」

「いいから飲め」
「さっきから俺ばっかり飲んでない?」
 釈然としないながらも、グイッと飲んでグラスを差し出す。

「医者に止められてんだよ」
「してぇのかよ、長生き」
「孫の顔を見るまで死ねるかよ」
「今際の際に見せてやるよ、うるっせぇな」
「あぁ? 何すや」

 頬杖を突き、笑いながらせがれは、小馬鹿にしたように俺に語りかける。
「さっさと死んで天国に行けば、大好きな酒も好きなだけ飲めるべな」

「お父さんが天国に行けるワケ無いデショ~?」

 布巾を持って、家内が奥から出てきた。
 さっさと片付けろとでも言いたげに、邪魔くさそうにテーブルの上を拭いていく。

「――ハッハッハッハッ!」

 俺の横暴に、これまで散々耐えてきた家内の一言が、コイツにはよほど滑稽だったらしい。
 これまで終ぞ聞いた覚えが無いほど大声で笑いながら、せがれは俺の酒を奪い取り、それを突き出してきた。

 俺は黙ってグラスを空け、せがれに向けた。

 (♡)

 いやーユカイユカイ!

 何が楽しいって、プロデューサーが面白すぎ。普段はクールな奏ちゃんも大はしゃぎだったねー。


 あの後、プロデューサーが宣言したっていう焼肉屋さんに、ヤァさん、チビさん、アリさんと皆で行ったけど、笑いすぎて死ぬかと思ったよ。

 ヤァさんがどんどん頼んで、周子ちゃんも結構健啖家なんだよね、美味しそうに食べて。
 それ見て美嘉ちゃんが値段見ながら焦りまくるんだけど、結局フレちゃんが食べさせるからまんざらでもなくて。

 いつの間にか大人達は大宴会が始まって、プロデューサーは他の人達からいっぱい飲まされて、もうベロンベロン。
 冗談でキスを誘った奏ちゃんのおっぱい触って引っぱたかれたの、フレちゃん動画撮った?

 すっかり羽目を外したアリさんが、「じゃあ僕も」って美嘉ちゃんに迫って、顔真っ赤にして「何バかなこと言っち」とかどもってたのもチョー可愛かったねー。

 アタシが合法スパイスをそっとチビさんのお皿に振りかけたのが可愛いくらい、皆がはっちゃけるから、ついてくだけでシキちゃんタイヘンだよー。にゃははー♪


 もうホント、それだけで十分楽しいんだけど、さらに嬉しい誤算がもう一つ。

 何とプロデューサー、アタシと同じマンションだったのだ!

 すっかり酩酊したプロデューサーとタクシーで帰ったら、偶然発覚したもんで、深夜にも関わらず周子ちゃんと大はしゃぎ。

 散々遊んで帰っちゃったけど、さーて、今度は何してあげよっかにゃー?

 (・)

 実家から新幹線で帰ったその足で、都内の墓参りに行く。

 部長から聞いた話を頼りに、どうにかそこへ着いたはいいが、肝心の墓が見つからない。

 そもそも、よく考えたら俺はシマさんの本名を正確に覚えていなかった。


 二週くらい墓地をグルグル回った所で、ようやくそれらしい墓に辿り着き、とりあえず一通り済ませる。

 彼は日本酒が好きだったので、慌ててコンビニで買ったワンカップを置いておく。

 東北まで行ったのに地酒を買うのを忘れたと知ったら、シマさん怒るかな。
 まぁ、こうしてご機嫌伺いに来ただけ大目に見てやってほしい。

 俺の親も、いつかこうしてお墓に入るわけで、その面倒をすると思うと気が滅入る。

 とりあえず、仁義を果たした所で俺は立ち上がり、そこを立ち去ろうとした。


 目の前に現れたのは、意外な人物だった。

 如月千早さんと、その母親と思われる人が、二人並んで立っていたのだ。

 彼女達も、ご親族の墓参りで来たのだろうか。


 あっ、と小さく声を上げる如月さんに、俺は一応軽く会釈をして、そのまま通り過ぎた。

 アレかな――優勝おめでとうございました、とでも言っとくべきだったかな。

 いや、そんな事を言っても変な空気になるだけだろう。気にせず俺はタクシーを捕まえる。

 LIPPS――もとい、LiPPSは『アイドル・アメイジング』にて敗北した。

 いや、勝ち負け以前の問題だ――彼女達は、失格扱いとされたのだ。


 そりゃそうだよ。事前に申請されてない、プログラムに無かった曲を歌ったんだから。


 例えば、100m走決勝の舞台、スタートを切った瞬間、とある選手がいきなりレーンの外に飛び出した。

 そして、予めその辺に置いてあった棒を担ぎ、バーの置いてない棒高跳びのマット目掛けて猛然と走り、跳んだとしよう。

 その跳躍がどんなに見事であったとしても、記録を残すバーはそこに無く、レーンの外に出た時点でその100m走選手は失格なのだ。

 彼女達の行為は、例えるならそんな所だ。


 つまり――彼女達は、そして楽曲を用意したアリさんは、全て分かっていたんだ。

 分かった上で、過酷なレッスンを自分たちに課し、評価される事の無いステージの練度を高めた。

 最終的には、346プロの総力を挙げて宣伝活動を行ったにも関わらず、だ。

 全ては俺に仕向けたジョークのためだけに、346プロに与えられるたった一枚の切符を、彼女達は台無しにした。

 これをクレイジーと言わずして、何と言えばいいのか。

 ただ、世間の評判はそういう訳でも無かった。

 大会終了後、なぜLiPPSが失格扱いになったのか、という問い合わせが運営側に殺到したらしい。

 ツイッターのトレンドでは、LiPPS関連のワードが数日間ずっと残っていたし、ネット掲示板でも抗議スレが1~2時間に1スレ消化される始末。

 中身を見てみると、署名活動を行おうなどというトンデモ意見が結構あって、俺は頭を抱えた。


 この間のサマーフェスでも、俺は大会関係者を装って――実際関係者だけど――当時のLIPPS過激派に苦言を呈するレスをそれとなくした。

 すると、そのたった1レスを彼らは袋叩きにしたものだった。お前にLIPPSの何が分かる、と。

 俺、一応プロデューサーなんだけどな。

 あの時は確か、三回くらい殺害予告された。

 今、同じ事をこのスレで行ったら、俺は2、30回は殺されているだろう。

 ありがたいと言うべきか、何というか――。



 ――――。

 ん?



 いや、待て――――ちょっと待てよ。これは――。


 もしかして――いや、もしかしなくても、良い話なんじゃないか?


 すごく良い話なんじゃないだろうか!? おぉっ!

 LiPPSはフェスで勝てなかったものの、その話題性と期待感からより一層の注目を浴びた。

 一方で、彼女達は346プロのたった一枚の切符を、ふざけた理由により台無しにした。

 そして、俺は彼女達のプロデューサーだ。当然、事務所側からの追及は避けられないだろう。

 という訳で、俺はその責任を問われ、この業界を去る。

 当初、サマーフェスで想定していた俺の計画が、図らずも時間差で成就した事になるのだ。

 改めて、何とよく出来たWin-Winだろうか。素晴らしいクリスマスプレゼントを彼女達は俺にもたらしてくれた。


 休み明け、俺が出社すると、常務が俺をお呼びだとのお達しが課長から伝えられた。

 意気揚々と常務室に向かう。伝えられるのは当然、先日のフェスでの“大失態”による処分だろう。

 俺は神妙な面持ちでそれを肯定するだけだ。

 喜び勇んで強くノックしすぎないよう気を付けて、俺はそのドアを開けた。

「先日の一件だが」

 椅子に腰かけたまま、美城常務は机の上で手を組み、俺を睨み上げた。

「あのLiPPSのステージは、担当である君の責任によるものと解釈して構わないのだな?」


 こみ上げる気持ちを必死に堪えながら、俺は厳粛な表情を取り繕い、深々と頭を下げた。

「はい――私の責任です。申し訳、ございません」



「謝る必要は無い」

 意外な一言に、俺は思わず顔を上げると、常務の口元が少し歪んだような気がした。


「早急に、彼女達の活動計画書を、課長を通して私に提出する事だ。私は気が長い方ではない」

 困惑しながら事務室に戻ると、アリさんがにこやかに手を振って俺を出迎えた。


 やられた――彼は、全て知っていたのだ。

 俺が今回の一件を機に辞める気でいる事を――そして、美城常務が今回の一件を肯定的に捉えている事をも。

 だから、実質的に今回のステージをプロデュースしたのは彼なのに、その功績と責任を全て俺に押し付けた。


「来年度はおそらく昇級でしょうね。お互い、頑張りましょう」

 穏やかに笑いながら、ポンッと俺の肩を叩く。あんたはつくづく仕事が出来る人だな、畜生。

 課長が足を引っ張るおかげで、休み明けにも関わらず、活動計画書の作成は終電ギリギリまでかかった。



 それと、俺は引っ越した。

 あの日の焼肉の会計は、俺の全奢り。すなわち“全アリさん”だったが、それは別に良い。

 絶対に彼女達にはバレないようにと注意していたのに、俺は泥酔し、彼女達に家まで介抱されるという大失態を犯したのだ。

 それからというもの、一ノ瀬さんは毎日のように俺を訪ねてくるし、他の子達もたこ焼きセットを持って来たり、全然休めない。

 こういう時、マンスリーは便利である。電車も違う沿線にした。

 さすがにここまでくればバレないだろうが――以後気をつけなくてはならない。

『アイドル・アメイジング』が終わって直後、LiPPSの世話は熾烈を極めた。

 話題が話題を呼び、あらゆるメディアからインタビューや番組出演のオファーが殺到したのだ。

 その対応だけでも大変だったのに、年始のアイドル大運動会なる特番では、その年最も世間を沸かせたユニットとして、やはりお呼ばれされた。

 それも案の定、LiPPSにとっては鬼門となる生放送だ。


 事務所混合のペアで臨む競技では、765プロの我那覇響さんと組んだ宮本さんが彼女をいじりたい放題。

 しかも一ノ瀬さんに至っては、同じくペアの萩原雪歩さんに対し、放送ラインギリギリのセクハラ三昧ときた。

 菊地真さんと組んだ城ヶ崎さんが、空気を読まずにガチすぎる得点を叩き出したのが一番空気になる始末である。


 ミーティングの段階から放送終了に至るまで、俺の胃はずっと痛みを増すばかりだった。

 だから、もう辞めたいと言ったのに――。



 辞める事は無理か――なら、せめてもう一つの希望は通させてもらおう。

 部署の異動だ。それはもちろん、彼女達の元を去る事でもある。

 今西部長に根回しをしたところ、それが耳に届いたのか、直接常務に呼ばれる事になった。


「私も、考えていたスポットが無い訳ではない」

 その一言は、俺を驚かせた。総務の人事担当部長ならともかく、常務ともあろう人が、一介のプロデューサーの転属先を――?

「高垣楓のプロデューサーが、精神的な病により休職中だ。その後任を探している」


「私に、彼女の担当になれと?」
「君さえ良ければの話だが」

 我が社のトップアイドルの担当プロデューサーに、常務から直々に言い渡されるとは、おそらく名誉な事だろう。

 どうせ、長くてもあと一年で辞める仕事だ。それに、今の担当から変わるのなら、俺に断る理由など無い。

「よろしくお願い致します」


「うむ――しかし、私には理解しかねるな」


 常務は椅子から立ち上がり、後ろにある窓の外を眺めた。

「君は、彼女達を――LiPPSを――」


 そう言って、彼女は言葉を止めた。俺に背を向けたまま、眼下に広がる街並みをただ見つめている。

「愛していないのか、ですか?」

 俺は、美城さんの次に続く言葉を予想し、尋ねた。

 彼女はその姿勢を崩さぬまま、沈黙を貫いている――どうやら当りらしい。



「冗談でしょう」



 俺はその場で一礼し、部屋を後にした。

 十中八九、ヤァさんから漏れたのは容易に想像できた。

 そして案の定、最も反対の意を示したのは城ヶ崎さんだった。

 俺のデスクを悔しそうに何度も叩くので、その上にあるコーヒーが零れてしまったが、彼女は意に介さない。

「アタシ達がどれだけプロデューサーの事を想ってきたのか、分かってるでしょ?
 LiPPSのユニット名の意味だって、フレちゃんがあんなに――あんなに言ってくれたのに!」


 たまたま、事務室には他の子達も全員来ていた。

 宮本さんは、給湯器の方から心配そうに俺達の様子を見つめている。あんな顔もするんだな。

 塩見さんと一ノ瀬さんは、応接室のソファーに座り、静観する姿勢を決め込んでいるようだ。

 一方で、速水さんはそこから立ち上がり、城ヶ崎さんを制するタイミングを窺っている。

「イヤだよ――プロデューサーのおかげなんだよ? こんなに頑張れたの。
 何で、それを分かってくれないの?」


 実際、担当が変わる時、こうして担当アイドルから懇願されるシーンがある事を、俺は先輩達から聞かされていた。

 そういう子達への、テンプレ的な対応――例えば、学校の先生が変わるのと同じだよ、とか、とりあえずそういう話をまずはする。

 しかし、相手は芸歴の長い城ヶ崎さんだ。こういう時のプロデューサー側の立場も、彼女は重々承知した上で、それでもここまで食い下がってくる。

 今の彼女を納得させるのは難しい――しかし、反論を封じるのは、それほど苦ではなかった。


「意外と何とかなるもんだって、教えてくれたのはそっちだろう。心配するな」

 あの歌で、塩見さんが歌ったフレーズをそのまま借りて、俺は笑い飛ばした。

 さすがに塩見さんも黙っていられなかったらしく、彼女もその場で立ち上がる。

 だが、それよりも早く、城ヶ崎さんの平手が飛んだ。

 築き上げるのは大変だが、それを壊すのは何とも容易いものだと改めて知った。



 以降は、つつがなく時が流れていった。

 寄せられてくる仕事の量があまりに多すぎて、それを捌く事に追われていたというのもある。

 だが、俺も彼女達も、別れが決まってからというもの、割とドライな関係になれた気がする。

 出会いと別れは付き物で、彼女達はまだそれに慣れていないだけだ。


 そして、今後の俺の将来設計は概ね決まっている。

 まずは残り一年ここに務めている間、早々に961プロと話を付けておく。

 当初の予定通り、用務員として俺を雇ってもらうのだ。

 765プロも考えたが、あそこは規模も小さいし、おそらく職場の人間同士の距離感も近い。

 ウェットな人間関係というだけでも辛いが、何より聞き捨てならないのは、近く所属アイドルを100人単位で増員するとの噂があるのだ。

 あの事業規模で、潤沢なプロデューサーの増員がそう出来るとも思えない。

 今あそこに務めたら、猫の手も借りる勢いでプロデューサーに駆り出されるのは目に見えている。

 下手をすれば、今よりも激務でかつ給料も下がるだろう。確実に地雷だ。


 そして、最近315プロというのも出来たらしいが、新規立ち上げも地雷率が高い。

 事務所のHPを見たが、典型的な体育会系ワンマン社長の精神論丸出しで、見るに堪えなかった。

 絶対ブラックじゃんこれ。除外だ。


 876プロは、事業規模があまりに小さいのか、そもそも求人が無い。

 187プロもなぁ――あれだけ喧嘩してしまったら、今更身を寄せる事はさすがに難しいだろう。


 となると、961プロが最も適当という結論になる。

 元々、俺と黒井社長は、印象はともかく、あっちが覚えてさえいれば知らぬ間柄ではない。


 給料は下がるだろうが、そこに転職している間、俺は資格の勉強をする事にした。

 というか、今も少しずつ進めてはいる。

 親父の後を継ぐつもりは毛頭無いが、少しは自分に馴染みのある土俵で、何かしら資格は取っといた方が良い。

 俺は、ようやく手に職を持つ事の重要性を感じた。

 今から国試の勉強をして、いつか受かる日が来るのかと聞かれれば、それは分からない。

 だが、この歳だ。何かしら資格を持っていないと、これからは安定した職に就けないだろう。

 強いて言えば、これが俺の目標であり、夢だ。


 夢を持つ事は素晴らしい。その通りだ。

 だが、彼女達が目指した夢は、俺のそれとは違った。だから別れる。

 それだけの事なのだ。


 ――えぇー、384EI分の5ωl四乗って何だよ。384ってどっから出てきたんだ。

 あーあ、これも暗記かよ。

 俺、役所に受かった時どうやって勉強してたんだっけ?

 寒さも少しずつ和らいできた3月、正式に俺の事業一課への転属が決まった。

 その日は、近しい間柄であるいつもの三課のプロデューサー陣でヒッソリと祝ってもらったが、話題はLiPPSの事ばかりだ。

 もう俺が面倒を見る事の無い子達の話など、したってしょうがないのに、殊更に彼らはその話題を変えようとしない。

 今後の5人の役割分担、新曲に新番組、城ヶ崎さんの3サイズ更新、卒業する高校生組のケア、一ノ瀬さんの親御さん対応――。


 俺は、気づけばそれらについて熱く語ってしまっていたらしい。


 話題を変えて、俺の後任の話をしてみたが、どうやら詳しく決まっていないとのことだった。

 速水さんを担当してた俺の前任の鬱が回復したっていうから、そいつが俺のデスクに戻るんじゃないのか?

 で、俺が一課の高垣さんのプロデューサーになって、ヒゲさんが奥多摩に行くという玉突き人事だと解釈していた。

 だから、後任は必然的にそいつになると思っていたんだけど、どうやら違うようだ。


 不可解な話だが、そろそろ決まってくれないと俺も引継ぎができないので困る。

 モヤモヤするが、とりあえず引継ぎ書の作成だけは進めておくことにした。


 本来業務の合間に少しずつ進めたが、引継ぎ書の作成は困難を極めた。

 いずれの子達も、改めて個性が強すぎるあまり、留意点も多すぎるのだ。

 前の奥多摩支社なんて、昼飯マップくらいしかまともに作った記憶が無いほど引継ぎ事項が少なかったのに。

 それと、ここのヤマダ電機は見回りも来ないから車を停めて昼寝し放題だぞ、とか。



 事務室に残り、その作成に没頭する俺を見る彼女達の視線は、どこか冷たく、悲しそうにも見えた。

 思えば、彼女達と仕事以外のことで最後に会話をしたのは、いつだっただろう?

 そして、ようやく――。

 ようやく? ――そう、ようやくだ。

 その日がやってきた。


 結局俺は、誰が後任になるのか知らされないまま、この日を迎えた。

 徹夜明けで迎える朝日はすこぶる眩しく、疲れた体に爽やかな達成感をもたらしてくれる。

 俺は、作成した引継ぎ書一式を出力している間、タバコを取り出して火を――付けようとして止めた。

 危ない危ない、その前に煙感知器を外さなくては。



 前職で、サボってタバコを吸って煙感を発動させてしまい、大目玉を食らった際、先輩からこっそり教わった。

 シャッター連動式でない電池式の煙感知器は、電球を入れ替えるのと同じくらい簡単に取り外せるのだ。

 もっとも、排煙や煙感知の設備にも一定の規定があるから、全てがそうとは限らない。

 施行令126条の2だっけ、3だっけ? いや、消防法か?

 この間勉強したのにもう忘れてる。

 なお、タバコ仲間であるヤァさんには、このテクを教えると部屋が余計にヤニ臭くなるため、教えていない。

 改めて、タバコに火を付け、プカーっと天井に向けて吐いた。

 ゼムクリップで留めた一式をパラパラと捲ってみる。

 インデックスも付けておくべきだったが――もういい、諦めよう。


 さて、内容の最終チェックだ。



 ――――。



 随分と、分厚くなったなぁ――。





 ――――。



 ――――――。

 ――やだー! お願いプロデューサーさん、あのコとは一緒に組ませんといて!


   ――アイドルのフォローをするのがプロデューサー、でしょう?

  ――プッロデュ~サ~♪ 見てよコレー、この志希ちゃんすーっごく扇情的じゃなーい?


 ――ねぇ聞いてー、プロデューサー、アタシ達のために頑張ってくれてたんだってー! 業者さん、カンドーしてたよー☆


  ――アタシは簡単に折れない。たとえ折れても立ち直る。叶えるまで何度でも。


    ――信じたいだけ。あなたを信じようと思った、私自身を。

 ――LIPPSのことでお偉いさんにどついてくれるような人が、LIPPSに一生懸命でないワケ無いやんな?


   ――どうしようもなかったって!! 簡単に言わないでよっ!!

  ――ありすちゃんチョイスのいちごミルクだよー♪ お疲れのプロデューサーにドーン☆


 ――まーまー、他ならぬ美嘉ちゃんのためなら是非も無し。あいはぶのーちょいす。にゃははー♪

「プロデューサー?」


 ? ――何だ、速水さん。と、城ヶ崎さんだった。

「どうしたの? タバコの煙でも、目にしみたのかしら?」

 そう言って、速水さんはクスクスと笑った。

 ふと、目元に手を伸ばすと、なぜか頬が濡れていた。慌てて袖で拭う。


「どうしたんだ? 随分と早いじゃないか」

 まだ朝の8時半だ。今日は彼女達はレッスンしか予定されておらず、それも午後からのはずだった。

「それは、まぁ――こういう日だもの、ね?」

 そう言って、速水さんは隣の城ヶ崎さんに同意を促す。


 だが彼女は、一言も喋らず俯いたままだ。

「――しょうがないわね」

 小さくため息をつくと、速水さんは肩に下げたバッグからゴソゴソと、一つの小包を取り出した。



「ご栄転、おめでとう。プロデューサー」

「? ――俺に?」
「他に誰がいるの?」

 あんなひどい態度を取った俺に、まさかプレゼントがあるとは思わず、面食らってしまった。

 断りを入れ、俺はその場で小包を解いた。中には小箱があり、それを開けると――。


「いつまでも、百円ライターじゃ格好がつかないかなって、美嘉と私で見繕って来たのよ」

「――この色は、城ヶ崎さんのチョイスか?」
「ううん、ラインで写真を送って、最終的にはフレデリカのチョイスよ」

 中に入っていたのは、どギツい真っピンクのジッポライターだった。

 大の男がこんなの、恥ずかしくて使えねぇよ。サマンサ・タバサのジッポなんてあったのか。


「ありがとう――大切にするよ」

 そう言ってみても、城ヶ崎さんはずっと、俯いたままだった。

 ――辛いなら、来なきゃいいのにな。


「ところで、それは?」

 速水さんが、俺の持っていた引継ぎ書を指して問いかける。

「あぁ――読んでみるか?」

 そう言って渡すと、速水さんは興味深げにパラパラとめくり、各メンバーの留意事項を示したページで手が止まった。

「――随分と、私達への評価が高いのね」

 先ほどまで微笑を浮かべ続けていた彼女の表情は、それを閉じた時には真顔になっていた。

「俺はそうは思わない」

 背を向け、デスクの携帯灰皿に置いたままだったタバコを手に取った。

「君達を担当するからには、それだけの覚悟を後任にもしてもらいたくてな。
 生半可な事では、君達の世話役は務まらない――変な意味だけじゃなく、心からそう思う」


「変な意味って、何よ」

 速水さんがフッと鼻で笑うが、目は笑っていなかった。

 それを目にした事で、彼女もいよいよ別れの時が来たことを悟ったのだと思う。

 そして、俺も――。



「君達には、本当に世話になったな――速水さんも、失礼な事ばかり言って、すまなかった」

「謝らないで――私の方こそ」


「――城ヶ崎さん」

 何も言う前から、彼女は俯いたままきつく目を閉じ、首を大きく横に振った。

「本当に、ありがとうな――俺は、君の強さに助けられた」

 ユニットのエースとして、その肩にかかる荷の重さは、時にはリーダー以上だっただろう。

 城ヶ崎さんは、肩を震わせた。まだ顔を上げられずにいた。


「他の子達は――別にいいわよね?」
「あぁ」

 まぁ、ああいう性格の子達だからな、と俺は気楽に思った。

 それに、何も今生の別れという訳ではない。同じ事務所にいるのだから、会おうと思えばいつでも会えるのだ。



 さて――そろそろ行くか。

 引継ぎ書は、もうしょうがないから、俺のデスクの上に置いておこう。



 事業一課の事務室は、三課があるフロアの二階上にある。

 台車を転がしてそこへ向かう間、エレベーターホールから吹抜けの階下に臨む1階のロビーに、リクルートスーツを着た若い集団を見かけた。

 事務所棟1階のホールで、今日入社式があるらしい。

 すごい人数だな。何人が辞めていくだろうか。

 余計な事を考えつつも一課にたどり着き、俺はその扉を開いた。

 話には聞いていたが、事業一課はチーフ級のプロデューサーのみという特殊な部署で、各々のデスクも全て個室だった。

 中央にはフリースペースがあり、そこに一課所属のプロデューサー陣と課長が俺を出迎えた。

 シンデレラプロジェクトを所管する、あのクマさんもいる。

 皆さんの前で簡単な挨拶を済ませると、さっそく俺は課長にお呼ばれされた。

「プロデュースは各々の判断に任せてるから、ちょっと大変かも知れないけど頑張ってね。
 何かあったら、僕の判子はここに置いてあるから好きに使っていいからね」

 比較的若くて飄々とした課長さんは、割と適当な感じで課の仕組みを1、2分で紹介して、俺を解放した。


 クマさんによると、課長は対外的な業務で不在である事が多く、いちいち課内で協議する暇が取れないのだという。

 だから、各々が単独で適正な判断を取れるよう、事業一課はチーフ級のプロデューサー達によるスタンドプレーで業務を回すのだそうだ。

 なるほどな。政治的な調整を行う機会も必要性も、事業部の花形たる一課の課長は多いのだろう。


 つまり、全部俺の裁量で仕事を回して良いって事でしょ?

 高垣楓なんて、黙ってても仕事のオファーが山ほど来るんだから、それを回してるだけで日々の業務は終わってしまう。

 能動的に俺が動く必要は無いと解釈すれば、たとえ仕事量は増えようと、その点はマシだ。

 そして――ここが、俺の個室か。

 やや緊張しながら、俺はドアを開けた

「おっ、来た来た。おっはよー、プロデューサーさん♪」


「なぜ、君がここにいるんだ」

 部屋には、先ほど荷物を運んでくれた速水さんと城ヶ崎さん。そして、高垣さんと――。

 なぜか、塩見さんが俺の新しいデスクの椅子に、悠々と座っていた。

「いや、ほら、アレよ――温めておきましたー的な?」

「もういいから、そこをどきなさい。速水さん達も、今日はありがとう。帰っていいぞ」

「まーまーそう固い事言わずに、ほら、担当として楓さんとまず挨拶しといたらどう?」

 俺の話などお構いなしに、塩見さんは頬杖をつきながら手を高垣さんに向けて振っている。

 ――少し釈然としないが、彼女の言う通り、俺はこれから担当する高垣さんと相対した。


 高垣楓――こうして対峙すると、何というオーラ溢れる佇まいだ。

 穏やかな笑みをたたえたその美貌は優美そのもので、高身長かつ均整の取れたボディラインに、絹のような長い手足。

 これで歌も踊りも抜群に上手いというのだから、チートという他は無い。

 先ほどまで楽観視していたが、俺は彼女をしっかり面倒見切れるのだろうか?

 いや、せっかく美城常務――今は専務か。

 とにかく美城さんが、名ばかりチーフという最後の花道を俺に用意してくれたのだ。

 最後のお勤めくらい、しっかりしないとな。346プロに恩義があるのは事実だ。


「本日より、高垣楓さんの担当プロデューサーを務めさせていただきます。よろしくお願い致します」


「どうか、そう畏まらないでください」

 なるべく丁寧にお辞儀をした俺に、高垣さんはやはり優しく微笑みながら声を掛けた。

「あなたの事は、周子ちゃん達から良く聞いています。
 私の方こそ、困らせる事が多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いしますね」

「いえ、そんな」

 トップアイドルというのは、もっと高飛車な感じでもおかしくは無いはずだが、彼女は至って謙虚だ。

 いや、逆にこういう姿勢が業界人の好感を――。

「畏まられると、私も最近、ついお菓子を食べすぎて菓子困る、なんて。ふふっ」



 ――――は?

 な、何だ、今のは――?

「あら――ごめんなさい、お気に召しませんでした?」


「あぁ――楓さん、どうか気にしないであげて。
 ウチのプロデューサー、高垣さんがそういう人だとは思っていなくて、気が動転しているのよ」

 速水さんがフォローを入れると、高垣さんの顔がまるで子供のようにパァッと明るくなった。

 というより――ちょっと待て。

「“ウチの”プロデューサーだと? 君達はもう、俺の担当では」

 急にドアがガチャッと勢いよく開いたかと思うと、中に入ってきたのは――。


「お待たせ楓さーん! 言われたの志希ちゃん達買ってきたよー♪」

「ありすちゃんのいちごミルクもー☆」

「あら、ありがとう、志希ちゃん――フレデリカちゃん、いちごミルク、あげますね」


 一ノ瀬さんから喜んでそれを受け取ると、さっそく高垣さんがそれのプルタブに指を――。

「ってちょっと待て!」

 缶ビールじゃねーか! 何でそんなの買ってんだよ、そして何普通に飲もうとしてんのこの人!?

「あら?」

 キョトンとした顔で、高垣さんが俺を見つめる。

「あらじゃないですよ、朝っぱらから。
 一ノ瀬さんと宮本さんも、こんなの未成年が買っていいものじゃないぞ」

「ん、そうだっけ? あっちだとフツーに皆買ってたしねー、アタシは飲まなかったけど」

「あ、フレちゃんこの間ハタチになりましたー、イェー♪ 売店のおばちゃん優しかったよ?」

 ここの売店で買ったのか。

 売店のおばちゃんって、あのムスッとした、サッカーの大久保みたいな顔したおばちゃんか。

 あの人、俺が買う時は不愛想の癖に、アイドルには露骨に甘いからムカつくんだよな。

 ていうかアイドルに酒売ってんじゃねぇよ。


 そして――誰か、この状況を説明してほしい。

 高垣さんと俺しかいないはずのこの部屋に、何でLiPPSの面々が全員集合しているんだ?

 嫌な予感しかしない。

「あ、そうだそうだ、常務ちゃんからプロデューサーに伝言頼まれてるんだー♪」

 宮本さんが、俺の不信など無視するように極めてフレンドリーに声を掛けてきた。

「えー、オホン――私は君を、プロデューサーとしてそう高く評価してはいない」
「おおっ、フレちゃん常務のモノマネ上手いねー!」

 塩見さんが囃し立てる。そんなのどうだっていいんだよ。あと専務な。

「だが、君の持つ多方面の業界へのコネクションは、我が社の外交戦略において貴重なものだ。
 有事におけるワイルドカードとして、君の働きには期待をしるぶぷれしている」


 あの女――俺が好きで営業に回っていたとでも思ってんのか。

「まーね、あれだけの営業活動をして、しかも結果的にアタシら売れっ子になっちゃったもんねー」

 次第に顔が強張る俺を、一ノ瀬さんがさも興味深そうに観察しながら俺に講釈を始めた。

「あの時アタシらをPRしたキミに、ギョーカイの方々は大層恩義を感じてるそうだよ?
 346のプロデューサー殿のおかげで、良いものを見させてもらったってさ。
 常務としても、そうして得たキミの太いパイプをみすみす逃すつもりは無いんじゃないかにゃ?
 という訳で、おめでとうプロデューサー。キミはめでたく出世コースだねー♪」


 こ、コイツ――まさか、全て計算づくで俺を手の上で躍らせたんじゃないだろうな?

 俺を容易に辞める事ができなくさせるために、俺にそうさせるよう仕向け、ステイタスを構築させ――。

「あ、でさー、聞いてるプロデューサーさん?」

 塩見さんがタイミングを見計らい、ニヤニヤしながら切り出した。

「確かにプロデューサーさんはここに異動になったけど、あたしらも事業一課に転属になったんよねー。
 しかもそれが開けてビックリ、何と偶然にもこの部屋に♪」

「何すやっ!?」

 あの女、俺の希望を何一つ聞き入れてねぇじゃねーかっ!! 何考えてんだ!


「ぷっ、くくく――!」

 今度は俺の背後で、噴き出す声が聞こえる。

 振り返ると、腹を抱え、とうとう堪え切れず笑いだしたのは、城ヶ崎さんだった。

「ぷっふ、あは、アハハハハッ!! こんな、ふふっ! サイコー★
 全然気づかないもんなんだね、プロデューサー! アハハハハッ!!」


 彼女が堪えていたのは、泣く事ではなく笑う事だった。

 気づくべきだった――あの『アイドル・アメイジング』でも、彼女はそうだったじゃないか。

「君は良い女優になれるよ、城ヶ崎さん」

「ホント? カリスマJKを卒業して、今度は華麗に女優に転身、ってのもアリかな★」

 そう言って腰に手を当て、髪をふぁさっと掻き上げてみせる城ヶ崎さん。

 そういう路線も悪くない、だが――今の彼女は、普段にも増して憎たらしい。


「ふふ――そういう訳よ、ピーさん」

 速水さんが、デスクに腰かけながら俺を見てニコッと笑う。

「あなたくらい変人でないと、私達のように一癖も二癖もあるアイドル達のプロデューサーは務まるはずがないって、そう思わないかしら?」

 その隣で、塩見さんがようやく席を立った。

「マイナスとマイナスはプラスっちゅーかさ、まーそんなとこ? ね、ピーさん?」


 ――言い得て妙だ。

 宇宙人の世話は、宇宙人にしかできないと言いたいらしい。


「だよなぁ」


 塩見さんがケラケラ笑う

「アハハ、出た、本家本元。ところでさ、ピーさんのピーって、プロデューサーのP?」

「どちらかと言えば、そうありたいね。ところでそのあだ名、誰から聞いたんだ」

 掘り下げたくもない話が続きそうな折に、突然俺のデスクの電話が鳴った。

 聞き慣れない呼び出し音に、一瞬体が固まる。

 しかし、気を取り直し、急ぎ塩見さんがどいて間もない席に着き、受話器を取った。

「はい、事業一課です」

『座り心地はどうですか?』

「チーフ」

『あなたももうチーフでしょう? 普段通りでいいですよ』

 電話は内線のアリさんからだった。俺へのご機嫌伺いで掛けてきただけではないらしい。


『実は、ウチに新しいアイドル候補生が配属される事になったんです。
 スカウトではなく、自ら346の門戸を再び叩いて来てくれました』

「再び?」

 俺の嫌な予感は、残念ながら的中した。



『服部瞳子さんを、ウチで預かる事にしました。それを、あなたにも一応お知らせしたくて』

 何となく、そんな気はしたんだ。

 あのフェスが終わった後、彼女の瞳は、どんどん輝きを取り戻していくようだった。

 カムバックを決意した彼女の担当が俺でなかった事に、まずは安堵するべきだが――。


「しかし、正気なのか? 彼女は夢を叶える難しさと、夢が破れる恐ろしさを知っている」

『ですが、夢を与える尊さも、彼女は知ってしまいました。もう、僕では止めようもありません』

「サマーフェスで、彼女は再び現実を思い知る事になるぞ」

『生憎、服部さんにその気は無いようですよ。今日もさっそく息巻いてレッスンに行っています。
 もう誰にも負けないと――僕も、彼女をそこまで育て上げたい』


 ダメだな、彼女は――イイ歳して、夢見やがって。

「――上等だ。ウチの高垣とLiPPSが相手になろう。
 今のうちにメソメソ泣いて逃げておけと、俺が言っていたと彼女に伝えてほしい」

『ハハハ。かしこまりました。それでは、サマーフェスで』

「あぁ」


 ――どいつもこいつも。ままならない連中ばかりだな。

「服部さんがどうしたって?」

 俺の方からは、彼女の名前を一言も発していないのに、塩見さんがヌケヌケと俺に声を掛けた。

 とっくに、この部屋にいる俺以外の皆は、知っていたのだろう。



「皆――改めて言っておく」

 俺は椅子から立ち上がり、皆を見回した。


「俺は、君達が今後もアイドルを続けていく事を、決して快く思ってはいない」

「だが、それでもなお君達の意思が、揺らぐことは無いのだとしたら――」

「せめて、夢を諦めさせる側に立ってほしい。
 圧倒的な強者の立場で、凡人に格の違いを見せつけてやってほしい」

「ちょうど、哀れな子羊が事業三課に迷い込んで来たらしい。
 どうか彼女の目を、覚ましてやってくれ。俺からお願いしたいのは、それだけだ」


「却下に決まってんでしょ、そんなの」

 呆れ顔で城ヶ崎さんが手を振った。そう言うだろうな。

「大体、プロデューサーが服部さんに見せた夢でもあるんだよ? あのステージは」

「馬鹿言え」

 今度は俺が手を振る番だった。しかし――。


「プロデューサー――私は、瞳子さんとまた同じ舞台で競い合える事が、本当に嬉しいんです」

 そんな俺を、またもゆったりと優しい声が包んだ。

「私もこの子達も、瞳子さんも、プロデューサーの期待があればこそ、輝けます。
 私は、自分一人ではなく――皆で一緒に、階段を上っていけたらいいなって、思うんです」



 ――結局、見解の相違だな。

 トップアイドルへの道は狭き門で、大渋滞だ。蹴落とさなきゃ上れないのは、俺にだって分かる。

 なのに、彼女の言ってる事はまるで違う。俺はこの先、彼女達を理解する事は出来ないのだろう。


 ――だけど、それでいいのかもな。

 分からないからこそ面白い、という考え方もある。



「あと一年だけだ」

「あと一年?」
 宮本さんが不思議そうに首を傾げる。

「一年は面倒を見よう。その後は、君達を別のプロジェクトに預けようと思う」


 俺は、顎でクマさんがいる隣の部屋を差した。

「シンデレラプロジェクトって、知ってるだろ? そのプロデューサーが大変有能でな。
 俺も一時手伝ったが、とても雰囲気の良い所だ。新規参加者もいつでも募集しているらしい」

「にゃるほどー、その人にアタシ達を押しつけるってこと?」

 一ノ瀬さんは、人を食ったような表情を未だに崩さない。俺も毅然とした態度で答えた。

「押しつけるなんて言っていない。彼の方がよほどまともにプロデュースしてくれるという話だ。
 彼には話を通しておくよ」

「手を抜きたい、って言ってるようにしか聞こえなーい」
 塩見さんは、俺を見て飽きずに笑っている。もういいだろ、放っといてくれ。

「いいから、レッスンにでも行ってきなさい」

 そう言って、ため息を吐きながら椅子に座り直し、パソコンを立ち上げる。

「はい、どうぞ」

 手近にあったジュースを渡される。ちょうど良かった、喉がカラカラだ。

 そういや朝飯もまだ――。

「!? ッ、げふ、げふっ!!」

 こ、これ――さっき高垣さんから没収したビールか!? うっかり飲んでしまった。

 プシュッ!

 と、俺のそばでプルタブが開く音がしたので、見ると、高垣さんだった。

 俺に缶ビールをさり気なく渡したのは彼女であり、彼女は俺を共犯に仕立て上げたのだ。

 プロデューサーが飲んだのなら、私も飲んで構いませんよね? という感じの、期待に満ちた顔を俺に向けている。


 後で知る事だが、前任のプロデューサー、通称ヒゲさんは、彼女との飲みにしばしば付き合わされたらしい。

 元々強くない彼は、その無理が祟ってしまい、あえなく休職する羽目になったのだそうだ。


 この人は――なるほど、勝手に真人間だと思っていた俺が馬鹿だったな。

 まぁ、かえって箔が付くというものだ。配属初日から、アイドルと酒を飲むプロデューサー。

 素行の悪さを理由に、お偉方に俺を解雇させるなら、この行いもそう悪くない。

 事業一課長の判子の置き場所は、既に先ほど教わっている。


 しめやかに乾杯し、景気づけにグイッと一飲みすると、俺は改めてパソコンに向き直った。

 ここでの俺の最初の仕事は、俺を解雇または転属させるための、人事課宛て事業一課長名での意見書の作成。

 そして、LiPPSらの移籍に向けた、クマさん宛ての引継ぎ書の修正だ。


 初日から、忙しくなるな。

 (♡)

 にゃははー♪ やっぱりこのメンバーは志希ちゃんの想定の遥か上を行くねー♪

 これだからやめられないよ、アイドルってのはさ。アタシも皆も楽しくて仕方ないもん。

 彼の強情っぷりも実に興味深いけど、もはやアタシ達に振り向くのは時間の問題かにゃ?

 プロデューサーが自分の思いにいつ気づくのか。アタシ達がいつ気づかせるのか。

 それを見届けるまでは、この観察記録もまだまだ続けていかないとねー。

 Nice to meet you, our Amazing Future !

 本当に、ありがとう。皆。


 (★)

 まったく! この人ってホンットに、頭でっかちの分からず屋なんだから。

 アタシ達の『MEGALOMANIA』をちゃんと聴いてたのかな?
 いや、何度でも聴かせてあげなくちゃ。

 プロデューサーが自分の凄さに気づいてくれるまで、アタシ達は何度でも。

 アタシももっと頑張らなくちゃ。
 こんな凄いメンバーと一緒にいても、恥ずかしくないくらいにもっと。

 ていうか、アタシくらいしかまともなのいないじゃん、この面子!
 もうっ、面倒見てあげるのは莉嘉だけで手一杯なのになー。何でこうなっちゃうんだろ。

 (・)

 早急に、転属または解雇されたし、と――よし、意見書のたたき台はこんな所か。

 あぁ高垣さん、二本目はダメですよさすがに! 当たり前でしょう。

 そうですね、分かりました。今日のレッスンが終わったら飲んでいいです。はい。

 ――さすが、トップアイドルだよな。まともな人間であるはず無いものな。

 クソゲーかよ。これ以上宇宙人の面倒など見切れるか。一年と言わず、早急に異動を――。

 あー高垣さんごめんなさい、行きます行きます! お腹痛い。


 (■)

 フフッ、哀れなものね。

 判子が誰でも押せる分、事業一課長名の文書にそこまで重みは無いって、専務が言っていたわ。

 あえて教えずに、そのまま動向を見守るのもまた一興かしら?
 散々私達に無礼を押し付けて来たもの。一度お灸を据えたあげた方が良いでしょうね。

 図らずもこんなメンバーのリーダーに、力不足ながらもなってしまった私だけれど――。
 凡人代表として、凡人の目から天才達を見守る事について、これ以上の適任はいないとも思うの。

 だから、もう少し――いいえ、私の気の済むまで、皆には私と一緒にいてもらうわよ。ねっ?


 (♪)

 ンー? あれー、ねーアタシのケータイ知らなーい?

 (◇)

 たぶんさ、一年後も同じ事言ってると思うよあの人。
 あと一年だけだー、なんてさ。

 ま、ちょうど良いんじゃない?
 イイ歳してこじらせちゃってるプロデューサーと、始末に負えないアイドル達。

 何だかんだで、バランス取れてると思うんだよね、あたし達。
 深淵を覗いてる方も大概深淵っちゅー事かな。知らんけど。

 しかし、個性豊かな人達がこんな一つ所によー集まったなホント。楓さんまでいる。
 せいぜい色が白いだけのあたしなんてまるで空気。笑っちゃうね、アハハ。

 そんな訳で、一筋縄ではいかないメガロメガ盛りのお騒がせユニットLiPPSを今後ともどうぞよろしゅー。
 あ、あと楓さんもね。お後がよろしいようで。



 ん? 携帯鳴ってる。フレちゃーん、携帯ー。

 ってあたしのやん。ごめーんフレちゃん、やっぱなんでもなーい。


 ――おっ? ふふっ。


 はいはい、どうしたの?

 ん、あたし? 元気でやっとるよ。

 いやだって、あたし以外の皆、本当すごい子達ばかりやもん。退屈せんわそりゃ。

 うん――うん、それはね。全然、こっちは心配いらん。

 そうそう、あのオーディション受かったよ。この間言ったヤツ。美嘉ちゃんも一緒。

 まーね。美嘉ちゃんはともかく、あんな飛び入りで、しかも失礼丸出しなあたしまで採用するなんてさ?
 あのお偉いさん、ちょっと奇特なお人だよね。アハハ。


 あ、ところでさ、ばあちゃん元気? まだ生きとる?


 いや、だってさ? あたしが東京出るとき、言ってたやん。
 周子がテレビに出るまで死ねんねぇ、って。

 すっかり売れっ子になっちゃったシューコちゃんを見て、ばあちゃん満足してポックリいってないか心配でさ?



 ――アハハハ、だよねー♪

 怪物達による、怪物達を観察した記録の一端。


  LiPPS「MEGALOUNIT」 ~おしまい~

すごく長くなってしまい、すみません。
変な所も多々あるかと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、失礼致します。

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