モバP「ウサミンは変わらないなあ」 (11)

 千葉県千葉市。
 三階の一番南側、日当たりのいい部屋に、僕の担当アイドルはいる。

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 エレベーターを降りて、ゆっくりと車いすを動かす。
 扉を開けると、懐かしい顔がいた。

「やあ……こんにちは」
「え……プロデューサーさん? 大丈夫なんですか……?」

 部屋の中には、菜々の旦那さんと、ちひろさんがいた。
 ちひろさんはともかく、旦那さんと会うのは菜々の結婚式以来だろうか。
 
「ようやく医者が折れてくれてね。会いに行ってもいいかと聞いたら、二つ返事でいいよ、と」
「……そう、ですか」

 ちひろさんの眉間にシワが寄る。シワが増えたな……とは思ったが、殴られたくはないので黙っておく。

「お久しぶりです。結婚したばかりなのに……僕のせいでこんなことになってしまって、申し訳ありません」
「いえ……あなたのせいでは、ありませんよ」

 旦那さんも苦労していたのだろう、式の頃よりも白髪が増えていた。

 旦那さんに促されて、僕は菜々の横に腰かけた。

「やあ、菜々。久しぶりだな……元気そうじゃないか」

 僕の担当アイドル。
 安部菜々は、穏やかに病室のベッドの上で眠っていた。
 七年間、ずっと。

「今日は、笑ってるような気がするんです」
「そうか……そうだね。今日は、天気もいいからね」

 バスを待っていた僕と菜々に、軽トラックが突っ込んできたのが七年前。
 下半身不随になったのが僕。
 頭部にダメージを受けたのが、菜々だった。
 脳というのは、桶に入った豆腐のようなもので……桶に強い衝撃を与えると、豆腐は崩れて二度と戻ることはない。
 そんなような説明を、当時一ノ瀬さんから受けた、と思う。はっきりとは、思い出せないけれど。
 菜々はその日から、変わらない。
 永遠の十七歳のまま、今日も眠っている。

「今日はね。お別れを言いに来たんだ」

 横に立つちひろさんの、顔色が変わった。

「あの事故の時、僕もどうも痛めたらしくてね……ここがちょっと、ダメらしいんだ」

 指をこめかみに当てる。菜々は何も反応しない。

「今はまだいいんだが……物忘れがひどくなってきてね。このまま行くと、菜々のことも覚えられなくなるらしい」

 自分がプロデューサーだったことも忘れ、やがて僕は廃人となり死に至る。
 そして菜々のことも、僕が愛してやまないアイドルのことも、次第に忘れてしまう。
 僕は、それが怖かった。
 だから、これでおしまいだった。

「菜々。君が目覚めた時に、僕が君を覚えていないんじゃ、何かと恰好がつかないだろう?」

 つまり僕は、逃げ出すのだ。
 僕が菜々のことを忘れてしまう前に、菜々の前から去る。
 菜々が最後に会った僕が、彼女のプロデューサーだった僕であるために。
 
「すまない。結局僕は……君をシンデレラガールにはしてあげられなかった」

 彼女と何をしたのか、正直なところ、今となってははっきり思い出せない。
 クリスマスに何をしたのか。年末に何をしたのか。
 それでも、彼女にてっぺんの景色を見せてあげられなかったことは、僕ははっきりと覚えていた。
 それだけが、心残り。
 僕の人生の、悔いと呼べる部分だった。

「さよなら、菜々。僕の最高のアイドル……」

 ちひろさんにも別れを告げて、病室を出る。
 無機質な廊下。
 ぼんやりとした記憶の中、彼女の歌声らしいフレーズが、僕の頭の中に浮かんでいた。

「みみみん、みみみん……」

 不思議と、涙が零れてきた。
 この涙を流しきる頃には、僕はこのフレーズの意味も忘れてしまうのだろう。
 菜々の目覚めを祈って、僕はウサミン星を去った。

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