棟方愛海「あたしの罪としがない苦しみ」 (25)

「貴女のせいよ」

夕日が射す教室で、彼女は言った。

「貴女のせいよ、棟方さん」

先ほどまで愛を囁いていた唇が、微笑に歪みながらあたしを責め立てる。

「私、女の子を好きになっちゃったわ。ほんの少し前まで、恋に恋してたっていうのにね」

「貴女に出会わなければ、普通に男の人に恋をしていたというのに」

「今では毎日貴女のことばかり考えているわ」

彼女は笑みを絶やさない。

もうすぐ欲しいものが手に入る、そう確信した顔だ。

「女の子が女の子を好きになるなんて気持ち悪い、なんて言わないわよね?私がこんなふうになったのは貴女のせいなんだから」

「嫌とは言わせないわよ」


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彼女はあたしの右手を掴んで無理やり自身のお山に押しつけた。

普段あんなにも求めていた感触なのに、いつも通り柔らかくて温かいのに。

何故だろう、今すぐ手を離したくて仕方ない。

「好きなんでしょう。何度も触ってきたものね。これからはいつでもどこでも好きな時に揉んでいいのよ。だから」

私と付き合って。

そう囁いた唇は、迷うことなくあたしの唇へと迫る。

ぴしゃり、と乾いた音が教室に響いた。

あたしが彼女の頬を叩いた音だった。

訪れた長い静寂の後。

「……貴女のせいよ」

悲痛な声でそう呟いて、彼女は教室から去っていった。

アイドルになる前の中学一年のある秋の日。

あたし、棟方愛海は友達を一人失った。

「起きてくだしゃい、愛海ちゃん」

聞き慣れた声で目が覚める。

あたしは事務所の休憩室にあるソファーで眠っていた。

レッスンが終わった後に同じく今日レッスンのくるみちゃんを待っていたんだった。

「おはよう、くるみちゃん」

「おはようございましゅ。ごめんなしゃい待たせちゃって」

「寝てただけだから気にしないで」

そう言って体を起こすとくるみちゃんがあたしのコートを手渡してくれた。

「もう外真っ暗でしゅよ。帰りましょう」

最近はレッスンがあった日は毎日くるみちゃんと帰っている。

帰る準備をして外へ。

秋ももうすぐ終わる時期、夜は冷える。

「うなされてたけど夢を見てたんでしゅか?」

道中、くるみちゃんが聞いてきた。

あんな夢を見たせいか、やっぱりうなされてたらしい。

「んーっとね」

夢は見た。

まだアイドルになる前、青森にいたころのある出来事の夢だ。

いつも一緒に帰っていたクラスメイトから、ある日放課後呼び出されて、告白をされて、それから……。

どうしてあんなことになってしまったんだろう。

あたしはただ柔らかくて温かいお山に登りたかっただけ。

人として当然に求めるもの、人の温もりを求めただけなのに。

恋愛なんて求めていなかったのに、どうして。

……それとも、本当にあたしのせいなんだろうか。

「愛海ちゃん?」

くるみちゃんが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「ごめん。夢の内容、忘れちゃった」

咄嗟にごまかす。

あまり深くあの出来事について考えたくなかった。

「それよりもさ、駅のそばに新しいお店が」

話題を変えようとした時、ひゅうと冷たい風が吹いた。

「ひゃっ、うう……。しゃむい……」

冬が近いことを知らせる秋風は、くるみちゃんには辛いみたい。

あたしはくるみちゃんを気遣って。

「大丈夫?温まるためにお山登ろうか?」

「いらないでしゅ」

冷たい。

くるみちゃんは自分の意見をちゃんと言える子だね。

とはいえ寒いのは事実だろうから。

「じゃあ手を繋ぐ?」

妥協案を提示してみたら。

「うん」

と喜んであたしの手を取ってくれた。

くるみちゃんの手から人の温もりが伝わってくる。

くるみちゃんも同じなのか、さっきより元気そうだ。

「やっぱり間違ってないよね」

「愛海ちゃん、何か言ったぁ?」

「ううん、なんでもない」

この指先から伝わる温もりを求めることが悪いことなわけない。

くるみがレッスンを終えて事務所に戻ると、愛海ちゃんがソファーで眠っていた。

待たせちゃうから先に帰っていいと言ったのに。

起こさなきゃ、と思うけどもう少しだけ愛海ちゃんの寝顔を眺めていたい。

「えへへー」

アイドル業界に入ってたくさんの美人さんを見てきた今のくるみが改めて見ても、愛海ちゃんは綺麗だ。

今だってただ寝ているだけなのに、加工なしで仕事用の写真に使えそう。

黙っていれば美少女と噂されるだけのことはある。

でも、これは秘密なんだけど。

くるみは起きて喋っている愛海ちゃんの方が好きだ。

大沼くるみが好きなもの。

豆乳、お風呂、ポケットティッシュ集め。

大沼くるみが苦手なもの。

勉強、体育、からかってくる男子。

大沼くるみが嫌いなもの。

おバカな自分、ノロマな自分、お胸が大きくてからかわれる自分。

でも、そんなくるみを好きだと言ってくれた人がいた。

事務所に入ってしばらく経つのに物覚えが悪くて道がわからないくるみを、馬鹿にすることなく愛海ちゃんは手を引いてくれた。

要領が悪くてレッスンで居残りになるくるみを、愛海ちゃんは今も待ってくれる。

くるみのコンプレックスだった大きなお胸を愛海ちゃんはいつも褒めてくれる、のはよくわからないけど、でもくるみは前よりお胸を隠さなくなった。

どうしてそんなに構ってくれるのか、愛海ちゃんに聞いたことがある。

そしたら愛海ちゃんは構ってるつもりはないんだけどな、と少し恥ずかしそうにした後に。

「くるみちゃんのことが好きだからだよ」

と笑って言ってくれた。

言われた相手が、愛海ちゃんにどんな気持ちを抱くのかまったく考えていない笑顔で。

「ねえ、知ってりゅ愛海ちゃん?くるみね、愛海ちゃんに会って、前より自分のこと好きになれたよ」

「あとね、好きな人もできたの」

寝ている愛海ちゃんの髪を撫でる。

「愛海ちゃんのおかげだよ」

愛海ちゃんの髪から指を離すと、愛海ちゃんが何か言っているのが聞こえた。

「……さい」

寝言だろうか。

耳を傾けると、次はちゃんと聞こえた。

「ごめん……なさい……」

聞こえたのは謝罪の言葉。

よく人のお山に登ろうとして叱られている愛海ちゃんには珍しくない言葉だけど、今聞こえた声はいつになく苦しそうで悲しげだった。

どんな夢を見ているんだろうか。

わからないけど、くるみはきつく握られた愛海ちゃんの手を両手で包む。

「いいよ」

愛海ちゃんの悪いところをくるみは赦してあげる。

たとえ他の誰もが赦さなくても、愛海ちゃん自身が赦さなくても、くるみだけは「いいよ」って言ってあげるんだ。

愛海ちゃんがくるみのことをくるみよりも好きでいてくれるように。

くるみは愛海ちゃんのことを愛海ちゃんよりも好きでいよう。

ふと窓の外を見たら、もう暗くなっていた。

最近は夜になるのが早い。

「起こしてあげなくちゃ、ね」

視線の先には愛海ちゃんの唇。

ゆっくりと、愛海ちゃんに近づいていき。

あと少しで唇と唇が触れる距離になったところで。

「なんてね」

自分に言い聞かせて顔を離す。

わかってる。

愛海ちゃんはこんなことを望んでいない。

貴女の好きも優しさも、全部友達に向けたものだって知っているから。

嬉しくなって勘違いしたりなんてしない。

「待ってりゅから」

いつか貴女から特別な好きを貰える日を。

もしかしたら、そんな日はこないかもしれない。

辛くて苦しい毎日を隣で過ごすだけかもしれない。

でもこの苦しみが、人を好きになったら誰もが経験するものだって。

今のくるみは知っている。

最後にもう一度愛海ちゃんの髪を撫でてから声をかける。

「起きてくだしゃい、愛海ちゃん」

愛海ちゃんを起こして帰る準備をして、一緒に事務所を出た。

最近はレッスンがあった日は毎日愛海ちゃんと帰っている。

くるみが愛海ちゃんのレッスン日に合わせてレッスンを入れているだけなんだけど、いつも一緒に帰ろうと言ってくれるのは愛海ちゃんの方だ。

帰り道、冷たい秋風が吹いた。

寒がっていると愛海ちゃんが声をかけてくれた。

「大丈夫?温まるためにお山登ろうか?」

愛海ちゃんの提案を丁重に断る。

まだお胸を揉ませるわけにはいかない。

お山じゃなくて、くるみのお山を欲しがるまでは。

大沼くるみの全部を愛海ちゃんが欲しがってくれる時までお預け。

「じゃあ手を繋ぐ?」

差し伸べてくれた手をくるみは喜んで握った。

指先からゆっくりと愛海ちゃんの温もりが伝わってくる。

いつかこの温もりがお胸まで届く日がくるのだろうか。

今はまだ指先でしか感じられない熱がもどかしい。

ひゅう、ともう一度秋風が吹いた。

今度は寒くなかった。

おしまい!

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