渋谷凛「八割、二割」 (16)


この感情が生まれたのはいつからだったか。

プロデューサーと出会って一年か二年したときだったっけ。

もっと短かったかもしれない。

芽生えたての頃は実に自分の年齢を怨んだものだった。

もう少し、もう少しだけ私が幼ければ諦めることができたのに。

もう少し、もう少しだけ私が彼の年齢に近ければ、この感情に現実感を持たせてやることができたのに、と。

今は、うん。

そこそこ気に入っている。

理由は、他の誰かが聞いたらとてもとても、仕様もないことなんだけど。


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◆ ◇ ◆ ◇ 


「プロデューサーはさ、恋人とか……いないの?」

二人して何でもない話をしながら事務所への道を歩いてるその最中に、私は唐突にそう切り出した。

彼は少しびっくりした顔をして、「どうしたの。急に」と言ってその後で、たははと笑った。

「いないよ」

そう言うだろうな、と思っていた。なぜなら、いたとしても、いないと言うのが普通だから。

余計な詮索を受けたくないなら、それが模範解答だから。

「そっか」とわざと素っ気なく返してやると、彼はむっとした顔をする。演技だと分かった。

「ホントだからな」

「……そういうことでいいよ」

「ホントなんだけどなぁ」




「じゃあさ、何で作らないの? 作れない訳じゃないでしょ?」

「なんか棘があるな」

「ないよ」

「そういうことでいいよ」

「私の真似した」

「仕返し」




「っていうか、話逸らそうとしてるでしょ」

「ばれたか」

「ばれたかって……そこは取り繕うとこじゃない?」

「正直者ですから」

「はいはい。いいから答えてよ、正直者さん」

「んー……なんだろなぁ。ありきたりだけど、今は仕事が恋人って感じなんだよ」

「ありきたりだ」

「言ったろ、ありきたりだって」

「でも、まぁ。何となくわかるよ。仕事、楽しんでやってるんだろうなって」

事実として、私の目から見ても毎日楽しそうで、彼にとって今の仕事は天職なのだろうと思う。




照れ臭そうに頬をかいて、「あのさ」と前置いてプロデューサーが語り始めた。

「一回も……というか誰にも言ったことないんだけどさ。凛を担当してからなんだ。仕事、楽しくなったの。もちろん、これまでが楽しくなかったわけじゃないし、それなりにやりがいみたいなものも感じてたけれど、劇的に変わったのは凛を担当してから」

驚きだった。

まさかまさか、“同じ”だったなんて。

「……そうなんだ。てっきり天性のものなのかと思ってたよ」

平静を装って、当たり障りのない返しをした。

「つまり、だ。凛があんまりにも真っ直ぐで前のめりで、一生懸命だからさ、あてられちゃった……っていうと聞こえがよくないかもしれないけれど、俺がなんとかやれてるのは凛のおかげなんだ」

ここまで、赤裸々に語ってくれたなら、私だけ隠すのは卑怯かな。

卑怯だろう、と思う。

だから、意を決して、私も胸の内を明かすべく「それさ」と前置いて語り始める。

「全部そっくりそのまま返すよ。だって、私がアイドルやってみようと思えたのはプロデューサーがあんなにも必死だったからだし、アイドルになってからも誰にも負けたくないと思えたのは、そう思えるだけの労力を期待を、私にかけてもらえたからなんだよ?」

きっと、これは、どちらが先ということもないのだろうな、と思った。

お互いがお互いに作用し合って、化学反応が起きて、アイドル渋谷凛とその担当プロデューサーが生まれたんだろう。




「お互い様……だったかぁ」

「うん。お互い様」

「いつもありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ」

変なやり取りだ。




「そういえば、さっき言ったよね。仕事が恋人って」

「ああ、うん。言った」

「プロデューサーの仕事は私を担当する……プロデュースすることでしょ?」

「それだけではないけれど、まぁ大枠というか、主にやってることってなるとそうだな。凛をプロデュースすることだ」

「じゃあさ、プロデューサーの恋人の八割くらいは私ってことにならないかな」

ちょっとだけおどけた調子で私がそう言うと、彼は手に持った缶コーヒーを取り落としそうになった。

「いやいやいやいやいや」と手と頭をぶんぶん振りながら、あわあわする彼は面白かった。




「まずいでしょ」

その言葉の意味することはすぐに理解できた。

「なんで?」

「なんで、ってそりゃあ、スキャンダルになる」

「スキャンダルも何も、これまでと何も変わらないよ。アイドルとその担当プロデューサー、これ以上でも以下でもない。そうでしょ?」

「それはそうなんだけど……」

「それで、プロデューサーは仕事が恋人」

「いや、うん……そう言ったけど」

「じゃあ六割くらい?」

「割合の問題でもなくて」

「だったら、何が問題なの?」

「それを認めちゃうと、いろいろと差し障りがある」

「もうちょっと具体的に」

「どぎまぎする」

真面目な顔でプロデューサーがそんなことを言うもんだから、堪らず私は吹き出してしまって、笑いを止められなくなった。




「自分で言い出したのに?」

「自分で言い出したのに」

「どぎまぎするわけなんだ」

「どぎまぎするわけなんだよ」

プロデューサーは両手を挙げて、バンザイの姿勢を取って「もうどうにでもしてくれ」と泣きそうな声で言う。

それがまたおかしくて、涙目になりながらお腹を抱えて「どうにもしないよ」と返した。




もう事務所は目と鼻の先という所で、ローファーをこつん、と鳴らして大きく一歩前へ。

私はプロデューサーの前へと躍り出る。

そのまま踵を軸にして、くるりと方向転換して向かい合う。

「変なお願い、してもいいかな」

「ああ、もういいよ。この際なんでも来い。俺にできることなら何なりと」

完全に戦意を喪失した彼は、わざとらしいため息を吐く。




「残り二割、いつか渡してね」

鳩が豆鉄砲を食ったみたいに立ちすくむプロデューサーをよそに、私は事務所への残り僅かな距離を駆けた。



おわり

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