ジャンヌ・オルタ「台無しにしてあげます」 (15)

「台無しよ」

「全部全部、何もかも全部を台無しにするの」

「あなたの全部を……私は……」


 カルデアのマイルーム。電灯の光は消され、蝋燭の淡い光にぼんやりとだけ照らされた部屋の中。そこへ僕は彼女と二人で共にいた。

 ジャンヌオルタ。かつて訪れた特異点で敵対した竜の魔女。数々の特異点でその力を奮ってくれた大切なサーヴァント。人理修復を成した後、この今になってもその身をここへ置いてくれている彼女。彼女と二人……他に誰もいない二人きりで、僕は今ベッドの上へ身体を横に寝かせている。


「あなたが用意してくれた何もかも」

「このドレスも、この花束も、この水も」

「全部台無しにするのです。……しなければいけないのです」


 新宿で纏っていた黒のドレス。特別に再現して仕立ててもらって、そうして今日僕から贈ったそれ……所々が破け、内に秘めた陶器のように真白い肌を隠せずにいるそれを纏った彼女。

 皺を作って乱れたシーツ。鮮やかな赤色……カーネーションの花弁を幾重にも散らしながらぐちゃ、と乱れたシーツの上。そこへ僕は横になって……彼女に、身体を押し倒されていた。


「ほら、私を見なさい」

「そう。見て。逸らさないで口を開けて」

「口です。開けて。……いいからほら、開けなさい」

「台無しにしてあげる。これもまた、この水も台無しにしてあげますから……」


 頬へ添えられた冷たい手、まっすぐ一途に注がれる潤んだ瞳、投げ掛けられる声に促されて口を開く。

 抵抗は無駄。身を捩って震わせて……そうして逃れようとする僕の抵抗は彼女の前では無駄なのだと、それはもう教え込まされてしまっている。押さえ付けられて、のし掛かられて、僕はもう逃れられないのだと。

 だから僕は言われるまま。少しの躊躇の後、抵抗はせずに開いてみせて。彼女の求めるまま身を許す。


「丹念に時を重ねて絞られた、心地のいい温度へと冷やされた、この時のためにあなたが用意してくれたこれ」

「これも台無しに……。余計な不純物を混ぜ入れて、心地いい冷たさを無惨に奪って……そうしてあなたへ贈りましょう」

「口移しで、飲ませてあげます……」

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 開いて晒した口の中へ生温い水が注がれる。

 透き通るようだったはず。けれど今は半分濁った粘り気のあるそれ。一度彼女の中で泡立てられたその水が、僕の中へと入ってくる。

 初めはだらだら、と。握った拳を一つ間へと置いたくらいの距離、それを開けた上から垂らされて注がれて。やがて直接、唇を重ねながら送られる。


「ん、……ふ、はっ……」

「……ふ、ふふ」


 ごくんごくん、と注がれた水を飲み込む。そうして口の中を空ける度、次を次をと注がれて。それを数分。息を荒げながら胸を上下させる僕の唇へ最後に一度舌を這わせて舐め上げてから、それからやっと離れた彼女が笑みを零す。

 僕と同じく整わない吐息を漏らしながら、満足そうにうっとりと。


「台無しね」

「せっかくあなたが仕立てたドレスも、綺麗で美しい花の束も、甘美に澄んだこの水も」

「あなたの唇も」

「台無し。全部全部台無しよ」

「私に破られて私に散らされて。私に汚されて私に奪われた」

「台無し」

「あなたはもう、私で全部台無しなの」


 真白な頬へかすかな紅色を差し入れて、今にも涙が溢れてしまいそうなほど潤んだ瞳で。そんな、普段と違う彼女に言葉を尽くされる。

 普段と違う。少し前……今この部屋のどこかに転がっているのだろう小瓶、その中身を飲み干してから変わってしまった彼女。普段にはない言動、行動を起こす今この彼女に。


「可哀想な人」

「何もかもを穢されて……踏みにじられて……台無しにされて……」

「可哀想。私のせいで」

「私を喚んでしまった。私を傍へ置いて、私を許してしまったせいで」

「私に、想われてしまったせいで」

「可哀想。本当に、可哀想」

 静かにそっと、壊れ物を扱うような繊細さで頬を何度も撫でられる。

 胸は胸。腹は腹。足は足。それぞれ互いの同じ部分を重ねて……顔も、吐息が混ざり合うくらいのすぐ傍へと重ねながら。

 撫でられる。何度も何度も。交わした視線は結んだまま。


「もう駄目」

「あなたにはきっと未来があった。幾つもの煌めく未来が」

「でも駄目。もう駄目。それはもう台無しになった」

「あなたの未来には私がいる」

「……それは、きっと選ばれない。あなたの周りにはたくさんの人がいる。数えきれないほどの人。あの聖女だって」

「だからきっと選ばれない。私の願いは叶わない。……けれど」


 途切れず言葉が降り注ぐ。

 普段とは違う彼女の、普段は口にしないような言葉。

 彼女の言葉。……硝子で造られた小瓶の底、そこへ小さく刻まれていた文字を信じるのなら……普段は秘めている想いを隠さず乗せた、本心からの素直な言葉。

 それが注ぐ。僕へと向けて彼女の口から。


「望んでしまった。あなたを想って願ってしまった」

「選ばれなくても関係ない。たとえあなたが誰を選ぼうと……このカルデアの誰か、私の知らない誰か、あの聖女のことを選ぼうと関係ない。私は望む。想う願う」

「だから駄目。手遅れなのよ。あなたが私を選ばなくても、あなたは私から逃れられない。あなたの未来には私の影が差し込むの」

「もうあなたは、私に台無しにされるしかないのよ」


 添えられる手が二つに増える。

 それまで胸元を押さえつけるようにしていた手も頬へ伸びて、両方共を撫でられる。

「……私は違う。他のサーヴァント達とは違う。過去の無い泡沫の存在。積み上げた歴史を持たない空虚な贋作。偽物の復讐者」

「だから届かない。どれだけ手を伸ばそうと、どれほど叫びを漏らそうと私はあなたに届かない」

「何をしようと私は贋作。何をしようと私は復讐者。憎悪に塗れた偽りの存在としてしか、私は結局いられない」

「今この時を生きる者なら届くのでしょう。過去を持つ本物なら届くのでしょう。あの聖女でさえ、きっとあなたに届くのでしょう」

「それでも私は届かない。あなたへ……あなたと並び立つその場所まで届かない」


 誕生日。召喚されてからちょうど一年の節目、この今日を彼女の誕生日にしようとして開かれた誕生日会。ジャンヌダルクの提案によって実現されたその会で、僕は彼女を祝っていた。

 気分が乗らないふうに振る舞いながら、口々に悪態や不満を吐きながら、それでもその会を受け入れて、主役として参加していた彼女。

 カルデア内の全員。職員からもサーヴァントからも祝われて……素直にはなれず、恥ずかしさに焼かれ照れに振り回されて……けれど確かに祝われて、それに心を震わせていた彼女のことを僕も。

 用意していたドレスを贈って、相談しながら数日をかけてやっとそれに決めた花束を手渡して、そうして僕も祝っていた。大広間で皆と一緒に。


「私はあなたに届かない……それはわかっているけれど、それでも私はあなたを望む。あなたが欲しい。あなたがいい」

「だから台無し。可哀想なあなたのことを、私は全部台無しにしてしまう」

「届かないなら落とすしかない。あなたに届かない私があなたのことを望むなら、私のここまであなたを落とすしかないのだから」

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 それが今は二人きり。素直になれない姿を見かねたジャンヌダルクがどこからか……きっとダヴィンチちゃん辺りなんだろうけど、どこからか手に入れて持ってきた小瓶。「せっかくの機会なのですから」と差し出されたそれを受け取った彼女は数分の問答の後に飲み干して。そしてそれからすぐ、僕の手を引いてこのマイルームへと連れ込んだ。

 鍵は掛けられずに空いたまま、入ろうと思えば誰でも入れてしまうこの部屋の中。けれど連れ込まれてから今この時まで、ここへは他の誰も入ってきていない。きっとわざと二人きりにしてくれているんだろう。もしかしたら扉の向こうで聞き耳を立てられているのかもしれない。

 連れ込まれて、押し倒されて。それからずっとこう。熱く濡れた吐息を吐きかけられながら、何度も重ねて言葉を注がれ尽くされている。


「炎で焼きましょう。地獄の底まで付き合ってもらいましょう。そう言ったことがありました」

「今の私にそれはできません。あなたを焼くなんてできない。地獄の底まで付き合ってもらえなくても構わない。あなたの終わりは私でなくてもいい。私の終わりにあなたはいてくれなくてもいい。あなたの未来はあなた自身が決めればいい」

「それでも影は落とします。あなたを望んで、私のここまで引き摺り下ろそうとすることはやめません」

「たとえ叶わないのだとわかっていても、それでも私は縋ります。まるで塵芥のような可能性だとしても、あなたに選ばれる未来を夢見ます」

「私が『夢見る』だなんて……そんなの、滑稽だとも自覚はしているけれど」


 頬へ添う手はそのまま、親指の腹でそっと唇を撫でられる。

 垂らされたときに外れて落ちた半透明の生温い水。口の周りを汚すそれを掬い上げて絡ませながら、その指を何度も何度も這わせて重ねる。

 そしてそれから。じっくりと感じ入るように時間を尽くして間を置いてから、もう既に近かった距離を更に縮めて言葉の続き。

「叶うことを夢見て、たとえ叶わなくてもあなたの未来へ私を……望まれない影という形であってもいい、忌避される呪いとしてでも構わない、あなたの未来へ私を刻む」

「あなたにとっては迷惑な話でしょうね。私に想われたばかりにこれからの未来を穢されて。全部全部を台無しにされて」

「でも駄目。もう取り返しはつきません。潔く諦めてください」

「あなたはもう私から逃れられない。私はもう、どうあってもあなたのことを放せないのですから」


 ちゅう、と口付け。

 軽く触れ合うだけのキスが唇へと降ってくる。


「私には過去がない。空虚な贋作に過ぎない私は……けれどだから、その初めての何もかもをあなたへと捧げられる」

「この心も、この身体も。私という存在の初めて、そのどんな何もかもを私はあなたへ捧げます」

「重いでしょうね。迷惑でしょうね。苦痛でしょうね。……ああ、本当に哀れな人」

「私のようなものに想われてしまったせいで。可哀想。可哀想」

「でも」

 額に。瞼に。鼻に。頬に。唇に。

 キスが降る。胸を通して伝わってくる早く大きな鼓動と同じ荒い吐息を供にして、何度も何度もキスが降る。


「好きよ」

「あなたが好き。あなたに恋して、あなたのことを愛しているの」

「だから駄目。地獄の底まで連れ去りはしないけれど、私のこの想いには付き合ってもらいます」

「ずっとずっと。いつまでもいつまでも。あなたが果てるその時まで」


 重ねた身体を擦り付けて、纏ったドレスを着崩して。そうしてだんだんと少しずつ白い肌を表へ晒す。

 ほんのりと朱色の差し込んだその肌を晒して、むしろ見せ付けるようにしながら続けてキス。触れ合わせて、時々吸い付くようにして、そうしてキスを何度も何度も。


「……オルタ」


 かすかな合間。キスとキスの途中、熱い吐息を漏らす息継ぎの合間を縫って声を出す。

 それを受けて彼女も止まる。もう一度落とそうとしていたキスを抑えて、僕の瞳をまっすぐに見つめたまま止まってくれる。

「何かしら。不満かしら抗議かしら否定かしら。私を受け入れたくないと、そういうことかしら」

「オルタ」

「いいわよ、構いません。存分に拒んでください。無情に撥ね退けてください。それでも私は変わらない。あなたを想うまま、あなたのことを台無しにするのはやめません。私があなたを愛することはあなたにも止められませんから」

「オルタ!」

「……何かしら」


 間を開けずに言葉を続ける彼女を制して止める。

 止まってくれたのを確かめて、それから。今度は口を閉じながら止まってくれた彼女へ向けて、一度息を吐いてから言葉を送る。


「ありがとう」


 言って抱き締める。

 ぎゅう、と。強く深く。折れてしまいそうだ、と思わされるような細い身体。細いながらも柔らかな、触れていて心地のいいそれを腕に抱く。


「嬉しいよ。オルタにそう言ってもらえて。好きだ、って想ってもらえて」

「……」

「オルタは自分のことを悪く言うけど……そんなことない。オルタはそんなどうしようもない存在なんかじゃない。オルタからの好意を嬉しく思わないだなんてない。オルタを……オルタのことを、僕が受け入れないだなんてそんなことない」

「……あなたは」

「ん」

「あなたは愚かね。そんな……心にもないことを。優しすぎる。……いえ、残酷にすぎる。私のことを傷付けないように? 気遣ったつもりなのかしら? それは却って酷というもの。……いいのよ、嘘なんて吐かなくて。私は……」

「オルタ」

「……」

「嘘なんかじゃない。本当。心からの本当だよ」

「……嘘よ。私を受け入れるなんてありえません。私を……他に数多の相手が居る中で、こんな私を選ぶだなんて……そんなのはありえない。それこそ愚か。嘘を吐いて叶うはずもない希望を抱かせることよりも、むしろずっと愚かです」

「ならきっとそうなんだね。僕はきっと愚かなんだ。君のことを受け入れたいと望む僕は、きっと」

 抱き締めたまま。後に「君を愛おしいと想うことを愚かだとは思わないけど」と添えて。頬へ触れた手の小さく震える感触を確かめながら、まっすぐはっきり紡いで言う。

 目の前の彼女はしん、と。数度むぐむぐと口を動かしながらも言葉は出さずに数秒沈黙。少しして、その沈黙を経てからぽつりと。


「……嘘です」


 零すように言った。

 ゆら、と揺れる瞳を向けながら。


「嘘じゃない」

「嘘です」

「本当だよ」

「……」

「……」

「……嘘じゃなく、本当に私のことを受け入れたいと?」

「そう」

「私を好きだと? 私を愛していると? 私を選ぶとそう言うのですか?」

「そうだよ。……オルタが好きだ。嘘じゃない。今の僕に嘘は吐けないから」

「吐けない……?」

「オルタと同じだよ。飲ませてくれたから。君が僕に口付けてくれたから」


 飲み下した残り。口の中へと残されていた僅かな雫の分だけ。けれどそれは確かに効いていた。口移しで注がれた水、それへ混ざった薬が効いているのを確かに感じる。

 僅かな残りだけ。だから目の前の彼女ほど効いているわけじゃない。嘘を吐けなくなる。嘘を吐こうとは思えなくなる。少し後押しをされるような、普段よりも想いを口にしやすくなるような、そのくらいのもの。

 それを受けて言葉を紡ぐ。揺れながらもまっすぐ一途に向けられる彼女の瞳、それを同じくまっすぐ見つめ返しながら。

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「もし飲んでいなくても、君に嘘を吐くようなことはしないけど」

「……」

「……」

「……あなたは」

「ん」

「あなたは本気なんですか? こんな私に」

「本気だよ。心から」

「私でいいと?」

「君がいいんだ」

「……」

「……」

「…………なら」

「うん」

「なら。……キス、できますか」


 呟き。

 不安気な色に濡れた瞳で、受け取る僕の様子を窺うようにしながら呟いて。そうして唇を指し示す。


「汚されるのではなくて。奪われるのではなくて。……あなたから求めて、私と」

「できるよ」

「……」

「できる。……ううん、違うかな。したい。したいよ。オルタとしたい」

「……あなたは、……あなたは本当に馬鹿なのですね。……本当にもう、どうしようもなく……馬鹿で、愚かで……」

「駄目かな」

「駄目ですね。けれど駄目なものですか。そんなあなただから、私は……」

 目を瞑る。

 それまで一度も切れることのなかった視線が伏せられる。静かに目を瞑り顔を伏せて、一旦そうして間を置いて。

 それからそっと近付いた。空いていた距離が詰められて、重なる寸前……もうほとんど触れ合っているくらいの傍まで顔が寄せられる。そしてその状態で、吐息を混ぜ合い想いを贈り合いながら。


「……なら、してください。キス。……誓いのキスを」

「誓いの?」

「ええ。この時代では誓いを立てる時に交わすキスがあるのでしょう?」

「確かにあるけど」

「ならそれを。……私を受け入れると。私に嘘は吐かないと。私を……今だけじゃなくこれからも、普段の通りに戻った私のことも、私のすべてを愛すると。……誓いのキスを」

「……いいよ。わかった。でも」

「でも?」

「オルタはいいの? 誓われて。誓いを立てられる相手がこの僕で」

「愚問ですね。答えるのも馬鹿らしくなるくらい、どうしようもない愚かな問い。……もちろんです。他の誰へも許しません。私が誓いを許すのは唯一人。……あなたにこそ誓ってほしい」

「ありがとう。僕も誓いたい。オルタにだけ」

「……」

「……」

「……マスター」

「うん」

「愛しています」

「僕も、オルタのこと愛してる」

「ええ。……未来永劫、決して放してあげませんから。……ずっと、ずっと、大好きです……」

以上になります。

マシュ「恋仲の貴方ともう少し先へ」
マシュ「恋仲の貴方ともう少し先へ」 - SSまとめ速報
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前に書いたものなど。よろしければ。

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