提督「朝潮ちゃん、ジェットコースターに乗る」 (20)

朝潮ちゃんは己の選択を後悔したが、もはや全てが動きだした今では、どうすることもできなかった。

因果の安全ベルトに体は締め付けられ、宿命に軋むチェーンリフトの駆動音が嫌に響いてきていた。

朝潮ちゃんは「遊園地=ジェットコースター」という単細胞的大衆の公式を呪った。

破滅への一本道がどうして娯楽になるのか。狂気。それしかない。

そして、その狂気の一本道を選んだ朝潮ちゃんもまた、少なくとも選択時には狂気的であったと認めざるを得ないのだから、その選択の責任をとってまた現在も狂気的にあるべきと筋を通すのが正気の沙汰というものだろう。

朝潮ちゃんは真面目なので、破滅までの道のりを楽しむことにした。


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カタカタと朝潮ちゃんは揺られる。所詮、安全が保障されている娯楽の中にある恐怖だ。本当に破滅に至るわけではない。

ホラー映画と一緒。何か恐ろしいものが朝潮ちゃんを脅かそうと、それに対し逃避などの恐怖行動をとらないのと同じ。

原始的動物ならば、なにか恐怖を抱くとそれに対応する行動を、オシツオサレツして、因果必然的に同時に行うだろうが、発達した存在である朝潮ちゃんは恐怖自体を、行動から切り離して、観念的に保留できる。

恐怖それ自体は忌避すべきものではなく、むしろ望まれている。そう、朝潮ちゃんにとっても恐怖を抱くことは愉快な娯楽に過ぎない。

朝潮ちゃんは少し救われる思いだった。少なくとも朝潮ちゃんはジェットコースターによって、恐怖と破滅への一時の抗しがたい誘惑に身を委ねることができるということなのだから。

しかし、朝潮ちゃんがジェットコースターを全く楽しめないことはないにしても、それはやはり「本来的」な楽しみに比べれば全く楽しめないに等しい。

本来隣にいるべき人がいない。それがどうしようもなく朝潮ちゃんの享楽を冷ますのだ。

朝潮ちゃんはチケットを二枚用意していたが、一枚はいまだ切り取られていなかった。

それがあるべき人のもとで正しく使用されていれば、どれほど朝潮ちゃんにとって喜ばしかったか。

しかし、その機会は奪われた。まるで示し合わせたかのように彼は、朝潮ちゃんに妹との関係を公にした。奪われた。

愛しい妹の幸福な表情が焼き付いている。朝潮ちゃんは祝福した。そして、一人で遊園地に来た。

理論的に有り得ないことではなかったが、朝潮ちゃんにとって現実的には有り得ないことであった。そして、事実的には有り得ることでしかなかった。

夕焼けが眩しい。もはや太陽は山の後ろに隠れようとしていたが、どんどん上に昇っていく朝潮ちゃんは山の峰越しに太陽を未練がましく覗き見る位置になっていた。

どこで失敗したのか。朝潮ちゃんが告白出来なかったからか。

朝潮ちゃんに圧倒的な自信があれば良かったのかもしれない。好ましくない返事を受ける恐怖を娯楽化するぐらいの。

告白への勇気は、成功する可能性が高くなった安全圏で生まれてくる。朝潮ちゃんにとって、今回のチケットはその天秤を有利にするためだった。

しかし、余りに慎重になりすぎたのかもしれない。軽薄な自信家である妹に先を越されてしまったのだから。

自信家にとって安全域の基準はかなり低いのだから、すぐに告白への勇気を行使することができる。

朝潮ちゃんは失敗失敗と反省したが、次にその教訓を活かす気はなかった。朝潮ちゃんにとって次回なんてない。二番手に甘んじることも良しとしない。

ふと朝潮ちゃんは下を見ると園内はすっかり夜の様相を呈していた。それに対して空は未だ奇妙なぐらい明るかった。

今更朝潮ちゃんが告白し、また色よい返事を貰えたとしても、それはもはや朝潮ちゃんの望むべき成功ではないだろう。

安全に基づき恐怖を娯楽化する合理的な狂気。その力学の応用に関して妹は朝潮ちゃんより優れていた。

それは認める。むしろ朝潮ちゃんはそれほど賢しらな妹に誇りさえ感じた。流石私の妹だ、本当にうまく出し抜いたものだわ。

しかし、朝潮ちゃんは己が能力もしくは魅力に関して妹に劣るとは全く思わない。

ただ単純に精神のありようにおいて、その自己資源の扱いを間違えただけなのだ。

ルネ・マグリット『光の帝国』
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愛が狂気の手助けによって成就するというならば、より進歩した狂気を用いればよい。

合理的狂気を超えて狂気的狂気を目指せばよい。理屈ではそうなる。

安全を前提に恐怖を肯定する合理性から狂気性に至る方策は、単純に安全を前提に置かず端的に恐怖そのものを肯定してしまう精神構造を持てばいい。

しかし、それは単に強すぎる感情の暴発による逸脱であってはならない。ただ安全を気にしないだけの「やけっぱち」であるはずがない。

そうした刹那的逸脱に恐怖を愛する心はあるだろうか。むしろ、それは恐怖から逃れるための行為ではないか。

常に恐怖と行動が結びついていた原始動物を超え、恐怖と行動を分離しえたのは人間の合理性であった。

ただし、それは「恐怖‐行為」関係を「安全」という概念によって分断抽出したに過ぎず、まだ根本的に安全がない地点では原始的な「恐怖‐行為」関係は残存している。合理的な狂気は未だ完全ならず。

原始を捨て、安全概念も介さず、ただ恐怖であるから肯定する。それは可能なはずだった。でなければ、安全を前提にしたところで、恐怖を楽しむことなんてそもそもできないことになる。

狂気的狂気は恐怖をそれ自体で志向する。しかも、その結果は持続可能な破滅であり、常に恐怖が再生産されるような体制を望む。

狂気的狂気にとって最も恐怖すべき事態は恐怖そのものが円滑に生じなくなること。死亡などに準ずる完全なる破滅は望まない、なぜなら死ねば恐怖がなくなるから。

朝潮ちゃんにとって目指すべき場所はもはや告白が成功して関係が成就する安寧ではなく、常に拒絶の意志が示されるだろう恐怖が持続するようなところだった。

妹の合理的狂気に基づいた些か獣的である愛を超越する、狂気的狂気に基づくより「人間的」に洗練された愛に至ったのだと朝潮ちゃんは自覚した。

問題は朝潮ちゃんの望む世界はどういうデザインになるかだった。

朝潮ちゃんが今告白したとすると、すでに相手がいる司令官は拒絶するだろう。しかし、そこまでは良いにしても、その先がない。

その瞬間は一回きりになってしまう。たとえ再度告白したところで、双方ともどこか冗談めいた雰囲気にならざるをえない。そうなっては恐怖すべき拒絶なんてものは生じないだろう。

しかも、この場合最初の一回目の拒絶すら相手は朝潮ちゃんをひどく気遣い、恐怖すべき峻厳な拒絶ではなく、どこか柔和で可能性を匂わせるものになる恐れがある。

朝潮ちゃんの望むべきものは、朝潮ちゃんを全て否定するような強烈な拒絶であり、常に何回でもなされるようなものでなければならない。

結論から言えば、朝潮ちゃんがするべきことは、司令官を部屋に縛り付け、彼の最愛の妹を目の前で無惨に殺してあげることであった。

その結論に至った瞬間、朝潮ちゃん自身それを否定したい気持ちになったが、その光景を想像すると朝潮ちゃんは確かにワクワクした。

司令官も妹も最初は健気にも朝潮ちゃんを止める声をあげるだろう。そこで朝潮ちゃんは妹にナイフでも突き立てれば良い。すると、妹は持ち前の負けん気で悪態でもつくのだろうか。

脚の骨を折ってあげてもいいし、もしくは爪を剥いでもいい。服を切り裂き、胸を削いでその肉を司令官に食べさせてもよい。反抗的な目をアイスピックでくりぬき、零れ落ちた眼球を掴み視神経ごと脳髄を引きずり出しても良い。声も悪罵から絶叫そして瀕死の呼吸音へと変わっていくのだ。

すこし猟奇的な想像には胸を躍らせたが、朝潮ちゃんにとってそこはさして興味の対象ではない。そうして凄惨に死にゆく妹をただ拘束されて見守るしかない司令官は、どんな反応だろうか。そして、事が終わったあと告白すれば、どこまで強い拒絶が返ってくるだろうか。

それを考えると朝潮ちゃんはとても恐く悲しい気持ちになり、また愛おしい気持ちにもなった。

司令官からの拒絶への恐怖が強ければ強いほど、朝潮ちゃんは司令官への愛を強く確信できるように思えた。愛の証である恐怖を愛さない理由はない。

朝潮ちゃんに恐怖した司令官からの強い拒絶を朝潮ちゃんは恐怖する。二人は恐怖で結ばれる。朝潮ちゃんは恐怖を愛し、また司令官も恐怖を愛してくれれば良いなと思う。

いつのまにかジェットコースターは頂点の手前まできていた。太陽は沈み切っており、空は暗く淀んでいた。

朝潮ちゃんは夢想する。司令官が恐怖に基づき拒絶を繰り返すうちに、いつの日にかその恐怖を娯楽化することを。

朝潮ちゃんは司令官の前で彼の愛する人を何人も惨殺することになるであろう。司令官はそれに恐怖や嫌悪を覚えるはずだ。しかし、朝潮ちゃんは司令官を決して殺すことがない。なぜなら、朝潮ちゃんの恐怖は司令官の拒絶であるから。

司令官は安全なのだ。ならば、朝潮ちゃんの狂気的狂気に対する恐怖もいずれは司令官の合理的狂気の娯楽になっていくはずだ。

朝潮ちゃんが殺し司令官が娯楽的に恐怖し拒絶し、それを朝潮ちゃんが恐怖する。この流れが司令官の娯楽となったとき、それはまた朝潮ちゃんの狂気的狂気が合理的狂気に頽落することも意味する。

なぜなら、もはやその時の一連の行為は一つの安定を伴うからであって、拒絶への恐怖もまた娯楽的な楽しみに変貌せざるを得ないからである。拒絶的な恐怖が互いの娯楽になってしまい結局どこか官能的な関係へとなっていく。

そうした関係は純人間的な狂気的狂気を媒介としているため、最も人間的な純愛に近い形式であるはずだ。

朝潮ちゃんが殺し、司令官は娯楽的に恐怖し拒絶し、朝潮ちゃんもそれを娯楽的に恐怖し、また享楽のため殺す。

そんな和気あいあいとした恐怖関係を築くには司令官の前で何人殺す必要があるだろう。

ジェットコースターは遂に長い上り坂を昇りきった。ああ、この瞬間が最もドキドキする。

恐怖は克服するには勿体無い。恐怖は愛すべき正感情だ。

浮遊感。ああ、心地よい恐怖。向かう先のレールは宵闇に呑まれて途切れている。


おわり

かなり久々に書いた気がする。

かわいい朝潮ちゃんssふえろ

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2017年10月05日 (木) 06:38:20   ID: M6Tfs7Mf

朝潮ちゃんが不良になってしまった

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