白望「古参、新顔、ニューフェイス」 (72)


咲-saki- 宮守女子SS

他校のキャラは出てきません

古参の三人が新顔の二人を構う話

シロ、塞、胡桃の一人称視点で一話ずつ、計三話投稿

前作↓
灼「あっちが変」豊音「こっちが変」
灼「あっちが変」豊音「こっちが変」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1422442761/)

今作に近い内容の過去作↓
白望「五人の距離の概算」
白望「五人の距離の概算」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1392309884/)

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1506163778

 
白望「おおきな新顔と背の高い本棚」



 静かなのは良い。
 静かなのは、だるくなくて良い。
 でも、身じろぎ一つ憚られる図書室の静寂は、決して快適とばかりも言えないものだった。



 その日、私たち宮守女子麻雀部の面々は学校の図書室に集まり、一週間後に迫った中間考査に向けて試験勉強をしていた。

 日の当たる窓際のテーブルに陣取り、参考書を開き、黙々と各々、ノートなり問題集なりにペンを走らせていた。

 高三の夏という大事な時期であり、試験後にインハイを控えていることもあって、みんな真剣である。

 三ヶ月前に豊音が編入して来て以来、なんだかんだと五人で集まってはゆるりと遊んでいたが、この日ばかりは真面目な雰囲気だった。

 私以外の四人は。


 隣に座る塞と胡桃は、それぞれ時折手を止め、眉をしかめながらも、基本的には順調に勉強を進めている。
 
 向かいに座るエイスリンと豊音も同様。
 しかし二人からは、どことなく楽しげな様子も窺える。
 
 図書室だから声には出さないようにしているが、二人とも今にも、鼻歌でも歌い出しそうなほど表情が柔らかい。
 問題を解く手元の動きも軽快で、さらさらと問題集の解答欄が、ノートの余白が埋まっていく。
 
 わりと最近まで編入試験のために勉強していた豊音は特に順調なようで、インハイ前の最後の関門である中間試験に対しても、特に気負いのようなものはないらしい。

 肩に力が入り過ぎの塞、いろいろと大変そうな留学生のエイスリン、ポーカーフェイスを崩さない胡桃、三人共なんとはなしにプレッシャーを感じているようだが、豊音は一人るんるんである。

 こんなの楽勝だよー、と。
 どこか得意げですらある。

  
 夏の大会前の中間試験……というイベントを楽しむかの如く、豊音は一人エネルギッシュだった。

 問題は、私だった。

 そう、こうして四人の様子を呑気に観察している私、小瀬川白望の試験勉強が、順調であるはずがない。

 一応、教科書や授業のノートを開き、脇には参考書も置き、試験勉強の体裁だけは整えている。
 が、手はまったく動かない。
 頭が全然働かない。
 勉強に集中しようとすればするほど周りの様子が気になって、仕舞いには周りを気にすることすらだる
くなり、いつも通り背もたれに体重を預け、手を投げ出し、天を仰ぐ。

 何を思うでもなく、ごく自然に体から力が抜ける。
 そして同じく何の思慮もなく、ごくごく当たり前に口が開き、これまでの人生で何度口にしたかわからない、例の口癖が漏れる。

白望「だる――」

胡桃「シロ」

 言い終わる前に、隣に座る胡桃に脇腹を小突かれた。

胡桃「ん」

白望「あう……」

 そして胡桃は、シャーペンを握った小さな手で私のノートを指し示し、顎をしゃくって見せた。

 『怠けるな、勉強しろ』ということなのだろう。

 いくら試験期間中の図書室だからといって、少しくらいは喋ってもいいだろうに……。

 ジェスチャーに加えて、目線でも凄んでみせる胡桃だった。

 小さな体で、なかなか重厚なプレッシャーをかけてくる。

白望「だるい……」

 大人しく姿勢を正しつつも、最後の意地で、声を抑えて言うだけ言っておく。 
 
胡桃「ん?」


白望「いや……」

 聞き咎めた胡桃に、横目で睨まれた。

 図書館の静寂が憎い。

 なんてことを思っていると、対面の豊音がその静寂を破った。


豊音「…………ふんふふ――あ」

白望「……」

 どうも豊音は、見たまま鼻歌を抑えていたらしい。

 つい声に出してしまったようで、「あ、いけない」とばかりに照れ笑い。

エイスリン「フフ……」

豊音「えへへー……」

 それを見ていたエイスリンと顔を見合わせ、顔を赤くする豊音。

 二人はちゃんと勉強しているからか、胡桃も何も言わない。

 塞も宮守マザースマイルで見守るばかり。

 昔馴染みの私には厳しく、新顔の二人には甘い……というわけでもないか。

 怒られたのは、私の自業自得。

 だとしても、しかし、どうにも解せない。
 
 解せぬ。

 エイスリンと豊音、のほほんとした二人が対面に座っていることも私の勉強がはかどらない理由の一つなので、私だけが怒られるのはなんだか納得がいかない。


 ただでさえ集中できないのに、正面にこの二人が座っているとさらに力が抜けていくようだった。

 目を惹く二人が目に見えて楽しそうにしているものだから、ついついこちらも釣られてしまう。

 それでいて二人のほうは勉強も順調に進めているようで、それが私としては堪らない。

 私ひとり気を緩め、手も止めてしまっている状態なのだ。

エイスリン「フンフフ――ア」

豊音「? ……あ、や、やめてー。恥ずかしいよー」

 勉強に戻るふりをして、豊音の失敗を真似するエイスリン。

 どうやら豊音をからかっているらしい。

エイスリン「イッショ、イッショ」

豊音「一緒だけどー」

エイスリン「フフ……」

豊音「もう」

白望「……」

 顔を赤らめる豊音、くすくす笑うエイスリン。

 少しテンションが上がってしまって、きゃいきゃいやりだす二人。

 小声ではあるが、十分に周りに聞こえる声量だろう。

 これは、さすがに胡桃のお叱りが入るはず……。


胡桃「二人とも」

豊エイ「……!」

 ほら来た。
 ……しかし。

胡桃「静かにしなきゃ駄目だよ」

白望「……ぇ」

 小さく声が漏れた。

 胡桃の声には、私に対するときのような険がまったくなかった。

 胡桃も小さい子なのに、小さい子に注意するようなその口調には、なんだか常にはない優しさがある。

 炬燵に入っているわけでもないのに、これは一体どういうことか。

 なんなの? 胡桃、お姉さんになっちゃった……?

豊音「ご、ごめん……」

エイスリン「ゴメンナサイ……」

胡桃「ほら、勉強勉強」

豊エイ「はーい……」

 少ししゅんとしつつ、勉強に戻る二人……それはいい。

 いいのだが、なんだか今のは、私としては面白くない。

 二人と私への対応の差が腑に落ちなくて、つい胡桃を凝視してしまう。

胡桃「なに……?」

白望「……いや、なんでも」


胡桃「わからないとこでもある?」

白望「ううん。ない」

 というか、そもそも勉強していないので、わからないところがわからない。

胡桃「そう? じゃあなに?」

白望「いや……」

 対応の差については、私の怠惰な態度が問題だとわかっている……しかし、それでも言わずにはいられなった。

白望「胡桃、新しい子が好き……?」

胡桃「……はい?」

 胡桃のポーカーフェイスが僅かにゆがむ。長い付き合いだからわかる程度の微細な変化。

 ……ちょっと困ってる?

 うん。さすがに困惑しているらしい。
 私としては、それで少しでもやり返せた気になって、とりあえずの溜飲は降りた。

 満足したので、私も勉強に戻る(ふりをする)。

胡桃「どういうこと……?」

 声を抑えるのも忘れて訊ねる胡桃だったが、何かわからないことがあったらしい塞に肩を叩かれ、追究はそれまでとなった。

白望「……」

 再び暇な時間に戻る。


 いや、暇もなにも大人しく勉強すればいいのだが、やはりやる気が起きない。

 それどころか、またも対面で私の集中を阻害する事態が。

豊音「……! ……!」

白望「……?」

 私の対面に座る豊音が、勉強の手を止め、なんだかワクワクしている……?

 いや、ワクワクして……それでいてソワソワしている……?

 なんだかよくわからないが、豊音は手元のシャーペンの先を問題集に置いたまま、顔を上げてこちらを見ていた。

白望「……??」

 こちらも豊音を見返し、首を傾げる。

 しかし、そんな私の仕草に、豊音は反応しなかった。

 そこで気づく。豊音が見ているのは、私ではない。
 私の頭越しに、私の背後の何かを見て、豊音はワクワクソワソワしているらしい。


白望「……」

 豊音の様子が気になって視線を外せずにいると、後方からゴロゴロと、キャスターを引きずる音が聞こえた。

 音に引かれて振り返る。
 私の背後、壁際には背の高い本棚が並んでいる。
 古くなった百科事典や参考書、果ては宮守の郷土史料が並ぶ、あまり生徒の寄り付かないエリア。

 そこには、背の低い下級生らしき生徒がひとりいた。

 キャスター付きの踏み台に乗って、本棚の最上段に手を伸ばしている。

 それ以外に特に目をひくものはない。

 豊音の視線の先に、他に見るものがあるとも思えなかった。

 前に向き直る。すると、豊音のワクソワは少しトーンダウンしていた。

豊音「……」

白望「……?」

 なんか、がっかりしてる?

 顔を問題集に戻し勉強を再開しているが、まだ気持ちが興味の対象に残っているのがアリアリだった。

 どことなく落ち着かない様子。

白望「と――」

 よね、どうかした?

 と声をかけようとして、言葉を飲み込む。


 ついさっき叱られたばかりなのに、お喋りなんか始めたら、また胡桃に睨まれる。

 そう何度も叱られていては、それこそ勉強なんてテンションではなくなってしまう。

 なので、少し黙って考えることにする。

 いったい豊音は、あの下級生らしき彼女の何に興味をひかれていたのか、という問題について。

白望「……」

 勉強もしないで、いったい何を考えているのだろう、と思わなくもないけれど……。

 まあ、いい。

 どうせ、このまま勉強に取り掛かっても手につかない。

 こういうときは、思考の舵を全力でどうでもいい方向に切ってしまったほうが、いっそすっきりする。

 さて、何から考えようか。

 ええっと、まずは……。

 うんと……。

 まず……(ダル……)

白望「……」

 ……まず、あの下級生そのものに興味があった可能性は、考え出すときりがないのでやめておく。



 豊音があの子を見て抱いた感想なら、髪型や制服の着こなしが気になったとか、「お嬢さん良い後ろ姿してるねー」だとか、それらしいものをいくらでも想像できてしまう。

 だから、あの下級生そのものではなく、あの子がとった行動に絞って考える。

 まずは、あの子が持って行った本が、豊音も要り用だった、という可能性。

 これは、否定してしまって構わない可能性だろう。

 あの子が手を伸ばしていた棚には、一年生向けの数学や情報系の参考書が置かれている。

 あの子が持って行った本は、三年生の豊音には用のないものである可能性が高い。

 復習に使うこともあるかもしれないが、学内の中間考査前のいま、特に必要にはならないだろう。

 したがって豊音が興味を持ったのは、彼女が手にした本ではない――と、断定まではできないけれど、低い可能性なので切り捨てる。

 考えるべきポイントはふたつ。

 ひとつは、豊音があの子に興味を持ったきっかけ。

 そしてもうひとつは、その興味が減じたきっかけ。

 興味を持ったきっかけは、彼女が本棚に手を伸ばしたことだろう。

 そして減じたきっかけが、彼女が本を手にして去ったことだ。

 それはおそらく間違いない。

 問題は、その理由。



 豊音があの子に興味をひかれた理由と、あの子が去ったあと、若干テンションが下がっていた理由だ。

 これがわからない。

 少し考える。

 ……豊音は、「本が取れないあの子」に興味を持った。
 その上で、なにやらワクワクしていた。
 
 そして、「あの子が踏み台を使って本を手にし、自分の席に戻っていった」ことで、がっかりしていた……。

 ……うん。

 わかったかもしれない。
 
 豊音があの子に興味を持った理由が。

白望「…………」



 周りを見渡す。

 少し離れた席に、先ほどのあの子の姿があった。

 私の背後にある本棚から持って行った本をぱらぱらと捲っている。

 彼女はすぐに本を閉じ、再び立ち上がった。

 おそらく探していた内容の本ではなかったのだろう。
     
 持って行った本を戻すために、彼女は必ずもう一度、私の背後の棚までやって来る。
 
 そして必ず、棚の上段に手を伸ばす。

 ……これは都合が良い。好機である。

白望「……」

 彼女が本棚に近づくのを待って、私も立ち上がった。

 そして彼女が本棚の前に到着する寸前、彼女がこれから使うであろう踏み台を引きずって、別の本棚の前に移動した。

 少し困り顔で、周りを見渡す彼女。
 他の踏み台を探しているのだろうが、図書室に数個置かれた踏み台は、すべて離れた位置に散っている。

 彼女は逡巡した挙句、けっきょく背伸びをして最上段に手を伸ばした。

 その様子にほんの少し罪悪感を覚えたが、すぐに踏み台より便利な助っ人が来るだろうから、気にしないことにする。

 本を戻そうと悪戦苦闘する彼女を見て、豊音が嬉々と立ち上がった。



豊音「貸してー」

「え?」

 豊音は彼女に声を掛け、手から本を奪い取り、本棚の空きスペースに戻した。

 豊音の身長なら余裕で届く。

豊音「何か取る?」

「え、あ、はい。それじゃあ、その横の四巻を……」

豊音「これだねー。はい」

 彼女が御所望の本は、分冊された数学の参考書だった。

 先に持って行った巻には目当ての単元が載っていなかったのだろう。

 なんにせよ、おかげで豊音にもう一度チャンスが訪れた。

「ありがとうございます」

豊音「どういたしまして」

 中身を確認し、晴れやかな表情になる彼女。豊音にぺこりと頭を下げ、自分の席に戻っていった。 
 
 豊音も満足げである。


 きっと、これが豊音のワクソワの原因。
 あれが豊音のやりたかったこと。やってみたかったこと。

 豊音は高い所にある本が取れなくて困っている誰かを、助けてあげてみたかったのだと思う。



 困っている誰かに横から声をかけ、本を取ってあげて、「これでいい?」と声をかける。
 そして相手は予期せぬ手助けに困惑しつつ礼を言う。
 そんなシチュエーションに、憧れがあったのではないだろうか。

 はっきりとした憧れがあったというより、本を取れないあの子を見て、フィクションの中でよく見かけるシチュを想起した、というほうが、豊音の心情を言い表すには正確か。

 とにかくそんなわけで、豊音はあの下級生が棚の上段に手を伸ばすのを見て、ワクワクしていた。
 憧れを実現させるチャンスが到来し、ソワソワしていたのだろう。
 ――これが、あの子に興味を持った理由。

 豊音はあの子に、本を取ってあげたかったのだ。

 しかし、あの子は「本が取れない」という問題を自己解決してしまった。
 踏み台を使って上段の本を取る。そんな当たり前の手段で、目的の本を手にしてしまった。
 そのため豊音のワクソワはトーンダウンした。
 ――つまり、この時あの子への興味が減じた。

 しかし、豊音のちょっとした憧れを実現させるチャンスは終わらない。
 あの子は持っていく本を間違えて、再び棚の前に戻ってきた。



 そこで私は、再来した豊音の念願成就の機会を逃すまいと、あの子から踏み台を奪った。

 踏み台を奪ってしまえば、豊音が行動を起こすまでの猶予が生まれる。

 そのあとは成り行きに任せた。

 結果は上々。

 豊音も満足したようだし、彼女も目的の本を手に出来たわけだから、誰も損はしていない。

 私も適当な本を手に取り、席に戻ることにする。

 席に着くと、豊音が嬉しそうに声をかけてきた。

豊音「シロ、タイミング悪いけど、良かったよー」

白望「……なんの話?」

豊音「なんでもない。んふふ、えへへぇ……」

白望「……」

 よほど嬉しかったのか、でれっでれのゆるっゆるな顔で笑う豊音。

 この様子だと、私が意図的に踏み台を奪ったことには気づいていないのだろう。

 「タイミング悪いけど、良かった」それはつまり、私が踏み台を持っていたことはあの子にとっては間が悪かったが、自分にとっては間が良かった、という意味だろうし。

 しかし、まぁ、余計なお世話だと思われるのも嫌なので、これでよしとしておく。


 とにかく、これで気がかりはなくなった。

 いい加減勉強に手をつけようと、シャーペンを握る。

 そのときだった。

胡桃「シロ」

 胡桃に脇腹を小突かれた。

白望「なに……?」

 胡桃は言う。

胡桃「シロこそ、新しい子が好き?」

白望「……」

 ……閉口する。

 どうも、胡桃には私の行動の意味を見透かされていたらしい。



白望「えっと……いや……」

 確かに今のは豊音に……新しい子に甘々だったと気づいて、ほんの少し頬が熱くなった。

胡桃「いい加減勉強しなよ」

白望「はい……」

塞「ふふ」

 塞まで笑う。

 ここで笑うということは、塞にも……?

白望「……」

 恥ずかしくなって、照れ隠しがてら手元のノートに目線を落とす。

 そのまま集中しようとしてみたが、結局、面映さで勉強は手につかなかった。

 試験期間初日の午後が、無為に過ぎていく。

 対面のふたりの勉強は相変わらず順調なようで、それは結構なことだった。

 本当、結構なことだった……。

白望「……ダルイ」



      槓

一話目終了
今日はここまでにします
次は塞の話




 塞「だるい古参ときんいろニューフェイス」




 ある日の放課後、部室に向かう道すがら、シロに遭遇した。

白望「…………だる」

 シロはひとりだった。
 廊下の壁に片手をつき、がっくりうなだれてダルそうにしている。

 いつも通りのシロ……ではあるけれど、しかしその脱力ぶりが、いつも以上に深刻に見える。
 
 もしかすると体調でも悪いのかもしれない。
 心配になり、声をかけた。

塞「どうしたの、こんなとこで。具合わるいの?」

白望「……さえ……ん、いや、平気」

 私に気づくと、シロはゆっくりと顔を上げた。

 その動作はやはり、いつもよりもさらに緩慢だった。

 シロは基本、「私には重力に逆らう意思がありません」とばかりにぐてっと脱力しているけれど、今日はいつにも増して体が重そうだ。

 それになんだか、顔が薄っすらと赤らんでいる。
 これは、もしかすると。

塞「なんか顔赤いけど。熱でもあるんじゃない?」


白望「いや……えっと、これは違う。そうじゃない」

 シロは目を背け、俯きがちに否定した。

塞「本当に?」

 その様子に不安を覚える。
 
 もしかすると、シロはインハイが近いがために、体調不良を隠して部活に出ようとしているのかもしれない。

塞「ちょっといい?」

 断りを入れ、シロの首筋に手を伸ばす。

白望「ひやっこい……」

塞「シロはあっついね……」

 熱い。次いで頬、おでこと触ってみても、やはり熱い。

塞「やっぱり熱あるんじゃない? 風邪でもひいた?」

白望「いや……」

 シロはむずがるように、私の手を押しのけた。

白望「これはほんと、違うから……。風邪じゃない。これは……えっと」

 またも視線を逸らし、伏目勝ちになるシロ。

 顔が赤いこともあって、なんだかその様子は照れているようにも見えた。


塞「えっと、なに?」

 体調不良を誤魔化そうとしているのなら問答無用で家に帰す。
 そのつもりで、私は問い質した。

白望「ほんと、今、塞と会ってこうなったっていうか……誰か見てると思わなかったから……」

塞「……? シロ、まさか、なんか恥ずかしがってる……?」 

 照れているように見える……というより、ほんとに照れてるの……?

白望「…………うん」

 シロはちらりと私を見て、頷いた。

塞「いったい、なんでまた……」

 シロが恥ずかしがる理由に、思い当たる節がない。

 あるとすればひとつだけ。

塞「顔、触ったから……?」

 いくら昔馴染みだからといって、少し無遠慮だったかな。

白望「いや、そうじゃなくて、えっと……もう、その話はいいじゃない」

塞「?」

 シロは壁から手を離すと、のそりと部室とは逆方向に歩き出した。


塞「部活は?」

白望「行くよ。顔洗ったら行くから、先に行ってて……」

 私を振り返り、シロはそう言って、のそりのそりと廊下を進んでいく。

 やはり、どこか様子がおかしい。

 シロは何かを恥ずかしがっていたと言うが、いったい今のやり取りのどこに恥ずかしがるようなことがあったのか、私には見当もつかない。

 体調不良を誤魔化すために適当なことを言っているのではないかと、まだ疑いが晴れない。

白望「……そうだ」

 なんとなく歩み行く背を見送っていると、シロは立ち止ま私を振り返った。

塞「なに?」

白望「私、やっぱり体調悪そうに見えた……?」

塞「? 見えたけど?」

白望「そう……塞にもそう見えたか……」

 シロは天井を仰ぎ、眉を顰め、気だるげにため息をついた。


塞「それがどうかしたの?」

白望「……どうもしない。それじゃ」

塞「???」

 シロはそう言い置いて、今度こそお手洗いに向かって歩いていった。

 気にはなったが、考えていてもしょうがない。

 どうも一人にして欲しそうな雰囲気だったので、待たずに部室に向かうことにする。

塞「おつかれー」

エイスリン「サエ! オツカレ!」

塞「エイスリンひとりだね」

エイスリン「ハイ、ヒトリ」
 
 何が嬉しいのか、私が入室しただけで、ぱっと笑顔になるエイスリン。

 こちらも釣られて頬が緩む。

 部室にはエイスリン以外、まだ誰も来ていなかった。

 しかし、いつも荷物置き場になっているソファには鞄が二つ。

 誰か来ているのだろうか。トイレにでも行ってるのかなと考えて、すぐに鞄の持ち主に思い当たる。

塞「シロ、部室に来てたの?」

エイスリン「キテタ。イッショニキタ。オトイレ、イッテクルッテ」


塞「そう。そこで会ったんだよね」

 やはり、シロは一度部室に来ていたらしい。

 エイスリンとシロは同じクラスだから、その点に不思議はない。

 けれど……。

エイスリン「フフ……」

塞「? どうしたの? なんか面白いことあった?」

 シロの話題を振った途端、表情を緩め、何かを思い出したように笑うエイスリン。

 シロの先程の様子について、直前まで一緒にいたエイスリンなら何か知っているかもしれない。

エイスリン「シロ、ヨッパライ」

塞「酔っ払い……?」

 確かに、シロは顔も赤かったし、いつも以上にだるそうにしていたけれど……あれ、酔ってたの……?

 いや、あのシロとこのエイスリンが、まさか校内で飲酒なんてするはずがない。

 ならば酒を使った菓子でも食べたのかとテーブルを見やるが、そこにはお茶のボトルがあるのみだった。

塞「お酒飲んだんじゃないよね?」

 まさかとは思ったが、いちおう確認。 

 するとエイスリンは首を横にふりふり。

エイスリン「チガウ、エット、ヨッパライ……ミタイ、ダッタ」


塞「みたい? ああ、なんだ……ほんとに酔っ払ったわけじゃないんだね?」

エイスリン「ソウ」

塞「じゃあ、何があったの? シロ、なんか様子が変だったけど……」

エイスリン「ヘン……?」

 小首を傾げるエイスリン。綺麗な金髪が、傾いだ首と一緒にさらりと流れる。

 私はソファに荷物を置き、卓に着くエイスリンの隣に移動し、指先でエイスリンの髪をするりと梳いた。

 僅かに乱れたエイスリンの横髪を直し、話の続きを促す。

塞「うん。ヘンだった。壁に手をついてだるそうにしてたから、体調でも悪いのかと思ったんだけど。でも訊いて見たら違うって。なんか恥ずかしそうにしてて……」

エイスリン「タイチョウ、ワルイ。ハズカシイ……フフ」

塞「?」

 エイスリンはやはり、シロの不審な様子の原因を知っているらしい。

 胸元にホワイトボードを抱えてクスクス思い出し笑いをしている。


塞「エイスリン、何か知ってる?」

エイスリン「タブン、コレ」

 言いながら、エイスリンはボードの表を私に向けた。

 ボードには絵が描いてある。エイスリンがたまに書く、丸と線だけで構成されたヒトガタ、いわゆる棒人間の簡易的なものだ。

 簡単な線で壁と床を描いてあり、その壁に背をもたれる人がひとり、そして、その人に正面から向かい合い、片手を壁についた人がひとり描いてある。

 これは……。

塞「もしかして、壁ドンってやつ?」

 そういう図に見えた。これはおそらく、壁ドンの図だ。

 前にネットで、やたらと少女趣味の絵柄で描かれたイラストを見たことがある。

エイスリン「ソウ、カベドン!」

 伝わったことが嬉しいのか、エイスリンは興奮気味に笑う。

エイスリン「ネットデミタ! ソレデ、シロニ……フフフ」

塞「シロに、なに?」

 エイスリンは堪えきれないといった様子で、話しながら笑い出す。

エイスリン「シロニ、ヤッテモラッタ、カベドン」

塞「ええ? シロに……? 壁ドンを……?」

 そりゃまた、もの好きな。


エイスリン「ウン! ソシタラ、アレ、カベドンジャナカッタ」

塞「どういうこと?」

エイスリン「シロガ、ヤルト……エット、アレ、タダノ、ツカレテルヒト」

塞「ああ……思ってたのと違ったのね」

 ん……? ただの疲れてる人……?

 もしかしてシロのさっきのあれって……?

エイスリン「シロニ、ソウイッタラ、マッカニナッタ。ソシタラ、ヨッパライ」

塞「ああ……それで酔っ払い」

 つまり、こういうことだ。


 ネットで壁ドンのイラストを見たエイスリンは、酔狂にもそれをシロにやってもらおうとした。

 しかし、あのシロに壁ドンをやってもらっても、ただ疲れて壁に手をついている人にしかならず、エイスリンはがっかり。

 おそらくシロは恥ずかしがりながら、それでもエイスリンの頼みを渋々聞き入れて、照れ照れ頑張って壁ドンしたのだろう。

 しかし一念発起してやってはみたものの、エイスリンの反応は芳しくない。

『ツカレテルヒトミタイ』とか、きっとそんなふうに言われてしまって、それで羞恥心がマックスになり赤面。

 赤面した顔とツカレテルヒト状態の壁ドンポーズが合わさり、今度はその様子がエイスリンには酔っ払いに見えてしまい、さらに笑われる羽目になった。

 それでいよいよいたたまれなくなり、シロは顔を洗うため部室をあとにした……と。

 どうもそういう経緯のようだ。


 ということは、さっきのシロのあの様子は……。

 廊下で会ったとき、壁に手をついて辛そうにしていたのは……。

『ほんと、今、塞と会ってこうなったっていうか……誰か見てると思わなかったから……』

塞「…………ぶふっ」 

エイスリン「サエ?」

 思わず噴き出してしまう。

 廊下で会ったシロはあのとき、おそらくエイスリンにおかしいと言われた壁ドンを、ひとりで再確認していたのだ。

 『私、やっぱり体調悪そうに見えた……?』

 なんてわざわざ私に確認していたから、間違いない。 

 自分の壁ドンがエイスリンのお気に召さなかったのがショックで、シロはひとりでポーズの確認を……。

 ……いや、もしかすると、あれは次にやるときのための練習だったのかもしれない。

 シロが恥ずかしそうにしていたのは、それを私に見られてしまったから。

塞「ぷっ、ふふ」


エイスリン「?」

 一人で納得して笑っていてもなんなので、どうにか笑いを噛み殺そうとするが上手くいかない。

 どうしても噴き出してしまう。

 先日の図書室での一件といい、シロは二人が入部する以前と変わりなく振舞っているようで、たまに浮き足立った様子を見せることがある。

 怠惰で無愛想なシロは、新入部員を歓待するなんて柄じゃない。
 そんな風に思って見ていると、存外エイスリンと豊音には甘くて、思わず笑ってしまうことがちょくちょくあった。

 ものすごくわかりづらいけれど、どうやらシロはシロなりに、二人が入部してはしゃいでいるらしい。

 今回もそうやって、シロはシロなりに新入部員を可愛がろうとして、しかし失敗してしまった。

 笑っちゃ悪い、とは思いながらも笑いが止まらない。

塞「ふふふ」

エイスリン「?? サエー?」

 私の笑いに釣られてにこにこしながらも、首を傾げるエイスリン。


 くいくいと私の制服の袖を引いている。

 その様子は、言外に「ひとりで笑ってないで、何が面白いのか教えて」と催促しているようで可愛らしい。

 シロが甘やかすのもわかる。

 しかし私はもっとわかりやすく、ストレートに甘やかす。

塞「エイスリン、ちょっと立って」

エイスリン「?」

 素直に言うことを聞くエイスリン。

 エイスリンの手を引いて壁際に移動したところで、タイミングよく部室の扉が開いた。

エイスリン「シロ、オカエリ」

白望「ただいま……」

 入室してきたのはシロだった。

 気まずそうにエイスリンから目を逸らし、いつもより気持ち速足でソファに向かう。

 ぼふりとシロが腰を下ろすのを待って、声をかける。

塞「シロ、ちょっと見てて」

白望「……?」

エイスリン「??」


 エイスリンの肩を軽く押す。

 ふらりとよろめき、壁に背を預けるエイスリン。

 驚いた表情。

 しかし、この時点でエイスリンは私の意図を察したらしく、一転して笑顔になる。

 すかさず、エイスリンの顔の真横にドンと左手をつく。
 
 少し迷いつつ、右手はエイスリンの細い顎に添えてみた。親指と人差し指で、くいとエイスリンの小顔を持ち上げてみる。

 そして前傾になり、鼻先が触れそうなほど顔を近づける。

 エイスリンはやたらと血色の良い笑顔で嬉しそうにするばかりで、壁ドンされる側っぽい小芝居はしてくれない。

 照れてくれないとこちらもやり辛い。

 やるほうが恥ずかしくなってしまう。

 なので、ご所望のカベドンはアクションのみに止まった。

塞「……こういう感じ?」

エイスリン「……! ……! コレ! カベドン!」

 感激したのか軽く飛び跳ねつつ、私の肩越しにシロを見てはしゃぐエイスリン。


 私も壁ドンの体勢のまま、ちらりと背後のシロを見やる。

 すると、ぐぬぬと少し悔しそうな顔をしたシロと目が合った。

白望「……私もやったよ、それ」

 シロはそう言って、拗ねたように目を逸らす。

 しかしエイスリンは無邪気で、容赦がない。

エイスリン「アレ、チガウ! シロ、ツカレテルヒト! カベドンハコレ!」

白望「……!」

 愕然とし、餌を求める金魚のように口をあうあうするシロ。

塞「あはは」

 露骨にショックを受けるシロが珍しくて笑っていると、不意にエイスリンに肩を掴まれた。

エイスリン「サエ、コータイ!」

塞「え?」

 交代?


 エイスリンに両肩を掴まれ、くるりと体を入れ替えられる。

 交代の意味を理解する。今度は私が壁を背に、エイスリンが手を壁に。

エイスリン「フフ」

塞「う……お……!」

 キスでもしそうな勢いで、エイスリンの顔面が間近に迫る。

 エイスリンはどうも、きりっとしたイケメン顔を作ろうとしているようだが、残念ながら失敗している。

 引き結ぼうとした口元が緩んでしまい、胡桃のようなVの字スマイル。

 壁ドン成立の喜びで、ついには目元もにんまりと綻んでしまう。

 正直、可愛らしいばかりで、こちらが照れる要素など何もない。


 そのはずなのに、私は間近で見るエイスリンの濃いブルーの瞳に見入り、硬直していた。

 少し前までは想像もしなかった異国の紺碧。

 新入部員の参入を夢想することは数限りなくあっても、さすがに外国人の女の子の入部を想像したことはなかった。

 改めて、望外の喜びを手にしているのだと実感する。

 これではシロを馬鹿にできない。

 私もエイスリンから目を逸らし、俯いた。

エイスリン「エヘヘ」

 そんな私の様子を、壁ドンをやられて照れているとでも受け取ったのか、エイスリンの笑顔が満足げに深まる。

 私も笑い返す。

 ひとしきりいちゃいちゃしてシロを見ると、ソファでこちらに背を向けて、鞄を枕に寝転んでいた。

 あれはどうも拗ねている。

 少し構ってやろうと、エイスリンを促し歩み寄る。

  
      槓

今日はここまで
次の話で終わりです



 胡桃「おおきな新顔とシロい猫」



豊音「にゃ~」

「……」

豊音「にゃ~、ねぇ、にゃ~ってば」

「……グル」

豊音「あー、君、鳴かないねー。鳴かないパターンのやつだねー。それなら私にも考えがあるよー」


胡桃「……なにしてるの、豊音」

豊音「あ、胡桃ー」

 中間試験を無事に終え、夏休みに入ったばかりのある日のこと。

 部活の練習のために登校し、部室に着くと一番乗り、まだ誰もいない……と思いきや、窓の外から声が聞こえた。

 声の主が誰かはすぐにわかった。

 柔らかく間延びした声。豊音の声。
 外を見ると、豊音はひとりで植え込みの傍にしゃがみ込み、何やらニャーニャー鳴いていた。

豊音「おはよー」

胡桃「おはよう。で、なにしてるの?」

 シロあたりが相手なら「暑さでおかしくなったの?」とでも言うのだけれど。

 豊音ならニャーニャー鳴きもするだろうと、短い付き合いなりの妙な納得がある。


豊音「猫」

 言いながら、豊音が体を横にずらす。するとそこには一匹の猫がいた。

胡桃「猫!」

豊音「猫ー」

 猫だった。全身真っ白の猫だった。

 長毛種……というほどではないけれど、毛足が長いもふもふした感じの白猫だった。

 豊音の足元に無防備に寝そべり、無感動な瞳でこちらを見詰めている。

 なんとなく、どこかの誰かさんを想起させる容姿、表情、だらけっぷり。

 なんか、この子だるそう。

 しかし人間ではなく猫というだけで、どれだけ雰囲気が似ていようと――

胡桃「可愛い!」

豊音「ねー。胡桃もおいでよ。この子、もふりたい放題だよー」

胡桃「うん」

 荷物を置いて、部室を出る。急いで豊音と猫の元へ。

 到着すると、豊音は仰向けになった猫の喉元を、指先でわちゃわちゃと撫でていた。

 目を細め、白猫はごろごろ喉を鳴らしている。


豊音「うりうり~」

「グルル……グル、フニャ」

豊音「あ、鳴いた。ここがいいんだねー?」

「ミャウ……」

 喉、額、背中と忙しなく撫で回す豊音。

 その手つきは激しく、遠慮がない。

 どうも人に馴れている猫のようだけど、これでは構いすぎてどこかに行ってしまわないか心配になる。

 そうなる前に、私も一撫でしておきたい。

胡桃「豊音、そんなにやったら逃げちゃわない?」

豊音「んー。私もそう思ったんだけどー、この子は平気みたい」

胡桃「そうなの?」

 しゃがみ込み、豊音に身を任せる猫を見る。

「グルル……グルル……フガ、ミャウ」

胡桃「恍惚としてるね……ていうか、もうこれ興奮してるね」

豊音「ちょーかわいいよー」

 猫はもの凄い勢いで喉を鳴らしていた。

 激しく鳴らすあまり息が荒くなり、鼻がフガってしまっている。

 確かにこれなら大丈夫そう。逃げられたり引っ掻かれたりする心配はなさそう。

 喉元を攻める豊音と同時に、私はお腹を攻める。

 お腹を撫でられるのを嫌がる猫は多いけれど、この子は相変わらずうっとりとしたままだ。

 これはいよいよ懐っこい。外猫としては珍しいほどに。


胡桃「首輪してないね。野良かな?」

豊音「どうだろう。それにしちゃ懐きすぎだよー、無防備すぎー」

胡桃「だよね」

豊音「お前さん、そんなんで大丈夫ー? ワイルドライフ平気ー?」

 豊音の心配をよそに、猫はとうとう、お返しとばかりに豊音の手をグルーミングし始めた。

 甘噛みをまじえ、白猫は豊音の手をしぺしぺ舐めている。

 本当に野良猫なのか疑わしくなる。

 豊音が羨ましくなって、私も頭に手を伸ばした。

 すると。

「……!」

胡桃「あ」

 頭上に正面から手を伸ばしたのがいけなかったのか、猫は細めた眼をぱっと見開き動きを止めた。

 私も猫の頭上で手を止める。

 猫は寝転んだまま、私の手を凝視。

「ミャウ!」

 そして猫パンチ。

胡桃「あいた!」

 しまった……失敗。

「……」

 猫は身を起こし、てててっと私たちから距離を取った。

 そして一瞬こちらを一瞥し、その後はもう振り返ることもなく、全力ダッシュで走り去ってしまった。

胡桃・豊音「あー……」

 二人して落胆の声を漏らす。


 短い蜜月だった……。

 いや、私はほとんど撫でてないんだけど……。

胡桃「なんかごめん……」

 豊音と猫の邪魔をしてしまった気がして、謝る。

豊音「んん? いやー、あんなもんだよ猫なんてー。ワイルドライフの心配は無用だったねー」
 
胡桃「……うん」

 豊音は気にした様子もなく、相変わらずにへっと笑っている。

 ちょっと安心。泣き出したりしないかと心配だったけど。

 さすがにそこまで子供じゃなかった。

豊音「野良ちゃん触ったから手ぇ洗わないとね」
 
胡桃「そうだね。みんなが来る前に行っておこう」

 そうして私たちは洗い場に移動した。

 途中、登校して来たシロと出遭った。

白望「おはよう」

胡桃・豊音「おはよう」


白望「どこ行くの?」

胡桃「猫触ったから、手ぇ洗ってくる」

白望「ふうん……私、部室行ってる」

胡桃「うん」

 シロは猫の話にさして興味を示さず、すたすたとすれ違って行く。

豊音「んふふ」

 シロと別れ洗い場に着いたところで、豊音が何やら嬉しそうに笑い出した。

胡桃「なに? どうかした?」

豊音「いやぁ。あの子がどっか行っちゃってから、入れ違いでシロが来たから……」

胡桃「? それの何が面白いの……?」

豊音「え? ええっと、だから……あー、別に、なんでもないんだけど……」

胡桃「?」
 
 なにやら恥ずかしそうに言葉を濁す豊音。
 
 さっきの白猫がどこかに行ってしまって、そのあとシロに会った。

 それのどこが可笑しいの……? 
 追求してみたい気もするけれど、説明を要求するのはなんだか豊音をからかうようで気が引けて、結局は何も訊かなかった。

 通じなかった笑いどころを改めて説明するのって、恥ずかしいもんね。
 
 なので手だけさっさと洗い、部室に戻る。

 やがて五人が揃い、最後に熊倉先生がやって来て部活が始まる。

 インハイ前の大事な練習。
 強豪校への対策を含めたミーティングもあり、改めて気を抜けない時期だと自覚させられる。
 
 そのため手洗い場での豊音とのやり取りに関しては、部活が終わる頃には意識の外に追いやられていた。

 今日も麻雀漬けの一日が終わる。


   *

 翌日、そのさらに翌日も、厳しい練習は続く。

 先生の口からは「白糸台、永水女子、臨海女子」「宮永、神代、辻垣内」などなど、初出場のこちらとしては対戦相手として現実味を感じられない有名校、有力選手の名前が出てくる。

 名前が大きかろうが負ける気などさらさらない。
 部内にはそんなふてぶてしい空気もあるにはあるが、さりとて緊張感がないわけでもない。
 
 シロなどは時々見せるかっこいい顔(ちゃんちゃらおかしい!)になる頻度が地味に上がっているし、塞はわかりやすく昂ぶっている。

 豊音はいつでも元気いっぱいに荒ぶる闘牌を見せ、エイちゃんはなにやら頬を赤くして、せっせと絵を描いていた。

 皆それぞれ違いはあるけれど、試合当日に向けての高揚を楽しんでいるのは同じに見えた。

 もしかすると、私も傍から見れば普段とは様子が違うのかもしれない。
 少なくともテンションが上がっている自覚だけはあった。

 何にせよ、良い練習が出来ているのは確かだった。
 
 確かだが、さすがに休憩時間くらいは息を抜く。

 一時間ほどの昼休憩が終わりに差し掛かった頃、シロがのそりと立ち上がった。

シロ「お手洗い行ってくる……」

塞「あ、私も」

トシ「もうすぐ休憩時間おわりだから、すぐ戻っておいでよ」

塞「はい」

シロ「うい」


胡桃「……」

 あの二人は、よく一緒にトイレに行く。
 女子同士が連れ立ってトイレに行くのは珍しいことではないけれど、あの二人は特によく、二人で一緒にトイレに行く。

胡桃「……」

 どうせまたなにか、二人で密談でもしているのだろう。
 塞のほうからシロに相談事でもあるのかもしれない。

 塞は責任感が強くていろいろと一人で抱え込むくせに、シロにだけは妙に甘えるときがある。

 二人が部室を出ていくのと前後して、窓辺に立っていた豊音が声を上げた。

豊音「あ、ねぇねぇ胡桃ー」

胡桃「なに?」

 私も窓辺に移動する。豊音は窓の外を指さして笑っている。

豊音「また来てる」

胡桃「ほんとだ」

 そこには数日前に見た白い野良猫が、あのときと同じように植え込みの中でじっと座っていた。

 その視線は、こちらに据えられたまま動かない。
 もしかすると、やけに懐いていた豊音に会いにきたのかもしれない。

豊音「あれから毎日来てるんだよ」

胡桃「そうなの? 知らなかった」

豊音「うん。いまみたいに休憩終わりかけのときとか、練習中とか。タイミング悪くて触りに行けないんだよね」

胡桃「ふうん……それにしても、あの子こっちをガン見してるね」

豊音「ああー、ごめんよー。練習終わるまで待っててくれないかなぁ……」

胡桃「さすがに無理でしょ。どっか行っちゃうよ」

 練習が終わるまで、まだ数時間ある。

 それまで野良猫のあの子が、あそこでじっとしているとは思えない。


豊音「だよねぇ」

胡桃「うん」

 少ししてシロと塞が戻り、練習が再開される。

 それから数時間、私たちはかわるがわる卓に着き、先生の指導を受け、やがて日が傾く時間になった。

トシ「それじゃ、今日はこの辺にしとこうかね」

 寄り道せずにまっすぐ帰ってゆっくり休みなさい。

 ここ数日お決まりになった練習終わりの言葉を聞いて、解散となった。

 部室を片付け、五人揃って帰途に着く。
 生徒玄関を出たところで、不意にシロが足を止めた。

 なんとなく私たち四人も立ち止まり、少し遅れたシロを振り返る。

白望「……お茶でもしてかない?」

 何を言い出すのかと思えば。

胡桃「寄り道禁止!」

白望「ん……わかってるけど。だるいんだもの、このまま直帰だなんて。どっかで一息ついてからじゃないと歩けない」

胡桃「もう、またそうやって。ちょっと我慢して、家で休みなよ」

白望「そのちょっとがだるい」

エイスリン「ガンバレ! マケルナ!」

豊音「なまけるなー」

 練習中から興奮が継続している豊音とエイちゃんから、テンション高めの叱咤激励が飛ぶ。


 こういうとき、いつもなら塞もシロの尻を叩くはずなのだが、今日は違った。

塞「私は別にいいけど」

胡桃「いいの?」

塞「うん。だって、大会まで部活一本じゃ肩凝っちゃうよ。ちょっとお茶するだけならいいじゃない」

胡桃「うん……?」

 塞にしては、やけにすんなりとシロのわがままを聞く。

 つい勘ぐってしまう。

 このお茶のお誘いは、さきほど二人でトイレに行ったときにでも、話し合っていたのかもしれない。

 その目的はおそらく、少々エンジン回しすぎな新参ふたり、豊音とエイちゃんの息抜き。

 というのも、二人は最近、頑張りすぎでブレーキが効いていない印象があった。

 不慣れな土地、不慣れな学校で、いきなり競技麻雀の全国大会に出るとなれば、浮き足立つのも無理はないのだろうけれど、これで本番まで保つのかと、不安を覚えもする。
 プレッシャーに負けて落ち込むよりはいい。
 
 だが、元気が良すぎるのも、それはそれで心配だった。


 二人も同じように感じていて、部活一色の生活に切れ目をいれようと考えたのかもしれない。
 
 もちろん、ただのシロのわがままという可能性も大いにあるけれど。
 
 ここ最近の、塞とシロの新入部員への甘すぎな接し方からすれば、このくらいの気遣いはしてもおかしくはない。

塞「みんなも行くよね。学校の近くの店にするから、エイスリンと豊音も行こうよ」

 当然とばかりに塞が訊く。

エイスリン「イキマス!」

 当然とばかりにエイちゃんが応える。
 
 当然とばかりに、ここは私も乗っておこう。
 そう思って口を開こうとしたそのとき、豊音の意外な返答が、私の頭上から先行した。

豊音「私はやめとくよー」

胡桃「え」

 豊音がこの手の誘いを断るとは考えにくかったから、思わず声が漏れた。

塞「あ、あれ? そう? もしかして疲れてる?」

豊音「うん、昨日ちょっと寝つきが悪かったから。今日は早く帰って休むよー。また今度誘ってねー?」


 塞がちらりとシロに目配せする。
 塞の視線を受け、小さく頷くシロ。
 それを受け、塞が言う。

塞「それじゃ、四人で行こうか。どこにする?」

 どうやら今のアイコンタクトで「無理に誘うことはない」と方針が決定したらしい。
 この間、0,5秒。呆れるほどの以心伝心。
 それをほぼ確信を持って見て取る私も私だけど。

 そして、二人の心中を察しておいてなんだけど、私も二人の思惑通りには動けなくなった。

胡桃「……あ、塞、私もやめとく」

 豊音の様子が気になるので、私も行けない。

 豊音が珍しく、この手の誘いに乗ってこないのが気になっていた。
 
 どうも、様子がおかしいような気がする。

 だからといって、その理由を詮索するつもりは私にはない。
 
 今ごろ塞とシロの脳髄は、豊音を思いやり、甘やかす方向でフル回転しているのだろうけれど、私としてはそこまでするつもりはなかった。

 ただ、豊音ひとりを置いて四人で出掛ける――そんなモヤモヤする状況を作らないために、行かないだけ。

 塞とシロに気兼ねなくエイちゃんの相手をさせるため、行かないだけだ。


塞「ええ? 胡桃も?」

胡桃「ごめん。私、進路指導の先生に呼ばれてたの忘れてた。帰りに指導室に顔だせって言われたんだった」

塞「そっか。じゃあ、三人で行こうか」

エイスリン「ハイ!」

シロ「……」

塞「それじゃあ二人とも、また明日」

胡桃「うん。明日。ばいばい」

豊音「おつかれさまー」

 エイちゃんを間に挟み、並んで歩み去る三人を見送って、私は豊音を見上げた。

 この薄暗がりでは、傍目にわかるような疲労の色は見えない。

 本当にただ疲れているだけならそれでいい。

 寮に帰る豊音を見送って、私も家に帰るだけだ。

 しかしそれ以外の理由があって誘いを断ったのなら、豊音一人を置いて四人で出かけるのは嫌だった。

 塞とシロがエイちゃんのケアに当たるなら、私は豊音の担当、といったところ。

 豊音を見上げる。

胡桃「豊音、遅くなるかもしれないから、待ってなくていいからね」
 
豊音「うん。ばいばい」

 下駄箱に引き返し、内履きに履き替える。

 指導室に呼ばれたというのは、塞とシロの誘いを断るための嘘だ。

 靴を履き替え、校内に戻るふりをして、少し下駄箱の影に隠れる。

 別れを告げた豊音は、校門とは違う方向に小走りで駆けだした。

 疲れているから早く帰りたい、あれはやはり、嘘だったみたい。

 急いで靴を履き替え、豊音のあとを追う。


 外に出ると、すでに豊音の後ろ姿は小さくなっていた。
 
 私も歩調を速めるが、私と豊音では歩幅が違いすぎて、ただでさえ開いていた距離があっという間に広がっていく。
 
 もうすぐ完全に日が落ちる。
 グラウンドでは運動部の部員たちが後片付けを始めていた。
 夜間照明もあるにはあるが、点灯のための費用を賄えないために、暗くなるまでが彼女たちの練習時間と決められている。

 残念ながら宮守女子の運動部に全国出場を果たした部はなかった。
 そのため、あの中に見知った三年生の生徒はいない。
 私たちより一足先に引退して、あの子たちは今頃、それぞれ受験勉強なり就活の準備なりに励んでいる。

 三年生が抜けたことで、グラウンドは一気に静かになった。
 
 今朝方、進路指導のために登校していた元運動部のクラスメイトを見かけたが、私は声をかけなかった。
 
 ついさきほどまでの、練習中の高揚に影が差す。
 が、気づかないふりをして豊音のもとへと走る。

 豊音は校舎を迂回して、裏手に走り去ってしまった。

胡桃「……」

 この時点で、豊音の行き先には察しがついた。


 外履きのまま走っていくのだから、校内に用がないのは確か。

 そして、学校の敷地内の屋外で、豊音が行きそうな場所となると、私にはひとつしか思い当たる場所がない。
 
 私もスピードを上げ、豊音のあとを追う。

 校舎の裏手に回り込んでみると、すでに豊音の姿は見えなくなっていた。

 しかし豊音の行き先はわかっている。
 慌てる必要はないが、それでも自然と早足になる。

 そうして部室の裏手、校舎脇の植え込みのところに向かう。

 案の定、豊音はそこにいた。

 明かりの消えた校舎を背に、しゃがみ込んでもなお目立つ豊音の姿があった。

 その足元に、暗がりに浮かぶ白い小さな塊も見える。

 あの白猫だ。どうも、あの植え込みの中に腰を落ち着けていたらしい。

豊音「シロー、待っててくれたのー?」

「ウニャ」

 声をかけようと近づいていくと、豊音はまたもひとりで猫に話しかけていた。

 一瞬、なんでここでシロの名前が出てくるのかと首を傾げたが、すぐに「シロ」という名前が、私たちのよく知るあのシロではなく、目の前の白猫につけられたものだと気づく。


 見たままつけた名前、というわけではないのだと思う。

 我らが先鋒さまを意識しての命名なのは、名を呼ぶ豊音の楽しげな顔を見れば明白だった。

胡桃「ふふ」

 堪えきれず笑いながら近づくと、豊音はびくりと体を震わせて、こちらを振り返った。

豊音「胡桃ー」

 どことなくバツの悪そうな表情。
 
胡桃「疲れてたんじゃなかったの?」

 少し意地悪を言ってみる。

豊音「あ、ああー……っと。えっと。えへへぇ……」

 豊音は口ごもり、何かを誤魔化すように頭を掻いて笑った。

 嘘がばれていることは、今の一言で伝わったようだ。

 嘘をついてまで一人で来ることはないのに……とは思うけれど、豊音としては、ひとりで来るほうが気楽だったのだろう。

 数日前、私はこの白猫から猫パンチをくらっている。

 白猫は豊音によく懐くが、私にはあまり馴れてくれない。

 あの日、猫を逃がした私は豊音に謝った。

 あの程度のことで謝罪を受けるのが、友達付き合いに慣れていない豊音には気が重かったのかもしれない。

 豊音のことだから、私がまた猫パンチをくらって怪我でもしたら――なんてことも考えていたのだろう。


 だから豊音は、ここに一人で来ることにした。

 ひとり遊びに慣れた身の気軽さで、さっさとここへやって来てしまった。

 まだ数ヶ月の短い付き合いだから断言はできないけれど、これはおそらく豊音の悪い癖なのだと思う。

 五人で一緒にいても、まだひとり遊びの癖が抜けていないのだ。

 部活が終り、五人が揃っているときに「猫を見に行く」と、ひとこと言えばよかったのに。
 そう言えばみんなだって付き合ってくれただろうに、豊音はそれをしない。
 
 白猫に最初に会ったあの日、手洗い場で一人で笑っていたことにしてもそう。

『いやぁ。あの子がどっか行っちゃってから、入れ違いでシロが来たから……』

 あのときは、その言葉の意味がまったくわからなった。
 意味を考えようともしなかった。

 しかし、豊音がこの子をシロと呼んだいまなら、なんとなく察しはつく。

 この子がいなくなり、入れ違いでシロに会ったことで、豊音はおそらく「シロの正体はぐうたらで甘ったれな野良猫だった」とか「シロが猫に化けていた」だとか、そんな他愛ない空想に耽って笑っていたのだろう。

 ここ数日、豊音は誰かが中座するたびに窓辺に立ち、植え込みを見ていた。
 今日の休憩時間もそうだが、思えばあれは、シロがいなくなったタイミングで猫が来ているかどうかを確認していたのだ。

 つまり豊音は、シロと白猫を同一視する空想を、ここ数日ずっと一人で楽しんでいたことになる。


 それを口に出してくれればシロをからかうネタにでもしてやったのに、豊音は一人で空想することを、一人で猫を弄って遊ぶことを選んでしまう。

 もちろん、五人でいるからといって、常に全員で協調しなければいけない決まりなんてない。
 
 たとえばシロの奴は教室でも部活でも、あのマイペースな姿勢を崩さない。
 シロに関してはそれでいい。
 地元が同じだし、いまさら縁が切れるとも思えない関係だから、好きにすればいいと思える。

 けれど豊音に関してはそうはいかない。
 
 豊音とエイちゃんに関しては、時間がないのだ。

 さきほどの、三年生が去った運動部の様子を思い出す。
 
 別の方向を向いていても、それでいいと思えるほど、私たち五人がセットでいられる時間は長くはない。

 となれば豊音を、こちら側に引き寄せる努力を、惜しまずにはいられない。 

 私は豊音の横にしゃがみ込んだ。


胡桃「確かに、それっぽいよね」

豊音「え?」

胡桃「その猫。うちのシロっぽい」

豊音「胡桃もそう思う?」

胡桃「思う。ぽい。……シロー」

「ウニャウ」

 シロ猫に手を伸ばす。

 今度は逃げない。豊音を通じて人に馴れたのか、私が差し出した指先の匂いを嗅いで、額をこすりつけてくる。

 呼んだら来るぶん、本家シロより可愛げがある。

胡桃「シロの奴、さぼりたいがために、とうとう猫に化けだしたのかと思ったよ」

豊音「……ふふ。似たようなこと、私も考えてたよ? 道理でシロはぐうたらさんなんだなーって。猫ならしょうがないよなーって」

胡桃「もう、この子を代わりに練習させようか」

豊音「ええ? だってさ、君。どうー? エースポジションいけるー?」

「……」

豊音「あ、黙った。こういうとこシロっぽいよー、この子ー」

胡桃「ふふ」

 努力を惜しまない――なんて言ってみても、結局やることはこうやって、豊音と遊ぶだけなんだけども。


 豊音が内に篭り、胸に秘めてしまった何かを、目につく限り、ひとつでも多く拾いあげる。
 それくらいしか、私にできることはない。
 
 今になって、塞とシロが二人をべったり甘やかす気持ちがわかった気がした。
 
 時間がないなら思い切り優しくしてしまえばいいというのも、わからなくはない。

胡桃「さあ、今日もおなか触らせてもらうからね!」

「ミャウ?」

豊音「もう私たちなしじゃ生きられない体にしてあげるんだからー」

 それから私たちは、マッサージに飽きたシロ猫が去るまでの間を、その場で過ごした。

 眼が慣れていたために意識していなかったが、気づけば辺りは完全に暗くなっていた。

 校内から僅かに感じられた人の気配が、もうほとんど絶えてしまっている。

胡桃「帰ろうか」

豊音「うん」

 豊音とふたり、今度こそ家路に着く。


胡桃「……ん?」
 
 途中、ふとした瞬間、私たちの歩幅が合っていることに気づいた。

 私は普通に歩いているだけなのに。

胡桃「……ふふ」

 うまく笑いを噛み殺し切れなかった。

 いつからだろう? 

 おそらく、出会った当初からだ。

 豊音と並んで歩いた場面を思い起こしてみても、特に辛いと感じた記憶はない。

 少し駆け足になった覚えならある。

 しかし少なくとも、豊音が先ほどのように、まったくついていけない速さで先に行ってしまうことは一度もなかった。

豊音「なにー? なんで笑ってるのー?」

胡桃「なんでもない」

豊音「ええ? なにー? 教えてよー」

胡桃「なんでもないったら」

 もどかしげに、しかしどこか楽しそうに、豊音は私を見下ろす。

 私は豊音から視線を外し、口元を隠した。

 私が一人で笑う理由は、豊音には教えないでおこう。


     槓

以上で終了です
ありがとうございました

まとめで気になるご指摘いただいたので修正します
>>44>>56を、以下のレスに差し替え

>>44を↓に



胡桃「首輪してないね。野良かな?」

豊音「どうだろう。それにしちゃ懐きすぎだよー、無防備すぎー」

胡桃「だよね」

豊音「お前さん、そんなんで大丈夫ー? ワイルドライフ平気ー?」

 豊音の心配をよそに、猫はとうとう、お返しとばかりに豊音の手をグルーミングし始めた。

 甘噛みをまじえ、白猫は豊音の手をしぺしぺ舐めている。

 本当に野良猫なのか疑わしくなるが、触ると毛並みに隠された肢体は、野良猫らしくやせ細っていた。

 豊音が羨ましくなって、私も頭に手を伸ばした。

 すると。

「……!」

胡桃「あ」

 頭上に正面から手を伸ばしたのがいけなかったのか、猫は細めた眼をぱっと見開き動きを止めた。

 私も猫の頭上で手を止める。

 猫は寝転んだまま、私の手を凝視。

「ミャウ!」

 そして猫パンチ。

胡桃「あいた!」

 しまった……失敗。

「……」

 猫は身を起こし、てててっと私たちから距離を取った。

 そして一瞬こちらを一瞥し、その後はもう振り返ることもなく、全力ダッシュで走り去ってしまった。

胡桃・豊音「あー……」

 二人して落胆の声を漏らす。

>>56を↓に



 見たままつけた名前、というわけではないのだと思う。

 我らが先鋒さまを意識しての命名なのは、名を呼ぶ豊音の楽しげな顔を見れば明白だった。

豊音「ご飯あげるねー」

 豊音は通学バッグから猫缶を取り出し、ぱかりと開けている。

「! ウニャー!」

 自分の食事だと気づいた猫が、しゃがみこんだ豊音の膝に前足をのせて荒ぶっている。

豊音「まってー、スカートに爪たてないでー。はい、どうぞ」

 慌てて缶を地面に置く豊音。
 ものすごい勢いで猫缶に食いつく白猫。

 そういえば、数日前に少し触ったとき、ずいぶん痩せていると感じたっけ。

 豊音が誘いを断った理由にも、これで察しがついた。

 気ままな野良猫のあの子が、明日もあの植え込みにやって来る保証はない。

 豊音は次にいつ会えるかわからないあの子に、餌をやるチャンスを逃したくなかったのだろう。

豊音「まだここにいてくれてよかったよー。しかしあれだよね、君らはほんと、大急ぎで食べるよねー。もっとゆっくりでいいのにー」

 まるで人間に対するときのように、普通のトーンでしゃべる豊音がおかしい。

胡桃「ふふ」

 堪えきれず笑いながら近づくと、豊音はびくりと体を震わせて、こちらを振り返った。

豊音「胡桃ー」

 どことなくバツの悪そうな表情。
 
胡桃「疲れてたんじゃなかったの?」

 少し意地悪を言ってみる。

豊音「あ、ああー……っと。えっと。えへへぇ……」

 豊音は口ごもり、何かを誤魔化すように頭を掻いて笑った。

 嘘がばれていることは、今の一言で伝わったようだ。

 嘘をついてまで一人で来ることはないのに……とは思うけれど、豊音としては、ひとりで来るほうが気楽だったのだろう。

 数日前、私はこの白猫から猫パンチをくらっている。

 白猫は豊音によく懐くが、私には馴れてくれない。

 あの日、猫を逃がした私は豊音に謝った。

 あの程度のことで謝罪を受けるのが、友達付き合いに慣れていない豊音には気が重かったのかもしれない。

 豊音のことだから、私がまた猫パンチをくらって怪我でもしたら――なんてことも考えていたのだろう。

修正できてすっきり
今度こそ終了です。ありがとうございました。

HTML化依頼はすでに出してあります
念のため

PIXVに転載することにしました。


ピクシブURL
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