ハンジ「騒がしい音」(22)




壁内外に「地獄の処刑人」の音がこだまする。
人々が活動を始める朝から夕方にかけてそれはひっきりなしに鳴り続けている。


「今日も『処刑人』は頑張ってるな」


兵舎の窓から見える壁を見ながらジャンが言った。外は快晴で青空が広がっている。
それを眩しそうに目を細めながらジャンは複雑な思いでいた。


今あの壁の外では巨人が狩られている。あれだけ脅威であった巨人が、ハンジが発案し、エレンが巨人の力で造り上げた物で簡単に消え去っている。
それは被害も少なく、喜ばしいことだが多少の虚しさを覚えた。

この装置で全てを殲滅してしまえばエレン達の言う塩水で出来た巨大な湖である
“うみ”という場所を目指すことになっている。


「このまま行けば来年には掃討出来るかもしれないって言ってたね」


椅子に座ったまま、アルミンもまた窓から見える壁を見ながら答えた。

この調査兵団兵舎の食堂には生き残った新兵達が昼の休憩で集まっている。
ちょっと前までここは様々な年齢層の人々で賑わっていた。今は7人だけだ。

シガンシナ奪還作戦の後、新しく兵士を募っている最中でまだ他には誰もいない。
少し静かすぎる、とジャンは思った。



「ああ! それ! 俺のだぞ!!」

「なかなか食べないから残すのかと!」

「ふざけんな! サシャ! 返せよ!!」


が、前言は撤回すべきだな、と思い直した。思い直している間にもコニーとサシャは芋の取り合いをしている。


「お前らうるせぇよ!!」


痺れを切らしてジャンが叫ぶ。
しんみりしていた空気が一変し、先程まで静かだった食堂は少しだけ騒がしくなった。



「あ、そういえばもうすぐハンジ団長の誕生日ですね」


話を逸らすためか唐突にサシャが言い出した。それにすぐ反応したのは彼女らを注意していたジャンだ。


「お前、なんでそんなこと知ってんだ」

「何かで耳にしたんですよ。誕生日と言えば美味しいものが出ると相場が決まってますし」


目をキラキラと輝かせ、よだれを垂らしながら遠い目でうっとりとしているサシャを呆れた顔でジャンは見ていた。
アルミンは何かを思いついたのか考える仕草をしている。


「アルミン、どうかしたの?」


すぐ傍らにいたミカサが声を掛ける。そのミカサの奥にはエレンがいる。
彼も気になった様子でアルミンを見ていた。



「うん、ハンジさ――団長達って今、すごく忙しいでしょ? 何か労えないかなと思ってさ」


現在、調査兵団の幹部はハンジ団長とリヴァイ兵長の二人しかいない。
生き残った彼らも出来うる限り手伝ってはいるが幹部二人に掛かる負担は大きい。
何か出来たら、とアルミンは常々思っていた。そこへハンジ団長の誕生日だ。うってつけではないかと考えた。


「ハンジ団長の誕生日か。そうだな、祝いたいな」


意外な人物が口を開いて皆が一時口を閉ざす。それに気づいたフロックは少しばつが悪そうに「なんだよ」と軽く悪態をついた。


「フロックも参加してくれるの?」


何事もなかったかのように普通の語調でアルミンが問う。



「あ、ああ、当たり前だろ。俺も調査兵だし。それにエルヴィン団長が亡くなって落ち込んでたみたいだしな」

「…………」


返事を返されたことでホッとしたように話したものの最後の一言で空気が少々重くなる。


「――あ、いや……」

「ありがとう、フロック。参加してくれて」

「……別に……お礼を言われることじゃないけどさ。祝いたいだけだし」


何かを言い繕う前にアルミンが礼を言うと妙な空気は取り払われ、何をしようかと言う話題に花が咲き始めた。



「まだいたのか」


そこへリヴァイ兵長がやってきた。待ってましたとばかりにサシャがリヴァイに質問を投げ掛ける。


「リヴァイ兵長、ハンジ団長は何がお好きなんですか?」

「……あ?」

「サシャ、いきなりじゃわからないよ。あの、もうすぐハンジ団長の誕生日らしくて」

「ああ」


アルミンの補足で納得したらしいリヴァイは寄りかけた眉間のシワを戻した。
その様子に質問をして良いのだと解釈したサシャが尋ねなおす。



「それで、何かプレゼントしたいですし、ハンジさんは何が好きなのか知りたくてですね」


その質問にリヴァイは暫し悩んだ。


「……」


更に悩む。


「…………」


沈黙が食堂を包んでいく。


「わ、わからないですか?」


焦れたサシャが沈黙に耐えられず口を開いた。ようやっと思い出したようにリヴァイも口を開く。



「巨人以外なら……本、か?」

「本……禁書の類いですか!?」


本、という単語にいち早く飛びついたのはアルミンだ。


「お前、いくら前王政が無くなったとはいえそんなもんが易々と手に入ると思ってんのか」

「そ、そうですよね。すいません」


軽く舌打ちしたリヴァイにアルミンはびくりと小さく体を揺らした。
それを横で見ていたミカサは嫌な目付きをしながら心の中で悪態をついていた。
隣のエレンは何かを考え込んでいる。


「お前らがハンジにあげたいと思うものを選べばいいだろう」


ぱっとは思いつかなかったリヴァイはざっくりとした提案だけをする。



「確かに、プレゼントは気持ちとも言いますしね」


そんなざっくりとした答えに納得したようにアルミンが受け取り、皆で候補をあげるよう促した。

リヴァイはそれを傍らで眺める。彼らがわいわいガヤガヤとやっているのを見てそういえばと昔を思い出す。

昔はハンジ班が指揮をとり、誕生日会を開いていた。
皆を集め、飲み会が開かれるのだがハンジ班は巨人を模した出し物をしてみんなからブーイングを受けたり、
かと思えば見事な出し物で称賛を受けたりして盛り上げていた。

終盤では酔い潰れてしまったモブリットが愚痴をこぼし、ケイジはやたらとヒゲにゴーグルの兵士に絡み、
そしてニファは酒に酔ってへにゃへにゃになった。

それを横目に鼻を鳴らしながら酒を飲むミケと静かに飲むエルヴィン……いや、この二人もそう静かではない時もあった。

そんなことを懐かしくも遠い目で思い出す。もう二度と見ることは叶わないその情景を。

不意にリヴァイは軽く頭を振り、思い出したそれを頭の隅に追いやった。



「先立つものは俺が出してやる。限度はあるが盛り上げてやれ」


そう言うとわっと騒がしくなり、礼も飛んだかと思うと
先程まで話していた何をプレゼントするかという話題にすぐに切り替わった。

リヴァイはそれを尻目に紅茶を淹れにその場を離れた。

紅茶を淹れて戻ってくると今度はエレンが待ってましたとばかりにリヴァイに声を掛ける。


「リヴァイ兵長、プレゼントなんですが、巨人柄の眼帯なんてどうでしょう!?」


このところ何か思案げにしていたはずのエレンが良い案が出たという表情で言う。
真顔で受け止めたリヴァイは一言だけ返した。


「……やめておけ」



――――――――――――


――――――――――――


シガンシナ奪還作戦後、慌ただしく時が過ぎて行く。それでもまだ巨人は全て殲滅されてはいない。
今までのことを顧(かえり)みれば驚異的な早さで巨人は駆逐されてはいるのだが。
焦っているわけではない。しかし、出来れば早くという急く気持ちもある。

忙しさに目を回していればそれらの気持ちが少しは凪いだ。
ふと、ハンジは走らせていたペンを止めた。片目では書類仕事も少し疲れる。
腕を伸ばし凝(こ)りをほぐすと、振り返って後ろの窓を見てみた。

青く美しい空。そこに響く処刑の音。
彼らは元は人間だ。複雑な思いが胸によぎる。


元に戻す術がない以上彼らは掃討するしかない。何せあまり悠長にはしていられない状況だ。
ハンジはしばし空を眺め、再び書類にペンを走らせた。

その時、扉を叩く音がした。「開いてるよ」と言えば仏頂面の男が入ってくる。


「リヴァイじゃないか。どうしたんだい?」


問い掛けに続いて「特に一緒に出なければならない仕事は無かったはずだけど」と付け足して首をかしげた。


「ガキ共が呼んでいる」


意外な言葉に目をぱちくりさせてハンジは黙る。



「団長を呼び出すなんざ20年早ぇが用があるんだと」

「微妙に具体的な数字だね。別に構わないけど、どこだい?」

「食堂だ」


はてさて、何か呼び出されるような事なんてあっただろうかと書きかけの書類をそのままに食堂に向かうことにした。
残した書類は明日でもいいものばかりだ。

モブリットがいれば呆れながらも書類を整理して片付けてくれ、他のはいってらっしゃいと見送ってくれただろう。
思わず浮かんだ考えに気づかぬふりをしてリヴァイと共に廊下に足を進めた。



「お誕生日おめでとうございまーす!!」


食堂に足を踏み入れた途端に祝われた。ハンジは驚いて目を丸くしている。


「何をしている。早く入れ」


リヴァイは入り口で止まったハンジにそう言いながら横を抜けて中へと入っていった。


「リヴァイ兵長、ありがとうございます!」

「す、すいません、リヴァイ兵長に呼びにいってもらって……」


サシャが満面の笑みで礼を言い、ジャンが笑顔を引きつらせながら謝罪をした。


「構わん」


一言、許諾の意を示しリヴァイは席へと着いた。


誰がハンジを呼びに行けばよりバレにくいだろうかと話しているうちに何故か重要なミッションとなり、
リヴァイ兵長なら! という結論に達した結果だ。

リヴァイも勢いに押され承諾してしまった。
正直、どうせ忘れているのだから誰が呼びに行こうと問題はないと思っていたのが
それを言うとまた揉めて面倒なので黙っていた。

ぽかんとしていたハンジだが、サシャとコニーに背中を押され席に着く。

隣に座るリヴァイに「この子達にパシらされてたの?」と思ったことそのままに伝えるとハンジは足を蹴られた。
痛ぇなコノヤロウと睨み付けるがリヴァイはどこ吹く風だ。


「さすがにヒストリアは呼べなかったんですが、おめでとうございますと伝えてくださいってことでした」


申し訳なさそうに言うコニーに「女王様に祝いの言葉をもらえるだけでも光栄だよ」と微笑みかけた。



「ハンジさ――分……じゃない、団長! これプレゼントです!」


そこへ言い慣れていない所為か呼び方を散々間違え、颯爽とプレゼントを渡そうとするサシャが現れた。
ジャンとアルミンが慌てて止めに入る。


「おい、待て!」

「サシャ、まだ早いよ」

「? なんでだ?」


止めた言葉に反応したのはエレンだった。プレゼントなんだから渡してもいいだろうと二人に言う。

しかし、二人は段取りがあるんだとエレンに説明してサシャを止めている。
ミカサは淡々と料理を運び始め、フロックはそれを手伝いながら呆れた顔をしていた。

そんな騒がしい食堂を穏やかに微笑みながら見ていたハンジは在りし日を思い出す。




『ハンジ分隊長』

『ハンジさん』

『ハンジ』

『今日はハンジの誕生日のお陰で酒が飲める!』

『程々にね……って言っても聞かないんだろうね、ゲルガーは』

『リーネ、止めるだけ無駄だよ』

『酔い潰れるまで飲ませた方が得策だ。お前も飲めナナバ』

『ヘニング、あまり飲ませ過ぎるな』

『いいよ、ミケ。ヘニングの言うとおり酔い潰した方がいい』

『ナナバ……』


『ははっ、まぁいいじゃないか』

『エルヴィンまで言うか。ゲルガーは俺の部下だぞ? 責任が俺に来る』

『団長権限で免除する』

『こんなことで団長権限を使うんじゃねぇよ』

『そうだ。リヴァイ、お前も止めてくれ』

『ミケ、悪ぃが面倒はごめんだ』

『リヴァイ……』

『おい、モブリットも飲み過ぎだ』

『あー、お酒返してくださいよー。このヒゲゴーグル』

『お前モブリット、敬語を使ったかと思えばなんだその見たままのあだ名は』

『ヒゲゴーグルだよなー、なんだぁ、このヒゲはぁ』

『うわっ、ケイジ? お前までいつの間に……っておい! ヒゲを引っ張るな!!』


『ゴーグル、ハンジぶんたいちょうとおそろいですねぇ』

『ニファ!? ふにゃふにゃじゃないか。誰だ! こんなになるまで飲ませた奴は!』

『まともなのはヒゲゴーグルだけだねぇ』

『ハンジ分隊長まで……止めてくださいよ』

『やーだよ。だって私の誕生日じゃないか』

『逃げ口上が卑怯ですよ!』

『ハンジぶんたいちょうにからんじゃだめぇ』

『うわぁ!? ニファ!?』

『そうですよ、ハンジ分隊長は困った人ですけど凄いんですよ? わかりますか? このヒゲゴーグル』

『何を言ってるのかわかるけど突然で意味がわからねぇよ、モブリット!』

『あっははははははは!!』



同じ食堂。幻を見るように彼(か)の日が思い起こされた。

少し、視界がぼやけたがそれを誰にも気づかれないよう拭い去った。
隣に座るリヴァイは微かに横目でハンジを追ったがすぐに騒ぐ部下達を見据えた。

まだプレゼントを今渡すか渡さないかで揉めている彼らをハンジは見やる。
あの時は止めなかったが、今度はリヴァイが出る前に止めた方がいいのだろうと
わいわいと騒ぐ彼らに声を掛けるべく席を立った。


刻限は夕方。振り下ろされる槌は静かなオブジェと化し、壁内外にこだまする音は掻き消えた。
変わりに聞こえてくるのは隠れていた人々の生きる音。
そして今夜は少しばかり騒がしい宴の音が兵舎の食堂に響くはずだ。



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