未央「兄貴、何か隠してるでしょ」未央兄「なんのことだ?」 (30)

・未央と未央の兄の話です。
・というわけで、オリキャラで未央の兄が出ます。
・地の文が多いです。
・それでもよろしければ、ぜひどうぞ。

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 4月も半ばを過ぎた、ある日の夜。
 ピンポンピンポンピンポーン、とリズミカルにチャイムが3回鳴った。

「ったく、なんだよこんな時間に……」

 煙草を灰皿に押し当てて、火を消す。
 時刻はすでに22時を回っている。
 最近、通販であれこれ注文してはいるが、こんな時間には来ないだろう。
 そもそも、宅配業者ならあんな子どもみたいなチャイム3連打はすまい。
 酔っ払った大学の悪友どもだろうかと予想しつつ玄関に向かい、はいはいどちら様ですか、とドアを開けると。

「よっ、兄貴! アナタの可愛い妹、未央ちゃんが遊びにきたゾ☆」

 ばちこーん、と上目遣いにウインクを飛ばしてくるその小娘の顔を見て、俺はドアノブを即座に引いた。
 鍵も回す。いや、合鍵を持っているかもしれない。チェーンも掛けておくべきだな。
 がちゃん。

「えっ、ちょっ、兄貴!? なんで閉めるの!? 開けてってば! あーけーてー!」

 奴がガチャガチャドンドンとドアの外で騒いでいるのには構わず、俺は素早く室内へと戻った。

 まずい。
 非常にまずい。

 あーくそッ、なんだってんだ、いきなり!
 特段新しくも古くもないアパートのワンルーム、今年で住み始めて3年目、慣れ親しんだ自室の中を改めて見回す。
 ベッド脇の壁、床に放り出された雑誌、ノートパソコンに取り込み中だったCD……パソコンそのものもか。
 奴に見られてはまずいものがいくつかある。一番やばいのは、壁のやつか。

 急がなくては……!

 速やかに、かつ丁寧に作業を進め、かけた時間はおおよそ3分。
 緊急措置ではあるものの、我ながら、なかなかの手際だと言えるだろう。
 しかし、これで一息つくわけにもいかない。

「兄貴ー! 兄貴ってばー、聞いてるー? 正真正銘の未央ちゃんだよー? 本物だよー?」

 あいつ、まだ騒いでやがる……迷惑なやつめ。
 再び玄関に向かう。チェーンはそのままに鍵を回してドアを開けた。

「あれっ、開けてくれた? って、チェーン掛けてるしっ。兄貴ってば、可愛い妹を邪険にしすぎじゃないの~? あ、もしかして照れちゃってるのかな? かなー?」

 うぜぇ……。
 今さら改めて確認するまでもなかったが、このうざさ、間違いない。
 ドアの外にいるのは、俺の妹の、本田未央だ。
 驚くべきことに去年、大手芸能事務所の346プロからアイドルとしてデビューし、そこそこ人気もあるらしい。
 こんなうざいのに。世の中どうかしている。
 まあ、あれか。うざいけど顔は可愛いし、胸もでかいから、バカな男は騙されるのだろう。
 バカだなぁマジで。ほんとバカ。
 で、結局のところ、この妹はなぜ今ここにいるのか。

「……何しにきたの、おまえ」

 ドアの隙間越しに、さっさと帰れというニュアンスを前面に押し出しつつ尋ねると、奴はにんまりと笑みを浮かべながら言った。

「泊めて♡」
「帰れ」

 兄妹の情けで一応事情を聞いてやれば、レッスンに熱が入りすぎて気づけば夜、電車には間に合うけど疲れちゃったし今から千葉まで帰るの面倒だなー、
 と思ったところで都内で一人暮らし中の兄のことを思い出したという、その兄であるところの俺にとっては、ただひたすら迷惑なだけの理由であった。
 帰れ泊めて帰れ泊めて帰れ泊めてと不毛な争いがしばらく続いたが、しかし結局のところ、俺は押し負けることになった。
 決定打は、未央が実家に電話をかけやがったことだった。
 実家から十分通える大学だというのに、一人暮らしを許してもらった上に仕送りまでしてもらっている立場としては、
「未央のこと、よろしくね?」なんて言われたら断りようがない。

「うるさくするんじゃねぇぞ」
「わかってるってば」

 さっきまでぎゃーぎゃー騒いでいた奴が何を言っているのか。
 渋々チェーンを外してやると、奴はするりと猫みたいに部屋の中へと入り込んできた。

「あっ、こら」
「お邪魔しまーすっ。おお、これが兄貴の部屋か~」

 ベッドにタンス代わりのカラーボックス、CDラックと本棚、ゴミ箱、あとはローテーブルの上にノートパソコンと灰皿。
 たいして広くもない部屋だから、置いてあるものといえばその程度だ。
 家を出る前の自分の部屋とも大差ないはずだが、未央はやたらと興味ありげに、きょろきょろと室内を見回している。
 思えば、未央がこの部屋に入るのは、引っ越しの時に親や弟と一緒に見に来て以来だったな。
 少なくとも月に1回は実家に帰っていたので、そこそこ顔を合わせてはいたのだが……なんだか、不思議な感じだ。
 いや、不思議な感じだ、とか言っていられる状況ではないのだが。

 ……大丈夫だよな?
 と、内心でほんのわずかに不安を感じていると、未央が微かに顔をしかめているのに気付いた。

「う~ん……なんか、タバコのにおいしない?」

 ……なんだ、そんなことか。ビビらせやがって。

「そりゃ、ついさっきまで吸ってたからな」

 答えながら、軽く窓を開ける。
 風はほとんどなかったが、まあ多少は換気できるだろう。

「ベランダで吸えばいいのに」
「そういうわけにもいかないんだよ、風に乗って他の部屋に煙が入ったりするから」

 それで一度、隣室の住人から苦情が入ったからなぁ。
 当時はまだ吸い始めたばかりで、喫煙マナーを完全に把握できていなかったのだ。
 他にも、ベランダで干されている洗濯物ににおいがつくとか。
 結局、室内で吸うのが手っ取り早いし、人に迷惑もかけない。

「じゃあ、もしかして、壁紙とかカーテンとかがビミョーに黄ばんでるのって、タバコのせい?」
「黄ばんでる……? そうか?」

 確かに言われてみれば、壁やカーテンにはうすーく色がついているように見えなくもない。
 しかし、最初からこうだったような気もする。

「黄ばんでる黄ばんでる。賃貸なんだし、こういうのってちゃんと掃除してキレイにしないといけないんじゃないの?
ほら、こっちの壁に掛けてあるカレンダーの下、元はこんな白かったのに」

 ベッドと反対側の壁に掛けてあるカレンダーを、未央はまとめてめくり上げてみせた。
 確かにその下は、真っ白だ。
 これに比べると、その周り、いや部屋全体は、まるで日焼けでもしたかのように黄ばんでいるのが、はっきりとわかる。
 こ、これがヤニ汚れってやつか……。
 毎日この部屋で寝起きしてるってのに、今の今まで気付かないとは。いや、だからこそ慣れてしまっていたのかもしれないが。
 未央が言う通り、たまには掃除しないとやばいな……と頭の片隅で思う。
 そう、片隅で、だ。
 今はそれどころではないということに、気付いてしまったのだ。
 まずい。忘れてた……!

「あれ? このカレンダー……23日のこれ、なに?」

 気付くな見落とせ、という俺の願いも虚しく、未央はそれに気付いてしまう。
 やっぱ無駄にめざといな、こいつ。大雑把に見えて意外と細かい奴なのだ、昔から。
 問題のカレンダーは何のイラストも柄も入っていないものなのだが……。
 4月23日の日曜日に、数字を囲むようにハートマークが、そしてさらにその上から、バツ印が書き込まれている。
 まあ、書き込んだのは俺なのだが。

「そ、それは……」

 くそ、どうする? どう誤魔化せばいい……?

「……いや。言わなくていいよ、兄貴」
「な、なに?」

 未央は、やけに優しげな声音で言う。

「大丈夫、わかってる。わかってるから……彼女とデートの予定だったのに、フラれちゃったんだよね?」
「…………」

 ぜんっ……ぜん、違う。違うのだが、日付を囲むハートマークの上にバツ印、確かにそういう意味に取れないことはない。
 せっかく勘違いしてくれたのだから、ここは乗っかっておくべきだろう。
 が、未央の憐れむような顔がうざいので、ひとつだけ訂正しておく。

「違う。俺がフってやったんだ」

 というかそもそも、どうして俺がフラれた前提なんだ。デートの予定だったのが中止になっただけって話でも筋は通るだろうが。
 しかしこのバカ妹は、そんな俺の密かな憤慨にはまったく気付く様子もなく。

「うんうん。いいんだよ、そんなに強がらなくたって。私は全部、わかってるから」
「人の話を聞けや!」

 おまえ何もわかってねーじゃねーか! そもそも彼女なんていねーんだよ!

「あっ、ちょうどこの日、私イベントあるんだけど、来る? ほら、気晴らしにさ。1人ぐらいなら今からでも招待席用意できると思うよ?」
「行かねーよ!」
「えー、楽しいと思うんだけどなー。と言っても私はチョイ役だけど。あっ、今の話、人に言っちゃダメだからね? 私、シークレットゲストってことになってるから」
「だったら最初から言うんじゃねーよ! ……って、ちょっと待て。シークレットゲスト?」
「そ、いわゆるサプラーイズ!」

 だから今の話ツイッターとかに書き込んじゃダメだぞ☆と未央は言うが、そんなことはどうでもいい。

「……未央。やっぱりそのイベント、行ってもいいか」
「へ? でも私、ほんとに最後のほうで、ちょっとしか出ないよ?」
「いいんだよ、ちょっとでも。ダメか?」
「そりゃ、ダメってことはないけど……どうしたの、急に? 兄貴、私のアイドル活動……っていうか、アイドルそのものに全然興味なさそうだったじゃん」
「それは……こんな時間まで頑張ってるくらい、夢中なんだろ? 一度くらい、見てみようかって思ってな」
「ふーん……そっか、そうなんだ。ふーん……。うん、わかった。プロデューサーに頼んでみるね」

 よっしゃ!

「ああ、ありがとな、未央」
「な、なんだよー、兄貴のくせに、やけに素直じゃーん」
「別に、そんなことねぇよ」

 俺の答えに、未央はなぜか嬉しそうにはにかんでみせた。何が嬉しいのかはわからんが……。
 まあ俺のほうも、たまにはこうして妹と話すのも悪くはないな、と思うのだった。



「で、なんと昨日のことですよ、この未央ちゃん、初の水着グラビアが載ったヤンデレが発売されたわけですよ! 巻頭で! 表紙で! 付録でポスターまで付いてくる!」
「へー、あっそう」
「……ちょっと兄貴、反応薄くない?」

 俺が女でアイドルだったら、自分の水着グラビアが出ることに実の兄が大喜びしていたらドン引きするんだが? どう反応しろと?
 ちなみに未央の言う「ヤンデレ」とは、漫画雑誌「週刊ヤングシンデレラ」の略称である。
 もう少し、読者にどう略されるか考えて誌名を決めるべきだったのではないだろうか。

 さて、未央にはローテーブルのそばに置いてあるクッションを勧め、俺はベッドの縁に腰を下ろし、ようやく落ち着いたと思ったところだったのだが。
 そこから始まった未央の近況報告トークには、まったく落ち着きというものが感じられない。
 口だけならまだしも、身ぶり手ぶりまで交えてくるから、余計にだ。
 レッスンに熱が入りすぎて気付けば夜、とか言っていたわりに元気すぎるし、うざい。
 というか俺しかいないとはいえ、そのミニスカで胡座かいてるのは女子としてアイドルとして、どうなのだ。
 水着どころかぱんつ見えそうなんだけど。

「反応が薄いって言われても、そもそもアイドルに興味がないからな」
「むー、それは知ってるけどさ。じゃあ、漫画のほうは? 兄貴はヤンデレ、読まないの?」
「まったく読まないな。ヤングマジックなら立ち読みするが」

 なお、ヤンデレ呼ばわりされているヤングシンデレラだが、掲載されている漫画は特にヤンデレものではないと聞く。

「おっ、発売日一緒じゃん! もう本屋さん行った? ヤンマジの横に並んでたでしょ、水着の私が表紙のヤ・ン・デ・レ♡」

 うわぁ……。語尾にハートマーク付けて口に出す単語じゃねぇな……。
 というか、こいつ、ヤンデレの意味を知らないのでは……?

「いや、本屋には昨日行ったが、見覚えがないな」
「あっれー? おかしいなぁ、売り切れちゃってたのかなぁ?」

 ポジティブすぎるだろ。発売日に即完売してるってことだぞ、それ。
 まあ、本当は俺が行った近所の本屋にも件のヤングシンデレラは普通に並んでいたのだが。
 俺はヤングマジックを立ち読みしたいだけだったのに、視界の隅にチラチラと妹の派手な水着姿が入り込んできて、迷惑極まりなかった。
 しかし、それをバカ正直に口にするわけにはいかない。今、未央の機嫌を損ねるとせっかくの招待席がフイになりかねんからな。
 はぁ、妹相手にこんな風に気を遣うのって初めてだから、疲れる。

「まあとにかく、他の本屋さんとかコンビニ行ったら雑誌コーナー探してみてよ。妹の顔なんだから、一発でわかるでしょ?」
「ああ、気が向いたらな」
「いやいや、そんなのんびりしてたらダメだよ。来週にはしぶりんになっちゃうんだから」
「……なに? しぶりん?」
「うわマジ? しぶりんだよ、しぶりん。渋谷凛ちゃん。兄貴、ほんっとにアイドルに興味ないんだね。妹と同じユニットのメンバーくらい覚えとこうよ」

 信じられないという顔をされた。
 ムカついたので反論してやろうかとも思ったが、余計なことを言ってしまうと面倒になる。抑えよう抑えよう。
 すべては招待席のため……!

「うるせーな。で、その凛ちゃんがなんだって?」
「来週のヤンデレ、しぶりんが巻頭グラビアで表紙なんだよ。っていうか、ニュージェネレーションズ初水着グラビア3連弾って企画なの。先週はしまむーだったしね」
「ふーん、そうだったのか……そういう企画か。それは知らなかった」
「まったくもう、妹のことなんだから少しは興味もってほしいなぁ。いや、少しっていうか……全部? 全部興味もって?」

 俺が女でアイドルだったら、自分やユニットの仕事を実の兄が全て把握していたらドン引きするんだが?

「やだよ」
「えー? まったくもう、兄貴は……って、あれ?」

 俺との他愛ない会話の最中、不意に何かに気付いたらしい未央。
 その視線が向いているのは……奴の正面、ベッドの縁に腰掛けている俺……の、後ろだった。
 そこには、何もないはずだった。
 はず、だったのだが。

「兄貴、後ろの壁に何か付いてるよ」
「……なに?」
「なんだろう、キラッて何か光って……ええっと」
「ま、待て! 立つな!」

 立ち上がってその《何か》を指し示そうとする未央を制しつつ、俺は腰を上げぬまま、ゆっくりと振り返った。
 何もない、あってはならないはずの、ベッド脇の壁。目を凝らして、未央が視線を向けていた辺りをくまなく探す。
 はたして、それは見つかった。
 そのままの態勢から手を伸ばし、爪先で引っ掻いて剥がす。
 未央が言うように、キラリと部屋の明かりを反射するそれは、セロハンテープの切れ端だった。
 切れ端というよりは、極々小さな欠片と言ったほうがいいか。

 まさか、こんなものが残っていたとは……!

 見落としていた。いや、普通は見落とすだろう。
 恐るべきは、こんな小さな欠片に気付いてしまう我が妹のめざとさだった。

「兄貴? なんだったの?」

 そして、発見者である未央からすれば、その質問をするのは当然だった。
 どう答える? どう応じるのが正解だ?

「……テープの切れ端だ。ここに貼ってあったポスターを剥がした時に、残っちまってたみたいだな」

 悩んだのは一瞬、俺は《嘘》はつかないことを選んだ。
 ただし、《本当》のことを話すつもりもない。100%が嘘では、かえってボロを出しかねないと判断した。

「へぇ、ポスター? 何のポスター貼ってたの?」
「何って、好きなバンドのだよ。おまえが考えてるようなことは一切ないから、そのにやけヅラをやめろ」

 ちょうど先ほどまであがっていた話題もポスターについてだったから、ニヤニヤと笑みを浮かべる未央が何を考えているかはすぐにわかった。
 ちぇーっとつまらなさそうに口を尖らせる未央。
 よし。これでもう、この話も終わりだろう。我ながら、うまい具合に乗り切れたのではないか?
 と、そう思った矢先。

「ねえ、その好きなバンドのポスターってさ」

 こ、このヤロウ……食い下がってきやがった。
 なんだ? 何を聞かれる? 
 一番ありそうなのは、なんてバンド? という質問だが、それぐらいならどうとでもなる。
 そうだ、タイミングよく、この間CDを借りたばかりのバンドがある。
 ええと……さ、最近流行ってる……去年、大ヒットしたアニメ映画の……ラ、ラ……ラッド……なんだっけ?
 ま、まずい……! ド忘れしてしまった……ッ!

「いつから、貼ってあったの?」
「え?」

 内心焦りまくっていた俺は、まったく想定していなかった質問に、思わず呆けた声を漏らしてしまった。
 いつから、貼ってあった?
 なぜ未央は、そんなことを尋ねてきたのだろう。
 バンドの名前でなくとも、他に聞くことがありそうなものだが……どうして剥がしたの、とか。
 質問の答え……ポスターを貼ったのは、《昨日》だ。だが、バカ正直にそれを話すのは、さすがにまずい。
 未央の意図はわからんが、ここは誤魔化すしかない。

「……さあな。けっこう前から貼ってたから、正確には覚えてないな」

 俺の答えに、未央は。

「へー、そうなんだ」

 未央は、ニカッと、まるで面白いイタズラを思いついた子どものような笑みを浮かべた。
 そんな妹の顔を見て、俺は、背筋にぞくりと悪寒が走るのを感じた。

 これは……やばい。

「そっか、そういうことか。なるほどね?」

 そう呟き、未央は立ち上がって部屋の中を、ぐるりと見回す。
 その目に映ったであろう、ヤニで薄く黄ばんだ壁紙、カレンダー……そして、俺。

「兄貴……アイドルに興味がないっていうの、嘘でしょ?」

 もしもこの世界がミステリ小説の作中だとしたら、ここからが解答編ということにでもなるのだろうか。
 ……ま、まあ、俺には隠し事なんて一切ないし? だから、ミステリでもなんでもないんだけどな? うん?

「いきなり……何を言ってるんだ、おまえ」
「兄貴が何を隠したのかは、もう見当がついてる。笑ったりしないからさ、もう白状して楽になろうよ。ね?」

 未央の、優しげな言葉。
 すべてを見抜いている、そんな自信があるからこその、余裕があるからこその、優しさ。
 心が、揺れる。

 しかし。

「……だから、いきなり何を言ってるんだっつーの」

 俺にも、引けない理由がある。
 ギリギリまで、戦い抜いてやろうじゃねぇか……!
 そんな、あくまでも抵抗を続ける道を選んだ俺に、未央は呆れたようにため息をついた。

「兄貴、後ろ。壁を見て。さっき、セロハンテープの切れ端がくっついていたあたり」
「な、なに……?」

 振り返り、未央が指摘したベッド脇の壁を確認する。
 まさか、あの切れ端以外にも何か、もっと決定的な痕跡が残っていたとでも……?
 しかし、そこにあるのはただの壁だ。
 部屋全体がそうであるように、ヤニ汚れで薄く黄ばんでいる以外は、変わったところもない。

「確認だけど、そこの壁にはどんなポスターを貼ってたんだっけ?」
「……好きな、バンドの」
「いつから貼ってあったの?」
「……けっこう、前から。正確には覚えてない」

 慎重に、先ほどどう誤魔化したかを思い出しながら、同じように説明する。
 なるほどなるほど、と未央は満足気に、そしてしたり顔で、うんうんと頷いてみせる。
 な、なんだ? なんだっていうんだ?

「ふっふっふ、まだ気付かないかなー? 気付かないなら、教えてあげる。ちょうどいいものが、そっちの壁に掛けてあるからね」

 未央が目を向けたのは、ポスターが貼ってあったベッド脇とは反対側の壁、そこに掛けてあるカレンダーだった。
 4月23日の日曜日にちょっとアレな書き込みがされている、あのカレンダーだ。

「そのカレンダーが、どうし……あぁッ!?」

 慌てて振り返る。
 正確には覚えてないくらいの間ポスターを貼ってあったことになっている、その壁紙は……。
 そう、タバコのヤニで、《黄ばんでいる》。

「テープの切れ端が残ったままで、兄貴がそれに気付いてなかったってことは、ポスターが剥がされたのはつい最近のことだよね? と、いうことは……」

 未央は話し続けながら、カレンダーに手をかけ、まとめてめくり上げた。

「こんな風に、ポスターが貼ってあった下は……日焼け跡みたいになってないと、おかしいんだよ!」
「ぐッ……ぬゥ……」

 周りの黄ばみに比べれば真っ白な壁紙が、カレンダーの下から現れた。
 呻くことしかできない俺に、未央は容赦なく追求を続けてくる。

「ここで重要なのは、兄貴がその壁にポスターを貼っていたのは本当らしい、ってこと」

 これについてはセロハンテープの切れ端っていう証拠があるからね、と未央は得意気に話す。

「つまり兄貴は……つい最近、この壁にポスターを貼って、貼ったばかりのそのポスターを剥がしたってことになるよね?
ヤニ汚れの跡がまったく残らないぐらいの、短期間で!」

 う……ッ、ぐ、ぬゥ……ッ!

「いやぁ、兄貴はどうしてそんなことしたのかなぁ~。あっ、もしかして、そのポスター……私に見られたくなくて、剥がしたとか?」
「ぐ……ッ」

 正解だよこのヤロウ……ッ!

「さぁて、妹に見られると困るなんて、兄貴はいったい、どんなポスターを貼ってたのかな~? つい最近貼ったってことは、つい最近手に入れたポスターってことかな~?」
「そ、それは……」
「そういえば、さっき話したような気がするな~、つい最近発売されたばっかりの雑誌に、付録でポスターがついてくるって!」
「そ、そうだったか?」

 しらばっくれる俺に対して、まったく遠慮する様子もなくニヤニヤと笑いながら顔を近付けてくる未央。
 うざい。うざいこと、この上ない。
 が、しかし。俺には、反撃する手立てが……いや待て。本当に、ないか?

「……そうだ、証拠! おまえが言ってるのは状況証拠ばっかで、俺がおまえに見られたくないポスターを隠したっていう、決定的な、物的証拠がないじゃねぇか!」
「え、物的証拠? あるよ?」

 ……あれ? 墓穴掘った?
 いや、待て。こいつのことだ、ハッタリ、あるいはカマかけに違いない。

「ぶ、物的証拠なんて、ど、どこにそんなものが……」
「兄貴のお尻の下」
「……ッ!?」

 なん……だと……?
 見抜かれている……ッ!?

「兄貴、さっきからけっこう興奮したり動揺したりしてるけど、一度も立ち上がったりしないで、ずっとそこ、ベッドに座ったままだよね。私がこの部屋に入ってから、ずーっと」
「う……ッ、ぬ、ぐ……ッ」
「剥がしたポスターをどこに隠したかって考えたら、わかるよね。兄貴、たったの3分ちょいで戻ってきたし。
剥がすだけならともかく、隠すまでをその短時間で済まそうと思ったら、隠し場所は限られるはず。
ポスターって綺麗に丸めるの、けっこう難しいし。ただまあ、隠し場所としては安易すぎるから、あくまで緊急避難場所だったのかな?
私がトイレかお風呂かに行ってる間に、改めてちゃんとした場所に隠すつもりだったんでしょ?」

 すげえ、全部当たってる……。
 いくらなんでも鋭すぎるだろ。本当にこいつ、未央か?
 俺の妹って、もっとアホじゃなかった? なんなの? コナンくんなの?

「まったく兄貴ってばバカだよねぇ。いきなり可愛い妹がやってきて動揺しちゃったんだろうけど、もっとゆっくり隠せばよかったのに」

 ああ、この余計なことまで言いやがるところは間違いなく俺の妹だ……。
 そんな妹が、実の兄である俺に、情け容赦のない最後通告を突きつけてくる。

「さあ兄貴、立って? 決定的な、物的証拠……見たいんでしょ?」

 最早、逃げ道は残されていなかった。
 不思議なもので、あれだけ抵抗したのに、ここまで来るといっそ清々しさすら感じられる。

「……わかったよ。俺の負けだ」



 解答編は、終わりを迎えようとしている。
 そう。全ては、未央が推理した通りだった。

 俺は《1週間前》、件の漫画雑誌を購入し、水着グラビアを楽しみ、さらには昨日、その付録ポスターを壁に貼ったのだ。
 グラビアのポスターなんて初めてだったから(その上、水着である)、どうすべきか持て余していたのだが……。
 物は試しと貼ってみたら……これが思っていた以上に、良かった。良かったんだよ、マジで。
 それを眺めながら悦に浸っていた俺だったが、そこに今日、突然やってきたのが愚妹・未央。
 焦った俺は貼ったばかりのポスターを慎重に、かつ迅速に剥がし、CDやその他諸々のファングッズと一緒に、ベッドの布団の中に隠したのだ。

 観念した俺がゆっくりと立ち上がると、満足気な様子の未央が、側に寄ってきた。
 くそ、まさかこんな形で俺の秘密が暴かれることになるなんて……。

「まったく兄貴ってば、そんなに恥ずかしがらなくたってよかったのに。だいじょうぶ。私、こんなことで引いたりしないよ。兄貴のことを、嫌いになったりしない」
「み、未央……」

 その慈愛に溢れた声は、俺の知る未央とは別人のようで。
 それなのに、ちゃんと、わかるのだ。こいつは間違いなく、俺の妹だと。
 なぜだか、涙が出そうだった。

「……そうだな。こんな姑息な真似しないで、素直に、言っちまえばよかったのかもな」
「そうだよ」

 言いながら、未央は布団に手をかけた。

「だいじょうぶ。だいじょうぶ、だよ。私は……兄貴が妹の水着ポスターを部屋に飾ってるようなヘンタイでも、軽蔑したりしないから!」
「……は? おまえ、何を」
「えーいっ♡」

 未央はそのまま、勢いよく布団をめくり上げた。
 そこにあったものを目の当たりにして、未央は。

「え?」

 と、呆けた声を漏らした。先ほどの慈愛は一切感じられない、マヌケ感。
 一度俺の顔を見て、もう一度、布団の中に隠されていたものを見て。


「しまむーじゃん!!」

 そう。
 そこにある問題のポスターや、本体であるヤングシンデレラ(先週号)の表紙、さらにCDやファングッズ諸々は、全てしまむーこと、島村卯月ちゃんのものだった。
 ついでにテーブル上のノートパソコンも、電源を入れればデスクトップの壁紙は卯月ちゃんだし、卯月ちゃん画像フォルダもある。
 いやしかし、あー、改めて見ても卯月ちゃんの水着ポスター最高だなぁ。
 なんかこう、フレッシュっていうか瑞々しいっていうか柔らかそうっていうか。

「私じゃないじゃん!! なんで!?」
「なんでって、俺、卯月ちゃん推しだし」
「なっ、な……お、推しって……!?」
「いやー、マジ可愛いよな、卯月ちゃん。いや可愛いっていうか、天使? この水着ポスターもさ、ちょっと恥じらいがある感じが良いよなぁ……」

 妹の手前、よくないとは思うのだが、ついつい顔がにやけてしまう。
 はぁー、結婚したい。ラブリーマイエンジェル卯月たん……。

「あああああーっ!! あ、あのカレンダー!?」

 と、そこで未央が何かに気付いたのか、素っ頓狂な叫び声をあげた。うるせぇな。

「カレンダーの23日って、じゃあ、しまむーの!?」
「ん? ああ、そうだよ。卯月ちゃんのバースデーイベントだよ」

 本当は卯月ちゃんの誕生日は24日なのだが、今年の24日は月曜日、平日だからな。イベントの開催は前日の日曜日にズレ込んでいるのだ。
 当然俺はイベントの開催が発表されてからずっと、行く気満々だったのだが……チケットがご用意されませんでした。あー、イープラス滅びねぇかな……。
 まあ未央が招待席用意してくれるっていうから、そこは本当に助かったが。
 いやぁ、未央がシークレットゲストとしてサプライズ登場する23日のイベントって、どう考えても卯月ちゃんのバースデーイベントだろ?
 あ、多分だけど未央と一緒に凛ちゃんも登場するだろうな。その日、トラプリのイベント被りはなかったはずだし。

「い、いやいやいや! ちょい待って! じゃあ、なんでこのポスターとしまむーグッズ、隠してたわけ!? 私に見られたくなくて隠してたはずでしょ!?」
「いや、だって……おまえ、ユニットメンバーってだけじゃなくて、友達なんだろ?」

 卯月ちゃんが出ている番組はテレビ、ラジオ問わずチェックしているし、インタビュー等が載っている雑誌も同様だ。
 なので、卯月ちゃんと未央、そしてもう一人のユニットメンバーである凛ちゃんがプライベートでも仲が良いことは、当然知っている。
 まあニュージェネ推しの人間には常識なので、改まって言うようなことでもないが。

「妹の友達をそういう目で見てるって、もしかしてキモいんじゃないかと思ってな。つい、隠しちまった」
「キモいキモいキモい! ほんと気持ち悪い!」
「話が違うぞ!?」

 引いたり嫌いになったりしないって言ったじゃねぇか!

「じゃ、じゃあ、なに? つまり……ぜんぶ、私の早とちりだったってこと……?」

 未央の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。

「早とちり? 何を言ってるんだ、見事な推理だったぜ。おまえ、サスペンスドラマの主役とかイケるんじゃねーの? 美少女アイドル探偵みたいな」
「そういうことじゃないんだよぉ! 昨日発売の! 私のポスターは!? 買ってないの!? 貼らないの!?」
「貼らねーよ?」
「なんで!?」

 なんで、って、さっき自分で言ってただろうが。

「妹の水着ポスターを堂々と部屋に貼ってあるとか、変態すぎるだろ」
「う、うう、ううううう~~~!」

 頭を抱えて唸り始める妹。
 推理パートではわりとカッコ良さげだったし、さっきも女神のような慈愛を見せていたのに、もはやその面影は一切ない。
 でもまあ、こんなもんだよな。未央だし。今のほうが俺の妹っぽくて、なんか安心する。
 アイドルを始めて、色々と変わっちまったのかな、とも思ったが。
 変わったんじゃなくて、きっと、別の一面が増えただけなのだろう。
 だから、根っこの部分は変わらない。

 気づけば俺は、未央の頭に軽く手を乗せていた。
 昔から未央が泣いたり駄々をこねたりした時はこうやってあやしていたから、兄貴としての条件反射みたいなものだ。
 そして、その手を未央が払いのけるのも、お決まりの流れだ。

「もう! ……もう! ほんと私、バカみたいじゃん!」
「さっきから何をそんなにヒスってるんだよ、おまえ」
「うう、なんでわかんないかな、兄貴のバカ! 他に何か言うことはないの!?」

 うーん、言うこと?
 ……まあ、実を言うと、卯月ちゃんのこと以外にも未央に隠していることがあるんだが。
 どうせ俺がドルオタで卯月ちゃん推しなのはバレたわけだし、この際だから言っちまうか。

「未央、実はな」
「……じ、実は?」
「俺、最近……凛ちゃんもいいなって思うようになって」
「……あ、兄貴の、バカーーーーッ!!」



 その後は、というと。
 不貞腐れた未央は、ベッドの上のポスターやグッズをぽいぽい除けて布団の中に潜り込んでしまったのだった。
 ベッドに入るなら風呂入って着替えてからにしろ汗臭くなるから! と引きずりだそうとしたものの、
 もうすでに兄貴の寝汗でくっさくなってるから関係ないんだよぉー! と抵抗され、今は芋虫スタイルで布団の中に引きこもっている。
 まったく……どうしてこんなことになっちまったんだか。
 ドルオタなのはバレるわキモがられるわベッドを占拠されるわ、散々だぜ。俺、今夜どこで寝ればいいの?

 未央が不貞寝する横で、俺は奴がベッド上から除けたポスターやグッズ類を片付けていく。
 その中には、水着の卯月ちゃんが表紙を飾るヤングシンデレラもある。
 なんとはなしに、巻頭グラビアのページをパラパラとめくってみる。
 はぁ、可愛い。いいな。いいな。本当にいいな。
 これでさらに、来週は凛ちゃんの水着グラビアなんだよな。ポスターも付録で。

「うーむ。凛ちゃんのポスターも貼ろうかなぁ」

 俺が迂闊にもそんな独り言を発した瞬間、ベッドの上で丸まっていた芋虫がビクッと跳ねた。
 こわッ!
 未央が聞いてるところで卯月ちゃんと凛ちゃんの話するの、やめよう……。

 まあしかし、卯月ちゃんの横に凛ちゃんのポスターを貼るっていうのは、いいかもしれん。
 なんというか、こう、部屋にアイドルのポスターを貼るなんて今回が初めてだったが、良いよな。
 まるで卯月ちゃんが本当に俺の部屋にいるかのような気分が味わえる。
 背景、砂浜だけど。細かいことは気にしない。
 そして、来週にはそこに凛ちゃんが加わるわけだ。ふふふ。
 よし。今後も何か卯月ちゃんのポスターが出るようなら、入手しよう。
 今は目立たないが、壁にあんな跡が残るぐらいだから、貼りっぱなしだとポスターも汚れちまうだろうしな。定期的に入れ替えてやらんと。


 さて、と。

 ドルオタになってまだ1年に満たない俺には、まだまだ知らないアイドルとの接し方、楽しみ方があるのがわかったところで。
 ベッドの上で丸まっている未央の様子を、改めて確認する。
 布団を被ってるから顔は見えないが……小さく、寝息が聞こえるな。

 寝た、か?
 今なら、大丈夫か……?

 俺は物音を立てぬよう、そっと身を伏せて、そのままベッドの下にある狭い隙間の中へと手を伸ばし、暗がりを探る。
 やがて指先に、目的のモノが触れる感触があった。
 なんとかして、それを引っ張り出す。

「……ふぅ」

 それは、昨日発売されたばかりの……そして、昨日買ったばかりの、ヤングシンデレラの《今週号》だった。

 まったく、ヒヤヒヤものだったぜ。
 未央に指摘された通り、あの時の俺はだいぶ動揺していたらしく、ベッドの下なんていう安易な隠し場所を選んでしまったというわけだ。
 まあ、卯月ちゃんグッズをベッドの上に隠したのが結果的にはカムフラージュになってくれて、こちらは見つからずに済んだのだが。別々の場所に隠して正解だった。
 こいつが見つかるのに比べれば、卯月ちゃん推しだとバレることなどたいした問題ではない。当初の予定通り、改めてちゃんとした場所に隠すとしよう。

 ……しかし、まあ。なんというか。
 改めて見ても……派手な水着だな、こいつ。オレンジのビキニ。まあ、似合っているとは思うが。
 巻頭グラビアのページを、ゆっくりと一枚ずつめくっていく。
 どうでもいいけど、水着グラビアによく添えられてるポエムって誰が考えてるんだろうか。
 シンデレラプロジェクトのプロデューサーはなかなかのポエマーだという噂だが……。

 君の笑顔に、恋をする。

 そんなフレーズがあった。ありきたりだが、すとんと心に落ちるというか、納得するというか。
 まあ、胸はでかいし。笑顔は可愛いし。話せば元気で明るいし。
 俺からすればひたすらうざいだけの妹だが……こんな娘の水着姿を見せられたら、世のバカな男どもが騙されてしまうのも、わからないではない。
 まあ俺は兄貴なので、今さらこいつに騙されるようなことは一切ないが。
 よかった、兄貴で。

 と、ページを手繰る指が止まった。
 何かの紙が折り畳まれて、挟まっている。その状態だと、肌色が一部見えているだけで何なのか判然としない。
 つまるところ、ポスターだった。
 未央の、俺の妹の、水着ポスター。
 俺は、ベッドの上で布団にくるまり丸まっている未央と、その向こう、薄く黄ばんだ壁を見て、ぽつりと呟く。

「貼ったら、汚れちまうしなぁ」

 ポスターはそのままに、俺は雑誌を閉じる。
 妹の寝息が、小さく聴こえていた。



 おわり

以上です。もともと俺妹とかの兄妹ラブコメが好きなので書いてみました。
読んでいただき、ありがとうございました~!

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