【デレマス時代劇】一ノ瀬志希「しあわせの白い粉」 (56)

・史実ではあへんの取り締まりは明治から
・番所は自白の強要がデフォなので、こんな調査はしない


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片桐早苗は、城下で阿芙蓉が出回っていると耳にした時、激怒した。

今年で28。与力の筆頭格である。

早苗の母も与力であり、藩内で起こった事件を鮮やかな手腕で解決し、

彼女が亡くなった後も慕うものは多い。

そんな母親の背を見て育った早苗は、まさに、正義感が服を着て

歩いているようなものだった。

早苗は数多くの悪行の中でも、阿芙蓉絡みの事件を忌み嫌っている。

かつて、中毒になった子ども達を目にしたことがある。

年端もいかない、遊びたい盛りの子ども達が、食事も睡眠もとらずに、

うつろな目で四六時中、声にならない声で呻く。

売人が効力を試すために、練り菓子と称して親達にばら撒いていたという。

だが、売買に対する罰はそれが生み出す災禍にくらべ、恐ろしいほどに軽い。

1年ほど牢に入れられるか、金子を積めば捕まることすらない。

それでは、被害に遭った者達があまりにも哀れではないか。

「目処は?」

「藩の外れにある集落が出所かと」

早苗の部下の、安斎都が答えた。

背格好は早苗と同じくらいで、好奇心が大きな瞳に現れる。

まだ同心になってから日は浅いが、早苗でも頭を悩ませる事件を、

いとも簡単に解決してみせたこともあり、いわゆる期待の星である。

彼女の調によれば、その集落は城下に住むあてのない、

身分の低い人間や罪人(穢多非人)が群れてできあがったものらしい。

早苗の記憶によれば、辛うじて雨風をしのげるぼろ小屋が点々と広がっているような場所である。

早苗は刀を提げ、数人の同心と共に番所を出た。

到着した途端、早苗達は住民の警戒心を肌で感じ取った。

元より歓迎されるとは考えていなかったので、早苗を先頭にして、

彼女達はぞろぞろと集落を見て回った。

別れて探るのは、少々危険があるように思われたためである。

くわしく調べてみると、集落はおどろくほど整備が進んでいた。

簡素ながらも用水路が掘られており、夜闇を遠ざける灯篭が隅々に設けられている。

塵屑の類も定時的に拾い集める人間がおり、路上で寝そべっている浮浪者の姿はない。

ここを取り纏めている人間がいる。

早苗はそう悟った。

ただ、原料となる芥子の畑や、阿芙蓉の実物などは見当たらない。

適当な長屋などに踏み入って家探しをしたいところであるが、

さすがにそれは良心が咎めた。

早苗は広場で、牛の死体から皮を剥いでいる女に声をかけた。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

女は怯えたように後ずさり、豊満な胸が、彼女の動揺を表すように揺れる。

だが、逃げ道は他の同心達が塞いでいた。

「この場所を仕切っている人を教えてくれない?」

早苗の質問に女は口を噤み、睨むというには、か弱すぎる瞳で見返してきた。

それから互いに黙りこくっていたが、そのうち都が女の前に出た。

「これでどうか…」

都は懐から小判を取り出して、そっと相手の胸に忍ばせた。

早苗はそれを咎めようとしたが、他の同心達が彼女を制した。

女はきょろきょろと辺りを見回したあと、集落の入り口にある、

一軒のぼろ小屋を指差した。

そこに、この集落の頭目がいるらしい。

窓、裏口を固めさせて、早苗はそのぼろ小屋の戸を叩いた。

だが、腐食していて指がしんなりとめり込むだけで、音を立てない。

しょうがないので早苗は無理くりに戸を壊して、立ち入った。

「邪魔するわよ」

「あん♪ 見つかっちゃった♪」

中にいた女は妙に艶かしい声を出して、実に楽しげな顔で早苗を見た。

「あんたがここを仕切ってるの?」

「はいはい。ここを仕切っている、志希ちゃんでございますよー」

志希と名乗る女は、純白の長襦袢を着て、畳の上に座していた。

薄暗がりの中で猫のように、瞳をらんらんと輝かせている。

同心に対する恐怖や警戒などは、微塵も感じさせない様子である。

「この集落から、阿芙蓉が出回ってるって噂があるんだけど」

「へえ…近頃の同心は、ただの噂にもとづいて人の家を壊すんだね」

早苗は志希の皮肉を聞き流して、同人達に家の中を調べさせた。

頭目の家ともなれば、なにかしらの証拠が見つかるだろう。

「どうでもいいけど、人斬り片桐って語呂がいいよねー」

自分の住処が荒らされていくのを見ながら、志希が言った。

人斬り片桐。早苗の蔑称である。

早苗はかつての与力達とくらべ、かなり強硬に藩を取り締まっている。

それに対する反発も強く、早苗はやくざ者や浪人から、

幾度となく命を狙われたことがある。

彼女は一切の容赦をせず相手を斬り殺してきた。

そうしてついたあだ名が、“人斬り片桐”。

だが当人は全く気にも留めていない。

刀に吸わせた血が平和への礎となると、信じ切っているからだ。

「早苗さん、ここに阿芙蓉はないようです」

埃と煤で面を汚した都が言った。

早苗は舌打ちをして、志希を睨む。

町一番の悪党どもですら竦み上がるような、苛烈な視線であったが、

志希は飄々とそれを受け止めた。

「そんなに見つめられると照れちゃう♪」

早苗はもう一度舌打ちをした。

そして転がっている戸の残骸を蹴飛ばした後、同心達を引き上げさせた。

勤めを終えた後、早苗は1人で料亭に入った。

もとは他の同心達に奢ってやるつもりだったのが、皆そそくさと帰ってしまったのである。

店の美少年に酌をさせながら、早苗は集落について思考を巡らせた。

原料は他所から取り寄せるとして、現物はどこに隠す?

集落のどこかにあるのは間違いない。

とはいえ、それを見つけるために手当たり次第踏み入って家探しをしたのでは、

藩に対する不満をいたずらに高めることになろう。

何かしらの目処を立てる必要がある。

城下に潜んでいる売人はすでに何人か捕らえられているが、彼女/彼らは、

集落とは何の関係もない人間であった。

現状では志希の言う通り、“ただの噂”でしかない。

だが早苗は集落の様子と、志希の妙に余裕のある態度から、

やはりあそこが阿芙蓉蔓延の根源であることを確信している。

早苗が酒をすすりながら頭を悩ませていると、廊下の方から声がかかった。

「あら、早苗じゃない」

声の主は馬廻役の川島瑞樹。

歳は早苗と同じく28。

だが童顔の早苗とちがって、彼女は年齢相応の成熟した優美さを身にまとっている。

川島家と片桐家の屋敷は近く、2人は幼馴染のような関係である。

瑞樹は少年の顎を、子猫にするがごとく撫でた。

「やめてよ。

 私のお酌をさせてるんだから」

「あら?
 
 この子はまんざらじゃないみたいだけど…」

 少年は頰を紅潮させて、うっとりと瑞樹を見つめていた。

 その様子が気にくわず、早苗は彼を睨んで、下がらせた。

「まーた独りで来たの?」

少年の足音が遠ざかった後、瑞樹はため息をつきながら言った。

「瑞樹だって独りじゃない」

「私は今、籠に楓を叩き込んだから飲み直すところよ」

早苗は、もう1人の馴染みの顔を思い浮かべた。

高垣楓。瑞樹と同じく馬廻役で、給金が入ると、

それを一晩でほぼ使い切るほどの痛飲をする。

はたから見ても、あまり気持ちの良い飲み方ではない。

「楓の酒癖、そろそろ直した方がいいんじゃないの?」

「……過去が変えられるなら、そうしたいわ」

瑞樹の言葉に、早苗はしばし黙した。

「……最近、城下で変わったことは」

話題を変えるつもりで、早苗は問いかけた。

瑞樹は馬廻という華の職と、本人の人当たりの良さで慕うものが多く、

早苗よりも領民の内情については詳しい。

「阿芙蓉が出回って、藩の子どもたちに被害が出てる」

それは早苗も承知のことであるが、改めて瑞樹から伝えられると、

事態の重さがひしひしと伝わってくる。

それだけ窮状を訴える者が多いということだろう。

「他には」

怒りをぐっと堪えて、早苗は他の情報を促した。

「早苗、あんたもしかして…」

「そうよ」

瑞樹は早苗の表情から、幼馴染が何を追っているのかを悟った。

「役に立つかは分からないけれど、最近雪駄の質が下がっているとよく聞くわ。

 革がぶかぶかで、草履の部分から剥がれかかってるんですって」

雪駄は、竹皮草履に動物皮革を張って作られる。

傷みにくく丈夫で、その名に反して通年での使用に耐える。

それに不備があったとなれば、領民達も愚痴をこぼしたくなるものだろう。

しかしこの時、早苗は阿芙蓉と雪駄の接点を見出すことはできなかった。

物証も証言も、いまのところない。

となれば、関係者の背景を洗うしかあるまい。

早苗は手空きの同心とともに、人別帳を調べることにした。

だが早苗が都に声をかけた時、相手は鼻で笑うような仕草をした。

とっくに調べがついていたらしい。

集落に出向いて以降、番所内で早苗に向けられる視線は、

あからさまに侮りを含んでいた。

意気揚々と同心達を連れて現場に出向いたが、成果はなし。

怒りに身を任せて、他人の家を壊す。

結果だけ見れば、早苗が行ったのは権力を用いた恫喝。

志希が怪しいのに間違いはないが、早苗は事を急ぎ過ぎたのである。

「一ノ瀬志希は、城に出入りしていた薬師の娘ですね」

「一ノ瀬って、あの?」

13年前、藩主の毒殺未遂が起こった。

そのとき関与が疑われた人間は、その大半が凍死している。

大した取り調べもないまま、冬の、野ざらしの牢の中に入れられたのだ。

早苗は駆け出しの頃に、その死体を目にした。

満足に食事も与えられず、

牢の中にはくるぶしが埋もるほどの雪が積もっていた。

早苗を含め、この不自然で残酷な仕打ちに対して疑問を持つ者は多く、

「氷獄の夜」という名で、未だに語り草になっている。

志希の両親は城に毒を持ち込んだとして、牢の中で氷漬けにされた。

志希は幼かった故刑を免れたものの、両親を失い、家を含む財産は方々から奪われ、

あの集落に打ち寄せられたのだという。

「動機としては十分ですかねえ」

都が呟いた。

自身から全てを奪った藩への復讐。

阿芙蓉をばらまくには、最もな動機である。

「まさに“非人”の振る舞いですよ」

気さくな笑みを浮かべる部下に、早苗は言葉がなかった。

都はきわめて優秀であるが、同心として、ひいて人として欠落しているところがある。

とはいえ、その柔軟な発想が事件を解決することもあるのだろう。

同意することも咎めることもできず、早苗は番所から出た。

いたたまれなくなった。

自らの意志の赴くままに同心をやってきたが、果たして、

それは本当に正しかったのかという気がしてくきた。

正義感や意気込みがなくとも、都のような人間は着々と足場を固めている。

集落での“駄賃”のことにしても、あれで領民が救われるのなら、結構なことではないか。

悶々としながら早足で歩いていると、早苗は人にぶつかった。

相手は腕いっぱいに菓子を抱えていて、それがばらばらと地面に落ちた。

「あっ……」

早苗は詫びる前に、相手の顔を見て驚愕した。

「一ノ瀬志希!!」

「はいはい、志希ちゃんですよ〜っと…」

落ちた菓子を拾いながら、志希は返事をした。

早苗は、散らばっている練り菓子を奪い取って、志希に突きつけた。

「アンタのせいで、何人の子ども達の明日が奪われたと思っているの…!?」

「いやだにゃあ、“それは”正真正銘のお菓子だよ〜?
 
 私の町の子ども用のね。

 なんなら、食べて確かめてみてもいいよ」

早苗は苛立って、練り菓子を地面に叩きつけた。

「物騒だにゃあ〜」

粉々になった菓子を見つめながら、志希が言う。

その様子に早苗はますます腹を立てたが、これ以上は何もすることができず、

相手に背を向けて去った。

翌日から早苗は1週間ほど休みを取った。

病にかかったわけでも、怪我をしたわけでもない。

ただ、自分がいなくなった番所がどうなるのか気にかかった。

あまり外を出歩くと周りの視線が痛いので、早苗は屋敷にこもって酒を飲んだり、

書を読み解いたりして過ごした。

下女と下男が1人ずついるので、特に生活に困ることもない。

ただ改めて家に長くいると、伴侶のない侘しさを実感した。

母が生きていたころは方々の家から声がかかってきて、早苗はそれを断り続けた。

職務に一身を捧げるつもりであった。

だが、番所での居場所が見つけられない今となっては、

家庭という拠り所を作っておかなかったことが悔やまれる。

事件のことでもう頭が痛いというのに、今度は伴侶か。

早苗は鬱屈とした心持ちで4、5日を過ごした。

そして休みが明ける前に、こっそり番所をのぞいてみた。

自分がいなくとも、うまく回っていた。

むしろ鬼の上役がいない分、彼女達はのびのびと働いている。

早苗はがっくりと項垂れて、帰路についた。

とぼとぼと歩きながら、志希について考えた。

志希にとっては、あの集落が居場所なのだ。

頼るべき身寄りもなく、自分を知っている者からは

「罪人の娘」という烙印を押されて突き回される。

成長した今では顔つきも変わっているから、

名乗りでもしない限り迫害はされないだろうが、

城下では疎外感を覚えずにはいられないだろう。

あの集落にいるのは、自分と同じように後ろ暗い過去と、

その過去以上に暗黒の将来を持つ者ばかり。

藩は穢多非人に対して、汚れ仕事を押し付ける以外には何もしてくれない。

番所も今回のような件がない限り、見廻りに足を伸ばすこともない。

果たして自分は……と早苗が顔を引きつらせていると、

前方で1人の女がうずくまっていた。

それを複数のこどもらが取り囲んで、石を投げたり、棒で叩いたりしている。

「こらっ!!」

早苗が怒声を上げると、こどもらは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

残された女が顔をあげて、こちらを見た。

集落で早苗が声をかけた女だった。

衣は擦り切れ、石が当たったのか、

頰と右目が大きく腫れ上がって、膝は擦り剥けて血が出ている。

早苗は、どうしてこんな、と言いかけてやめた。

けれども、相手は答えた。

「下駄をはいて町をあるいていたから…」

女は、鼻緒の切れた下駄を左手に提げていた。

これだけのこと。

たったこれだけのことで、子どもらは彼女を虐げる口実にした。

“下駄は町人の履物であるから、穢多にはもったいない”。

早苗が幼い頃より、藩ではそのような謂れのない差別が広がっていた。

女はそれを知らずに町へやってきて、このような目に遭ったのだろう。

「“かわた”というだけで…」

彼女はぽつりと、そう漏らした。

皮革業は穢れに触れるとされ、その職は穢多に押し付けれられている。

それに対する嘲りが、“かわた”という名である。

非人はどっちよ。

早苗は拳を握りしめて、肩を震わせた。

阿芙蓉の件も、心ない領民が「あの集落が怪しい」と言っただけなのではないか。

志希の一見余裕ともとれる態度は、差別に慣れきったが故の諦観ではなかったのか。

ならば、自分がやったことは。

猛烈な自責の念が胸中を渦巻いた。

喉の根がすさまじい勢いで乾いてゆき、

早苗は、酒に溺れる馴染みの心情を理解した。

番所に復帰した早苗は、阿芙蓉の件について特段の

進展がなかったことを、後ろめたい気持ちで喜んだ。

そして、ひとまず集落の件を保留にして、自らの足で情報をあつめることにした。

早苗は顔が知られているので、売人等、いわゆる“裏”の人間達に声をかけることはできない。

逃げられるのが関の山だ。

なので彼女は、専ら被害に遭った者達に話を聞くことにした。

阿芙蓉の蔓延が最も深刻だったのは、領内西部の、

比較的裕福な者が集まる長屋だった。

早苗は自腹で菓子折りなどを買いつつ、一軒一軒を丁寧にたずねた。

ここでは、阿芙蓉が「子どもを泣き止ませるための薬」として出回っており、

子どもへの被害が特に大きいとされていた。

しかし早苗は子のいる長屋の戸を叩いて、親が顔を出した時、

彼女、彼らの顔が中毒者のそれであったことに驚いた。

「ちょっと話を聞きたいんだけど…」

早苗がそう言うと相手は戸を固く閉ざして、応じようとしない。

早苗は職権を行使して、ある一軒に無理やり立ち入った。

やはり相手は怯えている。

その怯え方が妙だった。

早苗が履物を脱いで畳に上がると、表情が和らぐのだ。

肝心の話の方は、事前につかんでいたものと大差なかった。

早苗は帰り際に戸口を、それとなしに調べて見た。

だが小綺麗な雪駄と、年季の入った下駄のほかには何もない。

草鞋を結ぶときに軽く払ってみたが、何かが埋められている跡もない。

早苗は頭の隅にとっかかりを感じながらも、その長屋を辞した。

番所に戻ると、都が生温かい声で出迎えた。

「ご苦労様です。茶でも入れましょうか?」

特に成果を聞いてこないあたりが、また嫌らしく感じてしまい、

早苗はその申し出を断った。

勤めが終わり帰路につくと、早苗は再び、

路上でうずくまっている女に遭遇した。

その女はひどく酔っ払っていて、蛸のようにぐでんぐでんと、

地面をのたうちまわっていた。

正直関わりたくない相手であったが、その人物が腰に刀を提げていたのと、

ついでに馴染みであったので、早苗は声をかけた。

「楓」

「えへへ…足が、震えて、かえっでない…ふふっ…」

肩を貸して起こしたが、楓の方は、早苗に気づいていないようであった。

「身体が浮いてる…職場でも浮く…ふふっ…」

普段であれば、くだらないことを、と一笑するのだが、

今日の早苗は黙って相手を運んだ。

籠に運ばせるのは何となく、そうしたくなかった。

馬廻という職は花形であり、楓自身もそれ相応の腕前を持ち合わせているのだが、

彼女の身体は、心許ないほど軽い。

早苗が以前、瑞樹と2人がかりで運んだ時よりも、体重がさらに減っていた。

瑞樹や自分では、楓の居場所にはなれないのか。

そんな寂しい心持ちで、早苗は高垣家の屋敷に向かった。

屋敷といっても質素なもので、両親の姿はなく、

世話の者が早苗の家より1人か2人多い程度だった。

楓も独り身である。

門を叩くと、下女がぱたぱたと慌てて出てきた。

そうして楓と早苗を見るなり、「あっ…」、という顔をした。

楓が水を求めたため、彼女は甕に水をすくいに、また屋敷の中へ戻った。

その間に、早苗は履物を脱がすことにした。

楓は雪駄を履いていた。

草鞋に比べると脱がすのが容易なので有難い。

次に足袋をゆるめると、楓がやけに艶かしい声を出すので、早苗はやきもきした。

運ぶのにも苦労をしたので、仕返しに尻を叩いていると、

下女が升に水を入れて持ってきた。

下女は、乳飲み子にするように楓に水を飲ませながら、

戸口に転がっている雪駄に目を向けた。

「また新しいものを買われたのでしょうか」

その言葉に、早苗は首をかしげた。

「また?」

「はい。なんだか近頃の雪駄は質が悪くて、すわりが悪いとか…」

それは瑞樹からも聞いた話だった。

だが、次の瞬間下女が発した言葉に、早苗は衝撃を受けた。

「“ちょうど小判が隠せるくらい革が余っているから、財布がわりにしましょう”なんて、

 楓様は笑っていらしたけど」

翌日、早苗は再び同心達を引き連れて、集落に出向いた。

今度は真っ先に、“かわた”の家をたずねた。

「ここで作っている雪駄を全て出しなさい」

早苗がそう言うと、かわたの女が苦しげな声をあげた。

まだ腫れがひいていない頰が、小さくひきつる。

疑惑が確信に変わった。

「出来ないなら、こっちで勝手にやらせてもらうわよ」

早苗がそう言うと、相手はおずおずと家の中から、

作りたての雪駄を差し出した。

都がそれを受け取って、小柄で革面を裂く。

すると中から、白い粉がはらはらと舞った。

早苗は女を他の同心にまかせて、自分は裂けた雪駄を片手に、志希の家に向かった。

まだ壊れたままの戸を、今度はゆっくりと開ける。

中には、やはり志希がいた。

「そっちもバレちゃったかぁ」

肩をすくめながら、彼女は呟いた。

早苗は志希を取り押さえることはせずに、

「どうしてこんなことを?」、と尋ねた。

尋ねたあと、失言だったと口をつぐんだ。

だが、志希はうっすらと微笑んで、答えた。

「このクスリを売らなかったら、今のあたし達はいなかったから」

戸口から吹き込んでくる風が、やけに冷たかった。

おしまい

いまから投下するSSで多分はじかれると思う

【デレマス現代劇】橘ありす「バスロマン」

文香さんは、私にとってあこがれのアイドルでした。

「女は顔がきれいならバカでもいい」なんて、バカみたいな意見がありますけど、

文香さんはとっても理知的だし、それを自慢するようなこともなくて、

ええと、言葉足らずですけど、とにかく、本当に素敵なひとなんです。

文香さんの活躍をモニターごしに見るだけだった頃は、

「私もあんなふうに、知的で落ち着いた女性になりたい」と思っていました。

今でも、アイドルとしての文香さんは尊敬しています。

だけど、プライベートの、私だけが知っている素顔の文香さんは、

完全無欠な女性ではありませんでした。

以前から本が好きなのは知っていました。

その本好きが、私のおもっていたものより、はるかに重症でした。

活字中毒。

そんな言葉さえも甘く感じられるほど、文香さんは本に夢中になっています。

朝起きるときは、眠る直前まで読んでいた本が手にあります。

食事は、片手で食べられるものばかりです。

もう片方の手で本を読むために。

文香さんが中世ヨーロッパの貴族の家で生まれていたなら、

サンドウィッチはきっと、「文香」という名前になったのではないでしょうか?

……ヨーロッパに漢字はおかしいですね。

お仕事に向かうまでの移動の車でも、私には目もくれないで、

やっぱり本を読んでいます。

レッスンの休憩時間も、寝る直前も。

とにかく時間を見つければ、いえ、もしかしたら時間がなくても、

文香さんは本を読んでいます。

生命活動に必須な三大栄養素は炭水化物、タンパク質、脂質と言われますが、

きっと文香さんの場合は、そこに「活字」が加わるのでしょう。

それくらいです。

え?
なんで私が文香さんの1日を把握しているかって?

それは私が文香さんに付きっきりで、お世話をしているからです。

たのまれたわけじゃありませんけど、プライベートの文香さんは生活“無”能力者で、

私がいないとダメな人なんです。

休日なんか起きた直後から、食事も取らず、髪をとかすこともしないで、

ほうっておけば一日中、本を読んでいます。

連休のときは、きっとお風呂にも入らずに本を読みつづけていると思います。

そう、だから、この前のお休みのときは、私が文香さんをお風呂に入れてあげたんです。

水場をいやがるネコみたいになった文香さんから、服をはぎ取って、

バスルームまでつれて行きました。

でも、バスルームでも文香さんは本を読みます。

ええ、防水仕様のタブレットで。

だから、文香さんの身体を洗うのも私の仕事なんです。

私は、まず文香さんに座ってもらって、下から洗います。

文香さんは足のうらも指も、ぷにぷにしています。

あまり外に出ず、運動もしないからでしょう。

ずっとさわっていたいくらいですけど、

ぐっとガマンして、つぅーと、上にいきます。

かかとから、ふくらはぎからへ。

ここをはじめて洗ったとき、文香さんは、

私がいままで聞いたこともないような、

私以外は誰も聞いたことがないような、

その……とっても……くすぐったそうな声をあげました。

……それから、立ちあがってもらって、ふとももと、おしり。

文香さんは一日中椅子にこしかけていますから、ここには汗がたまりやすいです。

なので、私はいつも入念に洗います。

やわらかくて、私の指がどこまでも沈んでゆきそうな、文香さんのおしり。

そのあいだに手をすべらせていると、文香さんが、私だけのものになったような気がします。

この気持ちのほかには、ほんとうに、なにもいらないくらい……。

せっけんもシャンプーも、私が使っているものと同じです。

だから、私が文香さんの身体を洗うということは…文香さんと私が……。

……文香さんのわきばらは、やせています。

トップアイドルでお金にはこまっていないのに、ご飯もわすれて本を読んでいるから。

わたしが背中をすぅーっと、泡だらけの手でなぞると、

文香さんは、くすぐったそうに身をよじります。

そのとき、あばらがうきあがって、ぞっとするくらい綺麗です。

次は髪。

シャンプーが目に入ると本が読めなくなるので、文香さんには、

シャンプーハットをつけてもらいます。

まずはじめに、お湯でしっかりと髪を洗います。

この段階で流せるよごれを流しておくと、

次のシャンプーに時間がかかりません。

シャンプーハットをつけているから、なんだか間が抜けていますが、

濡れた文香さんの髪は、うっとりするほど艶めいています。

私がお風呂の世話をするまでは、あまり手をかけていなかったそうなので、

文香さんの髪の美しさは生まれつきのものなのでしょう。

きっと10年後も、20年後も文香さんの髪は……。

私はふと、自分がいつまで文香さんのそばにいられるのかと思いました。

まだ子どもだから、文香さんも私を邪険にしないでそばに置いてくれるのでしょう。

だけど、たとえば私が19になったとき、いまと同じようにすごせるでしょうか。

私はシャンプーを手のひらのうえで泡だてながら、私ではない、

12歳のアイドルが文香さんのお世話をしている姿を想像しました。

胸がざわざわする。いらいらではなくて。

頭皮全体をやさしくなでるように、私は文香さんの髪を洗いました。

それから自分の気持ちまで流してしまうように、シャンプーを落としました。

お風呂から上がった後、文香さんからタブレットを引きはがして、

洗顔をしました。

そのとき、鷺沢文香の美しさを維持しているのは私なんだ、

という強い自負心がわきあがってきました。

洗顔が終わって、仰向けになった文香さんの顔に

化粧水で保湿をしている時、私は聞いてみました。

「文香さんにとって、私はどんな存在ですか」

聞いた後、すぐに後悔しました。

私はもう、文香さんのちかくにいられなくなるかもしれない、と。

文香さんはしばらく考え込むように、眉をひそめました。

その眉根にそっと指を置いて、「今の言葉は忘れてください」と言おうとしたときに、

答えが返ってきました。

「………バラの……花」

「星の王子さまですか」

私は、文香さんの言葉が聞きたかった。

本の中の文章ではなくて。

私は自分でもいやになるくらい、ワガママになってる。

本から顔をあげて、私だけを見てほしい。

私は文香さんの言葉だけを聞いて、大きくなりたい。

そんなどうしようもない気持ちが私の胸をつぶそうとする前に、

文香さんは言葉をつなぎました。

「…たしかに……星の王子さまの…引用です……。

 ……でも…私が選んだ言葉です……」

それを聞いた途端に、私の瞳から涙がこぼれて、文香さんの顔にふりそそぎました。

私は慌ててタオルを当てようとしましたけど、文香さんは私の手を握って、

涙の雨を受けつづけました。

おしまい

書いたもの

第1作 【モバマス時代劇】本田未央「憎悪剣 辻車」
第2作 【モバマス時代劇】木村夏樹「美城剣法帖」
第3作【モバマス時代劇】一ノ瀬志希「及川藩御家騒動」 
第4作【モバマス時代劇】桐生つかさ「杉のれん」
第5作【モバマス時代劇】ヘレン「エヴァーポップ ネヴァーダイ」
第6作【モバマス時代劇】向井拓海「美城忍法帖」
第7作【モバマス時代劇】依田芳乃「クロスハート」
第8作【モバマス時代劇】神谷奈緒 & 北条加蓮「凛ちゃんなう」

ほぼ単発時代劇
 
【デレマス時代劇】速水奏「狂愛剣 鬼蛭」
【デレマス時代劇】市原仁奈「友情剣 下弦の月」
【デレマス時代劇】池袋晶葉「活人剣 我者髑髏」
【デレマス時代劇】塩見周子「おのろけ豆」
【デレマス時代劇】三村かな子「食い意地将軍」
【デレマス時代劇】二宮飛鳥「阿呆の一生」
【デレマス時代劇】緒方智絵里「三村様の通り道」
【デレマス時代劇】大原みちる「麦餅の母」
【デレマス時代劇】キャシー・グラハム「亜墨利加女」
【デレマス時代劇】メアリー・コクラン「トゥルーレリジョン」
【デレマス時代劇】島村卯月「忍耐剣 櫛風」
【デレマス時代劇】土屋亜子「そろばん侍」
【デレマス近代劇】渋谷凛「Cad Keener Moon 」
【デレマス時代劇】城ヶ崎美嘉「姉妹剣 水鏡」
【デレマス時代劇】木場真奈美「親子剣 屠龍」

未来

【デレマス銀河世紀】安部菜々「17歳の教科書」
【デレマス銀河世紀】双葉杏「ボーン オブ ドラゴン」
【デレマス近未来】岡崎泰葉「Killing Hike」
ヴァンパイアハンター凛

グルメ

高垣楓の晴飲雨飲シリーズ
椎名法子のミスド滞在史

推理
安斎都「ドレスが似合う女」

ホラー
本田未央「ブリキの心臓」
鷺沢文香「カカシの脳」

百合SS
アナスタシア「夜空の星を、ひとしずく」
木村夏樹「OH MY LITTLE GIRL」

依頼出してきます

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