可奈「ち、千早さんが記憶喪失!?」 (87)

とある日、街中

春香「あっ! 千早ちゃーん!」

千早「! おはよう、春香」

春香「うん、おはよう! 千早ちゃんも今から事務所?」

千早「ええ」

春香「あれっ? でも千早ちゃん、
  今日のレッスンって午後からじゃなかったっけ。何か用事?」

千早「用事、というか……。少し自主レッスンをしておこうと思って」

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春香「わあ、すごいね千早ちゃん。劇場公演に向けて気合入ってるって感じだね!」

千早「そうね……。それから、少しだけ緊張も」

春香「緊張? 千早ちゃんもまだ緊張とかするんだ」

千早「春香や、付き合いの長いみんなとのステージだったら、
  こんなことはないんだけど……。
  今回みたいにシアター組の子たちとステージに立つ時は、いつも少し緊張してるの。
  私の方が経験は多いのだからあまり不甲斐ないところは見せられないな、って」

春香「そっか……えへへっ。なんか、先輩って感じでかっこいいね!
  頑張ってね、千早先輩! なーんて♪」

千早「もう、春香ったら……。ありがとう、頑張るわ」

春香「あ、そうそう。先輩と言えばこの前ね、
   翼ちゃんが『美希センパーイ♪』って美希にくっついてたんだけど、
   そしたら美希ってば、抱きつかれたまま寝ちゃってて!」

千早「ふふっ、美希らしいわね」

春香「それで全然起きないから、翼ちゃんが……わっ!?」

子供達「きゃははははは! わーい!」

春香「な、なんだ、小さな子供かぁ。いきなり足元に出てきたからびっくりしちゃった。
   あはは、子供って本当に元気だよね。あんなに走り回って」

千早「でも、少し危ないわね。あれじゃ、周りが見えてるかどうかも……。っ!!」

少女「ほら早くー! 置いてっちゃうよー!」

少年「おねえちゃん、まってー!」

春香「! あの子、道路に飛び出し……え!? ま、待って、車が来てる!!」

千早「ッ……!!」ダッ

春香「ち、千早ちゃん!? 駄目、危な――」




事務所

可奈「今日も千早さんとレッスン~♪ 公演に向けて特訓~♪」

静香「可奈、浮かれないの。
   せっかく千早さんと一緒にステージに立てるんだから、もっと気を引き締めないと」

可奈「えへへっ、だって~。前のレッスンの時、千早さんに褒められちゃったんだもん!
   『矢吹さんらしくて、いい歌い方だ』って!」

静香「あなた、褒められるたびにテンション上がってるじゃない……。
   気持ちは分かるけど、先輩とのレッスンなんだからちゃんとしなきゃ。
   迷惑はかけられないでしょ?」

志保「毎回緊張して気を遣われるのもどうかと思うけど」

静香「な……何よ志保。それ、誰のこと言ってるの?」

志保「さあ。自覚があるのなら改善すればいいんじゃない?」

静香「あ、あなたね……」

可奈「緊張か~。私も初めて千早さんとレッスンした時は緊張したなぁ。
   でもでも、千早さんとっても優しくて~♪ 丁寧に教えてくれて~♪」

静香「もう、可奈ったら……。でも、そうね。
   千早さん、教え方も分かりやすくて、本当にすごいわ」

可奈「だよねだよね! 歌は上手だし、優しいし、綺麗だし!
   千早さんかっこよすぎ~♪ そんな千早さんが大好き~♪ えへへっ」

志保「……可奈、やっぱり浮かれすぎなんじゃない?」

可奈「ええっ、志保ちゃんまで~!」

静香「それはそうと、もうすぐ千早さんも来るわ。そろそろ準備を……」

 ガチャッ

春香「……」

可奈「あっ、春香さん!」

静香「おはようございます、春香さん」

志保「おはようございます」

春香「うん、おはよう……。えっと、今来てるのは三人だけ?」

志保「? そうですけど、それが何か?」

静香「あの……何かあったんですか?
   なんだか、すごく深刻そうな顔ですけど……」

春香「えっとね、実は――」

三人「千早さんが事故!?」

志保「そんな……! 大丈夫なんですか!?」

静香「け、怪我の具合は!? 私、お見舞いに……!」

可奈「び、病院! 病院に行かなきゃ!」

春香「お、落ち着いてみんな。特に怪我はしてないし、
   もうすぐプロデューサーさんと一緒に戻ってくるから」

志保「そ……そうなんですか?」

可奈「良かったぁ……」

静香「でも、それじゃあどうしてそんな顔を……」

 ガチャッ

P「ただいま……と」

千早「……」

静香「! 千早さん!」

可奈「うわぁーん! 千早さん、心配したんですよ!」

静香「ほ、本当にどこも怪我はしてないんですか!?
   もしお体に障るようでしたら、今日くらいはゆっくりしてもらっても……」

千早「……プロデューサー。この人たちは……?」

可奈「へっ?」

P「ほ、本当に覚えていないのか……。さっき話した、シアター組のアイドルだよ」

静香「え、あの……? ど、どういうことですか?」

志保「『覚えてない』、っていうのは……?」

P「あ、ああ、実は――」

静香&可奈「ええええええええ!?」

可奈「ち、千早さんが記憶喪失!?」

志保「まさか、そんな……」

静香「じゃ、じゃあ、全部忘れちゃってるんですか!? 765プロのこと、全部!?」

春香「ううん、全部っていうわけじゃなくて……。
  765プロでアイドルをしてたことは覚えてるみたいなんだけど……」

P「どうやら、俺と出会って少し経ったくらいまでの記憶しかないらしい。
 つまり、シアター組どころか、自分が人気アイドルになっていることすらも……」

可奈「ど、どうやったら元に戻るんですか!? 治せないんですか!?」

静香「というか、こんな風に出歩いてていいんですか!?
  入院とか、詳しい検査とか……!」

P「け、検査はしたよ。でも本当におかしなところは無いらしいんだ。
 医者が言うにはショックで一時的に記憶が飛んでるだけだろうから、
 きっかけさえあれば思い出すだろうって……」

志保「なんですかそれ……。なんだかちょっと適当じゃないですか?
   本当に信用できる病院だったんですか……?」

P「あ、当たり前だろ! 大事なアイドルをヤブ医者なんかに……」

千早「あの、プロデューサー?」

P「! どうした千早。もしかして、何か思い出したか!」

千早「そういうわけでは、ないですけど。
   ただ、こうして時間を無駄にするよりは、レッスンでもしていた方が良いのではないかと」

P「レ、レッスンってお前、そんな場合じゃないだろ!
 もうちょっとこう、色々と考えないといけないことがあるじゃないか!
 記憶がない間の活動方針とか!」

千早「そうでしょうか? 病院では、いつも通り生活した方が
   記憶を取り戻すにはいいと言われましたよね?
   それに活動方針については、記憶のない私が考えられるものではないのでは?
   指示には従いますので、プロデューサーに決めていただければと」

P「うっ……それはそうかも知れないけど……」

千早「それに公演も控えているんですよね。なら尚更、時間は無駄にはできません。
   全部忘れてしまっているのならその分練習しておかないと……。
   というわけでプロデューサー、レッスンルームの場所を教えてください」

P「え、えっと、廊下をまっすぐ行って右に行って……」

千早「ありがとうございます。では、失礼します」

 ガチャッバタン

春香「ああっ、千早ちゃ……行っちゃった。
   プ、プロデューサーさん、良かったんですか? 引き止めなくても……」

P「すまん、つい勢いに押されて……。
 しかしなんというか……本当に、昔の千早に戻ったって感じだな」

春香「確かに、そうですね……。なんだかちょっと懐かしいかも」

志保「懐かしんでる場合じゃないと思いますけど……」

静香「そ、そうですよ! プロデューサー、これからどうするんですか!?」

志保「千早さん、さっき公演のことを言ってましたよね。
   ということは予定通りに千早さんも出るんですか?」

P「ああ……俺も初めは休んでもらおうと思ってたんだが、
 千早に公演の話をしたら出させてくれとお願いされちゃってな……。
 迷ったけど、予定通りに行くことにしたよ。
 アイドルが出たいと言うなら出来るだけ意思を尊重したいし、
 それにもしかしたらレッスンや公演を通して記憶が戻るかも知れないしな」

静香「そう、だといいんですけど……」

P「あと、今の千早から歌の仕事を取り上げるのはやばそうだし……」

可奈「? どういうことですか?」

P「い、いやなんでもない、独り言だ」

P「とにかく、そういうことだから。
 取り敢えずお前たちは今からレッスンルームに行って、千早と一緒に居てやってくれ」

志保「それは構いませんけど……プロデューサーさんはどうするんですか?」

P「すまん、俺はこれから春香を連れて仕事に行かないといけなくて……。
 出来るだけ早く帰ってくるようにはするから、
 俺が戻るまで千早のことを頼んだぞ! 志保、可奈、静香!」

可奈「は、はい! 分かりました!」

P「ただ、一応言っておくけど……。
 今の千早は多分、お前たちの知ってる千早とはかなり違うと思う。
 そのことは頭に入れておいて欲しい」

静香「? それってどういう……」

P「っと、まずい。もう出ないと……!
 とにかく、何かあってもあまりショックを受けすぎないようにな!」

春香「ごめんね二人とも……千早ちゃんをお願いね!」

 ガチャッバタン

可奈「……行っちゃった。さっきの、どういう意味なんだろ?」

志保「さあ。まずはレッスンルームに行ってみないと」

静香「そ、そうね、行ってみましょう」




レッスンルーム

千早「~~♪」

可奈(! 居た、千早さん!)

志保(……あの歌、今度の公演で歌う曲よね?
   記憶はないはずなのに、ちゃんと歌えてる……)

静香(千早さんが持ってるのは、楽譜……?
   ということは、初めて知る曲なのに楽譜を見ただけでこんなに……)

千早「ふぅ……。まあ、初めてだしこんなものね。
   まだまだ練習が必要……あら? あなた達、確か……」

静香「あっ、ごめんなさい! 別に盗み聞きしてたとか、そういうわけじゃなくて……!」

可奈「あの、千早さん! それって今度の公演で歌う曲ですよね?」

千早「えっ? ああ……そうね。
   プロデューサーから、劇場公演の話は一応聞いていたから。
   それで、あなた達がその時に一緒にステージに立つ相手、ということでいいのかしら」

静香「その……はい。765プロシアターの、最上静香です」

志保「北沢志保です」

可奈「えっと、矢吹可奈です! よろしくお願いします!」

千早「では、これから公演までは仕事上のパートナー、ということになるわね。
  よろしくね、最上さん、北沢さん、矢吹さん」

静香(『最上さん』……)

志保(『北沢さん』……)

静香「……あ、あの、千早さん。私のことは静香って呼んでくれませんか」

千早「え?」

静香「その、記憶のある頃は、そうやって呼んでもらってたので……」

志保「私も……名前の方が呼ばれ慣れているので、お願いします」

千早「……わかったわ。もしかしたらこういうところから、
  記憶が戻るようになるかも知れないし、そう呼ばせてもらうわね。
  矢吹さんは、そのままでもいいのかしら」

可奈「へっ? え、えーっと、じゃあ私も可奈って……」

静香「ま、待って可奈。気持ちは分かるけど、
  今は出来るだけ千早さんの記憶を取り戻すことを考えないと」

志保「以前と違う呼び方だと、混乱させてしまうかもしれないでしょ」

可奈「うぅ……そうだよね。私は矢吹のままでいいです……」

千早「それじゃあ改めて矢吹さん、静香、志保。
   早速だけど、あなたたちの歌を聴かせてもらってもいいかしら」

静香「えっ? 私たちの歌を、ですか?」

千早「ええ。自分以外の誰かと一緒に歌う以上、
   相手の歌声や歌い方の特徴を知っておかないと。
   それに合わせて私も歌唱法を工夫する必要もあるでしょうし」

志保「……そうですね、その通りだと思います」

静香(やっぱり……記憶を失っても千早さんは千早さんだわ。
   歌でステージを作り上げることへの工夫に余念がない……)

可奈(そのためにまずは私たちの歌を……。あ、そうだ!)

可奈「はい! 私から行かせてください!」

志保(……可奈、すごい気合の入りようね)

千早「そう。じゃあまずは矢吹さんから、お願いするわね」

可奈「行きます! 歌う曲は、『蒼い鳥』!」

静香「え!? ちょ、ちょっと待って!」

可奈「わっ! どうしたの静香ちゃん」

静香「(な、何を考えてるの、可奈! 本人の目の前で千早さんの、
   しかも『蒼い鳥』みたいな難しい曲を歌うだなんて! 別の曲にしなさいよ!)」

志保「(確かに……ちょっと無謀じゃない?)」

可奈「(ううん、大丈夫! 私に考えがあるの!)」

静香「(考え……?)」

可奈「(うん。言ったことなかったかな?
   前に、千早さんたちと一緒にカラオケに行ったことがあって……。
   その時も私、千早さんの曲いっぱい歌ったんだ)」

静香「(ええっ!? な、なんて勇気のあることを……)」

可奈「(そしたらね、千早さん……)」

 千早『この曲のこんな表情、初めて見たわ。ありがとう、矢吹さん』

可奈「(って言ってくれたの!)」

志保「(ああ……そう言えばそんなこと言ってたわね)」

静香(羨ましい……)

可奈「(私にとってすごく大事な思い出だから、
   千早さんにもそのことを思い出して欲しくて!
   あの時みたいに千早さんの歌を歌ったら、もしかしたら……って思うの!)」

志保「(そう……。まあ、考えがあってのことなら、やってみてもいいんじゃない?)」

静香「(ええ。試してみる価値はあるかも)」

千早「あの……三人ともさっきから何を話しているの?」

静香「あ、ああ、いえ! ごめんなさい、お待たせしてしまって!
   さ、可奈、歌って歌って!」

千早「?」

可奈「はい! じゃあ改めて……コホン。歌います! 『蒼い鳥』!」

可奈「なくこと~ならたやすいけれど~♪
   かなしみに~は~ながされない~♪」

志保(……分かってはいたけど上手ではないわね……)

静香(でも、気持ちがこもっていて、そこはやっぱり可奈らしい歌になってる。
   以前の千早さんも、そこを褒めてくれたみたいだけど……)

志保&静香(それで、肝心の千早さんの反応は……)

志保&静香「!?」

千早「……」

静香(な、何この、苦虫を噛み潰したような顔!?)

志保(千早さんのこんな表情、初めて見た……!)

可奈「あおいぃ~~~~とりぃ~~~~~~~~♪」

可奈「――でもきのうには~かえれない~♪」

静香(お、終わった……。
   千早さん、最後まで苦虫を噛み潰したような顔をしてたわね……)

可奈「どうでしたか千早さん!
   私の歌……って、どうしたんですかその顔!? もしかして体調が……!」

千早「矢吹さん、あなた、どういうつもりなの?」

可奈「へっ?」

千早「言ったはずよね、これはステージに必要なことだと。
   なのにあんな風にふざけて歌うだなんて。
   一応最後まで聞きはしたけれど、最後までふざけたまま……」

可奈「え、あ、あの……」

千早「私は真剣だったのに、そういう態度を取るのは失礼ではないかしら。
   それに、歌に対しても」

静香「ち……千早さん、誤解です! 可奈は決してふざけてたわけじゃ……!」

千早「え……? じゃあまさか、真面目に歌って、あの歌だったということ……?」

可奈「は……はい」

千早「……だとしたら、余計にタチが悪いわね。
  ステージに立つにはあまりに実力不足……。
  音程は外し過ぎだし、リズムもテンポもバラバラ。
  普段の練習には真剣に取り組んでいるのかしら。とてもそうは思えないけれど……」

志保「……」

千早「とにかく、今のままでは話にならないわ。
  基礎中の基礎からやり直さないと。静香、志保、あなたたちはどうなの?
  まさか、矢吹さんと同じ程度というわけではないわよね?」

静香「あー、えっと、それは……」

志保「それはないと思います。可奈は、シアターアイドルの中でも
  歌を上手に歌うのはあまり得意ではない方なので」

可奈「うぐっ……。し、志保ちゃぁん……」

千早「そう……。まあ、聞いてみれば分かることね……。
  それじゃあ、歌ってもらえるかしら」

志保「はい。では私から」




千早「――少し安心したわ。二人とも特に問題はなさそうね」

静香「あ、ありがとうございます!」

志保「ありがとうございます」

千早「となると当面の問題は、矢吹さんの歌唱力……。
   本番までにどの程度レベルを上げられるかしら……」

可奈「あ……あの、千早さん! 私がんばります!
   がんばって、公演までにもっと上手になります!」

千早「当然、頑張ってもらわないと、このままでは……。
   早速レッスンを始めましょう。
   あまり日にちは無いのだから、時間は無駄にできないわよ」

しばらく後

静香(……あれからずっと、四人で最後に歌う全体曲の練習をやってる。
   これで何度目かしら……)

志保(私たちは昨日までの練習通りにやれているはずだけど……)

千早「……」

可奈「ど、どうでしたか千早さん! 私、今度はちゃんと合わせられてましたか!?」

千早「……駄目ね」

可奈「え……」

静香「ち、千早さん? どこへ……」

千早「私は一人でレッスンを続けるから、矢吹さんはとにかく基礎を確認して」

可奈「え、で、でも……」

千早「このまま一緒に歌っていると、私の歌までおかしくなってしまいそう……。
  今日はもうここへは戻ってこないから。じゃあ、また明日」

 ガチャッバタン




静香「――ということがあって……」

P「な、なるほど……それで可奈は、あんなに落ち込んでるのか」

春香「か、可奈ちゃん、ほら! 美味しいクッキーだよ! ね!」

可奈「いいんです……私なんてダメダメなんです……」

志保「それにしても、正直驚きました。
  まさかあの千早さんがあそこまで厳しい態度をとるなんて」

静香「ええ、本当に……。プロデューサー、本当に昔の千早さんは、
   あんな感じの人だったんですか?」

P「ああ、お前たちからすれば意外だろうけど、本当にあんな感じだったよ」

P「歌が自分の全てだと信じ込み、
 歌を大事にしすぎるあまり時には周囲や、自分までも傷つけてしまう……。
 それが765プロに来たはじめの頃の千早だ。
 春香たちと触れ合ううちに少しずつ心を開いていって、
 その結果にあるのがお前たちの知っている千早なんだよ」

静香「……そうだったんですね……。
   とにかく、まずは少しでも早く、
   また優しい千早さんに戻ってもらわないと……でも一体どうすれば……」

志保「それも大事だけど、そっちに気を取られすぎて
   公演を蔑ろにしないように気を付けないと。
   というより、どうすれば良いかも、いつ解決するかも分からないことより、
   まずは目の前の公演を優先するべきじゃないの?」

静香「え……? ちょっと、何言ってるのよ志保。
   どう考えても千早さんの記憶を取り戻す方が先でしょう?」

志保「……それで練習を疎かにして、
  出来の悪いステージをファンに披露することになっても?
  そんなこと、千早さん本人も納得するとは思えないけど」

静香「もちろん、練習を疎かになんてしないわ。
   少し時間を減らすことにはなるかも知れないけど、ちゃんとレッスンもするつもりよ」

志保「はぁ……やっぱり、時間を減らす気なのね。私は反対よ。
   千早さんの記憶について考えるのはいいけど、それは空いた時間に限定して」

静香「あ、あのね、志保。公演を大事に思う気持ちはわかるけど、
   そんなに焦らなくてもいいじゃない?
   別に遅れてるわけじゃないし、みんなちゃんと上手くいってる。
   多少は練習量を減らしても何も問題はないはずよ」

志保「ええ、今のままでもそれなりのステージにはなるでしょうね。
  でも私は、『それなり』で妥協なんてしたくない。
  やるなら全力を尽くして、作れる限りの最高のステージを作り上げる。
  それがプロってものでしょ?」

静香「……それは……」

志保「それに、焦らなくてもいいって言うなら千早さんの記憶だってそうじゃないの?
   記憶を失っていても、今日聞いた千早さんの歌はやっぱり凄かった。
   公演までに無理に記憶を取り戻さなくたって、
   彼女なら完成度の高いパフォーマンスが可能。そうは思わない?」

静香「も、もちろんそうよ。だって、あの千早さんだもの……」

志保「だったら、まずは公演を成功させて、
   それから千早さんの記憶を取り戻していけばいいと思うけど。
   大体、優しい千早さんがいいから記憶を早く取り戻したいなんて、
   ただ甘えてるだけじゃないの? 子供じゃないんだから」

静香「なっ……! べ、別に甘えてるわけじゃ……!」

志保「私たちは遊びでアイドルをやってるわけじゃないの。
   その意味では千早さんの言ってたことも正しいわ。
   単純な歌の技術で言えば可奈が一番下なのは事実なんだし、
   これからもっと高いレベルを目指すなら、
   しっかり基礎を身に付けないといけないのもその通りよ」

可奈「うぅ……うぇ~~ん志保ちゃんまでぇ~~~~」

志保「あなたも自覚してたことでしょ?
   ちょっと厳しく言われたからって、いつまでも落ち込まないで。
   そんな調子じゃ、次もまた同じことを言われるわよ」

可奈「うっ……そ、それはやだよぉ!」

志保「だから、今からでも練習しましょう。
   そうすればきっと千早さんもまた、褒めてくれるわ。私も付き合うから」

可奈「! 志保ちゃん……」

静香「志保……」

静香「あの、プロデューサー?
   一応プロデューサーの意見も聞いておきたいんですけど、
   志保の言う通り、千早さんの記憶は後回しにしてもいいんですか……?」

P「そうだな……。後回しというと聞こえは悪いが、
 レッスンと並行してどちらも中途半端になるのが一番まずい。
 だから、千早がああなってる以上難しいかも知れないが、お前たちは公演に集中してくれ。
 千早を元に戻す方法については、こっちで考えておくよ」

静香「……わかりました。じゃあ、よろしくお願いしますね。
  そうと決まれば……可奈! いつまでも落ち込んでないで練習するわよ!」

可奈「う、うん! ありがとう、静香ちゃん、志保ちゃん……!」

春香「ほっ……良かった。可奈ちゃん、もう元気になってくれたみたいだね」

可奈「はい! あの、慰めてくれてありがとうございました、春香さん!
   私たちレッスンに行ってきますね!」

春香「うん、頑張って!」

可奈「はいっ! いってきまーす!」

 ガチャッバタン

P「さて、と。ああは言ったものの……記憶ってどうすれば元に戻るんだろうなぁ」

春香「お医者さんはきっかけさえあれば、って言ってたんですよね?」

P「ああ、そうだけど……。春香、何かいいアイデアはあるか?」

春香「アイデア、っていうか……。
  私は、もしかしたら公演でのステージが
  いいきっかけになってくれるんじゃないかって思ってます」

P「ステージが……か。ふむ……」

春香「きっとシアターのステージは、
  今の千早ちゃんが知ってるステージとは色々な意味で全然違うと思うし、
  それに……千早ちゃんは、アイドルですから」

P「……となると、ひとまずの目標は公演を成功させること。
 それが千早の記憶を取り戻すことにも繋がる、ってことか」

春香「そのためにもプロデューサーさん、みんなのこと、手伝ってあげてくださいね!
  私にも、できることがあったらなんでも言ってください!」

P「ああ。ありがとうな、春香!」

P(順当に行けば公演の成功は間違いないんだが……。
 差し当たっての問題は、
 可奈の頑張りを千早が認めてくれるかどうか、ってところだろうな……)




数日後

可奈「はあ、はあ、はあ……! ど、どうでしたか千早さん……!
   私、前より上手になってますか!」

千早「……そう、ね。以前よりは、少しだけ」

可奈「! や、やったぁーー!」

静香「良かったわね、可奈」

志保「……」

可奈「うん! 二人が練習に付き合ってくれたおかげだよー!」

千早「今日は、ここまでにしておきましょう。それじゃあ、また」

レッスン後

可奈「――ふんふ~ん♪ もっと頑張って~♪ もっともっと上手になって~♪
  そしたら褒めてもらえるかな~♪ 頑張れ頑張れ矢吹可奈~♪」

静香「もう、可奈ったら……さっきからちょっと喜び過ぎじゃない?」

可奈「だって、千早さんに褒めてもらえたの久しぶりな気がするんだもん!
   あの厳しい千早さんが、上手になったって……えへへっ」

志保「……あまり、褒められたって感じじゃなかったような気もするけど……」

可奈「公演までもうあとちょっと……。
   絶対成功させようね、志保ちゃん、静香ちゃん! そしたら千早さんも喜んでくれて……。
   プロデューサーさんも言ってた通り、記憶も元通りになるよね!」

静香「それはまだ分からないけど……でも、そうね。
   残り数日、みんなでがんばって成功させましょう」

志保「成功させるのは当たり前よ。あとは今よりもっと……」

可奈「? 志保ちゃん、どうしたの……って、あれは……」

静香「千早さんと、プロデューサー?」

志保「なんだか、すごく真剣そうな顔。一体何を……」

可奈「挨拶した方がいいかな? それとも、大事な話だったら邪魔しない方が……」

P「……俺の聞き間違いか、千早。もう一度言ってくれ」

千早「はい。矢吹さんは今回のメンバーから外すべきだと、そう言いました」

可奈「……え?」

可奈(あ、あれっ? 千早さん、今……え……?)

静香(ど……どういうこと? なんで……)

P「一応理由を聞くけど、どうしてそう思うんだ?」

千早「プロデューサーも分かっているはずです。
  彼女は明らかに実力不足。ステージに立って歌うようなレベルではありません。」

可奈「ッ……!!」

静香(……そんな……!)

千早「ここ最近で、多少は上達したようですが、本当に僅かなもの。
  本番までの残り数日で、ステージで披露できる水準には、到底達しません。
  あれではお客さんにも、スタッフにも、歌にも失礼です。
  それに私たちの足まで引っ張られて……。
  はっきり言って、今の矢吹さんでは足でまといです」

P「お、おい、千早。お前、それはいくらなんでも……」

千早「私は、事実を言っているだけです」

可奈(……そう、だったんだ……。千早さん、私のこと、そんな風に……。
  それじゃ、今まで頑張ったのなんて、何の意味も……)

可奈「……ぇぐっ、ぐすっ……」

千早「もう一度言いますが、矢吹さんをメンバーから外してください。
  それが、私たちが一番いいステージを披露するのに必要な……」

志保「それは違うんじゃないですか?」

静香「! し、志保……!?」

P「お、お前たち、聞いてたのか!?」

千早「……何が違うというの、志保?」

志保「あなたが言っていたこと、全てです。
  可奈をメンバーから外すなんて論外です。考えられません」

可奈「……!」

千早「どうして……? あなたも、矢吹さんの歌の質が低いことは認めていたはずよね?
  それに、出来うる最高のパフォーマンスを披露すべきだ、とも言っていたと思うけど。
  なのに矢吹さんを外すべきでないだなんて、矛盾しているのでは?
  私たちは、遊びでステージに立つわけじゃない。
  友達だからと言って、そんなことで……」

志保「わかりませんか?
   私たちが最高のパフォーマンスをするために可奈は必要だと言っているんです」

可奈「し、志保、ちゃん……」

千早「……」

志保「大体、あなたは今記憶がないんですよね?
  可奈のことを何も知らない、ステージを見たこともないくせに、
  よくメンバーから外すべきだなんて言えたものです。話になりません。
  私から言わせてもらえば、寧ろ外れるべきなのは
  そうやってステージの質を下げようとするあなたの方じゃないんですか?」

静香「し、志保、言い過ぎよ! 千早さんに、そんな……!」

志保「あなたが居なくても、私たちはいいステージを作れる自信があります。
   私はダンスはあまり得意ではありませんし、歌でも、まだあなたには敵いません。
   でも、アイドルとして……今のあなたに負ける気は、まったくしない。
   可奈だって、あなたなんかよりずっと……」

P「志保、落ち着くんだ。気持ちは十分に伝わったから」

志保「プロデューサーさんに伝わっても意味はありませんよ。
  この人に伝わらないと」

千早「……静香、あなたも同じ意見なの?」

静香「え……?」

千早「三人の中では、あなたの歌が一番完成されている……。
  そのあなたでも、矢吹さんをメンバーから外すべきではないと?」

静香「……私、は……」

千早「……」

静香「……私も、同じです。可奈は外すべきじゃありません……。
  千早さんは間違ってます……!」

千早「……そう。わかったわ。プロデューサー、今の話はなかったことに。
  ですから、志保はああ言ってましたが、私のことも外さないでいただければと」

P「ああ、どちらにしろ却下するつもりだったしな。
 もちろん千早のことも、外すつもりはないよ」

千早「ありがとうございます。……矢吹さん」

可奈「えっ? は、はいっ!」

千早「正直に言って、どうして静香や志保があなたを必要をしているのか、
   私にはわからないわ。これからのレッスンを通しても、多分わからないと思う。
   だからその理由を、本番のステージで見せてくれるかしら」

可奈「は……はい、頑張ります……!」

千早「……ではプロデューサー、私はこれで。失礼します」

P「……ふう、やれやれ……。ひとまずは落ち着いた、ってことでいいのかな」

静香「そう……ですね。一応は、それでいいんじゃないでしょうか」

可奈「……志保ちゃん、静香ちゃん……本当によかったの?」

静香「え?」

志保「良かったって、何が?」

可奈「私、一緒に公演に出ても……。
   だって私、千早さんにあんなに言われちゃうくらい、歌が……」

P「可奈……」

志保「はぁ……。あなた、さっき私たちが言ってたこと、聞いてなかったの?」

可奈「で、でも、私……」

静香「可奈、あなたの気持ちは分かるわ。
   憧れだった人にあんな風に言われて、すごくショックだったのよね?
   でも……あんなこと、気にしちゃダメ。志保も言ってたでしょ?
   今の千早さんは、可奈の歌の本当の良さを知らないんだから」

可奈「……私の歌の、本当の良さ? そ、それって何なの?
  教えて、静香ちゃん、志保ちゃん……!」

志保「そんなの私たちが今更言うまでもないでしょ?
  今まで何回も褒められてるじゃない。あなたの大好きな『千早さん』に」

可奈「っ……!」

志保「記憶のある千早さんと無い千早さん、
   どっちの評価が正しいかなんて、考えるまでもないんじゃない?」

静香「自信を持って。可奈の歌は、あの千早さんに褒められた歌なんだから」

可奈「う……うん! 静香ちゃん、志保ちゃん、ありがとう……! 私、公演がんばるね!」

P(……言いたいこと全部言われたなぁ……)




本番当日

P(もうすぐ準備を始めた方がいいんだが……
 朝に一人でレッスンルームに行ったっきり、千早の姿が見えない。
 もしかして、まだ……)

 ガチャッ

P「おーい千早、居るかー?」

千早「! プロデューサー……」

P「やっぱりまだここに居たのか。
 ソロ曲の確認をするって言って、朝から篭りきりじゃないか。
 そろそろやめにしておかないと本番に差し支えるぞ」

千早「大丈夫です。その程度は加減できなければプロとして失格ですから。
  本番に差し支えるほどはやりません」

P「そうか……。でも、時間的にもそろそろ終わりだ。切り上げて準備しよう」

千早「そうですか、分かりました。ではあと30分だけ」

P「随分ギリギリまで粘るな……何か不安でもあるのか? 今日のステージに対して」

千早「いえ、そういうわけではありません。大丈夫です」

P「それにしては少し入れ込み過ぎじゃないか?
 何かあるなら遠慮せず言って欲しい。俺はプロデューサーなんだからさ」

千早「……言ったところで、解決になるとは思えませんけど。
  でも、隠すようなことでもないですね」

P「ということは、やっぱり不安があるのか?」

千早「不安、とは少し違うと思います。ただなんというか、違和感が」

P「違和感?」

千早「はい。今日私が歌う予定のソロ曲、私は完璧に歌えているはずなんす。
   練習の中でミスは一度もありませんし、
   メンバーのみんなに聞いても、特に問題はないと言ってくれました。
   ですが、なぜかどうしても、違和感が拭いきれないんです。
   この曲のすべてを上手く表現できていない感覚というか……上手くは、言えませんが」

P「……」

千早「初めはほとんど無視していい程度の違和感だったと思います。
   あまり歌ったことのない曲調だから、まだ慣れていないだけだと、
   練習すれば解消されると、そう思っていました。
   でも、みんなと練習を重ねれば重ねるほど、
   どういうわけか逆に強まっていく感覚がして……」

P「……そうか。そういうことなら、安心したよ」

千早「え?」

P「大丈夫だ、何も心配はいらない。
 違和感に気付けたってことは、多分『もうすぐ』だからな」

千早「……? どういうことですか?」

P「それもすぐに分かる。
 それより、プロデューサーとしてアドバイスしたいことがあるんだが、いいか?」

千早「アドバイス、ですか? ええ、もちろんです。よろしくお願いします」

P「なら、一つだけ。
 いいか千早、今日はその違和感を抱えたままステージに上がるんだ。
 そうすればきっと良いステージになる」

千早「違和感を抱えたまま……? あの、それはどういう……」

P「答えはステージが出してくれるさ。
 ……さて、俺はそろそろ行くぞ。
 まだ確認したいならしてもいいけど、遅れることのないようにな」

千早「……」




静香「! プロデューサー……。あの、千早さんは?」

P「あと30分くらいで戻ってくる。それまでにみんなは準備をしておこう。
 と、その前に、何か気になることはあるか?
 聞けるとすればこのタイミングが最後になりそうだから、今のうちに言っておいてくれ」

志保「私は特に。千早さんの記憶が戻ってないのも想定のうちですし」

可奈「えっと、私も大丈夫だと思います!」

静香「……プロデューサー。それじゃあ一つ、いいですか?」

P「ん、なんだ?」

静香「プロデューサーの目から見て、
  今の私たちのパフォーマンスは、どのくらいの完成度だと思いますか?」

志保「そんなこと、聞いてどうするの?
  低かったからって今更改善できるわけでもないのに」

静香「い、いいじゃない。ちょっと聞いておきたいだけよ」

P「静香……やっぱり不安か? 千早の記憶がない状態だと」

静香「いえ、そういうわけじゃ……。
  ただ、一応プロデューサーの意見も聞いておこうと思って。
  プロデューサーとして、率直な意見を聞かせてください」

P「うーん、そうだなぁ……。率直に言うと……」

1.100%だ!
2.50%かな
3.0%……

>>55

2

P「50%かな」

静香「50%……ということは、半分程度ということですね」

志保「プロデューサーさん……。聞いた静香に原因はありますけど、
   普通こういう時には不安を煽るような数字は出さないものじゃないですか?」

P「はは、まあ、そうだな。でもお前たちなら大丈夫だろ?
 『今』はまだ50%ってだけなんだからな」

可奈「『今』はまだ……つまり、千早さんの記憶が戻って、そこで初めて100%!
   っていうことですね!」

P「ああ、その通りだ!」

志保「……まあ、そういうことだろうと思ってましたけど」

静香「私たちのステージが、千早さんの記憶を取り戻す助けになるように……!
   今日の本番で、ステージを完成させられるように! 頑張りましょう、みんな!」




舞台袖

P「もうすぐ時間だな……確認するぞ。
 まずは一人ずつ順番にソロ曲を披露して、最後に4人全員で歌う。
 最初は志保だが、準備は整ってるか?」

志保「はい、問題ありません」

可奈「志保ちゃん、がんばってね!」

静香「トップバッター、頼んだわよ!」

志保「ええ」

千早「……」

P「じゃあそろそろ……って、志保?」

志保「千早さん……前に私があなたに言ったこと、覚えてますか?
   アイドルとして、今のあなたには負ける気がしないって」

千早「……ええ、覚えているわ」

志保「だったらいいんです。それじゃ、行ってきます」

P「志保……。よし、行ってこい! お前の全部をぶつけてやれ!」

志保「もちろん……そのつもりです!」




静香「――志保、すごいわね。いつもよりもずっと……」

可奈「なんだかこっちまで、ドキドキしてくるね……!」

P「見とれてる場合じゃないぞ、静香。もうすぐ志保の出番は終わりだ。準備はいいか?」

静香「別に見とれてなんか……。当然、準備はできてます。
   志保に負けないよう、頑張りますから!」

可奈「がんばってね、静香ちゃん!」

静香「ありがとう、可奈。それから……千早さん」

千早「……」

静香「……見ててくださいね。じゃあ、行ってきます!」




P「――うん、静香もいつにも増して気合が入ってる。すごくいい感じだ。
 さて、次は可奈だけど準備は……って、聞くまでもなさそうだな」

可奈「はいっ! 志保ちゃんも静香ちゃんもいつもよりすごくて、
   準備万端~、気合満タン~、やる気満々~♪ ですっ!」

志保「やる気があるのはいいことだけど、空回りしないようにね」

可奈「だいじょーぶ! ちゃんと私らしいステージにしてくるから!
  だから……千早さん! 見ててください、私のステージ!」

千早「……矢吹さん……」

P「よし、静香の曲も終わったぞ。行ってこい、可奈!」

可奈「はいっ! 行ってきまーす!」




P「――さて、いよいよ次が千早の番だけど……。
 どうだ、初めて見る可奈のステージは。
 前の二人のステージも、何か感想はあるか?」

千早「……」

可奈『飛び出せ! 全力パワーに込めたメロディーに乗せて♪
  絶対大丈夫そばにいる♪ 優しい歌がある♪』

千早「……相変わらず、音程は外してて、テンポもリズムも崩れて……。
  これではまだ、アイドルではない一般人の方が、ちゃんと歌えていると思います」

P「……」

千早「なのに……分かりません。
   あんな歌なのに、どうして……。どうして、こんなに……」

P「そうか、良かった。三人の気持ちはちゃんと、千早に届いてるみたいだな」

千早「……はい。三人の歌声から、三者三様の、強い思いのようなものを感じました。
   きっと、私に向けた思いなんだろうということも分かりました……。
   でも……私は、まだ何も……」

P「大丈夫。そこまでくればあと一歩だ」

千早「え……?」

P「あとはお前の歌が、ステージが、光をくれるはずだ。
 そうなればもう、お前が自分の力で踏み出すだけだよ」

千早「プロデューサー……」

P「だから、行ってこい! アイドル如月千早のステージへ!」

千早「っ……はい、行ってきます……!」

P(……よし、行ったな。ここからは千早、お前次第だ)

可奈「あ、あの、プロデューサーさん」

P「! 可奈……静香と志保も。どうかしたか?」

可奈「千早さん、何か言ってましたか? 私たちのステージのこと……」

静香「私と志保も、離れていたからプロデューサーとの会話は聞こえなくて……。
   わ、私たちの気持ち、千早さんに伝わっていたでしょうか?」

志保「……」

P「ああ、しっかり伝わってたよ。
 そのおかげで、千早が記憶を取り戻すまであと一歩ってところまで来てると思う」

静香「ほ、本当ですか!」

P「ああ。あとは千早次第……っと、曲が始まったぞ。みんなで見守ろう」

千早(……すごい。これが765プロシアターのステージ……。
  ファンの人達の熱が、想いが、こんなにも強く伝わってくるなんて……!)



P「! 今の歌い出しは……」

志保「……ぎこちない、ですね」

静香「何か、探り探り歌っているような……。
   あんなふうに歌う千早さん、初めて……」

可奈「千早さん……!」



千早(……いえ、違う……。
   この熱も、伝わってくる想いも、ファンからのものだけじゃない。
   これは……さっきまでここで歌っていた、三人のもの……)

千早(まだ残ってるんだ……。
   志保の、静香の、矢吹さんの……みんなの想いが、まだここに……!)


P(……そうだ、千早。『あとは自分の力で踏み出すだけ』と言ったが……お前は一人じゃない。
 たとえステージに一人で立っていても、仲間の想いが支えてくれる。
 繋がり続けてくれるんだ)


千早(そうか……やっと分かった。
   やっぱり私は、この歌を完全に表現できていなかったんだ。
   だって、何も知らなかったから。
   でも、分かった……。私は……『今の私』は……!)

千早「――Just be myself!! 信じたい
  手探りの勇気を 本当の自分を
  全力で未完成な明日へ……なりたい私になる!」

P「っ! 千早……!」

静香「この、歌……!」

志保「……さっきまでと、いえ……練習とも、全然違う……!」

可奈「千早、さんだ……私たちが知ってる、千早さんの歌だ!」

静香「プ、プロデューサー、私たちの思い込みじゃありませんよね……!?
  だって練習とまるで違います!
  今まで気付かなかったことが不思議なくらい……!」

P「慌てなくても、千早が戻ってきたら分かるよ。
 だからそれまで、しっかり聞こう……! 千早の歌を、最後まで!」




P(その後も千早は、笑顔で歌い続けた。
 聴く者すべてを笑顔にするような、幸せそうな表情で。そして……)

静香「千早さん!!」

千早「!」

可奈「すごかったです……千早さん、すごかったです!
  私、感動しちゃいました! 本当に、本当に……!」

志保「可奈、歌の感想はあとにして。今は先に確認しなきゃいけないことがあるでしょ」

可奈「あっ、そ、そっか! あの、千早さん!
  えっと、私たちのこと……お、思い出してくれましたか!?」

千早「……ありがとう、矢吹さん、静香、志保。
  色々と迷惑をかけて、本当にごめんなさい」

可奈「あ、あ……!」

静香「そ、それじゃあ……」

千早「ええ……。全部、思い出したわ」

可奈「ち……千早ひゃぁあああぁあああん!! うえぇえええええええん!!」

千早「きゃっ……! 矢吹さん……その、あなたには特に、謝らなければいけないわ。
  記憶がなかったとはいえ、私、酷いことを……」

可奈「良゛い゛んですぅううううう! 千早さんが思い出しでくれ゛ただけでぇええええ!!」

静香「ほ、本当に、よかったです……! ぐすっ……」

志保「二人とも、感動する気持ちは分かるけどそろそろ切り替えないと。
  まだ四人でのステージが残ってるんだから」

P「おっと、そうだぞ可奈、静香。あんまり泣きすぎるとメイクが崩れ……
 って、もう手遅れな気もするが、とにかく歌の準備だ!」

可奈「は、はい……ひぐっ。ご、ごめんね志保ちゃん。
   千早さんも、いきなり飛びついてごめんなさい……」

千早「いえ、いいのよ矢吹さん」

志保「ほら静香も早く涙拭いて、準備して」

静香「ええ……ふふっ」

志保「何……? 私、何かおかしなことを言った?」

静香「いいえ。すぐ準備するわ」

静香(志保ったら……自分だって、涙目になってるくせに)

P「よし、みんな準備はいいな。
 今まで色々あったが……これで正真正銘、100%のステージの完成だ!」

志保「完成というにはちょっと気が早いんじゃないですか?
   まだ終わってないんですから」

P「うっ……そ、そうか、そうだな」

千早「ふふっ……でも、必ず完成させてみせます。
  だって、こんなにも心強い仲間が揃っているんですから」

可奈「ち、千早しゃん……」

静香「可奈、泣くのは我慢!」

P「よし、みんな行ってこい! 四人で最高のステージを完成させてくれ!」

千早「はい! 765プロ、ファイトー!」

四人「おーーーっ!!」




P(――四人でのステージは、もちろん大成功をおさめた。
 そしてその日の夜……)

小鳥「公演大成功アーンド……」

美咲「千早ちゃん完全復活お祝いパーティ、開催ですっ!」

一同「かんぱーい!」

P「……って、まさか本当にパーティを開くとは……」

高木「何を言っとるんだね! 如月くんが復活したんだ、このくらい当然だろう!
  今日は突然のことだから公演のメンバーと我々だけだが、
  後日また改めてアイドル52人全員集めてのパーティを開くつもりだ!」

P「ええっ!?」

静香「……今何か、すごいことが聞こえたような……」

可奈「52人全員だって! すごいね!
   みんな一緒でとっても楽しい~♪ 千早さんも元通りでとっても嬉しい~♪」

千早「で、でも流石に全員でパーティは大袈裟じゃ……」

志保「いいんじゃないですか? きっとみんなもお祝いしたがってるでしょうし」

静香「あら、珍しいわね志保。あなたがこういうことに積極的だなんて」

志保「別に。めでたいことは祝ってもいいって思っただけよ」

千早「ふふっ……ありがとう、志保。
  静香と、矢吹さんも……改めてお礼を言わせて。本当に、ありがとう」

静香「い、いえ、そんな! 別にお礼を言われるようなことなんて、何も……」

千早「そんなことはないわ。みんなの想いのおかげで、私は記憶を取り戻せた。
  それに、私が矢吹さんに酷いことをしようとした時……
  静香、あなたが志保と一緒に私を止めてくれたこと、嬉しかったわ。
  普段のあなたは、私の前ではあまり自分の意見を言おうとしないから」

静香「……千早さん……」

千早「だからこれからも、歌やステージついて、
  時々は私に意見をぶつけてくれると嬉しいわ。
  きっとそうすることで、お互いの歌はもっと大きく成長できると思うから」

静香「は、はい! 頑張ります!」

千早「それから……志保にも同じ理由で、すごく感謝してる。
   真正面から意見をぶつけて、私を止めてくれて、ありがとう」

志保「いえ……」

千早「『今のあなたにはアイドルとして負ける気がしない』という言葉……
   すごく印象に残ったわ。
   あんなふうに直接的に気持ちをぶつけてくる人は、あまり居なかったから」

志保「……でも私もあの時は少し感情的になっていたと、今は反省しています」

千早「気にしないで。経験もなく視野も狭かった頃の私より、
  今の志保たちの方がアイドルの実力は上。それは多分、事実だから」

志保「そう、でしょうか」

千早「でも、もちろん今は、私も負けるつもりはないけれど」

志保「! ……そうでしょうね。
  だけどすぐに追い越してみせますから」

千早「ええ。私も、追い抜かれないように頑張るわ」

千早「それと、矢吹さんも……。
   いえ、矢吹さんにお礼を言いたいと思ったのは、今回だけじゃないわね」

可奈「へっ?」

千早「あなたにはずっと、何度も感謝してるわ。本当に、ありがとう」

可奈「あの……な、なんのことですか?
   私、そんなに千早さんにお礼を言われるようなことはしてないような……」

千早「あなたの歌は、いつも私に新しい世界を見せてくれてる。
  同じ歌でも、全く違う表情を知ることができて……。
  歌に対する姿勢も、表現の仕方も、いつも勉強させてもらっているわ」

可奈「ええええっ!? そ、そんな!
  私の方こそいつも、千早さんの歌に勉強させてもらって、感動させてもらって……!
  だから、わたしっ……ひぐっ……ぅええぇええん!」

静香「もう、可奈ったらまた泣いて……」

可奈「だっでぇえ……わたしうれしぐでぇええ……!」

志保「ティッシュあげるから、鼻くらいかみなさい。酷い顔よ」

可奈「う゛ん……ごべんね志保ぢゃん……ぐすっ。
  あ、あの、千早さん……! 私、まだまだ千早さんみたいに上手には歌えません……。
  でもいつかは、千早さんみたいに、
  たくさんの人に私の歌を届けられるようになりたいです!
  だから、その……こ、これからも、たくさん勉強させてください! よろしくお願いします!」

千早「矢吹さん……。ええ、もちろん。
  これからお互いに、学び合っていきましょう」

静香「あ、私も……! 私も、たくさん学ばせてもらいます!
  それから、時々は千早さんと、歌について色々と言い合って……
  一緒に成長させてもらえたら、嬉しいです!」

志保「……私は、一緒に成長なんてするつもりはありませんから。
  千早さんより早く成長して、
  少しでも早くあなたを追い越せるように、これからも努力するだけです」

千早「静香、志保……。ええ、そうね。
  同じ事務所の仲間として、トップアイドルを目指すライバルとして。
  関係のあり方は色々とあるでしょうけど……。みんな、これからもよろしくね」

可奈「は、はい! こちらこそ! あ……そ、そうだ、千早さん!
  突然ですけど私、一つだけお願いが……! 聞いてもらっていいですか!」

千早「? え、ええ。何かしら、私にできることならいいのだけれど……」

可奈「そ、その、えっと……!
   わ、私のこと、可奈って呼んでください!! お願いしますっ!!」

千早「えっ?」



  おしまい

付き合ってくれた人ありがとう、お疲れ様でした

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