文香「趣味は、しおり作りです」 (63)



初めての海。

友達が、出来ました。



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・鷺沢文香の、子供の頃の回想

・捏造、IF有り


http://i.imgur.com/xX9KdUq.jpg




ーーー


長野県には海がありません。

山と平地と川と森に囲まれて、静かに育ちました。



元から出不精一家でしたし、

遠出をしなくても、本棚の森の中に私にとっての素敵な世界はいくらでも開いていて。


……ですから、覚えている範囲では、

子供の頃に家族で遠くまで旅行へ行ったのは一度きりだったかと思います。


あの年の夏。


日記に書いている通りなら、

商店街の福引きで特等が当たって、家族三人で遠く南の島へと行くことになったのでした。


突然ふってわいた、どこか知らぬ場所への旅。

こういうとき、冒険物語の主人公なら何をもって行ったのでしょうか。


虫眼鏡?チューインガム?磁石?

……そんなもの、用意出来るわけもなく。


結局何を持っていけば良いのかわからなくて、

……大きな鞄に衣服の他に詰めたのは、本のような装丁がお気に入りだった十年日記だけでした。


本島を離れて遠く南の島へ。

頭の中では何度も思い描いていた旅路も、いざとなると踏み出す事がとても怖くて。



それでも、不安だらけの出発は、すぐに驚きと興奮に変わりました。


飛行機の窓越しに見える空、陸、そして海。

見たことの無い景色。


家族で色々な所を回ったはずなのに、海のことしか覚えていません。
遠くまで開けた視界の先までどこまでも続く青に、飲み込まれてしまったのでしょう。



遠くへ来たことで、開放感もあったのでしょうか。

疲れも知らず、ずっと遊んでいました。


砂浜で遊んだり、岩場を歩いたり、

日が落ちるまで波の音の中にいて。


……いつ手に入れたのでしょうか、私の手の中には綺麗な貝殻がありました。

自分で見つけたような気もしますし、現地の子に貰ったような、そんな気もします。


宿のロビーに置いてあった図鑑をめくって、その貝殻を探しました。

ミミガイというものの一種で、日本ではその海の近くでしか見られないもののようでした。


とても綺麗で、飽きもせずずっと眺めていたくて。



……きっと、私が毎夜の夢の冒険の中で手に入れたかったものなのだと。



その夜の夢の中で、私は本を読んでいました。


いつもは本を読んだその日の夢の中で本の世界を冒険するような毎日でしたが、

旅先ではじめての冒険をした私は、代わりに夢の中で本を読むことにしたのでしょう。



本を読む私の横には、いつのまにか女の子が座っていて。

その姿をどこかで見たことのあるような、ないような。


……それが誰だかわからないまま、目が覚めてしまいました。


次の日も海で遊び。


夜にはまた、本を読む夢を見て。

隣にはまた昨晩の夢の女の子。



そうして、家に帰る日がやってきました。


お土産を抱える父と母。

宝物を手に入れた私。


貝殻は、誰にも見せてはいけないような気がして。

衣服にくるんで、鞄の底にこっそりとしまいました。


その夜も夢を見た、と日記に書いてあります。


楽しいものも怖いものも、夢の世界を忘れることが惜しくて、
覚えている限りの夢の話を日記に書くことがあの頃の日課でした。



海から帰って来た後も、あの女の子は私の前に……いえ、隣に、でしょうか、時々現れるのでした。

彼女がどうして、いつ私の隣に現れるのかはわからずじまいで。



本を読んでいるといつの間にか、私の隣に座ってじっとこちらを見ていて。

彼女に気づくと私は、それまでに読んだ部分を彼女に読み聞かせ、それから続きを一緒に読む。


それが日常になっていました。


読み聞かせ以外にも、彼女には色々な話をしました。
本に出てきた動物の話であるとか、他所で見聞きした事だとか。



彼女はいつも私の言葉に耳を傾けてくれて、……言葉を発することはありませんでしたが、
いえ、言葉を交わさずとも、私達はどこかで通じあっていました。


彼女に語りかけた物語は、すうっと私の中に溶け込んで行くようで。

声に出すことで、誰かに聞いてもらうことでもう一度頭の中に入り、定着していったのかも知れません。


今だって、きっといくつかの物語の一節は暗唱すら出来るでしょう。


例えば、……


##

そうして、幸せな日がやってきました。

二人の義姉達と継母とは、お城へと向かい、

……シンデレラはその姿をずうっと見送りました。

その姿が見えなくなると、シンデレラは泣き崩れてしまいました。

##


http://i.imgur.com/nUX5vml.jpg




そうやって、色々な事を、色々な言葉を、彼女を通して覚えました。


ーーー


いつからでしょうか、彼女の事を『しおり』と呼ぶようになったのは。

それまでは会う度、話しかける度に、呼称がわからずにもやもやとしていて。
頭の中に浮かんだ平仮名3つをそのまま、彼女の呼び名として、そう呼ぶようになりました。


しおりはいつもいるわけではなくて、いつまでもいてくれるわけではなくて。


本を読み終える事に惜しさを覚えるようになったのはきっと、
読了してしまうと、しおりが何処かへいなくなってしまうからだったのでしょう。


日記にこそ書き残してはいますが、しおりの事をあまり鮮明に覚えていないのは、
とらえどころのない子だったからなのでしょう。

平仮名三つのしおりの字は、まだ漢字のそう多くはない頃の日記の中に溶けて埋もれてしまっていて。

ぽつぽつと残る中にも、書いているのはただ一緒に読んだ本の名ばかりで。


……それに。

私は多分、しおりを”個”として受け止めていなかったのだと、そう思います。


会うたびに彼女はどこか違っていて……、

はっきりとした”格”が無くて、いつの間にか隣にいる。

ふわふわとした、実体のつかめない友達。



だんだんと読み差しの本が多くなって、色々なしおりにあって、別れて。


ーーー


曾祖父の通夜の日に、「波の花」と言う言葉……いえ、言い回しというべきでしょうか、それを初めて知りました。


忌み言葉、というのだそうです。


式の会場で見つけた活字の中で、一際私の目を引いたのがその言葉でした。
受付に置かれていた紙の小袋に書いてあった文字。


じっと見ていると、係員のお姉さんが寄ってきて、袋の中身は清めの塩なのだと教えてくれました。



少しでも気が紛れると思ったのでしょうか、お姉さんはそれについて私にいくつかのことを話してくれて。


「塩」という字が「死」を連想させるため、言い換える言葉としてその表現があるのだと。
他にも、死ぬという言葉自体を忌避して「お目出度くなる」と言ったり、華やかな場では「終わる」、「閉じる」という言葉を避けて「お開きにする」と言ったりだとか。


そうやって、縁起が悪い言葉を言い換えること、それらの言葉のこと自体を忌み言葉と言い、
信仰上の理由や、冠婚葬祭などの儀式の場でよく使われるのだと教えてくれました。


そのお姉さんの話は、私の気を紛らわすとともに、また別の考えを私の中に残して行きました。


参列の間、しおりは隣にはいてくれませんでした。
この奇妙な感情を共有してはくれませんでした。



悲しむ親族、故人を懐かしむ方々、読経と木魚と静寂。
その中に一人、上手く儀式に心を馴染ませる事が出来ないまま、ただ静かに座る私。



死の恐怖だとか、寂寥感だとか、そういったものを感じると同時に、
ずっと、波の花という言葉が頭の中を回っていて。


少し大人びて…いえ、ませていた、と言うべきでしょうか。
早熟な子だったと自分でも認識しています。

ですから、生きるとか死ぬとか言うことは、その頃にはもう何度も考えたことがあって。

死ぬことが怖くて泣いたこともありました。
一晩中、死んだらどうなるのだろうという考えが止まらなくて寝不足になった日もありました。


……なのに。


親族の葬式という、初めて人の死が身近になったその時、
私が考えていたのは、もっと別のこと……

私としおりの、境界についてのことでした。



どこかで気づいていたのです。
私にだけ見える『しおり』は、この世界に生きている存在ではない、と言うこと。
私の隣にだけいる、誰も知らない友達。


……だから。


本当は、わかっていたのです。
生きている私と、生きてはいないしおりとは、一緒にいてはいけないということを。



曾祖父と私とが、この時死と生との間で分かたれたように。
私としおりも、海と、陸とで。


『しおり』。


塩・潮・汐、……「波の花」。


私にはしおりが必要でした。
けれど、私が呼ぶその名が彼女と海とを結んでいる。


だとしても、しおりはしおりで。
それ以外の言葉では呼べなくて。


私のつけた、たった一つの……
それが彼女を、海へと引き寄せているのなら。



それなら。
名前を、つけましょう。

『しおり』と言う名のままで、けれど”しお”を、海を忌む名前を。



名前を与えましょう。
友達、……私だけのたった一人の友達をつくって、彼女にその名を与えましょう。


あの日、貝殻と一緒にしおりが私のもとを訪れたことを思い出して。



もう一度、友達が出来ますように。
そう願いながら。



―――


夢を、見ない日が続きました。
夜も、朝も、一人考え続けて。思い続けて。念じ続けて。


そうしているうちに、私の隣には一人の女の子が出来上がっていました。


貝殻を依り代にして、私の中に、……いえ、私の隣につくった女の子は、これまでの『しおり』とは違って、

明確に一つの、一人の女の子でした。


彼女を作ってからも、彼女に与える名前はなかなか決まりませんでした。
辞書を引いて、いくつもの漢字を日記の隅に書き連ねて。消して。



その時知った「栞」という字、それはきっと今までの『しおり』に与えるべきだった名前で。


そして、「枝折」という字。

意味合いはよかったのですが……いいえ、これもきっといままでのしおりの一人ならよかったのかもしれませんが。

人の名前には似つかわしくなく、そして、彼女にただの「枝折」で、「栞」であってほしくないという思いから、この名は与えられませんでした。



同じように、可愛らしくない字、不吉な字、しっくりとこない字は頭の隅へと追いやって行きました。

死・肢・檻・汚・尾・離・裏。

そうしている間も、私と彼女とはずっと一緒にいました。


彼女とは色々な話をしました。
これまでの『しおり』とは違って、彼女は私の話をただただ聴いてくれるだけではなくて、
色々な事を答えてくれたのでした。



彼女との会話はとても楽しいものでした。
彼女が紡ぐ言の葉は、彼女を作った私の頭の中から出てきたもののはずなのに。
なのに、まるで違うように聴こえるのです。


上手く感情を言葉で整理できない私の代わりに、うたうように言の葉を織る彼女。


……きっと、これだ。


たくさん書き集めた漢字の中から二文字を拾い上げ、彼女を『詩織』と呼ぼうと決めました。


その名前はとてもよく響いて、彼女を地に足のついたたった一人の友達として、完成させてくれたようにすら思えました。

不思議なことでした。そして、とても嬉しいことでした。



友達が、できた。私だけの……、私のための友達が。


二人でいる時間はとても楽しくて、少し頭がぼうっとして……
本当に素敵な時間でした。

四六時中、彼女と一緒にいました。






けれど、……詩織との日々は、長くは続きませんでした。


―――



私はきっと、詩織をもっと私のように、
生きた……陸に上がった、一つの存在へと近づけようとしていたのだと思います。


そうやって彼女を強く想うたび、触れるたび、
少しずつ、私の方が彼女へと、……海へと近づいていたのでしょう。


―――


その冬、私は大熱を出しました。
流行り病だったのでしょうか。それとも。



身体は重く、でも浮いているかのような虚脱感があって。
温かい泥の中をもがくような。


どこか遠く、向こう側から、詩織が私に手を伸ばしていました。
ああ、行かなくちゃ。

どうにかそこへ向かおうと。
必死にそちらの方へともがいて、もがいて。


手を、


……


触れた手には、身体には、温度が感じられなくて。


違う、と気づいてしまったのです。


ぱきり、
とどこかで音がして、それっきり何もかもが崩れていきました。


ーーー


熱が引いて、意識がはっきりとしてきて、最初に気づいたのは。
もう、彼女がいないということでした。



引き出しの奥にしまっておいたはずの貝殻は綺麗に二つに割れていて。
断面は欠け一つなくまっすぐで、

なぞった指の先から血が滴って日記を汚しました。



何も変わりませんでした。とは、言えないのでしょうけど。

日記の上ではただ一文、いなくなって淋しい、とだけ。


……彼女がいなくなって、一人の日々が過ぎて、春が来て。


私の前の席に座った女の子は、私と似て読書が好きで、
……けれど私と違って、人と積極的に触れ合える子で。



その子と、友達になりました。


―――


今はもう、『しおり』を、『詩織』の事をうまく思い出すことが出来なくなってきています。

それはきっと良いことなのでしょう。


本をいくつも並行して読む癖は残ってしまいました。
でも、もうそこに私の手をとめる誰かはいません。

だから、自分で作った紙の栞を挟んで。


割れた貝殻は、捨ててしまいました。
そこにはもう何の残滓も感じられなくて。


少しずつ、過ごした日々の痕跡は消えて、私だけの日常が日記をまた埋めていきました。



けれど、確かに『しおり』は、……『詩織』はここにいたのです。


容姿を思い出せなくても。
声を思い出せなくても。


他の誰にも、知られていなくても。




私の、私だけの、大切な友達。


<fin>


アイドルになる前(初出のN特訓前)の鷺沢さんは萎れているというか、涸れているという印象があって、
彼女の水分はどこに行ったんだろう、彼女はかつて何をうしなったのだろうかと思いながら書きました



自身で体験することには失敗してしまったのでIFやトゥルパについては想像に基づくフィクションとしてしか書けていません、申し訳ありません


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