高森藍子「好きって言ってはもらえてない」【デレマス】 (41)

それはまだ、春には少し早いころ。


私は彼に好きだと伝え、彼は私にそうかと答えて。

私は彼に恋人になってほしいと伝え、彼は私にわかったと答えた。
 
そうして一組の恋人同士が産まれてから、一週間がたちました。

世界のほんの片隅の小さな小さな変化はたしかに、私たちの何かを変えたはずなのに。

私の目に映る範囲では、私には何が変わったのかわかりません。

決して夢でなんかありはしない。

それはちゃんとわかってる。

ただあの夜からあの瞬間から、彼の気持ちがほんの少しも分かりません。

彼のなにかに近づいたはずなのに、そのなにかから遠ざかってる気さえする。

この感覚が正しいかどうかすら自信がもてなくって。

ただ心の底にたまった不安だけが、確かでした。



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――――――――――



「お茶が入りましたよ」

「……ああ」


コトンというかすかな音は、周りの喧噪にまぎれて聞こえませんでした。

レッスン待ちか、お仕事帰りか、それともただ他の誰かに会いに来たんでしょうか。みんなのおこす、わいわいがやがやだなんて元気な津波。ごった煮になった夕方の事務所のちょっと窓よりに埋まりそうになりながら、私はいつもの方法でせわしない彼の手を止めようとします。

近くのイスを引き寄せて、よいこらしょと声に出して聞かせてみせましょう。

2つ持ってきた湯飲みの片っぽを先にずずずとすすって見せて、さらにもう一度、教えてあげるんです。

私がここにいるんですよ、って。

これでようやく彼の意識は、不躾に光る画面の向こう、企画の海からあがってきてくれます。

「ふう……ありがとう」

「いえいえ」


お約束のやりとりを合図に、私たち二人の時間が始まります。

お茶は、とても熱めに入れるのが肝心です。

分厚い湯飲みなのに、下駄と縁しかもてなくなるくらいに熱く、熱く。

この一杯の時間を少しでも長く、少しでもゆっくりで心地よくできるように、いつからともなくするようになった、ささいなささいな私のズルっこ。

お茶の入れ方としては、本当はそんなのいけなくって、わざとしてるってバレちゃったら、茜ちゃんに怒られちゃうかもしれないな。

でも、それでも、もうずっと前から変わらない、この私たちだけの時間を大切に味わっていたいから。

ごめんなさいをして、許してもらいましょう。

耳を立てれば相変わらず、事務所のそこかしこから、今日もみんなの声がとどろいているのがわかります。

みんながみんな心のエネルギーを持て余してる、パッショングループのお部屋ですから、こんなのがいつもの当たり前。

だけどこうして私と彼がお茶をしていると、不思議とみんなは近づいてこないんだよね。

彼の隣に肩を並べて座ります。

すると自然と、机の向こうに広がったみんなの元気が見えてきます。

私と彼は何も言わずにただ同じ方を向いて、たくさんの笑顔をぼうっと眺めながら、ゆっくりゆっくり湯飲みを傾けます。

ああ、もう半分になっちゃいそう。

意味なんてないけれど、できれば彼と同じタイミングで飲み終えたい。

だから口を付けて傾けるだけの飲むフリなんて、そんな反則もできません。

どうして私がのんびりとしていると、こんなにも時間がたつのがあっという間なんだろう。

みんなはそれが私の魅力だなんて言うけれど、今はあんまりうれしくないです。

「そろそろ外回りの時間か」

「はい、いってらっしゃい」

「おう」


かけてあった上着をとる彼に、寂しさを押さえてご挨拶。

さっきと違って、今度は止める方法はありません。

私のためにがんばってくれているんだから、だなんて、厳しい口調で言い聞かせて伏し目がちになりたがるまぶたを叱ります。

お口の裏にもしっかりと重たい粘土をコネ付けて、意味のない呼び止めなんてしないように。

……なんて、思いにふけっていた時間はどれくらい? 

いつの間にやらくだんの彼は、扉の向こうへ出発しちゃった後でした。

……ふと心に魔が差します。

私たち、恋人同士ですよね?

いってきますのチュー、します?

そう言えたのは、昨日の夢の中でだけ。

「あーっちゃんっ!」

「ひゃあ! 未央ちゃん?」

「もー! いい雰囲気だったじゃーん? うりうりー、だらしない顔しちゃってさー!」

「だ、だらしない顔なんかしてないよ!」

「……? すごくにやにやしてますよ!?」

「茜ちゃん!」


とぼけたような声で大まじめに返してくれる茜ちゃんがまぶしいです。

その純真さが真っ赤で手強いペンキになって、私の首から上を染めあげます。

きっとさっきの未央ちゃんの声で、世界から切り離されていた2メータ四方の空間が現世に戻ってきたのでしょう。

私と彼だけが入っていた空気の箱。ふわふわと浮かぶような沈むような、さっきまでの感覚はどこへやら。

むくっと起きあがった恥ずかしさにあてられた私は、きっとおかしな顔をしてるに違いません。

「でもねでもね? あーちゃん、なんかすごいぽかった! 今のすごいぽかったよ!」

「ぽかったって?」

「すっごい熟年夫婦、っていうか? 心と心で通じてるって言うか…… 二人の世界? うん、二人の世界!」

「そんなんじゃ、ありませんって」

「またまたー! 謙遜しちゃってー!」

「謙遜なんかじゃ……」


そう、謙遜じゃない。

謙遜なんかじゃないんです。

確かに、目が合えば彼の考えていることのだいたいはわかってました。

声をかければ、私の言いたいことの8割は察してもらえてました。

だけど、それは、私と彼がアイドルとプロデューサーだったから。

別段特別なことなど一つもない、ちょっとだけ珍しくはあるだろうけど、ふつうにあり得る信頼の形。

もうずっと前から……ついこの前まで、当たり前のようにできたこと。

今は何かが変わってしまって、できなくなってしまったこと。

夫婦だなんて、恋人だなんて、そんなものからはほど遠い。

「藍子ちゃん? なんだかもしかして……」

「……あ、いえ」

「おなかが空いてます!?」

「え、あ、うん。そうかも」

「おー、空腹とな? それならこの本田が未央先生の見つけだした、最高級スイーツのお店を……」

「ちょい待ち☆」


ひそかに落ち込む私を前に、割り込む声が聞こえました。

背中の向こうから頭を越えてずずっとかかる陰に驚いて、いつもの私ではあまりできない勢いで振り向きます。


「佐藤さん?」

「や☆」


蛍光灯の、予想よりもまぶしくはない逆光から見下ろすのは、この事務所の衣装作成を担当してる佐藤さんでした。

「これこれ、藍子ちゃんはこれから衣装合わせっしょ?」

「え?」

慌てて、ぱらぱらと手帳をめくります。

けっして佐藤さんの言葉を疑うわけではないんだけれど、その日のお仕事の予定を忘れるなんてあんまりなかったから。

途中、間に挟まった彼の写真を落としそうになってさらに慌てて、それでも何とか確認して。


「ほんと、です」

「嘘はつかないよ☆」


ほら行くよー。

あ、はい。

そんな会話をして、未央ちゃんたちに、ごめんなさいと頭を下げます。

また今度ねー、という声に罪悪感。

先ほど彼が消えていった出入り口を私もくぐり、彼の行ったであろう明るい外とは反対側、廊下の奥、佐藤さんの入っていった扉を見ます。

冷たいノブにそっと驚きながら、確かめるように力を込めて、開いて、閉じる。

これだけでもう、今日やらなきゃいけないことの全部が終わってくれていればよかったのに。

まわりの全部が憂鬱に感じて、そんなことが頭をよぎりました。



――――――――――


――――――――――



事務所そなえつけの衣装部屋が佐藤さんの王国になってるってことは、アイドルの間では有名なお話です。

その小さな小さなお城の真ん中で、鏡を前に私はアイドルの藍子ちゃんと向き合います。

スカートの端をちょんと広げる、ふわふわ衣装の女の子。

鏡の向こうの中堅(?)アイドルの藍子ちゃんはこの衣装でどんなパフォーマンスをすればいいのか、きっとなんとなくでも気がつけるんだろうな。

じゃあ何も分かんないこっちの私は誰だろう?

私の頭の中にあるのは、あの人がこの姿をどう見てどう思ってくれるのかってことだけです。

かわいいと感じてくれるのか、幻想的だとかきれいだとか思ってくれるのか。 

……それともエッチな風に見てくれるのか。

それはとってもヨコシマな気持ち。

「……はぁ」

「どったん?」

「あ、いえ……」


私の顔の下半分から漏れた、ため息という名前の意識のかけらが、佐藤さんの整った眉をつまみ上げました。

あわててもごもごと口を濁します。

これは、よくありません。

もちろん心配をかけたこともそうです。

けどそれよりも、彼との関係の変化は気づかれるわけにはいかない。

そう考えて、すべてを内に秘めてきたのに、まったく、もう。


「なんでも、ありません」

「またまたー」

「いえ、ほんとに」

「またまたー☆」

「だから……ほんとに」

「ふーん」


言い訳にすらなれない言い訳は、苦しくって仕方ない。

こんな風にごまかしたりするのは苦手です。

『私には、隠したいことがあるんです』

『だから聞かないでください』

そんなそぶりを見せるのが精一杯。

普段一緒にいるお友達のみんななら、それでだいたい聞かないでいてくれます。

たまにしつこく聞いてくる人もいますけど、それも図星さえ刺されなければ、曖昧に笑ってさえいれば……


「……で、プロデューサーとうまくいかないわけだ」

「え!?」


振り向けば、目の高さには、にやぁっと笑った佐藤さんの口が浮かんでいました。

胸に回されていたメジャーがすれたところが痛いです。

ああやられた、なんて思ったときにはもう遅い。


「いえ、プロデューサーは、別に……」

「そんな顔して何言ってるのさ。ほらほら、もうばれちゃったぞ~。お姉さんに話してみなって☆」


その声がなんだかとても楽しそうで、どうにかこうにか恨みがましく見えるように努力しながら、うつむきかけた顔を上げて。

……佐藤さんの真剣な目が、まっすぐにこちらをみているのに、気がつきました。


「……佐藤さんって、大人だったんですね」

「なんの話だ、こら☆」


アイドルの仲間とばかりいるから、忘れてました。

大人の人って、そうだった。

なんだかみんな、私たち子供のことなんか何でも知っているようで、何でもわかられちゃうようで。

それでいて、ふざけたようでもおどけたようでも、真剣に心配してくれていたりする。


少しだけ、彼を思い出して涙目になります。

こんなんじゃいけないのに、いけないのに目の前の大人に甘えたくなる。

下向きだった視界の中で、不意に目の前に現れた手。

助けてくれるかもしれない何か。


「その、実は……えっと」

「……ゆっくりでいいから☆」

「……はい」


それを掴まないでいられるほど、今の私は、強くなんてありませんでした。



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――――――――――



「あ~、なるほどねー」

「……」


ふんふんとうなずく佐藤さんを見て、やっと恥ずかしいという感情が体の奥から湧き上がってきます。

だれにも、話すつもりはなかったのに。

だけど、あふれてしまった言葉の結果を、受け入れない訳にはいきません。


「いやー、乙女してるねぇ」

「お、おとめ…?」

「そう。よくいる恋する乙女」

「……む」


よくいるってどういうことですかと、声を荒げそうになったのをガマンしました。

でもよく考えてみたら、ガマンしたのってどうしてでしょう?

声を荒げるのが私らしくないから? はしたないから? 

自分のことなのに理由へちゃんとたどり着けないのは、きっと私が冷静じゃないから。

とにかく無性にむかっぱらが立ちました。

私は真剣に悩んでいるんです。

なのに、そんな、よくいるなんて一言で片づけられるのは……!


「よくないと思うんです……!」

「お☆」



びっくりするくらいの声がでて、一息遅れて気がつきます。

よく考えてみたらガマンする必要なんて有りません。

この理不尽を受け止める必要なんてないんです。

だって私は! 悩んでるんです!


「よくいるって、いうなら……!」

「ん?」

「……佐藤さんなら、どうしますか?」


こういうとき。

小さな声でそう付け加えて、聞いてみます。

膨らみかけて、でもやっぱり一瞬で縮んでしまった、怒りが長続きしない自分の気持ちがもどかしい。


「ほれ、これ」

「え?」

「行ってきな☆」

「は、はぁ」


壁を切り取る四角いポスターが、佐藤さんが指の先に浮かびます。

それはすぐ下の床にまで、薄いピンクの花びらが落ちているんじゃないかと思わせるような……


「梅のお祭りの、おしらせ?」

「そ☆」


白くてきれいな雲の浮かぶ真っ青な空の下、大降りな梅の木が一本、部屋の壁を飾っていました。


「あいつ、ヘタレだから」

「へ、へたれ……?」

「そうそう」


くすくすと、いいえ、うけけっと聞こえる意味ありげな笑い声が響きます。

へたれ……

彼に対しては聞いたことのない評価です。

でも、確信を含んだ声でした。


その笑い声の主を、何も言えないままうろんげに見つめるくらい許してください。

どういうことですかって聞くのは、なんだか悔しかったんです。

彼のことは私の方が知っているって、思いたかったから。

なにか、この人と彼との関係を思わせる台詞が怖かったから。

だから私は、何も言いませんでした。

言えなかったわけじゃないんですから……!

『大人の人め』って恨み節にすべてを込めて、目だけで伝われと念じるんです。




――――――――――


――――――――――



春ってどこからくるんだろう? 小さい頃にお母さんに聞いたことがあります。

あのときのお母さんは、どこだろうねって優しく笑ってくれたっきり、なにも教えてはくれませんでした。

澄み渡った冬の名残のある空の下、向かい風が目深にかぶった帽子を吹き飛ばそうと吹き付けます。

でもそんな風よりも、暖かな日の光の方が強くって、薄手のコートがすこしだけ重たく感じます。

この冬と春の混じり合った空気がなんとなく好きなんです。


「…………」

「…………」


加えて、となりに好きな人……いえ、恋人がいるならなおさら、というわけで。


“とどのつまり、勢い☆”とは佐藤さんの言。

結局行き着くのはそれですかとも思いました。

でも私もどこか、意地にさせられてしまったところが有ったんだと思います。

気がつけば、次のオフにと彼を誘って、今日がその日。

デートの日。


私と彼との静けさの間を、いくつもの花びらが舞い降ります。

なにか話をすれば、花びらは空気のふるえで風に逆らってくれないかな。

そんなあり得ないことを考えて、あまり気がつきたくないことにふたをします。

……前は平気なはずだった沈黙が、どうにも落ち着かない、なんて。

帽子を少しだけずらして、隣をそっと見上げてみます。

ぼうっとした視界の中、見るべき人の背景に並ぶ梅の木は、私の記憶よりもずっと低い位置でそろえられています。

目の奥に力を入れて、焦点をもう少し私の近くに寄せてみましょう。

そうしてやっと、いつもの無表情のような……かっこいい横顔がみえてきました。


「藍子」

「え? は、はい!?」


いきなりの声に思わず素っ頓狂な返事を返します。


「……どうした?」

「いえ……あ、その……!」


あなたの横顔に見とれていましたなんてことは、もちろん言えません……!


「あ、えっと……」

「…………」


でもどうにかこうにか、なにか言わないと言えないと。

今のおまぬけな声をなかったことにできるように、なにかなんでも、話題を探して……!


「あ、……きゃっ!」


足もと、膝下、延びた梅の木と、柵。


「藍子!」

「あ、わ、わ」


茂みの向こう側に落ちていこうとした体を、手を、冷たい何かに止めてもらって。


「大丈夫か?」

「あ、ありがとう、ございます」

「引くぞ。 ……滑るかもしれない。 しっかり握ってくれ」

「は、はい」

「…………」

「…………」


ゆっくりと思考が正常に戻っていきます。

今この手を握って支えてくれているのは、おっきくてあったかい感触の正体は。

……彼の、手。


そこまで気がついて初めて、ああ、助けてもらったんだと理解できました。

なんて格好だろう。

なんて失態だろう。

ついさっきからの失敗の連続に、恥ずかしくって顔から火がでそうです。

私たちを見守るお天道様が火照った背中をさらに焦がして、まるで笑われているようです。

こんなはずじゃなかったのに……



「ごめんなさい」

「……おう」


口をついた意味のない謝罪に返ってきた返事は短いものでした。

最低限なその言葉で、彼を困らせてしまったことに気がつきます。

慰められればもっと申し訳なくなる。

そんな私に気を使っての、ぶっきらぼう。

そんな彼の気遣いがわかってしまったから、私はさらにいたたまれなくなるんですけど。

いっそ気がつかなければよかったかも。

……ううん、それはもっと無神経です。

ああだめです。だめだめです。まるで下りの螺旋階段。

どうして、こんなよくない方にばっかり考えが流れてしまうんだろう。

理由を探せば探すほど、焦りにばかり拍車がかかって。

もう訳が分かりません。


「しっかりしろ」

「……はい」


さらに激励が加わって、縮こまりそうになる。

つながった手にも優しい力が込められます。

安心しろ、と。

気にすることはない、と。

そう言ってくれているような……


あれ?


「……手?」

「……ああ」

「……どうして?」


つないだまま?

最後まで声に出せなかったのは、なんででしょう?

ぼうっと、自分の肩から目をやって腕の先をみてみれば、空に飛び出さないまま彼の腕へと渡っていって、次に見えた肩に乗った花びらが、その終着点になりました。

ついさっき、とっさに支えるだけだったはずの手。

それが、要するにつながったまま。


「プロデューサーさん?」

「…………」


私は今、きっといぶかしそうな顔をしているでしょう。

もちろん自分の表情を確認することはできないです。

彼の顔に2つついた、澄んだ茶色の鏡をのぞいても、さすがに映る像が小さすぎます。

とはいえ、驚きとか混乱とか、あとわからない何かとか、こんなにも私の心のなかに入り交じっているんですもの。

これが顔に出ていないわけがありません。


「藍子」

「はい」


動かない頭をおいて、けれど事態は進みます。


「……このまま、手をつないでいてもいいか?」

「……あ」


私の期待していた方向へと。


「あ、は、はい!」

「……そうか」


感情の何かのなかには、あえて追い出しそうとしてたモノが一つ、ありました。

期待。

もしかしたら、な。

万がいち、な。大きな大きなドキドキの塊。

この手が握られたままでいるのは、彼がそうしたいと思っているからかも、だなんて。


「…………」

「…………」


また、二人の間に沈黙が降りてきます。

まるで、今のやりとりをなかったことにするかのように。

心の中に少しだけのぞいたときめきを、また隠してしまうかのように。

けれど、このつないだ手。

会話がなくなってもこれだけは残ります。

これだけはさっきまでと、違います。


ああ楽しいな。

気分が少し上向きに変わりました。

うつむいている梅の木のむこうからこっそりのぞく、ピンクの花びらが私たちをみてくすくす笑っているようです。

そうしてふと、気がつきます。

もしかして彼、緊張してる?

少し痛いくらいに握られて、ちょっと引っ張ったくらいじゃうんとも言わないくらいの手のひらから、強い鼓動が伝わってきます。

なんだかしっとりとしているのは、汗ばんでいるのかな。

歩幅と同じだけ揺れる繋ぎめは、今にもすべって離れてしまいそう。

さっき彼が言ってた、しっかり握れってこれのことだったんだ。

ああ、熱いな。

私の手はご飯の後の茜ちゃんよりも熱くなっているはずです。

さっきから予測できない恥ずかしさの連続なんだから、それは仕方ない。

だけど、だって言うのに、握られた手がもっともっと熱いと感じるのはきっと、ずっとずっと彼の方が暖かいから。なんですよね?

「ふふ」

「……なんだ?」

「いえ、なんでも」


こうやって手を握るなんて、彼と繋がるなんてズルっこをしてるからでしょうか。

さっきまで何も映していないように見えた彼の顔が、その表情が、簡単にわかってしまうのは。

気づいてしまえばどう見たって、普段の彼よりも堅くて、こわばって、ひきつりそう。

まるで私たちがライブにのぞむ直前に見せるような、隠そうとしても隠しきれてない。

緊張と、不安と、なにより。

私と同じ、期待の顔。

ああ、うれしい。


「プロデューサーさんってもしかして」

「……ん?」


いつもより少しだけ高い声のふるえ。

これも隠しきれていませんよ?


「ヘタレって言われません?」

「な!」


ふふふって、笑ってしまう私はきっとわるくない。

だって彼がこんなにうろたえるところ、見たことない。

なんだかかわいいなって、男の人には失礼な感想が浮かんでしまいます。

心の中でだけだから、許してくれるかな?

ああ、うれしい。うれしい。

私の悪口ともいえない言葉にこれだけうろたえてくれるってことは、それってきっと、私にかっこいいところを見せたいって思ってくれてるってこと? 

……だなんて、うぬぼれてもいいですよね。


「ね、プロデューサーさん?」

「……なんだ」


その顔を、その私だけの顔をもっと見たい。

ううん、こんなのじゃまだ足りない。

私ってこんなにわがままでしたっけ?

でもだって、もっともっと、わかりやすく、強く強く。


「えーっと……ふふっ♪」

「…………」


どうすればいいんだろう? と考えたのは一瞬で。

やるべきことが、やりたいと思ったことが、すぐに浮かんだから。

だから。


「あなたのことが、好きです」


言葉は浮かんだままに。

前に同じことを言った時は、私は不安でうつむいてて。

だから見ることができなかった彼の顔。

今、今度こそまっすぐ見つめたその顔は、ぶっちょうずらに上書きで、真っ赤に真っ赤に染まってみせて。

大きく大きく「好きです」と書いてありました。


まだ、声にして言ってはくれませんが、いつか聞ける日も近いと信じて。

今はこれで満足してあげますね♪


おわり!

すばらしい!

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