佐久間まゆ「苦くて甘い勘違い」 (34)

地の文注意。

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ぴぴぴと無機質な電子音が鳴り響きます。

一日の始まり、一週間の始まり、まゆの始まり。

液晶画面のアナログ時計は5:00ぴったりを映しています。

「うぅぅぅ……」

まゆにとって、毎朝が戦争です。

モバPさんへの愛と、世にも恐ろしいお布団の魔力。

毎回まゆは瀕死になりながらも闘っているのです。

それにしても……いつになったらちゃんと早起きできるようになるんでしょうか。

もぞもぞとシーツに頬をこすりつけながらも、今朝も愛が辛勝を収めるのでした。

ぼさぼさの髪は後で梳くとして、しゃこしゃこと歯を磨いちゃいます。

乙女のたしなみ。モバPさんへのお礼の気持ち。

モバPさんはまゆを世間のみなさんにプロデュースしてくれます。

そんな素敵なモバPさんにみっともないまゆをプロデュースしてほしくありません。

だからまずはまゆがモバPさんにまゆをプロデュースするんです。

『こんな素敵なまゆはいかがですか?』

うふふ。

今日も一緒にお仕事頑張りましょうね?

「シャワーはOK。お弁当は……うん、美味しそう。あとは昨日買ったコーヒー豆が……あった」

スクールバッグとは別のバッグにお仕事道具を詰めて、きゅっと左手首にリボンを結びます。

佐久間まゆの出来上がりです。

今日の予定は事務所でモバPさんにお弁当を届けて、学校へ行って、レッスンで終わりです。

花も恥じらう16歳。今日は制服のまま事務所に行こうかしら。

いつもは私服に着替えてからなんですが、制服のままだと心なしかモバPさんが嬉しそうな気がします。

仙台の学校からそのまま持ってきたモスグリーンの制服。

制服、女子高生、高校。

あっ……。

……英単語の小テストは、電車の中で頑張りましょう。

カタカタとキーボードの打鍵音が響いています。

いつもは賑やかな事務所でも、早朝のこの時間は静かなものです。

そっとドアを開けて中をのぞくと、モバPさんだけが一人お仕事をしています。

何やら難しそうな顔。これは……邪魔をしないほうがいいですね。

『おはようございます』の一番乗りをしたい気持ちをぐっとこらえて、

まゆは給湯室へと足を運びました。

「お、まゆ。早いな」

「はい、おはようございます。モバPさん、コーヒーはいかがですか?」

「さんきゅー。休憩でもしよ」

「お仕事、大丈夫なんですか?」

「まゆに元気もらったから大丈夫! ……って、やめてまゆ。そんなにキラキラした眼で見ないで。カッコつけたつもりじゃないんだから」

「ダメですか?」

「いや、そうだよなぁ。まゆが塩対応するわけないし、今のは完全に俺が悪い」

その時、カツカツとハイヒールが床を鳴らす音が近づいてきました。

「まゆはモバPさんの味方ですよ」

「だよなぁ。やっぱり時代はモスグリーン。黄緑なんて古臭くて。今更黄緑とか、は? って感じだしさ。黄緑はない。ないない。俺に冷たいし。お金のことしか考えてないし」

「そ、その辺にしておいたほうが……」

「いや、止めるなまゆ。これは正義の戦いなんだ。黄緑のカネゴンに立ち向かうにはもっと上品で優雅なモスグリーンじゃないと、」

「おはようございます」

まゆは知ーらないっと。

「あ、ああぁああ……」

青筋一本。震える肩幅。

「まゆちゃん、審判」

「10:0でモバPさんが悪いですね」

モバPさん、ごめんなさい。

「ま、まゆ! 裏切ったな!」

「モバPさん、陰口は良くないですよ?」

甘やかすだけが愛じゃないですからね。

「さて、プロデューサーさん?」

「ちっひごめん、ごめん! 千川さんごめんなさああああい!!」

何やら修羅場な雰囲気を感じますので、モバPさんのデスクにそっとお弁当を置いて学校に行くことにしました。

結局小テストは惨敗。

ここまでの戦績は1勝1敗です。

お仕事は理由に絶対したくありませんが、もっと勉強の時間を作る必要がありますね。

他事務所の子ではありますが、通っている高校の偏差値が公になってネットで話題になってましたし。

変なところで事務所に迷惑をかけたくありませんし。

李衣菜ちゃん、大丈夫でしょうか……。

何はともあれ、今日も無事に学校が終わりました。

このままレッスン場に行ってもいいですが、ちょっと事務所に顔を出しに行きましょう。

うふふ。

待っててくださいね、モバPさん。

あなただけのモスグリーンまゆですよ。

事務所に着くと珍しく誰もいませんでした。

だらんとしながらスマホをいじるモバPさんだけ。

すっかりと気を抜いているので脅かしてしまいましょうか。

と、その時、着信音が鳴りました。

まゆではありません。モバPさんがスマホを耳に当てました。

「もしもし。あ、うん、はいはい」

モバPさんは砕けた口調。お仕事の相手ではないみたいです。

「あー、その話。うん、まだ続いてるよ。付きまとわれてる。毎朝毎朝。懲りないなぁって」

どきんと胸が高鳴りました。口の中に苦みが広がります。

「うん、別にいらないのに。俺、コーヒーも弁当も間に合ってるし」

頭の中がぐわんぐわんします。

まゆはモバPさんに余計なことをしていたのでしょうか。

「え? きっぱり? それもなんかめんどくさくて。言ってもわかってくれなさそうだし、まぁ仕事だけの付き合いだから。そのあたりは察してほしいかな」

「うんうん。ホントそれ。歳の差考えてほしいなって。まぁ、なんとかしてみるよ。うん、心配ありがとう。じゃあまた」

気が付くと駆け出していました。

何か後ろのほうから聞こえた気もしますが、耳に入りません。

世界が色褪せていきます。

まゆの世界が壊れていきます。

今日の戦績は1勝2敗で終わりました。

ピピピと無機質な電子音が鳴ります。

時刻は7:00。今日は火曜日。

簡単に身支度を整えて学校へ向かいます。

学校が終わりました。

レッスン場へ向かいます。

レッスンが終わりました。

22時にお布団に入ります。

おやすみなさい。

ピピピと無機質な電子音が鳴ります。

時刻は7:00。今日は水曜日。

簡単に身支度を整えて学校へ向かいます。

学校が終わりました。

レッスン場へ向かいます。

レッスンが終わりました。

22時にお布団に入ります。

おやすみなさい。

ピピピと無機質な電子音が鳴ります。

時刻は7:00。今日は木曜日。

簡単に身支度を整えて学校へ向かいます。

学校が終わりました。

レッスン場へ向かいます。

レッスンが終わりました。

22時にお布団に入ります。

おやすみなさい。

ピピピと無機質な電子音が鳴ります。

時刻は7:00。今日は金曜日。

簡単に身支度を整えて学校へ向かいます。

学校が終わりました。

レッスン場へ向かいます。

レッスンが終わりました。

22時にお布団に入ります。

おやすみなさい。

ピピピと無機質な電子音が鳴ります。

時刻は7:00。今日は土曜日。

簡単に身支度を整えて学校へ向かいます。

学校が終わりました。

レッスン場へ向かいます。

レッスンが終わりました。

22時にお布団に入ります。

おやすみなさい。

無機質な電子音が鳴りません。

時刻は12:00。今日は日曜日。

まゆはまだお布団の中にいます。

まだ、お布団の中に。

このまま身体が溶けてしまって、お布団と一つになりたい気分です。

「……はぁ」

正直ここ一週間の記憶がありません。

冷め切った世界に記憶などいるのでしょうか。

モバPさんの拒絶の言葉ばかり反芻していました。

まゆが行ってきたことは全て無駄だったんです。

献身どころか妨害に近い歪な愛情。

愛と憎しみは温度が変わっただけの同じ感情。

昔読んだ本に書いてありました。

まゆの愛はモバPさんにとって憎しみに他ならなかったのかもしれません。

そっと身を引く覚悟は……まだできていません。

それでもせめて。

モバPさんの邪魔にならないように、お仕事だけはしっかりとしましょう。

今日は久しぶりのお仕事です。

スケジュールはあらかじめちひろさんから頂いていましたが、打ち合わせはモバPさんとしなくてはいけません。

これまで一番幸せだった時間が今は何よりも苦しい。

アンニュイな気分を悟られないように、まゆはみんなのアイドル『佐久間まゆ』に着替えて事務所に向かいました。

……向かったのですが。

なにやら様子がおかしいみたいです。

「プロデューサーさん! 凛ちゃんの仕事どうなってるんですか!?」

「え? まだ事務所にいるんですか?」

「さっきプロデューサーに待機って言われたよ?」

「うわああああ! すまん、凛! 入り時間まで1時間ないぞ!」

「え!? 私もう行くね!!!」

「プロデューサーさん! 年少組の迎えは!?」

「美優さんにお願いしましたよ?」

「私はここにいますけど……」

「え!? じゃあ誰が?」

「川島さんと早苗さんが行ったんじゃないんですか?」

「マジすか!? 早苗さん今日打ち合わせあったのに!」

「プロデューサーさん! しっかりしてください!」

「Pチャン。みくまだ待機でいいのー?」

「え? みくにゃん仕事あったっけ?」

「に”ゃっ! このスケジュール帳見るにゃあ!!」

「それ凛のじゃん! みくすまん!」

そこには地獄絵図が広がっていました。

あたふたするちひろさん。

混乱しているモバPさん。

指示が不透明で何をしていいのかわからないアイドルたち。

まゆはここに来て随分になりますが、こんな光景は初めて見ました。

様子を見ている限りだとモバPさんのミスが最悪な形で噛み合っているようです。

「みくちゃん……これは一体……?」

「なんかPチャンがテンパってるにゃ。ここ一週間くらいずっとこんな感じにゃ」

「モバPさんが?」

「にゃ。なんか最近ミス続いてるらしいよー。コーヒー淹れようとして床にぶち撒けたり、お昼買いに行こうとして大事な約束すっぽかしたりして」

おや?

何か噛み合ってませんね。

ちょっと落ち着いて考えてみましょう。

しばらくして。

まゆが事務所に着いた時間はちょうど一番ドタバタしていた時だったようです。

ちひろさんがスケジュールを見直して、アイドルたちを徐々にお仕事に誘導して行きました。

まゆの番は一番最後。

入り時間よりもだいぶ早めに事務所に来て正解でした。

本当はそわそわして早めに来ちゃっただけなんですけど。

今は事務所前でモバPさんの車を待っている最中です。

先に移動してから打ち合わせみたいです。

「まゆ、ごめん。待たせた」

気づかれないようにため息。

嫌な気持ちを吐き出すと、鼓動が却ってうるさく感じました。

車内での会話は全くありませんでした。

思い返してみれば、いつもまゆが話しかけてるんでしたね。

ぼーっとフロントガラスを見ていると、モバPさんの視線がちらつきます。

「プロデューサーさん、大丈夫ですか?」

意を決して話しかけてみました。

「あ、いや。別に……」

慌ただしく視線を泳がせ、すぐに前を向きましたが、落ち着く様子は見られません。

「別にじゃないな、うん」

何か思うところがあったのでしょうか。

モバPさんは一人で頷いてゆっくりと口を開きます。

「まゆ……さ、俺なんかしちゃったかな?」

飛び出したのは意外な言葉でした。

「プロデューサーさんがですか?」

「あぁ……いや、なんか最近顔見せないなって」

「まゆ、プロデューサーさんにご迷惑をかけてたみたいだったので……」

「迷惑?」

「聞いちゃったんです。朝のコーヒーも、お弁当も、間に合っているのに鬱陶しいって」

「鬱陶しい? 俺が? まゆのを?」

「……お電話で言ってたじゃないですか」

「…………あっ! あれか!」

傷ついた心が寛解の兆しを見せ始めました。

「違う違う! 取引先の人が結構年上なんだけど、なんか妙に好かれちゃったみたいで……」

「取引先の人?」

「そうそう、仕事の付き合いだよ。毎朝事務所に行きましょうか? ってさ。正直まゆに色々助けてもらってたからやんわり濁してたんだけど、LINEとか仕事用のメールにも連絡入れてくるし……」

「……へぇ。そうだったんですか」

日本語って難しいですね。

本当にこんな言葉があるかどうかわからないですが、

まゆはいま、によによしてるみたいです。

両手でほっぺたを抑えて顔を覆い隠します。

勘違いしたまゆが悪いんですけど、それでもまゆはたくさん傷つきました。

ちょっとくらいお返ししても大丈夫ですよね?

「そうですか」

胸の中に幸せな感情が広がります。

うふふ。やっぱりこの人はまゆがいないとダメダメなんですね。

ちょっといけない優越感が今は嬉しい。

まゆの中の小悪魔がようやく起き出して来たようです。

「まゆが来なくなってから調子狂いっぱなしでさ、仕事もうまくいかないっていうか、あははは……」

モバPさんはきっと待ってます。

『それなら……まゆがまたお手伝いしましょうか?』

ダメですよ。

まゆは簡単に尻尾なんか振りません。

もうちょっといじわるさせてください。

「コーヒーもお弁当も、その人に頼めばいいんじゃないですか?」

あえてちょっぴり冷たく。突き飛ばすように。

「え、あっ、そっか。そうだよな……」

甘やかしませんよ、モバPさん。

欲しいものはちゃんと欲しいって言わなくちゃ。

「……ん……いや、…………むぅ」

何か会話を切り出そうとしているみたいですが、歯切れが悪く言葉になってません。

自分よりも年下の女の子にお願いをするのにちょっと抵抗があるみたいです。

うふふ。

なんだかお預けを食らった子犬みたいでモバPさんが愛おしく見えます。

「……まゆは、その、弁当とか作るの嫌か?」

「別に嫌じゃないですよ。お料理は好きですし。でも、朝早いのはちょっぴり辛いですね」

「うっ、……そっか。コーヒーを淹れるのは?」

「好きです。コポコポっていう音も、香りも」

思うような反応が返って来なくてもどかしいのでしょう。

まゆの大好きなモバPさん。

ちゃあんとまゆを捕まえに来てください。

しばらく迷っていましたが、ついに覚悟を決めたようです。

「……俺のために、その、また前みたいに頼めるか?」

この一週間でまゆが一番欲しかった言葉。

不安げな表情を浮かべながら、まゆの様子を窺う子犬みたいに愛らしいモバPさんのお顔。

もう断る理由がないじゃないですか。

「はい。これからもよろしくお願いしますね、”モバPさん”」

まゆは久しぶりにモバPさんのまゆになれました。

暗く湿った一週間。

どうやらまゆの大勝利で終わりみたいです。

ぴぴぴと無機質な電子音が鳴ります。

時刻は5:00。今日は月曜日。

しっかり身支度を整えて事務所へ向かいます。

コポコポとコーヒーを淹れ、『おはようございます』の一番乗り。

単語練習をして学校へ向かいます。

今度はバッチリ満点でした。

レッスン前にモバPさんに会いに事務所に向かいます。

レッスンが終わりました。

シャワーを流して明日のお弁当の献立を考えます。

22時にはお布団に入ります。

おやすみなさい、モバPさん。

明日もあなたのまゆが行きますよ。

お疲れちゃんです。
しっとりまゆで一本でした。
「まゆですよ」の五文字だけで可愛いまゆは本当にすごいと思います。


多分明日も来ます。
本田ァ!! 遅くなったなァ!!!

これまでのやつ

【モバマス短編集】「貴方との時間」

【モバマス短編集】「貴方がくれたもの」

【モバマス短編集】「私が居たから」


以上です。
なんかあったらどうぞ。

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