文香「文学少女は純情だと思っていましたか?」 (74)




 初めて彼女の姿を目にしたのは、大学のキャンパスでだった。

 綺麗な長い髪を靡かせ、本を抱えて歩く彼女。
 沢山の人達が群れて行き交う道の中、彼女はたった一人で静かに歩いていて。
 彼女だけがまるで別の世界にいるかの様な、不思議な雰囲気を纏っていて。
 それはまるで女神のようで、その衝撃は僕の足をコンクリートに打ち付けた。

 一目惚れというものは、本当に存在したらしい。
 
 気付けば僕は首と目で彼女を追っていた。
 多分周りからみたら良い感じに危ない人だったかもしれない。
 それか首と足を同時には動かせない不便な人体構造なのだと思われていた可能性もある。
 その時の僕にそんな事を考える余裕なんて全くなかったけれど。

 名前も知らない彼女は、気付けば視界から居なくなっていて。
 それでも僕は、なかなか動けなくて。
 もちろん、その後の講義に集中出来る訳なんて無かった。




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 文学理論の講義のあと、僕は参考文献を求めてキャンパス内の図書館へと向かった。
 当然ながら、頭の中はまだ彼女の事でいっぱいだったけど。
 それでもよく分からない事に腑抜けて未来の僕に迷惑を掛けるわけにはいかない。

 それにしても、本当に綺麗な女性だったな…
 おそらく一個下か同い年だと思うけど、あんなに綺麗で大人びた人は初めて見た。
 後で知り合いに彼女の事を知っているか聞いてみようかな。

 さて、必要な本はこの辺りだったかな……えっと……

「あ……」

 また、彼女を見つけてしまった。
 先程と同じく本を抱え、本棚を眺めて歩く彼女を見つけた。
 たったそれだけの出来事で、僕の鼓動は跳ね上がる。
 これって運命なのか?彼女は運命の女神なのか?

 ……んなわけないだろ、中学生か僕は。

 本に囲まれた彼女は、本当に綺麗だ。
 熱中して本を探している彼女は、とても素敵だ。
 まだ向こうは此方に気付いていない様で、なんとなく邪魔するのは憚れるけれど。
 彼女が文学少女なら、尚更もっと近付きたい。

 お話してみたい。
 あわよくば名前くらいは聞いておきたい。
 更にあわよくば少し本について語りたい。
 更に更にあわよくば仲良くなって……おっと。

 いやでも、恐らく今この本棚の付近にいるという事は同じ講義を受けていた可能性が高い。
 ならば、そこから会話をしてみようと思うのは当然の事なんじゃないか?
 うん、今後課題をこなす時に相談する相手は多い方が良いに越した事はないし。
 名前くらいは聞いておいて損はないだろう。

 あの、と。
 そう話しかけようとした。
 その時だった。



「……ヤりたい……」

「あの……は?」

 彼女、鷺沢文香とのファーストコンタクトは。
 そんなくっそみたいな言葉で始まった。



「…………」

「…………」

 今、彼女は何て言った……?
 僕の聞き間違いでなければ、ヤりたいって……
 いや待て落ち着け僕、聞き間違いに決まってるじゃないか。
 こんな清楚で大人びたおそらく文学少女が唐突に独り言でそんな事を言うはずがない。

 おそらくアレだ、早く課題やっちゃいたいな、とかそんな意味に決まってる。
 それか槍対剣はどっちが強いか、とか考えていたに違いない。
 嫌だなぁ、自分の心が汚れてると変な聞き間違いしちゃって。

「……き…聞こえて…しまってたでしょうか……?」

「え?な、何のことですか?あ、えっと……」

 おいバカ僕、もう少しまともな返し方があっただろ。
 初対面で心の汚れた変な人なんて印象を持たれるなんて最悪なスタートじゃないか。
 落ち着け、まだ慌てるな。
 巻き返せる、カッコイイは作れる。

「あ、その……特に何か聞いてた訳じゃないんですけど……さっきの文学倫理のレポートの資料探しですか?」

「いえ……それで、その…本当に何も聞いていませんか……?」

 頼む、深追いしないでくれ。
 僕をかっこいいままで居させてくれ。
 こっから他愛のない話して、名前を教え合って今日は終わろうじゃないか。

「私が……ヤりたい、と言っていたのを……」

 ……何故改めて言い直した。
 信じたくなかったじゃないか。
 君みたいな綺麗で純情っぽい文学少女の口からそんな言葉が出てくるのを。

「ふぅ……どうやら、聞こえてしまっていた様ですね。でしたら、バレてしまった様なら仕方ありません……」

 何が仕方ないだ、自分で言ったんじゃないか。
 おっけー分かった、僕が悪かったからこのやり取りはなかったことにしよう。

「この後、少し時間はありませんか……?少し、お茶でも……」

「え、あ、喜んで」

 ここで舞い上がって即答してしまうあたり、男とは悲しい生き物である。
 こうして僕と彼女のよろしくはない、僕からしたらあまり喜ばしくもない関係は始まった。






「改めて……鷺沢文香と申します。よろしくお願いします」

 お茶と言うから何処かの喫茶店に入るのかと思ったら、まさかの彼女の家にお迎えされた。
 家と言っても彼女の叔父が経営している古書店で、そのレジの机を挟んでの会話だけれど。
 とても落ち着いた感じの古書店は、彼女の姿ととてもマッチして映える。
 もちろん僕も本は大好きだから、テンションなんて上がらないわけがない。

 軽い自己紹介をして分かった事が幾つかある。
 彼女の名前は鷺沢文香、現在19歳。
 なんと、現役のアイドルらしい。
 確かに見目はとても麗しいけれど、この会話のテンポとテンションでやっていけるものなんだろうか。

 そして、もう一つ。
 鷺沢さんは彼女を担当しているプロデューサーに、恋をしているという事。
 そんな事を僕に伝えて良いのかと聞いたら、なんとなく貴方なら大丈夫な気がする、と言われた。
 危機管理能力のプロデュースが行き届いてませんよ、名前も知らぬプロデューサーさん。

 まぁ僕自身はそれを知ってどうこうしようと言うつもりは微塵もない。
 強いて言えば僕の恋愛は自己紹介と同時に終わったくらいだ。
 なんと言えば良いんだろうか、終わっておいて正解な気がしてくる。

「それで……その、私はあまり友好関係が広い方ではなくて……悩みを打ち明ける相手と言うものが……」

「なるほど、相談相手が欲しいっていうよりも、取り敢えず話す相手が欲しいって感じかな」

「初対面で申し訳ありません……ですが、貴方なら信頼出来る気がするので……」

「ちなみに、理由は?」

「貴方も、本が好きそうでしたから……」

 世の中の文学少女を狙っている男達よ、本を読め。
 とまぁふざけた考えは一旦置いておいて、僕の役割は話し相手と言う事だ。
 その対価として、この店の本は何時でも好きな時に貸してくれるらしい。
 話を聞くだけで、あまり普通の書店には置いてない本を読めて、尚且つこんなに綺麗な女性と話す事が出来るなんて役得以外の何でもない。

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「それでは……早速彼の事なのですが……」

「彼って言うのは、鷺沢さんのプロデューサーさんの事ですよね?」

 こくり、と頷く鷺沢さん。
 そんな仕草すら可愛らしく、ドキッとしてしまう。

「最近、スーツを着ずにシャツだけで事務所にいる事が多いのですが……誘っているのでしょうか?」

 ……クールビズってやつだと思うけど。

「それに、汗をかいている事も多くて……そう言った本によると、私の姿を見て興奮している可能性も……」

 最近暑いからだと思うけど。
 そう言った本ってなんだ。
 いや、いい、言わなくていいから。

「そこまで私をその気にさせて、結局手を出して来ないなんて……焦らしプレイが好きだなんて、プロフィールには書いていないのですが……」

「おっけー分かった。僕には荷が重いかもしれないし、今日はこのくらいにしておこう?」

「あ……すみません、私一人で喋り続けてしまって……」

 ……まずい、僕のこの反応はあまりお気に召さなかった様だ。
 そりゃそうだ、僕には到底辿り着けるとは思えない高いレベルに彼女はいるんだから。
 話から察するに、多分プロデューサーさんは鷺沢さんにそう言う事を考えながら接してるわけでは無いと思う。
 多分どころか、絶対。

 けれどここで重大な問題が一つある。
 もし彼女が、僕に話すだけでは満足出来ず他の人にもこの話をしたら?
 本が好きそうだからと言う理由で信じて明らかにスキャンダルになりそうな事を喋って、それを弱みに付け込まれたら?
 一瞬とはいえ一度は彼女に惚れた身としては、あまり喜ばしい結果にはならないだろう。

 ……仕方ない、惚れた弱みと言う事にしておこう。



「まぁ、そのプロデューサーさんがどう考えているのかは本人じゃないから何とも言えないけど……ちなみにそれを本人に直接聞いてみたりは?」

「出来る筈、無いじゃないですか……彼の前では、純情で無垢な少女で居たいですから……」

 あらかわいい、なんて小悪魔。
 まぁ、それは分からなくも無いけれど。
 だからこそ彼女は、色々と溜め込んでいたんだろう。

「なるほどね……さて、そろそろ僕はレポート書こうかな。鷺沢さんもあるでしょ?さっきあの辺りの本棚探してたって事は」

「そうではなく、その……単純に、図書館のひとけの無い本棚に押し付けられて、欲望をぶちまけられたい……という妄想を……」

 彼女の欲望をぶちまけられた。
 僕の覚悟は、アッサリと折れそうな気がする。



 六月末日、相も変わらず雨と曇りを行ったり来たり。

 梅雨の季節はそろそろ抜けても良いだろうに、今日も今日とて嫌になる湿気だ。
 せめて雨が降り続けるか完全に止むかしてさてくれれば、折りたたみを持ち歩こうか悩む事もなくなるのに。
 なんて恨み辛みを空へ投げつつ、もはやお馴染みとなっているいつもの道を歩いていた。
 もちろん、鷺沢古書店へと向かう道だ。

 もう完全に、講義終わったし寄ってくかー、なんてノリになっている。
 色々と言ってはいるが、鷺沢さんの様な綺麗な人と一緒に本について話し合えるのは楽しいし。
 普段手を伸ばさない様な本を借りる事も出来るし。
 もう暫く、テストやレポートがやばくならない限りはのんびりと通わせて貰おう。

 蒸し暑い熱気をくぐり抜け、ようやく鷺沢古書店の前へ到着。
 こんにちはー、なんていつも通りに本の世界へ飛び込もうとする。

 その、直前だった。




「ですから……その……」

「大丈夫だって、みんなやってるから」

 店内から鷺沢さんと誰かの話し声が聞こえた。
 どうやら、あまり良い雰囲気とはいえなさそうだ。
 おそらく、鷺沢さんがよからぬ事を考える輩に絡まれているのかもしれない。
 はっきりと自分の意思を伝える事が苦手そうな鷺沢さんは、このままではもしかしたら……

 ……ふぅ。
 僕はこう言うキャラじゃないんだけどな。
 まぁ、鷺沢さんの身に何か起こるよりは僕が恥ずかしい思いをするだけの方が圧倒的にマシだろう。
 心を決めて、僕は鷺沢古書店の扉をくぐった。

「おーい文香ー、何かあったのかー?」

「え……? あ……こ、こんにちは……」

「ん……彼氏か?」

 彼氏ですが何かオーラを出しながら追い払おうとしていた……のだけれど。
 そこに居たのは、スーツ姿の男性で。
 ピシッとしたその姿は、どう見ても怪しい輩には見えない。



 ……もしかして……

「……あの、鷺沢さんのプロデューサーの方でしょうか?」

「え、そうだけど……君は……あー! たまに文香が話してた友達の!」





「いや、ほんとその……失礼しました。鷺沢さんが変な輩に絡まれてるのかと……」

「まぁまぁ、君は文香の事を守ろうとしてくれたって事だし。さっきも言ったけど、話には聞いていたよ。文香の相談に乗ってくれてるんだろ?」

 どうやらプロデューサーさんが、文香に水着の仕事を提案していたらしい。
 それを、鷺沢さんは恥ずかしいから……と渋っていた所に、僕が恥ずかしいアホをしてしまった、と。
 ……多分鷺沢さんは水着が恥ずかしいんじゃなくて、プロデューサーさんから求められるなんて……的な事を考えていたのだろう。
 彼女の尊厳の為に黙っておくとするが。

「ありがどうございました……先程の貴方、とても……んふっ」

 暴露してやろうかちくしょう。

「では、お茶を淹れてきますので……」

「あ、ありがどうございます」

 鷺沢さんが奥へ引き込んで行った。
 後には僕とプロデューサーさんと気まずい空気だけが残る。



「それで、君は文香の恋人だったりするのかな?」

「いやいやまさか。普段は鷺沢さん呼びですし、単純に同じ大学の友達ってだけですから」

「ほんとかぁ? 文香があんなに仲良くしてるなんて……っと、プロデューサーのセリフじゃないな」

 思ったよりもフランクな方だった。

「まぁ兎に角、君の事は信頼してるよ。だからこそ、さ……さっきの文香の表情……」

「何かありましたか?」

 事務所ではあんまり見せない表情だったりするのだろうか。
 確かに彼女は、表情が常に明るいとは考え難いけど。





「……完全に、女の目をしてなかったか?絶対君に気があるって」

 ……この人、鷺沢さんと同系統か?

「お茶を淹れるってのは、気がある証拠だから! 君に惚れてるに決まってるさ、あんなに笑顔だったし!」

 全会社のお茶を淹れてくれる女性に謝って下さい。
 あと、その理論だと貴方にも気がある事になるじゃないですか。

「まぁ君なら安心だな! とは言え立場上公認って訳にはいかないけど、これからも仲良くしてやってくれよ? あ、妊娠とかは絶対ダメだからな?」

 はぁ。
 鷺沢さんの恋が成就するのは物凄く先になりそうだ。
 とは言え、彼が鷺沢さんの心が僕に向いてると思い込み続けている限り、鷺沢さんにスキャンダラスな事が起こる可能性は低いだろう。
 であれば、そう思い込んで貰い続けるのは彼女のアイドル人生を思えば割と良いんじゃなんだろうか。

 ……仕方ない。

「まぁ、そういう事は無いと思いますけど、これからも仲良く出来ればなとは思ってます」

「文香のあのボディのアピールに掛かれば男性なんてイチコロだぞぉ?」

 イチコロされてない貴方が言いますか。




「……随分、楽しそうですね」

 鷺沢さん、ハイライト消しながら戻ってくるの止めて。
 僕にそのけは無いから。
 何この勘違い三角関係。

「ははは、つい意気投合しちゃってな。それじゃ、後は若い二人で」

 お見合いかよ。
 あと僕の方にウインク飛ばすのやめて貰えますか?

「……やはり、若さに身を委ねるべきなのでしょうか」

 そう言う意味じゃ無い。
 せめてやるなら僕のいないところでやって欲しい。
 ……まぁ、楽しく無いと言えば嘘になるし。
 可能な限り、僕も今を楽しもう。

「あ……交換日記、渡し忘れてました……」

 そう言って、プロデューサーさんを追いかけて行く鷺沢さん。
 青春だなぁ……青春か?

 そんな彼女の手には。
 以前僕が検閲してボツを食らった長編妄想日記ノートが二冊握られていて……



「違うそうじゃない思いとどまって!!」

 こんな風に振り回される日々が心地良いと思えてしまうあたり。
 僕もかなり、毒されているのかもしれない。



以上で終わりになります
梅雨、しんどいですよね
お付き合い、ありがとうございました

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