【モバマス時代小説】美城家御前試合 (22)

この作品はモバマスを元にした時代小説風SSです。

最近流行りの時代劇SSブームに乗っかってみました。

元ネタが残酷ブームの南條範夫氏の駿河城御前試合なので
多少の残酷描写が有ります。

苦手な方は閲覧注意でよろしくお願いします。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1497386782


美城家御前試合が本当に行われたかどうかは、歴史家の中でも大きく判断の別れる所である。


一方では荒唐無稽、およそ史実ではないと断定する者が居る一方、
いや、資料に残っていないだけで実際に行われたのだ、と言う者も居る。

大凡では、世に言う寛永御前試合なるものや、
それの元になったと謂われる駿河城御前試合を元にした講談話、といった辺りが大勢を占めている。

それと言うのも、美城家御前試合が実際には起こり得たとは到底思えない、
華やかにして残酷な結末を迎え、その余りの凄惨さに、人々がそれが事実であった事に目を背けざるを得なかったからであろう。

何しろ行われた勝負十一番、総てが真剣を用いて行われ、その参加者の大半が無残にも命を落としたからである――


その当時、既に元和偃武も早百数十年を過ぎたとはいえ、太平の時代にも真剣を用いて勝負が行われた例は意外と少なくない。

しかし、その参加者の大半がうら若き見目も麗しい少女達であり、
しかもその大半が白刃の元に命を落とした、とあっては、それを事実と受け入れられるほど、世間は冷酷ではなかったのだろう。


中には子供の頃から共に育った幼馴染同士が剣を交えた試合が有った。

十に満たない幼子が、付き添いと共に仇である男に剣を向ける試合も有った。


仲の良かった姉妹が凄惨に切り結び合い、お互いに血涙を流す試合すら有ったのだ――


人々がこの余りに残酷極まりない十一の死闘から目を背け、無かったものとしたのは寧ろ、当然の事と言えるかもしれない。



この御前試合が原因となり、後に美城家がお取り潰しになり、資料も散逸した今となっては、
御前試合の実在を示すものは何も存在しない。

その事が尚、物語性に拍車をかけ、後世によっては幕末の志士に乗り移った御前試合参加者が幕府を打倒する、
等と言った荒唐無稽の物語として人々の耳目を愉しませた。


しかし、美城家御前試合は確として、存在したのだ。


残酷なだけではない、確かな何かをその試合を見届けた多くの者に残し、ある者は語り継ぎ、またある者は密かに書き残した。

その残された断片を繋ぎ合わせる事こそ、後世の歴史家たるものの使命として、
今、此処に本書を書き残すものである――




第一試合は辰の刻から行われた。

その最初の対戦者が陣幕の裏から試合場の白砂の上に姿を現した時、観戦者の間から思わず戸惑いのどよめきが起こった。

一方はいい。

諸星きらり。
男でもそうは居ない六尺余りの恵まれた体格に、定寸より遥かに長い三尺の大太刀を脇に携えた、堂々たる偉丈婦である。

天下に知られた名人、今西一刀流の今西斎が道場の跡取りとすべく、幼い頃から養子に迎え、
手づから鍛え上げたきらりの腕前は凄絶の一言で有り、女子と言えど城下に彼女を侮る者など一人も存在しなかった。

御前試合の第一試合を飾るのにこれ以上ない相応しい人材と思われた。


問題はもう一方の人物だ。


最初にその者が陣幕を跳ね上げて試合場に入って来た時、観戦者たちの間では困惑しきった疑問の声が沸いた。

その人々が最初にその者に抱いた疑問は、『何故子供が此処に??』であった。

五尺にも遥かに届かぬ身の丈と、細い身体。
おまけに幼さを残した顔つき、到底この御前試合の参加者とは思えない。

しかしその人物、双葉杏が手に携えた、これだけはきらりに負けぬ三尺余の大太刀が、
彼女を御前試合の参加者で有る事を雄弁に物語っていた。



コレが勝負になるのか。

杏を子供と見た者たちが次に思った疑問が、これである。

何しろ二人が試合場の真ん中に立ち、向う正面の美城家当主に向かい恭しく一礼した時などは、
まるで大人と子供が並んで居る様にしか見えなかったのだから――



しかし、その観戦者の内、どれだけの人数が知っていただろうか。

今、向かい合い剣を構えるこの二人が、共に名人・今西斎に見いだされ、幼い頃から剣の腕を競い合い、
道場の龍虎と呼ばれた事も有る、同門の剣士だと…。


試合開始の声と共に、間合いを取る為に同時に後方に飛び退る両名。

その両名が取った構えは、彼女たちの体格差の様にまさに対照的であった。

きらりは大上段。 

抜き放った一刀を堂々と頭上に掲げた、その体躯と同様の威風堂々たる構えである。

観戦者はその構えに先年無くなったきらりの師、今西斎の面影を見て感嘆の声を漏らした。

一方、杏はその短躯を更に小さく、腰を落とし膝を曲げ、殆ど土下座のような姿勢で、
顔だけは遥か上空のきらりの白刃を見据えていた。

それだけはきらりに負けぬ程長い三尺余の大太刀も、身体に張り付く様に脇構えに据え置かれ、
その折角の長さを充分に生かし得る構えの様には到底思われない。


恵まれた体格のきらりは更に大きく雄大に、短躯の杏は殊更小さく見えるような縮まった構え。

観戦者達の眼には、まるで二人の立ち合いが巨人と侏儒の睨み合いにしか見えなかった。





きらり、杏の両名が今西斎に見出されたのは、まだ物心が付いて然程経っていない頃である。

きらりは江戸郊外の農家で生まれた。

産まれる前から二人腹か三人腹か、と語られていた程の、大きな腹を抱えた実母の中から生まれて来たのは、
老いた産婆も今までの人生で見た事が無いと驚嘆するほどの一人の大きな赤子だった。

きらりと名付けられたその赤子はすくすくと成長し、
3つになる頃には、大人も持て余すような木の根を引き抜く程の怪力を見せ、村の人々を大いに驚かせた。

やがて怪童の名は江戸中に響き渡り、江戸の道場に呼ばれ稽古を付けていた今西斎がそれを聞きつけ、村へとやって来た。

そこできらりと出会い、今西斎は確信した。

この娘の異能、惜しむべし、と。

きらりの天稟は怪力だけでは無かった。
少なくとも田舎の農村の野良作業で終えて良い剣才ではなかったのだ。

そこで今西斎はきらりの両親に伏して拝み、きらりを養子に貰い受ける事にした。

きらりの両親も、三歳で末恐ろしい身体能力を見せる我が子を持て余していたのだろう。

余り揉める事無く、その養子縁組は成された。

そして、きらりは道場の跡取りとして育てられるべく、今西斎に手を引かれて道場へと連れて行かれたのだった。

そこで、同じ様に剣才を見込まれ、同じ様に養子とされていた杏と出会い、
友情を育みながら剣の腕を磨き上げて行ったのである。




今西斎には孫が一人いる。

若先生と呼ばれている男子だが、如何に今西斎が身内の贔屓目に見ても、悲しい程剣の才能が無かった。

それだけならば努力に努力を重ねれば、一流を継ぐ事は無理としても一廉の腕は立つ筈だが、
幼い頃に二親を病で亡くしたこのたった一人の孫には、今西斎は特別甘かった。

孫が嫌だと言えば無理に稽古をさせる事はなかったし、大抵の甘えは聞き届けた。

そんな事で剣の腕が上がる訳がない。

気付けばそこそこ年齢ともなるのに、
道場の師範代どころか門下生からも一本も取れぬ跡取りが出来上がってしまっていた。


天下の名人・今西斎も人の親だったという訳だろうか。




しかし、当の今西斎は焦っていた。

今の孫のままでは自分が亡き後道場を支える事は到底叶わず、自分の直系が絶えてしまう事に。

現代とは違い、血の繋がりがもっとも重視される頃の話である。

今西斎は悩んだ末に、孫の伴侶となる女子に剣の腕前を求めた。


そして、全国から寄せられる稽古志願の傍ら、見込みの有りそうな女子を全国から探し求めたのだ。


やがて、遥か蝦夷の地から杏を、そして江戸の片隅からきらりを見出し、
養子として自分の道場に迎え、手づから今西一刀流を教え込んだのである。


二人の少女は正に天才であった。

それぞれ性質は違うものの、今西斎の教えを乾いた砂が水を吸う様に会得し、
グングンとその腕前をあげていった。

孫との仲も良好の様に見えた。

剣の才能は無いが、子供好きな孫は二人の面倒をよく見て、二人も良く孫に懐いた。


その時孫は、剣に才能を見いだせなかった代わりに傾倒していた、蘭語か何処かの言葉から、
生産者、製作者と言う意味らしいプロデューサーと言う風に、二人に自分を呼ばせてもいた。


そして数年が流れ、見事な剣士に成長した杏ときらりの二人を見て、そして更に、日々衰えていく自分の身体を実感して、
二人の何れかに孫と結婚させて後を継がせることを決意した。


こうなると問題はどちらを孫の嫁に選ぶか、である。

今西斎の見立てでは二人の実力は伯仲。共に孫との仲も悪くはない。

どちらを選んでも問題は有りそうにない。

跡取りの断絶を懸念していたころと比べたら、贅沢な悩みではある。

どちらを選ぶべきか今西斎は一晩中悩み続け…、そして、悩み抜いた末にきらりを選んだ。


杏を嫌った訳では無い。


彼女の体格では壮重な今西一刀流を十全には使いこなせなかったが、
それを補って余りある器用で俊軽な剣を今西斎は心から愛していた。

きらりが居なければ一も二も無く跡を譲ったであろう。

それならば、なぜきらりを選んだか。

それはやはり、究極的には確実に己の血筋を残さんが為、である。

杏の子供の様な体で、本当に孫の子供が産めるのか?? 
今西斎は不安になったのだ。

いや、身籠って出産したとしても、果たして母体も無事で済むのか……。

孫の腕前が不安な現状、産んだ後も存分に剣を振るい、曾孫を一廉の剣士に育て上げて貰わなくては困る。

その大仕事を子供の様な身体の杏が果たして成せるのか……。

悩んだ挙句、今西斎はきらりを選んだ。

きらりは体格も十分、女子としての身体も抜群であり、
乳の張りも、安産型の尻も、女としておっすおっすばっちし!、だったのである。


そして翌日、今西斎は二人を道場に呼び、明朝、跡継ぎを決める為に立ち会う事を命じた。


 『木刀』で。


木刀、と聞いた瞬間、杏ときらりの二人に緊張が走った。

無理もない。
普段、稽古で使う竹刀と違い、木刀とは数段危険な代物である。

腕前の立つ者が使えば良くて大怪我、最悪死も充分に有り得る。

その上で『試合』ではなく、『立ち合い』と、今西斎は言っている。

これは普段の試合の様に有効打を取り合うのではなく、相手を仕留めるまで戦え、と言う事に他ならない。

子供の頃から何時かこの時が来る、とは覚悟していたが、余りの壮絶さに二人は下を向き、
顔を上げる事無く、慄然と道場の床を見詰めるのだった――



その翌日行われた試合は、意外に一方的に勝負がついた。

木刀を大上段に掲げたきらりが、そのまま杏を道場の端に押し詰め、杏は何も出来ずに降参したのである。


今西斎の目論見通りだった。


木刀を使えば、二人は体格差でこうなると、彼は大方予測していたのである。

かくして道場の跡継ぎはきらりに決まり、孫との婚礼も決まった。

杏には悪い事をしたが、これからも道場師範代として厚く遇する積りだ。

後は曾孫が生まれるまで楽隠居をすればいい――

今西斎はそう気楽に考えて居た。


しかし、翌日事件が起き、道場に深い衝撃が走った。


杏が道場から出奔したのだ――



それから数年の月日が流れた。

プロデューサーときらりの婚姻は無事に済んだものの、今西斎は程なく病に倒れた。

我が子とも思い、愛し育てた杏が、自分の策略で立ち合いに破れ、出奔した事を今西斎は深く後悔していた。

その後悔は老いた彼を酷く蝕み、その後一年もしない内に今西斎は亡くなったのだ。


残された二人に病床から後悔を口にしつつ、杏がもし戻ったら優しく迎えてやってくれ、と言い残して。


プロデューサーもきらりもその積りでは有ったのだ。

杏は自分達の掛け替えのない家族。
どうなって帰って来ても優しく迎えよう、と。


しかし、杏は数年後、想像もつかない状況を作りあげて城下に戻って来たのだった。


なんと、城下の反対側に自分こそが今西一刀流の真の跡取りだ、として、
勝手に道場を設立し、弟子を取り始めたのである。


無論、家族も同然の杏とは言え、こんな無道を通されては今西一刀流の跡取りの名が廃る。

きらりは当然、即座に杏の元に抗議を申し入れに行った。

しかし久しぶりに会う杏はきらりを冷たい顔で迎え、抗議をするきらりをけんもほろろにあしらい、
しかも何処で聞きつけたのか、亡師今西斎の遺言を勝手に解釈し、自分を優しく城下に迎え入れろ、
と抜け抜けと申し入れさえして来たのである。

その後は何を言おうと柳に風、全く話にならなかった。


憤慨したきらりは今度はその脚で、城主である美城家に抗議を申し入れた。

今西一刀流の正統は当家の者であると、確すべし、と。


しかし、美城家の上の方は、杏に抱きこまれているのか、それともきらりのは想像もつかない不思議な力が
別の所で働いているのか、一向に主家から色良い返事は帰って来なかった。

焦れたきらりがその事を重ねて抗議すると、今度は美城家から意外な一つの提案が起こった。

申し入れが有るならば、後日行われる御前試合にて、真剣にて立ち合い、白黒をつけるべし、と。

きらりにはその主家の決定に否応は無く、杏もそれを受けた事により、
御前試合、真剣勝負にて総てを決する事が決まったのだった――


そして今、こうして御前試合第一試合で二人は真剣を抜き合い、睨み合っている。


きらりは深く嘆いていた。


幼い頃から共に過ごしてきた幼馴染を切り捨てねばならない、今の自分の運命にだろうか??

無論、それもある。

きらりと杏は物心ついた頃に出会ってから、同じ部屋で寝起きし、同じ物を食べ、
同じ道場で剣を学んだ、言わば自分の分身の様な存在である。

愛しいプロデューサーを除けば、この世に二人と居ない大事な存在である。

そんな杏と真剣勝負をする事になった己の運命の残酷さを、きらりは呪わずにはいられなかった。


しかし、きらりが嘆いていたのは、その事ではない。


きらりとてただの女子ではない。練達の剣士である。

真剣勝負の場に立ち白刃を抜き放ち、向かい合った時点で相手に対する総ての感傷は捨て去った。

後は一剣を用いて、ただひたすら杏との勝負を決するのみ。


そんなきらりが嘆いていたのは、相対する杏の構えについて、である。


杏の剣の持ち味はきらりの重厚さとは異なる、小柄を生かした軽俊な身のこなしにあった。

素早く体を躱し、神速の竹刀捌きで打突を加える、燕の様な動きの杏の前には抗する術はなく、
きらりは常に竹刀では杏に遅れを取っていた。

珠に瑕とも言えるサボり癖があるとはいえ、杏の剣の天才性には目を見張るものが有り、
師匠である今西斎も自らの流派にそぐわない筈の杏の剣を大いに愛していた。

きらりはそんな杏の剣に離されない様に、日が暮れても素振りを続け、型を錬磨し、
死に物狂いで稽古に励んだものである。

総ては杏に離されない様に、置いて行かれないように、食らい付いて行く為に――

愛しいプロデューサーを奪われない様に――

思えば、流派の後継者を決めるあの試合で、木刀を用いる様に言われたのは、きらりにとっては幸運だった。

竹刀で向かい合っていたなら、勝利していたのは杏だったかもしれない、と、きらりは今でも思う。

流派の根幹をなす必殺の気迫を込めた上段をきらりはあの時、初めて用いた。

何処を打たれても構わない。
しかしその瞬間、必殺の威力を込めた木刀をただ振り下ろす。

その、後に全てを掛けた気迫はついに杏の動きを押しとどめ、彼女の動きを止めた。


杏も天才の名に恥じぬ剣士である。
そのきらりの狙いは痛い程分かっていただろう。

それゆえに足が止まってしまったのだ。

自分の一撃が先を取る事は可能だろう。
しかし、悲しいかな自分の華奢な体躯では、相手の動きを断ちうる一撃を見舞う事は難しい、と、気づいてしまったのだ。

せめて急所を狙おうと試みるうちに、きらりの気迫に押され、身動きが取れず、
道場の隅へと追いやられ、遂に負けを認めざるを得なかったのだ。


そして、翌日、杏は姿を消した。


今、杏が道場の有る城下に舞い戻り、対抗する様に道場を建て、
真剣勝負にも立ち会うと言う事は、杏にもきらりに対する勝算が有っての事だろう。

その勝算とは、この蛙の様に地に這いつくばる、昔の軽俊さの欠片もないまるで土下座をする様な、
奇妙なこの構えにあるのだろうか?


きらりは大凡、この構えの狙いの検討は付いていた。

杏の見上げた顔は、きらりの頭上の白刃を見詰めてはいるが、
きらりがジリジリと間合いを詰める度に、その足の動きの気配を探る様子が見て取れた。


十中八九、脛切りを主とした足狙いの構えである。


なるほど、頭上に構えた上段を相手にするには、白刃から一番遠い所に身を置き、
しかも背が高く防御し辛いきらりの長い足を狙うのは、実に理にかなっている。


しかも、脛切りは受けにくい事この上ない。

脛切りと言えば真っ先に思い出されるのは、武州を中心に多く栄えた柳剛流が有名である。

過去、江戸の有名流派の腕利き達が軒並みこの脛切りの前に普段のバランスを崩され、
したたかに打ち据えられてきたのは有名な話である。

杏もその話をどこかで聞きつけたのだろうか??

独特の構えだけに柳剛流を修めたとまでは断言出来ないが、脛切りを始めとした足狙いの工夫を付けて来たのは明らかだった。


だからこそきらりは嘆いたのだった。


正道学ぶべし、邪道憎むべし。


確かに柳剛流の脛切りは脅威であり、幾多もの剣士たちを打倒してきた。

だが、それゆえに対策も早く、今では足を後方に跳ね上げる独特の工夫により、その脅威は大分薄らいでいる。

当然、名人と言われた今西斎も独自にこの対策を練り上げ、流派の奥義の一つに加えていた。


その奥義を身につけたきらりにとって、脛切りはさほどの脅威ではないのである。


所詮、脛切り狙いは邪道。
剣士たるもの正道にて立ち会うべきなのだ。

そんな事を知らず、自分の利点である軽俊さを捨て、邪道の脛切りを狙う杏をきらりは哀れに思った。

かくなる上は杏が邪道にて無様を晒す前に、ひと思いに切り捨てるべきだ。

それが剣を共に志した幼馴染に対する、最後にして最大の報いである。

そう思ったきらりは、脛切りを十分に警戒しながらも一気に間合いを詰めると同時に、
頭上の白刃を裂帛の気合と共に、杏の頭上に振り下ろした。


「如我ッッツツ!!」


その瞬間、杏の身体が振り下ろされたきらりの白刃の横を滑る様に、陽炎の如く揺らめいた。

同時に、きらりは自分の右手の親指を除く、四本の指先に燃えるような熱さを感じたのだった。


その瞬間、次に襲ってきたのは耐え難い、鋭い激痛。


腹這いだった杏が、きらりの白刃が振り下ろされる刹那、ほぼ寝転ぶような仰向けの体勢になると共に刀を振り上げ、
落ちて来るきらりの刀を支える右手の四本指を切り落としたのだった。

赤黒い血をまき散らしながら、白砂の上に墜ちるきらりの白い四本の指。

激痛故にその場に刀を取り落としながら、その瞬間、きらりは総てを悟っていた。

杏がこの数年、習い覚えたのは脛切りなどではない。

自分の身体を鞘に見立てた、神速の居合切りだったのだ、と。

脛を狙うかのごとく、足捌きに気を配っていたのはそれを誤魔化す誘いだったのだ。

その上で無様に身をかがめ、上段の白刃が届くまで数瞬の時間を稼ぎ、その隙に振り下ろされた刀の起こりの右指を切り落とす。


侮っていた。


杏はまさにきらりの上段に対する策を二重に張り巡らし、それを成し得る神業を身に着け、
きらりの元に戻って来たのである。

完敗だ。

そう思いつつも、習い覚えた剣の技は無事だった左手で脇差を抜き放ち、再び杏に対峙した。

しかし、その僅かの隙に既に跳ね起きていた杏は、
きらりを、いや、亡師・今西斎を思わせるような上段に大太刀を構え、それをきらりに向けて振り下ろしていた。

流石のきらりも脇差でそれを受け止めようと腕を振り上げるが、片腕で、しかも脇差である。

大太刀は脇差をいとも容易く跳ね飛ばし、白刃はきらりの右肩から左脇腹に抜けて深く切り込まれ致命の斬撃を与え、
舞い散るきらりの髪と共に、鮮血と臓腑を白砂の上に巻き散らしたのだった――



試合場の裏、東の控室ではきらりの道場の門弟たちが大騒ぎだった。

試合終了の掛け声と同時に、自分達の師範が一太刀の元に絶命したと聞かされて、大混乱に陥ったのである。

師範を失ない、皆一様に青褪め、堪える様に膝を握りつぶし、中には床に伏し涙を溢す者もいた。


そんな中、プロデューサーは悠々と髷を結い直していた。

妻がたった今、斬り殺されたと言うのに、である。


そして身支度が整うと、何と西の控室に向かって歩き始めたのだ。

その行動の意味を悟った時、道場の門弟たちは射殺さんばかりの殺気を込めてプロデューサーを睨みつけた。

きらりを失っても、杏の元に行けば自分の身は、今西一刀流は安泰だ、とでも言うのか。


その表情は何とも気楽で呑気なものであった。


祖父である、亡師・今西斎への恩がなければ、直ぐにでも斬り殺してやりたい変節漢である。

門弟たちは、切歯扼腕しながらその殺意をなんとか抑えて、プロデューサーを見送った。

そして、これからの道場を如何すべきか、暗澹とした表情で門弟たちが話し合っていると、
西の控室の方からすさまじい絶叫が聞こえて来た。

その聞き覚えのある叫び声に、きらりの門弟たちが慌てて西の控室に駆けつけると、
其処には控室の片隅で一刀のもとに切り捨てられているプロデューサーの死体と、
見事に腹を真一文字に切り裂いて突っ伏している杏の亡骸が有った。


こうして今西一刀流の正統は絶え、その流派の優れた剣士も絶えた。


流派はその後、後継者も無く間もなく絶える事になるのだが、
杏がプロデューサーを斬り殺した理由は謎のままであった。

遺された門弟たちの間では、想いを寄せていたプロデューサーがきらりの元に靡いたのが結局許せなかったのだ、
と言う所に話は落ち着いた。


その後、きらりの亡骸は門弟たちによって盛大に、杏の亡骸は美城家に寄ってひっそりと葬られた。

杏は故郷も遠く、新たに募集した門弟も長く教えを受けた者は居らず、葬儀は孤独な物であったと伝えられる。

見送る者は一人も居らず、その杏の亡骸の懐に大切に仕舞われていた、ひと房の髪の意味に気付く物は誰も居なかった。

杏の秘められた思いと共に、そのきらりの髪も永久に一緒に葬られる事になったのである――





【完】



第一話終了です。

一応全試合プロットは出来てますが、エタる気しかしねぇので一話完結です。

時代小説風難しいネ。

時代劇Pはスゲェよ……。

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