五年と少しの歳月に (28)

一次創作です
よろしくお願いいたします

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 以前友人が遊びにきた際に飲み残していったウイスキーを舐めつつ溜め込んでいた小説を消化していると、いつのまにか夜はしんしんと更け、どこかから鐘をつく音が聞こえる。

 新年を迎えたのだ。
 壁に掛けた時計を見れば零時を五分ほど過ぎていて、実家に住んでいた頃は決まって家族で二年参りをしていたことを思い出した。
 今住んでいるアパートの近くにも神社はあるが、大学に通うために上京してから一度もそういった行事らしい行事には参加したことがない。

 気まぐれに、お参りに行ってみようと思った。

 今読んでいる小説は面白いけど書き口が独特で、読み応えがある分、一気に読み進めようとすると疲れてしまう。
 頭を休めるためにも、酔いを醒ますにも、散歩はうってつけのような気がした。

 マフラーを巻いて薄いコートを羽織り、手袋を嵌めて玄関を出る。

 外気は驚くほど澄んでいた。扉に鍵をかけて神社に向かう。息を吸い込む度に、ウイスキーのお陰でほどほどに温まった身体の内側へ冷気が流れ込むのが心地よかった。
 人気の少ない道路をひたすら歩いて目的地を目指す。幼かった頃は夜中に外を出歩くことなんてなくて、二年参りは俺にとって一年に一度の特別な行事だった。

 過去のことを思い出しながら暗夜を歩く。

 やがて、俺の歩く先に立っている電信柱に、誰かが背を預けていることに気付いた。
 街灯にさらされてぼんやりと浮かぶシルエットは、どうやら女性のようだった。

 誰かと待ち合わせでもしているのだろうか、じっと立ちすくむ彼女は、手袋を嵌めていない両手を顔の前に持っていき、吐息で温めているらしかった。

 徐々に彼女との距離が近付くにつれて、その姿が鮮明になってくる。

 見たところ彼女の風貌は、俺と同年代くらいに若かった。いくら元日とはいえ、こんな時間にひとりで人気のしない路地にいるのも危ないんじゃないかと思いもする。
 すると、彼女と目線が合ってしまった。若干の気まずさを覚えて、すぐに目を逸らす。

 そのまま歩き去ろうとすると、彼女が一歩前に出た。
 急に目の前に出られて、慌てて歩を止める。わけのわからないまま彼女を見つめると、どうしてだか彼女の身に着けている栗色のマフラーに目がいってしまった。

 どうにもそのマフラーは、どこかで見たことがあるような気がする。

 「あ、あの!」

 振り絞るような声が聞こえる。
 寒そうな手は、かたく握りしめられている。

 「わ、わたしのこと、覚えてますか」

 いかにも緊張した面持ちで彼女が話しかけてきていた。

 俺はというと、自分の耳を疑っていた。彼女から発せられたのは甘やかな声で、その声にはたしかに聞き覚えがあった。



 聞き覚えがあっただけに、心臓が止まってしまうくらい驚いてしまった。

 突然のことで、まったく声を出せなかった。
 何度かその場で呼吸をして、平静を繕うのが限界だった。

 「……」

 「え、あの……人違い、でしたか?」

 なにも答えようとしない俺の様子を見て、彼女の声が不安に揺れる。


 「……いや、多分、人違いじゃないと思う」

 やっとのことで言葉を返す。

 「お前のことも、覚えてるし」

 そうして彼女の名前を口にする。
 たしかめるように。

 すると彼女の緊張した顔がぱっと華やいだ。それから、こくこくと頷いた。
 彼女の喜びようといったら、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねてしまいかねないほどだった。

 「……久しぶり、だね」

 「ああ、久しぶり」

 お互いに、相手の出方を探るようにして立っている。
 彼女の小さな鼻の頭が赤くなっていることに気付く。一体いつからここにいたのだろうと思った。

 「よかった。すごく懐かしいね。何年ぶりかな」

 「高校から別だから、五年と少しになるかな」

 俺に声をかけてきたのは、俺の幼馴染だった。彼女とは実家が近く、子供の頃はよく遊ぶ仲だった。
 長い間見ないうちに彼女はえらく大人びたが、それでもよくよく見れば彼女だと間違えようがなかった。

 間違えようがなかった。

 「どうしたの? ぼーっとしてるけど」

 彼女が心配そうに顔を覗き込んでくる。
 ああいや、と言いながら首を振る。

 「髪型が変わってたから、すぐに気付けなくてごめんな」

 我ながら苦しい言い訳だと思った。でも実際のところ彼女の髪は長く見ない間に伸びていたので、あながち嘘でもなかった。

 「そうかな?」

 自分の髪を何度か撫でながら、彼女は控えめにはにかんだ。
 少なくとも髪が伸びたという自覚はあるのだろう。

 「そうだよ。前はけっこう短かったのに」

 「うん。実は伸ばしてたの。ばれちゃったかあ」

 おどけたように彼女が笑う。その様子につられて、俺も笑ってしまう。
 少し調子者なところも、彼女のままだった。

 自覚がないだけで、俺はかなり酔ってるのかもしれない。ほんの少しだけ目眩を覚えて、そう思った。

 「もしかして、お前も初詣に?」

 「え、うん。そうだよ」

 「じゃあ、よかったら一緒に行かないか」

 気が付けば、そう言っていた。

 彼女が驚いたような表情になる。まるでそんなことを言われるなんて考えもしなかったとでもいうように。
 それから、短くない間があった。


 「……いいの?」

 「構わないって。俺もひとりだったから」

 ふたり、連れ立って歩く。沈み切った空にはひとつとして星が浮かんでおらず、大きな暗い天幕の中にいるようだった。
 まるで世界の中にもうひとつ小さな世界があって、その中にたったふたりだけ閉じ込められているような。

 「君は大学生……進学してるよね?」

 「ああ」

 「もう二十歳も越えちゃってるし」

 「それはお前もだろ」

 「はー、大きくなったねえ」

 「年寄りみたいな言い方だな」

 「そんなことないよ」


 他愛もないことを話しながら、ふと記憶のふちに打ち上げられた小さな約束を思い出した。

 「二十歳といえばお前、覚えてるか、あの約束」

 そう言うと、暫く考え込む素振りを見せてから彼女が答えた。

 「ああ、小学生くらいの時の、大人になったら結婚しようねってやつ?」

 「そう、それ。いま思えば、子供の頃とはいえ恥ずかしい約束だったよな」


 「……私は、結構本気にしてたけどなあ」

 「奇遇だな、俺も本気だったんだ」


 「えっ、それってどういう」

 「ほら着いた。あれが神社だ」

 「ねえちょっと、ねえってば」


 これは夢なのかまぼろしなのか、詰まるところそのどちらかなのだろうが、どちらにしても大きな差異はなくて、重要なのはそんなことじゃなくて、俺の隣りに彼女がいる。
 いまはそれだけが、たしかであればいい。

 これまで境内に足を踏み入れたことはなかったが、神社の前を通ったことはあった。
 奥行きがないため、割とせせこましい印象を受けたことがある。その中を人がごった返していた。

 「すごいな、これみんな初詣なのか」

 「ね、すごいね」

 明かりの代わりとしてだろうか、あちらこちらで薪が焼べられていて、ときおり火花を散らしては一心に燃え続けている。
 それに手をかざせばじわりと暖かくて、舞い上がる火花は空へと昇っていく。

 まるで意思を持ったなにかが星になろうとしているかのようで、しかし広大な天幕を前にしてあえなくそれらは黒に呑まれてゆく。
 世界の果てには、その向こう側にはなにもない。

 神酒を一献頂いて、紙のコップに一杯、熱々の甘酒を受け取る。気のよさそうな年寄りがおめでとうと声をかけてくる。

 「そういやお前は甘酒嫌いだったよな」

 「うん、生姜が苦手なの」

 「惜しいなあ、こんなにうまいのに」

 「君は昔から甘酒飲んでたよね」

 「そうだったっけか」

 過去を懐かしむように、甘酒を飲む。身体の芯から温まっていく。


 焚き火の前で温まりながら話をする。俺達ふたりの前を、色んな人が通り過ぎる。
 家族連れやカップル、ひとり。
 誰もがその目に輝きを潜め、新たな年の始まりを満身に感じているようだった。
 誰もがこれから訪れるであろう未来を、疑うこともなく待っているようだった。

 暫くして神社を後にする。といってどこか宛てがあるわけでなく、延々と話しながら近くをふらふらと歩き回った。
 話すことが殆ど尽きてしまってからも、お互いに未練がましくしがみついていた。

 彼女と手をつなごうかと思ったが、少し考えて思い止まった。


 「ねえ」

 「うん」

 「君はなんにも聞かないでいてくれるんだね」

 「お前がなんにも言おうとしないから」

 「優しいんだね、相変わらず」

 「そうでもないさ」

 「会ってない間、元気にしてた?」

 最後に辿り着いた公園のベンチに腰かけて彼女が尋ねてくる。

 「ああ。そっちこそ、会ってない間は一体なにしてたんだ」

 「わたしはね、色んなとこに旅に行ったよ」

 「へえ、例えばどこに?」

 そう訊くと、彼女は得意げな顔をした。その表情を見るのは本当に久しぶりで、どれだけ上背が伸びて、髪型が変わろうとも彼女は彼女のままだった。
 たったそれだけのことで、俺は嬉しくなってしまう。缶コーヒーを傾けながら彼女の話に耳を傾けた。

 「全部の都道府県をね、制覇したの」

 「本当に? すごいな」

 「でしょ? 一度行ってみたかったんだよね。いい機会だったから」

 「だからって、制覇してしまうこともなかっただろうに」

 思わず苦笑してしまう。
 すると彼女は柔らかく微笑んだ。


 「やり残したことを、そのままにしたくなかったから」

 とても寂しげな響きがあった。

 「……まだやり残したことは、あるのか?」

 寝入りかけの猫を撫でるように、慎重に尋ねた。


 「うんとね、」

 「あったけど、もうなくなったよ」

 一度、空を仰ぎみれば東の彼方は既に白み始めている。ふたりだけの世界がゆっくりと、確実に剥がされていくのがわかる。
 ふと薄青い空の中に、小さく瞬く星が浮かんでいるのに気付いた。ふたりを閉じ込めていた世界が取り払われている。

 「そろそろ行かなきゃ」

 やがて彼女は小さく呟いた。

 「もうなのか」


 「そうなの。だから、あのね」


 「うん」

 「……やっぱりなんでもない」

 彼女は一番言いたかったことを胸の奥にしまい込んだように笑った。

 「今度実家に帰ったときは、会いに行くから」

 「うん、待ってる」

 「供え物はなにがいい?」

 「んーと、みたらし団子!」

 「はは、お前好きだったもんな」


 薄く光が差し始める。朝の日差しだった。

 「初日の出なんて、初めて見た」

 目を細めて朝日を拝んだあと、彼女の方に視線を戻すと、もうそこには誰もいなかった。


 それから、ゆっくりと公園を後にする。家に帰ってからひと眠りしようかと考えたが、やめた。
 その代わりにきちんと朝を迎えるまで待って、長らく会っていない家族に連絡を入れることにした。

 そうして帰路に着きながら、あれからもうそんなに経つのかと思った。

 彼女と別れてから、五年と少し。

以上になります

ありがとうございました!

乙です
一回目読んで最後の「供え物」でん?となって見事術中に嵌ったようです(笑)
確かに読み返してみると所々で分かりますね
短編であるからこその面白さだと思います

個人的ですが……
「彼女」が「吐息で温めている」であったり「鼻の頭が赤くなってい」たり「髪が」「伸びていた」り、彼女の生を感じさせる表現がラストを邪魔しているかなーと思いました
自分もどこか蟠りがあります

長文失礼しました
久しぶりの一次創作だったのでつい……

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