男「ブラック企業の中のブラック企業といわれる会社に入社することになった」 (21)


就職活動をもののみごとに失敗した俺は、
≪ブラック企業の中のブラック企業≫といわれる会社に入社することになってしまった。


ホームページを見ると、そこには死んだような目つきで働く社員たちの画像が得意げに飾られている。
「先輩たちの体験談」というページでは、若手社員の残業自慢が書き連ねられている。

まったくなんという会社なのだ。



しかし、こうなったら覚悟を決めるしかない。身から出たサビというやつだ。

俺はもう、この奴隷たちの仲間入りをする他ないのである。


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入社式の日、会場には俺が入る会社のブラックぶりを取材するため、
テレビ局のスタッフさえも集まっていた。


式の内容は、≪ブラック企業の中のブラック企業≫の名に恥じぬものであった。

いきなり軍隊のような行進をさせられ、点呼を取らされ、社長の銅像に土下座させられ、
ひとりひとり「会社のために死ねます」と宣言させられる。


あまりの深刻さと滑稽さにネタにすらならないと判断したのか、
終わる頃には取材陣はいなくなってしまっていた。


本格的な入社一日目、俺はいきなりあるセクションに配属された。

ブラック企業には「研修」などというお上品なものは存在しないのだ。



俺はさっそく課長から呼び出され、

「これから二人で外回りに行く。しっかりついてくるように」

二人で出かけることになった。

「ああ、それとスーツにこの社章をつけることを忘れるな。我が社の社員であるという証だからな」

こういう下らないルールを徹底させるところもいかにもブラック企業らしい。


外回り中は地獄であった。
なにしろあちこち歩き回ってる間、課長はずっと俺を罵倒し続けるのだ。


「このクズ! 給料泥棒! 役立たず!」

「お前のようなボンクラがよくこの会社に入れたな!」

「いつまでも学生気分でいられちゃ困るんだよ!」


よくもまあ、これだけ飽きもせず悪口をいえるものだ。

俺はうつむきながら、上司の精神攻撃に必死に耐えた。


この日の夜、俺は酒好きでもないのに珍しく晩酌をした。

酒でも飲まないと、怒りと悔しさでとても眠れなかったからだ。



そして、目一杯後悔した。


「こんなことなら、無い内定で卒業してもいいから、もっと慎重に選ぶべきだった」


次の日、俺はまた課長に呼び出された。

また、昨日のように罵倒行脚か……と気が重くなった。


「私に対して、だいぶ不満が溜まってることだろう」

「いえ、そんなことは……」

「隠さなくてもいい。だがね、そういう不満をこっちに向けられても困るんでね。
 そういう不満は、インターネットに向けてくれたまえ」

「はぁ?」

「あれが君のパソコンだ。インターネットに自由に不満を発散してくれ」


どんな業務だ、と思いつつ俺はしぶしぶ指示に従った。


俺は用意されたパソコンからネットの海へ、怒りと不満を洗いざらいぶちまけた。



『入社していきなり、課長に延々と罵倒された』

『はっきりいって殺してやりたい』

『夜、悔しくて眠れなくてヤケ酒した。アル中になる日も近いかもしれない』



常識的に考えると、これらの書き込みは全部上に筒抜けなのだろう。

こういう命令を受けても油断せず、会社への忠誠心を保てるか、というある種のテストなのだろう。
あまりに過激な書き込みをしたらクビなのだろう。


だが、かまわない。クビならクビでいい。というか、とっととクビになりたかった。


入社三日目、やはり課長に呼び出される。


「いよいよ君一人で外回りしてもらうことになった」


なにがいよいよだ。いくらなんでも早すぎるだろと思うが、口には出さない。
それに、罵倒されるよりは一人の方がずっといい。


「うーん、君の顔は……どうもイマイチだな。ちょっとメイクしてもらいなさい」


身だしなみはきっちり整えたつもりだが……これほどのブラック企業ともなると、
人の外見にすらダメ出ししてくるものらしい。


「なかなか健康的な坊やね。だけどダメよ、そんなんじゃ」


妖艶な女性が、俺のメイクを開始する。
この会社に入ってはじめて、喜怒哀楽の“喜”と“楽”を感じた瞬間だった。

なにやら、黒だとか白だとか青だとか、そういった色のクリームを塗られる。


「課長さん、これぐらいでどうでしょ?」

「うむ、これならいいだろう」


課長からお墨付きを得た。

なんとも顔色の悪い男に変貌した俺は、指示通り、一日中街をさまよい歩いた。


また、こんな命令を下されたこともあった。


「今日は外に出て、この携帯電話に向かってずっと謝ってくれたまえ」

「分かりました……で、電話の相手は誰です?」

「誰とも通話する必要はない。携帯電話を持って謝ってくれればいいのだ」

「はぁ……」


これのどこが仕事なのだろう。

まあ、意味不明な作業をやらされるというのも、ブラック企業らしくはある。


こんなこともあった。

最後まで社に残ったのが俺と課長の二人だったので、二人で一緒に帰ろうということになった。
(もちろん俺は嫌だったが)

俺はオフィスを消灯しようとする。すると――


「電気は消しちゃいかん」

「なぜです? 電気代がもったいないじゃないですか。今は色んな会社が節電してますし」

「いいから、消してはダメなのだ!」


あくまで時代に逆行しようというのか。さすが、≪ブラック企業の中のブラック企業≫だ。


まもなく四月が終わりを迎えようという頃、俺はとうとう我慢できなくなった。


「課長!」

「なんだね?」

「入社してからもうすぐ一ヶ月になりますが、俺は意味不明なことばかりやらされてます!
 いったいこの会社はなんなんですか?」

「え、まだ気づいてなかったのかね?」

「へ?」

「いやぁ、さすがうちの社しか入るところがなかっただけのことはある! 勘が鈍い!」

「な、なんだと……」

「まあ、私もそうだったがね」


課長が今まで見せたことのないような、親しみのある笑みを浮かべた。


「この会社はね、国や政財界からの特命を帯びている会社なんだよ」

「は? 特命……?」


いきなり思いもよらぬ一言が飛び出した。
課長はかまわず続ける。


「時代錯誤な入社式に始まり、青ざめた顔でうちの社章をつけ歩き回り、人前で罵倒され、
 電話で平謝りし、ネットで不満をぶちまけ、ビルの電気を点けっぱなしにする……。
 全てはうちが人々から≪ブラック企業の中のブラック企業≫と思われるためなんだよ」

「思われるため……?」

「はっきりいってしまえば、うちは“最低のブラック企業を演じる企業”なのさ」

「……なんでそんなことを?」


「決まってるじゃないか。世のブラック企業に勤める社員はうちを見て、
 “あそこよりはマシだ”と自分を慰めることができる。
 経営者は“あそこよりはマシだ”と社員をたしなめることができる。
 つまり、うちという最低の会社が存在することで、みんな多少の理不尽さや忙しさは我慢して
 働けるというわけさ」



そうか、そういうことだったのか。



今ブラック企業が社会問題となっているが、それらをなくすことは現実的に不可能である。
かといって、労働者たちの不満を放っておけば、その不満は必ずどこかで爆発する。

それを防ぐための苦肉の策が、この≪ブラック企業の中のブラック企業≫だったのだ。

うちのような会社がある限り、世の労働者は“自分が一番不幸なのではない”と思うことができるし、
世の経営者は“お前たちが一番不幸なのではない”と従業員を叱咤激励できるのだ。


会社の正体を知った俺は、とたんにやる気が湧いてきた。

ある意味で、俺たちが今の日本のサラリーマン社会を支えているといっても過言ではないのだ。


「よぉし、ゴールデンウィークも返上で働いてやりますよ! ブラック企業を演じます!」

「いや、残念ながらそうはいかんのだ」

「なんですって?」

「実はね……うちの会社はゴールデンウィークも明かりはつけっぱなしで、他にも色々細工をして
 馬車馬のように働いてるように見せかけるが、従業員はたっぷり休暇をもらえるんだ」

「え、そうなんですか?」

「なぜなら、うちの社の裏モットーは≪ブラック企業の中はホワイト企業≫だからね」


課長はそのいかにも厳しい上司、といった風貌に似合わぬウインクをしてくれた。









― 終 ―

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