【オリジナル】「治療完了、目をさますよ」2【長編小説】 (281)

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24話完結のサイコホラー小説です。

ご意見ご感想などいただけると嬉しいです。
気軽にお楽しみ下さいm(_ _)m



第19話 フォーマット



「駄目だな、もう使い物にならない」

淡々とそう言って、圭介は紙カップに入ったコーヒーを口に運んだ。
彼ら以外誰も居ない会議室の中、椅子に座って歯噛みした大河内が口を開く。

「使い潰して飽きたら捨てるのか。悪魔め」
「世界医師連盟に掛けあってお前の更迭処分を取り消したのは俺だ。随分な物言いだな」
「頼んだつもりはない」
「いずれにせよ、GDはナンバーIシステムの運用に失敗したお前のことを見逃さないだろう。即急に手を打つべきだと思うがね。殺されるぞ」

圭介は抑揚のない声でそう言って、紙カップをテーブルに置いた。

「まぁ、俺には関係のない話だが」
「……全くだ」
「汀を使いたいなら、無理だな。多少無茶をして『被験者』にダイブさせてみたが、夢傷にやられすぎていて話にならない。もう、再起不能だと言ってもいいな」
「……汀ちゃんのちゃんとした『治療』が必要だ」

押し殺した声で言った大河内を、圭介は冷たい瞳で見下ろした。

「やりたいならやれよ。俺はメリットのないことに協力するほど、お人好しではない」
「お前は……ッ!」

椅子を蹴立てて立ち上がり、大河内は圭介の胸ぐらを掴みあげた。
そして壁に叩きつけ、顔をぶつけんばかりに近づけて睨みつける。

「お前は本当に、私達と同じ人間なのか! おかしいぞ……何か狂っていることに気づかないのか!」
「お前に言われたくはないね」

「汀ちゃんの身柄を引き取る。文句は言わせない」
「文句はないが、今更ブッ壊れたガラクタ一つ手に入れて、何が変わるわけでもないと思うが」
「汀ちゃんはガラクタじゃないぞ……お前に、お前にだけはそんなことを言わせないぞ!」

首を絞めんばかりに力を込めている大河内の手を掴み、圭介は逆に彼を睨みつけた。

「患者を直せなくなった医者は……ミイラ取りがミイラになったあいつは、もうヒロインじゃないんだよ。これ以上汀を使ってみろ。坂月の時を超えるスカイフィッシュが誕生するぞ!」
「坂月君本人から聞いたのか!」

負けじと大声を上げた大河内に、圭介は言葉を飲み込んで沈黙を返した。

「お前と坂月君の精神体がつるんでいることくらい知っている! 汀ちゃんを利用して、何かまた情報を得たな……高畑、私も大概鬼畜だが、お前には恐れいったよ。人間の所業じゃない!」

そこでガラリと会議室のドアが開き、カルテを持ったジュリアが顔をのぞかせた。

彼女は掴み合っている大河内と圭介を見ると、慌ててカルテをテーブルに投げ出し、駆け寄ってきた。

「何をしているのですか! あなた達は冷静に話し合いができないのですか!」

悲鳴のような声を上げて、彼女は無理矢理に二人を引き離した。
肩で荒く息をしている大河内とは違い、圭介はズルズルと壁にもたれかかったまま座り込んだ。
そして疲れたように息を吐いて、頭を抑える。

「ドクアー高畑!」

真っ青な顔をしている圭介を覗きこんで、ジュリアが青ざめる。

「頭が……」
「興奮したせいだわ。今GMDを投与するから……」

ジュリアがポケットから注射器を出して針にかかっていたキャップを抜き取る。
大河内はそれを淡々とした瞳で見下ろし

「ふん、失敗作め……」

と吐き捨てた。

それを聞いたジュリアが弾かれたように振り返り、大声を上げる。

「……聞き捨てなりませんね。人間を人間とも思っていないのは、あなたの方ではないのですか!」
「話を聞いていたな。エドシニア女史。いや、『アンリエッタ・パーカー』と呼んだほうがいいかな」

アンリエッタと呼ばれて、ジュリアが硬直して注射器を床に取り落とす。
コロコロと転がった金色の液体が入った注射器を拾い上げ、手で弄んでテーブルの上に置き、大河内は不気味な笑みを発して続けた。

「図星か。やはりあなたで間違いはなかったようだ」
「あ……あなたは、どこまで知っているのですか……?」

怯えたように呟いたジュリアに、大河内は嘲るように言った。

「あなたが想像しうるほぼ全てのことは」

「これ以上お前と話すことは何もない。汀が欲しいんなら、くれてやるよ。だから俺の目の前から今すぐ消えろ……!」

圭介が頭を抑えながら吐き捨てる。
大河内はニィ、と口の端を歪めると、きびすを返して二人に背を向けた。

「絶対に、後悔させてやる」

大河内の呻くような呟きを受け、圭介はかすれた声でそれに返した。

「やってみろ」



汀は弱々しく呻いて目を開いた。
辺りは薄暗く。部屋の窓にかかったカーテンから、夕焼けの赤い光が漏れている。
ここはどこだろう……そう思った汀の目に、隣に置かれた椅子に腰掛け、腕組みをしてコクリコクリと頭を揺らしている大河内の姿が映った。
大河内せんせ、と声を上げようとして汀は喉に挿入されたカテーテルにえづき、そのまま猛烈な嘔吐感に、その場で硬直して呻いた。
彼女の呻き声に気づき、大河内が目を開けて慌てて脇の計器を見る。

「汀ちゃん、目が覚めたのか? 今カテーテルを抜いてもらうからな。もうちょっとの辛抱だ」

耳元でそう言われ、汀は痛みと混乱でボロボロと涙を零しながら、必死に点滴が無数に刺された手を伸ばし、大河内の服を掴んだ。
大河内はその手を握り返し、壁のインターホンのボタンを押して口を開いた。

「高畑君の目が覚めた。至急、治療班を回してください」



医師達によるテキパキとした処置が済み、汀はとりあえず鼻と喉のカテーテルから開放されて息をついた。
まだ喉に何かが刺さっているような感じがする。
しかし、体中に点滴が刺されて身動きを取ることも出来ない。
夢傷による体の痛みも増していた。
喋ろうとして、かすれたしゃがれ声が出た。

「私……」

そのまま小さく咳をして、汀は隣に腰を下ろして、カルテに何事かを書き込んでいる大河内を見た。

「どうしたの……?」
「治療中にガーディアンにやられて意識を失ったと聞いている……よし。これで大丈夫だ」

大河内はニッコリと笑って、さり気なく汀の点滴の一つに金色の液体が入った注射器を刺して流し込んだ。
汀は苦しそうにまた咳をしてから、すがるように大河内に聞いた。

「私……成功したの……? 治療に……」
「ああ。君のおかげで私の更迭処分は取り消された。ありがとう」

大河内が手を伸ばして汀の頭を撫でる。
途端に安心したような顔になった汀に、しかし大河内は声を低くして続けた。

「だが……これっきり、あんなことはやめるんだ。君のしたことは、テロリストと変わらないよ」
「せんせが……いない世界なんて……壊れちゃえばいいんだ……」

汀はかすれた声でそう返して、また小さく咳をした。

「滅多なことを言うものじゃない……」

困ったような顔をして、大河内は息を吐いた。

「まぁ、とにかく無事でよかった。まだ助かったとは言えないが……」
「圭介……は?」

そう聞かれ、大河内は息を止めて汀から視線を逸らした。

そして吐き捨てるように言う。

「あいつのことは忘れるんだ」
「……?」
「これから、君は、私と普通の女の子として生きていこう」

きょとんとして顔を見上げた汀に、彼はぎこちなく微笑んで続けた。

「これから、ずっと一緒だ。もうダイブする必要も、傷つく必要もない。私が君のこれからの仕事も世話をしよう。そうだな……マインドスイーパーを育てるアドバイザーなんてどうかな?」

立ち上がって冷蔵庫からコーヒー缶を取り出し、大河内はやけに明るく言った。

「君の特A級免許は取り消されることはない。赤十字にこれから入ることになるが……言ってしまえば、何もしなくても君には保証が下りる。それだけで、無駄遣いをしなければ生活をしていくことだって十分可能だ」
「せんせ……?」

「心の整理がつかなければ、しばらくの間、旅行をしてもいいかもしれないな。うん、そうだ。そうしよう。医師連盟に君のための補助チームを作らせよう。汀ちゃんは東京から出るのは始めてかい? 沖縄はお勧めだぞ」
「……せんせ……?」

怪訝そうにもう一度問いかけられ、大河内は言葉を止めて汀のことを見下ろした。

「ん?」
「……圭介は?」

同じことを問いかけられ、大河内はつらそうに表情を歪めて、しばらく考え込んだ。
そして決心がついたかのように何度か頷いてから、椅子に腰を掛ける。

「……よく聞いてくれ。高畑は、君の身柄を私に引き渡した。聡い君なら、その意味が分かるな?」
「……?」

意味が分からなかったのか首を傾げた汀に、大河内は静かに言った。

「あいつは、君の力を使い多数のマインドスイープで治療を行なってきた。そしていざ、君の運用が困難になった時、君を捨てた」
「…………え?」
「別のマインドスイーパーを育てるそうだ。君は、高畑に医者として再起不能と判断された」

淡々とした大河内の声を聞いて、汀はしばらくの間目を丸くしていたが、やがて持ち上げかけていた上半身をベッドに戻し、息を吐いた。
予想とは異なった汀の反応に、大河内は怪訝そうにその顔を覗きこんだ。

「汀ちゃん?」
「圭介が……そう言ったの?」
「いや……直接は言っていなかったが。おおよそその通りのことは」
「ふふ……」

どこか暗い安穏とした笑みを発し、汀は大河内のことを見上げた。

「圭介は……私から離れられないよ……」
「……どういうことだい?」
「どれだけ……表向き捨てたつもりでも、圭介はもう……私のことを完全に捨てることは出来ないよ……」
「…………」

汀のどこかおかしいネジが外れたような言動と表情に、大河内は言葉を止めて視線を逸らした。
そしてポツリと呟く。

「君が、赤十字の『実験』の生き残りだからかい?」

汀はそれを聞いて笑みを止めて言った。

「……うん」
「君のことは調べさせてもらった。不快に思ったなら、すまない。でも、私としてはどうしても高畑のことを知る必要があった」
「…………」
「君は、元々は機関が養成した特殊なマインドスイーパーだ。そうだな? 本名は網原汀(あみはらなぎさ)と言う……『実験』の副作用で、記憶障害が起こっていたらしいが、思い出したかな?」

ゆっくりと語りかけられ、汀は小さく頷いた。

「だが、しかし君は自殺病のウィルスに感染してしまった。そこで君の治療を担当したのが、君が夢の世界で対面したナンバーIシステムの元、松坂真矢と高畑だ。二人は君のスカイフィッシュにやられ、治療をすることはできたが松坂女史は死亡、高畑はシナプスに大きな傷を負った」
「……だから圭介は、私にダイブをさせて、あの時の償いを……松坂先生の死を、償わせようとしてるの……」

汀は小さく咳をしてもぞもぞと体を動かした。
そして息をついてから目を瞑る。

「治療の過程で……私は過去の記憶を全部無くした。圭介は、松坂先生を取り戻そうとしてる……私はよく分からないけど、誰かがそれに関与してる。複数ね……」

「そのうちの一つの勢力が、私が所属している秘密機関GDだ」

大河内は弄んでいたコーヒー缶のプルタブを開けると、中身を口に流し込んだ。

「ただ、GDの内部でも少々揉めていてね……私とは別に動いている者もいる」
「……GDの目的は、ナンバーIシステムの、いえ……マインドスイーパーなしで、システムで自殺病の治療をできる環境の確立ね……」
「…………」
「テロリストは赤十字を攻撃してたけど……本当の目的は、GDが目的にしてるシステムの破壊……その理由は、多分復讐……」
「ああ。テロリストグループは、機関に育てられたマインドスイーパーの集まりだ。自分達を使い捨てにした医療機関への憎しみが、彼らを動かしていると思っていいだろう」

大河内はそう言うと、缶をテーブルに置いた。

「汀ちゃん、そこまで分かっているのなら……悪いことは言わない。全てを忘れて、現場から退くんだ。専属医が君のことを手放した今しか、君を『システムに適合しなかった』と報告できるチャンスがない」

彼はそう断言して、汀の隣の椅子に腰を下ろした。
そして手を伸ばして、痩せて乾燥しきった汀の手を握る。

「……私は、GDの目的を達するために、ナンバーIシステムの復活を任務にしてる。君をそれに使おうと思っていた。すまない。私にも事情があってね……テロリストと方法は違えど、そうすることが赤十字への復讐になると思っていた」
「…………」

汀はニッコリと笑って、かすれた声で言った。

「せんせが望むなら……私は、システムでも構わない……」
「そんなことを言わないでくれ……」

大河内は汀の上半身をゆっくりと起こすと、自分よりも一回り以上小さなその体を抱きしめた。
そしてしばらくの間歯ぎしりするように唇を噛み締めていた。
汀は点滴だらけの手を大河内の背中に回し、静かにさすった。

「……私に、そんなことを言っては駄目だ……私は君を殺すために派遣されたんだぞ……」
「…………」
「人間のシステム化だ……元になった人間は、生きていてはいけないんだよ……」

彼の声が尻すぼみになって消える。

汀は微笑みながらそれに返した。

「せんせが……そう言うなら、私、それでいいよ……」
「駄目なんだ。汀ちゃん……それじゃいけないんだよ」
「どうして? ……せんせは、私のこと嫌いになったの……?」
「違う。私は君のことが……」

言いかけ、大河内は言葉を止めた。
そして汀の体を離して、そっとベッドに寝かせる。

「……いや、いいんだ。汀ちゃん、『命令』なら聞いてくれるか? もう高畑に関わるのはやめよう」
「……うぅん。私は……人を助けるよ……」

か細いがしっかりとした声を聞いて、大河内は僅かに声を荒げた。

「……汀ちゃん。それは『実験』で君の脳に刷り込まれた情報に過ぎない。君にインプラントされた意識の断片だ。君がかたくなに人を助けなければならないという意識を持ち続けているのは、初期のマインドスイーパーの脳の奥に、人工的に埋め込まれた断片意識のシグナルなんだ。君達は、意識下の『命令』を実行し続けなければノルアドレナリンの分泌量が増加して、不快感を得るようになっている」

「…………」
「しかしそれは投薬で治療できる。君が今負っている夢傷もそうだ。全て治療できるんだ。君の体の麻痺だって治るかもしれない。普通の治療を受けて、精神と、体の状態を普通に戻せればの話だが……」
「…………」
「それを聞いても、同じことが言えるかい?」

汀はしばらく考え込んでいたが、やがて小さな声で聞いた。

「せんせは……私が病気だっていうの?」
「そうだ、君は病人だ」

断言して、大河内は息をついた。

「夢傷の重症患者でもある。このままでは、君は……」

少し言い淀んでから、彼は意を決したように言った。

「君は間違いなく、スカイフィッシュになってしまう」
「…………」
「高畑は、おそらく『だから』君のことを手放した。危険性が高すぎる。私も、君にはすまないがそう思う」
「私が……夢の世界で、悪夢のもとになってしまうって、そう思うの?」

「……確証はないが、高畑の態度を見ていて想像がついた。あいつは、坂月君……君の夢に出てくるスカイフィッシュが、元は人間だったことを知ってる。おそらく変質の現場を見ているんだ」

汀は息をついて、ベッドに体を預けた。
そして大河内から視線を外してもぞもぞと体を動かし、彼と反対側に首を向ける。

「……ちょっと寝る。寝ていい?」
「…………分かった。薬を投与するよ。そして、君の夢の中に、一人ダイブさせたい人がいる」
「私の夢の中になんて……入ってこないほうがいいよ……」
「『精神外科担当医』を呼んでいる。ソフィーが君の夢傷の手当をしてくれたそうだが、もっと専門的な治療が必要だと私は思う。現に、君は今存在しない傷の痛みで、体を動かす事もできないはずだ」
「精神外科担当医……?」

聞きなれない言葉を繰り返し、汀はハッとした。
そして押し殺した声で言う。

「……GDの人?」
「そうだ。夢傷の治療の専門家を呼んでる。悪い人ではない。保証するよ」
「……せんせがそう言うなら、信じる……」

汀はニッコリと笑おうとして失敗し、痛みに顔を歪めた。

「いいよ、でも小白も連れてきてね……」



燃え盛る家の中、汀はグッタリと血まみれの包帯まみれの姿で座り込んでいた。
足を投げ出し、もはや動くことも出来ないといった状態でか細く息をしている。
その周りを、白い子猫が困ったように歩き回っていた。
耳につけたヘッドセットから、大河内の声がする。

『汀ちゃん、周りはどうだい? GMDが投与されているから、スカイフィッシュは現れないはずだ』
「…………」
『汀ちゃん?』

返事もできない汀の様子に、大河内がわずかに焦った声を発する。

『無理して返事をしなくていい。もう少しで到着する。それまで……』
「もう到着してるよ。なるほど……」

柔らかい声が頭の上から投げかけられた。
汀は充血した目をやっとの思いで開き、上に向けた。
白衣を着た背の高い男性がそこに立っていた。

艶のかかった白髪だった。
女性のように後頭部で、長い髪を一つに結っている。
ニコニコとした笑顔を浮かべた、気さくそうな青年だった。
日本人ではない。
瞳が青いことから、おそらくフィンランドなどの日照量の少ない地域の人間であることが伺えた。
髪は、もしかしたら染めているのかもしれない。

「これはひどいな……」

白衣の胸ポケットからメガネを取り出して目にかけると、青年は汀の前にしゃがみこんだ。

「ドクター大河内。今すぐにオペが必要だ。緊急レベルAプラスと判断する。重度5の患者を、よくここまで放っておいたものだ」

青年はニコニコとした表情のまま、右手を上げてパチンと指を鳴らした。
途端、燃える家の中に手術台が出現した。
何かを変質させているわけでもない。
何もない空間から突然手術台が現れたのだ。
目をむいた汀を抱き上げ、青年は彼女を手術台の上に寝かせた。

「驚いた? 最新のイメージ転送システムを使ってるんだ。僕の能力じゃないよ」
「どう……いうこと?」
「サーバー上に、夢世界であらかじめ構築しておいた道具を保存しておく技術だよ。こんなこともできる」

パン、と青年が手を叩いた次の瞬間、汀達は燃え盛さかる家ではなく、白いリノリウムの床が光る手術室の中にいた。

「え……?」
「言い遅れた。僕の名前はマティアス。今やったのは、サーバーにアップロードしておいた手術室のイメージをそっくりそのまま、この夢の中にダウンロードした」

そう言うと、マティアスと名乗った彼は汀の腕をアルコールが染み込んだ脱脂綿で拭き、おそらく麻酔薬だと思われる薬を、問答無用で注入した。

「余計な手間を省くためにも、君には意識を失って、特殊なレム睡眠に入ってもらうことにする」
「…………」

猛烈な眠気が汀を襲う。

「大丈夫。次に目をさます頃には、多少荒療治だけど、傷はきちんと治ってる。もう痛い思いをしなくてもいいんだよ」

マティアスはニッコリと笑うと、台に乗っていたメスを手にとった。

「痛くも痒くもないと思うけど……まだ意識があるかな?」

目を閉じた汀のまぶたを指先で上げ、彼女が意識を失ったことを確認して、彼は言った。

「ミギワさんの意識がなくなった。時間軸をいじる。ドクター大河内。これから十五分ほど、実時間で連絡が途絶えるから」
『分かった……マティアス、闇医者の君に頼むんだ。彼女を治してやってくれ……』
「精神の『修理』はお手の物だから、心配することはないよ」

奇妙な笑顔のまま、青年は汀の包帯をハサミで切った。
痛々しく縫われた傷口が顕になる。
そこでマティアスは、足元をウロウロしている子猫を見下ろして、口を開いた。

「少し待っていてくれないか? 君の主人が死にかけてる」
『マティアス……』
「何だい? そろそろ時間軸の操作に移行したいんだけど……」
『お前が……いや、GDが何の対価もなしに汀ちゃんの治療に手を貸すとは思えない。聞いておきたい。何が目的だ?』

マティアスはそこで手を止め、大河内には見えていないながらも、通話向こうの彼が言葉を止めるほどの異様な雰囲気を発し、口が裂けるのではないか、という奇妙な表情で笑った。
 
「いい心がけだよドクター。日本人はそこら辺の大事なところを曖昧にしたがるから困る」
『話をはぐらかさないでくれ。時間がない』
「これが欲しかったんだ」

青年はそう言って、汀のポケットに手を突っ込んでビー玉ほどの核を取り出した。
それは汀に傷を負わせたテロリスト、忠信の精神中核だった。
 
「テロリストの精神中核。この子の夢の中にダイブしないと手に入らないものだからね。悪いけどもらっていく」
『…………』
「この子に異様に信用されているあなたの協力がなければ回収できなかった。礼を言うよ」
 
忠信の精神中核をポケットに仕舞い、代わりに同じ色のビー玉をテーブルの上からつまみ上げ、汀のポケットに入れてからマティアスは続けた。

「あぁ、それと……」
『ナンバーIシステムの稼働失敗の件、本部はえらいお怒りだ。後ろに気をつけたほうがいい。僕が、この精神中核を本部に届けるまでの間ね。少なくとも寝てはいけない』
『言われなくても……』
「無駄話をしている隙がない。それじゃ」

一方的に通信を切り、マティアスは手術用の白衣、帽子とマスクを着用した。

「オペを開始しますか」



「ん……」
 
小さく呻いて、汀(なぎさ)は目を開いた。
 
「あれ……?」
 
呟いて右腕を上げる。
シーツの下で、やせ細った腕が痛みも何もなく、緩慢に動いた。
 
「動く……」
 
薄暗い病室。
ベッドを囲むカーテンの向こう側に、人影が二つ見える。
体の痛みは嘘のように消えていた。
まだ息が苦しく、脳のどこかが麻痺している感覚はあるが、
何か大事なことから切り離されてしまったような。
そんな違和感を感じるものの、痛みはない。

――切り離された……?
 
思い出せない。
夢の中で誰かに会った気がするけど……。
それに、ここ数日……。
私は何をしていて、そしてどうしてここにいるのだろう……?
私は確か、ひどい怪我をしていて……。
で、ここにいる。
何か忘れているような気がするのだが、思い出せない。
咳をしたところで、人影が動いた。
カーテンが開いて、憔悴した顔の大河内が中を覗き込む。
 
「汀(なぎさ)ちゃん! 大丈夫かい?」
 
いの一番に聞かれて、汀(なぎさ)は息をついて大河内に対してにっこりと笑ってみせた。

「うん……体、痛くないよ……」
 
それを聞いて大河内は一瞬、とてもつらそうな、曖昧な表情を浮かべた。
しかしそれをすぐに引っ込め、汀が気づくよりも早く口を開く。

「良かった……マインドスイープの治療中、重症を負ってここに運び込まれたんだ」
 
彼はそう言って、カーテンの向こうの人影に目配せをした。
煙草の煙。
病室で、煙草……?
汀(なぎさ)がまた咳をする。
煙草を吸っていたと思われる人影は、息を長く吐くと革靴のかかとを鳴らして病室を出て行った。
 
「誰かいたの……?」
 
大河内に問いかけると、彼は換気扇のスイッチを入れてから汀に対し、言葉を濁した。

「ん……ああ。ちょっとした知り合いだよ。汀(なぎさ)ちゃんが知らない人だ」
「そう……」
「ところで、久しぶりに意識を取り戻したと思うから、二、三質問させてもらってもいいかな?」
「ん、いいよ」
「ありがとう」
 
大河内は彼女の隣に腰を下ろし、頭を優しく撫でた。
そして口を開く。

「高畑圭介という名前に心当たりは?」
「高畑……圭介?」
 
怪訝そうに首を傾げ、汀(なぎさ)は繰り返した後言った。
 
「患者さん?」
「…………ああ、そうだ。覚えてないならいいんだ」
「覚えてない……」
 
大河内はニコニコとした表情のまま、続けた。
 
「君の名前は?」
「大河内……汀(なぎさ)……」
「そうだ、あとひとつ」
「…………」
「君は、ダイブを続けたいと思う?」
 
大河内の質問に対し、彼女は首を振った。
 
「うぅん……」
「…………そうか」

「もういいよ……もうたくさんだと思う……」
「そう思うなら、それでいい。ほら」
 
異様な彼女の様子を全く気にすることなく、大河内は手元のキャリーケースを開けて中から子猫を取り出した。
 
「ええと……」
 
覚えてる。
この猫は、私の猫だ。
でも、名前……。
名前が、思い出せない。
固まった汀(なぎさ)に、大河内は猫を渡してから言った。
 
「小白だよ。君のことをずっと心配してた」
「こはく……? うん、そうだったね。ありがとう……」
 
彼女はゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄る小白を撫でてから、大河内に言った。

「ね、私達、いつお家に帰るの?」
「精密検査が終わってからだね。明後日には病院を出れると思う」
「うん」
 
ニッコリと微笑んで、汀は頷いた。
 
「楽しみだなー……旅行」
 
小さく呟いたその瞳には、数時間前まで人を助けると言っていた決意の色は欠片も見えなかった。
歳相応の無邪気な顔。
大河内は、自分の苗字を名乗った彼女の頭を撫でて、しばらく口をつぐんでいた。
 
「どうしたの?」
「…………」
「パパ?」
「…………」

パパ、そう呼ばれて大河内は一瞬目を見開いた。
そして唾を飲み込んでから、かすれた声を発する。

「……これで、良かったんだよ……」
「……?」
「良かったんだよな……?」
問いかけられ、汀(なぎさ)は小さく笑った。
 
「どうしたの、パパ? 何だかいつものパパじゃないみたい……」
「……今日は、一緒にここで病院食を食べようか。明後日からは旅行だぞ。沖縄に行こう」
「うん!」
 
頷いた汀(なぎさ)の頭を撫で、大河内は立ち上がってカーテンを開いた。
背を向けたその顔は、唇を強く噛み、今にも押し殺した感情で破裂しそうになっていた。



「高畑汀(たかはたみぎわ)を……手放した?」

信じられないような調子で聞かれ、圭介はココア缶のプルタブを開けて中身を口に流しこんでから、息をついて言った。

「ああ。治療中に患者の命を盾に取る行為は、重度Aの危険行為だ。言い逃れは出来ない」
「だからって……あなたにあそこまでボロボロになって協力してた子を、使い捨てるつもりなの!」

掴みかからんばかりに大声を上げたソフィーに、圭介は薄ら笑いを浮かべて言った。

「使い捨てる? 違うな」
「……?」
「あんな便利な道具、そう簡単に無条件で手放すわけはないだろう」

クックと笑って、圭介は缶をテーブルに置いた。
そして片手で醜悪に笑っている顔を隠しながら、不気味に光る目でソフィーを見た。

「……どういうこと? 話がさっぱり見えないわ」

「さしあたっては、約束通りに君の腕の治療を行おう。俺は嘘をつくのは嫌いだからな」
「気になっていたのだけれど……スカイフィッシュに斬られた腕の手術なんて無理よ。あなたにどんなあてがあるのかわからないけれど……」
「手術(オペ)なんてしない。君には悪いが、新型システムのモニターになってもらいたい」
「新型……システム?」

聞きなれない不穏な言葉に、ソフィーが色をなす。

「まさか……!」
「察しがいいな。さすが天才だ」

頷いて圭介は椅子に腰を下ろした。
そして青くなったソフィーを見上げる。

「何も精神治療にはナンバーIシステムだけが開発されていたんじゃない。医療技術は日進月歩。様々なものがある。中には、無認可の危険なものもな」
「…………」
「君に受けてもらいたいのは、移植処置だ。精神のな」
「そんな危険な施術を試すと思う?」

押し殺した声でそう返したソフィーに、圭介は鼻で笑ってから答えた。

「受けるさ。君は何としても自由に動く体がほしいはずだ」
「…………」
「腐った精神を切り離して、新しい腕を接合する。理論的には何ら問題がない移植作業だ」
「それが許されるのなら、あなたが一番嫌うロボトミーも許されるはずだわ」
「一緒にしないでほしい。今回は、きちんと施術用に精神構築された腕を、君に『接続』する。成功率は限りなく99%に近い。拒絶反応さえでなければの話だがな」
「…………」

答えることが出来ないソフィーに、小さく笑ってから圭介は言った。

「もう後戻りはできない。俺も、君も。汀(みぎわ)も、大河内も、もう戻ることは出来ない。ただ、今活動するためには君の腕が足りない。それに、あいつの存在はマイナスにしかならい。だから一時的にリリースした。それだけだ」
「……やっぱりあなたは、あの子をただの道具だとしか思っていないのね……」
「俺だけじゃない。たとえ大河内でさえ、大人は皆自分以外のものは、悲しいかな道具だとしか捉えていない。苦しいことだが、それが大人から見た世界なんだよ。それが分からない君たちは、まだこの世界で生きていく資格を持っていない、人間以下の存在だとしか俺には言えない」

悔しそうに唇を噛んで、ソフィーが黙りこむ。
そして彼女は顔を上げ、圭介に言った。

「……分かったわ。私にも私の事情がある。施術を受ける。どうすればいいの?」
「三日後、君の夢の中に専門のチームをダイブさせて行う。その後、君にはある場所にダイブしてもらいたい」
「……施術直後に動けるかしら……」
「所詮精神の切り貼りだ。現実の傷ではない」
「よく真顔でそんなことが言えるわね……!」
「夢傷それそのものが原因で死んだ人間は存在しないからな」

端的にソフィーにそう返し、圭介は夜の景色を映す東京都の窓の外を見た。

「汀(みぎわ)は必ず俺のところに戻ってくる。それがあいつの贖罪なんだ。あいつは、俺のところに戻らざるをえないカルマを背負ってる。まだあいつは、何一つとして目的を達成していない」

呟くようにそう言った圭介の顔を見て、ソフィーは発しかけていた言葉を止めた。
不気味な表情だった。
視線だけが無機的で、口元が笑っている。
その、どこか壊れたような顔を見て、ソフィーは一つのことを確信していた。
この人達は壊れている。

自分とは、違う。



汀の車椅子を押しながら、大河内は多数の医師に囲まれた状態で空港を歩いていた。
医師の周りには、やはり多数のSPがついている。
看護師の女性が、他の人に聞こえないように大河内に耳打ちをした。

「先生、やはりこの子を沖縄まで『隔離』するのは、時期が早いのでは……」
「大丈夫だ。何も問題はない」

短くそう返して、大河内は車椅子の上で、片手で3DSをいじっている汀(なぎさ)の肩を叩いた。
3DSを膝の上において、耳につけていたイヤホンを外した彼女が、大河内を見上げる。

「どうしたの、パパ?」
「そろそろ飛行機に乗るから、ゲームをしまった方が良い」
「わぁ、私飛行機はじめて!」

ニコニコしながら汀(なぎさ)が近くの看護師に3DSを渡す。

「眠くないかい?」
「大丈夫、たくさん寝てきたから!」

元気にそう言う彼女に、大河内はニッコリと笑いかけて言った。

「そうか。医療機関の特別ファーストクラスだから不便はないと思う。病院のみんなも同席してくれる」
「私とパパの旅行なのに、みんなに悪いね」

そう言った汀(なぎさ)に、近くを歩いていた看護師の女性たちがニコニコしながら何かを言う。

大河内は会話をはじめた彼女達から目を離し、どんな要人が飛行機に乗るのかという好奇の視線に囲まれた状況で、周囲に視線を這わせた。
それが、ゲート近くにポケットに手を突っ込んだコート姿の男が立っているのを見て停止する。

大河内は

「すぐ戻るから」

と言って、近くの看護師に車椅子を預け、SPを数人引き連れて男のところに近づいた。
ニット帽を目深に被り、サングラスをかけた男。
白髪だ。
大河内は彼の前に立つと、SP数人に周りを固めるように指示をして、押し殺した声を発した。

「……ここで何をしている、マティアス」

マティアスと呼ばれた「精神外科担当医」はサングラスをずらして大河内を見て、口の端を歪めて裂けそうに笑ってみせた。

「監視」

端的にそう言ったマティアスの視線が動く。
ハッとした大河内の目に、マティアスの視線の先に、空港に数人同じようなコートにサングラス、白髪の人影があるのが映る。

「北ヨーロッパ赤十字は、高畑……失礼、『大河内汀(おおこうちなぎさ)』のことを、最重要、危険度AAAの観察対象として認定したんだ。僕は彼女の精神手術を担当した手前、こうして出向いてきたってわけ」

大河内は歯を噛んでマティアスを睨みつけた。

「丁度良かった……お前には言いたいことがあったんだ」
「血圧上がってるな、『パパ』? どうだい、悪い気はしないだろう?」
「私と汀(みぎわ)ちゃんはそういう関係ではない。よくも間違ったインプラントをしてくれたな」
「そういう関係じゃないって……じゃあどういう関係なんだ?」

あくまで軽く、のらりくらりと怒りをかわされ、大河内は額を抑えて息をついた。

「……説明したくはないな。言いたいことはそれだけじゃない。汀(みぎわ)ちゃんの記憶が、マインドスイーパーとしての強制記憶と一緒に、一部かなり欠落してる。いい加減な仕事をしたな!」
「言葉遣いに気をつけなよドクター。誰に対して言っているんだ?」

マティアスはニヤニヤした表情を崩さず、大河内の肩にポンポンと手を置いた。

「彼女の膿んだ精神夢傷の手当ては、完璧に済んだ。何、その周囲の精神真皮ごと切り取ったから、縫合後は記憶の大部分欠落が見受けられるけど、それに相当する分の『都合のいい思い出』はインプラントしておいた。もうあれは、中萱榊(なかがやさかき)の使っていた道具じゃない。ドクターの、娘だよ。戸籍も書き換えてある」
「私の娘としての思い出を埋め込んだな……何てことを……」
「だから何を憤ってるんだ? ん? もしかしてあの子は……『娘的ポジション』ではないのか? おいおい……」

呆れたように腕組みをして、マティアスは息を吐いた。

「ペドフィルだったのか、あんた」

「冗談を言っている場合ではない。あんなのは汀(みぎわ)ちゃんじゃない!」
「やれやれ……十三歳だぞ。日本人の法律や価値観、趣味嗜好はよく分からないな……変態が多い国だとは聞いていたけど、まさかここまでとは……」
「あれでは別の人間だ。完全にフォーマットされてる。ある程度の価値観は残すべきだ」
「具体的には?」
「……具体的と言われても……」

口ごもった大河内の肩をまた叩き、マティアスは言った。

「……ま、僕らは沖縄までしばらくの間、と言っても『ナギサ』ちゃんの監視命令が撤廃されるまで専属医として同行する。GDの意向だから、ドクターの身柄も保証できるよ。その方がドクターとしてもありがたいんじゃないかな」
「…………」
「……反乱分子は、テロリストとどうも繋がっているらしくてね。ヨーロッパ赤十字は、血眼になって探してる。慎重にならざるをえない背景、ドクターなら理解できるよね? あんたの趣味に合わないっていうなら、アフターサービスで少しくらいは、あの子の性格をいじってあげるよ」

これ以上喋っても無駄だと自覚したのか、大河内は深い溜息をついて、こちらに向けて手を振っている汀(なぎさ)を見た。
それに手を振り返した彼に、マティアスは続けた。

「元気に動いてるじゃないか。それとも、あの悪夢の中で血まみれで転がってた方が幸せだったって、ドクターはそう仰るのかな?」
「そういうわけじゃ……」
「じゃ、僕は先に飛行機に乗ってるよ。彼女、だいぶはしゃいでるようだけど気をつけなよ」
「どういう意味だ?」
「……分からないならいいんだ。それじゃ、沖縄で」

ひらひらと手を振って、マティアスがゲートに向かって歩いて行く。
大河内は舌打ちをしてSPに何事かを言い、汀(なぎさ)の方に足を向けた。



「パパ、すごいよ! 雲の上にいる!」

窓際に座った汀(なぎさ)が大声ではしゃいでいる。
大河内は、わずかに憔悴した顔でニッコリと笑ってみせた。

「ああ、そうだな。体は大丈夫かい?」
「うん、何だか最近すごく調子がいいの。私、元気になったかもしれない」
「……そうか」

頷いて、大河内は職員からジュースを受け取ってストローを指し、彼女に手渡した。

「私も長期で休暇届を出した。しばらく沖縄で羽目を外そうか」
「うん!」

頷いた汀(なぎさ)が息をついて、背もたれに体を預ける。

「眠いなら少し寝てもいいんだよ」
「うん。でももう少し、雲見たい」

窓の外に視線をうつした汀(なぎさ)だったが、そこで彼女の動きが止まった。

「あれ……?」

小さく呟いた彼女に、大河内が怪訝そうに聞いた。

「どうした?」
「誰か、私のこと呼んだ?」

周りにいる看護師達を見回して、彼女は首を傾げた。

「男の子の声が聞こえたの。どこかで聞いたことがあるんだけど……空耳かなぁ」

それを聞いて、一瞬停止して大河内は青くなった。

「……何だって?」

眠りにも入っていないのに。
おかしい。
立ち上がりかけた大河内の耳に、ブツリ、という音とともに機長室からのアナウンスが飛び込んできた。

『A390にご搭乗の皆様に告ぐ』
「あ……」

汀(なぎさ)が顔を上げる。

「この声」
「え……?」

思わず聞き返した大河内は、次の言葉を聞いて息を呑んだ。

『当機は、現時点をもって我々「アスガルド」が占拠した。乗客の皆様に危害を加えることは、なるべくならば避けたい。それゆえ、我々の要求を一度だけ、簡潔にお伝えしたいと思う』
「ハイジャック……!」

押し殺した声で叫んで立ち上がった大河内を嘲るように、少年の声は続けた。

『赤十字の皆さん、乗っているんでしょう? 我々が要求するのは、「ナンバーⅣ」の身柄だ。あなた達が隔離しようとしている女の子を、平和的に受け取りたい』
「ナンバーⅣ……?」

汀が小さく呟いて、不安そうに大河内を見る。

「パパ……何だか怖い……」
「…………」

大河内が無言で汀(なぎさ)の手を握る。

『ナンバーⅣがこの機内にいることは、既に確認している。赤十字の皆様に要求することは、「無抵抗」だ。どうか無駄な抵抗をしないでほしい』

そこで、ウィィィィ……と、スピーカーから聞いたこともないような音が流れだした。

高圧で鼓膜を震わせ、脳を振動させるような重低音だった。
それを聞いたSPや看護師達、大河内、汀に至るまで、ファーストクラスエリアにいたその場の全員が頭を抑え、ついで襲って来た猛烈な眠気に歯を食いしばる。

『乗客の皆様には、これより眠っていただく。諸君らは人質である。我々アスガルドは、ナンバーⅣの精神中核を要求する。もしも抵抗するのであれば、容赦なく「殺させて」いただく』

眠気に耐え切れず、看護師が一人、二人と倒れていく。

「ダイブの準備だ! 汀(なぎさ)ちゃんを守れ!」

SP達に怒鳴り、大河内はガクン、と首を垂れた汀(なぎさ)の頭にヘッドセットを被せた。

「……ドクター……!」

そこでファーストクラスのドアが開いて、ふらついたマティアスと、数人の白髪の男女が駆け込んできた。
全員ヘッドセットをつけている。

「人質全員を眠らせて……精神中核を連れ去るつもりだ……私もダイブする。テロリストを撃退するぞ……!」

大河内も眠気で震える手でヘッドセットを装着した。
音が段々大きくなっていく。
大河内が眠気で目を閉じ、意識をブラックアウトさせたのと、マティアス達もその場に崩れ落ちたのは、ほぼ同時の事だった。



第20話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/21に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。

m(_ _)m

おや、前にエタったと思ったらこっちにきてたのか
どこで止まってたかなぁ

立て乙です。

スイーパーは空間認識・把握能力が大事みたいだけど、寝たきりの汀になぜそんな能力が。病気になる前はガチャピン並みにスポーツ万能な元気娘だったのかしらん。
早く良くなっておくれ。
汀をちゃんと守るんだぞヒゲ。

皆様こんばんは。
第20話を投稿させていただきます。

>>50
前は20話まで投稿しましたので、今日の更新分の途中くらいまでだったと思います。
今回は最後までやらせていただきますm(_ _)m

>>51
汀は普通の能力者ではなく、「夢の本質を見ることができる」眼を持っています。
特に明言した表現はありませんが、彼女が悪夢の内容を解決することができる速度が早いのも、そのせいです。
また、他のマインドスイーパーと比較してダイブの回数経験値が比較にならないのも、強さの理由です。



第20話 人造人間



「何だ……ここ……」

大河内は言葉を失って周囲を見回した。
そこは、半径三十メートル四方ほどの丸い空間だった。
中央に小さな小屋があり、木が一本近くに立っている。
周囲は緑色の芝生に覆われ、たくさんの蝶々や小鳥が周囲を飛んでいた。
芝生には花壇が設置されていて、色とりどりの花が咲いている。
空は青。
中点には優しく輝く太陽。
しかし、それも丸い円形空間の中だけでの話だった。
崖のようになっていて、その外は奈落になっている。

大河内はすぐその、落ちる寸前の場所に立っていた。
その下を見て、彼はゾッとした。
ぐつぐつと煮えたぎるマグマのような、
溶岩のようなものが蠢いていたのだ。

「汀(なぎさ)ちゃんの精神世界……入れたのか?」
「強制フォーマット後の安定しない世界なんだ……安定してる空間は、今のところここだけだ。落ちれば多分虚数空間になってるから、元に戻れないよ」

背後から言葉を投げかけられ、大河内は慌てて振り返った。
白衣のポケットに手を突っ込んだマティアスが立っていた。

彼はヘッドセットを操作したが、その向こうからノイズしか聞こえてこない事を確認して、舌打ちして手を止めた。
すぐ近くに、看護師数人とマティアスと同じ、北ヨーロッパ赤十字の職員が倒れていた。
彼らが頭を振りながら起き上がり、同様にヘッドセットを操作しようとする。

「ナビをする人間が外にいないから駄目だ。それより、早くミギワさんの精神中核を保護するんだ」

指示を受けた職員たちが、小屋の方に走っていく。
大河内も慌ててついていくと、小屋の中には小さなブラウン管型テレビが床に設置されていて、その前に揺り椅子がひとつ置いてあるだけだった。
ブラウン管型テレビには、ノイズ混じりの砂画面が映しだされている。
汀(なぎさ)が、揺り椅子に座ってぼんやりとテレビを見ていた。

「マティアス、精神中核の入れ物を見つけました! 実体を保ってます!」

職員の一人が声を上げると、汀(なぎさ)が顔を上げて周りを見回した。

そして大河内の姿を見とめると、急いで立ち上がってパタパタと走ってきた。
病院服ではない。
白いワンピースに、ピンク色のバンプス。
髪飾りに、歳相応の女の子である証拠のように、わずかに化粧をしている。
汀(なぎさ)は大河内に抱きつくと、頭をこすりつけてきた。

「パパ、どうしたの? ここは私の夢の中だよ?」
「汀(なぎさ)ちゃん……良かった、無事だったか」

大河内は彼女を抱き上げると、小屋の壁に背中をつけて周囲に目を走らせた。
汀(なぎさ)の体は、信じられないほど軽かった。
まるで重さがないようだ。
羽毛布団を持ち上げているかのような感覚に、大河内は彼女が飛ばないようにきつく抱きしめた。
汀(なぎさ)は大河内の首に腕を絡めると、その胸に顔を埋めた。

「どうしたの? 何だか、すごく何かを怖がってるみたい……」
「絶対に、何があっても私から離れるんじゃないぞ。しっかり掴まってるんだ」
「……うん。分かった」

押し殺した声で言った大河内に、怪訝そうな顔ながらも汀(なぎさ)が頷く。
マティアスが大河内と汀(なぎさ)を守るように職員と看護師に立ち位置の指示をしてから、パンッと手を叩いた。
職員、看護師たちの手に機関銃がどこからともなく現れる。

「使い方は分かるな? テロリストに容赦をすることはない。相手はスカイフィッシュの変種だ。攻撃を受けたら即死だと思え。姿を確認次第、全戦力で叩く」

早口でマティアスが言って、自分のショットガンをコッキングした。
それらの物騒な様子を見て、汀(なぎさ)が小さく震えながら大河内に抱きつき、ぎゅっと目を閉じる。

今までの彼女からは考えられない弱々しい様子に、大河内は少し躊躇して、言葉を発しようとし……。

「ドクター! 後ろだ!」

マティアスの叫び声にハッとして、汀(なぎさ)を抱いたまま前に転がった。
汀が悲鳴を上げて大河内にしがみつく。
その、今まで大河内の頭があった場所の背後の壁から、無数の日本刀が突き抜けた。
出現する無数の日本刀は、ものすごい勢いで小屋の壁を埋め尽くすと、今度は床や天井に突き刺さりはじめた。
職員や看護師達が、機関銃を構えながら、転がるように小屋の外に向かって駆け出す。

「早く、何してるんだ!」

マティアスが大河内を引き起こしてパチンッと指を鳴らした。

その彼らを庇うように、小屋を内側からなぎ倒しながら鈍重な戦車が出現した。
出現を続けていた日本刀が、まるで雨のように戦車に打ち当たって、ガシャガシャと地面に転がっていく。
実に十数秒も日本刀の雨は続き、たちまち狭い空間が、周囲に鉄臭い黒い刀身がギラつく物騒な様相を呈した。

「掴まって!」

マティアスがそう言って、大河内と汀(なぎさ)を戦車の上に引き上げる。
職員の一人が戦車に駆け上がり、操縦席に座った途端、鈍重な機体が高速でバックした。
汀(なぎさ)が声を上げて頭を押さえる。
大河内は汀(なぎさ)が転がり落ちないように抱きしめながら、必死に戦車の上にしがみついた。
戦車は小屋があった場所から奈落の手前までバックすると、そこで止まった。
職員と看護師達が、機関銃を構えながらバラバラと戦車を囲むように整列する。

「こんなものまでサーバーに保存できるのか……!」

押し殺した声を発した大河内を無視して、マティアスは銃座に駆け上がると、機関銃の砲身を前方に向けて、一気に引き金を引いた。
職員と看護師達も、持っている銃の引き金を引く。
連続した凄まじい射撃音が鳴り響いた。
汀(なぎさ)が体を硬直させる。
大河内は彼女の耳を手で塞ぎ、庇うようにその体に覆いかぶさった。
周囲に雨のように親指大の薬莢が飛び散る。
焦げ臭い硝煙の臭い。
小屋の向こうで立ち上がった人影にすべての銃弾が吸い込まれていき、炸裂した。
一本だけ立っていた木が粉々に吹き飛ばされ、小屋の残骸が煙となって飛び散る。
芝生がえぐれ、吹き上がり、周囲にもうもうと土煙が舞った。

数秒経ち、煙が風に舞っておさまってきたところで、大河内は顔を上げて硬直した。
銃弾が炸裂した場所に、マントを体に巻きつけた人影がしゃがみこんでいたからだった。

「チッ……効果がないか……!」
「確認しました! スカイフィッシュ変種です!」

職員の一人が大声を上げる。
マティアスがまた手を叩くと、彼の胴回りに防弾ベストが出現した。
そこにぶら下がっていた手榴弾を幾つか手に取り、歯でピンを抜いてから間髪を置かずに投げつける。
スカイフィッシュは飛んでくる無数の手榴弾を見上げ、両手をそちらに向けて開いた。
彼の周囲に、凄まじい数の日本刀が、何に支えられているわけでもないのに出現して、浮遊をはじめた。
そのうちの何本かが手榴弾に突き刺さり、空中で大爆発を上げる。

そこで、大河内は青くなった。

「マティアス、気をつけろ! 一人じゃない!」

スカイフィッシュの背後に、また動くものが見えたのだった。
それは日本刀の群れに隠れるようにしていたが、手前のスカイフィッシュがサッと身をかがめた瞬間、前に飛び出してきた。

「スカイフィッシュ変種が……二体だと!」

マティアスが声を荒げる。
マントにドクロのマスクを被ったスカイフィッシュ。
それが二人立っていた。
後ろから飛び出してきたスカイフィッシュが、担いでいたロケットランチャーをこちらに向ける。
巨大な砲弾が火を吹き、放物線を描いてこちらに向かって吹き飛んできた。

「マティアス、どうするんだ!」

大河内が悲鳴のような大声を上げる。
マティアスは飛んでくるロケットランチャーの砲弾を睨みつけ、口の端を裂けんばかりに開いて笑った。

「大人を……赤十字を舐めるなよ!」

嘲るようにそう言った彼に、別の職員が地面を手で叩いてから叫んだ。

「閉鎖領域への夢座標の転送、完了しました。扉を開きます!」
「開放しろ!」
「了解!」

ロケットランチャーの砲弾が、戦車に打ちあたって炸裂する……と、大河内が汀(なぎさ)を強く抱きしめ、彼女を庇うように体を丸めた瞬間だった。
職員の一人が叩いた地面に、木造りの扉が出現した。
それがひとりでに開き、中から数人の人影が、戦場の様相を呈している空間内に踊り込んできた。

そのうちの一人が、人間とは思えない程の跳躍をして、今まさに炸裂せんとしている砲弾を手で掴む。
次いで人影は、思い切りそれをスカイフィッシュ達に向かって投げ返した。
ロケットランチャーを担いだスカイフィッシュが、慌ててもう一発のランチャーを発射する。
空中で二つの砲弾が衝突し、まるで昼間のように光が飛び散り、爆炎と鉄の破片が周囲を舞った。

「パパ……!」

汀(なぎさ)が悲鳴を上げて大河内にしがみつく。
大河内は爆炎で吹き飛ばされないように、しっかりと汀に抱きついた。

「くく……」

押し殺した声で、マティアスが笑った。

「もう終わりだよ、お前ら」

ポケットに手を突っ込んで、彼は戦車の上に仁王立ちになった。

彼を守るように、扉から出てきた人影が四つ、戦車の周りに立って腰を落とす。
そして四人同時にチェーンソーの鎖を引っ張った。

「え……」

大河内は目を見開いて、その光景を見た。

「スカイ……フィッシュ……?」

四人。
ドクロのマスク。
黒いボロボロのマント。
ジーンズに血にまみれたタンクトップ。
同じ格好をしたスカイフィッシュが、四人、大河内達を守るように立っていた。
ドルンドルンとチェンソーのエンジン音があたりに響き渡る。

「どういうことだ……? スカイフィッシュが……四人も……」
「対スカイフィッシュ変種用の、GDが保有している『人工スカイフィッシュ』だ」

ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべながら、マティアスは大声を上げた。

「よーしいい子たちだ! お前たちの目の前にいるあいつら! 食っていいぞ!」

スカイフィッシュ達が、マスクの奥の口を開けて金切り声のような絶叫を上げる。

「マティアス! 私はこんなもの知らないぞ! 何だ、人工スカイフィッシュって!」

大河内が真っ青な顔をして怒鳴る。
マティアスはうずくまっている彼を見下ろして、鼻の端を歪めて笑ってみせた。

「その名の通り、人工的にスカイフィッシュに『した』子どもたちだよ。実験の副作用で、理性なんて消し飛んでるけどね。まぁ……ボディガードにはそれくらい単細胞な方が適してるから、問題ない」
「問題ないって……お前!」
「とことんやり方がクズだな。赤十字……」

そこで、日本刀を構えていたスカイフィッシュ変種が口を開いた。
何度も聞いた声。大河内が歯を噛んで、汀を背後に庇う。

「工藤……一貴!」

一貴はスカイフィッシュの仮面を脱いで脇に捨て、ギラつく目で大河内とマティアス達を見回した。

「僕達みたいな子供を意図的に量産するなんて、性根が腐った人間しか思いつかないことだ。お前たちが考えそうなことだよ」
「テロリストに非難されるほど、非人道的なことを行なっているつもりはないんだがな」

マティアスは戦車の上で腕組みをすると、一貴を冷たい目で見た。

「よってお前達と話し合いをするつもりも、情けをかけるつもりもない。ここで八つ裂きにして虚数空間に投げ込んでやる」
「随分と強気じゃないか」

一貴が空中に浮遊していた日本刀の一本を手に取り、構える。
その背後でもう一体のスカイフィッシュ変種がマスクを脱いで髪を掻きあげた。

「君は……!」

大河内が声を上げる。
岬はそれを無視して、ゴミでも見るかのような目で周囲を見回すと、一貴に向かって口を開いた。

「……片平理緒がいないわ」
「そうみたいだね。でもなぎさちゃんがいる」
「私は、片平さんを殺したいんだけど……」
「分かってる。それは時期を見て必ず、岬ちゃんにさせてあげるよ」

一貴はそう言うと、自分たちを取り囲むように包囲を狭めてきた、四体のスカイフィッシュを見回した。

「こいつらを作るために、一体何人のマインドスイーパーを犠牲にした!」
「さてね……」

マティアスはクックと笑ってから肩をすくめた。

「いちいち数えるのが面倒くさくなったから、僕は知らない。電算処理部にでも聞いてくれ」

パチン、とマティアスが指を鳴らす。
途端、チェーンソーを回転させながら四体のスカイフィッシュが、一斉に一貴と岬に襲いかかった。
一貴は自分に向かってきた二体を見据え、日本刀を構えて腰を落とした。

「岬ちゃん、残り任せたよ」
「うん」

岬が頷いて、手に持っていたロケットランチャーを振る。

アサルトライフルを脇に挟み、彼女はためらいもなく飛びかかってきた二体に向けてそれを乱射した。
銃弾を真正面から浴びて、二体のスカイフィッシュが吹き飛び、地面を転がる。
しかし銃弾は貫通することなく、バラバラと地面に転がった。
無傷のスカイフィッシュ達がまた岬に飛びかかろうとして……。
ズンッ……。
という重低音と共に、周囲が凄まじい地震が起きたかのように揺れた。
悲鳴を上げた汀(なぎさ)を支えたまま、大河内が戦車の上から転がり落ちる。
マティアスも身をかがめたほどだった。
地面に打ち当たる寸前、大河内が汀(なぎさ)の下に体を滑り込ませ、彼女を受け止める。
したたかに肩を打ち付け、大河内は息をつまらせて激しく咳き込んだ。

「パパ……! パパしっかりして!」

汀(なぎさ)が声を荒げて大河内を揺さぶる。

「な……何が……」

マティアスが顔を上げ、そこで彼は目を丸くして動きを止めた。
直径十メートルを超える巨大な黒光りする「鉄球」が、地面にめりこんでいた。
どこから現れたのか、何を変質させたのかわからないが、とにかく規格外の大きさだった。
その天辺に岬が立ち、マントを風に揺らしていた。

「いっくん、片付いたよ」

彼女がそう言って飛び降りたところで、マティアスは見てしまった。
二体のスカイフィッシュが、鉄球に押しつぶされて、まるで虫の標本のようにぐちゃぐちゃな血反吐の塊になっているところを。

「うっ……」

思わずえづいた彼の目に

「早かったね」

と言って日本刀を、飛びかかってきたスカイフィッシュの口に突き刺した一貴の姿が映る。

彼は地面にスカイフィッシュを縫い止めると、残った一体に向けて口をすぼめて強く息を吐いた。
熱風。
いや、違う。
炎の竜巻が巻き起こり、残った一体の体を吹き飛ばす。
虚数空間に落ちていったそれを見下ろして、一貴は息をついた。

「迎撃部隊全滅しました……! マティアス!」
「外部との連絡通路、構築出来ません! 何らかの阻害電波が発せられています!」

職員たちが悲鳴のような声を上げる。

一貴と岬は悠々と足を進めると、戦車から少し離れたところで歩みを止めた。

「まぁ、経験と素質の差ってことで……同じスカイフィッシュだと思ってもらっては困るんだよね」



第21話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/22に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。

m(_ _)m

もうてんやわんやww、仮面ライダーでも来てくれたらいいのに


医者とも傭兵ともつかない男マティアス、マインドスイーパーにしてはなんというか「流儀」が違う?北欧の人だからか。名前もラテン系だし流れ者なのかな

岬ちゃん…狂気に飲まれたか?

皆様こんばんは。
第21話を投稿させていただきます。

>>75
マティアスは機関専属の闇医者的ポジションの人間です。暗部ですね。
非人道な人体実験をひけらかしているのも、そのあたりが関係しています。

>>76
岬はこの時点でスカイフィッシュの悪夢に精神の大部分を汚染されてしまっています。
忠信のような状態になってしまっています。



第21話 アンリエッタ・パーカー



「まさか……そんな馬鹿な! 迎撃用に用意したスカイフィッシュが全滅だと? この短時間で……!」

狼狽しているマティアスに、大河内は怒鳴った。

「どうにかできないのか! このままだと全員殺されるぞ!」
「あんた達には二つの選択肢がある」

一貴がそう言って日本刀を、倒れたスカイフィッシュの頭に突き立てた。
そして淡々とした目で、自分を取り巻く恐怖の感情を見回して続ける。

「今、ここで皆殺しにされて飛行機ごと罪のない乗客達と海の藻屑となるか。もう一つは、抵抗せず、静かに『網原汀』の身柄をこちらに引き渡すという選択肢だ」

なぎさ、と聞いて汀(なぎさ)が顔を上げて一貴を見る。
その怯えたような小動物のように震える目を見て、一貴は一瞬怪訝そうな顔をした。

しかし一拍後、その目が見開かれ、やがて彼は口をあんぐりと開けて、よろめいた。

「いっくん!」

岬が慌ててその体を支える。
一貴は自分を見つめる汀(なぎさ)を見ながら、岬に寄りかかって息をついた。

「はは……ウソだろ……」

自嘲気味な乾いた笑いが彼の喉から出た。
一貴は片手で顔面を覆うと、わななく手で髪を毟らんばかりに掴んだ。

「ウソだろ!」

一貴の怒鳴り声を聞いて、問いかけようとした岬だったが、彼女も汀(なぎさ)のことを見て停止した。

「……あなた……誰?」

唖然としたように問いかけられ、汀(なぎさ)が硬直して大河内にしがみつく。
岬は目を怒りに燃え上がらせながら、手にしたショットガンを周囲に向けた。
そして発狂したかのように喚き出す。

「なぎさちゃんをどこにやった! 汚いぞ、赤十字!」
「違う。岬ちゃん。あれが……なぎさちゃんだ」

一貴が歯を噛み締めながら立ち上がった。
そして日本刀を両手に構えながら足を踏み出し、地面にへたりこんでいるマティアスに大股で近づく。

悲鳴のような声を上げて逃げ出そうとしたマティアスの足に、彼はためらいもなく日本刀を叩き込んだ。
陰惨な悲鳴が周囲に響き渡り、太ももから両断されたマティアスの右足が、屠殺場の肉の塊のように転がる。
噴水のように血を噴出させ、わけの分からない言葉を喚きながら地面を転がるマティアスの頭を踏みつけ、一貴は半ば瞳孔が開いた目で彼の顔を覗き込んだ。

「一つだけ質問をしよう」

凍った鉄のような、抑揚がない声だった。
ヒー、ヒー、と喉を鳴らすマティアスに、一貴は静かに問いかけた。

「何をした?」

マティアスはそれを聞き、しかしクック……と震える喉を鳴らして笑った。
そして一貴に手を振り上げ……。
脇に立っていた岬が、表情も変えずに、ショットガンの引き金を引いた。
サバイバルナイフを持っていたマティアスの右腕が銃弾に吹き飛ばされて粉微塵に飛び散る。
絶叫した彼の頭を強く踏みにじり、一貴は静まり返った周囲を気にすることもなく、繰り返した。

「お前、僕のなぎさちゃんに何をした」

マティアスは痛みに体を痙攣させながら、口の端を歪めてニィ、と笑った。

「わからないか……?」

かすれた声で問いかけ、彼は息を吸い、吐いた。

「もう少し賢いと思ったんだがな……テロリスト……」
「…………」
「切り取った精神真皮は腐敗してた……破棄したよ。つまり、『網原汀』という存在は、もうこの世界には存在しない……」

無言の一貴を、残った左腕を上げて指差し、マティアスは大声で笑った。

「俺達の勝ちだ! テロリスト、お前達が求めていた、ナンバー4はもう既に死んでるんだよ! あそこにいるのは外側だけのただの人形さ!」

「何……だって……」

大河内がマティアスの怒声を聞いて、汀(なぎさ)を抱きながら引きつった声を発する。
彼は何か言葉を続けようとしたが失敗した。

「どんな気分だァ? 仲間を殺されるっていうのは! なぁ教えてくれよ、テロリスト? やっぱり悲しいものなのか?」

呆然としている一貴を嘲笑し、マティアスは血が混じった唾を吐き散らしながら叫んだ。

「そしてお前らはもう逃げることはできない! のこのこ乗り込んできた時点で、俺達の勝ちは」

パァン、とショットガンの炸裂する音が響いた。
腹部をグチャグチャに破壊されたマティアスの体が、何度か痙攣して力をなくす。

「うるさい」

岬がゴミでも処理するかのように呟き、一貴の肩を掴んだ。

「しっかりして、いっくん。とりあえずあのなぎさちゃんの精神中核を持って、早くダイブアウトしよう」
「ダメだ、岬ちゃん。僕達はどうやら、こいつの言うとおりにハメられているみたいだ」

一貴が頬に浮いた汗を拭い、舌打ちをする。
その目にはわずかに焦りの色が浮かんでいた。

「急いで。すぐにダイブアウトするよ」
「どうして? 外側だけでも、あそこになぎさちゃんが!」
「早くしないと僕達全員死ぬ!」

いつになく緊迫した声で一貴が怒鳴る。
岬がビクッとして、そして耳元のヘッドセットを操作した。
そして目を丸くして硬直する。

「ウソ……そんな……」

一貴が無言で、地面にパンッと手をつける。

そこに木造りの扉が開き、彼はそれを開けた。

「ま……待ってくれ!」

大河内がそこで立ち上がり、大声を上げた。
一貴が動きを止め、首だけを曲げて大河内を見る。

「聞きたいことがある。さっきの……さっきの話は、本当のことなのか!」

一貴は怪訝そうな顔をして、大河内を睨みつけた。

「お前達がやったことだろう」
「違う……私は……私は……!」

大河内は手を握りしめ、絞り出すように言った。

「この子を救いたかった……!」

一貴はしばらく大河内を睨んでいたが、岬に手を引かれ、息を吸ってから言った。

「時間がない。早く現実世界に戻って、管制局に連絡するんだ。このままでは、俺達もお前らも皆殺しにされる」
「……どういうことだ?」

目を見開いた大河内に、一貴は続けた。

「外の仲間から連絡があった。空自の戦闘機が三機、こちらに近づいてきている」
「戦闘……機?」

言われたことの意味がわからず呆然とする大河内。
一貴は、周囲で息を飲んだ看護師達を見回して、言った。

「僕達の飛行機は、お前達の乗っている飛行機の真上を飛行中だ。戦闘機に補足されたら破壊される。その意味がわからないわけはないだろう」

「私達は……」

大河内は震える手で顔を覆った。

「囮にされたのか……!」
「僕達はここを離脱する。早く着陸先の空港に連絡をしろ。連絡途絶状態でなければ、もろとも撃墜されることまではないはずだ」

一貴はそこまで一気に言うと、扉の中の暗闇に体を滑り込ませた。
そして一瞬、怯えた目の汀(なぎさ)を見つめて扉を締める。
そこで、大河内達の意識はホワイトアウトした。



「やられた……!」

簡易ベッドから飛び起きて、一貴はヘッドセットを床に叩きつけた。
その隣で岬が目をこすりながら緩慢に体を起こす。

「すぐになぎさちゃんの捨てられた精神真皮をサルベージしないと……」
「ダメだ、時間がない」

頬に汗を浮かせながら、結城が言った。
そして一貴の頭を掴んでベッドに押し戻し、低い声で言う。

「離せ! 今はお前と話してる時間は……」
「黙れクソガキ。お前には私らを追ってきてる戦闘機のパイロットを殺しに行ってもらわないといけない」

冷たい、鉄のような目で結城は一貴と岬を見下ろした。

「ダメだ! 時は一刻を争うんだ!」

喚いた一貴の頬をパァン、と結城は張った。
一瞬呆然とした一貴の髪を掴んで、彼女は無理矢理に自分の方を向かせた。

「奇遇だね。あたしらも一刻を争うんだ。話し合ってる時間はない。行け」
「…………!」
「それともあの旅客機に乗ってる、網原汀の外側と一緒に、この空の上で爆裂四散するかい? 赤十字……いや、日本政府は、マインドスイープを妨害してるテロリストであるあたしらを殺すためなら、旅客機の一つや二つ、簡単に見捨てるんだよ。ただの事故として処理されて終わりさ。あたしらの理想も実現できずに、幕を下ろす。それでもいいのか?」

一貴は歯を噛み締めて、ベッドに横になった。
結城が転がっていたヘッドセットを彼に被せて、計器を操作する。

「残念だったな一貴。あっちの旅客機に退避勧告が遅れた。あと二分くらいで空自の戦闘機と接敵する」

結城がそう言ったところで、岬が力なく咳をし、ベッドの上に盛大に吐血した。
白衣を着た看護師達が岬に群がり、処置を始める。

「岬ちゃん……!」
「無理のしすぎだ。一貴、集中しろ」
「……分かった。どうすればいい?」

無理矢理に気持ちを切り替えた一貴に頷き、結城は続けた。

「この飛行機から、半径五キロ圏内に、眠りを誘発する妨害電波を発生させる。ある程度の指向性をを持たせて、戦闘機に向けて電波を照射する」
「戦闘機の速度だ。当たるとは思えない」

「だろうな。当たったとしても一瞬だ。戦闘機のパイロットの意識を、一瞬だけノンレム睡眠間際の、朦朧状態にする。その一瞬で、お前はパイロットの意識下にダイブ。殺せ」
「ダイブラインの通信電波は?」
「問題ない。ここから半径二百キロの範囲でお前の意識を飛ばせる」

淡々と計器を操作しながら結城が言う。
一貴は奥の部屋に運ばれていった岬を一瞥し、ベッドに体を預けた。

「分かった。殺してくる」



それから一貴が目を覚ましたのは、三時間ほどが経過した夕方だった。
ゴウンゴウン、という飛行機の駆動音が響いているのを聞いて、自分が空の上にいることを自覚する。
隣には無表情で医療器具の計器を操縦している結城の姿があった。

「起きたか」

静かに呼びかけられ、一貴は力が入らない体を無理矢理に動かし、上半身を起こした。

「無理するな。短時間の間にスカイフィッシュになりすぎたんだ。しばらく体は麻痺してる」
「僕は……どうしたんだ?」

その問いかけに、結城は怪訝そうな顔を一貴に向けた。

「何だ? 何言ってるお前」
「結城? 何で僕はここにいるんだ? いつの間に飛行機に……」

一貴は戸惑った顔で周りを見回した。

「岬ちゃんは? これからなぎさちゃんを助けにいかないと……」
「お前……」

結城は一瞬だけ、つらそうに顔を歪めた。
やるせないような、苦しい、悲しい顔だった。
しかし彼女はすぐに表情をもとに戻し、眼鏡の位置を直した。

「……そうだな。だが、しばらく休息が必要だ。これ以上動くと死ぬぞ、お前」

そう言いながら、結城は一貴の点滴に、金色の液体を混ぜた。

「そうだな……」

一貴は頷き、目を閉じた。

「なんかだるい……力が出ねえや……」



静まり返った会議室で、圭介はアイパッドをデスクに置いてそこを見つめていた。
「Albert Godark」と書いてあるアイコンが点滅し、重苦しい声が流れ出す。

『極秘で出動させていた、日本空自の戦闘機が三機、撃墜された。撃墜……と言うよりは、全機コントロールを失って海面に突っ込んだ。大破、残骸さえ見つからず粉々になったらしい』
「…………」

無言の圭介に、通話の先の男性……アルバートは続けた。

『失敗だな、ドクター高畑。君が立てた計画通りに動いたが、肝心のところで詰めを誤ったらしい。網原汀の身柄を囮に、飛行機ごとエサにしておびき出すまでは良かったが……おびき出したテロリストの戦力と能力を見誤るとは、君らしくもない。今まで何を見てきたのかね?』

責めるような口調を受け、しかし圭介は眼鏡のズレを直して、裂けそうな程口を開いて、ニィと笑った。
カメラで相手側に表情が伝わっていたのか、沈黙が返ってくる。

「失敗? 世界医師連盟の重鎮である、あなたらしくもない断言ですね」
『どういうことだ?』
「ことは予定の範囲内です。私の計算通りならば、テロリストの保有するスカイフィッシュは、今回の無茶なジャックで行動不能になっているはずです。しばらくは動けないかと思われます」
『……君は……』

アルバートが声を落として言う。

『まさか、空自の戦闘機まで捨て駒にしたとでもいうのか?』
「スカイフィッシュの危険性を侮ってはいけません。今回、テロリストは飛行中の戦闘機パイロットの脳内に強制ジャックをかけてきました。おそらくそれで、パイロット達は一時的に昏睡状態に陥り墜落したのです」
『分かっていたのか……!』
「分かっていなければ、計画は立てられないと思いますが?」

何でもないことのように無表情で返し、圭介は続けた。

「予定通り、大河内医師達を沖縄の那覇空港に着陸させてください」
『待て。今テロリストのスカイフィッシュが動けなくなっているのならば、叩くのは今ではないのか? 奴らの航空機の座標をロストする前に……』
「流石にあなたといえど、三機も自衛隊の戦闘機をお釈迦にしておいて、今後何もないとは思えませんが……やめておいた方がよろしいかと」

淡々と言い放った圭介に、アルバートは声を張り上げた。

『貴様……! 私を利用し脅すつもりか!』
「ええ。利用し脅すつもりです。それが何か?」

機械のような声と無表情を受け、アルバートが押し黙る。

「まぁそうカッカせず。いい関係を築いていきましょう。私は、『まだ』あなたの敵ではありませんから」

プツッ、と一方的に通話を切り、圭介は背もたれに体を預けた。
そして、ぬるくなったコーヒー缶の中身を喉に流し込んで立ち上がる。
部屋の対角側には、ジュリアが重苦しい顔をして座っていた。

「ドクター高畑。どこに行くの?」
「ソフィーの腕の結合手術をしなければいけない。君の、『アンリエッタ・パーカー』としての力を貸してもらう」
「私は……」

ジュリアは俯いたまま、両手を弄びながら小さな声で言った。

「……反対よ。こんなの、人間のやることじゃない……」
「へえ……」

意外そうに圭介は顔を上げ、ジュリアに近づいた。

そして俯いた彼女に覆いかぶさるようにその顔を覗き込み、無表情の目を向けた。

「理緒ちゃんを殺しておいて、よくそんなこと言えるな」
「あれは……!」

弾かれたように顔を上げ、ジュリアは必死の形相で圭介に叫んだ。

「ああするしかなかったじゃない! あなただって了承していた!」
「でも人間一人の精神を破壊し、元に戻らなくしてしまったのは事実だ。俺はその手伝いをしたにすぎない。あの作戦の陣頭指揮は、君がとっていた。分かるか? 理緒ちゃんを殺したのは、君だ」

ゆっくりと反芻するように言い、圭介は子供にやるように、震えるジュリアの頭を撫でた。

「人間殺すのははじめてか?」
「そんな……違う、私は、私は殺してなんかいない……あの子を治療した。確かに治療したわ!」
「その結果、理緒ちゃんの主人格は永遠にロストした。何現実から目を背けてるんだ」

圭介に無慈悲に断言され、ジュリアはテーブルに手を叩きつけて立ち上がった。

「何を言いたいの……? 私を責めているんですか!」
「いや……全然そんなことは。ただおかしくてね」
「……おかしい?」
「一人殺せば、十人殺しても百人殺しても同じさ。結局は人殺しなんだ。医者なんて。一万の命を救ったとしても、一人殺したら、そのカルマを永遠に背負わなければいけない。消えることがないカルマだ」
「…………」
「人殺しの責任なんて誰もとれない。だから俺達は、いずれ考えることをやめなければいけない。そう……俺達は既に自殺病に侵されている。緩やかにカルマに押しつぶされて、死に近づいている」

圭介はアイパッドをカバンにしまって、出口に向かって歩き出した。
ジュリアが力なく椅子にへたり込む。

「自殺病にかかった人間は幸せにはなれない。決してだ。いや、なってはいけないんだ」
「ドクター高畑……あなたは……」
「君は、そんなこともまだ分からないのか? アンリエッタ・パーカー」

名前を呼ばれ、ジュリアが口をつぐんで視線をそらす。

「施術は十四時からだ。遅れないで来てくれ」

圭介の姿が廊下の向こうに消える。
ジュリアはしばらく、形容し難い痛みに襲われているかのようにうずくまっていたが、やがてポケットから携帯電話を取り出し、番号を押した。
そして耳に当て、数コール後に応答した相手に、英語で何かを言う。
一言、二言返され、ジュリアは少し沈黙した後、肯定の意思を伝えたのか、何度か頷いてから答え、電話を切った。
その手から携帯電話が滑り落ち、テーブルの上で乾いた音を立てた。
俯いたジュリアの目から一筋涙が流れる。

(中萱君……私は……)

たまらず、ジュリアは両手で自分の顔を覆った。

(あなたのことが、好きでした)



「着いた……のか……?」

ざわつくファーストクラスのエリア内で、大河内は汗を拭って口を開いた。
アスガルドと名乗るテロリストによるハイジャック。
それにより、強制的な眠りから目覚めた機内の乗客は、一時的にパニックに陥っていたが、先程沈静化し、那覇空港に無事に着陸したのだった。
汀(なぎさ)は目を覚まさなかった。
意識内を刺激しすぎたのだ。
薬も投与してあるので、しばらくは起きないと思われる。

(この子は……もう、汀(みぎわ)ちゃんじゃないのか……)

大河内は胸を抑え、えぐりこむような痛みに息をつまらせた。
過去、一貴にやられた通り魔のときの傷が、興奮により少し開いてしまったようだ。

「ドクター大河内。汗を……」

看護師が差し出したハンカチで顔を拭い、大河内は視線を横にスライドさせた。

そこには、酸素吸入器を口に取り付けられ、空港の職員達により真っ先に運び出されていくマティアスの姿があった。
おそらく、もう事切れている。
殺したのだ。
あのスカイフィッシュの少年少女達が、あっさりと。
汀(みぎわ)の施術をしたマティアスが死亡してしまった今、彼女の精神真皮がどこにいったのかを知る術はない。
つまり。

(汀(みぎわ)ちゃんは……永遠にこの世界からロストしたんだ……)

死。
汀(みぎわ)は既に死んでいた。
その残酷過ぎる、しかしあっさりとした事実を大河内はまだ理解ができていなかった。
じゃあ、目の前にいるこの子は何だ。
汀(みぎわ)の顔をし、声をし、同じように笑い、同じように怒る。
だが……別人なのだ。
人造で生み出された仮想の人格。
存在しないはずの人間が、目の前にいた。
圭介から遠ざけようとしたのが裏目に出てしまった。
これでは沖縄で、ただ単なる孤立状態になったと同じだ。
テロリストがいつ自分達の意識下にダイブしてくるかも分からない。
もう、大河内に打てる手は何もなかった。
頭を抱えて体を丸めた大河内だったが、看護師の一人がその肩を叩いた。

「ドクター大河内。そろそろ降りないと……」
「あ、ああ……とりあえず、沖縄の赤十字病院に避難しよう。マインドスイープの妨害電波を発する設備があったはずだ」
「分かりました。この子は……」

数名の看護師が近づいてくる。
大河内は胸を抑えて立ち上がり、汀(なぎさ)の体を持ち上げた。

「私が連れて行く。君達は早急に病院への移動手段を準備してくれ。次にジャックされたら全滅する」
「分かりました」

頷いて看護師達が機内を出て行く。
大河内は足を引きずりながら、飛行機の出口に向けて歩き出した。



夢の世界で、手術台に寝かされたソフィーは、重苦しい顔で近づいてくるジュリアを見て、不安そうな表情を浮かべた。
その脇には、白衣のポケットに手を突っ込んだ圭介がいる。
二人とも、ジュリアの中にマインドスイープしてきたのだ。

「時間がないわ。ソフィーさん、あなたの腕を切除して、この腕を接続する施術を始めます」

ジュリアが、夢の中に持ち込んだのか、台の上に乗った子供の腕を持ち上げてソフィーに見せる。
ソフィーはジュリアからその腕に視線を移し……その目が大きく見開かれた。

「え……」

かすれた声で呟き、弾かれたように上半身を起こす。

「ちょっと待って! それは……それは一体何?」

悲鳴のような声を上げて喚くソフィーに近づき、圭介がその頭を押さえて無理矢理に手術台に押し付ける。

「……何を暴れているんだ。ジュリアはこの手術の『専門医』なんだ。施術自体は短時間で終わる。動かないでくれ」
「聞いてないわ! あれは……あれは!」

引きつった声で叫ぶソフィーに、悲しそうな顔でジュリアが子供の腕を持ったまま近づく。
顔面蒼白となったソフィーだったが、圭介がポケットから出した注射器を、彼女の首に挿して中身を流し込む。
一瞬で体が麻痺したのか、ソフィーはガチガチと歯を鳴らして、目を飛び出さんばかりに見開いたまま、かすれた声を発した。

「嫌……嫌よ……そんなのやめて……ひどい、ひどすぎるわ……誰か助けて……」
「痛くはしないわ。すぐに終わる」

淡々とした声でジュリアが言う。
次の瞬間、彼女の髪がざわざわと動き出し、体全体を包み込む大きな白いコートを形成した。
そのパーカーフードの奥。
ドクロのマスクを見て、ソフィーは金切り声の絶叫を上げた。
それはまさにスカイフィッシュ。
悪夢の権化の姿だった。



第22話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/23に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。

m(_ _)m


わりと一貴を応援している自分がいる

乙です。2クール位でアニメ化かドラマ化できそう。
質問や突っ込みたい所が山ほどあるんだけど完結後に受け付けていただけますか?
毎日の更新が楽しみです!


事情通のようであんまりよくわかってない大河内。完全に高畑の手の平。責任を取ってヒゲを剃れ。さては剃ったら童顔だな?

皆様こんばんは。
第22話を投稿させていただきます。

>>108
この話は、複数の主人公の視点で進行させています。
一貴も主人公の一人ですので、最も感情移入がし易い少年なのかもしれませんね。

>>109
ご質問や討論など、ぜひこのスレでさせていただければと思います。
都度ご返信をさせていただきますm(_ _)m

アニメ化やドラマ化ではありませんが、挿絵やイラストつきの同人小説として、近日に発売する予定ではあります。
もしよろしければ、お手にとっていただければ幸いです。
その際も各所で告知させていただきます。



第22話 愛しているよ



酸素吸入器を口に取り付けられ、腕には無数の点滴。
そしてマインドスイープ用のヘルメットを装着させられたソフィーが、担架で運ばれていく。
圭介はヘッドセットを外し、フーッ、と息をついた。
その目が、部屋の隅でうずくまり、パイプ椅子に腰を下ろしたジュリアにとまる。
彼は鼻を鳴らすと、ゾロゾロと部屋を出て行くスタッフ達に続いて出ていこうとして……眼前でバタン、と施術室のドアが閉まったのを見て足を止めた。
ドアノブに手をかけて開けようとするが、向こう側からガチン、と鍵が閉められ動かない。
しばらくして開けようとするのを諦め、圭介はポケットに手を突っ込んで振り返った。
ジュリアが立ち上がり、圭介から数歩下がった場所まで近づいてきていた。
彼女の手には、小さなハンドガンが握られていた。
それをまっすぐ圭介の眉間に突きつけ、ジュリアはどこか悲しそうな、空虚な目を向けていた。

「……成る程な」

意外なことに、圭介は冷静だった。
彼はポケットに手を入れたまま、ジュリアに向き直った。

「いつからだ? アンリエッタ」

彼がそう問いかけると、ジュリアは口元を僅かに歪め、いびつな笑みを発した。
そして掠れた声で答える。

「最初からよ、中萱君」
「そうか……」
「随分と落ち着いているのね……」

小さな声でジュリアがそう言うと、圭介は軽く肩をすくめ、自嘲気味に笑った。

「そんな気はしていた。人造スカイフィッシュである君を、アメリカ赤十字が何の意図もなく派遣してくるわけがない。なにせ……」

圭介は鼻を軽く引きつらせ、淡々と言った。

「俺達には、人権がない」
「……まるで何もかもがお見通しって言う感じの言い方ね……」
「およそ君が知っている限りのすべてのことはな」
「私は!」

圭介の言葉を打ち消すようにジュリアは叫んだ。
そして両手でハンドガンを構え、安全装置を指先でスライドさせる。

「……私はそんなあなたの、達観した物言いが嫌いだった!」
「…………」
「坂月君も! まるで全てを見透かしているような……私達の存在自体をすでに諦めているような……そんな顔も、声も何もかもが大嫌いだった!」

「…………」
「命乞いをしなさい」

淡々とした声でジュリアは圭介に言った。

「死にたくないって! 助けてくれって喚きなさい! 抵抗しなさい! 中萱榊!」

圭介の本名を怒鳴り、ジュリアは一歩を踏み出した。
そして圭介の額に銃口をえぐりこむように押し付ける。

「どうしたの? 何余裕かましてるの? 私が撃てないとでも……そう思っているの?」
「…………」

圭介は小さく溜息をつくと、その場から動くでも、抵抗する様子もなく軽く笑った。
それはどこか諦めたような、悲しそうな、やるせなさそうな。
虚脱した笑みだった。
彼のその顔を見て、ジュリアが言葉を飲み込む。

「いや……君はきっと、引き金を引く。分かってる。これは脅しじゃない」
「…………」
「そして、これは赤十字全体の意思だろう。なら、俺がここで騒いで、たとえ君を組み伏せたとしても。俺が助かる確率は極めてゼロに等しいってわけだ」
「何を冷静に……分析している場合?」
「ああ。最期くらいゆっくりしたいと思ってね」

圭介はそう言って、懐からタバコを取り出した。
そして口にくわえ、ライターで火をつける。
額に銃を押し付けられたまま、彼はフーッ、と煙を空中に吐き出した。
軽く咳をしたジュリアが、咎めるように言う。

「ここは……病院よ」
「硬いことを言うなよ。今までずっと、あの子の世話で吸えなかったんだ」
「いつから気づいてたの……? 私が、あなたを殺すために派遣されてきたって」

ジュリアが問いかけると、圭介はタバコを吸いながら笑った。

「いつも何も」
「…………」
「そういうものだろう。マインドスイーパーの最期って大体」
「……そうね」
「坂月は、そうやって俺が殺したからな」

笑い話のような調子でそう言うと、ジュリアは目を見開いて硬直した。
そして引きつった声を発する。

「坂月君を……? 中萱君……あ、あなたが……?」
「何を驚いてるんだ。知っているんじゃなかったのか?」

圭介はバカにするように鼻を鳴らし、続けた。

「坂月はS級のマインドスイーパーだった。沢山の人を治療したよ。そして、沢山のエラーを心に蓄積させていった。やがてそれは、処理しきれない悪夢の塊となって坂月を侵食した」
「…………」

「元の人格は崩壊。理性もなくなり、自分が誰かも分からなくなった。常に何かに怯え、何かに怒り。人を治し続けたS級能力者は、ただのリビングデッドに成り下がった」
「だから……殺したの?」
「そうだ。それが、坂月の遺言でもあった」
「遺言……?」
「人格が壊れる前に、あいつは俺に、自分自身の治療を依頼していた」

圭介の吸っているタバコから、灰がボトリと床に落ちる。
それを空虚な瞳で見下ろしながら、彼は続けた。

「俺は約束通り、坂月を治療した」
「殺すことは治療ではないわ! それはただの殺人よ!」

ジュリアが叫ぶ。
圭介はしかし、それをやるせない瞳で見返し、ゆっくりと首を振った。

「坂月はそれで救われた。俺は、産まれて初めてその時、人を救った」

「…………」
「最初で最後の、治療だ」

圭介は床にタバコを投げ捨てると、靴のつま先で踏みにじった。
指先でメガネの位置を直し、彼はジュリアをまっすぐ見た。

「坂月は救われた。だが、マインドスイープのネットワーク上にコピーされた坂月の人格は、分裂、増殖を繰り返して『悪夢の元』を延々と生み出し、トラウマとして人の心に介入を続けている。分かるか? 『スカイフィッシュ』というのは、ナンバー1システムの出来損ないの、慣れの果てなんだよ」
「スカイフィッシュが……坂月君の精神体の分裂したものだとでも言うの……?」
「その通りだ」
「嘘よ!」
「じゃあ説明できるのか? スカイフィッシュがどうして同じ姿形をしているのか。どうして介入不能な戦闘能力を有しているのか」
「…………」

圭介は手を伸ばし、ジュリアの頬にそっと触れた。

「全部、坂月の悪夢がモチーフになっているからなんだ」
「それじゃ……」
「君の中にも、坂月の悪夢が感染させられている。君も病人だ」

絶句したジュリアに冷たい目を向け、圭介は手を降ろした。

「……もう少し足掻けると思ったんだがな。存外に早かった。アルバート・ゴダックか? 君に俺の殺害を命令したのは」
「違うわ」
「へえ……?」
「あなたを殺すのは私の意思。あなたのことを、いっときでも好きだった……この私の意思。これは、私が決めた、私の殺意」
「違うな」

圭介はわずかに震えるジュリアの手を見てから、彼女の目に視線を動かした。

「それは植え付けられた殺意だ。誰かにインプラントされた強迫観念だよ」

「違う!」
「……違ったら、いいんだけどな」

そこでフッ、と圭介が笑った。
彼の気の抜けたような顔を見て、ジュリアが息を呑む。

「これを」

圭介はポケットから手を出して、ジュリアに差し出した。
そこには小さな紙切れがつままれていた。

「大河内に渡してくれ」
「そんな頼み、私が聞けると思う?」
「聞くさ。なにせ、君は俺のことが好きだからな」

圭介の表情が下卑た笑みに変わる。

「アンリエッタ。ここで俺が、君のことを愛していると言ったら。君はその引き金を引けるかな?」

小馬鹿にしたような邪悪な言葉に、ジュリアは目を見開いて怒鳴った。

「私を……私を弄んでたばかるつもり?」
「ああ、そうだ。じゃあ逆に聞くが。君は俺を、簡単に殺せるとでも思っていたのか?」

クックと喉を鳴らして笑い、圭介は手を伸ばしてジュリアの、銃を構える右手を掴んだ。
硬直して息を呑んだジュリアの手を引いて、自分の左胸。
心臓に銃口をあてがわせる。

「愛してるよアンリエッタ・パーカー。俺は、君のことが好きだった」
「…………」

歯を噛み締めて圭介を睨みつけるジュリア。
その手がブルブルと震えていた。

「どうした? 俺を殺しに来たんじゃなかったのか?」

「こんなの……こんなの……!」

ジュリアがヒクッ、と喉を鳴らした。
その泣き笑いのような歪な表情を作った顔が歪み……。
彼女の目から涙が溢れた。

「卑怯すぎる……」
「嘘だと分かっていても、動けないだろう。君は『そういう調整』をされているからな」

圭介はニヤニヤと笑いながら、ジュリアの手を握り込んだ。

「撃てよ! 俺を殺すんじゃなかったのか!」

突然の圭介の怒号を聞いて、ジュリアがヒッ、と息を呑む。
そして彼女はよろめいて、その場に尻もちをついた。
カシャン……と安全装置が外れたハンドガンが床に落ちて転がる。
圭介は冷めた目でそれを見下ろし、ポケットに両手を突っ込んだ。

「その程度の存在なんだよ。君も、俺も」

頭を抑えて絶叫したジュリアを淡々と見下ろし、圭介は続けた。

「坂月だって、真矢だってそうだ。俺達……赤十字による第一実験体は、今も昔も只のモルモット。モルモットにはモルモット以外のレールを歩くことは出来ない。だって……モルモットなんだからな」
「…………」

震えながら自分を見上げるジュリアに、鉄のような視線を下ろす圭介。
それは、スカイフィッシュの目に酷似していた。

「俺はずっと考えていた。どうして俺はモルモットなのだろうか。モルモット足り得る定義を作った奴は、一体誰なんだろうか……神ではない。そんなものはこの世にはいない。なら誰? ……坂月と、ずっとそれについて考えていた」
「中萱君……あなたは……」
「俺達をモルモットにし、坂月を壊し、真矢を壊し、こんな腐ったレールを作ったのは一体誰だ。自殺病を蔓延させ、人間の心に腐食するトラウマを植え付けている奴は、一体誰なのか」

圭介は足元の潰れたタバコを踏みにじり、それをドン、と足で叩き潰した。

「俺は坂月と誓った。どんな犠牲を払っても。その『悪魔』を地獄に叩き戻してやると」

「…………」

唖然として硬直しているジュリアに、圭介は続けた。

「だが俺は歳を取りすぎた。君もだ。手足がいる。俺の代わりに、悪魔に鉄槌を下す『カルマ』を持った道具が」
「それが……汀さんだったのではないの?」

震える声でジュリアが言うと、圭介は鼻を鳴らして答えた。

「他に誰がいる」
「あの子は人間よ……あなたの、あなたの復讐のための道具ではない……!」
「汀は真矢を殺した」

淡々と言い放った圭介の言葉に、ジュリアは息を呑んだ。

「え……?」
「マインドスイープした汀の中で、俺達はスカイフィッシュとなったあいつに襲われた。真矢はそこで死んだ。俺を庇って」
「…………」
「真矢のオリジナルは、そこで死んだ」

圭介は小さな声でそう言うと、自嘲気味にクックと笑った。

「分かるか、俺の気持ちが。俺の憎しみが。真矢を殺したクソガキを、あの悪魔を、俺は今までずっと育てていたんだ。ずっと守っていたんだ。俺の大事な真矢を奪ったあの外道を、俺は『治療』していたんだ」
「そんな……」
「だがもう十分だ。準備は整った。あいつは、もう逃げることは出来ない」

裂けそうなほど口を開いて笑い、圭介はポケットから両手を出して横に広げた。

「俺の復讐の準備は整った。そこにおける、俺の生死など大した問題じゃないんだ、アンリエッタ」
「あなたは……何をしようとしているの?」

掠れた声で問いかけたジュリアに、圭介はメガネの奥の瞳に鈍く光を反射させながら答えた。

「赤十字病院を……マインドスイープというシステムを牛耳っている病人達。『元老院』達を、治療するんだよ」

なめるようにゆっくりとそう言い、彼は舌で唇を湿らせた。

「元老院……を……?」
「そのために汀を育てた。テロリストと戦わせた。あいつに治療の術を叩き込んだ。そうだ……アンリエッタ。これは最初から、そう、最初から……元老院と、俺の戦争だったんだ」
「まさか……」
「俺だよ。テロリストを動かして、マインドスイープを妨害していたのは。俺と、坂月だ」
「…………」

絶句してジュリアは後ずさりした。

「無論テロリスト達はそれを知らない。テロに対抗するために組織された、君達『機関』も知らない筈だ。だけどな、事実なんだよ」

圭介は面白くてたまらないという調子で体を曲げて小さく笑い始めた。

「大変だったよ。反乱分子に情報を与えて。わざわざ調整された実験体を助けて……機関とテロの対抗図式を構築するまでに十年はかかった」
「……嘘……」
「嘘じゃない。まぁ、今となっては証明する術はないけどな。証明をするつもりもない」

「テロで、どれだけの人が死んだのか……分かっているの……?」

小さな声で問いかけられ、彼は首を振った。

「興味もないからな。知らない」
「あなたは……!」

ジュリアは弾かれたように顔を上げた。

「あなたは人間ではない……! 悪魔よ! 汀さんを悪魔と呼ぶなら、あなたもその同類よ!」
「……だから何だ」
「だから……」

ジュリアは悲痛な声を上げた。

「だから……!」

言葉にならなかったらしかった。

しばらく圭介は嗚咽するジュリアを見下ろしていたが、やがてポケットからサバイバルナイフを取り出した。

「さて……」

それを逆手に持って、ジュリアに向き直る。

「そろそろ終わりにしよう、アンリエッタ。この現実の世界で。せめてそこで終わりにしよう」
「…………」
「俺はこれから君を殺そうとする。無論抵抗しなければ、俺は君の頸動脈を切断して、殺す。その後、この病院内の全ての赤十字を皆殺しにする」

もう片方の手をポケットに入れ、彼はリモコンのようなものを取り出した。

「計十八ヶ所。この病院には爆薬を設置した」
「…………」

目を見開いたジュリアに、圭介は淡々と言った。

「ボタンを押せば爆発する。まぁ……多数の死傷者は出るだろう」

「それが……」

彼女はわななく手で床に爪を立てた。

「それが医者のやることなの……?」
「アンリエッタ……」

圭介は不気味な能面のような顔で、それに返した。

「自殺病に感染した人間は、もう二度と幸せにはなれない。なってはいけないんだ」
「…………」
「なぜだか分かるか? 自殺病に感染した人間が、マインドスイープのネットワークにアクセスするたびに、ネットにトラウマが放流される。ウイルスだ。つまり、自殺病患者は治療されるたびに、自殺病のウイルスをばらまいている。世界中に」

口の端を歪めて、彼は笑った。

「病原体なんだよ。すでに」

「…………」
「俺はこれから君を殺す。その後ボタンを押す。君が俺を殺さない限り、俺はそれを実行する」

カラカラと空調の音が響いた。
ジュリアは震える手でハンドガンを拾い上げ、立ち上がった。
そして両手で圭介に向けて構える。

「そうだ。それでいい」

彼は銃口が頭を向いているのを確認して、満足げに微笑んだ。

「ああ……これでやっと……」
「…………」

砕けんばかりに歯を噛み締めたジュリアが、指先に力を込める。

「真矢のところに逝ける」

銃声が響いた。



「…………」

タバコをくゆらせたスーツ姿の男性が、苦々しげな顔で施術室の中に立っていた。
彼の周りには、黒服を着た男達が立って警備している。
警察と思われる者が出入り口を封鎖し、数人が遺体を青い袋に詰めていた。

「待て」

タバコの男はそう言うと、足を踏み出した。
そして二つの遺体袋に近づき、片方の半開きになっているチャックを覗き込んだ。
高畑圭介……というネームプレートと、頭部を銃弾で半ば破壊された遺体が、そこにはあった。
タバコの男は舌打ちをして立ち上がった。
視線をもう一つの遺体袋にやると、そこにも頭部が半ば破壊された女性の亡骸があった。

「こちらの男性を射殺してから、自殺したようですね……現場の検証を詳しくしないと、断言はできませんが……」
「警部!」

そこで息を切らせて別の刑事が飛び込んできた。
彼は血溜まりを踏み越えて近づくと、警部と呼んだ男に何事かを囁いた。
それを聞いた途端、男が顔面蒼白になる。

「アンリエッタ・パーカー……私の見込み違いだったか……中萱榊を殺して、自分も後を追うとはな……」

苦々しげに呟いたスモーキン・マンに、警部の男が近づいて、耳元に口を近づけて言った。

「即刻ここから退避を」
「何かあったのか?」
「監視カメラの映像と音声を聞いた結果、この病院には爆発物が設置されているようです。パニックにならないよう、内部の人を誘導しますので、あなたも早く外へ」
「…………」

また舌打ちをして、スモーキン・マンが足を踏み出す。

そこで彼は、血溜まりの中に紙切れが落ちているのを目にした。
さり気なく身をかがめてそれを拾い上げ、血をスーツで拭ってポケットに突っ込む。
そして彼は、火のついたタバコを携帯灰皿に押し込んで、蓋を締めた。
その視線が、圭介が吸って踏みにじったタバコに落ちる。

「……バカ者が……」

苦く、そして重く呟いて、彼は歩き出した。
点、点と血の足跡が、リノリウムの床に広がっていった。



「高畑が……殺された……?」

愕然として大河内は、携帯電話の向こうに震える声を発した。

「そんな馬鹿な……誰だ、殺したのは? テロリストか?」
『それが……ジュリア医師が、施術後に銃で頭部を撃ち抜いたそうで……』
「…………」
『即死です』

電話口の向こうの医師に、大河内は声を荒げて言った。

「ジュリア女史は……? あの人はどうしたんだ?」
『高畑医師を射殺した後、銃を口にくわえて引き金を引いたようです。二人分の遺体が、施術室から発見されました』
「なんだって……」

大河内は言葉を失い、よろめいて椅子に腰を下ろした。

そして腹の傷を手で抑えながら、掠れた声を発する。

「……分かった。関東赤十字病院はどうなった……?」
『病院内に爆弾が仕掛けられているという話があり、一時騒然となりましたが……デマだったようです。爆弾は発見されず、通常通り、今は稼働しています。報道機関への抑制も完了しています』
「…………」

大河内は息をついて天を仰ぎ、電話の向こうに数点指示をしてから通話を切った。
そして頭を抑えて体を丸める。
病院の、音響反射材のような白い壁に囲まれた部屋だった。
かなり広く、幾つかのパーテーションで分けられている。
大河内はそこで点滴を受けていた。
すぐ近くのベッドには、汀(なぎさ)が横になって寝息を立てている。

沖縄赤十字病院の地下、マインドスイープ用の施設だった。
このエリアは、外部からのマインドジャックを妨害する効力がある。
ここにいる限り、テロリストの干渉を受ける心配はないが……反対に、こちらから手出しをすることもできなかった。
マインドスイープのネットワークに接続した瞬間、ハックされる危険性があるからだ。

「高畑……」

大河内は頭を抑えて言葉を絞り出した。
その表情が苦悶と苦痛に歪む。

「逃げるのか……そうやって。卑怯じゃないか……お前はいつも……」

そこで大河内は、看護師の女性が、院内通話用の携帯端末を持って近づいてくるのを見て、顔を上げた。

「ドクター大河内、お電話です」
「何だ? 関東赤十字からか?」

なぜ自分の携帯によこさない、と疑問が頭をよぎった所で、看護師が戸惑いの表情を浮かべて携帯を大河内に渡した。

「いえ……『サカヅキ』という方からです。男性です」
「えっ……?」

呆然として目を見開く。
看護師は彼の様子を見て、怪訝そうに顔を覗き込んだ。

「お知り合いではないのですか? ドクターの親戚の者だということなので、お継ぎしたのですが……」
「いや……知り合いだ。ありがとう、下がってくれ」

大河内は携帯を握り、立ち上がって誰もいない通路側に移動した。
そして保留解除のボタンを押し、耳に近づける。

「……私だ」

『随分出るのに時間がかかったじゃないか』

淡々とした声を受け、大河内は奥歯を噛み締めて、言葉を絞り出した。

「坂月君……」
『生きていたのか? っていう知能指数の低い質問は勘弁してくれ。時間もない』
「……お前が坂月君から分裂した精神体の一つか……」
『ああ。ネットワークを通じて、音声変換ソフトを間に挟んで通話してる。あまり長くは話せない。元老院に逆探知される』
「元老院……?」
『知っていると思うが、先程高畑圭介が死んだ』

大河内の問いかけを無視し、電話口の向こうの「坂月」はそう言った。

「本当のことなのか……やはり……」
『殺したのはジュリア・エドニシア。アメリカ赤十字の……』
「アンリエッタ・パーカーだな。厄介なことになった」

歯を噛み締め、大河内は押し殺した声で続けた。

「こちらの情報部からの情報通りだとすると、あの女は人造で調整されたスカイフィッシュのようだな」
『そうだ。いわば、人の手で作り出された俺のようなものだと言える』
「どこかにアンリエッタ・パーカーの精神が分裂した分裂体がいたら、君が死んだ時と同じように、誰かの悪夢に感染する」
『話が早いな』

坂月は小さく笑いながら言った。

『そこまで分かっているならいいんだ。ジュリア……いや、アンリエッタは、最初から高畑圭介を殺すための「時限爆弾」だったんだよ。生きていてもどっちみち処分されていた。新しいスカイフィッシュをネットワークに放流するためにね』
「何故だ」

大河内の血反吐を吐かんばかりの声に、坂月は言葉を止めた。

「自殺病を根絶するために、ナンバー1システムを作ったんじゃなかったのか……?」
『君は一つ大きな勘違いをしてる』

坂月は淡々とそれに返した。

『マインドスイープは、一つのビジネスだ』
「ビジネス……?」
『自殺病にかかった人間が、赤十字病院で治療される。自殺病のウィルスは誰かにまた感染し、あらたな患者を作り出す。そのサイクルで赤十字という大きなコミュニティは潤い、回る』
「…………」

絶句した大河内を馬鹿にするように笑い、坂月は続けた。

『たまにスカイフィッシュというスパイスも必要だ。簡単潤滑に進むだけではいけない。異分子による妨害があってはじめて、「治療」はさらなる「必要性」を有する』
「…………」
『全て赤十字の……「元老院」の描いたシナリオなんだよ。君達は、ただそれにそって足掻いているにすぎない』

大河内は歯を噛みながら壁に寄りかかった。
そしてズルズルとその場に腰を下ろす。

『そのシステム自体を潰そうとしているのが、テロリストだ。彼らはマインドスイープという行為自体を消し去ろうとしている』
「そんなことが可能なのか……?」
『可能だ』

坂月は重い声で続けた。

『人の夢に入り込めるシステムを掌握し、そこから別の悪夢を、世界中に送り込む。いわば……アンチスカイフィッシュだ。スカイフィッシュを殺すことができる、ウイルスバスターとでもいうものかな』
「そんな……」

大河内は声を荒げた。

「そんな都合のいいことが、できるわけがない!」
『無論、理想通りには行かないだろう。だが、自動でスカイフィッシュを駆逐できる、強力な別の悪夢を患者の心にインプラントできれば、それだけで自殺病の進行をある程度遅らせることが可能だ』
「…………」
『テロリストは、何度もマインドスイープへのジャックを繰り返し、システムの中枢をすでに発見している。次にダイブしてきた時が、彼らの決行の時だ』

「私に……どうしろと言うんだ……」

頭を掴んで首を振る。
そして大河内は弱々しい声を発した。

「高畑は死んだ……汀(みぎわ)ちゃんも、マティアスに殺されてしまった。私一人ではもう何も出来ない……そこにさらに、アンリエッタ・パーカーが二人目のスカイフィッシュとして、ネットワークに放流されたら、もう打つ手は何もないじゃないか……」
『今すぐ、君が保護した女の子をダイブさせるんだ』

坂月ははっきりとそう言った。

「何だって……?」
『網原汀(あみはらなぎさ)君を、今すぐ俺の指定する夢座標にダイブさせろ。君のすることはそれだけでいい』
「待て。あの子の主人格は、もう精神外科医によって削り取られてる。記憶も何もないんだ」

『知っている。高畑からそれは聞いた』
「高畑から……?」
『俺達はそのような状況のために、対抗策を用意しておいた。網原君には、やってもらわなければいけないことがある。主人格をロストしたくらいで、終わらせるわけにはいけない』

恐ろしいことを言い放ち、坂月は大河内に、座標情報をボソボソと伝えた。
その声が、伝え終わったあたりでノイズ混じりになる。

『赤十字に逆探知された。そろそろ通信を切る』
「坂月君! 教えてくれ、この患者は……一体誰なんだ? 誰の頭に汀(みぎわ)ちゃんを連れていけばいいんだ!」
『……君がよく知っている人物さ』
「私が……?」
『その夢座標は、アルバート・ゴダック』

大河内が息を呑んで、メモした夢座標の紙を見つめる。

『俺と高畑が十年かかって割り出した、元老院の最高責任者……全ての赤十字を統括している悪魔の、頭の中だ』



会議室で、大河内は目の前のアイパッドに視線を落とした。
周囲には沖縄赤十字病院の医師達がいる。

「しかし……ドクター大河内。この状況でダイブを行うのは無茶です。それに、誰なんですか、この患者は」

沖縄側の医師の一人が口を開く。
大河内はアイパッドに表示されているカルテを見ながら、重苦しい声を発した。

「この患者は……世界医師連盟の一人。アルバート・ゴダックという男性です」

その名前を聞いて、周囲が息を呑む。

「冗談を……! あなたの情報だと、この患者は……」
「はい。アメリカ赤十字病院の隔離病棟で現在も集中治療中の、重度の全身麻痺患者……数年前の脳梗塞で意識不明となっている、植物状態の男性です」

静かに言い、大河内はアイパッドを叩き、カルテのページをめくった。

「偽名を使っているようですが、この男性で間違いはありません」
「そんな情報をどこから……」

声を上げた医師が、歯を噛んで大河内を睨む。

「いや……そんなことより、ダイブは無理です! 現在テロリストのマインドスイープの妨害を警戒し、全てのダイブ機構へのアクセスが規制されています。ご存知のはずでしょう?」
「分かっています」

大河内はそう言って、息をついてその医師を見た。

「しかし、先程その『世界医師連盟』のアルバート・ゴダック氏に『ダイブ』を行うように、という要請が、私に来ました。ご覧ください」

彼はアイパッドを操作し、そこに表示されている文書を、画面を回転させて全員に見せた。
映し出されたマークを見て、周囲が唖然とする。

「アメリカ国防総省の、セドリック・オーバンステイン大臣からの書面です。そして、彼は私の所属している『機関』の最高責任者でもあります」

アイパッドを持ったまま、大河内は淡々と続けた。

「日本政府への打診は終わっています。ご存知の通り、国防総省からの通達は、世界医師連盟の決定を上回ります」
「待ってください!」

机を叩いて、医師の一人が立ち上がる。

「この植物状態の患者にアクセスして、何をどうするつもりなのか、お聞かせ願いたい。いくら命令があろうと、ここは軍隊ではない。病院です! あなた方特務機関の力押しで、はいそうですかと協力する訳にはいかない!」

周囲の同調する頷きを見回し、大河内は息をついた。
そしてしばらく沈黙してから一気に言う。

「この男は、テロリストの一人です。先程CIAにより、国際手配もされています」

大河内は、嘘をついた。
勿論、国防総省の大臣から送られてきた書面は、本物だった。
先程の坂月の分裂体との会話を途中から録音し、転送。
それを受けてアメリカ国防総省から送られてきた通達は

「アルバート・ゴダックの殺害」

を命じるものだった。
彼がテロリストである、というのは、国防総省のでっちあげである。
そう、つまり大河内の属する機関は……。
簡単に言うと、「世界医師連盟」という組織を切り捨てたのだった。
そこには様々な思惑があるのだろうが、おそらく一番は、共倒れを防ぐため。
テロリストに情報が漏れている可能性のある、アルバート・ゴダックを殺害することで、口封じをしようとしているのだ。

こみ上げてくる吐き気を抑えながら、大河内は腹の傷を掴んだ。
僅かに血が滲んでいるのが分かる。
夢座標を解析した結果。
アルバート・ゴダックは植物人間であることが判明した。
すでに十年以上寝たきりの生活を送っている。
つまり、元老院の最高責任者とは……現実のこの世界からではなく、夢の世界から、坂月の精神体のように干渉し、動かしていたことになる。

「国際指名手配犯です。ネットワークに逃げ込まれる前に、精神中核の身柄を確保しなければいけません」
「なるほど……しかし危険すぎる」

大河内の言葉を聞き、医師の一人が歯を噛む。

「沖縄赤十字病院から出せるマインドスイーパーは、今は誰もいません。これ以上スイーパーの命を危険にさらす訳にはいかない。私達でダイブしようにも、時間がもつかどうか……」

「大丈夫です。私が連れてきた子を使います」

静かにそう言い、大河内はアイパッドをデスクに置いた。

「時間がありません。逃げられる前にテロリストを捕まえ、このテロを終わりにしましょう。長距離ダイブの用意を、お願いします!」



大河内は眠ったまま目覚めていない汀(なぎさ)の頭にヘッドセットを装着し、何ともいえない苦しい表情で彼女を見下ろした。
ダイブ室に移動して、汀(なぎさ)を長距離ダイブ装置に接続。
大河内はナビでのサポートに回ることになっていた。
本当は大河内も一緒にダイブをしたかった。
そう主張はしたのだが、沖縄から、アメリカの患者にダイブするというその意識の伝達に、大人の大河内は耐えられないと止められてしまったのだ。
破れんばかりに唇を噛んで、彼は眠っている汀(なぎさ)の手を握った。
周囲では沖縄赤十字の医師達が慌ただしくダイブの準備をしている。

「……高畑は死んでしまったよ」

大河内は、汀(なぎさ)にだけ聞こえる小さな声で呟いた。

「ちゃんと話したことはなかったね……私は、卑怯な男なんだ」

反応がない少女の脇の椅子に腰を下ろし、彼は両手で彼女の手を包み込み、額に当てた。
そして絞り出すように続ける。

「私は、真矢ちゃんが好きだった。愛していたんだ。ただ、真矢ちゃんは優しくてね……高畑のことが放っておけなかった。あの二人が惹かれ合って、相思相愛になっていたと知った時、私は狂いそうになった」

自嘲気味に笑って、大河内は目を閉じた。

「高畑を殺してやろうかとも思った。でも、意気地がない私にはそれはできなかった。見ているだけだった。そしてやがて真矢ちゃんは君の中のスカイフィッシュに殺されてしまい、君と高畑だけが残された」
「…………」

眠り続けている汀(なぎさ)に、彼は小さく言った。

「高畑は君を憎んでいた。私はそれを知っていた。私は、真矢ちゃんが命をかけて守った君を、何とかして高畑の手から助け出したいと思っていた。だから機関に入った。でも、私は君を助けられなかった……それどころか、また戦場に送り出そうとしている……」

強く少女の手を握りしめ、大河内は言葉を絞り出した。

「私を……許して欲しい……」
「ドクター大河内、時間です」

後ろから声をかけられ、大河内は汀(なぎさ)の手をベッドに戻してから、立ち上がった。
ダイブ室から出て、ガラス張りのそこを取り囲むように機器が敷き詰められている一角に、大河内はよろめきながら移動した。
そして彼は、ヘッドセットをつけて声を張り上げた。

「ダイブを開始します。彼女の意識をスイープシステムに繋いでください!」



汀(なぎさ)は、真っ白い、どこまでも続く廊下に立っていた。
天井には蛍光灯が縦に並んでおり、時折ブツブツと明かりが切れて、ついてを繰り返している。
二メートル幅ほどの通路はどこまでも伸びており、振り返っても同じ、先が見えない通路しかなかった。
壁も、床と同じ素材なのか白い、ただそれだけのものだ。
通路というよりはトンネルのようだ。

『私の声が聞こえるか?』

耳元のヘッドセットから大河内の声が流れてきて、汀(なぎさ)はビクッとしてヘッドセットを触った。
病院服に裸足の格好だ。
訳が分からない。
そこで彼女は、頭に抉りこむような痛みを感じ、悲鳴を上げて両手で耳を塞いだ。
鼓膜が破れそうな激痛だった。

そのまま床に転がってのたうち回る。
ヘッドセットの向こうで大河内が何事かを言っているが、聞いている余裕はなかった。
汀(なぎさ)の鼻から一筋、血が流れ出す。
しばらくして痛みが鈍痛に変わり、彼女はうずくまって頭を抱えたまま震えていた。
ここはどこで、自分はどうしてしまったのか。
さっぱり分からなかったが、先程の激痛でそんなことを考えている余裕がなかった。

『大丈夫か? 返事をしてくれ!』

大河内の声に、やっと掠れた呟きを返す。

「パパ……?」
『良かった。いいかい? 時間的余裕がない。君の身を守るためにも、私の言うことを、聞き返さずに素直に聞いて欲しい』

大河内の切羽詰ったような声を聞き、汀(なぎさ)は震えながら言った。

「な、何が……」
『君の脳に多大な負荷がかかってる。激痛はそのためだ。君は今、夢の中の世界にいる。今すぐその地点から移動するんだ』
「夢……ここが……?」

呟いて、壁により掛かりながら何とか立ち上がる。

『目的地は別だが、指定地点に寄って欲しいんだ』
「体が……うまく動かない……」
『君の精神がまだ慣れていないんだ。少し動けば適応する。とにかく、そこは危険だ。先に進んでくれ』
「後ろと前が同じで、どっちに行ったらいいのか分からないよ……」

心細げに言われ、大河内は少し考え込んでから答えた。

『壁に扉があるはずだ。すぐ近くに』

言われ、汀(なぎさ)は周りを見回した。
確かに、少し進んだ先の壁に、一つだけ不自然に木造の扉がついている。
その前に移動して口を開く。

「うん……ある」

『中継地点はおそらくそこだ。開いて中に入ってくれ』
「分かった」

頷いてドアノブに手をかけようとしたときだった。
チャリ……という金属音が響き、汀(なぎさ)は弾かれたように振り返った。
少し離れた場所……。
今まで彼女がいた場所に、人影があった。
パーカーフードを目深に被った、足元まで続く長いコートを羽織った華奢な影だった。
しかしそれを見た瞬間、汀(なぎさ)の体が勝手に震えだし、彼女は悲鳴を上げてその場に尻餅をついた。
腰が抜けてしまったらしく、ズリズリと力なく後ずさりする。

『何だ……? 何かいるのか!』

大河内がヘッドセットの向こうで怒鳴る。
しかし汀は答えることができずに、フードの女性……と思われる人を真っ直ぐ見つめていた。

フードの中が異様に暗く、顔を見ることができない。
汀(なぎさ)は体全体を走る悪寒に耐えきれず、「彼女」が足を踏み出したのを見て、金切り声の絶叫を上げた。

「誰かがネットワークに侵入してきたと思ったら……あら、中萱君のペット」

クスクスと笑いながら、女性の声を発した「それ」は汀(なぎさ)の眼前で足を止めた。

「でもお生憎様。あなたをこの先には行かせないわ」
『アンリエッタ・パーカーの精神分裂体……! スカイフィッシュか!』

汀(なぎさ)の耳のヘッドセットから、大河内の声がする。

『逃げろ! その精神体は、トラウマとしての機械的な動きしかしない。早く扉に入るんだ!』

汀(なぎさ)はしかし、動くことができなかった。
震えながら、アンリエッタのことを見上げる。
フードの奥の暗闇で、髑髏のマスクが光ったような気がした。
ドルン、という音がした。
ハッとした時には、アンリエッタが何か巨大なものを持って、鎖を引っ張っていた。
どこから出したのか、と考えるより恐怖が先行した。

チェーンソーの高速回転する刃を振りかざして、フードの化物は汀(なぎさ)に向かってそれを振り下ろした。
殺される、と目を瞑る。
しかし予想された衝撃はいつまで経っても訪れず、汀(なぎさ)は恐る恐る顔を上げ……そして目を見開いた。
自分と同じような病院服の女の子が、いつの間に現れたのか、間に飛び込んできていたのだ。
彼女は、アンリエッタと同じような巨大なチェーンソーを軽々と振り回すと、受け止めていた相手の凶器を跳ね飛ばした。
そしてためらいもなくアンリエッタの頭に向けて振り下ろす。
フードの化物は手を伸ばして、女の子の腕を掴み、チェーンソーの動きを止めた。
凄まじい力が双方にかかっているのか、ミシミシという異様な音が響く。

「何をしているの、網原汀(あみはらなぎさ)! 早くその扉の中に退避しなさい!」

悲鳴のような声を受け、汀(なぎさ)はハッとして立ち上がり、転がるように扉のドアノブに手をかけた。
回して押すと、向こう側に扉が開き、彼女の小さい体が中に転がり込む。
そこで、汀(なぎさ)の意識はブラックアウトした。



第23話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/24に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。

m(_ _)m

乙です。質問どころじゃなくなってきました。後2回でほんとに完結するのかよ?日米欧合作の実写映画版のキャスティングをつい考える自分

皆様こんばんは。
第23話を投稿させていただきます。

>>160
ありがとうございますm(_ _)m
残り2話ですが、最後までお楽しみいただけると幸いです。



第23話 理緒ちゃん



汀(なぎさ)は鈍痛がする頭を抑えて目を開けた。
そこは、どこか南国の浜辺のような光景だった。
白い砂浜が広がっていて、少し離れたところにはゆっくりと波が行ったり来たりしている。
見る限り、砂浜と波以外何もなかった。
空には燦々と輝く太陽。
暑い。
汗を手で拭って、汀(なぎさ)は荒く息をついた。
さっきの化け物は?
助けてくれた女の子は?
慌てて周りを見回すが、どこにもいない。

「ニャー」

そこで足元から声がして、少女は弾かれたように立ち上がった。

白い小さな猫だった。
どこから現れたのか、それが足元に擦り寄ってきて、ゴロゴロと喉を鳴らしながら頭を擦り付けたのを見て、小さく息を吐く。

「猫は夢の世界に生きる動物、と言うが。ここまで適正のある個体は初めてだ。君は、随分とその子に好かれているらしい」

そこで背後から声をかけられ、汀(なぎさ)はビクッとして振り返った。
今まで誰もいなかった場所。
そこに、車椅子に乗った白髪の男性が座っていた。
彼は頭に包帯を巻いていた。
血まみれのその包帯は右目を覆い隠し、両手の指はギプスに覆われている。
足も折れているのか、右足に太くギプスが巻かれていた。
その異様な風体に警戒し何歩か後ずさりした汀(なぎさ)に、彼は軽く笑ってから続けた。

「ようこそ、俺の夢の世界に。もっと近くにおいでよ。この通りの姿だ。君に危害を加えることはできない」

硬直している汀(なぎさ)に、彼は

「ほら」

と言ってギプスの手で手招きをした。
ビクビクしながら近づいた汀(なぎさ)に、目の前に座るように促し、彼は少女が腰を下ろして、震える足を抱え込んだのを見て微笑んだ。

「……怖いかい?」

問いかけられ、少女は頷いた。
そして必死の形相で青年に言う。

「ここはどこなんですか? パパは? あの化け物は一体何? 私はどうしてしまったの?」

そこまで一気に問いかけて、汀(なぎさ)は先程まで聞こえていたヘッドセットからの音が全く聞こえないことに気がついた。
スイッチらしきところを何度も押すが、反応がない。

「どうして……」

愕然としてつぶやくと、青年は何でもないことのように言った。

「『外』の時間軸と、この夢の中の時間軸がズレてるんだ。通信は、この空間を出ないと使えないようにしてもらった。しばらくはスカイフィッシュも入ってはこれないだろう」
「あなたは……」
「俺は坂月。坂月健吾という、赤十字病院の『医者』だ……いや……」

自嘲気味に笑い、彼は目を細めて汀(なぎさ)を見た。

「医者だった、と言った方が良いかな」
「…………」
「今はただ、この情報の海で動けず朽ちていくだけの、ただの『産廃物』さ。そんなに恐怖しないでもいい」
「怪我を……してるんですか?」

問いかけられ、坂月と名乗った青年は首を振った。

「これは怪我じゃない」

そう言って手を上げ、頭にかかっている包帯を引っ掛けてぐるぐると外す。
そしてその中から出てきた「モノ」を見て、汀(なぎさ)は息を呑んだ。
彼の、右側頭部が綺麗になくなっていた。
向こう側が見える。
断面はデータのバグのように、時折ノイズ紛れに歪んでいた。

「指と足も同じでね。まぁ……痛覚はないからいいんだが。もう俺のデータもだいぶ古くなり、欠損しているだけの話だ。気にしなくていい」
「あなたは何……?」

震える声で問いかけられ、坂月は微笑んだ。

「俺は俺さ。君が君であるように」
「私が……私……?」
「そうだ。君は、一体誰だい?」

問いを聞いてそれに答えようとし、汀(なぎさ)は口をつぐんだ。

私……。
私は、パパの娘で……。
娘……?
それは、「いつから」のことだったんだろう。
その疑問が頭に浮かんだ瞬間、えも言えぬ悪寒が体全体を走ったのだった。
思い出せない。
いや、それ以前に私は、いつから私だった?
小さい頃の思い出は?
ママの顔は?
今までどこに住んでいたの?
何も思い出せない。
何も。

「私は……」

震える手で顔を隠し、汀(なぎさ)は呟いた。

「私は誰……?」

「教えてあげよう」

坂月はそう言って、車椅子を汀(なぎさ)に近づけて言った。

「君の名前は、網原汀(あみはらなぎさ)だ。十三歳。日本人。身長は百三十二センチ。体重は三十一キロ」

少女の個人情報をスラスラと言い、坂月は微笑んだ顔のまま、ギプスの手を伸ばして、ポン、と彼女の頭に乗せた。
そして優しく撫でる。

「君は、マインドスイーパーだ」
「マインド……スイーパー……?」
「いいものをあげよう」

坂月はそう言って、彼女の前にギプスの手を、手のひらを上にして差し出した。
そこに赤い、小さなビー玉が乗っているのを見て、彼女は不安げに彼を見上げた。

「これは、君のものだ」
「何……それ……?」

「その猫ちゃんがね、探してきてくれたんだ。これは精神中核と言い、人間の『魂』のようなものさ」
「…………」
「受け取って」

促され、汀(なぎさ)は手を伸ばしてビー玉を受け取った。

「不思議な時代だね。人間の魂も、データのように扱うことができる。人の魂の価値さえ、もうたいしたものはないんだな」

寂しそうに呟き、坂月はキィ……ときしんだ音を立てて車椅子を動かした。
そして汀(なぎさ)から視線を離し、海を見つめる。

「少し難しい話をしてあげよう」

彼はそう言って、囁くように、掠れた声で話し始めた。

「人間の心は、元来病んでいるんだ」
「…………」

何を言われているのか分からない顔をしている汀(なぎさ)を見ずに、彼は続けた。

「人は元々死に向かって歩いている。生きている、一分一秒が死への階段だ。しかし生きている間にそれを事実として認識する人は、どれだけいるだろうか……」

坂月はそう言って息をついた。

「いない。誰も彼も、自分がいつ死ぬかわからない恐怖、その絶望を考えない。認識をしない。だが、意識が認識しなくても、心にはその恐怖……絶望の差異が生じさせるエラーは残る」

太陽がゆっくりと下降を始めた。
あたりが燃えるような赤い、夕焼けの色に包まれる。

「それが自殺病のウイルスの正体さ。人間は元々、心に死へと向かっていく絶望から生じる疾患を持った、患者なんだ。スカイフィッシュは、その病気が生み出した二次災害的なものにすぎない」

「…………」
「今は、俺が何を言っているのか分からなくてもいい。だがいつか分かる時が来る。望むと望まざるとに関わらず、必ず」

掠れた声でそう言って、坂月は続けた。

「中萱という男がいた。俺は、そいつと一緒に『自殺病』を利用して循環ビジネスを演出している機関を潰そうと決めた。そしてそれは、赤十字病院を裏で操っていたアルバート・ゴダックをアメリカ国防総省が処分する決定通知を出し、アンリエッタ・パーカーが死亡し、精神体が放流された瞬間に達成された。中萱は死んだよ。その結果を作り出すために、自ら退場した」

夕陽を見つめて、彼は小さく呟いた。

「最期まで馬鹿な奴だった」

寂しそうな呟きの後、青年は少女を見下ろして言った。

「元老院という組織がある。それは、自殺病を利用して人々の心にウイルスを拡散させ、患者を増やしている機関だ。治療すると同時に、繋いだネットワーク越しに別の人間にウイルスが感染し、ねずみ算式に自殺病患者は増えていく。そういうシナリオさ。でもね、その元老院っていう組織は、君達がいる現実には存在しないんだよ」

目を見開いた汀(なぎさ)に微笑んで、坂月は言った。

「いくら探しても見つからないわけだ。だって、元老院の人間達は、既に自分達の意識を夢の中に落とし込んで、『こちら側』の住人になっているんだから。自分達だけは安全な場所で、世界を玩具のように動かしている存在だったんだ。まさに、悪魔だと思わないかい?」

問いかけ、しかし答えが帰ってこないのを確認してから彼は沈みゆく太陽に視線を戻した。

「君がいたさっきの場所は、アルバート・ゴダックの夢世界に通じる道だ。いずれアンリエッタ・パーカーの分裂精神体は、彼のところまで到達し、殺すだろう。トラウマの塊だからな……そういう調整をされている」
「…………」
「そしてさらに分裂したアンリエッタは、ネットワークから世界中の人間の心に入り込み、新たなスカイフィッシュとなるだろう。その過程で、元老院の精神体達もいずれ殺される。そういう筋書きだ」

彼は車椅子を汀(なぎさ)に向き直らせ、続けた。

「中萱はこう考えた。元老院を全員殺した後……不要になったスカイフィッシュを、どうやって破壊しようかと。そこで選ばれた存在は、君だった」
「私……?」
「そうだ。君が新たなスカイフィッシュ、『アンチスカイフィッシュ』となり、目的を達した後、邪魔な敵をすべて駆逐する。俺は、その橋渡しをする役目だった」

フー……ッと、息を吐き、坂月は真っ直ぐ汀(なぎさ)を見た。

「でも、俺はこうも考えるんだ」
「…………」
「必要な手はすべて打った上で、中萱は死んだ。中萱の誤算は、俺があいつの思う通りに動くと勝手に踏んでいたことだな、とな」

「あなたは……」
「俺の目的は、中萱とは違う。アルバート・ゴダックの殺害と、『スカイフィッシュ』の根絶、その二点だ。だから今回、君をスカイフィッシュへと誘導するのではなく、その精神中核を返すことにした」

淡々とそう言い、彼は手を伸ばして、ギプス越しに汀(なぎさ)の頬に触れた。

「目を覚ませ、マインドスイーパー。君は、君の意思で人を治し、人を救う。治療するんだろう、沢山の人を。誰に操られる訳でもない。誰に謀られる訳でもない。君は君自身の決定で、君自身の信念で戦うんだ。その精神中核が、その決意の印だ」
「え……?」
「君は、精神外科医に精神を切り取られて一度殺されている。『君のオリジナル』は、死んだ。だが、君は持っていた精神中核に、君自身の『魂』の情報を上書きして、殺される前に残していた。おそらく、捕まえたテロリストの少年の精神中核を元にしたんだろう。それが、その中核さ」

微笑んだ坂月が、続けて何かを言いかけ……そして彼は弾かれたように顔を上げた。

「予想よりかなり早いな……やはり、あの子の改造は失敗だったのか……」
「え……?」
「猫ちゃん、この子が目覚めるまで頼むよ。俺はどうやら、ここまでみたいだ」

小さな猫にそう呼びかけ、青年は車椅子を動かし、海と汀(なぎさ)を背にするように移動した。

「その中核を飲むんだ。そうすれば君は、君自身を取り戻すことができる。それから先どうするかは、『網原汀』君。君自身の選ぶ未来だ」

その瞬間、空がまるでガラスのように割れた。
夕焼け空が無数の尖ったガラス片にかわり、雨あられと降ってくる。
坂月は足元の砂をギプスの手ですくうと、自分と汀(なぎさ)を守るように空中に投げた。
砂が傘のように宙に固定され、ガラス片が凄まじい音を立ててそこにぶつかる。

汀(なぎさ)は頭を抑えて悲鳴を上げた。
割れた空の向こうは、銀色のどろどろしたものが流動している空間だった。
そこをかき分けるようにして、小さな病院服の女の子が落ちてくる。
彼女は持っていたチェーンソーを砂浜に叩きつけた。
轟音と砂煙が上がり、彼女がゴロゴロとすり鉢状にえぐれた地面を転がる。

「時間差空間……? くっ……ナビが聞こえない……」

毒づいて、彼女は左腕を振った。
ショットガンがどこからともなく現れ、それを掴む。

「時間は少し早いが……フランソワーズ・アンヌ・ソフィー君だね」

坂月にそう呼びかけられ、ソフィーは彼の方を見て硬直した。
そして大声を上げる。

「坂月……坂月健吾……!」
「俺の顔を知っているのか。さすが天才少女だ。そして、移植自体は成功しているようだな」

暗い笑みを発した坂月を、歯ぎしりして睨みつけ……しかしソフィーは、続けて砂浜に落下してきたもう一つの影を見て、慌ててショットガンを何発も発射した。
もうもうと砂煙が上がり、銃声と飛び散る薬莢に、汀が固まって体を丸める。

「私の体に、スカイフィッシュの腕を移植して……こんなことに……!」

悲痛な声を絞り出したソフィーを、淡々とした顔で見ながら坂月は言った。

「良かったじゃないか。それでS級能力者の仲間入りだ」
「クッ……」

歯を噛み、彼女は震えている汀(なぎさ)を横目で見た。

「まだ覚醒してないの……!」

悲鳴のような声を上げ、彼女は砂煙の向こうで、落ちてきたアンリエッタが無傷で立ち上がるのを見て、唾を飲んだ。

「手伝いなさい、坂月健吾。アレをどうにかしないと、ここで私達は全員殺されるわ」
「勿論、できるだけ足掻かせてはもらうつもりだよ」

車椅子をソフィーの脇に移動させた坂月は、自嘲気味に小さく笑った。

「どれだけもつかは分からないけどね」

彼は振り返ると、足元に散らばったガラス片を見回してから、軽く手を振った。
ガラスの山が、パァンと炸裂して光の飛沫になる。
それらが空中で礫のように幾百もの形を形成した。
おびただしい数の日本刀が宙に浮かんでいた。
まさに、背後をすべて埋め尽くす程の数だった。
坂月は車椅子に悠々と腰掛けた姿勢のまま、軽く指を振り、アンリエッタを指した。
日本刀の群れが、途端、意志を持つ鳥の群体のように空中で渦を巻き、そして突っ立っているアンリエッタに殺到した。
鋭利な刃がパーカー姿の化け物、その腕を切り飛ばし、足を八つ裂きにし、胴体に次々に突き刺さり、脳天を串刺しにし、情緒も何もなく斬り刻んでいく。

唖然として動けないでいる汀(なぎさ)の目に、細切れの肉の塊になったアンリエッタと、砂浜に幾百も突き刺さる日本刀という悪夢のような光景が飛び込んでくる。
吐き気を抑えきれず、その場に胃液をぶちまける。
しかしその光景を見ていたソフィーと坂月は表情を険しくて汀(なぎさ)を守るように少し後退した。
細切れの肉塊になったアンリエッタの、「それぞれ」が蟲のように蠢いた。
それぞれから百足のように節足動物の足が生え、カサカサと動き回り始める。
そして、数百の肉片蟲達はものすごい速度で砂浜を埋め尽くし始めた。

「どうすればいい、坂月健吾! 同じスカイフィッシュのあなたしか対処法は分からないわ!」

ソフィーが悲鳴のような声を上げる。
坂月は溜息をつくと肩をすくめた。

「一つ勘違いをしているな。俺は、坂月の精神体とは言っても、スカイフィッシュになりそこねた出来損ないなんだ。いわば失敗作だな。だからこんな姿をしている。」

「冷静に解説している暇があって?」

ソフィーに睨まれ、坂月は黒い百足が砂浜に軍隊のように整列し、ムクムクと膨れ上がり始めたのを見て、ギプスの指先で鼻の頭を掻いた。

「確かに、その暇はなさそうだ」

膨れ上がった百足達が、粘土細工のように人間の形に変化する。
数秒後には、数百に分裂したアンリエッタ・パーカーが目の前に綺麗に整列していた。
それぞれが全く同じ動きでポケットに手を入れ、ズルリと手斧を取り出す。
かなり大きな手斧がズルズルと引きずり出され、全員が同時にそれを肩に構え、足を踏み出した。
ザッ、ザッ、と化け物達が軍隊のようにこちらに足音を立てて迫ってくる。
坂月はソフィーの前に車椅子を移動させると、軽く手を横に振った。
彼らの脇の海から、波をかき分け、ゆっくりと小さなヨットが浮かび上がってきた。

「網原君を連れて逃げるんだ。残念ながら、今の俺にパーカースカイフィッシュを全滅させる力はない」

ソフィーが目を見開いて、歯を噛む。

「あなたの分裂スカイフィッシュを呼ぶことは出来ないの?」
「この夢は俺の隔離された夢の中だ。『俺の悪夢の元』は入ることが出来ない。それに……」

坂月は軽く笑った。

「俺は、スカイフィッシュの中核をなしていてね。俺が消えれば、中核を失った『坂月スカイフィッシュ』はすべて自壊する」
「何ですって……?」
「だから早く行くんだ。どの道俺は、ここで消えなければいけない」

ソフィーをギプスの手で押し、坂月は天を仰いで小さく言った。

「それが、俺のカルマなんだ。そうだろ、真矢」

ソフィーは舌打ちをして、震えている汀(なぎさ)を抱えるようにしてヨットに引きずりあげた。
白い子猫がジャンプしてヨットに乗り込む。
金髪の少女は、ヨットのエンジンを慣れた手つきで作動させると、急発進させた。

「待って、あの人が……!」

汀(なぎさ)が声を上げる。

落ちそうになった彼女を、舵を取るもう片方の手で押しとどめ、ソフィーはヨットを、暗い海へと驀進させた。

「あ……」

手を伸ばした汀(なぎさ)の目に、車椅子に乗った坂月が、無数の手斧に叩き潰され、そして黒い影に飲み込まれるのがうつった。
しかし、次の瞬間、彼女は息を呑んで硬直した。
海岸をびっしり埋め尽くすように、アンリエッタ・パーカー達が立っている。
その妙に白く光る目玉が、一斉にこちらを向いたのだ。

「あれらの目を見ては駄目! 今のあなたには荷が重すぎる!」

ソフィーが絶叫のような声を上げる。
波を蹴立てて沖に進むヨットの方に、アンリエッタ達は足を踏み出した。
その数百の影がゆらゆらと陽炎のように揺らめき、黒い、ドブ沼のような色になる。
そして全員が海に溶けた。
何を、と思った時には遅かった。

ガクン、とヨットが止まり、エンジンが空ぶかしされる音が響く。
ソフィーがまた舌打ちをし、舵から手を離して左腕を振った。
ヨットの上におびただしい数の手榴弾が、どこからか現れ、ゴロゴロと転がる。
白い子猫が、口を開いて

「シャーッ!」

と何かを威嚇した。

『どこに逃げるの? 馬鹿な子達』

クスクスと笑ったアンリエッタの声が、周囲に反響した。
ゾッとした汀(なぎさ)の目に、海が流動するのが見えた。
煽られてグラグラとヨットが揺れる。
マストにしがみついた二人の少女の前で、ゆっくりと少し離れた海が盛り上がった。
そして海中から、真っ黒な物体が姿を現す。
何だ、と認識する前に、その「目」が赤く光っているのが見え、汀(なぎさ)は悲鳴を上げた。

髑髏だった。
カタカタと顎骨を鳴らした、おぞましい頭蓋骨が、眼窟の奥を鈍く光らせながらこちらにゆっくり進んで来る。
天を衝くほどの、巨大な頭蓋骨だった。
あまりの光景に腰を抜かして唖然とする。
どうすればいいのか、という次元を越えていた。
ソフィーも、手榴弾を手に持った姿勢のまま歯ぎしりをする。

「大きすぎる……何なのこの悪夢の総量……」

彼女は硬直している汀を見て怒鳴った。

「早く精神中核を飲みなさい!」

ハッとして、手の中の赤いビー玉を見る。
しかし口に運ぼうとして、ひときわ大きい波がきてヨットが大きく煽られた。
二人の少女と子猫が吹き飛ばされ、黒い海に頭から叩きつけられる。
水をしこたま飲み、汀(なぎさ)はもったりと粘土のように絡みつく水に抵抗できず、どんどん沈んでいった。

その手から赤いビー玉が離れ、ゆっくりと光を発しながら浮かび上がっていく。
そこに手を伸ばし、彼女はハッとした。
足を誰かに掴まれている。
慌てて下を見ると、白い骨に腐りかけの肉をまとった、腐乱死体のようなものが……海の底におびただしい数漂っているのが見えた。
その中の一体が手を伸ばし、ガッチリと汀(なぎさ)の足を掴んでいたのだ。
少し離れたところでソフィーも足を掴まれてもがいている。
息ができず、肺の中の空気を吐き出す。

(パパ……)

大河内の顔が脳裏に浮かぶ。

私は、ここで死ぬのだろうか。
この悪夢の中で、溺れて殺されてしまうのだろうか。
怖い、苦しい。
誰か。
誰か……。
居もしない神に向かって手を伸ばす。
水面に向かって、彼女は手を伸ばした。
私は……。
私は……。

(私は生きる……!)

そうだ、私は死なない。
私は、幸せになるんだ。
沢山の人を助けて。
沢山の人を救って。
子供もたくさん産んで。
普通の人のように、普通に愛されて。
私は幸せに生きるんだ。
だから……!
水の中で絶叫する。
逆流した水が喉を焼き、肺を焼き……。
その時だった。

『やっぱり、汀(みぎわ)ちゃんだあ』

耳元で声がした。

光る赤いビー玉を大事そうに手で掴んだ少女が、隣に浮いていた。
彼女は持っていた出刃包丁で骸骨を叩き割ると、半ば意識を失っている汀(なぎさ)を抱え、その口に赤い玉を押し込んだ。
そして包丁を投げ、ソフィーを拘束している骸骨を破壊する。
少女に抱えられ、汀(なぎさ)はゆっくりと水面に向かって浮上した。



目を開けた。
転覆したヨットの側部に引き上げられた少女は、自分より少し大きい少女に、口から口に息を吹き込まれ、咳き込んだ。
そしてゴボリと飲み込んだ海水を吐き出す。

「汀(みぎわ)ちゃん、大丈夫?」

口を重ねていた女の子は、髪からポタポタと海水を垂らしながら微笑んだ。
その、どこか焦点が合っていない目を見て、汀(みぎわ)は目を見開いた。

「理緒……ちゃん……?」

掠れた声を発する。
理緒、と呼ばれた少女はニッコリと笑った。

「久しぶりだね、汀ちゃん」

「なんだか……」

汀は体を起こして、理緒のことを強く抱きしめた。
ぐしょぐしょの病院服の姿で、二人の少女が揺れるヨットの上で抱き合う。

「悪い夢を、見ていたみたいだよ……私」
「そうだね。夢、覚めないね」

どこか寂しそうに理緒は呟いた。
そして横目で、風船のように膨らんだ白い猫……小白(こはく)に助けられる形で浮上し、ヨットに這い上がったソフィーを見る。
海水を吐き出して、ギラつく目で臨戦態勢をとったソフィーが、濁った声を発した。

「網原汀! 覚醒したのなら返事をしなさい!」
「怒鳴らなくても聞こえているわ」

汀は立ち上がると、理緒の手を掴んで引き起こした。

「あ……」

しかし理緒はふらつくと、そのまま汀によりかかるように崩れ落ちてしまった。
汀は彼女を見下ろし、そしてその上気した顔を見てハッとした。
強く、砕けんばかりに歯を噛んで、手を握りしめる。
しかし彼女は、その感情を押し殺して、もう一度理緒を助け起こすと、揺れるヨットの上で周りを見回した。
巨大な頭蓋骨が、少し離れた海に浮かんでカタカタといっている。
断続的に大きな波がヨットを揺らす。

「どうすればいいの、網原汀! スカイフィッシュのようだけど、私はアレの対処法を知らない!」

ソフィーが左手を振り、ショットガンを出現させる。
理緒も海中に手を突っ込んで出刃包丁を引きずり出した。
汀は猫のように跳躍しようとした理緒を手で押しとどめ、前に進み出た。

「相手にしないことね。ここから出るわよ」

彼女の端的な断言を聞いて、ソフィーが息を呑む。
そして彼女は歯噛みして、短く聞いた。

「どうしようもないってこと?」
「どっちみちこの世界はもうすぐ自壊するわ。夢の持ち主がさっき死んだから。もう存在していない夢の中に居続けることの方が危険だと思う」

汀はそう言って、理緒とソフィーの肩を掴んだ。

「小白、行くよ」

呟くように言って、彼女はためらいもなく海に身を躍らせた。
再度苦手な水に突っ込まれ、ソフィーが口から空気を思い切り吐き出す。
小白は、汀の意思を汲んだのか、彼女の腰にグルリと救命胴衣のように巻き付いた。
しかし今度は膨らむのではなく、ずっしりと重いオモリになり、少女達を海底に引きずり込もうとする。
何を、と叫ぼうとしたソフィーがしこたま水を飲み、咳き込もうとして失敗した。
海底にたゆたっていたおびただしい数の亡者が三人の体にまとわりついてくる。
汀はそれを蹴散らすように暴れると、二人を掴んだままさらに海底へと水を蹴った。

『逃げるつもり? 馬鹿な子供達……私を置いて逃げるつもり? ねぇ。答えなさいよ』

水を振動させ、頭にとどまらず体全体をグワングワンと揺らす程の強烈な「声」が周囲に響いた。

そして髑髏の顔面が、海上からこちらを覗き込み……ゆっくりと追うように沈んでくる。

『気に入らないわ。その達観した動き。達観した行動力。肝が据わった動き。気に入らない。気に入らない。気に入らない。まるで、私が大嫌いな人のよう』

理緒が汀を守るように、ガチガチと歯を鳴らしながら近づいてくる髑髏の前に手を伸ばす。
ガチン、と巨大な歯が噛み合い、間一髪で理緒の肩を歯がかすった。
赤い血が海中に散る。

『噛み砕いてミンチにしてあげる。無様なヘドロにしてあげる。気に入らない馬鹿達は皆殺しにしてあげる』

ガチンガチンと、三人の少女達を追うように髑髏の歯が噛み合っていく。
声を発することも出来ず、ソフィーは汀の腕を掴みながら左手を振った。
そして水中銃を作り出し、とっさに、近づいてきた髑髏の目玉に当たる場所に向けて発射する。
鋭利なモリがすっ飛んでいき、髑髏の眼窟に吸い込まれた。
二発、三発と発射していく。
髑髏は一瞬動きを止めると、悲鳴のような叫び声を上げた。

水中がグワングワンと揺れ、たまらずソフィーと理緒が耳を塞ぐ。
脳までをシェイクされるような強烈な衝撃に、周囲の空間それ自体が大きくたわんで揺れた。
モリを撃ち込まれた右目の部分から真っ赤な血液を噴出させながら、髑髏は急速な勢いで近づいてきた。
そこで汀が、海底の岩に到達し、思い切りそこに素足を叩きつけた。
ボコリと岩が動き、パズルのピースのようにヒビが広がっていく。
自壊。
腐った精神壁が崩れ始めているのだった。
穴が空いたその場所に、水が物凄い勢いで吸い込まれていく。
汀は一瞬だけ、哀れな蟲を見るような目で髑髏……化け物に変わったアンリエッタ・パーカーを見ると、背を向けてそこに身を躍らせた。
ソフィーと理緒も渦巻いて吸い込まれていく水の奔流に巻き込まれる。
彼女達の意識は、そこでブラックアウトした。



したたかに頭を床に打ち付け、汀の目に星が散った。
受け身をとれずにゴロゴロとその場を転がる。
しばらくうずくまって呻いていると、続けて理緒とソフィーが同様に、壁に空いた穴から水とともに吹き出してきた。
彼女達も床に叩きつけられ、呻く。
小白が腰から離れて子猫に戻り、汀の頬を舐めた。

『……通信が戻った! 大丈夫か、返事をしてくれ!』

ヘッドセットから大河内の声が響き、汀は息を止めた。
そしてそっとヘッドセットに手を当て、息を整えてから口を開く。

「……せんせ?」

その声を聞いて、大河内は一瞬言葉を止めた。
そして震える声で答える。

『汀(みぎわ)ちゃん……なのか?』

「そうだよ、私だよ。せんせのことが大好きな、私……戻ってこれた。少し体に違和感はあるけど……」
『どういうことだ……いや、良かった。本当に……』

大河内の声が少し途切れ、彼は無理矢理に意識を引き戻した調子で続けた。

『再会を喜びたいところなんだが、危機的状況だ。分かるね?』
「うん。でも理緒ちゃんとソフィーが来てくれてる」
『なんだって?』

素っ頓狂な声を上げた大河内の耳に、ソフィーがヘッドセットを操作して答えた。

「私よ、ドクター大河内。フランソワーズです。関東赤十字病院からの要請で、急遽ダイブに参加させられてるわ」
『高畑が細工をしたのか……? 君達が、どうしてこの患者の夢座標を……』

絶句して言葉を失った大河内に、汀が立ち上がって理緒を助け起こしながら、悲鳴のような声をあげた。

「せんせ、理緒ちゃんを戻してあげられないの? このままじゃ死んじゃう!」

『理緒ちゃんが危ないのか? 私の方からは二人のことは関知できないんだ。ソフィー、なんとかならないのか?』

大河内に問いかけられ、ソフィーは歯噛みして答えた。

「あの子がいる場所は関東赤十字ではないようなの。私からも関知できないわ!」
「私は……やれるよ……」

震えながら理緒が汀に掴まって立ち上がる。
そして、自分達が排出された壁の穴を見る。
そこにヒビが入っていくのを捉えて、汀はソフィーに向かって怒鳴った。

「走るよ!」

短く言って、理緒を抱えるようにして走り出す。
ソフィーも慌ててそれに続く。
次の瞬間、髑髏の歯が今まで少女達がいた場所を、通路ごと噛み砕くのが見えた。
狭い通路に髑髏はすべて収まりきらず、薄汚れた歯だけが覗いている。

「どうするの、網原汀! どの道あのスカイフィッシュを駆除しないと、私達は戻れないわ!」

走りながらソフィーが言うと、汀は息を切らして言った。

「この通路にいるのは危険よ。通路の先……アルバート・ゴダックの夢世界に逃げ込むわ」
「あなた、事情がわかるの?」
「今までの事は、この子が教えてくれたから……」

胸を手で抑え、汀は歯を噛んだ。

「そこでアンリエッタ・パーカーを治療する」
「治療? スカイフィッシュを?」

素っ頓狂な声をあげたソフィーだったが、そこで汀の服を引っ張っていきなり止まった。
声を上げてもんどり打って倒れた汀と理緒だったが、受け身を取ってすぐに立ち上がる。

「何を……!」

汀が怒声をあげかけて、言葉を飲み込んだ。
通路の先に、髑髏のマスクをつけた少年と、少女が立っているのが見えたからだった。

「いっくん……みさきちゃん……」
「なぎさちゃん……良かった。精神中核をどこかに避難させてたのか……」

一貴が震える声を発する。
彼は数歩近づくと、汀に向けて手を伸ばした。

「いっくん」

そこで岬が彼を制止し、二人の間に割って入る。

「邪魔されたくない。いますぐダイブアウトして、なぎさちゃん」

淡々とした岬の声を聞いて、汀は軽く口の端を歪めた。

「それが出来てれば苦労しないわ」

小さな呟きを無視し、岬は手を振って、肩に担ぐほど大きな連装機銃を出現させた。

「無駄話をしている暇はないわ。帰れないなら、ここで消えて」

抑揚のない声でそう言った岬の目を見て、汀は息を呑んだ。

「あなた、もうスカイフィッシュに……」
「やめろ岬ちゃん! なぎさちゃんは……」

一貴が静止しようとし、その場に盛大に吐血した。
うずくまって震え出した一貴を一瞥もせずに、岬は連装機銃の引き金を引いた。
連続した破裂するような銃声と、硝煙の煙と薬莢が雨あられのようにその場に飛び散る。
とっさにソフィーが左腕を振ると彼女達の間にコンクリートの壁が出現した。
銃弾が分厚いそこに次々にめり込んでいく。
振り返ると、後方からはアンリエッタの髑髏……その口が迫ってきていた。

「手伝って! 私一人じゃ壁を維持できない!」

ソフィーが叫ぶ。
銃弾ですでにひび割れてグラグラになっている壁は、崩れかけていた。
汀は舌打ちをして、隣の理緒の手を引っ張った。
そこで理緒は咳をした。
口元を覆った手の平を見て、そこに真っ赤な血が広がっているのを見て、彼女は一瞬呆然とした。

「理緒ちゃん、早くこっちに!」

汀の叫びを聞いて、理緒はしかし、汀の手を離した。

「え……」
「汀ちゃんと、もっと遊びたかったなあ」

理緒は小さく笑った。

「さよならだね。バイバイ、汀ちゃん」
「理緒ちゃん……何を……」

震える声で汀は言って、理緒に向かって悲鳴を上げた。

「やめてええ! 理緒ちゃんそれだけは駄目! 駄目だよ!」
「私達、ずっとずっと友達だよ。約束だよ? 汀ちゃん……」

ザワザワと理緒の髪の毛が逆立つように動き、彼女の顔面を覆い隠す。
次いで病院服がゆっくりと変化を始め、白衣のようなコートを形作った。

「スカイフィッシュ変種に……自分から変質してるの……?」

わななく声でソフィーが呟く。
数秒後、お面のような髑髏のマスクをつけた白衣姿の理緒が、軽く、迫りくるアンリエッタに向けて手を伸ばした。
その手に、大口径の拳銃が出現する。
安全装置をスライドさせ、理緒は特に狙いをつけるでもなく、アンリエッタに向けて引き金を引いた。
小さな銃弾だった。
しかしそれはアンリエッタの頭蓋骨、その口腔に突き刺さると、骨を砕き散らしながら向こう側に抜けた。
穴が空いた場所からものすごい量の血液が、滝のように噴出する。
ビシャビシャとそれに体を汚されながら、呆然と硬直した汀とソフィーを庇うように体で覆い、理緒は崩れてきたコンクリート片を手で払った。
発泡スチロールのようにコンクリートが砕けて散る。

「理緒ちゃん駄目だよ! 駄目! お願いだから元に戻って! 私達友達でしょ!」

汀にしがみつかれ、しかし理緒は答えることはせず、砕けたコンクリート壁から連装機銃の銃弾が飛び込んできたのを見て、腕を振った。
空中で銃弾が爆裂し、もうもうと煙を上げる。

「私を置いていくの? 理緒ちゃん!」

汀の絶叫が響く。

『どうしたんだ汀ちゃ……ノイズ……ひど……通信……が……』
「せんせ! 助けて! 理緒ちゃんが!」

頭を抑え、電波ジャックの影響か通信が切れかけている向こうに、汀は喚いた。
次の瞬間、背後に迫っていた髑髏が小さくしぼんだ。
そして粘土のように形を変え、パーカーフードの女性を形作る。
アンリエッタは口から大量の血を吐き出すと、その場に膝をつき、真っ赤に充血した目で汀達を睨んだ。

「理緒ちゃん!」

手を伸ばした汀のそれを、理緒は強く振り払った。
呆然とした汀の目の前で、理緒の姿が消えた。
突進してきた岬が、手に持っていた日本刀で理緒の肩を突き刺しながら、壁に衝突したのだ。
縫いとめられた形になった理緒だったが、彼女は痛みを感じていないのか、持っていた大口径の銃を岬の眉間に当てた。

「駄目!」

汀が絶叫したのと、理緒が引き金を引いたのは同時だった。

ドパン、とものすごい音がして周囲に岬の頭部だった物体がビシャビシャと飛び散った。
銃弾に頭を破壊されたスカイフィッシュが、グラグラと揺れ……そして膝をついた。
力なく倒れた岬だったものを、血で顔面を濡らした汀は呆然と見つめた。

「嘘……」

ヘッドセットの通信が完全に切れた。
大河内が何かを言っていた気がするが、頭に入らなかった。

「みっちゃん……?」

理緒が肩に突き刺さった日本刀を無造作に抜き、それを脇に投げ捨てる。

「岬ちゃん!」

少し離れた場所で一貴が叫ぶ。
理緒はそちらに構うことなく、手斧を構えて向かってきたアンリエッタに拳銃を発砲した。
その銃弾を手斧で叩き落とし、パーカーフードの悪魔は床を蹴った。
そして天井に背中からぶつかり、三角飛びの要領で理緒に肉薄した。
繰り出された手斧に、先程岬に突き刺された右肩……少し反応が遅れたそこが、一気に両断される。

ゴトリと理緒の腕が転がった。
しかし怯むことなく、理緒は手に持った拳銃を振った。
それが出刃包丁に変化した……と思った瞬間。
彼女はアンリエッタの首を一閃した。
数秒、沈黙があたりを包んだ。
一歩、二歩と首を凪がれたアンリエッタが後ずさる。
その首がズルリと滑り、はねられた形で地面に落ちて転がった。
怨嗟の表情で停止したアンリエッタの頭部を、理緒は出刃包丁を振って変質させた拳銃の引き金を引いて、粉々に破壊した。
次いで胴体にも発砲し、胸を撃ち抜く。
倒れ込んで動かなくなったアンリエッタを見て、そこでやっと理緒はその場に崩れ落ちた。

「理緒ちゃん! 嘘……嘘だよ……!」

汀は金切り声を上げながら理緒に駆け寄った。
そして髑髏のマスクを引き剥がして、脇に投げ捨てる。
右肩を両断され、そこから血がどんどん流れ出していく理緒の体を抱き、汀はソフィーを、そして一貴を見た。

「助けて! 血が止まらない! 止まらないよ!」

必死に理緒の傷口を手で押さえるが、ぬるぬるとしたそれは噴水のように溢れていく。
段々血色がなくなっていく顔で、理緒は残った左手を伸ばし、汀の頬を触った。
そしてにっこりと笑う。

「置いていかないよ? 汀ちゃんは寂しがり屋で……わがままだから……私は、一人じゃ逝かないよ……」
「理緒ちゃん……」

汀は理緒の力がなくなってくる体を抱いて、声を絞り出した。

「こんなの夢だ……夢だよ……」
「そう、夢だよ」

理緒は左手で汀の頭を優しく撫で、耳元で言った。

「だから……夢はもう終わりにしよう?」
「終わり……?」
「そうだよ、汀ちゃん。目を覚まそう」

理緒は微笑みながら続けた。

「全部夢なんだよ? だから、汀ちゃんは何も悲しむことも、苦しむこともないの。目が覚めたら、汀ちゃんは誰かに普通に愛されて、誰かを普通に愛して、そして沢山の人を救って、しあわせで……普通の生活を送るんだよ」
「…………」

泣きながら言葉にならない嗚咽を漏らした汀に、理緒は囁いた。

「大河内先生と、しあわせにね」

ドン、と突き飛ばされ、汀は目を見開いた。
理緒が左手で拳銃を握り、頭に当てているのを見たからだった。
どこかスローモーションにその光景が映り……。
ゆっくりと自分の体が後ろに倒れ込んでいくのが分かる。
嘘だ。
こんなの夢だよ。
嘘だよ。
悲鳴を上げた。
次の瞬間、理緒が拳銃で自分の頭を吹き飛ばしたのが、汀の目に映った。



最終話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/25に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。

m(_ _)m

うお~ん!非道いよイッチ!汀が復活したのはいいけど死屍累々だよ
一体何をどうすりゃこのゲームはクリアできるんだ?


良かったら完結後に登場人物を整理していただけないでしょうか。ハヤカワ文庫の表紙をめくったとこみたいに。また読み返しますんで
登場人物は決して多くないのにこの関係の複雑さ。まるでホラーやサスペンスというよりエスピオナージだ

皆様こんばんは。
最終話を投稿させていただきます。

>>210
登場人物整理や、内容についてのお話などは完結後にこのスレでさせて頂きます。
色々書き込んでいただけますと幸いですm(_ _)m



最終話 目をさますよ



頭部が滅茶苦茶になった理緒の体を抱いて、汀は半狂乱になって泣き喚いた。
一秒経ち、二秒経ち。
理緒の体が、まるで蜃気楼のようにフッ、と消えた。
突然重さがまるでなくなり、血も、飛び散った頭部の欠片も綺麗に消滅する。
汀は、しばらく理緒の体を抱いた姿勢のまま虚脱していた。
ポタリポタリと彼女の目から、次々に涙が流れ落ちていく。
目を見開き、口を半開きにして汀は震えていた。
口の血を拭い、一貴が立ち上がる。
そして、よろめきながら足を進めて近づいてきた。
ソフィーが我に返り、慌てて一貴に向かって腰を落とす。
しかし彼は手でそれを静止すると、髑髏のマスクを脱いで脇に捨て、ソフィーの脇を通過した。
そして理緒と同様に陽炎のように揺らいで消えた岬の亡骸があった場所で立ち止まる。
彼は、暗い表情で消え去った岬のいた場所に手を伸ばそうとして……そして途中でとめた。
そこを通過し、硬直して停止している汀の脇にしゃがみ込む。

「なぎさちゃん、時間がないよ……アルバート・ゴダックの精神体に逃げられる。行かなきゃ」

彼にそう呼びかけられ、汀は呆然とした顔で涙を流しながら、いびつな表情で一貴を見上げた。
そして口を震わせて声を絞り出す。

「いっくん……理緒ちゃんがね……理緒ちゃんが、息をしてないの……」
「…………」

誰もいない虚空を必死に抱きかかえながら、汀は掠れた声を出した。

「どうしたらいい? ね、どうしたらいいかな? 私、どうすれば理緒ちゃんを救える? 教えていっくん……私はどうすればいいのかな……?」

一貴は黙って汀の嗚咽を聞いていたが、やがて彼女の前でゆっくり首を振った。

「死んだら、もうここにはいないよ。なぎさちゃん、それは『夢の本質を見ることができる』君の目で、一番分かってることだろ」

静かな彼の声を聞いて、汀は口の端を歪めた。
笑っているつもりだったようだが、それは無残に失敗していた。

「嘘……嘘だよ……だって、だって理緒ちゃんは、ここに……」
「僕の目には、何も見えない」

一貴の言葉を聞いて、汀は力なくその場に崩れ落ちた。
その体を支えた一貴にすがりついて、汀は悲痛な枯れた声で言った。

「理緒ちゃんは……理緒ちゃんはね、私の、私のたった一人の友達なんだよ……? 私のことを、いつだって救ってくれて……いつだって、裏切らないで助けに来てくれて……だから、だから私は……私は理緒ちゃんを救ってあげないといけないんだよ……?」
「…………」
「おかしいよこんなの……どうして? どうして誰も……理緒ちゃんでさえも……私、私は救えないのかな……? いっくん……いっくん、私こんなの嫌だよ……」
「そうだね……」

一貴はそう言って、血にまみれた手で汀の頭をそっと撫でた。
そして彼女の頭を優しく抱きしめる。

「岬ちゃんも、死んでしまった。スカイフィッシュの力で殺された人間の精神は、もう戻ることはないからね。君の精神中核を上書きした、忠信も、多分もうこの世にはいない」
「…………」
「みんな死んでしまった。でも僕達は、行かなきゃいけない」

一貴は汀をそっと体から離し、その両肩を掴んだ。
そしてぎこちなく微笑んでみせた。

「終わりにしよう、なぎさちゃん。僕達は、この悪夢から目覚めるんだ」
「この……悪夢……?」
「アルバート・ゴダックの精神体は、マインドスイープの中枢システムの近くにいる。つまり、ここを越えたすぐそこだ。一緒に行こう」
「でも……でも、いっくん……あなた達の目的は、元老院を殺すことじゃなかったの……?」
「違うよ」

一貴は首を振った。
そして立ち上がり、汀の体を引き起こす。

「僕が、新しいスカイフィッシュになることがこの計画の目的だったんだ」
「え……?」

呆然とした汀に、一貴は頷いて続けた。

「アンリエッタ・パーカーではなく、スカイフィッシュになって世界中にばらまかれる予定だったのは、僕だ。だから僕は、それを為さなければいけない」
「…………」

汀は、頼りなく掴んだ一貴の手を、離そうとしなかった。
一貴は力を込めて握ってきた汀の小さな手を握り返し、言った。

「それを止められるのは、なぎさちゃんだけだと思うんだ。僕が、この自我が崩壊しかけても、ずっと覚えてて、ずっと好きだった君しか、僕を止めることは出来ない」
「…………」
「本当言うとね、少し前のことも、もう思い出せないんだ。でもなぎさちゃんと、岬ちゃんと、忠信のことだけは覚えてた。ずっと忘れなかった。自分のことも忘れて、もう何がなんだか分からないのに、君のことだけは好きなんだ。これって……おかしいかな?」

汀は顔を上げて一貴のことを見た。
そして引きつった顔を必死に動かし……小さく笑ってみせた。
それは、泥沼のような絶望の中でもがき、それでも這い上がれない小動物のような……そんな、必死に抗う顔。
どこか狂気をはらんだ小さな笑顔を一貴に向け、汀は無言で彼の手を引いて歩き出した。

「行こう、小白、ソフィー」

子猫とソフィーに声をかけ、汀は通路の奥の白く光る空間の前まで進んだ。

「終わりにしよう」

そこで彼女達の意識は、ブラックアウトした。



ものすごい数のモニターが並んでいた。
地平線の向こうまで続く砂丘に、同じ形をしたパソコンのモニターが突き刺さるように乱雑に並べられている。
数百……いや、数千のモニターに線はなく、どれもが真っ黒で何も表示されていなかった。
その中心に立ち、汀は周りを見回した。
少し離れた場所に、両手に二本の日本刀を構えた一貴が、こちらを向いて立っていた。

「ここが……アルバート・ゴダックの夢世界……?」

ソフィーも少し離れた場所に、小白と一緒に立っていた。
彼女がそう呟くと、一貴は軽く首を振った。

「少し違う」
「…………?」
「アルバート・ゴダック達の『魂』のデータが格納されている、サーバーの一つ……その中だよ。つまり……」

汀がそこで口を開いて、続けた。

「マインドスイープの、中枢システムね。自殺病にかかった人間は、全てここのデータラインを中継してダイブが行われる」
「そう。僕は、今からスカイフィッシュの力で、このシステムの中に隠れている元老院達の魂を殺さなきゃいけない。なぎさちゃん。君が僕を止めないと、僕はそれをする」
「…………」
「そして、その後僕は完全にスカイフィッシュになって……ここから沢山の人の夢の中に感染する。悪夢は、まだ終わらない」

腰を落とした汀に、一貴は続けた。

「終わらせようよ、なぎさちゃん。僕を……僕を、『治療』してくれないか?」

刀を構えて歩き出した一貴に、汀は言った。

「そのつもりよ。私は医者だから。命をかけてあなたを助ける。あなたを治療するわ、いっくん」
「ありがとう。それを聞けて安心した」

一貴はそう言って走り出した。

そして地面を蹴り、日本刀を大上段に汀に向かって振り下ろす。
少しでもかすれば致命傷のその斬撃を体をひねって避け、汀は人間のものとは思えない反応速度で地面を蹴った。
その体が一瞬掻き消えるように見えなくなり、蹴った部分の砂丘から砂煙が上がる。
一瞬で一貴の背後に移動した汀が体を反転させて、素足を彼の後頭部に叩き込む。
凄まじい衝撃に体制を崩した一貴だったが、彼は倒れがてらもう片方の日本刀を横に凪いだ。
汀がとっさに足元のモニターを一つ手に取り、それで日本刀を受け止める。
半ばまで日本刀がめり込んだモニターがバチバチと帯電し、次の瞬間豪炎を上げて爆発した。
その炎に吹き飛ばされる形で、汀と一貴が砂丘に背中から突き刺さり、ゴロゴロと転がった。
汀は近くに落下していた、一貴の日本刀の一本を手に取り、次の瞬間、一貴がポケットから取り出した拳銃から放たれた銃弾を刀で弾いた。
金属音が響き渡り、両断された銃弾が砂煙を上げて砂丘に突き刺さる。
一貴は地面を蹴り、高く跳躍すると、落下しながら二度三度と拳銃の引き金を引いた。
それらを人間業とは思えない動きで切り払い、汀は、一貴が拳銃を変質させて形成した日本刀で繰り出した斬撃を、持っていた刀で受け止めた。
そのまま鍔迫り合いの形でしばらく睨み合う。

体格が劣る汀が徐々に押され始め、一貴は全身の力で彼女を両断しようと腕を動かしていた。
膝をついた汀の持つ日本刀にヒビが入り、グラグラと揺れ始める。
一貴が一度下がり、腕を振り上げて、両手で日本刀を振り下ろした。
受け止めた汀の刀が真っ二つに砕け散り……。
一貴の刀は、汀の右目を深く真一文字に切り裂いた。
鼻先まで刀が彼女の顔を凪ぎ……。
しかし汀は、全く怯むことなく一歩を強く踏み出した。

「さよなら、いっくん。あなたを『救う』よ」

そう、一貴の耳には聞こえた気がした。
次の瞬間、汀の繰り出した拳が、空気を裂く音と共に一貴の胸に吸い込まれた。
腕は弾丸のように彼の胸を打ち……。
一貴は動きを止めた。
汀の手が、一貴の心臓の部分にめり込んでいた。

彼女は暫くの間、手の中で一貴の心臓が脈動するのを感じていた。
少年は振り上げていた日本刀を、ブルブルと震える手で振り下ろそうとして……。
そしてとめた。

「なぎさちゃん……」

口の端から血を流しながら、一貴は屈託なく笑った。

「君を好きになれて、良かった」

汀が一貴の心臓をえぐり取ったのと……。
彼が掠れた声でそう言い、ゆっくりと後ろに倒れ込んだのは、ほとんど同時のことだった。



荒く息をつきながら、汀はその場に膝をついた。
手の中の一貴の心臓がぐんにゃりと形を変え、青いビー玉を形成する。
汀はそれを胸に抱き、陽炎のように揺らいで、一貴の体が消えていくのを見ていた。

「やった……の……?」

ソフィーが震える声で呟く。
彼女は汀に近づこうと足を踏み出し……。
そこで、パチパチパチという拍手の音が聞こえて、足を止めた。
いつの間にか……。
彼女達から少し離れた場所に、バスローブを羽織り、赤いソファーに腰を下ろした初老の男性がいて、手を叩いていたのだ。

「いや……お見事。楽しい見世物だったよ、網原汀君」

男はそう言って拍手を止めると、近くのテーブルに乗っていたワインをグラスに開けた。

「飲むかね? 勝利の美酒といこうじゃないか。ああ……君達は未成年だったな。アルコールはまだ止めておいた方がいいだろう」
「アルバート……ゴダック……!」

ソフィーが呆然と呟く。

「ずっと……見ていたの……?」
「見ていたも何も、ここは私の夢世界のようなものだ。いや……しかし、今回は本当に駄目かと思ったよ。よくぞスカイフィッシュ共を撃退してくれた。君達の健闘を讃えよう」

アルバートはそう言ってニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、汀とソフィーを舐めるように見た。

「どうした? 『私を守る』という目的を達成したんだろう? もう少し喜んでくれてもいいのではないか?」

馬鹿にしたように言われ、汀は彼に背を向けたままその場にへたり込んでしまった。
そして一貴の精神中核を抱いたまま、歯を噛む。
小白が彼女の脇に移動し、頭を擦り付けていた。

「ふむ……」

アルバートは小さくそう言うと、ソフィーの方を見た。

「君がフランソワーズか。今回はよくやってくれた。赤十字に話を通し、君の将来保証をしよう。こっちに来て、手を貸してくれ。私のデータももう古くなってしまい、うまく体が動かなくてね……」

呼ばれたソフィーは、しばらく躊躇していたが、やがてアルバートに近づき、左手を差し出した。

「それにしても、最後に残ったのが君達のような小さな女の子だとはな……顔立ちはいいが若すぎる……」

毒づきながらソフィーの手を握ろうとしたアルバートの動きが止まった。
ソフィーがいつの間にか拳銃を持ち、彼に突きつけていたのだった。

「なっ……」
「やっと見つけたわ。アルバート・ゴダック。のこのこ姿を現すなんて……気が緩んだんだろうけど、あなた……バカね」

ソフィーは吐き捨てるようにそう言うと、一歩を踏み出した。

そしてゴミを見るような目で彼を見下ろし、その口に拳銃を突っ込む。

「網原汀! 動かないで。動いたらこの男の頭を撃ち抜くわ。精神中核を破壊する」

静かにソフィーはそう言った。
汀は残った左目から涙を流しながら振り返った。
そして右手に強く一貴の精神中核を握りしめて、よろめきながらソフィーに向き直る。

「なにを……」

怒鳴ろうとしたアルバートの喉奥に拳銃を突き入れ、ソフィーは口を異様な形に歪めて笑った。

「あなたを……いや、『お前』をずっと探していた。悪魔め……」

人格が変わったように吐き捨てると、ソフィーは左目で自分を睨みつけている汀に言った。

「残念だけど、こいつはここで殺させてもらうわ。あなたを踏み台にするようで悪いけど、私はこの男をずっと探していた」
「…………」

汀はしゃがみ込むと、前に出ようとした小白を手で制止し、一貴が握っていた日本刀を手に取った。
そしてそれを弄びながら口を開く。

「……多分あなたは圭介と取引をした。だから人体移植手術という非合法な手段にも応じた」

冷静に汀が言うと、激高したのかアルバートが暴れようとし……、ソフィーが鉄のような目で彼を見下ろし、右手を思い切り振り下ろした。
か弱い少女の力だったが、老人には十分すぎるほどの暴力だった。
頭を殴られ、銃を噛んでアルバートが震えながら硬直する。

「余計なことはしない方がいいわ。多分その子……フランソワーズ・アンヌ・ソフィーは本気よ。あなたを殺すつもりね」
「ええ。網原汀。あなたが一歩でも前に踏み出したら、私は引き金を引く。あなたは危険な存在すぎる。しばらくそこでおとなしくしていて欲しいの」

ソフィーは静かな声でそう言うと、アルバートの髪を掴んで無理やり顔を引き上げた。
その目は、憎悪にギラついていた。

「すぐに済むわ」

息を呑んだアルバートが、彼女の目にうつるどす黒い感情を真っ向から浴びて震え出した。
本気だ。
そう、自覚したのだ。

「殺す前に一つだけ聞いてあげる。余計なことを言ったら、どうせ殺す命ですもの。後悔する目に合わせるわ」

ソフィーはそう言うと、彼の髪を掴む手に力を込めてその顔を覗き込んだ。

「私達は孤児……赤十字が引き取って育て、マインドスイープの教育を施した子供。ただね、私は調べたのよ」
「…………」

恐怖に怯える老人を無表情で見ながら、ソフィーは続けた。

「お前達元老院が、マインドスイープに適正のある赤ん坊を親から引き離し、孤児として出生登録をし直してたことをね。ダイブができる子供は一千万人に一人の割合でしか適正が生まれない。貴重な『資源』を採集するために、お前達はあらゆる手を使ったみたいね」
「…………」
「チャンスをあげる。私のパパとママの居場所を言いなさい。知らないとは言わせないわよ」

狂気を感じさせる調子で淡々と言い、ソフィーはアルバートの口に突っ込んでいた拳銃を抜いた。
途端、彼は汀に手を伸ばして喚き始めた。

「何を……何を見ている! 網原君! 早く君の力でこいつを殺すんだ!」

ダァンッ! と、乾いた音が響いた。
一瞬呆然としたアルバートが、次の瞬間絶叫する。
彼の髪を掴んだまま、ソフィーはどこかスカイフィッシュのように赤く光る瞳で彼を見下ろした。
手にした拳銃から硝煙が上がっていた。
右足を半ばから銃弾で吹き飛ばされ、おびただしい数の血液を撒き散らして暴れているアルバートを押さえつけ、ソフィーは彼の左足に拳銃を向けた。

「や……」

やめろ、と絶叫する前に、彼女はためらいもなく引き金を引いた。
同様に左足も吹き飛ばされ、無残な肉塊があたりに散開する。
潰れてぐちゃぐちゃになった両足をわななきながら見ているアルバートの頬を張り、意識を自分の方に向かせてから、ソフィーは彼の右手に銃口を向けた。

「ま……待って……待ってくれ……」

息も絶え絶えな様子で、アルバートは懇願した。
ソフィーが引き金を引こうとしていた指を止めて彼を見る。

「何?」
「言う……答える……お前の言うことに……だから、これ以上私を痛めつけないでくれ……」

ソフィーは口を歪めて笑い、彼の頭に銃口を押し付けた。

「……で?」
「お前の番号は、二百十五番……フランスで当時、唯一の適正が確認された赤ん坊だった」
「…………」
「お前の両親は赤十字の医者……だ。お前のことを……引き渡すのに賛同しなかった……」

ソフィーの手が震え出す。
彼女は歯を鳴らしながら、アルバートに押し殺した声を発した。

「…………殺したの?」
「…………」
「十三年前に、首都で鉄道事故があった。その時に赤十字の医師が二人、乗り合わせていて死亡してる」
「…………」

答えないアルバートの前で、ソフィーの目から大粒の涙が盛り上がった。

「私の……」

彼女はよろめきながら歯を噛み、絶叫した。

「パパと、ママを! お前らが殺したんだ!」

ソフィーの髪がざわつき、金色の髪が彼女の顔を覆い隠す。
病院服が長いドレスのような……白色の薄いローブに変わり、数秒後、そこには髑髏のマスクをつけた小さな影が一つあった。

「殺してやる!」

スカイフィッシュと化したソフィーは、半狂乱で絶叫し、悲鳴のような声で笑いながら拳銃の引き金を引いた。
アルバートの右手、左手が肘の部分から吹き飛ばされ、肉塊に変わる。
ダルマとなった無抵抗の老人の眉間に銃を押し当て、彼女は地面に大の字に転がった彼の胴体を足で踏みつけた。

「何千回でも殺してやる! 死んだら生き返らせて殺す! 永遠に苦しめてやる! 悪魔め! 貴様ら全員同じ目に合わせてやる!」

人が変わったように喚くソフィーの目が、白目までもが真っ黒に変色していく。

「残念だけど……それは出来ない相談よ」

そこで彼女は、背後から声をかけられ、ハッとして振り返った。
その髑髏の仮面の顔面に、いつの間に移動したのか、汀が繰り出した拳がめり込む。
彼女の風を切った拳はそのままソフィーの体を持ち上げると、人一人を重機で殴ったかのように後方に吹き飛ばした。
少し離れた砂山に、ソフィーが背後から砂煙をあげて叩きつけられる。
汀の繰り出した左手は、おかしな方向に曲がっていた。
痛みに顔をしかめた彼女に、アルバートが震える声を上げる。

「こ、殺せぇ! あのスカイフィッシュを……殺せ! 早く!」

喚いている彼を、ゴミでも見るかのように冷たい目で一瞥すると、汀は左手をダラリと下げ、潰れた右目からとめどなく血を流しながら、ゆらりと立ち上がったソフィーに向けて足を踏み出した。

「小白は危ないから、そこにいて」

ついてこようとした小白を押しとどめた汀に、ソフィーが怒鳴った。

「邪魔をするの? 邪魔をするのね、網原汀! 私の復讐の邪魔をするのね!」
「あなたはスカイフィッシュの悪夢に精神を汚染されてる。完全にスカイフィッシュになってしまえば、もう元には戻れないわ。今ならその腕を切除すれば、あなたの精神は助かる」

汀に静かに言葉をかけられ、ソフィーは歯をギリギリと噛みながら答えた。

「……何を言っているの? あなたの親も、この悪魔に! こいつらに殺されていたかもしれないのよ! あなたも、私と同じ境遇なのよ!」
「…………」
「憎くないの? 怒りが沸かないの? あなたをここまで苦しめて、私をここまで貶めて、苦痛を与え続けたのはこいつらなのよ! あなたはそれでも、あの外道を守るっていうの!」

悲痛なソフィーの叫びを聞き、汀は残った左目で、まっすぐ彼女を見た。
そこには怒りも悲しみもない。
ただ、純粋な、まっすぐ突き刺さる信念があった。

「人を治すっていうのは、そういうことなんだよ。多分」

彼女の端的な声を聞いて、ソフィーは口をつぐんだ。

汀は手に持った日本刀を、右手だけで構えて腰を落とした。

「私は人を治すわ。人を救う。だから、あなたも治療しなきゃいけない。あなたは、病人よ」
「正気? その満身創痍の体で、この体の私をどうにかできると?」
「するわ。私は医者だもの」
「違う!」

ソフィーは絶叫した。

「それはこいつらにインプラントされた強制記憶の一つよ! あなたの意思じゃない!」
「だとしても……」

汀はソフィーを見て、フッ、と小さく笑ってみせた。

「私は、人を救いたいんだ」

絞り出すような彼女の声を聞いて、ソフィーが目を見開く。
汀が地面を蹴った。
その姿が視認できない程の速度で動き、掻き消える。

地面を蹴った左足が異様な音を立てて曲がった。
残った右手で、汀は肉薄したソフィーの左手を一閃した。
肩口からそれがゴドリと地面に転がる。
肩を抑えて、激痛に悲鳴を上げてソフィーが倒れた。
汀は着地の姿勢をとれずに、そのままゴロゴロと砂山を転がった。
そしてうめきながら日本刀を掴んで立ち上がろうとし……左足の激痛に崩れ落ちた。
ソフィーの切り離された左腕が粘土のように蠢き、形を変えて膨れ上がる。

「……自我を持っちゃったか……」

吐き捨てるように呟き、汀は日本刀を砂山に刺し、杖代わりにして立ち上がった。
そして右足だけで地面を踏みしめて、ソフィーの腕が変質した「モノ」を睨みつける。
それは、一抱えもあるような巨大な「脳」だった。
人間のピンク色をしたそれが、脳髄をダラリとたらしながら空中に浮かんでいる。
異様な悪夢の形を見て、汀が顔をしかめる。

彼女は視界の端で、肩口から血を流したソフィーが意識を失ったのか、地面に突っ伏したのを確認してから、日本刀を振った。
それが大口径の拳銃に変化し、間髪をいれず脳型のスカイフィッシュに向けて引き金を引く。
真っ直ぐ飛んだ銃弾は、しかし突き刺さることはなかった。
脳が軽く脈動した途端、彼女たちの周囲の空気が、まるで強烈なマグニチュードの地震が起こったかのように揺れた。
たまらず地面に転がった汀の目に、銃弾が突き刺さる直前で爆裂し、煙を上げたのが見える。
スカイフィッシュはゆっくりと空中を浮遊しながら、アルバートに向けて進み始めた。
悲鳴を上げて喚いている老人を見て、汀が歯噛みする。
彼女は荒く息をつきながら銃を片手で構え……そこで、心臓が激しく脈動し、硬直した。
体が痙攣し、思い切りその場に血液を吐き出す。
脳が過負荷に耐えきれず、悲鳴を上げていたのだった。
視界がぐるぐると回り始め、音がハウリングしたかのように聞こえなくなる。
息を吸おうとするが、空気が肺に入ってこない。

まずい。
もう少しなんだ。
もう少しで、私は人を救えるんだ。
そして、これからなんだ。
この悪夢を抜けて、私は。
しあわせになって。
しあわせにして。
普通の人間の、普通の生活を送るんだ。
残った左目から涙が盛り上がる。
お願い。
お願い神様……。
もう少しだけ私の体を、動かして。
私に、あの人を助けさせて。

「そこじゃないよ。もう少し上」

汀は、はっきりと耳の奥で声が聞こえ、目を見開いた。
誰かが隣に立っている。
優しく、温かい感覚。
隣にいる「彼」は、手を伸ばして汀の震える手を支えた。
這いつくばった姿勢のまま拳銃を握りしめた汀の手をゆっくりと動かし、「彼」はスカイフィッシュの脳幹の部分に照準を合わせた。

「落ち着いて引き金を引くんだ。君の体力はもうもたない。限界なんだ。そろそろ君は強制的にダイブアウトする」

霞んだ視界では、「彼」の顔を見ることはできなかった。

「チャンスは一回だ。あのスカイフィッシュが、アルバート・ゴダックを殺そうとした瞬間を狙う。無防備になる時があるはずだ」

冷静な声を聞き、汀は手に持った拳銃に意識を集中させた。

ダルマになったアルバートに覆いかぶさるように、巨大な脳が蠢いていたところだった。
その中心部が割れ、中から巨大な回転ノコが現れる。
高速回転を始めたノコを見て、アルバートが金切り声の悲鳴を上げた。
それが彼の眉間を両断する……という瞬間。

「今だよ、なぎさちゃん」

その声とともに、汀は拳銃の引き金を引いた。



「…………」

汀はグチャグチャに飛び散った脳漿の海の中で、もがくようによろめきながら、なんとか立ち上がった。
荒く息をつき、手に持った拳銃を取り落とす。
そして彼女は、病院服のポケットに手を入れて、一貴の精神中核を取り出した。
先程まで鈍く光っていたそれは、くすんだ真っ黒い色に変わっていた。

「…………」

残った左目でそれを見つめ、汀は胸に輝きを失った精神中核を抱きながら、折れた足を引きずって歩き出した。
彼女の足元に小白が駆け寄る。
少女と猫は、意識を失っているのか、白目をむいて倒れているアルバートの前で止まった。
汀は一貴の精神中核を大事そうにポケットに入れると、ヘッドセットのスイッチを何度か操作した。
しばらくしてノイズとハウリング音と共に、大河内の声が流れ出す。

『汀ちゃん! 通信がつながったぞ!』

ヘッドセットの奥から歓声が聞こえる。
汀はアルバートを見下ろして、囁くように言った。

「生きなさい……夢の世界に生きる化け物達。私達は生きなければいけない。犠牲にした人の上に、築いていかないといけない。それが生きるってこと……私達医者の『カルマ』だと、そう思う……」
『どうした? 汀ちゃん! 声がよく聞こえないぞ!』

大河内の声を聞いて、汀は小さく笑った。

「せんせ……」

彼女は残った左目で天を仰いだ。
砂原の上の空は、青く澄んでいた。

「治療完了。目をさますよ」



「先生? 先生!」

呼びかける声が聞こえた。
目を開けた。
片目から見える世界も、もうだいぶ慣れた。
左目を動かして視線をスライドさせる。
同時に指先で電動車椅子を操作し、彼女……汀は白い壁に囲まれた診察室の中で、テーブルから正面の座席の方に体を向けた。

「そろそろ会議の時間ですよ。今日はご出席できそうですか?」

看護師の女性に顔を覗き込まれ、汀は軽く微笑んでみせた。

「……ええ。何時からだったかしら」

「二時間後の十五時からです。診察は空いてらっしゃるとお聞きしましたので……」
「今日は、別の先生が担当してくださるの。大丈夫、時間になったら会議室に行きます」

二十代前半程の彼女……汀は、眼鏡の奥の左目を細めて、小さく首を傾げた。

「少し、中庭で食事をしてきてもいいかしら? 朝から何も食べてなくて……」
「あら……そうだったのですか? 駄目ですよ先生、ただでさえ細いのに、もっと痩せたら栄養失調になってしまいます」
「うふふ……そうね」

頷いて、汀は顔を上げて診察室の脇を見た。
病院の中だというのにケージがあり、ふかふかのクッションに老猫が一匹丸くなって眠っていた。

「小白が起きたら、エサをあげて、トイレの掃除をしてもらってもいいかしら?」
「分かりました。安心して何かお腹に入れてきてください」

看護師に急かすように言われ、汀は頷いた。

「ええ。それじゃ、行ってくるわね」



関東赤十字病院の中庭に車椅子を進め、汀は街路樹が並んでいる隅のベンチ、その脇に停止させた。
彼女の眼鏡の奥の右目は白濁していた。
視力は完全にない。
感覚もなく、かろうじて瞼の開け閉めはできる。
左半身の麻痺に加え、首もよく動かすことができなかった。
右手で、先程病院内ストアで購入したサンドイッチの袋を慣れた手つきで開ける。
動かない左手は膝の上に置いてある。
サンドイッチを時間をかけて飲み込み、長く伸びた白髪を手でかきあげる。
看護師に、出勤した時に後頭部のあたりで三つ編みにしてもらっていた。

「元気そうだな」

そこで汀は声をかけられ、顔を上げた。
彼女の前に、スーツ姿の初老の男が立っていた。
彼は堀りが深い顔で汀を見下ろして、言った。

「座っても?」

問いかけられ、汀は軽く微笑んで頷いた。

「ええ、どうぞ」

男性が小さく会釈して、汀の脇のベンチに腰を下ろす。
彼は足が悪いのか杖を持っていた。
それを脇に置いて、懐からタバコを取り出す。

「いいかな?」
「ええ、ここには私以外誰も来ませんから。ただ、ポイ捨てはしないでくださいね」
「失敬な。私がいつそのようなマナー違反をしたというのだね」

軽口を叩いてきた汀に笑いかけ、彼はタバコに火をつけ、フーッと息を吐いた。
煙の匂いをかぎながら、汀はパックの野菜ジュースのストローを口にくわえた。
彼女の膝の上に置いてある、動かない左手の薬指には、プラチナの指輪がはまっていた。
それをしばらく見つめてから、男性は視線を青い空へと向けた。

「結婚式には行くことができなかった。君の花嫁姿を、見たかったんだがな」
「呼んでいませんもの。来れなくて当たり前です」

淡々と返した汀に、男は視線を向けずに続けた。

「彼は元気かね?」
「時折傷口がうずくとは言っていますけれど。ただ、あなたの顔を見たら傷も開きそうですね」
「違いない」

クックと小さく笑い、男性はタバコを暫くの間ふかしていた。

そして小さく、ポツリと言う。

「網原……いや、大河内君。私は、君に謝らなければいけないことがある」
「それはそれは。会議までに終わるかしら」

微笑んで呟く、大河内と呼ばれた汀。
男性はそれに答えず、タバコの煙を吐いて言った。

「君が、マインドスイーパーを続けてくれるとは思っていなかった。その……君はもう、人並みのしあわせを手に入れることができた女性だ」
「…………」
「大人になっても長時間のダイブができる人間は、確かに世界中で君一人かもしれない。だが……」

男性は空を見上げながら言った。

「もういいのではないか? 中萱榊の計画のために育てられた君という存在の『カルマ』は、綺麗に消えたはずだ。他ならぬ、君が成し得た戦いによって。だから……」
「医者をやめろ、というのです?」

汀に静かに問いかけられ、男は懐から携帯灰皿を取り出し、タバコを押し付けて火を消した。

「そうだ」

汀は少しの間沈黙していた。
そして、動く右手で、白濁した右目をなでた。

「その目も、精神外科の治療で治すことができるかもしれない。私は、そのサポートを……」
「この目は、このままでいいんです」

汀ははっきりと彼の言葉を否定すると、小さく首を振ってみせた。

「これは、私の大事な証なんです」
「…………」

男はベンチの背もたれに背中を預けた。

「……そうか」
「私のカルマは、消えていませんよ」

汀はそう言って、野菜ジュースのパックを膝の上に置いた。

「消えることはない。私は、一生そのカルマを背負い続け、一生苦しまなければいけないんです」
「…………」
「それはいつか、私の心を蝕み、体は朽ちて、死へと誘っていくでしょう。私は、やはり苦しみの中で死ぬのかもしれません」

汀は、しかし男の方を向いて、屈託なく笑ってみせた。

「でも……それが『生きる』ってことでしょう?」

男は目を見開いた。
彼はしばらく汀の笑顔を見ていたが、やがてそっと視線をそらし、杖を手にして立ち上がった。

「いや……その通りだな。すまない。時間をとらせた」
「いえ、いつでも」
「ああ。また来るよ」

コツ、コツ、と杖を鳴らして出口の方に向かって歩いて行く男性。
その向こうで、白衣を着た、眼鏡の女性が彼を待っていた。
女性に支えられ、男の姿が向こうの通路に消える。

「ドクター大河内!」

そこで背後から声をかけられ、汀は振り返った。
少し離れたところで、金髪の背が小さな女医が、パタパタと走ってくるところだった。

「あら……ドクターアンヌ。こちらに来てたの?」

穏やかに言われ、アンヌと呼ばれた女医……ソフィーは息をついて腰に右手を当てた。
彼女の左腕は、肩口からギプスで吊られていた。

「その呼びはやめて。ソフィーでいいわ」
「でもねえ、そっちのS級能力者を呼び捨てにするのもねえ……」

指先を顎に当てて考えた汀を見て、ソフィーはため息をついた。

「あなたに言われると嫌味にしか聞こえないわ」
「いつ日本に?」

「さっきよ。っていうか、私昨日飛行機の中からあなたにメールしたわよ。見てないの?」
「あら……ごめんなさいね。忘れてた」

屈託なく言われ、ソフィーは肩をすくめて汀の車椅子、その取っ手を掴んだ。

「押してあげる……あら?」

顔をしかめて、彼女は汀を見た。

「お線香の匂い……? あなた、ケムいわよ」
「そう? 気のせいよ」

右手だけで車椅子を慣れた手つきで操作し、ソフィーは汀と一緒に病棟に入った。

「フランスではどう? いじめられてない?」

問いかけられ、ソフィーは呆れたように鼻を鳴らした。

「私を誰だと思ってるの? 世界に二人しかいないS級能力者の一人よ。どうにかしたくても、誰にもどうにもできないわ」

「うふふ、そうね。違いないわ」

優しく彼女の言葉を肯定し、汀は小さく欠伸をした。

「ちょっと、寝ないでよ? これから会議なんだから」
「あなたがいれば問題はないでしょう? 私、ちょっと疲れちゃって……ごめんね、少し……」

そこで汀の声が途切れた。

「ちょっと……!」

咎めるような声を出したソフィーの前で、汀は車椅子に体を預け、小さく寝息を立て始めてしまった。
一旦車椅子をとめ、持っていたブランケットを彼女の膝にかけたソフィーに、パタパタと小さな子供達がかけてくるのが見えた。
小児病棟の入院棟だったらしい。

「先生! 先生見てー! 教えてくれた折り紙、うまく出来たよ!」

女の子が手にたくさんの折り紙作品を持って汀に呼びかける。
声を聞きつけて、次から次へと子供達が集まってきた。

「あれ? 先生寝ちゃってる」
「そうよ、先生ちょっと疲れちゃってるから、みんな、今は寝せてあげてね」

ソフィーが微笑んでそう言う。
そして彼女は少し子供達と話した後、車椅子を押して歩き出した。



自殺病は、なくならなかった。
人々の心に蔓延したスカイフィッシュは少なくはなったが、まだ活動はしている。
十年経ち、変わったことといえば……。
医療技術が進歩し、マインドスイーパーが無駄に命を落とすことが、少なくなったこと。
そして、子供が大人になったということ。
その二点だけだった。
相変わらず自殺病で人は死に、マインドスイーパーは治療のために犠牲になっている。
テロが終わって、世間は騒がしくはなったが、数年経ちそれは、ただの「過去の出来事」になった。
子供達は、それを知らない。
そして大人になり、結婚し、子を育み、死んでいく。
自分達がいつ死ぬかも分からず。
どうやって死ぬかも分からず。

恐怖に依るエラーを心に蓄積させながら、それでも人は生きていく。


生きざるを得ない。



汀は、赤十字病院のドライバーが運転する車の後部座席に腰を下ろしていた。
ぼんやりとした視線には、流れる夜の街のライトが映る。
これは現実だ。
夢ではない。
何度も確認し、何度も実感すること。
しかし……。
夢と現実の境目とは何なのだろう。
汀はいつもそう思う。
もしかして、私の生きているこの世界こそが夢で。
目覚めるところ、そこが現実なのかもしれない。
そうも思う。

しばらくしてドライバーが車を停め、郊外の一軒家の前でドアを開けた。
車椅子をセットしてくれたので、抱え上げられてそこに座らせてもらう。

「それでは、お疲れ様です。大河内先生」
「ありがとう。また、明日もよろしくね」

微笑んで若い男性ドライバーに言うと、彼は少し頬を赤らめて会釈した。
手を振って車を送り、一軒家のスロープを車椅子でのぼり、チャイムを押す。
少しして、電気がついている玄関のドアが開いた。

汀はそこから覗いた顔を見上げ……。

「ただいま」

そう、言った。


【終】

お読みくださったすべての方に感謝を。すべての幸せに祝福を

[登場人物]

・網原汀(あみはらなぎさ)=高畑汀(たかはたみぎわ)
  13歳。特A級マインドスイーパー。夢の本質を見ることができる特殊な眼を持つ。
・高畑圭介=中萱榊(なかがやさかき)
  汀の主治医。その実は、赤十字組織に復讐を誓った元マインドスイーパー。感情の大部分を欠落している。
・大河内裕也
  赤十字病院の医師。秘密機関GDの諜報員でもある。過去圭介達と仕事をしていたマインドスイーパー。
・小白(こはく)
  汀が拾った猫。マインドスイーパーの能力があり、夢の中を自由自在に行動できる。
・加原岬
  汀達、第二実験体と同期の少女。後ほどテロリストに拉致され、スカイフィッシュの悪夢に覚醒、飲み込まれる。
・工藤一貴(くどういちたか)=ナンバーX
  第二実験体の成功作。テロリスト側に周り、幾度も汀の前に現れる。彼女を愛している変質的な側面もある。強力なスカイフィッシュの力を持つ。
・片平理緒
  赤十字病院のマインドスイーパーで汀の親友。しかし、スカイフィッシュ症候群の治療で感情の大部分を欠落させられてしまう。
・フランソワーズ・アンヌ・ソフィー
  フランスのマインドスイーパー。高いIQを持つ天才少女。父と母を探している。
・結城政美
  テロリストの女性。一貴達の管理をしている。
・ジュリア・エドシニア=アンリエッタ・パーカー
  アメリカ特務機関の人間。圭介を昔から愛している。人工的に調整されたスカイフィッシュ変種。
・赤西忠信
  第二実験体の少年。精神崩壊を起こしているスカイフィッシュ変種。
・喫煙者=スモーキン・マン
  機関にも赤十字にも、更にはテロリストにも関与している謎の人物。汀と縁が深い。
・松坂真矢
  圭介と相思相愛だった女性。過去の汀の治療中に死亡してしまう。その意識の断片がプログラムにされている。
・マティアス
  機関の精神外科担当医。闇医者的な存在で、汀の精神真皮を切り殺してしまう。
・アルバート・ゴダック
  元老院を統括していた存在。夢世界に生きている。
・坂月健吾
  かつての最強のマインドスイーパー。その精神はスカイフィッシュに変わって感染を繰り返していた。

※登場順

[あとがき]

お読みくださり、ありがとうございますm(_ _)m
かなり時間がかかりましたが、このような形で完結させることができました。
お楽しみいただけましたら幸いです。

このお話ですが、イラストつきの同人書籍として刊行予定です。
私のツイッター(@Gemmy_FFXIV)で告知をしていきますので、その際はぜひお手にとっていただけると幸いです。
フォローなどもお気軽にどうぞ!

また、カクヨムなどで小説も連載中です。
現在は同様なサイコホラーの「アリス・イン・ザ・マサクル」というお話を随時更新しています。
こちらもお気軽にフォローなどいただけますと幸いです。

このスレはある程度時間が過ぎましたら、クローズさせていただきます。
それまでご自由にご意見、ご質問など書き込んでいただけますと嬉しいです。

それでは、今回の小説本文投稿はこれで失礼させていただきます。
今後も別の小説を投稿させていただく際には、別スレなどを建てますので、そちらでもよろしくお願いします。

天寧霧佳(天音)


喫煙者は他の登場人物だったりするのかな?

>>263
ありがとうございますm(_ _)m

喫煙者は、読む方によっていろいろなとり方ができる書き方をしています。
一応私の中で定まった設定はあるのですが、作中で特に明言はしていませんので、皆様の考える設定で受け取っていただいて大丈夫です。

面白かった!普通に興奮しながら読んでた。オリジナルでここまで読まされたのは久し振りだ。完結乙でした!
序盤の気の毒な寝たきり少女がラストでは歴戦の猛者の凄みでクール!

人物紹介のリクエストに応えて下さった事にも感謝です

高畑は凄くて怖くて悪くて哀しくて矢尽き刀折れて尾羽打ち枯らした完璧超人という盛り過ぎの奴だったけど、やはり哀しいな
元は情味深い男だったんだろうに、後半生は生き地獄だったろう

汀を悪魔の計画に利用し倒して善人面を一片も見せず、それでいて巧妙に汀を守った。せめて最期に真矢さんのお迎えはあったと思いたいRIP

>>265
なんとか完結させることができました。
汀が最後、目を覚ますための「彼女の治療の物語」でもありました。

一応この作品の続きのプロットもあるのですが、先にお読みいただいた方から、「ここで終わるのがいい」と言われ、迷っています。
いずれにせよ書けるにしても少し先のお話になりますけれどね。

>>266
裏の主な主人公はやはり圭介でした。
彼が復讐のために総てを用意し、総てを動かした戦いの物語でもあります。

感情を欠落したがゆえ、汀達のことを理解できず苦しむ描写は序盤から少しずつ入れていました。
伝わっていたらいいなと思います。

以下細かい点の解説を希望

・結城医師が何者かよくわからない。アメリカ赤十字の回し者だったのか?

・高畑とアンリエッタの過去の因果関係がよくわからない

・アンリエッタの立場がよくわからない。というか非道いよ貴重な女性キャラが…
特務という事は軍関係?精神外科技術が軍事転用されている事は想像に難くないが

・汀がロストしていた間、理緒がどこでどうしていたのかわからない

・自殺病とマインドスイーパーは卵と鶏。病気の発見とシステムの開発にはまだ裏がありそう

・自殺病の専門医である大河内が高畑のクソ発言にいちいちキレる。高畑の自殺病の後遺症をわかっているはずなのに。あれも高度な腹の読み合いだったのか?

・汀の行きつけのびっくりドンキーのクオリティが高すぎる。うちの近所のは潰れたのに

・小白かわいい。カプセル怪獣かよ

・「喫煙者」の正体………は野暮ですね。想像で納得しておきます

>>268

①結城医師について
彼女は、純粋に赤十字の妥当を目的としたテロ組織の一人です。
もともと赤十字病院の医者だったのが、テロに加担していました。
最終話で喫煙者のことを出迎えた女性は結城です。

②高畑とアンリエッタ
ここについては本編の中で一切触れていませんでした。

過去、圭介と坂月、真矢(時々大河内)はセットでマインドスイープをさせられていました。
ある日圭介は、子供の時から、後に真矢が組み込まれるロボトミーシステムのために育てられていたアンリエッタに遭遇します。
すでに感情欠乏症を発症していたアンリエッタの夢にダイブし、圭介は彼女のトラウマを破壊したことがあります。
しかしその施術で、同時にダイブしていた坂月と真矢は重症を負ってしまい、後々まで引きずる障害を持ってしまいます。
それが、アンリエッタが圭介のことを愛していて、しかし坂月や真矢に負い目があった理由です。

その後、アンリエッタはテロ対抗の特務機関に配属され、圭介を追って、汀の危機を利用してやってきます。
結局はその気持ちを利用、踏みにじられ、圭介の復讐の一部に組み込まれてしまうというわけです。

>>268

③アンリエッタの続き
彼女はテロリスト対抗組織の一員です。
つまり、世界医師連盟が組織した軍事部のメンバーということになります。
圭介の殺害司令を出したのは、世界医師連盟の会長、アルバート・ゴダックでした。

④汀が死亡した後の理緒
マティアスに汀のオリジナルが殺された後、理緒は赤十字の別の研究機関で監禁されていました。
しかし、圭介がアンリエッタに殺される直前に残していた大河内へのメモを、喫煙者が回収。
そこに書かれていた夢座標を読み取り、彼が手回しをしてソフィーと理緒を汀の助けに向かわせました。
それゆえ、アルバート・ゴダックの精神通路内に二人は侵入してこれたというわけです。


汀と圭介と理緒と一貴でスカイフィッシュ討伐による喜怒哀楽の欠落が違う設定でもあるのかと思ったわ
私は喜(一貴)怒(圭介)哀(理緒)楽(汀)と感じ取った

小白が精神真皮を拾ってたんだろうなと思うと賢すぎる気がする
しかも小白が拾って保管してたのなら坂月の推論(中核部分)が全部無駄に…

>>268

⑤自殺病とマインドスイーパー
坂月の精神体が言っていたとおり、自殺病は人の心に蓄積した恐怖心により発症する、エラーのようなものです。
元老院達は、その病気を利用して循環ビジネスとして利用していたわけです。
それゆえ、治療するという行為を表向きは演出しながら、スカイフィッシュや自殺病ウィルスをばらまくネットワークを構築したりしていました。

つまり、汀が大人になった最終話でまだマインドスイーパーがダイブを続けているという現状。
それは自殺病ウィルスがばらまかれる現状を、解決しきれていないということにもなります。
彼女の戦いは一応の終止符を打ちましたが、世界総てのシステムを変えるには至りませんでした。

「それでも、生きざるを得ない」という言葉に彼女の想いが総て集約されています。

⑥大河内がキレやすい
対象的に圭介が感情をなくしているため、何を言われても動じないがゆえに大河内がいちいちキレているようにみえるのかもしれません。
大河内は感情欠乏を発症していませんが、汀を圭介から救うために動いていました。
しかしそれを圭介に利用され、結局は手の内で踊っていたということもあります。
彼自身、ばかしあいでは圭介に到底かなわないことをわかっていたので、それが苛立ちにつながっていたのだと思います。

>>268

⑦びっくりドンキー
全く本編にない裏設定でしたが、びっくりドンキーのオーナーは圭介達に自殺病を治療してもらった恩がありました。
ですから特別扱いだったわけですね。

⑧小白について
後半の先読みしたような動きは、小白がかなり歳をとったことによる成長によるものです。
拾われた時は子猫でしたが、汀が一度岬に撃ち殺された時、彼女の時間軸が狂った精神内で長時間帰りを待っていました。
それゆえ、精神だけ妙に成長した猫になってしまったということです。

⑨喫煙者の正体
皆様でご想像いただいたほうがいいかもしれませんねm(_ _)m

>>271
そうですね、明言はしていませんが、汀達はそれぞれ感情の大事なところをそれぞれ欠落しています。
仰る通りの裏設定で間違いありません。

マティアスが捨てた精神真皮は、その時点で虚無に投げ込まれてロストしてしまいました。
つまり、汀のオリジナルは確実に死亡しています。
汀はマティアスに施術される寸前に、持っていた忠信の精神中核に自分の情報を上書きしていました。
その精神中核は、マティアスが汀の夢の中で一貴に殺された後も、汀の夢の中に残り続けていました。
小白はその中から回収したというわけです。
猫は夢と夢を自由自在に行き来できる生き物なので、この場合は坂月が小白に接触して回収したという表現の方が近いかもしれませんね。

おお、解説ありがとうございます。

このSSは視点があちこち移って少女マンガに似た構造だと思うんだが驚く程ハードボイルドで汀でさえ何を考えているのかはっきりしない。その中で個人的には高畑が一番感情移入できた気がします。
一番信用できなかったのはヒゲでしたが彼はタヌキになり切れなかったと理解しておきます。


>>267
汀の物語は美しく完結しましたが、この世界観は壮大なシリーズ化が可能でしょ!外伝でも前日譚でも爆笑パロディでも何でもできそう

このスレの存在に気付いて良かった。新たなマインドスイーパーの活躍に期待

>>275
圭介はあそこまで非情な言い方をしていたのに、皆様感情移入してくださってありがたい限りですm(_ _)m

続編のプロットはできていて、汀の娘が主人公の一人の予定ではあります。
しかし、現在カクヨムで連載している小説などがありまして、書くとしてもそちらが終わってからになるとおもます。

>>274
返信&解説ありがとうございます
結論小白万能過ぎる…

汀の精神中核のコピー(忠信精神中核)についてと精神大人小白の行動については引っかかる事が多い(汗)
箇条書きにします

①マティアスは本部に忠信精神中核を持って行ってないのか?(情報だけ本部へ渡し、中核は持っていた?)
②汀の中に忠信の精神中核が放置されてるのか(コピー回収した時に崩壊か汀の中で中核放置?)
③坂月は「情報の海に動けず…」と言っているのに小白(待っているだけ)と接触(汀の夢へ行く事が)できるのか?

私は「小白が汀の精神中核を探しに夢から夢へ渡り歩いてる内に成長して、坂月と接触し何かあれば坂月の元へ行く事にする→マティアスが忠信精神中核の情報だけ本部へ渡し中核は所持。マティアスがやられた後、中核だけ残る→小白が忠信精神中核を持ち坂月の所へ行き渡す→坂月がコピーを抽出し汀へ渡す→坂月がやられ、中核もロストする」という所まで妄想した…
素人の妄言なのでムカついたりしたら申し訳ない


鮮明にイメージが出てくるのでホラー系は苦手だが楽しかったです。

>>277

いえいえ、考察大感謝です!!

①精神中核の行方
マティアスは、大河内と汀の監視のために彼らに同行していましたが、結論から言うと本部に忠信の精神中核を提出していません。
本編内では触れてはいませんでしたが、彼はある程度の自由行動が許されている役職でした。
それゆえ、彼自身もまた本部との交渉材料にしようとしたのか、中核を自分の中に保持したまま監視任務についていました。

②汀の内部
沖縄に向かう飛行機内で、それゆえにマティアスは中核を持ったまま汀の中にダイブしてきました。
その状態で一貴達に殺されてしまったため、無傷で残っていた忠信(汀)の中核は、他ならぬ汀の精神内に放置されることになりました。
この場合、適切な容れ物内に中核が戻されなかったため、異物とされて汀の中に戻りませんでした。
小白はそれを回収したわけです。

③坂月の移動について
彼が、「情報の海」と呼称しているのは、夢の世界の話でした。
つまり坂月の精神体は、崩壊しかけて入るものの、ある程度他者の夢に干渉するだけの力はまだ持っていました。
このあたりは本編にも全く書いていないことなのですが、小白が坂月と何らかの要因で接触し、中核を渡したという流れになっています。

この場合、精神中核は、それが存在している夢の主が死んだら崩壊、ではないところがポイントです。
もともとのその中核の保持者が死んだり、夢の中で中核が破壊されない限り自壊することはありません。
それゆえに忠信(汀)の精神中核は、複数の夢をまたいで存在することができました。
13話時点で汀の中核を理緒が持っていられたと同じ理屈ですね。

楽しんでいただけて嬉しいですm(_ _)m
他の作品も、もしよろしければお手にとっていただければ幸いです。

>>278
返信&解説ありがとうございます

今回の解説で全部腑に落ちたわ。
とんだ勘違いをしてた。ありがとうございます

勘違い点は
✕忠信の精神中核が残っている→小白が忠信精神中核を確保→中核から汀のコピー中核を回収した

○忠信の精神中核は自壊(忠信の死去)→汀のコピー中核だけが残る→小白が見つけて回収した

忠信は精神中核を奪われただけなので汀同様生きているのだと思っていました。勿論一貴は『敵に中核を取られたので始末された』と思っているので『多分、もうこの世にはいない』と曖昧になってますし…。考えれば忠信を生かす理由が無いか…。

喫煙者は丸わかりですな…他にモブ看護師に…居るような気はしますね…

>>279

いえいえ! 細かいところまで考察していただき大感謝です!!

忠信は、マティアスに精神中核が奪われた時点で死亡しています。
何故かといいますと、汀に精神中核の情報を上書きされたことにより、「忠信」の精神中核情報が永遠にロストしてしまったからです。
つまり、やむを得ないことだったといえ、忠信は汀が殺したことになります。

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