【ミリマス】「麗花の一日誕生日券」 (98)


※ 独自設定が多々あります。

===1.

 肩たたき券を知ってますか? そうです、それです。その券です。

 持ち主が「あ~、肩凝った」とぼやきながらヒョイと相手に差し出せば、
 何処からともなく用意した、鋼鉄製のブロードソードでビシバシと肩を叩いてほぐしてくれる。

「これがホントの肩たたき剣。……なんてなんて♪」

 鋼鉄製とまではいかないものの、プラスチックでできた玩具の剣を鞘から抜いて、目の前の彼女は言いました。

 刹那、頭の中に浮かぶのは、かつて言われたあの台詞。

『そなたの相は前古未曾有。例え命尽き肉果てようと、逃れ難き女難の持ち主でしてー』

 あれから今日まで色々あった。本当に色々あり過ぎるのでここではあえて語りませんが、
 先の有難いお告げの通り、知り合う女性出会う女性の皆々が、厄介な問題に自分を巻き込んでくれましたとも。

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 そして今、眼前に仁王立つ彼女はと言いますと、

 そんな数あるトラブルを合わせて固めて凝縮し、外からはその混沌さが決して覗き見ることができぬよう、
 神さまが綺麗キレイにラッピングした人型巨大タイフーン。

 台風は日本の南から来ると言いますが、
 レイカと名付けられたこの風は、あらゆる法則を無視します。

 それがどれほどデタラメなのかと説明すれば、
 そう、あらゆる気象をねじ伏せながら悠々と、北からやって来る台風です。

 だから、名前が北上麗花。

 ……もちろん全てはこじつけであり、本人にはとても言えないが。


「でもでもちゃんと、肩はほぐしてあげますよ? さっ、今すぐ後ろを向いてください」

「ほ、本気か麗花?」

「私、冗談なんて言いません!」

 嘘だ。

 無垢なる子供のような笑顔だが、その一言は爽やかな牧場の朝のように光り輝き白々しい。
 要は目がくらむほどの眩しさを放つ虚言である!


「それじゃあ早速、行きますよ~?」

 待て、待って! まだ俺は後ろを向いて無いだろう!? 

 しかもどうしてそんなに嬉々として、君は剣を振りかぶるんだ! 

 後、刃を垂直に立てるんじゃない! せめて横向きに寝かせろ、寝かせ――。

「とぉっ!」

 振り下ろされた剣は正確無比に眉間を捉え、俺はあまりの痛みで子供のように悲鳴を上げた。

 ……一体どうしてこんなことになったのか? 

 思い返すは五月の十六日。

 北上麗花の誕生日、その前日の夜まで記憶を遡らなくてはなりません。

===2.

 その晩、俺は狭いながらも楽しい我が家において、
 同居する三人の女性から罵声を浴びておりました。

「アンタって奴は本当に、救いようがないほどの劣悪馬鹿ね」

「こんなこと、本当は言いたくありませんけど……。それでも考えが無さ過ぎます」

「もしくは恥という名の概念が、この方には生まれつき欠けておられるのやもしれません」


 揃いも揃って不機嫌に、こちらをなじる小中大。
 水瀬伊織に如月千早、そして四条貴音の三人である。


「伊織、千早、貴音。お前たちの言い分はよく分かった」

「分かってないわよアンポンタン!」

「私たち、この日が来るのをどれ程心待ちにしていたか」

「真、裏切られたような気分です」

 いつもなら貴音の好物である麺だの麺や、麺ばかり並んでいるハズの食卓の上、
 料理の代わりに広げられていたのは大型遊園地のブックレット。

 それは王冠を被った猫がマスコットの、人気テーマパークの物でした。

 察しの良い方は既にお気づきのことでしょうが、
 俺は明日、五月十七日にはこの面倒くさい三人を――。

「ちょっと、ちゃんと人の話を聞いてるの?」

「も、もちろん聞いてる。聞いてるさ」

 この七面倒な三人を――。

「本当でしょうか? どこか、上の空のような」

「き、聞いてるって言ってるだろ」

 ああ、もう本当に「面妖な」そう、面妖な巡り合わせで一緒に暮らすことになった、
 三人の少女を遊びに連れて行く約束をしていたんです。


 えっ? どうして俺みたいな冴えない芸能事務所のプロデューサーが、
 所属アイドルでもある彼女達と一つ屋根の下で住んでるんだ……ですか? 

 それはまた、別の機会にしましょうよ。

 今、最も重要なのはいかにしてこの三人のヘソを曲げず、
 なおかつご機嫌だってとりながら、明日の予定を諦めさせるかなんですから。


「そりゃあ、俺も悪いと思ってる」

 四人で囲むには少々小さな食卓に両手をつき、俺は頭を下げて謝罪する。

「いつも仕事を頑張ってくれている三人と、俺の休みがたまたま重なった休日だ。
 以前から予定していたイベントだし、お前たちが楽しみにしてたのも十分理解してるつもりだった」


 相手を説得するための一。
 まずは、お互いの置かれた状況を明確に。

「なのにプロデューサーは後から割り込んで来た方を、優先させるつもりなんですね」

「それもわたくしたち三人に、何の相談も無しにです」

「し、知らせようとは思ったさ。でも、この話が来たのは今日なんだ!」


 相手を説得するための二。
 その状況にどのような変化が起きてしまったかを説明する。

 この時こちらの故意では無く、あくまでも抗い難い
 不可抗力とでも言うべき圧力により、無理やり従わされた点を強調すること。

「それもギリギリのギリギリ。退社間際に言われたんだぞ」

「だから相談する間が無かったって言いたいの? アンタ、帰りの車でなんて言ったか覚えてる?」

 三人の中でも一際険しい顔をした、伊織が俺を睨みつける。それから彼女はお行儀悪く、机の上に頬杖をつくと。

「『明日予定してた遊園地、お前たち三人で行って来い』って言ったのよ!」

「うぅ、そ、それは……。確かにそうは、言ったけど」


 だけどそれは、急用ができた俺抜きでも楽しんで来てくれって、彼女たちにはそういう意味で言ったんです。

 なのにこの言葉を聞いた途端、伊織たちは烈火の如く怒り出し……なんてことはありませんでしたけど。

 それでも家に帰ってから今の今まで休みなく、
 赤子の肌のように繊細な俺の心を針の先でチクチクチクチク突くように、嫌味を言い続けて来るんです。


「ほんっとー……に、どうしようも無い男だわ」

「な、何もそこまで言わなくてもいいじゃないか……」

 もはや何の期待もしてないと、ウンザリしたように首を振る伊織に続き、
 千早と貴音も口々に「信じられない」「なんと無関心」

「つまりあなたは私たちのことを、一晩寝れば気持ちを切り替え、
 何もかも忘れてしまえるほどに単純な、子供のように見ていたってことですよね」

「失望としか、言い表すこともできません。あなた様がこれほどまでに、心の機微に無頓着な方であったとは」

「これでアイドルプロデューサーを名乗るなんてお笑いよね。
 アンタの代わりに携帯についてるナビが担当だった方が、よっぽど成果を出せるかもしれないわ」


 ああ、ああ! これだから女って生き物は恐ろしい! 

 姦しさはスイーツや恋の話だけでなく、人を蔑む時にこそその真価を発揮するようだ。


「悪かった、悪かったよ。本当に反省してるんだ!」

「あのね? 今さら謝られたって迷惑なの」

「謝罪で明日の予定が空くワケでも無いですし」

「……はぁ。あなた様への怒りの余り、わたくしお腹が空きました」

 最早三人の怒りは天を越え、俺のことを見下ろす彼女たちの表情は、汚物を見る時のソレでした。

 いや、もっと酷い。

 あれは塵を見る目だ! 屑を見る目だ! 
 部屋の片隅に転がった、綿埃を見下ろすような目だ!


「だけどな、一つだけ。最後に弁明させてくれ」

 だがしかし、俺はこの時を待っていた。

 相手を説得するための三。

 こちらを見下しに見下し、関心を示す事すら不快と思わせた時にのみ、抜くことが出来る切り札があった! 

 三人の意見を代表し、伊織が渋々俺に訊く。

「……で? 最後の言い訳はなんなのよ」


 そこで初めて「しめた!」「かかった!」と、俺は内心ほくそ笑みながら、
 彼女たちに向けて用意していたカードを切ったのだ。

「明日は――誕生日なんだ」

「……はぁ?」

「だから、誕生日。俺もすっかり忘れてたけど、明日は事務所の子の誕生日だったんだ」

 瞬間、風はこちらに吹き出した。

 伊織が驚愕に目を開き、千早と貴音が信じられないと顔を見合わせる。
 そうして三人は机の上に勢いも良く身を乗り出すと。


「誕生日!? 誕生日ですって!?」

「どうして早く言わないんです!」

「わたくし達とて鬼や般若では無いのですよ!?」

「だってお前ら嫌味ばっかり、ワケすら話させてくれなかったじゃないか!」

 轟々と喋る三人に負けないよう、俺は声を張り上げました。

 誕生日、そう、明日は事務所に所属する、とあるアイドルのバースデー。

 しかし、たかが誕生日だというだけで、三人がどうしてこれほどまでに驚くのか? 
 その理由を少し、説明せねばなりますまい。

===

 まず、ウチの事務所に所属しているアイドルには、『誕生日休み』という物がある。

 これは読んで字の如く、アイドルたちは自分の誕生日である日に限り、
 有無を言わせず休みを取ることが、社則で認められているのです。

 これだけなら単なるお休みで、本来ならばここまで騒ぎ立てることじゃあないでしょう。

 けれどもこの『誕生日休み』には、もう一つ特典が与えられる。

 それはまるで、事務所から贈られる誕生日プレゼントのように。


「それで、相手は一体誰なんですか!?」

「そうです、早く仰ってください!」

「アンタを一日自由にできる、そいつの名前を言いなさいよ!」

 さぁ、もうそのプレゼントが何か分かったでしょう? 

 そうです、俺です。

 アイドルがこの『誕生日休み』を使った時、
 彼女たちのプロデューサーである俺も、強制的に仕事を休まされることになるのです。

 でも、羨ましいなんて思っちゃいけません。

 俺が仕事を休むのは、誕生日を迎えた彼女たちの、『一日限定召使い』として仕えることを意味するのだから。


 とはいえ、基本的にお願いできるのは常識的な範囲内。

 例えば先月ならこうだ。

 出先で転んで足を挫いてしまった、ドジな子を背負って歩く桜並木。
 カラオケ好きなあの子とは、オールで歌って喉が枯れ、

 ほわほわのんびり屋さんの彼女には、手作りサンドイッチを振る舞った。
 そしてわんぱく元気な女の子と一日中、遭難と言う名の山遊びにも興じましたっけ。


「これは不覚を取られたわね。まさか、誕生日休みだったなんて」

 爪を噛むように親指を口に当て、心底悔しそうに伊織が言うが……。

 お前さん、今月の初めに『誕生日休み』取ったじゃないか。

 大通りに並ぶブティックを端から端まで荷物持ちとして連れ歩かれたあの苦労、俺はすぐにでも思い出せるぞ!


 当然、話し相手から荷物持ちまで何でも自由にお願いできるこの日の権利を、アイドルたちは見逃さない。
(本人たち曰く、だって便利なんだもん……だそうだ)

 いつしか彼女たちの間では、『他人の誕生日休みの妨害は、しない、させない絶対に!』なんて
 標語めいた約束すら交わされている始末。

 ……が、それが実際に守られているかに関しては、乙女の別腹同様に『それはそれ、これはこれ』であるらしい。

===

 とはいえ、今の所危機的状況に追い込まれてしまった俺のことを、助け出せるのはこの方法しかないのである。

 改めて対座した俺たちの間には緊張にも似た空気が張りつめて、
 およそ二時間ぶりに訪れた静寂に、「くぅー」と貴音の腹の音が響く。

「それで――」

 伊織が小脇に抱えたうさぎのぬいぐるみを撫でながら、至極静かに話し出した。

 口調こそ落ち着いてはいるものの、未だ彼女の肩は張り、怒りが全身を駆け巡っているのが見て分かる。


「相手は誰なの?」

「麗花さんなんだ」


 刹那、俺は確かに部屋の中を、突風が吹き抜けていくのを感じました。

 あれほどモヤモヤとしていた空気が跡形もなく散っていき、
 目の前の伊織の体からも、みるみる怒りのオーラが消えていく。


「麗花さんだ。明日、誕生日を迎えるのは」

 三人に言い聞かせるように、俺はゆっくりハッキリ宣言した。

 伊織の前髪がへなへなとしおれ、千早が机の上に突っ伏した。
 そうして貴音に至っては、口に手を当てよよよと泣き崩れているじゃないか!


 彼女たちの示したあまりといえばあんまりすぎる反応に、
 俺がどうしたものかと戸惑っていると、涙目になった伊織が震える声でこう言った。

「アンタ、最期にして欲しいことはある?」

「麗花さんはダメ、ダメよ、麗花さんは……」

「まだこんなにお若いと言うのに……おいたわしや」

「ま、待て待て待て待て! お前たちはあの人をなんだと思っているんだよ!」

 これじゃあまるで「明日、戦場へ行って来る」なんて報告された、家族の反応みたいじゃないか!
 もしくは「冬眠明けの熊を倒すため、丸腰登山」でもいいさ!


 すると俺の投げかけた質問に、三人が返した答えがこれだ。

「トップクラスの体力妖怪」

「トップクラスの歌唱力お化け」

「とっぷくらすの美女幽霊」

 ああ、くそっ! どうやら麗花さんは人外として、彼女たちの脳裏に刻み込まれているらしい。

 とはいえ俺も、即座に否定できない程度には彼女の変わった一面を知っている。

 どころか全面それだけだ。

 麗花さんは六面全てに一から六以外が書かれた六面ダイス。

 数字のゼロから始まって、似顔絵だとか文字だとか、
 規則性も無しに好き勝手埋められたサイコロのような人なんだ。


「とにもかくにもプロデューサー、生きて帰って来てください」

 そうして最後に三人は、口を揃えてこう言った。

 訴える彼女たちの目は真剣で、流石に俺も「うん。頑張る」と、頷くことしかできませんでしたね。

とりあえずここまで。
建てるのが一日早い? だってほら、麗花さんだし、今日は十六日だから。
五月十七日分は、また明日。

===3.

 本来女性との待ち合わせは、心躍るものじゃないと。

 それも相手が飛び切りのスタイルを持つ美人と来ればなおさらで、
 約束の場所に向かう男の足取りは夢見心地。

 ワクワクと胸の奥を落ち着きなく昂らせ、ドキドキしながら現地にやって来るものさ。


「……居ない」


 だがしかし、今回ばかりは相手が悪い。
 時計を見れば、時間は確かに予定通り。

 なのに指定されていた『餌を前にして延々「待て」を喰らってる犬の像』の近くには、彼女の姿が見当たらない。


 これはあれか? いわゆる『待ちぼうけ』ってやつか。

 哀愁漂う表情をした秋田犬の像の横に移動して、俺は携帯電話を取り出した。

 スマホじゃないぞ、ガラケーだ。

 一時は買い替えようとも思ったが、千早と貴音の反発にあい、
 未だに俺はパカパカと開くコイツを使ってる。

(その際にスマホ派の伊織との間で家庭内冷戦が勃発したが、それはまた別の話だ)


 アドレス帳から番号を引っ張って、俺は麗花さんに電話を掛ける。

 未だ寝ているなんてことは無いだろうが……無いよな? 無いよね? 

 流石にちゃんと目を覚まし、こっちに来てるとこですよね。


「むぅ……出ないな」

 北上麗花が電話に出んわ。
 や、冗談かましてる場合じゃない。

 メールを送ってもいいのだが、
 電話に出ない状況で、すぐにも返事が来るものか? 

 とはいえ何もせずにぽつねんと、
 案山子のように突っ立っているのも愚策である。

 俺は『着きました』と文字を打ちしばし考え込んだ後、
『今どこですか?』と続けて送信ボタンをプッシュした。


 さてこの時、俺の視線は手元の液晶に釘付けでした。

 人は何か一つに集中すると途端に視野が狭まるもので、急に目の前が真っ暗に……

 もっと正確に言うならば、突然目隠しをされるまで、
 背後に何者かが忍び寄っていることに、気がつかなかった次第なのだ。


「だ~れだ? ふふっ♪」

 その問いかけは甘かった。

 甘く優しく相手を包み込むような、慈愛と母性に満ちていた。

 俺は背中に感じる確かな感触に思わず肩を強張らせ、それでも平静を装いこう言った。

「れ、麗花さん……ですか?」

 次の瞬間、目を覆っていた手が俺の両肩へと移動して、
 そのままくるりと体を半回転させられたのです!


「わわっ!?」なんて驚いた声を上げた俺の目の前に、酷くご機嫌な顔が現れる。

「ぴんぽーん、正解したプロデューサーさんには、おめでとうのハグをプレゼント~♪」

 そうして彼女は俺の首辺りに腕を回すと、そのままギュ~っと抱きしめた。

 当然密着する二人の体、すぐ顔の下、胸に押し付けられた麗花さんの髪からは
 ラムネのような甘い香りが漂って……ああ、いや、バニラの方が近いかも……?


「って、違う違う! は、離してくださいっ!」

 一瞬こちらも抱きしめなくてはならんのか? それがマナーか? と、
 彼女の腰に回しかけた両手を無理やり肩に移動させ、引き剥がすようにして距離を取る。

 ああ、周囲に立っている他の待ち人たちの視線が辛い。

 あそこにいるオジサンなんて明らかに、
 敵意と嫉妬に満ちた目でこっちを見ているぞ。

 だがしかし、俺に不満を持つ者は、彼一人だけではないらしい。

 無理やりハグを中断させられた麗花さんが、ぷーっと頬を膨らませる。


「もう、ダメじゃないですか! プロデューサーさんは今日一日、私の奴隷なんですよ?」

 そうして彼女はよく通りどこまでも響くその素晴らしい声を持ってして、
 周囲に爆弾を放り投げたのです。これにはほとほと参りましたね。

「奴隷?」「SM?」「……あんな子にヒールで踏まれたいなぁ」なんて、
 辺りのざわめきは波紋のように広がった。

 俺は超高速で行う手旗信号よろしく両手をワタワタわたつかせ、
「な、な、何を言ってるんですか!」と青ざめた顔を彼女に向ける。


「奴隷じゃなくて下僕です、もしくはバトラー!」

 言ってしまってから気がついた。これじゃあ否定になってない。

 案の定、先ほどよりも強い好奇の視線が俺たち二人に集まって……。


「と、とにかく移動。移動しましょう!」

「もっと落ち着けるところにですね♪」

 ああ、満面の笑みで言う彼女の言葉は至極正しい。

「ねぇ、落ち着ける場所だって」

「こんな陽の高いうちからまぁ……」

「羨ましいぞ、このヤロー!」

 が、最早全ては手遅れなのだ。

 俺は恥ずかしさに顔を赤くしながら、彼女を急かして歩き出す。


 ……早くも前途多難な予感。

 可及的速やかにそそくさとその場を離れ、道行く人の流れに乗って街を行く。

「それで、今日の予定は何ですか?」

 隣に並ぶ麗花さんに俺が尋ねると、彼女はニコニコ笑いながら言いました。


「遊びに行こうと思ってます」

「遊びに?」

「はい。私なりにみんなの話をまとめたんですけど、
 今日はプロデューサーさんに、一杯遊んでもらえる日なんですよね?」

 そうして「ふふっ、楽しみ楽しみ~♪」なんて。
 まぁ、彼女の言ってることは間違っちゃない。

 この『召使い制度』でよく俺がお願いされることと言えば、
 一に休日の遊び相手、二に何らかの作業のお手伝い、三が趣味にお付き合い……と、そんな感じのラインナップ。

 ちょっと変わったところで言えば、ひたすら手料理を振る舞われたこともあったなぁ。


「でも、ちょっと安心しましたよ」

 俺は過去のあれやこれを思い出しながら、ホッと胸を撫で下ろして呟いた。

 そもそも出掛ける前から散々に、
「麗花はきっと、無茶苦茶なお願いをしてくるわ」なんて脅されて家を出て来たのだ。

 いきなりセレブらしく海外旅行へ行きたいだとか、姫に似合うお城を建てて欲しいだとか、
 そんな突飛なお願いをされなかっただけ、随分と気が楽になったと言えましょう。


「プロデューサーさん」

 だが、俺の考えは甘かった。

 呼びかけられて「はい?」と顔を向けた先に、
 差し出されていたのは一枚の見慣れぬカードでした。

 思わずその場で立ち止まり、受け取ったカードに書かれていた文面を、戸惑いながら読み上げる。


「えっと……肩たたき券?」


 律儀にもラミネート加工まで施されたカードには、手書きで『肩たたきけん』の文字。

 周りには花……いや、手か? これは拳か? 
 しかし、どうして拳に顔が描かれてるんだ……それも飛び切りのスマイルが。


「ああ、そっちは裏面です」

 けれども、麗花さんが見て欲しかったのはこちら側では無いらしい。
 裏面ということは、つまりは表面があるというわけで……。

 俺はカードをくるりとひっくり返し、再び現れた文字を読み上げる。


「れいかの一日たんじょうび券」

 ひらがな混じりのなんとも特徴的な筆跡で、そこにはそう書かれていた。

 余白にはどうやら麗花さん本人らしき似顔絵と、やはり笑顔を浮かべるケーキのイラストに加え、
 アルファベットの『P』が頭の代わりにくっついた、珍妙なスーツ姿の人物もおりました。

 ……というかこれ、もしかして俺?


「それからそれから、もう一つ」

 一体どんな反応を返せばいいのやら。

 思わず固まる俺に向け、麗花さんがポシェットの中からもう一つ、
 カードと同じ大きさの厚紙を取り出した。

 こっちはただの厚紙に、幾つもの四角い枠が並んでる。

 例えるならそう、カレンダー。
 もしくは夏休みに子供に渡される――。

「これは……スタンプカード?」

「はい。『お願い叶えたスタンプ』を、プロデューサーさんが押してくださいね」

「え、えぇっとぉ……」


 口ごもり引きつった笑みを返す俺は、さぞかし怪しい見た目をしていたことだろう。

 ……ああ、何という事だ。こんな展開読めるものか! 

 突然謎のカードを手渡され、そのうえ今度はスタンプカード。

 相手の意図が全くもって予想もつかず、
 だからこそ次に彼女の口から飛び出すであろう説明を聞くことを、できれば俺は拒否したい!


「私、今日は何をしようかなって、色々考えてみたんです」

 だがしかし、現実は非情であり、時は情け容赦なく次のイベントを運んでくる。

 軽く両手を組みながら、麗花さんが真面目な顔でこちらを見た。

「そうしたら、凄いことを思いついちゃって。それがこの一日誕生日券なんですよ!」

 そうして彼女は「えっへん♪」と、
 まるで褒められるのを待つ未来のように胸を張った。

 言葉足らずな点においても、その再現性はとても高い。


「……すみません。もう少し詳しく」

 ああ、ああ、聞いてしまった。
 こちらから、理解を求めて尋ねてしまった。

 すると麗花さんが「分かりませんか?」と少々悲しそうに呟くものですから。

「いやいやいや! 言ってる意味は分かります。
 ただ、この券の使い方を教えてもらってないかなー……って」

 あくまでもそう、説明不足が悪いんじゃない。基本は聞き手の問題なのだ。

 アイドルと、いやさ年頃の女性と接する時は、
 このスタンスがとても重要になるんです。


 そうして俺はこの謎のカードが持つであろう、
 あまり知りたくない効力についての説明を、改めて彼女に頼んだのだ。


「使い方ですか? 簡単かんたん」

 麗花さんがカードを指さし、次に放った一言は……
 ハッキリ言って、聞き間違いだったと思いたい。

「本日一日限定で、私がプロデューサーさんのお願いを、何でも聞いちゃうカードです!」

「……はい?」

「だから、沢山お願いしてください! そうして見事お願い事が叶ったら――」

 麗花さんが、今度はスタンプカードを指さした。

「こっちのカードにスタンプを、ドーンと押して欲しいんです。……いいですよね?」


 中身の話は後にして、女性(それも美人の)に上目遣いでおねだりされ、断る男は男じゃない。

 少なくとも俺は反論する人に対してそう、
 毅然とした態度で言ってやりたいものですね!


『だっからアンタはヘタレなのよ!』


 いるはずも無い伊織の幻聴を耳に聞き、俺は静かに空を仰いだ。

 これも男の甲斐性だと、自分自身に言い聞かせながら…………とほほ。

とりあえずここまで。続きはお昼に。夜には完結の予定です。

===4.

 それから俺たちは駅につき、電車に揺られて少し歩き、
 幾らかの安くはないお金を支払って、とある場所に辿り着きました。

 そこは麗花さ……麗花が最初に言った通り、『遊ぶ』には持ってこいの場所。

 行きかう人々には笑顔が溢れ、あちこちから楽し気な笑い声と陽気な音楽が聞こえるワンダーランド……なのだが。

 俺にとってはデンジャラスワールド。
 メインゲートはさながら地獄の一丁目とも例えることができるでしょう。


「うわぁー……!」

 そんなこちらの気持ちを知る由も無い麗花は、感嘆の声を上げて辺りをキョロキョロと見回すと。

「あっちもこっちも楽しそう! ……じゃあじゃあ早速、お願いしてもらっていいですか?」

 期待にワクワクと輝く瞳を向けるのだ。

 これだ、これ、これなんです。真に恥ずかしい話ながら、俺はこの目にとことん弱い。

 過去、何度アイドルたちから向けられて来たこの視線と、同時に投げつけられる無理難題を、
「よし、分かった」と無謀に引き受けて来たことだろう。


 実際、少し前にも言ったばかり。

 麗花からカードを渡されて、「よし、分かった」

 ……その後に何があったのかは長くなるので、黙して語らなくてもいいですかね? 

 ああ、『こればかりは駄目だ』と仰るオーラを感じる。

 つまりは、こういう話になるのです。

===

「カードのことは良いとします。でも、今日のオフは麗花さん。アナタのためのお休みですよ」

 渡されたカードをポケットに仕舞い、俺は彼女にそう訊いた。

 が、返事が無い。

 突然屍と化したワケでも無かろうし、
 聞こえなかったのかともう一度、ハッキリとした口調で呼びかける。

「聞いてますか、麗花さん?」

 無視。

「あの、麗花さん?」

 無視。

「……れーかさーん」

 無視である。

 彼女は顔こそ俺に向けているが、こちらの呼びかけに一切反応を示さない。


 まさか、立ったまま気絶してる? 

 そんな馬鹿なと仰る気持ちは分かりますが、前例が無いことでもないのです。

 あれはそう、ウチの事務所の萩原雪歩に不可抗力から抱き着いてしまった時のこと。

 かなりの男性恐怖症である雪歩はその時、驚きの余りその場で失神。
 脇に控えていたお弟子さんから、きつーい誤解を受けたことがありまして……。

>>37訂正
〇筋金入りの男性恐怖症である雪歩はその時、驚きの余りその場で失神。
×かなりの男性恐怖症である雪歩はその時、驚きの余りその場で失神。


 とはいえ、麗花さんも雪歩と同じように、男が苦手という話は無かったハズだ。

 そもそもついさっきまで、普通に会話は成立してた。

 路子とファーストコンタクトを果たした時と比べても、
 意思の疎通はスムーズに行えていたのだから。


「ちっ……邪魔」


 戦慄。まさか、今のは麗花さんが!? 

 違った。俺たちの傍を通り過ぎる、通行人の誰かが言った台詞でした。

 改めて考えてみるまでもなく、人の流れのある歩道にて、
 ぼーっと突っ立ってる俺たち二人は邪魔者以外の何でもない。

「麗花さん。とりあえず端に行きましょう。ここじゃ邪魔になりますから」

 だが、それでも彼女は無視するのだ。
 俺が歩道の端に移動しても、後からついて来ようともしない。

 一体彼女はどうしたんだ? まるで性質の悪い冗談だ。
 それこそ、命令を待つロボットを相手してるような――。


「……待てよ」

 まさに電球が灯るような閃き。ようやく俺もティンと来た。

 麗花さんはさっきなんて言った? 『お願いを聞く』と言ったのだ。

 それはつまり、カードを持ったこの俺に、『お願いしてくれ』という意味にも取れる。

 事実、彼女は人の波間にありながら、
 助けを求めるような視線をこちらに向けているじゃないか!


「れ、麗花さん。こっちに来てください、お願いです!」

 ああ、今、確かに彼女が反応した。

 ピクリと肩を震わせて、石膏像の如く固まった足を、一歩踏み出すかどうかを躊躇した! 

 しかし彼女は動かない。
 これは聞き手が悪いワケじゃない。俺の出す指示が悪いのだ。

 ロボットに命令する人の気持ちになるですよ。
 オレ、オマエ、メイレイスル!


「麗花さん、こっちに来て!」

 駄目だ! 彼女は動かない。もっとこう、直接的な命令を。

「来い!」

 ああしまった! そっぽを向かれてしまったぞ!? 

 どうやら彼女に与える『お願い』は、ちゃんと名前を呼ばなきゃダメらしい。

 早くしないと辺りを歩く通行人が、
 俺たちの不審なやり取りにざわつき出す。

 もう待ち合わせの時に起きたような悲劇を、繰り返してはいけないんだ! 

 ならば、俺の出すべき命令は――。


「麗花、来い!」


 ――それは人類にとってはちっぽけな一歩だったかもしれないが、
 俺たちにとっては大きな飛躍だったんだ。


「はい! プロデューサーさんっ!」


 これまで見せたことの無い笑顔でそう言うと、
 麗花さんは俺の傍まで駆けて来た。

 まさに、飛んで来るという表現がピッタリだ。

 何せ最後には地面を蹴った勢いに乗って、俺にダイビングしてきたほどなのだから。


「うわぁっ!?」

「きゃあっ!」

 驚き手を広げ受け止めたものの、支えられずにバランスを崩し、
 その場に尻もちをついた俺たち二人。

 するとしたたかにケツをうった俺の目の前に、麗花さんの、その、えー……
 非常に豊満な大地と申しますか、大変ご立派が迫っておりまして。

「だ、大丈夫ですか麗花さん!?」

 怪我は無いかと心配し、意識を無理やりお山から逸らす。

 まさかこんなところで貴音たちと同居して身に付けた、
 女体スルースキルが発揮されるとは思わなかった。

 これも毎晩煩悩退散ストレッチを、欠かさずしているお陰でしょう。


「麗花さん?」

 ……けれども、再び反応無し。

 彼女は俺の上に覆いかぶさるような恰好のまま、ジッとこちらを見つめている。

 無論、意識があるのは明白です。

 何せ彼女の顔は耳まで赤く、
 それはとても珍しい光景でもありましたからね。


 ……とはいえ先ほどよりも明確に、周囲のざわつく気配が感じられる。

 困った、参った、解決する方法は多分一つ。

「麗花、お、俺の上からどいてくれ」

 本当にコレで合ってるのか? 

 半信半疑でかけた言葉だったが、麗花さんは小さく「はい」と答え、
 ゆっくりとその場に立ち上がった。

 それから彼女の後に続くよう、俺も地面から尻を上げる。

 もはや疑う余地は無いだろう。彼女はコレをやり切る気だ。
 今日という日を一日中、こうして『お願い』されて過ごすつもりなのだ。


「プロデューサーさん」

 俺がそう察したのとほぼ同時に、彼女がポシェットから例のスタンプカードを取り出した。

「スタンプ、押してもらえますか?」

「へっ?」

 まさかそんな……今の一連のやり取りは、バッチリスタンプを押す対象になってるのか? 

 なってるようだ。何せ今度は口紅のような口紅を取り出し、俺に手渡して来たのだから。


「……って、コレ本物の口紅じゃないですか!?」

「スタンプ、どうしても見つからなくて。大丈夫ですよ、色はつきます♪」

「そりゃ、色はつくでしょうね……」

「心配せずにぐりぐり~って、四角を塗りつぶしちゃってください」

 笑顔で答える彼女には悪いが、いくらなんでもそれは駄目だ。
 どこかそこらのお店に入り、代わりになる物を買って来た方がいい。


「そういう問題じゃなくてですね。口紅は唇に塗るものです」

「……そうですよ?」

 何を言っているんだこの人は? そんな顔で彼女に首を傾げられる。


「だから、コレじゃない代わりのスタンプを買いましょう。丁度ほら、あそこにお店もありますから……」

 だけど、会話が続いたのはここまででした。

 再びロボットになってしまった麗花さんは、俺の言葉を華麗にスルー。

 それでも俺は慌てません。
 人は学べる生き物と、昔から言うじゃありませんか。

「……はぁ」

 俺は大きくゆっくりと息を吐くと。


「麗花。代わりのスタンプを買いに行くぞ」

「嫌です」

 衝撃っ! まさかの機械の反乱に、俺は思わず口紅を落としそうになる。

 肯定でもなく無視でもなく、明らかな拒絶を示されるとは……。

 おまけに、彼女の話はそれで終わりじゃ無かったのだ。
 ゆっくりと瞬きをした麗花さんが、ピシッと背筋を伸ばして喋り出す。


「ガガ、ピー」

「はぁっ!?」

「スタンプハ、ソノクチベニイガイ、ムコウ、デス」

「いや、そんなロボロボしく話し出されても困ります!」

「ソレト、レイカサンデナク、レイカ、ト――」

「……それはさっきから呼んでるじゃないですか」

「ヨベ♪」

「命令!?」

「ケイゴモ、キンシ。フキョカフキョカ」

「え、えぇ~……?」

 ちなみに言っておきますと、「フキョカフキョカ」に合わせて
 左右に首を振る彼女の姿はとても可愛らしいものでした。

===

「それで、麗花はどこに行きたいんだ」

「ん~……できればプロデューサーさんに決めてもらいたいな」

「そうか? なら、遊べるところって言ったよな……。動物園とか、水族館とか」

「遊園地とか」

「いや、もっと派手にゲームセンターとか、いいと思わないか? 麗花」

「ゆーえんち♪」

「駄目か。う~ん、困ったなぁ……。まさか公園で遊ぶワケにもいかないし、海はまだ冷たいし」

「ジェットコースターとか、楽しいですよね」

「カラオケとか、ボーリングとか」

「ゴーカートとか、お化け屋敷なんかも!」

「そうだ! いっそのこと山でも登りに行ってみるか!」

「とざんとっざ~ん♪ 楽し~い、とっざん♪」


 ええ、ええ、分かってます。

 これが無力な抵抗であるということは、俺が一番理解してるんです。

 あれから結局俺たちは、駅に向かって歩き出した。

 ただ一つの目的地に向けて。
 その歩みを止めず、テクテクと。

 その間ずっと麗花さんは……おっと。

 麗花はずっと、ポシェットから取り出したある物を、
 俺に見えるように持ち続けていたんです。


「ほらほら見てください。マウンテン・ライドですって。園内でできる山登り!」

 彼女がページを開いて見せるソレは、とても見覚えのあるブックレット。

 ……どこで見かけた物だったかなぁ~。
 いやぁ、すぐにはどうも思い出せないなぁ~。


「実は私、前からここに来てみたくって! だからプロデューサーさんが
『麗花、遊園地に連れて行ってくれ』って私にお願いしてくれた時は、もう、わーい♪ って気持ちになっちゃいました!」

 そうです、そう、その通り。詳しく語るまでもないでしょう。

 こうして俺は伊織たちを連れて来るハズだったテーマパークに、
 麗花と一緒にやって来ることになったのでした。


「う、嬉しいのは十分伝わったから。ただ、あまり騒がしくないようにしてくれよな」

「えぇっ? どうしてです?」

 不思議そうに聞き返す麗花に、俺は「だって麗花は、新人とはいえアイドルだろ? あまり目立っちゃマズいからさ」

 なんて言い訳したのですが……。懺悔しましょう。正確には違います。これは俺の保身なのです。

 なにせ、この広い園内の何処かにはあの三人。
 伊織、千早、貴音が来ているハズでしたから。


『アンタ、どーしてココに来てるのよ!』

『それもわたくしたちに見せつけるように、二人並んで仲睦まじく』

『……不潔です。プロデューサー』

 止めろ、そんな目で俺を見ないでくれ! 

 ……もしも園内で鉢合わせるようなことが起きた場合、
 お互いに何とも言えぬ雰囲気になるは必至。

 いや、最悪血の雨が降ることにもなりかねん! 

 おまけに家に帰ったら、昨夜の惨劇が繰り返されることになるでしょう。


 だがしかし、そんなこちらの気持ちを知る由も無い麗花は、
 感嘆の声を上げて辺りをキョロキョロと見回すと。

「あっちもこっちも楽しそう! ……じゃあじゃあ早速、お願いしてもらっていいですか?」

===5.

 ――さて。

 皆さんもご存知だとは思いますが、どこの遊園地でも「これだけは!」と言える、
 定番のアトラクションって物がありますよね。

 特に、ジェットコースターは外せない。
 まさにテーマパークの顔とも言える乗り物です。


「ジェ、ジェ、ジェットコースタ~♪ 速いぞビュビューン、回るぞグルーン♪」

 順番待ちの列に並び、待つことざっと一時間。

 ようやく乗れた車両の上で、麗花は自作の鼻歌を歌ってご機嫌だ。

 隣に座る俺はと言えば、既に半分夢心地。

 決していい意味で言ってるワケじゃない。
 これから待つ恐怖を想像し、怯え、すくんでいたのである。


「麗花はその……ず、随分余裕があるんだな」

 顔が引きつってるのがハッキリ分かる。
 ……率直に言って、この種の乗り物は大の苦手だ。

 地に足付けたい性格からか、俺にとっては妙な浮遊感を持つ上に、
 猛スピードで進むコースターは悪趣味な拷問器具に等しい。

 だが、麗花の方は全然平気な顔をして、出発を今か今かと待ちわびていた。


「苦手ですか? ジェットコースター」

「正直、余り好きにはなれないな。……途中でレールから外れちゃって、そのまま飛んで行くかもとか考えてさ」

 安全バーを握りしめ「気が気じゃないよ」と首を縮める。
 すると麗花は「ほうほう」なんて相槌を打ってから。

「そういうジェットコースターも、あれば楽しいかもしれませんね」

 レールを指さし歌い出す。「途中でレールから外れて~、お空を走ったりしないかな~♪」

 じょ、冗談でもそういう歌は勘弁してくれ! 
 ほら、スタッフさんが微妙な笑顔でこっちを見てる。


「あの、お客様」

「はい」

「余り他のお客様たちを不安にさせるような歌は……」

 全く持ってその通りです。すいません、キチンと注意しますから。

「あっ、動き出すみたいですよ」

 とはいえ本人は至って呑気なもの。

 発車を知らせるブザーを聞いて、こちらにヒョイと片手を差し出した。


「ど、どうした麗花?」

「了解しました! プロデューサーさんのお願いを聞いて、お手てをギュってしてあげますね♪」

 そうして有無を言わさずこちらの手を握り、
「ふふっ。なんだか私、ドキドキします!」ああ、その言葉には俺も同感だ。

 まさかこの歳で女性とがっちり手を握る機会なんてそうそう無く……いや、違う! 

 このドキドキはそう言う甘酸っぱい奴じゃなくて、
 もっと底冷えするような恐怖から来るドキドキで

 ――っと言うか今了解したって言わなかったか?
 俺がいつお願いを頼んだよ!?


『それでは、楽しんできてくださ~い』

 気の抜けるアナウンスが響き、悪魔のコースターが動き出した。

 途端に思考は凍りつき、圧倒的な高度を進んでいるという現実に、俺は思わず唾を飲む。

 もう後戻りなんてできはしない。気分はまるで鉄砲玉だ。

「あ、ああ、登ってる、登ってるよぉ……」

 恐怖を紛らわせるためか、目に映る光景そのままを、ついつい声に出してしまう。

 隣ではそんな俺とは対象に、「まだかなまだかな?」なんて、ワクワクしている麗花。


 ピタリ。レールの山の山頂で、コースターが一瞬動きを止めた。


 そして、加速。もう、えげつないほどの速度で加速。
 顔面に風が叩きつけられ、耳元を風きり音が通り過ぎて行く。

「きゃー!」とか「わー!」とか言ってるような余裕はない! 
 ただただポカンと口を開け、「…………っ!」だけだ!

「プロデューサーさん見てください! 観覧車より高いですよ!」

「…………っ!!」

「それに空もこんなに近くって、手を伸ばしたら雲に届きそう!」

「…………っ!?」

「おおっ! びっくりグルグル大かいて~ん!! 怖い怖ーいっ♪」

「…………っ!!?」


 ピタリ……とまではいかないが。二つ目のレール山で小休止。

 どうしてコースターは一度で最後まで駆け抜けないのか。
 まるで水攻めの途中に一瞬だけ、空気を吸わされるが如し。

「もっ……やだっ……!」

 おかしいな、声が遅れて聞こえるぞ。
 再び走り出したコースター。隣で麗花が歌ってる。

「ジェ、ジェ、ジェットコースタ~♪ 飛び出せ飛んでけ、ギュルギュルーン♪」

 それを最後に俺の意識は、プツリと完璧に切れてしまった。
 次に瞼を開けた時は、既にホームに戻った後。


「お、おわっは……?」

 ああ、呂律が上手く回らない。

 フラフラとした足取りでコースターから降り立つと、
 俺は足が地面につくことの喜びを噛みしめて……よかった、生きて帰って来れた。


「楽しかったですね、ジェットコースター」

 麗花が俺の顔を覗き込みながら、満足そうにそう言った。
 返事をする気力も無い俺は、ただただ無言で頷くだけだ。

「それにそれに、意外なことも分かっちゃったし」

 クスクスと肩を震わせて、麗花が可笑しそうに笑う。
 一体何だと思っていると、彼女は含みのある笑顔をこちらに向けて。

「プロデューサーさんって、案外怖がりさんですね。コースターから降りてもまだ、手を握ったままなんて」

 言われてその時気がついた。確かに俺は、差し出された手を握りっぱなし……。

「わ、悪い!」なんて言いながら、俺は慌てて繋いでいた手をはな、はなっ! 放してくれ!


「こ、この手を離してくれ麗花!」

「嫌でーす♪」

 ああ謀反。この世から裏切り行為は無くならない。

「さぁさぁ次に行きましょう! 今度はどこに行きますか? 
 お願いしてもらえたら、どこへだって連れてっちゃいますよ。怖デューサーさん♪」

とりあえずここまで。続きはまた夕方に。


 毎度分かり辛いであろう小ネタを拾って下さる画像先輩にも感謝しておりますが、
 まさか支援絵を頂くことがあるなんて……わざわざありがとうございます。麗花さんもそうだけど、左三人組も可愛いんだぁ。

 それではこれより最後まで、お付き合い下されば幸いです。

===6.

 世は押しなべて効率を重視する世界でありまして、それは夢の国とまで比喩される、
 このテーマパークでも変わらぬことなのであります。

 本来ならば俗世間の煩雑やら繁忙さを忘れるために来るはずのこの場所においてまで、

 人は時間と言う名の抗い難い敵と戦い、いかに限られたリソースの中、
 一つでも多くのアトラクションを楽しむかに心血を注ぐ。


「はぁ、長いなぁ~」

「そーだな、長いな」

「長い長い……。退屈で死んじゃうかも」


 アナタに限ってそれは無い。

 言いかけた言葉を飲み込んで、俺は目の前に広がる光景に視線を移す。

 そこにはうようよと並ぶ人、人、人。

 まさに人間万里の長城かと、例えたくなるような行列が。


「それにしても、随分と人気があるんだな。このマウンテン……ライドだっけ?」

「みんな山登りが好きなんですね」

「いや、どうも麗花が想像してる物とは別物だぞ」

 俺はこの長い待ち時間を極めて有効に使うべく、手元のブックレットを読みながら、
 アトラクションの情報を改めて確認し直していた。


『スリル溢れるライド・ムービー!』

『財宝と罠が眠る遺跡をトロッコで激走!』

『縦横無尽に駆け抜ける、ライドアクションの決定版!』


 なんて宣伝文句がわちゃわちゃと書かれたレビューを読む限り、
 どうも本当に山を登ったりはしないようだ。

「いわゆるアレだな。スクリーンの映像に合わせて、乗ってる乗り物が動くヤツだ」

「ケーブルカーみたいな物ですか?」

「ま、まぁ、同じような物……かなぁ?」

 確かにあちらも乗ってる乗り物が山を登り、窓の外の景色は変わってくな。

 目的や規模はともかくとして、広義のライドアクションには変わりない。


「とはいえ、まーだ時間はかかりそうだ」

 俺はブックレットを麗花に渡すと、固まった背中をほぐすために背伸びした。

 見上げる空は清々しいまでの青空で、いかにもといった行楽日和。

「そういえば――」

 俺はふと、気になっていたことを麗花に尋ねる。

「どうして麗花は、ここに遊びに来たがったんだ? 正直な話、遊び場なんてそこら中にあるだろう」

 これは実に純粋な疑問である。

 すると麗花は少しばかり考え込んでからこう言った。

「誕生日は、特別な日です。今日は特別な日ですから、あえて特別なことがしたいなって」


 おぉっと、この返しは斬新だな。

 一見意味が理解できそうで、ギリギリ解読できない辺りが実に良い。

 どうして海はしょっぱいのか? それは未来永劫延々と塩を出し続ける、臼が沈んでいるからだよ、
 なんて答えが返って来た時に感じる、「危うく信じるところだったぜ!」感が溢れている。

 そして皆さんはこう思うハズだ「それ、例えになって無くないか?」と。

 そう、それこそが麗花の企み、彼女が息を吐くように操る北上流対話術の神髄だったんだ!


「な、なんだってー」

「はい? どうかしましたか」

 小声で呟いたつもりだが、聞こえてたのか……。恐ろしいまでの地獄耳。

「麗花は、天邪鬼なのかもな」

「クジャク? ……羽根は生えてないハズですけど」

 しかし、小鬼とは親類かもしれない。

 俄然彼女の家系図が気になりだしたところで、ようやく人の列が動き出した。

 数メートル進んでは停止、また数メートル進んでは停止。
 そうして行列はごく自然に、三度その動きを止めてしまうのです。


「……あの~、プロデューサーさん」

 痺れを切らしたような顔をして、麗花が俺に声かける。

「やっぱり、別のアトラクションに行きません? もっと、待ち時間の少ないところ」

「嫌です」

「あう! いじわるぅ」

 はは、見たか! 復讐するは我にあり。

 俺は麗花に『誕生日券』を突き出して、彼女の要求を却下した。

 もはや我々は列の中心で、進むも地獄なら退くも地獄。
 一連托生、最後までこの俺と付き合ってもらおう。


「……そうだ! 喉は渇いていませんか? ちゃんとお茶を用意して来たんですよ」

「へぇ、気が利くじゃないか」

「いつだって準備万端ですから。えっへん♪」

 麗花がポシェットから取り出した、水筒に入ったお茶を貰う。
(しかし、何でも出て来る鞄だな……)

 コップにこぽこぽと注がれた緑茶は、いい塩梅にぬるかった。いや、熱い。汗が流れ出るほどに。

 麗花め、淹れたてのお茶をそのまま水筒に移して来たな。
 ……もちろんそこに悪意なんて、ひとつまみだって無いのでしょうが。


「プロデューサーさん、凄い汗。動かないでくださいね、タオルで拭きふきしたげます♪」

 そうして今度は良い匂いのするタオルで顔を拭いてもらう。

 傍から見ればかいがいしく世話を焼く、素敵な女性に映っていたかもしれません。

 ……実際、よく気遣いもできる人なんだけど。

 破天荒さと行動の予測の出来なささのせいで、彼女をどうにも大人と思えない。

 天が二物以上をお与えになると、こうした人が生まれて来るのかもしれないな。

 結果として恵まれた才能の代わりに、
 常識を詰め込むスペースが、無くなってしまうものと見た。

===

「マウンテン・ライド、凄かったな」

「最初に遺跡の入り口で、ダイナマイトをドカーンってするのは迫力満点花まるでした!」

「その後のコウモリの大群に」

「ダウジングと発掘で、隠し扉を見つけるところも」

「臨場感があったよなぁ」

「トロッコも、ジェットコースターみたいで楽しかったです♪」

 施設の出口から外へ出ると、俺たちはパークの中を歩きながら、
 先ほど体験したばかりの『マウンテン・ライド』の感想で大いに盛り上がってました。

 いやぁ、最近の映像技術と演出の噛み合わせっていうのは凄い。
 終始リアルな臨場感に、圧倒されっぱなしですよ。


「いつか私も、事務所のみんなとあんな冒険してみたいなぁ~」

「うーむ、それはまた難しいご注文だな」

 麗花の大きすぎる未来への要望に苦笑しながら、
 俺たちはパーク内のフードコーナーを目指す。

 理由は単純。

 たった二つのアトラクションを体験するだけで、
 とっくにお昼を過ぎてたからだ。


「麗花は、食べたい物とかあるか? 割と色んなお店があるようだけど」

「シェフデューサーさんにお任せします。私の誕生日にばっちり合う、素敵なご飯を作って下さい」

「いや、作るのはお店の人だから……って」

 その時、俺は気がついた。何やらコーナーの一角に、妙な人だかりができている。

 するとこうした『楽し気な雰囲気』には人一倍敏感な麗花が「なんでしょうね?」と、首を傾げ。

「私、気になります! 一緒に覗いてみませんか?」

「ふむ。何かのイベント中かもしれないしな。……いいぞ」


 だが、俺はもっと警戒しておくべきだったのだ。

 油断大敵と言ってしまえばそれまでだが、朝から麗花と過ごすうちに、
 俺の呑気さにも拍車がかかっていたと言えましょう。


「スゲェ、まだ食う気だぞあの女」

「これってテレビの撮影でしょ? 人気メニュー食べつくしとか、そんな感じの企画でさ」

「でも、かれこれ一時間以上はここで食ってるぜ……」

 人だかりが近づくにつれ、耳に入って来るざわめきが、俺に「引き返すんだ」と警告する。

「ああ、店長だ。店長が出た!」

「滅茶苦茶怯えた顔してる……」

 人垣の隙間からチラリと見えた。

 彼らが注目していたのはレストランのテラス席に座り、
 空になった皿を山積みにした銀髪の淑女を含む一行。

 ああ、あの並んだ面々には見覚えがある。誰が忘れることのできようか!

「貴音ちゃんだ!」

「それに、伊織と千早まで……」


 刹那、ナプキンで口元を拭っていた貴音がこちらに視線を向けた気がした。

 その目つきは餌を取られぬようにと警戒する獅子の如き鋭さを持ち、
 見据えられたと感じた瞬間、俺は動けなくなってしまったのだ。

>>68訂正
〇人だかりが近づくにつれ、耳に入って来るざわめきが、俺に「引き返すんだ」と警鐘を鳴らす。
×人だかりが近づくにつれ、耳に入って来るざわめきが、俺に「引き返すんだ」と警告する。


「恐れ入りますお客様」

 けれども厨房からやって来たと見える、
 身なりの良いスタッフが貴音に声をかけたことで、この金縛りはすぐ解けた。

「はて? 何でしょう」

「申し訳ないのですが、これ以上の追加注文は――」

 ありがとう店長。アンタ、ナイスタイミングだよ! 
 ……ところがだ、俺は隣にいる誰がいるのか忘れていた。


「おーい! 貴音ちゃ――」

「やめろぉっ!?」

 大きく手を上げ貴音に呼びかける麗花の口を急いで塞ぎ、俺は彼女ごと人垣の後ろに移動する。

「ほがっ! もがふがっ!?」

「おっ、おっ、お前は何て恐ろしい事を!」

「ふぐーっ!」

 内心口元を塞いだ手に噛みつかれやしないかとヒヤヒヤしたが、麗花は意外にあっさり拘束された。

 それからやっとの思いで建物の陰に隠れると、そこでようやく手を離す。


「もう! 一体なんですか!?」

「それはこっちの台詞だよ! どうして貴音に声かけた!?」

 すると麗花は不機嫌そうに眉をひそめ。

「それは私が言いたいです。どうして声をかけちゃダメなんですか?」

 言われて、「うっ!」と言葉を詰まらせる。

 確かに麗花の立場からすれば、俺の反応は理解できなくて当然だ。

 彼女からすれば単に知り合いを見つけただけに過ぎず、
 それを阻止した俺の行動は異常なことに思えたろう。


 ……もはやバレるのも時間の問題か。
 俺はここに来てついに、彼女に事の真相をバラしたのだ。

「じ、実は、麗花には黙っていたんだが――」

===7.

 ああ、早くお家に帰りたい。

 デート中にケンカしてしまうカップルってのは、
 きっとこんな気持ちになるのだろう。

 無論、俺と麗花が付き合っているだとか、そんな事実はありませんが。


「な、なぁ麗花。次はどこに行きたい?」

「つーん」

「あれなんか面白そうだぞ? ほら! 大きな船が、ブランコみたいにスイングするやつ!」

「つんつーん」

「……帰るか?」

「嫌です」


 園内に置かれたベンチに座り、俺はがっくりと肩を落としてため息をつく。

 はぁ~……参った。

 あのフードコーナーでの騒ぎの後、俺は麗花に本来の予定では今日ここに、
 貴音たちと来ていたハズだったことを伝えたんだが……。


「だったら尚更問題なんてないじゃないですか。私はみんなと一緒でも、全然気になんてしないのに」

 それは、俺が初めて見る麗花の怒った顔だった。

 普段どんな時でもニコニコと笑っている彼女だからこそ、この怒り顔は迫力があり、
 そしてそんな顔をさせてしまったのだという事実が、俺の上に重たく圧し掛かって来るのです。

 己の身可愛さに、本来ならば楽しくなるハズだった彼女の一日を台無しにしてしまったという結果が俺を責める。


『あなた様がこれほどまでに、心の機微に無頓着な方であったとは』

 昨夜の貴音の言葉まで思い出し、俺は増々ブルーになっていた。

 おまけにフードコーナーに戻った時には、既に彼女たちの姿は消えていて……。

 結局、誰とも合流できぬまま、二人はギクシャクしっぱなし。

 こうして座っている間にも、時間だけはどんどんと過ぎていくのだ。

 何とはなしに時計を見れば、既に午後の三時を回っている。

 このまま今回の『誕生日休み』は、何の解決もしないまま終わってしまうのか……。


「……そうだ」

 ふと、俺はあることを思い出した。

 そうしてお昼代わりのポップコーンをモグモグと食べ続ける麗花に、
「あのさ、スタンプカードってあったろう」と声かける。

「あれ、ちょっと見せてくれないか? ここに来てからは、殆ど塗ってなかったからさ」

 はぐり、とポップコーンを口に運び、麗花がツンツンとした表情で俺を見る。

「ひぇふひふぃふぃふぇふよ」

「悪いな」

 スタンプカードを受け取ると、俺はスタンプ代わりの口紅を取り出した。


 それにしてもこの口紅、一体どんな使い方したらこうなるんだ? 

 ……スティックのりを想像して欲しい。

 その繰り出し部分から出せるだけののりを外に出し、根元からポキリと折った状態。

 麗花から渡された口紅は、丁度そんな感じになってたんですよ。

 けれども渡した彼女曰く、「使った覚えはない」そうだ。

 ……これは俺の推測でしかないのだが、きっと何かの拍子に折ってしまったんだろうな。
 麗花は多分に大雑把というか、器用に不器用とでもいうか、そういうところのある女性だと思っている。

 とはいえ、これでカードを塗るのは一苦労。

 少しばかり端から出ている部分を使ってチマチマと、俺は並んだ四角を潰していく。


「なぁ麗花。ここに来てから何回お願いしたか覚えてるか?」

「十七回です」

「ん、ありがとう」

 機嫌は損ねているものの、受け答え事態は応じてくれる。

 なんというか、普段の伊織や千早に感謝である。
 あの二人の拗ね方に比べたら、麗花はまだまだ可愛い方さ。

 そんなことを考えていると、麗花が「あ、そうだ」なんて言葉を続ける。

「質問に答えてあげましたから、プラス一回してくださいね」

「……したたかさんめ」


 結局枠の半分以上を塗りつぶし、俺は麗花にカードを返した。

 ……そういえば、スタンプが全部埋まった時のことを聞いてなかったな。

「ふふ、ふふふっ♪」

 が、そのことについて質問するのは止めました。

 なにせカードを眺めながら笑う麗花の顔は、とても見覚えのある……。

 例えるならばあの双子、双海姉妹が悪巧みを考えている時の顔にそっくりだったものですからね。

===

 人は腹が減ると怒りっぽくなるらしい。
 ならばここで逆説、腹が満ちれば怒りも収まる。

「ほらほら早く、プロデューサーさん!」

 バケツ一杯に入っていたポップコーンを平らげると、麗花はケロッと機嫌が良くなった。

 刺々しい雰囲気も無くなり、「それじゃあ、次に行きましょうか」だなんて。

「それから、約束は守って下さいね」

「分かってる。今度貴音たちを見かけたら、一緒に回るように声をかけるよ」

「ふふっ。大変いいお返事です♪」

 おっと、「そんな悠長なこと言ってないで、携帯で呼び出せよ」
 なんて彼女に告げ口するのは止めてくださいね。

 折角麗花がその方法は思いつかな――忘れているんですから。
 無用な火種は無闇やたらに作らない、燃やさない。


 午後四時と言えば夕方の入り口。

 俺たちはなるべく行列の無いアトラクションを探して園内を歩き、その建物の前に辿り着いたのです。


「ホラーハウス。お化け屋敷か」

 見上げる建物はしっかりとした造りの洋館で、
 いかにもホラーホラーした雰囲気を纏っていた。

 パーク内には似つかわしくない、一種異様な建物だと言える。

「こういうの、なんて言いましたっけ? オドロキ……モモノキ?」

 山椒の木。多分、趣って言いたいんだな。


「ワクワクするな~、ドキドキしちゃう!」

 とはいえ、言葉の意味にはそれほど興味も無いらしい。

 入り口でチケットを見せ、二人一緒に中に入る。

(余談だが、俺はこのチケットを見せる一連のやり取りがテーマパークの醍醐味だと思います)

 予めブックレットで仕入れた知識によると、
 ココはとても『変わってる』場所らしいが、果たして。


「……静かですね、ここ」

「あ、ああ」

 その意味については、洋館の中に一歩足を踏み入れた瞬間から理解することができた。

 なにせ館の中は全くの無音。
 おまけに俺たち二人以外、他の客の姿も無い。

 ……普通、こういうのって何人かセットで移動するもんだよな?

 見た目こそ伊織の実家に置いてあるような、立派な家具や調度品が並んだホール。

 けれども埃の積もり具合や、照明の感じがこの場所の退廃具合をいい感じで表現しておりました。

 うん、このセットを作ったスタッフはいい仕事をしているな。
 ウチの劇場工作室に引き抜きたくなるほどに素晴らしい。


『ようこそ、我が屋敷に』


 突然、ホールの中にくぐもった声が響く。

 恐らくは何処かに置かれたスピーカーからの音声だろうが、
 やけに耳元で囁かれるように聞こえるのは、音響係の手腕によるものに違いない。

「いいなぁ、欲しいなぁ」

 思わず仕事モードになって、胸の内を呟く俺。

 ああ、いかんいかん! 今は麗花の付き添いだぞ。交渉するならまた後日だ。


『君は久しぶりの来客だ。心からもてなし、歓迎させて頂きたい』

「分かりました♪ じゃあじゃあ私も、精一杯もてなされたいと思いまーす!」

 とはいえ、麗花がいるのは考えようによってはとても心強いことである。

 基本、ウチの劇場は怖がりな女の子ばかり。
 彼女のようにお化けも幽霊もなんでもござれな人材は珍しい。

『では、食事の前に我が家を少し案内しよう。目の前の扉に向かってくれたまへ』

 不気味なアナウンスに従って、俺たちの真っ正面。
 ホールにいくつもある扉の内の一つが開いた。

 どうやら指示に従って、屋敷を進んで行くようだ。


「それじゃ、行くか」

 俺の呼びかけに麗花が答える。

「はい! お食事、どんな料理が出るか楽しみですね。
 お昼、食べそこなっちゃいましたけど……。まさに災い転じて福袋!」

 楽し気に俺の手を引っ張る彼女の姿に、思わず俺は笑ってしまった。

 きっと麗花の手にかかれば、怪奇現象だって舌を巻くしかないだろうな。

===

 ホラーハウスの感想は、「まあ、悪くないかな」の一言に尽きる。

 雰囲気は大変よろしいし、あちこちにある不気味なオブジェや古典的でもしっかりと作り込まれたギミックに関しては、
 この場所を設計したプランナーの意気込みを感じたよ。

 特に、突然窓を突き破って廊下に犬が飛び込んで来た時には、
 情けないことに悲鳴を上げてしまったからね。

 ……ただ、どうしても「最高だった」と言えない理由が、一つある。


「プロデューサーさん。準備バッチリです」

「ん、それじゃあ……。一たす一は?」

「にぃー!」

「に゛ー!」


 パシャリ。洋館の中にカメラのフラッシュが瞬いた。

 それから、脅かし役の人とハグしていた麗花が「ありがとうございます」なんて、
 一緒に写真に写ってくれたお礼を言っている。

「い゛やー、こ゛ちらこ゛そ。こ゛んなの滅多に゛ないですか゛ら」

 照れた様に頭を掻くゾンビメイクのスタッフを見て、俺は「これでいいのか?」と首を傾げたが……。

 これでいいのだ。麗花は満足しているし、向こうも楽し気、誰も損はしていない。


『それでは、最後に私のコレクションをお見せしよう。その扉の先だ』

 アナウンスに促され、ゾンビと別れた俺たちはその部屋の中に踏み込んだ。

 瞬間、全ての照明が消え、辺りが闇に包まれる。

「うわっ!?」

 思わず驚く俺の腕に、誰かが――いや、麗花しかいないが――しがみついて来た。

 そうして再び明かりが点いた時、俺は「おぉっ!」と感嘆の声を上げることに。


「凄い……!」

 それは麗花も同じだ。くっつけていた体を少しだけ離すと、
 辺りをぐるりと見渡して、興奮気味に声を上げる。

「す、凄い凄い! プロデューサーさん、見てください!」

 周りを取り囲むように立っていた、大勢の麗花が一斉に俺を見た。
 正確には、鏡に映った麗花たちがと言うべきでしょう。

 と、同時に隣に立っていた麗花が、俺の腕に抱き着く力をギュッと強める。


「私が、こんなに一杯……」

「最後の最後にミラーハウス。……ただのお化け屋敷だと思ってたんだがな」

 これは中々のサプライズ。結構粋な演出ではないだろうか? 

 なんてことを考えながら、俺たちはくっついたまま道を進む。
 そんな二人の動きに合わせ、鏡の麗花もついて来る。

「……不思議な場所」

 ぽつり、麗花が呟いた。……そういえば、どうして彼女は俺にしがみついてるんだ? 

 いや、抱き着かれて悪い気はしないけども。
 これは結構芯に来る。主にその、自制心って部分にだ。


「な、なにが不思議だって言うんだ?」

 俺は自分の気を紛らわせるために、麗花に尋ねる。
 すると彼女は少しばかり困ったように息を吐くと。

「ここには、沢山の私が居て……。これ、みんな私なんですよね」

「あ、ああ? そりゃあ鏡に映っちゃいるけれど、麗花には変わりないだろうな」

「だから、不思議で……。胸が、ざわざわってするんです」


 言い終わると、麗花は顔を伏せてしまった。

 ……意外だな。まさか鏡が怖いのか? 

 これで姿が映ってないとかいうのなら、俺は本格的に彼女を人外認定しなくちゃならなくなるところでありましたけど、
 幸いなことに麗花はしっかり鏡に映り――。

「あれ?」

 ソレに気がついた時、出口はもう目の前でした。

「ダメ、いきましょう」立ち止まりそうになった体を、麗花が思い切り強く引っ張る。

 ……あ、ああ。そうだな。きっと俺の見間違いさ。

『我が屋敷は、いつでも君を待ってるよ』

 アナウンスが聞こえる。外の空気を胸に吸い込み、俺はぶるると頭を振った。

 一刻も早く、さっき見た光景を忘れたかったのかもしれない。


 誰だってそう思うハズですよ。なにせミラーハウスの鏡の中には一枚だって……俺が映ってる物は無く。
 鏡の中の麗花たちはみな、こちらを向いてたんですから。

「スタッフの引き抜きは、やめとこうかな……」

 そうしてこの判断は間違っちゃいなかったと、今でも強く思ってます。

===8.

 遊園地の締めといえば、夜景を見ながらの観覧車と、パレードがあるならそれだろう。

 とはいえ、絶対最後にそうしなくちゃならないと、誰かが決めてるワケじゃない。

 思うに、これは刷り込まれたイメージだ。
 なんたって密室で二人きり。

 ロマンチックなムードを演出するには、これ以上ないってシチュエーションと言えますからね。

 遊園地側としても集客を狙い、大々的に宣伝や、タイアップだってするでしょう。

 例えばそう、ドラマなんかでこんなシーン、皆さんは見た事ないですか?


「麗花……」

「……プロデューサーさん」


 二人、頂上に近い場所に止まったゴンドラの中で見つめ合う。

 窓の外、遠くには夕陽が沈む海も見え、見下ろせば地上を歩く沢山の人の姿だって。


「今日は、とっても楽しめました。あまり沢山の乗り物には乗れませんでしたけど。
 ……それはまた、次の機会のお楽しみですよね」

「ああ、俺もそう思う。途中で嫌な気分にもさせてしまったけど……。今の麗花が満足そうで、心底ホッとしているよ」

 麗花が魔法のポシェットから、ポリ袋で包装されたカップケーキを取り出した。

 もはやこの程度のことで驚いたりはしない。
 今日一日でそのぐらい、お互いの理解は深まっているのだから。

「実は私、毎年誕生日にケーキを焼いて配るんです。
 ああ、でもでも今年は、プロデューサーさんだけになっちゃいそうですけど」


 受け取ったカップケーキは意外にも、それほど形は悪くない。

 青と白と爽やかなハワイアンブルーが、爽快感溢れる味を確約してくれてる辺りも最高だ。

「ありがとう」とお礼を言い、俺は彼女から受け取ったケーキにかぶりついた。

 ……うん。大方予想通りの味がして、まぁ、うまい。


「本当ですか? 良かった♪ 実はまだ、おかわりだってあるんですよ」

 そうしてポシェットの中から二つ、三つ。袋に包まれたカップケーキが現れる。

「お茶だってありますから、喉が渇いたら言ってください」

「ああ、本当に麗花は気が利くなぁ」

 窓の外の夕焼けを眺めながら、美女と二人密室で、ファンシーなカップケーキを味わう俺。

 なんて幸せなひと時だろう。

 だがしかし、俺はこんな時間が永遠に続けばいいとまでは思わなかった。

 そう、一瞬たりとも、一時も。


「……まだ、動き出さないな」

「あっ、ジェットコースター♪」

 うん。確かに麗花の言う通り、俺たちのゴンドラのすぐそばを、
 ここに来て最初に乗ったジェットコースターが駆け抜けていく。

「なあ麗花」

「はい」

「今、見覚えのあるデコが通り過ぎなかったか?」

「プロデューサーさん、凄い偶然! 私もそう思ってたところなんですよ」


 しかし、突発的なトラブルによって急停止した観覧車ほど退屈な
(もしくはある意味スリル満点な)アトラクションも無い。

 それになにより、俺は相当運もいいようだ。

「今日はもう、この乗り物で最後だなぁ」

 こんなワケの分からん状況に置かれても、慌てたり騒いだり、
 パニックにならないのは彼女が居てくれるお陰と言える。


 麗花が窓の外を眺めながら言う。

「全然問題なしですよ。むしろ、嬉しいぐらいです!」

「嬉しい? 本当に?」

「はい! だってだって、すっごく得した気分になれるじゃないですか!」


 そうして麗花が、はにかみながらこっちを向く。

 その顔は、夕陽に染まって輝いて……
 ちくしょう、言い表す言葉がすぐには浮かんで来ない自分が恨めしい。


「素敵な景色を、こんなにも長い間二人占めできて……。ふふっ。一生の思い出、出来ちゃいましたね♪」


 ああ……。君のその気持ちに、異論なんてないさ。

 俺は悔しくなってしまい、新しいカップケーキに齧りついたほどですよ。

 だってそうでしょう? 

 こんなにも素晴らしい景色と彼女の姿を、思い出の中にしか残しておくことが出来ないなんて、
 誰にも自慢ができないなんて、それこそ悔しがらないでどうするんだって話なんだから。

===

 こうして、麗花の『誕生日休み』は終了した。

 厳密にはまだ数時間、今日という日は残っていたが。

 街に戻り、俺たちは何となく別れを切り出すこともできないで、
 ウロウロと意味も無くその辺を散歩なんかしていたんだ。


「ほら、スタンプカードも埋まったぞ」

「わーいわーい♪ やったやった!」

 彼女にカードを渡しながら、俺は今日一日中持っていた例の『誕生日券』も取り出して。

「そうと、これも返さなきゃな」

 けれども、麗花は「ああ、いいんです。それは返さなくて」と断りながら、差し出されたカードを裏返す。


「勿体ないなって思ったので、裏に『肩たたきけん』をつけておきましたから。
 私の誕生日以外なら、三百六十四日有効の、リバーシブルカードなんですよ♪」

 なるほど。それで両面あったのか。

 不思議と納得した俺は「それじゃ、肩が凝ったら使わせてもらうよ」なんて笑う。

 ……それにしても、いつの間にかこの距離感が居心地のいい物になってるな。

「あの、プロデューサーさん。最後に一つ、聞いてほしいお話があります」

 車道を通り過ぎて行く、車のライトを浴びながら麗花が言う。
 彼女の顔は真剣で、俺も「なんだ?」と真面目に訊き返す。


「今日は、本当に楽しかった。こんなに特別な誕生日は、生まれて初めての経験です」

「そう……かな?」

 俺は言葉を濁したが、麗花は分かっているらしい。彼女は小さく苦笑すると。

「大袈裟だなって、思ってますね? 誕生日に遊園地で遊んだぐらいで」

「……すまん」

「いいえ、いいんです。だからこそ、私にとっては特別な一日になりました」

 その時、俺は思い出した。昼間尋ねた質問の答えと、その意味が理解できた気がした。

 ああ、なるほど。彼女にとってはそれが『特別なこと』なのだ。
 言い換えれば『普段の彼女とは違うこと』を今日、麗花は楽しんでいたんだなと。


「喜んでもらえたみたいで何より。プロデューサー冥利に尽きるってもんさ」

「ふふっ。……そんな優しいあなたが、私はとっても大好きです」

 麗花が自分の唇に揃えた人差し指と中指を当て、その二本の指を今度は俺の頬に押し付ける。
 それは一瞬の出来事で、俺は意味を理解する前に固まってしまって。

「れ、麗花っ!?」

 思わず頬を拭った指の先には、今日一日で何度も目にした色がついていた。


「なんてなんて♪ 今日は私の為に頑張ってくれて、本当にありがとうございました!」


 無邪気に笑うその姿は、すっかりいつもの彼女だった。

 いや違うな、今日一日をかけて近づいた、お互いの距離だけは明日からだって変わらない。

 ……まったく、本当に麗花は自由だよ。

 そしてきっとこれからも、俺はそんな彼女に振り回されっぱなしなんだろうな。

===
「エピローグ:そなたの受難」


 そうそう、例のスタンプカード。あれについてもキチンと説明しておかなくちゃダメですよね。

 ……まぁ、何となくの予想は、正直ついていましたけど。


「ぱんぱかぱーん♪ 北上麗花。今日からみんなのお世話になっちゃいます!」

 五月十八日。吉日の朝、彼女はさも当然といった様子で我が家の門を叩いて言った。

 そうして驚く俺の前に、差し出して来たのが例のスタンプカードだったんだ。

 最初は気づかなかったけど、カードの裏面にはこう書かれていたんだな。

『スタンプが一杯になった場合、プロデューサーさんはご褒美として、私のお願い事を一つ叶えなくてはなりません』


 まさに詐欺師の手段だよ。けれども彼女の笑顔を見てると、そんなことはどうでも良くなった。

 こうして俺たちは新たな家族を迎えることに――。


「って、何を良い感じの話にして終わらせようとしてるのよ! この馬鹿馬鹿能無しプロデューサーっ!」

「ああっ!? 言わなきゃ誰にもバレなかったのに!」

「本当に、今度という今度は呆れ果ててしまいました。仮にも家長なのですよ?」

「うぅ、た、貴音までそう言うか……」

「……はぁ。また出費の計算がややこしくなるわ」

「千早は、随分主婦的思考が板についてきたな……」


「まぁまぁまぁ、みんな一緒で賑やかな方が楽しいよ? ではでは早速、家族になったハグしましょー♪」

「ちょっと麗花! まだ私はアンタのこと認めてなんてない……んぎゅ!」

「むぎゅ!」

「あっ!」

「ぐえっ!」

 ああ、狭いながらも楽しい我が家。
 この後も俺の女難は休まることなく続いてしまうのですが……。

 それはまた、別の機会に。一先ずはこれで閉幕です。


「ふふふっ。みーんなこれからも、ずっとずっと一緒ですよ♪」




 おしまい

===

 わーいわーい♪ 間に合った終わった書き上がった!
 今は、これが精一杯の麗花さんなんだ。

 元々はハーレム物の話って、そう言えば書いたこと無いなぁなんてアイディアだけは考えてて。
 本来ならこの前に千早と同棲する話とか、伊織が家出して転がり込んでくる話とか、
 貴音がホテルを追い出され、宿無しから居候になる話があるんですが、
 タイミング的に麗花さんが押しかけて来る、こちらが先に形になりました。
 ……というか、麗花さんがこの機会に無理やり押しかけたと言う方が正しそうです。

 書きたいことを山盛り欲張りてんこ盛りにした感じの話でしたが、楽しんでもらえたなら幸いです。

 それでは、お読みいただきありがとうございました。

===

 特別掌編、またはいわゆるおまけ。もしくは一気に投下できなかった言い訳。

===

「それで、何をお探しですか?」

「花を、えーっと……ネモフィラって名前だったかな」

 俺が答えると、その少女は「ネモフィラ……あったかな」なんて呟きながら目的の花を探し出す。
 店内はこじんまりとしていながら、どんな花だって手に入らない物は無いと、巷では噂の人気店だ。

「あった、これですね?」

 そして、噂の種はもう一つ。時たま店員をしている看板娘も評判だ。
 少々キツい目つきをしているし、耳にピアスなんてつけてるが……。その接客態度は申し分ない。

「いや、花の見た目は詳しくないんだ。名前と、その花が今日の誕生花だってことしか知らなくて」

「なら、贈り物用の花束に」

「うん。お願いするよ」

 手際よくまとめられた花束を受け取って、代金を払い「ありがとう」と言って店を出る。

「ありがとうございましたー」

 背中に少女の声を受けながら、俺は急ぎ足で車に乗り込んだ。

 夜の街に車を走らせながら思うのは、ちょうど去年の今頃……。

 うん? 去年はまだ、俺は事務所に入りたての新人で、劇場だって出来て無くて……。

 ああ、ダメだ。考えない考えない。
 なーに、長くやってりゃよくあることさ。とにかく今は、彼女のところに急がないとな――! 

 

 ……ネモフィラの花言葉は、「どこでも成功」「可憐」そして……「あなたを許す」

>>96訂正 最後の最後にやらかした……。元々はエキザカム用だったので。
〇「いや、花の見た目は詳しくないんだ。名前と、花言葉しか知らなくて」
×「いや、花の見た目は詳しくないんだ。名前と、その花が今日の誕生花だってことしか知らなくて」

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