神谷奈緒「本気モード」 (27)


子どもの頃から、あたしは目立つのが苦手だった。

子どもの頃から、あたしは張りつめた空気が嫌いだった。

だから、どうすれば丸く収まるかをいつも考えてた。

クラスの係決めとか、女の子同士の喧嘩とか。

初恋の男の子が、あたしの親友を好きらしい、ってのがわかった時とか。

押したり、引いたり。

リーダーの子に助言を求めたり、あたし自身がいじられ役になったり、しょうがないなあって、放課後に二人っきりの時間をセッティングしたり。

そうやって少しずついろんなものを飲み込んでいれば、世界は平穏に過ぎていく。

それがあたしの処世術だった。

誰かに頼られるのは悪い気分じゃなかったし、誰かに感謝されるってのも嬉しかった。

アニメのヒーローになんか逆立ちしたってなれないけれど、ヒーローを支える脇役にならなれるんじゃないかと、思っていたんだ。

それが、まさか。

スポットライトの当たる舞台の上に、引きずり出されるなんて。

……引きずり出された、って言うと語弊があるか。

だって、あたしが選んで、今ここにいるわけだし。

それに、物語の主役になりたくない、と言えば嘘になる。

あたしだって、ワガママを言いたい時だってある。

フリフリの服を着て、お姫様になってみんなに愛されて……遠い昔に、そんな夢を見たことが、ある。

だけど、それでも。

きっとあたしには、向いてないと思ってた。

お姫様なんてなれっこない。それに、上には上がいる。

だから、冷やかすだけ冷やかして……そう、十二時の鐘が鳴るまでのお試しのつもりで、あたしはあの人の誘いに乗ったんだ。

そう、一夜限りの夢にして、全部きれいな思い出にしてしまうつもりだった。

あたしの物語はある程度のところまで行ったら、幕を落とすはずだったんだ。

あの日、渋谷凛に出会うまでは。


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じぃじぃと鳴く蝉の声と、べっとりと体にまとわりつく汗の不快感で目を覚ます。

枕元の携帯電話は午前九時を示していた。

「……寝過ぎた」

かぶっていたタオルケットを蹴飛ばすようにして、ベッドから体を起こす。

どたどたと部屋を出て、着ていたパジャマを洗濯機へと投げつけ、そのまま浴室へ。

シャワーを浴びて、ドライヤーで髪を乾かす。

急いでるときばっかりは、自分の長い髪が少し疎ましかった。




着替えを済ませて、スポーツバックにタオルやらジャージやら、装備一式を放り込んで家を出る。

最寄駅までの少しの間だけで、着ているシャツは背中に貼りついていた。

東京方面の電車に飛び乗って、空いてる席を探す。

幸運なことに座れたので、手帳を開き今日の予定を確認する。

『午前十一時 CGプロ 到着次第Pさんに連絡』

『午前十四時 シンデレラスタジオ 二号館 四○三』

手帳をぱたん、と閉じて鞄に入れて、今度は携帯電話を取り出す。

すぐさま、自分の乗車時間から到着時間を検索して、プロデューサーさんに事務所に着くおおよその時間をメールで送った。

どうにか約束の時間には間に合いそうだ。

それにしても、プロデューサーさん、話ってなんだろう。

もしかして、新しい衣装かな。

それとも曲かな。

なんにしても、楽しみだ。




事務所に着くと、玄関口でプロデューサーさんが待っていて、いつものへらへらした顔で「おはよう。神谷さんは元気だね」なんて言っている。

「おはよ。そっくりそのまま返すよ」

「あれ、手厳しいな。なんか嫌なことでもあった?」

ほんと、目ざといなぁ、と思う。

こういうちょっとしたことに気が付くんだから、敵わない。

「ちょっと寝坊して、慌てて来たから……その、ごめん」

よくない態度だったな、と反省して平謝り。

この後、話をするんだから、ささくれはない方がいいしな。

「そういうこと。まぁ、間に合えばこっちから言うことはないよ。……暑かったでしょ、事務所はクーラー効いていて涼しいよ」

さぁさぁ、と事務所の中へずんずん進んで行くプロデューサーさんの後について行く。

社員の人達とすれ違うたびに「おはようございます」とぺこぺこ頭を下げながら、事務所の中を進むこと数分、あたしは小さな会議室の前に来ていた。

「すぐ行くから、先に入っておいて」

そう言って、プロデューサーさんはあたしを置いてどこかへ行ってしまった。




部屋の中には既に、女の人とスーツの男の人がいて、よっつの目があたしを向く。

女の人の方は長い黒髪、綺麗な緑の瞳。すらっとした脚。

一言で言えば美人だ。

テレビで見たことある気がするんだけど、名前が出てこない。

スーツの男の人は、女の人のプロデューサーさん……だろうか。

言っちゃなんだけど、うちのプロデューサーさんの倍くらい仕事ができそうだ。

そんな二人の視線に射抜かれて、立ち尽くしていると、あたしのプロデューサーさんが部屋に入ってきた。

「お待たせしました」

部屋に入るや否や、プロデューサーさんが畏まってそんな挨拶をするもんだから、つられてあたしも「お待たせしました!」と言った。

すると、女の人も男の人も吹き出して、あたしを見てくすくすと笑っている。

「ね。言ったとおりでしょう? 言葉遣いがちょっと怖いかもしれないけど、カワイイやつなんで怖がらずに接してあげてください」

言いながら、プロデューサーさんは、二人の対面に座る。

いつものへらへら顔で、「ほら、打ち合わせ、始めるよ」と自分の隣の席をぽんぽんと叩く。

あー。

そっかそっか。

やっと理解が追い付いた。

「また!!! あたしを!!! からかったな!?」




打ち合わせに入る前に、とりあえず自己紹介を、ということになり、淡々とした自己紹介があった。

女の人の方は、渋谷凛さん、っていうらしい。

驚いたのは年齢で、なんと十五歳。

年上かと思ったら、年下なんて、びっくりだった。

男の人の方は予想どおり渋谷さんのプロデューサーさんで、渋谷さんとのやり取りを見るに良い人そうだ。

自己紹介を経て、あたしのプロデューサーさんから資料が配られた。

デュオユニット企画の。

ここまでの情報で、もうある程度は察しが付く。

今からプロデューサーさんがするのは、渋谷さん達にあたしを売り込むことなのだろう。




一通りの説明をし終えると、プロデューサーさんは「よろしくお願いします」と頭を下げた。

今度はつられて、ではなくあたしも心から頭を下げる。

「うーん。……どう、思う?」

「私は悪くない、と思う。少なくとも立ち止まってるよりは、ね」

「……そうか。そうだな」

頭上で繰り広げられるそんな会話をどきどきしながら聞いていた。

ぎゅっ、と目をつぶって、頭を下げたままどれくらいの時間が流れただろうか。

そのとき、ごほんと咳払いをして、渋谷さんのプロデュサーさんは「デュオユニット企画、お受けします」と言った。




会議室を後にして、あたしはプロデューサーさんに連れられて喫茶店へと来ていた。

「十四時のレッスンまではまだ少し時間があるから、軽く何かお腹に入れておきなさい」とのことだ。

特に断る理由もなかったから、あたしはその提案に二つ返事で了解した。

「さて。どうだった、噂の渋谷凛は」

「どう、ってそれ以前だろ! あたしになんの説明もなしで!」

「教えたら、神谷さんは変に畏まると思ったからね」

「…………」

否定はできない。

「ほら、それで? 噂の彼女はどうだった?」

「噂、って?」

「デビューして間もないのに、どんどん仕事も増えてる、同じ事務所の急成長アイドルを見て、どうだった? って」

「あー…………うん。なんていうか、スタイルもいいし、美人だし、声も綺麗だったから、納得って感じ……かな」

才能の差を感じなかった、と言えば嘘になる。

ああいうタイプの人間が、上に行くのだということを思い知らされた。

でも、口には出さない。

「ん。……まぁ、そうかもなぁ」

目ざといプロデューサーさんのことだ。

きっとあたしの考えに気付いているんだろう。




少し、空気が重くなったところであたし達の間にサンドイッチが運ばれてきた。

「いただきます」をして、それに手を付ける。

特にこれといった会話もないまま、黙々とサンドイッチを食べていると、プロデューサーさんが何か思い出したかのように「そうだ」と言った。

口の中のサンドイッチをごくん、と飲みこんで、続く言葉を待つ。

「今日からのレッスンは、渋谷凛と合同だから」

へぇ。

そっか。

…………って。

え?




お昼を食べたあとは、プロデューサーさんにスタジオまで送ってもらった。

助手席から降りて、「その、ありがとな」とお礼を言うとプロデューサーさんは手をひらひら振って行ってしまった。

携帯電話の画面はレッスン開始二十分前を示している。

ちょっと早いけれど、外にいても暑いだけだし、先に柔軟でもやっていよう。

そう思って、スタジオへ入った。

受付で、更衣室のロッカーを借りて、ジャージに着替えタオルとスポーツドリンクを手に、割り振られたレッスンルームへ向かった。




割り振られたはずのレッスンルームからは音楽が流れていて、床とダンスシューズがこすれて出る、きゅっきゅっ、という音が廊下にまで響いていた。

あれ?

間違ってんのかな。

プロデューサーさんからのメールをもう一度確認する。

しかし、割り振られた部屋の番号はここで間違いないみたいだった。

……前の利用者が時間いっぱい使ってるのかなぁ。

なら、隅で柔軟やるだけなら邪魔にはならないだろう。

ドアノブに手をかけ、そのまま押し開ける。

中にいたのは、肩で息をしている渋谷凛だった。




「……っ、はぁ、はぁ。ごめん。見苦しいとこ、見せたね」

「ん、あ、ああ。あたしこそ、なんかごめん」

いつから?

どうして?

たくさんのクエスチョンマークが頭の上でふわふわしている気分だった。

そんなあたしを知ってか知らずか、渋谷さんはタオルで汗を拭ってスポーツドリンクを少し飲むと、ふふっ、と笑ってこう言った。

「…………それにしても、早いね。トレーナーさん来るまでまだ十五分もあるよ?」

ああ、この子はジョークでもなんでもなく、素で言っているんだ。

何をされたわけでもないのに、ただ、怖いと思った。




少しして、トレーナーさんが部屋に入ってきて、レッスンが始まった。

まず初めに行ったのはボーカルレッスン。

渋谷さんの歌は、綺麗で透き通っていて、それでいて力強かった。

この次に、歌わされるなんて、公開処刑ではないか、なんてもやもやが胸に立ち込めそうになるのを必死で振り払って、今出せる全力で歌った。

渋谷さん、あたし。渋谷さん、あたし。

トレーナーさんのダメ出しを食らいながら交互に歌う。

そんな感じのレッスンがしばらく続いていた、あるとき、トレーナーさんがぱちんと手を叩く。

「次は合わせて歌ってみましょう」

もう力量の差は十分思い知らされたよ、と泣き出したい気持ちでいっぱいだったが、ぐっと堪えて「はい!」と返事をした。

トレーナーさんの合図で、曲が始まる。

一節歌っただけで、あたしは違いに気が付いた。

渋谷さんに、引っ張られる。

ぐいぐいと引っ張り、猛スピードで駆け抜けるような声に押し潰されそうになる。

……なら、抗わずに添う形で、でも、テンポは乱さずに。

そんな思いこめて、歌った。

曲が止まる。

トレーナーさんは、にっと笑って「ばっちりじゃないですか」と言った。




トレーナーさんが言うには、渋谷さんは歌唱技術には申し分ないけれど、少し走り気味だったらしい。

一方、あたしは歌唱技術はまだまだ要練習、って感じだけど、譜面に忠実ではあるらしい。

だから、二つが合わさることで、あたしは渋谷さんに引っ張られて、いつもより声が出ていて、渋谷さんの歌唱は譜面の指示に近いものになっていたんだとか。

パズルのピースが上手いコトはまった、っていうのかな。

どうやら、あたしと渋谷さんの相性は、それほど悪くないみたいだった。




そうして、少しの休憩を挟んで、次はダンスレッスンが始まる。

「これから、ワンフレーズずつ振りを覚えていってもらいます。レッスンの十九時までに通してできるようになってください」

無茶苦茶な注文に、意を挟むことなく「はい!」と返事をした。

曲の振りを、ひとつひとつ分解して、分解して、まずは流れを理解する作業から幕を開けた。

あたしは、この手の才能は少しあるみたいで、引っかかることなく覚えていくことが出来た。

けれど、渋谷さんはというと、ひとつひとつは覚えられても、通しての練習になると、頭に体がついていかないみたいだった。

変な話だし、こんなことを言っちゃいけないとは思うけど、完璧に見えた渋谷さんも同じ人間なのだと少しだけ安心した。




それから、数時間、ずっとずっと練習したけど、結局二人で通して成功することはなかった。

二人では。

ああ、うん。

あたしは、できた。

できたはずなんだけど、素直に喜べなかった。




壁掛け時計から流れる電子音が十九時を告げる。

トレーナーさんは「キリもいいので、今日はここまでにしましょう」と言って、いつも通りルームの施錠やら借りた機器の返却やらの説明を終えると、出て行ってしまった。

部屋に沈黙が訪れる。

それを破ったのは、渋谷さんだった。

「お疲れ様。……ごめん、足引っ張っちゃって」

「ああ、うん。まだ、一日目だし、どうってことないだろ! それにトレーナーさんもめちゃくちゃ良いペースって言ってたしさ」

「それは……ううん、なんでもない。そうだね。先、帰ってて」

渋谷さんは、そう言ってシューズのひもに手をかけ、もうレッスンは終わったにもかかわらず、きつく結んでいた。

まともに会話をしたのは今日が初めてで、彼女についてはなんにも知らないはずなのに、「やっぱりな」と思うあたしがいた。




渋谷さんは、ふぅ、と一呼吸おいてCDプレイヤーの再生ボタンを押す。

さっきまで何時間もの間ずっと聞いてた曲が流れ始めた。

間違えては止まり、やり直し、間違えては止まり、やり直す。

その繰り返しが、一時間続いた。

きっと、隅で見ているあたしに、彼女は気付いていない。




渋谷さんは、自分の汗が作った水たまりをルームに備え付けのモップでふき取ると、その場にぺたんと座り込んだ。

這うようにして、スポーツドリンクとタオルを手に取ろうとするので、あたしはそれらを届けてあげた。

「……いたんだ」

「あー、うん。見てた」

「…………そっか」

汗を拭って、水分を補給すると、渋谷さんはまたCDプレイヤーに手をかけようとする。

それをあたしは声で制した。

「待って」

「……何?」

「……見てて」

シューズの裏を手のひらでこする。

CDプレイヤーのもとまで、歩いていき、再生ボタンを押した。




初めから、終わりまで、通して踊って見せた。

そんなあたしを、渋谷さんは唇を噛み締めて、食い入るように見ていた。

大きく息を吸い込んで、もう一度、再生ボタンを押す。

あたしの一挙手一投足を見ながら、渋谷さんは「ステップ、ステップ、右手、ターン、左手」などとぶつぶつと唱えている。

そうして、曲が止まると、渋谷さんが「代わって」と言ったので、あたしは隅へと引っ込んだ。



渋谷さんの指が、再生ボタンに触れ、曲が始まる。

ところどころ引っかかりながらではあるものの、彼女は決して止まることはなく、最後まで踊り切った。

「……できた!」

さっきまでの怖い顔からは想像もつかないくらいの、笑顔で渋谷さんが振り向く。

「よっしゃ!!」

思わず、あたしまで叫んでしまった。

「……ありがとね。一人じゃもっと時間かかったと思うから」

「あー、いや、……渋谷、さんの努力あってのものだと思うぞ?」

「ふふっ、何それ。っていうか、凛でいいよ。年下だし」

「……じゃあ、あたしも奈緒でいいよ。これから一緒にやってくんだしな」

「じゃあ、奈緒で。……でも、私がコツを掴めたのは奈緒のおかげだから」

「ん? なんで?」

「通しで、見せてくれたでしょ?」

「あー、うん」

「奈緒、何か所か間違えてたのに、止まってなかった」

「……ばれてたか」

「踊り切ること、やり切ること。単純だけど、私じゃ気付けなかったと思うから」

「そっか」

「うん。だから、ありがとね」

「……いっこ、聞いてもいいかな」

「うん。いいよ」

「なんで、そんなに頑張れるんだ?」

「中途半端は、嫌だから……かな」

「中途半端って、ことはないんじゃないか? 歌だって十分すごいし」

「でも、ダンスはまだまだだから」

「苦手なことなのに、どうして、そんな、前向きになれるんだ?」

「苦手だから、かな。苦手のままにしておいたら、いつまでたっても苦手だし、それって恰好悪いと思うんだ」

ああ。

そういうことか。

「そっか。あたしも決心がついたよ」

「何、急にどうしたの?」

「カッコ悪いまんまじゃ、終われないよな、ってこと!」

「何それ。まぁいいけどさ。ほら、アイシングしないと明日筋肉痛になるよ?」

ぽん、とスプレーを手渡される。

「お。サンキュー、えぇと、凛」

「まだぎこちないね」

「もう、いじるなっての」

「ふふっ、ごめんごめん。それじゃあ、奈緒」

「ん?」

「これから、よろしく」

「こっちこそ」

Tシャツは、汗で鉛みたいに重かったけど、なぜか気分は軽やかだった。






あの日、凛に教えてもらったことを胸に、ステージへの階段を今日もあたしは登る。

どんなときも、その時々の最善を尽くす。

これまでの道のりは正しかった、と証明するために。

今の、あたしにできる全てを。

やれることは全部やった、って心の底から言えるあたしで在りたいんだ。

だから、この道は絶対妥協しない。

譲らない。



おわり

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