モバP「まゆVS凛」 (93)

 玄関のチャイムが鳴っていた、もう二時間も。
 部屋の隅まで行き渡る機械的な音は、主であるPを精神的に蝕み続ける。
 ソファで丸まり両手で耳を塞いでいても、それは一向に収まる気配がなかった。
 テレビやラジオの音量を上げて打ち消すことも試したが、玄関のドアの向こうにいる女は、それと関係なく続ける。
 音の侵略行為は終わらない。
 Pが反省して、ドアを開けて部屋に招き入れるまで、女はずっと続けるつもりなのだろう。

「Pさぁ~ん、そろそろ開けてくれませんか。まゆは別に怒ってなんかいませんよ」

「そ、そんなの真に受けるやつがいるか!いいから今日は帰ってくれ!」

「それは困りました。Pさんの口から直接本心を聞き出すまで、足が動きそうにないんです」

 くすくすといたずらっぽく笑う女の声がPの耳に届く。それは年相応の女性らしい、とても可愛らしいもの。しかし、今のPにとって彼女の声は自身の精神をすり減らすものでしかない。
 何故こんなことになってしまったのか。
 恐怖に耐え、震える身体を鼓舞しながらPは考える。


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 以前、大学の友人が開いてくれた合コンに参加したことがあったPは、そこで意気投合した同年代の女性と頻繁に連絡を取り合っていた。彼女は職場にいるアイドル達と比べると、ルックスやスタイルは劣っていたものの、気立てが良くて明るい人間だった。その上、馬も合っていたから、互いが惹かれ合うのは自明の理。
 Pも逢瀬を重ねることになんの疑問も持たなかったし、彼女といる間は仕事の束縛から解放された気になれた。
 運命の相手かもしれないと本気で交際を考える程度にまで、想いは膨らんでいたのだ。
 だからこそ、Pは決意した。
 次のデートで彼女に告白しよう、と。
 職場の同僚に相談したり、女の子が好むレストランを探したり、人気のデートスポットを探したりと相応の努力を重ね、想いを成就させるべく行動することに迷いはなかった。
 今になって思えば、それが仇となったのだろう。

 Pは知らなかったのだ。
 自身を異性として強く意識するアイドルの存在を。

「身体は正直だって、よく言いますよね……あれってホントなんですよぉ」

「…………」

「Pさんのことを考えていたら自然とここにいて、二時間近く待ち続けても全然疲れない。誰かを想うだけで、女の子はいくらでも強くなれますから。あっ、もちろんまゆもその一人です」

 ひたすら垂れ流される熱の入った言葉を無視し、Pは打開策を考える。
 このままソファの上でじっとしていても、事態は解決に向かわない。おそらく彼女はPが玄関のドアを開けるまで延々と待ち続けるだろう。となれば、別の場所からの脱出を試みる必要がある。

 Pは財布と携帯、そして車の鍵を手に取ると窓を開けてベランダに出る。一度だけ振り返ると玄関の方を見据え、そこにいるであろう女を幻視した。
 もう一刻の猶予もない。こんな場所にいたら精神に異常をきたしてしまう。
 Pはベランダの下を見て、その高さに慄いた。

 ここはマンションの三階。
 目測でも下にある植え込みまで何メートルあるのかわからない。女はPがどうせ逃げられないと思っているのだ。Pは迷わなかった。
 ベランダの手すりを乗り越え、そこから飛んだ。
 落ちるのは怖かったが、女になにかされるのは怖かったし、嫌だったのだ。
 植え込みに落ちた衝撃で涙が出そうになるのをぐっと堪え、Pは立ち上がった。右膝には枝が刺さっていたが、引き抜くことさえしない。今はただこの場から立ち去ることしか頭になかった。

 痛む身体に鞭打って歩いて行くと、駐車場に着いた。辺りには人の気配がなく、助けを呼べるような雰囲気でもない。なによりP自身が事を荒立てたくなかったので、この状況は好都合。
 見慣れた車に歩み寄ると、そそくさと乗り込み、エンジンをかける。
 アイドル関連の揉め事を解決したいなら、ちひろに頼るしかない。幸いにも彼女は今日も出勤のはず。
 サイドブレーキを外し、車を発進させるとPは仕事場である事務所に向かった。
 自身の担当アイドルである佐久間まゆを残して。


「ようするに嫉妬したまゆちゃんから猛アタックを受けて、絶対絶命なんですね」

「はい。もう自分ではどうしたらいいかわからなくて」

「えー、どこから突っ込んだらいいかちょっと判断に迷いますけど……多分それ、自業自得じゃないかと」

「わかってます。わかってはいるんだけど、なんとかしてほしいんです!」

「なんとかって言われましても……」

「ちひろさぁん!!」

 事務所の蛍光灯がやけに眩しく感じる。
 自分の中にも後ろめたい気持ちがあるからだろうか。取り調べを受ける容疑者は、きっとこのような心情になるのだろうなと、Pは思った。
 仕事用のデスクとセットになっている椅子に座り、腕を組みながらちひろは唸る。

「大方は把握しましたよ。でもよく考えてもみてください、相手はまゆちゃんです。わたしが手助けしたところで、結果は知れてる気がしませんか?」

「確かに……どうあがいても絶望しかないな」

「いや、そこは反論しましょうよ。元も子もないじゃない」

「そうか、これは悪い夢なんだ。ホントは目が覚めたら朝になってて、いつもと変わらない日々が僕を待ってるんだ」

「Pさん、なに現実逃避してるんです!目からハイライト消えてますよ!アレなときのまゆちゃんみたいになってますよ!」

 両肩を強く揺すられ、我に返るP。
 意識が戻った影響により、再び恐怖に苛まれる姿はまるで怯えるチワワのよう。

「ああああ、もうダメだお終いだ。このままなし崩し的に既成事実を作られた挙句、夫婦円満家内安全で末永く幸せに暮らして希望の未来へレディゴーな結末を迎えるんだ」

「むしろ望むところなんじゃないですか、それ」

「どうして?」

「どうしてって……だって希望の未来なんですよね。末永く幸せに暮らせるんですよね。結構なことじゃないですか。最近少ないですよ、そんな夫婦」

 ちひろがきょとんとした顔で言うと、Pは大きな溜息を吐いたあと、淡々と言葉を返した。

「わかってませんね、ちひろさん。幸せになることが生きる目的ではないんですよ」

「あの、申し訳ないですけど一発ぶん殴っていいですか。真っ直ぐ行ってぶっ飛ばすんで。右ストレートでぶっ飛ばすんで」

「幽白か、懐かしいなあ。ちなみに僕は戸愚呂弟が好きです」

「またそうやって話を逸らす……わたしは飛影で」

「カッコいいですよね、飛影。でもちひろさんは幽白の話題、外では控えた方がいいよ」

 首を小さく傾け、疑問を身体で表現するちひろ。

「なにか不都合でも?」

「年代がバレる」

「カッチーン」

「ん?今なにやら妙な擬音語が聞こえたような……」

「ああ、それ死の宣告です」

「今の死の宣告!?僕の命は残り10ターンしかないのか!ていうかそれ、どうやったら減るんだよ!」

「はい、残りきゅーう」

「あんたの気分次第かよ!」

「ちなみにこの数字、金銭かわたしへの奉仕で水増しできます」

「えげつねえ……命も金で買えるのか」

 笑顔には威嚇の効果もあるという。
 満面の笑みを向けてくるちひろが、今のPには鬼に見えた。

「ふふ、Pさんって結構いじりがいがありますから、ちょっぴり調子に乗っちゃいました」

「やめてくださいよ、心臓に悪い。ただでさえまゆに追いかけられて困ってるのに、ちひろさんまで敵に回したくありません」

「まあ、それはPさん次第ということで」

「僕次第、か」

「そういうことです。ともかく、こうしている間にもまゆちゃんはPの足取りを追っているでしょうから、なんらかの対策を練る必要がありますね」

「ええ。しかし、まゆをどうにかいなす方策なんてありますかね」

 ちひろと向かい合うようにして椅子に座っていたPは、必死に頭を働かせる。けれど良い案は一向に浮かんで来ない。
 現在、時刻は午後七時過ぎ。
 アイドル達は事務所から出払っており、現場での仕事が終われば直帰することになっているので、新たに人が来る可能性は低い。
 唯一の救いといえば、それぐらいだった。
 現状は最悪に近い。この場所もすぐに特定されるだろう。

 Pの表情にも焦りの色が浮かぶ。普段なら絶対することもない貧乏揺すりをしていることに気がついて、Pは天を仰いだ。
 視界に入ってくるのは、蛍光灯の白い光だけ。光を直視しているせいか、天井ははっきりと見えない。目が眩むほどの白を網膜に焼き付けて、Pはまるで今の自分のようだと思った。
 何もない。何も思い浮かばない。
 二人とも黙り込んでいるせいか、空調の音さえ鮮明に聞こえる。
 八方塞がりの現状にPが痺れを切らそうとしたとき、ちひろが勢いよく立ち上がった。

「よし、ではこうしましょう」

「なにか明暗でも?」

 不安そうに問いかけるPに、力強く頷き答えるちひろ。
 爛々とした瞳のまま、彼女はこう口にした。


「アイドルにはアイドルをぶつけるんですよ」

今日はここまで
ゆっくりやっていきます
誤字「明暗」→「名案」

モバP「まゆに凛をぶつけて一体どうなるんだ?」

ちひろ「勝った方がPさんの敵になるだけです」

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