きらり「諸星をやめる日」 (19)

三作目なので初投稿です。


※ちょっといやなお話です。

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 Pちゃん、と諸星きらりが声を掛けてきたのは、夜の七時のことだった。

「なんだ、まだいたのか……早く帰りなさい。今日くらい、家でゆっくりすべきだろう」

「うん。でも、ちょっとだけ。お話くらいならいいでしょお?」

 彼女がそう言うのも理解できないわけではなかった。名残惜しさは他ならぬ自分自身も持っていた。

 言葉を交わしたいと望んでいたのは、彼女だけではなかったということだ。

「……分かった。でも、本当に早めに切り上げよう。明日にも差し支えるんだから」

「うんっ。ありがと、Pちゃん」

 彼女は屈託なく笑った。少女時代と変わらぬ笑顔だった。

「それで、何を話す? 今なら餞別に、どんな質問にも答えるけど」

「えっ、えっ、な、何にでも!?」

「そう。何にでも」

 その気持ちは嘘じゃなかった。どうせ最後だからと、何か特別なものを与えたかったのだ。今まで何も与えられなかった分。

 きらりはうーんうーんと唸りながら頭を悩ませていた。いきなりどんな質問でも、と言われても、急には思い浮かばないのかもしれない。

「うにににに……あっ! じ、じゃあアレ! Pちゃんのお給料!」

「24万8千円」

「え゛っ!? ……ほんと?」

「嘘」

「うそじゃーん!」

「質問に答えるとは言ったよ。でも本当のことを答えるとは言ってないからね」

 そう言ったら、彼女はむぇーと唇を尖らせた。ちょっと意地悪だったかもしれない。

 だけど真っ先に給料のことを聞かれても、真面目に答える気にはなれないのも事実だった。

「それが本当に聞きたいこと? きらりが話したいって言ってたのはそんなことだったの?」

「……ううん。きらりがしたいのは……もっと普通の、なんでもない……思い出話だよ」

「なら、思い出話を始めようか」

 そうして、僕らは昔語りを始める。

「んーと、昔のことって言うとぉ……あっ、イベントの告知ナレーション! あれが一番最初のおっきな仕事だったよねぇ」

「そうだね。反響も凄かったっけ……まぁでも、やりすぎてあれ以降アイドルが告知することはなくなっちゃったけど」

「ふにゅ……反省はしてるよ?」

「分かってるよ。だからわりとすぐに次の大きな仕事も貰えたんだから……ソロデビュー。一足飛びにCD発売だなんて驚きだったなぁ」

「Pちゃんがきらりのこと、いっぱいいっぱい応援してくれたからにぃ☆ よっ、この敏腕ぷろでゅーさー!」

「一番はきらりが頑張ってたからだろ。メイド服着たり、着物着たり、色んな衣装で仕事したっけなぁ」

「うぇへへ……あ、Pちゃんを初めておうちに呼んだのもそのくらい? 京都に行ってから急に仲良くなれた感じがして、ちょっとドキドキしたゆ……☆」

「初詣は杏と三人で、だっけ。あれから毎年恒例になったけど……きらりの願い事は叶った?」

「もちよー☆ 今考えると、最初から叶ってたかもだけど……Pちゃんと、杏ちゃんと、きらりと。三人でずっとハピハピしたいにぃって」

「……そんなこと考えてたのか。なんか……ちょっと恥ずかしいなぁ」

「むむっ……そ、そう言われちゃうときらりもなんだか恥ずかしくなってきたにぃ……はわーっ! 次次!」

「次って言うと……初めての大型ライブの時かな。この時もきらりが悩み事を打ち明けてくれて、もっと仲良くなれた気がする。素直に嬉しかったよ」

「……そうだねぇ。きらりも、Pちゃんに言えることがたくさんになったから……だから、もうちょっと成長できたのかなって思うよ。だって、そうじゃなかったらモデルのお仕事なんてできなかったもん」

「ファッションショーの時か。あの時のきらりは本当にカッコよかったよ。みんなの悩み事を聞いて、親身になって解決してあげて……リーダーって感じだったな」

「それもPちゃんのおかげだよ。Pちゃんがきらりの悩み事を聞いてくれたから、こんな人になりたいなって思えたんだもん」

「そのお礼って話だったっけ? バレンタインのチョコ……いつもと違って『小悪魔系で攻めゆ!』って張り切ってたなぁ」

「モデルのお仕事で、みんなの知らないきらりをたーっくさん見せたいなって思ったから……」

「その極致が鋼鉄公演。いや、あのきらりの演技は本当に最高に素晴らしかったよ。みんなも度肝を抜かれたと思うし……まさか悪役だなんて誰も思わないだろう」

「……そんなにすごかった? うぇへへ……Pちゃんが褒めてくれると、やっぱり嬉しくなっちゃうゆ」

「ならもっと褒めようか。ウェディングセレモニーの衣装モデル、あれも大好評だったよ。タキシードもウェディングドレスもよく似合ってた」

「きらりね、おっきいことは昔は嫌だなって思ってたけど……今は、おっきくて良かったなって思うことばっかりなんだよ。このお仕事も、背が高かったからどっちも着れたんだと思うし。でも……そう思えたのは、やっぱりPちゃんがいたからだと思う」

「でも、やっぱり小さい物への憧れも今だって持ってるんだろう?」

「……それはね。だからお菓子の妖精さんのお仕事の時はほんっとうに楽しかった! Pちゃんって、いっつもきらりが嬉しく思えるお仕事ばっかりさせてくれるから……だから好きなんだよ、Pちゃんのこと」

 一通り仕事の思い出話を楽しんだ後は、日常のよしなしごとをあれこれと語る。

 本当に取るに足らない、だけど輝かしく懐かしい日々。中にはそんなことまで覚えてるのかと、こちらが驚かされるような一幕まであった。

「――それとそれと! 杏ちゃんが頭に赤い洗面器を乗っけて来たこともあったよねぇ」

「あぁ……そんなこともあったね。あの時は笑ったっけなぁ」

 今思い出しても少し笑いがこみ上げてくる。双葉杏と、諸星きらりと、そしてプロデューサーの僕。三人でいる日常が楽しくて、だから一番輝けていたあの頃。

「……杏も呼んで来ようか? きらりがいるって言ったらきっと飛んでくるよ」

「ううん。明日だって早いだろうし……それに、きらりも楽しくなっちゃうだろうから。いつまで経ってもお喋りしちゃう」

「それを言うなら、きらりだって明日は早いだろう。何しろ主役だ。それも……人生で一番の、飛び切りの大舞台」

「舞台って……結婚式のこと、そんな風に呼ぶ人いないよぉ。職業病?」

「そうかもしれないね。……本当にもう帰った方がいい。もう8時だ。式の前日にこんな時間まで花嫁を独り占め、だなんて……明日みんなの前でぶん殴られても文句が言えなくなる」

 諸星きらりは、明日結婚する。

 それに伴い、芸能界からも引退する。今日は僕が彼女のプロデューサーでいられる最後の日だった。だから彼女が話したいと言ってくれた時は、内心とても嬉しかった。

 だけど同時に、結婚前夜という大事な日に彼女の時間を占有してしまうことの引け目も持っていた。

 相手は別事務所の俳優だという話だった。名前はあまり売れてはいないようだったが、一度実際に会った時の柔らかな物腰はとても穏やかな印象を与えた。

 悪い奴ではない、というのが実感だった。きらりが好きになるのも分かる気がした。しかしだからこそ、対抗心みたいなものが自然に生まれてしまうのだ。

「あの人はそんなことしないよぉ。だから前日なのに、事務所に挨拶したいってわがままも聞いてもらえたでしょ?」

「……信頼し合ってるんだね。きらりも、その相手の人も。おしどり夫婦だ」

「うぇへへ……ちょっと恥ずかしいにぃ。でもでも、ずぅーっと仲良しでいようねって、約束したから」

 はにかむ彼女はとても幸せそうに見えた。思わずこちらまで頬がほころんでしまうくらいに。そんな笑みを見せられては、嫉妬する気すら起きなくなる。

「羨ましいよ。それだけ想える相手を見つけられたんだ。僕もあやかりたいくらいだけどね」

「……彼女さんとは、別れちゃったの?」

 あぁ、と僕は声を漏らす。これもまた昔話の一つだ。これくらいなら、本当のことを話してもいいだろう。

「そんなことを言ったこともあったっけな……ごめんきらり。僕に彼女がいるって話……あれは嘘だった」

「え? だってあの時、Pちゃん……」

「嘘も方便だよ。君はアイドルだろ。そうでなくても、相手がプロデューサーだなんて外聞が悪い」

 数年前、きらりに告白された。互いの立場を説明して諦めてもらう方法もあったと思う。

 だけど僕はそうしなかった。既に思い人がいると嘘をついたのだ。理を説くよりはその方が角が立たないだろうという判断だったが、目論見通り彼女はすんなり諦めてくれた。

 ……プロデューサーでありたかった。彼女にはアイドルのままでいてほしかった。

 二人の関係では、枕営業なんて単語も容易に連想される。色んな思惑と、打算と、思いやりとが入り混じった結論だった。

 嘘をつかれていたという事実に対し、やはり彼女はどこか釈然としない様子だった。

 しかし同時に、それは仕方のないことだということも理解しているようだった。だからなおさら釈然としないのかもしれない。

「ごめんね。きらりの気持ちを裏切ったことになる。だから……改めて、君の問いに答えたい」

 好きです。きらりと付き合ってくれますか――そんな言葉だったように記憶している。

 それは捉えようによっては質問になるはずだ。だから今、自分の気持ちを吐き出してしまいたかった。

「僕も君のことが好きだったよ。もし、こういう形で出会っていなければ……きらりを幸せにしたかった」

 過去形だ。もう全部済んだことだから。彼女を幸せにするのは、僕ではなかったのだ。

 それでも彼女の聞きたかった本当の答えのはずだ。少しは過去のやるせない気持ちを晴らすことができただろうか。そう思って顔を上げる。

 そこには今までに見たことがないような、苦悶と後悔に満ちた悲嘆に暮れる表情があった。

「どうして……? どうして今、そんなこと言うの……?」

「どうしてって……だって、ほら、本当は両想いだったんだって……僕だって、本当は言いたかったけど……」

「きらり……明日結婚するんだよ? もう別の人のものなんだよ? そんな『ほんと』聞いたって……もう遅いのに……」

「……そっか。ごめん、こんな話聞いても嬉しくなかったね」

「違う! 嬉しいよ……嬉しいに決まってるよ。今だって、Pちゃんのことは大好きだもん。でも……あの人のことだって好きなの。ねぇPちゃん……きらりに……一体どうしてほしいの……?」

 何も答えられなかった。どうしてほしいか、なんて。あの頃自分も好きだったんだ、なんて聞かされて、それで何をどうしてほしかったのか。

 それならあの時言ってくれればよかったじゃないかと思われるのがオチなのに。

 それでも彼女は当時アイドルだった。だから言えなかった――違う。彼女は、今でもアイドルだ。引退するのは明日。

 だからやっぱり、「どうして今」で。それに対する答えは――自分の中の、罪悪感を拭いたかったからに過ぎないのだろう。

 うなだれる彼女に、僕は何をしてやることもできない。どんな立場で声を掛けられるというのだ。

 だからただただ目を伏せて、彼女が痛みをこらえられるようになるのを待つことしかできなかった。

 それは奇しくも、彼女を振ったあの時と重なって見えるようだった。

もっと早く言ってくれてれば、別の未来もあったのかな。
そんなお話でした。

お疲れさまでした。

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