安部菜々「little braver」 (20)

君は僕で 君も僕で 一緒だから

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 平日のお昼時。薄暗い地下のステージ。
 週末はアイドルの卵たちが歌って踊り、まばらなファンがサイリウムを振るこの場所も、今は誰もいません。
 ……ここは昔と何も変わりません。
 ナナが初めてステージに立ったあの日から。
 そして、ナナがあの人にあったあの日からも……変わらずずっと、ただそこにあるだけ。

 快くステージを開けてくれたオーナーさんにお礼を言って、密室の中にはナナがひとりだけ。
 目を閉じて静かな空間に身を任せると、本当に、あの頃に戻ったみたいでした。
 広い宇宙の中で、ひとりぼっちのような。
 深い闇の中で、迷子になってしまったような。
 無数の星々の下で、誰も自分を見てくれていないような。
 そんな、あの頃の気持ち。

「……ふふふーん、ふーんふーん……」

 うろ覚えのメロディー。あの頃の自分が必死に作った、オリジナル曲のうちの一つ。
 第何章のそれだったかは、もう忘れてしまったけれど……確か、あの日も歌った歌。
 ラジカセもなく、アカペラで口ずさみながら、ナナはステージの上に立ちます。
 誰もいないステージ。あの時は……そりゃ、ちょっとは聞いてくれるお客さんもいたけれど。
 それでもメイドカフェの頃からのお客さんもほとんど来てくれなくなっちゃってたし、チェキを撮りたいって人もあんまりいなくなっていたっけ。
 そう、歌い終わってもこんな風に、まばらな拍手が聞こえるだけの……

「……あれ?」

 聞こえるはずのない拍手。
 狭い空間の中で、その音の発信源は、すぐに見つかりました。

「やっぱり、ここに居たんだ」
「プロデューサー、さん……なんで」

 ここに来ているなんて、誰にも伝えていないのに。
 でもすぐに、プロデューサーさんはそういう人だったのを思い出します。

「前に、ここに連れてこられたこともあったからな。最近の様子に違和感もあったし……昼休み終わっても帰ってこないって聞いて、ひょっとしたら、ここに来てるんじゃないかと思って」
「あ……えへへ、プロデューサーさんにはナナが何を考えているかなんて、お見通しなんですね」

 そう。ここは、プロデューサーさんとナナが、初めて会った場所。
 アイドルナナの、始まりの地。

 ステージを降りてプロデューサーさんに近づくと、ナナはプロデューサーさんに向けて頭を下げました。

「すみません。ミーティング、サボっちゃいました」
「別にいいだろ、特別なにか伝達があるわけでもないし……みくは心配してたから、あとでお茶でもいれてやってくれ」
「あはは……ちゃんと謝っておかないといけませんね」

 笑い声が、薄暗い空間の隅へと吸い込まれていきます。
 沈黙が、二人の間に広がりました。

 先に動いたのは、プロデューサーさんの方でした。

「また、不安になった?」

 直球でした。やっぱりナナ、この人には隠し事なんてできないみたいです。
 そうなんですよね。この人は、ナナの秘密を知っていて……それでもずっと、ナナと一緒に歩いてきてくれた人なんですよね。
 だから……ナナも、素直に今の気持ちを告白することにしました。

「不安、だったんです。そんな、大したことじゃないんですけどね」

 改めて、ナナはステージを見まわしました。当時のナナが、必死に歌ったステージ。

「今のナナはもう、ここでひとりで歌うなんてできないな、って」
「そりゃあそうだろう。ファンクラブ限定の招待制にしたって、この箱じゃあ……」
「あ、いや、そうじゃなくってですね」

 慌てるナナを見て、プロデューサーさんは黙ってナナの話の続きを促します。
 なんだか、観覧車の時みたいで……そういう風に話をちゃんと聞いてくれるの、ずるいなあって時々思います。

「今、こうしてファンの皆さんと、プロデューサーさんと一緒にウサミン星人として歌える喜びを、知ってしまいましたから……もしタイムリープとかしちゃっても、昔みたいにナナ以外誰も知らないウサミン星人として歌うなんて……怖くてできないなって。あはは……」

 人生崖っぷち、お先真っ暗だと思っていたあの頃。
 夢は遠くて。まるでナナ自身が、夢から遠ざかっていくみたいで。
 そんな未来の見えない暗闇の中で、毎日が不安でいっぱいだったナナを見つけてくれたのが、プロデューサーさんでした。
 プロデューサーさんに救われた、アイドル・ナナ。
 シンデレラの魔法は、いつか解けるのかもしれないけれど……でも、十二時の鐘が鳴った後に、屋根裏で踊ることができる自信は、今のナナにはありませんでした。

「突然ですけど、プロデューサーさんは運命の出会いって信じてますか?」
「運命の出会い? そうだな……どっちかというと信じてる方かな。ナナは?」
「ナナは、信じてるんです。だって、きっと私たちは特別だから」
「特別?」
 
 ナナは、強く頷きます。
 赤い糸……とは少し違うかもしれないけれど。
 少なくともナナにとっては、プロデューサーさんは運命の人でした。
 運命を、変えてくれた人。

「ホントはですね。ホントは……あの頃のナナ、結構限界だったんです」

 幼い日々に描いた夢。
 宇宙からやってきて、歌って踊れる十七歳のお姫様。
 月の向こう側に光る、ウサミン星……勝手に宇宙に描き足した、ナナしか知らない星。

「あの頃のウサミン星は、ナナ以外の誰の目にも映っていませんでした。自分にしか見えない夢を一人で見続けるの……なんだか、疲れちゃって」

 やめちゃおうかな、とは何度も思っていました。
 若い子たちは、どんどんチャンスを掴んでいって……ナナはこの狭くて暗い宇宙にひとりぼっち。
 今ならまだ、引き返せるかもしれない。
 そんな弱音が何度も頭をよぎって、でも幼い日の夢を見捨てることなんてできなくて。
 進むことも戻ることもできない、そんな日々。

「諦めかけてた夢を思い出させてくれたのは、プロデューサーさんなんです。プロデューサーさんが、面白いって……ウサミン星はあるんだって言ってくれたから、今のナナがあるんです。あの日、ナナは生まれ変わったんです」

 そう。それはまるで……二回目の誕生日のようでした。
 アイドル・ナナとして、プロデューサーさんと出会った特別な記念日。

「だから……プロデューサーさんにとっても、ナナとの出会いが運命の出会いだったらいいなって」

 照れ隠しに、最後に「ぶいっ」とポーズをとって笑って。
 プロデューサーさんも、ナナと一緒に笑ってくれました。
 胸の奥にしまっていた気持ちを吐き出したら……少し、気持ちが楽になったみたいでした。

「ナナには、プロデューサーさんがナナのどこを気に入って声をかけてくれたのかはわかりません。でも、それはなんだっていいんです。プロデューサーさんがナナを選んでくれた。魔法をかけてくれたから、ナナは憧れのアイドルになれたんです。その事実があれば、ナナは戦えます」

 今だって、不安がないわけじゃない。ライブの前には、手が震える。
 眠れない夜もある。明日には、ガタがきてアイドルのできない体になっているかもしれない。
 今の幸せな毎日は夢で。目が覚めたら、またこの暗闇に戻ってしまうのかもしれない。
 それでも。
 あの日、ナナを見て「面白い」と言ってくれたその言葉に、ナナは確かに救われたんです。

「一人で見る夢はつらいけど……プロデューサーさんが隣で同じ夢を見ていてくれるなら、この先何があったって、ずっと……そう、ずっと!」

 差し出したナナの手を、プロデューサーさんの大きな手のひらが包み込みました。
 あったかい手。ナナに勇気をくれる、背中を押してくれる手。
 この人が手を握って隣を歩いてくれるなら……きっと、大丈夫。
 手の震えも、自然と収まっていました。

「えへへ……立ちっぱなしもなんですし、そろそろ出ましょうか」

 手は握ったまま、ナナとプロデューサーさんは地上階へと戻ります。
 すっかり季節は春になっていたけれど、外ではもう日が傾いていました。
 まるで、夢みたいに、きれい。

「俺が……」
「ふえっ……」

 ナナの手が、一段強く、ぎゅっ……と握られました。
 歩きながら、プロデューサーさんの横顔を見つめます。

「俺が菜々をスカウトできたのは、菜々が諦めなかったからだ。何度も何度も諦めそうになって、出口の見えない闇の中で怯えながら、それでも夢を叶えたいって勇気を胸に、戦い続けていたからだ」

 プロデューサーさんを見ているのがなんだか気恥ずかしくて、ナナはまた前を向きます。プロデューサーさんの手を、ぎゅっと握りしめながら。

「自分で思っているよりもずっと、菜々は強いよ。菜々が自分らしくあることを捨てていたら、きっと俺は、菜々を見つけられなかったと思う。あの日、お互いがあの場にいたから、今の俺たちがある」

 プロデューサーさんが、足を止めます。自然と、ナナも一緒に止まりました。

「だからきっと、俺たち二人は特別だったんだ」

 ちらり、と覗き見たプロデューサーさんは、顔を上げ一点を見つめていました。
 視線を追ったその先にあったのは……CDショップの大看板。
 愛梨ちゃんや凛ちゃん、卯月ちゃんたちが椅子に腰かけているポスター。
 第六回総選挙。その開催を知らせる広告でした。

「菜々の今の夢はなんだい?」
「今の……ですか?」
「言ってただろ、夢を持ち続けていたいって。俺が出会った頃の菜々の夢は、アイドルになることだった。なら、アイドルになった今の菜々が叶えたい夢は?」

 ホント、ずるいなあ、この人は。
 ナナがあのステージに来た理由も、ナナが自分の気持ちを告白した理由も全部わかってて。
 わかってて、あの看板を見上げて、そんなことを聞いてくるなんて。

「ナナの、夢……」

 そんなこと、ずっと前から決まっていました。
 頑張っていれば報われる……なんて簡単なほど、この世界は甘くない。
 そもそも、他のアイドルが自分より頑張っていないなんて、そんなことはありえない。
 それでも。
 
「楓さんの前で、誓ったんです。夢から逃げない、夢を追いかけるって」
 
 勝てるかなんて分からない。でも、勝てないなんて思いたくない。
 ナナを憧れだと言ってくれた楓さんの前から、みくちゃんの前から逃げたくない。
 精一杯、アイドルとして輝いて、そして。
 
「今のナナの夢は……ウサミン星人として、シンデレラガールになることです」

 ナナは……あの人に、勝ちたい。
 世界で一番のアイドルに。
 宇宙で一番の、アイドルとそのプロデューサーになるために。

「だから、プロデューサーさん」

 永遠の十七歳らしく、ウサミン星人らしく。

「なりましょう、一緒に、トップアイドルに!」
「ああ……一緒に」

 昔に聞いた御伽噺。世界の果て、虹の根元には、宝物が埋まっている。
 菜々の見ている世界の果てには、いったい何が待っているんだろう。
 ちょっと不安だけど、プロデューサーさんとならきっと。
 どんなに険しい道が待っていても、虹の彼方にだって、ウサミン星にだって、跳んでいける。
 さあ、一緒に。旅の終わりを見に行こう。

おしまいです

これは私の自己満足です

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