鷺沢文香「待つ」 (62)

わたしは、東京のある駅にいました。人をお迎えにあがるのでもなく、古本屋に出向いくのでもなく、ただ、駅の冷たいベンチに座って、改札口をぼうっと眺めていました。

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これは私の、ひそかな娯楽です。他愛のない、ごっこ遊び。今日は人間をきらいな女を気取って、誰かを待っていました。いえ、待っている“ふり”なのですが……。

この“ごっこ”を始めたのは、お仕事が忙しくなり始めた頃でした。心当たりのない誰かのために、身を粉にして働くようになった頃、わたしはつかの間、こうして別人になりきって気をまぎらわすのです。

ですが今日のごっこは、わたしにしては上出来で、出来すぎてきました。人間をきらいな、いえ、人間をこわがる女のふりは。

私は、あまりお仕事が好きではありません。清楚で前向きな女のふりをして、かけらほどもない感謝の言葉を世間様に述べて、歌いたくもない歌を歌って、踊りたくもないダンスを、精一杯踊っていると、なんだか、自分ほどの嘘つきが世界中にいないような、苦しい気持ちになって、死にたくなります。

世の中がいやなくせに、世間様に媚びを売る女。最低の女。そんな考えが頭のなかをぐるぐると回って、私はとうとう自分がいやになります。そして、こんな不埒な女に喜んで、手を叩いている世の中が、いっそう、きらいです。

改札口からは、表情のない人々が吐き出されて、わたしの前を通り過ぎ、思い思いの方向へ散っていきます。わたしに声をかける人はいません。

ひょっとしたら、彼らはわたしの正体を知っているのかもしれない。そうして、心のなかで、わたしをあざ笑っているのかもしれません。

いよいよわたしはつらくなって、このごっこ遊びをやめようとしました。ですが、やめられるはずはないのです。だって今の私は、人様の前で真人間ごっこをしている私より、はるかに私らしいのですから。

 あくる日、1つの小事件がおこりました。わたしのお友達、わたしの被害者が、死のうとしました。会社のなかにある寮の、自分のお部屋で、手首をきったそうです。そうして、あの人が気を失っているところを、お友達が見つけたそうです。あの人は、そこそこの地位におりましたので、わたしは新聞の一面でそれを知りました。
 賞賛と軽蔑の気持ちが、いっしょに湧いてきました。竹を割ったようなお人だから、きっと、死のうと思った、その瞬間にきったのでしょう。その思い切りのよさが、わたしには羨ましい。わたしは死のう、死のうと思っても、ああでもない、こうでもない、とぐずぐずしている。

 ですが、会社のなかで死ぬなんて、止めてください、と、言っているようなものではないでしょうか。自死というものは、もっとおだやかに、1人か、2人ぽっちでやるべきでしょう。きっとあの人には、本気で死のうという気持ちがなかったのだ。人目を浴びたい、心配されたい、そんな下心があったにちがいない。
 あの人の、我が身可愛さのせいで、わたしはまた、ぐずぐずする。わたしが、うんと悩み抜いて、素晴らしく、茶目っ気のある死に方をしても、わたしは2番目にすぎない。低俗きわまりない、業界の闇、という言葉の中に、わたしの死はうもれてしまう。わたしは、わたしのいのちをかけて、わたしの正体と、世間様ご自身の正体を、世間様にきづいてもらいたい。そうして、もっとよい世の中になればいい。

 わたしの革命が、1人の女の、つまらない、見栄ときまぐれのせいで、台無しになる。わたしは、全身がぞっと、つめたくなりました。 
 

 わたしの周りは、しばらくあの人のことで、ざわめいていました。可哀想、なにか力になれたかもしれない、そのような憐憫と後悔のなか、わたしひとり、ちょっぴりの羨望と、激怒をかかえていました。
 おおきな声で、彼女たちに伝えてあげたい。あなた様方は、かんちがいをしています。あの人は、弱者。弱さをすっかり表に出して、弱さを売り物にしている人間。こういう弱者を、皆さん、われわれは積極的にいじめるべきなのであります。
 ああでも、そんなことを口に出せば、わたしはギリシアの哲人のように、彼女たちにとりかこまれ、弾劾されて、全身の皮をむかれてしまうかもしれない。だからわたしは、当たらずさわらずのお世辞を言って、かなしくって涙が出そう、という顔をしながら、うろうろしていました。

 ただ、ゆかいなこともありました。わたしのお知り合いに、木村さん、多田さんというお二人がおりまして、その多田さんが、忌まわしい小事件のあと、木村さんに「カァト・コバァンは、どうして死んだのかな」、とたずねました。木村さんは、「カートのことは、カートにしかわからない。ニルヴァーナの狂信者やQ、ローリング・ストーンが、どんな言葉でカートを語っても、それは評価であって、事実じゃない」と返しました。
 それでも、多田さんがしつこく、「なつきちは、カアトをどう思う?」と尋ねると、木村さんは、「大ばか野郎」とだけ言いました。
 わたしは、一寸はなれたところで、かなしい、かなしくってしょうがないわ、という顔をしながら、その話を聞いていました。きっと木村さんは、わたしの第一発見者になってくれるでしょう。彼女のおっしゃる通り、自死をえらぶような人は、みんな、大ばかものなのですから。
 

 それから、ほとぼりが冷めるまで、わたしはいいかげんに仕事をし、また時々、ごっこをしていました。雨がふってもいないのに、レエン・コオトを着て、東京のまちを歩いたり、檸檬を買って、いたづらに鬱が治ったような気持ちになってみたり、わりあい、たのしく過ごしました。騒ぎの元凶をおとづれて、口先ではあの人をなぐさめて、心中では、大ばか、意気地なし、弱虫、と憤ってみたりもしました。あの人が、キザに「生きてみるよ……君のために」なんて、言うものですから、Die,top idol,die という言葉が、口から出そうになりました。軽はずみに生きるくらいなら、軽々しく死ぬべきではないでしょうか。

 父に電話したい、打ち明けたい、という気持ちは日増しにつよくなっていきました。わたしの周りには、立派な人しかいらっしゃらない。正直な気持ちを、誰にも言うことができない。いわば、東京のまちすべてが岩屋になってしまったように、窮屈なのです。
 ああでも、決意が固まらないうちに、父と話すのは、なんだかわたしが、父を愛しているようでみっともない。わたしは、父をにくんでいます。だから、いつも正直に、お父さん、きらい、と言い続けてきたのです。わたしは、父にだけは嘘をつきません。なにせ、嘘をつくに値しない、落伍者なのですから。

 また、わたしは、自殺志望者が集まるサイトをおとずれるようになりました。そこで、神経衰弱者たちをなじったり、小粋な死に方がないものか、さがしてみたりしました。ぼんやりとではなく、確固とした意志で死のう、そんなお方はいらっしゃらないのだろうか、と、なかば失望し、なかば優越感をもって、さまよっておりますと、「今年の6月13日、ぼくは玉川で入水自殺する。きっとする」という書き込みがありました。スクロオルすると、「彼女ができないから自殺する」、と続いていました。わたしは、このひとと一緒に死にたい、ふと、そう思いました。愛人もいらっしゃらないのに太宰の真似事、それが、なかなか自虐めいておもしろく、かえって、その邪魔をしたいとかんがえたのです。

 わたしは、そのお方に、「わたしが山崎富江になってあげる」、と、お返事をしました。
 ですが、明後日、わたしに、あるお仕事がまい込んできました。あの、何もかも見透かしたような目をした女衒が、「文香、きみに、おあつらえむきの仕事がある」、と言って、乱暴に、紙の束をわたしてきました。「2017年桜桃忌〜太宰治を偲ぶ〜」、と、つまらなく、俗っぽい文字がならんでいました。
 わたしは、ぎくり、としました。この男は、すべてを知っているのではないだろうか。わたしの生き方をねじまげ、今度は、わたしの死もねじまげてしまうのではないか。恐怖と戸惑いが、胸の中を、ひたひたになるまで充しました。わたしがだんまりしていると、女衒は、「この仕事はいやか」、と申し訳ないような、あなどるような表情をしました。わたしは、つい意地になって、「是非…やらせてください…」、と、答えてしまいました。女衒は、勝ち誇ったような顔で、「ありがとう。実はもう、文香がやりたがっていると、先方に伝えてしまっていたんだ」、と言いました。
 刺そう、と思いました。でも、この女衒がいなければ、生きていけない人もいるのだ、と、我慢しました。しょうがなく、わたしは、6月いっぱいは生きていよう、と決めました。えせ太宰は、可哀想だけれど、1人ぼっちで、死んでいただくしかない。鷺沢文香が詐欺をした、と、どなたかは、お笑いになるでしょうか…。

 
 


 それから、わたしは、死に方を考えるのが、おっくうになってしまいました。なにを思いついても、なにをやろうとしても、あの女衒がきっと邪魔をしてくる。そんな強迫観念に取りつかれて、わたしの、死のう、という気力が、うばわれてしまったのです。
 こうやって、わたしがまごついているのも、女衒の計算なのかもしれない。いや、そんなはずはない、と私は、13日にはなまるがついている、6月のカレンダアを破り捨てました。

 収録の日、私は、暗鬱とした気持ちで、スタヂオにむかいました。えせ太宰、自分の行く末についてかんがえると、どうしようもなく、つらい気持ちになりました。それにくらべれば、脚本が、太宰追悼をかたった、迂遠な自殺防止キャンペエンであったことや、わたしの言葉が、すべて括弧つきで囲まれていることなど、まるで小さなことのように感じました。
 「346プロ様」、と書かれた部屋に入ると、なぜか、橘さんがいました。「…ありすちゃん…どうして…」、と、尋ねると、「鷺沢さんの出演を見学して、バラエテイの勉強をしようと思ったんです!」、と、不自然なほど、元気に答えてくれました。わたしを手本にしない方がいい、と言うのは、ひどいことのような気がして、それから収録まで、わたしは橘さんと、太宰氏について、他愛もない、なかみのないお話をしました。橘さんは、なぜか、自分がうつるわけでもないのに、そわそわしていました。

 収録が始まると、わたしは、鷺沢文香ごっこ、と心中でつぶやきました。作品をしらない出演者達にかこまれて、脚本どおり、でしゃばらず、よけいなことは言わず、収録はつつがなく、すすんでいきました。わたしは、えせ太宰にことを想いました。もういまごろは、玉川上水にとびこんでしまったのでしょうか。それとも、あの書き込みはうそっぱちで、わたしひとり、ぐずぐずと悩んでいるのでしょうか。
 話が「黄桃」にさしかかると、突拍子もなく、父についてたずねられました。これは、脚本にありません。けれども、わたしは、即興の達人でありますから、仕事が忙しくて会えないことやら、家族愛やら、感謝やら、もったいぶったように、言いました。すると、司会のお方が、「いま、お父さんに会いたいですか」、と、尋ねてきました。わたしは、「…会いたくありません…いまは…まだ…恥ずかしくて」、と答えました。
 、

 司会のお方は、しつこく、「テレビの前のお父さんに、なにか言ってみたら」、と、えらそうに、指図してきました。父はテレビを持っていないし、わたしにも、見せようとはしませんでした。子どもがだめになる、と、えらそうに言って、実は、テレビを買うお金がなかったのです。わたしが実家へお金を送っても、意固地になって、テレビを買おうとしない、と、母は嘆いていました。
 だから、自分の言葉が、父にとどくとはおもわず、わたしは、「…お父さんの…おかげで…私は…立派なアイドルに…なることが…できました…。お父さん…ありがとう」などと、思ってもいないことを、また繰りかえしました。
 そして、次に、「太宰の孫」というコオナアになり、わたしは、祖父の命日に、孫を呼びだすのか、と、ひややかな気持ちになりました。ですが、出演者が登場するはずのカアテンを見て、わたしは仰天しました。そこにいたのは、私の父だったのです。

 父は気恥ずかしいような、不安がっているような顔で、そこに立っていました。出演者の皆さまは、わたしのほうをみて、いやらしい、寒気する笑みを浮かべていました。
 遅れて、ぱたぱたと、橘さんがやってきました。ちいさな腕に、「ドッキリ大成功!」という、ボオドをかかえて。わたしは、橘さんをつきとばして、スタヂオから逃げだしました。わたしの人生は、いま、台無しになった。そんな事実を、両手にかかえきれず、私は走りました。
 倒れこむように、電車にのって、わたしは玉川上水駅を目指しました。

 スタヂオからはなれていくと、わたしは、きっと死のう、気持ちになりました。きっと、あのお方が待っている。待っていてほしい、と思いつつ、わたしは、太宰の石碑の前に、たどりつきました。そこには、1人の男の方が、たたずんでいました。彼は、わたしにきづくと、愛想のよい笑顔をうかべ、近づいてきました。「きっとくると、信じていたよ」、と、何もかもを見透かしたような目をして。「どうして」、と、わたしは、腰を抜かして、その場に倒れました。「文香、仕事をほうりだすなんて、だめじゃないか。せっかく、おれとありすが、お膳立てをしてやったのに」、と、女衒は、嬉しそうに言いました。

 「…どうして…わたしを死なせてくれないんですか…」、と、わたしはうめきました。女衒は、笑みをうかべたまま、「文香に死ぬ気がないからさ」、と、答えました。
 「文香、おれは知っているんだ。おまえには自信がない。作家なり、誰かが言葉の責任を担保してくれなければ、ろくに話すこともできないし、考えることもできない。だから、お前の考えは手に取るようにわかる」。
「わたしは…死ぬつもりだった…ずっと…前から」、と、わたしが言うと、彼は「それじゃあ」、と、わたしに、カッタアを渡しました。「おれはまだ、リストカットっていうのを、見たことないから、ここで一杯やりながら、ゆっくり見物するよ」。
 わたしは、一歩もうごけず、「…どうして…こんなひどいことを…」、と、ほとんど悲鳴のような声で、たずねました。女衒は、からりとした声で「弱者ぶるやつは、徹底的にいじめるんだろ」、と答えました。
 

 わたしは震えるカッタァの刃先を、女衒にむけました。彼はいたって、余裕綽々と、「その殺意は誰のものなんだ?」と、わたしに尋ねました。
 はいずるように女衒にちかづいて、わたしはカッタアを虚空に振りまわしました。女衒は、わたしを冷たく見下ろしながら、「おまえは死にたがっていた。だが、おれが邪魔をしたから、死に損ねた。そうやって、すべておれのせいにして、生き続ければいい」、と、諭すように言いました。
 わたしは、カッタアをはなしませんでした。すると、女衒は、わたしの手を握って、カッタアを取り上げようとしました。わたしはそれを見計らって、自分の喉へ、刃先を深々と突き刺しました。

 人殺し、そう言おうとしましたが、間の抜けた空気の音と、おびただしい血が、喉から吹き出すだけでした。不思議と、痛い、という感じはしませんでした。
 女衒は、ひどくおどろいた顔で、ぱっと手をはなしました。わたしは、前にたおれこみ、その衝撃で、刃が、首の中の、硬い場所へと到達しました。視界がまっくらになり、わたしは、全身の力がぬけていくのを感じました。これで、終わる。そう思うと、身体が宙に浮かぶような感覚を覚えました。
 結局、わたしは、いいかげんに生きて、いいかげんに死んでしまった。ぼんやり、そう思っていると、わたしは、身体に冷たい水がかかっていることと、誰かが、わたしを抱きかかえていることに気づきました。
 わたしは、ふれられている場所が、熱くなるのを感じました。このひと、わたしと一緒に、死のうとしている。水音が大きくなっても、なお感じる、あたたかさに、わたしは「待っていました」、と、そう思いました。

 6月19日、木村はつまらなそうに、新聞の夕刊を眺めていた。そうして、「大ばか野郎ども」、とだけ言って、新聞をくしゃくしゃにして、くずかごに捨ててしまった。

                                                                     

おしまい。

 とんでもない駄作を書いてしまった。死にたい。

はじめて書きました。

 拙い作品ですが、見てくださる方々がいて嬉しいです。読点が多いのと回りくどい表現は、太宰リスペクトですので、悪しからず。
 つまらなければ、「SSつまらん太宰死ね」と書きこんでください。

ちなみに現在の玉川上水は浅すぎて自殺ができませんので、本物の鷺沢さんはこれからも生き続けることでしょう。

太宰以下、いろんな作家の作品をミックスしています。
きっと、読む人によって印象は変わるでしょう。

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