走れアカネ (19)

・再掲載です
・「走れメロス」のパロディです 
・若干強引な部分もありますがご容赦を 
・転載可
・日野茜ちゃんに清き1票を

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 茜は激怒した。 
 必ず、かの邪智暴虐の専務を除かねばならぬと決意した。茜には経営が分からぬ。茜は夕陽を追い、ラガーマンと遊んで暮らしてきた。そのうえ邪悪に対しても、人一倍に鈍感であった。 

ガチャ 

茜「どーしてですかー!?」 

専務「……役員室に入る時はノックをしたまえ。君はアイドルの日野茜だな? 私にいったい何の用だ」 

茜「聞きましたよー! 専務は卯月ちゃんをクビにしようとしてたんですね!?」 

専務「今更その話か……それはもう終わった話だ。君が気にする事では……」 

茜「終わらせません! 卯月ちゃんはこれからもアイドルを続けるべきです! 私はそう確信しています!」 

専務「……今私が終わったと言ったのは島村卯月のアイドル活動の事ではなく、彼女の進退に関する話が終わったという意味だ。君が言わずとも、彼女にはこれからも……」 

茜「もう決定済みという事ですか!? そうはさせません!」 

専務「待ちたまえ。君はまず私の話を……」 

茜「卯月ちゃんが暗くなってしまったのが原因と聞きました! それなら私が! 卯月ちゃんを元気にしてみせましょう!」 

専務「島村卯月は既に活動を再開している。今さら君が元気付ける必要は……」 

茜「待っててください! この私が! 元気にした卯月ちゃんを連れてきます!」 

専務「話を聞かないな君は!」

茜「うおおおお燃えてきましたー!」 

専務「……わかった、もう好きにしたまえ。君のその情熱で彼女の輝きが更に増すというのなら、私にとっても不都合な話ではない」 

茜「おや!? その言い方はもしや! 私を信用していない!? どうせ無理だと! そう言いたいんですね!?」 

専務「そうではない。君が島村卯月を元気付けたいというのなら、私がそれを止める理由は無いというだけだ」 

茜「なるほど! やれるもんならやってみろ! そーいう事ですねー! これはますます卯月ちゃんの素晴らしさを伝えなければいけません!」 

専務「………」 

茜「私は本気ですよー! その証拠に! 専務の就業時間内に卯月ちゃんを連れて戻ってきてみせます!」 

専務「君は暇なのか?」 

茜「もし私が間に合わなかったら! 卯月ちゃんだけでなく私もクビにしてください!」 

専務「君らをクビにするメリットがないな。そんな約束は無くとも構わないから、やるなら早く……」 

茜「私をクビにしても痛くも痒くも無いという事でしょうか!? なんという事でしょう! 私は今! 力不足を痛感しています!」 

ガチャ 

裕子「サイキックお疲れ様です! たまたま通りかかったユッコです!」 

茜「ユッコちゃん! いい所に来てくれました!」 

裕子「茜ちゃんの助けを求めるテレパシーを感じました!」 

専務「声が聞こえただけだろう。彼女の声はいささか大きすぎる」 

茜「ユッコちゃん! 実はかくかくしかじかファイアーボンバーなんです!」 

裕子「なるほど! むむむん! こうなったら私のクビも賭けましょう!」 

専務「だから君らをクビにする気はないと……」 

茜「それでは専務! 私達のクビを賭けて卯月ちゃんを元気にしてみせます!」 

専務「……もう好きにしたまえ」 

茜「友のためにファイアー! 燃えてきましたよー!」 

裕子「サイキックパワー注入! むむむ~ん! 頑張ってください茜ちゃん!」 

茜「ありがとうございます! それでは日野茜! 行って参ります!」ダッ 

ガチャ バタン 

裕子「…………」 

専務「…………」 

裕子「……あ、あの~、私はここに居ても大丈夫でしょうか……?」 

専務「暇ならそうしたまえ。私も今日は忙しい方ではない。彼女を待つ間、君達アイドルの活動状況でも聞かせてもらおうか」 

裕子(テ、テレポートしたい……) 

 茜はその後、一休みもせず事務所の中を探しに探して、卯月がカフェにいる事を知ったのは、その日の正午、陽は既に高く昇って、ニュージェネレーションズは昼食を終えて談笑を始めていた。メンバーの1人である卯月も、その日はメンバーと共に雑談に華を咲かせていた。よろめいて歩いて来る茜の、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく茜に質問を浴びせた。 

茜「何でもありません! しかし、私はすぐに戻らないといけません! 卯月ちゃんにも一緒に来てもらいます! 卯月ちゃんは元気でしょうか!?」 

 卯月は首をかしげた。 

茜「元気ですかー!? 私は卯月ちゃんを励ましに来ました! さぁ! 元気でしたら宣言してください! ニュージェネレーションズのお二人に! 島村卯月は、元気だと!」 

 茜は、また、よろよろと歩き出し、椅子に座って好物のお茶を注文し、走って乱れた服を調え、間もなくテーブルに突っ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。 

未央「……ってオイ」 

凛「茜、すぐに戻らないといけないんじゃなかったの?」 

茜「はっ!? そ、そーでした! 私とした事がうっかり眠ってしまいました!」 

卯月「茜ちゃん、私を励ますってどういう事ですか?」 

茜「卯月ちゃん! 今すぐ私と一緒に来て貰えないでしょうか!?」 

卯月「ええっ!? い、今からですか?」 

茜「はい! 今すぐにです!」 

凛「ちょっと待ってよ茜。今すぐは困るよ。私達この後もレッスンがあるんだから」 

未央「そーそー、私達に用があるならスケジュールを確認してくれたまえよ」 

茜「待つ事はできません! どうか今すぐ来て貰えないでしょうか!?」

 茜は更に押して頼んだ。ニュージェネレーションズの二人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。昼休憩が終わるまで議論を続けて、やっと、どうにか二人をなだめ、すかして、説き伏せた。 

卯月「それじゃ凛ちゃん未央ちゃん、島村卯月、行ってきます!」 

 島村卯月の、二人への宣誓が終わった頃、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。カフェで休憩していたアイドル達は、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持ちを引き立てて、狭いカフェの中で、むんむん蒸し暑いのもこらえ、陽気に歌をうたい、手を拍った。茜も、満面に喜色をたたえ、しばらくは、専務との約束をさえ忘れていた。 

未央「ってオイ」 

凛「だから茜、すぐに戻らないといけないんじゃなかったの?」 

茜「そ、そうでしたー!!」 

 ままならぬ事である。茜は我が身に鞭打ち、ついに出発を決意した。終業時間までには、まだ充分の時がある。ちょっと一眠りして、それからすぐに…… 

凛「だから茜、今すぐ戻るんじゃないの? 急ぎじゃないなら、卯月もレッスンに参加させたいんだけど」 

茜「も、申し訳ありません……」 

 茜ほどのアイドルにも、やはり疲れというものはある。休憩も終わり、レッスンに行きたがっているらしい凛に近寄り、 

茜「それではレッスン頑張ってください! 私は少し疲れたのでちょっと休んで、それからすぐに出発します! 大切な用事があるんです! 卯月ちゃんがいなくても! 凛ちゃんには未央ちゃんがいるから決して寂しい事はありません! 私の一番嫌いな事は! 人を疑う事と、それから……」 

凛「ごめん茜、私達もうレッスンに行かないといけないから」 

 茜は、それから未央の肩を叩いて、 

茜「時間が無いのはお互い様です! 私の方も、取り得といっては、体力と情熱だけです! 他には何もありません! 全てをかけましょう! もう1つ! 卯月ちゃんと同じユニットになった事を誇ってください!」 

未央「い、いやぁ茜ちん……よく分からないけど頑張ってね……」 

 未央は首をかしげ、困っていた。茜は笑って卯月にも会釈し、レッスンに行く凛と未央を見送り、椅子に座り込んで、死んだように深く眠った。

― 

卯月「茜ちゃん! 茜ちゃん起きてください!」 

 目が覚めたのは午後の2時を過ぎた頃である。茜は跳ね起き、南無三、寝過ごしたか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには充分間に合う。今日は是非とも、あの専務に、卯月のアイドルとしての素質を見せてやろう。そうして笑ってステージに上がってやる。 

 茜は悠々と身支度を始めた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身支度は出来た。さて、茜は、卯月の手を強く握って、事務所の中へ、矢の如く走り出た。 

卯月「あ、茜ちゃん! 手が痛いです!」 

茜「ああっと!? すみません卯月ちゃん! つい力を込めてしまいました!」 

卯月「大丈夫ですよ茜ちゃん。そんなに急がなくても、同じ事務所内なんですからすぐに着きますよ」 

 茜はゆっくり歩こう、と持ち前の呑気さを取り返し、自分の持ち歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二階行き三階行き、そろそろ全階程の半ばに到達した頃、降って沸いた災難、茜の足は、はたと、止まった。見よ、前方の階段を。先程の豪雨で水浸しになり、茜と卯月の行く手を阻んでいた。 

卯月「窓が開けっ放しだったみたいですね」 

 茜は茫然と立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、清掃員の姿は見えない。水溜まりはいよいよ、ふくれ上がり、海のようになっている。茜は廊下にうずくまり、しかし直ぐに立ち上がり卯月に手を挙げて提案した。 

茜「仕方ありません! 私達でこの階段を綺麗にしましょう!」 

卯月「ええっ!? 私達でですか!? べ、別の階段を使えば良いんじゃないでしょうか?」 

茜「そうはいきません! 見てしまった以上は無視できません! 見て見ぬふりは罪です!」 

卯月「私達でやるより、ちひろさんに電話して清掃の人にお願いして貰った方が……」 

茜「さぁやりますよ卯月ちゃん! 時は刻々に過ぎていきます! 太陽も既におやつ時です! あれが沈んでしまわぬ内に、専務室に行き着く事が出来なかったら、あの良いエスパーが、私のためにクビになるのです!」 

卯月「ええっ!? どういう事ですか茜ちゃん!?」 

茜「さぁやりますよー!」 

卯月「き、聞いてない……」

 茜は、卯月の疑問をせせら笑う如く、ますます激しく燃え盛る。雑巾を用意し、拭き、バケツに搾り、そうして時は刻一刻と消えていく。今は卯月も覚悟した。拭き切るより他に無い。 

卯月「島村卯月、お掃除がんばります!」 

 ああ、神々も照覧あれ! 水溜まりにも負けぬ愛と誠の力を、いまこそ発揮して見せる。茜は、ざんぶと階段に飛び上がり、百匹の蚯蚓のように広がり流れ滴る水を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、なんのこれしきと拭き取り拭き取り、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍を垂れてくれた。 

 吹き残しつつも、見事、階段の踊り場の床に、すがり付く事が出来たのである。ありがたい。茜は馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先を急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら卯月とのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一組のユニットが躍り出た。 

きらり「にょわー! 茜ちゃん、見付けたにぃー!」 

茜「きらりちゃん! 何の用でしょうか! 私は専務の終業時間までに専務室に行かなければならないんです! 通してください!」 

莉嘉「でもでも~、リカ達、茜ちゃんを見付けたら呼ぶようにって言われてるんだよね~」 

卯月「もしかして、私がレッスンに来ないから、トレーナーさんが呼んでいるじゃないでしょうか?」 

茜「いいえ! トレーナーさんには未央ちゃん達が話をしてくれているはずです!」 

みりあ「その、トレーナーさんが呼んでたよ?」 

茜「さては、専務の命令で、私達を待ち伏せしていましたねー!?」 

 凸レーションズは、ものも言わず一斉に首を傾げた。茜はひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近の一人に襲いかかり、その体を押し飛ばして、 

茜「気の毒ですが正義のためです!」とタックル一撃、たちまち三人を押し倒し、ひるむ卯月を背負って、さっさと廊下を駆けた。

 一気に廊下を駆け抜けたが、流石に疲労し、窓から午後の灼熱の夕陽がまともに、かっと照って来て、茜は幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろニ、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上がる事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。 

卯月「茜ちゃん、大丈夫ですか!?」 

茜「申し訳ありません卯月ちゃん! 階段を拭き切り凸レーションズの三人を押し倒し韋駄天ここまで突破して来ましたが、私は疲れ切ってしまいました! ここで動けなくなるなんて情けないです!」 

茜「ああ、私を信じたばかりにユッコちゃんまでもがクビになってしまいます! まさしく専務の思う壺です!」 

卯月「落ち着いてください茜ちゃん! ずっと気になってたんですけど、ユッコちゃんがクビになるってどういう事なんですか?」 

茜「約束を破る心はみじんもありませんでした! 私は精一杯努めてきました! 動けなくなるまで走ったんです! 私は不信の徒ではありません!」 

卯月「茜ちゃん……」 

茜「けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きてしまいました! よくよく不幸なアイドルです! 私は、きっと笑われます! 私と同じパッションの皆さんも笑われます!」 

卯月「そ、そんな事ないですよ!」

茜「私はユッコちゃんを欺きました! 中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事です! ああ、もうどうでもいいです。これが私の定まった運命なのかも知れません! ユッコちゃん、許してください。ユッコちゃんはいつでも私を信じてくれました」 

卯月「茜ちゃんとユッコちゃんは、本当に良い友達だったんですね」 

茜「いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿した事はありませんでした! 今だって、ユッコちゃんは私を無心に待っているでしょう! ああ、待っているでしょう! ありがとうございますユッコちゃん! それを思えばたまりません! 」 

茜「友と友の間の信実は、この世で一番誇るべき宝です! 卯月ちゃん、私は走りました! ユッコちゃんを欺くつもりはみじんもありませんでした!」 

卯月「信じてくれますよ! 茜ちゃんは急ぎに急いでここまで来ました! 階段を綺麗にして、きらりちゃん達からもするりと抜けて一気に廊下を駆け抜けて来たじゃないですか! 茜ちゃんだから、出来たんですよ! この上まだ茜ちゃんに望む事なんてありません!」 

茜「ああ、もう放って置いてください。どうでもいいんです。私は負けました。だらしがありません。専務は私に、どうせ無理だ、と言いました。やれるならやってみろ、と」 

茜「私は専務の卑劣を憎みました。だけど今になってみると、私は専務の言うままになっています。私は、遅れていくでしょう。専務は、ひとり合点して私を笑い、そうして事もなく私をクビにするでしょう。そうなったら、私は、死ぬよりも辛いです」 

茜「私は、永遠に裏切り者です。芸能界で最も、不名誉の人種です。ユッコちゃん、私は辞めます。ユッコちゃんと一緒に辞めさせてください。ユッコちゃんだけは私を信じてくれるに違いありません。いえ、それも私の独りよがりでしょうか?」

茜「ああ、もういっそ、他事務所から再デビューしてやりましょうか。巷には私のファンがいます。ラグビー仲間もいます。芸能界は、まさか私を追い出すような事はしないでしょう」 

茜「情熱だの、熱血だの、根性だの、考えてみれば、くだらない事です。自分を殺して偽って生きる。それが芸能界の定法ではありませんか」 

茜「ああ、何もかも、馬鹿馬鹿しいです。私は、醜い裏切り者です。どうとも、勝手にしてください」 

 やんぬるかな。四肢を投げ出し、うとうと、まどろんでしまった。 

 ふと耳に、潺々(せんせん)、流れるような歌声が聞こえた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足元で、卯月が歌っているらしい。よろよろと起き上がって、見ると、床に座る卯月が滾々(こんこん)と、小さく囁くようにS(mile)ING!を歌っているのである。その歌声に吸い込まれるように茜は口を開いた。喉から綺麗な声を出して、一緒に歌った。 

 ほうと長い溜め息が出て、夢から覚めたような気がした。 

茜「歩けます。行きましょう!」 

 肉体の疲労回復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。 

茜「葉も枝も燃えるばかりに輝いています! 日没までには、まだ間があります! 私を、待っている人がいるんです! 少しも疑わず、静かに期待してくれている人がいるんです!」 

茜「私のクビは、問題ではありません! 辞めてお詫び、などと気のいい事は言っていられません! 私は、信頼に報いなければなりません! いまはただその一事です!」 

茜「日野茜、走ります!」

- 

茜「私は信頼されています! 私は信頼されています! 先程の悪魔の囁きは、あれは夢です!」 

卯月「そうです! あれは悪い夢です! 忘れてしまいましょう! 疲れている時は、ふいとあんな悪い夢を見てしまうんです! 茜ちゃん、茜ちゃんの恥じゃありません! やっぱり茜ちゃんは凄いアイドルです! また立って走れるようになったじゃないですか!」 

茜「ありがたいです! 私は、熱血アイドルとして死ぬ事が出来ます! ああ、夕日が沈みます! ずんずん沈みます! 待ってください太陽! 私は生れた時から燃えていました! 情熱に燃えたまま死なせてください!」 

 廊下を歩くアイドルを押しのけ、跳ね飛ばし、茜は赤い風のように走った。渡り廊下での立ち話の、そのまっただ中を駆け抜け、立ち話していたアイドル達を仰天させ、Pを蹴飛ばし、転がるPを飛び越え、少しずつ沈んでいく太陽の、十倍も早く走った。一組のユニットとさっとすれ違った瞬間、不吉な会話を小耳に挟んだ。 

「さっき専務室にいったら、ユッコちゃんが居心地悪そうにしてたよ」 

茜「ああ、そのユッコちゃん! そのユッコちゃんのために私は今、こんなに走っているんです!」 

卯月「ユッコちゃんを辞めさせちゃいけません! 急ぎましょう、茜ちゃん!」 

 見える。はるか向こうに小さく、専務室の扉が見える。扉は夕日を受けてきらきら光っている。 

「お二人共、どうなさったんですか?」 

 呟くような声が、風と共に聞こえた。 

茜「文香ちゃんじゃありませんか!」 

 茜は足をとめて応えた。

文香「もしかして、専務室に何か御用でしょうか……? 私も所用があって先ほどまで専務室にいましたが、専務はそろそろ、会議の時間だと仰っていました……。裕子さんも、もうすぐ出てくるのではないでしょうか……」 

茜「いいえ! まだ間に合います!」 

文香「しかし……専務という役職は忙しいものですから……できれば、会議が終わってからの方が良いのでは……?」 

茜「いいえ! まだ間に合います!」 

文香「あまり、おすすめ出来ません……。少し落ち着いてはいかがでしょうか……? 中にいる裕子さんも、誰かを待っている様子でしたが、専務を引き留めるような様子はありませんでした」 

茜「それだから、走るんです! 信じられているから走るんです! 間に合う、間に合わないは問題じゃないんです! 私のクビも問題ではありません! 私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているんです! ついて来てください! 文香さん!」 

文香「いえ、私はありすちゃんを待たせているので……この辺で失礼します……」 

茜「そうですか!」 

文香「それでは……。間に合うと良いですね……」 

 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽くし、茜は走った。茜の頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、茜は疾風の如く専務室に突入した。間に合った。

茜「待ってください! ユッコちゃんをクビしてはいけません! 約束の通り、卯月ちゃんを連れてきました!」 

専務「……どうして同じ事務所内を移動するだけでこんなに時間がかかるんだ」 

茜「さぁ専務! これでユッコちゃんはもちろん、卯月ちゃんのクビも取り消してもらえますね!?」 

卯月「ええっ!? わ、私のクビもかかってたんですか!?」 

裕子「そうだったんですか!?」 

茜「あ、あれ? ユッコちゃんにも言ってませんでしたっけ?」 

裕子「途中から聞いてたんで、卯月ちゃんを元気付けるとしか……」 

専務「……まぁいい。君らが勝手に約束したことで、そもそも島村卯月をクビにするつもりも無かったが、君達の勝ちという事にしておいてやろう。私はこれから会議を控えている。だから君らは早く……」 

茜「ユッコちゃん! 申し訳ありません! 私にビンタしてください! 私は途中で悪い夢を見ました! ユッコちゃんが叩いてくれないと素直に喜べません!」 

裕子「サイキックビンタ!」ペチッ 

裕子「茜ちゃん! 私もビンタして欲しいです! 私はうっかり専務室に残った事をずっと後悔してました! 茜ちゃんが叩いてくれないと素直に喜べません!」 

 茜は腕に唸りをつけて裕子の頬をひっぱたいた。 

裕子「痛い!」 

「ありがとう友よ!」 

 茜が一方的に言い、ひしと抱きしめた。 

専務「……君らの望みは叶ったぞ。満足したなら早く出ていっ……」 

卯月「あ、そういえば専務さん。途中できらりちゃん達からトレーナーさんが呼んでるって聞いたんですけど、私の事だったんでしょうか?」 

専務「ん? いや……」 

専務「日野茜、君は今日レッスンの予定があったそうじゃないか。見掛けたら伝えるようにと他のアイドルに頼んで置いたが、聞かなかったのか?」 

茜「レッスン!? そ、そうでしたー!!」 

専務「担当のトレーナーは、君にレッスンをすっぽかされた事を、酷く怒っていたぞ?」 

茜「ど、どうしましょう……」 

 茜は、ひどく青ざめた。 

  

 終わり 

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