ばいきんまん「『必要悪』って、知ってるか?」 (90)

アンパンマン「追い詰めたぞ!ばいきんまん!」

ばいきんまん「ぐぬぬ……おのれ、アンパンマンめぇ!」

それは、いつものようにばいきんまんが悪さをして、いつも通り退治される、いつもの光景。
その戦いの間に何度か攻守が逆転して、アンパンマンが1度顔を取り替えるのもまた、いつものことであり、言うまでもないことだ。

あとワンパンでケリがつく。
それも、いつものこと。

渾身の力を込め、必殺の『アンパンチ』をぶち込めば、いつも通り「バイバイき~ん」と彼方の星になる……

かに、思われたのだが。

そんな、『いつも』通り窮地に立たされた、ばいきんまん紡いだ次の一言は……

ばいきんまん「『必要悪』って、知ってるか?」

『いつも』とは違っていた。

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アンパンマン「いきなり何を……?」

その問いに、アンパンマンは思わず鼻白む。

血反吐を吐きつつ、ボロボロの身体となったばいきんまんだったが、その両の目から力は失われておらず、口角は不敵に釣り上がっている。

ばいきんまん「ギャハッ……ギャハハッ……!」

息も絶え絶えな掠れた笑い声。
彼は酷く弱っている。それは間違いない。

しかし、それでも……
嘲るような響きが、どうにも鼻につく。

ばいきんまんの強さの真髄が、そこに含まれていた。

アンパンマン「自分が、その『必要悪』だとでも、言うつもりか……?」

堪らず問い返すアンパンマンを、ばいきんまんはニヤニヤ見つめ……

ばいきんまん「ギャハッ!……すぐに、わかる。俺様が、どんな存在か。そして、『必要悪』とは……『悪』とは、何なのかをな……ギャハッ!ギャハハッ!!」

アンパンマン「……もう、黙れ」

この悪党に問答など不要だ。
あからさまな嘲笑に耐えかね、アンパンマンは拳に込めた力を解放する。

アンパンマン「アァァァァンッッ!!」

空間を歪める程のエネルギーが、眩い光の奔流となり、荒れ狂う。
それを掛け声に伴い、収束。

悪を討ち亡ぼす、正義の鉄槌の完成だ。

アンパンマン「パァァアアアンチッ!!!!」

ばいきんまん「ギャ……ギャボッ!?!!?」

ばいきんまんの腹部に突き刺さった拳を、前方に突き出すように振り切る。
メキメキと、骨が軋む振動が伝わり、ばいきんまんの足が地面から離れた。

ばいきんまん「バァッ!?バァイバァイき……」

空の彼方へと高速で射出されたばいきんまんの捨て台詞は、「バイバイき」までしか聞き取れず、辺りを静寂が包み込んだ。

一拍の間を置き、歓声が上がる。
アンパンマンが救った者たちが、一斉にヒーローの元へと駆け寄ってくる。

今日もまた、正義が勝ったのだ。

メロンパンナ「ありがとうアンパンマン!」

カレーパンマン「やっぱお前にゃ敵わねぇや」

しょくぱんまん「流石ですね!」

共に肩を並べて闘った仲間達も、口々にアンパンマンを賞賛する。
気恥ずかしい気持ちになりながらも、アンパンマンは周囲をぐるりと見渡し、自分の救った人々の笑顔を目に焼き付けた。

皆一様に嬉しそうで、優しげな笑みだ。
こんな素晴らしい世界に『必要悪』が入り込める隙間なんてある筈がない。
やはり、最後のばいきんまんの言葉は戯言だったのだ。

と、確信したその時。

メロンパンナ「きゃあああああああ!?」

メロンパンナの悲鳴が響き渡った。

カバオくん「ぐふっ!ぐふふっ!今日はめでたいんだな!こんな日は、無礼講なんだな!」

メロンパンナ「きゃあああ!?やめて!離してカバオくん!?」

あらあら大変!
カバオくんったら、メロンパンナちゃんを押し倒して、粗相を働くつもりみたい!

もちろん、そんな狼藉は彼が許す筈もなく……

アンパンマン「やめるんだ!カバオくん!!」

即座にアンパンマンが止めに入る。
しかし、パワー系のカバオくんの馬鹿力はアンパンマンの膂力を上回っていた。

カバオくん「離せぇぇえええええ!!」

アンパンマン「くっ……駄目だ!カバオくんの力が強すぎて止められない!!」

羽交い締めにしようと背後に回るものの、暴れるカバオくんに振りほどかれてしまう。

メロンパンナ「やめっ……乱暴しないでっ!きゃあああああ!?」

カバオくん「ぐふふふっ!はあはあ……可愛いよ、メロンパンナたん」

カバオくんの巨体に組み敷かれたメロンパンナも、その重みで窒息しないようにするだけで精一杯だ。
舌舐めずりしながら迫る暴漢に、抵抗する余力などなかった。

アンパンマン「くそっ……どうすれば……!」

このままでは不味い。
なんとかしてカバオくんを無力化しなければ、取り返しのつかないことになる。

アンパンマンは決断を迫られていた。

カバオくんを無力化する方法はある。
ばいきんまんを吹き飛ばした『アンパンチ』を使えば、星の彼方までぶっ飛ばせるだろう。

その右ストレートが、アンパンマンの膂力以上の破壊力を発揮出来るのは、ひとえに『愛と勇気』の恩恵だ。

悪を討伐する為、彼に与えられた力。

だからこそ、今この状況でその力を振るうのには、躊躇いを覚えた。
この必殺技は、世界の平和と人々の笑顔を守るべく生み出されたものなのだ。

それを、仮にも守るべき対象であるカバオくんに使うなんて……

カバオ「ぐふっ。ぺろぺろ……甘い!?ぐふふふふっ!甘い!甘いよ、メロンパンナたん!」

メロンパンナ「舐めないでっ!?そんなところダメェェェェエエエエ!!?!?」

決心のつかないアンパンマンの目の前で、今まさにメロンパンナが蹂躙されようとしている。
もはや一刻の猶予もない。

決断の刻が、差し迫っていた。

メロンパンナ「ア、アンパンマン! お願い……助けて……!」

アンパンマン「ッ……カバオくん、ごめんよ」

狼狽するアンパンマンに、救いを求めるかのようにメロンパンナの手が伸びる。
悲痛な叫びが、ヒーローの心を傾けさせた。

アンパンマン「アァァアアンッ……!」

腰だめに拳を構えながらエネルギーを込める、アンパンマンの目からは涙が流れている。
血の涙だ。

どうして!
どうしてこんなことに!?

自問しても返ってくる答えはない。
それでも、彼は拳に力を込め続ける。

それが『ヒーロー』の、役割だから。

カバオくん「んあ?……ひ、ひぃいい!?ア、アンパンマンが、オラを殺そうとしてるだ!?」

ようやく殺気に気づいたカバオくんが、喚く。
しかしメロンパンナの上から退く気配はない。

パワー系のフリをして、カバオくんは狡猾だ。
こうして泣き叫べば、アンパンマンが何も出来ないと知っているのだ。

しかし、正義の化身と化した今のアンパンマンには、カバオの悪意がはっきりと感知できた。

ドス黒い醜悪なオーラを纏ったカバオは、宿敵たるばいきんまんをも霞ませるほど、唾棄すべき存在へと、なり果てていた。

もはやカバオは、アンパンマンの知るカバオではない。
そう思うと自然に、躊躇いは消えていた。

そうだ。
どちらにせよ、こいつを野放しには出来ない。
ならば、痛みを感じる間も無く、意識を刈り取り、『処分』するのが適切であろう。

さようなら、カバオくん。

その別れの言葉は、胸中に留めて……
アンパンマンは、決断した。

アンパンマン「パァアアアアンチッ!!!!」

カバオくん「ひゃああああぁあ!?」

大気を切り裂く拳圧が、まるで唸り声のように周囲に響き渡り、それに含まれた圧倒的な殺意に、カバオは漏らし、メロンパンナを汚した。

けれど、それにメロンパンナは気づかない。
彼女もまた、アンパンマンに畏怖を抱いていたからだ。

瞬きを一度。
次の瞬間には、カバオは自分の上から消え失せているだろう。

彼女はそれで救われる。
それは喜ぶべきことで、感謝すべきことだ。

しかし……それが怖い。

堪らずぎゅっと目を瞑ったカバオの糞尿塗れのメロンパンナは、この日初めて、アンパンマンに恐怖を覚えた。

メロンパンナ「……えっ?」

固く目を瞑り、息を殺して嵐が過ぎるのを待つメロンパンナだったが、待てども待てども嵐は訪れない。

おかしい。
そう思い、恐る恐る目を開けると……

アンパンマン「……なんのつもりだ?」

カレーパンマン「へへっ。悪いな」

しょくぱんまん「ここは冷静になるべきかと」

目の前には見知った仲間の姿。
彼らは、カバオとアンパンマンの間に割って入り、必殺の『アンパンチ』を防いでいた。

無論、無傷とはいかない。
彼らは全身傷だらけで、それぞれのカラーに染まった白と黄のマントはボロボロだ。
ぷすぷすと、端から煙が立ち上っている。

そんな有様になっても、カバオくんを庇う彼らの意図がわからず、アンパンマンは再度問う。

アンパンマン「何故庇う。理由を言え」

普段の口調よりも数段低いその声音が、アンパンマンの機嫌の悪さを示していて、たじろぐ。
だが、引くわけにはいかない。

カレーパンマン「おいおい、おっかねぇな」

しょくぱんまん「やれやれ、です」

余裕を演出しつつ、事態が収まるのを待つ。
だが、目の前の正義の化身には通用しない。
理由を述べるつもりがないのなら、尋ねるだけ無駄であると、アンパンマンは判断した。

アンパンマン「そこをどいてくれ」

静かな口調。
しかし、迸る怒気は隠しきれない。
相対する2人の汗腺が開き、冷や汗が滲む。
だが、引くわけには、いかないのだ。

カレーパンマン「落ち着けよ、兄弟」

しょくぱんまん「ええ、頭を冷やして、どうか冷静に」

冷静に?
またその台詞か。馬鹿馬鹿しい。
そんな悠長なことを言ってたら、メロンパンナが凌辱される。
そんなこともわからないのか?

アンパンマン「どけ、と……言ってるんだ」

仲間達が纏う悪の気配。
見過ごすわけには、いかなかった。

カレーパンマン「どけって言われてもなぁ」

しょくぱんまん「退くわけにはいきませんね」

ひりついた空気を和ませるべく、軽い口調で返答したのだろうが、全くの逆効果だ。
疑念は確信に変わり、かつての仲間の2人を、アンパンマンは『敵』と見なした。

アンパンマン「邪魔だぁぁああぁあ!!」

カレーパンマン「おっと!やれやれ……大将はせっかちだな」

しょくぱんまん「仕方ありませんね。カバオくんを失うわけにはいきませんから」

戦闘が始まった。

カバオくん「な、何がなんだかわからないけど、この隙に……ぐふふふっ!」

メロンパンナ「きゃああああ!?カバオくん、下穿いて!!お願いだから!!」

カバオくん「ぐふふっ。そんな初心なメロンパンナたんにオラはメロメロなんだな!」

大変!
カバオくんがズボンを脱いじゃった!
メロンパンナちゃんが危ない!

アンパンマン「なっ!?やめろカバオ!!」

慌ててカバオを止めようとするアンパンマン。
しかし、彼らに阻まれる。

カレーパンマン「余所見してんなよ」

しょくぱんまん「僕らをお忘れですか?」

アンパンマン「離せぇええええ!!」

2人がかりでこちらを羽交い締めにする彼らを振り解こうともがく。
だが、彼らは離れなかった。

カバオくん「ぐふっ。もう限界なんだな。大人しく受け入れるんだな、メロンパンナたん!」

メロンパンナ「やめてぇぇええええ!?!!」

アンパンマン「待てカバオッ!?」

カバオが最後の一線を越えようとしている。
アンパンマンは渾身の力を込めて、拘束から逃れようとするが、かつての仲間は非情だった。

カレーパンマン「へへっ。大丈夫だって。カバオくんは早漏だから、すぐ済むさ」

しょくぱんまん「少しの辛抱です」

その物言いに、カッと頭に血がのぼる。

アンパンマン「どうしてあいつを止めないんだ!?こんなこと、許される筈がない!!」

その糾弾にも、彼らはどこ吹く風。

カレーパンマン「へっへっへっ。ところが許されるんだよなぁ……これが」

しょくぱんまん「ええ。カバオくんなら、許されるのです」

返ってきたのは、そんな暴論だった。

アンパンマン「どういうことだ!?」

改めて理由を問う。
何故彼らがカバオを庇うのか。
何故カバオの罪に目を瞑るのか。

その質問に、ようやく彼らは答えた。

カレーパンマン「どうしてって、なあ?」

しょくぱんまん「そうですね……カバオくんが『必要悪』だから、とでも、言っておきましょうか」

『必要悪』

ばいきんまんが去り際に遺したその言葉。

それが、答えだった。

困惑するアンパンマンに、彼らは語る。

カレーパンマン「なあ、アンパンマン。これまでのカバオくんの言動を、よぉーく思い出してみろ」

アンパンマン「……なんだって?」

しょくぱんまん「カバオくんはこれまで、いつも余計なことをして、世界を破滅させかけてきました。しかしそれは、必要なことなのです」

言われて気づく。そうだ。
カバオはいつだって余計なことをしてきた。
奴が事の発端だったケースは数知れない。
それは間違いない。

しかし……

アンパンマン「あいつの悪事が……『必要』だって?」

それだけが解せない。
本来ならば即座に処分するべき存在。
そんなカバオが、どうしてこれまで生き延び、そして『必要』なのか。

しょくぱんまん「私たちはいつだって『悪』と戦ってきました。つまり……」

カレーパンマン「倒すべき『悪』が、必要だってことよ」

その驚くべき真実にアンパンマンは驚愕した。

アンパンマン「……なら、ばいきんまんも、そうだってことか?」

しょくぱんまん「察しがいいですね」

カレーパンマン「その通りだ」

ばいきんまんが言っていたのは、これだ。
間違いない。
しかし、腑に落ちない点がある。

ばいきんまんを倒す為に、この2人は協力してくれていた。
それこそ、身を賭して、共に戦ってくれた。

『必要悪』のばいきんまんと、カバオくん。
それに対する対応の仕方が大きく違い過ぎる。
それは一体何故か?

思案を巡らせるアンパンマンに、彼らはニヤニヤ笑って種明かしをした。

しょくぱんまん「簡単なことですよ」

カレーパンマン「ばいきんまんは強いからな。全員でやらなきゃ、倒せねぇ。俺たちは言わば『バランサー』なのさ」

彼らは自らを『バランサー』と称した。
そしてそのバランスとやらを保つ為に、自分も存在しているのだとアンパンマンは理解した。
強いばいきんまんに対し、アンパンマンを含めた全員で挑む。それで均衡を保っているのだ。

もちろん、その中にはメロンパンナちゃんも含まれる筈で、詰まるところ彼女の役割は……

カバオくん「はあはあ……ようやく、外野が静かになったね、メロンパンナたん」

メロンパンナ「お願い……もう、離して」

カバオくん「何を言ってるだ!?これからが本番なんだな!ぐふふふふっ!!」

こうして、『悪』への生贄となることなのだ。
それが、紅一点としての彼女の役割。
理解した瞬間、吐き気がした。

こんなの、認めない。
『必要悪』だろうと、なんだろうと、こんなことは絶対に認められない。

たとえ、カバオを始末してでも、必ずメロンパンナを救い出す。

アンパンマン「頼む……拘束を解いてくれ」

決意を固めたアンパンマンは、こちらを拘束しているかつての仲間達に戒めを解くように懇願した。

カレーパンマン「だからよ、それはできねぇんだよ」

しょくぱんまん「私達があなたを解放したら、あなたはカバオくんを抹[ピーーー]るでしょう。それを見過ごすわけにはいきません。他ならぬ、この世界の為に、ね」

世界の為、ときたもんだ。
カバオごときに、大げさな。
そう思い、胡乱な目を向けると、邪魔者2人は揃って呆れた表情を浮かべ、嘆息した。

カレーパンマン「はぁ……どうやら大将は、カバオくんの役割を理解してないようだな」

アンパンマン「……あ?」

ため息混じりにそんなことをほざくカレーパンマンの吐息がカレー臭くて、心底イラついた。
こいつ、カレーの癖に礼儀がなってねぇ。

しょくぱんまん「仕方ありませんね。私から説明しましょう。カバオくんはトラブルメーカーだとさっき言いましたよね?」

アンパンマン「トラブルメーカーなのはわかってる。それで、それがどうしたんだ?」

この食パンならカレー臭くないので、少しは会話が出来るだろうと踏み、続きを促す。

しょくぱんまん「つまりですね……カバオくんがトラブルを起こし、それを私達が解決する。そうしてこの世界は成り立っているのですよ」

しょくぱんの話はにわかには信じがたい。
しかし、これまでの経験上、確かにそのようなケースが多々あるのは事実だ。
その度に、このカバ、何度やらかせば気が済むのだ、と思っていたが、どうやらそれがカバオの役割のようだ。
それを踏まえて、敢えて言おう……

アンパンマン「で?だから、なんだって?」

だから、メロンパンナが犯されるところを黙ってみてろって?冗談じゃない。
そんなこと、ありえない。

カレーパンマン「はっ!わかんねぇ奴だな。いいか、大将。カバオくんが居なくなったら、俺たちの物語は始まんねぇんだよ。だからこうして、たまに生贄をだな……」

こちらを鼻で笑い、講釈を垂れたカレー。
その中に、聞き捨てならない言葉が混ざっていた。

アンパンマン「たまに……だと?」

カレーパンマン「あっ……チッ!参ったな」

アンパンマンの指摘に、言葉を詰まらせたカレーは、すぐに開き直った。

カレーパンマン「ああそうだよ。何度か似たようなことがあった。メロンパンナは覚えてねぇがな」

アンパンマン「どういうことだ!?」

覚えていない?
そんなこと、あり得るのか?
こんな出来事、そうそう忘れる筈が……
アンパンマンがそのことを問いただす前に、食パンが割って入ってきた。

しょくぱんまん「そろそろ、時間切れです」

アンパンマン「ッ!?」

はっとして、メロンパンナの方に顔を向ける。
今まさに彼女はカバオの毒牙にかかろうとしていた。

カバオくん「ぐふっ!ぐふふふっ!観念するんだな!メロンパンナたん!!」

メロンパンナ「きゃあああああああ!!」

カバオの魔の手が、メロンパンナの下腹部へと伸ばされる。

駄目だ。
間に合わない!!

アンパンマン「メロンパンナちゃああん!?」

もう駄目だ。
メロンパンナは自らの破滅を悟った。

こんな……こんなのって。
あんまりだ。
仲間たちの目の前で、よりにもよってカバオに、これから自分は汚される。

もう、精も魂も尽き果てた。
身体から力が失われる。
助けは来ない。
誰も、自分を助けてはくれない。

そんな……そんなの。
悲しすぎて、悔しくて……

固く閉じた瞼から、涙が次々溢れ……

そして、絶叫した。

メロンパンナ「お姉ちゃぁあああん!!!!」

届く筈もないその叫びは、それでも妹を思う姉の元に、確かに届いた。

ロールパンナ「ロオオオrrrrラァアアア!!!」

カバオくん「ぐふぇっおふっ!?!??」

危機に陥った妹を救うべく、白いリボンをなびかせ、戦場に降り立った姉。
ロールパンナが、カバオを吹き飛ばした。

メロンパンナ「お姉ちゃんっ!?」

ロールパンナ「無事か!?メロンパンナ!!」

無様に転がり、のたうち回るカバオを捨て置き、愛する妹へと駆け寄る。

妹の姿は……酷いものだった。
カバオの糞尿に塗れたメロンパンナを、それでもロールパンナはしっかりと抱きとめた。

メロンパンナ「お姉ちゃん!お姉ちゃん!うわぁああああん!!」

ロールパンナ「メロンパンナ……どうしてこんなことに」

状況の把握はこの際後回しだ。
妹が辛い目に遭った。それだけで充分。
ロールパンナが戦う理由に事足りた。

キッと傍観者どもを睨みつける。
殺意を向けられたカレーパンマンが、最初に口を開いた。

カレーパンマン「おー怖い怖い。やっぱこうなるか。何度睨まれても、ちびりそうだぜ」

事ここに至っても飄々とした態度を崩すことはないカレーパンマンに、しょくぱんまんはふっと笑い、為すべきことを為すべく、動いた。

しょくぱんまん「です、ね。では、カレーパンマン。あとは手筈通りにお願いします」

カレーパンマン「へっ。がってんでい」

ロールパンナ「貴様ら……メロンパンナを見捨てておいて、ただで済むとは思うなよ?」

ロールパンナは泣き疲れて眠ってしまったメロンパンナをそっと地面に降ろし、死の宣告を継げた。

圧倒的な負のオーラが迸る。
怒りと、強い殺意が彼女の白いリボンを真っ黒に染めていた。

死神と化したロールパンナを尻目に、しょくぱんまんは場をとりなすように手を打つ。

しょくぱんまん「メロンパンナを辛い目に遭わせたことは謝ります。その代わりと言ってはなんですが、後始末はこちらで引き受けましょう」

カレーパンマン「あばよっ!」

言うや否や、いつの間にか背後に回っていたカレーパンマンがカバオを連れ去り、逃亡した。

ロールパンナ「逃すかっ!!」

しょくぱんまん「お待ちください。我々は今、メロンパンナの為に行動しているのです」

慌てて後を追おうとするものの、しょくぱんまんの一言でその場に留まらざるを得ない。
そしてこれまで静観していたアンパンマンも、その一言には戸惑い、口を挟まずにはいられなかった。

アンパンマン「どういう風の吹き回しだ?」

アンパンマンとロールパンナ、双方から疑惑の目を向けられ、しょくぱんまんは淡々と説明をした。

しょくぱんまん「メロンパンナを守るべくカレーパンマンは今、カバオくんを『バイキン城』へと移送中です」

ロールパンナ「ほう?」

アンパンマン「バイキン城だって!?」

目を細めるロールパンナと、目を見開くアンパンマン。

『バイキン城』とはその名の通り、ばいきんまんの居城である。
どうしてそんなところにカバオを?

ロールパンナは何か察したようだが、アンパンマンにはさっぱりわからない。

しょくぱんまん「バイキン城にはドキンちゃんが居ます。こうなることを見越して、事前に私から彼女に『お願い』をしていたのですよ」

ロールパンナ「なるほどな」

何かを察していたロールパンナは、それで得心がいったようだ。
しかし、アンパンマンにはまだ理解出来ない。

しょくぱんまん「こう言えばわかりますか?ドキンちゃんがカバオくんの欲情を発散させてくれている、と。もちろん、『手』で、ですけどね」

そこまで言われてようやく納得した。
そしてしょくぱんまんの下衆さに閉口する。

ドキンちゃんは彼を慕っていた。
敵とは言え、そんな彼女にそのような役目を負わせるとは……
しょくぱんまんは、腐っていた。

しょくぱんまん「おや、心外ですねぇ。そんな顔をしないでください。もちろん、全てが終わったらドキンちゃんに見返りを与えますよ。他ならぬ……私自身の身体で、ね」

自らの身体で代償を払うと言うしょくぱんまんは、一見すると誠実であるが、その在り方は断じて認めることは出来なかった。

これを認めたら、正義ではなくなる。
そんな確信があった。

無言で拳を振るう。
だが、その拳が食パンをぶち抜くことはない。
止めたのは、意外な人物だった。

ロールパンナ「何もせずに憤ることしか出来ないお前よりは、この下衆の方が余程マシだ」

蔑むようなロールパンナの視線。
それが、アンパンマンの戦意を奪った。

アンパンマン「……すまない」

膝を折り、こうべを垂れる。
アンパンマンは謝ることしか出来なかった。

ロールパンナ「ロオオオラァアア!!」

アンパンマン「ぐっ!?……ッ……ぅぁ」

漆黒に染まったリボンでしたたかに打ち据えられ、数メートル吹っ飛ばされたアンパンマンは、受け身を取る事も出来ず、地面に転がる。

起き上がる気力はない。

しょくぱんまん「ぐはっ!?」

数秒遅れて、しょくぱんまんも転がってきた。
彼もロールパンナの断罪を受け入れたようで、そのまま起き上がる気配はなかった。

そんな彼らを見下し、ロールパンナはそれっきり興味を失ったかのように、黒い怨嗟の炎を靡かせて飛び去った。

恐らく、バイキン城に向かったのだろう。
罪人である、カレーパンマンと、そしてカバオにトドメを刺すべく。

それがわかっていても、後を追う気はない。
それが当然の報いだから。

どのくらいその場に寝転んでいただろう。
気がつくと、雨が降っていて、すっかり顔がふやけてしまった。

アンパンマン「うぅ……あ?」

力が入らない身体に鞭を打ち、隣に目を向けると、しょくぱんまんの姿がない。
恐らく、また為すべきこととやらを為すべく、何処かに向かったのだろう。
しかし、もはやどうでもいい。

こちらの邪魔をした、しょくぱんまんとカレーパンマンを恨まないと言えば、嘘になる。
だが、彼らとて世界を守るべく行動していた。
その手法は到底容認出来るものではないが、世界の救い方に口を出す程、おこがましいことはないだろう。

自分が何よりも正しいと信じることが、如何に傲慢であるか、アンパンマンはその身をもって思い知ったのだった。

アンパンマン「ぐっ……ぢぎじょう……!」

己の不甲斐なさに腹が立つ。
次から次へと涙が溢れ、雨でふやけた顔をさらにふやかしていく。

ぐちゃぐちゃになったアンパンマンは、ふと、雨がやんだことに気づいた。
薄っすらと目を開けると、そこには……

ジャムおじさん「迎えに来たよ。アンパンマン」

大きな傘をさした、ジャムおじさんがいた。

その頃。

雷鳴鳴り響く、荒れ果てた岩山の頂上にて。

その断崖絶壁の上には、奇妙なデザインの建造物が鎮座している。
建物の名は、『バイキン城』。
言わずもがな、ばいきんまんの居城である。

その一室に、激しい殴打の音と、呻き声が響き渡った。

ロールパンナ「ラァッ!!」

カレーパンマン「ぐあっ!?」

床に転がるカレーパンマン。
彼をぶっ飛ばしたのはもちろん……彼女だ。

ロールパンナ「……立て」

口の端からカレーを零して呻くカレーパンマンを見下ろし、ロールパンナは静かな怒りを燃やしていた。
何度も殴っても気が済まない。
ふと視線を巡らせると、漆黒のリボンの端がカレーで汚れてることに気づき、苛つく。

激情に任せて再びリボンを振り上げ、それを打ち付ける……その間際。

ガチャリと扉が開き、薄汚い何かが、室内に放り込まれた。

カバオくん「ぐべっ!?……ぐふふっ……あへ」

気色の悪い声と、鼻が曲がるような臭気を発するそれは、汚物に塗れたカバオだった。

ロールパンナ「ッ!?」

その存在を視界に収めた瞬間、怒りで目の前が真っ赤に染まった。

ロールパンナ「ロオラァア!ラァッ!ラァッ!ラァ!ラァアアアァアッッ!!」

カバオくん「ぐへっ!うひっ!?んあっ!あひっ!?」

打つ、打つ、打つ、打つ!!
何度も何度も、リボンを打ち付ける。

ロールパンナ「チッ!」

そのうちもどかしくなり、ミミズ腫れだらけになった汚物の息の根を止めるべく、足を振り上げ、踏み潰そうとした……その時。

ばいきんまん「ギャハハッ!……そのへんにしておけ、ロールパンナ」

耳触りな笑い声と共に、この城の主人……

ばいきんまんが、現れた。

ロールパンナ「……この私に、指図するな」

ドキンちゃん「あら、なぁに?その言い草。こっわ~い」

ギロリとばいきんまんを睨みつけると、奴の背後からそんな文句が上がった。
クスクスと不快な笑い声を漏らすドキンちゃんに殺意を向ける。

ロールパンナ「死にたいのか?」

ドキンちゃん「ふんっ。八つ当たりしないでよね!」

ロールパンナの脅しに、ドキンちゃんはべぇーっと舌を出して挑発した。
そんな剣呑な雰囲気に、慌ててばいきんまんが割って入る。

ばいきんまん「まあまあ、ロールパンナ。ドキンちゃんはお前の妹の為に一肌脱いでくれたんだ。あまり物騒なことを言ってやるな」

そう言われ、渋々ロールパンナは引き下がる。
そして、ばいきんまんの諭すような口調で幾分か冷静さを取り戻した。

そもそも、ドキンちゃんには何も恨みはない。
むしろ、妹の身がわりになってくれた彼女に、自分は感謝すべきだろう。
そう思い直し、礼を述べようとしたら……

ドキンちゃん「ふんっ!別に、あんたの妹の為にやったわけじゃないわよ。あたしはただ、しょくぱんまん様のお願いを聞いただけ。だから、勘違いしないでよねっ!!」

それだけ言い残し、ドキンちゃんは退室した。
ロールパンナはその後ろ姿にせめてもの感謝を込めて黙礼し、見送ったのだった。

ばいきんまん「それで、気は済んだのか?」

ドキンちゃんが立ち去った後、ややあって顔を上げたロールパンナにばいきんまんが尋ねる。

気が済む筈もない。
大事な妹を毒牙にかけようとしたのだ。
何度痛めつけても気が晴れることはない。

恐らく、きっと……
この怒りは、罪人の命を奪ったとしても、消えることはないだろう。

そう考えると、今自分がしていることが、急に空虚に感じられた。

こいつらを始末したところで、何も残らない。
怒りをぶつける相手が[ピーーー]ば、自分のこの怒りはどこに向かうのだろう。

それを考えると、漠然とした恐怖を覚えた。

ばいきんまん「ロールパンナ、お前に一つ、いいことを教えてやろう」

茫然と立ち竦むロールパンナに、ばいきんまんが猫なで声で囁いた。
怪しい。危険だ。
警戒すべきだと頭ではわかっていても、その言葉に釣られ、尋ね返すことしか出来なかった。

ロールパンナ「……なんだ?」

ばいきんまん「お前の倒すべき『真の敵』を、教えてやろう」

そう嘯き、ギャハハッ!と嗤う、悪の化身。

ロールパンナと、ばいきんまんの視線が交差した。

ロールパンナ「『真の敵』……だと?」

ばいきんまんを見据え、その意図を伺う。
すると彼はふっと視線を逸らし、床に寝転がる罪人どもに歩み寄った。

ばいきんまん「その前に。もうこいつらに用がないのなら、移動させて構わないか?」

ロールパンナ「……好きにしろ」

主犯格の存在が明らかになった今、裏切り者のカレーと、実行犯であるカバオに興味はない。
その返答に、ばいきんまんは満足気に頷き、改めてロールパンナに向き合う。

ばいきんまん「それと、もう一つ」

ロールパンナ「まだ何かあるのか?」

ばいきんまんの焦らすような態度に、苛立ちも隠さずにロールパンナは聞き返す。
すると彼はにやりと意地の悪い笑みを浮かべ、本命の交渉条件を提示した。

ばいきんまん「主犯格が誰かを教える代わりに……俺様のものになれ!ロールパンナ!!」

その要求にロールパンナは目を見開き、ばいきんまんはギャハハッ!と哄笑した。

要求の意図がわからず、困惑する。

よもや、この私を欲しがる物好きがいるとは。

不意に視線を下げると、真っ黒に染まったリボンが視界に入る。
その端々は、カレーとカバオの汚物で汚れていて、お世辞にも清潔とは言えない。

私は……汚れている。
怒りに身を任せ、復讐者となり、罪人どもを滅多打ちにした。

その中には、しょくぱんまんと……そして、アンパンマンも含まれている。

再び彼らと肩を並べることは望めまい。
もちろん……
彼らの仲間である、メロンパンナとも。

私は、孤独だ。

そんな自分を欲しいと。
そう、ばいきんまんは言った。

そして、その要求を飲めば……
『主犯格』が誰かを、教えるとも。

ロールパンナの中で、ばいきんまんは自己を保つ為の支えとなっていた。

逡巡は一瞬。
返答を口にする。

ロールパンナ「……わかった。ばいきんまん……私は、お前のものとなろう」

ばいきんまん「ギャハハッ!結構!実に結構だ!!ギャハハハハハッ!!」

高らかな笑みと共に、ばいきんまんはロールパンナの肩を抱き寄せる。

彼の手のひらは、意外にも温かかった。
もっと冷たいものとばかり思っていたので、その温もりに、つい心を許してしまった。

そんな自分に、自分で驚く。
認めたくないが、どうやら私は……
こうして、誰かに寄り掛かりたかったようだ。

そんな従順なロールパンナに、ばいきんまんも目を丸くして驚いた。

ばいきんまん「なんだ、てっきり払いのけられると思っていたが……随分素直だな。どうだ、ホラーマン。お前もそう思うだろう?」

ホラーマン「羨ましいですなぁ、私もあやかりたいですなぁ、ホラーですなぁ」

ロールパンナ「なっ!?」

いつの間にか背後に控えていたホラーマンに、ロールパンナはぎょっとする。
主人であるばいきんまんに同調して、頭蓋骨をカラカラ鳴らして笑う様は、まさにホラーだ。

ばいきんまん「余計なことは言わなくていい!それより、仕事だ。床に転がっているゴミどもを掃除しておけ」

悪ノリしたホラーマンを一喝し、床のゴミ……カレーパンマンとカバオを片付けるように、ばいきんまんは命じた。

ホラーマン「御意に。ホラ~!お前たち、出番ですよ!」

恭しく一礼したホラーマンは、パチンと指の骨を打ち鳴らし、ばいきんまんのしもべである、『かびるんるん』を呼び寄せた。

わさわさと群れを成す色とりどりのカビが、瞬く間にカレーパンマンとカバオを取り囲み、彼らを持ち上げ、床に残る汚物を喰らい尽くす。

ホラーマン「それではどうぞ、ごゆっくり」

ホラーマンが先導してカレーパンマンとカバオを何処かへと運び去った。
床はすっかり綺麗になっていた。

ばいきんまん「ギャハハッ!これで綺麗になったな。こう見えても俺様は綺麗好きなんだ。何せ、汚いものはぜぇ~んぶ、俺様のしもべどもが食っちまうからな!ギャハハハハッ!!」

ロールパンナ「そんなことはどうでもいい。さっさと主犯格が誰なのか教えろ」

部下の自慢話なんぞを聞くために、私はお前のものになったわけではない。
そう視線に込めて、ジロリと睨む。

すると、ばいきんまんは口角を釣り上げ、心底愉快そうに、口を開いた。

ばいきんまん「主犯格の名は……」

悪の化身の口から告げられる、

その意外な人物の名に、

ロールパンナは驚愕した。

時を同じくして。

アンパンマン「うう、ん……ここは……?」

アンパンマンが目を覚ますと、そこには見慣れた天井が広がっていた。
しばらく呆然としていると、不意に焼きたてのパンの香りが鼻腔をつく。
どうやら、いつの間にか気を失っていた自分は、パン工場へと担ぎ込まれたようだ。

ジャムおじさんが運んでくれたのだろう。
とりあえず、お礼を言わなくては。

身を起こそうとすると……身体が重い。
きっと水分をたっぷりと吸った頭が原因だ。
そのおかげで力も出ない。

なんとか上半身だけ起こし、室内を見渡す。
すると、すぐそばにメロンパンナがいた。

メロンパンナ「くぅ……くぅ……」

アンパンマン「ッ!?」

寝息を立てて眠っている彼女の姿を見た瞬間、ぼんやりとしていた意識が鮮明になる。
それに伴い、彼女の身に降りかかった目を覆いたくなるような惨状がフラッシュバックして、慌てて声をかけた。

アンパンマン「メロンパンナちゃん!?」

メロンパンナ「ん……むにゃむにゃ……くぅ」

アンパンマン「メロンパンナ、ちゃん……?」

肩を揺すっても起きる気配はない。
そんな彼女に、違和感を覚える。

あんな目に遭って、こうも穏やかに熟睡出来るものだろうか。
何事もなかったようにスヤスヤと眠るメロンパンナは、まるで先ほどの惨状を覚えていないかのように見え、不可解だった。

アンパンマン「そう言えば、カレーパンマンが気になることを言ってたな……」

奴は言った。
何度か似たようなことがあった、と。
そして、それをメロンパンナは覚えていないとも、言っていた。
今の彼女の様子は、まさにそれに当てはまる。

……嫌な予感がする。
アンパンマンが言い知れない焦燥感を覚えた、その時。

ジャムおじさん「おや、目が覚めたのかい?気分はどうだね、アンパンマン」

ガチャリとドアが開き……

ジャムおじさんが、現れた。

アンパンマン「ジャムおじさん……」

ジャムおじさん「ん?どうかしたのかね」

運んでくれたお礼は、ひとまず置いておこう。
それよりも、にこやかな笑みを顔に貼り付けるジャムおじさんを不審に思い、尋ねる。

アンパンマン「……メロンパンナちゃんに、何をしたんですか?」

ジャムおじさん「はて?なんのことやら……」

ジャムおじさんは、一瞬惚けたような表情を浮かべて、何やら誤魔化そうとした。
しかし、そうはさせない。

アンパンマン「とぼけないでください」

強い疑惑の視線を向け続ける。
すると、彼は表情を消して、こちらに語りかけてきた。

ジャムおじさん「アンパンマン……時には、辛いことは忘れてしまった方が良い場合もある。全ては、メロンパンナちゃんのことを思ってしたことなんだよ」

ジャムおじさんによると、彼はアンパンマンたちの顔を取り替える際、記憶を操作することが出来るらしい。
ヒーローとして、様々な窮地に立たされる我々を慮っての処置だと、そのように説明した。

カレーパンマンが言っていたのは、このことだったようだ。
奇妙な記憶の食い違いの理由が明らかとなり、その真相に、合点がいった。

ジャムおじさん「わかって、くれるね?」

合点はいったが……
しかし、納得は出来ない。

アンパンマン「こんなこと、間違ってます。あとで記憶を消すことが出来るからって、辛い目に遭わせて良いなんてことはない!」

強い口調で訴えると、ジャムおじさんは悲しげな表情を浮かべて、やれやれと首を振り……

ジャムおじさん「わかってくれないのなら、仕方がない。もともと、わかって貰おうなんて、さらさら思っちゃいないからね。……どうせすぐ、忘れてしまうのだから」

初めて聞くその冷たい口調に、ぞっとして、反射的に身をよじらせると、寝かせられていた台から転がり落ちた。

アンパンマン「くっ……!」

したたかに床に背を打ちつけ、悶絶する。
涙目になりながら自分の寝ていた台を仰ぎ見ると、そこにはいつの間にか背後に回っていた、バタコさんの姿があった。

バタコさん「チッ!気づかれたっ!」

こちらを見下ろして、苛立たしげに舌打ちする彼女は……

『新しい顔』を、抱えていた。

アンパンマン「くそっ!」

這々の体で床を這い回り、なんとか部屋の窓に辿り着くと、ガラスをぶち破って、外へと脱出した。
未だ降り止まぬ豪雨の中、衰弱した身体に懸命に力を込め、空を飛んで逃げる。

ジャムおじさん「絶対に逃すな!!」

バタコさん「くっ!このっ!ちょこまかと!往生際の悪い!!」

すぐそばに、次々と『新しい顔』が飛来する。
それを懸命に避けながら、ただひたすらにパン工場から離れた。
幸いにも、ジャムおじさんの飼い犬である『めいけんチーズ』はどうやら留守のようで、追跡される心配はなさそうだ。

ジャムおじさん「馬鹿がっ!!逃げられると思うなよ!?生みの親に楯突いたことを、必ず後悔させてやるからな!!」

ジャムおじさんの怒号と罵声が響き渡る。
去り際に見た彼の表情は、遠く離れていてもわかるほど、怒りに真っ赤に染まっていて……

それで、アンパンマンは悟った。

自分が知るジャムおじさんはもう居ない、と。

土砂降りの中を彷徨う。
行く当てなど、なかった。

ジャムおじさんと敵対した今、アンパンマンは帰るべき場所を失ったのだ。

アンパンマン「ちくしょうっ……!」

信じていた人に裏切られた。
その事実が、アンパンマンの胸に突き刺さる。
ただただ、悲しかった。

アンパンマン「ちくしょう……!ぐすっ……ちくしょう……!」

降りしきる雨に、大粒の涙が混じり、ろくに前も見えやしない。
それでも、おぼつかない姿勢で飛行を続けた。
認めたくない現実から、逃げるように。

しばらくそのまま飛び続けると、いつの間にか深い森の上空まで来ていた。
涙はとうに枯れ、途方に暮れていると……

アンパンマン「……ん?……あれは……?」

そこで、不審な人影を見つけた。
目深にフードを被り、大きな荷物を背負うその人影が気になり、アンパンマンは気づかれないように大きく迂回して、進路に先回りすることにした。

木陰に身を隠し、息を潜めて、その人影が通りかかるのを待つ。

すると、ややあって荷物を背負った怪しい人物が現れた。体格から察するに男だろう。
間違いない。上空から目撃したのはこいつだ。

目を凝らして動向を伺う。
すると、わんわん!と犬の鳴き声が響いた。

アンパンマン「くっ……不味いっ!」

くそっ!まさか犬を連れていたとは!

慌てて逃走しようかと思ったが、後の祭りだ。
今更逃げ出しても、逃げ切れないだろう。
気づかれたと確信しつつ、相手の出方を伺う。

荷物を背負った男は、犬の吠えた方向、つまりこちらをじっと見据えていた。

背に冷や汗が伝う。
自分の鼓動が、やけに大きく感じられた。
いっそのこと、こっちから打って出るべきかと、そう思った矢先。

不意に、奴は視線を逸らした。

ほっと息をつくのもつかの間、目深に被ったフードから覗いた、その『白い』口元に、見知ったいやらしい笑みが見て取れて……確信した。

怪しい人物の正体は、しょくぱんまんだと。

こいつがしょくぱんまんだとすれば、先ほど吠えた犬は『めいけんチーズ』に違いない。
そしてチーズがこちらの匂いをわからない筈はない。奴もこっちの正体に気づいただろう。

それでもしょくぱんまんは、まるで気にも留めていないかのように、歩を進めた。
まるでアンパンマンを誘うかのように。

恐らく、罠だろう。
経験則からそう判断した。

だが、どうせ他に行く当てもないのだ。
それならば、怪しい行動をしている彼の後を追った方が、気も紛れる。

アンパンマン「もう、どうにでもなれ」

半ば自暴自棄になって、考えるのをやめた。

全てが誰かの陰謀であり、彼がこれから諸悪の根源に接触し、それを自分が倒す。
そんな空想めいた希望に縋るように、アンパンマンはしょくぱんまんを追跡した。

しばらく歩くと、拓けた場所に出た。

辺りを見渡すと、雷鳴が響き、目の前の建造物の奇妙なシルエットを浮かび上がらせる。

その特徴的なデザインを見て、気づく。

ここが、悪の根城……『バイキン城』だと。

ホラーマン「お待ちしておりました」

城の入り口の前に、ホラーマンが立っていて、来訪者を迎えた。
しょくぱんまんは、背負っていた荷物を降ろし、口を開いた。

しょくぱんまん「遅くなってしまい申し訳ありません。何せこの雨でしょう?私はどこぞのお馬鹿さんのようにびしょ濡れになるのは気が引けたものでして、ね」

癪に障ることを白々しく言い放ち、奴はアンパンマンが潜む木陰に視線を向けた。
それだけでホラーマンは察した様子で、なるほどなるほどと、頷いた。

しかし、アンパンマンが潜んでいるとわかっても、警戒する素ぶりはない。
そのまま何事もなかったように、話題は本題に移った。

しょくぱんまん「約束の物です」

しょくぱんまんは大きな荷物を包んでいた袋の口を広げ、その中身をホラーマンに見せた。
そして中に入っていたそれを背後から盗み見て、アンパンマンは目を見開いた。

それは、廃棄された『自分の顔』だった。

ホラーマン「はいはい……確かに。それでは、こちらもお渡ししましょう。ホラ~!お前たち!彼らをこちらに運びなさい!!」

中身を確認した後、ホラーマンが背後に控えていた『かびるんるん』に号令をかける。
カビ達が運んで来たのは……

ボロ雑巾のようになった、

カレーパンマンとカバオだった。

そしてそれを、荷物と引き換えに引き渡した。

しょくぱんまん「お手数をおかけしましたね」

ホラーマン「いえいえ、お互い様ですから」

取り引きを終えた彼らは、和やかに握手を交わし、互いの労を労っていた。
その様子から見ても、今回のようなやり取りがそれなりの頻度で行われていたことは、想像に難くない。

しかし、まさか……
廃棄された物とは言え、自分の顔が取り引きに使われていたとは。

いったい何に使うつもりなのか?
それだけが、気掛かりだった。

しょくぱんまん「それではそろそろ帰ります」

ホラーマン「おや、寄っていかないのですか?ドキンちゃんが首を長くしてお待ちですよ」

いとまを告げるしょくぱんまんを、ホラーマンが引き止める。
すると、しょくぱんまんは苦笑して……

しょくぱんまん「まだ仕事がありますので、一度パン工場へ戻ります。……ちなみに、ドキンちゃんの様子は?」

ホラーマン「ご心配なさらずに。今回はばいきんまん様が『特製のグローブ』を用意してくれたこともあり、つつがなく済みました」

その報告に、しょくぱんまんはほっと安堵した表情を浮かべた。
そして深々と頭を下げる。

しょくぱんまん「ご配慮、感謝しますと、お伝え下さい。そしてホラーマン……あなたにも、感謝します」

それを受け、ホラーマンは面食らった様子で慌てふためいた。

ホラーマン「突然、どうされました?」

しょくぱんまん「あなたが身を呈してドキンちゃんを庇ったことは、その匂いでわかりますよ。カバオくんのは、強烈ですから」

そう言って、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべるしょくぱんまん。
それだけで、何がどのように強烈なのかが伺い知れた。

ホラーマン「生身の肉につくよりは、この骨身に染みた方が幾分マシかと思いまして」

そう嘯いて、ホラーマンはカタカタ笑う。
そんな彼にしょくぱんまんは改めて頭を下げ、礼を述べる。

しょくぱんまん「重ね重ね、感謝を。それではもう行きます。ドキンちゃんには、今しばらく待つようにお伝え下さい。……それほど、待つことはないと思いますので」

ホラーマン「それはそれは……怖いですねぇ、ホラーですねぇ。どうか、お気をつけて」

恭しく礼を返し、ホラーマンはカレーパンマンとカバオを担ぐしょくぱんまんを見送る。
そうしてしばらくして、彼らの姿が見えなくなったあと、城の中へと入っていった。

そして、一部始終を見届けたアンパンマンも、ホラーマンの後を追って……

『バイキン城』へと、潜入したのだった。

城内に入ると、中は真っ暗だった。
警戒しつつ、手探りで進む。
バイキン城は静寂に満ちていて、吹きつける雨風の音が酷く恐ろしく感じた。

怖い。
心身ともに衰弱し切っているアンパンマンは、かつてない程の恐怖心に苛まれていた。
足が竦み、手が震える。

それでも、立ち止まるわけにはいかない。
敵が何処に潜んでいるかわからないのだ。

なけなしの勇気を振り絞り、前進する。
と、その時。

ピシャン!

雷鳴が轟き、雷光で城内が照らし出される。
すると、そこには……

ホラーマン「ようこそ、バイキン城へ」

ホラーマンが立っていた。

しかも、目の前に。

アンパンマン「ッ!?」

声にならない叫びが漏れた。
洒落にならないくらいびっくりした。

心臓に悪すぎる登場の仕方に、アンパンマンは少し漏らしてしまった。

そんなリアクションにホラーマンは満足げに頷き、頭蓋骨を揺らしてカタカタ嗤う。

ホラーマン「怖かったでしょう?怖いですねぇ、ホラーですねぇ。それでは、ご案内致します。どうぞ、はぐれないようにお気をつけて」

優雅に一礼し、ホラーマンは持っていた燭台に火を灯した。
そして、先導するように城内を進んでいく。

どうやら自分は招かれるべくして、ここに来てしまったようだ。
敵の術中にまんまと嵌った格好だ。

だが、今更逃げ帰るわけにもいかない。
帰る場所など、もはやないのだから。

ごくりと生唾を飲み込み、アンパンマンはガクガクと足を震わせながら、ホラーマンの後に続いたのだった。

ホラーマン「こちらです」

城の中を進むと、ホラーマンは大きな扉の前で立ち止まり、中に入るように促した。
言われた通り、扉を開けて、中に入る。

ホラーマン「それではどうぞ、ごゆっくり」

それだけ言い残して、ホラーマンは扉を閉め、立ち去った。

足元もおぼつかないほど薄暗い室内。
しかし、気配は感じられる。
生者でないホラーマンにはない、微かな息遣いを聞き取り、アンパンマンは警戒心を強める。

そこでまた雷鳴が響き、室内が雷光によって照らされた。

そこに立っていたのは……

ロールパンナ「待ちかねたぞ、アンパンマン」

漆黒のリボンを身に纏ったロールパンナが、こちらを見据えていた。

不味いっ!
アンパンマンは身の危険を感じて、その場から離れようとした。
しかし……

ロールパンナ「遅いっ!」

アンパンマン「くっ!?」

ロールパンナの漆黒のリボンが、アンパンマンを捕らえる方が早かった。
がんじ絡めに縛られ、アンパンマンは受け身も取れずに床に転がる。

先ほど漏らした股間の湿り気が酷く不快だ。
そして、情けない。いろんな意味で。
こうもあっさりと捕まってしまったことに、なんとも惨めな気持ちになり、堪らず喚く。

アンパンマン「僕をどうするつもりだ!!」

憐れむような目でこちらを見下ろしていたロールパンナは、ふんっと鼻を鳴らして……

ロールパンナ「別にどうもするつもりはない。黙って寝てろ」

それで済んだと言わんばかりに、ロールパンナは腕を組み、再び待ちの姿勢を取った。
そんな彼女の態度と物言いに、アンパンマンが困惑していると……

『ギャーハッハッハッハッ!!』

聞き慣れた、酷く耳触りな笑い声が響き渡る。

視線を上げると……

ばいきんまん「はっひふっへほー!!」

床よりも一段高い位置に置かれた玉座から、

ばいきんまんがこちらを見下ろしていた。

ばいきんまん「よく来たな、アンパンマン!歓迎するぞ。ギャハハハハッ!!」

アンパンマン「ばいきんまん……!やっぱりお前が黒幕だったのか!!」

ついに現れた宿敵。
アンパンマンは彼が黒幕だと信じて疑っていなかった。

そうさ。これまでもずっとそうだった。
今回もきっと、こいつが全部悪いんだ。
そう、自分に言い聞かせる。

しかし、現実は残酷だった。

ロールパンナ「……チッ。無知蒙昧は黙ってろ。不愉快だ」

心底忌々しげにロールパンナが吐き捨てた。

アンパンマン「……は?」

無知蒙昧と言われたアンパンマンは、何のことかわからず、固まる。

ばいきんまん「ギャハハッ!期待に添えなくて悪いが、今回は俺様が仕組んだわけじゃない」

アンパンマン「何を……言ってるんだ……?」

ばいきんまんの言ってることが、アンパンマンには理解出来ない。
いや、理解したくなかった。
だって、そんなのおかしいじゃないか。

こいつが、
この悪の化身が、
黒幕じゃないのなら……

それじゃあ、いったい誰が?

ばいきんまん「主犯格が誰か……もうお前も気づいているだろう?なあ、アンパンマン」

ばいきんまんの猫なで声が、アンパンマンの思考を引き戻す。

都合の良い空想から、

認めたくない現実へと。

アンパンマン「そ、そんなの……嘘だッ!!」

ばいきんまん「ギャハハッ!残念ながら、嘘じゃない。その証拠に、そろそろ現れる筈だ」

何が?と聞く前に、

ズズン!

部屋の壁に衝撃が走った。
そして、ガラガラと壁面が崩れる。

アンパンマン「なっ!?ゲホッ!ゲホッ!」

ロールパンナ「……来たか」

辺りにもうもうと立ち込める埃にアンパンマンはむせて、それを尻目にロールパンナは臨戦態勢に入った。

ばいきんまん「まんまと餌に釣られたようだな。しかし、それにしても俺様の城を壊すとは……良い度胸じゃないか」

悠然と玉座に腰を下ろしたまま、ばいきんまんは目を細めて侵入者を迎えた。

壁を突き破り、けたたましいエンジン音を響かせて室内へと入ってきたそれは……

アンパンマンの顔を模した装甲車。

『アンパンマン号』だった。

アンパンマン号は、車体前部に備え付けられた鉄球で壁を突き破ったらしい。
アンパンマンの鼻を模したそれの威力を、改めて思い知らされた。

すっかり闇に慣れた目に、煌々と輝くヘッドライトが酷く眩しく感じられる。
アンパンマンの目を模したそのライトから堪らず目を逸らすと、車体上部のハッチが開き、中から搭乗員が降り立った気配を感じた。

逆光となったヘッドライトを背にして、その中の1人がこちらに歩み寄る。

ジャムおじさん「やあやあ……どうも。手間をかけさせてしまったようだね、ばいきんまん」

朗らかな笑みを浮かべて、手もみをしながら寄って来たのは……

ジャムおじさんだった。

アンパンマン「ジャム、おじさん……?そんな、それじゃあ……本当に、あなたが?」

悪夢が現実となった気持ちで、まるでうわ言のようにジャムおじさんに尋ねる。
だが、彼はこちらをちらりとも見ずに、ばいきんまんへと媚びへつらった。

ジャムおじさん「いやあ、こちらの不手際でご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ない。すぐに回収して修正を……」

ばいきんまん「いや、それには及ばん」

へこへこ頭を下げるジャムおじさんを、ばいきんまんが手で制して、言葉を続けた。

ばいきんまん「アンパンマン。見ての通り、今回の主犯格はこいつだ。これでわかっただろう?お前は裏切られたんだよ。他ならぬ、生みの親に、な」

ばいきんまんの言葉が、心に刺さる。

ああ、わかっていたさ。
ジャムおじさんに追われ、罵声を浴びせられたあの時に、気づいていた。

全ての元凶。

首謀者が……ジャムおじさんだと。

ばいきんまん「さて、ここで俺様から一つ提案がある」

絶望の淵に沈むアンパンマンに、ばいきんまんが語りかける。
普段ならば耳を貸すことはない。
しかし、極限まで弱り切った今のアンパンマンは、顔を上げ、その提案とやらに耳を傾けた。

そしてばいきんまんは……

ばいきんまん「俺様の配下になれ、アンパンマン。さすれば、ジャムの奴を屠ることも出来ようぞ。ギャーハッハッハッハッ!!」

驚くべきことを口にした。

アンパンマン「お前の……配下に?」

耳を歌う。
自分が、この悪の化身の配下に?
悪の軍門に下るって?冗談じゃない。
そんなこと、出来るわけ……

しかし、拒絶の言葉が口から出てこない。

何度か口を開いたり閉じたりを繰り返すアンパンマンを、ばいきんまんはさも愉快そうに眺め、ギャハハハハッ!と、哄笑を上げる。

ジャムおじさん「……やれやれ。それは話がちょっと違いますな。こちらとしても、黙って見過ごすわけにはいかない」

そんな、今にも悪の手に堕ちそうなアンパンマンを見かねて、ジャムおじさんが間に割って入ってきた。

ばいきんまん「俺様はいつだって自分の好きなように行動する。邪魔をするな」

玉座からジャムおじさんに睨みを利かせ、苛立たしげに舌打ちをするばいきんまん。
それを受けて、ジャムおじさんは肩を竦ませ、大きなため息を一つ吐く。

ジャムおじさん「この手は使いたくなかったが……仕方ない。まったく!こうも馬鹿が多いとは思わなかった!!」

とうとうジャムおじさんが本性を現した。
彼が片手を上げると、背後に控えていた搭乗員2名が前に進み出てくる。

カレーパンマン「復活したと思ったら、まーた汚れ仕事かよ。やんなっちまうな」

しょくぱんまん「です、ね」

搭乗員たちの正体は、やはりと言うべきか、カレーパンマンと、しょくぱんまんだった。

愚痴りながら、それぞれ何やら大きな荷物を担いでくる。
それを見てアンパンマンの脳裏にしょくぱんまんとホラーマンのやりとりが呼び起こされた。

まさか、また自分の顔を取り引きに使うつもりだろうかと、訝しんでいると……

ジャムおじさん「さあ、これを見てまだ、この私に刃向かおうなどと思えるかな?」

カレーパンマンとしょくぱんまんが袋の中身を露わにする。

中に入っていたのは……

メロンパンナと、カバオだった。

ロールパンナ「貴様ッ!!」

妹の姿を目にして、これまで静観していたロールパンナが怒気を露わにする。
彼女が怒るのも無理はない。

メロンパンナは眠らされているようで、ぐったりと意識がなく、しかも全裸に剥かれていた。

妹のあられもない姿を衆目に晒され、ロールパンナは怒り狂う。

ロールパンナ「生きて帰れると思うなよっ!!」

ジャムおじさん「動くな。妹がどうなってもいいのか?」

ジャムおじさんの言葉に、今にも飛びかかりそうな勢いだったロールパンナは立ち竦んだ。

改めて状況を確認する。
全裸に剥かれ、未成熟な身体を横たえるメロンパンナのすぐ隣には……

同じく全裸に剥かれ、汚らしい裸体を晒した、カバオの姿があった。

ジャムおじさん「お前ら、カバオを起こせ」

カレーパンマン「マジかよ……」

しょくぱんまん「本当にやるんですか?」

ジャムおじさん「いいから言うことを聞け!私に刃向かったらどうなるか、お前らはよく知っているだろう!?」

ジャムおじさんの命令に難色を示す2人。
そんな彼らを、恫喝するジャムおじさん。
彼らはそれぞれ弱みを握られていた。

しょくぱんまんはドキンちゃんを。
今回カバオの性処理にドキンちゃんが使われたのも、見せしめの一環であった。
命令に背けば、次は『手』だけでは済まないかも知れない。

カレーパンマンは自分の頭の中身を。
度重なる汚れ仕事に嫌気がさして、以前逃げ出したことがある彼に、ジャムおじさんは制裁として、カレーの代わりに自らの『うんこ』を頭に詰めたのだった。
今思い出しても、胃液がせり上がってくる。

憤りつつも、止むを得ず、彼らは邪悪な支配者の命令に従い、カバオの顔面に一枚の布切れを翳す。

それは、メロンパンナのパンツだった。

カバオくん「んあ!?こ、この香りは……メロンパンナたんの『メロメロおぱんちゅ』……!」

反応は劇的だった。
即座に覚醒したカバオくんは、むくりと起き上がり、そしてパンツを貪り喰らう。

むしゃむしゃ、くちゃくちゃ、ごくん。

耳を覆いたくなるような咀嚼音。
パンツを喰らい尽くし、荒い息を上げるカバオは、辺りを見渡し、そして見つけた。

カバオくん「お?」

すぐそばで転がる……

全裸のメロンパンナを。

カバオくん「ktkr!!これはもう、やるっきゃないんだな!?」

四つん這いの姿勢からメロンパンナめがけ飛びかかり、その汚い手が触れる、その寸前。

ガチャンと、彼の両足首に嵌められた鎖が張り詰め、それ以上の前進を阻んだ。

カレーパンマン「くっ……なんて馬鹿力だ!」

しょくぱんまん「ええ、不味いですね……このままでは、取り返しのつかないことになる!アンパンマン、ロールパンナ!早くジャムおじさんに許しを乞うのです!!」

鎖を掴むカレーパンマンとしょくぱんまんが、カバオの突進力に耐えかね、ズルズルと引きずられる。

もはや、一刻の猶予もなかった。

ロールパンナ「やめろ!!やめてくれ……これ以上、メロンパンナに酷いことをしないでくれ。代わりに私が……なんでもするから!」

鬼気迫る表情を浮かべた、ロールパンナの懇願に、ぴくりと、ジャムおじさんが反応した。

ジャム「なんでも……?」

ロールパンナ「ああ。だから、ロールパンナを助けてくれ……!」

足元に跪き、縋り付くように頭を下げるロールパンナを見下ろして、ジャムおじさんは満足げに頷き、承諾した。

ジャム「ふむ。いいだろう。その代わりに、お前が私の相手をしてくれるのならばな!!」

ロールパンナ「なっ!?」

言うや否や、ジャムおじさんはズボンを下ろして、ロールパンナに覆いかぶさってきた。

ジャムおじさんの肥えた身体にのしかかられたロールパンナは、その欲望に塗れ、脂ぎった顔を横目で睨みつけて……

ロールパンナ「……チンカスめ」

思わず口について出てしまう怨嗟の声。
それを受けて、何故かジャムおじさんはますます興奮した。

ジャムおじさん「うはぁあ!……たまらん!」

ばいきんまん「うむ」

何故かばいきんまんまで同調している。
少しは見直したと思ったのに……
本当に、これだから、男は。

もう、いい。
もう、疲れた。

股間を膨らませる彼らに呆れ果て……

ロールパンナは、全てを諦めた。

目の前で繰り広げられる、凄惨たる光景に、アンパンマンの心も折れようとしていた。

アンパンマン「ッ……おぇっ……」

何度も、何度もえづき、吐く。
胃の中は空っぽで、胃液しか出てこない。
とにかく、気持ち悪かった。

この世の悪意が、全てこの部屋に集まったように感じられて、もう何も見たくなかった。
だけど、どれだけ目を瞑っても、耳から音が飛び込んでくる。

カバオの足掻く物音。
それを抑えるカレーと食パンの悲鳴。
ジャムの舌舐めずり。

どんな地獄だって、ここよりはマシだろう。

こんな思いをするくらいならいっそ、ジャムおじさんの言う通り、新しい顔と取り替えて、記憶を失ってしまった方が……

そこまで考えた、その時。

ばいきんまん「ギャハハハッ!良い顔だな、アンパンマン。それよりも、知りたくはないか?しょくぱんまんが持ってきた、使用済みの頭が……いったい何に使われているかを」

ニマニマと笑みを浮かべるばいきんまん。
そして彼は語り始めた。

物語の、裏側の話を。

ばいきんまん「なにぶん時間が差し迫っているからな……手短に話すが、あの顔は俺様の城で、とある『菌』の苗床として使われるのだ」

アンパンマン「とある……菌、だって?」

嫌な予感がする。
ここが地獄の底かと思ったが……
どうやらそれは、思い違いだったようだ。

周りの音が遠く聞こえる。
手のひらが湿って、酷く不快だ。
それでも、目だけは逸らすことは出来ず、ばいきんまんのみを視界に捉えていた。

ばいきんまん「お前も聞いたことはあるはずだ……『イースト菌』の名前くらいは、な」

ぐらりと視界が揺れる。
そんな……
それじゃあ、そもそも僕らは……

ばいきんまん「つまり……この俺様が、お前らの生命線というわけだ。ギャハハハハハッ!!」

ばいきんまんの嘲笑が響き渡る。
そして、アンパンマンは膝から崩れ落ちた。
その両目から、ポロポロ涙が溢れてくる。

ばいきんまんが自分たちの生命線だって?
そんなこと、信じられない。
信じたく、なかった。

その一心で、疑問を口にした。

アンパンマン「イ、イースト菌は……バイキンなんかじゃない。だから、そんなのは嘘だ!!」

ばいきんまん「だが、菌は菌だ」

ばいきんまんはぴしゃりと疑問をはねのける。
そして決定的な言葉を突きつけた。

ばいきんまん「そもそも貴様らが定義するバイキンとそれ以外の菌の区別など、この俺様にはない。全ての菌を司るこの俺様によって生み出された強力なイースト菌が、貴様らの力の源というわけだ。ギャハハハハハハハッ!!」

その時、アンパンマンは……

自分の心が折れた音を、聞いたのだった。

アンパンマン「……もう、楽にしてくれ」

ポツリと、そんな言葉が漏れた。

ばいきんまんによると、自分たちは彼が栽培した菌によって産み出されていたらしい。
それに加えて、この阿鼻叫喚な状況だ。
全てを忘れて、新しい顔に取り替えることすら、馬鹿馬鹿しくなった。

アンパンマンは、生きることを諦めた。

ばいきんまん「ふんっ……その程度か」

正義の味方のなれを果てを見下ろし、ばいきんまんは心底つまらなそうに鼻を鳴らした。
そして、億劫そうに重い腰を上げる。

まるで路傍のゴミを見るかのような眼差しでアンパンマンを見据え、向かってくる。
ばいきんまんの足音が、死神の足音のように感じられ、アンパンマンは固く目を瞑った。

もはやこれまで。

しかし、ばいきんまんは悠然と目の前を通り過ぎ、その間際、小さく囁いた。

ばいきんまん「そろそろ幕引きだ。よく見ておけ、『必要悪』とはいかなる存在かを、な」

その瞬間、断末魔の叫びが轟いた。

カバオくん「あがぁ!?い、痛い!股間が猛烈に痛いんだな!?」

叫んだのは、今まさにメロンパンナにかぶりつく寸前だったカバオだ。
それに気を取られ、ロールパンナを組み敷くジャムおじさんの注意が逸れる。

その一瞬の隙を、悪の化身は見逃さなかった。

ジャムおじさん「ぐはっ!?」

ばいきんまん「俺様のものに、気安く触れるな。人間風情が」

刹那の間に背後に回り、ばいきんまんは手刀でジャムおじさんの尻穴をぶち抜いた。
そして引き抜いた手には、糞まみれとなった『黒いグローブ』が嵌められていた。

アンパンマン「フハッ!」

アンパンマンは思わず吹き出す。
いや、別にそういう趣味があるわけではない。
吹き出したのには、別な理由があった。

あの『黒いグローブ』が自分の予想通りのものならば、ジャムおじさんもきっと、カバオと同様に……

ジャムおじさん「ぬあっ!?け、ケツが!ケツが痛い!!んああぁあぁあああッ!!」

ジャムおじさんは尻を抑え……

その場に倒れた。

悶絶し、崩れ落ちたカバオとジャム。

その光景に、皆が困惑していた。

ばいきんまん「ギャハハハッ!どうだ、この俺様特製『バイキングローブ』の威力は!!」

そこにばいきんまんの勝利宣言が轟く。
周囲の視線を一身に受け、ばいきんまんは糞まみれのグローブを高々と掲げた。

ばいきんまん「もともと雑菌だらけのカバオには時間がかかったが、このグローブでデリケートな部分に触れれば、即座に炎症を起こさせることが出来る!!これに懲りたら二度と調子に乗らないことだ!!ギャハハハハッ!!」

その解説に、呆気に取られていたしょくぱんまんは納得した。
ホラーマンが言っていた、カバオの性処理に使われた『特製グローブ』とはこれのことだったのだと。

同じく納得したアンパンマンは理解した。

全ては悪の手のひらの上で起こったこと。

邪悪なカバオとジャムの悪意は、さらなる強大な悪意によって塗りつぶされたのだと。

ばいきんまん「ギャハハハッ!なかなか楽しめたぞ!退屈しのぎにはちょうどいい茶番だった!!おい、なにをグズグズしている!早くその虫けらどもを乗せて帰れ!!勝利の余韻が台無しではないか!!」

ひとしきり笑い、勝利の美酒を噛み締めたばいきんまんは、開いた口の塞がらない食パンとカレーに命じて、まるで道化のようにのたうち回るジャムとカバオを片付けさせた。

そしてぱちんと指を鳴らし、床を汚したカバオの唾液やジャムの皮脂を、配下の『かびるんるん』どもに掃除させる。

その間に、ちらりとこちらを振り返り、勝ち誇ったような笑みと共に言い放つ。

ばいきんまん「どうだ?これが俺様が『必要悪』である由縁だ。正義ではどうにもならないことが起こるたび、さらなる悪意でそれを塗り潰す。俺様の偉大さが身に沁みただろう?」

そして、また悪意を込め、高らかに嗤う。

そんなばいきんまんに、アンパンマンは何も言い返すことが出来ず……

深々と、頭を下げたのだった。

ばいきんまん「ギャハハハッ!おい!似合わんぞ!!貴様は無知蒙昧な様を晒すのがお似合いだ!何も知らず、また俺様に立ち向かってこい!!それが、貴様の役割だ!!」

床に這いつくばるアンパンマンを罵倒し、食パンとカレーに片付けさせる。
アンパンマンは放心状態で、アンパンマン号の中へと押し込まれた。

そうして、静かになった城内で、ばいきんまんは未だ立ち上がれずにいたロールパンナの手を取り、立たせた。

ばいきんまん「ロールパンナ、お前も為すべきことを為すがいい」

先ほどとは一転して優しげなその口調に戸惑い、言われた意味がわからず、訪ね返す。

ロールパンナ「為すべき、こと?」

ばいきんまん「そうだ。まさかお前の大事な妹を、あのまま捨て置くわけにはいくまい」

言われて、はっとした。
床に放置されたメロンパンナの元に、慌てて駆け寄ろうとする。

しかし、その前に。

ロールパンナ「……感謝のしるしだ」

ぶっきら棒にそう言って、

ばいきんまんの頬に……

そっと口づけを落とした。

ばいきんまん「なっ!?」

これにはさすがに面食らった様子のばいきんまんに、してやったりと笑みを向ける。
すると彼は一瞬寂しそうな表情を浮かべ、重々しく口を開いた。

ばいきんまん「ロールパンナ……悪いことは言わん。お前も記憶は消しておけ」

予想もしなかった言葉に、困惑する。

ロールパンナ「……どうして?」

どうして……
どうして、そんな悲しい声で……
悲しいことを言うのか。

理由を尋ねると、ばいきんまんはメロンパンナの方に顎をしゃくった。

ばいきんまん「俺様のもとにいれば、妹のそばにはいられなくなる。だから、全てを忘れて、元の暮らしに戻れと、そう言っている」

ばいきんまんのその言葉が重く響く。
ロールパンナは目の前が真っ暗になった。

彼の言葉には、説得力がある。
このまま彼のそばにいれば、いずれ自分は妹であるメロンパンナと戦う羽目になるだろう。
だから、全てを忘れる必要があった。

それが正しいと、頭ではわかる。
しかし、感情がそれを拒んだ。

復讐の化身となった自分を救ってくれた。
汚れきった私を欲しいと言ってくれた。
そして妹までも助けてくれたばいきんまん。

そのことを全て忘れるのが、嫌だ。

辛くて、悲しくて……

涙が頬を伝う。

ばいきんまん「ギャハハッ!何も泣くことはあるまい。また何かあれば俺様に縋りつけ。そのたびに俺様はお前をこのバイキン城へと迎え入れよう。それに……」

お前にはやはり、白が似合う。

ばいきんまんは照れ臭そうに、そう続けた。

そんならしくもない彼を見て、ロールパンナは思わず笑みを漏らし、涙を拭って踵を返す。

ロールパンナ「……約束、だからな」

そう言い残し、ロールパンナはメロンパンナの元へと駆け出した。

エピローグ

ロールパンナがメロンパンナの素肌をリボンで隠し、発進準備を済ませたアンパンマン号に乗せて、彼らはパン工場へと帰って行った。

カレーパンマンに帰りの運転を任せたしょくぱんまんのみが、バイキン城に残り、現在はドキンちゃんの寝室にいる。

今頃、埋め合わせとやらをしているのだろう。

それがなんとなく、面白くない。
来客がぶち開けた壁の穴から見える、すっかり雨が降りやんで晴れた夜空を眺めながら、ばいきんまんは、ふんっと鼻を鳴らした。

すると……

ホラーマン「よろしかったのですか?」

いつの間にか背後に控えていたホラーマンが、主人のご機嫌を伺う。

ばいきんまん「よろしいもよろしくもない。これが俺様の役割だ。今回はそれ相応の褒美もあったことだしな。ギャハハハッ!!」

ホラーマン「いい接吻でしたねぇ、羨ましいですねぇ、あやかりたいですねぇ」

ばいきんまん「やかましい!すぐに次の悪だくみに取り掛かるぞ!再びロールパンナを我が物にするその時の為に!!ギャーハッハッハッハッハッ!!覚悟しろ!正義の味方ども!!」

例のごとく悪ノリしたホラーマンを一喝して、天に仇なさんばかりに哄笑を上げる。

このロールパンナへの執着こそが、ばいきんまんの原動力であり、悪の源だった。
あまりに利己的な理由。
悪の化身に相応しいその底知れぬ貪欲な欲望に、ホラーマンは恐れ慄き、平伏した。

ホラーマン「いやはや……怖いですねぇ、ホラーですねぇ」

その小さな呟きは

夜空へと吸い込まれることはなく……

ばいきんまん「ギャハハハッ!!実に良い夜だ!たまにはこんな結末も悪くない!!ギャーハッハッハッハッハッ!!!!」

ばいきんまんの邪悪な笑い声により

かき消されたのだった。


FIN

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