鷺沢文香「貴方の上で、貴方と共に」 (16)

「……ん…………」


 ページを捲る。

 座らせた身体。その足の付け根の辺りへ置いた手を下に敷いて、それを支えとしながら寝かせた本のページを一つ、ぺらりと。

 今日手にしているのはこれまでにも何度も何度も、もう幾度となく読み返してきたお気に入りのもの。展開も結末も、その内容を完全に把握できているくらい読み重ねてきた本。

 それを進める。読まずとも内容の分かるそれを、ぺらりぺらりと。読まず、内容も分からないまま捲って進める。


「……」


 かすかな息遣いと、カタカタ不規則に奏でられる音だけが響く部屋の中。

 事務所の中。事務所の、私のプロデューサーさんへと割り当てられた部屋の中で、私は小一時間こうしてここでこのままに過ごしていた。

 身体を座らせて。本のページを捲って。でも読むどころではなく、他のものへと意識を惹かれながら。

 小一時間。

 ここで、こうして、ずっとずっと。


「…………ん……」


 身体を後ろへ。

 体勢を少し横へ傾けながら後ろへ下がって、受け止めてくれるのに任せながら身体のすべてをそこへ委ねる。

 温かくて……広くて、大きくて。

 私に安心をくれるそこへ。大好きな、愛おしい、大切なそこへ。

 プロデューサーさんの胸へと身体を委ねる。密着した背中から、服越しにとくんとくんと心地のいい鼓動の刻みを伝えてくれるそこ。優しく、柔らかく、私を迎えて受け止めてくれるそこへと。

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「……」


 溢れる。

 机と向かい合って椅子の上へと座ったプロデューサーさん。その足の上へ身体を座らせて、キーボードへと至るため前へと伸ばされた両の手に挟まれ抱かれながら、委ねた身体を受け止めてもらっている。……それに、そのことに、感じられるプロデューサーさんのいろいろに、溢れてしまう。

 ドキドキと高鳴る鼓動。熱く焼けながら濡れてしまう吐息。心の中へ収まりきらず、満ちて、溢れてしまう想い。

 それらに塗られて染められて。私はもう、本を読むどころではなくて。好きで、大好きな本をすら……それを読むことすらできないほど、プロデューサーさんへの想いに尽くされてしまって。

 そうして、だからこうしている。

 プロデューサーさんの上、プロデューサーさんと重なりながら、プロデューサーさんと共に時間を過ごしている。


「…………ふぅ……」


 私が後ろへ下がったことで、それまで触れていなかったプロデューサーさんの顔が触れる。

 私のすぐ傍。擦れてしまいそうなほど近い、私の顔のほんのすぐ横へ。そこへ来て、私の肩と首筋との辺りへ軽く幾らかの重さを預けるようにしながら乗って、プロデューサーさんの顔が私の顔の隣へ並ぶ。

 それを感じて。そのことに胸を打ち震わせて、焼けた身体を更に焼き燃え上がらせて、甘い痺れを全身へ走らせながら……それらをたっぷりと、存分に感じ抱き込んでから、一つ息。

 私よりも少し後ろへいるプロデューサーさんへ、直接は届けられないけれど。それでも、想いを込めて息を吐く。

 溢れて止まらない好意を詰め込んで。叶う限り艶かしい色に濡らしながら。恋しくて愛おしい、この胸の中へと満ちるかけがえのない想いのすべてを込めて。

 一つ、息を。

「ん、っ…………」


 すると増した。

 触れ合いはしなくとも、それと変わらないほど近付いた顔から送られてくる熱が。頬をかすかに撫でる吐息が濡れて、漂ってくる匂いの濃密さが増した。

 実際にはそんなことはなくて、もしかしたら私の気のせいなのかもしれない。そうなったのだと、私がそんなふうに思いたくて、だからそう感じているだけなのかもしれない。

 けれど、そう感じられた。

 背中から伝わる鼓動が、少しだけ早くなったような。

 キーボードを叩く指の動きが、少しだけ緩くなったような。

 少しだけ。でも確かに変わったような気がした。そんなふうに感じられた。


「……」


 熱く濡れた濃い匂い。

 増したそれらに包まれて、思わず一度びくんと身体を跳ねさせてしまう。

 プロデューサーさんからは、私が体勢を整えるために身体を動かして調整した……くらいに思われる程度。そこまで大きな動きにはならなかったものの……そこまで大きな動きにはならないよう、なんとか、抑え込めたものの。……でも完全には抑えられず、一度そうして跳ねてしまう。

 大好きな匂いに包まれて。私にどこまでも深い安心と、そんな安心さえ塗り替えてしまうほどの幸福な衝動を与えてくれるその匂いに包まれて。思わず、耐えられず、びくんと。

「……ん……す、ぅ……」


 プロデューサーさんは特別匂いが強い人、というわけではない。

 むしろ薄くて……特に以前「プロデューサーさんの匂いは、なんだかとても落ち着きますね……」なんて言葉を零してしまってからは匂いのことを気にしているのか……気にしてしまっているのか、更に薄くなってしまったほど。

 でも、それでも、感じられる。

 今の私はプロデューサーさんへの想いに溢れていて。プロデューサーさんしか意識できないほど、プロデューサーさんへと研ぎ澄まされていて。……だから感じられる。強く、濃く、深く。


「…………はぁ……」


 感じられる。身体の芯まで響いて、心の奥底へまで染み渡るような……それほどの密さで感じられるそれに恍惚としてしまう。

 もう一度跳ねてしまうようなことはしないけれど。でもそれ以外を……息が荒くなってしまうのを、本を支える手が小さくふるふると震えてしまうのを、湧いて収まらない衝動に流されてしまいそうになるのを止められない。

 もっと感じたい。身体を振り向かせてプロデューサーさんと対面させて、そうしてその身体へと思いきり顔を埋めてしまいたい。もっとこの匂いを感じたい。この匂いに包まれながら、温もりを、感触を、プロデューサーさんを感じたい。

 そう思ってしまう。そう思って、そしてそれを、今にも実行へ移そうとしてしまう。

 心が、身体が、そうしたいと願ってしまうのを止められない。


「ん、っ……」


 本へ触れていない右の手をきゅっ、と握る。

 私の太ももの下、私を乗せて支えてくれているプロデューサーさんの足へ添えるように触れさせて、そこで握る。きゅっ、と。ぎゅ、ぎゅっ、と。

「…………」


 私が触れてきたのにぴくん、と。小さく、けれど確かにプロデューサーさんの足が震えて反応したのを感じながら、握り締めて抑え留める。

 思うことは止められない。願ってしまうのは、望んでしまうのはもうどうあっても抑えられないけれど……でも、耐える。

 思うだけ。願って、望むだけ。そこまで抑えて、そうして耐える。

 この今を護るため。

 プロデューサーさんの上、プロデューサーさんと重なって、プロデューサーさんを感じながら過ごすこの時を終わらせてしまわないため。

 そのために耐える。

 プロデューサーさんへの想いを抱き締めて、プロデューサーさんへの想いゆえに溢れ出てくる衝動になんとか耐える。


「…………」


 この今。この、ここのこれの始まりは数ヵ月ほど前。

 あの頃の私は、ここへ身を置くことのできる皆を羨ましく思っていた。

 基本的に人を拒むということをしないプロデューサーさんは、請われるがまま、願われるまま、ここへ人を置いていた。

 もちろん誰も彼もというわけではなく、ここを望みここへ届いたのは年少組の子たちに限られていたけれど。

 ねだられる度にここは許されて、そうして年少組の子たちの憩いの場のようになっていた。

 私はそれが羨ましかった。

 大人ではないけれど、もう子供でもない十九という年齢。恥ずかしさや、見栄や……無駄で余計ないろいろの壁のせいで、そんな子たちのようにここを願うことはできなかったけれど。でも、羨ましかった。

 私もここへ来たかった。ここへ至って、ここでプロデューサーさんを感じたかった。

 きっと私は恋をしていたから。

 私を見つけ出して、こんなここまで導いてくれたプロデューサーさんに恋をして……そして、愛していたから。

 好きだった。

 これまでに抱いたどんな想いよりも強く、これからに想像できるどんな想いよりも深く、好意を抱いていたから。

 大好きだったから。

 だから、羨ましかった。

 ここへいられること。プロデューサーさんと、重なっていられること。

「…………ん……」


 そしてそれは叶った。

 ある時突然。いつものように羨みを胸へ宿しながら……せめて少しでも、とプロデューサーさんの椅子に一番近い小さなソファの上へ座って、半分ほどの意識をプロデューサーさんの様子へと惹かれてしまいながらも本を読んでいたあの時。

 『ここに座ろうよ!』なんて、そんな声が響いたおかげで。

 ……あの時、誰がそれを言ったのかは覚えていない。その後のことが、叶ってしまったプロデューサーさんとの重なり合いがあまりにも衝撃的で。だからもう、覚えてはいないけれど。

 きっと私があまりにも落ち着いていなかったからなのだろう、と思う。プロデューサーさんへ意識を惹かれて、読書にも集中できず、体勢さえも定まらなくて。だから、そうして変な挙動を見せる様子のおかしい私のことを見付けて、言ってくれたのだろうと思う。

 落ち着くから。私にとってそこは、落ち着きをくれる場所とは程遠いのだけど……落ち着きとは違う、熱く濡れた想いをくれる場所なのだけど。でもそうとは知らず、自分は落ち着くことができるから、と。純粋な思いを源に言ってくれたのだと思う。

 それを聞いた私は一瞬だけ躊躇して……でも、そんな躊躇は沸き上がってくる衝動の前にはあまりに脆くて。だからすぐ、淀むことなくここへ進んだ。

 その後のことはあまり覚えていない。ただひたすらに幸せで、どうしようもないほどの多幸感に包まれていたこと以外はあまり。

 そしてあの時のプロデューサーさんのことも。……確か最初は驚いていたように思う。まさか私がここでこうするこれを本当にするとは思っていなかったのだろう。とても、びっくりと。でもそれだけ。あの時の私はもう、本も、周りの何もかもの様子も、プロデューサーさんのことでさえ、これまでのどんな時よりも近くに感じるプロデューサーさんのせいで気にしていられなくなってしまっていたから。

 だからあまり覚えていない。……けれど始まりは確かにそこで。そしてその次の日の私は、その始まりを終わりにはしなかった。

 戸惑われながら、心配されながら……それでも『ここが一番、落ち着けるので……』なんて、そんな一点張りで、押し通して。そして私は、ここへ居ることを許された。

 許されて。そしてそれからは時間の許す限り毎日毎日、何度も何度も許され続けている。

「…………」


 そんな今を、もう年少組の子たちよりも長く居るようになってしまったここでのこの時を終わらせてしまいたくなくて。

 壊して、居られなくなってしまいたくなくて。

 だから耐える。

 きゅっ、と。ぎゅっ、と。ぐっ、と。

 耐える。

 プロデューサーさんへの想いを抱いて、耐える。

 ……でも。


「…………ぁ……」


 耐えながら、けれどわずかに漏れ出してしまう。

 プロデューサーさんへの想い。望むもの。欲に塗れた願いが、どろりと。私の内から漏れ出して、外へ。

「……ん、っ…………ぁ……」


 プロデューサーさんのお腹の下側、足の付け根、太もも。プロデューサーさんの下半身の、そんないろいろへ触れる私のそこが擦れる。

 腰が動く。前後に。左右に。

 座る位置を調整しているような体を辛うじて取ってはいるものの……込めた想いを隠せるほど小さくはなく、秘めた望みを覆っていられるほど弱くもなく、滲み出る愛欲を気付かせずに済むほど淡くない。そんな動きで、腰が。

 そして擦れる。前後左右へ動く腰に導かれるまま、揺られ、震わされて、そうして擦れる。

 すりすり、と。ぐにぐに、と。むぎゅむぎゅ、と。

 触れ合いを求めるように擦れて、繋がりを欲するように押し付いて……私の下半身が、プロデューサーさんの下半身へ。どうしようもなく擦れてしまう。


「……っ…………」


 終わらせたくない。この、ここへ居られる時を。

 でも終わらせたくない。この、こうする今を。こうしてプロデューサーさんと、まだ許されていない今より先の場所へ至ること。そこへ進むための、この、今を壊してしまうかもしれないこれを。

 終わらせたくない。どちらも、終わらせたくない。

 だから止まれない。

 終わらせたくなくて。留まることも、進むことも、自分では選べなくなってしまって。

 だから、止まらない。

 留まることなく、けれど進んでしまわないよう、半端に動いて。

 プロデューサーさんへの想いと、プロデューサーさんへの想い。同じ想いの板挟みになって、どっち付かずになってしまう。

 求めながら、求めきることまでへは至れない。

「…………」


 本を置く。

 ぱたりと閉じて、足の上ではなく机の上へ。

 そして抱き締める。

 支えるものの無くなった自由な腕を伸ばし、その両の腕で抱え込む。プロデューサーさんの腕。キーボードへと伸ばされながら、もうすっかりと動かなくなってしまっていたプロデューサーさんの腕。それを胸元へ抱え込んで、ぎゅうっと締め付けるように強く深く抱き締める。


「…………ん……」


 抱き締めるだけ。

 振り返って、見つめて、求めるようなことはしない。

 留まることも進むこともできないどっち付かずな私は、こうしてただ抱き締めるだけ。

 純粋に眩い想いも、欲望に塗れた想いも、満ちる想いのすべてを溢れさせながら、プロデューサーさんへ寄りかかる。

 抱き締めて、プロデューサーさんへと何をも委ねる。


(……好きです)


 熱く焼け濡れた吐息を漏らしながら、心の中で呟く。

 好き。大好き。愛してる。

 そんな言葉を呟いては、抱き締める力を一層強くして。強くしたことで、その触れた部分から伝わってくるプロデューサーさんが更に大きく濃くなるのを感じて、また呟いて。

 ぐるぐる、延々と、そうして終わりなく巡らせ続ける。

「……あっ…………」


 瞬間、気がした。

 私に抱き締められているプロデューサーさんの腕が、私を抱き締めようとしてくれたような気が。

 身体が熱くなる。鼓動が早まって、漏れる息が荒くなる。私のものも、プロデューサーさんのものも。

 高まっていく。

 二人で。二人ともで。

 私の好きに。大好きに。愛してるに。心の中の告白に、プロデューサーさんが答えてくれようとしている。

 そんな気がした。

 全身に感じるプロデューサーさんから。全霊で感じるプロデューサーさんから。そんな、私を受け入れてくれるような気が。

「あぁ……」


 たまらなくなる。

 そのことに、もう、どうしようもなく。

 震えて、痺れて、高鳴って……そして、たまらなくなる。

 好き。

 恋しい。

 愛おしい。

 プロデューサーさんへの溢れる想いに埋め尽くされて、もうどうにもできないほど、たまらなくなってしまう。


「…………ん……」


 何もできない。

 プロデューサーさんを感じて……おずおずと、少しずつ。でも確かに私へ至ろうとしてくれるプロデューサーさんを感じて。

 受け入れようとしてくれている。

 気がした。それを、確信へと変えてくれようとするプロデューサーさんを感じて。

 何もできなくなる。

 少しずつ少しずつ近付いてきてくれるプロデューサーさんを確かに感じて、もう、何もかものいろいろができなくなってしまう。

 ちゃんと頭が働かない。上手く言葉を紡ぎ出せない。胸元へ抱き締めたプロデューサーさんの腕、それを放さずにいることしかできない。

 できない。何も。

 ちゃんと、上手く、何かをすることができそうにない。


「…………」


 だから。

 だからせめて、一言だけ。

 たったの一言だけだけれど。でもそれへ、この溢れて抑えられない想いのすべてを込めて。

 言う。

 呟きを、零して漏らすように。

 けれどまっすぐ、愛おしいプロデューサーさんへと向けて。


「……好き、です…………私の、プロデューサー……さん……」

以上になります。
お目汚し失礼しました。

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