永琳「あなただれ?」薬売り「ただの……薬売りですよ」 (619)


永琳「ただの薬売りさんが、こんな辺鄙な場所に何の御用かしら?」

薬売り「言えね……あっし、最近ここらで商いを始めまして」

薬売り「こちらに越してはや三月、四六時中足を棒にして薬を売りに渡っているのですが……が」

薬売り「どういうわけか、ここの人たちはみな、とんと薬を欲しがりませんで……」

永琳「はぁ……」

薬売り「不思議に思い人々に訪ねてみたんですよ。”皆々様、薬もなしにどうやって病気を治しているので?” と」

薬売り「するとどうでしょう。皆、口を揃えて言うではありませんか」

うどんげ「ははーんなるほど、つまり……」

薬売り「”永遠亭の人から薬を買ってるから必要ない”、と……」

うどんげ「商売敵なわけね!」

永琳「あらあら、それは……」


 

【永遠亭】――――序の幕


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薬売り「このままじゃあっしの薬が売れませんで……」

うどんげ「お師匠様、これはきっとあれよ! 競合事業のショバ争いって奴だわ!」

うどんげ「見てよこのいかにも怪しい格好。どうせ前の場所でインチキな薬でも売りつけて逃げてきたんだわ」

永琳「もう、よしなさいな」

うどんげ「残念だったわね、薬売り。あんたには悪いけど~……」

うどんげ「この幻想郷には、お師匠様以上の薬師はいないわ! 最初っから、あんたの出る幕なんてないのよ!」

薬売り「はて、一体どういうわけで……」

うどんげ「聞いて驚きなさい……今あんたがショバ争い吹っかけてるこの御方は――――その名も”八意永琳”」

うどんげ「この名、同じ薬売りが知らないとは言わせないわよ!」ビシ

薬売り「ほう……! あなた様があの……」



チーン


うどんげ「ここらの薬はお師匠様が一手を担ってるわ。もちろん、顧客全員からも大好評よ」

うどんげ「この辺の人間は本物の薬を知ってる。と言うわけで、師匠様の薬以外買う奴なんていやしない」

薬売り「本物の薬……ですか」

うどんげ「あんたのようなインチキ薬師に引っかかる奴なんていないわよ? だから……」

うどんげ「勝ち目のない争いは諦めて……観念して立ち去るといいわ!」ビシィ

永琳「もう……申し訳ありません、無礼な弟子で」

うどんげ「ふん!」

薬売り「いやはやしかし、かの高名な八意の賢者様が、よもやこのような場所におられたとは……」

薬売り「どーりで、一つも売れないと思いましたよ」ハァ

うどんげ「次からは商う前にもっとリサーチを行うべきね」

うどんげ「顧客の情報収集は商売の基本よ、薬売りさん」

薬売り「いやはや、ごもっとも。ご高説痛み入ります……」


薬売り「うっかり・うっかり」ポン


うどんげ「ふふん」ドヤ


永琳「……」



薬売り「では、しょうがない……またどこか、新天地を探しに旅立ちますかな」

薬売り「風の向くまま、気の向くまま。浮世の風向き幾然う然う……」

うどんげ「あんた、薬売りよりちんドン屋の方が向いてると思うわ」

薬売り「ふふ、よく言われます……」

薬売り「では……これにて失敬……」



シャーン



永琳「待ちなさい」

うどんげ「え」


薬売り「……何か?」

永琳「あなた、ここに来る前はどこで商いをしていたの?」

薬売り「……さぁねえ。あっしは流浪の薬売り。定住を持たず、この足で渡り歩くしか知りませんで」

薬売り「最後に薬を売ったのは……はて、あれは一体どこだったか……」

永琳「では……こちらなら覚えておいでですよね?」

永琳「薬師なら無論……”最後に売った薬”は覚えておいでなはず」

薬売り「ああっ、もちろん、それなら覚えてますとも」

うどんげ「お師匠様、なんでそんな事を……?」

永琳「してそれは」

薬売り「あの時求められたのは……霞やボヤけを取り、視界の鮮明さを取り戻す薬……」

薬売り「所謂……”目薬”って奴でさぁ」ニヤ

永琳(…………!)


薬売り「では、これにて……」

うどんげ「帰れ帰れー!」


永琳「……お待ちなさい」


うどんげ「え」


永琳「……許可します」


薬売り「ほぉ……?」



永琳「――――この地で薬の商いを行う事、私が責任を持って許可します」



うどんげ「……えぇぇぇぇ~~~~!?」



永琳「これからは”永遠亭の薬師”と名乗りなさい。さすればきっと人々は、あなたの薬を買い求めるでしょう」

薬売り「これはこれは、願ってもない申し出で……」

うどんげ「ちょっとちょっとお師匠様、一体どういうおつもりで!?」

うどんげ「そんな事したら、私とこいつは……!」

薬売り「姉弟子……という事になりますな」

うどんげ「や~~~よそんなの! こんなうさんくさいちんどん屋みたいなのと同じ一門だなんて!」

永琳「イヤですか?」

うどんげ「と~ぜんじゃない! そんな事するくらいなら(ry

永琳「だったら出て行きなさい」

うどんげ「 」


永琳「私が門下を増やす事。嫌だと言うならどうぞ出ておいきなさい」

永琳「これは私が八意の名において下す判断。異を唱えるなら、八意の名の届かぬどこへでも……」

うどんげ「そ、そんなぁ~……」

永琳「出ていきたくなければ、辛抱なさい」

永琳「いくら異を唱えても、私の決定は覆りません」

うどんげ「……でもでも、そんな事言ったって、そもそもこいつが断れば!」

うどんげ「ほら、あんたも言い返しなさいよ! あんただってあるでしょ!? イチ薬師のプライドとか(ry



薬売り「――――不束者でございますが、何卒よしなに、願い申し上げ候(正座」



うどんげ「チョロすぎんのよ!」ガーン



【入門】



うどんげ「くっそ~、なんであんたみたいなのと……」

薬売り「かわいがってくださいよ、姐さん」

うどんげ「その呼び方やめい。ったく私はまだ認めてないっつーの」

うどんげ「それにソッコーでホイホイ下っちゃってさ。薬師としての、こう……誇りとか? そういうのないの?」

薬売り「そういえば……そう言った事は、あまり考えた事ありませんね……」

うどんげ「けっ、威信のない奴」

うどんげ「お師匠様もお師匠様よ。一体な~んでこんな奴を……」グチグチ

薬売り「恐縮です……」


ゴーン


うどんげ「……ふん。まぁいいわ」

うどんげ「わかってると思うけど、私が姉弟子。あんたは新入り」

うどんげ「何年薬師やってるか知らないけど、あんたのキャリアとか、ここでは関係ないから」

うどんげ「つまり……私の命令は絶・対・服・従。そこんとこ弁えてるわよね?」

薬売り「無論……承知の上です」ニッコリ

うどんげ「……よく言った! だったら早速姉弟子命令!」

うどんげ「たまった洗濯物、掃除、食事の用意、その他etc全部今日からお前が(ry



【空】



うどんげ「――――いねぇし!」ガーン



【報】


永琳「――――以上の経緯から、本日より新弟子を一名取る事になりました」

永琳「いえ……人兎ではありません。なんと申しますか……見た目は鈴仙曰く、まるでちんどん屋のような」

永琳「奇抜な服装に奇抜な化粧。耳は天へと先細り、瞳はうっすらと青みがかかっております」

永琳「それに、この竹林をいともたやすく潜り抜けた……ええ」

永琳「間違いなく、”何らかの意趣を抱えて”馳せ参じた事は、確かでしょう」


【疑】


永琳「故に弟子として身近に置き、しばし動向を監視すべきであると思う所存でございます」

永琳「そして万が一……もし奴が、”かの都”の使いだったなら」

永琳「この私が、責任を持って”処分”いたします故、ご安心下さい」


【誓】


永琳「……あなた様には何人たりとも近寄らせない」

永琳「この永遠、何人たりとも崩させない」

永琳「永久に守り、永久に償い続けましょう」

永琳「それが私の、命の理を犯した者の罪……」


【気配】


永琳「――――ハッ!」







兎「きゅ~」


永琳「なんだ……てゐの兎……」

永琳「あ……そういえば……」

永琳(てゐにまだ……伝えてなかったっけ……)


兎「きゅ~」




(キュ――――)




【求】



(キュ――――)


薬売り「……いやはや、存外な展開になったものです」

薬売り「まさか彼女が、かの高名な八意永琳だったとは……」

薬売り「そしてよもや、このような場所で会いまみえようとは、ね」


カチ カチ カチ


薬売り「何より驚くべきは、そんな彼女からモノノ怪の気配がするなどと……ふふ」

薬売り「一体、どんな因果を抱えているのやら……」

薬売り「こんな昼夜も曖昧な、薄暗い迷いの竹林で……ねえ?」

薬売り「そう思いませんか、ウサギさん」

兎「きゅ~」クンクン

薬売り「よし、よし……」ナデナデ




「――――おっしゃあ! 今よ!」




薬売り「…………えっ」




「――――食らえよそ者ッ!」


【穴隙】


薬売り(落とし穴――――?)


【堕落】


薬売り「おおおおお――――!」


【奈落之底】


薬売り「……存外な、展開ですね」ケホ



チーン



「――――キャッハッハ! ひっかかったひっかっかった!」

「ざまぁないわねちんどん屋! そんな格好でこんな所ウロついてんのが悪いのよ」



薬売り「化け猫……いや……」

薬売り「化け…………兎?」



【因幡之白兎】


てゐ「ちゃんと足元みてないとダメじゃない、ちんどん屋」

てゐ「散歩を楽しんでいたら、実はそこは黄泉へ続く大穴だったなんて事も、ひょっとしたらあるかもしれないじゃない?」


薬売り「……」チラ

退魔の剣「――――」カチカチ


てゐ「夜空の星々が顔面目がけて落ちてくるかもしれないし、昼が明けない事もあるかもしれない」

薬売り「……そんな稀有な事態が、そもそもな話起こり得るんですかね」

てゐ「ほら、四つ葉のクローバーも、十万分の一の確率もあるんだから」

てゐ「レアでもなんでもないわね」

薬売り「とりあえず……ですね」

薬売り「穴が深すぎて這い上がれませぬ……何か、なんでもよいので手を貸してくれませんかね」

てゐ「は? やーよそんなのめんどくさい。戻りたいなら自分で昇れ」

薬売り「……やれやれ」

てゐ「ひとりでできるでちょ じぶんでやりなちゃい」

薬売り「存外な……展開になったものです」



ゴーン

メシ食ってくる


うどんげ「く……ぉらァァァァちんどん屋ァァァァ! どこ行ったァァァァ!」

永琳「騒がしいですよ、鈴仙。一体何事ですか」

うどんげ「あ、お師匠様! 聞いてよ! あのちんどん屋ったら!」

うどんげ「新入りの癖に雑用サボってソッコーどっかにバックレやがったのよ!? まだ入門して半日も経ってないのに!」

永琳「あらまぁ、それは……」

うどんげ「見た目からして怪しいと思ってたけど、ここまでくると礼儀作法すらも怪しいわね」

うどんげ「お師匠様ったら、ほんとなんであんな奴を迎え入れて……」

永琳「……いいですか鈴仙。薬師と言う物は商うだけが生業ではありません」

永琳「その本質は、知識で持って人々をあらゆる病から解き放つ事……して彼が、その生業を生涯の糧とするならば」

永琳「同じ薬師を生業とする者として、此れを後押しせぬ道理はありません」

うどんげ「う、う~ん、わかるようなわからんような……」

永琳「それに……さっきからあなた、彼をちんどん屋だのとインチキ呼ばわりしてますが」

永琳「彼の薬師としての腕は本物ですよ……ほら」

うどんげ「こ、これは!」



【夾竹桃】


うどんげ「こ、こんなもんどっから……」

永琳「彼の所持品の一つです。ほら、背に背負った大きな筒箱の中の……」

うどんげ「ああ、あの装飾過剰な箪笥みたいな」


永琳「――――さて鈴仙、復習しましょう。これについては、この間教えましたね?」

永琳「夾竹桃の効果と諸注意について、述べてみなさい」

うどんげ「え~と確か、打撲や腫れなどの皮膚炎に効果があってぇ~……」

うどんげ「え~っと……確かもう二つくらい効果が……」


永琳「――――同時に成分中に含まれる強心配糖体が強い強心作用、並びに体内の水分を適切に保つ利尿作用もある」

永琳「ただし、強心配糖体の主成分であるオレアドレナリンは同時に強い毒性を持ち――――」

うどんげ「そう! わずかな摂取量でコロッ! と」

永琳「下手に扱えば猛毒にもなり得ない、扱いの難しい危険な薬草です」

永琳「思い出しましたか?」ニッコリ

うどんげ「うう~、自分の脳みそが恨めしい……」


【及第点】


うどんげ「……ってか! そんな危なっかしいもんなんであいつが!?」

永琳「それほどまでに調合術に精通しているか……あるいは」

うどんげ「もしかして……”そっちの意味で”の薬師だったり?」

永琳「いずれにせよ、まがい物ではない事は確かのようですね」


永琳「知らぬ者にはただの花。よって、それなりの知識はあると判断してもよいでしょう」

うどんげ「うーん、むしろますます怪しくなったわね……」


永琳「それに、彼は――――」


うどんげ「え、何?」


永琳「――――いえ、なんでもありません」


うどんげ「……?」

永琳「……さて鈴仙、そろそろ彼を迎えに行ってあげなさい」

永琳「ひょっとしたら、逃げ出したのではなく、迷ってしまったのかもしれません」

うどんげ「迷ったって、そもそもあいつが勝手に……」

永琳「ほら……彼はてゐの事を知りませんから」


【悟】


うどんげ「……あ~もしか! アイツの仕業かぁ!」

永琳「てゐは悪意こそありませんが、加減を知りません。大事になる前に迎えに行っておやりなさい」


うどんげ「――――くぉらァァァてゐィィィ!! 弟弟子に手を出すなァァァ!」



【脱兎】



永琳「……ふぅ」

永琳「こんなモノが効けば……苦労はないと言うのに……」



――――クシャリ


薬売り「にしても少し……深く、掘りすぎじゃないですかね」

てゐ「は? だって、半端な穴作ったってつまんないじゃない」ガサガサ

てゐ「そのへんのくぼみに足を取られるなんて全然あり得るし。そんなもんでシテヤッタリ! とはなんないって」

薬売り「美学……って奴ですか?」

てゐ「あたしが手掛けるには、それはもうスペシャ~ルな体験をしてほしいの」

てゐ「普段じゃ絶対ありえない、とびきり~な体験をね」ガサガサ

薬売り「それと落とし穴がどう結びつくのかわかりませんが……そんな事より」

薬売り「なんで、人の物を勝手に漁ってるんですかね」

てゐ「好奇心」ガサガサ

薬売り「ああ……なるほど」


薬売り「ただの……愉快犯ですね」



チーン


てゐ「粉と、葉っぱと、茎と……なにこれ? 兎の糞?」

薬売り「丸薬ですよ。あっし、こう見えて薬売りを営んでおりまして」

てゐ「え、お師匠様と同業じゃない」

薬売り「そうですよ……ああそうだ、申し遅れましたが」

薬売り「あっし、本日を持って八意永琳様に弟子入りする事になりました……ちんけな薬売りに御座いやす」


てゐ「――――マジ!?」


薬売り「先刻、永琳様より正式に”永遠亭の薬売り”の名を頂戴いたしました」

薬売り「以後、よろしくお願い奉り候」ペコ

てゐ(やば……お師匠様の新弟子落とし穴に落としちゃった……)


てゐ「う……」タジ

薬売り「どうか、なされましたかな」

てゐ「ねね、ちんどん……じゃなくて、薬売りさん。物は相談なんだけど」

てゐ「今日の事は……誰にも言わないでくんない?」ヒソ

薬売り「と、申しますと」

てゐ「困るのよね~、こないだもうどんげ突き落として、めちゃ怒られたばっかでさ」

薬売り「……ほう」ニヤ

てゐ「だから、ね? 軽い自己紹介だと思ってさ」

てゐ「今度の付き合いを考えたら、今のうちに先輩に貸し作っといた方が、いいんじゃないかな~……とか?」

薬売り「ああ……なるほど……」


薬売り「それも…………そうですね…………」ニタァ


てゐ「うわぁ……」

てゐ(足元見る気満々の顔ね……)


【毒気】


てゐ「お詫びにほ、ほら! 永遠亭までちゃんと送ってあげるからさ!」

てゐ「ここ、一人でうろつくのは危ないのよ? なんてったって”迷いの竹林”だなんて呼ばれるくらいだしね!」

薬売り「確かに、ここはアヤカシの気配が強い……」

てゐ「でしょでしょ! っつーわけで、さっそくレッツゴー!」


【悟】


てゐ「あれ……ていうかさ」

薬売り「どうしました?」

てゐ「あんた、どうやってお師匠様の所に着いたの? 一人じゃ絶対たどり着けないはずなんだけど」

てゐ「ていうか、そもそも迷わしてるのあたしだし」

薬売り「ああ、そういえばやけに同じ場所に戻るなぁと思ったら……」

薬売り「あれは……あなたの仕業だったんですか……」ギロ

てゐ「う……っさいな! こっちは悪戯じゃないっつーの!」

てゐ「防犯よ防犯! セキュリちぃって言葉をご存じ!?」

薬売り「ああ……番士の方でございましたか」

てゐ「そーよ。あんたみたいな見るからにうさんくさい奴を近寄らせない為にやってんの。お分かりいただけた?」

薬売り「まぁ、怪しいのは、認めますがね」

てゐ「で、どうやって潜り抜けたのよ」

薬売り「ああ、それはね……」



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てゐ「ひぇぇぇぇぇぇえ!? 何!? 何!?」

薬売り「こいつに……聞いたんですよ」


【驚】



薬売り「これは……天秤にございます」

てゐ「天秤の形……じゃなくない?」

薬売り「この天秤は通常と少し用途が違いまして……こいつは重さではなく、距離を測る天秤」

てゐ「ええ~、見方がさっぱりわかんないんだけど」

薬売り「簡単ですよ。ほら、こうして……」


チ リ ン


薬売り「天秤の傾きが正しき道筋を示してくれる……という次第で」

てゐ「……なんかよくわかんないけど、持ち主がわかるならそれでいいんじゃない?」

薬売り「恐縮です」


【納得】


てゐ「てかびっくりした……一人でに飛び出してくるとか……」

薬売り「そういう風にできてますからね」

てゐ「タネも仕掛けも満載ね。これじゃあいよいよ持ってちんどん屋だわ」

薬売り「まぁまぁ、便利ですぜ。おかげでこうして、この薄暗い竹林でも迷わずに済む……」

てゐ「なんか、竹林の主として複雑な感情なんだけどォー」

薬売り「いえいえ……どころか、迷いの原因がアヤカシの所業ならば、むしろこちらとしても好都合」

薬売り「全てが人ならざる物の仕業と言うのなら……こいつも使える」ペラリ



てゐ「――――そ、それはッ!」



薬売り「い……よっと」ペタリ


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薬売り「即席の結界に即席の天秤。これら二つが混ざり合う事によって……」

薬売り「真を示す、標になる……というわけで御座います」



てゐ(スペルカード――――!?)

>>28
画像間違えた
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薬売り「流浪の薬売りは方向感覚の洗練が必須でね。迷うと薬が売れなくなるどころか自分が帰れなくなる」

薬売り「そうなると商うどころじゃなりませんから……これもまた、商いで得た知恵って奴でさぁ」

薬売り「まぁ……本来の用途はまた、別にあるんですがね」ニヤ

てゐ「なるほどなるほど……OK、よーくわかった」

薬売り「では、戻りましょうか……」



てゐ「――――あんたはここから出ていくべき存在だって事がね」



薬売り「……ん?」


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薬売り(札が……)


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薬売り(食われている……!?)




てゐ「全員・緊急集合ォォォ! こいつが貼ったスペルカード、全部食い破ってしまいなさい!」


兎達「「ギギギギギギギ――――」」


薬売り(札が……”竹毎”食い破られていく……!)


てゐ「このうさんくさいちんどん屋を全員で取り囲め~~~!」



【包囲】



てゐ「そこを動くなちんどん屋ァ! 動くと全身噛みちぎるわよ!」


兎達「「ギリギリギリギリギリギリ――――」」


薬売り「なるほど、兎を使役するアヤカシでしたか……」

薬売り「どおりで、兎みたいな耳をしていると思いましたよ」

てゐ「そっちこそ、目は体を表すとはよく言ったものね! 最初っからあんた、うさんくさい見た目してると思ってたのよ!」

薬売り「名は体を、でしょ」

てゐ「……ええいやかましい! そんなド派手なスペカ持ち込んどいて、何もないだなんて言わさないわよ!」

薬売り「スペカ……スペルカード……はて」

薬売り「申し訳ありませんが、さっきから話がさっぱり……」

てゐ「まだしらばっくれる!? この野郎……上等よ!」

てゐ「その弾幕勝負、受けてたってやるっつってんのよ!」グッ


薬売り(この気配……本気で仕掛けてくるつもりか……)


てゐ「お師匠様の元へは行かさないんだから!」


薬売り(もしや…………こいつが”形”か?)



【対峙】


薬売り「致し方……ありませんね」

てゐ「そ、それは!」


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薬売り「モノノ怪を成すのは、人の因果と縁(えにし)――――」

薬売り「人の情念や怨念がアヤカシに取り憑いた時、それはモノノ怪となる」


てゐ「本性表しやがったわね……そんないかにもな刀持ち込みやがって!」

てゐ「やっぱり、ヤル気マンマンだったんじゃないのさ!」


薬売り「この広大な竹林を、人を寄せ付けぬ迷いの竹林に変えし”形”」

薬売り「その目的は、永遠亭に誰も近寄らせないが為。それが”真”」

薬売り「してその”理”は――――」


てゐ「絶ッ対! に! お師匠様の元へいかせるかァーーーーッ!」


薬売り(あの永遠亭の主。八意永琳を守るため――――)



【兎符】因幡の素兎


てゐ「食らえーーーーーッ!」


薬売り「形・真・理の三つによって」


薬売り「剣を」


てゐ「オラァァァァーーーーーッ!」


薬売り「解き放――――」



――――なんと、げに奇怪な事態であろう。
 薬売りにあらぬ誤解を抱き、ついに牙を剥いたるは半人半兎のアヤカシ。
 アヤカシは己が持つ呪符で持って薬売りへと襲い掛かり、薬売りは其れを迎え討たんと、いざ身構え申した。
 それは、まさにその刹那の出来事である。



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 退魔の剣は薬売りの形・真・理に応える事無く押し黙り、よって薬売りは兎の牙に空手で挑む運びとなった。
 剣の沈黙は形・真・理が違っていた……すなわち、薬売りの見当違いを意味して申す。
 だがしかし、薬売りの仰天は其れとは無関係にござい。
 薬売りの関心はアヤカシの事など隅に追いやり、代わりに、視界の隅を微かに掠めた”小さな影”に移ったのである。



てゐ「………………え?」



 その影は韋駄天の如き瞬足で、瞬く間に薬売りの視界の、奥へ奥へと突き進み――――
 半兎の身を”グサリ!”と貫いた後、ようやっと消え失せたのだ。



薬売り「――――兎ィ!」


てゐ「な…………んで…………」グラ


 嗚呼嘆かわしや。
 その身貫かれし半兎のアヤカシ、直ちに大地へとその身を伏せ、そのままピクリとも動かぬ肉塊に成果てなすった。
 アヤカシの使役し兎の群れも同様。
 主の地に伏せる様を、ピクリとも動かぬままに、その赤い眼にてじぃ~っと見つめていたという。


てゐ「 」

薬売り「これは……一体どういう……」

薬売り「この傷口、何かに貫かれた……?」

薬売り「何か、小さな……小粒のようなモノに……」


薬売り「――――ハッ」


 そして一連の光景を見届けた薬売りは、何らかの気配を察したか、不意にふと振り返えなすった。
 してまもなく後――――かつて幾度となく見せた、あの奇怪な笑みを浮かべたと言う。



薬売り「これはまた……骨の折れそうな……」


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 「竹林に生い茂る竹の一本一本に、あっしを見詰める無数の目ン玉が生い茂っていたんでさぁ」。
 そう語る薬売りの表情は、いみじくもどこか……
 ”愉し気”であったとか、なかったとか――――。




                         【つづく】



・今後の更新予定
時間、曜日不定期
間隔は一日以上一週間未満が目安
万が一一週間を超えても更新できない場合はなんかしら言いに来る

・話数
ちょっと長いかもしれない



今日はここまで 
ねる




――――壁に耳あり障子に目あり
 蔓延る秘め事万別なれど、果てに行きつくは白日の下
 それは、形ある物に限らず。
 人の世があり続ける限り。人が因果を持つ限り――――。




【永遠亭】――――二の幕


薬売り「……」


【待機】


うどんげ「う、ううう……」


【啜泣】


薬売り「……ん」



【静寂之果てに】



永琳「――――お待たせしました。二人共」

うどんげ「お師匠様! そっ、それで! それでてゐは……!」

永琳「安心なさい……てゐは無事です」



【無問題】



永琳「確かに、薬売りさんの言う通り、この部分……右肩部付近を何かに貫かれたような痕はありました」

永琳「が、とは言ってもそれは……針に刺さった程度の小さな痕。言うなれば、掠り傷と大差ありません」

薬売り「ただの掠り傷……ですか」

永琳「別段、命を脅かす程でもないでしょう。あの程度ならまた、半日もせずにまた元気に飛び跳ねますよ」

うどんげ「は、はは……あのバカ……」

薬売り「そいつぁ……よぅござんした」



チーン



薬売り「では、モノノ怪は、命を奪うつもりまではなかったと……」

永琳「まぁ、てゐにとっては良い薬になったでしょう。これを機に、無用な悪戯は懲りて欲しいものですね」

薬売り「のたまうままに……」

うどんげ「よかったぁ……本当に、よかったぁ……」


【安堵】



永琳「あなたが出くわしたあの子は、その名を因幡てゐと言いまして。鈴仙に次ぐ、私のもう一人の弟子です」

薬売り「弟子は……二人いたんですね」

永琳「しかしてゐは鈴仙と違い、何と言うかこう……謀り症な性で」

永琳「ここが迷いの竹林なのを良い事に、迷い人に悪戯を仕掛ける事ばかりに心血を注ぐ次第で……」

薬売り「身をもって体験しましたよ。自己紹介がてらね」

永琳「幾度も、忠告はしているのですが」ハァ


うどんげ「――――で、穴に落とされてあったまきてやっちまったってか!? はん、ありがちな犯行理由ね!」


薬売り「あっしじゃありませんよ……」

うどんげ「嘘つけぇ! じゃあ逆に聞くけど、あの場あの状況で、他に誰がいるってーのよ!」

うどんげ「言っとくけどてゐはそんじょそこらの妖怪兎とはわけが違うのよ!? あいつはここの全兎のリーダーで(ry

薬売り「だから……違いますって」



【誤解】


永琳「鈴仙……いい加減におし」

うどんげ「いーや、今度ばかりは勘弁ならないね! 例えお師匠様のいいつけでも!」

薬売り「あなたもお師匠様に逆らいますか? いやはや、個性豊かな姉弟子さん達だ」

うどんげ「逆らう? とんでもない。むしろ守ってんのよ」

薬売り「ハッ、どこが……」

うどんげ「じゃあ聞かせてもらいますけどね……あんたのその、ちんどん屋にしか見えないド派手な服!」

薬売り「この着物が……何か?」



うどんげ「――――に忍ばせてる懐刀は、一体何に使うモノなわけ?」



薬売り(――――!)



【予期せぬ鋭敏】



薬売り「ほぉ……これはこれは……」ニヤリ



永琳「か、刀……?」

薬売り「兎は、耳が良いかわりに目が悪いと聞き及んでおりましたが……」

薬売り「どうやら、ここの兎はその例に当てはまらないようで」


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うどんげ「ついに得物出しやがったわね……この辻斬りヤロー」

薬売り「その台詞、つい先刻全く同様の事を言われましたよ」

永琳「薬売りさん……それは一体……」


【説明】


薬売り「見たまんま、斬るんですよ」

薬売り「ただしこれの場合、人や畜生を斬る類のモノじゃございやせん」

永琳「じゃあ、何を……?」

薬売り「”モノノ怪”――――ですよ」



チーン



薬売り「モノノ怪を成すのは、人の因果と縁(えにし)」

薬売り「人の情念や怨念があやかしに取り憑いた時、それはモノノ怪となる」


永琳「では、てゐに手傷を負わせたのは、そのモノノ怪の仕業であると……?」

うどんげ「そのモノノ怪とやらが、てゐに何の怨みがあるってーのよ?」


薬売り「モノノ怪の道理は人の道理と混じらわず。決して相容れる事はない」

薬売り「ゆえに……斬らねばならぬ」

薬売り「それが例え、いかなる因果であろうとも」


永琳「…………」



【問答無用】



うどんげ「斬らねばならぬ……つったってさぁ」

うどんげ「肝心のこれ…………んぎぎぎぎぎぎ!」

うどんげ「~~~~ばっ! ダメ! 無理! 全然抜けないじゃん!」

薬売り「抜けませんよ、そいつは」

うどんげ「はぁ!? じゃあどうやって斬るのよ!?」

薬売り「そいつを抜くには、とある三つの条件が必要でね」



薬売り「退魔の剣を抜くには、モノノ怪の形・真・理が必要なんですよ」

薬売り「形とは、読んで字のごとく、モノノ怪の成す形」

薬売り「真とは、事のあり様」

薬売り「理とは、心のあり様」

薬売り「この三つが揃わぬ限り、そいつはいくら引っ張ったって抜けやしません」


永琳「真と理……」

うどんげ「結構ワガママな奴なのね……」


退魔の剣「 」チーン


薬売り「モノノ怪が現れた以上、この竹林になんらかの因果が存在するのは、もはや変え難き真」


薬売り「よって、皆々様――――」



【凛】



薬売り「この永遠亭に纏わる、真と理――――」



薬売り「お聞かせ――――願いたく候――――!」




【問掛】


うどんげ「お、お師匠様……」

永琳「…………」

薬売り「あの人兎は、幸いにも軽い怪我程度で済みましたが……」

薬売り「今度は……怪我程度で済む保証はありやせんぜ」



【返答や如何に】



永琳「……わかりました」

うどんげ「お師匠様!」

永琳「ただし、こちらからも一つ条件が」

薬売り「……何でございやしょう」



【問掛】



永琳「そのモノノ怪とやら、必ずや斬り屠って見せなさい」

永琳「これは申し出にあらず。流浪の薬師の、その師としての”命令”」

永琳「万が一、その命が叶わねば……」

薬売り「叶わねば?」

永琳「叶わぬなら……あなたもまた、永遠の一部となりましょう」




【返答や如何に】




薬売り「……そのように」




【八意永琳――――之・真】



永琳「薄々感づいておられるかもしれませんが……私と鈴仙は、元々はこの場所の住人ではありませんでした」

薬売り「ほぉ……元々はどこに?」

永琳「ここから遥か遠くにある都……思い馳せねど、おいそれと戻れぬ彼方の故郷」

うどんげ「要するに、簡単に帰れないくらいくっそ遠い場所って事よ」

薬売り「続けて……いただけますか」

永琳「太古の昔、私はその故郷を捨て、この地へと移住してきました」

薬売り「わざわざこんな、薄暗い竹林にですか……人里ならば、もう少し住み心地のよい場所もありましょうに」

永琳「そう、私はそのような……薄暗い、人がいるかどうかもわからない場所を選んで住まう必要があった」

うどんげ「空気読みなさいよ。大体察しが付くでしょ」

薬売り「なるほど、これは所謂……」


【悟】


薬売り「”逃避行”って奴……ですかな」



ゴーン



永琳「かの都は都の外を”穢れた地”と蔑み、その為都人が出国する事は許されざる事でした」

永琳「して、その唯一の例外は――――”流刑”」

永琳「都で禁を破りし者を罰する時に限り、初めて都の外に出る事を許されるのです」

薬売り「ほほぉ……手厳しい国ですな」

永琳「罪に穢れた罪人は、同じ穢れた地に追いやってしまえ――――かの都の基本的な考え方です」

永琳「自分たちだって……穢れている癖に……」ボソ


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薬売り「なるほどなるほど……して、何の罪をおやらかしになったので?」

うどんげ「……は?」

薬売り「だってそうでしょう? 都から逃れる為、自ら流刑に処されようってにゃ、そりゃもう大変な――――」

うどんげ「あんたねぇ! ほんといい加減にしなさいよ!」

うどんげ「お師匠様がそんな事するわけないでしょ! そもそもこれから逃げようって時に、なんで新たに罪を犯さないといけないの!」

薬売り「ああ……それもそうですね」

永琳「うどんげ……」

うどんげ「お師匠様は何も罪なんて犯していない……お師匠様ただ……そう!」



【庇】



うどんげ「――――単に全力でバックレたってだけよ!」ビシ



永琳「う、うどんげ?」

薬売り「十分……罪に値すると思うのですが」



チーン




永琳「よいのです。以下に形容した所で私は罪人。この真は永遠に消えることはない」

うどんげ「嗚呼、お師匠様、そんな自らを卑下なさらずに……」

うどんげ「ていうかお前! 余計な口挟んで変なイメージつけんな!」

うどんげ「あんたの聞き方だと、まるでお師匠様が大罪人みたいじゃない! ちょっとは聞き方考えろ! バカ!」

薬売り「で、なんでまた、故郷をお捨てになられたので……?」

うどんげ(無視かい――――!)ガーン


永琳「私が故郷を捨てた理由……それは……」


薬売り「それは?」


【望】


永琳「そう……望まれたからです」


薬売り「……誰が?」



(ここにはかく久しく遊び聞こえて ならひ奉れり
 いみじからむ心地もせず 悲しくのみある
 されどおのが心ならず まかりなむとする)



永琳「姫様が……そう望まれたからです」


薬売り(姫……だと……?)



【出奔之姫君】



【歩】


永琳「そう、この永遠亭の主は私ではありません」

永琳「鈴仙とてゐが私を師を仰ぐように、私もまた、主を仰ぐ従者の一人にすぎないのです」


【歩】


薬売り「それがこの永遠亭の真……真なる主」

永琳「会わせましょう……我が主にて永遠の姫君」


【着】


永琳「蓬莱山輝夜姫が御座す――――奥御殿に御座います」



【御開帳】



薬売り「これはまた……雅な……」



【蓬莱山輝夜之間】


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薬売り「これは所謂……城で言う、大広間と言う奴ですかな」

永琳「ええ。そしてこの襖一枚を隔てた奥に、姫様が……」

薬売り「ほほぉ……」



【――隔――】



うどんげ「あんた、マジついてるわね。普段は絶対に会えない御方なのよ?」

うどんげ「基本客人に姿を見せないし。ていうか、そもそも存在すら知られてないからね」

薬売り「いやはや、まさに恐悦至極の極み……」

うどんげ「つーわけで、頼むから姫様にまで無礼な口聞かないでよね」

薬売り「無礼を働くと……どうなるんです?」

うどんげ「そうね……まぁ……月の裏側までぶっ飛ばされるのは確定かな」

薬売り「月の裏側……ですか」

うどんげ「そ。少なく見積もってもね」

薬売り「それはそれは、手厳しい事で……」



永琳「――――静粛に」



うどんげ「ほら来た! 頼むから、ちゃんとしてよ!」

薬売り「はい……はい」



【永遠亭――――之・真】


永琳「姫様……八意永琳。鈴仙・優曇華院・イナバ。両名共に謁見承りたく、御前に馳せ参じました」


うどんげ「ははぁ~」

薬売り「……」ボー


永琳「此度の謁見は、先刻申し上げました”薬売りの男”の挨拶に御座います」


薬売り「あ……もう報告はしてたんですか」

うどんげ「コラ! 頭下げろっつーに!」ムンズ


永琳「薬売りの男曰く、この永遠亭に”モノノ怪”なる怪異が憑りついているとの事」

永琳「してその怪異、薬売りの男曰く、払うには我らの真と理が必須と申すのです」


うどんげ「そういやさ……そのあんたが見たってモノノ怪、どんな奴なの……?」ヒソ

薬売り「何と言いますか、こう……”無数の目ン玉”を生やしてましたね」

うどんげ「うぇえ~気色悪ぅ~、さっさと済ませてさっさと払ってよね」ヒソ

薬売り「そう簡単に……済めばいいですがね」



【前置】



永琳「――――以上の事から、姫様の御提言が不可欠との判断を下しました」

永琳「故に御目通りの御容認……どうぞ、お願い申し奉ります」


うどんげ「たてまつりまする~」

薬売り「……」ボー

永琳「 」



【刻】



薬売り「……」



【刻】



永琳「……」



【刻】



うどんげ「……」




チーン



薬売り「返事がありませんな」

うどんげ「うそ~ん」


うどんげ「あっれ~、もうおねむの時間だっけ?」

永琳「姫様……?」

薬売り「……」


――――永遠亭の真なる主が御座す姫君之間。
 その優雅美麗さは、「如何なる大名の間にも劣らず」と、後に薬売りは申しておった。
 しかし何故か。点在する色とりどりの色彩に似つかわず、その間には畳を擦る音すらも聞こえて来ぬではないか。
 よもや、主はすでに床に付いているのか。
 はたまた、催しがてら厠にでも向かいなすったか。
 姫君の忠実なる従者が、その疑問を払拭せんと襖に手を伸ばすのは、まっこと月並みな必然であろうて。



薬売り「…………ん」



【鈴】



薬売り「――――ハッ!」



 姫君を知らぬ薬売りに、姫君の高貴さを夢想することは叶わず。
 それが同様に、モノノ怪を知らぬ永遠亭の従者は、モノノ怪の起こす怪異を推し量れぬとは明快な道理。
 故に……致し方なき事であったのだ。
 モノノ怪は――――”すでに眼前に御座していた”などと。


永琳「姫様……開けますよ?」


薬売り「待て―――― 開 け る な ! 」



 襖は、誰に引かれるでもなく一人でに開いた。
 従者に取っては、触れた感覚以外には持ちえなかったであろう。
 しかしそのような事は、すでに些細な事でしかない。



永琳「え――――」



 襖は、開くと同時に――――”ブワリ!” 
 まるで疾風が如く、飛び出た”闇”が、間の隅々を縦横無尽に駆け巡ったと言う。



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薬売り「ぐっ………………!」

うどんげ「おぉぉぇぇぇええ――――ッ!? ななな、何よこれェーーーーーッ!?」



【心慌意乱】



薬売り「すでに……”中に入っていた”とは…………!」

うどんげ「かかか、感心してる場合じゃないでしょォォォォ!? は、早く何とかしなさいよォォォォ!」

薬売り「御意……!」

 
 その場はまさに、阿鼻叫喚の場となり申した。
 大しけの海辺の如く暴れまわる闇が、雅な姫の間を漆黒に染め上げていく
 ガタつく襖、響く鈴、震える剣、こだまする金切り声。
 優雅なる色彩に負けず劣らず響き渡るこの騒乱は……
 すなわちモノノ怪の”念”の強さを意味しているとは、この場では唯一、薬売りだけが存じる所であった。



薬売り「――――ハッ!」



 薬売りの放つ破邪の札が、間の隅々まで張り巡らされる。
 ペタリ、ペタリ、またペタリと――――
 これまた迅雷の如き速度で行き渡る札によって、モノノ怪を寄せ付けぬ結界が生まれ出る。
 してこの結界、此度のモノノ怪にどれほどまでに通用するのか。
 それは当の薬売りにも見当がつかぬままであったが……



薬売り「ぐぅ…………!」



 しかし得てして意外や意外。
 モノノ怪らしきこの闇は――――結界の創造と同時に、存外素直に消えていったと言う。



【応変】


薬売り「皆々様……ご無事で?」

うどんげ「はぁ……はぁ……もう……心の臓が跳び出るかと思ったわよ……」

薬売り「まだ安心しちゃいけやせんぜ……モノノ怪は”まだいる”」

うどんげ「――――うっそぉッ!?」



 して、何とかその場凌ぎには成功した薬売りであったが、未だ予断許さぬ状況に、皆は生きた心地がしないと言う物。
 他の者は突拍子もない出来事が故、最後まで気づけぬままであったが……唯一薬売りだけは気づき申した。
 それは先刻見た、モノノ怪の形と思しき”無数の目玉”である。
 薬売りにはその目玉の群れが、暴れまわる闇の中に埋もれる様を、己が目でしかと捉える事ができたのである。



うどんげ「ど、どど、どこ!? 外!? そこ!? ここ!?」

薬売り「落ち着け……今探す……」



 して、それらを経た薬売りは、とあるひとつの仮説を得た――――。
 ふふ、実は身共も、それに関してはよぅく存じておるのだ。


 人の目玉を模したモノノ怪。
 怪しげな曰く付きの竹林。
 故郷から逃げ出した高貴なる身分の者。

 
 これらは……そう! 
 身共もかつて遭遇した、あの”海坊主”のモノノ怪と、すべからく酷似しているではないか!




薬売り(真は――――姫君か!?)



 だがしかし、残念な事に今回はまた別なようで……。
 いや別に、そうであれと願っていたわけではござらんぞ?
 ただその方が、身共も存じている分、語りやすしと思うただけで……。




永琳「姫様……!」

永琳「…………姫様?」



うどんげ「ハッ! そうだ――――お師匠様、無事!?」

薬売り「いや……待て」



 まぁとかくだな、モノノ怪の真は姫君ではなかったという事だ。
 ……何故って。そこはお主、当然であろう?



永琳「姫…………様…………」




永琳「姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様
   姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様
   姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様   
   姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様
   姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様
   姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様姫様!!!!!」



薬売り(先を……越されたか……)



 姫君は――――すでに”モノノ怪に連れ去られた後”だったのだから。





                         【つづく】


【八意永琳】 

【鈴仙・優曇華院・イナバ】 

【因幡てゐ】

【蓬莱山輝夜】×


本日は此処迄



――――陰陽渦巻く竹林の座。
 陰は陽を染め隠し、陽は陰を照らし出す。
 同時に二つが御座せしど、相反せし二つは決して混ざることなし。
 消し合う運命が陰と陽。果たして盤上、残るはどちら――――




【永遠亭】――――三の幕


永琳「――――姫様!? どこです!? 姫様!?」

薬売り「モノノ怪に……連れ去られた」

永琳「ああああああ嘘よ姫様! 姫様がそう易々と連れ去られるわけが……!」

薬売り「信じ難きは心模様は心得て候。しかし事はすでに過ぎ去った」

薬売り「消え失せし姫君を求め彷徨うよりも、今は真を追及するのが優先かと……」



永琳「嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼――――!!」



薬売り(主君を奪われ心乱されたか……)



【御乱心】


うどんげ「お、お師匠様……」

薬売り「致し方……ありませんね……」


薬売り「――――ハッ!」


うどんげ「こっ、今度は何!?」



【鈴】



薬売り「天秤ですよ……モノノ怪との距離を測る、ね」

うどんげ「距離を測る……天秤……?」


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薬売り「この傾き具合からして……どうやらまだ……”近くにいる”みたいですぜ」

永琳「姫……様ぁ……」フラァ



薬売り「モノノ怪が近くにいると言う事は、姫君もまだ近くにいると言う事」

薬売り「ひょっとしたら、まだ助けられるかもしれやせん」

永琳「姫様は……まだ近くに……」


薬売り「――――食われてなければ、ね」


永琳「アアアアアアアア!!」


うどんげ「……」ピキ



【遺憾】



薬売り「姫君を謀ったと言う事は、やはりモノノ怪と姫君は何らかの縁で結ばれている道理」

薬売り「しかし肝心の姫君はもういない……ですので、あなたが代わりに聞かせてもらえませんか」

薬売り「姫君の持つ因果……怨み、恐れ、またはそれに準ずるもの」

薬売り「かの都から逃げる事を選んだ過去……言い換えれば、目を背け逃れようとした罪」



永琳「ぐ…………ぐ…………!」



【問詰】


薬売り「貴方なら……知っているんじゃないですか」

薬売り「姫君の忠実な僕である……貴方なら」


永琳「姫様は…………姫様に…………!」


【捲立】


薬売り「さあ……さあ……!」




 ピ キ




薬売り「!――――うろうそくたいがね、せかきお」


薬売り「?にな……」



【逆】



薬売り(これは……)


うどんげ「お前さぁ……ほんと、いい加減にしとけって」


薬売り(何を……された……?)


うどんげ「何度も言ってるだろ……さっきから、何度も……」


薬売り(こいつの……仕業か……)


うどんげ「いい加減……口の効き方覚えろよ!」


薬売り「かすで……ざわしのたなあ」



 心乱されし八意永琳に呼応するかの如く、薬売りの声までもが、突如としてあべこべに乱れもうした。
 してそのまっこと奇怪な所業は、未だ姿見せぬモノノ怪ではなく、眼前の鈴仙なる人兎の仕業と言うではないか。
 人兎の面妖なる妖術をその身に受け、やはり薬売りは確信したと言う。
 「この永遠亭には、底なしに蠢く、いと大きなる因果ありけり」。
 モノノ怪の気配がとおに去ったその後も、人兎の眼だけが、げに朱く照り申しておった……
 とか、なんとか。



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【――――暫し後】



薬売り「あ・あ・あ」

薬売り「い・ろ・は・に・ほ・へ・と・ち・り・ぬ・る・を」

薬売り「ふむ……どうやら、戻ったようですな」


うどんげ「――――いい薬になったでしょ。アンタみたいな無礼者には、特に」


薬売り「ええ……そりゃあもう……」



【鈴仙・優曇華院・イナバ――――之・真】



うどんげ「あたしの能力は【狂気を操る程度の能力】。万物に宿る全て波長を狂わせ、乱す」

うどんげ「音、光、熱、さらには人の五感すらも……この目に映る物なら、なんでもね」

薬売り「面白い妖術をお持ちですね……なるほど、”乱す力”ですか」

薬売り「では先刻のアレは、あっしの喉を乱した……という事ですかな」

うどんげ「あー、うん、まぁ……そうね」

薬売り「おや、やけに暗い面持ちですな」

薬売り「素晴らしい術をお持ちなのに……むしろ何故に、今まで隠しておられたので?」

うどんげ「いや、隠してたってわけでもないけど、だってさぁ……」

薬売り「”薬師と真逆の力”――――だからですか?」

うどんげ「あんた……ハッキリ言いすぎよ」



【図星】


うどんげ「薬師の弟子が人を狂わせる術師だなんて、笑い話にもなんないでしょ」

薬売り「そうですね……その素晴らしい力のおかげで、モノノ怪を取り逃がすハメになってしまいましたし」ハァ

うどんげ「このガキャマジ……下手に出ればまたそんな口を……」ピキピキ

薬売り「事実を申したまでですが、何か」キリ

うどんげ「ていうかそもそも! あんたがズケズケと物申しまくるから使うハメになったんでしょうが!」

うどんげ「お師匠様の様子見たでしょ!? 姫様がいなくなったばっかりなのよ!?」

薬売り「確かに、お師匠様らしからぬ乱心具合でしたな」

うどんげ「言っとくけど、さっきのアレはあたしじゃないわよ。お師匠様の素の心境」

うどんげ「人が乱れる様を見て……あんな尋問紛いなマネがよくできたわね!?」

薬売り「モノノ怪が……近くにいたもので……」



【溜息】



うどんげ「なんか……あんたアレね」

うどんげ「本質的に、アレなのね」

薬売り「アレとは?」

うどんげ「うーん、こう、何といったらいいか……」

うどんげ「育ちのせいなのか、持って生まれた性なのか……」

薬売り「なんなりと申し付けてくださいよ、姉弟子様」

うどんげ「そうその言い方! 発音! イントネーション!」

うどんげ「すっごいイラつくわ! めっちゃくちゃバカにされてる感じ!」

うどんげ「そろそろ何とかなんないの!? その……その!」


うどんげ「アレな感じなアレ!」


薬売り「はぁ……」



【御説教】



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うどんげ「音にはね、波長ってもんあるのよ。ゆらゆらと揺らぐ、波のようなね」

うどんげ「この波長の具合が音に様々な変化を与える。高か低か、長か短か、大か小か――――」

うどんげ「そして波長はもう一つの変化を持つ。それが何かわかる?」

薬売り「さぁねぇ……あっしは雅楽奏者じゃありやせんので」

うどんげ「”感情”よ。音の波長は感情にも変化を与える」

うどんげ「心静まる心地よい音に、底から昂る激しい音」

うどんげ「そしてその真逆の、不快感を与える音もね」

薬売り「音にも感情がある……と?」

うどんげ「ううん、音はあくまで音にすぎない。変わるのは、発する者と受け取る者の二つ」

うどんげ「人の感情にも影響を与える音の波長……その中で、相手に何かを伝える為に与えられた揺らぎ」

薬売り(それはまさに)

うどんげ「これを”声”って言うのよ」



【声音】




薬売り「これはまた……奇怪な事を。その言い分だと、人以外も喋ると言う事になりますが」

うどんげ「ええ喋るわよ。聞こえないだけ」

うどんげ「長い時の中で失ってしまったか、または耳を塞いで聞こえないふりをしているだけか」

うどんげ「けど、ちゃん声に耳を傾けさえすれば……」

薬売り「じゃあ、教えていただきましょうかね。例えば……この辺り一帯でサアサアと鳴る竹の一本一本」

薬売り「こいつは一体……誰に、何と言っているんですかね」

うどんげ「聞きたい?」

薬売り「……是非」


うどんげ「ん……」



【聞耳】


【擦音】


【竹之声】


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うどんげ「――――”薄気味悪いちんどん屋、早く帰れバカ”」

うどんげ「だってさ」

薬売り「こいつぁ……手厳しい」



チーン



うどんげ「よーするに! もっと言葉の使い方を考えろっつってんの!」

うどんげ「同じ言葉でも使い方次第で意味変わるって事。わかった!?」

薬売り「はい……はい」

うどんげ「はーあ、こんなのその辺の童でも知ってるってーのに」

うどんげ「一体どんなしつけを受けてきたのかしら。ったく、これだから穢れた人間は」

うどんげ「ハーヤダヤダ。育ちの悪い奴って、これだから嫌い」ヤレヤレ

薬売り「……おや?」



永琳「――――人の事が言えた立場ですか、鈴仙」



うどんげ「お、お師匠様!」


永琳「私から見れば……貴方だって、十分に口汚い部類と存じておりますが?」

うどんげ「だ、だってあれはいつもてゐが!」

永琳「それに、貴方の力は心身乱せし魔性の力。”許可なく使うな”と、あれほど強く言いつけておいたのに」

うどんげ「バ、バレてたっ!」ガーン


【洞観】


永琳「――――先刻は大変お見苦しい所をお見せしました、薬売りさん」

薬売り「こちらこそ、いささか無作法が過ぎたようで……お体御障りないですか? お師匠様」

永琳「もう大丈夫です……さぁ、こちらへ。奥の間で、お話しましょう」

永琳「あなたの言う真……あなたに知らせたい、この”世界の理を”」

薬売り「ほぉ……言うに事欠いて、世界の理と来ましたか」

永琳「そして鈴仙。ついでにあなたにも話があります」

永琳「夜通しかけた、なが~いお話が、ね」ジロ

うどんげ「う、うう……」


薬売り「……」


【凝視】


うどんげ「な、なによ……」


【失笑】


薬売り「…………プッ」

うどんげ「――――あに笑ってんだちんどん屋ゴルァ!」



【――――鈴仙!】

風呂



【対面】


永琳「”幻想郷”……と言う名をご存じで?」

薬売り「はて、幻想郷……初耳ですね」

永琳「この永遠亭を有する迷いの竹林……の、さらに外」

永琳「人里・森林・城・御屋敷、村、山、川、等々――――これらを含む全てを、ここでは幻想郷と呼ぶのです」

薬売り「そのような地が……いやはやお恥ずかしい。地理学にはとんと無頓着な物で……」

永琳「そしてこの幻想郷は、とある大きな理に覆われております」

永琳「それは他の地では決してありえぬ、世の理から外れしもう一つの理……」

薬売り「ほぉ、してそれは……」

永琳「――――人と、妖との共存です」

薬売り(なんと……)


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永琳「浮世で疎まれ、払われ、魑魅魍魎と恐れられる人ならざる者どもが、巡り巡って辿り着く最果て」

永琳「それがこの幻想郷。居場所をなくした妖の、最後の居場所なのです」

薬売り「なるほど……どーりで、どこもかしこもアヤカシだらけと思いましたよ」チラ

うどんげ「あんたが一番怪しいのよ。このちんどん屋ファッションが」

薬売り「居場所をなくした者が最後に行き着く先……なるほど、逃亡の身にとってはこれほど都合のいい場所はない」



永琳「――――だと、思っていました。つい最近まで」



【想定外】


薬売り「おや……違うので?」


永琳「これを……ご覧ください……」ペラ


うどんげ「そ、そいつは!」

薬売り(これは……)


永琳「貴方が、てゐと居た時に見たというモノノ怪の姿……」

永琳「ひょっとすると、このような姿だったのではありませんか?」


薬売り「ええ……間違いありません」


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薬売り「何故、ご存じなので」

永琳「先刻、あの奥御殿での貴方とうどんげの会話……”無数の目玉”と言う言葉で気が付きました」

うどんげ「聞こえてた……のね」

永琳「この者は――――人呼んで”スキマ妖怪”」

永琳「して近しい者は、敬意を込めて彼女を【八雲紫】と呼ぶのです」

薬売り「スキマ妖怪……八雲紫……?」


【紫】


永琳「彼女がスキマを開く時、そこには無数の眼が現れると言います……まさに、この絵のように」

薬売り「瞼……みたいですな」

永琳「スキマ妖怪とは、その名の通り、この世の全てのスキマを司る妖怪」

永琳「そしてスキマとは、言い換えれば万物の境界線そのもの」

永琳「物と物。事象と事象。さらにはその対象は、夢や幻と言った精神的境にまで及ぶと言われております」

薬売り「夢と現実の境界・夢現(ゆめうつつ)……」


【境】


永琳「して、その全てを司るこの妖怪であれば……そう」

永琳「この幻想郷は――――”彼女が創造りし世界”だったのです」


薬売り(人と……妖の……境……)



【八雲紫――――之・真】


永琳「人と妖の境界を曖昧にした世界の創造……そんな神の如き芸当ができるのは、この八雲紫以外にありえないのです」

永琳「少なくとも、創立に深く関わっているのは間違いないでしょう」

薬売り「なるほど……確かに、形は合致する」

薬売り「しかしまだ”真”が見えない。仮に、モノノ怪の正体がその八雲紫だったとして……」

薬売り「何故、姫君を狙う? よもや今更、不法入居などと訴えるつもりでもあるまいし」

うどんげ「薬売り……声」トントン

薬売り「っと失敬。少し口が過ぎたようで」

永琳「……」

薬売り「申し訳ありませんね。あっしはどうやら、含みを持たせる言い方が癖になってしまっているようで」

薬売り「他意はありませんので、あしからず……」

うどんげ「……」



薬売り「しかし――――腑に落ちぬのもまた事実。逃亡の果てに行き着いた身であるはずのあなたが、何故にそこまで”スキマ”の詳細を得るに至ったのか」



ポン



薬売り「貴方はその八雲紫を”彼女”と呼んだ。性差の曖昧な八百万の神に等しき存在を、どうして彼女と断言できましょう」

薬売り「それも――――”近しい者の呼び方”まで知る、程に」

うどんげ「全然……反省してないじゃない……」ハァ



ポポン




薬売り「お聞かせ……願いますかな」

薬売り「因果の隙間は、姫君とあなた、一体どちらに繋がっているのか……」




ポポポン




永琳「……」




(――――両方、です)




チーン



【亥】


薬売り「お体……差し支えないですか」

てゐ「全ッ然。あたしを誰だと思ってるの?」

てゐ「こんな程度で床に伏せるほど、この因幡てゐ様はヤワじゃ(ry」

薬売り「じゃあもう看病はいらないですね」

てゐ「ああああああ痛いいいいいいい傷口が開くううううう痛いいいいいい!!」ジタバタ

薬売り「やれ……やれ……」


ゴーン


てゐ「うううう~~~特に頭のこの辺がすっごく痛いぃ~~~」

薬売り「患部は肩じゃありませんでしたか……」

てゐ「素人ねちんどん屋。傷口からばい菌が入って、新たな病気が感染する事だってあったりするのよ」

薬売り「そりゃそうですが、にしてもそんな急には膿みませんよ」

薬売り「それに、消毒はちゃんと済ませてますし」

てゐ「ああああ頭が痛いいいいい割れるうううううもうダメだああああああ!!」

薬売り「はい、はい……わかりましたよ」



【仮病】


薬売り「何を、させたいんですかね」

てゐ「この屋敷のどこかに頭に効く薬があったと思うから、それ持ってきて」

薬売り「わざわざ取りに行かなくとも、あっしが直々にこの場で頭痛薬を調合してさしあげ――――」ガサゴソ

てゐ「くぉらやめい! そんなもんいるかァ!」

薬売り「何故……?」

てゐ「バカね。あたしが言ってるのはお師匠様が直々に作った置き薬の事言ってるの」

てゐ「八意印の特別薬よ。なんでも万病に効き、なんでも治すとかなんとか……」


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薬売り「万能薬……ですか」

てゐ「そんな薬があると知っちゃあそりゃあんた、普通の薬なんて飲む気になれないってなもんよ」

てゐ「特にあんたみたいな、ヤブ臭いちんどん屋の作る薬なんて、さ」

薬売り「……」ジー

てゐ「なによ。なんか文句ある?」

薬売り「いえ……ただ……」

薬売り「少しショック……という次第で」



チーン


永琳(かの都にはかつて、大規模な争いが起こった経緯があります)

永琳(それはまだ私達がかの都にいた頃の話……何の前触れもなく、ソレは突然やってきた)


【歩】


永琳(当時の記録には、地上の妖怪が突如として、大挙に押し寄せてきたとあります)

永琳(その首謀者が、当時まだ名の無かった八雲紫)

永琳(先の争いは、八雲紫がかの都をわが手に収めんと起こした、侵略戦争だったのです)


【歩】


永琳(八雲紫は非常に危険な妖怪です。飽くなき野心はまるで留まる事を知らず、思うがままにこの世界の理を弄ぶ)

永琳(そして、その欲望は未だ衰えてはおらず……この幻想郷だってそう)


【歩】


永琳(当時は、辛くも撃退にこそ成功しましたが……首謀者の八雲紫までを討ち取るまでは叶いませんでした)

永琳(してその八雲紫が生きてる以上、侵略を諦めたとは到底思えません)

永琳(この幻想郷の創設だって、よもや、再侵攻の為の前準備なのではとすら思えます)


【歩】


永琳(スキマは着実に広がり続けています。今この瞬間も……着々と……まるで病魔の如く)

永琳(してその病魔が、隙間を縫って、この永遠亭にまで辿り着いたとしたら……)

永琳(かつて欲したかの都の姫君が、よもや自分の庭にいるなどと、あの八雲紫が知ろう物ならば……)



 ピ タ



薬売り「逃げ込んだ先が、よりにもよって、かつての宿敵の箱庭であったとは……ねえ」

薬売り「はてさて、運がいいのやら……悪いのやら」



【姫君之間・再】


薬売り「珠・鉢・衣・貝・枝……ほほぉ、これはこれは、貴重な品ばかりだ」

薬売り「逃亡の最中の唯一の娯楽でしょうか……意外にも、姫君には収集家としての側面があった」

薬売り「と、言う事でよろしいですかな」


うどんげ「――――その前に、とりあえず謝ろっか」


【御免】


うどんげ「姫様の部屋に勝手に入るとか……あんた、世が世なら打ち首獄門よ」

薬売り「いいじゃありませんか。ここには、優秀なあなたがいる……こうして即座に駆けつける、地獄耳の宿直兎がね」

うどんげ「ふん、おだてようたってその手には乗らないっての」ピコピコ

薬売り「耳、立ってますよ」



チーン



うどんげ「で、何しに来たの? 金目の物でも探しに来た?」

薬売り「探し物は探し物ですが……金目の物ではなく、薬を探しに来たんですよ」

うどんげ「薬を探しに来たって、あんたがその薬売りでしょうが」

薬売り「いえね、なんでも、ここには”八意の秘薬”があるそうで……」

うどんげ(…………!)


【驚】


薬売り「この屋敷のどこかにあると言いますから、取ってこいと言われたんでさぁ」

薬売り「とは言う物の、あっしはこの屋敷の事はたいして詳しくない。迷い迷って、気が付けばこの姫の間に――――」

薬売り「……どうしました?」


【殺気】


うどんげ「誰に……頼まれた」

薬売り「そう急かなくとも、ちゃんと言いますから……とりあえず」

薬売り「その”単筒を模した指”を収めていただけませんかね」


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うどんげ「誰が……”あの薬”の事を漏らした……!」

薬売り「おっかなくて……また声があべこべになってしまいそうだ」



【禁秘之薬】



薬売り「曰く――――その秘薬に比べれば、あっしの薬なんてその辺の藪とたいして変わらない。だそうで」

うどんげ「あのバカウサギ! よりにもよってあの薬の事を漏らすなんて……!」

薬売り「と、言う事は……あるんですね?」

薬売り「あらゆる病に効くという……八意の秘薬とやらが」

うどんげ「ぐ…………」

薬売り「話して……いただけませんかね」

薬売り「それが、モノノ怪の因果と縁……かもしれませんから」


うどんげ「う……」


【黙秘】


うどんげ「ぐ…………!」


【焦燥】




(グゥー……)



うどんげ「……わかった。ついてきて」



【出掛】




――――かごめ かごめ かごのなかの とりは



薬売り「どこまで……行くんです?」

うどんげ「黙ってついてきなさい。知りたいんでしょ」



――――いついつ であう



薬売り「もうすっかり永遠亭が見えなくなりましたが……まだ進むんです?」

うどんげ「うっさい! ズべこべ言うな!」



――――よあけのばんにん



薬売り「どこまで行こうと、竹・竹・竹……迷いの竹林とはよく言ったものです」

薬売り「こんな代わり映えのない景色じゃ……なるほど、盗人風情では到底辿り着けない」

薬売り「そしてかのスキマ妖怪であろうと……ここは、境が多すぎる」



――――つると かめが すべった



うどんげ「 」ピタ

薬売り「おや、どうしました?」

うどんげ「これもって」ドン



――――うしろのしょうねん 



薬売り「……籠?」



――――だぁれ?



【籠目】


うどんげ「スー……ハー……スー……ハー……」

薬売り「何を……なされているんです?」

うどんげ「いざ――――参る!」

薬売り「ぬおっ」


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うどんげ「――――そこォッ!」

薬売り「おおっ」


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うどんげ「まだまだァァァァッ!」

薬売り「お、お……」


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うどんげ「あたしの目からは逃れられない……よっと!」


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うどんげ「――――うっし! 本日の”収穫”終了ォッ!」フッ

薬売り(重い……)



ゴーン


うどんげ「いやね、すっかり忘れてたのよ――――”夕飯の支度”」

うどんげ「ドタバタしてたしさ。そういやまだ、なーんも食べてなかったなって」

薬売り「山菜、菜の花、木の実、筍、茸、なるほど……食糧調達でしたか」

薬売り「にしてもこれは……少々獲りすぎかと」


【大・豊・作】


うどんげ「効率化と言って頂戴。ただでさえ忘れてたんだから、弾幕バラいてパパーッと獲らないと」

薬売り「今のが……弾幕ですか」

うどんげ「つか、ほんとはあんたがやんきゃいけない事なのよ? 新入りの癖に、てんで仕事しないじゃない」

薬売り「まだまだ、未熟者です故……」


【夜風】


うどんげ「働かざる者食うべからず。よーく覚えておきなさい。薬も食料も、ただで得られはしないのよ」

薬売り「真も……ですか」

うどんげ「お師匠様の秘薬がその最たる例ね。あれは、大金詰もうが屋敷を荒らしまわろうが、簡単に手に入るもんじゃないから」

うどんげ「だから、いくら探したって無駄よ。昨日今日来たばかりのあんたには、絶対見つけられないんだから」

薬売り「別になかったらなかったで構いませんがね。あっしが求めるのは、薬そのものではなく、薬の真」

薬売り「曰く如何なる手段を用いようと手に入る事の叶わぬ、八意の秘薬。それは何か」

薬売り「そろそろ……お聞かせ願いますかな」



【追風】



うどんげ「あの薬は……”蓬莱の薬”ってーのよ」




【蓬莱の薬――――之・真】


うどんげ「咳・痰・胃もたれ・頭痛・出血・霞・熱・腫れ……この世には、数えきれないくらいあらゆる病があるけれど」

うどんげ「その中で、誰もが等しく持ち、そして決して治せない病がある……それは何か」

うどんげ「薬売りでしょ。当ててみなさいよ」



(――――え~何それ、全然わかんな~い)



薬売り「いささか頓知のような答えになりますが……よろしいですかな」

うどんげ「なんでも言いから」



(――――あ、わかった! もしかして…………)



薬売り「それは所謂……”死の病”って奴なのでは……?」



【正解】



うどんげ「かつて、時の皇帝に命ぜられた国一番の薬師が、生涯かけて臨んだと言う不老不死の薬」

うどんげ「しかしその薬師は完成することなく、どころか自らの病すら治せぬまま、生涯を終えた……とか」

うどんげ「もしくは皇帝の怒りを買い処されたとか、褒美だけ受け取ってバックレたとか……」

薬売り「偽物を飲ませた……なんて話もありますな」

うどんげ「まぁ、いろんなバリエーションのオチがある話だわね」

薬売り「してその全ては、”不老不死などありはせぬ”の言葉で結ばれる……ありがちな不老不死譚ですな」


うどんげ「でも――――本当にあったとしたら?」


薬売り「本当に……あるんですね」



【向風】


うどんげ「姫様の部屋にあった置物、覚えてる?」

薬売り「無論です。見るからに珍品とわかる、それはそれは珍しい品々でした」

うどんげ「その中に、盆栽みたいなのがあったでしょ? こう、先っちょに色とりどりの実が成ってる奴……」

薬売り「ああ、ありましたな」

うどんげ「あれは――――”蓬莱の玉の枝”。薬師なら、名前くらいは聞いたことあるんじゃない?」

 

――――蓬莱の玉の枝とは、不老不死の薬の元とも言われておる物だ。
 この世のどこかにあると言う蓬莱山にのみ生え、宿す実は七色に光り輝いておると言う、まっこと摩訶不思議な木々なそうで。
 その美しさは極楽浄土の風景に同じと言われるほど、大変に美しい実であり、また不老不死の噂も出回った事から、その名は各地へと一気に広まり申した。


 しかし今日まで、位に関係なく無数の者どもが捜索に当たったと言われておるが、いまだその現物を手にした者はおらぬ……
 と言うのが、広く知られた通説であろう。



うどんげ「言っとくけど、本物じゃないわよ。あそこにあったのは全部贋作(レプリカ)」

うどんげ「でも、姫様だけは――――唯一、蓬莱の玉の枝の”本物”を所持している」

薬売り「……ほぉ」



【姫君之宝】


うどんげ「それがどこにあるのかはあたしにもわかんない。でも、持っているのは本当よ」

薬売り「はて、しかし妙ですな……蓬莱の玉の枝は確か、物自体が贋作」

薬売り「どこぞの誰かが作り上げた、夢物語の中だけに存在する一品……と存じておりますが」

うどんげ「夢物語じゃ……ないのよ」


【凪】


うどんげ「あたし達がいた”かの都”……それがどこかわかる?」

薬売り「そういえば……はるか遠くの果ての地とおっしゃっておりましたから……」

薬売り「北は蝦夷地か、南は琉球か……それでもなければよもや、海の向こうの南蛮の地か」

うどんげ「ううん、全部ハズレ。かの都はそのどこでもないし、そのどこよりも遠い場所にある……」

薬売り「ほぉ……ではどこに?」


うどんげ「――――あそこ」


 その時、鈴仙は立てた指を真上に持ち上げ、煌めく夜空を堂々と指さしなすったと言う。
 奇怪な返答と思わぬか? 思うであろう。
 戯れと思しき程に、その指した指の先は、丸い孤を描く月のちょうど真ん中に突き刺さっているではないか。
 


薬売り「……満月?」



うどんげ「そうよ、あたし達は……」



 しかし鈴仙の返答は、決して戯言の類ではござらなかった。
 真摯な鈴仙の顔つきが、その言葉の全てが真である事を示しておる。




うどんげ「あたし達は――――あの”月”からやってきた」




 してその時の様子を、薬売りが曰く――――
 手を仰ぐ様が月の光に照らし出され、「まるで枝に咲く一輪の花のようであった」などと、申しておった。


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                         【つづく】



【八意永琳】 

【鈴仙・優曇華院・イナバ】 

【因幡てゐ】

【蓬莱山輝夜】×

【八雲紫】

本日は此処迄



――――儚き思いを重ねども、決して叶わぬ人の夢
 金銀財宝、数多の名声。
 羨む宝を捧げ共、欲さぬと断じられれは、その全てが甲斐なき骸と成り果てん。
 そして問わん。あなた様が、真に欲するは何か。
 そして問われん。あなた様が、真に望む夢は何か――――



【永遠亭】――――四の幕


うどんげ「かの都とは……つまり月の都の事。そこで生まれた人を、地上の人間と区別して月人って呼ぶの」

うどんげ「まぁ私は、正確に言うと玉兎っつって、月人とはまた別なんだけどね」

薬売り「月の兎……の意ですか」


【正真】


うどんげ「でも、お師匠様と姫様は正真正銘の月人。本当なら、地上なんかとは永遠に無縁の方々なんだから」


 にわかに信じ難き鈴仙の語り。
 口を開くと同時に飛び出す言葉の数々は、その全てが絵巻物の類となんら遜色なき内容である。
 が、しかし薬売りは訝しむ事もせず、ありのままを信じた。
 それはこの竹林に隠されし「真」のせいなのだろうか。
 はたまた自らも、絵空事の如き怪異に身を委ねているからなのだろうか……



うどんげ「つーわけで……まぁ、にわかには信じられないと思うけど」

薬売り「いやぁ信じますよ。実直な姉弟子様がよもや嘘偽りを申すなど、恐れ多くてとても……」

うどんげ「話が早くて助かるけど、全然うれしくないのは何故かしらね」


【謙遜】


薬売り「それに……不死の薬に幻想郷。そしてあなたのような、強力な妖術を持った人兎」

薬売り「月の魔性に当てられたと考えれば……全てに合点がいきます故」



 ちなみにだが、この鈴仙と先ほどのてゐとか言う二人の人兎
 一見同じようではあるが、実は似て非なるアヤカシである
 鈴仙の方は月の兎を意味する「玉兎」。
 対しててゐの方は、地上のアヤカシを意味する「妖兎」
 身なりに差異はあらねど、素性は全くの別物である故、努々お忘れなきようにされたし。



薬売り「にしても……どうしてまた、突然打ち明ける気になったのです?」

薬売り「それもこんな竹林の奥も奥で……誰かに聞かれてはよろしくない事でも、おありなんですかね」

うどんげ「そうね……できる事なら誰にも……特に、お師匠様には……」

うどんげ「これはある意味……姫様とお師匠様を、侮辱する行為でもあるから……」



 鈴仙は、この期に及んでまた口を噤み出した。
 その躊躇いが意味する事は、やはり背徳に対する懺悔なのであろう。 
 薬売りはその様子を、急かすこともせずにじぃ~っと待った。
 真とは、叶うなら当人が自らの意思で表すのが一番良い……とでも、この時薬売りは思うておったのだろうて。



うどんげ「モノノ怪は、人の因果に憑りつく……だっけ?」

薬売り「そう。モノノ怪を成すのは、人の因果と縁(えにし)――――」

薬売り「人の情念や怨念がアヤカシに取り憑いた時、それはモノノ怪となる」

うどんげ「その怨念って……やっぱり、憎いとか、恨めしいとか、そういう感情?」

薬売り「ええ……”そういうのも”いますね」

うどんげ「だったら……ううん、やっぱり……」

薬売り「お聞かせ……願えますかな」



 しかしにしても、あまりにも勿体ぶった鈴仙の仕草に、薬売りはつい退魔の剣を構え申した。
 剣に付いた鈴が、チリンと小さく鳴る。
 聞き洩らしも十分ありえる程に小さき音であるが、鋭い耳を持つ鈴仙には十二分に聞こえる音である。
 あのきざったらしい薬売りの事だ。どうせ鈴の音で持って、粋に促したつもりであったのだろう。


 「――――さっさと言わぬか! この半人半兎のアヤカシ風情めが!」
 そんな回りくどい真似をせずとも、身共なら直接そう言ってやると言うのに。



うどんげ「一人……心当たりがある……」

うどんげ「姫様と……お師匠様……ううん、もしかしたら、月そのものに恨みを持ってるかもしれない人間……」

薬売り「ほぉ……して……」

薬売り「それは一体、どこのどちらさんで……」



 やはり案の定、この玉兎は知っておった。
 モノノ怪を成す怨念、その真に最も近き者であろうその名を。
 全く、だったら最初からそう述べておけばよかったものを……
 さすればあの姫君も、消え失せる事などなかったかもしれんであったろうに。



うどんげ「かつてまだそいつが人間だった頃、姫様に肉親を侮辱された奴」

うどんげ「そしてかつてまだそいつが人間だった頃、望まぬ永遠を植え付けられ、人ならざる者になった奴」

薬売り(姫君が……侮蔑……?)



 して紆余曲折を経て、ようやっと玉兎はその名を口にしたのだが……
 ……いや、まさかのう。
 あ、いや、いやはや、なんでもござらんよ。
 ただその名が、身共もよぉく存じておる「氏」と同じ性であった故に、な。



うどんげ「【藤原妹紅】――――不死の秘薬を飲んで”しまった”、ただ一人の地上人」



 いやはや面目ない。やはり身共の勘違いだ。
 よくよく考えれば、氏の名が使われておったのは、鎌倉よりさらに以前の世の話だ。
 数多の性が蔓延る今日に置いては、性の被りなどさして珍しくもない事であろうて。



薬売り「その名は確か……」



 それに姓名の由来など時代事に大きく異なっておる……だから、ありえぬのだよ。
 その藤原妹紅とやらが、”藤原氏の末裔”であるなどと。


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薬売り「その藤原妹紅とやらが……モノノ怪の真であると?」

うどんげ「お師匠様を否定するわけじゃないけどね……でも、誰かひとり選べって言われたら、やっぱり妹紅以外ありえないと思うのよ」

薬売り「八雲紫は、関係ないと?」

うどんげ「だってそうじゃない。そりゃ過去に月を攻めたかもしんないけど、今は幻想郷の管理人みたいなもんでしょ」

うどんげ「あたしら別に、ここを荒らそうとしてるわけでもなし。目をつけられる言われがないわ」



 にしても、師弟の関係とは、げに不思議な関係よの。
 長きに渡り衣食住を共にし、親子同然の暮らしを送っているにも関わらず、その思想は決して重なることがない。
 伝統に重きを置く師匠に、商いを促す弟子。
 互いの言い分はどちらも正しく、しかし決して相容れぬ……
 これは巷でよく耳にする、職人の後継ぎ問題と言う奴だな。



うどんげ「そもそもな話、あたしらが月人とバレてるって限らないじゃん」

うどんげ「仮にバレてたとしても、忙し過ぎてとてもあたしらに構ってる暇はないと思うんだけど」

薬売り「忙しく……ないんじゃないですか」

うどんげ「なわけ……ねえっつの」




【八意永琳】 

【鈴仙・優曇華院・イナバ】 

【因幡てゐ】

【蓬莱山輝夜】×

【八雲紫】

【藤原妹紅】




うどんげ「あのね~……言っとくけど、幻想郷ってほんッとうに、めッちゃくちゃ広いのよ?」

うどんげ「古今東西の妖怪が集う妖怪の山に、凶悪な吸血鬼の根城に、黒魔術の蔓延る暗黒の森に、後は……」

うどんげ「地底にはかつて地獄だった場所があると言われているし、聞く所によると、どこぞに冥界の入り口まで開いてるとかなんとか」

薬売り「冥界に地獄……ですか」


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うどんげ「そんないかにもな場所と比べたら、ここはま~静かなもんよ。当然ね。ただ住んでるだけなんだから」

うどんげ「住み着きついでに病人救って、怪我人治して、薬出して、さ……」

うどんげ「ハッ、だったら猶更理由がないわね。攫われる所か、むしろ感謝されたいくらいよ」



 今回もまさにその典型であろう。
 此度の騒動、師が紫と言えば、弟子は紅と答える。
 双方の言い分はどちらも根拠に足る物で、しかしその真偽はいまだ見えぬと来た。

 薬売りも大層困り果てたであろうて。
 師と弟子。紫と紅。人と兎。療と乱……真偽はどちらに傾くか。
 それはやはり、薬売りが自らの眼で断ずる以外に無いのだ



薬売り「その藤原妹紅とやらに……会わせてもらえますかな」

うどんげ「……危険よ。命の保証はできないわ」



 まぁ、唯一わかる事はだな。
 紫も紅も、月桂に盾突かんとしている傾奇者なのだ。
 荒唐無稽にして酔狂極まりないが、故に明快なのが不幸中の幸い。
 してその心は……二色共、”決して近づいてはならぬ”色々。と言う事だな。




【至・竹林之最奥】




【子】


うどんげ「妹紅はね、元々はただの人間よ。見た目はその辺の生娘とそう変わらないわ」

うどんげ「だから、知らないまま出くわしても気づかない事の方が多い……ていうか、むしろあんたの方が妖怪に近いくらい」

薬売り「よく……言われます」



 しかしこの永遠亭とやら、よくできた物であるな。
 月から逃げ延びた者共の隠れ家と言うのが真相であるが、その真相を忍ぶ姿として、薬屋を商んでおるは周知の通り。
 してその商いは……いやはや、どこで学んだやら。まさに関心の一言である。



うどんげ「ま、いくらなんでも迷い人を襲ったりはしないけどさ」

薬売り「兎に化かされる事の方が多いでしょうしね」



 まずは大元、八意永琳があらゆる病に対応した薬を作る。
 してその薬を、玉兎がその瞬足を用いて、疾風の如き速さで患者の元へと届ける。
 大金を積んでも手に入らぬ上質な薬が、安価に、しかもすぐに届く環境。
 これだけでも十分、そこらの商人と一線を画すと言うに……

 さらには時に、急病の者がいれば、八意永琳が自ら駆けつけ治療を施す事もあると言う
 そして治療を終えた後も足繁く患者の元に通い、差し支えないかを事細かに診て回ると言う万全ぶり。
 いやはや、まさに薬師の鑑。
 どこぞのうさんくささ極まれり薬売りにも、ぜひ見習ってほしい物よの。
 


うどんげ「ただ……やっぱり妹紅は、あたし達にとっては脅威そのもの。一度襲われれば、もうあたし達ではどうする事もできないわ」

薬売り「襲われることが……あるんですね」



 これではよもや、永遠亭を月人の住処と思う者等いやしまい。
 人の間では、永遠亭の名はもはや、立派な薬屋の大看板なのである。
 ……のだが、そのあまりに完璧な隠匿が故か。
 反面、”外敵の襲来”にはやや弱い傾向にあるのではないかと、身共は断ずるわけだ。



うどんげ「恥ずかしい話だけどね、あたしもてゐも、お師匠様すらも、妹紅を食い止めれた試しがないのよ」

薬売り「貴方の妖術を持ってしても、ですか……?」


 完璧に溶け込んでいるが故に。
 もし下手人の類に襲われれば、対応は後手に回らざるを得ないのではないだろうか……と、身共は考えるわけだ。
 仮に下手人が病人を装ったとしよう。
 見るからにいかにもな輩であろうとも、病に苦しんでいると言う”建前”があれば、薬師としては門戸を開かぬわけにはいかぬであろうて。
 


うどんげ「妹紅にはね、波長そのものがないのよ」

うどんげ「あたしの術は波長があって初めて操る事ができる……んだけど、妹紅の波長はずっと止まったままなの」

うどんげ「波は揺らぐからこその波なの。止まった波長は、ただの一本線でしかないわ」

うどんげ「これじゃあ、あたしじゃどうする事も出来ない」

薬売り(一本の……線……)



 そして病魔に苦しむ患者を救わんと、いざ馳せ参じたその途端……
 ”グサリ!”と刃を突き刺されれば、はてさて、どうして躱した物か。




薬売り「生命の波長が止まったまま……と言う事は」

薬売り「やはり不死の薬の効能……文字通り”永遠”を手にした、と言うわけですかな」


 ま、とは言う物の、そこは自称月の民。
 仮にそのような者共が現れたとて、彼奴等の奇怪な妖術を持ってすれば、そんじょそこいらの曲者ではとても太刀打ちできまいて。


うどんげ「それとね、妹紅の場合はもう一つ問題があって……」

薬売り「まだあるんですかぃ……」


 その代表例が、この竹林にてやたらと目にする兎共だ。
 竹林に似つかわしくない白い毛皮は、やはり術によって連れ込まれた防人なのである。
 それはもう一人の妖兎、てゐが術。
 この兎が鼠の如く各地へと点在し、ある時は警守を。ある時は曲者の撃退を受け持つ……のだが。

 とはいえ、曲者などそうそうめったに現れる場所ではないが故な。
 長らく家事手伝いに留まっている。と言うのが現状のようじゃ。


うどんげ「妹紅は、不死と同時に”炎術師”でもあるのよ」

うどんげ「不死とは言え、なんでただの人間がそんな強力な術を持ってるのか……そこはマジで、未だに謎なんだけど」


 先刻の山ほど詰まった食料の籠がそれだ。
 あの煩わしい重い荷。わざわざ運ばずとも、あの場に置いておくだけで、兎が勝手に亭まで送って行ってくれるという……。
 いやはや、それほど有用な兎ならば、身共も是非一匹頂戴したいものよの。




薬売り「そんな大変物騒な曲者を、毎度どうやって追い払っておられるので?」

うどんげ「……姫様よ」


 いやしかし……むぅ……
 どうせ娶るなら、やはり畜生風情などよりもうら若き美しいおなごの方が……
 あ、いや、なんでもござらん。こちらの話でござるよ。


うどんげ「妹紅が現れた時だけ、いつも姫様が、直々に追い払っているのよ」

うどんげ「あの妹紅を止めれるのは、同じ永遠を手にした姫様だけだから……」

薬売り「変わった、主従関係ですな」


 にしても妻を娶るならばやはり、慎ましきおなごに限る……
 自己主張の強いおなごは好かん。本当に好かん。
 あのいつぞやの生娘のように、耳元で事あるごとに金切り声をあげられては、おちおち夜も眠れぬわいて。
 

うどんげ「情けないと思うなら笑うがいいわ。従者が姫に守られるなんて、滑稽もいい所よね」

薬売り「いえいえそんな、めっそうもない……」


 そのような頑固極まれりおなごより、修験者の身としては、やはりこう……
 身を挺して守ってやりたくなるような、儚きおなごが、いとよきかな。



【守】



薬売り「不死の身となった炎の術師ですか……さしずめ、不死鳥の如きですな」

うどんげ「言い得て妙ね。あいつ、ホントに空飛ぶし」

薬売り「だからでしょうか……さっきから、やけに”焦げ臭い”のは」

うどんげ「……近いわよ」


 っと、そんな事はどうでもよい……


――――さあさあ皆様ご注目! 
 紆余曲折を経て、ついに薬売りが不死の炎術師・藤原妹紅と対峙する場面!
 その、到来である!


うどんげ「もう一度言うけど、妹紅は本気で危険な相手よ。下手に刺激して、睨まれるような真似だけは避けて」

うどんげ「特にあんた、ナチュラルに無礼だし」

薬売り「ご心配なく……お話をお伺いするだけですので」


 藤原妹紅はその通り名を「不死鳥」にして、かの時の帝・藤原氏と同じ性を持つ者である!
 その繰り出す妖術はまさに地獄絵図の体現!
 この世の全てを焼き尽くし、生い茂る竹林を煤色で染め上げ、この玉兎を含めた永遠亭の全員が匙を投げる程である!


 このような者が相手とあらば……ドゥフフ
 如何に数多のモノノ怪を斬り払いし薬売りとて、きっとただでは済まぬであろうて……なぁ!?


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うどんげ「この波長……いるわ……近くに……」

うどんげ「じっとして……いい? 息を潜めてて……あたしが合図するまで、絶対に動かないで……」


 何やら曰くの香りがプンプンと漂う、まっこと奇怪な者と思わぬか?
 だが、それがよいのだ!
 あのいけすかぬ薬売りのすかした顔を、猥雑で卑しい恐怖の表情に歪めてやるには……ぷふっ
 まさに、これほどにない大・逸・材! なのであ~る!


薬売り「……ん?」

うどんげ「近いわ……もう間もなくよ……」


 しかしそこは薬売りも流石と言った所か。
 これから降りかからんとする火の粉を察知したか、闇夜に紛れて密やかに身構え申した。
 札を構え、天秤を傍らに、そしてあの退魔の剣を、再びその手に持ち……
 残念ながら、そう簡単に折れてはくれぬ様子であるな。


 
薬売り(いや……)



 だがしかぁし! 
 薬売りがふと手元に目を流せば、退魔の剣がカタカタと激しくと震えておるではないか。

 その震えを見た――――途端! 
 


 薬売りは、ななな、なんとぉッ!



薬売り(そこに…………”居る”のは…………!)



 玉兎の諫めもなんのその!
 あれほど強く忠告されたにも拘らず、その全てを無下へと返し……”脱ッ!”
 自ら業火の元へと、颯爽と飛び出して行ったのだ!



【鈴】



うどんげ「く…………ぉらァァァァ!! おとなしくしとけっつったろォォォォ!!」



【絶叫】


【木霊】


【怒号】



チーン



【完全・無視】




薬売り「――――ここか!」



 その様はまさに電光石火の如く
 他人の忠告なんのその。単身意気揚々に乗り込んだ薬売りであったが……
 気配はすれども姿が見えぬとは、これ如何に。

 ただでさえ薄暗い竹林。さらに子の刻も過ぎし深き夜分であれば、モノノ怪どころか目の前の竹すらも見えぬ道理。
 しかしそれでも剣は語っておる。
 「モノノ怪はすぐそこにいる――――」。その言葉を、震えに代えて。



薬売り「どこ……だ……」



 薬売りは、先ほどの玉兎の話を糧に、かつて斬ったモノノ怪達を浮かべ申した。
 人が持ちし、モノノ怪を成す強い情念。
 その念はあらゆる情が入り乱れ、まこと千差万別であった……が。
 しかし強いて一つ型に嵌めるとするならば、やはり”怨み”の念が、一つの定石と言えよう。



【追着】



うどんげ「――――この……アホンダラがぁぁぁぁ! あれっほど! 勝手に動くなっつったのに!」

うどんげ「バカ!? 生きたまま焼かれたいの!? それか灰になって、ここの土に還りたいの!?」

薬売り「何か……匂いませんか」

うどんげ「 話 聞 け よ ! 」
 


 遅れて駆けつけた玉兎が薬売りに吠える。
 無論その真意は、薬売りの勝手な行動に対する、純粋なる怒りである。
 玉兎の怒号が静かな闇夜に響き渡る。
 それは、裏を返せば、響き渡る怒号と同じまでに、強い”怨”と言う事だ。





うどんげ「あんたほんと、耳ついてる!? 危険な奴だっつったばかりだろーが!」

うどんげ「ほら……やっぱりあった! ここ見なさいよ!」

うどんげ「こーこ!」

薬売り(ん……?)


【痕】


うどんげ「竹が少し焦げてる……それにまだ、ほんのりと熱い」

うどんげ「ほんのついさっきまで、ここにいたんだわ……こんなの、どう考えても妹紅の仕業以外ありえない!」



 姫君に強い怨を持つ、強大な炎の不死者。
 肉親を侮辱され、不死を植え付けられ、にも拘らず未だ討ち取る事叶わぬその心中は、もはや身共では測り知れん。
 薬売りとてその念の強大さたるや、重々承知の上であろう。
 よもや自らも、怨念の炎に炙られ、あわや煤となりて闇夜に散らん……
 そんな結末も、薬売りには薄っすらと見えていたはずだ。



薬売り「いえ、その匂いじゃありやせん……むしろ、匂いに関してはあなたの方がわかるんじゃないですか……」

薬売り「この炙られた竹の焦げ臭さに混ざる……”香ばしい香り”は」


うどんげ「はぁ……? 香ばしい……?」




――――その話が、”真”であるならばな。 






【息吹】


薬売り「モノノ怪は……間違いなくいる……しかし闇に紛れて、姿が見えぬ……」

薬売り「夜を照らす月明かり……それを遮る竹林の群れ……煤けた焦げ跡……」

薬売り「闇をより一層濃くする暗がりの中に、微かに漏れる光の標……」

薬売り「それこそが……真のあるべき場所……!」


 右も左も闇に次ぐ闇。
 辺りもロクに見えぬ暗闇の中で、唯一「まだ明るさの残る場所はどこか」と、問われれば。
 その答えは、少し思案すれば、誰もがすぐに気づけるであろう。
 

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 そう……答えは”天”にあり。
 昼も夜も、空には常に明かりがある。
 太陽と月の輝き具合は比べるまでもないが、月の輝きも満月ならば、人の顔を見る程度には十分な明るさである。
 この答えに同じく行き着いた薬売りは、気づくと同時にハッと空を見上げなすった。








うどんげ「 キ ャ ー ー ー ー ッ ! 」






 そして――――ついに見つけ申した。





薬売り「遅かった……か…………!」




 空に届きそうなほどに育まれた竹林の、その先端にて……
 竹葉と共に、不死者の召し物”だけ”が、そこには佇んでおった。


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薬売り「モノノ怪の真は……藤原妹紅ではなかった!」

うどんげ「嘘よ……そんな……嘘に決まってるわ……」

薬売り「嘘じゃありませんよ……ほら」

薬売り「まるで焼き魚のように……綺麗に”身だけが”消えてらっしゃる」


 にわかに信じ難き玉兎の心情、察するに余りある。
 己が導き出した答え、藤原妹紅はモノノ怪の真などではなく……
 どころか、とって食われる”供物”の側であったとあらば、その動揺も致し方なき所であろうて。



うどんげ「――――違う」



 が、どうやらこの場合に限り、意味合いが少し違ったようだな。
 それは動揺と言うよりも「戦慄」と呼ぶが相応しきかな。
 竹葉と、召し物と、そしてもう一つ――――
 玉兎の心までもが、大きく揺らぎ始めたのだ。




うどんげ「違う――――じゃない――――」




 そしてその揺らぎは、あまりに大きすぎたが故か……
 薬売りにもしかと、見え申した。



うどんげ「あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!

      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!」



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うどんげ「あたしじゃ…………ない…………!」



【膝落】



薬売り「……全く」フゥ

薬売り「秘め事が上手な……薬屋な事で……」




 その当時の光景を、後の薬売りが曰く……
 「竹葉の擦れ合う音が、まるで嘲りのように聞こえた」と、申しておった。

 

出掛ける
夜帰ったらつづき書きにくる(起きてれば)


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永琳「開けなさい鈴仙――――一体どうしたと言うのです!」

うどんげ「いや! こないで! 来るな! 開けるなァーーーーーーーッ!」


【拒】


てゐ「うるっさいなも~、どーしちゃったのさアイツ」

薬売り「さぁねえ……何か恐ろしい物でも、見たんじゃないですかね」


 帰ってくるなり玉兎は自室へと一目散に駆け込み、鍵を掛け、自室を師匠すらも通さぬ堅牢な城へと変貌せしめた。
 傍から見れば異様にしか思えぬ所業の真相は、この場では薬売りのみが知っている……と、言いたい所だが。
 実の所、当の薬売りすらも存ぜぬのだ。
 「あたしじゃない」――――その言葉だけが、最後に聞いた唯一の言葉であった故。


てゐ「――――はぁ!? 妹紅に会いに行っただぁ!?」

薬売り「あの姉弟子様が、きっとそうだと……」

てゐ「いやいやいや……何故に妹紅? アイツ関係なくない?」

薬売り「曰く……藤原妹紅が姫君を強く恨んでおいでだとか……」

てゐ「あーなるほどだからこっそり二人で…………って、いやいやいやいや!」

てゐ「そういう捉え方、する!? すごいわうどんげ、とっても斬新だわ!」


 薬売りも薄々感づいていたのだろうか、妖兎の降りなす怒涛の反論に、どこか納得した面持ちであった。
 先に伝えられた藤原妹紅の詳細。
 げに恐ろしき存在であると、玉兎はあれほど強く言い張っておったにも関わらず……
 この妖兎の言い分は、天地がひっくり返った程に別物であるのは、はてさて一体どういうわけであろうか。



てゐ「恨み……恨み……うーん、ある意味でそうとも言えるけども」

薬売り「藤原妹紅に恨みなどなかった、と?」

てゐ「いや、そういうわけでもないんだけど……なんというかな~、ニュアンスの違いって奴?」

てゐ「そういう”恨めしや~”的な事じゃなくてさ。”てめー今日こそやっちまうかんなコノヤロー!”みたいな?」

薬売り「ふむ……喧嘩するほどなんとやら、な感じですかな」

 
 妖兎曰く、藤原妹紅はそもそも”永遠亭を敵視などしていない”と言うのが結論のようだ。
 してその経緯はこう。
 妹紅が姫君にかけるそれは、「復讐」ではなく「招来」。
 退屈しのぎ同然にふらりと現れては、姫君に挑み、ひとしきり満足すれば帰って行くと言う……
 不死者であり、強大な炎を扱うまでは事実であるものの、しかしそこから先はまぁ~別物もいい所である。
 恨みつらみはどこへやら。これではまるで、御隠居の囲碁遊び同然ではないか。


てゐ「姫様も部屋に籠りっぱなしじゃ体に障るでしょ。いい運動になってんじゃないの」

薬売り「不死者なのに健康を気遣うとはこれいかに……」


 こうなれば「誰も敵わない」と言った玉兎の言葉の意も、大きく変わってくると言う物。
 敵わないはずだ。敵う敵わぬ以前に、そもそも、姫君以外が妹紅に挑む必要がないのだから。


てゐ「だってアイツ死なないじゃん。姫様と同じ不死身だし」
 
薬売り「その不死身も、望まぬ不死身だったと伺いましたが」

てゐ「ハッ! そりゃそーでしょーよ! だって――――」

てゐ「なんか貴重な供物っぽいからパクって食べたら、それが蓬莱の薬だったってだけなんだから!」

薬売り「なんと……」


 聞けば聞くほど妹紅の印象が変わっていく……
 うぅむ、古事記に出(いず)る火の神の如き存在を想像しておったのだが……
 はぁ~……つまらぬ。まっことつまらぬ
 いけすかぬすかした薬売りの顔を、恐怖の表情に歪めてくれる逸材だと思うておったのにのぅ。
 これでは……表情は表情でも、ただのあきれ顔になってしまうではないか。



【相違】



薬売り「貴方様も、面識がおありなので?」

てゐ「面識も何も、そこかしこでしょっちゅう会ってるっての」

てゐ「こんな薄暗い竹林でバンバン火焚かれればさ、そりゃあんた、嫌でも目に入ってくるってもんじゃん?」

薬売り「それもまぁ、そうですな……」


 その後の妖兎が語りし妹紅の詳細は、まぁ~聞くに値せぬ物であった。
 やれ一緒に落とし穴を仕掛けただの、やれ偶然会って夕暮れまで遊びふけっただの
 やれ焼き鳥を馳走になった事があるだの、やれ部下の兎が間違えて食われそうになっただの……
 ……その辺の童とたいして変わらん。語るのも億劫な、他愛なき日常の一部である。


てゐ「知ってた? あたしと妹紅は、人間の間では”幸運の使者”なんて、呼ばれてたりするんだから」

てゐ「たまに出る迷い人を出口に帰してたら、そー呼ばれるようになったの。ただ厄介払いしてるってだけなのにね」

薬売り「幸運の使者……ですか」


 だが、薬売りはそれらの話を最後までしかと聞き入れ申した。
 他愛なき妖兎と不死鳥の関りは、しかし薬売りにとっては貴重な縁。
 してその主点は――――”何故に玉兎の名聞とこうまで異なるのか”である。



うどんげ「開けるなァーーーーッ! 去ねーーーーーッ!」

永琳「鈴仙……!」

てゐ「お~やれやれ、ヒステリックと引きこもりを同時に発症するとか」

てゐ「薬師の弟子の鑑ね。これでまた、置き薬の種類が増えるってもんよ」

薬売り「……」


 単に玉兎が偽りを申しておったとあらば、話は容易に片が付く。
 だが玉兎が轟かせるこの恐れは、まさに正真正銘の、嘘偽りなき真である。
 どちらが一方が黒を置けば、もう一方が白を置く。
 覆い覆われ、その果てに、残るはただ白と黒の二つのみ――――
 

薬売り「ところで姉弟子殿……一つお尋ねしても、よろしいですかな」

てゐ「あ? 何よ」

薬売り「お体の具合……すっかり完治されたようで」


【叫】


てゐ「……あああああ痛いいいいいい! お腹のこの辺が痛いいいいいいい!」


【恐】


うどんげ「来るなァーーーーーッ! 寄るなーーーーーッ! 誰も近づくなァーーーーーッ!」


【驚】


永琳「鈴仙! 開けなさい! お願い、開けて……!」



【境】



薬売り「やれ、やれ……」



 真と偽りの境が曖昧になる――――。
 「さすがに参った……」薬売りは小さく、そう零したとか、零さなかったとか。


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                         【つづく】



【八意永琳】 

【鈴仙・優曇華院・イナバ】 

【因幡てゐ】

【蓬莱山輝夜】×

【八雲紫】

【藤原妹紅】×

本日は此処迄



――――人里外れし辺境の、誰が住まうか奥座敷。
 此度寄り人訪ねれば、迎うは連なる双眼鏡。
 『煙霞跡なくして、むかしたれか栖し家のすみずみに目を多くもちしは、碁打のすみし跡ならんか』
 流離う人。流離う言葉。流離う風。流離う故事。
 徒然なるままに、後、其処には一切のなごりなし――――




【永遠亭】――――五の幕



【姫君之間】


薬売り「珠・鉢・衣・貝・枝……そして、優雅な絵巻の描かれた襖」

薬売り「まさに豪華絢爛の粋を極めし、高貴なる者の御座す間……なれど」

薬売り「肝心の主がいないとあれば、いくら飾ろうと、間はただの間にすぎぬ」


【三度】


薬売り「いやはや、参りました……此度の騒動、いつも以上に各段と因果と縁が複雑に絡んでおりまして」

薬売り「まさに永遠亭とはよく言った物です。いくら真を紐解けど、絡みは延々と解れてくれませぬ……」

薬売り「まるで、永遠に連なる時のように」



(――――)



薬売り「少々……”弱音”を吐かさせて頂いても、よろしいですかな」

薬売り「ああっ、ご安心ください……この間なら、誰も近寄りませんので」



【愚痴】


薬売り「いやはや、どこから話しましょうか……そう」

薬売り「まずあの八意永琳からしてそうだ……姫君が攫われた当刻。師匠らしからぬ、あれほど人前で取り乱した様を見せておったにも関わらず」

薬売り「今ではトンと平静に……まるで、姫君の存在を忘れてしまったかのように」


(――――)


薬売り「逆に鈴仙は、当初は姉弟子に相応しき振る舞いであったにも関わらず、今や御覧のあり様で……」

薬売り「無礼千万も何のその。寄るな来るなの大立ち回り」

薬売り「あれを宥めるのは……八意永琳とて、少々骨が折れるかと」


(――――)


薬売り「そしてもう一匹の兎、てゐ。不自然極まりないと言えば、やはりこの者が最たる者でしょう」

薬売り「と言うのも……一貫して傍観の立場なんですよ。最初にモノノ怪と遭遇した御当人だと言うのに」

薬売り「自身の居所が未曾有の怪異に包まれているにも関わらず、まるで我関せずを貫くあの姿勢」

薬売り「やる事と言えば仮病と、使い走りと、嘲りと……っと失礼。一応怪我は本当でしたな」


(――――)



薬売り「ただし、神隠しが主であるモノノ怪が、何故にてゐにだけあのような粗末な奇襲をかけてきたのか」

薬売り「そして鈴仙は、何を恐れ、何故に塞ぎ込み、一体何から逃れようとしているのか」

薬売り「そして八意永琳は、主が消え失せた後も、何故にああも平静を保っていられるのか」


(――――)


薬売り「藤原妹紅は敵か味方か。秘薬は夢か現か。姫君は居か去か」

薬売り「モノノ怪が形造るあの眼の群れは、幻と真の、一体どちらを観ていると言うのか」

薬売り「貴方なら……わかるんじゃないですか」



(――――)



薬売り「万物の境界を司ると言う……貴方なら」



(――――)



薬売り「ずぅーっと覗き見てたんでしょう? どこぞとどこぞの隙間から……」

薬売り「だったらいい加減……舞台に上がって来ていただけませんかね」

薬売り「スキマ妖怪殿……いや、今は」

薬売り「”八雲紫”とお呼びすれば……よろしいのですかな?」


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【今昔之境】





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 今は昔、竹取の翁といふ者有りけり。
 野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。
 名をば讃岐造(さぬきのみやっこ)となむ言ひける。
 その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。
 それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり。


 翁言ふやう、『われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり』とて手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。妻の嫗に預けて養はす。
 美しきことかぎりなし。いと幼ければ籠(こ)に入れて養ふ。


 世界の男、あてなるも卑しきも、いかで、このかぐや姫を得てしかな、見てしかなと、音に聞きめでて惑ふ。
 そのあたりの垣にも、家の門にも、居る人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安き寝も寝ず、闇の夜に出でても、穴をくじり、垣間見、惑ひ合へり。
 さる時よりなむ、『よばひ』とは言ひける。


 その中に、なほ言ひけるは、色好みと言はるる限り五人、思ひやむ時なく夜昼来ける。


 その名ども
 ・石作の皇子(いしつくりのみこ)
 ・庫持の皇子(くらもちのみこ)
 ・右大臣阿部御主人(あべのみうし)
 ・大納言大伴御行(おおとものみゆき)
 ・中納言石上麻呂足(いそのかみのまろたり)

 この人々なりけり。


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 この人々、ある時は、竹取を呼び出でて、『むすめを我に賜べ』と伏し拝み、手をすりのたまへど
『おのがなさぬ子なれば、心にも従はずなむある』と言ひて、月日過ぐす。


 かぐや姫、『石作の皇子には、仏の御石の鉢といふ物あり、それを取りて賜へ』と言ふ。
『庫持の皇子には、東の海に蓬莱(ほうらい)といふ山あるなり
 それに白銀を根とし、黄金を茎とし、白き珠を実として立てる木あり。それ一枝折りて賜はらむ』と言ふ。
『今一人には、唐土にある火鼠の皮衣を賜へ。
 大伴の大納言には、龍の首に五色に光る珠あり。それを取りて賜へ。
 石上の中納言には、燕の持たる子安の貝、取りて賜へ』と言ふ。





薬売り「これは……」






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 さて、かぐや姫、かたちの世に似ずめでたきことを、帝聞こしめして、内侍中臣房子にのたまふ
『多くの人の身を徒らになしてあはざなるかぐや姫は、いかばかりの女ぞと、まかりて見て参れ』とのたまふ。
 房子、承りてまかれり。
 竹取の家に、かしこまりて請じ入れて、会へり。
 嫗に内侍のたまふ
『仰せ言に、かぐや姫のかたち優におはすなり。よく見て参るべき由のたまはせつるになむ参りつる』と言へば、『さらば、かく申し侍らむ』と言ひて入りぬ。


 帝、なほめでたくおぼし召さるることせきとめ難し。
 かく見せつる造麻呂を悦び給ふ。さて、仕うまつる百官の人に、あるじいかめしう仕うまつる。
 帝、かぐや姫を留めて還り給はむことを、飽かず口惜しくおぼしけれど、たましひを留めたる心地してなむ、還らせ給ひける。
 御輿に奉りて後に、かぐや姫に、還るさのみゆき ものうく思ほえて そむきてとまる かぐや姫ゆゑ御返事を、むぐらはふ 下にも年は 経ぬる身の 何かは玉の うてなをも見む
 これを帝御覧じて、いとど還り給はむそらもなくおぼさる。
 御心は、更に立ち還るべくもおぼされざりけれど、さりとて、夜を明かし給ふべきにあらねば、還らせ給ひぬ。


 かやうにて、御心を互ひに慰め給ふほどに、三年ばかりありて、
春の初めより、かぐや姫、月の面白う出でたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。
 ある人の、『月の顔見るは、忌むこと』と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣き給ふ。
 七月十五日の月に出で居て、切にもの思へる気色なり。


 かぐや姫泣く泣く言ふ、『さきざきも申さむと思ひしかども、必ず心惑はし給はむものぞと思ひて、今まで過ごし侍りつるなり。
 さのみやはとて、うち出で侍りぬるぞ。おのが身は、この国の人にもあらず、月の都の人なり。
 それをなむ、昔の契りありけるによりなむ、この世界にはまうで来たりける。
 今は帰るべきになりにければ、この月の十五日に、かの本の国より、迎へに人々まうで来むず。
 さらずまかりぬべければ、おぼし嘆かむが悲しきことを、この春より、思ひ嘆き侍るなり』と言ひて、いみじく泣くを、翁、『こは、なでふことをのたまふぞ。竹の中より見つけ聞こえたりしかど、菜種の大きさおはせしを、我が丈立ち並ぶまで養ひ奉りたる我が子を、何人か迎へ聞こえむ。まさに許さむや』と言ひて、『我こそ死なめ』とて、泣きののしること、いと堪へ難げなり。


 御使ひ、仰せ言とて翁に言はく、『いと心苦しくもの思ふなるは、まことにか』と仰せ給ふ。
 竹取、泣く泣く申す、『この十五日になむ、月の都より、かぐや姫の迎へにまうで来なる。
 尊く問はせ給ふ。この十五日は、人々賜はりて、月の都の人、まうで来ば、捕らへさせむ』と申す。


 かかるほどに、宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家のあたり昼の明かさにも過ぎて光りたり、望月の明かさを十合せたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。
 大空より、人、雲に乗りて下り来て、地より五尺ばかり上がりたるほどに立ち連ねたり。


 内外なる人の心ども、物に襲はるるやうにて、相戦はむ心もなかりけり。
 からうして思ひ起こして、弓矢を取りたてむとすれども、手に力もなくなりて、なえかかりたる中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、外ざまへ行きければ、あれも戦はで、心地ただ痴れに痴れて、まもりあへり。





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 竹取心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、かぐや姫言ふ。
『ここにも心にもあらでかくまかるに、昇らむをだに見送り給へ』と言へども、
『何しに悲しきに見送り奉らむ。我を如何にせよとて、棄てては昇り給ふぞ。具して率ておはせね』と泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。

『文を書き置きてまからむ。恋しからむ折々、取り出でて見給へ』とて、うち泣きて書く詞は、

 この国に生まれぬるとならば、嘆かせ奉らぬほどまで侍らで過ぎ別れぬること、返す返す本意なくこそおぼえ侍れ。
脱ぎ置く衣を、形見と見給へ。月の出でたらむ夜は、見おこせ給へ。見棄て奉りてまかる、空よりも落ちぬべき心地する。

 と書き置く。



 そうして姫は無事、月へと帰っていきました、とさ……

 めでたし、めでたし。



薬売り「八雲紫殿……とお見受けします」



 はぁい薬売りさん。初めまして

 面と向かってみれば、中々にカッコイイ御方ね。
 その奇抜なファッション、とっても素敵よ。



薬売り「いえいえそちらこそ……まるで、西洋人形と思しき可憐さで」



 あらやだわもう、薬売りさんったら、お上手ね。



 ホホホホホ――――



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薬売り「竹取物語……ですか」

紫「ふふ、やっぱり知ってたんだ」

薬売り「現存する最古にして最初の物語……してその名は、今日までありとあらゆる文化にも、影響を及ぼしております故」

紫「ロマンティックよねぇ……初めて生まれた物語が、まさか月を題材にした幻想譚だったなんて……」

紫「あっ」


――――その後、翁嫗、血の涙を流して惑へどかひなし。
 あの書き置きし文を読みて聞かせけれど、『何せむにか命も惜しからむ。誰が為にか。何ごとも益なし』とて、薬も食はず、やがて起きもあがらで病み臥せり。

 中将、人々引き具して帰り参りて、かぐや姫をえ戦ひ留めずなりぬる、こまごまと奏す。
 薬の壺に御文添へて参らす。広げて御覧じて、いとあはれがらせ給ひて、物も聞こしめさず、御遊びなどもなかりけり。
 大臣上達部を召して、『何れの山か、天に近き』と問はせ給ふに、ある人奏す、『駿河の国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近く侍る』と奏す。
 これを聞かせ給ひて、

 あふことも 涙に浮かぶ わが身には 死なぬ薬も 何にかはせむ

 かの奉る不死の薬に、また、壺具して御使ひに賜はす。
 勅使には、調石笠といふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべき由仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせ給ふ。
 御文、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべき由仰せ給ふ。

 その由承りて、兵どもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を『ふじの山』とは名付けける。



紫「ああごっめ~ん、まだ残ってたわ」

薬売り「そう、かぐや姫が月へと帰った後、翁は病状に倒れ、帝は姫のおらぬ世界に未練はなしと不死の薬を山へ燃やしてしまった……」

薬売り「そして不死の薬の煤を浴びた山は”不死山”と呼ばれるようになり、いつしか”富士山”と名を変えた」

薬売り「それが物語の本当の終着点。広く世に知られた、結の幕切れ……」

紫「さすが薬売りさん、博識な所もステキ」

薬売り「お戯れはよしてください……有名な物語じゃないですか」

薬売り「にしても、何故に……こんな物をお見せになさるので?」

紫「ふふ、それはね……」




 その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言ひ伝へたる。




紫「まだ、物語は終わっていないからよ」




【竹取物語――――之・真】


紫「不死に帝に従者に、月と姫君……なぁんか、どっかで見たようなシチュエーションじゃない?」

薬売り「あの永遠亭の連中が、そうであると?」

紫「全員がそうかは知らないけど……でも、一人だけ、動かぬ証拠を持ってる奴がいるじゃない」

紫「ほら」


 いまはとて 天の羽衣 着る折ぞ 君をあはれと 思ひ出でける

 とて、壺の薬添へて、頭中将(とうのちゅうじょう)を呼び寄せて奉らす。
 中将に、天人取りて伝ふ。
 中将取りつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほし、かなしとおぼしつることも失せぬ。
 この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて百人ばかり天人具して昇りぬ。

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紫「この、不死薬渡してる奴……」


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薬売り(八意永琳――――!)



薬売り「八意永琳は、月の迎え人であった……!」

紫「正確に言うと迎え人”達”の一人ね。他にも、似たようなのがいっぱいいるし」

薬売り「しかし月の使者にも関わらず未だ地上に残る……その所以は」


【同調】


薬売り・紫「――――”姫は月へと帰らなかった”」


【緞帳】


紫「ほら、始まるわよ。幕を下ろした竹取物語の……」

紫「永遠に表に出る事のない……”第二幕”が」

薬売り「こ…………れは…………」



【惨】



(姫様――――私と共に逃れましょう――――)



【屠】



(私にお任せください――――貴方様を月になど帰させはしませぬ――――)



【射】



(貴方の罪は私の罪――――故に被り、共に落ちましょう――――)



【殺】



【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】

【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】

【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】

【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】

【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】【殺】




(月が蔑む、穢れし地へと――――)


(永遠に――――)




【断末魔】


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紫「おお、怖い怖い。澄ました顔して、蛮人顔負けな所業ね」

薬売り「姫を迎えに行った月の使者達は、結局誰も戻ることがなかった……」

紫「月の連中も、想像すらしてなかったでしょうね……まさか、迎えにやった使者達の一人に”鏖”にされるだなんて」


(姫様が……そう望まれたからです)


薬売り「ふふ、八意永琳……飛んだタヌキだ」

薬売り「逃げたのではなく……”奪い獲った”が真だったとは……ね」

紫「まるで、今回のモノノ怪みたいね」



チ リ ン



紫「そうそう言っときますけど。今回の騒動、犯人はアタシじゃないですからね」

紫「なーんか連中、好き勝手言ってくれちゃってるけど。変な濡れ衣着せられて、こっちも迷惑してるんだから」


【白状】


薬売り「月への侵攻は……もう諦めたんですか?」

紫「ふふ……ま、いつかはリベンジとしゃれこみたい所だけどね~」

紫「でもそれは今じゃない。今は月よりも、大事な物があるから……」

薬売り「してその心は」

紫「幻想郷……私がお腹を痛めて産んだ、夢の桃源郷」



【八雲紫――――之・理】



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紫「産んで、育てて、与えて、見守って――――そんな日々は、この先も延々と続く」

紫「幻想郷はまだまだ産まれたばかり。一人で歩けるようになるまで、ママが傍にいないと…………ね」

薬売り「幻想郷は……貴方にとって”赤子”ですか」

紫「にしてもそろそろ、あんよくらいはしてもらわないと、ねえ?」


キーン


紫「人と人ならざる者の境が曖昧な世界……当然そこには、あらゆる異変が起こる」

紫「こないだだって大変だったのよ? 湖が紅い霧で覆われちゃったり、春が来なくなっちゃったりとかさぁ」

薬売り「おやまぁ……それはそれは」

紫「今回だってそう。ま~た誰かが何か異変を起こしたのかと見に来たら……」

紫「来て見てびっくり。そこには”呼んだ覚えのない物”がいたじゃないの」

薬売り「それは……どちらを指す言葉なんですかね」


コーン


紫「排除は容易かったけど、後学の為に見守る事にしたの」

紫「ウチん所のグータラ巫女ちゃんにも、その姿勢を少しは見習ってもらいたくてねぇ」

薬売り「見本になる程、立派な人間じゃありやせんがね」

紫「いやいやとんでもないわ。形と真と理……だっけ?」

紫「あなたが退魔の剣を抜く為に求めるその姿勢。それって、異変の解決屋の素養と同じなのよ」

薬売り「ほぉ……奇遇ですな」


カーン


紫「異変の解決には、事の首謀者と、異変の目的と、起こした理由。この三つを見抜く眼力が必要なの」

紫「そうやって今まで異変を無事解決してきた……んだけど」

紫「何年か前に受け継いだ後継ぎが、どーもこう、伝統に縛られないタイプと言うかなんというか……」

薬売り「縛られない……ですか」


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紫「歴代でも才能はピカイチなんだけどね……そのせいなのかしらねぇ。力押しで無理やり解決する事のほうが多くって……」

紫「弾幕でガンガン押しまくって、力づくでふん縛ってやめさせるのよ」

薬売り「確かに、それでは真と理は見えませぬ」

紫「”解決してるから問題ないでしょ”って言われたらうまく言い返せないんだけど……」

紫「それってなんか……ねえ?」

薬売り「こっちとしては……むしろそっちの姿勢の方が見習いたいくらいなんですがね」


コーン



薬売り「そうそう、弾幕と言えば……この札は、この幻想郷ではスペルカードとやらに、当たるのですかな」

紫「ううん、スペルカードはあくまで自発的な物よ」

紫「スペルカード自体はあくまでただの紙でしかないから、自分がスペカと認識するなら物はなんでもいいの」

薬売り「ただの紙ですか……」

紫「とは言いつつも、なんだかんだでみんな、符しか使わないんだけどね」

紫「かさばらないし、持ち運びやすいし、集めやすいし、おしゃれだし……かく言う私も実は」ピラ


【結界】光と闇の網目


薬売り「おお……なんと美しい……」

紫「気を付けてね。触ったらピチュンと逝くわよ」


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薬売り「弾幕……さしずめ、光輝く盤上の升目ですな」

紫「人と人ならざる者が共存するには、共通のルールがいるの……そのルールの一つが、この弾幕遊びなんだけど」

紫「浸透したのはうれしいんだけど、広まりすぎて逆に、今度は決闘の合図になっちゃってるのよね」

紫「まぁ、無益な殺生を防ぐ意味で本質は果たしてるけど……逆に争いの種になってちゃ、本末転倒よね」



【規則】
 一つ、カードを使う回数を宣言する
 一つ、技を使う際には「カード宣言」をする


【理念】
 一つ、妖怪が異変を起こし易くする
 一つ、人間が異変を解決し易くする
 一つ、完全な実力主義を否定する
 一つ、美しさと思念に勝る物は無し



薬売り「どーりで……見せた途端に襲われるわけだ」

紫「特に札タイプの弾幕はねぇ……さっき言ったゴリ押し解決人の、力押しの代名詞みたいなもんだから」

紫「あんまり見せびらかさない方がいいわよ……もし、”ここの住人となるつもりなら”」

薬売り「……肝に銘じておきましょう」




紫「神隠し……そちらの世じゃこの程度でも稀なんでしょうけど、こっちじゃこんな事日常茶飯事なのよね」

紫「人も妖怪も、それ以外の何もかも。あっちゃこっちゃで泣き出して、おちおち夜も眠れやしない」

紫「だが、それ故に愛しい……目に入れても痛くないとは、ほんと言い得て妙」

薬売り「母性に近い心情……ですか」

紫「自然と面倒事に進んでる自分がいる……ついつい、おせっかいを焼きたくなる自分がいる」

紫「もしかしたら……今回出たモノノ怪とやらも、同じ気持ちだったりしてね」



チ リ ィ ン



紫「さて、でもまぁ、おせっかいはそろそろ終わりにしようかしら」

紫「こう見えても私、忙しい身なのはわかっていただけたと思うし?」

薬売り「ご協力、まこと感謝の極み……」

紫「でもまぁこのままサヨナラするのはなんか味気ないわね……あ、そうだ」

紫「せっかくだから、お近づきの印にこれあげる」


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薬売り「これは珍しい……”朱色のシロツメクサ”ですか」

紫「でしょでしょ。さっき穴ぼこの近くで拾ったの」



【土産】




紫「いや実はさ、月人うんぬん関係なく、前からちょくちょく覗きに来てたのよね」

紫「知ってた? あの竹林、実は幸運を呼ぶパワースポットなのよ」

薬売り「幸運を呼ぶ……?」

紫「迷いの竹林なのに人々が消えた試しがないとか、何故かやたら珍しい物が落ちてるとか」

紫「そもそも、地上人が月の医療を受けられるって、周りにとったらラッキーもいい所じゃない?」

薬売り「稀の集まる幸運の場所……」

紫「月の連中が来たからそうなったのか、はたまたそれを含めて幸運の一部なのか……」

紫「ほんと、全部足して何十万分の一の確率なのって感じ」



チ リ ィ ン



紫「さてと、スキマのおせっかいは此処迄。こんなんで、お力になれたのなら幸いだわ」

薬売り「いえいえ、あなたのような可憐な御方と会いまみえる事が出来た……それだけで十分にございます」

紫「もう、ほんとお上手ね」ホホホ







(キャーーーーーーーーーッ!)





紫「――――ほら来た! 薬売りさん! さっそく出番よ!」

薬売り「全く、慌ただしい薬屋だ……」

紫「どれどれ、今度は何事……ワオ!」

紫「ちょっと薬売りさん! なんか、なんかすんごい事になってるわよ!」キャッキャ

薬売り「なんで……嬉しそうなんですかね」



【到来】



薬売り「モノノ怪は、決して消える事はない……人の情念がある限り、そこにモノノ怪は必ず現れる」

薬売り「言い換えれば、無限に続く面倒事とも言えます……あっしにはとてもじゃありませんが、愛しいとは思えませぬ」

紫「そう言わないの、もしも見事払えたなら、ご褒美として……そうだ!」

紫「モノノ怪怪奇譚とでも名付けて、浮世中に広めてあげようかしら」

紫「容姿端麗な薬売りの織成す、麗しくもどこか物悲しい英雄譚として、ね」


【着想】


薬売り「どこぞの修験者に……言いように扱われる光景が、目に浮かびます」

紫「でもほら、やる気出たでしょ。さぁ――――」



【見込】



紫「はてさて、今度に消えるの、一体だぁれ――――」




【期待】




(最後に残るは――――一体だぁれ――――)




【凱旋】





【火急之永遠亭】


【八意永琳】 

【鈴仙・優曇華院・イナバ】 

【因幡てゐ】

【蓬莱山輝夜】×

【八雲紫】×

【藤原妹紅】×

眠いから一旦〆
本日は此処迄



永琳「薬売りさん……!」

うどんげ「あああ、あんた! どっから湧いて出たのよ!?」


薬売り「おや……」


 しかし毎度ながら、まことに神出鬼没極まりない男であるな。
 外にいたかと思いきやいつのまにやら内側に。遠くにいるかと思いきや傍らに。
 上から下へ、左から右へ。そんな事は、この薬売りにとっては日常茶飯事なのである。
 こちらとすれば、心の臓が飛び出る程に仰天せしめると言う物なのだが……
 しかし当の本人はまるで意に介す様子もないから困り物じゃ。
 いやはや、そういう効能の薬でもあるのかう……己が身を朧と化する、そういう薬でも。


薬売り「お師匠様…………”そのお姿は”!」


永琳「どうやら私も――――”モノノ怪に当てられてしまった”ようです」


 しかし今回ばかりは薬売りとて、仰天させる側ではなくする側であったようで。
 まっこと好い気味じゃ。身共も是非見たかった物じゃのう……
 見知った知人が、”全身目玉だらけになる姿”を見た反応を。



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うどんげ「あああ、ああんた! モノノ怪斬りに来たでしょ!? ほっほら! 早く斬りなさいよ!」

永琳「お気になさらず、薬売りさん……”今はまだ斬れない”」

永琳「でしょ?」


退魔の剣「~~~~」カタカタカタ


薬売り「そのようで……」


 にしてもこの状況。乱れた間の様子から察するにだな。
 部屋に閉じこもる玉兎を見かねた師・永琳が、その閉じられし戸を強引に開いたのが始まりのようであるな。
 そしていざ説き伏せんと対面せしば、その直後……
 現れたしは、御身に蔓延る無数の目玉であった、と。



【八意永琳――――之・理】



永琳「見に行ったのですね……私の真を」

薬売り「しかと、見届け申した」

永琳「なら、もうご存知ですね……私には、モノノ怪を成すに値する因果があった、と」

薬売り「そしてモノノ怪は今、貴方の存在其の物に憑りついている」



【同調】



永琳「してその心は」

薬売り「ただ一つ」



【解離】



薬売り・永琳「モノノ怪は(私・貴方)ではなかった――――」



うどんげ「? ? ? ?」



 モノノ怪の真は、八意永琳ではなかった。
 己がかつて犯した罪と、薬売りの教示とを合わせれば、「よもや、モノノ怪の正体は自分ではないのか」。
 頭脳明晰な八意永琳にして、その結論に至るは至極当然であろうて。



うどんげ「そ、そんな事どうでもイイッ! ほら、目の前にいるじゃない!」

うどんげ「早くしないと……お師匠様が……!」

薬売り「しかし退魔の剣は未だ真と理を得てませぬ」

薬売り「これではとても……斬る事など……」



 薬売りも同様に、当初からこの八意永琳にアタリをつけておったのやもしれぬな。
 しかしそうではないと分かれば、事はまた振り出しに戻る道理。
 薬売りも大層うんざりとなすった事であろうなぁ……
 いかにいけすかぬ薬売りとて、その心中はまぁ~察するに余りある。




永琳「ご安心ください、薬売りさん」

永琳「姫様は、ちゃんと残しておいででした……この地に潜む、”怪の示唆”を」


薬売り「……なに?」

 
 寸先見えぬ暗の渦。
 向かえど進めど出口の見えぬ、複雑怪奇な真理の迷宮。
 しかしそこに、一つの光明が差した――――
 げに有難きかな。姫君自らが与えたもう、”明示の一手”である。



永琳「蓬莱山輝夜姫の残せし……”姫君のスペルカード”に御座います」



薬売り(これは……)




【難題】龍の頸の玉-五色の弾丸-
【神宝】ブディストダイアモンド
【難題】火鼠の皮衣-焦れぬ心-
【神宝】ライフスプリングインフィニティ
【難題】蓬莱の弾の枝-虹色の弾幕-



永琳「私が師として命じた言付……覚えておいでですね?」

薬売り「無論です。必ずや――――」



(そのモノノ怪とやら、必ずや斬り屠って見せなさい)



――――時に皆の衆、モノノ怪の”怪”とは何か知っておるか?
 病の事よ……そしてモノとは荒ぶる神の事。
 その名の所以の通り、モノノ怪とは、人を病のように祟る存在。
 怨み・悲しみ・憎しみ。様々な激しい人の情念が妖と結びつくことによって生まれる魔羅の鬼。
 これらの事を顧みれば、八意永琳が薬売りに託した”命”の真意も、自然と推し量れよう物よの。



永琳「私は薬師。そこに患者がいる限り、世に病が蔓延る限り」

永琳「努めてこの身、捧げましょう――――人々が、苦しみから解き放たれますように」


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 八意永琳の身に巣食った目玉の群れが、さらに増えていく。
 そしてその透き通った麗しき肌は、直に白と黒との二色に分かれ、その内の黒が集いて、一つの大きなる瞳となった。
 もはやモノノ怪と永琳の区別もつかぬ、いと大きなる眼……
 してその瞳は、”最後の時”まで、じ~っと見つめていたそうな。



うどんげ「お師匠様…………!」




 愛弟子・鈴仙――――其の本名「鈴仙・優曇華院・イナバ」を。





【愛】





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【八意永琳】×

【鈴仙・優曇華院・イナバ】 

【因幡てゐ】

【蓬莱山輝夜】×

【八雲紫】×

【藤原妹紅】×


風呂



【刻】



【刻】



【刻】



【――――丑の刻】



うどんげ「う、うう……お師匠様……お師匠様ぁ……」


うどんげ「お師匠様……お師匠様…………!」


 嗚咽の混じった声なき声……言葉にならぬとは、まさにこのような状態の事を言うのであろう。
 無理もない……つい今しがたの出来事だったのだ。
 目の前で、師が空に消え失せる様を目の当たりにしたのは、な。


薬売り「……おや」



てゐ「――――も~、さっきからうるっさいな~」

てゐ「ちょっとちんどん屋。そこのギャン泣きやらかしてるバカ、なんとかしてくんない?」



薬売り(因幡てゐ……)


 こうなれば、普段の振る舞いが逆に際立って浮いた物になるよの。
 妖兎・てゐ――――この兎の佇まいとくれば、この期に及んでもまだ気の抜けた態度のままであった。
 如何に楽観的な気質であろうとて、この状況を理解しておらぬとは到底思えぬのだが。
 その場におらずとも、”そこで一体何が起こったか”など……
 この玉兎の様子と、「床に落ちた師の帽子」とを見れば一目瞭然であろうに。



てゐ「ギャーギャーワーキャー、ワンワンギャンギャン……こんなんじゃ、眠たくっても眠れやしないわ」

薬売り「眠り薬でも……調合しやしょうか?」

てゐ「いらない。そこのヒスバカが発狂やめればいいだけだから」

てゐ「むしろそいつにこそ薬いるでしょ。全身動けなくなる痺れ薬的な奴」

薬売り「それはただの……毒ですよ」


 薬売りに賛同するわけではないが、身共もこの不自然さには、ほとほと違和感を感じておるでな。
 姫・師・友人と、縁ある者共が端から消えていく最中にて。
 まるで明日の雲行きを気にする程度にしか気を止めておらぬとはこれ如何に。

 それは今この時に置いてもそうだ。
 姉妹弟子の玉兎が悲しみで涙を流すのに対し、この妖兎が零すのは、あくびによる涙なのだ。
 ”あまりに普段通りすぎる”――――薬売りの目つきがつい鋭くなるその心情、身共もよぉく推し量れようぞ。


てゐ「あ~……ねむ」

うどんげ「あんた……よくそんな悠長にできるわね……お師匠様が! みんなが!」

うどんげ「みんないなくなっていくのに……あんたは……あんたって奴は…………!」

てゐ「ちっうぜぇ……八つ当たりかよ」


 本当に同じ兎なのかと疑うほどに、対照的な二匹の兎。
 このものの見事な対照さ加減は、元から持って生まれた性なのであろうか。
 それが故だろうなぁ……と言うのもこの兎共。同じ一門の分際で、いささか仲が悪すぎるよの。
 生まれは違えど同じ兎同士……もうちょっとこう、仲睦まじく出来ぬものかのう。
 

うどんげ「本当に何も感じないの!? 誰もかれもが消えてくのよ!?」

うどんげ「そうなればその内アンタだって……」

うどんげ「そうなればもう、”知恵”どころじゃないのよ!?」



【癪】



てゐ「…………せええええ! お前がそれを口にするんじゃねェーーーーッ!」



薬売り(今……”琴線に触れた”か……?)




【禁句】



 門下と言えばそうだ。身共が修行の身であった頃の記憶が蘇る。
 修験の道を志す者は多い……二人所か、古今東西からあらゆる者共がこぞって集まってきよった物ぞ。
 しかしそれでも、こんな事は一切なかったぞ?
 修験の修行は、喧嘩する暇などありはせぬ程、それはもう生半可な物では無かった故な。


てゐ「こっちだって体ぶち抜かれて大変なんだ! だからこそ早く寝て体を休めるんだろーが!」

うどんげ「何がぶちぬかれたよ! 大げさに言って、結局ただの掠り傷だったじゃないのよ!」

てゐ「掠り傷じゃねーよ! 古傷抱えてんのはお前も知ってるだろ!」

てゐ「何も知らねー癖に何様だ! じゃあお前も、いっぺん生皮剥がされてみろっつーの!」


 人里から遠く離れた山々の、さらに奥深くにて。
 時には滝に打たれ、時には食を断ち、さらにさらに、時には全力で山から山へと駆け巡るのじゃ。
 これを”奥駆け”と言ってな……いやはや、あれが一番辛うござった。
 断崖絶壁を駆ける苦痛もさることながら、稀に道中に熊なんぞが現れよったりしての。
 いやはや、あの時はまっこと、肝を冷やした物じゃ。
 

うどんげ「そもそも! あんたがこんな奴を連れ込んだからこんな事になったのよ!」

うどんげ「一体どーしてくれる! あんた責任とりなさいよ!」

てゐ「はぁぁぁぁ!?!?!? 何人のせいにしてんのぉぉぉぉ!? そのちんどん屋は最初っから中にいたっつーのォォォォ!」


 修験の教義の一つに”擬死再生”と言う考えがある。
 死にも劣らぬ苦痛をその身に受け、その苦痛で持って穢れた罪を清め払い、新たなる存在として再生せんと言う考えじゃ。
 修験者が山籠りに明け暮れるのは、その考えが根底にあるからじゃな。

 してその修験の教えは全ての教えに通ずると、かつてわが師が言っておった。
 無論それは、薬師の道にも……の、はずなのだが。
 

てゐ「そもそもお前だってこっそり二人で妹紅の所に行こうとしてただろ! アイツがいなくなったのもそのせいじゃねーの!?」

てゐ「関係なかったのに巻き込まれて、おーカワイソウ。落とし穴に落とされるのは必然ね!」

うどんげ「なんですって!? 大体それは、あんたが薬の事漏らしたからでしょーがァ!」

うどんげ「アンタが余計な事言わなきゃ妹紅になんて会いに行ってなかったわよ! 蓬莱の薬は、絶対に知られてはいけなかったのに!」


 この竹林は我らで言う山。竹を媒介に自然と調和し、御身を清めて他者をも清める悟りの道……
 と思いたいのは山々なのだが、肝心の修行人がこのありさまでは、まだまだ悟りは遠いよの。
 主観ながら、薬師の修学よりもまずは、基礎的な作法から学んだ方がよいのではないかと思う今日この頃である。
 まぁ、今更こんな事を言うた所で……もはやもう、後の祭り、か



【大喧嘩】



うどんげ「何が幸運の使者よ! 余計な事ばっかして、そんなに人が苦しむのが楽しい!?」

うどんげ「お師匠様に近づいたのも、どうせよからぬ事を考えてたんでしょ!? あんたは不幸の元凶よ!」


 あーあーもう……始まりよった。おなごの争いはいつ見ても見苦しい物よ。
 こうなったおなごはある意味アヤカシよりもタチが悪い。一度堰を切ればそれはまさに災いと同義。
 故に、万一遭遇してもむやみに首を突っ込んではならぬぞ? 
 嵐が過ぎ去るまで、ひたすらに、ただひたすら~に耐え忍ぶが吉と、そう心得よ。


てゐ「んだとゴルァ! じゃあお前に四つ葉のクローバーが見つけられんのか!?」

てゐ「月の兎の分際で百発百中で罠にかかりやがって! お前みたいな阿呆がまだ残ってるのが不思議でしょうがねーよ!」


 薬売りもその辺はしかと心得ているようで、二人の兎の言い争いをじぃ~っと耐え忍んでおった。
 ……わけではなく。どうやらこの時、静かに聞き耳を立てていたらしい。
 曰く、傍から見ればただの醜き言い争い。
 しかしまた一方から見れば、言葉の節々から、歪に歪んだ”理の欠片”が、密やかに漏れ出ていたとか、なんとか。


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うどんげ「今日と言う今日は許せないわ……てゐ、覚悟しなさい!」


てゐ「あ? 上等だこの野郎! その弾幕勝負、受けて立ってやるよ!」



 言い争いはいよいよ持って行き着く所に行き着かんとしていたが、それでもまだ、薬売りはただ静かに聞き耳を立て続けるままであった。
 間もなくして、ペラリと小さな音が聞こえた……例の「すぺるかぅど」とやらである。
 言い争いは決闘に形を変えようとしている。
 だがそれでも薬売りは依然として静寂を貫き、二匹と同じく例の「すぺるかぅど」を手に取り、これまた二匹と同じく、ペラリと小さな音を立てた。




薬売り「…………」




 それは――――姫君の残せし”最後の一手”であった。






【永遠亭――――】




【薬師】【賢者】【弟子】【一門】【好奇】【防犯】

【安堵】【鋭敏】【怪我】【穢】【流刑】【無礼】

【消失】【作法】【幻想】【患部】【感染】【万能薬】

【欲望】【病魔】【隙間】【収集】【地獄耳】【夕飯】

【満月】【月人】【侮辱】【脅威】【木霊】【息吹】




うどんげ「くたばれぇぇぇぇてゐィィィィ!」




【暗闇】【天】【明】【拒】【隠居】【供物】

【印象】【相違】【夕暮】【童】【使者】【高貴】

【間】【永遠】【傍観】【嘲笑】【今昔】【幕】

【桃源郷】【異変】【神隠し】【母性】【楽観】【禁句】

【生皮】【対称】【喧嘩】【阿呆】【歪】【覚悟】




てゐ「こいやぁぁぁぁオラァァァァ!」





【玉兎】【妖兎】





【迷】【貫】【命令】【故郷】【望】【庇】【声】

【居場所】【境】【創造】【箱庭】【籠目】【収穫】

【覆】【線】【守】【名聞】【開運】【蓬莱の薬】



――――揉め合う兎共と同調するように、薬売りの頭の中にも今、小さな争いが巻き起こっておった。
 それは今現在の薬売りと、過去の薬売り達の争いである。
 過去の薬売り達はあらゆる言葉を弾と変え、無数の数で持って薬売りに放ってくる。
 札に記されたあらゆる言霊の群れは、まるで、すぐ背後にて交差する弾幕のようである。
 そう言う「いめぃじ」なのだ。この永遠亭にて聞かされた、弾幕の言葉に対する、な。



【怨念】【不死】【煤】【香】

【覗見】【赤子】【升目】【御節介】

【罪】【逃亡】【奪】【迎】

【乱】【波長】【恐怖】【籠城】

【幸運】【シロツメクサ】【知恵】【古傷】



 しかし薬売りの脳裏に散らばる弾幕は、通常の仕様とは少々異なる。
 もう一度言うが、あくまで「いめぃじ」なのだ。
 故に何ら問題ない。
 この弾幕は、”当たれば当たるほどよい”としてもな。


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【神宝】 【符】



薬売り「…………」



【刻】【涙】



退魔の剣「~~~~~!」



【眼】




【陰陽】




薬売り「……ふっ」


薬売り「そう言う…………事でしたか…………」



 得てして続いた、此度のモノノ怪騒動。
 果てに行き着くは、喧噪極まる修羅場の、その真っ只中にて……
 ついに薬売りは、開きなすった。







【輝夜】







薬売り「モノノ怪の――――真を得たり――――!」





 モノノ怪の真に至る、悟りである。


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                         【つづく】





【御知らせ】

書き溜めが尽きたんでしばらく休みます。
再開は一週間以上~一か月以内を予定
例によって無理そうならなんかしら言いに来ます(多分大丈夫だと思うけど)


と言うわけで、しばらく御免



――――浮世に重なる幻想郷
 一歩その地に踏み入れば、迎うは蠢く妖の園
 決して見る事叶わず、決して入る事叶わず
 されど確かにそこにある、幻の地
 
 彼の地、寄り添い集うは、幻となりし生
 生は取り戻さん。再び現を
 生は取り戻さん。命の暦を
 そして見る。幻が、自らの幻たる夢を

 幻が幻を生む地、幻想郷
 幻が真となる地、幻想郷

 誰が呼んだか幻想郷
 どこにあるやら幻想郷―――― 




【永遠亭】――――大詰め





 草木も眠る丑三つ時。
 月明かりも薄れる程闇に沈む、深き竹林の真っ只中にて。
 そこには、闇夜の間を縫うように動き回る、一つの影があった。


「ハッ――――ハッ――――ハッ――――」


 影は、同時に音を漏らしておった。
 盛りのついた犬のような激しい吐息を漏らし、影に触れし竹葉も、釣られてしばしの間歌いだす程である。
 しかしそれでも、影は決して速度を落とさなかった。
 漏れる吐息も、竹葉の擦音も、自身の心の鼓動でさえも――――
 その影に取っては、「進」の前には後回しでしかなかったのだ。


「――――うわっ!」


 だが、あまりにないがしろにし過ぎた罰が当たったのだろうなぁ……。
 「進」にかまけて「視」までも置き去りにした罰か。

 影は、不意に進むのをやめた。
 代わりに――――落ちた。
 奈落の入口と見間違うほどに、深い深い穴の中へ。


「あっ……たぁ……もう……」


「またかよ……アイツ……」




「――――おや、まぁ」




「誰だ――――ッ!?」



 して影が、穴へと落ちたその機を見計らうようにして、もう一つの影が現れた。
 この新たに現れしもう一つの影は、先ほどの影と違い、足音一つ立てぬままに静を保っておった。
 忍び足同然の接近である。しかしそこは影同士。
 穴の中であろうと闇夜であろうと、影は、影の気配を十分捉える事ができるのである。


「いけませんねぇ……こんな闇夜の中は、明かりもなしに出歩いてはいけませぬ……」

「特に兎は……”耳が良い代わりに目が悪い”んだから」



 視界が効かずとも……影の持つ”鋭敏な耳”を持ってすれば。



薬売り「ねえ……姉弟子様」


うどんげ「薬売り……!」



 薬売りの持つ小さな明かりが、ようやっと影の形を照らし出した。


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うどんげ「お前の……仕業か……!」

薬売り「違いますよ……この穴は、元々ここにあった穴です」

薬売り「こんなに深く掘って、あっしも、後始末が大変だろうと思っていたのですが……」

薬売り「どうやら……ほったらかしにしていたようで」

うどんげ「くっそォ! あのバカウサギだきゃほんと……!」


 穴は、元からそこにあった。
 よくよく目を凝らせば、暗がりながらなんとか見えなくもない。
 注視さえしていれば、その一部分だけの不自然さに、なんとか気づけたはずなのだが……。
 しかし見えなかった。それはやはり、闇夜に紛れていたが故。
 言い換えれば、”目を凝らす事をしなかった”からとも言える。


薬売り「にしても、そんなに息を切らして……一体何処へ行こうと言うのです」

薬売り「今はまだ丑の刻……夜明けにはまだ、少々速いですぜ」


 影。元い玉兎の行動は、夜分に相応しくない不可思議な物であった。
 穴に落ちて止まったからよかったものの、穴がなければ今頃疾風と化し、とおの昔にどこぞの地へとたどり着いていた事であろう。
 その行動は一言で言う「逃亡」に等しい。

 師も、姫も、友も。安住の地の全てを放り出してまで――――
 一体この玉兎は、どこに向かおうと言うのだろうか。


うどんげ「お前には……関係ない……!」

薬売り「おやまぁ、関係ない事ございやせんでしょう? だって……そうじゃないですか」

薬売り「モノノ怪に攫われた三人の哀れな供物……それをも霞掛ける、貴方の内に御座す”闇”」

薬売り「もう、気づいているんでしょう? その闇こそが……モノノ怪をこの地へ誘う”糧”であると」


うどんげ「ぐぅ…………!」


 ぐぅの音も出ぬとはまさにこの事である。
 もはや言い逃れの出来ぬこの状況。
 玉兎は、ついに観念したか……その重い口を、ようやっと開きなすった。
 
 その口から出る言葉からして――――やはり玉兎も、最初から気づいていたのだ。
 薬売りの言う「モノノ怪を成す因果と縁」。
 その説を聞いた時点から、モノノ怪の主体は、”我が身に押し込めた因果にある”、と。



【鈴仙・優曇華院・イナバ――――之・理】





うどんげ「あたし達が月から来たってのは……もう話したわよね」

薬売り「覚えてますとも……絵空事と見間違うかのような話でしたから」

うどんげ「でも、その”順番”はまだ、言ってなかったわよね」

薬売り「なんとなく……察しは尽きますがね」


 地上に下りし月の民の数。
 ひょっとすれば他にもおるやもしれぬが、とりあえずこの場に限っては、計三名としておこう。
 してその着順はこうだ。

 まず最初に、姫君が下りた
 次に、後を追うように永琳が下りた
 そして最後に、この玉兎が下りた。

 一見すると、何ら関係のないただの着順に見える……
 のだが、実はこの二番目と三番目の間。
 すなわち永琳と玉兎の間には「大きな隔たり」があるのだと、玉兎は強く語り申したのだ。


薬売り「隔たり……?」

うどんげ「お師匠様は一応”月からの命令”って建前があった。まぁ、結果は遂行されなかったけど」

うどんげ「でもあたしは、何もない。誰からも何も言われず、あの栄華極まる月の都から、自分の意思で地上へと降りた」


 その隔たりは、一言で簡単に言い表す事ができる。
 玉兎は――――逃げたのだ。
 誰にも言われず、誰にも告げず、己が意思のみで、月からこの地上へと”勝手に”馳せ参じたのだ。


薬売り「つまりそれは……」


 まんま今この瞬間と、全く同様にな。
 

【再犯】



うどんげ「あたしが来たのは……実は、つい最近の話なの」

うどんげ「と言っても、人間の基準じゃ十分昔だけどね」


【推定】

【数十年前】


薬売り「月……絵巻や伝承にも幾度となく現れる都」

薬売り「しかしそれらは全て、文明の栄えるいと優雅な世であると描かれる」

薬売り「まさに貴方の言う、栄華極まるかの都……とてもじゃありませんが、逃げ出したくなる場所とは思えませぬ」

うどんげ「栄華極まる……からよ」


 確かに、伝え聞く話からして逃げ出したくなるような都とは思えぬな。
 ともすればその実、飢饉や徴収、または戦が蔓延る阿鼻叫喚の地。
 まるで愚王の政かのような情景が、頭に浮かぶのだが……

 だとすれば今度は、逃げ出す民の数が少なすぎる。
 人の半生分を「つい最近」と言ってのけるほど、長き歴史を持つ都じゃ。
 そこまで酷いならば、他にもっともっと、逃亡者がおってもよさそうな物なのだが……


うどんげ「栄えすぎた文明は、その地に生ける、全ての命を堕落に落とす……」

うどんげ「それはまるで病魔の如く……人知れず、その地の全てを腐らせていく」


 じゃが、月の都を覆う惨状は、そのどれにも当てはまらなんだ。
 玉兎の口ぶりからして、やはり月は、話に聞く通りの栄華成る都だったのじゃ。
 まさに豊かに溢れた桃源郷そのもの。
 やはりとてもじゃないが、逃亡を決意させるとは到底思えぬわ。



うどんげ「かの都……”栄”に犯された、末期の都」



 まるで頓知じゃ。さっぱりわからんわ……
 玉兎が曰く、「栄こそ堕」の、その意味が。
 


【実情・月之都】





うどんげ「月の都の生活は……うーん、なんつったらいいか……」

うどんげ「説明が難しいわね……あんたら地上人には、絶対想像つかないだろうし」
 
薬売り「平たくで、結構ですよ」


 玉兎は「大雑把」と前置きをした上で、こう言った。

 「――――月の都の生活は、地上の民が浮かべる夢物語とほぼ同等である」。

 ……いや、大雑把すぎないか?
 ならばならば、水を酒に変える実や、雷を落とす杖。
 突風を生む扇子に、振るだけで財宝の溢れる小槌。
 他にも数多あるあの宝具の数々が、月には一挙に集っておるとでも言うのか!


うどんげ「簡単に言うと――――”文明が望む物全てを与えてくれる”。って所かしらね」

薬売り「全てを……?」


 ぐぬぬ、あなどり難し月の都。
 想像を遥かに超えておったわ……それらはまさに魔術と言っても差し支えないであろう。
 言うに事欠いて「文明が全てを与えてくれる」だと……?
 ええい! なんとかこちらから月に向かう方法はないものか!


うどんげ「何でもかんでも文明が全てを肩代わりしてくれる……何もせずとも、栄た文明が勝手に全てを与えてくれる」

うどんげ「だからこそなのよ。だからこそ……」
 

 きぃ~何と羨ましい!
 ならばならば、毎日毎日昼まで眠り、肉や酒をかっ食らい、夜分遅くまで家に帰らずともよいと申すのか……!
 まこと、気が狂いそうなほどに羨ましき文明じゃ。
 だって、そうであろうに。

 勝手に実るならば農民はいらぬ。
 勝手に届くならば飛脚はいらぬ。
 勝手に残るなら書はいらぬ。
 勝手に唄うなら、琵琶法師はいらぬ……


薬売り「だからこそ……?」


 まさに奉公から解き放たれし享楽の園。
――――しかししかししかぁし! 
 これまた何故なのか。本ッ当に何故なのか。
 それらの享楽を否定した酔狂な者が一人……いや、一羽だけ、月にはおったのだ。


うどんげ「いつしか……人々は自分から動こうとしなくなった」

うどんげ「いつしか誰も……夢を見なくなった」

うどんげ「いつしか、ただ、無限に等しい時を……無駄に消費するだけの存在に、成り下がった」


 この柳幻殃斉。生まれてこの方、ここまで同意できぬ意見に出会った事はない。
 身共とて、あの地獄の修行の日々の最中。
 あの日ほど、修験志して後悔した時はなかったと言うのに……

 しかしそこで終わらぬのが、この柳幻殃斉という男よ。
 それらの修行を耐えきった身共だからこそ、ピーンと来たぞ。
 平民にはわからぬであろうなぁ。
 修験道を骨の髄まで叩き込まれた身共だからこそわかる、一種の悟りじゃ。



うどんげ「穢れなき月には死の穢れがない……故にどこまでも堕ちていく」

うどんげ「極限まで薄まった寿命が、人知れず消えていくその時まで、ね」


 よいか? このあらゆる意味でかけ離れた、月人と地上人の最大の違い。
 それは――――”死生観”なのじゃ。
 我ら地上の民は、皆「命は限りある物」と捉えておる。
 修験の教義がまさにその典型例なのだが、限りある命が故に「生の限り尽くす」とは、まさにこの事よ。

 しかし月人はそこが違う。
 月人の寿命は長い。本当に長い。
 それがどの程度までかは存ぜぬが、少なくとも人の一生を「一瞬」と捉えれる程度に長い。

 故に見えぬのだ。「死」が如何様な物なのか……
 あまりに遠すぎるが故に、漠然と想像する事すらできぬのだ。


薬売り「月の民は、永劫に等しき生を、ただ流れるように生きている……」

うどんげ「あたしは嫌だった……永遠に畜生のままで、永遠にその辺の石ころと同価値の”物”として生きるのが」

 
 よって月人は死を”穢れ”と呼ぶに至る。
 よくわからぬが、何となしに汚し物。
 よく知らぬが、何となしによろしくない物。
 よく考えた事もないが、周りがそういうのだから、まぁそうなのだろうとしか思わぬ物。
 してそんな「わけのわからぬ物」に苦悩する地上は、やはり穢れた地なのだ。
 そして得体が知れぬ故に、余計に感じるのだ……「怖い」と。


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うどんげ「気が付けば、あたしは月を跳び出してた……気が付けば、あたしは穢れた地に堕ちてた」



 穢れなき都――――月。
 死の存在を知らず、「生の限り」を知らぬ月の人々は、果たして幸せと言えるのであろうか。
 玉兎はそこに「否」と答えたのだ。
 その所以こそが玉兎の曰く、体が生き続ける代わりに「心が死んでゆくから」である。
 


うどんげ「皮肉よね。あれほど穢れだなんだって蔑んでた場所に、自分が堕ちてりゃ世話ないわよ」



 月の者でありながら、その悟りに至ったのは、やはり「人」ではなく「兎」であったが故であろうか。
 得てして結果、独自の悟りを開いた玉兎は――――堕ちた。
 まさに今、激しく着いた尻餅が如く。
 穢れた地へと、その身を落ち着けるに至ったのだ。




薬売り「しかし死の穢れと引き換えに手に入れたこの場所を、貴方はこうしてまた、捨てようとしている……」

薬売り「ほったらかしですか? 姫も、師も、友も……」

薬売り「未だモノノ怪の……腹の中だと言うのに」


 かのような独自の感性を持つ玉兎。
 それは月の躾の賜物か、はたまた元から持つ兎の性が故であろうか。
 とにもかくにも、文字通り「人」並み外れた感性なのは確かである。
 それが故に、玉兎の抱くモノノ怪像も、これまたえらく独特な感性で捉えておったのだ。


うどんげ「……思えなかったのよ」

薬売り「思えなかった……?」


 兎とは、元来臆病な生き物じゃ。
 皆も見た事があるだろう? ふと目が合うただけで、大慌てで逃げていく野兎を。
 いやいや、危害を加えるつもりなど寸でもないと言うに……
 そこまで怯えられば、こちらとしても夢見が悪いと言う物よの。


うどんげ「その、モノノ怪が……なんていうか……その……」


 ひょっとすれば、兎からすれば、我ら人は腹をすかせた熊にでも見えておるやもしれぬな。
 まぁその辺は兎にしかわかるまい。


 だが――――その兎が言うのだ。
 


うどんげ「悪い奴には、到底思えなくって……」



 モノノ怪から、敵意を感じないと。





薬売り「これはまた……酔狂な事を言いますね」

うどんげ「あたしも上手く言えないんだけど……でも、不思議よね」

うどんげ「この期に及んでも、アンタの言う”斬らねばならぬ存在”だと、あたしには到底思えないの」

薬売り「近しい縁者が、悉く攫われているのに?」


 ”モノノ怪は斬るべき存在ではない”。
 薬売りの存在意義そのものを揺るがすその台詞は、数多のモノノ怪を払いし薬売りには、到底理解できぬ物であった。
 しかし代わりに、一つ思い出した。
 かつて、似たような事を口走った者がいた事を――――「モノノ怪を産み落とす」と啖呵を切った、身重の女の事を。


うどんげ「確かにやり口は褒められない。勝手に現れて勝手に攫って行くなんて、言語道断もいい所よ」

うどんげ「でも……なんと言うか……その……」

うどんげ「…………アレなのよ」

薬売り「また……アレですか」


 この時玉兎が何を言いたかったかは、誰にもわからない。
 しかしまぁあくまで予測ではあるが、口ぶりから察するに「同情に値する場合もある」とでも言いたかったのだろう。

 確かに……そういう者もおった。身共も遭遇したあの海坊主が、まさにそれだ。
 龍の三角をアヤカシの海へと変貌せしめた、あの禍々しきモノノ怪。
 してその正体は、実は徳高き者の”後悔”の念から生まれ出る物だったとは……あの時の身共は、露も思わなかった故な。



うどんげ「だってあんた、気づいてる? 今まで攫われた人達……」

うどんげ「よく考えたら、みんな”蓬莱の薬の服用者”なのよ。永遠を手にした、本物の不死者達よ」

うどんげ「そんな不死の存在が”殺された”なんてのは、まず絶対にありえない」

うどんげ「モノノ怪だかなんだかしんないけど、薬が齎す”永遠”すら侵すとは、到底思えない」


 蓬莱の薬――――かつて時の権力者が命を賭して欲した、不老不死の秘薬。
 その効能は、語り継がれし伝承よりも、よりすざましき物であった。
 曰く、仮に御身が細切れになろうとも、髪の一本程度もあれば瞬く間に再生する事が可能との事である。
 
 納得に足る、推察である。
 確かにその効果を持ってすれば、まず亡き者になる事はないであろう。
 それが仮に、人の道理から外れたモノノ怪の所業であろうとも。


うどんげ「だからさ……もしかしたら」

うどんげ「”匿ってる”んじゃないか……って。そう思えなくも、なくってさ」

薬売り「匿う……? モノノ怪が……?」


 「モノノ怪が人を匿っている」。
 不可思議極まりない結論ではあるが、それでもあくまで個人の感想なのだから、そこは何も言うまい。

 ではモノノ怪は、永遠亭の連中を「何から匿っている」と言うのか。
 その答えは至極単純である。
 月の者しか存ぜぬ、月の者にしか訪れぬ、月の者にとって、モノノ怪よりも恐ろしき存在と言えば……
 それは、ただの一つしかないのである。


うどんげ「月の使者――――あいつらは未だ、私達を探している」

薬売り「……」


 逃亡者の末路はいつだって二択しかない。
 逃げ切るか、捕まるか――――。
 玉兎はすでに立っていたのだ。命運分かつ二つの岐路の、その瀬戸際に。





うどんげ「ここから見る月は、空に輝くただの盆にしか見えないでしょうけどね」

うどんげ「月から見た地上は……違うわよ」


 時に皆は、月と言う存在にどういう情感を覚える?
 美麗・優雅・幻想……まぁ大抵、この手の感傷が大半であろう。
 身共だってそうじゃ。月見うどんに月見そば。月見団子を頬張りながら月見で一杯……
 っと失敬。少し偏ってしまったの。

 しかし月は違う。月の者は地上を奉ったりはせぬ。
 その根本は、先ほど申した通り、月は地上を”穢れた地と見ている”点にある。


うどんげ「月の文明で最も発達した物。それは……”観察”」

うどんげ「月の発展はいつだって地上の監視と共にあった……長い時を掛けて、より細かに、より隅々まで見渡せるように」


 月都文明が総力を挙げて生み出した、最大の利器――――。
 玉兎はそれを「瞳」と呼んだ。
 曰く、都の中心には、「眼を模したいと大きなる筒」があるのだとか。


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 その眼力はもはや「月の模様が兎の餅つきに見える」程度の話ではない。
 
 ・いつ
 ・どこで
 ・誰が
 ・どのような身なりで
 
 そして
 
 ・今現在何をしているのか

 これらの全てを、一目瞭然に映し出す程なのだとか。


うどんげ「そして月の瞳はもちろん、裏切者の捜索にも応用が利く」

うどんげ「穢れに塗れた地上に、穢れなき月の者が混ざってたら……あの瞳なら、きっと一発で判別できるわ」


 月の発展はすなわち監視の歴史。
 月に存在する数多の利器は、その全てが瞳から枝分かれした物なのだ。
 逆説的に言えば、こうとも言える。
 それほどまでに、月は恐れていた――――得体の知れぬ死の穢れを。


うどんげ「月が何故夜に輝くかわかる?――――地上を見やすくする為よ」

薬売り「そうなの……ですか?」

 
 幽霊・怪異・百鬼夜行。
 人は得体の知れぬ存在に恐怖すると言うが、月人にとっては、穢れこそがそれに当たるのだ。
 しかも穢れは正体不明ながら、いつでも見れる場所に存在する。

 確かに……そう考えれば恐怖そのものじゃろうな。
 なんせすぐ目の前にあるのじゃ。ならば、未来の可能性も容易に想定できるであろう。
 ”穢れが月に持ち込まれる時”が、いつか来るやも知れぬと。




薬売り「ではあの月は……今もあっしらのやり取りを、あそこから見ているんですかね」

うどんげ「いや……ここは多分特別。よくわかんないけど、お師匠様がその辺上手い事ごまかしてるみたい」

薬売り「おやまぁ、ならば安心だ……」

うどんげ「でもそれも”絶対じゃない”。何がキッカケで見つかってしまうか、誰にもわかったもんじゃない」

薬売り「しかも当の永琳はもういない……」

うどんげ「そうよ……わかる? 永遠亭だなんて言ってるけどね」

うどんげ「永遠亭の永遠は、吹けば飛ぶような、か細い永遠なのよ」


 永遠……それは終わりのなき様。
 変化を迎えず、未来永劫其の儘である事の意。
 しかし変化なき物など存在せぬ。
 人も、世も、夜空に輝く月でさえも。
 絶えず変化を繰り返し、そしていつしか終わりを迎える。
 誰が産んだかその言葉……いと儚きかな。
 「永遠」の言葉こそが、永遠に存在せぬ事の証明であるとは。


うどんげ「だからまぁ……匿ってるってのはちょっと言い過ぎたわ」

うどんげ「けど、”都合がいい”のは事実」

うどんげ「今のあたし達にとっては、モノノ怪の腹の中程、安全な場所はないんだから」


 そしてモノノ怪による神隠しを免れた唯一の月の者である自分が、此れを機に、遠く果てまで逃げおおせたなら……
 ”少なくとも、永遠亭が見つかる事はないであろう”。

 ――――と、言うのが玉兎の真意である。
 全く……兎ながら天晴な忠義心であるな。
 江戸の武士共に言い聞かせてやれば、こぞって感涙の涙を流すであろうて。


うどんげ「……はぁ。なんか、言わなくていい事まで言っちゃったわね」

薬売り「いえいえ滅相もない……貴方様の”秘めたる思い”、しかと聞かせていただきました故」


【爽快】

【内心吐露】


うどんげ「そもそもあんたが尋ねたんでしょうが……ま、んな事どうでもいいから、とりあえず手ぇ貸してよ」

うどんげ「この穴、無駄に深くって……登りにくいったらありゃしないわ」

薬売り「おおせのままに……」



(ひとりでできるでちょ じぶんでやりなちゃい)



うどんげ「ったく……あのバカウサギだけは……」

うどんげ「本当に……最後の最後まで……」



(バカなんだから)



 全ての心情を吐露した玉兎は、悪態を突きつつも、どこか満足気な面持ちであった。
 まぁ、スッキリしたのだろう。秘め事は絶対である程、誰かに言いたくなる性が故な。

――――だが、そんな折角の爽快感は、またしても台無しとなる。
 原因はもちろん、この図々しい薬売りのせいである。
 


薬売り「……どうぞ」

うどんげ「あんがと…………ん?」


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うどんげ「……なにこれ」

薬売り「何って……”天秤”ですよ」






うどんげ「いや、天秤ですよじゃなくて……ふざけてんの?」

薬売り「ふざけてなどいませんよ……手を貸せとおっしゃるから、貸したまでです」

うどんげ「こんなちっちゃいので……どーやって昇んのよ!」


 にしても、いちいち人の神経を逆なでしよるなこいつは……
 手を貸せと言われて、差し出したるは天秤。その心はまさに「テ違い」と言った所か。
 ……下らん洒落じゃ。言っとる場合か、この阿呆が。
 

うどんげ「バカ! もういい! 手伝ってくんないなら、自分で昇るわ!」

薬売り「左様ですか……」

うどんげ「全くもう、どいつもこいつも――――」



(――――バカばかり)



薬売り「しかし……天秤の手伝いなしに……できるんですか?」

薬売り「さっきから、あなたの周りを取り巻く……この”声”を聞くことが」


うどんげ「……は?」


 しかしいくら下らぬ洒落であろうと、言ってる本人が大真面目ならば、こちらも反応に困ると言う物よの。
 だったら……掛かったのは偶然か? 
 薬売りは決してふざけていたわけではなく、どうやら本当に「テ違い」だったらしい。



(できるわけないじゃない)


(あんな穢れまみれの、汚らしい連中に)


風呂



薬売り「気づいて、おられないのですか……?」

薬売り「さっきから……貴方が口を開くごとに、もう一つ”声”が重なっている事に」


うどんげ「何……言ってんの……?」


 薬売りは唐突に、酔狂な事を言い始めた。
 もう一つ、声が聞こえる――――玉兎が唖然とするのも当然じゃ。
 辺りを見渡しても誰もおらぬ。無論、声所か微かな息遣いすらも聞こえぬ。
 それは波長を聞くと言う玉兎の鋭い耳が、一番わかっているはずなのに。

 
 
薬売り「ああっ、今も、ほら……」


薬売り「なにやら、長々とおっしゃっております……それも、”貴方様の声で”」


 しかし薬売りは、頑なに主張を退ける事はなかった。
 この場に聞こえると言うもう一人の声。
 しかもそれは薬売りだけに聞こえ、玉兎には聞こえぬ声。
 言い換えれば、”玉兎だけに聞こえぬ声”。



薬売り「もう一度、お伺いします……”本当に聞こえませんか?”」



 そこまで言うなら教えてもらおうじゃないか。
 そのもう一つの声とやらは、一体なんと申しておるのか――――。



うどんげ「――――ッ!」



(にしても、見れば見るほど気っ色の悪い奴よね~。なにこれ? ホントにこいつ人間?)

(変な道具に変な化粧に変な服にさぁ、言ってる事も意味わかんない事ばっかだし)

(ひょっとしたらこいつ、気触れじゃないの? おおこわっ。てかめんどくさっ)

(うざったいからとっとと帰れっつーの。この薄気味悪いちんどん屋が)



うどんげ「だ…………れだ…………」






薬売り「”貴方が言ったんですよ”。耳を傾けさえすれば、ちゃんと声は聞こえるのだと」

薬売り「じゃあ、今一度、耳を傾けて貰おうじゃないですか……」

薬売り「一言一句逃さずに、悠長に捲し立てるこの”声”を、ね」」


 聞こえた……のか?
 いや、身共はその場におらなかった故聞こえぬのは当然なのだが。
 でもまあ聞かずとも大体わかるわ。
 玉兎の様子を見れば、”どんな声”が聞こえたのかは、おのずと推し量れる。



うどんげ「………………がッ!」



 その様子からして――――どうやら”凶報”のようじゃな。
 その証拠に、玉兎の表情がみるみる青ざめていきおるわ。
 してそのような顏を浮かべると言う事は、理由はただ一つ。
 自分で申した通り、耳をすませば、確かに聞こえたのだ



(バックレチャ~ンス! こんな薄気味悪い場所からオサラバできる、またとない機会よ!)

(グッバイバカ姫! グッバイみなごろ師匠! ヤク中同士、永遠に仲良くね!)



うどんげ「何言ってんだ…………こいつ…………」



(あ、でもたまには戻ってくるかも? てゐはその内ぶっ飛ばすから)

(あいつには散々してやられたからね。今度は掠り傷どころじゃない、デッカイ風穴開けてやるわ)

(もう一度傷口に塩塗りたくってあげる。今度は内臓まで、全部にね)



うどんげ「そんな事…………できるわけない…………!」



(あ~後そうだ! 妹紅よ妹紅!)

(穢らわしい地上人の分際で蓬莱の薬なんて飲みやがって。あいつはマジで万死に値するわ! 死なないけど!)

(あれは紛れもなく罪人よ。穢れ・薬・ウザイの三重揃った大罪人)

(これは何とかして月に密告しとかなきゃ……もちろん、匿名でね!)




うどんげ「そんな事…………思ってなんかいない…………!」




――――聞きたくなかった声が、な。




(って言うフリをしてれば、かわいい弟子のままでいられるもんね)

(あたちは逆らう気なんて毛頭ない、かわいいかわいい兎さんでちゅ~)

(どうかご主人たま、末永くかわいがってくだちゃいまち~。みたいな?)


(――――死ねよお前! マジきんッッッめえんだよッ!)



薬売り「随分と……口汚いですね……」



(だって……しょうがないじゃない。あたしってば、ロクな躾もされてない、ただのペットなんだから)



薬売り「ただの……ペット……?」



 声が聞こえるどころか、ついに会話まで……
 しかしその内容は、片側の台詞だけでは全くわけがわからん。
 口汚い? ペット? 一体何の話をしているのだ。
 そんな事思っていない? 一体何を指摘されたと言うのだ。



(ご主人様がいないとな~んもできない、ただの飼い兎)

(誰かの下でイージーな環境に浸ってないと、生きる事すらできない、どっちつかずの半端な兎)

(ま、おかげで様で、無駄に口だけは達者になったけど)


薬売り「……」


(でも……誰も聞いてくれないんじゃ、それって全然意味ないじゃ~ん!)

(って、思わない? ”薄気味悪いちんどん屋”さん)



 その場で一体何が起こっておるのか、皆目見当がつかん。
 が、唯一わかる事は……
 声が聞こえると言う事は”そこに誰かがいる”と言う事。



薬売り「”竹の声”の正体は……貴方だったのですか」



 草木も眠る丑三つ時。
 玉兎と薬売り。二人きりと思われたその場所に、”もう一人誰かがいる”。
 しかしそこに形はなく、ただ存在だけが曖昧なまま揺らめいておる。
 その正体を知る者は、無論一人しかいない。



うどんげ「何も聞いてない……何も聞こえない……」

うどんげ「何も…………誰も何も言ってない…………!」



 それは――――玉兎だけにしかわからぬ”波”であった。




(はい出た現実逃避。もういいから、そーゆーの)

(いい事? こいつはね……こうやって事実を捻じ曲げて、自分に都合の悪い事はなかったことにする悪癖があるの)

(だから、騙されちゃダメよ……今のこいつは、あんたから”言い逃れる”事しか頭にないんだから)



薬売り「見ざる聞かざる言わざる……っと失敬。あれは猿でしたな」



(まぁ似たよーなもんよ。むしろ学ばない分、そこらのエテ公よりタチが悪いわ)

(現実と絶対に目を合わせようとしない……目を逸らしたまま、事が過ぎ去るのを、ただ待つだけ)

(そーやって知らぬ存ぜぬってやってるから、何度も落ちるのよ)

(次から次へと……どっかの穴にね)



薬売り「ならば声よりも、直接見せた方が速いのでは……」



(同感ねちんどん屋。気が合うついでに”形”貸して下さらない?)

(無駄に大量所持してるあの札でいいわ。キモいデザインだけど、今のコイツにはむしろ効果的だし)



薬売り「よろしいので……? また、封じられますよ」



(だって、あんたの札……まるで”目”みたいなんだもん)

(あたしと同じ、赤い目……全てを狂わす狂気の瞳)



薬売り「そこまで言うなら……では」



 そしてわけのわからぬままに、その誰かの指示に応えたらしき薬売りは、形と称して札をバラまき始めた。
 薬売りの持つあの、赤い目玉のような模様の札である。
 その札の束が、薬売りの荷の中から一人でに飛び出て行く。
 ブワリ・バラバラ。ハラリヒラリ……まるでその場にだけ突風が吹いているように。



薬売り「姉弟子様の、おおせのままに……」



うどんげ「バッ―――― や め ろ ! 」



 そしてヒラヒラと舞い散る札が、今度は一枚一枚、緩やかに集まり始めた。
 ペタリ、ペタリ、またペタリ――――
 重なりに重なりを重ね、いつしか、確かなる形が出来上がっていくではないか。



(栄えすぎて、皆が皆腐り堕ちていく哀れな都…………ねえ)

(ホント、どの口が言ってんだか……出まかせにしたって、よくぞそこまで言えたもんよね)

(文明に胡坐をかいて、怠惰を貪っていたのは……月には”たった一羽しかいなかった”のに)



【形】



(いつだって、動かないのは一匹だけだった。いつだって、堕落してるのは一羽だけだった)

(今もそう……哀れなのは、ただの一人だけ)


うどんげ「やめ…………ろ…………」



【鈴仙・優曇華院・イナバ】 



(もう見えないとは言わさない……この赤い眼に塗れた体が、視界に入らないとは言わせない)



【鈴仙・優曇華院】 



薬売り「さあ……現れますよ……貴方の形が」



 その形は――――兎に酷似していた。
 兎の輪郭そのままに、皮だけが赤い目の、まごう事なき目前の兎の形であったのだ。



(だって……あたしは常に、あんたと一緒だもの)


(これから先も……”永遠に”、ね)



【鈴仙】 


 しかし形こそ同じなれど、その色合いは黒で埋め尽くされておった。
 赤をも霞める深き黒。
 してその所以は、実に単純な話である。
 ”月明かりに背を向けておる”。それが故の、黒であった。




(レイセン――――それはあたし”達”を指す名前)




 自分と同じ形をした黒い何か。
 人はそれを――――”影”と呼ぶのだ。




【レイセン】


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すいません途中で寝てしまいました
本日は此処迄

これって手書きで毎回書いてるの?
凄いな

>>199
画像間違えてた
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>>208
加工ソフトです



【姿】



薬売り「……」



【形】



うどんげ「ひ……」



【酷似】

【目前之兎】



レイセン「はろぉ~鈴仙。久しぶりぃ」

レイセン「こうして話すのは、いつぶりだったかな? 確か……」

レイセン「月の都から、脱走ぶりだったかしら?」


 玉兎の内より現れしもう一人の玉兎――――レイセン。
 その名は「鈴仙」の二文字をそのままカナ読みにした名であり、音の上ではどちらも同一である。
 故に、同じなのだ……こうして久方ぶりの会話に興じようと。
 されどどちらも同じ玉兎。あくまでこれらは、”二羽で一羽”なのである。


レイセン「よくぞまぁ今まで、長い事シカトぶっこいちゃってくれたわよねぇ? この――――」

レイセン「おっと御免。今はなんか、ダサい名前に改名したんだっけ?」

レイセン「ええと、なんつったっけ……」



【禁視】



レイセン「ああ…………”うどんげ”だっけ?」」



【狂気之瞳】




うどんげ「かッ…………かッ! かッ! か…………ッ!」



 時を同じくして、漢字の方の鈴仙にも明らかな異常が現れた。
 声が枯れている――――。
 まるで痰の詰まった老人か、はたまた病に伏せる童かのようである。
 「カッカッカッ」と、酷く濁った声に変貌していく玉兎の喉。
 その声に薬売りは、ふと、いつぞやの既視感を感じ取った。



薬売り「声が……”入れ替わった”」



 あの赤き眼に睨まれた直後に現れた、「乱れ」である。


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レイセン「もう……またそうやって苦しい”フリ”をするんだから」

レイセン「ごまかせると思ってんのかねぇ……”自分自身を相手に”さ」

薬売り「肉の牢に閉ざされた、もう一人の鈴仙。それが貴方の、真なる形……」

レイセン「おかげ様で出てこれたけど、礼は言わないわよちんどん屋」

薬売り「おや……どうしてですか?」


【不遜】


レイセン「だってあんた、気持ち悪いんだもん。見た目も、口調も、その他諸々色々とさ」

薬売り「……」

レイセン「いろんな意味で無理。生理的にキツイ」

レイセン「せめてその無駄に伸びた髪を切りなさい。ついでにオバハンみたいな厚化粧も取ってもらえば?」

薬売り「……」


 ははっ、これは愉快じゃ。
 普段から人を小馬鹿にした態度の薬売りが、今は逆にコケにされておるわ。
 どうやらこのレイセン、随分と舌が回るようで……ふふ。
 薬売りをも翻弄するとは、中々にやりおる。
 薬師より語り部の方が、向いておるやもしれぬの。


レイセン「感謝の気持ちと生理的嫌悪感が、絶妙なバランスで釣り合ってるわ」

レイセン「残念ながら差し引き零ってとこね」

薬売り「零……”無”ですか?」

レンセン「わかるかなぁ? 難しかったかなぁ? 童でもわかる、とっても簡単なひ・き・ざ・ん・なんだけど」

薬売り「……」


 実に口汚き、不遜なる悪態。
 しかしこの悪態こそが、玉兎が隠し続けた、玉兎の「真」なのである。
 そう、レイセンは鈴仙でもあるのだ。
 言わば分身……その分身が、こうして作法のカケラもない口を効いておる。

 すなわちそれこそが――――”玉兎の本性”。
 外面では綺麗事を。内心では蔑みを。
 この二枚の舌を器用に操る心こそが、玉兎にとって”最も知られたくなかった”性なのである。



薬売り「まぁ別に……見返りを求めたわけじゃありませんが」

レイセン「あーもうわかったって。しょうがないからなんかしてあげる」

レイセン「そうね……何をしようかしら……そうだ!」


【閃】


レイセン「お礼代わりの”紙芝居”……なんてのはどう?」

薬売り「ほぉ……それは興味がありますな」


 レイセンはそう言うと、何やら体に張り付く札を、ペラリと一枚剥がしなすった。
 そして、折る。また折る。重ねて折る――――
 はは、懐かしいのう。これは所謂、童の折によくやった「折り紙」ではないか。


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薬売り「上手な……兎ですね」

レイセン「さぁて――――よってらっしゃい見てらっしゃい。丑三つ時の特別講演。夜中の紙芝居が始まるよー」


 懐かしい思い出が蘇る折り紙である。
 が、しかしそんな折り紙に”嫌な思い出”を持つ者が、この場に唯一おる。
 たかが紙の一枚に何をそんなに嫌がるのか、皆目見当もつかんであろう。
 だが心配は無用だ。これから当の本人が、自ら”全てを”語ってくれると言うのだから。



レイセン「今回の御題目は……こ・ち・ら」



うどんげ「 や め ろ ! 」



 故にただ、聞いておればよいのだ。
 兎が語る、兎の生き様を――――。




【鈴仙の半生・第一幕】



【丑】

(お師匠様……私、一生ついていきますから)


 昔々、月の裏側のある所に、一羽の兎がいました。
 月には他にもいっぱい兎がいましたが、その兎だけは、ちょっとだけ特別でした。
 兎は、とある力を持っていました。
 兎がじっと見つめると、見つめられた者は、酔いに似た心地よい”乱れ”が生じるのです。

 どこかの誰かが、この物珍しい兎の力を、こう言う風に呼びました。
 【狂気を操る程度の能力】――――その噂は、瞬く間に月の都中に広まっていきました。


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【子】

(私もお師匠様の後を追う……誰も、止めないで!)


 噂が噂を呼び、兎はあっという間に都の人気者になりました。
 その人気ぶりはすざましく、誰もが「乱してくれ」と、連日行列ができる程でした。
 これに気をよくした兎は、連日その力を人々に見せびらかし、噂はさらに広まっていきました。
 そしてその噂は、ほどなくして、ついに月の高官の耳にも届きます。

 ある日、兎は月の高官・通称「月の使者」からの誘いを受けました。
 「その力、この都を守る為に役立てないか?」
 その誘いを、兎は二つ返事で承諾しました。
 「あら素敵。まるで英雄みたいじゃない」
 そして兎はその日から、月の人気者から月の番人へと転身を遂げました。

 「月の番人がただの兎では紛らわしいだろう」
 そう言った月の高官たちが、兎に名を与えます。


 「レイセン――――お前は今日からレイセンだ」



【亥】

(蓬莱の薬……そんな物が、本当にあるだなんて……)


 兎は初めて与えられた”名”と言う物に、大変喜びました。
 「我はレイセンなり」「我こそがレイセンぞ」。
 自分の名をしきりに誇示する兎に、他の兎は「いいな」「おめでとう」と羨やむ声を放ちます。
 そんな兎の声がさらに快感となり、兎はいつまでもいつまでも、自分の名を言い続けました。

 しかし兎は、夢中になりすぎて、全然気づいていませんでした。
 羨む声の中に、ポツリ、ポツリ――――妬む声が、混じっていることに。



【戌】

(どうして姫様が……地上に?)



 そんな事など知る由もない兎、元いレイセンは、あくる日、とある月人の下に配属されました。
 その月人は「八意・永琳」と言う名がありました。
 レイセンは不思議に思いました。
 「どうしてこの人間は名が二つあるのだろう?」
 永琳は答えました。
 「人間には、名前の前に名字と言う物があるのですよ」と。

 レイセンはその説明をいまいち理解していませんでしたが、それでもなんとなく「カッコイイ」物なんだと、そう理解しました。
 姓と名。この二つに別れた気品溢るる名前を、レイセンは大変羨みました。

 そして言いました。
 「自分もそのような名が欲しい」。
 出会って早々に唐突な要求でしたが、それでも永琳は、笑顔で答えました。
 「では職務を懸命に尽くせば、いつしか私が与えてあげましょう」と。
 レイセンはお仕事を一生懸命頑張ろうと、そう心に決めました。



【酉】

(本当にごめんなさい……あたしが至らぬばっかりに……)

(あたしの力不足だったばっかりに……こんな事に……)


 しかしその決意は、ほどなくして露と消えます――――。
 「楽しくない」。
 初めて体験する「お仕事」は、都の人気者だった頃に比べれば、それはもう退屈極まりない物だったのです。



【暮六つ】



【宵】



(――――キャッハッハ、バッカじゃないの)



【明暗】




(あ~……めんどくせぇ~……適当に終わらせてさっさと帰ろ……)


(ちっ、うっぜーな! 言われなくてもわかってるっつーの!)


 月のお仕事は、レイセンの思い描いていた内容とはまるで別物でした。
 都を守る月の番人――――なんて言えば聞こえはいいけれど、やる事は毎日、待機と勉強の繰り返しです。
 今思えば、まだ新人なのだから、大した仕事を与えられないのは当たり前の事でした。
 ですが、そんな事すら知らない当時のレイセンは、鬱憤にかまけて段々と不遜な態度を取るようになります。

 サボリ・遅刻は当たり前。
 仕事中に堂々と居眠りをしたあげく、注意をされよう物なら逆ギレまで。
 ひどい時には、持ち前の”狂気を操る力”を使って、先輩兎の妨害までもをしでかす始末でした。
 

(どいつもこいつもバカばかりね。あたしってば、褒められて伸びるタイプだってーのに)


 都の人気者だった頃はこんな事はありませんでした。
 ちょっと愛想を振りまくだけで、誰もがちやほやしてくれました。
 ですがこの職場は違います。多少頑張った程度では、誰も褒めてくれません。
 先輩兎の言う事はいつも決まってました。「もっと精進なさい」。
 レイセンはその言葉に歯向かうように――――いつしか、頑張ることを辞めました。



(あ”~……マジおっもんな……)


(やめちゃおっかな……でもなぁ~……)



 怠惰にかまけ、露骨にやる気のない態度を出すレイセンでしたが、それでもお仕事を辞める事まではしませんでした。
 かつて八意永琳と交わした「名を与える」約束。それだけが、この退屈の中にある、唯一の希望だったのです。
 やる気はないながらも、数さえこなせば、それなりに仕事は覚えます。
 そして曲がりなりにも、仕事さえ覚えれば、「いつか永琳は約束を果たしに来てくれるはず」。
 レイセンが仕事を続ける理由は、もはや、ただのそれだけしかありませんでした。




(~~~もう我慢できない! こうなりゃ直談判よ!)


 レイセンはある日、とうとう我慢しきれずに、八意永琳に直接文句を言ってやろうと思い立ちました。
 その不満は仕事がつまらない事。
 先輩兎共が気にくわない事。
 自分が活躍できない事。
 そして……待てど暮らせど、約束が果たされない事。

 レイセンは気づいたのです。
 名をもらう為に嫌な仕事を我慢してやっているのだから、逆に言えば「名さえ授かればこんな仕事やらずに済む」んだと。


(どいつもこいつもバカばっかり! あんなバカ共と仕事なんてやってらんないわ!)


 永琳の下へ向かうレイセンは、冷静を装いつつも、その心は猛りに満ち溢れていました。
 耳をピンと尖らしながら。眼は、いつも以上に真っ赤に染め上げながら。
 「もし拒めば、あの月人も乱してやろう」――――そんな一物を、期待の裏に隠しながら。



(………………)



【姫】



(――――え?)



 そしてついに、聞いてしまいます。
 後に堕ちる事となる、堕落の道へと言葉巧みに誘う――――悪魔の囁きを。




(皆様 今までの非礼の数々 まことに申し訳ありませんでした)

(これからは 心を入れ替え 月の番人として 誠心誠意 職務に当たる所存で御座います)

(不束者ではございますが 末永く どうぞ よしなに)


 突然のレイセンの詫びに、皆は大きくどよめきました。
 「あのレイセンが礼儀正しく振舞っている――――」。
 あれほど汚かった言葉遣いが堅苦しいまでに正され、見るのも躊躇うくらいだらしなかった姿勢は、まるで竿のように真っすぐです。

 誰もが疑いませんでした。
 「ああ、レイセンは本当に心を入れ替えたんだな」と。
 そして永琳が言いました。
 「皆さん、今までの事はどうか、水に流してやってあげてください」と。
 最後にレイセンが、もう一度言いました。
 「今迄 本当に 申し訳ありませんでした」と。

 その言葉を吐くレイセンの目から、ツゥーと一滴の涙がこぼれ落ちました。
 その涙を見て、「其の赤き眼から流るる涙で持って、改悛の証とす」。
 すなわち「流した涙が反省の表れである」と、永琳含む皆はそう認めました。




(………………バ~カ)




――――勿論、そんなわけはありませんでした。





(バイバイ姫様…………存分に満喫してきてね)


(称える者が誰一人としていない…………穢れた地への一人旅を)


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 それから数日後――――。
 月から、人が一人、いなくなりました。




【酉】


メシ



レイセン「あの時は楽しかったわぁ……今思い出しても、ゾクゾクきちゃう」

レイセン「”ざまぁみさらせ”とはまさにあの事ね。もし過去に戻れるなら、もう一度あの時に戻ってやり直したいくらいよ」

薬売り「輝夜姫が地上へ落とされたのは……”貴方の仕業だった”」


 なんとまぁ……浮世に名高きかぐや姫。もとい竹取物語。
 かの物語の起点を生み出したのは、他でもないこの兎の仕業であったとは……
 確かに、よくよく考えれば、あの冒頭はいささか不自然であったよの。
 「月からやってきた姫」はまぁわかる。
 しかしその姫が何故に竹の中なんぞに。しかもまるで”閉じ込められるように”収まっていたか……
 これなら、全てに納得がいく。


レイセン「そーよ。だってあのクソ姫、永琳と共謀して、飲んじゃいけない蓬莱の薬を密造してやがったのよ」

レイセン「壁に耳あり障子に目ありってね……悪い事はできないわよねぇ」

レイセン「あいつらがコソコソとやってた内緒話、一言一句逃さず……ぜ~んぶバラしてやったのさっ」

レイセン「ねー、鈴仙」


うどんげ「…………」


 閉じ込められて当然だな。それは――――「罰」だったのだ。
 固く禁じられておる不死の薬。おそらく、我らで言う阿片に近い物だったのだろう。
 それをあろうことか自らの手で作り、生み出し、そして……


レイセン「……あーあ、また現実逃避モードに入っちゃった」

レイセン「どうせなら布団の中とかにしなさいよ。それじゃまるで、冬眠中の芋虫みたいじゃない」



【密】



薬売り「姫が……お嫌いだったんですか?」


レイセン「ん~、嫌いだったって言うかぁ……癪に感じてたのは事実ね」

レイセン「だって、あたしが毎日汗水流して働いてんのに、あの姫様ときたら……」

レイセン「”姫様、わらじをおもちしました”~とか、”本日のお食事はなになに産のなになにですぅ~”とか」

レイセン「周りから必要以上にちやほやされてんだもん。んなの見てたら、ムカついてこない?」


 レイセンが語る蓬莱の薬の製造法。
 曰くそれには、薬を調合する薬師と、元となる材料と、もう一人”とある協力者”が必須との事である。
 その協力者こそが――――姫。
 蓬莱の薬とは、姫の協力なしには生み出せぬ、秘薬中の秘薬であったのだ。


レイセン「姫だか月人だかしんないけど、な~んもしてない癖に……」

レイセン「自分が何もせずとも、周りが勝手に、何もかもを与えてくれんのよ」


 月の中で位が高かったのも、おそらくその辺が関係しておるのだろう。
 永遠を生み出す姫。してその永遠とは、すなわち月の世に置ける禁忌。
 と言う事は……ううむ、存在そのものが禁忌同然の身なのか……
 ならば、そりゃあ月人の扱いも変わると言う物だな。
 何もしない……と言うよりむしろ、”何かしてもらっては困る”のだ。
 

薬売り「その過剰な持て囃しは、今も続いてますな」

レイセン「そーよ! 八意永琳、あいつがあの甘やかしの元凶だわ!」

レイセン「二人のコソコソ話を聞いた時、あたしは確信したね!」

レイセン「こいつ……”忘れてやがる”。あの日あたしと交わした約束を、よりにもよって禁忌の為に」



(…………罪人だ)



レイセン「生まれて初めて真面目に仕事したね! だってあたしは月の番!」

レイセン「月の掟を破る者を、許すわけにはいかなかったのよ!」


 しかしそんな月人の健闘も空しく、案の定姫君はしでかしてしまう。
 永琳にそそのかされたか、それとも自分から持ち掛けたのか……
 ま、どちらにせよ、広まる前に食い止められて本当によかったわい。



(月を裏切る罪人が……”ここにいる”!)



 飲むだけで永遠となる薬。
 そんな物が、万が一大量に、それこそ阿片の如く世に出回ろうものならば……
 おお、くわばらくわばら。想像するだけでおっそろしい。
 レイセンの行動は、紛れもなく「正しき行い」であった。
 誰が何と言おうと、身共はそう、胸を張って言おうぞ。
 



レイセン「ただその時、唯一ひとつだけ誤算があった……」

レイセン「それは、永琳はその時点では、”まだ蓬莱の薬を飲んでいなかった”事」

レイセン「二人仲良く地上に突き落としてやろうと思ったのに……ムカつく事に、永琳だけは上手い事罪を免れやがった」


薬売り「…………」


レイセン「そして無事月に残れたのにも関わらず……まだ果たそうとしなかった」

レイセン「あたしとの約束を、未だに!」


薬売り「……ふふ」


 「絡まる線が繋がって行く――――」薬売りは小さくそう呟いた。
 その表情はどこかうれしそうであり、いつしか兎の話に魅了されている薬売りの姿が、そこにはあった。
 そりゃ嬉しいだろうて。
 散々に手こずらされた、永遠亭を取り巻く複雑極まれり因果が、ご丁寧に芝居形式でお披露目されるとあらばな。


レイセン「いつしかもう、名前なんでどうでもよくなってたわ……」

レイセン「その時は、何とかして”こいつも落とさなきゃ”。その事しか頭になかった」

レイセン「だってこいつは罪人なんだもの。飲んではいけない薬を、最初から飲む為に作った、黒幕兼発端の大罪人」


うどんげ「…………」


レイセン「あ”~~~! 思い出したらなんかまたムカついてきたわ! なんか逆に、テンションあがってきた!」

レイセン「行くわよ鈴仙! お前の歩んだ半生、その一部始終!」

レイセン「このちんどん屋に……とくと見てもらうがいいわ!」


 にしても、よくしゃべる兎だな……
 話し好きの兎など、今迄聞いたこともないが。
 その鋭い耳で覚えたのかのう。
 人語を見よう見まねで発する兎……っと、そりゃオウムじゃな。



薬売り「もはや抵抗すら……しません、か」 




【鈴仙の半生・第二幕】




(――――ふん、いい気味よ)


 その日からと言う物。レイセンは今迄と打って変わって、随分と真面目に働くようになりました。
 問題の新人から一変。あれよあれよと出世を果たし、いつの間にやら番人兎のリーダーにまで上り詰めていたのです。
 しかし何故でしょう。問題兎が改心したにも関わらず、職場の雰囲気はどこか、どんよりとした”陰り”がありました。
 誰も口にこそしませんが、なんとなく居心地が悪い……その正体は、レイセンだけが知ってました。


(まぁた泣いてやがる……ったく、しっかりして欲しいわね)

(たかが人間の一人や二人……そんなのより大事な物が、あるだろっつの)


 永琳は、段々と仕事をレイセンにまかせっきりにするようになりました。
 周りの兎は、それはレイセンが頼りにされているからだと、そう思い込んでいました。
 それはある意味で間違いではありません。
 しかしその真相は……周りのイメージとは、ほんのちょっとだけ、違った物だったのです。


(永琳……永琳……助けて永琳……)


(暗いよ……怖いよ……一人はやだよ……助けて……タスケテ……)


 レイセンは自分の声を乱し、誰かに似せた声を出せると言う芸が出来ました。
 都の人気者だった頃に披露していた、芸の一つです。
 そしてその芸を、久しぶりにまた使うようになりました。
 その声を聞かせる相手はただ一人。
 毎日、毎日、上司である永琳に聞こえるように……いなくなってしまった、姫の声に似せて。


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(…………ふふ、今日はこのくらいにしといてあげようかしら)


 その効果は、まさに覿面でした。
 よっぽど似ていたのでしょう。永琳が涙を流す回数が、目に見えて増えて行きました。
 声の効果を実感したレイセンは、さらなる一手として、また誰かの声色を使ってとある噂を流しました。

 「八意永琳は輝夜の流刑に心を痛め、精神に支障を来たしてしまった――――」

 その噂を真に受けた兎達は、段々と永琳を怖がるようになりました。
 仕事も私用も関係なく、いつしか誰も、永琳に近づきすらしなくなりました。
 永琳はさぞ不思議に思った事でしょう。
 中には、目が合っただけでバッと逃げ出す者もいたくらいなのですから。
 

(あ~、ほんとうに…………)


(………………ウケる)


 永琳が涙を流す数に比例して、レイセンはよく笑うようになりました。
 レイセンの笑いに釣られて、怯えた兎達も、レイセンがいる時に限り明るく振舞う事が出来ました。
 そうしていつ頃からか……もはやその職場に、永琳の居場所はありませんでした。
 皆「おかしくなった本来の上司・永琳」よりも、「明るくて頼りになるリーダー兎・レイセン」の言う事しか、聞かなくなっていたのです。




(ほら……あたし、頑張ったよ。一人前になったよ)

(あんたよか十分頼れるようになったよ……だからはやく……)

(いい加減……頂戴よ)


 あの手この手で永琳の評判を落とし続け、逆に自分の評価を上げ続けたレイセン。
 ある日レイセンは、ふと気づきました。
 今のこの状況は、「都で人気者だった頃とおんなじだ」と。

 少々の無理を言っても、周りはレイセンの言う事を拒みません。
 少々サボっても、もはや誰も咎めたりはしません。
 レイセンは取り戻したのです。かつてのあの称賛と羨望と、ほんの少しの妬みが混じった生活を。



(キッ…………タァァァァーーーーッ!)




 しかしそんな生活も、長くは続きませんでした。




(業務連絡! 玉兎各位! 業務連絡――――)


(我らが永琳が――――ついに”地上に落ちる”んですって!)




――――もっと嬉しい出来事が、起こったからです。



(飛車に細工して、証拠でっちあげて、偽装の報告書作って……ふふ)

(我ながら完璧すぎる計画だわ……これで永琳も、罪人確定ね)


 ある日、永琳の下へ、月の有力者から直々の直命が下されました。
 その内容は――――”輝夜姫を迎えに行く事”です。
 その命は月の中でも最重要任務として扱われ、よって面子には、永琳のような名の通った月人のみで構成されました。

 「かつて禁忌を犯した輝夜姫の罪が、ついに許される時が来た」。
 永琳は久しぶりに、笑顔を取り戻しました。
 そんな永琳を見て、レイセンも一緒に笑いました。


(ケケ……ただで帰ってこれると思うなよ…………”裏切者”)


 レイセンは早速行動に移しました。
 表向きは頼れる玉兎の長として。裏では月人を陥れる工作員として。
 二つの顔を器用に使い分け、誰にもバレぬまま、着々と事は進んでいきました。
 レイセンの計画は、気持ち悪いくらいに順調でした。
 そして、そんな気持ち悪いくらい順調なままに――――ついに実行に移す時が、やってきました。


(グッバイ永琳! 気が向いたらまた話題に出してあげる!)

(地上に落ちた元・月人は、穢れた地で原人同然にまで落ちぶれました――――ってさ!)


 名のある月人のみで構成された「姫の送迎人達」は、盛大な見送りを受けながら、穢れた地へと旅立っていきました。
 レイセンはその様子を、”月の瞳”と呼ばれる大きな望遠鏡から覗いてました。
 形式上は事の一部始終を見守る後見人としてでしたが、もちろん本来の目的は違います。
 レイセンはじっと気を伺ってました。
 飛車に仕掛けた罠を動かす、その機会を。 



(…………なにこれ)



 そしてその結果は、結論から言うと――――”大・成・功”でした。
 さらにはその企みは、最後まで誰にもバレぬままでした。
 誰にも見つからず、望むままに、最良の結果だけを得る。
 レイセンにとっては、これ以上はないくらいの快挙でした。
 

 が、それには一つ、とある理由がありました――――
 レイセンが”罠を作動させなかった”からです。




(なんなのよ…………これ…………!)


 直前で思いとどまった……わけではありません。
 単純に”使う必要がなくなった”からです。


(なに…………してんだ…………アイツ…………)



(何………… し て ん の よ ッ ! )



――――得てして、レイセンが長きに渡り励んだ努力の結果。
 それはそっくり、レイセンの願うままに叶いました。
 本来なら喜ばしい事でしょう。
 しかしレイセンの心には、そんな嬉しい気持ちは微塵もありませんでした。



(たっ大変だ! 誰かッ! 誰か来てッ!)


(永琳が謀反を起こした……! 本当だ! 嘘じゃないッ!)


(ほら、これッ! 誰か早く、これを見――――)





(―――― ひ ぃ ぃ ッ ! )




 願いが叶った結果、得られた物は――――
 瞳に棲み着く”鬼”でした。


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【戌】




レイセン「――――その後の月はもう、前代未聞の大パニック」

レイセン「お偉いさんから下っ端まで、連日てんやわんやの阿鼻叫喚よ」

薬売り「そう……でしょうな」

レイセン「やれ誰かが降格になっただの、やれ責任問題がどうこうのだの……ま、その辺は言われなくても想像つくわよね」


 嘘から出た真とはまさにこの事か……
 レイセンが永琳を陥れる為に吹聴して回った「嘘」が、よもや現実の物となろうとは。
 それもただの事実ではない。
 永琳が起こした現実は、レイセンの好き勝手な嘘よりも、より一層奇怪千万であったのだ。


レイセン「もちろん番兎達も死ぬほど探し回ったわよ。みんなで休みなく、目を真っ赤にしてさぁ」

薬売り「それは……元からじゃないですか」

レイセン「アホ、そっちじゃなくて瞼の方よ。人間だって、疲れてると瞼が腫れたりするでしょ?」


 まぁ、だろうな。
 お江戸なら関わった者共がまとめて切腹に処される事態じゃ。
 まさに織田信長公を討ち取った明智光秀が如く。
 いや、この場合……女子供までもを手に掛けた、信長公の比叡山焼討ちが如くだな。


レイセン「でも……そうやって瞼を閉じる暇もなかった兎達の中で、一羽だけ瞼を”開く方が少なかった”兎がいた」

レイセン「目を閉じ、耳を閉じ、今もこうして口まで閉ざしている兎が一羽……」


 信長公の過剰極まる”攻め”を知る者は、後に公をこのように揶揄したと言う。
 「鬼」――――近しい者にとって、公は、人ならざる何かにして見えなかったのだろう。
 そんな信長を同じく焼き討ちの目に合わせたのが、かの有名な明智光秀なのだが……
 ひょっとすると光秀は、公を本気で”妖の類”と思っていたのかもしれんな。



レイセン「――――それが」



うどんげ「…………」



 この黙す兎と、同じように。



レイセン「さあ、いよいよ大詰めよ薬売り。兎の理、余す事なく全部知って頂戴」

レイセン「そして……”とっとと斬って”。あたし達を隔てる、この憎らしい”壁”を、さ」


 大がかりな芝居まで用意して、この玉兎が本当にしたかった事。
 それはやはり――――”一つに戻る事”であったのだ。
 ひょんな事から、二つに分かれし「鈴仙」と「レイセン」。
 一羽の兎を引き裂き、別れさせ、ほぼ別人までに仕立て上げたのは、やはりあの時の”鬼”の仕業であったのだ。



薬売り「幕が閉じてから……ね」



 しかもその鬼は決して死なぬと来た。
 不老不死の体をひっさげ、永遠に存在し続ける事が、残念ながらすでに決まっておるのだ。
 さもあれば、兎が揶揄せし壁はまさに――――「恐怖の壁」。

 果たして、数多のモノノ怪を払いし退魔の剣は……斬れるのであろうか。
 恐怖と名を変えた、「永遠」を。



【鈴仙の半生・第三幕】

すいませんまた途中で寝てしまいました
本日は此処迄

>>234

誤字修正

× 「鬼」――――近しい者にとって、公は、人ならざる何かにして見えなかったのだろう。

〇 「鬼」――――近しい者にとって、公は、人ならざる何かにしか見えなかったのだろう。



(にしても永琳もバカな事したわよねぇ……なんだって、あんな大それた謀反を起こしたのかしら)

(賢すぎると逆にああやって狂っちゃうのかなぁ? だったらあたし、ずっとこのままでイイ~)

(ね――――…………依姫様)


 永琳が起こした事件の余波は留まる事を知らず、依然として月を混乱の渦に落とし続けていました。
 連日の徹夜がたたり体を壊す者。責任を取り辞職する者。働かせすぎだと抗議する者。etc……
 その影響は直に一般都人にまで広まり、噂がさらに噂を呼び、都は直、真実と嘘の入り混じった混沌な世へと変貌せしめます。
 
 そんな混沌と化した月の都でしたが、唯一一人だけ、混沌とは無縁の者がいました。
 【綿月依姫】――――八意永琳の役職を引き継いだ、八意永琳同様の位高き月人の一人。
 そして同時に、”レイセンの新たな飼い主”でもありました。

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(そいでさぁ、知ってる? 穢れた地の連中ったらまだ――――)


 新たな飼い主を得たレイセンは、未だかつてない程に増長をし始めました。
 混沌の最中、自分だけが混沌とは無縁の安心感。
 新たな飼い主の力で、自分だけが庇護される優越感。
 月を覆う未曾有の事態の中で、自分だけが月人に近い待遇を受ける選民感。
 レイセンだけに訪れた数多の特別待遇は、一匹の兎を怠惰の穴に落とすには、十分過ぎる程重い物でした。
 

(穢れた地に住んでるだけあって、脳みそまで穢れてんのよ! あの連中ったら!)


 怠惰に溺れ、連日遊びほうける日々を送るレイセン。
 遊んでも遊んでも埋まる事ない暇は、直に、レイセンの中に一つの”趣味”を与えました。


(ねッ!? ウケるっしょ!? ……っとオヤジィ!)

(中身ねーぞオイ! おかわり! もう一杯!)


 ――――”お酒”です。
 地上の話を肴に呑むお酒は、どんな高級酒にも勝る極上の美酒へと変えたのです。



【酔】



(そんな獣同然の暮らしぶりに、なんか知らないけど、隠居暮らし的な憧れ持っちゃってたんじゃないの?)


(キャッハッハ! ほんと、バッカじゃないの~~~~!)


 当時の情勢も手伝ってか、レイセンが語る地上の話は、月の都でも大ウケでした。
 ただでさえ穢れた地と禁忌扱いされる地上。
 さらにはあの永琳が、月を裏切ってまで逃れたあの場所は――――「一体どのような所なのか」。
 
 皆、内心興味があったのです。
 だから皆、アッサリ信じました。
 何を隠そうレイセンは、その地上を監視する「月の番人」の一人だったのですから。


(え~まじぃ? こいつらみんな、あたしの客?)

(キャッハッハ、ウケる! 揃いも揃って、暇人すぎぃ~~~~ッ!)


 いつしかレイセンの足は、呑む為ではく、語る為に運ぶようになりました。
 最初こそ口だけの単純な喋りでした。
 それが段々と小道具を扱うようになり、場所を選ぶようになり、告知のビラを刷る程になり――――
 いつの間にか本人ですら収集が付かないほど、その人気は膨れ上がっていたのです。


(じゃあ明日はぁ~~……穢れた民の使う遅れた道具の御話!)


(わかりやすいように人形劇にしてあげる! じゃあ明日、この時間、同じ場所ね!)


 そんな流行の真っ只中にいたレイセンでしたが、それでもお金は取りませんでした。
 代わりに、お酒を要求しました。
 高いお酒じゃなくても構いません。何でもいいからお酒さえ持ってくれば、レイセンは誰でも受け入れました。

 気づけばそこには、レイセンが望む以上のお酒が並んでました。
 たかが酒の一本や二本。それでも寄ってくる人数が増えれば、その数は倍々的に増加します。
 人々は知っていたのです。この兎は、呑めば呑むほど面白くなると。
 人々は知らなかったのです。自分達が持ってきたお酒は、全部その場で飲み干されていた事を。



(ウェェェェ~~~~イッ!)



 毎日毎日浴びるように呑み、まるでお祭りのように騒ぎ立てるレイセン
 そんなレイセンを好意的に見る人。心配そうに見る人。羨む目で見る人。妬む目で見る人……
 レイセンの生活は、またしても元の鞘に戻りました。
 皆の関心を一手に受ける、都の人気兎の地位に、見事なまでに返り咲いたのです。


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 そうしてまたも数多の注目を集めたレイセンでしたが……
 ですがみんな、”今度は”肝心な事が見えてませんでした。


(絵もやった。人形劇もやった。じゃあ後は…………)



(…………そうだ! 次は紙芝居にしよう!)



 レイセンが、”何の為にこんな事をやっているか”です。






(そうして愚かな地上人は正義の月人に成敗され、二度と立てつくことはありませんでした~……)

(めでたし、めでたし)


 レイセンの語る話には、ある一つの特徴がありました。
 それは、全てが”地上をこき下ろす内容”だった事です。
 レイセンは話に必ず一文を加えました。
 「穢れた地は、その穢れを月にまで蔓延させようとしている」。
 レイセンの創作話は、それを前提にして組み立てられる事が多かったのです。


(――――かぁぁ~~~ッ! 仕事後の一杯って最ッ高~~~ッ!)


 幸か不幸か、かつて八雲紫が月を攻めた事も手伝い、月人にとっては非常にリアリティのある話となりました。
 そして最後は必ず月側が勝つ……
 月人はそれを「月の賛美」と捉え、より新たな賛美を日々要求しました。


(おっしゃあ! じゃあいっちょ、新作作るか!)


(やるわよ~! 前よりも、あっと驚く痛快劇ね!)



 新たな話を毎日創作し続ける事は、本物の噺家にとっても大変な重労働です。
 ですがレイセンは、それでも欠かさず、守り通しました。



(広めなきゃ……もっともっと、穢れの恐れを広めなきゃ……)



 そうする事しか、知らなかったからです。



(じゃないと……”鬼”に見つかってしまう……!)



 その身に焦げ付いた恐怖から、眼を逸らす術をです。


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(……やばい)


(完全に……ネタ切れだ)


 あの手この手で地上を蔑みこき降ろし続けたレイセンでしたが、そんなレイセンにもついに限界が訪れます。
 話のネタがない――――それはちょうど、永琳起こした事件が、ようやっと落ち着いて来た頃でした。
 

(え……これだけ?)


(ちょ、ちょっと待って……明日は……もっとおもしろい”お話”用意してくるから……)


 平穏を取り戻した都の変わり様は、同時に流行の変化の訪れでもありました。
 賛美ながらやや過激なレイセンの話は次第に求められる事が減っていき、逆に静かでほのぼのとした小話が都で流行り始めます。
 その結果……あれほど満員御礼だった人々は、まるで神隠しにでもあったかのように、一人、また一人といなくなっていきました。


(告知……したわよね?)


(なんで……なんで、誰もいないのよ!)


 流行の変化とは残酷な物です。
 あれほど兎を持て囃していた人々は、ものの見事に、影も形も消え失せました。
 仮にこれが、本物の噺家ならどうだったでしょう。
 ひょっとすると、同情したファンが根強く支え続けてくれたかもしれません。

 ですがレイセンには、そんなファンすらいませんでした。
 ブームが過ぎたレイセンのその後など、誰も気にしてさえいなかったのです。



(や…………ばい…………)



 それが何故かと問われれば……人々は揃ってこう答えます。
 「だってありゃ、依姫様ン所の飼い兎でしょ――――」
 レイセンにはいつだって、帰る場所があったからです。



(やばいやばいやばいやばいやばいやばい――――!)



 レイセンには、死活問題でした。
 ウケる話が出てこない。話がウケないとお酒が貰えない。
 お酒がないと酔えない。酔えないと目をそらせない――――
 あの時、地上から自分を見ていた、鬼の目から。



【危機】




(見つかる……見つかる……見つかる……)


(見てる……来る……仕返しされる……)


(来る……来る……鬼が……来る……!)


(――――カッ! カッ! カッ! カッ!)


 その時から、レイセンは変な息切れを起こすようになりました。
 カッカッカと、まるで笑い声のような、息の詰まった乱雑な吐息です。


 その原因は明らかでした――――お酒です。



(カッ! カッ! カッ! カッ――――……)



 毎日大量に飲み続けたお酒が、ある日急に断たれたら、一体どうなってしまうでしょう。
 答えは一目瞭然でした。
 そしてそれは、兎にも当てはまりました。
 静かに落ち着いていく都と引き換えに、レイセンの心身だけが、激しく乱れていきました。


(お願い……カッ……お酒……お酒頂戴……)


(ほんの少し……カッ……ほんの一滴でいいから……)


 あからさまなレイセンの異常に、見かねた飼い主が都中の医者を呼び寄せます。
 月は文明大国です。ですので、医者は余るほどたくさんいました。
 しかし、病気を一瞬で治すほど優れた医者など、月の歴史を紐解いても、ただの一人しかいませんでした。



(ひいいいいい! い、医者ッ!?)



(く……来るなァーーーーーッ! 寄るなーーーーーッ! 誰も近づくなァーーーーーッ!)



 そしてその唯一の医者こそが、レイセンの異常の原因だった事は……
 最後まで、誰にもわかりませんでした。




(かッ…………かッ…………か…………)


 病状の果てに、ついに外出禁止令まで出されたレイセン。
 与えられた病室にあった物は、頑丈な壁。窓には鉄格子。外側だけしか鍵がかけられない扉……
 
 どう見ても、牢屋でした。
 しかし別にレイセンは悪い事をしたわけではありません。
 その部屋の真相は、またしても、レイセンだけに与えられた特別扱いだったのです。


(か…………か…………)


 それは、レイセンの【狂気を操る程度の能力】を危惧した月側の、苦肉の策でした。
 生半可な部屋では簡単に抜けだされてしまう。
 かと言って、見張りをつければ乱されてしまう。
 そして何よりも、狂気を操る”レイセン自身が狂ってしまっていた”とあれば、月も迂闊に手を出せなかったのです。


(………………)


 自らの持つ力のせいでまともな治療も受けられないまま、お酒の猛烈な依存症状に苦しめられ続けるレイセン。
 日々奇声を挙げ、爪が割れるまで壁をひっかき、落ち着いたかと思えばビクビクと痙攣を繰り返す。
 そんな姿にかつての栄華の影もなく、もはや一匹の獣同然でした。


 医者は飼い主に言いました。
「大丈夫。これは一時的な離脱症状。山場を越えればまた、回復に向かいます」と
 飼い主は医者に言いました。
「自分が甘かった。永琳様の置き土産だからと甘やかしていた。これからは兎達を厳しく躾けるとしようと」と。


 確かに、お酒の病気を治すには断酒しかありません。
 しかしレイセンの心に巣食う”鬼”から逃れるには、お酒しかない事を、二人は知りませんでした。
 故に、「時間を掛ければ治るだろう」と言う二人の目論見は、後に最悪の結果を招きます。
 時間を掛ければかけるほど、レイセンの心は押しつぶされていくのですから。


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(カッ……カッ……カッ……)



(カッ―――― カ ッ ! )



 日に日に衰弱していくレイセンは、もはや自力で立ち上がる事すら困難な状態になっていました。
 あれほど瞬足だった足はただ震えるだけの棒になり、あれほど饒舌だった口は、もはや声すらもまともに発する事ができません。
 体の至る所が自分から逃げていく……四肢の一つ一つが自分に背を向ける。
 まるで、「自分の中の誰かが勝手に動いている」。そんな感覚に苛まれるようになりました。



(…………える)



 しかし言う事を聞かない体の中で、一つだけ、まだレイセンに忠実な部位がありました。
 ――――耳です。
 兎特有のピンと張った耳だけが、唯一、忠実に役目を果たし続けていました。


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 日に日に弱っていく体と反比例するように、レイセンの耳は、日々研ぎ澄まされていきました。
 元々鋭かったレイセンの耳でしたが、何故でしょう。
 弱る度により遠く、より鮮明に磨かれていきます。

 原因はわかりません。
 ただその時のレイセンは、「死せる間際のなんとやら」。
 火事場の馬鹿力のような物だろうと、一人でそう、勝手に思い込んでいました。



(聞…………こえる)



 分厚い壁の向こう。
 建物の外。
 道行く人々。
 数十里離れた場所。
 そこからさらに遠くの屋内――――

 レイセンの集音感覚はドンドンと研ぎ澄まされていき、直に、常に何かの音が聞こえるようになりました。
 溢れる程に飛び込んでくる音の群れ。
 静かな密室のはずが、まるでかつてのような、どんちゃん騒ぎの真っ只中のようです。



(聞こえる…………声が…………聞こえる…………!)



 原因はやはりわかりません。
 しかしレイセンは、その五月蠅すぎる音に、一つの救いを見出しました。
 そうやって五月蠅く騒ぎ立てる音だけが、レイセンの気を紛らわさせてくれたからです。


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(な…………に…………?)



 そして研ぎ澄まされ過ぎた耳は、ついに――――
 堕落へ誘う運命の声をも、拾ってしまいます。



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(だ…………れ…………?)




 その声は――――紛れもなく”穢れ”の混じった声でした。



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(地球は…………青…………かった…………?)




 そして穢れた声は、一言――――こう言いました。







【だが神はいなかった】






 「あ”あ”あ”あ”あ”――――」
 レイセンの心は、ついに限界を迎えました。


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【亥】



風呂

寝る
続きは明日



レイセン「何とかかんとか号……なんだっけな。ちょっとその辺うろ覚えだけど」

レイセン「でも、あたしはその時確かに聞いた……あれは紛れもなく、穢れ人の声だった」

薬売り「地上の人々が長年の時を経て、ついに月へと踏み出す術を編み出した……」


【飛躍】


レイセン「それは同時に月に穢れが振りまかれる事を意味していた」

レイセン「月の根底を揺るがす大事件だと思った……でも、誰もあたしの話を聞こうとしなかった」



(――――本当よ! 穢れ人が月にやってきた――――聞いたのよ! 声を!)


(――――このままじゃ月まで穢されてしまう……! お願いよ! 速くみんなに知らせて!)



レイセン「当然よね。だって、あたしが言った事だもん」

レイセン「穢れ人は頭も穢れてるから原始人同然の生活をしている。だからあいつらは、ずっとあのままなんだ。ってさ……」



(――――こんな事してる場合じゃないのに……なんで……なんでだれも…………!)



薬売り「ましてやその時の貴方は」

レイセン「呂律もロクに回ってなかったでしょうね……あんときゃあたし、完璧にアル中だったしね」

レイセン「それに案の定、ハッキリと聞こえたわ」



(――――嘘なんか……言ってない……!)



レイセン「内緒話のつもりだったんでしょうけど……”レイセンは精神に支障を来たしている”。そんな噂話が、そこかしこからね」

薬売り「因果な物です」

レイセン「本当にね……本当に……”因果応報”って感じ」



【因果ノ鎖】



レイセン「月が穢されれば、当然そこにいるあたしも穢れてしまう」

レイセン「月が死ねば、当然あたしも死んでしまう」

薬売り「しかしどこにも逃げ場はなかった」

レイセン「目をそらし、なかった事にすらできなかった」

薬売り「だから、乱した」

レイセン「全ての逃げ道を塞がれたあたしが、逃げれる場所は、ただの一つしかなかった」



(――――ハハ…………なんだぁ…………)


(――――最初から…………こうすればよかったんじゃ~ん…………)



レイセン「あたしの中に――――切り落とされた”眼”だけが、溜まっていった」


薬売り「逃げたのは……自分自身から」


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【幻視】



 その瞬間、レイセンを蝕んだ全ての病状は、一気に成りを潜めました。
 震えは止まり、足は直立を取り戻し、口はかつてのような饒舌を存分に捲し立てます。
 久しぶりの健康は、なんとも言えぬ格別の気分でした。
 この心を満す軽やかな爽快感は、まるでお酒をたくさん飲んだ時のようでした。


(…………行こう)


 そうしてしばらくの爽快に浸った後。
 レイセンは、なんだか急に、ぴょんぴょん飛び跳ねたくなりました。
 それは、足が動く喜び……とかじゃなく、ただなんとなくそうしたいだけでした。

 レイセンはまず、イチニ・イチニと軽い体操をしました。
 その後に、スゥーっと大きく息を吸いました。
 「ハァ――――……」最後に、吸った息を全て吐き戻しました。
 


――――と、同時に。



【警報】【警報】【警報】【警報】

【警報】【警報】【警報】【警報】

【警報】【警報】【警報】【警報】

【警報】【警報】【警報】【警報】




【脱走・狂気之兎】





 レイセンは、縦横無尽に駆け巡りました。
 牢屋同然の病室から。
 新たな飼い主から。
 幾度となく通ったあの建物から。
 そしてついには――――生まれ育った、月の都から。



(不思議ね……あんなに怯えていたはずの、地上の青が……)



 元々月の番人だったレイセンにとって、追っ手を振り切る事など造作もない事でした。
 どの兎もレイセンの足には到底追いつけず、また仮に先回りできた所で、やはりレイセンの力の前にはなす術もありませんでした。
 そうして、あれよあれよと都の中心から離れていくレイセン。
 中心・郊外・僻地・最果て――――そしてあっという間に、辿り着きました。




(今は……希望の色に見える)




 そこは――――産まれて初めて足を踏み入れた場所でした。


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 その場所とは――――都の外。
 月の者が「表側」と呼ぶ、真っ新な大地だけが、そこには広がっていたのです。





(………………静か)



 月の表側は、それはそれは静かでした。
 レイセンにとっては初めての経験です。
 レイセンの耳を以てしても、何も聞こえない”真の静寂”が、そこにはあったのですから。



(何にも…………聞こえなぁ~い…………)



 静寂は、全ての音をかき消しました。
 今頃必死になって探しているであろう追っ手の声。
 自分の噂話をしているであろう月人の声
 心配しているであろう飼い主の声。
 部屋の中で聞こえた、穢れ人の声。
 そして――――”自分自身の声”すらも。



(………………まぁ)



 月の表側は、もう一つ、とある法則がありました。
 それは「全てが軽くなる」事です。
 足元の小石を少し蹴とばしただけで、石はまるで、土煙のようにどこまでも漂っていきます。

 ふわふわと心地よさそうに浮いていく小石を見て、レイセンはふと思いました。
 この場所で、この何もかもが浮つく静寂の場所で――――
 もしも、自分の脚で、”思う存分跳んだなら”。



(気持ち…………よさそ~…………)



 レイセンは、何も考えていませんでした。
 本当に、何も考えていませんでした。
 考える声も、月で過ごしたたくさんの思い出も、自分が最も恐れた顏さえも。
 脳裏によぎる全てが、目の前の単純な好奇心に上塗りされていきます。




(何やってんだ―――― や め ろ ! )




 何も聞こえませんでした。
 何も見えませんでした。
 だから跳びました。
 だから跳べました。




 それが――――穢れた地への落とし穴だとも、気付かずに。



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【子】

メシ



レイセン「そうして兎は自分から穴に落ち、二度と這い上がってこれませんでした……」

レイセン「めでたし、めでたし……ってか?」

薬売り「おや……終わりですか?」

レイセン「何よ、なんか文句あんの?」


 かつて幾度となく陥れ、あまつさえ姫君にまで手を掛けた玉兎。
 その自身による行いが、八意永琳を一人の鬼へと変えようとは、さすがの玉兎も思ってもみなかったであろう。
 そして玉兎は逃げ出した……自分の目に入る、全てから。
 

薬売り「いえ……てっきり、”落ちた後”も続く物だと思っていましたので……」

レイセン「あー……後日譚? 別に言っても良いけど、死ぬほどくだらないわよ」


 その結果――――
 自身が最も恐れた”鬼”と再び会いまみる事となるとは、これまた因果なものよの。


薬売り「折角ですから……是非」

レイセン「まぁ、じゃあ……なんでこいつがこんな所で薬師見習いなんてやってるかなんだけど……」

レイセン「わかる?」

薬売り「はて……薬師の道を志したからでは?」

レイセン「違うわよ。本音はこう――――」


レイセン「――――”怖かったから”よ。鬼に目をつけられないようにね」


薬売り「ああ……なるほど」


 身共も似たような経験がある故な。その気持ちはよ~くわかるぞ。 
 運無き者が出くわすと言う山の獣――――熊。
 あの巨体から生える、鋭い牙や桑のような爪ときたらそれはもう……

 いやはや、まっこと恐ろしや。
 一度睨まれれば、体の芯から硬直してしまうあの感覚。
 できるならば、もう二度と味わいたくないものよの。


レイセン「自分が過去にしでかした事が、バレるのが怖かった……あたしにとって、八意永琳は鬼でしかなかった」

レイセン「だから下ったの。師匠と仰いで従順な”フリ”さえしてれば、とりあえず矛先は向かないだろうってね」

薬売り「その場凌ぎ……ですね」


 そうそう熊と言えば、皆の衆にも是非知っておいて貰いたい事がある。
 誰が言ったか「熊と出会ったら死んだふりをするとよい」との教え。ありゃ嘘っぱちじゃ。
 熊の目の前で横たわったが最後。
 熊はおぬしらをエサと認知し、あわや食われる運命を辿るのである。


レイセン「ね? 下らないでしょ。NGシーンはバッサリカットよ」

レイセン「終わりよければ全てよし……の逆」

レイセン「クソみたいな終わり方すると、”全部が台無しになる”」


 では真に正しき対処法は何か――――それは「目を合わせる」事じゃ。
 目をそらさず、じっと見詰めながら、決して騒ぎ立てず、徐々~に徐々~にと後ずさる。
 こうすれば「拙者は危害を加える生き物ではござらんよ~」と、熊にそう知らせる事ができるのじゃ。
 熊はああ見えて賢き獣。相手が無害とわかると、むやみに襲ってきたりはせぬのだよ。




レイセン「そーよ、こいつはいつだってそう。何も考えずに思い付きで動いて、何もかもを台無しにするの」

レイセン「今だってそう。こんな夜中にここにいるのが何よりの証拠…………」

レイセン「こいつは、永琳と再会した時点から――――”逃げる事しか頭になかった”」


 そして根気よく距離を取り続け、十分離れた頃合いを見計らって――――”脱ッ”!
 ……何? 真偽に欠けるだと?
 おやおやおや、一体何を申すかと思いきや。
 身共がこうして無事な身でいる事こそが、真たる何よりの証ではないか。


レイセン「モノノ怪がみんなを匿っている? バカ言わないで。匿ってるのはお前だけだろ」

レイセン「薬師になって人の病気を治す? ふざけないで。治したいのは自分だけだろ」

レイセン「いつだって可愛いのは自分だけ……いつだって、守りたいのは自分だけの癖に!」


 そこまで疑うなら、自ら実践してみるとよいわ。
 まぁおぬし等のような平民風情の場合……ふふん。
 そもそも、山へ登る前に力尽きる気がするがの。
 

レイセン「さぁ薬売り――――これでわかったでしょ!?」


レイセン「あたしの形・真・理! 必要なもんはこれで全部見せたわ!」


レイセン「今こそ、その退魔の剣を抜く時よ! そして――――斬って!」


レイセン「かわいいあたしを二つに分ける、この境をさ!」



【懇願】



レイセン「さぁ…………」



【急】



レイセン「さぁ…………!」



【求】



レイセン「さぁ…………はやく…………!」


 
 過去の恐れから目をそらす為に生れ出た、悲しきもう一羽の玉兎。
 その分身が、語らぬ主の代わりに囃し立てる。
 「速く斬ってくれ――――」
 この分身がこうまでして望む事。
 それはただ、一つに戻りたかっただけなのだ。
 


うどんげ「…………」



 人は、どうしようもなく追いつめられた時。無意識の内にもう一人の自分を作ることがあると言う。
 身共からすればやや眉唾物の話ではあるが、しかし薬売りにとっては存外によくある事なのだとか。
 それは薬売りとしてではない。
 モノノ怪を斬る者として、”実際に経験した事のある”話……らしい。



レイセン「 は や く し ろ ! 」





薬売り「…………」


 内なる玉兎の心意気をしかと見届けた薬売りは、あえて返事を出さぬまま、無言のまま退魔の剣を突き立てた。
 チリンと剣の音だけが小さく鳴る。
 剣越しに見る分身の表情は、札を寄せ集めた仮の体にもかかわらず、「どこか嬉しそうな表情に見えた」。
 後にそう、薬売りは語っておった。



薬売り「…………では」



 して本来の玉兎の方は、未だ何も語らぬまま、膝を地に押し黙ったままであった。
 いや、この場合……むむ? 何やら、わけがわからなくなってきたぞ?
 この場合……”どっちが本当の玉兎”なのだ?



うどんげ「…………」



 まぁ、よいか。
 そんな事は後数刻もせずにわかる事。
 答えは薬売りの行動にある――――故に、ただ待てばよいのだ。
 薬売りが、事を起こすその時まで。



退魔の剣「――――!」




 そして――――薬売りは動いた。







(……………………は?)






 薬売りが出した答えは――――”剣を懐にしまう”であった。




【鈴】

本日は此処迄



レイセン「…………何してんの?」

薬売り「何って……刀をしまっただけですが」

レイセン「いや、しまっただけですがじゃなくて……ふざけてんの?」

薬売り「ふざけてなどいませんよ……話を聞けとおっしゃるから、聞いたまでです」

レイセン「……真と理がいるっつったのは、お前だろーが!」


 薬売りは退魔の剣を袖の奥へとしまい、そしてそのまま、二度と表へ出す事はなかった。
 「道具をしまう」。それ自体は至極些細な行動ではあるが、それをされて鼻持ちならないのは当の玉兎本人。
 当然の如く猛った玉兎が、薬売りにあーだーこーだと怒涛の罵詈雑言を浴びせ始めるのは、ごくごく自然な成り行きであろう。

 そしてその全てを、右から左へ受け流す薬売り……
 全く、人の悪さは相変わらずじゃな。
 だったら最初から、そう言ってやればよかったのに。
 


薬売り「斬りませんよ……貴方はね」


レイセン「――――はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?」


 
 その場にこそいなかったが、何となしに想像はつく。
 どうせその時の薬売りはまた、いつぞやのような見下した顔つきをしておったのだろうて。

 なんだか……想像しただけで、段々とムカッ腹が立ってきたぞ。
 くぅ~憎らしや。腹いせに「薬売りは玉兎の叱責に怯え、動く事ができなかった」。
 とりあえずこの場は、そういう事にしておこう。



【放棄】





レイセン「人の話を聞かない奴だとは思ってたけど……まさかこの期に及んでまだ、そんな態度かましてくるとはね!」

薬売り「何をおっしゃいますか。ちゃんと聞いたじゃないですか……」

薬売り「貴方の、真と、理とを」

レイセン「だからそれは剣を……ああっ! い、イラつく!」

レイセン「ほら、あんたも黙ってないでなんとか言いなさいよ! 今あたしら二人、まとめてコケにされてんのよ!」


 わざわざ内から這い出てまで、二羽共々コケにされるとは……この内なる玉兎も、よもや露も思わなかったであろうて。
 確かに、聞いてくれと頼んだのは玉兎の方である。
 だがその経緯は、薬売りが「退魔の剣を抜く条件」を、あらかじめこうこうこうと伝えておいたが故であろうに……
 やれやれ、どこまでも厚顔無恥な奴よ。
 そうでもなければ、誰がこんな面妖な薬売りに”過去”を語るものか。


薬売り「それに……先ほどから話を聞けだのとおっしゃりますが」

薬売り「その言葉……そっくりそのまま、お返ししますよ」

レイセン「は……?」

薬売り「だって……ねえ? つい先ほど、申し上げたばかりじゃないですか……」

薬売り「斬るのは――――”幕が閉じてから”だと」



 クシャリ――――まるで薬売りの言葉に合わせるように、微かな擦音が過った。
 音の感じからしてそれは、何か薄い物同士が擦れ合う音である。
 してこの場における薄き物とは、現状ただの一つしかない。 



薬売り「芝居の準備はできましたか……”姉弟子様”」


レイセン「ウソ…………!」



 そう――――紙である。
 この内なる玉兎が、薬売りから借りた札を折り紙に変えたのと同じく、外なる玉兎もまた、同じ事をしていたのだ。
 「さっきまで呼吸に苦しんでいたとは思えない」と、薬売りは密やかにそう零した。
 夜分深くにも関わらず、見る者を思わず感嘆させる程に――――
 それはそれは見事な”紙の兎”が、玉兎の手元に出来上がっていたそうな。


 
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うどんげ「カッ、カッカッ……カ……」


レイセン「鈴……仙……なんで……」

薬売り「おや、まだうまく話せませんか……?」


レイセン「か……が……か……」


薬売り「いいでしょう。ならば代わりに、口上を務めましょう」

レイセン「鈴仙…………何を…………」



 立ち上がりし玉兎は息も絶え絶えに、見るからに満身創痍であった。
 未だ言葉もロクに話せぬままであったが、それでもその意思は十二分に感じ取れたと言う。
 不自由な言葉の代わりとでも言おうか……その眼だけが、しかと伝えておったのだ。



薬売り「ここから先は……”客は一人でイイ”」

薬売り「ですね? 姉弟子様……」


うどんげ「か……が……」



 二つに分かれし御身の、”真なる理”である。



薬売り「こなた、月から舞い降りし兎あり」

薬売り「こなた、月を見あげし兎あり」



レイセン「何を――――」



薬売り「こなた、鬼に怯えし兎あり」

薬売り「こなた、鬼に居所を求めし兎あり――――」




――――同じ身を持ち、同じ心を宿したとて、目指す標は決して同じではなく。
 違えし標に駆けたとて、いつしか戻るは元の鞘。
 それは、現世が孤を描く故。
 輪廻転生の如く、永久にめぐるが運命が故――――




【鈴仙の半生・第四幕】




(ふんふんふ~ん……)


 昔々、ある所に、一匹の兎がいました。
 兎は兎らしく、跳んだり跳ねたり、たまに耳をツンと立てて何かを聞いたりしていました。
 傍から見るとただの兎です。といっても、兎はそこに住まう兎ではありませんでした。
 兎はその実、遥か遠い土地からやって来た、所謂迷い兎だったのです。


(…………ぬおっ!? なんだこりゃ!?)


 見知らぬ地にアテなどあるはずもなく、兎はただただ迷い続けました。
 兎は兎らしく跳んだり跳ねたりしているかと思いきや、実は右往左往しているだけだったのです。 
 しかもその間、まともに食事もとっていませんでした。
 当然です。他所から来た兎には、何が食べれる物かすら、わからなかったのですから。


(え、ええ~……こんな所で土座衛門とか……)


 そんな日々を送っていた兎には当然、すぐに限界が訪れました。
 パタリ――――糸が切れた人形のように倒れ、そのままピクリとも動かなくなりました。
 しかしながら、兎は動けないながらも、ハッキリと感じました。


(もしも~し、人間や~い)


(人間…………人間?)


 「死ぬ」――――何をどう考えても、それしかありませんでした。
 しかし兎は、死を拒むどころか、無抵抗なままに受け入れようとすらしていました。
 それは自分の不摂生のせいでもあり、自分が健康を顧みなかったせいでもあり、自分がしでかした罪のせいでもある。
 「自分が死ぬのは当然の事」。兎の心には、そういった考えが根付いていたのです。



(いや、違うわね……ていうか、これ……)


(…………兎?)



 しかし運命は、兎に死を与えませんでした。
 死に限りなき近い状態でありながら、それでも寸での所で回避できたのです。


――――偶然そこに居合わせた、もう一人の兎の手によって。


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メシ



――――兎が再び目を開いた時、その瞳には視界いっぱいに天井が映っていました。
 空を覆う黒塗りの壁。月を隠す天の蓋。
 なのに何故か天井は、あの星々の煌めく夜空に負けず劣らずの、実に優雅なる天井でした。


(お、起きたかぁ)


(いやぁびっくりしたわ。まさか幻想郷に、あたし以外の妖怪兎がいたとはね)


 わけもわからぬまま、ぼーっと美しい天井に見とれていると、横からひょっこりもう一羽の兎が顔を覗かせました。
 今でもその時の顏はハッキリ覚えています。
 その時のもう一人の兎の顏は、こちらを見て、何故かニヤニヤと笑っていたのです。


(どこの誰だか知んないけど、ラッキーな奴ね。よりにもよって、医者の近くで倒れるなんてさ)

(もしかして……”急患”狙ってた?)


 どこか嘲りを感じる、気持ちの悪い不気味な笑顔でした。
 おかげで美しい天井を眺めるのに、とても邪魔だった事を、今でも鮮明に思い出せます。


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(ちょくちょくいるのよね~。永遠亭の噂を聞きつけたまではよかったけど、竹林で迷ってぶっ倒れるおバカさんが)

(まぁそういうのを見かけたら見つけ次第拾ってこいって言われてるわけなんだけど……)

(近頃はそれを逆手にとって、わざと迷い人のフリする奴なんかでてきちゃってるのよね)

(あんたも……そのクチなわけ?)


 それでも、嫌悪感はありませんでした。
 兎は直観で理解したのです。
 この体を包むぬくもりに、額に乗った冷たい布綿。
 「この兎が、自分をここまで運んでくれたのだ」と理解するのに、時間はさして必要ありませんでした。



(て~わけで、目を覚ましたら呼べって言われてるから、呼んでくるわね)


(ちゃんとお礼言うのよ……”お上りさん”)



 しかしながら、代わりに兎の正体に気づくまでには、随分と時間がかかりました。
 と言うのも――――兎の正体は、運び手だったのです。
 それは荷を運ぶのではありません。
 兎が運ぶのは、運命そのものだったのです。





(――――鈴仙……)





 知らなかったのかわざとだったのか、それは今でもわかりません。
 しかし兎は、本当にそっくりそのままの意味で運んできました。
 息も絶え絶えだった兎の前に――――永遠を生み出す「師」を。


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レイセン「――――な、何を今更なのよ!? そんな事、言われなくても知ってるわよ!」

レイセン「そうよ……その時、よりにもよってあの永琳と再開してしまったせいで、あたしはいつも怯える日々を送るハメになった……」

レイセン「知らないはずないじゃない! だって、あたしはあんた、あんたはあたし!」

レイセン「いつも同じで、いつも同じ過去を送ったんだから!」

薬売り「……フッ」

レイセン「 何 笑 っ て ん だ ! 」


 薬売りの失笑に、敏感に反応する兎。
 その嘲りたっぷりの笑みは、怒りに値するのは重々承知である。
 しかしそれは誤解である。
 薬売りの笑みは、あくまで自分の記憶に向けられたものであったのだ。


薬売り「いや……失敬。少し、思い出しまして……」

レイセン「何を……だよ……」

薬売り「同じ時を過ごそうと、同じ景色を見ようと……互いの胸の内にあるものは、決して同じではなく」

レイセン「意味わかんねえ……んだよ!」


 まぁだからと言って、時と場所を選べと言う話ではあるが……
 余計な茶々は往々にして場を崩す。
 それは雰囲気だけではない。
 この場合に限っては、文字通り崩れるのだ。
 

薬売り「それに……あまり茶々を入れない方がイイ」

薬売り「無駄に間延びさせると……最後まで、聞けないかもしれませんよ?」

レイセン「ハ――――」




――――そっくりそのままの意味で。




レイセン「ちょ…………!」




【剥】



レイセン「あ、あたしの体が……!」




【剥】




レイセン(崩れていく――――!?)


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薬売り「貴方様とて不本意でしょう……? 噺の途中で、消えてしまうのは」

レイセン「まさか……これが……!」



うどんげ「そう……して……体を……治した……兎は……」



薬売り「まぁまぁ、じっくり聞こうではありませんか……ひょっとしたら、わかるかもしれませんよ?」

薬売り「貴方が…………一体”誰”なのかを」



うどんげ「再会した……お師匠様と……姫に……」



レイセン「やめ――――」



――――こうして兎は、予想だにしない形で、かつての飼い主と再会しました。
 元の飼い主……元い八意永琳は、兎との再会に涙を浮かべて喜んでいました。
 兎にとっても、久しぶりに見る永琳の姿は、幸せだったあの頃のままでした。
 変わらないのは姿だけではありません。
 月にいた頃から有名だった薬師の手腕は全く衰えておらず、その証拠に、弱り切った兎の体をたった一晩で治して見せました。




レイセン「ろ――――」




 健康を取り戻した兎は、改めてその脚で永琳の元へと向かい、そして今度こそ誓いました。
 「ずっとおそばにいます、お師匠様」――――その言葉は、嘘偽りない本心でした。




【忠誠】


 そこは、かつての故郷に比べれば、随分と質素な場所でした。
 巻割り、かまど、徒歩、収穫……等々、まさに文明のぶの字もない、原始的な生活そのものでした。
 けれど不満はありませんでした。
 不自由だらけな生活なのに、何故か、心からの自由を感じていたのです。

 いつしか兎は、自らの意思で永琳にこう言うようになります。
 「自分もあなたのような薬師になりたい」――――こう述べる兎に、永琳は快く受け入れました。


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 こうして、兎は再び、居場所を手に入れました。
 永遠を生み出す師の元で、永遠の一部となる弟子として。


レイセン「違う……あの時弟子入りを志願したのは……ただのその場凌ぎだった……」

レイセン「逃げ出す為に咄嗟に思いついたでまかせ……薬師なんて、ほんとはどうでもよかったはず……!」

薬売り「と、思っている割には、随分と熱心に勉強されてましたね……」

薬売り「夾竹桃なんて……薬師じゃなければ、ただの花なのに」

レイセン「なッ…………!」


 正式に弟子として入門し、いくつの時を経たでしょう。
 かつて、あれほど拒み続けた地上の生活が、いつしか兎にとって、なくてはならない物となっていました。
 変わらない日々、変わらない生活。いつまでも変わらない永遠亭――――。

 けれど、兎にとっては、それこそが幸せだったのです。
 変わらなくていい。
 「この幸せがいつまでも続きますように」。
 いつしか兎の心は、その思いだけが全てとなっていきました。


レイセン「そんな……なんで……なんでよ……鈴仙……」

レイセン「あんなに怯えていたのに……あんなに、目を背けていたのに……!」


薬売り「だとすると……これはあくまで……ひょっとしたらの話なのですが」

薬売り「もしかすると……”逃げ出したのは貴方の方”だったのでは?」


レイセン「は――――」


 けれどやっぱり、永遠なんて所詮儚い幻想でした。
 永遠の意味が「変化のない様」だとすると、やっぱりそんなものは存在しないんだと、兎は改めて思い知りました。
 よくよく考えれば当然でした。「過ごしたい永遠」と「成りたい薬師」。
 この二つは、変わると言う意味に置いて、全く正反対の物だったのですから――――。



【矛盾】



(あたた……もう……てゐの奴……)

(毎日毎日懲りずに……一体、何が楽しいのかしら……)


 兎の毎日はほぼほぼ決まっていました。
 朝起きて、用事を済ませ、人里に薬を売りに行く。
 合間に余った時間を勉強に費やし、食事の支度をし、掃除をし、夜になれば床につく……そんな日々でした。
 そして目を覚ませば、また最初から繰り返しです。


(ほんと……いつまでもバカなんだから)


 時には疎ましい時もありました。
 特に、毎度毎度落とし穴を仕掛けてくるバカのせいで、随分まぁ無駄に頭へ血を上らせたものです。
 ですが――――穴に落ちる度に、兎は感じました。
 痛む尻。猛る声。穴から這い上がろうとする手。そして、穴から空を見上げる目……
 「自分はまだここにいる」。そう感じさせる程度に、穴は、繰り返される日々の中に走る生の刺激だったのです。


(お師匠様に……言いつけてやるんだから)


 ですが、兎が穴から空を見上げるのと同じように――――
 空から穴を見下ろす瞳があった事を、兎はすっかり忘れておりました。


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(何よ……これ……)


 そんな日々が続いた後――――つい、こないだの事です。
 兎の元に、一枚の手紙が届きました。
 差出人の書いていない、出所不明の手紙でした。
 ですが、兎は手紙の主が誰であるのか、ただの一目でわかりました。



【召集令状】



 手紙の材質。封の切り方。中身の文字。その文体。
 全てが一致していました。
 かつて故郷にいた頃の――――”二人目の飼い主”とです。



【此度 都カラ逃亡セシ兎 
 ソノ行為ハ甚ダ遺憾ナレド 結果トシテ功績トナリキ故 此レヲ持ッテ全テヲ不問トス
 此度ノ所業 都ガ与エシ任ト置キ換エ 現時刻ヲ持ッテ ソノ任ヲ解カン】
 


(ふざ…………けンな…………!)



 兎は確信しました。
 かつて大罪を犯し、月から逃げ出した姫と師。この二人が、ついに見つかったのだと。



【長キ間ノ任 真大義デアッタ
 最早汝ヲ縛ル物ナシ 
 直ニ”迎人ヲ寄越ス”故 此レヲ持ッテ 直チニ都ヘト帰還セヨ】



 そして罪人を見つけ出した月の使者が、次にどのような行動を起こすのか……
 それはもはや、想像すらしたくありませんでした。



(何を…………今更なのよ…………)



(何を…………今…………更…………)




 してその原因が――――全て、自分のせいである事も。




【意訳】







【――――お前は逃げられない】


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薬売り「なるほど……あの紙は、その時の手紙ですか」


レイセン「……知らない」


薬売り「月人にとって兎とは純粋なる配下。故にその管理も徹底していた……」

薬売り「と言いつつも、一体どのような手段で見つけ出したのかまでは存じません」


レイセン「知らない……」


薬売り「ですがまぁ、大体の想像は尽きます」

薬売り「だって貴方……”特別”だったんでしょう?」

薬売り「月の注目を一手に集める……”人気者”だったのだから」



レイセン「――――知らない! 知らない! そんな手紙、見た事もない!」

レイセン「あたしじゃない! それはどこか別の誰かの……あたし宛なんかじゃない!」



レイセン「あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!
      あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃない!」




薬売り「やれ、やれ……」



 その手紙が指し示すように、あくる日、見るからに胡散臭い一人の男が現れました。
 その胡散臭い男は自称・薬売りを名乗り、「自分はモノノ怪を斬る為に馳せ参じた」と言いました。
 ハッキリ言って、全く信用できませんでした。
 ですが、信用せざるを得ませんでした。
 何故なら、兎にとって最も信頼する人が、信用した男だったのですから――――。



【丑】


本日は此処迄



レイセン「嘘よ……そうよ、こいつは”また”嘘をついている!」

レイセン「だってそうじゃない! あたしが斬られれば、あたしに封じ込めた”嫌な事”も全部元に戻ってしまう!」

レイセン「騙されないでちんどん屋! こいつはまたこうやって……嘘八百でこの場を凌ごうとしてるのよ!」

薬売り「何故嘘と……わかるんです?」



――――何から何まで一切信用できない薬売りでしたが、一つだけ、本当の事を言ってました。
 それは、”本当にモノノ怪が現れた”事です。
 モノノ怪は次から次へと周りの人々を攫います。
 にもかかわらず、薬売りは未だモノノ怪を斬れずにいました。



レイセン「”そーゆー奴”だからよ! 最初に言ったでしょ!」

レイセン「こいつはいつだって嘘ばかり……出まかせと口八丁でその場を凌ぐしかできない、ただの兎なんだから!」

薬売り「では何故……嘘をつく必要があるんです?」

薬売り「嘘であろうとなかろうと……結局、”剣は抜けないまま”だと言うのに」

レイセン「それは…………!」



 全く頼りにならない、本当にうさんくさいだけの男です。
 が、そんな役に立たない薬売りのおかげで……一つだけ、気づく事が出来ました。
 


薬売り「そういえば……最初にお師匠様がおっしゃってましたね」


(――――だったら出て行きなさい)


薬売り「ある意味……師の命を忠実に守ったと言えますが」


 
 それは――――「逃げる事」。
 モノノ怪がこの地で暴れまわっている間に、逃げて、逃げて、遥か遠くに逃げて――――
 ”月の迎えを永遠亭から遠ざける事”。
 それが今の自分にできる事なのだと、そう思いました。





レイセン「ふざ…………け る な ァ ァ ァ ァ ! こいつがこんな事、思うはずなんてないんだ!」

レイセン「いつだって自分だけが可愛い臆病兎! この機に逃げ出そうとしている逃亡兎!」

レイセン「それ以外に――――一体何がある!」


 逃げた先に、一体何があるのか。
 逃げた先に、どのような運命が待ち受けているのか。
 兎には皆目見当が付きません。
 もしかしたら、今よりずっと酷い目に合うかもしれません。
 


レイセン「それ以外に……ない……はずなのに……」



 ですが、それでもかまいませんでした。
 心から愛した永遠が、この先も保たれるなら。
 永遠が永遠のまま、ずっとそこにあり続けるのなら……
 例え自分がどうなろうと、何ら悔いはありませんでした。




薬売り「…………」




 そうして兎は、逃げ出しました――――永遠を守る為に。


 めでたし、めでたし。




薬売り「以上……ですかな」




 ご清聴、ありがとうございました。




【――――拍手】


【拍手】【拍手】【拍手】【拍手】

【拍手】【拍手】【拍手】【拍手】

【拍手】【拍手】【拍手】【拍手】



 玉兎の物語は、これにて終わった。
 自らの生涯を題材にした物語はまさに納得の出来栄えであり、その証に、薬売りもつい自然と拍手を送る程であった。
 身共とて、ついつい引き込まれてしもうわ。さすがは元・月の達者兎と言った所である。
 堕落と転落を繰り返した半生だけあって……話の結末すらも、無事落としたのだ。




【余韻】




薬売り「いやぁ、貴方も人が悪い……この期に及んで、こんな素晴らしい話を出し惜しみするだなんて」

薬売り「やっぱり、ちゃんとあったんじゃないですか……落ちた後の、続きが」

薬売り「……おや」


 しかしそんな素晴らしい話に、余韻を乱す”不服”を唱える者が、一人だけおった。
 その物言い屋は、声高らかにこう訴えた。
 「話が違う――――」

……なにやら、あらぬ誤解を招く表現である。
 その言い方だと、まるで玉兎が、この物言い屋から話を盗作したかのようではないか。



レイセン「なんで……! なんでこうまで違う……!」



【別個】



レイセン「同じ……兎なのに……!」 



【異同】



「同じ……”レイセン”なのに……!」



 まぁでも……そんなわけはないのだ。
 盗作か否か等、真偽を確かめるまでもなくわかる事。

 何故ならば、幕を開いたのも兎。
 語り始めたのも兎。聞いていたのも兎。
 不服を唱えるのも兎。実際に体験したのも兎……
 全ては、同じ兎による物なのだから。



【画然為る兎】




レイセン「あってたまるか……そんな事……ざけんな……ふざけんな……」

薬売り「…………」


 芝居・歌舞伎・能・芸事――――
 これらの見世物を楽しむ際には、やってはならぬ無作法が、一つある。
 それは、不平不満を吹聴するかの如く唱える事である。
 
 「つまらなかった」「時間のムダだった」
 そう思うのは各々の勝手じゃ。だがそれを聞かされる周りの身にもなってみよ。
 せっかくの余韻が台無しとなる……
 まさに「終わりよければ全てよし」の”逆”である。


レイセン「クソ脚本……ゴミ脚本……ホラ話……与太話……」

レイセン「勝手にオチ変えてんじゃないわよ……カス……死ねよ……マジ……」

薬売り「…………」


 作法と言うより、行儀だな。
 このレイセンを見よ。このような負の言葉を延々と聞かされる不快さは、まさに筆舌に尽くし難しであろう?
 隣に佇む薬売りも、まぁ災難である。
 これでは、余韻に浸る暇もなかろうて。



薬売り「そういえば……前からずっと気になっていた事がありまして」


レイセン「あ”……?」


薬売り「よい機会ですから……お伺いしても、いいですかな?」



 ……こいつに限っては、そんなタマではなかったの。



【疑問】





薬売り「貴方の名は鈴仙……それは周知なのですが……」

薬売り「そういえば……一人だけ、違う名で呼ぶ者がいましたな」



(――――すごいわうどんげ、とっても斬新だわ!)



薬売り「後弟子として、姉弟子様の名を知らぬのは、これまた失礼な話……」

薬売り「故に……お聞かせ願いたい」

薬売り「貴方は……”一体どちら”なのでしょう」



【レイセン】【うどんげ】



レイセン「うどんげ……そうだ、うどんげだ!」

レイセン「これこそがこいつが嘘ついてる何よりの証拠じゃない! だって、あたしに無断で勝手に改名しやがったのよ!?」


薬売り「無断……?」


レイセン「自分は鈴仙じゃない、うどんげだ」

レイセン「だからレイセンなんて知らない――――とでも、言いたかったのよ!」

レイセン「これこそ自分から目を背けたこいつの、何よりの証拠じゃない!」


薬売り「しかしどちらかに統一されず、両方の名が使われるのは何ゆえに」

薬売り「人は貴方を鈴仙と呼び、兎は貴方をうどんげと呼ぶ」

薬売り「これではただ……ややこしいだけだ」



 それは、簡単な話でした。




(――――これが……あたしの名前……?)


(――――いや、嫌とかじゃないんだけど……なんか……変な名前)




 誰かに、与えられた名だったからです。




レイセン「 嘘 つ く な ! 」




レイセン「知らない! そんなの知らない! そんな変な名前、あたしが受け入れるはずないじゃない!」


 そう、その名を最初に聞いた時は、「変な名前」以上の感想を持てませんでした。
 「うどんに毛? 意味わかんな~い」
 当時の兎も、そう言ってました。


レイセン「それに、今更名を変えて何になる! ずっとレイセンだったのに! ずっとずっと、レイセンとして生きてきたのに!」


 「ださいから鈴仙のままでいい」
 当時の兎は、そう言い捨ててやりました。


薬売り「知らない物にはただの音……しかし知っていれば、その名は何より貴重な”花”となる」


 「だから鈴仙だっつってるだろ!」
 兎をうどんげ呼ばわりする因幡兎に、何度も声を荒げました。


薬売り「貴方は知らなかったんじゃない。貴方はただ、目を背け続けていただけに過ぎない」


 「いい加減にしなさ~い!」
 何度注意しても、因幡兎はうどんげと呼び続けました。
 あまりのしつこさに、つい声を荒げましたものです。
 が、ですが……兎は決して、それ以上の事はしませんでした。



薬売り「貴方を心の底から怯えさせる……貴方の中だけの”鬼”から、ね」



 注意を諦めたわけではありません――――実は、”嬉しかった”のです。
 それは、”約束の証”だったからです。
 約束の証……それをしつこいくらい連呼される事に、その実、何よりの幸福を感じていたのです。



薬売り「知らないはずが……ないんですよ。それは、貴方がレイセンだった時の決め事だったのだから」



 ついつい昔のような憎まれ口を叩いてしまう程に
 ついつい無駄に声を荒げてしまう程に
 ついつい、一人でに飛び跳ねたくなる程に……
 兎の心は、歓喜の波に乱されていたのです。




薬売り「鬼は…………”約束を守った”」




 その日から――――兎の中から、鬼がいなくなりました。



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レイセン「そ……んな……嘘……よ……」

レイセン「だったら……あたしは……ずっとこいつの中にいた……あたしは……」

レイセン「こいつの”恐れ”を押し付けられ続けた……あたしは……一体……」


【問掛】


【我は誰なるや】



レイセン「――――カッ! カッ! カッ! カッ!」


薬売り「大丈夫ですか……随分、声が乱れておりますが」


レイセン「カ……カ……カ……」


 兎の声が、乱れ始めた。
 声はまるで喉を詰まらせたように濁り、音は乱れ、あれほど悠長であった声は瞬く間に咳と化した。
 カッカッカと、まるで笑い声のような咳である。
 が、薬売りはなんら不思議に感じなかった。
 そりゃそうじゃ。それと全く同種の物を、つい先刻聞いたばかりであったが故な。


薬売り「咳がひどい場合は、体を横にするといい……喉の奥が広がり、息が通りやすくなりますから」




うどんげ「――――もしくは、暖かい飲み物を飲むといい。乱れた気管を、ぬくもりが落ち着けてくれるから」




薬売り「おや……まぁ……」

薬売り「随分と……お詳しいですな」



レイセン(レイ……セン……)



うどんげ「当然よ……”あたしを誰だと思ってんの”」




【薬師・見習】



薬売り「最初から……知っておられたのですね……」

薬売り「自分の中に……”もう一人誰かがいる事”を」

うどんげ「なんとなくは気づいてた……でも、確信はなかったの」

うどんげ「だって、いくら呼びかけても……ずっと、無視され続けてたからね」

薬売り「それは……いけませんなぁ」


レイセン「カ…………ッ!」


 人はだれしも、思い出したくない記憶があると言う物よ。
 何らかの失態を犯した時。人前で大恥をかいた時。誰かに裏切られた時。身の毛もよだつ恐怖を感じた時――――
 それらを自在に忘れる事ができれば、一体どれほど、楽な事であろうなぁ。
 だが口惜しい事に、生きとし生ける物は、残念ながらそのようにはできておらぬのだ。


うどんげ「呼びかけても答えてくれない。面と向かっても目を合わせてくれない」

うどんげ「だから、わからなかったのよ……自分の中にいるのが、一体誰なのかを」


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薬売り「しかし今、ようやっと分かり合えた……」

うどんげ「あたしの中にいたのは……”あたし自身”だった」


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 故に生き物は、そうせざるを得なかった。
 苦しい過去を糧にするしかなかったのだ。

 過去の苦痛を経て、新たな存在に再生せんとする道。
 まさに修験が唱えし「疑死再生」の道――――。
 その道を選んだが故に、生き物は、今日における多種多様な存在に枝分かれしていった……のかもしれん。





薬売り「過去が置き去りにされたのではなく……過去の方が、自ら遠くへ逃げたのだ」

うどんげ「それはあたしを守るため……新しい兎になったあたしを、過去に縛り付けない為」


 兎が真に恐れる物――――それは、「見つかる」事ではなく「見つかってしまった」事にあった。
 紆余曲折を経てようやく得た安住の地が、再び亡き者になる恐怖。
 そして自身の進む道を照らしあげてくれた大恩に、意図せず仇成す形となった恐怖。



薬売り「過去は決して変わる事がない……それは、当の過去自身が深く存じていたから」


うどんげ「だから……知らなかったんだわ」


薬売り「兎が、真に恐れる物を」



 枝分かれせしもう一人の兎が、存じ上げぬのも無理はない。
 もう一人の兎とは、すなわち”月にいた頃”の兎。
 そして今の兎が取ろうとする行動は、過去の兎の理とは、まるで反転する”陰陽”だったのだから――――。




【真相】



【玉兎之理】



うどんげ「面倒かけたわね……薬売り」

薬売り「いえいえ滅相もない……」

薬売り「…………おや」



レイセン「カ…………カ…………!」



うどんげ「レイセン……」

薬売り「まだ……抗うと言うのですか」


 真実を突き付けられてなお、もう一人の兎は、抗う姿勢を崩さなかった。
 過去を否定すると言う事は、すなわち過去の自分をも否定すると同義。
 自分の存在そのものを乱す「否定」。
 ともすれば、自身を守るために……如何に苦しかろうと、拒み続けるしかなかったのであろう。



レイセン「う”ぞ…………だ…………カッ! 認め”……ナ”イ”…………!」



薬売り「致し方……ありませんな」



 しかしながら、もはやレイセンに術はなし。
 抗う気持ちと裏腹に、どうにもできぬ現実が、すぐ目の前に迫っておる。
 追いつめられた鼠は、時として猫を噛む事もあるらしいが……
 はたしてそれが兎だった場合――――”逃げる”以外に何ができると言うのか。


うどんげ「待って薬売り……”レイセンは置いていかない”」

薬売り「残念ながらその命は聞けません……貴方も、薬師の端くれならわかるはず」

薬売り「これはもはや……完全なる末期。このまま放置しておけば、”直にモノノ怪と化す”のは目に見えている」

薬売り「そうなる前に手を打つのが、この場における最善なのですよ」


うどんげ「…………」



薬売り「異論は……ありませんね?」



うどんげ「…………わかった」



 兎は鈴仙を一瞬庇おうとしたものの、薬売りの問いかけに、存外素直に身を引いた。
 兎は、理解していたのだ――――鈴仙は今、”モノノ怪になりかけている”。
 自らあふれ出る程の強き情念。してその発生源が他ならぬ自分自身とあらば……
 兎に異を唱える権利など、ありはしなかったのだ。



【決着】

本日は此処迄




レイセン「殺す”のガ……アダジを……?」



【急場】



薬売り「いやぁ、楽しませてもらいました……」

薬売り「さすがは元・月の人気者。あっしもついつい、最後まで聞いてしまいましたよ……」



【打込】



レイセン「姉弟子ノ”……ア”だジヲ”……?」



【後手】



薬売り「しかし肝心の貴方自身がわかっていなかった……何故に貴方の芝居が人を魅力するのか」

薬売り「それは……全てが真であったが為です」


レイセン「ア”…………?」


薬売り「わかりますか……? ”真”があったからこそ、貴方の織成す芝居は、鮮やかな色々に染め上がったのです」



【六死八活】



薬売り「それ故に……勿体ない。最後の最後で、”芝居は色を失った”」


 ”昨日今日会ったばかりのお前に何がわかる”――――兎は濁った声で、そう吠えた。
 確かに、赤の他人に知った風な口を聞かれる事ほど不快な物はないよの。
 それもそれも、見るからに胡散臭い男の、あからさまに見下した口ぶりとあらば……
 ったく、まっこと度し難い。
 何故にあやつは、ああも人の気を逆立たせるのやら。









薬売り「確かに、会ったばかりのあっしに、貴方の全てを理解できる道理はありませぬ」

薬売り「ただし……それが、”貴方をよく知る者”だったら、どうでしょう」


レイセン「は”…………?」


薬売り「過去から現在に駆けて、貴方の存在をよく知る者が……」

薬売り「”貴方はこう言う存在ですよ”と、あっしにこっそり教えていたとすれば……」

薬売り「意味合いは、少し変わります……」


 「誰だそいつは――――」兎はまたも、擦り切れそうな声でそう吠えた。
 自分を知る者を名乗る者が、自身の事を勝手に第三者に語っていたとあらばなおさらである。



【定石】


 だが、少なくとも身共は、その怒りにはやや賛同しかねるな。
 だって、そうではないか。よく考えてもみよ。
 別に、「悪口を言っていた」とは限らぬであろう?
 さもあれば、もしかすると……身共の事を陰ながら”讃えておる”かもしれぬではないか。



【大高目】





薬売り「貴方が恐れ敬う師・永琳……つい先刻、モノノ怪に憑りつかれ、どこぞの果てに消え失せた」

薬売り「しかしその顏はどうでしょう……苦痛に歪んでおりましたか? 恐怖に怯えておりましたか?」

薬売り「あっしにはとてもそのようには……まるで、”自ら望んで消えた”ようにすら見えました」



レイセン「望ん”デ……消え”ダ……?」



薬売り「永琳も、最初から知っていたんですよ――――貴方の事を、”もう一人の貴方を含めて”ね」



レイセン「あだジを”……知っでダだど……!?」



【相似】



薬売り「ともすれば、”未曾有の危機は絶交の機会である”とでも思っていたのかもしれません」

薬売り「まるで……この機に乗じて逃げ出そうとしている、貴方のように」



 確かに、あの時の永琳は、恐れる表情など微塵も見せておらなかったな。
 御身に無数の目が蔓延る最中にて。
 異形同然になり果てど、さりとてその姿勢は、最後まで「威風堂々」を貫いたままであった。
 「永琳程の賢人になると、恐れを跳ね除ける強靭な胆力が備わっておる」とも考えられるがの。
 が、あの場合は……”そもそも恐れる必要がなかった”と考えた方が、幾ばくか自然であろうて。




薬売り「そんな、貴方を深く知る永琳が、消える間際にあっしへ五つの示唆を託しました」

薬売り「それは、貴方を深く知る永琳をも深く知る、永遠亭の真の主からの教授でした」



薬売り「――――”姫君が残せし五枚の符”。そこに貴方の、答えがある」



レイセン「ズベル…………ガード…………?」



 そうそう永琳と言えば、これを忘れてはならなかったな。
 永琳が薬売りに託せし「符」は、別に姫君だけのものではなく、この幻想郷では広く知れ渡った常識なのじゃ。
 幻想郷に住まう者なら誰しもが持っておる物。故にその使い方も多種多様。


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 とは言いつつも、此度の符は、この幻想郷に置いてもやや特殊だったようで……
 流石の身共も、少してこずらされたわい。
 



【難題】龍の頸の玉-五色の弾丸-
【神宝】ブディストダイアモンド
【難題】火鼠の皮衣-焦れぬ心-
【神宝】ライフスプリングインフィニティ
【難題】蓬莱の弾の枝-虹色の弾幕-




――――この符が示す、”答えの解き方”にはな。







薬売り「この符は……竹取物語における五つの難題を模した物」

薬売り「して五つの難題とは、かぐや姫が求婚を断る為に用いた方便」

薬売り「故に”難題”。これらの品々は、どこを探そうと、どこにもありはしない」


 そう、かぐや姫が課した難題は、最初からこの世に存在せぬ物。
 存在せぬが故に提示できるはずもなく、よって大手を振って求婚を断れると言う、なんともまぁ~意地の悪い難題じゃ。
 さりとて「はいそうですか」と引き下がれぬのが貴公子の辛い所。
 果たせぬとわかりつつ、あの手この手で何とか難題に答えんと奮闘していた小話は、まぁ皆も知る所じゃろう。
 

薬売り「しかしどうでしょう……果たせぬが故の【難題】。にも拘らずその頭文字には、確かに【神宝】の文字があるではありませんか」

薬売り「あるはずがないのに、あたかもそこにあるように置かれる【神宝】の頭文字」

薬売り「これは一体……何を意味するのでしょう」


 【難題】が果たせぬ「幻」を意味するならば、【神宝】は存在そのものを指す「現」。
 言い換えれば「在る・無し」と置き換える事が出来よう。
 姫君の符は、その名の通り「五つの難題」を模した者である。
 その中に「在る」を意味する頭文字が混ざる、その所以は――――


薬売り「言い換えるならば、【難題】と【神宝】の頭文字こそが、姫が示した”答え”」

薬売り「ほら、よくご覧なさい……三つの【難題】と二つの【神宝】」

薬売り「この中に、確かに……”貴方を指す”言葉が、あるじゃありませんか」


 ふふ……ッと失礼。いやはや、関心しておったのだよ。
 「嫁ぎたくない」ただそれだけの為に咄嗟に出た方便にしては、よくできた御題目じゃと思うての。
 かの書を読んだ際は「なんだこの性悪女は」とタカをくくっていたが、しかし改めて見てみれば、こう……
 確かにこの難題ならば、相手の身分に関係なく、まんまと求婚を断り抜けようものぞ。



薬売り「目を背けてはなりません。貴方を知る者が、貴方を一体どう思っているのか」


薬売り「それこそが貴方の望みを果たす唯一の術……隔てし境を打ち破る、唯一の答え」



 この姫君、やるのぅ。どうして中々、存外に賢しき姫君じゃ。 
 これほどに頭の回る姫ならば、うむ。なるほどの。
 咄嗟の間際であろうとも、このような示唆も十分できようものぞ。




薬売り「その全てが……ここにある……!」




 確かにこの符には、しかと記されておるわ――――”兎はモノノ怪ではない”とな。






薬売り「今一度思い出すのです。かつて貴方が、何を欲していたのか」

薬売り「欲した物を手に入れるために何を交わしたか。奈落の底に堕ちてまで手に入れたかった物は何か」


レイセン(――――???)


薬売り「してそれは――――誰に与えられた物だったのか」


レイセン「ぞ…………レバ…………」





【鈴仙】





(随分……待たせてしまいました)

(あの約束を交わしたあの時から……何がふさわしいか、ずっと悩んでいたのです)

(ずっとずっと、長い時間をかけて……考えてたのです……)

(……姫様と、二人でね)




レイセン「アダジガ…………欲ジガッダ物…………」




(こうして渡せる日が訪れた事を……心から感謝します)

(さあ、受け取りなさい……今日から貴方は――――)




薬売り「その言葉は、永遠を生む枝から咲く、一輪の花から取った言葉だった……」



【憶】



うどんげ「――――その意味を知ったのは、此処へ来てしばらく後だった」




レイセン(じゃあ…………)


レイセン(うどんげって…………!)




【覚】



薬売り「ずっと……気になっておりました……」

薬売り「存在せぬはずの五つの難題の中で……何故姫君は、蓬莱の玉の枝のみ”本物を所持している”と、言い張っているのか」



【蓬莱の玉の枝】



うどんげ「あたしがこいつに……教えたのよ……」


レイセン(じゃあ…………)



 先ほど述べた通り、蓬莱の玉の枝とは、不老不死の薬の元になる原料である。
 多少の差異はあれど、不老不死に纏わる大抵の物語に出てくる故な。
 五つの難題の中では、最も名の知れた品なのではないだろうか。

 さもあれば、不老不死と言う広く知られた表の顏もさることながら……
 実はこの蓬莱の玉の枝。もう一つ”裏の顏”がある事は、ご存じかな?



レイセン(”本物の蓬莱の玉の枝”って…………!)



 それは――――枝に咲く花の逸話じゃ。
 蓬莱の玉の枝には、もう一つの伝説があっての。
 それもズバリ”三千年に一度だけ花を咲かす”と言う伝説じゃ。



【咲】



 三千年に一度……おそらく大多数の者共が一生お目にかかる事はないであろう、大変に珍しい花よ。
 そんな、あまりに度を超えた希少さが故に、じゃ。
 一度咲けば――――”三千年分の吉祥を振りまく”と言う、これまた大層な逸話もあるのだ。



薬売り「あくまで、推測にすぎません……が」



 そんな二つの顏を持つ蓬莱の玉の枝。
 その枝に咲く花は、誰がつけたかこう名付けられた――――








【開花】






薬売り「――――”貴方の事”だったんじゃないですか」


薬売り「姫君だけが所持する……”本物の蓬莱の玉の枝”とは」




【――優曇華ノ花――】



 ……もう、お分かり頂けただろう。
 優曇華の花を咲かす蓬莱の玉の枝に、無しを意味する【難題】が頭についておる。
 よってこれらを結び合わせれば、浮かび上がる意は「蓬莱の玉の枝は無し」となる。
 つまり、言い換えれば――――「モノノ怪は優曇華ではない」と読める。と、言う事じゃな。


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メシ



レイセン(ウソ……)


 いやぁ、にしても……何と言おうか……
 竹取物語などさして興味はなかったが……なんだか、段々と身共も興が湧いて来たわ。



レイセン(じゃあ……あたしは……あたしには……!)



 月よりいずるかぐや姫……か。
 まだこの地上におるならば、是非一度お会いしたいものよ。



薬売り「恐れる必要はなかった……いや、恐れなど、最初からありはしなかった」

うどんげ「ありもしない恐れに怯え、ありもしない幻に、勝手に狂気に満ちた鬼を想像していた……」



……阿呆! 求婚を申し込みに行くわけではないわ!
 身共はただ、測りたいのだよ。 
 この聡明精錬にして明晰な頭脳を存分に発揮できる、知恵比べ相手としてな。
 


【至】



薬売り「あるのただ、単純な一つの事実のみだった」

うどんげ「あたしがお師匠様から最初に教わった、教え……それが全てだった」



レイセン(あたしが…………あたしも…………)





【答】





薬売り・うどんげ「――――(私・貴方)は”愛されていた”」




 ブワリ――――その瞬間、薬売りが貸し与えた札が、辺り一面に飛び散った。
 ひらひらと周囲に舞い散り、瞬く間に闇夜に消えゆく札。
 それはまるで、春の終わりを告げる桜の花びらのようであった。


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 しかしそこに、風はなかった。
 風無き空に札だけが舞う……そうじゃ。
 兎の中の”恐れ”だけが、形を失ったのだ。




【解】     【恐】     【之】

    【放】     【怖】     【殻】



  




レイセン(嗚呼…………)



【塵】



レイセン(消えていく……あたしが……あたしの存在そのものが……)



【理知】



薬売り「貴方を知る者は……何も、貴方自身だけとは限りません」

薬売り「貴方と同じ過去を過ごした他人もまた……貴方を知る者の一人であるのです」



【反転】



レイセン(じゃあ……あたしも……他人なの……?)


薬売り「あなたは一体誰なのか――――そんな事は、最初から分かり切った事だったのですよ」



 してそれらの舞い散る札を、薬売りは気にも留めぬままに、懐からまた私物を一つ取り出した。
 それは、モノノ怪を斬る退魔の剣にあらず。
 掌に収まる程度の、おなごが身なりを整える際に使われる物――――
 一枚の、手鏡である。





薬売り「ほら、ここには……”最初から一羽の兎しかいない”」



【反射】



レイセン(ほんとだ……)


レイセン(おんなじ…………だ…………)



 鏡越しに見る闇夜には、しかと映っておった。
 舞い散る札の一枚一枚の、その中心に――――
 優曇華と名付けられし、一羽の兎が。



レイセン(最初から……おんなじだったんだ……)



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――――故に願いも、また同じとなりし。




【同】



【願】



【――――安ラギヨ永遠ニ】


       
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本日は此処迄



ドーン


【散】



ゴーン



【札】



ボーン



【紛・闇夜之中】



――――静寂が、辺りを包んだ。
 丑三つ時に相応しき、闇夜にあるべき静けさである。
 その静けさは、意図的に作られた静けさであった。
 薬売りと兎。
 この両名が黙す事によって、出(いず)る事を許された、いとも儚き静寂なのだ。
 


薬売り「…………行くのですか」


うどんげ「…………ええ」



 儚きが故、打ち破るのもまた容易な事で――――
 薬売りが、ポツリと訪ねた。
 してその返答は、すぐに返ってきた。
 そしてその返答を気に、飛び交う音のやり取り。
 結果、あっという間に静寂は消え申した。
 しかし返事の主の姿は、もはや背中でしか見えなくなっていたのである。 


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薬売り「そんなに息を押し殺して……一体何処へ行こうと言うのです」

うどんげ「行くんじゃない。生むの」

うどんげ「永遠亭が永遠足りえる……いつまでも変わらない静寂を」


 玉兎の決意は、この一言に集約されておった。
 こうまで言われては、もはや誰にも止める事はできぬ。
 まぁ、なんだ……結局また、振り出しに戻ったわけだ。
 紆余曲折を経て導き出された答えは、最初の通り、亭から逃げ出す事のままだったのだ。



【元ノ鞘】





【満】


うどんげ「止めないの?」

薬売り「止める必要がない……貴方がモノノ怪ではないのなら、どこで何をしようが貴方の勝手」

うどんげ「冷たい奴。こういう時は、社交辞令でも止めるフリくらいはするものよ」

薬売り「それに……自信がないのですよ」

うどんげ「自信?」

薬売り「あっしにはどうも……兎の脚に追いつける自信がありませぬ」


 それは何も心のあり様の話ではない。実際問題無理なのだ。
 一度逃げ始めた兎を捕らえる事は、本当に至極困難である。
 と言うのも――――単純に”速い”のだよ。


うどんげ「頼りない奴……ほんとに大丈夫なの?」

うどんげ「あんた……言ったわよね? ”モノノ怪は必ず斬る”って」


 知っておるか? 兎は時として、馬よりも速く駆けるのだ。
 さもあれば、人の脚程度では到底追いつけぬ速さである。
 「脱兎の如く」の語源は、まさにそこにあるのだ。

 そんな兎の脚を止めるには、何か別の手段が必要となろう。
 そうじゃな……まぁ、強いて言うならば、だ。
 「罠を仕掛ける」事。それが一つの、定石であろう。


薬売り「ええ……斬りますよ、モノノ怪はね」

うどんげ「だったら……モノノ怪を斬り終えた暁には……」


 玉兎は、言伝を頼んだ。
 それはモノノ怪が去りしこの地にて、残されし者への”声明”であった。

 玉兎はその身に宿せし思いを、こう言い表した。
 「永遠は終はらず」――――。
 自分が逃げ続ける限り、亭の永遠は潰える事はないと言う意である。


薬売り「確かに……承りました」

うどんげ「……はぁ、あたしもヤキが回ったわ」

うどんげ「あんたみたいなうさんくさい奴にしか、こんな大事な頼み事をできないなんて」


 モノノ怪を斬るのが薬売りの仕事なら、亭を守るのが玉兎の仕事。
 一見なんら関係のない責務であるが、両者の利害が一致しているとあらば、手を組まぬ道理はない。

 しかし玉兎からすれば……まぁ、やはり不安であろうよの。
 手を組む相手が、どうにも”うさんくさすぎる”。



【夜八つ】



薬売り「僭越ながら、あっしからも、お節介を一つ……」

うどんげ「あによ」

薬売り「貴方の中に在りし、もう一人の貴方の事です」


 亭を守るのが玉兎の仕事なら、モノノ怪を斬るのが薬売りの仕事。
 玉兎が不安を感じると同時に、薬売りもまた、一抹の不安を抱えておったのだ。
 
 よって薬売りは、身の丈もわきまえず、釘を刺した。
 姉弟子に対し末弟子の分際で、指図紛いの忠告を、最後の最後に言い放ったのである。


薬売り「モノノ怪を成すのは、人の因果と縁(えにし)――――」

薬売り「人の情念や怨念がアヤカシに取り憑いた時、それはモノノ怪となる」


うどんげ「……」


薬売り「貴方の中のもう一人の貴方……モノノ怪でこそなかったものの、その情念は十分モノノ怪を成すに足り得る」

薬売り「よって万が一、優曇華の幕が下り、レイセンなる一匹のモノノ怪の幕が開けた、その暁には……」

薬売り「斬りに来ますよ――――”約束通り”ね」 


 にしても、言い方が……
 要するに「お前がモノノ怪になったら、追い掛け回してぶった斬る」と言う事だろう。
 別れの言葉とは思えん。これではまるで脅迫ではないか……
 彼奴の態度もまた、永遠なのかのぅ。



うどんげ「……”そうなったら”ね」



 陰ながら切に願っておるぞ……二度と再開せぬ事を。






うどんげ「んじゃ――――」



薬売り「お達者で――――」




【疾風】


【消失】




薬売り「…………」



――――別れは、存外に淡泊な終わり方であった。
 大層な餞もなく、淡々と。まるで一時の別れであるかのようである。
 しかしながら、双方共に、再び会いまみえるなど思っていない。




【土煙】




薬売り「…………ふぅ」




【脱兎の如く】




 「脱」――――兎が蹴った駆け足だけが、最後の音であった。




【来たる】


【――――暁七つ】






薬売り「いやぁ…………」


薬売り「にしても…………」


薬売り「なんと言いましょうか…………」


薬売り「存外に…………”良い話だった”と言いますか…………」



 兎は、本当に瞬きをする間もなく、闇夜に消えた。
 その地には、兎が掘った穴と、兎が蹴った痕しか見えなかったと言う。

 そして一人残されし薬売りは……月を見上げながら、ポツリ言葉を呟いた。
 傍から見ればまるで、月に語り掛ける、面妖なうさんくさい男が一人である。
 しかしそれは――――確かに”会話”であったのだ。



薬売り「”守る為に逃げる”ですか……確かに、少々わかりづらいでしょうな」

薬売り「ですがその理は、確かに繋がっていた……兎の、嘘偽りなき真と」



 薬売りは語った。
 玉兎の秘めし思い。決意。そしてそこから伴う行動が、やや”分かりにくかった”事を。
 しかし幸運にも、兎が話し上手であった為か。
 その理は、最後には”理解足り得る物”であった事も。



薬売り「臆病な兎だから……いや、臆病な兎だからこそ、辿り着く事のできた兎の理」

薬売り「だったのかも知れません……ねぇ?」



 理解足り得るが故に、結ぶことができたのだ。
 兎なき後の永遠亭の、あってはならぬ”怪”を排除する役目。
 「モノノ怪を斬り払え」――――薬売りにしか託せぬ、兎の命である。



薬売り「そう、思いませんか…………」



 だからこそ、だろうなぁ……
 如何に見聞に長けた兎とて、よもや、露も思わなんだろう。

 




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 その薬売りが、まさか――――先に”モノノ怪と手を結んでいようとは”。





メシ




(ハァ――――……ハァ――――……)



【同刻】



(ハァ――――ハァ――――)




【兎側】




「ハァ――――ハァ――――ッ!」



【止】



うどんげ「あ”~……」




【竹林の境にて】




うどんげ「喉……渇いたぁ……」




――――ウサギは、あっという間にゴールまで到着しました。
 馬より速いと評判のウサギの瞬足を持ってすれば、どこであろうと、辿り着くのはいとも容易い事だったのです。


 ですが最終的にその脚は、カメより遅い鈍足となってしまいます。
 瞬足にかまけ、あろうことか、ゴールの手前で居眠りをしてしまうからです。



うどんげ「またあんたなの……」




 ウサギがのんきに熟睡している間に、カメはウサギを抜かし、結果カメはウサギより早くゴールに辿り着きました。
 そうです。これは所謂「ウサギとカメ」。
 このまさかの結果に終わった事で有名な、ウサギとカメのかけっこですが……
 実はこの話には、続きがあったのはご存じでしょうか。


うどんげ「…………」


 負けたウサギはその後どうなったのか。
 勝ったカメは何を得たのか。
 勝者と敗者。栄光と挫折。
 この相反する二匹が辿る、数奇な運命とは一体――――


うどんげ「…………」



――――知りません。
 むしろこっちが聞きたいくらいです。
 話し手はまだ、続きを読んでいないですから。 



うどんげ「ってオイ」





 だって……しょうがないじゃない。
 読もう読もうって言ってたくせに、今やすっかり忘れちゃってるんだから。


うどんげ「っさいな~、あんときゃ勉強で忙しかったのよ」


 だったら、最初の行先は人里で決定ね。
 頼めば一冊くらい、貸してくれるかもよ?


うどんげ「バカね、なんでわざわざこんな夜更けに童話を読みに行かないといけないのよ」

うどんげ「あたしらと違って、人は夜眠る生き物なのよ。人里に向かうなら、その辺考えないと――――」



(ぐぅ~)



うどんげ「……」



――――とか言いつつも、やっぱり最初の行先は人里でした。



うどんげ「……食料よ! 食料の調達に行くのよ!」

うどんげ「ほら、腹が減ってはなんとやらって言うじゃない!? ていうか、そもそもまだなんも食べてなかったし!?」


 はいはい、そういう事にしてあげる……
 別に、どうとでも言えばいいんです。
 どんな屁理屈を述べたって、結局は意味がないんだから。
 いくら言い訳を並べたって、結局は筒抜けなんだから。



うどんげ「ほら、行くわよ…………”一緒に”ね!」



 だって、あたし達はずっと一緒なんだから。




うどんげ「……でも」


 でも?


うどんげ「許されるなら、まだ……」

うどんげ「あんたさえよければ、もうちょっと、あと少しだけ……」



 あ~……


 ……どうぞ、ご自由に。



うどんげ「…………」



 優曇華は、体を前にしたまま、首だけでくるりと振り返りました。
 そしてしばしの間、夜のくらぁい竹林を、じ~っと見つめ続けていました。


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 じぃ~……ちょっとだけと言う割には、結構な間です。
 やっぱりこいつは、嘘つきだと思いました。



うどんげ(さよなら……あたしの永遠亭……)



 でも、「別にいいんじゃない?」って感じです。
 もう互いに、目を逸らし合う必要はないんですから。
 誰にも言う必要はないんです。
 その時の優曇華が何を考えていたのかは、あたしだけが知ってれば、それでいいんです。



うどんげ(さよなら……あたしの故郷だった場所)






 思い出を過去に。未来を眼に。
 これから兎は、ご自慢の逃げ脚で、どこまでも走り続けます。
 


うどんげ(さよなら…………永遠と思ってた今)



 時に疲れてしまう事もあるでしょう。
 時には脚を止め、休息に浸る事もあるでしょう。 
 それらと同じく、もしいつか、今のように振り返りたくなる時が訪れたなら……
 いつだって、目を合わせてあげるつもりです。



うどんげ(さよ…………なら…………)



 だって、あたしはあなた。あなたはあたし。
 鈴仙と優曇華は、どっちも同じ、兎なのだから――――。




うどんげ(――――)




――――そして今から、始まるのです。







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 新しい二人のk






――――





――











【鈴仙・優曇華院・イナバ】×







薬売り「…………」



 薬売りは兎が去りし後、立ち上がる事すらせぬままに、じぃ~っとその場に座し続けておった。
 喋らず、動かず、瞼すら開かず。
 兎去りし夜の竹林にて、ただ、静かなるままに……


 ……何? この時薬売りが何を考えていたかだと? 
 知るか。どうせ眠くなったから目を閉じたとかそんな所だろう。
 というか、わかるわけがなかろう……身共とこやつは、赤の他人なのだから。



薬売り「……逝ったか」



 ああでも、一つだけわかるぞ。
 ……いやだから、薬売りの事ではないと申すに。
 そっちじゃなくて、身共が言いたいのは、ここの”面子”の事よ。



薬売り「ではこちらも……そろそろ、参りましょうか」



 ひーふーみー……ほれ、おぬしらもやってみよ。

 よいか、最初に面子は「六」人おったのじゃ。
 そして後に「三」人がいなくなり、「一」人は無関係とわかり、たった今「一」羽が逃げ出した。
 ならば残りし数は何とならん。

 如何に平民風情とて、このくらいはできるであろう?







【八意永琳】×

【鈴仙・優曇華院・イナバ】×

【蓬莱山輝夜】×

【八雲紫】×

【藤原妹紅】×





 ま、と言うわけで、残りし数は後一人……いや、一羽じゃな。





【残】因幡てゐ



 

 果たしてこの最後の因幡兎は、一体どんな因果を抱えておるのやら。
 してその因果は、一体どのような形でモノノ怪と結びついておるのやら。
 目玉を形作るモノノ怪は一体何を見据え、薬売りはその視線に、一体いかような理を見出したのやら。
 


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 全てが明らかとなる時は近い。
 ではでは皆の衆。
 直に訪れる終幕を、努々見逃すことなかれ――――。
 



【突入】



【寅の刻】




薬売り「残る因果は――――”後一つ”!」





                         【後編へつづく】







【御知らせ】

またしても書き溜めが尽きました
なのでしばらく休みます
感覚は前と同じくらいだと思います
例によって、再開の目途が立てば報告しにきます
一応次の再開で完結する予定です

ではではそういうわけで、しばし御免




――――問題は、まだ誰も見ていない物を見る事ではない


    誰もが見ているのに


    誰もが考えなかった事を考える事である――――
  


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【ギイ】


 草木も眠る丑三つ時。
 家々から明かりが消え、人々は寝静まり、安らかな吐息に包まれる時間。
 それらを生むが、すなわち、闇――――
 夜と名付けられた闇は、一時の休息を齎すと同時に、とある目覚めを呼び覚ますのだ。


https://i.imgur.com/7ocVFIy.jpg




【ギイ】


 人々はその闇夜に目覚める存在を、妖と名付けた。
「人が寝静まる頃に目を覚ますのだから、やはりそれは、人ならざる存在なのだ」。
 実に人間本位な理屈である。
 だがその理屈は、あながち間違いではない。


https://i.imgur.com/V1YYzOs.jpg




【ギイ】


 妖は、往々にして怪を成す。
 程度の差は万別なれど、人の理から大きく外れた妖の理は、やはり人からすれば奇怪そのものなのだ。
 いつしか人々は、その怪を書物と言う形で残すようになった。
 妖の存在を認め、妖の存在を受け入れたのだ。


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 だがそれでも人々は、最後まで認める事はなかった。
 「妖は常に我らと共にある」。
 しかしながら、いくら歩み寄ろうとも――――”決して相容れぬ存在である”と。



「…………おっ」



 草木も眠る丑三つ時。
 この世ならざる存在が跋扈し始める、妖の刻。
 しかしその妖ですら眠りにつく、真なる静寂の刻がある。


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 その名も――――【寅】の刻。
 この世の何もかもがいなくなる刻。
 全ての存在を食らうが如き刻。
 偶然か必然か、寅を冠するその名は、まさにおあつらえ向きであろう。











「…………」


https://i.imgur.com/Ln3HLjQ.jpg



 そんな、誰しもがいなくなるはずの、無常の刻の最中……
 その場にはただ一つだけ、足音を擦りながら潜む、一つの影があった。



「…………ははぁん」


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 影は、かのような夜更けにも関わらず、明かりもつけぬままに歩を進めておった。
 その様はまさに忍び足。
 音を立てまいと必死に忍びつつも、やはり少しばかり漏れる足音は隠せない。



「なんか……意外な形してるわね」


「まぁ……いっか」



 ギィ……ギィ……闇に鳴る小さな音。
 してその音を鳴らす、小さな影の正体とは――――




(いただき…………まーす…………)




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「…………う”ッ!」



【詰】




「う”っ…………ん”っ…………ぐぅ…………ッ!」




【積】




「う”…………」




【摘】

 


「…………んんんんま”ッ! 何これ!?」



「――――超”旨い”んですけど!」




【舌鼓】





「ちょ、ほんとうまい! ヤバイヤバイ、マジ止まんないって!」


「こんな事なら皿持ってこればよかったわ――――”みんなにも”ちょっと分けてあげたいくらいよ!」


 口いっぱいに広がる旨味は、影本人も想定外だったのであろう。
 予期せぬ舌鼓に、最初の警戒も何のその。乱雑に鷲掴みにしたあげく、一心不乱に食し始めたのだ。
 ガツガツ、ボリボリ、ゴリゴリ……静寂であるはずの刻に食の音がなる。
 さながら腹をすかせた猛獣のように、食にありつくその姿は、まさに寅の如くである。 


「さすがお師匠様だわ……まさか、”食べれる薬”だったなんて」


「なんて、なんて画期的なアイデアなの!」


 影は、人知れず感動していた。
 伸ばす手が止まらぬ程に旨い薬。
 しかもその効能が、自身が長年追い求めていた”薬”だったとあらば、その感動はさらに倍増である。
 

「だめよあたし、耐えるのよ。これ以上はきっと、もう……」


「一つだけ! 後一つだけ…………やっぱ無理!」



 誰もがいなくなる寅の刻。
 妖すらも眠る闇夜に、ただ一つ、身を震わしながら食にありつく影が一つ。

 しかし影は、舌鼓にかまけすっかり忘れておった――――
 いくら旨かろうと、所詮薬は薬。
 薬を服用する事は、決して「食べる」とは言わない事を。





(ダメですよ……そんなにがっついちゃぁ……)



「――――ッ!?」





 そんな当たり前の忠告が、影の耳に届いた――――その時。





(薬は……用法、用量がキチンと決められているのですから……)





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 「あんぎゃあ――――……」
 静寂は、絶叫にかき消された。





薬売り「おや……」


【反転】


てゐ「あ、あひゃ、あひゃあ……」


【半天】


薬売り「大丈夫……ですか?」


 次の瞬間、その場に影はいなくなった。
 影は盛大にひっくり返った後、その勢いで持って、偶然にも近くの明かりを灯したのだ。
 そして影は露と消え、代わりに現れたるは――――奇怪にも頭と足が逆さになった、「妖兎」の姿であった。


てゐ「おば、おば、おばおばちんどん屋ァッ! い、一体どっから湧いて来てんのよ!?」

薬売り「そちらこそ……あっしは最初から、ここにおりましたが?」

 
 そして、ついに姿を現したる妖兎は、起き上がると同時に溢れんばかりに言葉を放つ――――ありったけの「文句」を載せて。
 まぁ正直、「またか」と言った所である。
 薬売りに文句を垂れる者は、何も妖兎に限った話ではないのだ。
 

薬売り「いえね、足音が聞こえましたので、”明かりがついたら”声をかけようと思ったのですが……」

薬売り「姉弟子様が、いつまで経っても、明かりをつけないもので……」

薬売り「故に、声をかける機会を……失ってしまった次第で……」


 薬売りの悪い癖だ。こやつはいつも、本当に唐突に現れよる。
 このやりとりはもう幾度となく見せられた事やら……もはや思い起こすのも億劫である。
 と言うわけで、夜更けが織りなす雅な静寂は……この相も変わらずな薬売りのせいで、文字通り台無しとなったのだ。


薬売り「むしろ、こちらの方がお尋ねしたい――――”何故に明かりをつけないので?”」


 今回の弁明は曰く、「声をかける機会がわからなかったから」と言う事らしい。
 ただでさえ暗い亭の中。さらにはその中で、明かりもつけずに忍び足を擦っているとあらば、まぁそうなる気持ちもわからんでもない。


てゐ「何故もなにも……あんたさぁ、空気読めないって言われない?」

薬売り「空気……ですか?」


 にしても……こいつに限っては、やはり”わざと”だったと、身共は断じよう。
 だって、そうであろう?
 いくら暗がりとはいえ、そこで誰が、何をしているかなど……薬売りだけはハッキリとわかっていたはずではないか。


てゐ「ったくもう……まじで……心の臓が飛び出るかと思ったわよ……」

薬売り「床が、汚れてしまいましたな」

てゐ「おかげさまでね。口ン中おもっきし吹き出しちゃったわよ、このアホンダラが」

薬売り「ご心配なく……後ほど、雑巾を御貸ししますので」

てゐ「――――お前が拭けよ!?」


 まぁ……薬売りの倫理感など、所詮はこの程度である。
 そういうわけで、だ。
 床に散らばった吐しゃ物は「誰が拭くのか」など、そんな事はどうでもよいのだ。
 肝心なのは――――この妖兎が”何を吐いたのか”にかかっているのである。



【零】




てゐ「……で、いつ戻って来たの?」

薬売り「つい先ほど……ちょうど、寅の刻を過ぎた頃合いでしょうか」

てゐ「あっそ。じゃあ……”先にうどんげと会ってきた”わけね」

薬売り「ええ……まぁ……」


 そう、この目前における、至要たる事実は決して忘れてはならない。
 この妖兎・てゐは此度の騒動に置ける唯一の生き残り。
 モノノ怪の神隠しを逃れし唯一の存在であり、なおかつこの消失劇を”他人事”のようにふるまい続けたあの態度は、決して忘れてはならない事実なのである。


てゐ「で…………うどんげは」

薬売り「行きましたよ……一足先に、ね」

てゐ「……あっそ」


 薬売りは慎重を期すかのように口数を減らした。
 それはやはり妖兎が、この期に及んでまだ態度を変えぬ事に一因する。
 その証拠に……薬売りの返答に対する妖兎の様相は、やはり顔色一つ変えぬままであった。
 悲しむでもなく喜ぶでもなく……同胞の兎が”どこに行った”のかなど、おのずと想像がつきそうな物なのに。


てゐ「あいつもバカよね。逃げるつもりで飛び出して、逆に取っ捕まってりゃ世話ないわ」

薬売り「見ておられたのですか……?」

てゐ「ハハ、違う違う――――想像よ」

てゐ「あいつがなんで逃げ出そうして、どんな決意で逃げて、んでどこで転んでほえ面下げたか……なんて」

てゐ「ほんともう、手に取るようにわかるわけ」


 そして薬売りは確信するに至る。
 やはりこの妖兎は、”全てを知っている”。
 先ほど玉兎が見せた、玉兎の中だけにある闇。
 してその闇に解を示す、真と理と――――


https://i.imgur.com/ZcU67Vs.jpg



薬売り「してその心は……」

てゐ「そんなの簡単な話よ」

てゐ「あいつ――――”バカだから”」

薬売り「…………」



 さらにはそれのみならず――――永琳、妹紅、姫君。
 彼女らが如何様な理を持ち、そして何ゆえにモノノ怪に狙われるに至ったか。


https://i.imgur.com/cltz2Fb.jpg


 妖兎は全てを知っている。
 故に深入りを避けた。
 それは――――”モノノ怪の獲物に自分が入ってない”と、密やかに確信していたから。
 もはやそうとしか考えられないのだ。



【確信】




てゐ「だってあいつ、まじバカじゃん? ”この薬”の事だってそう……」

てゐ「そもそも……誰も……蓬莱の薬だなんて……」

てゐ「一ッ言も! 言ってなかったのにさぁ!」


(――――蓬莱の薬は、絶対に知られてはいけなかったのに!)


薬売り「確かに、貴方様は「知られてはいけない薬」の事など、一言も漏らしていなかった……」

てゐ「なのに勝手に勘違いして、襲い掛かってきて、発狂ついでに全部ゲロってんの」

てゐ「言ってはいけないはずの秘密を、自分から……しかもみんなに聞こえるくらいの大声でね」


 そう言う妖兎の語りは、やや恨み節のようにも見受けられた。
 それはやはり、先刻の玉兎との痴話喧嘩が起因であろう。
 あの時は、薬売りを尻目に随分と派手な弾幕が飛び交っていたが……その原因が”玉兎の勘違い”であったとあらば、そりゃまぁ腹正しいであろう。
 喧嘩両成敗とはよく言うがな。あの場に限っては、妖兎は一方的な被害者であったと言えようて。


てゐ「正直まだヒリヒリするんわ。あのバカ、マジで弾幕ぶっ放してきやがったかんね」

薬売り「災難……でしたな」

てゐ「ほんとほんと、とんだ災厄兎よね」

てゐ「月の兎だかなんだかしんないけど、新参者の分際で無駄に偉そうだし」

てゐ「拾ってやったのに感謝しないし。アホの癖にやたら賢ぶるし……」


薬売り「……」


てゐ「勘違いを認めないし、謝らないし、詰めたら発狂しだしてめんどくせえし」

てゐ「ていうかそもそも、なんでタメ口なのこいつって話だし?」


 よほど溜まる物があったのか、妖兎はよい機会だと言わんばかりに、あらゆる愚痴を綴り続けた。
 妖兎の玉兎に対する悪態は個人的な不満でありながら、そこまで的外れでもなかったのは流石である。

 そんな妖兎からすれば、玉兎の失敗に終わった脱走は「ざまぁ見晒せ」と言った所であろう。
 相手の失態をあざ笑う趣向は、この妖兎の大好物である事を薬売りは知っている。
 しかし薬売りは、煽り建てる妖兎の口調から――――”一筋の本音”を感じ取った。



てゐ「あんなバカでアホでトラブルばっか起こす問題兎…………”外に出しちゃダメ”」

てゐ「そう、思わない?」



 悪態と嘲りの末に、導き出された結論――――
 それは此度のモノノ怪騒動と、同じであったのだ。



【籠の中】




薬売り「とどのつまり……貴方もまた、最初から知っていたのですね」

薬売り「あのうどんげの中に御座す――――もう一つの影の事を」


【物問】


てゐ「知ってるも何も、見るだけでわかるっつーの」

てゐ「あいつをここへ運んだのは、他でもないあたしよ? この竹林のど真ん中でぶっ倒れてた、見知らぬ謎の長身兎」

てゐ「しかもしかもいざ亭へと運んでみれば、なんとお師匠様のお知り合いだって言うじゃない」

てゐ「んなの……どー考えても”ワケアリ”なの、丸出しじゃん?」


 妖兎は語る。
 あの竹林で行き倒れた玉兎を最初に発見したのは、他でもない自分である事を。
 次いで語る。
 身なり、経緯、生活態度、その他諸々……
 同じ兎と括られる事が多い二羽の間で、あまりにも相違点が多すぎる事を。


てゐ「むしろ、わかんない方が不思議って感じ」

薬売り「見るだけで……ですか」


 そして最終的に結論付けた。
 単なる性格の違いと片づけるには、どうにも理屈が合わない。
 よって「こいつには何かある――――」そう察するのは自然な成り行きであると。
 してその察しは、結果として大正解であったのだ。


てゐ「ついでに言っとくけど、あんたが”うどんげに何をしたか”も想像つくわよ」 

薬売り「ほぉ…………してその心は」

てゐ「気持ちよかったでしょ? あいつ、かしこぶってるけど基本バカだし」


てゐ「――――”獲物が狙い通りに罠にかかる姿”なんて、愉快痛快もいい所よね」


薬売り「…………」


 このように、妖兎はやたらと”察する力”に長けていた。
 それは月とは違う、地上の兎であるが故なのか。
 はたまた出生など関係なく、この妖兎だけが持つ特技であるのか……
 とかくいかような経緯であろうと、そこは臆病で非力な兎。
 食われる立場の多い兎からすれば、それは紛れもない「長所」と言っても差し支えないであろう。




てゐ「最初は新参者の癖に生意気だから懲らしめてやろうって、ただのそれだけだったんだけど」

てゐ「おもしろいくらい引っかかるから、なんかもう、いつの間にか病みつきになるくらいハマっちゃって……」

薬売り「向こうからすれば、災難そのものでしょうな……」

てゐ「そんなのお互い様よ。だから、あんたの気持ちも、よーくわかる」

てゐ「高飛車で偉そうで思わせぶりな素振りしてる奴を……”一発引っかけたくなる”その気持ち」

薬売り「…………」


 しかし薬売りにとっては、その長所は壁でしかなかった。
 妖兎のやけに鋭い「察し」の前に、薬売りの企みは、明らかに発覚していたのである。


(――――だったのかも知れません……ねぇ?)


 そう……先刻、薬売りは確かに、玉兎を”ハメ”たのだ。
 言葉巧みに理を聞き出した挙句、果てにその理が、不要とわかるや否や――――まるで、紙屑を屑籠に入れるように。
 

てゐ「おあつらえ向きじゃない。残り物には福があるってね」

てゐ「てなわけで……続きしよっか。ちんどん屋」

薬売り「続き……?」


 同じ兎がそんな目にあわされたとあらば、ただでさえ臆病な兎の猜疑心を揺り起こすのは必須。
 そしてそんな悪行をしでかした薬売りの人となりは、こうしてすでに発覚し終えている。
 しかも不幸な事に――――よりにもよって”最後に残した一羽に”である。


てゐ「ほら、余計なチャチャ入って中断してた……」



てゐ「――――【弾幕勝負】の続きをよ」



薬売り「…………」


 薬売りは、妖兎の問いかけに応ずることなく、そっと瞼を閉じた。
 それは心を落ち着けんが為。
 強いては妖兎の嘲りに、心乱され隙を見せぬ為である。



てゐ「ゲロさせてみなさいよ。ほら――――”うどんげの時みたいに”さ」



 薬売りにとってはまさに、ここが正念場であった。
 モノノ怪へ至る各々の理。その最後の一つが、こうして明らかなる対峙の姿勢を見せている。
 さもあらば、この妖兎を攻略せぬ限り、モノノ怪へと辿り着けぬが同義である。


https://i.imgur.com/wBeFKtu.jpg


 避けて通るはもはや不可能なこの状況――――
 仮に如何なる不足があろうとて。
 よもや、しくじる事など、許されるはずがなかったのだ。



【夜明けの番人】





てゐ「何よ、何今更ビビってんのよ」

てゐ「あんときゃノリノリで刀突き立てて来たじゃない――――”あたしをモノノ怪と思って”さ」


 薬売りは、しばしの間押し黙った。
 口を閉じ、眼を閉じ、座を保ったまま、妖兎の煽りに堪えておった。

 まぁ……迷っておったのだろうな。
 「この圧倒的に不利な状況を、以下にして乗り切らんか」。
 まさに難題を突き付けられた、貴公子さながらである。


てゐ「何を迷う? 単純な話じゃない」

てゐ「あたしとの弾幕勝負に勝てたら、全部吐いてあげるつってんの」


 しきりに弾幕勝負にこだわる妖兎の姿勢。
 薬売りにとっては慣れぬ文化であろうが、この幻想郷ではこれが当たり前なのだ。

 弾幕勝負――――弾幕で決着をつけ、弾幕で持って白黒をハッキリさせる、弱肉強食の如き絶対の掟。
 妖らしい、実に野蛮な掟である。だが必要な掟であるのもこれまた事実。



てゐ「でも、万が一あんたが負けたら…………」


てゐ「負けたら……負けようものならば…………」



 此度の対峙も、まさにその範疇であろう。
 弾幕至上主義の幻想郷の理。
 それはこの地に足を踏み入れた以上、何者であろうと、一切の関係がないのである。



てゐ「…………ごめん、あたしが勝ったらどうするか、そこ考えてなかったわ」



【度忘れ】



薬売り「…………」

てゐ「ごめんごめん、ごめんって! そうよね、これじゃあ決闘が成立しないわよね!」

てゐ「だからぁ~…………えっとぉ…………」

薬売り「…………」


 そしてその掟は、以下の契りで終結する。
 「――――弾幕勝負は、勝者が敗者のスペルカードを奪い取る事ができる」。
 もう一度言うが、これは幻想郷そのものの理である。
 よって、妖兎の提案は至極真っ当。妖兎はあくまで、この世の理に従っただけにすぎない。



【幻想郷――――之・理】



 故に、薬売りに拒否する権利などあるはずがなかったのだ。
 如何に不利であろうと、受け入れる以外に術はなかった。



てゐ「――――わかった! じゃあ、こうしましょ!」



 その結果が、齎した物は――――



https://i.imgur.com/meOQIXg.jpg



てゐ「あたしが勝ったら――――”退魔の剣を貰う”」


てゐ「どう? これで対等な条件じゃない?」


薬売り(こいつ…………)



 薬売りの勝機を、さらに狭めた。



【籠の中の鳥】





てゐ「そりゃそーでしょ。あんたの持ち物でスペカに相当する物って、ソレしかないじゃない」

てゐ「モノノ怪を斬る事ができる唯一の剣……だっけ? 唯一無比の価値だからこそ、勝ちの証に相応しい」

てゐ「違う?」


 妖兎の謀りは留まる事を知らず、確実に薬売りを追いつめつつあった。
 一見すると平等な賭けの提案であるが、当然その腹に平等の二文字などありはしない。

 地の不利。弾幕の不利。理の不利。能力の不利――――
 あらゆる状況が、すべからく妖兎の味方をしている事実。
 「妖兎の提案が、確かな勝算に基づいている」。
 如何に夜更けであろうとも、そんな露骨な打算に気づかぬ程、未だ薬売りは呆けていなかったのだ。


薬売り「一つ、お聞きしたい……」

てゐ「あ? 何よ」

薬売り「この退魔の剣を指定すると言う事は……万一あっしが負ければ、もはやあっしにモノノ怪に対抗する術がなくなると同義」

薬売り「そして、術がなくなる事で……”得をするのは一体誰か”」

てゐ「まどっろこしいなぁ。一体何が言いたいわけ?」

薬売り「貴方はやはり、モノノ怪の正体に気づいている……そして”全てを知った上でモノノ怪を庇おう”としている」

薬売り「あっしに斬らせない為に……退魔の剣を奪い、モノノ怪すらも永遠の一部にする為に」


 うむ……身共も薄々感じていたが、やはり薬売りもその結論に達したか。
 これまでの妖兎の態度から察するに、妖兎も”モノノ怪側”であったと断じざるを得ないのだ。
 それが如何様な理か、推し量る術はない。
 しかしやはり、妖兎の今迄の軌跡を振り返るに……”モノノ怪に組していたから”と考えれば、全ての合点が通ってしまう。

 
てゐ「何……探り入れてんの?」

薬売り「いえ、滅相もない……しかしそう感ずる程に、貴方の行動は不振に塗れていたのもまた事実」

薬売り「差し支えなければ……理に触れぬ範囲で結構ですので、お教え願えませんか?」

薬売り「貴方の行動が……”一体何に沿った行動であったのか”を」


 それは、今の薬売りにできる、精一杯の足掻きであった。
 かつて数多の「真と理」を白日に晒してきた薬売りが、今や懇願する事でしか知る術がないのだ。
 こうなれば、よもや……妖兎が上手い事、口を滑らす事を願うばかりである。


――――しかし




てゐ「ちんどん屋さぁ……”シュレディンガーの猫”って知ってる?」


薬売り「猫……?」



 かのようなか細い稀など、往々にして起こるはずもなく――――
 妖兎の口から、またも新たな謎が生まれたのだ。



【理論】

夜中また来る



てゐ「あのね、とある猫を箱の中に入れて、一緒に50%の確率で毒になる餌を入れたのね」

てゐ「その状態で丸一日くらいほったらかしにしました。さて、では箱の中の猫は生きてるでしょうか、死んでいるでしょうか……って奴なんだけど」

てゐ「聞いたことない?」


 妖兎は薬売りの問いかけに、問いで返すと言う手段を取った。
 しかもその問は何ら関係のない問い。話題逸らしもいい所である。
 ううむ、やはりそこは謀り上手な妖兎。そう簡単に、尻尾は掴ませてくれないか……


https://i.imgur.com/jCqGQe1.jpg


 ……で、結局その「すれてんがーの猫」とやらは生きているのか? 死んでいるのか?


薬売り「……その時の状況によりますな」

てゐ「お、なんか新解釈」


薬売り「50%の確率で毒になるならば、運がよければ毒にならずにすむ可能性もある」

薬売り「それ以前にそもそも猫は腹をすかしておらず、一日程度なら餌を口につけないかもしれない」

薬売り「それにその箱の中に入れたと言う状況……その箱がどのような箱だったのかで話は変わる」

てゐ「おお、なんかドンドン深い話に」


薬売り「箱の中は快適な小屋だったのか、はたまた粗雑なただの物入れだったのか……」

薬売り「そして猫は、飼い猫だったのか野良猫だったのか」

薬売り「言い換えれば、”飼い主”に入れられたのか、”見知らぬ人間”に入れられたのか」

てゐ「ははーん、なるほどなるほど……」


薬売り「猫は箱に入れられる事をどう感じていたのか。それによって、結果は随分と左右されましょう」

てゐ「で……つまり?」



薬売り「――――”開けてみるまでわからない”。これが答えとなりましょう」


 な……なんだその答えは!  
 「開けてみるまでわからない」って……そんなもの、誰だってそう答えるわ!
 新たな頓知だと思い少し考えてしまったではないか……ったく。
 妖兎も妖兎だ。素直に話を逸らせばよかろうに、よりにもよってこんな思わせぶりな台詞を吐くなどと……


てゐ「あー、結局そうなるわけ……」



 ……ん? 思わせぶり?





てゐ「これはね、実はちゃんとした答えがあって」

てゐ「開けてみるまでわからないってのは正しいんだけど……この問に関して”だけ”で言えば、残念ながらハズレなのね」

薬売り「して……その心は」


てゐ「正解は――――生きてもいるし、死んでもいる状態」


てゐ「つまり、”生死が同時に起こっている状態”が答え……ってわけ」


薬売り「……えっ」


 ……はぁ? こやつは一体何を言っているのだ。
 生死が同時に起こるだと? おいおいバカを言うな。
 毒を食らわば猫は死ぬし、食わねば無事生き残る。
 答えがどちらかこそ開けてみるまでわからぬが、結果はどちらか”片方しかない”のは明白ではないか。


薬売り「受け売り……ですか?」

てゐ「鋭いわねちんどん屋。そーよ、これはお師匠様から聞いた、ただの丸暗記」

てゐ「”りょーしがくりきろんに基づくしそー実験”って奴らしいわ。正直、あたしもちんぷんかんぷんなんだけどね」

薬売り「それがモノノ怪と……何の関係が……」

てゐ「その話は、いつぞや、うどんげといた時に聞いた話だった」

てゐ「うどんげはわかったフリしてウンウンうなづいてたけど、その実全然わかっていなかった」

てゐ「だからちょっと突っ込まれたらアッと言う間にボロを出して……って、そこは関係ないわね」


 ぬぬ……これが月の英知の片鱗か……
 何が何やらさっぱりわからぬが、永琳直々の教授ならば、それは確かなる一つの論理なのだろう。
 むぅ……修験ではなく、学者にでもなるべきだったかのぅ。
 さすれば今頃、身共も賢者と讃え呼ばれておったやもしれぬのに。


てゐ「でも……あたしは何となく、こう……理屈じゃなく、感覚でわかった」

てゐ「なんとかかんとか論とか、小難しい事は一切わかんないけど……でも”確率”の事を言ってるんだってのは、すぐに理解できたの」

薬売り「確率……?」


【学論】


てゐ「こう見えて、昔から”確率計算”だけは得意でね。ま、使う機会のない特技なんだけど」

てゐ「でもその分、何かに例える事が出来る」

薬売り「差し支えなければ……お教え願えませんか」

てゐ「そうね……あんたっぽく言うと……」



【――――確率之・理】



てゐ「と、言った所かしら」



てゐ「確率は、不確かなようでとある理に沿って動いている」

てゐ「そしてその理は、人には決して理解できない理」

てゐ「理解できないけど、確かに存在する理。全てが異なる独自の理」

てゐ「なのにその理は、時として現実世界に影響を及ぼす」

薬売り「それは……」

てゐ「これって……あんたの言う”モノノ怪と同じ”じゃない?」


 まったく、何を小難しい事を言い出すのだと思ったが……「理解できずとも問題ない」とわかれば一安心だ。
 すれてんがーの猫とやらは、要は例え話。
 確率が持つ独自の法則が、モノノ怪の生態と酷似すると、妖兎はそう言いたかっただけに過ぎないのだ。
 

てゐ「お師匠様は、この確率が起こす矛盾を、こういう風におっしゃったわ」


てゐ「――――”確率は観測される事で初めて一つに集約される”」


薬売り(観測……)

てゐ「これがその、りょーしなんとか論の結論らしいわ……まぁ、そっちはさっぱりわかんないけど」


【理屈】


てゐ「でも……最初にその剣の抜き方を聞いた時、あたしはピーンと閃いた」

てゐ「退魔の剣が【形と真と理】を必要とするのは――――このシュレディンガーの猫と同じなんだって」


 しかしながらその例えは、実に興味を引く話であった。
 箱の中の猫云々は存ぜぬが、確率の話ならば身共もわかる。
 要は、「丁半博打」の事を言っているのだろう?
 ふふ、懐かしいのぅ……身共も若かりし頃、夜な夜な街に繰り出しては博打に明け暮れたものよ。


てゐ「退魔の剣を抜く事は、猫の入った箱を開けるのと同じ事……見えない世界にいるモノノ怪を、観測することで一つの結果に表す事と同じ」

てゐ「だから斬る事ができる……いや、”斬ると表現”する事ができる」


 そういえば、この薬売りは博打を嗜むのかのう。
 なさそうだな……なんとなくこいつは、そう言った運否天賦とは無縁な気がするよの。
 ま、元々が薬売りである故な。こやつは理に沿ってのみ動く「お堅い」人種と言えよう。

 だからこそ、疑問に思うはずだ。
 薬売りが持つ退魔の剣。と、その所以。
 何故に剣は、形と真と理を求め、何故にモノノ怪を斬る事ができるのか。


 
薬売り「この剣が……観測を……?」


 ひょっとしたら、妖兎の説は図星だったのかもしれん。
 今だからこそ言うが、身共もほとほと不思議に思っていたのでな……
 あんな摩訶不思議な刀、一体どこで手に入れたのやら――――そして如何様にして、抜き方を知ったのか。


https://i.imgur.com/8aBMcb2.jpg





てゐ「あんたの言う通り、結果は開けてみるまでわからない」

てゐ「でも言い換えれば、開けてみるまで”確率は無数に存在している事になる”」

てゐ「だから、生きてもいるし、死んでもいる状態……そんな矛盾が、確率の世界では往々にして起こる」


【確率解釈】


てゐ「その剣は、そんな矛盾を紐解くことができる。矛盾を観測することで、一つの事象に表す事ができる」

薬売り「この剣が…………確率を…………?」

てゐ「だから、退魔の”見”。もしかしたらそれ……刃はついてなかったりして?」

薬売り「…………」


 ひょっとして……知らなかったのか?
 おいおい頼むぞ薬売り。自分の得物を昨日今日会ったばかりの兎に看破されたとあっては、今迄斬られたモノノ怪達が化けて出よるわ。

 妖兎の仮説は、今の所筋が通っておる。
 というか、たった一晩でよくぞまぁ……そこまで推察できた物よ。
 身共も全てを知るわけではないがの。
 身共の知る範囲の中では、今の所妖兎の説は、見事なまでに的中しておるのだ。


てゐ「その剣に顏みたいなのついてんのも、ひょっとしたらそういう事なのかもね」

薬売り「考えた事も……ありませんでしたね」

てゐ「アホ、薬売りなんだから自分の商売道具くらい知っときなさいよ」

薬売り「肝に銘じて……おきましょう……」

てゐ「まっ、でも――――”剣がなくても薬は売れる”わよね?」

薬売り(くっ…………)


 妖兎が剣を引き合いに出したのは、やはり謀りの範疇であった。
 得意な確率論とやらで結論を導き出し、その果てに「剣の取得が絶対条件である」と結論付けたのだ。
 そうなれば、いよいよ持って窮地である。
 かつて数多の真と理を紐解いてきた薬売りが、よもや……
 ”自分が解き明かされる側になろうとは”、一体誰が想像できたであろう。 






てゐ「わかる? 今のあんたから見たあたしは――――”モノノ怪でありモノノ怪でない”」

てゐ「仮にあたしがモノノ怪なら……退魔の剣を奪う事は、あんたから身を守る事と同じ」

てゐ「逆にあたしがモノノ怪じゃなかったなら……あたしはその剣を手にする事で、モノノ怪から自力で身を守る事ができる」


薬売り(その所以は……おそらく……)


てゐ「何故ならば、モノノ怪の理に最も近いのはこのあたし」

てゐ「どちらの確率も観測できるのは、最後に残ったこの因幡てゐしかいない」



【丁半】



てゐ「その剣を抜くのは――――あたしこそが相応しい!」



薬売り(自らの手で退魔の剣を抜こうと言うのか――――!)



 この妖兎……小さき成りで、とんだ食わせ物であった。
 かのような童さながらの姿から、如何様な怪奇極まる論理が飛びでよう等と、一体誰が予見できたであろうか。
 薬売りがしくじる姿を見るのは愉快ではあるがな。
 しかし、事はあまりにも……本当に、後一歩の所なのに。


https://i.imgur.com/dWuqAgV.jpg




てゐ「まさにシュレディンガーの猫ならぬ、シュレディンガーの兎?」

てゐ「箱の 中の 兎は いついつでやる――――ってか?」


 他の者にかまけ、不振とわかりつつ放置してしまったせいか。
 月の話に魅せられ、地上の兎に目を向けなかったせいか。
 薬売りは妖兎の煽り言葉を前に、実しやかに噛み締めておった――――この妖兎は”最後に回すべきではなかった”。

 タガの外れた妖兎は、もはや誰にも止める事が出来ぬ。
 何故ならば、妖兎を諫める唯一の存在……”八意永琳”。
 彼女はもう、とおの昔にいなくなってしまったのだから。


てゐ「――――さぁてちんどん屋ァ! おしゃべりタイムはもう終わり!」

てゐ「あたしってば、決闘の前にベラベラおしゃべりすんの、あんま好きくないのよね!」


 あわよくばを狙った薬売りの儚い企みは、こうして露も残らず消え失せた。
 これから決闘をする者同士、交わすべきは言葉でないのは明白である。

 ベラリ――――次の瞬間、妖兎は意気揚々と一枚の札を取り出した。
 その札こそが、この幻想郷に置ける決闘の合図。
 その名も「すぺるかうど」。
 妖兎の持つこの特有の符が、もはや待てぬと言わんばかりに今、薬売りの眼前に突き付けられていたのだ。


https://i.imgur.com/Q8ttjXJ.jpg




てゐ「【カード宣言】――――これからあたしは、この符であんたに弾幕を仕掛ける!」


てゐ「――――一つ! 妖怪が異変を起こし易くする為!」


てゐ「――――一つ! 人間が異変を解決し易くする為!」


 妖兎が数える掟は、薬売りに対する秒読みと同義であった。
 この秒読みが始まってしまえば、もう誰にも止める事はできない。
 再三に渡って繰り返すが、これはあくまで幻想郷そのものの理。
 よって始めると宣言した以上、勝敗を決することでしか、もはや逃れる道理はないのだ。



てゐ「――――一つ! 完全な実力主義を否定する為!」


薬売り「致し方…………ありませぬな…………」



 薬売りはポツリと諦めの言葉を吐いた後、懐に入れた退魔の剣に、そっと手を伸ばした。
 それは弾幕勝負に乗る事の表れ。
 妖兎が声高らかに告げる最後の理念が伝え終われば、次の瞬間、あの無数に飛び交う「弾幕」が、薬売り目がけて一斉に飛び込んで来るのである。

 それらを空手で捌ききれるはずもなく、薬売りもまた、弾幕で対応するしかなかった。
 札か、天秤か、はたまたイチかバチか――――”退魔の剣が抜ける事”に賭けるのか。
 如何様に対処するのかは、これから薬売り自身が決める事である。



てゐ「――――一つ! 美しさと思念に勝る物は無し!」


薬売り(くる…………!)



【来光】



――――幻想郷に置ける弾幕を用いた決闘法。通称「弾幕ごっこ」
 至る所で当たり前のように起きるこの決闘法であるが、此度の決闘は、ちと特殊であった。
 それは、対峙する片方が”幻想郷の住人ではない”と言う事。
 郷に入っては郷に従えと言わんばかりに、半ば強引に決闘へと引きずり込まれた、哀れな一人の対峙者である。



てゐ「さあ――――行くわよ!」



薬売り「…………!」



 そんな事情など知った事かと、幻想郷は、掟を容赦なく新参者に押し付けた。
 妖兎・てゐ――――この者の宣言によって、夜更けの晩に、一つの決闘が幕を開いたのだ。




(――――)




 そして決闘は、幕を開くと同時に――――




(………………えっ)





https://i.imgur.com/1Tif662.jpg






薬売り「――――参りました」





(ええええええええ~~~~~~~~ッ!?)




――――無事、閉幕を迎えた。



【投了】


本日は此処迄



てゐ「え、ちょ…………ええっ!?」

薬売り「いやぁ……さすが姉弟子様です。八意永琳の弟子だけあって、実に聡明で……」

てゐ「いやいや……」

薬売り「”お手上げ”ですよ、完全に……何をどうしたって、あっしに勝機など見当たりませぬ」


 ……阿呆かこいつはァァァァ! ぬぁ~にを潔く負けを認めておるのだ!
 しかもしかも、健闘の末に惜しくも及ばずならまだしも……やる前から諦めるとは一体どういう領分なのだぁッ!
 その宣言が何を意味するかわからぬはずはない……はずなのに……
 と言うかそれ以前に、男としてどうなのだ! そこはッ!


薬売り「だって……そうでございやしょう? 仮にあっしがその、弾幕勝負とやらに応じたとして」

薬売り「対面ならまだしも……”多勢に無勢”とあらば、どうして勝利を収める事が出来ましょうか」


 ぐう……なんと言う腰抜け……
 見苦しい言い訳にしか聞こえないが、まぁ……一応薬売りは薬売りなりの理由があるらしいので、一応聞いといてやろう。

 ウオッホン! では気を取り直して……
 薬売りは此度の決闘を「多勢に無勢」と言った。
 決闘なのに多勢とはこれ如何にと言った話であるが、要は、薬売りはちゃぁんと記憶しておったと言う事よ。


てゐ「……かぁ~、なんだぁ、バレてたんだぁ」

薬売り「ええ、そりゃ、もう……」


 降参した分際で爽やかな笑顔を見せる薬売りに、若干の怒りを今日この頃である。
 が、妖兎本人が認めるように、やはりそれは列記とした罠だったのだ。

――――パチン。薬売りの降参を合図に、妖兎が軽く指を鳴らした。
 そしてさらに、その音を合図に姿を露にする「妖兎の罠」。
 その正体は、その正体こそが――――妖兎の使役する、”兎の群れ”だったのである。


https://i.imgur.com/m165g5n.jpg




薬売り「やっぱりね」

てゐ「みんな、もう解散しておっけーよ。なんとこいつ、”始まる前に降参”しやがったわ」


 「解散」。妖兎の言葉を皮切りに、兎は兎らしく、可愛げに跳ねながら散っていった。
 その帰り際は、なんとなしに「肩透かし」的な哀愁を感じなくもない。
 まるで待ちぼうけを食らった妾のようである。
 でもまぁ、これでよかったのかもしれん……いかに行け好かぬ薬売りとて、知人が獣の供物となりて食われる姿など、見とうなかったのでな。


薬売り「いやはや、危ない所でした……あともう少しで、全身を齧り切られる所でしたよ」

てゐ「いや、別にそこまでするつもりはなかったんだけど……」


 妖兎の指示に忠実に従うこの兎共は、言わば妖兎直属の配下。
 玉兎とは違い、この妖兎は単身でありながら無数の分身を所持していたのだ。
 こうなればある意味、最初に因縁をつけられたのは「不幸中の幸い」だったと言うべきか……
 妖兎が【兎を操る力】を持つなど、あらかじめ見ておかねば、きっと気づけぬままであったろうて。


薬売り「あの時、あっしの札を竹毎齧り切った、凶暴な兎達……しかし兎とは、元来臆病な生き物」

薬売り「臆病なはずの兎が、何故にあの時に限りあれほど興奮していたのか……答えは実に簡単だ」

薬売り「誰かがそう指示したからです。あの時最も興奮していた”長”からね」



(――――このうさんくさいちんどん屋を全員で取り囲め~~~!)



 玉兎が乱す力を持つように、妖兎は兎を操る力があった。
 普段は雑用作業の延長線でしかない能力であるが、それ故に”いくらでも応用が利く”。
 これこそが月にはない力。
 当人の使い方次第で、如何様に便宜を図れる【地上の力】。


薬売り「こんな有効な手段、この場で使わぬ道理はなし」

薬売り「足を引っ張るもよし、盾になるもよし……従える兎の数だけ、いくらでも介入できる」

てゐ「だぁ~~~~もうわかった! そうです、そのとーりです!」

てゐ「インチキしようとしてましたごめんなさい! どお!? これで満足!?」


 妖兎の白状が、崇高な決闘を一個人の謀りへと変えた。
 あれほど掟だなんだと煽っていたにも拘らず、その実「虎視眈々」を狙う腹積もりは、逆に関心すら覚えると言う物よ。

 しかし問題は……こいつ。
 何やら意気揚々と妖兎の企みを暴いておるが、やってる事はただの腑抜けである。


てゐ「でもさぁ……ドヤってる所悪いけど、あんた、ほんとにわかってる?」

てゐ「スペルカードルール下において、降参を宣言する事がどういう事か……知らなかったは通用しないわよ」

薬売り「ええ、重々承知ですとも」


 そう。如何様な謀りがあり、いくらそれを見抜いたとて……薬売りが取った手段は、結局「諦め」でしかないのだ。
 弾幕勝負に待ったはない。それは我らの決闘とて同じ。
 「参った」――――この言葉を吐いた瞬間、薬売りの敗北は決定してしまったのである。



【決着】



てゐ「じゃあ……ええと……こんなケースはあたしも初めてなんだけど」

てゐ「一応まぁ、放棄試合と言う事で……勝者は敗者のスペルカード、またはそれに準ずるものを……」

薬売り「もう、置きましたよ」

てゐ「――――準備よすぎィ!」


 勝利の証はすでに、妖兎の足元に置かれてあった。
 勝利の栄光を称えるかのように、キラリと光るは「退魔の剣」。
 これは理と引き換えに提示された、紛れもなき勝者の証明である。


てゐ「そ、その手には乗らないわよ……」

薬売り「何の、手ですか?」


 そして薬売りのあまりの手回しの良さを前に、妖兎に不信感が湧き出る事もまた、至極道理。
 よって妖兎は、小さくもハッキリと零した――――「こんなうさんくさい奴が素直になるはずがない」
 そうなるのも当然だ。なにせ、他でもない自分がそうなのだから。


てゐ「……実はすでに剣には兎取りが仕掛けて合って」

薬売り「ありませんよ。寸尺的に無理でしょう」

てゐ「……とった瞬間この頭がガブッと噛みついてくるとか」

薬売り「しませんよ……できるならとっくの昔にやっています」

てゐ「ハッ――――わかったわ! この先っちょに薄いワイヤーみたいなのが括りつけてあってそれがあんたの指と(ry

薬売り「やれやれ……疑り深い方だ」


薬売り「そこまで言うなら――――これならどうです?」


てゐ(はう――――!)


 そう言うと薬売りは、両の手を大きく上へ掲げた後、肘を折り曲げ、掌を頭の後ろへ追いやった。
 まるで岡っ引に捕えられたコソ泥のような、実に哀れな姿勢である。
 そんな情けないにも程がある姿を、何故だか自信満々に。
 しかも「してやってる」と言わんばかりに、妖兎の眼前に恩着せがましく見せつけたのだ。


https://i.imgur.com/AzhVk8d.jpg


薬売り「必要とあらば目を瞑りましょう。それでも不安ならば頭を垂れましょう」

薬売り「そこまでしてもまだ不信感が拭えぬのなら……拭えるまで、トコトン付き合いましょう」


薬売り「――――”夜が明けるまで”、ね」


てゐ「う……」


 妖兎は困った。実に困った。
 妖兎の脳裏には、未だかつてどこにも存在しなかったのだ。
 謀った相手が怒り狂う様は幾度も見て来たものの――――自らの「負けを強く主張する者」など、いくら遡ろうと、どこにも。


薬売り「どうしました……勝利を手に取らないのですか?」

てゐ「く、くっそ~……」

 
 怪しすぎるのは重々承知。が、それでも妖兎は手に取らねばならぬ理由があった。
 否。それはもはや「義務」とすら言えよう。
 何故ならば……見慣れぬ掟にも関わらず、薬売りはちゃ~んと従ったのだ。

 それは、名付けるならば――――「敗者の掟」。
 さもあれば、今度は勝者が勝利を手にする事も、これまた”掟”の範疇であったのだ。


【責務】




てゐ「と、取るわよ……?」

薬売り「どうぞ」

てゐ「ほ、ほんとに取るわよ……?」

薬売り「そのように」


 今までの強気な態度はどこへやら。
 退魔の剣を取らんと伸ばすその手は、臆病と呼ばれる兎そのままに、ぷるぷると震えておったのだ。

 その様はさながら、ヘビに睨まれたカエル……もとい、剣に睨まれた兎。
 それは剣が顔貌の如き形を持つ故か。
 妖兎からすれば、剣が新たな主人となる自分を、じっと睨んでいるようにも見えたのであろう。



退魔の剣「 」


てゐ「お…………」


薬売り「はやくしてもらえませんかね……手が痺れて参りました」


てゐ「う、うっせ! 急かすんじゃないわよ……」


 震えつつも少しずつ近づいていた妖兎の手が、寸前でピタリと止まった。
 薬売りが掟を遵守した以上、今度は自分が守らねばならぬ。
 そんな事は重々承知の上である……が、そんな妖兎の葛藤は、身共もよ~く理解できようぞ。

 「――――最高に胡散臭い」
 身共が妖兎なら、やはりその言葉を吐くであろうな。
 退魔の剣の風貌も去ることながら、この”自身に都合の良すぎる展開”は……
 兎の臆病な性を、そりゃあもぉ~激しく刺激したのだ。



てゐ「う…………」


てゐ「ぐ…………」



薬売り「…………」



てゐ「…………んぉ~~~~~~~~~ッ!」



 それでも妖兎は、ついに意を決し――――退魔の剣へと手を伸ばした。
 


薬売り「おおっ」



 瞬間――――ぬめりとした感触が、妖兎の掌に駆け巡った。



てゐ「…………」


 そのぬめりは、手汗の感触であった。
 自身でも気づかぬうちにかいた大量の汗が、当たり前のように感ずる触感すらも滲ませたのだ。

 手汗が齎す滲んだ感触。
 しかしそれは勝利の実感に同義。
 その感触が掌に、しかと伝わる程に――――妖兎の手が今、確かなる勝利を掴んでいたのであった。



てゐ「と……とったどー……」


薬売り「おめでとう……ございます……」



 この瞬間、妖兎は掟に基づき、晴れて勝者となった。
 過程こそ意外であったものの、それでも勝ちは勝ち。
 小さき掌に伝わる剣の感触は、紛れもなく勝者の感触と言えよう。



てゐ「……一つ、言っていい?」


薬売り「どうぞ」



 得てして、妖兎の勝利は。もはや何人たりとも覆せぬ確かな”真”となった。
 そんな勝利の実感に、思う所がないはずもなく……
 妖兎は己が心中を抑えきれず、思うがままに、声高らかに吠えたのだ。





てゐ(うれしくねぇ――――!)




 その心中は――――「やっぱり勝った気がしない」。
 そんな思いで、満たされていたのだった。



【確立】



てゐ「ほんと、初めてよ……こんなに複雑な気分の勝ちは」

薬売り「いいじゃないですか……如何様な過程であろうと、それでも勝ちは勝ち」

薬売り「あっしが降参せざるを得ない程、貴方は狡」


【訂正】


薬売り「強かった」

てゐ「何噛んでんのよ」


 勝者への賛辞が、どこか棘がある風に聞こえるのは気のせいか。
 いまいち気乗りしない様子の妖兎に、薬売りはこれまた微妙な祝福を投げかけた。
 まぁ、確かに実感はないだろうな……何せ、何もしていないのだ。
 妖兎は妖兎なりに練ったであろう謀りの数々。これらがある種、「全部無駄になった」とも言えるのだから。
 

薬売り「まぁ、そう思っていれば……いいんじゃないですかね」

てゐ「ふん、あんたの下手な世辞なんてどうでもいいわよ」

てゐ「そんな事より、これ……よく見ると、中々かわいいじゃない」


 薬売りの世辞こそ響かぬままであったが、それでも妖兎は、徐々に機嫌を取り戻しつつあった。
 その所以はやはり、その手に掴んだ退魔の剣。
 モノノ怪を斬ると言う唯一無比の価値とは別に、「個人的に好ましい形」が、いつの間にか妖兎の心をがっちりと掴んでいたのである。


てゐ「ふむふむなるほど……刀っつーより、脇差? に近いわね」

薬売り「まぁ、懐に収めれるくらいですからね」

てゐ「それに……軽い。これならあたしでも、十分取り廻せそう」

薬売り「特に貴方様は、背丈が小さいですからね……」


 剣と呼ぶには少し短い寸尺は、薬売りの言う通り、妖兎の背丈にピッタリであった。 
 「よっほっは」と取り廻す姿も、妖兎の小ささが相重なり、存外様になっておる。
 ふむ……確かに、ある意味薬売りより妖兎の方が、主に相応しいかもしれぬ。
 それ程までに、退魔の剣と妖兎との「上っ面」の相性は、抜群であったのだ。


てゐ「なんか……なんか、テンションあがってきた!」

薬売り「それはそれは……ようござんした」


 楽し気にじゃれる妖兎に、その様子を冷ややかな目で見守る薬売り。
 妖兎の童に近い姿も手伝い、一見すると、まるで親子かのような実に微笑ましい光景にも見えよう。



【宴】



 しかしながら――――所詮は幻。
 そういう風に見えた所で、無論親子なわけはないし、どころか同じ種族ですらない。
 如何に盛り上がった所で、たかだか偶然なる一期一会。
 故に二人の関係は、どこまで行っても――――”赤の他人”に過ぎなかったのだ。


薬売り「あ・それ。あ・それ」

妖兎「ほぉぉぉぉ……とおッ!」


 そんな事は、当人同士こそが一番よく存じ上げていた。
 故にあえて、流れに身を任せた。
 そう、不意に訪れたこの愉快な一時は――――これから始まる【本当の決戦】への、わずかな余暇にすぎなかったのだから。


https://i.imgur.com/MoSD5GX.jpg


メシくってくる



てゐ「決まった……」

薬売り「大変、様になっておられます」

てゐ「ねね、ところでさ――――この子ってさ! 頭ついてるけど、喋ったりできないの!?」

薬売り「ああ、やはりそこが気になりますか……」


 夜も深まりし寅の刻。
 深淵とも呼ぶべき暗黒の最中にて、何故か宴会さながらの盛り上がりを見せておる酔狂者が、この場に二人だけおった。
 宴はまだまだ宴もたけなわと言わんばかりである。
 しかしながら……楽しみも悲しみも、いつかは終わりを迎えると言う物。
 それは、この闇夜ですら例外ではない。


 夜の中で最も深き刻――――【寅】。
 そう、この刻は最も深きと同時に、”最後の”刻でもあったのだ。


てゐ「もっちろん! だって、この子とおしゃべりできれば、暇な時間を楽しく過ごせるじゃない!」

薬売り「なるほど……そいつぁよかった」


 酉の刻から始まる夜は、またの名を暮六つとも呼ぶ。
 この「暮」とはすなわち夕暮れ。
 日が沈み、空が闇に染まる。その始まりを意味する言葉である。

 してこの日暮れの齎す不鮮明さは、いつしか人々に、とある言葉を吐かせる事となった。
 「誰ぞ彼――――」これが所謂、【黄昏時】の由来である。



てゐ「ってことは~~~~?」

薬売り「ええ……喋りますよ。貴方の期待通り、ね」



 しかしながらこの黄昏時……実は”二つある”のをご存じかな?
 この由来に基づくならば、暁の刻もまた、黄昏時となるのである。
 


てゐ「マジ!? やったぁーーーー!」



 同じ刻を表す言葉が二つある――――言い換えれば、「暮でもあり暁でもある」と言う事。
 しかしながら、二つの刻が入り混じる事など、一度たりともあってはならない。
 よって人々は、いつからかこの二つの黄昏を、”呼び名を変える”事で解決を図り申した。



薬売り「――――貴方が”理を解けば”、ね」


てゐ「…………」



 「彼は誰」時――――またの名を【卯の刻】である。


https://i.imgur.com/IweAE5K.jpg





薬売り「貴方がそうやって、退魔の剣を求め続けた理由……それこそが、貴方の理なんじゃないですか」

てゐ「……ちょっとなに言ってるのかわかんないわね」

薬売り「もう……いいじゃないですか。だって、そうでございやしょう?」

薬売り「周りがモノノ怪に振り回されるその裏で、貴方は虎視眈々と、あっしの剣を狙っていた……」

薬売り「故に周りに何が起ころうと、徹底して知らぬ存ぜぬを突き通した……と、言うより」

薬売り「――――”構っている暇がなかった”」


 薬売りがそう告げた瞬間、あれほどはしゃいでいた妖兎の動きは、ものの見事にピタリと止んでしまった。
 まぁ、気持ちはわかる。気に入りつつあった分、それだけ落胆も強かったのだろうて。
 少し可哀想な気もするがな。
 まぁ……妖兎が如何に可愛がろうと、剣は、あくまで剣にすぎぬと言う事よ。
 

薬売り「退魔の剣を抜くには条件がある……形・真・理の三つが揃わなければ剣は抜けぬ」

てゐ「それは知ってるって」

薬売り「ならばあえて、貴方にわかりやすいように言うならば……」

薬売り「――――”箱を開ける鍵”とでも、言いましょうか」

てゐ「……それも知ってる」


 剣とはすなわち、人を斬る為の道具。
 時の剣豪、高名な刀匠、歴史に名を刻んだ武将――――それらの愛用品として価値が付いたのは、あくまで後の話である。
 後に如何なる値打ちが付こうとも、それは持ち主の関せぬ事。
 彼らが剣を手にしていた当時は、剣は、紛れもなく人殺しの為だけにあったのだ。


薬売り「貴方は剣が欲しかったのではない……自らの手で斬りたかったのです」

薬売り「貴方には、そうせねばならない理由があった……他の者には任せられない”理”があった」


 それは退魔の剣も例外ではない。
 退魔の剣が存在する理由。それもまた、モノノ怪を斬る為”だけ”に存在するのだ。
 よって退魔の剣は、嗜好品として愛でるには少々荷が重すぎた。
 当然だ――――”モノノ怪はまだそこにいる”のだから。


薬売り「もうそろそろ、話して頂けませんかね……」

てゐ「…………」

薬売り「いいじゃないですか……どうせ、理を告げねば剣は抜けないのです」

薬売り「剣を抜かねばモノノ怪は斬れない……モノノ怪を斬らねば――――”攫われた者共は帰ってこない”」


 よって妖兎の度重なる不振さは、とある仮説に基づけば、その片鱗を垣間見る事ができた。
 その仮説とはすなわち――――”自らの手で決着をつける事”。


薬売り「仮にモノノ怪が……自分の内から溢れた情念であったとしても」


 何故ならば、この妖兎こそが――――この地を守護する”番人”なのだから。



【兎兵法】




てゐ「なる・ほど……ハナっから、これが目的だったってわけ」

薬売り「滅相もない……兎にまんまと化かされてしまった人間の、最後の悪足掻きですよ」

 ふむ……そうか……あぁ、なるほどのぅ。
 いやにあっさり負けを認めたと思えば、その実はこういう事であったか。
 薬売りが言う「最後の悪足掻き」とは――――すなわち、妖兎が持つ不安の一切を排除する事に合ったのだ。


てゐ「ふん、何とでも言えばいいさ……結局、あんたの目論見通り、”あたしはあんたの前で吐かざるを得なくなった”んだから」


 ただでさえうさんくささ極まる薬売り。
 加えて妖兎は、当初から誰よりも、この薬売りに不振を持っておった。
 一個人の印象もさることながら、この地を守る番人としての嗅覚がそうさせたのだろう。
 よって妖兎が口を閉じる原因が、他でもない自身のせいとあらば――――その他の一切を放棄するしか、術はなかったのだ。


てゐ「じゃああんた、立場的にはただの野次馬って事になっちゃうけど、その辺はおっけーなわけ?」

薬売り「構いませんよ。むしろここまで来たなら、最後まで見届けねば夢見が悪い」

てゐ「なにそれ……ただの好奇心じゃない」

薬売り「そうですね……”貴方と同じ”です」


 退魔の剣を放棄した薬売りが理を知る事は、何ら一切の関係がないただの傍観となる。
 普通なら「見世物ではないぞ」と追い立てたくなる所であるが、しかし妖兎は渋々許可を与えた。
 それは先ほど妖兎が述べた師の受け売り、「確率の観測」とやらに起因する。
 すなわち、二つの可能性の片割れ――――”もしもモノノ怪が自分なら”。


薬売り「言伝があれば……伺いますが」

てゐ「ないわよバカ……”うどんげじゃあるまいし”」


 玉兎と違い、妖兎に後見人は必要なかった。
 後を託すには余りある配下共が、頼まずともどうせ、妖兎の弁を一言一句漏らさず残してくれるのだ。
 よって妖兎が薬売りを残す理由など、どこにもありはしない。

 にも拘らず置いておく、その理由は――――
 ”かつて教わった師の言葉”が脳裏を掠めた。ただのそれだけに過ぎない。
 

てゐ「あんたはただ、見届けるだけでいい……事の一部始終を、その不気味な目つきで」

薬売り「そのように……」


 【――――確率は観測される事で初めて一つに集約される】
 その言葉だけが、薬売りがこの場に御座す事を許したのだ。




てゐ「ま……ぼちぼち潮時かぁ……」

薬売り「そうです……いつまでも、この状況を放置しておくわけにもいきますまい」

てゐ「いや、うん……まぁ、そういう意味じゃないんだけどね」


 妖兎は全てを把握し、意を決したそぶりを見せた。
 しかしその素振りの中に、やはりほんの少しだけ「躊躇い」があったのは否めない。
 よって妖兎は、薬売りに一つ問いを投げかけた。
 答えが欲しかったのではない。ただ少しだけ、背中を押してもらいたかっただけなのだ。


てゐ「図々しいかもだけど……もう一つだけ、教えて貰いたいわ」

薬売り「はい、なんでしょう」

てゐ「全てを言えば……本当に剣は抜けるの?」


 薬売りはその問に二つ返事で答え、その結果、妖兎の戸惑いが少し薄れたように見えた。
 妖兎からすれば一安心と言った所である……が、しかしそこは薬売りと言う男。
 この男の持つ「意地の悪さ」を持ってすれば、この期に及んで無駄な不安を煽る事は、ごく自然な成り行きだったのだ。


薬売り「ま、未だかつておりませぬがね……”あっし以外に剣を抜いた人物など”」

てゐ「……」


 せっかく収まった躊躇いが、また元の木阿弥に戻った。
 「自称・確率計算が得意」な妖兎からすれば、その一言がまたも無数の確率を生む事は想像に難くない。
 余計な事を……と叱責したいのは山々である。
 が、しかしこの場で薬売りを責めるのは、まさに「お門違い」である。

 何故ならば……薬売りはもう、関係ないのだ。
 退魔の剣を持たぬ薬売りは、もはや一介の薬売りにすぎない。
 そんな人物に励ましを貰おうなどと、「図々しいにも程がある」。
 そう言ったのは、他でもない妖兎自身である。




てゐ「ふん……いいわよバカ。そんな事言ったって、剣はあんたに返さないんだから」


 そして妖兎は――――再び黙した。
 妖兎が黙すことで、薬売りは口を開く機会を失い、結果両者に言葉は無くなった。
 夜更けに相応しき静寂が、ようやっと戻ってきた……とも言えなくもない。
 しかしこの期に及んでまだ黙す妖兎の姿は、薬売りには、未だ躊躇っているとしか思えなかったのだ。



薬売り「…………ん?」



 【刻】【刻】【刻】――――延々と続く言葉無き静寂。
 にも関わらず、だ。
 はてさてどういうわけか……妖兎の手にある退魔の剣が、何やらカタカタと震えだしたではないか。



てゐ「あたしってば……うどんげみたく、ベラベラと口が回る方じゃないからね」


てゐ「だから……”実際に見せた方が速い”と思うわけ」



 妖兎が黙した理由。
 その実は、戸惑っていたわけでも尻込みしたわけでもなかったのだ。
 真相は、本当に些細な所作である。
 単に――――「服を脱いでいたから」。



てゐ「これが…………あんたが知りたがってた”あたしの理”」



 妖兎がそう零すや否や、次の瞬間――――ハラリ。
 妖兎の召し物の上半分だけが、器用に体から折れ落ちた。



薬売り「な…………」



 要は……「服を脱ごうとして着崩れた」。
 ただのそれだけに過ぎなかった――――はずなのに。




【御目通り】




薬売り「こ…………れは…………」



 しかしながらそれは……確かに、妖兎の言う通りであった。
 露わになる肌。刻まれし真。滴る理――――
 それらはやはり、あの薬売りですら、寸分違わず同意せざるを得ないほどに……
 ”言葉よりも見た方が速いシロモノ”であったのだ。





(あんまし…………ジロジロ見んなって…………)





https://i.imgur.com/EuOxmAA.jpg



薬売り「なんと…………」

てゐ「はいそこ、引かない引かない……ったく、そうなるからヤだったのよ」

てゐ「グロいのはわかるけどさ。見せろ見せろっつってしつこくせがんできたのは、あんたの方なんだからね」


 妖兎本人が自覚するように……
 その傷は思わず目を背けたくなる程の、実に生々しき”傷”であった。

 そして妖兎は語る。
 曰くこれは――――妖兎がかつて受けた【古傷】であると、妖兎はそう申したのだ。


薬売り「古…………傷…………?」


 しかしその説明は腑に落ちなかった……
 門外漢の身共ですらそう感ずるのだから、その道に詳しい薬売りには一目瞭然であろう。
 そう、傷は――――古傷と呼ぶには、あまりに”新しすぎた”のだ。


てゐ「そう、古傷……これでも随分、マシになった方よ」


 今にも血が滴りそうな、真新しくも深き傷。
 にも拘らず妖兎は、あくまで「古傷」と主張し続け、しかもなおかつ「収まりつつある」と、そう言いのけたのである。

 ならば、これを古傷と呼ぶならば……
 元々の傷は……一体どれほどの……
 うっぷ。すまぬ皆の衆。何やら身共、突然気分が……



てゐ「同情はいらない。その言葉はすでに聞き飽きたから――――」


てゐ「慰めもいらない。自分が惨めになるだけだから――――」


 あいや、失礼した……全く、最後の最後でえらい物を見せられたわい。
 こんないと大きなる傷を抱えて、よくぞまぁ今の今まで過ごせたものよ。
 同情は聞き飽きたとは言うがな……
 そりゃそんな傷を目の当たりにすれば嫌でも見入ってしまうし、むしろ心配せぬ者などどこにもおらぬであろうて。


【刻印】


 しかし――――おかげで傷は、早くも一つの真を解いたな。
 ”何故に妖兎がこの地に辿り着いたか”。
 まず間違いなく、この傷が所以であろう。


薬売り「永遠亭の最初の客人は…………貴方だった?」

てゐ「逆よ薬売り。永遠亭を薬屋に変えたのは、他でもないこのあたし」

てゐ「どうせ帰る気がないのなら、そのまま地上の民になればいい――――”地上の薬売りとして”つってさ」


 やはりと言うか案の定と言うか、妖兎が語る理の片鱗は、いきなり亭の発祥を解いて見せた。
 薬売りすら敬う、名高き【薬師】八意永琳。
 その地位を与えしが、その実一羽の兎の「入れ知恵」だったとあらば……
 同じ薬売りとして、一体奴は何を思うのか。



退魔の剣「~~~~~~~~!」



 そんな、驚きを隠せない薬売りに同調するように、退魔の剣の震えも、人知れず激しく鳴っておった。
 妖兎と薬売りの掛け合いの裏で……退魔の剣の側からも、しかと見えておったのだろう。



(――――かごめ かごめ かごの なかの とりは)


(――――いつ いつ でやる)



 ひょっとしたら……剣も驚いておったのかもしれんな。
 薬売りから見て背。剣から見て銅。
 両側から見えるこの実に痛々しい傷が、妖兎の全身の余す所に点在しておったとあらば……




(いつ いつ でゃる……)




――――まるで瞼のように開く、この傷を。



https://i.imgur.com/CRP7Df0.jpg

本日は此処迄



薬売り「見え透いた仮病をと思っておりましたが……まさか、本当に痛がってたとはね」


 うむ……これほどの大怪我、見ている側も痛々しく感ずるほどだ。
 ならば無論、当人が感じる”痛み”は計り知れないであろう。
 さもあらば、次なる欲求が生まれるは至極道理。
 「この傷を何とかして治したい」――――妖兎はそう、強く願っておったはずだ。


薬売り「だからあっしに頼んだ……永琳が精製し、どこぞに隠した、全ての病を治すと言う【万能薬】の在処」

薬売り「もう一人の兎に……”あらぬ誤解”を抱かせる事も、覚悟の上で」

 
 そして、「全ての邪魔者がいなくなった所で、夜中にこっそり服用しよう」と企てた。
 そこまでは良い。そこまでは合点がいくのだ。

 しかしだとすれば、今度は別の疑問が沸く。
 そもそもな話――――何故に今迄傷は放置されていた?
 わざわざ万能薬になど頼らずとも、すぐそばに世界有数の医者がいたのに。


てゐ「薬なんかに頼らなくても、”お師匠様に頼めばすぐ治してもらえただろ”って、そう言いたいんでしょ」

薬売り「ええ、まぁ……」

てゐ「言われずとも……とっくの昔に診てもらったわよ」

薬売り「診た……だけですか?」


 しかし傷は未だ残る事実。
 よってその答えは、自然と「二つの可能性」が浮かび上がると言う物よ。

 一つは、「永琳が治療を拒否した」可能性。
 妖兎の普段の行いを顧みるに、度重なる悪戯に手を焼いた永琳が、「戒め」として治療を拒否した可能性十分に考えられる。
 

てゐ「シュレディンガーの猫……この傷は、それと同じなの」

薬売り「机上の空論に……現れる矛盾……」


 だが、そうではなかったとしたら……残る可能性はただ一つ。
 これは、実に考え辛いのだが……
 しかし、仮に……「永琳ですら治せなかった」とすれば。


【不治】




てゐ「この傷はね――――お師匠様曰く、”傷であって傷でない”の」

てゐ「だから治せないんだって。だって、傷なんてどこにもないんだからって」

薬売り「同時に起こりうる矛盾……まさに、箱の中の猫」


 して永琳は最終的に、実に頓珍漢な診断を下した。
 自身でもおかしいとわかりつつも、そう言うしかなかったのだろう。
 見るからに痛々しい無数の傷々。
 しかしその傷は、永琳だけが持つと言う、月の医学を用いて診れば――――
 はたまたどういうわけか、最終的に「無傷」と言う結果となってしまうのである。


てゐ「精々、簡単な薬草を貰うのが関の山だったわ。塗る奴と飲むタイプの奴」

てゐ「痛くなったら使えっつって。これって、本当の薬じゃないんでしょ?」

薬売り「ただの痛み止めですね……」


 これは先ほどの「すれてんがーの猫」とやらに酷似する。
 二つの事実が同時に内在する様。通常ならありえぬ、机上の空論の中だけに現れる矛盾。
 なはずが、どういうわけか……この妖兎の身にだけ、現実として引き起こされておると言うこの事実。


薬売り「なるほど……だんだんと、見えて来ましたよ」

てゐ「見えてきた……だぁ……?」

薬売り「ええ……今の話からして……貴方に起こった事とは」


薬売り「貴方が罹りし――――病とは」


 まさに妖の仕業と思しき、実に奇怪なる奇病。
 しかしその理は、やはり流石と言うべきか……
 双方を専門に扱う薬売りにだけ、推し量る事ができたのだ。





薬売り「――――【幻肢痛】ですか」





【幻】




てゐ「……」

薬売り「どうか、しましたか?」

てゐ「いや、なんつうか……」

てゐ「あんたって、ホントに薬売りだったんだなって言うか……」

薬売り「……?」


 妖兎よ安心しろ。そこらへんは、今まで薬売りと出会った全ての者共が、すでに突っ込み済みよ。
 あの神妙不可思議にして奇怪な見た目からは想像できぬ程に、この真理を鋭く診る眼力は、さすが薬売りを名乗るだけあると言うものよの。

 現に、今この時においても、たったあれだけの説明で見事「真」を言い当てよった。
 それは当の妖兎自身がよぉくわかっているであろう。

 して、今回の薬売りが対面せしめた、この妖兎の身に罹りし真とは――――
 人呼んで――――【幻肢痛】。
 無くしたはずの四肢が、まるで、幻のように痛み出す病の総称であったのだ。


https://i.imgur.com/3opsgFZ.jpg


薬売り「最初から、そう名乗っておりましたが?」

てゐ「あー、うん。そうね、もういいわ」


 そして薬売りは続ける。
 幻肢痛は、所説はあれど未だ解明されぬ、一つの”現象”であると。
 在るのに無い――――故に治せない。
 いみじくもその語りは、かつて永琳が妖兎に下した診断と、すべからく一致していたのであった。



【因幡てゐ――――之・真】




てゐ「まぁ、そーゆーわけで……お師匠様ですら匙を投げた謎の奇病が、よりにもよって弟子のあたしに罹っちゃってるってわけ」

薬売り「できる事と言えば、精々痛みを和らげる程度……発病そのものまでは防げない?」

てゐ「そーそー。ま、おかげである意味医学に貢献してると言えるけど」

薬売り「被験者として……ですか?」


 確かに、その病は、病と呼ぶにはあまりにも奇怪すぎた。
 数ある奇病の中でも、その症だけは、如何なる病よりも”非現実的”であったのだ。

 こうなれば、妖兎が例の「すれてんがー」に拘る理由が、なんとなく推し量れた気がするな……
 自らの身に罹った「在るのに無い」病。
 これをなんとか完治せんとする糸口を、妖兎は妖兎なりに探していたのだろうて。


薬売り「幻肢痛……なるほど……しかしそれが原因であるならば、こっちとしては、むしろ”好都合”だ」

てゐ「好都合……だと……?」


――――しかしながら、そんな「悲惨」の一言で表せられる病を前に。
 薬売りはむしろ「よい機会」と言わんばかりに、意気揚々と、独自の診断を述べ始めたのであった。


薬売り「幻肢痛とは……元来、失った四肢に起こる物」

薬売り「失った四肢があたかもそこにあるかのように、痛みだけが幻と現れる奇病」

薬売り「しかし、貴方の場合は……それが”全身に蔓延っている"」


 さすがの薬売りとて、空手のままに真理を解く事は叶わぬ。
 しかしそれは、言い換えるならば――――”ほんの一欠片の手掛さえあれば”。
 
 薬売りからすれば、やはりこの状況は「好都合」と言う他になかった。
 【幻肢痛】。その片鱗を見るや否や、薬売りの脳裏の中に、瞬く間に「妖兎の真」を積み重ねる事ができたのだから。



薬売り「四肢は無事。しかし痛みだけが、全身に”幻”となりて現れる……その所以は」


薬売り「おそらく……貴方が失った部位とは……」


 ま、なんと言うか……ようやっと、らしさを取り戻したな。
 と言うかむしろ、そうこなくてはこちらが困ると言う物よ。
 思い起こせば、薬売りとは、たかだか一期一会の縁であったが……
 身共ですら明かせなかったモノノ怪を、見事暴いたあの眼力。
 それがそんじょそこらの兎に敗れたとあったら、身共の沽券にすら係わってくるのだよ。





薬売り「――――【皮】だ」




てゐ「…………」




 返事がなくともその解答は、十分真に触れておると分かった。
 何故なら――――手放したはずの退魔の剣が、より一層震えを増したのだから。




薬売り「まぁ……こんな感じでしょうか」

てゐ「あ……? なにがよ」

薬売り「お節介ながら、少々実演させていただきました……”退魔の剣の抜き方”ですよ」


 カタカタ・カチカチと明らかに増した剣の震えを、直接その手で掴んでいる妖兎が気づかぬはずもなかった。
 そして、増した震えが示す事実は、ただの一つしかない。
 薬売りは確かに――――”妖兎の真を得た”。
 それは言われずとも、当の本人が、誰より深く存じていたはずだ。



薬売り「さて、あっしにできるのはここまでです……これ以上は、もう、何も見えませぬ」


てゐ「…………」


薬売り「”貴方が抜く”んですよ、退魔の剣を」

薬売り「貴方の中にある真を見せる事で――――嘘偽りなき理を、述べる事で」



https://i.imgur.com/9mofc3e.jpg



てゐ「…………」


 長かった……実に長かった。
 長きに渡って隠し続けられた「妖兎の理」が、ようやっと、日の目を見る時が来たのだ。
 

【灯】


 日の目――――そう、日の目だ。
 妖兎はこれから、自らの理を述べる。
 してその時刻は、なんとも間のイイ事に……ちょうど【寅三つ】を過ぎた頃であったのだ。


【彼誰】


てゐ「惨めで……哀れな半生だった」


てゐ「誰よりも愚かで……何よりも小さき生き物だった」


 明けの刻まで、残り一刻。
 もう一刻もすれば、この長く続いた闇夜は開け、暦と共に日が昇る。
 そして日が昇れば、陰陽が如く空は白み始める――――まさに、卯の毛皮の如く。


https://i.imgur.com/NYiDRsb.jpg


 まさにおあつらえ向きの舞台ではないか。
 よって改めて言わせて貰おう――――「宴もたけなわ」
 宴の締めには挨拶がつきものだ。
 というわけで、この妖兎自身に是非、締めて貰おうではないか。



てゐ「だけど――――”幸せだった”」




 最後まで残った妖兎の理――――一体、「彼は誰」なのか。




【因幡てゐ――――之・理】




眠い
明日やる



てゐ「どこまで……遡ろうか……そうだ」

てゐ「そういや、まだ言ってなかったわよね……あたしの出身」

薬売り「月……ではないですよね」

てゐ「うん。あたしの育った所はね……遥か遠くにある、小さな小さな島だったの」


【島】


薬売り「ほぉ……列島の産まれでしたか」

てゐ「ううん、そんなんじゃない……あれは……言うなれば”孤島”」

てゐ「半日のあれば一周できるような、とても小さくて、とても孤独な島……」

薬売り「孤独な島……?」


【孤独】


てゐ「そんな場所だから……そこに住んでる連中もまた、やっぱり小さくって」

てゐ「あたしはその連中を――――”小さき民”って呼んでた」

薬売り「…………」


――――島の暮らしぶりは、何もかもが小さかった。
 小さな人間。小さな獣。小さな小動物。小さな爬虫類。小さな鳥。小さな虫……
 ただでさえ小さい連中しかいない島なのに、その頭数すらもやっぱり小さくって。
 そんな島の生き物の過ごす日常も、案の定、とても小さい暮らしぶりだった。


【矮小】


てゐ「各々が最低限生活できるような、小さななわばりがあって……その中で互いに干渉する事もなく、こじんまりと過ごしてた」



 でも――――そんな小さな島の中で、大きなる生き物が一羽いたの。



てゐ「その生き物は、獣でありながら、あらゆる種族と言葉を交わす事が出来た」

てゐ「その生き物は、小動物の癖に、身の丈以上ある捕食者と対等に渡り合えた」

てゐ「その生き物は、畜生の分際で……人間以上に、頭がよかった」


 そんな飛びぬけた能力を持った生き物は、いつしか周りを”小さき民”と断ずるようになった。
 小さき生き物。小さき文化。小さき島。小さき存在――――
 口にこそ出さなかった。でもその内心は、知らず知らず態度に現れていたと思う。


てゐ「それが――――”あたし”」

てゐ「大きなる存在と”思い込んでいた”、何よりも小さい……小さな一羽の兎風情」


薬売り「…………」



【自尊】



 そんな小さき島に、ある日、大きなる嵐が起こった。
 つっても、今思えば大したことないただの時化(シケ)だったんだけど。
 あの小さな島の連中にとっちゃあ……そんな時化も、大嵐と同じでね。
 

https://i.imgur.com/1XB1W14.jpg


 慌てふためいた「小さな民」は、こぞってあたしの所に集まって来たわ。
 ほんと、何を思ったやら。
 たった一羽の兎に過ぎないあたしに、揃いも揃って助けを懇願してきやがったの。


てゐ「まるで蟻んこみたいだと思った……群がり蠢く、どこまでも小さき民」

てゐ「でも、なんだかんだで助けてやった――――何故なら、あたしには本当になんとかできたから」


 と言っても別に、嵐そのものを消すわけじゃないわ。
 あたしができたのは――――あくまで「嵐を回避する方法」を提案する事。
 

てゐ「嵐がいつ上陸して、いつまで島にいて、どれだけの被害をもたらし、そして何時去るのか」


 あたしにはそれが、”なんとなく”わかった。
 理由はわかんない。けど、ただちょっと空を眺めるだけで、それらが一目でわかったの。

 だったら後は簡単な話だった。
 「いついつくらいに来て、いついつくらいに去るんだから、だったらその間高台にでも避難しとけばいいんじゃない?」
 あたしが言ったのは、ただ、それだけだった……のに。


てゐ「今思うと、あの島の連中は、やっぱりどこかおかしかったと思う」

てゐ「だってそうじゃない。船乗りでもなんでもない、ただの兎の勘を鵜呑みにしてさ……本当に、一言一句その通りに行動したんだから」

薬売り「信頼されていた……んじゃないですか」


 ま、向こうがどう思ってたかは知んないけど……正直、笑っちゃったわ。
 連中の集会に聞き耳を立てて見れば、「何時に集まって、何時に出発して、安全地帯までたどり着くのは何時だから……」とかって、全部あたしの当てずっぽを元にしてんの。

――――でも、結果的にそれは大正解だった。
 あたしが勘と当てずっぽうで言っただけの提案は、自分でもびっくりするくらい、ものの見事に的中していたのよね。








薬売り「例の……得意な確率計算とやらですか?」

てゐ「それを自覚するのはまた後の話……あの時は、計算って概念を知らなかった」

てゐ「それに、知ってた所でどうせ伝わんないしね」

薬売り「それも……そうですね」


 内心驚いてるあたしを尻目に、小さな民共は、それはもう大はしゃぎだったわ。
 連中ったら、勝手に「生きて帰れぬやもしれぬ」とか思っちゃってたらしくてね。
 よくあるただの時化なのにね……本当に、肝っ玉まで小さな奴らよ。


薬売り「島の人間にとっては、それほど大事(おおごと)だったのでしょう」

てゐ「無理に擁護しなくていいって。そもそも、あいつらときたらさ……」


 あいつらったら、本当にバカでね。
 死ぬかもしれないと思ってたのに、蓋を開ければ「無事生きたまま乗り切った」。
 その事実になんかテンション上がっちゃったらしくて、あろうことか、その場で宴会をおっぱじめやがったのよ。


てゐ「避難中の食料とか、備蓄品とか、一時的に同じ場所に集めてたんだけど……ノリと勢いで、全部その場で使い始めやがってさぁ」

薬売り「それはそれは……まぁ……」


 もちろんあたしもその宴会に参加した……って言うか、強制的に引きずり込まれた。
 命の恩人だっつって持て囃してきて、それ自体は悪い気はしなかったけど。
 だけどほら、みんな酒入ってるから、こう……色々と痛いし荒いしで、もう散々だった。


(――――だぁ~もう! お前ら、うざったいのよさ!)


 ほんと……あんな経験は二度と味わえないと思うわ。
 人も・獣も・鳥も・虫も・爬虫類も――――生物の垣根を超えた、乱痴気騒ぎはね。


https://i.imgur.com/SmfPIBJ.jpg




薬売り「でも……楽しんでいたんでしょう?」

てゐ「……まぁね」


 酔って、歌って、踊って、飲んで――――。
 あたしもその場の勢いに任せて、口汚い暴言を随分吐いたわ。
 小さな民だっつって内心見下した事を、酒に任せてぶちまけてやったりもした。

 それでも宴は終わらなかった……どころかさらに盛り上がって行ったわ。
 あたしの本音を皮切りに、みんなもみんな、普段思っていた事を言い合い始めたの。


てゐ「酔いに任せた本音と本音のぶつかり合い。ほんと喧嘩になるんじゃないかって、ヒヤヒヤしたもんよ」


 それくらい盛り上がってた。それくらみんな、我を忘れてた。
 ほんとこいつらいつ帰るんだってくらい、みんなで囲み合って、みんなで酔いしれていた……
 まるで――――”夢の中にいるかのように”。


てゐ「バカ丸出しで、普段はデカイ口聞く癖に、ちょっと何かあれば途端にビビリまくる、死んでも治らなさそうなレベルのアホ共……」


てゐ「でも――――そんな連中が、”あたしは大好きだった”」


薬売り「…………」


 そしてふと気づけば、時化の名残はすっかり消えていたわ。
 ま、長い事どんちゃんやってたからね……いつの間にか空は、曇りのない晴天に変わっていたの。

 で、空模様の変化に気づいたあたしは――――まぁ、お開きの合図だと思ったのよ。
 これほど明るいなら、ちょっと酔っぱらってても、まぁみんななんとか帰れるだろうって思ったわけ。


てゐ「今思うと……”あの時振り返らなければよかった”」

薬売り「…………?」


 一人、一匹、一頭、一群――――
 島の生き物は段々と姿を消していき、そして最後には、その場に誰もいなくなった。
 そうして、一晩限りの夢は終わった……
 小さな民は、まるで夢から覚めるように、またあの小さな日常へと帰っていった。



(――――あれ……誰もいない)



てゐ「ずっとあの、乱痴気騒ぎの中で……小さな連中と……小さな夢を囲っていればよかった」



 でも、その中で――――夢の中から帰れなくなった民が、一羽だけいたの。




【隔絶】



てゐ「夢の終わり。宴の終焉。記憶が途切れる瞬間……その最後の景色だけは、今でもはっきり覚えてる」


 曇りが消えた空は――――透き通るほど澄んだ青だった
 それに、雨上がりの後だったからね。
 青空には、思わず見惚れる程の、それはそれは綺麗な【虹】がかかっていたの。


てゐ「その景色が――――あたしだけを、”夢の中に縛り付けた”」


 本当に、切り取って額縁に飾りたいくらいの風景だった。
 宴なんてそっちのけで、ただひたすら、じーっと景色だけを見ていた……
 一人、また一人と帰っていく民を尻目にさ。
 誰もいなくなるまで、気づかないくらいに。
 

てゐ「その時になってやっと、我に返ったの」

てゐ「ハッと振り向けば、とっくにみんな帰った後だった……気づいた頃には、そこにはもう、散乱した宴の痕しかなかった」


 そして、気づいてしまったの……
 日常と言う名の現実に、自分だけが背を向けていた事に。
 

てゐ「気づいてしまったの――――青空に架かる虹の橋が、”あたしの知らない世界”と繋がっていた事に」


https://i.imgur.com/2QyWtf6.jpg






薬売り「虹が、貴方を縛り付けた……?」

てゐ「そう、ね……あの虹がなければ、あたしが外に気づく事はなかった……とも言える」


【虹の檻】


 その日から、あたしはその高台に通うのが日課になった。
 目的はもちろん、あの時みた景色をまた眺める為。
 毎日毎日ずっと……飽きもせず、一日中ずっ~と、同じ景色だけを見てたわ。
 

てゐ「起きてる間は、ほとんどそこにいたんじゃないかしら」

てゐ「ほんと、我ながらよく飽きないなってくらい。毎日昇って、四六時中そこにいたっけ」
 

 でも、何度通ってもあたしは満たされなかった。
 風景はほぼほぼ同じ。でもそこには、あるべきはずの物がなかった。
 なかったのよ――――あの時確かに見たはずの、外へと続く虹の橋が。


てゐ「あたしは躍起になった。あの時と同じ風景を見る為に、何度も何度もあの時と同じ場所に通った」

薬売り「それでも現れなかった……そこまで貴方を魅了せしめた、七色の橋が」

てゐ「で、そんなあたしの行動は……”周りが不審がる”に十分だった」

 
 そんなあたしを見かねた誰かが、変な噂話を流したらしくってね。
 おかげであらぬ誤解を一杯受けた……
 よく言われたのよ。ほら、「どこか怪我をしたのか」とか「何か悩みがあるのか」とか。
 こういう時って、説明が大変よね。
 「ただ景色を見てただけ」なんて事言おうもんなら、変に勘繰られて、逆にもっと心配されちゃうんだから。



【気掛】




てゐ「だからもう、面倒だったから、思ってる事を正直に答える事にしたの」

てゐ「それが……いけなかったのかもしれない」

薬売り「……?」



(実は……あの虹の橋を渡ってみたいと思ってるのよさ)



てゐ「思いを吐露した、次の日から……今度は、誰も話しかけてこなくなった」

薬売り「……えっ」



(――――ケッ。何さ、この恩知らず共が)



薬売り「何故……」

てゐ「明確にハブられたわけじゃなかったけど……連中の態度が、明らかに余所余所しくなってたのはすぐ察せたわ」



(――――あーそうですか、わかりましたよ)

(――――そんな態度でくるんなら……こっちだって、考えがあるんだから)



てゐ「海の向こうへの欲求が、日に日に強まっていった……同時に、島への情が沸々と薄れていった」



(――――ずっと小さなままでいればいいのよさ……こんなちっこい、塵みたいな島で)



 そしてあたしは、ある日から――――景色を眺めるのをやめた。



【発起】


メシくってくる



薬売り「……いやに唐突ですな」

てゐ「そうね……うどんげなら、その辺もうちょっと上手く語れるんでしょうけど」

てゐ「けどダメね。あたしが言うとどうも、言葉に詰まる……実は結構、悩んだりしたんだけどさ」

薬売り「いえ、そうではなく……」

薬売り「”小さき民”ですよ。あれほど貴方を慕っていたのに」

てゐ「ああ……そっち」


 連中が何を思ってそういう行動に出たのか――――”その時は”わからなかった。
 でも、それが島を出る「キッカケの一つ」になったのは確かだった。
 正直、頭に来てた……あんなに頼ってきた癖に。あんなに輪に入れたがった癖に。


てゐ「頭に血が上ってた……何かに八つ当たりしてやりたい気分だった」

てゐ「ちょうどその時だった……”一匹の和邇”が、あたしの前を通り過ぎた」

薬売り「和邇……?」


 そん時の和邇は、なんか知んないけどやたら上機嫌だったのを覚えているわ。
 よくわかんないけど、とりあえず何か”良い事”があったらしい。
 妬みってこういう事を言うのね。
 人がちょっと凹んでる時に、こう、嬉しそうに泳ぎ回る和邇を見てたら……なんか無性に、イラっときて。


てゐ「煽ってやろうと思って、和邇に声をかけた――――おい! そこのアホ丸出しのウロコヤロー!」


 「てめー何人のなわばりで悠長に泳いでんだコノヤロー!」
 我ながら意味不明な因縁だけど、ま、イライラしてたからね。
 そう言って喧嘩腰に話かけたら、案の定和邇は、すぐにこっちを振り向いたわ。



(――――ヤバ~……やってしまったのよさ……)



 その時……あたしは我が目を疑った。
 だって、あたしの声に反応した和邇は、一匹だけじゃなかったもの。


https://i.imgur.com/N8UT8c2.jpg


てゐ「和邇は一匹だけじゃなかった。一匹に見えたのは、和邇の群れの中で、”たまたまあたしが見える範囲にいた”一匹に過ぎなかった」


 完全にやらかしたと思ったわ。
 機嫌がよかったのは、なんてことない。和邇も宴の真っ最中だったのよ。
 つっても和邇の宴って、ちょっと想像つかないけど……
 まぁ要は、仲間同士集まって海の中でどんちゃんやってたらしいわ。



てゐ「まるで――――いつかのあたしみたいに」



【和邇の宴】






 和邇は案の定、みるみる内に集まって来た。
 「おい兄弟、一体どうしたよ?」
 「いやさ、なんかこの兎がいきなり……」
 そう言いながら海から顏を出す和邇の数と来たら、もう御一行様なんてもんじゃなくてさ。
 例えるならこう、海の中に「和邇の村」があって、その村の住人が、全員一つの場所に出てきたって感じ?
 

てゐ「あたしは……知らなかったのよ。海の中にも、こんなに生き物がいただなんて」


 後はまぁ、想像つくよね。
 集まって来た和邇が、事情を知るや否や、思いっきりあたしを睨んできてんの。
 それもなんか、無駄に数が多いもんだから、なんか段々とねじ曲がって伝わって……


てゐ「最終的にあたし、何故か”和邇の一族を皆殺しに来た殺戮兎”って事になってたわ」

てゐ「意味わかんなすぎて苦笑いも出なかったけど、そこはこう、和邇だけに尾ひれがついたって事にしといた」


 明らかに誤解されてるけど、もう弁明すんのもめんどいとおもってさ。
 だって、どーせ連中は所詮和邇。
 どんなけ怒らせても、こっちが島の奥まで逃げりゃあ追ってこれないし。
 それに三日もすりゃすぐ忘れるだろって……そう思ってた。


薬売り「逃げなかったのですか…………?」

てゐ「逃げなかった……と言うより、”逃げれなかった”」



(――――その井出達、よもや、かの地にて大蛇を下せし神人の如し)



てゐ「誤解した和邇が例えたあたしは……”向こうの世界”の英雄だった」



(――――八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を)



てゐ「逃げるわけにはいかなくなった……だってあたしは、まさにその”八雲の地”に行こうとしてたんだから」

薬売り(八雲……?)



【八雲】




(――――ちょ、ちょっと! その話、詳しく聞かせてほしいのよさ!)


てゐ「向こうの世界には――――常日頃から、事欠かない話題が飽きる程に溢れてる」

てゐ「それは島にはない現象……たかが時化如きに大騒ぎするような島には、決して訪れる事はない”稀”」


 よく考えたら、当然の事だった。
 だって和邇は、島と世界とを隔てる”海”に住んでるんだもの。
 島には噂すら届かない向こうの世界の出来事が、海の中までは十分届く。
 その証拠に、和邇は案の定、たくさんの事を知ってたわ……”あたしの知らない事”を、たくさんね。


てゐ「そんな和邇の群れに出会ったのは、もはや運命としか思えなかった」


 和邇の宴がやたら盛り上がってたのもそのせい。
 だって、和邇が海の中にいる限り、話のネタに尽きることはないもの。
 だから……”この機会を逃せば永遠に向こうに辿り着けない”。そんな気がしたのよ。
 だってあたし兎だし……兎は海を、泳げないし。


てゐ「でも半端に怒らせた分、すんなり頼まれてくれるとも思えなかった」

てゐ「そこであたしは考えた――――”取引をしよう”」

てゐ「この和邇共を何とか言いくるめて、必ず向こうの世界へ渡ってやる……あの時は、その事しか頭になかった」



薬売り(…………ん?)




【?】




てゐ「あたしは和邇に聞いた。あんたらやたら大所帯だけど、全部で何匹いるかわかってんの? って」

てゐ「和邇はすぐに返事を返した。俺たちゃ全員家族も同然。そんな事、気にもしたことがない。って」

てゐ「だからあたしは言ってやった。だったらあんたら、一人くらいいなくなっても、気にも留めないのねって」


 和邇は言い返した。
 「そんなわけがあるか」「家族がいなくなるのは辛いじゃないか」。

 あたしはさらに煽った。
 「だってあんたら、何匹いるかもわかんないなら、誰かがいなくなってもわかんないじゃない」。

 和邇はなおさら強く反論してきた。
 「俺たちは常に一緒だ。だから誰かがいなくなるなどありえない」。

 だからあたしは、ビシっと論破してやった。
 「じゃあ、たった今あたしに絡まれてたのは、どこのどちらさんだったかしら?」。



てゐ「群れから離れて泳いでたからこそ、あんたに声をかけたんだけど? って」



 そう言った瞬間、海の中からヒソヒソ話が聞こえてきた。
 「言われてみれば」
 「なんで離れた?」
 「いやなんとなく、気分で……」
 そしてあたしはトドメに一言言ってやった……
 「もしあたしが本当に殺戮兎なら、今この瞬間、少なくとも一匹は殺せてたわね」ってさ。



てゐ「案の定、連中は食いついて来たわ――――じゃあ、俺達は一体どうすればいい?」



 「大事な家族が気づかぬ間にいなくならないようにするには、一体どうすればいい?」
 こうなりゃ後はこっちのもんよ――――「大丈夫、あたしが数えてあげるから」。
 言い様に扱われてるとも知らずに喜んでる姿は、内心、そりゃもう滑稽ったらなかったっけ。



薬売り(いや……待て……)



【疑問】



てゐ「あたしは指示した……とりあえずお前ら、全員一列に並べって」

てゐ「そしてあたしは続けた。これからアンタらの上を跳んで、一匹一匹数えていくからって」



薬売り(それは…………)



てゐ「いーち、にー、さーん。頭を踏んずけられてるのに文句ひとつ言わない和邇は、あの時何を考えてたんでしょうね」



――――話中の所失礼する。
 黙って聞いているつもりだったが、しかしその話、どうにも突っ込まざるを得ないのだ。
 というのも、なんと言うか、その……
 ”どこかで聞いた事がある話”な気がするのは、気のせいだろうか。
 


【既視感】





てゐ「百八……百九……大分数えたつもりだったのに、まだまだ先は長かった」

てゐ「さすがにキツかったわ……それにぶっちゃけ、少し飽きてきてた」

てゐ「だからあたしは、息抜きがてら――――ふと後ろを振り向いたの」


……いや、やはり気のせいではない。
 今宵初めて聞かされるはずの、妖兎の身の上話。
 な、はずなのに――――何故身共は、この”続きを知っている”?


てゐ「振り向いた先には……本当の意味で、小さくなった島があった」

てゐ「自分の育った場所が……風船みたいに萎んでしまっていた」


薬売り(その話は…………)


 薬売りも勘付きよったか……。
 そうだ。この話を知っているのは何も身共に限らぬ。
 この後妖兎が如何様な行動を取り、如何様な目に合い、そして最後に誰と出会うのか――――
 それは、我ら二人だけが存ずる話ではないのだ。
  

てゐ「――――あの時の和邇には、本当に悪い事をした」

てゐ「騙すつもりなんてなかった……ちゃんと最後まで数えてやるつもりだった」

てゐ「なのに……彼方へ縮んでいくあの島を見てたら……”どこまで数えたか忘れてしまったの”」


薬売り(まさか……こいつ……)


 身共の予想通りだ……やはり妖兎は、”和邇を数えなかった”。
 だとすれば、もう決定的だな。
 あの退魔の剣すらも、妖兎が偽りを申しておらぬ事を、震えで持って証明しておるわ。


てゐ「ほんとうに……また同じ事を……”あの時振り返らなければよかったのに”」


 知らぬ者を探す方が難しい程、広く知られた御伽の話。
 それがどういうわけか、妖兎の語る過去とすべからく一致しておる。
 これらを顧みれば、妖兎の真の是非など――――たった一つの「解」しか残されておらなんだ。



てゐ「おかげ様で……しっかりと”戒め”られちゃった……」




薬売り(因幡の白兎――――!)



https://i.imgur.com/SMQQw5c.jpg





てゐ「今更……ごめん忘れちゃったなんて、言えなかった」

てゐ「かと言って……最初からやり直しなんてできなかった」

てゐ「何故なら、向こう側はもう目前――――あたしが目指した世界は、すぐ目の前にまで迫っていた」


 その後妖兎を襲った悲劇は、もはや言われずとも想像に難くない。
 苦し紛れに強がり、嘲り、うそぶき、そして和邇の報復を受けた。
 全てがかの話と繋がっておる……もはや確かめる術もない、「太古の史実」である。


薬売り「ではその傷は……その時の……」

てゐ「キッカケは……ほんの些細な自己保身だった」

てゐ「しでかした失態を何とかごまかそうと思って……”わざとそうした事にした”」



(――――や~いや~い、アホが雁首揃えて騙されやがった!)



てゐ「心の中で謝りつつも……陸地にさえつけば、”後はこっちのもん”だとも思ってた」



(――――う…………あああああああああ!!)



https://i.imgur.com/g2OHP01.jpg






(――――痛い……痛いよぉ……)



てゐ「あたしは知らなかった……和邇の牙が、あんなに鋭い物だなんて」

てゐ「あたしは知らなかった……海にいる和邇が、あんなに速いだなんて……」



(――――おい……そこの人間! ちょっとこい!)



てゐ「あたしは知らなかった……目上に対する口の利き方を」



(――――お前だよお前……みりゃわかんだろ! とっとと助けやがれ! このバカ!)



てゐ「あたしは知らなかった……傷口を塩を塗れば、傷は余計に悪化する事を」



(――――あ”あ”あ”あ”あ”痛い”い”い”い”い”体中が痛い”い”い”い”い!!)



てゐ「あたしは知らなかった……あれも、これも、全部――――”何も知らなかった”」




(――――痛い……痛いよぉ……)

(――――なんで……こんな目に……なんで……あたしだけが……)



てゐ「何も、何も知らなかった……体を走る痛みも、なんでこんな目に合ってるのかも、今どこにいるのかも」

てゐ「どころか……”自分の身の程”でさえも」


(――――こんなに痛いのに……こんなに辛いのにさん)

(――――あたしはどうして…………”まだ生きている”の?)



【転機】




(――――ただの……兎ですぅ……)

(――――あたしは卑しくて惨めな…………どこにでもいる…………ただの兎風情なんですぅ…………)



てゐ「そんな自分が…………たまらなく憎かった」



(――――兎の分際で……身の程を弁えなかったから……こんな目に合っているんですぅ……)



てゐ「愚かな自分を…………許す事が出来なかった」



(――――ありがとうございます。優しい旅の御方)

(――――この御恩、決して忘れません…………あなたに旅路の果てに、どうか幸運が訪れますように)



てゐ「だからあたしは――――旅に出た」

てゐ「無知で愚かな自分を捨て去る為に……”賢き者として生まれ変わる為に”」



(――――結婚なさるなら、心優しくて聡明な方が相応しいと思います……いつか出会った、あの方のように)



てゐ「今度は……振り向かなかった」



【旅立ち】



https://i.imgur.com/jcwJbtY.jpg



本日は此処迄



薬売り「…………」

てゐ「なによ、なにをボケっと呆けてんのよ」

薬売り「いえいえ、とんでもない……ただ」

薬売り「貴方様の語る過去が……”あっしが知っている話”と、よく似ておりましたので」


 薬売りが緩んだ表情になるその気持ち、身共もよく推し量れようぞ。
 遠く出雲の地に御座す、かの高名な社。
 そこに奉られる一羽の御神体が……よもや目の前におるなどと、一体誰が予想できたであろうか。


てゐ「あ……もしかして、眠くなっちゃった?」

薬売り「めっそうもない……逆ですよ」

薬売り「むしろ眠気など、とおの彼方に吹き飛びました……貴方様の話を、より深く聞きたいが為に」


 全く……薬売りとここまで意見が合う日が来るとはな。
 かく言う身共も今、腰が抜けそうな程仰天しておるわけだが……
 と言うのもだな。まっこと、恐ろしいまでの偶然なのだが、実は……
 この妖兎は、身共にとっても縁深き兎でな。


てゐ「なによ……急に乗り気になっちゃって」


 かつて若かりし頃、修験の修行に明け暮れておった頃の話だ。
 今となってはお恥ずかしい話なのだが……修行のあまりの厳しさに耐え兼ね、幾度か脱走を試みた事があってな。
 皆が寝静まる夜分深くに、こっそり山を抜け出してな……
 我ながら、よくぞあの真っ暗闇の山の中を、一人で降りようとしたものよ。


てゐ「人の失敗談が、そんなに楽しい?」


 夜の山が如何に危険であるかなど、今時童ですら知っている。
 しかしながら、当時の身共には、僅かながら一つの「勝算」があったのだ。

 と言うのもだな。修行場である霊山の頂からは――――視界一面に広がる”海”が見えたのだ。
 そして当時の身共は思った。
 あの一面の大海原から漂う、潮の香を辿れば、「迷うことなく山を下りれるのではないか」と。
 

てゐ「言われなくとも言ってやるわよ……そうしないと、この剣は抜けないんでしょ」


 しかし所詮は若造の浅知恵。
 そんなものが早々上手くいくはずもなく、結局は失敗に終わったのは、今や笑い話である。
 だがもしも、仮に、あの時の逃走が成功していたならば……
 身共は辿り着いていたはずなのだ。


てゐ「それにもうじき……”夜が明ける”」


薬売り「それも……そうですな」



 脱走の標と定めていた、霊山の目と鼻の先――――兎神の社である。


https://i.imgur.com/gXMaR1V.jpg





てゐ「夜明け……そう、あたしの旅は、まさに夜明けだった」

てゐ「後に日出国と呼ばれるようになる世界を……あたしは、縦横無尽に駆け巡った」


――――外の世界は、本当に知らないことだらけだった。
 毒キノコを食べて腹を壊したり、底なし沼にハマって溺れかけたり、家畜と間違えられて食われそうになったり……
 その他色々、何度も何度も、数えきれないくらいのヘマをやらかした。

 そしてその度に学んでいった……
 空っぽだったあたしの頭に、着実に「知」が積み上げられていった。


てゐ「高みへ昇っている気がした……まるで、日の出のように」


 そんな日々を繰り返していたせいか……
 いつの間にやら、人間の間でちょっとした有名人になっててね。
 
 人間は、会うたびに必ず一つ尋ねて来た。
 「兎や兎、何故にそこまで苦難を駆ける?」
 その問に対する返答は、いつも決まっていた。 
 「不幸とはすなわち代償。遥かなる高みへ昇る為の、言わば等価のような物に過ぎぬのです」。

 人間は、えらく関心してたわ。
 あたしの言葉によっぽど感銘を受けたのか、こっちが引くくらいあたしを讃えてきた。
 でもそれって、ちょっとおかしくない?
 要は「目標を達成するには多少の困難は付き物でしょ」って言いたかったんだけど、そんなの当たり前じゃん。
 兎より遥かに賢いはずの人間が、そんな事すら知らないとは、到底思えなかった。


てゐ「今思うと……”やっぱり人間の方が正しかった”」


 不自然に讃えてくる人間を尻目に、あたしは旅を続けた。
 道中の出来事は相も変わらず。行く先々でなんか起こって、その度に命からがら助かった。
 そうやって繰り返した――――何年、何十年、何百年と。

 ずっとずっと、同じ事を繰り返した。
 同じ事を繰り返して、その中で学んで……
 気づいたら、そんじょそこらの人間顔負けの、物知り兎になってたわけ。


てゐ「気づかぬうちに、地面が見えないくらいの高みに辿り着いてた……努力の成果がやっとこさ現れたんだって、そう思った」


 先が見えた気がした……
 いつか目指したあの高みが、ようやっと手の届く範囲まで来たんだって、そう信じてた。


てゐ「それでも、新たな災厄は――――あたしが昇る以上の速さで、次から次へと振って来た」




 いつからだろう。長く続いた旅の途中で、心境の変化があった。
 なんていうかな……「今度は何が起こるんだろう」「今度は一体どんな目に合ってしまうんだろう」ってな具合でさ。
 段々と、旅そのものに臆病になってる自分がいたわけ。


てゐ「まぁでも、何百年もピンチになり続けたら当然よね」
 
てゐ「でもそれも、経験から来る危機管理能力って奴? 旅で学んだ「知」の一つだと、思ってた」


 でも……違った。
 あたしが新たに覚えた警戒心は――――ただ元からある、臆病な兎の性に過ぎなかった。


てゐ「違ったのよ……何もかも。あたしが見た事、聞いた事、学んだ事……全部」


 何百年も続いた旅路の果てに、出来上がったのは――――”何も変わらない”小さなままの兎だった。
 その事を教えてくれたのは……やっぱり人間だった。
 そう、人間なのよ。
 何万人もの人間に出会って、喋って、もはや対等とすら思っていた人間……。
 その人間の事すらも、あたしは知らなかった。



(――――Oh! It's a cute Rabbit!)


(――――は……? なんて?)



 あたしは、またしても知らなかった……今こうして当然のように話してる言葉。
 このあって当然の言葉すらも、数えきれないくらい、たくさんの種類がある事を。



【種】



(――――What's!? Rabbit speaking!?)


(――――え? え? ちょ、何!? あんた一体何を言ってるの!?)



てゐ「その時出会った人間は、今迄出会った人間とは、何もかもが違った」

てゐ「黄金色に輝く髪。砂浜以上に白い肌。熊みたいにごつい体。そして…………”言葉”」



(――――So crazy……Japanese rabbits are like human beings……)


(――――わかんない……あんたの言ってる事…………全然わかんないよ!)



てゐ「あたしは……知らなかった」

てゐ「人間にもいろんな種類があって、その種類ごとに様々な違いがあって……さらにはその違いには、「知」そのものも含まれていた事に」


 そう、同じだったのよ。
 あたしが長年の旅路の果てに得た「知」は、あのちっぽけな島の中とまるで同じ。
 小さな生き物が集うあの小さな枠の中で、周りと比べればほんのちょっと大きかっただけの、”あの時の兎のまま”でしかなかった。


てゐ「あたしは知らなかった……国とは、そんな同種の人間が寄り添い集まってできた、言わば「小さななわばり」みたいなもんなんだって」



 だから、あたしは知らなかった。
 あたしが世界と思っていた場所ですら――――”小さな島に過ぎなかった”事を。
 


https://i.imgur.com/TBO3pHf.jpg



てゐ「長年かけて気づいたのは……何も変わっていない自分」

てゐ「ただ無意味に、年月を重ねただけの……一羽の賢しい兎風情」


 そしてあたしは知ってしまった。
 あたしが高みに近づいてたんじゃない。

 空があまりに広すぎて。
 出る日があまりに大きすぎて――――

 勝手に、近づいてる風に見えただけだって事を。





薬売り「世界はあまりに広すぎた……人間ですら、一粒の砂に見える程に」

てゐ「そんな砂粒以下の兎が、大層な事に世界を駆けると言い出せば」

薬売り「世辞の一つも、零しやしょう」

てゐ「そんな皮肉にも気づかないくらい……”兎はどこまでも無知だった”」


 後から知ったんだけど、あの当時は異国との交流が始まったばかりの頃でね。
 まぁ、文通みたいなもんよ。国と国の間に、互いの使者を送りあったりしてたんだって。
 そこから段々と、プレゼントを贈ったり、貰ったり、呼んだり呼ばれたりの関係になって……
 はは、こう言うとまるで、恋人同士みたいね。


てゐ「あたしが出会った異国人も、案の定そのクチで入って来た人間だった」

てゐ「”あたしの知らない”変わった物をたくさん持ってたわ。あれも今思うと、貢ぎ品かなんかだったんでしょうね」



(――――We came from here……)


(to――――……”THIS”)



てゐ「その中に……一枚の地図があったの」



(――――は、はは…………まじかぁ)



てゐ「今のに比べるとだいぶいい加減な地図だったけど……それでもちゃあんと、描かれてた」



(こんなに……小さかったんだぁ……)



 描かれた世界を見る事で……あたしはまた一つ、学んだ。



(…………たい……)



 それが、あたしにとっての――――”最後の知”だった。



(あ……だ……い……痛い……痛い…………!)


(――――What's?)



てゐ「あの時の異国人には…………悪い事をしたわ」




 だって、さぁ……





(――――あ”あ”あ”あ”あ”あ”!! い”だ”い”い”い”い”い”い”ッ!!)



(――――NOOOOOOOOOOOO!!)




 あたしが「諦める事」を覚えた瞬間……
 目の前に”皮の剥がれた化け物”が、現れたんですもの。


https://i.imgur.com/ZaCAwtY.jpg





薬売り「諦めたら……傷が……?」

てゐ「そう、傷。あんたもよく知ってる話とやら……の中で付けられた傷が、”時を超えて再び現れた”」

薬売り(どう言う……事だ……?)


【再現】


薬売り「傷は……癒えていなかった?」

てゐ「半分正解だけど、半分ハズレ――――傷は癒えてもいたし、癒えてもいなかった」

てゐ「ここまで言えば、もうわかるでしょ……その現象に名がある事を知ったのは、さらに先の話だった」

薬売り(猫……)


――――ここへ来てまたも「すれてんがーの猫」、か……
 学者の頓知遊びと言えば聞こえはいいがな。しかし門外の我らにとっては、論を思い出すのも一苦労と言う物だ。
 ただ……そんな無理問答も、薬売りにだけは解決でき申した。
 それは学者としてではない。「薬売りを生業とする者」が持つ見地が、たまたま同じ解を指したに過ぎなかったのだ。


薬売り「そうか……そう言う事だったのか……」

てゐ「そーよ。傷は明らかに、あたしの心に反応していた」

てゐ「長い時を経た今ですら、こうして残るように……あたしの心を、まるで鏡に映すかのように」


 あるはずがない箇所に走る幻肢痛。
 未だ解き明かされぬ奇病であるが、だがその入り口だけは、うっすらと見えていた。
 あくまで仮説の段階である。
 しかしまぁ、医学的な見解からすれば、数多ある可能性の中では最も有力なのだろう。



薬売り「あなたが本当に傷つけられたのは……」


てゐ「あたしが本当に、傷ついていたのは――――」



 してその説とは……これまた何の因果であろう。
 奇しくもそれは、薬売りが最も得意とする分野であったのだ。



てゐ「――――”ここ”だった」



 モノノ怪を生む情念。その根源を湧き立たせる箇所――――【脳】である。


https://i.imgur.com/BknU2Ah.jpg


メシくってくる



てゐ「あたしのこの、中途半端に賢しい頭脳が、何をどうしても「不可能」の答えを導き出した」

てゐ「それほどまでに、世界は大きかった……そして世界の大きさに対し、”あたしは余りにも小さすぎた”」


 文献によると、幻肢痛には脳と蜜月な関係があると言う説がある。
 その所説を紐解けば、結論として「脳が自身の変化に気づいていない」と言う事となる……らしいのだが。
 何がどうなってそうなるのか、ほとほと理解できぬは重々承知。
 だがまぁ、この妖兎の場合に限って言えばだが……
 はたまたどういうわけか、「癒えた記憶」だけが、すっぽり抜け落ちていると言う事となるわけだ。


薬売り「その事に気づけるほどに卓越した頭脳こそが、あなたを苦しめる原因でもあった」

てゐ「やめてよ卓越だなんて……”兎にしては”よくできてたってだけなんだから」


 手短に言えば、「脳の誤認知」と呼ぶべきか。
 してその誤認知は、それ自体は病ではなく、往々にして我らの身近にも起こりうると言う物。
 ほれ、皆の衆も一つくらい覚えがあろう? 
 勘違い、見間違え、聞き損じ、その他諸々の些細な失態……。
 思い返してもみよ。それらの「誤」が起こりし時の事を。
 その時その瞬間、一体何があった?。


てゐ「これを医学用語でなんて言うか……知ってる?」

薬売り「心的外傷。ですか?」

てゐ「はは、やっぱり知ってたか……」


【外目】




てゐ「想像つかないでしょ……全身の皮を剥がれて、さらにその傷口に塩をたんまり塗った時の痛みなんて」

薬売り「想像……つきたくありませんね、むしろ」


――――あたしの脳裏に「諦め」が過った時、”傷は再び現れた”。
 剥がれていく皮。滲む血。開く傷。そして、痛み……
 マジで、発狂するかと思ったわよ。
 大声で叫びながらその場を転げまわる兎は、周りから見たら獣同然だったでしょうね。
 ホントマジものすごい声を出したわ……今やれっつっても、絶対できないくらいのさ。


薬売り「そんな傷が……再び貴方に現れた」


 自分でもわかってるのよ。のたうち回る自分が、客観的に見てどれほど醜いのか……
 でも、体が勝手にそうするの。
 度を超えた痛みが、体も心も、何もかもを支配するの。


てゐ「度を超えた痛みは、体だけじゃなく、心も喰い散らかす」

てゐ「そして痛みは、どこまでも喰い続ける……喰らう物が無くなるまで」



 だから、迎える結末もやっぱり同じ。




てゐ「そしてあたしは、間もなく――――”壊れた”」




 体も、心も、何もかも――――過ごした時の記憶でさえも。




てゐ「あたしはその瞬間から……また、元に戻った」




 あの小さな島にいた当時と同じ、”何も知らない兎”に……ね。



【回帰】




薬売り「挫折が、幻肢痛の引き金だった…………?」

てゐ「かもね……まぁ、詳しい事まではわかんないけど」


 ああ、そうそう。
 元に戻るっつっても、何も100%全部を忘れるわけじゃないのね。
 当時の記憶であろう断片は、一応残ってはいるのよ。
 例えばほら、今言った島にいた事とか、宴をした事とか、和邇を怒らせた事とか、人間に助けられた事とか……


てゐ「ただ……その前後関係がない。言い換えれば、”なんでそうなったのか”を覚えていない」


 毒キノコを食べてお腹を壊した事は覚えているけど、なんで毒キノコを食べようとしたのかがわからない。
 底なし沼にハマって溺れかけたのは覚えているけど、なんでそんな沼にハマったのかがわからない。
 家畜と間違えられて食われそうになった事は覚えているけど、なんで家畜に間違えられたのかがわからない。


てゐ「わかる? あたしの記憶は、全部”結果”でしかないの」

てゐ「そこに至るまで過程を省いた、チグハグな欠けたパズルのような記憶……」

てゐ「だから、根こそぎ全部かき集めても、どこにも繋がっていない」

てゐ「どこにも繋がってないから……覚えていない」


――――この話……まるで浦嶋子の物語を彷彿とさせるな。
 ん? 誰だそれはだと? おっと失敬……「浦島太郎」の事で御座るよ。

 で、もう一度言うが、似ていると思わんか? 
 皆も知っての通り、浦島太郎は竜宮城から帰還して初めて、何百年もの時が経っていたと知ったのだ。
 すなわち竜宮城は地上と時の流れが違っていた……言い換えれば、”時が流れる自覚がなかった”。


てゐ「あたしは今……”何回目”の旅を繰り返していたのかさえも」


 ほれみよ、やはりそっくりではないか。
 この妖兎も同じくして……時が流れた記憶など、なかったのだから。




てゐ「おかしいと思っていたのよ。話しかけてくる人間がやけに馴れ馴れしいし……どころか異国人まで絡んでくるのよ?」

てゐ「言葉が通じないはずの異国人が、当然のように話しかけてきて、しかも親切に異国の品々を見せてきた……」

てゐ「で、なんであたしに――――その記憶”だけ”が残っているのか」


 まぁ浦島の方は、最終的に「時相応」の見た目になったから、ある種それでよかったのかもしれんがな。
 しかしこの妖兎は違う。
 妖兎は老いるでもなく、玉手箱のような何かを得たわけでもない。
 ただ、ある日唐突に――――未来へと、飛ばされたのだ。
 

薬売り「異国の言葉を知っていた……いや、その時点では学んでいた」

薬売り「どの程度習得していたのかは存じませんが……少なくとも、他愛ない会話はできる程には」

てゐ「でもそんな折角の知識も、今や何にも覚えていない」

てゐ「憶えてないのに増え続ける、どこにも繋がらない記憶の欠片達」

てゐ「かろうじて残る小さな断片が、紡ぐ答えは――――”最も知りたくなかった答えだった”」


 我ながら言い得て妙な表現である。
 時を駆ける兎……か。
 そんな摩訶不思議な体験ができるなら、身共も是非体験してみたいと言う物である。
 ”覚えてさえいれば”な。 



てゐ「あたしは――――”同じ旅を繰り返していた”」



https://i.imgur.com/queKosL.jpg





てゐ「あたしは繰り返していた。何度も何度も……同じ野望を持ち、同じ志を目指し」

てゐ「何十年、何百年と、何度も何度も……いつか不可能だと悟り、諦めるまで」



――――そしてその過程は、痛みがキレイさっぱり喰らい尽くしてしまう。



てゐ「そして何もかもを忘れたあたしは、いつかまた、志す……世界の「知」を得る為に」

薬売り「その旅路の果てに、またいつか、不可能を悟る……」



――――そして、また戻る。
 中途半端に残った、記憶の断片と共に。



てゐ「決して終わる事のない旅……広い空の下で、延々と巡る大きな輪っかのような道筋」



 そんな終わりなき旅路を、人は――――”永遠”って呼ぶのよ。



【廻旋】



てゐ「どお? 笑っちゃうでしょ……あたしってば、夢破れる事すらできないのよ」

てゐ「誰しもが、いつしか悟る、分相応……あたしは全知を望みながら、なのに身の丈すらも測れないの」

てゐ「本当に……ホント……おかしいったらさんありゃしない……」

薬売り「……」


――――妖兎の口数が、目に見えて減っていた。
 自身の半生を思い起こす事で、自身が如何に悲しき性を持つのか。
 それらの全てを、改めて認識し直したのだろう。

 そして、憐れんだ……自分自身を。
 その眼には、うっすらと涙が浮かんでいたようにすら見えた。



てゐ「あまりに愚かで……惨めにも程がある兎」


てゐ「何もかもを忘れて……何も積み重ねる事が出来ない、ただの獣」


てゐ「…………」



 退魔の剣は、ただ震えるのみであった。
 してその震えが、妖兎が、嘘偽りなき真を述べている事をしかと表しておる。

 薬売りからすれば、その震えは、数ある真の中の一つに過ぎぬのだろう。
 しかし身共からすれば……と言うより、”薬売り以外からすれば”。
 妖兎の涙に応え、励ましていたように見えなくもなかったのだ。




薬売り「ん……?」



 さて……ここまでくれば後少しと言う物なのだが。
 しかし肝心の妖兎が、こうして語りの最中に口を閉じてしまった。
 さっきまでの饒舌ぶりはどこへやら。
 今や、うっすらと涙を浮かべながら……ただひたすら天を仰ぐだけの存在に成り果てたのだ。



薬売り「これは、これは……」



――――しかし心配はご無用。
 誰が何と言おうと、妖兎の真は、すでに”最後まで語られる事”が決まっておるのだから。
 


薬売り「いつの間に……戻ってこられたのですかな?」



 故に妖兎がいくら押し黙ろうと、何ら一切の問題がない。
 そう、妖兎は持っているのだ。
 自らが口を開かずとも――――思いの丈を、”勝手に代弁”してくれる者共が。 


https://i.imgur.com/dDdPrWG.jpg






薬売り「なるほど、ね……」


(…………)


薬売り「巻き戻る記憶の中で、幻となった記憶の断片……」

薬売り「その欠片こそが…………”貴方方兎だった”と言うわけですか」


 薬売りは、妖兎が操るこの兎の群れこそが、”無くした記憶の断片達”であると推察した。
 それが当たっているかどうかはわからない。
 だが、薬売りにはどちらでもよい事である。
 妖兎の持つ、真と理を知ることさえできれば――――集いし兎の正体など、どうでもよかったのだ。



(きゅう~)



薬売り「ええ……わかっておりますとも」

薬売り「では、そろそろ終わらせるとしましょうか……」

薬売り「この永遠亭が残せし……”最後の理”を」


 薬売りはそう言うと、兎に向かってとある物を投げつけた。
 その物は、投げられると同時フワフワと宙を漂い、そして兎の頭上へと緩やかに舞い降りて行く。

 ”凜”――――着地と同時に綺麗な鈴の音がした。
 そうだ。薬売りの投げたそれは、いつぞやの【天秤】であったのだ。


https://i.imgur.com/DiiXVWw.jpg


 前から思っていたのだが……この天秤、やはりただの天秤ではない。
 曰く「モノノ怪との距離を測る為の物」らしいが、効果は明らかにそれだけではない。
 なんせ身共もその場にいたのだ。そして、確かに見た。
 「真を手繰り寄せる」――――そう言った直後、真が風景となりて現れる様を。



薬売り「……おや」



 此度の天秤もその時と同じである。
 薬売りはあの時のように、天秤を用いて、妖兎の持つ「真の風景」を浮かべようと画策したのだ。



 そしてやはり――――現れた。





薬売り「これは……」





 自称「惨め」で「愚か」で「何よりも矮小」でありつつも――――”誰よりも幸せだった”真が。



https://i.imgur.com/l3KnLHf.jpg


本日は此処迄



薬売り「雪景色……ですか」

薬売り「随分果てまで、旅した物ですな」


――――気に入ってたのよ。
 だってこの白い景色、ほら……まるで、兎みたいじゃん?


薬売り「それにここなら……”醜い自分を覆い隠せる”とでも?」


 むかつく言い方……だけど、当たってるのが辛い所ね。
 そうね。確かにここなら、皮が剥がれようが血みどろになろうが……白いままでいられる。


「でも、それだけが理由じゃなかった……てゐがこの地に長く留まったのは、笑えるくらい単純な話」


薬売り「してその理由とは……」


――――ちょうど、”折り返し地点”だったのよさ。
 永遠に続くと思ってた、長い長~い旅路のね。


https://i.imgur.com/ACOXu4o.jpg




薬売り「ああ、なるほど……」


 行きと帰り。往復する分道が二つ重なってたから……
 その分、その地にいる時間が増えたんだ。
 

薬売り「だから……そんなにも」



【蒐集】



兎「まぁ当の本人は、そんな事、てんで覚えていないでしょうけど……さ」


薬売り「いいじゃないですか。その分……貴方”方”が、いるんですから」


兎「それもまぁ……そうね」




((そーーーーだねーーーー))



https://i.imgur.com/cI0XemN.jpg


>>466
間違えて消した
https://i.imgur.com/QNWSWJb.jpg



薬売り「おや……」


【雪】


薬売り「また……降り始めましたな……」

兎「北国だからねえ。むしろこんなのは日常茶飯事」

兎「酷い時には、全身すっぽり埋まっちゃうくらい積もるんだから」

薬売り「寒く……なかったので?」

兎「ふふん……そこはやはり素人ね、ちんどん屋」

兎「いい事? 兎ってーのはさぁ……とっても寒さに強い生き物なのよさ」

薬売り「ほほぉ……」


 いい機会だから教えといてあげるけど、あたしら兎にとっちゃあ、冬ってーのはまさに桃源郷でね。
 ほら、うちら冬眠とかしないじゃん?
 だからうちらにとっちゃぁ、雪ってば、言わば「自由への合図」なのよさ。



((キャハハハハ――――))



 うちらを襲う天敵は、雪と同時に夢の中。
 その間どこへ行こうが何をしようが、誰にもなんにも目をつけられない。
 おまけに餌はどんだけ放置してても腐らないときた……
 いやはや、まさに素晴らしいの一言だわね。



https://i.imgur.com/UM07Zcu.jpg




兎「それにさぁ…………ほら」
 



https://i.imgur.com/EVaOyCe.jpg




 雪みたいに――――”白いままでいられるから”。






薬売り「あれは……何巡目の兎なのでしょう」

兎「さぁねえ……途中から、数えるのやめちゃったし」

薬売り「おや、どうしてまた……?」

兎「だって、どーせキッチリ数えたって、すぐに数は変わっちゃうしさ」

兎「そもそもただでさえ大所帯で大変だし。そんなの、面倒くさくてやってらんないわさ」

薬売り「数を数えるのが……お嫌いなのですね」




(ぎゃあああああ――――……)




兎「――――ほら、噂をすれば」



https://i.imgur.com/8oKSygT.jpg



兎「はい、おつかれさん――――”今回の一生”はどうだった?」



――――ほんともうマジ最ッ悪!
 変なガキがいきなし弓矢で狙ってきてさぁ! 
 あのクソ成金、一体どういう教育してんのかしら……
 子供のしつけくらい、ちゃんとしとけっての!



兎「あらあら、それはそれは……」



 あーあ……折角いい寝床を見つけたと思ったのになぁ……
 あ~もうむかつく! 
 金輪際、あの家には絶ッ対近寄らないんだから!



兎「でもあんた……そもそも家主に許可取った?」



 う……取って……
 
 …………ますん。



兎「おぅけぃ。取ってないのね」


薬売り(兎が……”産まれた”)



【御産】







(か~ご~め~か~ご~め~)



兎「おや、今度はやけに楽し気だね」

薬売り「童歌……」

兎「ほんと好きだねぇ……ついさっき、ガキに殺されそうになったばかりだってのに」




 かごめかごめ 籠の中の鳥は

 いついつ出やる 

 夜明けの晩に

 鶴と亀が滑った



https://i.imgur.com/Ax8R02Z.jpg




 後ろの正面だあれ?




https://i.imgur.com/j9aDFm6.jpg




兎「はい、おつかれ~」





兎「で……今度はどうだった?」


 つ、疲れた……
 それはもう、しばらく動けないくらいに……


兎「おや、そりゃまたどうしてだい?」


 ほんとマジ聞いてよ……なんか気のいい人間がいてさ。
 あたし用の部屋を貸してくれるって言うから、お言葉に甘えて転がり込んだのさ。


兎「あら、いい人じゃん」


 と、思うじゃん? そこまではよかったんだけど……まんまと引っかけられたわ。
 住んでびっくりよ。
 そこはなんと、日々たくさんの人間が出入りする”貸宿”だったのさ。


兎「おおう……そりゃまたご苦労さんなこって」



https://i.imgur.com/sMv82cB.jpg



 人間のしたたかさ、マジ侮り難しって感じよ。
 兎相手にそこまでやるかってくらい、そりゃもう馬車馬の如く働かされたわ。
 毎日毎日、見知らぬ人間と握手握手握手…… 
 あのババアめ、ハナッからあたしを、客寄せに使う気だったんだわ。


兎「何それ。千両役者みたいでウケる」


 で~も~……ふふん。
 働いた分の報酬は、キチっと受け取って来てやったわよ。



兎「あっ」


薬売り「…………」



 じゃ~~~んッ! 今巷で話題の「鶴の織物」!
 ババアが代金代わりに受け取ったのを、さらにぶんどってきてやったのさ!




兎「いーなー」




((いぃ――――なぁ――――))



https://i.imgur.com/SOsadnN.jpg






兎「とまぁこんな感じで、段々と増えてって……気がつけば、ちょっとした大所帯になってたって話だわさ」

薬売り「してその全ては……同じ兎から枝分かれした自分」

兎「詩的だねぇ。そんな大層なもんでもない気もするけど」

薬売り「いえ……ただ……随分と似ているなと……」



(――――だって……あたしは常に、あんたと一緒だもの)



兎「んお? 誰とだい?」

薬売り「なんでもありません……ただの、独り言です」

兎「見た目通りの、変な奴だねえ」




(あ”あ”あ”あ”あ”! い”だい”い”い”い”い”い”!!)




兎「とか言ってる間に、まーた一羽増えたわさ」

薬売り「……お疲れ様です」



 ――――え、ちょ、誰……? 
 そのちんどん屋みたいな格好の奴。



兎「ああ、こちら、最近越してきた薬売りさん」

兎「なんでも……てゐの真と理が知りたいそうだよ」

薬売り「どうも……」



 はぁ……。
 なんかよくわかんないけど、遥々ご苦労なこってです、ハイ。



【会釈】



兎「でも、中々見えなくて困ってらっしゃるのよさ」

兎「だってほら……”本人自身が忘れちゃってる”からね」



 あー……なるほど。お手上げな感じなのね。



薬売り「延々と繰り返す堂々巡りの前に……よもや、永遠にたどり着けないのではとすら思えます」



 ま、確かに。残念ながらてゐが「知」を得る事は、永遠にないんだけどさ。
 でもさ、でもさ、別に……この旅自体は、永遠じゃないわよ?



薬売り「旅に終わりが……?」



 百聞は一見にしかず。
 その眼で確かめてごらんよ――――ほら。




(こ……こ……は……?)
 



 長い長い旅路の果てに――――ついに、辿り着く事ができたわけ。




(ここ……は……)



(この…………”島”は…………!)




兎「文字通り、一周してきたのよさ――――”最初の場所にね”」



https://i.imgur.com/BKUzadl.jpg




メシくってくる



兎「何もかもを忘れてしまう、老人顔負けの痴呆兎だけどさ」

兎「でも、あの島の事だけは、ちゃ~んと覚えてた」



(は、はは…………まじかぁ…………)



――――で、もちろんてゐが知ってるから、うちらもあの島を知っている事になる。


兎「あの島は、この長く続いた旅路の……始まりの地でもあり、終わりの地でもある」



【到達】



兎「これ以降……仲間が増える事はなかった」
 


 何故ならば、てゐはもう、何も忘れなかったから



(夢の中の風景だと思ってた……まさか、本当にあっただなんて)



兎「痛みが現れなかったから……記憶はずっと、てゐの中に残り続けたんだ」

薬売り「言うなれば……”心折れる事が無くなった”」



【出航】




【漕】



(よっこらせ――――うんとこどっこいせ――――)



薬売り「船……ですか」

兎「そ、船。つってもまぁ、その辺の廃船をテキトーにかっぱらってきただけなんだけどね」

薬売り「今度は……和邇を伝っていかなかったのですな」

兎「はは、そりゃそーでしょ。前回あいつらにどんなけえらい目に合わされたと思ってんのって話よ」



(し、しんど……ちょっと休憩……)



兎「でもまぁ……結果的には、そう大差なかったんだけどね」

薬売り「…………?」



 近づけば近づくほど、在りし日の記憶が脳裏を過った。
 やっぱり島は島だった……もはや、いつぶりの帰郷かも忘れてしまっていたけれど。
 それでも島は、あの時振り返った光景と、何も変わっちゃいなかったんだ。



兎「島は何も変わっていなかった……けどてゐの方は、当時と異なる”決定的な違い”があった」



 それが――――うちら。
 てぬが忘れてしまった記憶から生まれた、ウン万年分の知の欠片達。



【智識】



兎「ウン万年以上も溜め込んだんだから、そりゃあ、探せば一羽くらいいるわさ」

兎「――――”船の直し方を覚えた兎”くらい、さ」


(くっそー……やっぱり帆くらいつけとけばよかったかも……)

(風の勢いに任せれば、こんな程度、ビューンと一っ跳びなのに~……)


 とかって本人は言ってるけど、実はこれ、結果的には大正解だったのよね。
 あんたも思ったでしょ? 直し方を覚えたにしては、えらいボロっちいなって。


薬売り「まぁ……修繕済と言う割には、どうもいい加減と言いますか……」


 ま、確かに元々朽ちた廃船だったけどさ。
 でも別に、いい加減に直したってわけじゃないのよさ。 

 この時のてゐは――――望んでたのよ。
 快適な船旅よりも、”一刻も速く”辿り着く事をね。



兎「でも……」


薬売り「でも……?」



薬売り「――――おや?」



【暗雲】



薬売り「見るからに……雲行きが怪しいのですが……」

兎「ふふん、まぁ見てなって」



(なんか……すこぶるやな気配……)


(――――ゲッ!?)



兎「船の作り方を覚えた兎がいるんだから、”天気の読み方を覚えた兎”がいても、おかしくないよね」

兎「だからその兎は、今後の荒れ模様をこっそりと教えてあげた……けどその告げ口は、すでに海の上にいるてゐには意味がなかった」



(うそでしょぉぉぉぉおおお――――ッ!?)



https://i.imgur.com/U5TLhYA.jpg



――――都合優先で直したボロ船は間もなく崩壊。
 てゐは海の中へと放り込まれ、荒れる海の中を死に物狂いで泳いだ。
 多分この時、本気で死ぬと思ったんじゃないかな。
 だとしたら滑稽よね……”すでに何度も死んでる”ってーのに。
 







【浮】



(ブハッ――――ガボッ――――)



薬売り「これが……正解……?」

兎「うん、正解」



【沈】



(ガハッ――――ゴボボボボボ――――!)



薬売り「どう見ても……溺れているのですが」

兎「”泳ぎ方を覚えた兎”が付いてあげてたみたいだけど、どうやら、途中で中断したみたいね」

薬売り「何故……?」



【雷雨】



 知ってたからよ……この荒れる海原は、この島の周辺にはよくあるただの時化だって。



【暴風】



兎「知ってたからよ……これは久しぶりに帰って来た兎への、あったかな出迎えだったんだって」




 知ってたからよ…………


 これは…………


 一羽の兎を育ててくれた…………


 島の…………






((やさしい…………やさしい…………))






【波浪】




https://i.imgur.com/jEvPkjl.jpg



本日は此処迄




【そよ風】



薬売り「…………」



【さざ波】



兎「…………」



【波打ち際】



薬売り「中々……打ちあがってきませんな」

兎「ありり? 場所を間違えたかなぁ」



【待ち惚け】



薬売り「この辺りは潮の流れが複雑だ……船乗りですら、時折間違える事もある」

兎「でもまぁ、ほっときゃその内どっかに着くと思うけど」

兎「まぁ……いいか」

薬売り「……?」



――――しょうがない。先に行って待っとこうか。



薬売り「何処へ……?」

兎「ついてきて……そんなに遠くないから」


https://i.imgur.com/4zHDS9h.jpg




兎「ところで薬売りさんはさ……やっぱり”てゐの事モノノ怪だと思ってるの?”」

薬売り「いえ……どちらかと言うと”貴方方の方が近いかと”」

兎「う~ん、ハッキリと物を言う奴だわさ」


――――でもさ、でもさ。
 最初にあんたの言い分を聞いて、ずっと引っかかってた事があるのよね。
 「モノノ怪は斬らねばならぬ」。
 そりゃ悪さばっか働くってんなら、ぶった斬って懲らしめてやんなきゃって話だけど?


兎「でも、じゃあ、仮に……モノノ怪が”生きとし生ける者の為に”存在しているのだとしたら」

薬売り「モノノ怪が……命ある者の為に?」


 だって、考えてもごらんよ。
 かつてこの島は、全てが一つだった……人も、獣も、虫も、花も。
 相容れないはずの全くの別種の生き物。
 なのにそんな別物同士が、この島に限り、共に宴に酔いしれるくらい一つだった。


兎「……なんでだろ?」

薬売り「……なんででしょう」



 これって、人間同士でも同じ事が言えるよね。
 例えば、さっき見た北国のガキンチョと、一面海に囲まれた島で育ったここの子供。
 果たして彼らは、同種の人間と言えるだろうか。


薬売り「全く同じ……と言うわけには、いきませんな」

兎「そ、言えないよね~。だって、生まれも育ちも、何もかも違うんだもんね」

兎「育った環境が違うから常識も違う。発想も違う。生き方も違う。ついでに言葉使いも若干違う」

薬売り「ま……多少の分別は避けられないでしょう」

兎「そんな違う者同士を、仮にこう、狭ッ苦しい同じ家へと入れた時……果たしてこの違う者同士は、どうなっちゃうだろう」

薬売り「当然……そこには”摩擦”が生まれる」

 

『――――互いの内にある些細な違いが、双方に細かな傷をつける。
 細かな傷は、擦れば擦る程に増えていく。
 それはまるでやすりのように、続けば続くほど、ドンドンとすり減り削られて行く……
 そして最後には、消える』



兎「その場合、残るは強度に優れた鉄製のやすりか、加工に秀でた銅製のやすりか……」

兎「はたまた、”両方共消えてしまうのか”」

薬売り「どちらにせよ……壊れた道具は、捨てられるのが常ですぜ」

兎「道具はね。でも、生命はそうじゃない」

兎「ほら、見てごらんよ。ここにはそんな……”擦り合った痕”がいっぱいだ」



【墓】




薬売り「墓地……?」

兎「ねえ薬売りさん……薬売りやってんなら、不思議に思った事はないかい?」

薬売り「なにが……?」


 何もかもが違う所だらけの生き物なのにさぁ。
 こうやって……”命尽きた者への対処”は、みんな一緒だよね。


兎「誰に教わったわけでもないのに、自然とみんな、土に埋めるよね~」

兎「……なんでだろ」

薬売り「その問に答えるのは簡単だ…………”宗教”ですよ」


『その者の生きた証であり、大地への寄与でもあり、時には権力の誇示にも使われる。
 してその根源は、”奉る”事。
 無を認めず、故人に思い馳せる事で、「浄土にあり続ける」と思い込もうとしている――――』


『そしていつか我が身が骸と化した時。
 自らもまた浄土へ至らんと言う……言わば、生者の理。』


薬売り「ま、細かく言えば、それもまた各々で異なるようですが……ね」

兎「――――アホ。誰が墓の起源を語れと言ったんだわさ」

薬売り「おや、違うので……?」


 ったくこれだから天然は……
 ごく一般的な考えでいいんだわさ。
 ごく普通に考えて、人間は墓を立てて、一体そこで何をするんですかって話だわよ。


兎「祈るんでしょうが……死者の幸せを」



兎「――――あんな風に」



https://i.imgur.com/a568Rgs.jpg




薬売り「いつの間に……」

兎「伝え聞かなくても、誰にも教わらなくても、ああやって死者の前では、みーんな同じ事をするよね」

兎「こう、両手を握って……目を閉じて、祈る」

兎「まるで、眠りにつくかのように」


【祈祷】


 人も、獣も、虫も、鳥も――――誰もかもが、死者の前では皆、ああして等しく同じ作法を真似る。
 不思議だよねぇ。教わるどころか意思疎通すらできない者同士なのにさ。 
 だとしたらさ、これはひょっとして、ひょっとすると……
 全ての生き物は――――”元々一つだった”のかもしれないね。


兎「元々一つの生き物だった時に覚えた事が、今も頭のどこかで残ってる」

兎「だから、無意識に同じ行動をとる……って考えたら、しっくりこない?」

薬売り「わかるような……わからないような……」


 ごめんごめん、ちょっと話が飛躍しすぎたわさ。
 別にご高説垂れたいわけじゃないの。
 ただ、ちょっと例えたかっただけ。
 この墓の下に眠る彼らと……一つの時を共有した、一羽の兎とさ。


薬売り「ではこの墓に眠るのは……かつて共に宴に酔いしれた、八百万の生き物達……?」

兎「そしててゐが旅してる間に、てゐだけ残してみーんな土の中」

兎「……ってもまぁ、何百年も経ってんだから当たり前っちゃあ当たり前なんだけど」


 天寿を全うした彼らの死に目に立ち会えなかった事に、思う所あったんでしょうね。
 だからああして、祈った……
 

【悼】


 遅すぎた哀悼。後悔先に立たず。
 喧嘩別れ同然だった最後の記憶が、てゐの心にズンと圧し掛かる重しを乗せた。



兎「同時に猛った――――”また仲間外れか”と」



 そもそも、別れの原因が「仲間外れにムカついた」だったからね。
 こうなるともう、とてつもなくびみょ~な心情よさ。
 怒りをぶつけようにも、あの時の面子はもう誰も残っちゃいない。
 かと言って、大手を振って喜べる程の憎しみも、残っていなかった。



兎「結果、何とも言えぬわだかまりが残った……哀悼と背徳が、同時に内在していた」 



https://i.imgur.com/1psnbhh.jpg




兎「でも――――そのわだかまりは、すぐに打ち解ける事になる」



【真実】





(ふざ……けんなよ……)



 真相は――――仲間外れなんかより、もっともっと”意地の悪い物”だった。



(どいつもこいつも……よってたかって……)



 そうして久方ぶりの故郷は――――てゐに今度こそ、一生消えない”傷”をつけた。



(最低よ……本当に……)



(最……低……)




 その傷こそが――――あんたの言う【理】って奴さね。




薬売り「これは、これは……」

薬売り「なんとも立派な……理で……」

兎「そ、所謂……”加護の中”って奴だわさ」



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薬売り「ここはよもや……先ほど兎が言っていた……」

兎「鋭いね薬売り。そう、この場所こそが……”かつて兎が世界を見た場所”さ」


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兎「う~ん、やっぱりいつ見ても絶景だわさ」

薬売り「なるほど……確かに、切り取りたくなる風景だ」

兎「さすがに雨が降ったらちょっと霞むけどね……でもその後は、”決まって虹が架かる”」

薬売り「その虹が架かっていたからこそ……”世界は兎の目に触れた”」


 みんな気づいてたんだわさ……兎が外に行きたがってる事をね。
 だってそりゃあさ、毎日よろしくやってた兎が、突然景色ばかりを見るようになったんですもの。
 大変だったと思うわさ……”わざと気づいてないフリ”をしてやるのも。 


薬売り「兎がいなくなったこの地で……残された者共は、兎の墓を建てた」

兎「墓って表現はちと微妙だね。この場合、”兎がいなくなる前から進んでた”って言った方が正しいわさ」

薬売り「おや、どうして……?」


 兎の思惑に感づいた島の生き物たちは、こっそりと、とある計画を企てた。
 その内容こそが「海を渡る方法」。
 島の生き物達は、決まった時間に話し合いの席を設けた――――兎だけを外してね。


兎「こういうのを、異国の言葉で”さぷらいず”って言うらしいわさ」

薬売り「驚き……の意ですな」


 ただ一つ、その「さぷらいず」計画には問題があったのよさ。
 悲しい事に……揃いも揃って”アホ”だった。
 もう、それは、今では考えられないくらい……だーれも、なーんも知らなかったのよさ。


兎「作り方とか以前に、船と言う存在すら、もうほんと、何もかもを」
 
薬売り「まぁ時代が時代ですから、そこは……」


 おかげで秘密の計画は大幅に遅延……ていうか、始まりすらしなかったわさ。
 だって、だーれもなーんも知らないんだもんね。
 そして、何も始まらないまま、兎だけが知らない秘密ができた……



(――――ずっと小さなままでいればいいのよさ……こんなちっこい、塵みたいな島で)



 結局、そんな内緒の「さぷらいず計画」は、一つの不幸を生んでしまった。
 本人も言ってた通り――――兎がそれを「仲間外れ」と受け取ってしまった事さね。



【曲解】





兎「みんな、そりゃあもう困ったでしょうね……誤解を解きたくても、解けなかった」

兎「辛かったと思うわさ。だって……みんな、”てゐが大好きだったから”」

薬売り「……」


 そうやって切羽詰まってきた末に、ある日誰かが言い出した。
 「――――海の事は海の生き物に聞けばいいじゃないか」。
 本来、陸の生き物と海の生き物に接点なんてない……はずなんだけど、その島の住人だけは、ちょっとしたコネがあってね。


薬売り「…………和邇?」


兎「そう、和邇――――まぁ、接点っつーより”因縁”に近いけど」


 陸と海。異なる場所の異なる生き物同士。
 お世辞にも良好な関係とは言えなかった……けど。
 その時その瞬間、両者はついに垣根を超える事ができた。


兎「キッカケは、兎――――兎を思う気持ちが、ついに大地と海とを跨ぐ”橋”となった」


【以心】


 その時、ようやっと計画は動き出したんだわさ。
 島の生き物は、見返りとして”共に酔いしれる楽しみ”を教えた。
 そして目覚めた――――仲間と言う概念を。


【伝心】


 酔いしれる楽しみを覚えた和邇は、約束通り海を渡る方法を教えた。
 この時和邇が島の連中に教えたのが、「船」と呼ばれる物だった。
 これは後に、島に「海の幸」を齎す事になるんだけど……これはまた、別のお話さね。


兎「これがキッカケで、島と海の生き物は共に手を取り合う事ができるようになった……ま、それでも小さな諍いはあったようだけどさ」



【締結】



薬売り「しかし……肝心の兎がいなかった。両者は手を結ぶ事ができた代わりに、当の兎は孤独になっていった」

兎「そう……やっとの思いで船を完成させた時。兎はもう、”島の住人じゃなくなっていた”」

 
 手渡される事のなかった船は、それでも大事に扱われ続けた。
 いつか兎に、秘めた思いを伝える為に……

――――そこで連中は話合い、まずは船の保管場所を決めた。
 兎を含めた全ての島民が知る、共通の場所。
 そこは、「かつて兎と酔いしれたあの場所が相応しいだろう」と、満場一致の決議がなされた。


薬売り「それが……”ここ”」

兎「そう……”ここ”」


 後に誰かの提案で、この場所を示す目印が建てられた。
 帰って来た兎がすぐに気づけるように。
 天にも届きそうな程の、高い高い目印を建てた。

 さらに後に、これまた誰かの提案で、雨風に晒されぬ保管用の倉庫までもが建てられた。
 時と共に朽ちてしまわぬように。
 いつか渡す時まで、守り切れるように。

――――さらにさらにその後。
 誰かの悪ノリをキッカケに、周囲ははあれやこれやと過剰な装飾で飾られていった。
 やれ石像だの、やれ縄だの、旗だの、布だの、箱だの……
 本来必要としなかった物が、次々と足されていった。



兎「そうやって思いつくままに手を加えながら、何日も何日も待ち続けた――――何か月も、何年も」



 結果、ただの高台だったはずのその場所は、明らかに元の形から離れていった。
 家でもなく倉でもなく、休憩所にしては無駄に豪勢だし、宿に使うならちと狭い。
 そうやって気がつけば……元の目的からすらも大きく外れる、用途不明の建築物と化していたんだ。



薬売り「言い換えれば……”時と共に成長していった”」



 そう……島の生き物達はずっと待ち続けたのよさ。
 健やかに育ちながら……全ては”来るべき時の為に”。
 毎日兎が訪れた、あの虹の架かる高台へとね。



【思做】



薬売り「それでも兎は来なかった……何故ならば、”とおの昔に旅立った後だったから”」

兎「そんな事なんて知る由もなかった……”兎が全てを忘れてしまっている事なんて”」



 そうして、何もかもを知る事のないままに――――ついには全員、逝ってしまった。



【未達】



薬売り「その後、その用途不明の建築物を、誰かが崇め奉る場所と勘違いし……今や立派な”社”となった」

薬売り「と、言った所ですかな」



(――――痛い)



兎「そうね、大体そんな感じ……だけど……」

薬売り「……?」



(痛い――――痛いわ――――体中が――――走るように――――)



兎「それよか…………頭、下げといた方がいいよ」

薬売り「なにが……」




(痛い――――痛い――――痛い――――!)
 



【陣痛】




薬売り「これから……世界を股に駆けた、壮大な”出産”が始まるから」




【誕生】





薬売り(な――――ッ!?)



https://i.imgur.com/7WGYeSJ.jpg








 その日、その地一帯に未曾有の豪雨が訪れ、周囲の川々が龍の如く荒れ始めた。
 その日、その地一帯に巨大の竜巻が吹きすさび、塵々を吸い上げた風は暗黒の如き黒に染め上がった。
 その日、その地に繋がる山脈の一つが突如火を噴き、轟々とした溶岩が、巨人の如く大地を塗り替えていった。



兎「数多の稀が、各地で同時に起こった――――後にその稀は伝承として、各々の地で現在まで伝えられていく事となる」

薬売り「バカな……これではまるで……」



 しかし、真に稀なる事は――――この天変地異の如き大災害が、結局は”誰も傷つけなかった”事にある。



【災難】



兎「全てを飲み込む川が氾濫した結果、水に乏しかった地に大きな水源ができた」

兎「全てを吸い上げる風が塵々をばらまいた結果、花々は世界中に咲き誇る事が出来た」

兎「全てを焦がす溶岩が大地を覆った結果、生き物が住める新たな島ができた」



【祭納】



薬売り「稀……確率……内在する二つの可能性……」

薬売り「よもや……」

薬売り「兎が産んだ物とは…………!」



――――気づいた、ようだね。



兎「てゐの力は、兎を操る力なんかじゃない…………この”稀を起こす力”だったのよさ」


 
 それをどこかの誰かがこう名付けたのよさ――――。
 【幸運を与える程度の能力】ってさ。


メシくってくる




(痛い……体中が……痺れるように痛い……)



 思い起こせば……てゐが痛みを感じる毎に、どこかで何かしらの稀が起こった。
 その稀は決まって、”誰かに幸せにする”稀だった。



(痛い……体中が……焼けつくように痛い……)



兎「痛みと言う不幸と引き換えに……命芽吹かせる幸が生まれた」

薬売り「しかし……全て、この兎が産んだと言うのか……!」


 島の生き物は、溢れんばかりの幸を与えられ、誰よりも健やかに育っていった。
 それは体だけじゃなく、心も……
 そうやって、いつしか船すら知らなかったアホ共は、世代を追うごとに自力で世界へ旅立てる程に成長していった。


兎「そしてさらに広まっていく……兎が産んだ幸が、大海原を超えて、世界へと」



【越境】






(痛い……体中が……死んでしまいそうなくらい……痛い……)



 長い、長い年月をかけ――――世界が幸に満たされていく。
 幸は新たな幸を生み、心に豊かさを与え、豊かとなった心が、生命を尊ぶ意識を生んだ。
 そして尊ぶ事を学んだ生き物は、それを”学問”と言う形で後世に残した……
 いつか、時の流れの中で、消えてしまわぬように。


薬売り「そうして学び受け継いだ先に……覚えた」


兎「目を閉じ、両手を合わせ……まるで”墓前のように”振舞う所作を」



【祈】



兎「さながら、故人を偲ぶように」


薬売り「ただしその所作は……」




【析】




(もう……だめ……)




(あ…………)





(……………………)





【折】






(どうか、いい人と巡り合えますように)



【刻】



(どうか、あの人と結ばれますように)



【国】



(どうか、末永く幸せになれますように)



【告】



 兎は――――そうやって祈りを捧げられる存在になった。
 時には地元から、時には遠方から、時には異国から。
 数多の人間がやってきては、兎に祈りを捧げるようになった。
 みんな幸福が訪れると信じて……それでも、本人に自覚はなかったけど。



兎「不思議だよね……人間にとっては”哀悼と参拝は同じ”なんだね」

薬売り「……」

兎「ん? どした?」


【文句】


薬売り「やはり……宗教であってたんじゃないですか……」

兎「ええっ!? まだそれ言うの!?」


 い、意外と根に持つ奴だね……まぁ別に、合ってる事にしてやってもいいけど。
 でも個人的には、やっぱり微妙な所だわさ。
 だってほら、宗教って――――要は、”見えない物を崇める事”だろ?


兎「だとすると、ほら…………”まだそこにいるし”」


薬売り「……あっ」




(――――ハッ、まぁたアホ共が雁首揃えてきやがった)


(――――ほ~んと、いつになったら気づくのかねえ……”あたしゃ目の前にいる”って事にさ)



https://i.imgur.com/jN8vlOW.jpg




 見えない御利益にあやかりに来たのに、実はやろうと思えば見ることができたって言う……
 説法的な話じゃないよ。本当に、”幸せは目の前にいた”の。
 

薬売り「じゃあ何故……人々は、兎を見ることができなかったんですかね」

兎「んなの単純じゃん……”いないと思い込んでたから”」


 幸せは目に見える物じゃない――――「形なき存在である」。
 概念的な存在であり、決して理解できない”独自の理”によってのみ動く。
 長年かけてそう刷り込まれたもんから……見えなかった。
 と言うより、”見えてるのに認識する事ができなかった”。


兎「だから求めた……幸せを、目に見える形で認識する事を」

薬売り「だからこうして訪れた……遠路はるばる、世界中の土地から」


 そうそう、ちなみに余談だけど、特にやってくるのは「つがい同士」が多くてね。
 あんたも御存じの【因幡の白兎】。この話からもじって、兎はいつの間にやら「良縁を取り持つ仲買兎」って事になってたのよ。
 実はな~んもしてないのに……ま、噂の起こりなんて所詮こんなもんさね。


薬売り「それに……知ったところでどうせ見えませんしね」

兎「そんな感じで、噂が噂を呼び、尾ひれ背びれが大量についたあげくの果てに、さ」

兎「もはやてゐは――――”自分でもよくわからない”存在になった」

薬売り「……」


 真偽不明の噂を真に受けてやってくる連中を、てゐはずーっとここから眺めてた。
 そして言った……「アホ共め」。

 祈りを捧げた連中に、御利益が訪れたかまでは知らない。
 あのつがい同士は無事結ばれたのかなんて、知ろうとも思わない。
 ただ、祈りを捧げた後に、やたら「幸せそう」な顏をしてる連中の姿を見て……てゐは思ったわけ。


兎「何か……わかるかい?」

薬売り「いえいえ、御仏のお考えなさる事など、恐れ多くてとても……」

兎「あ、茶化してる~」


 でもまぁ、てゐ本人は何時だってシンプルさね。
 てゐは思ったのさ――――”世界は向こうからやってくる”。
 かつて手に入れたがった「知」の欠片たちが、 わざわざ自分から足を運ばずとも、向こうの方から各々の「知」を述べに来る。
 そうなりゃもう、旅なんてする必要ないよね。


兎「だからてゐはもう、島を出ようと思わなかった……」

兎「てゐはただ、かつての友が残した箱で、ゆらゆら揺れてるだけでよかった」


 自分を育ててくれた島の中で、かつての記憶に思い馳せているだけで――――
 それだけで、誰かに幸せを与えられたから。


兎「旅に費やした以上の、長~い長~い時の中で、ね」


https://i.imgur.com/QnpYjIQ.jpg



薬売り「……」

兎「おや、まだなんかあんのかい?」

薬売り「いえ……ただ……」

兎「わかってるわさ――――”最後の欠片が足らない”って言いたいんだろ?」



(ふわぁ~……疲れた)

(毎日毎日誰かの愚痴ばっか聞かされて……いい加減、耳がバカになりそう)



兎「もうそろそろ……来ると思うんだけどね……」

薬売り「誰が……?」



(巫女さんでも雇おっかな……賽銭でもわけてやりゃ、誰か食いついてくるでしょ)



兎「…………お」




(――――こんにちは、お兎様)




兎「後はそいつに聞けばいいよ……そいつがてゐを、”幻想郷に呼んだ張本人”だから」




(あ? 誰あんた)




【誰そ彼】



https://i.imgur.com/TwUhcgI.jpg

本日は此処迄



(参拝客? 悪いけどうち、営業は夕方までって決まってんのよね)

(はは、違いますよ――――”貴方と同業の者”です)

(はぁ……? 同業だぁ……?)



兎「この場合の同業者って、一つしかないよね」



(覚えておりませんか? かつて貴方が縁を取り持った、一人の弱き人間……)

(…………へ?)



【恩人】



(――――の、息子ですよ)

(……あぁぁぁああ~~~~ッ!)



兎「ある日突然現れたこの男は――――かつてこの日出国を興した一族の、子孫だった」








てゐ「はいはいはい……似てる! 言われてみれば似てるわ!」

てゐ「目元とかマジそっくり……へぇ~知らなかった! あの人の子供、こんな大きくなってたんだ!」

男「その説は、父上が大層世話になりまして……」

てゐ「いやいやいや、なーに言ってんのさ!」

てゐ「助けられたのは寧ろこっち! いやーあんときゃほんと助かったわ!」

男「はは、恐縮です……」


https://i.imgur.com/VXKpYCc.jpg


てゐ「で、オヤジさん元気?」

男「ええ、元気ですよ……むしろ、元気過ぎて少しくらい休んでいただきたいくらいなんですがね」

てゐ「なんでよ。元気してんならいいじゃない」

男「いやいや、元気すぎるのも困りものですよ……想像できますか? 自分の知らない兄妹が増える苦労を」


https://i.imgur.com/MaTXhKM.jpg


てゐ「あー……確かにあの姫様、美人だったしねぇ」

男「私実は今、とある理由で、その兄妹連中の所在を巡っているのですが……」

男「しかし幾分にも、こう……数が多くてですね」

てゐ「人間でもたまにそんな奴いるわねぇ……無駄にお盛んな奴」

てゐ「で、あのオヤジさん結局何人子宝こさえたのさ。10? 20?」

男「そうですね、私が知る限りで……」


男「…………181名程でしょうか」


てゐ「――――181ィッ!?」


https://i.imgur.com/608iXCa.jpg


男「しかも全員、腹違いです」

てゐ「あ、あのオヤジ……絶倫すぎんでしょ……」

男「いやはや、参りましたよ……この間も、諏訪の国にいると言う妹に会って来たのですが」

男「会うや否や”誰だ貴様は”と追い立てられてしまいました。むしろそれは、こちらが言いたい台詞なんですがね」

てゐ「こ、今年一番の衝撃ニュースだわ……」


https://i.imgur.com/oPwKihh.jpg




てゐ「で……なんでまた、そんな多すぎる兄妹の居所を巡ってるのさ」

男「かつて……父上は国造りの祖として励み、そして大地を開拓していったのは周知と思います」


 長い時をかけ、国の礎を作り、そしてその全てを後継ぎに託した後、自身は隠居の身となりました。
 所謂「国譲り」って奴ですね。
 そんな苦労の甲斐あって……巨大な島に過ぎなかったこの大地は、名実ともに一つの国となりました。
 今我々がいる、この地も含めてね。


男「一見すると万事無問題のように思えますがね……ところが近年になって、とある問題が浮上しまして」

てゐ「あによ。なにがあったってーのよ」

男「”我々”ですよ――――貴方のおっしゃる通り、多すぎる兄妹が”再び国を分かち始めた”」


https://i.imgur.com/2YqWAoZ.jpg


 父上は何も、考えなしに子をこさえたわけではありません。
 国を興すにはあまりに広すぎる大地が、必然的に子孫の繁栄を促したのです。
 そうして各地に点在していった、のべ181名の子ら……。
 彼らは父上の思惑通り、各地の長として、その地を興していきました。


男「しかし181名もいれば、当然中には異を唱える者もいます」


 彼らは各地の守り神を自称し、次第に治める地の利権を主張し始めました。
 今までもそう唱える者は何人かいましたが、父上の力で何とか抑え込んでいました。
 しかし時が流れ、段々とその威光も薄れていき……兄妹同士の全面衝突は、もはや避けられない事態となったのです。
 

男「神が荒れれば大地が荒れる。大地が荒れれば人が荒れる。人が荒れれば命が荒れる」

男「結果、国が荒れる――――荒れた国は千切れ、別れ、またしても小さな島に戻る」

男「そして家族は……”憎むべき仇”となってしまう」

てゐ「――――はっはーんなるほど、わかったわ! あんたがここに来た理由!」



 だから、別れつつある神々の仲を取り持て――――そう言いに来たんだと、思ってた。






てゐ「……えっ」

男「いえ、ですから……”兄妹喧嘩はもう収まりました”」

てゐ「…………じゃあ何しに来たのさ!?」


 男は言った。
 「もう解決したのでご心配なく」と。
 兎は言い返した。
 「だったら何しに来やがったんだ」と。
 その問いに男はこう返事を出した。
 「私の用事は貴方そのものだ」と。
 兎は強く勘ぐった。
 「まさか、騒動にかこつけて、この島を乗っ取りに来やがったのか!?」と。



 でも――――男の出した結論は、そのどれでもなかった。



男「私が来たのは…………貴方に”お礼”を言うためです」


てゐ「お……礼……?」



 男は言った――――。
 「今言った兄妹喧嘩はとっくに解決した問題で、今や皆、多少の文句は垂れつつもなんだかんだでうまく纏まっている」と。
 兎はもちろん、即座に聞き返した。 
 「それがあたしと、どう関係があるのさ!」



男「いつぞや起きた奇怪な超常現象――――あれを見て、すぐにわかりましたよ」



 そして男は答えた。
 その答えは、ぐうの音も出ないほど……兎と深く関わっていたのよさ。



男「これを……」


兎「なに……これ……?」



【古之事之記】



男「これは……我が一族の成り立ちを記した書物です。ほんとは、勝手に持ち出しちゃあいけないんですがね」

てゐ「きったない本……これがお礼?」


薬売り(神々の……家系図……?)


男「ま、まぁ本の劣化はさておきですね……先ほど言った通り、この書物には父上と、我々兄妹の所業が事細かに記されておるのですが」

男「その中には……何故でしょう、”我が一族とは無縁の者”が載っているではありませんか」


 そう言いながら、男は本を”逆から”開き始めた。
 逆から開いた本は一番新しい頁が頭に来て、頁をめくるたびにどんどん古い話へと遡っていく。
 本の開き方としてはおかしいけど、でも間違えたわけじゃない。
 わかりやすいよう、わざとそうしたのよさ。


男「曰くこの者は、よく童と戯れる姿が目撃されていたようです」

てゐ「…………」


 男は、解説を加えつつ頁をめくり続けた。
 それはきっと「親切」のつもりだったんだろうけど……むしろ余計なお世話だった。

 だって……語られるまでもなく、てゐはすぐに気づいたのよさ。
 東西南北に散らばる、181名の神々が記された家系図――――
 で、あるはずなのに、その全ての行に、何故か”一羽の兎が”載っていたのを見たらね。



男「各々の地の有力者は、揃ってこう言ったそうです――――童の折、”此れとよく似た兎と戯れた事がある”と」

男「そしてこれとほぼ同様の話が、何故かこの、181名の兄妹が治める地全てに伝わっている……」

男「さらにはこの話が記された時系列を紐解けば、これまたどういうわけか……”この島に兎はいなかった”事になっているのです」


 丁寧な解説が、逆にイラついたわさ。
 オヤジ譲りかなんなのかしんないけど、じれったいったらありゃしない。
 ここまで言われりゃバカでも気づくっつーのに……ねえ?



(これって……)




――――だから、自分から言ってやったのさ。


 

(……あたし?)



https://i.imgur.com/81s2QQe.jpg





薬売り「神々の家系図に、なぜ兎が……?」

兎「――――ってな顔をしながら、あっけにとられる兎を尻目に、男はさらに続けた」
 

 曰く――――てゐと遊んでた子供が、全員何らかの形で名を馳せている事。
 てゐが住んでた家が、末代まで続く名家になってた事。
 てゐに部屋を貸した宿が、連日満員の一流旅館になってた事。
 その他色々と、これと似たような話が、兄妹連中が治める各地で点在している事。
 

兎「そしてその話が記された時期――――ちょうどてゐが、世界を旅していた期間だった事」



(のべ181名もいる我が兄妹ですが……誰一人として、国の一巡を成し遂げた者はおりませんでした)

(それは父上ですら成し遂げられなかった偉業……数多の子宝をこさえやっと収めたこの巨大な島を、たった一人で渡り歩いた者がいた)


 しかもその者は、一族どころか人間ですらなかった。
 オヤジが国造りを始めた裏で、人知れず世界を渡り歩き、兄妹達がその地に着く前からその地を興していた者がいた。
 「始祖を自負していた自分が、実は二番煎じだった」。
 その事実は、神々にとってもえらく衝撃的だった……らしい。


(この事実を突きつけた時、兄妹喧嘩は一発で収まりましたよ)

(あの時の意気消沈した顏は、実に見物でした……まるで童のように、キョトンとしておりましたから)


 確かに、向こうの立場で考えれば大問題だろうね。
 男の言う問題とは、国が分かれそうになった事なんかじゃなかったのさ。
 「――――神々を名乗る者共が、たった一羽の兎にとっくに先を越されていた」事実。
 そんな事も知らずに各地でえばりくさってた神々は、あまりの恥ずかしさに、揃って顏を真っ赤に染め上げた……らしい。


(語られぬ歴史の裏で……国造りの一躍を担った者が、もう一人いたのです)

(してそのキッカケは、ほんの小さな親切に対する、ほんのささやかなお礼だった……わかりますか?)

(小さな気持ちが集ってこそ国になるのに……あの神々を名乗る連中は、そんな事すらすっかり忘れておったのです)


 そう語る男の表情は、何故だか妙にうれしそうだった……自分も、その神の一人なのにね。




薬売り「日出国の始祖……それが兎の……真?」

兎「ところがどっこい、そんなものすごい肩書なのに、肝心の本人にその自覚は全くないときた」

兎「だから、この期に及んでまだ思い込んでるのよさ…………”自分はただの兎だ”って」

 
 兎はその話を聞き終えたと同時に、黙った。
 小難しい事を考えてたわけじゃない……ただ、あっけに取られてたのさ。


兎「男が語る話が、兎のちっぽけなお脳に収めるには大き過ぎたってだけ」

薬売り「それは……こちらとしてもそうなのですが」


 唐突に壮大な話を告げられ、お脳の処理がおっつかなかったんだわさ。
 だから、何も言い返せなかった。
 ただ景色を見つめる事しかできなかった。

――――そんな心中を察してか、男も一緒に黙った。
 兎と男。一人と一羽は言葉を交わさぬままに、二人仲良くずーっと景色を見ていた。


兎「まるで、かっての素兎と人間のようにね」

薬売り「……?」



 その時の空は――――ちょうど、日が暮れる頃合いだった。



https://i.imgur.com/ZC6X6c1.jpg



メシくってくる



兎「い……よっと。ハイ」

兎「それがこの、自称始祖達の家族日記さね」

薬売り「勝手に取っても……よいのですか?」

兎「いーのいーの。どうせこれも、後に広まってくもんだし」

薬売り「はぁ……」


【書】


兎「それにさぁ…………こんな機会でもない限り、永遠に知る術はないさね」

兎「折角だからついでに知っときなよ。太古の昔から語り継がれる……伝承の真なんて」

薬売り「…………」


【捲】





――――昔々、因幡の国のとある島に、一匹のうさぎがいました。
 うさぎはかねがね因幡の国へと渡りたいと思っていましたが、海を渡る方法を知りませんでした。
 そこでうさぎは思いつきました。「海の中の和邇共を騙して並ばせれば渡れるじゃないか」。
 ずる賢いうさぎは口先八調で和邇を説き伏せ、和邇はうさぎの思惑どおり、まんまと一列に並ばさせられました。



薬売り(イナバの白兎……)



――――昔々、とある所に、八十の兄弟と一人の末弟がいました。 
 八十の兄弟と一人の末弟は、ある日、因幡の国にヤガミヒメと言う大層美しい姫がいると聞きつけました。
 八十の兄弟と一人の末弟は、その姫様を嫁に貰うべく、因幡の国へと旅立ちました。
 しかし末弟だけは、みるみる内に他の兄弟から引き離されて、かろうじてついていくのがやっとでした。
 理由は簡単でした。末弟は、ただ、荷物持ちとして無理やり連れてこられただけだったのですから。



薬売り(オオナムヂの国造り……)



――――昔々、出雲の国にクシナダヒメと言う大層美しい姫がいました。
 姫は誰もが羨む美貌を持ちながら、にも拘らず、毎晩涙で袖を濡らしておりました。
 その涙には、とある理由がありました。
 その地に棲み付くヤマタノオロチと呼ばれる怪物が、あろうことか、姫を食らうと宣告してきたのです。



薬売り(スサノオのオロチ討ち……)



――――昔々、高天原と呼ばれる、神の住まう土地がありました。
 神は高天原より地上を眺め、時には使者を送り、時には自らの神力を使いながら、着々と国を作り上げていきました。
 そうして国作りがある程度進んだ頃、神は頃合いを見て、行宮の儀を取り行う決定を下しました。



薬売り(アマテラスの天岩戸…………)



 神は降臨の地を入念に選んだ後、因幡国内の”八上”という地に降りる事に決めました。
 神にとっては初めての地上でした。故に神は、少し不安を感じていました。
 高天原から見る地上は平穏なれど、実際に降りれば、一体そこにはどんな光景が広がっているか……
 天から眺めるだけでは、まるで想像できなかったのです。



薬売り(…………ではない?)



【止】



兎「どうしたのさ…………速く読みなよ」


薬売り「…………」


 期待と不安を胸に秘めながら、神は地上へと舞降りました。
 そして、降りた先に広がる光景は――――
 今迄の不安をかき消す程に、それはそれは美しい景色が広がっていたのです。


https://i.imgur.com/8mIIuOm.jpg


 その光景は、神にとっても期待以上の物でした。
 おかげで神は実に上機嫌なまま、国見を続ける事ができました。

 途中、神は記念がてら、御頭に冠した冠を、道中で腰かけた石にそっと残していきました。
 その石は後に「御冠石」と名付けられ、地上の人々に末永く大事に扱われました。



兎「今思うと……まるで、童みたいな方だった」



 そうして機嫌よく行宮を終えた神でしたが……
 しかし、帰る間際になって、ようやっと気づいたのです。



兎「だって、あっちゃこっちゃ行ってははしゃぎまわってさ……お供連中を、これでもかってくらい振り回すんだもの」




 いない――――神をこの地へと案内した【兎】の姿が、どこにも見当たらない事に気づいたのです。
 



薬売り(兎――――!?)





兎「神様はその時、降臨の地をどこにしようか悩んでいたのさ」

兎「ほら、人間もたまにやるじゃん? 所謂……”お忍び旅行”って奴よ」


【国見】


兎「つっても内緒の降臨だから、宮とか社とかには降りれないよね。かと言って、全くの未開に降りるのはさすがに気が引けたのよさ」

薬売り「バカな……天照が地上に降臨していた……? そんな話は聞いた事がない……!」

兎「ずっとずっと悩んでらした……その時だった」

兎「ちょうどいいタイミングで、神様の服の裾をくいくいって引っ張る、”小さな兎”が現れたのよ」


 その兎は、因幡国内にある”ヤガミ”って土地を指し示した。
 改めて見てみると、そこは出雲国からそこまで遠くなく、かつ地形的にバレにくいって言う……お忍びにはと~っても都合のいい場所だったわけ。
 神様はすぐにそこに降りると決め、兎はその地の案内を買って出た。
 後はそこに書いてあるままさ。兎は無事案内を務め上げ、神様は実に機嫌よく天へと帰っていった……


兎「そして天へと帰っていく神様を見届けた後、兎はこっそり地上へ消えた……らしい」


薬売り「らしい……?」


兎「そして一人地上へと残された兎は、ヤガミの地に安住の場所を見つけ、そのままそこに棲み付いた……らしい」


薬売り「ヤガミ…………」



【夜神】



薬売り「ヤガミ…………!」




兎「――――旧因幡国八上領・高草群。通称”高草大林”」


兎「後に――――【迷いの竹林】と呼ばれる場所……らしい」




薬売り(なん…………)



https://i.imgur.com/f3PDzFc.jpg





(綺麗な……夕日ですね)

(……そうね)



兎「そうしてまんまと地上の棲み処を手に入れた兎だったけど……残念ながら、そこも長くは持たなかったんだわさ」



(あれほど青かった空が赤く染まり、日は黄金色に輝き、大地は暗き緑に覆われ……そして薄き水色を経た後、闇夜へ染まる)

(まるで虹のような……暗明を繋ぐ、架け橋のような)



兎「その棲み処はまるで夢の中のように、とっても居心地のいい場所だった」

兎「だけれども、不運な事に……”時期が悪かった”」



(そしてまた、日が昇る……今度は、明暗の架け橋が現れる)

(日が昇れば数多の命が目覚め……次第に、命と命が繋がっていく)



兎「ちょうどその時、その地一帯で大規模な川の氾濫が頻発しててね……案の定、それは因幡国にも起こった」

兎「津波と見間違うほどの大洪水だった……川はまるで蛇のように、あの穏やかな森林を丸飲みにしてしまった」

兎「もちろん――――”中にいた兎もろとも”ね」


 こうして兎の夢は、たったの一夜にして消えてしまった……そりゃもう、大層悲しみに明け暮れたさ。
 そしてそれ以上に――――恐怖を覚えた。
 何故ならば、ふと辺りを見渡せば、そこは何もない空間。
 見渡せど見渡せど、闇しか見えぬ暗黒の世界でしかなかったんだ。



【常世】




(なんか浸ってる所悪いけど……うちら夜行性なんだけど)

(おっと失敬……そういえばそうでしたな)


 闇に取り残された兎。
 そしてその中で朧げに浮かび上がる「食われた記憶」が、さらに絶望を確信に変える。
 「もしかしてここは黄泉の国で、自分もあの時一緒に消えてしまったのでは――――」。
 そんな発想に至るのは、ごくごく自然な成り行きだったと思う。


兎「絶対に死んだと思ってた。でも、生きてた」

兎「その事を教えてくれたのは……天をも照らす、まばゆい光だった」


 兎は思わず目を眩ました。
 だって、さっきまで黒一色だった世界が、いきなり真っ白に輝き始めたんですもの。


【照】


 そして輝き始めた世界は、徐々に正体を露わにし始めた……
 青い空、白い雲、茶色い大地、生い茂る緑――――それと、さざ波の音色。


兎「よく見知った風景だった……思わず”誰かにお勧めしたくなる程”のね」 


 もしかしたら、黄泉の国にも似たような風景がある可能性、無きにしも非ずではあるけども。
 でも兎は、そこが黄泉の国ではない事はすぐにわかった。
 単純な話さね。結局はなんてことない――――兎は最初っから、”どこにも行ってなかった”のさ。


兎「黄泉どころか国境すら超えてなかったのさ…………人間が勝手に引いた、境目すらもね」



 だって、振り返ったすぐ後ろには――――


https://i.imgur.com/j7lo52n.jpg



(ならばなおさら、よくご覧になるでしょう……この夕景によく似た、もう一つの景色を)

(……まぁね)



兎「旧因幡国隠岐郡・隠岐諸島――――後にとある兎が、身の程を思い知る場所だったのさ」



【起来】






薬売り「……一つ、お尋ねしたい」

兎「ん、なぁに?」


【確信】


薬売り「この書物には神が兎に案内を命じた……とあるが、貴方の語り草はむしろ逆」

薬売り「むしろ、兎の方から神に働きかけたように聞こえる……」


【核心】


薬売り「それも……ただ……”自分が地上に降りたかった”が為だけに」

兎「……そうとも言えるかも~」


【天】


薬売り「高天原に御座す神と言えば、十中八九【天照大神】を指す……しかし」

薬売り「そんな天照に、指図紛いの進言ができる者など――――”片手で数える程に限られる”」

兎「ほんと、無駄に博識だよねえ。ほんとに薬売り?」


【三柱】


薬売り「天照とは、大地を起こしたイザナギの左目から生まれた子……」

薬売り「そしてイザナギは、他に右目と鼻を用いて……天照の他に”二人の兄弟”を生んだ」

兎「その内の一人は、やたら英雄みたいな扱いされてるよね」


【三貴子】


薬売り「親神は三人の子供に役割を与えた――――一人は天を、一人は大地を」



薬売り「そして――――最後の一人には――――」



https://i.imgur.com/8JyHndz.jpg




薬売り「貴方は…………いや、貴方”様”の真とは…………」



薬売り「よもや…………」



https://i.imgur.com/jVWWXLq.jpg





薬売り「お聞かせ、願いたく候…………!」

兎「…………」



【み空ゆく 月讀壮士】



(おわかりいただけますか、貴方は……いや、貴方様こそが……)

(森羅万象の全てにまたがる――――唯一無比の”架け橋”であったです)


兎「ん~、まぁ、なんだ、その……」

兎「その問いに答えるのは……ちょ~っと難しいかも~」

薬売り「何故……」



【夕去らず】



(人と人を、国と国を、命と命を、縁と縁を)

(天と大地を、日と月を――――二つに分かれた、昼夜ですらも)



兎「だって……曖昧なんだもの」


(さっきからわかりにくいのよ……表現が曖昧過ぎて)



――――夜の神。食の王。暦の祖。昼夜の起源。日月剥離の戦犯。
 良くも悪くもたくさんの肩書があるけども、でも、その全部が不確かで曖昧。
 その曖昧さ加減は姿形にすらも及ぶわ。
 だって、大々的に奉られる二人の姉弟に比べてさ。一人だけ、描かれる事自体がなかったんだもの。
 


【目には見れども】



(これは失敬……では、単刀直入に言いましょう)


 
 描かれないから残らない。
 記されないから伝わらない。
 けれど遡れば、節目節目に確かに存在する、境目の神。



(貴方がいなければ――――”この日出国は産まれなかった”)



 「いるのにいない神――――」。
 そんな矛盾を抱えていたからこそ、自由に動き回れたのかもね。



兎「兎の体を借りて、さ」



【因るよしもなし】


本日は此処迄



(…………ねえ)


(…………はい)


(じゃあ…………その話が本当なら…………)



(――――”あたしは一体誰なの”?)



 てゐの理解を遥かに超えた顛末は、てゐにとっては混乱しか生まなかった。
 ま、お節介も度が過ぎれば迷惑と同じって事さね。
 おかげでてゐは――――今度こそ”自分が誰かわからなくなった”。


(……ご当人にすらわからない事を、私が知る由もございません)


(なにそれ……変なもやもやだけ残しやがって)


(ただし…………その”お手伝い”はできるかと)


 その「お手伝い」こそが、男の言う「お礼」だった。
 わざわざ仲の悪い兄妹達に会いに行ってたのはこの為。
 時に追い立てられながら、時にボロクソに煽られながら……
 てゐの為だけに、必死に探し回ってたらしい。


(かつて、”貴方によく似た兎”が最初に住んでいたとされる地……この書によれば、未曾有の洪水によって飲まれて消えたとありますが)


(――――消えてなかったんですよ。あの月に愛された大林は……”今も確かに存在している”)


 すなわち、「てゐの探し物を一緒に見つけてあげる」事。
 と言いつつもまさか、ここまで苦労させられるとは思ってなかったみたいだけど。
 でもまぁ、なんだかんだで、結局は見つけれたのよさ。
 自分達すらも知らなかった――――”もう一つの世界の入り口”をね。




(そこは曰く、”幻の集う地”と言われておるようです)

(嘘か真か…………長い時をかけて少しずつ忘れ去られていった者達が、最後に集う幻想の地だとか)


 そこは、調べれば調べる程不思議な場所だった。
 幻を冠する癖に、確かに存在すると言う矛盾を持った土地だった。
 しかし神々にとっては、幻はむしろ、懐かしさすら感じさせる地だった……らしい。



【懐郷之地】



(人も、獣も、虫も、鳥も、魚も――――その範囲は、神を名乗る者にすら及ぶ)

(幻であるなら、なんだって……幻となれば、仮に”生命ならざる物だって”)


 多分、既視感を感じていたんだと思う。
 今でこそドロッドロの兄妹仲だけど、国を作り上げていた当時は、家族は確かに手を取り合っていたんだから。

 そんな在りし日の自分達と重なった……んだろうと、個人的に思ってる。
 だって、そうじゃない。
 家族で同じ夢を目指した裏で、どこかの誰かが、かつての自分達と全く同じ夢を見ていたんだから。



【幻想之郷】



(どこの誰がそんな大それたもんを……あんたの兄妹の誰か?)

(そこは、最後までわかりませんでした……ただ)


 数多の生命を乗せた、国と言う神の加護の中。
 それらと同じく、数多の幻を詰め込んだ誰かの箱庭が、この国のどこかにある。

 そしてその箱庭は、発覚するや否や、瞬く間に神々の間でも話題になった。
 そりゃそーさ。なにせ181もいる神々の誰もが、存在自体に全く気付かなかったんだからね。


(その誰かは……間違いなく”父上に影響を受けている”)



【懐かしき東方の地】



(かつて父上が国造りの主と呼ばれたように……その者も”主”を自称しているようです)

(それは、我が一族にしか通じぬ意味を持った言霊)

(だとすれば、述べ181名御座す兄妹の内の誰か……その推察は、あながち間違いではないかもしれませんね)


 どうやってそんな大それた世界を作ったのかはわからない。
 何が目的なのか知る由もない。
 勿論、誰の仕業かなんて皆目見当もつかない。
 ただ、唯一一つだけ――――わかる事があるとすれば。
 


(”八雲”――――その者は自らを、そう名乗っているようです)



(それって……)



https://i.imgur.com/V1cQsPq.jpg



薬売り「スキマ……?」



【八雲立つ】





薬売り「彼女がその、181名の内の誰かだとでも……?」

兎「おや? まるで知り合いみたいな言い草だね」

 
 幻を真とし、夢を現と成す、八雲の箱庭。
 ありえない矛盾で成り立つ世界の存在は、もちろんてゐのお脳に、無数の「?」を浮かばせた。
 話だけ聴くと、童の空想といい勝負よ。
 「下らない」。普段のてゐなら、きっとそう言い捨ててる所ね。


(ねえ、だったらそこへは、どうやって行けば――――)


 でも――――今回ばかりは、聞き捨てちゃいけないと思った。
 ちゃんとわかるまで、最後まで付き合わないといけないと思った。
 だって男は自称・同業者。
 感謝と幸福を紡ぐ、かつての恩人の子孫だったんですもの。




(……………………あれ?)




 そんなてゐの思いも空しく……返事は返ってこなかった。



【夢消失】



 ふと振り向けば――――そこには、”誰もいなかった”のよ。
 ついさっきまで隣にいたはずなのに。
 影も形も何もかも……存在そのものも。
 

薬売り「消えた……?」


兎「そうとも言えるし……見方を変えれば、”最初から誰もいなかった”とも言える」


 
【夢想】





(………………まじかぁ)


 あたかも最初から誰もいなかったかのように、さざ波の音だけが鳴り響いた。
 ザザーン、ザザーンって寄せては返す波の音が、次第にてゐの心へ冷静さを取り戻させた。
 おかげでてゐは、呆然としつつもゆっくりと考る事ができた。
 そして、緩やかに結論へ辿り着いた――――「もしかして、夢でも見ていたのかな」って。
 

兎「時間が過ぎる事に、ついさっきの出来事のはずが、途端に夢か現実かわからなくなった」

兎「ひょっとしたらうたた寝でもしてたのかもしんない。波の音色に誘われてついうとうと……なんて、よくあった事だしさ」


 あの時唐突に現れた男が、夢か現実だったのか……それは今でもわかんない。
 でも、男が語った話は、いつまでもてゐの中に残ってた。


兎「――――自分は一体何者なのか」。


 兎の身でありながら、あらゆる生き物と会話を交わし
 兎の身でありながら、童のような身なりをし
 兎の身でありながら、やけに計算に強く
 兎の身でありながら、奉られる程に信頼を浴び
 兎の身でありながら、人知を超えた奇怪な奇病に罹り
 兎の身でありながら、それでも生物の枠を超えて生き続ける自分。


https://i.imgur.com/OHsXqth.jpg



兎「自分に纏わるあらゆる謎が、一本の線で繋がってる気がした……いたかどうかもわかんない、男の話の中にね」

薬売り「つまり、最終的に――――”勘”で動いた?」

兎「平たく言えばそうなるねぇ……でも、てゐの勘は”ただのあてずっぽうじゃない”事を、あんたはすでに知ってるはずだよ」



 だから、表すことができた……
 ”内在する二つの可能性”として。





(――――うわっ!?)





【衝撃】





薬売り「何事……!?」


兎「大丈夫、慌てなくてもいいよ……ただの地震だから」


(全然大丈夫じゃない~~~~ッ!)



【鼓動】


【大地】


【轟音】



薬売り「収まった……」

兎「ほら、大した事なかったろ?」



(あ~……びっくりした……)



兎「慣れてないとちょっとびっくりするかもだけど……心配はいらないよ」

兎「一度たりともないんだから……てゐの力が、誰かを傷つけた事なんて」



【倒壊】



薬売り「しかし……これは……」


薬売り「この……現象は……!」


――――ほ~んと、不思議だよねぇ。
 地理的に、地震なんて早々起きない場所なのにねぇ。
 てゐにちょ~っと好奇心が芽生えたタイミングで……こんな事が起こるだなんてねぇ。



https://i.imgur.com/BlU6716.jpg



薬売り「貴方の……仕業か?」

兎「おいおい勘弁してくれよ。ただの兎がこんな事、できるはずないだろう?」

兎「ただの偶然だよ。ただの……」




(…………行けって、言ってんの?)




兎「てゐの好奇心に重なるように――――”偶然”船が崩れ落ちてきた。それだけさ」



【迎賓】






兎「おっ……ほら、あっち見てごらんよ」

兎「まるで旅立ちを促すように……海に立派な橋が架かってるよ」

薬売り「今度はなんだ……」


https://i.imgur.com/2DXflp6.jpg



薬売り「なんと……」

兎「波がいい感じに飾ってるねえ……まるで浮世絵のようだ」

兎「まさにうってつけな光景じゃん? こんなん見せられたら、余計に好奇心揺さぶられるってもんでしょ」



【送出】



薬売り「一体どうなっている……これではまるで……あまりに……」

兎「いい方向に起こる偶然……これを異国の言葉で”らっきぃ”って言うらしいよ」



【意図】



薬売り「――――誰かが手引きをしているとしか思えない……!」

兎「そうだねえ。誰かが手引きしているとしか思えないよねぇ――――”かつてここにいた連中のように”」



【作用素】



兎「でも……これはあくまで現実だ」

兎「作り物でも、誰かの所業でも、ましてや何らかの意思が籠っているわけでもない……」


兎「――――”てゐが実際に見た光景”。それだけが全てだよ」



【未知数】





薬売り「しかし……これほどまでに稀が重なるなど……!」

兎「はぁ――――いいかい、薬売りさん」


 ”全ての可能性は、観測されることで初めて結果として現れる”。
 と言う事は、どこで何が起ころうと、誰にも認識されなければ、何も起こってないのと一緒なんだ。
 それはこの光景だって一緒。
 そこがどれだけ素晴らしい世界だろうと、誰も知らない場所は、何もない荒野と同じなんだよ。



【講義】



薬売り「いまいち……何をおっしゃっているのかわかりかねます……」

兎「じゃあ例えば……仮に誰かが、今の地震の原因を突き詰めようとしたとしよう」


 するとその誰かは、結論を求めて走り出すだろう。
 まぁ途中で諦めるとかあるけど、そこはないと仮定してだね。
 地震ならなんだろ……「地盤のひずみ」とか「海底の地割れ」とか、そんな感じかな。
 とかくそうして、いつか納得に足る【結論】に辿り着く。


薬売り「それが人の歩んだ歴史だ……そうやって人は、今日まで発展を遂げてきた」

兎「じゃあ逆に聞きますけど。そうやって長年かけて発展してきたはずなのに――――”本質は一向に変わらない”のは何故だい?」


 知識を重ねて、知恵に昇華し、現実を染め上げ、時が濃厚にしていく。
 にも関わらず、器は何も変わらない。
 絵と一緒だよ。紙をどれだけ色鮮やかに描こうが――――”描いてる当人は何も変わっちゃいない”。

 変わってないんだよ。何も。
 変わったのはあくまで周り。
 人の数だけ染められた現の色々。
 それを光が照らすから…………”鮮やかに見えるだけ”。



兎「どこにいようが、何をしようが――――”どこから来ようが”」



【不変式】



 赤色・橙色・黄色・緑色・水色・青色・紫色。
 命の数だけ色があり、現実を染めていく。
 そして数の分だけ、数多の色々は混ざりあう……したらどうなるだろう。
 

兎「あら不思議。全部まとめて消えてしまったじゃないか」

薬売り「……」


 一度描いた絵を、寸分違わず描き映す事は不可能だ。
 例え傍目にはどれだけソックリできてようが、色合いとか、線の加減とか、その他諸々……。
 必ずどこかで、違いが出るから。
 


兎「描く対象が――――”自分自身だったとしても”」


https://i.imgur.com/Aop8iLL.jpg







 全く同一の存在なんて、この世のどこを探そうと存在しない。
 異なる部分が一部でもある以上、それは等しさと結びつかない証明となる。
 あるとすれば、それは等記号で結びつく世界――――すなわち、机上の空論の世界のみ。


https://i.imgur.com/DIbkLI2.jpg



兎「皆、考えるべきだ……全ての事象が、観測されることで初めて、結果として現れると言うならば」


兎「皆、考えるべきだ……ならば観測者が現れるまでは、”事象は如何なる状態であったのか”」


 有か無か。1か0か。幻か現実か。生か死か。 
 観測する事で可視世界に引き上げられた固有事象は、その実無数の多重事象を孕んでいたのではないのか。
 ならば事象とは、元来複数の状態で構成されているのではないか。
 それを矛盾と蔑むならば――――その状態こそが、”本来の姿”なのではないのか。



【物質ノ多元性質】



兎「本質とは、それぞれ異なる事象の重なり合い……結果とは、目に見える範囲の一部に過ぎない」

兎「認識できないだけで確かに存在する事象――――同じであり違うと言う、内在する不可視の矛盾」



【証明スル波動行列】



 あんたも見たはずだ……そんな矛盾を孕んだ兎が、ここには”もう一羽いた事を。


https://i.imgur.com/HLRn584.jpg





兎「そこにあるのに認識できず、理解足りえぬ矛盾を、”稀”の一言で終わらすならば――――」

兎「だったら”自分が誰であるのか”など、誰も証明できない事となる」



【量子脳理論】



兎「夢の中の自分は、果たして現実世界の自分と同一と言えるのか」

兎「認識とはとどのつまり、押し寄せる矛盾から、自己確立の為に選ばれた一つの事象にしか過ぎないではないのか」

兎「ならば、稀と矛盾に溢れているからこそ……自己の存在を確立できるのではないのか」



【ポカン式】



 みんな……そこんとこが今一つわかってないんだよ。
 意識なんて物は所詮、無神経な蛋白質の固形体に過ぎないのに。
 自我なんて物は所詮、数多に重なる矛盾の中継地点に過ぎないのに。

 なのにそれを、進化だなんだって持て囃すから……。
 だから、何時まで経っても、同じ事を繰り返す。
 


【結論】






兎「”世界はいつだって稀で溢れている”――――なのに、誰もそれが、見えちゃいないから」





 だから――――モノノ怪なんて物が生まれるんだ。




薬売り「生命の歩みを……真向から否定なさるおつもりか?」

兎「ハッ、あんたがそれを言うかよ――――因果と縁を斬り払うお前がよ」

薬売り「…………」


 ま、そういうわけで……改めてもう一度言おう。
 ”全ての可能性は、観測されることで初めて結果として現れる”。

 いくら突き詰めようと、どこまで行っても、実際に在った事以上の事はわからない。
 でもその事実を認めたくないから、各々が、持てる限りの色々で、勝手に解釈を染め上げようとする。
 

【着色】


 そして、安心する……
 結果に理由をつけて、全てを知った気になって……そこまでしてやっと、満足そうな顔で床に付ける。 
 明日になれば幸せが訪れると信じて……
 何が起こるかなんて、誰にもわからないはずなのに。


兎「そうして結果は、より都合のいいように、どんどんと鮮やかな色々で塗り固められていく」

兎「安心を大義名分に、鮮やかさ以外の一切は取り払われ……いつしか、完全な別物に成り替わる」



 そして、夢の中で踊り続ける――――わかってしまうのが、恐ろしいから。



兎「そこまでいけば……もはやただの”嘘”だね」

薬売り「嘘が……お嫌いか?」



【虚構】



兎「真を理を追う者とは思えない台詞だね……でもまぁ、一応答えておこう」




――――別に、いいんじゃん?






薬売り「おや、稀を起こす張本人とは思えない台詞ですね……」



 いや、んな事言われても、だってさぁ……



(わかってる……みんなわかってる……)

(みんなのおかげで今の自分がある事も……ここで育ったから、こうしてまた、夜を迎える事ができるのも……)



 うちんとこの”りーだぁー”様がさぁ……



(なのにあたしは……また……同じ事を繰り返そうとしている事も……)

(それでも送り出してくれるなら……懲りないあたしを、どうか許してくれるなら……)




 なんか、こうしてさぁ……




【求】




(まだ――――”あたしを愛してくれるなら”)




【返礼】







てゐ「あたしは二度と――――”何も忘れたりなんかしない”」





――――幸せそうに、納得してんだもん。



https://i.imgur.com/LBZXRz1.jpg


メシくってくる



薬売り「……」


兎「……ふわぁ」


【波】


【葉擦】


【凪】



薬売り「おや……眠くなってしまいましたか?」

兎「いや……ちょっと喋り疲れただけ」


【夜】


兎「でもまぁ……そろそろお開きにしたいなとは思っている」

薬売り「ようやく……意見が合いましたな」


https://i.imgur.com/yGWJDuY.jpg


兎「さて……と、言うわけで」

薬売り「と、言うわけで……」



【闇】



兎「ここから先はもう言う必要もない……全部、あんたも知っての通りさね」

薬売り「無事、辿り着いたのですな……消えたはずの”家”へ」



【月下】



兎「まぁ実は、そこに至るまでにも色々やらかしエピソードがてんこ盛りなんだけど……そこはいーっしょ」

薬売り「またの機会があれば……是非」


 ま、そんなこんなで、今度こそ「本来の住処」に帰ってきたてゐなわけだけど……
 そこに待ち受けていたのは、次なる出会いで……それがご存じ「八意永琳」。
 月の民を自称し、かつててゐが目指した【賢者】の名を、欲しいままにする人物だったってわけさ。


薬売り「そういえば……かねがね、誰かに弟子入りするような気質ではないと思っておりましたが」

兎「そこはまぁ、マジモンの賢者様だからねぇ。敵対するよか、下っといた方が得だとか思ったんじゃない?」


 それにさ……たぶん、嬉しかったんじゃないかな。
 だってほら、てゐにとっては初めての事だったし。
 ずっと一人だったてゐにとって……自分ちに「同居人」ができる事なんてさ。



【共存】





薬売り「だからこそ、守ろうと思った?」

兎「八意永琳は医術と言う手段を用いて、他者に”回復”を与える人物だった」


薬売り「既視感めいた物を感じた?」

兎「八意永琳は知を振りまく事で、他者の”成長”を促す人物だった」


薬売り「内心……嫉妬していた?」

兎「そんな八意永琳が目指した物は――――”誰かを幸せにする事”だった」


 互いにない物を持っていた――――お互いが”最も欲する物を持っていた”。
 パズルみたいなもんだよ。こう、ちょうどいい具合に凸凹がハマったもんだから……
 だから、上手い具合に混ざり合った……のかもしれないね。


薬売り「しかし……」


兎「そう――――永遠なんて、やっぱりどこにもなかった」


https://i.imgur.com/FI5gMUR.jpg


兎「嗚呼、まるで砂上の城のよう……長年かけて積み重ね続けた永遠は、須臾も待たずに崩れ去った」


https://i.imgur.com/n9GZFTV.jpg


兎「永琳もてゐも同じ気持ちだっただろう。共に手を取り合い、永遠を目指し続けた二人の心情は、察するに余りある」

兎「でも、両者の間には――――たった一つだけの決定的な違いがあった」


https://i.imgur.com/SiwQR01.jpg


兎「それこそが……てゐにとっては、すでに”観測し終えた結果”だった事」


https://i.imgur.com/yDW6e3j.jpg




薬売り「此処もまた、すでに幻……でしたな」

兎「そう、そしてその幻すらも、また失おうとしているこの事実」

薬売り「どうしてこうも……奇怪な稀ばかりが起こるのでしょうか」

兎「そんなのこっちが聞きたいよ……でも仮に、稀に意味を見出すならば」


 永遠に失い続ける性を持った悲しき兎。
 いつしかそれを受け入れる事で、自我を保ち続けた哀れな兎。
 そんな惨めで矮小なる兎が、何の因果か、たった一度だけ――――”永遠に反旗を翻す機会”を得た。
 


兎「どうせ崩れる永遠ならば、自らに罹った永遠をも、共に崩してしまえ」

兎「それが誰かの幸せに繋がるならば……降りかかる痛みが、福音となりて振りまかれるのなら」



【求】



薬売り「結果……兎が兎でなくなろうとも」


兎「卯が全てを失っても」


薬売り「傷など、最初からなかった事になっても」


兎「卯が――――月の手を離れようとも」



【及】



兎「月に愛されし卯が、一介の畜生に成り果てたとて――――」



【給】



兎「そうなって初めて……卯はやっと、ただの兎になれるのかもね」



【泣】




薬売り「なるほど……貴方様のおっしゃる通りだ」

薬売り「確かに、”誰とも同じではない”」



【――兎神之理――】



兎「つってもほら、誰しも一度くらい思った事あるだろ?――――”もしも過去をやり直せたなら”」

兎「もしも仮に、そんな機会が訪れたなら……あんたは一体、何を変える?」



(あのちょ~うさんくさいちんどん屋……未だかつてないくらい信用ならないけど……)


(でも、あいつの言ってた話が……仮に本当なら……)


(それができるのが……あたしだけならば……!)



兎「てゐの理を紐解く鍵は、きっとそこにある……んだと思う」

兎「本人すら知らない……箱を開ける鍵が」



【――白兎之理――】



薬売り「全ての…………可能性は…………」

薬売り「観測する事で…………初めて…………」




(みんな……もうちょっとだけ、我慢しててね……)



(全部済んだら……”すぐに出してあげるから”)



https://i.imgur.com/c3fXd59.jpg






兎「してその観測者は、この場合誰になるのか……それはもう、言わなくてもわかるよね?」

薬売り「ええ、誰が見るのかなど……”すでにわかりきっていますとも”」




【――兎之理――】




兎「話が速くて助かるねぇ――――おぉい、聞いたかい? みんな」




((嗚呼、楽しみだ楽しみだ……))


https://i.imgur.com/JJbjDi4.jpg




兎「ほんと、楽しみだねぇ……訪れるのは既視か未視か……」




((楽しみだ…………楽しみだ…………))


https://i.imgur.com/0mxvpuK.jpg






【因幡てゐ――――之・理】



兎「あー楽しみだ。今度の箱は、どちらの可能性に集約されるのやら……」


https://i.imgur.com/X1cQgOW.jpg




兎「さぁ、果たして――――」


兎「”今度はどちらの結果に転ぶのやら”」




【――ひさかたの

     天照る月は 神代にか

      出で反るらむ 年は経につつ――】



https://i.imgur.com/UH9pMHl.jpg









本日は此処迄



てゐ「――――ハッ!」


薬売り「…………」



【起床】



薬売り「おはようございます……」


てゐ「あ、え……あれ?」


 両者をまたぐ沈黙は、ようやっと終焉を迎えた。
 理を話すと言いながら、突如黙し始めた妖兎の様相は記憶に新しい。
 その所以は、まぁ、わからんでもないよの。
 話す内になにやら「込み上げる物」でもあったのかと、十二分に察する事ができようぞ。


てゐ「あ、ごめ……なんかちょっと……うとうとしてたかも」

薬売り「いえいえ……どうか、お気になさらずに」


 そんな妖兎を諫めるわけでもなく、薬売りはただ、静かに見守るのみであった。
 実に薬売りらしからぬ所作である。
 それは、ひょっとするとひょっとして、薬売りなりの「気遣い」のつもりだったのかもしれんが……
 しかしながら、それもどうも、やはりズレていると言うかなんと言うか。


てゐ「えと……どこまで話したっけ?」


薬売り「ああ、その事については、もうご心配に及びませぬ」


 やはり慣れぬ事はするものではないな。
 勝手掴めぬ振る舞いは、往々にして物事を悪化させると言うものぞ。
 それは、今この時についてもそう。
 手前勝手な沈黙の補助は、貴重な刻を、無駄に費やさせる結果しか生まなかったのだ。



薬売り「もう――――”貴方様の理は知れました”ので」



 そう、ついに終わってしまったのだ――――人々が【夜】と呼ぶ、暗黒の刻限が。



【暁光】



てゐ「え、もういいの?」

薬売り「ええ、もう、十分ですとも」


 薬売りの唐突な言葉に、案の定妖兎は困惑の表情を見せた。
 妖兎本人からも感じる程に、足らぬ言葉の皮算用。
 加えてふと目線をやれば、明らかに「退魔の剣が変化していない」この事実。
 

てゐ「そ、そうなの……? まだなんも、言ってない気もするんだけど」


 それらが故に、妖兎は暫しの間混迷に苛まれた。
 が――――しかしそれも、直に収まり申した。
 その旨趣を知る術こそないが、次に出る妖兎の言葉から察するに、おそらくはこういう風に考えていたのかもしれぬ。


てゐ「えと、じゃあ……あんたはどうする?」

てゐ「もし帰りたいってんなら……”今の内に”出しといてあげるけど」

薬売り「…………フフ」


 「目を向けるべきは、今ではなく先にある――――」。
 つまりはこの、胡散臭い部外者を追い出した後に起こる事態。
 すなわち、この永遠亭の存在そのものを賭けた【大一番】への布石に過ぎぬのだ、と。



てゐ「これからこの竹林は戦場になる……いつぞやの痴話喧嘩とはわけが違うわよ」

薬売り「戦場……ねぇ」

てゐ「そいやあんた――――【博麗の巫女】って知ってる? こいつがその戦場の火種なんだけど」

薬売り「その名は……」


 して妖兎は、この幻想郷における現状を赤裸々に語り始めた。
 これから降りかかるであろう「月が振りまく火の粉」は、ごっこを冠した弾幕遊びとは異なる、正真正銘の戦(いくさ)であると。


【火蓋】


 妖兎はさらに続け様に語る。
 曰く、降りかかる火の粉が「月」による物ならば、まず間違いなくスキマが動く。
 そしてスキマが動けば、同じくして、必ずや件の【巫女】とやらが動くであろうとも。
 

てゐ「こいつがこの幻想郷で最も厄介な人間でね……異変の解決屋なんて言えば、聞こえはいいけど」

てゐ「実際にやる事つったら、殴り込みからのごり押しからの超絶フルボッコ」

てゐ「こいつの手に罹れば、和平交渉も途端に全面戦争に早変わりするわ……幻想郷全体を巻き込んだ一大戦争よ」

薬売り「それはそれは、なんとも……」


 件の巫女……巫女にあるまじき評判の悪さである。
 しかしその悪評は「此れ即ち誇りの証ぞ」と、是非その巫女に申してやりたい。

 と言うのも、身共には巫女の気持ちがよぉ~くわかるのだ。
 この柳幻殃斉の成し遂げし、数多の悪鬼悪霊共を払い清めたる奇譚は、皆も知る所であると思うが……。
 天性の資質と弛まぬ努力の賜物でもって、世の為人の為に奮闘し続ける日々。
 ううむ、我ながらなんと徳高き存在。


薬売り「そんな粗暴な巫女の中には、もちろん」

てゐ「うちらの事情なんて、含まてるはずがない」


 かのように、身共のような人々の寵愛と感謝を一手に受ける存在はだな。
 しかし逆に言えば、妖共から相応の”恨み”を買っておると言う表れでもあるのだよ。


https://i.imgur.com/SoA7WJx.jpg


 そう、巫女もまた、すべからく解決してしまうのだ。
 真も理も、幻想郷を取り巻く異変とやらも。
 全ての一切合切を――――”力”と言う剣を、突き刺す事によって。 





薬売り「その巫女と……”共闘する”と言う道は、なかったのですかな?」

てゐ「……無理ね。確かに、そうなれたら理想的だったけど」

てゐ「けどやっぱり無理。何度考えても……やっぱり、”敵対する未来しか見えない”」


 それが何故かと問われれば、やはり話は元に戻る――――”スキマの存在である”。
 スキマの月に対する異様な執着心が、必ずや和平の境を隔てるであらんと言う確信。
 そんなスキマと巫女が、懇意な関係であると言う現実。
 さらに言わば、巫女は巫女で、この幻想郷のあらゆる所に顔が利くと言う有様――――この永遠亭を除く全てである。


【囲】


 そんな様を、妖兎はこう言い現した。
 「――――スキマある限り、永遠亭に同志なし」。
 如何に幻想郷広しと言えど、永遠亭は徹頭徹尾”孤立無援”であると、妖兎はすでに結論を出し終えていたのだ。


薬売り「お得意の……「確率論」ですか?」

てゐ「と言うより、「暗黙の了解」。幻想郷の存在そのものが一番の異変だなんて、口が裂けても言えないんだから」


 スキマからすれば、此度の騒動は”月への意趣返し”のまたとない機会とならん事は明白である。
 ならば「現存する全てを用いて此れに当たる」は至極道理。
 であるならば、スキマが巫女に協力を仰ぎ、むろん巫女に断る理由もなく、巫女がまた誰かに協力を仰ぎ……
 結果、永遠亭が増々孤立していく様は想像に難くない。


薬売り「つまり……”月人が来ない限りは誰も干渉してこない”?」

てゐ「願わくは……ずっとそうであって欲しかったけどね」


 そして、月と言う「共通の異変」を与えられた二人の隙間に――――果たして”そこへ住まう者への趣など存在するのか”。
 こちらもまた、語るまでもない事よの。




てゐ「ま、そゆわけで……こっちはこっちでカツカツな事情なわけよ」

薬売り「心中……お察し申し上げ候」

てゐ「だからまぁ、ぶっちゃけ今、あんたに構ってる暇はないって言うか……」

てゐ「正直――――出てってくれた方が助かる? みたいな?」


 この永遠亭に絡まる、複雑極まれり因果を解きほぐす事は至極困難である。
 それをこの妖兎は、ただの一羽で引き受けようと言うのだ。

 その全ては――――永遠亭を守る為。
 強いては、”永遠に続く幸福”を、守る為に。


てゐ「心配しないで……全部終わったら、この剣は返してあげるから」

薬売り「おや……折角勝ち取ったのに?」

てゐ「そりゃ、手元に残しておきたいのは山々だけどさ」

てゐ「”直に持ち主がいなくなる”ってんなら……この子も可哀想だしね」


 まさに決死隊ならぬ決死兎。
 泰平の世になりて久しい昨今にて。如何様な心構えを持つ者が、一体どれほどに存在すると言うのか。
 この妖兎の確固たる信念は、我らの生き様も深く考えさせてくれようものぞ。

 すなわち――――『生命とは何か』。
 生に何を見出し、命を何と見極めるのか。
 これはもはや、泰平の世が産んだ、新たなる学問と言えよう。



【哲学】




てゐ「あ……」

薬売り「おや……」


https://i.imgur.com/nLIBNt4.jpg


てゐ「もう、朝、か……」

薬売り「もう、朝です」


 妖兎は、窓から漏れる光を、何やら神妙な面持ちで見つめ始めた。
 妖兎本人が口走るように、夜行性の兎にとっては、朝の木漏れ日は夢現への入り口と同義なのだ。
 しかしながらまぁ……だからと言って、必ずや朝に眠るとは限らん。
 そこはほれ、我ら人でもそうであろう?


てゐ「なんか……不思議な感じ……うちらにとっては眠りの合図なのに」


 我らとて、享楽にかまけ気が付けばついつい明け方まで……なんて、往々にして起こる事。
 特にこの場合は、空に輝く月明かりが――――自身の”最後の光景”になるやもしれぬとあらば。
 眠る間も惜しんで、いつまでも見つめていたいものよ。


薬売り「まぁ、如何に夜行性とて……時には例外くらい、ありましょう」

てゐ「そう、ね……つかよく考えたら、夜行性とかあんまり気にしたことないかも」
 

 そう言うと、妖兎は不意に語り始めた。
 その内容は、他愛もない世間話であった。
 「思えば、随分と奔放に生きた物だ――――」
 そう切り出した妖兎の真意は、過去への夢心地と共に、ほんの少しの”後悔”も含まれていた……のかもしれぬ。
 

てゐ「夜更かしならぬ朝更かし……つか、徹朝もしょっちゅうだったっけ」

薬売り「人の生活に、合わせていたのですか?」

てゐ「はは、違う違う……あたしったら、一日の予定とかなんも決めてなくってさ」

てゐ「腹が減ったらメシ食って、出掛けたくなったらどっかに消えて、飽きるまで遊び続けて、眠くなるまでずっと起きてて……」

てゐ「時間なんて関係なかった。したい時にしたい事だけをしてた」

てゐ「――――逆に言えば、”それしかしてこなかった”」


 そんな妖兎だからこそ、律義に予定を守り続ける玉兎が、不思議でならなかったそうな。
 自分程とは言わずまでも、一日くらい・一刻くらい・一瞬くらい……玉兎は、それすらも破らなかったそうな。

 言うなれば、【時間に縛られた飼い兎】と【時間から解き放たれた野良兎】。
 この全く異なる二つの生き方は、「果たしてどちらが正しいのか」。
 そう、問われた時、誰にも答える事などできやしまい。






薬売り「よくそんな生活が……続きましたね」

てゐ「だってあたし、別にうどんげみたく薬師とか目指してないし」

薬売り「いえ、そうではなくてですね」


――――ただし、その問に「薬師の見地」が加われば、話は変わる。
 生きとし生ける物には全て、絡繰りの如き「仕組み」が存在するのだ。
 絡繰りとて、定期的に「手入れ」をせねばやがて動かなくなる道理。
 それがさらに複雑な「生物」とあらば、望む望まぬ関わりなく、時には「したくない」事もせねばならぬのだ。



薬売り「すぐさまに体を壊しそうな、生活っぷりですが」


てゐ「そーいえば……ここへ来てからは、病気とかなった事ないかも」



 如何に腹が満ちていようとも。

 眠気など寸でも沸かずとも。

 体を動かし野山を駆けまわりたくとも。




てゐ「でもまぁなった所で、ここ薬屋だし、そこは――――」




 良薬が、如何に苦かろうと。







てゐ「…………あ”?」







 生命の仕組みを、維持する為には。





https://i.imgur.com/ZJBKMhF.jpg





――――妖兎の眉が、少しヒクつくのが見えた。


本日は此処迄



てゐ「……今、なんか言った?」

薬売り「いえ? 何も……」


 それは、瞬きする間もないほんの一瞬の所作であった。
 しかし薬売りは確かに見た。
 明らかに気分を害した妖兎の心情。
 その心情を表すかのような「しかめ面」。
 その中に――――兎を含む獣の本能が見えたのである。


https://i.imgur.com/AqgAzqR.jpg



薬売り「どうか……いたしましたかな?」

てゐ「…………」


 さらにはこの一瞬の変化は、何も妖兎のみに限らずであった。
 薬売りが妖兎の表情を目撃したのと同じく、妖兎もまた、刹那に薬売りの本能が見えたのだ。

 その顔は――――確かに”笑って”おった。
 それも歓喜の笑みではない。
 かつて自身幾度も向けられた、なじみ深くもいと憎し表情。
 矮小なる者を笑うかの如き――――”嘲り”の笑みである。


てゐ「何よ……言いたいことがあるなら、ハッキリいいなさいよ」

薬売り「そうですか……なら、遠慮なく」


 妖兎は、この薬売りの変化を明らかに察知していた。
 そして「やはり見間違いではなかった」と確信するに至る。
 ならば、この唐突に訪れた態度の変わり目は、一体何を意味するのであろう――――
 その答えは、やはりただの一つしかなかった。



薬売り「フフ…………フフフ」



【失笑】



薬売り「フフフフ………………ハッハッハ」



【冷笑】




(フフフフフ――――ハハハハハ――――)




【嘲笑】



てゐ「――――何笑ってんだよ!」



 真の敵は、月でも巫女でもスキマでもない――――
 この目の前のうさんくさい男こそが、最大の”敵”であったのだ、と。



【不倶戴天】




てゐ「何……ついに頭おかしくなった?」

薬売り「いえいえめっそうもありません……あっしは至って正常ですよ」

薬売り「と言うより、可笑しいのは……むしろ」



【御前】



薬売り「の、方かと」


てゐ「――――はぁ!?」


 ついには体裁を繕う事すらしなくなった薬売り。
「言いたい事を言えと言われたから言っただけだ」。
 そう言わんばかりに吐き連ねる言葉の節々は、見事なまでに他者への敬意を感じさせない。


てゐ「なんだお前……何いきなりグレ出してんのよ……」


 思えば……身共と対面した時もこんな感じだったの。
 第一印象としてはこう、敬意とは反対の……そうだ。
 あれは言うなれば、”軽蔑”の眼差しと言った所か。


薬売り「だって……そうじゃないですか……」

薬売り「笑わない方がどうかしてる……こんな……」


 皆の衆努々忘れることなかれ。
 そう、このすごぶる意地の悪~い様相こそが、薬売りの持つ本来の姿なのだ。
 いや、絶対そーに決まっておる。嗚呼~間違いない!
 この根拠なく他人を苛立たせる性は、まさに天性・天資・天賦の資質。
 もはやそれ以外に、考えられぬのだよ。
 


【笑】



薬売り「壮大で……雄大で……永遠に近き時を跨るまでの……」


 さすれば退魔の剣の持ち主は、やはりこの薬売りこそが望ましきかな……
 えぇい! この際だからキッパリ断言してしまおう!
 よいか? 他者に纏わる情念・因果・思いの丈、その他諸々諸行無常の数々――――。
 この薬売りにとっては、それらの一切などな。
 あくまで、”退魔の剣を抜く為の道具”に過ぎぬのだよ。



薬売り「……………………”茶番”など」




【(笑)】




てゐ「 ん だ と コ ラ ッ !」




てゐ「言うに事欠いて……茶番だぁ……!?」


薬売り「違う……とでも、言いたいのですかな」


 この薬売りのとてつもなく無礼な一言が、案の定妖兎に、一つの情念を露わにさせた。
 その情念とは、とどのつまり「怒り」。
 秘めたる理を、よりにもよって”茶番”などとバッサリ言い捨てられては、無論妖兎の気分を余す事無く「害する」事請け合いである。


てゐ「さすがのあたしも読めなかったわ……まさか、このタイミングで”喧嘩”売られるたぁね」


薬売り「売ってるのはむしろ油じゃないですかね……それも、貴方の方が」


 あれほど表情豊かだった妖兎の顔が、怒気一辺倒へと偏っていく。
 この怒気が深める皺の一本一本が、まるで兎の持つ毛皮のようにも見えなくもない。
 結果、妖兎が時を追うごとに、ますます眉を顰める最中にて。
 しかしそれでも、まだまだ薬売りはへらず口を辞めなかったのだ。


薬売り「一分一秒も……惜しいのではなかったのですかな」


薬売り「――――”無駄な”足掻きをする為に」



てゐ「このッ――――」



 そしてついには――――妖兎は、言い返す事すらもしなくなった。
 怒りの行き着く果ては舌戦にあらず。
 それは妖兎に限らず、生きとし生けるもの全ての理と言えよう。
 しかしいみじくも妖兎にとって、薬売りのこの唐突な挑発は、脳裏に描かれし「戦」への、丁度よい前哨となったのだ。
  

https://i.imgur.com/r0kldUy.jpg


てゐ「それ以上舐めた口を効いたら――――”今度こそ撃つ”!」


薬売り「おや……おや……」


 にしても、薬売りも薬売りだ。
 一体全体、何を思ってこんな真似を――――と、皆は思うであろう?
 
 よいのだそれで。今はそのままでいい。
 この時は、”まだ”誰にもわからなかった。それこそが、唯一の正解なのだから。



【決闘・再び】






てゐ「そろそろ笑って済ませらんないわよ……ちんどん屋ァ……!」

薬売り「ご無体な。よもや、丸腰の相手に弾幕を放つおつもりですかな?」

薬売り「弾幕とは……優雅さと可憐さを優先した、”誇り高き決闘”と聞き及んでおりましたが?」

てゐ「――――黙れッ! 煽って来たのはお前だろ!」


 妖兎が放つ怒りの訴え、まさに一言一句がその通りである。
 此度の薬売りが放ったは暴言は、もはや失言などと言う段階ではない。
 露骨に、誰が見ても、あからさまかつ明らかに、「わざと」である事は明白であった。


てゐ「自分の立場……わかってんのかお前……」

薬売り「立場? はて……”たかが兎”に立場などあるのでしょうか」

てゐ「そのたかが兎の手を借りないと――――”帰る事すらできない”のは、どこのどいつだ!」


 さらに言わば、この突如反逆し始めた時機もすこぶる不自然である。
 妖兎も感じていたはずだ――――ここは【迷いの竹林】。
 この妖兎に代表する永遠亭の者が、”たまたま”その場所におったからこそ、迷い人が帰路につけると言うのに……
 案内人なくしては、”永遠にさ迷い続ける”場所なのに。


てゐ「今すぐボッコボコにしてやりたいけど、今はそんな暇はない……」

てゐ「だから……”今の内に”謝れば、ギリ水に流してあげる」


 なればこそ、薬売りの真意が見えぬままであった。
 この身を焦がす怒りに値する理由が、薬売りには存在しなかった。
 妖兎は憤怒に身を任せつつも、虎視眈々と思案に明け暮れた。
 慎重と大胆さを混在させつつ、なんとか薬売りの【真】を得んと、人知れず奮闘していたのだ。


薬売り「ならば……”後になっても”謝らなかったら、一体どうなってしまうんですかね」


てゐ「そうなった暁には――――”今後の一切は保証されない”」



 そして妖兎は、ついに最後の手段に出た――――弾幕の出現である。



【――光――】



てゐ「もう一度言うわ……”今度こそ撃つ”」

てゐ「この無数に湧いて出る弾幕を……避けきれるもんなら避けてみればいい……」



【熱】



てゐ「たかが兎とほざくなら――――やってみるがいい!」



【冷】



 妖兎の中の怒りと冷静の割合が、徐々に傾きつつあった。
 その方向は――――「冷静」に向く。 
 唐突さが故に少々面食らった物の、よくよく考えれば、俄然有利なこの状況。
 加えて薬売り最大の武器である『退魔の剣』すらも、自身の手元にあるとあらば。
 「狂うに値しない――――」妖兎はすぐさま、その結論に辿り着いたのだ。



【明白】



薬売り「そう、その光だ――――」


てゐ「…………あ”?」



【白明】



薬売り「その弾幕が放つ光……貴方にとっては、あの空を照らす日月よりも身近な光」


薬売り「否。この幻想郷に住まう者全てが持つ光……四肢を動かすようにして放つ、色彩々の光」



【薄命】



薬売り「かの如く、光があまりに身近過ぎたが故に――――」


薬売り「貴方の視野は、”朧に霞む運びとなった”」



 しかし此処へ来て、また新たな感情が沸いて出た――――”意味不明”。
 まるで説法の如き薬売りの語りが、文字通り「意味不明」としか言い現わせられなかったのだ。



てゐ(は――――?)



 なれども薬売りの供述は、紛れもなき【真】であった。 
 何に言い換えるでもない。
 言葉の通り、”光が妖兎の眼を覆った”のである。





薬売り「一説によると……兎は”光を感じる器官”が、強く発達しているそうです」

薬売り「それは、兎が夜行性な為……元来、”光の薄い環境下”で生息する生き物が為」


てゐ「だからなんだってんだ……」


薬売り「ただし……それ故に【色彩感覚】に、やや難があるそうです」

薬売り「理屈は簡単だ――――”光が色を薄くしてしまうから”」


てゐ「それが……なんなんだよ……」



『――過剰なる光への追及が彩を欠き、彩欠けし眼は霞を生む。
   霞は目視を鈍らせ、滲ませ、ついには現すらをも遠ざける――』



薬売り「ただしその分、幻とはよく馴染む……闇夜と言う名の、幻には」



てゐ「だ~~~~もう! 一体何が言いたいんだよッ!」



 時に――――話を遮って申し訳ないが、ふと思い出した事がある。
 いやな、身共の知り合いに、とある絵描きの男がいるのだが……
 その者がいつだったか、熱心に語っておった話を、ふと思い出したのだよ。



薬売り「貴方が真に見るべきは、一寸先の闇ではなかった――――”今ここにある光”だったのだ」



 その者は、若い頃に”色の使い方”に悩んでおったらしくてな。
 と言うのも、絵の「線」ばかりを描き連ね、「色」を学ぶ事をおざなりにしていたそうな。
 おかげで線形こそ卓越なれど、無色無彩が故に、心無き者から「洛書」と評される事がしばしばあったとか。

 そこでその絵描きは編み出した――――”色彩を無彩で表す方法”である。
 曰く、『明暗の差異を強調する事で、あたかもそこに色があるかのように見せる』画法とかなんとか。
 よくわからんが、南蛮にも似たような画法が存在するらしい。
 そこにちなんで、絵描きはその画法を、こう言う風に呼んでおった。



【コントラスト】




薬売り「もう見えるはずだ……陽の光満ちつつある、この白々明の刻ならば」

薬売り「その赤き瞳ならば――――その”光感ずる眼があるならば”」


 まぁ、何故にそんな話を思い出したのかと言うとだな。
 あの時あの絵描きが語った画法が、まんま「今のこの二人」を指す言葉にピッタリだと思うたわけよ。



てゐ(な…………にを…………?)



 光と言う”白”を感じる眼を持った兎に、因果と言う”黒”を見透かす薬売り。
 まさに明暗と言い現わすにふさわしきこの両者が、「ぶつかり」「争い」「煽り合い」激しく「自己主張」し続けた結果――――
 そこには、確かに”色が現れた”のだ。


https://i.imgur.com/vkOud01.jpg








てゐ(……………………)



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てゐ(……………………)



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てゐ(……………………)



https://i.imgur.com/a1qBtQk.jpg



てゐ(……………………)



https://i.imgur.com/RL4Cb72.jpg


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 あるのにないと認識されていた――――【内在する二つの可能性】として。





てゐ(……………………月?)



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薬売り「そう……”こちらだったんですよ”。貴方が捜し求めていた物は」




てゐ(な――――――――ッ!?)



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ナイスク見てくる




てゐ「え――――え? え?? え???」



 この瞬間、またしても別の色が現れた。
 まさに「青冷める」とはよく言った物で、物の例えであるが、その言い回しは実に言い得て妙である。
 その証拠に、まるで顔料を塗りたくられたが如く……
 本当に妖兎の顔が、みるみる内に蒼く染まっていくではないか。



てゐ(なんで――――似てたから? 流したせい? こんな単純な字を?)



 漆黒の如き闇夜の中を、人々が認知する事は叶わず。
 しかしそこには、確かに何かがいる。
 人々はいつしか、その闇夜に蠢く何かを、妖と名付けた――――
 夜に生きる生き物とを、分ける意味合いで。



てゐ「な…………んでぇ…………? どぉしてぇ…………?」



【答】


薬売り「だから、最初に申し上げたんですよ――――”何故明かりをつけないのか”と」

薬売り「如何に夜分深き最中とて、ほんの少しの明かりさえあれば…………」

薬売り「貴方なら…………”見えたはずだったのに”」



 草木も眠る丑三つ時
 家々から明かりが消え、人々は寝静まり、安らかな吐息に包まれる時間。
 それらを生むが、すなわち、闇――――
 夜と名付けられた闇は、一時の休息を齎すと同時に、とある目覚めを呼び覚ますのだ。



てゐ「暗…………かった…………から…………?」



 しかし仮に闇夜に目覚めたとて、真なる闇の前には何も見えぬ道理。
 「見」は光無くしては叶わぬ。
 それは、如何に光感ずる眼を持とうとも――――輝きなくしては、そこはただの暗黒にすぎぬのだ。



薬売り「だって…………ねえ? ほら、言うじゃないですか…………」


薬売り「兎は――――”耳がいい代わりに目が悪い”んだから」



 すなわち――――”光届かぬ場所こそ真なる闇”。
 そんな場所など……いつだって、人々の心の内にしか、なかったのだから。



【無明】




てゐ「そんな…………じゃあ…………これって…………」



【不穏】



てゐ「あたしが……口に入れた物は…………」



【不吉】



てゐ「あたしが…………”そうだと思って”食べた物は…………!」



 妖兎は、恐る恐るその手を壺へと伸ばした。
 その手は細切れのように震え、滲み、肌色は顔面動揺、実に青く染まり切っておった。

 妖兎は、抗っておったのだ――――恐怖と。
 恐怖とはすなわち、この場における最悪の結末。
 して妖兎にとっての最悪とは、”思い描いていた最善の真逆”。



【呉牛喘月】




薬売り「さにあらず。あるはずもない、絵空事同然の産物……だが」


薬売り「なればこそ、仮に……無を有と認識し直せば」



https://i.imgur.com/Kzi0Bmm.jpg



薬売り「内在する二つの矛盾が…………観測することで初めて現れると言うならば」



https://i.imgur.com/kzMR7jS.jpg




薬売り「”永遠は終わらず”と――――その言葉を信するならば」
 


https://i.imgur.com/DcCWGmH.jpg



 途切れる息を耐えながら。
 溢れる汗を拭いながら。
 気が狂いそうな程の恐怖に抗いながら……妖兎の手はついに、真を掴んだ。


https://i.imgur.com/Rkhdaq9.jpg



 そして、映した。
 今昔の刻を跨ぎし、確かに存在する真を――――その光感ずる眼にて。



薬売り「傷を治す、どころか…………」










薬売り「――――”永遠にそのまま”と、言う事に」



https://i.imgur.com/ya7I1Qc.jpg








(…………あっ)



【折】



(あ…………あっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっ)



【諦】



(あっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっあっ――――!)



【悟】



https://i.imgur.com/3YrZtRh.jpg




【覚醒】






【――原始の痛み――】





 「あ”あ”あ”あ”あ”――――」
 今度は、実に鮮やかな【赤】が降り注いだ。


https://i.imgur.com/HzfKklX.jpg



本日は此処迄




【あ】



https://i.imgur.com/vgcGFCu.jpg



【 あ あ あ あ あ あ あ あ あ

  あ あ あ あ あ あ あ あ あ
  あ あ あ あ あ あ あ あ あ 
  あ あ あ あ あ あ あ あ あ 
  あ あ あ あ あ あ あ あ あ 
  あ あ あ あ あ あ あ あ あ

  あ あ あ あ あ あ あ あ あ

  あ あ あ あ あ あ あ あ あ 
  あ あ あ あ あ あ あ あ あ 
  あ あ あ あ あ あ あ あ あ 】





てゐ「あ”あ”あ”あ”あ”あ”――――痛”い”い”い”い”い”い”!!」



てゐ「傷口が開ぐう”う”う”う”う”痛”い”い”い”い”い”い”!!」




薬売り「これは、これは…………」



 恐らく、永遠亭創設史上類を見ない喧噪が今、巻き起こっておるであろう。
 その思たる要因。まるで太鼓の用に鳴り響くその音は、おおよそ生物の範疇を超えた”鳴き声”による物である。
 朝の雄鶏を遥かに凌ぐこの凄まじき鳴き声。
 その全てが「たった一羽の兎」によるものだとは、努々誰も思うまい。



【激痛】


【狂騒】


【阿鼻叫喚】





てゐ「あ” あ” あ” あ” ぁ” ぁ” ア” ア” ぁ” ぁ” あ” ア” ! ! ! ! 」




 その様はまるで――――「理性を無くした獣」。
 かのように形容したのは、他でもないこの声の主である。

 そう、全ては本当に、妖兎の語る通りであったのだ。
 絶叫の起因たる「生きたまま生皮を剥がされる」痛み。
 その痛みが形作るは、南蛮人すら裸足で逃げ出す「血染めの化け物」。
 そして、血染めの化け物は荒れ狂う――――自分を見失う程の痛みに、為されるがままに。 



【外道祭文】






てゐ「(形容不能)――――!!!!!」



 荒れ狂う猛獣と化した妖兎が、部屋の隅々をありとあらゆる手段で破壊していく。
 ひっかき、殴り、蹴り、頭を叩きつけ、代わりに全てを【赤】く印づけていく。
 部屋が部屋たる所以の物を、片っ端から破壊していく”さっきまで兎だった”生き物。
 こうなれば、もはや一種の「災害」と呼ぶのが相応しかろう。



薬売り「…………」



 かのように、悪夢の如き光景を目の当たりにしている薬売りであるが――――ほとほと呆れる。
 そんな実に繽紛たる光景を、あろうことかこやつは……”見てすらいなかった”のだ。




(あ”あ”あ”あ”あ”――――……)




薬売り「……いやはや、実に興味深い物です」

薬売り「記憶を巻き戻すはずの幻肢痛が、永遠に続くと言うこの矛盾……」

薬売り「となれば……少なくとも、今度は戻る事すらできなくなる」

薬売り「前にも後ろにも進めなくなる……”今しか生きられなくなる”」




(ア”ア”ア”ア”ア”――――……)




薬売り「いいじゃないですか……別に……例え、本人にとってはどれほど不幸な出来事であろうとも」

薬売り「”心折れる事で”新たな道が、拓ける事も……あるのですから」




(A”A”A”A”A”――――……)



https://i.imgur.com/8vJxXPm.jpg





薬売り「…………おや?」


 まぁそんな、見るも悍ましき修羅の最中であるがな。
 とにもかくにも、一言だけ申したい――――「阿呆」。

 ったく、本当にこやつだけは……
 大体な、猛り狂う獣が、目の前で荒ぶっておると言うのにだな。
 何を呑気に、ぶつくさと「独り言」を呟いておると言うのか。




(貴――――様ァ――――!)


 

 速い話が、とっとと逃げればよかったのだ。
 少なくとも、この暴れ狂う獣の「視界から外れる」猶予くらいはあったはずだ。

 まぁ……今更こんな事を言うても、もう手遅れである。
 それに見方を変えれば、せっかく訪れたまたとない機会とも言えよう。
 これを機に、この薬売りも一篇、己が身で味わってみればよいのだ。
 


薬売り「どうか……しましたかな?」



【捕】



【掴】





(許サナイ…………絶対ニ…………許サナイ…………!)





――――モノノ怪を成す程に深き、情念の痛みを。



https://i.imgur.com/hgTVeA0.jpg








「お前だけハ…………許サナイ…………!」



薬売り「……これは、これは」


 かくして、化け物と形容されるほどに変貌せしめた妖兎の姿は、激しき痛みの果てに、もう一段階の変貌を遂げた。
 その姿は――――薬売りにとっては、よく見知った姿であった。
 その証拠にまるで、「古い顔なじみに再会したかのように」表情を緩ませる薬売りの姿が、そこにはあったのだ。
 目前の相手が、”怨みに塗れた”朱き兎にも関わらず、である。



https://i.imgur.com/PJavFJb.jpg



 未だ得体の知れぬ薬売りが、知人と称して懐かしむ存在。
 その相手もまた、同じく得体の知れぬ存在である。
 そんな、懐かしくも忌むべき面影が、何故か兎から現れた……
 とどのつまり、兎はついに成したのだ。




【”怪”眼】




 因果と縁に憑りつきし魔羅の鬼――――すなわち、”モノノ怪”である。






「騙ジダな”…………お前ハ”また”あたしヲ、騙ジダんだ”!!」


薬売り「はて……また?」

薬売り「貴方様とお会いするのは……昨日が御初だったと記憶しておるのですが」



【沸】



「 黙 レ え ェ ェ え え ぇ ッ ! お前も”アイツラ”と同じダッ!!」


「あたしガもがき苦しむ様ヲ、見世物のように見ていた”アイツラ”…………」


「あたしガ壊れるのヲ、嬉々とした目デ見てイた”アイツラ”…………ッ!!」



【溢】



「何もカもガ、同じジャないカッ!! まタ同じ事ヲ! コノあたしニ……!」



【連呼】



「オ前が壊しタ…………何もかもヲ…………お前が……まタしてモ、お前ガ……ッ!」



 妖兎――――もとい「元兎」は、誰が見ても錯乱に陥っておった。
 薬売りが上手く言い返せぬのも無理はない。
 悲痛ながらいまいち要領を得ぬこの訴えからして、おそらくは過去。
 それも後々までに語り継がれる「痛ましい一幕」が、今昔の区別なく混同しておるのだと思われる。



【積年の恨み】





「許サナイ”――――あたし達ヲ壊したお前ハ――――絶対ニ許サナイ”ィ”ィ”ィ”――――!」



薬売り「と、言われましてもねえ……」


 支離滅裂を訴える兎の化け物は、ついにはその口を、大きく開き始めた。
 ベリベリと裂けそうな程に開いたその口腔からは、兎特有の、実に先鋭なる牙が現れた。
 そんな実に禍々しき牙が、ゆっくりと薬売りの頭上へ昇っていく……
 ここまでくればもう、何をしようか一目瞭然である――――”齧る”つもりだ。
 


https://i.imgur.com/JpLzMmh.jpg



薬売り「堪忍してくださいな……如何に藪と評されたとて、やってもいない事を責められては、あっしも面目が立ちませぬ」

薬売り「それに今回は……”貴方が勝手に”間違えただけじゃないですか」

薬売り「貴方が自ら……己が無知を”棚に上げて”」


 そしてそんな危機的状況にも拘らず、俄然態度を崩さぬ薬売り。
 怯え慄き、命乞いでもすればまだ人間味もあると言う物だが……
 どころかさらに「開き直り」始めたとあらば、やはりこやつも人知から遠いよの。



「許サナイ”――――許サナイ”――――許サナイ”ィ”ィ”ィ”――――!」



 はて……そういえばいたな。
 ほれ、いただろう。かの書の冒頭にて、主役の血縁者と思えぬくらい、どうしようもなく畜生な連中が。
 やたらと利己的で、無駄に性悪で、異様に執念深く、かつ意味もなく悪趣味で――――とりわけ”嬉々として誰かを陥れる”。
 そんな、まるで今の薬売りに瓜二つな人物が。



【八十】



 かのように、かつて自分を陥れた人物と、薬売りとが重なって見えた……のか?
 うむ、ならば仕方がないな。
 此度の妖兎に訪れたこの不幸な出来事は、明々白々”薬売りの仕業”なのだから。
 


薬売り「致し方……ありませんな……」






【――――待った】








薬売り「よいのですかな――――このままあっしの頭を齧れば、永遠に”永遠から回帰する術”は無くなりますが」



「何…………だとォォォォオ”…………?」



【提言】



薬売り「侮るなかれ。如何に藪とて薬師の端くれ」

薬売り「罹りし病如何なる大病とて――――少なくとも、”診る”事はできる」


 これはこれはまた酔狂な事を。
 この期に及んで何を宣うかと思いきや、言うに事欠いて「診てやる」だと?
 風邪や頭痛とはわけが違うのだぞ……

 仮に全ての薬師をこの場に集めたとて、誰が「永遠」なんぞを治せると言うのか。 
 


「言”え”ッ! あだじは一体ドゥ”すレ”バ…………言” え” ッ !」



 そりゃあ、当人は藁にも縋りたい面持ちであろうがな。
 しかし努々忘れてはならぬ――――”相手はあの薬売り”。
 薬師として見た場合の薬売りは、もはや藪どころの話ではない。
 関わる者皆すべからく不幸に見舞わす、まさに厄災が服を着て歩いているような存在なのに。


薬売り「服用者に永遠を齎すなどと言う、実に摩訶不思議極まる薬……」


薬売り「なれども――――永遠が薬の形を成す限り、永遠もまた”薬の理”から逃れられぬが道理」


 そして薬売りは解く。
 薬の成り立ちから服用の仕方、種類、成分、その他薬に纏わる諸々、等々、色々……。

 ……ぇえいこの藪め! やはり教える気などないではないか!
 学術語だらけで全くわけがわからぬ……と、素面の身共ですらこの様だ。
 とあらば無論――――”壊れ行く兎”に、伝わる事などあるはずがない道理なわけで。





薬売り「つまりですね――――」



【焦】




「は”や”ぐ”言”え”ぇ”ぇ”ぇ”え”え”ぇ”ぇ”え”え”え”ぇ”ぇ”え”!!」



 しかしそんな、難解極まる薬売りの教授も、かろうじて理解できる事が一つだけあった。
 否、わかると言うより「知ってた」と言うべきか。
 ほれ、よく言うではないか。
 薬と言えど、用法用量を守らねば”転じて毒となる”と。




薬売り「――――”下す”んですよ。貴方の身を侵す、永遠と言う名の”毒”を」





(毒――――?)




【応急】



薬売り「永遠とは……求める者にとっては薬となり、そうでない者にとっては毒となる」

薬売り「まさに、今の貴方そのもの……貴方にとっての永遠とは、何物にも受け入れがたき毒でしかなかった」


【毒】


薬売り「毒の解毒は時間との勝負です。一度体に入り込んだ毒は、時を増すごとに体の隅々を駆け巡る」

薬売り「毒が強くあればあるほど、さらにその時は短くなる……そして、直に手遅れとなる」


【切迫】


薬売り「しかしご心配なく。薬毒の誤飲など、往々にして起こる事態」

薬売り「さらには此度の場合ですと、まだ含んでからの時が浅い……よって、”正しき処方”を施せば、回復は十分見込まれます故」


【希望】




「言エ”……その正しキ処方とハ……一体なンダ……!」




【的確】


【処置】


【解】




薬売り「――――”吐く”んですよ。文字通り」


薬売り「毒を含んだその口から、全てを吐き出すように……いままで食らった全てを、ね」



【自己誘発性嘔吐】





「う”――――か”ぁ”ぁ”あ”ぁ”ぁ”ぁ”あ”あ”!!」


 「吐く」――――その言葉を聞いた妖兎は、すぐさまその指を喉奥へと突っ込んだ。
 ただでさえ血塗れの指が口に入る事で、唾液と交ざったか、ぐちゅぐちゅと不快な音が掻き立てられていく。
 しかしそれでもかまうことなく、指は一心不乱に動き続けた。
 まさに泣きじゃくる赤子の如く……溢るる嗚咽を、大量に漏らしながら。



(――――え?)



 しかしそんな決死の行為も、”ある時”を境にピタリと止まってしまう。
 それはやはり、兎の持つ性が故なのであろう。

 そう、兎は――――聞こえてしまったのだ。
 空耳と思しき小言。なれども聞き捨てならない、希望の言葉を。




薬売り「そう言えば…………確か…………」




【呟き】


【疎覚え】


【聞き齧り】






薬売り「”四つ葉のシロツメクサ”に…………そのような効能が…………」





【想起】





(四つ葉のシロツメクサ――――!)



https://i.imgur.com/s0VIFPB.jpg