穂乃果「行くよ!リザードン!」 (978)

したらばで書いていた物の修正版です

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【ポケモンリーグ!】


【さあ、アキバリーグ防衛戦は佳境を迎えようとしています!
アマルルガとニョロボンのダブルノックアウトでチャンピオンの残りは三体、挑戦者の残りは二体!
両者、まったくの同時で次のボールへと手を掛けるッッ!!】


絵里「行きなさい、フリーザー」


【出たァ!アキバリーグチャンピオン絢瀬絵里!ここでエース、蒼麗なる氷鳥!フリーザーを繰り出していく~っ!!
その姿はまさに!凍って・カチコチ・エリーチカ!KKEのお出ましだァー!!】


果南「うわ、来ちゃったか。じゃあ私も下手な子は出せないね…頼んだよ!ギャラドス!」


【来たァ!挑戦者の松浦果南、四天王のうち二人にトドメを刺したエース格の登場だ!
登場と同時に膨大な水がフィールドを支配したッ!その凶顔はまさしく水上の暴君!ギャラドスッッ!!】


絵里「フリーザー、“フリーズドライ”」

果南「ギャラドス!“ストーンエッジ”だ!」


【さあ、お互いの技が猛威を奮う!
氷点下の羽ばたきが生み出す真空、凍結、乾燥のトリプルコンボはみずタイプにも効果はバツグン!
対して水面から急襲する岩の顎!こおり・ひこうのフリーザーにとっては刺さる!まさに一撃必倒!ただし当たればの話!
フリーザー、冷気を放ちながら空を舞っていく~ッッ!!!】





《高坂家、居間》


穂乃果「おおお…っ!ここ!この場面!本っっ当手に汗握るよね!」

雪穂「お姉ちゃんテレビ近すぎ。怒られるよー」


━━ピンポーン!


雪穂「あ、お客さんだ」

ほのママ「穂乃果ー!ちょっと出てくれる?」

穂乃果「うえぇ~!?良いとこなのに!」

雪穂「何度も見てる録画じゃん…」

穂乃果「あーあ、決着まで見たかったのに。まああの後ギリギリでチャンピオンが勝つんだけどさ。はーいどなたですか」ガチャッ

海未「………穂乃果。」

ことり「あはは、穂乃果ちゃんおはよ~」

穂乃果「あっ………」

穂乃果(二人と待ち合わせをしてたんだった!!!)

海未「すぅ~っ……穂乃果ァ!!!」





穂乃果「ひぃ…めちゃくちゃ怒られた…」

ことり「よしよし…はい、クッキー食べる?」

海未「全く…ことり、甘やかしてはいけませんよ?私たち二人をまたせるだけならいつもの事ですが、今日は大切な人と会う用事なのですから」

穂乃果「大切な人って言っても真姫ちゃんじゃん。海未ちゃんことりちゃんとそう変わんないよ」

海未「もう、自覚してください!今日は“友達の真姫”と会う日とは違うのですよ!」

穂乃果「わかったわかった。『ポケモン研究の若き権威、西木野真姫博士からポケモンをもらって旅立つ日~』でしょ」

ことり「穂乃果ちゃん権威って言葉知ってるんだね~、すごいっ♪」

穂乃果「ふっふっふ、今のフレーズは耳にタコができるほど海未ちゃんから聞かされたもんね!」

海未「常用語ですよ…?と、着きましたね。オトノキタウン、西木野ポケモン研究所!」

真姫「………遅い。30分以上待たされてたんだけど」クルクル

海未「すみません、真姫…私の監督不行き届きで…」

ことり「ことりがちゃんと電話入れておけばよかったの…ごめんね、真姫ちゃん…」

穂乃果「ふ、二人に謝られると余計に胸が痛む…私の責任です…」

真姫「はぁ、まあいつもの事だけど。じゃあ手短に話を済ませるわよ。はい、ポケモン三種類。それぞれ好きなの選びなさい」

穂乃果「雑っ!なんかこうもうちょっと余韻が欲しいっていうかさぁ」

真姫「知らない子に渡すならともかく、あなたたち相手に畏まっても仕方ないでしょ。私も忙しいの。ほら選びなさい、早く」

海未「やれやれ、真姫らしいですが。ええと、三種類のポケモンは…」

ことり「ほのおタイプのヒトカゲさん、みずタイプのケロマツさん、くさタイプのモクローさん。わぁっ、みんなカワイイっ♪」

穂乃果「おお~、ちょっとテンション上がってきた!二人ともどの子がいい?」

海未「私は最後で構いませんよ」

ことり「うふふ、穂乃果ちゃんから決めていいよ♪」

穂乃果「いいの?えへへ、それじゃあ…うーん…決めた!
ほのおタイプのヒトカゲ!穂乃果と一緒に旅に出よう!」

ボフン!

モンスターボールから出たヒトカゲは火をしっぽに揺らめかせ、つぶらな瞳で穂乃果を見つめ返す。
『カゲ!』と鳴き声。一目でフィーリングはばっちりだ!


真姫「ヒトカゲが穂乃果。まあ、らしいかもね。ちなみにどうしてその子に?」

穂乃果「私の目標はポケモンリーグチャンピオン!そのためにはこおりタイプ使いのチャンピオンを倒さないといけなくて、だからこの子がいいな!って」

真姫「ふぅん」

穂乃果「でも何より…なんか気が合いそうだったから!」

『カゲッ!』

真姫「…合格。トレーナーとしての気構えとかを説く必要もなさそうね。それで、ことりと海未は?」

ことり「ことりはぁ…この子!ふくろうみたいなモクローさんにします!」


ボールから出たモクローは首をカクリと90°傾け、品定めをするようにことりの目をじっくりと見つめる。
やがて目元をにこりと笑ませ、パタパタと羽ばたくとことりの懐へすっぽりと収まった。


『ポロロッ♪』

ことり「わぁ!ふわふわでカワイイっ~♪よろしくね、モクローさん!」

真姫「ことりはポケモンコーディネーター志望だったわよね」

ことり「うん、旅ではそこを頑張ってみるつもり。体験して勉強して、ゆくゆくはコンテスト用の衣装デザイナーになりたいなぁ~って」

真姫「うん、センスの良いことりには似合ってると思う。きっと上手くいくわ。頑張りなさいよ」

ことり「ありがとう、真姫ちゃん♪」

海未「では私は貴方を。ケロマツ、これからどうぞ、宜しくお願いします」

『ケロッ…!』


流し目で返事をする姿はどこかニヒル。
けれど海未のことはすぐ気に入ったようで、ピョンと一跳ね隣に歩み寄ると、握手を求めるように小さな片手を差し伸べた。


海未「おや、小さくても凛々しいのですね。そして紳士的です」

ことり「うふふ、なんだか海未ちゃんとお似合いかも♪」

海未「お互い、残り物には福があるとも言います。仲良くやっていきましょうね、ケロマツ」

『ケロ!』

真姫「海未の旅はやっぱりバトルがメイン?」

海未「ええ、立場もありますので…穂乃果と同じようにジム戦を巡る旅になるかと」

穂乃果「ふっふっふ、ライバルだね!海未ちゃん!」

海未「ふふ、穂乃果には負けませんよ?」

真姫「世に名高い園田流ポケモン術の継承者。重圧もあるでしょうけど…応援してるわ、海未」

海未「ありがとうございます、真姫」

穂乃果「真姫ちゃん!穂乃果の旅に激励は!?」

真姫「別に…穂乃果はきのみ齧ってでもしぶとく生き延びてそうだし」

穂乃果「えへへ、そんなぁ」

ことり「褒められてないと思うなぁ…?」

海未「やれやれ…」

真姫は赤いフォルムの端末を手に取ると、ひょいひょいと三人に渡していく。
それにガサガサと道具が詰め合わされた小袋も。


真姫「はい、これがポケモン図鑑。選別のボールときずぐすり。これで一通りおしまいね、それじゃ行ってらっしゃい」

穂乃果「そっけない!」

真姫「ヴェッ…仕方ないじゃない、忙しいのよ。私もあちこち飛び回ってるし気には掛けとくから、旅の途中で会うこともあると思うわ」

海未「引き留めては悪いですよ、穂乃果」

穂乃果「むむ…もっとこう、これから旅に出るぞー!って区切りが欲しかったのに」


間延びした表情で不満足を訴える穂乃果、それを真似てぐぐぐと伸びをしてみせるヒトカゲ。
そんな様子を目の前に、海未とケロマツは顔を見合わせてくすりと微笑う。


海未「ふふ、ではどうです?旅立ちの記念に私と一勝負!」

穂乃果「勝負…?あ、そっか!私たちもうポケモンバトルできるんだ!よーし、行けっヒトカゲ!」


穂乃果とヒトカゲ、海未のケロマツが向かい合う!
トレーナーの気持ちを汲んでいるのだろうか、二匹ともが乗り気に前かがみの臨戦態勢。

『カゲェッ!』

『ケロロロ…!』

あるいはこの二匹も、旅立ちの予感に高揚しているのかもしれない。


真姫「ちょっと…研究所壊さないでよね」

ことり「穂乃果ちゃんも海未ちゃんもがんばれ~っ」

真姫「ことりはいいの?バトルの練習をしておかなくても」

ことり「私は一匹目じゃないから、大丈夫かなぁって」

真姫「ああ、お母さんから貰ったイーブイがいるんだったわね」

ことり「ニンフィアに進化させてあげるのが目標なんだぁ。うふふ、モクローさんもイーブイさんも仲良くしてね♪」

真姫「ニンフィアね、ことりには似合いそう。ん、始まるわよ」

海未「お先にどうぞ」

穂乃果「ほんと?遠慮しないよ!」


そう息巻いたはいいものの、さて初のポケモンバトル、とにかく勝手がわからない。
(どうするの?)
とばかり振り向いてくるヒトカゲに「ちょっと待ってね」と苦笑いを浮かべ、穂乃果は不慣れに図鑑をヒトカゲへと向ける。


穂乃果「“ひっかく”と“なきごえ”?あ、こうしたら使える技が見られるんだ。よーし、どんどん技を増やしてこ」

真姫「一匹のポケモンが覚えられる技は四つまでよ」

穂乃果「へ、なんで?」

真姫「ポケモンバトルは競技だけど、ポケモンたちにとっては生存闘争の延長線上。
サバンナのライオンをイメージしなさい。吠えて、突進して、ひっかいて、噛み付く。行動パターンなんてこんなものでしょ?」

穂乃果「おお~確かに!」

真姫「思考パターンが多すぎればその分だけ選択が遅れる。行動が遅れる。スピードを損なわずに練度を高められるのは四つが限界ってコト」

穂乃果「なるほどね…!」


頷き、「待たせてごめんね!」とヒトカゲに謝る。
そして初めての指示を!

穂乃果「ヒトカゲ、“ひっかく”!」

海未「ケロマツ、“あわ”で受けてください」


海未は落ち着いた声で指示を出す。
ケロマツは応じ、ぶくぶくと白い泡を身の回りに膨らませた。
弾性に富んだ泡がヒトカゲの爪、その勢いを軽減させる。
食い込んで弾け、飛沫がヒトカゲの体へとはねかかる!


『かげぇ…』

穂乃果「あっヒトカゲ!?やっぱみずタイプには弱いか…ずるいよ海未ちゃん!」

海未「ずるいも何もないでしょう、私は最後に選んだのですから…」

ことり「うふふ、二人が戦ってる姿、かっこいい…♪」

真姫(ズブの素人の穂乃果とは違い、海未は判断が速い。
海未の実家はポケモン道場の園田流。園田流は旅立ちまでポケモンの所持を許さない代わりにトレーナー自身の体力、知識、精神を鍛え上げるスタイル。
勝負は初めてでも、技量は一定の域にあるわね)

海未「ケロマツ、泡を踏み台にして跳躍を」

『ケロ!』

明確かつシンプルな指示はポケモンに迷いを抱かせない。
ケロマツは海未の声に従い、大きめに膨らませた泡を地面に、ぶよんぶよんとしたその泡へ思い切り踏み込む。
ぐぐ…と沈み込み、トランポリンの要領で上へ!


穂乃果「跳んだあ!?」

ことり「ええっ!天井に張り付いてる!?」

真姫「ケロマツは最大でビル3階まで飛び上がれるポケモン。あれくらいはこなせるわね」

海未「高所で距離を保ったまま、“なきごえ”を」

穂乃果「ケロケロケロケロケロ…って、あ!ヒトカゲ!集中力なくしちゃダメだよ!」

『カゲ~』

海未(なきごえは集中力を削って攻撃の勢いを削ぐ技。こうしておけばケロマツを近付かせても大丈夫でしょう。
…ヒトカゲの初撃、穂乃果は気づいていないようですが、泡で勢いを殺しきれずにケロマツを掠めていた。ある程度のダメージが入っています。警戒を!)

海未「ケロマツ!飛び降りて“はたく”!」

『ゲロォ!』

『カゲぇ…!?』

穂乃果「ヒトカゲ、大丈夫だよ。穂乃果を信じて」

『……カゲッ!!』

真姫(瞳をまっすぐ、ポケモンと意思を疎通させている)

穂乃果「怖がらずに、しっかり目を開いたままだよ。狙いを定めて…」

自由落下に脚力をプラス、墜ちてくるケロマツは肩の可動域いっぱい、大きく腕を引いている。
全力の平手打ちでヒトカゲを昏倒させようと狙っている!

対してヒトカゲ、穂乃果の燃えるハートはヒトカゲから恐れを取り除いた。
宿る決意。タイプが不利なら気持ちで覆せ!!

そして穂乃果のポケモン図鑑に新たな技、“ひのこ”の表示が点る。それを見逃さない!


穂乃果「ヒトカゲ!!“ひのこ”だよっ!!」

『かぁぁ…ゲェッ!!!』

海未「なっ!?」

ことり「ほのおタイプの技!」

真姫(ありえない…“ひのこ”はレベル7で習得する技なのに。
まさか穂乃果…戦闘中にポケモンを成長させているって言うの?)

『ゲロロっっ!?』

尻尾を振り回し、撒き散らすは火の粉!
花火めいて散った赤がケロマツを驚かせ、その“はたく”をヒトカゲからわずかに逸らす。

叩かれる床、砕けるフローリング!


穂乃果「硬い床が壊れたぁ!?」

海未「なんという、これがポケモンの力!」

ことり「この力を悪用する人がいたら…」

真姫「そう、ポケモンは愛すべき存在であると同時にとても恐ろしい存在。最上の友人にも、最悪の兵器にもなる。
私たちは常に、友情と畏敬を併せて抱き続けるべきなの。負けた方に床の修理代を請求するわ」

穂乃果「それは嫌だ!チャンスだよっ!ひっかいて!」

海未「受けてはまずいっ、泡を全開にしてください!全て出し尽くす勢いで!!」


交差する指示、受ける二匹、眼光が重なる!!

……




『かぁ…げっ…』ドサリ

『けろ、ろ…!』ヨロ…


倒れてしまうヒトカゲ、あとわずかで踏みとどまるケロマツ。
紙一重の差で、軍配は海未に上がる!


穂乃果「ああっ…ヒトカゲぇ!ごめんね…」

海未「あ、危なかった…頑張りましたね!ケロマツっ!」


お互いのポケモンを抱きしめて褒め、穂乃果は謝り、海未は労い。
そして立ち上がり、二人は固い握手を交わす。
旅立ちの一戦はここに幕を閉じた。

見つめることりは穂乃果と海未、大好きな二人の幼馴染の勇姿に少しだけ瞳を潤ませている。
戦いこそしていないが、そんなことりはモクローを撫でていただけですっかり懐かせている。ことりもまた、平凡ではない。

真姫はそんな三人を眩しげに、少しだけ羨ましそうに見つめている。


真姫(この三人にどんな旅路が待ち受けているのかしらね…一筋縄ではいかないだろうけど)


ここは始まりの地オトノキタウン。
かくして今、三人の主人公の旅路が幕を開ける!!

【ダイイチシティ】


海未「さて、どうにか街まで辿り着きましたね」

ことり「ううん、旅ってあんなに草むらを歩くんだねぇ…靴がドロドロ…」

海未「ふふ、お洒落なことりが私は大好きです。けれど旅路では少し、実用性に傾けたチョイスをした方がいいのかもしれませんね。その靴では長旅に不向きでしょう」

ことり「う、海未ちゃぁん…♪もう一回言って?」

海未「へ?何をです」

ことり「ことりのこと、大好きって…♪」

海未「はうっ!そ、そういう意味ではなくてですね…!」


しどろもどろの海未、ことりは蠱惑的なふわとろボイスで海未の耳をくすぐって悦ばせる。
赤い屋根に白地、ポケモンセンターの壁へふんわりと海未をおしやり、顔を寄せ…耳たぶをついばんだ。


海未「ひゃうう!?」

ことり「うふふ、ごちそうさまでした♪」

穂乃果「なにやってんの、二人とも」

遅れてポケモンセンターから出てきた穂乃果は、幼馴染二人の茶番を目に呆れ気味。
穂乃果の隣に並んだヒトカゲは、ことりと海未の捕食者と被食者の関係性を敏感に察知する。


『カゲェ』

海未「な、なんです…その哀れむような目は!」


そんなやりとりを終え、三人は町の地図を並んで眺めている。


海未「ダイイチシティ、ここはジムがあるのでしたね。物は試し、私は早速挑んでみようかと思います」

ことり「ここはオトノキタウンより大きいからお店も多いんだよね。ことりはポケモン用のお洋服を色々見て回ろうかなぁ。穂乃果ちゃんは?」

穂乃果「ううん、穂乃果はさっきの草むらでもうちょっと戦う練習してこようかなー」

海未「え、さっきもかなり戦っていたではないですか。泣きながら逃げていくポッポやコラッタを何匹見たことか」

穂乃果「いやー…ヒトカゲは頑張ってくれてるんだけど、海未ちゃんと戦ってみて、私って勉強不足だなぁと思ったんだ。
もうヒトカゲに悔しい思いさせたくないんだよ。だから私は…コツコツ頑張ってみる!」

海未「穂乃果…」

ことり「穂乃果ちゃん…」

穂乃果「………ん?どうしたの、二人とも変な顔して」

海未「穂乃果から、コツコツなんて言葉が聞ける日が来るだなんて…!」

ことり「海未ちゃん…ことり嬉しいっ、でも少し寂しいよ…!」

海未「ああっ、わかりますよことり…!しかし保護者はいつか離れていかなくてはいけないのです…!」

ことり「穂乃果ちゃぁん…!」

穂乃果「私ってどんな風に見られてるんだろう…とりあえず、一旦それは置いといてさ!」


穂乃果は海未とことり、大好きな幼馴染二人の手をギュッと握りしめる。
少しだけ、瞳を潤ませ…意を決したように力強く言葉をかける。


穂乃果「ここからはバラバラの道だね」

海未「っ…!…そう、ですね。基本的にトレーナーの旅路は、単独行ですから」

ことり「……穂乃果ちゃん、海未ちゃん…っ」


誰からともなく、三人はお互いの体をギュッと抱きしめる。
オトノキタウンはそれほど人口の多くない街。そんな田舎で三人近所、同い年。長い時間を一緒に過ごしてきた。

初めての別れ、初めての一人旅。

もちろん二度と会えないわけではない。
連絡は取れるし、道行きに交わることも多いだろう。
それでも一旦の別れはやっぱり辛いし寂しい。油断すれば溢れそうな涙をぎゅっと食いしばり、三人はハイタッチをして背を向ける!


ことり「それじゃあ行くね!穂乃果ちゃんも海未ちゃんも強いトレーナーになってね!」

海未「もちろんです!決して負けません!ことりも…良い旅路を!」

穂乃果「ことりちゃんなら最高のコーディネーターにも天才デザイナーにだってなれるよ!」

ことり「っ…バイバイ!二人とも大好きっ!!」

海未「……行ってしまいましたね。では、穂乃果。私もそろそろ…」

穂乃果「海未ちゃんっ!」


呼び止め、穂乃果は海未へと力強く拳を向ける。
そして高らかに高峰への宣言を!


穂乃果「ポケモンリーグで会おう!!」

海未「…!ええ、絶対に負けませんよ!私のライバル!」

【現在の手持ち】


穂乃果
ヒトカゲ♂ LV9

海未
ケロマツ♂ LV8

ことり
モクロー♀LV5
イーブイ♀ LV13




穂乃果「……あーんな格好いい感じで別れて、元の道を戻って草むらをガサガサってのもなーんか冴えないなぁ。ね、ヒトカゲ」

『ゲ?』

穂乃果「あ、“えんまく”覚えた」


コラッタにポッポを倒しては倒し、怪我をすればポケモンセンターへの繰り返し。
往復三度目にして、飽きっぽい穂乃果にはそろそろ限界だ。


穂乃果「“ひのこ”ー」

『カゲー』ボボッ

穂乃果「“ひっかく”ー」

『カゲ。』ガリッ

穂乃果「お、あのキャタピーふんばってる。根性ある子なのかな?えーいっ!モンスターボール!」ボムッ

『きゃたっ!』

穂乃果「やったぁ!自力でポケモン初ゲット!よろしくね、キャタピー!」


こんな調子、手持ちを二匹に増やしてうろつきを継続している。
そろそろ街へ向かおうかな、そう考えたその時、同じように草むらを歩いてきた一人の少女と視線がクロスする。
みかん色の髪、前髪の横に三つ編みが一つ。腰にはボールが二つ、少女も同じくトレーナー!


千歌「あ…」

穂乃果「お…っと、目が合った?」

千歌「目が合った、こういう時は!」

穂乃果「と、トレーナーとのバトルだ!いけっ、ヒトカゲ!」

千歌「頑張れヨーテリー!」


バトル開戦だ!




海未はジムの中を歩いている。
ダイイチシティジム、リーダーへと挑むためには居並ぶジムトレーナーたちを薙ぎ倒すだけの戦力を見せなければならない。
そんな条件の中、海未とケロマツは園田流の名に恥じない連戦連勝の実力を見せつけていた。


海未「やれやれ、流石に少し疲れますね。ケロマツは大丈夫ですか?」

『ケロ』

海未「おや、頼もしいですよ。ふふっ」


ジムの入り口ではバッジの所有数を聞かれる。
旅に出たばかりの海未は当然ゼロ。
トレーナーの身分を保証する博士…海未たちの場合は真姫がしてくれたトレーナー登録に照らし合わせて申告に虚偽がないかを確認。
そんな手続きを済ませた上で、ジムトレーナーたちはバッジ数に合わせたレベルのポケモンで相手をしてくれるというわけだ。


海未(バッジ数ゼロで挑むジムは、ある程度の心得さえあれば突破できる難度設定。
そう踏んで吶喊しましたが、悪くない判断だったようです)

海未(経験の効率も良い。ケロマツのレベルは14まで上がりました。
“あわ“、“でんこうせっか”、“したでなめる“、“みずのはどう”。この四つの技構成ならリーダーも突破できるはず)


ジム内は和風の内装。長い廊下、一歩一歩に床が微かな軋みを鳴らす。
少し実家に似ていて心地よく、同時に身が引き締まる。
そして現れる広いバトルフィールド、ジムリーダーとの対面だ。

和装に身を包んだ黒髪の少女が、凛然とした佇まいで海未を迎える。


ダイヤ「ようこそトレーナー。わたくしがダイイチジムのリーダー、黒澤ダイヤですわ!!」

海未「初めまして、園田海未と申します」

ダイヤ「あら、美しい所作ですわね。洗練されている…好感が持てますわ」

海未「光栄です。私からも同じ言葉を送らせていただきますよ」

ダイヤ「ところで…園田海未さん。もしや貴女、園田流のご息女でして?」

海未「御察しの通り、その園田です」

ダイヤ「そう…楽しみですわ。天下に名高い園田流が…
わたくしの操る!硬度バツグンの!いわタイプのポケモンとどう対峙なさるのかが!!」


ダイヤのボールから繰り出されるのはイワーク!
いわ、じめんタイプを併せ持つ、硬質な巨躯を誇る岩蛇だ!
しかし海未は動じない、その姿を目の当たりにしてほくそ笑む。


海未「そう、このジムはいわタイプ。ですので、多少無理を押して挑ませていただきました。ケロマツはみずタイプ!このジムは私たちにとってカモなのです!」


迷いなき海未の指示!
“みずのはどう”がイワークを叩き、その奥深くへとダメージを浸透させる。撃破!!




ことり「今頃、穂乃果ちゃんと海未ちゃんは何してるのかなぁ…」

『ポロロ』

ことり「寂しいな…」

『ブイ!』

ことり「ふふ…ありがとう、イーブイ♪」


ことりは鞄を抱え、公園のベンチに座り、膝に手持ちの二匹を抱きかかえている。
ふかふかとした毛皮が心地よく、ぽっかりと空いた二人分の寂しさを少しだけ暖かくしてくれる。


ことり(ことりはポケモンたちを戦わせるのは、なんとなく可哀想で気が進まないんだ…
ううん、ポケモンたちは戦うことを嫌がらないよ。適度に戦わせてあげた方が長生きするって研究もあるみたい)

ことり(でも、だけど…はぁ。これはポケモンさんたちよりも、ことりの性格の問題だよね…)


適した年齢になれば旅に出るのがこの世界の通例。
ポケモンと関係のない職業を目指していればその限りでないが、ポケモンの衣装デザイナーを目指すことりは旅を避けて通れない。


ことり(穂乃果ちゃん…海未ちゃん…)

ルビィ「わぁ…モクローさん…!」

ことり(ん…?)

ことり(赤い髪の…かわいい女の子。少しだけ年下かな?)

ルビィ「イーブイさんも…えへへ、かわいい…」

ことり「あの…」

ルビィ「ピギィ!?ごめんなさいごめんなさい!ルビィはポケモンさんに悪いことしようとしたわけじゃなくて可愛かったから近くで見たくって本当にごめんなさい…!」

ことり「わ、わぁ…?大丈夫だよ、落ち着いて♪」

ルビィ「うゆ…」

ことり「よしよし。ルビィちゃん…っていうのはお名前?」

ルビィ「は、はい…ごめんなさい…」

ことり「謝らなくて大丈夫ですよ♪私は南ことり。ちょっと珍しい名前でしょ?一緒だね♪」

ルビィ「あ…うん、えへへ…」

ことり「モクローとイーブイ、あなたに撫でてほしいみたい。ちょっとだけ撫でてあげてくれないかなぁ?」

ルビィ「いいの?ぅゆ…」

『ポロっ♪』『ブイ!』

ルビィ「かわいい…」

ことり「あ、ボールを持ってるんだね。あなたもトレーナーさん?」

ルビィ「うん…でもルビィ、戦いはあんまり好きじゃなくて。かわいがる方がいいなぁって…」

ことり「うふふ、ことりもそうなんだ。よかったらちょっと、お話に付き合ってくれませんか?少しだけ…寂しかったから」

ルビィ「あ…はいっ。なんだか、ことりさんとは仲良くできそうだな…」


ルビィは自分のボールからピィを出し、優しい手付きで撫でながらベンチに腰掛ける。
ことりもピィの頭をそっと撫で、寂しさを紛らわしてくれたルビィに感謝しながら会話に花を咲かせるのだった。




穂乃果「ヒトカゲ!“ひっかく”だよっ!」

『かぁぁ…ゲッ!!』


ヒトカゲが張った“えんまく”が濃く視界を遮っている。
その中から瞬迅、ヒトカゲが飛び出して爪を突き出した!


『タチィ…!』

千歌「ああっ!ヨーテリーに続いてオタチがぁ!」

穂乃果「これで二匹、次は…」

千歌「いないよぉ…負けです…うう」

穂乃果「や、やった?やった!勝った!勝ったよヒトカゲー!!」


トレーナーとの戦いではこれが初勝利!
手を取りジャンプ、全身で喜びを表現する穂乃果とヒトカゲ。
そして勝負を交わした少女へと手を差し伸べ、快く握手を交わす。


穂乃果「自己紹介が遅れちゃったけど…私、高坂穂乃果!8月生まれの16歳!あなたは?」

千歌「高海千歌です!わあ、ほとんど同い年!私も8月生まれの16歳だよ~!」

穂乃果「おおー!それじゃあ、千歌ちゃんって呼んでもいい?」

千歌「いいよー!私も穂乃果ちゃんって呼ばせてね!」

なんとなくだが波長が合う。
意気投合した二人は春の並木道、桜の木陰にしゃがみ込む。
木を軽く蹴って、ビードルが落ちてこないか確かめておくのも忘れずに。


千歌「はぁ。それにしても同い年…凹むよぉ~」

穂乃果「へ、何が?」

千歌「私ね、幼馴染や友達にすごく強い子が多くて…同い年ぐらいの子と戦って勝てたことが一回もないんだ…」


ぴょんと跳ねた頭頂の毛が、こころなしかひょろりと落ち込んでいる。
はぁ~と溜息を吐いた千歌に苦笑いを返し、穂乃果も同意に首を縦に振る。


穂乃果「わかるなぁ。私にも同い年の幼馴染が二人いるけど、二人ともすごい子なんだよね。
負けないぞ!って思ってるけど、本当に勝てるのかな、なんて時々考えちゃったり」

千歌「穂乃果ちゃんもなんだ…うん、私だけじゃないんだよね」

穂乃果「それにその子たちにまだ勝てなくたって、他のことをたくさん経験してからまた挑戦すればいいんだよ。私はさっき千歌ちゃんにギリギリ負けそうだったし」

千歌「え、でも穂乃果ちゃん、もう一匹持ってたよね?」

穂乃果「この子?さっき捕まえたばっかりのキャタピーなんだ。
弱ってるし、ヒトカゲがやられたらギブアップしようかなって思ってたよ、えへへ…」

千歌「そう、だったんだ。そうだよね…うん、私だってもっと頑張れるよね…!よぉし!」

がばっと勢いよく立ち上がり、千歌は太陽へと思いっきり手を伸ばす。
そんな姿はとても好感が持てて、大きな伸び代を感じさせて、穂乃果の心に“高海千歌”という名前が深く刻み込まれる。

と、草むらの向こうから一人の少女が手を振っている。


曜「おーい千歌ちゃーん!」

千歌「あ、よーちゃーん!」

穂乃果「お友達?」

千歌「うん、さっき言ったとっても強い子。渡辺曜ちゃん!」


千歌の表情は大好きな親友を紹介している人のそれで、けれどほんの一瞬陰りがよぎる。
くるりと穂乃果へ振り返り、「はい、プレゼント!」とみかんを手渡して駆けていく。


千歌「また会おうね、穂乃果ちゃん!」

穂乃果「うん、千歌ちゃんとはまた必ず会う気がするよ。頑張ろうね、お互い!」


とたたと小走り、千歌は友人のところへ駆け寄り、もう一度大きく手を振って去っていった。
隣にいた“曜ちゃん”がほんの一瞬、穂乃果へと悋気めいた値踏みの視線を向けていたような気がしたが…今気にしても仕方ないだろう。


穂乃果「幼馴染って楽しいけど大変だ…うん。さて、穂乃果たちも街に帰ろっか!」

『カゲ!』


初めての勝利に意気揚々、もらったみかんをヒトカゲと半分こにしながら穂乃果はイチバンシティへと歩いていく。


…木陰。

そんな穂乃果の背を凝視する人影があることに、穂乃果はまだ気付いていない。




ダイヤ「コドラ!“がんせきふうじ”ですわ!」

『ヤコッ…!』

海未「よくやってくれました、戻ってください!ヤヤコマ!」


イチバンシティジム戦は詰めの段階を迎えている。
海未のケロマツはダイヤの先鋒イワークを“みずのはどう”による四倍ダメージの一撃で沈めた。

ダイヤが繰り出した後続はコドラ。
鉄鎧ポケモンの名を冠する堅牢な進化ポケモンだ。

対して海未は、相性に優れるケロマツを引っ込める。
そして代わりに繰り出したのは道中で捕まえていた鳥ポケモンのヤヤコマ。
相性最悪の相手に敢えてのひこうタイプ、海未の選択肢は“でんこうせっか”。

無論、与えたダメージはごく微小。
コドラが返しの刃、効果バツグンの“がんせきふうじ”でヤヤコマを沈めて状況今に至る。


海未「もう一度お願いします、ケロマツ!」

『ゲロロッ!』

ダイヤ(………お見事。詰みましたわ)

海未「これで終わり!“みずのはどう”ですっ!!」

ケロマツは視線鋭く、アマガエルがする雨鳴きに似た声色で声帯を震わせる。
その声は空気中の水分を結集、振動させ、音の波動を振動する水へと瞬時に変化させる。

そして生じた水塊を全力で投げ放つのが今のケロマツの十八番、“みずのはどう”!

炸裂!!


滴り落ちる水滴、フィールド全域に水が飛び散っている。
ケロマツが投じた小さな水塊にどれほどの水量が圧縮されていたのかは推して知るべし。

コドラはおよそ120キロの鋼体をぐらり、その身を床に転がした。

ピシュン、と赤線がコドラを包み込み、その体がダイヤのモンスタボールへと引き戻される。
イワーク、コドラの二体を撃破し…


ダイヤ「貴女の勝ちですわ。おめでとうございます。
そして…ジムリーダーの権限を以って、園田海未をバッジ一つに値するトレーナーと認定致しますわ!」

海未「や、やりました…!ありがとうございます!」


海未は小さく控えめに手を握り、戻ってきたケロマツとこつんと拳を突き合わせた。
そしてダイヤへと深く頭を下げて感謝を示す。

ダイヤは微笑んでそれを受け、海未へ賛辞と問いを。

ダイヤ「コドラの特性“がんじょう”を“でんこうせっか”で崩す。それ自体はシンプルですけれど、初見で備えていたことが既に評価に値しますわ。
海未さん、貴女の目標はどこにあるのです?」

海未「目標…ですか。私の大切な幼馴染の一人が、チャンピオンを目指しているのです。
ならば私も同じ場所を。チャンピオンを目指すのが親友としての礼儀!」

ダイヤ「……素敵ですわね。でも」

海未「でも?」

ダイヤ「現チャンピオンは!エリーチカは無敵ですわ!決して負けません!
凍って・カチコチ・エリーチカ!KKE!覚悟して挑むのですね!勝てないでしょうけれど!」

海未「は、はあ…熱烈なファンなのですね…」

ダイヤ「……さておき、もう一つ大切な話を。次はどうされるつもりですの?」

海未「次、ですか。目標はもちろん次のバッジですが、尋ねているのは成長の指針でしょうか?」

ダイヤ「ええ、その通りですわ」

海未「そうですね、差し当たっては手持ちの数を増やしていこうかと。6匹フルにいれば戦術の幅が大きく広がるでしょうし」

ダイヤ「………一つだけ、忠告です。戦闘に不慣れなうちに数を増やしすぎるのはオススメできません」

海未「……?何故でしょうか」

ダイヤ「選択肢が増えれば思考が増える。思考が増えれば行動が遅れる。トレーナーの迷いは危機を呼ぶ」

海未「……」

ダイヤ「ポケモンへ攻撃してくる相手ばかりだと思い込まないように。
…それを、貴女への餞別の言葉に代えさせていただきますわ」

海未「……ええ、深く心に刻んでおきます」


海未はジムから外へ、空は夕暮れの赤へと染まりつつある。
忠告を送るダイヤの真剣さ、反して歯に物が挟まったような物言い。違和感が胸に不安をよぎらせる。


海未「……穂乃果とことりを探しましょう。旅路を分かつには、少し早すぎたのかもしれません」


そう呟く海未にもまた、一つの足音が迫りつつあった。




ルビィ「ピギャッ!?いつの間にか夕方になっちゃってる!」

ことり「わあ、ほんとだ…楽しくて気付かなかった…!」


ルビィもことりと同じく、コーディネーターの方面、さらには衣装デザインに興味があるらしい。
お互い愛でたい派、お互い衣装に興味があって、裁縫も趣味にしている。
そんな二人の話が合わないはずもなく、春の夜風が吹き始めるのにも気付かず公園のベンチで長々と話し込んでいたのだ。

くしゅん!と可愛らしくクシャミを一つ、ルビィは慌てて立ち上がると頭を下げる。


ルビィ「帰らなきゃ門限で怒られちゃう…!あの、ことりさん、ルビィ…すっごく楽しかったです!」

ことり「うんっ!ことりもだよ♪ルビィちゃんはいつもこの街にいるの?」

ルビィ「えっと、住んでる家はここなんですけど、用事で他の街に行くこともあって…でも!ジムが実家だからすぐわかると思います!」

ことり「えっ、ジムが?お姉さんのダイヤさんがジムリーダーなの?」

ルビィ「はい!お姉ちゃんはとっても強くて…ルビィの憧れなんです!」

ことり「うふふ、仲が良いんだね。ルビィちゃんとはまた今度、時間がある時に遊んだりゆっくりお話ししたりしたいな」

ルビィ「うん!ルビィもことりさんともっとお話ししたい!えへへ…いつでも家に遊びにきてくださいね」

そう言うと踵を返し、ルビィは慌ただしく公園の外へと駆けていった。
話が合う、ポケモンも可愛い、おまけに本人も愛らしいと三拍子。可愛いもの好きのことりにはたまらない少女だった。
旅に対して後ろ向きになっていたことりの心も、素敵な出会いにふんわりと浮き立っている。

それはそうと、そろそろ夜だ。
まだ旅慣れない身、夜は出歩かずに宿へと身を落ち着けよう。


ことり「ええっと、慣れないうちはポケモンセンターに泊まるのがオススメだったよね。穂乃果ちゃんと海未ちゃんとも会えるかも…」

ことり「だけど、どっちがポケモンセンターだったかなぁ…?」


見慣れない街並み、暗くなってしまえば様相は一変して、目印にしていた看板はネオンサインに印象を上書きされている。
まだ身の危険を感じる時刻というほどでもないが、長く外に座っていたせいで体が冷えた。
早く戻りたいところだが…


「ねえ、アナタ。ポケモンセンターを探してるの?」

ことり「えっ…」

振り向いたことりの目に留まったのは一人の少女。いや、女性と呼ぶべきか?
ことりより背の低いその女性は、強気で美しい顔、コートを羽織って凛とした佇まいだ。

年齢は不詳。
ことりよりも下のようにも上のようにも、あるいは世間の荒波に揉まれた凄味をも感じる。
その雰囲気を一言で言うならば“カリスマ”。

問いかけに対し、ことりは無防備に首を縦に振っていた。


ことり「そ、そうなんです。道がわからなくなっちゃって…あはは」

「そう。道案内してあげるから付いてきて?」

ことり「わぁ、ありがとうございます!」


女性だということ、自分より背が低いということ、何より醸し出すカリスマ、有無を言わせぬ雰囲気に、ことりは疑うことなく追従してしまう。
そして辿り着いたのは…廃ビルの一画。


ことり「ここ、は…?」

「自己紹介がまだだったわね。私の名前は綺羅ツバサ。大陸からやってきたチャイニーズマフィア、『洗頭(アライズ)』のリーダーよ」

ことり「マフィア…っ!?」

ツバサ「オトノキタウン出身者、南ことりさん。悪いけど、アナタのポケモン…いただくから」


同刻、人気のない工事現場。


英玲奈「抵抗しないでもらえると助かるんだが」

海未「…戯言を」


同刻、埠頭の倉庫街。


あんじゅ「人払いをしているのよ。つまりあなたは…完っ全に袋のネズミ!」

穂乃果「ふ、ふく?なんだかよくわかんないけど…私は負けない!」


三箇所同時、狙い澄ました急襲。
世界の闇が穂乃果たちへと牙を剥く。




夕暮れの港、どこか寂しげな汽笛が遠鳴り、残響を揺らしている。
本来ならまだ港湾労働者たちが残っているはずの時刻なのだが、穂乃果が周囲を見回してみてもまるで気配がない。

優木あんじゅ。そう名乗った相手はゆるりとした仕草でコートを脱ぐと、腰に並んだいくつかのボールから一つを手しにて婉美に嗤う。


あんじゅ「踊らせてあげるわぁ。おいでなさい、ビビヨン」


繰り出したのは紫色の羽をした蝶のポケモン、ビビヨン。
複数の柄がいるポケモンだが、その中でもとりわけ雅な色味のものだ。


穂乃果(って、図鑑に書いてある。むし・ひこうタイプ、それならヒトカゲで…)


穂乃果は深呼吸、対峙するあんじゅを観察する。
綺麗だが、どうにも派手な印象。
収まっているボールがゴージャスボールなのが、彼女の趣味をわかりやすく表現している。


あんじゅ「うふふ…仕掛けてこないのかしら?」

穂乃果「倒してやる!ヒトカゲ、“ひのこ”だよっ!」

あんじゅ「炎は怖いわ…けど、それではビビヨンは落とせない。次はこっちの番…あら?」

穂乃果「逃げるよ!ヒトカゲ!」

『カゲェ!』

あんじゅ「あらあら…」

威勢良く放った初撃から一転、くるりと踵を返して逃走に転じる。
穂乃果は存外冷静…と言うより、とんでもなく肝が座っているタイプ。
ピンチにも決断力は鈍らない!


穂乃果「あの人かなり強い!まともにやり合ったらやられちゃうよ!」

『ゲッ、カゲ!』

あんじゅ「一目散に角を曲がって…これじゃあ逃げられちゃうわぁ?」

穂乃果「えへへ、上手く撒いた…ってえ!こっちはダメだ!そこを曲がって…ここもダメ!?」


走り回って息を切らし、逃走路になりそうな道を駆け巡り、そして穂乃果はいよいよ窮地を自覚する。
道の全てが資材や横倒しのトラックで封鎖されてしまっている!

歩いてゆっくり、悠々と追いついてきたあんじゅは口元を隠し、可笑しげにくすくすと息を漏らす。


あんじゅ「満足したかしら?それじゃあ私の番。ビビヨン、“かぜおこし”」

穂乃果「う、わ……っ!!」

鳥に比べて優雅な印象の蝶の羽ばたき。しかし生じる風はまるで小規模な台風。
穂乃果とヒトカゲは風の壁に殴りつけられ、体がふわりと空に浮く。
飛び、転び、叩きつけられて擦れる頬。
ヒトカゲに刻まれたダメージはさらに重い!


穂乃果「っ、痛…口の中が切れて血が…それよりヒトカゲ!大丈夫!?」

『か、カゲッ…!』

穂乃果「よかった、まだ大丈夫だね…」

あんじゅ「当然、とっても手加減したもの。生きててくれないと捕まえられないでしょう?“ねむりごな”」

穂乃果(ねむりごな!あれは警戒しなきゃいけない技だけど、けっこう外れることも…)

『………かげ…』

穂乃果「うああっ、バッチリ吸っちゃってる!?」

あんじゅ「運良く回避を期待したかしら?でもムダよぉ、私のビビヨンの特性は“ふくがん”。複眼で捉えた相手を易々とは逃さない…」

穂乃果「ヒトカゲ!起きて、ヒトカゲ!」

あんじゅ「くすっ、呼びかけただけで起きるほどビビヨンの鱗粉は甘くない。そして同じだけの量を浴びれば…」

穂乃果「ヒトカ……っ!…これ、は…?」

あんじゅ「どうして人は眠らないと思ったのかしらぁ。
むしろ逆、ポケモンよりも耐性に劣る人間がたっぷりと浴びれば昏睡、限界量を超えれば廃人まっしぐら…」

穂乃果(…っ、息を吸っちゃ駄目だ!でも息を吸わずに、どうやって戦えば…!)

あんじゅ「ゆっくりおやすみなさい?あなたのヒトカゲちゃん、私がもらって有効活用してあげる」

穂乃果「そんなの…嫌だ!お願い、キャタピー!」


もう一つのボールが弾け、現れたのは緑色のいもむしポケモン、キャタピー!
もぞもぞと動くその姿を目に、あんじゅは心底おかしそうに首を傾げる。


あんじゅ「可笑しい。蝶に芋虫が勝てると思う?」

穂乃果「キャタピー!私の腕に張り付いて!そして…“いとをはく”!」

あんじゅ「はぁ…?どこに向かって糸を…あっ」


穂乃果がキャタピーの糸を射出させたのは高所に聳える大クレーン。
船舶建造用、資材を運ぶための重機のフックをめがけてキャタピーの糸を絡めつける。

穂乃果の腕にぎゅっとひっつくキャタピー、ギリギリで届いた糸。
とびきりの粘り気と伸縮性のあるそれを穂乃果が思い切りの引っ張ると…ゴムのように反動!穂乃果の体が宙へ跳ね上がる!!


あんじゅ「何を考えて…そのままじゃ海に落ちるだけよ」

穂乃果「まだっ!キャタピー、もう一回“いとをはく”!」

新たに射出した糸がもう一台のクレーンフックを捉え、穂乃果はターザンめいた、あるいはスパイダーマンめいた挙動で勢いよく空を切る。
水面すれすれ、たとえ水でも激突すれば死にかねない速度で穂乃果の体は海上を滑空。度胸が据わっている。
腕にブレーサーのように装着したキャタピーが全力で踏ん張っている。
小さな体にかなりの負担をかけているはずだが、そこはポケモン。人間よりはよほど頑丈に出来ている。

そして穂乃果は無事すたり。港の対岸へとバンザイで着地!


あんじゅ「あら…あっちは逃走経路を塞いでいない。あれじゃ逃げられちゃうわねぇ。ビビヨン、私たちも飛ぶわよ?」

『ビヨ…!』


あんじゅの背中を掴み上げ、1メートルを越す翅でビビヨンは空を舞う。
進化したポケモンの能力は凄まじい。百メートル近い距離を一瞬で横断、逃げようと背を向けた穂乃果へと迫っていく!


あんじゅ「逃げたって無駄。どれだけだって追いついて…」


が、穂乃果は振り向く。逃走の仕草はブラフ!
あまり考えていないように見せかけての意外性と閃きこそが穂乃果の武器なのだ。


穂乃果「逃げないよ。だって、まっすぐ飛んできてる今が最高のチャンスだから!キャタピー、もう一回“いとをはく”!」

あんじゅ「っ、ベタベタと鬱陶しい。
確かに今は最高速で直線軌道、回避性能は落ちているわ。だけど糸を付けられたからって…」

穂乃果「そしてヒトカゲ!キャタピーの糸に“ひのこ”だよっ!!」

あんじゅ「ええ!?あの、それはちょっと、待っ…」

『カァァ…ゲェッ!!!』

ヒトカゲが全力で放った炎はキャタピーの糸へと引火する。
火に弱いむしタイプの糸、もちろん可燃性でよく燃える。
火の粉は炎へと姿を変え、張られた虫糸のラインを辿って一直線にあんじゅへと向かっていく!

そう、これは擬似的な“かえんほうしゃ”だ!!


あんじゅ「きゃああっ!!?」

『ビヨヨヨッ!!?』


いくらレベル差があるにせよ、二倍威力の相性技をこれだけまともに浴びれば沈む!
すっかり目を回してしまったビビヨンはバランスを崩し、落ちたあんじゅはなかなかのスピードで地面をゴロゴロと転がった。

「ふぎゃっ!」

…と情けない声が聞こえた。
が、それでも手櫛で髪を直し、ビビヨンをボールへと戻して表情を固め直し、どうにか気品を保っている。
そして少し憎々しげに、穂乃果へと問いかける。


あんじゅ「どうしてヒトカゲが起きているのかしらぁ…」

穂乃果「……」

あんじゅ「安易に答えるほどバカじゃないのねぇ…けど、見てわかったわ。
あなたの左手、グシャグシャに折れてる。海面ギリギリを滑空した時、手が砕けるのを承知で水を掬った。そしてヒトカゲの顔を洗って目を覚まさせた。そうでしょう?」

穂乃果「うわっ、バレてる」

あんじゅ「これだからオトノキの田舎出は…イカれてて嫌いなのよねぇ」


低めの声でそう呟くと、あんじゅは二体目のポケモンを繰り出した。
現れたのは禍々しいフォルム、体長2メートルを優に超えるオオムカデ。


あんじゅ「ペンドラー、蹂躙なさい」

『ドラァァァ!!!!』

穂乃果「さてと、左手痛いし…どうしよっかな?」


穂乃果の頬を、初めての冷や汗がゆっくりと伝った。




英玲奈「キリキザン、“つじぎり”」

『斬ッ!!』

海未「ケロマツ!飛び回って避けてください!」

『ケロォッ!』


舞台は建設中の工事現場。
穂乃果とことりを探す途中で追っ手がいることに勘付いた海未は、それを振り切ろうと歩いているうちにこの場所へと追い込まれてしまっていた。

人気はなく、この時刻に新たな出入りも期待できない。

どうにか振り切れないかとさらなる前進行、辿り着いたのは不安定な細い鉄骨の上。
落ちれば死が待つ吹き抜けを挟んでの対峙だ。

それでも海未は毅然と立ち、恐れを見せずにケロマツへと指示を出す。
カエルの跳躍力で跳ねるケロマツ、全身が刃で構成されたキリキザンの斬撃が一瞬遅れてその場を通過。

過ぎた斬撃の残滓…
それだけで鉄骨が豆腐のように切断される!


海未「なんという斬れ味…!」

英玲奈「エースではないが相棒だ。これくらいは容易いさ」

海未(統堂英玲奈と名乗ったこの方、明らかに荒事のプロ。あの追跡術や気配の殺し方、暗殺者…かもしれません)

英玲奈「園田流の息女だそうだな。表の世界の最強を継ぐ遺伝子、純粋に興味深い」

海未「買い被りです。かと言って、負ける気もありませんがね。ケロマツ!“みずのはどう”!」

ジム戦の経験を経て、ケロマツは技の使い方をさらに上達させている。
波動を球形ではなく楕円形に、ラグビーボールのような形状へと変化させて投じることで、風の抵抗を減らして命中精度を高めているのだ。

しかし。


英玲奈「避けなくていい。受けてくれ、キリキザン」

『キザン!』


英玲奈の冷静な指示。
キリキザンはケロマツ渾身の一投を、腕の刃で切り払うだけで消失させてしまった。

ケロマツは目を見はり、小さくたじろぐ。これが通らなければどうすればいいのか!


海未(ケロマツ、私も貴方と同じ感想ですよ。ですがトレーナーが動じれば、それはポケモンへ伝わってしまう。ここは…)

海未「ケロマツ、もっと上層へ!そこに打開策はあります!」

『…!ケロッ♪』


ケロマツの迷いを払い、海未は揺るがぬ瞳で不安定な足場を駆け上がっていく。
強風が吹いている。落ちれば死ぬ。怖い!


海未(ですが、私はケロマツに命を晒させている。ならば私もリスクを踏みましょう。それが園田流の心意気!)

英玲奈「逡巡はわずか、次善策をすかさず提示。なるほど、優れたトレーナー像だ。だがこれはどうだ?キリキザン、“あくのはどう”」

『キリ…キッ!!』

海未「なっ…!」

キリキザンから放たれた黒い波動が、登るケロマツへとめがけて広がっていく。
そして恐るべきことに、技の効果範囲は海未をも含んでいる。
海未は英玲奈の目を目に、その冷めきった光に確信を得る。
偶然の巻き込みではない、意図してトレーナーをも狙った攻撃!


海未「止まれば当たる…駆け抜けるのです!」

『ケロロロ!!』

英玲奈「ほう、動じないか。面白い」

海未(物理技を主体とするキリキザンに特殊技の“あくのはどう”…
今ので確証を得ました。この方の技構築はポケモンを倒すことに拘っていない。トレーナーを殺めることを勝利条件の一つとする技の構成!)

英玲奈(威力は“それなり”でいい。射程と効果範囲、それさえバラけていればいいんだ。
頑丈なポケモンを倒すより、脆弱な人間を手折る方がよほど早いさ)


黒の波動が背後を襲う中、海未は必死に上を目指す。
そして上層、くるりと見回してケロマツへ指示を!


海未「“みずのはどう”を!」

『ケ…ロォッ!!』

英玲奈「外へ向けて放っただと?いや、これは…」

ケロマツの放った水弾は空中で炸裂。
人同士の争いなどどこ吹く風、パタパタと空を舞っていたオニスズメを撃墜したのだ。

あくまで目を回させただけ、落ちても死なないようにクッションになる“あわ”を添えて、ともかくオニスズメを一匹撃破。


英玲奈「それで、どうする?」

海未「これでいいのです。さあ、もう一度“みずのはどう”を。ケロマツ…いえ!ゲコガシラ!」

『ゲロロッ!!』

英玲奈「なるほど、進化させたのか…!」


ジムリーダーダイヤとの一戦を経て、ケロマツのレベルはあとほんの少しで上がる域にあった。
レベルに経験値に…
アナログ派の海未にはどうにも理解しがたい概念だが、ポケモン図鑑にはポケモンの力量をはっきりとした数値で測定できる技術が備えられている。

理解はしていなくても利用はする。
それに従い、上空のオニスズメを倒すことで“あと少し”の経験値を稼いだのだ。

そして逆巻く水。
一回り大きく、より戦闘的な姿へと変化したゲコガシラが姿を現している!


英玲奈「進化はポケモンにとって最たる強化。侮るなよ、キリキザン」

海未「今の貴方ならある程度のダメージが見込めるはず。思いきりぶつけてください!ゲコガシラ!」

放たれた波動はこれまでより一回り大きく、遥かに力強く!
迫る水弾をキリキザンは両腕で受け、それでもわずかに身が後退る。

弾ける水、夕暮れの空に虹が架かる。

その輝きを透かすように…
海未はボールを片手に肩を引き、全力の投擲姿勢を!


海未(統堂英玲奈、私は貴女の生き方を否定しません。何故なら…今から私も同じことをしますので!)

英玲奈「ほう…ボールで私を狙うか!」

海未「大方、穂乃果とことりも狙われているのでしょう?助けに行かなくてはならないのです!邪魔はさせませんっ!!」


鉄面皮の英玲奈、その口元が初めて小さく弛む。
ニヤリと、それは好機を見出した笑みでもなければ侮りの笑みでもなく、きっと園田海未を敵として認めた小さな歓喜。

硬質なモンスターボールは人に当たれば案外痛い。
海未は生まれながらに地肩が強い。それを園田流モンスターボール投擲術でさらに強めていて、こんな高所で頭へとボールの直撃を受ければふらつき、転落死は免れない!

しかし英玲奈は死線を抜けてきたプロ。臨死の際にもまるで慌てず、首を傾けるだけでその一投を避けてみせた。


英玲奈「キリキザン、本気でやっていいぞ。もう一度、“つじぎり”」

『キ、キキキキキ…!斬ッッ!!!』

『ゲッロォ!!??』

海未「っ!!ただの一斬で、建物の骨組みを支える支柱四本が、全て斬られて…!?」

英玲奈「派手にいこう」

悲鳴のような金属の摩擦音、低く高く、長く短く、断末魔を上げている。
海未と英玲奈がいる建物の骨組み、その全てが倒壊しようとしている!

英玲奈はまるで動じた様子もなく、傾き始めた足場で斜めに姿勢を保っている。
対する海未もまた、体幹には自信がある。グラグラと左右に傾ぐ鉄骨の上、ボールを投じた姿勢のままに腕を伸ばしている。


英玲奈「いい一投だったが、私が避けた以上はそれで終わりだ。その伸ばした腕は未練だろうか?」

海未「いえ、これでいいのです…“つつく”」

英玲奈「つつく…?何を、…!?がっ!」

『キザンっ!?』


突然苦悶の声を漏らした英玲奈、キリキザンは動揺した様子で振り返る。
背後から、その肩へ。わたどりポケモン・チルットの嘴が食い込んでいる!

焦燥、突きを放つキリキザン。
しかしチルットはパタパタと羽ばたき、鷹匠のようにすらりと伸ばされた海未の腕を止まり木とする。

理解の及ばない攻撃に、英玲奈の思考が巡る。
二秒、思い至る。


英玲奈「そうか、そのボールは私を狙っただけではなく…」

海未「ええ、二段構えで。あなたの背後に飛んでいたチルットを捕獲したのです。弱らせていないので、一か八かではありましたが」

英玲奈「しかしだとして、捕獲に成功したボールは自動で君の手元へと戻るはず。それを私の背後で、どうやって再展開した?」

海未「指弾です」

英玲奈「指弾、だと…?」

海未「手頃なボルトを拾いましたので、それを指弾の要領で弾きました。
そしてボールの開閉スイッチへと直撃させることでチルットを外へ出したのです」

英玲奈「ふ、フフ…これが園田流か。面白い…!」

海未「っ、足場が、崩れる…!」


足場に海未が気を取られた一瞬…
英玲奈の瞳が無慈悲な光を宿す。

パン!と乾音。

海未の脇腹、じわりと滲む赤。


海未「ぴす、トル…!?」

英玲奈「悪いが…君が思うより、大人は汚いんだ。さあ、生き残ってみせてくれ。園田流!」


直後…
大音響を轟かせ、六階建ての鉄骨が倒壊した。




ツバサ「ねえアナタ、AK47って知ってる?カラシニコフとも呼ばれるんだけど」

ことり「…知りませんっ」


問いかけに取り合わず、後ろへジリリ。
ことりはボールへ手を掛けて距離を測る。
埃っぽい廃ビルの一室、走る車のクラクションが随分と遠い。
逃げられる位置取りではない。助けは…期待できそうもない。

ことり(チャイニーズマフィア、そう名乗ったよね。中国から来たマフィアってこと?
じゃあ悪いことをするつもりで、それにことりのポケモンたちを奪うって…)

ことり(穂乃果ちゃん、海未ちゃん…っ。ううん、ダメだよことり。
今は二人には頼れない。この子たちを守れるのはことりだけなんだから…!)


ことり「そんなことさせない…!」

ツバサ「ん、何?で、カラシニコフの話。銃なんだけどね、世界で最も売れた軍用銃なんて言って、とにかくベストセラーなのよ」

ことり「……」

ツバサ「何がウケたかって、安価で大量生産できてそれなりの性能ってとこ。
私たちはチャイニーズマフィア、中国から来てるから、そういう設計思想って大好きなのね。ほら、粗悪品を大量生産して大量消費~みたいなイメージあるでしょ?」

身振り手振りを交え、ことりの反応を気にすることもなくペラペラと。
やたらによく喋るツバサの意図が汲めず、底知れない不気味さにことりの心臓が早鐘を打つ。


ことり「……何の話を、してるの…?」

ツバサ「ん。でね、私たち『洗頭(アライズ)』は、ポケモン界のAKを作りたいわけ。
安くたくさん作れてそこそこ使えてポイ捨てできる、兵器転用に最も適したポケモンを」

ことり「そんなのっ、ひどいです!」

ツバサ「でしょう?酷いことってお金になるのよ。だからとりあえず今んとこはねえ」


そこで言葉を切ると、ツバサは纏ったコートを脱いで横へ放る。
腰のボールは六個。そのうち“五個”を器用に片手で掴むと、床へ無造作に放り投げた。


ツバサ「試作品。行きなさい、コラッタ×5 」

ことり「一度に五匹も!?ど、どうすれば…モクローさんっ!」

『ポロロローッ!!』

モクローはことりにすっかり懐いている。
大好きな主人の危機を感じ取り、この子ネズミたちを蹴散らせばいいのかと睨みを利かせている。
が、ツバサの弁舌はまだ続く。


ツバサ「基本はタイマン、上級者はダブルバトルに興じる。トリプルバトルなんてのも昔はあったけど廃れちゃったわね。どうしてかわかる?」

ことり「難しいから…」

ツバサ「はい正解。人間が一度に指示を出せるのなんてせいぜい二匹が限界ってこと。それ以上を欲張れば隙だらけになる。
けどね、ポケモンを傷付かせないように、丁寧にバラバラの指示を出そうとするからダメなのよ」


すうっと、モクローへ向けて伸ばされる指。
ツバサの冷酷な声がコンクリート張りの部屋に響く。


ツバサ「全員で“でんこうせっか”」

『ポロっ!?っ!?』

ことり「モクローさんっ!?」


タイミングも何もあったものではない、五匹一斉の突撃攻撃。
ツバサのコラッタたちはモクローの体を強かに打ち据えて昏倒させる。


ツバサ「攻撃の個体値がVのコラッタを大量生産、何も考えずに“でんこうせっか”を打たせるだけ。
難しい事なんて一つもないし、傷付いたとして代わりはいくらでも作れるわ。ネズミだもの。
コラッタだろうが重ねればそこそこの威力は出る。ま、これは試作だけど、こんな感じの商品を作りたいのよ。私たちは」

ことり「…こんなの、ひどすぎるよ…」


絶望に涙を浮かべることり。
手持ちは残りはイーブイだけ。ツバサはくすりと、無邪気に悪辣な笑顔を見せる。


ツバサ「さあ、次の子を出しなさい?」

どこか遠くから、ガラガラと猛烈な倒壊音が響いてきた。
ツバサは音の方向へちらりと目を向け、「英玲奈ね」と小さく呟く。


ツバサ「今の音、巻き込まれたのはアナタのお友達のどっちかしら」

ことり「友達…!穂乃果ちゃんと海未ちゃんに何かしたの!?」

ツバサ「したっていうか、今してるとこ。色々面倒になるから殺すなとは言っておいたんだけど、あの音じゃどうだか」

ことり「っ、どうして…どうして、ことりたちを狙うの?」

ツバサ「オトノキ産のポケモンは優秀なのよ。それを新米トレーナーが持ってると聞けば奪わない手はないわね」

ことり「……負けないっ。二人はきっと一生懸命戦ってるから、ことりも絶対に諦めません…!」


倒れてしまったモクローを抱きかかえ、浮かべてしまった涙を拭う。
穂乃果や海未みたいに戦っておくんだった、レベルを上げておけばよかった。
自分が戦いを嫌ったせいで、モクローに痛い思いをさせてしまった。

そんな悔悟の数々をぐっと飲み込み、あくまで気丈に、ことりは綺羅ツバサとコラッタたちから目を逸らさない。

ことり(この子たち、野生で見かけたコラッタさんよりも気性が荒そう。もしかして、性格も調整されてるのかな…)


短く呼吸を整える。
海未のように落ち着き払い、穂乃果みたいに肝を据えるイメージ。
そしてもう一つのボールへと手を掛け、タマゴから今まで育ててきた親友をボールから出現させる。


ことり「お願い、イーブイさん!」

『ブイっ!!』

ツバサ「オトノキ産のイーブイ、高値で売れそうね」

ことり(お母さんからもらったこの子は、普通のイーブイとは少し違う技を覚えてる。いつもは実用的じゃない技だけど…今なら!)

ツバサ「フフ、何か企んでる?でも無駄。進化体ならともかく、イーブイではこれを耐えられない。コラッタ×5、もう一度“でんこうせっか”」

『ブイ…!?』

ことり「安心してね、イーブイさん。隙は…ことりが作るから!」


震える足をぱしりと叩き、決意の踏み出し。
ツバサが電光石火の指示を出す一瞬前、ことりはイーブイの前へと身を晒した。
ふんわりと柔らかくてしなやか、そんな少女の細身の体へと、コラッタたちの猛然の突進が激突する!!


ツバサ「へえ…!」

ことり「あっ!ぐっ、う、ぎっ…!あ……!」


ぐらり、五発のでんこうせっかを身に受けたことりはくずおれ、膝から床へと倒れ込む。

『ブイ!ブイッ!?』

ツバサ「フフ、まさか自分を盾にして防ぐとはね。生きてる?」

ことり(………っ!死んじゃうぐらい、痛い…痛いよぉ…っ…。けど、イーブイを心配させちゃダメ…!)

ことり「大丈夫、だからね…♪」


ことりはイーブイへ、いつもと変わらない羽毛のような笑顔を浮かべてみせる。
服の下、コラッタの突撃を受けた箇所は青黒く腫れ上がっていて、右肩は力なくぶらりと垂れ下がっている。
折れたか、外れたか…いずれにせよ重症だ。

身を呈して守る。
主人の決意を目の当たりに、イーブイはコラッタたちに技の狙いを定める。


ことり「コラッタさんたちに罪はないけど…いくよっ、“シンクロノイズ”っ!」

ツバサ「あー、っと。そう来るかぁ」

ことりの指示に従い、イーブイはその全身から特殊な電波を撒き散らす。
シンクロノイズは自分と同タイプの相手にのみ効果を及ぼす怪電波。
それ以外の相手には無効になるが、条件さえ揃えばその威力は最上級。
そして広い範囲を巻き込む全体攻撃!

イーブイはノーマル、コラッタも同じノーマル。
ノーマルタイプ同士のエネルギーが共鳴、内部から体組織に甚大なダメージを発生させる。
次撃の準備ができていなかったコラッタたちは怪電波に巻き込まれ、体を痙攣させながら昏倒する!


ことり「やったっ、がんばったね…!」

『ブイ…?』

ことり「うん、ことりは大丈夫だよ…よしよし…」

ツバサ(タマゴ技の“シンクロノイズ”ね…普通に考えれば産廃技。
けれど野生ポケモンにはノーマルタイプが多い。親が娘にボディガードを兼ねて与えるポケモンになら、頷けるチョイスか。偶然見事にハマったけど)

ことり「あと一体…っ」

ツバサ「甘ちゃんに見えてもオトノキ出身、やっぱり侮れないわね。
……それじゃあ、私のエースでお相手するとしましょうか」

ことり(エース、何が来るの…?)

ツバサ「さ、出ておいで」

ことり「そのポケモンは…!あ、ああ…っ!」

ことりの表情に戦慄が走る。
トレーナーを志す人間で、そのポケモンの名を知らない者はいないだろう。
ツバサのボールから現れたのは、青い肌に凶眼、シュモクザメめいた、それでいて竜。
その強さだけを依代に、数々の逸話を打ち立ててきたドラゴンタイプの雄。
最強のポケモンはと聞かれれば伝説級を差し置いて、このポケモンの名を挙げる者も少なくない。


ツバサ「遊びの時間よ、ガブリアス」

ことり「ガブ、っ…!」


一撃。

ことりの目が反応するよりも遥かに早く、ガブリアスはその強靭な爪腕でイーブイを床にねじ伏せていた。
「マッハポケモン」の異名を持つガブリアス。
生体力学に基づいて設計されたかのような流線型の体はひたすらに疾い。
ことりの真隣でイーブイが潰れたような声をあげていて、鮫竜の腕ヒレがことりの首筋を掠めていた。

頸動脈…その一枚上の皮が裂けている。
もし、仮に、あと数センチずれていたら…!


ことり「ひ……っ……」


思わず、引き攣るような声が漏れた。

それは死の擬似体感。
大切なイーブイがやられたというのに、ガブリアスの爪にボロクズのように引っ掛けられてツバサの手元に運ばれていくというのに。
ことりは身を動かすことも、声を発することすらできずにいる…。

ツバサはイーブイを掴み、何かよくわからない小さな機械をイーブイの小さな体へと押し当てている。


ツバサ「6V!売るのはやめね、私の手持ちにするわ」

ことり(何を、言ってるの?今は、ことりは今は何をして…)

ツバサ「このアンプル、見えるかしら?この薬剤の名前は『洗頭』。私たちの組織名と同じね」

ことり(注射器、持ってる…)

ツバサ「私たちがどうしてこの国に来たかってね、このクスリを売りたいのよ。
ロケット団にギンガ団、マグマ団とアクア団。ヤクザだのヤバめの思想団体だの、この国には過激な組織が育ちやすい土壌がある」

ことり(わからないよ…なにを言ってるのか全然わからない…)

ツバサ「小日本人と蔑むのはもう古い。我々はアナタたちと最上のビジネスパートナーになりたいの。
過激派が潜んでるこの国なら、『洗頭』は知名度が上がれば確実に売れる。そのために組織名もクスリと同じにしてるのよ。涙ぐましいでしょ?」

ことり「イーブイを…返してください…」

ツバサ「このクスリの効能を説明するとね…ま、早い話がカンペキな洗脳剤」

ことり「洗、脳…!?」

ツバサ「フフ…見て?このイーブイ、瀕死の状態でもまだアナタのことを心配してる。
こんなに懐いてる子でも、このクスリを使えば…」

ことり「あ、ああ…!そんな、嫌、嫌だ、嫌!やめて!やめてください!嫌ぁ!嫌だっ!嫌だぁ!!!」


ことりの悲鳴をBGMに、楽しげに、ツバサはイーブイの首筋へと注射針を近付ける。
ゆっくりと針が刺さり…赤紫の薬液がじわり、じわりとその量を減らしていく。

ボロボロの体で声を振り絞る、ことりの必死の懇願にもツバサはまるで揺らぎを見せない。

やがて、薬液の注入が終わり…

『………』


瀕死だったはずのイーブイが、むくりと起き上がる。
しかしその目には、ことりを慕っていたつぶらな輝きは残されていない。
まるで野生のような…いや、さらに荒く、闘犬のような目つきでことりを見据えている。

その目はまるで、助けてくれなかったことりを咎め、責め立てているように感じられて…


ことり「……っ…」

ツバサ「はい、おしまい」

ことり「イーブイさん…イーブイさんっ!!」

ツバサ「近付くと危険よ?今のイーブイにとってアナタは…」

ことり「きゃああっ!!」

ツバサ「敵でしかないんだもの」


あんなに仲が良かったのに。
親友だったのに、イーブイは勢いよく体をぶつけてことりを弾き飛ばした。
打ちっ放しのコンクリート上を転がり、ことりはその傷をさらに深くする。

仲が良かったからこそ、大切な子だったからこそ、今の一撃はことりに決別をはっきりと理解させてしまう。


ことり「そんな…そんなの…、ことりのせいで…ごめんね…ごめんなさい…」

ツバサ「すごいでしょ?このクスリ。どんなに忠誠心が強いポケモンにでも、主人を上書きしてしまうことが可能になるの。
ついでに強心剤の効果もあるから、げんきのかたまり代わりにも使えたり。便利よね」


上機嫌でそう呟くと、ツバサは再びことりへと歩み寄る。
ことりは目を回したままのモクローを抱いたまま屈みこんでいて、ツバサは小首を傾げてからことりに声を掛ける。


ツバサ「さ、そのモクローも渡してくれる?」

ことり「私が…私は、なんでもします。だからこの子だけは許してください…」

ツバサ「アナタ可愛いからお金になるかもしれないけど、でも人間を使って商売するとアシが付きやすくて面倒なのよ。ポケモンの方が楽なの」


下から爪先で顔を蹴りあげ、思わず顔を上げたことりの髪を鷲掴みに。そのまま硬い床へと打ち付ける。
くぐもった悲鳴、だくだくと鼻血を流しながら、それでもことりはモクローを抱きしめて離さない。

そんなことりの真心に反応したのだろうか…
瀕死だったはずのモクローがゆっくりと目を開け、ことりの頬を優しくつついた。

『ポロっ』

ことり「駄目、駄目だよモクローさん…守るから…ことりが絶対に守るから!そのまま…!」

『ポロロッ!』

ツバサ「自ら腕を抜け出て、大好きなご主人を守るためにフラフラで立ち向かう。浪花節ってやつね。ま、洗脳するんだけど」


果敢に立ち向かうモクロー、その小柄な体へとガブリアスの鋭爪が振り下ろされ…

部屋の側面!コンクリートの壁が豪腕にブチ抜かれる!
何の脈絡もない突然の乱入劇!!


にこ「ゴロンダ!ラブにこ…“アームハンマー”ぁ!!!」

『ンダァッ!!!』

ことり「!!??」

ツバサ「っと、面倒なのが来た」

にこ「動くな!国際警察よ!『洗頭』のリーダー綺羅ツバサ、あんたを逮捕するわ!」

ツバサ「コードNo.252、刑事スマイル…か。いい加減覚えちゃった。アナタしつこいわよね」

にこ「ママの仇。ゴロンダ!“ばかぢから”!!」

ツバサ「ガブリアス、“げきりん”」


激突!!!




キリキザンの斬撃で完全に崩れた大量の鉄骨。
折れて曲がって突き刺さり、山のように折り重なったその頂上に、小さな呻き声が漏れている。


海未「………う、ぐ…」

『ゲロ…』


海未は生きている。
脇腹を撃たれ、崩壊、転落。そんな危機でも生存本能を明確に働かせた。
チルットに加えてヤヤコマを出し、二匹に上へと引っ張らせることでどうにか崩落の中に巻き込まれることを避けた。
だが、進化前のポケモン二匹で海未を飛ばせ続けるのは無理がある。転落のダメージはゲコガシラの泡を最大展開することで軽減した。

それでも銃で撃たれた事実に変わりはなく、落ちた痛みもゼロにできたわけではない。

体を動かせずに呻いている海未を、ゲコガシラが心配そうに覗き込んでいる。


…足音。


英玲奈「生き延びたか…ああ、感動すら覚えるよ」

海未「……統堂、英玲奈…ッ」

同じく崩落に巻き込まれたはずなのに、英玲奈はさも当然のように無傷でいる。

殺される。

海未は唇を噛みしめる…が、英玲奈は少し離れた位置で、ただ面白そうに海未を見つめている。


英玲奈「三度だ」

海未「……」

英玲奈「私は三度までの殺意で殺せなければ、その日は諦めることに決めている」

海未「……」

英玲奈「キリキザンの技で一度、足場崩しで一度。そして銃撃。君はとっさに体を逸らし、致命傷を避けていた。自覚があるかは知らないがな。
とにかく三度、君は私の殺意から逃れてみせた」


終始、淡々とした語り口調。だが声のトーンでわかることもある。
明らかに上機嫌、海未の生存を喜んでいる。

殺そうとして殺せなかったのなら悲観するべきじゃないのか、海未は疑問を抱くが、殺し屋の論理と倫理など理解できるはずもないと考察を諦める。


海未(ただ、わかるとすれば…この方は戦闘狂の類。それも、ルール不要の殺し合いに特化した)

英玲奈「感覚さ。肌で感じるんだ。君はきっとやがて私を滅ぼす可能性へ…大きな脅威へと成長する」

海未「……ならば、ここでトドメを刺すべきでは?」

英玲奈「いや…実のところ、今日は殺しはご法度でね。つい忘れて楽しんでしまった。反省しなくては」

海未「殺しを楽しむ、ですか」

英玲奈「死は結果に過ぎない。脳までヒリつく、互いの全てを賭した生存闘争。
それを最も強く体感させてくれるのがポケモンを介した殺し合いというだけさ」


そこまでを言い終え、英玲奈は後ろをゆっくりと振り向く。


英玲奈「さて、園田流。君と話せる時間は実に有意義だが、今日はここまでのようだ」


靡く黒髪、気高い眼差し。
黒澤ダイヤが部下のジムトレーナーたちを引き連れ、英玲奈を睨みつけている。

ダイヤ「チャイニーズマフィア『洗頭』幹部、統堂英玲奈。ジムリーダーの威信にかけて、今ここで貴女を捕らえますわ」

英玲奈「悪いが、いわタイプが主体の君に私のキリキザンは止められない」

ダイヤ「いわタイプ主体…?フ、それはジムリーダーとしての責務と枷。本来のわたくしは…マルチタイプのトレーナーですわ!」


手にした鉄扇を投げる。
英玲奈がそれを避ける間隙の秒瞬、ダイヤは素早くボールからポケモンを繰り出している。

現れたのは艶めく光沢、鋼水で統べる気高き皇帝ペンギン!


ダイヤ「エンペルト!その方と斬り結んで差し上げなさい!」

英玲奈「ほう、マルチタイプか。やはりこの国のジムリーダーは質が高い。キリキザン!」


腕刃と鋼翼が摩擦し、神経の削れるような高音が幾度となく響く。
力押しではキリキザンに分が見える。
だがエンペルトは“ハイドロポンプ”などを惜しみなく放ち、幅の広い戦いを見せている。

しかし、ダイヤは小さく歯噛みをしている。

ダイヤ(いけませんわね…この方のキリキザン、異様なまでに練度が高い。押し負ける可能性すらある…)

英玲奈「“つるぎのまい”だ。敗北は、死は見えているか?ジムリーダー」

ダイヤ「悔しいけれど、見えますわね。ただしそれは…わたくし一人で戦っていればのこと!」

真姫「シャンデラ、“かえんほうしゃ”」

海未「真姫っ!」


とっさに飛び退くエンペルト。
そこを真姫のシャンデラが放った炎波が舐めていく!
流石のキリキザンも、その一撃にまで耐えることはできなかった。
ガクリと膝をついたところへ英玲奈のボールから赤光が伸び、帰還していく。


英玲奈「ご苦労だった」

『ザン…!』

一拍置いて、「さてと…」と真姫。


真姫「私の手持ちはシャンデラを含めて三体、ダイヤの手持ちは五体。あなたは今一匹倒れて、こっちは他にジムトレーナーたちもいる。詰んでると思うけど?」

英玲奈「西木野真姫、若きポケモン博士か。流石に育成に無駄がない。威力が最大限に高められているな」

真姫「犯罪者に褒められても嬉しくないわ。同郷の友人を傷付けられて、最高にハラワタが煮えくり返ってるの」

海未(真姫が怒っているのに、カッカしていない…?
まずいです!これは私たちも数回しか見たことのない、本当の本当にどうしようもないほどに怒り狂っている時の真姫!!)

真姫「ポケモンだけじゃなくてあなた自身も強いのよね?それじゃあ…最大火力をお見舞いしたって!死なないわよね!!!」

海未「く、来る!」

ダイヤ「エンペルト!海未さんを連れてきなさい!総員っ…退避ですわ~!!!」

真姫「シャンデラ。“オーバーヒート”」


大爆炎が一帯を包み込む!!!

鉄をも焼き溶かす溶鉱炉のような、想像を絶する高温。
ポケモン博士の真姫は当然ながら三値の理論を熟知していて、そんな真姫が愛情たっぷり、手塩にかけて育てたシャンデラの火力は凄まじい。

崩れていた鉄骨の山は全てが溶解。
(これ、真姫は本当に英玲奈を殺してしまったのではありませんか!?)と海未は動揺する。

瞬間、炎の中に新たな炎が噴出する!!


真姫「ッ!」

海未「真姫!」

真姫「大丈夫よ、だけど…逃げられたわね」

ダイヤ「へ…もういませんの?たった今し方、何かの攻撃をしてきましたのに?」

真姫「そうみたい。何かのポケモンを繰り出して、飛んで逃げていったわ。オーバーヒートで火力を出しすぎたせいでよく見えなかったけど…」

ダイヤ「残念でしたわね…幹部の一人を捕らえれば色々とわかることもあったのでしょうけれど…」


統堂英玲奈が逃げた。
逃してしまった。しかしそれは同時に、海未が窮地を完全に切り抜けたということでもある。
極度の緊張からの解放と大量の失血、海未の意識が急速に薄れていく。

真姫とダイヤがそれに気付き、慌てて抱きかかえてジムトレーナーたちへと指示を出している。
数秒後に自分が失神してしまうことを知り、海未は片腕を力なく空に泳がせる。


海未「すみません、穂乃果、ことり…助けには、いけな……」




穂乃果「……う、っ…」

あんじゅ「さっきは少し驚かされたけど…ここまでみたいねぇ?」


穂乃果は冷たい舗装路の上、仰向けに倒れている。
夕陽は水平線の向こうへと姿の大半を沈めていて、赤紫のどこかグロテスクな空だけが目に映る。

ヒトカゲとキャタピー、二匹ともがすぐ傍らに倒れていて、ヒトカゲの足にある刺し傷は紫色に変色している。受毒の跡だ。

才気走った機転と連携でビビヨンを倒したまでは良かった。
だが、二匹目の突破には至らない。
獰猛かつ残忍、執念深い性格のペンドラーは、格下のヒトカゲやキャタピー相手にも一切の容赦を見せない。

200キロオーバーの体重でキャタピーを轢き、ヒトカゲへは首のツメを食い込ませて毒を打ち込む。
絶対的なレベル差を前に、穂乃果の天性のセンスもヒトカゲたちの底力も効果を発揮しない。
健闘一転、わずか二分足らずでの完全敗北を喫していた。

あんじゅ「はぁっ、快感ね~。まぐれ当たりで調子に乗られて、ちょっとだけカチンと来てたのよぉ」

穂乃果(体が…動かない…)


穂乃果の体も擦り切れ、ボロボロの状態になっている。
ヒトカゲたちが倒された後、あんじゅは高らかに哄笑しながらペンドラーへと攻撃の指示を出したのだ。
ムカデの巨体が穂乃果を突き飛ばし、体へと負傷を刻み、思うがままにいたぶられて今へと至る。

あんじゅはゆるゆるとした足取りで穂乃果へ歩み寄ると、両手を後ろに組んだ姿勢で上から顔を覗き込んでくる。


あんじゅ「苛立ちを解消して見てみれば、なかなか可愛らしい顔をしてるのね…」

穂乃果「……う、みちゃんと、ことりちゃんに…手を出すな…!」

あんじゅ「あら、まだ抵抗の意思があるのねぇ…泥臭い。そういうのって個人的には好きじゃないの。少年漫画じゃあるまいし」

穂乃果「ヒトカゲとキャタピーも…奪わせたりしない…!」

あんじゅ「はぁい、威勢だけ。今のあなたはボールへポケモンを戻すことさえできないボロ雑巾。
でもそうね、見た目はなかなか好み…決めた。あなたを私のコレクションに加えてあげるわ?」

そう告げ、穂乃果の唇へと指を触れさせる。
グロスのように塗りつけた薄紫の粘液は、ペンドラーの毒針から滴る毒の汁。

痛みや熱、気持ち悪さではなく、体へじわじわと広がるのは痺れ。
「う、ぐ…!」と身じろぎする穂乃果、その口中へとあんじゅの指が侵入してくる。

ぬるりぬるり、前戯めいて舌や内頬を弄び、大量の毒液を穂乃果の体へと染み込ませていく。


あんじゅ「むしタイプを中心に使ってるとね、必然的に毒にも詳しくなるの。
ペンドラーの神経毒を致死量ギリギリまで摂取させてあげる。
そうすれば脳幹に麻痺が残って、可愛らしい穂乃果ちゃんは私のお人形コレクションの仲間入り~というわけ♪」

穂乃果「…!ほはほ、ひほひほ…?」(他の人にも?)

あんじゅ「私、綺麗で可愛い女の子が大好きなの。本物みたいなお人形が欲しくって、じゃあ捕まえればいいじゃない。ポケモンみたいに♪…って、DIY精神に目覚めちゃったのよねぇ」


やっぱりこの人、野放しにしちゃ駄目だ。
穂乃果の瞳はまだ死んではいない。だがあんじゅの指が蠢くたびに、体の奥まで痺れが浸透していく感覚。

このままじゃ…!

…と、ここにもまた乱入者の影が。
今ひとつキレのない小走り、「ぅぅ…」と怯えたっぷりの声で駆け込んできた少女はあんじゅへと突進を敢行する!

ルビィ「うゅ…っ、え、えぇぇ~い!!」

穂乃果「……!」

あんじゅ「ちょっ、あなた…誰?」

ルビィ「くっ、黒澤ルビィです…その人を離してぇ…!」

穂乃果(なんか、頼りない子が来た…??)


ルビィは両腕をつっぱり、穂乃果にマウントを取ったあんじゅの体をグイグイと押してくる。
どうにも非力で押しのけられるほどではないのだが、あんじゅからすればなんとも鬱陶しい。
興を削がれたとばかりに眉をひそめながら、毒液と穂乃果の唾液で濡れた指をふわふわと空に泳がせる。


あんじゅ「黒澤…?ああ、ジムの。けど、あなたがリーダーには見えないわねぇ。ポケモンも出さずに体当たり?面白いことするのねぇ」

ルビィ「ルビィは、おねえちゃんの妹だから…この街で悪いことをする人は、許しません…!」

あんじゅ「あらあら、可愛らしい啖呵。で?あなたが生身でポケモンと勝負してくれるの?それともあなたも私のコレクションになりたい?」

穂乃果「逃…げ、て…!」

ルビィ「ううん、逃げない…です。ルビィは…道案内をしただけだから」

寒気…

ここでようやく、あんじゅは異変に気付く。
足元の水たまりには薄氷が張っていて、波に揺れていた海面はその動きを止めている。


あんじゅ「海が、凍ってる?この滅茶苦茶な冷気、まさか…!」

「“れいとうビーム”」

あんじゅ「避けなさいペンドラー!」

『ドラ…ァ…』

あんじゅ「ッッ…一瞬で!」


現れた援軍、美しい金髪を靡かせるその少女は、青い夜を背負っている。
生じた猛烈な凍気が海辺の空気に含ませる水分を凍らせ、夕陽の沈みきった空を青く光らせているのだ。

薄雲の掛かった月に腕を水平に。
倉庫の屋根に立った彼女は、青白の雪をまとったアローラ産のキュウコンへ、冷然と次撃の指示を出す。


「キュウコン、“ムーンフォース”」

あんじゅ「待っ、まだ次のポケモンを出してな…!きゃあああっ!!?」


月光の波長を攻撃波へと変えるフェアリータイプの攻撃があんじゅを襲う。
繕った優雅が嘘のように転げて躱し、あんじゅは穂乃果とルビィから離れた位置へと移動する。

その二点を遮るように、金髪碧眼の少女はキュウコンを伴い降り立った。

テレビでも録画でも何度も何度も、実況の一言一句を覚えるほどに見た姿。
彼女こそがアキバ地方チャンピオン!


穂乃果「絢瀬絵里さん!」

穂乃果からの呼び声に、絵里は茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせる。


絵里「ふふ、正解。キュウコン、もう一度“れいとうビーム”」

穂乃果(ビームが通り過ぎた後、全部が氷山に飲み込まれてく!?)

ルビィ(す、すごい…お姉ちゃん、やっぱり絵里ちゃんはすごいよ…!)


穂乃果とルビィが感嘆の息を漏らす。
対し、一転して狩られる側になったあんじゅは息を切らしながら駆け回っている。


あんじゅ「何発も何発も人に向けて!あなたッ、馬鹿なのかしらぁ!?」

絵里「犯罪者相手にマナーを守る必要がどこにあるのかしら」

あんじゅ「くああっ…その態度!気に食わないわ!あなたなんて、ツバサなら…!
出てきなさいアーマルド!そして“ロックブラスト”!!」

絵里「撃ち落としなさい」

蒼白のキュウコンはその尾全てに冷火を灯し、鳴き声と共にれいとうビームを撃ち放つ。
飛来した岩弾を凍らせて落とし、さあ次はとポケモンを見るが…忽然。


ルビィ「あ、あれ…?あの女の人、いなくなっちゃった…」

絵里「……ふう、随分と逃げ足が速いのね。その思い切りの速さが悪党らしいと言えば、そうなのかしら」

穂乃果「あ、あの…ありがとうございました!チャンピオン!」

絵里「ふふ、畏まらなくて大丈夫。さっきみたいに絵里さんって…ううん、絵里ちゃんって呼んでくれていいのよ」


理知的に愛らしく、チャンピオンはそう言って笑ってみせる。
海面は凍り、港一帯の空気は未だに凍結に引き締められていて、チャンピオンってやっぱり凄い…と穂乃果は感嘆の声を漏らす。

と、そんな場合じゃない!!


穂乃果「そうだ絵里ちゃん!まだ私の友達二人が襲われてるかもしれなくて!」

絵里「ええ、知ってる。他にも援軍が向かってるわ。各所に誰がいるかわからなかったのが心残りね。綺羅ツバサを私が引いていればよかったんだけど…」

穂乃果「綺羅、ツバサ…」


笑みの奥に含まれている少しの不安。
きっとそれはあんじゅが捨て台詞で言い残したのと同じ人物なのだろう。
ことりと海未と…
燻る不安を消せないまま、穂乃果はビリビリと抜けない痺れに両手足から力を抜いた。




ツバサのガブリアスが咆哮する。
怒りのままの蹂躙、逆鱗の一撃はにこのゴロンダへと痛烈な打撃を浴びせて揺らがせる。


にこ「チィっ…!ゴロンダ、まだ大丈夫?」

『ンダァ!』

にこ「オッケー、にこぷりに闘志燃やしていきなさい」

ツバサ「フフ、世界を股にかけるエリート刑事の相棒は流石にしぶといわね」

にこ「舐めたら痛い目見るわよ、ガブリアスみたいなバケモノ級が相手じゃなきゃマジにやれる子なんだから」

ツバサ「知ってるわ、何度も見てるし」


ゴロンダもまた丹念に育て上げられ、場数を踏んでいるのが一目でわかる。
にこの指示に繰り出される“スカイアッパー”は驚異的な切れ味、しかしそれを避けてみせるのがガブリアスの凄まじい高性能!


ことり(この子は誰?どうしてここに…これは現実なの?わかんない、全然わからないよ…)

ことりは戦いを見つめている。
ズキズキと痛む全身は思考を鈍らせ、にこが隙を塗って手渡してくれた痛み止めと水を飲むことすらおぼつかない。

死の恐怖と重度の混乱に塗り潰された心の奥に、ただガブリアスの恐ろしさ、ドラゴンタイプの強靭な強さだけが刻み込まれていく。


ことり(ドラゴン、ドラゴンタイプ…)


一方、ツバサとにこの応酬は続いている。


にこ(なんなのよコイツのガブリアス…!全然攻撃が当たんないんだけど!!)

ツバサ「ねえ、“ママの仇”って、まだ根に持っているのかしら」

にこ「あァ!?当然に決まってんじゃない!国際警察で働いてたママが、まだ子供だったアンタを更生させようとした時…!」

ツバサ「ええ、不意打ちを決めて逃げてやったわ。その傷が元で矢澤刑事は半身不随、才能のあったあなたが後継にスカウトされてNo.252を引き継いだ…」

にこ「だったらアンタは!私がブッ倒すしかないじゃない!!」

ツバサ「見逃してくれてもいいでしょ?生きてるんだから」

にこが傷薬を使って持ちこたえさせていたゴロンダだが、幾度目かの猛撃についに限界が近い。
睨むように根性の座った面構えはそのまま、しかし膝をついて立ち上がれずにいる。


ツバサ「ねえ、逃げていいかしら。アナタとガチでやり合うには…そうね、レギュラー三体は欲しいとこなんだけど」

にこ「今はガブリアスだけ、そんな好機を見逃してやるわけないでしょうが。マタドガス!頼むわ!」

『マ~タドガ~ス』

ツバサ「………私の勘が告げてるわ、その戦術は刑事としてどうなのかって」

にこ「フン、絆と信頼あってこそよ。行くわよマタドガス!ラブにこぉぉぉ…!“だいばくはつ”!!!」

『ドガッ。』


カッと閃光、激震轟くガス爆発!!!

ことり「きゃああああっ!!!」

にこ「頭伏せて、吹っ飛ぶわよ。ゴロンダ、“まもる”」

『ゴロッ』


にこの戦術は自爆上等、ゴロンダが張った防壁にことりと自分も隠れて爆風をやり過ごす。
廃ビルの一室は炎で満たされ、窓は割れて炎が噴き出している。

煙と炎熱が引いて視界が確保されるよりも早く、にこは無線機へと鋭く号令を掛ける。


にこ「確保!!」


応じ、付近を固めていた捜査官たちがバタバタと駆け込んでくる。
ウインディやヘルガー、警察犬ポケモンの精鋭たちが、我先にと生死すら定かではない綺羅ツバサへと殺到していく。

が、響く声。


ツバサ「ガブリアス、“じしん”」

にこ「生きてる!?」

ツバサ「困った時の“きあいのタスキ”…ってね」

『ガブ…リァス!!!!』

重轟がビル全体を駆け巡り、ガブリアスの内に秘められたじめんタイプのエネルギーが一帯を駆け巡る。
警察犬ポケモンたちと捜査官たちはその衝撃に吹き飛ばされ、にこはすかさず無線機に「第二班突入!」と声を飛ばす。


ツバサ「残念、今日はここまで」

ことり「あのっ…コラッタが一体蘇って…」

にこ「コラッタ?本当ね、げんきのかけらでも使ったのかしら。なんで今わざわざ…あっ!」

ツバサ「さらば警察諸君、これぞ悪党の常道よ。“けむりだま”!」


コラッタのうち一体に持たせていたけむりだま、ツバサはそれを起動させたのだ。
視界の全てが深い白煙に包み込まれ、大勢の捜査員たちが混迷に包み込まれる。


にこ「綺羅ツバサァァァ!!!覚悟しなさいっ!絶対に!絶対に!捕まえてやるからっ!!」

ことり「けほっ、げほっ!?イーブイ、イーブイは…!」

ツバサ「もちろん、この子はしっかり貰っていく」

ことり「返し…!」


鳩尾への痛打。
ツバサの膝蹴りが容赦なくめり込み、ことりの意識を強引に断ち切る。

寸前、最後に聞いたのはイーブイの悲しげな一鳴きと…
拭っても消えない烙印、ツバサの囁き。


ツバサ「人間社会も所詮は野生、力が全て。返して欲しければ強くなりなさい。手段を選ばずに…ね」

ことり「イー…ブイ……」


そこで、意識は途切れた。

《ダイイチシティ総合病院》


にこ「高坂穂乃果、園田海未、南ことりね。疲れてるとこ悪いけど、何があったか全部聞かせてもらえる?」


刑事スマイル、矢澤にこと名乗った少女に請われるがまま、三人は体験した全てを語っていく。
親切そうに近寄ってきたこと、突然の豹変、遥か高みにいる闇の実力者たち。

にこは安い同情は見せず、話を聞き終えた最後に三人へと力強く一声をかける。


にこ「頑張ったわね、あんたたち」


シンプルで暖かい労いが、疲れ切った体にじんわりと染み込んでいく。
小柄であどけなくて自分たちより年下に見えるくらいの少女だが、しっかり場数を踏んだ刑事なのだなと穂乃果は実感する。

幸い、三人の怪我は長引かない。
ペンドラーの毒にはにこが血清を所持していて、海未の銃創を含めて怪我の全ては一週間ほどで完治するとのこと。
ダイイチシティは医療技術が割に進んでいる街なのだ。
ハピナスやタブンネ、患者のメンタルを落ち着かせる癒し系ポケモンがつきっきりで看病してくれていて、穂乃果はぼんやりとしたままその頭をふにゃふにゃと撫でている。

海未は静かに黙して体力の回復に努めていて、問題は…

ことり「…………」

海未「ことり……」

穂乃果「……っ、洗脳なんて…」


にこの聴取が終わり、部屋にはダイヤと真姫、それに絵里も入ってきている。
沈痛な静寂が部屋を支配する中、ダイヤが俯き加減で口を開く。


ダイヤ「……申し訳ありません。海未さんと戦った後、はっきりと忠告できていればよかったのですが…
刑事さん、もう、話しても構いませんわよね?」

にこ「……ええ、見ちゃったんだもの。仕方ないわね」


説明を要約すると…

チャイニーズマフィア『洗頭(アライズ)』、及び同名の洗脳薬【洗頭】。
警察機関と立場のあるトレーナーたちには既に、その存在と脅威は知らされていた。

しかし、警察は社会や一般トレーナーへとその存在が知れ渡ることを良しとせず、箝口令を敷いていたのだ。

トレーナーのポケモンを奪い取れる洗脳薬、手段を選ばない中国マフィアの暗躍、知れ渡れば社会にパニックを招く。
人間とポケモンの絶対的な絆の象徴であるモンスターボール、その前提を破壊してしまう薬は社会の枠組みさえ壊してしまいかねない。

ダイヤ「……というわけで、細かな説明をすることができませんでしたの。けれど、胸騒ぎがしていました。規則を曲げてでもわたくしが話していれば…」

絵里「ダイヤ、あなたが気に病んではダメよ?」ポン

ダイヤ「はい…そうですわね…」(エリーチカが!わたくしの肩に手を…!って、今は不謹慎ですわね…)

海未「箝口令…そうだったのですね。どことなく違和感は覚えていましたが」

にこ「日本警察のお偉いさんたちの決定でね。…それにここだけの話、ボールの製造元、シルフカンパニーとかが報道に圧力を掛けてたりもするらしいわ。ボールの信頼性に関わる話だから」

真姫「にこちゃん、それ口滑らせちゃっていいわけ?」

にこ「別にいいわよ。現場は上の方針にイラついてんの」

真姫「怒られたって知らないわよ」

にこ「うっさい七光り」

真姫「にこちゃんだってそんなようなものじゃない」

真姫博士と刑事にこ、どうやら二人は既知の仲。
真姫の父は世界的に有名なポケモン研究者の一人、ポケモンを用いた医療技術研究の第一人者、ニシキノ博士だ。
真姫が若くして博士として活躍しているのは自身の才能もさることながら、“あのニシキノ博士の娘”として脚光を浴びているおかげでもある。

にこの言う七光りとはきっとそのことを指していて、真姫もまたにこが母親の立場を引き継いで国際警察で働いていることを知っているようだ。


…ともあれ、聴取と説明はこれで終わり。


にこ「…ま、元気出しなさい。あいつらはにこが必ず捕まえてやるから」


ダイヤ「何の慰めにもならないとは思いますが…困ったことがあれば、いつでも黒澤家へおいでなさい。ルビィと一緒に歓迎させていただきますわ」


絵里「……立ち止まっては駄目よ。才能あるトレーナーさんたち。ポケモンリーグ…頂点で待っているわ」


真姫「……私はやることがあるから行かなくちゃいけないけど…穂乃果、海未、ことりをよろしくね」


順に言葉を残し、後ろ髪を引かれるような表情のままに真姫が退室していった。


病室の外や廊下には警官やジムトレーナーたちが警護のために張っているが、病室の中には三人だけが残されている。

ふと、ぽつり。

ことり「………ごめんね、モクローさん」

海未「ことり…?」

穂乃果「ことりちゃん…?」


疲れて眠っているモクローを抱きしめて、掠れた声でことりが呟いた。
その声には思いつめた雰囲気が漂っていて、穂乃果と海未は体の痛みも忘れて思わず半身を起こす。

一番窓際のベッド、ことりは小さく呻きながら立ち上がると、隣の海未に声をかける。


ことり「海未ちゃん…お願いがあるの」

海未「お願い…ええ、ことりのお願いなら、私はなんだって聞きますよ。遠慮なく言ってください」

ことり「海未ちゃんが捕まえたチルットと、この子を…モクローを、交換してくれないかな」

海未「な…」

穂乃果「も、モクローを?」

穂乃果と海未は目を見張り、思わず顔を見合わせる。

ポケモンの交換、それ自体は普通のことだ。お互いの同意を持ってボールの所有権を譲渡しあい、ポケモンの親を入れ替える。

しかし、ことりは…


穂乃果「こ、交換って…ことりちゃん昔から、ポケモンがかわいそうだから、交換は絶対しないって」

海未「ことり、一体どうして…?」

ことり「……ことりじゃ、モクローを守ってあげられないから。海未ちゃんならきっと大丈夫だから」


言葉を切り、もう一言。


ことり「それにね、その子がいいの」


ことりは知っている。チルットはチルタリスへと進化することを。
タイプはドラゴン・ひこう。
鮮烈な記憶、刻まれた烙印。ことりにとっての力の象徴…


ことり(ドラゴンタイプ…)

結局、海未とことりはモクローとチルットを交換した。

穂乃果と海未に、ことりの心変わりの本質は定かでない。
幼馴染の二人でさえ、今のことりにこれ以上踏み込んで尋ねることはできなかったのだ。

翌朝…
目を覚ましたモクローは未だにことりから手放されたことをよく理解できていない。
しきりに首を傾げながら、隣のベッドにいることりへ近付いては寂しげに鳴く。
(どうして構ってくれないの?)と不思議そうに。

しかし、ことりはそんなモクローと目を合わせようとせず…


ことり「……」

『ポロロ…』

海未「……モクロー、大丈夫ですよ。私が守りますから…私が…」

穂乃果「……ことりちゃん…」


そして、一週間の後…

ことりは忽然と、病室から姿を消した。

【ダイイチシティ編・完】

【二ヶ月後】


ザリ、ザリと、靴底が砂を踏む。

吹き荒れる砂嵐、穂乃果は乾燥地帯、道なき道を歩いている。
揺れるサイドテール。
砂漠に住まう民族めいて、顔にグルリと巻き付けた粗布は口へと砂を入れないため。

風に騒ぐ前髪、鼻までを覆った布。
瞳だけが前を見据えていて、その眼差しは旅路の中で少女に生まれた変化を感じさせるものだ。

その時、両側から気配!


『ワァルビッッ!!』

『ノク…ッ』


さばくワニポケモンのワルビル、カカシぐさポケモンのノクタスの同時襲撃だ!
どちらもが野生、共謀したわけではないだろうが、とにかく二つの対応を迫られる!

が、穂乃果は既にポケモンを展開させている。


穂乃果「リザード、“ほのおのキバ”」

『ザァッ!』

ヒトカゲから進化、攻撃力を大きく増したリザードがノクタスへ猛然と噛み付く。
くさタイプには効果覿面、たじろぐノクタスをそのまま圧倒していく。

だが逆からは迫るワルビル、ワニの顎は見るからに強靭だ!


穂乃果「リングマ、“きりさく”!」

『グマアアア!!!』


もう一匹!
繰り出したのは茶色の毛並み、大柄な男性ほどの体長から振り上げられる豪腕、熊のポケモン、リングマ!
鋭利なナイフのような五爪がワルビルの硬いワニ皮を傷付け、『ギャッ!』と悲鳴をあげさせる。

野生のポケモンは劣勢と見ればこだわりを持たない。
並び立つリザードとリングマに形勢悪し!そう見るやいなや、踵を返して砂嵐の中へと逃げ帰っていく。

ボールを投げてどちらかを捕まえようか、少し迷うが、穂乃果は二匹の背中を見送った。


穂乃果「旅してて気付いたけど、手持ちが増えると食費もかかっちゃうんだよね」

『グマッ』

穂乃果「うん、特にリングマはよく食べるし…」

そう呟いて二匹をボールへ戻し、なんとなしに財布を除いて中身の貧相さに溜息一つ。
その姿は相変わらずどこか情けないが、野生ポケモンを冷静に一蹴してみせる姿は実力の向上を物語っている。


━━━突風!


穂乃果「わぷっ」


思わず荷物を取り落とし、バッジケースが落ちて開く。
その中に輝くバッジは三つ。
ダイイチシティ、ニバンメタウン、サンバンタウンのジム戦を突破した証!

いけないいけないと拾い上げ、穂乃果は砂塵の彼方を目指す。
死線を越えたせいだろうか、既に佇まいには熟達者の雰囲気。
トレーナーにとっての一つの大きな壁は三つ目のバッジだと言われている。
穂乃果は既にそこを通過していて、リザードやリングマといった進化系ポケモンを連れているのにも頷ける。

代わりに、明るい笑顔はなりを潜めて…


穂乃果「あああ~~!!もう!つーかーれーたぁぁぁぁ!!!」

一変、クールな雰囲気は一瞬でどこかへと霧消する!
砂地の柔らかさに背中を預け、手と足を左右にわしゃわしゃと泳がせる。
雪原でスノーエンジェルを作って遊ぶ時のように、砂地に模様が刻まれていく。


穂乃果「暑いよ!!」


季節は六月、梅雨を前にした初夏の頃。
旅立った頃に比べれば暦通りに日差しが強くなってきていて疲労を誘う。
喉はカラカラ足はヘトヘト、ほんのり怠惰な穂乃果が長く耐えられるはずもなし。人間、性根はそうそう変わらない。

そのまま一分ほど「ううー…」と不機嫌に呻き、目を閉じてみる。
「ほのかちゃぁ~ん…」「全く、これだから穂乃果は…」
そう言って手を引いてくれる幼馴染は、今はいない。


穂乃果「……うがぁっ!」


吠えてピョンと跳ね立つ。
右手に見える小高い丘へと駆け登り、遠方に見える煌びやかな大都市を見下ろす。


穂乃果「あれがヨッツメシティ…」

広い盆地に沿うように築かれた街は円形で、その中心には巨大なタワーが聳え立っている。
アキバ地方の各種産業の中心を担う大企業、『オハラコーポレーション』の本社であるオハラタワーだ。


穂乃果「アキバ地方で一番の大都市、かぁ。もしかしたら、海未ちゃんとことりちゃんも…」


病院から姿を消したあの日以来、ことりとは連絡が取れずにいる。電話を掛けてみても繋がらないのだ。

ことりの旅の元々の目標はコンテストへの出場だった。
しかし最寄りにあるコンテスト会場、ニバンメタウンのポケモンコンテストに出場した記録は残っていない。

ただ、ポケモンセンターへと立ち寄っている記録は定期的に残されていて、真姫がその足取りを気にかけてくれている。
少なくとも、生きているのは間違いない。


穂乃果「あれだけのことがあったから、仕方ないよね…でも、心配だよ。会えなくて悲しいよ。
声だけでも聞きたいよ。ことりちゃん…」

一方、海未とは連絡を取り合えている。

ダイイチシティジムの突破後、海未は穂乃果とは別のルートでジム戦に挑んでいる。
ダイイチシティの港からロクノシティへと渡航、ナナタウンジム → ロクノシティジム → イツツタウンジムと逆打ちで突破していると聞いた。
もちろん、ジム戦の順序は好きに選んで問題ない。バッジ数によって戦力を変えてくれるのだから、要は好みの問題なのだ。

今の海未は穂乃果より一歩先を行く、バッジ四つ持ち。園田流後継者の名に恥じない快進撃。
なかなか追いつけないライバルの背中に、悔しさと誇らしさを感じている。ただ…


穂乃果「あの日からずっと、海未ちゃんも少し雰囲気が変わった気がする。
優しくて恥ずかしがり屋でキリッとしてて、それは変わらないけど、心の奥に影があるみたいな…」


……ピピ、と着信。真姫からだ。
テレビ電話の画面に真姫のつんと澄ました顔が映し出され、穂乃果は笑顔で手を振ってみせる。


真姫「ヨッツメシティには着いた?」

穂乃果「うん、もうすぐ着くよ」

真姫「そう、良かった。ところで穂乃果はオハラコーポレーションを知ってるかしら」

穂乃果「むむ、真姫ちゃん!私も流石にそこまでバカじゃないよ!トレーナー用グッズとかもほとんどがオハラ製じゃん」

真姫「フフ、流石に知ってたのね。そう、アキバ地方で流通してるモンスターボールも大半がオハラ製。
で、そのオハラなんだけど、数日後に新社長の就任パーティーが開かれるのよ」

穂乃果「へー」

真姫「興味なさそうね…新聞とか読んでる?」

穂乃果「いやあ、あはは…」

真姫「はぁ…その新社長って私たちと変わらないぐらいの年の子なのよ。穂乃果も少しはニュースに興味を持ちなさい」

穂乃果「まあ、うん、それなりにね!」

真姫「……ま、いいわ。そのパーティー、あなたが出席できるように手配しておいたから」

穂乃果「へ?パーティーに出席…」


画面から目を離し、穂乃果は自分の身なりをくるくるとチェックする。
砂汚れた衣服、磨り減ったスニーカー、乾燥地帯でパサついた髪。
制汗剤で汗臭さを抑えているのはせめてもの女子らしさ、穂乃果なりの身だしなみだ。


穂乃果「……この格好でパーティーに!!?」

真姫「行かせるわけないでしょ…私の信頼に関わるじゃない」

穂乃果「さりげなくひどっ!」

真姫「親戚の店に話をしてあるわ。お金はいらないから、そこで衣服を揃えなさい」

穂乃果「おおっ、さすが真姫ちゃん!セレブリティ!」

真姫「髪もなんとかしなさいよね」

穂乃果「え、美容院代もくれるの!?」

真姫「それくらいは自分で出しなさい!」

真姫曰く…

オハラコーポレーションの新社長ともなればトレーナーにとって関わりの深い人物。
故に、パーティーには有力なトレーナーも数多く参加する予定らしい。あの四天王からも。
チャンピオンを目指す以上、顔を出しておいて損はない…と、そういう話。


穂乃果「なるほどぉ…ありがとう!真姫ちゃん!」

真姫「ヴェッ、別に…。海未にも同じ連絡を入れるわ。ことりには最初に掛けてみたけど、やっぱり出てくれなかった。…だけど、招待だけは文面で送っておいたから」

穂乃果「じゃあ、もしかしたら…」

真姫「ええ、また三人で会えるかもしれない。時間が合えば私もね」


……真姫との通話を終え、穂乃果は俄然、元気を取り戻している。
「よーし!」と一声、新たな一歩は力強く。

いざ、ヨッツメシティへ!

【現在の手持ち】


穂乃果
リザード♂ LV29
バタフリー♀ LV26
リングマ♀ LV30


海未
???


ことり
???

《オハラタワー》


202メートルの超高層、オハラタワーの屋上へ、けたたましいプロペラ音が近付いていく。
夜空を駆けるショッキングピンクの機体、オゥオゥオゥ…とアンニュイなBGMが聞こえてきそうな雰囲気。

やがてヘリポートへと着陸したその機体から、さも高級そうな白のワンピース、ラグジュアリー感に溢れる金髪の少女が姿を現した。

小原鞠莉。

彼女こそが数日後、世界的大企業オハラグループの、新たな経営者へと就任する少女なのだ。
出迎えの社員たちへとグラマラスな笑顔を浮かべ、帽子を片手にポケウッド女優めいたエモーショナルさで挨拶を。


鞠莉「アローラ~♪半年ブゥリですネ!」


タラップを降りかけ、ふと立ち止まる。
おや?とばかりに小首を傾げて少し考え、「oh!」と納得顔で片手を打った。


鞠莉「oops…半年のアローラバカンスで、すっかりキャラがブレブレね!改め…チャオ~♪」

「「「「お帰りなさいませ、鞠莉お嬢様」」」」

一糸乱れぬ統率。
オハラタワーの上層、居住スペースに勤める使用人らと社の重役たちが、まだ20歳にも満たない少女へ、次期社長へと頭を下げている。

親の威光…そう見られかねない状況だが、それは違う。
鞠莉は親から課された様々な課題を早々とクリアし、任された事業の一部門で莫大な利益を生み出してみせた。
幾度かの実績を積み、若き辣腕経営者として財界にまで広く知られた存在なのだ。

内心はともかく、彼女の社長就任に表立って異を唱えられる者はいない。

…と、SPたちが俄かに色めき立つ。

居並んだ出迎えの列の中心を堂々、見知らぬ人影が鞠莉へと歩み寄っていくではないか。
黒服たちが一斉に鞠莉の前に立ち塞がり、クロバットやルガルガンを繰り出して不審者の動きに備えている。

現れたのは短い前髪、小柄な体躯にロングコート。
エメラルドグリーンの眼差しに不敵を宿し、両手を広げたのは綺羅ツバサ!

ツバサ「そう身構えないで。ビジネスの話をしましょう?次期社長さん」

鞠莉「umm…?あなたが誰かがまず気になるけれど、聞かせてもらいましょうか」

ツバサ「フフ、そう来なくっちゃ」


ツバサは手にしたアタッシュケースを開き、その中に収められた赤紫のアンプルを鞠莉に見せる。


ツバサ「洗脳薬『洗頭(アライズ)』。天下のオハラコーポレーションになら、話は回ってきてるでしょう?」

鞠莉「……オゥ、サプライズ。アローラにいても耳に入っていました。ダイイチシティの騒乱、あなたがあれを引き起こした一員の?」

ツバサ「ご明察。リーダーの綺羅ツバサよ」

鞠莉「………」


黙り、思考する鞠莉。
黒服たちが仕掛けようとするも、鞠莉は片手で彼らを制する。
この相手、迂闊に動けば人死にが出る。鞠莉はそれを理解しているのだ。

ツバサ「有能ね。有能な人間は大好きよ。敵でも味方でもね」


そう嘯くと聡明な鞠莉を楽しげに見つめ、綺羅ツバサはヘリポートをくるくると見回している。
眼下に広がるヨッツメシティ、その大夜景が気に入ったようで、「わぁ」と小さく感嘆を漏らしてパシャリと写真を一枚。

鞠莉へと顔を向ける。


ツバサ「それにしても…フフ、オハラコーポレーション。安心と信頼を謳う大企業も、その前身はイタリア系マフィアのオハラファミリー。異国の地で上手く化けたものね?」


重役の一人が血相を変え、「貴様、何故それを知っている!」とツバサへ掴みかかる。
しかしツバサはボールからポケモンを出す素振りすら見せず、男の顎を裏拳で叩いた。
スパンと小気味の良い音が鳴り、元ラグビー部の大柄な重役は糸が切れたようにその場へ崩れ落ちる。

場の全員が息を飲む。あまりにキレのある動き、これがチャイニーズマフィアの身のこなしかと。

鞠莉「元マフィア…否定しません。でもそれはグランパの代まで。今のオハラは至極マットーな商売にしか興味ナッスィング!」

ツバサ「けれど、今でも裏の人脈に顔が利くでしょう。頭のいいアナタならもう話はわかってるわよね?
モノは相談、『洗頭』の流通と販売を担ってもらえないかしら」

鞠莉「論外ね。そんな醜悪な薬、聞くだけで反吐がリバース!」


即答。
鞠莉は親友のダイヤが住む街、ダイイチシティで悪事を働いたツバサたちを強く敵視している。
そして鞠莉もまたポケモンへの愛情深きトレーナー。
そんな非道な薬の存在を許せるはずもない!

交渉の破談に首をすくめ、ツバサはひらひらと片手を煽る。


ツバサ「そ。なら、死んでもらうわ」

鞠莉「……パードゥン?」

ツバサ「オハラが抑え役になってるせいでアキバ地方は悪党が大人しい。けれど、あなたを殺せば一時のカオスが生まれる。ビジネスチャンスは待つものじゃない。作るものよ」


恐るべき暴力理論。
叶わぬなら力で押し通す。それが綺羅ツバサの世界観。

鞠莉は小さく息を呑み、しかし一歩も退かずに返答を。


鞠莉「なるほど、理には叶っています。理解した上で、ダイヤ風に言うなら…片腹ペイン!
やると言うのならこのマリーと、オハラグループの精鋭SPたちが総力を挙げてお相手しマース!」

ツバサ「あら、今ここでやるとは言ってないわ。殺るなら大勢の注目が集まる時に。悪党なんだから派手に行かなくっちゃね」


そしてツバサは鞠莉を指差す。
手をピストル型に、眉間にぴったりと銃口を合わせて宣言を。


ツバサ「新社長就任パーティー、そこでアナタの命を奪うと予告するわ。フフ、それとも…パーティーを中止にでもしてみる?」

鞠莉「Can’t be.オハラは悪には屈しない。今ここで!あなたを捕らえればいいだけですもの!」

鞠莉のセリフは戦闘の許可。
SPたちがツバサの周囲を一斉に包囲する!

そして鞠莉も鞄に手を。
白波のあしらわれたダイブボールを握り、華麗な仕草で投げ放つ。
舞い散る水のエフェクトと共に現れるは優美なる水の音楽家。


鞠莉「カモンマイコォ!アシレーヌ!」


ソリストポケモン・アシレーヌが姿を現した!
その耽美な佇まいはかなりの高レベルを伺わせ、鞠莉は躊躇なくツバサを指し示す。


鞠莉「マイコォ!“うたかたのアリア”!」


鞠莉の指示に従い、アシレーヌは流麗にその声帯を震わせる。
美しい歌声は無数の泡沫球を生み出し、ツバサめがけて殺到していく。
ポケモンを出す間は与えない。
みずタイプの高威力技、人に当たれば軽い怪我では済まないはず!


━━━上空、飛来する影。


鞠莉「ホワァッツ!?」

ツバサ「逃走経路の確保なんて基本中の基本。それじゃあオハラ新社長、命日までさようなら」

鞠莉「…!oh…なんてスピードなの…」


社屋直上を“何か”が凄まじい速度で飛び抜けて行き、ツバサはそれから垂らされた縄ばしごに掴まって去っていった。
飛行機、機械の類ではない。何か巨大な…おそらくはポケモン。


チャイニーズマフィア『洗頭』
底知れない大敵からの殺害予告、寒気がするのは夜風のせいだけではないだろう。
小さく身震いをして…鞠莉は自らの肩を、両手でかき抱くのだった。

飛行する巨大ポケモンの背上、その主である英玲奈が登ってきたツバサを出迎える。


英玲奈「首尾よく、か?」

ツバサ「うん、首尾よく。お菓子とかある?」

英玲奈「ほら、食え」


手渡されたチョコスナックをポリポリと齧りながら、ツバサは楽しげに悪い笑顔を。


ツバサ「パーティー、決行するって」

英玲奈「だろうな。止めないんじゃない、止められないのさ。政財界のお偉方も数多く出席するパーティー、数日前にそう易々と中止にできるはずもない」

ツバサ「その通り。中止にするなら理由が必要。殺害予告されたのを公表しないといけなくて、その話を詰めていけばオハラがマフィアだった過去へと突き当たる」

英玲奈「だが小原としては、その部分だけ上手く隠せないものだろうか?」

ツバサ「無理ね。隠せたとしてもマスコミは甘くない。疑いを買えば執拗に調べ上げられるわ。事が事だもの、圧力を掛けて抑えられる内容でもない」

英玲奈「確かに。詰みだな」

ツバサ「そ、あの子はもう詰んでるのよ。オハラのお姫様はね…」


どさりと大の字に寝転び、全ては完全に他人事とばかり、面白げにもう一言。


ツバサ「がんじがらめのお姫様は、いつだって悪の犠牲になるモノよ。そうでしょう?」

英玲奈「ああ、違いない」

ツバサ「フフ…舞台の役者は多ければ多いほどいい。政治家やセレブ、ジムリーダーに四天王。さて、後は誰が来るかしら?」


雲間、月明かりが稚気と悪意の相貌を照らす。
描く彼女のイメージに、穂乃果たちの姿はまだいない。




ヨッツメシティの中央通り、高級ブティックが立ち並ぶ歩行者天国。
多くの人が行き交う道にあるオープンカフェで、一人の女性がぐぐ…と伸びを。
くつろぐ彼女は優木あんじゅ、悪の組織『洗頭』の三幹部が一人だ。


あんじゅ「OLだって悪党だって、余暇のリフレッシュは必要よねぇ」


そう呟き、注文を運んできたウェイトレスへと上機嫌に会釈を一つ。

帽子からヒール、下着に至るまでを高級ブランドで武装。六万相当のサングラスを掛ければ姿はまるで芸能人。
髪の毛一本までが洗練されている…ように見えて、鞠莉のような本物のセレブに比べると若干ゴテついた印象を拭えない。

ツバサや英玲奈に言わせれば『エセセレブ』なのだが、少なくとも当人は組織のファッションリーダー、あるいはオシャレ番長を自認している。

芳香を漂わせるロズレイティーを口元へ運び、唇を湿らせる。
スイーツセットの注文はサヴァラン。ブリオッシュにシロップを染み込ませ、洋酒で浸した大人向けの焼き菓子だ。
表情は優雅、フォークを手に取り…
手の形はグー、逆手にフォークを握りしめてケーキを突き削る。
まるでエレガントさを欠いている。
親から正しい躾を受けたかどうかとは悲しいもので、食器の扱いに育った環境の貧相さが滲んでしまっている。

…ともかく、当の本人の気分はセレブ。もぐ…と咀嚼、満足げに溜息一つ。


あんじゅ「ん~流石、大都市のスイーツは質が違うわぁ。これこそ美味礼讃…なぁんちゃって」


一人でくすくすとやたらに楽しげ。オンオフをしっかりと切り替えるタイプなのだ。
腰掛けた椅子の脇には大量の袋。買い込んだブランド衣類の数々だ。
その姿を遠目にだけ見れば、大都市によくいるお上り系成金女子の一人に過ぎない。
服の趣味やテーブルマナーは悪くとも、顔立ちは美しくスタイルも抜群。例えるならば極彩の薔薇が如く。
行き交う男性たちは老若問わず、立ち止まっては彼女へと振り返る。
もっとも、あんじゅ自身は女子にしか興味がないのだが。

そんな休日の薔薇…しかし、その本性は肉食の女王蜂。
サングラスの奥に潜む眼光は粘性。通りを道行く少女たちを入念に物色していて、傍らの衣類は“お人形用”。


「感じる…堕天使の鼓動を」
「置いてくずらよ」
「ちょ、待ちなさいよぉ!」
「ルビィちゃんと会うの久々で楽しみずら~」


あんじゅ「ふふ…まずは二人。やっぱり都会には美味しいごちそうが豊富ねぇ?」

目星を付けて、すぐに手を出すわけではない。
『洗頭』直属の部下たちに後をつけさせ、対象の情報を入念に調べてから仕留める。
手際は鮮やか、辿れる痕跡は残さない。コレクションの中には警官の身内だっている。
三流犯罪者の衝動的なそれとはわけが違う。極上の獲物を得るためには相応の労力を掛けなければならない。これは崇高なハンティングゲーム。

故に…どんな相手であれ、彼女に目を付けられた時点でその人生は幕を閉じたも同然なのだ。


あんじゅ「あら?ふふっ…」


別で、もう一人。
新たな獲物へとあんじゅの目が映る。


千歌「はぁ~…おっきい街だぁ」

あんじゅ(口に出しちゃって、可愛いわね。いかにもな“おのぼりさん”?)


自分も片田舎の出なのを棚に上げ、あんじゅは下唇を舌先で濡らす。

観察…
童顔、目鼻立ちは愛らしい。プラス、あんじゅの審美眼はその印象に隠れがちなスタイルの良さを見逃さない。
ふんにゃりとした表情は無防備で、その顔を狂うほどの苦痛とヒューズの飛ぶような快楽で彩ってみたいと嗜虐を誘う。


あんじゅ(ああ…良いわ?これはコーディネートしてあげたくなるわねぇ)

あんじゅ(……?)


あんじゅはケーキをつつく手を止める。
張り付いていた薄笑みは失せ、彼女の感覚は野生へと身を移す。

“おのぼりさん”の隣にはもう一人、友人らしい少女が立っている。
灰色の髪。別の方向を見ていたはずのその少女が突如として、グルリとこちらへ目を向けたのだ。

こちらもまた上玉。
スポーティな雰囲気と快活な明るさで全身が構成された、それでいて少女らしいナチュラルな曲線美も併せ持っている。
あんじゅ好み、どんな服を着せても似合いそうな100点級の美少女だ。しかし…


あんじゅ「残念、あの子は一旦保留ねぇ…」

目を逸らす。
灰髪の少女はこちらを見ている。
トレーナー同士、目が合ったらポケモンバトル?


あんじゅ(ないない。今日はオフだもの。戦闘用のポケモンは持ってないの)


灰髪の少女は、まだこちらを見ている。
視線で穴を穿つかのように、あんじゅの横顔をピタリと凝視してきている。
まるで悪意を鋭敏に感じ取ったかのように。
それを同じだけの、否、上回るほどの敵意で焼き尽くすように!

傍らの友人、みかん色の髪の少女の肩へと添えた手。
指先には強く力が込められていて、それは灰髪の少女の妄執を物語っているようで…


千歌「ん、曜ちゃん」

曜「………」

千歌「おーい、よーちゃーん。肩ぎゅって掴んだら痛いよー?」

曜「わわ!ごめんね!」


それでようやく、灰髪の…曜ちゃんと呼ばれた少女はこちらへの視線を切った。
あんじゅは終始、無視を決め込み。
“千歌ちゃん”が“曜ちゃん”を引っ張っていくことで、会敵は回避された。

彼女らの去り際、やれやれと背へ目を向けると…
もう一度、“曜ちゃん”はこちらへと視線を向けている。

ゆっくりと口が動き、その形からあんじゅは少女の意思を読む。


あんじゅ(て・を・だ・し・た・ら…“潰す”。ねぇ。あらあら…)

あんじゅ「ツバサ然り、たまぁにいるのよねぇ。ああいう危険人物って」


「怖い怖い」そう呟くと、温くなった紅茶を一息に飲み干した。
君子危うきに近寄らず。
悪に身を置き、暴力と闘争の中で磨かれた感覚は手を出すべきでない相手をはっきりと見抜く。
あんじゅは脳内、千歌をターゲットの一覧から外している。

だが運命は三人を再びの邂逅へ。
鮮血の激突へと導いていく。




千歌「あ、ポケモン勝負ですか?」

海未「ええ、よろしければいかがでしょうか。街中ですがここは公園、それなりの広さのある噴水広場。周りの迷惑にもならないかと思いまして」


真姫の誘いを受け、海未もまたヨッツメシティへと到着していた。
穂乃果やことりと会えるかもしれない嬉しさと一抹の不安。
それを紛らわせるためにと観光を兼ねての散歩の道中、ばったり出会った同世代の少女へと勝負の申し入れを!

みかん色の髪をした少女は乗り気のようで、「よーし!ちょっと待ってね…」と言いつつ、手にしていた旅行パンフレットをゴソゴソ鞄へしまい直して勝負の準備を。


海未(ふふ、受けてくださるようですね。楽しみです!)


…と、一声!


曜「おっと、っと!ちょ~っと待った!」

海未「…?」

千歌「あれ、どしたの曜ちゃん」

曜「あはは、邪魔してごめんね?千歌ちゃん、多分だけど…この人すごく強いよ?」

千歌「へ、そうなの?確かに強そうだけど…」

曜「そうだなー、私の見立てでは…バッジ四つのトレーナーさんと見た!……合ってます?」

海未「…!驚きましたね。ええ、ちょうどバッジは四つです」


海未は思わず驚き、何かそれを窺わせる要素はあっただろうかと自分の外見を確かめる。
だが衣服は至って普通のトレーナースタイル。
相手から見えている情報は所持ボールが四つだという一点だけであり、それは決してトレーナーのレベルを図る指標とはならない。


海未「バッジは鞄の中にしまっていますし…はて」

曜「ふっふっ、曜ちゃん'sアイはカモメの目!航海士の予測みたいに、トレーナーの力量をバッチリ見抜くのであります!」

千歌「うーん、さっすが曜ちゃんだなあ」

海未「本当です。重ね重ね、驚きです」

曜「あはは、照れるなぁ。それで千歌ちゃん、どうする?」

問われ、千歌は「むむむ…」と考え込む。
千歌もまたジム巡りの旅の道中。二つ目までは苦労して乗り切ったのだが、三つ目のバッジ取得に手間取り、別のジムリーダーへと相手を変えて打開を図ろうとこの街へ来たところなのだ。

それが相手の海未はバッジ四つ。
正直、勝ち目なさそうだなぁ…と、千歌の戦意が薄れていく。
勝てる見込みのない相手に挑めば負担を負うのはポケモンたちだし、と。

ボールに掛けていた手が下りる。それを見て、海未は「ふむ」と小さく唸る。


海未「やめておきますか?」

千歌「うん…ごめんなさい。今までも私のせいでポケモンたちにいっぱい痛い思いをさせちゃってるから」

海未「そうですか…残念です。ではどうです?そちらの方は」

曜「え、私?」

海未「はい。相当にお強いのではとお見受けしますが」


それは考えてなかった。
そんな表情を浮かべている彼女へ、千歌ちゃんと呼ばれた少女は頭の後ろで手を組み、にこにこと笑顔で後押しをする。


千歌「うんうん、やりなよ曜ちゃん!せっかく声をかけてくれた…えっと?」

海未「園田海未と申します」

千歌「海未さん!えへへ、私は高海千歌って言います。こっちは渡辺曜ちゃん」

曜「よろしく!ヨーソロー!歳近そうだし海未ちゃんって呼んでもいいかな?」

海未「ええ、どうぞお気軽に呼んでください」

千歌「あ、じゃあ私も!それで、海未ちゃんの誘いを断ったの申し訳ないし…海未ちゃんと曜ちゃんの戦いを見てみたいな!
曜ちゃんはバッジ五つだし、すごくいい勝負になるよ!」

海未(バッジ五つ!次のジム戦へ向けての調整としてはこの上ない相手ですね)


千歌に言われ、曜はまんざらでもない表情。
けれど小さく「うーん」と唸り、公園の時計へ目を向ける。

曜「でも千歌ちゃん、いいの?見に行こうとしてた映画まであんまり時間ないけど」

千歌「うああっ!そうだったぁ!?」

海未「あの、無理にでなくても構いませんよ?」

曜「でもそうだな、私も海未ちゃんと戦ってみたさはある…
そうだ!フルに戦うと時間も掛かっちゃうし、お互い手持ちから二匹だけ使うってのはどうかな?」

海未「ええ、それなら時間も掛かりませんね。乗りましょう!」


「なんだなんだ、ポケモン勝負か」
「可愛い子たちじゃないか、どっちも頑張れよ!」

都会の公園には人通りが多い。
向き合う二人がボールに手を掛ければ、必然ギャラリーは集まってくる。
照れ屋な海未は旅立った頃はこれが恥ずかしくてたまらなかったが、二ヶ月も経てば視線にも慣れてくる。

「ねえ、あの黒髪の子ステキじゃない?」
「凛々しい!彼女にしてほし~い!」


海未(女子からの歓声が多いのは未だに納得が行きませんが…)

曜「それじゃ海未ちゃん、行くよ!」

海未「ええ!まずは先鋒、お願いします!キルリア!」

『リア!』

ボールから現れたのは少女のような外見、人間に近い容姿のエスパー・フェアリー複合タイプ、キルリアだ。
こう見えて性別は♂。
キリッと相手を見据える眼光はなかなか強気、ファイターの資質を秘めている。


海未(私の手持ちでは一番の新参。これまでは野生を相手にじっくり育成してきましたが、そろそろトレーナー戦の経験も積ませてあげましょう!)

曜「お、キルリアだ。まだ見たことないポケモンを見られるのは嬉しいな!それじゃあこっちも…ペリッパー!ヨーソロー!」

『ペルィッパ~』


ボフンと飛び出したのはみずどりポケモン・ペリッパー。
進化前のキャモメは幾度か遭遇したこともあり、海未にとってまるで知らないポケモンというわけではない。
半身を覆うほどに巨大化したクチバシ、ほんのりと間の抜けた顔立ち。
しかし全体の骨格が海未の知る同種よりもガッシリとしていて、目の前の個体はなかなかの高レベルだろうと窺い知れる。


ペリッパーの出現に合わせ、ふんだんに放出された水気が空に雨雲を作り出す。特性の“あめふらし”が発動したのだ。

海未(ふむ、相性はお互いに等倍。ここは素直に…)

海未「キルリア!“ねんりき”ですっ!」

『きるるっ!』


キルリアが念じると同時、エスパータイプ特有の念波動が空間をぐにゃりと歪ませながらペリッパーへと迫っていく。

同時、曜もペリッパーへと指示を出している。


曜「ペリッパー、いつもの行くよっ。“そらをとぶ”!」

『ッパァ!』

海未「む、空へ…」

曜「だけじゃないよ、よっと!」

海未「ペリッパーの羽に掴まり…自らも上へ…!?」


キルリアのねんりきはペリッパーに当てられず、空中でその力は離散する。
海未とキルリアは揃って雨天を見上げ、高空でばさりばさりと羽ばたくペリッパーの姿を確認。
上昇後、水平飛行へと移行していて、その背中にすっくと立つ曜の姿が見える。


海未(目も眩むほどの高度でしょうに、怖くはないのでしょうか)


その時ふと、海未の耳は傘をさした観客たちの雑談を捉える。

「ん、あの子…渡辺曜じゃないか」
「知ってるの?」
「飛び込み競技のジュニア代表だよ。最近見なくなってたけど、トレーナーになってたんだな」

海未(なるほど…何か他の道にも長けているトレーナーとは総じて強いもの。ますます気を引き締めなくては)

思考する海未、戦いは次の手番へ。
飛ばれている以上、次撃のタイミングは向こうに合わせるしかない。


海未(ペリッパーは物理よりも特殊よりのポケモンだったはず。直接攻撃の“そらをとぶ”ならキルリアも一撃は耐えられる公算…)

海未「キルリア、もう一度“ねんりき”です。降下軌道に合わせてのカウンタータイミングを狙いましょう」

『リアっ』

曜(…海未ちゃんはきっちり理論までを理解したトレーナーに見える。だったらこそ、“そらをとぶ”の一撃じゃ仕留められない、きっとそう考えてるだろうな)


曜は空中、ペリッパーの上で両手を水平に広げている。


曜「でも違う。上空からの降下攻撃ってのはもっと強いものなんだ。トレーナーみんながそれを活かせてないだけ」


下方、キルリアのいる落下方向へゆっくりと背を向ける。


曜「落下中に細かい指示が出せないのが問題なんだよね。なら…一緒に飛べばいい。行くよー千歌ちゃん!」

千歌「がんばれよーちゃーん!」

海未「…?一体何をする気で…」

曜「ヨーソロー!前逆さ宙返り3回半抱え型!!!」

海未「なっ!跳んだ?!」

ペリッパーの降下より一瞬早く、曜は遥か下方の地面へと向けて死のダイブを敢行している!
足を抱えて体を丸め、クルクルと回転しながら下へ!下へ!!

観客たちから悲鳴が上がる!海未も思わず焦りの声を!


海未「しっ、死んでしまいますよ!!?」

千歌「曜ちゃんは大丈夫だよ~」

海未「そうなのですか!?な、なら戦闘を継続ですね…!」


曜の落下をペリッパーの羽ばたきが追い抜いて行き、キルリアへと凄まじいスピードで落下してくる!
その速度は一般的な“そらをとぶ”に比べて遥かに速い!!


海未「あんな速度で降下したのではペリッパーの動体視力が追いついていないはず!キルリア、脇へずれて回避、直後に“ねんりき”です!」

曜「その目の役目をするのが私!ペリッパー!左に30°修正、そのまま突撃だ!!」

『リッッパ!!!』

『きるぅー!!?』

海未「しまった!キルリア!」


ペリッパーの高速降下はキルリアの小柄な体を強かに打ち、そのまま気絶へと追い込んだ。
海未は悔やみながらすかさずキルリアをボールへ収め、労いの言葉を掛け、ペリッパーに遅れて落下してきていた曜へと目を向ける。

千歌は大丈夫だと言うが、あのまま落ちれば間違いなく死…


海未「あっ!」

曜「よーし!えらいよペリッパー!」

海未「ははあ、受け止めて…ドククラゲですか?」


曜は手持ちから一匹、青いフォルムのクラゲの頭に乗っている。
落下の途上、もうすぐで地面に直撃してしまうというタイミングで曜はボールの一つを地面に投げた。
繰り出されたのはドククラゲ。その柔らかな触手をウネウネと束ねて組み合わせてネット状にして頭の上に構える。
そこへ曜、全身を伸ばして抵抗を最小限に、水へとダイブするかのような飛び込みを!

無駄を極力排除した姿勢、触手による大幅な減速、ドククラゲの柔らかな体を最終クッションとして盤石の受け止め。
曜はまるで無傷、変わらずの笑顔でペリッパーを労った。

海未はあっけにとられ、戦闘中にも関わらず曜へと尋ねかけてしまう。


海未「あの、お怪我は…」

曜「うん、大丈夫!心配してくれてありがとう!…あ!このドククラゲはバトル用に出したんじゃないんだけど、いいかな?」

海未「ええ、心得ています。トレーナーの危機を回避するためであれば、戦闘中のポケモン以外の繰り出しもルール上で許可されていますからね」

曜「おおっ、流石。海未ちゃんはルールの条文の細かいとこまでしっかり熟知して…って、あれ!?」

『リ…パッ。』

曜「なんでペリッパーがやられて…あっ!」

『ポロロゥ……!』

海未「素晴らしい一撃でしたよ、ジュナイパー」

千歌「すっ、すごいよ…!」


繰り広げられた一瞬の攻防に、千歌は目を皿のようにして見入っている。
ペリッパーの急降下攻撃と曜の命知らずな同伴指示、それはいつもの戦術で見慣れている。

(やっぱり曜ちゃんはすごいなあ)なんて思いながら見ていたのだが、もう一つの見所はその直後に待っていた。

キルリアがやられた直後、海未は素早くボールへと収める。
それとほとんど同瞬、次のボールからスナイパーめいた姿のフクロウ、やばねポケモンのジュナイパーを繰り出したのだ。

その入れ替えの速度はまるで達人の居合い。
落下直後の曜の視界がペリッパーから離れたほんのわずかな数秒を縫い、ジュナイパーの“かげぬい”がペリッパーを仕留めていた!


曜「そっかあ、あの何秒かのうちに…びっくりだなぁ」

海未「ビックリはこちらの台詞ですよ。凄まじい戦術ですね…」

千歌「こ、この二人…すごすぎだよ~」


「おいおい凄いぞ!?」
「なんだこの二人!」
「無料で見られるレベルの試合じゃないよ!」


その凄まじさを感じているのは千歌だけではない。
大都市で日夜繰り返される数々のポケモン勝負に目を肥やしたヨッツメシティの住民たちをも驚愕させるレベルの一戦!

曜「それじゃドククラゲには一旦戻ってもらって、次のポケモンは…っと、っと?」

海未「おや、なにやら騒がしく…」


ピピピピピー!と笛の音、数人の警官がこちらへと向かってきているではないか。
戦闘に夢中で気づいていなかったが、ハイレベルな戦いにギャラリーの数がやたらに膨れ上がっている。
それは公園の利用を妨げるほどの人数になっていて、まるで著名なアーティストがゲリラライブを行ったかのような状況!

警官のガーディがワンワンと吠え散らし、ギャラリーを解散させていくのが見える。これは…


曜「うーん海未ちゃん、ここまでにしとかない?」

海未「ええ、同感です。別に捕まるわけではありませんが、事情聴取となれば面倒ですからね」

千歌「げ!映画始まっちゃう!」

曜「わっ本当だ!それじゃ海未ちゃん、ここはドローってことで!」

海未「ええ、楽しかったです。またお会いしましょう!」


群衆をかき分け、海未と二人はそれぞれの方向へと去っていく。
ギャラリーからはその背へと万雷の拍手が送られ、警官たちが少女らへ追いつかないように緩やかな妨害が行われている。

海未「あ、ありがとうございます…ありがとうございます…え、サイン!?そういうのは、あの…これで良いでしょうか?」


海未は生来の礼儀正しさと生真面目さで、拍手に礼を述べつつ退場していく。
手渡されたペンで色紙へとやたらに達筆なサインを書き付け、我も我もとサイン希望が続出したところを必死に抜けて逃げていく。
雑踏を抜けて落ち着いたところで、海未は並走するジュナイパーの頭を優しく撫でた。


海未「頑張りましたね、ジュナイパー」

『ポロロ!』

海未「本当に…よしよし」


ジュナイパーはあのモクロー、ことりとの交換で譲り受けたモクローの最終進化。くさ・ゴーストの複合タイプポケモンだ。

交換で貰ったポケモンは環境の変化に適応するためにレベルアップが早まる。
海未の愛情を受けながらスクスクと育ち、中間進化のフクスローを経て、今や海未の手持ち、ダブルエースの一角として活躍を見せている。

そんなジュナイパーをボールへと収め、海未は今の一戦を脳内に振り返る。


海未(見られたのは二匹だけ、片方は姿しか見られませんでしたが、バッジ五つの実力は十二分に感じられました。
ペリッパーの雨を起点として展開していく、俗に言う雨パーティーかもしれませんね。
ただ、あの曜という方…型に嵌めて考えると痛い目を見るタイプのトレーナーでしたが)


千歌と曜、二人はとても仲の良い親友のようだった。
ただ海未は、そんな二人の関係にどこか歪さがあるのも感じ取っている。

海未(同い年くらいの友人だというのに、曜は千歌を庇護しようという意識が強すぎるような印象を受けました。その庇護が千歌の成長を妨げている…そんな印象も)


…と、ピシャリ。
自分の頬を叩いて思考を追い払う。
ちゃんと会話をしたわけでもないのに勘繰りと憶測、それは海未にとっての美徳ではない。

ただそれでも、脳裏に印象が残っている。
明るく朗らかで人当たりの良い曜。
しかし落下の最中、彼女の目は一切の恐怖を映していなかった。
それはひどく破滅的。明るく見える彼女の本質は、千歌以外にまるで関心を抱いていないような、自分の命にさえ無関心であるような…


海未「ああ、もう。一人旅というのは余計なことを考えてしまう癖がついていけませんね。穂乃果やことりが隣で騒がしくしてくれていれば…」


去来する寂しさに小さく嘆息を一つ。
自分だけではない、ジュナイパーもことりに会いたいだろう。
もう海未のことを主人として認め、懐いてくれているが、それでもあれだけ慕っていたことりが恋しい時もあるに違いない。
何より自分がことりと会いたくて、穂乃果と三人で笑いあいたくて…


海未(だから私は『洗頭』を許さない。必ずイーブイを取り戻してみせましょう。たとえ…この手を血に染めたとしても)


闇を刻み込まれたのはことりだけではない。
海未もまた手段を選ばぬ暗殺者との殺し合いに、心の箍を一つ外されてしまっている。

「必ず」と小さな呟き。
海未は踵を返し、キルリアの治療のためにポケモンセンターへと足を向けるのだった。

《ヨッツメシティジム》


穂乃果「バタフリー!“ぎんいろのかぜ”!」

『フリィィィイ!!!』

『ロォォット…!』


穂乃果が放った銀の鱗粉がくさ・ゴーストタイプのオーロットを襲い、動く樹木のようなその全身を包み込む。
その一撃は見事な威力を発揮し、ズズン…と音を立てて倒れ伏す。


「オーロット戦闘不能!」


公式戦を見届ける審判員が片手を高々と上げて宣言を。


「ジムリーダークニキダ、ポケモン残数0!よってこの勝負…挑戦者、高坂穂乃果の勝利!!」


穂乃果「よぉーし!やったねバタフリー!」

『フリッ♪』

「いやはや、お強い。お見事でございます」


バタフリーと舞うようにひらひら、全身で喜ぶ穂乃果へ、ジムリーダーを務めている住職の男性が穏やかな声を掛ける。
敗戦にも感情の乱れは皆無。ゆっくりと歩み寄り、徳の高そうな笑みを浮かべて穂乃果へとバッジを差し出した。


「これで、四つ目ですね」

穂乃果「えへへ、ありがとうございます!」グゥゥゥ…

穂乃果「……あっ」


激しいバトルにカロリーを消費、穂乃果のお腹は盛大に鳴いて空っぽを訴えている。
照れ笑いを浮かべる穂乃果に住職、クニキダ氏は笑って声を掛ける。


「よろしければ、夕食を食べて行かれませんか。もちろんお金などはいただきませんよ」

穂乃果「へ?いやあ、それはちょっと悪いです…あ、良い匂い…」

「はは、奥へお上がりなさい。まだ挑戦者の予定があるので私は参れませんが、娘に案内をさせましょう」


そう言い、手をポンと鳴らして奥へと声を掛ける。
すたすたと穏やかな足音、ジムリーダーの娘、おっとりとした表情の少女が姿を現した。


花丸「お客様ですか?こちらへどうぞ、マルがご案内するずら♪」




花丸「ほわー、穂乃果さん、大変な旅をしてるんですねえ」

穂乃果「そうなんだよねえ。で、結局、幼馴染のことりちゃんがポケモンを奪われちゃって…」

花丸「あらいずって人たち、許せないずら…マルのツボツボが連れて行かれちゃったらと思うと…」

穂乃果「花丸ちゃんもやっぱりトレーナーなんだね。さすがジムリーダーの娘!」

花丸「あ、マルは全然!戦わせたりはほとんどしてなくて、ツボツボだけずーっとお友達として一緒にいるんです」

穂乃果「そうなんだ?トレーナーになれば強そうな気が…なんとなくだけど」

花丸「ううん、マルはどん臭いから…あ、ここが居間です」


そう言って花丸が引き戸を開けると、ぐでぇ…っと寝そべった少女が不満げな顔を持ち上げた。
頬を膨らませ気味、ふてくされた声で「おそい!」と一声。


「どんだけ待たせるつもりなのよぉ!人の家で一人で待たされる時間って結構気まず………知らない人がいるう!!?」

穂乃果「あはは、どうも~」

花丸「この子は善子ちゃん、マルの幼馴染のお友達です。そういえば善子ちゃん、人見知りだったね?」

善子「善子じゃなくてヨハネ!じゃなくって、お、お客さん?なら私は帰るから…嗚呼、ゲヘナからの呼び声が…」

花丸「うちに泊まってるのにどこへ帰るずら?」

善子「そうだったぁ!?ピィンチ!!!」

穂乃果「賑やかな子だなぁ」

パニック状態の善子を花丸が落ち着かせ、自己紹介を済ませてちゃぶ台をぐるりと囲む。
慌てていた善子だが、穂乃果が屈託のない絡みやすい性格だと認識したところで動揺は収まった。
それでもまだ、すうっと通った鼻筋の先にまだ視線を泳がせているあたりに人見知りがよく表れている。

(ちょっとタイプは違うけど、子供の頃の海未ちゃんもあんなとこあったなぁ)とほんのりノスタルジー。

さておき、国木田花丸と津島善子、二人は揃って穂乃果より一つ歳下。
聞けば、共にジムリーダーの娘らしい。

善子はロクノシティで母親がジムリーダーをしている。
その母がオハラタワーでの式典に参加するので、くっついてこの街へ遊びに来たというわけだ。


善子「へえ、バッジ四つ持ち…」

花丸「さっきうちのお父さんを倒したところなんだって。強いトレーナーさんって憧れるずら~」

穂乃果「いやそんなぁ、照れるなぁ…善子ちゃんはポケモンは?」

善子「私もずら丸と一緒、バトルとかはさせない派。ヤミカラスを一匹だけ」

穂乃果「そっかぁ、ジムリーダーの家族ってバリバリなのかと思ってたよ」

善子「それよ、その期待が苦手なの。プレッシャー掛けられちゃたまらないし、ポケモンとは気楽に付き合えればそれで…」

花丸「うーん、マルも同じ感じかなぁ。お父さんもお母さんも優しいけど、なんとなーく勝手に重圧を感じちゃうなぁ…って」

穂乃果「なるほどー…」


親が達人というのも大変なんだなぁと、そしてそれを真正面から背負っている海未ちゃんは凄いんだなぁと、穂乃果の中でライバルの評価が上がる。
煮付けや焼き魚、優しい味付けの和食をたっぷりと堪能し、穂乃果はタタミの上にごろりと伸びを。


穂乃果「いやーお腹いっぱい!雪穂お茶…って、実家じゃなかった…えへへ」

花丸「ふふふ、そんなにくつろいでもらえるとマルも嬉しいです」

善子「なんかこう、年上感のない人ね…緊張して損した」


やがて話題は自然と、オハラタワーで行われる式典の事へと移っていく。

穂乃果「へー!じゃあ花丸ちゃんと善子ちゃんもオハラのパーティーに参加するんだね!」

花丸「はい、ジムリーダーの家族も出席できるんです。立食パーティーで美味しいご馳走とかもあるみたいだから、マルもお父さんについていって、ご相伴に預ろうかなぁって」

善子「ずら丸は食い意地張りすぎ。太るわよ」

花丸「ずらぁ!」

穂乃果「うっ、私も食べ過ぎそうだなぁ…でも滅多にない機会だし、どうせなら胃袋の限界に挑戦して…!」

花丸「ですよね!どんなご馳走があるのかなぁ…!」

穂乃果「うーん、楽しみ…!」

善子「同類か…」


善子はきのみを細切りにして干したものを指でぶら下げ、ヤミカラスへと食事を与えている。
トレーナーたちが食事をしたなら、もちろんポケモンたちにも食べさせてあげなくては。

ヨッツメシティジムの裏手は大きな寺。庭では穂乃果のポケモンたちも食事をしている。
リザード、バタフリー、リングマの三匹はきのみやフードをパクつきながら、見慣れない枯山水に興味津々だ。


穂乃果「そこ入って模様崩したらダメだからねー」

『リザッ』

花丸「とってもいい子たち。穂乃果さんの人柄が窺えるずら~」

善子「やっぱ旅してきてるポケモンって強そう。ヨハネの眷属…この子にも、ちょっとはトレーニングさせた方がいいのかしら。堕天使ヨハネが命ず…飛翔せよっ!」


善子は持っていた干しきのみ、ついばまれて短くなった根元の部分をひょいと投げ上げる。
ヤミカラスはパタパタと小さく飛んで、クチバシの中へきのみを収めて満足げに『カァ』と鳴いた。

善子「ナァーイス・キャッチ!」

花丸「それはトレーニングじゃなくて芸ずら」


やんわりとツッコミを入れながら、花丸はツボツボの殻を撫でている。
にょろりと出た口元へと手を差し伸べ、乾燥フードを与えている。


花丸「マルはゆったりできればそれでいいなぁ。ね、ツボツボ」

『つぼぼ』

穂乃果「うーん、花丸ちゃんとツボツボを見てるとのんびりする…
それにしても、パーティーって知らない大人ばっかりだと思って緊張してたから二人も参加するなら安心だな」

花丸「えへへ、おんなじです。お父さんたちは多分色々な人との挨拶で忙しいだろうし、穂乃果さんもいるなら心強いずら。ルビィちゃんとも会えるし」


食事中の会話に、穂乃果と花丸、善子は、黒澤ルビィが共通の知り合いであることを認識している。
穂乃果もダイイチシティでの一週間ほどの入院生活とその後の数日にルビィと友達になっていて、可愛らしく妹気質の少女にまた会えるのが楽しみだ。


穂乃果「うんうん、なんだか乗り気になってきたよ。よーし花丸ちゃん!パーティーの日はどっちがたくさん食べられるか勝負だよっ!」

花丸「望むところずら!」

穂乃果「ご飯も麺もお肉もスイーツも!全部制覇しちゃうぞ!」

花丸「お~!」

善子(穂乃果さんとずら丸…この二人、一緒にいさせちゃ駄目なタイプね)


半眼、呆れた様子でツボツボをちょいちょいと突きながら、善子は庭越しにオハラタワーを見上げる。
(ま、楽しみは楽しみだけど!)と。




宵の時刻、街明かりは煌々と灯ったままに空を照らしている。
眠らない大都市ヨッツメシティ、昼夜を問わず、その輝きが途絶えることはない。

その中心であるオハラタワー、最上階には社長である鞠莉の居室がある。
本来なら両親と住むべき広さの部屋なのだが、世界各地に支社を持つオハラグループは多忙に多忙を重ねている。
父も母も仕事のために世界中を忙しく飛び回っていて、今は鞠莉が一人で暮らしている状態なのだ。

もちろん、使用人や社員は呼べば30秒ほどで飛んで来る。
食事は朝昼夜と最高級のものが用意されるし、掃除洗濯は頼まずとも全て済まされている。
日中は多忙で寂しさを感じる暇などない。
それでも、静かな夜更けに寄り添ってくれる人間は誰もいない。
重責を課された少女の背中はぽつんと、ひどく寂しげだ。


鞠莉「……oh、残念…。ううん、気にしないで。大変な時だものね」


窓の外を眺めながら、電話機を片手に通話をしている。


鞠莉「……ホワイ?元気がない?んーん、ダイヤは心配性すぎ!マリーはいつだって元気一杯よ♪」

話相手は親友のダイヤ。
通話して曰く、先日の『洗頭』絡みの一件で警察の諸々の調査に連日協力をしているらしい。

その上で、ジムリーダーとして挑戦を受ける責務もきっちり果たしているのだから鞠莉に劣らぬ多忙ぶりだ。
さすがにリーグの許可を取り、一時的に事前予約制にはなっているらしいが。

ともかくそういう事情で、ダイヤは式典に出席できないと謝罪の連絡を入れてきていたのだ。


鞠莉「んもう!申し訳申し訳~ってしつこいよ!謝罪はノーセンキュー!
私たちそんな仲でもないでしょう?落ち着いたらこっちから遊びに行くから♪それじゃ、チャオ~♪」


受話器を置き、浅く溜息。
艶のあるルームワンピース姿、傍らで心配げに見上げてくるチラチーノのふかふかとした毛を指で透かし、その指は恐怖に震えている。


鞠莉(会社全体の決定で、私がされた脅迫は外部には徹底して隠すことになった。
オハラコーポレーション全体の命と、私一人の命…天秤にかければ当然、前者が大事)

鞠莉(sorry、ダイヤ。あなただけにはと思って電話したのに、結局言えなかった。知ればダイヤはきっと必死に動いてくれる。
だけど必死になればなるほど、情報が漏れてしまう隙は大きくなる…)

もちろん、当日は大企業オハラコーポレーションの総力を結集した警備体制が敷かれる。
警備部隊へ下される指示は捕縛ではない。『洗頭』の構成員を発見次第、殺害。

地上は正面エントランス、裏口共に完全防備が敷かれ、空の警備も盤石の体制。
周辺建造物の6ポイントに狙撃班が待機、綺羅ツバサらしき人物を発見、当人であると確認でき次第の発砲が予め許可される。

プラス、地下を破ってくる可能性も当然ながら考慮している。
手持ちの一体がガブリアスだというのだから、高速潜行して床を破って現れる可能性も大いにあり得る。
ので、地下には超出力のサイコバリアが張られている。

それは“とあるエスパータイプポケモン”が生むサイコ力場を防壁へと転用した代物だ。
強力すぎて地上ではおいそれと使えないが、地下なら問題はなし。

たとえガブリアスが耐えて突破したとしても、生身のツバサが突入して生きていられるような出力では断じてない。
トレーナーさえ倒してしまえば、ガブリアスが暴れたとしても御せないことはないのだ。
客やスタッフに多少の犠牲が出たとして、最も硬く警護されている鞠莉へと辿り着くことはできないだろう。

実のところ、オハラコーポレーションの重役たちが警察と関わるのを嫌うのはこの、“とあるエスパータイプポケモン”が原因でもある。

天高く聳える巨大なオハラタワーは、地下にもその根を伸ばしている。

その大半は外部の監査が入ったとしても問題のない場所なのだが、見せるわけにはいかない箇所もある。極秘の地下研究棟だ。

そこでは社外秘、それどころか一部の専属チームと役員以上にしか存在の知らされていない研究が行われている。
悪徳めいた目的の研究かと問われれば決してそうではないのだが、それでも内容が漏れれば世間からの批判が殺到しかねない代物だ。

鞠莉の暗殺計画を話せば事態がどう転ぶかわからない。
研究の内容が露見する可能性もあり、故に役員会議は暗殺計画の秘匿を決定した…という経緯。

……鞠莉は不安を感じている。確信めいた死の予感に恐怖している。
綺羅ツバサは甘くない。有象無象の警備がどれだけ役に立つものか。


鞠莉「………果南…」


もう一人の親友…松浦果南の顔を思い浮かべ、そばにいて欲しいと願う。
しかし、それは叶わぬ願い。
彼女もまた大切な用事で他の地方へと出向いていて、戻るのはいつになるかわからない。

今の鞠莉に、頼れる人間はいないのだ。




穂乃果「おおお…!おおおお……!」


思わず漏れる感嘆、それも二度。
穂乃果が感動のあまり声を上げているのは、目の前にずらりと並べられた豪華な食事の数々を目にしたため。

そう、穂乃果は今、オハラタワーのパーティー会場にいる!

寿司にステーキ、パスタにブルスケッタ。ミートローフは肉汁たっぷりで、デパ地下サラダをもっと豪華にしたような何か。
飾り切りされたフルーツが無駄にたくさん並べられて彩りを添え、なにやらエビっぽいのは多分ロブスター。
あとは穂乃果の語彙と知識ではよくわからないものが色々と!

パエリアではなく“パエージャ”と表記されているところに妙なセレブリティを感じ、穂乃果はもう一度「ほおお…」と感心を。
その横ではリザードが穂乃果と同じ表情、『ザァァド…』と感心の真似を。

ポケモン関連企業のパーティーだけあって、会場内ではポケモンを一匹だけボール外へ出すことが許されている。
バタフリーは鱗粉が食事にかかって迷惑になる。リングマは大柄なので通行の邪魔…というわけで相棒、リザードを随伴させている。

すぐそばで客へとローストビーフを切り分けているシェフが、そんな穂乃果たちへと微笑ましげに頬を緩めている。
視線に気付き、匂いにつられて穂乃果はふらふらと寄っていく。


穂乃果「うわあ、ローストビーフだ!」

『リザァ!』

「お取り分けしましょうか?」

穂乃果「いいの!?えへへ、ちょっと多めにお願いします…」


こんもりと盛られたローフトビーフの皿を片手、モフモフと頬張り満面の笑顔。
少し低めの位置に皿を持ってあげていて、リザードも爪で器用にフォークを扱って自分の口へと運んでいる。笑顔。美味しいようだ。

音楽はクラシックが生演奏されている。
それは穂乃果が知らない曲で、けれど素敵なメロディをしていて、きっとベタでない、それでいて洒落と気の利いた選曲なのだろうなと穂乃果は10秒耳を傾ける。


穂乃果「さ、食べよ食べよ。時間は有限!」

『リザァド!』


そんな調子で花より団子。
次は何を食べようかな、やっぱりお寿司かなー…と、煌びやかなロール寿司を目にして立ち止まる。
客の前でくるくると巻いて仕上げていく様子を目に、もう一度「おおおー!」と歓声を上げてパチパチと拍手。
最高のオーディエンスだ。寿司職人の口元がほんの少し綻んでいて、穂乃果たちの反応に喜んでいるのがわかる。

…と、背後から聞きなれた声。


真姫「ちょっと!料理の前でほおほお言ってないでよ!」

穂乃果「わわ、真姫ちゃん!久しぶりー!」

真姫「ヴェェェ!?抱きつかないで!ちょ、穂乃果!恥ずかし…」

穂乃果「会いたかったよ!すっごくすっごく会いたかった!真姫ちゃん!」

真姫「ヴェ…別に、私だって会いたくなかったわけじゃないけど…」


叱りつけていたはずがすぐにチョロっと誤魔化される。
相変わらずの真姫に穂乃果はニコニコと笑みを浮かべ…
一変!穂乃果が唐突に声を上げる!

穂乃果「あっ!!」

真姫「なっ、何!?」

穂乃果「そのグラスの赤いの…真姫ちゃんいけないんだ!未成年なのにお酒なんて飲んでる!」

真姫「これ?ただのガスパチョよ」

穂乃果「ガス、パ…?」

真姫「トマトの冷製スープ」

穂乃果「ははぁ…」


知識レベルの差はともかく、再会を喜んだ二人は並んで会場を歩く。
真姫の横には上質な毛並みのレパルダスが付き従っている。
豹のしなやかさでしゃなりと控え、しつけの行き届いた佇まいと気位の高い表情はどこか真姫と似ているかもしれない。

そんな真姫は横目に穂乃果の服装を見つめ、ふっと表情を柔らかくする。


真姫「それにしても、馬子にも衣装ね」

穂乃果「ん、孫?」

真姫「いい服を着ると穂乃果でもそれなりに見えるってことよ」

穂乃果「あはは、よくわかんなかったから真姫ちゃんの親戚のお姉さんに全部コーディネートしてもらっちゃった」


穂乃果らしいオレンジ系、上品に淡めのドレス姿でくるり。一回転してスカートを膨らませてみせ、ふんわりと笑顔。
真姫は軽く笑みを返してグラスを飲み干し、ウェイターへと器を渡してから一言。


真姫「そんなに目立たないからいいけど、胸元にソースのシミができてるわよ」

穂乃果「あれ?本当だ。ローストビーフかなぁ、ごめんごめん…」

真姫「ちなみにそれ、全部で100万以上するから」

穂乃果「ひゃっ………!!!!」

真姫「服もだけど、ジュエリーがちょっと高いのよ」

穂乃果「……!………!」

真姫「一応無くなさいようにしなさいよ。まあ、別にいいけど」

穂乃果「……!?……別にいいって!ええ!?」


言葉を失った状況からようやく持ち直し、超高額な宝石を「別に」で済ませる西木野家の財力に愕然。
すっと…横から『リザ。』と爪。
リザードは穂乃果がやたらと気にし始めた宝石が気になるようで、爪でそれを触ろうとして来ている。

穂乃果は悲鳴!!!

穂乃果「ぎゃあああ!!リザード!それはない!!」

『ザアッ?!』

真姫「何してるのよ…」


未だに落ち着かない穂乃果、この手の式典に慣れきった様子の真姫。
さっきまではパーティーの内容なんて関係なしに食事を食べまくってばかりだったが、いざ立場のある真姫と並んで歩くと大切なパーティーなのだなとそれなりに実感が湧いてくる。
若き博士である真姫へ、挨拶をしようとひっきりなしに人々が寄ってくるのだ。

真姫が挨拶を交わしている間、穂乃果は暇。
所在なくクルクルと見回してみれば、記者やテレビ局の取材もたくさん入っているのが目に止まる。
中にはワイドショーでよく見かけるレポーターの姿もあって、「へえ~」と穂乃果はまた感嘆。


真姫「穂乃果、行くわよ」

穂乃果「あ、うん!」


真姫は挨拶してくる大人へ真姫なりの愛想で返しながら、穂乃果は数々のグルメをハイペースで胃へと詰め込みながら。
歩く二人は、ずっと視線をキョロキョロと泳がせている。
その目的は共通、会場のどこかにいる海未と、もしかすると来ているかもしれないことりを探しているのだ。

真姫「あ!海未がいたわ!」

穂乃果「え、どこ……あっ本当だ!!お~い!!!海未ちゃあああああん!!!」

海未「…?あっ、穂乃果!真姫!」

穂乃果「う、み、ちゃああああん!!!久しぶりっ!!!」

海未「おっと!もう、穂乃果…人も多いのですから、飛びついてきたら危ないですよ?」

真姫「そこまで嬉しそうな顔をしておいて、よく言うわ」


ずっと会いたかった幼馴染、再会は二ヶ月ぶり。その喜びはお互いにひとしおだ!
穂乃果に頬ずりをされて、海未の叱責にもまるでキレがない。
それを微笑で見守る真姫とも海未は再会の挨拶を交わし…穂乃果の皿を見て眉をひそめる。


海未「………穂乃果、食べ過ぎではありませんか?やたらにこんもりと盛り付けて…」

穂乃果「はっ、海未ちゃんにこの皿を見せちゃまずいのを忘れてた…で、でも!毎日ずぅぅぅっと歩いてるから体重減ったし!」

海未「ふふ、冗談ですよ。顔を見れば頑張っているのだとわかります」

穂乃果「えへへ、海未ちゃんこそ」

海未「……」

穂乃果「……」

真姫「……。ことり、見当たらないわね」

三人の間に沈黙が漂う。
最も心優しい愛すべき幼馴染は、一体どこへ姿を消してしまったのだろう。
再会の喜びも、結果として消沈の呼び水になってしまう。
そんな人間たちの悲喜を知ってか知らずか、リザードとゲコガシラは互いを眺めて成長を確かめ合っている。

そんな姿を目に、真姫は静かに想いを馳せる。


真姫(ことり…最初の三匹では、あなたのモクローが一番早く最終進化に辿り着いたのよ。さっさと出てきて、褒めてあげなさいよ…)


そんな折、人の波を掻き分けるようにしてあどけない三人組が駆け寄ってくるのが見える。


花丸「あ、穂乃果さんいたずら!」

ルビィ「本当だ!穂乃果さぁーん!」

善子「集結…これはルシフェルの導き」

穂乃果「ルビィちゃん久しぶり!花丸ちゃんと善子ちゃんも会えてよかったー!」


初対面の海未と花丸と善子と、それぞれ初対面同士の紹介を仲介していると、反対側からも呼び声。
ほ「おーい!」とほんわか、千歌と曜が歩いてくる。
その横には見知らぬ少女がもう一人。

穂乃果「千歌ちゃん!久しぶりー!」

海未「ふふ、また会いましたね。…と、穂乃果と千歌たちも知り合いでしたか」

穂乃果「うんうん、前に一回バトルしてて…あ、あなたとちゃんと会うのは初めてだよね!」

曜「そうだね、前にちらっと見かけたっけ。渡辺曜です!よろしくヨーソロー!」


一通り挨拶を交わし、そして穂乃果はもう一人の少女へと目を向ける。
どこかで見たことがあるような?


穂乃果「うーん…?」

海未「おや、そちらの方はもしかして…」

千歌「あ、紹介するね。この子は桜内梨子ちゃん!」

梨子「えっと、初めまして…」


照れ屋なのだろうか、小豆色の髪をした大人しそうな少女は品良く笑って挨拶をしたが、ぎこちなさが少しある。
けれど気遣いの見える笑みには人柄の良さは現れていて、穂乃果はすぐに彼女へと好感を抱いた。

ただ、疑問が消えない。どこで見たんだっけ?

…と、千歌。


千歌「もしかしたら知ってるかもだけど、なんと………梨子ちゃんはアキバリーグ!四天王の一人なのだ!!」

穂乃果「へえー、四天王………あああっ!!!見たことあると思ったら!!!?」

梨子「あはは、一応…四天王をやらせてもらってます。よろしくね」


ひたすらびっくりしている穂乃果、海未はその実力を図ろうとつぶさに観察を。
真姫は既知のようで軽く挨拶を交わしていて、花丸たち三人はいきなり湧いて出た最上級のトレーナーに「ははあ…」と目を見張っている。

その時、会場の電気が薄っすらと暗くなり始める。


真姫「新社長のお出ましみたいね」

穂乃果「うーん、堅い話が始まるのかな?」

真姫「いや、あの子はそういうタイプじゃ…」


強烈なスポットライトが壇上を照らし出す!!!


鞠莉「レッディ~ス&ジェントルメン!チャオ~!!オハラコーポレーション新社長!小原鞠莉デェス!気軽に、マリー♪って呼んでね!」

穂乃果「うわ、派手だぁ」

海未「ははあ、真似できませんね…」


盛大に華々しく、鞠莉の挨拶が始まった。
口をぽかんと開けて目を奪われる穂乃果たち。

その知らぬところで、事態は動き始めている。




「大通り、封鎖完了」
「番犬ポケモン部隊、展開完了」
「対ガブリアス用、氷ポケモン部隊配置完了」
「銃火器、発砲用意よし」


淡々、着々と。
オハラタワーの外では武装を固めた警備部隊が、『洗頭』が現れるのを今かと待ち構えている。

道行く人々はその物々しさに一瞬ギョッとした目を向けるが、オハラへの信頼がそれ以上の詮索へと思考を傾けさせない。
「オハラさんのすることなら心配ないわね」と呟く老女、彼女の言葉は住民たちの総意と言えるだろう。

そこから離れて数キロ。
五感の鋭いポケモンたちの捜索をギリギリ逃れる距離を見極め、『洗頭』幹部の三人は様子を伺っている。
鞠莉の挨拶の様子が中継されているのを小型テレビで確認し、英玲奈が短く声を発する。


英玲奈「始まったようだ」

ツバサ「へえ、見せて見せて、っと…なかなか派手ねー!オハラのお姫様は」

あんじゅ「ツバサ、嬉しそうね?」

ツバサ「まあね。ああいう子って結構好きなのよ。自分の立場と求められてる役割をよく理解してる。すっごく好感持てるわね」

英玲奈「それを今から殺すのか。しかも私が」

ツバサ「フフ、お仕事お仕事。それに嫌いじゃないでしょ、ガッチガチの守りをこじ開けてターゲットに辿り着くスリル」

英玲奈「フフ…違いない。それを味わいたくてここに居るようなものだ」

ツバサ「派手が好きならお望み通り、ド派手に死なせてあげなきゃね?」

あんじゅ「もぉ…二人とも、野蛮なんだから」

ツバサ「よく言う。一番野蛮なクセに」


抗議の声を上げかけたあんじゅを遮り、ツバサはすっくと立ち上がる。
ビル影から歩み出し、まっすぐに警備部隊たちの視界へと自らを晒す。

ざわめく兵士たち。
あれは?
綺羅ツバサか?
本物の?
発砲距離まで引き付けろ、ボールに触れる動きに注意しろ、そんな声が聞こえてくるようだ。


ツバサ「悪手悪手。とりあえず撃てばいいのに。狙撃を優先したいのかしら?でも配置はとっくに把握済み。単純すぎてアクビが出るわね…」


射程外、安全圏ギリギリで立ち止まり、ツバサはすうっと手を掲げる。

ここが分水嶺、踏み越えれば狂乱の時間だ。
立ち止まる理由は?ない。さあ、ルビコンを渡れ。

パチン!と弾き鳴らす指、ツバサの背後に百人以上の白服集団が現れる。
白地に金のモチーフ、皆一様に同じ服装。
あんじゅがデザインした『洗頭』の団服だ。


あんじゅ「ねえ英玲奈、実働部隊のあの子たちを貸してよ」

英玲奈「ふむ…構わないが、使い潰すなよ。手塩に掛けて育てたんだ」

あんじゅ「はぁ~い♪」

ツバサ「さあ…パーティーの時間よ。衝撃的に行きましょう!!」


戦いの幕が上がる。




会場内。

鞠莉はアシレーヌの水泡やカクテルライトを織り交ぜ、スピーチというよりはショーと呼ぶべき挨拶を見事に終えた。
その中で自分のスタンスや会社の経営方針についてもそつなく触れていて、それは非の打ち所がない満点の就任挨拶!

穂乃果や千歌たちは圧倒されたまま拍手を送り、ぼんやりと熱に浮かされたまま会話を交わしている。
同年代の少女があんなにも立派に堂々と、新社長として自分のカラーを押し出した振る舞いを見せたことに衝撃を受けたのだ。


穂乃果「すごかったねえ…」

千歌「ほんとだね~」

海未「あれこそが若くして社長の座に着ける器、というものなのでしょうね」

曜「うーん。尊敬しちゃうな!」

善子「ねえリトルデーモン、ちょっとあの壇に上がってきなさいよ。度胸付くかも!」

ルビィ「ふえ、ルビィが!?むっ、無理だよぉ!」


そんな調子、受けた影響に和気藹々。
既知と初対面とで入り混じって思い思いに会話を交わしていると、突然穂乃果が大声を上げる。


穂乃果「あっ!?食事が片付けられ始めてる!!」

花丸「ずらあー!?」

真姫「しばらく時間が経ったから。軽いものとかはともかく、種類によっては片付けていくものもあるわよ」

ルビィ「あれぇ、ルビィまだあの辺の料理食べてないのに…」

花丸「マルも…」

善子「はぁ、さっと行って確保してきましょ。二人の皿、持ってあげるから」

穂乃果「私はそっち側は一通り食べたけど…ああっ!肉コーナーの片付けが始まってる!」

真姫「さっき食べてたじゃない」

穂乃果「いやいや、せっかくだし食い溜めしなきゃ…!ちょっと行ってきます!」


それぞれが慌てて散り、海未、真姫、それに千歌と曜、梨子が残された。
せっかくの機会だ、四天王に細かい技術論を訪ねてみようと海未は梨子へと顔を向ける。

…が、海未の感覚は会場内に広がり始めたざわつきを鋭敏に感じ取る。

海未(様子がおかしい。動転したような声、これはどこから?…なるほど、警備の方の無線ですか)


耳を傾け…海未はすぐに、恐るべき事態が進行していることを理解する。
それは絶叫、それは悲鳴。

「防衛ラインが突破され…!」
「狙撃班がやられた!!なんだ、あの速い、白…ぐはっ!!?」
「炎が!デカブツが物凄い炎を…あああああ
あっ!!!!」
「浮き上がって…まずい!!あれはまずい!!!」


海未「これは…!一体何が起きているのです」

梨子「なんだか、様子がおかしいみたいね」

千歌「な、なんか雰囲気が…私、穂乃果ちゃんとルビィちゃんたちを呼んでくる!」

曜「あ、千歌ちゃん!待っ…」


めしゃり。
パーティー会場全体の足場が、一瞬深く沈み込むような感覚…


轟震!!!!

「キャアアアア!!!!」
「なんだ、地震か!?」
「おい!どうなってるんだ!」


俄かに会場が喧騒に包まれ始める。
徐々に恐慌へと傾いていく会場、警備員たちが落ち着かせようとしているが、群衆の心を塞き止めるのは容易くない。


海未「……ッ!おそらく地震ではない、揺れたのはほんの一瞬。まるで何か、重い物が落とされたかのような…」

真姫「海未、あれを見て」

海未「黒服のSPたちが鞠莉の周囲に…しかしあれほど大勢がいつの間に?」

梨子「多分だけど、オハラの人たちは何かが起こるのを知っていたんじゃないかしら」

真姫「だとすれば…」



━━━爆音!!!



真姫が喋り始めた言葉を遮るように、入口の扉が吹き飛ばされてガラスの破片が舞う。

血まみれで倒れた黒服を踏み越え、ドカドカと荒々しく白服の集団が乗り込んできた。
その先陣には三人の女性。前髪の短い小柄な一人へ、酒気を帯びた気の短い政治家が食ってかかる。

「貴様ら!この会場を一体どこだと…」

ツバサ「英玲奈」

英玲奈「ああ」パンッ

「……あ゛…」


躊躇も容赦もなく放たれた銃弾は、政治家の喉に穴を穿った。
ゴポリ、フゥヴ…。
血にくぐもった呼吸を二つ、政治家は前のめりに倒れ、それきり動かなくなった。


「ッッッ………!?キャアアアア!!!!」
「う、わあ…!」
「殺した!殺したぞ!!?」


ツバサ「総員、ポケモンを展開」


悲鳴が幾重にも重なる中、洗頭の構成員たちは各々にポケモンを展開する。
その大半はコラッタとズバット。掃いて捨てるほどに見かけるその二種も、床と宙を黒く見せるほど大量に展開されれば観客たちの恐怖を誘う。

それはツバサがことりに見せた、“使い捨てにできるポケモン”たち。
そしてただ草むらで捕まえただけの雑魚ではない。
タマゴの段階で性能を攻撃性に特化、バリエーションにズバットを加えた、ひたすらに突撃を敢行させるためだけの生体兵器。
『洗頭』の構成員たちが声を合わせ、一斉に命じるのは“でんこうせっか”。


ツバサ「もちろん、人間を狙って構わないわ?」


悲鳴と絶叫が会場を埋め尽くす!!

海未「なんという真似を…!!」


海未たちの立ち位置は会場中央より奥、コラッタやズバットたちの攻撃はまだ届いていない。
ただ逃げ惑う人々の声で大方の状況は把握できていて、海未は義憤に駆られて真姫や曜、梨子へと声を掛ける。


海未「迎撃しましょう!人々を守らなくては!」

真姫「そうね、やるしかなさそう」

曜「千歌ちゃん!!千歌ちゃん!?ああっ人が多くて…!助けに行かなきゃ…助けに行かなきゃ…!!」

梨子「落ち着いて曜ちゃん、千歌ちゃんもちゃんと成長してる。自分の身は守れるはずよ。まずはあの人たちをどうにか…って、きゃあっ!?」


梨子の悲鳴は攻撃を受けたわけではない。
高価なスーツに袖を通した老人と、華やかに着飾った女性がすがるように抱きついて来たのだ。

「あんた、四天王だろう!助けてくれ!助けて!」
「殺されちゃう!殺されちゃうわ!」
「四天王!?四天王がいるのか!」「桜内梨子だ!なんとかしてくれ!」
「西木野博士!博士もいるぞ!」「助けて!」「助けろ!!」


梨子「み、皆さん!落ち着いて…!私が戦いますから!戦い…押さないでっ、っ!手を掴まないで!ポケモンを、出せない…!」

真姫「ちょっと!!あなたたち離しなさいよ!死にたいの!?」

海未「こ、これは…この状況は…!」


オハラタワーのパーティー会場には、事前にい聞いていた通りに数多くのジムリーダーたち、四天王の梨子、有力なトレーナーたちが集められていた。
真っ当に戦えば易々と突破される陣容ではない。
だが集ったセレブたちは我先、「自分だけでも助けてくれ」とジムリーダーたちや四天王の梨子に殺到していく。
善子の母も花丸の父も、もみくちゃにされてポケモンを展開できない、スペースがない、そもそも腰のボールを自由に手に取れない!

まだ無名の海未だけが真姫と梨子から引き離され、雑踏の輪の外で愕然とその様を見つめている。


海未「まさか、初めからこれを予測して…!」

入口付近、会場の様子を眺めながら、ツバサはこの光景こそ絵図通りと頬を笑ませている。


ツバサ「金持ちが悪人やヘタレばっかだなんて子供じみた見解を語るつもりはないけど、まあ自己保身に長けたタイプは多いわよね。それが集えばこうなるのは必然」


それでも全てのトレーナーを抑えられたわけではない。
知名度の低い実力者だっていれば、警備員やSPたちはまだ残っている。故に次の手を。


ツバサ「あんじゅ、撹乱」

あんじゅ「ふふっ…地獄を見せてあげる。おいでなさい、ビークイン」


不吉な羽音、繰り出したのは黄黒の女王蜂。
その容姿にどこか主であるあんじゅを彷彿とさせる高慢な悪意を秘めていて、そんなビークインへと指示を。


あんじゅ「さぁ…派手に行きましょう?“こうげきしれい”」


声に従い、ビークインは特殊な音波を周囲へ撒き散らす。
音は広範囲へと広がっていき…
突如!
会場へと大量の巨大蜂、数え切れないほどのスピアーが恐ろしげな羽音を立てて乱入して来たではないか!!

その全ては野生。
無数のスピアーたちはビークインの、あんじゅの指示に従い、両手と尻の大針でポケモンを、人々を刺し貫いていく!!

ツバサ「うん、相変わらず凄まじい」

英玲奈「あんじゅのビークインは特殊だからな。小型の蜂を使役する通常のビークインとは違い、半径6キロ圏内にいる全てのスピアーを呼び寄せて使役する…」

ツバサ「有能すぎてビビるわね」

あんじゅ「ふふっ、でしょう?ボーナス弾んでね」

英玲奈「遊びグセさえなければな…」

あんじゅ「素直に褒めなさいよぉ」

ツバサ「いいじゃない、油断慢心全て上等。それでこそ悪の組織。って感じで!」


そしてツバサは満を辞して前へ。

倒れた人々とポケモンたちを一瞥もせずに踏み越えていく。
悲鳴と嗚咽は彼女への喝采。
綺羅ツバサは灰色のコートの両腕を広げ、パーティーホールの中心をゆっくりと歩いていく。
我が道を阻むものは何もなし。黒服SPのサンダースが放った“ミサイルばり”が髪を掠めても、顔色一つ変えることはない。
その姿はさながら、悪徳の翼を広げた怪魔めいていて。

「くっ…!止まれ!止まれと言っている!サンダース!“10万ボル…!」

ツバサ「コジョンド、“とびひざげり”。…と、私も」

『ダァァスっ!!?』

「が、はっ!!」


いつの間にかコジョンドを繰り出していた。
指示を出すと同時、鋭く切り込んでSPの胸骨を自らの肘鉄で砕く。
レギュラーの一角であるコジョンドとの連携に一分の隙もなし、共にカンフーめいた動きでポケモンとトレーナーの両方を地に伏せた。

素手での一殺。しかし事もなげに服の埃を払い、部下の一人へと目敏く声を掛ける。


ツバサ「そこ、髪が乱れてる。気合い入れなさい。電通に頼んだって打てない一大プロモーションなんだから」


団員の髪をさっと手直し、ぱしっと背を叩く。
と、次は取材に入っていたテレビ局のカメラクルーを目にして歩み寄る。

ツバサ「ねえ、このカメラ回ってる?うん、じゃあそのまま中継を続けて。切ったら殺すかも」


流れるように脅迫し、怯え上がった女子アナウンサーからフリップとペンを奪い取る。
少し考え、キュキュ、と文字を書き付けた。


ツバサ「今思いついたけど、組織を改名しましょう。うん、そうしよう。郷に入っては郷に従え…ってね。よし、できた」


【アライズ団!!!!】


ツバサの雑然とした、しかし異様に力強い文字がニュース中継を通じ、全国のお茶の間へと映し出される。
アライズ団と書かれたフリップをカメラへ押し付け、組織の存在を国家全体へと知らしめたのだ。
チャイニーズマフィアの暗躍が知れ渡ればパニックになる、そんな日本警察の慎重な判断と隠蔽をコケにする、派手と煽りに特化したパフォーマンス!!

そしてフリップを投げ捨てると、カメラへと酷く魅力的な笑顔を向けてみせる。
その笑顔は世に遍く悪を魅了し奮わせる、悪のカリスマ…

否、悪のアイドル!

ツバサ「日本のみなさん?好。我々はチャイニーズマフィア、アライズ団。今日はこのクスリ、『洗頭』のPRをしに来ました」


アタッシュケースの中には赤紫の液体。そう、洗脳薬『洗頭』だ。
効果効能の説明は…必要ない。

カメラに映し出されているのは、アライズ団の団員たちがポケモンたちへ続々と『洗頭』を注射していく光景。
ことりがイーブイを奪われたあの時のフラッシュバック。
赤紫の液体が注入され、ポケモンの体が一度、ビクンと跳ねる。
やがて力なく倒れていたポケモンが起き上がり、団員の指示で躊躇なく本来の主人を傷付けていく光景!

あまりに衝撃的かつ冒涜的なその光景を茶の間へと届け、引きの画で役者めいて、画面向こうへと手を差し伸べる。


ツバサ「戦闘中に相手のポケモンを奪える、これがどれほど画期的なことか。
ポケモンバトルは根底から変容する。6vs6は7vs5へ、8vs4へ、やがて12vs0へと形勢を変える。求めなさい?我々は与える!!!」

《ダイイチシティ警察署》


ダイヤ「なんですの…これは…」

にこ「っ…!ふざけた…真似を…!!」


署のロビー、捜査に協力しているダイヤはにこと共にいる。
ツバサの姿を見たと情報を得て捕まえてみれば見事に影武者。撹乱されたことに嫌な予感を感じながら待合ロビーで喉を潤していたところでこの中継だ。

絶叫、獣哮、断末魔。
ポケモンが他人の指示に従い、絆で結ばれたはずの主人を傷付けていく。
それは誰もが信じていた前提の崩れ去る、阿鼻叫喚の地獄!


「なんで映してんだよ!!中継切れ!早く!!」
「無理です!切ったら現地が!」
「角度変えろ!死体映ってる!死体!」

「現在情報の確認を急いでいます。オハラタワー付近にお住いの皆様はどうか慌てることなく、警察の指示を…」


騒然とするテレビ局。
中継に裏方の音声が入ってしまっていて、それが却って恐慌ぶりをありありと伝えている。

そんな中でも男性アナウンサーはプロ意識を発揮し、視聴者をパニックへ陥れまいと努めて声のトーンを抑えている。
それでも青ざめた顔色、血の気の引いた様子は隠せていない。

「これマジ…?」
「ツイッターも実況板も落ちてる…」
「やばいんじゃないの…」


ロビーでテレビを眺めている人々は唖然としていて、事の凄まじさに頭の回転が追いついていない。
にこはダイヤへ一声残し、ロビーの隅で慌てた様子で本部へと連絡を取っている。

ダイヤもまた思考が追いついていない。
理解が及ばないままに画面を見つめ続けていて、これはオハラタワー…鞠莉は…?

定まらない思考の中…
映し出された映像が、ダイヤに衝撃を走らせる。
画面の奥、見間違えるはずもない、よく目立つ赤髪のツインテール。
ダイヤが溺愛してやまない愛妹が、『アライズ団』の白服を着た二人組の少女に追われているのだ!


ダイヤ「ルビィ!!?」

間違いない!見間違いではない!見間違えるはずもない!!
ダイヤは叫び、弾かれたように立ち上がる。

すぐに助けに…
いや無茶だ、ここからヨッツメシティまではどんなに急いでも三時間。
焦燥にもう一度画面を見れば、ルビィは階段の方向へと逃げ込んで駆け上がっていく。
その隣には二人、ダイヤもよく知る花丸と善子の友達コンビが一緒にいる。

三人で協力すればあるいは…


ダイヤ「無理ですわ…!あの二人もルビィと同じ、まるで戦闘には興味のないタイプ…」


ならどうすれば!あの修羅場の中でむざむざ妹が殺されてしまうのを待てと!?

ああ、どうして一緒に行ってあげなかったのか…!!

パニックに泣きたくなるのを堪え、何か打開策はないかと考える。
電話をかけて戦闘のアドバイスを?
駄目だ、もし今首尾よく隠れられていたとして、着信音が敵に居所を知らせてしまうかもしれない。

何か、何か助けは…!


ダイヤ「あ…!穂乃果さん…!穂乃果さんもあの会場に!?」


ダイヤの目は中継カメラ、そのギリギリ見切れるかどうかの位置に、穂乃果の姿を認めたのだ。
それも逃げ惑う観客たちとは違い、手持ちのポケモンを繰り出して勇敢に戦っている。数人の団員を見事に蹴散らしている。
ジム戦で手合わせをして知っている。穂乃果は間違いなく才覚溢れるトレーナー!

一縷の望みに賭け、ダイヤは祈るように電話帳から穂乃果の番号を選択する。


ダイヤ「お願いします…どうか、どうか繋がって…!」




穂乃果「………うん……うん。大丈夫、迷惑なんて何一つないよ。心配しないで待ってて。ルビィちゃんは必ず助けるから!!」


断固と言い切り、電話をしまう。
通話相手は黒澤ダイヤ。姉の思い、微かな望みは繋がった。

安請け合いではない、ルビィ、花丸、善子は穂乃果の一つ下。
こう見えて存外に姉気質な穂乃果が、年下三人のピンチを聞いて黙っているはずもない!

今にも泣き崩れそうな声のダイヤを慰めた勢いのまま、力強く前を見る。
ルビィを助けるために越えなくてはならない障害は確とした悪意の形状、嘲笑として面前に立っている。


あんじゅ「くすくす…電話しながら指先でリザードへ指示だなんて。成長したものね?」

穂乃果「今、出す技は一つだから。コラッタもズバットもスピアーも集団、なら“はじけるほのお”を撃ち込む場所だけ教えてあげれば!」


リザードの技“はじけるほのお”は直撃後の拡散がその本領。周りへと盛大に火の粉を浴びせかけ、ダメージをばらまいてみせる。
普段の戦闘では示威程度のその拡散も、ルール無用でこれだけ展開してくるアライズ団が相手ならば効力はマシマシ、数匹に無視できない痛手を負わせて打ち払う。
その射出タイミングとポイントを、的確に指示してみせたのだ。

あんじゅ「素敵ねぇ…私のお人形さん?」

穂乃果「優木あんじゅ…」

あんじゅ「うん…?私、名乗ったかしら。ああ、あのちびっ子警察に聞いたのね」

穂乃果「ち、ちびっ子…」


国際警察のエリートであるにこをちびっ子呼ばわり、確かに童顔ではあるのだが。
それはともかくあんじゅはゆるふわり。人差し指を浮かべて穂乃果の口元を指し示す。


あんじゅ「この前は…チャンピオンに出張られたんじゃ、流石に分が悪くて諦めたけど。あなたのことは忘れてない。
毒の後遺症は残らなかったようだけれど…今度は口より、別の粘膜から擦り込んであげようかしらね?」


艶めかしく舌先を覗かせ、ちらりと唇を舐めずって捕食者の目。鉤のように曲げる指はどこか淫猥に。
そんな底冷えするような冷酷にも、穂乃果は動じず背を伸ばす。


穂乃果「前の私と一緒だと思わない方がいいよ」

あんじゅ「もちろん、成長しているんでしょうね。だけどまだまだ雛の域。フフフ…ここで摘んであげるわぁ」

穂乃果「リザード!」

『リザゥ!!!』


あんじゅの姿を鮮烈に刻まれているのは穂乃果だけではない、旅立ってすぐに痛手を負わされたリザードも同じ。
ヒトカゲだった頃の悔しい敗戦、ペンドラーに完封された記憶を脳裏によぎらせ、リベンジに燃えて吠える!

あんじゅの頭上には女王蜂、ビークインが羽音を鳴らしていて、そのさらに上をスピアーの群れが縦横無尽に舞い飛んでいる。
アライズ団の構成員たちはあんじゅが交戦の色を見せたところから介入を避けているが、いつ加勢してきてもおかしくない状況、油断も隙も、髪の毛一本分と許されはしない。


穂乃果(ルビィちゃんたちを助けに行くにはこの人を急いで、全力で倒すしかない。最大火力の“はじけるほのお”を連発して…急がないと)


内心に募る焦燥、ルビィたちはどれくらい持ちこたえられるだろう。
それに自分も…と、あんじゅはふいと斜めに視線を逸らす。


あんじゅ「けれど…私は気まぐれなの。だから提案。この場は見逃してあげても構わない」

穂乃果「……なんで?」

あんじゅ「あなたはその気になればいつでも狩れる。私はね、今じゃなきゃやれないことがあるの。どうする?ここで終わるか、お預けか…」

穂乃果は考える。
あんじゅを倒さなくては襲われている大勢の人たちを助けられない。
あんじゅと戦えばルビィたちを助けられないかもしれない。
もちろんみんな助けたい、だけどそれにはまだ、穂乃果の力は足りなくて…

三秒即断!


穂乃果「今は戦わない!」


そう言い放つや否や、別方向へと一目散。

「でしょうね」とあんじゅ。
先の戦いで一蹴こそしたが、穂乃果の判断力の高さは強く印象に残っている。
おおらかというか柔軟というか、逃げ恥を気にせずメリットを優先できるタイプだ。


穂乃果(正直言ってまだ勝てないよ!ここでやられて誰も助けられないよりよっぽどいい!)

あんじゅ「無鉄砲かと思えば冷静、天衣無縫って塩梅ねぇ。けれど…“ダブルニードル”」


無論、悪党。
見逃すという約定をあんじゅが守る必要はどこにもない。
去って行くその背へ、毒槍を投擲するかの如くスピアーをさし向ける!


穂乃果「“はじけるほのお”!!」

『グルゥ…ザァッ!!!』

あんじゅ「……しっかり振り向いて反応、スピアーを撃ち落とす。まるで私のこと信用してなかったのねぇ?傷付いちゃう」


一撃を決めて去って行く穂乃果、その背を喧騒の中に見失う。
構わない、今の追撃は単なるオマケ。あんじゅはすぐに思考を狩りへと傾ける。


あんじゅ「ふふっ、ナイトさんとはぐれちゃったのかしら?美味しそうな“お上りさん”は…♪」

あんじゅの目が捕捉したのは壁際の方向。
みかん色の髪の毛、ハーデリアへと指示を出して一生懸命にアライズ団員と戦う千歌の姿だ。

ハーデリアの特性“いかく”で電光石火の被弾ダメージを抑え、“とっしん”でどうにか数匹目のコラッタを仕留めて吐息。
巻き込まれていた幼い少女と母親をどうにか助けて逃し、ふらついたハーデリアを傷薬で丁寧にケアして褒める。

「よしよし、えらいよハーデリア~。まだ行ける?」
『ワウ!』

ポケモンと意思を確かめ合い、飛来するスピアーとの交戦に移行する。
良いトレーナーだ。良いトレーナー止まりだ。

その戦いぶりには穂乃果のような天性のものは感じられず、一生懸命に戦う凡人のそれでしかない。
まるで脆弱というわけでもないが、あんじゅから見れば哀れな獲物。

つい先日見かけた時も、あの少女が欲しくてたまらなかった。
着飾りメイクして楽しむ人形としては、磨けば光る原石といった雰囲気の千歌は最上の素体なのだ。

騒動の中にはぐれたのだろう、厄介そうな灰髪の友人の姿は近くに見当たらない。
あの灰髪と関わり合いになるのを嫌い諦めたが…今なら狩れる!


あんじゅ「ねえ、私と遊んでくれないかしら?昂っちゃって、体が疼いてたまらないの…!」

千歌「ううっ、新しい敵だぁ…がんばろ!ハーデリア!」

『ワフッ!!』


交戦…否、狩猟へ。
曜はまだ、それに気付けていない。




海未「くっ、人垣が割れない…!人々が完全に恐慌に陥っている。今は梨子や真姫の戦力を計算に入れるのは不可能ですね」


自分だけでも助かろうと梨子やジムリーダーたちに群がる人々、その姿は前に穂乃果から見せられたゾンビ映画めいている。
ちぎっては投げちぎっては投げで真姫と梨子を助け出そうかと本気で迷ったが、海未へも敵のポケモンは向かってきている。その暇はなさそうだ。

ゲコガシラに煙幕を張らせて撹乱、電光石火の敵撃を回避し、コラッタへと水弾をぶつけ、ズバットを叩き落とし、空をクルクルと舞ってスピアーも打ち落とす!

そしてポケモンに戦わせるだけではない。
身を沈めて敵トレーナーへと迫り、「ふ…ッ!!」と発声から一本背負い!
受け身を取らせず叩き落として昏倒させると、襲いかかってきた次の団員へは手刀を喉元に叩き込む。

奥、一人の敵が懐へと手を差し入れている。
何かしらの武器を取り出そうとしている。

「ぎゃっ!?」

ので、放つ指弾!
服の取り出しやすい位置に専用のポケットを縫いつけ、そこにパチンコ玉を詰めている。
まさか銃を持ち歩くというわけにはいかないが、これならそれなりに携行性のある飛び道具になる。
怯ませ、すかさず寄っては足払い、からの足刀で昏倒へ!


海未「よし、やれますね」


海未もまた英玲奈との交戦、敗北に自身の道を見つめ直し、心技体を改めて鍛え直している。
並みの大人は一蹴、多少鍛えている程度では相手にならない体術のキレ!

ゲコガシラが五匹目を仕留めたところで一波が途切れ、海未はその頭をさっと撫でる。


海未「上々です、ゲコガシラ。他に戦力になるのは…そうだ、曜は?」


見回し、曜の姿はすぐに見つかった。
それほど離れていない位置、うみイタチポケモンのフローゼルを横に立たせてキョロキョロと周囲に視線を巡らせている。

寄ってくる敵の“でんこうせっか”への回答はさらに凌駕する速度での“アクアジェット”。
飛沫を舞わせての瞬撃で敵ポケモンを迅速に蹴散らしていく。


海未(曜なら頼れそうです!うまく連携して…)


そう考えて駆け寄る。
が、海未は彼女の様子がおかしいことへとすぐに気付いた。
何か明確な意思を持って戦っているわけではなく、寄ってくるポケモンを倒しているだけ。
目を泳がせて動揺も露わ、あれでは危険だ!

海未「曜、曜!どうしたのです!まさか、どこか怪我でも!?」

曜「千歌ちゃん…!千歌ちゃんっ…!」

海未「ち、千歌ですか…?」


曜はひたすらに親友の名を呼んでいる。
視界を巡らせ、千歌の姿を見失ってしまったことに激しい狼狽を隠せずにいる。
駆け寄ってきた海未にも気付けているのか定かではなく、海未は仕方なしに片手を引き…ビンタを一発!


海未「すみません!せえいっ!!」

曜「い、痛っ!!?」

海未「曜、どうしたのです!落ち着いてください、やられてしまいますよ!」

曜「ご、ごめん…千歌ちゃんがいないんだ、探しても見つからなくて…!私が守らないといけないのに!!」

海未「友達を心配する気持ちはわかりますが…」


助けないととうわごとのように繰り返している。だが海未はその姿に違和感を覚える。
千歌を呼ぶ曜の声は慟哭めいていて、自分もまた助けを求めてるような、そんな印象が。


海未「とにかく落ち着きましょう!深呼吸を、長く息を吸って………吐いて」

曜「すう………はぁ………っ、ごめん、取り乱して…」

海未「千歌の電話には掛けてみましたか?この喧騒ですし、繋がるかはわかりませんが…」

曜「電話は……そうだ、私は千歌ちゃんを探せるんだった。ごめん、海未ちゃん。私行かなきゃ」

海未「……心配ですが…わかりました、気を付けてくださいね」

曜「うん、海未ちゃんも」


一応の平静を取り戻した曜は、まっすぐに走っていく。
どうやって千歌を探すのつもりかまるで見当も付かないが、判断力は戻っていたように見えた。


海未(しかし、あの明るく朗らかな曜が、あれほどに取り乱すとは…)


彼女のアンバランスな、ひどく危うい部分を目の当たりに、海未は自分の心も乱されているのを自覚する。
幼馴染、穂乃果は大丈夫だろうか…?


海未(そうです、私も穂乃果を探しに…
……いえ、穂乃果なら。私が助けなくとも乗り切ってくれるはずです!)

久々に再会した親友の眼差しは頼もしく輝きを増していた。
穂乃果なら大丈夫、すぐにそう思い直すことができた。
では今は何をすべきだろうか。海未は思考をまとめ直す。

年下、連れているポケモンが弱い花丸たちも探してあげたいのだが、とにかく混乱の渦の中。
寄る敵を一蹴しながら視線を巡らせる。
…と、海未の目は一人、見覚えがある顔を見つけ出した。

直接見たわけではないが、にこに手配写真を見せられて知ったその顔は…


海未「綺羅ツバサ…!」


陣頭指揮を取り警備を蹴散らし、テレビカメラへ派手に自己を顕示してみせた姿から一転、騒ぎの中を忍ぶようにどこかへと足を向けている。
気配の消し方も達人の域。
人々の目に留まることなく間を抜けていっていて、海未が見つけられたのはほんの偶然に過ぎない。
そしてツバサは鍵を壊し、何処かへと続く扉へするりと姿を消した。

その時、激しい銃声!!
ホールの奥でSPたちが発砲、警護するポケモンたちが咆哮している。

海未が見留めたのは統堂英玲奈の姿。
先日のキリキザンに加えてエアームドを展開していて、鋼の体で英玲奈を銃撃から守りながらSPたちを容赦なく殺め、歩みを緩めることなく正面突破していく。

英玲奈「キリキザン、“つじぎり”。エアームドは“はがねのつばさ”だ」

「うわあああっ!!?」


鋼刃がポケモンと人間を撫で斬りに、続々と薙ぎ倒していく。
遠目に見る眼光は温度のない殺意を宿していて、海未はその目的をすぐに理解する。


海未(きっと小原鞠莉が危ない。細かな事情はまるでわかりませんが、彼女に殺されなければならないような咎はないはず…)


その時、突然の停電!!!

ホール全体が暗闇に包まれ、上がる絶叫がますます混迷を加速させる。
この停電には何の意図があるのだろうか?
ともかく、一刻も早く選択をしなくてはならない。


海未(っ、事態は刻一刻と進行していく…猶予はありませんね。綺羅ツバサを追うか、統堂英玲奈を止めるかを選ばなくては…)


数秒考え…

海未は綺羅ツバサが姿を消した扉の方向へと足を向ける。
暗闇の中でも方向感覚を失わず、ある程度自由に歩けるのは園田流の鍛錬の成果だ。


海未(小原鞠莉は…あれだけSPがいるのです。きっと大丈夫、そう思いましょう。私はイーブイを…ことりを助けたい!!)


海未の選択は真摯な思い。
しかし、海未は英玲奈を相手にSPの警護など意味を成さないことを知っている。
その事実を直視こそしていないが…海未は、一人の人間を見捨てたのだ。

キィ、と音。
扉を引き開け、海未は待ち受ける暗闇へと姿を消した。




善子「いやああああ!!!」
花丸「嫌ずらああああ!!!」
ルビィ「ピギャああああ!!!」


同い年、友人トリオは社屋の廊下をバタバタと走っていく。
追っ手は二人、一応の人数では有利。
だが花丸とルビィはそれぞれツボツボとピッピを抱えて走っていて、とても反撃に転じられる様子ではない。


善子「抱えて走ったら遅いじゃない!」

花丸「だからって置いてけるわけないずらぁ!」

ルビィ「うゅ…!近くまで来てるよぉ!」

善子「うううっ…ヤミカラス!一瞬ストォ~ップ!」


善子のヤミカラスだけは飛べる分だけ機動性に長ける。
バサバサと羽ばたき、抜けた一枚の黒羽が善子の頭の団子へぷすりと刺さる。反撃を!


善子「追ってこないでよぉ!“あやしいひかり”ぃ!!」

『カァァ~…ッ!』


茫洋と、捉えどころのない紫の発光が追っ手へと迫る。
善子のヤミカラスはジムリーダーを務めている母のエースであるドンカラスの子供。
戦闘経験は少ないが、ただの野生とは異なり少しばかりの有用な技を覚えている。

怪光が相手のポケモンを包めば混乱させられる。追っ手の歩みを阻むことができる…が、敵は動じない。


聖良「理亞」

理亞「レントラー、“スパーク”!」

猛烈な電光が迸り、ヤミカラスが放った光をかき消した。
そしてそのまま猛進、壁床を削りながら突撃してくるではないか!


善子「全然ダメじゃないのよぉぉぉ!!?こっち来なさいヤミカラス!」

『クァ…』


しゅんとしたヤミカラスを抱きかかえ、三人は廊下の角を駆け曲がる。
直後、背後の壁を破壊するレントラーの突撃!

二人の追っ手は明らかに戦闘慣れしていて、必死に逃げ回るルビィたちへの距離を着々と詰めてくる。
今の一撃こそ辛うじて回避できたが、これでもう相手の攻撃の完全な射程圏!

花丸は逃げ込める部屋がないか見回し、いくつかある扉に付けられた機械をピシリと指差す。


花丸「ルビィちゃん!そこに呼び鈴が!鳴らして中の人に入れてもらえば…!」

ルビィ「マルちゃん…それはチャイムじゃなくてナンバーキーだよぉ…」

花丸「なんば…?ははあ、未来ずらね…」

善子「言ってる場合じゃないでしょ!」


足音。
ついに追っ手の二人組が三メートルほどの位置へと近接し、カツリ、カツリ。とその歩みを止めた。

目鼻立ちが良く似通った、おそらくは姉妹。
品の良い顔立ちをした姉と気の強そうな瞳の妹は交互に口を開く。


聖良「さて、そろそろ諦めてもらえませんか?」

理亞「追いかけるのももう飽きた」

聖良「何も殺そうというわけではないんですよ、この薬を飲んでもらえないか、というだけで」

ルビィ「お、お薬…?黒っぽくて、ドロっとしてて…」

花丸「美味しそう…ではないかなぁ」

善子「あからさまに毒じゃないの~!!」

理亞「わめかないで」

聖良「毒、それは否定しません。けれど死にはしない。これはペンドラーの神経毒を抽出した物ですが、致死量には満たない量」

ルビィ「の、飲んだら…?」

聖良「脳に痺れが残って全身不随。だけど心配には及びません。きっと可愛がってもらえますよ?」

ルビィ「ひぇ…!お、おねえちゃ…!」

善子「あっ、頭おかしいんじゃないの…!」

鹿角聖良と理亞。

淡々と職務を遂行する二人はアライズ団の実働部隊の精鋭だ。
英玲奈に鍛えられた実力は折り紙つきで、どんな冷酷な指令も一切の疑問を持たずにこなしてみせる。

今回はあんじゅの指示で動いていて、下された命令は眼前の少女たち、善子、花丸、ルビィの三人に毒を飲ませての誘拐。
大きな意味はなく、あんじゅの趣味嗜好を満たすための命令であることは明らか。
しかし二人がそれに疑問を唱えることはないし、手を抜くことも一切ない。


聖良(いつもは英玲奈さんに目を掛けてもらっているけれど、今回はあんじゅさんからの指示。完璧にこなしてみせて、今よりもっとお二人からの覚えを良くしたい)

理亞「早く飲んで」

聖良(私たちは三幹部の皆さんを心から尊敬している。だからこそ手柄を挙げて、早くあの方たちに肩を並べたい)


聖良の傍らには単ゴーストタイプ、怪人めいた姿のヨノワールが睨みを利かせている。
理亞のレントラーがアタッカーの役割を果たすことで、姉妹の連携は磐石だ。

ピッピとツボツボとヤミカラス、いかにも雑魚然とした並びの三匹では抵抗できるはずもなく…


ルビィ「……ぅう…!」

理亞「その目は何」

花丸「ルビィちゃん駄目ずら!こっちに…!」

善子「る、ルビィ、怪我するわよ。弱っちいんだからヨハネの後ろに…!」

ルビィ「……ううん、ルビィが…」

理亞「……」

ルビィ「二人を守る!ピッピ、おねがいっ!」

『ピッピッ!』


声は震えて足も震わせ、それでもルビィは前に出た。
ピィから育てたピッピを伴い、言うなればプロの犯罪者である鹿角姉妹を強く見据える。

花丸と善子は親がジムリーダーだ。
そんな二人とルビィの違いは、模範とすべき先達がたった二つ上の姉だということ。

敬愛してやまない大好きなお姉ちゃんは二歳上なだけ。
ルビィだって頑張れる!頑張ってみせる!


ルビィ「ピッピ!“ゆびをふる”!」

理亞「あっ!」

チッチッチ、まるっとしたフォルムのピッピの十八番、“ゆびをふる”。
それはありとあらゆる技からランダムに一種の何かを繰り出す秘技であり、運が良ければ大物食いを成すかもしれない技!


善子「おおお!!」

花丸「その手があったずらぁ!!」

理亞「チィッ…!」


理亞は慌てて飛び下がり、聖良は冷静に状況を見つめ…
善子が口を半開き、花丸はぐっと体に力を込めて見つめていて…

ルビィは首を傾げる。


ルビィ「あれ…ピッピ?」

『ピッピ!」

ルビィ「もう技、出したの?」

花丸「あ、ピッピ…心なしか縮んでるような」

理亞「……“ちいさくなる”?」

善子「も、もっといい技引きなさいよぉぉぉぉ!!!!」

ルビィ「ううぅ…!?」

聖良「ヨノワール、“ほのおのパンチ”」


聖良が冷静に下す指示、火炎をまとったヨノワールの拳が壁に穴を穿つ。
ピッピは辛うじてそれを避けた、しかしレントラーが続けて迫る!


花丸「つ、ツボツボ!ピッピを庇ってあげて!」

善子「ヤミカラス!“フェザーダンス”ぅ!」

ルビィ「ぴ、ピッピぃ…“リフレクター”!」


物理を和らげる防壁が形成され、攻撃の勢いを削ぐ黒羽が舞い、ツボツボの頑強な殻がレントラーの牙を受ける。
戦闘用に育ててこそいないが、なんだかんだと実力者の家族。
技マシンやらなにやらで補強され、レベルの割に芸達者なポケモンたちなのだ。

そんな三人組の遅々とした遅延戦術に、理亞は苛立ちを隠せずに舌を打つ。


理亞「姉さま、この子たち…なまらイラつく…!」

聖良「落ち着いて理亞。シンオウ弁が出てるわ」

理亞「…ッ?!……こいつら、泣かす…!」

ルビィ「る、ルビィたちは何もしてないのに…!」

土壇場の意地、ポケモンたちの秘めた意外性で凌ぎ、凌ぎ…
それでも実力の差は隠せない。

絶え間ない攻撃の嵐に、三人のポケモンは徐々に疲弊していく。
とりわけ盾役のツボツボは疲弊が激しく、それを見守る花丸は痛みを共有しているかのように苦しげ。


花丸「ごめんねツボツボ…もう少しだけがんばって…!」

『ツボっ…!』


心優しい花丸にとって、仲良しのツボツボが波状攻撃を受けている姿は心を抉られるように辛い光景だ。

ピッピとヤミカラスもアシスト、合間に攻撃を繰り出していくが焼け石に水。
鍛え上げられた鹿角姉妹のポケモンにはそれほどの効果を発揮しない。

やがて姉の聖良がすらりと手を掲げ…


聖良「ヨノワール、“じしん”」

『ノ…ワールッ!!!』

『つぼぉ……!』

花丸「ああっ!ツボツボ!」


ついにツボツボが気絶し、花丸はポロポロと涙を零しながら頑張ってくれた友達を抱きしめる。
絶対絶命の危機…背後から声が響き渡る。


穂乃果「みんな、待たせてごめん。助けに来たよ!!」

ルビィ「ほ、ほっ…!穂乃果さぁぁん!!!」

聖良「なるほど、助けが来ましたか。けれど…ヨノワール、“ほのおのパンチ”」

『ヨ……ノッッ!!!』


聖良の冷静な指示。
死神に近い性質を持つヨノワールは浮遊し、炎を纏った拳で天井を強かに殴りつける。

強い火勢に防火装置が作動し、凄まじい重量と堅固を誇る防火シャッターが降りる。
そして穂乃果と五人の間を遮った!


穂乃果「っ、しまった!!でもこんな壁ぐらい…!」


穂乃果はリザード、加えてバタフリーとリングマを繰り出して一斉に指示を出す。


穂乃果「弾ける炎!サイケ光線!それにきりさくだよっ!!」

『リ…ザアッ!!』『フリィィィ!!』『ングマァァ!!』


攻撃が殺到!
しかし、防壁に傷は付けど破れない。
ポケモンに関わりの深い企業の耐火、防犯装置だ。生半可なポケモンの攻撃で破れるようにはできていない!


穂乃果「っ…!」


歯噛みをする穂乃果、焦燥が募る。
どうすれば…もう目の前なのに!

…と、その時、傍らの部屋から呼び声が。


「トレーナーさん、こちらへ!」

穂乃果(…?いや、迷ってる暇はないよ!)


穂乃果はその部屋へと駆け込む!

穂乃果「うわ、まっくら!」


声に招かれるまま一室へ飛び込み、穂乃果はまずその暗さに小さく驚く。
三人を追っている途中で停電したが、社屋廊下はすぐに予備電源に切り替わり、足元から薄ぼんやりと照らされていたので気にしていなかった。
しかし飛び込んだ部屋はすっかり暗闇に包まれていて、雑然としたコード類に足を取られて蹴躓きそうになる。


穂乃果「ごちゃごちゃしてるなぁ…うちだったらお母さんと雪穂と、それから海未ちゃんにまで叱られるよ、こんなの」

「君!こっち、こっちへ!」

穂乃果「あ、さっきの声の人!」


呼ばれ、部屋の奥に光があることに気付く。それは何やらひっそりと稼働している機械類の光で、そこには手招きする男女が数人。一様に白衣を羽織っている。
どうやら敵や罠といった雰囲気ではない。穂乃果は彼らの方へと駆け寄っていく。

穂乃果「お姉さんたちは?」

「私たちは研究部門の社員よ。恥ずかしいけど戦う手段もないから、怖くて隠れてたの」

「知識はあっても戦うのはまるっきりでね…」

「モニタで見てたけど君、強いな!」

穂乃果「社員さん!お願いっ、あの防火扉を開けてください!早く行ってあげなくちゃ…!」


息巻いた様子の穂乃果にぐいっと迫られ、管理職らしい年嵩の女性は思わず仰け反る。
しかし、隣にいる男性社員が首を左右にそれを否む。


「いや、ここから開けることはできないんだ。全体の電気が停電してるから…」

穂乃果「そ、そんな!?」

「あ、違うの。開ける手段ならあるわ。これを!」


そう言って手渡されたのは一つのボール。
空ではなく、中には何かのポケモンが入っている。
穂乃果は怪訝に小首を傾げ、社員たちへと問いかける。

穂乃果「このボール…ポケモンですか?」

「そう、このチームで研究していた子。化石から蘇らせたのよ。けど、私たちじゃ使いこなしてあげられなくて」

「君、勇敢なトレーナーみたいだからさ。個体値バツグンのこいつなら防火扉もブチ破れる。連れて行ってやってくれないか!」


もちろん断る理由はどこにもない、穂乃果はぎゅっとボールを握りしめる。
手のひらの温かさと想いが中に伝わるように、そんなイメージで。


穂乃果「ちょっと変わった出会い方だけど…よろしくね!」


力強さと愛情を兼ね備えたその姿はどこか眩い。
ポケモンと深く関わるオハラの社員、その多くはかつてトレーナーを目指していた者たちだ。
遠く記憶に思いを馳せて、自然と浮かぶ笑みは憧憬の残滓。

社員たちは頷きあう。この少女に今、できる限りの全てを授けよう!


「君のリザード、技構成は?」

穂乃果「えっと、“はじけるほのお”と“ほのおのキバ”と、“えんまく”と“りゅうのいかり”です」

「それなら、この技マシンを使ってみたらどうだろう!図鑑を貸してくれないか」

穂乃果「これ…うわ、いいの!?」


社員の男性は穂乃果が手渡した図鑑と機械を接続し、技マシンのディスクを読み込ませて図鑑へと手早くデータを落とし込む。
そして図鑑をリザードへと向けることで新しい技の知識を学習させる!

穂乃果にとっては初めて使う技マシン。
もちろん存在は知っていたが、その高価さに使う機会に恵まれなかった。
一連の作業をワクワクと見つめる穂乃果の肩をちょいとつつき、女性社員が一枚の板を手渡した。


「それと、これを」

穂乃果「これ…カードですか?」

「ええ、このフロアにある屋内ビオトープのカードキーよ。もし可能ならそこを目指してみて。ほんの少しだけど、サポートしてあげられるから」

穂乃果「うんっ、わかりました!」


頑張れと口々の応援を背に受け、穂乃果は部屋を飛び出していく。

ルビィたちと穂乃果を隔てる扉へ、振りかぶって投じるボールは新たな仲間。
それは太古の竜!頑強な顎を持つ暴君の幼体!


穂乃果「行けっ!チゴラス!!」


恐竜の大顎が唸り、厚い鉄板へ猛然と喰らいつく!!




千歌「はあ…はあっ…!ごめんねハーデリア、お疲れさま…」

あんじゅ「うふふ…まずは一匹♪」


乱戦の中に目を付けられ、緩々とあしらわれながら誘導され。
千歌が気付けば戦場はホールから離れ、社屋の奥まった位置、人気のない薄暗い廊下へと到達していた。

スピアーの針に倒れてしまったハーデリアをボールへと収め、じりじりと退がりながら距離を取る。


千歌(この女の人、会場に乗り込んできた時に目立ってたなぁ。たぶんきっと…幹部の人!)

あんじゅ「ほらほら、早く次を出さなきゃ“食べちゃう”わよ?うっふふ…」

千歌(な、なんかこの人やばいよ…!)


早くもなく遅くもなく、あんじゅは淡々と一定の速度で千歌を追いかけてくる。
その顔には艶めいた笑みがべったりと張り付いていて、足運び、指の動き、髪をかきあげる仕草、その全てが千歌を怯えさせることを主眼としている。

かと言って、隙はまるで見出せない。
彼女の斜め上にはビークインの薄羽がわんわんと不吉に鳴いていて、それを中心点として乱れ飛ぶスピアーの数は三体。


千歌(あのスピアーたち、野生だから一匹一匹はそこまで強くない…だけど数が多すぎだよ~!倒しても倒しても飛んでくる!)

あんじゅ「来ないの?ならこっちから…ビークイン、“こうげきしれい”」

千歌「また来る!お願いっ、エテボース!」

『エテッ!』

千歌「“こうそくいどう”でスピードアップだぁ!」


現れたのは手のように発達した二本の尾を持つ猿、おながポケモンのエテボース。
旅路で捕まえて辛苦を共にしたエイパムを進化させたばかり、現段階での千歌のエースだ。
『キキキ』と千歌の指示を仰ぎ、尾を束ねてバネのように。
床に体を沈め………バネの反動で床から壁へ、天井へ!縦横無尽の高速移動!!

千歌「エテボース!そのままダブルアタック!」

『ウキキャッ!!』

あんじゅ「立体軌道で翻弄、スピアーを叩き落とす。一撃の威力を見るに、特性は“テクニシャン”かしら?思ったよりはやるものねぇ」

千歌「“いやなおと”で脅かして、“スピードスター”だぁ!」


異音による牽制、星型のエネルギーをショットガンめいて射出!
芸達者なエテボースは千歌の指示をきっちりと再現し、さらに二匹のスピアーを打ち払ってビークインへと迫る。


『キキィッ!』

千歌(さっきの“いやなおと”でビークインは苛立ってるよ。それは防御がゆるくなってるってことで、今なら…!)

千歌「エテボース!もう一回“ダブルアタック”で行っちゃえ!」

『エェ…テェッ!!!』

あんじゅ「それは受けたくないわねぇ。ビークイン、“ぼうぎょしれい”」


間近へと迫ったエテボースの突撃、猿の身軽さを活かして空中に身を捻り、二本の尾を平手打ちの要領で叩きつけるダブルアタックでビークインを狙っていく!
だがあんじゅはまるで動じた様子もなく指示を。と、新たな兵隊蜂が飛来して女王を守る盾となる。
二匹のスピアーを落とし、しかしビークインは無傷。


千歌「ああっ、またスピアーが飛んできたぁ!」

あんじゅ「“シザークロス”」

千歌「へっ…?」


渾身の二撃を放ったエテボースの高速移動は一旦留まり、すとんと床に足を付ける。
直後、人間の子供ほどの大きさ、エテボースの体が空を舞う。
そして薄暗く無機質な廊下の壁へ、痛烈に叩きつけられた!

エテボースの紫の毛並み、その下には血が滲んでいて、千歌を守るべく懸命に立ち上がろうとするも力なく崩れ落ちる。
状況を理解できない千歌はエテボースへと駆け寄り、抱きしめてボールに収めたところでようやく敵影を認識する。

エテボースを仕留めたのは頑強な対のツメ、岩鎧に包まれた体躯を誇るいわ・むしタイプポケモンのアーマルド!
ビークインは変わらずあんじゅの傍らに羽音を舞わせていて、千歌の口から思わず声が漏れる。

千歌「い、一度に二匹で?!ひどいよ…!」

あんじゅ「ああっ…それ。そのリアクションが欲しかったの」

千歌「へ…?なんのこと…」

あんじゅ「ふふっ…私が攻撃したら「ひどい」と感じてほしいし、「なんで私がこんな目に」と混乱してほしいし、泣いて命乞いをしてほしい!」


手入れの行き届いたライトブラウンの長髪を歓喜に震わせ、あんじゅの害意はいよいよ隆盛の気配を滾らせる。

(いきなり切った張ったに対応してくるオトノキの連中ってやっぱり変よね?)

そう内心に悪態を吐きながら、お楽しみはまだまだ。
いたぶって嗜虐心を満たすべく千歌に次の間を与える。


あんじゅ「お次は?可愛いお上りさん」

千歌「だ、だったら私も一気にっ…!オオタチとベロリンガ!出といでー!」


ボ、ボンと弾けるボール。
同時に現れたのは千歌の残り二匹、小動物的な愛らしさのオオタチと、舌を自在に武器として戦うベロリンガ!
目には目を、数には数を。千歌はきりりと視線を強く!

しかしそれはあんじゅの想定内。
悠々と笑み、千歌の様子を楽しむように眺めている。


あんじゅ「そうそう、俄かに真似るその感じ…」

千歌「えっと、ベロリンガはたたきつけ…あ、ちがう!オオタチから“てだすけ”をしてからその後に…」

あんじゅ「はぁっ…たまらない♪」


千歌は慣れない乱戦にあたふたと。
ここまで歩んできた旅路はあくまで平穏、千歌は変則的な戦闘を経験していない。

場に出されたばかりのオオタチとベロリンガは状況を理解できておらず、悪意めいた無数の虫ポケモンたちを前にびっくりとしながら千歌の指示を待っている。

そんな二匹をビークインが駆るスピアーが突き、アーマルドの岩爪がかち上げる。
「ああっ…!」と声を上げかけた千歌、その首へと絡みつくしなやかな五指…

あんじゅの指が千歌の首を締め上げている。

あんじゅ「遅い。明確じゃない。対象を指定していない。それじゃあポケモンには伝わらないし、何より私が待ちくたびれちゃうわ?」

千歌「か、は……っ!」


まるで万力、気管支が圧搾されて血流が滞る。
引き剥がそうと手を掛けるが、千歌の細腕でどんなに力を込めてもビクともしない。
恐怖にあがく千歌、その瞳を覗き込んでくるあんじゅの瞳は狂喜を爛々と映している。


あんじゅ「ツバサや英玲奈みたいに格闘技だとか射撃だとか、そういうのは面倒だけど…力は鍛えているのよ?それなりに」

千歌(こ、わい…!怖いよ…怖いっ!)

あんじゅ「あっ…はあぁ…その顔、我慢できない。いいわよねぇ、今少しくらい楽しんだって…!」

千歌「あっ…!!」


あんじゅは無造作に千歌を壁へと投げ飛ばす。
後頭部を打ちつけて流血、ふらつきながら、千歌は逃れようと四つ這い…その首筋をあんじゅの手が鉤爪めいて掴み上げる。

ロックの施された扉をアーマルドの一撃でこじ開け、仮眠室と書かれた部屋へと千歌は勢いよく投げ込まれる。
痛みに体を庇う間もなく、歩み寄ったあんじゅは千歌を簡易ベッドの上へと叩きつけた。

千歌「やめ…て…んむっ…!…ぅ!?」


熱い何かが口内で蛇のようにのたうっている。
絡め、吸い上げ、まるで千歌の舌を抜き取ろうとしているかのような。
首を圧され、もう片手で荒々しく体をまさぐられ、未体験の感覚、言うことを聞かない自分の体。
千歌の脳内には疑問符と恐怖が吹き荒れている。
長い長い沈黙、衣摺れ………
ぷは、と息継ぎの二秒。

無力の涙を目に浮かべ、千歌の口から漏れた声は…


千歌「梨子ちゃん…たすけて…」


他意はない。
今来てくれる可能性のある千歌の友達、その中で一番の実力者である莉子の名を呼んだだけだ。
それを耳に、あんじゅの口元は三日月の歪笑。
それすらも愉悦だとばかりに身をよじらせ、思い切り千歌の頬を殴りつけた。

あんじゅ「最中に他の女の名前を呼ぶなんて、随分と無作法ねぇ?たっぷりと躾をしてあげなくちゃ。ふふ…」

千歌「嫌、やだぁ…!べ、う、ぇ…!」


あんじゅの片手には注射器。
指の第一関節ほどの量の黒い液体が入っていて、長い指がぬるりと千歌の舌をつまみあげる。
そして注射針が舌先に触れ…


あんじゅ「……ビークイン、“ぼうぎょしれい”」


弾ける光!!
飛来した光弾は数匹のスピアーを弾き飛ばし、ビークインへもダメージを与えてその飛翔を揺らがせる。

扉を守らせていたアーマルドは既に倒されていて、青く可視化した強烈な波動を放つポケモンがそこに立っている。
傍らに立つのは見覚えのある灰髪、灼火の怨讐に曇る瞳…


千歌「よう、ちゃん…」

曜「………千歌ちゃん」

あんじゅ「来ちゃったのねぇ…灰髪さん。あぁ、いいところだったのに…とっても面倒」


揺らめいて見えるのはルカリオの波動か、あるいは少女の怒気だろうか。
ぐちゃぐちゃに乱された千歌の衣服を、首筋のアザを、唾液と涙に乱れた顔を視認。

指先を掲げ、あんじゅを指し示す。


曜「………お前は、潰す…!!!」




「撃て!撃てっ!」
「これ以上近付けさせるな!」


オハラタワー地下、長延と広がる複雑な通路を抜けた先には極秘の研究棟が存在している。
とある一定のポイントを過ぎた辺りから警備が堅牢に。数々の監視カメラや多重に備えられた検問ゲート、強固な電磁バリアなどがその深奥に眠る何かの重要性を物語っている。

この区画に立ち入ることが許されるのは専用のカードキーを所持し、指紋と網膜を認証登録した研究員たち。加えて、この場所の秘密を知るごく一部の役員たちだけだ。
それ以外の人間が立ち入るには役員クラスの人間から通行許可を得る必要があり、まさにトップシークレットと呼ぶべき厳重な警備体制。

だが今、そんな場所に無数の銃声と怒号が飛び交っている。
警備員たちは上階よりも重武装、もはや軍隊とでも呼ぶべき姿で銃を構えていて、さらには強者然としたポケモンたちが侵入者を迎撃すべく力を漲らせている。


ツバサ「ふぅん、ここのガードは流石になかなかね。ブーバーンの火炎放射にエレキブルの10万ボルト、それに警備員の銃撃がオマケ。
まともに来られたら黒焦げだけど…コジョンド、“がんせきふうじ”」

『キョォッ!』


侵入者、綺羅ツバサは動じない。

指示に応じてコジョンドは床を踏み抜き、鍛え上げられたその力で硬質な床はコンクリート塊となってめくれ上る。
さながら畳返しのように岩壁、炎と雷、さらに銃弾からツバサを守る盾へと変えてみせる。
種族値で上回るブーバーンとエレキブルの攻撃をコジョンドで易々防いでみせて泰然。
綺羅ツバサの強さは自身の育成力、判断力、着想力。決して使うポケモンの種族値に縛られない。


「バカな!」
「あんな技の使い方が…?」
「手を止めるな!撃ち続け…」

ツバサ「ガブリアス、“ストーンエッジ”」


破砕。
竜腕が殴りつけた岩壁は刃へと姿を変え、人もポケモンも薙ぎ倒して前進。
無論、そんなツバサが種族値の怪物とでも呼ぶべき600族の雄、ガブリアスを使えば生まれるのは圧倒の蹂躙。

許可なく通れば通電に昏倒させられるゲートへと差し掛かり…しかし、作動せず。
ツバサは表情一つ変える事なく数ヶ所目の検問を突破した。

「ポイントHを突破されただと…!ふざけるな!!」


ポイントK、秘匿された研究室前の最後の検問所で重役の一人が顔を赤らめ唾を飛ばし、頭の血管がブチ切れるのではないかとばかりに怒気を高めている。
迫るテロリストに呼吸を乱し、手を震わせている警備員、そのメットを拳で殴りつけ、重役の男は耳をつんざく大声で警備員たちを罵る。


「情けない情けない情けない…!ここを抜かれたらどうなるか理解しているのか!?死ぬ気で戦え!!玉砕だ!!死んでこいゴミ共!!!」

ツバサ「宗教国家でもない日本で“死ぬ気”なんて無理無理。私だって死ぬのは怖いし」

「は……!?」


重役の背後に綺羅ツバサが立っている。

もうこんな場所まで?
一体どうやってゲートを突破して?
こんな小柄な女がマフィアの?
なんで私の肩に手を掛けている…?

コジョンドの手が鞭めいて振るわれ、警備員たちの構える銃身は払い落され、あるいはぐにゃりとへし曲げられている。
見下すガブリアスの眼光、あまりの恐怖に戦意を失った警備員たちは床に腰を落としていて、重役を守ってくれる人間は誰もいない。

ツバサは彼の背をトン、と押し…


ツバサ「じゃ、死ぬ気で逃げてみて?」

「ひっ…ひああああっ!!!!」


その背へパ、パ、パンと三点射。拾った銃で殺して前へ。
警備員たちはコジョンドの殴打で昏倒させ、最後のゲートを抜けたところで一人の男が現れた。

「全て手筈通り、ですね」

ツバサ「ゲートの解除、謝謝。ご依頼の通りに小原鞠莉はもうじき死ぬわ」

「いえいえ、貴女方の腕前を疑ってはいませんよ」

ツバサ「これで小原鞠莉が死ねば、役員の中で最も強い発言力を持つアナタが次期社長。悪い人ね?」

「ハハ、貴女に言われたくはない。私が社長になった暁には申し出の通り、『洗頭』の流通販売は当社で請け負わせていただきますよ」


そう言い、白髪の男性は狡猾に笑む。
ツバサのゲート突破を手引きしたのは会社の上役、実質的なNo.2であるこの男であり、この騒動を裏で手引きした人間だ。

彼は悪笑一つ、「こちらへ」とツバサを一室の前へ導いていく。
辿り着いた目的地、秘匿された研究室へと重役の男はカードキーを滑らせ、指紋を置き、網膜認証の最終ロックを解除する。

研究室の中は低温に保たれていて、扉が開くと同時に冷気が白くふわりと漏れ出す。
役員の男はツバサへと振り向き、ニタリと笑って気取った一礼を。


「これがもう一つの謝礼、我らオハラの研究の真髄…」

ツバサ「そ、ご苦労様」


銃声、ツバサは短銃で役員の胸元を撃ち抜いた。
仕立ての良いスーツを血に染め、彼はまるで理解できないとツバサの瞳を見据えて尋ねる。


「………は、何故、私を撃って…」

ツバサ「よく言うでしょ、裏切り者はまた裏切るって。ビジネスパートナーとしては下の下よね。
ま、それ以上の利用価値を私に示せなかった時点でアナタは無能だったってことじゃない?」

「馬、鹿…な…」

壁に血の跡を残してずるりと崩れ、重役の男はそこで息絶えた。
既にツバサの興味は彼へと向けられておらず、ただ手向けとばかりに一言。


ツバサ「有能な人は好きよ。けど無能も同じくらい大好き。利用するには一番だもの」


「ほら、私って博愛主義だから」とガブリアスとコジョンドに嘯き、首を傾げられながら、ツバサはついに研究室へと踏み入れる。

そこには発光する培養液、人一人が入るほどの巨大なカプセル…
その類はまるで置かれておらず、ひどく小ざっぱりとした円形の部屋、その中央に台座。

寄ってみれば、そこには一つのモンスターボールが置かれている。


ツバサ「カントーで研究されていたミュウ、そのミュウのクローンを攻撃的に作り変えたのがミュウツー。そのミュウツーは現在行方知れず」

ツバサ「けれど、その研究過程で採取された“破壊の遺伝子”はいくつかのサンプルデータとして残されていた。
オハラコーポレーションはそのうち一つを入手し、技術利用のために遺伝子からの再培養を成功させたのよ」

ツバサ「ミュウの次がミュウツーなら、眼前で眠るこの個体はミュウスリー…じゃ、どうも通りが悪いか。
敢えて堅めに、ミュウツークローンとでも呼ぶべきかしら。ねえ、園田海未さん?」


背後、黒髪の少女が義憤を燃やし、腰のボールへと手を掛けている。
隣には相棒のゲコガシラ。やっと追いついた仇敵へ、海未は凛然と言い放つ。


海未「ことりのイーブイ、返してもらいましょうか」

クイと首を傾げて笑み。
聞こえなかったはずはないが、ツバサは海未の言葉を無視して長台詞を続ける。


ツバサ「このミュウツークローン、種族値は上から105,109,89,153,89,129の合計674。
クローンのクローンには無理があったのか、ふんわりと劣化気味。
元が凄まじいから十分すぎるほどだけど、瞬発力のわずかな低下だけは気になるとこかしらね」

海未「聞こえなかったのですか?いえ、聞かなくても結構…元より、貴女を叩きのめして奪い返すつもりですので」


戦意を烈火と猛らせる海未。
傍らのゲコガシラもそれを受けて目を鋭くしていて、(優秀なトレーナーね)とツバサは目元を微かに笑ませてみせる。
ピンと、口の前に人差し指を立ててみせ、「しいっ」と海未へ一声。


ツバサ「聞こえない?この音が」

海未「音?気を逸らそうという小細工なら通用は…」


海未はそこで口を噤む。
ツバサの言葉は虚言ではない、確かに何か…異音がする。その音の方向は…

海未「上!?」


どろりと、ずるりと。
硬質なはずの研究室、その天井が紫黒に腐食し、溶けて、もったりと抜け落ちる。

みどろ。
赤茶けた泥のような、経年した藻が固まり命を宿したような、上から現れたのはそんな毒々しい姿をしたポケモンで、溶解した泥をクッションに、べちゃ…と舞い降りる。

クサモドキポケモンのドラミドロ。
どく・ドラゴンタイプのその一体を纏うように寄り添わせ、降りてきたのは。


海未「ことり…!?」

ことり「久しぶり、海未ちゃん」

ツバサ「お久しぶりね、南ことりさん。今日は何の御用かしら?」

海未「ことり!今まで一体何をして…いえ、良いところに来てくれました!ここで力を合わせて綺羅ツバサを…!」

ことり「綺羅ツバサ…ううん、あなたに用はないんです」

海未「こ、とり…?」


すうっと幽鬼めいて、ことりが指差したのは台座の上に置かれたボール。
よく見ればその衣服は旅立ちの頃より遥かに痛んでいて、いつでもお洒落に気を使っていた愛らしい笑顔はどこか奥底へとしまいこまれていて。


ことり「強いポケモンがいるって聞いたから…貰いにきたの。建物を停電させて、警備を機能しなくして、ドラミドロの毒で上から床を溶かして」

ツバサ(オハラタワーの造りを溶解させる強毒…特性“てきおうりょく”のドラミドロかしら。なによりドラゴンタイプ…フフ)

海未「……あ、あの停電は、ことり…あなたが?それより、イーブイは」

ことり「ねえ海未ちゃん、お願い…ことりの邪魔をしないで欲しいな」

海未「何を言って…!」

ことり「邪魔するなら…倒しちゃうよ?海未ちゃんも」

海未「っ、ことりっ!!」


瞳に深い闇光を宿したことり、親友の変貌に慄然とする海未。
蒔いた悪の種、その発露に嗤うツバサ。
地下研究棟の戦いは一転、先の読めない三つ巴の様相へと突入していく。




オハラタワー・一階。

洗頭、改めアライズ団の乱入により鮮血に染められたパーティー会場は、しばらくの時を経て状況を変化させつつある。
少しずつ、少しずつではあるが、ツバサ、英玲奈、あんじゅの三幹部が姿を消したことで攻撃の波が弱まった。戦況は収束の気配を見せ始めている。


「ゲンガー、破邪顕正!」

「行きなさい、ドンカラス」


ジムリーダーたちは一人、また一人とそれぞれのポケモンを繰り出していて、その場所を起点にアライズ団員やスピアーの勢いが食い止められている。

そしてまた一人。未だ割けない密集の中で、少女は懸命に手を伸ばし…


梨子(指先が…ボールに…触れた!)


トレーナーとしての峰、四天王であると同時にピアノ演奏を嗜む音楽少女でもある梨子、そのしなやかな指先が腰のボールへ、開閉スイッチへと触れる。

瞬間、弾ける白光。
ぶわり、梨子の姿を覆っている数十人の人垣が一斉に宙へと浮き上がった!

彼らは何か魔術めいた、あるいは超能力的な力で持ち上げられたのだろうか?

否、はっきりと否。
息苦しい束縛から解放されて、梨子はすうっと一呼吸。
そんな少女の隣に佇む相棒ポケモンの姿は、宙に浮いた人々が“投げ上げられた”のだと雄弁に物語っている。

筋骨隆々、四本の怪腕。
大胆不敵な面構え、腰に輝く黄金のベルトは勝利の証。
人呼んでかいりきポケモン、その名は!


梨子「蹴散らして、カイリキー♀」

『カァイリキィッッ!!!!!』


寄るコラッタをねじ伏せ叩きつけ、ズバットの群れをはたいて落とし、殺到するスピアーを拳が屋根まで打ち上げる!
まるで暴嵐、カイリキーが鬼神めいて振り回す四腕を恐れてアライズ団員たちはじりじりと後退を余儀なくされる。

彼らが恐れていた事態の一つ、四天王が完全フリーで解き放たれるという脅威が今目の前で繰り広げられているのだ。

梨子の顔から繊細で気弱な少女の色はどこかへと失せ、居並ぶ敵影を睥睨して笑みはなく、静かな怒りを湛えた絶対的強者の佇まい。
とりわけ女性のアライズ団員たちは梨子の眼光に畏怖、鷹の目に射竦められたような錯覚を覚えて身を震わせる。何故だかはわからないが。

コォォ…と呼吸、カイリキーの全身が鋼のようにパンプアップしている。
近付けば間違いなく仕留められる!

…と、悲鳴!
アライズ団員の一人がホールスタッフの女性を捕まえ、その首筋へとズバットの牙を押し当てさせている。


「動くな桜内梨子!そのカイリキーを今すぐボールに戻せ!さもなくばこの女を」

梨子「カイリキー、“バレットパンチ”」


ゴギン!!と重々しい打擲音。
ズバットは遥か遠方へと吹き飛んでいて、何が起きたかをアライズ団員が理解するより先、もう一撃が彼の顔面へとめり込んだ。
鋼拳、まるでトラックに轢かれたかのような衝撃。
男の体はクルクルと宙を舞い、ボロクズのように床へ落ちたのを梨子は一瞥もしない。

人質に取られていたホールスタッフの手をぎゅっと握り、「お怪我はないですか?」と声をかけた。
一応、二発目のパンチは団員が死なない程度に加減はさせている。


梨子「さて…」


梨子は慄くアライズ団員たちを眺め回し、静かな威圧を感じさせる声で問いを投げる。


梨子「私のカイリキー(♀)は2秒に1000発。2秒間に1000発の“壁ドン”が可能なの。この意味がわかりますか?」


息を飲み、誰一人として答えを返さない。
梨子もまた、答えを求めていない。


梨子「あなたたちを吹き飛ばすのに10秒もかからないってこと。カイリキー“ばくれつパンチ”」


野太い咆哮!!!
花火めいて炸裂する拳打の嵐が敵対トレーナーとポケモンたちを怒涛の如く薙ぎ倒していく!!!

一方、真姫。

日頃は基本的に屋内での科学研究がメイン、インドア派の真姫は密集した人波に揉まれ、「う゛ぇぇ…」と力なく呻いている。
まともに戦わせれば少なくともジムリーダーたちと比べて遜色のない腕前、しかし本人の筋力が求められる状況となるとまるっきり駄目だ。

そんな真姫の周辺、とりまく人々がまだ無事でいるのは、真姫が立食パーティーの時から隣に付き従わせていたレパルダスのおかげ。
ネコ科のしなやかさで人垣をするりと抜け、主人から指示を受けられない状況下でも持ち前の賢さを発揮し、寄る敵から真姫と人々を守るべく奮戦を続けている。

しかし的確な指示を受けられない状況下、レパルダスの体にも少しずつダメージが蓄積されていく。
「“でんこうせっか”!」と相次ぐアライズ団員の指示と衝突音、レパルダスが痛みに耐える声。
人壁でそれを視認できない真姫は悔しさに歯噛みをし、「もういいわ!下がってレパルダス!」と声を張り上げる。

普通の相手とは違うのだ、このままレパルダスがやられてしまえば洗脳薬の餌食にされてしまう。そんなことをさせるわけには…!

……突如、開ける視界!

梨子のカイリキーが真姫を取り囲む人々を放り投げたのだ。
圧迫からの解放、真姫の明晰な頭脳は為すべきことを瞬時に把握する。


真姫(深呼吸!酸素を取り込め、脳を回せ!思考を整えながら1秒で戦況を把握しなさい西木野真姫!)

真姫「レパルダス!“あくのはどう”!」

『フシャアッ!!!』

ジムリーダーたちに加えて真姫までもが解放され、戦力の均衡は完全に崩れ去った。
暴虐のアライズ団員たちは撤退戦を強いられ、強奪したポケモンたちを回収してホール外へと後退していく。

外を包囲した警察部隊との交戦が始まっているようだが、それは警察に任せて構わないだろう。
真姫はくたりと腰を落とし、とりあえずの危機を逃れられたことに安堵の溜息を吐く。


梨子「大丈夫?真姫ちゃん」

真姫「ええ、ありがとう梨子。助かったわ。それにしても…」


真姫は梨子と並んだカイリキーの筋肉を目に、なんと言えばいいのか困ったような表情を浮かべる。
逡巡、言葉を選び…


真姫「その…いつも思うけど意外ね、あなたがかくとうタイプ使いって。ピアノ絡みで子供の頃から顔見知りだけど、もっと繊細なイメージだった」

梨子「あー…うん、ウチウラタウンに引っ越して千歌ちゃんと友達になってから、あの子の家ってムーランドとか、犬がいるから…自衛、かな…?」

真姫「ノーマルタイプ避け…?呆れた、そんなきっかけで四天王にまで上り詰めるなんて…」

強くなりたいと願い、日々研鑽を積む数多くのトレーナーたちにしてみれば冗談にもならない話だ。
だけど、自衛というのはわかりやすくて強い動機の一つなのかもしれない、と真姫。


真姫「……ま、いいわ。穂乃果と海未、それに他の子たちが見当たらないわね」

梨子「そうみたいね…善子ちゃんたちと、千歌ちゃんと曜ちゃんもいない…」

真姫「……心配ね。撤退していった中にも倒れている連中の中にも幹部たちの姿がない。オハラタワー社屋の中にいるのかもしれない」

梨子「………千歌ちゃん、それと曜ちゃん。もしかしたらまずい事になってるかもしれない…」

真姫「なんだか含みのある言い方ね。いいわ、社員の人に協力を仰いで社屋の中を探しましょう。ジムリーダーたちにも声をかけて…」

梨子「………真姫ちゃん、他の人に話を通すのは任せてもいいかしら。私は先に行くわ」

真姫「先に?いいけど、社屋内の鍵も地図もないんじゃ探す効率が…」

梨子「ううん、大丈夫」


そう告げると、梨子はホールと通路を遮る壁に手をあてがう。
カイリキーを見上げ…


梨子「カイリキー、壁ドンよ」

『リキァッ!!!』

真姫「………ブチ抜いて行ったわね。滅茶苦茶じゃない」


呆れながらにその背を見送り、真姫は状況に考察を巡らせる。
アライズ団にオハラへ襲撃を掛ける目的があるとすれば小原鞠莉の殺害。
しかし、それすら陽動だとすれば…


鞠莉「地下の研究、本命はそっちね」


確信めいて呟き、真姫は協力を仰ぐべくジムリーダーたちへと駆け寄っていく。




オハラタワー最上階。

鞠莉を守るために集った警備員とポケモンたちは銃を構え、扉の閉じられたエレベーターシャフトへと意識を集中させている。
誰がやったのかは不明だがタワーの電源は落ちたまま、現在エレベーターは作動していない。

プラス、警備員のウォーグルが放ったブレイククローによってエレベーターの籠を吊り下げているワイヤーは切断してある。
つまり現在、この最上階へはまともな手段で登ってくることのできない状態であり、仮に上がってきたとしても一斉の射撃で…

ゴ、ゴン!ガゴ!


「く、来るぞ!!」
「備えろ!!」


硬質な何かが登ってくる音響、しかも相当の速度でだ。
警備員たちはそのポケモンが何であるかを知っている。
後退の途上、その恐るべき戦闘力で同僚たちが殲滅された光景を目の当たりにしている。

音が登り、扉のすぐそばへと迫り…!


「今だ!!爆破しろ!!」


仕掛けていた大量のプラスチック爆弾が破裂!シャフトの中を爆炎が満たす!
その衝撃と震度を前に、しかし警備員たちは誰一人として勝利を感じていない。「やったか」などとは誰も言わない。

ギ、ギ…!
凄まじい剛力に扉が引き開けられる。鉄扉の隙間に覗く、統堂英玲奈の怜悧な瞳!

「撃てぇ!全弾撃ち尽くせ!」
「全ポケモン!最強技を斉射!!」
「影も残すな!殺されるぞ!」

英玲奈「メタグロス、“しねんのずつき”だ」


硬質な金属塊を複数繋ぎ合わせたような奇怪かつ無機質な姿、真っ青なフォルムのそのポケモンは四つ足でエレベーターシャフトを登ってきた。
英玲奈はその背に直立不動、滑るようにフロアへと降り立って直後、無感動にメタグロスへと指示を出した。

メタグロスは体を回転機動、前面で英玲奈の盾となり、エスパータイプのエネルギーを纏わせた状態で壮絶な突撃を!!


……


オハラタワーの最上階、鞠莉の居室には静寂が揺蕩っている。
夜の澄み渡った空気がカーテンを揺らしていて、鞠莉は窓枠に指先を滑らせる。

ヘリポートには一機のヘリが停まっている。
最上階へと退避したのは空からの逃走を目指してのこと。
しかし機体には飛べないよう細工が施されていて、鞠莉は全てを、役員の裏切りを理解している。


鞠莉「あんなにノイジーだったのが嘘みたい。みんなやられちゃったのね、私のせいで…」

英玲奈「君に過失があったわけではない」

鞠莉「……慰めてくれるの?フフ、それならこのまま、見逃してくれたり…」

英玲奈「悪いが」

鞠莉「……!」


鞠莉の腹部を、英玲奈のナイフが深々と抉っている。

「かは…」と小さく息を漏らす鞠莉。
その指が英玲奈の肩へと掛けられ、救いを求めるように視線が宙を泳ぐ。

ぐ…と、刃が捻り回される。
傷口を歪めて広げ、内臓を確実に壊し、刃渡り20センチほどの刃が鞠莉へと確実な死をもたらす。

鞠莉の目に涙が浮かび……
その顔がふにゃりとシンプルな作りへ、点々に口は“~”と波線、倒れた鞠莉の顔はすっかり簡単作画とでも呼ぶべき姿に変化している。


英玲奈「フ、やはり影武者か」

鞠莉「sorry…!メタモンっ!」


窓の外からモンスターボールの赤光が伸び、倒れてしまったメタモンを回収する。
広々としたテラスで踵を返し、少しでも英玲奈との距離を取るべくその端へと足早に駆ける。


鞠莉「あ…ぅっ…!」


…が、発砲。
英玲奈はすかさずトリガーを引き、鞠莉の右膝を撃ち抜いた。さらに左のふくらはぎを。

倒れ伏して血を流し、痛みに涙を浮かべ、それでも鞠莉は気丈。
強く、英玲奈を挑発的に睨みつける。


鞠莉「う、ぐ…フフン…noobね。一発で仕留められないのかしら、暗殺者さんは」

英玲奈「君が殺された、そのニュースに意味がある。報道のインパクトを考えれば、“一発撃たれて死亡”よりは“十数発の弾丸を浴びて死亡”の方がよほどセンセーショナルだろう」

鞠莉「………ッ、冷血な…」

英玲奈「影武者を用意している、そこまでは良かった。だが甘いな。君はメタモンを見捨てて逃げるべきだった」

鞠莉「No way.そんなこと…できるわけないでしょう?」

英玲奈「命を大切に想える人間は尊敬に値する。私はその生き方を選べなかったからな」


英玲奈は銃を鞠莉へ向け…しかし、その手を止める。
その顔に、初めて人間味のある表情が浮かんだ。
鞠莉は血を流しながらも這いずり、テラスの淵へと手を掛けたのだ。

腰のボールは四つ。
アシレーヌ、チラチーノ、ペルシアンの三体は逃走の路で既に倒れていて、メタモンは今倒したばかり。つまり飛べるようなポケモンは所持していない。

それでも鞠莉はテラスから身を乗り出していて、大量の血を流しながらも明確な意思を持って前へ、前へと。


英玲奈「小原鞠莉。敵の手に掛かるより、誇り高き自死を選ぶか」

鞠莉「自殺?Nop.馬鹿げてる。私は…いつどんな時だって、決して望みを捨てたりしない」


赤に染まったパーティードレス、足の負傷と失血も、彼女の意思を挫くことは不可。
一流の女優めいて、気高く強風を受けるその姿には一切の恐れが見られない。

英玲奈は彼女への興味に銃口を下ろす。
二発撃たれた上で、最上階からの転落死。それも悪くはないだろう。


英玲奈「あるいは、運命が君を助けるか」

鞠莉「女の子はね、いつだって…白馬の王子さまが来てくれるって信じてるの♪」


両腕を広げ、身を傾け…
鞠莉は地上へと身を投げた。

英玲奈「………さて」


この距離から落ちれば肉片と血溜まり、美しくチャーミングな彼女の容姿は原型を残さないだろう。
死に至るまでの過程は警察のエスパータイプポケモンによる過去読で調べられ、一連の出来事はそれで報道に乗る。十分だ。

英玲奈は身を乗り出して地上へと目を向ける。
その態度はあくまで淡々…だが、瞳には微かな期待が秘められている。
小原鞠莉の強固な意思は、果たして奇跡を呼ぶのだろうか?


英玲奈「………なるほど」


見下ろす英玲奈、その頬へと飛沫が掛かる。
膨大に、甚大に、途轍もなく。
202メートルの高所に位置するオハラタワー最上階、そのわずか直下で、大量の水流が逆巻き渦を巻いている。

それは立ち上る水の竜巻。
数百トンに及ぶほどの水量、その渦の中心に圧倒的な存在感。
大海の意思を人の形へと固めたような、その少女の腕は力強く鞠莉を抱きしめている。

紫の瞳が、英玲奈へと津波のような敵意を向けている!


鞠莉「果南…きっと、きっと来てくれるって…!」

果南「ごめんね…鞠莉。ダイヤから鞠莉の様子がおかしかったって連絡を受けてさ、新しく四天王になった研修だとかを放り出して、カントーから帰ってきたよ」

英玲奈「四天王、松浦果南…!」

英玲奈は心の底から嬉しげに口元を笑ませている。
アキバリーグの現四天王で最も荒々しい戦闘スタイルと謳われる松浦果南、彼女なら死線を味わわせてくれるだろうかと!

だが、冷静な面も残されている。
ついに屋上、英玲奈より上へと到達した水禍を見上げ、「ふむ…」と唸り、果南へと問いかけを。


英玲奈「思うに…そのポケモン。私が君が全力でぶつかり合えば、オハラタワーの倒壊は免れないが」

果南「はぁ…?鞠莉を泣かせといてさ…利口ぶるなよ…この外道!!!!!」


膨大な水気は暗雲を呼び、タワーを、ヨッツメシティ全域の空を覆い尽くしている!
果南の激昂に応え、大水禍から姿を現わすそのポケモンは水神!!


果南「こいつ殺すよ。カイオーガ!!!」

英玲奈「フフ、素晴らしい…楽しませてくれそうだ…!」


対し、英玲奈が繰り出すのは鋼の巨躯、異世界からの来訪者。
オハラタワー突入前、海未たちが感じた強い振動は、武装部隊を壊滅へと追い込んだのはこのポケモンの重量落下!!


英玲奈「力を貸せ。テッカグヤ!!!」


異様なる咆哮!!
砲台めいた双腕が火を噴き、カイオーガへと害意を放っている。
二体が互いを見合い、オハラタワーを、ヨッツメシティ全域を激震させる!!




聖良「救いの手は鉄壁に絶たれ、あなた方の望みは潰えました。さて、大人しく服毒していただけますね?」


防火扉の向こう、ルビィ、花丸、善子の三人へと迫る鹿角聖良。
ヨノワールの赤いモノアイは不気味に発光していて、その後ろには理亞がレントラーに牙を剥かせている。

あくまで淡々とした口調を保つ聖良、その態度は強い語気で迫られるよりもよほど、三人に状況の絶望感を提示、印象付けてくる。


ルビィ「……ぅ…っ」


ルビィは親しみやすくて朗らかな穂乃果に懐いている。
そんな穂乃果の実力はダイヤもはっきりと認めていて、(助かったぁ!)と、そう思ったのだ。

目の前にぶら下げられた“希望”を寸前で取り上げられ…
まるでらしくなく、頑張って立ち向かってみせたルビィ。しかし今、その心は折れてしまった。


ルビィ「ぅぇ…あれ…だめだよ、泣いちゃ…泣いたって、この人たちは許してくれないよ…ぅ、立たなきゃ…ひっく…な、涙…止まってよぉ…!」


ルビィの頭は一生懸命に考える。状況を理解しようと思考はまだ動いている。

泣いてたらマルちゃんと善子ちゃんを守れないし、
冷蔵庫のアイスはまだ食べてないし、録画したアニメもまだ見てないし、
お父さんとお母さんと、それから大好きな大好きな、とっても大好きなお姉ちゃん…
みんなと、もう二度と会えなくなっちゃうのに…!

それでもルビィの足は言うことを聞かず、へたりと力が抜けたまま立ち上がってくれない。
ピッピの短い手が涙を拭ってくれるが、とめどなく溢れてくる雫はポタポタと垂れて床を濡らしている。

そんなルビィの姿を目に、鹿角妹、理亞は口元を釣り上げて嘲笑を。


理亞「見て姉さま、この情けない子。ぐちゃぐちゃに泣いてみっともない」

聖良「理亞、油断してはダメよ。早く仕事を終わらせましょう」


そんなルビィと姉妹の間へ、花丸と善子が立ち塞がった。


善子「黙りなさい、悪党っ!」

花丸「ルビィちゃんは…ちっとも情けなくなんかないずら」

苛立つ理亞、静かな中に威圧を漂わせる聖良。
しかし二人は一歩も引く構えを見せない。

花丸と善子の心は、ルビィが一番最初に挑んでいったことに大きく揺さぶられたのだ。


花丸「ルビィちゃんがマルたちを守ろうとしてくれたこと、本当に嬉しかったし…
思ったんだ、やっぱりマルの大親友は、黒澤ルビィちゃんは凄い子なんだ!って」

善子「まっ、いいやつだけど、ちょ~っと頼りない…そう思ってたから意外だったわ。
ピンチで見せる底力、そういうのってなーんか…カッコいいじゃない!」


…当然、気持ちだけで抗えるほどに甘い相手ではない。
二人が倒されるまで、三十秒と要さない。

ツボツボを倒され、後続のポケモンを持っていない花丸はレントラーの電撃を浴びて気絶。
善子のヤミカラスはヨノワールの冷凍パンチを受けて戦闘不能、おまけに凍り付いていて、善子もヨノワールに払われて床に伏している。

理亞は倒れた二人を踏み越えて、つかつかとルビィへ迫る。
生まれつきのつり目をさらに鋭く、見下ろす視線には害意が漲っている。

理亞「ルビィ、ふざけた名前…お前から飲ませてやる。苛々するのよ、ゆびをふるで脅かしてみたり…!」

ルビィ(お姉ちゃん…もっといっぱい一緒にいたかったな…)

理亞「っ、と…?」


そんな理亞がよろけた。何かが足を…
振り向いて見れば、善子が足首を掴んでいるではないか。
それは意地。善子はあくまで強気に、臆さず、鹿角姉妹へと声を張り上げる。


善子「このヨハネの、リトルデーモンに…大切な友達たちに!手を出さないでよぉ!」

理亞「雑魚のくせに…!」

聖良「良い気概ですね。嫌いじゃないですよ?ヨノワール」


聖良は面白げに、それでいて冷たい声でポケモンへと指示を出す。
ガシリと、ヨノワールは善子の左腕、細い二の腕を両手で掴んだ。


聖良「あなたはこの子たちに手を出すなと要求する。なら私からも要求を。何かを求めるならその対価は支払われるべき、そうでしょう?」

善子「い、痛…!」

みし…と、善子の腕が軋むのがわかる。
ヨノワールは善子の細腕へゆっくりと力をかけていく。まるでチューペットを折るかのような簡単さで。


聖良「今からあなたの腕を折ります。右腕が赤髪の子、左腕が茶髪の子。声を上げなければ見逃してあげますよ。両腕とも我慢できればあなたもね」

理亞「ね、姉さま…」

聖良「ほら理亞、左から行くわよ。毒の準備を」

善子「~~ッ……!!!(我慢してやる、我慢してやる…!ずら丸もルビィも私が助けるんだ、がんばれヨハネ!がんばれ善子…!)」

ルビィ「やめて!!やめてぇ!!」

聖良「ヨノワール。私のカウントが0になったら折りなさい」


ガチガチと震える歯、善子はキュッと目を瞑る。
3……、2……、
聖良のカウントが進む。
固く食いしばった善子の口、しかし麻酔もなく力任せに骨を折られる、そんな苦痛に耐えられるはずがない。
1……、
ゆったりとしたカウントは想像を招き、増幅する恐怖。善子の喉から嗚咽が漏れ…


聖良「0!」

善子「ひっ…!」

聖良「……と、言ったら折りますからね?ふふ、今のは練習。さあヨノワール。本番を」

善子「あ……あぁ……」

再び3……、2……、と、嫌味なまでに猶予を持たせたカウントダウンが始まる。
善子が泣きそうになりながら固めていた覚悟。
聖良の底意地の悪い冗談は、それを無残に、微塵に打ち砕いてしまった。


善子「やだ…もうやだぁ…!」


1……、

と、それを遮る異音!

ヨノワールは手を止めている。
理亞は警戒に身を硬くしていて、聖良の鋭い目は音の出所を既に把握している。
下りた防火扉を何かが貫いている。それは頑強な顎、尖岩のような牙による破壊。
まるで解体用重機が鋼板を食い破るかのように、いとも容易くグチャグニャリと硬質な防火扉がこじ開けられる!

やがて人一人が抜けられるほどの穴が開き…


理亞「姉さま気を付けて、来る!」

聖良(……先ほど、赤髪の子は助けに来た彼女を“穂乃果さん”と呼んだ。
まず間違いなく、あんじゅさんが取り逃がしたという高坂穂乃果。侮るべきではない)

理亞「……来ない?」

聖良「…!理亞!今すぐにマスクをしなさい!」

聖良が鋭く発した警句を、穂乃果は扉に開けた穴越しに聞いている。
その傍らにはバタフリー。パタパタと翅を泳がせ、視認されにくい程度の濃度で少しずつ、開けた穴へと“ねむりごな”を送り込んでいたのだ。
ねむりごなが効果を及ぼすのはポケモン相手だけでなく人間にも。
あんじゅとの交戦、ビビヨンの脅威から学んだテクニック。穂乃果は敗戦を糧にできるタイプ!


穂乃果(うーん、楽できるかと思ったんだけどな)


そんなのんびりとした思考とは裏腹、穂乃果は戦術を看破されたと同時に電撃戦めいて穴の中へと踊り込んでいる。
天性の超集中。普段ののほほんとした性格が嘘のように研ぎ澄まされた感覚。
目は左右、高速で滑り瞬時に全員の位置どりを把握。ボールを叩きつけるように繰り出したリングマへとすかさず指示を!


聖良「理亞!」

理亞「な…!?」

穂乃果「リングマ!“きりさく”!」

『グルゥアァァァ!!!!』

理亞「あっ!レントラー!」


鋭く振るわれた爪はレントラーを跳ね上げ、その一撃は急所を捉えている。
腹へと深い裂傷を残し、まずは一匹戦闘不能!

聖良はヨノワールに掴ませている善子を人質としてペースを握ろうと思考、しかし穂乃果は先んじている!


穂乃果「バタフリー!もっかい“ねむりごな”!」

聖良(恐らく特性は“ふくがん”、留まればほぼ確実に外さない。まるであんじゅさんのビビヨンを真似たような戦術…!)

聖良「ヨノワール、両手を開けて距離を取りなさい」


怪腕による打撃を主戦術とするヨノワール、善子を抱えたままでは満足に技を放てない。
それを穂乃果は瞬時に看破、善子を巻き込むことを承知の上で眠りの鱗粉を振りまいている!


聖良(ポケモンへの即効性と人体への影響、両方のバランスを視野に収めた絶妙な散布量…高坂穂乃果、やはり侮れない!)

穂乃果(人間はねむりごなを吸い過ぎたら体の機能を壊しちゃうんだったよね、でもそれは吸い過ぎれば、の話。
毎晩自分の体で実験したんだ、どこまでの量なら体に悪影響が出ないのかを!)

二ヶ月。
洗頭の三幹部、穂乃果の場合は優木あんじゅに敗北してからの二ヶ月。

海未とことりがその人格を大きく変化させ、あるいは深いところで歪曲してしまったように、穂乃果もまた敗北に大きな変化を得ている。

ただしそれは、悪への追従や憧憬、同じ道を征くことでの対抗ではない。
あくまで我が道を、トレーナーとしての正道を守ったままで悪に抗してみせるという強い決心。
勇気と優しさと覚悟と、そんな少年漫画めいた“良い物”を一つも捨てずに立ち向かってみせるという太陽の精神!


穂乃果(だって悔しいよ、やられたから道を変えるなんて…人生を変えられるなんてさ)

穂乃果(ことりちゃんがいなくなって、海未ちゃんの中でも何かが掛け変わってて。じゃあ穂乃果が二人を助けてあげなくちゃだよね)

穂乃果(そのためにはどうすればいいか、もう悪には負けない。
私らしいままで、私たちのやり方でも悪に勝てるんだって、二人に見せてあげるんだ!)

穂乃果「だって私、結構意地っ張りなんだよね!」

聖良「わけのわからない事を…」

穂乃果のバタフリーは悪と対峙するため、穂乃果にとって一つの戦術の要。
人質を取られても能動性を失わず、巻き込みたくない人間を気にせず悪を無力化することを可能とするのが鱗粉。
相手がトレーナーへの攻撃を躊躇わないのなら、こっちもモラルの範疇で最大限の攻撃を!

そんな穂乃果の瞳に意思の光を見たのだろうか、聖良は呼吸を一つ、敵意の深度を今よりも一つ沈めて静謐。
瞳には悪の黒が宿っている。例えるなら星光を覆う深々の夜空。それは三幹部と同じ色。


聖良「認めます、あなたは優れたトレーナーだと。それを理解した上で、改めて。我々はあんじゅさんに代わり、全力であなたを叩き潰す!」

理亞「覚悟…!」


臨戦、しかし穂乃果はナチュラルな微笑を浮かべて敵意を受ける。
そしてあくまで健やかに、自然体のまま言い放つ。


穂乃果「私はもう負けないよ」


アライズ団の鹿角姉妹が勝負を仕掛けてきた!

善子「……助かっ…た…?」


ゴーストタイプの怪腕、怖気の立つ悪寒から解放され、善子の視界が安堵にくらりと回る。
倒れた善子をルビィが抱きとめ、引きずって花丸の倒れている壁際へと避難する。


ルビィ「穂乃果さん、すごい…!」


穂乃果はリングマを素早く戻し、新戦力のチゴラスを繰り出している。
理亞が二匹目、グライオンを展開するよりも早く、チゴラスが大顎を広げてヨノワールへと飛びかかる!


聖良「自らレンジに入ってくれるのなら好都合。ヨノワール、“れいとうパンチ”で沈めて」

穂乃果「バタフリー、“しびれごな”!チゴラスはそのまま突撃して“かみくだく”!」

聖良「っ、しまった!麻痺した分、ヨノワールの反応が遅れて…!」

『グルゥアゥ!!!』


チゴラスの頑強なアゴがヨノワールの胴体へと食らいついた。
あくタイプに分類される“かみくだく”、そのキモは憂慮なき即断。
悪と分類されるだけあって、顎撃には相手を傷付けることへの躊躇がまるでない。
ゴーストタイプに共通する特徴、物理撃を無効化する透過能力、その発動よりも先んじて牙を食い込ませる!

チゴラスの一撃は効果抜群!
穂乃果の手に加わった新戦力、幼き暴君チゴラスは自慢げ、ヨノワールをふらつかせたことに雄叫びをあげている。

ただ、進化前のチゴラスと進化済みのヨノワールの間では能力差が残っている。
まだ完全な打倒へは至っておらず、聖良は返しの“れいとうパンチ”で弱点を突いて仕留めるべきかを思案する。


聖良(そう、冷凍パンチを当てれば確実に仕留められる。しかし麻痺は痛い。痺れが走れば技が不発に終わる可能性もあり、そうなれば今度こそヨノワールは落ちる)

聖良「戻りなさい、ヨノワール」


思索の果て、聖良はヨノワールをボールへと収める。
その直後にバタフリーがヨノワールのいた場所へとサイケ光線を撃ち込んでいて、「惜しいっ!」と穂乃果は足踏み一つ。

チゴラスの“かみくだく”以降の思考と攻防はわずか五秒足らずの間、目まぐるしく行われていて、既に戦局は聖良のムクホークと理亞のグライオン、チゴラスとバタフリーの交戦へと切り替わっている。


ルビィ(は、早いよぉ…!)


そんな戦場を目の当たりに、ルビィは息つく暇さえ忘れて見入っている。

ダイイチシティで洗頭を目の当たりにした一件をきっかけに、ルビィはトレーナーとしての道のりを少しずつ歩み始めている。
なんだか気恥ずかしくてまだ誰にも、姉にさえ教えていないのだが、実家のジムで少しずつ知識を蓄えていっているところなのだ。

実家のジムには新人トレーナー育成用のシミュレーターが設置してあり、属性相性やポケモンの種類、戦闘の流れなどをゲーム感覚で学ぶことができる。
つい先日、その全カリキュラムをクリアしたばかりのルビィは、ほんの小指の爪ほどの自信を付けていた。自分もちょっとは実戦をこなせるようになってるんじゃないかなぁ?と。


ルビィ(けど全然違うよ!動きは早いし考える時間は全然ないし、怖いよぉ!!)


実戦とシミュレーターの一番の違いは求められる判断力。
実戦はターン制ではないし、なにより悪との戦闘ではトレーナーが狙われる。

しかし眼前の穂乃果はそんな戦いを、確とした意思で踏み越えようとしているのだ!


穂乃果「チゴラス!“いわなだれ”!」

聖良「ムクホーク、“インファイト”」


チゴラスが顎で壁床を噛み荒らして崩す。
たっぷりと用意されたコンクリートの弾丸、それを恐竜の強靭な尾で叩きつけ、まさしく岩雪崩めいて相手へと打ち出した!
応じてムクホーク、勇敢なる猛禽ポケモンは岩に翼を叩かれるのにも臆さず突撃、チゴラスの懐へと潜り込んで脚と頭突きで壮絶なインファイトを仕掛ける!

激突!互いに効果バツグンの攻撃を受け、双方がほぼ同時にノックアウト!

穂乃果はボールへとチゴラスを収め、リングマを繰り出しながら戦況を思案する。


穂乃果(チゴラスが頑張ってくれたけどやられちゃって、これで私の手持ちは三匹。
向こうはお姉さんの方のムクホークが倒れてて、残りボール二つ。片方のヨノワールはかなりダメージを与えてる)


穂乃果「バタフリー!“サイケこうせん”だよ!」

『フィィィッッ!!!』

理亞「グライオン!“つじぎり”ッッ!!」

『グラァッ!!!』


穂乃果(相打ち!チゴラスの“いわなだれ”がグライオンも巻き込んでたのが効いたね!
これで妹の方はレントラーとグライオンを倒して残りボール一つ。これならいける…)

穂乃果「よーし!行っちゃえリザード!」

『リザァァッ!!!』

手応えを掴みつつ、穂乃果は満を持してエースのリザードを繰り出した。
ホールでの乱戦の中でレベルを少し上げていて、さらにさっき立ち寄った部屋で研究員たちの治療を受けて体力は万全!
やる気満々といった調子で尾の炎も燃えている!

対し、鹿角姉妹。
理亞は穂乃果の予想外の強さに、思わず一歩、じりりと後ずさる。

並ぶ穂乃果の残り二体、リザードとリングマはどちらもそれなりに高レベル。
なによりこの穂乃果とかいう女、判断力と思いきりの良さが尋常じゃない!


理亞「…っ」

聖良「落ち着きなさい、理亞」

理亞「姉さま…」

聖良「“この子たち”がいる限り、私たちに負けはない。でしょう?」

理亞「……はい!」


聖良と理亞はそれぞれ、まだ場に出していない残り一つのボールを手に握る。
その瞳は自信に満ちていて、ピッタリと息の合った動作で新たなポケモンを場に放つ!


聖良「行きなさい、マニューラ」
理亞「行けっ!マニューラ!」

ルビィ「マニューラ!えっと、ええと…」


ルビィはシミュレーターで学んだ記憶を手繰る。
タイプはあく・こおり。
シンオウ地方などの寒冷地に住まう黒猫に似たポケモンで、武器はその分類“かぎづめポケモン”に示されているように、三本の鋭利で長い鉤爪。


ルビィ(それで、とっても速くて攻撃力が高い!穂乃果さんっ…!)


穂乃果「マニューラ、かぁ…」


呟き、穂乃果は今日初めての強い警戒を心に宿す。
二ヶ月の旅路でマニューラの進化前、野生のニューラとは交戦する機会があった。驚くほどに素早く、かつズル賢い。
それがトレーナーに連れられていて、しかも切り札然とした調子で出てきた高レベルとなれば…


理亞「マニューラ!“ねこだまし”っ!」


ハイスピードの踏み出し、リングマの目の前で叩き合わせる両手!
力士がする猫騙しと要領は同じだ。しかしポケモンが、それも攻撃力に長けた進化体のポケモンが使えば衝撃波が微かなダメージを負わせ、強制的にリングマの目を閉じさせる。

その足元へ滑り込む二匹目のマニューラ!


聖良「マニューラ、“けたぐり”」


ズパン!とキレの良い一撃。
ローキックめいた足払いがリングマの足元を強く掬った。
初撃に怯んでいたところを勢いよく倒された衝撃は激しく、リングマは呻いてそのまま気絶した。

その攻撃力もさることながら、なにより恐るべきは二匹のマニューラの連携速度!
素早い判断力が身上の穂乃果でさえ対応することができなかった!


穂乃果「っ、リングマ!お疲れさま!」

理亞「ようやく追い詰めた」

聖良「さあ、残りはそのリザードだけ。どうします?逃げてみますか?」

穂乃果「逃げるっ!!」

聖良「は…?」

言葉通りに偽りなく、穂乃果はくるりと背を向け駆け出した。リザードも一緒に。


理亞「あ、あいつ、本当に逃げたの?」

聖良(……どうする、今追えば確実に仕留められる。けれど下された任務はこの三人の少女たちの確保で、高坂穂乃果が逃げていっている今ならそれは容易に可能)

理亞「姉さま…」

聖良(しかし…正直、この三人の確保はあんじゅさんの趣味でしかない。
あのリザードは元々三幹部の皆さんがわざわざ出向いてまで確保しようとしたオトノキ産ポケモン。
それを確保し、さらに高坂穂乃果に服毒させて連れていけばあんじゅさんだけでなく、三幹部の皆さんを喜ばせることができるのでは?)

理亞「姉さま!どうする!」

聖良「追いましょう」

理亞「この三人は?」

聖良「放置して構わないわ。人質にしようにも抱えて移動すれば機動力が落ちる。高坂穂乃果を逃してしまう」

理亞「わかった」

穂乃果(よし、やっぱり追ってきた!)

背後、駆け出した鹿角姉妹を目に、穂乃果は狙い通りと一息。
逃げたことでルビィたちが狙われる可能性はもちろん思案していた。
ただ、諸々の状況を合わせて考えれば、鹿角姉妹にとっては穂乃果とルビィたちとの二択だ。
穂乃果は鹿角姉妹の…とりわけ姉の聖良の思考力を信じ、逃げの一手を打ったのだ。
あの姉なら考え違いをせずに追ってくるはずだと。


穂乃果「これでルビィちゃんたちの方に行こうとするなら振り返って即攻撃しなきゃだった。
逃げからのいきなり攻撃はリザードとたくさん練習してきてるけど、成功率100%!とはいかないもんね」

『ザァドッ』


相棒と顔を見合わせ、穂乃果は猛然とダッシュ。
目指すはフロア内、カードキーを託された屋内ビオトープ!


ルビィ「い、いっちゃった…」


一方、残されたルビィは嵐のように去っていった穂乃果と敵二人を見送り、ぽかんと口を開いている。

穂乃果が逃げ出した時も心配はしなかった。
本気でルビィたちを見捨てて逃げるタイプではないと知っているし、鹿角姉妹からは死角になる角度で「心配しないでね」と穂乃果は口を動かしてみせていたのだ。

ルビィ「だけど、残りはリザードだけで…穂乃果さん、大丈夫かな…」

花丸「る、ルビィちゃん…」

ルビィ「あっ!マルちゃん!」


電撃を浴びて気絶していた花丸が意識を取り戻したのだ。
ルビィは心底嬉しそうに顔をほころばせ、大親友のふんわり柔らかい体に思いっきり抱きついた。


ルビィ「体は大丈夫…?」

花丸「うん…少しくらっとするけど、大丈夫そう。痺れがあって起き上がれなかったけど、少し前から意識は戻ってたずら」


攻撃されたと言っても、鹿角姉妹にとってルビィたち三人はあんじゅに捧げる献上品。体に後遺症を残すようなダメージは負わされていない。
善子の腕を折ろうとしたのはブラフのお遊びだったのか、姉の残虐性が暴走したのかは定かでないが。

ともあれ安堵。
花丸をギュッと抱きしめて涙を浮かべるルビィ、花丸もまた華奢な親友の体を抱きしめて涙を浮かべている。
が、しかし。


花丸「…ずら」

ルビィ「マルちゃん…?」


花丸はそんなルビィの体を引き離し、真剣な顔つきでルビィへと声を掛ける。

花丸「ルビィちゃん、穂乃果さんたちの戦いが気になってるんだよね」

ルビィ「それは…もちろん、うん」

花丸「あ、ええと、マルが言いたいのは普通の気になってるとは少し違って…
ルビィちゃんは“トレーナー”として、穂乃果さんたちの戦いを気にしてる」

ルビィ「ま、マルちゃん…」

花丸「わかるずら、親友だもん。ずっとピィだったのをピッピに進化させてて、昔よりポケモンを見る目がキラキラしてて…
ルビィちゃん、夢を見つけたんだなって。トレーナーを目指そうとしてるんだって、マルは嬉しかったんだ」

ルビィ「……うん…!」


頷き、肯定。
ルビィは今初めて、姉や穂乃果みたいなトレーナーになりたいという意思を人に示した。
それをそっと尊ぶように花丸は微笑んで、まだ痺れが抜けきらず言うことを聞かない手でルビィの手を引き、立たせる。


花丸「穂乃果さんはすごく強いけど、でもきっとギリギリの戦い。
ルビィちゃん、行ってあげて。穂乃果さんのためにも、ルビィちゃんのためにも!」

ルビィ「………うんっ!!」


トレーナーとしての強い意思を瞳に、ルビィはピッピと共に立つ。まだピッピは戦える!
前を見据えて駆け出すルビィへ、ふと思いついたように花丸はもう一声。


花丸「あっ、でも状況はよく見てね。ルビィちゃんが飛び出して人質に取られて、逆に足を引っ張る、みたいな展開だけは絶対!避けなきゃいけないずら」

ルビィ「そ、そうだよねっ。うん…行ってくる!」


頭脳明晰な友人からの警句を胸に刻み、ルビィの心から初心にありがちな蛮勇の色は失せる。
生来の臆病さをしっかり活かして慎重に。臆病さとは生存能力の裏返し。

廊下の奥から響く戦音が道しるべになってくれる。
穂乃果と鹿角姉妹の戦いはクライマックスへと向け、既に白熱を増している。


ルビィ「穂乃果さん、今行きますっ…!」

穂乃果「リザード、“えんまく”であの子たちの邪魔しちゃえ!思いっきりモクモクって!」

『ザルルッ!』


穂乃果の指示する通り、リザードはしっぽの炎から黒煙を燻らせる。
不完全燃焼を起こした焚き火のように濛々、思わず咳き込んでしまうほどの濃度で廊下を墨色に染め上げている。

追う鹿角姉妹は口元を遮蔽度の高いマスクで覆っているが、それでも目がしばつくのは防げず舌打ちを。


理亞「煙た…っ、嫌らしい技を…」

聖良「機転を利かせて搦め手を重ねてくる、かと思えば前に出ることを厭わない。読みにくいタイプ…だからこそ、背を取っているここで仕留めたい」

理亞「姉さま、私のマニューラに突っ込ませる」

聖良「ええ、援護するわ」


穂乃果(煙幕でトレーナーの二人の視界は利かないはずだよね。だとして、私なら…)

『ニュゥラッ!!』

穂乃果「マニューラを突っ込ませての奇襲だよね!受けるよリザード!“ニトロチャージ”で足元!」

『ガァッ!!』

黒煙で追っ手の姿が見えにくいのは穂乃果たちにとっても同じ。
鹿角姉妹はそこを突くべく、マニューラを低い姿勢で突撃させている。
技は爪の鋭さを十全に活かせる“つじぎり”、その対象は穂乃果、狙うはアキレス腱!


穂乃果「やっぱり低く来た!」


穂乃果はそれを理解している。
あんじゅとの一度の対峙は未だ鮮烈なイメージとして残されていて、その指示に従っている鹿角姉妹ならトレーナーの足を損ねにくると読んでいた。

技マシンで提供された技の一つ“ニトロチャージ”。
リザードはどちらかといえば特殊技にステータスの寄ったポケモンだが、アライズ団を相手取るにはあらゆる局面に対応できる技が必要。
トレーナーへの攻撃を防ぐために一つ覚えさせておいた物理技がこれだ。

リザードは全身に炎を纏わせ、その熱量を力強さへと変えて手のツメを振り下ろす。
鋭音、マニューラとリザードの爪が衝突し、穂乃果を狙った一撃を見事に防ぎ払う!


穂乃果「よしっ」


読みの的中にふふんと少し得意げ、穂乃果はリザードに親指を立てて労いを。
歩きにくいパーティー用のヒールはとっくに投げ捨てていて裸足、旅路に培われた健脚で穂乃果は駆けつつ思考は次へ。


穂乃果(リザードは炎であっちは氷タイプ、正面から戦うよりはトレーナーを狙う方が簡単。
悪の組織になったつもりで相手の立場に立って、それで効率のよさを重視したら結構読めるもんね!)

穂乃果「それでついでに…」

『リッザァ!!』

穂乃果「リザードの素早さも上がる!」


ニトロチャージの発動により、まるでエンジンに点火したように尾の火勢が増している。
炎タイプが炎を纏うことによっての肉体活性、それがニトロチャージの追加効果!

壁を蹴って三角飛びの要領、マニューラは再び機敏に爪を振るう。
リザードは動じず手首を掴み、突撃してきた勢いをそのままに投げ返す!

二撃を防がれ、マニューラはくるりと回転着地。
身を伏したアサシンめいた挙動で煙幕の中へと退いていく。

マニューラの二撃目はあくまで牽制、いわば鍔迫り合いで、お互いに有効打は入っていない。
つまりリザードを加速させた穂乃果に一片の歩がある…が、瞬間。穂乃果のふくらはぎにひりつくような痛みが走る。


穂乃果「痛っ!?足に血が滲んで…何かが当たった?」

聖良「“こおりのつぶて”、氷タイプ最速の礫弾。威力はそれほど高くないけれど、数をばら撒かせるには最適の技。一発は掠めてくれたようですね」

理亞「さすが姉さま、これで追いつける…!」


視界は晴れていないが、床に点々と残る血の跡が穂乃果たちが近いことを教えてくれる。
俄然勢いづいた理亞はマニューラと共に黒煙を抜ける!


理亞「……何?これは。今度は白いモヤが…」

聖良「マニューラ!理亞を抱えて下がりなさい!」

『ニャウァ!』

理亞「っ…!?」

穂乃果「リザード、“かえんほうしゃ”」

リザードの口から放たれる業火、それは社員たちに提供された技マシンの恩恵。
汎用的な炎技の中で安定性と威力のバランスが最も良い“かえんほうしゃ”。

が、それはいい。
ニトロチャージを使った時点で技マシンの可能性は姉妹の思考に含まれていて、火炎放射は想定の範疇。
様々な戦闘を経ている鹿角姉妹が驚くことはない、そのはずだった。

しかしそれは想像の遥か上!眩く爆ぜる大火!!!


理亞「きゃあっ!!?」

聖良「頭を下げて」


聖良の声を受けたマニューラに間一髪で後退させられた理亞は、突如、理解不能の大爆炎に目を白黒とさせ、思わず少女の悲鳴を上げている。
聖良はそんな妹の肩を抱いて落ち着かせ、炎上範囲からギリギリ手前、その先にいる穂乃果へと鋭く睨みを利かせている。

火が収まった廊下、足元に落ちていたのは“フラワー”と書かれた黄色い袋。
同じ袋が焼け焦げた残骸も複数落ちていて、何袋もの中身をぶちまけたのだと理解する。

聖良「小麦粉ですか…味な真似を」

穂乃果「粉塵爆発、頭の良くない私でもこれは知ってるよ。漫画とかでよく見る定番だもんね!」


再び姉妹と距離を開いて走りつつ、穂乃果はしてやったりと笑みを浮かべる。
思ったよりも火力が出て少し驚いたが、あの手練れの姉妹なら炎にまかれて大ヤケドということもないだろう。

穂乃果が手にした鞄はいつもの旅用リュックとはまるで別物、真姫の親戚の店で手に入れたおしゃれな高級ハンドバッグ。
ボールなどのトレーナー用品、着替えや諸々の日用品は真姫の親戚に預けて荷物を減らしてある。せっかくのブランド鞄も、膨れ上がっていてはみっともなく見えてしまうからだ。
それでも穂乃果はポケモン用の薬を少しと、プラス小麦粉だけは断固と鞄に詰めていた。

まさか火薬を持ち歩くわけにもいかないが、小麦粉ならどこのスーパーでだって安価で手に入る。
戦闘時に小麦粉をぶちまければ、それだけでリザードの炎をより強めることができる。まさにお手軽兵器!


穂乃果「こういう廊下みたいな狭い場所でしか使えないけど…っと、ついた!ビオトープ!」

素早くカードキーを滑らせ、認証音と共に開いた扉へと飛び込む!

「わぁ…」と思わず漏れる声。
そこに広がっていたのは広々とした自然の風景。
ビオトープと言うだけあって、ポケモンたちを野生に近い環境で棲息させている部屋のようだ。
突然部屋に入ってきた見知らぬ人間に驚いて姿を隠しているようだが、チチチ、キリキリとなにかしらのポケモンの声も聞こえている。
木々に草が生い茂り、部屋の隅には池と川のせせらぎ。
そよぐ風は自然風かと間違うほどに柔らかで、新緑の香りに鼻先をくすぐられ、穂乃果はくしゃみを一つ。


『リザッ!!』

穂乃果「うんうん、まだバトル中だよね!」

聖良「その通り。ようやく追いつきましたよ、高坂穂乃果さん」


背後、部屋の入り口に聖良とマニューラが立っている。
思った以上の手こずりにも表情は余裕を保ったまま。嫌味なほどに落ち着き払った語調は繕いではなく、あくまで本質の性格に近いものらしい。

だがそれは姉だけ。
少し遅れて現れた理亞の顔は青ざめていて、これまでルビィたちや穂乃果へと浴びせていた、強気かつ辛辣な語気は鳴りを潜めている。

(あれ、どうしたんだろ?)と穂乃果は内心に疑問を抱く。
そんな穂乃果の心中を悟ったかのように、聖良は穂乃果を軽く睨みつけて口を開く。


聖良「あなたが起こした爆発、巻き込まれかけた理亞は軽いショック状態です。
火は根源的な恐怖を呼び覚ます。よくもやってくれましたね」

穂乃果「あー、さっきので」

理亞「ね、姉さま…」

聖良「理亞、無理をしないで。私があなたのマニューラにも指示を出すから、後ろで見ていなさい」

理亞「私は…私はまだやれる!」


声を張り上げて主張する理亞。
聖良は振り向き…そんな妹の頬を優しく撫でた。


聖良「理亞、気負う必要はないわ。あなたは妹、私よりも年下。あなたが追いついてくるまでは私が守る。だから今は、成長のために観察しなさい」

理亞「………はい…」

諭され、妹は一歩引いた壁際へと位置を移す。
それに従い二匹のマニューラは姉の両側に立ち、聖良は穂乃果とリザードを静かに見据える。

ふと、穂乃果が尋ねかける。


穂乃果「妹さん、大事にしてるんだね」

聖良「ええ、たった一人の肉親ですから」

穂乃果「そっか。私にも妹がいるから、その気持ちはわかるよ」


少し間を置き…
穂乃果は聖良を鋭く睨む。


穂乃果「あなたたちが酷い目に遭わせようとしてたルビィちゃん。あの子にもお姉さんがいるの」

聖良「……」

穂乃果「ジムリーダーだから知ってるかもだけど、ダイヤさんって言ってね。ルビィちゃんのことをデロデロに可愛がってるんだ」

聖良「…そうですか」

穂乃果「同じお姉さんって立場、もし妹が連れ去られたらって…二度と会えなくなったらって!自分で考えてみてよ!あなたは何も思わないの!?」

表情豊かでこそあれ、基本的にはいつも笑顔。そんな穂乃果らしくない、怒りを感じさせる口調での問いかけだ。
それを受けて、少し目を伏せ…聖良は低い嘲笑、問いを斬って捨てた。


聖良「同じ立場になってみたら。そんなこと考えたこともないし、これから先も考えることはないでしょうね。他人のことなんて知ったことじゃ…

穂乃果「今だリザード!“かえんほうしゃ”だよ!!」

『リザァァァッ!!!!』

聖良「は?、っ…!」


困惑、飛び退く!!
マニューラたちと聖良が辛うじて横飛びに躱したその位置を、リザードの吐き出した火炎が猛然と焼き抜いていく。

見れば穂乃果は「惜っしい!」と指打ちをしていて、リザードと共に戦いやすい位置どりへと走って行っている。

聖良の答えに怒っての攻撃か?
いや、そういう雰囲気ではない。まるで…否、間違いなくタイミングを見計らっての決め撃ちだ。
義憤に震えて放ったようなあの問いかけは、単に聖良の隙を作るためでしかなかったのだ!


理亞「ひっ、卑怯…!」

穂乃果「別に、本当に聞きたかったわけじゃないもんね。人の立場で考えられる人はそもそも悪の組織なんかに入らないし、聞いたって意味ないのはわかってるもん。それに…」

聖良「……それに?」

穂乃果「戦隊モノとか変身ヒロインとかを見てる時、敵は変身中に攻撃すればいいのに~…って昔から思ってたんだ!」

聖良「それとこれとは別の話でしょう。そっちから質問しておいて…つくづく舐めた方ですね、あなたは」


聖良は気を取り直し、ハンドサインでマニューラたちへと指示を出す。


聖良(“つばめがえし”、からの“つじぎり”)

穂乃果(マニューラが動き出した!もう指示を出したの?)


技名を口に出さないことで、相手のトレーナーの対応を遅らせるのだ。
アライズ団の実働部隊、三幹部の英玲奈直々に鍛えられたテクニックの一つ。

二匹のマニューラはその機動力を活かして左右上下、目まぐるしく立ち位置を入れ替えながらリザードへと迫っていく。


聖良(高坂穂乃果、いかにその判断力が優れていようと、人間の目にマニューラたちの速度を見切ることは不可能!)

穂乃果(だったらシンプルに!私の目で見なくたっていい。任せるよ、リザード!)

聖良(“かえんほうしゃ”ですか?確実に仕留めるためにはそれしかないでしょうね。
ですがリザードはまだ中間進化体。その火力からの射出半径ならマニューラは避け切ってみせる!)

穂乃果「行くよリザード!!全力ぅっ…“かえんほうしゃ”!!!!」

『ゥゥヴ…ッッ!!リザァァァァド!!!!』

聖良「何故!」


聖良は叫んでいる。叫ばずにはいられなかった。
マニューラの速度なら避けられるはずの、当たるはずのないリザードの火炎が、理亞のマニューラを強かに捉えて焼き飛ばした!

猛然の火勢にマニューラは舞い、ドサリと草むらに落ちて戦闘不能。
「マニューラ…!」と悲しげな声を漏らす理亞、姉ははっきりと怒りに満ちた目で穂乃果とリザードを睨む。
聖良のマニューラが放った“つじぎり”がヒットしてふらついてはいるものの、未だリザードは健在。
高坂穂乃果の瞳は、得体の知れない確信に満ちている!


聖良「何故…リザードにそんな火が出せる!」

穂乃果「上だよ!」

聖良「上…?」


見上げ…理解。

穂乃果がビオトープへと走った理由を鹿角聖良は理解する。
野生ポケモンたちの健康を保ち、その棲息のために必要な環境を整える設備がそこにある。
指を高らかに掲げ、天を指し…高坂穂乃果はその瞳に陽を宿す。


穂乃果「“にほんばれ”」

聖良「強い日光が、炎の威力を飛躍的に高めている…!」


穂乃果へとビオトープのカードキーを託した社員、彼女の言った手助けとはこれだ。
停電に陥ったオハラタワーの中でも、このビオトープは動作している。仮に生態系が壊れれば損害額が大きいため、優先して予備電源が回されるのだ。

その日照システムを、社員たちは遠隔操作でMAXに!
リザードが最高火力を出すための条件を揃えてくれていた!

…その経緯を聖良は知らない。
穂乃果自身の力なのか、誰か他人の助力があったのか、それは聖良にとって関係のないこと。
過程はどうあれ、穂乃果が状況の全てを活かしてこの戦況にこぎつけてみせたのは事実なのだ。

そして今、ただ一つ理解すべきは、高坂穂乃果はここで倒さなくてはならないということ。


聖良(さもないと、高坂穂乃果はアライズ団にとっての天敵になるかもしれない!)

穂乃果とリザード、聖良とマニューラ。
互いに見合い…決着は一瞬、それを双方が理解している。

呼吸…


聖良「マニューラ…全身全霊で!“つじぎり”!!!」


駆ける!

聖良のマニューラは理亞のよりも数レベル上。
たとえリザードの火炎が増幅されているとしても、それを避けて爪を叩き込ませる自信が聖良にはある!

残火燃える草原を踏み越え、重心を左に、フェイントで右上方へと跳躍!
マニューラは高く、鋭く魔爪を尖らせる。主人の意思を、聖良の悪としての矜持を乗せた一斬を、縦回転から凄絶に直下させる!!


『マニュアッッ!!!!』


穂乃果「“猛火”」


穂乃果の呟き、それはリザードの特性。
傷を負い、危機に追い込まれた時に目覚める真の力。竜の体に眠る真炎の力!
リザードの尾先から全身へとまさに猛火、劫火が轟然と燃え哮り、照りつける日差しの力と重なり、その炎は烈烈の赤を成す!!

すっと、穂乃果は指し示す。


穂乃果「リザード、思いっきり…“かえんほうしゃ”!!!」


迸る絶炎!!!!

理亞「あ…ありえない…!」


二匹目、聖良のマニューラが倒れている。

リザードが咆哮に吐した爆炎はあまりに広くあまりに大きく、マニューラの機動性を以ってしても回避は能わなかった。
戦闘の継続…できるはずもない。聖良が手塩にかけて鍛え上げたエースは完膚なきまでにノックアウトされていて、意識を完全に断ち切られている。

理亞にとってマニューラの敗北は尊敬してやまない姉の敗北に等しく、到底認められるはずもない現実に嗚咽めいた叫びが漏れる。


理亞「……ざけるな……認めない…認めない!姉さまは強いんだ!すごいんだ!!高坂穂乃果!お前さえいなくなれば!!!」


裂けるように声を張り、理亞はその懐から黒い塊を取り出す。
それは“黒星”、中国製の密造トカレフ!
認めたくない現実は決してしまえばいい、理亞は穂乃果の横顔へと銃口を向け!


ルビィ「ぴ、ピッピ!“はたく”っ!」

『ピッピ!』

理亞「ぶはっ!!」

ルビィ「………か、勝ったぁ!」


まるまるとマスコットめいていてもポケモンはポケモン、思いきり叩けば人間の意識ぐらいは飛ばせるものだ。
部屋の外でこっそり見守っていたルビィのピッピに痛烈な張り手を食らい、理亞は拳銃を手放しどさりと気絶する。

そんな妹たちのやりとりに目を向ける余裕がないほど、聖良はマニューラの敗北に衝撃を受けている。

聖良「…………っ、負けた。……が、まだ!」


マニューラは聖良にとってのプライド。
誇りを折られた精神的な痛手は隠せないが、それでも任務を遂行しなくては。
聖良が手を掛けるのは残り一つのボール、負傷と麻痺を重ねているヨノワール。

しかしリザードの全身は未だ炎に巻かれていて、まるで限界を超えて発揮した火力にオーバーヒートを起こしているようにも見える。

穂乃果はその傍らでリザードを見つめていて、こちらへの注意が散漫になっている。
ならば殺れる。穂乃果とリザードをまとめて葬り去れる、絶好の一撃をヨノワールは持っている!

気配を殺し、そっと静かに展開。
現れたヨノワールは聖良の目配せに、両の怪腕を高く掲げ…それを振り下ろす!


聖良「ヨノワール!“じしん”!」


拳が地面を叩き、ヨノワールの体に詰め込まれた魔力めいたエネルギーが地を駆ける!
それは大地の力へと変換され、ほのおタイプのリザードが苦手とするじめんタイプの大技として襲いかかる!


聖良「この位置なら…高坂穂乃果も巻き込める。私は負けない。私が負ける姿を理亞には見せない!!」

…バサリ、バサリと、勇壮な羽音は上から。

地震のエネルギーが到達するかという寸前、リザードの炎は膨れ上がって穂乃果を飲み込み。そして上へ。
飛べば地震は当たらない、当然だ。

聖良は見上げている。
冷静と微笑を保ち続けたその口元は丸く開かれていて、唖然を隠せない。


聖良「戦闘中に…進化、させた?」


ルビィも見上げている。
橙の竜体、鋭い両翼。
穂乃果を背に乗せ、漏れる呼気は火炎に染まり、尾の灯火はさらなる隆盛を。
勇ましいその姿は、ルビィに強い感動を覚えさせる。


ルビィ「すごい…すごいよ、穂乃果さん…!」


穂乃果はさらなる進化を遂げた相棒の頭をよしよしと撫で、首にギュッと抱きついて満面の笑み!


穂乃果「えへへ、かっこいいよ!これからもよろしくね、リザードン!」

『リザァッ!!』

穂乃果「それじゃとりあえず…トドメ!“かえんほうしゃ”だ!!」

『グルゥゥ…!ザァァァドッ!!!』


上空から降り注ぐ火炎、進化したリザードンの炎は烈火!
壮絶な火柱がヨノワールの全身を包み込み、完全なる打倒!!

すとんと降り立ち、穂乃果はルビィへと満面の笑みを向ける。


穂乃果「よしっ、私の勝ち!!」




ガクッと膝を折り、呆然と佇む聖良。
はたかれて気絶したままの理亞。

戦闘こそ勝利で終わったが、さて、この二人をどうしたものかと穂乃果とルビィは顔を見合わせる。


穂乃果「縛って下に連れてけばいいのかな?」

ルビィ「し、縛って…でも、まだちょっと怖い…」

穂乃果「うーん、ポケモン抜きにすれば私とルビィちゃんより断然強いもんね…」

ルビィ「ぅゅ…銃とかも持ってたし…」


と、そんな会話を数分、二人の心配は杞憂に終わる。
ドヤドヤと足音を鳴らし、警官隊が踏み込んできたのだ。

細かく状況を説明しなくてはならないかと身構える穂乃果だが、真姫が穂乃果たちの人相については説明を済ませてくれていたようでやりとりはスムーズに終わる。
花丸と善子の二人も警官隊にもう保護されたらしく、ルビィはほっと胸を撫で下ろす。

そして警察たちが聖良に手錠を掛けようとした時…聖良が動く!

聖良「……ッ!」

「銃を取り出したぞ!」
「取り押さえろ!」
「う、撃った…自分のヨノワールを撃ったぞ!?」

聖良(アライズ団特製、遠隔で射ち込める強心剤。さあヨノワール、起きなさい)

「うわっ!このヨノワール起き上がった!?」

穂乃果「え!?」

聖良「ヨノワール!“トリックルーム”!」

ルビィ「ぅえぇ!?変な感じがするよぉ!」


聖良が指示を出した瞬間、グニャリと室内の空間が歪む感覚。
速度を反転させる特殊な技、“トリックルーム”を発動させたのだ。

物理法則の書き換えに動揺する穂乃果、ルビィと警官たち。
その一瞬の隙に、聖良はヨノワールへと一声を張り上げた。


聖良「理亞を連れて逃げなさい!」

『ヨ……』

聖良「私はいい!逃げて!早く!!」

『ッ…ヨノワール!!』

聖良は悪に加担している人間だ。
しかし少なくとも、ヨノワールにとっては良い主人だったらしい。
自分を見捨てろという聖良の指示に、ヨノワールの無機質なモノアイが一瞬の揺らぎを示す。

再度の強い指示に、ヨノワールはようやく反転。
壁際で気絶している理亞を抱え、猛然と部屋から飛び出していく!


「撃て!逃すな撃て!」
「駄目です!弾丸が遅い…!」
「この女…よくも!」

聖良「ぐっ…!」


悪党とはいえ年頃の少女、そんな意識からどこか遠慮があった警官たちも、一瞬の隙をついた立ち回りに意識を改める。
聖良は大の大人たちから全力で床に抑え付けられ、苦痛の呻きを漏らす。

だがその目は優しげで、妹が無事に逃げおおせることを心から祈っている…少なくとも、穂乃果とルビィにはそう見えた。

ついに手錠をかけられ、聖良は荒々しく連行されていく。
すれ違いざま、聖良は穂乃果へと初めて素直な表情で笑いかけた。


聖良「こう言うのもおかしいけれど…楽しかったですよ、あなたとの戦い。次は負けませんけど」

穂乃果「……うん、私も。楽しかったよ!」


その言葉を最後に聖良は姿を消した。
…と、ビルが揺れていることに穂乃果とルビィは気付く。


ルビィ「ぅぇ…!な、なんの揺れ…?」

穂乃果「誰かが戦ってる…?海未ちゃん…ことりちゃんかもしれない!」

ルビィ「あっ、穂乃果さん!?」

穂乃果「警察の人たち!ルビィちゃんをお願いします!」


「君!危険だぞ!」という警察の声を振り切り、穂乃果とリザードンは上の階を目指す。
窓の外は豪雨が降りしきっていて、飛んで上がるのは少しリザードンに負担がかかりすぎるだろう。


穂乃果「………はぁ、階段か」

『リザ。』


疲労に溜息一つ。
穂乃果は上を目指し、バタバタと階段を駆け上がっていく!




豪雨が頬を濡らしている。

曜の頬には血が滲んでいて、片目は流血に塞がっている。
打撲、裂傷。肋骨に、鎖骨が折れているかもしれない。

しかし曜の瞳はその痛みをまるで認識していない。

打ち砕かれた壁、吹き込む烈風と雨。
ただ視界の邪魔をする赤。
曜にとってはそれだけの意味しかない血を雑に拭い、敵対者、優木あんじゅへと恨みを込めた指先を向ける。


曜「……ルカリオ、次は右腕だよ」

あんじゅ「いい加減にしてくれるかしら?この気狂い…!」


あんじゅの左腕は肘から逆に曲がり、へし折れている。
綽々、悠然。そんないつもの表情は若干曇り、痛みに血の気が引いているようにも見える。
あるいは面前、曜の狂気に圧されての戦慄か。

アーマルド、ビビヨン、ビークイン。
三体が倒されていて、手持ちは残り半分。


あんじゅ(底知れない)


そんな恐るべき怪物を目の前に、あんじゅは切り札の一つへと手を掛ける。
それは最速の白。突入前、ツバサを撃ち抜かんと照準を定めていた狙撃部隊を壮絶な速度で仕留めてみせた怪物。


あんじゅ「嬲り殺しよ…!フェローチェ!」


むし・かくとうタイプ。その性能を速度へと特化させ、極限まで細さを追求した歪な、それでいて限りなく美的なフォルム。
英玲奈のテッカグヤと同じ、UB(ウルトラビースト)と分類される異世界からの来訪者だ。

そんな超常の存在を目の前に、曜の瞳は未だ憎悪を絶やさない。


曜「……次はそいつか」


呟き、続く死闘。

あんじゅ(ああもう、これだから関わりたくなかったのよ。この手合いとは)


内心に悪態を吐きつつ、あんじゅは顔に降りかかる雨粒を不愉快げに掌で拭う。

高圧の電極を押し当てられたような、ずくりずくりと荒く重い痛みが呼吸ごとに駆け上がってくる。
無理やりにへし曲げられた左腕はポケモンに、対峙するルカリオにやられた傷ではない。
交戦のさなか、身一つで踏み込んできた灰髪、渡辺曜のその手で極められ、グキリと力任せに捻られての負傷。


あんじゅ(全く、全くもってふざけてる。この私がどうしてこんな目に!)


その思考はあんじゅが千歌へと上機嫌に語った狩られる側のそれなのだが、気付いていない。とにかく不愉快な痛みにそれどころではない。

深呼吸を一つ。
仮にもマフィア、アライズ団の三幹部が一柱。
腕を一本折られた程度、腹は立てど、動揺するほどヤワではない。

…一旦、戦況を整理するべきだ。
とにかく得体の知れない相手、“曜ちゃん”とかいうイカれ女。
その行動パターンを理解する必要がある。


あんじゅ(あの忌々しいルカリオがアーマルドを倒したとこから開戦。
私はビークインに加えてビビヨンを展開、向こうはルカリオに加えてフローゼルを出した)

あんじゅ(この雨で素早さの上がったフローゼルがビークインに一撃…けれど私のビークインは鍛えられてる。返り討ちにしてあげたわ。
続けて出てきたのはペリッパー。これも問題なし。ビビヨンの“ぼうふう”で落としてやった)


そこまでを思い返し、あんじゅは小さく舌打ちを。
アーマルドが倒されたのは予想外とはいえ、ここまでの戦況は順調に推移していたのだ。
だが、ここからあんじゅの計算は狂い始めた。


あんじゅ(フローゼルとペリッパー、あの二匹はざっと見てレベル30前後。私の敵じゃない。
それが一体どういうことか…あのルカリオはどう低く見積もってもレベル50…いや、60オーバー!
それも、他の二体を私が倒している隙に抜け目なく“つるぎのまい”で攻撃力を上積みしていた…!)


直後、ルカリオは“しんそく”を発動させる。
まさに神速、目にも留まらぬスピードでビークインの防御網を突破して撃破。返す刃でビビヨンの懐へと潜り込み、続けて撃破してみせたのだ。

そうして三体が倒され、今に至る。

思い返してみても募る不審、あんじゅは内心に首を捻る。
エースを集中して育ててレベルを突出させるタイプのトレーナー、それ自体は珍しくない。
しかし、この渡辺曜とかいう少女のそれはあまりに歪。
エースのルカリオだけが他のポケモンの倍以上のレベル?構築としてありえない!


あんじゅ(………けれど、いいわ。向こうの手持ちはルカリオを含めて残り二匹。こっちはまだ三匹。それもこのとっておき、フェローチェがいる)


あんじゅの傍らでは美麗なる白細、フェローチェが指示を待つ。
このUB(ウルトラビースト)と類されるポケモン、数ヶ月前にアローラ地方に出現した異空間の生物なのだという。
伝聞調なのは、あんじゅ自身が捕まえたわけではないからだ。

アローラ地方にも中国資本は多数進出していて、複数体現れたUBのうち数体を国際警察が把握するよりも先に確保していた。
それが裏の人脈を巡り、高額での売買を経てツバサ率いるアライズ団へと渡ってきた。
そんなわけで、あんじゅはフェローチェを所持している。

しかしこのフェローチェ、どうにも気位が高い。
こちらの世界の存在する全てを汚らわしく感じているフシがあるようで、同様に気位の高いあんじゅとしては今一つソリの合わない部分がある。女王は並立しないものだ。


あんじゅ(まあ…戦ってくれるのなら文句は言わないけれど)


曜「ルカリオ、あの白いのは速そう。見極めに気をつけて」

『リオッ』


向かい合う曜は幽と佇み好機を窺っていて、隙など見せてやるものかとあんじゅは心中に中指を立てる。

鬱陶しく降り続く雨を右腕で拭い…仕掛けないのには理由がある。

フェローチェの強さは攻めに極振り。高速鋭撃、ながらに紙耐久。
並の敵ならいざ知らず、あのルカリオを相手に仕留められなければ返しの一言で落ちる可能性がある。でなくても縺れれば苦戦は免れない。
迂闊に仕掛けるのではなく、磐石のタイミングを狙うべきだとあんじゅは踏んでいる。

そんな敵を睨み据えながら、曜の意識は部屋の片隅…
気を失って倒れた千歌へと向けられている。


曜「ごめんね…」


小さな声で謝る。
千歌を気絶させたのはあんじゅではない、曜だ。

思い起こす…


千歌「曜ちゃんっ…!」


部屋に踏み込んだ曜へ、千歌は涙を流しながら駆け寄ってきた。

よほど怖かったのだろう、あるいは死も頭を過ぎったのかもしれない。
曜の腕の中に収まった千歌は、瘧のように体を震わせながら必死にしがみついてきた。
そんな幼馴染、想い人の香りが愛しくて胸が苦しくて、曜は共鳴するように肺を震わせ、深呼吸を一つ。


曜「もう大丈夫だよ、千歌ちゃん」


優しく囁き、隠し持っていたスタンガンを背から当てたのだ。
防犯用スタンガン、それを人体に後遺症を残さないギリギリまで高圧に改造した物だ。抱きしめた姿勢から押し当てれば何もわからないままに意識は飛ぶ。

糸の切れた人形のように力の抜けた千歌を壁際へと寝かせ、今に至る。


あんじゅ「それにしても、どうしてその子を気絶させたのかしらぁ?
そんな物騒なスタンガンなんて持っちゃって…フフ、いつか手篭めにする計画でもあったとか?」


フェローチェを臨戦に待機させたまま、あんじゅは嘲るような調子で曜へと尋ねかける。

与し難し。
そう見て、おそらくは曜の弱みである千歌について探りを入れ、あるいはそこに付け込もうという魂胆だ。
曜はそれを受けて表情を変えず、しかし無視するでもなく静かに応え。


曜「今の私の姿を、千歌ちゃんには見せたくないから」

あんじゅ「はぁ…?」

曜「血みどろで、汚れてて、大切な幼馴染に言えないような気持ちを抱いてて…お前を殺したいほど憎んでる。こんな私を千歌ちゃんには見せられない」

あんじゅ「少なくとも、自分がイカれてるって自覚はあるのねぇ…?
いいわ、ここで終わらせてあげる。あなた見た目は素敵だけれど、私のコレクションにジャンク品は必要ないの」


フェローチェが姿勢を低め、突撃体制へと移行する。
加速度は全てのポケモンで最速。
瞬時に到達する最高速は200キロオーバーだと、あんじゅはフェローチェの性能に関してそう聞いている。
実際に共に戦ってみて、それは決して誇張ではないと感じてもいる。

曜とルカリオは呼吸を沈め、眼光を燃やし…

先に仕掛けたのはあんじゅ!


あんじゅ「フェローチェ!“とびひざげり”!」

超加速!!!
フェローチェの踏み出し、瞬間吹き荒れる突風。
跳んだ白魔、その膝はまさに凶器と化して鋭利。
波動エネルギーを礎とした鋼質の皮膚を有するルカリオであれ、まともに受ければ一撃必倒は逃れえない。

だが曜とルカリオはあんじゅの指示と同時、前へと駆け出している。
人が直撃すれば即死を免れないフェローチェの鋭打、曜は躊躇なくその方向へと進み、かつ瞳を見開いている!


曜「ルカリオ、左。三番で受けて」


ごく端的な指示、それだけで曜とルカリオはそれぞれ左へとずれる。
直後、曜はフェローチェの突撃、その左脇を掠めて抜ける!
曜の指示で位置をずらしたルカリオは“とびひざげり”の直撃軌道、そこからわずかに外れた立ち位置にいる。…激突!!


あんじゅ「そ、そんな…!?」


肘と膝で挟み受け、ルカリオはフェローチェの“とびひざげり”を止めている!
あんじゅは驚きに声を漏らす。あの速度を見切った?まさか!

絶対的に確信していたフェローチェの速度を受けられ、あんじゅの思考に僅かな空白が生まれる。
その隙、曜は振り返ることなくルカリオへと指示を出している。


曜「“インファイト”」

『リオッッ!!!』

あんじゅ「……っ!ぐうっ!?」

曜「捕まえた…!」


ルカリオへとインファイトの指示を出すと同着、曜はあんじゅへと組み付いている。
全体重を乗せて飛びかかり、押し倒してマウントを取った状態。
こちらもまたインファイト、曜の瞳は爛々と怒りの火を燃やしている。


あんじゅ「この…!」


背を痛打した痛みに低く呻き、しかしあんじゅは怯んでいない。
フェローチェをルカリオに受けられたことに驚きこそしたが、思考は既に曜をどう振りほどくべきかへと移行している。

(どうすればいいか?そんなの簡単。嫌ってほど知ってるわ…経験上ね)

優木あんじゅは衣・食・住の万事において高価、上質を好む。それは貧民から悪の道を這い上がってきたからこその反動だ。
暴力にまみれ、力がなければ搾取され、そんな生涯を辿ってきたからこそ、血で血を洗う喧嘩には慣れている。
親指を立て、曜の左目へと目掛けて右腕を突き出す!

あんじゅ(どんな相手であれ目を狙われれば一瞬怯む!その隙を…)

曜「関係ない」

あんじゅ「がっ…!」


曜は目を瞑らない!
親指が瞼の中へ入ったのにも構わず、拳を真上から鉄槌めいて振り下ろす。
千歌の頬、殴打の痕とまるで同じ位置へと打擲を与え、さらにもう一撃を顔面へ!


あんじゅ「う、ぐっ…!この…!」

曜「街で言ったよね?千歌ちゃんに手を出したら潰すって」

あんじゅ「黙…あぐっ!」

曜「お前が黙れ」


三発、四発…
力加減など皆無、自分の拳が痛むのをまるで無視して殴り落とす打撃。
あんじゅの顔、殴られた箇所は内出血に青黒く腫れ、頬骨は恐らく折れている。
対する曜の顔は左目からの流血に赤く染まり、それでも表情に苦痛や畏れは宿らず、ただ優木あんじゅへの復讐心だけがドス暗く燻っている。
その様はまさに修羅めいていて、その鬼気は数々の死線を渡ってきたあんじゅに息を飲ませるほど。

すう…と、
連打の合間に息継ぎ一つ、曜はわずかに手を止める。
血混じりの唾を吐き捨て、あんじゅは曜へと問いかける。


あんじゅ「……あなた、恐怖心はないわけ?」

曜「恐怖ってさ、二種類あるらしいんだ」

あんじゅ「……」

曜「一つは先天的。人間が生物として元々持ってる危機回避本能、ってやつ。この部分はどうも壊れてるみたいなんだ、私。
小さい頃から飛び込みとかやってて、一度も怖いって思ったことがないから」

あんじゅ「……もう一つは?」

曜「後天的な恐怖。失敗したこと、上手くいかなかったことを通じて覚えていく恐怖の記憶。
でもね、私…やろうとしてできなかったことって、人生で一つもないんだよね」

あんじゅ「っ…」

曜「お喋りは終わりだよ。千歌ちゃんに触れた手は…千歌ちゃんを汚そうとしたのは、その右手だよね」


掴む。
片腕を肘の裏へと差し込んでテコに、もう片腕で全体重を乗せ、みし、みしと関節と靭帯が損なわれていく音が…!

あんじゅは叫ぶ!


あんじゅ「フェローチェ、“どくづき”!この女を殺しなさい!!」

曜とあんじゅが組み合う背後、格闘タイプ同士で行われていた激しい戦闘は紙一重の差でフェローチェの勝利に終わっていた。
あんじゅが曜へと問いかけたのはフェローチェがルカリオを倒しきるまでの時間稼ぎ。マウントを取って一心不乱に殴り続けていた曜には後背の決着は見えていないと踏んだのだ!

迫るフェローチェ、その手先は白液に包まれている。
白い樹液が往々にして毒性と言われるように、自然界における白は強毒を示す色でもある。
それを指先に纏わせての貫手、時速200キロで!仕留められないはずがない!!


あんじゅ「殺った!!」


……が、殺せず!

フェローチェが突き出した腕を、灰色の剛腕がはしと掴み止めている。
そのレベルはおそらく60前後、あんじゅは考え得る可能性の中で最悪の展開に、ぎりりと歯噛みをする。


あんじゅ「四天王、桜内梨子…!」

『カイリキィッ!!』

梨子「曜ちゃん!大丈夫!?」

曜「ああ。梨子ちゃんか…」

救援がなければ曜は敗北していたかと言えば、そうではない。
フェローチェの刺突に合わせるように、背後へとドククラゲを展開していた。
守備的に育成されたドククラゲは現れると同時、曜の指示で対物理用の“バリアー”を展開させている。レベル差はあれ、“どくづき”の一撃には耐えてみせていただろう。

ただそれでも曜の手持ちは残り一体。
今の交撃の隙にあんじゅは曜の下から這って抜けていて、戦局は仕切り直し。

曜の手持ちは残りドククラゲのみ。
あんじゅはフェローチェと、他に二体。

そんな戦況と壁際で気を失っている千歌を併せて見て取り、梨子は曜へと歩み寄り、肩に手を掛け労おうと近付いていく。


梨子「曜ちゃん、お疲れさま…。あとは私が…」

曜「手を出すなッ!!!」

梨子「…っ!」


停電と雨空に薄暗い社屋、その闇絹を裂くような叫び声。
あんじゅに浴びせたいくつもの怒気より、梨子への警句はよほど鋭利だ。

梨子は思わずたじろぎ、無自覚に半歩身を引いている。
浴びせられた曜の眼光は無軌道な感情で濁りきっていて、それは怒りや悲しみ、あるいは…嫉妬だろうか。

汗と戦塵、血に乱れた自らの灰髪を鷲掴み、毛先のウェーブを強めるのようにワシャワシャと掻き乱す曜。
口元は譫言のように動かされていて、瞳は熱病に浮かされたように揺れている。


曜「私の役目だ…私の…!私だけの千歌ちゃん…!!」

梨子「……」


肌が粟立っている。
曜の鬼気迫る表情に、梨子は畏怖めいた感情を抱く自分に気が付いている。
この友人は、身の内に得体の知れない怪物を飼っている。
そしてきっとその煮え滾る感情の一部は、自分への拒絶として向けられている。
それは果たして、本当に友人と呼べるのだろうか。

しかし梨子は踏み出す。
臆さず…いや、少し臆しながら、それでも曜へと歩み寄ってその肩に手を掛けた。


梨子「ううん、手を出すよ。大切な友達が怪我をしてるんだから。
少なくとも、私にとっては曜ちゃんも千歌ちゃんも同じくらい大切」

曜「……っ、う…違う、違うんだ。ごめん梨子ちゃん、私も梨子ちゃんは大切な友達だと思ってて…でも、でも…!」

曜は狂気と正気の狭間、誠実な梨子の瞳に動揺を走らせる。
引っ越してきて知り合ったもう一人の友達。自分にないものをたくさん持っていて、女の子らしくて繊細で、少し怖がりで優しくて。

嫌いじゃない。嫌いな訳がない。

だけどあんじゅに襲われた危機の中、千歌が呼んだのは梨子の名前で、それを聞いてしまっていて…


曜(私の世界を奪わないで…)


声にならない嗚咽に呻き、よろめく曜。
恐怖を知らない少女にとってただ一つの恐怖、それは千歌を失うことであり、千歌が自分から離れていってしまうことだ。

それでも梨子は優しく声を掛けてくれていて、自分の燃えるような悋気が愚かしくて余計に辛い。


梨子「大丈夫だよ…落ち着いて。ひどい怪我…痛くないの?」

曜「……相手が強いのはわかってたから、事前にドククラゲの毒を薄めて注入して、麻酔みたいにしてきたんだ。痛みを感じないように」

梨子「……曜ちゃんは、もっと自分を大事にしなくちゃ駄目よ」

曜「………うん」

梨子「あとは私に任せて、ゆっくり休んでて…」

どこかぎこちない曜と梨子のやり取りを遠目に、あんじゅは考察を深めている。
不意打ちを掛けようにも梨子とカイリキーは共に隙がなく、無闇に突っ込ませたところで手札を無駄に消費してしまうだけだ。

故に考察を。
曜は何故フェローチェの初撃を見切れたのか。
曜は何故見ていない背後からの攻撃にドククラゲの展開を合わせられたのか。


あんじゅ(ようやく理解できた。私の目で見切ったのね…バケモノめ)


曜の目はポケモンではなく、指示を出すあんじゅの側を常に凝視していた。
それは激怒からの凝視だと思い込まされていたが、その実この少女は淡々とあんじゅの所作から次動を洞察、ごく早いタイミングでの対応を続けていたのだ。
恐怖を抱かず、刮目し続けるからこその見切り。やはり狂気めいていると評せざるを得ない。

しかしルカリオは倒した。
場に出ているドククラゲも耐久力はあれど、レベルはせいぜい30台そこそこ。


あんじゅ(実質、曜とかいうのは倒した。手負いのフェローチェと残り二体、それでどうにか桜内梨子を…!)


曜「いや…まだ、私は負けてないよ」

戦闘を引き継ぐという梨子の申し出を、曜は強くはない口調、しかし断固とした意思を感じさせる目で断った。
まさか、それは想定していなかった。あんじゅは驚きに眉を顰め、距離を保ったままに思わず尋ねかける。


あんじゅ「正真正銘、馬鹿なのかしら?イカれてるとは思っていたけれど、詰んだ勝負もわからないだなんて…」

曜「ドククラゲ、戻っててね」

あんじゅ「はぁ?残り一体をボールに戻して …」

曜「誰も、手持ちがこれで終わりだなんて言ってない」


そう呟くと、おもむろに鞄から取り出したのはもう一つのボール。
腰に提げた四つ以外に、もう一つボールを隠し持っていたのだ、

これが正式なトレーナー戦であれば、互いの手持ちを確認してからの戦闘開始がマナーでありルール。
ホルダーにセットしたボール以外からポケモンを繰り出すことは許されない。相手の戦略を崩して追加で一体という騙し討ちめいたことが可能になってしまうからだ。
しかし今はルール無用の野良試合、流血の殺し合い。隠していた一匹を繰り出すことに何の問題もなし。

曜はそのボールを手に…投げ放つ。


曜「頼むよ、カイリュー」

現れた竜体、600族の一角はルカリオを上回る高レベル。
烈風と雨に吹き付けられながら、驚くあんじゅとフェローチェをその眼光で射すくめている。


梨子(曜ちゃんはバッジ五つのトレーナー…というのは、本当は嘘。
嘘と言えば語弊があるけど、曜ちゃんは実力を隠してる。私はポケモン博士で事情通の真姫ちゃんからそれを聞いて知っている)

梨子(小さい頃から飛び込み競技のジュニア代表で海外遠征をすることが多かった曜ちゃんは、旅の寂しさを紛らわす友達としてポケモンを育てていた。
そして気まぐれに、各街のジムに挑戦していた。…たったそれだけ。そんな簡単な経緯で、集めた海外のバッジは八つ)

梨子(千歌ちゃんはそれを知らない。海外の事だから隠そうと思えば隠せるものね。
千歌ちゃんと一緒に、足並みを揃えて旅をしたいと願った曜ちゃんは育てたポケモンたちをボックスに預けた)

梨子(なにかあった時のためにルカリオだけを持ち歩いて、他のポケモンたちは一から育て直して。
ルカリオのことはお父さんから貰ったポケモンって説明していたみたい。だから、本来の曜ちゃんの姿は…)


曜「“げきりん”」

あんじゅ「………っ…!!」

カイリューの剛腕がフェローチェを叩き伏せた。
ビル床は粉々に砕け割れ、その一撃が驚異的な威力なのだと雄弁に物語っている。

死闘の中に底を見せていなかった。
血塗れで竜を従え、風雨にその鬼気が一層際立つ。
地上からは警察の強烈なサーチライトがタワーを照らし上げていて、差し込んだ強光が曜の姿をあんじゅから見て逆光に隠す。


曜「カイリュー…“げきりん”を」

梨子「!?待って曜ちゃん!まだポケモンを出してない…!」

曜「右腕に」

『ァァイ…リュウッッ!!!』

あんじゅ「……ッッ!あ゛あああああっっ!!!」


潰れている。
UBフェローチェを打倒してみせる竜の一撃を、曜は人間の、あんじゅの右腕へと目がけて振り下ろさせたのだ。
それは初対面、街での宣言通り。
曜は静かに指を掲げ、あんじゅに訓示めいて指し示す。


あんじゅ「嫌…私の腕が…っ、そんな、痛い…痛い…!そんな…!」

曜「“潰した”」

あんじゅ「ひ…っ…!」

黒影に包まれた曜の姿…
その目だけが爛々と輝いていて、それは絶対的な威圧と暴威を宿していて。
あんじゅはごく幼い頃、怯えながら苦痛に耐えるしかなかった自分の無力を垣間、思い出す。

思わず漏れた小さな悲鳴…
それを心底から恥じるように、あんじゅは自らの唇の端を噛み切って立つ!


あんじゅ「何を…怯えているの、優木あんじゅ…!私は!!もう過去の、弱い私じゃない!!!」


へし折られた左腕を気合いで動かし、掴むは残るボールの一つ。
激痛に溢れる涙を呻いて堪え、力任せにボールを叩きつける!!


あんじゅ「目にモノ見せるわよ…!サザンドラ…!!」

梨子「サザンドラ!?虫タイプ専門のトレーナーじゃ…!」

あんじゅ「誰もそんなことを言った覚えはないわ…!私は好きなポケモンを好きなように使う!それだけよ!」

曜「関係ないよ、何だって。まだ悪あがきするなら、脚まで潰さなきゃ」


と、壁際…動く気配。
曜が顔を向けると…


千歌「曜、ちゃん…?」


目を覚ました千歌が、引きつった表情で曜を見つめている。


曜「千歌、ちゃん…!?」

どうして目を覚まして?
あの電圧でこんなにすぐ目を覚ますはずは
千歌ちゃん
雨…吹き込んでる雨!
顔が濡れて
それより戦場、音も震動も普通の場所とは違うんだ!
風も吹いて寒くて
なんでそれを計算に入れなかった
無事に目を覚ましてくれてよかった
そんなところにいたら雨で風邪を引くよ

いや、そんなことより


曜(見ら、れた…!)

千歌「曜ちゃん…!曜ちゃん!大怪我してるの…!?」

曜「だ、駄目だよ…見ないで。千歌ちゃん、見ないで…!」

千歌「ごめん曜ちゃん…私のせいだ…私が弱いせいだ…!!」

梨子「千歌ちゃん!曜ちゃん!今は話よりも敵を!」

あんじゅ「まさか、あなたに助けられるなんてね…千歌ちゃん。サザンドラ、“りゅうせいぐん”」

梨子「っ…!」


逆曲がった左腕を高らかに掲げ、あんじゅが命じたのはドラゴンタイプの奥義、“りゅうせいぐん”。
読んで名の通り、竜の咆哮が天から無数の隕石を、流星群を呼び寄せるのだ。

三つ首の邪竜サザンドラは主人の危機を見て取り、その命に全霊を賭けた一撃を。
猛然と降り注ぐ星々がオハラタワーの側面へと突き刺さり…


梨子「………逃した、わね」


カイリキーに加え、梨子が素早く展開したキテルグマとバシャーモの二体が竜の狂乱から梨子たちを守っていた。
縦横に大きくこそぎ落とされたフロアに立ち尽くし、梨子はサザンドラの飛び去った夜空を見上げる。

振り返れば、曜は自らの狂気を、自らの秘密であるカイリューを千歌に見られた絶望と混乱にうずくまっていて自失。
千歌は未だはっきりとしない意識のまま、自らの無力が曜を傷つけたことを嘆いている。

ひどく不安定な状態、親友たちをいたわしげに見つめ…
梨子は二人の肩を抱きしめ、少しでも傷を癒せるようにと呟いた。


梨子「千歌ちゃん、曜ちゃん…お疲れさま…」




衝突、打音。衝撃!

突き出される拳を掌打が払い、巻き込むような蹴りもまた同様に打撃が払う。
飛沫!水柱が高々と立ち上り、その中からクルクルと華麗にバック転、ゲコガシラがコジョンドとの距離を離す。


海未「ゲコガシラ!“みずのはどう”!」

ツバサ「避けときなさい、コジョンド」


低空、身を捻ったサイドスローから投擲される水弾。コジョンドは指示通り、軽やかなステップでそれを回避してみせる。
繰り広げられているのは体術メインの凄まじい高速戦。地下研究棟の戦いは既に始まっている!

ゲコガシラとコジョンド、その交戦は人の目では捕捉に苦労するほどの目まぐるしさ。
しかし海未とツバサ、それをはっきりと視認できる者の目には、二体の力量差は歴然としている。


海未(厳しいですか、ゲコガシラ?しかし…私たちはそれでも勝たねばならない!)

(ゲコッ!)


再びの近接、海未から飛ぶ指示。
ゲコガシラは身を沈め、コジョンドの隙を縫うように背を地へと滑らせる。
そしてそのまま背筋を頼み、ブレイクダンスめいた体制での高速回転蹴りへと移行する!


海未「“でんこうせっか”です!」

ツバサ「面白い、けれど曲芸ね。“はたきおとす”!」


コジョンドは眼光刹那、だらりと伸びた腕の体毛を恐るべき速度でしならせる。
縦振りでの打擲、鞭打にも似た一撃は音速を超え、ゲコガシラの蹴撃を上から殴りつけて静止!
ゲコガシラの青い体が研究室の床へと打ち付けられる!


『ゲコオッ…!!』

海未「ゲコガシラ!大丈夫ですか!?」

ツバサ「アナタも余所見をしてる暇はないわよ」

海未「━━ッ!」


ツバサが海未を間合いへ捉えている!


海未(…が、好機!)


そこは無論、海未の間合いでもある。
親指以外の四指を折り、親指は横で曲げて添え、するりと流体の所作から放つは平拳!

園田流はトレーナー道、ながらに日本武術をも総じて修めている。
カウンタータイミングで突き出された拳がツバサの首下、胸骨へと向かっている。
鍛え上げられた拳は凶器、海未に躊躇は既になし。呼吸器系を損壊せしめる一打が伸びる!
が、しかしツバサはそれを受ける!

左右の手で交互、挟むように叩いて海未の打撃を殺すと、目にも留まらぬ高速連打が海未の上体へと叩き込まれていく。そして蹴り!!

連打を受けて後背へと転がる海未へ、蹴りの姿勢から立ちへと再移行。
ロングコートの裾を翻しながら、ツバサは浅く笑いかける。


海未「ぐっ、う…!(強い…!)」

ツバサ「あら、ギリギリで身を引いて致命傷を避けたのね。やるじゃない」

海未「その速度…、詠春拳、でしょうか?」

ツバサ「我流よ。八極拳とか諸々…あと、格好いいから截拳道をミックスで」

海未「……適当な…」


よろめく海未の元へ、ゲコガシラも同様に吹き飛ばされて転がってくる。
切り返すように身を捻り、すかさず体勢を整えて臨戦。未だ戦意は失われていない。
しかしその身には軽くないダメージが刻まれていて、このまま無策に戦わせても勝ち目はないことがありありと見えている。


海未(策を…タイミングを見計らわなければ!)

そうして海未をあしらいながら、ツバサは横目に離れた位置、台座に眠るミュウツークローンのボールを見やる。
そしてさらに横目、もう片方の戦闘へと気を向ける。
そこで戦うのはガブリアス、対するはドラミドロとチルタリス。そしてトレーナー南ことり!


ツバサ(へえ、粘られてる。やるじゃない?)


南ことり、ダイイチシティでツバサが直々にイーブイを奪い取った少女。絶望に瞳を染めたその姿はツバサの記憶にもはっきりと残っている。
ふわふわとした印象だったその少女がドラゴンタイプ、ドラミドロを伴って現れた姿は凄絶な雰囲気を漂わせていた。

(正直、シビれるわね。好きよ、そういうの)とはツバサ。

そんなことりはさらにチルタリスを繰り出し、竜族を専門とするトレーナーとして歩み出した…否、既に道を歩んでいるのだと示してみせる。


ことり「ドラミドロ、“ヘドロウェーブ”」


ことりは従えるドラミドロの毒液、コンクリートを腐食、溶解させるだけの強毒をツバサへと目がけて解き放つことを躊躇わなかった。

ト、ト、と後歩。
ツバサの回避は危なげないが、しかし躱したことでツバサはミュウツークローンとの距離を離されてしまった。
そこで海未とゲコガシラが挑みかかってきたのを迎え撃ち、ガブリアスをことりの方へと差し向けて今に至る。

地下研究棟の堅牢な警備を前に、圧倒的蹂躙を為してみせたツバサのガブリアス。
しかし見るに、ことりは猛然の攻勢を受け流すような戦術を見せている。


『ガブァァ…リアッ!!!』

ことり「“げきりん”…チルタリス、“コットンガード”で受けてね」

『チルルゥ』

ことり「ドラミドロは距離を取りながら、“ねっとう”をおねがい」

『ドルァッ!!』


枯木にも似た体、細身の竜口から煮え滾る熱湯が放出される。
ガブリアスは高速でそれを避けるも、高温の飛沫が少量跳ねかかるのは免れていない。


ツバサ(私のガブリアスとはまだレベル差がある。易々とは落ちない。けれど、“ねっとう”でヤケドを負わされている。火力が落ちてるわね)


強靭かつ無敵のガブリアスもトレーナーの指示あってこそ。
食らいついてくる海未と遅々とした防御型戦術のことり、二人を両面で相手にしつつの戦いは、ツバサにも少々の厄介さを感じさせている。


ツバサ(南ことりは、なんかこう戦い方が…ねっとりしてるのよね。面倒臭い。ガブリアスの方に指示出してあげるべきかしら?
けど園田海未も何かを狙っている雰囲気があって…っと!)


ツバサの思考の隙を縫い、海未が駆け出している!
その脚はツバサへと向いておらず、横、斜めへの疾走。
海未の目が捉えているのは台座に置かれたミュウツークローン!


海未(戦局の打開…そのためには貴女の狙いを、先んじて私が奪う。
もちろんこの局面を乗り切ればオハラへと返します。これが最善!)

ツバサ「悪くない発想ね。けれど私に脇腹を見せて無事で済むと?」


ツバサは懐へと手を。抜き放つは拳銃!
手慣れた流れで素早く構え、海未へと照準を合わせて引き金を…


ことり「ドラミドロ、“ヘドロウェーブ”を…海未ちゃんに」

『ドルァッッ!!!』

海未「な、…!?」


飛び退く!!
濃紫の怪液が飛散し、海未の行く手を強毒が遮った。
ジュウ、と不気味な音を泡立てながら床は腐食。とっさに背後に飛び下がっていなければあるいは、海未も…!

海未「………っ、ことり…!」

ことり「注意はしてたよね…海未ちゃん。ことりの邪魔をするなら、海未ちゃんでも倒しちゃうって」

海未「……貴女の目的とは、親友を殺めてまで成さなければならないものなのですか」

ことり「私はね…もう、何も失くしたくないんだ…。そのためには力が…たくさんの力がいるの」

海未「問いへの答えになっていませんよ、ことり。今の貴女には…私の言葉は届かないのですか?」

ことり「そのためにはね、そのボールの中身が必要なの」

海未「ふざけないでください…姿を晦まして、連絡もよこさず…!穂乃果や、真姫が…私が!!どれだけ心配したか!!!」

ことり「もう一回言うね?邪魔しないで、海未ちゃん。おねがい」

海未「どうやら何を言っても無駄のようです。穂乃果はともかく、貴女に手を挙げたことはありませんが…叩き直してあげますよ!!その捻じ曲がってしまった性根を!!!」

ツバサ「あら、バトルロイヤル?それは楽しいわね。こっちに戻りなさい、ガブリアス」


くすりと怪笑、ツバサの両隣にガブリアスとコジョンドが並び立つ。
闘争、騒乱を好む気性、ツバサの心はお互いを大切に思い合っているはずの幼馴染たちの激しく深い仲違いを目の前に、さながらヒーローショーの開演を前にした少年のように浮き立っている。
ことりの手出しはドラミドロとチルタリスのまま。
海未はゲコガシラに加え、ボールからヒノヤコマを開放し…“あらぬ指示”を出す。


海未「今です、“かげぬい”」

ツバサ「影縫い?何を…、っ!?コジョンド!?」


突き飛ばされ、よろめく。
ツバサは突如、背後からコジョンドに押されたのだ。
何故?まるで理解が追いつかず、ツバサの声に初めての狼狽の色が混じる。

振り向けば…コジョンドの足元、その影へ。
つい今しがたまでツバサが立っていたその位置へ、数本の矢羽が突き刺さっている!!

ゲコガシラとの交戦に、少量のダメージを負わされていた。
そこへ放たれた影の矢は覿面の効力を!
ツバサを庇ったコジョンドは十分な回避を取り得ず、会心の一撃とでも呼ぶべきダメージをその細身へと刻み込んだのだ!

コジョンドは横目、主人の無事を確かめ、瞳に安堵の色を浮かべ…
ぐらり、前に傾いでそのまま倒れ伏した。

それは打倒。打倒…!
綺羅ツバサが所持するレギュラーパーティの一角を、完全な形での打倒!!

一体だ。しかしそれは大きな一歩。
悪の首魁、綺羅ツバサへ、自分たちは抗い得るのだと示してみせる大きな足跡!
海未は冷静の仮面をかなぐり捨て、片腕に力を込めて握りしめる。そして声を!


海未「やりました…やりましたよ!ジュナイパー!それに…ことり!!」

ことり「うん…やったね、海未ちゃん。それに、ジュナイパーも…♪」

『ポロロゥ!!』

状況…
つまるところ、コジョンドは攻撃からツバサを庇ったのだ。
どこから?誰からの攻撃を?

ツバサの理解は早い。
ガブリアスがツバサを守り立ち、今が好機とばかり殺到する攻撃からツバサを守っている。
その背後、百戦錬磨の瞳は、その経験値をも凌駕した海未の…そして、ことりの戦術を把握した。

つまり、園田海未と南ことりは連携していたのだ!


ツバサ「ジュナイパー…くさ・ゴーストタイプの狙撃手を、部屋の影に沈めて潜ませていたのね」

海未「私は貴女から見て遥か格下。それが何の策もなく、この部屋へと踏み込むわけにはいかない。ですので、事前に開放して忍ばせていたのです」

ツバサ「そして私の隙を狙っていた…けれど、いつ?南ことり、アナタはいつ海未の仕込みを理解して、私を欺くために喧嘩の真似を?」

ことり「仕込みを理解…は、してません。だけどここに入ってきて、目を合わせた瞬間わかったの。海未ちゃんには何か策があるって。女の勘かな?うふふ」

海未「自慢ではありませんが、私の隠し事がことりに見抜かれなかったことは一度もありません!」

ことり「だから、あとはお互いアドリブ。綺羅ツバサ、あなたを油断させるためにはどうすればいいか、お互いに考えて動いて、即興で合わせた。それだけなの」

ツバサ「即興…まさか」

海未「舐めないでもらいましょう。私たちの…オトノキタウンの絆を!!」

ツバサ「………全く、楽しませてくれるわね」


不敵。
ツバサの口元には笑みが張り付いている。

海未「ゲコガシラ!“えんまく”!」

ことり「チルタリス、煙幕の中から“りゅうのいぶき”っ!」

海未「ジュナイパー!“みだれづき”で間隙をフォローしてください!」

ことり「ドラミドロは“どくどく”。ガブリアスを自由にさせないように、海未ちゃんたちのサポートっ」

海未「ヒノヤコマはチャージが終わり次第、“かまいたち”を放ってください!」


ここが好機、その見解は海未とことりに同一。
対立の真似が完全なる虚構だと顕示するような磐石の連携がツバサを襲う。

対し、ガブリアス。
主人を守るように仁王立ち、攻撃を捌き、流し、受ける様はさながら弁慶か。
しかし倒れる気配は未だ見せず、その遥か高レベルの実力をこれ以上ないほどに…


『ッ、ガブ…!』

海未「揺らいだ!」

ことり「今っ…!集中攻撃しちゃえ!」

ツバサ「ごめんガブリアス、少し考え事してたわ。“ストーンエッジ”」

『ブリアスッッッ!!!』

ことり「きゃ…」


ツバサの指示に従い、ガブリアスが殴りつけた床が隆起して岩牙を成す。
それを防壁に、トドメとばかりに海未とことりが重ねた一斉射を防ぎきる。

岩壁が砕け…パチ、パチと二度だけ、ツバサは両手を打ち合わせた。
それは拍手か、あるいは仕切り直しの合図だろうか。


ツバサ「正直…侮っていた。あなたたちの事を」

海未「それは結構、そのまま侮っていてください。その間に倒しますので」

ツバサ「けれど間違いだった。流石はオトノキタウンのトレーナーね。代々アキバ地方で有名なトレーナーを輩出してるだけはある」

ことり「綺羅ツバサ…イーブイさんを、私のイーブイを返してください!」

ツバサ「ダメダメ。ただいまアジトで絶賛育成中なんだから」

ことり「……っ、イーブイ…」

海未「ならばここで、痛め付けてアジトの場所を吐かせるまで。そのガブリアスの体力も風前の灯火。こちらはまだ一体も倒れていません!」


海未の力強い宣言にことりが並び立つ。
海未、ことり共に未だ展開していないボールもある。
その中身のレベルはともかくとして、ツバサの数的不利は明らかだ。

しかしツバサ、海未とことりの力量を把握し、認め、それでもなお泰然自若は崩れない。
腰のボールの一つを手に取り…ツバサは軽やかに言い放つ。


ツバサ「ゲームをしましょう。今から繰り出すポケモン、この子と、フラついてるガブリアス。二匹を倒せたら、私は残りのボールを使わない」

ツバサは片手をぶらり、そんな提案を。
その意図がまるでわからず、海未は怪訝に薄く疑問符を漏らす。


海未「……?」

ツバサ「煮るなり焼くなりご自由に。警察に突き出されても抵抗しないし、知りたければアジトだって教えるわ」

ことり「……な、何か企んでるの…?」

ツバサ「全然。ただ、ちょっと悔しくて。私の油断のせいでコジョンドが倒されて、ガブリアスもボロボロ。だからさしずめ…腹いせかしら?」

海未「……その一体が貴女の手持ちである以上、こちらとしてはそもそも倒さなければならない相手。
ゲームとやらに取り合うつもりはありませんが、降参するならどうぞご自由に」

ことり「そうだよね…うん、私たちは倒すだけ」


海未とことりは共に身構え、一体何が出るのかと息を飲む。
ツバサはフフと微笑み、ボールの開閉スイッチを押す。そして現れたポケモンは…


ツバサ「出ておいで、ペラップ」

『ペラップ♪』

海未「………ん?ペラップ、ですか?」

ことり(……か、かわいいっ)

おんぷポケモン・ペラップ。
タイプはありがちなノーマル・ひこう。
鳥のインコによく似た、これといって強力というわけでもないポケモンだ。

決して侮るべきではないが、少なくともガブリアスに比べれば戦闘向きではない。
ましてや、悪の首魁の手持ちとしては見劣りするポケモンかもしれない。

そんなペラップはツバサのすぐそばをパタパタと舞い、愛嬌のある鳴き声を響かせている。


海未(少々拍子抜けしましたが…ポケモンであることに間違いはなし。仕留めてみせる、それだけです!)

ことり「…海未ちゃん、ことりから仕掛けるね」


連携のため、まずは声を掛けて確認を。
海未が頷き準備は万端、先陣を切るべくことりが声を上げる!


ことり「ドラミドロ、
ことり『ドラミドロ、“ヘドロウェーブ”を…海未ちゃんに』

『ドルァッッ!!!』

海未「な…」

ことり「え…っ?」


間近、指示を受けたドラミドロは迷わず海未へと毒液を浴びせかける。
神経を張り詰めさせている海未も、まるで警戒していない方向からの攻撃には対応が遅れる。
石床を溶かし切る毒液が海未の頭上から降り注ぎ…!

『ポロっ!!ロロ…ゥ!』

海未「じゅ、ジュナイパー!私を庇って…すみません!」

ことり「こ、ことりは指示を出してないのに…!?っ、海未ちゃん!ガブリアスが来てる!」


倒されたジュナイパー、混迷する思考。
ことりと海未は共に理解が追いつかないまま、猛然と来襲するガブリアスを迎え撃たなければならない!


ツバサ「ガブリアス、“ストーンエッジ”」

海未『ゲコガシラ!“えんまく”!』

『ゲロロッ!!』

海未「煙幕!?違いますゲコガシラ!それは私の指示ではありません!」


海未の訂正は間に合わない。
ガブリアスは眼前、ゲコガシラは忍術めいて煙を展開するも、そのまま岩の刃に突き上げられて昏倒する。ここまで接近されてから目眩しをしたところで無意味!

と、ことりが声を上げる!


ことり「う、海未ちゃん!あのペラップが私と海未ちゃんの声を真似してる!」

海未「な…!?」

海未『ヒノヤコマはチャージが終わり次第、“かまいたち”を放ってください!』

海未「駄目ですヒノヤコマ!隙のある“かまいたち”は…!」

『ガブァッ!!!!』

一閃。
ガブリアスの腕刃が薙ぎ、ヒノヤコマの体が床へと叩きつけられる。
狼狽する海未、ことりは体制を立て直すべくチルタリスを防御役に立てようと前へ。


ことり「チルタリスお願い!みんなを守っ…」

ツバサ「ペラップ、“おしゃべり”」

『ペララララララァップ!!』

『チルっ……!??』

ことり「あっチルタリス!そっちを向いたら駄目…!」

ツバサ「ガブリアス、“げきりん”」


重轟が地下室を揺らす。
やけどに力を減じていても、それでも恐るべきはガブリアスの剛腕。
タイプ相性も相まって、高い物理体制を誇るチルタリスが一撃で沈む!!

チルタリスがその動きを乱されたのはペラップの“おしゃべり”による撹乱。
特殊な音波でけたたましく鳴き喚き、ポケモンの思考を揺さぶり確実な混乱を招くのだ!

そしてガブリアスのヒレが振り上げられ、斧めいてことりへと振り下ろされる!!


ことり「きゃあああっ!!」

海未「くっ…!」


間一髪、海未はことりを抱えて横へ飛びのいて回避。致死の一撃こそ免れたが…

ほんのわずかな時間、手負いのガブリアスとペラップ。
その二体に海未とことりのパーティは半壊へと追い込まれている!

海未はキルリアをボールから出し、生き残っているドラミドロが海未とことりを守る位置で立ちはだかる。
圧倒的劣勢!このまま攻勢を掛けられれば勝負どころか、命さえ危うい状況だ。


海未(せめて…せめてことりだけでも助ける方法は…!)


だが。


ツバサ「ガブリアス、ストップ」


ツバサは楽しげに笑んでガブリアスを制止する。
鮫竜は踵を返し、ツバサの傍らへと引き返していく。

バクバクと脈打つ心臓、抱きしめたことりの体からも同じように、荒い心音が伝わってくる。
耳元で吐息は乱れ、じとついた汗は自分の手汗かことりの冷や汗か、定かでない。


海未(一撃を躱し、床に倒れた姿勢…今攻撃をされていたら…!)

ことり(ことりも海未ちゃんも、確実に死んでた…)

ツバサ「……と、まあ、こんな感じ。賢いでしょ?このペラップ。
ボールの中でじーっと会話を聞いててね。私が指示した通りのセリフを同じ声で再生してくれるの」


悠然とツバサは歩み、そして台座に置かれたミュウツークローンのボールを手に取った。
ポン、と手慰みに放り上げて掴み、おもむろに腰のホルダーへと収めて笑う。


ツバサ「ミュウツークローン、この綺羅ツバサが頂いたわ」

ギリ…と、海未は歯噛みを。

オハラの秘密、ミュウツークローン。
それを奪われたことより、紙一重で永らえたことより、近付いたと思った相手との間にまだこれほどの差が残されていたことが悔しくてならない。
それもガブリアスやコジョンドのような戦闘向けのポケモンではなく、ペラップに敗れて!


海未「目的を遂げた今、我々にはトドメを刺す価値さえない…と?」

ツバサ「ああ、勘違いしないでね。もうアナタたち二人を舐めてはいないし、情けをかけたわけでもない。
いくら私でも、並んだジムリーダー御一行とポケモン博士様を相手取るのは面倒ってだけ」

ことり「あっ…真姫ちゃん!」


部屋の入り口には真姫、そして花丸の父や善子の母らジムリーダー数人の姿が。
立場のある彼らにはアライズ団の行いの数々は伝わっていて、さらにパーティー会場での暴虐を乗り越えたばかり。皆一様に目に怒りを燃やしている。
その先頭、真姫の瞳に宿った怒りはとりわけ深い。

穂乃果、海未、ことり。
同じオトノキタウン出身、一つ年上の大好きな友人たち。
その旅路を血で彩ったことが腹立たしくてたまらない!!


真姫「綺羅ツバサ…!逃がさないわ!」

ツバサ「若き天才様はご立腹みたいね?フフ、とても怖い」

真姫「色々機材はあるけど、パパが弁償するから構わないわ…シャンデラ!まとめて焼き払いなさい!!“オーバー…

ツバサ「おっと、それはさせない。ペラップ、“ばくおんぱ”」


大爆音!!!!!!

ペラップの小柄な体から発されたとはとても思えない音の爆轟が部屋を満たし、海未やことり、真姫にジムリーダーたちの鼓膜を痛めつけて床に薙ぎ倒す。
ゴーストタイプのシャンデラは影響を受けていないが、真姫の指示が途中で途切れてしまったので動けずにいる。

その音波は指向性、ツバサとガブリアスには影響を及ぼしていない。
鮫竜の背に手を掛け、ツバサは床に伏した海未とことりへと声を掛ける。


ツバサ「また会いましょう、オトノキタウンのトレーナー。アナタたちの存在…悪くない暇潰しになりそう」


ガブリアスは咆哮。
潜行にも最適化されたその体で猛然と跳ね、フロアを上へ突き破っていく。
その速度は恐ろしいほどに速く、ジムリーダーたちも追走を諦めざるを得ない。
綺羅ツバサはミュウツークローンを奪取し、その目的を遂げた。

海未はその背、掘削の痕跡を見上げ…
強く、拳で床を叩き付けた。


海未「またしても……完敗ですっ……!!」




真姫「色々聞きたいことも、言いたいこともあるけど…ことり、無事でよかったわ。本当に」


短く、万感の思いを込めて。
それだけを告げ、真姫はジムリーダーたちと諸々の連絡に追われている。

そんな背中を(立派なものですね…)と見ながら、海未はことりと肩を並べている。

間近で爆音波を受けて鼓膜を破かれたが、ジムリーダーの一人が所持している治癒能力のあるポケモンの応酬処置でそれなりの聴力は戻っている。
それでも曰く、完全に戻るまでは一週間ほどを要するらしいが。

まだ、自分は無力だ。
見せつけられた実力差、奇策を弄して一体を倒し、それでもなお圧倒されてしまった。
無念に肩を落とす海未。その肩をちょんちょん、とことりの指が叩く。


ことり「………」

海未「………(なんです?あ、お互い耳がやられてるので聞こえませんね…)」


お互いに口をパクパクと、無駄に気付いて交わす苦笑い。
さっきの真姫の声もことりにはちゃんと聞こえていなかった。
少し不機嫌そうに、目の端に涙を滲ませた表情でおおよその感情は伝わっているが。

さて、ことりの意思を読み取るにはどうしたものかと首を傾げ、そんな海未の耳元へ“ふうっ”と息が吹きかけられる。

海未(ひいっ!?)

ことり(うふふ…)

海未(や、やめてください!破廉恥ですよ!)

ことり(こうやってヒソヒソ話みたいに口を近づけたら、聞こえるね。声♪)

海未(む、むむ。なにやら恥ずかしいですが…今は仕方ありませんね…)


くすくすと笑うことりにペースを乱され、そんな状況に海未はこの上ない安らぎを覚える。
ああ、ここが私の正しい居場所だと。
大切な幼馴染、ことりにからかわれ、あとは穂乃果も一緒にいれば。

そんな海未の横顔を愛しげに見つめ、ことりはもう一度海未へと囁く。


ことり(強くなったね…海未ちゃん。かっこよかったよ)

海未(………変化の度合いで言えば、貴女の方がよっぽどでしょう、ことり。連れているポケモンもなにやらやたらと高レベルなようですし…)

ことり(あ、このドラミドロさんは他のトレーナーさんと交換で手に入れたんだ。だから成長が早いの♪)

海未(ははぁ、交換で。昔からちゃっかりしていますからね、ことりは。ふふ…)

笑みを交わし合い、ふとことりは表情に陰りを見せる。
その横顔は寂しげで、海未と同じことを考えているのだとすぐにわかる。


海未(早く穂乃果も一緒に…三人で、ゆっくりしたいですね)

ことり(うん…ことりも穂乃果ちゃんに会いたい。穂乃果ちゃん分が不足してるのを感じるの。このままじゃしわくちゃのお婆さんになっちゃう…)

海未(ふふ、それは大変です。早く穂乃果を引っ張ってこなければ)

ことり(穂乃果ちゃんの食べ残しが食べたい…穂乃果ちゃんのお風呂の残り湯に浸かりたいよぉ…ハノケチェン…)

海未(ちょっと何を言っているのかわかりませんね)


そんなとりとめもない会話、二人は自然と肩を寄せ合っている。
ことりはおもむろに腰のボール、戦闘に出さなかった一つを手に取った。
何気ない興味から、海未はその中身が気になり尋ねかける。


海未(そういえば、ことりは他に何のポケモンを連れているのです?ドラミドロやら、趣味が変わっていたようでしたが…)

ことり(ん、この子は…ことりが捨てられてない甘さかな)

海未(……?)

ことり(ううん、何でもないの。ねえ海未ちゃん、ちょっとこの子を抱きしめてあげてくれる?)


ボフ。とボールから現れたのはふわふわでもこもこ、わたげポケモンのメリープだ。
羊のような外見、そのタイプはでんきのみ。ドラゴンタイプではない。

ことりらしい愛くるしいポケモンだ。
そのことに海未は安堵し、嬉しくてたまらなくて、ことりに請われるままに満面の笑みでメリープを抱きしめた。


━━━バチン!


視界が明滅する。
痺れ、体が言うことを聞かない。
抱きしめたメリープから、ことりから、“でんじは”を浴びせられたのだと気付くまでに数秒を要した。
ことりは愛しげに、海未の頬をそっと撫で…床へと優しく寝かせて立ち上がる。


ことり(ごめんね…)


間近にいたジムリーダーへ、海未は疲れているようだから起こさないでと、そんな台詞を告げて部屋から出ていく。
ボールの開閉音。廊下の影、治療を受けたチルタリスの羽が散っている。

そして、ことりがどこかへと羽ばたいていく音だけが耳に残り…


海未(こと、り……)


海未の世界は暗転した。




穂乃果「ぜえっ…ぜえっ!?ぐはっ…うぐ、ひぃ…!」


ガランと無人のオハラタワー、その中程より少し下の階。
情けなく響く、なんとも悲惨な声は穂乃果のものだ。

鹿角姉妹との戦いを制し、このままの勢いで!
そう息巻いて上を目指したまでは良かった。

だがその勢いもエレベーターが停止していて階段を使わなくてはならないと気付いた瞬間から急降下。
戦音に響き、揺れるオハラタワーをただ一人で延々と登り続けるというまさに苦行!
穂乃果の心は今にも折れそうに揺らいでいる。


穂乃果「も、もう…やめ、とこうかな…!?」

『リザァ』

穂乃果「呆れ、た…ように…見られてもさあ!たっ、多分これ上で戦ってるの…うみちゃんでも、ことりちゃんでもないよ!」

『グルル…』

穂乃果「だよね?なんか震動とか凄すぎるし、海未ちゃんとことりちゃんでもいくらなんでもここまで強くなってはない…はず」


自信なさげに語尾が揺れる。
穂乃果は親友を深くリスペクトしている。もしかしたら、万が一、二人かもしれない。その可能性を拭いきれないのだ。

実際のところ、上の戦いは果南と英玲奈、カイオーガとテッカグヤが鎬を削る、まさに怪獣大決戦。
穂乃果の考えは当たっているのだが、しかし引き返す踏ん切りが付かない。

穂乃果「真ん中ぐらいまで登って来ちゃったしなぁ…」


切なげにボヤく。
ふと、窓の外へと目を向け…

破砕音!
それは数フロア下から、爆ぜるように飛び出した青黒の弾丸。

その“何か”は鋭い飛び出しから腕に鋭利な翼を広げ、滞空の状態へと移行する。

直感。穂乃果の五感が研ぎ澄まされる。
雨中、空に浮かぶそれをじっと見つめ…向こうもこちらを見つめている。

交錯する視線。


穂乃果「短い前髪、ガブリアス…」

ツバサ「オレンジ色のサイドテール。それにリザードン…」

穂乃果「綺羅ツバサ!!」

ツバサ「そう、貴女が…高坂穂乃果」


すうっと息を吸い、指示を!!


穂乃果「リザードン!!“かえんほうしゃ”!!!」

ツバサ「ガブリアス、“げきりん”」


相殺!!!

窓を突き破った火炎放射と逆鱗の咆哮が宙にぶつかり、その波及でオハラタワーの窓が数フロアに渡って砕け散る。
散る残火は花火のように、ガラスの破片が虹めいて空間を照らし…


ツバサ「面白い…!」


二人は、互いを明確に認識する。


穂乃果「行くよ!リザードン!」




オハラタワーから少し離れた位置、路上には十重二十重に居並んだ警官たちが包囲線を敷いている。
パトカーに救急車、回転灯の光が街並みを照らし、降りしきる雨の中に臨戦態勢のポケモンたちの呼気が重なっている。

そこからさらに後方、立ち入り禁止線にはマスコミの群れ。
ツバサによって全国中継されるに至ったオハラタワー襲撃テロの衝撃は凄まじく、NHKはもちろんのこと、テレビヤマブキを例外として民放各局が通常放送を取りやめ、画面を緊急中継へと切り替えている。
国内のみならず全世界から耳目の集まる状況、各局の画面には犠牲者の名前を羅列したテロップが延々と流されている。

タワー内部から撤退してきたアライズ団との交戦は概ね警察方の勝利に終わっている。
事が事、腰の重い日本警察も躊躇なく特殊部隊を投入してポケモンと銃撃による波状攻撃で掃討、大勢を逮捕してみせた。
それでも数が多すぎたため、一部の団員を取り逃がしてしまっている。そのため、市内の各所には依然として厳重な規制網が形成されている。

警察と医療関係者は怒号めいてやり取りを交わし、マスコミは情報を得ようと声を張り上げ、そこに駆けつけた犠牲者の家族たちの悲鳴が入り混じってまさに阿鼻叫喚。
そんな中、報道陣の垣根を蹴散らすようにけたたましくクラクションを鳴らしながら、一台の警察車両が現場へと滑り込む。

「どきなさい!」とばかりドリフト気味に車を横付け、小柄な少女が運転席から現場へと降り立つ。
刑事スマイル、矢澤にこだ。

ともすれば小中学生に見られかねない幼い風貌も、その表情に宿った怒気で印象を塗り潰している。
今の彼女の顔は海千山千のベテラン捜査官めいていて、騒がしいマスコミ記者たちも思わず一瞬気圧される。
ちなみに免許は国際警察仕様、世界各国で使えるものを所持している。


にこ「ついにやらかしてくれたわね…洗頭!」


国際警察に所属するポケモン犯罪捜査のエキスパート。アライズ団を追い続けている現場指揮官の到着に、警官たちは一斉に気を引き締める。
降りしきる雨にまるで構わず歩くにこに若い警官が傘を差し、現場責任者と並んでツカツカと。
未だ戦火に揺れるタワーを見上げながら話し、状況の細部を手早く頭に入れていく。


にこ「じゃあ三幹部は逮捕できてないわけね」

「ええ、タワーから撤退してきた集団の中には姿を確認できていません。
優木あんじゅについては四天王の桜内氏から取り逃がしたとの報告を受けています」

にこ「綺羅ツバサの確保を最優先。アイツさえ潰せばアライズ団は殺せる!」

そんな会話が交わされる後方、にこの運転していた車両から一人の少女が飛び出している。
荒い運転に大いに酔い気味、今にも吐きそうな表情でいるのは黒髪の麗女、黒澤ダイヤだ。

ダイイチシティからどんなに飛ばしても三時間、そう思っていた道のりを国際警察専用ライドギアで高空をかっ飛ばし、車へと乗り継いで二時間半での到着。
振り落とされそうな高速飛行によるGの負荷、からの荒々しいにこの運転のコンボでグロッキー。
しかしダイヤの顔を蒼白にさせているのはそれよりも何よりも、ルビィの安否を確かめたいという一心。

ダイヤの瞳は左右に巡り、救急車のパトライトが回っている箇所で軽傷者たちが治療を受けているのを目に留める。
そこには見慣れた赤髪が。ツインテールこそ解いているが、大切な妹を見間違えはしない!!


ダイヤ「ルビィ!!!」

ルビィ「お…おねいちゃあっ…!!!」


駆け寄り、強く抱きしめる!!
もう会えないかもしれないと胸に過ぎった悲観と絶望、しかし腕の中の温もりははっきりとルビィの命がそこにあると教えてくれて、心を満たしていた暗雲を拭い去ってくれる。

未だ緊張に固まっていたルビィの心も姉に抱きしめられたことでついに溶け、ぎゅうっとしがみつきながら人目も憚らずにわんわんと泣き叫んでいる。

「おっ!被害者と家族の感動の再会だ!」
「いい画だぞ!」「撮れ!!撮れ!!」


そんな調子でまるで無遠慮、“KEEP OUT”と書かれたテープを踏み越え、ハイエナよろしく駆け寄ってくるマスコミたち。
…へ、にこがダッシュからのソバットを叩き込む!
水溜まりを転がる記者、割れ砕けるカメラのレンズ!!


「ぐはあ!!?」

にこ「ごめん、雨で足が滑ったわ。機材の弁償と医療費は国際警察に請求しといて」


ひらひらと手を煽って警官たちに指示、マスコミを強制退去。
ダイヤの肩をポンと叩いて「良かったわね」とそっけなく、しかし温かい声をかける。


ダイヤ「うう…ぐすっ…本゛当に良゛かったですわぁ…!」

にこ「か、顔グチャグチャじゃない…それにしてもルビィ、アンタよく助かったわね」

ルビィ「ぅ…は、はい…!穂乃果さんが、ルビィたちのこと助けてくれて…!」

ダイヤ「感謝してもしきれませんわぁぁぁ…!」

にこ「なるほどね…やるじゃない、穂乃果!」


その時、タワーを見上げる警官たちが声を上げる!


「なんだ!?何か飛び出したぞ!」
「ビル中層、滞空するポケモン一体!」

にこ「上?スコープ貸して!」

隣の警官から双眼鏡をひったくり、にこは上空へと目を凝らす。
青く流線のフォルム、凶暴な顔相…にこはそれを決して見間違えない!


にこ「ガブリアス、あれは綺羅ツバサよ!総員、上空へと攻撃準備!!!」


拡声器を手に声を張り上げるにこ。
騒がしいマスコミも静まり返り、焚かれるシャッター音とフラッシュだけが現場に満たして走る緊張。
にこの指示を受け、警官隊とポケモンたちは一斉に空へと銃口と技の照準を、視線を集める。

にこの指示さえ降ればいつでも一斉射を浴びせられる体制だ。
しかしにこは慎重、手を水平に留めたまま攻撃のタイミングを図っている。


にこ(あのガブリアス、普通にやってもムカつくほど速くて逃げられるのよね…
だから加速に掛かる一瞬前のラグ、そこを狙って砲火を浴びせる!)


凝視…と、その瞬間!ビルの中から炎が放たれる!
ツバサのガブリアスはそれを咆哮で受け、

相殺!!!

砕け散る窓、降り注ぐガラス片。
警官隊やマスコミたちは慌てて顔を覆うが、にこは掌で目だけを保護して上を見上げ続けている。

そしてビルから飛び出すオレンジの竜影、尾に揺れるは赫火。
一匹のリザードンとその背の人影が、綺羅ツバサへと挑みかかっていく!


ルビィ「ほっ、穂乃果さぁん!!?」

にこ「総員待機!様子見!」


高空へと向けた銃口を留めさせ、にこは穂乃果へと目を細める。


にこ(気を付けなさいよ、穂乃果。そいつは何をしてくるかわからない!)




高空、吹き荒ぶ烈風が穂乃果の髪を真横へと流す。

生えたばかりの両翼は、リザードンを地上100メートル超の高空へと導いた。
羽ばたき、初めての飛翔だが違和感はない。まるで生まれた時から飛べていたかのように危なげなく滞空。

そんな相棒の大腿に足を掛け、首に片手を掛けて半身の姿勢、穂乃果はツバサと対峙する。

雨は横殴りに降りつけていて、目の中へと入り込む飛沫にともすれば気を取られてしまいそうだ。
しかし穂乃果は瞼を閉じない。理屈ではなく本能で理解している。この相手に対しては、ほんの瞬きの隙さえ見せてはならないと。

ただまっすぐに見つめてくる穂乃果の眼光に、ツバサは薄く笑んで声を掛ける。


ツバサ「なかなか面白かったわよ、アナタの友達二人」

穂乃果「海未ちゃん、ことりちゃん…戦ったの?」

ツバサ「ええ。めでたく生き残ってるわ。殺そうとしたんだけどね」

穂乃果「そっか」

ツバサ「当たり前、って顔?フフ…」


二人が揃っていたならやられるはずがない。
穂乃果の中にはそんな確信がある。
実際は危機一髪だったのだが、それでも二人が生き残ってみせたのは事実。
親友たちへと穂乃果が抱く信頼は裏切られていない。

反応いかんで揺さぶりを掛けようと考えていたツバサだが、穂乃果の揺るぎなき精神を知り、無意味だと理解。その舌鋒にブレーキをかける。

すっと、ざらついたガブリアスの肌を撫でて微笑。


ツバサ「ガブリアスは今、ヤケドを負っている。攻撃力は半減していて、その逆鱗とリザードンの火炎放射で同等。それだけのレベル差があるわけだけど」

穂乃果「じゃあ今が倒すチャンスってことだね」

ツバサ「やれやれ…ポジティブね」


くすりと笑い、肩を竦めるツバサ。
口ぶりと仕草から、(戦いを避けたいんだ)と穂乃果は判断する。
ツバサのガブリアスは疲弊していて、できれば穂乃果の側から矛を収めさせたいのだと。
逃すわけには行かない。仕掛けるには今!


穂乃果「リザードン、近付き過ぎないように飛びながら“かえんほうしゃ”だよ!」

『リザァァァッ…ドン!!!!』

ツバサ「ガブリアス、避けて」


放出された大火が空を薙ぎ、ガブリアスは腕ヒレで泳ぐようにそれを避ける。
上にいたリザードンと下方のガブリアス、その位置取りが入れ替わった瞬間、ツバサは二つのボールの展開スイッチを押している。


ツバサ「ペラップ、コイル。出てきなさい」

『ペラップ!』
『━━ッ、ジー』

穂乃果「ペラップ…と、コイル?」


穂乃果の卓越した直感力も、ツバサのこの展開には首を傾げてしまう。

ペラップ…は、なんとなく嫌な感じがする。だけどコイル?
どうしてあんなにレベルの高いトレーナーが、進化前のポケモンを連れてるんだろう?

ツバサ「携行性の問題ね、コイルなのは」


そんな穂乃果の疑問を読み取ったかのように、ツバサは答えを返してみせる。
もちろんそれだけで理解できるはずもなく、携行性?何の話をしてるんだろう?続けて浮かんでくる疑問に穂乃果は戸惑いを。

もちろん、やるべきことに変わりはない。
攻撃のバリエーションに音と電気が加わったことに気を付けて、遠距離からの火炎放射で狙い撃つだけ!
だが…嫌な予感が穂乃果に警戒心を抱かせる。


ツバサ「この子、これでも個体値はバツグンなのよ。進化前だけど強力な電波が出せるから、無線ジャックをするには最適」

穂乃果「無線ジャック…?」


ツバサは手首、おそらくは腕時計で時間を目にし、「もう来てるわね」と呟く。
そしてコートの内ポケットからおもむろに黒い無線機を取り出すと、その裏面をコイルへとあてがった。
続けてペラップへと何かを指示し…ペラップの口が無線へと向けて人間の声を真似る。


にこ『今よ!!撃ちなさい!!』

地上、警察たちが所持している全ての無線から確たる口調での命令が響き渡る。
『今よ!!撃ちなさい!!』と、さっき到着した年若い現場指揮官の声が!


「発砲許可!!」
「撃て!」「今だ!撃て!!」
「上空に一斉攻撃!!」


まるでタイミングを計れていない、統率の取れない砲火と技の数々が空を輝かせる。
その様を目の当たりに、にこは愕然と呟く。


にこ「……やられた…!」


にこの誤算を生んだ要因は、彼女が国際警察だということ。

日本警察は捜査においては優秀だが、修羅場慣れしていない。
緊張に張り詰めた警官たちは、拡声器で指示を出しているにこの声が無線機から聞こえた矛盾に思い至ることができない。
これが現場慣れした海外の警官たちなら、無線機から聞こえた声をにこの指示だと勘違いすることもなかっただろう。
普段世界の最前線を飛び回っているにこは、日本警察の戦場での練度の低さに気が回らなかった!

あるいはにこが到着してからもう少し時間の余裕があれば、ペラップの脅威を全体に知らせることもできただろう。
恐るべきはツバサのタイムスケジュール管理。国際警察のライドギア、その移動速度は正確に把握済み。
にこにダイイチシティで偽のツバサを逮捕させ、中継で騒動を知ってオハラタワーへと向かうと逆算した。必ず来ると“信頼”していた。
誤差はあって五分、警察が撃ってこないことで到着済みは確定。動向を見抜き、にこの存在を逆手に取ったのだ!

様々な攻撃に照らし出された空を見上げながら、ダイヤとルビィが同時に声を上げる。


ダイヤ「ほっ、穂乃果さんっ!!」
ルビィ「うぁぁ!穂乃果さんがぁ…!」

穂乃果「何、これ!?り、リザードン避けてー!」

ツバサ「ずらりと展開した警官隊からの攻撃よ。経験は浅くても戦力はなかなかよね、日本警察って」


穂乃果とリザードンが慌てふためくのと対照的、ツバサはガブリアスに高度を上げさせ、易々と攻撃を回避している。
出鱈目に飛び交う攻撃も威力だけは十二分、
そして穂乃果にとっては予期せぬ方向から、避け得ざる攻撃の嵐。
リザードンの体へと弾丸が当たり、翼に“冷凍ビーム”が直撃し、ぐらりと飛行姿勢が揺らぐ。

その様を楽しげに見つめながら、ツバサはガブリアスに悠然と背を翻させる。


ツバサ「そう簡単に戦えないのよ、王である私とは」

穂乃果「……っ!!」


地上部隊のドサイドン、その高射砲めいた“ロックブラスト”がリザードンの体を激しく叩く。
漏れる苦悶の咆哮…そしてついに、リザードンは浮力を失い自由落下へと移行する!!

落ちていく穂乃果、その目は見下ろすツバサと交錯している。


ツバサ「さようなら、穂乃果さん。また会いましょう?運が良ければね」

穂乃果「綺羅ツバサ…あなたは私が倒すよ!絶対に!!」

ツバサ「………!」


毅然たる瞳がツバサを見据え、穂乃果はその指を天へ、遥か高みの巨悪へと指し延ばす!

瞬間。ツバサはその指に運命めいた引力を感じ…

しかしそれを表情には出さず、西の空へと高速で飛び去っていった。

なす術なく見送り、残された穂乃果は気絶したリザードンを守るように抱きしめる。
地上からの攻撃は止んでいる。にこが必死に止めさせたのだろう。

それでも落下が止まるわけではなく…


穂乃果「うわああああああっ!!!!!!」


落ちていく!!!




果南「カイオーガッ!!“かみなり”をぶちかませ!!!」

英玲奈「ギルガルド、受けてくれ」


炸裂する豪雷!!
意思を宿した剣盾、そんな容姿のはがね・ゴーストタイプ、ギルガルドが硬質な体を英玲奈の直上へと構えて落雷を受ける。

英玲奈は両腕から火炎をジェット噴射めいて噴き出すテッカグヤの背に立っていて、さらに屋上にはメタグロスをも展開した三体体制。

対する果南は暴力的なまでの性能を誇る大海の覇者、カイオーガを駆っての烈海怒涛。
自然の理そのものを敵に回したような凄まじさで暗殺者を攻め立てている!


果南「邪魔なんだよ、その盾…!カイオーガ!構わずに雷をありったけ叩きつけてやれ!!!」

『ギュラリュルゥゥゥ!!!!!』

英玲奈「その量、まともに受ければギルガルドでも落ちるな。済まない、エアームド」


英玲奈はボールを展開し、上空へとエアームドを舞わせる。
鋼でできたその体は避雷針代わりとなり、果南のカイオーガが風雨を利用して奔らせる必殺の雷を受け止める!!
戦闘不能となり落ちてくるエアームドを回収し、英玲奈は未だ冷静なままで果南の戦いぶりを見つめている。

英玲奈「松浦果南、さながら怒り狂うポセイドンだな」


果南の怒号に沿うように打ち付けた波がオハラタワーの堅固な外壁をごっそりと削ぎ落としている。
それを生身で受ければどうなるかは明白で、テッカグヤのロケットめいた機動でそれを紙一重に躱しながら英玲奈は小さく苦笑する。

どうやら小原鞠莉と松浦果南は親友同士で、私は虎の尾を踏んだらしい。

そんなざっくりとした考察を巡らせながら、英玲奈は落ち着きを保ったままに黒手袋の両手を擦る。
ポケットから小さな包み紙を取り出すと、クシュ、と音を立ててその両端を引き開く。
どこかオートマチックな所作でそれを三度。掌に転がしたカラフルな飴玉を口に放り込むと、すぐさま噛み砕いて飲み込んだ。

果南はその様子を目に、ますます激怒の色濃く声を発する。


果南「飴玉…?ふざけてるの」

英玲奈「同時に三体、四体と指示を出すと脳が疲労する。だから糖分で補う。それだけさ」

果南「あっそう、ぶっ潰れろ!!!“こんげんのはどう”!!!!」

伝説のポケモン、カイオーガが誇る独自の技、根源の波動。
カイオーガの体が震え、咆哮と共に水流がレーザーのように放たれる。
場に居合わせるだけで呼吸が苦しくなるほどの水圧が英玲奈の後を追い、高速で飛ぶ英玲奈と凄絶なチェイスを繰り広げる!

地上を追うメタグロス、そのサイコパワーが空間を歪ませてテッカグヤへの直撃を防いでいる。
決殺の一撃を潜り抜けてなお健在、英玲奈は横だけでなく縦にも機動するテッカグヤ、その背へと卓越したバランスで未だ立ち続けている。
あまつさえ、カイオーガの上空をすれ違いざまに草タイプの種爆弾を撒いて絨毯爆撃じみてカイオーガを狙ってみせる!


果南「っチ、苛つくなぁ…!」

鞠莉「果南…」

果南「鞠莉!ケガしてるんだから動いちゃ駄目だよ」

鞠莉「っ、少しだけ。あの英玲奈って人、ずっとテッカグヤの上に立ち続けてる。あれだけ激しく動いてるのにほとんど手すら付いてないよ」

果南「だね。さっさと振り落としてやらないと…!」

鞠莉「そうじゃなくて!強すぎる相手は無理に倒そうとせずに、退かせた方がいいんじゃない?果南が危ない目に遭ったら…」

果南「……いや、あいつは倒す。じゃなきゃ私の気が済まない!!」

松浦果南の行動理念は基本シンプル。
プラス、そこに反骨の精神が宿っている。

喜んだり楽しければ笑い、腹が立てば怒る。
だが哀しくても簡単には泣かないし、だったらその悲しみの原因をぶっ潰してやろうと思い至るタイプだ。
そんな果南にとって何より大切な友人の一人、鞠莉が泣かされた。


果南(だったら、そいつをブン殴るしかないよね)


鞠莉を守りきれば実質的勝利?
いや違う、果南にとっては鞠莉が殺されかけて泣かされたという事実は拭えない物であり、それを飲み込むことを良しとしない。
それ相応の罰を浴びせてやるまで退くつもりも逃すつもりもない。怒りの大禍は増大し、深度を増していく。

果南はカイオーガよりも低空を飛ぶテッカグヤを睨み付け、再度の指示を。


果南「カイオーガ、もう一度“こんげんのはどう”だ!!」

英玲奈(あの水弾は厄介だ。速く強く、追尾性までがある。しかし発動中は若干の硬直が生まれる。そこを突く!)

英玲奈「ギルガルド!メタグロス!」


カイオーガが水弾を放つその瞬間、英玲奈は防御を担わせていた二体を攻撃へと転じさせる!
二体の激突で隙を作り、上空へと転じて果南と鞠莉の二人をテッカグヤの“だいもんじ”で焼き尽くしてしまおうという算段だ。

英玲奈の思考は海未と戦った時と同じ、徹底している。
たとえカイオーガが相手だろうと動じない。


英玲奈「どんな強力なポケモンが相手だろうと、トレーナーを殺してしまえばそれで終わりだ」

果南「確かに、同感かな」

英玲奈「…!?」

果南「当たらないからさ…直接叩き込みに来たよ」


果南は低空のテッカグヤを目がけ、カイオーガの背から飛び降りたのだ。
英玲奈の背後、その手には渦を巻く水塊。膨大な水圧を一点に留めた、カイオーガの“根源の波動”の一欠片!

それはあまりに予想外に過ぎた。あまりに命知らずの特攻!
振り向きつつの手刀も間に合わず、果南の掌が英玲奈の胸元へと水塊を捻じ込み…


果南「鞠莉のお返しだよ」

英玲奈「………ッ…!ぐはっ!!!」


螺旋する暴水が暗殺者の胸元を抉り、大穴を穿つ!!!

統堂英玲奈は自身の国籍を知らない。

中国出身なのかもしれないし、日本なのかもしれない。
顔立ちからしてモンゴロイドであるのは間違いないだろうが、それ以上のことは調べたことがない。
知っているのはごく幼い頃にどこかの国で拉致され、中国で特殊部隊の一員となるべく徹底した教育を受けて育ったということ。

それが国家機関だったのか怪しげな一研究施設だったのかはわからないが、ともかく英玲奈は厳しい訓練を受けながら、機械のように育てられた。
本名も知らない。親の顔も覚えていない。統堂英玲奈という名前もこちらで活動するために付けた偽名だ。

そんな英玲奈にとって大切なことはただ一つ。
英玲奈が訓練を受けていた研究施設を襲撃した綺羅ツバサによって、初めて英玲奈は人生を与えられたのだという事実。

悪党として名を売り出したばかりだったツバサは、自身の才覚と少しの部下だけを頼りに堅牢な研究施設を叩き潰し、秘匿されていた研究内容や資源を奪い取って一財とした。
迎え撃った英玲奈はツバサに叩きのめされ、そして手を引かれるままに研究所から外の世界へと出たのだ。

そよぐ風、多彩な草花、鮮烈な記憶。

それが同情からか単なる気まぐれか、戦力として使えそうだったという打算からなのかはわからないし興味もない。
ただ今の英玲奈にとって重要なのは、命より大切な友人であるツバサを悪の覇道へと導くこと。

そんな英玲奈にとって、胸部を吹き飛ばされた程度は些事に過ぎない。


英玲奈「なるほど…中々、悪くないな。松浦果南」

果南「な、立って…!?」

果南の一撃に吹き飛ばされた骨肉を、周囲の組織が異常増殖して補い、すぐさま自己再生を果たしている。

実験施設で兵士として育てられていた日々、英玲奈の体には何らかのポケモンの細胞や組織が埋め込まれている。
露出した血肉は緑とオレンジが入り混ざったようなグロテスクな色味をしていて、小刻みに脈動する様に果南は思わず顔をしかめる。

統堂英玲奈は非人道的な実験により生み出された生体兵器だ。
テッカグヤの上でバランスを崩さず立ち続ける異常なまでの身体能力の礎はその過去にある。

そして英玲奈は目にも留まらぬ挙動でキリキザンを展開、“つじぎり”を命じると同時、自身も果南へと貫手を繰り出す!!


果南(やッ、ばい…!)

英玲奈「二度目だ」

果南「ニョロボン!!」


天性のポテンシャル、優れた反射神経でニョロボンを出し、キリキザンの一撃は辛うじて防いでいる。
だがしかし、英玲奈の貫手は果南の脇腹を鋭く抉っている!

果南(なんとか、ギリギリで身を捻れた…けど浅くない)

鞠莉「果南っ!!」

果南「カイオーガ、鞠莉だけは守るんだ」

英玲奈「見上げた精神だな。だが終わりだ」


英玲奈はもう一撃を繰り出すべく手を引き…
ふと、耳元のインカムに手を当てる。よろめく果南を注視したままに耳を傾け、そして手を下ろした。


英玲奈「……撤収らしい。讃えよう、松浦果南。君は勝っていた。私が普通の人間であればだが」

果南「っ、…わけわかんない、体してるな…」

英玲奈「今日はこれで退かせてもらう。が、私にはポリシーがある。今のところ君を二度殺そうとしたわけだが…」


出血に揺らぐ果南をニョロボンが抱えて跳ぶ。
カイオーガの背までは距離が遠い。
一旦、英玲奈とキリキザンとの距離を開けるべく、オハラタワーの屋上へと退避する。

英玲奈はそれを意に介さず、ゆっくりと手を掲げていく。
併せ、テッカグヤはじりじりとその高度を高めていき…


英玲奈「今日は場所柄、テッカグヤに足場としての役割ばかりをさせてしまった。
その鬱憤を晴らさせてやるとしよう。そして同時に、これが君へと向ける三度目の殺意だ」

果南「……ッ、来る…!」

両腕のジェット噴射が上を向き、下方への推進力を増進させる。
10メートル規模の体が高空から降る。その重量は生物の域を超えている。
それはシンプルな重量落下。アライズ団の突入前にオハラグループの用意した戦闘部隊を一蹴し、盛大な揺れを走らせた一撃。
重ければ重いほど威力を増す、ごく単純かつ強力極まりない質量攻撃。


英玲奈「テッカグヤ、“ヘビーボンバー”」


落下、テッカグヤの体がオハラタワーを豪打!!

凄絶な衝撃…
戦闘に痛みきったオハラタワーがついに断末魔のように軋みながら倒壊していく。
飛び去っていく英玲奈を見送りながら、果南は大量の瓦礫と共に遥か地上へと落ちていく…!


鞠莉「果南っっ!!!」




ダイヤ「ほっ、穂乃果さんっ!!」
ルビィ「うぁぁ!穂乃果さんがぁ…!」

にこ「だああっ、やられた…!穂乃果を撃墜してどうすんのよ!全員撃ち方やめ!!撃った奴はブン殴るわよ!!」


震動!!!
マスコミや警察たちが騒然と声を上げる。


「上の方で何かぶつかったぞ!!」
「戦いが決着したのか?」「お、オハラタワーが…!」

「崩れてくる!!!」


最後の一声は悲鳴に近い。
202階、長大にして重厚な超高層ビル、オハラタワー。
ヨッツメシティの中央に建っているそれが崩れれば大被害が出るのは明らかで、それほど離れていない位置にいる警察やマスコミたちの全滅は免れない!

穂乃果がツバサの策略に嵌められて落ちたのと英玲奈が果南ごとオハラタワーを崩壊させたのはほぼ同時刻。


にこ「あー…これは」


パニックに包まれる現場の中、にこは今にも落ちてくる大量の瓦礫を呆然と見上げている。
こんな事態、にこの力ではどうにもならない…にこの力では。

ので、冷静に。


にこ「……ツバサの逮捕には間に合わなかったけど、あいつら呼んどいて良かったわ」


足音。
二人の人物が颯爽と美しく、足並みを揃えて現場に現れる。
アキバリーグチャンピオン絢瀬絵里!
同リーグ四天王、東條希!

クールかつ美しく、窮地にあってもかしこくかわいく。
金髪を靡かせながら、絵里は落ち着き払って現場を歩いている。

その隣を歩くのは紫がかった長髪、浮かべる笑みは愛らしくかつミステリアス。
相棒とばかり絵里の隣、同様に動じず周囲を見回す。

そんな二人はにこの姿を見つけ…手を振る!


絵里「あっいたわよ希!にこ~!にこ~!」

希「おお~本当に刑事してるんや。にこっち~!」

にこ「ちょっ、呼ばなくてもわかるから!その間の抜けた呼び方やめなさいよ!にこの威厳が!」


そんな調子で二人はにこの側へ。
仕事柄ちょくちょく顔を合わせているうちに何故だか絵里と希に気に入られ、すっかり親友のような腐れ縁のような、そんな関係の三人だ。

と、もちろん今日は遊びで呼んだわけではない。
にこは「ん。」と指差し、落ちている穂乃果と崩落するビルに二人の目を向けさせる。

もちろん二人に抜かりはない。
一目見ればわかる状況、絵里はフリーザーを、希は傍らにマフォクシーを待機させている。


にこ「頼むわよ」

希「じゃ、とりあえずマフォクシー。あの落ちてくる子受け止めよか?」


発動するサイコキネシス!
錐揉みしながら落ちてくる穂乃果とリザードンを強力な念波が包み込み、その落下速度を段階的に緩和させながら徐々に地上へと近付けていく。
数億枚の薄布をクッションにして受け止めるような、そんな柔らかで微細なサイココントロール。

頭から落ちていたのを最後にくるりと足を下にするサービス付きで、すとん。と穂乃果は地上に降り立った。


穂乃果「…………っ!……?ん、あれ?」


微妙に間の抜けた表情で首を傾げる穂乃果を一瞥し、絵里と希は崩れ落ちてくるビルを見上げている。


絵里「さて、こっちは骨が折れそうね」

希「ふふふ、腕の見せ所やね?」

絵里は上から下部にまで亀裂走ったビルを見上げ、片目を閉じて塩梅を測る。
二秒ほどそうして、感覚を掴んだのだろうか。
隣で待機している伝説の氷鳥ポケモン、フリーザー、それとユキノオーを追加で繰り出して指示を出す。


絵里「よくわからないから全部凍らせましょう。フリーザー、“ぜったいれいど”。ユキノオーは“ふぶき”」


嘴から、コォォと凍てつくような鳴き声、あるいは呼気が漏れ…フリーザーは蒼白の両翼を広げる。
同じくユキノオーは擦れるような唸りを響かせ、大きく呼吸を吸い込み…猛吹雪として吐き出す。と、瞬間!
発せられた冷気が蒼く走り、倒壊するビルを下から上へと駆け上がるように凍らせ、堅固な氷晶へと包み込んでいく!!


穂乃果「う、わっ…!!凄い…なにこれ!!」

にこ「ダイイチシティの時も一応見ただろうけど…よく見ときなさい。これがチャンピオン。アンタが挑もうとしてる大きな壁の姿よ」

ダイヤ「はぁぁぁっ…エリーチカ…!クールですわぁ…!」

穂乃果「……凄い!」


その冷気の勢いは凄まじく、今にも剥がれ割れて崩れようとしていた上層部の構造を固めて繋ぎ止めている。
さらには地上から幾本もの頑強な氷柱を打ち立て、支え棒としてオハラタワーを斜めからも支えている。


絵里「動かない標的には“絶対零度”も簡単に当たるから楽ね♪」


そんな調子で上機嫌の絵里。それでも剥がれて抜け落ちてくる瓦礫は少なくない。
そこはエスパータイプのエキスパート、希の出番だ。

希「ウチももう一匹出しとこか。フーディン、お願いね」

『シュウ…!』

希「それじゃマフォクシーもフーディンも、サイコキネシスで落ちてくる瓦礫を受け止めよ」


迸る念動力!!

本来不可視であるはずの念波だが、二匹の高レベルが故に明確に空間が捻じ曲がっていて人の目にも視認できる!
マフォクシーとフーディンの二体はそらに巨大な受け皿を作り、広範囲に落ちてくる瓦礫をまとめて漏斗を伝わせるかのように一箇所へと集めて積み上げていく。

希はフフフンと鼻歌を口ずさみながら微細なコントロールを指示し、街に瓦礫が落下する被害は一切皆無。

入れ替わりの激しいアキバリーグで、現四天王の中では最古参。
チャンピオンの絵里とほぼ同じだけの在位期間を保っている実力は伊達ではない!


穂乃果「四天王、希さんも凄い…」

希「希ちゃん、でええよ。穂乃果ちゃん?」

穂乃果「え…あれ、私のこと知ってるの?」

希「ふふ、エリチから聞いたんよ。面白そうな子がいるってね」


…と、その時。タワー最上層に溜まっていた大量の水が決壊する!
鉄砲水のように吹き出した勢いで凍結の戒めを破壊し、最上層の数フロアが大量の瓦礫となって地上へと降り注ぐ!!


絵里「ちょっと厄介ね。うーん、希」

希「了解、エリチ」


以心伝心、二人はほんの一言で次の一手を合致させる。
そして共に、それぞれの手首に嵌めたバングルのような物へと指を触れさせた。

希はくるりと振り向き、穂乃果へと神秘的に笑みかける。


希「よく見といてな。これは、ヒトカゲをリザードンにまで進化させた穂乃果ちゃんが…次に目指すべきもの」


絵里と希、二人のバングルが激しく発光する!
その光を翳し、極光がポケモンへと伝播していく!


絵里「メガシンカ。行くわよ、メガユキノオー!!」

希「メガシンカ…本気モードや。メガフーディン!!」




穂乃果「………はぁ、すごかったなぁ…」


静まり返った病院の一室、穂乃果は一連の出来事を思い出して嘆息している。
あまりに鮮烈な出来事が多すぎた。凄惨な現場がまだ目に焼き付いている。

だが穂乃果が“すごかった”と思い返しているのは、絵里と希が見せたメガシンカの力だ。

二人が手に着けたバングル…メガリングと言うらしいが、そこから放たれた光はそれぞれのユキノオーとフーディンを異形めいた姿へと変貌させた。
二匹は崩落するビルの全てを凍て付かせ、また強力無比な念動力で固定して落下を食い止めた。
それでいて変わらずの精密なコントロール。瓦礫と水をより分け、その中から気絶した四天王の松浦果南を救い出してみせていた。

病室、穂乃果がいるのは窓際のベッド。
カーテンを開ければ歪なオハラタワーが見え、鎌首をもたげた爬虫類のような姿は恐るべきテロの現場に刻まれた悪意を模したオブジェのようだ。


【あくまで氷による一時的な処置であり、一週間を目処に崩落の危険性があるとの…】

穂乃果「……はぁ。テレビも何もないし」


各局が特番、特番、特番。
アライズ団について早くも報道特集を組んでいる局もあるが、今は見る気になれない。

穂乃果の怪我はマニューラの氷が掠めた足の傷だけ。
あくまで軽傷なのだが、精神的なショックの可能性などを踏まえて数日は入院とのことらしい。


にこ「ま、幹部連中と対峙したアンタたちには聞かなきゃいけないことも多いし」


と、にこの弁。
そんなわけですることもなくて、穂乃果はぼんやりと思考を巡らせている。

海未は気絶したまま意識が戻っていない。命に別状はないらしいが、疲労が深いのだろう。
真姫曰く、ことりはまたしても姿を晦ましてしまったらしい。

どうしてだろう…
なんでなのかな、ことりちゃん。穂乃果は静かに親友へと想いを馳せる。


穂乃果「アライズ団、綺羅ツバサ、チャンピオン、メガシンカ。それに…ことりちゃん。ああ、もう…疲れたよぉ……」


時計はじきに十二時。激動の一日が幕を閉じようとしている。
重く、粘つくような疲労が指先にまで広がっている。心と体、両方の疲弊を休めなければ。

ベッドへと顔を埋め…穂乃果はゆっくりと瞳を閉じた。




ヨッツメシティ総合病院、アキバ地方最大規模の患者受け入れ体制を誇る大病院。
穂乃果が入院しているそこには、同様にオハラタワー襲撃に巻き込まれた人々が入院して治療を受けている。

重い怪我を負った人々はもちろん、そうでない人々もPTSDを発症する可能性がある。メンタル面のケアが重要だ。

幸い、対処法は確立されている。
ポケモンを用いた医療研究の権威、真姫の父であるニシキノ博士がエスパータイプポケモンの力を借りてのメンタル医療を提唱し、実用化へと導いている。
この病院でも取り入れられていて、サーナイトのような精神感応力を持つポケモンたちが医師と共に医療へと従事しているのだ。

とある一室…
ここでもエスパーポケモンによる治療が行われている。
善子、花丸、ルビィ。同室に入院している三人へと治療を施しているのはエスパータイプのエキスパート、希だ。

まだ幼く、しかもアライズ団の戦闘員との激戦を経た三人のメンタル面にはとりわけ深いダメージが刻まれている可能性がある。
そういうわけで、卓越したサイキックトレーナーである希にお株が回ってきたというわけだ。

ゆっくりと時間を掛けた対話。
経験したことを話してもらい、そこに紐付けられている恐怖をサイキックで薄め、遠ざけていくのだ。
希は花丸の瞳を見つめ、焚かれたアロマ香が心をほぐし、念波の浸透率を高めていく。


花丸「マルはお寺生まれだから…死とかには、みんなより少しだけ、慣れてると思うんです。
それでも思うところはいっぱいあって…死んでしまった人たちがせめて安らかに眠れるように、お父さんの供養のお手伝いをしようと思ってます」

希「うん…自分の中で消化できてるみたいやね。えらいえらい、流石はクニキダさんの一人娘」


自然な笑みを返してくれた花丸。
その表情に、(この子は大丈夫やね)と希は安堵の息一つ。

これで二人目。
最初に治療をした善子はかなりのショックを受けていたが、素直で影響を受けやすい性格らしく、念波によるケアがすんなりと浸透して落ち着いてくれた。


善子「ずら丸、終わった?」

花丸「うん、終わったよ。善子ちゃんはもう大丈夫?」

善子「フフ、堕天使の身に厄災が降りかかるのは、天が与えし必然……って、流石にふざける気にはならないけど…うん、大丈夫」

花丸「そっか、よかったずら」


もちろん、しばらくは継続的な治療が必要。
様子を見ながら通院してケアを受けることになる。
それでも迅速に対処できたことで、トラウマが心に塞げない傷痕を残すことはないだろう。

希「んん~……」


希は両手を組み合わせてぐっと伸びを。背筋を伸ばし、掲げた腕を横に降ろしてそのまま無意味にチョップを放つ。


希「せいっ」

にこ「痛あっ!?なにすんのよ!!」

希「やー、治療の場に警察のにこっちがいると念波の浸透率が下がるんよ。ちょっと疲れるから腹いせに」

にこ「なぁにが腹いせよ。仕方ないじゃない、アンタの対話が事情徴収も兼ねてんだから」

希「ま、せっかく治療した後にもう一回同じ話をさせるのも可哀想やんね…さて、あと一人の子行こか。ルビィちゃん、どうぞ」

ルビィ「………はい」

にこ(昨日よりも表情が暗い。不安定になってるわね…)


部屋に入ってきたルビィの顔には、一夜が明けてぶり返してしまった恐怖が根深く刻み込まれている。
付き添っているダイヤ、それに花丸と善子も心配そうに見つめていて、
(これは少し、気ぃ入れんとアカンかな)と希は息を吸い直した。

右・左・右・左。

ルビィの前で振り子が揺れる。
発せられる念波が心の深層の亀裂の形を、その深度を測る。
希は優しい笑みを湛えたまま、じっとルビィの話に耳を傾けている。

訥々と…やがて溢れ出すように。
怖かったと、悲しかったと感情の全てを吐露していくルビィ。

そんな様子を見つめながら、にこはどうにも希のポケモンが気になって仕方ない。
真面目な治療が行われている横に立ち、チラチラと希のポケモンに目を向けている。

黄色い体、ブラブラと揺れる振り子。
さいみんポケモンことスリーパーだ。


にこ(………サーナイトとかだと、なんていうか見映えもいいんだけど…スリーパーねぇ。
ルビィみたいな幼い子とスリーパーが向き合ってると、なんかこう、絵面が危ういっていうか…)


そんな雑念、無駄に胸をざわつかせているうち、希から優しく頭を撫でられ、ダイヤから抱きしめられ、たまらず駆け寄ってきた友人二人に手を握られ…
ルビィの表情へ、徐々に安らかさが戻っていく。


希「ルビィちゃんは人一倍優しい子やから、その分だけ深く傷が入っちゃったんやね」

ダイヤ「ルビィ…」

ルビィ「うっ…ぐすっ…こ、こんなに泣いたら、っ、恥ずかしいよね…えへ、へ…」

にこ「恥ずかしくないわよ。泣ける時に思いっ………きり!!泣いときなさい」

希「そうそう。ちゃんと泣いとかんと、後から心が辛くなっちゃうから」

ダイヤ「本当に…頑張りましたわね、ルビィ」

希がエスパータイプの使い手として優れている一つは、本人にもサイキッカーの素養があるという点。
スリーパーの振り子を介してルビィの心理へそっと踏み込み、巧みな話術で心を癒していく。

また同時に、悲しみの底に芽生え、輝きを増した小さな感情を読み取っている。
それは自分もトレーナーとして強くなりたいという夢。


希「ルビィちゃん、これはウチからの贈り物」

ルビィ「へ、ボール…あの、ポケモンですか?」

希「うん、ウチにはわかる。その子はルビィちゃんのところに行きたがってるんよ。出してあげてくれる?」

ルビィ「は、はい。えっと…わぁ!かわいい!」


ルビィの手元に現れたのはピンク色、丸々とした体につぶらな瞳。
希がルビィへと渡したのは、ゆめくいポケモンのムンナだ。
初めてのポケモンにおっかなびっくり、そっとその背を撫でるルビィを横目に、希はダイヤへと声を掛ける。


希「夜に寝てる時、ムンナがそばでピンク色の煙を出してたらルビィちゃんが楽しい夢を見られてる証。そしたらもう大丈夫。気にしといてあげてな」

ダイヤ「何から何まで、本当に感謝しきれませんわ…」

希「ううん、困った時はお互い様やん?」

ルビィ「えへへ…なかよくしてね、ムンナさん」

花丸「雰囲気がふんわりしてて、なんだかルビィちゃんとお似合いずら~」

善子「ククク…ルビィ、そのムンナ。ヨハネのヤミカラスと勝負よぉ!」

ルビィ「え、えぇ…!?」

花丸「エスパー単色と見るやいなや勝負を挑む…善子ちゃんズルいずら」

善子「フッ、私は決めたのよ。最強の悪タイプマスター、堕天使トレーナーになると。そのためには…手段は選ばないっ!勝負よルビィ~!」

ルビィ「ひ、ひええ!おねえちゃん!マルちゃぁん!」

やにわに賑やかしくなる病室、沈んだ気分と雰囲気を変えるべく、ちょっぴり大袈裟にはしゃいで見せる善子。彼女もまた優しい少女だ。
善子へ向けた視線をじとりと湿らせつつ、やっぱり一緒に楽しげな花丸。
その背に隠れつつ、ムンナを抱きかかえて善子から逃げ回るルビィ。

希の持つサイキック能力、ささやかな未来予知は語っている。
この三人には遠くない未来、もう一度悪と対峙しなければならない時が来ると。


希(…でもまあ、今伝えて怖がらせるのもアレやからなあ。
うん、大丈夫。きっと乗り越えられるから、頑張ってね)


内心に呟き、微笑みを浮かべる希。
そんな希を横目に、にこはどうしても気になっていたことを尋ねかける。


にこ「ねえ、その、アンタの手腕を疑うわけじゃないんだけど…スリーパーで子供のケアして大丈夫なわけ?」

希「ん?失礼やなあ。ウチのスリーパーはピュアッピュアやのに」

にこ「ピュアッピュア…ねえ」

希「信じてくれないにこっちにはお仕置きや。スリーパー、ワシワシMAX」

にこ「ひぃぃいやぁああ!!?やぁめなさいよ!!そのネットリした目付きで来られると身の危険しか感じないのよ!!」

希「ちなみににこっちには血ヘド吐くほど大変な未来が待ってるけど、まあ頑張ってな」

にこ「さらっと不吉な予言してんじゃないわよ!!!」




憮然。果南は憮然と腕を組んでいる。

垂れ気味の愛らしい目元にたっぷりと不服を含ませ、差し入れのフルーツ盛りからリンゴを掴み、皮もそのままにガリリと齧る。


鞠莉「oops…果南ったら激おこが長い!そんなワイルドに食べなくても剥いてあげるのに!」

果南「自分に腹が立つよ。あーもう、なんであそこで突っ込んじゃったかなぁ?
落ち着いてカイオーガで攻めてればジリ貧にできたかもしれないのに」

鞠莉「果南は昔っからmuscle brainだから…」

果南「マッスルブレイン?ああ、脳筋ね…今は反論できないのが悲しいよ…」


拳で自分の頭をぽかりと叩き、傷口の痛みにぐうっと呻いて仰向けに。

英玲奈との交戦の末に傷を負った果南もまた、総合病院の一室へと入院している。
脇腹を抉られた傷を覆うように腹部にグルグルと包帯が巻かれていて比較的重傷、それでも起き上がって平然と果物を食べてみせるのは、基礎ポテンシャルの高さ故だろう。

部屋の場所はルビィたちの病室の隣。
とりわけ事件に深く関わった面々をまとめて警護するために、同じフロアへと固めて入院させているのだ。

ちなみに鞠莉も足の銃創の治療のため、同じ病室にベッドを並べている。
仮にもオハラコーポレーションの社長、個室を手配することもできるのだが、鞠莉から望んでこの部屋に入室している。
果南と同じ部屋で、ダイヤも妹の付き添いで隣室にいるため頻繁に顔を出してくれる。

鞠莉にとっては豪華な個室より、よほど満たされる部屋というわけだ。

そんな病室に見舞い客が二人。
ベッドサイドの椅子に、絵里と真姫が並んで腰掛けている。
チャンピオンの絵里と四天王の果南はもちろん、真姫も鞠莉もそれぞれに顔が広い。
四人揃って知り合いなので、これといって気兼ねした様子もない。

鞠莉が大量の見舞い品の中から適当に開けた菓子折りからゴーフレットをつまみ、サクリと歯を立てながら絵里が口を開く。


絵里「でも、仕方ないんじゃないかしら…まさか人間が再生するなんて思わないものね」

果南「うん、あれは…正直ゾッとした。胸の真ん中らへんに穴を開けたのに、グチャグチャっと膨れ上がって塞がってさ」

鞠莉「私も見たけど、そこらのポケモンよりよっぽどクリーチャーみたいだった」

真姫「人体にポケモンの組織を移植…私のパパも医療方面でその研究をしてたことはあるけど、結局実現できなかった。
それを実用化して、さらに軍事利用だなんて。倫理観はともかく凄まじい技術力ね」

鞠莉「umm…?まさか、ニシキノ博士が全ての黒幕!!」

絵里「はっ…!?」

鞠莉「なぁんちゃって。it's joke♪ ニシキノ博士はとびきりのモラリストだものね」

果南「まぁた、タチの悪い冗談を」

真姫「……エリー、一瞬信じかけてなかった?」

冗談交じりのとりとめもない会話だが、お互いが見た物、知った情報の交換と確認も兼ねている。
今後アライズ団と対峙していく上で、幹部の英玲奈が人外めいた再生力を有していると知れたのは重要だ。
加えて、主力が五匹まで判明した。アライズ団がUBを所持していることも分かった。
敗北こそしたが、果南は鞠莉を暗殺から守り抜いてみせた。

しかし、失ったものも大きい。
持ち去られたミュウツークローンが綺羅ツバサに利用されて牙を剥くのは確実。
そしてそれより大きなダメージは…


真姫「鞠莉、その…オハラの状況は知ってる?」

鞠莉「……ええ、療養のためにニュースは見ないようにって言われているけど、どうしたって耳には入ってくるもの」


少し眉根を下げ、鞠莉は困ったような表情で笑う。
おもむろにリモコンを手に取ると、あまり見ない方がいいと止められているテレビの電源を入れた。
薄型テレビの画面は民放のワイドショーを映し出し…
その中では賢しらなコメンテーターたちが沈痛な面持ちで、しかし口調は辛辣に、アライズ団へ、そしてオハラコーポレーションへと批判を浴びせている。

絵里「やっぱり、オハラへも批判が集まってるのね…」

鞠莉「……メディアへのリークでオハラがマフィアだった過去が発覚、襲撃事件と合わせて株価は大暴落。
世間からは反社会組織同士のいざこざだと見られていて、犠牲者を出した責任の一端はオハラにある……マスコミもネットも、たった一日でそんな世論ができ始めてる」

果南「難しいことはわかんないんだけどさ、なんでこんなに早くオハラ叩きになってるの?
まさか、これもまたアライズ団が誘導してるとか…」

真姫「リークしたのはアライズ団だろうけど、世論に関してはまた別ね。
同業他社がオハラを追い落とすチャンスだし、色々な企業の思惑が絡んでるはずよ」

鞠莉「襲撃で会社がパニックだから、メディア対応が後手後手に回ってしまってるの。too late…全てはもう手遅れ」

果南「………鞠莉…」


明るく振舞っている鞠莉だが、ふと気を抜けば表情に深い疲労が浮かぶ。
経営を学んできた鞠莉は理解している。オハラコーポレーションは死に体なのだと。

オハラが潰れればアキバ地方に潜む悪党たちの抑え役がいなくなる。
訪れるのは暗黒。すぐ未来に待ち受けているのは、綺羅ツバサが望み描いた混沌だ。
絵里「やっぱり、オハラへも批判が集まってるのね…」

鞠莉「……メディアへのリークでオハラがマフィアだった過去が発覚、襲撃事件と合わせて株価は大暴落。
世間からは反社会組織同士のいざこざだと見られていて、犠牲者を出した責任の一端はオハラにある……マスコミもネットも、たった一日でそんな世論ができ始めてる」

果南「難しいことはわかんないんだけどさ、なんでこんなに早くオハラ叩きになってるの?
まさか、これもまたアライズ団が誘導してるとか…」

真姫「リークしたのはアライズ団だろうけど、世論に関してはまた別ね。
同業他社がオハラを追い落とすチャンスだし、色々な企業の思惑が絡んでるはずよ」

鞠莉「襲撃で会社がパニックだから、メディア対応が後手後手に回ってしまってるの。too late…全てはもう手遅れ」

果南「………鞠莉…」


明るく振舞っている鞠莉だが、ふと気を抜けば表情に深い疲労が浮かぶ。
経営を学んできた鞠莉は理解している。オハラコーポレーションは死に体なのだと。

オハラが潰れればアキバ地方に潜む悪党たちの抑え役がいなくなる。
訪れるのは暗黒。すぐ未来に待ち受けているのは、綺羅ツバサが望み描いた混沌だ。

長い睫毛を伏せ、俯く鞠莉。

覚悟を決め、経験を積み、生涯を賭して育て上げていくつもりだった企業をテロリストの暴虐に潰されてしまうのだ。
その落胆は深く、心は絶望に渋み…

それでも鞠莉は顔を上げる。
大胆不敵、果断かつ豪気。そんな女傑の片鱗が金の瞳に燃えている。


鞠莉「………だけど、このまま引き下がるつもりはありません。
売られた喧嘩は買って返す。小原家の流儀をガツンと!見せつけてやるんだから!」

果南「ふふ、落ち込んでるかと思えば…それでこそ鞠莉って感じだね。
手伝うよ、負けっぱなしでいられるもんか。アライズ団…叩き潰してやる!」


病室の片隅だとは思えない力強い宣告。
鞠莉と果南がアライズ団へと燃やす闘気に、絵里と真姫も頷いて応える。


絵里「やられっぱなしはここまでにしないとね。リーグチャンピオンの名に懸けて、綺羅ツバサたちをこれ以上のさばらせはしない」


絵里もまた怜悧。
プライベートで垣間見せる気の抜けた部分は鳴りを潜め、アイスブルーの瞳は身を裂くような零度を宿す。

絵里や果南だけでない、希や梨子もそう。
アライズ団はチャンピオンと四天王、それにジムリーダーたち。このアキバ地方そのものを敵に回したも同然なのだ。


真姫(このまま好き放題できると思わないことね…アライズ団!)




果南と鞠莉が入院している病室、その窓から見下すと緑が生い茂る中庭が広がっている。

昨日の出来事が嘘のように閑静、まるで田舎に建てられたサナトリウムのような雰囲気だ。
初夏のうららかな日差しに照らされていて、世間の雑事もここへは届かず。
そんな庭園の片隅、胡桃色のベンチに二人の少女が腰を下ろしている。

片方の少女は頬や全身に打撲を負っていて、湿布の香りをふわりと漂わせているが、その怪我は辛うじて軽傷の範疇だ。
もう一人は見るからに重傷。全身のあちこちに包帯が巻かれていて、片目は眼帯で覆われている。脇に添えた松葉杖が痛々しい。

みかん色と灰色の髪。
千歌と曜は黙したまま、そよ風に吹かれながら肩を並べている。

むしり、むしりと音。
千歌は目を落とさずに手慣れた仕草で小ぶりなみかんを剥くと、一房ちぎってぽいと口に放り込む。
もぐ、と噛んだところで「……」と沈黙。
顔をしかめ、二房まとめて曜へと差し出す。


千歌「曜ちゃん。あーん」

曜「え、いいの?ありがと…っ、痛ぁ…!」

千歌「あはは、口の中の傷に沁みちゃうね。おんなじだ」


いたずらっぽく目元を緩ませ、ふにゃりとした声でへにゃりと笑う。
しかし笑顔はすぐに曇り、千歌は顔を伏せて絞り出すように声を漏らす。


千歌「……全然同じじゃないよね。曜ちゃん、私のせいでこんなに大怪我させちゃった…」

曜「千歌ちゃん…ううん、そんなことないよ。千歌ちゃんは何も…」

千歌「私ね、子供の頃からずーっと一緒にいて、曜ちゃんのこと全部とは言わないけど、ほとんど知ってると思ってたんだ」

曜「……うん」

千歌「でも…全然だった。曜ちゃんのこと何も知らなかった。バッジのことも、カイリューのことも」

言葉を切る。

二人ともが顔を伏せていて、視線を合わせられずにいる。
自分の非力が、嘘をついていたことが、互いに気まずくて後ろめたくて、心苦しさに顔を見ることができない。

長い沈黙が続き、やがて曜が絞り出すように、意を決して口を開く。


曜「ごめん…言わなかったのは、私、私は、千歌ちゃんと一緒に旅がしたくて…!」


それは偽りのない気持ちの吐露だ。
嘘をついていたのは事実だが、悪気なんて微塵もなかった。
ただ一緒にいてほしかった、千歌に気後れを感じずにいてほしかった。それだけなのだ。

しかし、既に時は遅く。
偽りのままに死線を経てしまった今、その想いは千歌に届かない。
千歌は寂しげに笑い、掠れ、弱々しく声を震わせる。


千歌「あはは、私、足手まといになっちゃってるね…曜ちゃんはなんでも凄いのに、私なんかに合わせてくれてるせいで…」

曜「そ、そんなことない!私は、私なんて千歌ちゃんがいなかったら何もできない…千歌ちゃんがいてくれるから…!」

千歌「私が迷惑かけたせいで、曜ちゃんにこんな大怪我させちゃった。それでね、昨日からずっと考えてたんだけど…」

曜「っ……!ち、千歌ちゃん…私は…!」

千歌「もう、一緒にいない方がいいんだと思う。私と曜ちゃんは」

それは決定的な決別の言葉。
言葉としての意味以上に、表情が、声色が、断固とした別れの決意を曜に悟らせてしまう。
大好きで、愛していて、ずっと千歌だけを見てきたからこそ悟ってしまう。
二人の間柄は壊れてしまったのだと。

「う……あ……!」と座ったままによろめく。曜の瞳には闇の絶望が宿っている。
その色は深く濃く、眼帯をしていない右目からボロボロと溢れる大粒の涙、曜はそれを拭おうともしない。その気力すらない。

千歌は立ち上がり、重い足を動かし、一歩ずつ曜から離れていく。
曜の視線はゆらゆらと虚ろ、まるで夢遊病のように千歌へと片手を伸ばし、指先を泳がせ…
千歌はその手を一瞥もせず、死人のような足取りで立ち去っていく。遠ざかっていく。

やがて角を曲がり、中庭を出た。
もう振り向いてもそこに曜の姿はない。
「千歌ちゃん」と呼ぶ声、「ヨーソロー!」と朗らかな号令は聞こえない。
こんな別れ方だ、あるいはもう、ずっと…

力なく俯いたまま、壁にもたれかかる。
じわりと溢れ出した涙が四滴、五滴、コンクリートの床を黒く濡らしていく。

…そんな千歌の肩に、そっと手が添えられる。

誰だろう…?

顔を上げてみれば、そこにはもう一人の親友、梨子。
その顔には笑みが…梨子が怒っている時の硬質な笑みが張り付いている。


梨子「ちーかーちゃん」

千歌「梨子ちゃん…?」


壁ドン!!!


千歌「…!ひゃあっ!?」


病棟、白塗りの壁へと亀裂が走る!!
…ような錯覚を抱くほど、キレ、威力共に最上の壁ドン。
梨子の右腕が千歌の逃げ道を遮っている。

そして笑みを崩せば、梨子の表情は普段のおとなしく控えめな性格が嘘のような鬼面へと変貌を遂げる。
一体なんなのか。普段ならリアクションいっぱい、ちょっぴりおどけながら大いに怖がってみせるところだが、今の千歌にその気力はない。…と、梨子が口を開く。


梨子「私ね、千歌ちゃんのことが好きよ」

千歌「え…う、うん。私も梨子ちゃんのことは好きだけど…」

梨子「友達としてじゃないわ。恋愛対象として。好きで好きでたまらないの」

千歌「へ…?」


千歌の思考が硬直する。

何を?梨子ちゃんはいきなり何を言い出してるの?
フリーズした千歌におかまいなし、梨子は壁に手を突いたまま、さらに顔を近付けて熱っぽく語る。


梨子「でもね…私、欲張りなの。実は曜ちゃんの事も同じくらい大好き。天才肌のくせに打たれ弱くて、サッパリしてそうなのにうじうじした所があって。
そんな曜ちゃんを見てるとじれったくて、力任せにぐいっと押し倒したくなるの」

千歌「り、梨子ちゃん??」

梨子「私はね、大好きな千歌ちゃんと曜ちゃんが、二人で仲良くしてるのを見るのが大好き。もっといちゃつけばいいのにっていつも思ってる。
それを横からたっぷりと眺めて堪能した上で、二人をまとめて美味しく食べちゃうのが私の夢、目標、野望…」

千歌「なんだかすごいこと言ってるけど!?ひええ…目が怖いよ…!」

梨子「どうして逃げるの、曜ちゃんから」


梨子の瞳がまっすぐに千歌を見据える。

梨子「幼い頃からずっと一緒にいる親友で、大好きな人なのよね?」

千歌「……大好きだよ。でも、だから一緒にいられない。私のせいで曜ちゃんを危ない目に遭わせちゃったから」

梨子「それは違うよ千歌ちゃん。はっきり自覚できていないなら教えてあげる。
千歌ちゃん、あなたと曜ちゃんは親友だけど…それだけじゃなくてライバルなの」

千歌「……ライバル…?」

梨子「見ていればわかるわ。同い年なのに何歩も先を歩いててなんでもできる曜ちゃんを「すごいな」と思いながら、心の中では対等でいたいと願ってるのよ。
でも本当の実力を知っちゃって勝てそうにないから、一緒にいるのが辛くなったんでしょ?」


まくしたてるように喋る梨子。
その言葉を受け、噛み砕いて理解し、千歌は表情を崩して泣きそうな顔になる。


千歌「それは…でも、私が一緒にいたら、曜ちゃんが危ない目に遭うから…!」

梨子「わかるよ、それも本心だよね。じゃあ、強くなればいい。曜ちゃんと並べるぐらいに」

千歌「曜ちゃんと、並ぶ?」


それは持ち合わせていなかった、否、無意識のうちに心の奥へ遠ざけていた概念だ。
はっきりと提示され、逡巡。しかし千歌は弱々しく首を左右する。


千歌「でも、曜ちゃんはすごくて、私なんて普通だし…」

梨子「普通、その言葉で自分の限界を決めちゃ駄目。並ぶ…ううん、訂正。越えるぐらいに。
今度はあなたが、曜ちゃんを守れるように強くなればいい」

千歌「私が、曜ちゃんを、守る…」

ずっとずっと、後塵を拝してきた。
周りからの認識は“曜ちゃんの友達”。あるいは“オマケ”。
曜ちゃんは特別だと、とってもすごいんだと、追いついたり越えたりなんて発想をいつからから、自分の心の中にある海、その深く深く底へと沈めてしまっていた。

でも違う、本当は!


千歌「曜ちゃんが怪我したのが悲しい…悔しいよ…!一緒に戦いたい!守られるだけじゃなくて…私も曜ちゃんを守りたい!!」

梨子「仲直りしなさい。このまま二人が決別するなんて許さない。私が死ぬ時は千歌ちゃんと曜ちゃんに挟まれて、満面の笑顔で大往生するの。それが今の…私の夢だから」

千歌「うん…うん…!!」


もう一人の親友が示してくれた道。
それは暗雲に覆われ、暗く閉ざされてしまっていた千歌の心へと差す、光り輝く一筋。

千歌は力強く頷き、梨子への感謝を胸に宿し、それとは別で気になる点をふと尋ねる。


千歌「ところで梨子ちゃんってレz…むぐっ…!!?」


電光石火。

梨子は千歌へ、さらに顔を近付けた。
それは互いの鼻が当たる距離、零距離、唇と唇が触れていて…

キス!!!

たっぷり五秒、唇を外す。
目を白黒と、茹で上がったように頬を染めている千歌を満足げに見つめ、梨子は内心に呟く。


梨子(曜ちゃん、モタモタしてるからいけないのよ?これは今からしてあげる手助けの分。先払いでもらっちゃった)


ボフ、とおもむろ、梨子はボールからカイリキーを呼び出す。
そして千歌へと語りかける。


梨子「………ところで、千歌ちゃん。ポケモンの記憶をなくさせる技術があるのを知ってる?主に技を忘れさせたい時に使う技術なんだけど…」

千歌「え…あ、うん。テレビで見たことあるよ。プロフェッショナルって番組で。わすれオヤジさんって人…
それより今、あの、キス…??あれ、梨子ちゃん。どうしてカイリキーを出してるの…?」

梨子「知ってるなら話は早いわね。私のカイリキーはね…同じことができるの」

千歌「お、同じことって…」


耽美な笑みが梨子の口に浮かぶ。


梨子「私が今喋ったこと、したこと…覚えてられたら生きていけないから。カイリキー、記憶を飛ばして。優しめにね?」

千歌「うぎゃあっ!!?」

クロスチョップめいて四腕、交差する手刀!!
側頭部をバチーンと思いきり挟まれて千歌が倒れる。
技術は熟練、体に他の悪影響が出ないかは然るべき機関で検証済みだ。
梨子は倒れこむ千歌を抱きかかえ、「うう…」と呻く顔を覗き込む。
幼さの残る輪郭、鼻先にかかった三つ編みを指でどけてあげると同時、千歌はゆっくりと目を開いて一言。


千歌「り、梨子ちゃんは…レズ…」

梨子「……やっぱりちゃんと脳まで揺らす必要があるわね。カイリキー、もう一回」

千歌「ぎゃあああ!!!ぐへっ…」


同じ流れを繰り返し、パチリと目を開いた千歌はぽかんと梨子の顔を見つめている。
きょろきょろと左右を見回し、小首を傾げて尋ねかける。


千歌「あれ、なんで梨子ちゃんがいるの?私、曜ちゃんと話をしてて、
……んん?なんか梨子ちゃんが大変なことを言ってたような。あとなんかちょっと梨子ちゃんを恐ろしく感じるような。全然思い出せないけど…」

梨子「気のせいよ。それよりも千歌ちゃん、曜ちゃんは?」

千歌「曜ちゃん…そうだ曜ちゃん!私、曜ちゃんと話を、謝らなきゃ…伝えなきゃ!!」

千歌は激しく狼狽する。
記憶を飛ばされても感情だけは残る、そういうものらしい。
大切な親友とこのまま一生離れ離れになっちゃうなんて嫌だ!
でも作ってしまった溝は深くて、一刻も早く本心をぶつけなきゃ…!

そんな千歌の焦りに、梨子は病棟の屋上を見上げる。
そこには梨子のバシャーモが立っていて、高所から曜がどこにいるかを見定めてくれている。
バシャーモがピッと指差した方向、そこに曜がいるのだろう。
距離、角度、風速…目算は十分。

梨子のカイリキーが千歌を掴み上げた。


千歌「へ?」

梨子「千歌ちゃん、頑張ってね。行ってらっしゃい」

千歌「ま、まさか…ぎゃあああああああ!!!!!」


投げた!!!

砲弾のように飛んで行った千歌を見送り、梨子は一仕事を終えた充足感に深呼吸を一つ。
あとはバシャーモが宙空で受け止め、程よい高さから曜の上に千歌を落としてくれるはずだ。

さっきの今、真正面から行けばお互い身構えて上手く仲直りできないかもしれない。
だけど空から降ってきたのでは心を固める暇もないだろう。


千歌「曜ちゃんっ…私、やっぱり曜ちゃんと一緒にいたいよぉ…!」

曜「千歌ちゃん…っ、うん…私も…私も千歌ちゃんと離れたくない!!」


やがてそんな声を遠くに聞き、小豆色の髪をふわりと風にそよがせる。
積年、仲が良いからこそ踏み込めず、言えずに溜まってしまうわだかまりもある。
今日だけで全てが解消できるとも思えない。それでも、きっと大丈夫。


梨子「さてと…仲直りした二人を見に行かなきゃ」


ちょっとした私利私欲と、心からの友情と。
梨子は優しく小さく笑みを一つ。ゆっくり中庭へと足を向けるのだった。




千歌と曜が決別を免れ、それから数時間の後。
時刻は夕方を迎え、病棟の中庭からは人気が失せ、ひっそりと静まり返っている。

草むらからは夏虫の鳴き声。
中心に建てられている幾何学的な形状、クリスタルで象られたオブジェには水が流されていて、ごく穏やかな噴水として蕭々、せせらぎの水面を揺らめかせている。

その前には黒髪の少女が静かに佇み、その隣にはポケモンの姿。
青い体、首回りには長い薄紅。
それは伸ばされた舌なのだが、口元を隠すマフラーのように見え、そのポケモンにクールな印象を醸している。

タイプはみず・あく。しのびポケモンのゲッコウガ。
海未の相棒のゲコガシラが進化を遂げ、最終進化へと至った姿だ。

傍ら、入院着の海未はそっと手を伸ばしてゲッコウガの頭を撫でる。
アライズ団の構成員たちとの戦闘を経て、ツバサとの一戦で拳を交えたコジョンドが倒されたことにより進化レベルへと至っていたのだ。


海未「立派ですよ、ゲッコウガ。これがあと少し早ければ…私にもっとトレーナーとしての才覚があれば、綺羅ツバサとの戦い、何か違ったのでしょうか」

一人と一匹は静かに悔いる。
コジョンドを撃破し、確たる手応えを得た。
しかし蓋を開けてみればツバサのペラップに翻弄されての完敗。
柔よく剛を制す…いや、剛でも負けている。
力量不足。結果として、自らの未熟を痛感させられている。

せっかく再会し、心を通いあわせて共闘できたことりもまた去ってしまった。
大切な幼馴染は心優しさを残したままに力強く成長を遂げていて、しかしその深部にはやはり闇が根を張っている…そんな印象。


海未(ことり…何故、一緒にいてくれないのです。私と、穂乃果と…)


と、背後に気配。


穂乃果「うーみーちゃんっ!!」

海未「おっ、とっ…ほ、穂乃果!?いきなり背後から抱きつかないでください!危険です!」

穂乃果「えへへ、だって海未ちゃんが無事で、目も覚ましてくれて嬉しいんだもん」

海未「穂乃果…ええ、私も。あなたが無事で何よりです。ので、その…そろそろ離してくれませんか?む、胸が当たってまして…」

穂乃果「え?あ、ごめんごめん!」

いつもの旅姿の感覚で思いっきり抱きついた穂乃果だったが、今はそれほど厚くない素材の病院着。
柔肌の感触に動揺しきっている海未から慌てて離れ、照れ隠しに頭を掻きながらへらりと笑う。

さて、この二人が会えば最初に浮かぶ話題は自然と一つ。


穂乃果「ことりちゃん、元気だったってね!」

海未「ええ…相変わらず、ちゃっかりとふんわりと」


海未は出来事の始終、ことりの様子、会話、格好から手持ちのポケモンまでを穂乃果へと語り聞かせる。
穂乃果は笑い、心配し、目を丸くしては歓声をあげる。その豊富なリアクションはいつだって海未の話の滑りをよくしてくれる。
滞りなく語り終え、「そっかぁ…」と穂乃果。


穂乃果「心配だったけど…うん、やっぱり、ことりちゃんなら大丈夫だよ」

海未「ええ、私もそう思いました。こんな時に言うべき言葉ではないかもしれませんが…少し、ほっとしました」

穂乃果「でも穂乃果にだけ会ってくれてないのはすごく不公平だから、ことりちゃんに会ったら一発パンチするんだ。ボスッ!って」

海未「こ、ことりにパンチですか?ことりは女の子ですが…」

穂乃果「ん…?穂乃果だって女子だよ!?」

海未「あ、いえ、そういう意味ではなくてですね、線の細さの問題というか…」

穂乃果「線が太いって!?まったく海未ちゃんってば、自分も女子なのにことりちゃんにはレディーファーストとか言いだしそうなとこあるよねー」

若干ふてくされ顔、穂乃果は遺憾の意とばかりに片腕をぶらぶらさせる。

そんな穂乃果の手首に、キラリと見慣れない輝き。
腕輪?アクセサリー?
穂乃果がその類を付けているのが珍しくて、海未は首を傾げて尋ねかける。


海未「あの、それは…?」

穂乃果「あ、そうそう!これを見せに来たんだよね~!なんと…ジャジャーン!」

海未「はあ、既に見えているものをジャジャーン、と言われましても…」

穂乃果「気分だよ、気分!これね、メガバングルっていうんだ」

海未「メガ…まさか、メガリングの一種ですか!?そんな稀少な物、一体どこで…」

穂乃果「えへへ、絵里ちゃんと希ちゃんからもらったんだ」

海未「絵里、希…?チャンピオンと四天王の、ですか?」

穂乃果「うん!」


メガシンカ。

それはごく限られたトレーナーにしか扱えない一時的な超進化。
それはある種のエネルギー暴走であり、ポケモンに多大な負荷を掛けてしまう。
そのため、深い絆と信頼で結ばれたトレーナーとポケモンにしか使いこなすことのできない力だ。

絢瀬絵里と東條希、二人がメガシンカの力でオハラタワーの倒壊を防いだ場面。
海未は気絶していてそれを生で見ることは叶わなかったが、ニュース報道で何度も何度も映像を目にした。
園田流ポケモン術の継承者である海未はメガシンカの存在をもちろん知っていたが、改めてその凄まじさに息を飲んだ。

メガシンカに必要となるメガリングの希少性、さらにはポケモンに対応したメガストーンの入手が必要となるため敷居が高く、使用できるトレーナーは数少ない。

穂乃果が着けているメガバングルはそのメガリングの一種であり、それをチャンピオンと四天王から直々に託された…
つまり、穂乃果はメガシンカの使用者たちから、それを使いこなせるだけの資質があると見込まれたということだ。

もちろん、海未は穂乃果にそれだけの実力があると知っている。
大好きな親友が正当な評価を受けたことが嬉しくてたまらなく、思わず頬の筋肉が緩み、「流石は穂乃果です!」と声をあげる。それと同時に気になって問いを。


海未「ところで、その二人はどこへ…」

穂乃果「うん、忙しいみたいでもう帰って行っちゃった。海未ちゃんにもよろしくって言ってたよ」

海未「……そうですか…」

顔を伏せる。
予感してはいたが、自分でも思った以上にショックを受けている。
穂乃果が認められたのは心から嬉しい。だが自分にはリングが与えられず、そして自身でもそれは妥当なのではないかと感じている。

素人からここまで一息に駆け上がってきた穂乃果に比べ、自分は凡才なのではないか。
自分たちの成長はここで打ち止めなのではないか…と。


穂乃果「む…」


そんな海未の姿が、穂乃果にはひどく気に入らない。
それほど人心の機微に聡くない穂乃果にも一目でわかる。海未は完全に自信を喪失してしまっている。

絵里からメガリングを受け取ると同時、希から海未への言伝を聞かされている。それは海未が目指すべき、穂乃果とは異なる成長の指針。
希と海未はまだ会ったことがないはずで、そんな相手に言伝とはなんとも不思議。
だが、デタラメを告げているとはまるで思わせない説得力が希の言葉にはあった。

それを伝えようと思っていたのだが…穂乃果は口を噤む。
そして腰からボールを掴み、腑抜けてしまった幼馴染へ、ライバルヘと突きつける。

トレーナーの迷いを断ち切るには、いつだってバトルが一番の良薬だ!

穂乃果「海未ちゃん、勝負しようよ」

海未「勝負…ですか。生憎ですが、色々と気付いていなかった怪我があって、しばらくは安静にするようにと…」

穂乃果「じゃあリザードンとゲッコウガだけでいいから!」


ピクリ、海未の表情に険が宿る。


海未「あなたのリザードンも進化したばかりですよね。つまりレベルは同等。
その上で、属性相性は完全にこちらの有利。まさか…侮っているのですか?」

穂乃果「そう思うならさ、掛かってきなよ。海未ちゃん!」


二人、視線に走る稲妻。それは開戦の合図!


海未「ゲッコウガ!臨戦のまま、まずは見です!」


既にゲッコウガを展開している海未、対し穂乃果はリザードンをボールから出すところから。
つまり思考、指示は海未に時間の優位。


海未(見てからで間に合う。まずは穂乃果の初動を…)

穂乃果「リザードン!“ニトロチャージ”!」

海未「!」

登場、即座の指示!

ニトロチャージは火炎を纏っての加速突撃。
シンプル故に始動が早い。が、加速が乗り切るまでに若干の助走距離を必要とする。それは海未が突くべき綻び。
しかしその小さな欠点を、穂乃果は加速のための必要距離ギリギリへとボールを投じることでカバーしてみせている。

プラス、リザードンが穂乃果の間髪入れずの指示にタイムラグなく対応している。
それはポケモンとの間に確固たる信頼を築けている証であり、さらには穂乃果が行き当たりばったりではなく自身の戦闘スタイルを確立できている証明でもある。


ゲッコウガがリザードンの突撃を受ける!
水拳が炎爪を受け、そこへ返しのカウンターを決めるよりも早くリザードンは穂乃果の元へと舞い戻っている。

双方ダメージはなし、リザードンだけが加速に成功。
初手アドバンテージを取られ、加速されたことでスピードという優位性が失われてしまった。


穂乃果「偉いよ!リザードン!」

『リザァッ!!』

海未「…焦る必要はありませんよ、ゲッコウガ。進化した貴方の火力ならリザードン程度、すぐに落とせます」

『ゲッコ…!』

海未「遠慮は不要です。全力で…“みずのはどう”!」


ゲッコウガの手元に結集する大量の水分。
それはゲコガシラだった時よりも鋭く硬く最適化され、まるで忍者の投じる風魔手裏剣めいた形状へと変化していく。

そして投擲!弾け散る水塊!!

これが進化しての初戦闘。
海未はその火力…否、水力に手応えを感じる。遥かにパワーアップしている。仕留めた!

…が。


『ザルル!』

穂乃果「ナイスだよ、リザードン!」


リザードンは健在、瀕死ですらない!

海未「何故です…!ゲッコウガ、もう一度“みずのはどう”!」

『ゲッッ…コウガッ!!!』


弾け飛ぶ水塊、直撃の手応え!
しかし再現される光景、リザードンは健在のままでいる!

散る飛沫、夕映えに照らされた中庭は燃えるような紅。
そんな光景の中、海未はリザードンが持ち堪えている理由をはっきりと目に留める。


穂乃果「リザードン、もう一回!“みがわり”!」

海未「みがわり!?」


穂乃果の指示に従い、リザードンは自身の体力を削るほどの勢いで猛烈な火炎を傍らへと放射する。
それは瞬時に圧縮されたエネルギー体へた姿を変え、リザードンの姿を模したデコイへと変貌する。
ゲッコウガが放つ三発目の波動は高濃縮されたエネルギー体である“みがわり”へと引き寄せられ大破、炸裂!!

本体であるリザードンへは直撃せず、結果として撃破へと至らない!


穂乃果(絵里ちゃんと希ちゃんならいい技マシンを持ってると思って聞いてみて、使わせてもらったんだよね!)

海未「小癪な…しかしそれでは時間稼ぎにしかなりませんよ。リザードンの体力は削られていっている!」

穂乃果「そう、だからいいんだよ」


穂乃果は不敵、はっきりと笑みを浮かべる。
体力を削り、リザードンの体は烈炎へと包み込まれていく。
聖良との一戦、決定的な火力を与えたリザードンの特性を、穂乃果は能動的に発動させる!


穂乃果「“猛火”!!」

『リザァァッッッ!!!!!』

海未とゲッコウガは同時、相手が発動させた凄まじい炎に微かに怯む。
初めての戦い、ヒトカゲの頃から見知っている相手が、これほどまでに激烈な炎を!?

そんな海未たちの動揺を、穂乃果の天性の嗅覚は鋭敏に感じ取っている。
炎と水の優劣、それは常に絶対ではない。
相手が動揺しているならば、時にはゴリ押しも有効!


穂乃果「“かえんほうしゃ”!!!」


飛翔したリザードンへと穂乃果は放炎の指示を下す!
タイプ相性をガン無視!!

上空から凄絶な炎で煽り立てられ、ゲッコウガと海未はたじろいでしまう。
素早く水壁を生じさせて防戦へと移行するも、ゲッコウガは攻めてこそのポケモン。
猛火を発動させているリザードンに対し、粘る戦いは決して好ましくない。

そして何よりこの状況は、自信を喪失している海未の心を激しい動揺へと落とし込んでいく!


海未(穂乃果がテクニカルな戦術を…それも、昔からの思い切りの良さを保ったままで。成長している。凄まじい速度で!)

海未(ですが、私は…?)

『ゲッッ…!ゲコッ!!?』

海未「しまった!ゲッコウガ!」


海未の脳裏に迷いが浮かんだ数秒。
その間はゲッコウガの迷いへと繋がり、水壁に脆さが生まれ、そんなゲッコウガを飲み込むリザードンの火炎!!

ここが押しどころ。それを理解している穂乃果は絶え間なく火炎放射の指示を下し続けている。
盛大な火柱の中にゲッコウガの姿を見失い、どの程度のダメージを負っているのか、ゲッコウガがどんな気持ちでいるのか。
まるでわからず、指示を出せず、海未は不甲斐なさと無力に歯噛みをする。


海未(私のせいで…ポケモンたちに苦痛を与え、敗北させて…情けない…!)

穂乃果「いいよリザードン!そのまま炎で抑え続けて、反撃させずに終わらせちゃえ!!」

海未「ゲッコウガ…っ」

これはペラップの時と同じだ。
いくら知識があっても、ポケモンの性能で上回っていても、指示を下せないようにされてしまえば何もできない。
その状況を作り上げてしまったのは自分の慢心、迷い、力不足。
いっそ、いっそ自分が代わってあげられればどんなに…!


海未「私は…私は!!」


━━━熱。


海未「っ!熱い…?」


走る閃光、宿る感覚。
得体の知れないそれは、海未の肌へと強烈な熱を感じさせた。

一体それは何なのか、海未は即座に確信を得る。


海未(これは今、ゲッコウガが感じている熱。痛み。何故それが私に…?)


疑問…それは不要。
一切の迷いなく、海未はその奇妙な感覚の中へと五感全てを落として委ねる。


(ゲッコ…!!)

海未(渦巻く火炎の乱流、焼け付く皮膚の痛み。ああ…これが今、貴方が見ているもの。感じている感覚なのですね?)

(ゲロロ…!?)

海未(何故だかはまるでわかりませんが…今なら貴方と感覚を共に出来ています。見ているものがわかる。負担はありますが…担い合えるのなら望むところ!!)


海未「ゲッコウガ、二秒後です!」

穂乃果「…!?」

海未「火炎を浴びて理解しました、そこで息継ぎのタイミングが来ます!
隙を縫って“みずのはどう”を…いえ、纏めるのではなくエネルギーを分散させてください!」

穂乃果(海未ちゃん…!何か掴んだんだね!)

海未に宿った共感覚、それが何なのかは海未もゲッコウガも理解していない。
ただ今までよりもその絆はより深く、鋭く。
放たれた海未の指示はゲッコウガの耳へと届き、磐石を以って理解を!

感覚の相互理解は新たな技を呼び覚ます。
水の波動を分散させ、ゲッコウガが手元へと生み出すのは五発に別れた鋭利な水弾!


海未「今です…“みずしゅりけん”っ!!!」

『ゲッ、コウガァッ!!!』

穂乃果「あれは…リザードン!避けて!」


鋭く投擲!!
曲射軌道で鋭く放たれた水弾は空を裂き、高速で回避を試みるリザードンへと迫っていく。
翼は夕空を一線に流れ…急直下!
上下動によりゲッコウガの水手裏剣をやり過ごそうという狙いだ!

が、海未とゲッコウガは動じない。


海未「下です」

『ゲロ…!』


いつの間にかゲッコウガの体を水の本流が取り巻いている。
渦を巻く烈水は水の操作能力が大幅に高まっている証。
共感覚は海未にだけでなく、ゲッコウガにも成長を齎している。
下への動きにも惑わされることなく、直角に近い角度で水弾は追尾!!


穂乃果(メガシンカ…!?違う、別の何かだ。海未ちゃん…やっぱり海未ちゃんは凄いよ!)

海未「……そこです!!」


炸裂!!!!

華麗なる散水、絵画めいた光景。
五発の水塊から直撃を受けた火竜がゆっくりと落下してくる。

穂乃果はすうっ、と息を吸い…ふう!と肩で大きく息を吐く。
リザードンを労ってボールへと収め、海未へと笑って声をかける。


穂乃果「はあ…やっぱり海未ちゃんは強いね!」

海未「それを言うなら穂乃果…強くなったのですね、リザードンも、貴女も」

穂乃果「希ちゃんからの伝言ね。「海未ちゃんにはメガシンカは必要ないよ、別の方法で強くなる未来が見えるんや」…って」

海未「ええ…穂乃果のおかげで、道が少し見えた気がします」


憑き物が落ちたような笑み。
海未は勝利に、ゲッコウガと軽く拳を突き合わせた。

穂乃果は思う、そうこなくっちゃ!と。
チャンピオンに挑むその前までは、海未ちゃんに自分の先を走っててもらわなくては。


穂乃果(だって私、自慢じゃないけど誰かに引っ張られないとすぐ飽きちゃうタイプだもんね!)


そして暮れた空を見上げ、どこかで同じ空を見ているはずのことりへも届くように。


穂乃果「大丈夫。きっともっと…今よりずっと強くなれるよ。私たちは!」

【オハラタワー編・完】




季節は初夏から針を進めて晩夏、初秋へ。
樹々は深緑から鮮やかな黄紅、鮮やかに色付いて人々の目を楽しませ、ポケモンたちへは多くの実りをもたらしている。

時節が移ろえば世間も動き、数多くのニュースが人々の間を駆け巡る。


【オハラコーポレーション国内撤退へ、今後は海外事業を中心に…】

【ボールの信頼性に翳り?シルフ、デボン、株価下落の傾向】

【ジョウト地方でアライズ団の目撃情報が…】

【アキバ地方の犯罪件数が急増、アライズショックの影響か】


“オハラタワー襲撃テロ”、先日の一件は世間でそう通称されている。
あるいはその日付に因み、“6.13”と。

比較的治安が良いとされる日本で起きたテロ、それも世界に名の知れ渡った大企業のパーティ会場への襲撃は国内だけでなく、世界各国へと衝撃を走らせた。

犠牲者数が100人を越えたという規模もさることながら、洗脳薬【洗頭】の存在が人々へとショックを与えている。
モンスターボールで所持しているポケモンが所有者へと牙を剥く。そんな光景が中継を通して余すところなく映し出されたのだから、世間の反応は推して知るべし。
シルフ、デボンなどのボール製造企業がその安全性に関して公式声明を発表する事態にまで至ったほどだ。

【洗頭】はツバサがテレビ越しに宣言してみせた通り、社会の闇を通じ、巧妙に着々と流通網を広げている。
それは港で、それは酒場で、公園で、荒野で、都市の路地裏で。
ありとあらゆる場所に売人が蔓延り、求めさえすれば誰でもが手に入れることができる…そんな悲惨な状況。
遍く悪たちにとって、洗脳薬の存在は魅力的に過ぎたのだ。

そして何より、綺羅ツバサの見せた圧倒的な邪智暴虐、悪辣なる蹂躙、輝かしい黒の笑顔は、アキバ地方に潜む悪人たちへと蜂起を強く促した。

“アライザー”。

6.13後にアキバ地方で急増した犯罪者たちはそう呼称されている。

中継映りを意識した白備えの団服も覿面の効果を発揮している。
アライザーたちは白ずくめの服装に憧れを感じて真似、あるいは団服のレプリカを好んで身に纏い、怯える人々へと暴威を撒き散らしている。

抑え役となっていたオハラコーポレーションの撤退も悪の隆盛を手伝い、いつどこで犯罪に巻き込まれるかわからない…
アキバ地方の人々は、そんな無間の混沌へと閉じ込められようとしていた。

そんな折、衝撃的な一報が世間を震撼させる。


【綺羅ツバサ、逮捕!!!】

アキバ地方チャンピオン絢瀬絵里。
同四天王東條希。

アライズ団のアジトを掴んだ警察からの要請を受け、二人は警察特殊部隊らと共に突入を敢行。
発見、交戦。イツツタウン近郊の森の中、壮絶な激闘の末に綺羅ツバサを逮捕。

無論、その裏には数ヶ月に及んで執念深く捜査を続けた刑事スマイル、矢澤にこの活躍がある。
その名が世に明かされ讃えられることはないが、ツバサへと手錠を掛けたのはにこだ。
しかしその事実は絵里と希、さらに居合わせた大勢の警官たちが知っている。

拘束衣に身を包まれ、さらには絵里のポケモンによる氷で手足を拘縛された状態で拘置所へと護送されるツバサ。
そんな姿を撮影された写真がネットへと流出したのは、警察の…さらに言えば、にこの発案による苦肉の策。

悪にとっての絶対的アイドルとなってしまったツバサの完全なる敗北を世に晒すことで、その影響力を絶とうと試みたのだ。

残る二幹部、統堂英玲奈と優木あんじゅ。
さらに戦闘員として悪名高い鹿角姉妹の妹、理亞らの姿はアジトにはなく、今も姿を晦ましたまま。

アライズ団を旗頭に世界を転覆させよう、そんな調子で息巻いていた“アライザー”たちはハシゴを外された形となる。
ツバサが収監されたロクノシティ刑務所の前では大勢のアライザーたちがツバサの解放を求めて、日夜罵声を張り上げ、警官隊との小競り合いを、時には乱闘からの逮捕騒ぎを繰り返している。

大量に流通した洗脳薬、鬱憤を募らせて散発的に暴れるアライザーたち。

そんな不安定な状況の中…

アキバ地方の端、小さな田舎町であるハチノタウン。
その中央に位置する広場で、騒動の気配が。

《ハチノタウン》


「聞けえ!田舎者ども!」

「この街は我々アライズ団の志を継ぐ者、アライザーが占拠したァ!」

「通行人は全員手ぇ上げろ!腰のボールを外して地面に起きな!」


奇抜な色に染め上げた髪、顔から首筋へと施した刺青、まるで品性を欠いた顔付き。
いかにもな悪党然とした男たちが10名ほどで中央広場、昼下がりの憩いを楽しむ人々へと怒声を張り上げている。

そんな風貌でいて、身に纏う衣装は白地に金のモチーフ。
アライザーを名乗っている通り、彼らはアライズ団の団服レプリカへと袖を通している。

上品な印象のその団服に男たちの外見はとても似つかわしいとは言えないのだが、彼らにとって似合う似合わないは問題ではない。
憧れの存在であるアライズ団に少しでも近付きたいと願っているのだ。

しかしそんな“エセ”であれ、アライズ団の白の団服が人々へと刻み込んだ恐怖は大きい。
そして何より、彼らが手にしている赤のアンプル、それは洗脳薬【洗頭】。

蘇る凄惨な中継の記憶、オハラタワーでの虐殺の光景…

湧き上がる悲鳴と喧騒!
恐怖の声が昼下がりの広場へと満ちる!

その声を耳に、(ああ~…最高だぁ…)とばかり、快感に打ち震える悪党たち。
刹那的な享楽主義である彼らにとって、これで警察に追われる身になるだとか、そういった後先は関係ない。

奪い、破壊する。アライズ団のように!

……と、そんな広場の只中。

東西の両脇からそれぞれ一人、少女が歩み出てくる。

片方はスポーティな印象、まるで猫のようにしなやかな細身の少女。
もう片方は柔らかな印象、春の花畑を思わせる穏やかな相貌の少女。

二人は不機嫌に視線を尖らせ、ツカツカとアライザーへと歩み寄り…

その前を通り過ぎる。
そして広場中央、対峙した二人は睨み合う。バチバチと視線を飛ばす!!


凛「かよちんの頑固者!今日っていう今日こそは絶対に絶対に!やっつけてやるもんね!!」

花陽「凛ちゃんの方がよっぽど分からず屋だよ!ずうっと喧嘩してきたけど、今日は覚悟しませんっ!!」

凛「ガオガエン!いっくにゃー!!」

花陽「お願いっ!フシギバナさん!」


繰り出されるポケモンたち!
バトルを始めようとしている!
アライザーを完全無視で!!


「おいお前ら、シカトしてんじゃ…」


凛「うるさいにゃ!“フレアドライブ”!!」
花陽「邪魔ですっ!“ギガドレイン”っ!!」


業火繚乱、炸裂する双方の大技!!!
ズタボロに叩き潰され、昏倒、沈黙するアライザーたち。
それにチラリとも目を向けることなく、星空凛と小泉花陽、ハチノタウンの名物少女たちは丁々発止の戦いを繰り広げ始めている。

道の傍ら、穂乃果は手にした牛乳パックをストローで吸い上げ、ズゴゴ…と音を立てて飲み終えながら呟く。


穂乃果「うーん、逞しいなあ」

《ハチノタウン・喫茶店》


穂乃果「二人とも強いね!びっくりしちゃった!」


いつもながらに身振りバッチリ、穂乃果は両手を広げ、目にした一戦の驚きを表現してみせる。
テーブルを挟んで二人、凛と花陽。
凛はえへんとばかり得意げかつ嬉しげに、花陽ははにかんだ仕草で控えめに喜びの笑顔を。


花陽「え、えへへ…そんなことないよぉ」

凛「この町で一番強いのは凛とかよちんなんだー。ジムリーダーより強いよ!」

穂乃果「げえっ、ジムリーダーより…」

花陽「あ、でも、穂乃果ちゃんもこの町のジムを突破したところなんだよね?」

穂乃果「うん!ふっふっふ、これで集めたバッジは…7個目!」


ババン!とばかり、穂乃果はバッジケースを開けて二人へと見せて誇らしげ。
凛と花陽は仲良く顔を近づけてそれを覗き込み、「おお~!」と声を合わせて歓声を上げる。

ヨッツメシティでの動乱後、療養を終えた穂乃果は再び海未と別れて各町のジム巡りを再開していた。
イツツタウン、ナナタウン、ハチノタウンと順に巡り、現在のバッジは7個!
ポケモンリーグへの挑戦権にもう少しで手が届くというところまで到達している。

そんな旅の道中、二人と知り合い食事を共にしている。そんな状況が今だ。

穂乃果「ん、でも…」


穂乃果はふと、素朴な疑問を口にする。


穂乃果「あんなに強いんだったら二人もバッジ持ってるんじゃないの?すっごくハイレベルだったけど」

凛「んー、凛はバッジにはあんまり興味ないんだよね」

花陽「私も、ポケモンリーグに挑戦するつもりはないかな…」

穂乃果「え、そうなの?そんなに強いのにもったいない…」


そんな会話に、横から涼やかな声が割り込んでくる。


海未「二人はトレーナーですが、ポケモンを育てているのは別の目的のためなんですよ」

穂乃果「別の目的?……って海未ちゃん!?なんでここに!!」

海未「貴女より先にいましたよ。逆にどうして気付かないのです」


やれやれと溜息一つ、カウンター席に座っていた海未は、紙ナプキンで上品に口元を拭いながらこちらを向いた。
時刻は2時過ぎ、駆け込みのランチタイムでパスタセットを食べている。

紙にトマトソースの微かな赤、それを丁寧に畳んでテーブルに置くと、穂乃果へフッと笑いかける。


海未「お久しぶりです、穂乃果。貴女もバッジを7つ集めたのですね」

穂乃果「えへへ、久しぶり!ん?あなたも、ってことは…」

海未「ええ、私も現在バッジは7つ。お互い順調なようですね」

そう告げると、海未はバッジケースを開いてみせた。
確かにバッジは7つ。海未もまた歴戦のトレーナーへと成長しつつある!

ライバル同士、互いの健闘に笑みがこぼれる。
そんな二人へ、凛が不思議そうに声をかけた。


凛「あれれ、海未ちゃんと穂乃果ちゃん知り合いなの?」

海未「ええ。幼馴染で、同じ日にオトノキタウンを旅立った仲です」

穂乃果「親友で、ついでにライバルなんだ!」

花陽「そっか、幼馴染で親友…ふふっ、私と凛ちゃんと同じだね♪」

凛「えへへー♪」


凛と花陽、二人はなんとも仲睦まじげに笑みを交わす。
そんな光景に、穂乃果の頭に次の疑問符が宿る。


穂乃果「あれ、じゃあ…なんであんな喧嘩してたの?」

凛「にゃあああああ!!!!」

花陽「ぴゃあああっ!!!!」


穂乃果の言葉をトリガー、すっかり仲良しムードだった二人は思い出したように睨み合う!
両手を掲げて大きく見せて、威嚇しあう双方。まるで小動物同士の喧嘩だ!

やれやれとばかり、海未は今日二度目の溜息を。


海未「説明するならば…思想上の対立、と言ったところでしょうか」

星空凛、伝説ハンター。
小泉花陽、伝説ウォッチャー。

二人の立場を簡潔に表現すればこうだ。


穂乃果「へええ、伝説のポケモンかあ」

海未「このハチノタウンのそばにある大山、ミカボシ山。そこに現れるという伝説のポケモンを巡って二人は対立しているのです」

穂乃果「んん?ハンターとウォッチャー、二人とも伝説のポケモンに逢いたいんだよね。なんで対立するの?」


穂乃果の疑問はすぐさま、凛と花陽がプンスカと怒りながら交わす言葉に回答を得る。


凛「ミカボシ山にはたくさんアライザーが入ってて伝説のポケモンが危ないにゃ!だから凛が早く捕まえて保護してあげなくちゃいけないの!」

花陽「捕まえて保護?話にならないよ凛ちゃんっ!伝説のポケモンは超自然の存在、人間なんかが安易に手を出してはいけないものなんですっ!」

凛「そんなこと言ったって危ないものは危ないじゃん!かよちんは頭が固いんだよ!その時その時でリンキオーヘンに動かなきゃ!」

花陽「危ないのはわかってるよぉ!だから私がミカボシ山のアライザーを倒して縛って通報して回って辿り着けないように守ってるの!」

凛「そんなことしてたらかよちんが危ない目に合っちゃうよ!かよちんは可愛くて悪い人に狙われそうだし、危険なことは凛に任せて町で待っててくれればいいの!!」

花陽「ピャア!自覚なし!凛ちゃんの方がもっと可愛いよぉ!?悪い人たちも危ないし、それに伝説のポケモンだって安全かはわからないんだから町で大人しくしててっ!」


「ははあ…」と穂乃果。
海未もこくんと首を縦に振る。


穂乃果「めちゃくちゃ仲良いね?」

海未「故に、こんな妙なこじれ方をしているのです」

凛「ふふん!いいもんね!」

花陽「むむっ」


ニャアピャアと交わしていた戟を収め、凛はくるりと回って穂乃果たちの方を向く。
跳ねるように身軽、海未へと近付くとその腕をひしっと掴み、花陽へと勝ち誇った笑みを。


凛「かよちんは一人で伝説ウォッチャーやってればいいよ!凛には超強力な助っ人、海未ちゃんがいるもんね!」

穂乃果「え、そうなの?」

海未「ええ、まあ…成り行きで」

凛「凛と海未ちゃんでババーッとアライザー全部やっつけて、そして伝説のポケモンも捕まえちゃうよ!
かよちんは後から綺麗な紅葉を眺めてゆっくり登山して美味しくおにぎりを食べてればいいにゃ!」

花陽「むむむむ…!」


悔しそうに歯噛みする花陽。
内心では凛の提示した登山おにぎりプランもちょっと悪くないな、なんて思っているのだが、当然それはおくびにも出さない。

おっとりとした顔を精一杯凄ませ、眉根にシワを寄せて熟考…
駆け寄り、穂乃果へと耳打ちを。


花陽(穂乃果ちゃん!私に力を貸してくれませんか!)

穂乃果(えっ、でもバッジ集めの途中だしなぁ…)

花陽(穂乃果ちゃんからは、私と同類の香りがします…協力してくれたら最高に!最っ高に!美味しいごはんをご馳走しますっ!)

穂乃果「その話、乗ったぁ!!」

海未「む?」


花陽は凛に見せつけるように穂乃果の腕を取り、ふふん!と得意顔で凛へと勝ち誇ってみせる。


花陽「ふふふ…花陽にも強力な助っ人ができちゃいました!穂乃果ちゃんが協力してくれたら百人力!
凛ちゃんと海未ちゃんは山頂で綺麗な星空を見ながら一泊して、朝焼けに照らされながらとっても美味しいインスタントラーメンを食べてればいいんですっ!」

凛「にゃにゃっ!!?」

戦力は再び拮抗、ぐぬぬと睨み合う花陽と凛。
ちなみに先刻の街中での戦いを含め、二人のポケモンバトルは20戦連続で引き分け中だ。

使用ポケモンはまるで別、種族値個体値もそれぞれ。
普通なら何かしらの決着が付くところなのだが、この二人はあまりに長く一緒に居すぎている。

幼い頃のじゃれあい程度のポケモンバトルに始まり、激しく火花を散らす今へと至るまでに数百戦のバトルを経ている。
それでいてプライベートでもずっと仲良しと来ているものだから、お互いの思考や次の手がはっきりと読めてしまうのだ。

もちろん互いの手持ちや技も余すところなく把握、お互いのポケモンたちが凛と花陽の二人に懐いている。
きっとそれぞれの手持ち六匹を丸々入れ替えてバトルしたとしても何ら問題なく使いこなし、何の変わりもなく引き分けになるのだろう。

と、いうわけで、二人が戦って結果を決めるというのは不可。
お互いが山に入り、花陽は伝説のポケモンへと警句を告げることで、凛は伝説のポケモンを捕まえることで、主張を通して目的を果たそうとしているのだ。

さて、すっかり巻き込まれた格好の穂乃果と海未は訝しげにお互いを見つめる。


海未「……穂乃果、貴女は何に釣られたのです?」

穂乃果「別にぃ、人助けだよ!海未ちゃんこそ、“あなたは”って言ったよね。何に釣られたのさ」

海未「まさか。純然たる人助けです」


希「けど本当は?」


穂乃果「えへへ、花陽ちゃんが最高に美味しい食事をご馳走してくれるって…」

海未「知る人ぞ知る最高の登山ルートを案内してくれるというので、つい…」


向き合う!!


海未「やはり私利私欲ではないですか!!!」

穂乃果「海未ちゃんこそ!!!」


バッと振り向く!!


穂乃果「って!?どうして希ちゃんがここに!!」

希「や、お久しぶり~。海未ちゃんとは初めましてやね?」

海未「あ、東條さん、どうもその節はお世話になりまして…」

希「うひゃー堅い堅い。希ちゃんでも呼び捨てでも、のぞみん♪とかでもええよ?」

海未「そ、そうですか?では…園田海未です。よろしくお願いします、希」

希「うんうん、しっくり感。で、なんでここにって質問やけど…ま、休暇やね。色々と大変やったから、ポケモンリーグも一週間休業中」

穂乃果「あ、そっか。アライズ団と…」


絵里と希、それににこによる綺羅ツバサの逮捕。
アライズ団と深く関わってしまった穂乃果たちにはにこから少しばかり細かな連絡が回されている。

遠くない未来、正面から立ち向かわなければならない大敵。
ツバサと交わした双眸、そんな運命を感じていた穂乃果にすれば、なんだか肩透かしを食らってしまったような印象がある。

しかしツバサの逮捕自体は素晴らしいことで、直接交戦した絵里、希、にこの三人が無事だったことは何より喜ばしい。
穂乃果は満面の笑みを浮かべ、希へと労いの言葉をかける。


穂乃果「色々とお疲れ様、希ちゃん!」

海未「ええ、本当にお疲れ様でした!」

希「いやあ、メインで戦ったのはほとんどエリチなんやけどね。で、まあ休暇で、ハチノタウンは温泉地やろ?ちょっとゆっくりしに来たってわけなんよ」

穂乃果「なるほど~」

希「なんで温泉に来たかって、どっちかと言えばエリチのためなんよ。綺羅ツバサとの戦いでちょっと怪我してて」

海未「怪我、重いのですか!?」

希「あ、いやいや。腕をグサッとナイフでやられただけ。毒も塗られてなかったし。ただまあ、念のために温泉療養しに来たってわけ」


そこで希は言葉を切る。
顔を横へと向け、初対面の愛想笑いを浮かべている花陽、軽めの人見知りを発動させて身を硬くしている凛へと優しく笑いかける。


希「ウチ、東條希。よろしくね!」


朗らかな希の笑顔は人心へするりと滑り込む。
花陽と凛の緊張を瞬時にほぐし、二人の表情は昔からの知り合いに向けるような笑顔へと変わっている。


花陽「えへへ、小泉花陽です。よろしくね」

凛「星空凛だよ!よろしくにゃー!」

希「さて、これで自己紹介はおしまい。ウチがなんでこの喫茶店にいるかって話やけど…」


やんわりと歩み寄り、凛の肩へポンと手を置く。


希「ウチ、凛ちゃん海未ちゃんチームに加入するわ」


それは強者の気まぐれ!
「えええっ!?」と、穂乃果や凛たち四人の驚きが重なる!

穂乃果「ちょ、ちょっと待った待ったぁ!いくらなんでも四天王の希ちゃんが味方したら決着付いちゃうよ!」

花陽「そっ、そうです!不公平だよぉ!」

海未「いいではないですか!四天王とはいえ一人のトレーナー、その自由意志を縛ることは誰にもできません!」

凛「そうにゃそうにゃ!ツイてるにゃ!」


希を挟んで両サイド、正反対の意見が喧々諤々と交わされる。
希は挟まれて鼓膜をわんわんと苛まれ、両耳を抑えて困り顔。

まあ待った待った、と両手を掲げて双方を制する。


希「花陽ちゃんたちはそんなに心配せんでもええよ、今は休暇中、護身用のフーディン以外は趣味パやから。
そんでフーディンもお疲れやからあんまり戦わせたくないんよ、だから仮にそっちのチームと戦う時も、ウチが使うのはあくまで趣味パの五体だけ。なら大丈夫やろ?」

花陽「う、ううん…それなら…」

穂乃果(待った待った!花陽ちゃん、こういう交渉事はもっと吹っかけて有利になるようにしなきゃダメだよ!)

海未(……と言うような事を囁いているのでしょうね。相変わらず勝因は僅かでも拾いに行くタイプというか…)


ヒソヒソと囁き、花陽へと交渉指南を授ける穂乃果。
そんな様子を苦笑いで見つめ、希は穂乃果へといたずらっぽい表情を向ける。


希「穂乃果ちゃん、心配せんでも大丈夫。そっちにももう一人、強力な助っ人が入る。ウチのスピリチュアルがそう告げてるんよ」

穂乃果「もう一人…?」


パタン。

乾いた音を立て、軽い立て付けの扉が開閉される。
そこには独特のトサカ、純白の羽毛を思わせる笑顔。

ことり「初めまして、オトノキタウンの南ことりです♪
途中からだけど、扉の外で話を聞いてました。花陽ちゃん、参加させてもらってもいいかなぁ?」

花陽「あっ、う、うん…!お願いしますっ!」


唐突な登場、浮かぶ困惑。
それでもなんとなく、なんとなくだが波長が合いそうだなと、嬉しそうに花陽は頷く。
そんな花陽へといっぱいの優しさを込めて微笑んだことりは、ゆっくりと穂乃果と海未に目を向ける。

もう一人の幼馴染、穂乃果とはおよそ半年ぶりの再会…!


穂乃果「海未ちゃん、それに、穂乃果ちゃん…久しぶりっ…!」

穂乃果「こ、ことりちゃん…!!」


ダイイチシティの病院から姿を消して以来。
オハラタワーの一件でもすれ違いになってしまった。

ずっと、ずっと会いたかった、もう一人の親友。

穂乃果はぐすっと涙を浮かべ、今にも大声で泣き出しそうな顔で駆け出す。
店の入り口で佇むことりもまた泣きそうな顔、穂乃果を抱擁で受けようと両手を広げ…!


ことり「ハノケチェンっ!!」

穂乃果「なんで穂乃果にだけ会ってくれなかったの!!!」

ことり「げふぅっ!?」

海未「なっ、殴ったぁー!!??」





同刻、ハチノタウンの民宿に三人の少女の姿が。


絵里「希ぃ…なんで私を置いて遊びに行くのよぉ…」

にこ「ププ…落ち込んでるやつを見ながら食べる温泉卵は最高ね~」

真姫「はあ、悪趣味…」クルクル


チャンピオン、国際警察、ポケモン博士。
立場のある三人だ。無論、それぞれ遊びに来ているわけではない。

にこはアライズ団の残党が潜伏しているとの情報を得て。
真姫は伝説のポケモンが現れる兆候があると聞いて。
絵里は怪我の療養と…観光で。

三人ともが狙われる可能性のある身、相互に護衛を兼ねるために同行している。
目的こそ異なれ、三人もまた入山することになる。

さらに同日、もう三人、修行を目的とするトレーナーたちがミカボシ山へと足を踏み入れていく。


かくして、トレーナーたちは山地へと集結した。

ある者は伝説のポケモンを目指し、ある者は食事のため。ある者は登山のため。
面白半分の者、紅葉狩り気分の者も。

複数の思いが交差する中、物語の舞台は霊峰ミカボシ山へと移行する。

【現在の手持ち】


穂乃果
リザードン♂ LV50
バタフリー♀ LV47
リングマ♀ LV45
ガチゴラス♂ LV44
???
???


海未
ゲッコウガ♂ LV50
ファイアロー♂ LV48
ジュナイパー♀ LV51
エルレイド♂ LV43
???


ことり
チルタリス♀ LV51
ドラミドロ♀ LV55
デンリュウ♂ LV50
???

絵里「ハラショー!ハラショ~!にこ、真姫、紅葉が鮮やかでとっても綺麗よ!」


民宿の窓から身を乗り出し、紅葉に目を輝かせて歓声を。
そんな絵里の姿はまるで子供だ。
素直なのはいいのだが、窓枠から身を乗り出してはしゃがれたのでは同室のにこと真姫は大いに恥ずかしい。
童心であれ、絵里の背格好はわりに大人の女性に見えるのだから尚更だ。


真姫「ちょっとエリー、観光で来たんじゃないのよ」

絵里「え…?」


一瞬、ぽかんと擬音が付いているような表情を浮かべる絵里。
しかしすぐにキリッと表情を引き締め、心得たりとばかりに華麗にウインクを決めてみせる。


絵里「なぁんて。色々やることがあるのはもちろんわかってるわ?」

にこ「……着くなりソッコーで浴衣に着替えた奴の言うことかしらね」

そう、絵里はもう浴衣に着替えている。
窓際に配された小机で早々に淹れたお茶を啜り、サービス品のポケモン用ポロックをキュウコンに食べさせている。
モクモクと口を動かす青い毛並み、アローラ産のキュウコンにも主人の浮かれムードは伝わるのか、心なしかその目は楽しげに見える。


絵里「おいしい?」

『コンッ!』


フフッと微笑み首筋を撫でて、「んん~」とゆっくり背伸びを一つ。
秋風にそよがれながら深呼吸をしてみせる姿は、まるで旅行雑誌の宣材写真のよう。
なまじ見た目が美女なため、どんなに気の抜けた姿をしていてもやたらに様になっている。


にこ(ぐぬぬ…腹立つわね…)

真姫「はぁ…ま、別にいいけど」

絵里「ふふっ、晩ごはんは何が食べられるのかしら。あ、露天風呂も大きいのね~」

にこ「ツバサとの戦いが終わってから気が抜けてるって言うか、アホになったと言うか。
まさか、あのナイフに脳に作用する何かの成分が…」

真姫「元々でしょ、エリーは」

絵里「ちょっと二人とも!?」

扱いに不服を唱える絵里を適当にあしらいつつ、にこは内心に改めての妙な感嘆を抱いている。


にこ(これがあのツバサを仕留めた絢瀬絵里と同一人物だとはね~…)


イツツの森、アライズ団アジトでの一戦をにこは思い出している。
絵里たちによる襲撃を察知、直後、遊撃に現れたのが下っ端の構成員たちでなく綺羅ツバサ本人だというのは、実にあの女らしかった。
首魁であれ行動派。アジトの奥、玉座に鎮座しているタイプではないのだ。

にこと希、それに警官隊が、ツバサに続いて続々と現れる構成員らを抑え込んた。
そして状況は絵里とツバサによる一騎打ちへ。

蒼輝、氷点下の世界。
人工物のみならず自然をも圧倒する絵里とポケモンたち。
その凍気は凄まじく、イツツの森全体のおよそ15%にも及ぶ面積を真冬のシベリアめいた一面の銀世界へと変貌させてみせた。

そんな厳冬の中にも絵里の横顔、怜悧な青の瞳が何よりも熱い熱を宿していたのを、にこははっきりと目にしている。
クールな性格をしているようでいて、その実、内面は高温に揺れる青の炎。
アキバ地方にとっての大敵を決して許しはしない。静かに盛る情熱の灯火を飼っている。


絵里「トドメよ…“ふぶき”」

ツバサ「……ッ…!」


絶対零度の怒りを内燃、令じた姿はさながら蒼氷の魔神。
あの瞬間、絢瀬絵里は間違いなく綺羅ツバサを圧倒していた。

そしてついに絵里のメガユキノオーがツバサのガブリアスを打倒し…
にこの長きに渡る追走劇に終止符が打たれたのだ。

にこ(ママを半身不随にした綺羅ツバサに、この手で手錠を掛けることが出来た。絵里には感謝してもしきれない…それはそれとして弄るけど)


未だ不服げな様子をからかいつつ、にこはたっぷりの親愛を隠した目で絵里を見る。

理知的で冷静、かつ無欠。
絵里が外見の美麗通りにそれだけの人間ならば、それほど踏み込んだ関係にはなれなかった。
だが蓋を開けてみれば存外に熱しやすく、脆いところがあり、ポンコツ感…もとい、お茶目な愛嬌に溢れている。

(ま、面白いやつよね~)と、にこはそう考えている。
やたらに喜ばれても鬱陶しいので、口に出してやるつもりはないが。


にこ「そういえば…この辺の民宿、“出たり”するって聞いたことがあったっけ~?」

絵里「で、出…!?にこ!ねえにこ、何が出るの!」

にこ「さあ、小耳に挟んだだけだから詳しくは知らないにこ~」

絵里「ま、まさか、幽霊…!」

真姫「……なんで怖がってるのよ。ゴーストタイプのポケモンとは普通に接してるじゃない、私のシャンデラとか」

絵里「ご、ゴーストタイプも得意ではないわ。真姫のシャンデラは可愛げがあるけど…
お、お札。お札とかがどこかに貼られてたら駄目って言うわよね…」

にこ「掛け軸の裏とか、ベッドの下とかね」

絵里「ひいっ…!に、にこ、真姫、どこかにお札がないか確認したいんだけど、手伝ってくれない…?」

真姫「私は別に気にならないわ」

にこ「ま、気が向いたらね~」

「もおぉ…!」と泣きそうな声、絵里はキュウコンと共に部屋中のあちこちをつぶさにチェックし始めている。
それを余興に眺めつつ、にこは畳に腰を下ろしてテレビを点けた。
まだ時刻は昼過ぎ、実のないワイドショーばかりが放映されていて、毒にも薬にもならない芸能ニュースにぼんやりと視線を泳がせる。

その傍ら、真姫は机へと広げた資料へと、熱心に何やら細々としたデータを書き付けている。
その大半は専門用語や数式など、素人目には意味のわからない文字の羅列。
そんな中に一列、目立って大きく書き付けられた文字がある。

【UB01 PARASITE】

その一文で視線を留め、真姫はフィールドワーク用のリュックから一本のアンプルを取り出した。
赤紫に揺れる薬液…それは中継に世界を震撼させた洗脳薬、洗頭。

所持するだけで違法となる薬だが、真姫は警察から直々に分析を依頼されたため特例として数本を所持している。
と、言っても大っぴらに持ち歩く権利があるというだけで、違法を気にしなければどこでも買えるほどに普及してしまっている薬なのだが。

ともあれ、そんな洗頭のアンプル。真姫は既に成分の分析を済ませている。
その大半はごちゃごちゃとした化学薬品の数々なのだが、一つ異質な成分が配合されている。それは…


真姫(UB01、通称ウツロイドの体細胞…)

アローラ地方での動乱は、世間にその全容を知られていない。
しかし無論、国際警察は事態を把握済み。
その一件にポケモンの一種と分類されているUBが深く関わっていたため、各地のポケモン博士たちへも事のあらましは伝えられている。

真姫もまた若きポケモン博士、そのUB、ウツロイドが起こす現象を既に知っている。


真姫(ウツロイド、その特性は寄生と洗脳。人間を洗脳した事例があるそうだけど、その効果を上手く対ポケモン用へと作り変えてある…)


国際警察が所有しているウツロイドの体組織のサンプル、それと照らし合わせることで成分を分析したのだ。
それが把握できれば、いずれは対抗薬も作れるだろう。
どれだけ掛かるかはわからないが…問題はない。既に綺羅ツバサは獄中なのだから。


「はあ」と目頭を押さえ、細々とした文字を見つめた目疲れに真姫はパタリと大の字になる。
やたらにはしゃぐ絵里に呆れてみせたが、こうして寝そべり、畳の香りを嗅ぎながら木造りの天井を見上げてみると安らぎを覚える。
絵里とにこの二人も年上ながら、それなりに気の置けない仲。真姫からすればなかなか悪くないメンツと言える。

(日頃は研究所に篭りきりなんだし、エリーじゃないけど、少しくらい旅行気分でも大丈夫かもね?)と。

ふと、にこに目を向けると…


にこ「……」

真姫「にこちゃん、どうしたの?難しい顔して」

にこはリモコンを片手、その目は相変わらずテレビ画面へと向けられたまま。
しかし画面は番組表を呼び出したところでそのままになっていて、テレビに意識が向いていないのは明らか。


にこ(初手、フリーザー - コジョンド。冷凍ビームでコジョンドを撃破)

にこ(絵里、コジョンドを戻してアマルルガ。ツバサ次手、ジバコイル。ラスターカノンでアマルルガを撃破…)


絵里とツバサの決戦、恐らくは現在のアキバ地方で最高峰のフルバトルを、まるで将棋の棋譜のように思い出している。
にこの脳内に克明に残されたイメージは鮮烈。
まるで録画した映像のようにありありと、絵里とツバサの呼吸一つ一つまでをはっきりと思い出すことが出来る。

絵里がツバサに勝ったのは間違いない。
追い続けてきたにこが直々に確認して手錠を掛けたのだから、替え玉や影武者であるはずもない。

だが、にこの心にはいくつかの違和感が残されている。


にこ(まず一つ、これは明らかにおかしい点。
ツバサが繰り出したポケモンは先鋒から順に、コジョンド、ジバコイル、ラッタ、クロバット、ペラップ、ガブリアス。
ツバサはオハラコーポレーションから強奪したはずのミュウツークローンを使っていない…)


アジトの内部も徹底的に捜索されたが、結局ミュウツークローンの入ったボールを見つけ出すことはできなかった。

他の構成員が持って逃げた可能性はゼロ。
アジトの内部にいたアライズ団は希のサイキックエネルギーによる感知の網を広げ、一人と漏らさずに全て捕らえたからだ。

このミュウツークローン、オハラからの聴取によれば、体は完成しているが実戦への投入テストはまだの段階だったのだという。
だとすれば、入手したはいいが、制御できなかったのだろうか。
あるいは綺羅ツバサでなく、あの日現場に姿を見せなかった統堂英玲奈か優木あんじゅの手持ちとなっている?


にこ(いいえ、にこの刑事としての勘が、そのどちらもが間違いだって訴えてる…
だからって答えはわからないけど)


わからず、にこは小さく首を左右に振る。
ちなみに希の占いでもミュウツークローンの所在は不明。
感知も占いも、対象の発しているサイコ力場が強力すぎて探知を弾かれてしまうのだという。

仕方がない、とりあえずは保留だ。

にこの思考はもう一つの違和感へ。


にこ(コジョンドにガブリアスに…にこの印象より、少し弱くなかった?)

これはあくまでにこの勘、言いがかりに近い違和感だ。

押収したツバサのポケモンたちは本部の調べで70オーバーの高レベルだったと報告が来ているし、幾度も目にしたツバサの手持ちと相違ない。
ラッタとクロバットは初見だったが、あれだけのコラッタを育成しているのだからラッタを手持ちに採用することだってあるだろう。

そんなツバサのポケモンたちもアライズ団と関わりのない地へと送られ、悪人に使われていたポケモンの更生施設で既に穏やかな日々を過ごし始めている。


にこ(だけど、どうしても違和感がある。あのポケモンたちが替え玉だとしたら?
……でもメリットがまるでわからない。だってツバサは…)


そう、アライズ団にとって肝心要のツバサは獄中、両手には枷。
それほど身動きの取れる服装ではなく、さらに囚われている独房は全面がサイドンの突進にも耐えられる強度の材質で固められている。
さらには独房内には専用の監視カメラが24時間稼働、女性としての最低限のプライベートさえ無視した徹底的な監視体制が敷かれている。

映画のように食器で掘り進んで抜け出すことは不可能、そもそも供される食事は全て自殺のためにさえ使えないシリコン製のもの。
当然ながら、外部からの仲間の襲撃にも備え済み。鍛え上げられた刑務官やポケモンたち、自動管制の火器による防衛は並みの硬さではない。

決して脱獄のできる環境ではないのだ。

にこ(細かい点を挙げればいくつだって違和感はある。ことりのイーブイの姿がどこにもなかったりだとか…
だけどにこが心配していることの大半は、突き詰めて考えればそれほど問題にならない点で…)

にこ(駄目ね。もうこの違和感は、この不安は、にこの勘でしかない。これを晴らすには自力で、可能性を虱潰しに…)

真姫「にこちゃん!」

にこ「へ、あ、何?真姫」


真姫からの呼びかけに気付いて振り向けば、真姫と、それに幽霊に慌てふためいていた絵里までが心配げににこの顔を覗き込んできている。
どうやら随分の間、呼びかけに気付けずにいたようだ。


真姫「大丈夫…?なんだか顔色が悪く見えるけど」

にこ「あー、そうね。ずっとアライズ団を追いかけて来てたから、こういうのんびりした時間に慣れてないのかも?」

真姫「その、体調が悪かったらいつでも言って。少しくらいは診てあげられるから」


本人に自覚はないが、顔に出るタイプだ。
真姫の顔からはにこを案ずる気持ちが十分に伝わってきて、いじらしい年下の博士へとにこはにこにーポーズで満面の笑みを。
それから、苦笑いを向けてみせる。


にこ「気持ちはありがたいけど、ポケモン博士の真姫ちゃんじゃポケモンしか診られないでしょ?」

真姫「にこちゃんなら別に、ポケモンみたいなものでしょ」

にこ「ぬぁんですって!?このガキ!」


一転、ガルルとばかりに牙を剥く。
そんなにこの肩へ、絵里が優しく手を置く。そして静かな口調で語りかける。


絵里「にこ、大丈夫よ。もし仮に綺羅ツバサが逃げ出したって…私が、何度でも止めてみせるから」


それは女王としての矜持。優しく、それでいて力強く。
そんな絵里の瞳に、にこは安堵の息を吐く。
仮に何かが起きたとしても、一人で抱え込む必要はないのだ。
にこはとびっきりの信頼を込めて、同い年のチャンピオンの胸をポンと軽く小突いた。


にこ「ま、頼りにしてるわよ。アンタも希もね」




ミカボシ山。

標高2000メートル越えの大山は、高さだけでなくその裾野の広さも国内屈指。
もちろん最高峰のシロガネ山には及ばないが、規模としてはシンオウ地方のテンガン山と同程度かもしれない。

冬になれば雪に閉ざされる天険の地なのだが、今は夏を過ぎたばかりの初秋。
暑くもなく寒くもなく、登山初心者でも深入りしなければ山歩きを楽しめる地としてアキバ地方では親しまれている。

午後の空は日本晴れ、秋風が心地よく木々には実り。
ポケモンたちが食べるきのみや、人が食用にする栗やキノコなども多く見受けられ、例年ならば収穫に訪れた人々の姿も多く見受けられる。

しかし、今年は人気がまばら。
散発的にうろついているのは白ずくめのアライザーたち。

先日ハチノタウンで一騒動を起こそうとしていたアライザーたちはかなりの過激派であり、もう少し凡々とした悪党たちは道に潜む。
通りかかった不幸なトレーナーを襲い、金品を奪い、洗脳薬でポケモンまでを奪おうという目論見だ。

そんなアライザーたちにとって観光地である登山道は格好の狩場。
今もまた、何も知らないような顔をした三人の少女たちが山道を歩いてくる。

襲い、奪い、抵抗するなら殺したって構わない。
アライザーたちは恐ろしげに歪な笑み、少女たちへと声を掛ける。


「金目のモンとポケモン置いて、命が惜しけりゃ…」

ダイヤ「ラランテス、“ソーラーブレード”」

「は?」

『ラララァッ!!!』

光斬!!!

ハナカマキリに似たポケモン、くさタイプのラランテス。
美しい和服にも似たその姿、鎌状の手先から太陽光を鋭刃へ。
アライザーの髪を削ぎ、服を破き、喉首を皮一枚で裂いてみせた。

明確な力量差、あと1ミリで死んでいたという命の重みをまざまざと見せつけ、ダイヤは優美に笑みを。


ダイヤ「寄らば斬る、ですわ。もう斬りましたけれど」


財布も所持品も放り捨て、悲鳴を上げながらズタボロの衣服で逃げていくアライザー。
その背を見送りながら、「あの目、彼はもう再起不能ですわね」とダイヤは呟く。
そんなダイヤへと二人の少女が声を掛ける。


ルビィ「お姉ちゃん、お姉ちゃんが倒しちゃったらルビィたちの訓練にならないよ?」

千歌「そーだよそーだよ。なんか格好良く決めるのはいいけど、私たちの修行で来てるんだから」

ダイヤ「あ…そ、そうでしたわね」


ゴホンと咳払い。三人組は再び山道を歩き始める。
千歌とルビィ、オハラタワーの一件では凄惨な目に遭った少女たちだ。
しかし今、その足取りと眼差しは力強さを増している。

数分の歩行…
紅葉した樹々が立ち並ぶ場所で、ダイヤたちはアライザーでないトレーナーに出会う。


凛「んん?女の子三人…白服じゃないし、アライザーじゃないよね?」

希「お、黒澤姉妹と千歌ちゃんやん。何してるん?」

海未「おや、お久しぶりです」

お互い、それなりに知っている相手同士。
警戒する必要はなく、それぞれが軽く安堵する。
初対面の凛を紹介しつつ、希は何をしているのかと軽く質問を。


ダイヤ「ええ、わたくしたちはルビィと千歌さんの訓練に。この山、アライザーの方々が大勢いらっしゃるでしょう?格好の訓練場所にはなりますので」

希「確かにここ、実戦相手には困らんもんなぁ。ダイヤちゃんがおれば遅れを取ることもないやろうしね」

千歌「えへへ、私もダイヤさんに弟子入り中なんだ。一回ちゃんと鍛え直さなきゃ~って思って!」


そう言って千歌は笑う。
身のこなしや重心のかけ方、トレーナーとしての技量が向上しているのが窺える。
以前はごく平凡な印象のトレーナーだったが、成長を遂げつつあるのだなと、同い年の成長に海未はほんのりと嬉しくなる。

そこでふと、気になったことを尋ねてみる。


海未「あの、曜はどこです?貴女とはいつも一緒にいる印象でしたが…」

千歌「うん、曜ちゃんとは今は離れてるんだ」

海未「おや、そうなのですか?」

千歌「曜ちゃんと一緒に旅するためには私が力不足だったから…だから曜ちゃんにはちょっとだけ待っててもらって、ダイヤさんに弟子入りしたんだ!」

ルビィ「最近はルビィと千歌ちゃんで一緒に、お姉ちゃんの考えてくれた練習メニューを頑張ってるんです!」


成長しているのは千歌だけではない。
ルビィもまた、表情や雰囲気から以前に比べれば甘えが減った。
もちろんまだまだ末っ子気質に変わりはないのだろうが、腰につけたボールの数も三つに増えている。

曜は千歌と離れて大丈夫なのだろうか?
オハラタワーでの狼狽ぶりを見ている海未は、内心に浮かんだ疑問をそのまま口にせず閉じ込める。

デリカシーを欠いた質問な気もするし、千歌の語り口に不穏の色はなかった。
細かな事情はわからないが、曜の不安定さも今は緩和されているのかもしれない。


ダイヤ「わたくしたちはキャンプを張りながら山を巡る予定ですけれど、希さんたちはどうされますの?」

希「うん、ウチらは今日は下見で明日から山入りの予定。しばらく滞在するんやったらまた会いそうやね!」


そう告げ、手を振って一旦の別れを。
やはり最高の季節、アライザーは危険とはいえ、こうして出入りする人々はいるわけだ。

ダイヤたちの背を見送りながら、凛はちょっとだけ内心に焦燥を募らせる。


凛(うーん、強そうな人だったな…でもでも、伝説のポケモンは凛がゲットするんだもんね!)




海未「それにしても、抜けるような秋晴れ。気分が良いですね…」

希「ほんとやなぁ。お日様をたくさん浴びて、自然の空気をいっぱい吸って、これぞパワースポット!って感じやね」

『リリリ~ン』


明るく笑う希の隣、ふうりんポケモンのチリーンが風に吹かれて涼やかな音色を鳴らす。
晩夏を過ぎての風鈴、季節感で言えば若干微妙なのだが、それもまた風流か。

希の言う“趣味パ”の一匹、ほんわかとした顔立ちが愛らしいエスパーポケモンだ。

そんなチリーンの尻尾、風鈴の短冊に見える部分にそっと触れつつ、海未は思わず頬を綻ばせる。


海未「ふふふ、可愛らしいです」

希「やろ~?戦闘向きの子かっていうとそうでもないんやけど、愛嬌があって可愛いんよ」

海未「オフの日は外に連れて行ってあげよう、といったところですか」

希「うんうん、ウチは立場上いっつもバトルバトルやからね、この子らにはお留守番ばっかりさせちゃってるんよ」

そう言って微笑む希からは、人柄の優しさがたっぷりと滲み出ている。
なんとも話しやすく、海未はいつもよりも何割増しかで饒舌だ。
饒舌ついで、気になっていたことを尋ねてみる。


海未「ところで、希はなぜ凛の味方を?」

希「うふふ、ウチは気まぐれやからね。海未ちゃんだってそうやろ?」

海未「む、煙には巻かれませんよ。私の場合はその…登山に釣られたわけですが、希は自分から参加してきたではありませんか」

希「んー…ま、海未ちゃんなら話してもいいかな」


そんな調子で前置き一つ、希は瞳に真剣な色を宿して口を開く。


希「このアキバ地方を襲う一連の騒動、綺羅ツバサを捕まえて、これで終息に向かっていく…ウチはそんな風には思えないんよ」

海未「なるほど…残る統堂英玲奈と優木あんじゅ、あの二人が何かをしでかすと」

希「ううん、どうやろ…はっきりとは。これってスピリチュアルとかやなくて、漠然とした不安でしかないんよ。だからね、今のうちに戦力を育てとかないとって」

海未「戦力、なるほど。希が今連れている、主力とは別のポケモンたちのレベル上げを…」

希「ううん、そうやなくて。海未ちゃんたちに強くなってもらわないとな~って話」

海未「私たち…ですか?」


不思議そうな顔で首を傾げる海未。
希はそんな海未、それに穂乃果とことり。オトノキタウンのトレーナーたちに、悪との対峙の宿命を見ている。
今後何かが起こったとして、最後の鍵を握るのは自分や絵里ではなく、きっと海未たちだ。
希は海未の肩をポンポンと叩き、「ま、頑張ってな」と声を掛ける。

そんな会話を交わす二人よりも前をスタスタ、ミカボシ山を歩き慣れている凛は鼻歌交じりに両手を広げて上機嫌。
そこに並んで歩くのはつぶらな瞳にオレンジの体、凛の手持ちのライチュウだ。


凛「ふんふんふ~♪」

『ラーイライ!』


尻尾を揺らしながら鼻歌に合いの手を入れていて、見ているだけで仲の良さが伝わってくる光景。
海未と希は思わず微笑を浮かべてしまう。

それだけを見ればなんとものどかな秋の山。
だが、登山者を狙うのはアライザーたちだけではない。

実りの秋、野生のポケモンたちの体調も万全で活動的。
見上げればオニドリルが空を舞っていて、人間の荷物から食糧を掠め取ろうと狙っているのが見える。
整備された登山道へは警戒して寄ってこないが、海未たちが歩いているのは道から少し離れた山の中。
長いクチバシでのいきなりの襲撃にも応じられるよう、警戒は怠れない。

だが鳥ポケモンたちより、もっと恐ろしいのは…


『ガアアアアァ!!!!!』


熊!


海未「っと、リングマですか。ふふ、穂乃果を思い出します。それにしても気が立っているようですが…」

希「秋やからね~、人間と一緒でお腹減らしてるんよ。特に熊は冬眠に備えて食い溜めを始める時期やし」

海未「ははあ、それでは私たちのことは美味しそうな肉にでも見えているのでしょうか」

希「リングマは基本的にはきのみを主食にしてるみたいやけど、一応雑食らしいから…」

海未「ふむ、雑食」

希「海未ちゃんなんかは程よく引き締まった高級なお肉に見えてるんやない?」

海未「なるほど……って、物凄く危険ではないですかぁ!!?」


ようやく気付いて焦燥!
野生だと侮るなかれ、シロガネ山のように、高山という地形では野生ポケモンが強靭に育ちやすい。
目の前で吠えているリングマはおそらくレベル40オーバー。応じなければ命を落とす!

冷や汗を浮かべつつ、海未は展開しているファイアローに指示を出そうとする。

が、それよりも素早く凛!


凛「ライチュウ、“ボルテッカー”でやっつけちゃえ!!」

『ラーイライライ!!!』

ライチュウは全身に雷撃を纏わせ猛突進!
リングマの胴体へと全力で体当たりを敢行!!

思わず目を覆ってしまうほどの雷光が一帯を白に染め、海未が目を開けばリングマは数十メートル先へと吹き飛んていく。
木々に生い茂った紅葉をクッションに、地面へとドサリ。
背中から強かに落ち、完全に目を回しているのが見える。
あんな痛めつけられ方をすれば恐怖を記憶に刻み、もう人間の姿を見ても近寄ろうとはしないだろう。


凛「さっすがライチュウ!バッチリにゃ!」

『チュウッ!』


突進の反動を受けたライチュウへと傷薬を吹きかけつつ、パシンとハイタッチ!
そんな凛たちを目に、海未は思わず息を飲んでいる。


海未「わかってはいましたが、凛は本当に強いですね。そのライチュウ、レベル60近くあるのでは?」

凛「凛のエースなんだ!その次はガオガエン!」

海未「バッジを7つ集めてそれなりの強者になった気でいましたが、まだまだ世間は広いのですね…」

希「天才肌やねぇ。凛ちゃんみたいな子がポケモンリーグ目指し始めたらウチなんてすぐ抜かれちゃいそう」

凛「えへへ、かよちんも凛と同じくらい強いよ」

褒められて喜びつつ、欠かさずバランスを取るように大親友を持ち上げる凛。
明るく健やか友達思い。まだ数時間の散歩を共にしただけだが、海未も希もすっかり凛のことが好きになっている。

そんな凛はボールから新たなポケモンを。
傾斜を駆け登って高台に立つと、てるてる坊主めいた姿のポワルンを出してその姿を見上げている。
三十秒ほどその姿をじぃっと見つめ、くるりと振り返ると海未たちへと天真爛漫な笑顔を見せる。


凛「うん!明日からもしばらく良い天気だって!」

海未「そんなに先までわかるのですか?」

凛「凛のポワルンはすごいんだよ。これくらいの高さまで来れば、三日ぐらい先の天気まで当ててくれるの!」

希「へえ~、山歩きのお供ってわけやね!」

海未「なるほど、それはまた魅力的な…」


山の天気は不安定。急変すれば命に関わる。
それをよく知る登山家の海未からすれば、生きた精密天気予報とでも呼ぶべき凛のポワルンはとても羨ましい存在だ。

それはそうと、ガオガエン、ライチュウ、ポワルンと凛のポケモンたちはいずれもタイプ違い。
マルチタイプのトレーナーなのだなと海未は心中で考えている。


海未(花陽はどうなのでしょう。優しい子とはいえ一応の対立相手、戦うことになる可能性もあるわけですが…)

穂乃果とことり、それに花陽のトリオ。向こうは今頃何をしているだろう。
そんなことを考えながら、海未は山を見上げて明日の登頂へと想いを馳せる。

これまでの旅路でも山があれば積極的に登ってきた。何故かと問われれば、そこに山があるから。
その経験はトレーナーとしても活きている。体力の向上はもちろんのこと、手持ち五匹で一番の新顔は山地、冷え込む洞窟で捕まえたポケモンだ。

そんな山の経験に富む海未だが、このミカボシ山を登るのは初めて。
初心者にも人気の山ではあるが、上まで登って行こうとすれば労力は跳ね上がる。
登山家魂をくすぐられ、海未はやる気満々に目を輝かせる。


海未「高い山ですね…準備を万端にしなくては!」

凛「凛もてっぺんまでは登ったことないけど、けっこう大変だって聞くにゃ。
でも伝説のポケモンがてっぺんにいるとは限らないし、捕まえたらそこで引き返せばいいよね!」

海未「携帯食は甘納豆と煮干しで良いでしょうか。登山をする以上、万が一ということもあります。希も凛も、今夜中にご家族への遺書をしたためて…」

凛「え、え?」

希「ええ、冬山の単独行やないやから…凛ちゃん、これは相当なガチ登山させられるかもしれんね…」

凛「り、凛は伝説のポケモンを捕まえたいだけなのに~!!!」

花陽「ん、凛ちゃん…?」


山のどこかに親友の悲鳴を聞いたような気がして、花陽はふっと顔を上げる。
けれ海未と希が同伴、危険があるとも思えない。
(うーん、気のせいかなぁ)と小首を傾げ、花陽の意識はすぐに足元へと戻った。

背中にはカゴを背負っていて、金属製のトングを片手にひょいひょいと拾っては集め、拾っては集め。
いっぱいに詰め込まれているのは季節の味覚、イガでいっぱいの栗!


『エルル!』

花陽「ありがとう、エルフーンさん♪」

『ディア~』

花陽「ドレディアさんもありがとう♪」


手持ちのポケモンたちも花陽と一緒に栗を拾い集めていて、背中のカゴにはなかなかの速度で栗が貯まっていっている。


花陽「おいしそうだなぁ…茹でても蒸しても煎ってもいいし、お菓子にしてもいいし、それより何より栗ごはん…!
ツヤッツヤの新米と一緒に炊いて、ほかほかの湯気とほんのりとした上品な甘みと…はぁぁっ…!」


想像するだけで垂涎!

穂乃果「おーい!」


そんな花陽へと駆け寄ってくるのは穂乃果だ。
猛ダッシュで元気よく、面前で立ち止まると、軍手で鷲掴みにした何かをジャジャン!と見せつける。


穂乃果「花陽ちゃん花陽ちゃん!このキノコは食べられるかな!」

花陽「それは、ううん…?メブキジカさん、お願いします」


花陽のメブキジカは穂乃果が握ったキノコ、その香りにスンスンと鼻を鳴らすと、鮮やかな秋色に染まった角でそれを払い落とした。


穂乃果「ああっ!」

花陽「ええっと、毒キノコだったみたい。たぶんツキヨタケじゃないかなぁ」

穂乃果「そんなぁ…おいしそうなキノコだと思ったのに…」

花陽「見た目はおいしそうだよね。でも食べちゃうと下痢とか嘔吐とか…」

穂乃果「ひえぇ…」

花陽「でも大丈夫です!穂乃果ちゃんがさっき見つけてくれたハツタケはどんな食べ方でも美味しいんだよぉ!」

穂乃果「やったね!!」


穂乃果と花陽は二人で万歳。今夜は秋の味覚でフルコースだ!
そんな様子をにこにこと笑顔で眺めつつ、ことりは小声で疑問を呈する。


ことり「伝説のポケモン、探さなくていいのかなぁ…」

山に入ってからそろそろ三時間、穂乃果たちの位置はまだそれほどハチノタウンから離れていない。
花陽もまた凛と同じく、本格的な山入りは明日の朝からと考えているのだ。

しかし、まさか延々と食材集めをするだけだとは。
落ちているドングリをおもむろに拾い上げ、隣にいるドラミドロへと見せる。


ことり「食べますか?」

『ドララっ』


頷いたので口の中へと入れてあげ、咀嚼するのを見つめながらぼんやりと物思い。


ことり(ことりもこういうのんび~りした時間は好きだけど、今はちょっと焦っちゃうなぁって)


人畜無害の笑顔に本音を隠し、ことりは目の前の山を見上げている。
昔ならどんなに海未に誘われても険しい登山はご免被るタイプだったが、一人での旅路にことりもまた健脚へと成長している。

伝説のポケモンが現れる。
なぜ知っているのか?真姫から連絡を受けたからだ。
穂乃果も海未も、そして真姫も、オトノキタウンの友人たちは再び姿を眩ましたことりにも毎日欠かさずメッセージを送ってきてくれていた。

もちろん、目は通していた。
一人旅の寂しさに心を打ちのめされそうになった時、みんなからのメッセージを何度も読みながら夜を明かしたこともある。

それなら何故、返事をしなかったのか?
答えは簡単。「後ろめたかったから」。

では何故、後ろめたかったのか。

ことりは食材集めに夢中の穂乃果たちから少し離れ、台地の端、切り立った崖になっている場所から下を見下ろす。
数十メートルの下方、そこには白づくめの衣服に袖を通したアライザーが二人。

ことりは道を戻り、穂乃果たちへと声をかける。


ことり「穂乃果ちゃ~ん、花陽ちゃ~ん、ことり、ちょっとだけ別の場所を見てくるね♪」

花陽「あ、はぁい!一人で大丈夫?」

穂乃果「あ、ことりちゃん!またそのまま私の前からいなくなったら怒るからね!パンチ二発だからね!!」

ことり「うんっ大丈夫、すぐ戻ってくるよ♪」


未だに穂乃果からの腹パンチでほんのり痛い腹部をさすり、苦笑いで声を返す。
もちろん、殴られたことを怒ってはいない。
消息を眩ましていた自分が悪いのだし、何よりことりへと痛烈なパンチを決めたまましがみつき、わんわんと号泣した穂乃果を怒れるはずがない。

二人から離れ、再び崖際。
穂乃果たちから死角になる木陰に佇み、鞄から折り畳まれた布を取り出した。
灰色、まるで飾り気のない、言ってしまえばボロ布。
広げれば大きな布だ。それでばさりと全身を包み込み、手先の器用さで縫い付けたフードを頭に被る。

そしてもう一つ、鞄から何かを取り出し…崖から飛び降りる。

━━ドチャリ。


「なんだぁ?」
「変な音が…」


振り向いたアライザーたち、二人の男は、紅葉に覆われていた背後の地面が紫に腐食しているのを目に留める。
柔らかく変性した泥土、その中からドロリ…立ち上がるのはドラミドロ。

それだけでも異様。
しかしアライザーたちはすぐさま、次の怪異へと意識を奪われる。

毒竜の体に守られるように巻かれた人影。
灰色のボロ布を巻きつけた何者かが、男たちにゆらりと指先を向けている。


「あなたたち、アライザーですよね」


男たちはその灰色を知っている。
社会の裏側、悪の間でまことしやかな都市伝説として囁かれている存在。
一欠片の意思も読み取れない、無機質かつ狂気を秘めたマスク姿。


「ば、鳥面(バードフェイス)!!」

(・8・)「狩ります」

“鳥面”。

その存在が悪党たちの間で囁かれ始めたのは数ヶ月前、ダイイチシティからことりたちが姿を消した少し後から。

綺羅ツバサに負け、イーブイを奪われたことりはドラゴンタイプの力に魅せられた。
だがそれよりも何よりも、世に遍く“悪”に対し、狂的なまでの憎悪を宿していた。

そんなことりがただひたすらに力を求めたのは社会の裏側、闇の中。

ただし選んだ道は悪への加担ではない。
抱えてしまった狂気と憎悪を存分に叩きつけられる相手を探し、その矛先を悪へと向けたのだ。

夜の街、場末、郊外に廃墟。危険とされる場所へ敢えて出向いた。
善良なトレーナーへと牙を剥く、そんな相手を探すのには困らなかった。
ルールに守られたトレーナーとの戦いとは違う。遠慮のない敵、こちらも遠慮をする必要はない。

ことりはひたすらに戦い続けた。
危うく悲惨な目に遭いかけたこともあったが、実力と機転で乗り切ってきた。

善良な人々を襲う悪のトレーナーをオンラインゲームにおけるPKに例えるならば、ことりの選んだ道は謂わばPKK(プレイヤーキラーキラー)。

報復を避けるために布を纏い、仮面を被り、ジム戦やポケモンコンテストには目もくれずに野試合を繰り返した。
故に、ことりのポケモンたちは穂乃果や海未のそれよりもさらに高レベルへと達しているのだ。


(・8・)「ドラミドロ、“ヘドロウェーブ”」


アライザーの片方へと容赦なく毒液を浴びせかけ、ことりはもう一人へと目を向ける。


「ふっ、ふざけんじゃねえぞ!!ぶっ殺せ!!オノノクス!!」

(・8・)「へえ、ドラゴンタイプ…」

アライザーの片割れは、どうやらかなりの実力者らしい。
オノノクスを繰り出して即座、命じた技は“りゅうのまい”。

龍としての本能を呼び覚まして攻撃性と速度を高め、臨戦の眼光がことりとドラミドロを捉えている。

しかし鳥面(バードフェイス)
ことりは動じず、腰からもう一つのボールを手に取った。
淀みない動きでボールを開き…青の体躯に真紅の翼、暴虐を秘めた600族の暴竜!


「ぼ、ボーマンダ…!?」

(・8・)「ボーマンダ、叩き潰して」




決着は即座。
オノノクスとアライザーは倒れ伏し、ドラミドロとボーマンダを従えたことりはそれを仮面越し、冷酷な目で見下ろしている。


「ば、バケモノ…」

(・8・)「……」


ことりはその声に取り合わず、男の懐から転げ出た赤の薬液と注射器を手に取った。
手慣れた仕草で注射器で薬液を吸い上げ、ごく淡々、それを男の首筋へと近付けて静かに問う。


(・8・)「洗頭。人に注射したらどうなるか、知ってますか?」

「ひ、ひいっ!?」

男が怯えてバタつかせた手が、ことりの注射器を弾き飛ばした。
割れるガラス、溢れて地面へと吸い込まれる薬液。
けれどことりは事もなげ、小首を傾げて呟いた。


(・8・)「もったいない…だけど、大丈夫ですよ」

「な、何が…」

(・8・)「代わりなら、たくさんありますから」


ことりは鞄を開く。
トレーナーグッズや女の子らしい小物、裁縫道具が入っていて、特に変哲のない鞄だ。

しかし…隠し底。
捲り上げたそこには何本も何本もの赤の薬液。大量の洗頭が隠されている。
新たな注射器を手に、薬液を吸い上げてトントンと針先から空気を抜く。


(・8・)「ポケモンにこんなものを注射しようとする人は、自分も注射される覚悟がないとダメですよね?」

「やめてくれ!やめ…!」

(・8・)「ドラミドロ、黙らせて」


口元を尾に巻かれて強制的に黙らされた男、その首元へと針が突き立てられる。
一切の容赦なく、薬液は急速にその量を減らしていき…

男の体はビク、ビクと痙攣し、瞳からは意思の輝きが失せる。
ドラミドロが尾を解けど、もう抵抗を見せることはない。

命に別状はない。
だがその自我は虚ろに蕩けていて、もう男が何かを思考することは二度とないだろう。
そんなアライザーを無慈悲に一瞥。ことりはドラミドロの毒に飲まれてのたうち回るもう一人のアライザーへと解毒剤を打ち、そして同じことを繰り返した。


(・8・)「こんなものを…」


吐き捨てるように言い捨てて、ことりはボロ布と仮面を鞄の底へとしまいこむ。
ドラミドロとボーマンダを優しく撫でてからボールへと収め、チルタリスの背に乗って崖上へ。


花陽「あ、ことりちゃんが戻ってきたよ!」

穂乃果「はあ、よかった…おかえり、ことりちゃん!」


何事もなかったかのような笑顔で、穂乃果と花陽に笑いかける。


ことり「うふふ、ただいまぁ♪」

穂乃果「ところでさ、花陽ちゃん。この山の伝説のポケモンってどんなのが出てくるの?」

ことり「あ、それ、ことりも気になるなぁ」


空は茜色に染まり、三人は収穫した秋の味覚をそれぞれに抱えて山を下り始めている。
穂乃果とことりからの質問に、花陽は少し困ったように眉を斜めに。


花陽「あ、ええと…それが、私も凛ちゃんも、どんな伝説のポケモンがいるのかは全然知らないんです」

ことり「えっ、そうなの?」

穂乃果「じゃあじゃあ、なんで伝説のポケモンがいるってわかるの?」

花陽「ううん、一応理論は聞いたことがあるんだけど、難しくてよく理解できてなくて。
伝説のポケモンが現れるって教えてくれたのはオトノキタウンの真姫博士なんだ。二人とも同じ街だから、知り合いだったり…?」

ことり「真姫ちゃん?うん、ことりも穂乃果ちゃんもお友達だよ♪」

穂乃果「あれえ、花陽ちゃんたち真姫ちゃんと友達だったんだ!」

花陽「うん、だいぶ前に何かの調査でこの街に来た時、凛ちゃんと二人で道案内をしたの。それ以来友達なんだ」


花陽は真姫から聞いた話を、理論の部分を省きながらかいつまんで説明する。

一般に、伝説と呼ばれるポケモンは人々の前に滅多なことでは姿を見せない。
しかし稀に、各地方で立て続けに伝説の存在が目撃されることがある。

その条件は動乱。
巨大な悪の組織が現れ暴威を見せた地方には、必ず何かしらの伝説のポケモンが姿を見せるのだ。
それは人心の乱れを感知しているのか、それよりもっと大きな時代の流れを感じ取ってるのか。
悪に立ち向かう人類の守護者なのか、あるいは文明の暴走をその牙で噛み砕かんとする自然のストッパーなのか。

その存在は計り知れないが、しかし事例が理論を証明している。


穂乃果「わかるような、わからないような?」

花陽「あはは、私もよくわかってないから…真姫ちゃんによると、今アキバ地方ではアライズ団が暴れてるから何かの伝説のポケモンが現れるはずなんだって」

ことり「なるほどぉ~」

花陽「えっと、それでね…」


花陽はごそごそと鞄を漁り、タブレットのような端末を取り出して二人に見せる。
画面を灯せばそこにはアキバ地方の地図が映し出されていて、ちょうど穂乃果たちのいるこの地、ミカボシ山に赤いマーカーが点滅しているのがわかる。
「これなに?」と尋ねた穂乃果へ、今度は眉をキリリとさせて花陽が答える。


花陽「これは真姫ちゃんが開発した新アイテム、“伝説チェイサー”です!」

真姫曰く。

ジョウト地方のエンテイ、ライコウ、スイクン。
ホウエン地方のラティアス、ラティオスなど。

ポケモン図鑑には、そういった移動型の伝説ポケモンたちを追跡する機能が付随している。
何故そんなことが可能かといえば、伝説のポケモンは普通のポケモンたちと比較し、極めて強力な生体エネルギーを発しているため。
それは離れていても感知できるほどの強さ。故に一度遭遇さえしてしまえば、図鑑の優れた性能で所在を確認し、追跡することが可能となるのだという。


花陽「そんな図鑑の機能を利用して、真姫ちゃんと真姫ちゃんのお父さんが開発したのがこの伝説チェイサーなんですっ!」

穂乃果「おおっ!?」

花陽「強いエネルギーを感知して、伝説のポケモンがいそうな場所をこの地図に表示してくれるの。
だから今、このミカボシ山に伝説のポケモンがいるんじゃないかなあ…?って事がわかるんです!」

ことり「すごいっ♪」

穂乃果「さっすが真姫ちゃん!」


パチパチと拍手を送る穂乃果とことり。
花陽は友人を褒められ、なんとも嬉しそうに笑っている。凛と同じく友達思い。
真姫はそんな二人の誠実な人柄と実力を信頼し、いざという時のために二人へと“伝説チェイサー”を託していたのだ。

さて、ことり。
今のところ食事に釣られただけの穂乃果とは違い、企みを秘めている。

ことりの中に友達思いの優しさは残されたままだが、しかしそれと同じくらいに力を求める心も育ってしまっている。
ドラゴンタイプに拘りを持っていることりだが、しかし“伝説”という存在は魅力的だ。

それを保護しようという花陽に同行してこそいるが、その内心は虎視眈々。


ことり(ごめんね、花陽ちゃん。伝説のポケモンがいたら…ことりが捕まえちゃうかも)


と、そこへ穂乃果。
急に歩み寄ってきたかと思えば、ぐいっと顔を近付ける!


穂乃果「ことりちゃん、なんか隠し事してない?」

ことり「ぴいいっ!!?」


唐突な問いは核心。思わず悲鳴が漏れる!
ことりのそんな反応により疑いを深めたのか、穂乃果はより視線鋭くことりの顔を覗き込んでくる。


穂乃果「なーんかこう、企みムードっていうか、ううん…」

ことり「な、な、なんでもないよぉ…?」

穂乃果「あ!わかった!」

ことり「チュンッ!!!」

穂乃果「フッフッフ…おやつを隠してるね!」


ビシッと指差したのはことりのカバン。穂乃果の読みはまるで的外れ!

伝説を狙っていることを看破されたわけではなかった。
ことりは小さく安堵の息を吐き、カバンの中から小袋のクッキーを穂乃果へと手渡した。

ことり「うふふ、ばれちゃったかぁ…はい、花陽ちゃんもどうぞ♪」

花陽「いいの?ありがとう♪」

穂乃果「わぁい!クッキーだ!」


穂乃果は大喜びでクッキーを頬張っていて、花陽はぱあっと笑みを咲かせて嬉しそうに口に運んでいる。

一つ年下、花陽は容姿も人柄もほんわかと可愛らしく、ことりから見てとびきりに好感の持てる少女だ。
そんな子を利用している事が心苦しい。…が、今はやむなし。

ことりは自分もクッキーを齧りつつ、ちらりと穂乃果の横顔を盗み見る。


ことり(ほ、穂乃果ちゃん、昔からたまに勘がいい時があったけど…旅ですごく進化してる…)

穂乃果「ふふふ、穂乃果はことりちゃんのことが大好きだからね、騙そうとしてもわかっちゃうよ!」

ことり(あっでも穂乃果ちゃんが大好きって、うふふ、幸せぇ…)


友愛の白と暴虐の黒。入り混じり灰色。
そんなことりの存在が事態を掻き乱していくことを、三人はまだ知らない。




ロクノシティ刑務所。

外界で繰り広げられている喧騒が嘘のように、施設内は静寂のヴェールに包み込まれている。
一般の拘置所や刑務所とは異なり、重犯罪者ばかりを捕らえておくための施設。
その牢の多くは独房であり、収容効率などを度外視した堅牢なる鋼鉄のマンション。

オハラタワーテロなどで逮捕されたアライズ団の構成員たちは、皆ひとまとめにこの中に囚われている。
それは戦闘員の中では名の知れていた鹿角聖良も同様。
また、先日逮捕されたばかりの綺羅ツバサはこの刑務所の最下層に収監されている。

ひとところに集めてしまえば残党が囚われたメンバーを、特にリーダーのツバサを奪還しにくる危険性が考えられる。
だが、警察はむしろそれを踏まえ、敢えてアライズ団を一箇所にまとめて収監している。

ロクノシティ刑務所の警備体制は凄絶なまでの厳重、許可がなければ蟻の子一匹入り込むことはできない。
物資や食料の搬入業者も立ち入る人間は事前に登録を済ませる必要があり、虹彩、声紋、指紋の三センサーに門番による顔確認、四段階の多重確認が毎回行われる。
映画やドラマで見かけるような、業者の衣服だけを奪って内部に潜入するなんて大立ち回りは確実に不可能だ。

仮に統堂英玲奈や優木あんじゅがその全兵力を率いて外部からの正面突破を試みるとして、どれくらいの戦力があれはそれは可能だろうか?
ざっと算じて…テッカグヤが20体、プラス、フェローチェを20体。それくらいの戦力を擁して初めて可能性が見えてくる。つまり、まるで現実的でない。

そんな刑務所の中、鹿角聖良は窓なき部屋の天井を見上げ、静かに思考に意識を傾けている。

独房ではなく殺風景な一室、机を挟んで聴取人。
あくまで粛々と、確認のために何日も何日も幾度も幾度も同じ問いを繰り返される。そんな一種の拷問めいた取り調べの最中だ。


Q.【洗頭】が人にも作用するものだと理解していたか。

聖良「知っていましたよ。だからどうだと言うんです?人への作用は洗脳ではなくあくまで廃人化。それくらいの事は他の薬剤で、もっと安価に可能。
人に使う輩がいたとして、それはよっぽどの狂人でしょうね」


Q.薬剤に利用されているウツロイドの個体を目にした事はあるか。

聖良「ノーコメントです。何度聞かれても」


Q.洗頭へと加入したのはいつか。

聖良「さあ、正確にはいつだったか。両親が事業を失敗して首を括り、路頭に迷いかけた私たちへ、シンオウから国内へと進出したばかりのツバサさんが声を掛けてくださった。
ほんの偶然、気まぐれでしょうね。けれど私たちには悪の華を咲かせるあの方たちが、どんなスターよりも輝いて…アイドルのように見えたんです」


Q.今までに殺害した人数は。

聖良「本当に同じ質問ばかり。そちらも飽きるでしょう?…ゼロ。と言ってみても信じませんよね。
直接なら片手ほど。間接的に殺めたのも合わせれば、両手で数えて少し足りない程度。
ただ、それは全て私が。妹はまだ人を殺めたことはありません」

言葉を切り、聖良の瞳はその頑なさから、少し印象を違えている。

妹、理亞を想う。
自らを犠牲にしてまで逃した妹の姿を思い浮かべ、静かに微笑を浮かべる。


聖良「理亞は…気の毒な子です。アライズ団に加入した時、私よりもまだ幼かった。フフ、妹だから当然ですが」

聖良「あの子は善悪の物差しを持てていない。私の後を追って、“姉さまはすごくすごいんだ”と慕ってくれているだけ。
もし、叶うなら…あの子には、闇から足を洗って貰いたい」


失言でした。

そんな調子の微笑を浮かべ、聖良は言葉を切って、瞳を閉じる。

年の割に大人びた口調、声色。
問いを重ねる男は、彼女が妹を守るために経てきた苦労の色をそこに見て取る。
だからと言って優しく接することはない。何かが変わるわけではないが…
ただその人生は気の毒なものだと、微かに思う。

……ふと。
聖良は思い出したように、もう一言を紡ぐ。


聖良「それと、もう一つ叶うなら。…高坂穂乃果ともう一度戦ってみたいですね。
あの炎、あの瞳。敵であれ、私は惹きつけられていた。彼女もまた、ツバサさんとは別の…」


“アイドル”。

聖良はそれきり口を閉ざし、質問者の言葉に反応を示さなくなる。
聴取は終わり。彼女の身は再び独房、薄闇の中へ。

しかし…彼女の命運もまた、未だその扉を閉ざしてはいない。




ブブブ…と羽音。
砂塵を巻き上げつつ低空、トンボめいた姿の緑竜がハチノタウンの軒先をすり抜ける。
背の翼で左右上下に小刻み、器用に町中を飛んでみせ、やがて民宿の庭先で羽ばたきを留める。
黒髪、ツインテールの前にぴたりと滞空。伸ばされた手を受け入れ、頭を撫でられて嬉しげだ。


にこ「ん、お疲れフライゴン。ミカボシ山の様子はどう?」

『フリャ』


緑の体、にこが撫でているのは手持ちの一匹、フライゴン。
にこの手持ちでは貴重な航空戦力として、幾度もの場数を共に乗り越えてきた相棒のうち一匹。

虫のような外見だがドラゴンタイプ。
同タイプの中で劣っていると誹りを受けることもあるポケモンだが、簡単な偵察指示なら単独でこなしてきてくれる程度に賢く、性格が良い。

それににこは、この愛嬌のある緑竜に何故だかシンパシーめいたものを感じてしまうのだ。
一仕事お疲れ様とポロックを与えつつ、にこは労うようにポツリと呟く。


にこ「よしよし、アンタもにこも持たざる者。これからも根性で乗り切ってかなきゃね」

絵里「持たざる者…?まさか、にこ…」

にこ「何よ絵里、いたの…って、悲しそうな目でにこの胸元を見んじゃないわよ!!!」

ポカリと殴りつけ、「痛いわにこ!」と抗議の声。
そんな二人を呆れ調子で眺める真姫、その肩がちょいちょいと叩かれる。


「ふっふっふ、かわいいお嬢さん。今晩一緒に晩ごはんはいかがですかぁ?」

真姫「何ですか。気安く触らないで…」


ぷにっと、振り返った真姫の頬に指が刺さる。
すらりと長く優しげな指先、にこにこと笑みを浮かべるその指の主は久々の再会!


真姫「ことりっ!?」

ことり「うふふ、久しぶりだね真姫ちゃん♪」

花陽「あ、真姫ちゃん♪久しぶり!」

穂乃果「絵里ちゃんとにこちゃんもいる!」


三人ぞろぞろ、花陽チームのご帰還だ。
背のカゴにたっぷりの秋の味覚を詰め込み、何故この民宿に現れたのかといえばここが花陽の家だから。
民宿小泉、食べログのアベレージは3.57。食事の美味しさに抜群の定評のある人気旅館!

と、そこへさらに三人。


海未「おや、穂乃果にことりもお揃いで」

凛「わあ!かよちんすごい!栗とかいっぱいだね!」

花陽「えへへ、穂乃果ちゃんとことりちゃんに手伝ってもらったからいっぱい獲れたんだぁ」

絵里「希ぃ、私を置いてどこで遊んでたの…」

希「ええ、半日やん。そんな捨てられた子犬みたいな目をされても…よしよし」

にこ「次から次にぞろぞろと…急に騒がしくなったわね」

凛と花陽は家族ぐるみの付き合いだ。
日頃から民宿小泉へは実家その2とばかり気軽に出入りしていて、それが今日は海未の宿の便宜も図らなくてはならない。

となれば、普通の一軒家な星空家よりは小泉家に連れてくるのが妥当。
希は希で絵里たちと同室、元々こちらに宿を取っているのだからなおさらだ。

優しげな女将、花陽の母親に宿泊の受付を済ませ、穂乃果たちはお友達料金でと相当額の値引きを受けての宿泊だ。…と、言うよりほんの雑費だけでタダ同然。

海未やことりは申し訳ないと固辞しかけたのだが、その横で輝く満面の笑み。


穂乃果「いいの!?ありがとうございます!!」


と言うことで値引き成立。
にこたちの隣室に荷物をどさり、穂乃果、ことり、海未は同室での宿泊と相成った。


凛「ちなみに凛はかよちんの部屋~!」

ことり「うふふ、仲良しなんだね♪」

海未「花陽、この栗はどこへ運びましょう?せめてお手伝いはさせていただかなくては…」

花陽「あ、ごめんね海未ちゃん。宿泊客の人たちのお夕飯に使うから、そっちの厨房の入り口に置いてくれれば大丈夫だよ」

絵里「見て穂乃果!露天風呂がすごいのよ!」

穂乃果「ほんとだ!早く入りたいなー!」

真姫(絵里、遊び相手ができてよかったわね…)

夕暮れの露天風呂。
まだ宿泊客たちで混み合わないうちにと、穂乃果ら九人は早々に乳白色の湯に肩を並べている。
年頃の女子が大勢集えば、聞こえてくるのはなんとも華やかな会話の数々。


ことり「わぁぁっ、絵里ちゃんおっきい~♪」

穂乃果「うわっほんとだ!絵里ちゃんの大きい!」

絵里「ちょ、ちょっとことり、触ったらくすぐったい…なんだか手付きが…」

海未「ですが、本当に見事なものです。私も触ってみてもいいでしょうか?」

絵里「ええっ、海未まで…もう、少しだけよ」

海未「これは…なるほど、大きさだけでなく、柔らかくしなやか…」

真姫「やっぱり、ロシアの血のおかげじゃないかしら。クォーターでも日本人よりは優れてるみたいね」

海未「ふむ…これは…ふむ…」

絵里「う、海未!触りすぎよ?」

海未「す、すみません。しかし、心から見事だと思いまして。絵里の…上腕二頭筋は!!」

穂乃果「カッチカチだね!!」


穂乃果、海未、ことりに真姫。
修羅場をくぐっているオトノキタウン組は、初めて目にする絵里の裸体、その強固かつしなやかに鍛え上げられた肉体に夢中になっている。

ことり「僧帽筋もすご~い!格闘選手みたいでかっこいいっ♪」

絵里「システマはある程度使えるように訓練しているから、それでかしら」

海未「私もそれなりに鍛えてはいるのですが、なかなか筋肉が太くなってくれないのです」

真姫「それはもう体質ね。海未だって引き締まってはいるわよ。ほら、大腿四頭筋なんて鋼みたいじゃない」

絵里「ふふっ、なかなか」

穂乃果「ご立派な筋肉で」

ことり「すべすべでしなやか…♪」

海未「ひゃあっ!くすくったいですよ三人とも!」


和気藹々、筋骨隆々。
そんな五人を見つめながら、凛と花陽はなんとも言えない表情を浮かべている。
なにやら夢を打ち砕かれたような面持ち、ぽかんと口を開いてにこと希へ問いかける。


凛「ねえ、希ちゃん、にこちゃん。女の子大勢でお風呂って、凛はもっと、もっとこう…」

にこ「……言わんとしてることはわかるわよ」

花陽「き、筋肉トーク…みんな強そう…」

希「凛ちゃん花陽ちゃん、覚えとき。どんな世界でも上を目指せば目指すほど、色気って失われてくもんなんよ…」

花陽「ピャァァ…」

凛「はぁ…そういうにこちゃんも引き締まってるよねー」

にこ「そうそう、胸筋の辺りが…ってうっさい!!」

希(芸人やなぁ…)




穂乃果「おおおおおぉぉぉ……!!!」


嘆息めいて歓声。
風呂上がり、浴衣姿の穂乃果は並べられた豪華な夕食に思わず目を丸くしている。

秋野菜と地魚の天ぷら、豚と野菜のせいろ蒸し、一人ずつの小鍋では上等な牛肉が温められていて、他にも色鮮やかな小鉢の数々、新鮮な刺身など多種多様。
そして何より見るべきは、おひつからよそって食べるほかほかの栗ごはん!
漆塗りの蓋を開ければ秋の新米、艶めく白。その中に輝く黄金の栗。それは王宮の宝物庫にも劣らぬ光輝!

名前は花陽、花より団子、食べるの大好き小泉花陽。
そのルーツは料理上手な花陽の母にあり!!

…というわけで、穂乃果はもう一度「うおおお…」と鈍く唸る。

トレーナー旅というのは概して、食生活が貧相になりがちだ。
街にいるときはポケモンセンター界隈にトレーナー割引の効く安価な食堂が集まっていたりするものだが、旅路の最中は携帯食や小さな商店で買ったカップラーメンだとか、そんなものばかり。
まして穂乃果のパーティはリザードン、リングマ、さらにはガチゴラスと大飯食らいが多く、食費がかさんでかさんで仕方がない。


穂乃果「勝負に勝ったらお金はいいから食糧分けて!!」


そんなひもじい台詞を見知らぬトレーナーたちに何度掛けたことか。
普通の食事ならいざ知らず、ここまで明確に“ご馳走”と呼べる食事は本当に久しぶり。


穂乃果(オハラタワーのパーティー以来じゃないかな…ううっ!)


内心にそんなことを考えている。
実際は各地で真姫とニアミスした時にそれなりの食事を奢ってもらったりしているのだが、それはともかく。
穂乃果はそれほど豊富でない語彙で、にこにこと微笑んでいる花陽ママと花陽へ感謝と賞賛を述べようとするのだが、その感動をうまく言い表せない。
難しい顔で頭を捻り、思考の果てに捻り出した言葉は…


穂乃果「こ、この鍋の火のやつ!修学旅行みたいですごい!」

真姫「散々唸って褒めるところが固形燃料って…」

絵里や希からの申し出で、九人は絵里たちが泊まっている一室に御膳を並べている。
チャンピオン、四天王、ポケモン博士に国際警察。
面子が面子、泊まっている部屋はかなり広いのだ。
風呂上がりのほのぼのとした雰囲気、食事も絶品とくれば自然と会話は弾む。


凛「んー!やっぱりかよちんのお母さんの料理は最高だにゃー!」

真姫「本当。とっても美味しい」

花陽「えへへ…色々おいしいもの食べてる真姫ちゃんにも褒めてもらえると嬉しいな。お母さんに伝えておくね」

希「お肉もお魚もあって至れり尽くせりやね。ウチもエリチも普段の食事には飽き飽きしてるから嬉しいなぁ」

穂乃果「普段…そういえばチャンピオンとか四天王って、食事もだし、戦ってない時は何してるの?」

海未「それは私も気になります。ポケモンリーグは人里離れたところに位置していますよね。ふらっと街に降りるにも不便そうですが…」


穂乃果と海未、二人揃って興味津々の問い。
絵里と希は顔を見合わせ、そんな二人の様子に思わず小さく笑みを交わす。

チャンピオンや四天王の普段の過ごし方が気になる。
そんな疑問がすっと湧いてくるのは、自分たちがいずれその場に立つことを目指しているからこそ。

トレーナーの旅路は険しい。
バッジ集めの道のりの厳しさに、あるいは才能の欠如に打ちのめされて道を諦める者も少なくない。
挫折したトレーナーたちの受け皿がないことが社会問題と化しているほど。

そんな中で穂乃果と海未がバッジを7つまで集め、未だ上を目指す瞳の煌めきを失わずにいてくれている。
それは絵里と希にとって、心から喜ばしいことだったのだ。


希「裏手に居住スペースがあるんよ。何もない時は私室か、専用サロンで過ごしてるかな」

絵里「サロンは24時間利用できて、無料で食事もできるのよ」

花陽「ごはんは美味しいですか!?」

にこ「うおっ食いついた…」

絵里「うーん、味は悪くないと思うんだけど…基本的には同じメニューが限られてるからどうしても飽きちゃうわね。希なんて最近はうどんかカレーとサラダでローテーションしてるもの」

希「その二つはまあ、悪くないんよね」

花陽「そんなぁ…毎日の食事に飽きちゃったら何を楽しみにすれば…」

穂乃果「ううん…チャンピオン目指すのやめよっかな…」

ことり「ほ、穂乃果ちゃん、ご飯を理由に諦めちゃダメだよ…」

経歴も立場も九人九色。
質問されて答え、旅路の小話を少々、仕事柄のネタを披露。
そんな繰り返しでエピソードが尽きることはない。
会話をしながらのゆっくりとした食事の時間が流れていく。

その間にも扉を隔てて廊下では、仲居さんたちが忙しなく行き交う足音が聞こえている。
秋のハチノタウンは観光シーズン、宿泊客も多く、忙しいのだろうなとことりは気がかりだ。


ことり「花陽ちゃん、ことりたちが急に泊まっちゃって本当に迷惑じゃなかったかなぁ。お代金もちゃんと払ってないし…」

花陽「あ、ううん!本当に気にしなくていいんだよ」

海未「立派なお部屋に気持ちの良いお風呂に、こんなに美味しい食事まで頂いてしまって…観光シーズンですし、些か心苦しいのですが」

花陽「えっと、実はこれでも、この時期にしては忙しくない方なんだ」

穂乃果「ええっ、そうなの?」

花陽「アライザーの人がたくさんいて、ミカボシ山に入りにくくなってるから…」

花陽曰く、ハチノタウンはアライザーたちの横行により打撃を受けているのだという。
それは治安の悪化だけでない。
産業の少ない田舎町であるハチノタウン、その収入を大きく支えているのは観光だ。

ミカボシ山の紅葉はそれを支える大きな観光資源であり、その山に入れないとなれば必然客足は減ってしまう。

それでも民宿小泉は食事と温泉という柱があるおかげで持ち堪えている方だが、町全体での損失は看過できないほどに大きいのだ。


花陽「予約のキャンセルとかもあって、ちょうど部屋が余ってて。用意してたお食事も無駄にしちゃうところだったから、みんなに食べてもらえて良かったな…えへへ」

ことり「そっか…言われてみれば、旅行雑誌とかだとこの時期のハチノはもっと人で混み合うって書いてあるよね」

穂乃果「そんな事情があったんだね…よし、食べ物を粗末にしないために頑張らなきゃ。海未ちゃん!そのお肉食べないなら穂乃果がもらうよ!」

海未「あっ、これは最後の一口に取ってあるのです!!!」

絵里「海未、その柿いらないなら私がもらおうかしら?」

海未「それはデザートに食べるために残してあるのですっ!!!」

真姫「やめなさいよみっともない…」

もちろん、この町で暮らしているのは星空家も同じこと。
わいわいと騒ぐ穂乃果たちを楽しげに見つめながら、凛の顔はふっと寂しげな色を宿す。


凛「凛の家も観光に来たお客さん向けのお土産物屋さんをやってるけど、今年は暇なんだよね」

にこ「土産物屋なんかはモロに煽りを受けそうね…」

凛「そうなんだー。団体さんから予約があれば観光ガイドもやってるのに、今年は全然にゃ…」

にこ「せっかく捕まえたのに、なかなか影響力が消えてくれないわね。綺羅ツバサ」

希「そればっかりは時間の経過を待つしかないやろね…悪党は根気強く捕まえてくとして」

にこ「ったく…忌々しいわねぇ」

ことり(アライザー…)

やがて、小一時間が過ぎた。

全員の膳が綺麗に空になっている。
風呂上がり、空腹が満たされたとなれば、それぞれ一日の疲れに眠気が少しずつ顔を覗かせる。
特に普段はインドア派の真姫はうつらうつらとまばたきが増えていて、そんな様子を目にした凛と花陽が真姫の袖を引いている。


凛「真姫ちゃんも凛たちと一緒に寝ようよー!」

花陽「私も真姫ちゃんと一緒がいいなぁ」

真姫「ヴェッ…そ、そこまで言うなら一緒に寝てあげないこともないけど…」


そんな調子の年下組を微笑ましく眺める六人。
さっきまでよりはペースを落としつつも、会話は交わされ続けている。

穂乃果、海未、ことり。
久々の再会に、幼馴染三人での会話もまた楽しい。


海未「そういえば、千歌や黒澤姉妹とすれ違いましたよ。千歌とルビィの修行だそうで、山中にキャンプ泊をするそうです」

穂乃果「へー!久しぶりに千歌ちゃんたちと会いたいなぁ…町にいたら一緒に晩ごはん食べられたのに」

ことり「ルビィちゃんかぁ…懐かしいな。久しぶりに会ってお話したいな」

海未「ああ、ことりはルビィと仲良くなっていたのでしたね。ふふ…確かに雰囲気が合うような気もします」

ことり「一緒に泊まれたらよかったのにね。でも、部屋が足りなかったかなぁ」

穂乃果「あ、部屋といえば」

ことり「穂乃果ちゃん?」


ポンと手を打ち、何かを思い出した様子の穂乃果。
にやりといたずらな笑みを浮かべ、いじってやろうとばかり、くるりとにこへ顔を向ける。

穂乃果「にこちゃんさっき部屋を思いっきり間違えてたよね!」

にこ「な、何よ急に」

穂乃果「穂乃果たちの部屋から出てきたとこでバッタリ会ったんだよね~、いくら穂乃果とのサウナ勝負でのぼせて先に上がったからって部屋を間違ったらダメだよにこちゃん」

希「ええ、気を付けんといかんよにこっち。それにこっちが刑事さんやなかったら危うく泥棒騒ぎやん」

にこ「し、仕方ないでしょ。アンタたちが鍵を掛け忘れてくのも悪いのよ」

海未「ははあ、部屋を…」


違和感。

鍵を掛け忘れていった?そうだっただろうか。
海未は記憶を手繰る。

部屋で食事ができるこの手の民宿では、夕食を準備してもらうために部屋の鍵を開けておくものだ。

ただ、絵里たちの部屋で食事を誘われたのは入浴よりも前だった。
なので、鍵は掛けたはずなのだ。
穂乃果はいかにも施錠を忘れそうなので、海未がきっちりと鍵を掛けるまでを確認していた。

しかし現実ににこは部屋に入っていたわけで、施錠のやり方に間違いでもあったのだろうか。
否、海未は几帳面な性格だ。ドアノブを回して施錠を確認している。

つまり、にこは何らかの手段で解錠した上でわざわざ海未たちの部屋へと立ち入ったのだ。


海未(何故?)

希が言うように、これがにこでなければ窃盗を疑わなければならないところ。
しかし矢澤にこが正義を体現したような優秀な刑事であることを海未は知っていて、ならば別の可能性を考えなくてはならない。


海未(にこは刑事で、刑事が他人の部屋へと立ち入る理由…まさか、私たち三人の誰かを…)


海未はにこを見る。
穂乃果や希に賑やかしくいじられる、間隙。
刑事としての目がことりの横顔へと向けられたのを、海未の鋭敏な感覚は見逃さなかった。

ことりを?
疑って、何故?
そんなはずは…しかし否定できない。庇える要因がない。
ことりが送ってきたこれまでの旅路のほとんどを、海未は知らないのだから。

ことりは花陽たちの会話に混ざっていて、こちらを振り向かない。まるで振り向こうとしない。
にこから浴びせられた視線に気付いていて、それを黙殺しているかのように。

ことり、何故ずっとそっちを向いたままなのです?

穂乃果と希がにこをいじり、楽しい会話が繰り広げられているのですよ。

花陽たちとの会話も盛り上がっているのでしょう、それはわかります。

ですがことり、貴女は穂乃果が笑い声を上げていれば必ず振り向く子でしょう?

お願いです、一瞬でいいのです。どうかこちらに視線を。

…どうしてそんなに、頑なに、不自然なまでに…!


海未「ことり…!」

穂乃果「海未ちゃん、伏せて」

海未「えっ?」


━━━破砕、飛散する窓ガラス!


穂乃果に頭を抑えられて屈んだ海未、その真上を掠めるように何かが部屋へと飛び込んできた。
滑空ではなく横滑り。奇妙な軌道で動くそれはうねうねと名状しがたく蠢いていて、誰かが驚きに声を上げようと息を吸う音、それよりも速く絵里が動いている。


絵里「キュウコン、“れいとうビーム”」


表情を弛緩させ、上機嫌にゆるい笑顔を浮かべていた姿が嘘のよう。
絵里の横顔は、チャンピオンとしての威厳と怜悧を取り戻している。
キュウコンの放った蒼白の光線が“何か”を捉え、それは騒動の始まりの合図。
絵里の束の間の休暇が終わりを告げた。




少し時を遡り、ミカボシ山の山中。

木々の隙間、拓けた平地にテントが一つ張られている。
そのすぐそばで揺れるオレンジの炎。立ち上る煙と暖かな芳香が、一帯にふわりと立ち込めている。


ダイヤ「ルビィ、千歌さん、できましたわよ!これぞ…黒澤家特製!おみおつけですわ!」

ルビィ「おみそしルビィ!」

千歌「ふわぁ、いい匂いだぁ…」

ダイヤ「こんなこともあろうかと味噌だけは持ち歩いていましたの!」


師弟トリオのキャンプ組。
三人は大自然の中たくましく、持ち運びしやすいキャンプ用の鍋で見事な一品を作り上げている。
その隣ではふつふつと熱され、蒸らしまでをきっちりと済ませた飯盒が。
開ければ新米の甘い香りが鼻をくすぐり、底を返せばおこげが香ばしく色を付けている。なんと担当はルビィ。姉の監督を受けながらではあるが、しっかりと炊飯を完遂!


ダイヤ「はじめチョロチョロ中パッパ、しっかり手順を守れましたわね。偉いですわルビィ~」

ルビィ「えへへぇ…それに、千歌ちゃんのお魚も美味しそう!」

千歌「ふっふっふ、魚釣りなら高海千歌とエテボースにおまかせあれ!器用だから上手に捕まえてくれるんだぁ。ね、エテボース」

『キキッ!』

ダイヤ「ヤマメだかイワナだか、わたくし詳しくないのでよくわかりませんが…これくらい焼けば大丈夫ですわよね?」

ルビィ「大丈夫じゃないかなぁ…もっと焼いたら真っ黒になっちゃいそう」

千歌「いい匂いがしてきたよ~!ダイヤさんルビィちゃん!早く食べよう食べよう!」

ダイヤ「アニサキスなる寄生虫も熱を通せば死ぬと、果南さんが言っていましたし…ええ、いただくとしましょう!」

ルビィ「わぁい!」

千歌「いただきまぁす!」


白米はふんわりと立っていて、味噌汁は出汁の具合も完璧。魚も少量の塩を擦り付けただけとは思えない絶妙な味わいだ!
いや、実際のところはそこまで完璧ではないのかもしれない。けれど空腹と山のロケーションが味を何倍にも向上させている!

思わず「うまっ!」と叫び、千歌は二人へと満面の笑顔を向ける。


千歌「本当に美味しい!なーんか豪華なご馳走を食べ損ねたような気がしてたけど、これはこれでバツグンだね!」

ダイヤ「そうですわね!ところで豪華なご馳走とはなんですの?」

千歌「あ、いや、なんとなーく」

ルビィ「わぁ、お味噌汁にサツマイモが入ってる!」

ダイヤ「もちろんルビィの好物ですもの。抜かりありませんわ!千歌さんのみかん…は、流石に入れられませんでしたけど」

千歌「あはは…持ってきてるからデザートに食べよ!」


そんな楽しい夕餉の最中、ルビィはふと夜空を見上げている。
故郷のダイイチシティでは見ることのできない満天の星空だ。
いつも漠然と見上げている空も、こうして星々に埋め尽くされているのを目の当たりにすると夜空がイコール宇宙なのだなと実感が湧く。

…というような事を、年齢なりにぼんやりと考えている。

ふと、湧いた疑問を口にする。


ルビィ「ねえお姉ちゃん、ミカボシ山ってどういう意味なの?」

ダイヤ「由来ですか?ふふっ、ルビィがそういった事に興味を持つのは珍しいですわね」

ルビィ「うん…なんとなく気になっちゃって」

ダイヤ「喜ばしいことです。由来、わたくしも聞きかじっただけですが、ミカボシというのは天津甕星…星を神格化した神様のことだそうです」

千歌「へー、星かぁ。星が綺麗に見えるもんね、この山」

ダイヤ「そうですわね、それにこの山、星が見えるだけではないんです」

ルビィ「え、だけじゃないって…?」

ダイヤ「実はこの山、隕石がやたらに降ってくる名所でもあるのです。ジムで岩タイプを中心に使っているわたくしとしては、非常に興味深い場所ですわ!」

ルビィ「お姉ちゃん、千歌ちゃん」

ダイヤ「どうかしましたか?」

千歌「なぁに?」

ルビィ「あれ…」


ルビィが指差すのは夜空。
従い、見上げる千歌とダイヤ。そこには一直線、闇から降り注ぐ一筋の火球。


千歌「隕石だ!?」

━━━落下。

千歌たちが目にした隕石は、燃え尽きることなく山の中腹へと墜落した。
その衝撃は大きく、千歌たちのキャンプ地へも強い震動が伝わっている。
距離的にはそれほど離れていない位置への落下のようだ。
二人を守る立場のダイヤは怯えることなく、冷静に行動の算段を立てている。


ダイヤ(震動、テントは?)


まず考えたのは寝床の確認。
真夜中にこれが倒れてしまったのでは立て直すのも容易でない。しかし無事。


ダイヤ(火の確保を)


焚き火は問題なく灯っているが、万が一消えてしまえば致命傷。
腰のボールから一匹、ほのお・ゴーストタイプのアローラ産ガラガラを繰り出した。
手にした骨の両端がファイアーダンスのように燃えているため、光源の確保には最適だ。

ちなみにこのガラガラ、アローラ旅行に行っていた鞠莉からのプレゼント。
親友の「アローラ~♪」という気楽な声を思い出し、ダイヤの精神により一層の落ち着きがもたらされる。思考は次へ。


ダイヤ(今の衝撃で野生のポケモンたちが興奮しているかもしれません、警戒を…、…!?)


接近、勘付いてダイヤは叫ぶ。


ダイヤ「千歌さん!ルビィを連れて今すぐ逃げなさい!」

千歌「え、えっ!?」

ルビィ「お、お姉ちゃん!?」

ダイヤ「ここは…私が食い止めます!!」


オレンジと青緑、不気味に蠢く触腕。
浮遊して現れたのは宇宙ウイルスの突然変異、デオキシス。
熟練のトレーナーとしてダイヤが感じ取ったそのレベルは70オーバー。否、80に達している。

およそ意思の読めない瞳にダイヤたちの姿を映し、その右腕を螺旋、鋭利に尖らせ…

急襲!!!




にこ「何よ、こいつは…」


キュウコンの冷撃を受け、急襲者はその肢体を凍り付かせて畳の上へと転がっている。
敵の姿を目に、場馴れしているはずのにこが心底から不気味がるように低く呻く。

世界を転戦して様々なポケモンたちを見てきたにこでさえその反応なのだ、他の面々はすっかり面食らい、とりわけ凛と花陽は目を白黒とさせている。

オレンジと青緑で彩られた体。
その姿は草むらや森林に生息するポケモンたちとは明らかに一線を画している。
その腕は二本の触手が相互に絡まったような形状、尖った先端はこの種が敵性のものであると一目に感じ取れる鋭利。

右腕は吹き流しが風にたなびくように、あるいは深海生物やウーズを思わせる動きでウネウネとのたうつ。
キュウコンの前足がそれを踏みつけて押さえているが、その軛さえなければ今にも場に居合わせた面々に害意を向けようとしているのがわかる。


希「ぶ、不気味やね…?」

ことり「………」

海未「っ…」


穂乃果から頭を押し下げられなければ、あるいは海未の首が飛んでいた。
そんな事実にぞっと悪寒を抱きつつ、海未は深呼吸を一つ、努めて平静を保ちながら穂乃果へと声を掛ける。


海未「すみません、助かりました」

穂乃果「ううん、怪我がなくて良かった!それよりこれ、何?」

凛「ポケモン…なの?」

希「真姫ちゃん、何か知ってる?」

真姫「……ええ、見るのは初めてだけど、これはデオキシス。エスパータイプのポケモンよ。
ホウエンの隕石騒ぎで確認されたポケモンだけど、地上で見つかったケースはこれが初めてのはず。別個体がいたのね」

凛「で、でお?」

真姫「宇宙人みたいなもの。ポケモンではあるけど」

花陽「宇宙人なのぉ!!?」

花陽が大声を上げて驚きを表すが、他のメンバーもそれは同様。
宇宙人、そんなポケモンがどうしてここに?


にこ「……ま、なんだろうがやることは一つよね」


そんな不測の事態に先んじて適応を見せるのはやはり年上組。
にこが鞄からハイパーボールを取り出し、「ん」と一声掛けて絵里に投げる。
絵里は少し考えて目配せ一つ、それを希に手渡した。


絵里「エスパーなら希に任せましょう。何にせよポケモンなら、一旦捕まえて後のことを考えればいい」

希「ん、了解。えいっ」


希が投じたボールがデオキシスにコツンとぶつかった。ダメージを受けて凍っているなら問題なく捕獲できるだろう。
誰もがそう思ったのだが、しかし否。


穂乃果「え、あれ!?」

にこ「はぁ!?ちょ、デオキシスはどこ行ったのよ!」

ことり「消え、た…?」


そう、ボールがぶつかった瞬間にデオキシスの体が揺らぎ、まるで影であるかのように消失してしまったのだ。
にこは眉を顰め、希は首を傾げ、絵里は室内を油断なく見回す。が、気配はどこにもない。


海未「“かげぶんしん”でしょうか?」

にこ「いや、ならキュウコンの攻撃は当たんないはずよ。ったく、なんだってのよ…」

真姫「仮説があるわ。ホウエンに現れた個体は成層圏で捕獲されたから能力を発現させなかったけれど、デオキシスは実体のある分身を作り出せるんじゃないかって」

海未「実体のある分身、ですか…」

真姫「今のを見る限り、その仮説は正しかったみたい。想定されてたよりスペックは高そうだけど…今は仮称で、分身体をデオキシスシャドーと呼びましょう」

凛「な、なんかややこしいよ…!」

穂乃果「えっと、じゃあデオキシスの本体はどこか近くにいるってこと?」

真姫「ええ、そのはずよ。凛か花陽、“伝説チェイサー”は?」

花陽「ええっと…あっ、ミカボシ山の中に強い反応が出てるよ!」

真姫「そこにデオキシスの本体がいるはずよ。そして分身の仮説が正しいなら、シャドーは一体じゃなくて…」

「キャアアア!!!」

民宿の中に悲鳴が響き渡る!その声はすぐそばの廊下から!
扉に近い位置にいた凛が真っ先に反応して飛び出し、その直後を海未が追う。

よく磨かれた廊下に片付け途中の膳が散らばっている。仲居の女性が倒れていて、伸びるデオキシスの尖腕、飛んだ鮮血!

惨劇か…
海未は悔悟に眩みを覚えるが、しかしよく見ればデオキシスの腕は女性の肩を抉っただけ。
凛が繰り出したズルズキンが間一髪、腕を叩いて軌道を逸らしていたのだ。


海未「流石です、凛!」

凛「海未ちゃんっ、コイツやっつけちゃお!」

海未「無論。行きますよ、ゲッコウガ!」


凛のズルズキンはトトン、トトンと小刻みなステップ、からの突進!
デオキシスへと“いかりのまえば”を突き立てる!

応じ、デオキシスはサイコキネシスを発動させている。
波打つ力の波動、廊下の床板が剥がれ飛んでいく!

だが悪タイプの二匹はエスパータイプへの耐性持ち。怯むことなく念動波の中を駆け回っていく。
海未は仲居の女性を抱え、凛と廊下の角に身を隠すことでその一波をやり過ごす。
ズルズキンの猛烈な顎撃で体力をごっそりと奪っていて、そこへゲッコウガがするりと滑り込んでいる。


海未「“あくのはどう”!」

『ゲッコ!!』


黒色のエネルギー体を収束、掌底の要領でデオキシスの胴体を撃ち抜く!

技の分類はゲッコウガに適性の高い特殊技。
しかしながら海未が直感的に指示を下しやすいよう、近接技の要領で叩き込めるように修練を積んできた。
必倒の一打がデオキシスを吹き飛ばし、廊下の奥へと転がって影のように掻き消える。

凛「うん!やっぱり海未ちゃんは強いにゃ!」

海未「ええ、凛も!しかし、今のもシャドーですか…」

真姫「海未、凛、大丈夫?」


廊下は狭く、大勢で戦えば足を引っ張り合いかねない。
そのため様子を見ていた真姫たちから声を掛けられ、海未と凛は駆け寄ってきた従業員へと負傷した女性を託して室内へと駆け戻る。

室内ではテレビの画面が灯されていて、全員が齧りつくようにそこへ目を向けている。
中継画面にはミカボシ山の様子が映し出されていて、中腹の森林に小規模なクレーターが生じているのが海未の目に留まる。


海未「これは?」

希「ついさっき隕石が落ちたんやって。そこそこの規模だったみたいで、ロクノシティのテレビ局がもう中継ヘリを飛ばしてるんよ」

海未「ふむ、隕石が…気付きませんでしたね」

穂乃果「みんなで喋ってたからかな?」

希「この辺りは地盤が頑丈やから、町の方までは強い震動が届かんかったのかもね。それより…」

真姫「見て、デオキシスが大量に」

上空からのテレビ中継、その画面にはクレーター近辺を飛び回る大量のデオキシスの姿を捉えている。
中継しているアナウンサーはそれが何なのかを理解できていない。

「謎の生物が!いえ、生物なのでしょうか?謎の浮遊体が飛び交っています!」

と、そう連呼するばかり。

そんなヘリ、中継カメラの面前に現れるデオキシス!
まるで物理法則を無視した挙動で滑るようにカメラの前へと飛び寄ると、スタッフたちが慌てた声をあげると同時、腕先をサイコキネシスに発光させる。

天地が反転する中継画面!
ぐらりと酔いそうな勢いで画面が揺れ、スタッフたちの絶叫と共に地面が迫り…そこで中継は途切れた。


にこ「……今のが中継されてたのはまずいわね、パニックになりかねない」

穂乃果「早く捕まえるかやっつけるかしないと!」

花陽「真姫ちゃん、あのデオキシスが、ミカボシ山に出る伝説のポケモンなのかな…?」

凛と花陽、二人は憧れてきた伝説のポケモンが人に害を為す存在だったことに落胆を隠せずにいる。
真姫は友達のそんな顔を目に複雑な表情を浮かべ、俯き加減に口を開く。


真姫「ミカボシ…天津甕星はまつろわぬ神。悪神とされる神なの。
ポケモンがポケモンと定義されるより昔、隕石が落ちやすいこの山にデオキシスが出て、暴れたことがあったのかもしれない。
それを星の悪神になぞらえて、ミカボシ山って…」

希「なるほどなぁ…」


由来に頷き、しかしゆったりとはしていられない。
屋外から散発的に悲鳴が聞こえてくる。町中に続々とデオキシスが流入しつつあるのだ。
それだけではない、他のポケモンの声や罵声じみた人間の声が聞こえてくる。
窓の外を見たにこが苦々しげな表情で口を開く。


にこ「パニックに乗じてアライザーまで暴れ始めてるわね…」

希「早くなんとかせんとね。エリチ、戦力を分けよ。ウチはさっきまでの通り、海未ちゃんと凛ちゃんを連れて山に向かうよ」

絵里「ええ、私たちは町に入り込んだデオキシスやアライザーを処理するわ。穂乃果たちも山に向かってくれるかしら?」

穂乃果「うん、わかった!」

海未「千歌たちも心配です、探さなければ。私たちと穂乃果たちはそのままのチーム分けで二手に別れましょう」

ことり「穂乃果ちゃん、花陽ちゃん、行こっ!」


手早くそれぞれのやるべきことを確認し、海未たちと穂乃果たちはそれぞれ山へと向けて駆け出す。
昼の疲労は抜けていないが、今はそうも言っていられない。
騒然とする町中を走り抜けながら、二つのチームはそれぞれ別のルートで山へと向かう。
千歌たちがどちらのルートで逃げてきていても合流できるようにだ。

真っ先に穂乃果と花陽の腕を引いたことり。
その姿はまるでにこから距離を離そうとしているかのようで、海未の胸中に疑念は募り続けている。
しかし顔を左右に振り、暗澹とした思考を振り払う。


海未(いえ、今考えるべき事ではありません。穂乃果、ことり、花陽、どうか気を付けて!)




ダイヤ「はぁっ、はぁっ…!」


抉れた大地、根こそぎ抜かれて薙ぎ倒された木々。
夜の山は不気味な静寂に包まれていて、ダイヤは木陰に腰を落として荒れた呼吸を整えている。


ダイヤ(千歌さん、上手く逃げてくれましたでしょうか…あのポケモンの分身が蔓延っていますが…)


胸の動悸は激しい戦闘の負荷だけではない。
愛妹と愛弟子、二人が無事かと思案するほど、嫌な想像に胸がキリキリと痛む。
ルビィが大切なのはもちろんのこと、ダイヤさんダイヤさんと慕ってくれ、ルビィと仲良くしてくれている千歌もまたダイヤにとって大切な存在。
どうか無事に逃げ果せてと願い…


ダイヤ(そのためには、私がまだ舞わなくては)


抑える脇腹、そこからは鮮血が溢れ出している。
デオキシスが炸裂させた地面、礫弾のように弾かれた小石が腹部へと穴を穿ったのだ。

即死するほどの傷ではない。
だが呼吸に苦痛が走り、動こうと身を捻れば響く苦悶。
腰のボールは残り三つ。
ガラガラとラランテスが既に撃破されていて、展開しているエンペルトは深手を負っている。

募る焦燥、しかし深呼吸。
心配そうに振り向いたエンペルトににっこりと笑いかけ、少しでも頭を回せと肺いっぱいに酸素を取り込む。


ダイヤ(あのポケモン、使う技と威力から見るにおそらくはエスパータイプ。
ガラガラのゴースト技、“シャドーボーン”で一打を決めましたが…しかし揺るがず)


火力の高いガラガラの一打が強かに入り、間違いなくダメージを与えたはずだった。
しかし夜陰に紛れられ、再び姿を視認したその時には傷が治っていた。どうやら自己再生を使えるらしい。
ジムリーダーとして研鑽を積んだ超一流のトレーナー、そんなダイヤが圧倒されてしまっている。


ダイヤ(寄れば触腕、距離を離せば地面を覆すほどの念力。しかし幸い、再生を度外視すれば防御性能はそれほど高くないと見えますわ。隙を見て、一気呵成に……)


背後、眼光。


ダイヤ「っ!?」

『キュラロロロ…!』

ダイヤ「かはっ…!」


デオキシスの腕がダイヤの腹部を鋭く突き、細くしなやかなその体がサイコキネシスに抉られた地面をゴロゴロと転がっていく。
血痕が土を黒く染め、『ペルルッ!!』とエンペルトが狼狽の声を上げる。


狩猟者、デオキシスは手応えを確かめるかのように自身の腕を見つめる。
…が、しかしそこに血の跡はない。

全身を打ち付け、地面で擦った頭部からも血を流しながら、ダイヤは闘志を絶やさず立ち上がる。


ダイヤ「まだ…戦えますわよ…!」

ダイヤは手持ちの一匹、ほうせきポケモンのメレシーを腹部に抱えていた。
デオキシスが優先的に狙ってくるのが胴体であることを踏まえ、木陰で様子を伺いながら保険にとボールから出していたのだ。

硬質な体のメレシーはデオキシスが繰り出した腕を弾き、ダイヤのダメージを衝撃に突き飛ばされるだけに留めてみせた。
それでも負傷はますます重く、満身創痍に近い状態。
メレシーは主人の危機に、つぶらな瞳をさらに丸くして案ずるように声を上げる。


『メレッ、メレ!』

ダイヤ「ふふ、大丈夫ですわ…何者かは知りませんけれど、所詮は野生。いつまでも手玉に取られてばかりでは、いられませんわよね…」


気丈に微笑むダイヤ。
そんな姿をデオキシスは無機質に観察していて、何のために人を襲っているのか、その理由はまるで読み取れない。
捕食のためだろうか?あるいは単なる戯れか。
いずれにせよその瞳は未だダイヤを捉え続けていて、今にも再び飛びかかろうと前屈姿勢へ…

ダイヤは離れた位置、デオキシスの後方のエンペルトへと指示を下す!


ダイヤ「エンペルト!“ハイドロポンプ”ですわ!
メレシーは同時に“ステルスロック”を!」

指示に応じ、鋼のペンギンは敵対者めがけてありったけの勢いで水圧を叩きつける!
ダイヤが見込んだ通り、デオキシスは防御が脆い。故に回避を試みるが、メレシーが浮かべた大量の浮遊岩がその挙動を阻んでいる。迫るハイドロポンプ!

だがデオキシスはさらなる力の解放を!
全身にサイコエネルギーを漲らせ、それを自らを中心に球形に放出したのだ!!

それはデオキシスの必殺技、“サイコブースト”。
猛烈な勢いの閃光と衝撃波にエンペルトは飲まれ、意識を断たれて吹き飛ばされていく。
ダイヤのボールから伸びた赤光がそれを回収し、残る未開封のボールはあと一つ。

デオキシスは最大火力を発揮した反動か、若干動きが鈍ったような気配がある。
だが、あくまで無機質なその瞳がダイヤを狩るべく焦点を定めた。

対し、ダイヤは血だらけの姿。
その瞳には狩られる者の恐れが…一切宿っていない。

そう、ボールはあと一つ。
突きを受けて転がる最中、ダイヤは既に一体の展開を済ませている!

開閉スイッチを押し、上空へと投げ上げたボール。
そこから猛然、重鋼の巨獣がデオキシスめがけて落下している!!


ダイヤ「ボスゴドラ、“ヘビーボンバー”。…ですわっ!!」


エンペルトとメレシーによる前後からの攻撃はあくまで意識を逸らすための仕込み!
本命の一撃がデオキシスへと直撃!!!

『ゴアアアアアッッッ!!!!』

『ルオォオオオォ!!!!』


吠え猛るボスゴドラ、念動力で受け止めようとエネルギーを全開にするデオキシス。
360キロもの体重に落下速度を掛け合わせたその一撃はまさに会心。
物理法則の枠から外れたような挙動を見せる侵略者へ、この上なくシンプルな“質量攻撃”という地球のルールを全力で叩きつけるが如し!


ダイヤ「まだ…倒れるわけにはいきません…!」


失血におぼろげな意識、ダイヤはそれをジムリーダーとしての覚悟で体の軸へと留めて固定。
もう一つの軸は名家黒澤、その長子としての矜持。
プラス、こんな恐ろしい怪物を怖がりなルビィの元へ行かせるものかという姉の愛情!


ダイヤ「そのままっ、押し潰しなさい!!ボスゴドラ!!」

『グゥゥ…オオオオオッ!!!!!』


傷口がさらに開くのにも構わず、上げた決死の叫びはボスゴドラへと最後の一押しを伝達した。
サイコエネルギーによる圧へ、硬度バッチリの頑強な頭部を思い切り振りかぶって叩きつける!


『…!!』


一瞬のほころび、それは一挙の決壊を生む。
形成していた力場が砕け、ボスゴドラの巨体がデオキシスへと叩きつけられた!!!


ダイヤ「……っ、やりましたわ…!」


それは完全なる打倒の一撃!
いくらレベルが上だろうと野生は野生、ジムリーダーとしての実力を完膚なきまでに見せつけ、ダイヤは勝利に拳を握り締める!

…が、しかし。
ダイヤは面前の光景に、くらりと目眩に襲われる。
漏れるぼやきは果南の無茶に付き合わされた時のように、鞠莉のジョークに振り回された時のように。


ダイヤ「……ああ、もう…ふざけてますわね」


そこには新たに三体。
より攻撃的なフォルム、防御的なフォルム、速度に特化したフォルムのデオキシスが現れている。

ミカボシ山の地形が形作られてから今に至るまでの気の長くなるような歳月の中、この一帯へと落ちた隕石の数は数え切れないほどに多い。
その無数の隕石のうち幾つかには休眠状態の宇宙ウイルスがこびりついていた。
そこに降った新たな隕石、活動状態のデオキシスの登場が、休眠状態にあった数体のデオキシスを目覚めさせてしまったのだ。

成層圏で食い止めたホウエンとは状況が異なる。
隕石のサイズこそ違えど、故に潜り抜けた脅威がダイヤの前で新たな敵意を蠢かせている。

攻撃性に特化、アタックフォルムのデオキシスが怪腕を伸ばし、ダイヤの両腕を標本のように刺し貫いた。


ダイヤ「……っ…う…」


あまりにも酷な現実だ。
頼みのボスゴドラは防御的な個体、ディフェンスフォルムのデオキシスに受け止められている。
腕を刺され、もう一つのボールには手を伸ばせない。

磔刑とばかりダイヤの体が持ち上げられ、滴る鮮血が服の袖を真っ赤に染めていく。
メレシーは敬愛する主人を助けようと触腕に全力の体当たりを敢行しているが、意に介されていない。

ダイヤの命運は尽きた。

ダイヤ「ぐ…う…ぁっ…」


骨が、筋が軋んでいる。

デオキシスの腕はダイヤを解体しようと試みるように、徐々に左右へと力を込め始めている。
やろうと思えば一瞬でやれるはず。じわじわと力を強めているのはいたぶろうとしているのか、それともありがちなキャトルミューティレーションのように、地球人の感情を観察しているのか。

絶望的な状況に…ダイヤはそれでも気丈に悲鳴を上げずにいる。
狩猟者たちを睨みつけ、天を仰ぎ、千歌とルビィの無事を祈り…


ダイヤ「ああ、でも。ルビィが成人する姿が見られないのは…まだ、まだルビィと一緒に…果南さんや鞠莉さんと、私は…!」


ルビィの笑顔を思い出して、親友の姿がよぎり、鋼のように固めていたはずのダイヤの心は波立ってしまう。
立場に見合うよう気高く振舞っているが、本質はルビィとそれほど変わらない泣き虫で寂しがり。
こんな場所で、こんな意思があるかも定かでない相手に殺されるだなんて、そんなのは悲しすぎる。

殿軍の役目は果たした。
ジムリーダーとしての力を見せ、一体を退けた。
その上で震える体。
素直な、心からの言葉が涙と共に口から溢れる。それは決して恥ずべきことではない。


ダイヤ「死にたくない…!」


輝き。
強い光が夜の森を薄紅に染め、デオキシスはダイヤを取り落とす。

その光源は一体何か?
わからない。ただ確かなのはボスゴドラの重撃に脆くなった岩盤が砕け、激痛に意識を失ったダイヤが地の底へと落下していく事実。
その後をボスゴドラとメレシーが追って飛び降り、デオキシスたちは顔を見合わせる。


……追わず。


とある要因に攻撃性を高められたデオキシスたちは、山へと立ち入った複数のトレーナーを感知している。
逃げ去った二人組もいる。まず優先すべきはそちらだ。

デオキシスたちは飛び去り…
キャンプ地の残骸だけを残し、森に静寂が戻った。




デオキシスシャドーの強さにはばらつきがある。
レベルにしておおよそ30~60の範囲、強い個体ほど数が少ないようだ。

海未、凛、希の三人はすっかり暗くなった登山道を低く飛びながら進んでいく。
それぞれ海未はファイアロー、凛はオンバーン、希はシンボラーと手持ちの飛行ポケモンに背を掴まれながらの移動。

今大切なのは何よりスピード、既に自分の足での登山を楽しんでいられる状況ではなくなっている。
夜陰の空気、深緑と土の香りが頬を撫でる。その中にも不穏の気配は濃く混じり、海未は鋭く目を細めている。
いつデオキシスが飛び出してくるかわからないのだ、一切の油断は許されない。


海未「それにしても、実体のある分身をここまで大量に展開するとは…ポケモンの能力の域を超えているように思えるのですが」

希「真姫ちゃんが言ってたけど、この土地はデオキシスに合ってるのかもしれんね」

凛「え、ポケモンに土地の合う合わないとかあるの?」

希「うんうん、土地のエネルギーで強化されるポケモンはいるよ。例えば…ジバコイルとか」

希は人差し指を立てて例を挙げる。
正式にトレーナーを目指しているわけではない凛は実力はあれど、トレーナー用の座学をこなしていない。
そのためピンとこない様子で、海未は希の言葉を継いで凛に説明を続ける。


海未「ジバコイルは今でこそメジャーなポケモンですが、進化できることが最初に発見されたのはテンガン山。それまではレアコイルが最終進化だと思われていたのです」

凛「へえー、ハチノらへんはコイル系出ないし、全然知らなかったにゃ」

希「つまり、デオキシスにとってはここがそういうパワーに満ちた場所かもしれんってことやね」

海未「だとすれば、この土地でだけ進化できるポケモンというのも他にいるのかもしれませんね」


そんな会話を交わしつつ、希は「こんなことなら主力組で来た方が良かったかなぁ」とボヤいている。
いざ危急、山に向かう前に手持ちを入れ替えようかとも考えたのだが、預かりシステムのあるポケモンセンターは町民たちの緊急避難場所としてごった返している。
パソコンでメンバー入れ替えしようにも、パニックで回線が混雑しているため時間がかかってしまう。故にやむなくそのままの趣味パーティでの山入りとなっている。


希「こんなことになるなんて、ウチの予知もたかが知れてるなぁ…っと。来るよ、二人とも!」

海未「!」


森林の枝葉の隙間を縫うように、橙と緑の触腕が奇々怪々と編み込まれていく。
DNAを想起させる二重らせん、数体のそれが素早く重なり密度を高め、網を形成して海未たちをまさに一網打尽とするべく覆い被さってくる!


希「ソルロック、ルナトーン、“ストーンエッジ”と“サイコキネシス”や」

凛「うわっ!変なの出た?!」


凛が驚いた通り、希が繰り出した二体もデオキシスとはまた別のベクトルで奇妙な外見。
それぞれ太陽と月を模したような形状の浮遊岩に簡易な顔パーツを付けた、そう表現する他ないポケモンが希の左右に浮かんでいる。

そして指示に従い岩刃と念動力を発揮し、それぞれが一体ずつのデオキシスシャドーを退けている。


希「ふふ、面白いやろ?この子らも宇宙から来たんだって。土地に影響されて進化しないかな~とか思って連れて来たんやけど、それはないっぽいかなぁ」

海未「それほど種族値は高くなかったはずですが、敵を一蹴…流石です、希」

希「ちゃんと育ててあげればどのポケモンもなんだかんだ頑張ってくれるもんやからね。レベル上げて殴ればわりとどうにかなるんよ。ガブリアス相手とかの特例は別として」

海未「な、なるほど。わかりやすいですね…」

その脇、凛のオンバーンが“ばくおんぱ”の威力に木々を薙ぎ倒し、隠れる木陰をなくしたデオキシスへと躍り掛かる影。
「にゃああああっ!!」と凛、掛け声は炎猫の咆哮とシンクロ。
どこか悪役レスラーを思わせる凶眼、凛のガオガエンがその全身に力を漲らせている。


凛「“DDラリアット”!ドーンといっちゃえ!」

『ガオオッ!!!』


高い身体能力からの回転撃、強靭さとしなやかさを兼ねた腕打がデオキシスシャドーの喉首を狩り叩く!
勢いのままに分身体は地面に即倒、凛へと得意げにガッツポーズを見せるガオガエン。


海未「素晴らしい一撃です!」

希「その子強いなぁ、デオキシスと正面から殴り合って当たり負けしてないね」

凛「ナイスにゃ!ガオガエン!」


ピョンと跳躍、凛より背の高いガオガエンと右手でハイタッチ!
猫アレルギーにくしゃみを一つ、鼻をすすりながら左手でもう一タッチ!

戦いの音に引き寄せられたのだろうか、海未は視界の端に二人のアライザーを捉えている。
残るシャドーは片手で数えるほど、二人に任せて問題ないだろう。ならば討つべきはこちら!

海未「ファイアロー、“ブレイブバード”」


冷静に下す指示、即座に飛び出すファイアロー。
勇猛果敢、一切を省みない猛進はさながら海未が放つ果断の矢。
加速に熱さえを纏い、アライザーの一人が連れているダーテングへと会心の一撃を浴びせて撃破!


「なんだ!てめ…」

海未「後続は出させません」


ファイアローを追い、海未は鋭くアライザーの片割れの背後へと回り込んでいる。
右の肘を掴み、逆巻きに捻り上げて加力。ボグリと鈍い音が掴んだ手越しに伝わる。


「ギャッッ!!?」

海未「関節を外しました。そのまま転がっていることをお勧めします。動くだけ痛みが募りますので」


すかさず左腕にも同じ動作を。
両腕を封じてボールを扱えなくしてみせ、同時に腰からエルレイドを展開している。

もう一人のアライザーの傍らにはギガイアス。
その体の周りには砂塵が舞っていて、海未はギガイアスの特性が“がんじょう”ではないことを看破する。ならば狙うは一撃必倒!


海未「エルレイド、“インファイト”ですっ!!」

『エルッ!!!』

呼気を沈めて潜り込み、最近接の懐で解放する力。
放つ痛打は格闘の奥義、インファイト!
エルレイドはその体質を十全に活かす。
肘の刃をすらりと伸ばし、岩のように頑丈な硬皮へと居合めいて双刃撃!!


『ゴゴゴ……!』

海未「上出来です、エルレイド」


エルレイドの緑刃は数倍もの重量を誇るギガイアスを見事に打ち倒してみせた。
悪のトレーナーとの戦いの肝はここ、次のポケモンを出される前に、海未が先んじて行動を封じること。
が、このアライザーは自身が手練れ!


「オラァ!!大人しくしやがれこのアマ!!」

海未「っ、…この」

凛「海未ちゃんっ!」


希と共にデオキシスシャドーを片付けた凛は振り向き、海未の状況に思わず声を上げる。
園田流、体技にまで長ける海未だが、その強さは動きのキレとテクニカルな技術に支えられている。
トレーナー同士のリアルファイトで鬼神じみた強さを見せることも多い海未だが、あくまでその体は10代の少女。大人の男には力で劣る。

そんな海未が今、正面からアライザーに抱きすくめられてしまっている。
それも相手はパッと見、ガオガエンよりも大柄にして屈強。
海未の隙をついた猛然の突撃は、男がおそらくレスリングの経験者だと物語っている。


凛「このっ!オンバーン、あいつを」

「おおっと動くな!この女の背骨をヘシ折るぞ!」

海未「ッ…!」

ミシリ、軋む骨格。
男は立った姿勢のまま上から海未へと体重を掛けようとしていて、鯖折りの要領でひしゃげさせてしまおうと意思しているのがわかる。
凛や希が援護しようにも、海未が盾になる位置へと器用に位置をずらしてくる。場馴れしている。


凛(攻撃できないよ…!)

希(このアライザー、相当…あるいは殺しまでやってるかもしれんね)

海未(さて…)


この状況、股間を膝で突き上げるのが鉄則。しかし男はそれも熟知しているようで、足で巧みに海未の足の動きに制限を掛けてくる。

男の胸板を押し付けられ、むせそうな口臭、それに饐えたような男性臭が海未の鼻腔に突き刺さる。
父以外の男性に密接され、その体重を押し付けられるという初めての体験。それはただひたすらの不快でしかない!


海未(臭い…ですね、随分と)


海未は苦痛と不快感に顔を歪めていて、凛は思わずうろたえてしまう。
あくまでごく善良な一般人、そんな凛はトレーナー同士の修羅場、どうすればいいのかまるでわからずにいる。


凛「ど、どうしよう希ちゃんっ!」

希「いや、大丈夫や凛ちゃん。海未ちゃんなら…」


一見すれば絶体絶命。しかしこの状況下、あくまで希は落ち着いている。
そんな希たちにチラリと警戒の目を向けつつ、男はその息に下卑た興奮を交え、海未の耳へと睦言のように囁く。


「へへ、男みたいな胸しやがって…」

海未「……はい?」


刹那、海未はその全身からほんの一瞬の脱力を。
海未の抵抗をバランスの拠り所にしていた男はわずかに揺らぎ、そのたわみを見逃さず、海未は片手を男の太腿へとずらす。


海未(この姿勢から私にできる最大の反撃、それは…!)

「ぎっ!?痛えっ!!!」

つねる!!

海未は右手の指で男の腿肉を挟み、全力で抓りあげた。
ただつねるとだけ言えば大した事がないように感じられる…が、園田流には指弾の技がある。
小石やパチンコ玉を直線軌道で正確に射ち出せるほどに鍛え上げられた筋力、そんな指で全力で抓りあげれば皮下の組織を損壊させ、真っ赤に内出血が残るほど!

怯み、弛む腕に海未は首を引き…全力で頭突き!!


「がぅッ…!!」


迸る鼻血、顔に飛ぶ返り血。
まるで構わず拘束から抜け出た海未は男の膝へ、斜め上から容赦なく靴底を叩き付ける。
グシャリ、完膚なきまでに膝が砕ける!!

アライザーが絶叫を上げる、その直前にエルレイドの刃がその首筋を峰打ちに。意識を奪って黙らせ…勝利の一言を。


海未「男みたいな胸?失敬な。にこや凛とは違うのです!」

解放からのわずか数秒に暴力の嵐を吹かせ、海未は男の体臭から解放された清々しさにほっと一息。


海未「お待たせしました。さあ、進みましょう!」


まさに修羅。
海未の園田流は命の奪い合いの中、抜き身の妖刀めいて研ぎ澄まされている。
その煌めきに凛はあうあうと口をパクつかせ、流れの中にさらりと胸の薄さを揶揄されれたことも忘れ、呻くように声を漏らす。


凛「やべえにゃ…やべえにゃ…」

希「海未ちゃんにミニスカ履かせて満員電車の窓際に置いとくだけで痴漢狩りが捗りそうやね…」


凄惨な場面を目にした凛だが、生来切り替えは早い性格。
すぐにケロリと海未に胸の件を抗議していて、そんな会話を横で聞きつつ、希はハチノ警察へと連絡を入れている。
アライザーを行動不能にしたポイントを連絡しているのだ。


希(いくら悪人でも、デオキシスシャドーがうろついてる中で完全放置ってわけにもいかんからなぁ…)

凛「なーんで今の流れで凛をディスるにゃー!!」

海未「す、すみません、つい…」

希(それにしても海未ちゃん、思ったよりも暴力に躊躇がない。今の場合、それは正しいんやけど…)

凛「いいもんね!海未ちゃんと穂乃果ちゃんかことりちゃんを足して半分にするより、凛とかよちんを足して半分にした方が大きいし!」

海未「な、なんなのです、その基準は。他力本願です!」

希(見えるんよ、海未ちゃん。海未ちゃんには大きな決断をしなきゃいけない時が来る。それも、すぐに。乗り越えられるか…)


なんとも虚しい言い合いを続けたまま、不安を抱えたまま、三人はさらに山奥へと進んで行く。




別ルート、穂乃果チーム。
海未たちと同じく徒歩での登山を避け、ことりはチルタリスに、穂乃果はリザードンに、飛行ポケモンが手持ちにいない花陽もまた穂乃果のリザードンの背に乗っての山中行。


穂乃果「うう、眠い…」

花陽「ば、晩ごはんを食べ過ぎて、お腹が苦しい…」

ことり「二人とも、しっかりしないと危ないよ~」


そんなふわふわとした会話を交わし、ふと気付けば。


穂乃果「囲まれてるぅっ!!?」

花陽「ご、ろく、なな…十体ぐらいいるよぉ!?」

ことり「ふぇぇん…海未ちゃぁん…!」


なんとも情けない声を上げつつ、それでいて穂乃果とことりはそれぞれにポケモンを複数展開させつつ花陽を庇える位置へと動いている。
もちろん打ち合わせは不要、目配せも一瞬だけ。この辺りは流石の幼馴染にして大親友!

だが意外。そんな二人へと笑いかけ、花陽はそれより一歩前へ。
慎重な性格の花陽、これは蛮勇ではない。必ず勝てるという自信の一歩!


花陽「ナットレイさん、ドレディアさん。お願いね」

殺到するデオキシス!
螺旋の槍がドレディアへと迫り、球状に圧縮されたサイコキネシスがナットレイを消し飛ばすべく放たれる。

そんな状況、花陽はごくシンプルな指示を出す。


花陽「ドレディアさん、避けてっ!」

穂乃果「えっ、そんな無茶な…って!」

ことり「よ、避けたぁ??」


ふらりひらり、ドレディアは花陽からの無茶振りに応え、無尽に突き出される槍腕を掻い潜ってみせる。
もう一体、草に鋼タイプを併せ持つナットレイは持ち前の頑丈さでサイコキネシスを耐えてみせ、花陽の指示を待っている。


花陽「ナットレイさん、“パワーウィップ”を急所に当ててください!」

穂乃果「またまたぁ、そんな無茶を…って!

ことり「当てたぁっ!!」


痛撃!!!
硬質なトゲの付いた触手はフレイルのような攻撃性を有している。
それを全力で叩き付けるのがパワーウィップ、草タイプの物理技としては非常に高火力な一撃だ。
それを花陽の指示に応え、デオキシスシャドーの胸部にあるコアへと勢いよく叩きつけた!!!

もちろんデオキシスシャドーはその体を維持できずに霧消する。
見事にまず一体、花陽はさらにフラフラと回避を見せたドレディアへと指示を。


花陽「“はなびらのまい”ですっ!!」

『ディア~!!』


舞い散る花弁は草タイプのポケモンのエネルギーの発露。
夜空をふわり、染めて急襲!
シャドーをもう一体見事に飲み込んでみせ、花弁の奔流で蹂躙、撃破!

それぞれに戦っている穂乃果とことりも思わず花陽の戦闘に目を奪われ、驚きに歓声を上げている。


穂乃果「す、すごい!花陽ちゃん強いよ!」

ことり「むむっ…?」


ことりの瞳がキラリと光る。
デオキシスシャドーの二体を退け戦線の最中、花陽がドレディアとナットレイを優しく撫でているのをことりは見逃さない。

もちろんことりも、穂乃果や海未もポケモンを撫でて可愛がっている。
しかし、花陽の撫で方は一味違う。
旅立ちの頃はポケモンコンテストを目指していたことりはその違いを明確に見抜いている。


ことり「わかりましたっ、花陽ちゃんはポケリフレの達人!」

穂乃果「ぽけり?」

花陽「あ、えへへ…うん。得意なんだ」


ポケリフレ。
要は手入れをしてあげることなのだが、たかがマッサージや諸々と侮るなかれ。
その達人はポケモンとの間に強い絆を結び、その潜在能力を引き出すことまでを可能にする。

花陽は戦闘の間隙にナットレイの甲殻の隙間に詰まった木屑を目ざとく取り除き、ドレディアの頭の花に付いた汚れを手早く払って手入れを済ませている。
ポケモンたちに触れて愛情を注ぐだけでなく、個々が嫌がることを熟知してそれをケアしてあげている。

そんな説明を穂乃果へと簡易に済ませ、ことりは花陽へと尊敬のまなざしを向けている。


ことり「花陽ちゃん、すごいっ♪」

花陽「そ、そんな、私なんて全然…」

穂乃果「あっれぇ…穂乃果もちゃんと撫でてあげたりご飯食べさせたりしてるんだよ?ねえガチゴラス」


穂乃果は首を傾げ、分身体を“かみくだく”で仕留めたガチゴラスへと尋ねかける。
ガチゴラスはそれに首を傾げて返し、そんな様子に花陽はくすっと小さく笑みを漏らす。


花陽「ううん、穂乃果ちゃんのポケモンたちもとっても懐いてると思うよ。ただ、撫で方とかにも色々コツがあって、道具もいろいろあって」

穂乃果「教えて教えて!なんかみんな私が撫でてもイマイチ喜ばないんだよねー、仲はいいのに」

『グルララ…』

穂乃果「え、何ガチゴラス。撫で方が雑って?仕方ないじゃん!みんなが何言ってるのか穂乃果にはわかんないんだし!」

『ゴルル!』

穂乃果「しょーがないじゃん!じゃあ人間語覚えなよ人間語!」

『ガアアッ!』

穂乃果「うがあっ!」

花陽「ええ、会話できてる…そっちの方がすごいと思うなぁ…」

と、咆哮!!!

穂乃果と花陽がビクッと驚きそちらを向けば、ことりのボーマンダが“げきりん”の蹂躙で残りのデオキシスシャドーを一挙に片付けている。
怒竜の尾撃が残り少なくなった一体を木ごと叩き潰し、生じた旋風にとさかを揺らしながらことりは柔和な笑みを絶やさない。

残るは一体、追い詰められてもデオキシスの佇まいは変化を見せない。
それはいくら倒されても本体に影響のない分身体だからか、あるいはデオキシスという生命自体が感情を宿さない存在なのか。

穂乃果、ことり、花陽。
デオキシスは三人のうち、ボーマンダを駆ることりを最たる脅威と見做したらしい。
刺突力を可能な限り高めた形状に両腕を変じさせ、そのままことりへと突撃を!!


ことり「うーん…」


そんなことりの傍らにはボーマンダともう一匹、チルタリスが。
どちらで応じるかと少し悩み、すぐにことりの表情はいたずらっぽい笑みへと変わる。


ことり「チルタリス、“コットンガード”でお願いっ」

『ちるるぅ!』


もふぁり。
チルタリスが大きく広げた羽毛の翼はデオキシスの突進を搦め捕り、その勢いを殺して横へと受け流す。
流された突進、その矛先は…穂乃果へと向けられる!


ことり「穂乃果ちゃんっ、パス♪」

穂乃果「でええっ!?ガチゴラス!“かみくだく”!」


驚きに叫ぶ穂乃果。
しかし息はぴったり、急なアドリブにも見事に応じてみせている。

ガチゴラスはその大顎で凶手の突貫を受けて捕捉、咀嚼!!
オハラタワーでもらった時よりも遥かに強く逞しく育っている。
それもひとえに穂乃果の愛とセンス、それと餌代を捻出する苦労が故!

ともあれ、最後の一体のトドメを穂乃果へと譲り、あるいは押し付け…
ことりはなんとも要領のいい笑顔を浮かべて締める。


ことり「はいっ、おしまい?」

「ことりちゃんひどいよー」と不満げ、抗議の声を上げる穂乃果。
ことりはそれを笑顔で返し、その笑顔に穂乃果も自然と笑顔になる。
そんな幼馴染同士、二人の間に阿吽の連携があるからこその受け流しだったと花陽は驚嘆。

花陽と凛の間にも阿吽の連携ができるだけの絆はもちろんある。
だがこの二人のトレーナーの間には、それぞれが窮地を潜り抜けてきたという一層の凄みが見え隠れしている。

(すごいなぁ…)と。

さらにことりのボーマンダをまじまじと見つめ、もう一度驚嘆。


花陽「穂乃果ちゃんは知ってたけど、ことりちゃんも強いなあ…」

ことり「えっへん。ボーマンダさんは育てるのにとっても時間がかかったけど、その分とっても強いの♪」

穂乃果「いいなードラゴン。かっこいい…」

ことり「うふふ~。でもリザードンもすごくかっこいいと思うな。穂乃果ちゃんとよく似合ってる!」

穂乃果「ほんと!?ことりちゃんに言われると嬉しいなー!」

ことり「花陽ちゃん、後でことりにもリフレのコツを教えてね♪」

ことりちゃん、優しい人だなぁ。

綿毛のように微笑むその表情に、花陽は心底からの好感を覚えている。

もちろん穂乃果にも同じくらいの好感を抱いているが、高坂穂乃果は道を切り拓いていく人間だ。
優しさだけでなく、強い精神、決断力、垣間見せる奔放さ、様々な要素を持ち合わせている。

対して南ことりは優しさ、繊細さ、気配りと共感力。
そういった要素に寄った人格を感じられて、ポケリフレに向いてるのはことりちゃんの方かなぁ。なんて事を花陽は心中で考えている。

そんな束の間の思惟は、森の奥から響いた絶叫によって強引に断ち切られる。


花陽「ひ、悲鳴…!?」

穂乃果「千歌ちゃんたちの声がした!」

ことり「でも待って、他の人の悲鳴も聞こえたよ。男の人…?」


右手、左手。
それぞれ別に、二方向から悲鳴が聞こえてきた。
どっちかの方に千歌とルビィの声、もう片方は聞き覚えのない男の声。
森は広く、音が反響してどっちがどっちなのかがよくわからない。
どうするべきか…穂乃果が即断!


穂乃果「迷ってたら千歌ちゃんたちが危ない!私が右の方に行くよ、ことりちゃんと花陽ちゃんは左の方向をお願い!」

花陽「は、はいっ!」

言い残し、言葉の語尾が消え切らないうちに穂乃果とリザードンは飛び去っている。
決断力と行動力、真似できないなあ…と花陽は深い感心を抱く。
さて、こちらも動かなくては。


花陽「それじゃあことりちゃん、私たちも……あれっ?」


忽然。
つい今し方までいたはずのことりの姿がない。

え、あれ?なんで?
穂乃果ちゃんがいた今まではことりちゃんも確かにいたはずで、どうして?

花陽はうろたえ、 「おーい、ことりちゃーん…!」と無音の森へと呼びかけている。

…数分、そうしていただろうか。

なんらかの理由ではぐれてしまったのだろう。きっとすぐに合流できる。
そう自分を納得させ、花陽は悲鳴が聞こえた方向へと駆け出した。

去った花陽、その背後…

ずるりと、溶解した地面からことりが這い出してくる。その体に巻き付いているのは毒竜ドラミドロ。
それはいつもの手段、ドラミドロの強毒で腐食させた地中へと潜行して身を隠していたのだ。


ことり「ごめんね、花陽ちゃん。花陽ちゃんなら、一人でも大丈夫なくらい強そうだったから…」

見極めていた。
ことりが花陽を凝視したのはポケリフレの腕前だけを見ていたわけではない。
トレーナーとしての総合的な腕前を見ていたのだ。

ポケモンたちの戦闘力は抜群、本人も荒事の経験がないにも関わらず二体を自在に操っていた。
自信はそれほど無さそうだったが、センスに溢れるトレーナーだ。
デオキシスたちとの戦闘は問題ないとして、問題は対人。
心優しい花陽が、悪意に満ちたアライザーと対峙してしまったとしたら?


(・8・)「大丈夫。それは全部、ことりが狩ってみせるから」


全身に纏う灰布、鳥を模した奇妙な仮面。

生来の優しさが失われたわけではない。花陽を一人で危険に放り込むつもりはない。
花陽から付かず離れずの距離、同じ進路に進み、アライザーの気配があれば先んじて狩る。
花陽がいては悪を狩れない。故に別行動。
あとはデオキシスの本体を見つけたら、先行し、誰よりも早く捕まえればいい。それには単独行動が最も適している。


(・8・)「……力が必要なの」


夜陰、“鳥面”がその行動を開始する。




千歌「ぎやああああ!!!!」
ルビィ「ぴぎゃあああ!!!!」


悲鳴を並べて息を切らし、千歌とルビィは山道を転がるように駆けていく。
背後からは当然のように追っ手、デオキシスの分身体が触手を躍らせながらの浮遊行。

どんなに逃げても逃げきれず、ふと振り返れば木陰に覗く影。
どうやら単純なスピードの問題だけではなく、テレポートを使える個体もいるようだ。


ルビィ「ううぅ…千歌ちゃん、このままじゃ…!」

千歌「うん、ず~っとぴったり張り付いてきてる。こっちが山道で転んだりした瞬間を狙ってるよ…!」

ルビィ「ひぇ…」


非生物的な輝きを宿した目は今も後方、15メートルほどの距離を保ち続けている。
千歌もルビィも懸命に走っているのだが、人間の体力には限界がある。
山道ダッシュに激しい呼吸を続けた肺は握り潰されたみたいに痛んでいて、脚はガクガクと棒のよう。

迫る危機…ならば!
千歌とルビィは意を決して立ち止まる!


ルビィ「逃げててもダメ、だよね…!」

千歌「そうだね、やっつけるしかない!いくよルビィちゃん!」

ずば抜けた才能を持っていなくても、頼りなく臆病でも、二人は危機に目を閉じずに立ち向かう心を持っている。
もうオハラタワーの時とは違う。狩られるだけの獲物ではない。
腰のボールを、暗闇に光を見出すための剣をぎゅっと握り締め、振り向いて投じる!


千歌「いけえっ!ラッキー!」

『ラッキィ~』

ルビィ「ピクシー!がんばってぇ!」

『ピィッ!』


並んで現れたのはルビィのお馴染み、ピィからピッピを経て進化したピクシー。
それと千歌の新たな手持ち、ピンク色に丸々とした体のラッキーだ!

どちらも愛らしい容姿のポケモンだが、だからといって容赦をしてくれる相手ではない。
放たれる光弾、強烈なサイコキネシスが千歌たちへと襲いかかる。

ぴょんと跳ね、それを真正面から受けたのは千歌のラッキー!
直撃、空間が歪曲してラッキーの姿がぐにゃりと変形。
そのまま数秒、サイコエネルギーに歪んだ空間は逆巻きに元へ戻る。
引き伸ばしたゴムが戻るような音がバチンと響き、ラッキーの体がぽんと宙に投げ出される。
千歌はちょっぴり慌てた表情、そんなラッキーへと声をかける。


千歌「うわぁあ!大丈夫!?」

『………ラッキ~!』

千歌「うんうん、さすがラッキー。全然元気だね!」

ポケモンたちを漫然と育成していた以前とは違う。
ジムリーダーとして育成理論を熟知したダイヤの元で学んだ千歌は、それぞれの長所を引き出す術を身に付けている。
ラッキーは柔軟さを生かし、特殊攻撃への強固な耐性を伸ばすように育ててあって、たとえ高火力を誇るデオキシスからの攻撃であれしっかりと耐えてみせる!

一撃を耐えれば直後は隙、ルビィはそこへきっちりと反撃を合わせていく。


ルビィ「ピクシー、“マジカルシャイン”っ!」

『ピクッシィィ!!』


フェアリータイプ、その名の通りに魔術的な閃光がデオキシスへと襲いかかる。
ルビィのピクシーにもまた成長の跡。不確定な“ゆびをふる”に命運を託した以前とは異なり、相手を攻撃するためのタイプ一致技をわざマシンでしっかりと覚えさせている。

キラキラと細かな光弾が天の川のように軌跡を描き、高速で飛び回るデオキシスを掠めてヒットさせている!


ルビィ「あたった!?や、やったぁ…!」

千歌「ナイスだよルビィちゃんっ、今のうちに…」

千歌は指示を。

ラッキーは攻撃に削られた体力を取り戻すべく、お腹に抱えた栄養満点のタマゴを食べようと試みる。
これぞラッキーの十八番、“タマゴうみ”。

だがデオキシスは素早い挙動、腕を伸ばしてラッキーのタマゴを掠め取る。


千歌「あっ、このぉ…!泥棒!」

『キュィルルル…』


どうやらこの分身体は“よこどり”を習得しているようで、奪い取ったラッキーのタマゴを自身のコアへと押し当てる。
すると殻ごと、大振りなタマゴ一つがどるりと胸部のコアに吸い込まれた。


ルビィ「ぴぎぇっ!!?」

千歌「ぎぇぇ…ああやって物を食べるんだ…」

ルビィ「あの大きさのタマゴを丸呑みに…もしかして、その気になればルビィたちのことも…?」

千歌「……ぜ、絶対勝たなきゃ…!でも今がチャンス!」

ルビィ「うんっ、ピクシー!“アンコール”!」


千歌に助言されるよりも早く、ルビィはしっかりと自分の頭で次の手を固めている。
デオキシスの“よこどり”に応じ、すかさずピクシーへと伝える指示は“アンコール”!

ピクシーはすっとぼけた表情でパンパンと両手を叩き鳴らし、その音をデオキシスへと向ける。
それは単なる拍子ではなく、特殊なリズムのハンドクラップによる強暗示。

地球上の生物とは体組織を違えるデオキシスにも問題なく効果を発揮。
“同じ行動を繰り返さなくてはならない”という強迫観念を深層に植え付けている!


『キゥルルル…』

ルビィ「よ、よしっ…動き止められた…!」


その意にそぐわず体は動き、“よこどり”の対象を探すデオキシス。
回復のみならず補助効果をも強奪する特殊な技だが、しかし当然アンコールが決まった今、千歌とルビィがその手の技を出す理由はどこにもない。

見事に絡め手を決めたルビィ、ならば叩く役は千歌!
壁役のラッキーをボールへと戻し、入れ替えに新たなポケモンを展開している。
飛び出した新手は親子ポケモン、ノーマルタイプの強者、ガルーラ!


千歌「“おんがえし”だあっ!!!」

『ガルゥゥゥ!!!』

叩きつけるは強靭な拳!

トレーナーとしての実力を伸ばし始めたのは最近だが、ポケモンたちを慈しみ可愛がれる少女なのは昔から。
そんな千歌が指示する“おんがえし”。いかに懐いているかに威力が左右される技だが、最大威力でないはずがない!


千歌「よしっ!!」


デオキシスの体が激烈に地へと叩きつけられ、森の柔らかな土が深々と凹む。
分身体はその輪郭線を明滅させて消滅し、それを目にするのが初めての千歌とルビィは驚いて周りを見回す。

倒せてない?襲いかかってくる?

…しかし、その様子はなく。
二人はおっかなびっくりのままでパシッとタッチ!


ルビィ「大丈夫…だよね?」

千歌「うーん、大丈夫なはず…それより!私たちいけてるよー!ルビィちゃんすごい!偉い!」

ルビィ「あ、えへ、うゅゅ…」


抱きしめて頬擦り、頭を撫でつつ褒めちぎる。
普段からルビィを可愛がってる千歌だが、ダイヤの代わりを務めなきゃ!という意識がその行動を極めて“ダイヤ的”にさせている。ルビィへと注ぐ溺愛!
以前と比べて随分としっかりしたルビィも、可愛がられればそれをたっぷりと享受する末っ子気質。特に拒むでもなく喜んでいる。
千歌がポケットから出した棒キャンディを二本、三本と口に押し込まれてモゴモゴ。
そんな甘ったれた光景だが、ルビィの目には小さな自信が宿っている。


ルビィ「あのね、ルビィ、千歌ちゃんと一緒だとすごく戦いやすい!」

千歌「だね~!ふふふ、もしかして私とルビィちゃん、ダブルバトルの才能があるのでは…」

ルビィ「千歌ちゃんとダブルでいつか大会に出てみたいな…なんちゃって…」

千歌「なんちゃってじゃないよルビィちゃん!出よう、いい線いってるはず!……っと、調子に乗るのはこれくらいにして…」


二人は走ってきた道のりを振り返り、夜中の森林に改めて怖気を覚える。

しんと静まり返っていて、他のポケモンの気配がない。
隕石の落下と見知らぬ異生物の出現に、野生のポケモンたちは警戒して森の奥へと引きこもっているのだろう。

幸いにして夜空は好天、雲のない星空から月光が清廉と降り注いで登山道を照らしてくれている。
それでも薄暗いことに間違いはなく、よく小石や木の根に転ばず走ってこられたものだ。

もし転けていれば、それを好機とデオキシスに仕留められていたかもしれない。
ぞっと身を竦ませ、そして二人は残してきたダイヤの心配に胸を傷ませる。


千歌「ダイヤさん、大丈夫かな…」

ルビィ「おねえちゃん…」


心から心配している。
だがダイヤに教えを請ってきた二人だからこそ、彼女の毅然とした強さを知っている。
自分たちがいては足手まとい。それをすぐに理解し、迷わず逃げることに専念できたのは信頼が故だ。


千歌「……とりあえず、っと。一回戻っててね、ガルーラ」

『ガルっ』
『がるる』


千歌は呼吸を整えながらガルーラをボールに戻す。親子が声を合わせて千歌に答えた。
手持ちの中では貴重な火力役、下山まではまだ距離がある。できるだけ温存しながら戦いたいところだ。


千歌(あの変なポケモン、まだたくさんいたよね。ルビィちゃんのこと、ダイヤさんに頼まれたんだ。頑張って守らなくちゃ…)

ルビィ「ち、千歌ちゃん!また!」

千歌「げえっ、もう来た!?」


新手!

二人はそれぞれ繰り出すのは相棒の忠犬ムーランド、そして希から貰ったムシャーナ。
ムシャーナが“さいみんじゅつ”でデオキシスを留め、ムーランドが悪タイプの“かみくだく”で弱点を突いて打倒!

だが、さらに二体、三体。
追い付かれれば応じる必要が生まれ、応じている間に次が、次が、次が殺到する!

一体を倒し、見回せば五体、六体。
続々と現れるデオキシスシャドー、千歌もルビィも成長しているのだが、パーティー構成が些か火力に欠けている。
敵の数はますます膨れ上がっていて、まとめて飛びかかってくれば御しきれない。

このままではジリ貧、徐々に不利が見えている。
千歌はルビィを庇いつつ、一歩、一歩と後ずさり…


千歌(や、やばいよ~!!)


花陽「ジュカインさん、“リーフストーム”ですっ!」


千歌「へ…?」


吹き荒れる深緑の嵐!!
膨大な木の葉が薄刃もかくや、拡散された草タイプのエネルギーはその密度でデオキシスシャドーたちを巻き込み押し包み、圧倒する。

それを放ったのは鋭い眼光、密林をホームグラウンドとする二足歩行の大トカゲ、ジュカイン!
いかにも強そうな姿だ。しかし反して隣、そのトレーナーらしい少女はなんだかこじんまりとした印象。


花陽「あ、私、小泉花陽って言います。そっちのハチノタウンから…
あ、じゃなくて、みかん色と赤い髪の毛…高海千歌さんと黒澤ルビィさん、で合ってますか…?」

ルビィ「は、はい!」


どうやら救援。
花陽のジュカインが放った猛撃はデオキシスたちを見事に退けていて、千歌とルビィはほっと胸を撫でおろす。

さて、颯爽と現れたはいいが、そんな花陽は二人と初対面。
基本的には人見知り、ここに現れた経緯をどう説明したものかと困っている。


花陽「ええっと…」

千歌「た、助かったよぉぉ…!!」

ルビィ「うぅ…ありがとうございます…!」

花陽「うわわっ、えへへ…二人が無事でよかったです。その、私は穂乃果ちゃんと海未ちゃんの友達で」

千歌「そっか、穂乃果ちゃんたちの!はぁぁ…本当に助かった…ありがとう、花陽ちゃん!」

ルビィ「その、ええと…花陽ちゃん、かっこよかったです!!」

花陽の体格や顔立ちを見るに、多分同じくらいの歳かなとルビィは考える。
それでもトレーナーとして素晴らしい腕前をしていて、ルビィよりも何歩も先を進んでいて。
ポケモンと深い絆に裏打ちされた強さは、ルビィが目指すべき道筋のようにも思える。
それよりなにより、純粋に(すごい!)と。

ルビィからのキラキラとした目に「そんなぁ…」と思いきり照れてみせる花陽。
そして町へと連絡を入れていて、千歌とルビィはダイヤがまだ残っていることを伝える。

三人に増えたことでデオキシスシャドーたちは一旦引いたのか、周囲からはその気配が消えている。

離れた位置、木陰からは鳥の仮面がその様子を無言で見つめている。


(・8・)「よし、花陽ちゃんが合流。三人いるなら大丈夫…」


そう呟き、森の奥へと姿を消した。


一方、穂乃果。




穂乃果「誰かいる!リザードン、全力で飛ばして!」

『ザァァド!!!』


火竜はバーニアのように尾火を強め、加速する飛翔が夜森にテールランプめいて赤の残影を光らせる。
人の声がした方へと向かい、穂乃果とリザードンの位置は登山道から大きく逸れて森の中。
木々はその高さを増していて、鬱蒼と視界が悪い。

月明かりも遮られていて、リザードンが口から漏らす火炎が先を照らしていなければ視界は一寸先の見えぬ闇だろう。


穂乃果「ごめんねリザードン、木の間は飛びにくい?」

『リザゥ!』

穂乃果「うん、ありがと。高く飛びたいけど、そしたら人影を見落としちゃうかもしれないもんね」


労うように首筋を撫で、そして気配。
視界の先、森が明るく照らされている。一体なぜ?


穂乃果「焦げ臭い…何かが燃えてる。ガソリンの匂い?」

トン、と背を叩いて合図、リザードンは生い茂る葉を突き抜けて高度を上げる。
上空からの視界を確保、穂乃果は山中に何かが燃えている箇所を見つけて指差す。


穂乃果「急ごう!」





「う、うわああっ!」
「来るな…来ないでくれ!」

「ふ、フワライド…気を付けろよ…!」

『プワワ……』


三人、男性の姿。
彼らを数体のデオキシスシャドーが取り囲み、ゆっくりと周囲を旋回している。その姿はまるで獲物を追い詰めた狩猟獣。

男性の二人は地面に尻餅をつき、怯えた様子で木の切れ端を振り回している。
もう一人、スーツの上から防寒用のジャンパーを羽織った真面目そうな男性は、辛うじて意思を保ちながら立ち向かう姿勢を見せている。
すぐそばに浮かんでいるフワライドはどうやら彼のポケモンらしい。

その上着の背には“ロクノテレビ”の文字。
そばでメラメラと燃えているのは墜落したヘリコプター。
彼らはロクノシティにあるアキバ地方最大の放映局の撮影クルーで、民宿で穂乃果たちが見た中継でデオキシスにヘリを落とされた面々だ。

フワライドと共に戦っているのは日頃からニュースなどで見かける、三十路少しの男性アナウンサー。

どうやらそれなりに戦えるトレーナーらしく、腰には四つのボールが見えている。
だが既にそのうち三体は撃破されていて、残りはフワライドだけ。

墜落から彼とスタッフたちを救ったフワライドが、彼らにとって文字通りの最終防衛線…


『キキキュュ…ルルロロロ!!!』

『ぷわわわ~っ…!!』

「ああっ!フワライド!」


デオキシスの攻撃が耐え続けていたフワライドを倒してしまう。
一斉、塞き止める壁を失した瞬間にデオキシスたちの目が撮影班に向けられる。

尖り、凶器と化す触腕!

「こ、殺される…!」
「ひいいっ!!」

「……フワライド、戻れ」


それはトレーナーとしての意地、矜持だった。
せめてポケモンだけは殺されずに済むよう、アナウンサーはフワライドを安全圏のボールへと収める。
死の覚悟に妻や息子、家族の顔を思い浮かべて仰ぐ夜空…

漏れる呟き。


「なんだ、あれは…!」

穂乃果「こっち向けええええっ!!!!」

『リザァァァァァッッ!!!!』


人竜一体、降る焔の流星!!!
大声に咆哮を重ね、デオキシスたちの注意を引きながら現れたのは見知らぬ少女!

揺れるサイドテール、青の瞳。
左から右へと視線を流して敵影を把握、五、六。
高速の落下にもまばたきはなし、極限の集中に下す即断!
先行して投げ落とすボールは二つ!


穂乃果「“かみくだく”ッッ!!!」

『ゴォアアア!!!』
『グマアッッ!!!』

弾けたボールから躍り出たのはリングマとガチゴラス!
現れたのは二匹、指示は一つ、同じ技を覚えているポケモンたちを出して指示のタイムラグを短縮。

急襲に成功!!

トレーナーの気持ちはポケモンへと伝わる。
二体は異質なデオキシスにもまるで怯まず牙を立てていて、それは高坂穂乃果のファイター精神の鏡写し!


穂乃果「リザードン、真ん中の木を燃やして明るく!」

『ザアッッ!』


火炎放射で光源を確保、垂直に近い急落から地上スレスレで角度を立て直して滑空、着地!
フリーフォールどころではない高速落下を意に留めず、リングマとガチゴラスへと追加の指示を下して再び巡らせる視線。
追加で現れた数体を確かめ、最もレベルの高い一体を見極める。

その一体は明らかに他と形状が違う。
手足、胴までが細く鋭く変化していて、一目に速度特化型とわかる形状。


穂乃果(真姫ちゃんが言ってたスピードフォルムってやつ!じゃあ本体なのかな?)


と、すうううっ!!と息継ぎ、極限の集中は無呼吸に保たれていた。
深い呼吸、取り込まれる酸素。
頬には暖かな血色が差し、灯された篝火に少女の健康的な美しさが映える。
神気走った乱入から一転、状況を掴めず驚いているテレビクルーたちに穂乃果はふんわりと笑いかける。


穂乃果「もう大丈夫だよっ!」

「あ…」


それは夜闇を照らす陽光、希望の笑み。
そこから瞬時、変じて戦鬼。少女の目は橙火に燃え、既に敵を捉えている!


穂乃果「リザードン!!“かえんほうしゃ”!!!」

『グルゥオオオオオッ!!!!!』


凄絶な赫火が夜闇を紅に染め、殺戮の場は華々しいステージへと姿を変えている。
それは光。アキバ地方を覆った深い闇を照らせるだけの!
アナウンサーは自然、思わず声を張り上げている!


「カメラ!カメラ回そう!あの子を撮るんだ!」
「ああ、わかってる!!」
「おおっ!?電波戻りました!中継行けますっ!」

ロクノテレビのクルーたち、彼らもまたプロフェッショナル。
死の恐怖は胸から消え去っていて、思考を締めているのはこの映像を、この少女の姿を世界に届けなければならないという使命感!

これは災害報道の類、非常事態にテレビ局のフットワークは軽い。

“宇宙から襲来したポケモンの存在はパニックを招きかねない、報道規制を”

上からはそんな圧力が掛けられていて、しかし知ったことか。
この圧倒的なニュースバリューを届けずして何が報道だ!
これはあくまで隕石落下の、災害現場からの生中継。何かが映っているのはほんの “偶然”!!

そんな気概、今レンズで映している光景はそのまま直に全国へと届けられている。
舞う火竜とその背の少女を、世界中の人々が目にしている。

穂乃果「“ニトロチャージ”!!」


上空、舞い上がったリザードンの全身が炎を纏う。
穂乃果は同時、その炎に巻き込まれないよう背から手を離している。
頭を下に、支えるもののない自由落下…新たに繰り出したバタフリーがその背を掴む!


『リザァァッッッ!!!!』

『キキッロルルル…!!』


加速突撃、リザードンは最もレベルの高い一体に体当たりを敢行したまま再び空へと押し上げていく。
スピードフォルムのデオキシス、その速度は神域。まともに離れて撃ちあえばヒットアンドアウェイで削られるばかり。

なら組み付けばいい。
ニトロチャージの加速で最低限接触できる速度をリザードンに与え、組んでしまえばスピードフォルムは非力。そこからは力押しで!

蝶翅に翔ぶ穂乃果はその高度が必要なだけに達したたのを目に瞼をパチリ、リザードンと目配せを交わす。


穂乃果「うん、いいよ。それだけ高かったら森には燃え移らない」

『リザッ!!』

穂乃果「うんうん、火の勢いを抑えてたもんね。ストレス溜まるよね~。でももう大丈夫。思いっきり…」


またたく星光、月輪を背負い。
少女は竜火を統べるかのように、その右手を宙へ掲げ…そして下す指示!!


穂乃果「“だいもんじ”」


━━━煌炎!!!!


リザードンが竜吼と共に吐き出した大灼火、それをデオキシスへと零距離で浴びせる!!
撃ち込まれた炎は超圧縮、異星人のコアで留まり、数秒小さく渦を巻き…

爆ぜた!!!!

「うおおおっ!!!?」


テレビクルーたちは驚きに思わず叫んでいる。
少女のリザードンが放った炎はデオキシスを捉えて拡散、空中に凄絶な“大”の赤を描き出した。
それは最高効率で火力を行き渡らせるための指向性、極大火力の猛爆炎。
炎タイプの奥義、“だいもんじ”!

デオキシスの姿は跡形もない。
捕まえようとボールを構えていた穂乃果は拍子抜けでガクリと肩を落としている。


穂乃果「あれ、本体だと思ったんだけどな…」


その感覚は間違っていない。
確かに実体のある一匹だった。
ただ、スピードフォルムは体力、防御力共に脆い。
穂乃果のリザードンが零距離で浴びせた劫火に耐えることができず、コアに全身を収めて休眠状態へと戻ったのだ。

穂乃果もテレビクルーたちもそれが落ちていくのを見逃したほどに小さな石粒へと姿を変え、今は森の中に転がっている。
ゆっくりと機能を修復しつつ、数十年後、あるいは数百年後の次の目覚めを待つのだろう。

つまり捕獲はできなかったが、穂乃果の勝利!!


穂乃果「ちぇっ、捕まえたかったなー…」

「すごい…すごいものを撮ったぞ…!」


クルーたちは感動に胸を震わせている。
テレビマンとして報道に携わる以上、誰もが一度は立ち会わせたいと願う歴史の転換点。

今、得ている確かな実感。
投獄されてなおアキバ地方に深い闇を蔓延らせる暗黒星、“綺羅ツバサ”。
それに対抗し得る存在が、今ここに現れたのだと。

…が、まだ!!

一体残っていたデオキシスシャドーは矛先を急転させ、アナウンサーへと槍腕の先端を伸ばしている。
振り向き、何もわからないままに貫かれ…


穂乃果「“アクアジェット”!!」

『ルリルッ!!』


水打!!!

高速、かつ痛烈なパンチがデオキシスを叩き潰している。

少女の目に隙はなく、討ち漏らしていた一体をケアすべく新たな一体を展開していた。


穂乃果「うんっ、ナイスだよ!マリルリ!」

『リルリル!』

ピョンと片手を上げて応えるのは丸々と愛らしい水玉模様、みずうさぎポケモンのマリルリだ。
その特性は物理の申し子とでも呼ぶべき“ちからもち”。
可愛さだけでなく、戦闘力もズバ抜けているのだ。

高空、再びリザードンの背へと戻った穂乃果はそれ以外のポケモンたちを労ってボールに戻し、テレビクルーたちへと声をかける。


穂乃果「町に連絡したから、すぐ助けが来ると思います!」

「ありがとう!まだやることがあるんだろ?」

穂乃果「うん!行かなきゃいけないんだ!」

「私たちのことは気にせず行ってくれ!」


頷き、翼を翻す。
その時、アナウンサーはふと思い至る。大事なことを聞けていない!

カメラマンはそのレンズをリザードンの少女へと向け、アナウンサーは高らかに問いかける。
さあ顕示してくれ、悪星“綺羅ツバサ”へのカウンターと成り得るその存在を!


「君、名前は!?」

穂乃果「高坂穂乃果!」


飛び去る!!

テレビクルーたちを残し、穂乃果はクレーターの方向へと進路を向けている。
予感がするのだ、デオキシスはあの一体だけではないと。


穂乃果(森の様子がまだ変だ、静かすぎる。ポケモンたちが怖がってるってことは、まだ…)

『キォルラルルルルラ!!!!!』

穂乃果「な、っ…!!」


上空、面前。
突如として現れたのはデオキシス、本体のうち一体。
それもその全身に極めて高い攻撃性を漲らせたアタックフォルムのデオキシス!

前へと推進していくリザードンの鼻先を後ろに滑るような奇怪な動きで飛んでいる。
直感力に優れた穂乃果でさえその異様に驚き、思考が硬直する。

瞬間、デオキシスはその体に強烈なサイコエネルギーを集中させる。
それはダイヤとの戦いでノーマルフォルムの一体が見せた大技“サイコブースト”の予備動作。が、攻撃に特化したデオキシスが放つその威力は!!


『キキキキルルルロラロロ!!!!!!!』

穂乃果「しまっ…!」

『リ…ッ、ザァァッ…!!?』

エネルギーの超爆。
飲まれ、火竜は空から舞い落ちる。

刹那に背を翻し、リザードンはその体を盾に穂乃果を守っていた。
直撃を受けて意識を保てるはずもなく、穂乃果もまた直撃は避けたが閃光と衝撃に朦朧としている。

不幸中の幸いか、ここは森林。
リザードンはその翼や尾を木々に絡め取られ、落下速度を減速させていく。
意識を失した状態にもその両腕と翼で穂乃果のことだけは堅く守っていて、ついに地面へと落ちるも、なんとか穂乃果に大きな傷はない。
朦朧とした状態から、急ぎ意識を立て直し…


穂乃果「うわわ、なにこれ…!?」


ミカボシ山の地盤は硬い。
だが、土地が形成されていく最中にできた歪みのようなものか、地下にはところどころに空洞もある。

先、ダイヤが落下したのはそんな空間だ。
そして穂乃果とリザードンも今、似たような地盤の裂け目から滑落しようとしている。
穂乃果は慌てて土を掴むが、流砂のように飲み込まれていく!


穂乃果「うわあああっ!!」


落ちる!!岩盤の裂け目をスライダーのように滑り落ちていく!!

今度は立場が逆転だ。
穂乃果はリザードンの生命、尾の炎が消えないように、腕が焦げるのにも構わずそれを抱きしめている。
ヒトカゲの頃のように弱々しい炎ではない。
雨ぐらいで気を使ってあげる必要もないのだが、今は穂乃果を庇って重症、そんなところに滑落の勢いで大量の砂が掛かれば危ない。


『……ザ、ァ…』

穂乃果「大丈夫。守ってくれたんだからお互い様!」


スポン。
そんな擬音がぴったりな力感、穂乃果たちは寄る辺なき空中へと放り出されている。

そこはだだっ広い空洞。
どこかからか月光が差し込んでいるのか、地中にも関わらずそれなりに明るい。
壁面がピカピカと輝いている気もする。なにかしらの鉱物が埋まっているのかもしれない。

ともあれ空中、もう土はかからない。

穂乃果はリザードンの尾から腕を放し、火傷を負った両手に少しだけ眉をしかめ、腰のボールを手に取る。
落下と滑落にまともに姿勢を制御できずにいたが、ようやくボールを手にすることができた。


穂乃果「お疲れ様…休んでてね、リザードン」


相棒へと優しく声を掛けて収め、次にもう二つ、ボールを手に取る。
片方は開閉スイッチを押してから投げ落とし、もう片方は手元で展開。
現れるのはもちろんもう一体の飛行ポケモン、バタフリーだ。


穂乃果「なかなかのスピードで落ちてるけど、私の体重はそんなに重くない…はず!がんばれバタフリー!」

「ふ、フリイイイイイ…!!!」


リザードンの次に古参、もちろん大の仲良し。バタフリーは穂乃果を落とすまいと全力で羽ばたく!
パタパタ、否、バタバタと。
なかなか重そうな声を漏らしつつ、苦しげながらにどうにか着地!!
微妙に殺しきれていなかった勢いにドスンと尻餅を付き、穂乃果は「いてて…」と小さく呟く。

その首筋、銀の鋭利。
よろいどりポケモンのエアームドの翼が、穂乃果の頸動脈へと突き付けられている。

そう、にこは確かに言っていた。
この地に残党がいると情報を得て捜査に来たのだと。


英玲奈「エアームド、そのままだ」

穂乃果「……アライズ団の、統堂英玲奈」


対峙。

穂乃果、英玲奈、双方が無言。

呼吸…僅かな身じろぎ、英玲奈はそれを許さない。
穂乃果がほんのわずかに重心を傾けたのを目敏く見抜き、エアームドの翼をより強く押し付けることで動きを留めさせる。


穂乃果「………」

英玲奈「ボールに手を掛けようとしたのか、だが無駄だ。どう動こうと、エアームドが君の首を?き切る方が早い」


こうして実際に対面するのは初めてだが、穂乃果は海未や様々な人から英玲奈の殺人行を聞いている。
まるでためらいのない人への攻撃、銃の使用も辞さない殺人のプロ。
ツバサがアライズ団の顔役なら、こちらはアライズ団の暗部を煮詰めたような存在。

それを理解した上で、穂乃果は恐れずに口を開く。


穂乃果「動かない方がいいのはあなたもだよ」

英玲奈「……ふむ、どうやらそのようだ」

英玲奈の足元、地中から鋭爪。
エアームドと同じく硬質な銀光は英玲奈の足首と腹部に突き付けられていて、頭と爪の鋼を合わせれば頑強なドリルへと姿を変える。
その正体は“ちていポケモン”、はがね・じめんタイプの鉄モグラ。
穂乃果のドリュウズ!

リザードンと共に中空へと投げ出されて落ちる最中、穂乃果はバタフリーを出すと同時にもう一つボールを投げ落としている。
ボールが地面に落ちた瞬間、展開されるドリュウズ。
ボール越しに穂乃果から伝えられた通り、瞬時に地中へと潜行し、敵が現れた場合に先んじて備えていた。

そして今、英玲奈へと突き付けられている銀鋭!


英玲奈「足元からの奇襲とはな。実に私好み、部下を育成する際に叩き込む戦術の一つだ」

穂乃果(鹿角聖良…あの子のマニューラが足を狙ってきたやり方の真似だけどね)

英玲奈「高坂穂乃果…そうか、聖良を倒したのは君だったな。取り入れたのか?」


問われ、こくりと頷く。


穂乃果「うん、いいなぁと思ってドリュウズを育てたんだ」


敵だろうと命を奪い合った相手だろうと、良いと思ったところを素直に真似るのは穂乃果の長所の一つ。
英玲奈もまたそう捉えたようで、直属の部下である聖良を倒した相手へと小さく笑いかける。


英玲奈「フフ、面白いな君は。ところで、聞いていないか?私は多少の怪我なら再生できる体だが…」

穂乃果「そ、そうだった!ドリュウズの意味がない!?」

英玲奈「はっはっは、驚いて見せつつ足元の砂を蹴り上げる準備、目潰し狙いか。嫌いじゃない」


すっと、英玲奈は諸手を掲げる。
その仕草はエアームドへの指示や新たなボールを手に取るわけでなく、銃や暗器の類を取り出すわけでもない。
そして穂乃果は理解する。統堂英玲奈は敵意がないと示しているのだ。

英玲奈「今、ここで君とやりあうつもりはない。どうだ、お互い矛を収めないか?」

穂乃果「………」

英玲奈「理由を言おう。私は君の首を抑えて牽制しているが、君はまだ何か策を秘めた目をしている。私は潜伏中の身、無駄な戦いは避けたい」

穂乃果「………」

英玲奈「証左に、私からポケモンを収めよう」


告げ、英玲奈はその通りに穂乃果の背後からエアームドを回収する。
そのまま再度手を上に、騙し討ちの意図はないと示してみせる。

だが、それを易々と信用……する。
穂乃果はドリュウズを、それとバタフリーを収めて「ふう」と溜息。
どさりと大の字、細かな砂で埋まった地面に寝そべりくつろぎモードだ。
これには英玲奈も少し驚いたか、「いいのか、そんなに隙を見せて」と思わず尋ねている。


穂乃果「信じるよ、だって今そっちが騙し討ちする意味ないもん。あー疲れた…」

英玲奈「ふむ…」

そう言って伸びをしつつ、穂乃果の顔は未だに企ての色を失っていない。
英玲奈が何かを仕掛けたなら即座に応じるという目。休息と臨戦を同時に宿している。

英玲奈はそれを見て取り、小さく唸る。
なるほど、あんじゅから聞いていた通りに一筋縄でいかないタイプらしい。

だが、英玲奈に今戦う意思がないのは事実。
穂乃果へと背を向け、少し離れた位置に並べてある簡易な調理器具へと歩み寄った。
カセットボンベの火にヤカンが掛けられていて、シュウシュウと沸騰の音を鳴らしている。

穂乃果はそれを見逃さずに口を開く。


穂乃果「喉乾いたなー」

英玲奈「……ん?まさか、茶を要求しているのか」


仮にも敵対者だというのに。英玲奈はついつい呆れた表情を浮かべてしまう。
だが、ここまで厚かましく来られると逆になんとなく断りにくいものだ。

英玲奈「……仕方ないな」


馴れた手つき、ブリキのマグカップにお湯を注ぎ、一度捨てて容器を温める。
そして湧きたてのお湯をダバダバと注ぎ直し、そこへ丁寧な手付きでティーバッグを沈めた。


穂乃果「おおー紅茶!いい匂い!」

英玲奈「まだだ。茶葉が開くまで待て」


真面目に律儀に、英玲奈はお湯の中で踊る茶葉を凝視する。
そして上から小皿を被せ、蒸らしの工程へ。


英玲奈「一分ほど待て」

穂乃果「う、うん」

英玲奈「………ミルクは入れるか?」

穂乃果「あ、入れた方が好きだなー」

英玲奈「なら三分だ」

穂乃果「え!?余計に待つならそのままでいいよ!」

英玲奈「案ずるな、私もミルク派さ。ミルクティーは濃く抽出しなければ風味が薄れる」

穂乃果(こ、凝り性だ…!)

なんだかよくわからないが長めに待たされることとなり、穂乃果は仕方なしに周囲の様子を眺めている。
ミカボシ山の地下空洞、落ちながら見渡したのと下から見上げるのとでは、また印象が異なる。


穂乃果(うーん、広い)


どうやらドーム状の空間になっているらしい。
遥か頭上の天井部では、ところどころの裂け目から光が漏れ混んでいる。
穂乃果たちが落下した穴も、その光のうちどれかなのだろう。

また、降るのは光だけではない。
さらさらと静かに、きめ細やかな白砂が砂時計のように線を描いて落ちてきている。
穂乃果たちが落ちた穴はそれなりの幅がある穴だったが、もっと小さな裂け目が上にはたくさんあるように見える。
その裂け目へと転がり込んだ小石や砂が、長い歳月をかけて狭いところを潜り抜けて研磨され、そして白砂として降ってきているのだ。


穂乃果(むむ、高いなぁ…)


天井の高さまで飛んで、さらに穴を抜けて地上までというのは相当の距離。
いくら飛べるとはいえ、バタフリーに穂乃果を抱えてその距離を飛ばせるの厳しいかもしれない。

そんな思案をしていると、ポチャンと水音。
目を向ければ小さな魚影。

「あ、そっか」と穂乃果、ここは地下水脈なのだ。
今いる場所には降る砂が敷き積もって白砂が形成されているが、よく見れば周りをぐるりと澄んだ水面、湖が取り囲んでいる。


穂乃果(飲める水かな?)

英玲奈「飲める水だ。この紅茶もその水を沸かしている」

穂乃果「…あれ、声に?」

英玲奈「それだけ水面を見つめていれば言わずともわかるさ。さて、三分だ。砂糖は?」

穂乃果「あ、ちょっとだけで」

英玲奈「そうか」

心得たり。穂乃果の紅茶に角砂糖が四つほど落とされる。
全然ちょっとじゃない。多すぎる。
嫌がらせか何かかと穂乃果が見ていると、英玲奈は自分の紅茶に七、八と角砂糖を投じた。


穂乃果「なるほど」

英玲奈「何がだ」

穂乃果「いやぁ…」


そして小型の冷蔵庫から取り出したモーモーミルクを紅茶へと注ぎ、温くなったブリキカップを穂乃果へと手渡した。


英玲奈「ほら、毒入りだがな」

穂乃果「真顔で冗談言われると…あ、おいしい」


季節は秋にして時刻は夜。
山地の、それも地下の水辺となればなかなか肌寒い。
そこに温かいミルクティー、美味しくないはずがない。
少し甘すぎるのも疲れた体には良い塩梅。湯たんぽがわりに掌を温めながら、芳香と糖分をゆっくりと胃に落とし込んでいく。

英玲奈も三歩ほど離れた位置に腰を下ろし、静かにそれを飲み下している。
殺伐とした場面しか見たことのない相手だが、こうして静かに見てみると、モデル系とでも言えばいいのだろうか、美しい容姿をしている。
それが簡素な銀容器を手に、かすかな湯気を口に運ぶ姿はなんとも様になっている。

ただ、そのミルクティーは激甘だ。


穂乃果「やっぱり砂糖入れすぎじゃないかなあ…」

英玲奈「……ん、私のこれか?本場のコーヒーは底に残るほどの砂糖を入れて飲むそうだ」

穂乃果「え、これ紅茶だよ?」

英玲奈「似たようなものだろう。フフ、素人だな」


穂乃果はまったくグルメを気取らないタイプだが、それでもコーヒーと紅茶を一緒くたに扱うのは無理があるんじゃ…と。
そして、真姫が英玲奈と似たようなことを言っていたのをぼんやりと思い出す。

“コーヒーには砂糖をたっぷり入れるのか本場式。ただし、エスプレッソだけね”

穂乃果(……って、ドヤ顔で言ってたような)


衒学なドヤ顔はともかく、真姫のセレブ舌と知識には疑いがない。
(この人、意外と賢くないのかなぁ)と…そんなことを考えられているとは露知らず、英玲奈はカップを飲み干して立つ。

テーブルにそれを置くと、英玲奈はそこに置かれていたもう一つのマグカップを手に取った。

誰の分だろう、もう一人いる?
気配はないが…備えて身構える。

そんな穂乃果を意に介さず、英玲奈はそのカップを手に取ると、布を斜めに立てかけただけの簡素なテントへと歩いていく。
覗き込むと、そこには負傷した一人の少女が静かに眠っている。
黒髪の大和撫子、それは穂乃果もよく見知った…


穂乃果「ダイヤさん!!?」




海未(っ、不覚。希や凛と分断されてしまいました)


森の中、海未は一人で周囲を見渡している。

順調に敵を蹴散らしながら進んでいたのだが、高レベルのデオキシスシャドー数体から一斉の襲撃を掛けられた。
そこで三体ほどが続けざまに“サイコブースト”を連発。
ギリギリで逃れ、応じて撃破しつつも衝撃の端を掠めてしまった。
海未を掴んで飛んでいたファイアローが方向を失してそれなりの距離を流れてしまったのだ。

しかし慌てない。
はぐれた場合はどうするか、希たちと事前に取り決めてある。


海未「ファイアロー、“おにび”を空へ」

『ファロッ!』


ぼう、と幽幻。
夜空へと打ち上げた篝火はゆらゆらと揺らめいて海未の居場所を遠くにまで知らせる。

応じ、空に微細にコントロールされた魔炎が“2人”と文字を描いて空を照らした。
おそらくは希のマフォクシーが放った“マジカルフレイム”。
その文字を見るに、凛と希は共にいるらしい。

随分と位置は離れてしまっていて、無理に合流を考えるよりは状況に即して動くべきだと海未は判断する。

海未の傍らにはファイアローともう一匹、森林の夜陰に紛れたゲッコウガの姿。
デオキシスシャドーを撃破し、ゲッコウガはその特性、“きずなへんげ”を発動させている。
溢れ出す水流の力を集めて十字手裏剣のように形成、背に背負い、強力なエネルギーを静謐に宿している。


海未「園田流、ソノダゲッコウガ」

『………コウガ!』


絆変化、その効果はメガシンカにも似た能力の向上。
だけに留まらず、海未とゲッコウガの間には感覚リンクが形成されている。

故に、海未にも宿る超感覚。
元より人としての身体能力を高い域へと磨き上げている海未だからこそ、その感覚を見事に掴んで乗りこなしてみせる。

瞳を閉じ、風を読み…


海未(この状態なら森、広域の動向を捉えることが可能。
山奥まで飛ばされたおかげか、普段よりも静寂に感覚が澄まされている…不幸中の幸いでしょうか)

海未(希と凛のそばに敵はなし。ああ、花陽が千歌とルビィと合流してくれていますね、良かった…おや、この気配は?)


気付く、その気配はにこだ。
町に入り込んだ分身体とアライザーの処理が済んだのだろうか。


海未(……いや、違う。にこは…にこは追っている。町のことを絵里と真姫に任せ、おそらくは…)


フラッシュバックする民宿での映像。
にこはことりへと確信めいた疑いを目を向けていて、ことりはそれを無視していて…

海未は集中を打ち切り、ゲッコウガとファイアローを伴って駆け出す。


海未「行かなくては…!」




にこ「アンタ…何してんのよ」

(・8・)「………」


静かな怒気、応じない仮面。
にこと“鳥面”は、静まり返った森林の中で向き合っている。

鳥面、ことりの周囲にはアライザー、白服の男女たちが三人横たわっている。
その首筋には既に注射跡。“洗頭”を無慈悲に投薬されていて、半開きのまなざしを虚ろに漂わせている。

にこは既に、鳥面がことりであることを知っている。
それは刑事の嗅覚、ことりの笑顔に隠匿の気配を感じ、民宿でその鞄を調べたのだ。

手先が器用なのだろう。
鞄の底は器用に工作されていて、通りすがりの警察が気まぐれに手荷物を調べたとしてもやり過ごせるだけの丁寧な隠し底だった。
だが、にこの眼力はそれを問題なく看破した。
そして隠された仮面と洗脳薬を目にすれば、もうその正体は疑いようもない。

けれど、すぐに問い詰めはしなかった。
にこは無粋ではない。久しぶりの幼馴染たちの再会、楽しい食事の時間を逮捕劇で乱したくないと考えたのだ。
一段落したところで密かに呼び出し、今日でなくてもいいと、頃合いを見ての自首を促すつもりだった。

…が、デオキシスによる動乱。
そして今に至り、新たな犠牲者が出てしまっている。

だが、にこの表情を歪めているのはそれだけではない。
ことりが今しようとしている行動に対して、腹の底から煮えたぎるほどに激怒しているのだ。
アライズ団に運命を狂わされた可哀想な少女だと、抱いていた情状酌量の余地を蒸発させるほどに。


にこ「何をしてるのかって聞いてんのよ!!!」

(・8・)「“洗頭”を、打とうとしてるだけだよ」


静かに、ことりはそう呟く。
そして手にした注射器を近付け…アライザーが使っていたポケモン、ヌメルゴンの首筋へと針を突き立てる。
綺羅ツバサにイーブイを奪われたその時と同じように…!


にこ「それをやったらおしまいでしょうが…!もう連中と、アライズ団と何も変わらない…!!」

(・8・)「………力がいるの」


人に打つのももちろん論外。ただ、アライザーたちは殺人も辞さない悪党だ。まだ理解できる部分もないではない。
だがポケモンは、指示に従っているだけのポケモンにまで…

押し込み、注入される薬液。
ヌメルゴンはその体をビクンと跳ねさせ、攻撃性を増した瞳でむくりと立ち上がる。
ことりはアライザーの弛緩した手からボールを拾い…
これでヌメルゴンは、600族のドラゴンポケモンはことりの物に。

それをしてしまった以上、もう戻れない。
にこの目は少女を案じる優しさと厳しさから、堕ちた者を見つめる悲しげな視線へと色を変えている。


にこ「……逮捕するわ、鳥面」

罪人に私刑を下すのと、ポケモンを奪うのと、どちらがより大悪なのかはわからない。

ただ、南ことりの闇は愛するポケモンを奪われた事に端を発したもの。
その闇が罪のないポケモンに向けられてしまったのならば、それは…

にこはルガルガンを繰り出している。
昼と夜、どちらで進化するかで姿を変えるオオカミポケモンの、夜の姿だ。
種族値はそれなり。しかしにこは種族値よりも何よりも、その個体の根性を優先するトレーナーだ。
赤みがかった眼光に尾を立てて、このルガルガンの根性は折り紙つき。

対し、ことりは奪ったばかりのヌメルゴンを立たせている。
戦闘力は十二分、ドラゴンタイプに傾倒してきたことりはヌメルゴンという種族の性能を既に熟知している。


(・8・)「ヌメルゴン、そのまま待機しててね」

にこ「ルガルガン。あのバカ鳥、ブン殴るわよ…」


夜狼は低く吠え…
飛びかかるべく前傾、脚の筋力が膨れ上がる。

開戦!━━━が。それを遮り、地へと突き刺さる青の刃!


にこ「なっ!」

(・8・)「…!」


それは“みずしゅりけん”!
忍者のカエル、ソノダゲッコウガのエントリーだ!!

そして共に水渦を纏い、滑るように現れたのは海未。
ことりに肩を並べ、奇妙な仮面に何を訪ねることもなく、静かな声で口を開く。


海未「逃げてください…ことり」

(・8・)「……海未ちゃん、何も聞かないの?」

海未「ええ、聞きません。一つ言わせてもらうなら…その仮面、“ダサい”ですよ」

ことり「……ふふっ、海未ちゃんにダサいって言われるの、初めてだね」


仮面を外し、寂しげに笑いかけ…
背を向け、ことりは森へと消える。

見送り、海未とゲッコウガは静かな戦意を張り詰めさせている。
にこたちの追走を阻むという意思は明確。
にこはことりを追わない。園田流の息女、海未を突破するのは容易くないと理解しているのだ。

ただ静かに、海未へと問いかける。


にこ「アンタ、自分がやってることを理解してる?」

海未「幼馴染を守る…それだけです」

にこ「南ことり、“鳥面(バードフェイス)”。教えてあげるわよ、あの子が何をしたか」

海未「聞きたくありません」

にこ「見なさいよ、そこに寝転がってるアライザーたちを…散らばってる薬の残骸を!!」

海未「聞きたくありません!!!」

にこの言葉を遮るように、自分の耳へと入らないようにあげる大声。
海未の叫びはにこの耳に、悲鳴にしか聞こえない。


にこ「……ダダこねてんじゃないわよ」

海未「私は、私は…自分の中の、基準がわからなくなっているのです」


海未の手は、麻痺毒を受けたかのように震えている。
その目は隙なくにこを見据えたまま、苦しげに悲しげに片手で頭を抱える。そして語る。


海未「……私は、幼い頃はとても引っ込み思案で。穂乃果はもちろん、ことりの方が私よりよほど活動的な子でした。
実は私が一番年下なのです。三月生まれでして」

にこ「……」

海未「今でこそ肩を並べた友人関係ですが、幼少期の数ヶ月差というのは地味に大きくて。
私は、少しだけお姉さんな穂乃果とことりの後を追って、追って、二人を指針にして生きてきたのです」

にこ「……」

海未「……私は、わかりません。アライズ団…あの者たちに出会って、負けて…
教えてください、にこ。正道に殉じ、守りたい者を守れずに死ぬのと、邪道に落ちてでも守るべき者を守り抜くのと、どちらが正しいのか…」

にこ「……」

海未「揺らいでいるのです、私の中の基準が。二つの道のどちらが正しいのか、そんなことは考えるまでもないのに…
この上、今、私にとっての大切な基準の一人、ことりがどんな道を歩んでいるかを知れば…知ってしまえば、私は戻れなくなるかもしれない…怖い…!」

にこ「……希から聞いてたわ。アンタが選択だかなんだかを迫られるってもったいぶった言い方で。
んで、結果、アンタは目を瞑って“逃げ”を選んだのね」

海未「穂乃果…ことり…」

にこ「……ま、人生色々あるわよね。にこもアンタより一つ上なだけだから、答えを示してやるだとかはできない。けど、一つ言えるのは…」

海未「教えてください…にこ…!」

にこ「目ぇ覚まさせてやるからしっかり現実見て、自分の頭で考えなさいってことよ!園田!!」


にこはルガルガンを戻し、ボールから別の手持ち、はがね・フェアリータイプのクチートを繰り出した。
にこの手首にキラリと煌めき、そのアクセサリーを海未は知っている。


にこ「絵里や希だけの専売特許?んなわけないでしょ」

海未「…っ」

にこ「メガシンカ!!!」


にこのバングルが輝き、共鳴、クチートの全身が光に包まれる。
小柄で愛らしい体は疑似餌のように、クチートの頭部には巨大な捕食口。
それが二つに増えて頭の両側へ。
黒く二つ、揺れるそれは、まるでにことお揃いのツインテール。そして叫ぶにこ!!


にこ「ブッ倒すわよ!!メガクチート!!!」

海未「っ、私は、負けられない…ゲッコウガ…!!」


晴れぬ混迷の霧中、海未はにこを迎え撃つ。




黒澤ダイヤは目を閉じている。
呼吸は浅く、しかし乱れてはいない。

登山用のベストが肺を圧迫しないよう、前面のチャックを開いてある。
その下に着ているシャツ、元はおそらく手首までを覆う長袖だったろうそれは途中で丁寧に切り取られ、五分袖の丈になっている。

残っている袖の部分には大量の鮮血に濡れ、乾いて黒くなった跡がある。袖を切り取ってあるのは、傷口と布が血で固着してしまわないようにだ。
露出している腕には包帯が幾重か丁寧に巻いてあり、同様に脇腹などにも包帯、治療の痕跡が。

そんなダイヤの首に指を当てて脈拍を測る英玲奈へ、穂乃果は静かに尋ねる。


穂乃果「あなたが治療したの?」

英玲奈「落ちてきたからな」

穂乃果「なんで…」

英玲奈「せっかくのオフだ、目の前で死なれたのでは寝覚めが悪いだろう」


英玲奈はさらりとそう答え、まだ薄く湯気を立てているカップを飲ませようとダイヤの肩を軽く揺する。
…と、丸みのある何かが体当たりでその手を払いのけた。

鉱物や宝石の体に長い耳を生やしたような姿のメレシー。
どうやらダイヤの手持ちポケモンらしく、そばにふわふわと浮かびながら強い警戒心を見せている。
そんなメレシーの様子に英玲奈は軽く笑み、むしろ少し嬉しそうな表情で呟く。


英玲奈「よほど懐いているらしい。一緒にいたボスゴドラはボールに収めたんだが、メレシーはボールに入ってくれなくてな」

穂乃果「ダイヤさん、優しい人だから」

英玲奈「生い立ち上、私は人心の機微というものがわからない。だが、ポケモンに好かれている人間は好きだ」

穂乃果「生い立ち…って、どんな?聴きたいな」

英玲奈「断る」


スパリと、にべもなく拒否。


英玲奈「自分のことを話すのはどうにも苦手だ。ツバサやあんじゅは頼まずとも自分語りをするタイプだが…」

穂乃果(気になるなあ…)

こうして少しの会話を交わし、傷付いたダイヤを治療してくれていて、穂乃果の心に困惑が芽生える。
そのまま、素直に口にする疑問。


穂乃果「英玲奈さんって、悪い人…なんだよね?」

英玲奈「オハラタワーで40人殺した。善悪は君が判断しろ」

穂乃果「やっぱり悪いや…」


人というのは一面で語れるものではない。
そんなことはもちろんわかっているのだが、それがアライズ団となると戸惑いが拭えない。

穂乃果の旅路は常にアライズ団を、悪に負けないように強くなろうと意識しながらの道のりだった。
そんな大悪の象徴である三幹部の一人。けれど今の英玲奈は穏やかな目をしていて、穂乃果はついつい「ううん」と唸ってしまう。

傷口が痛むのだろうか、ダイヤは寝息の中に小さな呻きを交えている。
英玲奈はメレシーを刺激しないようそっと手を伸ばし、額に浮かんだ脂汗をハンカチで拭う。


英玲奈「死んでてもおかしくない傷と出血だった。少し強引に治療をさせてもらったよ」

穂乃果「強引に、って?」


その問いに声を返さず、英玲奈は上を見上げる。
時折、地上から微かな振動が伝わってくる。
直接穂乃果たちの足場が揺れるわけではないのだが、少しずつ落ちてきている砂が俄かに勢いを増す瞬間があるのだ。

それを目に、英玲奈が穂乃果へと問いを返す。


英玲奈「上では、デオキシスが暴れているんだろう?」

穂乃果「うん、なんで知って…もしかして、英玲奈さんが暴れさせてるとか!?」

英玲奈「いや、違う…が、ある意味ではそうだな」


その表情は意味深長。
訝しむ穂乃果へ、英玲奈は言葉を続ける。

英玲奈「デオキシスは本来、とりたてて攻撃的な生物というわけではない。
辿り着いた星の環境への適応を何よりも優先する生物だ。
先にその星に適応している同種がいれば、その行動をトレースすることで馴染もうとする」


と、英玲奈は突然、自らのシャツの前身頃を開いてみせる。
そんなことをすればもちろん、胸や肌が露わになる!
穂乃果は驚きに「うわ!?」と声を上げ、そして“それ”を目にし、もう一度「うわ…」と声を落とす。

英玲奈の肌、胸から腹にかけて…広範囲にオレンジと青緑の肉塊が蠢いている。
元よりの肌、肌色の皮膚との境目は拒絶反応を起こしているのか微かに膿んでいて、内出血に薄紅が滲んでいる。

その様は…酷くグロテスク。

穂乃果は思い出す。
それはオハラタワーで英玲奈と交戦した四天王、松浦果南が目にして伝えた情報の通りで、きっとあの肉塊が高速の自己再生を実現させるのだろう。

そして、今の穂乃果はその血肉と同質のものを見知っている。
オレンジと青緑の体、蠢く触手…

英玲奈「デオキシス細胞。子供の頃に人体実験で埋め込まれたものだ」

穂乃果「人体、実験……」

英玲奈「この細胞のせいか、デオキシスたちは私を同族と見做しているらしい。
つまり、先達…殺し屋である私の行動を環境に適応するための正解だと勘違いしているんだ」


自嘲気味、口元を薄めて笑み。
どこか空虚な声が吐息めいて、微かに漏れる。


英玲奈「私など、スクラップの類なのにな」


英玲奈が語らなかった凄絶な過去。
それを垣間見て、穂乃果はどう言葉を返せばいいのかがわからない。
故郷に、家族に、友人に恵まれて生きてきた穂乃果にはとても想像が及ばない境遇だ。


英玲奈「見ての通りの体だ。誰かと愛し合い子を成すこと、幸せな家庭を築くこと、その全ては、望むべくもない」

穂乃果「……」

英玲奈「まあ、さほどの興味があるわけでもないが…それでも閉ざされてしまった可能性というのは気にはなるものさ」

穂乃果「そんなのって…」

英玲奈「フフ、何故君が落ち込む。共感してくれとは言っていないぞ。
ただ…確認も取らずに、彼女には申し訳ないことをした」


そう言って、英玲奈はダイヤへと視線を戻す。
そこで穂乃果は、英玲奈の言う“強引な治療”の意味に思い至る。

ダイヤの傷口を注視すると…そこには英玲奈と同様、オレンジと青緑。
英玲奈は傷を塞ぐため、デオキシス細胞の一部をダイヤへと植え付けたのだ。
ずくずくと蠢き、欠けた肉を補っていくのがわかる。
英玲奈ほど目立つわけではないが、しかし人外に違いない。


穂乃果「ありがとう、英玲奈さん」

英玲奈「ふむ…?」


それでも。
穂乃果はダイヤに代わり、改めて礼を告げる。
彼女ならきっとそうするだろうと、面識のある穂乃果は思ったのだ。


穂乃果「ルビィちゃんがいるもん。ダイヤさんはどんな形でだって生き延びたいって思うはずだよ」

英玲奈「そういうものか」

穂乃果「うん、私も姉だから。ダイヤさんみたいに妹を溺愛とかじゃないけど仲はいいしね」

英玲奈「そうか、それはよかった」

反応はそっけない。
だがその横顔は、少しだけ嬉しそうに見える。


英玲奈「君も腕を火傷しているな。簡単にだが、手当てをしよう」

穂乃果「え?あ、これ…」


言われて初めて思い出す、それはリザードンの尾火を抱きしめた時の火傷だ。

デオキシスたちと激しく戦ってからまだ30分経ったかそこら、気持ちの根っこに高揚が残っていて、痛覚を麻痺させていた。
けれど冷静に見ればそれなりの火傷。意識してしえば途端に走る熱と痛み。

「待っていろ」と言い残し、英玲奈はボウルで薬草のようなものをすり潰し始める。

ヒリヒリズキズキ、集中が途切れた穂乃果は痛みに強くもなんともない。
「うう…」と涙目、そんな穂乃果の腕へと英玲奈は草木の緑に染まった即席の湿布を巻きつけ、上から丁寧に包帯を巻いてくれる。面倒見がいい。


穂乃果「染みる…」

英玲奈「我慢しろ」

穂乃果「……そういえば、英玲奈さんはなんでここに潜んでるの?見つかりにくい場所だから?」

英玲奈「それもあるが、石を集めていた」

穂乃果「え、石」


斜め上の答えに、穂乃果は首を傾げる。

ひょいと石を拾い上げ、それを穂乃果の目の前へと差し出す。
よく見ればほんのわずかに発光していて、なんとも不思議な見た目をしている。


英玲奈「この石は長い歳月を掛けてゆっくりと蓄電していく性質がある。見たことはないか?」

穂乃果「えっと…あ、これ雷の石!」

英玲奈「その通り。市販品は人工的に電気を注いであるがな」


英玲奈はその石を足元へと落とし、別のものを両手に拾い上げた。
それをまた穂乃果へと見せながら、少し楽しげに口を開く。


英玲奈「この場所は希少な鉱石が多い。例えば右手の石は極めて良質な化石燃料、左手の石はX線に映らない性質がある。他にもこの石は…」


俄然、語り口が熱を帯び始める。
そういえば少し前、英玲奈は“せっかくのオフ”と言っていた。
ここにいるのは潜伏だけでなくきっと趣味も兼ねていて、珍しい鉱石を集めることに喜びを感じるタイプなのだろう。

だが穂乃果は興味がない。そんなに熱く語られても困る!

穂乃果「あ、その、ええと!私、理系は弱くて!あんまりそういうのはわかんないかなぁ~、あはは…」

英玲奈「そうか…ちなみに君が踏んでいるその石、加工すれば7桁の売値が付くぞ」

穂乃果「えええっ!?持って帰る!!」

英玲奈「嘘だがな」


…と、そんな調子で雑談を重ね、穂乃果は生来の人懐っこさで英玲奈と馴染んでいる。
後日、アライズ団としての英玲奈と顔を合わせれば、きっと今日の語らい経たことなど気にせず殺しにかかってくるのだろう。
けれど、それでも、少しだけ敵を理解できた気がして穂乃果は嬉しい。

そしてついに、穂乃果は胸に抱えていた大きな疑問を英玲奈へとぶつける。


穂乃果「綺羅ツバサは、本当に負けたの?」


何故、そんなことを聞いたのかわからない。

絵里の強さを信じていないわけではない。
むしろ録画した試合を実況の一言一句を暗唱できるほどに見返した憧れの存在だ

だが、聞かずにはいられなかった。
本当に負けたのか。

それは綺羅ツバサの黒の魅力、ブラックホールめいた吸引力の為せる業だろうか。

長い沈黙……

やがて、英玲奈が口を開く。

英玲奈「……アジトへの急襲は完全に予想外。そしてツバサは、負けたフリなど絶対にできない、根っからの負けず嫌いだ」

穂乃果「じゃあ…」

英玲奈「ああ、ツバサは絢瀬絵里に敗れた。東條希のサポートと、矢澤にこの執念に捕らわれた。それは本当だ」


すっと、穂乃果の肩から力が抜ける。
ダイイチシティでの間接的な対峙、オハラタワーでの面前。
段階を踏んで向き合ってきた、絶対的な存在だと思い込んでいた綺羅ツバサ。
だがその絶対性は幻想だった。
絵里、希、にこ。穂乃果が尊敬する年上の三人は、間違いなく悪の支柱へと勝利を収めたのだ。

英玲奈の口調に偽りの色はない。
嘘をつくタイプではない。石の価格がどうだとかのジョークは別として。

だとすれば投獄は本当で、きっと脱獄してくるという確信めいた戦慄は単なる錯覚で…!


英玲奈「だが」


英玲奈の言葉には、その先がある。

英玲奈「敗北には種類がある。致命的なものと、そうでないものと。ツバサにとって先日の敗北は…後者だ」

穂乃果「致命的じゃ、ない。牢屋に入れられたのに?」

英玲奈「あいつはあれで用心深い。万が一に備えての仕込みは既に済んでいたのさ」

穂乃果「……仕込み」

英玲奈「負けて逮捕されてしまったのは、複数想定していたプランの一つに過ぎない。
そしてツバサは敗北の中にも、我々にとって最善の爪痕を残してみせた」

穂乃果「脱獄はできないよ。ロクノシティ刑務所の警備はすごく堅いもん」

英玲奈「君はそう思っていない。ツバサなら必ず脱獄してくると、そう理解している目だ」

穂乃果「……」


英玲奈は静かに、空洞の天井を仰ぐ。
震動…徐々に強まり、降る砂はその量を加速度的に増していく。
さらさらと、ざあざあと。

英玲奈は目元を優しげに、もう一度だけ穂乃果へと笑いかける。
そしてそれは高坂穂乃果が目にした、統堂英玲奈の最後の笑顔となる。


英玲奈「何故話すか、それは我々の計画が、今を以って最終段階へと移行するためだ。
もう君にも、誰にも止めることはできない。ツバサ流に言うなら…そう」


英玲奈「パーティーの開演だ」

崩落。
頭上の天蓋が砕け飛び、星空を背負い現れるのはアタックフォルムのデオキシス。
ただしその体に纏ったエネルギー量、効率は先ほどまでの比ではない。

英玲奈が、そしてダイヤが跳ね起きて天井を見上げている。


ダイヤ「こ、この感覚は…!?」

穂乃果「ダイヤさん!」


英玲奈はテッカグヤを繰り出し、片足を掛けて飛ぶ姿勢へ。
狼狽する穂乃果へと目を向け、手短に口を開く。


英玲奈「君は好ましい。一つだけ助言を与えよう。
デオキシスは同族が倒された際、その戦闘経験を共有し蓄積する。故に…この個体は最強」

『キルォルルォレルラロロロルル』

穂乃果「変形してる!?」


宙空のデオキシスは攻性、堅固、俊敏と自在に姿を切り替えていく。
穂乃果が倒したスピードフォルムや、誰かしらが倒したディフェンスフォルム、その前にいたはずの基本形。
その三体の能力が面前の個体にはフィードバックされていて、生み出されるのは恐るべき戦闘力。


英玲奈「デオキシスは計画にとってイレギュラー。だが、足止めに利用させてもらう」

穂乃果「待っ…」

英玲奈「さよならだ、高坂穂乃果」


飛翔。
同族と見て反応を示さないデオキシスの横を通り抜け、止める間もなくそれを見送る穂乃果。


凛「み、つ、け、た!にゃああああっ!!!!」


交錯、飛び去る英玲奈とニアミスで飛び降りてきたのは凛!
オンバーンの背に乗っての急降下、目敏く穂乃果を見つけて声を張り上げる!


凛「穂乃果ちゃん!!こいつ捕まえるから手伝って!!」

穂乃果「うん、わかった!!」


英玲奈の言葉は事態の急転を告げていて、心に燃え上がる焦燥。
だが切り替えの早さが穂乃果の身上。
そう、まずはこのデオキシスを倒さなくては話にならない!


穂乃果「いくよっ!ガチゴラス!!」




転じ、アタックフォルムによる大崩落から1キロほど離れた地点。
森林に絹を裂くような怒りが漏れる。


ことり「どうしてっ…邪魔するの…!!」

希「ごめん、マナー違反なんはわかってるんやけどね」


ことりの周囲には激しい戦闘の跡がある。
それは地を染めた毒液や竜爪の轍、そして応じて放たれたサイコエネルギーの残滓、クレーター。

海未に庇われてにこから逃れたことりはデオキシスシャドーたちが多い方、多い方へと目指して進む。
そして本体のうち一体、ディフェンスフォルムのデオキシスを見つけ出してみせた。

始まる激闘、磨き上げてきた竜牙を振るい、頑強な防御力を誇るデオキシスと互角以上の戦いを繰り広げた。
そしてヌメルゴンの攻撃がデオキシスを揺らがせ、ついに訪れた捕獲の好機。
ことりは目を見開き、鬼気迫ってボールを投げる!

何も聞かずに逃がしてくれた海未ちゃんのためにも、絶対に絶対に捕まえてみせる、力を手に入れてみせる…!

その横から。

希「フーディン、サイコキネシス」


放たれた念力がボールを弾き飛ばし、そしてデオキシスを叩き潰して完全に打倒した。
デオキシスはごく小さな休眠態へと姿を変え、ことりの目はもうそれを探し出すことはできない、

希のフーディンが割って入ったのだ。
ことりが必死に、道義をかなぐり捨てて、心血を削って手にしかけた大きな力を、横から差し出がましく潰して取り上げたのだ!!


ことり「どうして!!!」

希「にこっちから聞いてるよ。今のことりちゃんにデオキシスなんて大層な力、与えられるわけないやろ?」

ことり「ああ…あぁぁっ…!海未ちゃん…穂乃果ちゃん…っ、ことりは…!」

希「頭に血が上ってるとか、そういうレベルやないね。悪いけど…」

ことり「潰さなきゃ…!!」

希「捕まえさせてもらうわ」




にこ「アンタが園田流ならこっちはラブにこ流よ。超一流の捕縛術ってモンを見せてやるわ」


そう言って取り出したのは十手…ではなく、短尺のスタンバトン。
ボタンを押すとシュコと音を立てて伸び、柄を握ると高圧の電撃が夜の森に光る。

そして果敢なる接近。
姿勢を低めて歩みを止めず、海未が達人級の体術使いだと知りながら一挙の踏み込み!

スタンバトンが真横一文字に振るわれ、海未は手首を叩いてそれを回避。
だがにこは食らいつく!
勢いを緩めず体当たりを敢行し、海未の腹部めがけて勢い満点のヤクザキック!!


にこ「だらぁっ!!」

海未(っ、やり辛い…)


身を捻って躱し、数歩後退。
海未はにこへの攻撃を躊躇している。
それも当然。間違っているのはことりで、自分で、にこはただ真っ当に警察の職務を遂行しようとしているだけなのだから。

そんな迷いはポケモンたちへも影響を及ぼす。
場にいるのはソノダゲッコウガとファイアロー、対してにこのメガクチート。

海未の二体はどちらもトップクラスの俊敏。メガクチートを倒すべく飛び、跳ね回っているのだが、それを捩じ伏せるは恐るべきメガシンカの攻撃力!!

メガクチートの双口はツインテールにも似て自在に揺れ動き、木々に岩にと目に付くものを手当たり次第に噛み砕いていく。


海未(迂闊に近寄れば落とされる…しかし、接近回数が増えるほどにリスクも増えます。ここは一撃での痛打を狙うべき局面)


交錯する体術戦の合間を縫い、にこと海未はそれぞれのポケモンへと指示を下す。


海未「…ファイアロー、“フレアドライブ”でメガクチートの弱点を突きましょう!」

『ファルルッ!!』

にこ「させるかってのよ。“ふいうち”で落としなさい!」

『クチィッ!!』


火炎を纏った高威力での突撃、その準備の一瞬をにことメガクチートは見逃さず。
瞬きの間にファイアローへと接近し、そして閉じられる鉄顎!
その速度と多芸がウリのファイアローだが、それを受けてはひとたまりもない!


海未「しまった…!戻ってください、ファイアロー」

にこ「よそ見してんじゃないわよ!」


再び迫る電磁ロッド、海未はそれを落ちていた頑強な木枝で辛うじて受ける。
パン!とスパークする火花、中の水分が熱されて弾ける生木。

小柄ながら、にこの体技は実戦の中に磨き上げられている。
考えてみれば当たり前、あのアライズ団の三人とも渡り合ってきているのだから、その実力の高さは考えるまでもない。


海未(綺羅ツバサほどの神速ではない、統堂英玲奈ほど殺意に徹しているわけでもない。
ですが隙が極端に少ない。“やられない”ことに特化している。こちらから仕掛けなくては打破は、しかし…)

攻めあぐむ、あるいは戦闘自体をためらっているような海未を目に、にこはフンと小さく鼻を鳴らす。
タンタンと歩を後ろへ距離を置き、ボールを叩きつけて現れたのは毒ガスポケモン。


にこ「……マタドガス」

『マ~タドガ~ス』

海未「っ、煙が…」


海未は逡巡している。
海未はことりを庇いたいだけで、にこを倒したいわけではない。攻撃するのは憚られるのだ。
そんな隙と迷いを見て、にこはマタドガスを新たに展開させた。
広がり、視界を遮るガス。その中へとにこは姿を晦ましている。


海未「ゲッコウガ、連携が取れなくなれば危険です。こちらへ」

『ゲロロ…』


ソノダゲッコウガを間近へと呼び寄せる。
こうして視界を遮った以上、にこが何かを仕掛けてくるのは間違いない。

意識を研ぎ澄まし、待ち………


にこ「ルガルガン!!」

『ガルァッッ!!!』


飛び出したルガルガンは鋭利な牙を剥き、しかし海未とゲッコウガはそれに反応!
視覚を遮られていても海未たちとの間には感覚リンクがある。
聴覚、嗅覚に直感が相まって向上、狩りだとばかり襲いかかるルガルガンへと応戦を。


海未「“ハイドロポンプ”!!」

『ゲッコッッッ!!!』


園田流のポケモン育成術は道の極み。
本来であればまだ覚えられないレベルの技、水タイプの奥義“ハイドロポンプ”をゲッコウガに体得させている。
海未とゲッコウガは、それを最も感覚的に扱えるようにアレンジを。


海未(ハイドロポンプとは膨大な水量を解き放ち、水圧とエネルギーで圧倒せしめる大技。ですが…私たちはそれを敢えて圧縮する!)

コンクリート壁をも穿ってみせる量の水塊、それを手元に集めて縮めて固めて伸ばし、薄く鋭く、生じるは青の鋭刃、忍者刀。
それは謂わば“園田流ハイドロポンプ”。
ゲッコウガの忍びの体技と、海未が侍の如く会得している剣技の合わせ技!


海未(これならば回避されやすいというハイドロポンプの欠点をも克服できる。今です!)

『ゲロロロッッ!!』


刹那の交撃!ルガルガンが突き出した爪牙を潜り、ソノダゲッコウガは閃剣!!
逆手に握りしめた水刃を流れるように叩き込み、「よし…」と呟いたのは海未。

しかしルガルガンは凶眼を剥く。屈さずの意思は主人のにこを体現するように。
ダメージを負いながらもその前脚を地へと置き、そして突き上げるは石の刃!


にこ「ラブにこぉぉぉ…“ストーンエッジ”っっ!!」

海未「ッ、何故…」

ルガルガンが耐えたのはにことの絆、そして根性。
丁寧にポケリフレを施されたポケモンがあと一歩のふんばりを見せるように、絆と心意気は臨死の際に耐久を生む。

タイプ一致のストーンエッジ、当たれば一撃必殺もあり得る!
…が、ゲッコウガは間一髪の回避!


海未「あ、危ない…!よく避けてくれました、ゲッコウガ」

『ゲロロッ…』

海未「……?ゲッコウガ、どうかしましたか…あっ!?」


散る水気、LANケーブルを引き抜かれたようなイメージ。
海未とソノダゲッコウガの間に共有されていた感覚、そのリンクが強制的に切断される。

背負っていた水の十字手裏剣は霧消し、その姿は通常のゲッコウガへと戻っている。
特性と心の繋がりが生み出す擬似的な進化、“きずなへんげ”が解除されてしまっている!

ルガルガンは煙の中へと姿を消している。気を乱せばにこはゲッコウガの変調を見逃してくれないだろう。

危険だ。繕わなくては。

だが…海未は動揺せずにはいられない。


海未(なぜ、変化が解けて。…ストーンエッジ、掠っていたのですか?それともルガルガンの特殊な能力?)

『ゲッコ…』

海未(いいえ、違う…私の心を映しているのですね。明鏡止水に遠い、乱れた心で貴方の実力を引き出してあげることは…)


理解し、海未は静かにうなだれる。
自分の…否、自分とことりの迷走を、はっきり形として突き付けられた形だ。
それでも、今は退くわけには…


海未「……すみません、ゲッコウガ。一度戻っていてください」


相棒をボールへと戻し、海未は新たな一体を繰り出していく。

それは旅路での登山中、立ち寄った洞穴で仲間にした一匹。
舞う白雪…その姿は和装にも似て、まるで雪女。
こおり・ゴーストタイプ、ゆきぐにポケモンのユキメノコ!


海未「まずはこの煙を吹き飛ばすことが先決…ユキメノコ、“ふぶき”です!」

『ひゅるるる…!!』


白袖から放たれる風花。それは徐々に勢いを増し、たちまちのうちに一帯は旅人を凍えさせる雪山めいて白に包まれる!
木陰、海未の出方を窺っていたにこはコートの裾を握りしめ、不機嫌に眉を顰めて鼻をすする。


にこ(吹雪の威力が強い。良個体ってわけね。ったく、寒いったら…)

にこ「ルガルガン!“かみくだく”!!」

海未「ユキメノコ、“こおりのつぶて”」


吠え猛り急襲!
だが反応、ユキメノコがすかさず放った氷弾が強かに岩狼を打って一体を撃破!


にこ「行きなさいっ、メガクチート」

海未「させません…エルレイド!!」


互いの判断は即座、にこが好機と差し向けたメガクチートを迎え撃つのはエルレイド!

しかしそれは表面上。二人の視線はぶつかり合う二匹ではなく、別の一体で交錯している。


にこ(残念、メガクチートはブラフよ)

海未(そう、メガクチートは視線誘導。にこは主導権を握りたがっていて、目的は私の新手を一体引き出すこと。つまり…)

にこ「マタドガス!“だいばくはつ”ッッ!!」

海未「それより迅く!“サイコカッター”!!」

マタドガスの全身がカッと光り、しかしそこに先んじて海未のエルレイドは肘の刃を交閃!!
精神エネルギーを実体化させた刃は輝き、リーチを大幅に伸ばした二撃がマタドガスを捉えている。急所を斬り抜けている!


『ま、た……がすっ。』

にこ「お疲れ、無理させちゃったわね…」

海未「素晴らしい一撃でした、エルレイド!」

『エルルッ!!』

にこ「メガクチート、“じゃれつく”」


恐るべき瞬息、にこはすかさず次の指示を下している。
アライズ団を追う中、間接的に海未たちの旅路を見てきたにこは海未の実力を的確に把握している。
メガクチートの襲撃を囮にマタドガスの大爆発で一体を落とす。
そこまでを読んでくると見極めていて、結論としてはマタドガスが真のブラフ。
エルレイドがサイコカッターを決めた段階でメガクチートは攻撃準備へと移行していて、にこの指示と同時に飛びかかる。

強靭な黒鉄の顎はメガシンカで二つに増えていて、海未が繰り出しているのはエルレイドとユキメノコの二匹。

対咬!!

海未「しまっ…!」

にこ「アンタもね」

海未「ッ!?がっ…は!!」


弾ける火花、横腹に走る閃熱と電痛。
白光が瞼に明滅し、鼻血が出るときのようなツンとした感覚が体幹を駆け上がる。

メガクチートの襲撃に海未が気を取られた一瞬、にこは素早く駆け寄ってスタンバトンを叩き込んだのだ。
まともに立っていられず前屈みによろめく海未。二、三歩ふらついて膝を屈し、その手首へとにこは手錠を落とす。

金具が掛かり、鉄輪がくるりと一回転してしまえば海未はボールに触れなくなり、それで敗北…が、否!


『ポロロロゥッ!!!』

にこ「んなっ、自分から飛び出してきた!?」

海未「ジュナイパー!?」


幽玄の射手、ことりとの交換で手にした草フクロウは大羽を広げてにこを遮る。
その登場ににこはもちろんのこと、海未までもが驚きの声を上げている。意図外だ。

正確には自分で飛び出したわけではない。
海未がよろめいたタイミング、白飛びしそうな意識の中でバランスを取ろうとして、無意識に腰のボールへと触れていた。
開閉スイッチがその時に押されていて、ジュナイパーはスタンバイ状態となっていた。
しかしボールが投じられないままにボール内で待機、海未の危機にたまらず飛び出したのだ!

翼で包んで短距離を飛び、下ろした海未を庇う姿勢で睨みを利かせる。


海未「ありがとうございます…助かりました、ジュナイパー」

『ホロロウ…』

海未「……貴女も、ことりを守りたいのですね」

かつての主人への忠義は未だ薄れず。
いや、忠義などという重々しい言葉より、可愛がってくれた大好きな人を助けたい。そんなシンプルな言い回しがジュナイパーの心情に近いだろう。

ことりとモクローが一緒にいたのはほんの短い間。
それでも、こんなにも、ことりは今も好かれていて、迷いと電撃の痛みに揺らいだ海未の体にもう一度芯を通し直してくれる。


海未「まだ…通すわけにはいきません。にこ」

にこ「フン…」


そんな義理と人情、浪花節がにこは嫌いではない。
けれどそんな気持ちはおくびにも出さず、新たにフライゴンを出してその背に立つ。

海未はファイアロー、エルレイド、ユキメノコが倒れて残り二体。
にこはルガルガン、マタドガスが倒れて残りは四体。

数的優位、メンタル面の優位は共ににこにあり。
しかし、にこはどんな状況であれ相手を侮らない。
それは常に生死を賭けた戦いに身を置く刑事としての心構えであり、自らが天才の類ではないと知っているからでもある。

心から愛するママはツバサに対し、子供と隙を見せた瞬間に刺されて脊椎を損傷、半身不随へと追い込まれた。
同じ轍は踏まない。決して油断せず、それでいて常に笑みを絶やさずに。
そんな信念が刑事スマイル、にこの瞳には宿されていて、海未は改めて気持ちに筋を張る。


海未(来るっ…!)

にこ「フライゴン!“ドラゴンクロー”!」

“ドラゴンクロー”、“じしん”、“ストーンエッジ”。
にこのフライゴンは物理型、鋭く舞っては木々に爪痕を残す。

同時にメガクチートも相変わらずの猛威を見せる。
特性は“ちからもち”、物理技の威力を埒外に高める強力な個性だ。

現状は完全な不利。
海未とジュナイパーは戦術を防戦へと移行していて、逃げながら好機を狙うつもりでいる。


にこ「ちょこまかと隠れて…」

海未(幸いにしてフィールドは夜の山、森林。闇影を利用する狙撃手のジュナイパーには有利に働く場です。しかし…)

にこ「言っとくけど、意味ないわよ。メガクチート!!」

『クチィッ♪』


そのタイプははがね・フェアリー。
メガクチートは外見だけを見れば小柄、妖精の類にも見えて愛らしい。
見ようによっては、にことも少し似ているかもしれない。
だが先述の特性にも現れている通り、その性格はなかなかに攻撃的!そして性能は輪を掛けて攻撃的!

ちんまりとした外見にはまるで見合わず、巨大な口が視界内のありとあらゆる物体を微塵に噛み砕いていく!!
それはもはやポケモンというより建機の類、海未とジュナイパーは隠れていた樹上から燻り出されて逃げ駆ける。


にこ「“ドラゴンクロー”!!!」

海未「……っ!」


空から降るフライゴン!
にこの指示に従い、猛烈な速度でジュナイパーへと鋭く迫る。

…が、ここに来て海未はわずかな落ち着きを取り戻している。
ことりを守りたいと願う同志、ジュナイパーの存在が心の支えになっている。
上からのフライゴンは読んでいた!

並走していた海未とジュナイパーはハンドサイン、息を合わせて互いの足裏を蹴る。勢いで真横へ急回避、フライゴンの一撃をやり過ごす!


海未「今です!ジュナイパー!」

『…………ホロロウ!!!』

回避、すれ違い様、ジュナイパーは瞬時に翼を翻している!
翼を大剣に見立て、草タイプのエネルギーを漲らせての大斬撃。
“リーフブレード”の一撃がフライゴンの横腹へとめがけて閃いた。

だが!!


にこ「“トーチカ”よ、ドヒドイデ」

海未「そんなっ、ジュナイパー!?」

『ッ…ロゥ…!』


残るポケモン数の差はやはり大きい。
にこがカウンターの可能性を踏まえてフライゴンを突っ込ませたのは、それをフォローできる防御用のポケモンが控えているから。

どく・みずタイプ、堅牢な要塞じみた防御力を誇るドヒドイデが矢澤にこの六体目。
小柄な本体を上から伸びた十二本の足で覆っていて、それを完全に閉じてしまえば決して突破されることのない防御体制が完成する。

それがにこの指示した“トーチカ”。
そして攻撃をやり過ごすだけでなく、外側の毒針に触れてしまったジュナイパーへと毒を与えている。


海未(これでは、勝ち目が…)

にこ「……」


にこは静観している。

まるで自身が毒を受けたかのように、海未はひどく苦しげだ。
ソノダゲッコウガの時とは異なり、海未とジュナイパーは感覚共有をしているわけではない。
では海未の苦悶は何か?
それは迷いと苦悩。自分の道を曲げてまで守ろうとした幼馴染を守ることもできず、ここで敗れようとしている。
そもそも自分の選択は正しかったのか、自分は、自分たちはどこで選択を間違えたのか…

ついに海未は、力なく膝を折る。


にこ「……ったく」


そのままなら何の問題もなくにこの勝ちだった。
だが矢澤にこはお節介だ。女ながらに兄貴とでも呼ぶべき性分を持っている。
奇しくもアライズ団と接点を持ち、その旅立ちからがにこの知るところとなったオトノキタウンのトレーナーたち。
そんな少女を、園田海未を放っておくことができず、余計な一言をかけてしまう。


にこ「しゃがみこんでんじゃないわよ、園田。アンタみたいなタイプが自分を貫くための方法は一つでしょうが」

海未「……自分を、貫くための…?」

にこ「迷うな、道理に足を取られるな。世の中のルールを教えてあげる。“勝ったもん勝ち”よ」

海未「……それでは、アライズ団と何も変わりません」

にこ「前提がズレてる。あんた、自分があの連中と同じような悪どい選択をすると思う?」

海未「……思いません。ですが、小さな間違いをしてしまい、誰かを傷つけるかもしれません」

にこ「うっさい!!!」

海未「な……」


頭ごなしに怒鳴りつけられ、海未は目を白黒とさせてしまう。

……にこの声が静かな森林に反響して、気付けばいつの間にかデオキシスシャドーの気配はない。

にことの戦いの途中、大きな崩落音が聞こえた気がする。
誰かがデオキシスの本体を捕まえたのか、あるいは本格的な戦闘へと移行して分身体を保てなくなったのか。
どちらにせよ森は平常へと姿を取り戻しつつあって、虫や鳥ポケモンの鳴き声、獣型ポケモンたちの足音、何か大きなポケモンの影が木々の奥に垣間見えている。

黙ったままの海未へ、にこは言葉を続ける。

にこ「正解か間違いか?んなことは後から考えりゃいいのよ。軌道修正はいくらでもできる。なのにアンタは戦う前から悩んでる」

海未「……」

にこ「もう決めたなら、そこから迷ったって仕方ないでしょ。勝って勝って勝ち続けて自分の意思を貫けばいいのよ」

海未「……」


フッと、にこは小さく息を吐き、口元に微かな笑みを浮かべる。
それは刑事としてではなく、例えるならば部活の後輩と接する時のような。


にこ「真面目すぎ、アンタは。道理なんてもんはね…ひたすら強けりゃブチ破れんのよ」

海未(私は…勝つしかない。心技体、まだ全てが未熟で…)

にこ「ゴチャゴチャ言ったけど、要するに…」

海未(どんな選択をしたとして、自分が自分を信じてやらなくては何も生まれない。何も得られない!何も守れない!)

にこ「勝ってから悩め!!」


海未は立ち、ボールを開く。


海未「ゲッコウガ」

水渦、俊迅。

ゲッコウガは疑わない。
最初に相棒として選んでくれた瞬間から、この少女を信じて守り、その意思と道を切り拓くのだと決めている。
そんな忍びも海未の迷いに貫くべき意思の方向を見失い、“きずなへんげ”は解けてしまった。

だが、今の海未は静かに前だけを見据えている。
ことりを庇って、にこを退けて、真実はことりが大悪だったとして、それなら自分がことりを止めればいい。

選択は一度で終わらない。
選択は次の選択を呼び、それが無数に連なっていくのが人生だ。
一つ一つに立ち止まる、そんな時間はない!


海未(今思えば、私と穂乃果の違いはそこだったのかもしれませんね。ですが…)


穂乃果が陽なら海未は月。光を受ければ輝くが、その本領は寂光にあり。
月光牙、青の忍びはその意思を為すための刃として添う。


海未「もう迷いません」

『ゲロロッ!!』


ソノダゲッコウガ、再臨!!

三、四、五発。
重ねてさらに十、二十!

海未を叱咤するために生じていたにこの隙、そこを海未は迷わずに突き、ばらまいたのは大量の“みずしゅりけん”。
その一発一発に強力無比な水のエネルギーが漲っていて、にこは舌打ちをして海未へと文句の声を上げる。


にこ「ちょっと!!卑怯じゃない!!」

海未「問答無用、勝てば良いのです!」

にこ「ちっ、セコくなれとは言ってないってのよ…」


悪態を吐きつつ、しかしにこの表情は少し楽しげ。
ようやく張り合いが出たとばかり、フライゴンの背を叩いて加速させる。

木々の隙間を縫っていく緑竜、それを追尾、放たれた猟犬のような複数の水手裏剣!
数発をスカして森の奥へとやり過ごし、それでも全ては回避しきれない!
ドヒドイデやメガクチートの挙動も大量の水弾とジュナイパーの射線に牽制されていて、にこはフライゴンから飛び降りる。


にこ「ごめんフライゴン、捨て石よろしく」

『フラッ!!』

にこ「ラブにこぉぉっ…“ストーンエッジ”!!」

海未「ゲッコウガ!左へ!」

『ゲッコッ!!』

殺到し、水手裏剣が着弾!
それと同時、フライゴンが散り際に地を叩いて隆起するストーンエッジ!

ゲッコウガは海未の指示通りにそれを躱す。
だが、傍らの海未が岩刃の端にカバンを掠められている。
鋭い切っ先に貫かれ、薬やボール、トレーナー用品の数々がぶちまけられる。


海未「っ、しまった…」

にこ(海未が今のを避けきれない…?疲労が溜まってるなら押しどころ!)


森の奥へと消えた水弾が何かに当たり弾ける音。
雨のように水が降り注ぐ中、にこと海未はすかさず互いのポケモンへと次の指示を下している。

メガクチートの二つの大顎が左右、狂気じみた勢いで牙を閉じる。
その瞬刻、ソノダゲッコウガは前へ出る!


『コウガッ!!』

にこ(間を抜けた!?)

海未(メガクチート相手の唯一の活路、 それは双顎の中央)

『クッちぃぃと!?』

海未(メガシンカとは一時的な変形、新たな体形に感覚が追いついていないことがままあるもの。
とはいえ、か細い理ですが…見事です、ゲッコウガ。そして!)

ソノダゲッコウガ、ジュナイパーは同時にドヒドイデへと迫る。
“あくのはどう”、“かげぬい”と下される指示、そして双撃!!


『ドヒデェェ!!?』

にこ「ッ、やられた…!ごめんドヒドイデ!」


これで残りは同数の二体、恐るべきは絆変化、ソノダゲッコウガのポテンシャル。
数的優位は失われ、しかしにこに焦りはない。
ゲッコウガはまだ元気だが、ジュナイパーは毒を負っている。
にこの側にはメガクチートと、さらにはゴロンダが控えている。
この二体は謂わば、矢澤にこのダブルエースだ。

焦らずに攻めればいずれジュナイパーは毒で倒れ、ゲッコウガに対してはメガクチートとゴロンダのどちらもが属性優位を取れる。


にこ「ってことで、じわじわやりゃいいわね…ん?何よ、変な顔して」

海未「…やるしかないようですね、アレを」

にこ「はぁ…?」


海未は少し俯き…ぐっと、決意を秘めた表情で顔を上げる。
ジュナイパーへと一声をかけ、両手を顔の前でクロスさせる。瞬間、手首にきらめき。
それはメガリングのようなバングル型で、しかしメガリングとはまた別の。

その輝きを目に、にこの顔色がさっと青ざめる!


にこ「やっば!!」

海未「いきますっ!」

そして海未はなにやらポーズを取り始める。
顔色に羞恥をたっぷりと滲ませ、なにやらコミカルにおばけを模したようなポージング。
締めにバァッと両腕を広げ、刹那!ジュナイパーへと輝光の力が満ち満ちる!


にこ「Z技っ…!」

海未「は、はずかしい…!しかしっ!“シャドーアローズストライク”ですっ!!」


両翼を拡げ、飛翔するジュナイパー!
大量の矢羽がその周囲に浮遊し、海未のZリングから与えられたエネルギーにより完璧に制動されている。
狙撃手の瞳はメガクチートを捉え…そして突貫!
自身もまた一本の矢と化し、その背後を追従する大量の矢羽。
螺旋を描き、高密度のエネルギーを纏ったジュナイパーがメガクチートへと痛烈な突撃を決める。
直後!大量の矢羽がメガクチートの頭上から降り注ぐ!!


海未「これが私とジュナイパー、共にことりを想う者の力です!つまりは愛!ことりへの惜しみなきラブ!」

にこ「な、何言ってんのよアンタ…いやそれより!耐えなさい!メガクチートっ!」

海未「ラブアロー……!シュートぉっ!!!」

バァン!と炸裂!!
着弾したことで矢羽に込められたエネルギーが弾けたのだ!

Z技、あるいは全力技とも。
それはアローラ地方を中心に用いられている技術。
ポケモンが使える技を強化して放つことができるが、トレーナーの消耗が大きいため一度の戦闘につき一度きりの大技だ。
メガシンカに頼らない道を選んだ海未が旅路の中に見つけ出した、ポケモンとトレーナーのもう一つの絆の形!

メガシンカで凄絶な力を手にしたメガクチートだが、体の小柄さは変わっていない。
タイプには恵まれているが、しかし体力の低さは通常時と変わらず弱点と言える。

大技によろめき…しかし倒れず!!
にこの“耐えなさい”というシンプルな指示を受け、踏ん張ってみせたのだ!

が、そこへ滑り込む蒼影。


海未「ゲッコウガ!“ハイドロポンプ”!!」

にこ「メガクチート!“じゃれつく”よ!!」


水刃、黒顎が交差、痛撃!!
ゲッコウガはあと一撃を押し込んでみせ、メガクチートは優位相性からの痛烈な一撃を叩き込んでみせた。
ぐらりと傾いで倒れる二体、ダブルノックアウトだ!


海未「……う、ぐ…!」

にこ(…ダメージが海未にフィードバックされてる。それがあのゲッコウガの妙な変身の副作用ってわけね)

海未「……っ、まだ…。お疲れ様でした、ゲッコウガ」

にこ「……早死にするわよ、アンタ」

海未「ご心配、なく…!」

にこ「ま、そこまで無理したいなら…勝ちなさい」


そう告げ、にこは最後の一匹をボールから繰り出した。
スピードこそ足りなかったが、あのツバサのガブリアスと殴り合えるだけの戦闘力を有するゴロンダだ。

そのタイプはかくとう・あくの複合。
海未の残り一体、ジュナイパーのゴーストタイプに悪が刺さっている。
そしてジュナイパーの体力はドヒドイデからの毒に大きく削られていて、客観的に見れば戦況は詰み…

海未は向きを変え、少し前にカバンの中身が散乱した方向へと駆け出す。

にこ「道具の回収?回復薬を使う隙なんて与えないけど」

海未「薬…いえ。私が拾ったのはこのボール」


そう告げ、海未はにこへと一個のハイパーボールを見せる。
そのボールは使用済み、つまり中にポケモンが入っている!


にこ「はあ!?アンタ、手持ちは五体しか…!」

海未「ですので、捕まえました」

にこ「いやいや、いつ…」


ふと、にこの脳裏に一つの場面が蘇る。
気まぐれに海未へと助言し、ソノダゲッコウガが再臨したその後。
フライゴンの後を大量の“みずしゅりけん”が追い、躱した数発は森の奥へ。
その時、海未がフライゴンからの攻撃を避けきれずに道具をぶちまけたのだ。
避けきれずに?本当に?


にこ「アンタ、わざと…!」

海未「お誂え向きに、ポケモンの影が見えていましたので」


思い出す…!
フライゴンが躱した“みずしゅりけん”が何かに当たって爆ぜていた!
その何かがポケモンだったとしたら!
ぶちまけた道具を目眩しに、海未がボールを投じていたとしたら!

海未が持っているボールはその時のポケモンなのだ!
そしてその中身は!


海未「手負いの所、いきなり戦闘で申し訳ありませんが…お願いします、バンギラス!」

『ゴアアアアアッッ!!!!!!』

にこ「反則でしょおおおおお!!!!?」

策の要は強肩とコントロール、海未はその二つを十分に満たしている。
思い返せば旅の序盤、ダイイチシティで英玲奈にやった一手とほぼ同じ。
あの時はまだ敗北を知る前で、自分たちの力と可能性を無邪気に信じきれていた。


海未(つまりは原点回帰。もう一度、私自身を信じてあげるための)

にこ「ちぃぃっ…!何よ野生のバンギラスって!落ち着け、落ち着きなさい矢澤にこ…タイプは有利!」

海未「バンギラス、“じしん”ですっ!!」


その姿を形容するならは恐獣、バンギラスは豪腕で地表を叩こうとする。
迷うこともある海未だが、そのトレーナーとしての実力は既に揺るぎない。捕まえたばかり、気性の激しいバンギラスも素直に海未の指示へと従っている。

だが、惜しむらくは手負いなこと。
ゲッコウガの“みずしゅりけん”を受けて弱った状態で捕獲され、そこから即座の実戦投入。
にこの鍛え上げられたゴロンダは素早く懐へと入り込み、凶暴な顔相に臆すことなく拳を縦に振り上げた!!


にこ「ゴロンダぁ!“スカイアッパー”!!」

『ゴロァッッ!!!』


見事なまでに完璧な一撃!
バンギラスの巨重な体がふわりと小さく浮き、そのままズズンと仰向けに倒れ込んでKO!

これで再び一対一…が、その隙に幻影。

幽と、ジュナイパーが懐へと滑り込んでいる!

海未「受けた毒に体はボロボロ。本当に…頑張ってくれましたね」

『ホロロロ…』

にこ「まだ…っ、ゴロンダ!!」

海未「満身創痍…が故に、使える力もある。そうですよね、穂乃果」

『ロロロゥ…!!』

海未「“しんりょく”」


烈気、渦を巻く緑。
穂乃果のリザードンが海未たちに見せた“もうか”のように、それは極限に目覚める真の力。
ジュナイパーの片翼へと森林の生命力が宿り、濃く深緑、生じた力は草タイプの深淵。


━━━斬閃。


海未「“リーフブレード”」

『ポロロゥ…!』

『ゴ、ロ……っ』


ドサリと、前のめりに昏倒。


にこ「………お疲れ、ゴロンダ」


にこはボールへとゴロンダを収め、一つの決闘に終止符が打たれる。海未の勝利という形で!


海未「……勝った…!」


海未もまた静かに…強者からの勝利に、両手を強く握り締める。
そして礼儀正しく海未らしく、にこへ深々と頭を下げた。


海未「ありがとうございました!」

にこ「フン…負けるつもりはなかったんだけど」


にこは不機嫌にそう呟き、やれやれとばかりに肩を上下させる。


にこ「もうグダグダ迷わないでよね。面倒だから」

海未「ええ、もう二度と!」


力強く首を縦に。
清々しい瞳で頷いてみせ、そして海未は決意のままににこへと問いかける。


海未「教えてください、にこ。ことりが…何をしたのかを」

にこ「……行ったか」


海未の背を見送り、にこはぽつりと呟く。

悪人たちへの私刑、ポケモンの強奪、ことりが“鳥面”としてやってしまったことの全てを包み隠さず伝えた。

刑事としての立場から、私見を入れずにありのままを伝えた。
それはことりがどれほど追い詰められて乱心してしまっているのかをありありと教える内容で、海未にとっては聞くだけで胸を締め付けられる、耳を塞ぎたくなる内容だっただろう。

しかし海未はさっきのように大声を上げてにこの言葉を遮ることなく聞き、真っ直ぐな瞳で全てを受け入れた。


海未「私が止めます。大切な幼馴染ですので」


その目には揺るぎなき決意。

もちろん、森の中を手負いのジュナイパー一匹で行かせるわけにはいかない。
海未が持っていた薬類はリュックが破けた拍子、草葉や茂みへと散乱してしまっている。
なのでにこが持っていた少しの薬を使い、ゲッコウガやファイアローを治療してから向かわせた。

それで薬は品切れで、夜陰の森ににこはポケモンもなく一人。
しかしにこは心配する海未の背中をパシンと叩き、「さっさと行きなさい!」と叱咤した。

そして今へと至り、にこは肩でやれやれと息一つ。
周りの森からは野生ポケモンたちの鳴き声も聞こえていて、いくら腕利きの刑事だろうと単身、生身では危険極まりない。

…シュルル、と擦れるような声。
『シャア!』と鳴きつつ飛び出したのはアーボック!
無防備なにこを獲物と見ている。
大蛇の眼光で射竦め、締め上げて丸呑みにするつもりでいるのだ!

それに気付き、しかしにこの表情はあくまで余裕。

真姫「ジャローダ、“へびにらみ”」

『……ジャロッ!!』

『シャ……ァボ!?』


這い、躙る音。
くさタイプの大蛇、気品に溢れたジャローダを伴い、木陰から現れたのは真姫だ。
ジャローダの瞳は気位の高さに溢れていて、博士に育てられたのだから当然ながらに実力も破格。
その“へびにらみ”は見据えるだけで敵の全身を畏怖で硬直させてみせ、タイプ相性では不利関係にある毒蛇アーボックをまるで苦にしない。

その気になればリーフストームを乱発することもできる高火力ポケモンだが、野生を相手にそれをするまでもなし。
技すら使わず尾で軽く払いのけ、あくまで泰然と見下す。
その姿はまさに、“ロイヤルポケモン”と称されるだけの実力を示している。

ともあれ窮地は去った。いや、窮地でさえなかったが。
隣へと歩み寄った真姫へ、にこはじとりと半目を向ける。


にこ「……覗き見は趣味悪いわよ」

真姫「お疲れ様、にこちゃん」


髪をいじり、労いながら軽く笑む。
その仕草は年下のくせに妙に泰然としていて、にこは「フン」と小さく鼻を鳴らした。

ハチノタウンへと入り込んだアライザーや分身体の処理を終え、森へと移動してきたところ。
にこが送っていたGPS情報でこの場へと辿り着き、にこと海未が戦っていることに驚きつつ様子を見守っていたというわけだ。


にこ「アンタ、来てたなら出てきなさいよ。加勢してくれれば負けやしなかったのに」

真姫「よく言うわよ。私に気付いた時、思いっきり“手出しするな”って目を向けてきたくせに」

真姫の指摘が図星だったのだろうか、にこはムッと鼻白む。
プイとそっぽを向き、小さく鼻を鳴らした。


にこ「……気のせいでしょ」

真姫「……にこちゃん、ありがとう。海未の迷いを晴らしてくれて」

にこ「まあ、ね」


ぽふり。真姫の頭ににこの手が乗せられる。
そのままワシャワシャと赤髪を撫で擦られ、真姫は思わず困惑に声を漏らす。


真姫「ヴェェ…っ?な、なにするのよ…」

にこ「真姫ちゃん、あいつら三人のために裏で色々頑張ってるでしょ。
ガッツリ恩着せてやりゃいいのに、そういうのを全部隠して…ったく、変なとこでカッコつけるんだから」

真姫「べ、別に。だからって、なんでにこちゃんに頭を撫でられなくちゃいけないの…」

にこ「頑張ってる奴は、誰かが褒めてやらなくちゃね」

真姫「………。ありがとう」

小声でのお礼は聞こえたのか、聞こえていなかったのか…にこはそっけなく真姫の頭から手を離し、海未が去った方向へと目を向けている。
真姫もまた、お礼への返事を求めてはいない。それぐらいの距離感が心地良いと感じる二人なのだ。


にこ「それにしても苦労性よね~、海未のやつ」

真姫「ふふ、言えてる」

にこ「なんかもう色々背負い込んでたから、このにこにーが思いっきりシンプルにしてやったわ」


茶化すような口調で言って、軽い調子でケタケタと笑う。
さっきまであんなにも真摯に向き合っていたくせに、まったく素直さに欠ける年上だ。
まあ、真姫も人の事は言えないタイプなのだが。

さて、過ぎたことばかりを話してもいられない。
表情を再び仕事モードへと切り替え、にこは真姫へと問いかける。

にこ「絵里は?」

真姫「デオキシスが暴れてる箇所を特定できたから、エリーはそっちへ」

にこ「じゃあ絵里と希はバラバラの場所ね。急いで合流しないと…」


にこの表情に微か、らしくない焦りが滲んでいる。
真姫はそれを感じ取り、合わせて走る緊張。


真姫「……何かあったのね」

にこ「本部から連絡があったのよ、優木あんじゅがロクノシティで目撃されたって」

真姫「ロクノ…ジョウトに潜伏してたんじゃなかったの?」

にこ「そのはずで警戒網も敷いてたんだけど、上手く撒かれたみたい。
んで、ロクノ方面にテッカグヤが飛んでくのをついさっきこの目で見たわ」

真姫「ロクノシティに集まって…まさか、綺羅ツバサを奪還する気?」

にこ「いくら連中が集まっても刑務所破りは無理よ。けど、何をやらかしてくるか…
とにかくデオキシスをどうにかしたら、絵里と希を連れて急いで戻らないと」

こくりと頷き、真姫はジャローダを戻して新たな一体を手にする。
開かれたボールから現れたのはゴーレムポケモンのゴルーグだ。

古代人により土から創造されたと言われている、巨大なロボット兵めいた姿のポケモンだ。
じめん・ゴーストという属性ながら、高速で空を飛ぶことも可能。
完全な戦闘型のポケモンだ。
少女ながらに優雅なブルジョワといった雰囲気を纏う真姫には、あまり似つかわしくないようにも見える。
このゴルーグ、いざという時に真姫を守れるようにと父親の西木野博士が持たせたポケモンなのだ。その溺愛ぶりは世に雷と聞こえるほど。

まあ、真姫もゴルーグを気に入っているのだが。

それはともかく、真姫はその背へと乗りつつ、にこをぐいっと引っ張り上げる。


にこ「……普段乗ってるのが収まりのいいフライゴンだから、どうもこういうデカい子の背中は落ち着かないわね」

真姫「そう?私は落ち着くけど。とにかく、二人を探しましょう」

にこ「頼むわよ、真姫」


ふわりと浮かび、二人を乗せたゴルーグはミカボシ山の奥地へと進路を向けて飛び立った。




キキ、キュリリ。
奇妙な音が山中に響いている。
海未とにこが戦った森から一変、戦場は見晴らしの良い崖際で。

耳に疚しいその異音は、東條希のエスパーポケモン、ソルロックとルナトーンが重ねて放つ念力波の共鳴だ。


希「“サイコキネシス”」

『ド…っ、…ラァ……!』


歪み、捻じ曲がった空間に囚われたのはドラミドロ。
どく・ドラゴンタイプのその体にエスパーの攻撃はひどく響く。
微細なエネルギーコントロールは物の組成にまで影響を与え、毒タイプポケモンの体を構成する要因である生物毒を分解、浄化してしまうのだ。

故に、相性は最悪。
倒れたドラミドロをボールへと収め、“鳥面”、南ことりはあくまで穏やかに声をかける。


ことり「……ありがとう、休んでてね」

希(一見、落ち着いて見えるけど…)

ことり「お願いっ、ボーマンダさん」

『ボァアアアッッ!!!!!』

希(殺気満々なんよねぇ…)

現れた暴竜は水色の体皮に真紅の翼、600族の一角を成すボーマンダ。
四天王としてトレーナー界の最前線に立つ希は当然その脅威を熟知していて、交戦の経験も少なくはない。

だが、希がうっすらと持つ予知能力は眼前のボーマンダのさらなる異常性を鋭敏に嗅ぎ取っている。
いや、ボーマンダの異様というよりは…


ことり「乗りますね♪それじゃあ…飛んで、ボーマンダ」

希「おおっと…!」


紅翼の羽ばたきは高速を生み、刃のように樹々を薙ぎ倒す。

烈風が渦を巻く!

希は身を屈めてそれを避け、通り過ぎたボーマンダが上空へと舞い上がっていくのを見上げる。


ことり「気を付けてね、希ちゃん。大怪我はさせたくないの」

希「うーん…小、中怪我まではありってことやね?」

ことり「それはぁ…うん、仕方ないかなぁって」

希「怖い怖い…」


軽口で返しつつ、観察を。

荒々しく風を裂いて飛ぶボーマンダは、決して乗るのに適したポケモンではない。
ことりは翼の邪魔にならない部位を上手く掴み、ある程度慣れている様子だが…あくまで少女の細腕、握力には乏しく見える。


希(エリチや海未ちゃんみたいに体技に長けたタイプならともかく、危なっかしいなぁ。
振り落とされて転げ落ちる、地面に叩きつけられて死にかねない…)

ことり「ボーマンダ、“ドラゴンクロー”」

希「ひゃあ、怖ぁっ!」


ことりの指示に、ボーマンダはその竜爪を尖らせて滑空。
希はその凶眼におっかなびっくり、避けるか受けるかを迷い…が、受けを選択。

希「ここは…ソルロック、“サイコキネシス”やね」

ことり「……!」


生じる力場、サイキックパワーが空間を歪ませて不可視の攻壁を作り出している。
ソルロックの力がボーマンダの突撃を受け、その竜爪の突撃を相殺!

ことりは驚きに小さく息を飲んでいる。
ドラミドロがねじ伏せられて薄々感じてはいたが、このソルロック、やたらに高レベル。
基本性能で大幅に上回るボーマンダを受けてみせるほどに!

“趣味パ”とはあくまで種族値の話。東條希は言ってしまえば変わり者に類されるトレーナーだ。
いわゆるマイナーと呼ばれるポケモンたちにいつか日の目を見せてあげようと研鑽を続ける、そこに面白味を感じる、そんな好事家。
故に、趣味パとはいえ相応の戦力。ソルロックと対の月顔、ルナトーンへと続けて指示を!


希「ルナトーンは“パワージェム”で行っとこか」

ことり「っ…回って避けて!」


ルナトーンは岩塊を浮遊させ、そこからレーザーめいてエネルギーが射出される。
ことりのボーマンダは四方八方から殺到する光撃に全身を側転、急旋回!!
錐揉み状に低空を抉り、わずかに掠めながらも大きなダメージを回避してみせた。

近接からの斉射、通常なら易々とは避けえないタイミング。
しかし概ねの回避を為してみせたのは、ことりが背に乗ってすぐそばから的確な指示を出しているからに他ならない。

しかし…そんな回避より何より、希はことりが振り落とされないかが気が気でない。
今の旋回には辛うじてしがみついたまま耐えてみせたが、希から見れば台風の最中に木へと引っかかったビニール袋のような絵図。姿勢を保てたのは幸運に過ぎない!


希「あ、危なぁ…無茶はアカンよことりちゃん!そこから降りよ?」

ことり「うふふ、心配してくれるんだね。じゃあなおさら…このまま飛び続けなきゃ。
少しでも希ちゃんの気を散らせるように」

希「い、いやいや。ううん、でも合理的…なんやろか?ぶっ飛んでるなぁ」

ことり(それくらい徹底しなくちゃ、希ちゃんには勝てないから)

開戦から幾戟かを交え、ことりは奇妙な感覚を抱いている。
これまでにもたくさんのトレーナー戦、血みどろの野試合を経てきたことりだが、そのいずれとも異なる感覚。
どうにも言語化するのが難しい違和…

希の周りには相変わらず、ソルロックとルナトーンが対の軌道で旋回している。
パワージェムの岩弾も周囲を漂っていて、例えるならば複数のファンネルのような。

ことりは考える。
単純な強さだけじゃない。今までのトレーナー戦との違いは何…?


ことり(……まるで、希ちゃん自身と戦ってるみたいな)


寸時、思考の中に違和感の根源を見出す。
ソルロックとルナトーン、浮遊するパワージェム、その全ての中心点が希なのだ。

普通のトレーナーはあくまでポケモンが中心であり、そこに付随するトレーナーはいわば外付けの思考機械。
だというのに、希は違って見える。


希(高めに滞空したまま考え事、ウチの戦闘スタイルを考察してるのかな。勘の良さそうなことりちゃんなら、そろそろ気付くと思うけど…)


ことりの感覚は間違いではない。

戦闘において、希は通常のトレーナーとは違い、指示を出すだけの役割ではない。
使役するポケモンだけに留まらず、希自身もまたサイキッカー。
病院の治癒で見せたテレパス、普段から垣間見せる未来視だけでなく、念力(テレキネシス)、発火(パイロキネシス)、透視(クレアボヤンス)までを使えるのだ。


希(ま、パイロなんて大層な言い方しても、10分ぐらい必死に念じてやっとティッシュを燃やせる程度やけどね?)


そんな調子、本人は自身のサイキック能力について大いに謙遜してみせる。

…が、しかし。
ことポケモンの使役に転用すればその力は大きな効力を発揮する。

ポケモンが“サイコキネシス”などを使う前に、希が自身の念力でうっすらと“力の通り道”を作ってあげる。
それだけで技の威力は飛躍的に向上するのだ。

例えるならば大火を呼ぶ火花、火打ち石のようなもの。


ことり(だとしたら、やっぱり、攻撃しなくちゃいけないのはポケモンだけじゃなくて…)

ことりの内心に苦悩がよぎる。

ボールの中、待機しているヌメルゴンを意識するたび心に燻る思い、自分が“堕ちてしまった”のだという暗澹。
向き合う四天王、希は明確に正義の側の人間で、この状況下でさえことりの身を案じてくれている。


ことり(けど…だけどことりは、悪い人以外に攻撃したことは一度もなくて。そこだけは…せめてそこだけはって…!)


しかし、ことりがしてきたことは露見してしまった。
希はことりを止め、捕らえるべく向かってきていて、ことりに残された選択肢は二択。

投降して捕まるか、希を傷付けてでもこの場を切り抜けるか。


ことり(傷付けたくないっ、でも…!)


懊悩。
そんなことりの心を知ってか知らずか、希はあくまで飄々。
ソルロックとルナトーンを待機させたまま、ことりをじいっと凝視し続けている。

そして…

希「見えた!!」

ことり「え…?」

希「バッチリ決まったよ、ウチの透視能力。うひひ…なかなか形の良いお椀型やなぁ?」

ことり「!!?」


ことりはババっと、思わず片腕で胸を隠している。
希はことりの服の下を透視している!こんな戦場でまさか!

一応、既に民宿の風呂場で裸の付き合いをした仲だ。
だが…一方的に見られるというのはなんとも嫌なものがある。


ことり「の、希ちゃんっ!?」


ことりの警句めいた声を耳に、希はフフフと胡乱な笑みを漏らす。
そして…神妙な表情で言葉を継ぐ。


希「それに…たくさんの傷跡も見える。せっかくの綺麗な肌に…無茶しすぎやって、ことりちゃん」

ことり「………。女の子同士でもそれは駄目だよ。エチケットがなってませんね、希ちゃん」


すうっと、ことりの瞳から温度が引いた。

悪党との死闘で負けたことはない。だが、攻撃を受けてしまったことも少なくない。
温泉で、穂乃果にも海未にも見せなかった傷の数々。火傷や切り傷や、打撲の跡…
誰にも見られたくないその傷は、ことりが歩んできた血塗られた道と、心の傷とリンクしている。


ことり(倒さなきゃ…)


それは思いを通すために、希を倒すのだという昏い覚悟の瞳。


希(うん、それでいいんよ。やるなら徹底的にやらんとね)


希は無為にセクハラめいた発言をしたわけではない。
温泉での入浴時、ことりがタオルで器用に隠していた戦傷の数々を透視することで、自分がサイキッカーであると明確に示してみせたのだ。

手札を提示され、ことりの中にあった考察、灰色の疑惑は確信へと変わる。
希を攻撃しなくては勝ち得ない。ことりはそれをはっきりと理解した。

希は、全力の死闘に活路を見出すつもりでいる。
傷み、軋み、壊れかけていることりの心を修復するための糸口を探している。


希(だって、可哀想だよ。旅立ったその日に悪に絡め取られて、夢も希望も捻じ曲げられて…)

ことり「ごめんね、希ちゃん。……ちょっとだけ、壊します」

希「いいよ、おいで。ウチがこの戦闘で…ことりちゃんが抱えてる膿を出し切ってみせるから」

夜刻は進み、玲瓏たる山月はその角度を西へと深めている。
舞う暴竜は大口を開き、吸気から吐き出すは灼熱の奔流。赤柱が聳える!


ことり「ボーマンダ、“かえんほうしゃ”」

希「ソルロック、“サイコキネシス”で逸らそか!」


令じることりの口調は淡白ながら、その声色は害意の輪郭をより克明に成している。
ことりのボーマンダは俗に言う両刀型。物理、特殊と両方の攻撃を過不足なく繰り出すことができるように育てられている。
あらゆる盤面に対応できるエースモンスター!

それを受けて希、力場を円形に渦巻かせて酸素濃度を調節。
燃焼の方向を拡散させることで炎熱を見事にやり過ごしている。
これこそまさにタイプエキスパート。その妙技はエスパー使いの極致と言えるだろう。


ことり(けど、それでいいの。希ちゃんみたいな強いトレーナーには、普通の攻撃は通じないことはわかってるから…)

希「ちょっ…!火炎が消えんうちに突撃を!?」


宙空に残熱、焦げ臭さが未だ消えない中、ことりとボーマンダは希目がけて再度の急降下を敢行している。
ソルロックとルナトーンは共にいわタイプ、“かえんほうしゃ”の効果は薄い。
それでも構わず放ったのは、希の視界を遮ることを意識してのこと。

変幻自在、捉えどころがない。
そんな印象の希というトレーナーも、攻撃意識の標的を希本人に定めてしまえば途端に把握できる!


ことり「もう一度…“ドラゴンクロー”っ!!」

希「っ、この軌道は、避けられん…!」


滑空の角度はこれまでで最も鋭角。
一般に、人の動体視力は左右よりも上下動に弱い。
飛ばず、水平に歩く生物なのだから当然、それは慣れの問題だ。
つまり上からの急降下は人を傷付けるのに適した選択肢で、希を負傷させることを躊躇しなくなったが故の攻撃!

ことり(爪でルナトーンを倒して、翼か尾で希ちゃんを引っ掛ける。肩の辺りなら頭はぶつけないから大怪我はしない……ごめんなさい!)

希「……なーんて、勝った気になるんは気が早いよ?」

ことり「きゃあっ!?」


突如の衝撃。ボーマンダは驚いたような咆哮を響かせ、その体が前のめりに傾ぐ。
攻撃を受けたのだろうか。いや、希が動いた様子はない。
何かにぶつかった?何もない場所で?

否、そこには岩が浮いている。限りなく見えにくく偽装された岩が!


ことり(ステルスロック…!いつの間に!)

希(透視だなんだの少し前、長考が過ぎたんよ、ことりちゃん。仕込む時間はたっぷりあった)


尖った岩を宙に浮かせ、相手の出方を牽制するのがステルスロックという技だ。
そこに希はアレンジを加えている。エスパーポケモンたちの念動力で岩の周囲の屈折率を弄り、まさに名の通りのステルス性を付与している。

結果、生じるのは猛然の衝突!!


『グォォ…ッ…!!』


いくら高い耐久を誇る竜族、ボーマンダでも、そのダメージは免れない。
岩の硬度以外、ダメージの源は自らのパワー、傷を受けるのも当然だ。

呻き、倒れずも突進の勢いを殺されてフラフラと。
そして同時、ことりが衝撃を受けて宙へと投げ出されている!


希(危ないっ…けど、あの角度なら木に突っ込む。死にはしないはず…そこを捕まえればいいね)


戦闘の中にことりの心を修復しようと試みている希だが、拘っているわけでもない。
無力化できるならそれはそれでオッケー。自由を奪ったところで、じっくりとメンタルケアをしてあげればいいのだ。

そしてことりの細身が木々へと迫り…しかし落ち着いたまま、ことりはボールを開く。

ことり「お願いね」


風に舞う羽毛、現れたのはチルタリス。
白翼を大きく広げ、白の鳥竜は綿のような翼でことりの全身を包み込んだ。そして木へと衝突!


『チルル!』

ことり「ありがとう、チルタリスさん」


チルタリスとことりは共に無傷。

ふわふわと緩衝力の高いチルタリスを手元に置いておき、いざという時に展開することでクッションの役割を果たしてもらうという手筈。
チルタリス自身もその柔らかさ故に耐久力の高いポケモンで、この程度の衝撃を受けたくらいではビクともしない。
実に抜け目なく、ことりはボーマンダの背からの転落に備えていたわけだ。

しかし、一瞬でもパニックに陥れば大事故は間違いなし。
希はそのギリギリの綱渡りのような激突回避に、思わず「むむ…」と唸っている。




希「なるほど、そのチルタリスがことりちゃんの無茶を支える屋台骨、ってわけやね…」

ことり「うん♪うふふ~、可愛いでしょ?」

希「そうやね…っと!」

ことり「動かないでね、希ちゃん」


瞬間、ことりはチルタリスの羽ばたきに加速を得て、希のすぐそばへと迫っている。
ボーマンダに乗っての空戦から一転、自らの足で接敵!

ことりは戦術に固執しない。数々の荒試合は少女の思考に実戦的な柔軟性を与えている。
ボーマンダに再度乗ろうという考えは瞬時に捨てている。降下で隙を作らせるのを嫌ったのだ。

ボーマンダは“かえんほうしゃ”チルタリスは“りゅうのはどう”。
二体の竜には上空からのブレスで遠距離攻撃に徹させ、ソルロックとルナトーンにその対応を強いる。

そして迫ることり、手に揺れるのは赤紫の薬液。“洗頭”の注射器を構えている。それも両手に!
さらに、大きな変化がもう一つ。

その顔には再び奇怪な“鳥面”!

(・8・)「避けないでね、希ちゃん。ちょっとチクっとするだけですよぉ~♪」

希「……いい感じにキマってきたやん?」


気圧されたように苦笑を浮かべる希。へと踏み込み、突き出していく注射針。

ことりは考える。

殺そうとはしてません。廃人にするつもりもありません。
たくさんを注射すればその人は壊れちゃうけど、ほんのわずかの注射量ならしばらく昏倒気絶するだけ。
手先の器用さには自信があるから、投与量を間違うこともありません。
ごめんね、希ちゃん。ほんの少しチクっとするだけだから…


希「その冷静さが怖いんよ、ことりちゃん。暴力に慣れすぎてる」

(・8・)「避けたらダメですよ?」

希「またまたぁ…」

両手に注射器とは非合理的な。
そんな風に最初こそ思ったが、いざ立ち会ってみて、希は怖気に冷や汗を滲ませている。


希(ことりちゃんが今持ってる注射器はあくまで“脅し”。振り回してはいるけど、本気でウチに刺そうって動きやない。
狙いは…怖がらせて動きを制限、戦況を有利に運ぼうとしてる。怖がらせるために見た目のインパクト重視、二本持ちってわけやね)


なるほど、黒名高い犯罪者狩りは伊達でなく、荒事に慣れきっているのがよくわかる。
ことりだけならまだしも、空から注ぐ二つのブレスにも同時に警戒を払わなくてはならないのが厄介。


希(ソルロックとルナトーンは…ううん、防戦で手一杯)


左右に体を入れ替えてくるりと躱し、希は仮面越しのことりの表情を、感情を想像する。


希(仮面を被った瞬間、ことりちゃんから暴力への躊躇が消えたような…)


それは錯覚でもなんでもなく、“鳥面”はことりにとって衝動のスイッチであり自己防衛。
仮面を被り、“南ことり”と“鳥面”はあたかも別人格であるかのように自己へと暗示をかけている。
つまり、罪悪感を薄めるためのリミッターなのだ。


希(多分、そういうことやね。だったら…)


希は危険を承知、目を閉じて二秒集中…
掌を突き出し「破ぁ!!」と一喝!!

途端、放たれた念動力が鳥の仮面を砕き割った!


ことり「え…?仮面が!」

希「その逃げはアカンよ、ことりちゃん。自分のしてることを直視して」

ことり「っ…!ええいっ!!」

希「うっ、ぐ!?」

仮面は剥いだ。が、隙を作ったリスクもまた大きかった。
ことりは素顔に表情を歪めつつ、希の手首を握っている。そして身を捻り、手首をくるりと回す勢いで返し投げる!


希「ぐっは!?」


それは合気道でいう四方投げに近い挙動、昔に海未から習った護身術、園田流の投げ技だ。


“ことりは可愛いですから、何かあってからでは遅いのです!”

ことり(って、たまぁに真顔で照れることを言うんだもん…)


そんな郷愁はほんの一瞬。
目の前では希が地面に叩きつけられていて、ことりは懐に収めていた注射器を再び手に取る。
組み敷き、注射針を振り上げ…!!


ことり「針がない…?」


違う、針先が明後日の方向を向いているのだ。


希「捻じ曲げたんよ、テレキネキスで。この至近で、うぐっ…!それくらいの、ほそさなら…イメージもしやすいから…」

ことり「本当に、超能力者なんだ…」

希「せやねぇ…、たったこれだけで、あたまがいまにもわれそうやけどね…!!だああっ!!!」

ことり「っ!?」


ことりの体がふわりと浮き、巴投げのような形で強引に投げ飛ばされた。

希は表情を歪ませながら立ち上がる。
グワングワンと内側から膨れるように痛む頭、サイキックは脳の負荷が大きい。
今、ことりを投げ飛ばすのにもテレキネキスを利用した。
絵里やにことは違い、格闘戦に関しては特段訓練を積んだこともない素人だ。振り払うためには仕方がなかった。


希(……けど、っ、これ以上は乱用したくないかなあ…!

対し、投げ飛ばされた側のことり。

…心臓がバクバクと荒鳴っている。


ことり「う…っ…!」


こみ上げる吐き気。
「ぅ、げっ…おえっ…!」とえずき、胃の中身をびちゃびちゃと足元へ撒き散らした。

希が超能力で何かした?
……違う。罪のない相手に注射針を立てようとしてみて、針がないという疑問の瞬間、心を覆っていた鎧が失せた一瞬…
直視を避けてきた自分の罪の重さと、今の自分の恐ろしさを客観視してしまったのだ。仮面も剥がれたままで。


ことり(私、私は、希ちゃんに…優しい希ちゃんに、注射針を刺そうとして…!!)

ことり「ぁっ…うぐ、っぷ、うげぇっ…!!」

希「……ことりちゃん…」

こんなはずじゃなかった。

穂乃果ちゃん、海未ちゃんと一緒にオトノキタウンを旅立って、イーブイとモクローを連れていろんな町を巡って。
二人とは別々の旅路。でも毎日のように連絡しあって、お互いの旅の話をたくさんしてから幸せな気持ちで眠りについて。
たぶん、たまに寂しくなって、穂乃果ちゃんと海未ちゃんに泣きそうな声で電話しちゃって。
近くにいるどっちかが、きっとすぐに駆けつけて慰めてくれてる。
もちろん穂乃果ちゃんと海未ちゃんが寂しくなったらことりが駆けつけて、同じことをしてあげて。

ダイイチシティでルビィちゃんとお話をしたみたいに、新しいお友達もたくさんできて…
そのうちモクローやイーブイたちも成長してきて、ずっと憧れてたニンフィアに進化させて…


ことり(大好きなポケモンたちを綺麗に着飾って、コンテストで優勝するの)

ことり(そして…穂乃果ちゃんか海未ちゃん、どっちが先かはわからないけど、二人は絶対チャンピオンになるから。
そしたらことりが晴れ舞台で、二人のポケモンたちの衣装をデザインするの。それが夢だった…)


なのに。


ことりは全身を震わせながら、自分の手へと目を向ける。
注射器、赤みがかった薬液はまるで血液。

自分は恐ろしい薬を手にしていて、それを何人もの人に打って、ポケモンにも打って、自分を助けようとしてくれている、罪のない希にも…!


ことり「げ、ぁ…ぅう゛っ…!」


もう一度、嘔吐する。
胃の中身はほとんど空になってしまったのか、出るのは食道を焼く胃酸ばかり。

仮面は砕かれ、罪科の意識を紛らわせてくれる物はもうどこにもない。
柔らかで、しなやかで、華奢な少女の体へ、優しく愛と慈しみに溢れた少女の心へ、犯してしまった罪の数々が、目を背けて逸らして、膨れ上がってしまった大罪の重みが一挙に降りかかる。
声にならない嗚咽が漏れる。引き裂かれそうに魂が悲鳴をあげている。


ことり「ぁ…あぁ…っ…こんなはずじゃなかった…こんなはずじゃなかった…こんなはずじゃなかったのに…!!」

ふぁさり。小さな背中を、温もりが包み込む。

……いつの間にか、ボーマンダとチルタリスが降りてきている。

希は様子を見ようとソルロックとルナトーンを制していて、それを見て降りてきたのだろう。

ボーマンダはその強面に(大丈夫か)と問うような意思を滲ませている。
チルタリスはつぶらな瞳を心配そうに潤ませ、その白羽でことりの背を柔らかく撫でさすっている。

どちらも自力で、一から育て上げたポケモンだ。
血塗られた道の中にも、絆は間違いなく育まれている。


ことり(ゼロじゃない…マイナスかもしれないけど…ことりが歩いた道は、ゼロじゃない。そうだよね、みんな…)


チルタリス、ドラミドロ、デンリュウ、ボーマンダ…それに罪の証、ヌメルゴンも。
ただその力に魅入られたドラゴンたちも、そうでないデンリュウも、今となってはみんなみんな愛しくてたまらない。
だけど、ここで折れたらゼロになる。罪も咎も全て背負って、足は潰れそうで、それでも…

ことりのパーティーは五体で完成だ。
奪われたイーブイを取り戻すまで、あと一つの枠が埋まることは決してない。

胃酸に焼けた喉を少しでも癒すかのように、澄んだ山の空気を胃へいっぱいに送り込む。

希もまた激しい頭痛から立ち直っている。
どう出るかをじっと見つめてきていて、ことりはそんな希へと、悲哀に満ちた笑顔を向ける。


ことり「それでも、ことりは止まれないから」

胃酸に焼け、掠れた声で。
希はそれを沈痛な面持ちで受け、内心に忸怩。
罪を直視すれば止まってくれるのではと思っていた。けれど未だ前へ、黒の道を進もうとしている。

希へ、ことりの心が微かに伝わっている。

自分の内面を見つめ直した今、デオキシスを捕まえるという目的意識も既に希薄になっている。いや、もうまるで必要としていない。
ただ“止まれない”という漠然とした感覚だけがことりの体を突き動かしている。
それは傍目に、身を削るだけの道でしかないのに。

ことりの瞳を見つめ、静かに問いを投げる。


希「ことりちゃんは、何のために戦ってるん?ことりちゃんをそこまで駆り立てる思いは何…?」

ことり「希ちゃんは、お星様を見るのって好きかな」

希「……好きやね。大好きよ」

ことり「ことりも。真姫ちゃんのおうちで大きな望遠鏡で見せてもらってから好きになったんだ。……秋の山奥って、こんなにたくさんの星が見えるんだね

希「今日は、雲もないみたいやしね」

ことり「……だけどね、夜空を見てるとすごく怖くもなるの」


訥々と、ゆっくりとしたペースで語りつつ、二人は既に戦いを再開させている。
危険を顧みずに火花を散らしていた様相から一転、互いの声が聞こえる距離を保ったままに静かに下す指示、交わされる攻撃。

スローテンポ。
ながらに、ひりつくような緊張感は保たれている。
悲壮感さえ漂う鬼気を宿したことり、純正の超能力者である希。
双方共に、特殊な強みを持ったトレーナー。それを互いが理解し、互いの強みを打ち消しあう戦闘運びへと移行したのだ。

牽制、牽制、重ねる牽制。
ルナトーンが放った“ムーンフォース”をやり過ごし、間隙に交わされる声。


ことり「夜空ってね、この世界と似てると思うの」

希「ん?世界に?」

ことり「うん。あの星、キラキラ輝いてるのは穂乃果ちゃん。
その隣で静かに、だけど強く輝いてるのは海未ちゃん。
ことりは、その二つのちょっと下にある白っぽいやつでいいかなぁ。
そのすぐ近く、綺麗な赤いお星様は真姫ちゃんかな?他にもたくさん…」

希「……ふふふ、ことりちゃんらしいね」


向けられた笑顔に、ことりもまた笑顔を返す。


ことり「だけど…あの星たちはすごく遠くて、お互いの声は聞こえないし触れない。
間には真っ暗な闇が広がってるだけで、ことりが呼んでも誰も答えてくれなくて」

希「……」


ことりは思いを一つ一つ、並べながら語っていく。
クローゼットにしまい込んだたくさんの衣装を、順に並べて整理していくように。

ことり「……ことりの目には、世界は素敵なキラキラに溢れて映ってました。

可愛いお洋服に甘ぁいお菓子、元気いっぱいなポケモンたちと、家族やオトノキタウンの人たち。穂乃果ちゃんと海未ちゃん、それに真姫ちゃん。
世界はことりの大好きなもので溢れてて、そこで呼吸をしていられるだけで、この世界でおひさまをあびてことりの心臓が動いてる…それだけで、本当に幸せな奇跡だと思ってたんだ。

なのに…信じられないくらい酷い人たちがいて、ことりが思う大切なものを何もかも壊そうとしていくの。

ああ、ことりは子供だったんだな、って。
知ってしまえば見えてくる。
アライズ団だけじゃなくて、ことりの大切な世界を壊そうとする人たちが…街にも、公園にも、お店にも、部屋の中にいたって、テレビの世界にもパソコンの世界にも、人の何かを壊そうとする人は溢れてて、どんな場所にもたくさんいて。
自分から関わろうとしなくっても、向こうから壊そうと、奪おうと迫ってくるの。突然に。

……わかったんだ。

何かを与えて生きていける人と、奪うことでしか生きられない人がいるの。
奪う人はずっとずっとその生き方しかできないから、誰かがそのスイッチを切ってあげないといけないんだって。

そうしなくちゃ、イーブイさんみたいに…
大好きなポケモンたちも、穂乃果ちゃんも海未ちゃんも、いつかは奪われちゃうかもしれない。壊されちゃうかもしれない」


希「……」


ことり「だからことりは一つ一つ、スイッチを切り続けるの。ことりの大好きなものを守るために」


いつか、自分のスイッチが切られる時まで。

ことり「“げきりん”」

希「っ、…!」


ことりの語った言葉に、希の意識に小さな空白が生まれていた。
それは数字にすれば、たった一秒にも満たなかったかもしれない。

だが、ことりの集中はそれを見逃さなかった。
ボーマンダは高らかな咆哮に、尾を真上から振り落とす。
ついに炸裂した竜撃、ソルロックとルナトーンの二体が同時に落とされる…!

すかさず、希はバリヤードとマフォクシーを繰り出している。


ことり(マフォクシー…希ちゃんのレギュラー?)

希(…と、警戒してくれたらいいんやけど。この子、いつものマフォクシーの弟くんなんよねぇ…)


フーディン以外はあくまで趣味パ、その発言に偽りはない。
卵から同時に孵化した二匹は仲が良く、引き離すのが忍びなくて一緒に育てている…と、そんな希らしさ。
ただし今に限ればレベル不足が大きく響きかねない場面。
気取られないようポーカーフェイス、しかし内心に唇を噛んでいる。


希(あーもう、甘いなぁ…ウチは)


そんな自戒。
まあ、改める気もないのだが。
とにかく悔やんでも仕方なし、希は二匹へと指示を下す。


希「バリヤードは“こごえるかぜ”、マフォクシーは“マジカルフレイム”や」


骨身に染みて体を軋ませる寒風と、自在に軌道を変化させる魔術師の炎が放たれる。
しかしボーマンダとチルタリスは未だ落ちず。


希(しぶといなあ…)


ことりが連れている二匹の竜は、やはり流石に高レベル。意思疎通も盤石に隙がなく、穂乃果や海未の戦果が目立つが遜色のない実力。
やはりことりもオトノキタウンのトレーナーなのだと、希は実感している。


希(ことりちゃんは…良い子すぎた。ピュアすぎたんだね。
田舎町で暖かな人たちに囲まれて、汚れを知らずに育って…それが、ほんの短い時間で煮詰まった闇を見せつけられた。
理解が及ばなければどれほど良かったか…でもこの子は賢かった。理解してしまった。
まるで真っ白なキャンバスに墨汁をぶちまけたみたいに、一息に、この世界の嫌なとこばかりを知ってしまった…)

くらり、希がふらつく。
長時間の対峙、徐々に探っていたことりの心。その中に渦巻く負の感情が流入してきたのだ。


ことり「それでもやっぱり、世界には素敵な物が…素敵な人たちがたくさんいるの」

希「ウチのテレパスに、逆干渉するほど…強いっ、意思…!」

ことり「子供たちの目はお星様みたいに輝いてて、そんな子供たちが旅に出て、ことりと同じ目にあったら…?」

希「ことり、ちゃん…」

ことり「……嫌だよ、考えたくない。だからね、ことりが。
……もう、汚れちゃったことりが、この世界の汚いものを、少しでもたくさん受け止めようって」


“りゅうせいぐん”

天空、星々が煌めき。
大哮を上げたボーマンダ、ドラゴンタイプの強大な力は宇宙から隕石群を引き寄せる。
それはごく小さな…しかし燃え尽きることなく地上へと届く流星。
威力のほど、それは語るまでもなし。激震がミカボシ山を揺らす…!!


希「っ、ぐ…!」


希、それにマフォクシーとバリヤードは辛うじて耐えている。
ぐちゃぐちゃに荒らされた丘は希たちの一帯だけ綺麗に地形を残していて、それはバリヤードが生じさせた防壁のおかげ。
防御型のポケモンを出していたのが功を奏した形だ。

一撃までなら。


ことり「チルタリス、“りゅうせいぐん”」

希「うっそやろ…」


それはドラゴン使い特有のゴリ押し。
後先を考えない、威力だけを追い求めた恐るべき蹂躙。
甲高い咆哮が夜空を輝かせ…

再度の隕石群が希へと下る!!

ことり「……やっと出てきたね、希ちゃんの切り札」

希「……危な」


マフォクシーとバリヤード、主力ではない二匹では二度の流星群を耐えきることはできなかった。
威力の暴威に押し切られ、二体が順に屈する。
その防壁がなくなれば自明、降り注ぐ流星に次に潰されるのは希だ。

それをわかっていてことりが二度の“りゅうせいぐん”を躊躇わなかったのは、希の手持ちに唯一のレギュラーが控えているから。
それはエース、その圧倒的な性能はオハラタワー倒壊を防いだ際にテレビでも映っている。

メガリングが輝いた。
そして現れたのは複数のスプーンを宙に並べ、座したままに浮遊するエスパータイプの最強格!


希「巻き返さんとね、メガフーディン…!」

『シュウウッ…!』

同時、希はチリーンを並べている。それが六体目、これで打ち止め。
ことりはついに希の手持ちの底まで辿り着いた。

ふよふよと浮かぶふうりんポケモンはサポートに徹する姿勢を見せていて、それも当然。


希「メガフーディン、“サイコキネシス”」

ことり「っ…!!」


圧倒的!!!!

メガフーディンが放った念力波は丘の土や木々をないまぜに巻き上げ、その全てを一緒くたにして土石流へと変化させる!
狙いはボーマンダ、その身は既に手負い。まるでなす術なくその中へと巻き込まれてしまう!!


希「次…!」

ことり「強いっ…、お願い!ヌメルゴン!」

『ヌメェ!!』


洗脳薬、非合法な手で手持ちに加えたばかり、薄紫の体につぶらな瞳のドラゴンポケモンだ。
愛嬌のある顔にぬめぬめとした体、それだけ聞けばさして強そうにも聞こえないが、種族値はあのガブリアスやボーマンダに並ぶ600族!

そしてこの手の強力なポケモンには珍しく、人懐こい気質の種でもある。
まだ出会ったばかりのことりへと振り向き、(がんばるよ)とばかりにやる気のある目を見せる。

もしかすると、前のトレーナーであるアライザーにも懐いてはいたのかもしれない。
それを無理矢理に引き離してしまった。ヌメルゴンの可愛らしさに、ことりの胸に過ぎる想いはかえって複雑さを増している。

だが、今は迷っている暇はない!


ことり「ヌメルゴン!“りゅうのはどう”っ!」

『ヌッ……メァッ!!!』


吐き出すブレス!
ことりはチルタリスにも同時に指示を下し、同じくブレスを放たせている。

二体の竜哮は相まって迫り、直撃すればメガフーディンでさえ無事ではいられないはず…!


希「“サイコキネシス”」

ことり「………そんな…」


大地が捲れ上がっている。

大気が渦を巻いている。

メガフーディンは微動だにせず念じただけ、ただそれだけで、まるで天地を逆さに返したかのような有様。
雲は裂け、無比の力に干渉を受けた空間は大きく捻られて歪にヒビ割れている。

ヌメルゴンとチルタリスが倒れている。
チルタリスは既にダメージを負っていた。ヌメルゴンは手にしたばかり、まだ意思の疎通が完全でなかった。

二体が放った波動、そのどちらかはメガフーディンを掠めてダメージを負わせている。
チルタリスが完調なら、ヌメルゴンが懐いていれば、あるいは結果は違ったかもしれない。

だが今はこれが現実、一蹴。
これが四天王、その切り札の力…ことりの腰に残ったボールはあと一つ。


ことり「お願い…デンリュウ」

デンリュウ、ことりの手持ちには珍しく単色のでんきタイプ。
見ようによっては竜に見えないこともないが、ドラゴンタイプは持っていない。
特殊攻撃に長けている。なかなかのポケモンだ。
しかし…どう見たところで、分はメガフーディンにあり。


ことり「………」

希「ことりちゃん…もう、いいんやないかな。立ち止まっても…それ以上、自分を傷付けなくても」

ことり「……ありがとう、希ちゃん」

希「……!」


返ってきたのは穏やかな声。
そんなことりの表情に…希は思わず息を飲む。


希「……なんで、笑ってるん?」

ことり「なんとかここまで、来られたな…って」


煌めく左手首。
そこにはいつの間にかバングルが装着されていて、見間違いようもない…それはメガリング!

希「まさか、持ってたん…!?」

ことり「いくよ、デンリュウ。メガシンカっ…!!」


つるりとした黄黒の体、その首筋と尾へと進化前のような白い毛並みが蘇る。
強い発光と雷撃を生む赤い球体もその数を増殖させていて、生み出せる電気エネルギーの量はこれまでとはまるで比較にならない。

メガデンリュウ。
その瞳はことりとの絆に応えるために敵を、メガフーディンとチリーンを見据えている!

まるで予期外、希は思わず驚きに息を飲んでいる。
メガリングを得て、メガストーンを得て、それがどれほどに運命的なことか!


希(メガストーンは運命に引き寄せられる。富豪が金を積んでも買えるものじゃないし、終生を賭しても出会えない事はザラ。
なのに小さな子供がある日ヒョイっと道端で拾うこともある。
どんな経緯で手にしたのかはわからないけど…ことりちゃんは運命に選ばれてる。だとしたら…!)


メガフーディンはヌメルゴンとチルタリスの攻撃を掠めて体力を減じている。
チリーンにはメガシンカ体を止められるほどの戦闘ポテンシャルはない。

まだここで、ことりの道は終わらない…!


希「“サイコキネシス”や!!!!」

ことり「“10まんボルト”っ!!!!」


超力、爆雷がぶつかり合い爆ぜる!!!

……




ことり「……それじゃあ、ことりは行くね。希ちゃん」


倒れた希の懐から連絡用のデバイスを手に取り、GPSで位置を発信した。
絵里やにこ、真姫、誰かしらがすぐに来てくれるだろう。

メガシンカ体の力のぶつかり合いは、二人が戦っていた崖を完全に崩壊させた。
ことりはメガデンリュウの体毛にくるまり、メガデンリュウは向上した体感覚をフルに活かして崩れ落ちる岩盤の中を見事に駆け下ってみせた。

対する希には不運。
ぶつかり合い、流れた電撃の余波が身を掠めて反応が遅れてしまう。
その一瞬の空白にメガフーディンは打ち倒され、薄れる意識の中でフーディンを回収してそこでノックアウト。
まだ生き残っていたチリーンが必死にサイコキネシスで希を崩落から守り、なんとか下へと辿り着き、意識は失したままで今に至る。

自他共に認めるラッキーガール、そんな希にとって、不運による敗北は生涯で初。
戦況を鑑みれば、そのまま続けていてもことりが押し切っていた可能性が高い。
拮抗したが、やはり本来のパーティでないという点は大きなハンデとなった。勝敗に影響はなし。

だが見るべきは、ことりが希の幸運を凌駕したという点。
運命はまだ行き止まりを許さない。ことりに役割を残しているのだ。

歩み去ろうとすることり…
その背へ、鈴の音が響く。


『リリリ…』

ことり「……ふふ、心配してくれるの?希ちゃんは、連れてるポケモンたちも優しいんだね。
…でも、ことりは行かなきゃ。あなたは誰かが来るまで、希ちゃんを守ってあげてくださいね」


そう告げ、チリーンを優しく撫でて踵を返す。
その足首を、弱々しく、しかし確固とした意思を感じさせる手が掴んだ。


ことり「……希ちゃん」

希「行かせん。行かせないよ…ことりちゃん…」


体は電撃に痺れたまま、握力はまるで戻っていない。指を掛けているだけ。

それでも、行かせまいとする。

ことりの心を理解して、優しさと悲しみを知って、放っておけるわけがない。


ことり「離してくれないかな…」

希「いいや…絶対、離さんよ…自己犠牲みたいな考え方って、ウチ、わりと共感できる方やから…」

ことり「……ことり一人がたくさんの悪を背負えば、それだけたくさんの人が救われる気がするの。それははっきり形が見えることじゃないけど、きっと、間違いなく」

希「ちょっとだけ、わかるよ。わかるからこそ…行かせられない…!だってことりちゃん、もう、心が限界で…!」

ことりはしゃがみ、文字通りに心底から心配し続けてくれる希の指を包み込む。
戦いの中、ずっと理解しようと、ことりの心を治そうと交信し続けてくれていたのが感覚として理解できている。
希という少女はとびきりの超能力者で、それならことりの胸に宿っている感謝の気持ちは言葉にするまでもない。

万感の“ありがとう”を胸に強く念じて、ことりよりもよほど泣き出しそうな顔をしている希に笑顔を向ける。


ことり「さっきは希ちゃんに少し誘導されてたけど…今度は、ことりの意思で使うね」

希「洗頭…」


注射器を手に、爪先で先端を弾いて空気を抜く。
赤紫の液体がほんの数滴、空を舞い、そしてことりは希へと針を近付ける。

今度こそ、戻らないという決意。
その優しさで追いすがって来る希へ、完全なる善人へと突き立てる注射針。
一時的に昏倒させて、これで光の当たる場所とは縁を断つ。

その言葉は希へ、そして穂乃果と海未へ。


ことり「さようなら…」

海未「歯を食いしばりなさい」


思い切り振りかぶり…


ことり「え……っ」

海未「この……愚か者!!!!!」


痛恨の拳打がことりの頬を打ち抜く!!!

海未「昔から仲の良い幼馴染として付き合ってきて、どうにもずっと不思議だったことがあるのです…」

ことり「……!?…!!?」

海未「貴女はとても性格が良くて本当に素敵な子なのに、何故だかたまに貴女が原因で話が拗れることがあると!」

ことり「え、え…??」


殴り飛ばされた、全力で。
ことりはゴロゴロと数メートルを転がり、驚くほどに鋭く痛い頬を抑えて目を白黒とさせている。
いきなり海未が現れたのもよくわからないし、海未から殴られたのも初めてで…そう、海未ちゃんから殴られた…!

まるで頭の処理が追いついていない。
口の中にざらりとした異物感を覚えて、吐いてみれば白い硬質。奥歯が一本折れてしまっている。
しかしそれを見ても海未はまるでおかまいなしに、ズカズカとことりに歩み寄る。


海未「つい今し方、その原因に思い至りました。ことり、貴女は……良い子すぎる!!」

ことり「う、海未ちゃ…?!」

海未「良い子すぎて、ぐるぐると考えすぎて、貴女はたまに思いもよらぬ暴走をするのです!
そして悪気はなくて、おまけに貴女の容姿もあいまって、周りは強く言いにくいのです。言いにくいのですが…良い解決法がわかりました。それは」

ことり「そ、それは…」

海未「鉄拳制裁!!!」

ことり「……!!?」

グッと、海未は顔の横で握り拳を作ってみせる。
ことりは未だに驚きに硬直気味で、希もまたそんな様子に首を傾げずにはいられない。


希「あの、海未ちゃん、諸々の話の流れは理解してるん…?」

海未「ええ、二人の聞かせてもらいました。大方は」

希「聞いてって…海未ちゃんが来たの今やろ?」

海未「そうですね。が、私にはゲッコウガとの感覚リンクがあります。超感覚で聴力を強化していましたので」

希「なるほど、ソノダゲッコウガで…」


聞いていたのなら、あとは任せればいいかな。
そんな思いに、ようやく希の全身から力が抜ける。

幼馴染を懸命に留めてくれた希に深く、深く、心からの感謝の念を抱きつつ、海未はことりへと向き直る。

海未「昔から穂乃果と私が喧嘩をするときは、大抵穂乃果が滅茶苦茶を言っているか、私が意固地になっているか。どちらが悪いかがはっきりしているので尾を引きません」

ことり「う、うん…」

うん「ですがことりの場合、悪気はないので言いにくい。私や穂乃果からの物言いがやんわりとした形になり、暴走がなかなか止まらない。
故に、あなたがごくまれに引き起こすトラブルはやたらと大問題になるのです!」

ことり「……そう、言われても…」

海未「ええ、言われても困るでしょうね。なのでわかりやすく。あなたに悪気があれなかれ、間違っていれば私が、この拳で止めます」


そして海未はそこまでの勢いが嘘のように、その表情を優しい物へと変える。
いつもの理知的な色を瞳に宿し、傷だらけのことりの心に沿うように、そっと問いかける。


海未「教えてください、ことり。どうして“洗頭”を使ったのです?」

ことり「………悪い人たちを、同じ目にあわせたかったから」

海未「いえ、もっと根幹の部分です。シンプルな、一番の動機はなんです?」

ことり「……イーブイを、取られたから…」

結局のところ、全ての起点はそこだ。
それは今までにも明白で、そんなことをわざわざ尋ねる海未がわからない。
じゃあどうすればよかったのか。それがわからなくて、こんなにも…!


ことり「勝てなかった!力がなくて守れなかった!!」


ことりは身を震わせながら、声を絞り出す。


ことり「怖かった…今も怖い…っ…!次は穂乃果ちゃんと海未ちゃんがいなくなったらって、私は、私は…!」

海未「なら!!何故いなくなったのです!私たちの前から…大切な存在がいなくなる恐怖を知りながら…!」

ことり「それは…!二人だけじゃなくて、守らなきゃいけないものがたくさんあって…!!」


思い詰めたように首を振る。
そんなことりを見つめながら、海未はその髪を撫でる。


海未「……一緒に悪と戦う。それではいけなかったのですか」

ことり「……一緒に…」


海未の瞳はまっすぐにことりを見つめている。
口にした言葉はとてもシンプルで、しかし力強く。


海未「乱心してからは知りません。ですが、ことりが“洗頭”を使ってしまった最初の要因は、戦う力がなかったから。そうなのでしょう?」

ことり「………」


海未はにこから、“鳥面”の初期の犯行現場の様子を聞いている。
悪党との戦いで大柄な男を相手に窮地に追い込まれ、落ちていた“洗頭”を突き立てて注入することで難を逃れた、そういう痕跡があったと。

その一度から、徐々にエスカレートしていったわけだが…


海未「私がいれば、そんな輩は叩きのめしてみせました。穂乃果がいれば、機転を利かせて上手く切り抜けてみせたでしょう」

ことり「………うん」

海未「私たち三人でいれば、そんな非合法な薬に頼らずとも悪党を捕らえて警察に引き渡す。それくらいのことはできたはずです。
真っ当な手段で強くなって、アライズ団への反撃の機会を待つこともできました。それなのに…」

ことり「………そう、だね……」

ことりはうなだれる。返す言葉が出てこない。
思い返せば綺羅ツバサ、彼女の去り際に囁かれた“手段を選ばず強くなれ”という言葉が呪縛として、ことりの心を闇へ、闇へと向けさせていた。
三人でいれば…大好きな二人と一緒にいれば、もっと違う道もあったはずなのに…!

ありえた他の可能性。
それを提示されたことで、ことりの心を頑なにしていた最後の楔、綺羅ツバサの呪縛が崩れ去る。

ことりの瞳からは大粒の涙がボロボロと零れ落ち、海未はそんな幼馴染をぎゅっと強く抱きしめる。


海未「……二度と、離れないでください。私から。穂乃果から」

ことり「うん……うんっ……」

取り返しのつかない過ち、その傷を埋めるかのように、自分の温もりを冷え切ったことりの体へと移すかのように。
そんな様子を、希は起き上がれないまま微笑ましげに眺めている。

そんな視線に気が付き、海未はハッと。
恥ずかしかったのか、咳払いを一つして一言追加。


海未「その前に、あなたは牢屋行きですがね!」

ことり「……ふふ、厳しいなあ…海未ちゃんは…」

海未「法律のことはわかりませんが……待ちますよ。10年でも20年でも、お婆さんになってでも。それから…一緒に旅をしましょう。三人で」

ことり「……うん」


月光に、約束を交わす。
そんな二人のすぐ近く、巨影を落としながら青の土兵、ゴルーグが着陸した。
その背上からにこが軽やかに降り立ち、どうにかその暴走を収めたことりの姿を目に、軽く肩を竦める。


にこ「ったく、お騒がせ娘ね」

ことり「……ごめんなさい。手錠を…」

ことりは神妙に手首を差し出す。が、にこはヒラヒラと手を煽ってそれを流す。


にこ「アンタは保留。にこは今、アライズ団絡みで超…絶!忙しいの。ゴルーグは定員オーバーだし、後から自分で自首でもしときなさい」


そう告げるとグロッキー状態の希を背負い、「もう一働きしてもらうわよ」と声をかけながらゴルーグの背に戻る。

「ええ…まだ働くん…」とボヤく希へ、にこは首を反らして後頭部で頭突きを一つ。


にこ「四天王でしょうが」

希「そうやけど…」

にこ「……希が頑張ったのはわかるわよ。ことりの顔を見ればね」


ことりの目に宿っていた険相が解きほぐされている。

海未が掛けた言葉は最後のひと押しになったのだろう。

けれどそこまでを持っていったのは希が戦闘の中に苦心して仮面を打ち破り、罪と向き合わせ、本音を引き出して悪心を削ぎ落としていたから。
その過程を経ずに海未が同じ言葉をかけていたとして、それはことりの心に響かなかったに違いない。
ボロボロになったにも関わらず美味しいところを持っていかれて、そんな希を、にこは悪友めいた笑いで労った。


にこ「ま、お疲れ」

にこと希の隣、巨兵の上からは赤髪がちらり。
真姫がひょこりと顔を覗かせて、地上へと目を向ける。

海未に抱きしめられたことりの姿を目に、怒ったような顔で、うるっと瞳を潤ませ、涙声で語気を荒げる。


真姫「本当に、本当に…心配したんだから…!後で思いっきり文句言ってあげる。ことり、覚悟してなさい!!」

ことり「うん…ごめんね、真姫ちゃん…」

真姫「っ……ぅ…!行くわよ!ゴルーグ!!」


安堵の涙を堪えているのは誰の目にも明らか。
そんな健気な年下にも気苦労をかけてしまっていたのを、改めてことりは認識する。

海未に抱きしめられ、真姫と会話を交わし…
となれば、足りないのはあと一人。


ことり「穂乃果ちゃん…穂乃果ちゃんと会いたい…!」

海未「ええ、私もです!真姫のゴルーグが飛び去っていった方向、おそらく穂乃果もいるのではないかと」

ことり「海未ちゃん、行こうっ…!」

海未「はい!」


立ち上がり、手を繋いで走り出す。
共に傷だらけだが、いつ以来だろうか…繋いだ手の温もりが新たな活力をくれる。

あとは穂乃果と合流して二人がかり、問答無用で思いっきり抱きしめる!抗議されてもたっぷり五分は解放せずにいよう!
そんなささやかで幸福な目標へと向けて、海未とことりは影を並べている。

道は今再び交わった。
結ばれた手は固く、もう二度と離れないようにと。




穂乃果「がはっ!!」

凛「ぐにゃあっ!?」


夜天を仰ぐ。
大空洞の天蓋はデオキシスによってこじ開けられ、地下空間は一転、ミカボシ山に大きく穿たれたクレーターといった形状へと変化している。

死屍累々、穂乃果と凛のポケモンたちは既に半数以上が叩きのめされてしまっている。

穂乃果はガチゴラス、バタフリーにリングマが倒れ、加えてリザードンはここに落ちた時の傷で戦闘不能のまま。
凛はオンバーンにポワルン、ズルズキンの三体を既に倒された。

そして今、ポケモンのみならず二人までもが痛烈な念動波に打ち据えられ、地へと伏す。


穂乃果「つっ、よい…!」

凛「なんなの、こいつ…ヤバすぎにゃ…!」


二人は共にマルチタイプトレーナー、その実力はポケモンリーグへと挑めるレベル。
そんな穂乃果と凛が圧倒されてしまうほどに、上空を浮遊するデオキシスの戦力は圧倒的。
“野生ポケモン”で語れる枠を超越している。

触腕を軽く一薙ぎ、放たれるサイコエネルギーは暴威を成して地表を凹ませる。
二人はその範囲から辛うじて左右に跳びのきつつ、それでも波動の余波に内臓が軋む!


ダイヤ「穂乃果さん!凛さん!っ、この…わたくしのプリン…ではなくプクリン!“でんじは”ですわ!!」

『プクッ!!』


放たれる電力の波。ダイヤは手持ちの一体プクリンへと指示を下し、デオキシスを痺れさせることで戦線のペース掌握を狙っていく。
だが、デオキシスは瞬時、その姿を変性させる。

ボコポコ、ウネウネとほんの一瞬の蠢き。
まばたき一つ。たったそれだけの隙しか生まず、その姿は攻勢のアタックフォルムから神速、スピードフォルムへと変化を遂げている。

頭上、デオキシス統合体とでも呼ぶべきその個体の戦闘力はそれまでの個々と次元を異にしている。
フォルムを自在に切り替えることで、攻撃力、防御力、速度、全てが生物としての限界域に達しているのだ。
どれほどの脅威かは推して知るべし。

そして電磁波を横目に空を横滑り、悠々の回避を為してみせる!


ダイヤ「そんなっ…!?」

『プクぅ…!?』


ダイヤは目を丸く、プクリンは元々丸い目をもっと丸くして驚きを隠せない。

電磁波は決して必中技ではない。
読まれ、挙動を見破られて避けられることは往々にしてある。

だが今、デオキシスの意識は穂乃果と凛へと向けられていた。
不意を打ったタイミングでの射出。それを避けたということはつまり、放たれるのを見てから回避したという事。


ダイヤ「速すぎますわ…!」


驚愕に息を飲み…だが、ダイヤも無論腕利きのジムリーダー。
一手が無駄に終わったからと傍観に移ることはない。既に次の指示を下している。


ダイヤ「ボスゴドラ、“もろはのずつき”ですっ!」

穂乃果「ドリュウズ!“アイアンヘッド”だよっ!」


穂乃果と目配せを交わしての同時攻撃!
猛烈な速度で避けるというなら数で押せ。向こうは戦力で言えばデオキシス四体分のようなもの。遠慮は一切不要!

左方、先んじての近接は穂乃果のドリュウズ。
潜んでいた地中から飛び出すやいなや、猛掘削の螺旋回転を維持したままに宙空のデオキシスへと向かっていく。

じめん・はがねという低速になりがちな両タイプを有しながら意外に速い動作はドリルが故。
眼光は負けん気に溢れていて、性能では圧倒的な格上を誇る異星人へもまるで臆さず。
鋭利な突端、頭部の金属をデオキシスへと向けて迫る!

対し右方、鋼岩の怪獣とでも呼ぶべき姿のボスゴドラは頭突きを放っている。
たかが頭突きと侮るべからず。自傷をも厭わない思い切りから放たれる“もろはのずつき”は、いわタイプに分類される攻撃の中で最高峰の威力を誇っている。

そしてボスゴドラの頭部を覆う兜めいた重金属は、反動の衝撃を一切通さない。特性は“いしあたま”!
その巨体を存分に活かし、サイズ、重量差で圧倒してやろうとハンマーめいて打ち付ける!


穂乃果(わざとタイミングを少しずらしてあるよ、両方に対応は難しいはず!)

ダイヤ(どちらかの攻撃が決まれば良し。一撃を与えれば畳み掛ける足掛かりになりますわ)

穂乃果「いけえっ!!」


『……キリロロロロルルルル』

応じ、デオキシスが漏らす奇怪な声。
意味はまるで理解できないが、迫る二体を交互に眺め、素早く値踏んでいるような…

グリンと転瞬、デオキシスは上体を逸らしてドリュウズを迎え撃つ。
両の触腕を束ね合わせ、そこに結集する“ゆらぎ”。
エスパータイプにとっての主軸技、サイコキネシスの発動だ。
それを球体状に圧縮、ドリュウズへと叩きつける。

特攻の極致から放たれるその威力は常軌を逸したレベル。
ドリュウズは全身の体細胞を軋ませられ、痛烈な勢いで地上の水場へと叩き込まれる。上がる水飛沫!!


『ド…りゅううう…っ!?』

穂乃果「ドリュウズっ、ごめん!!」

ダイヤ「なれば、好機ですわ!!」

『ゴオオオオッ!!!!』


ボスゴドラの一撃が叩きつけられる!!!

その威力は空中にも関わらず、直撃の余波を空震としてピリリと感じるほど。
やったか?とは口にせずとも、穂乃果とダイヤは期待をせずにはいられない。

だが、デオキシスは甘くない。
ずんぐりとした防御態、ディフェンスフォルムへと変じてその衝撃を受けきっている。

無論、無傷ではないが…


『ロロロルルル』

『グ、オオッ…!!』

穂乃果「ボスゴドラが倒れた…っ」

ダイヤ「“カウンター”…ですの!?」

穂乃果は唖然と驚き、ダイヤは唇を噛みつつ昏倒したボスゴドラをボールへ戻す。

まるで予想していなかった。
二人は油断していたわけではない。これまでの戦闘で、“サイコブースト”、“サイコキネシス”、“じこさいせい”、加えて凛のオンバーンを落とした時に“でんじほう”らしき技を見せている。
これで計四つ、技の全てを把握したと思っていた。だが…


穂乃果「五つ目の技…っ」

ダイヤ「形態ごとに、技は別なのでしょうか…なんて底知れない」


宇宙の脅威へと英玲奈が居合わせた偶然が攻撃性を与え、生まれたのは恐るべき怪物。
さらに手持ちを減らされ…しかし、穂乃果とダイヤの二撃、その両方が囮!


凛「ヘラクロスっ!!“メガホーン”だぁっ!!!」


凛のヘラクロスが三段目にして本命!!
怪力無双の一本角、カブトムシに似たヘラクロスがそのツノをデオキシスへと迫らせている!!

むしタイプの技とエスパー、タイプ相性は絶好。
虫の羽音や躙る音は超能力を発動するための集中を乱す。
念力の防御転用が遅れ、故に刺さるのだ。

そのむしタイプの技の中でもヘラクロスが放つメガホーンは最高峰の威力。
つまり、決まれば必倒!!


凛「デオキシス、そういえば見たことあったにゃ。かよちんが持ってる“伝説のポケモン伝説”で!凛が捕まえるよ!!」


ボールを手に、凛は捕獲体制へと移行している。
休眠するさえ与えない構え、全身の神経全てを捕獲の瞬間へと集中させている。伝説ハンターとしての本願を成就させるべく!

迫るヘラクロスを視認。
デオキシスは人間とは種類を異にする思考回路の中に、どう動くべきかと数億パターンの行動を想定、瞬時に試行を重ねて最善を探す。
そして導き出された解答は…“本気を出す”。


『キュ…ォォォオオオオオ!!!!!』


凛「え…っ!?」

穂乃果「凛ちゃんっ!危ない!」

ダイヤ「いえ、これは…!この空間全体が!!」


発動する“サイコブースト”、その威力はあまりにも凄絶。
デオキシスを中心にサイコエネルギーの光球が拡散し、三人とポケモンたちを飲み込んだ。

………静寂。

穂乃果、凛、ダイヤ、三人ともが倒れ伏している。

デオキシスは未だ全力を見せていなかった。
高火力のヘラクロスに迫られるという窮地において、今見せた“サイコブースト”がようやくの完全なる一撃だ。

もちろん人間とは異なり、侮りからの行動ではない。
全力を出せば負担が大きい。
サイコエネルギーの完全開放は、その後しばらくエネルギー出力を低下させてしまう。
現に今、デオキシスの特攻はそれなりの低下を見せている。

だが…三人のトレーナーたちを昏倒へと追い込めた。
デオキシスにとって想定通り、納得の戦果だ。

穂乃果たちはとっさ、苦肉の策としてポケモンに庇ってもらっている。
それぞれリングマ、ガオガエン、プクリン。
リングマとプクリンは完全にダウンしてしまっていて、あくタイプとしてエスパー技への耐性を持つガオガエンだけが無事。

それでも常軌を逸した波動の威力に意識が朦朧、身動きが取れない状態へと追い込まれている。デオキシス統合体、常識で測れる存在ではない。

そしてデオキシスは、統堂英玲奈からトレースした殺意を発揮する。
あくまで機械的に三人の危険性、殺めるべき優先度を図る。
そして触腕を伸ばし…未だ健在のガオガエンの所有者、凛の体を搦めとる。


凛「………」


気絶している。
凶性露わな触腕に四肢を拘縛され、首をがくりと前に垂らしたまま反応はなし。

デオキシスは英玲奈から学習した“殺人”という行動の意味合いを理解できていない。
ただ同族、英玲奈はこの星の人間社会にどうやらそれなりに溶け込めているようで、それなら真似ておいて間違いはないだろうと。


(あるいは、この星の価値観では友好を示す行為なのかもしれない)


人語とは異なる思考回路ではあるが、そんなことを考えている。
事実、英玲奈は海未のような歯応えのある殺害対象を見つけた時に喜びと好意を感じる性格だ。
その感情を忠実に、寸分違わず感じ取ってしまっていて、重ね重ね、デオキシスと英玲奈は最悪の組み合わせと言える。

故に、デオキシスはいたぶるように殺す。

宇宙の放浪者は辿り着いたこの星の先住者、人間へと“どうぞよろしく”という意思を伝えようと、遊ぶように殺めようとしている。

複数の触腕が凛の手首へ、足首へと巻きつく。
シュルルと絡み、それぞれの方向へと力を。
牛裂きの拷問めいて、ゆっくりと徐々に力を込め始める。

凛はまだ気絶したまま。しかし、みし…と関節が軋み…!


ダイヤ「させません、わ…!」


黒澤ダイヤが立ち上がる。

ダイヤ「っぐ…ぁ…!!」


滴る紅血、穿たれる肉体。

デオキシスの触腕は凛を一旦放棄し、ダイヤへとその鋒を向けている。
凛を拘束するために細く複数に分かれていたのが再び二本へとまとめられている。
その形状は遺伝子めいて螺旋、オレンジと青緑は強靭にしなりながら攻撃性を示す。

優先度の問題だ。
デオキシスはあくまで友好を伝えたいのであって、そのためには気絶している凛よりも意識を取り戻したダイヤへの攻撃が優先される。
プラス、攻撃してくるので倒されないように応じているという意図も優先度の判断には関わっているが、とにかくターゲットはダイヤへと移行している。

そして触手の先端は、ダイヤの肩口と太腿を貫いている。
その身体にはデオキシス細胞が入っているわけだが、全身の体細胞に占める割合が少ない。
同族と判断されるには至っておらず、故に攻撃対象。

血を流し…しかし、怯まず。
ダイヤは刺さった触手を掴み、痛みに唸りながらそれを引き抜く。


ダイヤ「デオキシス。貴方が一体、何を考えているのかは知りませんけれど…」

『キキュキキキリリ…』

ダイヤ「穂乃果さんも、凛さんも、わたくしより年下。つまり…妹のようなものです」

『キラロロロロ』

ダイヤ「そんな妹たちが窮地に置かれている。ならば…姉が守るのが道理というものでしょう!!」


刺突!刺突!!
腹部と胸元を抉られて、ダイヤはしかし退かず。
何故だかはわからないが、痛みはそのままだが、傷が塞がる体質になっている。
きっとそれはロクなものでないという実感がある。だが、今二人を守るためには悪くない。


ダイヤ「征きますわよ、メレシー」

『メレレっ!!』


残る手持ちは最後の一匹、メレシーだけ。
それでもダイヤは不退転。守るため、前へ!

ダイヤ「ぐううっ…!」


抉られる。捻られる。


ダイヤ「あ、ぐっ…まだ!!」


捕まれ、叩きつけられる。


ダイヤ「その程度ですの…!?がはっ!!」


両の肺を裂かれ、喉を貫かれる。
潰され、落とされ、地面へと擦り付けられて赤く擦り削れる顔。

ダイヤの悲鳴がクレーター内に響き続けている。
デオキシスの意図はどうあれ、その様は完全なる拷問だ。

それでも癒える、癒える、癒える。
移植されたデオキシス細胞の効果は凄まじく、ダイヤは自らの人外を自覚する。
だが…繰り返すが、痛覚は消えていない。
美しい黒髪はぐしゃぐしゃに乱れきっていて、終わりの見えない苦痛劇に、翠緑の瞳にはいっぱいの涙が湛えられている。

しかし…それを流さない。堪え、歯を食いしばり、ダイヤは立ち向かい続ける。

生来、泣き虫で怖がりで寂しがり。
そんな自分でも、誰かのためなら頑張れるとダイヤは知っている。
大好きな妹、ルビィを守るために培い続けてきた勇気と意思。
その精神は名の通り、まさに金剛の如し!

吼える!!!


ダイヤ「まだ、ですわぁ゛ああっ!!!メレシー!!“パワージェム”!!!」

『メェェッ…レッッ!!!!』


岩弾から放たれる光!
複数の光射がデオキシスへと襲い掛かり…しかし、弾かれる。
メレシーの小柄な体は横へと跳ね除けられ、そしてディフェンスフォルムの堅固な腕がダイヤを地面へと叩き潰す。


ダイヤ「うあ゛ッ!!!」

『メレエエエッ…!!!』


大好きな主人が蹂躙されている。自分の力が足りないせいで…!
メレシーの声は悲痛に満ちている。
つぶらな瞳から宝石のような光が溢れる。それはきっと涙なのだろう。

黒澤ダイヤは徹しきれないトレーナーだ。

ジムリーダーにまで上り詰めた腕前にしては珍しく、パーティ構築に情を挟みまくっている。
例えばプクリンはルビィがピッピを育て始めたのと一緒に育て始めたポケモンで、戦闘用としてはそこそこの性能なのだが、愛情そのままにレギュラーとして連れている。
その他のメンバーも性能で選んだというよりは何かしらの縁があったポケモンたちで、こと戦闘力という観点で見ればまずまずの評価に留まる面子だろう。
その構築でジムリーダー認定を受けるだけの強さなのだから、凄まじい才覚だとも言えるのだが。

そして同じように、メレシーにも情がある。

出会いはとある日、とある洞窟で。
メレシーという種族は“ほうせきポケモン”と類される通り、その体がダイヤモンドのような鉱物で構成されている。
きらきらと光り、もちろんその体は硬質。しかし決して戦闘力に恵まれたポケモンではない。

そんなメレシーは、宝石を主食とするヤミラミから捕食の対象として狙われている。
逃げ果せる場合も多いのだが、自然界は厳しい、捕食されてしまう場合ももちろんある。
そんな場面に、ダイヤが偶然通りかかったのだ。

ヤミラミを追い払い、齧られて弱り切っていたメレシーに応急処置を施し、用事を放り出してポケモンセンターへと駆け込んだ。
そのまま手持ちへと加わり、情が移って連れ歩いている。


ダイヤ「ふふっ…あなたもわたくしと同じ、ダイヤですのね」

『メレ?』

つまり、メレシーにとってダイヤは命の恩人。
助けてくれた、と言葉にしてしまえばシンプルな話。
だが、瀕死だったところに励ましの言葉を掛けながら手当てをしてくれた優しさに満ちた瞳がメレシーの心にずっと残っている。

そんなダイヤが今、目の前で殺されかけている。


ダイヤ「っっ…ぐ…ぁ…!!」


いくら傷付けても修復するダイヤに業を煮やしたのか、デオキシスはその頭蓋を地へと押し付け、圧を掛けて砕かんとしている。

そんなのは嫌だ、絶対に嫌だ!

デオキシスはあまりに強い。
先のサイコブーストの波動は凄まじく、ダイヤとは違い生身で巻き込まれた穂乃果と凛は未だに目が覚めずにいる。
そんな相手に、メレシーに何ができるわけでもない。
それでも、飛び込まずにはいられない。
救ってもらった命、ここで捨てたって構わない。
そんな覚悟に、メレシーは身を躍らせる。


ダイヤ「めれ…しー…!」

『メレェッッ…!!!』


放たれる薄紅の光。
それは先刻、ダイヤが三体のデオキシスたちに殺される寸前に放たれた輝きと同じ。
その光はメレシーから放たれていて、デオキシスは思わずダイヤから離れて飛びのいている。

それは一体…?

が、デオキシスは脅威を排除すべく、すかさずアタックフォルムへと移行する。
手元へと結集させるサイコエネルギー、“サイコキネシス”の念波弾。
特攻が落ちているとはいえ、メレシーとダイヤを葬り去るには十分だ。


ダイヤ「っ…どうすれば…!」

絵里「信じなさい」

ダイヤ「…!!?」

遥か上空、夜空を舞うは蒼氷の麗鳥フリーザー。
そしてチャンピオン、絢瀬絵里!

しかし届かない!

まだその高度は、デオキシスへと向ける凍結の射程範囲外。
間に合わない…故に、絵里はダイヤへと語りかける。


絵里「信じなさい。あなた自身の力を。あなたとポケモンの絆を!」

ダイヤ「エリーチカ…」


遥か上空。
大声を張ったとして、聞こえるかは怪しい距離だ。
しかし絵里の声は落ち着いた威厳に満ちていて、女王の言葉は重みを持ってダイヤの身骨へと染み渡る。
それは生死の際、研ぎ澄まされた感覚が生むトレーナー同士の共鳴。

ファンだから?
否、高みを目指すトレーナーだからこそ。

その声は箴言めいて、ダイヤの心臓へと強く根を張る。
憧れのエリーチカ、絢瀬絵里。
少しでも近付くため。いつか、いつか越える日のため…!


ダイヤ「こんなところで…止まれませんわね」

『メレッ!』

ダイヤ「メレシー、あなたが秘めている力…その全てを!わたくしに示してくださいっ!!!」


絆…要因はそれだけではない。

海未や希たちが語っていたように、ポケモンには“合う土地”がある。
それは例えば、レアコイルがテンガン山などの特定の場所でジバコイルに進化するように。
同じように、メレシーにとってミカボシ山という場所の地気、さらに英玲奈が言ったように特殊な鉱石が数多く眠るこの大空洞という場所が強く影響を与えたのかもしれない。

だがやはり、主因はトレーナーとポケモンの交わした深い絆!!

メレシーを包み込んだ薄紅の極光が薄れ…
進化しないはずのメレシーが、新たな姿へと進化を遂げている。
あるいは図鑑の文に沿うならば、それは突然変異!


ダイヤ「その輝き…本当に、本当に素敵ですわ。ディアンシー!!」

『ディアアッ!!』


姿を現した伝説のポケモン、その顕現はピンクダイヤモンドの稀少なる輝きと共に。
ダイヤとディアンシー、少女とポケモンは心を一つ、デオキシスの強撃を迎え撃つ!

二撃。

絵里が高空からの攻撃圏にデオキシスを捉え、攻撃を放ち、着弾するまでの間を測る。
その距離と相対のスピードを鑑みるに、デオキシスは二度の攻撃行動が可能だ。

ディアンシーは伝説のポケモンと呼ばれるに相応しい能力を有している。
だがこと攻撃性において、デオキシス統合体は未だその上を行く。凌げるか?


ダイヤ「問題ありませんわ」


メレシーからディアンシーへの変異に伴い、その姿と共に技までが書き換わっている。
性能把握はできていないが、何ができるのかはそれとなく伝わってくる。
伝説のポケモンとしての力でダイヤへと気持ちを疎通しているのだろうか。
理屈はわからないが、迎撃には不足なし!


ダイヤ「ディアンシー、“ダイヤストーム”ですわ!!」

デオキシスが念波弾を撃ち放つと同時、ダイヤの指示にディアンシーが応じている。
鉱物に耳と目が生えたようなメレシーの姿から、鉱物に妖精を思わせる人型の上半身が付随した、そんな姿へと変化している。

その身を構成するのはダイヤモンド。
ただし、普通のダイヤではなく極めて稀少なピンクダイヤモンドの輝きだ。
故にディアンシーは、世界一美しいポケモンと称される。

そして攻撃へ。
小さな両掌を重ね合わせ、その隙間へと空気中の炭素を取り込んで超圧縮。
無尽に生み出されるのは大量のダイヤモンド!

通常であれば数百キロの地底で、地熱の高温と高圧に炭素が晒され続けることで生まれる美しき鉱石だ。
それを掌で瞬時に為してみせるのだから、愛らしい容姿とは裏腹、秘められた力はまさに伝説級!

その玉石を一斉に解き放つ!!


『ディィッ…アァッ!!』


ダイヤストーム!!
名の通り、その様はまさに金剛の嵐!

それも単なる宝石弾ではなく、一発一発にディアンシーのエネルギーが込められている。
砲弾のような威力のそれが互いにぶつかり跳弾に次ぐ跳弾!
質、量ともに極大の一撃としてサイコキネシスと激突!!

絵里「ハラショー…!」


上空、絵里は感嘆に笑みを漏らしている。

放たれた無数の宝石は超念波との衝突に砕け、微塵の粒子となって空間に舞っている。
夜空から降る月光がその綺晶を照らし、サイズもカラットもバラバラの石霧は光を乱反射させ、空洞全体が幻想的な煌めきに包み込まれている。

寒冷地では大気中の水蒸気が昇華し、微細な氷晶として降ることがある。
それが陽光に照らされたものを宝石の輝きに例え、ダイヤモンドダストと称するのは有名な話。
氷ポケモン使いかつ北方出身の絵里は、その大気光象をそれなりの頻度で目にしている。

だが、眼下の光景はさらなる光輝。
比喩ではなく、正真正銘のダイヤモンドダスト!
ディアンシーが生み出したその美麗に、ダイヤもまた感動に息を吐き…

だが、デオキシスは待ってはくれない!!

それはまさに種族値の暴力。統合体の素早い情報処理が生み出す即時の連撃。
触腕を束ね、サイコエネルギーを電力へと変換。
オレンジと青緑、二本に生じる意図的な電位差。その間には大気中の塵芥を擬似的な電気伝導体、弾丸代わりに装填。


ダイヤ「それは凛さんのオンバーンを倒した…!」

絵里「“でんじほう”。擬似レールガンというわけね」


生体コアが起雷に発光を始めていて、射出までは既に秒読み。
いかにディアンシーであれ全力で大技を解き放った直後、まだ次動へは移れない。
絵里が至るまではあとわずかのタイムラグがあり、まさに絶体絶命…!


ダイヤ「否、これにて手番は満ちました」

凛「“ボルテッカー”ッッッ!!!!」


駆ける迅雷、激突は刹那!
凛のライチュウがデオキシスの真横から突貫を仕掛け、射出された“でんじほう”をギリギリで相殺!!

デオキシスはその雷突の直撃からは敏捷に逃れていて、それでもダイヤを救ったという結果は十分。
しかしながら、凛は悔しげに足踏み一つ。


凛「ああー、惜っしいっ!」

ダイヤ「凛さん、助かりましたわ!」

凛「ううん!凛こそなんだかダイヤちゃんに助けてもらった気がする!」


自身が無惨に殺されかけていた事実を、気絶していた凛は知る由もない。
だが凛は存外、利発なところもある少女。
メレシーがディアンシーへと変じた際の発光で意識を持ち直すと同時、戦況を見て取り、ダイヤが一人で粘闘を続けていたことを理解したのだ。

デオキシスが距離を置いたのを確認してからくるりと一回転、ダイヤへと向き直って感謝の笑顔を向け、隣のディアンシーへと目を向ける。

凛「ねえねえ、その子ディアンシーだよね?」

ダイヤ「ええ、わたくしのメレシーが進化…なのでしょうか。……変身しましたの!」

凛「いいなー!!凛もぜーったい、伝説ゲットするんだもんね!」


凛と同じく復帰したガオガエン、ボルテッカーから戻ってきたライチュウを両隣に、ハイパーボールを手に。しかし凛は仕掛けない。
ダイヤもディアンシーを従えたままに静観を決め込んでいて、それは何故か?

舞い降りる蒼鳥、滑空。
その足を掴んだ手を離し、降り立つ少女。ふわり、靡く金のポニーテール。

絵里が来た!!

絵里「フリーザー、“れいとうビーム”」


応じ、高らかに嘶き。
フリーザーの嘴から空中へ、六花の文様が罅走る。
その中心の温度が見る間に下がり、放たれる蒼白の光。

降り、細く鋭く。デオキシスはそれを紙一重で回避する。
着弾…からの瞬時、五メートル規模で隆起する氷塊!!!
だがフリーザーと絵里の表情を見れば、最大出力にまだ程遠いと見て取れる。


凛「なっ、何あの威力!?おかしいにゃ!!」

ダイヤ「あれこそがエリーチカのフリーザー!その精度と凍結力はトレーナー史にも稀、まさに伝説的なレベルなのです!!」


歩調は優雅に、異星人との対峙にも余裕すら漂わせ。
凍気に青く軋む空間に、絵里はデオキシスへと声を投げる。


絵里「友人たちを痛めつけてくれたようね」

『キリリロロロロロロロ』

絵里「悪気があるにせよ、ないにせよ…教育が必要ね?」

ダイヤ「え、エリーチカぁ…!!!」


「クールですわぁ~!」という声にウインク一つ、華麗に決めてのチャンピオン登場!

…と、そんな華麗は実のところ外面だけ。
タッチの差で間に合わずにダイヤたちが死にかけていたのを目の当たり、心臓はバクバクとはち切れそうに高鳴っている。


絵里(ま、間に合わないかと…ふう、良かったぁ…)


だが、その動揺を悟らせないのが女王たる所以。

加勢しようかと窺う凛とダイヤを目で制し、単身継戦。
凛はガオガエンとライチュウ、ダイヤはディアンシー。
二人の手持ちは既に少なく、仮に突破されればトレーナーが危ない。

(防戦に徹しててね)と。

そして絵里はフリーザーを空へと舞わせ、超威力の冷凍ビームでデオキシスを追い立てる。
と同時、次の一匹をボールから繰り出している。

現れた姿は青の六花そのもの。
そこに奇怪な笑みが貼りついたような、まさに氷の化身と呼ぶべき怪物的なポケモン。
外見からの印象そのまま、生み出す冷気は強烈無比。


絵里「フリージオ、重ねて“れいとうビーム”」

『シャラララ……』


射出!!
パキキと凍る空気、立体に霜走る氷線。
二本の冷凍ビームは交差軌道でデオキシスへと迫り、絵里は必中を確信する。
だがデオキシスはそれすらを上回る。


絵里「блин…」


ハチノタウンで無数のデオキシスシャドーたちと戦闘を重ねた。
そこから本体戦力にある程度の予想を立てていたのだが、それを大きく上回る敵の性能。

絵里は母国語で悪態を一つ、そこへと迫る触腕。
絵里を別格の強者であると認識し、接敵から直接サイコキネシスを撃ち込もうというのだ!

だが、慌てず。


絵里「フリージオ、受けて」


その一声にフリージオが前へ。
結晶体の体を盾と晒し、そこへ叩き込まれる念動の光球。
空間が歪み…と、フリージオの体が溶けて霧と化す!
サイコキネシスの直撃に耐えきれず、微塵に分解されてしまったのか!?

いや違う。フリージオというポケモンは高い特防を誇っている。
それはその性質、自身の体を温度変化に応じて水蒸気へと変えられるという特徴に基づいている。
特殊攻撃の多くは属性を問わずエネルギーの結集体。
それを体を霧消させることで受け流し、故にフリージオは高い耐性を得ているのだ。

と、理屈はいい。
結果、フリージオの蒸発にサイコキネシスを受け流されたデオキシスは瞬時、絵里の面前に無防備を晒している。
一撃を放った直後、いくら統合体とはいえ次撃にはタイムラグを要する。

だが、触腕で人間を貫く程度は技と呼ぶまでもなく容易。
期せずして接近できた絵里へ、その腕の切先を鋭く伸ばす!

凛「うわ?!危ないにゃっ!!」

ダイヤ「いいえ、問題ありませんわ!」

絵里「触手はうねりに目を惑わされがちだけど、多くの場合は先端を注視すれば対応可能」


ロシア武術システマ、状況に即して効率化された軍隊格闘術。
ピンと背筋を伸ばして絶え間なく移動を続ける様子には隙がない。
型に嵌めた技を繰り出すと言うよりは相手の武器に即した戦術で応じる実戦体術であり、もちろん対ポケモン用の技術も含まれている。
絵里はそれを非常に高いレベルで修めていて、その実力は綺羅ツバサと体術戦で渡り合ってみせたほど。
ナイフの一撃を腕へと受けはしたが、ツバサへも痛烈な殴打を数発見舞っている。

そして今、迫るデオキシスの腕を絵里は見切る!
背筋は伸ばしたままに身を傾け、二の腕と肩を巧みに使って受け道を作る。流し、叩き込む蹴撃!


絵里「フっ!!」

『ッロロロキュラ…!』

もちろん人とポケモンの能力差は大きい。ダメージを与えるには至らない。
だが勢いは鋭く、デオキシスを触手のリーチ外へと押し出すには十二分。
その間にフリージオが元の姿へと戻っていて、間を遮り再び絵里を守る。

どうにかではあるが、既知の方法で触腕を受けられたことに絵里は笑む。


絵里「あなたのもそうみたいね」

ダイヤ「さすがエリーチカですわ~!!」

凛「ダイヤちゃん、ただのファンになってるにゃ…」


絵里(さて…)


数撃の交戦を踏まえ、絵里は決着までの手順を脳内に数える。
追い立て、道筋を制限し…そこまではいい。
だが一手、火力が足りない。


絵里(メガユキノオーで大雑把に凍らせる?だけどパワーがありすぎて吹雪の中に視認性が落ちる。不意を打たれる可能性がある。だとして…)


ふう、と一息。
必要なピースはすぐそこにいる。
未だ眠りこけているあと一人へ、絵里は穏やかな声を掛ける。


絵里「穂乃果、そろそろ起きなさい」

凛がディアンシーの光で目覚めることができたのは、デオキシスに一度絡め取られた際に位置が近付いていたから。
眩い光をたっぷりと浴び、絶たれた意識をバッチリと繋ぎ合わされたのだ。

対して穂乃果。
デオキシスから狙われなかったのが幸か不幸か、当初倒れた位置にうつ伏せのまま。
このまま、大一番に伏し続ける…?

否、絵里は問いかける。


絵里「そんな器じゃないでしょう?」

穂乃果「…ぅ、絵里ちゃん…?」


憧れのチャンピオン、絢瀬絵里。
知り合い、友達になり、なんとも親しみやすい人柄を知った今でも実力では遥か高みに座す存在。憧れは変わらない。

けれど今はもう少し、あと少しでその高みに指がかかる位置へと来ている。
なのに、だというのに!
こんなところで眠っている場合じゃない!!


穂乃果「ファイトだよっ…私!!」


その意志力で頭脳と神経を強制的に再接続。
掌で砂地を噛み、膝を突き上げ、這うようにして穂乃果は立ち上がる。
穂乃果はそこで、ふと気付く。


穂乃果(あれ、手に何か握ってる…?)

目を向け…なんだろうと穂乃果は首を傾げる。

それは二色に分かたれた一つの石。半分は橙に、半分は蒼く。
その石の中心には強烈な力強さを感じさせる何かがうねっている。
英玲奈の言っていた特殊な石の何かしら一つだとは思うのだが、いかんせん用途がわからない。
しかし何故か、その石から目が離せず…


絵里「それはメガストーン。運命に選ばれた者が手にする石」

穂乃果「めが…メガストーン!?これそうなの!?なんとなく拾ってただけなのに!!?」

絵里「ぐ、ぐいっと来たわね。クールに行こうと思ったんだけど…とにかく、偶然は必然。その石は穂乃果の運命に引き寄せられたのよ」

穂乃果「運命…」

絵里「心を澄ましてみて。どの子に使える石か…感覚で」

穂乃果「………」


絵里と会話を交わす、その間にも戦闘は続いている。
轟々と響く戦音。しかし、穂乃果は不思議と集中を深めていく。

……呼び声。

聞こえている。何処から?
吸い寄せられるように、穂乃果は腰のボールへと手を伸ばしている。
それは既に戦闘不能の…しかし、穂乃果は迷わない。


穂乃果「運命っていうなら…答えは一つだよ」


開かれるボール、逆巻く竜炎。
満身創痍に牙を剥き、漏らす気炎に自身を奮わせ。
そして瞳に宿すのは、穂乃果と同じ折れない心!


『リザァァァァッッッ!!!!!!』


リザードンが高らかに吼える!!!

飛翔。

穂乃果はリザードンの背に乗り、繰り広げられる戦線のその上へ、上へ。
何故だかはわからないが、今のリザードンには空こそが相応しいと思ったのだ。

デオキシスは一度倒したはずのリザードンが再び舞っていることに警戒を抱いたのか、目掛けて放つは“でんじほう”。


ダイヤ「させませんわ!“ダイヤストーム”!」


弾け、穂乃果とリザードンはさらに上へ。
相棒へと優しく語りかける。


穂乃果「傷、大丈夫?」

『リザッ!』

穂乃果「よしよし、頑張り屋だねえ」

『ザァド。』

穂乃果「子ども扱いするなって?ふふふ、ヒトカゲの頃の素直さを忘れちゃダメだよー」


首筋を撫で、そしてメガストーンをリザードンへと手渡す。
石の名はリザードナイトX.Y。
それは二種の石が長い歳月の中に何かしらの要因で融着したもので、ぴったりと真二つに別れた奇妙な存在。

リザードンはそれを手にし、穂乃果と共に不思議そうに見つめ…

デオキシスが“サイコキネシス”を放つ。それを防ぎ止めたのは凛とガオガエン。

「“DDラリアット”にゃ!!」

ガオガエンはエスパーへの耐性を活かし、打撃で念力波を打ち消してみせた。

そして穂乃果とリザードンは、必要に足るだけの高度へと達する。

天蓋の砕けたクレーター、滞空するは最上部。
上には月夜、見下ろすは遥か地上、蠢き見上げるデオキシス。

穂乃果「感じるよ、リザードン。心臓の音も、体温も、考えてることも」

『………グルル…』

穂乃果「うん、そうだよね。そろそろ……デオキシスの顔は見飽きた!!!」

『ザァァァッッッ!!!!!』


咆哮!!!

穂乃果とリザードン、このコンビにしんみりとした空気は似合わない!

共に抱く想いは三拍子!
眠い!!疲れた!!お腹が減った!!

本来なら今頃、民宿小泉のふかふかの布団でみんなと仲良く眠っているはずだった!
寝る前に二度風呂に浸かっても良かったし、ちらりと見かけた卓球台で遊んだり、ゲームコーナーでレトロゲームに興じるのも楽しそうだった!
もしかしたら楽しさになかなか寝付けず、ぐっすりと寝息を立てる海未の横をそろりと抜けて、廊下の自販機で夜食のカップ麺をすするのも楽しそうだった!

なのに!!
こんな真夜中まで、傷だらけの砂まみれで死闘を繰り広げている!延々!同じ顔のデオキシスと!!


穂乃果「もう帰りたいよー!!!メガシンカっ!!!」

絵里「そんな掛け声で!?」

穂乃果「メガリザードン…Yっ!!!」

『グルォアアアアアッ!!!!!!』

リザードンはメガシンカにおいて、二つの分岐を持つ珍しいポケモンだ。

一つはX体。
黒竜へと姿を変じ、蒼炎を纏った屈強なる進化。

対し、穂乃果が今選択したのはY。
メガリザードンYの体色は依然として橙。しかし翼、腕、尾などの形状が鋭利に、攻撃的に変化している。
加えて外見での最も大きな変化は頭部。元からある二本角の中央に、その二本よりも長く逞しい三本目の角が生えている。

そして何より尾火はより勢いを増して強く!赫赫と赤く!!


ダイヤ「メガシンカ…!」

凛「すごいっ!すごいよ穂乃果ちゃん!」

絵里「ハラショー…!フリーザー!フリージオ!追い込むわよ!」

遥か天に座す炎竜、メガリザードンY。
その姿は暴威を振るい続けたデオキシス統合体に対し、決着撃を放つに足ると絵里に即断を下させる。

氷鳥と氷精は交差、追駆!
絵里が指揮者のように振るう双腕に従い、最大出力で“れいとうビーム”を重ね放つ。
それは計算し尽くされた重畳、リーグチャンピオンの技巧の極致。
デオキシス統合体を上へと逃げざるを得ない軌道へと追い込んでいく。

そして空、穂乃果とメガリザードンYのその上に昇る陽光。未だ夜刻にも関わらず!!


穂乃果「“ひでり”!!」


それは新たなる特性!
メガシンカと同時、リザードンから巻き起こった激烈な炎気は空を焦がし、そして留まる。
熱は形を成し、生み出されるそれは擬似太陽。
夜であれ、曇天であれ、雨中でも豪雪の中でも。
穂乃果とリザードンの絆は、いついかなる時も空を照らす橙の希望へと姿を変えている!!

太陽の輝きは真姫たち、そして海未とことりがクレーターのそばへと駆け寄るための道標となる。
海未とことりは肩で息をしながら、幼馴染の勇姿に心底から嬉しそうに笑みを交わす。


ことり「穂乃果ちゃん…かっこいいっ!」

海未「それでこそです。私のライバル!」

穂乃果「準備完了…」


吸気…
メガリザードンY、橙火の竜は自ら生み出した陽光を背負い、全身に超温の炎を滾らせる。

その背には穂乃果。密接、炎に巻かれている。
しかし一人と一匹は、既に一心同体。

リザードンの炎が自らの体表を焼き焦がさないように、穂乃果もまた炎に焼かれることはない!

絵里に追い立てられ、高速で迫るデオキシス。
その無機質な瞳をまっすぐに捉え、穂乃果は片手を太陽へと掲げる!

穂乃果もまた、すううっと息を吸い…


穂乃果「全力だああああっ!!!!」

『リザアアアァァァッッッ!!!!』

穂乃果「“だいもんじ”!!!!』


解き放たれる大焔。
灼火、煌爆!!!!!

デオキシス統合体へと直撃した竜炎は、着弾から五方向へと大火を拡げる!

それは炎タイプの奥義“大文字”。
デオキシスは同族、スピードフォルムがこの一撃に敗北したことを知っている。

故に、直撃の寸前から先出しで“じこさいせい”を始めていた。
凄絶な炎が燃え尽きるまでを再生で耐え抜き、そして火勢が収まってから治癒に数秒。まだ戦える、まだ…


『!?』


消えない!
全身を包み込んだ炎は可燃性の液体を注がれ続けているかのように、消沈どころかその勢いを烈と増し続けている…!

それこそがメガリザードンYの炎、自ら生み出した陽光により昇華された必殺の竜炎。
そんな異常に気付き、デオキシス統合体は狼狽に身をよじる。

消さなくては…耐えなくては!
同族四体を以ってして、未だこの星への適応の糸口を見出せていない!
これではむしろ、敵対して…

瞬間、デオキシスの目は捉える。
遥か上空、竜の背の少女の朗らかな微笑みを。


穂乃果「あなたもさ、頑張ったよね。そろそろ…友達になろうよ!!」

穂乃果はハイパーボールを構えている!

それだけではない、絵里が、凛が、ダイヤが。
真姫、にこ、希。さらに今駆けつけた花陽と千歌にルビィも。
そして海未とことりが、皆一様にボールを構えている!

モンスターボールは決して洗脳をするわけではない。
ただ、敵意はないのだと、仲良くしようと意思を伝える信号が内部に発されている。
暴れ回るデオキシスを収めるには捕獲、それが一番の良策だ。
そしてボールを確実に当てるには、数で勝負するのが一番!!


絵里「誰が捕まえても恨みっこなしよ!全員…ボールを投げて!!」

穂乃果「ええーいっ!!!」


計、12個のボールが空を舞う!

カツン、コロコロ。

投じられたボールの一つがデオキシスをその中へと収め、ボール中央のランプが明滅する。
揺れる、揺れる。チカ、チカと光り…


穂乃果「止まった…!」

凛「つ、捕まえた!そのボール、誰の…」


絵里とダイヤが歩み寄り、動きを止めたハイパーボールを確認する。
と、クレーターの崖上から「おーい」と声。


希「それー!ウチのみたいやね~!」

絵里「あ、本当ね。希のボールだわ」

ダイヤ「では、デオキシスは…希さんに所有権が!」


ちょうどリザードンのメガシンカが解け、穂乃果は下へと戻ったところ。
捕まえたのが希だと聞き、穂乃果と凛は肩を合わせてへにゃりとへたり込む。


穂乃果「希ちゃんかぁぁぁぁ…」

凛「凛たち結構苦労したのにぃぃぃ…」

希「ふっふっふー、恨みっこなしってね」

まさにラッキーガール。
降りてきたゴルーグからヒョイと飛び降り、絵里からボールを手渡されて飄々と笑顔。


希「いや~、スピリチュアルやね!」

にこ「………」

希「あいた!?にこっち!なんで蹴るん!」

絵里「ふふっ、やれやれ…ね」


結末はどうあれ、長い長いデオキシスとの戦いに終止符が打たれた。
全員が肩で息を一つ。互いを労うように、安堵の笑みを交しあう。


花陽「凛ちゃぁぁん!無事でよかったぁ…!」

凛「かよちん!えへへっ…くすぐったいにゃ…」


ハチノタウンの二人は伝説を捕まえる、保護するという互いの目的を達することはできなかったが、とにかく被害が大きくならずに収まったことに嬉しげだ。
真姫はそんな二人へと「お疲れ様」と声をかけていて、ついでに抱きつかれて「ヴぇぇ」といつもの声を漏らしながらも嬉しげに。

そのすぐ側では、大泣きする声。

ルビィ「おねえちゃああぁぁぁ…!!!」

ダイヤ「ルビィ!ルビィ…!ルビィっ!!」


黒澤姉妹が大号泣している。
気丈に堪えていたルビィだが、いざ姉の無事を目にすれば涙腺は大決壊。
ダイヤもダイヤ、もう会えないかもと覚悟を決めた愛妹の顔を見た瞬間、ルビィと変わらない勢いで泣き声を上げている。

オハラタワーの一件に続いての大号泣となった姉妹を隣で眺めながら、千歌はうんうんと頷いている。


千歌「よかったよかった。ダイヤさんも無事で、これで一件落着!っと、いてっ!」


何かに蹴躓き、コテンと転ぶ。
思いっきり前のめりに倒れ、むうっと不機嫌に躓いた原因の石を拾い上げる。


千歌「ん?なんだろ、これ」

ダイヤ「千歌さあぁぁぁん…!!!ルビィを守ってくれて…!ううっ!ありがとうございます…!!」

千歌「うわあ!?な、涙とかでグシャグシャ…!」


ダイヤから抱きしめられそうになり、慌てて逃げ回る千歌。
それを笑って眺めながら、穂乃果は地面にへたり込んだまま。
「ふぁぁ…」とあくびを一つ。すごく眠い。

そんな穂乃果へ、海未とことりの二人が歩み寄る。

海未「穂乃果…」

ことり「穂乃果ちゃん…」

穂乃果「あ、二人とも…いや~お互い無事で……ってことりちゃん!?顔がすっごい腫れてるけど!?」

ことり「あ、これはその…海未ちゃんにパンチされて」

穂乃果「うええ!!?穂乃果にならともかく、ことりちゃんに手を!?何やってんの海未ちゃん!!」

海未「あなただってお腹にパンチしていたではないですか…」

ことり「これはね、ことりが悪いの…」

穂乃果「???」


まるで理解できない、そんな表情の穂乃果。
なにしろ眠気もブッ飛ぶ青痣だ、ことりの可愛らしい顔に!
説明を求めようと口を半開き、そこへ抱きつく海未とことり!!


穂乃果「どわあっ!?」

海未「………穂乃果」

ことり「……のかちゃん…」

海未「っ…ううっ…ほのかぁ…!」

ことり「ほのかちゃん…ほのかちゃんっ…!」

穂乃果「………なんだかよくわかんないけど…二人とも、頑張ったんだね?」


いつもは面倒を見られてばかり。
そんな穂乃果だが、二人が弱れば優しく慰める役回りへと身を移す。
そんなサイクルが自然と出来上がっているのがこの三人で、三人でいればこそどんな困難も乗り越えられる。

大粒の涙が服をじんわりと濡らすのを感じながら、小さい子供みたいに泣きじゃくる二人の頭をそっと撫でさする。
海未とことりだけでは、たまに不安定になる。
どんな時も朗らかな穂乃果は、悩みがちな二人にとっての精神安定剤なのだ。

以心伝心。
なんの説明も受けていないが、穂乃果は事の要旨を一つだけ、クリティカルに理解した。
そして、慈しむように声を掛ける。


穂乃果「おかえり、ことりちゃん…」

ハチノタウン、ミカボシ山の動乱は幕を閉じた。
真姫、絵里、希、にこの四人はロクノシティへと即座に踵を返す。

穂乃果や千歌たちはそれを「大変だなぁ…」と見送り、花陽の母の好意で民宿の四人分の民宿の空きに千歌たち三人が滑り込んだ。
それぞれの戦いの話を交わし、しばしの休息を得るのだろう。

しかし…
“その時”は、既に間近へと迫っている。





ロクノシティ刑務所。

日夜を問わずアライザーたちが罵声を上げ、アライズ団の解放を求め続けてる正門を潜れば、構造の異様に誰もが眼を見張る。

外から見えている無機質な灰色の建造物は、その牢獄のごく一部。氷山の一角に過ぎない。
実際の収容スペースは上ではなく、下へ。
地下へ地下へと、吹き抜けの縦穴をぐるりと牢屋が取り囲む形状となっている。

無論、下へ、下へと向かうほどに陽光は届かない。
陰鬱は色を増し、収容者の中には自死を乞い願う者も少なくない。

その最深部…地下に設けられた特別監獄はまさに奈落。

蟻の入り込む隙間もない堅牢、人権も尊厳も奪われた監視体制。
拘束服に両手を縛られ、首には鎮圧用、スタンガンが内蔵されたチョーカーを犬のように巻かれ。

綺羅ツバサが…その目を開く。

【ミカボシ山編・完】

【現在の手持ち】


穂乃果
リザードン♂ LV63
バタフリー♀ LV56
リングマ♀ LV57
ガチゴラス♂ LV59
マリルリ♂ LV54
ドリュウズ♀ LV54


海未
ゲッコウガ♂ LV62
ファイアロー♂ LV57
ジュナイパー♀ LV59
エルレイド♂ LV54
ユキメノコ♀ LV53
バンギラス♂ LV58


ことり
チルタリス♀ LV57
ドラミドロ♀ LV58
デンリュウ♂ LV59
ボーマンダ♀ LV64
ヌメルゴン♀ LV57




デオキシスの騒動から半日以上が過ぎ、時刻は昼下がり。
ロクノシティのショッピングモール、広々としたフードコートに一人の女性が腰を下ろしている。

モデルのような容姿、怜悧な瞳に落ち着きに溢れる佇まい。
紫がかった色味の長髪、統堂英玲奈だ。

アライズ団再動の気配に、警察は都市内へと厳戒態勢を敷いている。
しかしそれを嘲笑うかのように、子連れのファミリー客や遅めの昼食を摂るサラリーマンらに混じり、英玲奈はハンバーガーを齧っている。

団内きっての戦闘屋。
その戦闘力ばかりに目が行きがちだが、有しているスキルは多岐に渡る。
その一つは潜伏。気配を殺し、違和感を薄め、カメレオンのように周囲の空気感へと溶け込み一般人へと擬態してみせるのだ。

複数の足音。

座る彼女の背後を数人の警官たちが歩いていく。
だが英玲奈は一切動じることなく、背筋を伸ばしたままにその捜索網をやり過ごす。
仮に真正面から相対すれば、きっと会釈をしてみせたほどの余裕ぶり。
擬態に徹した彼女を見破れるのは、日常的にアライズ団を意識している国際警察の刑事たちぐらいのものだろう。

手にしているのは変哲のないチェーン店、安物のハンバーガー。
しかしグルメを気取らない英玲奈にとってはそれなりに悪くない味。時たま食べたくなるものだ。
ゆっくりと咀嚼しつつ、三口目で小さく眉をひそめる。


英玲奈「む…」


小さく呟き、バンズをめくってケチャップにまみれたピクルスを取り除いた。
嫌いと言うほどではないが、食べる意味も見出せず。
容姿は麗人、ながらに味覚は貧相気味だ。

…と、脇に退けたピクルスを長い指がつまむ。
そのままひょいと持ち上げ、口元へ運んで放り込んだ。

英玲奈が顔を上げると、テーブルの向かいにやたら高級な服に身を纏った女が腰を下ろしている。
ピクルスを噛み、英玲奈のシェイクを勝手に一口吸い上げて片手をひらひら。


あんじゅ「はぁい、久しぶり~」

英玲奈「ああ。相変わらず服の趣味が悪いな」

あんじゅ「そっけないわねぇ」

わりに頓着なく、コンサバ系の衣服を常用する英玲奈。
対し、いつ何時も高価に!豪華に!
そんなファッションに袖を通して、優木あんじゅはジョウト帰り。

数ヶ月の旅行…もとい、潜伏と任務を終えて、満を持しての二幹部の合流だ。
脇が甘い印象のあるあんじゅだが、総合力の高さは英玲奈に劣らない。
その気になれば、ガーディやデルビルを連れた警察たちの警戒網をするりと潜り抜ける程度は苦にもしない。

“エクストラコーヒーヘーゼルナッツノンファットミルクノンホイップダークモカチップフラペチーノチョコチップ増しのグランデ”。

そんな長々としたカスタマイズ、コーヒーチェーンの一杯を片手に、手首に引っ掛けていた荷物をどさりと傍らへ。
コガネシティ百貨店の紙袋やエンジュシティ土産らしい包みが大量だ。
その中を左手でゴソゴソと手探り、「ええと…あったあった」と呟きながら何かを手に取り、英玲奈へと渡す。

あんじゅ「はい、おみやげ。他にもあるけどとりあえずね」

英玲奈「これは…チョウジ名物いかりまんじゅう!しかも昔ながらの物と、最近流行りの生タイプと…!フフ、気の利く奴め」

あんじゅ「そんなに喜ぶ…?私どうも、和菓子の良さってイマイチわからないのよねぇ…」

英玲奈「開けていいだろうか」

あんじゅ「どうぞ?」


すぐさま齧りつつも表情はキリリとしたまま。しかし口角が少し上がっていて、その喜びようにあんじゅは小さく笑いを漏らす。
仮にもマフィアの幹部がこれでいいのかと肩を竦めながら、あんじゅはプラスチック椅子の背もたれに背を伸ばす。
持ち上げたのは左腕だけ。右腕はぶらりと垂れ下がっていて、先程からピクリとも動いていない。

オハラタワー、渡辺曜との交戦。
カイリューの“げきりん”でグチャグチャに叩き潰された右腕は、現代の医療技術を以ってしても修復不可能な状態だった。
今、コートの裾からちらりと覗く右腕は包帯でビッチリと隙間なく巻き付けられていて…

ふと、英玲奈はあんじゅの傍らに控えている一人の団員へと饅頭を勧める。


英玲奈「お前もどうだ」


その団員は目深に被ったフードを持ち上げ、少し畏まった表情で首を横に振る。
髪はツインテール、あどけなさを残しつつも強気な瞳。鹿角理亞だ。


理亞「大丈夫…です。たくさん食べました」

英玲奈「そうか?ならいいが」


英玲奈は頷き、差し出した饅頭の包み紙を開いて自分で齧る。
もくもくと口を動かしつつ、飲み込んで言葉を続ける。

英玲奈「手間を掛けさせた。あんじゅが失くした右腕代わりに同行させたが、色々面倒が多かっただろう。ワガママだからな」

理亞「そ、そんなことは」

あんじゅ「むしろ面倒は私の方よぉ…」


トントンと指で机を叩き、あんじゅがふくれっ面で会話へと声を差し込む。


あんじゅ「この子、最初の頃は夜になると毎日毎日、「姉さま…姉さまが私のせいでぇ…」ってグスグス泣き出すんだもの。こっちが泣きたくなるわぁ」

理亞「すみません…」

英玲奈「ふむ…大丈夫か理亞。いじめられなかったか」

理亞「あの、あんじゅさんは毎日私の弱音を聞いてくれて…本当に、嬉しかった…です」

あんじゅ「……そ、そう…」

英玲奈「素直に来られて照れたか」

そんな調子で会話は続く。

理亞があんじゅに帯同したのは身の回りの世話と護衛のため。
オハラタワーでは穂乃果の思い切りの良さに敗北を喫したが、三幹部を除くアライズ団の中では鹿角姉妹はかなりの腕利き。
その評価の中心は姉、聖良にあった。
だが初めて姉と引き離され、ジョウト遠征を経て、理亞の実力は大きな向上を見せている。

英玲奈が姉妹を見込んでいるのは現状の腕前だけではない。その伸び代を含めてのこと。
一回り殻を破る成長を見せた理亞へ、英玲奈は指導者として目を細めている。

…と、時刻は三時。
フードコートそばの広場に設置されている楽団を模したカラクリ人形たちが、きらびやかな音色で定時の音楽を奏で始める。

それをタイミングに、あんじゅは表情を変えて英玲奈へと尋ねる。


あんじゅ「で、いつなの?」

英玲奈「ああ、今夜だ」

理亞「…!」

二人の言葉にいよいよ迫った計画の決行を理解し、理亞はごくりと息を飲む。

鹿角姉妹にとっては、単に生きるための寄る辺として身を委ねた組織だった。
ヤクザだろうとマフィアだろうと、食べていけるのならなんでもよかったのだ。
しかしその“洗頭”…アライズ団が今夜、世界の構造を大きく覆そうとしている。

大きな流れの渦中にいる。

それを自覚し、理亞は英玲奈とあんじゅの顔を見比べる。
しかし二人はあくまで泰然、変わらぬ様子で口を開く。


英玲奈「件の物の回収は?」

あんじゅ「もちろん。そのためにジョウトに行ったんだもの。けど、ツバサはやれるのかしら」

英玲奈「やってくれるさ。あいつが私たちの期待を裏切ったことはない。仕込みは完璧だ」

あんじゅ「ツバサがやられちゃったら、私たちのぼんぐり集めも英玲奈の石拾いもすっかり無駄になっちゃうものね…ふふ、ありえないけど」

英玲奈「そう、ありえない。綺羅ツバサは“絶対”だ」


軽く笑い、英玲奈は五百円玉をあんじゅへと無造作に放り投げる。

それをあんじゅは掴む。包帯に包まれた右腕で。
親指と人差し指でコインを挟み、グニャリ。
見事に二つ折りに潰してみせる。

いつまでも隻腕でいるあんじゅではない。
リハビリは完調…否、以前よりも遥かに性能を向上させてまさに怪腕。
そう、既に全ての準備は整っている。あとはツバサを待つだけだ。

二人は顔を見合わせ、リーダーへの漆黒の信頼に笑みを交わした。




善子「はぁっ…はあっ…」


薄闇、荒れる呼吸を強引に飲み込み、喉の筋肉に精一杯の力を込めて息を殺す。
彼我の戦力差は?五倍…いや、下手をすれば十倍か。
つまり、位置を気取られれば一巻の終わり。


善子(もう二体倒された。ヨハネのエース、特級眷属でなんとかしなくちゃ…やられる!)


恐怖に震える指先。
ボールへと触れ、まだ一人じゃないんだと強引に心を落ち着かせる。
唇を噛み締め、空気の塊を畏怖ごと飲み込んだ。


善子(大丈夫よヨハネ、私はまだやれる…!)


通路は狭く、天井は低い。
両手を広げれば左右の壁に指先が付くほどで、軽く跳ねれば上に頭が付きそうだ。

入り組んだ迷路のような道。
薄暗いのはどちらかといえば善子の有利に働く。
善子が好んで用いるあくタイプには、闇を苦にせず立ち回れるポケモンが多いのだ。

善子は迷路を進み、やがて曲がり角の影で歩みを止めた。
格上を相手に勝ち筋を見出せるとすれば、待ち伏せからの奇襲。それしかない。

だが…敵はあまりにも強い。
ドンカラスとサメハダー、激戦に耐え得るレベルへと育て上げた二匹を一蹴されていて…

それでも諦めず、光明を見出してみせる。
善子はダークボールを腰から手へ!


善子「……いくわよ、眷属。第一級拘束術式解放を許可…闇より出で、我が命に従えっ!アブソルぅ!」

『フゥッ!』

善子(かぁっこいぃ~~っ…!)

白い毛並み、片角は三日月の黒刃。
真紅の瞳は凛々しく穏やかに善子を見上げている。
人呼んで“わざわいポケモン”、あくタイプのアブソルだ。
その性能は高い攻撃能力、反して耐久はまさに紙。
相当に癖のある能力なのだが、見た目だったり図鑑のエピソードだったりを踏まえて善子のお気に入り。エースとして扱っているポケモンだ。

いざポケモンを出してしまえば少し勇気が湧いてくる。
この位置どりなら警戒すべきは前方だけ。勇気を胸に、先制撃でペースを握る!


善子「堕天使の実力…ここに見せ


ドグシャァッ!!!
ガラガラ…


善子「……て…?」


背後、迷路の壁が粉々に砕かれている。
壁をブチ抜いた拳は迷路の薄明かりに照らされ、金属質に輝きを。
ジャララジャララと硬質が擦れる音を響かせて、現れたのは600族の竜!ジャラランガ!!


『ジャラジャララ!!!!』

善子「や、やばあっ…!?」


ドラゴン・かくとうという唯一無二のタイプ構成。
その種族値は当然ながらにハイレベル!
癖のある性能ではあるのだが、使い手を選べば十分に強い。
あくタイプのアブソルにとっては最悪の相性、その金属質の拳が叩きつけられる!!


善子「逃げるわよおおお!!!」


くるりと反転、善子とアブソルは脇目も振らずに逃げ出そうとする。
だが!進行方向の壁が再び砕ける!!

「ぎゃあああ!!」と叫んだ善子の前へ、ぬうっと姿を現わすピンクと黒の巨体。
まるまるとぬいぐるみのような両手を広げ、つぶらな瞳で善子とアブソルを見つめている。

嬉しそうに口を開き…


『グマアアアア!!!!』

『アブゥ!!?』

善子「あ、アブソルぅ!?」


キテルグマの“ばかぢから”!

両手でアブソルを捕まえ、ベアハッグの要領でアブソルの体を激烈に締め上げている。
キテルグマは友好的なポケモンだ。その行動は単に抱きしめているだけ。

ただ、筋力があまりに凄まじい!
アブソルは大ダメージに完全にノックアウトされていて、キテルグマは首を傾げてそっとアブソルを地面へと寝かせる。
そして視線をくるり…善子をロックオン!


善子「こ、こ、殺…!」


ガクガクと全身を震わせる善子。
無理もない、キテルグマに抱きしめられて絶命するトレーナーが多いというのは有名な話。
アブソルがやられ、もう手持ちはゼロ。背後では竜がジャラジャラと摩擦音を響かせている。

前門のキテルグマ、後門のジャラランガ。
絶体絶命の危機に…現れる、さらなる絶望。


梨子「よっちゃん」

善子「ひ…!」


両手を後ろで組み、キテルグマの背後からするりと現れたのは四天王、桜内梨子。
その表情には笑みが浮かんでいて、一歩、一歩と歩み寄ってくる。

だがその笑みは粘性の、善子にとって酷く不吉な色を宿していて、捕まってしまえばタダでは済まないという確信…!

梨子「こっちに来て、よっちゃん」

善子「り、リリー…目が笑ってないんだけど…」

梨子「よっちゃん…少しだけだから。痛くしないから…ね、いいでしょ?いいよね…!」

善子「何を!?ひいいいいい!!!」


曜「はいはいっ、そこまでー」


ポコン。プラスチックのメガホンが梨子の頭を軽く叩く。
梨子は「いたっ」と目を瞑り、その表情から鬼気は失せた。
メガホンを手にしているのは曜。やれやれといった表情で、二人を交互に眺めている。


曜「この勝負…梨子ちゃんの勝ちであります!」

花丸「圧倒的ずら~」


その横にはキリンリキ印のパンをもさもさと齧りながら花丸。
冷や汗を拭い、動悸が収まらないままに善子が見回せば周囲の迷路は消え失せていて、部屋の照明も明るく灯されている。
ここはロクノジム。善子の母がリーダーを務めているジムの機能を使い、模擬戦をしていたところだったのだ。

それにしても、それが練習試合だと忘れるほどの恐怖感。
思わず善子は腰を抜かし、ぺたんとその場にへたりこんでいる。


善子「はああ…た、助かった…」

花丸「はい、善子ちゃん。お疲れ様」

善子「あ、タオル…ありがと、ずら丸」

梨子「酷いなぁ。そこまで怖がらなくたっていいのに…」

曜「いやあ梨子ちゃん、あれは怖いよ」

梨子「ええっ?もう、曜ちゃんまで…」


不服げに眉を顰めて抗議の声、そんな梨子はどう見てもお淑やかな美少女だ。
善子もすっかり懐いていて、普段はリリーリリーとあだ名で呼んで、しきりに会話を交わしている。
そんな善子を梨子はよっちゃんと呼んで、話も合う部分があるのか可愛がっている。

良い関係性、なのだが…


梨子(うーん。よっちゃんの怯える顔、可愛いなぁ…)

曜(たまーに、梨子ちゃんが善子ちゃんを見る目が鋭いっていうか。なんかこう、ターゲットを狙う目っていうか…)

花丸「曜さん、変な顔してどうしたずら?」

曜「あ、いや、なんでもないない」


あははと空笑い。
梨子からその意図を訝しむような目を向けられ、弁解するように顔の前で手を振る。
それがお互いなんだか可笑しくて、曜と梨子はまるで同じタイミングで素直に笑い合った。
千歌を介して危うかった二人の関係は、オハラタワーの一件を経てすっかり良好なものへと変化している。

曜、梨子、花丸。三人は現在、善子の家に滞在中だ。
諸々の騒動でポケモンリーグが中断している間、もし良ければ善子を鍛えてあげてくれないかと善子の母から頼まれたこともあり、そのついでに曜と、それに一緒に強くなりたいと願っている花丸も泊まっているというわけだ。

特に善子は、母と同じ悪タイプのエキスパートトレーナーを目指すと決めている。
それならまずは苦手タイプとの戦い方を覚えるべきと母から言われ、格闘の梨子との対戦を繰り返してる。

もちろん、今のところ連戦連敗なのだが。


花丸「善子ちゃん、なかなか進歩がないずらねえ」

善子「なによお、リリーが強すぎるのよ…」

花丸「ふふふ、マルは曜さんのポケモンを少しだけ倒せるようになったよ」

善子「げっ…ほ、本当?」

曜「うん、花丸ちゃんはなかなか戦略家だね。すごく戦り辛い。センスあると思うなー」

梨子「ふふっ、よっちゃんも頑張らないとね?」

善子「うぐう…」

花丸はのらりくらり、マルチタイプの道を選んでいる
好戦的な性格ではないのだが、基本的に頭がいい。
高耐久ポケモンを好んで使う傾向があり、スローペースながらキレのある手を放つ花丸にはぴったりの戦闘スタイルだ。


花丸「頑張ってね、善子ちゃん」

善子「むむ…すぐに追いついてみせるわよ!」


実際には善子も、梨子とまるで勝負になっていなかったところから少しずつ粘れるようになってきている。
相性有利や等倍の相手と戦った時、実力の向上を実感できるはずだ。
花丸もそれはわかっていて、自分にリードされていると知れば善子はもっと発奮すると知っているからこそのちょっとしたハッパだ。

さて、一休憩。
ジム内の片隅にあるドリンクサーバーから各々好きなジュースを手に、広々としたフロアの片隅に腰を下ろす。

模擬戦の迷路はロクノジムのギミックだ。
挑戦者が易々とジムリーダーの元へと辿り着けないように、この手の仕掛けを設置しているジムは多い。

トレーナーたるもの戦闘だけが上手くてもダメ。
仕掛けを解除する頭脳と、勝手のわからないアウェイな場所に動揺せず実力を出せるかの精神力を測る、そんな意図でギミックは設置されているのだ。

そんな仕掛けを練習試合に目一杯使えているのは、ロクノジムが休業中だから。
ダイイチシティの一件でダイヤが奔走したように、ジムリーダーやジムトレーナーたちには街の治安を守る役目もある。
アライズ団の気配に備え、善子の母もジムトレーナーたちも街の警備に回っているというわけだ。

梨子がロクノシティに滞在しているのは、いざ騒動が起きた際に四天王として応対できるようにでもある。

…と、諸々の事情はそんなところ。
それはともかくとして、曜がいきなり背後にべたっと倒れこむ。


花丸「わ!大丈夫ずら!?」

曜「うう…」

善子「なによ、呻いたりして…もしかしてどっか打った?痛むの?」

曜「ううう…!」

花丸「よ、善子ちゃん、なにか冷やすもの…」

善子「アイスノン取ってくる!」


慌てつつ立ち上がりかける善子と花丸。
しかし、梨子が落ち着いたままでやんわりとそれを制する。


梨子「二人とも、慌てなくても大丈夫よ」

曜「うああ~…!」

梨子「いつものだから」

曜「千歌ちゃんに会いたいなあぁぁ…!」


なぁんだと、善子と花丸は腰を下ろす。
曜は天井を仰いだまま足をパタパタとさせていて、傍らに置かれた飲みかけのみかんジュースが千歌を思い出させたのだろうと梨子は見抜いている。

津島家に泊まっている期間、梨子と曜は同室で寝泊まりしている。
故に、曜がこうして千歌のことを思いながら悶えているのを頻繁に目にしているのだ。

曜「千歌ちゃんん…」

梨子「ふふ、たった半月でそれじゃあ千歌ちゃんに笑われるわよ」

曜「半月って長いよ、梨子ちゃん…はぁ」


オハラタワー後、曜と千歌は袂を分かってはいない。
基本的には一緒に旅を続けていて、しかしダイヤの都合が合う時は修行を付けてもらいに千歌が赴く。
その期間は二人バラバラと、そんな感じの関係となっている。
仲の良さは保ちつつ、千歌は色々な道筋で曜に追いつこう、対等であろうと模索している。
親友以上ライバル未満。だが、いずれ対等なライバルとして追いついてくるはず。
そんな健全な関係だ。


梨子(本当に、二人の仲の良さが壊れなくてよかった。
それに…たまに離れる期間ができたことで、お互いの大切さをより実感できてるんじゃないかな。前よりもっと仲が良く見えるもの)


そんなことを考えている梨子の膝へ、曜はぐりんと体を捻って頭を乗せる。ふざけて膝枕の体制へ。


曜「はあ、千歌ちゃん…」

梨子「もう、代わりにしないでよ」


お互いにどこか遠慮のあった以前の関係ではとてもじゃないが、こうはならない。それくらいに打ち解けている。
仲良くなれて嬉しいな…と、少し癖のある曜の毛先を指通し、頭を軽く撫でる。

そして梨子もまた願う。


梨子(千歌ちゃん…ふふっ、早く三人で会いたいな)


そんな時間がゆっくりと過ぎ…間もなく、時刻は夜を迎える。




ロクノシティは眠らない街だ。

都市としての規模ではオハラコーポレーションのあったヨッツメシティに劣るが、この街にはアキバ地方随一の歓楽街が存在している。
故に、陽が落ちても街から人波が絶えることはない。

そんな絢爛から徒歩圏内、悪人たちの墓標、ロクノシティ刑務所が聳えている。

時刻は夜。
灰色の堅城にはサーチライトが灯り、人々の目にその威容を顕示する。

その内部、深奥、地下へ、地下へ。

最深部…綺羅ツバサの特別牢。

その一室、形状は無機質な立方体。
うち五面は極めて硬質な素材で、一切の隙間なく固められた構造。

残りの一面はといえば透明。
極めて分厚い強化ガラスで、隣合う監視室の間が遮られている。

危険人物であるツバサの様子を常時監視カメラが起動しているのは先述の通り。
加えて、隣の監視室には二十四時間、交代制で常に三人の刑務官が滞在している。

この強化ガラスの一面がツバサにとっての福音、脱出口と成り得るか?

否。ガラスだと侮れはしない。
密接して戦車砲を撃たれたとしてもヒビが入るに留まり、ハガネールが全力での突進を繰り返したとしても砕くには長時間を要するだろう。

むしろ逆。ガラスの壁面は、ツバサにとってマイナスの要因でさえある。

ツバサ「………」

「やあ、元気かね」

ツバサ「こんばんは。素敵な夜ね?」


ガラス越し、ツバサと言葉を交わしたのは壮年の男性。
厳しい顔立ちに、鷹のような眼光。
背丈は大柄で、特徴的に潰れた耳は彼が柔道経験者であると物語っている。
そこに加えて、中年男性特有の微かな加齢臭。
彼こそがこの地の王。ロクノシティ刑務所の所長だ。

常に人目に晒されるストレスと拘束服に囚われて、それでもツバサの軽やかさは失われていない。
陽の光も差さず、もちろん時計もない。
そんな空間で体内時計を狂わさず、今が夜だと正しく認識している。

挨拶を返したツバサへと満足げに頷き、所長は手元のスイッチを押す。


ツバサ「あ゛ぐっ!!!」


走る激痛と衝撃、首の鎮圧用チョーカーに仕込まれた電撃装置を作動させたのだ。
ツバサが脱走の素振りを見せたわけではない。反抗的な態度を示してもいない。一体なぜ?

答えはシンプル。所長は極度のサディストだ。

ツバサの体が衝撃に跳ねる。
その意思に関係なく筋肉が収縮し、陸に上げられた魚のように全身がのたうつ。
電撃が止まり…ツバサはガラス越し、所長へと目を向ける。


ツバサ「……っ…毎晩どうも。その電気のおかげで、筋肉が衰えずに済んでるもの」


鮮やかな笑みを。
入浴らしいことは数日に一度、この部屋の中、拘束服のままで薬液と放水を一挙に浴びせられての拷問めいた洗浄のみ。
だというのに、ツバサの髪は艶としなやかさを失っていない。
肌も潤いを保っていて、それは天性の体質か、あるいは衰えない気力の為せる技か。

それを目にもう一度頷き、所長は再度スイッチを。


「それは結構」

ツバサ「う゛…ぐっ…!!」


二度、三度。
ツバサが痛みに床を転がり、所長とその隣、ベテランの刑務官が口元を嗜虐的に歪ませる。

囚人は人にあらず。何をしようと自由。
普通ならば監査が入る。とてもありえない。
だが現所長の前身は強権を持つ政治家。その嗜虐趣味を満たすため、わざわざこの立場へと身を移したのだ。
そんな男にとって、監査などどうとでもねじ伏せられるもの。

そして所長に薫陶を受け、ここで働く刑務官たちにも非道のサディストが多い。

歴代、並み居る囚人たちの中でも、綺羅ツバサは飛び抜けて美しく、魅力に溢れている。

故に、所長をはじめ刑務官たちは安全圏のガラス越しにツバサを眺める。
ツバサへの食事はプレートで提供されるが、手はもちろん拘束されたまま。地べたを這って犬食いする他ない。
尊厳を奪い、その様をニヤついて眺める。

食事中、睡眠中、その他日常のありとあらゆるタイミングで、気紛れに電撃を与えて身悶えする様を楽しむ。
そんな虐待が娯楽として日常化しているのだ。

幾度目かの電撃にツバサが渇いた咳を漏らし、所長は一度スイッチを傍らへと置く。
喉を焦がしてはつまらない。何事も節度を守ることが肝要だ。


ツバサ「か…はっ……あら…もう終わり…?」

「まったく、悪鳥ほど艶かしい声で鳴く。その美しい体に触れられないのが残念でならないね」

ツバサ「入ってくれば…殺してやるんだけど」

「いや、遠慮しておこう」


所長はここに赴任するまでは華々しい出世街道を歩んできただけあり、その嗜虐趣味を除けば聡明で慎重な人間だ。
彼が愚かしく、安易な欲求に駆られ、ツバサへと手を出そうと部屋に入れば早々に殺されていたかもしれない。

だが、彼は決して入らない。

綺羅ツバサという魔獣の牙が届く場所へは立ち入らず、安全圏から鑑賞するだけ。
部下たちにもそれを徹底させていて、そんな所長だからこそこのロクノシティ刑務所は鉄壁の監獄であり続けているのだ。

やがて部屋の片隅、小さな扉からツバサの夕食が提供される。
無論、その扉も脱出口にはなり得ない。ツバサの方からは開かないし、仮に開いた瞬間を狙って頭をねじ込めば首輪の電撃が最高威力で流れる。
インド象すら気絶する電撃だ。そう説明は聞かせてあり、それをするほどツバサは馬鹿ではない。

プレートに乗せられた夕食はまるで朝食のような量で、ごく粗末。
貧相なコッペパン、潰れた目玉焼き、萎びたサラダに色の薄いスープ。

しかしツバサは痺れた体で芋虫のように床を這い、栄養を蓄えるために食べる。
スープを一滴も零さないよう、舐めつくすように飲み、目玉焼きの黄身が顔に付かないよう器用に食べ、ドレッシングのかかっていないサラダに歯を立てて咀嚼。
市販品のコッペパンは意地悪く、ビニール袋に詰められたままだ。
歯で強引にちぎり開け、齧る。


「まるで飢えた犬だ」


ベテランの刑務官が侮蔑的に漏らした声にもまるで構わずに平らげ、それでいて瞳からは気高さが失われていない。
食事を終え、美しく笑って「ご馳走様」と一言を忘れずに。

所長とベテラン、二人はその様子をニヤニヤと見つめている。
粘ついた視線には酷薄と好色。

さて、前述の通りに刑務官は常に三人。
ガラス越しの部屋にはもう一人、刑務官がいる。年若い青年だ。

アライズ団が忍び込ませた尖兵?

いや、そんなことはなく単なる新人。新人教育のためにこの場へと立ち会っている。

彼は部屋に入った瞬間、ガラス越しのツバサの美しさに息を飲んだ。
体のラインがはっきりとわかる拘束服姿に顔を赤らめ、思わず視線を逸らしてしまった。

そして今、眼前で繰り広げられる凄惨な虐待にもう一度息を飲んでいる。


「これは…」

「ほら、お前の番だ。電撃のスイッチを押させてやる」

そう告げ、ベテラン刑務官は新人へとそれを手渡した。
“新人教育”とは、要するに新しく入ってきた新人を虐待の共犯者にすることで内部告発を防ぐための儀式なのだ。

彼は唖然としたまま、スイッチを押せず…


「愚図め。見ろ、こうやるだけだ」

ツバサ「っッッあ゛!!」


跳ねるツバサ。
彼女は確かに大量殺人の主犯、極悪犯だ。だがこれは…見ていられない。青年は果敢に口を開く。


「その、法律では囚人への虐待は禁じられているはずでは…」


その言葉を耳に、所長は「これはこれは…」と一笑。
ベテラン刑務官は鬼の形相を浮かべ、新人の腹部を殴打した。


「ぐあっ!?」

「興を覚ますなよ新人、郷に入っては郷に従えだ」


憤怒の表情でそう告げ、ベテランは新人の手にスイッチを握らせる。
そして指を掴み、強引に押させようとする。
しかし新人はまだ学生上がり。若い正義感を胸に秘めていて、冗談じゃないとそれに抗う。

その様子に…ツバサが声を発する。


ツバサ「何もおかしな事はないわ、新人さん。人権も尊厳も、敗者は全て奪われる。それがこの世界の本当の姿」

無理をしているわけでも、強がっているわけでもない。
ごく自然に世界をそう捉えている。綺羅ツバサが這い上がって来た泥土の影がそこには見える。

しかし、新人は押さない。


「自分は今日付けでここを退職します。(内部告発を…)」

「なら死ね」

「ぎゃっ!!?」


ベテランの男は、新人の頭を部屋の花瓶で殴りつけた。
全力で殴っている。血が床に滴る。倒れた青年の腹を蹴る、蹴る。内臓をにじり潰すように、幾度も幾度も繰り返し蹴りつける。
その目に爛々と狂気。新人は激痛の中に混乱する。


(まさか…本気で殺される…!?)


彼は知らない。この刑務所では稀に、職員が事故死することがある。
その全ては特殊な縦穴構造が原因の転落死として片付けられるのだが、その実態は刑務官による部下への暴行。
日頃から凶悪犯と接して心が荒むのか、日の差さない陰鬱な環境がそうさせるのか。
所長の権力は、その全てを闇へと揉み消してみせる。

ベテランは花瓶をもう一度振り上げ、致命的な威力を込めて…!!


ツバサ「ねえ、ゲームをしましょう」


ガラス越し、ツバサが口を開く。

「はあ…?」


ベテランはその手を止める。
口を挟む気か?図に乗るな。
電撃のスイッチへと手を伸ばし…しかし、所長がそれを止める。


「面白い。聞こうか」


渋々と手を引き、ベテランは舌打ちを一つ。
ツバサはその様子に軽く肩を竦めて、言葉を続ける。


ツバサ「ゲーム…と言っても簡単なアンケート。そろそろ脱獄しようと思うんだけど…あなたたち、殺されるのは嫌?」


血塗れの新人が口を開く。


「嫌です…死にたくない…」

「黙れ!」


ベテランは抑えられない狂気を罵声に変え、ガラス越しにツバサへと唾を吐きかける。
無論、質問に取り合う気は一切なし。


「ふざけるな!狂人が!」


最後に、所長が口を開く。


「君のその美しい指で絶命させてくれるというのなら、是非願いたいものだね」

ツバサ「そう」

ツバサがもう一度首を竦め、それでアンケートは終わり。
何が起こるわけでもない。とんだ茶番だ。

ただ、少しベテランの興が削がれた。
新人を殴りつけるのをやめ、男はタバコを吸うために部屋の片隅の灰皿へと向かう。
本当は灰皿の持ち込みは禁止なのだが、平然とルール違反をしている。
この刑務所で所長の次に権力があるのは彼なのだ。

「さて…」と所長は、床に落ちた電流スイッチを拾おうと腰を曲げる。
場の空気が冷めてしまった。もう一度身悶えするツバサの姿に興奮を得ようと…


ツバサ「うげっ」


三人の刑務官たちのうちで唯一、新人だけがその場面を目にしていた。
ツバサが口を大きく開け、上体を小刻みに揺すり、胃の蠕動運動を故意に起こし…

コツン。口から床へと落ちたのは球体。

新人はその光景を理解できず、ただ小声でその光景を口に呟いている。


「モンスターボールが、口から…」

ツバサ「芸は身を助く。人間ポンプってやつね」


絵里との交戦より数日前、そのボールは既にツバサの手元へと送られてきていた。

通常の規格よりも遥かに小さな特注品、あんじゅがジョウトで入手したボングリ製のボール。
レントゲン検査に掛からないよう施されたコーティングはミカボシ山、英玲奈が収集したX線に写らない特殊鉱石。

そしてツバサを囲む特殊監獄も、“ここまで”の戦力は想定していない。


ツバサ「出てきなさい、ミュウツークローン」


蹂躙の時が始まる。

体色は白に紫、滑らかな体表。
研ぎ澄まされた殺意、迸る鋭気。

すらりとした全身には一切の無駄がなく、一見して太くはない手足も他の種とは比較にもならないほどに良質な筋繊維の束。

とある科学者の遺伝子研究の道果て、生物としてのスペックを戦闘能力にのみ全て割り振った恐るべき生体兵器。

三指、丸みを帯びたその先端は絶対的なサイコエネルギーを宿している。

双眸に宿るのは破壊への渇望、言い表すならただ一言…

“最強”。

その複製体、ミュウツークローン。


ツバサ「さ、派手に行きましょ?」

『ミュウウウウウウウ!!!!!!!』

突如現れた巨大なエネルギー反応に応じ、室内に配された自動銃が火を噴く。
だが、ミュウツークローンの超反応はそれを一発たりと通さない。

自身とツバサの周囲に不可視のバリアフィールドを瞬時に形成。銃弾の全ては幾何学的な発光に弾かれて飛散、潰れた弾丸の残滓がキャララと床を撫でる。

ミュウツークローンは片手をツバサの首へ。
硬くロックが施され、カイリキーの腕力でさえ力尽くには外せない電流首輪へと指をあてがう。

発念、輝いて反応。

さらさら、まるで風化した材木に力を加えたような容易さで、首輪が砂のように崩れていく。ほんの瞬時に首輪を分子分解してみせたのだ。

同時、もう片手は刑務官たちとツバサを遮る強化ガラスへと向けられている。
発念し、とろりと。戦車砲の直撃にも耐える強化ガラスが、まるで熱されたラクレットチーズのように蕩けていく。

ここまでで五秒!

「あ、おあ…」


憤怒に駆られていたベテラン刑務官は突然の出来事に、まるで脳の理解がおいついていない。
タール19mg、ニコチン1.4mg。手にしたキツめのタバコを灰皿へと押し付け、先端をグリグリと揉み消す。
まるで混乱した脳を落ち着かせようとするかのように再現する日常行動、ようやく思い至るワンフレーズ。


「脱獄だ!!」


が、彼がその言葉を口にすることはない。

ミュウツークローンの念力にツバサの拘束衣は破られ、後背で戒められていた両腕は自由に。解き放たれる怪魔の両翼!

タ、トトと大股に三歩、拳に込めるは冷酷と苛立ちとちょっとした恨み。
ポケモンを繰り出す暇を与えずの連打は鋭刃めいて、叩き込まれる打擲は一、二、三、四、五発。
そして青龍刀を思わせる肘鉄が廻り、男の首が220°ぐるり、絶命。

部屋の四隅には穴が開き、猛烈な勢いで催眠ガスが噴出され始めている。
だが動じず、ミュウツークローンは絶命した男の体を念波で押し潰してミンチ状へと変え、ガスの噴射口へと押し込めて塞いでしまう。


ツバサ「好。」


随意即応、ツバサが指示を下すまでもなくミュウツークローンはその思考に従じている。
ポケモンの側でも思考し、その優れた思考回路はツバサへと正解択を指し示す。

超性能、ながらに凶暴。
その制御性だけが弱点とも言えるミュウツークローン、それを何故ツバサは心を通わせたように扱えているのか?

ツバサが描く複数のプラン、その中に“投獄される”という選択肢が存在した理由は二つ。
そのうち一つが、ミュウツークローンとの精神順応だ。

オハラタワーでの強奪後、ツバサはアジトで幾度かミュウツークローンの試験運用を行なった。
だがツバサ、英玲奈、あんじゅ、他にも優秀な団員の数人が使役を試みたが、誰一人としてまともな制御を為せず、得ながらも使えないという状態に陥っていた。

一般に、エスパータイプはノーマルタイプなどと比較して扱いが難しい。
その全力を発揮させるには、ポケモンと精神を通わせることが何よりも重要だとされる。

ミュウツーの場合はその傾向が輪を掛けて顕著。
遺伝子を操作されて好戦的な性格になっていることに加え、人間から実験体にされたという意識から強度の人間不信を患っているのだ。
クローン体にもその傾向は同一で、ツバサは一つの手段を講じる。それはごくシンプル。


ツバサ「長時間お腹に入れてれば馴染むわよね、お互い」

ポケモンはタイプを問わず、人の側で過ごすことで徐々に心を通わせていく生き物だ。
ボールに収めたまま連れ歩くだけでも、時間をかければトレーナーの人となりを知って馴染んでいく。

なら、体内ならもっと馴染むはず。

あんじゅと理亞を始め、目立たないよう少人数ずつバラバラに、複数の団員をジョウトへと送った。
飲み込めるサイズのぼんぐりを探させ、職人にボールの製作を依頼した。もちろん悪用の意図は伏せ、巧妙に。

ミュウツーは強力なテレパスも有している。
送られてきた特製のボールにミュウツーを移し、胃の中から私の全てを知れとツバサは飲んだ。
その破壊衝動に付き合えるだけの、自身の器を知らしめるために。

そしてミュウツーとの対話に集中するためには、警察に追われない静かな環境が必要だった。

だが今のツバサが警察から追われない環境など、この世に存在するのだろうか。
その答えはただ一つ、刑務所だろう、と。

それは複数のプランの一つ、というより予備案。万一の敗戦に備えての準備だった。
だが予期外の急襲を受け、結果その備えが功を奏している。
ガラス部屋に囚われ、悪意と横暴に晒され続けたが、その劣悪はツバサが這い上がってきた過去と比べて大差はない。
対話に対話を重ね、そして一人と一匹、破壊者と破壊者は十全に心を重ねるに至っている。


閑話休題、場面は牢へ。

ツバサとミュウツークローンは一人を殺め、そして牢獄の王、所長の前へとその歩を進めている。
けたたましく鳴り響く警鐘、しかし誰かが来るにはまだ時が浅すぎる。

一滴の血飛沫すら残さず丸められた刑務官、四隅の穴へと押し込まれた肉塊に視線を滑らせ、所長は声を震わせる。


所長「こ、殺…!?」

ツバサ「だから聞いたじゃない。殺されるのは嫌かって。そこの彼、嫌とは言わなかったし」

所長「馬鹿な…胃の中にボール…?馬鹿な!そんなはずは!念には念を入れて、万が一のためにレントゲンまで…!」


無駄だ。
先述の通り、英玲奈は穂乃果との邂逅よりも前、X線に写らない特殊鉱石をアジトへと持ち帰っている。
それを細かく砕き、ボールの表面へと加工を施す。他にも諸々の検知避けが施されていて、ミュウツーのボールは知られぬままにツバサの胃の中でその時を待っていたのだ。


ツバサ「科学の力って凄いわよね。で、あなたは私に殺されたいんだっけ」

「…っ…ィ…!」

所長は腰へ、ボールではなく銃へと手を伸ばしている。
自身のポケモンでミュウツーに勝つことは不可能、ならばツバサを殺める方が確実!

が、無駄。
すかさず放たれた蹴りは男の手首をへし折っていて、そしてツバサは所長の首に手を伸ばす。
権勢を誇った男の顔が、見る間に情けなく歪む。腹の底からの恐怖に歯の根が合わず…


ツバサ「……やめておくわ」

「ほ、本当か…!!」

ツバサ「ほら、なんかあなたの血とかって汚そうだし。触るのはやめとく。ミュウツー、“サイコキネシス”」

『ミュウゥゥヴヴ…!!!』


サイコキネシス、エスパータイプの主力たる念波は紫に可視化されて形を成す。
所長の体がブチブチブチと雑巾のように捻られていく。
「あ゜あー!あ゜ー!」と薄っぺらな悲鳴を残し、所長は実にあっさりと、こんもりと盛られた肉塊へと姿を変えた。


ツバサ「さて…」

ツバサは既にそれへの興味を失していて、残る一人、怯えて動けずにいる新人へと目を向ける。
そして彼へ、ミュウツーの掌が向けられる。


(殺される…!)

ツバサ「それ、もらうわよ」


目を瞑った瞬間、青年は自分の体に見えない力がかかったのを感じ…!

するり。

ミュウツーの念力に、シャツの上から羽織った制服の上着を剥ぎ取られている。


ツバサ「胸の形とか出てて恥ずかしいのよね、拘束服って」

「は、え…」


いたずら盛りの少年のような笑みを浮かべ、少しのはにかみを交えて舌先を覗かせる。
呆気に取られた新人を後に残して上着を羽織る。袖は通さずの肩掛けで、ツバサは視線を天井へ。


ツバサ「ミュウツー、“サイコブレイク”」


それは念波を実体化させ、大規模な物理破壊を引き起こす専用技。
ツバサとミュウツーは地底、奈落の底から上へ、上へとフロアを穿っていく。

駆け寄る刑務官、ポケモン、放たれる銃弾に雷火、毒に岩刃、悪タイプの波動。
だが、そのいずれもがツバサたちを害し得ない。

銃弾は宙に留め、弾き返し、攻撃を霧散させて念動波で跳ね除ける。
エスパータイプに耐性のある悪タイプのポケモンが現れれば当意即妙、壁床を瓦礫へと変えて叩きつけて一掃。


ツバサ「上へ」


そして抜ける隔離区画。
その中央は巨大な吹き抜けになっていて、地上へと続く縦穴だ。

ツバサはミュウツーを伴って穴の中央、直立のままに上へと浮遊していく。
立体構造、轟々とサイレンが反響している。視界には複数の刑務官たち。しかしやはり、その誰の指もツバサの進軍へは届かない。

上昇、戦火の風に上着の裾をはためかせ。
軽やかに両腕を振るえば、強力にして細緻なサイコキネシスが視界内の牢を一斉に開放していく!!

ツバサは部下たち、アライズ団の無数の構成員の末端に至るまで、一人一人の顔と名前を克明に記憶している。
開かれた牢から駆け出してくる面々を一人、一人と確認し、上へ。

その中には鹿角聖良の姿もある。
よろめき、少しばかりやつれただろうか。だが瞳には黒く輝く意志が保たれている。

今から行われる計画における一つの大任、任せるなら聖良だろう。
ツバサはミュウツーのサイコキネシスで、聖良を宙空へ、傍らへと引き寄せる。


聖良「ツバサさん…!囚われたと聞いて、私は…!」

ツバサ「フフ、まあね。辛い目に遭った?」

聖良「…いえ、この程度。戦えます。今すぐにでも」

ツバサ「好。任務を与えるわ、付いてきて」


抱き寄せて伴い、さらに上へ。

アライズ団か否かは関係なく、ツバサは目に付くありとあらゆる牢を開放していく。
反旗を翻した囚人たちは刑務官へと殺到し、数の暴力で彼らを叩きのめしていく。

アライズ団以外の犯罪者たちも、ツバサの計画を成就させるためには良い目眩しだ。

そしてついに辿り着く行き止まり、施設の天井をこじ開け…
奈落の獄から、煌びやかな夜都ロクノシティへ。

綺羅ツバサが、ついに世界へと生還を果たす。

「人が出てきたぞ!」
「なんだ、あのポケモン…」
「いやそれより!見ろ!あれは…!」

「綺羅ツバサだ!!!」


刑務所正門の上、サーチライトに照らされるツバサとミュウツー。
本来ならば索敵、威圧の意味を成すはずの照明が、今はまるでスポットライト。

刑務所の前へと集い、ツバサの解放を求めて罵声を上げ続けていたアライザーたち。
彼らは少し前から、刑務所内から響き渡る警報音に期待を高め続けていた。

オハラタワーの一件で颯爽と現れた暗黒星、綺羅ツバサ。
その存在は悪の人々を強く魅力し、しかし程なく黒の輝きは地の底へと隠された。

抑圧。混沌を求める人々の心へ、強度のストレスが与え続けられる。

それが今、再び現れた…!


佇むツバサ、目立たないよう傍に控える聖良。
その上空、飛来した一台のヘリから荷物が投下される。

応じ、ミュウツーはグニャリと空間を歪ませる。
ほんの数秒、ツバサの姿がその中へと隠れ…現れる。

黒地に金をあしらった新たな衣装へと身を包み、ボールは腰へと六つ。
アライズ団リーダー綺羅ツバサが、完全なる復活を果たす!!

「ツバサ!」「ツバサ!」
「ツバサ!!」「ツバサ!!!」

数え切れないほどに膨れ上がったアライザーたちが、熱狂をもってツバサを迎えている!!!

が、水を差すように。


にこ「図に乗んじゃないわよ…ツバサ!!」

ツバサ「フフ、お早い到着ね」

聖良「……!」


降り立った三人は、にこ、絵里、希!!!

聖良(まずい、早すぎる!)


傍ら、聖良はギリリと歯噛みをしている。
底意地の悪い刑務官たちから、ツバサが捕まった時の状況は嘲りたっぷりに聞かされている。
チャンピオン、四天王、国際警察。まさに今目の前に立つ三人に御され、アジトで捕らえられてしまっだと。

その時、英玲奈やあんじゅはいなかったと聞いている。
チャンピオンたちとの戦闘は避けられないにせよ、せめて三幹部が合流してからの会敵であってほしかった!


聖良(いつでも盾になれるよう、飛び出す心構えを…!)


だが、反してツバサ。
仇敵である三人との対峙にもまるで旧友との再会とばかり、にこりと笑みを向けてみせる。
それを受け、にこは苛立たしげに眉を吊り、希は窺うように目を凝らし、そして絵里が一歩歩み出る。

問いかけを。


絵里「ずっと気になっていたけれど…この前戦った時は本当の手持ちではなかった、というわけね」


チャンピオンとして数々の実力者を迎え撃ってきた絵里は、相手の佇まいから多くの情報を見抜いてみせる。
ツバサの腰に収まった六つのボールは実にしっくりと馴染んでいて、その収まりが先日の交戦にはなかった。
ガブリアスやコジョンド、同じ種のポケモンを連れてこそいたが、その本体が今持っている六匹なのは確実!

ツバサもまた、それを隠す様子もなく頷いて肯定。


ツバサ「私、これでもかなり慎重派なのよ。ポケモンたちにも影武者を育てて、場合によってはそっちを持ち歩くようにしているの」

にこ「っち…舐めた真似してくれるじゃない」

ツバサ「ただ…戦力を点数化するとして、絢瀬絵里が100点なら私は99点。チャンピオンの矜持とやらで1点差ってとこ。正直、戦いは避けたい相手…」


「ミュウツーがいれば別だけど」と追って一言。冷静な戦力分析と同時、負けず嫌いも隠さない。

にこ、絵里、希。実力者の三人も、今は迂闊に仕掛けられない。
ツバサの傍らのミュウツークローンは明らかに異常なスペックを誇っている。
オハラコーポレーションからの情報ではあくまでクローン体、本物に比べれば若干能力が劣るとの話だったが、それが疑わしいほどに戦慄のオーラを放っている。

それはきっと、トレーナーのツバサと深いレベルでのシンクロを果たしているからなのだろう。

どう攻める…睨み合いに思慮。
希は新戦力、デオキシス統合体のボールへと手を掛けている。


希(昨日の今日…どれだけ性能を引き出せるかは微妙やけど、先鋒を務めてもらうにはこの子やろね。殺人衝動は収まってくれたみたいやし…)


…と、希は眉を顰める。
ピリリと、嫌な予感が胸をよぎったのだ。

それは説明のつかない、モヤのかかったような未来視に過ぎない。
ただ、ひどく不吉で、混沌として、取り返しのつかない…

ツバサが二つ、ボールからポケモンを展開させている。
ジバコイル、そしてUBウツロイド。
同時、手には何か奇妙なカートリッジを手にしていて、それをジバコイルへと押し当てて…


希「エリチ!にこっち!駄目や、あれは止めなアカン!」

にこ「な…」

絵里「止めればいいのね?キュウコン!」

ツバサ「残念、もう遅い」


ミュウツーがウツロイドに片手をあてがい、もう片方の手をジバコイルへとあてがう。
ジバコイルの体、頭部のアンテナが輝き…発信。

ツバサがジバコイルへと読み込ませたカートリッジ、それはあんじゅが回収したもう一つのピース。
ジョウト地方、かつてロケット団が怒りの湖で発生させた、ポケモンを狂わせる怪電波のデータを入手し、再現した同質の波長。

さらにツバサはそこにミュウツーを介し、ウツロイドが発生させる精神干渉波を介入させる。
ウツロイドは人の凶暴性を高める。
故に、怪電波は人に影響を及ぼすものへと変質する。

ジバコイルで拡散、ミュウツーの出力でそれを強力に。
その電波範囲はロクノシティ全域を包み込んでいる…!


ツバサ「怪電波 × ジバコイル × ミュウツー × ウツロイド。イコール…阿鼻叫喚」


発狂!!!

刑務所前に集ったアライザーたちが、狂気に襲われて獣のような唸り声を上げている!
怒号が湧き上がり、誰彼と構わずの殴り合いが始まる!

後方、街の各所からも火の手が上がっている…!
悲鳴が響き、銃声、そしてトレーナーたちがポケモンを繰り出して暴れ始めている!!


にこ「ちょ…っ、何よこれ…一体これは!!」

ツバサ「言ったでしょ?ウツロイドとかで諸々って。一言で言うなら広範囲の洗脳」

にこ「せんの…っ、」

慄然としつつ、にこは思考を止めずに回す。
次に考えたのは“何故自分は無事なのか”。ツバサはその思考順を理解していて、問うまでもなく答えを返す。


ツバサ「ウツロイドの直接寄生のように誰でも洗脳、とはいかない。アナタみたいな正義屋さんは揺らがなくて、あくまで悪党たちのトリガー」

にこ(……だからアライザーがモロに影響受けてるわけね)

ツバサ「けれど心に強い悪や不安定な要素を抱えてる人間は十二分に狂わせられる。
洗脳に必要な要素の一つは慢性的な強度のストレス。そしてそこからの弛緩」

にこ「……」

ツバサ「綺羅ツバサという希望を与え、投獄されることでそれを奪い取る。
抑圧状態が続き、ストレスの値がピークになる時期に私が脱獄。
悪党たちの心は狂喜に弛緩し、それは最も洗脳が染み入りやすいタイミング」

にこ「……回りくどい真似を…!」

ツバサ「アナタたちが私を捕まえるんだもの。仕方ないでしょう?
ちなみに、アライズ団は日常的にウツロイドの波長を弱めて浴びることで体を慣らしてるわ。私たちは頭が正常なまま、悪事を遂行できるってわけ」

にこ「……ま、要は。さっさとぶっ倒しゃいいのよね!様子見やめ!行くわよ!絵里!希!!」

ツバサ「もう一つちなみに…」


振り返り、にこは驚愕に息を飲む。


絵里「………っぐ、う、ああっ…!」

希「アカン…これは…っ!」

にこ「は…?ちょ、絵里、希…?」


ツバサ「その二人は例外。効くわよ、電波」

思い返す、いつだ、いつ仕込まれた?
接触のタイミングは一度だけ。思い至るまではすぐだ。


にこ「絵里を刺したナイフ!」

ツバサ「あれ、ウツロイドの体細胞をたっぷり塗りつけてあったの。入り込んだそれが共鳴すれば、どんな善人でもまともではいられない」

にこ「けど、希は…」


いや、否。
絵里が刺され、その直後にツバサを捉えた。
そこへ希が慌てて駆け寄り、毒かもしれないと慌てて傷口から血を吸い出していた。
きっとその時に…!


にこ(アホ!!…っ、けど、場所が逆ならにこが同じことをしてた…あの綺羅ツバサのナイフ、毒が塗られてるかもと思うのは当然…)

絵里「ぐっ、う…あああっ…にこ…逃げ…!」

希「っ、がっ!…せめて、ウチだけでも、離れて…!」

にこ「絵里っ!希っ!」


希はフーディンを繰り出し、朦朧と霞む意識の中でテレポートを命じる。
場所を指定する余裕すらない。この状態では遠くへは飛べないが、街の中でもどこか遠くまで。

そして極限の中に走る直感、希はテレポートに姿を霞ませながらにこへと声を掛ける。


希「こんな時になんやけど…にこっち、“予言の時”や。頑張って…!!」

にこ「あっ、ちょっ!」


希は姿を消す。
発狂し、にこへと襲いかからないようにと配慮したのだ。
残され、にこは希の言葉に思いを馳せる。予言の時?思い返し…そう、オハラタワーの後。

“にこっちには血ヘド吐くほど大変な未来が待ってるけど、まあ頑張ってな”と。


絵里「………にこ」

にこ「……え、絵里?」

絵里「ごめんなさい……あなたを……!叩き潰さなきゃ……!!」

ツバサ「さ、行くわよ。ミュウツー」

にこ「ッッッ…!!?」


にこは刑務所屋上から飛び降りる!!
直後、その背後、圧倒的な念波と絶対の凍気が爆発的に渦を巻く!!!
勢いよく地へと落ちながらにこは叫ぶ!!


にこ「に゛ごお゛おおおおお!!!!!!」


綺羅ツバサと絢瀬絵里、にこを追うは二人の絶対強者!
矢澤にこ、運命の戦いが今、幕を開ける!!!

にこ「う、おおおっ!!フライゴン!!」

『フラァッ!』

にこ「全ッッ速!!全速よ!!!何も考えずにとにかくスピード!方向は指示するから!」


屋上から下、絵里は落ちながらにフライゴンへと飛び乗ったにこを見捉えている。
無理な姿勢でのポケモン展開、背からずり落ちそうになりつつ必死に掴まり、体制を整えるやいなや振り向くことなく全速で飛んだ!!

それを目で追い、絵里。


絵里「逃がさないわ」


短い呟きは冷淡で、その脳へとウツロイドの洗脳波が染み入ってしまったことは明らか。
とはいえ、ウツロイドに直接寄生された状態と比べればその洗脳は不完全かつ不安定。
一度意識を断ち切ってしまえばその支配からは解放される、そんな状態。

ただ最たる問題は、絵里の意識を断ち切るという行為の難しさなのだが。

絵里「フリーザー、追いましょう」

『フィイッ…!』


壮麗に一鳴き、伝説のポケモンは絵里の指示に疑いを持たない。

常に気高く正しく、それでいて慈愛と茶目っ気を持って。
絢瀬絵里はチャンピオンとして相応しい実力と人格を有していて、手持ちのポケモンたちはそんな絵里へとまさに全幅の信頼を置いている。
だがこと今のシチュエーションに限れば、それが酷く災いしてしまっている。

フリーザーが両翼を大きく広げれば、それだけで夜街の空は蒼白に輝く。
見渡す限りのビル壁へと霜走り、一瞬にして世界は氷点下へ。

その鳥は伝説、ただ飛ぶポケモンとは仕組みから異なる。
空気中の水分を凝結させ、霧氷を生み出しながらそこへ翼を乗せるのだ。
故に力感は抜け、その姿は舞踏めいて優雅。

絵里とフリーザーが夜天を下る。

ツバサ「ふう、やっぱり真っ向から戦っていい相手じゃないわね。アレは」


飛んだその背を見つめ、ツバサはやれやれと肩を竦める。
ミュウツーを連れていてなお恐るべきは絢瀬絵里。勝てるとしても激闘は必至で、タイムスケジュールを狂わされれば計画に支障が出る。
交戦の中に洗脳の布石を仕込めたのは僥倖だったと言えるだろう。

さて、まずすべきことは騒動の規模を極大にまで膨れあがらせることだ。
悪の蹂躙を目にすれば人心に不安が宿り、後乗りで暴動に走る輩も大勢生まれるはず。

そのためにはツバサが暴れてみせるのは非常に有効で、そのついでに刑事スマイル、矢澤にこを血祭りにあげるのは悪くない。
にこの執念の恐ろしさは捕まったことで存分に思い知った。
意思を貫徹できる人間がツバサは何よりも大好きで、何よりも脅威であると知っている。
ツバサは矢澤にこへ、深く尊敬と親愛の情を抱いている。だが…


ツバサ「そろそろ舞台から降りてもらわないと。とても悲しいけれど」


その前に一つ。
ツバサと同じ黒の団服へと袖を通している聖良に目を向ける。

ツバサ「聖良」

聖良「はい」

ツバサ「これ、渡しとく」

聖良「このボールは…!」


聖良は驚きに目を見張る。
そのボールに収められているのはたった今、怪電波を撒き散らす一端を担ったUBウツロイド。
無論、精神干渉のみならず高い戦闘力を有するポケモンだ。

そんな大切な一体を、オハラタワーの一件で敗北の失態を晒してしまった自分に?

戸惑い、聖良は思わず言葉を返してしまう。


聖良「その、ツバサさんが持っているべきでは…」

ツバサ「私は自前の子たちで戦った方が強いから」

聖良「で、ですが…」

ツバサ「アナタはアライズ団の試験運用役、テストトレーナーを務めていた。新戦力の取り回しには自信があるでしょ?」


問われ、聖良は少し考えてから頷いた。
確かに自信はある。自分ならやれると確信がある。

懐かせ、心を通わせたポケモンの実力を最大限に引き出してあげる、それが普通のトレーナーに求められる資質だ。
聖良も悪ながらに、手持ちのマニューラやヨノワールらには深く慕われていた。その資質は有している。
だが同時に持ち合わせるもう一つの技術、聖良は手にしたばかりの懐いていないポケモンでも、その能力を引き出すことのできるトレーナーだ。
それは聡明と冷静から。あらゆるタイプ、あらゆるポケモンへの造詣を深く持ち合わせていて、プラス落ち着いた盤面対応力。
故に100%とは言わないが、90%ほどの実力は引き出してやれるのだ。

ツバサはそれを知っている。
聖良自身の才覚と、英玲奈が育て上げた技術と。二軸で信頼を置いている。

ツバサ「まだ若いけど、私たち三幹部を除けば一番のエースはあなただと思ってる」

聖良「……はい」


恐縮しかけ、しかし聖良はそれを飲み込む。信頼を寄せてくれるのなら、全霊でそれに応えるまで。
力強く頷き、ウツロイドのボールを握りしめた。

加え、ツバサは投下された荷物の中から、他に五体のポケモンも手渡した。
「取り返しておいたから」と短く言われて見れば、どこか遠くの更生施設へと送られたはずのマニューラとムクホークがボールへと収まっている。
もちろん同一個体。手塩にかけて育てた子たちを見間違えるはずもない。

二度と会えないと思っていた。ぐっと込み上げる熱い感情。
それを冷静で覆い隠し、聖良は他の三体を手早く確認する。
本当に自分が預かっていいのか、もう一度問い返したくなるほどに充実した戦力だ。
つまり、それだけの大任が与えられるということ。

確認を終えて顔を上げた聖良へ、「それと」とツバサは怪電波の波長を収めたカートリッジを手渡した。
もう一本、ツバサも同一のカートリッジを手にしている。

ツバサ「やるべきことはわかる?」


聖良は理知的な瞳に理解の色を。これをもう一度使うとすれば、あの場所しかないだろう。
“その方角”へと目を向け、ツバサへと頷いてみせる。


聖良「はい」

ツバサ「偉い。私とアナタのカートリッジ、どちらかが辿り着けば私たちの勝ちよ」

聖良「心得ています」

ツバサ「別ルートで向かいましょう。それと、理亞も来てるはず 。あんじゅと同行させてたから」

聖良「理亞が…!」

ツバサ「見かけたら合流してあげなさい。姉妹一緒の方が強いし」

聖良「はい!」


同時、二人が見据えたのは夜景に高く聳える鉄塔。
それはアキバ地方最大のテレビ局、ロクノテレビの社屋に併設された電波塔だ。
そこから怪電波を発信すれば、狂乱はこの都市だけに留まらない
地方全域へ、いや、番組として鮮明に受信できる範囲は限られているが、単に電波を届けるだけならもっと広域。
それだけの範囲で人心を狂わせる怪電波が発されれば、訪れるのは混沌と破局、そして終焉。

現状、警察やジムリーダーらによって役所や病院、避難場所の学校、ポケモンセンターといった重要施設は厳重に固められている。テレビ局もその中に含まれている。

故に、ツバサはまず撹乱と扇動を。各所で暴れ、警備網を引き延ばす。
聖良は別働で向かい、頃合いを見てテレビ局へと乱入する。
手筈は以上。


ツバサ「じゃっ、健闘を祈るわ」

聖良「はい、ツバサさんも」


ツバサはにこを追い、ミュウツーと共に夜に舞う。




繁華街の片隅、川縁に位置した瀟洒な料亭。ペン、ペンと和琴の音色が響いているような。
その玄関先から、黒塗りの送迎車が走り出そうとしている。
車内は切羽詰まってやたらに慌ただしく、後部座席に座った男が運転手に掴み掛かりそうな勢いで声を張っている。

「早く!早く出せ!」と、その後背。粛と人影が現れる。
黒地に金の団服、横に連れているのはメタグロス。


英玲奈「“コメットパンチ”」


圧壊!!!
放たれた鋼拳は無惨にもセンチュリーを叩き潰していて、ガソリンへと引火、炎上する車内は数人分の血で真っ赤に染め上げられている。
居合わせた通行人たちは金切り声をあげて蜘蛛の子を散らし、「救急車を呼べ!」「警察!警察も!」と声を張っているが、意にも介さず目も向けず。


英玲奈「六人目」


淡々、統堂英玲奈はカウントを。

それは英玲奈が今夜仕留めたターゲットの人数。不運な付き添いや運転手は数にも含められていない。

今、彼女の機械的な瞳が狙いを定めているのはロクノシティの市議会議員たちだ。
およそ七十人ほど、彼らの今夜のスケジュール、居場所は全て調べ上げられている。

ツバサの脱獄と同時に英玲奈の仕事は始まっている。
まだ十分と経っていないが既に六人。なにやら一室に集い、密談を交わしていたのが政治家たちに災いした。
悪徳政治家だったのだろうか。だが英玲奈にとっては何の関係もない。
善悪を問わず、プラン通りに殺めていくだけ。市議会議員を根絶やしにする。

何故政治家を殺す必要があるのか?
理由は簡単、街の警備網を広めて薄めざるを得なくするため。

市議会議員が続々と殺されているとなれば、各所の警備を弱めてでも護衛に人員を割かざるを得ない。
いっそひとところに集めて警備を固めてしまえば容易く済みそうなものだが、政治家たちはそれを良しとしない。

「一箇所に纏まれば良い的だ、いいから自分を守りに来い」と、そういう発想に至るタイプが多数。そして言い分が通っていないわけでもない。
仮にも議員、強く要請されれば無視するわけにはいかない。
その発言力の大きさと保身の心は利用できる。故に、英玲奈は議員を殺して回るのだ。


「ひいいい!!!」

英玲奈「エアームド、“はがねのつばさ”」


数分の後、数ブロックを移動したスポーツクラブ、その窓を突き破ってエアームドが飛び出す。
その銀翼には鮮血がべったりと付着していて、窓際にはルームランナーごと胴体をほぼ両断された中年女性が息絶えている。彼女もまた市議会議員の一人だ。

英玲奈「七人目」

あんじゅ「あら、もう七人?早いのねぇ」


素直に感心しきった様子、やはり黒の団服姿であんじゅがふらりと現れる。
団服を白から黒へと変えたのは模倣の白を纏ったアライザーとの差別化のため。
仲間内で見分けがつくようにと、アライズ団は有象無象とは異なる真黒なのだという意思表示と。

傍らにはカイロスを連れていて、その二本の角の先端には青い制服を着た男性が引っ掛けられている。

青服。そう、彼らは警察官。
あんじゅの役割は街を哨戒している警官狩りだ。

オハラタワーの一件では、あんじゅは撹乱役に徹していた。
だが今日は違う。戦闘を重ねることを前提としていて、それに従い手持ちも数匹を入れ替えている。本気モードというわけだ。

カイロスのツノに引っ掛けられた二人は朦朧とした意識に呻いていて、あんじゅはカイロスへと命じて彼らを横に放り捨てた。

痛めつけただけで殺めていない。だが、それは情ではない。
骨を砕き、腱を切り、彼らの四肢は機能を失うレベルに痛め付けてある。
同僚たちに保護された彼らは、何をされたか、どう蹂躙されたかを仲間に語るだろう。

それを見、聞いた警官たちは、仇討ちだ、悪を打倒しようと発奮するかもしれない。

だが、それは心の表層。
奥底には“自分もこうなるかもしれない”というリアルな恐怖が根を張る。
恐怖の種を仕込むことで、電波塔から怪電波を放った際に警察からも狂乱者が出るのを狙っているのだ。
もちろん、同時に撹乱も兼ねている。

政治家殺しと警官狩り、どちらもが危険極まりない最前線。
だがツバサを含め、三幹部が矢面を駆けてみせるからこそ、女だ年下だと侮ることなくアライズ団の構成員たちは士気高くその後に従うのだ。

二人は視線を交え、刑務所の方向から狂ったように響き続けているサイレンを聞いて満足げに笑みを浮かべる。


英玲奈「まるで産声だ。訪れようとしている新世界の。そう思わないか?」

あんじゅ「詩人ねぇ…そういうのは私はパス。でも嬉しいわぁ、ツバサの夢が叶おうとしてるんだから」

英玲奈「いや…私たち三人の夢さ。陳腐な物言いだがな」

あんじゅ「…うん、悪くない。完全にフルハウス…ううん、ロイヤルストレートフラッシュ!」

英玲奈「なんだそれは、語呂の悪い。それにファイブカードの方が強いぞ」

あんじゅ「もう、細かいわねぇ…さて、そろそろ行かなくっちゃ」

英玲奈「ああ、私もだ。議員たちが逃げ散ってしまえば面倒が増える」


二人は背を向ける。
…と、あんじゅがくるりと振り向いた。


あんじゅ「そうそう…ツバサがね、この一件が終わったら手料理をご馳走してくれるって。祝杯をあげましょうって言ってたわ」


それを聞き、英玲奈は思い切り顔をしかめてみせる。


英玲奈「ツバサの料理か。正直…あれはあまり…」

あんじゅ「ふふっ、同感」

英玲奈「まずいだけならいい。だがツバサは残されると露骨に凹むから嫌なんだ。変なところだけ繊細だからタチが悪い」

あんじゅ「そうなのよねえ…一応、綺麗に平らげてあげられる元気を残して戻りましょ?お互いにね」

英玲奈「ああ、死ぬなよ」


言い交わし、二人はもう振り返らない。
その眼差しは地獄の獄卒めいて、騒乱に魔を馳せる。




アライズ団、アライザー、その他犯罪者たちに、一般人の中に埋もれていた潜在的な不穏分子まで。
その諸々が一斉に暴れ始めたのだから、街中は既にパニックの渦だ。
人々はその原因を知らない。ウツロイドの洗脳波だなどと知る由もない。
そもそも、ウツロイドらUBの存在自体がまだ一般には秘匿されているのだ。

そして綺羅ツバサの脱獄。
より混乱を招きかねないと報道管制が敷かれているが、街中に響き続ける刑務所からの警報音はツバサの脱獄を人々へと雄弁に語り続ける。

テレビ各局は緊急の報道体制。
“おそらくは集団ヒステリー”と、招かれた専門家は訳知り顔でそう語っている。

そんな動乱のロクノ。都市の空を、大量のスピアーが乱れ舞う。
団の中でも腕利きの構成員へとあんじゅのビークインは託されていて、オハラタワーの再現とばかりに獰猛な羽音が空に渦巻いている。

さらに驚くべきは、大量のアクセスにサーバーダウンと復旧を繰り返すSNSへ、あるいは匿名掲示板へと動画や画像で貼り付けられたとある光景。
綺羅ツバサに対抗できる人々の希望、あのチャンピオン絢瀬絵里が、街を凍らせながら飛んでいる。
それも捕らえるべき相手、綺羅ツバサと肩を並べて!

“コラだろ”と、そんないくつかの書き込みは現実逃避。
複数の人間が様々な角度からそれを撮っているのだから疑いようもない。

もうまるで意味がわからない。チャンピオンまで集団ヒステリーに飲まれてしまったのか…
人々は頭を抱え、恐怖に身を震わせるしかない。

それでも、屋内にいれば大丈夫なはず?
否、そんなことはない。アライズ団は暴徒を扇動し、暴徒は目に付いた建物のガラスを破り、放火して回っている。
街から逃げようとする大量の車に道路は詰まってしまっていて大渋滞、苛立ちに鳴らされるクラクションはパニックの色を余計に色濃く強めていく。

自衛隊の到着にはまだ時間がかかる。
警察に、ジムトレーナーたちに、街を守れるのはたったそれだけ?
当然だ、ここは日本。この規模でのパニックなど誰も想定していない!

街の中心部に位置する大病院へと暴徒の波が迫っている。
病人たちを守るべく引かれた防衛線、その先頭には善子の母の姿。
相棒のドンカラスやワルビアルと共に颯爽と奮戦しているが、いかんせん押し寄せる暴徒の波が多すぎる!!

そして右方、ジムトレーナーの数人がついに鈍器で殴り倒され、警官たちが構えたライオットシールドがアライズ団のローブシンに突き破られた!

「まずい…!」


善子の母は狼狽に声を上げている。
視線を逸らしたその一瞬、敵陣から躍り出たカブトプスの刃がその首へと迫っている!!
息を飲む、反応が間に合わない。まだまだ心配な、最愛の娘の顔が脳裏をよぎり…


鞠莉「ギャロ~ップ!“Wild Charge”!」


炎を纏った駿馬が駆ける!その身からはさらに、爆ぜる荒雷までが迸っている!
ギャロップのワイルドボルトが炸裂し、カブトプスの体を強かに弾き飛ばして善子の母を救ってみせる。
目に鮮やかな金髪に金眼、炎馬の背に腰掛けた美少女、その姿はなんともファビュラス。
小原鞠莉が颯爽、乱入を果たしている。


鞠莉「チャオ~♪」

「小原、鞠莉さん…助かったわ、ありがとう。だけど…!」


間一髪での救命に感謝を一言、しかし善子母の顔から狼狽は晴れない。
自分は救われたが、右翼が突破されてしまったことに変わりはない。
まずはドンカラスを妨害に差し向け、自身はドラピオンを繰り出している。

鞠莉はギャロップの背にあって、たてがみの炎に身を焼かれていない。
よく懐いている。ポケモンとの間に信頼を築けている証だ。
ただ、善子母の見立てでは鞠莉の腕前はバッジ6~7個級。
優秀だ。足しにはなる。だが、戦況を大きく打破する戦力には成り得ない。

だが、鞠莉は不敵に含み笑いを。
均衡が破れれば病院へと雪崩れ込み、何もかもを破壊してやろうと手ぐすねを引く悪党たちへ、バッと芝居がかって両腕を広げてみせる。


鞠莉「アライズ団と、それにオマケのみなさん。今日マリーはね、あなたたちにリベンジに来ました!」


「どうせ雑魚だ、やっちまえ」
そんな声が暴徒の中から湧き、ゲラゲラと知性のない笑い声が上がる。
美しくスタイルの良い鞠莉を邪な目で見ている者も少なくない。
だが鞠莉は動じず、プロレタリアを哀れむかの如く、悠と上位者の笑みを浮かべている。

パシと手鳴らしを一つ響かせ、よく響く声で朗々と言葉を続ける。

鞠莉「この前は私の就任パーティーをあなたたちのCMに使われたでしょう?だからね、今日は私の番」


鞠莉が手を挙げると同時、上空へと大量のヘリが飛来する。ピンク色のセレブリティな?
いや違う、灰色で無骨で、機能性と戦闘力に溢れた軍用ヘリが数十機!

唖然と見上げる人々へ、鞠莉は誇示に両腕を広げ、口元を三日月に笑ませてみせる。


鞠莉「オハラコーポレーションは大打撃を受けました。だから新事業を始めたの。ザァッツ…PMC(民間軍事会社)オハラフォース!!」


降下、降下、降下、一糸乱れず迅速に、精強に鍛えられた軍人たちが降り立つやいなや、暴徒鎮圧用の神経弾が込められたアサルトライフルを構えつつポケモンを繰り出していく。
ドサイドン、ブーバーン、エレキブル、オノノクス、モジャンボ、ヒヒダルマ、etc.
戦闘用として高い性能を持つポケモンたちが続々と繰り出され、暴徒を正面から睥睨している。
時を同じく、都市内の各所へとオハラフォースが降下している。その兵力は1000を越えていて、装備も戦術も最新鋭。
オハラフォースとの敵対はイコール、米軍一個大隊との対峙と同義。

彼らは黙し、指示を待ち…

鞠莉は手へ、少女の手には少し大きい、黒く厳つい無線機を握っている。

鞠莉「目には目を、歯には歯を?ノンノン。拳には銃を、クリムガンにはボーマンダを。暴徒には軍隊を!」


くるりと踊るように言い放ち、無線機を口元へ。


鞠莉「Let's Rock」


一斉に火を噴く!!
図に乗った暴徒たちなど相手にはならない。扇動に徹していたアライズ団の精鋭たちが前へと出て応じ、戦局は激化の一途を辿っていく!!

弾火が飛び交う戦場、その傍らで、小原鞠莉は優雅かつ不敵に笑みを浮かべてみせる。


鞠莉「蛇の道は龍デース。チャイニーズマフィア“洗頭”? stfu feeder. オハラファミリーを侮った罪科、その血で贖わせてあげます」


眼光鋭く、ここにもまた怪魔が一人。

戦闘ジャケットに袖を通し、手にしたタブレットには衛星からの情報、市内の戦局図。
俯瞰に即座、自身が向かうべきポイントを見定めてギャロップへと指示を下し、駆ける!


一方、市内の別箇所では。




善子「なっ、なによ、これぇ…!」

花丸「善子ちゃん、マルにも見せて!……うわあ、本当ずら…」

梨子「絵里さん…」


ロクノジム内、善子たちはパソコンの画面を見つめている。
そこにはネット上、絵里がツバサと共に誰かを追っている姿が映し出されていて、絵里たちの前方に小さく映っているフライゴンはきっとにこだろうと梨子は判断している。

つまり、絵里はなにかしらの理由で敵に回ってしまったのだと理解する。
だとすれば、それは凄まじい脅威だ。


梨子「……ダメね、何度やっても繋がらない」


リーグ本部や警察、にこや真姫の電話など何箇所にも掛けてみているのだが繋がらない。
基地局が襲われたかなにかしらの妨害か、電話がまるで繋がらない状態なのだ。
梨子の機械方面の知識は十人並み。なにがどうしてという理由はわからないが、とにかくこれでは身動きが取りにくい。

今は一体、どういう状況なのか…

気になるのはついさっき、一瞬感じた奇妙な感覚。
まるで心の中の欲求を掴まれ、前面に引き出されるような。
その感覚は今も、ずくずくと疼くように続いている。

テレビでは集団ヒステリーと伝えているが、本当にそうなのだろうか?
綺羅ツバサの脱獄、アライズ団の暗躍…

梨子は賢い少女だ。
直感と考察と、四天王として知らされている情報を統合し、状況を大まかに推察する。


梨子「ウツロイド…洗脳…?」

善子「ねえリリー、顔が怖いわよ」

梨子「…ッ!触らないで!!」

善子「へ!?ご、ごめん!」


肩に触れようと善子が伸ばした手を、梨子は気色ばんだ表情で拒む。
善子と花丸は驚いた顔をしていて、梨子は申し訳なく思うと同時に触れられなかったことに安堵する。

ウツロイドによる洗脳という仮説、梨子が正解を導き出せたのは大きなヒントがあったから。
それは自分の状態。何故可愛がっている善子との接触を拒んだのか?

答えは簡単、可愛がっているからこそ。
心に燻ぶる衝動に下唇を舐めている。もし今、触れられていたら…

そんな不穏を断ち切るように、梨子は両手で自分の頬をピシャリと叩いた。
気休めかもしれないが、理性にしっかりと筋を通せたような気もする。


花丸「梨子さん…?」

梨子「……なんでもないよ、驚かせてごめんね、よっちゃん、花丸ちゃん」

花丸「あ、よかった。いつもの梨子さんずら…」

善子「お、脅かさないでよ…まあいいけど」


そこでふと、花丸が時計を見つめて首を傾げる。


花丸「……曜さん、トイレから戻ってくるの遅くないかなあ」

善子「…本当ね。もう10分近い。便秘かしら?」

花丸「善子ちゃん、そういうのはもうちよっとオブラートに包むずら」

梨子「………」


ウツロイドの怪電波は悪だけでなく、不安定な心に作用する。
梨子は一点の曇りもなく善人だ。だが、揺さぶられている。それは心の内に秘匿したちょっとしたアブノーマル性から。

だとすれば、曜は。

梨子は自分のするべきことを見定め、善子と花丸の二人へと真剣な眼差しを向ける。

梨子「二人とも…私、行かなきゃいけない」

善子「り、リリー…」

花丸「……そうだよね、梨子さんは四天王だもん」


途端に、二人の顔に不安が宿る。
まるでオハラタワーの再現、いや、それ以上のパニックに包まれた街の中で二人が心を平常に保てていたのはそばに梨子と、それに曜がいるという安心感からだ。
だが、その安らぎが今離れていこうとしている。

二人は顔を見合わせ…しかし、力強く頷きあう。


善子「行ってきて、リリー。私とずら丸は大丈夫!」

花丸「二人で頑張ります!善子ちゃんとだとちょーっと不安だけど」

善子「なんでよ!守ってやんないわよ!」

花丸「冗談冗談♪」


大丈夫だ。あの日の死線を潜り抜け、二人の心は強く成長している。
戦闘の腕前も向上していて、攻撃型の善子と守備型の花丸は良いコンビ。何かが起きてもきっと切り抜けられるはず。

梨子「曜ちゃんにきっと何かが起きてる…私は探してみるね。ここも今はシャッターが降りているけど、どうなるかわからない。二人で考えて、二人で動いてね」


告げ、梨子はジムを後にする。
通りすがりの暴徒やアライザーを苦もなく一蹴し、梨子は周囲の建物を手早く見渡す。


“温泉気持ちよかったー!今からロクノに向かうね~!”


曜と梨子とのグループ会話へ、千歌からそんな連絡が送られてきたのは数時間前だ。
つまり、じきにロクノへと千歌は帰ってくる。
そんな状況で曜が向かう場所は?


梨子「曜ちゃん…っ!」


梨子の中に焦燥が募る。

自慢ではないが、千歌と曜の二人のことはよく知っている。
もちろん知り合ってからまだ日は浅い。知らないこともまだまだ多い。
けれどこんな時、追い詰められた曜がどうするかはわかる。

最寄り、最も高いビル。
梨子はバシャーモを繰り出し、抱えられた姿勢で屋上へと駆け上る!!

そこには…

梨子「……やっぱりいた。曜ちゃん」

曜「………梨子、っ、ちゃん」


よろ、よろと足取りも怪しく、曜は屋上の縁、鉄柵へとその手を掛けている。

曜は心の中に幼馴染、高海千歌への強すぎる想いを飼っている。
それは秘されるべき、誰にも知られてはならない感情で、一時は千歌と仲良くする梨子のことを恨みまでした。

そんな怪物を飼っている曜がウツロイドの洗脳波を受ければ、千歌への想いは激烈な欲求へと姿を変える。
全てを薙ぎ倒し、千歌自身の意思を無視して、暴力で捩じ伏せてでも自分のものにしてしまいたい。そんな破滅的な欲求が。

だとして、曜はどこへ向かう?
千歌が戻ってくると知っているのだから、ハチノタウン方面へのゲートへ?
帰ってきたところを襲い、拒むなら叩きのめしてモノにする?

否。

梨子「……違うよね、曜ちゃん」

曜「う、ううっ……!りこ、ちゃん…そこを、どいて…!」

梨子「曜ちゃんは本当に…本当に、優しい子。千歌ちゃんはもちろん、私にも迷惑をかけたくないと思ってる」

曜「そこを…退けっ…!!桜内梨子ッ!!!」

梨子「………ダメだよ曜ちゃん。絶対に退けない。だって曜ちゃんは…ここから飛び降りようとしてるんだから」

曜「ぐ…あっ…!お願い…お願いだから…!梨子ちゃん…っ…!!」


渡辺曜、現在の所持バッジは海外と国内を合わせて18個。
そう、アキバ地方のバッジをも悠々と集め終えている。
千歌への遠慮から使っていなかったレギュラーメンバーへとボールの全てを持ち替えていて、その実力は確実に四天王級。

思いのままに暴れればどれだけの被害が出るだろう。
千歌を捩じ伏せて意のままにするまでに、どれだけの血が流れるだろう。

曜は決してそれを望まない。

曜が考えるのは、(誰にも迷惑をかけないようにしなくちゃ)と。

(善子ちゃん、花丸ちゃん、梨子ちゃん…もちろん千歌ちゃんにも、絶対に迷惑はかけたくない)と。

突き上げる衝動を意思で抑え込めるうちに、朦朧とする意識で目指すのは付近の天頂。
高層ビルの屋上から身を投げて全てを終える。そうすればもう誰にも迷惑はかからない。


梨子「飛び降りるのは怖くないもんね、曜ちゃんは」

曜「早く…っ、早くしないと!!もう!!あ
あっ、千歌ちゃ…千歌…!千歌っ…!!」

梨子「でも曜ちゃん、飛び降りていいの?」

曜「……な、…にが…!…?」

梨子「実は私も…千歌ちゃんの事が好きなの。恋愛対象として。心の底から愛してる」

曜「…………」

梨子「一つ、教えてあげる。オハラタワーの後、曜ちゃん、病院で千歌ちゃんと喧嘩したでしょ?」

曜「…………したよ」

梨子「あの時ね、私…」


梨子は浮かべる。
勝利者の、略奪者のする笑みを。


梨子「奪っちゃった。千歌ちゃんの、ファーストキス」

曜「………は?」

梨子「もう一度言うね。千歌ちゃんと、唇と唇をくっつけあったの。キスをしたの」

曜「千歌ちゃんの…千歌ちゃん、初めての…」

梨子「曜ちゃんが十何年もかけてできなかったことを!たった一年も経たないうちに!!」


ブチン!と、何かが切れたような。
そんな聞こえるはずのない音を、梨子は確かに幻聴する。
曜の目には確と。これまで抑え込んでいた狂乱がありありと現れている。


曜「桜内梨子……お前を、そこから、叩き落とす」

梨子「曜ちゃん、あなたは恋で負けて、ポケモンでも負けるの。思い知らせてあげる。格の違いをね」


梨子は穏やかな少女だ。
抱いたアブノーマルさもあくまでひた隠しにしていて、本来ならばこんな風に相手を煽れる子ではない。
それが今、曜の気持ちを向けさせるためとはいえここまで挑発な物言いができるのは、やはり少しではあるがウツロイドの毒に当てられているからだろうか。
だが今はそれでいい。


梨子(自殺なんてさせないよ。衝動は怒りに変えればいい。全部受け止めてあげるから!)


梨子はそのままバシャーモを。
曜はルカリオを繰り出して、そしてお互いの手首には進化の輝き!!


梨子「……メガシンカ」

曜「メガシンカ!!!!」


紅炎が降り、戦鳥はその両腕へと炎熱を赫とたなびかせる。
蒼気は昇り、闘士はその体表へと波動の黒をより濃く刻む。

共にフォルムがより攻撃的に、戦闘へと最適化され、発される闘気は梨子と曜の抑えられない戦意そのもの!!

瞬気、堰を切った拳がぶつかり………

衝撃が一帯のガラスを微塵に叩き砕く!!!
開戦!!!!




都市中枢、人々が娯楽にファッション、飲食にと行き交う目抜き通り。
アライズ団の目的は騒ぎを大きくすること。となれば当然ながら、人々が多く集まる場所は格好の標的となる。

騒動の勃発から少しの時が立ち、既に広場に悲鳴はなく、横たわるのは累々の犠牲者たち。
空には黄黒の渦。グワングワンと羽音が建物に反響し、その中央にはあんじゅのビークインを駆るアライズ団の精鋭が一人。

団の主力は三幹部、鹿角姉妹、それだけかといえば無論そんなことはない。
元紛争地帯の傭兵上がりだの、元は要人のSPだのと高い戦闘技能を有した人材も大勢いて、そのうちの一人、屈強な体格の男が停車したバスの上でスピアーの群れを操っている。

市内を飛び交うスピアーの数は数えきれないほど。
その中でもとりわけその団員の周囲は蜂の密集地と化していて、オハラフォースの歩兵たちや対地ヘリが放つ鎮圧弾もスピアーの壁に阻まれて届かない。

その様子に暴徒たちは俄然勢い付き、まるで統率の取れていない鬨の声をやんやと張り上げていて…


【━━━ポイントK12、投下】

【━━━投下、確認】


オハラフォースのヘリ、その一機から降る人影は決戦兵器。

乱狂の群衆たち、背後へすたりと降り立った青。
ざっくりと束ねたポニーテールが雑踏に靡き、垂れ気味の愛らしい瞳は紫。

四天王、松浦果南がそこにいる。

「ねえ」と暴徒たちの後尾にいる一人の肩をトントンと叩き、さもここが地元、ウチウラかのような気軽さで問いかける。


果南「あなたたちさ、千歌を泣かせたんだって?」

「はあ?誰だそr


鮮血。
頭を掴んで膝頭へと叩きつけている。鼻がひしゃげて陥没している。
果南はそれを打ち捨て、隣に問う。

果南「曜にも大怪我させたんだってね」

「な、なんだおま


顔からアスファルトへと落ちる。
襟を掴んで持ち上げ、力任せにぶつけ潰した。この世から受け身の概念を抹消するような修羅の一撃。
道路には血溜まりが広がっていて、痙攣する男の手足だけが辛うじて息があることを示している。

果南が口を開く。


果南「梨子にと迷惑かけて、ルビィたちを追い詰めてさ。前の日、ダイヤは不安で押し潰されそうな声で電話をしてきたんだ。鞠莉を助けてって」

「この…っ、クソアマが!!舐めんじゃねえぞ!ああ!?いい気になってりゃゴチャゴチャと、いいか、今から最高の恐怖ってモンをその頭に

果南「“かみくだく”」

素早く繰り出されたオーダイル、ワニ型ポケモンの大顎が無慈悲に閉じられる。

威勢良くがなり立てていた男は首から上を、果南のオーダイルの口内へすっぽりと飲み込まれている。
ぶら下がった体はビクリビクリと痙攣していて、生きているのだろうか?
多分、一応、生きてはいるのだろう。

果南は左手のミネラルウォーターをぐびりと一口、同時に群衆がざわめき立つ。


「や、やりやがった…!」
「こいつ、松浦果南だ!四天王だ!」
「なんだって!?」

果南「あ、そうそう。確かめてなかったけど、あなたたちってアライズ団でいいんだよね?」

「お、俺は違う!アライズ団でもアライザーでも


否定しようとした男の顔を、果南の拳が真正面から撃ち抜いた。
彼らの顔を見ていない。声を聞いていない。
一応なんとなく尋ねているが、答えを聞く気はまるでなし。


果南「まあ、どっちでもいいんだけどね」

松浦果南の愛は深い。

幼馴染の千歌と曜、果南ちゃん果南ちゃんと慕ってくれる二人のことを心底から可愛く思っている。
ポケモンたちと千歌と曜。みんなで一緒に海で泳いで、上がったらアイスを齧って、太陽に熱された田舎道に転がって冷えた体を温める。
花火をしたり、ゲームをしたり、くだらない遊びで笑いあったり、果南の原風景にはいつも千歌と曜の二人がいる。

冗談でも誇張でもなしに、二人のためなら命を張ったっていい。それぐらいに可愛がっている。

そんな大切な身内を傷付けられた。
愛の大きさに比例して怒りの深度は黒を増す。

ただし果南の場合、その感情は狂気や悪を呼ぶ憎しみとは違う。

怪電波に揺らぐ要素もないほどに、混じり気なしの純度100%。
ただごくシンプルに、キレている。


果南「だってどうせ、全員ここで潰すからさ!!!オーダイルッ!!!」

『ダァァァイッ!!!!』

“れいとうパンチ”の凍気が爆ぜる!

オーダイルが地面へと拳を叩きつけ、そこから尖った氷塊が隆起している。
数人が巻き込まれて跳ね上げられ、逃れようと割れる暴徒たち、その合間へと果南が躍り込んでいる。

群衆の後尾に付いているのはポケモンさえ繰り出していない有象無象。
しかし手にはバットや角材を握っていて、彼らは一斉にそれを振り上げる。
ポケモンが強かろうが人は人。トレーナーを殴り殺すにはこれで十分!

が、果南は四天王の中でもきっての武闘派。この程度ではまるで動じない。

既に新たなボールを展開していて、そこから現れたのは貝の鎧兜を身に付けた四足獣ダイケンキ。

兜の淵に覗く眼光は海鬼。
貝の刃で果南への攻撃を受けて流し…返して一閃。

集う悪漢を悉く斬り捨てる!!


果南「うん、いいね!」


合間、ポケモンへと向ける笑顔は掛け値なしに優しく愛らしい。
転じ、敵へと向ける眼光は冷たく燃えてまさに羅刹。

オーダイルは顎に爪にと彼らを蹴散らし、叩き放つ“アクアテール”に水柱が爆ぜる!!

まるで容赦のない暴れぶりに、暴徒ではどうにもならないとアライズ団の精鋭たちが果南へと殺到する。

同時、この通りの戦線におけるアライズ団側のリーダー格、ビークイン使いの男が果南の存在に気付いている。

今は撹乱役を果たすためにビークインを使っているが、本来の彼はでんきタイプのエキスパートトレーナー。
マルマインやシビルドンを両隣へと展開し、四十絡みの厳つい顔相に真剣な光を宿している。そして野太く吼える!


「歓迎するぞ松浦果南!!我が人生、その全てを今ここに賭す!!」

悪であれ、一人のトレーナーであることに変わりはない。
四天王という大壁を目の前に、挑戦の機会を得た喜びに胸を震わせている。

水タイプのオーソリティーである四天王、対して電気タイプの使い手である自分なら勝ち目はある。
スピアーの群れで物量戦を仕掛け、隙に雷撃で一匹ずつ落としていけばいい。

仮に四天王の一角をここで落とせば、計画は大きく前進する!!

…そんな男の覚悟もプライドも、果南には何の関係もない。
ビークインを連れている男が三幹部に次ぐ実力者だとか、殺到するアライズ団の精鋭たちの中にはバッジ7個クラスのトレーナーもいるだとか、そんな全てを一括にぐるりと見渡し、ただこう捉えている。

“雑魚が多いなぁ”と。


果南「うーん、一気にやっちゃおう。カイオーガ」

『ぎゅらりゅるゥゥゥゥ!!!』


“海底ポケモン”ことカイオーガが現れ、高らかな咆叫に空が揺れる!

もちろん果南の切り札だ。
それをポンと、ごくごく気軽に繰り出している。

温存だとか様子見だとか、果南はその手の出し惜しみをしないタイプ。
その戦闘思想は攻めて、攻めて、攻めて攻めて攻める!!!


果南(攻めてれば攻められないからね。なんていうんだろ、効率的?っていうか…そんな感じ)


統堂英玲奈との戦い、果南は血気に逸り敗北を喫してしまった。
鞠莉からは脳筋とからかわれ、(落ち着いてじっくり攻めてれば…)と自分自身しっかりと反省もした。

それから後のしばらくも、果南は英玲奈との戦いの敗北を突き詰めて考え続けた。どうすれば勝ててたかな、と。

そして出した結論。


果南「でもよく考えたら結局さ、もっと早く叩き潰せてればよかったんだよね。うん」


辿り着いた答えは戦略を深めることではない。もっと攻めるべきだった。

もっと火力を!!!

要するに、テッカグヤを始めとする鋼ポケモンたちに翻弄され、粘られてしまったのがいけなかった。
統堂英玲奈が不死身だろうとなんだろうと、どうしようもないほどの水圧で押し流してしまえばよかったのだ!

それからの数ヶ月、四天王としての職務の合間に激しい鍛錬と探索を。

日程の合間を縫っては各地方の海を巡り、ついに海底に見出したのはカイオーガの力の根源、“藍色の玉”。

そして果南とカイオーガは手にしている。あの時は使えなかった、新たなる力を!


果南「ゲンシカイキ!!!!」

“藍色の玉”へとヒビ走り、浮かび上がる“α”の文様。
海の王者たる雄大のシャチ、その全身へと力の紋様が克明。
そしてカイオーガは太古……全盛の姿へと回帰している!!!!


『ギュラリュルゥゥゥゥウアアアッッッ!!!!!!』


途端、都市の空からバケツを覆したような豪雨が降り注ぐ。
天高く黒雲、轟く雷鳴。
豪雨は水量を増し、やがて濁流へ、瀑布へと姿を変える。
その水をカイオーガが周囲へと留めることで巨大な水塊が形成されていく。

その水量はたちまちに100tを越え、1000tを越え、さらに増し…


「馬鹿な…」


呟いたのはビークインを操る男。
高らかに開戦を宣じてみせた彼の意気は、既に絶望に消え失せている。

スピアーの群れ?電気タイプで攻撃を?
全ての細工は無駄と知る。

四天王、松浦果南は…規格外だ。

小規模なビルほどに膨れ上がった膨大な水塊。
その上から、果南とカイオーガは暴徒たちを睥睨している。

いつの間にか、オハラフォースたちの姿はない。
息のある怪我人だけを手早く回収し、数ブロック離れた場所まで急速に撤退している。

何故物々しく、【投下】だのと無線を交わす必要があったのか?
理由は光景へと、雄弁に語られる。


果南「色々とムカつくから…反省しなよ。水底でさ!」


圧倒!!!!
絶望の波濤が悪党たちを押し包み、手にした武器も銃も、連れているポケモンも、何もかもをないまぜにして道果てまで押し流した。


果南「うん、お疲れ様、カイオーガ」

『ぎゅらりゅううっ』

果南「よしよし、ハグしてあげるね。オーダイルもダイケンキもね!」

車両も標識も街路樹も、全てが押し流されて更地になった道のど真ん中、果南はポケモンたちを優しく抱きしめてひとまず労う。
三体をボールへと収め、カイオーガを引っ込めた瞬間、未だ渦巻いていた膨大な水流は見る間に引いていく。

果南とカイオーガの水のコントロールは豪胆にして精密。
掛け値なしの戦闘不能へと追い込みつつも、一応は悪党たちを殺さないようには気を使ったつもりだ。
もちろん従っていただけのポケモンたちも巻き込まれているが、基本的に人よりは丈夫、これくらいなら死にはしないだろう。

スピアーたちを狂わせるビークインを打倒できたことは大きい。が、全体に及ぼす影響はほんの微々。
ぐぐ、と両肩を動かしてほぐし、果南は瞳に気合を込める。


果南「うん、準備運動にはなったかな」


そしてオハラフォースのヘリへと拾い上げられ、次を待つ。
ロクノシティは大都市だ。いくら果南とゲンシカイオーガの制圧力が圧倒的とはいえ、一度に潰せるのは広大な中の数ブロック程度。
ならば戦況の把握を空で待ち、有効な局面への投下に備える。

故に、果南こそが鞠莉の決戦兵器なのだ。


果南「うーん、使われてるなあ…今度なんか奢らせなきゃ」


ぼやいて苦笑、果南は夜空へと舞い戻る。




ロクノシティは立地が悪い。
四方を山々に囲まれた盆地で、夏は暑く冬は寒く、決して恵まれた土地ではない。

そんな土地に大都市が発展したのは戦国に有力大名を輩出したためで、そこから脈々と続く数百年に様々な策を講じながら人口を集めてきたおかげ。
現代では巨大な歓楽街がその一端を担っていて、ショッピング、グルメ、ショウビズにスポーツ観戦、ギャンブルから風俗まで。
アキバ地方に集う娯楽の全てがここにあるとまで言われる都市だ。
だからこそ気候の厳しさと交通の不便を飲み込んでまで、人々が集い大都市となっている。

…と、なぜ今そんな街の成り立ちを述べるのか?

それはロクノシティの交通の不便を記すため。
とりわけ西方、ハチノタウンとの道は山際に築かれたトンネルで繋がれていて、そこにはトンネルを管理するための巨大なゲートが設けられている。

では仮に、その門が壊されてしまえばどうなるか。

ハチノ方面から市内へと入るために険しい山道を越える必要が生まれ、二、三時間ほどの時間のロスが生まれる。
つまり、暴動を鎮圧するために送られる自衛隊の陸路での到着を阻害することができるのだ。

そんな格好の標的があって、アライズ団がそこを狙わないはずがない。
暴徒にアライザー、団員たちがポケモンを繰り出し、ゲートを破壊してしまえと総攻撃を仕掛けている。

迎え撃つのは警官隊と、その先鋒に一人、気高く立つ赤髪の少女。
ポケモン博士、西木野真姫だ。

アキバ地方、ポケモン研究の権威がいれば寄る敵波も恐れることはない…
いや、事はそう簡単ではない。


真姫「…はっ、…はぁっ…数が、多すぎる…!」


前線、警官隊の構えた盾に庇われつつ肩で息をしている。
一体何匹のポケモンを退けただろうか、だいぶ前に数えるのはもうやめた。

ポケモン博士だからといって、必ずしも戦闘に長けているわけではない。
フィールドワークでどうにか自衛ができる程度の博士もいれば、リーグチャンピオン級の腕前の博士もいる。

例を挙げれば真姫の父、ニシキノ博士は戦闘はからっきし。
ポケモンを医療に活用するための研究がメインなためか、娘から見てもその戦いぶりはなかなかに拙く危なっかしい。

そんな父に対して、真姫は博士たちの中でも相当に使える方。
おそらくジムリーダーほどの腕前は有している。
ただ、絵里や四天王のようにデタラメな戦力ではない。あくまで常識的な範疇だ。

倒しても倒しても湧いてくる敵へ、真姫は傍らのシャンデラへと何度目かわからない指示を下す。


真姫「“オーバーヒート”っ!!」

『シャルラララ…!!!!』


幽火炎上!!!!

真姫とシャンデラの十八番、放たれた灼熱は敵陣の一角を焼き落とす。
しかし…すぐさま、後ろから新手が現れている。


真姫「……っ、」


キリのなさに歯噛みをしつつ、真姫はリボルバーの装填よろしく、シャンデラへと“白いハーブ”、“ピーピーエイド”を与えている。
オーバーヒートの過剰加熱に低下した炎熱コントロールをハーブで治癒し、技を繰り出すためのエネルギーが尽きたのを回復させている。


真姫「ポケモン博士、舐めないでよね…!」


警官隊は十数人、まだ生きて防衛戦を張っている。
だが彼らのポケモンは数えるほどしか残っていない。
今もまた一匹のウインディが倒され、実質的な最終防衛線は、真姫のか細い双肩に掛かっている。

それでも真姫は決して退かない。

連絡の取れないにこや、洗脳されてしまったらしい絵里と希。
電話自体が繋がらないのだから他の四天王たちにも連絡を取れず、誰にも頼れない状況で毅然とゲートを守り立つ。

自衛隊の到着を待つため?
違う。真姫には自分の信じる、確固とした希望がある。

穂乃果、海未、ことり。
あの三人なら、きっと覆い被さる巨大な闇を振り払ってくれるはずだと確信している。


真姫「穂乃果たちが戻ってくるまで、このゲートは絶対に壊させないんだから…!!」


包囲を狭め、迫る敵たち。
真姫は怯まない?…いや、怯んでいる。

気高く気丈な真姫も、所詮はまだあどけなさの残る少女。
悪意と狂気を露わに迫る敵を目に、気を抜けば目尻に涙が滲みそう。負ければ全てが終わりかねない責任の重さに体の奥が震えて仕方がない。

だけど。

一つ年上、穂乃果たちの顔を思い浮かべれば、頑張らなくちゃと自分を鼓舞することができるのだ。
いつだって、どんな時だって。そうやって頑張ってきたから今の自分がある。

真姫は深呼吸一つ。
シャンデラはそのままに、新たに二匹のポケモンをボールから解き放つ。


真姫「ジャローダ、ポリゴン2」


王の草蛇、ジャローダはミカボシ山でその力の一端を見せている。
そしてもう一体、新手は人工的に生み出された“バーチャルポケモン”、進化体のポリゴン2だ。
このポリゴン、もう一つ進化先がある。
だが真姫はあえて2のままで留めていて、その理由は“しんかのきせき”という道具を持たせることで生み出される高耐久。

並み居る敵のポケモンたちから、火炎放射に10万ボルト、冷凍ビームにその他諸々、相次いで放たれる高威力の攻撃!
しかし真姫のポリゴン2はその全てを後ろへと逸らさず受け切ってみせる!

『きょわわわ…』

真姫「ありがとう、ポリゴン2。シャンデラ!ジャローダ!全力でオーバーヒート、リーフストームっっ!!!」


灼熱と緑嵐が敵陣を襲う!!!

単発で攻撃したところで易々と大きなダメージは与えられない。
なら、相乗を。
オーバーヒートだけでなく、草葉のエネルギーを広範囲に撒き散らすリーフストームを重ねることで炎上した葉を盛大に撒き散らす。

これもまた真姫の得意とするコンビネーションの一つなのだ。

炎葉が舞い、焦る敵を撫でて押し包み…

瞬間、その全てが千々に散る。
炎と草々と、それに集った悪漢たちをも遥か空へと弾き飛ばす。

それはある意味、最もシンプルでプリミティブな力なのかもしれない。

無色透明、純粋なる力の流動。
それは圧倒的なサイキックエネルギー。
それは万象を統べ、跳ね除けてみせる力。

まさに超常。
アキバ地方で最上のサイキックトレーナーが、真姫の目の前で、壊れたブリキ玩具のように嗤っている。


希「は、ふふ、楽しそうなことしてるやん、ひ、は、…真姫ちゃん?」

真姫「………っ、希…!」

「やった…助かった!」
「四天王だ!東條希が来てくれたぞ!」


何も知らない警官たちは、悪漢たちが一蹴されたことに歓喜の声を上げている。
無理もない、あれほどの劣勢が覆ったのだ。気が緩み、状況を好意的に認識したくなるのが人の情。

だが真姫は希をよく知っている。
こんな歪な笑い方をする少女ではないと知っている。

希はボールからポケモンを展開していない。
じゃあ一体、どうやってアライズ団や暴漢たちを跳ね上げたのだろうか?

真姫が抱いた疑問、その答えは一瞬で示される。
「邪魔や」と一声、希が平泳ぎをするように両腕を掻き分けるのに応じ、警官たちが両脇へと勢いよく跳ね除けられたのだ。


真姫「……洗脳で、希自身のサイキックが強化されてる。脳のリミッターが外れてるのね」

希「ま、そんなとこやねえ?デオキシスを連れてるのも関係あるかも。強力な力は周囲の力場にも影響を与えるからね」


盾はなくなり、真姫は無防備に。そして迫るは希の笑顔。

希「く、ひあ…は…!真姫ちぁん。ちょっとイイことして、ウチと遊ぼか?」

真姫「希……」


真姫は希の笑顔が大好きだ。

ふんわりと静かで優しく、大声で笑っていても周りに気遣いと慈しみの目を向けているような月光。
だが今の希の笑顔はまるで別物。
本人が元から持ち合わせている負の部分ではなく、外側から無理やり植え付けられた悪意、そんな印象。

(止めてあげなくちゃ。私が止めて…)

友達を救いたい、その思いは燃えるように強い。
だが…真姫は優秀だ。戦う前から理解してしまう。


真姫(勝てない!怖気付いたわけじゃない、怯えてるわけじゃない。どんなにどう考えたって、今の希に私が一人で勝てる方法は…!)


首を掴まれる!!
素手ではない。希はまだ少し離れた位置にいるにも関わらず、不可視の腕に、希の念力に真姫は首を掴まれてしまっている。


真姫「か…っ…!」

希「抵抗、しないん?っふ、…はあ…イイ顔するやん」

真姫(殺さ、れ…っ!)


駆け寄る足音!!


穂乃果「だりゃああああっ!!!」

ことり「てえええ~いっっ!!!」

猛ダッシュ!からの全力で、二人肩を並べてヒロイックに放つはジャンプキック!!
真姫は思わず驚きに目を見開いている!


真姫(穂乃果!?ことり!!?)

希「っと…ほいっ!」


希はそれに動じず、二人へと向けて腕をまっすぐに突き出した。
穂乃果とことりはピタリと動きを止め、そのままゆっくり、走ってきた方向へと押し返されていく。


穂乃果「え、っ、体が、後ろに押されて…!」

ことり「せ、背中が引っ張られるみたい…!?」

希「そのまま、ハチノタウンまで帰るとええよ」

真姫(そんなっ!?)


海未「ジュナイパー、“ふいうち”です」

『ホロロロッ…!!!』

希「おっとおっ!」

スタタと、希の足元にジュナイパーの矢羽が撃ち込まれる。
希はそれを後退して躱していて、真姫と穂乃果、ことりは念力から解放され、ドサリと床に膝を付く。

海未はジュナイパーと肩を並べ、油断なく希に目を向けながら穂乃果とことりに呆れた様子で声を掛ける。


海未「相手がポケモンを出してないからと言って、あなたたちまで生身で飛びかかることはないでしょう…」

穂乃果「いやあ、ごめんごめん…つい釣られて」

ことり「ことりは穂乃果ちゃんに釣られて…」

海未「やれやれ…」


やはり荒事には海未が長けている。
希が敵に回り、あまつさえ真姫を締め上げているという意味不明な状況にも動じずに最善の対応を。
希自身がエスパーと化しているならと、ジュナイパーで最速の特効撃を仕掛けたのだ。

それは正鵠を射ていたようで、希は念力で防ぎ止めるでもなく飛び退いて回避している。

と、さらに足音。


花陽「ど、どうなってるのぉ!?」

凛「希ちゃんが敵にゃ!?」

ルビィ「ち、千歌ちゃん、どうしよう?」

千歌「え、え?何が何だか…」

三人、四人。
ゲートをくぐり、ロクノシティへと続々辿り着く若きトレーナーたち。

真姫は瞬時、脳内に戦力計算を。
割り振り…まるで足りていない。だが、奇跡を望めるだけの最低限にはこれで達した!


真姫「花陽!凛!私と一緒に戦って!」

花陽「うん、わかったよ!真姫ちゃん!」

凛「よくわかんないけど、真姫ちゃんとかよちんが言うなら!」

真姫「他は全員!今すぐ市内に向かって!希は私たち三人でなんとかするから!」

穂乃果「わかった!」


すぐさま駆け出す!!

穂乃果は迷わない、海未もことりも同様に。
真姫を信頼している。指示を疑う余地は微塵もない!

千歌とルビィは真姫との面識がまだ浅い。ただでさえ異常な状況、すぐさまの判断は難しい。
だが、穂乃果たちとは激戦を潜り抜けた仲。その行動を信じて街へと走る!

と、「穂乃果!」ともう一声。
真姫が小さな袋を放り投げる。キャッチし、穂乃果は首を傾げる。

穂乃果「なにこれ!真姫ちゃん!」

真姫「あなた専用に作った“メガシフター”。メガリングの代わりに使いなさい!あとは説明書を読んで!」

穂乃果「…?よくわかんないけどありがとう!」


走りながら開ければ、中にはメガリングと似た形状、しかし少し異なる機構の腕輪が入っている。


穂乃果「代わりってことは、前のはいらないんだよね?じゃあ…千歌ちゃん!パス!」

千歌「へ?うわあ!っと、っと!」

穂乃果「えへへ、ナイスキャッチ!」

千歌「ありがと!これって…うぇえ!メガリング!?」

穂乃果「千歌ちゃんなら使いこなせるよ、絶対!」

千歌「……うんっ、やってみる!」


すれ違いざま、真姫は電波を介さない短距離通信を。
穂乃果、海未、ことり、それに千歌とルビィの持っている通信端末へ、ごく手短にまとめた現在の市内の戦況を送信している。
穂乃果たちの到着に備え、事前に準備してあったのだろう。

不気味に佇む希から遠ざかりつつ、真姫からの情報に目を通し、穂乃果たちはそれぞれの向かうべき方向を見定める。

千歌「穂乃果ちゃん、私とルビィちゃんは先に行くね!急いだ方がいい気がする…!」

ルビィ「三人とも、がんばってね…!」

穂乃果「うん!千歌ちゃんとルビィちゃんも気を付けてね!」


手を振って別れ、そして穂乃果と海未、ことりもまた自分の向かう方向を大まかに判断している。
方向は三人ともバラバラ。偶然ではなく故意に。そうするしかない、戦力の頭数が足りていないのだ。

三人は誰からともなく手を重ね合わせ、待ち受けるそれぞれの戦いに健闘を祈る。


穂乃果「海未ちゃん、ことりちゃん、絶対元気で帰ってきてね」

海未「……縁起でもありませんが、そういう穂乃果が一番死にそうな気がしてなりません。迂闊ですから…」

ことり「ふふっ…穂乃果ちゃんも海未ちゃんも、きっと二人は大丈夫だよ」

穂乃果「ことりちゃんは!?」

海未「ことりは!?」

ことり「うん、絶対帰ってくるよ。そして二人に久しぶりにケーキを焼いてあげるんだ。今度こそ約束は破りませんっ」


ぴしっと敬礼をしてみせることり。
キリリとした表情がどうにも不似合いで、穂乃果と海未は緊張の中にも思わず笑いを零している。

重ねた手を離し…頷き、三人は背を向ける。


穂乃果「リザードン!!飛ぶよ!!」


火竜は戦場の空へ!

そして後方。
真姫、凛、花陽は親友同士で肩を並べ、大敵と向き合っている。


真姫「行かせてよかったの?穂乃果たちは。聞いても仕方ないけど」

希「別に、ウチは何か目的があるわけやないからね。なんとなーく動いてるだけで」

凛「希ちゃん、やっぱりいつもと違うね。なーんか可愛くないにゃ」

花陽「……うん、すごく違う。向き合ってるだけでヒリヒリする…」


希はボールへと手を掛け…


希「まずは一匹目、クレセリアのお出ましや」


“みかづきポケモン”、クレセリアが姿を現わす。
デオキシス統合体を除けば、メガフーディンに次ぐ希本来の主力ポケモンだ。

確実に手強い。希自身のリミッターまで外れていて、底知れない格上だ。
勝ち目は四割?いや…

真姫は歯噛みをし…
ポンと、凛と花陽の手が両の肩に添えられる。


花陽「と、とりあえず…頑張ろうね!真姫ちゃんっ!」

凛「駄目だったら…その時は逃げるにゃ!全力で!!」

真姫「二人とも、頼りになるかは微妙ね…」


くすりと笑い、真姫の肩から少し力が抜けただろうか。

……挑む!!




疾る凍閃は“れいとうビーム”、九尾から放つはアローラキュウコン。
その光が道を撫ぜ、突き上げる氷脈は棘走って厳めしい。威容はさながら巨龍の大骨!!

高所、進路先のビルには絵里が投げたボールから最後の一匹が解放されている。
それは伝説のポケモン?
違う。良個体ではあるが、どこにでもいるシェルダーを育てて進化させた、色違いでもないパルシェンだ。
にこが左右どちらに進んだとしても攻撃を浴びせられる位置、鎮座する姿はさながら固定砲台。
舌打ちするにこへ、頭部の突起から尖氷をミサイルめいて射出。三、四、五発と“つららばり”。
その全ては特性“スキルリンク”により連動していて、一発着弾すれば畳み掛けるように全てが殺到するだろう。


にこ「あ・た・る・かあああああっ!!!」


にこの指示に、フライゴンは左右と飛行軌道をうねらせる!
キュウコンのビームに迫り上がる氷山の間を見事に潜り抜け、スピードを緩めることなくビルの大窓へと突入。


にこ「“じしん”ッ!!」


解き放たれた振動エネルギーは伝播し、オフィスフロアの机やコピー機を薙ぎ倒していく。
その狭いスペースをにことフライゴンは敢えて潜り、倒れた諸々を盾に“つららばり”、氷の誘導弾をやり過ごす!

ガシャンと反対側のビル窓を突き破って突出、そこへ掛けられる楽しげな声。


絵里「これはどう?」


息つく暇などまるでなし、空から降るはフリーザー。
翼を扇げばまさに蒼絶、巻き起こる氷嵐は“ぜったいれいど”!!
飄風の中に含まれる無数の礫は弾丸か刃か…いや、膨張した礫は氷柱と化し、例えるならばそれは大槍。
放たれたそれは高層ビルの壁面を、まるで剣山のような有様へと変えてみせる。

予備動作が大きく、威力特化に狙いは大雑把。
避けやすい攻撃だ。だが仮に巻き込まれれば、一撃必殺は間違いなし!!


にこ「死んでたまるかッてのよおお!!!」


上へ!
にこは即断、フライゴンは急昇。

ここまでは寒風を切り裂き、高度を徐々に落としながらの前進飛行。
そしてビルから飛び出し、いきなりの上昇だ。ピッタリ90°、戦慄の直角軌道!
となれば、にこの身体に掛かる負担は強烈。しがみついた腕が徐々に弛み、やがて…

耐えきれず、離してしまう。


にこ「あ……」


瞬間、息を飲む。

小柄な体は宙へと投げ出され、ふわりと味わう無重力の錯覚。
そのまま落下すれば死は確実…が、にこの身体はさらに上へと跳ね上がる!


にこ「ぐっ…ぎいっ!!」


苦痛ににこの顔が歪む。その左手首には銀手錠。
鎖はジャラリと真上に伸びて、もう片輪が繋いでいるのはフライゴンの左手首。にこは緊急の転落防止に、自分とフライゴンの手を繋いでいたのだ。

だがそれはあくまで応急。
落下はせずに済んだものの、一瞬の落下からフライゴンの全速に引っ張り上げられ、にこの左肩はゴルリと音を響かせて脱臼してしまっている。激痛!


『フララッ!!?』

にこ「大丈夫……~っ、じゃないけど大丈夫!!一瞬でもスピード落としたら後でデコピンするわよ!!」

『ラァイッ!!』

身を裂くような冷気と風に挫けず、にこは再びフライゴンにしがみついている。
左肩をその背へぶつけ、強引に肩を入れてどうにか復帰。

ビルで言えば五十階ほど、高高度へと辿り着いたところで上昇を水平に。
どうにかではあるが、絵里からの攻撃を完全回避してみせた。

追ってきているはずのツバサが姿を見せないのが不気味ではあるが、見えない奴を気にしながら戦える相手ではない。今は絵里に集中!


絵里「さすがにこね」

にこ「あーもう、敵に回ると厄介すぎ…!」


見下ろした都市一帯はすっかり凍てついていて、分厚い氷の中にネオンサインが明滅。
零音に動きを止めた街は無音、氷結の軋りだけが不気味に響鳴を。

にこは眼下、ビルの屋上、身を震わせながら、不安げに見上げる人々の影を見る。
気付いてみれば、都市の随所に逃げ遅れた人々の姿がある。
誰もが寒そうに身を震わせながら、一人で、数人で、あるいはポケモンと身を寄せながら寒さに耐えている。

その姿から得るのは一つの確信。


にこ「フン。絵里のやつ、根性見せてんじゃない…」


狂気に苛まれながらも、無辜の一般人だけは凍結の中に巻き込んでいない。

自分のものではない暴力衝動に自我を押し込められて、その状態でなおポケモンたちへと非武装の一般人だけは凍らせないようにと慎重な指示を下しているのだ。

(だったらにこも見逃しなさいよ!)

そう叫びたくなるが、きっと抵抗のキャパシティをどこに割り振るかの問題なのだろう。
全てを自己決定できるような余裕はとてもなくて、ならば優先度の問題。

にこに痛烈な攻撃を浴びせ続けているのは、(きっとにこなら耐えてくれる)という親友への信頼と親愛の証でもある。

そんな絵里の頑張りに、だったらどうにかしてやりたいのがにこの情。
フライゴンを反転させ、凍てついたビル壁を尾で叩きつける。
氷と鉄筋コンクリートとガラスを一緒くたに砕き割り、重力に従って下へと向かう破片たち。


にこ「フライゴンっ!!“ストーンエッジ”!!」

『フラアアッ!!!』

再度の尾撃!!
瓦礫を上から痛烈に打ち据え、自由落下に加える猛烈なスピード。
砕けた瓦礫は大量の石片へと変わり、にこを追う絵里たちへと“ストーンエッジ”と化して迫る!

麗氷に保護された翼、こおり・ひこうタイプのフリーザーは硬く重いいわタイプの攻撃に非常に弱い。当たれば倒せる!


絵里「なるほどね」


絢瀬絵里は“こおりタイプ”のエキスパートトレーナー。
氷はドラゴンを狩れることもあり、攻撃性に長けた属性だ。
しかし脆い。弱点が多い。
マルチタイプのパーティにピンで起用されたり、他タイプのポケモンにサブウェポンとして氷技を持たせるだけのケースが多く、故に専門トレーナーの絶対数は少ない。

しかし絵里は、その取り回しの悪さを苦にしない。
防御性に欠くという大きな弱点をどう克服しているのか?


絵里「“ぜったいれいど”」


空中に生み出された極大の氷塊は、苦もなく“ストーンエッジ”を受け止めてみせる。

怜悧、美麗。
そんな絵里の外見に反して、その戦い方は強靭なるロシア式。
極限まで高められた威力から生まれる特大の氷塊、それを素早く瞬時に成してみせるのだから、こおりタイプのポケモンがどんなに脆かろうと、攻撃は物理的に届かない!


絵里「いくら氷が脆くても、氷山の壁を突破できるポケモンはそうそういないでしょう?」

にこ「ちぃっ…癪だけど、さすが絵里ね!」


にこは惜しささえ感じられない一撃に歯噛みをし、絵里の強さにほんの寸時、思考を馳せる。

トレーナーの強さの種類をざっくりと分けるとすれば、二種に大別される。

一つは、相手の戦い方に応じて都度対処を変える技巧派。
そのスタイルは変幻自在、妨害撹乱なんでもござれ。相手がやりたがっている戦術を潰すことを主眼に置くタイプ。
桜内梨子やもう一人の四天王、それに優木あんじゅや、ミュウツーを除いた綺羅ツバサはこのタイプだ。

もう一つは強行派。
戦術を単純化して練度と威力を高め、自分のやりたい行動を押し通し、相手など知るかと圧殺にかかるタイプ。
こちらの代表格は松浦果南。東條希は器用さ故に二種のスイッチ型といった調子だが、どちらかといえばこっち。
“トレーナーを殺す”という特殊戦術を押し通そうとする統堂英玲奈も大枠ではこちらだろう。

そして絢瀬絵里もまた、完全なる後者型。


絵里「ロシアこそがこおりポケモンの本場。あなたたちは凍結の真髄を知らない。私のポケモンはなんだって凍らせてみせる」

にこと絵里には見えないビルの中、無人の社屋の内部は炎上している。
戦闘の衝撃に電気系統がショートしたのだろうか、ジリリリと鳴る警報ベルだけが夜空に警戒を走らせる。

…と、爆炎!!

凍結にヒビ割れた窓から空気が取り込まれ、バックドラフトを起こして屋外へと炎が飛び出したのだ。
その炎は渦を巻き、絵里とフリーザーへ躍りかかる!


にこ「絵里っ!?危な…!」

絵里「ありがとう、にこ。けれど言ったでしょう?……なんだって凍らせてみせるって」

にこ「………バッケモノが…!」


人は極限を超えたものを目にする時、それが例え敵対者であれ浮かべてしまうのは笑み。
にこは意図せず、冷や汗と共に浮かべる噛み潰したような笑み。
その目に映るのは、ゆらめきのままに動きを止めた赤の舌。


━━━炎が凍っている。

…否。

実際には超低温による瞬時の鎮火、本当に凍らせたわけではない。
ただ肝要なのは物理現象ではなく、見た者がどう感じるか。
その意味では間違いなく、絵里のフリーザーは数秒、凍るはずのない炎を凍らせてみせたのだ!!

そして…面前、フリーザーが翼を広げている。

ほんの10メートルほど。
完全なる射程圏。
決して避けられない距離で。

アイスブルーの瞳が刹那、親友が“詰んでしまった”悲しみに潤み…


にこ「っ、しまっ…!!」

絵里「ダスヴィダーニャ……にこ」


“ぜったいれいど”。

絶命の蒼光が空を凍らせる。

ツバサ「ふぅん、しぶとい」


少し離れ、ツバサは上空で高みの見物を。
絵里がにこを射程に捉え、一撃必殺の冷気を解き放った。
その瞬間は修羅場に慣れきったツバサでさえ、矢澤にこの死を確信した。

しかし、にこは生きている。

フライゴンと共に冷気に囚われようかという一瞬、にこはフライゴンをボールへと戻してすかさず新手を。
どく・みずタイプのヒトデナシポケモン、ドヒドイデを繰り出した。

そしてにこは小柄な体をさらに丸めて縮こまり、ドヒドイデへと命じる。


にこ「“トーチカ”っっ!!」


それは束の間の絶対防御。
ドヒドイデはその触手を隙間なくピタリと閉じることで、たとえ一撃必殺の攻撃だろうと完全に耐えてみせる超防御を実現できるポケモンなのだ。長持ちはしないが。

かつ、ポケモンには普通の動物と同じように体長の個体差がある。

にこが連れているドヒドイデはかなり大きめの部類で、触手をいっぱいに伸ばせば子供を一人くらいならその中へと匿えるサイズをしている。
つまりにこは、トーチカの内側に隠れることで“ぜったいれいど”をやり過ごしてみせたのだ!

にこ「あぁぁぁっぶな…!!!」


左手の手錠をじゃらりと鳴らし、顔面蒼白に大きく息を一つ。
絶氷を凌ぎ切って得意げなドヒドイデを「偉い!」と撫でてボールへと収める。
そして前述に一つ訂正を。
にこは今度こそ地上へと急落しているが、落下の重力でさえにこを易々とは殺せない。


にこ「マタドガス!頼むわよ!」

『ドガッ』


ガス生命体という性質からの弾性、柔軟性、高い物理耐久。
そこにプラス、特性の“ふゆう”を併せれば、遥か上空からの落下にもマタドガスは衝撃を最小限に殺してみせる。

パンパンにガスの詰まった袋のような体で道路にぶつかりボヨンと跳ねて、その体に捕まっていたにこは二度目のバウンドで離してしまってアスファルトにゴロゴロと転がる。

転がる勢いのままに盛大に突っ込んだのはマーケットの屋台。
椅子を倒しながら立ち飲みテーブル代わりのドラム缶へとぶつかってようやく止まる。
「痛ったぁ!」と顔をしかめ、転んだ拍子にどこかを打ったのか、額には鮮血が垂れている。

だが止まらない。

マタドガスへとすぐさま命じ、広域に煙幕を張り巡らせて上からの視界を遮る。
風で流れにくい重ためのガスだ、フリーザーの突風でもすぐには晴らせないだろう。

ミカボシ山での交戦に海未が感じ取ったように、にこの特長は“やられない”ことにある。

それはズバ抜けた勘と一瞬の洞察力。
冴え渡ったというよりは、目を皿にして凝視して生きるための“生命線”を見出して綱渡る。
そんな泥臭くも果敢なファイター。

そして護衛にとルガルガンを伴い、全力で駆ける!!


にこ「ヤケクソにだけはなんないわよ…絶対に絶対に、諦めずにガン逃げしてやる!!」


虎視眈々、状況が変わるのを待っている。
誰でもいい、対抗できるだけの…

だが運命は、にこに境遇の好転を許さない。
空から迸る無色の光、それはマタドガスの煙幕を瞬時に分解してみせる強大無比なサイコエネルギー。


ツバサ「さて、そろそろ混ぜてもらおうかしらね?」

『ミュウゥゥゥウウ…!!!』

にこ「っ、そりゃ来るわよねぇ…!」

ツバサ「“サイコブレイク”」


それはロクノ監獄を貫いてみせた、ミュウツーにのみ許された専用技。
にこは知る由もないが、その技術はミュウツーでさえ体得に苦心するもの。
徹底的に身体機能の強化を行い、極限へと達した状態でようやく使いこなせる技なのだ。

つまりミュウツークローンのレベルはMAX、100へと到達している。

形のないサイコエネルギーへと実体を与え、超常的な破壊ではなく完膚なきまでの物理破壊をもたらす一撃として放つ。

にこは戦慄に顔をひきつらせる。
ミュウツーから放たれた波動が可視化している。
巨大な津波のように、微かに見える透明な壁が圧殺すべく迫ってきている!

それは殺意の塊、まともに受ければ押し潰されてアスファルトに残る血染みになるだけだ!


にこ「ぎゃあああ!!アレは絶対にヤバい!!ゴロンダぁッ!!!」

『ゴロォッ!!!』


応じ、繰り出すのはエスパーへの耐性持ち。あく・かくとうタイプのゴロンダ!
相手は最強、種族値では比べるべくもない。
だが相性とは存在するもので、エスパーが放つ波動はあくタイプの生体波長へと干渉し得ない。

故に、堅牢な要塞をも突き崩す不可視の力壁を、ゴロンダの不敵な鉄拳が一撃粉砕!!!


にこ「はっ!ミュウツーも大したことないわね!」


「バーカバーカ」と罵詈雑言。
捨て台詞で下品に煽りつつ、抗戦の構えを見せている。
もちろん足は止めない。真正面からやりあうつもりはさらさらなし!

それを受け、ツバサはくすりと上品に笑む。

脱獄の際にやってみせたように、ツバサとミュウツークローンは既にあくタイプへの対処法を確立させている。
あの時は壁床を崩し、瓦礫を念力で飛ばすことで敵を蹂躙した。
“いわなだれ”の亜種技といったところだろうか。

さて、あの時はまだミュウツーの力を把握しきれていなかった。

壁床を飛ばす?
いや、それでは随分とみみっちい。“最強”に見合う技とは言い難い。


ツバサ「まずは…うん、アレから行きましょうか」


浮遊。
それはワゴン、それはハイブリッド車、それは軽自動車で、トラック、バイクにバスに、大型のタンクローリーまで。

ツバサとミュウツーは動きがシンクロさせ、コンダクターよろしく両掌をゆっくりと持ち上げる。
応じ、渋滞に乗り捨てられた大量の無人車がツバサたちの高度へと浮いている。
誰の目にも明らかに、それは“いわなだれ”どころの騒ぎではない。


にこ「……な、によそれぇ…!?」

ツバサ「お手頃よね、ガソリンもたっぷりと入ってて。あなたを殺すには…十分すぎるかしら?」


ふふっと可愛く笑顔を見せて、ツバサとミュウツーは両腕を煽る。

降る。

にこたちへ、膨大な数の車両が!!!


にこ「っぎゃああああああ!!!!??」

それはまさに戦場!
敵軍の火力支援に晒された最前線そのもの!!
その威力はドラゴンタイプの“りゅうせいぐん”にも等しく、いや、車両の質量とガソリン入りという点を鑑みればそれを凌駕する超威力!

駆けて辛うじて掻い潜りつつ、しかし直撃は時間の問題…


『ガルアッ!!!』


手当たり次第に降り注ぐ車の雨に、応じるは夜姿に凶眼光るルガルガン!

いわタイプの狼は一撃を受けてのカウンターをその身上とするポケモンだ。
だが種族値にはさほど恵まれず、一線級の戦闘での使用率は決して高くない。

だが、にこは種族値を見ない。
個々の面構えを、秘めた根性を見定めていて、ルガルガンを手持ちに採用する際はまるで迷わなかった。
犬の嗅覚を存分に活かし、にこと一緒に数々の事件を渡り歩いてきた。

注いでもらった愛の恩義を返す時は今!!

にこはマタドガスを収め、クチートを繰り出している。

すかさずのメガシンカ!!

メガクチートは強靭な鋼の顎で、飛来した鉄塊を文字通りに“食い止める”。
ひしゃげさせ、噛んでは投げ噛んでは投げ、何台もの車両を辛うじてやり過ごすが…


にこ「タンクローリーっ、あれはクチートでも受け切れ…やばい…!?」


それは直撃軌道。どう動いても避けえないとにこの本能が危機を告げ、絶体絶命にアラートを鳴らしている。
ドヒドイデのトーチカもたった今使って一撃をやり過ごしたばかり。死ぬ…!

そこへ身を晒すルガルガン!


にこ「ルガルガン!?危ない!」

『ルォォオオオオッ!!!!』


吠える!
身を呈し、にこを圧殺する軌道で飛来したタンクローリーを受け…
中身のガソリンを含め、10tを優に上回る重量の車両の直撃。
技としての威力に換算するならば、きっと300だとかそれ以上。

岩狼の骨がバキボキと砕ける。内臓へと衝撃が走り、口からは鮮血が溢れ出る。
屈しそうな膝に背骨に、しかしルガルガンは倒れない。
まさに不屈の闘士。にこの目はその気質を正しく見定めていた!


にこ「……っ…!“カウンター”!!」

『ガアアァァァァッ!!!!』


狼爪が車体を両断!
肉を切らせて骨を断つ。なれば、骨を断たれれば鉄をも割る!!

ルガルガンは満足げに低く鳴き、まさに瀕死の状態でその場に倒れ臥す。
にこはその奮闘に、今にも大声をあげて泣きたいほどの気持ちを押し殺してただボールへと収める。


にこ「よくやったわね…!」

ツバサ「じゃ、こんなのはどう?」

にこ「………え…?」

ようやく車両の嵐をやり過ごしたばかりで、にこは眼前の光景を理解できない。
ツバサとミュウツーが腕を上げて、数十階建てのビルが、上に伸びていっている?

いや、違う。
ビルの根元、基盤が振動に軋み…引き抜かれる。
地面から離れている。
総重量はどれほどか知るべくもない重量の塊が高空へと掲げられ、月影を覆い隠している。

まるで神の鉄槌だとでも言うような…


ツバサ「まあ流石に、ミュウツーにちょっと無理させてるんだけど…これなら殺せそうね」

にこ「ッぐ…!綺羅…ツバサ…!!」


巨大ビルが降り、轟然と地を叩く!!!

それはもはや戦略兵器。
大都市の一区画を容易く廃墟へと変えてしまえる力は人々にとっての脅威でしかない。
逃げ遅れていた人はいただろうか?だとして、その生存は望むべくもない。
全ては微塵に打ち砕かれ、あまりにも出鱈目な光景だ。

だが。


にこ「………まだ、まだぁっ…!」


そんな中で、にこは生きることを決して諦めない。

大破壊のその瞬間まで折れることなく周囲を見渡していた。
そして間一髪のタイミング、地下街へと下るための階段を見つけ、そこへと駆け込んでいた。

地下道がビルの崩落に耐えきれず潰れてしまえばそれまでだった。
だが造りは堅牢、辛うじて重量に耐え切ったようで危急の中に一命を拾っている。


にこ「天井にヒビが入ってる、長くは持たないわね。電車は止まってるだろうから、地下鉄の線路を逃げれば…」

ツバサ「本当にしぶといのね…尊敬するわ」

にこ「……ちっ、しつこいっての」

ツバサ「ね、追われる方もなかなか大変でしょ?」


天井…大地が剥がれ、持ち上げられている。
にこの生存を鋭敏に察し、倒壊させたビルの瓦礫ごと地面まで全てをサイコキネシスで持ち上げての発見。
これもまたふざけた念動力だが、一々リアクションを取ってやるのも癪なので、にこはもう驚いてやるものかと内心に固く誓っている。


絵里「にこ、もう諦めていいのよ」

にこ「うっさいポンコツ。さっさと目ぇ覚ましなさい」


返事はなく、放たれる“れいとうビーム”。
ミュウツーからも強靭なサイコキネシスが放たれていて、ドヒドイデは二撃を続けて防ぐことはできずに倒されてしまう。

にこ(っ、…マタドガス、ほんといつもごめん!あとで最高に美味しいもの食べさせるから!)

にこ「“だいばくはつ”!!!」


………が、不発。

殺到する二撃。絵里とツバサの手腕はその発動よりも遥かに素早く、マタドガスを処理してみせる。

にこのマタドガスは撹乱と、高い物理防御を活かした受けポケモン。
ただ、相手が悪かった。ツバサと絵里と、今出しているのがどちらもが特殊型。耐えられるはずもなく。

残るは三体、じり、じりりとにこは後退る。
そしてついに、壁際に追い詰められてしまう。


にこ「せめて、どっちか片方だけなら…」

ツバサ「あら、面白い。片方だけなら勝てるとでも?」

にこ「……勝てるか、はともかく…」

絵里「にこ…にこ、本当に…ごめんなさい…!」


絵里の瞳から涙が零れ落ちる。
深層に意識は残っているのに、狂気に抗えないのだ。
絵里の声の震えに、フリーザーはわずかな戸惑いを見せる。本当に指示に従ってもいいのだろうかと。
だが、その横顔は冷たく冷酷ににこを見つめたまま。瞳から一筋、涙が零れている。ただそれだけ。

トドメの指示を下すべく、絵里はすらりと片腕を伸ばし…


「その涙…とても見ていられませんわ」

にこ「来た!!」

ツバサ「…!」


放たれる金剛石の嵐!
それは散弾銃の斉射めいて、絵里とツバサへと容赦なく浴びせられる!

颯爽、黒髪の大和撫子が伴うのはディアンシー。
絵里の涙に共鳴し、彼女もまたポタポタと涙を流している。
何故か?大ファンだから!

騒動の気配にジムリーダーとしての責任感を発揮し、千歌やルビィよりも先乗りでロクノシティへと到着していたのだ。
そしてこの増援は、にこが期待していた可能性の一つ!

現れた増援は黒澤ダイヤ!!


ダイヤ「加勢に来ましたわ!」

にこ「待ってたわよ!ダイヤ!!」

絵里「………ッ…!フリーザー!“ぜったいれいど”!!!」

ツバサ「おっと…?」

ただ一声、下した指示には絵里本来の意思が宿っていた。
時間にしてほんの三秒、取り戻せた体の主導権に、にこと目配せを交わしている。

にこはツバサの方へと駆け、そしてフリーザーは大氷塊でツバサと自分の居場所を寸断する!

その氷壁は絵里の矜持を示すかのように、あまりにも厚くあまりにも堅い。
いかなミュウツーであれ、易々と破壊することはできないだろう。

横から回り込むのも容易くはない。何故なら都市の区画を横切るほどの規模だから。
それは長大なる国境要塞めいて、戦場を大きく分けている。

絵里の意地、にこたちと手渡すせめてものアシストだ。

戦局はツバサとにこ、絵里とダイヤへ。
そして絵里の意識は再び洗脳下へと落ち…


絵里「ダイヤ…あなたは優秀なトレーナーよ。実力も知識も、ジムリーダーとしての器も持ち合わせている」

ダイヤ「そ、そんな…光栄ですわ…」

絵里「けれど、私には遠く及ばない。ジムリーダーとチャンピオン、その間には広く大きな力の隔たりがある」

ダイヤ「………」

絵里「それでも、挑むのかしら。死に急ぐだけなのに?」

ダイヤ「………お言葉ですが」


毅然と。
ダイヤは絵里へ、確固と燃える眼差しを向ける。
無礼を知りながら、敢えてピシリと指し示す指先。


ダイヤ「わたくし、絢瀬絵里の大・大・大ファンですの。いつもあなたにお会いできた時のテンション、あれでも控えめを心がけていますのよ」

絵里「そう、ありがとう。嬉しいわ」

ダイヤ「ですので。言われずとも、あなたとわたくしの間にある大きな実力差など理解済みですわ」

絵里「それでも挑むというの?自殺志願かしら」


目を伏せ…ダイヤは静かに言葉を紡ぐ。


ダイヤ「………いつか、ただのファンではなく、対等な存在として肩を並べたい」

絵里「……」

ダイヤ「………いいえ、違いますわね。わたくしは…いつの日か、あなたを越えたいと願っています」

絵里「……チャンピオンという壁は、誰かに超えられるためにあるもの。あなたにとってのそれが今日だと?」

ダイヤ「そうだったらいいのですが…」


さっと、ダイヤは空高く右手を掲げる。


ダイヤ「今日はまだ分を弁えて。数で挑ませてもらいますわ」

絵里「………」


気にはなっていた。近付いてくる大量のプロペラ音が。
群れを成し、現れる軍用ヘリ。そして降り立つ大量のオハラフォース!

駆け込むギャロップ!
ダイヤの隣へすたりと着地、「チャオ~」と呟いて眼光鋭く。


鞠莉「大絶賛Nuts中なチャンピオンを倒せば、オハラフォースのCMとしてperfect!イッツ、ビジネスチャンス♪」

ダイヤ「わたくしの大切な親友と、その部下たちと」

鞠莉「オハラフォースの最精鋭100人。かませDOG?ノンノン、それは数だけで挑んだ場合」

ダイヤ「必ず勝って、あなたを苦しみから解き放ちます!」

鞠莉「Amazing. 強い想いを抱いた“軸”がいる。それだけで有象無象は、意思ある津波となって大敵へと立ち向かえる。ダイヤの思いは本物だから…」


絵里「……見せてみなさい、あなたたちの覚悟と力を」


ダイヤ「行きますわよ…鞠莉さん!」

鞠莉「勝てるよ、私たち!」


想いを胸に、世界の命運を背に。
遥かなる憧憬へと挑む!




善子「ドンカラス!“あくのはどう”よっ!」

『クァァッ!!!』


おおボスポケモン。そう称されるに見合う威厳を有した風貌の大鴉は両翼を広げ、黒の閃光が放たれる。
夜の街にあってより暗く。漆塗りのような艶めく黒が敷石を蹴散らし、アライズ団の少女はムウマージを伴い跳躍。

ひらり、アクロバティックに空を舞い、下へ。
直後、欄干を黒閃が抜け、一撃をすかされた善子とドンカラスは際へと駆けより相手を見下ろす。

タタッと八秒遅れ、花丸が少し息を切らしながら現れる。
膝に手をつき呼吸を二つ、眼差しは強く善子の隣に。傍らに浮いているのは銅鐸にそっくりの奇妙なポケモン、ドータクンだ。


花丸「善子ちゃん、あの子は?」

善子「下よ!この堕天使ヨハネに恐れをなして逃げる気かしら」

眼下、アライズ団の少女は勝ち気な瞳に苛立ちを滲ませ、水面の少し上を浮遊している。
魔女のようなゴーストポケモン、ムウマージの魔力による浮遊だ。

浮力に合わせ、少女の髪もふわわと揺れる。善子と花丸を睨み付け、言い放つ。


理亞「逃げる?誰が。泣き喚いて逃げ回ることになるのは…お前たち!!」

『マァァジッ!!』

花丸「来るずら!」


ムウマージの“シャドーボール”、ゴーストタイプの念弾が支柱と橋桁を叩き、その威力に長さ200mほどの鉄橋は形を歪めて半壊する。
鹿角理亞、敵はかつての姿とは違う。
逮捕された姉と離れ、研鑽を積んだのだろう。大きな成長を遂げている。

だが成長は自分たちも同じ。善子と花丸は臆さない!

崩落する足場の中、善子はドンカラスに、花丸は浮遊できる特性のドータクンにしがみついて難を逃れている。
だがいずれにせよ交戦は必須。二人は顔を見合わせ、降下に理亞と、それぞれの眼光を交錯させる!

善子と花丸、一応の安全地帯であるジムにいた二人が戦場へ、そして理亞との対峙に至った経緯を、まずは簡潔に記すべきだろう。

これはロクノジムに限ったことではないのだが、各地のジムには監視モニター室というものがある。
ジムリーダーとは単にバトルをこなせば良いだけの存在ではない。
街の顔役であったり、治安維持の主力であったりと多くの義務と責任を担う存在だ。

そんな治安維持装置としての側面から、街の各所に設置された監視カメラの映像を一望できる部屋がジム内にはあるのだ。


善子「ってことなのよ」

花丸「ははあ、未来ずらね~」

善子「あんたの家もジムでしょ!とりあえず、近場の様子だけでも確認しといた方がいいと思うの」

花丸「うん、そうだねっ」


ジムの防犯シャッターの強度はそれなりにあるが、暴徒大勢に囲まれてしまえばいよいよ危ない。
その場合はここを出て逃げることも考えるべきで、そんな考えから二人はモニター室へと向かったのだ。

そして、そこで二人は見てしまう。
自分たちよりもおそらくは年下、子供のトレーナー数人がアライズ団に追われている光景を。
その場所は遠くない区画、人気のない路地裏。付近にトレーナースクールがあって、そこから逃げ遅れた子たちなのだろう。
彼らのポケモンは既に大半が倒されていて、このままでは…


善子「ずら丸」

花丸「うん!」


迷いなく、すぐにジムを飛び出していた。

二人はいずれも賢い少女だ。
学力がどうという話ではなく、状況に応じて動ける判断力を持っている。
危ない目に遭う可能性も、自分たちが飛び出すことで誰かに迷惑を掛けてしまう可能性も、もちろん理解している。

踏まえて、それでも飛び出さずにはいられなかった。
恐怖と絶望の中に誰かが助けに来てくれる嬉しさを知っているから。

そして同時にこれは、二人がトレーナーとしてさらなる前へと進むための挑戦でもある。
何故ならアライズ団、その少女の顔には見覚えがある!


善子「アライズだぁん!勝負よっ!」

花丸「マルたちが相手になるず…なります!」

理亞「……お前たちは」


そう、善子と花丸にとってこれはリベンジ!
新米トレーナーにだって意地とプライドはある。
まして二人はジムリーダーの娘、負けっぱなしで引けはしない!

そんな二人を理亞は覚えている。忘れられるはずもない。
眠れない夜はずっと隣にいてくれる、理亞の大好きなふわふわの卵焼きを作ってくれる、そんな大切で最愛の、優しい姉さまが捕まってしまったあの日の標的!

ただ、恨んでいるわけではない。
理亞が憎悪するのはあくまで姉さまを卑怯にも負かした高坂穂乃果。
津島善子と国木田花丸?この二人は理亞にとって、単なる…


理亞「フン、雑魚」

花丸「か、開口一番辛辣ずらぁ…!」

善子「見ぃてなさいよ!吠え面かかせてやるんだからっ!」

そして、開戦へと至っている。


善子「来ませ、辣悪なる地獄の使者…鋭利なる真海の牙よ!サメハダーぁ!!」

花丸「お願いね、ヌオーっ」


ババシと二人のボールが続けて弾け、着水と同時にそれぞれがみずポケモンの背へと移っている。

善子が繰り出したのは極悪な面構え、人呼んで“きょうぼうポケモン”だの“海のギャング”だのとすこぶる悪名戦いサメハダー!
善子は形から入るタイプ。あくタイプのエキスパートを目指すならまずはコワモテ!と選んだのがこのポケモンだ。
速度と攻撃性に長けた、ガンガン攻めたい善子の気質を体現するような一匹!

対し、花丸が身を預けているのは“みずうおポケモン”のヌオー。しっとりと湿ってつるりとした体表、水色の体につぶらな瞳。
見るからにのんびりとした性格で、花丸のポケモン選びは一緒にゆったり寛げるか否か。
ただし、もちろんそれだけではない。きちんと戦える能力に仕上げてきている!

そんな二人を理亞は黙して眺め、口を開く。


理亞「どのポケモンも進化済み、前よりは成長してる。でも私の敵じゃない。私は…絶対に負けない!!!」


三者同時、それぞれに指示を下す!

水上戦には数種類のスタイルがある。

一つはポケモンは水上へ、トレーナーは水際に立って指示を出すというスタイル。
ポケモンたちの戦闘の趨勢に合わせてトレーナーは並走しつつ指示を出す、最もベーシックな戦い方だ。

二つ目はトレーナーが滞空。
水上で戦うポケモンとは別に飛べるポケモンを繰り出し、トレーナーは上から戦況を見守りつつ命令を下す。
海や大きな湖など、並走では指示が届かない場合がこれだ。

そしてもう一つは泳げるポケモンに乗って、そのまま背から指示を出す戦い方。
例えばラプラスなど、水辺での移動手段にポケモンを用いるトレーナーは多い。トレーナーを乗せたまま戦うことも不可能ではない。
ただし、このスタイルは事故が頻発する。
激しく戦うポケモンのそばにいれば技にトレーナーが巻き込まれる可能性はもちろん高まり、転落してそのまま…というケースも少なくない。

故に、近年では手持ちとは別に移動用のポケモンを用意するライドギアの概念が生まれた。
乗っているポケモンとは別にもう一匹を繰り出し、そちらに戦闘を任せる。そんなスタイルが一般化しつつある。

今、善子と花丸は崩落する橋から下の川へと飛び降りた。
川ではあるが幅が広く、岸からでは指示が届かない。
ましてや一瞬の指示が勝敗を分ける生死を賭した一戦、距離を開けるわけにはいかない状況だ。

まずは善子、繰り出したサメハダーはライドギアにも活用されることのあるポケモン。ジェットスキーのように高速での水上移動が可能だ。
乗るための器具をフルに着けさせると戦闘の邪魔になってしまうため、片側だけに足を掛けるためのステップを取り付けてある。
そして手早く専用の手袋をはめ、背ビレを掴んで器用に乗りこなす!


善子「素敵ぃ!!」

理亞「速い。けど…」


向き合う理亞は30メートルほどの距離を開けて、ムウマージの力で浮きながら背走。
二人相手をムウマージで捌くのは厄介と見たか、素早く新手のポケモンを一体。


理亞「グレイシア」

「シアッ!」

花丸「イーブイの進化系、こおりタイプずら!善子ちゃん気をつけて!」


理亞のグレイシアはかなりの高レベル、水上戦を苦にしない。
足が触れるたびに川面を即座に凍らせ、跳ぶように水上を駆けているのだ。
指示を受け、口元に細かな氷晶を生み出しながら“れいとうビーム”を吐射!!


善子「危なぁっ!」

理亞「ちっ…」


体を傾け、善子とサメハダーは急ターンを決めている。
斜めに大きく軌道を逸らし、そのすぐそばを撫でる蒼白の光線。直後、水面が固結して迫り上がる!

接近しすぎていなかったのが幸いした。少し離れた位置にはそのままドンカラスを飛ばせていて、戦闘はこちらが担当!


善子「ドンカラスっ!“ねっぷう”っ!」

『クアァッッ!!!』

翼を広げ、放つはほのおタイプの大技。赤熱された空波がグレイシアへと迫る。
だけに留まらず、さらに拡散。熱気は理亞とムウマージをも包み込む広範囲!
点ではなく面で焼き払う。ダブルバトルでも用いられる事の多い強力な技を習得させていて、善子とドンカラスの成長は傍目にも著しい。


理亞「面倒…!ムウマージ、“シャドーボール”で飛沫をあげて!」

『マァジッ!!』


水面へと紫の光球が吸い込まれ、炸裂!
10メートル規模の水柱が理亞と善子たちの間に立ち上がり、そこへ熱波が直撃。
水を擬似的な盾と為し、理亞は難を逃れている。
高熱が水とぶつかれば蒸発する。必然、膨れ上がる白煙は水蒸気。


善子「惜っしい~!」

花丸「そうでもないずら。それに水蒸気で視界が遮られてて危ないよ」

善子「大丈夫大丈夫、追撃よ!レッツゴーずら丸!」

花丸「やれやれずら…ヌオー、こっそり行っといで」

『ぬおっ』

理亞「……」


濛々と煙る視界の中、理亞は善子と花丸の戦力に考察を馳せる。
ドンカラスは“ねっぷう”を自力では習得しない。教え技としてわざわざ覚えさせなければ使えるようにならない技で、つまり津島善子はポケモンを漫然とは育てていない。
どの程度かはわからないが、少なくともビジョンを持っている。


理亞「フン…愚図ではなくなってる」


小声で吐き捨て、どう動くべきかの算段を素早く立てる。

そもそもの前提として、善子と花丸の二人と戦うことはアライズ団の作戦全体には何の影響も及ぼさない。
理亞はこんなところで二人に係らっていていいのだろうか?

一応、問題はない。
作戦の開始時刻の少し前、理亞は指令を言い渡されてあんじゅと別働、単独行動へと移っている。
その指示はシンプルに、街中で暴れてアライズ団の恐怖を示せというもの。

相成り、理亞は恐怖を示せというアバウトな指示通り、刃向かう一般人やトレーナーを手当たり次第に倒していた。
そして怯えきった子供たちを見つけ、追い回していた。
泣きじゃくる年少の子らを睨みつけながら執拗に追走、その様はまさに恐怖の権化!

…と、まあ理亞という少女、腕前はあるのだが、まだ幼いからか、大悪には徹せないというか、若干スケール感の小さいところがある。
そんなところも姉や三幹部から可愛がられている所以ではあるのだが。

そして善子と花丸と遭遇したという流れ。
要するに現状、大任は与えられていないのだ。

さておき、算段は成った。
ムウマージで陽動を掛け、グレイシアを本命に。
氷の一撃で先ずはドンカラスを落とすべし。


理亞「ジムリーダーの娘たち…私が倒す!」

『ぬお』

理亞「ぬお?」


白煙が未だ立ち込める水上、ちゃぽりと小さく広がる波紋。
そこにはつるり、ぬめりと丸い顔。戦いの場に似合わないおっとりとした表情のヌオーが理亞を見つめている。

(国木田花丸のポケモン、攻撃しなくちゃ!)

そう思考が至るまでの数秒の空白、ヌオーはあんぐりと大口を開けて…


『ぬぉ…ふぁぁぁ…』

『ムゥマ…?くぁぁぁ…』


ゆるりと大あくびを一つ。
音の波長に釣られ、ムウマージもあくびを誘われて口を開いている。
理亞もまた眠気を誘われ、呼気を漏らしかけ、そこで思考に走る電光。まずい!

理亞「…ふぁ…ッ、!“あくび”!?グレイシア!」

『シアアッ!』

『ぬおーっ』


逃すまじと放ったのは最速の氷技、“こおりのつぶて”。
ヌオーの潤った肌へと礫弾が食い込み、しかし物理撃にはしっかりと耐えられるように育てられたヌオーはその程度では落ちない。
水中へとちゃぷりと潜り、姿を晦ましている。

ポケモンの技“あくび”とは、人間のする単なるあくびとは性質が異なる。
原理としては同じなのだが、その間延びした声に指向性の生体エネルギーを乗せて放っている。
その音は耳にした相手の体内のエネルギーと共鳴を起こし、そして呼ぶのは暴力的なまでの睡魔。逃れ得ない確実な睡眠!

ちゃぽん、と水面に顔。

『ぬおっ』

ヌオーは水中を泳ぎ、花丸の元へと戻っている。
花丸はドータクンへと移っていて、その特性“ふゆう”でふわふわと水面より上を漂いながらヌオーの頭をよしよしと撫でさする。


花丸「えらいえらい♪」

善子「何よずら丸ぅ、せっかく不意を付けたんだから攻撃をかましてくればいいのに」

花丸「マルは善子ちゃんみたいにガンガン攻めるより、相手が困ることをする方が得意かなぁ」

善子「ふぅん、腹黒いこと言っちゃって!」

花丸「むむ、腹黒じゃないずらよ。できるだけポケモンに負担をかけずに勝てるのが一番だよ。
ここは川の上、あの子はムウマージの力で浮いてる。それを眠らせれば…」


理亞「落、ちる!?」

『ム…ま…』


こくり、こくりとムウマージはうたた寝を始めている。
“あくび”が届いてから眠ってしまうまでの間には少しのタイムラグがある。
その間にボールへと戻せば眠気を払ってやることも出来るのだが、それをすれば理亞自身が水に落ちてしまうというジレンマが判断を遅らせた。
結果、眠りへと落ちている。ムウマージは眠っていても浮くので水面に落ちることはないのだが、理亞を浮遊させていた魔力が失われている!


理亞「まずい…!」

手持ち、グライオンの飛行は滑空。理亞の重さを含めて川岸まで飛ぶのは無理!

聖良から託されたヨノワールもいる。その体はゴーストタイプ特有の浮遊をしているため、水面に浮くことはできるだろう。
だが、スピードに欠く。理亞を抱えれば必然手が塞がり、そのままでは敵からのいい的になってしまう。
速度を反転させる“トリックルーム”は使えない。花丸のドータクンとヌオーはどちらもヨノワールより遅く、敵に塩を送ることになる。


理亞「国木田花丸…ッ!!」

花丸「あなたは多分、まだまだマルたちより強いずら。だからまともにはやりあわないよ」


落下までのほんのわずかな秒間、理亞の思考は目まぐるしく回り、そして決断!


理亞「グレイシア!氷で足場を作って!」

『レイシアッ!』

花丸「うわぁ、すごい!」

善子「水面を凍らせて走ってる…!ポケモンならともかく人でしょ!?」

理亞「私を…鹿角姉妹を舐めるなっ!!」


翔ぶように駆ける!

同じ氷ポケモンとは言っても、絵里の操るポケモンたちと理亞のグレイシアでは出力のレベルがまるで違う。
絵里のポケモンは見える範囲の海面を完全に凍らせてしまうことも可能だが、理亞のグレイシアができるのは数メートル規模の氷塊を作ってみせる程度。

それでもハイレベルな凍結力ではある。しかし、人が飛び乗れば揺れる、沈む。
なので、理亞はそれよりも早く走って次へ!次へ!
新たな氷塊へと順々に、素早く飛び移っていっているのだ!

理亞(岸まで辿り着いて、立て直してやる…!シンオウ魂っ!!)

善子「逃がすかっ!サメハダー!“たきのぼり”!」

『シャアアク!!!』


放つ追撃。それを皮切りに、お互いに様子見だった戦闘が一気に加速する!

善子のサメハダーの特性は“かそく”、時間経過と共にその速度を増していく。
既に繰り出されてから数分が経過していて、魚雷じみた速度と威力で理亞へと迫る!!


善子「足場の氷を砕いちゃえっ!」

理亞「させるか!ヨノワール、“れいとうパンチ”!」

『ノワール!!』


水面を殴打、生じる大氷塊!!
その衝撃と隆起をジャンプ台の代わりに理亞は跳躍。直後、サメハダーがその背後を猛然と通り抜ける!

空中、理亞はグレイシアを抱えて飛んでいる。
ボールへとヨノワールを引き戻し、入れ替えにグライオンを解放、すかさず指示を下している。


理亞「“ハサミギロチン”!!」

善子「なあっ…!?」


グライオンは両手のハサミでサメハダーを捉え、豪撃!!!
鉄塊をも断ち切るほどの力で攻撃され、サメハダーは瞬時に瀕死へと追い込まれている。一撃必殺!


善子「ぎゃあっ!ヨハネのサメハダーがぁ!?」

花丸「善子ちゃん、やっぱり運が悪いずらねえ。けどっ」

花丸のドータクンが高所へと浮かび、力の射程内へとグライオンを収めている。
はがねタイプのエネルギーを球状に集め、そこに猛回転を付与し…放つ!!


花丸「“ジャイロボール”!!」

理亞「っ!グライオン!」


上空から放たれた硬質な一撃にグライオンは耐えきれない。
水中へと叩き落とされて戦闘不能に、理亞は回収して歯噛みしつつ、再び繰り出したヨノワールでドータクンへと“ほのおのパンチ”を叩き込む!


理亞「ドータクンの特性は基本的には“浮遊”と“耐熱”の二択。今浮いてるってことは、炎熱は弱点」

花丸「うぐっ、けどドータクンはそれくらいなら耐えるずら!」

理亞「誰も一撃で終わりなんて言ってない。グレイシア!“れいとうビーム”!」

花丸「ずらあっ!?」


立て続けの二発にドータクンが落ち、グレイシアはビームを吐き続けたまま首をぐりんと捻る。
川面を横切った光線はついに岸へと辿り着き、理亞の足元から足場までに白い直線を描いている。

(このまま岸まで着けば…!)

ふと、理亞は善子と花丸へと目を向ける。
そこには奇妙な光景、善子が花丸のヌオーへと移っていて、乗るには一人でも手狭なヌオーの背中に二人で狭そうにしがみついている。

よほど狭いのか、花丸は少し迷惑げに困り眉。
善子は目を輝かせ、理亞の頭上の空へと手を掲げていて…


理亞「しまった!上!?」

その威厳はまさに善子のエース、黒烏が空から颯爽と降る。
眼光に威厳を宿し、さながらその姿はオーディンに従うフギンかムニンか。
個体値は望むべく最良、滑空!強靭な脚がグレイシアの体を痛打する!!


善子「逃がさないっての!ドンカラスぅ……“ばかぢから”っ!!!」

理亞「あっ!!」


グレイシアの体が叩きつけられ、川面の氷が粉々に砕かれる。
その一撃はかくとうタイプ、こおりタイプに効果は覿面。
潰れたような声と共にグレイシアがダウンし、繋がっていた氷の道は砕かれて粉々に!!

理亞の頼るべき足場は失われ、落下に足先が川面へと浸り…

鹿角理亞はまだ諦めない!


理亞「ヨノワール!私を岸に投げて!」


まだ距離がある、そんな真似をすれば大怪我をしかねない!
ヤケクソとも取れる命令に、聖良から理亞を守るよう命じられたヨノワールは眼を揺らす。

だが迷わず、理亞を掴んで投げる!!

聖良から離れての数ヶ月、忠義は未だ失われずも、ヨノワールは理亞のこともまたもう一人の主人として認めている。
投げろと言うなら疑わず、信じてすぐさま投げるまで!


『ヨノ…ワァァル!!!』

善子「投げたあ~っ!!?」

花丸「あの子、思い切りいいなあ。けど…善子ちゃん、今ずら」

善子「へ?あ、そうね!」

理亞「っぐ…はああっ!!」


投げ飛ばされた理亞は空中、ムーンサルトのように身を捻って体制を立て直す。
単純な身体能力ならば、姉よりも自信がある。
頭から地面へと突っ込んでしまうのを避け、そのまま五点着地の要領で衝撃を分散させ、大怪我を避けて着地!

ただ、軽く顔を打ってしまった。
痛みに涙目で、少し鼻血が滲んでいる。だが拭い、怯まずに善子と花丸の方へと向き直る。


理亞(私は決めてる。姉さまが戻ってくるまではもう泣かないし、負けない)


振り向けば、ヨノワールが集中打を浴びせられて倒れている。
理亞が着地し、再び指示を下せるようになるまでの間、その数秒を花丸は見逃さない。


花丸「楽に倒せて助かったね、善子ちゃん」

善子「ふふん!前にヨハネの堕エンジェル'sアームを折ろうとした罰なんだから!」


手段はあまり選ばず、最大限効率よく勝つ。
そうすれば敵も味方も、お互いに痛みは少なくて済む。
それが国木田花丸というトレーナーの戦闘スタイルであり、優しさから来る容赦のなさだ。

おっとりとして見えて、その実、芯は強固。徹底している。
いずれ強いトレーナーへと育っていくのだろう。いや、あるいは既に。


花丸「善子ちゃんとマルは残り二匹ずつ、向こうは残り三匹。これで数は有利だね」

善子「にしても、や~っぱずら丸とは戦いたくないわね…」

花丸「え、なんでずら」

理亞「………っ、私は…」


この二人、想像以上に強い。
個々と戦ったのなら、何の苦もなく一蹴できるだろう。あくまで新米、レベル差はある。
だが一人の理亞に対し、相手は二人。
そして善子と花丸ともに、ポケモンを同時に二体まで指揮できる技量を身につけている。

理亞もまた同時に操れるのは二体。
つまり必然、戦局は二匹と四匹の戦いとなる。

そして善子と花丸の仲の良さもあるのだろう、交互の攻撃タイミングに隙がない。
一見すれば考えなしに攻めてきているような善子も、あくまで搦め手に長けた花丸の存在を意識しての徹底した攻めのスタイル、そんな風にも見える。二人だからこそ強いのだ。

このままでは…負けてしまう。理亞は悔しさに唇を噛む。
私だって、姉妹二人でなら…!


聖良「頑張ったね、理亞」

理亞「…!」

━━━爆音!!!!

河川敷、乗り捨てられていたダンプカーが炎上している。
その隣には虫ポケモン…なのだろうか、屈強な体躯はパンプアップした筋肉の鎧。

ダンプカーの残骸から引き抜かれた腕は赤黒く怒張していて、燃えるようなオーラをその身に纏っている。
どうやらこのポケモンが拳の一撃にて車両を粉砕、炎上させたらしい。


花丸「…!」

善子「ずら丸、気を付けなさい」

花丸「…うん」


口は針状、二腕に四脚。
その肉体美を顕示するように両腕を上げ、ボディビルダーのするダブルバイセプスの姿勢に留めている。

善子と花丸には知る術がないが、そのポケモンの名は【UB02 EXPANSION】、通称マッシブーン。
そう、ウツロイドと同じくウルトラビーストの一体!!

そしてそのマッシブーンを連れているのは、善子と花丸にとって忘れられるはずもない恐怖の象徴…鹿角聖良。

少し、以前の印象よりはやつれているだろうか。表情に翳りが生まれている気もする。
だが基本的には相変わらず、嫌味なほどに余裕を感じさせる微笑がその口元には張り付いている。

緊張する善子と花丸。対し、理亞はその表情をくしゃりと歪めている。
そして嗚咽をこらえながら、毎夜夢に見た最愛の姉へと駆け寄っていく。


理亞「姉さま…姉さまっ!私、私は!!」

聖良「理亞、会いたかった…」


理亞が抱きつくよりも先に、聖良が妹を抱きしめている。
妹へと掛けたその声は、端から聞けば悪の組織のホープらしい冷淡な色を保てていたかもしれない。
だが唯一の肉親、聖良を誰よりもよく知る理亞の耳には、その衰弱がありありと感じられる。
獄中での日々に心を苛まれたのだろう。自分を庇ったばかりに。
ただ、姉が求めているのは謝罪ではない。もっとシンプルな言葉。
理亞は姉の背へそっと腕を回し…


理亞「おかえりなさい、姉さま」


そう優しく呟いた。

ただの10秒ほど。

聖良が弱みを見せたのはそのわずかな間だけ。
伏せた目を上げ、鋭気たっぷりに敵対者、善子と花丸へと目を向ける。


聖良「またお会いしましたね、才ある二人のトレーナー。以前とは別人、そう考えた方が良さそうです」

善子「アブソル、出てきなさい。ドンカラスもアブソルも…ビビったら負けよ」

花丸「ヌオー、ツボツボ。善子ちゃんたちをサポートしつつ、隙は見逃さずにね」


聖良はさらにもう一体、奇妙なポケモンをボールから繰り出している。
それはクラゲのようで得体の知れない、【UB01 PARASITE】ことウツロイド。

二体のウルトラビーストを左右に従え、鹿角聖良は二人を睥睨し、悠と笑む。


聖良「まあ私も、以前とはまるで別人ですけれど」


マッシブーン、ウツロイド。
二体が善子と花丸へと襲いかかる!!!

……




善子「……う、ぐ…!」

花丸「…っ、よし、こちゃん…」


戦塵が舞っている。

日常であればランニングや犬の散歩をする人々の姿、少し離れた場所には球技用のスペース。そんな河川敷は深々とクレーターを穿たれ、凄絶なる戦場へと姿を変えている。

地面を深く抉ったのはUBマッシブーンの拳打。
叩きつける、ただそれだけの仕草で爆弾が投下されたかのように地面が爆ぜる。
善子のドンカラスを叩き落とし、花丸のヌオーを打ち据えてみせた。

そしてUBウツロイドは“パワージェム”や“ヘドロウェーブ”、自身のタイプであるいわ・どくに一致する技を高威力で放ってくる。
アブソルを岩のエネルギー波で吹き飛ばし、ツボツボは毒素を浴びせて戦闘不能へ。

戦線は崩壊し、そして善子と花丸は地へと伏している。
マッシブーンが地面を殴りつけた衝撃に巻き込まれ、受け身も取れずに地面へと転がったのだ。

理亞「姉さま…強い…!」


理亞は思わず息を飲んでいる。
姉がどんなポケモンでも自在に扱えるのはもちろん知っていた。
だが、UB複数体を扱ってみせる…ここまでの能力を有していただなんて。

そして聖良は前のように、マッシブーンへと指示を下して善子の腕を踏み付ける。


善子「っぐ…、また…!」

聖良「この行動に意味はありません。ただ、流れを踏襲してみようと思うんです。あの時の」

花丸「やめてください!善子ちゃんをやるなら…マルを!」

善子「うっさいずら丸!黙ってなさい…!」

聖良「前に比べて怯えが薄れている。やはり成長していますね。だとすれば、きっと彼女も」

花丸「彼女…って?」

理亞(そうか、姉さまは…)

理亞との合流は果たせた。この河川敷からロクノテレビまではもう残り僅か。
今はまだ、テレビ局の警備が剥がれ切っていない。突入するまでには時間的猶予がある。

それなら…私情を優先するのもいいだろう。
聖良の瞳には一人のトレーナーとしての煌めきが宿っている。


聖良「高坂穂乃果、彼女は私が倒してみせる」


一戦を交え、確信がある。
高坂穂乃果という少女は、ヒロイックな運命を背負った人間だ。
オハラタワーで津島善子と国木田花丸、それにもう一人いた少女の危機を救ってみせたように、この二人が危機に陥ればきっと現れる…そんな馬鹿げた確信が。


聖良「運命論者ではないのですが…物は試し。そう言うでしょう?」

『ブブブブ…』


聖良が片手を挙げると同時、マッシブーンはその片腕を高々と振り上げている。
拳の照準は腕ではなく、善子の胸部へと定められている。
ダンプカーを叩き壊すその拳が、生身の人間へと振り落とされれば…


善子「……っ」

花丸「善子ちゃん!善子ちゃんっ!!」

善子「ずら丸…大丈夫だから。ヨハネがいつもアンラッキーなのは…こういう時のために運をストックしてるのよ」

理亞「ね、姉さま…殺すの?」

聖良「………マッシブーン、やりなさ


「ま、待った待ったぁ!!ストーップ!!!」

聖良「ふふ…やはり来ましたね」


鹿角聖良はさらりと笑む。
救援の現れに苛立ちはなく、むしろ誰よりも待ち望んでいた。
マッシブーンを留めたまま、声の方向へと目を向け…

声の主は河川敷の斜面を駆け下り、否、滑って転んでずり落ちる!
ずざざと下へ、「ぶへえっ!」と締まらない声。草むらの摩擦でヒリヒリとする鼻先を擦りつつ、立ち上がって叫ぶ!


千歌「助けに来たよ!善子ちゃん!花丸ちゃん!」

聖良「誰ですか貴女は」


高海千歌、少女は聖良と対峙する。
まるっきりの初対面。肩透かしに、聖良のリアクションには若干の戸惑い!

さらにもう一人、河川敷へと続く坂に小柄な人影。赤いツインテールが揺れている。


ルビィ「待ってぇ千歌ちゃん!あ、うわ!?ひゃ…!?」

理亞「あいつは…!」

まるっきりの同じ轍、千歌が足を取られて転んだのと同じ場所でルビィが躓き転がり落ちる。
どうやらそこに泥濘があるようで、どうにか立ち上がって格好を付けていた千歌の背後から転がって体当たり!


ルビィ「ぴぎゃあ!!?」

千歌「痛ぁっ!!?」


背後からぶつかられ、千歌は前のめりに再度転んで軽く顔をぶつけている。


ルビィ「ぅゅ…いたい…ごめんね千歌ちゃん…あ、マルちゃん!善子ちゃん!無事でよかったぁ!」

千歌「っ痛~!目がチカチカする…チカだけに!」

聖良「………」

千歌「ちなみに今のは、私の名前の高海千歌と、チカチカ~っていう擬音を掛けて…」

聖良「ああ、もう喋らなくていいですよ。私の相手は貴女じゃない…」

ルビィ「ち、千歌ちゃん…なんか怒ってるよ?変なダジャレ言うから…」

理亞「黒澤ルビィ。前見たときから、なんとなく無性にイラつく…!」

ルビィ「ひえっ…!る、ルビィ何も悪いことしてないのに!?」

高坂穂乃果と戦いたかった。

だがそこに現れたのは見知らぬ少女、千歌。
戦意のぶつけどころを見失った聖良はそれを暗澹と滾る怒りへと変えている。
理亞は何故だか、ルビィを見ると苛立ちが募るらしい。同じ妹、同じツインテール。そんな一致が腹立ちを催させるのだろうか。


善子「二人とも気を付けて!そいつ、めちゃくちゃ強い!」

花丸「妹の方は三体倒してるずら!がんばって…!」

聖良「……」


ただ、聖良は千歌の手首にメガリングの輝きを見留めている。
少なくとも有象無象ではないらしい。そう気持ちを切り替え、戦闘態勢へ。


聖良「叩き潰してあげますよ。私は高坂穂乃果と戦わなくてはならないので…時間を掛けずにね」

理亞「黒澤ルビィ!泣かす!!」

ルビィ「な、なんでぇ!?でも…負けないよ。ルビィだって成長したんだから」

千歌「穂乃果ちゃんを狙って…?余計に倒さないとね。私は高海千歌!あなたを倒してみせる!!」


千歌のメガリングが穂乃果から託された物と、聖良は知らない。
聖良がツバサからの密命を帯びていることを、千歌は知らない。

勝たなければ聖良はテレビ局へと向かう、世界が終わる。偶然が生んだ邂逅は運命。
高海千歌、黒澤ルビィ。二人の戦いの幕が上がる!!




ロクノシティ、西方ゲート。

広々とした四車線道路と、歩行者用の側道を含めたトンネルへと繋がる巨大な門が、跡形もなく崩れ落ちている。

両側の柱が驚異的な力によってへし曲げられ、さらに上から力任せに叩き潰された、そんな徹底した圧壊ぶり。
その破壊は不可視の力、サイコエネルギーによって為されたものだ。

警官隊、オハラフォース。
暴徒、アライザー、アライズ団。

ゲートの攻防に集っていたありとあらゆる勢力が跳ね除けられ、吹き飛ばされ、戦闘不能へと追い込まれている。
敵も味方もない。そこに立っているのはただ一人、超常の力を誇る蹂躙者、東條希ただ一人。

いや…まだ。

まだ三人、真姫、凛、花陽が立ち向かっている。

ただし少女たちの手持ち、総勢18体は既に半壊。
対する希のポケモンは、未だ一体も落ちていない。


希「ふーん、頑張るやん」

花陽「つ、強すぎるよぉ…!」

凛「意味わかんない!にゃ…」

真姫「真似しないで!ああもう、意地でも止めてやるんだから…」


三人、目配せを交わし…


凛「ガオガエン!“DDラリアット”にゃ!」


凛が先陣を切る!

真姫は考察を走らせる。
劣勢にこそ、まずは慌てず戦況分析を。


真姫(凛と花陽、二人のトレーナーとしての能力はすごく高い。しかも連携がバツグン。
それに私も、自慢じゃないけど二人と同じか、少し上を行くぐらいは戦える)


デオキシス統合体、ポケモンとしての常識枠を超えた一体。それを計算に入れても、まともに戦わせてくれれば食い下がれる戦力はあるはずだった。


真姫(いくら希が強いって言っても、最低で四体までは抜けるだけの戦力がある。上手くすれば勝てるだけの…はずなのに!)

希「凛ちゃんってば、ウチのことそんなに見つめたら照れるやん~」

凛「うぐっ…!か、体が動かっ…!?」

希「あっち向いとってね」

凛「にゃああああっ!!??」

花陽「凛ちゃぁんっ!!」

ガオガエンに攻撃指示を下し、さらに連動して追撃を与えるべく希を見ていた凛、その体が吹き飛ばされる!
希はただ手掌を煽っただけ。ただそれだけの仕草で人間一人を勢いよく飛ばしてみせるサイコキノ。

花陽が滑り込んで凛を受け止めてクッションに、二人して転げつつも辛うじて大怪我は回避している。


真姫「二人とも大丈夫?」

花陽「な、なんとか…」

凛「ありがとかよちん、助かったにゃ…あっ、ガオガエン気を付けて!」


ガオガエンはそのまま疾走、両腕を勢いよく回転させながら“DDラリアット”を放っている!
ここまでの戦闘、凛たちの前に高い壁として立ち塞がっているのは凄まじく高い防御性能を誇るクレセリアだ。
幾撃もの攻撃を重ねているのだが、“つきのひかり”などの回復技で自身の傷を修復してしまう。
希はプラス、横にもう一体ポケモンを出し入れしつつ攻撃を仕掛けてくる。
マフォクシーにスリーパー、攻防の分業が機能し、凛たちへと苦戦を強いている。

だが今は好機。
花陽のジュカインがやられはしたが、“リーフブレード”の一撃をクレセリアへと激烈に叩き込んだ直後なのだ!


凛(今当てれば倒せるよ!お願いっ、ガオガエン!)


しかし、希は薄笑みを絶やさない。


『ガォアアッ!!!』

希「おっと、あくタイプとまともにやりあうんは怖いね。ソーナンス、“カウンター”や」

『ソ~ナンスッ!』


新手、青くつるりとした奇妙な容姿、コミカルな表情のソーナンスがガオガエンの一撃へと身を晒している。
タイプはエスパー、ガオガエンの攻撃は相性抜群。その体へと多大なダメージを刻み込む!

…が、ソーナンスは“がまんポケモン”と称されるポケモン。高い体力で倒れずに耐え抜いている。
そして返しの刃、膨張する腕でガオガエンの鳩尾へと撃ち込むのは痛烈な“カウンター”!!


凛「ああっ、ガオガエンっ…!」

『グ、ガァッ……』

真姫「……やられた。これで残り8体ね…」

相手の攻撃力が高ければ高いほど、ソーナンスが放つ反撃の威力は高まっていく。
凛のガオガエンの練度の高さが災いした。踏み止まろうとするも成らず、膝から砕けるように崩れ落ちて戦闘不能。

凛は悔しそうにボールへとガオガエンを収め、真姫と花陽は思わず息を飲む。
だが、劣勢だからと攻め手を緩めればこちらの負けが近付くだけ。畳み掛けていく他ない!

真姫と花陽は目配せを交わし、残るカードから最大威力の連携を組み上げる。


真姫(シャンデラで“オーバーヒート”を撃つわ。花陽はドレディアで…)

花陽(うんっ、“はなびらのまい”だね)

真姫(ええ、お願い。燃える花弁をお見舞いするわよ!)

それは真姫が普段使う戦術、“オーバーヒート”דリーフストーム”の疑似再現。
真姫のジャローダは既に倒されてしまったが、花陽のドレディアも相当の高レベルだ。
ただし、二つの技の威力が完全に拮抗していなければ炎が草を焼き尽くしてしまう。連携を為さない。


真姫(少し、手を加える時間がいる…!)

凛(凛が時間を稼ぐよ!)

凛「ライチュウ!ズルズキン!」

希「お、きたきた。クレセリア、それにマフォクシー。遊んであげよか」

花陽「気を付けて!凛ちゃんっ!」

真姫(仕掛けていった!今のうちに…!)


真姫は急ぎ、自分のカバンへと手を突っ込む。

西木野真姫、ポケモン博士であるという特徴を抜きにしてトレーナーとしての能力を語った時、特筆されるのは各種、道具使用の巧みさだ。
ポケモン博士として日々、様々な道具や薬と接している。その頻度は一般トレーナーの比ではなく、必然的にその取り回しの上手さは向上していく。
普通のトレーナーが一つ道具を使う間に、真姫は二つ、物によっては三つと使ってみせることが可能だ。

そして今、真姫は二つの薬剤をカバンから取り出している。


真姫(スピーダー、それとスペシャルアップ。花陽のドレディアを強化して威力の釣り合いを取る!)

それぞれポケモンの素早さ、特攻を一時的に上昇させる薬剤だ。

つい先ほどもシャンデラの“オーバーヒート”の直後、白いハーブとピーピーエイドを立て続けに投与してみせた。
過剰加熱に特攻が低下してしまうオーバーヒートを好んで多用するのは、自分でリカバリーをしてあげられるからに他ならない。

トレーナーからの道具使用が禁止される公式戦では役に立たない技術。だが、博士の真姫はそもそも公式戦に出るつもりがないので問題なし。

真姫はドレディアへと手を伸ばして…が、希はそれを許さない。
凛のポケモンたちをクレセリアとマフォクシーであしらいつつ、希自身が真姫へとその掌を向けている。


希「おーっと、チートは禁止やん?」


伸びる不可視の力波!

真姫「あっ!道具が…!」


希自身の念力は真姫の手元から二つの薬を掠め取り、そのまま遠くへと飛ばしてしまう。
見えない力、それをポケモンへの指示というワンクッションを挟まず自在に使役してくるのだから回避しようがない!


希「ついでに、軽くペナルティやね」

真姫「っぐ、がふっ!!」


そして希はそれだけに留まらず、念波で真姫の体を上から叩き伏せる。
軋む頭蓋と背骨、真姫は悲鳴をあげて地面へと押し潰される。

首に背筋に、無理な加力に全身が痛んでいる。
重傷ではないが、すぐには立ち上がることができない。


花陽「真姫ちゃん!」

真姫「大、丈夫…っ、凛と仕掛けて!」

花陽「うんっ、ドレディア!“はなびらのまい”!」

真姫との連動は成らず、単発での発動。
しかしドレディアが撒き散らす花弁には強力なくさタイプの力が秘められている。
一枚一枚が触れれば爆ぜるエネルギーの塊、無数のそれが相手を押し包むのだから威力は推して知るべし!


真姫(さすが花陽のドレディア、いい威力してる…!)

希(威力もやし、視界が閉ざされてる。少し厄介やね)

花陽(そう、この技は相手の視覚を邪魔できるのも便利なところなんだ。そして…)

凛(凛だけは!何度も見てるから花びらの軌道を見切れるもんね!)


ライチュウと凛、仲良く培った絆は思考イメージを共有させる。
言葉を交わさずとも、凛が見抜いた“はなびらのまい”の隙間を同瞬、ライチュウもまた見抜いている。

ズルズキンが身を仰向けに、足を折り曲げて力を込める。
そこにライチュウが飛び乗り、それは簡易のカタパルト。凛が命じる!!


凛「ライチュウ!“ボルテッカー”にゃっ!!!」

『ラァアアアイッ!!!!』

希「…!」

雷撃を纏った猛進、存分に速度の乗った一撃が花弁の乱流を潜り抜ける!
ベール状、クレセリアを保護する月の魔力壁へと直撃し、激しく輝く雷鳴!!!


希「っ、と…まだ破れんよ!」

凛「ふっふん、凛だけならここまでだけど…かよちん!」

花陽「今ですっ!ドレディアさん!」

『ディアアアッ!!!!』


舞い続けていた“はなびらのまい”が、クレセリアへと殺到!

例えるなら花の精。そんな愛らしい容姿のドレディアだが、頭の花を美しく咲かせるのはベテラントレーナーでも難しいとされている。
だが花陽のドレディアの花弁は、ポケモン博士である真姫が知るあらゆるドレディアの中でもトップクラスに美しい。
ひかえめでたおやかで、それでいて芯に輝く強さの色。
小泉花陽という少女の人間性を体現したような、そんなドレディアが放つ花撃、破格の威力は語るまでもない。
舞い、殺到し、炸裂!!!

威力の余波に、希はわずかに顔をしかめている。

ここまでは翻弄してきたが、凛と花陽のポケモンたちは総じてハイレベル。
いかなクレセリアであれ、二連撃はさすがに痛い。
だが、辛うじて耐えた。


希「っ、今のは相当やね…だけどクレセリアを倒すにはあと一歩」

真姫「いつまでも寝てると思わないでよね。シャンデラ、“シャドーボール”!」


ゴーストタイプの念弾、エスパーへの有利撃を、真姫は起きざまに如才なく叩き込んでいる。
シャンデラの性能は今更語るまでもなし、ついにクレセリアの頑強な耐久性が突破され、神秘的な鳴き声と共に倒れる!

だけではない!


凛「ズルズキン!“かみくだく”!!」

花陽「メブキジカさん!“メガホーン”ですっ!」


希の攻め手に初めて見えた綻び、連動する三人が見逃すはずもない。
残存戦力をまとめて投入、エスパーに対して効力を発揮する攻撃を集め、スリーパーとソーナンスを立て続けに撃破している。


希「っと、次から次から…!」

真姫「まだよ」


真姫、凛、花陽、仲の良い三人、一度火が点けばその連携は容易には終わらない。
もう一押し、真姫が身構えている!

真姫「行くわよ!スターミー!」


真姫が繰り出したのは手持ち最後の一体、スターミーだ。
それなりにスピードに長けていて対応範囲の広い、バランスの良い一体。
だが、メガシンカ体のように盤面を覆せる類のポケモンではない。

真姫はあくまでポケモン博士、戦闘は自衛のために嗜む程度。
そのため、ポケモンに負担を強いることになるメガシンカを自分で用いるのは好まないのだ。


真姫(あれはポケモンと一緒に旅をして戦い、傷つき、苦労を分かち合ったトレーナーだけに許される力。私はそう思ってる)


故に、真姫はメガリングを使わない。
その代わり、真姫の腕には別種の輝きが煌めいている。
それは海未が身に付けているのと同じ、一度きりの大技の力をポケモンへと与えるZリング!
手を面前でクロスさせ、顔を赤らめながら真姫は叫ぶ!


真姫「恥ずかしいからあんまり使いたくないのに…恨むわよ、希!」

凛「あっ!真姫ちゃんが踊ってるにゃ!」

花陽「手をゆらゆらさせて…真姫ちゃんっ、かわいいよぉ!」

真姫「う゛ぇぇ…っ、ぜ、Z技ぁ!!“スーパーアクアトルネード”!!」

希「っと、これは…!」


スターミーが放った膨大な水の乱流が、希のマフォクシーへと直撃!!!

希「うーん…アカンね、これは耐えろってのが無理っぽいわ」

真姫「……これで、四体!!」


クレセリア、スリーパー、ソーナンス、マフォクシー。
一気呵成の攻めに、当初真姫が見ていた最低限のライン、四体撃破までは漕ぎ着けた!

真姫のそばへ、凛と花陽が駆け寄ってくる。
未だ緊張は保ったままだが、その瞳にはやれるという手応えと勇気が滲んでいる。


花陽「ふう…なんとか、一気に押せたね…!」

凛「やぁぁっとクレセリアを倒せたよ!攻撃してもしてもしても倒れないんだもん!」

真姫「スリーパーを潰せたのも大きいわ。あの強力な“さいみんじゅつ”に何匹も潰されたから…」

花陽「うん、だけど…問題はここから」

凛「もう疲れたにゃ…」

真姫「気を抜いちゃダメよ、凛、花陽。油断したら…どうなるか」

希「あーあ、ウチも意外と大したことないなあ。年下の真姫ちゃんたち相手に負けちゃいそうやん?」


そう言って戯けた口調、希はわざとらしく眉を顰めている。
真姫たちは緊張したまま反応を返さない。残念そうに掌をひらりと煽り、そして希は残り二つのボールをふわり、触れずに宙へと浮かべてみせる。


希「ウチの切り札、メガフーディン。それとご存知デオキシス統合体。どっちがいい?メガシンカの脅威と、種族値合計910の暴力と」

真姫(この口ぶり、今の希はデオキシスの全力を引き出せるってこと…?)


真姫はその戦力を想像し、息を飲む。
だがまだ付け込むべきポイントはある。希の中に押し込められている葛藤だ。

これは真姫たちが知る由もないことだが、希の洗脳の深度は絵里よりもさらに深い。
前日のミカボシ山、ことりとの戦いで脳を酷使した影響で、洗脳への抵抗力が失われているのだ。

だが、希本来の意識が少し邪魔しているのだろうか。
ポケモンたちと自身が自在に念動力を使えるにも関わらず、真姫たちへと致命的な攻撃を繰り出してきてはいない。

今し方の連撃を防げなかったところを見ても、判断力の類はいつもより低下しているように見える。


真姫(だったら、そこに付け入る隙はあるはずよ)


そう真姫は考えている。だが…


希「………ごめん、三人とも。もうウチ…」

凛「希ちゃん!?」

花陽「意識が戻って…!」

真姫「いや、違う!?」

希「っはは!衝動を…抑えられんっ!!………フーディン、メガシンカ」


現れるフーディン、輝くメガリング。
念波の奔流が渦を巻き、メガフーディンへと姿が変貌している!

真姫、凛、花陽は応じるべくそれぞれのポケモンへと指示を…出せない!!


真姫「ぐ…っ、…!?」

凛「首、がぁ…!」

花陽「ぁ、締め、られ…っ」

希「ま、今までまともに戦ってあげたんはサービスやね。メガフーディン、“サイコキネシス”」

『シュウウウウッッ!!!!!』


圧倒的な念動力が放たれ、三人が繰り出していたポケモンたちを見る間に蹂躙していく。
いかに鍛えられたポケモンたちでも、指示を受けられなければ判断が遅れる。
希のメガフーディンは、そんな状態で抗える相手ではない。

叩きつけられ、薙ぎ倒され、数種の技を織り交ぜられ、ほんの二十秒足らず。


希「はい、全滅やね」

真姫「嘘、でしょ…!」

あまりにも酷い。三人はトレーナーとしての実力で負けたわけではない。
いや、メガフーディンの力は凄まじかった。正面から戦っても負けていた可能性は高い。
だが、希の念力で首を締め上げられ、指示を出すことさえできなかった。
三人は戦いの土俵に上がらせてもらえていない!


真姫(こんなの、誰が相手でも勝ち目がない…!見えない力に、どう立ち向かえば…!)

希「さて、これで真姫ちゃんたちを助けられるポケモンはいないわけやね」


軽やかに歩き、希は宙に拘束したままの三人の顔を順に眺める。

負けず嫌いの真姫は悔しげに、希を睨みつけている。
凛は拘束から逃れようと手足をばたつかせている。
花陽は洗脳に人格をねじ曲げられた希を悲しげに見つめていて、そんな三人を見比べ、希は迷うような表情を浮かべ…頷く。


希「仲良しの三人をバラバラにするのも可哀想やし…一緒に逝かせてあげんとやね」

真姫「な、にを…!」

希「痛みはないから安心してええよ。エスパーの技ってね、なかなか汎用性が高いんよ」


まるで希らしくなく酷薄に。
目は無表情のまま、口元だけを歪ませてメガフーディンへと指示を下す。


希「“テレポート”」

瞬間、テレポートによる奇妙な浮遊感が三人を包む。
上下左右がごちゃ混ぜになるような感覚に襲われ、しかしその感覚はすぐに失せる。

希の力に掴まれていた喉は解放されていて、欠乏していた酸素を呼吸に取り込み…
眼下に、戦場と化したロクノシティが見えている。


真姫「な…」

凛「え?」

花陽「う、わ…!?」

希「地上800メートル。ビルで例えたら多分200階とか、もうちょい上やろか?適当やけど」

真姫「そ、んな…っ!!」

希「バイバイ、三人とも」


落ちる!!!
三人の悲鳴が落ちていく!!!

この高度から地上へと落ちれば、人間の体が原型を留められるはずもない。待つのは確実な死!
ついに破壊衝動を抑え込めなくなってしまった希は、真姫、凛、花陽に地上へと死のダイブを敢行させ、それをじっと見つめている。

ふと、落ちていく真姫と目が合う。真姫は悲鳴を噛み殺し、じっと希を見つめている。
希はその口の動きに、真姫の言葉を読む。

真姫「希……っ」

希「………恨んでええよ」

真姫「必ず、あなたを助けるから!!」


凛も花陽も、落ちながら希の顔を見上げている。
希の表情は涙でぐしゃぐしゃに崩れていて、狂気を制御できず、ついに三人を殺めてしまった悔悟に心が軋んでいる。
真姫の鞄の中には手段がある。今の希を気絶させることは難しくても、その洗脳を解きほぐすための確たる手段が。

だが現実、三人は地上へと落ちていく。もう戦う術が残されていない。
地表へと叩きつけられ、トマトのように潰れてしまうまではたったの十数秒。
真姫たちにできることは何もなく…

ドボン、と。


凛「に゛ゃっ!!わ…ぷ!?」

真姫「がぼっ…!?ヴェ…!」

花陽(な、なにこれ…!!?水…?)

三人がぶつかったのは地上ではない。
水面へと叩きつけられ、そのまま飲み込まれ、クリアな水中へと沈んでいく。
いくら水への落下とはいえ、相当な距離を落下していた。普通ならば全身の骨が砕けて即死だろう。

だがその水は随意に制動されていて、まるでクッション。
真姫たち三人の落下衝撃をある程度殺しつつ、柔らかく受け止めている。それでもある程度は痛いが。

運動神経の良い凛がすぐに対応し、溺れかけている真姫と花陽の体を支えた。
と、束の間。渦に包まれ、ウォータースライダーのように三人は水中を流されていく。

そして気が付けば、ざばっ!と勢いよく排出されて草むらへ。


花陽「ぴゃあっ!?」

凛「いたあっ!!」

真姫「痛ぅ、腰打った…」


見上げれば、そこには膨大な水塊。
オハラフォースのヘリが上空を飛んでいて、きっと彼女はそこから現れたのだろう。

数百トンにも及ぶ水量を操る、そんな芸当ができるのはアキバ地方に彼女一人。

四天王、松浦果南。
同じく四天王、東條希との対峙。


真姫「……あと、任せていいかしら」

果南「うん、任されたよ」

果南は力強く頷き、狂気に飲まれてしまった同僚を見上げている。
四天王の中では新参だが、人当たりの良い希とは既に仲が良い。果南にとってもこの対峙は、友人を救うための戦いでもある。

対し、希にとってこの会敵は想定内。覇気に満ちた果南の接近を、数分前から感じ取っていた。
真姫たちを“サイコキネシス”で即座に殺めることもできた。
だがそれを選ばず、“テレポート”での高空落下を選択したのは洗脳への最後の抵抗。
もし果南が間に合えば、三人を救ってくれるはず…そんな未来に望みを託したのだ。
想いは成った。だがそれを最後に、希の正気は底を付いている。

もはや相対するならば、死闘は避けられないだろう。

そんな状況下、果南にとっては重要項がもう一つ。


希「………相手が相手、ウチも全力で行くべきやね。出ておいで、デオキシス」

果南「そう、そいつ。オハラタワーではそれのせいで酷い目に遭ったんだよね。今日は負けないけど」


果南にとって、オハラタワーの敗北は英玲奈にというよりデオキシス細胞による奇襲のせい。
だったらデオキシス本体を倒せば、あの日のリベンジになる!と、果南のシンプルな思考回路はそんな結論へ帰着している。

禍根試合に気合は十分!

だが、希が駆る不可視のサイコエネルギーを、トレーナーへの妨害を破らなければそもそも戦いにならない。
それを真姫から手短に伝えられ、しかし果南は余裕を保ったままに不敵な瞳を。


果南「だったら…今の希に勝てるのは、もしかしたら私だけかもね」


考えるよりは動く方が得意。そんな果南だが、今に限れば策がある。

戦気は静かに漲り…
二人の四天王は死闘へと突入していく。




にこ「ぐ…げほっ…!」


ビチャビチャと、咳に混じって喀血。
尋常な量ではない。きっと内臓のどこかが壊れているのだろう。

刑事スマイル、矢澤にこは柱へとその背を預け、乱れきった呼吸を必死に抑え込む。
暴徒に荒らされ、一夜にして廃墟のような有様の学校にいる。
ツバサとミュウツーとの交戦の最中、束の間の一休憩といったところか。

体に動かない箇所は?
左肩が上がらない。肩の骨がいかれているのだろうか。
右のふくらはぎは引き攣るように痛い。全力で逃げ続けたせいで、きっと筋繊維が断裂しかけているのだ。
呼吸をするだけで全身が軋む。少年誌ばりに、肋骨に数ヶ所ヒビが入っているのかもしれない。
無理もない、あの綺羅ツバサから猛然の連打を受けてしまったのだから。


にこ「ぐ、ぬぬ…強すぎんのよ、あのバケモノ…にこと身長同じくらいのクセに…!」

腹立たしげに呟き、闘志は未だ健在。

熟年刑事ならここで気付けにタバコをふかすか、スキットルからウイスキーを一口、そんな場面だろうか。
だがにこはそんなオヤジ趣味なものは嗜まないので、風邪気味の時に買ったままコートの内ポケットに入れっぱなしだったロキソニンを数錠口に放り込んでガリゴリと噛む。
痛み止めだ。多少はマシになるかもしれない。骨折だのの激痛を抑えられるかは微妙だが。

立ち上がって廊下、水道からザバザバと水を出して飲む。
薬を噛んだせいで口の中がエグい。ポケットに入っていたブロックチョコを噛んで甘味で誤魔化す。絵里がくれたものだっただろうか。

口元を袖で拭い、そしてにこは疑問を抱く。


にこ(ツバサ、まだ追ってこないの?もう数分経ってる…)


……揺れ。軋み。

にこは気付く。校舎全体が揺れ始めていることに。
その振動はすぐに強く、大きくなり…!


ツバサ「休憩はできたかしら?」

にこ「ったく…嫌になるっての…」


にこの瞳にはツバサとミュウツー、そして夜空。
にこのいた校舎、四階建ての全体が引き抜かれ、持ち上げられている。
それをおもむろ、街の方向へと投げつけてビルを倒壊させ…

ツバサはにこの側へと降り立ち、格闘の構えに姿勢を落とす。


ツバサ「さ、続きをやりましょうか」

にこ「っ、見せてやるわよ…ラブにこ魂ってモンを!!!」


スタンバトンを右手に構え、爆ぜる電光。にこは瞳に意地を光らせる!!

蹂躙劇は酸鼻を極めている。

市中、ミュウツーの念波動に倒壊したビルは二十に迫る。
戯れに車両を空へと放り、ハイウェイへと圧を掛けて横倒しに。
交通の要衝、幹線道路へと掌を落とせば凹み、大陥没。
走る亀裂は三キロ四方、ロクノの地盤がそのまま沈み込んでいる。

その気になれば、あるいはあの月さえを掴み、引き落としてみせるのではないか…
そんな錯誤を見る者へと与えるほどの、げに恐ろしきは綺羅ツバサ。そしてミュウツークローン。

そんな人魔に目をつけられ、追われ、満身創痍ながらにまだ健在なにこ。
傍らにはメガクチートを控えさせていて、全身を散々と痛めつけられても諦めは皆無。
そんなにこを好ましげに見つめながら、ツバサは接敵の気配を纏ったままに口を開く。


ツバサ「素晴らしいわね、死なずに逃げ続けるその生命力。生死の際での判断力」

にこ「ハッ…そのミュウツーとアンタの破壊、大雑把すぎんのよ。瓦礫やらなにやらしょっちゅう死角ができてんじゃない」

ツバサ「確かに、何度も見失ってはいるわね。でも問題ないの。あなたの生命反応はミュウツーがキャッチし続けてるから」

にこ「……っ」

ツバサ「地球上のどこにいたって、あなたは死ぬまで私たちの追跡から逃れられないってこと」


そう告げて、ツバサは微笑う。


ツバサ「あなたと遊ぶの、すごく楽しい。好きよ、刑事さん」

にこ「はぁ?人のことボッコボコにしといて気持ち悪っ」

ツバサ「ふふ、怒らないで?昔からね、誰も彼も、私が構うとすぐに壊れてしまうの」

にこ「んなもん、アンタがぶん殴るからでしょうが」

ツバサ「体だけの話じゃないわ。心もね」

にこ「………」


にこは睨み、押し黙る。
言われるまでもない。綺羅ツバサに壊された人間なら何人も知っている。
大好きなママを始め、たくさんの刑事たち。数え切れないほどの罪なきトレーナーたち。

それに、この女の言う通り、壊されるのは体だけではない。
ことりが歪んでしまったのは非力なうちに綺羅ツバサと接触してしまったせい。
海未もオハラタワーでの敗北が心に棘として残り、危うくマイナスへと傾きかけていた。

言うなれば害種。触れただけで全てを負へと引き込む暗黒星。
それが綺羅ツバサという存在だ。

改めて怒りを内燃させるにこ。
その目鼻を眺めながら、ツバサは愉快げに首を傾ける。


ツバサ「なのにあなたは叩いても折れず、曲がらず、壊れない。まるで形状記憶合金ね」

にこ「……バカみたいな例えすんのやめてくんない」

ツバサ「フフ。そんな相手が自分から突っかかってきてくれるんだから、気に入って当然。
英玲奈とあんじゅもそうだけど、私は一緒に遊んでくれる人間が大好きなの」

にこ「……そりゃどうも。だけど、調子こきすぎてんじゃない?」


にこの背後…猛烈に響き渡るプロペラ音が複数。
オハラフォースのヘリが三機、四機と現れている!


にこ「来たっ!!」

ツバサ「あなたたちも遊んでくれるのかしら?」


にこはこれを待っていた。
細かな状況はわからないが、オハラのマークからしておそらくは味方。市内の空を飛び交う軍用ヘリの援軍を!

絵里とツバサを分断できた、その戦術価値は限りなく大きい。
群れ飛ぶ軍用ヘリの銃口から、お構いなしに銃弾を浴びせることができるからだ!


にこ(ぶっ潰れろ!)

【━━━Open Fire!】


キュウンと高鳴、AH-63・Braviary戦闘ヘリ、その銃身が激しく回転を始める。

そして斉射!!!

機体底部に備え付けられた30mm口径のチェーンガンが怒涛の如く弾丸の雨をミュウツーへと浴びせかける。
秒間10発以上のペースで放たれる鋼鉄の嵐、それをヘリ四機から一斉射で!

にこ(うぎゃあ!!こ、鼓膜がやられる!!)


にこは身を伏せ、その前にメガクチートが立ってトレーナーを守っている。
耳を塞がずにはいられない、チェーンガンの砲火はそれほどの轟音!

いくらミュウツークローンと言えど一個の生物。生じさせるバリアフィールド、その耐久力には限度がある。
そしてミュウツークローンは元はオハラグループが管理していた生命体、オハラフォースはその防御性能の限界を把握している。
綺羅ツバサとの精神リンクでサイコエネルギーが強化されているにせよ、飽和攻撃を浴びせかければいずれバリアは砕け散る。


『ミュウウウウウ…!!』

ツバサ「なるほど、流石に米軍仕様…こんなのに目を付けられ始めると、リーダーが身を晒すのも今後は控えていかなくちゃね」

にこ「今後なんてないっての!ここでくたばれ!!!」


シュボ、と抜けるような音が高空に。
戦車を破壊できるだけの威力を有した空対地ミサイル、AGM-114・ヘルファイアがミュウツークローンへと放たれている。
両翼からそれぞれから一発、その片方がバリアへと着弾し、爆火に砕け散る無色の壁!

そしてもう一発がミュウツーへ迫る!!

だが、ミュウツーはそれを素手で掴み受ける。
噴射の勢いに掌を押され、右肩が背後へと大きく流れ…爆ぜる!!!


ツバサ「まだまだ」


もちろんと言うべきか…ミュウツーは無傷だ。
全身へと纏ったサイコフィールドで、爆圧を受け流している。
そう、バリアは二段構えなのだ。にこは思わず驚愕に唸る。


にこ「もう一枚…!?」

ツバサ「人間だって防弾チョッキを着るでしょ?」

遠隔バリアとは別にもう一枚、バリアを“着ている”。
それはオハラフォースの情報にもない能力、ヘリ内に動揺が走る。
彼らは手持ちのデータを大幅に修正しなくてはならない。
ミュウツークローンは綺羅ツバサとの精神リンクで、力だけでなく卓越した技術をも身に付けているのだ。


ツバサ「ミサイル如きでミュウツーを落とせると思わないことね」

にこ「み、ミサイル如き…って」


『クチィィ…』とメガクチートは唖然。メガシンカポケモンから見てさえ、ミュウツークローンの戦闘力はあまりに破格。
レベル100の猛威とはこうまで凄まじいものか!

そしてミュウツーは腕を薙ぐ。
それは発生させているバリアと“サイコブレイク”の合わせ技。
上空、幾何学形状の薄光が実体化。薄刃のように鋭く拡がり、戦闘ヘリの一機を真っ二つに両断している。爆散!

直後、立て続けに飛来する数発の対地ミサイル。
ミュウツーはその一発へと右手の三指を翳し、握る。ミサイルは圧を掛けられて空中で爆華。
もう片方の腕を回すように泳がせれば、残る全てのミサイルは踵を返して弾頭を空へ、ヘリへと目掛けて来た道を戻り…着弾。

その誘導性能を遺憾なく発揮し、戦闘ヘリを全て撃墜。
わずか数分、損害額は二百億を下らない。

ツバサはにこへと視線を向けて、困ったように肩を竦めてみせる。


ツバサ「ほら、もう壊れた」

にこ「っ、ぐううう…メガクチートっ!“ふいうち”!!」

『クッチィィィ!!!』

ツバサ「おっと…」

にこ「っとぉ!見せかけて逃げるわよ!!!」

『クチッ!』

ツバサ「ふふ、“了解”だって。以心伝心ね」

反転、にこはまろぶように全力疾走!!

墜落したヘリが炎上する校庭を抜け、角を曲がって一直線に走る。
どうせ生命反応だかなんだかでキャッチされているのだ、路地へと駆け込んでも意味がない。だったら走りやすい大道を駆ける!
背後に見えるツバサたちを振り切るように走り、走り、壊れかけている全身に鞭を打ち、角を曲がり、直線を進み、階段を駆け上る。
誰か、オハラフォースの新手でもいい、警察でもいい、とにかく味方戦力との合流を…!

だが、ツバサとミュウツークローンはその面前へと滑り込む。


ツバサ「“はどうだん”」

にこ「“はたきおとす”ッ!!!」


腰溜めの構えから両手を突き出し、ミュウツーは発光するバレーボール大の念弾を放つ。着弾すれば強い衝撃波を生むそれは、先のミサイルよろしく相手へと追尾誘導する性質を有している。
逃げても無駄、ならメガクチートで防げ!

ツインテールめいた触手を思いきり振り落とし、波動弾がにこへと着弾するのを辛うじて阻止。
だが技がぶつかった衝撃は空波としてにこの体を叩く。思わず目を閉じてしまい、そのコンマ秒の間にツバサが懐へと滑り込んできている!

腰を落とし、眼光は鬼。定めた狙いはにこの人体急所…


ツバサ「四撃必誅…」

にこ「や、ばいッ…!」

にこ「だらあっ!!」

ツバサ「無駄」


ツバサの腕は円軌道を描き、苦し紛れに振るったスタンバトンを流と受け流す。

活歩からの間合いは近接、ツバサは腰を沈めて震脚。
打ち鳴らす靴裏、アスファルトを通じてビリリと力が伝わる、そんな錯覚ににこは慄然。
半身、その拳は鋭利な刃にして鈍器の重感。十全に勁を滾らせた一撃が唸る。


にこ(し、んでたまるかぁ!!)


にこは動かない左腕を気合いで持ち上げ、その拳を肘で受ける。
カウンター気味、硬い肘を当てることで拳を叩き壊してしまえと!

だがツバサの拳は一打必壊、砕けたのはにこの左肘の方だ。
激痛に絶叫する間もなく、ツバサはさらに踏み込み、にこに背を向け…


ツバサ「呀!!!!」

にこ「ぐっぶ…!!!」


その威力は爆発、まるでトラックに直撃されたような。ショートレンジからの凄絶な体当たりが叩き込まれる!!!


にこ「ぐ、か…っ…!(鉄山、靠っ…!?)」

ツバサ「正確には貼山靠。なんか知らないけど日本人って好きでしょ?この技」


これで三撃。にこの体は今にも内側から弾けるのではないかと思うほど、甚大なダメージを刻まれている。
貼山靠のベース、八極拳には“二の打ち要らず、一つあれば事足りる”と謳われた拳士もいるが、ツバサの体技はあくまで我流。
他にも截拳道やら諸々の流派が混ぜ込まれていて、小柄で体格に劣るツバサが屈さないため、自分の体に合わせて組み上げ最適化させてきた動作だ。

故に、徹底的。
一撃での確殺より、軽打と致死撃を織り交ぜての連打で織る必殺の網。

貼山靠はあくまで崩しの技。
にこの防御姿勢は完全に崩れていて、逃れ得ようもない。
ツバサは少しの寂寥を抱きつつ双拳、決殺の一撃を…


ツバサ「再?」


撃ち放つ。

……結論から言えば、にこはツバサの一撃を逃れている。

殺拳から逃れた小柄な体は後ろへと吹き飛び、空を舞い…どさりと。
受け身を取ることさえ叶わず、アスファルトの上へと跳ねるように打ち付けられている。


『ゴロオオッ…!!』

『クチイィッ!!!』


メガクチートと、現れたばかりのゴロンダが悲痛な声を上げてにこへと駆け寄っていく。
矢澤にこの腹部には強打の痕が残されている。服の下は青黒く痣になっていて、医者が顔をしかめかねないほどに様々な骨が折れ、内臓の一部が潰れている。

綺羅ツバサの拳を避けたにも関わらず、何故にこはこれほどまでの重傷を負ってしまっているのか。


ツバサ「……呆れた。まさかそこまでするなんてね」

あのツバサでさえ、わずかではあるが唖然に息を飲んでいる。

にこは致死の瞬間、あらゆる生存の可能性を模索した。
左腕は完全に壊れた。
左右、背後への回避は?今の一撃で足が止まっている。動けない。しゃがむのも無理。
なら前へ、頭突きで怯ませる?間に合わない。そもそもツバサはそれほど甘くない。

死、死、直近する死。

諦めるな!!

死の実感に、にこの思考はさらなる加速を。
残り、動かせる箇所は?
右腕、スタンバトンを払われはしたがダメージを受けたわけではない。
右腕で何ができる?ツバサの拳を止めるのは無理、カウンターを打てる体制ではない、腰の…ボール!
ボールの中にはまだゴロンダが入っている!

手を降ろして開閉スイッチを押している。
瞬間、現れるゴロンダ。ツバサを殴らせる?いや、位置が悪い。だったらどうすれば…答えは一つ!


にこ「にこをぶん殴って!!!!」


結果、にこは致死を逃れている。
ゴロンダの鉄拳に腹部は凹み、骨は砕けて内臓は損なわれ…
立つ。足をガクつかせ、口からこぼれ落ちる大量の血ヘドで服を染め、それでも矢澤にこは立っている。


にこ「まだ…っ、生きてるわよ…ツバサぁ…!!」

ツバサ「………」


微か、ツバサは悪寒を覚えている。

見上げれば、すぐそばにロクノテレビの電波塔。
逃げるにこを牽制、誘導、その経路をこちらへ向けさせていたのだから当然だ。

ツバサは寸時、思考を逸らす。
聖良は来ているだろうか?まだ気配はないが…
来ていないとすれば、倒さなければならない敵と対峙しているのだろう。
だとして、問題はない。その可能性があったからこそツバサと聖良、二手に分かれての行動だ。片方が辿り着いたのなら、何の問題も…


にこ「目ぇ、逸らしてんじゃないわよ…!!」

ツバサ「……ゴロンダに自分を殴らせて後ろへ移動、私の拳を回避。なるほど、確かに死は免れた。けれど正気の沙汰じゃない」

にこ「はっ…消去法の問題よ」

ツバサ「消去法。」

にこ「あんたの拳で死ぬより、相棒にぶん殴られてくたばる方が千倍マシ、ってね…!」

ツバサ「……なるほど?」


実際は精神論だけでなく、多少の算段もある。
ゴロンダは人間の犯罪者を殴り倒して捕らえることもあるため、人間を殴っても殺してしまわないための力加減が上手い。
ボールから飛び出してすぐのとっさの指示でもにこの絵図通りに動いてくれる確信と信頼があった。

問題は、既に満身創痍のにこの体がゴロンダの力加減に耐えられるか否かという点だったが、一応、辛うじて。

そして今も、にこの瞳に意思は潰えない。
ロクノテレビ近辺はツバサにとっての目的地であり、対してにこにとっての目指していた地でもある。

ズタボロのにこが手を掲げると…参集。
ロクノテレビの警護に当たっている警官たちが、綺羅ツバサへと一斉に銃口を向けている。
その数は総勢、三十名ほど。英玲奈やあんじゅ、その他アライズ団の暗躍により警備を薄められてしまっている。

先のオハラフォースに比べれば、随分と頼りない数だが…


にこ「警察舐めんじゃないわよ!!全員っ、撃てえ!!!」


一斉に銃口が火を噴く!!!

二十名も集えば、日本警察の不慣れなピストルであれそれなりの弾火が乱れ飛ぶ。
十分な殺傷力を持った射撃がツバサたちを囲っている。

だが無論、ミュウツークローンには通用していない。
まるでそよ風の中にいるかのように、身じろぎ一つせずにバリアで弾丸の全てを受け落としている。


ツバサ「さっきの戦闘ヘリに比べれば豆鉄砲ね。ただ、少し厄介なのは…」


「ヘルガー!“あくのはどう”だ!」

「ウインディ!“かえんほうしゃ”っ!!」


警官隊には警察犬ポケモンたちも帯同している。
銃弾と併せてポケモンたちの攻撃までを織り交ぜられると、ミュウツーであれ少し煩わしい。
これが特殊部隊ともなるとカイリキーなどのポケモンを連れ始めるのだが、その手の警備はテレビ塔から引き剥がせているようなのでマシな方か。

ツバサとミュウツークローンは意思を疎通。
指示を下すまでもなくアスファルトを砕き、瓦礫へと変じて警察とポケモンたちへと放つ!
そのままにしていればすぐさま全滅だろう、だがまだ!にこがいる!


にこ「メガクチート!!」

『クチイッ!!』

ツバサ「ミュウツー、“サイコブレイク”」

『ミュウウウッ…!』

“サイコブレイク”は念波動へと物理実体を与える技。
これまでミュウツークローンはその用途を、圧倒的なサイコエネルギーを壁のようにぶつけての大破壊に限定してきた。
限定というより、それ以外の活用をイメージできていなかった。

しかしツバサがにこを相手に見せた体術戦に、ミュウツーは近接戦闘の強固なイメージを固めている。
力を流動させ、固め、成すは長柄。
エスパータイプが力を伝達するのに最善の形状、流線と曲線美。
それは巨大な錘のような…否、球体ではなく凹んでいる。

例えるならスプーン状、そんな銀を手に。
薙刀のようにメガクチートの顎を受け、返し、掲げ…
弛緩からの急動、メガクチートを地面へと叩きつける!!!!


『クチぁ…っ…!』

にこ「ありがと、クチート…。ゴロンダ!!ブッ込んできなさいっ!!!」

『ゴロアァッ!!!!』


ゴロンダは吠えてミュウツーへ!

敬愛する主人にして親友、にこを殴りつけてしまった心痛を叩きつけるように、その拳を全力で振るう。
ミュウツーはそれを武器化したサイコブレイクで受けるが、ゴロンダのタイプ相性はスプーンを叩いて打ち砕く!


にこ「ゴロンダっ!!」

ツバサ「ミュウツー、」


間隙、ツバサとにこは同着で次撃の指示を下し…激突!!!!

『ロ……ダァっ…!』

『ミュウウウウッ』

にこ「………」

ツバサ「意気は買う。けれど及ばず、ね」


ゴロンダの一打は警官たちの決死の攻撃と相まって、一枚目のバリアを見事に打ち砕いた。
そして鉄拳はミュウツーの額を強かに捉えている!

…が、身に纏うバリアを砕くまでは成らず。

ミュウツーから零距離での“はどうだん”を撃ち込まれ、想い届かずその場へと崩れ落ちている。

ツバサはにこへ、満身創痍に未だ立ち続ける少女へと目を向ける。

ルガルガン、マタドガス、ドヒドイデ、メガクチート、ゴロンダ。にこの五体を葬った。

残るは…そう、フライゴン。何の問題もない。
矢澤にこという存在にここで終止符を打ち、未だパラパラと撃ちかけてくる警官隊を一掃し、テレビ塔へと向かうのだ。


ツバサ「フライゴンを出しなさい」

にこ「………出しなさい?」


瞬間、一陣の風。
にこのコートが捲れあがり、腰の六つのボールがツバサの目に留まる。
フライゴンが入っているボールは……


ツバサ「…空っぽ?」

にこ「もう出てんのよ…フライゴンは!!」


見上げる空!緑竜がミュウツーへとめがけて急落してきている!


ツバサ「…!ミュウツー、上!!」

にこ「フライゴンッッッ!!!“ドラゴンクロー”!!!!」

舞わせていた。

にこがツバサへと吐き捨てた通り、ツバサとミュウツークローンの破壊は大雑把に過ぎた。
にこを数度見失い、しかし焦らず生命反応を検知することで、にこだけを捕捉していた。そう、にこだけを。

にこはその雑然の瓦礫の中、密かにフライゴンをボールから出していたのだ。
そして、与えた指示はこうだ。


にこ「あいつらがにこを追っていなくなったら、気付かれないぐらい上空まで飛んで。そしてにこが合図をするまではずっと…」


“りゅうのまい”。
それはドラゴンタイプの本能を呼び覚ます神秘の舞い。
ひとたび舞えば攻撃力と素早さを高め、二度、三度とその効果は相乗、身に宿る力は竜の始祖へと近付いていく。
ただし、隙が大きい。
通常の戦闘で繰り出すにはそれなりの工夫が必要で、二度、三度と重ねられるものではない。

その“りゅうのまい”を、フライゴンは延々と重ねていたのだ。
上空で、一匹で、にこたちが蹂躙される様に耐えながら!!

そしてついに下されたにこからの指示は、竜爪にて敵を討つ“ドラゴンクロー”!
遠慮はいらない、躊躇もない。
あるのはただ二つ、呼び覚まされた竜としての闘争心と、敬愛すべきマスター、矢澤にこの敵を退けたいという気持ちだけ!!!

その身に宿る加速は既に神域!
ミュウツークローンの反応速度さえを超えている!


ツバサ(速…!)

『フラァァアアアッッッ!!!!』

にこ「叩き込めっっっ!!!!」


斬閃!!!!

『……!ミュ、…ウ…!』


背後へ、倒れ伏す。

極限の攻撃力と速度を得たフライゴンの鋭爪はミュウツークローンの最終防衛線、その身へと纏ったバリアへと食い込み、突き破り、そして肉体へと竜の深斬を刻みつけた。

つまり…ミュウツークローンを撃破!!!

にこはボロボロの体で、その右腕を高らかに突き上げる!!!


にこ「やっっっ…てやったわ!!!フライゴンっ!!!」

『フラァッ!』

ツバサ「“げきりん”」

『ガブリアッッ!!!!』

『フラ゛ァ゛ッ!!?』

にこ「フライゴンっ…!?」


“りゅうのまい”、その効果はあくまで火力と速度の向上。
圧倒的な力を得たフライゴンも、その耐久性には一切の変化がない。
ツバサはミュウツークローンを回収すると同時、一切の動揺を見せずにガブリアスを繰り出していて…

“げきりん”に、フライゴンは叩き伏せられて戦闘不能。
そしてツバサ本来のエースたる鮫竜は吼え、地を削り、わずか十秒で警官隊とポケモンたちを一掃、沈黙させている。

やはりと言うべきか…
ツバサとガブリアス。本来のパートナーというものは敵ながらに絵図の収まりがいい。


ツバサ「私としては、楽しい楽しい無敵タイムがおしまいってところかしら」

にこ「………っ」

全滅。もう奥の手はない。
直視する他ない現実に、にこはいよいよ絶体絶命の危機と知る。


にこ(刑事としての勘でわかる。ツバサの目的地はここ、テレビ塔。行かせたら終わり…!)

ツバサ「あなたを殺して、それで終わりね」

にこ「……どうして」

ツバサ「…?」

にこ「どうしてアンタは、こんな酷い真似ができるの?」


この問いに意味はない。
万引き犯や不良少年とはわけが違う。巨悪とはあるべくして斯くあるもの。
その根を問いただしたところで、分かり合えることは決してない。
にこの問いはただ、純然たる引き伸ばし。

返す刃、ガブリアスの腕ヒレで首を刎ねられる…
そんなイメージを覚悟していたが、しかし意外。
綺羅ツバサは口元へと手をあてがい、思考を馳せている。

そして逆に、にこへと問う。

ツバサ「……ねえ、刑事さん。私の過去を知ってる?」

にこ「……知らないけど。調べたって出てこないし」

ツバサ「そうでしょうね。徹底的に消させたもの。そうね、一から語る時間はないけど…」


もう一度、少し考え…
ツバサは口を開く。


ツバサ「子供の身に起こり得る不幸、想像できるだけ想像してみて?」

にこ「不幸…?」


急な言葉に、にこは困惑する。
だが強いて抗う意味もない。不幸、その言葉にイメージを膨らませ…


ツバサ「……想像できた?その全てよ」

にこ「は?」

ツバサ「あなたがイメージできる範囲の不幸、そんなものは全て背負わされてきた」

にこ「………」

ツバサ「この世の掃き溜め、忌むべき醜悪、課せられた苦痛。私は遍く不幸の中を這い上がってきた。
だから、まともな倫理観を期待されても困るの。…答えとしては、そんなところかしら」

にこ「………分かり合えないってことだけは、改めて分かったわ」


瞳を閉じ、ツバサは惜しむ。
自分を追い続けてきた好敵手へ、敵意に結ばれた親友への別れを惜しむ。


ツバサ「じゃあ、私は行くわね」

にこ「……にこは、ここまでみたいね」

ガブリアスの腕が振り上げられ、鋭利な腕ヒレが月光に照らされる。
その刃は刑事スマイル、矢澤にこの細首へと狙いを定めていて…


にこ「だから、後は…」


━━━墜下。

降り立つ静炎、揺らめく青の灯火。
黒身青翼、振り下ろされた刃を受け止めるは強靭なる竜の爪。
眼差しは靭く、秘めた闘志は青色に熱気を高め。


同刻、ハイウェイを疾駆する一台のバイク。
見上げ追うは空、天舞う英玲奈のテッカグヤ。


海未「園田流の教えにはこうあります。“やられたらやりかえせ”と」

英玲奈「フ、思ったよりも好戦的じゃないか」


同刻、避難者の集うポケモンセンター。
警官たちを血祭りにあげるあんじゅへと、立ち向かうは怪悪“鳥面”。


ことり「こんばんは、オトノキタウンの南ことりです。ちょ~っとお話いいですかぁ?」

あんじゅ「あら…妙なのが湧いてきた」


そして同刻、ロクノテレビ前。

ガブリアスの一撃を受け止めたのはメガシンカ体、メガリザードンX。
その背から降り立った少女は橙の髪。その瞳には、希望の燈火が燃えていて。

にこは全身から力を抜いて、その場へ大の字に倒れ伏す。


にこ「あとは、アンタに任せるわ。穂乃果!」

穂乃果「にこちゃん、お疲れ様っ。あとは全部…私に任せて!!!」

ツバサ「……なるほどね」


三箇所同時、狙い澄ますは巨悪へのカウンター。
闇を払うべく、その存在は残された最後の希望。死力を尽くすべき刻が来た。


土壇場のエントリー、現れた最後の挑戦者。
しかしツバサは諸手を広げ、その登場を歓待する。甘んじて受け入れる。
まるで自らに課す、最後の試練だとでも言うように。

そして静かに、浮かべるは怪笑。


ツバサ「BETタイムはおしまい。さあ、ショーダウンと行きましょう?」




ズン、ズズンと揺れ。
ロクノシティの一区画に、戦時中、空襲下の街であるかのような爆音が響いている。
その間隔は短く不定。三、四と続いたかと思えば、数秒の静寂を開けて一際大きな衝撃が。

響きは高所から街を打っていて、それは爆弾の炸裂?
否、それは純粋な力と技のぶつかり合い。

ビル群の上を赤青、対の光が飛び翔けている。
紅熱は桜内梨子のメガバシャーモ、蒼覇は渡辺曜のメガルカリオ。
爆音は拳打、蹴撃のぶつかり合い。
二匹のメガシンカポケモンの肉弾戦は、一打一打の驚異的な破壊力を音として人々に知らしめている。

ルカリオは果敢な総合打撃、それに波動を用いた気弾を交えて。
バシャーモは火炎を纏っての体術、打拳で牽制を入れつつ、跳躍からの足技が冴える。


『ォオオオオッ!!!!』


上がる咆哮はどちらのものとも判じ難く、高速戦は余波だけで足場のビル壁を砕きながら次へ、次へと渡り飛んでいく。
ながらに、互角ではない。押しているのは明らかに梨子のメガバシャーモだ。

両手を横に、軍鶏の闘志で手技の牽制、を起点に膝蹴り。躱して距離を開けるメガルカリオ。
見逃さず、跳んで地上へと炎を纏った飛び蹴りは“フレアドライブ”!!
その様はまさしく火の鳥、当たれば一倒は必至!

その戦況を見守るトレーナー、梨子と曜は最初の対峙の場、近辺で最も高いビルの屋上で黙したまま向き合っている。
いや、睨み合っていると書く方が正しいだろう。

曜「………」

梨子(曜ちゃんは、何を考えてるのかな)


曜と梨子、二人の実力は極めて拮抗している。互角といって差し支えない。
ただし条件に差異が一つ。情報アドバンテージだ。

四天王である梨子、その本気を見せた試合は幾度もテレビで中継されている。
梨子のメガリングがバシャーモに対応していることも曜には当然知られていて、対して梨子は曜の編成を一部しか知らない。

その不利を如何に覆すか…
が、しかし、曜の行動は梨子にとって最も想定外のものだった。


梨子(まさか初手を相性不利、メガルカリオで来るなんて。…曜ちゃんらしくない)


そう、ルカリオでは不利なのだ。
二体のレベルはほぼ同等ながら、メガルカリオのタイプははがね・かくとう。
メガバシャーモのほのお・かくとうの複タイプのどちらを受けても致命の二倍撃となりえる。

梨子は考える、その初手の理由を。
しかしどれだけ考えても合理性は皆無。
後出しの初手で不利を取り、さらにメガシンカ枠までを晒す理由はどこにもない。陽動やブラフとしても成立していない。

だとして、考えられるのは単純にただ一つ。


梨子(……らしさ、なのかな?)

曜(壊さなきゃ、こいつを壊さなきゃ千歌ちゃんが奪われる!!!)

梨子(曜ちゃんが秘めてる、突然現れた“お邪魔虫”である桜内梨子への対抗意識。
混乱している曜ちゃんはその気持ちを暴走させて、メガシンカにはメガシンカで…そんな安直な選択を)

曜「桜内イィぃッ…!」

梨子「冷静じゃないね、曜ちゃん。そんなに悔しかったの?」

曜「憎いよ、梨子ちゃんが憎い!!
好きになろうとしたのに…いいとこだけを見て、千歌ちゃんが梨子ちゃんを好きなのと同じくらい好きになろうって…」

梨子「いつまでも千歌ちゃん千歌ちゃん…曜ちゃんはね、重いの。だから振り向いてもらえない」

曜「ああぁ…落としてやる、そこから突き落としてやる!!」

梨子「できないよ。曜ちゃんは私には勝てない。落とすこともできない」

曜「できるッ!!!」


顔相は凶迫、曜は弾かれたように梨子へと駆け寄っていく。
間隔は十メートル足らず、梨子の立ち位置は屋上の縁。
梨子は自身が体技に長けたタイプのトレーナーではない。対して曜の身体能力はアスリート並み。
苦労はない。押すだけだ、ただ押すだけ…!

だが、伸ばした曜の手は空を切る。
指の先、梨子は笑みを浮かべていて…


梨子「ほら、曜ちゃんには落とせないでしょ?」

曜「………!?」


その笑みが後ろへと傾いていく。
ぐらりと、梨子は壁面から身を投じている!


曜「何を!!」

梨子「くすっ、曜ちゃんが慌てる必要はないよね?」


落ちる!!
曜は反射的にその手を掴もうと伸ばしていて、しかし間に合わず空を切る。
梨子はそんな曜の目を見据え、笑みに余裕を湛えたまま、高層ビルの壁面と平行に地面へと墜落していっていて…


梨子(怖い怖い怖い怖い怖い怖いぃぃ…っ!!!!!)


内心、心臓が破裂しそうでいる。
梨子は少しのアブノーマルさを除けば、感性も肉体的にもごく一般的なラインの少女だ。
どちらかといえば少し臆病、引っ込み思案なところがあるくらいで、高空から自ら身を投じるなんて行為はただただ怖くてたまらない!

もちろん、自殺まがいの無謀な投身ではない。
そのダイブは戦闘の趨勢に合わせてのもの。

劣勢の中に挽回を図り、ルカリオは猛然の拳を顎先へと放っている。
だが、バシャーモは応じる!
特性は“かそく”、継戦のほどに身に帯びた熱と速度を増していくのが赤の戦鳥。
メガルカリオの腕を絡めとり、勢いを殺さずに鋭く投げる!


『シャァモッ!!!』

『ッ…!!』


勢いはそのまま、メガルカリオはビル上に設置された巨大な広告塔へとその身を叩き込まれている。
ルカリオの体表は鋼の硬度、その程度で重傷を負うようなことはない。だがもちろん、すぐには動けない。
その隙を見計らい、バシャーモは落ちていく梨子へと目掛けて大跳躍。
身は真横、ビルの壁面を走って主人の華奢な体を丁寧にキャッチ!


梨子「あ、ありがとう…バシャーモ…」

『シャモ…?』


(無理をしてないか)と問い。
抱きかかえた主人のか細い肩は恐ろしさに震えていて、バシャーモは思わず慮ってしまう。
梨子はそんな気遣いに困ったような苦笑いで返し、気心の知れたポケモン相手に建前は使わない。


梨子「うん…無理は、してる。でもやっぱり、私はなにがなんでも曜ちゃんを助けたい。今改めてそう思ったの」


本気で落とすつもりなら何も言わずにやればいい。
落とす落とすと何度も宣言して、まるで避けてくれと願うみたいに。
その癖、いざ梨子が落ちれば反射的に掴もうと手を伸ばして。

そんな煮え切らなさが曜らしくて、張り詰めた中にも少しだけ面白い。

ウツロイドの洗脳は本心を暴き立てる。
曜の叫び、お前が憎いという嫉妬心はきっと本当に抱えているもので、だからこそ、それでも手を伸ばしてくれたことがたまらなく愛おしい。
梨子に死んでほしくない、それもまた曜の本心なのだ。

梨子「頑張れるよ。だから…もう少し力を貸してね、バシャーモ」

『シャモッ』


その身は主人の意を通すための火矛。
紅火にビルを壁を駆けながら、メガバシャーモは力強く頷いている。
そんな横倒しの疾走に、飛来するはクリーム色の猛威。


曜「逃がすかッ!!!」

『リュウウウウウッ!!!』


曜を背に、カイリューが梨子とメガバシャーモを猛追してきている!


梨子(カイリュー、面倒ね)

曜「“じしん”ッッ!!!!」


ルカリオ相手から一転、相性は不良。
炎と格闘の両属性が、カイリューには易々と受けられてしまうのだ。
仮にも600属、メガシンカ体だからとゴリ押せる相手ではない。

曜の下した指示に従い、カイリューは空中に助走を付けてその腕をビルの壁面へと叩きつける。
硬い壁が、まるで水面のように波打ち…破壊が波紋のように伝導していく!!
大地を揺らすほどのエネルギーがメガバシャーモを目掛けて迫る!!!

瞬間、梨子とバシャーモは踏み切っている。
高層ビルの壁面が十数フロアに渡って散砕していくのを背後に見ながら、炎に加速を得て大跳躍を!!

“じしん”は決して命中精度の低い攻撃ではない。
いかな快速を誇るメガバシャーモであれ、完全な回避は本来容易ではない。
しかし今、翔ぶその身にダメージはなし。
どうやって回避タイミングを測ったのか?

その答えは梨子の耳にある。


梨子(コンクリート壁に窓ガラス、聴き取りやすい場所でよかった…)


ピアニストとして培われた繊細にして鋭敏な聴覚。その耳は聞こえない音を聴く。
それは空気の揺らぎ、酸素の燃焼、雷の迸り。舞う草木の軋りであり、大量の窓ガラスへとヒビが伝播していくその音を。

簡単ではない。だが避けられる。
炎タイプのバシャーモにとって致命傷となりえる“じしん”のエネルギーの現在地を耳で見て、先んじたP波だけが訪れる瞬間を見計らい、「今!」と指示を。

大地の波濤をバシャーモの脚力と合わせ、踏み切りからの跳躍は百メートルを優に越す距離を稼いでいる!


梨子(曜ちゃんとの距離が少し開いた。今のうちに)


舞い降り、着地したのはデパートの屋上駐車場。
広く遮蔽物が少なく、構造は比較的に頑丈。

ドラゴンにはドラゴンを。
梨子はバシャーモをそのままに、新手のジャラランガを繰り出していく。

梨子「お願いね、ジャラランガ」

『ジャララララ!!!!』


ドラゴン・かくとうタイプのジャラランガ、その種族値はカイリューに並ぶ600族!
全身に纏った堅固な鱗は攻防一体、鎧であり武器でもある。
飛来するカイリューを睨み、接敵の気配に尾の鱗をジャララと鳴らして威嚇を飛ばす。

無論、それに怯むカイリューと曜ではない。
竜には竜で、その理屈は双方に同じ。叩き潰すべくその全身へと漲らせる。


曜「“げきりん”…!」


昂らせるは竜の激昂。狙うは近接での正面突破。
だが先手はジャラランガ。放つ技は独自にして超威力、開いた距離を苦にしない音の攻撃。


梨子「ジャラランガ、“スケイルノイズ”をお願い!」

『ジャルルル…アアアァッ!!!!』

曜「…っ!」

全身を覆う防具めいた竜鱗を擦り合わせれば、響くのは常軌を逸したけたたましい騒音。
それはうるさいで済むレベルではなく、ドラゴンタイプのエネルギーを乗せた音の暴圧として周囲を打ち据え圧倒!

広大な駐車場にはジャラランガを中心点、網目状に亀裂が走っている。
メガバシャーモと梨子までが壁に隠れてやりすごさなればならないほど、広範囲にして無差別、完膚なきまでの猛撃!!

指向性はごくわずか、ドーム状に広がる音の破壊壁からカイリューが逃れる術はなし。
だが、曜とカイリューは動じない。


曜「そのまま。まっすぐ突っ込もう」

『リュウッ!!』


甘んじて受ける。
ダイヤモンドの加工にダイヤモンドが用いられるように、ドラゴンタイプの攻撃は同族の竜鱗への有効撃となる。
“スケイルノイズ”を受ければ痛打となるが…しかし、カイリューもまた特異な竜鱗を有している。

その特性は“マルチスケイル”。
ダメージを受ける前、鱗の状態が磐石である限り、その身はオーラを纏い保護されている。
タイプを問わず、ありとあらゆる攻撃を半減できる能力を有しているのだ!


梨子(やっぱり曜ちゃんのカイリュー、強いっ!)

曜「…捉えたよ」


暴力的な竜轟の中へと身を晒し、ダメージを負いつつも墜ちず。
曜もまた瞳を爛と、逆鱗の竜腕が凄絶に振り下ろされる!!!

梨子「くうっ…!」


粉塵の中、梨子は衝撃に思わず呻く。
屋上駐車場には大穴が穿たれていて、カイリューとジャラランガは共に下階へと姿を消していて戦闘の様子がわからない。
有翼のカイリューがすぐに戻ってこないので、おそらくジャラランガはまだやられていないはずだが…


曜「余所見してる暇はないよ」

梨子「っ、曜ちゃん!」

曜「ニドキング!!」

『ガァアアアッ!!!!』


曜は陥没の直前、カイリューの背から崩れていない部分へと飛び降りていた。
梨子とバシャーモへと接近し、新手はどく・じめんタイプのニドキング。
梨子の気が下階へと向いている一瞬を突き、既に指示を下している!


曜「“だいちのちから”」


メガバシャーモを仕留めるべく、苦手のじめんタイプの攻撃が放たれる。
受ければ大ダメージは確実。窮地に梨子は、集中に耳を澄ます。亀裂、歪み…


梨子「床を踏み抜いて!」

『シャアモ!!』

曜「床が崩っ…下に逃げたな、追うよ」

階下、暗闇に閑散としたデパートフロアへと曜とニドキングは降り立つ。
暗さに目を凝らして索敵を…必要なし!即座に梨子は仕掛けてきている!


梨子「キノガッサ、“キノコのほうし”!」

曜「読めてたよ!ダダリン、受けて!」


二人は新手を出している。
梨子はくさ・かくとうタイプ、キノコがトカゲのような姿へと成長したキノガッサを。
相手を必中で眠らせる“キノコのほうし”を主戦術として用いる、搦め手にも正面戦にも対応できる優秀なポケモンだ。

対して曜はくさ・ゴーストタイプ、舵輪と錨に藻が絡みついたような幽玄とした姿のダダリン。
錨などの部分に目が行きがちだが、その本体は緑色のモズクの部分。
くさタイプには“キノコのほうし”は通用せず、ダダリンは平然と胞子を全身に浴びている。

同時にニドキングがメガバシャーモへと挑みかかっていて、炎に弱いダダリンとの対面を先んじて防ごうという腹らしい。


梨子(手が早い…!)


徐々に、徐々にではあるが、ペースを曜に握られつつある。
梨子はポーカーフェイスながら、内心に表情を曇らせる。

ダダリンは鎖をいっぱいに伸ばし、アンカーの重量任せ、フロアに並べられた棚や品を散らしながら猛然の薙ぎ払いを。
梨子とキノガッサは身を屈め、辛うじてその猛攻から逃れている。
くさ技は通らず、かくとう技はゴーストタイプに透過される。
キノガッサはダダリンへの解答を持ち合わせておらず、相性は完全な不利!


梨子「キノガッサ、一度戻って!」

曜「させないよ。“アンカーショット”」


たまらず、梨子はボールから赤光を放つ。だが曜は先手を!
ダダリンが放った錨と鎖がキノガッサへと巻きつき、その全身を覆い隠してしまっている。
回収は叶わず、捕縛のままに叩きつけられてキノガッサは戦闘不能!


梨子用(対等な相手から一方的に手の内を知られてる状況、やっぱり戦いにくい…!)

曜「次」

梨子「言われなくてもっ、お願い!」

『グマッ!!』

ぬいぐるみのようにもふもふとしたピンクの体、アローラ出身の打撃屋キテルグマが梨子の次手。
格闘が通じないならサブウェポンで摘むまで。放つは凍気を纏った一撃!


梨子「“れいとうパンチ”!」


フロアを一瞬にして凍気が染める!
冷凍庫のように身を裂く冷温、見事に刺さった一撃にダダリンは耐えきれずに沈んでいる。
「よしっ」と小さく手を握り、梨子は難戦ぶりに眩みを覚える。これでやっと、まだ一体?

そんな梨子の辛苦を追い討つように、曜に一切の容赦なし。
ダダリンと入れ替えにすかさず次!


曜「バクフーンっ!!」

『バァアアッ!!!』


かざんポケモンの異名を持つバクフーン。
その名の通り、背の体毛は火山めいて高熱に燃えている。
その登場に応じてぐらり、梨子の視界が歪む。
疲労?目がおかしくなった?
どちらも否。その正体は背の灼熱が生む陽炎による視覚歪曲。

図鑑にも記されているが、バクフーンは熱に陽炎を生んで身を隠すことのできる生物。
その現象は特殊なものではないのだが…


梨子「フロア全体が歪んで見えるほどなんて、見たことも聞いたことも…」

曜「普通のとは違うよ、私が育てたバクフーンはね。“ふんか”!!!」

梨子「キテルグマ!間に合わ…っ!」


灼と、放たれた炎は超温で一帯を焼き焦がす。
四天王の梨子をして目を見張らずにはいられない高レベル。
特性の影響でほのおタイプを苦手とするキテルグマが耐えられるはずもなく、その場へと倒れ伏す。

梨子「ごめんね、キテルグマ…っ、う!?」


回収したところで、梨子は立ち眩みにたたらを踏む。
場所が屋内なのがまずい。バクフーンが生む紅蓮の炎は人の耐えられる限界付近まで気温を高めている。

当然ながら酸素も薄れてきていて、体力に自信のある曜と、基本的にはインドア派の梨子。どちらの体力が先に尽きるかは明白。


梨子(駄、目…っ、頭がクラクラして…)


次のボールに手をかけながら、開閉スイッチを押す指先が定まらず…曜が近付く。


曜「……ねえ、梨子ちゃん…謝ってよ」

梨子「……曜、ちゃん…?」


膝に手をついたまま見上げれば、曜の表情には激しい苦悶が滲んでいる。
いつも朗らかな曜にはまるでらしくなく、眉間に皺を刻み、歯は何かを噛み潰すように食いしばられていて、左手で顔の半分を覆っている。
その柔らかな頬へ、鉤爪のように指を食い込ませている。きっと衝動を抑え込もうとしているのだ。

二人の間、その距離は四歩。
梨子を見下ろし、絞り出すように言葉を紡ぐ。

曜「梨子、ちゃんの…言った通りだよ。私は、梨子ちゃんを殺せない」

梨子「………」

曜「あ゛ぐっ…!殺したくは、ないんだ。だから…衝動をっ、押さえ込まなくちゃ…!」

梨子「曜ちゃん…」

曜「だか、らっ…!今ここで、謝ってよ。千歌ちゃんに、私の千歌ちゃんに、手を…!」


葛藤に心を燃やしている。
灯りなきデパートフロア、並べられた色彩やかな衣服の数々がバクフーンの炎に焦がされている。
その火影に照らされた曜の顔は今にも泣き出しそうで、追い詰められていて。
そんな曜へと梨子が抱く思いは、開戦から今まで1ミリたりとズレていない。

(助けてあげなくちゃ)と。


曜「……土下座を」

梨子「……」

曜「土下座をしろ。…謝れ。這い蹲って…無様に…!」

梨子「……」

曜「詫びろ…!桜内ッッ!!!」

梨子「……ふふっ、面白い。私に勝てない曜ちゃん相手に、どうして謝らなくちゃいけないの?」

曜「頼むからっ…お願いだから!!私に、梨子ちゃんを殺させないで…!!」


首は縦に振らない。

退けないのだ。

この戦い、もちろん負けられない。だが勝つだけでも駄目。
梨子はこの戦いの中で、曜の中に見出した“大きな間違い”を正してあげなくてはならない。
踏み込むためには、全てをぶつけ合う必要がある。
だから梨子は…煽る。


梨子「曜ちゃんこそ、土下座で頼めば教えてあげるけど。千歌ちゃんとのキスの味」

曜「あぁ…ぁぁああああっ…!!!」

梨子「バシャーモ!」

『バッシャゥ!!』

曜「バクフーン!!!焼き尽くせッッ!!!」


再度の“ふんか”が一帯を飲み込み、その全てを焼失させる。
梨子は間一髪、ニドキングを相手に不利を覆し、打倒していたメガバシャーモに連れられて火の手から逃れている。

デパートの壁を蹴り破って外へ。
追う曜、受ける梨子。視線はお互いを捉え続けていて、対決はさらに烈気を増していく。

梨子(一旦、状況を整理した方がいいわね)


壁破りからの滞空。
梨子はバシャーモに抱えられたまま、自分と相手の状態へと冷静に思考を馳せる。


梨子(曜ちゃんの手持ちのうち、倒したのはダダリン、ニドキングの二匹。カイリューは見失ったまま状態は不明、メガルカリオもまだ健在)


自分の腰、ボールへと目を落とす。
うち二つ、キノガッサとキテルグマが戦闘不能。ジャラランガはカイリューと共に崩落したまま状態が知れず。

数だけを見れば、今のところは対等か。
だが問題は、切り札であるメガバシャーモがニドキングとの戦いにそれなりのダメージを負わされている点。
退けこそしたが、相性不利のニドキングには随分と苦戦したらしい。
体力を大きく削られていて、大きな痛手と言える。


梨子(曜ちゃんは甘くない、メガバシャーモで最後まで押し切るのは無理ね。だとして、どこまで抜けるか…)


近付く地面。メガバシャーモは腰を切り、空中で半身を捻って軽やかな質感で路面へと降り立つ。
と、着地と同時、梨子の表情へと焦燥が過ぎる。

梨子(あっ、しまった…ここは場所が!)


着地の場所が悪かった。最悪と言ってもいい。
梨子の視界、左右にそれぞれポケモンを連れた人間たちの集団が。
それぞれ警官隊と暴徒たち。
激しく争っている只中で、上から落ちてきた梨子へと注意を払う余裕などなくお互いが技を放っている!


「くたばれ!“10万ボルト”!」

「させるかっ、“かえんほうしゃ”!」


そんな調子、双方が数十人規模の大激突。
放たれた攻撃が梨子を挟み撃ちに差し迫る!

その瞬間、梨子とメガバシャーモの姿が突如現れた石壁に隠される。
壁は全ての攻撃をせき止め、そして砕け割れる。
そこに現れているのは梨子の格闘タイプの一体、両手に持ったコンクリート柱を杖のように付いたローブシンだ。

攻撃の波をやり過ごした梨子は声を上げる!


梨子「し、四天王の桜内梨子です!すみません、攻撃を一旦止めてください…!」


慌てたように手を頭上で振る少女、小豆色の髪にはテレビで見覚えがある。
確かに四天王、桜内梨子のようだ。

警官隊の責任者が指示を出す。


「四天王!?停止!攻撃停止!!」

梨子(わ、わかってくれて助かった…)


左手、警官隊からの攻撃が止まった。
だが反対、右方に集った暴徒たちが攻撃を止める筋合いはない。梨子へとめがけて一斉に殺到!

だが、梨子はもう慌ててはいない。あくまで落ち着き、口元にはふわりと笑いを含む。


梨子「うん、片方だけなら。ローブシン、やっつけて!」

たかが暴徒だ。アライズ団やアライザーも混じっているのかも知れないが、どうであれ梨子にとって応じるのは難しいことではない。
波のように殺到する、敵に使役されているポケモンたちを…


『ロォォォブッシ!!!』


両手のコンクリート柱で叩き伏せ、薙ぎ払う!
ローブシンは手にした柱を巧みに操り戦うポケモンだ。
見た目は灰色、重々しい二本なのだが、外見に反してローブシンの武器捌きは羽根のように軽い。
叩き、突き、かちあげては大振りに一蹴。台風のような勢いで敵を見る間に打ち払って退ける。

淑やかな梨子ではあるが、いざ戦わせれば一般との実力差はあまりにも顕著。
十数匹をほんのわずかな時間で一掃し、梨子と共に見上げるは西方。


『ガアァァァアアッ!!!』


哮りは高らか、向かってくるのはバクフーンだ!


梨子(来た。曜ちゃんは…曜ちゃんがいない?)


バシャーモが蹴り穿った壁穴へと身を投じ、すぐさま梨子たちを追いかけてきたようだ。
だがその傍らには曜の姿はなく、思考に揺さぶりを掛けられつつローブシンへと指示を。


梨子「炎タイプには岩ね。ローブシン!」


下す指示は“ストーンエッジ”。
高レベル帯での戦闘では頻出する技だ。それは威力と汎用性の高さがため。
ローブシンは指示に応じ、手にした石柱の一本を刃が如く投げつける。
属性優位、当たれば一撃で落とせる攻撃だ。

だが曜のバクフーンは怯まない!


『バクァァア!!!!』

梨子「っ、燃やした…!」

放射するは大爆火、石柱を微塵に粉砕して突破!
勢いを殺さぬままに梨子たちへと目掛けて迫ってくる!

その様を見ていた警官隊と暴徒たち、敵味方問わず、双方からどよめきが上がる。
「炎で岩を、“ストーンエッジ”を焼き尽くした!?」と、そんな驚愕が。

そんな中、しかし梨子は動じていない。


梨子(やっぱりレベルが高い…)


そう警戒を走らせつつ、梨子にとってそれは驚くべきことではない。

一定域のレベルに達したポケモンは相性差を覆すことも少なくない。
ポケモンリーグという最高峰に身を置いて、そんな場面は幾度となく目にしてきた。

(あの曜ちゃんのポケモンだもの、それくらいは当然よね)と、友人への信頼は揺るぎない。


梨子「ローブシン、壁を作って」

『ロォッ!!』


冷静に指示一つ。

ローブシンが地を叩けば地が迫り上がり、それは堅牢な壁として敵との間に立ちはだかる。
バクフーンは背火をさらに焚き、壁ごと向かいまで焼いてやろうと飛びかかる。
再び滾る爆炎、灼熱の火流が岩を焦がし溶かす。
岩壁を剥がされ露わにされたローブシンは、しかし怯むことなく睨んで受け立つ。
屈強にして老獪、武神とまで呼ばれるポケモンだ。バクフーンがいかに強者であれ、退く気は一切なし!

梨子「ローブシン、抑え役をお願い!」

『ロォォブ!』

十秒。梨子はローブシンへと抑え役を任せる。
メガバシャーモは控えさせたまま、一時的に指示を放棄して思考に徹する目算。


梨子(曜ちゃん、どっちから来るつもり…?)


警戒を極限に高め、周囲を素早く、油断なく見回している。

いつの間にか一帯、左右の警官隊と暴徒たちは戦闘を止めていて、梨子と曜の戦いに目が注がれている。
高レベルの戦闘に巻き込まれることを恐れているのか、あるいは驚異に息を飲んでいるのか。

梨子はそんな囲い、人垣の中から曜が襲撃してくるのを強く警戒しているのだ。

何故そうまで警戒しなくてはならないのか?
理由は一つ。相手の死角からの奇襲、それは本来梨子の戦闘スタイルだからだ。

ロクノジムでの模擬戦、善子相手に見せた壁抜きは梨子の常套戦術。
まるで狩猟のように、前後左右と自在に相手を追い込む。格闘タイプのパワーを用いて常に主導権を握り続けるのだ。

だか、それはかくとうタイプを主とするトレーナーなら誰でも可能な戦術ではないだろうか?

答えは不可。
一口に死角からの攻撃と言っても、梨子のそれは物陰から攻めるだとかのレベルとはまるで別物。
相手から感知できない壁越しだからこそ、優れた攻撃手段たりえる。

そしてそれを可能としているのは梨子の優れた音感、聴覚あってこそ。
壁越しの呼吸、衣摺れ、靴のラバーが床に吸着し、剥がれる微かな空気の揺れ。
それを研ぎ澄まされた感覚に捉え、即座の指示で壁をブチ抜く!

透視能力を持つレントラーなどを介して梨子の戦術を真似ようとする者も少なくないが、それでは初動が遅れて成り立たない。

公式戦、遮蔽物のない平坦なフィールドであってもその戦術は揺るがない。
ローブシン、それにカイリキーは“ストーンエッジ”を発展させ、土地の隆起で即座に壁を形成することを可能としている。

自ら壁を作り、壊して攻める。

戦術の全てが自己完結していて、だからこそ梨子は最高峰の技巧派トレーナーと称されているのだ。

そんな梨子が今、人垣という壁を曜に利用されている
相手の得意戦術を封殺するには同じことを先にやるのが常道。
曜もまた試合巧者、心得ている。

ざわめき、叫び、銃声、ポケモンの咆哮、ヘリのプロペラ。
足音、呼吸、鼓動、しわぶき、流れる水。

人々は戦いを遠巻きに見ていて、そこは大きな道路が交差する五つ角。
その中心に立つ梨子を囲んで、まるで円形闘技場のような。

視線と雑音に囚われず、梨子は敢えて目を瞑り、呼吸を止める。


梨子(落ち着いて…聴くの。曜ちゃんの音を)


内面に静寂、訪れる意識の白。
もたらされる超集中は雑音を遮断し、聴くべき音だけを耳へと取り込んでいく。
それは水気、潜めた呼吸、渦を巻く殺気。


梨子(これは、曜ちゃんの音。でも遠い…深い。どこから…?)


が、狼狽。とっさに見開く瞼!


梨子「っ、しまった!」


ローブシンへと迫るはメガルカリオ!!
十秒の隙は大きすぎた。曜のポケモンたちに一手の猶予を与えている。
曜の居場所を掴み、戦略の音を聴くにはあと少しの時間が必要だ。しかしその余裕はない!

バクフーンと渡り合っているローブシンへ、横ざまに突き出されるメガルカリオの拳。
格闘タイプの猛撃、“インファイト”が炸裂する!
連打、連打、連打!
大柄なローブシンの体が徐々に浮き、トドメと振り抜かれた右拳がその体を道路へと打ち転がしている。


『バッシャアッ!!!』


応じ、メガバシャーモがメガルカリオへ躍り掛かっている。
メガシンカにはメガシンカで、相性は完全優位、ここで狩る。
放つは跳躍からの全力でのストンピング、“ばかぢから”。
梨子はバシャーモへ、攻撃を目で促し…
刹那、神憑きの危機察知。梨子は息を飲み、声を張り上げている!


梨子「…!?待ってバシャーモ!退いてっ!!」

『ッッバ、…シャッ!』

曜「“ハイドロポンプ”!!!」


奇襲、立ち昇る水柱が空を撃つ!

それは下、マンホールから吹き上げる水の暴圧。
天を衝いた“ハイドロポンプ”の噴射と共に、その水の主は優美な麗身を地上へと晒している。

肌色の体は潤いに濡れた質感を宿していて、尾を覆う鱗は光を反射して七色に燦めく。
頭部には薄紅色の触覚と長いヒレ。類するならば魚か蛇か…いずれにせよ、その姿は美しい。

曜の手持ち、最後の一体はみずタイプのミロカロス。
絵画や彫刻のモチーフに好まれる、世界一美しいポケモンとも称されるポケモンだ。

だが今は戦場、容姿は関係ない。
ミロカロスは戦闘用としても高い実力を有していて、口元へと水気を結集させて次撃の準備を。

曜はその背から素早く滑り降り、まっすぐに梨子へと迫る!


梨子「地下水道に潜ってるなんて思わなかったよ、曜ちゃん」

曜「まさか、下からの攻撃を避けられるなんてね…!」


メガバシャーモは梨子の指示にバックステップを刻んでいて、間欠泉の如く吹き上げた“ハイドロポンプ”から紙一重で逃れて未だ健在!

バクフーンとメガバシャーモが一帯に纏わせた熱に水気が蒸発し、白煙が周囲をうっすらと満たしている。
そんな中にも二人の視線は確と互いを捉え続けていて、次の十秒、怒涛の瞬撃が交錯する。

曜「“ハイドロポンプ”拡散型っ!!」


初手、ミロカロスはメガバシャーモを仕留めるべく暴水を放つ!

既に継戦に困憊、掠めれば落とせる。
曜はそう的確に判断を下していて、放たれたのは一点集中でなくショットガンのように炸裂する暴雨。
並みの相手ならこれで仕留めたはずだ。
だがメガバシャーモは継戦に困憊ながら、特性の“かそく”で神域の速度を手にしている。

動体視力と身体能力を連動させ、赤の戦鳥は飛来する水弾から逃れてみせている!

そして一手。梨子にその選択肢を与えたのは、“四天王のポケモン” としての意地と矜持。
ローブシンが起き上がる。インファイトに痛恨の連打を受け、それでも爪の先ほどの体力を振り絞って身を起こしている!


梨子「ローブシン!“かみなりパンチ”!」

曜「…!」


心意気に応えるは即座の指示、ローブシンの拳には雷のエネルギー。
“かみなりパンチ”がミロカロスの横腹を痛烈に殴りつけ、通電!!!

『ロオオオッ!!!』

『フィオオォッ……!』


剛拳からの爆雷、水気が弾け、ミロカロスは6メートル超の体を苦悶に横倒す。

そのローブシンの懐へと潜り込む蒼影はメガルカリオ。身に刻まれた黒の波紋が脈動、光輝している。
(ならば二撃目)と両手を組み合わせ、腰溜めに構え。

伝導、集中…膨れ上がる光の気弾!!


曜「叩き込めッッ!!!」

『リオオオァッ!!!!』


土手腹へと着弾!膨れ上がる光烈!その一撃は“きあいだま”!!
物理・特殊の両刀を誇るメガルカリオだからこそ、格闘タイプの特殊技として無二の最高峰がローブシンを吹き飛ばして打倒している!


『バシャアッッァ!!!』


だがその横、梨子の戦術もあくまで円滑!
曜の目がメガルカリオの決定撃に注がれていた秒間を見逃さず、メガバシャーモが放ったのは空を舞っての激烈なストンピング。
“ばかぢから”の一撃にバクフーンを打倒している!!


梨子「曜ちゃんっ!!!」

曜「桜内梨子ッッ!!!」


メガバシャーモとメガルカリオ、桜内梨子と渡辺曜!
二人二匹の視線はついに再び正面に戟火を、十秒下の攻防にそれぞれの手持ちが削られ、そして命じるは決定撃…!!


梨子「“ばかぢから”!!!」

曜「“インファイト”!!!」

炎蹴、割れるアスファルト。

蒼紅二匹のメガシンカ体、ポケモン、トレーナー共に実力は伯仲。
互角に互角を重ねれば、趨勢を決定付けたのはやはりタイプ相性。
いや、あるいは足と拳のリーチの差か。

メガルカリオの猛拳が届くことはなく、跳躍から放たれたメガバシャーモの両脚蹴りが強かに敵を路面へと叩き込んでいる。
メガルカリオは意識を断ち切られていて、一帯へと派手な亀裂が走り…


曜「“げきりん”」

『リュウウウウッッ!!!!』

『ッッッ…!ゥ、シャモ…ッ!』

梨子「バシャーモ…!」


上空、飛来したカイリューの“げきりん”にメガバシャーモもまた沈む。
衝撃にさらなる衝撃を加えられ、乱れなく舗装されていたロクノシティの車道がついに微塵に砕けて飛散する。

固唾を飲んで激戦を見ていた人々が粉塵に巻かれて視界を遮られ、曜は傍らにカイリューを。
梨子は腰のボールから残る一体、カイリキーを開放して。

お互いがそう感じていた通り、拮抗。
メガシンカ体もそれぞれに潰され、間合いの中に見合う二人。

……曜は、目に涙を浮かべている。
唇を震わせ、苦しげに声を絞り出す。


曜「どうして…どうして、こうなっちゃったんだろう…っ」

梨子「……」

渡辺曜は苦悩している。
ウツロイドに苛まれているから?

いや、今だけの話ではない。
梨子という少女が引っ越してきて、(可愛い子だな、都会っぽくて)と月並みな感慨を抱き、千歌が梨子に強い興味を示し、見る間に仲良くなって…
それからずっと、今日今まで抱き続けている苦悩だ。


曜「友達…そう、友達だと思いたいんだ、梨子ちゃんのことは…」

梨子「……」

曜「……一緒にいて、楽しいとは思う。私の知らないようなことも知ってるし…
善子ちゃんの家で、千歌ちゃん抜きで一緒に過ごして、やっぱり良い子だなって」

梨子「……うん。私も楽しかったよ、曜ちゃんと二人のお泊まり」

曜「……うん。…なのに…っ、なのに私、どうしても許せなくて、キスは、キスのことはきっかけでしかないんだ。ずっと…やっぱり、ずっと…!」

梨子「……聞かせて、曜ちゃん。私のどこが嫌い?」

曜「違うんだ、違う…違うっ!嫌いなのは…許せないのは、梨子ちゃんが千歌ちゃんと仲良くなったことを妬んでるだけ…自分勝手な恨みで。
あれとかこれとか、細かな言いたいことは全部、妬んでるから気になる部分で…
嫌いなのは私、私だよ。友達を、友達なのに、妬んで、憎んで、嫌ったりしてる自分のことが!!!一番嫌いで…許せないんだっ…!!!」

梨子「………うん、きっとそうだと思ってた」

曜「黙れ…黙れ黙れ黙れ…!知った風な口を…!」

梨子「聞いて、曜ちゃん」


梨子は一歩、曜へと歩み寄る。

梨子「ねえ、曜ちゃん。曜ちゃんって、何をしても失敗したことがないって言ってたよね」


無言。
曜は今にも梨子へと掴み掛かりそうな暴力衝動を抑えるように、小さく頷くだけ。

梨子はそれを受け、同じように小さく頷き返す。


梨子「きっと曜ちゃんは、なんでも完璧にできすぎるから…その分、すごく簡単なことがわかっていないの」

曜「………」


前に聞いた。「勝とうと思って負けたことは一度もないよ」と。
自慢でもなく嫌味も含まず、曜はあっけらかんと、さらりと、至極ナチュラルにそう言ってのけた。

飛び込み競技では世界王者になれたわけじゃないけど、自分の中にどこか満足した感覚があった。そうしたら負けた。
千歌ちゃんが見ていてくれない海外での戦いに価値を見出せなかったのだと。

勝とうと思って負けたことは一度もない。
自分がやろうと思ってやったことは全て成功してきた。
運動に、趣味の裁縫に、料理に、もちろんポケモンバトルでも挫折したことは一度もない

人付き合いも同様だ。
友達関係もみんなと仲良く、どんな子とでも気持ちよく仲良く付き合ってこられた。
人間関係に勝ち負けの概念を持ち込むのは齟齬があるかもしれないが、少なくとも曜は人付き合いに不快感やざらつきを得たことは一度もなかった。

そして何より、大好きな千歌ちゃんが隣にいてくれる。
大好きな千歌ちゃんと幼馴染の大親友。千歌ちゃんにとっての特別な個でずっとずっといられる。
それだけで曜は、この世の万物に対して勝っていた。

だがそこへ、梨子が現れて。

曜(胸の中に宿った棘を、異物感を、“あの子が憎い”だなんて醜い自分を、私は嫌悪してるんだ。ずっと、ずっと…)

梨子「曜ちゃんはなんでも要領よくこなせるから、今まで嫉妬したことがなかったんだね」

曜(こんな気持ちを抱いてる私は醜い人間だ。梨子ちゃんは何も悪くないのに。千歌ちゃんは梨子ちゃんの事が好きなのに)

梨子「そこに私が現れて、曜ちゃんの唯一の弱点、千歌ちゃんと仲良くなっちゃった。
ずっと千歌ちゃんの特別だった曜ちゃんから見て、特別に見えちゃうくらいに」

曜「……梨子ちゃんを嫉妬して憎む私に、梨子ちゃんと友達でいる資格なんてない。
梨子ちゃんと友達になれないなら、千歌ちゃんと友達でいる資格も私にはない」

梨子「……」

曜「だったら…こんな私なんて、いない方がマシだよ」

梨子「……ふふっ」

曜「何がおかしい!!!」

目に怒気を燃やし、激昂に叫ぶ。

しかし梨子は退かない。もう三歩、曜へと歩み寄っている。
伸ばせば届く位置だ。曜は手を、梨子の肩を掴んでいる。
力は万力のように強い。

それでも怯まず、梨子はマリンブルーの瞳を覗き込み…


梨子「教えてあげる、曜ちゃん。友達ってね…嫉妬してもいいんだよ」

曜「……何を、っ」


ゆっくりと、誠実に語りかける。


梨子「友達に嫌いなところがあってもいい。駄目だこの子って思うとこがあってもいいの。
私は今の曜ちゃんを見て、ダメダメだな、面倒臭い子だなって思ってる」

曜「っ…!」

梨子「でも、友達だよ。大好きな友達。誰かと友達でいることに、資格なんていらないから」


梨子の口調は温雅だ。
それは曜が燃やす梨子への、そして自身への憎悪に、丹念に水を掛けていくような。
言っていることはごく当たり前。だが当たり前すぎて、超人然とした曜には、そして身近すぎる千歌にも気付けなかった、曜が理解できていないこと。


梨子「嫉妬ってね、普通の感覚なんだよ。自分より何かで上回ってる人がいれば、羨ましいな、妬ましいなって思っちゃう。私はそうだし、たくさんの人がきっとそう」

曜「私は…!私は…」

梨子「曜ちゃん、嫉妬してる自分を責めないで。
私に対して嫌いなところがある自分を責めないで。
人間だもん。合わないとこぐらい、少しはあるよ」

緩やかに吹く夜風は、二人の周囲からゆっくりと粉塵を払っていく。
懺悔の後、赦しを求める徒のような目で、曜は梨子を見つめている。問いかける。


曜「私は……梨子ちゃんと、友達でも、いいのかな」

梨子「うん…友達でいてほしい。ううん…友達になってくださいっ。お願いします!!」


千歌を介した友達の友達。
ではなく、本当の友達に。

梨子は曜へ、改めて手を伸ばし…しかし、その手は握られない。
まだだ。まだ、曜からウツロイドの洗脳は掃けていない。


曜「っう、ぐうっ…!まだ、頭が…梨子ちゃん、逃げてっ…!」

梨子「……うん、友達は後だよね。まずは決着を付けなくっちゃ」


曜の狂乱は迷いから。迷いが消えれば、きっと洗脳も失せるだろう。
二人はポケモントレーナー。
何かに区切りを付けて前へ歩み出すには、きっとバトルで白黒を付けるのが一番だ。

ならばこの戦いに、華々しく幕引きを。


曜「カイリュー!!」

梨子「カイリキー!!」

視界が晴れ、戦いを見守っていた人々は再び二人とポケモンの姿を目にしている。
梨子と曜の間にあった葛藤、因縁を知らない人々から見ればこの一戦は最高のバトル。視界が遮られている中に決着してしまうのか…いや、その心配は杞憂。

曜はカイリューの背に、天高く滞空している。

夜空に吹く強風を意に介さず。
心中にあと僅か、ありったけの狂気を瞳に宿し、残滓を燃やして地上の梨子を見下ろしている。
遥か眼下へ、言い放つ。


曜「どっちが上か…思い知らせてあげるよ。泥棒猫!!!」


応じ、梨子は地上に不敵な笑みを。

傍らのカイリキーは梨子の心を受け、その四腕から凄絶な闘気を放っている。
隆々の筋骨、放つ“壁ドン”は二秒に千発。
見上げ、彼方の空へ声を。


梨子「もう一度、泣き顔が見たいな。負け犬曜ちゃん?」


その言葉を皮切りに、双方が最後の一撃へと移行する。
以前、海未との野試合で見せたペリッパーの“そらをとぶ”。
高空からのダイブにトレーナーが帯同することで、精度と威力を向上させるという曜の十八番。

それは本来、このカイリューで用いる戦術なのだ。

そして技は“そらをとぶ”ではない。
同じダイブ技にして、その威力は遥か高みを行く大技。


曜「“ドラゴンダイブ”」


地上へ。カイリューと曜、恐怖を知らない少女の狂気の一撃が加速を始める。

それを目に、梨子もまた指示を。

梨子「“ばくれつパンチ”」


その指示に、カイリキーは上体を揺らし始める。
上下左右、行っては戻る振り子のように身を揺すり、回し、回し、廻して加速。
同時に四腕は拳打を放ち始めている。ゆっくりと、徐々にギアを上げ、加速、加速、加速加速…!

体が右から左へ、左から右へと振り戻される反動が拳打へと乗り、その挙動はさらに速度を増していく。
描く軌道は∞。まるで台風のように絶気を纏っていくカイリキーの拳は、そのまま四天王桜内梨子の気迫として人々を魅了する。

いつしか人々は唱和を始めている。
警察も暴徒も一般人も関係なく、四天王を、いや、一人の少女のその名を。


「さっくらうち!」「さっくらうち!」
「さっくらうち!!」「さっくらうち!!」


地鳴りのように響く桜内コール。
しかし梨子が見据えているのはただ天空、流星のように降ってくる親友の…ライバルの姿だけ。

迫る。
迫る、迫る…迫る!!


曜「梨子ちゃんッッッ!!!!!」

梨子「曜ちゃぁんっっ!!!!!」


━━━激突!!!!

曜「━━━っ…」

梨子「は、ぁあぁっ…!!」


カイリキーは膝を折っている。
カイリューは未だ、空を舞っていて…

いや違う。その意識は既に断ち切られている。
カイリューの“ドラゴンダイブ”をカイリキーの“ばくれつパンチ”の拳圧は受け、勢いを止めたところに怒涛、拳の驟雨を浴びせたのだ。
ここは最後の一線、お互いにとっての意思をぶつけ合う分水嶺。そこにタイプ相性は意味を成さない。

ただ一点、勝負を分けた点を挙げるならば、ジャラランガがカイリューへとダメージを与えていた点だろう。
既に手負いのカイリューには特性“マルチスケイル”が発動せず、カイリキー渾身の猛連打の嵐を貫いてみせることができなかった。

故に。


梨子「勝っ…たぁ…!」

曜「……負け、か」


梨子はまるで敗者のようにへたり込み、曜の表情は憑き物が落ちたように晴れやかだ。

そう、これは曜にとって、勝とうとして勝てなかった初めての敗北。
それは何故だか、とても清々しくて…曜の脳から、ウツロイドの洗脳波の影響は霧消している。

カイリューの背に掴まっていた曜は打撃の勢いでふわりと宙に投げ出されていて、カイリキーは四腕でそれを丁寧に受け止めようとしている。

…が、カイリキーも疲労している。腕で落下の勢いを殺し、掴もうと…するりと零してしまう。
一応勢いは死んでいる。だが死なずとも、落ち方が怪我をしかねない!

そんな下へ、滑り込んでいた梨子が曜の体を受け止めた。
そのままぎゅっと抱きしめ…曜もまた梨子へと腕を回し、さっきの返事を。


曜「こちらこそ…友達になってください。梨子ちゃん!」

梨子「うん…嬉しい、曜ちゃん…」


渡辺曜、桜内梨子。
今やっと、二人の間に横たわっていた違和の溝は消えて失せた。
腕を回してみれば梨子の肩は細く頼りなく、曜は心の底から申し訳なく…そして、体を張って自分を繋ぎとめてくれた友達がたまらなく愛おしい。


曜「ありがとう…本当に…」

ああ、きっと親友になれる。心からの。
そんな確信を得ている。

そしてなんでも言い合える親友になるため、曜はまず言っておくべき文句を口にする。


曜「で、梨子ちゃん。千歌ちゃんとキスしたって話だけど…っんむぐっ!?」

梨子「……んんっ…」


それは電光石火、神速、通り魔めいたキス!!!

梨子の柔らかな唇をあてがわれて、それが離れてからと曜は激しく目を泳がせている。
顔を紅蓮に染めている。動揺にオロオロと手をふらつかせ、声にならない声で梨子へと尋ねる。


曜「!!、?、?!、きっ、き、きs!?」

梨子「聞いて、曜ちゃん。曜ちゃんのファーストキスも私なら、千歌ちゃんと曜ちゃんは対等でいられると思うの」

曜「た、たいとう」

梨子「あとは曜ちゃんが千歌ちゃんとキスをすればバランスが取れる。でしょう?」

曜「えっ、それは…いや、あれ?」

梨子「そうよね?」

曜「………そ、そうかもしれない…!」


押しに弱い。そんな曜の気質を、梨子は既に見抜いている。
そして、またしても強引に友達の唇を奪い…ただ今回は、記憶を消さなくてもいいかな、と。


梨子「助けてあげたんだから、キスくらいいいよね?」

曜「……う、うん…」

梨子「さ、千歌ちゃんを探しに行かなくちゃ。きっとどこかで戦ってるはずよ」

曜「…!そうだね!」


手を引かれ、立ち上がる。
虚を突いたキスはともかく、手を繋いだまま歩き出す二人にはもうぎこちなさはない。
固い友情が結ばれ、一つの戦局にピリオドが打たれた。


場面は移行し…

松浦果南と東條希。
四天王同士の激闘が、始まろうとしている。




「私なら勝てる」

そんな果南の発言を、今の殺気に満ちた希が聞き逃すはずもなし。
と、言ってもその手の言葉に応じて激昂するというタイプでもない。

右席にメガフーディン、左方にデオキシス統合体の陣容。
希は片眉を吊り上げ、稚気含みの悪意をたっぷり、歪な視線を果南へと向ける。


希「で、どうするん?脳筋さんに今のウチの能力を破れるとはとても思えないんやけど。いっそ目でも瞑って掛かってきた方が、まぐれも起きるかもしれんよ」


ケタケタと嘲る。
真姫たち三人をテレポートで地上へと落とした瞬間を区切りに、ついに本来の希の精神は心奥の岩戸へと閉じ込められてしまっている。
元々持っている悪戯心だけが狂気に染め上げられ、果南へと愚弄めいた台詞を投げかけている。

果南はその言葉に応じず、片手に持ったペットボトルから水を口に含む。
ごくんと喉を鳴らして飲みくだし、それから半分ほどの残りを頭からザバザバと振りかけた。


希「ええ、秋の夜に…寒くないん?」


怪訝げにそう尋ねた希へ、果南はさらりと声を返す。


果南「いやあ、体が乾いちゃって」

希「乾いて、って。まさかとは思ってたけど、本当に海中生物…」

果南「冗談に決まってるでしょ。引かないでよ」


そんな調子、交わされるナンセンスな会話。
それは無駄口ではなく、達人同士、互いの出方の探り合いだ。

崩壊したゲートからは、異常開放を知らせるサイレンだけが高らかに鳴り続けている。
だが念力で破壊されたゲートに閉めるべき扉はとっくに失われていて、その警報は動力が切られるまで延々と鳴り続けるのだろう。

不安を掻き立てるその音は、希の心をより深い混沌へと誘い…

反して、果南は平然。
騒音に軽く顔をしかめ、羽織った上着のポケットから何かを取り出す。
それは黒く細いコード、先端にはイヤホン。音楽プレイヤーに繋がったそれを耳へと嵌め込み、果南は誰へともなく頷く。


果南「ん…うん、これでよし」

希「は?」

果南「希と普段お喋りするのは楽しくて好きだけどさ、戦う時はペース乱されそうだからね」

希「いやいや、イヤホンなんてしたら五感一つ潰れて不利に…」

果南「悪いけど、もう聞こえなくなるよ」

バサリと上着を脱ぎ捨て、その下にはウェットスーツを着込んでいる。
片手には防水仕様の音楽プレイヤー。
カチリと再生ボタンを押してポケットに収めれば、流れ始めるのは四つ打ち、軽快なダンスビート。
早口に刻まれる英歌詞の意味はまるでわからないが、手っ取り早く戦闘テンションになれるのが果南好み。


果南「うんうん、ノッてきた…」

希(……やっぱ直情型はやり辛いわ。言葉を弄したところで聞く耳ゼロやし)


タンタンタンと爪先を鳴らし、スピーディにテンポを重ね、果南の心はオーバードライブ、加速度的に熱を帯びていく。

そして果南は、戦闘へとダイブする。


果南「行くよ、カイオーガ。ゲンシカイキ!!!」


開幕からのエース投入に出し惜しみはなし、そして浮かび上がる“α”の文様。
カイオーガの姿が太古の威容へと回帰する!!

そして生じるは大渦、蒼海の覇者は膨大な水量を意のままに操作する。
湧き上がり、渦を巻き、降り注ぐ。
水は無軌道に溢れることはなく、果南と希が対峙するその場だけを満たしていく。まるでそこに、不可視の巨大な水槽があるかのように。

真姫、凛、花陽。
果南の登場に窮地を救われた三人はその暴水の範囲外にいる。
息を呑み、その恐るべきカイオーガの戦力を見上げている。


花陽「かっ、カイオーガ…すごいっ…」

凛「さっきも助けてもらったけど、滅茶苦茶にゃ…!」

真姫「ゲンシカイキ…最近のリーグ戦で何度か見てはいるけど、今日は本領が拝めそうね」

希「………」


カイオーガの猛威を、希はただ黙して見ているわけではない。
サイキックで宙に浮遊している自分たちをも急速に取り囲んでいく水、それを跳ね除けるべく、メガフーディンとデオキシス、それに自身の念動力で水を打ち払おうと試みている。
だが、こと水への支配力に関してカイオーガを上回るのは流石に不可能。
海神にも近い存在なのだ、抗うは易くない。

果南と希を取り囲む水は膨れ上がり、そして巨大なスフィア状に形を留めている。
その中には希たちのエネルギーが紫光する粒子として降っていて、宙空に成されたそれは例えるならば巨大なスノードーム。


果南「よし、いい感じ」

希「………いやいや、こんなの反則やん」

果南はカイオーガの加護に呼吸ができるらしく、その表情には地の利を得た余裕の色。

希は“サイコキネシス”でフィールドを張り、自分たちの周囲から球状に水を押し退けて呼吸できる空間を形成している。

今カイオーガと果南を取り巻いている水量は数千トン。
かつて一つの地方を水に沈めてみせた、その時には遠く及ばない水量だ。
だが決して、力が劣化したわけではない。
狭所集中、正面きっての戦闘力ではその方が上を行く!

そんな果南たちと水を挟んで向き合い、希は呟く。


希「なるほど?案外考えてるんやね」

果南「…ん?水中でイヤホンしてるのに声が聞こえる」

希「ウチはテレパスくらい朝飯前やからね」

果南「そっか、面倒臭いなぁ。せっかく聞こえないようにしたのに」

果南「会話だけやないよ。テレパスは思考を読み取る。どう動くかを先に知って…潰す。メガフーディン、“サイコキネシス”!」

果南「カイオーガ、“しおふき”!」

水中、メガフーディンから放たれたエネルギーと水圧が激突、衝撃に水球が揺れる!

その間隙を抜い、希は自身のサイコキノで果南めがけて念波を放っている。
左右の腕を体の前でクロスさせ、イメージは交差軌道の双曲線。


凛「あっ、危ないよ!」

花陽「希ちゃんの力っ、あれで私たちはやられちゃった…!」


地上からの声は聞こえない、そうわかっていても警句を上げずにはいられない。
それは真姫たち三人のトレーナーの役割を機能不全に追い込んだ不可視の攻勢、東條希の見えざる手。

その力が果南へと迫り…しかし、既に対応策は完成している!


果南「来た…はっ!!」

真姫「上に泳いで…!?」

希「……っ、避けられた!」


その姿はまるで人魚、果南は水中を軽やかに上昇して希の怪腕から逃れている。
顔をしかめる希。対して果南はニヤリと笑んでいる。


果南「見えないって言っても力は力、何もない場所をいきなり攻撃してるわけじゃないよね」

希「……ま、そうやね」

果南「だったらいけるね!カイオーガ!もう一発だ!」

希「っち…!デオキシス!」


再び内部で力が爆ぜ、水球の震動は地上へと水を撒き散らす。
その水を浴びつつ地上、真姫は果南の示した希への対応策に小さく唸る。

真姫「なるほどね…」


その解答は至ってシンプル、それでいて理に適っている。
希の力と戦う上での問題点は二つ、“不可視であること”、“全方位から攻撃可能であること”。

その一つ目への答えは水中。
水中であれば、力の軌道は水泡を伴って可視化する。

そして二つ目への答え、それも水中!
巨大な球状のプールの中、果南は魚のように自在に泳いでみせる。360°、縦横無尽の回避が可能となる。

故に、当たらず!


希「このっ、ヒラヒラと…」

果南「遅いっ!」

希(やっぱこの子、考える前に動くタイプ…テレパスで心を読んでもイマイチ効果ないわ…!)


ごくごく単純な対応策…と言っても、こんな手段を成せるのは果南だけ。
ゲンシカイオーガを擁し、当人も水棲生物とばかり泳ぎに長けているからこその、あまりにも大規模な奇策。

花陽「すごい、泳ぎ回って全部避けてる…」

凛「あの子、人間だよね?ポケモンじゃなくて?」

真姫「凛ってナチュラルに失礼よね…人間に決まってるわよ」


ゲンシカイオーガが作る水流に乗って、果南はただ泳ぐよりも遥かな加速を得て水中を踊る。
リピート再生で刻まれ続けるビートに足先はヒレのように、強く水を叩いて螺旋を描き、蹴る!!


果南「だあああっ!!!」

希「っ、この…!」


花陽「け、蹴ったよぉ!?泳いで近付いて…」

真姫「……人間よ、多分だけど…」

凛「語尾が弱いにゃ」


希は念力をバリアのように張り、辛うじてそれを受けている。
しかし表情には強い苛立ちが浮かんでいて、それはいつもの穏やかな希らしくもない異相。
水を被れど洗脳は解けず色濃く、だったら蹴って正気に戻す!

そんな愚直、良くも悪くもまっすぐなのが松浦果南という少女。

最接近、デオキシスの触手が鞭のように果南を襲う。
だが素早く、カイオーガが生む水流にサポートを受けて範囲外へ。

ポケモンには及ばずとも、その挙動は人域を遥かに凌駕している。
水の申し子、そんな表現こそが似つかわしい。

掌を差し伸べ、クイクイと上へ。
今度は果南が希を煽る番だ。


果南「さ、そろそろ本気で来なよ。私もそうするから。長期戦って嫌いなんだ」

希「……どチートが…!知らんよ、どうなっても!」

チート、いわゆる反則。
希が口にしたその言葉は、あながち単なるボヤキと言うわけでもない。


果南(楽しい?カイオーガ。いつもなかなか全力は出させてあげられてないもんね)

『ギュラルルル…』


希のようなテレパスではないが、果南とカイオーガの間には強い絆がある。口に出さずとも思いは通じる。
海に愛されて育った果南と、海の覇者であるカイオーガと、その相性はすこぶる良好。

全力を出させてあげられていない。
果南がそう言うのは、四天王として日々繰り返す公式戦での話だ。
カイオーガがその本領を発揮すれば、公式戦のフィールド全域をすぐさま水で満たすことは容易い。

だが、逆に狭すぎる。

水積の範囲を指定できるカイオーガだが、公式戦で少しでも力加減を間違えれば相手のトレーナーまでを水で飲み込んでしまう。

それはトレーナーへの攻撃と見做され、その場で即座に反則負け。
つまり、極度に加減しなければならない。窮屈な思いをさせてしまっている。
カイオーガというポケモンにとって公式戦の場は、金魚鉢にクジラを飼っているような物なのだ。

ポケモン博士、真姫はそれを理解している。
地上から見上げつつ、初めて目にするカイオーガの全力に感嘆の息を漏らしている。


真姫「強い、本当に。あとは…果南が本気を出すだけね」


その言葉が聞こえたわけではないが、タイミングを同じくして果南は腰のボールへと手を伸ばしている。
両手の五指を鷲のように拡げ、器用に掴んだのは…残る五つのボール全て!

水中へとボールを浮かべ、手を水平に薙いで一息に開閉スイッチを叩いている。


果南「さ、出ておいで!みんな!」

松浦果南の真骨頂、それは水中戦にある。

ポケモントレーナーは一匹扱えて半人前、二匹扱えて一人前。
同時に三匹へと正確な指示を下せる人間は稀で、サーカス団員ばりの技量と言えるだろう。

だが果南は水中戦に限り…同時に六匹全てを扱える!


果南「水の中って落ち着くから。ニョロボン、カメックス、オーダイル、ラグラージ、ダイケンキ。そしてゲンシカイオーガ…これが私の全力だよ」

希「……ギャラドスがおらんみたいやけど」

果南「ああ、それはちょっとね。けど代役のカメックスだって、強さは全然劣らないよ」

希「ああもう…!面倒やなぁ!!」


水中での六匹使役、その特技は同じ四天王の希も知らない。
地元ウチウラの海でダイビングをしている時に培った技術であり、陸に上がれば披露する機会はない。
知っているのは家族を除けば千歌と曜ぐらいのもの。
相手を水中へと引きずり込み、六匹で一息に叩き潰す。それこそが松浦果南、真の戦術。
つまるところカイオーガ同様、果南の本領はバーリトゥード、野試合でこそ発揮される!

居並ぶ高レベルのみずポケモンたち、その威容を目に…希の目には鬼気。


希「もういい、ぶっ潰すわ…力尽くで。メガフーディン!!デオキシス!!」

希はここまで、ほぼメガフーディンの力しか使役していない。
それは自身の周囲を覆った水をデオキシスのサイキックで押しのけて空間を形成しているからであり、同時に周囲の水を分解して酸素を生んでいるため。

二つの細かな工程をデオキシスに任せている以上、戦闘はメガフーディンでの様子見に終始していた。


希「けど、もうええわ」

果南(……空間を作るのをやめた)


圧されていた水がザバリと下り、飲まれた希の長髪は水中にゆらりと揺蕩っている。

当然、これで希の呼吸は絶たれた。
直前に肺へ、取り込めるだけ大量に酸素を取り込んでいる。
自身のサイキックで強引に肺を拡張していて、一般の人間よりは長く息は保つだろう。だが…


希(三分。それ以上は長引かせたくない)

果南(覚悟を決めた目だ。あの目をした人間は強い。洗脳にやられててもね)

希(デオキシス統合体、今のウチなら完全に使いこなせる。六匹相手?ハッ、ちょうどいいハンデや…!)


瞬渦、二人が伸ばした手が水を切って泡沫。
果南はハンドサイン、希はテレパス。それぞれがポケモンたちへと指示を下している。
結集するエネルギー、二人を包み込んだ水球は徐々に熱を孕み…

お互いが技を解き放つ!!

指示は同着。しかしデオキシスはその圧倒的速度を以って、果南の六体に先行している。

つい今し方までノーマルフォルムだったのがほんの一秒足らず、姿をスピードフォルムへと変貌させている。

水中というディスアドバンテージを物ともしない始動速度、のたうつ触腕は螺旋を描き、瞬時に収束させるエネルギー。
そして技の準備を終えると同時、デオキシスの姿は即時にアタックフォルムへの変化を完了させている!


果南(速いっ…!)


統合体、その4フォルムの切り替えはダメージこそ共有するが、まるで別個のポケモンへの変貌に近い。
単独個体であればそれなりの時間を要するフォルムチェンジを、戦闘情報のフィードバックを得たことで瞬時に成す、その強力さはミカボシ山で既に見せている。

ただ、その力を完全に引き出すのは並のトレーナーには不可能だ。
トレーナー側の処理速度が追いつかず、思考から言語化という工程を経ての指示に従えば必然要する数秒間。その速度はフルスペックには程遠い。

だが、自身もエスパーである希はその例外だ。
脳回路、シナプスを巡る思考とデオキシスの精神をサイキックで直結。
思考、即行動。そのレスポンスは電速に等しく、故にデオキシスは4フォルムを十全に活かしつつ戦える!


真姫「っ、始動が速すぎる!」

花陽「見てて、変身のタイミングが全然わからないよ…」

凛「かよちん!真姫ちゃん!危ないから離れるにゃ!」

三人の中で凛が唯一、ミカボシ山でデオキシス統合体と直接交戦している。
その猛威を身に染みて知っていて、そして今、デオキシス全身にエネルギーを纏わせた状態から解き放とうとしている技を知っている。

それは山で、凛と穂乃果とダイヤの三人を昏倒へと追い込んでみせたエスパーエネルギーの爆発的大解放。


『キュロロロロロロロロ…!!!』

希「“サイコブースト”!!!」

果南(なんか…っ、ヤバいっ!)


デオキシスの手元へとエネルギーが圧縮…炸裂!!拡散!!!

広がる衝撃は瞬間、水風船のように留められた水球を歪に膨れあがらせる。
表面が弾けて膨大な水が溢れ出し、真姫たちが見上げていた場所をナイアガラめいた放水が叩いて地を穿つ。

真姫「……!」

走る慄然、凛に助けられた真姫と花陽。
しかし三人の意識は自分たちの間一髪より、戦いの行方へと向けられている。

辛うじて形状を保った水球、その中はジャグジー風呂のように乱舞する泡に覆われていて視界は不明瞭。

果南が負けてしまえば希が解き放たれる。
それは今の真姫たちにとって死刑宣告にも等しく、ひいては終焉のトリガーに…


花陽「あっ、中が見えてきた…よかった、無事みたいだね!」

真姫「……でも待って。果南の周囲、水が赤くない…?」


果南(っぐう、効いたなぁ…!)


果南、それに六体のポケモンたちはいずれも無事だ。
ゲンシカイオーガの支配圏、水中にいたことが功を奏した。
水のエネルギーを超圧縮して放つ“こんげんのはどう”、それを“サイコブースト”の衝撃に広く合わせることである程度の威力を相殺してみせたのだ。

とは言え後出し。威力の全てを打ち消すことは難しく、余波に多少のダメージを負わされている。
そしてポケモンたちは“多少”で済めど、生身の人間、果南はそれで済むはずもない。

真姫が目敏く気付いた水の赤色、それは滲み出す血液。

果南の体を押し包んだサイコエネルギーの残滓は、その体の全てを痛めつけている。
ダメージは内臓にも及び、ありとあらゆる箇所から流血を。
徐々に赤を濃くしていく水を目に、希は酷笑一つ。


希「トレーナー狙いの方が効率よし。悪の組織がそう考えがちなのも納得やねえ」

果南「……何、勝った気でいるのさ。ようやく面白くなってきたってのに…!」

希「はぁ…これだからバトル脳は嫌なんよ。ま、すぐに何も考えられなくなるんやけど」


内心にほくそ笑む。(これでおしまいや)と。
果南の背後、そこにはメガフーディンが転移を!

希(“テレポート”、そしてまた“テレポート”!波動はカイオーガに止められる。なら、直近で手の届かない場所に飛ばして詰みや!!)


メガフーディンもまた、デオキシスには及ばずとも速い。
全てのポケモンの中でトップクラスの速度が二体、それこそ東條希の脅威!

メガフーディンは果南の背後、浮かせたスプーンの一つが果南の体に迫っている。
その先端が触れてしまえば果南は高空へ。いや、試したことはないがいっそ壁の中に飛ばしてみるのも面白い。
そんな邪智を希は滾らせ、それでいて表情はポーカーフェイス。
これで勝ちだと…果南が振り向く!


果南「後ろっ!」


衝撃に眼底が傷んでいる。片目、瞼の裏から血が流れ出ていて視界は悪い。
それでも果南は察知する。微かな水の流れに、背後に現れたメガフーディンを見ずとも捉えている。


果南(直接殺りに来たってわけか、けどやられてたまるか!)


察知と同時、既にハンドサインを下している。迫るオーダイル、ラグラージ!
鰐の大アゴが開かれて“かみくだく”!
下からはラグラージが急上昇、“たきのぼり”の一撃で敵を狙う!

メガフーディンのスプーンは果南へ届かず!
五本のそれを巧みに使って二匹からの攻撃を受け止めつつも、果南へと攻撃を回す余裕はない。


希(チッ…)

果南(だけじゃない!)


果南の特技、六体同時指示がついにその歯車を回し始めている。
オーダイルとラグラージへの指示から流れるように次、次、次へ。

背中には堅牢な甲羅、そこから伸びる二門の砲身。カメックスの照準はデオキシスへと定められている!

果南(“ハイドロポンプ”!)

『カメェッックス!!!!』


砲撃!!!
対の水圧が渦成し、デオキシスへと猛烈に迫る!
デオキシスはスピード態へと変異、水中を奇怪に横滑って砲撃から逃れている。
そこへ鋭く泳ぎ寄る一匹!
果南と共にウチウラの海を毎日泳ぎ、鍛えられた強靭無比の筋繊維、ニョロボンが拳を大きく引いている!


真姫「あの軌道なら逃さない!当たるわ!」

果南(そのままぶちかませっ!!)

『ニョロッ!!!』


その勢いは昇り竜、水中を螺旋に突き上げたのは“たきのぼり”!!
ニョロボンの拳がデオキシスの胴体へと突き刺さる!

……が、健在!


希(残念、ディフェンスフォルムや。この防御はそうそう崩せんよ!)

果南(ふーん…けど、まだだ!!)


まるで魚雷、水を裂いて迫る鋭刃。
四足獣ダイケンキは左の前脚に収納した貝の刃、アシガタナを抜き放ってデオキシスめがけて切り抜ける。
畳み掛けるように、“シェルブレード”の一斬がデオキシスへと襲いかかる!


『キュルロロロ』

希(っ、続けて受けるのはまずいね。メガフーディン!)

『シュウッ!!』


メガフーディンは水中を再度の転移、スプーンのうち三本をアスタリスクめいて交差させてダイケンキの貝刃を受けている。
一撃離脱、ダイケンキはその場に留まらず泳いでヒットアンドアウェイを。


果南(……)


六体立て続けの攻撃を一波終え、果南は観察と、ほんの少しの思考を泳がせている。

果南(変だな、わざわざメガフーディンを守備に戻らせた)


違和感を覚えている。
鞠莉に、様々な評論家に、ひいてはネットなどでファンからもアキバ地方きっての脳筋プレイヤーと評される果南だが、決して地頭が悪いわけではない。
考えるより先に体が動くタイプというだけで、観察眼や勘の良さはむしろ常人よりよほど優れている。


果南(確かに上手いことスプーンで止められたけど、メガフーディンの防御は固くないよね。なのに、それを盾に使う?)


うーんと首を捻り、手短に考察へと結論づける。


果南(なんとなくだけど…あのデオキシスっての、見た目よりは脆いのかも。うん、多分そんな感じ)


と、それ以上穿っては考えない。長々と考えるのはやはり性に合わないのだ。
ただ、果南の考察は的を射ている。ズバ抜けた高種族値を誇るデオキシス統合体、その唯一の弱点は体力、HPの低さだ。

地上、見上げる真姫もポケモン博士としての知見から、果南の違和感と同様の考察をさらに先へと進めている。


真姫(デオキシス、種としての最大の特徴は状況に応じての細胞組織の自由な組み替え。基本形に加えて攻防速、体の形状自体を即座に大きく変化させる性質はとても珍しく強力…)


しかし希は今、隙を見せてしまった。
果南は気付けているだろうか。大声を上げてもここからは届かない。
果南はイヤホンをしているのだから尚更。真姫は歯噛みしつつ、デオキシスの姿を見る。


真姫(ニョロボンの打撃を受けた部分、少しだけど凹んでた。メガフーディンに庇われた直後にはもう治っていたけれど、“じこさいせい”を使ったのね)

真姫(…ディフェンスフォルム、あの姿は全身を堅固に固めている。すごく硬いわ。
でも、克服しきれていない大きな欠陥がある。細胞組織を自由に組み替えられるのは利点だけれど、その分、細胞の繋がりが地球の生物に比べて脆い)

真姫(“じこさいせい”でそれを補っているからわかりにくいけど、攻略法はある。お願い、気付いて…!)

真姫が思考を巡らせている間も、果南と希の激闘は続いている。

ダメージを負った果南の泳ぎの速度は落ちている。
それを希は鋭敏に察知していて、再び自らの不可視の腕で果南を水中に追い立てる。
それを縦に横に、万全のコンディションからは遠い状態の果南は避け続けている。
最中にポケモンたちは交撃を続けていて、ぶつかり合う力と力!

デオキシスは触腕を束ねてサイコエネルギーを電気へと変換、対のレールを模した腕から果南を狙い、撃ち放つは“でんじほう”!!

応じ、ゲンシカイオーガはそれを体からの放電、“かみなり”で迎え撃つ!
ぶつかり合う電撃、凄絶に相殺!!
生じた水中爆発に、泡が視界を覆い尽くしている!!


希(……見えんし、電撃の余波で念力も伝わりにくい。視界が確保できるまで集中やね)

果南(なんか身体中が痛いな。油断はできないけど、今見えない間は少しだけ休もう。……うーん、デオキシスの攻略法か…)

それぞれカイオーガとデオキシスの力で全員への感電を防いでいるが、電熱に水球は猛烈な加熱を得る。
初めは冷たかったバトルフィールドも、既に熱めの温泉ほどの熱を帯びている。

希が水中に身を浸してから既に二分は経過、希の肺に酸素は残り少ない。
対し、果南もまた失血に視界を揺らがせる。毛穴すべてがズクズクと痛んでいるような錯覚。実態は水を伝導したサイキックの余波に血管が痛んでいる。

実のところ、常人ならとっくに白目を剥いているようなダメージが刻まれている。
“なんか痛い”で済んでいるのは、ひとえに卓越した身体能力が故だろう。


花陽「ううっ、どうなってるんだろ…見えないと気になる…!」

真姫「音は聞こえないし、お互いに様子見だと思うけど…」

凛「あのカイオーガ、どうやって捕まえたのかなぁ…」

花陽「あ、私も気になってたんだ。カイオーガって、一体しか確認されてないポケモンだよね。あの子はホウエン地方のと同じ個体なの?」

真姫「いいえ、別個体よ。果南のあのカイオーガは、少し…じゃないわね。とても特殊な経緯で手に入った個体なの」

休戦は泡が収まるまでのほんの十数秒、真姫が“特殊な経緯”を今は語らない。語る時間がない。
ただ内心には、博士として耳にして驚かされたその話が蘇っている。

カイオーガと果南の出会い、それはGTS(グローバルトレードシステム)だ。

トレーナーとして正式に登録をしている人間なら誰でも利用できる、世界中のトレーナーと直接会うことなくポケモンを交換するシステム。
交換に出すポケモンと欲しいポケモンを登録し、希望があれば交換が成立する、簡単に言えばそんな仕組み。

果南はその手のシステムをそれほど積極的に利用するタイプではないのだが、鞠莉からの勧めで試しに登録してみていた。


「まあ、一回ぐらい試しに使ってみるのもいいよね」


そんなノリで適当に登録を済ませ…

そこで生来の大雑把さを発揮し、パパッと操作を済ませたが故の誤操作。
果南が交換に出したポケモンはニドラン♀、要求ポケモンはカイオーガ!

なんとも迷惑極まりない登録をしたまま、果南はそれに気付くことなく長期間放置していた。
そしてとある日、果南へと届いた知らせ。【交換が成立しました】と。

「そう言えば登録してたっけ」と確認に行ってみれば、そこにいたのはカイオーガ。


果南「……んんん?」


そんな嘘のような経緯で、果南は伝説の海神を手にしたのだ。

真姫(冗談みたいな話だけど…でも、学術的には大きな価値がある)


アローラ地方、ウルトラビーストの一件で明確になった事実。この世界とは別の世界が存在している。
UBたちはウルトラホールという空間の歪みを通り抜けて現れていて、そこを抜けた先にはまるで別の世界が広がっているのだ。

またそれとは別に、純粋な異世界ではなく平行世界も存在している。
国際警察には平行世界からやってきたという人物が所属していて、その話にはある程度の確証も取れている。

そしてGTSの回線は極めて複雑なシステムだ。
その仕組みの全容を把握している人間はごく一握りで、そんな複雑な回線は稀に奇妙な混線を見せることがある。

GTSの回線は混線時、異世界や平行世界と接続されているのではないのかという学説が存在する。

果南が手にしたカイオーガは、その説を強力に裏付けているのだ。

つまり、どこかの世界の物好きか、あるいは操作ミスか。果南のニドラン♀とカイオーガを交換してしまって流れてきた…そんな話。


真姫(だとして、それが果南のところに来たのは…イレギュラーな出会いだけど、やっぱり運命なのかもしれないわね)


大水球の中、泡は見事に晴れきっている。
電撃が混ざりこんでいた不純物を分解したのか、濁りつつあった水はクリアに澄み切っている。


希「さて…そろそろ、お開きの時間やね」

果南「私も、ぼちぼち終わらせたいかな」


身構える。

果南はデオキシス打倒の戦術を固めている。と言っても、誰しも土壇場に頼るのは自分のやり方。
戦術とは名ばかり、結局のところやりたいことを押し通す、それだけだ。

手番?段取り?七面倒臭い!


果南(メガフーディンで庇う?だったらそっちは完全無視。全弾デオキシスに集中させてやる!!)


それは奇しくも最善の解答、デオキシスの防御性に持続力がないことを看破しての怒涛の飽和攻撃。
ミカボシ山での一戦で穂乃果たちが統合体を相手に手間取ったのは、強力な相手の戦力に慎重に戦いすぎたため。
何も考えずに一気呵成に畳み掛ける、自己再生の間は与えない。
それが許されるのは六体を扱える果南だからこそ!


希(メガフーディン!!全力で“サイコキネシス”や!!!)


放たれた“サイコキネシス”が水中に大渦を作り出している。
ポケモンごと果南を巻き込み、剛力で体を捩じ切ってしまおうと!

だが果南もまた指示を下している、ゲンシカイオーガの“こんげんのはどう”は膨大な出力で、大渦を混ぜ返しつつデオキシスへとその矛先を向けている!

希(させんよ!!メガフーディン、もう一発や!!)


衝撃がもう一つ、カイオーガの波動とぶつかり弾ける!!

巻き起こる激烈な対流、水球の中は洗濯機のように掻き回されていて、外からは真球にさえ見えていた水のスフィアは引き伸ばされて楕円、ラグビーボール状に変形している。

そんな中でも果南は水の加護と自らの泳力で、希は極まったサイキック能力で姿勢を保ち、お互いの姿を捉え続けている。


果南(カイオーガ!デオキシスに“れいとうビーム”!)

『ギュラリュルァアアッ!!!!』

希(冷ビ?タイプ不一致、威力に劣る技を…意図はともかく受ける理由はない!回避やデオキシス!)

『キルロルロロ…!!』

果南(今だ!ダイケンキ!)

希(ビームでできた氷の線を、掴んで剣みたいに…っ!?)


大閃斬!!!

ゲンシカイオーガの高い能力から放たれた“れいとうビーム”は水中、強固かつ棘走って鋭利な氷の刃を生み出した。
それは水球を横断するほどに長大な一振りで、それを斬技に長けたダイケンキが掴んで振るえばリーチは最長!痛烈な一撃がデオキシスを襲う!

希(ッッ…!デオキシスはまだ回避や…溜めて、溜めて…!メガフーディンっ、もう一度!)

『シュウウッ!!!』

果南(メガフーディンで受けたな…!受けに利用したスプーンは三本、残りは二本。だったらイケる!ニョロボン!)

『ニョロッ!!!』


一般的な公式戦、陸の戦いでは二戦級との評価を受けがちなニョロボンというポケモン。だがその筋力は、水中でこそ最高のパフォーマンスを発揮する。

ニョロボンはパーティーの中で最古参、果南とはニョロモの頃からずっと一緒に過ごしてきた。
あどけない子供の頃から、四天王に昇りつめるまでをずっと傍らで見守ってきている。
そんな果南が血を流し、血を滾らせ、眼光は爛と死闘の中。
ニョロボンも同様に意志を燃え滾らせている。

そして唯一、ニョロボンへの指示だけはハンドサインを介するまでもない。


果南(思いっきり行けっ!!!)

希(ああもう!手数が足りん…ん、ニョロボンが…ダイケンキを投げた!!?)

果南(狙いはメガフーディン、そのまま突っ込め!ダイケンキ、“メガホーン”だ!!!)

視線に全てを読み取り、全身をしならせての大投擲!!!

ダイケンキはその頭角を突き出し、メガフーディンへと目掛けて大技を繰り出している。

種族値には劣っていても技は有利、場所が水中というアドバンテージ。
受けるメガフーディンはサイキックで勢いを弱めつつも受け切れず、最終防衛線のスプーンは二本!


果南(行けっ!)


激突!!!
スプーンは砕け、ダイケンキが頭部に纏う貝の兜、その角がメガフーディンへと痛烈な一撃を浴びせている。
ハイスピードと高い攻撃性を誇るメガフーディンも、その直接攻撃を浴びれば決して頑丈なポケモンではない。
その身へと妖しげに纏っていたサイコエネルギーが失われ…打倒!!

しかし流石のメガシンカ体、散り際に放った“サイコキネシス”でダイケンキを戦闘不能へと追い込んでいる。

希と果南はそれぞれをボールへと回収しつつ次の指示を!


果南(オーダイル!ラグラージ!全力のやつを叩きつけて!!)

希(デオキシス、全力ぶっぱや!!“サイコキネシス!!)

希がデオキシスを遊ばせていたのは初撃、“サイコブースト”の反動による能力低下の影響。
時間経過を待ち、低下したサイコエネルギーが元に戻るまでを見計らっていたのだ。

単体のデオキシスであれば修復までに長い時間を要していたが、統合体なら一分少しのインターバルで復元可能。その時間が今経った!


希(いける!メガフーディンが倒されたのは予想外、けどデオキシスが戻るまでの時間を稼いでくれたなら十分や!!)


果南はオーダイルとラグラージ、物理型に育ててある二匹を前面に立てて突貫させている。
それはデオキシスの防御殻を破り、存外に柔らかい中身へと痛烈な一打を浴びせてやるための尖兵。

だが希の目算通り、デオキシスは二匹の突撃を苦にしない。
強力極まりない“サイコキネシス”は空間を強烈に歪めて圧縮し、オーダイルとラグラージの二匹を即時に昏倒へと追い込んで下へ!
水球の中から激烈に弾き出してリタイアを確実とする!

だが果南は二匹を案じない。
自分が鍛えたポケモンだ。地上に落ちたとして、この程度で致命傷は負わないと確信している。
故にデオキシスから視線を逸らすことはなく、矢継ぎ早の次手を。


果南(カイオーガ!!全力で突っ込め!!)

希(前に出した!これまで後ろで固定砲台させてたカイオーガを。チャンスやね!!)

果南(ポーカーフェイスが崩れてるよ、チャンスだと思ってる顔だ。けど近付けば近付くほど、こっちの攻撃だって威力は上がる!)

希(引きつけて、引きつけて…最接近でもう一度、“サイコブースト”をお見舞いや!カイオーガさえ始末すれば、あとの二匹はなんとでもなる!)

果南(さっきの大技で来るのはもちろんわかってる!だからカイオーガより先に…カメックス!“ハイドロポンプ”!!)

『カァ……メエックス!!!!』


尾と腕ヒレで大きく水を掻き、高速で接敵していくカイオーガ。
しかし先んじて、その背後からカメックスが強烈な援護砲撃を撃ちかける!

二砲からの水圧が猛烈にデオキシスへと迫り、それを“サイコキネシス”で防げばカイオーガへの“サイコブースト”へと繋げない。
“サイコブースト”で防いでしまえばカイオーガを確実に仕留められるかは定かでない。

戦略家ではなく、あくまで感覚派。
しかし果南の戦闘センスは窮地において、希へと選び難い二択を突き付けている!

どちらを選ぶべきか、希は目を閉じ…


希(そんなの一択や。ウチが防ぐ!!!)

発揮するのは希自身のサイコキネシス!

その威力は既に、人域を完全に逸脱している。
距離が離れていて水圧の抵抗で完全な威力ではないとはいえ、カメックスの放った“ハイドロポンプ”へと横ざまにぶつける超力!


希(ぁぁァアアアアアアアッッ!!!!!)


壁のように正面から受け止めるわけではない、斜めに圧の逃げ道を形成する。
そんな巧みな念動力で、希は“ハイドロポンプ”をデオキシスから逸らすことに成功している!!

だが、そんな無理に希の脳は悲鳴を上げている。
サイコエネルギーの根源、脳の中の回路はオーバーヒートを起こしていて、鼻血が水を紅に滲ませる。
脳の酷使は酸素の消費を想定よりも早めていて、希は呼吸限界へと既に到達している。

だがそれをも忘れ、カイオーガを仕留めるべき好機に狂乱を!希はついに、水中に大声で叫ぶ!!


希「デオキシスッッ!!“サイコブースト”!!!!」


極光、痛烈に拡散するエネルギー波はこれまでで最大規模!!!
ゲンシカイオーガは猛進に、全力の“こんげんのはどう”でそれを迎え撃つ!!!

水球が再び爆ぜ、先ほどの比ではない量の水が地上へと注いでいる。
直下は小規模な洪水の様相を呈していて、ギリギリ安全圏と思える位置まで離れていた真姫たちへとそれなりの量の水が押し寄せている。


真姫「きゃあああっ!!!」

花陽「真姫ちゃんっ!」

凛「っ…!勝負は!?」


三人はそれぞれを庇いつつ、上空へと目を向けている。
ついにカイオーガとデオキシスが完全な衝突をしたのだ。その結果如何では、戦闘の結果が決まりかねない…!

そして真っ先に見上げた凛が、普段の明るさに見合わない絶望的な声を漏らしている。


凛「カイオーガが、負けてる…」


水球の中には仰向けに、打ちのめされたカイオーガが揺蕩っている。
辛うじて意識は残っているのか、水球はまだ保たれている。

だが、それが絶たれるのも時間の問題か。
カイオーガの体に刻まれたサイコブーストのダメージは遠目にも重篤で、威厳に満ちた姿が今は弱々しく…


花陽「そ、んな…」

希(そん、な…!!)


ゴポリ、肺の中に残されていた微かな空気が口から漏れた。
目論見通り、デオキシスでカイオーガを打倒した。

相打ち?否、デオキシスはダメージを負いつつ未だ健在。
だというのに、希の瞳は驚きに見開かれている。

その腹部には…痛撃、拳がめり込んでいる。

そう、拳が。鳩尾に!果南の右拳が深々と叩き込まれている!!


果南(手荒くてごめん)

希(い、つ。一体、いつウチの近くに…!)

果南(カメックスの“ハイドロポンプ”。あの直後、水球の中には強烈な流れが生まれてた)

希(……っ、まさか…!)

果南(その流れに乗って、泳いで一気に近付いたんだ。方向を見失わないよう、ニョロボンに助けてもらいながらね)

一段目、オーダイルとラグラージは囮。
二段目、カイオーガも囮。
同時の三段目、カメックスの砲撃もまた囮で、本命は四段目、果南自身の特攻!


希(気付け、なかった…!)

果南(昔から海で遊んでて、溺れかけたこともないわけじゃない。酸素切れの苦しさはよく知ってるんだ)

希(まさか、ウチの思考力が落ちるのを待って……)

果南(悪いけど。水の中では最強なんだ、私は)


そこでふっと、希の意識が断ち切られる。
果南からの拳だけでも気絶できる威力、プラス酸素切れに、さらに脳負荷。リタイアには十分すぎた。

さらに果南は抜け目なく、希の打倒に困惑するデオキシスにカメックスの砲撃を浴びせている。
カイオーガとの衝突直後、流石の統合体も耐えきることは不可能。

その全身が力を失い、果南は希の体を労わるように抱きかかえ…


果南「うん、私の勝ちだね」


ざぱんと、カイオーガの水球が弾けた。

地上へと溢れ落ちる水流の中を、果南は希を支えながらニョロボンに身を預ける。

ニョロボンは大滝の中、二人を抱えながら巧みに身を滑らせる。
そうして無事に地上へと降り立ち、果南は落とされていたオーダイルとラグラージの無事を確認する。

大ダメージに目を回してはいるが、命に別状はないだろう。
意識はなくても撫でて労いつつ、果南は今の一戦を振り返る。


果南(ゲンシカイオーガでもデオキシス統合体には押し負けた。6対6のフルバトルだったらわからなかったな。真姫たちのおかげだね)


真姫、凛、花陽、三人が四体を撃破していた功績は大きい。
その四体も有象無象ではなく、いずれも曲者揃い。特にクレセリアが残っていれば、戦況に大きな影響を与えただろう。

ただ、果南の手首にはメガリングが輝いている。
それは今回不在だったギャラドスに対応していて、それを含めて考えればやはり、本来の戦力は対等か。

松浦果南、東條希。
両者、四天王の称号は伊達ではない。

真姫「希っ!!」


そこへ駆け寄ってくるのは真姫だ。
元々は凛より足が遅いにも関わらず、息を上げながら一番に全力疾走で駆けつけている。


果南「大丈夫、ちゃんと生きてるよ」

真姫「果南…本当にありがとう。助かったわ。私たちも、希も…」


そう言って頭を下げ、一本のアンプルを取り出す。それは父、ニシキノ博士と共同で開発した薬。
ウツロイドの洗脳による脳へのダメージを解消することのできる代物だ。
果南が来てくれるまでは、これをどうにか注射して希を正気に戻すつもりだったが…今の一戦を見れば、真姫たちだけでは絶対に不可能だっただろう。

薬液を注射器で吸い上げ、手慣れた手つきで希の首筋へと投与。
即効性、希の顔色が和らいだような気もする。

そこでようやく真姫は一息を吐き、見下ろしていた果南、それに花陽と凛もほっとした表情を浮かべている。

果南「ふう…とりあえず、一仕事終えたって感じかな。さて、次に行かなくちゃ」

凛「え、ええ!?ちょっと待つにゃ!」

果南「休んでられないよ、みんなまだまだ戦ってるんだし。大丈夫、鍛えてるから!」

花陽「も、もうボロボロです!死んじゃいます!」

真姫「平気よ、ほっときなさい」

果南「……っ、と、うぐ、っ…あれ?」


首を傾げ、心底から不思議。
そんな表情で、果南はバタリと倒れ伏した。
驚きに声もない凛と花陽へ、真姫はやれやれとばかり肩を竦める。


真姫「どうせすぐ電池切れ…って言おうとしたんだけど。気絶してないのが不思議な怪我だもの」


上空から、オハラフォースの医療ヘリが舞い降りてくる。
これでお役御免、果南は十分に責務を果たしてみせた。

だが戦火は未だ勢いを増し続けている。
その中で最も派手に戟をぶつけ合っているのは市内東部、絶氷の舞台。
敵はチャンピオン絢瀬絵里。対するは黒澤ダイヤ、小原鞠莉、そして率いるオハラフォース。

果南にとっての盟友たちが、氷点下にプライドの咆哮を響かせる。




鞠莉「ねえダイヤ、GOODなニュースがあるの!」


耳元の無線機を介して連絡を受けていた鞠莉が、くるりと振り向いて満面の笑み。
その表情を目にしただけで、ダイヤは鞠莉の言わんとしていることを察している。

表情豊かながらに飄々、フランクなスマイルの奥に本音を潜ませ。
そんな鞠莉が仮面を外し、童女のように無邪気な笑顔を浮かべたならば、その意味するところは聞くまでもなし。
ダイヤもまた頬を綻ばせて声を返す。


ダイヤ「勝ったのですね、果南さんが!」

鞠莉「That's right!さっすが果南!四天王を抑えてくれたなら勝ちの目も出てくるわね!」

ダイヤ「となれば、わたくしたちもこの一戦、必勝を期さなくてはいけません」

鞠莉「オフコース!」


ダイヤへと快活に応えた鞠莉の頭上で、オハラフォースのヘリへと攻撃が着弾。爆ぜる氷、機体がブ厚く覆われる!

絵里のパルシェンが放つ“つららばり”、その連射速度は極めて埒外。
頭部の突起から氷柱を飛ばし、それは特性“スキルリンク”により五発セットでの誘導弾。
尖った先端で着弾点を穿ち、その箇所に内部から大凍結を引き起こすのだ。

ただ、それだけならまだ普通。
種族内で優秀な個体と、それで留まる話。

しかし絵里のパルシェンは、次弾装填へのインターバルが極めて短い。
一発一発の弾径を小さく調整すれば、一斉に射出される氷柱は多連装ロケット砲めいて十五発!

絶氷の鏃は新たな一機のヘリへと飛び来たり、テールローターと装甲を容赦なく食い破る。
瞬間、機体の全体が氷へと覆われて操縦も脱出も不可。機内に兵士たちを残したまま、ヘリは落下して地面へと叩きつけられる!

一応、氷の堅固さ故に機体は保護されている。
衝撃に怪我は免れずとも、絵里は兵士を殺めてはいない。
それは残された正気の欠片?
そうではない。傭兵如き、殺めるまでもないという力の顕示。

Braviary、ウォーグルの名を冠する戦闘ヘリは歴史の長い機体だが、未だ戦場の最前線に用いられる現役機。その価格は一機につき、円にして五十億を下らない。
それを絵里はたった数分で二機おしゃかにし、損害額は既に百億を計上!


鞠莉「Oops…」

ダイヤ「だ、大丈夫ですの?他の場所でもヘリを落とされていますし、いくら小原家の資産でも…」

鞠莉「負けたら破産ね。だけど損して得取れ、勝てば宣伝でたっぷりとお釣りが返ってくる!」


そんな会話にも戦いは止まっていない。
依然、戦火は降り注ぐ。

絢瀬絵里は動じない。
焦熱に照らされ、大量の銃口を突きつけられ、その渦中に冷然と鉄面皮。
パルシェンで撃ち下し、凍らせ、殺到する攻撃はフリーザーの大氷壁に遮断する!

鞠莉とダイヤは少し後方へと下がり、まずは様子見。
戦況は今のところ、オハラフォースと絵里の交戦に終始している。

オハラフォースの兵士たち、その一人一人の技量は極めて高い。軍人としても、トレーナーとしてもだ。
その大勢がほのおタイプのポケモンを連れている。歩く火炎放射器として軍用に広く用いられているブーバーンを始め、バクーダにブースター、カエンジシやヒヒダルマ、バクガメスなどetc.

戟を交わしつつ見回し、「壮観ね」と絵里は静かに呟いている。

こおりタイプのエキスパート、絵里に対するアンチ的な陣容を即座に整えられたのは、オハラフォースが各主要タイプに特化した兵士の頭数をまとめて確保しているため。
とりわけ攻撃性に長けたほのおタイプは軍事的な利用価値が高く、所属している中にも炎専任のエキスパートトレーナーは多い。


鞠莉「私たちがチャンプを抑えることで多くの人が救われる。オハラにとっての宣伝にもなる。誰も損しないグゥレイト!なプランでしょう?」


そう嘯いてみせる鞠莉の目は情熱の戦気と冷静な打算を併せ持つ。
まさしく勝負師、マフィア家系の商売人。その血統は伊達でない。

そんな親友の横顔に、ダイヤは呆れたようにため息一つ。


ダイヤ「相変わらずビジネスライクな思考をしますのね、鞠莉さんは」

鞠莉「ふふぅん、どうせ戦るなら利益を出せた方がベターだもの。狙うはジャイアントキリング!」

ダイヤ「まあ、貴女のそういうところが好ましいのですけれど」

鞠莉「無茶できるのはダイヤが一緒にいてくれるから。一緒に勝とう、ダイヤ!」

ダイヤ「もちろんですわ!」

戦況を見極めた鞠莉は早々に絵里へと狙いを定め、各部隊から炎使いを選りすぐって集めている。
パチンと指を打ち鳴らす鞠莉。応じ、その炎ポケモンたちが一斉に全面へと展開。


鞠莉「Ready…」


小競り合いはここまで。続けて牽制を?
否、鞠莉の二手目は最大火力。可能ならばここで決める!


絵里「キュウコン、出てきなさい」


攻勢の気配を見て取り、絵里は展開していたパルシェンをボールへと収めている。
交代に出したのは蒼白、アローラ産キュウコン。
どのポケモンにも惜しみない愛情を注いでいる絵里だが、お気に入りを一匹挙げろと言われればこのキュウコンを挙げるだろう。


ダイヤ(美しいですわぁ…)


敵対の最中だが、好きなものは好き。
ダイヤはほうと息を吐き、絵里とキュウコンの姿へと見惚れている。

九尾を広げ、その先端に灯るは光の蕩揺。
青炎のようにも見えるそれは、キュウコンの幽玄な力に生み出される凍気。

こおり・フェアリー。
特殊なタイプを有するキュウコンの力は、他の氷ポケモンたちとは少々趣を異にしている。
月並みながら、まさに芸術的と評するべき美しさ。
ダイヤはもう一度、しみじみと溜息を。

そんなダイヤとは対照的、隣に立つ鞠莉の目にはキュウコンの姿はただ敵と映る。
極めてリアリスト、物事を即物的に見極めることができるのが小原鞠莉。
プライベートではロマンチストな部分もあるのだが、あくまで今はビジネスモード。
鞠莉の口から漏れるのは感嘆でなく、シンプルな指令をただ一つ。

絵里とキュウコンの姿をはっきりと目視し…ニヤリ。
怪笑、手を水平に差し伸べる!


鞠莉「Fire!!!」

絵里「…!」


下される指示、言葉通りに放たれる一斉の“かえんほうしゃ”。
米軍仕込み、一糸乱れぬ統制射撃!

戦術はそれだけに留まらず。
“ほのおのうず”で脱出を阻み、“はじけるほのお”をショットガンよろしく浴びせかけ、“ねっぷう”の風でさらに火勢を煽りつつ、そこに撃ち込むのはバクーダの“ふんか”!!


鞠莉「炎をチャンプめがけてshoot!超・エキサイティン!!」

ダイヤ(っ、なんという熱量…!)


十重二十重と重ねられた炎が炎を呼び、その爆轟は数キロ半径に余波を広げている!

長い黒髪は熱波に靡き、燻る火の粉が鼻先を焦がす。
それでもダイヤは顔を覆わず、戦況を正視し続けている。この戦いに隙を見せていい瞬間など、一瞬たりと存在しない。

もちろんその攻勢はポケモンの技だけではない。
上から被せるように大量の銃弾も放たれていて、炎禍の只中はまさに滅殺空間。

過剰なまでに積算された火力は競技バトルの域を遥かに超えている。
爆発の中心温度は数千度に達していて、圧倒的な熱量に上昇気流が発生、小規模ではあるがキノコ雲までを生じさせている。
それはもはやミニサイズの燃料気化爆弾。堅牢な要塞をも熱壊させるだろう炎幕を生身のチャンピオンへと浴びせ、果たして絵里は生きているのだろうか?

無言の中、炎煙は未だ黒渦を巻き…
鞠莉はダイヤへと顔を向ける。


鞠莉「ダイヤ、慌てないの?大好きなチャンプが死んじゃったかもしれないのよ?」

ダイヤ「ふふ、鞠莉さんこそ。無線機を握る指先が真っ白。力を込めすぎですわ」

鞠莉「やったか?…って、そう言いたくなる場面だもの。だけど…」

ダイヤ「ええ、貴女も、兵士の皆さんも、誰一人として“やった”とは思っていない。何故なら相手は…チャンピオンですもの」


絵里「そう。この程度で私は倒せない」

ダイヤ「……やはり」

鞠莉「甘くないわね…!」


鞠莉は特殊なスコープを目に当て、未だとぐろを巻いている爆熱の中を確認する。
そこに生命反応はない。焼き焦がされた絵里の遺体があるわけでもない。
何もないのだ。早々に“ほのおのうず”に巻かれたにも関わらず、絵里はあの爆熱の中を脱出してみせている。

社会には様々なエンターテイメントがある。
興行に限ってみても、劇や映画などの芸能、球技や格闘技などのスポーツにその他様々、数え上げればキリがない。
だがそんな多種多様な娯楽の中で、ポケモンバトルというものは常に社会の中核にあり続けている。

ポケモントレーナーという存在が今日ほどに社会な地位を得るようになったのは、リーグ運営が各地方の四天王やジムリーダーたちに治安維持の役割を担わせたことが大きい。

ジムバッジの収集、リーグへの挑戦。
トレーナーとしての高みを目指すこと即ち、身を呈して人々を守り、自らを危険に晒す覚悟を示すということ。
そんな高潔な志を持つトレーナーたちの頂点、それこそがリーグチャンピオン。

もちろん、絵里に限った話ではない。
ある者は単身悪の本拠へと踏み込み、ある者は悪を追って戻れる保証のない異空間へと足を踏み入れる。
他の面々も然り、豪胆と高潔を持ち合わせてこその王者。

…いつの間にか、雪が降り始めている。
爆熱の気流を利用し、絵里は上空へと急速に雪雲を生み出したのだ。

女王の声は雪中に茫洋と響き、その出所を掴ませない。

降る雪は炎熱にほどけ、蒸気の白煙は炎光を乱反射させる。
プリズムめいて極光、全ての輪郭はかすみ、その様はさながら幻想、炎雪のハレーション。

兵士たちの誰もが目を皿にして絵里を探している。
もちろん鞠莉とダイヤも同様に。
ダイヤの傍らにはすぐに戦いへと対応できるよう、ディアンシーが身を輝かせていて…
その小さな手が、一点を指差す!


『ディアッ!』

ダイヤ「ディアンシー、見つけたのですか!?」

鞠莉「どこに……って!」

絵里「キュウコン、“ふぶき”」


突如として湧き上がる絶氷の風、その出所は隊列を組んだオハラフォースの部隊の中心部。
絵里はそこに、キュウコンと共に凛と佇んでいる。

冷気は麗しくも夙く、兵士たちの体へとヴェールのようにまとわりつく。

(逃れなくては)

彼らがそう思い至るよりも数タイミング早く、強固な氷の戒めは既に完成されている。そして膨れ上がる氷晶!
絵里だけを台風の目のように巻き込まず、周囲の兵士とポケモンたちを瞬時に氷漬けにしてみせる恐るべき凍結力!!

包囲の一角、二十人近い兵士が氷の中に飲まれている。
その氷はあまりにも強固で、同様に飲まれたポケモンたちに炎技を使って脱出しようという思考力を残さずに昏倒させている。

瞬時にして精鋭部隊の一部を切り崩されて、鞠莉は歯噛みを一秒。
しかし切り替え、すぐさま攻撃をけしかける!


鞠莉「休む間を与えては駄目!一斉に攻撃よ!」

絵里「多勢に無勢。軍隊と正面からやり合うのは流石に避けたいわね」

ダイヤ「…!氷で、羽衣を…?」


『ケン』とキュウコンが短く鳴くと、煌めく霧氷が宙に現れる。
綾を成すその氷はすぐさま織られ、丈の長いローブのような衣服を創り出している。
風にそよぐ質感は軽やかな羽衣、スマートな印象の秋服に身を包んでいた絵里はその布へと袖を通す。

ただそれだけで溢れ出す女王の気品。そして当然ながら、それは単なるファッションではない。
降る雪は勢いを増して、戦場は風雪に白霞。
その中に、絵里とキュウコンは姿を眩ましている。

鞠莉「消えた!!」

ダイヤ「鞠莉さん、気を付けて!あの羽衣でキュウコンの特性と同じ“ゆきがくれ”をトレーナーに付与したのです!」

鞠莉「ホワァッツ!?そんなことができるの!?」

ダイヤ「事実消えましたわ!あのキュウコンは力押しを主戦術とする彼女の手持ちで一番の技巧派、何をしてくるかはわかりません。固まっていては総崩しに!」

鞠莉「Damnit…!総員散開!」


一人、一人、また一人。「ぎゃっ」「ぐわっ」と悲鳴が上がる。
密度の高い弾幕を浴びせるため、ある程度固まって布陣していた兵士たちの中を絵里とキュウコンは身を屈め、肉食獣めいたスピードとしなやかさで駆けている。

雪に消えては現れ、消えては現れ、絵里は卓越したシステマで兵士たちの関節を瞬時に折り壊して行動不能へと追い込んでいく。

反撃に拳や蹴りを浴びせられ、銃口が絵里を狙う。
だが絵里はナチュラルな脱力に身を逸らし、流体に打撃を受け流し、射線を先んじて躱し、真正面からかち合う前にまた雪の中へと身を隠す。

いかなシステマの達人でもあくまで上背165センチに満たない少女、まともに軍人と殴り合えば勝ち目はないと熟知している。
落ち着くこと、力まないこと。それがシステマという技術の基礎の基礎。
絵里は無理をしない。故にオハラフォースは彼女を捉えらずにいる!

さらにキュウコンはその九尾から凍てつく炎をポケモンたちへと浴びせかけ、またはフェアリータイプの“ムーンフォース”でポケモンたちを打ち倒していく。
ダイヤが口にしたように、キュウコンは絵里の手持ちで最もテクニカルな技術を有している。
先述の通り、こおり・フェアリータイプ。精密な冷気操作に妖めいた力を併せ、狐らしく人を化かしてみせるのがその身上。

兵士の一人が絵里の姿を捕捉する。
洗練された所作で構えを素早く、殺さないよう気を付けつつも容赦はせず。
動きを止めるべく膝を狙い、アサルトライフルが弾丸を吐き出す!

その弾は見事に片膝を破壊し…血が出ない。
絵里は呼吸に肩を動かしながらも、撃たれたことに悲鳴すら上げず…

「ぐっは!!」と苦痛の声を漏らしたのは発砲した兵士の方だ。
背後から忍び寄った絵里が、彼の両脚を無慈悲にへし折っている!


鞠莉「ダミーの氷像…っ、最初の爆撃もあれでやり過ごしたのね!」

ダイヤ「あの像、呼吸していますわ!目や手足も動いて、それらしい身動きを…」

鞠莉「そんな、精度が高すぎよ?!」

絵里「それこそ私のキュウコン、一番気に入っている子よ。前に雑誌で語ったことがあるから、ダイヤは知ってくれてるかしら」

ダイヤ「…!?鞠莉さん!危ない!」

鞠莉「えっ…」

鞠莉の背後、絵里が脱力に腕を引いている。
そこに力感が宿れば一撃が放たれ、倒れて呻いている兵士たちと同じように鞠莉の体が破壊されてしまう。
絵里の動作には淀みがない。鞠莉は瞳に、恐怖を宿す間さえなく…

ダイヤが間に割って入る!


ダイヤ「うッッ、ぐう…!!」

鞠莉「ダイヤっ!!?」

ダイヤ「へい、気…ですわ!」

鞠莉「そんな、平気だなんて…!私を庇って!!」


左肩を破壊、左肘を逆曲げに。
右足の甲を踏み壊していて、おまけとばかり右手の親指も190°捻ってある。
瞬時に四肢のほとんどを損壊させ、絵里は冷静に間合いを離している。
常人ならここでリタイアの重傷だ。前のめりによろけ…

しかし生憎、絵里はダイヤのその変化を知っている。


絵里「まだやれるんでしょう?」

ダイヤ「当然ですわ!」

鞠莉「!?」

たたらを踏みつつも、ダイヤは倒れない。
目には闘志を宿したまま、屈しかけた身を踏み止まらせている。
気合いに吠える?いや違う、目指す先はあくまで面前、スーパークールなエリーチカ。

痛みに顔は蒼白ながら、あくまで平静なままに髪をかきあげる。
その右手、捻られた親指は骨肉が蠢き、異様な姿で急速な再生を果たしている。
グロテスクささえ感じさせる光景、それがデオキシス細胞の影響だと絵里は知っている。


絵里(やっぱり、それくらいはすぐに再生できるのね)


ただ一人、鞠莉はダイヤの身に起きた変化の経緯を知らない。
再生の際にオレンジと青に染まる肉と皮膚、再生が済めば肌色に戻るとはいえ、年頃の少女なら生理的嫌悪感を抱きかねない光景だ。
そんなショッキングな姿に、ダイヤへと目を向け…
もちろん、そんな些事を気にしない胆力こそ鞠莉!


鞠莉「グッジョブ!あとそれ面白いわね、ダイヤ!」

ダイヤ「人の身に降りかかった不幸を面白いで済ませないでください」

鞠莉「ダイヤは堅物だから、そういう面白ポイントがちょっとぐらいある方がキュートかも♪」

ダイヤ「ひっぱたきますわよ!」

絵里「仲が良いのね」

鞠莉「もっちろん、ベストフレンドよ」

ダイヤ(そして…!)

行きつ戻りつのナンセンスな会話、それは絵里の目を自分たちへと引き付けるための囮でもある。
キュウコンの妖力で雪に紛れている絵里だが、これだけひとところに留まれば視界を遮られている兵士たちも居場所を感知できている。

すぐに来る援護をこのまま待つ、賢明だろう。
だがその前に、ダイヤと鞠莉もまずは一矢を報いる!


ダイヤ「プクリン!“だいもんじ”ですわっ!」

『ぷくぅ…リァッッ!!!』


ディアンシーはあくまでエースにして切り札、安易に先行はさせずに待機。
ピンクの体をぷうっと風船のように膨らませ、至近から放つは技マシンで会得させた炎タイプの大技!

対し、雪雲を生むために空を舞っていたフリーザーが降下している。
翼を広げ、絶対零度の凍気でそれを相殺!!


絵里「この距離での“だいもんじ”は悪くない選択ね。だけどタイプ不一致なら、私のフリーザーの防御は揺るがない」

ダイヤ「流石ですわ…けれど!」

鞠莉「今よダグトリオ!“アイアンヘッド”!」

絵里「ダグトリオ!」


鞠莉の指示は“もぐらポケモン”ダグトリオへ。
つまり攻撃は下、死角からの急襲!

『ダァグッ!!!』と勢いよく飛び出したのは三連頭、仲良く並んだダグトリオ。
ただし、従来の姿ではない。三つの頭にはお揃い、鞠莉ともお揃い、艶やかなブロンドヘアー。輝かしい金色の髪の毛が生えている!

「ファッショナブルで素敵ね!」と鞠莉、そんなノリで気に入って育てているポケモンだ。

それは絵里のキュウコンと同じく、アローラ地方のリージョンフォーム。
金髪に見えるそれはヒゲであり、身を守るための硬い質感を誇っている。
毛の硬質さからアローラダグトリオのタイプはじめん・はがね。
その硬い毛に覆われた頭部で、体をいっぱいに伸ばしてフリーザーへと鋼の頭突きを。
はがねタイプもまた、こおりタイプへのメタたりえる。当たれば大きなダメージは確実だ!

だがその攻撃が迫るよりも早く、絵里はダグトリオを打ち払う算段を脳裏に立てている。


絵里(ダグトリオの方が速い、完全な回避は無理ね。“ぜったいれいど”も始動が間に合わない。なら正面から…)

絵里「フリーザー!“ぼうふう”よ!!」

『フィィイッ!!!!』

タイプ相性は不良、苦肉の策ではある。
氷の力を練り上げるのが間に合わない距離での急襲、シンプルに強く羽ばたけばいい“ぼうふう”の出が最も早いための選択だ。

ただ、絵里は確信している。
ダグトリオ相手、フリーザーなら不一致だろうと押し切れると。

そして羽撃き!
渦巻く風壁がダグトリオを叩き、その猛進を圧していく。
紙一重の距離ではあった。フリーザーの翼がダグトリオの頭を掠めていた。
だがダグトリオの突進の勢いは風に殺され…圧倒!!!


『だぐうっ!!?』

鞠莉「Oh…っ!ごめんね、ダグトリオ!」

ダイヤ「っ、なんて風圧ですの…!」

『ディアァッ…』


そばにいる鞠莉とダイヤ、二人ももちろん暴風の圏内にいる。
控えさせていたディアンシーが微細なダイヤの粒子とフェアリータイプの魔力を混合させた防壁を形成し、風の乱流を辛うじてやり過ごしている。
絵里のキュウコンはまだ未行動、ダイヤたちへと追撃を放てる位置取り。だが無理はしない。
オハラ兵たちが絵里たちへと狙いを定めているのをしっかりと横目に視認していて、キュウコン、フリーザーと共に風雪の中へと再び姿を眩ます…否!


絵里(フリーザーの動きが遅い…!?)

鞠莉「今よ!Fireッッ!!!」

一歩遅れたフリーザーをめがけて一挙、放たれる火弾!!
着弾、着弾、着弾、着弾着弾着弾着弾着弾!!!!!!

虚を突かれ、絵里は思わず息を飲んでいる。


絵里「………!!」


フリーザーは十八番、“ぜったいれいど”の凍気で大防壁を形成、殺到した火炎への防御を試みている。
その勢いは凄まじく、周囲の空間が完全なる白へと染め上げられている。
効果範囲、凍らせられる万象を無差別に凍てつかせているのだ。

それは降り注ぐ炎さえを凍てつかせて消してみせ…
しかし、物事には限界がある。
凍結が緩み、空間が熱せられ、やがてフリーザーへと一発の炎が至る。そこからは怒涛!!

伝説の氷鳥も数には勝てず、壮麗な嘶きにフリーザーは倒れる。
絢瀬絵里を象徴するポケモンの一体が、六体で最初の脱落者となる!

絵里(……髪。あの時、触れていたのね)


絵里は倒れてしまったフリーザーを目に、その原因を見て取っている。
フリーザーの翼の先に、細かな金毛が絡みついている。
それはしなやかでいて強靭、見間違えるはずもない。鞠莉のダグトリオの鋼毛だ。

“カーリーヘアー”。
接触攻撃を受けた時、相手の体へと髪が絡まり動きを阻害するというダグトリオの特性。
フリーザーが放った“ぼうふう”は本来接触する技ではないが、ギリギリの距離だったために翼の先端が掠めていた。
それに動きを阻害され、フリーザーは大火力を浴びてしまったのだ。


鞠莉「Yes!!!」

ダイヤ「これで機動力を削げる。鞠莉さん、ほんの少しは勝ち目が見えてきたでしょうか」

鞠莉「幸先はグッド。このまま押せ押せGOGO!で行きたいわね!」


絵里「小原家とジムリーダー…侮れない」


自らを戒めるように小さく呟き、絵里はキュウコンの隣へと次のポケモンを繰り出す。

タイプはいわ・こおり、通称“ツンドラポケモン”。
ヒレの化石から再生された太古の生物アマルルガが、新たな寒気を戦場へと呼んでいる。

ヴェールめいたヒレは美しく、目を奪われる容姿なから…
ダイヤは瞳を尖らせ、戦線に激化の風を感じ取っている。


ダイヤ「鞠莉さん、あのアマルルガ…警戒が必要ですわよ」

こおりタイプが扱える技で、伝説のポケモンが使用するような得意な技を除外した中で最も威力が高いとされるのは“ふぶき”だ。
威力を数値換算すれば110。“だいもんじ”などと同等な威力を持つ技だとされている。

また命中率などを併せて考えた時、最も汎用的に使用されるのは“れいとうビーム”。こちらの威力は90。
その“れいとうビーム”で絵里のポケモンたちは大都市を広く凍結に包み込んでいて、海面を凍らせるほどの十分すぎる出力を見せている。

絵里の傍らに現れたアマルルガ。
その姿に警句を発したダイヤへ、鞠莉は首を傾げて尋ねかける。


鞠莉「アマルルガ…珍しいポケモンよね、化石だったかしら。それで、どう気を付けるべきなの?」

ダイヤ「特性が特殊なのです」


ダイヤは鞠莉へと手短に説明を。
特性“フリーズスキン”。
それは本来ノーマルに分類される技を自身のこおりエネルギーへと変換することができるという性質。だとすれば。

アマルルガのヒレが周囲からエネルギーを取り込み、強大な出力光が口元へと集結していく。
その様子に、鞠莉は気色を失っている!


鞠莉「総員、防御体制っ!!」

ダイヤ「来ますわ!」

絵里「アマルルガ…“はかいこうせん”」


即時、放たれる絶壊の白光!!!!

“れいとうビーム”の90に対し、“はかいこうせん”の威力は150。
アマルルガはそれをこおりタイプの技として放つことができる。

レーザーめいて吐き出された氷線が疾り、アマルルガが首を右から左へと回すのに従い光が全てを薙ぎ払う。
オハラフォースを、ロクノシティの都市を光が撫でていく。

比べるべきは同じ光線技、“れいとうビーム”の方だろう。
威力だけを見れば純粋な上位互換、絵里が育てたポケモンがそれを一切の遠慮なく放てば…

鞠莉「ッ…クレイジーね…」

ダイヤ「見渡す限り…全てが凍って…!!」


ディアンシーが辛うじて、光線から二人の身を守っている。

オハラフォースは今回の作戦中、便宜的に、ロクノシティをA~Tの全20エリアに区切っている。
アマルルガの“はかいこうせん”はそのうちG、Cと二つのエリアをほぼ完全に凍結へと包み込んでいて、ゲーム的な言い方をするならばまさにMAP兵器。
かつてプラズマ団によって一つの都市の全域を氷に覆ってみせたキュレムには及ばないまでも、個人が所有できる戦闘力の限界を超えている!

凍結に機能停止、静まり返った街。
只中、産業ビルに据え付けられた巨大なビジョンは商品のコマーシャルを自動的に流し続けている。
氷に覆われたスピーカーは音を奇妙にくぐもらせながら反響。
ドラマの番宣、シルフの新製品、家電の広告、アイドルや芸人、女優の姿と声が入れ替わりに流れている。
その一連の流れには、絵里の姿も含まれている。

絵里《芳醇なカカオの香りが、あなたを幸せへと…》


冬季に向けた新商品、チョコレートのCMだ。
リーグチャンピオンとしての抜群の知名度、さらに端麗な容姿。
男女問わず高い人気を誇る絵里は、半ばタレントのような扱いを受けている。
競技普及のため、需要があれば答えるのもチャンピオンの責務。
多忙のため稀にではあるが、こうして一般企業のCMなどでも姿を見かけることがある。
とりわけ大好物のチョコレートのCMとあって、ビジョンの絵里は上品で暖かな笑顔を浮かべている。

反して…
ダイヤと鞠莉の前、立ちはだかる絵里の瞳は冷酷。
普段は澄んだ印象を与えるアイスブルーも、こうして敵対してしまえば相手を骨身から震え上がらせる絶対零度の色合いだ。


絵里「今のを防ぐなんて…流石はディアンシー、伝説のポケモン」

ダイヤ「……来ますわ」

絵里「看過できないわね」


絵里はキュウコンをボールへと収め、入れ替えにフリージオを場に出している。
キュウコンの妖力が消えたことで絵里が纏っていた薄雪のドレスは失せていて、それはつまり隠れずに即座に潰すという意思表示。

ダイヤと鞠莉は息を呑み、手短に声を交わし合う。


ダイヤ「鞠莉さん、正念場ですわよ」

鞠莉「兵士たちはプロフェッショナル、まだ全滅はしてないはず。立て直すまでは私たちが戦うしかない」

ダイヤ「黒澤ダイヤ…参ります!」


ダイヤが前へ、鞠莉は後衛の陣形を自然に取っている。
絵里の体術に注意を払わなくてはならない以上、自然とこの形が最適となる。

絵里もまたダイヤの治癒力を理解していて、無理に体術を仕掛けようとはせず様子見を。
白兵戦の技量には大きな差があるが、万が一腕でも取られれば隙が生まれる。

そんな情勢、まず口火を切るのは鞠莉!


鞠莉「GO、ペルシアン!」


反動で動けないアマルルガへ、鞠莉のペルシアンが襲いかかる!

豹のような敏捷、鋭い爪牙。
柔軟な体は生半可な攻撃であれば易々と受け流すしなやかさで、並のポケモンが相手であれば苦もなく一蹴してみせる。
令嬢である鞠莉が護衛として連れているポケモンなだけあって極めて高レベル!

ただ、今の相手は絵里。
真正面から向かっていくにはペルシアンも鞠莉も、共に力不足は否めない。
故に割り切る。

鞠莉「メインはダイヤ、私はサポートに徹する。“さいみんじゅつ”よ、ペルシアン」

『ペルシャアッ!』

絵里「フリージオ、氷で遮ってあげて」

『シャラララ…』


ペルシアンはその額、高貴に輝く赤い宝玉から催眠の波長を放つ。
相手の脳の伝達回路を混戦させる怪波、的確に相手を捉えればレベル差があろうと問答無用で眠りへと落とすことができる。

絵里にとってはペルシアンの姿を見た瞬間から、催眠術を使われる可能性は想定の中にある。
慌てることなく形成する氷壁、干渉を物理的に遮っている。

そこへ放つのはダイヤ、再びプクリンの“だいもんじ”!!
大技ながら命中精度は低い。だが、使い所は弁えている。


ダイヤ「この距離なら外しませんわ!」

絵里「フリージオの防御は間に合わないわね…アマルルガ、受けて」


絵里の冷静な指示を受け、反動から復帰したアマルルガはフリージオの前に身を呈する。
着弾、大の字に炸裂する炎。アマルルガの体表を蓮火が駆ける!

だがアマルルガは倒れない。
平然とは行かずとも、身を傾がせることもなく。
その表情は絵里の威厳を鏡写し、氷に岩タイプを併せ持つアマルルガは、火炎を弱点としていないのだ。
そして体の前には鏡面のようなエネルギー膜が形成されている。
“だいもんじ”を受けた体が瞬間きらめき、エネルギー膜が砕けてプクリンへと襲いかかる。
特殊攻撃のエネルギーを倍で返す反射技、“ミラーコート”が炸裂したのだ。

さらにフリージオは凍結でペルシアンを捉え封じていて、絵里に一切の隙なし!

絵里「次」

ダイヤ「っ、瞬時に最適の判断を…!」

鞠莉「Shit、チャンピオンは冷静ね。だけどまだまだ!チラチーノっ!」

ダイヤ「お行きなさい、ラランテス!ボスゴドラ!」


鞠莉のトレーナーとしての腕は悪くないが、令嬢という立場上どうしても場数が少ない。
オハラタワー後は悪との戦いを意識してきたが、オハラフォースの陣容を整えることに奔走していたため自身の鍛錬はそれなり。

場数を踏んだダイヤのように同時に二体を指揮できるスキルは有しておらず、戦いは絵里の二匹に対してダイヤ、鞠莉の三匹という形になる。


鞠莉(私が二匹扱えればもう少しマシだったんだけど…考えても仕方ないっ)

ダイヤ「ラランテス、“はなふぶき”です」

鞠莉「チラチーノ、距離をアウェイ!」

絵里(乱舞する花びら。視界を覆いに来たのね)


ダイヤのラランテスは微細な花弁を乱舞させ、旋風に靡く薄紅が一体を覆い尽くしている。
戦術としては花陽のドレディアが見せた“はなびらのまい”と同型、触れれば草タイプのエネルギーが爆ぜる乱舞弾!

いわタイプを有するアマルルガにとって、くさタイプの攻撃は致命傷になり得る。既に手負いなのだから尚更だ。
その効果半径に巻き込まれないよう、慎重に見極める必要がある。

…だが、絵里の経験は感じ取る。
チャンピオンとして退けてきた無数のトレーナーたちの中には、当然ながら草タイプの使い手も数多く存在していた。
絵里はすぐさまその一撃に違和を嗅ぎ、迷いなく次手を決断している。


ダイヤ(この“はなふぶき”はダミー、攻撃力は皆無。今のうちに攻撃態勢を整えますわ…!)

絵里「これは触れても爆ぜない、ただの花びら。そうよね、ダイヤ?」

ダイヤ「なっ…!?」

踏み込んでいる。ポケモンだけではなく、絵里までが。
その花弁に攻撃能力がないことを見抜き、決断的に前へと出たのだ!

“はなふぶき”は広域全体攻撃、無為に繰り出したのでは仲間を巻き込む。
少しのダメージさえ敗北に直結しかねない格上との戦い、慎重派かつ仲間想いのダイヤが無謀な大技を繰り出すだろうか?

そんな理を越えた勘が冴え、絵里はアマルルガとフリージオを伴って前へ。

生身で技の中へと踏み入れ、読み違えていれば大怪我を負いかねない。
だが絵里は恐れず、花吹雪の中を駆け抜ける。遮断された視界を逆利用している。

そしてダイヤの面前、身を捻って回転、胸元へと目掛けてハイキックを放っている。
「ぐう!?」とダイヤの潰れた息を耳に、無慈悲に追撃のローキックを脚へ!


絵里「胸骨を砕いた。修復するにしても少しの間、声は出せないはずよ」

ダイヤ「………!!!」

絵里「虚を突くのは悪くない。けれど、貴女らしくない戦術では露見するわね」


そして絵里はアマルルガへと目を向ける。
今度は至近、叩き込めば終わり。下す指示は再度の“はかいこうせん”!!

が、鞠莉はまだ動ける!

鞠莉「So don't!チラチーノ!」


首元にふさふさと、白い体毛をスカーフのように蓄えたチラチーノが躍り出ている。
ノーマルタイプ、愛らしい姿ながらに技巧的な戦い方のできるポケモンだ。
その速度はアマルルガに先行していて、しかし絵里はまるで動じない。


絵里「アマルルガより速いわね。けれど、貴女の力では止められないわ」


レベル差と火力不足。
特性までを利用して最大威力で技を放ったとして、そのチラチーノではアマルルガを仕留めきれない。
返しに破壊光線を叩き込む。ダイヤのそばにいるディアンシーでも、この至近からの光線は防げないだろう。

冷徹な算段が絵里の脳内に下され、しかし鞠莉は悪戯に笑む。


鞠莉「私の力?ノンノン、止めるのはダイヤ。“おさきにどうぞ”」

『チラァッ♪』

絵里(補助を…?)

チラチーノのふさふさとした体毛がダイヤのボスゴドラを撫でる。
それは仲間の行動をほんの一時的に早める特殊なエネルギー、ボスゴドラが咆哮を轟かせる!


絵里(フリージオよりも先に…!だとして、ダイヤは今声を出せない。ボスゴドラは動けない…)

ダイヤ「ボスゴドラ!!“ヘビーボンバー”ですわっ!!!」

『ゴラアアアッッッ!!!!』

絵里「…!」


それは相手よりも重ければ重いほど威力を増加させる大強撃、はがねタイプの物理技。
巨大な体を宙へと浮かせ、アマルルガを目掛けてその身を重力へと預ける!!

実際のところ、アマルルガも体重は200キロオーバーとかなり重い。技としてのポテンシャルは発揮しきれていない。
だがそれはダイヤも織り込み済み。だとした問題はなし。

既にアマルルガは手負いで、そしてタイプ相性は四倍威力!!


ダイヤ「叩き潰しなさい!!」

『ぎゅああっ…!!』

絵里「……っ!」

倒れたアマルルガをボールへと収めつつ、絵里はダイヤを再度見る。まだ指示は下せないはず。
その視線に応えるように、ダイヤは内心に思考する。


ダイヤ(始動で胸を蹴りにくることはわかりました。常日頃から貴女の映像を見ている大ファンですので!)

絵里(読まれていた?僅かに身を逸らされていたみたいね。身のこなしが鋭いわけではないけれど…)

鞠莉「これで二体目!Next!」

絵里「その前に…フリージオ」

ダイヤ「なっ、!?」


氷晶の体からは、青みがかった氷の鎖が放たれている。
それはポケモンたちでなくダイヤの手首を捉えていて、すぐさま伸びる冷気の波濤。
フリージオというポケモンはそうやって狩りをする生物だ。
ダイヤの全身を冷気が封じ込めようとしている!


鞠莉「ダイヤ!!」

ダイヤ「……ッッ!!ディアンシー!」

とっさの声に、割って入ったディアンシーがダイヤを害する凍気を防ぎ止める。
しかし腕に絡み付いた氷鎖がリードとして威力を増加させていて、ディアンシーの力でも受けるのが精一杯!
ダイヤはボスゴドラとラランテスを伴い、フリージオの相手に専念せざるを得ない。

絵里はそれを見て、鞠莉へと目を向ける。


絵里「分断、まずは与し易い方から。戦いの鉄則ね」

鞠莉「Oh…ピンチね。カモン、チラチーノ」


絵里はパルシェンを繰り出している。
その戦闘力は先、戦闘ヘリを撃ち落としてみせた光景に明らか。
鞠莉はチラチーノを近くへと呼び寄せて対峙。
そこへ挨拶代わりとばかり…


絵里「“こおりのつぶて”」

鞠莉「What?!」

絵里「そのチラチーノ、ボールに戻してあげた方が良いんじゃないかしら。余計なお世話かもしれないけれど」

鞠莉「チラチーノっ!!」


パルシェンが放った礫弾はチラチーノの体へと食い込み、戦闘不能へと追い込んでいる。
それは文字通り目にも留まらぬ速度、鞠莉は何が起きたのかを感じ取ることさえできなかった。
悲痛な声をあげ、倒れてしまったチラチーノへと目を向ける鞠莉。

その様は絵里にとって隙。パルシェンへと続けざまの指示を!


絵里「もう一度よ、“こおりのつぶて”」

鞠莉「…Shit!カモン、ギャロップ!!」


それはタッチの差、鞠莉は危機を察知して回収よりも新手の繰り出しを優先した。
ボールが弾けて現れた炎馬は鞠莉を背に乗せて素早く逃れ、ギリギリで氷弾の着弾から逃れている!


鞠莉「あ、危なかった…!


らしくない焦燥、危機一髪に冷や汗が滲む。
しかし切り替えを。深呼吸一つ、視線を強めて絵里を見る。

馬上で体制を立て直しつつ、もちろん逃げるわけではない。
蹄鉄が地を叩く音、絵里の周りを一定の距離で旋回。円孤を描きつつ、どう戦うべきかを思考している。


鞠莉(ダメね、私まだ甘えてるわ。果南にもダイヤにも守ってもらえないけれど…まずは一体くらい、どうにか倒してみせる!)


鞠莉にとって乗馬は昔からの趣味だ。
荒々しい振動、人馬一体の呼吸は思考に落ち着きを与えてくれる。
ギャロップの背を撫で、その逞しい背筋に信頼を預ける。
この子が鞠莉の手持ちで一番の高レベル。やってやれないことはないはず!


鞠莉「Take it easy…やるわよ、ギャロップ」

『ブルルッ!』

鞠莉(近付きさえすれば!ただ、問題は…)


一定距離で駆け回る鞠莉。ギャロップの快速に任せてヒットアンドアウェイを試みるつもりだろうか。
そんな鞠莉の姿を一瞥し、絵里は冷ややかにパルシェンへと指示を下す。


絵里「パルシェン、“つららばり”」

鞠莉「問題はあのクレイジーな氷ミサイル!!“こうそくいどう”よ!hurry up!!!」

飛来する氷弾は“スキルリンク”で五発セット、それを絵里のパルシェンは速射で×3。
計十五発の氷柱が鞠莉の頭上から猛然と降り注ぐ。接地、巨大に隆起する氷塊!!


鞠莉「O゛O゛hhhhッ!!!」


それが無尽に繰り返され、飛散する細氷に鞠莉は思わず絶叫している。

その氷柱は威力が高いだけでない。特性由来の強烈な追尾性を有していて、“こうそくいどう”に加速を得たギャロップへと追いすがるようにピッタリと張り付いてくるのだ。
直線で追ってくるのは当然ながら、カーブして走っても付いてくるほどのホーミング力。サーカスめいた曲射軌道で鞠莉たちのすぐ背後に氷山が続々と打ち立てられる!!!


絵里「逃げ回ってくれるなら好都合、いつかはギャロップの体力が尽きるだけ。

鞠莉(こ、怖い!チャンピオンったら怖すぎよ!!)

絵里「パルシェン、そのまま撃ち続けなさい」

鞠莉「ッッッ…!!」

コキュートスめいた零度下、アラスカを思わせる氷気の中を鞠莉は駆け抜ける。
乗馬は強度の全身運動だ。それも全力疾走、鞍が付いているわけではないギャロップの上。
腕に足に、身体中を使って振り落とされないように必死にしがみつく鞠莉だが、疲労は徐々に蓄積されていく。

そして密着に伝わってくるのはギャロップの鼓動。時間ごとに荒さを増していっていて、負担を掛けてしまっているのは明らか。

このままではジリ貧、鞠莉は攻勢の算段を素早く立てていく。


鞠莉(二体を同時指揮、やってみる?マルチタスクは苦手じゃないけど…No、不慣れなことをすれば綻びを招くだけ)

絵里(パルシェンには無闇に撃たせているわけではない。氷塊で追い立て、籠を形成させている。逃げ続けるなら次で詰みよ)

鞠莉「けど、決めた順に出すだけなら私にもできる!Go!アシレーヌ!」

絵里「来るのね…なら迎え撃つまで」

鞠莉「“ムーンフォース”!!」


ギャロップが駆ける走行進路とはずらした位置へ、鞠莉はアシレーヌを投じている。
出現と同時、問答無用で命じたのはフェアリータイプの“ムーンフォース”。
朧と放たれた光を横目に、絵里は相手の手を読み解くべく思考を巡らせる。


絵里(走行ルートとは離れた位置への投擲、私の意識を逆方向へと逸らそうとしている。要は捨て駒、ドライな手も使うのね)

鞠莉(Sorry.アシレーヌ…!今だけは許して!)

絵里(私は並行して、ダイヤを抑えているフリージオにも指示を出している。三方向を見るのは流石に厄介…かといって放置はできない)

鞠莉(処理するかしないか、こちらからチョイスを強制させる!)

絵里「……パルシェン、アシレーヌに“ロックブラスト”」

『パァル!!』

タイプを考慮し、パルシェンが放つのは“つららばり”とは非なる技。
ただし同様、“スキルリンク”の効果で岩弾は五連発でアシレーヌへと向かう!

アシレーヌが岩を速射で浴びせられ、苦悶の声に倒れている。
それを耳に歯噛みしつつ、鞠莉は絵里との距離を詰めている。


鞠莉(ごめん…ごめんね、アシレーヌ。絶対に勝つから!!)


接敵まではもう少し…だがパルシェンは次撃の装填を迅速に終えようとしている!速い!!
絵里は鞠莉へと視線を戻し、その指先をすらりと向ける。

放つのはやはり“つららばり”。炎と氷のタイプ相性はあれ、それを遥かに凌駕するだけのレベル差がある。
鞠莉のギャロップよりも高レベルなオハラ兵のポケモンたちも凍てつかせてみせたのだ、威力は既に保証済み。


鞠莉(あと少し、あと少し…!)


駆ける鞠莉、両端に育ち続ける氷の世界。
その軋みはまるで地獄の慟哭めいて、パルシェンの氷をうければ自分もあの中でコールドスリープ。

しかし既に照準は定められていて、走行ルート正面から十五発が飛来してしまえば避ける術はないだろう。
あとは一か八か、のるか反るか。鞠莉はリスキーな自策に全てを賭ける。


絵里「パルシェン、“つららばり”」

鞠莉「…Go!」


下されてしまった絵里の指示。
しかし同時、カチリ。鞠莉はボールの開閉スイッチを押している。

モンスターボールの内部へと声は届く。
ポケモンが中にいる状態でも、開閉前に声をかけて予め指示を下しておく事は可能だ。

鞠莉は手持ちで最後の一匹へ、先んじて一つの指示を下している。
それはごくシンプル、技の対象の指定だけ。

カチリと開閉スイッチが押され、鞠莉はそれを投じない。
自身の傍らへと出現させることを選択したのだ。

だが絵里から見てそれは悪手。ギャロップに今更一匹が加わっただけで、確定で氷柱を撃ち込めるこの状況は変わらない。ミュウツーでも出せるのならば別だが。

ボールが開かれ、現れたのは…


絵里『……』

絵里「……え、私…?」

『パルルゥ…ッ?』


鞠莉の傍ら、ギャロップに絵里が乗っている。
麗とした威厳はそのままに、パルシェンへとアイスブルーの瞳を向けている。

パルシェンは混乱する。
あれは主人、絵里だ。指示を下した絵里は隣にいるけれど、ギャロップの上にも絵里がいる。
このまま撃てば巻き込んでしまうけれど、撃っていいのだろうか。
そんな思考に動きが硬直し、射出されるはずの氷柱はそのままに留まっている。

絵里の思考もまた、困惑に秒間停止し…


絵里『……めたっ』


電光、走る理解!


絵里「っ、メタモン!?撃ちなさい!!」

鞠莉「遅いっ!!ギャロップ!“Horn Drill”!!!」

絵里「“つのドリル”…っ!!」

一撃必殺技、“つのドリル”は命中率が三割ほどとされている。
ツノへと螺旋回転するエネルギーを纏わせ、全力で猛進して相手へと叩き込むのだ、倒せないはずがない。

ただし、命中に関しては全力での突撃がネックとなる。
なにしろツノを相手に向けた状態での疾駆、視界がまるで確保できないのだ。
そのため避けられやすく、いざという場面では頼りにくい。隙が大きすぎるため、レベル差があれば躱されてしまう。

だが今は、鞠莉がその背に乗っている。
危険を顧みず、正しく人馬一体。騎手としてその方向を指示できる。
横へと逃れようとするパルシェンを目視、ギャロップへと指示を。
トレーナーが付き添うことで隙を埋めている。故に格上にも刃は届く。故に…必中!!!

螺旋がパルシェンを穿っている。
格上にしてタイプ不利、そんな相手であれ関係なし。“つのドリル”は当たりさえすれば倒せるのだ!それこそが一撃必殺!!パルシェンを打倒!!


鞠莉「Yes…っ!」

絵里「……」


無言。足元を掬われ、悔しさを滲ませている。
静かにパルシェンを回収し、ボールへと小さく労いの声を。
そして、鞠莉へと一つ問いを投げる。


絵里「そのメタモン、いつ変身を?パルシェンだけじゃない、私も気付けなかった」

鞠莉「私のメタモンはスペシャルなの。特性は“かわりもの”、変身に要する時間は0.1秒以下」

絵里「速いわね…」

鞠莉「小原家の跡取り娘、その影武者だもの。スペックは掛け値なしのトップクラス」


特性“かわりもの”は、バトルへと出て即座に変身できるという特殊な特性だ。
タイミングは最速、あとは変身スピードが早まれば見破る術はなし。
加えて影武者という立場上、鞠莉のメタモンは人間へも完璧に変身することができる。
家族でも、そして本人でも見分けを付けられないほどに。


ダイヤ「流石ですわね、鞠莉さん!」

鞠莉「ダイヤっ!」

ふらつきながら、それでも瞳には力強さを残したままにダイヤが現れる。
左腕の全体が氷に覆われていて、他にも細かな傷に満身創痍。
だがその表情は、一局の勝利を鞠莉へと雄弁に知らせている。

傍らにはエンペルトとディアンシー。
ボスゴドラとラランテスを倒されながらもフリージオを倒してのけ、しぶとく舞い戻って来たのだ。

これで絵里の手持ちは残り二体。
ダイヤと鞠莉、二人のチャレンジャーを認めざるを得ない。


絵里「……素晴らしいわね」


鞠莉は決して守られるだけの令嬢ではない。
難事に際し、自ら身を呈して血路を切り開く勇敢を秘めたトレーナーだ。

ダイヤには元々目を掛けている。
ただ思っていたよりも、その資質は上なのかもしれない。いつか頂へとその指先を掛ける可能性さえ。

ふう、と肩で息を。
前日のミカボシ山から戦い通し、絵里の体にもそれなりの疲れはある。
だが、全力で退ける必要があるらしい。


絵里「メガシンカ」

鞠莉「……!!」

ダイヤ「来ますわよ…」


現れたユキノオーは、即時にその身をメガシンカの光に包まれる。
さながらツンドラに生える大樹のような、豪氷に覆われた体は凄絶な威容を示している。

吹き荒ぶ突風は零下30℃。
技ではなく、ただそこに在るだけで世界の全てを厳冷へと塗り替える大魔。

メガユキノオー。女王の切り札が、二人の前に立ちはだかる。

鞠莉「…Wha、t…?」


息が冷たい。指先がかじかむ。
鞠莉の全身から力が抜け始めている。
炎馬ギャロップに跨っているのに、寒くてたまらない。目が霞む、胸が痛い。

鞠莉は疑問に眉間を寄せて、怪訝…
そんな脳内のクエスチョンは強制的に断ち切られる。
当人の意思に依らず、瞼がゆっくりと閉じられていく。


鞠莉「………ダイヤ…かな、ん…」

ダイヤ「鞠莉さん…?鞠莉さんっ!」


親友を横目に、ダイヤも同様の状況。
両腕で自分の身をかき抱き、止まらない震えに歯を鳴らしている。
アローラガラガラを出した。骨に灯った炎を回転させている。
すぐ面前で炎気が舞っているというのに、寒くて寒くてたまらないのだ。


ダイヤ「戦いの最中だというのに…寝てはいけませんわ、鞠莉さんっ…!!」

鞠莉「…………」


人間だけではない、絵里の姿のままでいるメタモンもへにゃれと崩れ落ち、目を回して顔がシンプルなメタモン顔へ。
重篤なダメージを負った時のように、変身を解かれてしまっている。

メガユキノオーは不動。
黙し、ただ気象装置として急速に気温を引き下げ続けている。

ダイヤと鞠莉、ポケモンたちの姿を目に、絵里は冷静に呟きを。


絵里「漸く。随分と時間が掛かってしまったけれど」

ダイヤ「これ、は…やはり、貴女の力…!」

絵里「ええ、そうよ。これが零より遥か下の世界。美しいでしょう」

絵里が切り札、メガユキノオーを出し渋ったのには理由がある。

氷使いである絵里にとって、戦況は凄まじい逆境からのスタートだった。
鞠莉の戦略、大量の炎ポケモンで取り囲まれるという完全なる対策。

氷は守備面が弱い属性、その弱点は炎だけでない。
いわ、はがね、かくとうと、氷を砕きうる三種もまた致命的なダメージを与えられる選択肢として存在していた。

しかし、鞠莉は迷わず炎使いだけを招集している。
急拵えの部隊に混乱を呼ばないため、戦術を一本化するためという理由もあるが、何より物理的にメタを張るため。
火炎の重爆に空間全体の温度を高め、燃え盛る熱源を大量に用意することで絵里の氷操作を根本的に妨害していたのだ。

凍結能力とはひどく大雑把に捉えるならば温度という数値の操作。
ならば温度を高めてやれば、下げるまでには時間を要する。
ごく単純、故に効果的な戦術。だったのだが…

絵里「小原鞠莉、厄介だったわ。本当に」

ダイヤ(……く、っ…私も…!)

絵里「眠くなってきたかしら。そのまま目を閉じなさい、氷の揺り籠は万人に等しく優しいわ」


フリーザー、アマルルガ、パルシェンにフリージオ。
健在のキュウコンも含め、五体で手間と時間を掛けて空間を冷却してきた。

絵里が力押し寄りのトレーナーだと類される理由、その六割ほどは切り札のメガユキノオーにある。
倒壊するオハラタワー、重さを量ることさえバカバカしいほどの大質量を凍てつかせて固定してみせた氷力の権化。
早々にユキノオーを出していれば、もっと楽にオハラフォース、鞠莉、ダイヤを一掃できていたかもしれない。

だがそれを避けていたのは、こおり・くさタイプのユキノオーが炎に対して極端に弱いため。
有り体に言えば四倍ダメージ。よく鍛えられた軍人のポケモンたちに集中砲火を浴びれば、容易く沈んでしまう可能性があった。

女王は焦らない。急くことはなく、事を仕損じない。
淡々と四体を布石に投じたのは、条件さえ整えばメガユキノオーは無敵であるという確信と自負故に。

その身は四天王よりさらなる高み。
所以は、叛逆を許さない絶対性。
相手は戦う前に膝を折り、絢瀬絵里の前へと平伏を晒す。

それは遍く生音の失せた、無慈悲なる絶氷の世界。


ダイヤ(まずい、ですわ…!)

鞠莉のギャロップ、ダイヤのガラガラまでもが意識を薄れさせていっている。
火勢は緩み、炎が氷に屈しようとしている。理が捻じ曲げられている。
エンペルトに、伝説のポケモンであるディアンシーまでもが同様に。

ダイヤは気が付く、肺腑が奥まで凍り始めている事に。
白霞む視界の先、数キロ遠方の空に鳥ポケモンが墜落している。
どうやらメガユキノオーによる零下空間は目視距離の限界にまで効果を及ばせているようで、ダイヤは女王の本領に慄くよりない。


ダイヤ(ぐ、う…痛みが…喉の奥を、裂かれるような…!)


膝を折り、手を地に。ダイヤは女王へと頭を垂れている。
吐き出す呼気はすぐさま凍てつき、舌や歯茎の水分が霜と化して痛みを生む。

一体、今は何度なのだろう。
地球で記録された最低気温は確か、マイナス90℃を下回って少しほど。
もしかするとその域…いや、あるいは既に下回っているのでは。

たったそれだけの思考に粘つくような徒労が全身を覆い、その粘り気がそのまま厚氷を成して体を包み込んでいく。
そんなダイヤを見下ろして、絵里は静かに声を降らせる。


絵里「力を抜いて、身を任せればいい。意識は雪に溶けて、そのまま終わりが訪れる。それだけよ」

ダイヤ「……ぁ、ぅ、…」

絵里「発言を許します」

ダイヤ「っ、は!!」


絵里はがメガユキノオーへと手で指示を。
瞬間、ダイヤの喉、その中だけから寒風が遠ざかる。
大規模な凍結に併せ持つ微細な温度コントロール、白の世界に絵里だけが平然を保っているのは自身だけを冷却の対象外としているためだろう。意味するところは絶対支配。

絵里は言った。終わり、生命の終焉。
それはつまり…

ダイヤは問う。

ダイヤ「……絵里、さん、貴女は今、私を殺そうと…?」

絵里「そうね。苦痛を少なく死ねるように、調整はしているけれど」


殺意は確定。
奥底へ沈められた絵里の本来の意思がそれだけはと抑えていたが、時間の経過と共に掻き消されつつある。
知り、ダイヤはもう一つ問いを。


ダイヤ「………ご存知、ですか?この数キロ圏に、一般の方々が身を寄せる避難所が複数あると」

絵里「凍結圏内には大規模なアリーナが一つ、公民館の類が二つ。少なく見積もって二千人はいるでしょうね」


深々に呼吸。
意図的に、デオキシス細胞を活性化させる。
極低音に機能を止められた体に鞭を打ち、強引に再起動をかけていく。


ダイヤ「絵里さん、貴女は…その方々までを殺めようと?」

絵里「不運だった。そう思ってもらうしかないわね」


強く、歯を食いしばる。

誰に教えられた訳でもないが、ダイヤは体感に確信している。
デオキシス細胞の再生を使えば使うほどに、体は侵食されていくと。

穂乃果が見たという青と橙に染まった英玲奈の素肌。
それはきっと荒事の中で数々の傷を負って再生を重ね、深い侵食を受けた結果。

ダイヤへと移植された細胞は少量。まだ大丈夫?
否、そうとは限らない。
ミカボシ山で二戦、デオキシスから幾度もの致命撃を与えられ、先ほども絵里から負わされた重傷を急速に回復した。
短期間に活性化を重ねすぎている。この上で女王と対峙したならば…

委細構わず。ダイヤは決然と立ち上がる。

ダイヤ「関係、ない…っ!」

絵里「無茶よ」

ダイヤ「断じて!!断じて絵里さんは、罪なき人々を殺めるような方ではありません…」

絵里「……」

ダイヤ「今の貴女は、私の大好きな、敬愛する、心よりお慕いしている…かしこいかわいいエリーチカでは断じてありません。虐殺などと…汚させませんわ、気高い貴女を」

絵里「貴女の理想を押し付けないで。だとして、どうするつもり?」

ダイヤ「矯正を。その馬鹿げた洗脳を覚まして、私の大好きな絢瀬絵里に戻っていただきます。果南さん、鞠莉さんのように言うのなら…“ブン殴って”でも!!!」


らしくなく、敢えての粗野な物言い。
それはまるで大切な親友たちから力を借りようとするように。

受けて、絵里は変わらずの冷淡を。


絵里「その言い分、厄介なファンそのものね。念入りに凍らせないと」

絵里、メガユキノオーは、厳冬をダイヤへと集めていく。

これは死地。両親の、そしてルビィの顔が脳裏によぎる。

だが今のダイヤは、安心してそれを横に置くことができる。
ジムリーダーの責をダイヤが負った時点で、賢明な両親はその危険性を理解してくれている。
ルビィは…目に入れても痛くない、無邪気に笑みを浮かべる妹は、徐々に成長を見せてくれている。
まだ頼りなさげではあるが、何があってもきっと自分の足で歩いてくれる。

そしてダイヤは叫ぶ!!!


ダイヤ「ガラガラ!!私のポケモンなら、この程度で根を上げてはいけません!!」

『ガッ、ラ…!』

ダイヤ「思い切り殴りなさい!わたくしの左腕、肘から先を!!」

『…ガ、!??』


頓狂な指示に、ガラガラは一瞬迷いを見せる。
主人の横顔には不惜身命の狂気。だが正気もまた等しく宿していて、ならばとガラガラは両端に火を宿した骨で、指示通りに左腕を狙う!


ダイヤ「遠慮は許しませんわ!!全っっ力で!!!」

『ガァガラアッ!!!』

ダイヤ「い、ぎァッッ…!!!」


ポケモンの全力の殴打を受けて形を保てるほど、人体は頑丈にできていない。
肘の関節は強打にひしゃげ、砕けて破けて骨が突き出し、一部の肉と皮だけで繋がっている状態。

ブラリと垂れ下がった腕、デオキシス細胞はすぐさま触手を伸ばし、破損面を?ぎ合わせようと自動で修復を開始する。
だがダイヤは右手、拾った鋭利な氷片を振り上げる!

ダイヤ「修復無用!!!」


突き刺す!!
柳刃包丁のようなサイズのそれを躊躇なく傷口へと突き立て、二度、三度。自ら左、その肘先を切断…!

本家であるデオキシスから直々に蹂躙を受け、繰り返した再生に、特殊な細胞の乗りこなし方をダイヤは体得している。
欠損した左腕は今、トカゲの尾のように再生されようとしている。
そこに宿す強固なイメージ。形は腕ではなく、しなやかに、攻撃的に。

青と橙、二色の螺旋が蠢いてしなる。
鞭のようにのたうち、それはデオキシスの腕と同じ形状。自ら人外へと身を投じている。

その壮絶な気概を意気に、エンペルトとディアンシーも瞳に光を取り戻している。
主人が命を賭す時に、戦いもせずに倒れられるものかと!

そこへ、冷笑は絵里。


絵里「狂気の沙汰ね。ユキノオー、“ふぶき”」

狂気に取り合うつもりはないとばかり、絵里が令じるは即座の烈風撃。
万物を停止させる冷気もさることながら、風速もまた大型台風の暴風域が如し。
舞い積もった大量の雪を巻き上げ、地吹雪が怒涛を馳せる!

エンペルト、ガラガラ、ディアンシー。
残る三体へとダイヤは目配せをし、手短に指示を告げて地へと手を…否、触腕をあてがう。


ダイヤ「ッ゛ああああああっ!!!!!!」

絵里(自力で岩盤を持ち上げて…!)


暴圧する飄風を遮蔽!!

本物のデオキシスには及ばないながら、ダイヤの腕力は怪物的なまでに上昇している。
だが巨大なビルを凍結させるメガユキノオーの吹雪、たかが岩壁一枚では五秒と持たない。

無論、ダイヤはそれを承知済み。
ガラガラは先んじて下された指示に従い、武器である骨をダブルセイバーのように振り回して岩盤を砕き割っている。
飛散する岩礫、そこに交えて放つはディアンシー!


ダイヤ「“ダイヤストーム”!!」

『ディアアッ!!!』

絵里「ユキノオー、“ウッドハンマー”」


樹氷の大魔は重みに傾いだ上体を持ち上げる。
その身は鬱蒼、メガシンカの過剰なエネルギー供給により氷が異常発達、直立を不可能にしている。
だが問題はない。そのデメリットに見合うだけの攻撃力を手にしている。

大咆哮に打ち付ける両腕!!!


『ノオオオオオオッ!!!!!!』


ダイヤ「アスファルトの下から樹々が!?」


ユキノオーは地面を叩き、都市の舗装を砕き、その下に押し込められた草木の根や枯れ草の残滓へと莫大な草エネルギーを送り込む。
反応、矮小な根に草花が猛烈な速度で大樹へと成長。

ただ生えてくる木?いや、勢いが尋常ではないのだ。
一帯を食い荒らす怪樹はビル五階ほどまで到達、まるで昇竜の如く。

受ければ下腹から数十トンのトレーラーに撥ね上げられるような衝撃は必至。
それが二十、三十と屹立割拠、ディアンシーが放った金剛嵐を防ぎ止め、そのままに攻防を兼ねている。
ダイヤとポケモンたちは回避へと専心せざるを得ない!

突き上げる樹をダイヤの触腕が受け逸らし、ガラガラの炎骨が叩き割り、ディアンシーは金剛珠の防壁で自分たちを守護する。
だがそれは極限の集中、長く続くものではない。
メガユキノオーの過度な出力は、まだ数十秒と樹氷を突き立て続ける事を可としている!

そんな間隙、横ざまに飛来する鋼の光弾。


ダイヤ「“ラスターカノン”!!」

『ペルルァッッ!!!』

絵里「ユキノオー、左」


離れ、左方へと展開させていたエンペルトが“ラスターカノン”を放っている。
それははがねタイプの特殊技、氷よりも勝る硬度でユキノオーへは二倍特効!

だが絵里の判断は極めて迅速。視界は広く、その後背に至るまでほぼ全方を認識している。
判断力、空間把握能力。寡勢にも揺るがぬ意志力に、本来であれば高潔な精神も。
いずれをも併せ持つから絵里は女王であり、ユキノオーはその指示を高速で反映できるからこそ女王にとっての主戦でいる。

方向を変えた“ウッドハンマー”の乱樹立がエンペルトの体を激烈に叩き、遠く宙空へとその身を打ち上げている!

ダイヤ(エンペルト…ごめんなさい!)

絵里「明確に捨て駒。情に駆られていない。時と場合によって割り切りは必要、成長しているわね、ダイヤ」

ダイヤ「今の貴女から褒められたところで!これっっっぽちも嬉しくありませんわ!」


ダイヤたちは樹氷の間を駆けて寄り、メガユキノオーまでの距離を詰めている。
残りは二体、自身を含めて同時は三手。


ダイヤ(っ、遠い!もう一手、もう一手あれば、確実に…!)

鞠莉(そう、思ってるよね……ダイヤ!!)


ダイヤのように人外ではない。果南のような身体能力も有していない。
それでも、鞠莉は凍死の淵から一時的に意識を引き戻している。その源はきっと、意地でありプライド。

オハラタワーの一件から運命にハズレくじばかりを引かされている。
だから今度は、はっきりとNoを突き付けてやるのだ。親友と共に、意地悪く笑う運命の女神へと!


鞠莉(がんばれ…ッ!!)

━━━KABOOM!!!!


絵里「…!」

ダイヤ(爆発!?これは…鞠莉さん!)


鞠莉はパルシェンの攻勢からギャロップで逃げ回る最中、随所へと爆薬を投じていた。
それは氷に封じられてしまった、あるいは隔絶されてしまった兵士たちを解き放つため。

逃走の最中、あくまでデタラメなばらまき。狙いは確実ではない。
ただ一箇所、ダイヤが求める“一手”の役割を確実に果たせる人間の位置だけは、無線機の反応に確認し続けていた。
そして動かない親指で、強引に押したのは起爆スイッチ!

解き放たれたのはオハラフォースのエース級、隊長格である一人の壮年。
父からの信頼も厚い軍人上がりで、彼は特別な力を有している。

手首には腕輪の煌めき!
それは少女たちだけの特権では決してない!


絵里「リング持ち…!」

「来いッ!!メガバクーダ!!!」

軍人にチャンピオン、戦闘者たちの対峙に言葉はなく、交わす眼光すら僅かに一秒!放つ!


「メガバクーダ!“ふんか”だ!!!」

絵里「メガユキノオー!“ふぶき”っ!!!」


ほのお・じめんタイプ、その背に火口を背負う火山の権化。
猛烈な火力を誇るそのポケモンと共に、幾多の戦場を乗り越えてきた。
末に掴んだメガシンカ。先の統制射撃では火力のバランスと継戦性を考慮して控えていたが、一朝一夕の力ではない。
紅蓮!噴き出す劫火はオハラフォース全員の、そして鞠莉の誇りを背負って!!

応じ、流石の絵里も冷酷な鉄面皮に一筋のヒビ。
高レベルのメガシンカ体、それもほのおタイプ。看過できるはずもなく、最大出力の“ふぶき”を向けている!

地炎と氷風、二つの大技が真っ向からの炸裂を!!!

惜しむらくは二点。
メガバクーダの体力が凍結に減じていたこと。
メガユキノオーの力に空間の気温が下がりきっていたこと。

“ふんか”は威力を抑えられ、“ふぶき”は理論上最大値でのポテンシャルを発揮。
相性不利を嘲笑うかのように、炎を押し切った氷が軍人とメガバクーダを飲み込んでいる!!

だが、彼はプロだ。
氷に包まれる前の一瞬、自らに課せられた役割を果たせたことを認識している。

彼が、ひいては鞠莉が生んだ一手の隙に、ダイヤとポケモンたちが、間合いへと絵里を捉えている!!


絵里「“ウッドハンマー”!!」

ダイヤ「“フレアドライブ”!!」


振り落とされた剛腕!
そこへ捨て身、炎骨が掬うようにかち上げて発動を阻止!
力の余波をモロに受けたガラガラは雪の地面へと叩きつけられて昏倒。
ただ、それでいい。
メガユキノオーの腕へと炎の痛撃を浴びせ、役割は十全に果たしている。

もう一手、ユキノオーの咆哮に屹立する氷柱!
だがそれはダイヤの触腕が微塵に砕いて防ぐ!


ダイヤ「ようやく、足りましたわ」

絵里「……っ!」

ダイヤ「ディアンシー!!“ダイヤストーム”ッ!!!!」


その輝きは薄紅に、真宝なるダイヤモンド。
出会いに命を救われたメレシーは今はディアンシーとして力の全てを主人に捧く!
爆ぜる!!嚇々たる金剛嵐が、最至近からメガユキノオーの全身を撃ち荒らす!!!!

岩と氷、タイプ相性や良し。

だがそんな理屈より何よりも、大勢の人々の想いが乗せられた一撃。
いかなメガシンカ体とは言え、至近で浴びせられて耐えられるはずもなし。


『ノ、オ、オオオオッ………!!』


凄絶を成したメガユキノオーは、自重を支えきれずに前へと倒れた。
その前身には“ダイヤストーム”による圧倒的なダメージが刻まれている。

一人の力ではない。だがそれでも多大なる殊勲。
ダイヤとディアンシーは、絵里の切り札であるメガユキノオーを打倒した!!

そして同時、鈍い打擲音。
ダイヤの拳もまた、絵里の頬を痛烈に打ち抜いている。


絵里「…っ……」

ダイヤ「……お願いです…っ、正気に戻って…!絵里さんっ…!!」

絵里「………何故、右で?」


血を吐き捨て、口元の赤を拭う。
絵里の瞳に宿された狂気はまだ晴れず、睨眼に問いを。

ダイヤは歯噛みする。
絵里の言う通り、殴り抜いたのは生身を保った右腕だ。
デオキシス細胞に荒ぶる左で殴っていれば戦いを終わらせられていただろう。絵里の死を以って。

だが、絵里を敬愛するダイヤにそんな真似ができるはずがない。
ただひたむきに…自らの指針、誇り高く慈しみに溢れた女王の姿を取り戻して欲しいと、その一心で。


絵里「……甘さは拭えないのね、あなたは。それは美点。好ましいわ。けれど戦いはまだ、終わっていない。キュウコン」

ダイヤ「…ディアンシー…!」

『ディ、ァァ…!』

既にディアンシーは満身創痍だ。
メガユキノオーとの最後の交撃、絵里はエースが打倒される瞬間にさえ動じることなく最善の手を下した。

“こおりのつぶて”、氷タイプ最速の一撃でディアンシーへとダメージを与えたのだ。

元よりメガユキノオーの生む冷温や“ふぶき”などで体力を減じていた。
そこに一撃を浴びせられ、辛うじて残った体力はまさに首の皮一枚。


ダイヤ「………ぐ、っ…」


呻く。ダイヤの身もまた限界。
いくら再生機能を誇るデオキシス細胞を組み込まれているとはいえ少量。
そもそも、本体たるデオキシスも不死身ではないのだ。あくまで体力は有限。

キュウコンは九尾に蒼焔を灯す。
それは強烈な冷却エネルギー。それが放たれれば、ダイヤもディアンシーもきっともう。

ダイヤ「………けれど、諦めません」

絵里「どうして?」

ダイヤ「どうして?……ふふっ。やはり、今の冷たい貴女はわたくしの大好きなエリーチカとは別人なのですね」

絵里「……」

ダイヤ「他でもない、貴女がミカボシ山で教えてくれました。自分の力を、自分とポケモンの絆を信じろと」

絵里「…だとすれば、私は随分とナンセンスなことを言うのね。もう眠りなさい…黒澤ダイヤ」

ダイヤ「決して無意味などではありません。意志を以って難道を拓く、それがチャンピオン、それが絢瀬絵里!」


「そうなんです!!」


空から声が降る。まだ幼く、あどけない声が。
金髪、色素の薄い少女は春風のようにダイヤと絵里の間へとすたり、「おっとっ…!」とつんのめりながらボールを叩きつける。

現れたのはピカチュウに酷似した姿、しかしよく見ればぬいぐるみの被り物。
フェアリー・ゴーストタイプ。“ばけのかわポケモン”こと愛嬌溢れるミミッキュ!

それを連れているトレーナーは幼くも絵里の面差しを感じさせる…
最後の四天王は絵里の妹。神童、絢瀬亜里沙!


亜里沙「ミミッキュ!“じゃれつく”!」

絵里「き、キュウコン!」

ダイヤ(反応が遅れた!)

亜里沙「Урааa!今ですっ!」

ダイヤ「っ、全力で…!失礼しますわあああ
あッ!!!!」

絵里「ぐ…!はあっ!?!!」


今度こそ!!
ダイヤの全身全霊、掛け値なしの全てを乗せた右拳が、絵里の頬を打ち抜いた!!!

転がり、転がって滑り、絵里の体は自ら打ち立てた氷柱へとぶつかって止まる。
仰向けに倒れた姿勢、呻いて手を伸ばし…ぱたりと落とす。


絵里「……あり、がとう…」


ダイヤの右ストレート、それは完全な一撃だった。
問答無用、絵里の意識を断ち切っている。

目を閉じたその顔からは狂気の色が抜け落ちていて、ダイヤは安堵と疲労からの脱力に膝からくずおれる。


亜里沙「хорошо!すごいパンチでした!」


ぴょんと跳ねて喜ぶ亜里沙。
ミミッキュの横入りの“じゃれつく”、キュウコンの急所を見事に捉えて仕留めている。
不意打ちとはいえ、ダイヤたちが大勢でこれほど苦労した絵里のポケモンを一撃で。


ダイヤ(いるものですね、天才は…)

亜里沙「ごめんなさい、遠くの街にいたからくるのが遅れちゃいました…お姉ちゃんもみんなに迷惑を…って、あれ?」


目を伏しがちに憂えば、姉の絵里にそっくりだ。
そんな亜里沙に看取られ…と、死ぬわけではないが、ダイヤの全霊はここで限界。

絵里の打倒に、広域を包んだ冷気は徐々に薄れ始めている。
医療ヘリが飛来する音も聞こえる。色々な心配事も、きっと大丈夫。

精魂尽き果て、うねうねとデオキシス状態のままの左腕のことも忘れたまま眠りへと落ちる。


ダイヤ(ルビィ、千歌さん…頑張って、くださいね……)


ゆっくりと目を閉じ…
黒澤ダイヤ、小原鞠莉。二人の戦いが、ここに終結した。




爆音、飛沫。東からは冷風。
随所から吹く激戦の風に、ロクノシティが燃えている。
そして広汎の河川敷、ここにも対峙する瞳が八つ。


千歌「こいっ!」

聖良(……さて)


鹿角姉妹、聖良は闖入者である千歌とルビィを見つめている。
「時間を掛けずに潰す」と宣じはしたが、まずは状況が許す限りの観察を、とは師である英玲奈からの教え。

黒澤ルビィ、こちらは知っている。
オハラタワーの際に追いかけた対象、所持ポケモンはピッピ。
ボールは三つに増えてはいるが、おそらくは津島善子、国木田花丸と同程度の腕前だろう。であれば、問題にはならない。

理亞はこの少女がやたらに気に食わないらしく、圧するように強く睨みつけている。
犬であればガルルと唸って吠えている、そんな調子の様相だ。


聖良(理亞のボール残数も三つ。疲労を鑑みても、理亞なら問題なく処理できるはず)

ダブルバトル形式にせよ、フィールドが広い。
ならば戦闘のベースはマンツーマンのイメージ。そこに適宜、連携を編み込んでいく。
その方が却って柔軟に当たりやすいものだ。

だとして、自分が意識するべきは高海千歌とかいう少女。
直視、その力量を目測に推し量る。

腰にボールは六つ、その手首にはメガリング。
聖良はメガシンカに対応したポケモンを持っていない。その点で持たれている優位性には警戒を抱くべきだが…


理亞「姉さま、高海千歌はタワーであんじゅさんが狙ってたトレーナー。捕まえれば手柄になる」

聖良「なるほど。手持ちの情報は?」

理亞「ハーデリア、エテボース、オオタチ、ベロリンガ」

聖良「ノーマル専門…」


微かに含み笑う。

いや、侮るわけではない。もちろん強力なノーマルポケモンもいる。
理亞の情報も数ヶ月も前のもの、きっと成長しているのだろう。
ただ、ノーマルタイプは最も扱いやすく、最も普及率も高い属性だ。
それに表情、佇まいまでを踏まえて、千歌はどうにも強力なトレーナーには見えない。
どういうべきか…

聖良(普通、ですね。もちろん油断はしませんが…)


…と、安く値踏まれたことに勘付いている。
向き合う千歌は不本意に、小さく鼻を鳴らす。


千歌「なんだか、バカにされてる…」

ルビィ「千歌ちゃんは強いのに…!」

千歌「えへへ、ありがとルビィちゃん。いいもんね、目に物見せてやる!」

聖良は思考する。

遮蔽物のない河川敷、力と力をぶつけ合うには最適のフィールド。
外的要因が少ないということはつまり、純粋な戦闘力がモノを言いやすい、格下が番狂わせを起こしにくい環境ということ。

千歌やルビィがUBに関する知識を持っているかは不明だが、ウツロイドとマッシブーンの異様は外見だけでも明らかなはず。


聖良(…だというのに)


見るに、千歌には戦場を変えようという意識はないように見える。
赤みがかった瞳は短めの前髪に露わ、まっすぐに聖良を見据えていて、UBの姿にも怯えていない。
戦力に余程の自信があるとでも?


聖良(UBの力を測れない愚者か、蛮勇か…それとも)

理亞「姉さま、楽勝よ。早くやろう」

聖良「理亞、油断は禁物よ」

理亞「あ…ごめんなさい」

聖良「けれど…強気も必要ね。行きましょう、理亞」

理亞「…!はい!」

聖良と理亞、距離を置いていた二人が始動する。
応じ、千歌とルビィもいよいよ臨戦へ。


ルビィ「く、くる!千歌ちゃんっ」

千歌「勝つよ、ルビィちゃん!」


負けられない戦い、千歌とルビィは声にお互いを鼓舞!

聖良はそのままマッシブーンとウツロイド、理亞はレントラーをボールから展開している。
奇しくも両陣、ポケモン所持数のバランスが6と3の変則ダブル。


千歌「ルビィちゃんは妹の方を抑えてね!」

ルビィ「ぅぅ…頑張るびぃ…!」


ボフ、と弾けるボール。
ルビィの先鋒はエスパータイプ、希から託されたムシャーナだ!

そのムシャーナ、現れたはいいが、丸々と体を丸め、目を閉じて眠りについている。
…ように見えるが、意識はある。
エスパータイプ特有のサイコエネルギーで目を閉じながらに周囲の様子を感知しているのだ。戦闘に支障なし。

そんなルビィへと理亞が直進!
傍らのレントラーはオハラタワーの際にも交戦したでんきポケモン。
猫科のしなやさと獰猛性を有していて、雷撃を纏って牙を剥く姿は主人の理亞とも似通って見える!


理亞「がんばるびぃ…?イラつく!“ワイルドボルト”!!」

ルビィ「ぴぎゃあっ!?」

千歌「ルビィちゃん!」

ルビィ「だ、大丈夫っ!千歌ちゃんはそっちを…!」

聖良「よそ見をすれば早々に死にますよ?私としては助かりますが」

千歌「!」

そう、聖良は既に向かってきている。
千歌はUB二体に立ち向かわなければならないのだ!
ボールへと手をかけ、その中から素早く二つを選ぶ。開閉スイッチへと指を乗せる。

“勝ちたい!”

それは切なる願い。
負けたら世界が危ないだとか、千歌はこの一戦をそんなマクロな視点では捉えていない。
心に浮かぶのは二人、大切な友達の笑顔。

大好きな曜ちゃんに、それに梨子ちゃんも。
この一戦を乗り越えれば、並び立つには高すぎる親友二人にまた一歩、近付くことができる。

揺るぎなき小市民性。混沌の戦場において、それはある意味で確固とした自我。
思いの根源、スケールなんて小さくたっていい。
ただ勝ちたいと思う気持ちの強さ、それが運命を導く!


聖良「マッシブーン、“ばかぢから”」

千歌(私は…勝たなきゃいけないんだっ!)


気持ちをギュッと込め、千歌は二つのボールを地へと投げつける!

マッシブーンはタイプ一致、格闘の大技である“ばかぢから”を中断して後ろへと飛び退いている。

「退いて」

そう命じたのは聖良だ。

繰り出したポケモンごと岩盤を砕き、礫片に高海千歌を昏倒させて勝ち。
勝負に取り合うまでもなく、トレーナーを殺めるまでもない。
早々に理亞の側も片付けてテレビ局へと足を向ける…そんな算段だった。

だが、聖良のトレーナーとしての嗅覚が奇妙を感じ取った。
千歌がボールを投じた瞬間、マッシブーンへと後退の指示を下していた。

そして聖良は今、千歌を見ながら冷静に怪訝。


聖良「燃えている…?」

千歌の周囲を炎が取り巻いている。
その背後には大きな…黒と金、炎で彩られたポケモンが。
まるで三国志、中国甲冑を思わせる威容。武に秀で、炎を纏った豚の姿。
逞しい四肢は力感を宿し、千歌を守るべく大きく振るわれる。

普通だと、自分に課してきたそんな殻を打ち破る時。
千歌は片手を掲げ、そのポケモンの名を呼んでいる!


千歌「お願い!エンブオー!!」

『ブオオオッ!!!』

聖良「ほのおタイプ…ノーマル専門のトレーナーでは?」


だけではない!

その隣には静かなる麗。頭は白薔薇、目元にはミステリアスなマスク。
両腕もまた赤青の薔薇束のようで、立ち姿から高貴なる芳香を漂わせ。
全身から放たれる強力なオーラは河川敷の草花へと干渉し、味気ない芝生は瞬時にして瀟洒な薔薇園を成している。


千歌「ロズレイドもお願い!私、あの人に勝ちたい!」

聖良「マルチタイプに鞍替え、ですか」


いずれも、千歌の育てたポケモンではない。
激闘の気配に、千歌は実家へと連絡を取っていた。そして一時的な通信交換を。
手持ちの中から戦闘向けでない子、レベルが低めの子を実家へと預けている。
危急の時、何よりも頼るべきは家族。代わりに手にしたのは姉たちのポケモン!


千歌「美渡ねえ、志満ねえ。力を借りるね!」

強さ。
定義がひどく曖昧なそれは、多元的に語られなくてはならない。

トレーナーが強さを求めるには、ポケモンを強く育てるしかない?
当然だが、そんなことはない。

逆境に決して折れない心を持つのも強さ。
自分を鍛え上げてもう一つの武器とするのも強さ。
手段を選ばず、形振りを構わないのもまた強さ。

知識を高めれば戦術の可能性を切り拓くことができる。
命知らずは常識を超えた強さを手にすることもできる。
莫大な金銭を元手に、多数の他者を従えての蹂躙もまた強さだろう。

千歌が今手にしている力は家族、年上の姉たちのポケモン。
それは借り物、本当の力ではない?

いや、そんなことはない。
強さとは多元的に語られなくてはならない。

二人の姉、家族から注がれる惜しみなき愛情は高海千歌という人間を構成している大きな一要素。
“愛されている”。それもまた特別な強さなのだ。

似たことが、ツバサからUBらを託された聖良にも言えるだろう。
“信頼されている”という要素。

借り物であれ、借りられたという時点でそれは、高海千歌と鹿角聖良の強さに他ならないのだ。


千歌「いけえっ!!エンブオー!!」

聖良「マッシブーン、左」


エンブオーとマッシブーン、二体のかくとうタイプが拳をぶつけ合う!

エンブオーはほのお・かくとうタイプ。
マッシブーンはむし・かくとうタイプ。

同じ格闘を属性として持つ二匹だが、もう一つの属性に明確な有利不利が付いている。

千歌がエンブオーへと命じたのは“フレアドライブ”。
下の姉、美渡が育てたエンブオーは炎を用いた物理技の最高位を会得するレベルへと到達している。
隆々の黒腕に高熱を纏わせ、反動を恐れぬ勢いでマッシブーンへと繰り出している!!


千歌「当たれば行ける!」

聖良「当たりませんよ」


対し、聖良は冷静に。
真正面からかち合うのを避け、その拳を受け流しに徹させている。
マッシブーンは短い命令に意図を汲み、右腕を畳んで下から跳ね上げる。
拳の軌道を逸らし、炎熱の影響をやり過ごして回避!


聖良「距離を置いて」

千歌「逃がさない!ロズレイド、“ヘドロばくだん”っ!」

『レイッ!!』


素早く飛び下がるマッシブーンへ、志満のロズレイドが追撃を!
だがそれは防がれる。浮遊する岩が炸裂する毒液を遮ったのだ。

千歌は聖良へと目を向ける。
その岩の主は傍らに揺蕩うウツロイド。


聖良「“ステルスロック”。何を出してくるかわからない以上、先に妨害策を講じさせてもらいます」

千歌「エンブオー、ロズレイドもそのままそのまま!」


マッシブーンへの追撃はしない。
あの屈強な体、膨張した筋肉からの打撃を強かに受ければ一撃必倒もありえる。迂闊な行動は控えるべきだ。


千歌(あの人、すごく手堅く戦うタイプだなー)


敵、聖良の姿を観察しつつ、千歌はそんな印象を抱く。

ステルスロックの効果自体は心得ている。ダイヤを師として訓練を受け、知識面もそれなりに増している。

浮遊する鋭利な岩が空間を満たし、こちらの行動を阻害する技。
とりわけボールから出たばかりのポケモンはそれを避けきれずにダメージを受けてしまう。
つまり、千歌は頻繁にポケモンを交代させられない状態になってしまったわけだ。


千歌(エンブオーとロズレイドを早めに出せてよかったかも…)


そんな相手への当て付けのように、聖良はウツロイドを一旦ボールへと戻して交代を。


聖良「来なさい、ムクホーク」

『キュイイイッ!!』


現れたムクホークはシンオウ地方を主な生息地とするひこうタイプの鳥ポケモン。
子供でも捕まえられるようなムックルからの進化体だが、しかし侮れない攻撃力の持ち主。


千歌(ムクホーク…前にオハラタワーの時も連れてたって言ってたっけ)


エンブオーとロズレイドのいずれにも有効撃を放てる一体。
やはり聖良は悪の組織ながら、ジムトレーナーばりに整然とした戦闘スタイルをしている。

交代か、ゴリ押すべきか、千歌は素早く思考を巡らせる。
ロズレイドは高火力の攻撃役。相手が何にせよ、受けるベースで考えるポケモンではない。
だとして…紅炎揺らぐ、エンブオーへと目を向ける。

高さ1.6m、重さ150.0kg。
エンブオーというポケモンの平均的なサイズだ。

だがもちろん、ポケモンが生き物である以上はそのサイズには個体差がある。
美渡のエンブオーは身長2.0m近く、重さは…随分と重い。


千歌(エンブオー、強いのは知ってるけど…どうかなぁ)


そんな迷いがよぎるのは、実家でのエンブオーの姿を知っているからだ。

高海志満、高海美渡。
志満は実家の旅館を柱として切り盛りしていて、美渡はもう社会に出て働いている。
千歌より随分と年上、そんな二人の姉は、どちらも本格的なトレーナーというわけではない。
なのに二人がそれぞれにポケモンを育てているのは、実家が旅館だからという一点。

客商売である以上、稀にではあるがトラブルが起こる。
また旅人の安全を保障する宿泊業、セキュリティを高める必要もある。
なので千歌の両親は、トレーナーでない二人の姉にそれぞれポケモンを一匹育てさせた。

そんな理由で姉たちの幼少期から家族の一員として、ついでに用心棒として育てられたのがエンブオーとロズレイド。
きちんとした戦闘用の育成ノウハウに則って育てられたわけではないが、愛情はたっぷりに注がれてウチウラの美味しい食事と豊かな自然に育まれている。

一匹だけの育成なので、必然レベルは高まりやすい。
志満と美渡の筋が良かったのもあるのだろう。二匹ともが強く逞しく育っている。…のは良かったのだが。

美渡「あっエンブオー!まーたアンタ太ったでしょ!」

『ブ、ブオッ』


そんなやりとりを頻繁に耳にするようになったのは、美渡が就職してからのこと。
美渡が家に不在の時間が長くなり、エンブオーは居間でゴロ寝しながら煎餅を齧っている時間が長くなった。

千歌ももちろん一緒に過ごしていて、みかんを二つ取ってもらって一つを剥いてあげ、テレビを見ながら一緒に食べて。
そんなダラダラとした日常を謳歌するエンブオーの姿は千歌の目にもしっかりと焼き付いている。

美渡の休日には一緒にランニングをさせられたりしていたが、付いた脂肪はそう易々と減るものでもなく、自然と体重は増えている。
そう、美渡のエンブオーはメタボ気味なのだ。


千歌(うーん、うーん…さっきの“フレアドライブ”を見たらキレがなくなってるとかそんな感じではなかったけど、どうなんだろ)


迷う千歌。
ポケモンとはいえ気持ちとしては完全に家族。無理をさせるのもなぁ、と…


『ブオオッ!!!』


だが、エンブオーは炎を猛らせて吼える!!
千歌を家族と捉えているのはエンブオーの側からも同じ。
よく喧嘩しつつもなんだかんだと妹を気に掛けている美渡、その気持ちを代弁するかのように、千歌を守るべく大炎を身に燃やしている!


千歌「エンブオー、やれるの?よーし…信じるっ!」

聖良「行きますよ、ムクホーク、マッシブーン」


また同時、聖良の目も猟の色を宿している。
様子見はここまで、仕留める時は一気呵成。激流の気配に、双方が戦気を高めていく。

千歌と聖良、二人が火花を散らす地点から20メートルを離れ、ルビィと理亞もまた交戦の最中にある。

出ているのはそれぞれ変わらずムシャーナとレントラー。
ルビィは果敢に立ち向かっている…という表現が似つかわしいかは微妙なところ。

吠え立てる理亞とそのレントラーに背を向け、ふよふよと浮くムシャーナと共に逃げ回っている。


ルビィ「ピギャアアァァ!!!」

理亞「逃げるな!!まあいいわ、逃げるつもりなら…」

ルビィ「に、逃げてないもん!!」

理亞「っ…(撃ち返してきた)」


理亞が聖良の加勢に向かおうかと思案すればムシャーナが攻撃を仕掛けてくる。

ただ逃げているのではなく引きつけている。
自分が理亞を抑えるのだと、しっかり役割意識を持っているのだ。

そんな途上、戦場の変化にルビィが声を上げている。

ルビィ「うぁ、なにこの石ぃ…!?」

『ムシャァ…』


ルビィは眉根を下げ、ムシャーナは目を閉じたままに困り気味の声を。
戦っている場所は千歌たちのすぐそば、あくまで距離感はダブルバトル。
聖良のウツロイドが張り巡らせた岩は、ルビィと理亞の位置までをしっかりと効果範囲に収めているのだ。

困惑のルビィへ、理亞はまるでそれが自分の技であるかのように高らかに勝ち誇る。


理亞「フン、それは姉さまの“ステルスロック”。お前の貧弱なポケモンなんて岩にぶつかって倒れてしまえ」

ルビィ「と、とんがってて逃げにくい…どうしよ…!」


鋭利な岩に当たればダメージを負う、もちろんそれはポケモンだけでなく人も同じ。
無機質に無軌道に、表情なく浮遊する岩はただ浮くだけでなく、都度その位置を変化させていく。
よく見れば潜り抜けられるというものでもなく、ルビィは逃げ足を止められてしまっている。

一方の理亞は、それを苦にせず避けながら迫る。
今回聖良がウツロイドを連れているのはイレギュラーな事態だが、そもそも聖良の手持ち三枠は以前から流動的だ。
どんなポケモンでも扱えるという特技から、アライズ団の目的に応じたポケモンを与えられて扱うのだ。

そんな立場に、汎用的な技である“ステルスロック”を聖良が使う機会は多い。
故に、聖良と理亞はステルスロックを浮動させるアルゴリズムを姉妹であらかじめ共有している。
一定の法則性を知っているから当たらず、我が庭のようにするすると岩の中を潜り抜けることが可能。

理亞「楽勝。臆病者め」


辛辣な瞳をルビィへと向け、理亞は口元を歪める。
あと五歩、背中へと手が届く。
組みついてねじ伏せ、叩きのめして終わり。ポケモンは出させない!


理亞「追い詰めた。壊す…っ…!?ぐはっ!」

ルビィ(や、やったっ!)

理亞「な、何が…!?」


理亞は石片の一つへとぶつかって転んでいる。
避けられるはずの“ステルスロック”。それが何故、知っている軌道で動かなかった?


理亞「そのムシャーナで…!」

ルビィ「えへへ、エスパータイプだもんね」

『ムシャアッ』


ルビィは逃げ路の中、“ステルスロック”を見た瞬間にムシャーナへと指示を出していた。
ムシャーナの念力で、浮遊する岩石群の中に似た岩を浮かべて混ぜ忍ばせていた。そして意図的にその方向へと逃げ、追走を誘導。

突っ走っていた理亞はそれを見破れずに思いっきりぶつかり、転倒してしまったというわけだ。

何をやってもダメダメ。
上手くいかず諦め癖もある、生まれながらの精神的敗北者。
かつてはそんな少女だったルビィだが、それでも多少は得意なこともある。

以前にダイイチシティでことりへと語ったように、裁縫は趣味であり特技でもある。
そして特技はもう一つ、弱者だからこそ身につけたスキル。


理亞(ルビィ、逃げるのは昔から結構得意なんだ!あの子が追ってくる感じ、ルビィが苦手な怒ったワンちゃんさんとかに似てるから…)

理亞(鼻血、最悪…!)


苛立たしげに鼻を拭う。
ルビィが内心に自分のことを猛犬に重ねていると知れば、より怒り狂うのだろう。
レントラーは主人の転倒に動きを止めていて、そこにルビィは隙を見出している。ムシャーナが開眼!!


ルビィ「む、ムシャーナ、“サイコキネシス”ぅ!」

『ムシャ~ァァ!!』

理亞「っ、!?レントラー!」

『ガルルッ!!』

倒れ込んでいる理亞と隣にいるレントラー、そこへ無遠慮に“サイコキネシス”の波動を叩き込んでいる!
直撃していればレントラーへと大ダメージを与え、何より理亞を昏倒させることができていただろう。

だが理亞の身体能力は常人よりも遥かに優れ、倒れた姿勢から身軽に跳ね起きて姿勢を立て直す。
レントラーに服の裾を咥えさせ、猛獣の瞬発力に念波の効果圏から逃れている。


ルビィ「あっ、避けられちゃった…」

理亞「ぐっ…!」


避けはした、だが相当に無理な回避。
レントラーに引きずられる格好、理亞の袖と片頬は河川敷の泥砂に汚れてしまっている。
流血は止まっておらず、鼻をすすれば血の味。善子と花丸と戦った時の傷が開いてしまったのか。

背を地に足を空に、ブレイクダンスめいて体を切り回して立ちつつルビィを睨む。


理亞「この…」

ルビィ「ムシャーナ!“さいみんじゅつ”!」

理亞「…ッ!」


間髪入れずの追撃!

意外というべきか、一度攻勢に移れば、ルビィは存外に思い切りがいい。というか容赦がない。

一般に、弟や妹がいる人間は手加減という感覚を体得しやすい。
自分より生物としての機能に劣る年下と接する中で、容赦だの遠慮だのという感覚が培われるのだ。

逆を返し、末子はその手の感覚に疎い。
もちろん単なる傾向の話ではあるが、少なくとも今のルビィの攻勢は加減なし!怒涛!


ルビィ「“サイコキネシス”!“サイコキネシス”!“サイコキネシス”っ!!!」

理亞「ふざけてる…狙いも付けずに無闇に!」

ルビィ(こ、攻撃してればされないもん!)


当たってこそいないが、ルビィの戦術はそれなりに理亞を追い込んでいる。というか困らせている。
催眠の念波を辛うじて躱し、サイコキネシスから転ぶように逃げる理亞。

ルビィのムシャーナが放つ波動はちょうど人一人をすっぽり包めるくらいの範囲の空間を歪めてみせる。
それは希のような熟達したエキスパートのものは比べるべくもない小規模。だが、人間を気絶させるくらいならこれでも十分!


理亞「卑、怯…ッ!!」

ルビィ「ひえっ…!ごめんなさいごめんなさい!“サイコキネシス”!」

理亞「っ!許さない」

ルビィ「い、今は攻撃してるからだけど、なんでルビィのことをそんなに…」

理亞「なんで…?まさか忘れた!?オハラタワーでピッピに私を殴らせて!そのせいで姉さまが逮捕されて!!」

ルビィ(あ、そうだった…)

理亞「思い出した。あの時のドス黒い気持ち…!」

ルビィ(思い出さなくていいよぉ…!!)

理亞がルビィを嫌悪するのは因縁だけでなく、同族嫌悪も多分に含まれている。

一見すればまるで真逆の性格をした二人。
だがその実、理亞もその本質は甘えたがり。姉に依存気味の妹だ。
鹿角姉妹の場合は親を失った境遇も手伝っていて、少しずつ自立しつつあるルビィと比べ、姉への依存心はもしかすれば上かもしれない。

ただそれは本質。
強がりな性格もあって、もっと甘えたい本音を隠してキリキリと振舞っている。

そんな理亞から見てルビィは自分の弱さを見せつけられているようであり、素直に甘えられるルビィの性格への嫉妬めいた感情もある。
ダイヤとルビィが一緒にいる場面を直接目にしたわけではないが、同族故に感覚でわかるのだ。

そんな諸々を、理亞は決して自覚していないが。

さておき、理亞が劣勢を覆せずにいるのは手持ち、搦め手を使える面子が既に潰されてしまってるため。

今出ているレントラー、それにエースのマニューラはどちらも物理主体のポケモン。
特殊型にロングレンジで攻められている状況を巻き返すのにはあまり向いていない。

あくタイプのマニューラならムシャーナに有利を取れるが、ルビィの控えに以前のピッピ、もしくはピクシーがいるなら相性不利。
返しで潰されてしまえば組み立てが難しくなる、繰り出しには慎重を要する。

そのため理亞はもう一体、ムウマージを少し離れた位置へと出している。
ゴーストタイプの特殊型、ムシャーナと撃ち合うにはうってつけのポケモンだ。

ただし、眠らされている!

花丸のヌオーから受けた“あくび”の効果はまだ解けておらず、だからと言って“なんでもなおし”などを投与してあげられる猶予はない。
なのでルビィがすぐに攻撃できない離れた位置にボールを投じ、外気に晒し、自然と目覚めてくれるのを待っている。


ルビィ(マルちゃんと善子ちゃん、二人のおかげでルビィは戦えてるよ!)


人質にされないように遠く距離を開けて見守る花丸と善子、二人の心はルビィと共に。
怖がりながらも落ち着いている。
そんなルビィを視界の中心へと収め、理亞はおもむろに懐へと手を差し入れる。

ポケモンで状況を打開できない。なら…トレーナーが打開すればいい。


理亞「あの時の怒り…姉さまの仇。やってやる」


黒光りする金属、それはあの時と同じ。
中国製拳銃、“黒星”の銃口がルビィへと狙いを定める。

ふわりと、黒の重量感は皆無。
まるでそれがハリボテであるかのように、理亞の手にした“黒星”が宙を舞っている。


理亞「な…」


臆病者、理亞はルビィをそう評した。
だが臆病は命をやり取りする戦いの場において、決してマイナスの要因だとは限らない。
それは生きたいという執着、生物として正常な危機回避本能。
立ち向かう勇気を共存させられれば、臆病は敗北の徴候を嗅ぎとる鋭敏なセンサーとなりえる。

“あの時”と理亞が口にした瞬間、ルビィは即座に穂乃果を狙っていた拳銃の輝きを思い出している。
理亞はどうやら万全な準備をしてこの場にいる。だとしたら、今回もピストルを持ってるんじゃないかな…?

先読みし、すぐさまムシャーナへと指示している。
「あの子が何かを取り出したらすぐに取ってね!」と。

するりと盗みとり、念力に拳銃を手元へと引き寄せている。
宙に掴み、ルビィは銃口を理亞へと向け返す。


ルビィ「う、動かないでえっ!」

理亞「っ…!」

逆転の手段、それがルビィの手へと奪取される。
人を容易く殺められる鉄の牙はその対象を逆へと変じ、これで勝負に幕が降りる?

否、理亞は前へと走る。
ルビィから向けられた銃口をまるで意にも介さずに、鋭く距離を詰めていく!


ルビィ「ぅえ!?こ、来ないで!撃っちゃうよ!」

理亞「お前には撃てない!」

ルビィ「う、撃…!撃てるわけないよぉ!」


銃は、どちらの手も届かない位置へと投げ捨てられている。
結局、ルビィはトリガーへと指を掛けることさえしなかった。
それを理亞はわかっていた。だから躊躇なく踏み込んでいる。


理亞(撃てないに決まってる。それを初めて手にした時、私は怖くて指が動かなかった。お前なんかに撃てるわけがない!)

もう一つ付け加えるなら、まだ安全装置が解除されていない。
精神的に撃てないことはわかっていたし、物理的にも撃てないのだ。

結果として、理亞にとっての怪我の功名。
拳銃への躊躇に思考が止まったことで、理亞は大きく距離を詰めることに成功している。
ルビィは焦燥を顔に浮かべ、ムシャーナへと指示を下す!


ルビィ「ムシャーナ、“サイコキネシス”!」

理亞「この距離なら…レントラー!“ワイルドボルト”!!」


レントラーは吼える!ようやくその雷力を発揮できる場面だと獅哮を上げている!

黒い体に発電、バリバリと電気を漲らせて四脚に土草を蹴る。
理亞の指示に加速、力を込め…ムシャーナムシャーナが放つ“サイコキネシス”の中へと、全力でその身を投じる!

超力と雷進の衝突、凄烈な迸光!!

『ムシャアッ!』

『グルァルルゥ!!』


ムシャーナとレントラーはそれぞれにダメージを負っている。
だがお互いの撃破には至らず、いずれも未だ健在。
ムシャーナは閉じられがちな目を大きく見開き、レントラーは凶眼そのままに相手を見据え。
二匹はそれぞれの主人の指示を待つことなく全力の次撃をぶつけ合っている。

何故指示を待たないのか。それはルビィと理亞もまた、取っ組み合いの姿勢へと移行しているから!


理亞「捕まえた…!!」

ルビィ「ひいっ!?は、離してぇ!!」

理亞「声も顔も髪型も、全部イラつく!甘ったれ女!」

ルビィ「痛い!痛いっ!」


取っ組み合いという表記はあまり正しくないかもしれない。
理亞は身体能力に長けていて体術の嗜みがあり、ルビィはただの気弱な少女。
それは一方的なマウントで、ルビィは危機へと追い込まれている。

線が細く、幼い印象のある二人が組み合っている。
状況と事情を知らずにここだけを抜き取ってみれば子供同士の喧嘩、その程度に見えるかもしれない。

だが、理亞がまっすぐに振り落とす拳は痛烈だ。
三打、四打…ルビィの頬は腫れ、瞼は内出血に青んでいる。


ルビィ(ぅあ…痛いっ、痛いよぉ…!)


ルビィは心優しさと臆病を心に住まわせた少女だ。そんな性格であれば当然、喧嘩の経験はほとんどない。
同年代の同性と比べても大人しく平和を好む部類。殴り合うような喧嘩となれば経験は皆無、誰かを強く憎んだこともない。

理亞が叩きつけてくる拳はルビィにとってただ理不尽で、わけもわからないうちに痛みで涙がポロポロと溢れてくる。

そんなルビィを見下ろし、理亞は顔を歪めて声を落とす。


理亞「痛い?叫んでみればいい。情けなく呼べばいい!お姉ちゃん助けてって!」

ルビィ「…ぅ、う!呼ばないもん…」

理亞「………ィ、腹が立つ…!」


もう一発!が、ルビィの掌が初めて理亞の拳を受け止めている。


ルビィ「決めたもん…!ルビィは、お姉ちゃんに頼ってばっかりじゃダメだって…!」

理亞「ああっ…!そう!!」

さらに殴打を。

理亞の拳にはルビィだけでなく、自分を取り巻く環境と運命の全てへの恨みが込められている。

姉さま、聖良はいつも理亞に優しい。もちろん厳しさも見せるが、いつだって手を離さずに導いてくれる理亞の指針だ。

アライズ団…悪を煮詰めたような組織だとは理解している。それでも理亞に居場所を与えてくれた。
ツバサ、英玲奈、あんじゅ、三幹部は身内には優しいところがある。
その生き方は最悪の部類だが、理亞にとっては尊敬する人々だ。

ただ、それ以外の世界。
両親が死んだ時、ツバサに拾われるまでは姉と自分を誰も助けてくれなかった。
悪に身を置くからこそわかる。見えている世界を一枚剥がし、その裏側はたっぷりの私欲と悪意に満ちている。

酷く息苦しい世界、渦巻く醜悪のプールの中を、理亞は姉という浮き輪にしがみついて必死に生き延びてきた。だというのに…!


理亞「家族にも、友達にも、環境にも…全てに恵まれて!!そんな甘えた目でいられて!!」

ルビィ「げふっ、ぁう゛っ…!……泣い、てる…?」

理亞「憎い…!お前みたいなやつが憎いよ…!」

もし、両親が死ななかったら。
もし、裕福な家に生まれていたら。
もし親族が優しかったら、もし世間が手を差し伸べてくれていたら、もし世界から零れ落ちなければ…

そんな全てのif。
下敷きに口から血を流している黒澤ルビィは、理亞が考えないようにしてきた“もしも”の可能性を体現した存在に見えて仕方がないのだ。

自分だってまだ両親に可愛がられていたかった。
自分だって安全な環境で姉にたくさん甘えて、そろそろ少しずつ自立しなくちゃなんて考えてみたかった。


理亞「その髪型をやめて…!!」

ルビィ「い、たい…っ!」


理亞はルビィの赤髪、ツインテールの結び目を強引に解こうと手を掛ける。
髪色は違えど、自分と同じツインテール。その容姿は理亞にとっての苦痛でしかない。
髪留めを千切ろうと指先に力を入れて…


ルビィ「やめて!!」

理亞「っ!?」


ルビィがこれまでに見せていない力で、強引に理亞の手を弾き払う。

今日、旅館での朝。

ダイヤは先に街へ向かうと言い、ルビィたちが遅めの朝食を終える頃には身支度を済ませていた。

そんな折、何か予感があったのだろうか。
ダイヤは食事を終えても眠気が覚めずにいるルビィを呼び、櫛を片手に丁寧に髪を梳かしてくれた。


ダイヤ「ルビィの柔らかな髪、わたくしは大好きですわ」

ルビィ「…えへへ」


そういって撫でられ、自分で結ぶよりも少ししっかり、けれどいつも通りの形にルビィのツインテールを仕上げてくれた。
そしてダイヤは旅館を出立していった。

みんなが部屋にいる中で髪を整えてもらうのはほんの少し恥ずかしさもあったが、なんだか嬉しくて、鏡に何度も何度も写し見ていた。


ルビィ(お姉ちゃんもきっと、街のどこかで戦ってる。まだ戦ってるかな、もう終わったかな…でも絶対勝つよ、お姉ちゃんは強いもん!)


そう、心から信じている。

大好きなお姉ちゃんから結んでもらった髪。
それを解かれそうになって、ルビィは自分でも信じられないくらいの大声を出していた。理亞の手を払いのけていた。

驚いたのか、理亞は表情と動きを固めている。
ルビィは自分でも驚きつつ、その感情を噛みしめるようにもう一度同じ言葉を口にする。


ルビィ「やめて。髪に触らないで」

理亞「…っ、生意気…!」


もう一度殴ろうと拳を振り上げた理亞、その胸をルビィはドンと押している。
力加減よりも、偶然にタイミングがジャストだった。
それは理亞がちょうど重心を後方へと傾けた瞬間で、非力なルビィから押されただけで理亞はバランスを崩す。

その瞬間を見逃さず、ルビィは腰の新たなボールへと手を掛けている。


ルビィ「おねがい!バイバニラぁ!」

ソフトクリーム、その山を二つ連ねたようなルックス。
両方に顔があり、片方は普通でもう片方は満面の笑顔。
奇妙といえば奇妙ながら、愛らしい容姿のこおりタイプ。

可愛くて、かつ大好きなアイスクリームにそっくり。
そんなゆるい理由から育成を始めたのだが、しかし特攻の種族値はなかなかに高いポケモンだ。

至近から生身で氷を浴びせられてはたまらない。
理亞はルビィをマウントした姿勢から飛び下がり、同時に横で続いているポケモンたちの戦いへと目を向ける。

レントラーもムシャーナもまだ倒れていない。
お互いに体力は減じているが、トレーナーからの指示がない状態で膠着気味のようだ。
だがレントラーが押しているように見える。このまま戦わせればムシャーナは落とせる。

そう判断し、理亞は端的に指示を。


理亞「バイバニラが攻撃してくる。避けて」

ルビィ「バイバニラ!“れいとうビーム”っ!」


放たれる青の冷線、レントラーは指示通りにそれを躱す!

違う。

理亞は万策を尽くし、その光線の発射を阻止しなくてはならなかった。
止められないのならレントラーに身を呈させ、落とされてでも防がなくてはならなかった。

ルビィはまっすぐ、理亞とレントラーの“先”を見ている。
ルビィ憎しに近視眼的になっていた理亞に比べ、今よほど冷静に戦場を把握できている。

直線上、その光線が向かう先は…そう、これはあくまでダブルバトル!


ルビィ「当たってぇ!」

理亞「…!?しまった!

『きゅいいいっ!!?』

聖良「ムクホークっ!」


ルビィの狙いは延長線、千歌と戦う聖良のムクホーク!

飛行に氷は相性二倍。
ダイヤの手も借りて丁寧に育てられたバイバニラの“れいとうビーム”の直撃、それは聖良のムクホークを十分に落とし得る!


聖良(まずい…!)

千歌「ナイス!ルビィちゃん!」


戦況は大きく変化する。
聖良は幼い頃からの連れ合い、以心伝心に馴染んだムクホークで千歌を翻弄しつつ戦線を有利に運んでいた。
かくとうタイプのエンブオー、くさタイプのロズレイドの両方に有利を取れるポケモンであり、そこにマッシブーンを加えた布陣では千歌は防戦、ジリ貧気味の状態にあった。

もちろんまだまだ手はある。
あるが、“ステルスロック”のダメージを踏まえても交代で出すべきか、だとしてタイミングは?
そんな不利な択一を迫られていた。

その状況がルビィの一手に激変している!

筋肉塊、マッシブーンは千歌へと猛進。
それを見据えながら、お互いが数秒間に戦術選択を。
だが千歌にとって、ここは間違いなく一択!


千歌(ムクホークがいなくなったなら!)

聖良(だからと言って退かせるのは悪手。エンブオーの攻撃、マッシブーンならほぼ確実に耐えられる)

聖良「マッシブーン、そのまま突撃を!」

千歌「エンブオー!!思いっきり行けえっ!“フレアドライブ”!!!」


剛拳に炎拳、一帯を揺るがす一撃が炸裂!
深く強かに、互いの体を打ち抜いている!!

交わされた拳。衝撃が周囲に走り、空気は揺れて川面が波立つ。

エンブオーとマッシブーン、共に重量級のパワー系。
それぞれの腕は交差し、クロスカウンターめいて互いを捉えている。

“フレアドライブ”の火炎はマッシブーンの全身を包み込んで盛り、烈と夜空を赤染めている。
だが、エンブオーの上体にもまたはち切れそうなほどに膨張した腕、ダンプカーを破砕してみせた一撃がめり込んでいて…


『ブ、オ、オオオッ…』

『ブゥゥゥウン!!!』


傾ぎ、倒れたのはエンブオーだけ。
重傷を負いながらもマッシブーンは若干前屈、両腕の筋肉を強調。
それはボディビルダーのするモストマスキュラーめいたポージング。わずかながら、まだ余力を残している!

千歌はぎゅっと口を結び、掌をギュッと握りしめている。その表情は狼狽の色か。
聖良はその様を目に、慢心はせずとも想定通りと笑みを。


聖良「耐え、倒した。イレギュラーはありません」

千歌「ありがとう…休んでてね、エンブオー」


UB、異世界から襲来した生物たちに共通の特性、“ビーストブースト”が発動する。
エンブオーの打倒に勢いを増し、マッシブーンの全身を赤色のオーラが包み込む。
するとどうだ、屈強な肉体がさらにパンプアップしたではないか。

倒せば倒すほどに力を増す、それはまるで殲滅、侵略を旨としているような性質。
本当に共存が可能な生物たちなのか、疑問は残るが…


聖良「マッシブーン、“きゅうけつ”で体力の補充を」


冷静に次の指示を。

マッシブーンの口には長く頑強な吸い針がある。
巨大な筋肉ダルマとでも呼ぶべき容姿に印象を塗られているが、生物としての種別は蚊に近い。
蚊が血を吸い膨れるように、マッシブーンは筋力に身を膨らせる。
故に“ぼうちょうポケモン”、【EXPANSION】の異名を有し、UBの中でも戦闘適性は高い部類と言える。

聖良からの指示は“きゅうけつ”、蚊に似た身の本領を発揮せんと口針は鋭く。
力を誇示するように両腕を広げ、四脚で千歌へと飛びかかる!!…が。


『……ブ、ブゥン…』

聖良「…?マッシブーン、どうしたの…倒れた?」

千歌「……よしっ!」


千歌まで残り六、五、四歩…
その距離を残し、マッシブーンは前のめりに崩れている。
300キロ超の体重に地面が揺れ、擦れた砂利がジャリリと響く。

そのまま動かず…千歌はマッシブーンを倒している!

何故?

聖良(何故?)


聖良は疑問に思考を巡らせる。

エンブオーの一撃には間違いなく耐えきっていた。
確かに敵は優秀な個体だったが、相性不利を踏まえても耐えられるポテンシャルがマッシブーンにはある。理論上でも、トレーナーの感覚としてもだ。

それがどうして、時間差で今倒れる?


聖良「スリップダメージ…?……まさか」

千歌「やったね、ロズレイド!」

『ロォズ!』


小さくガッツポーズをした千歌へ、薔薇の貴人が優雅に頷く。
千歌は志満のロズレイドへ、ボールから繰り出す前に先行して技の指示を与えていた。
登場と同時、芝生へとエネルギーを伝播させて薔薇園を形成している。
茎には棘、棘には毒。それはロズレイドの意のままに敵だけを搦め刺す自在の荊。


聖良「“どくびし”…」

千歌「よし、上手く決まってくれた…!」

マッシブーンは荊の罠へと足を踏み入れ、“フレアドライブ”の傷に毒痛を重ね、ついにその身を横たえたのだ。

千歌は傍ら、ロズレイドへと親指を立てて(やったね!)と示す。

パワー特化の美渡のエンブオーとはまた異なり、志満のロズレイドは優れたオールラウンダー。
主人である長女、志満の性格を表すように、さりげなくそつがない。

普段は千歌の実家である旅館、十千万のカフェスペースで志満の手伝いをしている。
ロズレイドが庭に花葉を育て、それを茶葉にしたロズレイティーはカフェスペースの密かな名物と評判だ。

そんなロズレイド、いざ戦闘となれば千変万化。
“ヘドロばくだん”で圧を掛け、“どくびし”を仕込んで密かに刃を突き立てる。そんな戦型を得手としている。


千歌(志満ねえは優しいけど怒ると一番怖い。ロズレイドもそんな感じかなぁ)

トレーナーの優秀さは戦闘での強さと育成の上手さの二軸、その二軸は密接に相関する。

上手く育成されたポケモンは自ら判断し、トレーナーにとってのもう一つの目となる。
ロズレイドの視線は敵の隙を見出す。千歌を促し、千歌はそれに応えて攻撃許可を。


千歌「“マジカルリーフ”!」

『ロォズッ…!!』


ロズレイドの足元から地をエネルギーが走り、芝生へと直線的に繁茂していく薔薇。
それは側方、理亞のレントラーの直下へと到達し、放たれる薔薇の刃。
まるで魔力、微細に制動されたマジカルリーフがレントラーへと殺到していく。理亞が叫ぶ!


理亞「レントラー!この…っ、“ワイルドボルト”で吹き飛ばして!!」

ルビィ「さ、させない!バイバニラ、“こおりのつぶて”ぇっ!」

理亞「っ、速…!」

『バニィッ!』と放たれた氷は弾丸のような高速、“でんこうせっか”のように出の速さが売りの小技。レントラーの体を軽打して微量のダメージを。
隙を作るにはそれで十分だった。わずかに怯んだ一瞬、大量の“マジカルリーフ”がレントラーを包み込んでいる!


ルビィ「千歌ちゃん、やったぁ!」

千歌「ありがとルビィちゃん!」


既にムシャーナとの交戦に手負いだったレントラーはそれで限界。力なく身を横たえていて打倒を完了。

さらにルビィは理亞へと追撃を!


ルビィ「ムシャーナ!“さいみんじゅつ”っ!」

理亞「っ、ムウマージっ!!」


催眠を誘う念波が放たれ、その矛先は身を守るポケモンを出せていない理亞。
しかし間一髪、眠りから目覚めていたムウマージが割り込み魔力でそれを遮断する!

そんな戦況、聖良はロズレイドを凝視している。
エンブオーのような特化したパワーがあるわけではないが、遠近どちらにも対応できる。
搦め手に直接的な攻撃に、なかなかに多芸な個体のようだ。


聖良(あの手のポケモンは公式、一対一のシングル戦では対処も難くない。
ですが…その本領は今のような乱戦。放置すればするほどにペースを乱される)


優先的に処理しなくてはならない。

今、聖良が即座に行うべきは二つ。
ロズレイドの打倒、押され気味の理亞のサポート。
ロズレイドに次いで処理すべきは黒澤ルビィのバイバニラ。

くさタイプとこおりタイプ、その二つをピンポイントで抑えられるキラーカードを聖良は持っている。だが、心中には逡巡。


聖良(今ここで使う?けれど、リスクもある。どうする…)


聖良は理亞と同じく、自らの体術もある程度の水準まで磨き上げている。
なのに千歌へと自ら攻撃を仕掛けていかないのは、UBの制御に集中するため。

マッシブーンはUBたちの中では比較的扱いやすい素直な個体だが、それでも気を抜けばどうなるかわからない。そんな感覚が聖良の中に常にある。

今、出すか迷っているのはUBではない。しかし持っている力は勝るとも劣らず、破壊規模ではあるいは上。
気を抜けば自分と理亞まで飲まれる、そんなリスクが脳裏によぎる。

だが、決断は三秒。
それ以上を要してはいられない。聖良はボールを手にしている。


聖良「…いいえ、ここで負ける、その方がよほど論外」

千歌「ん、なんか来る…気をつけてルビィちゃん!」

聖良「時間もない…早々に決めます。ヒードラン!!」


ゴボボ、ゴボボボ…
そんな滾りは口から漏れた鳴き声。
ヒードランのタイプは珍しい、ほのお・はがねの複合。通称は“かこうポケモン”。
四脚で這い、十字状の爪は壁床に留まらず、天井までを掴む強靭。
シンオウ地方の火山に棲まう、高熱と硬質を有した強力なポケモンだ。


千歌「あ、熱い!?」

聖良「そう、熱いんです。身に宿した灼熱は全てを焼き焦がす…」

理亞「ヒードラン…!気をつけて、姉さま!」

その熱気は河川敷の土壌を燃やし、溶かしていく。
並び立つ聖良も熱い。技量があるため辛うじて扱えるが、並のトレーナーが連れればその身を灼かれかねない危険性。

アライズ団が特殊なルートから入手したポケモンだが、どうやらとりわけ気性の荒い個体らしい。
実戦投入をテストした段階で、数人の死傷者を出している。
アライズ団のテストトレーナーの中で最も優秀な聖良は扱えるが、それでも慎重に、細心を払い…


聖良「ヒードラン、“マグマストーム”」

『ゴボボボボ!!!!』


ヒードランの口が上下にガバリと開かれ、そこから大量の炎。粘性を有した、マグマの赤が溢れ出す!
それはまさに嵐、半個体の炎は噴出の勢いままに宙を無軌道、聖良はそれを見切りながらヒードランへと誘導を。

そして的確に、ルビィの頭上へと降らせてみせる!

理亞(…!)

千歌「ルビィちゃん危ない!!」

ルビィ「ぅあっ…!ば、バイバニラぁ?!」


駆け寄った千歌が危機一髪、ルビィを抱えて横へと逃れ、溶岩の雨から救い出す!

だがその場にいたバイバニラは逃れられず。
突然のことにルビィの指示も間に合わず、頭からマグマを被ってしまっている。

グラグラと沸した溶岩を浴びせられ、こおりポケモン特有の冷気の盾も容易に突破され。
凄まじい熱に、バイバニラは氷の体を保てずに若干溶けながら倒れ伏す。
もちろん戦闘不能だ。バイバニラを引き戻して労いつつ、ルビィは危うく死にかけたことに身を震わせている。

そんなルビィの肩を抱く手に、千歌は勇気付けるように力を込める。


千歌「ルビィちゃんはサポートに回ってね、ここは私が」

ルビィ「で、でも千歌ちゃん…」

千歌「……大丈夫。たぶん!」

千歌はルビィへと力強く、…語尾は多分と不確定ながら、前線を請け負ってみせる。
そんな敵の様子を向かいに見つつ、聖良は黒澤ルビィを焼き殺さずに済んだことに内心胸を撫で下ろしている。


聖良(やはり制御が難しい…バイバニラを的確に狙えたのはいいけれど、トレーナーまで巻き込んでしまうところだった)


聖良自身は相手の生殺にこだわりはない。

ただ、理亞はまだ殺人の経験がない。その目の前で同年代の少女をマグマで焼き焦がす…
あまり見せたくない光景だ。精神的なショックを受けてしまう可能性が高い。

ヒードランの脅威は理亞も理解している。
ルビィと千歌が合流したのに応じ、理亞もまたマグマの巻き添えを食わないよう聖良の傍らへと移動してきている。


理亞「姉さま、私はどう動けばいい?」

聖良(ヒードランだけで攻めれば大雑把になる。ここは…)

理亞「姉さま…」

聖良「大丈夫よ、理亞。少しの間休んでいて」

同様に相方を留め、千歌と聖良は互いを見合う。
聖良の辞書に容赦の二文字はない。ヒードランを擁しているからと攻め手を一体だけに収めるつもりはさらさらなし。


聖良「来なさい、マニューラ」

『ニュウラッ!』

ルビィ「あ…!気をつけて千歌ちゃん、あのマニューラ強いよ!」

聖良「その通り、本来のエースはこの子」

千歌「げ、そうなの?氷だし…って、はやっ!?」


まだ距離はある。
そんな感覚に慎重な対応策を練っていた千歌へ、マニューラは既に五歩圏内!
鋭く研がれた鉤爪は鋭く、千歌を殺めずとも両手足の腱を切断する狙い。極めて低姿勢での接近!


理亞(姉さまの十八番、最下段からの掬い上げ!動けなくして終わりだ!)

千歌「っ、ロズレイド!お願い!」

聖良(想定通り。そう応じざるを得ないでしょうね)


下段から擦り上げられたマニューラの爪を、ロズレイドは薔薇と荊を織ったウィップでに受けようとする。
だが草と氷、タイプ相性の不利はロズレイドへと受けを許さない。
鋭氷に補強されたマニューラの爪はカミソリめいた斬れ味でそれを裂き、二、三と踏み込みロズレイドを追い込んでいく!


千歌「ううっ、頑張れロズレイド…!」

聖良「ここは攻め時、“どくびし”はあくまで遅効性。甘んじて踏みましょう」


毒荊による蓄積ダメージを無視し、マニューラを猛然と突撃させている。
焦ってはいない。単独でロズレイドを落とさせようというのではない。
マニューラの役割はあくまで牽制、多芸なロズレイドが奇妙な動きをできないよう留めてくれればそれで構わない。


聖良「これで…落ち着いて狙える」

千歌「…!!」


地が熱を含んでいる。
四つ脚を通じ、ヒードランの口へと地熱が集まっていく。
吸い上げられ、体内に込められた熱は目の前に流れる一級河川を茹だらせることが可能なほど。

聖良「“マグマストーム”…口へと収束してください」


命中率を改善させるため、聖良はヒードランを御するためにテストしていた技の準備シークエンスへ。
チャージの進みを見つつ、タイミングを見計らい、短く正確な指示を訥々と下して複数段階。
技としては同じマグマストーム、威力に変わりはないが、一点照射へと変えることで速度と命中精度が大幅に増す。

ヒードランの本領は四天王のポケモンたちにも劣らない。
街を穿ち火の海へと変えることもできる強力な一体だ。その口へと莫大な熱量が集められ…


聖良「今です…発射」


“ぎゅぱ”、と。

千歌へと灼熱のレーザーが撃ち放たれる!!!

アライズ団の活動には支援者がいる。
それは特定の誰というわけでなく、ツバサたちの活動で利益を得ることができる大陸の資産家や投資家たち。
さながら蹂躙の屍肉に集うハイエナだが、UBなど数々の強力なポケモンなどを買い付けられているのは彼らの支援による潤沢な資金故に。

そんな資金で整えられた設備には、ポケモンの技の破壊規模を具体的に計測できるハイテクな部屋も存在していた。
そんな一室で、聖良はヒードランの収斂型マグマストームの威力を計測している。

その威力は例を挙げるならば、長大に屹立するオハラタワーを真横一文字に焼断することができるほど!
そんな恐るべき火力と貫通力を有した火炎が猛然、受けなければ即死は必至。

吐出の寸前、千歌はボールの一つへと素早く手を掛けている!


聖良(受ける手段がある、あなたの目はそう語っていた。
故に、殺してしまう可能性がありながら放ちました。さあ、見せてください…その手段を!)

千歌(どれくらいまで耐えられるかなんて試したことないよ…!だけど…私はこの子を信じる!!)


千歌「おねがい!ラッキー!!」

『ラッキ~』

うっすらとしたピンク色、その体は丸々としたタマゴ型。
とても戦闘向きには見えないポケモンだが、ミカボシ山ではデオキシスシャドーの“サイコキネシス”を平然と受けてみせた千歌の主力の一匹だ。

確かに、特殊攻撃を受ける能力はズバ抜けている。
だがルビィは、「ひぁ…!」と声にならない悲鳴をあげている。

いくらラッキーでも、あんな見るからに凄まじい灼熱を浴びれば死にかねない…けれど祈るしかない!


聖良「正面から受ける気ですか、面白い!」

千歌「がんばれ!ラッキー!!」


オハラタワー後に限れば…
強くなりたいと願う気持ち、動機、千歌のそれは、ロクノシティで味方勢力として戦う面々の中でも最上級と言えるだろう。

ダイヤに教えを請っただけではない。
自分でも色々な情報を調べ、寝る間を惜しんで育成を考え、様々なトレーナーの姿を見て自分の道を考え続けた。

その中に見出した手段の一つ、“しんかのきせき”。
未進化のポケモンが体内に眠らせているエネルギーと共鳴して強固なバリアフィールドを体表に張る作用がある鉱石だ。

それはアキバ地方では極めて珍しい逸品で、ネットで価格を調べてはみたがとても手が届く代物ではない。

…が、千歌は諦めなかった。必死に手段を探した。
知り合った人々の力を借りて、頭を下げ、必死に駆けずり回り…ついにそれを手に入れたのだ。

強くなるための手段はポケモンを鍛えるだけではない。
勝つための条件を整える、道具の収集も立派な手段の一つ。
強くなるための執念、諦めない思いが今、その成果を発揮する。


ルビィ「ラッキーの体が光ってる…!」


ラッキーに持たせられた“しんかのきせき”が光を放ち、その体表へと光輝するバリアを形成している。

灼熱の閃火が直撃…!


千歌「耐えて!ラッキー!!」

ルビィ「がんばってぇ…!」

『らあっ…きぃいいっ!!!』


聖良と理亞、二人はその光景に思わず一瞬、動きを止めている。
ヒードランの最大火力を正面から受け、それを斜め上の空へと逸らし、千歌のラッキーはしっかりと健在を保っているのだ!


理亞「そん、な…!?」

聖良「……体の丸みを活かし、上へと逸らしましたか」


動揺を隠せない理亞に対し、聖良はあくまで平静を保っている。
しかしそれはあくまで仮面。内心には、強い戸惑いが生まれている。

私は…私と理亞は、これほど弱かっただろうか?

聖良はマニューラを呼び戻している。

ロズレイドを仕留めるには至っていないが、一旦仕掛けなおす必要がある。
その算段を立てようとして…思わず、聖良は小さく呟いている。


聖良「……わからない。ヒードランまで持ち出して、何故押し切れないの…?」

千歌(負けない。負けられない。負けたくない!)

聖良「……」


千歌は難しいことを考えているわけではない。神算や狂気、並外れた勇気があるわけでもない。
けれど、千歌の目には不屈の光。

聖良はわずか一瞬、そこに高坂穂乃果と同じ色を見ている。


聖良(時間は…)


時計を見る。
戦闘開始から9分、最悪でも15分以内には片を付けたい。
いや、当初は7分で済ませる予定でいた。歯牙にも掛けていなかった。だが…


聖良「何故押されていたか、わかった気がする」

理亞「……?」

聖良「私は相手を見ていなかった。計画の成就と、高坂穂乃果を倒す。そればかり考えていた」


だが、目の前の少女。その目には無視できない、無視してはいけない光が宿っている。
計画とリベンジに気を取られ、眼前のそれに気付けていなかった。

まだ、高坂穂乃果のように赫赫と世を照らしはしない。
けれど確かに、懸命に煌めき始めている小さな光。それはきっと、ここで摘むべき輝き。


聖良「鹿角聖良」

千歌「へ?」

聖良「私の名前です。もう一度、貴女の名前も聞かせてもらえますか」

千歌「あ、名前…」


虚を突かれてぽかんと、しかしすぐに意図は伝わった。
千歌は表情に輝きを宿し、聖良を真正面から見据える。


千歌「千歌。ウチウラタウンの高海千歌!」

聖良「高海千歌…覚えましたよ、私の敵」


名乗りを交わし、そして二人は躊躇わない。
すぐさま同時、ポケモンたちへとそれぞれの指示を下している。


聖良「ヒードラン、もう一度…“マグマストーム”!」

千歌「ラッキー!もう一回受けてっ!」


超炎が渦を巻き、逸れる!
余波は溶岩流としてフィールドを赤黒く流れていて、高熱に煽られた二人の額には汗が滲んでいる。
構わず、千歌はロズレイドへと指示を!

千歌「ロズレイド、“やどりぎのタネ”!」

聖良「マニューラ、“けたぐり”です」


業師ロズレイド、放つ一手は“やどりぎのタネ”。
四つ脚で地を踏み鳴らすヒードランと、すれ違いざまに一粒のタネを植えつけている。
草と毒、いずれの技も通らない天敵へと与えられるせめてもの嫌がらせだ。

同瞬、マニューラは身を沈めて全力の蹴りをラッキーの下段へ!
キレ味鋭い挌闘技の“けたぐり”はノーマルタイプのラッキーには痛撃。
ラッキーの物理耐久はまさに紙、ダメージは深く響き…


千歌「ラッキー!頑張れっ!!」

『ラァッ…キイッ!!』

聖良(まだ耐えますか…!)

千歌「今だ!“ちきゅうなげ”!!」


持ちこたえたのは千歌の意地、即座の返しは千歌の成長。
ラッキーはマニューラを掴み、ぴょんと軽やかに跳ねて地面へと叩き落とす!

倒せずともダメージが刻まれ、しかし左方ではヒードランが火炎を吐瀉。
ロズレイドが身を焼かれ、倒れている!


千歌「ごめんね、お疲れ様…!」

聖良(もう一手で勝てる…)


思考、決断。


聖良「理亞!」

理亞「はい、姉さま!」

このタイミングのために控えさせていた。

理亞も心得ている、声を掛けるだけで指示は不要。
すかさずマニューラを投じ、聖良の面前に二匹のマニューラが体制を沈めて身構えている。
それはオハラタワー、穂乃果のリザードと激戦を繰り広げたあの時と同じ陣形。

以前にそれを目にしているルビィは、千歌へと警句を上げる!


ルビィ「ち、千歌ちゃん!そのマニューラたち、息ぴったりでタイミングをずらして攻撃してくるっ!」

理亞「余計なことを言うな!ムウマージ!」


マニューラを姉へと託し、理亞は残るムウマージを駆ってルビィへと攻撃を仕掛けていく。


千歌「た、タイミング?どうしよう…」

聖良「考える間は与えませんよ。ヒードラン、もう一度!!!」

千歌「ううっ…!」


流石のラッキーにも体力の底はある。
“けたぐり”で既に限界、さらに回復する間を与えずに攻める聖良はやはり戦闘慣れしている。
これを受ければラッキーは落ちる。けれど受けないわけにもいかない…!


千歌「ごめん、ラッキー…!おねがい!」

『らっ…きぃぃ!!!』


三度目の正直、二度あることは三度ある。
矛盾の例、相反する諺として槍玉に挙げられがちな二つのフレーズの、今は後者が正答となる。
ラッキーはまさに死力を尽くし、三度目の“マグマストーム”を遠方へと逸らして倒れ伏す。

壮絶な防勢、千歌はポケモンの奮闘に深く感謝して心を燃やしている。

だがそれは同時に聖良にとっての福音、決着の準備が整った瞬間でもある!


聖良「ラッキーが倒れた…!今です、“つばめがえし”、“つじぎり”!」

『マニャアッ!!!』
『ニュラァッ!!!』

それは師である最強の戦闘屋、??統堂英玲奈の教えを忠実に再現した二段決殺の構え。

初撃は必中の“つばめがえし”、見切りが不可能な軌道で確実に相手の機能を損なう。
追撃は殺斬の“つじぎり”。回避能力を失った相手へ、落ち着き確実に叩き込む急所撃!

この流れを連動して放つことで、あらゆる敵へと意のままの傷を抉り付けてきた。
生かすも殺すも四肢を?ぐも自在、逃れ得たのは奇策師、高坂穂乃果ただ一人。

聖良はそれを無闇には放たない。
段取りを整えた上で、確実に成功する場面でのみ仕掛ける。


聖良(今この状況、まさに完殺の手筈)


ロズレイドとラッキーをヒードランに落とされ、千歌の場にはポケモンがゼロ。
まだボールは三つ残っているが、新たに二体繰り出したとして指示が間に合って一体。

必然、マニューラのどちらかは防げない!


聖良(殺った。命はともかく、四肢は損ねさせてもらいますよ)

対し…迫る死爪を目前に、千歌は自身の未熟を実感している。

(超えなきゃいけない壁がいっぱいだな)、と。

曜ちゃんや梨子ちゃんだけじゃない、志満ねえと美渡ねえのポケモンだって上手に育てられてる。

鹿角聖良、この子もすごく強い。
旅館の居間でおじいさんたちがやってる将棋みたいに、順々に綺麗に攻撃を組み立ててる。
悪だけど…凛としてて、見惚れるぐらいに。


千歌(私、まだまだだ。だから…こんなところで死ねないよ)


開くボールは一体、まずはそれで十分。


千歌「力を貸してね…。メガシンカ!!!」

聖良「来ましたね、メガシンカ。ですが…既に詰んでいる!」


開封と共に、溢れる激しい光。
千歌のトレーナーとしての勝ちたい気持ち、優しさと、愛情とプライドと憧憬と、その他数えきれないほどの諸々を併せて、それは魂!
千歌の魂とメガリング、そしてポケモンに持たせたメガストーンが共鳴を!

現れたのは“おやこポケモン”ガルーラ…
否、腹部の袋に子ガルーラはいない。袋で育てられてきた子供は力を注がれて逞しく、親子二匹が並び立つその姿こそがメガガルーラ!!


千歌「“ねこだまし”だぁっ!!!」

『ガルァッ!!!』
『がるぁっ!』

聖良「なっ、まさか…!」


バチン!!!
面前で叩き合わされたガルーラの両手はマニューラを驚かせて動きを止め、寸分違わず、子ガルーラもまたその動きを再現している。
子供は真似る、指示は一つで十分。聖良の算段は崩れ…

マニューラたちの動きが止まっている、そこは千歌の完全なる攻撃圏!


千歌「もう一匹…ベロベルト!“ジャイロボール!!!」

『ベロオオオ!!!!』


猛回転、からの全力、全体重での体当たり!!
回転エネルギーに体は鋼の硬質を得て、マニューラの華奢な体に砲弾めいたその威力はあまりにも覿面!


『マニュアアアッ!!??』

聖良「……!!」

千歌「あと…半分っ!!」


千歌と聖良、残りは共に三体ずつ。
ルビィと理亞の運命をも伴い、全霊の戦いは死脈を踏み、詰めの局面へと移行していく。

ルビィ「千歌ちゃん!すごい!」

千歌「やったっ!!」

理亞「姉さまのマニューラが…!?」

聖良「な…」


メガシンカは思考に織り込みつつも、現れたのはまさかのメガガルーラ。
それはマニューラ二体の連携に対する唯一にして最適の応策、“そんなまさか”という言葉が聖良の脳裏に浮かんでいる。

しかしそれは偶然ではない。千歌は苦境にもめげず、メガガルーラをギリギリまで温存していた。親子での二連撃を最大限活かせるタイミングを見計らっていた。
そして瞬間を見逃さず、自衛と打倒を両立させてみせたのだ。


聖良「………」

理亞「姉さま…」

聖良「……大丈夫。理亞のことは絶対に守るからね」

千歌のベロベルトに倒されたマニューラは姉妹のうち聖良の手持ち。
ベロベルトとの距離を測っていた残る一体を、理亞は一旦傍らへと呼び戻している。

両陣、間合いが再び開いている。

戦闘の脇に流れる川は、海へと流れ込む大河の下流だ。
河口と海はもう目視できる距離で、風は潮の香りを微かに孕んでいる。
どこか遠くからは、船の汽笛が残響。
その間延びした音は、張り詰めた緊張を微かに弛緩させている。

競技、種目、真剣の度合いを問わず、スポーツだろうと殺し合いだろうとあらゆる戦いには流れがある。
居合わせた全員の呼吸が切れるタイミング、流れが切れる瞬間が存在している。
聖良たちには1秒も貴重、だが動かない、動けない。
それは例えるなら戦いのエアポケット。再動までには少しの余白と、きっかけが必要だ。

トレーナーの四人と追従するポケモンたち、その全員が動作と思考を組み直す。
それぞれが油断なく向き合ったままに呼吸を収めている。

戦況を整理しよう。
奇しくも双方、残りは同数。
千歌はメガガルーラとベロベルトに残り一匹。
ルビィがムシャーナと、今ボールからピクシーを繰り出して二匹。

聖良は場にいるヒードランに、ボールに控えるウツロイドともう一体。
健在のマニューラは理亞の方で、ムウマージも目を覚ましていてルビィたちの動きに警戒を払っている。

踏まえた上で、束の間のクールダウン。

千歌はルビィの腫れた頬へと指先を触れさせている。
理亞から殴打を受けたのだろう、傷跡は熱を持って痛々しい。


千歌「ルビィちゃん、顔、痛みは大丈夫?」

ルビィ「い、いたい…けど大丈夫。千歌ちゃんも頑張ってるもん…!」

千歌「ルビィちゃん…よしよし!」

ルビィ「うぁ…えへへ」

千歌「もう少し二人で頑張ろ!」


自分も妹、どちらかといえば甘える側な気質の千歌だが、ルビィといれば年上らしさを垣間見せる。
妹同士だからこそ、今のルビィの奮闘がどれほど死力と勇気を振り絞ってのことかが理解できるのだ。

二人は謂わばダイヤ流、その同門生。
どちらも闘争向きの性格ではないが、二人で背中を預けあっているからこそ立ち向かえる。

青みがかったまぶたの腫れも、倒された際に髪に絡んだ砂埃も、その全部が小柄な体に秘められた意地と意志の証。
千歌はルビィの頭に手を乗せ、ダイヤがするように撫でさすり、継戦へと気持ちを備えていく。

理亞「ごめんなさい…ごめんなさい…私が足を引っ張ったせいだ…」

聖良「大丈夫。落ち着いて、理亞」


追い詰められたように、窮した表情で、理亞はひたすらに謝罪を繰り返す。
責任を感じている。バイバニラをきっちりと抑えてムクホークを落とさせなければ、聖良はきっと優位を保てていた。


理亞「姉さま…私を見捨てないで…私を置いていかないで…捨てないで…!」

聖良「……理亞…」


両腕を回し、強く抱きしめる。
自分よりも少し引き締まっていて、自分よりも随分と華奢な体。
その芯はガタガタと震えていて、忍び寄る敗北、その先の恐怖に歯が小さく鳴っている。

冷静に見れば、まだ戦場は五分だ。

刑務所の環境に耐え、脱獄からすぐさま任務へと就けているように、安定したメンタルは聖良の特長の一つ。
メガガルーラに算段を狂わされての混乱はあったが、既に気を持ち直している。

だが、理亞の心はガラスのように脆い。

あの日、首を括って自死した両親を最初に見つけてしまったのは理亞だ。
両親は優しい人だった。けれどそれは弱い優しさだった。
自分たちを置いて死への逃避。生きていくための手段を与えることもなく…結局のところ、二人は見捨てられたのだ。
幼い理亞の心はその時からずっとひずんでいて、役に立てないことを、手を離されることを極度に恐れている。


聖良「大丈夫よ…大丈夫。絶対に、理亞のことは守るからね」

理亞「姉さま…姉さま…っ」


自分は両親とは違う。強くいよう。
この子を守らなくてはと、改めて思う。

闇を歩いてきたのも、幾度となく手を汚したのも、味わった苦痛も、全ては理亞を守るため。
黒塗りの不幸の中にも、自分は妹よりも少しだけ長く親からの愛を受けられている。
なら、理亞に足りていない愛は自分が分け与えよう。そう考えている。

聖良(思えば、選択肢など存在しない人生でした)


選べたと言えるのは、諦めて死ぬか、罪を犯してでも生き延びるかの二択だけ。

オハラタワーでの敗北、投獄。
暗く陰惨な刑務所に、生は幕を閉じたとまで覚悟した。
だが聖良を壊そうとしていた闇を、綺羅ツバサは凄烈にグシャグシャに打ち払ってくれた。
それでいて、事もなさげに手を差し伸べてくれた。


聖良(あの人は私たちの、とっての太陽。光を浴びられなかった人間の太陽です。
あの人の理想を成就させることが、理亞を救うことに繋がる)


自分はいつ泥土に骸となっても構わない、理亞が幸せに生きてくれるなら。

そのためには世界を造り変えなくてはならない。
法律が意味をなさなくなるように。常識が覆るように。
黒が白へと塗り変われば、犯さなければならなかった罪科と償いから理亞が解放される。


聖良(万策を尽くして、私はツバサさんの計画を成就させる)

千歌「………」

千歌は、聖良の瞳に漆黒を見ている。

ごくごく凡々、平和な人生を生きてきた。
巨大な悪意に接することなんて、オハラタワーの一件まではまるでなかった。

自称、普通星人。才を欠く葛藤はある。
だが自分を普通だと、平均値だと言えるのは、もしかすると恵まれていることなのかもしれない。

ただ少しだけ、普通の人より、千歌の人を見る目は養われている。

旅館の娘として、数々の人々の行き交いを眺めてきた。
例えば訳ありのカップルや、例えば重い病を抱えた湯治客。
人生の転換期に悩む人や、全てを投げ出したくて生活圏から逃避してきた人。
もちろん宿泊客の多くは観光だが、それでも大なり小なりの闇を抱えて生きている人は少なくない。

千歌はそれを知っている。
聖良の瞳に宿る黒。その濃度は過去に類を見ないが、種類は既知。

千歌「…悲しいんだね」

聖良「……理不尽だとは思いますよ、この世界は。私たちは生きていたい。ただそれだけなのに…」

千歌「じゃあ、ウチウラにおいでよ。自然以外はなんにもないけど、頭を空っぽにするにはすごくいい場所なんだよ」

聖良「あなたの故郷、でしたか?」

千歌「海を見て、お日様を浴びて、夏なら泳いで、私の家で温泉にも入れて!
そしたら、わかんないけど、ちょっとだけでも悲しさが癒せる…かもしれないよ。みかんもおいしいし!」

聖良「それは…魅力的な誘いですね」


皮肉を交えずに控えめに笑えば、その目元には穏やかな気品と少しの素朴さが漂う。
広大なシンオウ、その内陸部の生まれ。海を見たことはあれど泳いだことは一度もない。
馬鹿馬鹿しい。そう思いながらも、聖良は想像してしまう。

千歌が差し伸べる手には私利や打算の色はない。
敵対中の、それどころか場合によっては殺すことも辞さない姿勢の聖良へと、どうしてそんな顔を向けられるのか。
まったく、まるで理解に遠い。だけど悪い気はしなくて、故に聖良は微笑んだ。

だが、千歌の手が届くことは決してない。

千歌たちが勝てば聖良と理亞は監獄へ。そのまま奈落で朽ちるだけ。
運命は辛辣に、二人にそれだけの罪を重ねさせてきた。

聖良たちが勝てば世界は覆り、千歌の言うような平和は消える。
この街からもウチウラからも、アキバ地方の全域から、この国から…やがて刻を待たず、世界から永遠に失われるだろう。

生きたい。その一心だけで魔道へと堕ちた姉妹が生き続けるためには、勝って勝って、他者を退け続ける以外の道はないのだ。


聖良「……来なさい、デンジュモク」


【UB03 LIGHTNING】
現れたポケモン、聖良のラスト一体は異名通りにでんきタイプ単色。
遠目に見れば雷電に輝く怪々なる黒樹。寄れば電気コードを束ねられたような姿にして4メートルに迫る長身、その衒奇はいよいよ極まる。

アライズ団の保有するウルトラビーストは総勢五体、英玲奈のテッカグヤとあんじゅのフェローチェを併せてこれで打ち止め。
五体のうち半数以上を託された役割の大きさは明らか。負けるわけにはいかない。


千歌「わ、また変なの出てきた」

ルビィ「千歌ちゃん、あれも…」

千歌「ウルトラビースト…っぽいね」

聖良(この二人をやり過ごして局へ向かう…?いや、不可能。
メガシンカを扱えるトレーナーから追走される状況は避けたい。やはり倒すしかありませんね)

理亞「役に立たなきゃ、役に立たなきゃ…マニューラ!!!」


颯爽、口火を切ったのは理亞とマニューラ!
重心を落として足元を凍らせ、スピードスケートのように素早く迫る。その爪が狙うはムシャーナ!

『ムッシャ……!』

ルビィ(ずっと粘ってくれたね…でももう、多分耐えられない。なら!)

理亞「やれ!!」

『マッニュァ!!!』

ルビィ「“ひかりのかべ”!」


すぱりと割り切る。
ムシャーナがその一撃で倒されることは織り込んで、ルビィが命じたのは場に残る防御壁の形成。
“ひかりのかべ”は特殊攻撃の威力を弱めることができる光幕。
ルビィはその行動の軸を、あくまで千歌のサポートに置いている。


理亞「ちぃっ…!」

ルビィ「おつかれさま、ムシャーナ!」


ムシャーナが深い切り傷に倒れ、マニューラは鋭斬に抜けて身を返している。
その面前、拳を振り上げた親子ポケモンが迫っている!メガガルーラの拳が唸る!


千歌「“グロウパンチ”!!!」

理亞「あっ…マニューラ!」


一、二と振り下ろす拳!!
それはメガガルーラの代名詞とでも呼ぶべき技、相手を殴りつつ自らの攻撃力を高めるオーラを纏うことのできるパンチだ。
副次効果にエネルギーのリソースを割いている分、威力はあくまで控えめ。

ただしメガガルーラなら親子で二連、能力向上もまた二連!
さらにはタイプ相性は四倍!マニューラを完膚なきまでにノックアウトしている!!


聖良(やはり、そう来ますか…)


“グロウパンチ”はメガガルーラの戦術の基本形、出てきた時点で警戒はしていた。
ただ、止めようとして止められるものでもない。なら…


理亞「止めなきゃ…!ムウマージ、“おにび”!!」

『ムゥ…マァジ!!』

聖良(良い選択よ、理亞)

“おにび”によって放たれる幽火は極めて特殊、相手の身を直接焼くことは出来ない虚ろの炎だ。
ただその火が相手を捉えれば、“焼けた”という結果だけを呪いとして刻み付けることができる。つまり相手はやけどだけを負う。

やけどはひり付く痛みに相手の力感を妨害する。
判を押したような言い回しをするならば、物理攻撃力を削ぐことが可能。
グロウパンチによる能力上昇を帳消しにしてやろうと目論んでいる。


理亞(お願い、当たって…!)


今の理亞の心境はまさに必死、何としても勝利をもぎ取ろうと瞳を尖らせている。
“おにび”の欠点はゆらゆらとした軌道と低速、相手に避けられてしまいがちな点だ。

だがメガガルーラがパンチを放った直後に合わせて仕掛けることができた。
姿勢を戻すのが遅れている、これなら当たる。…そこへ飛び込む一匹の影!


ルビィ「ピクシー!おねがい!」

『ピックシィ!』

理亞「な…!そこに立たないで!」


それは完璧なタイミングでのインターセプト!
ムウマージの“おにび”はピクシーへと着火し、メガガルーラの力を削ぐことはない。

ピクシーには火傷のダメージがゆるやかに蓄積していくことになるが、物理攻撃を主体とはしていないポケモン。影響は少ない!


ルビィ(やっぱり、あの子の作戦…なんとなくわかるかも)


必死に姉の役に立とうとしている。
そんな理亞の思考を、ルビィは薄ぼんやりと読めている。
まるで似ない二人だが、それはきっと妹同士の共感。
ルビィにとっては幸いで、理亞にとっては最悪の共鳴!


理亞「お願い…!お願いだから、邪魔しないで…!」

ルビィ「ごめんね…通せないよ」

ルビィと理亞が視線をぶつけるその隣、千歌と聖良、二人の戦況認識は共通している。

千歌にとって最大の盾、ラッキーは倒れた。
ここからはヒードランをどう通すか、どう処理するかが勝負を分ける。

そのためには…聖良と千歌は同時に動く!


千歌「ベロベルトっ、“じしん”!!」

『ベロロォッ!!!』


じめんタイプ、汎用高火力技の“じしん”。
あまりにもメジャーな技だ、トレーナーならその性質は誰でもが知っている。


千歌(相手の場にいるポケモン、まとめてみんな攻撃できる!)

聖良(ただしダメージの拡散は自陣にも同じく。向こうのメガガルーラとピクシーにもダメージが入る)

千歌(特性で“ふゆう”してるムウマージには当たらないのはちょっと残念…だけど!)


デンジュモクには倍付け、ヒードランに四倍。
状況が見事にハマっている。強敵二体へと高倍率で通る広範囲技は、デメリットを踏まえてもメリットが余りある!


聖良(それを通されては困ります…が)


理解した上で、構わず動じず。
うぞり、蠢く細身は電飾めいて鮮やかに身を光らせ、さながらモノクロのクリスマスツリーのような。
聖良はそんなデンジュモクへと指示を下す。


聖良「“10まんボルト”です」

『バビュビビビビビビ!!!!!』

千歌「う、わ…!!?」


無機質で奇妙な鳴き声と共に、放たれた光に雷華が爆ぜる。
千歌にルビィ、それに理亞までもが思わず驚きに目をつぶっていて、聖良だけが唯一腕で顔を覆いながら視界を保てている。

その電力はまさに狂乱、圧倒的な放電が夜を白蒼に染めている!

聖良(今現在発見されているでんきタイプ分類のポケモン、その中で最高の特攻種族値。伊達ではありませんね…!)

千歌「っ…くう、…ベロベルト…!」

『べ、ろおっ…!!』

千歌「よ、良かった…耐えてた!えらいよ!」

聖良(流石に体力が高いポケモン。“ひかりのかべ”と併せて軽減を得たのですね。しかし…)

『べろろ…』

千歌「どうしたの?あっ、麻痺して…!」


辛うじて耐えはした。
だが想像を絶する激しい電気はベロベルトの体を麻痺させている。
痺れに動けず、千歌の命じた地震は不発に終わっている。


聖良(良し…)

ここまでの推移は順調、そして聖良は迷いなく戦場の全域へと目を置けている。
デンジュモクでもう一撃を浴びせて戦場を切り裂き、満を持し、万全を以ってヒードランの火流を放つ。


聖良(そのプランで仕留める)

ルビィ(さ、させない…!)


決着への道筋を組み上げた聖良。
その眼差しを、ルビィはしっかりと見捉えている。

黒澤ルビィという少女、その最大の強みは“弱そう”な点にあるのかもしれない。

小動物めいておどおどしていて、その滑舌は甘えを感じさせる部分がある。自然と相手に侮りを生むところがある。
それでいて、怖がりな性格から観察力は人よりも高い。
自分へのマークが薄くなりがちなのをしっかりと活かし、相手の策を潰すことができるトレーナー。


聖良(……が、まずは)


聖良は思考に一拍、10分近く戟を交えて気付いている。
ルビィの容姿、声、態度から受ける印象と実力が見合っていないことに。
人を油断させておきながら、その実力は存外に高いことに。


聖良(貴女からですね)


算段のまま、素直に攻撃へと移行していればルビィに妨害を差し込まれていただろう。
だが、もう認識した。ギッと、横目にルビィを睨んで制する!


ルビィ「ぴぎっ!?」

聖良「理亞、15秒。」

理亞「…!はいっ!」


細かい指示は一切皆無、ただ15秒でルビィのピクシーを仕留めろという明快な言葉。
姉から示された最大限の信頼の証に、理亞は応えるべく奮い立つ。

千歌「させない!」

聖良「いいえ、行かせません」


千歌に聖良が応じるのはこれまでと変わらず。ただし攻勢を仕掛けるのではなく、あくまで抑え役。
一刻を争う状況の中、聖良は貴重な15秒を理亞へと託して防戦に徹する。


理亞「姉さまのため、ずっと一緒にいるために…絶対に勝つ…!!」

ルビィ「ルビィだって負けられないよ。ルビィはお姉ちゃんの…黒澤ダイヤの妹だもん!!」


双方、既に数撃を交わし合って体力を減らしている。小細工の余力はなし。
向き合うのはピクシーとムウマージ、フェアリーとゴーストにタイプ相性の相関もなし。

だとして…最後の一線、残るのは意地だけだ。


ルビィ「……“ムーンフォース”!」

理亞「“シャドーボール”…ッ!!」


ピクシーは指を掲げて月の光を集わせる。
ムウマージはその頭上に闇の力を球状に。

オハラタワーの時から少し前まで、理亞に威嚇されて幾度となく怯えていたルビィ。
しかし今、二人の表情は様変わりしている。

ルビィは実力者たち相手にここまで戦い抜けている充足と喜びに浮かべるは笑み。
後がない、そんな思考に自らを追い込み、張り詰めた糸が今にも切れそうな理亞。


ルビィ「ピクシー、おねがいっ!!」

理亞「倒れろ…倒れて…!」


放つ!!!

『ぴっ、くし…!』

『むうまぁ…!?』


ピクシーとムウマージ、二匹は全くの同着で身を横たえた。
最後の技はお互いが魔力撃、ルビィと理亞の決着は絵に描いたような相打ちだ。

その余波は見守るルビィと理亞を打っていて、疲労していた二人は鈍いダメージを負って膝を折る。


ルビィ「やっ、た…!」

理亞「そんな、そんな…!私は…」


二人の反応の差はそのまま実力差。
ルビィから見て理亞は格上。善子と花丸との三人がかりであるが、ジャイアントキリングを成立させた格好だ。
闘争心なんてものは、小指の爪ほどしか持ち合わせていなかった。
そんな少女が今、役割を果たしたという思いに右腕を突き上げている。
千歌も同じく右腕を突き出し、目線を交わし、空に拳を合わせる!


ルビィ「あとはおねがい、千歌ちゃん…!」

千歌「うん、任された!」

対し、理亞は格下なはずのルビィから敗北を喫している。
この世の何よりも大切な聖良からの信頼を、自分は裏切ってしまったという自失。
息を吸い、吸い、吐き方がわからない。吐かなくてはと思うのだが、頭が働かず、思考はパニックへと陥り…

聖良が、理亞へと声を。


聖良「お疲れさま…偉かったね、理亞」

理亞「…か、っ…くは…っ」

聖良「ずっとずっと、あの日からずっと…一生懸命に。理亞の頑張りは、お姉ちゃんが一番知ってるよ」

理亞「ねぇ、ちゃ…」

聖良「落ち着いて、口を閉じて。目をつぶって……口を開けて、私を見て」


すう、はあ。
聖良は手本を見せるようにゆっくりと胸を上下させ、理亞はそれを真似て呼吸を収めていく。
どうにか過呼吸を免れ、理亞は涙目に俯いている。


理亞「………ごめんなさい、姉さま」

聖良「大丈夫だよ。あとは任せて…休んでいてね」

向き直り、これで完全なる一騎打ち。
聖良は千歌へと問いかける。


聖良「そちらは今、仕掛けるべきだったのでは。隙を見せてしまったわけですが」

千歌「えっへへ、今の間に浮いてた岩をたくさん砕いちゃった!」

聖良「……ああ、なるほど。“ステルスロック”をメガガルーラに砕かせて。これではもう機能しませんね」

千歌「ちょっとずるいかな~とは思ったけど…」

聖良「……つくづく、普通な方ですね」


“ステルスロック”がなくなり、戦場はフラットに。
ちなみにロズレイドの“どくびし”も、既にヒードランのマグマに焼き払われている。

遠方、街灯りが消えて行く。
聖良はあくまで悪の組織、千歌との雑談も和解の兆候などではなく、デンジュモクに最大威力で次撃を放たせるためのチャージ時間を稼いでいる。

デンジュモクは電気を食らう。

普通の生物の背にあたる部位にはコンセントのような器官が付随していて、それを地に突き刺せば周囲から電力を強力に吸い上げることができる。
物理現象で見ればまるで意味不明なレベルでの吸引を行なっているのだが、異世界からの来訪者UBたちに常識は通用しない。

そうして食らった電気を蓄電、増幅して高圧電流の攻撃へと変換するのだ。


聖良(チャージは十分、会話はこれまで)


この戦いも終わりが近い。
チャージの完了に、聖良は残る手数の少なさを実感する。
勝つにせよ負けるにせよ、決着に時間は要さない。


聖良(時間が許すのなら、もう少し話してみたい気も…ふふ、私らしくもない)


千歌の普通さに当てられたのかもしれない。
口元を自嘲に少し開き、そのまま唇の隙間から空気を吸い込む。


千歌「あ、準備終わった?」

聖良「……気付いていましたか」

やれやれと肩を竦める聖良に、千歌はほんのりとドヤ顔気味。
そしてすっと、重心を沈めて戦闘態勢へ。


千歌「これでも結構ちゃんと見てるんだよ。それじゃあ、私も…」

聖良「……デンジュモク!」

千歌「……メガガルーラ!」

聖良「“10まんボルト”!!」

千歌「ベロベルトをぶん投げちゃえ!!」

聖良「は…!?」

『ガルゥラアァアッ!!!!』
『べろおおおおおっ!!!!』


聖良は千歌の指示の意味がわからず、思考が一瞬硬直する。
ただ指示は下し済み、デンジュモクはその身から電気を解き放とうと…そこへ衝突するベロベルト!!

麻痺した体を補うのはメガガルーラに投擲してもらったスピード。
関取が相手を土俵から押し出すように、草を踏み、河川敷を猛然と前進していく!


聖良「何を…まさか!?」

千歌「そのままっ!!」


勢いのままに川縁へと到達して…水面へと落ちる!
虚を突かれながらも、デンジュモクはしがみついてくるベロベルトへと身に溜めた電力を解き放つ。密着?カモでしかない!

だが、ベロベルトは覚悟の視線を千歌と交わしている。
それはポケモンからの信頼を損ないかねない、愛護団体からは度々槍玉に挙げられる大技。
ポケモンへと酷を強いるからこそ、心から慕われるトレーナーにしか使えない。それはまさに切り札!!


聖良「仕留めて、デンジュモク!!」

千歌「ごめんね…!“だいばくはつ”!!!」


タイプはノーマル、ベロベルトとはタイプ一致。
にこのマタドガスが使っていた同技より上を行く威力。それはまさに一身一殺、強力無比なる自爆技!!

デンジュモクの電撃に爆発が合わさり、川面が盛大に爆裂!
水飛沫は百メートル規模、空へと至って滝のように降り注ぐ!!!

自爆とは言っても本当にぐちゃりと弾けるわけではない。
どんなポケモンでも体内に有している生体エネルギー、それを暴走させて爆発を引き起こすのが自爆技だ。

ただ威力は掛け値なし、爆発の衝撃に空を舞ったベロベルトとデンジュモクは川岸へと打ち上げられている。
デンジュモクはその電撃を発する力に生物として能力を大きく割り振ったUB。火力は高いが防御性はそれほどでもない。
それが“だいばくはつ”を密着で受け…動く様子はない。両者ともにノックアウト!


聖良(水中で爆発させることで味方への被害も防いでいる…!)

千歌(ヒードランははがねタイプ持ち、メガガルーラはノーマル。普通に自爆しちゃうとこっちの損害が大きいもんね!そして…!)


川は海が近いせいか真水ではなく、降り注ぐ水は塩辛い。

二人は同時に残りのボールへ、開閉スイッチへと手を触れる。
掴んで投じ、聖良のウツロイドは二度目の登場を!

聖良(慌てるな、まだ大丈夫)


ウツロイドは“ステルスロック”を撒いただけ、ダメージを疲労もなし。
無論ヒードランも健在、驚かされたがここは攻め時。
聖良は狼狽をすぐさま振り払い、続けての攻撃指示を!


聖良「ヒードラン、最大火力」

『ゴボボボボボボ!!!!!』


強いとろみのある液体が沸き立っている。
ヒードランの鳴き声はいつ聴いてもそんな色だが、とりわけ今は煮沸の音が強烈だ。
千歌のエース、メガガルーラをなんとしても落とす。“ひかりのかべ”を突破して余りあるほどの威力で!

その音を耳にしつつも、千歌は落ち着いている。
付近にポケモンはメガガルーラ親子だけ。投じたはずの最後の一体はどこへ?


千歌「ずっと出しどころが難しかったんだよね。レントラーとか、デンジュモクとかいたし」


千歌の付近にいないのは当然、ボールは川の方向へと投げたのだから。
弾け、ボールは千歌の手元へと戻ってきている。
そのボールは四天王への就任記念、鞠莉とダイヤが共同で送った専用デザイン。

ダイブボールの表面には、小洒落た加工で“松浦果南”の名が刻まれている。

現出、水面からは7メートル近い長大な体。
凶眼と牙がヒードランを見下ろしていて…


千歌「果南ちゃん、力借りるね。おねがい!ギャラドス!!!」

『ギャオオオオオオオオッ!!!!!!!』

聖良「……!!」

果南「え、千歌もロクノに行くの?じゃあ…この子を貸しとくよ」

千歌「へ…いいの!?」


ハチノタウンを出立する前、実家へと連絡して二人の姉からポケモンを借り受け、千歌は続けて果南へと連絡を取っていた。
千歌にとっての姉は二人だけではない。一つ上の大好きな幼馴染、果南もまた千歌にとっては三人目の姉のようなもの。

悪人相手には悪鬼のような暴れぶりを見せる果南も、千歌や曜の前では優しく気の良い姉御肌。
千歌はちょっと声を聞きたいなと電話をしただけなのだが、果南の方からすぐに一体を貸し与えてきた。
レギュラーメンバー、それもカイオーガに次ぐ準エースのギャラドスを!

結果として…今、その愛情が千歌の身を守っている。


聖良「“マグマストーム”を…止められた…!?」

千歌「うひゃあ、やっぱり果南ちゃんのギャラドスはパワーが凄いや…」

ギャラドスが姿を見せた瞬間、聖良は火炎の収束を打ち切り、ヒードランへと即座の“マグマストーム”の令を下していた。
紅蓮の溶岩は膨れ上がり、千歌とメガガルーラへと襲いかかる!

だが千歌はすぐさま、ギャラドスへと“たきのぼり”の指示を。
果南のギャラドスはその長体を猛らせ、川面から跳ね上がって膨大な水を“マグマストーム”へと浴びせかけた。

その圧倒的な水量にマグマストームは冷却、食い止められ…
ふらっと、聖良は二歩よろめいている。


聖良(そんな、そんな…これでは、私は)


千歌が最後に温存していたカード、それが四天王の主力ポケモンだなどと誰が予想できるだろうか。
聖良のメンタルの強さは、彼女がかなりの自信家であることに裏付けられている。

千歌とルビィのことを戦いの中に認めつつも、それでも負ける絵図はまるでイメージしていなかった。
だが今…敗北の二文字が現実味を伴い、聖良の足首を掴んでいる。

聖良(負けたら、負けたらどうなるの?私はまた牢獄へ…いや、もっと悪い場所かもしれない)

聖良(理亞は、理亞もあんな場所へ…?嫌だ…!そんなのは駄目、絶対に駄目よ!)

聖良(……落ち着いて、鹿角聖良。まだ負けが決まったわけじゃない。落ち着いて覆せ。
それに、ツバサさんが局に辿り着いてくれれば私たちの勝ち……でも)


メンタルの崩壊は土砂崩れに似ている。
しっかりと乾き、固く保たれているように見えた土地へと雨が降り注ぎ、奥底に隠されていた亀裂が一挙に広がっていく。
一度、小さな部位でも剥がれてしまえば…全体の崩壊はすぐそこ。


聖良(オハラタワーに続き、この戦いで二連敗。それも今度は団の主力を預かって、負ければ…そんな私に何の価値が?)


止まらない。
度重なる不幸に軋んだ心を、自分の強さを拠り所に支えていた。
理亞を守る、その役目は聖良にとっても救いだった。
役割を果たし、良い姉でいることで心が救われていた。

だが、ここで負ければ自分はきっとアライズ団にとって必要のない人間だ。
切り捨てられるかもしれない。居場所がなくなるかもしれない。そうすれば理亞を守れなくなって、残されるのは汚れたこの手だけで。


聖良(嫌だ、嫌だ…嫌、嫌よ…そんなのは…!怖い…怖いよ、お父さん、お母さん…!)


極限に加速した思考は、マイナスへ、マイナスへと墜ちていく。

普段なら、劣勢にも冷静でいられたはずだ。

ツバサたちは合理主義者。部下という貴重な人材を切り捨てたことは一度もない。
向いていない人間を配置換えすることはあるが、損失になる無駄な粛清は決して行わない。
そんな恐怖政治を敷かずとも、統率できるだけのカリスマがツバサにはあるからだ。

だが今の聖良は悪い方へ、悪い方へと考えてしまう。
牢獄の地獄は、やはり聖良の心を削っていたのかもしれない。
主力の大半を一人で背負えるほどにはメンタルが強くなかったのかもしれない。

それでも、まだ表層は保っている。
ヒードランとウツロイドを巧みに操り、メガガルーラとギャラドスからの猛攻を凌ぎながら思考している。

だが、恐怖に胃が震えるような感覚に苛まれ続けていて…足に何か、硬いものが当たっている。
それは銃。理亞が奪われ、ルビィが投げ捨てた中国製トカレフの黒星。

迷わず拾い上げ…トリガーを引く。


ルビィ「千歌ちゃんっ!!」

千歌「……っ、ぐ…!あっ…!?」

聖良「私は、私は…!」


一発の銃弾が、千歌の太ももを貫いている。

千歌「な、に…これ…っ?!」


千歌は足に、何かものすごいダメージを与えられたとだけ認識している。
例えようにも例えられない、こんな痛みは今までに味わったことがない。

前に読んだ漫画では焼きごてを当てられたようなだとか、そんな表現をしていた。似た痛みなのかもしれない。
けれど千歌はそんなものを当てられたことがないからわからない。

胸や頭を撃たれたわけではない。だが、太ももの負傷というのは深刻だ。
大動脈などの大きな血管が通っている箇所で、仮にそこが傷付けば失血死の危険性が高い。
実際、だくだくと鮮血が溢れ出していて…


千歌(あの子が持ってるあれは…ピストル?そっか、私、それで…)

聖良(勝たないと、勝たなきゃいけない…私は理亞を守らないといけないんだ…!)


二発目は…いらない。
聖良は銃を、今度こそ誰の手も届かない川底へと投げ捨てている。

ルビィが何かを叫んでいる。
理亞もまた、何かを叫んでいる。

だが千歌は失血と激痛に朦朧、聖良もまた心が壊れる寸前。
まさに満身創痍。だが、あくまで二人はトレーナー。そんな状況にも、ポケモンたちへと指示を下している!


聖良「ウツロイド、“パワージェム”。ヒードラン、“マグマストーム”…!」

千歌「ギャラドス、“たきのぼり…っ!メガガルーラは、“けたぐり”っ!!」


ウツロイドの“パワージェム”はいわタイプの攻撃。ギャラドスを潰して光明を見出そうとしている。
だが、ギャラドスは先んじて再び猛然の水勢。ヒードランの“マグマストーム”を即座に鎮火!!

そして迫るメガガルーラ!
親子二体、思いきり足を引き…痛烈な襲撃をヒードランへと叩き込んでいる!!!


『ごぼっ、ぼっ、ぼ…!!』

聖良「ああ…!ヒードラン…っ!」

千歌「あと、一匹…っ!!」

ウツロイドからの攻撃に、ギャラドスは苦悶の呻きを轟かせている。
いくら果南の準エースとは言え、UBからのタイプ一致、それも相性不利の一撃。
落とされこそしていないが、動きが鈍り…そこへ聖良はもう一撃を!


聖良「……っ、“パワージェム”…!!」


その声は悲痛と言うより他ない。
勝負の行く末を察してしまったから。

パワージェムの一手にギャラドスを沈め、直後、ウツロイドへと迫るのは…!


千歌「これで、おしまいっ…!メガガルーラ!“じしん”!!!」


親子は二本、それぞれの右腕を掲げ…
ウツロイドの間近、逃れようのない位置で地を殴りつける!

━━━震!!!

走るエネルギー!
それは確実に、見間違いようもなく!地の波がウツロイドへと直撃している!!!


聖良「………あ、ぁっ…!」


衝撃はその身を揺らし、ウツロイドは力なく地へと堕ち…動きを止めている。

多くのポケモンたちが入り乱れた激戦。その結末に立っているのはただ一匹、千歌のメガガルーラ。つまりは…!


千歌「……っぐ、うっ…!ルビィちゃん…」

ルビィ「ち、千歌ちゃんっ!!」

千歌「私たちの…っ、勝ちだよ!!!!」

勝った。千歌とルビィは勝ったのだ…!
流血に背後へとよろめきながら、千歌の腕は高らかに天を衝いている!!

ルビィは勝利の喜びと怪我の心配に今にも駆け寄りたい、そんな表情で千歌を見ているのだが、まだ体の痺れが抜けていない。

理亞もまた、先の余波に体が言うことを聞かず…
敗れた姉の姿を見ながら、ボロボロと大粒の涙を零している。


理亞「ね、えさま…、離れたくない…一緒にいたいよ…」

聖良「…………私、は…」


理亞を守らなくちゃいけないのに。
聖良の心にはその言葉だけがリフレインしていて、全てを失う敗北に絶望、思考は意を成していない。

そんな聖良の心へ…呼び声が忍び入る。
それは言葉ではなく、不明瞭なイメージ。

“触れろ”
“受け入れろ”と。

その出所はすぐに、直感的に理解できた。
それは砂浜に打ち上げられたクラゲのように地へと潰れている…


聖良「泣かないで…理亞。私が…」

理亞「姉、さま…?まさか!駄目!!」

聖良「私が、守るから」


呼ばれるように、夢遊病めいて五歩…聖良は、そのポケモンへと触れている。

【UB01 PARASITE】“きせいポケモン”ウツロイド。

そもそも、ウツロイドを生身で戦わせることがズレているのだ。
その本領は異名の通りに…生物へと寄生した時に、発揮される。


ルビィ「な、なに、それ…!?」

千歌「……っ、…!?」


ウツロイドが聖良の上体を飲み込んでいく。

聖良の髪は黒に染まり、ところどころに奇妙な色合いのメッシュ。
ウツロイド自身の体も変性し、薄黒く変色を。
その触手は鋭利な四つ指に尖り、八本の腕のように凶暴な印象へと変化していく。

全体の印象は宇宙的…コズミックホラー的とでも言えばいいのだろうか。
人を飲み込む寄生生物。その恐ろしい特質を露わに、ウツロイドと聖良は怪声を上げる。


聖良『ィア゛ア゛アアアアアア!!!!!!!』

ルビィ「ひぇえっ!!?」

理亞「姉さま!嫌ぁっ!姉さまぁっ!!」

千歌「も、もう、きついんだけどなぁ…!?」


凶暴な触手が、千歌の体を痛烈に打ち据える!!!

ウツロイドが人へと寄生した状態、それはいわゆる完全体。
ふわふわとクラゲのように不定の印象があった体は張りを得て硬化。心を蝕む精神毒と併せ、いわ・どくというタイプに相応しい姿へと変貌したと言える。

千歌は、そんな硬く重い腕に下から殴り付けられている。
腹部を叩かれ、そのまま体が消し飛ぶのではないかと錯覚するほどの衝撃。
が、聖良はまだ動作を制御できていないようで打撃は不完全。千歌は血混じりの吐瀉に後ろへと宙を舞っている。


千歌(痛…あ…!!?)


受け身など取れるはずもなく、そのまま頭を打ち付ければ致命傷…!
しかし、大丈夫。回り込んだガルーラの子供が上手く千歌の体のクッションとなって抑えてどうにか無事だ。


千歌「あ、りがと…!」

『がるぅ!』

『ガルウウウウラッ!!!!』


同時、ガルーラの親が猛然と聖良へ殴りかかっている!
数度のグロウパンチに力を高めた拳は空を裂いて唸り、聖良は怪笑に八腕を広げてそれを迎え撃つ。
二体が拳のラッシュをぶつけ合う!!


千歌「げほ、がはっ…!」

ルビィ「千歌ちゃんっ!!大丈夫!?」

千歌「るび、ちゃ…!な、なんとか!」


視点は揺れて、大丈夫と大丈夫でないの境界ギリギリ。
それでもどうにか受け答えはできる。駆け寄ってきたルビィへと片手を上げて応えている。

いたわしげに、ルビィは千歌の腹に手を当てている。
鞄から取り出した布切れで千歌の足をぐるぐると巻いてきつく締め、さっき撃たれた傷にも気休め程度の止血を。手先だけは昔からそこそこ器用だ。

そんな二人の隣、理亞は動揺も露わに膝と声を震わせている。


理亞「あれは、あれは本当にダメなの…!」

ルビィ「し、知ってるの…?」

理亞「……前に、団で聞かされた」


理亞は、既に千歌たちへの敵意を失している。
今の聖良はそれほどに危険な状態なのだ。


「ウツロイドを使うときは気を付けろ。奴の声には、決して耳を貸すな」

英玲奈から、聖良がそう言い聞かされていたのを思い出している。
アライズ団はUBを戦力として利用するだけでなく、様々な転用方法を探して研究を行っていた。
とりわけ洗脳薬を培養できるウツロイドについては研究が深められている。

このウツロイドという生物、アローラ地方の騒乱で既に、人への寄生とそれに伴う体の変異が確認されている。
一般には公になっていない事実なのだが、アライズ団は警察のデータベースから情報を掠め取ったのだ。


理亞「なのに、姉さま、どうして…知ってるはずなのに…」

千歌「寄生されると、どうなるの?」

理亞「…心を食われる。長時間あのままでいたら、姉さまの人格が消えて…!」

ルビィ「そ、そんなぁ…」

千歌「っ…」

メガガルーラと聖良、ウツロイドのラッシュ戦は一旦の決着を見る。
ガルーラの体がぐわりと浮かび、ずしりと背が地面へ。
吹き飛ばされた。打ち負けたのだ!メガシンカ体が!


千歌「そんなっ、大丈夫!?」

『ガルゥラ…!!』


まだ目に力はある。すぐさま立ち上がり、闘志を絶やしてはいない。
子ガルーラも隣へと並び、対面に浮遊するウツロイドの姿を睨みつけている。

だが、やられてこそいないが打ち負けた事実が重い。
一本一本の腕が強烈な岩弾の如し、自在に動くそれが八本も。
戦闘力の高さを、千歌は一撃を身に受けて知っている。

ウツロイドの寄生、そのトリガーは強い願望。願い。
何かを求める人間へと甘言を弄し、取り入って取り込むのだ。

聖良が求めたのは妹を守るための力。
戦闘能力を爆発的に向上させる寄生とこれほど相性のいい願いもない。
ウツロイドにどんな意図があるのかはわからない。
人を侵略の尖兵と化すことを意図しているのか、それとも単に、願いに反応する習性なのか。

ただ一つ確かなのは、鹿角聖良の戦闘員として鍛えられた体はウツロイドにとって最上の戦闘パーツであるという事実!


理亞「………っ…!」


理亞は涙を拭い、それでも溢れてくる涙をそのまま、目に悲愴な光を宿して前へ。

追い回し、傷付け、酷いことをたくさんした。
千歌やルビィに助けてだなんて、そんな都合のいいことを言えるはずもない。

既に手持ちは尽きている。
身一つ、姉の心に言葉を届かせるべく歩み寄る。

理亞「お願い、正気に戻って…私は…!」

聖良『理、亞…?』

理亞「姉さま!」

聖良『っ、ぐ!あ、うああああ…!!!』

理亞「…!!」


磨耗した心へ、侵食のペースは凄まじい。
泣いている妹を抱きしめようと、聖良はそう思っただけなのに、頑強な腕は理亞を叩き潰すように…
それをメガガルーラが受け止める!!


理亞「高海、千歌」

千歌「ルビィちゃん、その子を連れて後ろに」

ルビィ「うんっ、わかった!理亞ちゃん、こっちに…」

理亞「どうして…?私たちは」

千歌「どうしてって、ほっとけないよ!わ、喋ってる暇なさそう!ほらほら、逃げて!」

ルビィに手を引かれるまま、理亞は呆然と後方へ歩いていく。
聖良の腕はしなり…千歌を横薙ぎに殴り付ける。
重打、再びメガガルーラが受けを!

千歌の足の出血は止まっていない。
ルビィが縛ってくれたことで少しだけ緩和されているが、銃で撃たれたのだから一刻も早い治療を要する重傷だ。

一応、大きな血管からは外れている。
混乱の中の発砲ながら、聖良のトレーナーとしてのプライドは銃によって致命傷を負わせることを拒んでいた。
ただし銃創は銃創、流れ出た血の量に千歌の顔色は白みはじめている。

それでも千歌は、聖良の前に颯爽と立つ。


聖良『う゛、ゥゥ、タカミ、ちか…』

千歌「どうして、か。なんでだろ?うーん、色々あるけど…」


理由はと聞かれても、人間は一々理由を考えて生きていない。
そういう人もいるのかもしれないが、千歌は少なくとも理詰めタイプの人間ではない。
直感的に「助けたい!助けなきゃ!」と思ったのだ。
ただ、そこの思考を深めてみるならば…

鹿角姉妹が瞳の奥に抱えている悲しみ、それを癒してあげたいのが無条件の思いとして一つ。

ポケモンを戦い合わせれば、トレーナーの間には無言の絆が生まれる。
激闘に鎬を削った相手を助けたいというのも一つ。


千歌「それと…私も妹だから、理亞ちゃんが今どんなに辛くて悲しいかわかるんだ。
美渡ねえ志満ねえ、あと果南ちゃんの心が消えちゃうって言われたら…怖くてたまらないもん」

呟きは誰へと向けているわけでもない。
聖良からの攻撃が届くか届かないかの距離感に、聖良の耳へは届いているだろうか?

メガガルーラは親子、触腕の猛打を懸命に受け捌いている。
だが反撃へと移る隙はまるでない。鹿角聖良、ウツロイド完全体の力は壮にして烈。


千歌「あ、あとね。私は“お姉ちゃん”って人たちはすごいと思うんだ。
私たちの年齢なんてまだ子供なのに、もう大人みたいに誰かを守ろうとしてる」

聖良『………』

千歌「うちの姉ちゃんたちはそうだし、ダイヤさんなんてTHE・姉!って感じ。すごいな、真似できないなぁ、って」

聖良『……ッ…ァ…!』

千歌「聖良さんの歩いてきた道を、私は知らないし想像もできない。
でも、きっとずっと、理亞ちゃんのことを守って助けてきたんだよね」


子ガルーラは親と比べ、小柄なだけにパワーは劣る。
聖良の一撃を受け損ね、流れた先端が千歌へ。鼻先を掠める!!

だが千歌は動じない。身動ぎをしない。
避けなかったのは見切ったわけではない。即座に動ける余裕なんて、とっくの昔に尽きている。

ただ、目を閉じていないのは千歌の意思。
臆さず屈せず、まっすぐに聖良を見つめ、そして手を伸ばしている。


千歌「だから今日ぐらいは…私が助けるよ!」

聖良『う、る、さい…!!!!』

『ガ、ルァ…!!?』


メガガルーラが親子揃って、横殴りに倒されている。
まだ戦闘不能ではない、だが1メートルほど脇にずれている。

守る盾は消え、再び触手の拳が千歌を捉える。脇腹へと抉るように!!


千歌「……ぎ、ッ…、倒れる、もんか…!!」


千歌は折れない。倒れずに踏み止まる。
上体が吹き飛んでいてもおかしくない一撃だ。だがどこかしらの骨が砕け、内臓が損なわれ、“それだけ”で済んでいる。
それはウツロイドの中に聖良がブレーキを効かせているからだろうか。
既に数分が経過した。どこが聖良の心のデッドラインなのかわからない。まだ戻れる余地はあるのだろうか。


千歌(私が倒れたら、メガシンカも解けちゃう。絶対諦めない。諦めるもんか…!だよね!ガルーラ!!)

『ガァァアアッ!!!』

リングを介して共有される闘志、千歌の思いにメガガルーラが立っている。
千歌は再び手を伸ばす。その瞳に燃える意思は黄金の輝き。

子ガルーラが咆哮、鋭い打撃に聖良の触手を横へと流している。
親ガルーラも猛る。両腕を広げ、千歌が求めるままにもう三本の触手を横へ、道を押しひらく。
拳がウツロイドの前面を叩く!聖良をコックピットのように取り込んだ球体部が揺れ、岩のような硬質化がわずかの間、解除されている!

何度だって手を伸ばす。何度でも、何度でも!太陽が昇るように!!


千歌「出て…来てえええええ!!!!!」

聖良『っぐ…!!?』


千歌は軟化したウツロイドの中へ、上体をまるごと突っ込んでいる!!!

ウツロイドと聖良の一体化は既にほぼ完了している。
そんなところへの千歌の突入。腹の中へと異物が飛び込んできたような膨張感、未知の息苦しさを覚えている。

深層へと取り込まれていた意識が、強制的に表へと引き出され…
視界が自分のものへと戻って、目の前に揺れる、みかん色の短い前髪。

液状化したウツロイドの体内、高海千歌はまるで海中を泳ぐかのように息を止め、頬を膨らませ、聖良の頬をぺしぺしと叩いてきている。目が合い…


聖良(何を、しているのですか)

千歌(あっ!目が覚めた!?)

聖良(あなた…正気ですか?ウツロイドの体内に飛び込むだなんて)

千歌(それ、こっちのセリフだよ!)

聖良の(……我ながら、愚行でした。ウツロイドに付け入られて…)

千歌(……あれ、声を出せないのになんで通じるんだろ?)

聖良(心の声が聞こえるということは、あなたも取り込まれ始めているということ。
……あなたは勝者なのだから、早く逃げてください)

千歌(一緒に戻ろう。理亞ちゃんが泣いてるよ)


ウツロイドの精神干渉波、その只中に二人が潜れば、転じて意識を共鳴される触媒と化す。
千歌には聖良の、聖良には千歌の意識が、思考が、記憶が流れ込んでくる。


千歌(……辛い思い、してきたんだね。私、やっぱりあなたを助けたい!!)


千歌の手が招くように泳ぎ、聖良が手を伸ばせばすぐに掴める位置。
だが…聖良はかぶりを振る。

聖良(ウツロイドは寄生した宿主を易々とは逃がしません。二人で抜けようとすれば全力でそれを押し留めるでしょう。ですが、あなた一人ならまだ逃げられる)

千歌(ダメだよ!それじゃ意味ない!)

聖良(……いいんです。もがき永らえてきた、その命運が尽きたんです)

千歌(理亞ちゃんを泣かせるの!?)

聖良(っ、……私たち姉妹は罪を重ねすぎた。きっと、その報い)

千歌(諦めないで!!)

聖良(蜘蛛の糸ではありませんが…最後に一つくらい、善行をさせてください。まあ、撃っておいてなんですが…私もあなたを死なせたくなくなったので)

千歌(……!!?)


ぐぽ、と粘着質な音が響き、千歌はその体をウツロイドの腕に抜き取られている。
聖良がその精神、最後の力を振り絞って腕を制御している。掲げ…投げる!!


千歌「うわっ!!?」


攻撃性に駆られて勢いは激しい。が、ガルーラが受け止められる位置だ。衝撃を殺して見事にキャッチ!

ルビィ「千歌ちゃん!」

千歌「だ、大丈夫…っ!」

聖良『さ、あ…逃げて!!』

理亞「姉さまっ!姉さま!!」

聖良『ごめんね…理亞。ここでお別れ』

理亞「いや…!嫌だよ…!」


ヒードランやデンジュモクの猛攻、ベロベルトの大爆発。
人目に付きにくい河川敷での戦いだが、これだけ派手にやれば人々の目に留まる。

ヘリの音が聞こえる。オハラフォースのヘリだ。
戦闘ヘリの火力に一斉射を浴びれば、これ以上暴走せずに終われるかもしれない。

聖良はそこに自らのピリオドを定め、理亞へと優しく声をかける。


聖良『最後のお願いよ、理亞。その二人を連れて安全なところへ行って。そして逃げて…生きて』

理亞「……っ…!!」


身を寄せ合って生きてきた、本当に仲の良い姉妹だ。
だから伝わる。聖良が既に覚悟を決めたことが。きっともう、無理なのだと。

理亞は姉の最後の願いを叶えるべく、千歌とルビィの腕を引く。

ルビィ「理亞ちゃん…」

理亞「……ありがとう、でももう。行こう」

千歌「ううん、行かないよ。まだ諦めない。出られないなら…外側をひっぺがす!」

理亞「……駄目。姉さまの、最後の願い。私は叶えなきゃ…!」


必死に告げる理亞。
袖を掴んだその手を、ルビィはそっと優しく握り返す。


ルビィ「理亞ちゃん、大丈夫だよ」

理亞「大丈夫じゃない!姉さまは最後の最後、お前たち…千歌とルビィのことを殺したくないって!だから私は!!」

ルビィ「大丈夫。千歌ちゃんは…強いから」


聖良の思考に引き裂くようなノイズが駆け回っている。脳内を狂気めいたサイレンが揺らしている。
洗脳、寄生、そして奪略。ウツロイドは最終段階へ、聖良の体のコントロール権を永久に得ようとしている。

そのための邪魔者は目の前に、千歌を打ち砕くべく全ての触手が襲いかかる!
それはメガガルーラ親子だけでは打ち払えない数!

それでも千歌は…諦めずに手を伸ばす!!


千歌「私は…助けたいっ!!!」


千歌が思いを強く示すなら…
そこに添いたいと願う、二つの思いが並び立つ!


曜「千歌ちゃんがそうしたいなら、私も!」

梨子「もう、無茶するんだから…」


カイリューとカイリキー、二匹がウツロイドの腕を受け止めている!!!

四天王の桜内梨子はもちろん、渡辺曜も同様に。
鞠莉はオハラフォースへ、二人の姿を見かけたら全力でサポートするようにと言い含めてあった。
使える戦力、勝利の可能性はフル活用。鞠莉が期した万全は二人をヘリの機上へと拾い上げた。
そして曜の指示にヘリを飛ばし、間一髪…千歌の危機へと間に合わせている!


千歌「よーちゃん…!りこちゃん!!」

曜「遅れてごめんね、千歌ちゃん!」

梨子「間に合ってよかった…」

千歌「二人とも、なんかもうボロボロだけど…?」

梨子「ふふっ…ちょっとね」

曜「ポケモンたちはオハラフォースの人たちに回復させてもらったから大丈夫!」


ポケモンの傷は癒えてもトレーナーの傷はすぐには癒えない。
メガシンカを使うには二人は疲労しすぎていて、ならばとカイリューとカイリキーを出している。
共に信頼篤い準エース。ウツロイドの一撃を受けて揺るがず!

最高に頼もしい親友二人に、千歌は心底からの嬉しさに笑みをこぼしている。


理亞「救援…」

ルビィ「みんなが助けたくなる。きっとそれが…千歌ちゃんの強さなんじゃないかな」

メガガルーラは休息に一歩引き、曜と梨子の二体が聖良の猛攻を凌いでいる。
…と、そんな状況だがどうしても気になることが一つ。千歌は尋ねずにはいられない。


千歌「ううん…不思議だなぁ。オハラタワーの時も今も、どうして私の場所がわかったの?」

曜「あ、それはね…」


ごそごそとトレーナージャケットのポケットを探り、曜は小さな機械を取り出して千歌へと見せる。
液晶にはマップのような物が表示されていて、その中心点にチカチカと瞬く光点が一つ。


千歌「これなに?」

曜「渡辺曜特性、千歌ちゃんレーダーであります!」

千歌「へ…?」


ピシリと敬礼、そしてネタばらし。


曜「その三つ葉の髪留めにね、発信器を仕込んであるんだ。だからいつでも居場所がわかる!」

梨子「流石、抜かりないわね」

曜「ヨーソロー!梨子ちゃんの分も今度作るね!」

千歌「え、え?」

ルビィ(この人たち頭おかしい…)

梨子「さて、それは置いておいて…」

梨子と曜は、満身創痍の千歌を見る。
打撲に擦過傷、重心の掛け方からは骨折も感じ取れる。足には穿たれた銃創まで…


曜「その怪我…全部、この人が?」

千歌「あはは、けっこうやられちゃってるよね…私、まだまだだ…」

梨子「………曜ちゃん」

曜「うん…」


二人は前へ、聖良を睨む。


聖良『邪゛魔を、するな…』

曜「“げきりん”」

聖良『…!!?』


稲妻めいた怒気が触腕を掴み、力任せに?いでいる。


梨子「“ばくれつパンチ”」

聖良『がっ、は…!!』


それは吹き荒れる嵐、剛拳がウツロイドの身を叩く。

千歌のメガガルーラは既に疲弊していた。対し、二人のポケモンは治癒を受けて万全。
四天王クラスが二人、千歌を傷付けられて、心に凄絶な怒りを渦巻かせている。

完全体と化したウツロイドは引き千切られた触腕を再生させている。その戦闘力は底知れず。
だが二人の激怒は、それすら遥か凌駕して…!

滾る殺気、そこへ千歌が声を上げる!

千歌「曜ちゃん!梨子ちゃん!力を貸して!そこからひっぱり出すっ!!」

梨子「あなたは…傷付けちゃいけないものを傷付けたわ」

曜「叩き潰したい…けど!千歌ちゃんの優しさに感謝して、歯を食い縛れっ!!!」


指示は逆鱗、爆裂パンチ!
竜乱、暴拳、破滅的な猛打が荒れ狂う!!!
触手を跳ね除け、打ちはらい、ウツロイドの前面をこじ開けて無防備に!


聖良『がっ、!?く!う、あ゛…!!』

千歌「メガガルーラ!!おねがいっ!!」

『ガルゥゥラアアッ!!!!!』

聖良『………まさ、か!!』


一度目とは違う、ガラ空きの体へと叩き込まれる完全な一打!!
衝撃に、再び液状化した体へと波紋が広がる。そこへ…子ガルーラがもう一撃!!!

ウツロイドの体に大穴が開く!!


梨子「千歌ちゃん!」
曜「千歌ちゃんっ!」

理亞「姉さまっ…!!!」

千歌「出て…!来ぉぉぉぉぉいいいっ!!!!」


ぎゅっと、抱きしめて…力任せに引きずり出す!!!

『じぇるるっ…ぷ…』


潤いのある奇妙な鳴き声、それはウツロイドの限界の声。
結局のところ、UBに悪意があるのかはわからない。
単なる本能行動なのかもしれないし、あるいは人の願いを叶えようと寄ってきているだけで、ただ人間という生物との体質的な折り合いが最悪なだけなのかもしれない。

今言えることはただ一つ。
ウツロイドは元の白い半透明の姿へと戻っていて、寄生は強制的に解除されている。

そして千歌の腕にはぐったりと、水濡れた聖良が抱きしめられていて…


聖良「……訂正します。あなた、全然普通じゃありませんね…」

千歌「あはは、やった。普通脱却…!」


千歌は、聖良を救い出すことに成功したのだ!!

引き抜いた勢いのまま、二人はべたりと地面に仰向けに。
激戦の後だというのに、千歌の表情は晴れやかに星空を見上げている。

曜と梨子はポケモンをボールへと収め、ルビィと理亞が駆け寄ってくる。

人目も憚らずに泣きわめく理亞。聖良はその華奢な体を両腕で抱きとめる。
視線が定まらない。自我が虚ろに揺らいでいる。後遺症は残るだろうか…?

それでも、ゼロではない。
腕の中の妹の温もりは確かで、姉妹はまだ生きている。

そんな二人へとオハラフォースの兵士たちが銃口を突きつけ、伴われた警官が手錠を掛け…鹿角姉妹は連行されていく。


千歌「ま、待って…!」

聖良「……ありがとう、高海千歌さん。本当に…心から」

理亞「ぐすっ、ひっく…!ありがとう…千歌、ルビィ…ありがとう…!!」

ルビィ「理亞ちゃん、聖良さん…!」

千歌「その二人は!悪く…な、い…」


━━━プツリと。


まるでブレーカーが落ちたように、千歌の視界が闇へと包まれる。
何度も何度も伸ばした手はついに垂れ、失血に体温は酷く冷たい。

曜と梨子がそれをしっかりと抱きとめ、オハラフォースの医療班たちが急いで寄ってくる。
俄かに慌ただしくなる河川敷。失神に、余韻には浸れなかった。

だが、この上なく大きな勝利だ。
ルビィと共に強敵を相手に勝利を収め、千歌は相手を包んだ死の運命までをこじ開けてみせた!!

そして戦線は最終盤、詰めの局面へと刻を進めていく。
既にその戦いは始まっている。

海未、ことり。英玲奈とあんじゅ。

オトノキタウンの旅人たちと、アライズ団の幹部たち。その因縁に雌雄を決する時が訪れている。

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