男「駅で先頭に立って電車を待ってる時、“もし背中を押されたら”と妄想してしまう」 (17)


駅のプラットホームで先頭に立ち、電車を待つ。

電車通勤や電車通学の経験がある人ならば、誰もがやったことがある行為であろう。

次の電車まではあと五分ある。
たかが五分だが、ぼんやりとなにかを待っている時の五分間というのは、なかなか長いものである。



だが、こうして電車を待つ列の先頭に立っていると、ふとこう思う時がある。

「あれ? もし今ここで背中を押されたら、俺ヤバイんじゃね?」

――と。


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もし背中を押されたら、俺はどうなってしまうのか?

まず線路への転落は免れまい。


ホームと線路の高低差を調べたことなどないしもちろん知らないが、1メートルはありそうだ。


1メートルの高さから転落したら、受け身の心得などない俺はおそらく無様に墜落し、
肩やら腰やらに打撲傷を負うだろう。どこかしらの骨が折れるかもしれない。

落ち方や打ちどころが悪ければ、死ぬことだってありえる。


しかも、もし俺が転落したところに電車がやってきたらどうなるか。

いうまでもない。
俺の体が電車に轢かれることは必定。

自動車やトラックより遥かに巨大な鉄の塊によって、俺の肉体は一瞬で打ち砕かれ、
グロテスクの五文字が相応しい代物になるだろう。

死ぬことだってありえる、どころか確実に死んでしまう。


俺が天国か地獄へ旅立った後、きっと各駅でこんなアナウンスが流れるはずだ。

「○○駅で人身事故が起きた関係で、××線は運転を見合わせております」


その場合、俺を突き飛ばした犯人は捕まるだろうか?

はっきりいって難しい気がする。


今この駅はかなり混雑しているし、俺を突き飛ばしてすぐ逃げ出せば、
あっさり逃げ切れちゃうんじゃ、という気がする。

そもそも人を線路に突き飛ばした人間を取り押さえるような義侠心に溢れた人間が
この場にいる確率も相当低いだろう。


俺を電車に轢かせた殺人犯が逃げおおせる確率は、かなり高そうである。


それどころか押し方が巧妙だったら、俺の死は他殺にすらならないかもしれない。

そうなったら最悪である。

完全犯罪になってしまうのはもちろん、俺は殺された上に
「自殺で電車を止めた人」にされてしまうのだ。


自殺で電車を止めたら、遺族は何千万円だか何億円だか、
とんでもない額の賠償金を請求されると聞いたことがある。

なんだかんだ請求されることはない、なんて話も聞くが……どっちなんだろう。


仮にされたとしたら、きっと俺の家族は俺の死を悲しむより、こう思うことだろう。

「あの野郎、なんでよりによって電車で死にやがった」


アナウンスが流れる。

「まもなく、1番ホームに各駅停車△△行きが到着します」


凶器、来たる。


この電車が駅に到着するタイミングで俺の背中が押されれば、
さっきまでの妄想が現実になってしまう。

なんとしても、それは阻止せねば。


まず俺は、下半身に力を込め、意識を集中させることにした。
両足の間隔を広げ、腰を少し屈める。

こうしておけば、後ろから突き飛ばされた時、ある程度踏ん張れる……かもしれない。


さらに、もし押された時に即座に横に倒れられるよう心の準備をする。

こうしておけば、後ろから突き飛ばされた時、前に倒れず横に倒れることになるので、
線路に落ちず電車に轢かれることはなくなる……かもしれない。


それと、突き飛ばされたら声を上げるようにもしなくては。

飛び込み自殺をする時、叫び声を上げる人はあまりいないだろう。
なんとなく、ふらっと電車に飛び込んでしまうイメージがある。

最低でも声さえ出せば、俺は死ぬ寸前悲鳴を上げていた、だからこれは自殺ではなく他殺、
ということになって遺族への賠償請求は防げる……かもしれない。

遺された家族のことも考えておくなんて、俺ってなんて優しいんだろう。


俺の対策は「かもしれない」ばかりだが、「かもしれない」を侮るなかれ。

毛利元就の三本の矢の逸話のように、「かもしれない」だって三つ重なれば、
あなどれない効力を発揮する……かもしれない。
あ、四つになった。


さあ、これで準備は整った。

いつ押されても大丈夫だ。


速度を落とし、電車がホームに入ってきた。

俺をあの電車に轢かせるなら、今しかない。


分かってるぜ、俺の後ろの奴。
お前が俺の背中を押したがってるってことは。

だが、たとえ押されても俺は踏ん張るか、横に倒れるか、叫び声を上げてこれは他殺だと訴えるか、
きっとどれかをしてみせる。

さあ、押せ。



今がチャンスだぜ――


結局、俺の背中は押されることなく、電車は無事到着した。

ドアが開き、中から出てくる乗客をやり過ごしてから、俺は電車に乗った。


まあ、当然だわな。

俺を亡き者にして、得をする人間がこの世に何人いるだろう。
というか、思いつかない。

むしろ、下には下がいる理論で、俺が生きてた方がなにかと都合がいい人間のが多かったりして。
妬まれない、恨みを買わないというのは嬉しむべきことではあるけど、悲しくもある。


それに、ホームの下に人を転落させて殺害するというのは、なかなかに残酷かつ大胆な方法だ。

さっき俺は、俺を殺した犯人は捕まらないだろうなんて妄想したが、
場合によっては目撃者が大量に出そうだし、案外あっさり捕まるかも、と思ったりもする。
監視カメラに犯行の瞬間がばっちり映ってるなんてパターンもありそうだ。

いずれにせよ、仮に俺を殺したい人間がいたとしても、こんな方法を採る可能性は低いだろう。

多分、毒とか、もっとスマートな方法でやるだろうな。


杞憂に終わったとはいえ、なかなか緊迫感のある五分間であった。
俺は電車内での立ち位置を確保してから、ハンカチで冷や汗を拭った。

ドアが閉まり、電車が動き出す……。


――このように、男は何事もなく電車に乗ることができた。

さて、そんな彼の真後ろに立っていた人物は、実はこんなことを考えていたと、
もちろん彼は知るよしもない。


「あっぶねー……前にいるあの人押したらどうなるのかなって妄想してたら、
 もう少しで本当に押しちまうとこだった……」







                                   ―おわり―

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