なるべく健全な催眠セラピー鎮守府 (39)


『――では、よろしく頼むよ。なるべく早くな』

提督「可能な限り善処いたします。はい、はい……それでは」

提督「……ふぅ」

夕張「随分張り詰めてましたね。誰からの電話だったんです?」

提督「雲の上に住んでいらっしゃるお偉いさんからだよ」

夕張「って事は……待ちに待ってた開院、いよいよ今日からですか」

提督「そういう事だね。この鎮守府型医療施設が一体どれだけの成果を出せるのか、腕の見せ所だ」

夕張「……そういえば、人前で貴方の事は何て呼べばいいのかしら?先生?お医者様?」

提督「提督、でいいよ。ここではそういう設定だからね。夕張さんには秘書艦の役割をしてもらう事になる」

夕張「承知しました、提督!これからよろしくね!」

提督「こちらこそよろしく頼むよ。私達二人の力で、一人でも多くの患者さんの心を助けよう」

夕張「はい!」

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――処置室――

夕張「提督!機材の点検終わりました!」

提督「ありがとう。備品の欠損、異常は……無いみたいだね。それじゃあ準備も終わったし、患者が来院する前に最後の予行演習をしておこうかな」

夕張「あ!それなら私で実験してみてくださいよ!」

提督「……今まで散々こういうの胡散臭いって言ってなかったかい?」

夕張「胡散臭いからこそです。兵装実験軽巡として、効果を確かめずに装備を一般導入するのはポリシーに反しますから!」

提督「分かったよ……それじゃあ試してみよう。向こう側のソファに深く腰掛けてくれるかな」

夕張「よいしょっと……わぁ、ふかふかですねー」

提督「一応患者さんが座るソファだからね」


提督「OK。次は、軽く目をつぶってみようか」

夕張「へぇ……目の前で五円玉ゆらゆら~とかしないんですね」

提督「魔法や妖術の類ってわけじゃないからね、流石にそれは無理だよ」

夕張「これでいいですか?」

提督「いいね。それじゃあ、部屋も暗くするよ」

夕張「……」


夕張(あれ……?何か、いい匂いがする)

提督「アロマキャンドルだよ。単なる雰囲気づくりの一環だから、気にしないで」

夕張「はい」

夕張(今、どうして私の考えてる事が分かったんだろう……?)

提督「始めようか。まずは、鼻から深く息を吸い込んでみよう」

夕張「……」


提督「もっともっと。香りを全部吸い取るくらい深ーく、深ーく……」

夕張(この匂い……いっぱい……)

提督「OK、できてるよ。次は私に合わせてゆっくり口から吐いてみよう。はぁー……」

夕張「はぁー……」

提督「また鼻から吸ってー……」

夕張「……」


提督「口から吐いてー……」

夕張「はぁー……」

提督「吸ってー……」

夕張「……」

提督「吐いてー……」

夕張「はぁー……」


夕張「……」

夕張「はぁー……」

提督「上手に出来てるよ、夕張さん。その呼吸を繰り返してね」

夕張「……」

夕張(案外簡単なのね……)

夕張「はぁー……」





夕張(……)

提督「それじゃあ、一つ下にいこう。下りの階段をイメージしてみて」

提督「先が見えないくらい、ずーっと下まで階段が伸びている。暗くて何段あるのか分からない」

夕張(階段……)

提督「今、夕張さんは一番上にいる。ここから、ゆっくり一段ずつ降りていってみよう」

提督「怖がらなくていいよ。私が誘導するから、声に意識を集中して。返事はしなくていいからね」

夕張「……はい」

提督「じゃあ、いくよ」


提督「一段目」

夕張(一段目……)

提督「二段目」

夕張(二段目……)

提督「三段目」

夕張(三段目……)





提督「五十段目。ここが夕張さんの一番深い所だね」

夕張(五十段目……いちばん、ふかい……)

提督「そう。ここが一番下だ。いつもの夕張さんはずっとずーっと上の方にあって、ここからじゃ何もわからない」

提督「でも大丈夫。私が居るからね……さぁ、ゆっくり目を開けて」

夕張「……」

提督「今、気持ち悪いとか、嫌な感覚はあるかい?」

夕張「……ない」


提督「そうか、よかった。これから先も、夕張さんは嫌な気持ちになったらすぐに言っていいからね」

夕張「……うん」

提督「じゃあ、夕張さんは今いい気持ちかい?」

夕張「……よく、分からないわ……ふわふわして……ぼーっとして……ねむくないのに、ねむたい……」

提督「正常な反応だよ。夕張さんは大丈夫だ。そのまま、ふわふわのままでいいからね」

夕張「……」


提督「さぁ、この懐中時計を見て」

夕張「……?」

提督「何時を指しているか、分かるかい?」

夕張「……くじ、にじゅっぷん……」

提督「正解。じゃあ、一度目を閉じて」

夕張「……」

夕張「……」

夕張「……?」


提督「OK。さぁ目を開けて、もう一度時計を見てみよう。何時かな?」

夕張「……くじ、にじゅっぷん……」

提督「正解。バッチリ、よくできてるよ夕張さん」

夕張「……」

提督「この懐中時計が開いている限り、この部屋はずっと九時二十分なんだ。さっきもそうだったよね?」

夕張(一度目は、九時二十分で……二度目は、九時二十分だったから……)

夕張(間違ってない……よね……この人のいう通り……ずっと、くじ、にじゅっぷん……)

夕張「……うん」


提督「この部屋の時間は止まっている。だから、ここでは時間を気にする必要はない」

提督「夕張さんがもういいって思うまで、どれだけでも長く居られるんだ」

提督「そうだよね?」

夕張「……うん」

提督「そう。そうなんだよ、夕張さん」

提督「時間が止まっているから、誰も入ってこられない」

提督「夕張さんを脅かしたり、怖がらせたりするものはここには絶対に入ってこられない」

提督「だからここでは何も気にせずに、安心していいんだ」


提督「さぁ、ゆっくりと呼吸をして……」

夕張「……」

夕張「はぁー……」

提督「上手に出来ているよ」

提督「ここにはいい匂いしかないから、空気を吸うたびに体がリラックスしていくけど、それは正常な反応だ。気張らなくていいからね」

夕張「……」

夕張「はぁー……」

夕張(いいにおい……吸って……吐いて……)


提督「吸うたびにリラックスして、体にいい匂いが広がって……」

夕張「……」

提督「吐く度にお腹に貯め込んでた嫌な気持ちが手足の先から、すーっと抜けていく……」

夕張「はぁー……」

提督「深呼吸、気持ちいいよね。そのまま、気持ちいいままでいいからね」

夕張「……」

夕張「はぁー……」


提督「どんどん気持ちよくなって、それと一緒に瞼が落ちてくる……我慢できなくなったら、無理せずそのまま目を閉じていいからね……」

提督「さぁ、体いっぱいに吸って」

夕張「…………………………………………………………」

提督「全部口から吐いてー……全部だよ、全部抜ける……イヤな事が、指先からすーっと抜けていく……風船みたいにしぼんでいく……」

提督「足の指からも抜けていくよ……抜ける……」

提督「首も頭を支えてられないけど大丈夫だよ、そのまま力を抜いて。一緒にイヤな気持ちが抜けていくよ」

提督「頭の中も、どんどんどんどんしぼんでいく……何も考えられない……楽になっていく……息を吐けば吐くほど楽になっていくよ……」

夕張「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………」

夕張(……………………)


提督「さぁ、今度は思いっきり吸ってー」

夕張「…………………………………………………………」

提督「さっき頭の中のイヤなものは全部抜いたから、今夕張さんの頭の中はいい匂いだけでいっぱいだね……」

夕張「ぁぁ………………」

提督「いい匂いだけだから、すごく気分がいい。もう目も閉じちゃって、いつでも眠れそうだ……」

夕張(うん…………あたま………………………………とろん、って………………)


提督「じゃあ、ゆっくり吐いてー……」

夕張「ふぅー……」

提督「OK。ほら、頭の中にはもう何にも残ってない。空っぽだ。空っぽの中に、私の声だけが聴こえる」

夕張(…………こえ…………)

提督「さぁ、眠る準備だよ。私の指が掴んだ所から、またイヤなものが抜けて、暖かくなるからね」

提督「イヤなものが抜けるのは気持ちがいいよね。だから、そのままでいいんだよ……」


提督「まずは肩。はい、ぎゅー……抜ける、抜ける、絞られて抜けていく……力ももっと抜ける……」

夕張「…………ふぅ……」

提督「暖かいね。私も暖かいよ」

提督「次は二の腕だよ。ぎゅーっとすると……抜けていく、抜けていく……だらーんとなる」

提督「はい、手のひらぱーしてくれるかな」

夕張「…………んぅ……」

提督「ありがとう。手のひらもぎゅー……………………はい、もう絶対動かない。ぐーもぱーもできない……全部抜けちゃったね」


夕張(手のひら……ぽかぽかする……)

提督「指も、一本一本抜いていくからね。根元から、先っぽに……ぎゅー。もう全然力が入らない。とけちゃったみたいだ」

提督「それじゃあ薬指もやっていくよ。ぎゅー」

夕張(あ、ぁ、ゆび、とかされて……なんで、ほんとに、ちから、はいんない……)

提督「最後に、親指で……ほら、もう夕張さんの腕にはどこにも力が入らないよ。動かそうとしてみてもいい」

夕張(ぜんぜん……うご、かない……けど……あったかくて……いいきもち……)


提督「動かないよね。でもそれは正常な反応だよ、怖がる必要はないからね……」

提督「……はい、これでもう両腕動かない。動かせないよね?」

夕張「……うん」

提督「足も抜いちゃおうか。右から……ぎゅーってすると、ぽかぽかして、だらーん……」

提督「はい、左足もー……」

提督「首も少しだけぎゅってしておこうか。苦しくないよ、抜けていくだけだからね……」

夕張「ふぁぁ……ぁ……ぁ……ぁぁぁ……♥」

夕張(なに…………これ…………?わたし……は……?)


提督「よし。全部ぽかぽかして、夕張さんの体は眠っちゃったみたいだよ」

提督「……夕張さん、今どこにいるかわかる?」

夕張「…………………………………………?」

提督「ここは夢の中だよ。夕張さんの体は眠っちゃったから、ここは夕張さんの夢の中なんだ」

夕張(そっか……そう、なんだ……わたしの、ゆめ……)

提督「私も夕張さんの夢に過ぎない。だから、私に話す事は自分と話す事と一緒だ」


提督「私は夕張さんだから、夕張さんの事が分かるよ。……悩み事があるよね?」

夕張「……うん」

提督「前の鎮守府に居られなくなったのも、その悩みが関係してるよね?」

夕張「…………うん」

提督「それならその悩み、私に話してみよう。そうしたら、ぽかぽかが広がって、気持ちよくなるよ……」

提督「自分同士だから、何も気にすることはないよ……今まで抑えてた気持ちが、全部出てくる」

夕張「…………………………………………………………………………」


夕張「もと、いた……鎮守府で……」

夕張「後から入ってきた……明石、さんに……工廠の……お仕事……とられて……」

夕張「明石……さんのほうが……優秀……だから……みんな……明石……頼られて……つらくて……」

提督「そうだったよね。仕事をとられて、辛かったよね」

夕張「居場所が……なくて……それで……それで……わたし……避けて……」

夕張「比べられるのが……こわくて……でも……比べられて……だから……明石……さんの……」


夕張「っぎ…………………………ぎそうに、細工して……!怪我、させて……!」

夕張「それで満たされて……でも嫌で……ちぎれそうで……逃げて……辞めて……逃げちゃったの……!」

夕張「謝れなくて……今でも……謝りたいのに……どうしても……できなくて」

提督「謝れるよ。ここでなら、夕張さんしかしない。だから謝れるよ」

提督「さぁ。ごめんなさい、って言って」

夕張「……」

夕張「……………………ごめん、なさい………………」


提督「ほら言えた。ここでなら、全部出せるよ。出したら、すーっと一緒に嫌なものも消えていくよ。だから、全部出しちゃおう」

夕張「ごめん、なさい……ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

夕張「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

提督「もっともっともっと!全部、奥の奥まで吐き出して!」

夕張「う゛っ……う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん……!」

夕張「明石さん、皆、ごめん……ごめん……………………………………な゛さ゛い゛ぃぃぃぃぃ……!!!」

提督「よしよし。よく言えたね夕張さん、偉かったよ」


提督「ほら、キチンと言えたからもう嫌な気持ちなくなっただろう?」

夕張「……ぁ……」

提督「もう大丈夫だ。イヤなものは夕張さんの中から全部なくなった」

提督「さぁ、3つ数えてこの懐中時計をしまうよ。そうしたら、時間が動き出す」

提督「数える間、夕張さんはエレベーターに乗ったみたいに自動で上に昇る。上についたら、スッキリした気持ちだけを持っている」

提督「私と話をしたけど、何をしたかはもう覚えていない。ただ、胸がスーッと気持ちいい、それだけ覚えているよ」

夕張(胸が……すーっと……)


提督「さぁ、3、2、1、で蓋を閉じて時計をしまうよ」

提督「3」

提督「2」

提督「1」

提督「ゼロ!」

提督「……ハイ終わり。もう普通でしょ?」

夕張「…………はぇ?……あ、あれぇ!?なんか……うぅん?」


提督「どうしたの?」

夕張「いや、何か提督と話をしたのは覚えているんですけど……私何か変な事言ったりしませんでした?」

提督「別に普通だったよ」

夕張「うーん……まぁいいです!なんだかとってもスッキリしたし!効果は本物って事みたいですね!」

提督「お褒めに預かり光栄です」

??『……ちょっと!言われた通り来てやったのに、この鎮守府には猫一匹居やしないの!?』

提督「おっと!早速患者さんだね。夕張さん、受付よろしく」

夕張「はーい!今行きまーす!」

今回はここまで
こんなノリで進む健全なお話です

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