卯月「…ここ…どこ…?」 (214)

アニメ準拠はほとんどありません
草は生えてませんが気分を害されたら本当に申し訳ありません
設定がガバガバなのと「…」が多いです

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何かが起こる時は、大抵何かしらの予兆がある。

そう言われた人間は少なくはない。

では具体的に、何の予兆があると、何があるのか?

そう聞かれると、中々どうして思い浮かばなくなる。

月が大きく見えると地震が起きる。
海の生き物が打ち上げられると地震が起きる。

そんなものは特に科学的根拠の無い、ただその例が多いというだけの統計学に過ぎない。

つまり、どういうことか。

何かが起きるのは、突発的な事の方が多いのではないかということだ。

そしてそれが、科学的に説明のつかない事象ならば、尚更だ。

抗えない、「何か」。

それはいつ、何処で、誰に起きるのか。

そんなものに、予兆などありはしないのだ。

「…」

真っ直ぐにするのにかなりの時間を要するだろう癖っ毛を持つパジャマ姿の少女。

「…」

彼女は今、ここで目が覚めた。

「…」

二、三瞬きをし、髪の毛をガリガリと掻く。

今、まだ彼女は現実を見ていない。

というよりは、見ることが出来ない、と言った方が正解なのかもしれない。

「…」

背中を確認する前に手足が土で汚れていることで、一つだけ分かる事がある。

「…」

恐らく、自分が寝ていたのは、この上だ、ということだ。

「…」

自分の身体をこれでもかと言わんばかりに受け入れるあの心地良いベッドなどではない。

固く、冷たく、汚い土の地面の上だ。

「…嘘…」

自分は寝相が良い方ではない。

それは自覚してはいるが、流石に家の外に出て寝るなどということはない。

もしそんな事をしようものなら、自分は今すぐ病院行きだろう。

「…ママ…?」

…。

「…パパ…?」

…。

おそるおそる両親を呼ぶ。

しかし、返事は無い。

聞こえるとするならば、自分が苦手とする虫の鳴き声くらいだ。

「…なんで…?」

その上、何か妙な気配も感じる。

「…ここ、何処なの…?」

彼女、島村卯月がパニックに陥るのには、そう時間はかからなかった。

少年は、走っていた。

ただひたすらに、走っていた。

何処に向かっているか、場所は分からないが方向ならば分かる。

少女の悲鳴が聞こえたのは、この先。

今、少年は必死にその声の主の元へと向かっていた。

「…この森は奥に行けば行くほどヤバいってのに…何たって女が…」

嫌な話だ。

自分は便利屋ではない。

しかし、皆いつも自分に面倒事を任せる。

自分は利用されやすい性格なのだろうか。

ならば直した方が良いのだろうか。

「…ってか急がないと…!声が弱々しくなってきやがった…!」

…そのような台詞を吐いている時点で、自分のこの性格は一生直らないのだろう、と彼はほんの少しだけ苦笑することで開き直り、弓を構え再び走り出した。

助けを求めるでもない叫びを上げた後、卯月は再び自分の置かれた立場に目を向けた。

何処かも知らない場所。
寝間着のままの自分。

まず頭を過ったのは、誘拐。

「…」

しかし自分は家で寝ていた。

親もいる家で、誘拐されるのは考えづらい。

しかし、実際にそうなったとしたら親はどうなっているのだろうか。

「…ママ…パパ…」

このような状態であっても自分の身よりも自身の親を心配するのは、彼女の長所と言うのだろうか。

「…」

携帯は、ベッドの下にある。

財布は勉強机の上にある。

それでも今、自分が持ち合わせているもので何かこの状況をほんの少しでも打破出来る物が無いか、一縷の望みのかけズボンのポケットをまさぐった。

「…?」

それは、ポケットに手を入れた瞬間、どんな物なのかが判別出来る物だった。

「…カード…?」

それは、見たことも触ったこともないだろう、一枚のカード。

「…?」

スペードのマークが刻まれている事から、トランプの一種だと考えたが、どこを見ても数字は書いていなかった。

「…よく…分からないけど…」

しかし、普通でないのはそれだけではない。

そのカードは、異常なまでに、硬い。

臀部のポケットに入っていてシワの一つもつかないのだ。

「…」

触ってみたところ、やはりどう考えても紙やプラスチックなどの柔らかいものではない。

「…」

しかし、これが何の役に立つのか。

必死に考えたが、何一つ思い浮かばなかった。

「…!」

その時だった。

「…な、何…?」

音がした訳ではない。

声がした訳ではない。

しかし、確実に分かることがある。

「…何…?」

何かが、自分の周りにいる。

それが一つなのか、そうでないのかは判別出来ないが。

何者かが、自分を取り囲んでいる。

「…嫌…」

それは、ゆっくりと。

まるで、ライオンが獲物を狩る時のように、慎重に。

だが、確実に。

自分を、追い詰めようとしていた。

「…!……!」

人は、本当の恐怖に対面するとこうなるのか。

極度の緊張からか、声が出ない。

足はすくみ、立ち上がる事はおろか、膝をつくことも出来ない。

ただの女子高生である自分には、何も出来ない。

目の前にいる何かは、自分を捕らえるつもりなのか。

腹の足しにでもするつもりなのか。

「…た…けて…」

その渇いた叫びは、誰にも届くことはない。

つまりは、自分はここで死ぬということだ。

友達や、親。

誰にも知られることなく。

この何処かも分からない山の中で、その生涯を終えるのだ。

『…』

やがて、その何かは姿を現した。

『…』

周りの木々を枝を折るかのように薙ぎ倒し、通る後の地面は抉れ。

やがて、卯月の前に、その巨体を見せつけるかのように。

その大きなムカデの化け物は、上体を起こし、卯月の目の前に立ちはだかった。

「…」

その風貌、その大きさ。

一瞬で分かる、自分にはどうにも出来ないだろう、生き物としての差。

そのあまりの差に、卯月の頭は停止した。

今まで生きてきた中から危機的状況に適した情報を探る走馬灯すら、機能しない。

ただ、その化け物を見上げるだけの人形と化した。

『…!』

「…?」

しかし、その時だった。

『…!…!』

その大きなムカデは、何かを嫌がるような仕草をし出した。

肉食で、食欲旺盛なムカデが今、目の前にいる獲物を捕えることを中断してでも、だ。

「…!」

その行動でようやく我に返った卯月は、その原因を目を動かす最小限の行動で探った。

すると、一人の少年が、目の前の化け物に向かって矢を放っている事に気がついた。

「…おい!!そこの姉ちゃん!!早く逃げろ!!!」

彼女とそう変わらない年齢だろう少年は、卯月に向かって逃げるよう大きな声で呼びかけた。

「…で、でも…」

しかし、意識が戻ったからといって、目の前の化け物から全速力で逃げられる脚力が戻ったわけではない。

「いいから!!這ってでも逃げろ!!!俺だっていつまでも持たねぇぞ!!!」

それでも少年は卯月に対し、必死に呼びかけた。

少年にも余裕は無い。
自分も食われる可能性があるというのに、卯月を助けようと決死の覚悟で矢を放っている。

「…は、はい…!」

「こっちだバケモン!!このっ!このっ!このっ!!」

勿論、効かない事は百も承知で。

何度も、何本も。

だが、その中で少年はあることに気がついた。

「…!あれなら…!!」

恐らく、この大ムカデが作っただろう環境。

薙ぎ倒された木々。

「…とっとと消えろ!!このバケモン!!!」

それは、少年にとってこれ以上ない程の好都合であった。

「…この…!」

やがて矢が最後の一本となると、少年は鏃に破った自身の服の一部を巻きつける。

鹿程度なら一撃で葬る殺傷力を持つ弓矢ではあるが、とてもじゃないがこの化け物には敵わない。

ならばどうするか。

効かせる必要は無いのだ。

ただ、追い払えば良い。

「…これで…!」

少年は、その鏃部分に火を付け、大ムカデの前方にある木々に向かって。

「終わりだバケモン!!」

全力で持って、矢を放った。

…。

「…ゃん…」

誰かが、自分を呼んでいる。

「…ゃん…」

随分と、必死そうだ。

「…ちゃん…」

ちゃん。

自分をちゃん付けで呼ぶ人間は限られる。

学校の友達か、年上のアイドルだ。

…自分は何か、したのだろうか。

思い返すが、特に何かした覚えはない。

「…ちゃん…!」

しかし、随分と必死に自分を呼ぶ。

ぼんやりとしか見えていないが、自分はどうやら倒れているようだ。

視界の真上に、誰かの顔が映っている。

「…誰…?」

「おい!!姉ちゃん!!」

「ふえっ!!?」

…。

「…」

「…ったく…なんたってそんなカッコであんなとこに居たんだよ…」

…。

この少年は、誰か。

恐らく、自分のことを呼んだ者だ。

だが、二人の間に面識は無い。

姉ちゃんと呼んでいたが、自分に弟はいないし、そんな間柄の人間もいない。

髪の色も、目付きも違う。

つまり、自分の名前を知らないから、そう呼ぶしかないということだ。

「…」

「…?おい、おーい…」

考えれば、考えるほど、自身の頭が思考停止するのを感じる。

寝て起きて、ただ頭が働いていない。

そんな類のものではない。

はっきりと、自身の頭が、考えることを拒否している。

「…!!!?」

だが、あまりにも強烈な光景は、そうそう忘れられるものではなかった。

「……ウッ…」

「え?お、おい…大丈夫かよ…」

背中をゆっくりとさする少年のことなど一切考えず、昨日胃に入れたものを全て吐き出す。

「おえぇ…」

「…まー…そりゃ女が見るもんじゃねえよなぁ…」

女が見るものではない。

それどころではない。

あれは、この世のものではない。

あんなものが世に出ているなら、とっくの昔にテレビに出ている。

あまりにおぞましい。
あまりに醜悪。

ではない。

単純に、恐ろしい。

それ以外の言葉は、不要。

「…ほら、水。ゆっくり…」

「…ありがとう…ございます…」

差し出された水筒の水をゆっくりと口に含み、ゆすぐ。

その後、喉が渇いていたことに気がつき、水を貪るように飲み出す。

少年はそれに対し何もアクションを起こすことなく、ただただそれを見守っていた。

これが微笑ましいものならば、多少の苦笑もあったものだが。

今の彼女には、それは皆無だということは、自分でも瞬時に理解出来る。

「……ご、ごめんなさい…」

「…良いよ。……で?」

「え?」

「え?じゃねえよ。名前。名前は何てんだよ?」

「…し、島村…卯月です…」

「…ウヅキ…か」

「は、はい…」

「……」

「…」

「…カズマ」

「…え?」

「俺の名前だよ。カズマ。よろしくな。卯月」

「…よ、よろしくお願いします…」

「…」

…。

……。

「…あああああ!!!」

「ひうっ!!?」

「さっきから何なんだよ!ビクビクビクビク…もうあのバケモンはいねぇんだから、さっさと立てよ!!」

そう言われ、ようやく辺りを見回す。

先程のように周り一帯が大きな木で覆われている森の中ではなく、どこまでも草原が広がる湿地帯となっていた。

「…ここ…」

「おお。俺が運んだんだぜ?」

「…ここ…」

「…おお」

「……何処ですか…?」

「…お?」

ここは何処だ。

至って純粋な疑問をぶつけたつもりだったが、それを意外な質問だという顔で返したカズマ。

「…」

よく見ると、彼の格好は、何かがおかしい。

布製の服ではあるが、何処か民族的なものを匂わせるような衣装だ。

おまけに、彼が腰に携えた刃渡り40cmはありそうなサバイバルナイフ。

背中には弓矢一式が揃っている。

「…まさか、お前何も知らねえってわけじゃねえだろうな?箱入り娘か?」

「え…?」

「この辺の森や山は出るんだよ。魔物が」

「…魔物…?」

「えええ…?魔物すら知らない?」

「…」

会話が、まるで噛み合わない。

訳が分からない。

先の大ムカデは本物だったとして、彼はそれを「魔物」とやらの一言で片付けた。

つまり、彼が言ったことは、こういうことだ。

『この光景は、珍しい事ではない』

「…」

自分が今、どういう状況下に置かれたのか。

ほんの少しだけだが、彼女はそれをようやく理解することに、した。

「へー…じゃ、その…つまりだ。この世界の…事?は知らないってこと…か?」

「…はい。…多分…」

カズマとの道中、自身の生い立ちや、346プロダクションでの話を、端的にではあるが彼に話してはみた。

しかしやはりというべきか、彼は首を傾げて分からないといった動作を取った。

ただ興味が無いだけなのかもしれない。

それだけならば、どれだけ有難かったか。

「テレビって何だ?ライブって…」

「…あ、あはは…」

日本語も通じる。
顔も日系。

しかし、卯月が過ごした日本は、彼には一切通用しない。

つまり、そういうことだ。

「…」

「…あー…まあ、なんだ。元気出せよ。きっと元に戻れるって!」

「…」

元に戻る。

何をどうすれば、元に戻る事が出来るのか。

17歳の少女には、あまりにも酷な話かもしれない。

「もしかしたらさ、村の連中が知ってるかもしれねえだろ?聞いてみようぜ!」

カズマに元気付けられながら、卯月は彼の住む村へと遅い足取りで向かっていった。

…。

「…」

自分の取り柄といえば、何か。

明るいことだろうか。

…いや、実際は悩みやすい。

「…」

ならば、運動神経だろうか。

…いや、良くて中の上だ。

「…」

…顔か?

…。

……。

「…あー!!もう!!!」

ここは、何処かも知らない山中。

「ここ、何処なのさー!!!」

彼女の名前は、本田未央。

そこに彼女は居た。

居た、というよりは、本来起きた場所から、歩いて来たのだが。

「…にしても…」

後ろをちらりと見る。

そこに横たわる、幾人かの屈強な男達。

起き上がるどころか、ピクリとも動かない。

死んではいないだろうが、しばらくは目を覚まさないだろう。

「…」

先の、自分の行いを思い返す。

囲まれた、自分。
取り囲んだのは、この屈強な男達。

しかし。

「…私、こんな強かったの?」

自称、山賊。

このご時世に賊などと名乗る者がいるのかと内心驚いた。

しかし、向こうは本気でこちらを襲う気だ。

それに比べ、自分はただの女子高生。

一人はともかく、何人も目の前に現れては流石にどうしようもない。

おまけに後ろにも回り込まれて、逃げるのは難しい。

朝起きて、何故かここに居て、おまけに山賊に襲われる。

まさに、踏んだり蹴ったりとはこの事だろうと、今では少々の余裕を持って考えられる。

それは、何故か。

「…」

ただ、振り解こうとした。

肩を掴んだ男の手を振り解こうと、腕を掴み返しただけだ。

するとどうだろう。

自分よりもはるかに屈強な大の男が、紙くずのように吹き飛んでいったのだ。

そしてそのまま、後ろの男にタックルをかましたところ、その男もまた、面白いように吹き飛んだ。

その光景に驚いた山賊達は未央に対し、容赦無く凶器を振りかざした。

だが、その動きは、あまりにも遅かった。

自分の目にスロー再生される彼らの動きは、まるで殴ってくれと言わんばかりだった。

だから、思わずその者達に、手を出してしまった。

「…」

人生で初めて本気で握った、拳。

あまりにも、一方的。

それは喧嘩ではなく、ただの暴力。

「…」

多少の罪悪感はあるが。

「…」

携帯があれば、救急車でも呼べるのだが。

なにぶん今の自分には携帯はおろか、財布も食料も無い。

あるのは、ただ一つ。

「…ダイヤの、カード…」

ダイヤのマークが入った、金属製にも見えるカード。

これが一体、何を意味するものなのか。
この状況下で、どれだけ役に立つのか。

そして、自分の身体に一体、何の変化があったというのか。

「…んー…」

今の彼女には、全く分からない。

「…考えても、しょーがないか…」

カードをポケットに戻し、振り向く。

「…悪いのは、そっちだからね」

後ろで伸びている男達にそう呟き、また真っ直ぐ歩き出す事にした。

…。

「はー…山ん中でねぇ…」

「はい…何が何だか、分からなくて…」

「そりゃ困ったねぇ…ウチで良ければ、いくらでも泊まってきなよ」

「…ありがとう、ございます…」

カズマに連れられ、着いた場所は、彼の村にある、小さな木製の家。

そこには電化製品はおろか、コンセントすら無かった。

近代文明とはかけ離れた、不便な所。

それは、十分過ぎる程に理解出来た。

そしてそれが意味するもの。

「へー…ウヅキの世界じゃ風呂も自動で湧かせるんだな!スッゲー!!」

「…あ、あはは…」

自分は今、本当に違う世界に来てしまったということだった。

「でもよ、こっちに来ることが出来たんなら、戻ることも出来るだろ?手掛かりがどっかにあるはずだって」

手掛かり。

しかし、昨日の夜、何か特別な事をした記憶は無い。

何か違うとすれば。

「…こ、これ…」

「お?…何だこのカード…母ちゃん!これ何だ?」

あのカード。

今の所、何の役にも立っていないが。

「ん?……こりゃ…んん…?」

カズマの母親も全く分からないようで、すぐに卯月に返してきた。

「でも、それってウヅキがここに来た時手に入れたんだろ?間違いなく役に立つって!」

幾ら何でも可哀想だ。

とにかく彼女を励まさなければ。

そんなカズマの分かり易い気の使い方に少しだけ、気分が和らいだ感じがした。

…。

「…はぁぁぁ…」

深く溜息をつく、未央。

丁度座りやすい岩があったので、そこで少し休憩することにした。

「…どーして、こんな事になったかなぁ…」

今頃、アイドルの仲間はどうしているだろうか。

学校の仲間はどうしているだろうか。

プロデューサーはどうしているだろうか。

もしかしたら、自分を探して、警察沙汰にでもなっているのかもしれない。

「…早いとこ戻らないとなぁ…何とかして…」

何とかする方法は、検討もつかないが。

「…今、何時だろ…?」

時間は気になる。

日が昇ってしばらくしたが、今が昼なのか、そうでないのかが分からない。

「…昼かなぁ…」

だが、自身の身体が空腹を訴え始めている事から恐らくその辺の時間なのかもしれない。

「…お腹空いたなぁ…」

一人でいるからか、マイナスな気分に陥り、下を向く。

「…はぁ…」

今度は短く、しかし深い溜息をつく。

今の自分の格好を再確認したからか。

「…」

普段からジャージで寝ている為、そこまで恥ずかしくはない。

だが、着の身着のままの姿で来たようなので、靴が無い。

今この瞬間だが、外国の人間の習慣を羨ましく感じた。

「…」

汚れた足の裏を払い、何か代わりがないものか周囲を見渡す。

「…ん?」

すると、妙なものを見つけた。

「…あれって…足跡…」

それがただの足跡ならば、特に気にはしなかったが。

「…裸足?」

それは自分と同じく、裸足の足跡。

もしかしたら、自分と同じ境遇の人間がいるのかもしれない。

ただ、問題はそれだけではなかった。

「…え?…これって……血…?」

足跡に続いて、点々と滴る、血と思しき液体。

正直、この先を行くのは中々怖い。

「…」

しかし、何かがあるのかもしれないと恐る恐る進んでいく。

「・・・え?」

そこには。

「・・・嘘・・・でしょ・・・?」

16の女子高生が目にするには、あまりにも早過ぎた光景。

「・・・しまむー・・・?」

自身と一心同体とも言える、親友が。

「…」

一人の血塗れの少年を抱え、虚ろげに座り込んでいたのだ。

序章 終

またそのうち続き書きます

「・・・しまむー・・・?」

「…」

未央の問いかけに、彼女は応えない。

「しまむー…」

「…」

何も映さない瞳は、こちらを向くことはない。

「…しまむー!!」

「…」

思わず未央は、卯月の肩を掴む。

しかし、今の自分の妙な身体能力を思い出し即座に手を離した。

「…」

だが、それでも卯月は一切反応しない。

ただ、血塗れの少年を、撫で続けているだけだ。

「…ちょっと…どうしたの…?ねえ…」

「…」

何度も、何度も問いかけるが、返ってくることはない。

埒が明かないと、未央は少年の生死を確認しようと脈を測る。

このような状態を目にするのは初めてで、内心は恐怖と混乱でいっぱいだったが。

「…しまむー…」

親友がこのような状態になっている今、自分が何とかしなくてはならないと必死になっていた。

「…しまむー…この子…もう…」

少年の頸動脈に指を置いたが、脈打つ様子は無い。

医者ではない自分が判断して良いのならば、間違いなくこの少年は息を引き取っている。

「…」

腹の一部は無く、そこからとめどなく血が流れている。

死因は恐らくそれらだろう。

何故、このようなことになったのか。

「…しまむー」

卯月は相変わらず少年を撫で続け、こちらに気付く様子は無い。

それに、彼女の格好もおかしい。

「…その格好…」

血で汚れてはいるが、はっきりと分かる青と白の、強固な鎧。

彼女の隣に落ちている、女子供が持つには苦労しそうな、剣と思しきもの。

「…」

角の生えた、兜。

今この状況下で、コスプレと判断するのは間違いだろう。
間違いであって欲しい気持ちもあるが。

「…しまむー…ごめんね。この子、もう…」

卯月から少年を取り上げる。

だが、その時だった。

「…!」

卯月の目に光が戻り、少年をがっしりと掴む。

その衝撃で、少年の傷口から血が飛び散る程に。

「!しまむー!!」

「……え?……未央……ちゃん…?」

ようやく、卯月が意識を取り戻したのだ。

「…あ…」

最もそこには、あまりにも辛い現実が待っていたのだが。

「…カズマ…君…」

「…カズマって、言うんだ。この子…」

「…嫌…」

「…」

「…ッッ」

山中に卯月の叫び声が響いたのは、未央の予想の範囲内だった。

「…」

「…」

あれからひとしきり叫び、ひとしきり泣き、喚いた。

それ程までにこのカズマという少年の存在が卯月にとって大きかったということだろう。

未央もこの時ばかりはどうやって声をかけて良いものか、分からなかった。

ただ、卯月を抱き締め、少しでも抑える事しか出来ない。

カズマという少年の血で服は汚れ、臭いもするが、それでも未央は卯月の元から離れなかった。

「…」

あれから卯月の奇妙な格好は光に包まれ、元の姿に戻った。

あれは一体、何だったのか。

どうして、こんな事になったのか。

何故、ここに彼女がいるのか。

聞きたいことは山ほどあるが、今の卯月の様子ではまともな返答は期待出来そうもない。

「…」

だが、このままここに居ても、何も変化は無い。

「…しまむー…」

未央は卯月に声をかけ、立ち上がらせる。

本来こういう時は警察を呼び、事情を説明するのが正解なのだが。

携帯も無く、卯月も恐らく持っていないこの状況では、それは出来ない。

とはいえ、彼をこの土の下に埋める、というのも流石に抵抗がある。

悪い事をしたわけではないが、どうにも抵抗があるのだ。

「…行こっか?」

仕方なく未央が取った行動は、そのまま寝かせておく事。

それもまた、道徳に反することなのかもしれないが。

「…」

だが、卯月は中々その場を動いてくれない。

「しまむー…このままじゃ私達二人とも疲れちゃうよ。何処か休める所、探そ?」

「…」

「…ね?」

早くこの場から遠ざかりたかったというのが、彼女の本心で。

仮に今、ここに誰かが来たとしてあらぬ疑いをかけられたとしたら、恐らくかなり面倒な事になるだろうという保身的な考えも、あった。

「…あの…」

「…後で聞くから、さ…」

「…」

彼を置いていきたくないのか、弱々しい力ではあるが抵抗する。

だが、ここにいても何も変わることはないと彼女自身も承知してはいる。

「…」

やがて卯月は、未央に連れられるままその場を後にした。

…。

「ウヅキちゃん。遠慮するこたないから。今日はここに泊まり」

「…す、すみません…」

「別にずっといてもいーんじゃねーの?元に戻れるまでさ」

「あはは…」

卯月がカズマの家に来て、少し。

彼の家族構成を知るくらいには、仲良くなれた。

現代で言う所の、母子家庭。

それがカズマの家の事情だった。

最も、ここではそういったことは気にするものではないのかもしれないが。

「その服じゃ恥ずかしいんだろ?アタシのお古で良けりゃ着なよ」

カズマの母親から、彼らと同じような民族衣装が手渡される。

それを着るのは少しだけ抵抗があったが、寝間着よりはマシだろうと思い、手に取った。

「あ、ありがとうございます。着させてもらいます…」

「母ちゃんのサイズが合うかー?」

「やかましいよっ!!!」

「ぉ痛っで!!!」

ポカ、と、漫画のような効果音が聴こえた。

こうして軽口を叩くのも、自分に対する気遣いだろうか。

二人のその優しさに、思わず顔が綻ぶ。

「あ!カズマが連れてきたお姉ちゃんだー!」

「お!似合ってるねー!」

「ど、どうも…」

「…あれ?なあにカズマ、そのおっきなタンコブ」

「な、なんでもねーよ」

「ウヅキちゃんの着替え覗こうとしたんだよ」

「そんなつもりねーよ!!話しかけただけだろうが!!」

「わー!カズマへんたーい!」

「へんたーい!」

「うっせー!!」

「…」

「ごめんねぇ。チビ達がうるさくて」

「い、いえ!そんなこと…」

相変わらずこの世界がどうなっているのかは分からない。

それとなく今日の月日を聞いてはみたが、年月日全てが自分のいた世界と一致する。

違いと言えば、近代文明は無く、皆が自給自足の生活をしている事。

それと、あの化け物レベルの生物が普通に存在しているという事。

「山奥は危ないよ。アイツらが巣を作っているからね」

「…でも、だったらここも…」

「アイツらは火を嫌うんだ。だから村の周りには絶えず火がくべてあるのさ」

「…」

そして、もう一つ分かったこと。

この村の人々は常にあの化け物達に怯え、生活しているということだ。

「だから雨の日は最早神頼みなんだよ。家の中で火をくべてやり過ごすくらいだしな」

「…え…」

そう肩を竦め、溜息混じりに語るカズマ。

だが、そんな経験があるわけもない卯月には聞いているだけでもかなりの恐怖を感じるものだった。

「そう怯えんなって…そ、その、まあ何だ、俺がー…また助けてやっからよ!」

「え…」

「何生意気言ってんだい。子鹿みたいに足震わせて」

「う、うるせえな!!それが命からがら帰ってきた息子に対する言葉かよぉ!!」

「あはは。良くやったよ。ウヅキちゃんももう、あんなとこに近寄るんじゃないよ」

「は、はい」

「元に戻ったって命が無きゃあねぇ。まずは生きることを優先しなよ」

「…はい」

この世界では、自給自足。

いつ魔物に襲われるか分からないギリギリの状況で、皆生きている。

その説得力に、卯月はただ頷くことしか出来なかった。

…。

「そう…だったんだ…」

「…はい」

あれから少し歩き、何処かは相変わらず分からないが、誰にも会うことなく山を降りた。

近くには川があり、あまりしたくはなかったが、そこの水を掬って、口にした。

「…」

川の水でも、飢えていたからか流石に美味く感じた。

そう感じるのは、あまり好ましくはなかったが。

「服、洗おっか…」

「…」

卯月の話の途中ではあったが、今この格好で誰かに会うのもどうかと思い、川で洗うことにした。

「…村の人達、優しかったんだね」

「…はい」

聞いた分ではあるが、やはりここは自分の居た世界ではない、と思う。

あまりに現実離れした、漫画の世界のような話。

しかし、今は信じるしかない。

「…」

何故か、やけに落ち着いている。

そんな自分が、ほんの少しだけ怖くなったが。

「…」

ユニットの、とはいえ自分はリーダーを任された。

ならば、自分がしっかりしなければ。

そう、心に決めた未央だった。

…。

「…」

「どうだい卯月ちゃん。美味しいかい?」

「は、はい!とっても美味しいです!」

自分で、食べ物を収穫する。

自分で、食べ物を調理する。

自分で火を起こし、加熱する。

自分で作ったものは、何故か美味く感じる。

それだけ腹が空いていたからだけなのかもしれないが。

「ウヅキちゃん、これも食べな!」

「は、はい」

「ウヅキちゃん!どうだ一杯?」

「えええっ!?」

「こらっ!!ウヅキちゃんにちょっかい出すんじゃないよ!!」

「おー怖い怖い…」

「あはは…」

カズマの村で行われた、小さな集会。

卯月に対する、歓迎会。

卯月を元気付けようとする、皆の優しさ。

何処から来たかも分からない人間を受け入れるその度量は、見習わなければならないのだろう。

「…」

皆、本当はギリギリの筈だ。

こうしている今も、魔物達は人間を狙っている。

「よーしここは俺が代表して…いっちょ踊ってやるか!」

「えー!!オッさんの腹踊りかよー!!」

「なんだとカズマー…よーしお前も一緒にやれぇ!!」

「えっ!?ま、マジかよー!!」

村の中で一番体格の良い男が、村の真ん中に火をくべ、嫌がるカズマと共に踊る。

その光景に、一同は笑い、卯月もまた、顔が綻ぶ。

問題解決への糸口は今の所、見つかる気もしないが。

だが今はとりあえず、その事は忘れよう。

今この世界で、自分は孤独ではない。

人の暖かみを、改めて理解する事が出来た。

今は、それで十分だ、と。

「…」

「おや、ウヅキちゃん。船漕いじゃってるよ」

「え、あ、す、すいません…」

「無理もないさね。怖い思いして疲れてんだ。カズマ!ウヅキちゃん寝かせてやんなよ!」

「え…えっ!?お、俺がか!?」

「何嬉しそうな顔してんだい。やっぱアイツじゃ危ないねぇ」

「カズマへんたーい!」

「へんたーい!」

「何でそうなんだよ!!そんな酷いことしねーよ!!!…ほ、ほら!行くぞ!」

「え、は、はい…」

後ろを向き、しゃがむカズマ。

その行動が意味することを彼は恐らく知らない。

そしてまた、卯月もその意味を知らない。

知らない者同士だからこそ、自然とおぶさり、そして気づく。

「…あ」

「…あ」

カズマの背中に、二つの柔らかい感触。

服を介してではあるが、初めて触れた母親以外の胸。

卯月に至っては、異性には誰にも触らせたことのない部分。

しかし、二人に慌てる様子はなかった。

否、慌てているのは誰が見ても明らかだが。

「…」

「…」

年上だからという強がりと、男だからという強がり。

しかし顔は次第に赤くなっていき、察した周囲からの笑い声はしばらく消えることはなかった。

…。

「…」

カズマに連れられ、寝床につき、どれくらい経ったのか。

それは分からないが、周囲が静かなことから恐らく皆も寝付いたのかもしれない。

あれだけ楽しんでいたのだから、余程長い間起きていたのだろう。

つまり、自分も随分寝ていたのかもしれない。

「…」

目を開けると、周囲は暗く、夜の月よ光が窓枠の隙間から差し込む。

光が埃を照らし、分かりやすい。

「…」

周囲が、暗い。

何故、暗いのか。

卯月は、ここに来て言われたことを思い出す。

…。

『アイツらは火を嫌うんだ。だから村の周りには絶えず火がくべてあるのさ』

…。

絶えずくべられる火の光が、無い。

「…!!?」

急いで起き上がる。

頭が、情報を集めようと一瞬でフル稼働する。

すると、聞こえてくる何かの、声。

微かだが、誰かが何かを呟いている。

それは楽しみや、嬉しさからくるものではない。

「…皆さん…?」

扉に手を掛ける。

しかし、開かない。

開かないというよりは、向こう側から何かで押さえられており、それが邪魔をしている感じだろうか。

「…!」

普段の彼女ならば、両手を使っても1ミリも動かないだろうが。

ほんの少し力をいれただけで、その扉は粉々に吹き飛んだ。

「…」

そこに広がる、光景。

まず思ったことは、赤い。

景色全体が、赤い。

だがそれは、月が赤いわけではない。

辺り一面が、真っ赤に染まっているのだ。

「…何…これ…」

一歩踏み出すと、冷たい。

これは、液体だと、一瞬で認識した。

そして、異常な臭い。

色んなものが、入り混じっている。

「…みんな…?」

先程の微かな声も、消えた。

皆は何処なのか。

姿はおろか、声もない。

「…!」

その時だった。

後ろ。

横。

自分を囲む、あの気配。

今度は、一つや、二つではない。

「…!」

振り向く。

すると、やはりだった。

『…』

『…』

『…』

屋根の上や、後ろ。

今日、初めて目にした化け物。

皆が、大ムカデと呼び、恐れる、魔物。

彼らは大口を開け、こちらをじっと見ていた。

牙から涎を垂らし、品定めをするかのようにじっくりと。

「…あ…」

再び、恐怖が卯月の全身を襲う。

足が震え、口も上手く開かない。

何故、彼らはここにいるのか。

「…」

あの時のことを思い出す。

カズマが放った、火。

小規模ではあるが、それは山火事となり、ムカデを追い払った。

「…」

彼らは、耐性をつけたということなのか。

あのようなかがり火は、最早通じなかったのか。

「…」

そして、もう一つ。

卯月は気づいていなかったが、あのスペードが刻まれたカード。

弱くではあるが、光を放っている。

その光のおかげなのか、どうなのか。

一人何とか生き延びていたカズマにSOSを知らせるには十分な光だった。

「ウヅキ!!!」

「…!カズマ…君…?」

「ウヅキ!そこから逃げろ!そいつらは触覚に触れたものしか食わない!」

「…カズマ…君…」

声のする方向を向くと、そこには傷だらけのカズマ。

どうやら足に深い傷を負っているらしく、こちらに来ることが難しいようだった。

その瞬間、ここで、何がどうなったかを確信した。

あの大ムカデが、今度は大群で押し寄せたのだ。

そして、この村の人間を、貪り食ったのだろう。

先程の刺激臭の中で、最も強い臭い。

それは、この村の人達の、血やその中にあったもの。

「…」

カズマの声に幾ばくか冷静になり、辺りを見渡す。

「…」

散乱する、人だった、もの。

食べ辛かったのか、細かく裂かれた服。

シュレッダーにでも通されたように細かく砕かれた、身体。

原型など留めているわけもなく、皆、ただの肉片と化していた。

「…みんな…」

皆、食われたのだ。

「…私の、せいで…」

その悲劇に、彼女は責任を感じずにはいられなかった。

「…私が、来たから…」

その時だった。

卯月の中の、一つの感情が増幅する。

それは、悲しみ。

自分を責める、負の感情。

そして、その感情が彼女の中で大きくなっていくほど、カードの光が増していく。

やがて、その光は卯月を包み込む程にまで膨らんでいった。

「…」

自分は、これからどんな人生を歩むのだろうか。

誰と結婚し、どんな子供が出来るのか。

一体自分は、これから何年生きるのだろうか。

15歳を迎えてから、そんな事を考えるようになった。

「…ウヅキ…?」

その中の、疑問の一つ。

「…何だよ…それ…?」

自分にも、不思議な体験をすることがあるのか。

15歳を迎えて、最初に解決した問題は、それだった。

「…」

青白い光を放ち、そこから現れたのは。

「…」

先程までとは違う、青と白の強固な鎧に身を包んだ卯月だったのだ。

「…」

その瞳は赤に染まり、兜には一本の、鋭利な、角。

「…ウヅキ…」

目も虚ろで、口も開かない。

だが、分かることがある。

「…」

今の卯月は、卯月ではない。

そして。

「…!」

卯月は確実に、あの化け物を殺す気でいるということだ。

卯月が腕を横に振るうと、その手にまるで初めからあったかのように、青白い大剣が現れた。

誰に教えられたわけでもなく、卯月はそれを逆手持ちに構え、何かの合図があったわけでもなく、ムカデの大群に突っ込んでいった。

「…」

一体、今、何が起こっているのか。

あの、泣き虫でか弱く、しかしとても優しい女の子は今、何処にもいない。

目の前にいるのは、二種類。

殺す者。

殺される者達。

「…」

たった一振りで、あの化け物達をいともたやすく真っ二つに切り裂いていく。

「…」

やがて、最後の一匹。

あの、一番大きなムカデ。

カズマが身体を張って追い払った、あの大ムカデだ。

だが、卯月は一切表情を変えることなく、あの大剣を左手に持ち替える。

よく見ると、その剣には卯月の持っていたものと同じものが刻まれている。

卯月はまるで初めから分かっているかのように、それを通す。

『SLASH』

すると、大剣はそれに呼応するかのように、光を放ち始める。

きっと、終わらせる気なのだろう。

今度は剣を両手で持ち、脇に構える。

相手もまた、卯月に狙いを定めている。

「…!」

『…!!』

両者の、激突の瞬間。

腹部に何かが当たった感触がして、そこでカズマの意識は途切れた。

…。

誰かが、自分を揺さぶっている。

母親だろうか?

それとも隣の家の子供達だろうか?

自分は、寝ているのだろうか。

ならば、身体を起こさなければならない。

…。

だが、どうやら身体に力が入らないらしい。

…。

そこで、カズマは思い出した。

気を失う、寸前。

凄まじい勢いでぶつかった両者。

卯月から発せられた衝撃で、ムカデは二つに寸断。

その威力は、とてつもないものだったのだろう。

その余波ですら、自分の腹部を消し去る程だったのだから。

「…!…!」

目をゆっくりと開ける。

最早声も聞こえないが、卯月が必死に自分に声をかけている。

鼻水も涙も拭くこともせず、一心不乱に自分を呼んでいる。

敵は、どうしたのだろうか。

卯月がここにいるということは、倒したということだろうか。

彼女は何と言っているのか。

読唇術とまではいかないが、もしかしたら、彼女は自分のせいでこうなったと思っているのかもしれない。

だとしたら、取り除かねばならない。

『お前のせいじゃない』、と。

…。

何かが、せり上がってきている。

抵抗すること無く、吐く。

恐らく、血だろう。

…。

腹部の傷を、目を下にやり、見る。

細部までは見えないが、どう考えても助かる傷ではない。

卯月が必死に押さえようとしているが、溢れ出す血液を止めるにはあまりにも頼りないものだった。

だが、血液がここまで流れたせいか、痛みは消えた。

というより、感覚すら無くなった。

視界もぼやけている。

これが、死ぬということなのか。

ならば、卯月に一言、言わなければならない。

彼女の目は今、悲しみに満ちている。

その悲しみを、少しでも和らげなければ。

…。

15年の人生というのは、長いのか、短いのか。

今となっては確かめる術も無いが。

それでも、不思議と怖くはなかった。

…。

だが、もう言葉を発する機能も停止したらしい。

脳も、上手く働かない。

もっと長く、もっと具体的に言ってやりたいが。

どうやら、一つの言葉に10も20も詰め込まなければならないようだった。

ならば、何と言えば良いのか。

こういう時は、何と言えば、カッコ良いのだろうか。

もう少し、言葉の勉強をしておけば良かったと、後悔する。

…。

仕方なく、最後に思いついた言葉を、彼女に送ることにした。

…。

……。

………。

「…カズマ…君…?」

とある村の、若い少年、カズマ。

「…カズマ君…起きて?」

元気で、不器用で、優しい、少年。

「…分からないよ…」

15年と、数ヶ月。

「…分からないよぉ…!!」

彼が最後に、話した言葉。

「…何を、頑張れば良いのぉ…?」

…。

が・ん・ば・れ

…。

「…そっか」

服の汚れを洗い、落とした。

代えは無い為、そのまま着ることにした。

少しベタつくのがどうにも気になるが、贅沢は言えない。

「…しまむーが、悪いんじゃないよ」

「…」

彼女はいつもそうだった。

力が無いからだと、自分を責める。

その度に努力をし、何とかしようとする。

しかし、彼女の努力という名の器は、前に一度中身が溢れ出した。

その時彼女が取った行動。

それは、崩壊。

彼女はその器を破壊し、外界との接触をやめた。

「だから、これ以上自分を責めちゃダメだよ。カズマ君だって、きっとそう思ってる」

一度経験しているからこそ、心配になる。

もしかしたら、彼女は新しい器を用意しただけなのではないか、と。

少し大きめの、努力の器。

未央は、それが怖かった。

今、それが急激なスピードで卯月を襲っている。

見知らぬ世界に放り出され、化け物に襲われ、見知らぬ村へ辿り着いたと思えば、沢山の死に直面。

正直、自分が同じ体験をしたら、立ち直れるか自信がない。

「…しまむー」

「…はい」

彼女に背を向けてはいるが、きっと彼女はまた泣きそうな顔をしているのだろう。

既に涙を流しすぎて、目の周りはボロボロだが。

「…」

だが、自分もまた、卯月に向き直れない。

それは、何故だろうか。

分かっている。

これは、怒りだ。

親友を傷つけ、悲しませ、絶望に叩き込んだ、ここの世界の魔物とやらに対する、怒り。

きっと今、自分の眉間には跡がつく程の皺が寄っているのだろう。

「…」

自然と、拳に力が入る。

何故か、ここに来て異常なまでに上がった身体能力。

卯月も、その影響があったようだが。

正直、今の自分なら、どうだろうか。

その魔物とやらの顔に、この拳をめり込ませることが出来るだろうか。

そんな危険な考えが、未央の頭に浮かぶ。

「…あ…み、未央ちゃん…」

「…何?しまむー」

卯月から、自分を心配する声がする。

自分から、怒りのオーラでも出ていたのか。

それが出せるのであれば、最早漫画の世界だが。

「…そ、それ…」

「?」

卯月が、未央のポケットに指を差す。

そこには、赤く輝く、あのダイヤのカード。

「…」

これは、一体何だろうか。

卯月は、これを使いあの姿になった。

ならば、自分はどうなるのだろうか。

「…」

ふと我に返る。

振り返ると、強張った表情の卯月。

どんな状況でも、気にするのは、自分よりも、誰か。

「…大丈夫だよ。私は死なないから」

だからこれ以上、心配はかけられない。

笑えているのかどうか分からないが、無理矢理にでも口角をあげる。

その慌てて作った笑顔に、卯月が笑みを返すことはなかったが。

「…カズマ君、 ちゃんとお墓を作ってあげませんか?」

「…ん…そうする…?」

「…はい」

しばしの沈黙の後、卯月がぼそ、と話しだした。

死体に触れ、埋葬する。

当然の事だが、それを一介の女子高生がするのは中々骨がいる作業だ。

随分冷静に話せるくらいには、卯月も適応してしまったということか。

「…」

上目遣いで、こちらを見る。

彼女の、かなり珍しいわがまま。

「…お墓?」

「はい…」

「……ま…そうだ…よね…」

人としても、リーダーとしても、聞かないわけにもいかず、仕方なく来た道をまた戻ることになった。

「…あれ?」

「はい?」

「来た道って、ここで合ってるんだよね?」

「はい…多分…」

「…何も無いよ?」

「え…?」

「…あ、いや、何も無いわけじゃないけど、そりゃ…」

来た道を戻るのに、さほど時間はかからなかった。

不思議な事に、今の自分の体力はかなり底上げされているらしく、全く疲れない。

脚も、腕も、一切疲れていない。

山を上り下りしたというのに、だ。

「…うん。えーと…血ー…と、臭い…は、ある…いっぱい…うん」

しかし、目的地まで戻っても何も無い。

カズマの死体も、服も。

恐らく居たのだろう、証拠を残して。

「…うっ…ご、ごめん…」

「い、いえ…大丈夫ですか?」

「…ん…」

このおびただしい量の血がカズマのものだというのなら、そこにいたということだが。

「!?」

その時だった。

「…」

「…しまむー…これ…」

「…まさか…」

ボタ、と落ちた何かの物体。

それは恐らく、人の、腕。

何処から落ちたのか。

「…!」

上を見上げる。

するとそこには、木の上に巻きつき獲物を狙う化け物が複数匹。

ずいぶん数が多い。

その光景で、未央と卯月は察した。

今、カズマは食われていた。

この魔物達に、だ。

「え…」

卯月の顔が、青ざめていく。

せめて、最後くらいは、ちゃんとしてあげたかった。

だから、ここに戻ってきた。

だが、その卯月の優しささえも、彼らは平気な顔で潰していく。

その急激な変化に、未央もまた、感情が肥大していく。

最も、彼らに餌場を与えた原因の一端は、自分にあるが。

「…カズマ…君…」

だから一層、腹が立つ。

「…」

彼らにも、自分にも。

「…!」

拳を強く握る。

感情が、溢れ出す。

「…アンタが…」

その時、未央のカードがまた、赤い輝きを放った。

「…アンタらが…!!」

ある感情が、増幅していくのを感じる。

眉間に皺が寄っていく。

「…!」

「…み、未央…ちゃん…?」

瞳が緑色に輝き始める。

段々とカードの光が大きくなっていき、未央を包み出す。

それは、卯月の時と同じ光景。

ただ、一つ違う事。

「…未央ちゃん…」

卯月は、悲しみ。

「私の仲間を傷つけたのは、アンタらかぁぁぁぁああああああ!!!!!」

未央は、怒りだった。

第一話 終

未央の身体を、赤い光が包み込む。

その光に、卯月は息を呑み、化け物達は警戒を始める。

「…!」

そして、露わになる。

赤と白の鎧を身に纏い、二本、空に向かって真っ直ぐ伸びる角を携えた兜。

右手には、ダイヤが刻まれた真っ赤な銃。

顔はいつもの未央のそれではない。

はっきりと感じ取れる、殺意。

目の前の敵に向けた、果てしない怒りの感情。

歯を剥き出しにし、大ムカデ達を睨みつける。

その口からは蒸気が発生し、まるで獣のような印象を感じさせる。

八重歯など、可愛らしいものではない。

あれは、最早、牙。

その迫力は、友人である卯月ですら怯え、座り込むほど。

だが、自分もまたこの力があるということ。

それもまた、恐ろしかった。

『…!』

ムカデ達が、逃げ出そうとする。

彼らは頭で考えるような戦い方はしない。

本能で狩りをし、食らってきた。

つまり、彼らが逃げ出したということは、そういうこと。

本能が、訴えている。

敵わない。
逃げろ、と。

大木をつたって、高い場所へ逃げ出す。

地上に降りれば、たちまち餌食になると思ったのか、彼らは木の頂上を目指す。

だが、それは検討違いだった。

「逃がすかッッ!!」

脚に力を込め、身体を捻る。

地響きがする錯覚に陥る程身体の筋肉をフル稼働させ、屈む。

「でぇ……ヤッ!!」

目標めがけて、一気に、跳んだ。

その高さ、30m以上。

未央はその高さをひとっ跳びで超えた。

「ん゛ん゛ん゛・・・!!!」

捻った身体を思い切り翻し、その右拳を一匹のムカデに叩き込む。

「ぬ゛・・・ガッッッ!!!!」

遠心力で増す、パンチ力。

叩き込み、少し遅れ、卯月の耳に聴こえる、爆音。

その瞬間、ムカデは地面に叩きつけられ、衝撃で身体は四方八方に飛び散った。

未央はそのまま、その大木を足場にさらに上へ登る。

そして、銃にカードをスリットさせ、構える。

『BARRETT』

必死に逃げるムカデ達に向かって、一切の容赦無く、放つ。

そのエネルギー弾はムカデを、彼らが巻きついていた木ごと破壊しはるか彼方へと消えていく。

最早それは、連射というより、乱射。

未央の周りを、高速のエネルギー弾が飛び交う。

破壊された木々やムカデの残骸は、雨あられのように、落下。

そのまま難なく着地した未央と違い、そのまま叩きつけられ、無残に砕け散った。

「…」

鎧が、消えていく。

「…」

何故か、自分はこの力の使い方を瞬時に理解した。

卯月もまた、こうだったのだろうか。

振り向くと、やはり心配そうな表情。

「…」

自分でも、異常だと、感じた。

過去、あれ程までに怒りに身を任せたことがあっただろうか。

思い返してみても、一度たりともない。

「…」

それだけではない。

自分はあんなに、凶暴な性格だっただろうか。

何のためらいもなく、本気で拳を振るい、銃を撃った。

「…私、こんなんだっけ…?」

感じれば、感じるほどに、広がっていく、憎しみ。

果てしない怒りに支配され、湧き上がった力。

あれは、本当に自分の力だったのか。

卯月の時も、こうだったのか。

人知を超えた、圧倒的な力。

「…」

それでも、彼女は決して暴力に訴えるような人間ではない。

「…ねえ、しまむー…」

「はい…」

「…このカードって…まさか…」

「…」

大きな力を手にするということ。

それがどんなものなのか。

それが、何となくだが理解出来た。

「…」

「…」

二人の間に、会話は無い。

ただ、あてもなく歩くだけ。

何処か、くつろげる所はないか。

食事を取れる場所はないか。

それよりも、気を休めることの出来る場所はないか。

『グウウウウ…』

「…あ…」

「…」

その音を鳴らしたのは、未央。

卯月と違って、昨日から水以外口にしていない代償が、ようやくやってきた。

育ち盛りだからこそ、腹が減るのが早い。

だが、それをどうこう言う元気も、今の二人には無い。

それは、体力的なものではなく、精神。

多感な時期の彼女達には、あまりにも重過ぎる運命。

「…当面は、どうやって生き延びるか、だねぇ…」

「…そうですね…」

命より大事なものはない。

そう教えられた二人は、現代に戻る事は後回しにすることにした。

「…あ」

「はい?」

ふと、未央が立ち止まる。

振り返り、彼女を見ると、何か良いことを思いついたらしい顔。

そして卯月が声を掛けるよりも先に、彼女は口を開いた。

「あのさ、ここには魔物、とやらがいるんだよね?」

「…は、はい…」

「…ならさ、私達が退治するってのはどうかな?」

「…た、退治ですか…?」

魔物の退治。

それはつまり、あのような戦いを何度も繰り広げるということ。

それを思い描いた瞬間、卯月の脳裏に蘇る光景があった。

血塗れの、自分の手。
胴体がちぎれそうな、カズマ。

最後に残ったのは、傷だらけの腕。

「…ウッ…」

「え、あ、ご、ごめん!!ごめんなさい!!」

「おぇぇ…」

たまらず、吐く。

胃の中身を全て出しても、まだ足りない。

「…本当、ごめん…」

「…だ、大丈夫…です…」

軽口を叩いたと、自分の頭を思いっきり殴る。
卯月のトラウマを、思い出させてしまったと。

彼女はカズマの死を、自分のせいだと感じている。
例え事実がどうであっても。

そのような状態で、またあの力を発揮しろというのは、無理があった。

「…」

だが、それはあながち間違ってはいない。

そう、卯月自身も思ってはいた。

しかし、身体は真逆の反応を示していたが。

「…ケホッ…ケホッ…」

「ほ、本当に…ごめん…」

「…もしかしたら、この力は…」

「…む、無理しなくて良いから…」

「…良いんです…」

「え…?」

「…もしかしたら、魔物達を、退治してほしいって…」

「…」

「…その為の、力なのかもしれません…」

「…」

口元を拭い、前を見据える。

涙は流し尽くした。

覚悟は決まった。

そう示したものの、未央の目に映ったのは、あまりにも頼りない背中だった。

「まずはさ、何ていうか…自由に使えないのかな、これ?」

上に掲げても、ポーズをとっても、何をしても、反応は無い。

どうやら、このカードで変身するには条件があるらしい。

考えてみれば、卯月の時も、自分の時も、そうだった。

感情の中の、一つ。どれか。

そのどれかが、増幅することで条件が満たされる。

卯月は、悲しみ。
自分、未央は、怒り。

何とも、不便だと思う。

マイナスの感情が大きければ大きい程、強くなる。

「…どうにかなっちゃうよ。私達…」

「…」

「…このままじゃ…」

「…」

ならばこのカードを使い続けた先に、何が待っているのか。

果てしない、無限の悲しみ。
限りない、無限の怒り。

「…うーん…」

「…」

「…お腹空いたね…」

「…」

話を逸らした。

それは勿論、意図的にだった。

「貴様達」

両者びく、と肩が動く。

この空気と、第三者とほとんど話していなかったからか、話しかけられただけで、警戒してしまう。

「貴様達だ。止まりなさい」

「…?」

声のした方を、努めてゆっくりと振り向く。

驚いたわけではないと、行動で訴えただけだ。

すると、そこには一人の女性が立っていた。

目を数秒合わせるのも厳しいかもしれない眼力。

相手を威圧する喋り方。

その時、一瞬で判断出来た。

この女性は、どこか怖い、と。

「…は、はい…?」

「何故貴様達のような子供がここにいる?ここは魔物達の住処だぞ」

「…あ、そ、そうですよね…えへへ…」

怪しい、と思われただろうか。

しかし、今は一刻も早くこの場から立ち去りたい。

彼女にどう思われるより、その方が優先的だと、考えた。

「じゃ、じゃあすぐ離れますんで…これで」

「待ちなさい」

「ひえっ!?」
「ひうっ!?」

驚いた。

自分達の頭や目が狂っていなければ、今この女性は一瞬で自分達の後ろから前に移動した。

そして、相変わらずの眼力。

先の未央と、どちらが怖いか。

そう聞かれたなら、分からないが。

まじまじと見て気づく、怖さの違い。

未央の時の、直情型の怖さとは違う。

静かな、それでいて圧倒的な、怖さ。

それは、あの大ムカデの時のような、不気味な、得体の知れない恐怖。

「…」

この女の人は、ヤバイ。

そう五感が訴えている。

「…しまむー…」

「…は、はい…」

「…」

「逃げるよ!!」
「はいっ!!」

脱兎の如く、逃げる。

ひたすら、走る。

今の自分達の脚なら、逃げられる。

「…に、逃げられそう!?」

「…た、多分!」

後ろを、ほんの少し振り返る。

その時、彼女達は見た。

「…!」

向こうから動かず、こちらを見据え。

怪しげな笑みを浮かべる、あの女を。

それから、女が追ってくる事はなかった。

…。

「…ふむ」


「…どうやら、あの者達の第一段階は、成功のようだ」


「もう二人はどうなっているか…」


「スカル魔」

『…』
『…』
『…』


「第二段階だ。実験体1と2を襲え。殺せるようなら殺して構わない」


「…フフフ…」

…。

「…っはー!!逃げられたー…」

走るところまで、走った。

何とか、逃げおおせることは出来た。

「…だけど、ここ何処?夢中で来たからなあ…」

「…何処なのかは、最初から分からないです…」

「…だよね…」

あの女性は一体なんだったのか。

お互い、顎が上がる程疲れているのを見て、それだけ必死だったのだろうと思う。

しかし、もっと恐ろしいのは。

「…ねえ、しまむー…」

「何でしょう…」

「…あの人、勝てた?」

「…」

妙な質問。
喧嘩とは無縁の、自分たちには似つかわしくない疑問。

だが、今の自分達ならば、という思いも確かにある。

その上で、考える。

あの正体不明の女性がもし、自分達と敵対関係にあるのだとしたら。

もしそうだとしたら、どうなるのか。

「…」

真剣な目の未央から、視線を逸らす。

喧嘩はなるべくしたくないという、優しさ。

だが、もう一つ。

「…」

「…しまむー、大丈夫だよ」

「…」

「…私も、だから…」

戦えるような相手ではないという、確信もあったからだ。

「あれ?これ…」

「え?」

偶然か、はたまた運命か。

「ほら、ここの看板」

「何でしょう…魔物退治してくれる方、お願いします…?」

逃げついた先に、古びた看板。

そこには、やはり日本語で、魔物退治の依頼が事細かに書かれていた。

両者顔を合わせ、そしてもう一度その看板をじっくりと見る。

魔物退治。

つまり今いるここの近くにも、魔物がいるということ。

だが、彼女らが見ているのはそこではない。

「あ、あった!ありましたよ!」

「え!?あ、本当だ!」

看板の下にある、○○村一同という文字。

それが意味すること。

つまり、この近くに人がいる、ということ。

「やった!やったよしまむー!」

「は、はい!」

ようやく来た、空腹を満たし、休むことが出来るという安心感。

最も、どのように満たし、休むのかは全く考えていなかったが。

「…お」

「…あれ、ですかね…?」

幸い、その村は看板があった所からそう離れてはいなかった。

カズマの村で見たような、童話で出てくるような木の家。

いくつかの家が建っているが、それは村と言うよりは集合住宅のような規模。

しかし、人の気配は感じられない。

「…」

「…」

風が砂を巻き上げ、砂塵が舞う。

「…すいませーん…誰かいますかー?」

大きくもなく、それでいてこの村に響くくらいの声で、人の有無を確認する。

「…」

だが、返事は無い。

仕方なく、一番近かった家の前に立つ。

チャイムなどというものは無い為、ノックの後に声を掛ける。

それでも返事は無かった為、扉を開ける。

「すいませーん…失礼しまーす…」

無人の家に入るのは気が引けたが、状況が状況な為、一声かけて入ることにした。

「…あれ…」

「…え?」

「…何も無いね…」

「はい…」

そこにあったのは、薄汚れた畳。

それと中央にボロボロの敷布団が一つあるだけだった。

どうやらまだ普通の人間と巡り会える機会は無いらしく、落胆する。

だがそれでも、雨風をしのげる場所があるのはありがたかった。

「…あー…いい加減何か食べたいよー…」

丸一日、何も食べておらず、おまけに立て続けに激しく動いた。

最早ガス欠寸前と、敷布団にゴロンと寝転がる未央。

だがそれは、生きていると実感出来る。
生きているんだと、実感させてくれる。

未央にとっても、卯月にとっても、それが唯一の救いとも言えた。

まだ自分達は死んだわけではない。
ここは天国でも、地獄でもないのだと。

「…ん…?」

「…?…」

だが、そんなものは束の間の休息でしかなかった。

極度のストレスと環境によって研ぎ澄まされた感覚。

それは数百メートル先の小さな音すら、拾う程。

だから、分かる。

向こうから、何かが猛スピードで迫ってきている。

何かまでは判別はつかないが、それは複数。

「…」

「…」

徐々に近づいてくる。
明らかに、こちら側を目指している。

「…しまむー…」

「…はい…」

戦うのは好きではない。

だが、背に腹は変えられない。

限界まで研ぎ澄まされた己の感覚を信じるならば。

彼らは間違いなく、自分達を狙っているということだ。

そしてこのスピードは、尋常ではない。

もしかしたら、殺しに来ているのかもしれない。

そう考えると、自然と身体に力が入る。

「…50m…30…」

残り20m。

嫌な汗をかきつつも、身構える姿勢は崩さない。

「10…」

彼らはもう、すぐそこにいる。

あのカードは自分の意思では使えない為、このままいくしかない。

「…」

そして目の前。

この家の扉を開けたら、目の前だ。

「…?」

だが、入ってくる様子は無い。

「…」

流れる静寂に、拍子抜けしそうになる。

だが、そう感じているのは、未央だけだった。

「未央ちゃん!!ジャンプ!!」

「えっ!?」

卯月に言われるがまま、跳ぶ。

そこから足元にコンマ数秒遅れて見える、巨大な光。

恐らくこれは、斬撃。

この家ごと切り裂く、巨大なエネルギー。

そう、卯月は感じた。

扉の向こうから感じた、何か。

それは、既視感。

あの時の、自分と同じ。

そして今、彼らは何のためらいもなく、放った。

つまり、こういうことだ。

「…この、『人』達は…」

家だった物はただのスクラップと化し。

巻き上がった土埃から見えてきたのは、人影。

やがて見えてくる、骸骨のマスクに黒装束。

「この人達は、敵です…」

恐れていた事が、現実となった。

たったの一振りで、地形を変える程の力。

「…それに…」

その数、三人。

全員が、鎌を持ち、自分達を待ち構えている。

「…うへぇ…」

「…」

卯月や未央が恐れていた事。

自分達など、井の中の蛙にすぎないということだ。

真ん中の黒装束が、合図を送る。

すると両者は卯月と未央の背後に回り、逃げ道を封鎖した。

その動きは歩きではなく、浮遊。

どこからどう見ても、人間の成せる技ではない。

つまり、この三人は、人ではない。

「…これも、魔物ってやつ?」

「…多分…」

カードは反応していない。

恐らく今は、あの姿にはなれないということだ。

「…丸腰かぁ…参ったなぁ」

軽口を叩いてはいるが、身体は正直だった。

足の震えが、止まらない。

武者震いなどという格好が良いものではない。

隣にいる卯月も、今の未央の状態を察する。

単純な、恐怖。

自分と同等か、それ以上の者が、三人。

このまま戦って死ぬ確率は、極めて高い。

死にたくない。

その心中を読み取っていく内に、卯月の脳裏に蘇る、未央の言葉。

『…私は、死なないから』

そして、卯月をこれまでも、これからも苦しめ続けるだろうあの光景。

自分も、死にたくはない。

だが、それ以上に、死なせたくない。

誰かが苦しむのは、もう見たくない。

どうか、死なないで欲しい。

ならば、守らなければ。

彼女を。

自分の、仲間を。

その為ならば、自分など。

『…!!』
『…!!』
『…!!』

黒装束達が、一斉に鎌を振りかぶる。

今度は避けられないよう、横一線ではない。

三者三様、違う方向に。

その周到さに、前に戦ったあのムカデ達とはレベルが違うのだと、確信する。

卯月は、どうだろうか。

どんな顔を、しているのだろうか。

彼女だけでも、何とか助けなければならない。

だが、良い方法が思いつかない。

思わず目を瞑り、頭の中で助けを呼ぶ。

誰にも届くことは、ないだろうが。

しかし、その時だった。

「……?」

黒装束達から、攻撃が来ない。

「…?」

おそるおそる目を開ける。

「…え?」

思わず目を疑った。

「…し、しまむー?」

隣にいた、守るべきはずの存在。

その彼女は青い光に包まれ、再びあの鎧に身を包んでいた。

「…な、何で…?」

光を失った瞳は、ただただ敵を見据えている。

「…」

彼女は何も喋ることはなく、その大剣を逆手に持ち、未央の前に立つ。

その表情は何を語っているのか。

その背中は何を訴えかけているのか。

未央にさえも、それは分からない。

「し、しまむー!私も戦うから!だから…」

必死に訴えかけるが、彼女はこちらを振り向くことはない。

ただ、敵との距離を測っている。

今の自分は足手まといだと言わんばかりに、だ。

「…お願い…」

もし、卯月が自己犠牲の下で戦いを選んだのなら。

彼女が、自分と同じ考えで再び覚醒したのなら。

「…やめて…」

間違いない。

彼女は、何のためらいもなく、自分の死を選んだということだ。

「駄目!!しまむー!!」

未央の制止など聞くはずもなく、敵めがけて跳ぶ卯月。

待ち構えるリーダー格の敵に、待ってましたと言わんばかりに未央に斬りかかる後ろの二人。

「やばッ…」

自分と同等の戦力を持つ者達が二人。

後ろにもう一人。

それを一度に相手取るなど、不可能に近い。

たまらず身構える未央だったが、丸腰であの一撃を耐える自信は無い。

その一瞬、思わず死を覚悟した。

「…?」

しかし、また攻撃が来ない。

どうなったのかと目を開ける。

「…!」

目の前には、鎌を思い切り振りかぶったまま、息絶えた黒装束の魔物。

胸には先程まで卯月が持っていた大剣が突き刺さっている。

「…ッ…でぇやあああああああッッ!!!」

何も考えず、本能だけで動く。

突き刺さった剣を引き抜くどころか、そのまま振り回し、勢いで切断。

そして呆気にとられたもう一人に向かって、思い切り振るう。

「あああああああああ!!!!」

そのまま、首を切断。

叫べるはずもなく、黒い血しぶきを撒き散らす。

そこでようやく、我に返る。

今、この大剣が自分の手元にある。

それはつまり、こういうことだ。

「…まさか!!?」

今、彼女は丸腰だということだった。

「しまむー!!」

だが。

「…」

彼女が見たものは、全くもって予想外のものだった。

「…え…?」

振り返った時、温かい何かが顔にかかった。

自分の見ているものが幻ではないかと、疑った。

しかし、顔についたものを拭い、見た時、それは確信へと変わった。

「…」

手のひらにべっとりとついた、黒い液体。

「…」

絶句とは、今の自分の顔のようなことなのだろう。

「…しまむー…」

その鎧の色は、青と、白と、金。

背中に生えた、六つの赤い、羽。

黒い血にまみれた手には、リーダー格だろう者の、頭部。

もう片方には、彼が持っていた、巨大な鎌。

そして、自分が今持っている、リーチの伸びた白と金の、大剣。

その時、未央は何が起こったのか察した。

卯月は未央の為に武器を投げた。

だが、卯月は武器を使えなかった訳ではない。

使う必要が無かっただけだ。

「…」

丸腰で十分殺せる。

だから、武器を自分に手渡しただけだったのだ。

「未央ちゃん」

「…」

唐突に名前を呼ばれ、びくりと身体を震わせる。

その呼び方は、いつものように優しく、愛情を含んだ話し方。

しかし、これはいつもの彼女ではない。

それだけは、はっきりと言える。

「ねえ、未央ちゃん」

彼女は、こんなにも嬉々として命を奪える人間ではない。

「…私、やったよ…」

彼女は、こんな妖しい笑みを浮かべる人間ではない。

「…みんなを、守れるよ…」

黒装束の生首を袋でも持つかのように手に下げ、鼻歌交じりに振り回す。

出切っていない血が出口を求め飛び散っていく。

その一滴が、卯月の目下にかかった。

彼女はそれを気にすることなく、笑う。

目から流れた一滴の黒い血は、まるで涙のように流れた。

「…しまむー…」

彼女は、笑っているのか。
それとも、泣いているのか。

果たして、どちらなのか。

それは分からないが、はっきりしていることがある。

「…守って、どうするの…」

彼女は、壊れようとしている。

「…しまむーは、どうするの…?」

もう、壊れかけている。

「そんなの…守るって言わない…」

いつか彼女は崩壊し、そして二度と戻ることはない。

「…言わないんだよ…!!」

黒い血の海に佇む、二人の少女。

相変わらず吹き続ける風が、夢でないことを思わせる。

自分を壊し続ける友人が、これ以上離れていかないように、必死に抱き締める。

突然降り出した雨が、黒い血を洗い流していく。

「…」

「…」

どれほど距離を近づけようと、ひび割れていく二人。

薄れゆく意識の中で、未央は思った。

「…」

「…」

この世界で、自分達は、孤独。

第二話 終

続きまたそのうち書きます

誰かが、呼んでいる。

聞き覚えの、ある声。

…。

誰だろうか。

頭が上手く機能していないからか、思い出せない。

視界もぼやけており、シルエットしか分からない。

長い髪のストレートと、二つに縛ってある髪。

「…」

後頭部に感じる、柔らかさ。

それと、身体を包み込む、温かさ。

「…」

自分は寝ていたのだろうか。

ならば、今日は何日で、今は何時だろうか。

学校は、大丈夫だろうか。

「…」

そんな疑問をいくつか思い浮かべている内に、フラッシュバックしていく光景。

「…あ…」

山賊。

化け物。

血。

血。

血。

「…しまむー!!!」

ようやく起き上がった瞬間、前頭部に鈍痛を感じた。

「…痛っだぁ…」

「痛い…」

「あたた…」

起きたばかりでまた寝てしまうのではないかと思う程の痛み。

だがそれを感じているのは、未央だけではなかった。

「…あ…」

向こうで自分と同じようにうずくまる二人の少女。

「…嘘…」

服装はいつもと違えど、それ以外はいつも見てきたものだ。

「…しぶりん…美嘉姉…?」

振り向く彼女達。

見慣れたはずの顔。

だがそれは、未央にとってこれ以上ない幸福だった。

「…未央…」

自分がいた世界で、卯月と同じ、大切な友人。

流れ出した涙は、決して痛みによるものではない。

幻ではないのか。
夢ではないのか。

そう疑いそうになった。

しかし、あり得ない程の腹の鳴る音が自分から出た時、その疑問は消えた。

幻でないならば、自分はまだ生きている。

それだけでも、彼女には救いだった。

「未央。がっつき過ぎ。喉詰まるよ」

「ん。んん…ん」

二人から出された食事に必死にかぶりつく。

育ち盛りの彼女に、二日の断食は流石に堪えた。

その様子に二人の友人はほっと胸を撫で下ろす。

渋谷凛。
城ヶ崎美嘉。

自分が居た世界で、一緒にアイドル活動をしていた。

共に切磋琢磨した、頼れる仲間。

「…でも、何で二人がここに?」

「それがね…起きたら…ね?」

「…うん…」

「…?」

「アタシ達、二人で寝ちゃっててさ。この辺で。それでアマネさんに拾われたんだ」

美嘉の指差す方向。

暖炉と思しき所で椅子に腰掛ける一人のアマネという老女。

こちらと目が合うと、軽い会釈をしてきた。

「…あー…」

運が良かったのか、悪かったのか。

彼女達はまだ、自分達のような危ない橋は渡っていないようだった。

「でも、何か今の私達、凄い力持ちになってるっていうか…それで家の手伝いしながら…」

「ねー★だって丸太とか普通に片手でイケちゃうんだよ?」

「…」

普通に談笑しているようだが、ほんの少しだけ、違和感。

その笑顔は、どこかぎこちない。

「…ねえ。しぶりん。美嘉姉」

「なーに?」

「?」

「…何か、隠してる?」

「…」

「…」

その反応から、二人は何か隠し事をしていると察した。

だが、それは二の次でも構わない。

「…しまむーは、どこ?」

起きて、見渡して、飯にかぶりついている時も周囲に目をやった。

しかし、卯月の姿は見当たらない。

二人も、不自然な程に卯月の話題を口にしない。

そして、今の質問に対する反応。

「…しまむーは?」

「…」

「…」

二人は答えない。

答えない、というよりはどう返答して良いかが分からない。といった様子だ。

二人をここまでにさせた、何かがあった。

それは、確実。

「お願い。答えて」

痺れを切らした未央が二人に詰め寄る。

それでも二人は、困った顔をするだけで口を噤む。

よく見ると、二人の手首や肘に、包帯がある。

この家の手伝いでの怪我かもしれないが、もしそうでないとしたら、どうだろうか。

「私、どんな事でも黙って聞いてるから…」

すると、奥からアマネがゆったりと立ち上がり、未央に歩み寄ってきた。

恐らく、彼女も何か知っているのだろう。

この均衡を崩す、何かを。

「…アンタの…お友達なら」

ある程度の事は、覚悟した。

仮にその予想が当たっていたとしたら、認めるのに少々時間を要するだろうが。

「アンタの友達のウヅキって子なら、その子達を殺そうとしてどっか行ってしまったよ」

「…」

「…」

「…」

認めるのは、大分時間がかかりそうだった。

「未央!抑えて!!」

「アマネさんだって危なかったんだからね!」

「離して!!離してよ!!!」

二人に押さえられ、動きを封じられる。

実際、彼女達が何もしなかったら、本当にこのアマネという老婆に掴みかかっていたかもしれない。

だが彼女は一切視線をそらすことなく、未央を睨みつける。

「あの子は魔物さ。アンタを攫って、逃げようとしてたんだよ」

「しまむーはそんな事しない!!アンタになにが分かるっていうの!!」

一宿一飯の恩があるとはいえ、自分の友人を悪く言われ黙っていられる程、彼女は大人ではない。

しかし、それは彼女も重々承知していた。

ただ、本当に目にした事を言っているだけだったのだ。

「アタシしゃ忘れないよ…あの悪魔みたいな六つの赤い羽を、バッサバッサと羽ばたかせてねぇ…止めようとしたこの子達に向かって剣を振るったんだ。アンタを助けるのには苦労したらしいよ…」

どうやって助けたのか。

凛と美嘉の傷を見るに、少なくともノーリスクの方法は無かったようだった。

「…」

その答えに、力が抜ける。

老婆に掴みかかる気力すら失せ、二人の拘束も解かれた。

「…」

「…一から、説明するね…」

重い口を開いたのは、美嘉だった。

…。

「…」

目を開ける。

見渡す限りの、空。

背中に伝わる、圧倒的な固さ。

枕も、布団も無い。

自分は、寝起きはかなり良い方だ。

だから、起きた時、すぐに頭も覚醒する。

そんな自分でも、この状況を瞬時に把握出来るかと聞かれたなら、無理だ。

「…何これ?」

あまりにも、不自然。

「…え、何これ!?」

急いで起きる。

周りを見渡す。

焦っていたのか、起き上がろうとして、躓く。

躓いた後。顔に柔らかい感触。

「…ん」

「んむむ…」

ここだけ地面が泥にでもなっているのだろうか。

いや、ならばもう少し冷たいはずだ。

「…んー…」

柔らかいものに、触れる。

「…ん!」

聞き覚えのある声に、自分の顔を叩く仕草。

顔を上げて、それが何か、確認する。

「…んん!!?」

自分の目が壊れていなければ、今自分が触っているのは。

「・・・え・・・?」

「…」

苦楽を共にした、後輩アイドルの胸であった。

「あ、あはは…ごめん…」

「…いや…」

かなり冷たい空気が流れる。

ここが何処なのかという不安と、後輩の胸を揉み続けた罪悪感と、揉まれた恥ずかしさ。

「…っていうか…マジで何処なの?」

「分からない…莉嘉ちゃんは?」

「…分かんない…携帯も無いし…」

二人でいたからか、幾ばくか冷静になれた。

一人だったら、正直どうなっていたか分からない。

だからか、今の自分の状態にも気づく。

お互い寝間着だということはどうでも良かったが。

「…あんま顔見ないでね…」

いつもは誰よりも早く起き、メイクをする。

家族にしか見せたことのないノーメイク姿を、後輩に見せる訳にはいかなかった。

「もう見たよ…全然綺麗だから…」

そんな事はどうでも良いと、適当に相槌を打つ凛。

何処なのか分からない怖さはあるが、二人が二人ともパニックになっていてはどうにもならない。

自分だけでも、しっかりしなくてはならない。

「…」

「…ん?どうしたの?」

「…美嘉さん。あれ…」

「…お」

見渡していると、向こうに見えるひっそりと建つ、一軒屋。

かなり原始的なその家に、人が住んでいるとは思わなかったが。

「あらあら…そうかいそうかい。迷い込んじまったかい…」

一軒屋のドアを一応叩いた。

叩いたのは、呼び鈴が見当たらなかった為だ。

中から出てきたのは、皺が目立つ老婆。

何処かの民族のような衣装を着ており、変わった人間だというのが第一印象だった。

寝間着でいる今の自分達も人の事は言えないが。

事情を説明したところ、椅子に座らされ、火打石による火と、井戸水の水と産地が気になるお茶っ葉から作られたお茶を飲まされた。

老婆はこちらの話を黙って聞いていたが、ある言葉に反応し、話を止めた。

「はい…それで、お電話だけでも貸して頂けたらと…」


「・・・オデンワ・・・?」

「…え?」

「何だいそりゃ。アンタら外国の人かい?」

「…え、あ…え?」

呆気にとられる。

確かに、田舎じみた家だとは思う。

しかし、仮に電話が無かったとしても、その名前すら知らないというのは、あり得ない。

凛と美嘉は顔を合わせ、どうしたものかと目で訴える。

この老人が、外界と自分の世界をシャットアウトしていたとしても、それは無いはずだ。

「あの…」

「何だい?」

この老人がふざけているのでなければ。

「…ここ、日本ですよね…?」

「…日本…」

「えっと…日本…地球…?」

「…ああ。そういうことかい。アンタらあっちの星の人かい」

「…え?」

「…ここはね、怪魔界っていう…地球の裏側の星さ」

「・・・」

「・・・」

二人は思った。

この老人とは、恐らく会話が出来ない、と。

「…この星はね、言わばもう一つの地球。またの名を怪魔界。そう呼ばれてるんだ」

この老人は、何を言っているのか。

もしかしたら、まともな人間ではないのか。

だとしたら、外部と連絡など出来るはずがない。

「えっと…あ、あ!アタシ達どこから来たのか思い出しました!ね!凛!」

「…う、うん!えっと…あっち…?」

「そ、そう!あっちあっち!」

身の安全の方が素足で外を歩くよりはるかにマシだろうと踏んだ二人は、咄嗟に嘘をつく。

「待ちなよ」

だが、そう簡単には逃がしてくれそうもない。

老人は立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。

その不気味な怖さに思わず息を飲む。

「…そりゃ、こんな話を信じるはずもないさね。どうするかはアンタらに任せるけど…」

カタン、と箪笥らしき箱を開け、中から何かを取り出そうとしている。

まさか、何らかの凶器なのだろうか。

しかし、身構える二人に老人が取り出したものは、予想と違うものだった。

「…靴?」

老人が取り出したのは、少し大きめの靴。

誇りを被っているのか、それをパンパンと手で簡易的に取り除き、二人に渡す。

「アタシの主人のだけど、もう死んじまったからね。これで良けりゃ履いてきなよ」

それは、老人の気遣い。

驚いている二人に、老婆はにこやかに語りかける。

「歩くにも靴が無きゃ大変だろ。特にアンタらみたいな綺麗な足の子はねぇ」

この老人がどういった者なのか、分からないが。

悪い人ではない、というのはなんとなく理解した。

「昔はこの辺にも人が大勢いたんだけどねぇ…皆、食われちまったんだ」

「…どなたに…?」

「魔物さ」

「・・・」
「・・・」

ここが何処なのか分からない。

文明機器は一つも無い。

トイレは汲み取り式。

水は井戸。

正直、一秒でも早く抜け出したかったのだが、あれこれ世話を焼かれた相手を邪険に扱うのは流石に気が引ける。

凛と美嘉は、結局この老婆の話を最後まで聞くことにした。

だがどれだけ耳を傾けても、感想は一つだ。

『訳が分からない』

まるで御伽話。

最近手を出した携帯のアプリと同じような内容。

本気で言っているのなら、今度こそこの老婆はどうかしていると思わざるを得ない。

本来なら今すぐ携帯電話を取り出して見せてやりたかったが、残念ながら持ち合わせていない。

しかし、携帯電話の代わりに、ある物がポケットに入っていた。

「…これ、何だか分かります?」

「…私も…」

「…んん…?」

二人が持っていたのは、カード。

この老人に分かるように伝えるなら、記号の書かれた厚紙とも言うべきか。

しかし、その材質は紙どころか鉄と思う程硬かったが。

「…」

凛のカードに刻まれていたのは、クラブ。

美嘉には、ハート。

老婆はそれを訝しげに見ていたが、結局何なのかは分からないといった様子で、首を横に振る。

「…だけど、何だか不気味だね。捨てた方が良いと思うよ」

霊能力や、そういった類の力があるわけではないが、このカードからはある種得体の知れない何かが感じられるという。

確かに、こんなものを購入した覚えもなければ、拾ったことも、貰ったこともない。

「…捨てちゃう?」

「…うん。何だか怖いし」

触らぬ神に祟りなし。

二人はそう考え、家の外にカードを放り投げた。

「えーと、凛。状況を整理するよ?先ず…ここは日本…ですらない」

「…みたい」

「…っていうか、地球ですら、ない…?」

「…みたい」

「…でも、日本語通じてるよ?」

「…みたい」

二人の交頭接耳を意に介すこともなく、向こうの椅子でお茶をすする老婆。

余程自分の話に自信を持っているのか、割って入ってくることはない。

「…信じられる?ここが…えーと…」

「カイマカイ…だっけ?」

「そう。それ…何それ?」

「分かんないよ…」

記憶の中を探るが、そんな星は聞いたことも見たこともない。

頭脳明晰では決してないが、それは分かる。

「水金地火木土天海冥…あ、冥は無い…」

「海は海王星だから…いやそんなんじゃなくて…」

「話は終わりそうかい?」

埒が明かないと思ったのか、もう一杯お茶を持ってくる。

何か質問があるのかと老婆をじっと見ると、一つ、ため息混じりに語る。

「アタシはアマネって言うんだ。アンタらは何て名前だい?」

今のアマネから、察する言葉。

「…すいません。城ヶ崎美嘉です」

「…渋谷凛です。ごめんなさい…」

自己紹介くらいは、しなさいということ。

「ミカとリンかい。まあ、混乱してるのは分かるけど少しは落ち着きなさいや」

今の自分達がいかに冷静でないか。

ここにきて、ようやく自分達を客観視することが出来た。

あれから、アマネの話を改めて一から聞いた。

仮に、アマネの話が嘘でないとしたならば。

今、自分達が元の世界に帰る手段など、何処を探しても見当たらない、ということだ。

「…嘘ぉ…ずっとこのまんまぁ…?」

思わずへたり込み、子供のように泣きじゃくる美嘉。

だがその理由は、決して携帯電話が無いなどの簡単なものではない。

「…莉嘉ぁ…」

彼女が自分の命よりも大事にする、妹。

もう二度と会えないのだとしたら、これ以上悲しい事は無い。

そんな美嘉の心中を知ってか知らずか、アマネは彼女の頭を撫でた。

ゆっくりと、聖母が赤ん坊をあやすように。

「…」

「…アンタの家族を思う気持ちは良く分かったよ」

「…」

「…だから、絶対に諦めんじゃないよ。アンタが諦めたら、終わっちまうんだ」

「…」

これが年の功、というやつなのか。

この中で最年少である凛は、ただ感服するのみだった。

「…あの、アマネさん」

「何だい」

「…その、怪魔界なんですけど…」

「ああ。そうだよ」

「…どうして、そんな名前に?」

「…そうさねぇ…簡単に説明するなら…」

顎に手をやり、言葉をまとめている。

話せば長くなるらしく、急いでいる凛達に悪いと簡潔にしようとしているのだろう。

それとも、小難しい話を理解出来る年齢でないと思われているのか。

「…まあ、簡単な話さ。元々普通の星だったところに、突然やってきて、支配されるようになって、終いにゃ勝手に星の名付け親になった」

「…支配…?」

「ああ。奴らは魔物を引き連れて、多くの人間を殺した。アタシの仲間や旦那もね」

「…誰、なんですか…?」

「…誰、ということはないさ」

「…どんな、人達なんですか…?」

「…そうさねぇ…」

するとアマネは、周囲を確認し、凛と美嘉に耳打ちをするように、ひそひそと喋り出した。

「…クライシス帝国さ」

「…クライシス帝国?」

「やめておくれよ。本来なら名前を出すのも怖いんだ」

怖い。

それ程までに、畏怖の対象とされる組織が、この星を支配しているということ。

本当にその名前で正しいのか聞き返した、その声量でさえも良くないのだと、アマネは語る。

「あいつらはいつ何処にいるか不明なんだ。もしかしたらここにいるかもしれない」

だからこそ、誰にも聞かれないよう、小声でしか話せないというのだ。

「仮に、その、聞かれたらどうなるの?」

「知らないよ。知ってても教えられないさ」

「ど、どうして?」

「知ってたとしたらアタシはもうこの世にいないよ」

客人を迎えることも出来なくなる。

そう語るアマネのそれは、本心なのか、自分達を和ませる一言のつもりだったのか。

「奴らはとんでもない悪魔なんだ。奴らが通った後は草木一本残していきゃしない」

彼女の仲間や家族は彼らに喰われたと言っていた。

だが、こうしてアマネは生きている。

「…アマネさんは、無事だったんだね?」

疑っているかどうかと聞かれれば、まだ五分五分というところか。

彼女一人が無事なのも気になるが、どうにもそのクライシス帝国が気になって仕方がない。

「こんな婆さん一人生きててもどうでも良いんだろう。もう狩れるものは狩り尽くしたようだからね」

確かについ先程起きた場所には草木がほとんど生えていなかった。

固い土に、この家が一軒あったのみだ。

「まあ、それでも何とか生きようとかつての生活環境は取り戻しつつあるがねぇ」

水や、アマネ自身が何とかして育てた畑。

それだけがこの一帯の中でのオアシスだった。

「…」

辛い過去だと、言うのは簡単だ。

だがアマネは、それでも懸命に生きようとしている。

かつての仲間の為にも、生き延びようとしている。

先のアマネの言葉の重みが、今なら良く分かる。

自分達も、必死に抗わねばならない。

「…アマネさん」

「ん?」

「…何が出来るか、今はまだ分からないけど…」

「…」

「…私達、やれるだけやってみる」

「…そうかい」

だから、少しの間お世話になりますという言葉は、アマネによって遮られた。

みなまで言うな。

その優しさに、今はとりあえず甘えることにした。

「アマネさーん。持ってきたよー」

「あいやアンタ…見た目によらず力持ちだねぇ…」

「んー…この丸太中身スカスカなんじゃないの?持ってる感覚無いよ」

火を起こす為の木々を一気に集めるには、一度に大きな木をまとめて叩き切ればいい。

労力よりも手間を惜しんだ凛と美嘉はなんとなく大きな木を切ろうとしたところ、斧の一振りで木が切断された。

というより、砕け散った。

それも、砕いたのは斧の刃が鋭かった、ではない。

ほとんど、凛の腕力だった。

下手くそ、と言う前に、唖然。

どんな力で振ったのかと目を疑う。

凛自身も、自分の細腕が大木をへし折ったなどとは考えたくないようで、目を見開き美嘉の腕と自分を比べていた。

まさか、と思い砕き落とされた丸太に手をやる。

「…あれ?」

ヒョイ。

そんな効果音が聴こえるのではないかと思う程、軽い。

確かに同クラスの女子よりはそれなりに運動神経は良かったが、ここまでではなかった。

これでは、自分のプロデューサーも顔負けだ、と。

「…」

「…」

美嘉も同じ事を同じようにやってみたが、結果は凛と同じだった。

目が点になる程の出来事に、お互い無言でその場を後にした。

「…んん…参ったねぇ。アンタら、大の男20人分は働けるんじゃないかい?」

「いやー…訳わかんない…」

火を起こし、食事の準備をしているアマネを見ながらまじまじと思う。

何も考えず、故意ではないとはいえ胸を揉んでしまったのが凛であって良かった、と。

あれが年端もいかない子供だったら、自分はきっと今頃殺人犯だったかもしれない。

だが、アマネの一言に、それまでの和やかなムードは消え去ることとなった。

「…アンタら、まるで魔物みたいだねぇ…」

「…えっ…」

「魔物さ。奴らの」

「…え、アタシ達…が?」

「…まあ、その様子じゃ魔物じゃないみたいだが、それと同じ力を持ってるっていう話さね」

「…」

「…」

ふと、頭をよぎる。

自分達は、魔物ではない。

それだとしても、無闇に人を襲う趣味など無い。

だとしたら、この力は何か。

「…」

「…」

子供の頃は、誰しもが憧れた。

誰かを守る為の、力。

それが単純な腕力か、もっとファンタジーなものかの違いはあるが。

もしかしたら、自分達は。

「…救世主だなんて、大それた事を思うんじゃないよ」

「えっ…」

今まさに、その救世主が自分達なのではないかと考えた時、アマネに念を押された。

顔に出ていたのか、それともこれもまた年の功というやつなのか。

「ちょっとばかし強くなったからって、世界を動かせるだなんて思わない事だよ。慢心はいつだって人を殺せるんだ」

それは、アマネの経験。

魔物に立ち向かっていった、村の中で一番腕の立つ青年。

彼は結局一秒とも持たず、切り裂かれ、食い散らかされた。

「もう人が死ぬのを見るのはゴメンだ。やるならアタシが死んでからにでもしとくれよ」

「…」

「…」

アマネの言うことも、最もだと思う。

自分達も、まだ死ぬということがどういうことかなど、分かるような年齢でもない。

だから、それを客観的に見ることが出来ない。

だがこうなった原因が、自分達の行いによるものでないとしたのなら。

もしかしたら、そのクライシス帝国が関係しているのかもしれない。

だとしたら、どうだろうか。

「…最悪、戦わなきゃいけないかも…」

「…若いねぇ…」

止める権利は無い。
そう呟きアマネは食事を三人分、用意した。

美味いか不味いかと聞かれたならば、どちらでもないと答える味だった。

「…」
「…」

流石に寝具は三人分も無かったようで、一人分の布団を二人で分けることにした。

少し寝づらいが、文句は言えない。

それに、どちらもその趣味は無い。

ひとまずここで夜を明かす事にしたが、相変わらず不安は拭えない。

今、皆はどうしているか。
妹は、大丈夫だろうか。

「…」
「…」

突如降り出した雨が、眠りを妨げる。

汗をかいたというのに、水で身体を拭いただけというのがどうにも気になるせいでもあるが。

「…」
「…」

夜の雨というのは、気分を下げる。

このまま、ここで人生を送るのかもしれないと思うと、尚更だ。

「…早く、帰りたいね」

「…うん…」

自然と言葉が尻窄みになっていく。

それ程までに、追い込まれているということなのか。

こんな時、未央がいたらどうしただろうか。

卯月がいたら、必死に皆を励まそうとするのだろうか。

「…」

自分には無い、気遣い。

平静を取り繕うだけで、精一杯な自分が、恥ずかしいと顔を覆う、凛。

その時だった。

「…ん?」

「ん…何?」

お互い、視界が真っ暗になった時だった。

何か、光る物が顔に飛んできたのだ。

「え、これ…」

「嘘…」

それは、少し前に捨てたはずのもの。

緑色に輝く、クラブのカード。
ピンクに光る、ハートのカード。

今、二人の目の前で不気味に輝き、浮いている。

そして、思わずカードを手に取った時、それは起きた。

「…!」

「!?」

脳裏に、無理矢理捻じ込まれる感覚。

目の前に、浮かぶ映像。

「…卯月ちゃん!?」

「み、未央…?」

それは、共通の知り合いの、あまりにも凄惨な光景。

「…な、何これ…!?」

巨大な剣状の物を振り回し、黒装束の人間らしき者を、殺す未央。

「え…何…何なの…!?」

黒装束の鎌を奪い、何の躊躇もなくその首を両断する、卯月、らしき者。

そしてその次に見えた映像は、降りしきる雨の中泣く未央と、無表情でそれを見つめる、卯月らしき、者。

「…」
「…」

これは、実際に起きている出来事なのか。

幻を、見せられているだけではないのか。

「…何なの…これ…」

混乱する二人に追い打ちをかけるように、さらに見えてくる映像。

妙な鎧を身につけた卯月に、六つの赤い翼。

「…」
「…」

もし、これが幻でないのなら。

そうだとしたら、どうするのか。

「…行かなきゃ…」

何処に行くのか。

「…分からない…」

当てはない。

それでも、行くしかない。

「…凛」

「…うん…!」

二人は寝ているアマネを起こさぬよう、それでも迅速に靴を履く。

そして、彼女に一礼をし、走り出した。

あの、カードを持って。

…。

「…」


「…全く…」


「やめときなって言ったのにねぇ…あの子供達…」


「…やれやれ。折角自由の身になれたってのに…」


「…もう、ごめんだよ。争いなんてのは…」


「…『あの子』はもう、助からないよ…」


「…よっこいしょ。アタシも行くとするかねぇ…」

…。

ひたすら、走る。

何処に向かっているのか、自分にも不明だが。

しかし、このカードが自分達に、卯月や未央の今を見せたということは。

もしかしたら、このカードは、4人を引き合わせる為のものなのかもしれない。

だとしたら、ひたすら走っていれば、会える。

根拠は無いが、そんな気がしている。

そして、予想は的中し、青色の光が見え始める。

それは恐らく、卯月のものだと、何故か分かる。

これも、カードによるものなのか。

そして、ここに来てもう一つ。

自分達の、凄まじい脚力。

世界記録どころではない。

恐らく、動物。

もしくは、それ以上。

とんでもない速度で、走っていることに気づいた。

「…」

「…」

魔物ではないかと疑われた時は、まともに会話が出来ないのだろうと思ったが。

どうやら、アマネがそう言ったのも無理はないのかもしれない。

「…あ!あれ!!」

美嘉が指を差す。

向こうに見える、二つの人影。

それが瞬時に卯月と未央だと分かったのは、本能でもあるが。

単純に、卯月の姿が先程見たあのインパクトの大きい鎧だったからというせいでもある。

「二人とも!!大丈夫!!?」
「卯月!!未央!!」

それぞれが声を掛けるが、返事は無い。

この雨の中放り出され、限界を超えてしまったのか。

もしそうだとしたら、今すぐ介抱しなければならない。

二人は駆け寄り、様子を見た。

凛は、未央を。

「未央!未央!返事して!未央!!」

美嘉は、卯月を。

「…え…」

だが、それは違っていた。

「…」

美嘉はこの時思った。

大きなダンプカーが、自分に迫ってくる…違う。
超高層ビルが崩れて倒れてくる…違う。
獣が自分を殺そうと狙ってくる…それも、違う。

ならば、これは何か。

仮に例えろとされたなら、こうだろうか。

『海の底から、判別の出来ない巨大な何かが迫ってきている』

つまり、どういうことか。

簡単な話だ。

『ヤバイ』

「凛!!離れて!!!」

それだけだ。

美嘉は反応が遅れた凛の腕を掴み、上空へと跳ぶ。

無意識にも近いその行動は、見事と言わざるを得なかった。

次の瞬間、卯月が右腕に持っていた自分の身長程はあるだろう鎌を思い切り振り回したのだ。

力を入れ過ぎたのか、鎌は手をすっぽ抜けて、はるか彼方へと飛んでいった。

「…」

状況が整理出来ていない凛に、努めて簡潔に、分かりやすく、伝える。

「今の卯月ちゃんは、卯月ちゃんじゃないよ!!」

何かの間違い。

そんなはずはない。

まず、彼女は人に手を出せるような人間ではない。

自分達を忘れたとしても、それは無いだろう。

つまり、彼女は今、平気で人を殺せる状態にあるということ。

もし、あの一振りを甘んじて受けていたら、自分達は今頃本当に天国行きだった。

「…」

少しして、着地する。

すると、卯月は背中の羽、というより翼を広げ、ふわりと空へと上がる。

視線は此方に向いたまま。

「…!」

そして、凛もまた彼女を見て、驚愕する。

「…」

笑っている。

否、目は笑っていない。

だが、口角は妖しくつり上がり、右手は恐らく彼女自身の武器なのだろう、あの大剣を構えていた。

「…!未央…!」

左手には、未央を抱えて。

「…」

卯月の瞳は、何も見ていない。

視線は向けても、自分達を見ていない。

今、恐らく彼女は二人だけの世界にいるのだ。

自分と、未央の二人だけの世界に。

理由も、理屈も、今の自分達には分からない。

だが、恐らく今の彼女には、声は届かない。

「…凛。せめて未央だけでも助けるよ」

「…う、うん…!」

つまり、そういうことだ。

「…!」
「…!」

二人は身構え、拳を握る。

それは、子供同士がじゃれ合うような稚拙なものではない。

相手を傷つけることもやむなしの、本気の握り方だ。

「…」

最も、あの卯月に通じたらの話だが。

先にしかけたのは、凛。

普段よりも数倍上となった身体能力を駆使して、跳ぶ。

それに自然な動作で反応する卯月は、剣を構え、振るう。

それを空中で身体を翻すことにより、間一髪、避ける。

大剣は空を斬っただけだが、風圧で吹き飛ばされそうになる。

「…ッ…!!」

無傷というわけにもいかず、肘を数ミリ掠ってしまう。

だがそれでもかわした状態の右足を、卯月の左肩に叩き込む。

大の大人でも意識を断ち切る程の威力。

「…効く…」

しかし今の卯月の身体は、少なくともそれの数十倍はあってもおかしくはない。

「…わけ…ないよね…!!」

今の凛の攻撃が通用するわけもなかった。

だが、その一瞬。

卯月の動きが止まったその一瞬。

後方から跳んでくる美嘉までが、凛の頭の中の計算だった。

「卯月ちゃん…!」

これが自分一人の問題ならば、こうもならなかったが。

二人の命を抱えるこの状況では、こうする以外の方法が思いつかない。

「…ゴメンッッ!!!」

美嘉から、渾身の力を加えた拳が、卯月の顔面に叩き込まれる。

予測していなかった、後ろからの攻撃に思わず未央を抱える手を離してしまう卯月。

「…」

勿論、全く効いてはいない。

しかし、多少は彼女の気をそらすことは出来た。

その隙に、卯月の手を離れた未央を凛が受け止め、着地。

未央が自分から離れた影響か、卯月の動きが止まる。

その偶然のおかげで、美嘉も何とか無事に着地出来た。

だが。

「…痛ったぁ…」

右手首に、激痛。

初めて全力で握った拳が殴ったものは、あまりにも固く、強過ぎたらしい。

折れてはいないだろうが、しばらくは動かしたくない。

「…ああ、遅かったみたいだねぇ…やっぱり」

「!…アマネさん…」

どこから見ていたのか、アマネがひっそりと現れる。

この状況でも一切動揺していないということが、彼女の話の説得力を物語る。

「ありゃあもうダメだよ。力に支配されちまってる」

「…な、何なの、それ…」

「分からないのかい?」

「分かるわけないでしょ!何もかも!」

「大きな力を、何の犠牲も無しに手にする事なんざ出来ないっていうことさ」

「!」

卯月を見上げ、ゆっくりと語る。

もしかしたら、アマネは何かを知っているのか。

この状況で聞ける話ではないが。

「あの子は急ぎ過ぎたんだよ。だから払った代償も、その分大きいのさ」

「…」
「…」

辺りを見渡す。

映像で観た、あの光景。

横たわる、三人の死体。

その光景に、何があったのか、察する事は難しくなかった。

「…卯月…!」

卯月はこちらを見据えるだけで、何もしない。

今、彼女の瞳には一体、何が映っているのか。

「…」

もし、卯月がこちらを敵と見なしているのならば。

恐らく、三人とも数秒持つかどうか。

「…心配しなくても、傷つけやしないよ。この子は」

アマネは卯月に歩み寄り、声をかける。

「…危ない!!アマネさん!!」

突如、卯月から発せられた斬撃。

それはアマネの数センチ先を、数十メートルに渡って真っ二つにしてみせた。

「おーおー…こりゃ嫌われちまったかねぇ…」

驚く様子もなく、アマネはそれを目で追う。

これ以上、こちらに来るなという警告。

そう、取る以外は無かった。

「…」

大剣を背中にしまい、振り返る。

美嘉と凛は、飛び去っていく卯月の後ろ姿をただ見つめる事しか出来なかった。

第三話 終

続きまたそのうち書きます

「…」

美嘉と、凛の話を黙って聞いていた未央。

信じられないのは、皆同じ。

こんな事を嘘で話せる程、彼女達は軽い人間ではない。

だが、信じたくはない。

今の卯月が、そうなっているとしたら、元の世界に戻るどころの話ではなくなってくる。

「…もう…無茶苦茶だよ…!」

「…未央ちゃん…」

「訳分かんない…!何もかも…」

彼女の全てを知ったわけではないが、こうなるのも無理はないのかもしれない。

寧ろここまで良く耐えたと言うべきか。

「…あの子は、アンタを助ける為にそのカードを使った」

アマネが口を開く。

未央の説明で、触り程度だが、カードの仕組みを知った。

全ての原因が、このカードであるとするなら。

「…感情の増幅で、ね…」

卯月は、悲しみ。
未央は、怒り。

この二人に共通するのは、それがマイナスの感情であるということ。

「私達のは、何だろ…?」

凛が呟く。

美嘉も、それは気になっていた。

何が、自分達をそうさせるのか。

どうしたら、戦えるのか、と。

「…やめときなよ」

「え?」

再び、アマネが制止する。

元々このカードを使う事に否定的だった彼女は、ロクなことにならないと首を横に振る。

「そういった良くない感情ってのはね、心に隙を作るんだ」

「…心に…」

「…隙を…」

「ああ。そのウヅキって子は、強くなろうとして、結局魂を乗っ取られちまったんだろうよ」

「…何に?」

「悪魔さね」

そのワードに、未央が再び反応する。

だが、アマネの話を否定する材料は今、何処にもない。

「悪魔はいつでも、アンタらを狙ってるって事だよ」

だからそれを手放すべきだ。

そうアマネは話すが、今これを手放せば、もう卯月とは二度と会えない。

そんな予感が、三人の頭に浮かんでいた。

「…」

家の中に、静かな空気が流れる。

家の主だというのに、何とも居づらい雰囲気を醸し出されるのがどうにも億劫になりだす、アマネ。

「…ふぅ…そうかい…」

三人の純粋な瞳に、アマネはやがて根負けした。

「…そうかい。そんなに大事な子なのかい」

「…うん」

「…私達、いつも卯月に助けてもらってたから」

「だから、今度は私達の番なんだ」

「…勝手にすりゃ良いよ…」

あえてぶっきらぼうに言っている。

今のは、子供である三人にも察することが出来た。

…。

「報告します。実験体1号、レベル2に覚醒しました」

「…早いな」

「感受性の強い年齢だからこそだと思われます。1号は4人の中でもそれが顕著に表れています」

「やはりこの作戦は正解だったか。フフ…」

「残りの3人も時間の問題かと」

「…それで実験体1号はどうなっている?」

「依然消息不明です」

「…まだ抵抗するか。まあ良い。いずれ我ら怪魔妖族の一人となるのだから…」

「ジャーク将軍には何と?」

「順調だと伝えておけ。以上」

「ハッ!」

「良い感じじゃないか。マリバロン」

「ム…」

「これで、仮面ライダーBlack RX、南光太郎に対する兵器が手に入るな」

「…ガテゾーン…」

「仮面ライダーには仮面ライダーの力をぶつけるのが一番早い。シャドームーンとRXの戦いを見た時ピンと来たぜ」

「…」

「ああ、それと」

「何だ?」

「順調だ。俺の方も」

「…フフフ…」

「…もしも、この大々的な実験が成功すれば」

「間違いない。地球は我らクライシス帝国のものとなろう」

「お互い、成功を祈ろうぜ」

「…ああ」

「…どうかしたか?」

「…不安要素はある」

「…それは?」

「…実験体4号だ」

「4号…そいつぁ確か…他の奴らとは違うんだっけか?」

「そうだ。奴には特別守るべき者が存在する。他の誰よりも」

「良いじゃねえか。この実験には持ってこいだろ?」

「…場合によっては、私達でも制御不能となる可能性もある」

「…そんときゃそん時だ。他の実験体とぶつけりゃいいさ」

「…」

「…で?」

「ム…」

「まだあんだろ?どうにも拭い去れない事がよ」

「…我らクライシス帝国の裏切り者…最早名前を出すことすら恥ずかしい」

「…そりゃあ…」

「…まあ良い。最早ただの人間の老婆に過ぎん」

「…マリバロン…」

「…」

「…お前…本当は…」

「…」

「やはり、肉親は殺せないか」

「!…ボスガン…」

「…何の用だ」

「貴様らの作戦が上手く行くか、楽しみでな」

「…」

「貴様は、甘過ぎる」

「…」

「だからこそ、いつも出し抜かれるのだ」

「…それ以上その口を開いてみろ」

「大叔母だろうがなんだろうが、殺してしまえば良いのだ」

「ええい黙れ!!黙らんかボスガン!!!」

「お、おい!マリバロン!」

「離せ!!此奴…!」

「…フン…まあせいぜい気張るが良い」

「…」

「…少なくとも私は、貴様のように甘くはない」

「…」

「…」

…。

『…』


『…』


『…ここ…どこ…?』

少女は、暗闇の中に一人、立ちすくんでいた。

翼の生えた鎧は、幾度も彼女を蝕む。

彼女も、一度はそれを受け入れた。

だが、拒んだ。

誰かを傷つける力など、いらない。

だが、使うしかなかった。

そして、身体の自由を失った。

ただ、守ろうとした。

『…あれ…?』

自身の友人を奪う魔物を、追い払わなければならない、と。

『…あれ…凛ちゃん…美嘉さん…?』

だが、それはただの自己満足だった。

『…どうして…私…』

後悔をした。

これまでにない程、自分を責めた。

だが、遅かった。

あまりにも、遅過ぎた。

『…お願い。やめて…』

今の自分は、自分ではない。

だが、身体が言うことを聞かない。

やがて自分と対峙する友人達に、必死で訴えても、その声は届かない。

『…お願い…!』

そして、歩み寄ってくる、誰か。

それを殺そうとする、自分。

『やめて!!!』

『…』

何とか、ギリギリで殺す事を防いだ。

それでも、彼女達が警戒を解くことはない。

こちらも、いつどうなるか分からない。

『…見ないで…』

このままでは、また襲いかかってしまうかもしれない。

『…そんな目で…私を見ないで…』

無理矢理、身体を動かす。

必死で、逃げる。

今はもう、こうするしかない。

どうか、追わないでくれ。

死なない為にも。

『…ごめんなさい…』

少女はこんな時でさえ、皆を守ろうとしていた。

それが結果的に仲間を傷つける事だとは、理解せずに。

『…私、どうすれば良いの…?』

果てしなく、暗い闇に閉じ込められた彼女は、答えを求めて彷徨い続ける。

『…ママ…パパ…』

その中で、思い出す。

『…未央ちゃん…凛ちゃん…みんな…』

自身がいかに、守られてきたかを。

『…プロデューサーさん…』

自身がいかに、助けられてきたかを。

『…』

自分がどれだけ、小さく、弱い存在だったか。

それを今になって、気づいた。

どれだけ強大な力を手にしたとしても。

自分がそれを使いこなせる器でないのなら、それは力ではない。

今の自分は、ただの傀儡。

人を殺す機械が入った、操り人形。

それは、卯月の力ではない。

この、カードの力。

『…』

答えは出ない。
誰も、教えてはくれない。

『…』

やがて、疲れ果てる。
考えることに。

『…何だか…眠くなってきたよ…』

自暴自棄になりそうになる。

しかし、自分の意識を完全に乗っ取られたとしたら、それこそどうなってしまうのか分からない。

制御不能にでもなり、今度こそ殺戮ロボットにでもなるのだろうか。

考えただけでも、恐ろしい。

『…ダメ…意識を保たなきゃ…』

しかしそれでも身体は疲れ果てているらしく、どんどん視界が狭まっていく。

『…』

そして、卯月が眠る寸前。

全身が黒い、禍々しい人影が、見えた気がした。

「どうだい。そろそろ動けそうかい?」

「…ん」

思った以上に衰弱していた未央の身体はそう簡単に本調子を取り戻せるわけもなく、しばらくは布団の上で寝かされていた。

本来はこんな所で時間を潰している場合ではないと息巻いていたのだが、どうにもアマネの言葉には逆らいづらく、甘んじることにしたのだ。

「…」

あの一度きり、光ることのない未央のカード。

「…いざって時に使えなきゃ…ダメじゃん」

黒装束を相手にした時、今だ、と思った。

だが、湧いてくる感情は、怒りではなかった。

「…」

感じたのは、恐怖。

死が迫るプレッシャーに押し潰され、脚が震えた。

それでも、卯月は違った。

自分が死ぬことへの恐怖より、未央を死なせた時の悲しみの方が遥かに勝ったのだ。

「…結局私は、自分の命を優先したんだ…」

ボロボロと、涙が流れ落ちる。

その様子を、凛と美嘉は遠目で見て、そして見ないフリをした。

まるで、自分を見ているかのような感覚になり、思わず目をそらした。

もし、同じ状況にあったとしたら。

友人と、自分を天秤にかけたとしたら。

自分は、その命を捨てられるだろうか。

否。

捨てられるとは思えない。

「…」
「…」

今の未央にかけられる言葉は無い。
二人はそっと外に出ることで、重い空気から逃れた。

「ミオ。アンタは何も間違っちゃいないよ」

静かに、それでも激しく泣きじゃくる未央に、優しい言葉を投げかけるアマネ。

それが、彼女にとって救いの手なのかは別としても、だ。

「自分の命を捨ててまで得られるものなんざ、何もありゃしないよ」

何が分かる。
そんなニュアンスを含めた目でアマネを睨み付ける。

叫び倒してやりたかったが、鼻声のせいか上手く口が開かない。

「きっと後悔してるよ。そのウヅキって子はね」

「…じゃあ…どうすれば…」

「…」

「…どうすれば…良かったの…?私達…」

戦う以外の選択肢は無かった。

だが、戦えなかった。

そして、一人の友人が犠牲になった。

あまりにも理不尽な運命を受け入れられる程、彼女達は長い人生を送っていない。

「…生きるって事は、そんなもんさ…」

同じ苦しみを味わったアマネだからこそ、言える事。

その時の彼女の背中は、あまりにも小さく見えた。

「…ねえ。これからどうする?」

着てきたお洒落な寝間着でなく、アマネの古着で何とかしのぐことにした。

つまり、ここに居着くことになってしまった、というわけだ。

そんな時、アマネに代わって畑の手入れをしていた最中、不意に美嘉が呟いた。

どうするかなど検討もつかないのは知っている筈だが、それでも呟きたくなったからだった。

「…」

勿論、凛がそれに対する答えを持っているわけはない。

聞こえなかったフリをするのが、精一杯だった。

「…もし、アタシ達もこの力が使えるようになったら、何とかなるのかな…」

「…でも、アマネさんは…」

「…そうだけど、それ以外思いつかないよ」

一度は捨てた、このカード。

使えば、卯月と同じ轍を踏む可能性が高い。

その上、現状、何も変化は無い。

「…でも、アタシは助けたい。卯月ちゃんを。それでみんなで一緒に帰りたい」

「…それは、私も同じだよ」

「…」

「…」

口には出さない、出せない。

それらが上手く行った時の、不安。

助けることが出来た卯月は、果たして卯月なのか。

そして、もう一つ。

「…私達だけなのかな…」

「…」

こうなっているのは、自分達だけなのか。

他の皆も、こうなっているのではないのか。

それも、怖い。

「…莉嘉…」

美嘉の妹、莉嘉。

彼女が愛する、家族。

「…無事…なのかな…」

考えれば考える程、怖くなる。

今頃、何処か別の場所で泣いているのではないか。

自分を呼んでいるのではないか、と。

「…!」

鍬を持つ手に力が入る。

ミシ、という音に慌てて手を離す。

「…美嘉さん…」

「ご、ゴメン…まだ元に戻る方法も見つかってないのに…」

「…ううん。みんな同じだから…」

平静を取り繕うも、隠せない焦り。

普段の彼女からは分からない、本心。

焦るな、とは言えなかった。

だが、この時凛は最大限、気を遣っていた。

敢えて、見ないフリをした。

莉嘉の名前を口にした途端、彼女のカードに変化があったのだ。

だが、それは前に見たピンク色ではない。

どす黒い、得体の知れない『何か』だった事を。

「アンタらはどうあってもその力を使いたいんだろ?」

「そりゃ、そうだよ」

使えるものは、使う。

それが未央の出した結論。

歯には歯を、目には目を。

しかし、それ相応のリスクがあるというのも、怖い。

「なら、せめて怒りに身を任せるのは良しな。そんなんじゃ見えるもんも見えなくなる」

そういう時こそ、努めて冷静に。

「見えるもんも見えなくなって、あと少しって所で失敗しちまう。アタシゃ良く知ってんだ」

「…」

何かあったのか、と聞きたかった。

だが、彼女の過去のトラウマを聞くことはどうにも憚られる。

だから、黙って聞くことしか出来ない。

「…落ち着いて、冷静に判断して、前を見据える。それが本物の強さってもんさ」

「…本物の、強さ…?」

「武力にばっか頼ってないで、自分を磨けってことさ」

「…」

「だからこんなとこでいつまでもピイピイ泣いてないでとっとと動きなよ」

そう言って、濡れた布巾を未央の顔に叩きつけるアマネ。

顔を拭けと、行動で訴える。

その優しさは、まるで娘に向けるもの。

「ウチはそんな余裕は無いんだよ。餓死したくなかったら働きな!」

「…アマネさん…」

「…不便なもんだね…全く…」

「え?」

「何でもないよ」

励まされたのか、単純に怒られたのか。

どちらかは分からない。

だが、そのどちらとしても共通する言葉はある。

『動け』、と。

「…」

動かなければ、始まらない。

何をするにも、だ。

「その代わり、アンタらに何かあって助けてやれる程アタシゃ便利じゃないよ。そんときゃ覚悟しな」

「…うん」

武器に頼らない、己の力。

「…」

思い浮かべる。

自分がこれから、どうするべきか。

どうやって、戦うのか。

「…!」

「…おお…」

徐々に現れる、未央の意思。

弱くてもいい。
怖がってもいい。

自分の、自分だけの、力。

「…アマネさん…」

「…ん…」

「…これ、『私の』かな?」

「…そうかも、しれないねぇ…」

もう一つの、ダイヤのカード。

二人はそれを見て、思わず笑ってしまった。

「あれ?」

「寝てなくていいの?未央…」

暗く、寝たきりになっていた彼女。

しかしそれとは打って変わって元気になった様子で家から出てきた。

「うん。良いよ、もう」

「…そっか」

元々感情の起伏が激しい方の彼女。

何かがあったのは確実だが、あえて聞かないことにした。

「私も手伝うよ!」

「ならその前に」

「え?」

「……せめて、身体拭いて着替えてきて」

「…うっ…」

未央がここに着て過ごした日常。

血と、汗と泥に塗れた衣服。

潔癖性という程ではないが、流石に今の未央の服からくるものは、強烈だった。

「…とりあえず、全部着替える…」

「…そーして…」

…。

「…」

「マリバロン様」

「…武陣か」

「…実験体2号は、失敗作でしたか…」

「…」

「…奴は、私めにお任せください」

「…出来るか?貴様に」

「…確かに私はRXに敗れ、一度は死にました」

「そうだ。肝心な所で詰めの甘い…」

「しかし貴方は私を蘇らせて下さいました」

「…」

「私を、助けて下さいました」

「…あくまで実験体が失敗した時の為だ」

「それでも、です」

「…武陣…」

「この命、貴方の名誉の為に使いましょう。この実験を成功させ、クライシス帝国50億の民を繁栄させる為に」

「…そうか。ならば行くがいい」

「ハッ!!」

「…それと…」

「…ガテゾーン様からお聞きしております」

「…そうか」

「元、とはいえ怪魔妖族頭領。そして貴方の大叔母様。傷つけるようなことは…」

「それ以上喋るでない」

「…ハッ!!」

…。

…。

……。

少女は、目を覚まさない。

大量に敷かれた花の上で、彼女は心地良さそうに眠る。

血に塗れた鎧はいつしか消え、譲り受けた衣服へと戻った。

それでも、彼女は目を覚ますことはない。

傷つけられ、疲れ果てた心は安らぎを求め、考えることを放棄した。

いつ、起きるのか。

それは、誰にも分からない。

しかし、夢に彼女の安らぎがあるとしたのなら、もう二度と彼女は戻ってくることはない。

彼女は、どちらを選ぶのか。

それも、誰にも分からない。

少女は、まだ目を覚まさない。

……。

…。

一応ではあるが、当面の目標は立てた。

まずは、卯月を助ける事。

その後は、それが成功した後に考える。

「このカード、また光るのかな…しまむーここだよーって」

「そんな都合の良い物じゃないって分かったでしょ」

「んー…そーだけど、携帯も無いし…」

これがまだ自分達の住み慣れた街となればまだ話は別だが。

何処かも知らない、地球ですらない星の地理など、理解出来る筈もなかった。

「…この間、二人を狙った黒装束さ…」

凛がそう呟く。

何か続けて言いたげだったが、それ以上は何も言わなかった。

未央にも、美嘉にも、今彼女が何と言いかけたのか、手に取るように分かったからだ。

「…」

敵の場所を知るには、敵に聞くのが一番早い。

しかし、自分達の本拠地を伝える敵などいるわけもない。

ならばどうするか。

「…」

簡単なこと。

生け捕りにしてしまえばいい。

そして、拷問にでもかければいい。

「…良いのかな…?」

「手段選んでる暇、ある?」

実際それが出来るのかと言われれば、躊躇する。

暴力は振るうことも、振るわれることも好まない。

「アタシ…出来るかな…」

強気の凛に対して対照的な、美嘉。

しかし、問題はそれだけではない。

「…敵って、いつ来るの?」

「…」
「…」

襲われたのは、事実。

が、それは向こうの勝手であり、こちらが仕掛けられる訳でもない。

それに、仕掛けられたとして、自分達はそれを生け捕り出来るのか。

「手段を選ばなければ、何とか…」

「熊や猪じゃないんだからさ…」

殺す事よりも遥かに難しい、生け捕り。

「…三人で行けば、出来るかな…」

それが出来るのか、否か。

「面白い。ならばやってみるがいい」

「え?」

「!?」

「え、え!?」

その機会は、直ぐにやってきてしまった。

「その状態で、私と戦えるのならば、な」

まるで、タイムスリップしたかのような錯覚に陥る。

向こうからゆっくりと歩いてくる、一人の武将のような男。

全身を銀の甲冑で包み、大きな兜を被り、触れる物全てを両断出来そうな、巨大な薙刀を持ち、悠然と、余裕綽々の態度で近づいてくる。

それは、まるで何処からでもかかってこいと言わんばかり。

「…だ、誰…?」

「我が名は武陣。クライシス帝国が幹部、マリバロン様に仕える怪魔妖族筆頭」

「ま、マリバロン…?」

「かいま…よーぞく?」

まるで聞いたことの無い単語ばかりを並べる。

「どうする?貴様ら三人、まとめて来るか?」

そんな事はお構いなしにと、薙刀を構える。

こちらが女の、それも戦った経験の無い子供だからか、油断しているのだろうか。

いや、そうではない。

彼は、知っている。

この中に一人、今すぐ自分と戦える者がいる事を。

「…しぶりん」

「え…」

今まで自分は、守ってもらっていた。

「…美嘉姉」

「…み、未央…?」

今まで自分は、助けてもらっていた。

「…大丈夫」

それを、知らなかった。

「今度は、違う」

だが、今は知った。

「…強くなるには、強くなりたいってことより、もっと前にやることがある」

「…」

目の前の武陣とやらに、思いっきり指を差す。

「自分は弱いって、自覚すること!!」

「…」

「じゃないと、強くなんてなれない。絶対」

「…」

武陣は喋ることなく、未央を真っ直ぐに捉える。

兜のせいか表情が分からないのが不気味さを醸し出しているが。

「私は、認めたよ」

それでも未央はその姿勢を崩すことなく、胸を張る。

「…認めて、強くなると…?」

その時一瞬光った兜の目に思わず息を飲む凛と美嘉。

静かに、少しずつだが、彼は怒っている、と。

何がどうして彼の逆鱗に触れたのかまでは理解出来ないが、弱さを認めた未央に対し、怒気を含めた声で喋る。

「そのような甘ったれた姿勢が、殺し合いで通用すると…?」

しかしその怒気は、言葉だけではない。

「うわっ…」

「ちょ…」

微かだが、感じる地響き。

彼の怒りに呼応し、地面が揺れている。

相変わらず、未央は視線を逸らさない。

武陣と睨み合い、一歩もたじろぐことはない。

「自分が強い強いって思ってたら、限界もそこって事になっちゃうからね」

「…」

「だから、自分は弱いって思う。だから、必死に戦う」

「…」

「カッコ悪くても、情けなくても。必死に戦う」

「…それで死ねば、そこで終わりだ」

「逃げちゃえば良いんだよ。また戦えばいい」

「…何だと…?」

「何度でも戦って、負けて。それで強くなればいい」

「…」

「私は、そう決めた」

「…」

「救世主だなんて思わない。もっと泥臭い方が私らしいから」

「…何者だ…貴様は…」

「本田未央。346プロダクション所属アイドル!!」

「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」

「…でっす☆」

これは、開き直りなのか。

はたまた、もうダメだと諦めて壊れてしまったのか。

この静寂は、何なのか。

未央のそのあまりにも何とも言えない返しに、殺意に満ち満ちた武陣のオーラが消えかかった。

だが、それならば。

彼女から溢れ出る自信は、何だというのか。

何故、彼女はここまで堂々としているのだろうか。

「…み、未央…?」

「…ね、しぶりん。美嘉姉」

「…」

「…ダメだったら、手伝ってね?」

「…あ…」

その理由は、すぐに分かった。

「…こっからは、ぶっつけ本番だから…!」

未央の手に握られた、二枚のカード。

二つとも、同じダイヤ。

しかし、違う部分がある。

一つは、赤一色。

そして、もう一つは。

「…金…!」

あの時見た、最悪の色だったからだ。

「未央!!それはダメ!!」

美嘉が大声で未央を制止しようとする。

金。

それは、今の美嘉や凛にとっては、暴走を意味する色。

目の前で友人が一人そうなったのだから、声を荒げたくもなる。

だが、それは予想外の者によって止められた。

「…!あ、アマネさん…」

「アンタら、あの子の何を見てきたんだい」

「で、でも…!」

「でももクソもあるかい。友達なら、ドンと構えてやんなよ」

そう言って、アマネは未央を指差す。

よく見ると、未央の脚は少し震えている。

「あ…」

そして、彼女の持つカードが段々と輝きを増し始める。

「あの子の一世一代の強がり、見てやんな」

暴走の危険。
自分が自分でなくなる恐怖。

そんなものは、分かっている。

怖くないわけがない。

だから、強がるしかない。

怖くても、情けなくても、弱くても。

「…私は、怖がりで、弱くて…でも…」

仲間がいるなら、恥ずかしくはない。

「共に分かち合える仲間がいるなら!!」

失いたくない、仲間がいるから。

「私は、何度だって立ち上がって、戦える!!」

『勇気』を振り絞り、未央は構えた。

カードを上空に思いきり、投げる。

すると、未央の身体が、あの赤い光に包まれていく。

だが、そこには確かに金の色もある。

「…」

左拳を、ゆっくりと右上に。

そして、右胸辺りで止め、握る。

「…!」

「…」

隙はあった。

だが、武陣は手を出さなかった。

女子供に対する、甘さか。

もう一度、戦えるという、期待か。

「…」

どちらなのか、答えは明白だった。

「…かかってこい!!仮面ライダー!!」

「変身!!」

「…」

「…」

「…」

その日、もし彼女を見た者がいたら何と言うだろうか。

未確認生物。

化け物。

人によって様々な意見があるのかもしれない。

「…」

赤と、金の鎧。

背中には、六つの赤い羽。

見る者によって、悪魔や、魔物に見えるのかもしれない。

だが、この日は違った。

渋谷凛。
城ヶ崎美嘉。
アマネ。

彼女達には、どう見えたのか。

赤い輝きから姿を現した、未央は。

「…みんな…」

恐らく、口を揃えて言うだろう。

光を宿した彼女の瞳を見て、呟くだろう。

「…行くよっ!!」

悪魔のような、天使がいる、と。

第四話 終

続きまたそのうち書きます

「…未央…」

今だ、理屈も仕組みも原理も分からない。

誰が作ったのか、誰に渡されたのか。

全てが謎の、カード。

だが、確かにそれを使いこなそうとしている少女。

「…」

未央に生えた、翼。

卯月と同じ、力。

だが、卯月とは違う。

彼女は、力に身を任せてしまった。

「…今度は…」

そして、今。

力を支配した、彼女。

銃に生えた、金色の剣。

「…今度は、私がみんなを助ける!!」

翼を開き、未央は一気に、飛んだ。

「…!」

武陣が薙刀を構える。

いつでも来いという、彼の意思。

「行くよ!!」

敵めがけて、一気に、急降下。

それは、戦いの合図。

「…ッ…でぇやあああああああ!!」

「ムッ…!」

「キャッ!」

「!」

激しい激突音に、思わず耳を塞ぐ美嘉と凛。

急降下のスピードで増した、銃剣の威力。

地力に上乗せされたそれは、まるで戦闘機の突撃。

およそ生物に出せる速さではない。

見切ることはおろか、着いて行くことすら不可能。

いくら力に自慢があっても、こうも翻弄されては少々たじろぐ。

「…この…叩き落としてくれるわ!!!」

「!」

だが、彼も喰らってばかりではない。

目の前を飛び交う虫を叩き落とすかのように、薙刀を振り上げ、飛んできた未央に力の限り振り落とす。

「危ない!!未央!!」

一瞬置いて、寒気。

「危なッッ!!?」

ギリギリ、避ける。

「…」

「…嘘でしょ…?」

目の前に広がる、光景。

武陣の薙刀を中心に広がる、地割れ。

大きな隕石でも降ってきたのかと見まごう程地面は抉れ、割れている。

「…」

物騒な音を立て、薙刀を引き抜く。

どうだ、と言わんばかりに未央を睨みつける。

睨みつけられなくとも分かる、その圧倒的な腕力。

自分や、卯月を遥かに上回るだろう、単純な力。

当たれば何処でも良い。

足でも、肩でも何処でも良い。

一撃必殺の、薙刀。

「…ヤバーい…」

前に死ぬ気で戦った、あの黒装束が可愛く見えてくる。

「少々速いくらいでは、この私は引かんぞ」

「…そっか」

だが、今の未央の強みが腕力でないことは、武陣にも分かっていた。

「…なら!!」

再び、未央が空を飛ぶ。

「…これでぇ…!!」

そして、すかさず銃にカードをスリットする。

『BARRETT』
「どうだッ!!」

「…!」

始まる、銃弾の雨あられ。

一発一発まで防ぐことは不可能。

堪らず、喰らってしまう。

「ヌゥ…!!」

だが、武陣は耐える。

耐える事が、出来た。

「…これしき…」

何故なら彼は、これ以上の力に触れてきたからだ。

「奴に比べれば…あの屈辱に比べれば…!」

思い出す、痛み。

腹に武器を突き立てられ、そのまま貫通。

「…RX…!!」

そこから伝わる、激痛と熱さ。

息も出来ない程、際限のない痛みが身体中を襲った。

「…仮面ライダァァァァァアアアアアア!!!」

「うぇっ!?」

その痛みに比べるには、未央の銃弾はあまりにも頼りないものだった。

「…」

先程よりもさらに強気のオーラを纏った武陣。

最早、小手先の力は効かない。

「このようなもの…俺には効かんわぁ!!」

そして、背中からもう一つの武器、巨大な日本刀を取り出す。

つまり、本気。

これが彼の、本来のスタイル。

「…」

「…り、凛!これちょっとヤバいんじゃ…」

「…未央…」

「さっきまで押せ押せだったよ!?何なのあいつ!?」

もしかしたら、未央は負けてしまうかもしれない。

そして仮に負けたとして、今の武陣が逃がしてくれるとは到底思えない。

いざという時は、自分達も行かなければならないかもしれない。

美嘉と凛は、今の状況に、段々と焦りを感じ始めていた。

その時だった。

「あいつは武陣。クライシス帝国のマリバロンに仕えていた怪人さ」

「え…」

今まで未央と武陣の戦いを静観していたアマネが口を開く。

「仮面ライダーBlack RXを倒してやるって息巻いて地球に行ったらしいが、逆にやられちまったみたいだよ」

「…か、仮面ライダー…?」

「…何それ?」

先程武陣が叫んだ、仮面ライダーという聞き慣れない単語。

「さあねぇ…ただ」

アマネは未央と武陣の戦いに再度目をやり、ぼそりと呟いた。

「あの子は、好敵手だって認められたってことさ。あいつにね」

「…」

「…」

向き直る。

パワー対スピードの、対照的な戦い。

着実にダメージを喰らわせていく、未央。

一撃でも与えれば勝てる、武陣。

「…未央…」

その勝負を見ている中で、一人の少女にある感情が芽生え始めた。

「…あれ?凛…カードが…」

「…」

凛は、返事をしない。

「…凛?」

様子がおかしいのは、直ぐに気がついた。

「…ちょっと、凛?」

彼女の目から見える感情は、心配ではない。

何故か凛は眉間にシワを寄せ、緑色の光を放ち始める。

「…ミカ。その子から離れな」

「え…?」

アマネが美嘉の腕を掴み、後ろに下がらせる。

卯月にも堂々と近づいていった彼女が、自らも一緒に下がるということ。

「あ、アマネ…さん…?」

つまり、それはこういうことだ。

「…あの子、相当危険だよ」

「え…?」

そこで美嘉は思い出した。

あのカードは、常に何らかのマイナスな感情で動くということ。

今の未央は分からないが、今の凛にも、それはあるということ。

「…凛…?」

そして、そのマイナスな感情は、カードによって増幅されていくということ。

「この…!いい加減倒れろー!!」

マシンガンの如く光弾を浴びせ、それでも武陣は倒れない。

寧ろ喰らえば喰らう程、勢い増して突っ込んでくる。

距離を取ってもお構いなしにと、二刀を振るう。

あの鎧が破れない限りは恐らく、決定的なダメージは与えられない。

「…こーなったら…!」

もう一枚のカードを、取り出す。

暴走の危険性がある、金色のカード。

「…これも、ぶっつけ本番…!」

どうなるのかは、全く分からない。

だからこそ、試す価値はある。

「…えいっ!!」

スリットされたもう一枚のカードは光を放ち、未央に吸収される。

『DROP』

その瞬間、両足に湧いてくる、異常な力。

2倍。

5倍。

いや、それ以上。

「…これなら…!」

力の限り飛び上がる。

これが通用しなければ、最早打つ手は無い。

武陣もそんな未央の賭けを察したのか、両腕を広げる。

それは、余裕。

一度知った痛みと屈辱から来る、余裕。

「やってみるがいい!跳ね返してくれるわ!!」

その武陣に対し、未央は空中て翻り、身体に回転を加える。

「これなら…!」

そしてそのまま、今持てる力の限り、武陣に叩き込む。

「どうだッッ!!!」

「‥!!」

胸部に、鈍痛。

思わず、後ずさりしてしまう程に。

いや、それ以上に。

「…この俺が…膝を…」

そして、さらに。

「…ぬ…ぐっ…!!?」

呼吸がままならなくなるほどの苦しみに悶え、胸に手をやる。

「…これは…!!?」

まず初めに思ったことは、自身の、肌。

何故かそこだけが鎧に包まれておらず、裸になっている。

つまり、陥没。

未央のそれを物語る、破壊力。

一撃ではない、両足による二連撃。

一度は耐えたが、もう一度は鎧の防御力を超えてしまった。

「…まさか…これを砕くとは…!」

銃弾も、槍も剣も跳ね返すだろう、自慢の鎧。

自分がおかしくなっていなければ、間違いなく今、これを砕いたのは。

「…見事…」

目の前で気絶している、人間の少女。

「…見事だ…!」

自らの慢心が仇となったとしても、まさかここまでとは思っていなかった。

「あの子供がここまでやるとは…!」

初めから全力ならば、勝てた。

そんな言い訳は、不要。

どのような理由にせよ、今自分はそうそう戦える状態ではない。

それは、向こうも同じだが。

しかし、恐ろしいのは人間の子供にしてやられたということ、ではない。

この子供は、まだ力を使いこなせていない為に、自分にもダメージを負ってしまった。

つまり、これからさらに上を行く可能性が高い、ということだ。

「…貴様は、失敗作などではなかったか…」

誰に呟くわけでもない独り言。

この事を誰かに報告することはない。

「…」


勝負はまだ動ける自分の勝ち。

「…」

のそり、と自分の武器を手に取る。

「…」

薙刀を未央の首に当て、振りかぶろうとする。

「…」

だが、それでいいのだろうか。

「…」

これは、勝ちと言えるのだろうか。

「…貴様…」

本来なら、もう一人二人の子供が武器を持って自分の鎧の穴の空いた部分に突き立ててもおかしくはない。

それに未央もわざわざ鎧部分を攻撃せずとも、勝つ方法はあった。

「子供に、情けをかけられるとはな…」

手加減したのは、自分ではなかった。

「…申し訳ありません。マリバロン様…」

この勝負を行方を決めるのは、自分には出来ない。

つまり、これは勝ちだの負けだのということではない。

「…情けをかけられるなど、クライシス帝国怪魔妖族筆頭の名折れ。最早何も言いますまい」

武陣は、静かに薙刀を降ろし振り返る。

「この勝負、貴様の勝ちだ」

これからどうするか。

自身の雇い主は、何と言って怒るだろうか。

その前に、許してくれるだろうか。

恐らく、命は無いのだろう。

そう、思っていた時だった。

「ねえ」

「む?……グッッ!!?」

まず初めに感じたのは、冷たい。

何か、冷たいものがゆっくりと胸部から中へ侵入してくるのが、分かる。

そして、コンマ数秒後に来る、強烈な痛み。

めり込んだ槍と、身体の間から身体から温かいものが、溢れ出してくる。

「…!!?…!?」

それは、黒い液体。

自分の、血液。

声など、出る筈もない。

痛みにのたうちまわりたいと、身体は訴えているが、そうさせてくれない。

「…私も、混ぜてよ…」

今、自分を突き刺した黒髪の少女が、逃がしてくれないからだ。

「未央や卯月だけじゃない」

「…ッッ!?」

「私も、いるよ」

緑色の、鎧。

紫色の瞳は濁り、妖しく笑う。

まるで、自分の雇い主のように。

何の容赦も無く、自分を突き刺した。

「…!!」

手を伸ばすが、それが届くことはない。

武陣は、痛みをゆっくりと味わわせられながらも必死でマリバロンから聞かされていた事を思い出した。

…。

「実験体1号、島村卯月。2号、本田未央。3号、渋谷凛。4号、城ヶ崎美嘉」

「…このような女の、しかも子供に…?」

「女子供だから、だ。南光太郎が最も苦手とする種類…」

「そして、それぞれが持ち合わせる、マイナスの感情を増幅させる…」

「うむ」

「そうすることで、自我を失わせ我らの手中に収める、と」

「そうだ。一人でも残れば、この実験は成功する」

「…となると、残るは3人…」

「そうだ。そして、この3号…」

「マリバロン様が期待を寄せる者…一体どれ程の力を?」

「奴には、ある感情が渦巻いている」

「…それは?」

「嫉妬。それもかなり大きなものだ」

「…」

「潜在的なのか、何かの拍子かは知らんが、奴の独占欲は並大抵のものではないらしい」

「ほう…」

「奴はかなりの戦力になるだろう。…やり用によっては、4号に匹敵する程に…」

「了解しました」

…。

「…!」

凛の槍を掴み、奪い取ろうとする。

しかし、痛みと出血で力が湧かず、逆にさらに押し込まれ、捻じ込まれる。

頭の中がパニックになる。

この状況を脱しようと考えるも、麻痺していく。

一つの事しか考えられない。

痛い。

痛い。

痛い。

やがて彼女は腕に力を込め始めた。

「じゃあ…」

そして、口角をつり上げ、笑い、杖のスリット部分にカードを通す。

『BLIZZARD』

その瞬間、武陣は意識を失った。

否、失うしかなかった。

その冷気に、身体が耐えることをやめた。

「さよな…」

彼女は突き刺した杖をそのままに、力任せに凍りついた武陣を持ち上げ、背負い投げの要領で地面に叩きつける。

「らっ!!!」

音を立て、割れた。

武陣だったものは粉々に砕け散り、溶け出した破片から、黒い血が染み出す。

「…」

それに見向きもせず、踏み潰していく、凛。

「…ウッ…」

一部始終を見ていた美嘉は、そのあまりの凄惨な光景に、口元を押さえる。

見慣れない、見慣れたくないものを見てしまったからか、そのまま吐いてしまう。

アマネに介抱されるも、それは止まらない。

凛が踏み潰したものから溢れ出る何かはあまりにも見るに堪えないものだった。

「…」

凛はこちらを一瞥し、また真っ直ぐ歩き始める。

その背中は、追ってくれるなと言っているようにも思える。

「待ちなよ」

「…」

しかし、アマネはそうはさせてくれない。

これ以上誰かが誰かでなくなることは、未央や美嘉を傷つけることに繋がる。

「待ちなっつってんだよ。リン」

「…何?」

「アンタ、そんなカッコでどうすんだい?何処に行くんだい?」

緑と黄色の、角ばった鎧と、兜。
紫色に、濁る、瞳。

「卯月を取り戻すに決まってるでしょ」

「そんな危なっかしい力でかい?アンタもウヅキって奴と同じになるってかい?」

「…」

「悪い事は言わないよ。そんな力任せにやってたって後悔するだけさね」

「…」

努めて、冷静に。
優しく、言葉をかける。

それは今の凛の精神状態も危惧してでのことであるが、この時の彼女には、孫に対する愛情のようなものもあったのかもしれない。

しばしの沈黙の後、凛はこちらを振り向くことなく、呟いた。

「…じゃあ…」

「…」

「アンタに、何が出来んの?」

「…」

「アンタが、何かしてくれんの?」

「…そりゃあ…」

「何も出来ない、しないアンタに、私達を止める権利なんて無い」

「…」

だが、その言葉は凛に届くことはない。

アマネは、言い返された言葉に反論出来ず、口をつぐんだ。

美嘉もまた、どう声をかけていいか分からず、その場に座り込むしか出来ない。

そして未央は、今だ意識を取り戻さない。

冷たい空気が流れる中、未央達の元からまた一人、仲間が去っていった。

第五話 終

続きまたそのうち書きます

『未央ちゃん!今日も笑顔で頑張りましょう!』

『未央。寝癖ついてるよ』

『憧れのアイドル…私今、すっごい楽しいです!』

『みんなで、一緒に…』

『3人じゃなきゃ…卯月もいなきゃ嫌!』

『笑顔なんて…誰でも出来るもん!!』

…。

「…」

「…あ」

「おや。目ぇ覚ましたかい?」

「…ん…」

「…未央…」

「…」

「…えっと…」

「…どうなったの?」

「…」

「…」

「…あれから、どうなったの?」

「…そのー…」

「…しぶりんは?」

あの惨劇から、二日。

自身の攻撃の衝撃に耐えられず、力尽きた未央はそのまま眠りにつき、幸か不幸かその後の顛末を見ることはなかった。

後は、美嘉達がどう説明するか。

「…」

「…」

「…美嘉姉?」

苦虫を噛み潰したような顔で沈黙を守る二人に、次第に顔が暗くなっていく。

だが、凛は死んだ訳ではない。

「…最悪の状況は、免れたかねぇ…いや」

致し方なく、アマネがその役目を担う事にした。

「…リンは…」

まず、勝敗の結果。

そして、凛がどうなったか。

そして、何処へ行ったか。

それを淡々と語っていくアマネに、未央の顔が青ざめていく。

命があっただけ、マシなのかもしれないが。

だとしても、最悪の状況に変わりはなかった。

…。

「…」

あれから、どれだけ歩いたか。

どれだけ、走ったか。

「…」

そして、どれだけ血に塗れたか。

「…」

まるで待ち受けていたかのように現れる、彼ら。

腹に風穴が開いたクライシス帝国の戦闘員の亡骸を見つめ、凛は思った。

否、それが凛なのか、どうなのか。

最早、誰にも分からない。

戦えば、戦う程。

殺せば、殺す程。

その度に感傷は薄れ、やがて殺す事に抵抗が無くなっていった。

「…なーんだ…」

その上、彼女には段々と優越感さえ生まれ始めていた。

「…出来るんだ」

武器を振るえば、また一人。

頭部を叩き潰せば、また一人。

その力に、彼女は飲まれ始めていた。

それが彼女の望みなのか、それとも誰かに仕組まれているのかは、分からなかったが。

「…私一人で、十分なんだ」

だが、その意識の根底には、はっきりとした目的が存在していた。

それは、皆を守る為。

誰一人、死なせない為。

彼女は、その目的の為に。

「…待っててね…」

あるものを、犠牲にしようとしていた。

「卯月…」

それは、何か。

「…みんなで、帰ろう…」

彼女が歩いていく度、それは消えていく。

「…」

剥がれ落ちていく鎧と、変化していく皮膚を見れば、一目瞭然だった。

…。

「…」

アマネの話を聞き終わった未央は、座り込み、顔を伏せた。

端的にではあるが、現状がどれ程まずいことになっているのかを、理解したからだ。

伝えるべきではなかったとしても、いつかは分かる。

致し方ない事だとしても、後悔の念が押し寄せる。

「…私、あれだけ啖呵切っておいて、何も出来なかったんだね…」

「そんなこたぁないよ。アンタのおかげで皆五体満足なんだ」

「そ、そうだよ。だからそんな…自分のせいだなんて思わないで」

塞ぎ込む未央に、教科書に書いてある例文のような励ましをする。

勿論、効果は無い。

だがそれでも、美嘉は未央を抱き締め、震える声で呟く。

「…ホントに…ありがとね…」

「…」

悲しいのは誰しも同じ。

それ以上言葉が出ることはなく、再び冷たい空気がアマネの家を包み込んだ。

…。

「…」

少女は、目を覚ました。

「…」

そこは、何処かも分からない、平地。

「…ここ…どこ…?」

図らずも、デジャヴとなったその台詞。

その時、彼女は全てを思い出した。

「…あ…」

自分に起きた出来事。

自分が起こした、惨劇。

仲間との、別れ。

「…みんな…」

急いで、起き上がる。

冷静になっていないからか、辺りを見渡す余裕さえ今の彼女には無い。

焼け焦げた、草むら。

何者かの、靴跡。

周りにこびりついた、黒い液体。

彼女の足元に落ちていた、一枚の紙。

恐らく、眠りについていた間に何があったのかを事細かに説明しても、今の彼女には理解出来ないだろう。

そして、その原因を作った者は、既に何処かへと消え去った。

ある目的を、果たす為に。

全てを失くし、忘れても。

例え、もう元に戻れずとも。

皆の「笑顔」を、守る為。

その男は、ただそれだけの為に歩き続ける。

その先にあるのが、究極の闇であったとしても。

…。

「マリバロン」

「…!ジャーク将軍…!」

「計画は、順調か?」

「ハッ!…い、いえ、完璧というわけではありません…」

「…むう…そう簡単には、使わせてくれぬということか…」

「…仮面ライダーは人間の味方。その意識は消えることは無いようです」

「そうか…仕方あるまい」

「…?」

「ボスガン」

「!?」

「ハッ。私めにお任せください」

「ジャーク将軍!何故此奴と私が…!」

「何もボスガンに全てを任せる訳ではない。二人で協力し、RX打倒の為の兵器を完成させよということだ」

「…しかし…!」

「私情を挟むなど、それでもクライシス帝国参謀か?マリバロン」

「!ボスガン!貴様…!」

「ええい、やめんかボスガン!マリバロン!」

「…」

「…」

「幹部同士が争ってどうするというのだ。一つの目的の為に、皆が協力する。そこに順番など無い」

「…」

「流石はジャーク将軍…このボスガン。全力で臨む所存であります」

「…!」

「…してボスガン。貴様はどうあの4人を扱う?」

「既に手は打ってあります」

「ほう…それは?」

「マリバロン。貴様も知ってるだろう。無残にも細かく砕かれた武陣、それをやった者が誰なのか…」

「…」

「…実験体3号、渋谷凛。奴は最もその可能性を秘めております」

「何と…あの武陣を破ったというのか」

「ええ。しかしジャーク将軍。喜ぶのはまだお早いかと」

「…それは?」

「奴は満身創痍の武陣にトドメを刺した、それだけです。実質倒したのは、実験体2号、本田未央という失敗作でございます」

「失敗作…?」

「ええ。何とそちらにいるマリバロン、その人間の本質を見極める事すら出来ず、逆にライダーの力を乗っ取られてしまったというのです」

「…」

「も、申し訳ありませんジャーク将軍!!報告はしなければと思ったのですが…」

「…まあ良い。してその3号、渋谷凛がどうした?」

「ハッ」

「…奴を変身させる感情は、嫉妬…」

「むう…」

「奴は、無意識の内にあらゆるものに嫉妬する傾向にあるようです」

「…!ボスガン!貴様…私の実験データを…!」

「おお、協力しようというのにこれとはな…」

「…ッッ!!」

「…続けよ。ボスガン」

「…そして、嫉妬の他にもう一つ」

「何だ?」

「独占欲です。全てのものに対する」

「…うってつけというわけか…」

「只今、奴にチャップやムカデ達をけしかけているところです」

「ほう。つまりは…」

「今、奴のそれらは戦いで圧倒的な勝利をすることで満たされ続けております。自分こそ皆を守るという、小さな自負心から…」

「…」

「…そして、最後には自我をも失うでしょう」

「…そして?」

「力を振るう、ただのモンスターとなるでしょうな。…あいや、これはこれは。確か…」

「…」

「…」

「…アンデッド…でしたかな?」

…。

「…本当に、行くんだね?」

「…うん」

「アタシも、役に立てるかどうかは分からないけど…」

「そんなことないよ」

少しの間、考えた。

考えに、考えた。

その結果、二人は結論を出した。

「二人を探して、連れ戻す…」

クライシス帝国の前に、己の身の回り。

彼らをどうするかは、まだ遥か、先。

「…なら、こいつを持っていきな」

「!」

「…これ…」

これから旅をする二人の少女に、アマネが手渡したもの。

「…おにぎり…」

「具なんざ入ってないよ」

箱に敷き詰められた、握り飯。

それは、アマネのせめてもの思い。

バラバラになっていく彼女達に、何も出来なかった、罪の意識。

「それが無くなる頃にゃ全部終わってると良いねぇ」

「あはは…こんな食べ切れるかなぁ」

「バカ言うんじゃないよ。今頃ウヅキもリンも腹を空かせてる筈なんだ。皆の分だよ」

「…アマネさん…」

相変わらず目立つ皺を、くしゃ、と曲げ。

「行っておいで。ガキ共」

にこり、と、笑ってみせた。

まるで、ピクニックに行く子供を見送る親のように。

「ありがと…アマネさん」

「頑張んなよ」

一人ずつ、抱き合う。

微かに感じる、温かみ。

「私達、絶対戻ってくるから…」

「ハッピーエンドで終わると良いねぇ」

精一杯の応援を受け、二人は卯月と凛を探す旅に出た。

「…で、だよ」

「ん…」

「…これから、何処行けば良いの?」

「…それはー…」

「カード、全然光らないし…大分遠くにいるってことなのかな…」

「…そうなのかなぁ…」

「…で、さ…美嘉姉」

「ん?」

「さっき、アマネさんと別れたじゃん?」

「ん…うん」

「…アマネさんって、英語知ってたんだね…」

「…あ…」

「んー…やっぱここも地球なのかなぁ…?」

「似て非なるものって言ってたし…英語話す人もいるんじゃないの?」

「そうなのかなぁ…」

二人が感じた、小さな違和感。

それは、これから起こる出来事で、解消されることとなる。

皆が散り散りになる中、卯月は当てもなく彷徨っていた。

ただ、暴走は止まった。

今は身体の疲れもなく、体調もすこぶる良い。

ただそうなると、様々な疑問が浮かぶ。

自分はどうやってあそこに辿り着いたのか。

衣食住はどうしていたのか。

あの敷き詰められた花は何だったのか。

「…」

だがそれよりも彼女の頭の中は、友人らの安否でいっぱいだった。

「…!」

次第に、歩行速度が上がっていく。

胸騒ぎがするわけではないが、側に誰もいないというのは、変に危機感を増幅させる。

「みんな…!」

元来心配性な彼女に、今の状況はあまりにも厳しいものだった。

「ん…」

「ん」

その頃二人は、途方もなく歩く事を一旦止め、早速アマネの握ったおにぎりに手を伸ばした。

理想は、4人とアマネ、全員で食べる事だったが。

こうも見つからないのでは、何かで気を紛らわしたくなる。

そして今の彼女らには暇潰しの道具は何も無い。

携帯電話はおろか、書き物すら持ち合わせていないのだから。

「…塩は入ってる…」

そんな生活も数日続けば案外慣れてしまうものだった。

というより、彼女らの場合は慣れるしかなかった。

何処かにそれに関する店でもあれば飛び込むものだが、この世界には電話はおろか電気すら無い。

だから、目の前にある握り飯しか気を紛らわせる方法はない。

だからといって、気が紛れる程美味ではなかったが。

「茜ちゃんなら涎が出るくらい喜ぶのになぁ…」

「あの子は茶碗に乗っけて出さないと。炊きたてのやつ」

「あー…」

とりとめのない会話も、それの一つだったのかもしれない。

極限状態といっても過言ではない今、誰かと一緒にいられるという事だけでも彼女らにとっては救いだった。

「…ん?」

「何?」

「…あれ…」

その時だった。

未央が何かを発見し、指を差す。

「…?」

目を凝らすと、数十メートル離れた向こうに、何か蠢くものを発見した。

「…」

もぞもぞと、何かが這っている。

それが何か、視認することは出来ないが、未央にはなんとなく予想することが出来た。

「…」

地を這う、何か。

それは、未央や卯月が散々見てきたもの。

「ごめん美嘉姉。離れて」

未央は既に、それを何匹も始末してきた。

しかし口頭で伝えただけでも青ざめた顔をした美嘉には、到底直視出来るものではないと判断し、彼女を後ろに下がらせた。

「…え、マジ…?」

「…マジ」

向こうからゆっくりと近づき、それでいてもはっきりと分かる、殺意。

殺意というよりは、本能。

二人が握り飯に手を伸ばしたのと同じ感覚で、近づく、それ。

「…大ムカデだよ」

「…アタシ、目閉じてるから…」

大ムカデの大群が、こちらに向かって近づいてきていたのだ。

「…!」

だが今の未央は、今までのそれではない力があった。

彼女が、怒りよりも、悲しみよりももっと大きく兼ね備えていたもの。

それは、勇気。

「変身!」

誰かを守りたいという「純粋」な感情は、彼女を任意で変身させる力へと変化した。

「美嘉姉!絶対動かないでよ!」

「ヤダもうホントムリムリムリムリムリムリ!!!」

目を閉じても聴こえてくる、ぞくりとする音。

それが何十と迫ってきているのだから、後ずさりもする。

「もおおおお!!捕まってて!!」

これが一人なら大群の中に突っ込んでいったものだが、四つん這いで逃げる彼女は流石に放っておけない。

仕方なく未央は美嘉を抱え、翼を広げ、飛んだ。

『…』

ムカデは飛べない為、それをゆっくりと見上げるだけ。

今の未央と戦うには、相性が悪過ぎた。

「行くよ!!」
『BARRETT』

前に放ったもとは格段の威力の違い。

それが雨のように降り注げば、彼らになす術はない。

武陣と違い、肌をそのまま露出させているムカデにとってそれはまるで隕石。

面白いように風穴が開き、息絶えていく彼らもようやく自身が喰らおうとした者がどれだけ強大な力を持っていたのか分かり、逃げ惑う。

「逃がすかっ!」

だが、それもまた、大きな間違いだった。

未央の銃の技術は、はっきり言って素人。

相手に向かって撃ったとしても、10発に1発当たるかどうか。

その為彼女が取った案は、ひたすら撃ち続けるということ。

狙って撃つより、乱射した方が良いという判断。

この銃に弾数の限界が設けられていないことは救いだった。

その案は間違っておらず、逃げ惑うムカデ達の身体の一部に当たる。

当たれば、動きは止まる。

それは奇しくも、武陣と同じ戦い方。

相変わらず目を閉じ、耳を塞ぐ美嘉に呆れながらも、未央はひたすら前方に集中した。

だからか、目に入ってしまった。

「…!」

逃げていくムカデの、さらに向こうから。

猛スピードで駆け抜けて来る、緑色の物体。

「!?」

「それ」は、ムカデに気づくと飛び上がり、持っていた武器を逆さにそのまま急降下。

そしてその後の光景に、未央は驚愕した。

「…な、何…?あれ…?」

「…?」

突然止まった未央の動きに、何があったのかと目を小さく開ける美嘉。

「…!」

そこに広がるのは、白銀の世界。

突き刺したムカデを拠点に、辺り一帯を凍らせ、作り上げた氷の世界。

そして、その真ん中に立つ、不気味な緑色の怪人。

「…え…?な、何あれ…?」

形容するならば、それはまるで、蜘蛛。

蜘蛛がそのまま、人間の形になったような、姿。

だが、もっと驚いたのは、それではない。

「…!?」

その怪人が持っていた、それ。

見覚えのある、マーク。

そして、黒く長い、髪。

「…嘘…でしょ…?」

ムカデを見るのとは種類の違う、青ざめた顔。

その顔に、未央は一気に不安を覚えた。

「な…んで…?」

蜘蛛の怪人が持つ、紫の杖。

胸に刻まれた、歪だが確認出来る、クラブのマーク。

それだけで、連想出来る人物が、美嘉にはいた。

「…凜…?」

「…え…?」

…。

ゆっくりと、降りる。

蜘蛛の怪人は、こちらを見据えるだけで、何もしない。

自分達を助けた、ということなのか。

それをし、尚且つあの武器を使い、あのマークがあるということ。

「…凜…なの…?」

「…」

原型などとどめている筈もない。

だが、何故か分かる。

今、自分達の目の前にいるそれは。

ついこの間まで、自分達と仲良く話していた友達だということが。

「…」

そしてついに、それは杖を構えた。

それは最早、自分達を認識出来ない程になってしまったということ。

彼女は既に、無差別に殺戮を繰り返すマシーンになってしまっているということ、だ。

「やめて…しぶりん…」

「…」

「私…戦いたくない…!しぶりんとなんて…!」

「…」

それに、未央の声は届いていない。

「お願い…!元に戻って…!」

後ずさりをする二人に、じりじりと迫ってくる、それ。

「…」

だがしかし、それはまだ目的を忘れてはいない。

武器を構え、此方を殺そうとしても、忘れることはない。

「…ミ…」

「え…?」

そしてこの時、「彼女」の判断が正しかったのかどうか。

「…ミ…オ…」

「!」

それはきっと、誰にも判断は出来ないのだろう。

「…ミ…カサ…ン…ウ…ヅキ…」

「!?」

「イッショニ…」

「…やめて…!!…戦いたくない…!!!」

皆が全員、他人の不幸を自分に置き換えられるような人間ではない。

「…イッショニ…カエロウ…?」

「やめてえええええええええ!!!!!」

完璧なハッピーエンドなど、この世にある筈もないのだから。

第六話 終

続きまたそのうち書きます

ええっと……
凜→レンゲル(スパイダーアンデット洗脳状態)
未央→ギャレン(ジャックフォームなれる)
卯月→ブレイド(キングフォーム暴走?)
となると残った美嘉はカリスか

…。

早く、仲間を助けないと。

早く、皆と元の世界に戻らないと。

その為には、立ちはだかる障害は、排除。

今も二匹、敵が向かってきている。

殺さないと。

未央。

美嘉さん。

卯月。

どうか、無事でいて。

今すぐ助けて、皆元の世界に戻してあげるから。

もうすぐだから。

こいつらを、すぐ、排除して。

…。

美嘉の目の前で、あり得ない事が起きている。

勿論、あり得ないのは初めからであるが。

だが、この事実だけは、認めたくない。

例え、目の前で起きていても、だ。

「しぶりん!!目を覚まして!!」

仲間を殺そうとする、仲間。

一方は意識が無いといえど、争っている、友達。

美嘉は、その現実を直視出来ず顔を伏せ、目を逸らし続ける。

力を手にした、成れの果て。

異形の怪物となった凜に、未央は何も出来ない。

銃を構えられない。

凜の攻撃を避ける事しか、今の彼女には出来ない。

「やめて!!お願いだから!!」

声は、届かない。

彼女は今、自分の世界にいる。

彼女の瞳にどのようなフィルターがかかっているのかは分からないが、今自分達は敵として認識されている。

「…!しぶりんッ!!」

「!」

彼女らしい、真っ直ぐな突き。

そこに生じた隙を狙い、杖を掴む。

「私を見て!!」

「…」

「みんなで一緒に帰るんでしょ!?」

そうすることで動きを一時的に封じ、彼女の紫色の目に語りかける。

「…」

だが、それは通じない。

「しぶりん!!」

「…」

彼女の眉間に、皺が寄る。

そこにまだ正気が残っている。

そう考えた未央が再び彼女に呼び掛けた、その瞬間。

「ッッ!!??」

腹部に、鈍痛。

的確に鳩尾を突かれた彼女は、その場に崩れ落ちる。

痛みよりも先に来る、苦しみ。

両腕は封じても、脚は出来なかった。

思い切り膝を叩き込まれ、呼吸困難に陥る。

「…ッッ…」

そして、こみ上げる、吐き気。

鉄の味が、喉奥から伝わる。

堪らず、吐き出す。

「…ペッ…」

血の混じった、液。

「…!!」

上を見ると、すかさず杖を構え突き刺さんとする彼女。

そこまで、彼女は乗っ取られていた。

意識など、既に無い。

「…この…」

ならば、どうするべきか。

怪人と化した、友人。

だがこのままでは、自分どころかもう一人にさえ被害が及ぶ。

この数秒で、未央の頭はフル回転した。

「…この…!!」
『BARRETT』

そして、彼女が出した答え。

「…馬鹿ァッッッ!!!」

「!」

隙が生じた彼女の、その腹部に、お返しとばかりに銃弾を連射。

「しぶりん…!」

至近距離からの攻撃に、吹き飛ばされる彼女。

本来ならそこにさらに猛追したいところだが、まだ自分の脚は動こうとしない。

「…ちょっと…本当痛いんだけど…!」

脚は指先まで震え、立つ力を失った。

酸素を求め、器官が行動を制限する。

争いを知らない彼女の身体に、そのダメージは大きすぎた。

「…」

しかし、それは向こうも変わらない。

奇跡的にではあるが、同じ箇所に複数回、至近距離からの銃弾を喰らった彼女も、すぐに起き上がれないでいた。

静かになったと目を開け、その様子を見る、美嘉。

何とか起き上がり、ふらつきながらも相手を倒そうとする両者。

その目的は、同じ。

助けたいという、優しさ。
助けたいという、本能。

「…!」

銃を構え、再び引き金を引こうとする。

この距離ならば、いくらスピードがあっても当たるのはこちらの攻撃。

分は未央にあった。

「…」

声が届かない。
何度でも起き上がり、向かってくるならば。

もう、元に戻らないのならば。

「…」

しかし、この戦いに勝利するということ。

それすなわち、凜を殺すということ。

「…ッ」

それこそ、最悪の結末。

元に戻れたとしても、彼女は帰らない。帰れない。

「…」

未央が、最終的に出した答えは。

「…ごめん。美嘉姉…」

「えっ…」

「私、美嘉姉の事、守れなかったよ…」

「…!!未央!!!」

未央は銃を持った手を下ろし、目を閉じ、彼女の攻撃を受け入れる体勢を取った。

「…」

「未央!!駄目ぇぇぇぇええええ!!!」

美嘉が走ると同時に、杖を構え突進する、凜。

しかしこの距離では、間に合わない。

「…」

もう少し、やりたいことをやっておけば良かった。

言いたいことを、言っておけば良かった。

「…」

後悔の念が、まるで走馬灯のようにゆっくりと脳内を渦巻く。

「…プロデューサー…」

もう少し、素直になっておけば良かった、と。

「未央ぉぉぉおおおおお!!!」

…。

痛みは、無い。

これが、死ぬということなのか。

あるいは、既にあの世に来てしまったのか。

だとしたら、ここは天国か、地獄か。

どっちにしても、悲しいと思う気持ちは変わらない。

「…」

しかし、先程と変わった感じは無い。

「…」

美嘉の助けは、間に合わない筈。

自分は、突き刺され、凍った筈。

「…?」

不審に思い、目を開ける。

「…え…?」

何があったのかと、目を疑う。

「…え?」

横に目をやる。

そこには、立ちすくんでいた美嘉がいる。

だとしたら。

「…嘘…」

そこにいたのは。

「…アマネ…さん…?」

自分達を叱咤激励し、笑顔で送った、彼女の姿だった。

杖が引き抜かれ、安定感を失ったアマネはその場に力無く倒れる。

「アマネさん!!アマネさん!!!」

「しっかりして!!アマネさん!!!」

美嘉と未央が彼女を抱きかかえ、呼びかける。

血を止めようと傷口に手をやるが、最早それで助かる状態ではない。

「・・・」

その光景に、後ずさりをする、凜。

意識を失った今、彼女は何を思い、何を見ているのか。

「お願い!!目を開けて!!!」

「…」

まだ死んではいない。

息も絶え絶えだが、微かに生きている鼓動を感じる。

「…!」

口元に耳をやると、何かを呟いている。

ボソボソと、それでいて必死に何かをこちらに訴えている。

「何!?どうしたのアマネさん!!」

「…めんねぇ…」

「え…?」

「…ごめんねぇ…ミオ、ミカ、リン…」

「…え…?」

「な、何?何が…」

「…アタシはねぇ…嘘ついてたんだよ」

「う、嘘…?」

「…アタシにはねぇ…家族なんて、いないんだ…」

「…え?」

「家族も、知り合いも、誰もあそこには最初からいないんだよ…」

「…アマネ…さん…?」

「…アタシはねぇ…追い出されたんだ。地球を壊したくないって、訴え続けて…」

「…どういう…こと…?」

「…アタシの名前はねぇ…アマネじゃないんだ…」

「…」

「…」

「アタシは…怪魔妖族元頭領…百目婆ァなのさ」

「…えっ…」

「怪魔…妖族…」

「力を奪われて、クライシス帝国を追い出されて、あそこに閉じ込められてたんだ…アンタらをおびき寄せる餌として…」

「…そんな…」

「でも…アンタらに接していくうちにねぇ…人間の良さってのを知ったんだ…」

「アマネ…さん…」

「…ごめんねぇ…何もしてやれなくて…ごめんねぇ…」

「もう良い!!もう良いから!!だからしっかりして!!死なないで!!」

「…リンを恨まないでやっておくれ…悪いのはクライシス帝国なんだ…」

「アマネさん!!アマネさん!!!」

「…ありがとねぇ…」

「…!!!」

「…最後に、良い思い出をくれて…ありがとうねぇ…」

「アマネさん…」

…。

「…」

「…アマネさん?」

「…」

「アマネさん?…ねえ、しっかりしてよ…アマネさん…」

「…未央…もう…」

「アマネさん!!アマネさん!!ねえ!!」

「未央!!!もうやめて!!!」

「アマネさっ……」

「…やめて…」

「…」

「…もう…寝かせてあげて…」

「…アマネ…さん…」

「…未央…!」

「…嫌…」

「…」

「…嫌ぁぁぁああああああ!!!」

「!!」

「…」

一度は下ろした、銃。

「…」

ゴキン、と指を鳴らし、それを握る。

「…未央…?」

未央の様子が変わったのは、一瞬で分かる。

「…凜…!!!」

先程とは違う、血走った、目つき。

見るもの全てを威嚇する、獰猛な動物の、それ。

歯軋りする隙間から溢れる、蒸気を帯びた息。

「…まさか…!!」

彼女の持つカードは、二枚。

金と、赤。

金。

未央の意思で変身する勇気のカード。

しかし今彼女が持つカードは、赤。

それが意味するもの。

「…アンタを…許さない…!!!」

それは、果てしない怒り。

「未央!!」

「絶対許さない!!!!」

未央は銃を再び構え、凜に向けた。

「…」

「…!」

凛はこちらを向いたまま、微動だにしない。

だらりと腕を下ろし、襲ってくる気配も無い。

「…ッッ!!」

対する未央も引き金に指をかけるが、撃つことが出来ない。

増幅した、憎しみ。

引き金を引くには、十分な感情。

だが、撃てない。

憎めば憎む程、未央の頭に過るもの。

それは、笑顔。

それは、泣き顔。

それは、怒った顔。

それは、困った顔。

フラッシュバックしていく、凜の、様々な顔。

「…!!」

自分の意思とは関係なく、涙が溢れる。

下唇を噛み、堪えようとしても、それは止まらない。

アマネの血に塗れた己の、手。

これをやったのは、凜。

「…何で…!!」

決して許しては、いけない。

「…どうして、私達なの…!?」

しかし、悪いのは彼女ではない。

そして、自分は彼女が大事だ。

「…どうして私達がこんな目に合わなきゃいけないの…?」

怒りの中でも、彼女は抗い続ける。

必死に、凜の事を思い続ける。

『何を躊躇ってるの?』

「…やめて…!!」

『こいつは敵だよ。撃ちなよ』

「やめて…!!!」

『あんな優しかったアマネさんを殺して、アンタらも殺そうとしてる奴だよ』

「凜じゃない…!!悪いのは…!」

『殺したのは、凜だよ』

「…!」

『ほら、今あいつは動いてないよ。早くしなよ』

「…」

『苦しめたくないなら、頭を狙えばいいよ』

「…」

『どうせあの子はもう元に戻れないよ。楽にしてあげなよ』

「…しぶりん…」

『簡単だよ。引き金を引くだけ。狙い定めるのは私がやってあげるから』

「…しぶりん…」

赤いカードが、こちらに語りかける。

カードは、怒りを助長させる。

「…ね、しぶりん…。苦しい…?」

果てしない怒りの、果て。

「苦しいんでしょ…?」

今、未央はそのステージへと到達した。

「…今、楽にしてあげる…」

限界を超えた怒り。

それが表すもの。

「…だから…」

それは、笑顔。

「ごめんね?」

渇いた、笑顔。

光を失った瞳が発射した、銃弾。

数瞬遅れて気づく、美嘉。

力に支配された者同士の、ハッピーエンドの無い争い。

それがようやく、結末を迎える。

凜の頭に向かって、飛んでいくそれに、美嘉の脚が追いつくわけもない。

駄目だ、と手を伸ばしても、それは凄まじいスピードで彼女を襲う。

きっと今凛は、戦っている。

暴走する自分と。

抜け出そうと、もがいている。

ならば、死なせるわけにはいかない。

今度こそ、本当に元に戻らなくなってしまう。

「凜!!避けてぇぇぇぇぇえええええ!!!」

美嘉の叫びも、彼女には届かなかった。

だが。

凜。

美嘉と、未央。

両者の間に、突然の光。

鋭い光が、銃弾をかき消した。

「…!な、何…?」

「…」

「…」

「…え…」

目の光を失った二人の間に、大きな亀裂。

銃弾を撃った未央。
結果的に受け入れようとした、凜。

どちらの攻撃でもない。

そして、この攻撃には見覚えがある。

「…これ…」

それは、一番初めに力に飲まれてしまった、彼女。

「…嘘…」

遥か上空を見上げる。

そこには、あの六つの翼を生やした、彼女。

「…卯月…ちゃん…?」

「…」

顔は伏せられており、確認は出来ない。

だが今、間違いなく。

彼女は、二人の殺し合いを止めた。

偶然でも、奇跡でもない。

彼女の意思で、それを止めたのだ。

「…て…」

「…」

ゆっくり、徐々に顔を上げる。

「…やめて…!」

その目は、赤。

「もう、戦うのはやめて!!!」

赤く光る、純粋な瞳。

「…卯月ちゃん…!」

その力は、絆。

皆を守る。

皆を信じる。

その意思は光となり、彼女の瞳に宿る。

皆への想いが、彼女に力をくれた。

「凜ちゃん!!」

「…」

「未央ちゃん!!」

「…」

二人に呼びかける。

その決死の叫びに、二人は顔を上げる。

「…」

「…」

「お願い!!元に戻って!!二人ともそんな事望んでないんでしょう!!?」

あれだけのことをしても収まらなかった二人の暴走。

それが今、卯月の呼びかけに対し動きを止めた。

「…!」

そして、顔を覆う、凜。

何かに対しもがき苦しんでいる様子が見受けられ、その変化に気づいた美嘉が近寄る。

「…!…!!」

声にならない叫びを上げ、頭を抱える。

そのまま、膝から崩れ落ち、何度も何度も地に頭をぶつける。

それを見る未央の手も、小刻みに震えている。

銃は構えたままだが、引き金を引く指をもう一方の手で押さえつけ、最後の一歩を踏み出させないようにしている。

憎しみに満ちた表情もいつしか消え、涙が頬を伝い、その感情を表している。

「みんな…」

まだ、彼女達の意識は死んではいなかった。

これ以上自分を失わない為に、精一杯抵抗しているのだ。

「…凜ちゃん。未央ちゃん」

ようやく、地上に降りてきた卯月。

彼女は、二人を見て、心配そうな表情を浮かべる。

だが、すぐに笑顔を見せた。

「…卯月ちゃん…?」

「美嘉さん。大丈夫です。私が元に戻しますから」

「え…」

この絶望的な状況下において、彼女はまだ希望を捨ててはいない。

卯月はカードを二枚、懐から取り出し、もう一度二人に微笑みかける。

彼女は、何をするつもりなのか。

その根拠も、何故そうするのかも、説明は出来ないが。

だが彼女が何を思い、何をするのかというのは一瞬で理解出来た。

「…まさか…!?」

「美嘉さん。大丈夫ですから」

「…!駄目!!卯月ちゃん!!」

皆のマイナスな感情を全て、受け入れる。

そうすることで凜も未央も元には戻るのかもしれない。

「そんなことしたら、今度は卯月ちゃんが…!!」

その問いかけに、彼女は答えない。

答える事は出来るだろうが、美嘉の期待する答えは持ち合わせていないのだろう。

「卯月ちゃ…」

「美嘉さん!!!」

「…ッッ…」

制止しようとする美嘉を黙らせ、卯月は彼女に顔を向ける。

右側に、緑。

左側に、赤。

二つの光を、身体に受けながら。

そして彼女は、微笑みかけた。

「…私が暴走したら、躊躇わずに倒して下さいね?」

「…!」

「…さよなら」

「…!!卯月ちゃん!!!」

大粒の涙を、流して。

…。

「…」

「…」

「…」

「…マリバロン…」

「…何だ。ガテゾーン」

「お前…」

「どうした。駒が一人いなくなった。それだけのこと」

「…おい。お前…ちょっと…」

「計画は実行だ。4号の覚醒を急げ」

「ハッ!」
「ハッ!」

「マリバロン!!」

「…何だ」

「…」

「…何だと聞いている」

「…もう良い」

「…ッ…」

「…後は俺に任せとけ。お前は休め」

「…」

「…俺は何も見てねぇ。こいつらも見ちゃいねぇ」

「…」

「結果が出たら報告する。それまでは休んどけ」

「…」





「…しかしまぁ、この1号も無理するもんだ。ライダーってのはこんな奴らばっかりなのかよ…」

…。

地上に、4人。

気絶した、黒髪の少女と、短髪の少女。

そして、息の無い、サイドテールの少女。

それに心臓マッサージを試みている、ピンク色の髪の少女。

必死に、ひたすらに。

「…死なせない…!!」

何度も、蘇生させようと、彼女の胸部を、押す。

「絶対死なせない!!」

大事な、彼女を。

「アンタが死んだら、何も変わらない!!」

皆の為に。

「アタシ、何も嬉しくない!!」

自分の、為に。

「死んだら、絶対許さない!!!」

何度も何度も、彼女に呼びかける。

「みんなで帰るんでしょ!?だったらこんなとこで寝てないで帰ってきてよ!!!」

一心に、力を込めて。

「お願い…!!」

彼女を、助ける。

「起きて!!!」

一心不乱に心臓マッサージを試みて、数分。

微かに、ではあるが。

ほんの少しだけ、咳払い。

「…!」

そして、手のひらに感じる、鼓動。

浅くではあるが、耳に聴こえる、吐息。

「…やったぁ…!」

助かった。

助けられた。

これで、全てが元に戻る。

美嘉は分かりやすいまでのガッツポーズをし、そして涙を拭った。

そして、コンマ数秒後。

「卯月ちゃっ…!」

彼女は何者からに抱きかかえられ、吹っ飛んだ。

「…ったーい…今度は何ぃ…?」

あまりにも突然の事に、受け身も取れなかった。

二の腕の擦り傷と、土埃でどれだけ吹き飛んだかがよく分かる。

「…」

「…」

それも、二人分の力。

「え…」

それぞれ息を切らし、顔は青ざめている。

「…凜…未央…?」

彼女達は、蘇った。

そして、蘇ってすぐ、気づいた。

起きてすぐ、気づけた。

闇の中から、自分達を救い出した彼女。

しかし、起きる直前に、見た。

自分達よりも、さらに巨大な闇に喰われた、彼女を。

それが意味すること。

「…逃げて…」

「え…み、未央…?」

「逃げて!!美嘉姉!!」

「!」

おそるおそる、彼女らの背後に目を向ける。

「…」

そこに、「彼女」はいた。

「…」

今までとは違う、姿となって。

「…卯月…ちゃん…?」

全身が金の、重厚感溢れる鎧。

王のような冠を携えた、兜。

身に纏うオーラは、黒。

そして、手に持った今までよりも遥かに巨大な剣。

「…」

そして、目を開ける。

光を失ったどころか、それは最早人間の目ではない。

白と黒が反転し、そして血走っている。

「…そんな…」

にやり、と歯をむき出しにして笑うそれは、いつもの彼女とは程遠い。

これはもう、暴走ではない。

完全に力に飲まれた、別人。

「そんな…」

「卯月…」

「…しまむー…」

恐れていたこと。

それが現実となった今、美嘉達はその場にへたり込むしかない。

そして、もう一つ。

「…!…うあ…うあああああああ!!!」

「!?美嘉姉…?」

「!?」

突如、頭を押さえて苦しみ出す、美嘉。

卯月の影響なのかと、彼女に目をやる。

しかし、彼女は何もしていない。

ただ不気味に笑い、此方を見つめているだけ。

だが、美嘉は髪飾りすら気にも留めず、頭を掻き毟り、もがき苦しむ。

「あああああああああああああ!!!」

「み、美嘉さん!?どうしたの!?」

「美嘉姉!美嘉姉!?」

二人に呼びかけられても、返事をする余裕すら無い。

白目を剥き、叫ぶ。

あまりにも痛いのか、涙が止まらない。

今、彼女の中で何が起きているのか。

二人はあたふたするだけで、何も出来ない。

「おいおい。こりゃとんだ計算違いだな」

「!?」

「!!?」

増えていく危機と謎に混乱する中、聞き覚えのない声と、機械的な靴音が聴こえる。

振り向くと、そこにはこの世界には似つかわしくない、そんな者がいた。

「まさか1号がここまでやるたぁな…こりゃ本格的にヤバそうだ」

「…だ、誰?」

未央が臨戦態勢を取りつつ、身分を聞く。

丸みを帯びた、Webカメラのような形をした頭部。

それだけでなく、人間と思しき部分は何処にもなく、全身がサイボーグのような人物。

「俺はガテゾーン。クライシス帝国が怪魔ロボット軍団の長さ」

「クライシス…!?」

「…!?…まさかアンタが…!!」

「おいおい。俺は寧ろお前達を助けたようなもんだぜ?…結果的にだけどな」

「助けた…?ふざけないで!!」

ガテゾーンから発せられた軽口に怒りをぶつける未央。

すぐさま金のカードを取り出し、変身しようとする。

凜も拳を握り締め、戦闘意思を見せる。

「そりゃないぜ。それに今お前さん達がすることは、戦うことじゃねえ」

「…!?」

「見ろよ。あれを、よ」

ガテゾーンが指差す方向。

禍々しいオーラを身に纏った卯月。

「あれはもう俺達の言うことも聞きゃあしねぇ。だからもう実力行使しかねえってことだ」

「…」

「…」

「だが、それをするのは俺じゃねぇ。何せこれも実験の一つだからよ」

「…!!アンタら…実験って…!!」

「離れた方が良いぜ。4号、城ヶ崎の姫様のお目覚めだ」

「!?」

「…!」

ガテゾーンが指を下に振る。

見ると、先程まで泣き叫んでいた美嘉が、静かになり、動かない。

しかし、死んだわけではない。

そして、元に戻ったわけでもない。

「…美嘉姉…?」

「…」

「美嘉姉…?」

「!!…未央!離れて!!」

「!?」

一瞬早く気づいた凜によって、腕を掴まれその場から離れる。

それは、本能ではない。

彼女はこれを、知っていた。

「…」

美嘉のカードから出る、どす黒い、オーラ。

「ライダーの暴走を止めるにはライダーの力。…さーて、生き残るのはどっちだかなぁ…」

「…そんな…!!」

「…アンタ、美嘉さんに何したの!!?」

「…4ご……ああ、違うな。城ヶ崎美嘉には、どうしても譲れない、愛するもんがいるらしいじゃねえか」

「…!!莉嘉ちゃん…!」

「調査済みだ。その声も、性格も」

「…!」

「城ヶ崎美嘉の頭の中に、妹の莉嘉の声を流したのさ」

「!!」

「…『他のライダーの力を持った奴を、殺せ』…ってな」

「…ライダー…」

「そうだ。…まあ、そうだな。お前らにも分かりやすく説明してやるよ」

「…」

「…仮面ライダーというヒーローが地球にはいてな」

「…仮面…ライダー…」

「人知れず戦うヒーロー様だ。俺達にとっちゃ害悪以外の何者でもないが。お前さん方にとっちゃ前者だ」

「…」

「そして俺達は実験としてまず9人のライダーの力を奪った」

「…?」

「…仮面ライダーブレイド。仮面ライダーギャレン。仮面ライダーレンゲル…そして」

「…」

「仮面ライダーカリス。この4人はお前らにあてがったわけだ。…どれがどいつかはお前さん方で決めろ」

「…じゃあ…まさか…」

「そうさ。あいつらは今、言うことを聞かねえ同士だ。手が焼けるぜ」

「…卯月!!美嘉さん!!駄目!!争ったらこいつらの思うつぼだよ!!」

「無駄だぜ。今のあいつらは誰の声も耳に入らねえ」

「…この…!!」

「俺とやるか?それは構わねえが実験結果を取ったらにしてくれよ」

「…!!変し……え…?」

「任意で変身出来るとはいえ、今のお前の体力じゃ変身は出来ねえよ。とどのつまり、今はこうして俺と一緒に見るしかねえってことだ」

「…そんな…」

「…!」

「始まるぜ。王様とお姫様の対決がよ」

「!」

「…」

「…」

最早別人と化した、卯月と美嘉。

相手を見下すように笑う卯月に対し、無表情を貫く美嘉。

黒く染まったハートのカード。

それを左手で持ち、空いた方の手を横に振る。

すると、弓状の鋭利な武器が出現し、それを握る。

「…」
『WILD』

それのスリット部分にカードを通す。

音声と共に、黒いオーラに包まれ、一瞬で姿を変えた。

「…」

「…美嘉姉…」

中から現れた、それ。

赤というよりは、紅。

そして、緑色の、瞳。

長く鋭い、金色の二本角を携えた強者の証のような兜。

美嘉、卯月。

二人の目が合う。

「…やめて…!もう…こんなのやだ…!!」

手を伸ばしても、最早届かない。

「卯月…!!美嘉さん…!!」

自分を助けてくれた二人に何も出来ない。してやれない苦しみがどれ程切なく、悲しいものか。

絶望の淵に立たされた未央と凜は、子供のように泣きじゃくるしかなかった。

「…大丈夫だよ…」

「…え…?」

「あ?…あ!?」

…だが。

突如、後ろから飛んでくる、無数の光弾。

それは卯月と美嘉の間に命中し、土煙を上げる。

「な、何…!?」

しかし、それだけではない。

何かが、自分の横を通った。

そんな事すらも気づけない程、視認出来ない程のスピード。

何が起きたのか理解する前に、「彼女」は二つの事を同時にこなした。

まず未央と凜を、安全な所に避難させる。

そして、両者の間に割って入り、二人を攻撃。

突如起きたイレギュラーに両者は目を見開く。

「…ッ…やっぱ一筋縄じゃいかないかなァ…!」

効いてはいるが、決定打ではない。

その証拠に、両者共々武器を握り締め、振るおうとしている。

「…残り3秒…!!」

だが、「今」の「彼女」には止まって見えるスピード。

ここは今、「彼女」だけの世界。

真っ直ぐ振るわれる両者の武器を、横から蹴り飛ばす事で逸らし、その場から離れる。

『3…2…1…』

「…!!……だけど…終わりじゃないよ!!」

『Time out』

「…ケホッ!ケホッ!」

「…けほっ…」

巻き上がった砂塵の中で起きたことなど知る由もない凜と未央は、咳払いをし、辺りを見渡す。

ガテゾーンもまた、あまりの速さについていけず、何が起きたのかを今から確認する。

しかし、彼にはこれが誰の仕業なのかが、分かる。

「…おいおい…!!別世界に飛ばした筈だぜ…!!」

「うるせーよこのハゲ頭!!…Check!!」
『EXCEED CHARGE』

「あ!?…ぐぉッッ!!?」

「ォォォォオオオオオオオラァァァァアアアアアアアア!!!!」

「ガ…ハッ…!!」

「……とォッ…。あー…相変わらず慣れねーなァ。この戦い方」

「…て、てめぇら…!!」

「これ以上好き勝手、やらせなんないからさ。アンタらに」

「!!…何で…ここに!!?」

「仲間守る為だよ。ライダーって、そういうもんなんだろ?」

「…!!」

「みんな、いーっしょ!だにぃ☆」

「おっまたー☆」

風が吹き、砂塵が晴れていく。

先程までの暗い闇が消え去るように、眩しい光が凜と未央の目に入る。

「…」

「…」

目を凝らす。

そして、驚愕する。

「…!」

「嘘…!」

卯月と美嘉を押さえる、三人。

そして、ガテゾーンに重い一撃を喰らわせた、一人。

「…嘘なんかじゃないよ」

そして、ようやく抱きかかえられていた事に気づく。

「…え…」

その顔は、忘れるわけがない。

忘れる事など、無い。

自分達の、仲間。

「…」

晴れやかな笑顔で、彼女はこちらを見つめる。

「…李衣菜…?」

「…うん」

「…李衣菜ちゃん…なの…?」

「…うん」

太陽が、昇っている。

そして、そこに現れた五人。

それは、神の仕業か。

はたまた、これも誰かの仕業か。

それは分からないが、一つだけ言えることがある。

「…まだ、戦える?」

「…」

「…」

「立って、戦える?」

「…うん」

「…出来るよ」

「じゃあ、行こうか。みんなで」

「…うん!」

ここからは、怒涛の反撃だ、と。

ここまで第一章ってことで

二章はまた新しくスレ建てします

訂正というかなんというか…
>>19
「お?なんだこのカード…」←×
「お?なんだこの紙…」←○
が正解です
英語無いとか言っといてこれだから…本当すいません

李衣菜「…ここどこ?」 - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/i/read/news4ssnip/1484142174/)
続きです

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