理樹「ねぇ、鈴」 (51)


リトルバスターズSS ある程度は書き溜めているので、随時更新していきます


※基本的にシリアス 人によっては気分を害するかもしれませんので、ご注意ください

※時系列は本編終了後数か月経過


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1480035315



パラパラとした雨は本格的に強くなり、もう冬に入ろうとしているのに雨続きの日々だった。



 理樹「ねぇ真人、就職先決めた?」

 真人「ふんッ、ふんッ!!……理樹、俺は気付いてしまったんだぜ。就職活動ってのは、つまり歩き回るって事だ」

 理樹「いや、別に歩き回らなくても電車とかバスとか」

 真人「やっぱり俺は筋肉の重要性にもう一度気付いたんだぜ!! さぁ理樹、俺と筋トレを」

 理樹「真人、巧妙に話を逸らせたぜとか思ってたらごめん、就活からは逃れられないんだ」

 真人「あぁ~ッ決まってねぇよぉ!! そういう理樹はどうなんだ!」

 理樹「もう大体決まっちゃったよ」

 真人「あ゛あ゛あ゛理樹が遠くに行っちまうううう」


僕たちはもう三年生も中盤。そろそろ、本格的に就職先の事を考えなきゃいけない時期だ。

真人はこんな調子で、謙吾も、鈴も、まだ決まってないらしい。恭介だけは、とある漫画雑誌社に就職して働き始めている。

リトルバスターズの面々はそれぞれ決まっている人も居るらしいけど……。


僕と鈴は、あの事故から一層絆を深めて恋愛関係は続いている。

不安に思う。このまま就職して、皆バラバラになってしまったら、会える時間も少なくなってしまうかもしれない。
 
僕は、強くなったから。だから、皆とたまにしか会う事が出来なくても、きっと、大丈夫。

そう自分に言い聞かせて日々を送っている。


 理樹「(……鈴に会おう)」

 真人「理樹、どっか行くのか?」

 理樹「ちょっと、鈴と話してくるよ」

 真人「お、さすがカップルは違うな!!」

 理樹「もう、からかわないでよ」


あいもかわらず筋トレを続ける真人の姿に、僕は安心感を覚えながら部屋を出る。

そして、携帯のメールを鈴に送った。






いつもの自販機で二人分の飲み物を買った後、僕は遅れてやってきた鈴に片方を渡す。


 鈴「どうしたんだ理樹、いきなり」

 理樹「ねぇ鈴。もしも、僕の仕事が忙しくなってさ。それで鈴や皆とも会う時間が減っていったら、どう思う?」

 鈴「それは……悲しい。でも、働かないと生きていけないんだ だから、仕方ない」

 理樹「仕方ない、か……」

 鈴「理樹、あたしはあんまり先の事とか分かってない。だから、あんまり理樹の力になれないかもしれない……」


ちりんと鈴の音を鳴らして小首を傾げながら、眉をハの字にして答えた鈴の表情はさっきよりも暗くなってしまった。

まずい、僕のせいだ。僕が、また、鈴を困らせるような事を口にしてしまった。

その時、僕の胸の内に沸き上がったドス黒い感情が、なぜか止められなかった。

頭では分かっていても、体がついていかない。

気付いた時には、飲みかけのジュースを放り捨てて僕は鈴の手首を握り、無意識に強く力を込めてしまった。

 
 理樹「……」

 鈴「いたっ、理樹っ、痛いぞっ」

 理樹「……」

 鈴「り、きっ」

 理樹「はっ」


ギリギリと鈴の手首を握りしめていた僕は、急いでその手を離す。


 鈴「理、樹? なにか、あったのか?」


薄く涙を目端に浮かばせながら、それでも僕の心配をしてくれる視線を向ける鈴を見て、

満たされていると感じた。こんなにも、彼女に信頼されているんだ。


 理樹「……鈴、手、ごめんね。僕は、大丈夫だよ」

 鈴「悩みがあったら、絶対言うんだぞ。あたしは、その、理樹の彼女なんだからな」

 理樹「……うん。ありがとう、鈴。」


大切な彼女。ただ、この時の僕には、くっきりと痕がついた鈴の手首を見てとても満たされた気持ちになっていた。



 理樹「鈴と話したら少し元気になれたよ。いきなり呼び出してごめんね、もう大丈夫だから」

 鈴「そーか…いや、あたしも理樹と話せてうれしかった。」


そうして、胸の内に秘めた暗い感情を隠す様にその場を立ち去った。


【屋上】

※鈴視点

 鈴「小毬ちゃん、ちょっとききたいことがあるんだ」

 小毬「ほぇ? なになに?」

 鈴「理樹が、最近何かとても悩んでいるんだ。あたしと話してても、どっか遠くを見てるみたいだ」

 小毬「理樹くんの悩み事かぁ……うーん、お仕事の事かな?」

 鈴「仕事、か。そういえば、さっき理樹がそんな事言ってた」

 小毬「もう三年生も終わりそうになってるから、皆進路の事で頭がいっぱいになってるみたいだね~」

 鈴「こまりちゃんもしゅうしょくかつどうするのか?」
 
 小毬「わたしは絵本作家になりたいから、皆とは少し違うと思うよ~」

 鈴「絵本作家……こまりちゃんなら絶対なれるだろうな」

 小毬「ありがと~! りんちゃんにそう言って貰えるとほんとになれちゃいそうだよ~! そうだ、理樹君も元気づけてあげよう」

 鈴「元気づける、か……よし、あたしが理樹をでーとに誘ってみよう」

 小毬「わぁ、それはナイスアイディアだよ~!」

 鈴「そ、そうか?」

 小毬「うん。理樹君も元気になってくれると思うよ~!」


こまりちゃんは、あたしの親友だ。お話するのも楽しいし、何より、こうして一緒に居るだけで安心する。

優しくて、悲しい時や辛いときは慰めてくれて……少しだけ、お母さんみたいな感じがする。

そして、お父さんは……ば、バカ兄貴? もしそうだったなら、く、くちゃくちゃやばい。いろいろとやばいな。





 


【男子寮】

※理樹視点


 理樹「……」

 謙吾「真人、理樹はずっとあんな調子なのか?」

 真人「あぁ、最近ずっと何か考え事してるみたいにベランダでぼーっとしてるぜ」

 謙吾「もしや、お前のそのプロテインだらけの光景が嫌になったんじゃないか?」

 真人「なっ、んだとぉー!? 新たなスーパープロテインを作るために箱買いしちまったのが原因かッ」

 謙吾「箱買いするのはいいが、とにかく積み上げ過ぎて、もはやジェンガが出来そうなレベルだぞ」

 真人「謙吾のくせに中々良い案じゃねぇか!! おい理樹、俺とこのプロテインズでジェンガしようぜ!!」

 理樹「……」

 謙吾「まぁ、今はそっとしておいてやれ。お前の筋肉革命(センセーション)、ランニングで付き合ってやろう」

 真人「理樹ぃ、俺の事嫌いになっちまったのかよぉ~!!」

 謙吾「我ながら、プロテインズジェンガは中々面白そうだな……」


わいわいと騒ぎながら部屋を後にした謙吾と真人を横目に。

ただただ、僕は自分の手に残った鈴を強く握りしめた時の感覚を反芻していた。

ギリギリと締まった鈴の細い手首にびっしりとついた僕の手の痕を見た時、安堵感と満足感を得た。

本来、感じてはいけない感情。誰かを傷付ける事が、誰かに傷を刻む事が、自分の充足へとつながる。
 
これが危うい思考だと、頭で分かってはいても、それでもその欲望は加速的に僕の身体を蝕んでいく。

あぁ、早く、鈴と会いたい。そうすれば、この不安や悩みも……


 謙吾「……」


その時、立ち去ろうとして扉の隙間から僕を見ていた謙吾の姿に、僕は気付く事が出来なかった。


【翌日】


 鈴「デートしよう、理樹」

 理樹「デート?」

 鈴「そうだ、最近の理樹はずっと部屋でぼーっとしてるだろ。だから、あたしと体を動かそう」

 理樹「体を動かすなら、皆で野球をした方が良くない?」

 鈴「と、とにかく、理樹は今からあたしとデートだ!!」


日曜日。僕から呼び出そうと思っていたら鈴からメールの呼び出しを受けて、お互い私服姿で校門の前で待ち合わせた。

鈴は少し上目遣いで心配そうな表情を僕に向けていて、僕は表ではニコニコとした笑みを浮かべながらも、その胸中は今目の前の鈴の腕の事で頭がいっぱいだ。

昨日締め付けてしまった場所は薄らと痕が残っており、心なしか鈴はそれを下着の袖を引っ張って隠そうとしている。

本来の僕ならきっと、『昨日はごめん、腕、痕残っちゃってるね』と頭を下げたところだ。

でも、今の僕は違った。


 理樹「……ねぇ、鈴」


デート行くと鈴が口にして数分、まずは映画館に行くらしい鈴と共にバス亭へと向かう最中、僕は不意に声をかけた。

 
 鈴「? どうした理樹」

 理樹「その腕……」

 鈴「あ、これか。きにするな、もう痕も薄くなって―――」


ぐっ、と、僕は無理やり鈴の右腕を引っ張って隠していた下着の袖を捲ると、もう一度同じ箇所を握りしめた。

ギリギリと音が聞こえてきそうなほど、昨日よりも強く握りしめる。

 鈴「理、樹ッ……いたっ、痛いっ!!」

 理樹「鈴――――なんで、痕を隠すの?」

 鈴「っ……り、き?」

自分でも驚く程底が冷え切った唸る様な声が出た。

小さく抵抗しようとしていた鈴はビクッと肩を震わせると、ギリギリと締め付けられる痛みに両目をぎゅっと瞑って耐えている。

更に強めていく僕の握力に、たまらず鈴は


 鈴「こ、まりちゃんにっ。心配、かけたく、ないからっ」


隠そうとした事に対する怒りは、その一言で少しなりをひそめた。そうか、"周囲にバレる"可能性があるのか。

それも考慮した上で……


 鈴「痛いっ、りき、りきっ!!」


もう限界の様子の鈴は、膝を地面についたままか細い涙声で必死に僕の名前を呼ぶ。

そんな鈴を見て、僕は自然とにやけていた表情のまま、ゆっくりと手を離す。





 鈴「理樹っ……なんで、痛いことするんだ。あたし、理樹を怒らせるような事したかっ…!」

 理樹「いいや、鈴は僕を怒らせるような事はしてないよ」

 鈴「じゃあっ」

 理樹「ねぇ、鈴」


バス停まではまだもう少しある。路地の曲がり角に鈴を引っ張った僕は、少し奥まった場所に無理やり連れて行き、壁に押し付けた。

こうして近くで見る鈴は、とても細くて、いつもの活発に野球をしている時の鈴とは全く違う。

掴んだ両肩も、小さすぎて指が少し食い込んでしまうほどだ。


 鈴「っ、り、き?」

 理樹「僕が満足できるんだ。鈴に、こうやって、痕をつけるとね」

 鈴「んむっ!?」


無理やり鈴の唇を奪うと、バタバタとそれまで大人しかった鈴は激しく抵抗し出した。

それを、僕は無理やりに両手で鈴の体を抑えたまま、下唇を薄く噛み裂いた。


 鈴「む゛ぅっ!?」


思わずうめき声をあげた鈴に構わず、そのまま血の混じった唾液の線を引くと、鈴の首元へ顔を動かす。

恐怖で体が動かない鈴のその白い首へと浅く噛み付き、少し血が滲む歯型が浮かび上がった。

 
 理樹「ぷはっ………はは、鈴、今僕は最高の気分だよ。鈴に、僕の"痕"を残す事で、僕の中にある不安や恐怖が全部消えていくんだ」

 鈴「づっ、はぁっ、はぁっ……り、き」


血が零れる唇を抑え、ズキズキと疼く首筋に鈴はその場に力なくへたり込んで理樹を見上げていた。

その様子は、まるであの……とある世界で経験した時の、心が壊れてしまった鈴を見ているようだった。

不安と恐怖に支配された揺れる瞳が、僕の中にある暗い感情を増幅させていく。

震える鈴に、しゃがみ込んだ僕の笑みはきっと、おかしくなっていた。

 
 理樹「鈴、鈴は僕の彼女だよね。だから、さ。―――――この傷も、愛してくれるよね」

 鈴「………」


震える鈴の肩を支え、血の滲む首筋に指先を触れる僕を、揺れていたはず瞳が真っ直ぐ見据えている。


 鈴「理樹、わかった。あたしは、きっと理樹のその不安も受け止めてみせる」


正直、目を見張るほど驚いた。あの世界で成長していたと言っても、鈴はいつもと変わらない鈴だと、心の中では思い込んでいた。

崩れそうだった瞳は、何かを決意したような強い眼差しへと変化していた。


 理樹「(……)」


そんな彼女の真摯な姿を、僕は嘲るように口元を歪ませた。

そうして、一先ず鈴と一緒に路地から出た僕は、近くのコンビニで絆創膏を買って鈴の傷を隠す事にした。

あまり隠してほしくはないけど、でも、"バレるよりは"マシだ。




※鈴視点


 鈴「(理樹の不安をどうにかできるのは、あたしだけだ)」


さっきと全く違う、いつもの理樹の表情に戻った。

一緒に映画館に行くバスの中で、あたしはずっと理樹の横顔を見てた。

……あたしに痕をつける事が、理樹にとって一番安心する事

それを聞いて、実際に傷をつけられて、とてもこわかった。

でも、あたしは理樹のやさしさも強さも知ってる。知ってるから、あたしは理樹を信じる。

きっと、またその不安や悩みに打ち勝ってくれる。


 理樹「どうしたの? 僕の顔に何かついてる?」

 鈴「い、いや、なんでもない ここで降りよう」


映画は、小毬ちゃんが教えてくれた最近流行りのあにめーしょん?らしい。

内容は、すごくよかった。難しいところもあったけど、でもすごく感動した。


 理樹「良かったね、映画。それにしても、鈴が僕を映画に誘ってくれるなんて珍しいね」

 鈴「面白かった。……こまりちゃんに相談したんだ」

 理樹「相談?」

 鈴「理樹が、最近ずっと暗い顔してたからだ。でも、デートしてみて、理樹の為にあたしが出来る事が分かった」

 理樹「鈴……」


理樹は少しだけ顔を下に向けながら、またぼーっとしていた。

あたしは理樹の肩を叩くと、

 
 鈴「理樹、あたしは理樹が悲しんでるのはいやだ。いつもみたいに、笑っててほしい」

 理樹「……ありがとう、鈴のおかげで僕は大丈夫だよ」


理樹の顔が少しだけ明るくなった。

それだけで、あたしの方までなんだか嬉しくなって、笑って見せた。



※理樹視点


鈴は、僕を元気づけようとしてデートに誘ってくれたらしい。

その心遣いはとても嬉しいし、鈴からこうして誘ってくれた事ははじめてだ。


 理樹「(……)」


でも、このデートは僕にとって欲望を止められなくなってしまう原因を作る事になる。


その後、レストランに行ったり、図書館に行ったり、ショッピングしたりして。

最後に公園で休憩する事になった時。

夕暮れ時の陽射しに目を細めながら、近付いてきた野良ネコの頭を撫でていた鈴の首元にそっと顔を近付ける。


 鈴「ひぅっ!」

 理樹「っ、むぅ」


突然、首元を吸われた鈴の肩が小さく震えたけど、僕は構わずそのまま強く柔らかい肌に痕が残る様に吸う。

数秒間強く吸われた肌に濃い赤色の痕が残る。


 鈴「いきなりされたらびっくりするだろっ」

 理樹「あはは、ごめん。でも我慢できなくて」


今回は、傷痕を残そうとまではいかなかった。既に首元にある痛々しい傷痕と、唇に貼られた絆創膏が少しだけある僕の良心に語り掛けた。

ハッキリと残ったそれを手で抑えながら、顔を赤くする鈴の姿に思わずドキリとしてしまう。


 鈴「知るかっ、もう、したくなった時はあたしにちゃんと言えっ」

 理樹「ごめんごめん」

 鈴「……よし。今日は帰るぞ理樹 もう暗くなってきた」

 理樹「そうだね」


そうして、久しぶりのデートは僕の不安の種を鈴が認識したことが一番の出来事だった。

帰路のバスで、眠りに落ちた鈴が僕の肩に頭を預けているのを見て、またその無防備な表情に手を出したいという欲が溢れそうになる。

それをなんとか抑え付けて、そっと鈴の頭を撫でる。


 鈴「ん……」

 理樹「(……僕は、守るべき人を、自分で壊してしまうのか)」


湧き上がる自己問答は、終わらない。その苦しみだけが、ガンガンと頭の中を叩き続ける。

僕は思わず眉を顰めながら、まどろみの中に落ちていく。





【翌日 教室】

※鈴視点


 鈴「……」ソワソワ

 小毬「あれぇ~、りんちゃん、そのマフラー可愛いね!でもなんで」

 鈴「ん、こまりちゃん。今日はちょっと、寒いからな」

 小毬「そうかなぁ? 今日はいつもよりちょっと温かい日だって聞いたよ~」

 鈴「ぎくっ」

 来ヶ谷「ふむ、そんなに分かりやすく隠し事をしていますよとアピールされてしまえば、お姉さんも気になるな」

 鈴「く、くるがやっ」


いつもの教室、こまりちゃんと話していると来ヶ谷が急に現れた

まずい、理樹のキス痕がばれてしまったら、色々と怪しまれてしまうかもしれない

 美魚「そもそも、室内でまでマフラーは少し変ではないでしょうか」

 鈴「ぎくぎく」

 唯子「フフ、隠し事にすらなってない鈴君は可愛いな……」

 クド「みなさんおはようございますなのです! あれ、鈴さん、風邪でも引いたのでしょうか?」

 小毬「クーちゃんおはよ~!うーん、鈴ちゃん、良かったら教えてくれないかな?」

 葉留佳「やーやー皆さん朝からお集まりで!」

 鈴「う、うう」

どんどんいつものメンバーが集まってきた。ひじょうにまずい。

 鈴「ごほっごほっ、きょうはかぜぎみだからあったかくしないとだめだ」

 美魚「嘘ですね」

 来ヶ谷「嘘だな」

 小毬「あ、あはは」

 クド「わふー!」

 葉留佳「嘘だね」

 鈴「う、ううううう」

 理樹「そのマフラーは昨日のデートで僕が買ったんだ」


と、来ヶ谷の手がマフラーに伸びた時、理樹が突然割って入ってあたしの前に立った。




おまえ、ずっと見てたのに遅すぎだろっ

 来ヶ谷「ほう……デートか。そういえば、君たち二人の関係性がどこまで進んだのか最近あまり観察していなかったな」

 理樹「いやいやいや、観察しないでよ……」

 葉留佳「なるほどなるほど、デートのプレゼントだから大切に室内でも巻いていると!」

 美魚「素敵だとは思いますが、やはり室内でマフラーは」

 小毬「ま、まぁまぁ~ りんちゃんあんまり言いたくないみたいだから、皆もあんまり問い詰めないであげよ~」

 クド「私もそっとしておいてあげた方が良いと思います!」

 理樹「風邪っぽいのは嘘だけど」

 鈴「お、おい!」

 理樹「鈴と久しぶりにデートして僕も楽しかったんだ」


そして、理樹は自分の鞄から持ち出したあたしがプレゼントした紺色のマフラーを取り出して首にまく。

赤と青一本ずつのマフラーには、同じような星の刺繍がはいってる。

……もしかして、今、凄く恥ずかしいじょーきょーじゃないか?

 来ヶ谷「ペアルック……だとッ……?」

 葉留佳「うぉぉぉっ、理樹くんも中々やりますねぇ!」

 理樹「あ、あはは。そういう訳だから」

 美魚「どういう訳でしょう……と突っ込みたいところですが、ここはお似合いですねと」

 小毬「(鈴ちゃん、ちゃんと買えて良かった~)」
 
 クド「わふ~! お似合いなのです!」

 理樹「ありがとう、クド」

 来ヶ谷「まぁ、これ以上の詮索は無粋だな(……ただし。冬場で乾燥した程度の唇の傷を、絆創膏を使ってまで治療している事については別だがな)」

 

ひとまず理樹のおかげでこの場は乗り切ることができた。

あれ、いや、そもそも理樹の秘密なんだからやっぱりもっと理樹が早く助けてくれるべきじゃなかったのか……

でも、もっと考えるのはめんどうだからやめよう。きっと理樹にも何か考えがあったんだろう。




【屋上】


 鈴「こまりちゃん、マフラー買えたぞ」

 小毬「うん、似合ってるよ~! 理樹君も嬉しいって言ってたから、良かったね~」

 鈴「これもこまりちゃんがデートの中身を色々考えてくれたからだ、ありがとう」

 小毬「いやいや~、デートって考え付いたのはりんちゃんだよ~。だから、りんちゃんがすごい!」

 鈴「えへへ」


こまりちゃんは、いつも通りの笑顔であたしの事を褒めてくれる。

本当に、こまりちゃんには感謝してばかりだ。あの世界での事も、最後の一歩を押してくれるのはいつもこまりちゃん。

あの時受け取ったかたわれの髪飾りは、今は両方結ばれている。それが、何よりうれしかった。


 鈴「……マフラーの下、本当は隠し事があるんだ」

 小毬「ほぇ?そうなの?」

 鈴「うん。でも、あたしと理樹の秘密だから……ごめん、こまりちゃんにも教えられない事なんだ」

 小毬「そうなんだぁ~。気にしないでりんちゃん、絶対この事は秘密にしておくね~!」

 鈴「このお菓子、美味い」

 小毬「これはフランスの変わったお菓子で~~~」


美味しいお菓子とこまりちゃんの笑顔が見られるこの屋上が、だいすきだ。

理樹も、ここにいたらな……


【数日後】

※理樹視点

あれから数日間、僕はこれまでの初々しさが嘘かの様に鈴にべったりだった。

部室の中でも、


 鈴「っ、ばっ、理樹、外に、みんながっ」

 理樹「声、抑えないとね」

 鈴「んむぅっ」


皆が偶然部室の外で備品の整備をしている時、僕は鈴を壁に抑え付けて強引に唇を奪う。

ぴちゃぴちゃと、鈴の羞恥をわざと煽る様に水音をたてながら、小さな舌に自分のを絡める。


 鈴「んっ、んんんっ!! む、んぅっ!?」


そして、それと同時に僕は鈴の制服の隙間からお腹に手を入れると、腰の背中側に爪を立てる。

薄皮が裂けていき、徐々にプツっと血が溢れてくる感覚が心地よい。

当の本人は、切り傷の痛みに少し涙を浮かべながらも、しかし舌を絡めているせいで上手く噛み締めて耐える事が出来ない。

 鈴「ん゛ッ、ぐ、うぁぁ゛っ」

可愛らしい唸り声を上げながらも、僕がまるで刻み付けるように鈴の腰を爪で一周させ終えると同時に、唇を解放する。


 鈴「はぁッ、はぁッ……けほっけほっ」

 理樹「鈴、可愛いよ……愛してる」

 鈴「……あたしもだ、理樹」


じんわりとブラウスに滲む腰の裂き傷に耐えながら、無理やり作った笑みで僕の抱擁を受け入れてくれる。

あぁ、鈴さえいればもう他の何もいらない。彼女に刻み付けることで、心の中の気持ちの悪さが全て消え去り、頭のもやもやが一気に晴れ渡っていく。

ぎゅうっと、苦しいだろう程に力を込めて細い体を抱きしめる。


 理樹「……」

 鈴「はっ……り、理樹ッ!! は、はなせっ」

 来ヶ谷「まさか、部室で熱い愛を語り合っているとは思わなんだ」

 クド「わ、わふ~……こ、これが、ラブ!なのですね!」

 謙吾「理樹、彼女に愛を囁くのは構わないが、流石に部室ではどうなんだ」

 真人「す、すげぇ、理樹と鈴、ここにきて本当に付き合ってやがる実感が湧いてきたぜ……」


が、気づかないうちに他のメンバーが備品の整理を終えて中に入ってきてたらしい。


 理樹「あ、ご、ごめん。」
 
 鈴「~~~~~ッ!!」

鈴の顔はトマトみたいに真っ赤だ

さっきまでのどこか物憂げな儚い表情は一辺して、ぷるぷると小刻みに震えて、

 鈴「ふかーッ!!」

 真人「どわはぁーッ!?」


なんとなく予想はしてたけど真人が壮絶なとばっちりキックで吹っ飛ばされていた


放課後も、


 鈴「ま、まて理樹、なんで教室でっ」


 理樹「静かにして」

日直の当番という口実で鈴と一緒に放課後の教室で黒板の整理を終えると、僕はすぐさま鈴を抱き寄せる。

ぐっと背中を引きつける様に強く抱きしめると、あまりの強さに鈴の身体が微かに軋む。


 鈴「ぁ、かふっ……う、うぅっ」


苦しそうにうめき声をあげる鈴は、少しだけ抵抗するように僕の肩を押しやってくる。

それでも、きっと僕の為に呼吸が苦しくても体が痛くても耐えてくれている。

そんな献身的な姿を見て、僕は更に高揚する。


 鈴「っ、あ、ぐっ」


悲鳴が嗚咽に変わり、いよいよ限界といったところで力を抜く。

鈴の首元に埋めていた顔を上げる。

鈴は顔を真っ赤にしながら、胸に手を当ててなんとか呼吸を整えようと呼吸している。

……そんな鈴の様子に、僕は一度制服の背中をまくり上げた。


 鈴「い、きなりまくるなっ」

 理樹「綺麗に線が出来てるね」


腰を一周するように、薄く治りかけている赤いラインが伸びている。

昨日つけたそのラインを、僕はもう一度ガリガリと同じ場所を裂いていく。


 鈴「やっ……」

 理樹「もっと、深く痕をつけないと」

 鈴「っ……」


そうして、かさぶたが出来ていた箇所からまた血が溢れていき、じわりと鈴のシャツに赤い染みが出来ていく。

少し粘ついた血が両手にまとわりつき、鈴の傷から手を離す。

 鈴「ふーっ、ふーっ…」
 
手元を離れた鈴は、血の溢れるお腹を抱えるようにしてその場に崩れ落ちる。

相当な痛みだろう、でも、僕はその様子を見て、抑えきれない嬉しさから口元が歪んだ。




二人きりの密会で、


 鈴「う……なんだ理樹、こんな夜中に」

 理樹「鈴、ちょっと袖を捲ってくれない?」


こっそり抜け出した、昼間は来ヶ谷さんが座っている小さな庭園に僕は鈴を呼び出した。

そして、数日前に強く握りしめて残った右腕の痕を確認しようと手を伸ばす。

 鈴「ひっ」

すると、鈴は僕が手を伸ばそうとしたのを見て小さく悲鳴を上げて、怯えながらも歯を噛み締めながらおずおずとそれを受け入れた。

いくら彼女自身の意志が強くなっても、体の痛みには耐える事は難しい。

何故なら、僕の虐待ともいえる激しい暴力は日に日にエスカレートしているからだ。

不意に僕は鈴を抱き寄せる。


 鈴「ふにゃっ!! いきなりなにすんだっ」

 理樹「鈴……僕は鈴さえいれば、それでいい。鈴だけが、僕の全てだよ」

 鈴「い、いきなり恥ずい事言うなっ……今の理樹はちょっと怖いけど、でも、あたしも理樹がいればうれしい。」

 理樹「ありがとう鈴……だから、僕は」


僕は。

鈴の首を。


 鈴「う、ぁっ……り、き……」


頸動脈を締める、意識を奪う目的の物ではなく、気道を締めるやり方。

両手で鈴の細い首を掴み、ギリギリと締め上げながらも、僕は苦しそうな表情のまま必死にもがく鈴を見ていた。

胸の内で渦巻く感情の全てが両手に込められるように、鈴は顔を真っ赤にしながら僕の腕を掴む。


 鈴「っ、きっ……ど、し、てっ……」


困惑と、救いを求めるような瞳。

吸い込まれそうな濡れた瞳は僕に助けを求め、数秒だったとはいえ果てしなく長く感じられたその時間は、僕が手を離す事で終わった。

 鈴「げほっ!! げほっげほっ―――――」

ちりん、と髪飾りについたすずが、頭を揺らす鈴と一緒に何度も鳴り響く。

それはまるで警鐘の様に響き、真夜中の草葉の揺れる音の中に消えていく。



 鈴「り、き……理樹」

 理樹「どうしたの、鈴。僕はここにいるよ」

 鈴「理樹が、おかしくなったのは……"あの世界を抜け出したせい"なのか?」

 理樹「……違うよ。僕は……」


僕は、違う。

違う。

あの世界に居る事が、心地よかった? 僕の本当の気持ちは、僕の"答え"は、




     『この世界には秘密がある』




あの回り続ける世界の方が―――――――

 鈴「『逃げるのか』?生きる事から……あたしと一緒に生きていく事から!!」

それまで怯えたような様子だった鈴は、またあの腕を掴んだ時の様にこちらを見ている。

強い意志の宿った瞳で。


 理樹「ッ――――――うあぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


衝動的に叫び声をあげてしまった僕は、まるで癇癪を起こした子供の様に鈴の首をまた掴み上げた。

容赦なく力に訴えかけ、わけもわからないままに髪を振り乱した僕の視界の端に映った鈴は、

大粒の涙を讃えていた。


そんな数日間が過ぎていく。

あの夜、僕は鈴の言葉を聞いてこの世界から目をそむけてしまった。

背けたまま、鈴に……


 『僕は……』



意識を失った鈴をそのままあの場に置いてしまったのはマズイと思ったけど、どうにか自分で寮に戻ってくれたらしい。

昨日の晩、何かから逃げるように自分の部屋に戻った僕はそのまま眠りについた。

そして次の日、まるでこれまでかかっていた頭のもやが取り払われたような気分で目を覚ました。

……なんだったんだろうか。昨日までのあの異常なまでの暗い感情は。


そうして、僕がまず朝起きたら最初に出会う人物にこう声をかける。


 理樹「真人?」


少し待って、それから上のベッドを除くと真人の姿は既になかった。

それどころか、制服すらも無かった。つまり、真人はもう先に食堂に行っているのだろうか。

ここで考えても仕方がないので、僕は手早く着替えを済ませて男子寮を後にする。


そして、食堂に入った途端目に入った光景に僕は目を疑った。

食堂に居た全生徒が僕の顔を見た途端、露骨に悪意を乗せた目を向けて来た。

それはまだいい。いつも集まっていたはずのリトルバスターズの面々が遠く離れた場所でそれぞれ、まるで隠れる様に食事をとっていた。

僕が適当な席に座ると、そこでもう一つの違和感に気付く。

真人、鈴、謙吾のいつもの三人がどこにもいない。

先に食べ終わったのかな、そんな風に考えていたところに、不意に静かに僕の肩を叩いた人が居た。


 理樹「……小毬さん?」

 小毬「理樹君、ちょっとお話したい事があるの」


彼女とは思えない程真剣な声音と顔つきに、僕は頷くしかなかった。


【元野球部部室】


場所は変わって食堂からいつもの部室へ。

部室の前で、一度立ち止まった小毬さんは、涙を堪えるようにぐっと唇を噛んでいた。

 小毬「……理樹君。私は、きっと、信じてる。」

 理樹「……?」

意味深な言葉と共に、開け放たれた部室の中に。


右腕を吊り、左足にギプスを嵌めた謙吾の姿と……………左目を額から包帯で隠れる様に巻かれ、腕や脚に血の滲む包帯を巻いた鈴の姿があった。

謙吾の方は涼しげな顔で静かに俯いていたが、鈴の方はあまりにも痛々しかった。

まるでさっきつけられたかのような生傷は、見えている箇所の至る所に切り傷として見えている。

極めつけは、まるでわざとらしく見せつけるかのように――――――首にびっしりとついた、赤黒い締め付けられたような跡が。


 理樹「どう、したの……なに、これ!?」

 謙吾「……理樹、落ち着いて聞いてくれ。俺はこの通り、眠りについていた時の不意打ちで腕と脚をやられてしまった。しかし、まだこれはマシだ。」

 謙吾「真人は………クソッ」

 小毬「真人君は、意識不明の重体で病院に運ばれたの……ッ」

 理樹「な、ん……なんで、誰がこんなこと!?」

 謙吾「……それが、まだ何も分かっていない。ただ、一つ言えるのは、犯人は"一晩"で俺達三人をここまでのしたという事だ。」

 
真人が、あの真人が、そんな……?

耳を疑うような言葉の数々に僕は言葉を失いながらも、鈴に駆け寄って必死に抱き寄せる小毬さんの方をみやる。

そして、"守ると誓ったはずの"鈴にゆっくり歩み寄ろうと、

 鈴「ひっ……くる、な。くるなぁぁぁああっ!!」

 小毬「鈴ちゃんっ、だいじょうぶ、だいじょうぶだよ…おちついて」

 鈴「や、嫌だっ……嫌だっいやだいやだいやだっ」

 理樹「……これ、は」


"あの時"と同じだ。 僕は、きっと今、"僕だけが"知っている失ってしまった鈴をまた見ている。

謙吾が鈴の傷に触れなかったのも、"この鈴"だから、だったんだろう。


 小毬「理樹君、ごめんねっ……謙吾君と、少し部室の外におねがい」


ガタガタと全身を震わせて頭を抱える鈴の痛々しい姿を、呆然とした風体で見ていた僕は、松葉杖を突いて立ち上がった謙吾に手を引かれて部室の外へと出る。

小毬さんは、怯える鈴を前に、大粒の涙を一筋零していた。







そうして、僕はまるで全身の力が抜けたような感覚のままぼーっと一点を見つめていると、謙吾が不意に肩に手を置いてきた。


 謙吾「……理樹。俺は、この事件を、絶対に犯人を特定するまで諦めるわけにはいかない。俺の大切な……大切な親友を、家族同然の親友をここまで叩きのめした卑劣な人間を。」


その時の謙吾の顔は、僕が一緒に過ごしてきた中で最も恐ろしい表情をしていた。

それもあってか、僕の意識は明瞭になり、一つ大きく頷いた上で謙吾に聞く。

 理樹「……謙吾、言いづらいかもしれないけど、当時の状況を少し詳しく話せる?」

 謙吾「あぁ。話せる事は、理樹に話そう」




【昨晩の出来事】

※謙吾視点


 謙吾「……っ、悲鳴?」


夜も更け切ったかという時間。俺は誰かの悲鳴が聞こえた気がして、ベッドから飛び起きた。

この時間帯……校内に不審者でも入ったのか? 初めは、そう思っていた。

だが、寝間着から道着に素早く着替え竹刀を手に部屋の外を出た時、既にその何者かは理樹と真人の部屋の前からこちらに背を向けて走っていた。

 
 謙吾「理樹、真人ッ!!」


大声で友の名前を叫びながら、俺は理樹と真人の部屋を開けた。


そこに広がっていた悲惨な光景に、俺は言葉を失った。

全身を刃物のようなもので切り裂かれた真人が、まるで庇う様に理樹を抱えて倒れていたからだ。

俺は急いで真人を介抱しようと抱え上げかけたが、


 真人「っ、謙吾……俺のこたぁいい、理樹を、ベッドに戻してやってくれ」

 謙吾「お前、その傷で喋るな!!」

 真人「へ、へへ……ドジっちまったぜ、俺は、もう充分こいつを、守り切れるようになったと、」

 謙吾「いい、もう喋るなッ! いま救急車を呼ぶからな!!」

 真人「理樹を、任せ……た……」


そうして意識を失った真人を見た俺は、一先ず理樹をベッドへと戻し、廊下に備え付けてある公衆電話から緊急ダイヤルを送った。

救急車輌が届くまでの間、しかしその悲鳴が女子生徒のモノだったことを思い出し、とにもかくにも中庭の方へと向かう。

俺は、恭介が居なくなった今、真人や理樹、鈴やリトルバスターズの皆を必ず守ると心に決めていた。

何故なら、俺が生きて来た意味を"肯定"させる決意をくれたのが、こいつらだったからだ。

こいつら無しの人生など、想像も出来ない。




そうして中庭に飛び出して行った俺が最初に見たのは、額から血を流しながら全身を寝間着ごと刃物で裂かれた鈴が倒れている姿だった。


 謙吾「ッ鈴!! クソっ、クソぉ!!」


血の海に沈んだ鈴を抱え上げながらも、俺は惨禍の主を暗闇の中見つけようと目を凝らした。

研ぎ澄まされた神経は、おそらくどこから襲い掛かってきても対応する事が出来ただろう。

しかし、その時、俺は背後から頭を殴りつけられて意識が消え―――――――


【元野球部部室】

 
 理樹「……そんな事が」

 謙吾「理樹、今日から俺達リトルバスターズは全員この部室で出来る限り集まって泊まる。隣の物置き部屋は、今日中に掃除してなんとか鈴を癒せる部屋を作る。」

 理樹「……謙吾、僕も必ず犯人を捕まえるよ。鈴を、真人をこんな目に遭わせた真犯人を!!」

 謙吾「理樹、少し声のボリュームを落とした方がいい」


部室の中からは、今も鈴の震える音と小毬さんのたしなめる声が聞こえる。

僕達リトルバスターズはこの日から、見えない襲撃者と戦う事になった。




 



 理樹「……一体、誰が」


あれから謙吾と一緒に物置部屋をある程度掃除(といっても謙吾にはあまり動かない様にしてもらったけど)をしてから、中庭に来ていた。

今日は昨日に続いて日曜日の休日。考える時間はたっぷりとあるけど、一向に犯人の同気手掛かりはつかめていない。

第一、手掛かりをつかんだとしても、仮に僕がその人物と対峙する事になった時、本当に捕まえる事は出来るのか?

真人や謙吾ですら手に負えないような相手が、僕にどうにかできるのか。

結論は、たぶん無理だ。

 
 理樹「(鈴……)」


弱気になりそうな時、痛々しい傷痕の数々に、"あの世界"の様に心が壊れてしまった彼女を思い浮かべる。

あまりの衝撃にしっかりと見る事は出来なかったけど、それでも、僕の心を奮わせるには充分だった。


 来ヶ谷「少年、あまり思いつめるな」

 理樹「うわぁっ! く、来ヶ谷さん、居たんだ」

 
不意に後ろから声を掛けられて、驚いて振り返るとそこには腕組みしたまま少し微笑んだ来ヶ谷さんが立っていた。

さっき、食堂で来ヶ谷さんだけが居なかった。



 来ヶ谷「一通り周辺を探ってみたが、これといった手がかりは見つからなかった。」

 理樹「僕の方も、まるで分からないよ……なんで、なんでこんなこと」

 来ヶ谷「金品目的という訳でもないらしいからな。ならば、"傷付ける事"自体が犯人の目的だという可能性が高い。」

 理樹「……鈴の様子は、見た?」

 来ヶ谷「あぁ。……鈴君は、もはや小毬君以外の言葉には一切反応しない。小毬君もそれを理解した上で、つきっきりで介抱している。」

 来ヶ谷「とはいえ、傷の状態が芳しくない。今は応急処置だけで済んでいるが、一度総合病院へ出向いた方がいいだろう。」

 
そう話している時の来ヶ谷さんの視線はずっと中庭の方に向いていた。

歯を噛み締め、必死に込み上げる怒りをこらえている。

それほどに、来ヶ谷さんにもリトルバスターズへの思い入れは強い。

僕はその姿を見て改めて決意を固めた。


 来ヶ谷「恭介氏に連絡を取った。今日の夜には部室に来て明日まで対策を講じるそうだ」

 理樹「恭介、来てくれるんだ」


普段は仕事で忙しそうにしていたけど、緊急事態という事もあって無理やり休みを作って来るらしい。

恭介………鈴を見たら。

僕が必ず犯人を見つけ出さなければならない。

そんな風に険しい表情を浮かべた僕に、来ヶ谷さんは無理に笑ってみせて、

 
 来ヶ谷「理樹君。私や葉留佳君はこれから更に探れる場所を足を使って探そうと思う。君は、"仮に今夜また誰かを襲いに来てしまったら"ということを仮定して具体的な対策を考えてくれ」

 理樹「……分かった。ありがとう、来ヶ谷さん。」

 来ヶ谷「親友の為になら、私はきっと鬼にでもなれるだろう」


最後に僕の肩を叩いて去って行く来ヶ谷さんの後ろ姿を見送り、僕はもう一度部室へと戻った。
 



【物置部屋】


 理樹「西園さん、いきなり呼び出してごめんね」

 美魚「直枝さん、わたしで良ければお力添えします」


部室に戻る途中、僕は西園さんにメールを送った。

そうして部室に来てもらった西園さんに、僕は一つ頷くと


 理樹「西園さんの視点から、今回の事件の犯人の手口を推測してほしいんだ」

 美魚「手口……犯行自体の推測ですか」

 理樹「うん。西園さんは、ミステリーやサスペンスを良く読んでたみたいだから何かわかるかなと思って」

 美魚「私なりの解釈で行かせてもらうと、犯人の凶器はカッターナイフで殆ど確定です。井ノ原さんの傷跡はでたらめにひっかいた様な切り傷だったそうで。」

 美魚「その……言いづらいのですが、鈴さんも、同じような状態でした。恐らく、使い慣れていない凶器をとにかく振り回したと言った様子でしょう」

 理樹「つまり、犯人はおおよそナイフを振り回したりすることに慣れてはいない……」

 美魚「それに、あの時間帯は皆さん寝静まっているとはいえ、部外者が立ち入れば警報が鳴るシステムがありますし、風紀委員の方々も数人ですが巡回していたりします。」

 美魚「ハメを外し過ぎて夜中まで遊んでいる生徒も、中々絶えないそうですので」

 理樹「西園さんの推測だと、犯人の凶器はカッターナイフ、それもこの学校の生徒の可能性が高い」

 美魚「はい。そして、犯人本人には井ノ原さんや宮沢さんを直接手負いにしてしまえるような力はおそらくありません。」

 理樹「……それなら、僕にも」

 美魚「……直枝さん」


不意に、西園さんがそれまで俯きがちだった表情を見せて、僕の手を両手で包んだ。

その眼は、赤く腫れている。


 美魚「何としても、犯人を捕まえてください。……そうでなければ、お三方に襲い掛かった理不尽を、わたしは納得することができません」

 美魚「直枝さんが言ってくれた善意を信じる心を、わたしは、忘れてしまう程の怒りと虚しさを覚えてしまいました。」

 美魚「何度もお伝えしますが、協力出来る事があれば尽力しますから。どうか、お願いします」


来ヶ谷さんと同じく、西園さんもまたリトルバスターズを大切にしている。だからこそ、こうして普段見せないような鬼気迫った表情を浮かべている。

ぐっと包まれた手に力を込めながら、僕はまた一つ決意した。



物置部屋を一度出て、外の空気を大きく吸う。

葉留佳さんと来ヶ谷さんは情報収集を足で、西園さんは物置部屋で学校の掲示板などを使って情報を集めている。

恭介は夜に、謙吾は一度自室で休んでるし……となれば、まだ場所が分からない人物が一人居る。

クドだ。


 理樹「……そう、か。」


届いたメールの返事に、クドは今、宇宙飛行士になるための準備段階としてデヴアの学校に海外留学という事で一か月間帰ってこれないという事だった。

なぜ、僕はこんな大事な事を忘れていたんだろうか……しかし、これで一先ずある程度皆の足取りは分かった。

僕が今出来る事、来ヶ谷さんに任された今夜来るかもしれない襲撃者に対する具体的な対策をやろう。


僕は一先ず小毬さんにメールを送る。

 
 理樹『一度、鈴と話をしてもいいかな』


数分も待たずして、メールが返ってくる。


 小毬『本当は、ダメなんだろうけど……でも、理樹君なら大丈夫だと思うよ』

 理樹『出来るだけ刺激しないように気を付けるね』

 小毬『うん。りんちゃんにも、先に伝えておくから』


数分待った後、部室から小毬さんが顔だけ出してきた。


 小毬「理樹君、入っても大丈夫だよ」

 理樹「うん」


いつも出入りしていた筈の扉はとてつもなく重たいものに見えてくる。

ゆっくりとノブを掴んで押し開けると、其処にはベンチに毛布などを引いた即席のソファに膝に顔を埋めて体育座りをした鈴が居た。



理樹「……鈴」


出来る限り、声音を優しくしようと努力はした。

それでも、僕の声を聞いただけで鈴は大きく肩を震わせて、それまで落ち着いていた姿からまたおびえた様子だった。

血の滲んでいた包帯が綺麗になっているのを見ると、小毬さんが巻き直してくれたんだろう。


 理樹「これは僕の独り言なんだ。だから、無理して返事しなくていい」

 鈴「……」

 理樹「僕は、鈴が怖い思いをしてる時、呑気に眠ってた。鈴を守ると、僕は恭介に鈴を任されたのに何も出来なかった。」

 鈴「……」

 理樹「……でも、僕の強さが足りなかったとしても、鈴の強さだけは僕は知ってる。鈴は、絶対に諦めずに向き合って戦ってくれる事を。」

 理樹「だから僕は鈴の強さを信じてるよ。今はゆっくり休んでね……またいつもの鈴が戻った時の為に、今度は僕が強くなる」

 
それだけを言い残して、僕は小毬さんに目配せして部室を後にする。

僕がやるべきことはきっと、抱きしめて慰める事じゃない。

現状を変える努力をしよう。

【物置部屋】


 理樹「……よし」


あれから数時間かけて、僕は物置部屋の整理を終わらせた。整理だけでなく、出来る限り窓と扉近くからすぐ外を見渡せるように死角を減らした。

そういった考えが出来たのも、僕だけでなくとある人物の協力があってのことだった。


 佳奈多「今回の事、私達風紀委員の気の緩みが招いた責任もあったわね。ごめんなさい、こんな簡単な対策しか協力できなくて」

 理樹「二木さん達が謝る事は無いよ。学園内とはいっても、あんなに夜遅くじゃ気付けるものも気付ききれない」

 佳奈多「そう言ってもらえると、少しは気が楽ね。……棗さんは、きっと大丈夫よね」

 理樹「大丈夫……って、今は僕は信じてるよ。」

 佳奈多「直枝がそう言うなら、心配はなさそうね。今夜から風紀委員も見回りを強化するわ」

 理樹「ありがとう。僕は今夜は物置部屋で鈴と小毬さんと泊まるよ」

 佳奈多「例外的にそれも私の方から、"夜間活動届"を出しておくわね」


そうして、リトルバスターズ以外の人の力も借りながら、夜を迎える。

少しずつ、何時ものメンバーが各々部室で過ごす為の私物を持って集まる中、ワイシャツ姿で歩いてくる人物が居た。

それはもう半年以上も顔を見ていなかった、大親友。


 理樹「恭介!!」

 恭介「久しぶりだな、理樹。……今回の事、色々聞かせてほしい。」

 理樹「もちろんだよ」


久しぶりにあった恭介は、なんだか疲れている様子だったけど、それでもあの時の、僕たちのリーダーだった頃の恭介のままだ。

それを頼もしく思いながら、経緯を全て話し終える。


 恭介「真人や謙吾だけでも対処できない脅威、か」

 理樹「多分、犯人はこの学校の事を凄く知ってる人物だと思うんだ」

 恭介「容疑者は、学校内の人間かもしれないのか?」

 理樹「うん、犯行は完全に風紀委員の死角や不審者対策の防犯カメラの場所まで把握した上で行ってる。そして実際に真人と謙吾に不意打ちで襲い掛かった」

 恭介「……なるほどな。それは学校内の人間が犯人の可能性はかなり高いな」

 理樹「それと、今はリトルバスターズメンバーと一部の人以外、昨日の事を知ってる人はいないんだ」

 恭介「警察には伝えていない、という事か」

 理樹「この時期に警察沙汰にしたら、何人の人に迷惑がかかるか分からないから……」

 恭介「本来ならば、きちんと警察に捜査してもらった方が良いんだろう。だが、大事にしていないならば逆に好都合な事もある」

 理樹「好都合?」

 恭介「犯人も、大っぴらにしていないからこそ、また犯行に及ぼうと行動してくるかもしれない。あまり大々的に警察沙汰にすると、雲隠れされるかもしれないからな」

 
やっぱり、恭介は頼りがいがある。

僕ならばきっと、犯人がもう一度犯行を起こしやすい状況を作って捕まえるなど、尻込みして考え付いたとしても実行できないだろう。

リトルバスターズは暫くの間僕がリーダーとしてやってきたけど、でも、やっぱり僕には難しすぎたんだ。


 理樹「……」

 恭介「じゃあ、俺は鈴と話をしてくる。理樹、他のメンバーの事は任せたぞ」


鈴は既に小毬さんと物置部屋に移動したらしく、恭介もそっちの部屋に入って行った。

僕はその隣……さっきまで鈴たちが居た部室の方へと入る。

中には、さっきまで休んでいた謙吾が隅の方にあるパイプ椅子に座っている。

ただ、もう一人、外で情報を集めていた葉留佳さんが、やはり沈んだ面持ちで机の端にぼんやりと座っていた。

 
 理樹「……葉留佳さん」

 葉留佳「あ、理樹くん……」

 理樹「何か、分かったことはあった?」

 葉留佳「ごめんね、何も分からなかった」

 理樹「葉留佳さんが謝る事じゃないよ。今回の事は、僕自身の責任が大きいんだ」


来ヶ谷さんの方もこれといって足取りが掴めている訳ではないらしい。

でも、だからといって彼女達を責めるような事は出来ない。


 葉留佳「……それでも、私悔しいよ。鈴ちゃんがあんな事になって、真人くんと謙吾くんまで、こんなっ……」

 理樹「それは僕も同じ気持ちだ。だからこそ、僕は犯人を絶対に捕まえてみせるよ」

 葉留佳「理樹君……うん、私信じてるよ。」

 葉留佳「理樹君が、越えてくれること」


そう、僕は必ず。

この事件もまた、越えなければならない。

もう二度と、あの時の惨劇を繰り返さないためにも。





そうして葉留佳さんと会話を終えると、他のメンバーたちが部室に集合した。

ここにいないのは入院してる真人と、海外に留学しているクド、そして隣室の鈴と小毬さん。

それ以外は集まったメンバーを確認してから、僕は部室の外へと出た。

そして、物置部屋から出て来た恭介に、


 理樹「どうだった?」

 恭介「なんとか話しかけてみたが、ダメだ。鈴のショックは、あまりにも激しい。」

 理樹「そう……」

 恭介「心配するな、理樹。鈴もお前も強くなった。だからこそ、俺は安心して学校を去る事が出来たんだ」

 理樹「……違うよ恭介、僕は強くなんてない。だからこうして鈴を守る事も……」

 恭介「この事件は誰にも予測できなかったし、鈴や真人や謙吾が傷付いたのもこの世界の"理不尽"のせいだった」

 理樹「……理不尽」

 恭介「あの世界の様に、俺が全てを支配出来ていない世界は、こんなにも残酷だ。」

 恭介「残酷で、何が起こるか分からない、全てが闇に閉ざされたような世界……」


紺色のジャケットを羽織った恭介の横顔は、どこか、物悲しげな表情をしていた。

僕はそんな彼の姿を見て、あの閉ざされた世界の事を思い浮かべる。

どこまでも繰り返される暗闇の世界………でも、ソレを終わらせたのはまごうことなく僕と鈴だ。


 理樹「でも、きっとこの世界には真っ暗な闇だけじゃない……そうだよね、恭介」

 恭介「……あぁ、そうだ。闇があるところに必ずそれを照らす光はある。理樹、きっとお前なら誰かにとっての強い光になれるはずだ」

 理樹「……ありがとう、恭介。恭介が居たから、僕は挫けないでこの事件にも立ち向かえるよ」

 恭介「何度迷っても、挫けてもいい。ただ、絶対に諦めるな。お前が諦めそうになった時、頼るべき仲間はこうしているんだ」


頼もしい彼の背中を、僕はまた見つめていた。


それから、僕は物置部屋に入る。

小毬さんに一言断ってから、僕は出来るだけ鈴を刺激しない様に気を付けて扉に背を預けて座り込む。

今日は寝ずの番になるだろう。


そうして一時間は経った時、僕は強烈な眠りと共に意識を失った。

何故、これは、もう、僕が克服した、弱さの――――――――





 理樹「…………なん、で」


目覚めた時に、最初に見たのは、赤い色。

扉の前に座り込んだままの僕の手を赤黒く汚して、地面に倒れ込んでいるのは、小毬さん。

ぐちゃ、という水音と共に、白いセーターを赤く濡らす彼女の首元には、引き裂かれたような………


 理樹「僕、は……あ、あぁぁぁぁぁぁ!!」

 鈴「理、樹」


ショッキングな光景を目の前に、頭を抱えていた僕へ、鈴が声を掛ける。

さっきまで部屋の隅に蹲っていた筈の鈴が、僕の目の前に立っている。

震える肩を必死に抑えて、静かに顔を上げると、


 理樹「……あ、え?」

 鈴「理樹、今度は、"誰に見えたんだ"」

 理樹「な、にを言ってるんだ鈴!!」


僕は自分の脚に鞭を打って立ち上がると、表情の見えない鈴の横をすり抜ける。

隣の部室の扉を殆ど蹴破る様に押し開くと、


 理樹「……なッ」


其処には、昨日まで集まっていた筈の皆はいなくなり、私物で溢れていたはずのリトルバスターズの部室は。

スポーツバッグやバットが転がっている様な、"野球部"の部室の様相を呈していた。


 理樹「なんだよ、これ……」


信じられない光景に僕は軽く眩暈がして倒れ込みそうになるが、必死に自分の頬を殴りつけて走り出す。

向かう先は、僕と真人が何時も過ごしていた部屋。

でも、


 理樹「………」


部屋前の表札には、誰かも知らない人の名前が二つある。

僕は、今立っているこの場所が、見慣れた風景全てが唐突に恐ろしいモノだと感じ始めていた。


自分の部屋の前で立ち尽くしているままだった僕は、ふと振り返って廊下にある小さな鏡がついた洗面台へと向き直る。

一瞬、ちらりと見えていた違和感は、そこに映し出される―――――病院服の様なものを着て、目元に深い隈を作った自分の姿。

どういう事だろう。さっきまで、僕は確かに制服を着ていたはずだ。

三年生も中盤。僕達は、就職活動や進学を前に、忙しない日々を、


 理樹「………これが、僕の、世界?」


恭介は、閉ざされた世界ではない現実には予測もつかない闇が広がっていると言った。

まさか、まさか……薄らと浮き出て来た真実から逃げるように、僕はまたその場を走り去った。

次に向かったのは、屋上。

途中、授業が行われていた為に色んな生徒が僕に視線を向けて来たのも無視して、何故かその場に落ちていた小さなドライバーで窓枠を外す。

飛び出るようにして入った屋上は、あの頃と変わらない。


 理樹「……沙耶」

 沙耶「理樹くん、久しぶりね」


そう、ただ一つの違和感だけを除いて。


 理樹「沙耶、僕は」

 沙耶「……奇跡なんてものは、この世界に望むには無謀過ぎること」

 理樹「っ、やっぱり、ここは」

 沙耶「ここは、貴方の求めた理想郷"だった"場所。でも、あたしはあなたに伝える事があったから此処にいるの」

 沙耶「理樹くん、あたしはずっと、あれから"もし君に幼い頃出会えていたら"って世界で生きてる。でも、それはきっと生きてるとは言えない」


何を、言っているんだろう。

いきなり現れて、あの時、確かに命を落としてしまった彼女は、生きている?


 沙耶「"マヤカシ"の奇跡なんていらない。あたしが今ここに居る事自体が、あり得ない事だと自覚してしまった」

 理樹「沙耶は、こうして、生きてるじゃないか」

 沙耶「いいえ、"現実"のあたしはとっくの昔にこの世にはいない。ここが、偽りと矛盾に満ちた世界だから生きていたように見えてるだけ」

 沙耶「今のあなたは、現実から必死に逃れたくて目を背けている。」

 理樹「っ……」

 沙耶「逃げ続けるのも、一つの選択かもしれないわ」


あの時のまま、制服姿の沙耶はスカートの端をひらりと摘み上げる。

其処には、つけていた筈のガンホルダーが無かった。


 沙耶「あたしは気付いたの。この幸せな世界が、全部偽者だってこと。……確かに、この世界の理樹君と小さいころから過ごしてきて、幸せだった。」

 理樹「この、世界?」

 沙耶「リトルバスターズ、小さな頃から"六人"で駆け抜けた青春は、あたしの無念や後悔も全部全部、吹き飛ばしてくれた」
 

彼女は瞳に大粒の涙を浮かべて、それでもぎゅっと唇を結び、泣き喚く事はしなかった。



 理樹「六人って、リトルバスターズってどういう事!?」

 沙耶「こないで!!」


そう言って踏み出そうとした僕を、沙耶は右手を向けて制止する。

思わず立ち止まり、そして良く見ると屋上の色が半分辺りから向こうが夕焼けの様な風景になっている事がわかる。


 沙耶「こっちは本来あり得ない世界。理樹くんの居るそこは、まぎれもなく現実よ。」

 沙耶「……きっと、あたしがここで改めて死ねばこの世界は止まる。でもね、どうやってもあたしはこの世界では幸福だったの」


そう口にすると、沙耶はポケットから取り出したボールペンを喉に思い切り突き刺そうとする。

 
 理樹「っ、沙耶!!」


だが、そのペン先が喉に突き刺さる事は無く、刺さる直前で不自然な力が働いてペン自体が真ん中からへし折れた。


 沙耶「こんな事が、この世界では幾度も起こってきた。……だから、あたしはずっと死に方を探してたの。」

 沙耶「理樹君、最後に"本物の"理樹くんと出会えてよかった。あの時、悲しい別れ方をしてしまったあなたに、また出会えて」


そう言うと、沙耶は世界の境目まで歩み寄り、夕焼け空の世界から薄暗い夜闇の世界へと手を伸ばす。

僕の片手に握られた小さなドライバー、それを自分の心臓へと指し示す。


 沙耶「お願い、理樹くん。」

 理樹「……っ、そんな、いきなりこんな、色々訳が分からない事を言われて、沙耶を殺せだって……!? そんなの、僕は決められないよ!!」

 沙耶「あたしはもう、あの時に死んでるの。いや、本当はあの時よりもずっとずっと前……土砂崩れに巻き込まれて死んだの」

 理樹「………僕がここで沙耶を殺して、それで、沙耶が納得しても………そんな、ずっと幸せな世界で暮らしていれば、一生を遂げればいいじゃないか!!」

 沙耶「あなたと、本当の直枝理樹とここで出会ってしまった時に決めたの。幸せをいっぱいくれた君になら、あたしの最期のわがままを聞いてくれるって」

 理樹「ずっとずっと、醒めない夢をさまよっていた方が幸せじゃないの!?」

 沙耶「幸せじゃない」


それまで涙を零していた彼女は、きっと鋭い瞳を僕に向けて、

 
 沙耶「夢の中っていうのはね、どこまでも孤独よ。いつか醒めてしまうっていう、恐怖と不安をたくさん抱え込みながら生き続けなきゃいけないの」

 沙耶「でも、理樹くんの居る世界は違う。……いや、違うと言っても、ここは」


最後の一言は、僕にも聞こえない程小さな声だった。


 沙耶「"目を逸らしてはダメ"よ。理樹くん、強引になるけど……ごめん」


思考の迷路の中、少し遠のいていた意識だったせいだった。

一瞬だけ、こちらの世界に体を乗り出した沙耶の身体に僕の手に握るドライバーが彼女の心臓を突き刺した。

直後に、大量の血が噴き出し、呆然とする僕の前にその体が崩れ落ちる。

ただ、その体や血はこちら側の世界へと入った途端にまるでその場に無かったかのように消え去っていく。


 理樹「……そんな、沙耶、沙耶ぁ!!」


右手に握った、ついさきほどまで血塗れだったはずの汚れ一つないドライバーを握りしめながら、夕焼けの世界は終わりを迎える。




……立て続けに起こる不可解な出来事に、僕の頭はどうかなりそうだった。


 理樹「……目を逸らす……ここが、現実……?」


現実、当たり前じゃないか。ここが現実じゃなければ、それ以外に何があると言うんだ。

握っていたドライバーが途端に気味の悪い物だと感じ始め、投げ捨てた僕は静かに屋上を後にしようとする。

すると、ふと扉の上にある貯水タンクが気になり、小さな梯子を登った。


その先にあったのは、見覚えのある星型の髪飾り。

鉄骨組みの支柱の傍に、風で飛ばないよう紐で巻きつけられたそれは、しかし僕の覚えている通りの形じゃなかった。

端々は焦げつき、星型もかろうじて形を保っているだけで、今にも崩れそうだ。


 理樹「……」


それが何を意味しているのか。僕には……理解出来た。


 理樹「ここが、これが現実、なのか……」


でも、理解できたとしても、僕はこの現実を受け入れる事は――――――まただ。

世界が全て黒く塗りつぶされて、ナルコレプシーはまた発病する。



……き………りき、理樹!!


 理樹「……り、ん」

 鈴「……起きたか」


ぼんやりとした意識の中、少しずつ晴れていく視界の中に、見慣れた女の子が居た。

彼女は、さっきまで見ていた眼帯に傷だらけの姿。

小毬さん以外には極度に怯えていた筈だったのに、僕の傍で表情を失くしたまま、ベッド横に立っていた。

鈴の両腕は僕を運んだせいか、少し震えていた。


 理樹「ここ、保健室?」

 鈴「そうだ。理樹が屋上で倒れてたから、運んできた」

 理樹「ごめんね、鈴……」

 鈴「……理樹、あたしはずっと理樹の味方だ。医者がなんて言っても、学校の奴らがなんて言っても」

 理樹「え、それはどういうこと?」

 鈴「ちょっとだけ顔色が良くなったから言うぞ、ここには"恭介も真人も謙吾もくるがやも、みおもクドもはるかもこまりちゃんも……皆居ないんだ"」

 理樹「………」

 鈴「恭介は、あたしと理樹に思いを託して行った。でも……まだ理樹には重たかったんだ」

 理樹「少しずつ、理解してきたよ」

 鈴「……そうか」

 
鈴はいつもの制服姿ではなく、襟の高い長袖と、ジーンズを履いていた。

それでも隠せていない包帯などが変わらず端々に見えていて、それはまるでいじめでも受けたような姿だった。

急に鈴が僕の事を抱き締めた。

微かに香る洗剤の匂いを心地よく思いながらも、僕はゆっくりと鈴に抱擁を返そうとした。

しかし、その時急激に湧き上がった黒い感情が、鈴の首をぐっと絞めつける。

 鈴「っ、また、か……」

苦しみにあえぐ鈴の声に、僕はわけがわからないまま力を込める。





抱きしめながら、鈴の身体が軋む音を心地よく思っていると、急に保健室の扉が開かれる。

其処には、何時もの無愛想な表情の二木さんが立っていて、僕らを見た途端に表情が険しくなる。

……そうか。この世界では、僕と二木さんや笹瀬川さんは、対した面識が無かった。

"あの世界"では、色々あったけど。今は、ただ、悲劇に同乗しただけの赤の他人だろうか。

少しだけ、悲しい。


 佳奈多「直枝理樹、それ以上暴行を加えるのはやめなさい!!」

 
そう言って、必死に込み上げる感情を抑えようと歯を食いしばりながら、彼女は鈴を締め付ける僕を突き飛ばした。

そちらを意識していなかった僕は不意の衝撃に突き飛ばされてベッドに投げ出され、鈴は喉を抑えて何度も咳き込んだ。

それでも、鋭い視線を鈴は二木さんに向けて、

 
 鈴「っ……や、めろかなた!! 理樹から離れろ!!」

 佳奈多「もうやめなさい、自分自身を削って、削って削り続けて、それで直枝の傷が癒されてもッ……貴女が壊れてしまったら意味が無い!!」

 鈴「あたしは理樹を守るんだ……強くなれなかった理樹を、恭介に任されたんだ!!」

 佳奈多「あなたはッ……!!」

 元寮長「はいはい、そこまでにしておきなさいね」


ヒートアップする二人は、呆けている僕の前で徐々に構えていく。

しかし、激突する寸前に、どこかで見たことがある気がする女生徒が現れ、二木さんの肩を叩いた。

するとはっとしたように二木さんは振り返り、複雑な表情を浮かべたまま、僕を睨み付けるようにしてその場を去って行った。


 元寮長「……多分ね、直枝くん。棗くんは、君を最後まで信じられた事が、幸せだったと思うわよ」


一言だけ、長い赤髪を揺らしながら耳打ちすると、威嚇する鈴に軽く頭を下げて部屋から出て行った。

最後まで信じられた、って…………

 
 鈴「理樹、大丈夫か?」

 理樹「僕は、なんともないよ。鈴、僕は、もしかしてずっと、鈴にこんな事をしてきたの?」

 鈴「……それ、は」

 理樹「僕は強くなれなかったんだね。記憶は無いけど、あの時、僕と鈴だけでバスから逃げ出したんだ」

 鈴「理樹っ……」

 理樹「僕はずっと、おかしくなってたんだ。今ある現実から目を逸らして、空想の皆と一緒にこの一年間を過ごし続けてたんだろう?」

 鈴「………そうだ。理樹は、月に一度絶対におかしくなって病院を抜け出してた」

 理樹「病院?」

 鈴「近くの、精神病院だ。でも、おかしくなった時は絶対この学校で過ごすんだ」


学校の人達には、暗黙の了解の様なものだったらしい。僕は夢遊病の如く、失った日々を空想していた。

徐々に甦っていく記憶の中で、僕の妄想の中の真人と謙吾が負っていた傷は、あのバス事故の時に運び出された遺体が欠損していた場所だった。

謙吾は片腕と片足が、真人は全身に無数のやけど跡――――――二人以外が傷付いていなかったのは、彼女達は全てが燃え尽きてしまった。


唯一残ったのは、小毬さんの髪飾り。


最後に僕の隣で血を流して倒れていた小毬さんの髪飾りが、片方消えていた。

 


完結まであと少しなので、良ければお付き合いください


 理樹「……どうして、僕は鈴を傷つけ続けたの?」

 鈴「それは……分からない。ずっと、ただ想像の中に居た理樹が不安にならないように、あたしはその場しのぎで話を合わせてた」

 理樹「合わせてた、って?」

 鈴「ほら、これ」


すると、鈴はベッドの横の台座の引き出しに入れてあった二対のマフラーを手に取った。

赤と青のそれには、よく知る星の髪飾りと酷似した星の意匠が施されており、確かに僕の記憶の中では先日デートした時のものだった。

鈴は赤い方を自分の首元に巻いて、青い方を僕の首に巻いてくれた。


 鈴「マフラー、一緒にデートした時に買ったんだ。……理樹が教室で自慢し出した時は、すごく話を合わせるの難しかったんだからな」


もう今は使われていない空き教室で、"空想の"皆に言い訳していた時も鈴は必死に僕の話に合わせてまるで皆が居るかのように演じていたのか。

傷だらけの身体で、幾度となく痛めつけられてもそれでもずっと献身的に僕を助けてくれていた。

その事に気付くには、あまりにも遅すぎた。

知らぬ間に溢れ出した涙は、悲しみや不安よりも罪悪感で満たされている。


 鈴「り、理樹っ、どこか痛むか?」

 理樹「ッ……いいや、違うよ。ごめんね、鈴……僕は、ずっと……鈴に酷いことしてきたんだ」

 鈴「……理樹」


鈴は自分の着けている眼帯を外す。

其処には、あまりにも悲惨な色を失った瞳がある。

 
 鈴「これは、理樹がつけた傷じゃなくて、バスが爆発した時の破片の傷だ。理樹がつけた傷は、目立たないものばっかりだ」

 鈴「もう右目はみえない。でも、左目は見える。理樹が感じられる、あたしはそれだけでいい」

 理樹「……」


唖然とする僕に、彼女は微笑みかける。

涙を零す僕は、静かに俯きながらも、彼女の胸に頭を預けた。


中々書けなくて申し訳ありません

予定よりも話が伸びることになると思います


静かに、ただ長く過ぎて行く保健室での一刻は、僕の心を整理するには充分すぎる時間だった。

抱きしめられた温かさが、少しずつ僕の心臓からつま先までをじんわりと暖めていく。


 鈴「……ん」

 理樹「鈴、僕は失った時間を取り戻してみせるよ……必ず、二人で笑えるように」


余程疲れていたんだろう、鈴は僕を抱きしめたまま眠ってしまった。

ゆっくりと、その体をベッドへと横たえながら、棚に入っていた恐らくは僕のモノとは違うサイズ違いの制服を手に取る。

棗、と小さく刺繍の入ったその制服を身に纏い、静かに保健室を後にする。


向かう先は、あの場所。



【空き教室】


 理樹「……」


一つのクラスを襲った悲惨な事故の後、供養としてこの教室は放棄されることになったらしい。

そんな事が書かれた張り紙を眺めながら、僕は自分の席があったはずの場所に立ち尽くす。

ここから見える風景は何も変わっていない。其処にあったはずの日常を除いて。


 理樹「(恭介は、僕を信じて鈴を任せようとしてたんだ。……でも、僕は弱いままだったことが)」


鈴すらも傷付けてしまう悲劇を、止められなかった。

あの時、僕は今みたいにずっと立ち止まって。


 『理樹、理樹!!』


ずっと呼びかけていた傍らの彼女の声は僕に届かずに、ただ静かに倒れている皆の姿を見つめていた。

ただ、ただ、"こんな現実は嫌だ"と頭の中で反芻しながら、

僕は何も出来なかったんだ。


「……泣きたいのはこっちの方よ。あなたの泣き顔を見る度に、そう思うわ」


僕の涙が伝う頬を忌々しげに睨みつけながら、空き教室に入る影があった。

彼女は険しい表情のまま、腕組みして黒板を見やる。


 佳奈多「落ち着けたようだから、あなたがこの一年間何をしてきたか。ソレを伝えに来たのよ」

 理樹「……それを僕に伝えて、いいの?」

 佳奈多「貴方の問題を、貴方に伝えて何か問題があるのかしら」

 理樹「二木さんは、葉留佳さんの事を、「葉留佳は!!」


黒板を叩き付け、一喝する。

僕はそれを見つめながら、"失った側"の人間の思いをやっと思い出す。


 佳奈多「本当は貴方達のバスには乗る必要は無かった。それでも、わざわざ自分のクラスを抜け出してまでそのバスに乗り合わせた」

 佳奈多「……幸せだったのよ。貴方達と居る事が。騒ぎ立てて、そうして私に恨めしさを晴らしていた日々よりも、貴方達と共に過ごす毎日が幸せだった」

 理樹「……」

 佳奈多「その結果、あの子はこの世を去った。あの子にとっての幸せが、あの子自身の命を奪い去った。私は何も出来ずに、ただ二木の家に従い続けて……」

 佳奈多「皮肉よ。本当に、皮肉なことだわ。やっと、あの子にも居場所が出来たのにッ!!」


震える瞳は、迷い続けている。衝動をどこにも吐き出せないまま、ぐるぐると同じところを回り続けている。

僕の胸倉を掴みながら、それでも今にも崩れ落ちそうな彼女に、僕は涙を拭って

 
 理樹「葉留佳さんは……きっと、悔いは無かったと思うんだ」

 佳奈多「あの子はこの世界に拒絶され続けて、それでやっと見つけた優しさすらも否定されたのよ!」

 理樹「佳奈多さんは、皆が作り出した世界を知ってる?」

 佳奈多「っ……は? また、貴方の妄想?」

 理樹「バス事故の時、恭介や他の皆、もちろん葉留佳さんもだけど……僕と鈴を成長させる為の"空想世界"を作り出したんだ」

 佳奈多「何を、言って」

 理樹「その世界で僕は皆が抱えている悩みや不安と向き合った。少しずつ痛みを共有して、僕は知ったんだ」

 佳奈多「……」

 理樹「"生きるという事は、失くしていくばかりじゃない"事」

 佳奈多「……違う。失くすばかりよ。少なくとも、私の生きたこれまでの人生は失う事しか無かったわ」

 理樹「僕は答えを知ったのに、最後の最後で立ち尽くした。だから……」

 佳奈多「だから、あの子は死んだとでも言うの?」

 理樹「……皆が事故に巻き込まれたのは、この世界の残酷な理不尽かもしれない。でも、助ける事が出来るチャンスを逃したのは、まぎれもなく僕だ」


今、僕は全ての責任を背負い込もうとしている。

彼女の行き場を失った悲しみや恨みの捌け口になる。……そうすることで、二木さんの傷を少しでも軽くしたかった。

でも、二木さんの僕を掴み上げる手は力を失っていく。


 佳奈多「その話が仮に本当だとしても……私は貴方を、この悲しみの捌け口にしたりしない」





それはまるで、簡単に楽になってたまるかという一つの意地に思えた。

彼女自身、一年という時間が経ってもまだ心の整理はついていないんだろうか。

……逃げ続けた僕とは違い、一年間肉親と友人を失った痛みを味わい続ける。

それは、地獄だ。

 
 理樹「……話を逸らしてごめん。一年間の事、詳しく教えてほしい」

 佳奈多「まず、バス事故当時の話よ」


気が触れた僕ではなく、あの現場から正しく生還出来た唯一の人物。

棗鈴の話。




【事故現場】

※鈴視点


 鈴「……最後に必ず笑うんだ。こまりちゃんが、教えてくれた!!」

 理樹「……」

 鈴「皆を助けるんだ、まだ、まだ間に合う!! 理樹!!」

 理樹「……」

 鈴「り……き?」


夕焼けの屋上、消えていく世界の中で、あたしはこまりちゃんと約束をした。

最後に、笑っていられるように。誰一人悲しい結末はむかえたくない。

そう約束したのに、先にバスの近くに居た筈の理樹は意志を失っていた。

ナルコレプシー、理樹に度々襲い掛かる難病。


 鈴「……」


目の前で倒れる理樹を背に、あたしは一人でも成し遂げようと、バスの中へと踏み入れる。

酷い匂いと焼けついたシートの熱、こわくて両脚が震えだしている。

恭介はずっとこんな恐怖と一人で戦っていたんだ。

バスの中は至る所に傷付いたクラスメイト達と、撒き散らされた血が硝子にまとわりついていた。

……吐きそうになる。


 鈴「っ、こまりちゃん!!」



座席と背もたれに挟まって倒れていたこまりちゃんは、意識を失っていた。

その時のあたしはただ必死に助け出そうとして、そのまま無理やりシートを剥がそうともがいていた。

でも、一人じゃ剥がす事なんて出来なかった。


 鈴「ッ……!!」


その時、こまりちゃんの身体を抱えようとセーターを掴んだ途端、脇腹の辺りからじんわりと少なくはない量の血が滲みだしてきた。

遠のきかける意識の中、自分の頬を全力で張り、必死にその傷口を見つめる。

座席を調節するレバーが、突き刺さっている。それは、あたしの頭を真っ白にするのには充分なことだった。


 鈴「あ、あ……」


救えない。死んでいる。死んだ? 死んでいない 死んでほしくない いやだ 別れるのは 嫌だ 嫌だいやだいやだいやだ……

考える事をやめたくなかったから、ずっとぐるぐると同じ言葉を頭の中で繰り返す。

その瞬間、全ての時間が止まった気がした。


 小毬「……り、んちゃん」


掠れた声で、それでも確かに聞こえたこまりちゃんの声。

よく目が見えないのか、ほんの少しだけ目を開いたこまりちゃんは、


 小毬「早く、逃げて。理樹くんと、一緒、に」

 鈴「それじゃだめだ、こまりちゃんが居ない世界じゃあたしは笑えない!!」

 小毬「私は、笑ってる、よ。りんちゃんと、理樹くんが、きっとこれから、生きていける、から」

 鈴「……嫌だ。いやだ!!」


こまりちゃんが、震える手で自分の髪飾りの片方を解く。

あたしが必死にシートを剥がそうとしている前へと手を差し出して、


 小毬「お願い事。きっとりんちゃんなら、叶えてくれるから」


伸ばされた手をしっかりと掴み、そして、冷たくなっていくその手を………あたしは。



静かに目を閉じたこまりちゃんは、きっとあたしの言葉は全部聞こえてなかったのかもしれない。

それでも、必死に最後の言葉を伝えてくれたこまりちゃんの思いを無駄にしたくはなかった。

でも、


 鈴「……くるがや、はるか」


全身から力が抜けるような気がしながら、視線を横にやると、其処には隣同士に座っていたくるがやがはるかを抱え込むようにしていた。

守ろうとしていたはずのはるかは、額から血を流しながら生気を失くして、くるがやは全身にガラスの破片を受けて大量に血を流している。

さっきから感じていた錆の様な匂いは、きっとこれだったんだろう。

反対側の座席には、みおがいつも手にしていた短歌集を抱えている。

でも、その本はみおの血でぐしゃぐしゃに濡れている。それほどに血が溢れているんだ……首筋から。

謙吾と真人は、あたしと理樹を守ってくれた。ガラス片が突き刺さっても、全身を打ちつけても最後まで抱えてくれた。


もう、この場から逃げ出す気力すらも無かった。絶望。ここには、ぜつぼうしかない





このまま、皆と一緒にさいごを迎えても―――――――そんな時。頭によぎる。



……そうだ。恭介、は?



どこにもいない兄貴の姿を、あたしは必死になって探す。それでも、何処を見ても見当たらない。

勢いのまま割れた窓からバスの外へ転げ落ちてしまった時、バスの側面に倒れる兄貴を見つけた。

溢れ出すガソリンを背中で押さえながら、恭介は静かに眠っているようだった。

あたしは肩を揺らして、


 鈴「恭介、恭介!!」

 「……鈴、か。理樹、は………そうか、失敗してしまった、のか。」

 鈴「っ、恭介、血がっ」

 「……はは、もう随分前からこの調子、だ。気に、するな。」

 鈴「恭介もっ……恭介も消えるのか!! こまりちゃんみたいにっ、みおみたいに!!」

 「それは、違う」

 鈴「兄ちゃん……あたしは、兄ちゃんの背中が、ずっと、ずっと大好きだったんだ!!」

 「……俺も、そうだ。大好きだ、鈴。愛してる。願わく、ば、ずっとずっと、一緒に、爺さんと、婆さんになるまで、生きたかった」

 鈴「兄ちゃんが居たからあたしは挫けなかったんだっ……こわい事がたくさんあっても、それよりいっぱいの楽しい事があったから、だから!!」

 「だからこそ、鈴。お前に、俺の、棗恭介の、命を賭けたミッションを託す」

 鈴「ミッ、ション」

 「理樹を、頼んだ。俺は絶対に、消えたりしない。お前の中でずっと生きてる。あぁ、そう、だ。ただで死んで、たまるかよ……」


もう、限界だったはずだ。それなのに、恭介は膝が崩れたあたしの身体を抱き寄せると、優しく頭を撫でた。


 「鈴。俺の、ファイナルミッションを、頼んだ、ぞ」


事切れた恭介から熱が消えていく。

でも、残した最後の言葉が、あたしの全身に力を呼び起こす。

ファイナルミッション。恭介が、兄ちゃんが託してくれた最後の願いを、あたしは確かに受け取った。

この胸に。


 鈴「……任せろ、兄貴。あたしは、棗恭介の、妹なんだ」


両脚に力が篭る。絶望ばかりだった風景に、ぼんやりと浮かび上がったのは、倒れ伏したままの理樹。


 鈴「ファイナルミッション、スタート」


一人静かに口にしたミッションは、ここから始まった。



恭介が抑えている漏れ出したガソリンの匂いは、どんどん強くなってくる。

あたしは、制服のリボンを口元に巻き付けてもう一度バスの中に入った。

充満するキツい匂いをぐっとこらえて、出来る限りの皆の持ち物を拾い上げる。

ただで死んでたまるか。兄貴が口にした言葉を、あたしもやってみようと思った。


 「……鈴、さん」


その時、座席の下敷きになっているクドの声が聞こえる。


 「クド……」


初めは、小柄で軽いクドなら理樹と一緒に助けられるかもしれないと思っていた。

でも、ここまで座席に押し潰されていては、それだけで時間が足りないだろう。

ぐっと、唇を噛み締める。

 
 「ヴェルカとストレルカと……おじいさまと、お母さんに。私は、幸せだったと、伝えてください」

 「……絶対伝える。クドは、幸せだったんだって」

 「ありがとう、ございます。」


弱々しくも小さく笑みを浮かべて眠るクドを、救えない苦しみにあたしは胸が弾けそうになる。

クドの帽子を手に、くるがやのリボンを、はるかの髪飾りを、真人の鉢巻を、美魚の本の欠片を、謙吾の破れた道着の破片を。

集められるだけ集めて、落ちていた破れかけた小さな鞄に詰め込んであたしは外に出る。口に巻いたリボンを外して放り投げる。

本当の別れ。もう、二度と、笑い合う事も出来ない。


冷や汗で張り付く前髪を振り払い、鞄を腰に結び付けると、倒れたままの理樹を見る。

"まだ、時間が足りなかった"理樹を、あたしは責める事はできない。

だって、あの時に理樹が居なかったら、きっとこんな風に一人で頑張れない。

恭介が、皆が居たからここまでミッションを成し遂げられた。


 鈴「……行こう、理樹。」


とても重たく感じた理樹を必死に背中に乗せたあたしは、ふらふらと揺れながらその場を離れようとする。

そして、数メートル歩いた瞬間、


バスが大爆発を起こして、そこからあたしの意識は無くなった。

ただ、必死に、皆の残したモノと理樹を庇う様に覆いかぶさった事だけ。


※理樹視点


 佳奈多「……本人が事情聴取の時に口にした内容はここまでよ。」

 理樹「鈴……」


僕が情けなく眠っている間、鈴は必死に頑張った。それも、昔の鈴とは思えない程に。

話を聞いてしまったら、猶更に後悔の念が浮かび上がる。そして、本当に皆はもういなくなってしまったという事実を突きつけられて。

酷く、絶望する。

そんな僕を、佳奈多さんは一度張り飛ばした。


 理樹「……ごめん、ありがとう。」

 佳奈多「受け入れたくない現実を突きつけられる気持ちが、少しは分かったようね。……これ以上の事は、さっきから隠れている人に任せるわ」




彼女が振り返り、扉の方へと歩いていくと、そこには暗い面持ちの鈴が立っていた。


 鈴「……おまえ、あたしのこと」

 佳奈多「彼の様子が"いつもよりはマシ"だったから、貴女の事だけを伝えた。それだけよ。後の裁量は任せるわ」


ぼそりと呟いて、入れ替わる様にして鈴が入ってくる。

外していた眼帯はもう一度つけている。


 理樹「鈴……僕は、情けないよ」

 鈴「そんなことない。理樹は、あたしの手を引いてくれた。だから、あの時」


二人で逃げ出してしまった時、僕は鈴の心を深い闇に突き落とした。

それでも、長い時を過ごした五人の繋がりを確かめ合った事で、鈴は帰ってきてくれた。



 鈴「あたしは挫けたままじゃなかった。理樹が居たから出来た事だ」


僕と鈴の視線が交錯して、それでいてまだ僕は目を逸らす。

後ろめたさと、認めざるを得ない自分の無力さが鈴をこんな姿にしてしまった悲しみと後悔。

ぐっと拳を握りしめて、胸元の青いネクタイを見つめる。

 
 理樹「(恭介……僕は、僕がやるべき事は、もうないのか……?)」


全ては過ぎた後の話。迎えるべきではなかった最悪の結末を、僕と鈴はこれから受け入れなければいけない。


 鈴「理樹、"あたしは理樹さえいれば問題ない"」


不意に掛けられた一言に、僕はふと顔を上げる。

鈴は少し前にもこう言っていた。『僕さえいればいい』と。

確かに、もう残り二人になってしまったリトルバスターズのメンバーだから、僕をとても大切にしてくれているのかもしれない。

だが。

ほんの少し、そう、ほんの少しだけ感じた違和感。


『目を逸らさないで』


微かに聞こえた言葉は、やがて僕が思考する力を取り戻していく事に一役買う事になる。


 理樹「……鈴、少し散歩してきてもいいかな」

 鈴「? あたしも一緒に」

 理樹「ごめん、一人で落ち着く時間が欲しいんだ」

 鈴「そうか。分かった」


鈴は訝しげに首を傾げたけど、すんなり僕が一人で出歩くことに納得してくれた。

そう、僕はこれまでの"直枝理樹"の違和感を思い出していく。

向かう先は―――――リトルバスターズの部室、その隣の物置。







【物置】


 理樹「(………小毬さんが消えている)」


恐らくは、"直枝理樹"が夢から覚めた"ことになっているかもしれない現実"。

そこには首から血を流して小毬さんが倒れていたはずだったけど、まるでそこには何もなかったかのように、血痕すらもが消えている。

いや、消えているのではなく、これは"直枝理樹"が見ていた幻覚かもしれないモノだった。

だった、と、そう言えるのは。


僕の目の前にある光景には、大きく違和感があった。

"直枝理樹"の空想の中では、この物置部屋の道具などを色々と配置換えしていた。

ベンチに毛布などを持ち寄って作っていた簡易のソファなどもあったが、しかし今は無い。

今は無いが、僕が見ている違和感の一つ。


 理樹「……二木さんと作り上げた死角を出来るだけ減らす工夫が、無くなっていない」


それは、"直枝理樹"が幻覚の中の二木さんと作り上げたロッカーや道具の配置。

今は全く違う、ごちゃごちゃとした様相の物置だが、それでも元々あった場所のモノが入れ替わっているだけで置かれた場所は変わっていない。

つまり。


 理樹「僕がもし幻覚を見ていたのなら、どこかで必ずぶつかっているはず」


配置換えしたあとの風景がここにあるというのなら、配置換えする前の位置を僕は何度も通っている。

つまり、体中をどこかにぶつけながら幻覚を見続けていた事になる。

それはありえない。この身体には目立った外傷は殆どないし、あると言えばこの両目にくっきりと残った深い隈だけ。

違和感は更に大きく、大きくなっていく。

目を逸らさないで。妄想か現実か、かつて共に地下迷宮を探索して、笑いあって、そして恋をした女の子から聞いた言葉を。

僕はもう一度反芻する。

 
 理樹「目を、凝らす」


この風景の違和感を頭に焼き付ける。忘れない様に、そして、この"世界"すらも、疑う事が出来るかもしれない事を。








そうして、僕の疑いは確信に変わる。

背後に聞こえた微かな息遣いと踏みにじられる砂利の音が聞こえた瞬間、咄嗟に前へと身体を倒す。

風を切る音と共に、何かが僕が居た場所を通り抜けていく。

それは、


 理樹「……鈴、僕を蹴りつけようとしたの?」

 鈴「……」

 理樹「否定は、しないんだね」


右半身を軽く引いて、恐らくは左脚で蹴りぬいた後なのか。構えたまま、鈴は其処に居た。

片目に着けていた眼帯は取り払い、制服の端々から見えていたはずの包帯も全てが無くなっている。

最も驚いたのは、


 理樹「目が……」


眼帯に隠されていた、"聞いていた限りでは"爆発の破片で傷を負い、見えなくなっていたはずの目が戻っていた。

綺麗なワインレッドの瞳は、しかしその輝きを失ってこちらを見下ろしている。

暗い、暗い何かを湛えて。

僕はすぐさま立ち上がると、鈴をあまり刺激しないように落ち着いて言葉を紡ぐ。

 
 理樹「鈴、この"世界"の事、聞いてもいい?」

 鈴「この理樹も、ダメか」


意味深な台詞を口にした鈴は、変わらない無表情のまま、即座に僕の頭めがけて蹴りを繰り出してきた

咄嗟の判断、さっき倒れた時に拾い上げていたロージンを鈴の顔めがけて投げつける。

ハッとしたような顔でロージンを顔に受けてしまった鈴を横目に、急いで物置部屋から立ち去っていく。

この"理樹"もダメ。

その言葉を聞いたのは初めてじゃない気がした

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