【ペルソナ5】死がふたりを分かつまで【佐倉双葉SS】 (223)


・主人公×双葉
・主人公はコミカライズ版より「来栖暁」
・ネタバレ要素があるので、クリア後推奨です
・設定がわからないところは想像です。

・双葉のSSがもっと増えるよう少しでも布教のになれば。



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今日は12月24日。いわゆるクリスマスイブ。
リア充共が闊歩する一年で最もウザい日。
とはいうもののわたしは今まで特にカップルを羨ましいとか思ったことはない。
死ぬことばかり考えていたから、彼氏どころか友達だって作るつもりはなかった。
ネットでは怒りと妬みとやっかみと爆発を望む声でスレが大賑わいなので、それをチェックしている間に二徹かまして、26日に寝落ちするというのがわたしのクリスマスだった。


今までは。

渋谷がガイコツ城になったけど、そうじろうに電話した。無事みたいで一安心。
仲間達と別れて、家に帰るとチャットに返事があった。
これからカレシと二人だけで過ごすのだ。



仲間達にナイショで。


神様をやっつけた日に神様の誕生日を祝う日を満喫するとか、まさに神をも恐れぬ所業。

まさにトリックスター!

サイコーにクールなんじゃね?



今日はクリスマスイブだし、恋人と過ごすわけだ。
そうだ、恋人と二人っきり。二人、ここ重要な。
そんなスイーツ全開ぶっちぎりのリア充最前線に突撃をかまそうというのだ。
まったく予想していないといえば嘘だ。
予想というか期待というか。
淡白な顔して暁は結構スケベだし。
ムッツリではなくて、淡々とエロいことを言う。
砂漠で杏の谷間をガン見してたと聞いたし。
付き合う前とはいえ、カノジョの世界で他の女のおっぱいをガン見はいただけないぞ。


つまり何を予想していたかというのは、そういうことだ。

言わせんなバカ的な。

暁とわたしでは体格差もあるから、奴のアルセーヌいや、サタナエルが暴走すれば私はひとたまりもない。
リアルじゃプロメテウスで空にエスケープも無理だ。
ま、まぁ、エスケープは選択肢に無いんだけど。
初めては痛いらしいけど、暁は優しいからだいじょうぶだろ。
もし、わたしがヘタレてムリって言ったらきっと延期してくれるはず。
強引に最後まで、なんてそんなガッツいたりはしない。


しないはず。



…しないよな?



そしてふと気づく。
汗臭くないか?大丈夫だよね。
冬だし、そんな汗かいてないし。
いざとなったらお風呂に入らせてもらって。
いや、ルブランにお風呂ないから、銭湯か。
銭湯に暁と行って、あ、そうじろうが前に聞いてた歌みたいに入り口で待ち合わせたりするのか。
何だ凄いし昭和な感じだ、けど悪くない!
こうふ、ふふふ夫婦みたいで、寧ろメローなんじゃね。
もし、遅くなるようなら杏の家に泊めてもらうとそうじろうには言っておこう。



「双葉、待った?」

ブチ公前で待っていると、暁が走ってきた。
白い息を纏わせて軽く肩で息をしている。わたしの為に急いできてくれたんだと思うと、何か大事に思われてる感がメキメキしてきて、ゴキゲンな気分だ。

「そんなに待ってない。でも寒い!!」

「ルブランにいてくれれば良かったのに。迎えに行ったよ」

「早く合流出来るだろこっちのが」

「そうだな。双葉に早く会えるしな」

「ぬぉつ!そういうふ、ふいうちは止めれ!」

「ははっ」

薄く笑って暁がそっとわたしの手を取った。

「…ん?」

その笑顔にわたしは違和感を覚えた。






「おう、おかえり」

「ん…」

出迎えてくれたそうじろうに適当に挨拶するとブーツを脱ぐ。
指に力が入らなくて、足を振り回して強引に脱ぐ。

「夕食は?」

「食べてきた」

「そうか」

「それにしちゃ早かったな」

「買い出し行って、ちょっとダベって来ただけだから」


暁と二人きりでとは言わない。そうじろうに暁と付き合ってることはまだナイショ。
万が一にでも追い出されちゃいけないから。そうじろう結構親馬鹿だし。
それに、今はそんな気分じゃない。

「なぁ双葉」

「何?」

「何かあったか?」

「どうして?」

「ひでぇ顔してるぞお前」

「元々わたしはこんな顔!」

思わず声を荒げてしまった。
思った以上に大声が出てそうじろうがビックリ顔してる。私だってビックリだよ。
ボリューム機能がぶっ壊れてんのは、きっとヒキってた弊害だ。
そうじろうの顔を見ていたくなくて、部屋に閉じこもる。
無駄に広いだけの屋根裏部屋とは正反対の、パソコンとフィギュアでいっぱいの部屋。
少し前までは死んでいくわたしの棺だった場所。
今では狭くて、落ち着くわたしのお城だ。
わたしひとりが眠れる程度の狭いベッドに横になると、疲れがどっと出てくる。
普段ならばソッコー眠ってしまうのに、一向に眠気はやって来ない。
気が高ぶってたからだろうか。


散々覚悟を決めて臨んだクリスマスイブ。
人生初のカレシとのクリスマスイブ。
その結果は気まずいものだった。


渋谷の街を暁と歩き回った。
ただ冷たいだけと馬鹿にしてた雪だけど、暁と一緒だと不覚にもロマンティックとか思ってしまった。
人ごみで逸れないように手を繋いで、あちこち歩いて。
結局ケーキもチキンも買えなかったけど、ただ一緒に過ごせるだけで凄く楽しかった。
暁の部屋でまったり過ごすだけの時間はドキドキして緊張したけど、嬉しくて、落ち着かないのに帰りたくなかった。
用意したプレゼントを喜んでもらえてホッとした。
わたしのと色違いのヘッドホン。
暁はそんな奴じゃないってわかってるけど、受け取ってもらえなかったらどうしようかって不安だったから。
でも元凶のラスボスは倒したけど、わたしらが立ち向かってるのがどんだけ無理ゲーでクソゲーかっていうのもわかってるから、特に暁は人生ハードモードでこのゲームをスタートしてるから、不安は消えなくて。


『なんでもない』

暁はそう言って笑っていた。





寝返りを打つ。

全然眠れない。

暁は笑っていた。
強くて優しい、恐怖をスパーンと張り飛ばしてくれるような安心させてくれる笑顔で。
あの笑顔をする時は決まって何か覚悟を決めた時だ。
何が何でもどうにかしてやろうって、そう決めた時。
何もかも受け入れる覚悟をするとあいつは静かに笑う。
そんなこと悟らせないように、決してみんなを不安にさせないように、そう決めた笑顔だ。
でも、わたしはあの笑顔が好きだけど、苦手だ。

あの笑顔をする時、いつだってアイツは一人だから。

一人で背負って、一人で戦って、そして一人で傷付く。
いい加減わかる。ずっと一緒にいたから。わたしはカノジョだから。

「何で言ってくれないんだよ…」

自分のこととかより、わたしは暁が心配だった。
二人きりで、わたしはカノジョだから、何でも言ってほしかった。
ずっと暁に色々な不安も弱音も聞いてもらってきたから。
今度はわたしが聞きたかった。


それなのに…


「おのれ~…明日文句言ってやる!!」


めそめそしてるのも癪だし、どうせ明日には会うんだ。







翌朝、ルブランに暁はいなかった。





月明かりに照らされた床の木目をジッと見つめる。
部屋には月明かり以外、照らすものは無い。
必要が無ければPCもテレビも付けない暁の住むこの屋根裏部屋は静かな空間であるが、今夜の静けさは一層重く広がる。
騒がしい程に話しかけてくるモルガナが今はもういない。
暁ただ一人だ。
冬の海に取り残されたように、胸の内を真綿ような孤独が締め付ける。
昏い沈黙のなか、暁はソファーに座ったまま動かない。
両手を組み、床を睨み付けたまま一体どれ程の時間を過ごしただろう。
作業机に置いたままの携帯からしきりに着信音が聴こえる。
仲間達が明日のクリスマス会についての相談をしているのだろう。

竜司が馬鹿なことを言い、杏が叱り付ける。
祐介がずれたことを言い、春が宥め、真が仕切る。
そこにいつもなら双葉が茶々を入れるのだろうが、1時間前に見たチャットに彼女のメッセージは無かった。



『帰る』

そう言ってこの部屋を後にしてからずっとだ。
瞼の裏に、悲しげに瞳を伏せた双葉の横顔が焼き付いていた。
送って行こうか、そう言った自分の誘いを拒絶するように双葉は退けた。顔すら合わせることなく。
自分の振る舞いが、言葉が、表情が、彼女を傷付けた。
自分の振る舞いが彼女を不安にさせた。
もっと上手く隠せていれば良かったのに。
杏のことを大根役者と笑えないなと、自嘲の笑みが薄らと浮かぶ。


本当は、今も双葉と過ごしていたかもしれない。
自分の傍に身を寄せた時に漂ったシャンプーとは別の甘い香り。
香水を付けることの無い彼女のことだ、鼻腔を擽ったのは双葉自身の香りだろうか。
プレゼントを渡し照れくさそうに微笑む双葉を見た瞬間、背筋をぞくりと甘い痺れが走った。
誰と絆を深めても感じることが無かった強い欲求。
動物としての本能が反応したのだろうか。
庇護欲と恋愛感情の区別がつかぬままに、ただ傍に居たいと付き合うことになった双葉に対して、初めて感じた激しい欲望。
暁のなかの雄が双葉の中の雌を激しく欲した。


双葉が欲しい。

華奢な身体を閉じ込めるように抱きしめて、白い首筋に吸い付いてしまいたい誘惑に目眩を覚えた。
それをすんでのところで堪えたのは、明日のことを思ってだ。

明日、自分は出頭する。
新島の言葉のとおりであれば、獅童の罪の立証を望めども怪盗団という「正義の味方」の存在を望まない大人達によって、戒斗は少年院送りになるのであろう。
それが仲間の為になるのであれば悔いはない。
しかし、自分には取り返しの付かないレッテルが付く。
傷害の前科とは比べものにならない重いレッテルが。
そんな人間が双葉を抱いても良いものか。
双葉はレッテルを気にするような少女ではないが、周囲はそうは思わないだろう。
大人達の卑劣な謀りによって心を傷付けられ引き籠っていた天才少女が少年院に入る程の犯罪者と恋仲だったなどと、世間が興味を示すだろう。
少なくとも周囲の好奇心と無神経の視線は双葉に突き刺さるだろう。
ようやく母の仇を取り、学校に通うことを決め、途絶されていた社会との繋がりを修復しようとする双葉にとって、その視線は刃のように彼女に突き刺さるだろう。

その想いが、衝動的な欲望に歯止めをかけた。


「正しいはずだ…」

これから本当の戦い、「世間」という途轍もなく巨大な敵と戦おうとしている双葉の足枷になることなど耐えられない。

「俺は正しい、よな?」

自分に言い聞かせるように戒斗は呟くが応えてくれる頼れる黒猫の相棒はいない。





肌を刺すような寒さに目が覚めた。
時計を見れば、いつもより一時間も早く目が覚めたようだ。
窓の外を見ればアスファルトが真っ白な雪化粧を施されている。
どうりで寒いはずだと、佐倉惣治郎は溜息を吐く。
二度寝、三度寝をする気は起きなかった。
寝たいだけ寝られるのは若さの特権だということをわかっている。
身支度を整えると、双葉のいる部屋へと視線を寄越す。
義娘の双葉は随分遅くまで起きていたようだ。朝型に生活リズムを改善させるように意識的に早寝を心掛けている最近の彼女にしては珍しいことだった。
何かあったのであろうことは昨日の様子から何となく察しがついている。
双葉の朝食ようにハムとレタスを挟んだ簡単なサンドイッチを作るとテーブルに置いて佐倉は店に向かう。
少し早いが、雪景色を眺めながらコーヒーを飲むのも悪くないだろう。

「お、早いな」

店を開けると、思わぬ先客がいた。
保護観察対象 ―― 今では家族と呼んでも良い(照れ臭いから決して口にしないが)少年が一人カウンターに腰掛けていた。

「おはようございます」

少し掠れた声には疲労が滲んでいた。
何処か覚束ないが寝起きという訳ではないようだ。
一日の始まりに目にするには滅入ってしまいそうな辛気臭い表情を浮かべる少年の前にカップが無いことを確認すると、面倒臭そうに溜息を一つ吐いた。



「コーヒー、飲むか?」





沸騰した湯をゆっくりと注いでいく。
湯がコーヒー豆に染み渡り、琥珀色の雫となって行くにつれて、香ばしい香りが店内に満ちて行く。
この数か月ですっかりと慣れ親しんだ心地よい香りに、強張っていた心が僅かに軽くなるような気がした。


「そういやお前にはまだ話してなかったか。双葉の親戚のこと」

そっと目の前にカップが置かれる。

「またあの男が何か言ってきたんですか?」

「いや、それは無い。お前のおかげですっかり『改心』したよ。ただ、今まで見て見ぬふりを決め込んでた親戚連中がいきなり双葉の今までの境遇のことで揉め始めてな」

獅童の計略によって、葬儀の席で偽の遺書を読み上げるという格好で母親殺しの濡れ衣を着せられたため、双葉は親戚中から罵倒され、冷遇され、たらい回しにされ、最後は虐待に等しい扱いを伯父から受けることとなった。
しかし、双葉に関することが全て出鱈目であるとわかると、話は異なる。
獅童の罪を立証するということはすなわち認知訶学の存在とその研究者である双葉の母の存在を世間に公表することになる。
必然的に注目されるのは謀殺された事実と、その後取り残された娘の消息となる。
遺産だけ奪って子供を捨てる親族というのはよく聞く話だが、世間がそれを知ることとなれば、よく聞く話では事態は済まなくなる。
悲劇の少女から母親の財産やお金を搾り取った挙句に見捨て、赤の他人に押し付けた冷血な人間達と世間は見る。
だからこそ、今双葉の親戚は互いに責任の擦り付け合い、そして、佐倉と双葉への接触を取ろうとしているのだという。


「自分達はそんなつもりはなかった、ってよ。笑っちまうよな。小さなガキを人殺しだ、死んじまえだって散々罵っておいてこれだ」

自分の分のコーヒーを淹れると、惣治郎は暁の隣に腰掛ける。

「今度はあいつらが世間からのレッテルに怯える番だ。正直いい気味だな」

開き直ったように、晴れ晴れとした顔で惣治郎はコーヒーを啜る。

「増々双葉をあいつらに渡す訳にはいかねぇなって決心が固まったよ」


これが子供を守ってきた自信と子供を守り続ける覚悟を決めた父親の横顔なのだろうか。
惣治郎の横顔に暁は少しだけ双葉に嫉妬する。
自分の父親はこんな風に子どもを守るために戦う覚悟を見せてはくれなかった。

「双葉だって惣治郎さん以外のところに行くつもりなんて無いですよ」

「そう、だな。ハッキリと言われると照れくさいが」

「自信を持ってくださいよお父さん」

「お義父さんは止めろ。まだ早い」


心底嫌そうな顔に、暁は小さく笑う。

年不相応な少年の笑みに惣治郎は所在無さげに頭を掻く。


「……で、何思いつめた顔してるんだ、朝から」

「わかりますか?」

「わかりやすすぎるだろ」

「何考えてるのかわからないって言われるんですけどね」

「そりゃお前くらいの年にしちゃそうだろうがよ、俺から見ればあの金髪と変わらんよ。ポーカーフェイス気取るには十年早い」

竜司と似たようなものだと言われると悔しいと反発心が沸くが、自分とは重ねてきた人生経験が違い過ぎる。
何より、自分が守りたいと思う少女を守り続けてきた男なのだ、今の自分が敵うはずもない。

「言いたくないなら言わなくていい。だが、お前の顔はそんなことはなさそうだがな」

微かに息を呑むと、戒斗は残り少ないカップのコーヒーに視線を落とす。
幾ばくかの逡巡、それは果たして何秒だったのか、何分だったのか。
秒針が時を刻む音が店内に沁み渡る。
惣治郎は先を急かすのでもなく、残り少ないコーヒーをちびりちびりと舐めるように啜る。


「今日、出頭します」


それだけを口にした。

重く冷たい塊を吐き出したかのような声だった。
口にしてから、暁は視線をカップへと移す。
気まずさからではない。
言葉にした途端、それは急速に現実味を帯び始めたからだった。
時間が止まったようなルブランの中で、目を逸らしてきた現実が目と鼻の先に来ていることに、今更に愕然とする。
俯いた暁を前に惣治郎もまた目を見開いていた。
しかし、経験から彼は瞬時に察したように「そうか」とだけ口にする。
苦いモノを呑み込むように目を閉じると、深く細く息を吐く。


「あいつらの為か」

暫しの沈黙の後、暁は小さく頷いた。

「あいつらは…双葉は知ってるのか?」

今度は何も答えなかった。

「お前のことだ、考えに考えてのことだろう。お前が納得した答えなら俺にはとやかく言うことは出来ねぇよ。けどな…」

沈鬱な暁の表情が何よりも雄弁に語っていた。

「双葉、きっと泣くぞ」


静かな口調に、暁は唇を噛み締めた。
泣かせてしまう罪悪感が胸にこみ上げる。


「これで二度目なんだ」

「……」

「大切な奴に置いて行かれるのがな」

一人目は聞くまでも無い。
自分が双葉にとってそれほどの存在になっているとは俄かには信じられないが、自分を真っ直ぐ睨み付ける惣治郎の目を前に、否定の言葉は出てこなかった。

「多分好きなんだろうな、お前のことが。最初は兄貴みたいに懐いてるのかと思ったが、最近は何ていうか、母親に似てきたっていうかなぁ…」

愛娘の成長を喜ぶべきか、嘆くべきか、決めあぐねたかのように言い辛そうに惣治郎は視線を彷徨わせる。

「一丁前に女のツラをするようになってな、お前の前で」

以前双葉も恥ずかしくてまだ話していないと言っていた。
暁もまた惣治郎には双葉と付き合っていることは話していない。
意識的に彼の前でそれらしい振る舞いをしないように心掛けてきた。


「そんなこと、わかるんですか?」

「父親ナメるなよ」

「すいません。けど、双葉に余計な心配させたくなくて。だから」

「黙って行くか。男として見栄張りたいのはわかるぜ。だがな…」

惣治郎の骨ばった手が暁の頭をがしがしと撫でた。
遠慮のない力で、暁の癖毛をかき混ぜるような乱暴な撫で方だった。
頭を撫でられたのは久しぶりのことだった。

最後に撫でられたのは何時だっただろうか。

それは、この町に来て初めての「心地よい」子供扱いだった。
撫でられながら顔を上げると、そこには双葉に向ける時のような、温かく見守るような笑みがあった。



「お前はまだ17のガキなんだぞ?強がりも大概にしとけ」



熱いものが不意に頬を伝った。
カップの中にぽつり、ぽつりと落ちて行く。


「……怖いです」


からんと、言葉が漏れた。


「出頭なんてしたくない」


言葉にすると目を背けていた不安や恐怖が堰を切ったように溢れてくる。

最後に泣いたのはいつの頃だったか最早思い出せない程遠い過去のことだ。

獅童に嵌められ、助けた女に裏切られ、両親から見放され、周囲に白眼視された時も、暁は決して涙を流すことはなかった。

何年間もの時を掛けて溜めこんでいた涙が出口を見つけたように、溢れて止まらなかった。


「少年院に入ることも、レッテルを張られることでもない。また居場所を失くすことが……

みんなと離れることが…怖くて、怖くて、逃げ出したいです」


「馬鹿野郎…最初っからそう言って弱音吐いときゃ良かったんだよ」



撫でる手を止めずに、惣治郎は不器用な息子を見るような優しい眼差しを向けていた。





「コーヒー、ご馳走様でした」

「おう、カップは置いておけばいい」


時計を見れば、新島との約束の時間が迫っていた。

「じゃあ、お世話になりました」

深く頭を下げるとルブランのドアに手を掛ける。


「違うだろ」


ぶっきらぼうに投げかけられた声に振り返る。


「家から出る時はもっと違うセリフがあるだろ」

「惣治郎さん…」

「ここはお前の居場所だ。いつでも帰って来い」


父親のような優しい声だった。
「あの時」自分が欲しかった父親の言葉だった。
込み上げそうになるものを噛み殺し、暁は無理矢理唇を吊り上げる。



「いってきます」


不器用な引き攣った笑みでそう告げると暁はしっかりとした足取りで「家」を後にした。



本日の投下は以上で終わります。
ペルソナ5は女性向けは充実してるのですが…と思って、もっとNLが増えることを願って。

それではサラダバー!ノシ

ちょっと泣いた
双葉スレで相談してた人?そうでなくても双葉ssとか最高なんでお願いします


ところどころで名前が戒斗になってるって突っ込んでおこうw

>>26
双葉スレというのはよく知らないのです、申し訳ない。

>>28
書いてた時はコミカライズ版の名前知らなくて普通にプレイ時で使用してた名前使ってたのです。

だらしない修正ですまない…

今から投下します。



あれはいつだっただろうか。

墓と見立てた自分の殻を破り、怯えながらも世界へ飛び出した少女。
飄々とした顔の裏側に拭えぬ人間への不信感を抱える少女。
悪意の渦に、恐怖を堪えて震える足で立ち上がり対峙する少女。
彼女を見つめる彼の温かい眼差し。
慈しむような眼差しは、彼らしく優しい。
けれども、時折そこに潜む熱量にふと気づいた。


竜司にちょっかいを掛ける少女を焦れたように見つめていることに。


祐介とじゃれ合う少女の笑顔に渇望するような眼差しを向けていることに。


優しい、穏やか、頼りになる、そんな印象ばかりの彼が滅多に見せない鬱屈とした感情が、少女を見つめる時にだけ不意に垣間見えることに。


ある日気づいてしまった。



そうか、きっと ――






日が沈む時間帯になると肌寒い時期だった。
校内からは学園祭の熱気が未だに抜けきらない秋の半ば。
冬に備える心構えも無いままに覚束ない空気に学校は満たされていた。
そんな夕暮れ時の生徒会室。

「マコちゃんはいつから彼のことが好きなの?」

紅茶を飲んでいた手が止まる。
向かいに座る奥村春が可愛らしくお人形のように首を傾げる。


仲間内のチャットで、野菜の手入れを終えた春がまだ学校にいることがわかった。
タイミング良く生徒会の仕事を終えたところに折角だからと春からお茶の誘いが入った。
ルブランに寄ろうかとも思ったが、日が暮れるのが早い時期、少女二人でわざわざ遠出するのは同年代の少女達に比べれば逞しいとはいえ不用心だ。
のんびり二人でお茶をするのも悪くないということで、ティーパックの紅茶と春が持参したクッキーをお茶請けにした、慎ましやかなお茶会が開かれることとなった。
飴色の日が射す生徒会室で、久しぶりに過ごすまったりとした時間。
何処で誰が話を聞いているもわからないことを、かつて竜司の話を録音したこともある真はよく知っていた。
家族の話題は二人とも怪盗団の活動や認知世界の事件と密接に絡んでいる。
怪盗団に繋がる話題を避ければ話題は自然と学校や友人たちのことに絞られていく。

杏から教えてもらい始めたメイクの仕方。

何気に見始めたドラマが面白かったこと。

友人から聞かされたコイバナ。

模試の結果や進路のこと。

学園祭の残務処理がなかなか終わらぬ愚痴。

花の手入れのこと。


そして、二人が変わる転機となった話題になった時、必然と一人の少年が話に上る。



普段はぼんやりとして無口な少年。

この前のテストで1位だったことに失礼ながら驚いたこと。

せっかくのすらりとしたスタイルが猫背のせいで台無しだということ。

モルガナをいつも背中に乗せているせいか、猫の毛だらけなのが可笑しいこと。

けれどもバッグから猫の顔を覗かせて猫背気味に歩くのは少し可愛いと思っていること。

長すぎる前髪と野暮ったい眼鏡のせいで顔が隠れてしまっているのが勿体ないこと。


彼の顔立ちが祐介にも引けを取らない程端正なのにと、不満そうに口にする春の言葉に、真は上手く頷けなかった。



豪雨のせいで中止になってしまった夏祭りの夜。
眼鏡を外した素顔を真は盗み見ていた。
髪の毛先から雨を滴らせながら、空を少し恨めし気に見上げる横顔を思い出すと顔が熱くなる。


気付けば黙り込んでしまった真を春は微笑ましげに見つめていた。
そして投下されたのはとんでもない爆弾。
投下した当人は小さな口で上品にクッキーを齧ると「やっぱりコレ美味しい」と呑気に口元を綻ばしている。

「ちょっと、春?」

「あ、ごめんね、マコちゃん」

「今のは…」

「うん、ちょっと気になってね。マコちゃんずっと彼のこと見てるから」

「そ、そうかしら?そんなことないわよ」

「ん~?でも私がみんなの仲間になった時はもうそんな感じだったよ?」

机の真ん中に置かれた皿のクッキーをもう一枚、ほっそりとした白い指が摘まみ上げる。
握りしめれば容易く折れてしまうのではないか、女の真がそう思ってしまうのだから男子生徒達にはまさしく深窓の令嬢の指先と映るに違いない。
この手で認知世界ではシャドウを相手に雄々しく斧を振り回しているのだ。
「薪割の要領で!」とシャドウを真っ二つにするのを何度も見ている(「どんな薪?」という竜司の呟きに祐介が噴き出していた)。
日夜その光景を目の当たりにしているにも関わらず、真には未だにそれが信じられない。


「もしかして、もう付き合ってたりするの?」

「ちょ、待ってよ。そもそも私と暁はそんなんじゃ…」

「私“彼”としか言ってないけれど?」




ドヤ顔(言葉を知ったのは後のことだが)と呼ぶには邪気の無い笑顔の春。
その対面にて耳まで赤くして突っ伏す真。
一本取られたとはこういうことだろう。
暫し、春の紅茶を啜る音だけが生徒会室に響く。


「彼氏のフリをしてもらったって話、したでしょ」

「うん。性質の悪いホストにマコちゃんのお友達が被害に遭ってたんだよね。その時にマコちゃんを守ってくれたって」

「その時かなって、最初は思ったの。でも確信したのがその時っていうだけ。本当はもっと前から暁のことが…その、好きになってたんだと思う」

優等生として、姉に迷惑をかけまいと大人の言いなりになっていた自分。
そんな自分は捨て去ろうと、今まで知らなかった世界を暁に連れて行ってもらった。
普通の高校生からすれば取るに足らない場所、当たり前の遊び、そんなものに付き合わせてしまった、こんな世間知らずの退屈な女相手にだ。
そして、その過程で出来た友人の為に彼氏のフリを頼み、友人を騙しているホストの調査にまで付き合わせてしまうに至った。


「甘えているって気付いてね、思い切って尋ねたの」


暁は真が声をかければコクリと頷いて付き合ってくれる。
仲間になってわかったが、彼は優しい人間だ。面倒見も良い。
さりげない上に寡黙だから意識しにくいが、かなりお節介な部類に入る。
恩着せがましくもなく、煩わしい表情一つ浮かべることも無い。
だから、つい自然と甘えてしまっていた。
そのことに気付き、真は急に怖くなった。



「嫌じゃないのかって。私みたいなつまらない女に本当はうんざりしながら付き合ってるんじゃないのかって」

耐えかねて直接言葉にして聞いてしまった。
鬱陶しい女だと、面倒臭い女だと思われるのではないかと。
口にしてから更に後悔に囚われたが、既に後に引くことは出来なかった。


「嫌じゃないって。真の本当の顔を見られるのが楽しいって。自分がその力になれたことが嬉しい、そう言ったの」

「わぁ」

暁の声でそのセリフを想像したのか、春の頬が朱に染まる。


「真顔で照れもせずにそんなこと言えてしまえる人なんだって思っちゃった。

 わかったの。お世辞でもなんでもない本心だから照れないのね彼は」

それは後になって思ったことだ。
言われた時は、聡明なはずの頭は真っ白になり、ただ胸の鼓動の煩さと、火照った顔の熱さ以外何もわからなかった。

「彼らしいね。でも、マコちゃん、それなら…」

言葉を遮るように真は首を振る。

「言ったでしょ?暁とはそんなんじゃないって」


伏せられた真の瞳に微かな寂寥感が漂う。



「大切な仲間だよ」

「え?」

「暁はそう言ったの」



嬉しい言葉だった。
報われる言葉だった。
姉と自分を比較し、ずっと自分を卑下してきた。
役立たずと自分を罵り、自分を見限って来た。
そんな真にとって、その言葉はどれほどの救いだっただろうか。
怪盗団の参謀として頼りにしてくれる仲間達。
自分を受け止め、信頼してくれる仲間の笑顔。
自分が此処にいても良いのだと教えられた。
だからこそ、彼らの大切な仲間であることを真は嬉しく感じ、誇りにさえ思う。

けれども、一抹の寂しさは誤魔化せない。

一人の女として彼に求められたいと思っていた。
仲間とは異なる「特別な存在」という場所に自分一人を置いて欲しいと願っていた。
それは真の中にあった確かな事実。

「仲間…マコちゃんはそれでいいの?」

自分のことでもないのに、泣きそうに眉を寄せる春に真は静かに微笑む。

「だって、あんなにきっぱり言われたらいっそ清々しいじゃない」

それに…

真は言葉に出さずに続きを胸の内で呟く。

既にいるのだ。


気分屋で自由奔放、小さな悪戯っ子のように少し意地悪く、無邪気な少女。
傍若無人に振る舞うくせに、人に対しては未だに臆病で無垢な少女。
聡明でどこか儚く、華奢な少女。
妹のように彼に懐く少女。

彼女を見つめる何処までも優しい暁の眼差し。
けれども一瞬だけ、ずっと見ていた真にだけわかるほんの一瞬だけ。
不意に泣きそうに歪む暁の横顔。
じりじりと彼自身を焦がすような、蛇の舌のようにうねる炎が彼の瞳に揺らめくのを見た。
自分の感情に自分で戸惑うような困惑した暁の表情に、静かな夜の海のような瞳に浮かぶ、本人さえも自覚しない程の熱に真は気付いた。


気付いてしまった。



そうか、きっと ―― きっと彼女が彼の特別なのだ。





白い息が冬の空気に溶けて行く。氷になりかけの硬い雪をさくさくと踏み潰す感触が少し心地良い。
子供みたいなことで楽しいと思ってしまっているのは、心に余裕が出来たからかもしれないと新島真は思った。
しこりとなって心の底に居座り、圧し掛かり続けていた重みが消えたからだと。
昨日、怪盗団は彼らを苦しめ人々を歪め続けた真の元凶を打ち倒した。

頼りになる怪盗団の賢猫との悲しい別れがあったものの、怪盗団の戦いは終わったのだ。




昨夜の雪で四軒茶屋の商店街は白いテーブルクロスを敷いたように白く染まっている。
昔の香りのする町並みに淡い雪化粧は絵になる。祐介であれば指で額縁を作って町並みを覗いているだろう。
腕時計を確認する。時間はまだ八時である。少し早かったかもしれない。
早めに準備に取り掛かろうと真は早々に家を出た。
姉の冴は朝起きた時には既にいなかった。
獅童の異世界に関する犯罪についての立証は困難を極めているらしく、以前のような刺々しい余裕の無さこそ消えたものの、相変わらず姉の冴は多忙を極めている。
クリスマスイブだというのに、昨日も帰りが遅かった。
獅童を有罪にするための決め手となる証言をとるのが難しいらしい。
ここ数年見ることの無かった何処か晴れ晴れとした表情に強い決意を秘めた姉であればきっと獅童の罪を明らかにしてくれると、真は信じていた。
しかし、未だ明確な先が見えないことに不安があることも事実ではあった。





「おっす」

ルブランに着くと、ちょうど佐倉家から双葉が来たところであった。
佐倉の姿が無いから、既に店にいるのだろう。



「おはよう双葉。早いのね」

「朝型改造計画中だ」

「ふふ、頑張ってるのね、えらいえらい」

「暁みたいなこと言うな」

口を尖らせる双葉に「ごめんね」と心の籠っていない謝罪をする。
年齢は二つしか違わないものの、今までの境遇のせいか年齢以上に幼いところのあるこの小柄な少女は真にとって手のかかる妹のような思えた。

「まったく、どいつもこいつも私を子供扱いしすぎるぞ。特に暁の奴だ」

「妹が出来たみたいで嬉しいのよ。彼、結構面倒見良いでしょ」

「私は妹じゃない。私は」

「暁の彼女だものね」

「あれ!?何で知ってるの?暁?アイツ言ったの!?」

「本当だったんだ」

「しまった!」

「竜司や祐介は気付いてないでしょうけど、女の子は気付いてるわよ、多分」

「バレバレ?」

「バレバレ」

だってあんなにわかりやすいんだもの。



頬を染めて暁の傍にぴっとりとくっ付いている双葉の顔は妹とか娘のものではなく、幼くとも「女」としての顔であったし、彼女を甘やかしている時に見せる暁の眼差しは真達には決して見せない程の強い熱を秘めている。
ずっと暁を見つめていた真にはそれがわかる。微かな胸の痛みを無視して、真は微笑む。

「さ、早くお店に入りましょう。風邪引いちゃうわ」

「そうだった、そうだった。尋問しなきゃな」

「尋問?」

「そうだ。暁の奴何か隠し事してる。真も手伝え。検事と弁護士で追い詰めるぞ」

「それ不正裁判じゃない。それに私は刑事志望」

「訂正細かすぎか」


軽口を叩きながら店内に入ると、佐倉がカウンターで一人コーヒーを飲んでいた。
テレビも付けず、頬杖をついて物思いに耽る様に、微かな違和感を覚えながら暁の姿を探す。


「おはようございます」

「そうじろー。暁は?」

その声にようやく真達に気付いた佐倉は苦々しい表情と共に目を背ける。
彼の仕草に違和感を覚えたのは真だけではなかった。
不安を覚えたのか、眉を寄せた双葉が佐倉に詰め寄る。

「なぁ、そうじろう。暁は?2階にいるんだろ?」

双葉の声は震えていた。
胸の奥に、嘗て味わった事のある予感めいたものが込み上げていた。
それを打ち消すように佐倉の裾を掴むと、迷子の子供のように不安に揺れる瞳で佐倉を見上げる。

「いねぇよ…」

鉛を吐くような溜息と共に吐き出された言葉に双葉の小さな肩が強張るのが、後ろにいる真からもわかった。

「話していただけますか?」

真の目をみて、佐倉は決心を一つ付けるように、一度深く息を吐いた。

「コーヒー淹れるまで待ってな」




コーヒーを二人分淹れ終えた佐倉は苦々しい顔で語ってくれた。

獅童正義の犯罪を確定させるための核でもある廃人化事件。

廃人化事件 ―― 異世界に関する事件を証明するためには「彼」の証言が不可欠であること。

それは、あくまでも必要な証言を引き出すことだけを必要としているということ。

検察・警察のメンツの為に怪盗団を英雄ではなく「非行少年の集団」として扱うつもりであるということ。

「彼」の保護観察は取り消され、少年院に送致されること。



そして、仲間を守るため「彼」はそれらを全て承知で出頭したということ。




「法制度に従う以上、仕方のないことだがな」

言葉とは裏腹に、佐倉の表情には行き場の無い憤りが滲んでいる。
真とてそれは同じだ。
刑事を志し、姉の仕事ぶりを見てきた彼女には法制度による束縛も、検事や警察がどれほど体面に拘る組織であるのかも理解していた。
けれども理解と納得は別物だ。
そもそも、「彼」 ―― 暁の足枷になり続ける「前科」そのものがありもしない罪なのだ。

(どこまで彼は…)

血が出そうな程強く唇を噛み締める。
正義感に従い助けた女に裏切られ、無実の罪を着せられ。
仲間を救う為に囮役を担い、警察に捕まり理不尽な暴力を受け、死の危険にまで曝された。
偽りの神の勝手な都合で苦難を背負わされ、常に命を賭けつづけてきた。

そして、今度は仲間を救うために一人犠牲となる道を選んだ。

真は口惜しさに歯噛みする。
自分の身を顧みない暁に、そんな暁に助けられてばかりの自分たちに。

ふと、真は隣に座る双葉が一言も言葉を発していないことに気付いた。

「双葉?」

俯いた双葉の肩が震えていた。



「ひっ…」

「ひ、ひっ」

「ああぁ…ぁ、ひぐ、ぁ…」

顔をくしゃりと歪めた双葉の瞳が揺れる。

「うあぁぁ…ん」

「ぁっ、あああぁぁーーーー!!」

堰を切ったように叫びにも似た声が喉を震わせ、店内に響いた。
双葉のつぶらな瞳から、大粒の涙が溢れては頬を伝いテーブルに落ちて行く。




真も惣治郎も、慰めるよりも驚きに呆気に取られていた。
それは十六歳の少女の泣き方ではなかった。
もっと幼い童女のような泣き方であった。
子供が我慢の末に感情を爆発させてしまったかのようであった。

「ぁっ、あ、ぁ、あああぁぁぁぁッ」

眼鏡を外し、両手の袖で乱暴に目元を拭っても、溢れる涙は一向に止まらない。
しゃくりを上げ、肩を震わせ、瞳から溢れる涙の量と熱さに双葉自身が戸惑っているようだった。
人は年を取るにつれて「年齢に相応しい」泣き方を無意識に身に着ける。
人と関わり、社会と関わって行くうちにそれは自然と学ぶことであった。
字を覚えるより、自転車に乗れるようになるより、身だしなみを気遣うより、もっと当たり前に、そして平等に習得していくことだ。
しかし、双葉のそれは異なった。
泣き方を忘れてしまった、ただ悲しみを身体の奥底に押さえつけ、耐え忍ぶことを強いられてきた子供が、耐え切れずに泣き叫ぶ姿がそこにあった。

人と関わらず、人に関われず。

社会を拒絶し、社会に拒絶され。

そんな子供が感情を爆発させたかのような痛々しい姿に、真は堪えきれず双葉を抱きしめた。

「な、んで」

「うん」

「なんで、…っちゃうの?」

真の胸に縋り付きながら、双葉は見上げる。
揺れる瞳からは絶えず涙が溢れ、擦り過ぎて赤くなった目尻から零れ頬には幾重にも泪の軌跡が刻まれていく。
悲しみに顔をくしゃくしゃに歪め、双葉は真に訴えるような眼差しを向ける。

「な、っで、あきらまで、おいてっちゃうの?」

双葉を気遣わしげに見つめていた惣治郎が息を呑む。
若葉 ―― 双葉の母親のことを言っているのだと、真にもすぐに察しがついた。
大切な人間に彼女は再び置いて行かれたのだ。

「わた、し、たよりない、から?」

「双葉…」

「フツーじゃ、ないから?だから、お、おいて、ったの?」

「そんなことない、そんなのことないよ双葉」

真の胸が苦しくなる。
仲間の為に身を捧げることとなった暁の事を思って苦しかった胸の内が、双葉の悲しみに気付き更に締め付けられるような痛みを訴える。
幼気な嗚咽がルブランを埋めていく。



背中を撫で続ける双葉がようやく落ち着いた頃、惣治郎が疲労を色濃く滲ませた溜息を吐く。

「わかってやれ。アイツはお前等に心配かけたくなかったんだよ」

「わかってる!」

双葉は掠れた声を荒げた。慣れない大声と感情の爆発に膝が微かに震えていた。
共に戦ってきた仲間であり、
心から信頼できる兄のように慕い、
そして大切な恋人として傍にいたのだ。
真に気付けて双葉が暁の気持ちに気付いていないはずが無かった。

「でも、言って欲しかった。スゲー、スゲー怒って、泣いたかもしんないけど、でも…」

真の服を掴む小さな白い手は震えていた。押し潰されそうな不安と悲しみと怒りに。

「話してほしかったんだもん…」

「双葉…」

双葉の気持ちが真には痛い程わかる。

姉のパレスの時、「彼」は一人で戦った。

仲間を逃がすため「彼」は一人で囮役を担った。

逆転の目を出すため「彼」は一人で姉と対峙した。



黒いコートを靡かせた不敵な後ろ姿。決然と立つその背中に、真は強く惹かれると同時に何処かもどかしさを覚えていた。

圧倒的な理不尽と悪意の波に飲み込まれることすら辞さないという覚悟を滲ませる横顔に胸が締め付けられた。

痛いほどの決意と正義を秘めた瞳に、頼もしさを覚えると同時に、一切の甘えを捨てたようで痛々しくて目を背けたいと時折思うことがあった。

彼だってまだ子供だというのに、守るどころか奪おうとする大人達から仲間を、双葉を守る傷だらけの生き方に泣きたくなった。

気高く在る彼に儚さを見出す度に、抱きしめてあげたい欲求に駆られることがあった。
肩を並べて戦う真でさえそうなのだ。
必要不可欠と理解していても、後ろでサポートをする立場だった双葉はどれ程のものであったのだろうか。
しゃくりを上げて、か細く泣き続ける双葉のいじらしさに、真は強く彼女を抱きしめる。




「アイツも男なんだ。大切な女には強がって見せたいのが男心なんだよ…」


その声には不器用な息子を悲しむように、そして誇るような響きがあった。


「…大切な人に甘えて欲しいのが女心なんですよ」


抱き寄せた双葉の頭を撫でながら真が噛み締めるように呟く。


「そうかもな…ほら」


佐倉がそっと冷たいおしぼりを二つ出す。
真は思わず自分の頬を撫でる。
濡れた指先に、自分も泣いていたことに初めて気付いた。



「女泣かせてるようじゃ、アイツも俺もまだまだだな…」



少女達の泣き顔からそっと視線を窓の向こう側へと外しながら、ぽつりと惣治郎が呟いた。

以上で本日の投下を終えます。
マコちゃんはお姉さんというよりも、寧ろ怪盗団のお母さんな印象。
世紀末覇者先輩が戦闘、ストーリー回し両面において頼りになる「お母さん」すぎて、
もはやヒロインとして性的な目で見られなくなっている今日この頃。

それではまた。サラダバー!ノシ

乙リアン
主よ、双葉ssもう一個きてるぞ!
そっちもこれに負けないぐらいクオリティ高くてファンとしてはほくほくです
読んでたりする?

>>1乙ダイン


これ渋のほうのから改稿とかしてる?

>>51
双葉が高校に通ってるお話なら読みました。クオリティ高杉。

>>52
してます。ちょこちょこ言葉変えたり。気付いた範囲で誤字脱字直したり。
あとクリスマスイブの待ち合わせあたりはチャットをさらっと流してて大間違いしてたので書き直しました。

投下します。



「わからんな」

醤油ラーメンをひと啜りすると、祐介がぽつんと零した。

何を、と竜司が尋ねる前に祐介は二口目に既に取り掛かっている。

はっきりと聞こえた言葉に、蓮華が中途半端な位置に止まったままの竜司は、先ほどの言葉が会話の切っ掛けとして投げられたのではなく、純粋な疑問が口を突いて出たのだと思い至る。

白濁色の豚骨スープを蓮華で掬い上げると、行儀悪く音を立てて飲みこむ。


「理由がわからん」


またもや祐介がぽつりと呟いた。

既に醤油スープは飲み干され丼の底が覗いていた。

塩分を摂り過ぎないようにとスープを半分残すという選択肢は彼には無い。

大盛りの自分に対して、祐介の食べていたのは確か男盛りだったはずと豚骨ラーメンを堪能していた竜司は思い返す。

大盛り、特盛り、男盛りとグレードが上がって行く。

並盛りが他の店で言う大盛りレベルの量であるから、祐介が如何に細身に似合わぬ量をぺろりと平らげたことか。

極貧生活を送る苦学生の祐介は、こういう場合大抵一番量を食べ、一番先に食べ終わる。



「俺は恋愛というものはしたことが無い。愛にも様々な種類があるものだということを知ったのも恥ずかしながらつい最近のことだ」


メンマの食感と残り少ない麵を啜り、半熟煮卵をどのタイミングで食べるべきかに思考のほとんどを割いていた竜司は、

話が続いていることから今度は自分に向けられた言葉だろうかと怪訝に眉を顰める。


「仲睦まじい兄妹を恋人同士と見間違えたこともあったのだが、それと同じだと定義付けるには、しっくりこない」

「誰のこと言ってるんだよ?」


結局最後まで取っておくことにした半熟煮卵を食べながら聞いてやることにした。

まろやかな味わいが舌に広がる。竜司の丼に半分程残った紅生姜が浮かぶ豚骨スープをちらりと見ると、祐介は正気を疑うような目を向ける。


「入れ過ぎだぞ竜司。そんなに紅生姜を入れてはせっかくの豚骨が生姜味になってしまう。残すならそのスープを頂いても良いか?」

「話の続きはどうしたんだよ!つーか人の食い方に文句付けた後に強請るのかよ!

「すみません、追加注文をお願いします。白飯一つ」

「しかも雑炊かよ!」





「案の定紅生姜の味が強かったぞ、竜司」

「きっちり平らげてそれかよ」

「これで一週間分のカロリーを摂取出来た」


店を出ての第一声。

友人のマイペースぶりに嘆息する。

喜多川祐介という男が独自のテンポで生きる良く言えば個性的、悪い言い方をすれば奇人変人の部類であるということに慣れていた。


「で、さっきの話だけど」

「暁と双葉のことだ」

「あいつらがどうしたんだよ。今日は中華街で食べ歩きだろ」

最初は暁も誘ったのだ。

竜司達怪盗団は休日に全員で遊びに行くこともあれば各々で行動することもある。

女性陣だけで出かけることもあれば、男性陣だけでつるむことも多い。

しかし、男性陣に限って言えば、暁と竜司、暁と祐介、或いは三人が基本である。

竜司と祐介の二人で出かけることは滅多に無い。

今日においていえば祐介と竜司の都合が合ったため竜司おススメのラーメン屋に足を運ぶこととなったのだが、暁が双葉と出かける用事を入れていた。


暁がいなければ気まずい仲というわけでも無い。

特別中止にする必要も無いため、竜司と祐介の二人で出かけることとなったのだった。

スマホの画面に双葉が載せた中華まんの写真がアップされている。

肉まんにかぶりつく無防備な暁の写真に春が「可愛い」とメッセージを載せていた。


「肉まんか…」

「そこ食いつくのかよ!それで続き」

「うむ。あいつらの関係を見ていてな、どうにもわからんのだ」

「それってあれか、兄妹と恋人の区別付かなかったっていうのに繋がるのか」

「いや、あれは先日あった事例を言っただけだ。暁と双葉とは違う」

「違うのかよ」


話しの方向性がわからず竜司は肩を落とす。

こんな時彼らのリーダーがいれば、理解の遅い竜司とマイペースな祐介の中継をしてくれるのだが、絶賛双葉と中華街食べ歩きの真っ最中だ。


「あの二人が兄妹ではないことは俺にもわかる」

「双葉は相当アイツに懐いてるし、アイツも双葉には何か甘いし、兄妹みたいじゃねーか」

「兄妹みたいに仲睦まじいのは認めよう。しかし、兄妹のように仲睦まじいのであって、決して彼らは兄妹ではない」

「そりゃ血の繋がりは無いけどよ…」

「血縁関係のことを言っているわけではない。その理屈ならマスターと双葉は親子ではないということになる」


佐倉親子を取り巻く問題を、竜司達が聞いたのは全て解決してからのことだ。



解決に奔走したのは彼らのリーダー。

そして、事情は双葉が話してくれた。

隣の暁の袖を指先で掴み、閊え閊えに言葉を振り絞り、彼女自身の言葉で。

佐倉惣治郎と佐倉双葉が親子ではないと言うものなど怪盗団にはいない。


「そもそも、互いに恋い焦がれている兄妹というのは余りないだろう」

「……は?」

「だからわからんのだ。お互いに好き合っているのに何故それを伝えないのかが」

「だが、それでこそ人の心というものは面白いのかもしれん」と勝手に結論づけた祐介に、数拍遅れて竜司が再起動する。

「は、はぁぁぁー!?」

「うるさいぞ竜司。往来のど真ん中で」

「いや、いやいや、そんなんどうでも良くてよ。何、アイツ等そうなのか!?」

「少なくとも互いに異性として想い合っているのは確かだ」

「それってお前の思い込みじゃなくてか?」

「馬鹿を言うな。同じ失敗など繰り返すものか。確信はある」

「確信?」

「先週のことだ」





「今日も大変美味かった。次はコーヒーを頼みたいのだが」

「わかってるよ」


暁作惣治郎直伝のカレーを(三杯も)平らげた祐介は空の皿を暁に差出す。

いつものことと呆れた表情を微かに浮かべるだけで暁は厨房の奥に引っ込む。


「暁~あんまりおイナリ甘やかすなよ~」


双葉が暁の背中に向けて言う。

こちらは既に食後の熱々のコーヒーをゆっくりと幸せそうに啜っている。



「聞き捨てならんな。俺はただアイツのカレーを食べに来ているだけだ」

「いつもな。お前ホントこのままだと暁のヒモだぞ、ヒモ」

「誰がヒモだ!」

「お前以外に誰がいるんだよ。今のやり取りなんて完全に大飯食らいの甲斐性無しに呆れる嫁だったな。

うん。ホモォがいけるクチならオイシイかもしんないけど、わたしは特に尊いとか思ってないからな」

「何を言ってるのかさっぱりわからん」

「おイナリはこの店のヒエラルキーで最下層のペットだってことだ」

「ペット!?」


祐介と話す間も双葉はコーヒーを淹れている暁から視線を動かしてはいなかった。


彼女が暁に懐いていることは仲間内で周知の事実として受け入れられている。

過去の経験から対人恐怖症の彼女が、仲間にだけは心を開いていた。

特に暁に対しては全幅の信頼を寄せており、兄のように慕っていると言っても過言ではない。

ルブランに暁がいるときは大抵セットのようにいるし、部屋を訪ねると一緒にゲームをしている場面にも遭遇する。

兄妹みたいだとは誰が言い出したのか、成程その通りだと思う。

そんな双葉が幸せそうに、嬉しそうに、そして僅かに切なげに眼を細めて暁を見つめている。

それは果たして兄妹としての感情の在り方なのかという疑問が生じるが、自分の分析は間違っていることが、殊感情に関しては多い。

しかし、感情の種類に拘る必要性は現在のところ祐介にはない。

対象の興味はあるが、当人達が大切に想い合っているのであればそれで良いことだ。

双葉は大切な仲間であり、また、造形も整ったものだ。

そんな双葉の、万華鏡のように様々な感情を乗せた横顔は見ていて飽きず、絵に残しておきたいと思う程に美しいものとして、祐介は好ましく思っていた。



「双葉は本当に暁が好きなのだな」


心地よい満腹感に気が緩んでいたのだろうか、そんな心情が思わず声に出ていた。

祐介としては、兄として慕っているのだなという意味で呟いた言葉であった。

しかし、双葉は啜りかけていたコーヒーを小さく噴くと、目を見開いて祐介の方を見る。


「な、何を言うだー!この変態イナリ!」

「変態じゃない!」

「急に、好きだとか、そんなこと言うおイナリは変態で十分だ。デリカシーが無さ過ぎだろ」


双葉が眉を吊り上げ、噴き出したコーヒーを拭いたおしぼりを投げつける。

林檎のように真っ赤になった双葉に、祐介はふと公園で出会った兄妹を思い出した。

暁とボートに乗った時に出会った兄妹だ。最初は仲の良い恋人だと思い、絵のモデルにと思っていたのだが、彼らは兄妹であった。

祐介としてはその時とは違い、きちんと暁と双葉を兄妹として正しく認識した上での言葉であったが、双葉の反応は異なった。

恋人と間違えた彼等は、驚きこそすれ顔を赤くすることはなかった。


それに対して、目の前で顔を赤くしながら慌ててコーヒーを拭いている双葉はどうであろうか。

彼女の反応は妹のものなのだろうか。

物事をハッキリとさせておかなければ気が済まないのが喜多川祐介という男だ。

故に、一人で答えの無い疑問に頭を悩ませる等ということはしない。


「もしや、異性として好きなのか?」

「ほぁぁっ!?」

「異性として暁に魅力を感じ、好きになっている。つまり惚れているのか?」

「何度も言い直すな、そして声がデカい!!」

「いや、声がデカいのは寧ろお前なんだが」


言われてから、双葉は慌てて声が聞こえていないかと暁をちらちら横目に見る。

幸い、暁はコーヒーをゆっくりとカップに注いでいる最中であった。


「べ、別に私はそんな惚れてるとか、そういうのはだ、誤解だぞ?」

「そうなのか。やはり未だに人の感情の分析が不得手なようだ。兄妹を恋人と勘違いするくらいだから。

お前が暁を見つめる眼差しに秘めた情熱と狂おしい程の切なさを感じ取れたのだが。

うむ、俺の感情についての分析は当てにならない。何より兄妹がいない身なのでな。

アイツを見つめるお前の瞳の奥にまるで溶けた硝子のように常にめまぐるしく形を変える強い熱情や、色取り取りの花のような色合いが見て取れたのだが。

それほどに強く暁を求めるものであったとしてもそれは、俺の勘違いで、

世間一般の仲の良い妹としてのものなのかもしれないと思いあえて逆を行ってみたのだが……」


「ストップだおイナリ。それ以上はいけない。ワザとか?ワザとなのか?」

「どうした?顔がパンサーのように鮮やかな紅に…」

「ワザとだな。わかってて本当は言ってるだろお前。コミュ障をからかってそんなに楽しいか?」

「なるほど。お前の動揺ぶりから察するに、図星を突かれて焦っているということか。つまり俺の違和感は間違っていなかったということか。

ふふふ、良いぞ。どうやら俺の観察眼は磨かれているということか」

「お前のサードアイはどうでも良いんだよ!」


「それで、いつなんだ?」

「何だよ、いつって」

「告白する日取りだ」

「そ、そんなん、できるか!」

「何故だ?異性を恋い慕っているのであれば、当然次はその想いを告げるのだろう。

以前杏に借りた本では、隣の席になった男女が翌週には恋人になっていたぞ」

「スイーツとリアルはイコールじゃないからな!アイツ等はノルマがあるだけだから。

一年以内に妊娠、レイプ、不治の病、別れ、永遠の愛(笑)を網羅しないといけないだけだから。

そもそも、こちとら最近まで非リア中の非リア。非リアの最前線ヒキコモリだったんだぞ!」



「ヒキコモリがどうした?」

「ひゃああ!あきら!?い、いつ、いつ、から聞いてた!!」

「スイーツとリアルはイコールじゃないってところから。祐介、コーヒー」

「すまない」

「っぶね~…ギリ聞かれてなかった」

「何が?」

「何でもない!何でもないぞ、な?おイナリ。な?」

「祐介…そうなのか?」




「…そうだな特に何も無いな」

余りにも必死に目で訴えかける双葉が、少々哀れに思えた祐介は、珍しく空気を読む。

しかし、肝心の双葉が露骨に動揺を見せていることを、他者より鋭い暁が見逃すはずがない。

僅かに目を細めて二人を見る。



「……ふぅん。そうか。何も無いか」

「あれ?暁、ど、どうした?」

「別に」

「……何か怒ってる?」

「別に怒るようなことは何もない」

「ホントに?」

「ホント」

「でも、やっぱ何かフキゲンだろ」

「不機嫌じゃない。怒る理由、無いから」

「うそだー」


普段は優しく柔らかな物言いのはずなのに、素っ気ない暁の口調に双葉はおろおろし始める。

自分の何かが暁を怒らせてしまったのだと、理由はわからぬままに少女は理解する。

仲間内ではいつも小憎らしい、ふてぶてしい双葉がおろおろする姿は確かに珍しい。



しかし、祐介はそれ以上に驚かずにはいられなかった。

目の前の、冷静沈着な彼が、己の身を危険に曝す作戦を提案されてさえ表情を変えなかった自分達のリーダーが、子供の様に不貞腐れているのだから。


*


「俺が思うに、あの時暁が見せた感情はまさしく嫉妬だと思う」

「嫉妬?暁が?」

「ああ。心は熱く、されど頭は常に冷静でいるアイツが滅多に見せない表情だったからな。間違いない」

「想像つかねー」


竜司も祐介と同様に暁に対して常に沈着冷静なイメージを持っている。

勿論、内に秘めている真っ直ぐな正義感と熱いハートは怪盗団の誰よりも強いだろう。

しかし、自分や杏とは違い、暁はそれを表に出すことは滅多に無い。

暁が表情に出すとすれば、微かな微笑か、或いは敢えて挑発するための不敵な笑みくらいだろう。

怒りを見せる時ですら、眉間に皺を寄せる程度だ。

そんな暁が嫉妬を抱く様など思い描けるはずがなかった。


「もっとも、時間の問題の気もするがな」

「何が?」

「付き合うまでの時間だ」

「マジ?」

目を丸くする竜司に祐介は鷹揚に頷く。



「あの二人は、既に言葉にしなくとも無意識に互いの気持ちに勘付いているような気がする」

「それも確信か?」

「ああ。画家としてのな」

「何だよ、その画家の確信が何で恋愛に絡むんだよ」

「凡人にはわからん話しだ」

「テメェ!!」

ムキになる竜司に、祐介は意地悪く笑った。





全ての戦いが終わった翌日。

祐介達が目にしたのは、悲しみと悔しさに歪んだ面持ちで座り込む真と、やり場の無い苦い思いを噛み締めたかのような惣治郎。

そして、どれだけ泣いたのか、目元を、鼻を赤くし、瞳に涙を湛えカウンターに突っ伏す双葉の姿だった。


彼等のリーダーらしい選択。

仲間と正義の為の勇気ある行動。



そして、世界は相も変わらず彼に冷たいという事実が告げられた。


仲間達で手分けをして暁を助ける為に行動を開始することになった。

万が一を考え、一人一人バラバラに行動するのを避けるため怪盗団は三手に別れることとなった。

杏には竜司が、春には真が、そして祐介は双葉と行動を共にすることにした。


「双葉、必ず暁を助け出すぞ」

「うん!」



あの日見たカウンター越しにじゃれ合う二人。

子供染みた嫉妬を初めて見せた暁。

そんな初めて見る暁に戸惑う双葉。

互いに自分の感情を持て余しているというのに、それでも離れることの無い距離。

少しずつ、少しずつ想いを確認しながら近づこうとしているのはどちらだろうか。

もどかしくも、初々しい二人の作る空気。

想いが通じ合ったらこの距離はどうなるのだろうか。


この光景は一体どうなるのだろうか。


少なくとも、今よりも自分の感性と創作意欲を刺激してくれるだろう。


幸福と喜色の笑みを浮かべ合う親友と妹分の光景を思い浮かべた。




「俺はまだ描いてない」


吐き捨てられた言葉の意味がわからず、双葉は怪訝な目で見上げるが、祐介は答えない。


「描いていないんだ。あの美しい絵を」


そう、自分はまだあの描いていない。

あの日、じゃれ合う二人からそっと距離を置いて、指でフレームを取り覗いてみた。

そこには兄妹愛、家族愛、友愛、親愛、そして男女の本能としての愛、互いが存在することそのものを慈しむような愛。

祐介の描きたいと思った全ての愛が、そしてそれを宿す心が映し出す美があった。

付けるべきタイトルはまだ思い付かなかったが、フレームの中に確かに見えたのだ。

自分が描くべき「絵」が。

自分が描きたい「絵」が。



ふざけるな。



口の中で小さく噛み締めるように呟く。

何も言わずに去った親友への憤り。

泣き腫らした目の双葉への口惜しさ。

無力な守られるだけの自分への怒り。

全てを込めた。




「ふざけるな」

もう一度吐き捨てた。

「おイナリ?」


俺の描きたいのはお前達二人の笑顔だというのに。

勝手に泣かせて、勝手にいなくなるなど、俺は認めないぞ、暁。

戸惑う双葉の手を引きながら、祐介は決意を噛み締めるように前を向いたまま双葉に言う。


「そうだ、こんな結末俺は認めない」



本日の投下を終えます。

地の文がミチミチで読みづらいと思ったので、一行ずつ開けてみました。

それではまた。

サラダバー ノシ

今から投下します。


俺はカレシで、双葉はカノジョ。

言葉にすれば恋人同士。

けれど、果たして自分の中にある感情はその呼び名に追いついていたのだろうか。

異性として魅力的だとは思う。

抱けと言われれば、おそらく抱ける程度には。

けれども、強く求められなければそんな気は起らない。

いや、例え求められたとしても、窘めて誤魔化したかもしれない。

大切な家族だから、無闇に手を触れて良いとは思えなかった。

無垢な子供のようで放っておけない。

大事な妹のようで自分が守ってあげたい。

その時まで庇護欲と区別が付いていたのだろうか。

双葉には気付かせまいと疑問を胸に秘めたまま、

気付けば季節は残暑の香る秋から、一足飛びに秋を超え、冬へと着地しようとしていた。



自分はあの日どんな顔をしていただろうか。





身を隠さなければいけない立場へとなった俺を、双葉は元気づけようとしてくれていたのだろう。

ネットで目にした面白い話や、カナちゃんとのメール、高校入学に向けての準備、俺は殆ど聞き役になっていた。

双葉の話を聞くのは苦ではない。

初めて会った頃のように、幻聴に怯え、いのちを諦めていた塞ぎ込んだ昏い目が嘘のように、

ころころ表情が変わる様は見ていて楽しい。

まるで万華鏡のように、彼女の感受性は強く、そして奔放だった。

不意に双葉が肩を落とす。

どうしたの?と聞いてやると、両手で裾を掴みながらもじもじと不安げに見上げてきた。

「わたしばっかり、喋ってる。ゴメン。暁はそれどころじゃないのにな」

彼女は時折、こうして自罰的になる。

自由奔放で我侭かと思えば、急に落ち込む。まるで子供だ。

そして、俺はその子供っぽさを嫌いではなかった。

だから、身長差のせいで、双葉のつむじしか目に映らないことを、その時勿体ないと思った。

どうせ子供っぽいなら、落ち込んだ顔よりも、笑顔を見せて欲しい。


「そんなことないよ。双葉が楽しそうにしていると、俺も楽しい」

「ホントに?」

「ああ」

「わたしが笑うと、カレシも嬉しい?」

「凄くね」

「…ぐふふふ、そっかーそっかー。じゃあ、カレシのリクに応えなきゃな!」

バッと天幕があがるように勢いよく顔を上げる。

赤みを帯びた髪がさらさらと揺れる。

そこには赤く頬を染めた満面の笑み。

「どうだ?嬉しい?」

「ああ」

「良かった。へへへ」

「何?」

「暁、やっと笑ってくれた」



息を呑んだ。



悪戯っ子のように歯を見せて笑うのでもなく、偽悪的に唇を吊り上げるのでもない。

ゆるりと頬を緩めて、蕾が綻ぶように双葉が微笑んだ。

何の疑いも無く自分を見上げる眼差し。

零れそうな程大きな瞳の中には彼女を見下ろす自分の顔が映っている。

耳に掛かった柔らかな紅茶色の髪を指で掬い取ったのは無意識のことだった。

彼女は「あ」と声を上げたかと思うと、一筋泪を零した。

顔を背けて小さく「ごめん」と呟く姿に心がざわめいた。嫌だったのかと聞けば激しく首を振る。

自分でも何故泪が出たのかわからないらしく、強く袖で目元を擦る手を慌てて止めた。

乱暴に擦ったら赤くなってしまうからと、代わりに指先で泪を拭ってやると、林檎のように頬を染めて呆然と自分を見つめる彼女と目が合った。

握っている手首の細さに微かに手が震えた。

泪の跡の残る白い頬から桜の花びらのような小さな唇に視線が移った。


「あき…ら?」


気付けば重ねていた唇を離す。

自分の唇を指先で押さえ猫のように目を丸くした彼女 ―― 双葉を見てから今更過ぎる事実を理解した。

何が妹だ。

何が子供だ。

何が庇護欲だ。

笑わせるな。



俺は彼女のことが ――






懐かしい夢を見た。

懐かしいといっても、ほんの二ヶ月くらい前のことなのに随分と遠い日の出来事のような気がする。

時計を見ればまだ日の出前の時間だ。

少年院に来てそろそろ一月が経つ。

個室をあてがわれ、作業も免除。

破格の待遇のようだが、自分と他の人間との接触を最低限にしておきたいという目論みなのだろう。

心を盗む怪盗団だ、何をするかわからない。

これは監禁と変わりないことは明らかだ。

いいさ、これで仲間達の安全が保証されるなら。安いものだ。

深く息を吐き出す。体温をたっぷりと含んだ白い息が夜の闇の中に溶けて行く。

寝起きの少し体温の上がった身体から熱が逃げて行く。肌寒さに身体が震えた。

窓の外に目をやれば、月が煌々と輝いている。まるでぽっかりと空いた穴を見つめているような気がする。


「ザマ無いね」

声が聞こえた。

自分以外誰もいないはずの部屋に。

それどころかまだ誰も起きていないはずのこの時間に。

窓から声のする方を見る。

扉にもたれかかり、腕を組んで佇む制服姿の少年。

嘗て何度もルブランで目にした笑顔があった。

「やぁ、久しぶり」

「明智、吾郎」


「獅童を改心させてくれてありがとう。アイツの顔は中々見ものだったよ」

「約束だからな」

「……何だ、あんまり驚いていないみたいだね」

明智は拍子抜けしたと言いたげに肩を竦める。

「驚いてる」

夢現のままに目にしている幻だろうか。

夢はどれ程荒唐無稽なことが起きても受け入れてしまうが、同じことだろうか。

「驚き過ぎてどう反応して良いのかわからないだけで」
「そうかい」

扉から身体を離すとゆっくりと明智が近づいて来る。

「で、満足かい?」

ベッドが軋む。

片膝をベッドに乗せて、逃げ場を防ぐように両手を壁に当てて、明智が目の前に顔を近づけていた。

息も触れそうな距離に明智の笑みがあった。端正な顔を悪意にきゅぅっと引き攣らせた歪んだ笑みだ。

「正義の為に自分の人生を棒に振って、満足かよ?なぁ」

口調が乱暴なものに変わっていた。いや戻っていたのだろう。本来の明智の口調へと。

「別にこれで終わりじゃない」

「バァカ、何言ってんだ。少年院上がりのガキがロクな人生歩けるわけがないだろ。

貼られたレッテルの真偽も理由もどうだっていい、レッテルが貼られた事実だけが残る。

その重さを骨身に沁みてわかってるだろ『前科者』?」


ベッドに腰掛けると明智は窓の外、青白く輝く月を忌々しげに睨み上げる。

「獅童に取り入ったからって、簡単に高校生探偵だって騒がれるようになる訳じゃない。

そもそもアイツだって俺の能力に最初は懐疑的だったからな。

それこそ家柄名門だとか警察と強力なコネクションがあれば別だろうがね。

幸い俺は母親似の容姿だからね。受けは良いのさ。女にも、それに特殊な趣向の男にもね。

警察のお偉方にもそういうホモ野郎は結構いてね。好色オヤジ達の相手をしたことだってあるさ」

明智が鼻で笑う。

「苦痛に思わなかったと言えば嘘になるが、後悔はしてない。それまでも泥水啜ってでも生きてきた。

獅童に復讐すること以外はどうでも良かった。もっとも、ホモ豚連中は金を強請るだけ強請って、消してやったけどな」

弱味になるからな、と明智は喉を震わせる。

「そんなクソみたいな世界なんだよ俺達が生きてるのは。何の後ろ盾も無く少年院上がりのレッテルが付いたお前がどうやって生きて行く?

見返してやるための場に立つことさえ出来ないかもしれないのに」

「それでも後悔はしていない。仲間の為だし、それに…」

喉がカラカラする。唾をかき集めるように飲みこむ。

自分の心を確認するように、深く息を吸うと冷たい空気が肺に満たされ、少しだけ心が落ち着く。

「アイツ等と証明して世界に叩きつけた正義を無駄にしたくない」



「お前が犠牲になればアイツ等の安全は保証される。あのちんちくりんの…そうそう、佐倉双葉だ。

獅童の罪が立証され、芋づる式に彼女の母親を殺し、研究を掠め取った連中の存在が明るみに出れば彼女の状況は一変するだろうな。

佐倉双葉だけじゃない、お前の仲間達の抱える問題は解決しつつあるようだしな。

しがらみから解放されて、これからようやくって時に少年院上がりのクズが傍でうろうろしてたら邪魔になる」

落ち着けたはずの心がざわりと音を立てた。


「ここから出所したら二度とあの連中の前には姿を見せないつもりなんだろ、お前?」





声が出なかった。

明智の言葉は心の隙間を通すように冷たく抉るものだった。

「自分は糞みたいな人生を我慢して、自分の女から離れて。いずれ他の男に盗られて、それで満足か?」

「嫌に決まってる。けれども、仲間達の、双葉の足枷になるのはもっと嫌だ。

誰かのせいで、誰かに囚われて生きることがどれだけ苦痛なのか、俺達ならわかるだろ?」

声が震えそうになるのを堪える。

沈黙が冷たい空間に広がる。

ベッドの端に腰掛けた明智がどんな表情を浮かべているのか、半身を起こしたままの自分からは見えない。

「確かにわかるさ。けど、」

沈黙を破ったのは明智だった。


「それが本当にお前の本心なのか?暁」



違和感。この一年で何度も味わった感覚。それが今、起きた。

生れるはずの無い違和感。異世界へと足を踏み込む違和感。


「これは…っ」


気付けばベッドが消えていた。

自分の手を見れば、鮮やかな赤い皮手袋。黒いコートとブーツ。

顔に手をやれば仮面の手触り。クリーム色の壁は鉛色の石煉瓦へと変わっていた。

少年院の個室は、寒々とした空間になっていた。

扉があるべき場所には、黒く冷たい鉄格子。

鉄格子は開いていた。



「はははは、やっぱりな」


明智の嘲笑が響く。

声の方へと振り向くのと、手に馴染んだ拳銃を構え引鉄を引くのは同時だった。

撃ち出された銃弾が明智の身体の真横を通り過ぎて行く。



「いきなり発砲は酷いな」



けろっとした顔で、特に気にするわけでもなく明智が楽しげに笑う。


「お前の仕業か?」

「まさか。この格好を見ろよ」


自分と異なり、明智は制服姿から変わっていない。

それどころか、シャドウ特有の金色の光すらその目には無い。



「お前は何者だ?」

「ようやくその質問かよ」

明智は呆れたように肩を竦める。

「明智は死んだ。俺が見ている幻でも無い。ならばお前は?」

「半分は正解。俺は確かに死んだ。クソッタレの獅童のパレスで。けど、あのブリキのクソ神と戦ったならわかるだろ。

人の意識は根本で繋がっている。獅童のパレスの崩壊に巻き込まれた俺の思念が流れに飲み込まれ、招き寄せられてもおかしくは無いだろ」

「招き寄せられた…だからか!」

明智が頷く。問題を解いた子供を褒める大人のように笑みを浮かべて。

「俺はあくまでも此処に招かれた客」

此処 ―― 紛れもない、此処は『パレス』だ。

「招いた客を警戒する主なんていないだろう」

自分の制服を見せつけるように両手を広げる明智に、改めて自分の服装を見下ろす。

「お互いワイルドなんだ。イレギュラーが起きてもおかしくはないさ」

「……」

「キレるんだか馬鹿なんだか。いい加減察しがつかないのか?あの偽神が死んだ以上、此処を生み出せるのも、立ち入れるのも、限られてるだろ?」

牢獄を見渡す。

何度も何度も訪れた「あの場所」を彷彿とさせる。

意識と無意識の狭間に存在し、心の在り方によって如何様にも形を変える特別な空間。

自分の心象が形となったベルベットルームによく似たこの場所。

此処は、



「そうだよ。ここはお前のパレスだよ。ジョーカー」





いつだって優しく見下ろす瞳。

お母さんの葬式に現れた黒服の大人達のように見下すんじゃなくて、包み込むようにわたしを見つめてくれる。

でも、惣治郎とは違う目。

お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかと思って、安心してわたしは暁の傍にいたけれど、何処か違うと思ったのはいつだったっけ。

わたしの頭を撫でてくれた暁の手。お母さんのようでも惣治郎のようでもない。

お母さんよりぎこちなくて、惣治郎ほど乱暴じゃない。

モナを撫でる時みたい?猫扱い?ペット?心臓が凄い勢いでドクドク行って、病気か?不摂生が祟った?

でも暁から離れるとドクドクは収まって、痛くなくなる。それで暁から距離を取ると、胸の中が凄く寒くなって、違う痛みで苦しくなってきた。

これ以上酷くなる前に、わたしはどうにかしないといけなかった。

暁がいるうちに強くならないと。強くなったわたしを見せないといけない。

あの日、わたしはそう言ったんだ。暁を見上げて。いつものようにわたしを見つめる暁に向かって。お兄ちゃん離れ、少し早いけどしないといけないから。


暁から離れても大丈夫にならなきゃいけないね(本当は離れたくない)


わたしは暁がいなくても全然平気にならないとダメだから(全然ダメダメだ、いなくなったら嫌だ)


本心を、パージして遥か遠くに吹っ飛ばしながら、自分の決意を暁に伝える。

暁がわたしを優しく、少し何かに耐えるみたいな目で見下ろしてくるのはきっと、気のせいで、それが恋だとか思うのはわたしに都合の良い妄想なんだ。




そう思っていたのに、暁は言ってくれた「双葉が好きだから」って。



妄想乙。

わたしの十八番の幻聴かと思った。

けど、わたしの幻聴は基本わたしをディスることしかしない。

じゃあこれはリアル?マジ?マジで?三次元の出来事か。ヤベェ。

ほんの数か月前まで死ぬことしか考えてなかったわたしに、そんな夢みたいなことが起きるなんで。

寧ろこれバグなんじゃないのだろうか。感情パラメーターの数値のバグとかで。

だって、コイツはステータスカンストしてそうな奴で。

私はヒキコモリで、杏みたいなバインバインでも春みたいなプリンプリンでも無いヒンソーなボディだ。

それなのに、それなのに。


夢を見てるような気持ちのまま、わたしと暁はカノジョとカレシになった。



それから、季節は冬になって、わたしたち怪盗団は首の皮一枚で繋がった。

クチサケより厄介だと思った真の姉ちゃんを仲間に引き入れる作戦は

取調室の僅かな時間でコープMAXになるという異例のチョロさを発揮した。

いや、真の姉ちゃんがチョロいんじゃなくて、怪盗団のリーダー、ジョーカーの手腕と言うべきなのかもしれない。

流石ジョーカーわたしのヒーロー。そしてわたしの、か、かか、カレシ。

けど、その代わりあいつは世間的に死んだことになり、身を潜めることになった。

ずっと屋根裏部屋に閉じこもってたらストレスがたまる。

カレシのストレスケアはカノジョのお仕事だ。

わたしのお願いをあいつは拒まない。

いつだって、小さく目尻を下げて頷く。

フードを目深に被ったあいつの隣を歩きながらいっぱい喋った。

竜司みたいな奴が再生数を稼ぐために無茶をやる動画のこと。

カナちゃんがアルバイト先で見た変な人の話。

高校の勉強をしようと思って参考書を買ってみたら、簡単過ぎて噴いたこと。

でも、現国の「この時の彼の気持ちを150字以内で答えよ」みたいなのはさっぱりだってこと。

たくさん、たくさん話した。

暁がちょっとでも楽しんでくれるように。



なんてな。

うそだ。

本当は、そんなもっともらしい理由じゃなかった。


暁がわたしのことを妹とかそんな風にしか見てないんじゃないかって時々思う。

今も、わたしを見る目は優しくて、そうじろうみたいに温かい。

けど、これってコイビトを見る目なのか?

笑ってるけど、なんだか無理してるのがわかる。

何か考え事してる。わたしに言えないこと?

わたしは全然かわいくねーし、カレシはもしかしたら今、他のもっと可愛い子のことを考えてるのかもしれない。

杏とか真とか、春とか。或いは、あの女子高生棋士とか。

わたしは今でもわたしに自信が持てない。

わたしはカノジョで、こいつはカレシ。

でも、それは「とりあえず」で、「とりあえず」が終わってしまったら、じゃあどうなるのかって話で。

「とりあえず」の先を思うとわたしは不安でモダモダしちゃう。


「わたしばっかり、喋ってる。ゴメン。暁はそれどころじゃないのにな」


だから暁が飽きないように、暁が楽しんでくれるように、話題を頑張って探してる。

わたし、きちんとカノジョやれてるかなって。

「そんなことないよ。双葉が楽しそうにしていると、俺も楽しい」

ホントに?ホントにそう思う?

「ああ」

ヤベェ。凄く嬉しい。

わたしを慰めるお世辞なんじゃないかって疑ってるのに、嬉しさが天元突破しそう。

しかーし、わたしはそんなにチョロい女じゃないぞ。

わたしが笑うと、カレシも嬉しい?

「凄くね」

ごめん、嘘。わたし超嬉しい。チョイかもしんない。


さっきからニヤケが抑えきれん。

堪えきれなくて笑ってしまう。

あ、今コイツ笑った。

無理してるんじゃないかっていうさっきのとは違って、ニコーってした。

嬉しいし、ホッとした。

わたしといて、本当に嬉しいの?なんだか夢みたいだ。


「暁、やっと笑ってくれた」


夢みたいだって思いながら、笑みが止まらん。

わたしきちんとカノジョやれてるっぽい。

癒されてる?わたしの笑顔…笑顔だよな?ニヤケ面じゃないよな?大丈夫だよね?

自意識過剰乙ってセルフツッコミも、こいつの笑ってる顔が見れるテンションには及ばない。

暁は、一瞬びっくりした顔で目を丸くした。

そんな顔初めて見たぞ。いつも涼しげな顔してるくせに。

もしかして上目遣い利いてる?弱点ヒットか?マジか。ぐふふふ、どうだ。

そう言ってやろうと思っていたら、暁の指がわたしの耳に触れた。


優しく、優しく、暁はわたしの髪を掬い上げて。

その仕草が本当にびっくりするぐらい優しくて、でも今まで私がお母さんから、そうじろうから、真や杏やおイナリから貰ったどの優しさとも違ってた。

暁が触れてる髪の毛から、足の爪先までピリッとした痺れが広がった。

ジオを受けたみたいな、本当に電気が走ったと思った。

「双葉?」

気付いたら、泪が零れてた。

胸がドクドクうるさくて、背筋に痺れがじんわり広がって、どうして泣いてるのか全然わかんなかった。

これ以上暁の顔を見てたら、その目に映ってるわたしを見るのが急に怖くなって、「ごめん」て言いながら顔を背けてしまった。

「嫌だったのか」

申し訳なさそうな暁の声に、首を振る。

言葉が出なかった。胸がぎゅうっと締め付けられたみたいで、声を上げたら、蹲って大声で泣き出してしまいそうだったから。


嫌? ―― そんなはずがない。


悲しい?―― 一緒にいて思ったことなんてない。


ショック?―― 驚いたけどそういうのじゃない。


怖かった?―― 何が自分に起きてるのかが少しだけ。


暁を心配させたくないのに泪が止まらなくて、慌てて目を擦ると、暁に手を掴まれた。

「乱暴に擦ったら赤くなるよ」

暁の少し冷たい指先が私の泪を拭っていく。

何でコイツはこんなことできちゃうのかな。

何でコイツはこんな顔でわたしを見てるのかな。

手首を握る手は大きくて、指ながいな、ちょっとそうじろうみたいで骨でごつごつしてるな、

でも、そうじろうみたいに指に毛が生えてないんだな、

いつも澄んでて、クールな目がちょっとだけ潤んでるな、ちょっと何か、かわいいな、

ああ、コイツやっぱ顔キレーだな、こんな近くでコイツの顔見たの初めてか?

こんな近くに、あきらの顔があるのって……

混乱した頭で、纏まらないことを思ってたら、柔らかくて、少しかさついた唇の感触が離れて行った。


え?


私は何をされた?

キスだ、キスをされたんだ。

誰にされた?

誰にって、そりゃ、目の前の、コイツに、



「あき…ら?」


生れて初めて、他人の唇の柔らかさを知ったのだと、理解した。

思わず手で押さえちゃったのは、感触が逃げださないようにしたくて。

顔が熱い。唇が特に燃えてるように熱い。

目の前の暁は、自分で驚いてるみたいだ。自分でキスしておいて、何で驚いてるんだ。

乙女の唇を奪っておいて、文句の一つでも言ってやらねば。

そう思ったけど、暁の顔を見たら、そんな気が失せた。

ちくしょう、ズルいぞ。

そんな真っ赤になって。

そういうことなんだな?

期待するぞ?

しちゃうからな?

わたしだけじゃないんだよな?

わたしばっかりが好きなんじゃないよね?




お前もわたしのことが好きって、ガチで信じていいんだよね?



以上で投下を終えます。
春ちゃんを惣治郎と結婚させて母親になってもらい、双葉を嫁にし、双子+ラヴェタソを養子に迎え入れれば最強の布陣じゃないだろうか。
サラダバー ノシ

今から投下します。



あの日。

あの夜。

クリスマスイブの夜。

自分の傍に身を寄せた時に漂った双葉の香り。

照れくさそうに微笑む双葉を見た瞬間、背筋をぞくりと甘い痺れが走った。

誰と絆を深めても感じることが無かった強い欲求。

庇護欲と恋愛感情の区別がつかぬままに、ただ傍に居たいと付き合うことになった双葉。

そんな彼女に対して初めて感じた激しい欲望。


双葉が欲しい




抗い難い乾きのようだった。

華奢な身体を閉じ込めるように抱きしめて、

白い首筋に吸い付いてしまいたい誘惑に目眩を覚えた。

双葉の中の牝を貪りたいという牡の本能。

それをすんでのところで堪えた。

仲間の為に出頭することを決めたから。

それによって自分に刻みつけられるレッテルの重さを思えば双葉を抱くわけにはいかなかった。

これから前に進む仲間達の障害になるわけにはいかない。

ようやく自分の足で立ち、進むことを決めた少女の足枷にはなりたくない。

きっと双葉はこれから多くの人に出会い、多くの世界を見るだろう。

そして、多くの経験から大人へと成長する。

惣治郎の言う通り「いい女」になるのだろう。






そして ―― いつか彼女に相応しい男と出会い、結ばれる。


そんな彼女の未来を奪わぬよう、自分は双葉から離れよう。

仲間達からも距離を置こう。

それでもかまわない。

仲間達の幸福の為。

仲間達と見つけた正義の為。

自分には既に大切な[[rb:思い出 > オタカラ]]がある。

悔いはない。

それを胸に、自分は生きていける。




これは正しい選択だ。



正しいはずだ。





牢獄のパレスを明智と歩き続ける。

石畳を革靴が叩く音が響く。

行程は不気味なほどに順調だった。

複雑な迷路になっていない。

特殊な仕掛けも無い。

そして何より、

「一向にシャドウが出てこないな…」

明智がぽつりと呟く。

最初は物陰から遅い来るシャドウに警戒していた。

ただでさえナビもモルガナもいないパレスを歩くのだ、注意を払うに越したことはない。

しかし、気を張って、周囲に意識を張り巡らせどもシャドウは一向に現れる様子が無い。

怪盗服に変わった己の出で立ちを見る限り、警戒されているはずなのにどういうことだと暁は訝しむ。

「知るかよ。お前の生み出したパレスなら、お前が一番わかってるんじゃないのか?」

せせら笑うように口の端を吊り上げる明智から目を逸らす。



一本道が続き、階段を上るとまた一本道。

続いて行くのは、堅牢な石畳と石煉瓦の壁。

道々で目にするのは空の牢獄ばかり。

空っぽで寒々しい牢獄。


―― これが俺の世界? ――


自らが導き出した不愉快な答えに奥歯を噛み締めながら何度目かの階段を上った先に初めて変化が生じた。

それまで辛うじて青白い光だけが灯されていた視界に真昼間かと思うほどの光量が飛び込んできたのだ。


「…あれは…」


目の前に広がった光景に目を疑った。

牢屋の一室に過ぎないというのに、鉄格子を隔てたそこには、それまでの石煉瓦の壁は無かった。

石煉瓦の壁というよりも、壁そのものが無かった。

パレスは珍妙奇天烈な建造物や、荒唐無稽な風景が存在する。

お城も美術館も、宇宙船も見た。

砂漠の町やカジノで大立ち回りだってした。

見渡す限り広がる大海を進む船から大脱出を試みた。

現実世界に浸食する醜悪な塔を突き進んだ。

今更驚くようなものは中々無いと思っていた。

だが、そこに広がるものに驚かずにはいられなかった。



『おい暁。これからトレーニング付き合えよ!!』


見慣れた秀尽の廊下、鉄格子の向こうに広がっていたのは俺のよく知っている風景だった。

そこに立つ竜司が手を上げていつものように歯を見せて笑っていた ―― 『俺』に向かって。

そして、次に鉄格子の向こうに広がるのは学校のグラウンド。

ジャージに着替えた竜司と『俺』は何度も走っていた。


『これからどうする?ラーメン食いに行くか?』


走り終えた竜司が“いつも”のように『俺』に笑いかける。

まるで、鉄格子を隔てた先にあるのは、当たり前の日常だった。


「まるで録画したビデオを見てるみたいだな。何だよお前等男同士で遊園地行ってるのか」

楽しげな明智の声に、ハッとする。

目の前の光景に呆然としていたようだ。

鉄格子の向こうにいる竜司は俺達の侵入に気付いていないようだった。

当たり前にそこにいる『俺』と日常を謳歌している。

「気付いてるか?」

隣に立つ明智が目の前の視線を追って行くと、その言葉の意味に気付く。

「鉄格子が…」

「ああ、閉じてるな」

それまで空っぽの牢獄と、開けっ放しの鉄格子の扉ばかりだったのに、初めて閉まっているのを見る。

手に触れて何度も動かしてみるが、ビクともしない。完全に施錠されているようだ。

「ここにいても埒が明かないな」

明智に言われるまでも無かった。

きっと、「あの竜司」には呼びかけてもムダなのだろう。

繰り返される竜司と『俺』の日常の光景を出来るだけ視界に入れないように、道を進む。



自分が真剣に打ち込めるべきものを模索する杏。

己の描くもの、描くべき美を追求する祐介。

知らなかった世界を知ろうとする真。

自分の夢と向き合う春。


そして、常に自分の傍らで、自分自身を探し続けてきたモルガナ。


目にしたのは仲間達と絆を築き上げていった日々。

仲間だけではない、大切なものを教えてくれた人達と過ごした日々。

牢獄の奥ではそれぞれが何も疑問に思うこともなくそれぞれの日常を、暁が歩んできたかけがえのない日々を繰り返していた。


「牢獄はあっても、シャドウどころか看守の姿も無い…か」

明智が何かを考え込むように顎に手を当てているが、暁は口を引き結んだまま歩く。

パレスは強く、歪んだ欲望が形になったもの。

故に、そこには心象風景が強く反映されている。

そのはずなのに、牢獄の中という状況こそ異質であるが、このパレスに広がる光景は暁の記憶と寸分の狂いもなかった。

だからこそ、暁は胸に走る苦痛に歯を食い縛る。

鉄格子越しの光景は、まるでもう二度と手に入らないと言うが如く。

取り戻せないものを永遠に見せつけられているようで。

そこで繰り返されているのは、全てが過去。

現在(いま)、自分は少年院(ここ)にいる。

明智の言うとおり、自分は手放すのだ。

あの日々を、築き上げた絆を、大切な人々を。

大切な人達を守る為に、それを捨てようとしているのだ。




―― 正しいはずだ ――


『もう、暁さんどこ撃ってるのさ!』

『はは、君にはいつも勇気づけられるね』


―― 正しいことのはずなんだ ――


『ふふ、ありがとうねモルモット君』

『ご指名ありがとうございま~す、なんてね。もう、こんなに洗濯物溜めて』


―― 自分の選んだ道に間違いは無かった ――


『占ってあげます。そうですね、暁さんの悩み事なんてどうです?』

『早く君と一緒にお酒飲みたいな。ねーララちゃん』


―― だから、迷うな ――


『たまには公園で対局しません?気分転換です』

『よう、暇なら仕事手伝って行けよ』


―― 大切な思い出は胸にある ――


『応援してるからな!俺も出来るだけバックアップするから!!』

『今度は私達、大人を信じてくれない?』


―― 振り返るな。俺は ――


『お前は俺の家族だよ』


―― 俺は…ッ ――


「どうしたんだよ。随分ひどい顔してるぞ」




明智の怪訝な顔がすぐ傍にある。

夢中で走り続けていたようだ。

目の前にはそれまでに目にすることが無かった扉があった。


「いよいよご対面だな」

楽しげな声を振り切るように、扉にそっと手を掛ける。

扉は大した抵抗も無く開いて行く。


* * *


息を呑んだ。

薄々感じていたことだった。

最上階に上がってくる間に、唯一目にすることが無かった光景。

自分の心の中に絶対に居なければおかしい、誰よりも大切な人がいなかった。

だからこそ、予想は出来ていた。

欲望の最深層、そこにいるはずなのだ『彼女』は。

そして予想は当たっていた。

当たっていたのに、それでも尚息を呑んだ。




少女は、目も眩むような純白の衣に身を包んでいた。

シルクなのか、滑らかな肌触りであろうと想像できる、艶やかな光沢。

沁み一つ無い肌を包むのは清潔感溢れるドレス。

あたかもウェディングドレスのように幾重にもレースが編まれている。

ほっそりとした首筋には煌びやかな宝石の散りばめられたネックレス。

赤みを帯びた栗色の髪を飾るのは、花を模った銀色のティアラ。

少女が腰を下ろすのは、石畳には似つかわしくない程に柔らかな毛皮の絨毯。

そして少女の薬指に輝くのは一際目を惹く宝石の埋め込まれた指輪。

まるで絵本の世界の中に登場する『お姫様』のようであった。



「双葉…」

しかし、暁が息を呑んだのは美しく着飾った双葉の姿にではなかった。




ちゃり…

金属が石畳に擦れる音が微かに届く。


『暁?』


声のする方へ、双葉が顔を向ける。

ちゃりっ…

再び、金属が石畳に擦れる音が響く。


音のしたと思われる方へ、顔を向ける双葉。

けれども、その瞳が暁を映すことは無い。

いや、何を映すことも無いだろう。


『どこにいるの?暁』


少女は ―― 赤い布で目を塞がれた双葉は、首を傾げる。


ちゃりっ…

金属 ―― 鎖が石畳を微かに打つ音がする。

鎖。

双葉の一挙手一投足を束縛し、知らせるそれは鎖だ。

鎖は、二つの物を結びつけていた。

片方は枷。

双葉の両手、両足を戒めるずっしりと重たげな金属の枷。

もう片方は鉄格子に繋がっていた。

金色の格子。

鉄格子と呼ぶには美しいそれは、

牢獄の扉としてではなく、少女を取り囲むようにアーチを描き、頂点で結ばれていた。


「鳥籠」


掠れた声で双葉を閉じ込める金色の檻を呆然と見上げる。

牢獄には余りにも不釣り合いな、姫君の居室のような豪奢な鳥籠。




「双葉、待ってろ!」

「オイ!」

暁は、我に返ると双葉の下へと駆け寄る。
明智が声を上げるが、既に暁の耳にその声は届かない。

本物の双葉のはずがないという、パレスの常識は今の暁の頭には無かった。

そこにいるのは、怪盗団を率いる常に冷静沈着なリーダーのジョーカーではなく、大切な少女を救い出そうとする、ただの少年だった。

『暁!』

「双葉…!」

檻に手を触れようとした瞬間、幾つもの死線を潜り抜けた危機察知能力が警鐘を鳴らした。

咄嗟に手を引くと、身体をしならせ後方に回転する。

瞬間、暁のいた場所を鋭い矢のような光が走った。

飛び退くと同時に、石畳を砕く音の方ではなく、それが放たれた方へと視線を向けたのは経験から来る判断だ。



『人の花嫁に手を出すのは感心しないな』



男は暗闇からぬるりと現れた。

暗闇の一部が溶けだしたかのような黒い装いのその男を暁はよく知っている。



『盗むにしてももっとやり方はあるだろ?』

石畳を叩く硬い靴底の音。

歩く度に風に靡く黒衣。

戦う前に、真紅の皮手袋に包まれた手を軽く開く癖。

癖の掛かった黒髪と、黒曜石のような瞳。

『怪盗らしく、もっとスマートに…だろ?』

ただ一つだけ違うのは仮面。

暁とは違う白い仮面の無い顔で、暁とまったく同じ顔で、


自分と同じ顔、想定していたことだ。

パレスの主とは、心の持ち主。

此処が自分のパレスであれば、君臨するのは自分自身だ。

暁は驚愕を露程も表さず、ただ目の前に現れた自分に瓜二つの顔を睨み付ける。

その手には既に握られた黒い小刀が妖しく輝いている。

『随分と気に入らないようだな。花嫁呼ばわりされて怒っているのか?だが、俺はお前なんだ、自分に嫉妬しても仕方がないだろう?』

「ふざけるな。解放させてもらうぞ。双葉も、みんなも」

ジョーカーは目を丸くする。

心底意外な言葉を向けられたとでも言うように。

『自分で望んでおいてか?ここが何処かわかっているのか?』

「わかっている。理解し、お前を倒して此処を消す」

仲間と離れた俺の弱さが、仲間との日々への執着。

このパレスの原因をそう分析していた。

此処に来るまでに、嫌というほど味あわされた想い。

郷愁にも似た想いが、孤独を恐れる自分の弱さが生み出したのがこのパレスだ。

だからこそ、暁はそれを自覚し、己のシャドウとこうして対峙している。

それを乗り越えれば、このパレスは崩壊する。

そして、自分は戻ることが出来るのだ。


―― 戻る? ――


『此処を消して、戻るのか?あそこに。仲間も誰もいないあの場所に』

「それが俺の選んだ正義だ」



『クッ…ハハッ、ハハハハハーーーッ!!』

身体を揺らして、ジョーカーが嗤う。

心の底から滑稽なものを見たかのように、身を捩りながら声を上げて嗤う。

『明智が言っていた通りだな。我ながらキレるのか馬鹿なのか…』

目尻に浮かぶ泪を拭うと、嘲笑を浮かべたままジョーカーはおもむろに金の檻に手を触れる。

双葉を閉じ込める鳥籠は、まるで何も無かったようにするりとジョーカーを通してしまう。

『暁?』

目を塞がれた双葉が靴音の方へと顔を向ける。

座り込んだ双葉と目の高さを合わせるようにジョーカーは跪き、不意に双葉を抱き寄せる。

『わわっ!』

『俺はここにいるよ、双葉』

鎖が音を立てるのにも構わず、双葉がジョーカーの首に腕を回す。

ジョーカーは包み込むように自分に身を預けてきた少女の華奢な身体を抱きしめる。

真っ白な衣が、闇色のコートに飲み込まれるように、抱きすくめられる。

『わたし、傍にいても、おっけー?』

『勿論。言っただろ?「離れなくてもいい権利」をずっと使ってもいいって』

『うん』

ジョーカーの腕の中の双葉は、目隠しをされていてもその表情がわかるほど、幸福に顔を蕩けさせていた。

栗色の髪を、赤い皮手袋に包まれた手が愛おしげに弄る。

キリっと音がする。

気付かぬうちに奥歯を噛み締めていた。




『何だ、凄い顔だな。自分相手に嫉妬しても仕方がないと言ったばかりだろう?』

目の前にいるのは自分のシャドウと、そのシャドウが生み出した紛い物の双葉。

つまり共に自分の心が生み出した分身であり、それはくだらない一人遊びに過ぎない。

過ぎないが、それは理屈だった。頭で理解しても、暁の心は嫌悪感に満たされていく。

『それに俺は代わりにしてやっているんだ。お前の望むことを』

恭しく、姫君に傅く騎士のように手の甲へ唇を落とす。

そして、双葉と一緒に見た古い映画、囚われた姫君を攫いに来た怪盗のように気障な仕草で額へと続けざまに口づけるとジョーカーは静かに双葉から離れる。



『パレスは強く、そして歪んだ欲望が形を持ったもの。だが、欲望そのものは誰しもが抱いている。

パレスを生み出さずとも、人は欲望や負の思念が誰しも抱いている。寄せ詰められたものがメメントスだ』

双葉の檻から、ゆっくりとジョーカーは、先程暁に向けて撃ち出された矢のようなものが石畳を砕いた場所へと歩いて行く。

『だから、己の弱さ、歪みと向き合いペルソナに覚醒した人間は生み出すことが無い。

ならば問おう。己の歪みを、弱さを、一度乗り越えれば、それで終わりになるのか?』

そこには矢ではなく、細く鋭いステッキが突き刺さっていた。

ステッキを引き抜きながら、ジョーカーは朗々と語る。

『心とは流れと同じだ。川のように緩やかに、海のように大きく、そして雪崩のように暴力的に、常に移り変わって行く。

自らの生み出した墓場で朽ちて行くのを待つばかりだった乙女が自分の足で立ち、生きて行くと決意したように。

そして、欲望も変わって行く。その数を、質を、色合いすら』

ぞわりと、暁の背筋が粟立つ。

ジョーカーの語る言葉に、言い知れぬ悪寒を覚える。

無表情の下に隠した怯えに気付いているのか、ジョーカーの笑みが吊り上る。

『ペルソナを生み出した人間の心には再び弱さが生まれることは無いと思っているのか?

二度と心が歪むことなど無い、そう本気で信じているのか?

お前が抱いているのは、「郷愁」でも「後悔」でも、ましてや「恐怖」でも無い』

すぅっと、それは刃物で切り裂かれたような笑みを浮かべる。

血を吹き出す寸前の傷口のように、唇から赤々とした舌が覗く。




『お前が抱いている欲望は ―― “独占欲”だよ』




引き絞られた矢が放たれるように、黒い風がジョーカーに飛び掛かった。

金属と金属がぶつかる音。

黒い小刀とステッキが擦れ火花を散らす。

逆手に持った小刀でステッキを捌くと、ジョーカーの首筋へと薙ぎ払う。

『ハハッ、ムキになるな。意外に短気だな』

嘲笑と共に飛び退くジョーカーを前に、暁は眼前に手をかざす。

心の中に浮かび上がる仮面の一つ。

漆黒の影の中を暴れる大鬼を呼び寄せる。


「オンギョウキ!!」



しかし、

暁の呼び声に応えるものは無かった。

己が手を見る。状態異常でも気力が摩耗しているわけでも無い。

それにも拘わらず現れない分身。事態を理解しきれず、呆然とする暁を嘲笑うようにジョーカーがステッキをかざす。

その芝居がかった仕草を目にした次の瞬間、


暁の身体に焼け付くような激痛と痺れが走り抜けた。


歯を食い縛り辛うじて崩れ落ちそうになる膝に力を籠めた暁は目にした。

ジョーカーの背後に佇む金色の冠を頂く王、北欧の主神オーディンの姿を。

一瞬で意識すら刈り取る雷の一撃を受け、尚膝を付く事すらない暁にジョーカーが小さく感嘆の声を漏らす。



『流石だな』


「イシュタル!!」

力の限りの叫びは、やはり空しく響く。

『シュウ… ―― ギガントマキア 』

強烈な力という概念を叩きつけられたような衝撃と共に、暁の身体は重さを持たぬ塵のように吹き飛ぶ。

石壁に叩きつけられる。

二度目の強烈なダメージに堪らずに倒れこむ。

砕けた石壁の欠片が地に伏した背に降り注いて行く。

激しくせき込みながら、痛みとショックに震える手を見る。

ペルソナが出ない

そもそも、

どうしてシャドウがペルソナを使える

何故だ


『わからないって顔だな?』

一歩一歩石畳を踏みつける音が近づく。

身体に力を込めて見上げると、ジョーカーが嘲笑を湛えながら見下ろしていた。




『まだ気付かないのか?』


ステッキを暁の顎に当てると、くいっと顔を上げさせる。

黒曜石のような、艶やかな闇を秘めた瞳が暁を見下ろす。

そう、暁と同じ黒い瞳だ。

ようやく気付いた違和感に瞠目する。


『シャドウにペルソナは使えない、シャドウにはな』


暁の目の前にいるジョーカーと暁の相違点は、ただ一つ。

ただ一つだけ違うのは仮面。

暁とは違う白い仮面の無い顔で、暁とまったく同じ顔で、男は不敵に笑みを浮かべる。


『自分の弱さから目を背けるお前にはペルソナは使えない。

まだわからないのか?此処まで来る間、何も疑問に思わなかったのか?

それとも、気付いていながら、目を背けていたのか?心の怪盗様?』


* * *


「…独占欲のパレス…そういうことか」

成り行きを静観していた明智が、興味深そうに唸る。

ちらりとジョーカーは明智に視線を向けると、視線で続きを促す。

つられて暁も明智へと瞳を映す。

「つまりはソイツの宝箱なんだろ?このパレス全体がコイツの大切なものだけが詰まっている。

大切な仲間達を自分が独占したい。必要としてくれる存在との日々をいつまでも続けたい。

看守なんているはずがない。だってそれは邪魔者だから。

シャドウを配置する必要なんて何処にも無い。あらゆるペルソナを使える自分一人がいれば十分なんだから」


そこで明智が突然笑い出す。


「はっ、何だ、そういうことか。はははは、傑作だなオイ。だから牢獄なのか。

大切な宝物を守るためのパレス。守るのは自分ひとり。あははははは、やっぱり似てるよ、俺達は。

ねぇ、暁?全て切り捨ててきた俺と、全て背負おうとしてるお前も、一緒さ。誰も信じてないんだからさぁ!!」



明智が何を言っているのか、暁にはわからなかった。

明智が何に笑っているのか、暁にはわからなかった。

ジョーカーはつまらなさそうに暁の顎にあてていたステッキを下ろす。

未だ痛みと痺れが抜けない身体は、力なく崩れ落ちる。

『双葉が寒さに凍えないようにいつも温めてやる。飢えに苦しまないように何でも与えてやる。

寂しさに泪することがないようにずっと傍にいる』

びくりと暁の肩が震える。

『どこにも行かせない。誰にも触れさせない。俺だけ見ていればいい。俺の声だけ聞いていればいい』

それは自分自身の声。

目の前の自分そっくりの男が話しているのか。

自分の心の内から漏れ出たものなのか。

暁にはわからない。

わかるのは、それは歪められたものではないということ。

ただ、押し込めてきたもの。



『双葉には俺がいればいい。俺だけがいればいい』



それは、暁の心の底からの、本当の声だった。



以上で投下を終えます。
一二三を怪盗団メンバーから外すという悪手、許しがたい。
それではまた。 ノシ

今から投下します。




怪盗団の命運を賭けた大博打。

起死回生の一手はハイリスクなんてものじゃない、ギリギリの綱渡りだった。

けれども、手段はそれしかなくて、考案した真も、作戦を立てたわたしも、実行するアイツも、そして当然怪盗団の仲間全員が納得済のことだった。

でも、理解していても、受け入れられることと、そうじゃないことはある。

あの日、暁は帰ってきた。

怪盗団のリーダーは獄中にて拳銃自殺 ―― という一世一代のお芝居は見事に成功したことを意味する。

でも、無事にという訳には行かなかった。

作戦の成功と、今後の反撃について確認し合ったの同時に暁は気を失った。

糸がぷつんと切れた人形みたいに。




満身創痍、そう呼ぶしか出来ないボロボロの暁を竜司とおイナリが支えて部屋に運ぶ。

すぐに武見先生が駆けつけてくれた。

事前に用意していたスポドリやタオルを傍に置いて、暁の服を脱がせた。

顔だけじゃなかった。

脇腹にもお腹にも、たくさんの青黒い痣。

腕に針を刺した傷痕があるのを見て、武見先生が舌打ちをした。

連れてきてくれた真のねーちゃんが言うには自白剤を打たれたらしい。

正直、クスリは想像していなかった。

杏が息を呑むのがわかった。

春が「酷い」と言って涙を拭っていた。

竜司は何度も「クソ!クソ!」と呟いてた。

おイナリはやけに無口になってたけど、握りこぶしが震えてた。

モナは心配そうに暁のほっぺたやおでこに、ぷにっと肉球を当ててた。

クスリを打たれて朦朧と混濁する意識の中で、怪盗団の決定的な情報を隠し、作戦を成功させたんだ…

診察しながら「モルモット君の治験の効果かもね」冗談ぽく言ってた武見先生の顔は、全然笑ってなかった。


傷の手当てをしながら、武見先生に今後の介抱の仕方を真は一言も聞き漏らさないようにメモってた。

わたしは、ずっと暁の手を握っていた。

パソコンのことなら修理も組み立てもヨユーだけど、人間相手だとわたしはクソ雑魚だ。

泣くのを堪えて暁の手をただ握ることしかわたしに出来ることは何も無かった。


* * *


皆が帰った後、屋根裏部屋にはわたしと暁だけになった。

そうじろうも小まめに様子を見るに上がってくる。

たくさん水を飲んで、クスリを外に吐き出すことが何よりも大事なのだと言っていた。

冬が近づいている季節なのに、暁はシャワーを浴びたみたいに汗を流す。

言葉にならない呻き声を上げて身を捩る。

時折、苦しそうに咳き込む度に慌ててそうじろうを呼ぶ。

背中を擦りながら持ってきたバケツを暁の前に出すと、暁は咳き込みながら嘔吐する。

胃の中が空っぽだからなのか、バケツの中には固形物なんて何もない。

ふと、脱がせたブレザーを見ると襟元が汚れていた。

ツンと突き刺す酸の匂い。

警察に尋問を受けている時に嘔吐したのだ。

そう気付くと、その場にいた顔も知らない警官への殺意と憎悪がお腹の中でグルグルする。


暁は一晩中吐いては、眠って、魘されて目覚めたら吐くのを繰り返していた。

わたしは暁の汗を拭きながら後悔していた。

わたし達に出来た唯一の策だと理解しているのに、後悔が込み上げて仕方が無かった。

こめかみが痛む。

額が熱を帯びているのがわかる。

頭が回転し続けてるんだ。

もっと無かったのかと。

暁が此処まで傷付かないで済むような、そんな冴えたやり方があったんじゃないかと。

既に終わったことを考えてしまうことはムダでしかないのに。

何度も何度もわたしのコンピューターは作戦開始前までロードを繰り返しては検証する。

大切な人をこんな風にボロボロにしてしまうような下策しか考え付かなかった自分の無能さに気が狂いそう。

土気色になった暁の頬を触ると、ひんやりとしていて、心臓が不穏に跳ねた。

胸に耳をくっつけてみると、規則正しく、鼓動が聞こえる。

とくん、とくん、とくん

暁の音。

いのちの音。

安心の音。


暁の心音に耳を傾けていると、不意に熱い涙が零れた。

ちゃんと生きている。

生きていてくれている。

わたしも暁も。

そのことに安心する。幸せだと思う。心底嬉しいと思う。

でも、怖かった。

失敗していたら、わたし達だってきっと殺されていた。

お母さんみたいに、事故を装って。

でも、もっと怖かったのは暁が死ぬことだった。

自分の作戦で暁を死なせた後の世界を生きて行かなければいけないことの方がずっと怖かった。

もし生き延びていたら、わたしのせいで暁が死んだ世界で、わたしはずっと生きて行かなければならなかったのだろうか。

暁の思い出だけを何度も何度も脳の中で繰り返し再生させながら、怪盗団の皆と出会う前のように引き籠り続けたのかもしれない。

ううん、それだけじゃない。

今度こそ、本当に大切な人をわたしのせいで死なせてしまった世界で、わたしは生きていけたのだろうか。

後を追ってしまっていたんじゃないだろうか。


バッドエンドは回避出来て、此処から大逆転ハッピーエンドへGO!となるはずなのに。

あったかもしれない結末に、今更恐怖している。

「ごめんな…」

暁の胸に頭を預けながら、聞こえないように言う。


囮を頼んでごめんな。

危険な目にあわせてごめんな。

いっぱい痛い思いをさせてごめんな。

今更怖くて泣いちゃう臆病な奴でごめんな。

こんなことくらいしか出来ないカノジョでごめんな。


いっぱいのごめんを口にしながら、暁にちゅーをする。

ほっぺに、おでこに、髪に。

少し強い汗の匂いと暁の匂いを胸いっぱいに吸い込む。

落ち着いてきた暁の寝息に耳を澄ませる。

普段は恥ずかしくて出来ないけど、今なら出来る。

寝込みを襲ってるみたいで、大胆というかズルいのはわかってるけど、起きてる時にするのはちょっとハードルが高い。


「生きて帰ってきてくれて、ありがと」


起きないように小声で耳元に囁くと、ちゅっ、と唇にする。

前はそっちからいきなりやってきたのだから、これはお相子だろ。


「暁…生きて、私の居る此処にいてくれてありがとうね」


今度は起きている時に伝えるから、今はこれで勘弁な。

もう一度、わたしは眠る暁の唇にキスをした。


* * *



別に正義の味方になりたかったわけじゃない。

ただ放っておけなかっただけだった。

でも、容易く裏切られて。

そこで気付いた。

誰も自分の声を聞いてはくれない。

報われることなど無いのだ。


* * *


真の姉、新島検事を仲間に引き入れる為の賭け。

乗るしかなかった大博打の報酬は、目の前に広がる仲間達の笑顔だった。

何年も目にすることの無かったような気がする光景に心が軽くなった。

掛け替えのないモノを守れたのだという安堵感に気付いた瞬間、目の前が白に覆われた。

次の瞬間、すとんと暗幕を下ろしたように意識を失った。

そのことに気付いたのは、強烈な吐き気に目を覚ましたからだ。

「そ、そうじろー!!」

惣治郎さんを呼ぶ双葉の涙混じりの声に、手のぬくもりにようやく気付く。

ずっと握っていてくれたのだろうか。

繋がれた手は汗で絡み付く様だったが、不快感よりも彼女の手の柔らかさ、小ささ、温もりに「家」に帰ってきたのだと実感した。

惣治郎さんの持ってきたバケツに胃の中の物をぶちまける。

といっても、何も食べていない上に、散々尋問の際に蹴られ、反吐なら吐きつくしていた。

胃液と取ったばかりのスポドリが音を立ててバケツに吐き出されていく。

自分が今握っている双葉のとは違う、大きくて硬い手が背中を何度も擦ってくれた。

「大丈夫か?」

頷くことしか出来なかった。

昔、風邪を引いた時に、仕事から帰ってきた父親に撫でられたことを思い出す。

あれは小学校の頃だっただろうか。それとも幼稚園の頃だったか。

記憶を辿るのはそこで止まった。

繰り返された暴力と、薬物の後遺症、そしてパレス攻略から積み重なった疲労。

身体中に走る痛みと吐き気、そして頭が煮立つように思考を覆い尽くす熱に朦朧としていた。

起きては身体中の水分を吐き出し、また眠る。

繰り返していく間に、少しずつ、身体が楽になっていく。

不安げに見つめてくる双葉に心配をかけないように笑いかけてやるが、双葉の表情は晴れない。

吐き気がようやく収まると、衰弱しきった身体が睡眠を要求し始めた。

もっと色々な言葉をかけて、安心させてやりたいのに。

言葉は形を作ることなく、思考はほつれて行く糸のように形を作ろうとしては霧散する。

とうとう睡眠を求める身体の悲鳴に屈するように俺は意識を手放した。


水に溶けて行く泡のような思考の中で、俺は微かな重みを感じていた。

胸に圧し掛かる心地よい重みだ。


* * *


痛みの走る身体をゆっくりと精査する。戦いを経て身に付いた習性だ。

背中に突き抜けた痛み、手足の痺れはまだ残っているが、辛うじて動かせる。

両腕に力を込めて、上半身を起こす。

どん、と腹に衝撃が走った。

ジョーカーの硬いブーツの爪先が鳩尾に突き刺さる。

起き上がりかけていた暁の身体がくの字になって吹き飛んだ。

すかさず見えない空気の拳に叩かれた身体は石畳を転がる。

強制的に吐き出された空気に、肺が痙攣する。

身体を打ち据えられた痛みよりも、窒息の苦痛が大きい。

目の前がちかちかする。

軽い酸欠状態だった。

空気を求めて激しく肩を上下させながら、夢中で己の心へ呼びかける。

その身に宿した無数の仮面を呼び出そうとする。

『出る訳ないだろう。空っぽの部屋に呼びかけているのと同じことだ。お前の心の中には誰もいない』

ジョーカーの傍らに蜷局を巻いた黄金の龍が暁を睥睨していた。



艶めかしく鱗を震わせながら、ゆっくりと蜷局が解け、長大な身体をうねらせる。

空気が熱した硝子の様に歪む。

歪みは四方から暁を取り囲むのは瞬きにも満たない刹那のことだった。

身体を捩じり切るような負荷が一気に襲い掛かる。

「ガッ……ハッ…!?」

雑巾を絞るように、身体が不自然に捩じれていく。

圧迫された肺から取り込んだばかりの空気が絞り出されていく。

ごりごり

めきめき

筋肉が捩じれ、骨が軋む音が身体の奥から脳天に響く。

見えない蛇に身体を締め付けられているかのように、空中に浮かび身動き一つとれず、ひたすら絞り上げられていく。

酸素不足に陥った脳が、頭痛となって警鐘を鳴らし続ける。

『ペルソナは心を制御できることの証。野放しの欲望と歪んだ心がパレスを生み出す。

それはコインの表と裏に過ぎない。切欠があれば裏返る。弱さを乗り越えてペルソナに目覚めることもある。

お前が一番それを知っているはずだ』


「つまり、心が弱くなればペルソナは制御化を離れ、失われるわけか」


明智が興味深そうに頷く。


『そうだ。ましてや絆が揺らいでいるコイツに、絆の象徴たる高位ペルソナが扱えるハズもない』

「…ち…が…ぅ…」

『まだ話せるのか。大したものだ』


コウリュウが姿を消すと同時に、身体に掛かっていた念動の力が消え失せる。

膝を付きながら、眼前のジョーカー(紛い物)を睨み付ける瞳からは辛うじて力が残っている。


『わからないな。大切ならば手元に置いておけばいいじゃないか』

「大切だから、手放す。平穏を俺が乱すことなんて…。みんなの平穏を守りたいと願うことの何が悪い?想いに変わりは無い。絆は揺るぎは ―――― ッ」

黒い大鬼の錫杖が立ち上がろうとする暁の背を強かに打ち据える。

地に這いつくばる暁の頭をジョーカーが踏みつける。

硬いブーツの靴底を暁の頭の上に何度も踏み躙る。

『お前はこうしているのにか?』

『此処はお前の強く歪んだ独占欲のパレス。お前の心の一部だ』

『それなのにお前はこうして這いつくばっている』

『独占欲も認められず、後悔を抱いて。その弱い心がペルソナを失う理由なのにな』

「ッ!?」

『俺はお前だ。だからこそわからない。お前が俺とこうして対峙しいることが』

『何故俺を受け入れない?[[rb:お前 > ワイルド]]は強い。だから大切なアイツ等を守ってやれる』

『俺が守ってやるから、アイツ等は平穏に暮らせばいい』

『カモシダのように恐怖で縛り付ける訳でも、マダラメのように偽りの恩義で縛るわけでも無い』

『ましてや金でも恐怖で支配するわけでも無い。恩に着せるつもりはない』

『行き詰り袋小路に迷い込んでいた彼女達を救い出したんだ』

『そのお前が求めれば身体を喜んで許す女達は多いだろう。だがそれをしない』

『自分の世界を彩ってくれればそれ以上求めない』

『お前は自分の傍にいてくれれば十分だと思っているのだからな』

『お前の独占欲は所有ではない代わりに、ただそこにいることを求めるものだ』

『ただ一人、双葉だけは別のようだが。彼女の全てを自分で満たしたい』

『双葉の友人でありたい』

『双葉の兄でありたい』

『双葉の恋人でありたい』

『出来る限り全ての双葉の世界を自分で満たしたい』

『そうやって彼女という存在丸ごとを所有したい』

『自分の与える幸福の中で、いつまでも笑顔でいさせたい』

『ならば、手放す必要は無いだろう?』

『喜んで彼女達はそれに応じるだろう?』

『後悔するくらいならば何故受け入れない?』




違う。

それは違う。

否定の言葉は、苦痛に喘ぐ喉からは出て来てはくれない。


「ムダだろ。自分ひとりが犠牲になればそれでいいと思っているんだから」

「そいつはこういうのが好きなのさ」

「流石だよな、ヒーロー様は。立派でカッコいいよ。自分一人で全て背負えるんだから」

「随分と軽いもんだな、お前の仲間達の存在ってのは」


「じゃあ、どうしろっていうんだ!!」


心を抉る二人の言葉に、暁が初めて声を荒げた。

ジョーカーと明智が暁を見る。感情の見えない硝子のような眼差しで。

「アイツ等と離れたくない、そんなことをわかってる!

「けど、アイツ等を守らないといけないだろ。アイツ等の為に」

「アイツ等の枷にならないように、こうするしかないんだ」

「俺がやるしかないのはわかりきってる。だから、そうした。納得なんて本当はしてない」

「みんなと一緒にいたい!一人に戻りたくない!」

「誰にも必要とされないのも、疎まれるのも嫌だ!!」

「せっかく作った居場所を失くすのは怖くてしかたない。それでも、やるしかないんだ!」

「仕方ないだろ!!!」



『そうやってお前は ―― 諦めるのか?』




愉悦も挑発も無い静かな響きに顔を上げた。

嘲笑に吊り上げていた口元は、隠しきれない失望に閉じられていた。

「残念だよ、『ジョーカー』…」

ぽつりと零れ落ちた明智の悲しげな声は、全てを焼き尽くす炎にかき消された。


* * *


短く、千切るように耳朶をくすぐる声。

泣き声?

誰の?

泣いてる?

誰が?


――― ごめんな… ―――


か細い声は確かにそう言った。

迷子の子猫のようにか細い声が「ごめん」と。


ふわりとした感触が頬をくすぐった。

羽毛?

羽毛が顔に落ちてきたのか。

いや、羽毛はもっと軽い。

ならば風か。

柔らかい風か。

温かい。

じゃあ春の風か。

今、何月だ?

じゃあ何だ。

甘い匂いがする。

花の香り?

お菓子の香り?

違う。

頬に、

額に、

髪に、

ふわり、

ふわり、

ふわり、

触れて行く

この匂い、知らない匂いじゃない。

寧ろ、よく知ってる。

好きな匂いだ。



――― 生きて帰ってきてくれて、ありがと ―――



耳元に、囁く声が聞こえた。



* * *


『何のつもりだ…?』

ジョーカーは怪訝な目を向ける、倒れ伏した暁を庇うようにジョーカーの目の前に立つ、貴公子然とした白の衣を身に纏った「クロウ」へと。

「別に…こいつが余りも無様だと、俺の立場が無いからな。少し悪あがきをさせてもらうよ」

『負け犬の意地か。負け犬が負け犬を庇うとは、随分と健気なことだ』

鼻で嗤うジョーカーに対して、犬歯を剥き出しに、鳥を模した赤い仮面越しにもわかる獰猛な笑みを浮かべる。

「もう勝ってるつもりか?調子乗ってんじゃねぇぞゴミが。今度は一対一だからな」

光輝くサーベルを掲げる。



「ロビンフッド!!」


* * *





熱にやられて幻聴を聞いているのだろうか。

誰の声?

知っている声。

とても知っている。

いつまでも聞いていたい。

俺はこの声が好きだ。

痺れるような甘い声。

ふわりと、甘い香りが強くなる。

唇に柔らかい感触。


――― …生きて、私の居る此処にいてくれてありがとうね ―――


欲しいと願っていた言葉を

欲しいと願っていた声で

紡がれたそれは、

抗いがたい程に甘い囁きだった。

唇に柔らかなものがまた触れた。


『生きる理由も同じでいい』


■■の声が聞こえた。



* * *



黄金の拳を模った力の塊に白い軌跡を描いてクロウが跳ね飛ばされる。

全身を包む激痛に歯を食い縛る。

追撃から逃れるべく、軋む身体を無理矢理奮い起こすと、掠めるように火球が石壁を舐めるように覆い尽くす。

炎こそ当たらなかったものの、巻き起こる熱風がクロウの顔を叩く。

熱い空気が喉を焼き、肺に滑り込み激しく咳き込む。

避けた訳ではない、向こうが外したのだ。確かに威力も命中率も低下している。

(攻撃力、命中率を下げるスキルを使って尚この威力かよ…)

思わずクロウの口から舌打ちが漏れる。



『随分と粘るものだ。だが、お前ではそうやって逃げ回るのが関の山。勝つことも出来ず、しかし、すぐに負けることも出来ない。

ただ惨めに地を這うことしか出来ない中途半端なその強さはいっそ哀れだよ』

怪盗紳士のステッキを肩に担ぎ口元に余裕の笑みを湛えたままジョーカーが見下ろす。

言い返そうとするが、熱風に焼かれた喉からは微かに掠れた呼吸が零れるだけだ。

『獅童を改心してもらった礼のつもりか?まさかな』

『律儀に恩を返すような人間が自分の目的の為だけに、ああも人間を殺せる訳がない』

『自分の欲望に忠実な屑がね』

嘲りが色濃く滲む声が嬲るように耳朶に沁み込む。


『それとも、憧れたのか?』

『彼らの生き方に。正義の為に戦う姿に。自分も彼らのように戦ってみたいと。綺麗な生き方を目の当たりにして、憧れたのか?』

嘲笑を浮かべる。

『くくく、今更か?死んでから人生をやり直したいと思うとは、滑稽な話だ』

『いや、仮に生きていたとしても、お前の罪は余りにも重い』

『双葉に何と言う?君のお母さんを殺したけど、獅童の指示だから、怨むなら獅童を恨んでくれよとでも説明するのか?』

『春にはどう言う?君の父親を殺したけど、獅童に命令されたから仕方が無かったんだよとでも言うのか?』

『やり直しを願うには、お前の人生は汚れ過ぎてるんだよ』


「うるせぇな…」


掠れた声で明智が呟く。

「遅すぎるなんてこと、わかってるよ」

震える膝に力を込めて立ち上がる。

「何もかも遅すぎたなんて今更お前如きに言われるまでもねぇ。こうなったのも自業自得だってこともな」

床に伏したままの暁を一瞥すると、小さく舌打ちする。

「こいつがお前なんぞに一方的に弄られてるのは面白くねぇ。お前如きに取って替わられるのもムカつく。だから戦ってるだけだ…来いロビンフッド!!」

自分自身を鼓舞するように声を張り上げ、己が分身を呼び出す。

白い射手をジョーカーは憐れむように見つめる。


『アメコミのヒーローのようなペルソナだ。嘘の力か。騙していたのは大衆か?それとも―― 』



ヒーローに憧れる自分自身か?



その言葉に、カッと血が熱くなる。

「黙れ!!」

射手の手に裁きの炎の名を関する光が集約されていく。

だが、それよりも素早かったのはジョーカーの方である。

呼び出した侍の放つ八つの斬撃が集約した光ごとロビンフッドとクロウを切り裂いた。


* * *


遠くから、誰かの声が聞こえた。

苦悶の声。

苦痛に喘ぐ声。

身体が痛い。

痛みを感じられる程度に感覚が戻っているのか。

冷静に判断できる程に意識が覚醒している。

声が聞こえたのだ、自分を待つ声が。

だから立ち上がる。


呼び戻してくれた少女の声の残響が耳の奥にまだ残っていた。


* * *


「……何だ、ようやく目が覚めたのかよ」

白い布地の殆どを赤く染め、蹲りながら溜息を吐く。

それが精一杯の虚勢だということは明らかであったが、暁はすぐに視線をジョーカーへ向ける。

『その傷でよく立ち上がるものだ。だが、ペルソナも使えないお前に何が出来る?大人しく眠りに落ちていればよかったのにな』

頭上に掲げるステッキの先に、現れる六枚の翼を持った神々しい堕天使が手をゆるりと暁に向けた。

『失せろ』


目の前で悠々と翼を広げる堕天使の王を前に、暁は妙に落ち着いている己に気付く。

目の前で今まさに振り下ろされる力、まともに浴びれば今度こそ命は無いかもしれないのに。

ペルソナを使えない自分が今更立ち上がってどうする?

自分の中で声がする。

さぁな。

投げやりに返す。

ペルソナが無いから立ち上がらないのか?

別の声が問い掛ける。

そんなこと関係ない。

己に言い聞かせるように応える。

チャリッ

小さく金属の擦れる音が聞こえた。

やけに耳に馴染んだ音だ。

ポケットに手を伸ばすと、指先に触れたのはひやりとした鍵の感触。

暁が持ち歩いている鍵など一つしかない。

今や彼の本当の「家」とも呼べる場所へと通じる鍵。

ルブランの鍵、惣治郎から預かっているルブランの鍵だ。




―― ここはお前の居場所だ。いつでも帰って来い ――


あの日の朝、彼がくれた言葉が蘇る。

そうだ、俺はあそこに帰るんだ。

俺の居場所に。

俺の家に。


「双葉」


彼女のいるところに。


* * *


爆煙が晴れた場所には、ジョーカーのみが立っていた。

暁の姿は何処にもない。

しかし、ジョーカーの表情には勝利の高揚感も、己が分身を手にかけた後悔もない。

彼の表情に浮かぶのは「驚愕」。

その視線は暁の居た場所ではなく、もっと高い場所へと向けられていた。

つられるように、視線を空の方へ移した明智は、ジョーカーと同様に驚愕に目を見開いた。

ぽかん、と口を開けたまま明智が見上げる先。

存在はオカルト雑誌のみならず多くのメディアでも目にする。

子供が画用紙に簡単に描けてしまいそうなシンプルなシルエット。

全身を解読不明の文字で飾り、ピカピカといっそ冗談のように光っている。

コミックかゲームから抜け出してきたようなコミカルな存在がそこにはあった。

だが、明智が驚愕に目を見開いたのは、その玩具のようなバカバカしい物体の姿ではない。

何故そこにいるのかという疑問だ。

その名は「死者の掟の表象あるいは絵」の意とされる。

架空の存在でありながら独り歩きした物語によって数多の知識や技術が刻まれた魔道書物の代名詞と認知されるようになったお伽噺の代物。


『ネクロノミコン…』


ふよふよと浮かぶ円盤。

未確認飛行物体と称される姿形をした上空に漂う物体。

人型どころか生物の姿を持たないそのペルソナをジョーカーも明智も知っていた。

佐倉双葉の初期ペルソナ。

彼女の成長に伴って失われた姿だ。


円盤から光の梯子が下り、ゆっくりと人影が降り立つ。

暁であった。

暁は己の身体と上空に浮かぶネクロノミコンを見比べる。

拳を繰り返し握り、開く。

痺れは無い。膝は微かに震えているが感覚すらなかったさっきまでとは大違いだ。

全快とはいかずとも、先程まで身体を覆っていた身動きすら困難な痛みと傷は引いていた。

暁が何度も助けられた能力、サブリカバーの効果だ。

明智が鋭い眼差しでネクロノミコンを凝視する。

拭えない疑問。

何故それがそこにあるのか。

数多のペルソナを扱うワイルドの暁にも扱えないペルソナがある。

それは仲間達が持つ固有のペルソナである。

合体により能力や、モチーフとなった神話が同じであろうとも、彼らのペルソナが生まれることはない。

彼らのペルソナは彼ら自身の弱さ ―― 強さが形となって表れたもの。

彼らの心と同様に唯一無二のものであった。

そして、ネクロノミコンはプロメテウスに進化を果たした。

その姿は進化と共に姿を消したはずであった。


『何故、そんなものがそこにある?』


ジョーカーも明智の抱いた同様の疑問を口にした。

初めてであった。ジョーカーが狼狽えた声を上げるのは。


触手を伸ばし、甘えるようにそっと暁の頬を撫でるとネクロノミコンは消える。

このパレスに来て、初めて暁の口元に笑みが浮かんだ。

光の残滓がキラキラと煌めく宙から視線をジョーカーに向けたその表情には先ほどまでの迷いが無い。

すぅっ、と暁が深く息を吸い込む。

「……ペルソナ……」

一度瞳を閉じると覚悟と共に見開く。



「キャプテン・キッド!!」



黒船に乗った骸骨の海賊が姿を現した。





右腕の金色の大砲から飛び出した砲弾が黄金の巨大な拳となる。

動揺に目を見開くジョーカー。

しかし、即座に呼び出すは高位のペルソナの一つ。

戦車のアルカナ最上位の存在シュウ。

ごうんと、空間全体が大きく揺れた。

力と力がぶつかった振動が波となってパレスを揺さぶる。

たったの一撃。

体制を崩したのはジョーカーであった。

『クソッ…』

レベル差をものともしない威力に、唇を引き攣らせる。


『ヴィシュヌ!!』

「カルメン!!」


同時に呼び出したのは艶やかな美女の化生。

情熱の真紅を身に纏った薔薇の踊り子がしなやかに舞う。

見惚れる程に鮮やかに翻るドレスから炎に濡れた血色の花びらが最高神の現身を灰すら残すことなく焼き払う。

炎は男を愛撫する女の指先のように、蠱惑的にジョーカーに絡み、抱擁するように炎で包んだ。

巻き上がる火柱に、ジョーカーの苦悶の声が飲み込まれる。

しかし、ジョーカーは倒れなかった。

身を焼かれ煙を立ち上らせながらそれでも尚、人ならざる存在故に踏み止まる。

ケロイド状に溶けかかった顔の皮膚を引き剥がしながら、ジョーカーは新たな仮面を呼びつけた。

『イシュタル!!』

叫びに応じて現れたのは戦役の女君。

皮膚の剥がれた顔から滴る鮮血がマスクのようにジョーカーの顔面を濡らす。

言葉を失う程凄絶過ぎる光景。

けれども彼には一欠けらの動揺すらない。


「威を示せ、ゾロ」


彼は、ただそう告げ、黒の小刀をタクトのように振う。

その動きに倣うようにサーベルを振うのは巨漢を誇る黒の剣士。

タクトが奏でる旋律が如き疾風の刃が女神を切り裂いた。

そして、イシュタルを瞬時に消滅させた疾風の刃はジョーカーの身体に降り注ぐ。

黒衣を引き裂かれたジョーカーがついに膝を付いた。



『…何故使える?いや、そもそも何故俺が押し負ける!それは未熟の証。脱ぎ捨てた弱さのはずだ!!』

血を吐く様にジョーカーが叫ぶ。

「捨ててなんかいない。これは、みんなの“オタカラ”だから。

やっとわかった。新しい力に目覚めた時に、みんながくれたもの」

スポーツウォッチ

雑誌

ハンカチ

絵画

電卓

そして、約束を記したノート

一つ一つは他人から見れば些細なものかもしれない。

つまらないと笑われるかもしれない。

しかし、それは自分にとっては宝物だ。

絆を築く過程で得た大切な思い出。

そして、それだけではなかった。


「あいつらはそれまでの自分を俺に預けていったんだ」

『所詮は過去だろう。弱かった自分と決別したからこそ、進化した』

首を振ってジョーカーの言葉を否定する。

「決別なんてしてない」

ずっとそれは続いている。続いて、繋がってる。

だから預けてくれた。

「俺が迷わないように。あいつ等が迷わないように」

間違ってた過去も、弱かった自分も、迷ってた日々も、全部が繋がってる。

それは繋がって昨日から今日へ、今日から明日への道になっている。

「お前の言う通りだ。俺はみんなと離れたくない。みんなとの日々を手放してくない。双葉の傍にいたい。

あの子を幸せにしたい。カッコつけて兄貴ぶっても、本当はすぐにでも自分だけのものにしたい、そう思ってた」


独占欲から目を反らしていたのは自分の弱さ。


仲間を信じていなかったのは自分の過ち。


「でも、俺は後悔なんてしていない。する必要はなかった」



信じていなかったのは自分を想ってくれる仲間の気持ち。

そして、そう想われるだけの存在だと自分自身を信じることが出来なかった。

両親から、世間から、社会から見放されたと思った。

自分の声は届かないと思っていた。

自分を誰かが好きになってくれることを、信じきれずにいた。

だから、せめて自分はそんな想いを味あわせたくないと思ってきた。

与えてもらうことに期待はしていない。でも、せめて自分は何かを上げたい。

こんな自分を必要として、求めてくれる人にはあげられるものなら何でもあげたい。

貰えるなんて、期待はしても意味が無い。

「俺は貰ってた。俺が気付いてなかっただけで」

報われることを望めば、またあの時のような絶望が待っているから。

「とっくに俺は報われてた」

自分と皆を繋ぐ道。

辿り着く先にはいつだって居場所がある。だから、

「ただ、俺は自分の選択した道の先を信じていれば良かっただけなんだ」

もし、一人になっても、何もできなくなっても、何処にも行けないと思っても。



「その時はみんなが手を差し伸べてくれる!」

白い仮面を脱ぎ捨て暁が真っ直ぐに駆け出す。

同時に、ヨハンナを呼び出し跨る。



『戯言ばかりを吐くな!!』

仮面の如く顔の半分を赤い血で染めたジョーカーが叫ぶ。

現れるのはアルカナの頂点に立つペルソナ達。



「蹴散らせ、ゴエモン!!」

「惑わせ、ミラディ!!」


大気すら切り裂く剛剣と、凍り付いた空気を劈く金切音が現れたペルソナを紙屑のように引き裂く。

砕け散って行くペルソナの欠片が雪のように舞い散る。

雪の結晶のように輝くなか、ヨハンナの前輪を跳ね上げジョーカーにぶつける。

ヨハンナの前輪を止めたのはジョーカーを包み込むように守る金色の龍。

ジョーカーの唇が歪む。


『一手足りなかったな。チェックメイトはこちらだ』


コウリュウの影から溶け出すようにオンギョウキが現れる。

振う鎌は暁の首へと吸い込まれるように伸びて行く。







      ―― だめぇ!! ――





暁の首筋に触れる寸前、鎌が弾かれた。

少女の叫びに呼応するようにネクロノミコンから放たれた光の壁が、ジョーカーを守るペルソナ達を吹き飛ばした。

ジョーカーは声の方へ眼を向けた。

枷を付け、目を塞ぎ、大切に閉じ込めていた鳥籠の中の少女の方へ。

そこには既に少女の姿はなかった。

瞬間理解する。

このパレスは既に崩壊していたのだ。

認識の変化は既に起きている。

紛い物が消えているのがその証拠なのだ。

構えてすらいなかったジョーカーはただ見つめる。

自分に向けられる銃口と、そこから眉間めがけて放たれる銃弾を。



以上で投下を終えます。
プレイ中からずっとジョーカーにはパレスが無いのかなという疑問があって、どうしても書きたくて書きました。
仲間のペルソナが超覚醒したら初期ペルソナ使えるようになって欲しいです。勿体ない。
それではまた。ノシ

今から投下します。



確かに見たのだ。

彼が笑っていたのを。

声も無く唇が動いたのを。

自分は確かにこの目にした。

銃弾が彼の眉間を撃ち抜く瞬間に。


「起きてください」

頬を撫でられる。

温かく、柔らかな感触。

「起きて」

優しく囁く声は、今まで何度も耳にしてきた。

縋るように、導くように、自分を呼ぶ声。

声に応じて瞳を開けると、月の光を彷彿とさせる輝きが目に映る。

穢れを知らない白銀の髪を蝶の髪飾りで留めた人形のように美しい少女。

あどけなく可憐な容姿に反して、何処までも見通すような浮世離れした少女。

「身体はもう大丈夫でしょう?」

夜を照らし出す、妖しくも引きこまれるような光を秘めた少女の瞳が見下ろしていた。

少女 ―― ラヴェンツァの膝を枕に自分は眠っていたようだ。


「可愛らしい寝顔でしたよ」

君が癒してくれたのかと尋ねると、ラヴェンツァは頷く。

「貴方は最後の試練を乗り越えました」

試練?

「理性と感情の果てに深淵な心を持つようになった貴方達人間が最後にぶつかる試練」

「それは悪意ある他者でも無ければ世界を改竄しようとする偽りの神でも無い」

自分自身か。

「そうです。幾人も貴方は目にしてきたはずです」

「現実世界で成功を収め、勝者と呼ばれる者達が自分の弱さに屈し、歪み果ててきた姿を」

自分もそうなっていたかもしれなかった。

あの時、声が聴こえなかったら。

仲間達の残してくれた希望が無かったら。

「それが彼等と貴方の違い。貴方は心の弱さを知っている」

「そして、そこから強くなろうとする美しさも」

ラヴェンツァの手が頬を撫でる。

黒いドレスグローブのシルクのような滑らかな感触がくすぐったい。

「貴方に価値が無ければ、貴方を愛し守ろうとする人達の心は行き場を失ってしまいます」

「けれども貴方は自分に価値が無いと心の奥底で言い聞かせ続けていた」

「その自己への嫌悪が愛する人が自分の傍に居続けてくれるはずがないという思いこみと化した」

「思い込みは呪詛となり、本来誰もが抱いている独占欲を歪めてしまった」

慈しむように金色の瞳を柔らかくして見つめてくる。

髪を撫でる手付が心地良い。

「貴方は自分を無価値と思おうとしていた弱さを受け入れ、それを乗り越えた」

いつしか、そこは青一色に包まれた空間、ベルベットルームに変わっていた。

テーブルに両肘をついて、こちらを見つめる長い鼻の異形の男イゴールが「素晴らしい」と一言感嘆の声を上げる。


「でも、心の牢獄を脱したというのに、今度は現実で収監されることに…」

「自分の利益よりも、他者の幸福を願ったが故の皮肉な顛末」

「けれど…それでいいのです。貴方は自分の意思で、正しい『道』を選んだ」

「自分の弱さを受け入れた上で、尚、貴方は欲望を振り切り自分の選んだ道を正しいと断じた」

「ついに最後の最後まで自分の利のために、道理を曲げる事はしなかった」

ラヴェンツァの膝から頭を起こす。

双葉よりも小さな少女が母のような眼差しで見上げてくる。

すっ、と小さな指先が胸に触れる。

ふわりと微かな風と共に胸の内からいくつもの光が飛び立つ。


キャプテン・キッド

カルメン

ゾロ

ゴエモン

ヨハンナ

ネクロノミコン

ミラディ


仲間達が自分に預けていった昨日の証。

明日への力に目覚めた仲間達と今日を繋ぐ力。

七つのペルソナ達の輪郭はぼやけ、いつしか光の束となって手のひらの上に集まって行く。

青白い光がベルベットルームを満たす。

それは一瞬のことで、光はすぐに柔らかく青い闇の中に溶けていった。

残ったのは、小さな一枚のカード。


透き通るように青く、澄んだ月のように銀色に輝くそれはカードとなって手の上をくるくると回る。

「貴方が手にした最後のアルカナは、『世界』」

「誰に流されることもなく、自分の足でこの世界に立つ意志の力です」

「それは、同じ志を持つ仲間たちと共に未来へ向かうための『希望』の元になるでしょう」

「その力を得た貴方はもう、居場所なく、ひとりでさまよう存在ではありません…」

「何処にいても貴方は繋がっていますから。彼等とも、それに私とも」

ラヴェンツァが右手を差し出してきた。

握手を求めているのだと、言葉にしなくてもわかる。

その手を握ろうとして、ちょっとした悪戯心が生まれる。



「あ…」

ラヴェンツァの手を取る。

握るのではなく、小さな手をそっと手のひらに乗せる。

少女の前に跪くと、その嫋やかな手の甲に口づけを落とす。

呆気に取られたように目を丸くすると、少女は頬を微かに薄紅色に染め、くすりと笑う。

「本当に…予想を尽く覆してくれますね、貴方は」

初めて見せた年相応の可愛らしい笑みだった。


イゴールの別れの挨拶に応じるようにベルベットルームが眩く光、あたりは真っ暗な闇に包まれる。

微かに光の欠片たちが煌めくその闇は、まるで星々の輝く宇宙のようだ。



目の前を一匹の光の蝶が羽ばたいて行く。


―― ありがとう……マイトリックスター ――


名残惜しそうに眼の前をひらひらと。


* * *


「とんだ茶番に付き合わされたな。お互い」

『ハハハッ。俺は構わないさ。可憐な姫君からの願いを叶えるのは怪盗の美学だ』

『それに俺の主でもあるからな』

『これで良かったのだろラヴェンツァ嬢?』


ええ、ありがとうアルセーヌ。それに…


「止せよ。俺はアンタとの約束を破った。本当はアイツを煽ってやるだけでよかったのに、勝手に出しゃばった。

ま、アイツがマジでキレるのを見られただけでも面白かったけどな」

『まさか、あんなものが飛び出して来るとは予想できなかったがな。ラヴェンツァ嬢も人が悪い』

「仕込みじゃなかったのか」

『死にはしないと思っていたよ。使えずともペルソナ達はずっとアイツを護っていた』

「そうか…普通の人間があんな攻撃に耐えられるはずがない。耐性は有効だったわけか」


ええ、決してペルソナは彼を見放してはいません。

ただ、彼の心が“緩やかな死”に近づいて行っていることを嘆いていましたが。


「嘆く?―― そうか…」

「無意識の精神の悲鳴。急激な精神の不安定化が影響していたのか」

『人の足を止めるのは絶望ではなく“諦観”というらしいな』



現実世界では彼の仲間達が彼を救い出す為に奔走しています。

それなのに、せっかく彼を助けても肝心の彼の心が死んでしまっていては意味がありません。


「そっちの高笑い野郎には“弱さ”を、俺にはアイツの抱えてる“嘘”を暴かせる役目を押し付けたわけだ」

『荒療治だが、英断だな』

「随分と親切にしてやるもんだ」


主を助け、私の声を聞き、私を救い出してくださった方ですからね。

それに、あの方はもっと報われるべき人です。


「随分と入れ込んでるな。どいつもこいつも…あんなクズの何処か良いんだか」


それを知っているからこそ、貴方は彼を助ける為に戦ったのでしょう?


「……ムカつくガキだ」

『さて、私はアイツの元に戻らせてもらうぞラヴェンツァ嬢。暫し眠りたい』


おやすみなさい、素敵な怪盗さん。


「俺も行くか…」


寄り道をさせてしまってすみませんでした。


「まったくだ。最後の最後までアイツに振り回されたよ…」

「…でも、もう一度会えたのは悪くなかったかもな」



ありがとう、もう一人のワイルド。




* * *


―― ったく、今度はもっとマシな親の元で生まれたいな… ――

―― いっそアイツの子供に生まれ変わるのも面白いかもな ――

―― ハハッ、そうなればルブランのコーヒーとパンケーキ食べ放題だ ――



―― またな…暁 ――



* * *


昨日、暁が帰って来た。

そして今日は2月14日、バレンタインデー、お菓子メーカーの陰謀にして、リア充共の祭典。

自分には全く無用の一日だ。


そう思っていた時期がわたしにもありました。

来年のお前は爆発しろと呪われる側になるからな、と「リア充爆発しろ」と書き込んでいた去年のわたしに言ってやりたい。

チョコレートとモナをあしらった袋は春が協力してくれた。

女子力の高さにビビるが、将来の夢を聞いて納得。

暁とは店の手伝いが終わってから会う約束をしていた。

本当は一日中一緒にいたいけど、そうじろうの手伝いをどうしてもしたいと言うので仕方なくりょーかいした。

家族だもんな。

家族の手伝いは大事、うん、超大事。

でも、ちょっとそうじろうのこと好き過ぎじゃね?とモヤっともする。

店に行くと、わたしと暁を見て、そうじろうが察したようだ。

何ていうか、凄く複雑な顔をしながら店を出て行った。

モナは「にゃふふ」とイラつく笑いを残してそうじろうと出て行った。

あんにゃろ、今度モフモフの刑に処す。



お店に二人きりになる。

やっと二人きりだ。

この二ヶ月の間あったこと。

カナちゃんの近況。

わたしの復学。

ずっと微笑みながら暁は聞いている。

いつもそうだけど、暁はいつだって聞き手だ。

聞き上手だからみんなついいっぱい話しちゃう。

「近く、オッケー?」


向かい合って話している暁との距離がもどかしくなって隣に行く。

杏の言ってた通り、暁は少し痩せてた。

ツラかったんだろうか。

二ヶ月は長かっただろうか。

少なくとも、わたしには気の遠くなる程長い時間だった。

ひとりきりでいた暁はもっと長かったはずだ。

本当はもっと早く出してあげたかった。

もっと頑張れば、もっと早く出て来れたのかもしれない。

そう言ったら「ありがとう」と笑って頭を撫でられた。

わたしはいつも暁に甘える。

「聞いて!聞いて!」そう言って捕まえて、いっぱい話してしまう。

頷いて、微笑んでくれるのが嬉しいから。

子供か!

これじゃ妹扱いされても仕方がないってわかってるけど。



でも、暁から何かを話すことはあんまりなくて。

そう、クリスマスの時だってそうだ。

肝心なこと何も言ってくれなくて。

黙って出頭して。

わたしを不安にさせたくないからだってわかってる。

そうじろうが言ってた。

大切な女には強がって見せたいのが男心なんだ、って。

そう言うと暁は頷いた。

でも、それはチョー自分勝手。

カッコつけてる。

つーか、わたしのことを侮り過ぎだ。

どんだけ豆腐メンタルだと思ってるんだ。

最早昔のわたしではないぞ。

引き籠りを脱し、約束ノートのミッションはコンプリートしたのだから。

いわば、限界を超えた先を更に超えた超フタバ2。或いは矢の力で更に先に進んだサクラフタバレクイエムなのだからな。

あ、レクイエムはダメだ。死んじゃだめだったな。



でも、あの夜言われてたらきっと泣いてただろう。

泣いて縋りついてたかもしれない。

縋り付いて、抱き付いて離れなかったかもしれない。

でも、わたしは言って欲しかった。

だってわたしはカノジョだから。

カレシがどんな重いモンを背負ってるのか知りたいに決まってる。

「わたしは何時までも守られてるだけじゃないからな。わたしだって、守りたいんだ、ちゃんと」

暁の袖を掴んで、暁の真っ黒な目を見て、ハッキリそう言う。

「ねぇねぇ、暁のことももっと話して。何があった?この二ヶ月」

「何も」

「ハイ、嘘」

「…」

「言ったよな?わかるって。隠し事しても」

「……」

「もう、誰かが突然いなくなるのは嫌だ。大好きな人がいなくなっちゃうの」

暁にもらったこの「いのち」が消えてしまう気がした。

暁がくれた世界がグラグラして、立っていられなくなるかと思った。

嫌だった、また取り残されるのは。

嫌だった、大切なひとの思い出に浸るだけの毎日に戻るのが。

でも、もっと嫌だったのは ――


「もう、嫌だ。暁が抱えたままなのは。お前ばっかり背負ってるの、嫌だ。

わたしはカノジョでお前はカレシだろ?対等じゃないのか?」



わたしが何も出来ないでいる間にも暁が、一人で何もかも背負っちゃったコイツが、

膝を抱えて、ひとりで寂しいのに耐えてると想像するだけで。胸の奥がバチーンて叩かれたみたいに、

痛くて熱くて苦しくてたまらなくなる。

髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き乱して叫んで、泣いて、悶えそうになる。


「何でもっと暁の話聞かなかったんだろって、ずっと思ってた。しつこくグイグイ行って、無理に聞き出してやればよかったって、ずっと考えてた。

二ヶ月の間ずっとそんなことばっかり頭ん中グルグルしてた…暁を助けるのが先決だって、過去をウジウジ振り返っててもダメだって、

切り替えないといけないってわかってるのに」

「双葉…」

「大好きな人を守りたいって思うのは、わたしだって一緒なんだぞ?」


暁が目を真ん丸にしてる。

モナがビックリした時みたい。

似てるなお前ら。

飼い主は飼い猫に似るんだっけ?逆化?

何度か口をパクパクさせてから、溜息を吐く。

新鮮なリアクションだ。


「……ごめんな」

「ひょっ!」


暁に抱きしめられたと気付いたときにはすっぽり収まってた。



思わず変な声が出た。

一応、勉強したのに。

可愛い声の上げ方。萌える悲鳴の出し方。「きゃっ」とか「はわわっ」とか。

鏡の前で、萌えキャラっぽい仕草や表情も練習だってした。

そうじろうに見つかって死にたくなったけど。

だって突然過ぎるだろ。

突然抱きしめられたらこうもなる。

夏まで非リアだったわたしにこんな時に柔軟かつナイスなリアクションを求められても困る。



わたしを抱きしめながら暁が語ってくれた。

わたしも人のこと言えないけど、暁は自分の事を語るのに慣れてない。

一個一個、言葉を千切って渡すように言う。

ぶっきらぼうとか、メンドイとかじゃない。

自分の気持ちと近いのか確認してるんだろう

暁は言葉に凄く慎重な奴だから。

いっぱい、いっぱい誤解されて、疎まれてきたから。

でも、いっぱい、いっぱい伝えて、助けてきたから。

言葉を相手に届けることに、凄く真面目で一生懸命だ。

出頭する日に泣いて、そうじろうに頭を撫でてもらったこと。

少年院から出たらみんなとは会わないつもりだったこと。

わたしとも当然別れるつもりだったこと。

でも、本当はみんなと離れるのが嫌だったこと。

私のことを閉じ込めてしまいたいくらい独占したいこと。




「引いた?重いだろ?」

困ったように笑う。

ズルい。

そんな顔されて拒めるわけがない。

拒むつもりも無いけど。

それに、コイツは甘い。

「馬鹿言うな。重さでわたしに勝てるとでも思ってるのか?一緒に死んでもいいって思ってんだぞ。

ちょっとヤンデレ入ってるんだからな。自分がこんなに重たい女だって知らなかった。

自分でもびっくりだ。大体、前提から気に入らん!!」

「え?」

「何でお前が出所したら、わたしと離れることが確定事項みたいに言ってるんだ。

待つつもりだったんだからな。もし、お前が少年院にずっといることになってたら。

出てくるまで待つつもりだったんだからな」

「これから、色々な人と出会って、お前を幸せに出来るやつが出てきた時、邪魔になるのが怖かった」

「いるのか~?そんなヤツ。母親を殺したって思い込まされて、親戚中たらい回しにされて。

引き籠って死ぬのを待ってるだけの奴の家に上がってきて。命を懸けて助けてくれて。

そうじろうをいじめるオッサンをやっつけてくれて。カナちゃんまで助けてくれて。

私が社会復帰するのをずっと支えてくれるようなお節介で。

わたしの心を救ってくれるような、どっかの気障な怪盗みたいな奴に。何年か待てば会えるのか?本当にそんなヤツ現れんのか?」

はぐれメタルなんか目じゃないくらいレアキャラだろ。

一体いくら課金すれば引けるんだよ。

んん~?っと下から睨み付けてやる。

珍しく、暁が動揺してる。

それが嬉しくて、わたしにとって暁が大したことないって、勝手に思っているようで腹が立つ。

「人の心盗んでおいてどっか行くなんて許さないからな。わたしは重いぞ。離れてやらないからな。残念だったな、観念しろ!ふん」




お前が離れようとしても、私が離れるなんて絶対無い。

もし、どっかに雲隠れなんてしようものなら、ハッキング能力を駆使してでも見つけ出してやる。

性質の悪い女に捕まった自分の運の無さをせいぜい呪うんだな、ジョーカー。

ふふん、と言ってやる。

少しスッキリ。

これくらい意地悪を言ってもバチは当たらないはずだ。

この二ヶ月の間、どれだけ泣いたと思ってるんだ。

顔に冷たい感触がした。

見上げると、暁の目からポロポロと涙が出てて、一瞬理解できずにフリーズする。

「か、かいと!?どうした?そんなに重かったか?な、泣くほど嫌か!?」

もしそうならわたしも泣くぞ。

冗談ぽく言ったけど、本音だから。

重いのは事実だ。

でも、もしかして、少年院で何かあったとか。

警察に捕まった時みたいに。

痛いのをやせ我慢しているとかだったらどうしよう。

そっちの方が嫌だ。


「どこか痛いのか?」

ボロボロ涙を流す暁の頬を袖で拭く。

拭いても拭いても、次から次に溢れてくる。

涙腺壊れたみたいに、暁の涙が止まらない。

あ、ヤバい。わたしまで泣きそうになってきた。

暁が泣いてる顔なんて初めて見るから。

苦しくなってくる。

「ありがとう、双葉」

暁に腕を掴まれた。

「そうじゃないんだ。嫌じゃない。嬉しいんだ」

涙を流しながら笑う。

息が詰まった。

男の癖に、何て綺麗に笑うんだろう。

見惚れていると、頭を抱きかかえられる。

優しく包み込むようなのとは違う。

もっと、強く、一人占めするみたいに閉じ込めるみたいにギュッと抱きしめられる。

ドドドッ

わたしの音じゃない。暁の鼓動だ。

わたしといっしょだ。暁の鼓動が。

「双葉にそんな風に想われてるって、思ったら嬉しくて。気付いたら涙出てた」

「前のわたしみたいだな。わたしの気持ち、わかっただろ?」

「ああ」

「どうしてかわかんなくて、どうしようもないだろ?」

「どうしょうもないな。これは」

気持ちが、心が自分の理解よりも先に叫んでるんだ。

それは悲しいからじゃなくて、


「そっか。嬉しかったか。なら良し」

嬉しいって、言われたことが嬉しい。

お互い重い奴だってわかって、どうしようもないなって思って。

一緒にこうして笑って。

胸板に顔をぴとりとくっ付けて、鼓動を感じながら暁の言葉を聞く。

暁が生きて、私の傍にいてくれる。

それを実感するだけで、こんなに幸せだなんて、現金な奴だなわたしは。

こうして抱き合うのは何回目だっけ。

まだ、数える程しかない。

初めてはわたしの部屋で。

暁の大きな体。

温かくて、暁の匂いに包まれて。

ドキドキしたけど、ポカポカして。

今もそうだ。

心臓がうるさいくらい鳴っている。

少しくらい痩せただけじゃ変わらない。

わたしが小さいのもあるけど。

やっぱり暁の身体は大きい。

ああ、二ヶ月ぶりの暁の匂いだ。

クンクンと鼻を擦りつける。

身体の奥まで痺れるような感覚が。

お腹の奥からじわっと温かいものが溢れてくるような。




「……好き…」


自然と口から出てた。

温かいお湯に浸かったら溜息が出ちゃうみたいな。

そんなノリで出てきた言葉にビックリした。

顔が急に熱くなってきた。

恥ずかしい。

顔見られたくない。

きっと今真っ赤だ。

身体も熱くなってる。

逃げたい。クールダウンしたい。

でも、暁にしっかりロックされた身体は動かない。


「俺も好きだよ」


耳に当てて、囁かれた。

超絶至近距離からの声に身体の力が抜けた。

顔に手を当てられる。

ふにゃっとなったから、抵抗なんて出来ない。

じっと暁の黒い瞳が覗きこんでくる。


「双葉が、大好きだよ」




とん。

キスをされた。

ノックをするみたいに、唇を当てるだけのキス。


言葉がすぐには出て来なくて、何かを言おうとしても頭は働かない。

けれど、混乱しているのはわたしだけじゃなかったみたいだ。

暁は目を逸らして、顔を手で覆った。

いつも、恥ずかしくなるような気障なセリフを言う時でも涼しい顔で、

「好きだよ」って余裕の笑みさえ浮かべて真っ直ぐ見つめてくるのに、その顔が真っ赤になってた。

手で隠しても、隠せてない。

耳も真っ赤だ。

「ヘタクソか。普段照れないから、照れ隠しヘタクソか?照れ慣れてないのか」

「何だよ…照れ慣れって」

拗ねるように顔を逸らす。

ムムム?

何か面白い。

子供っぽい。

ってか、可愛い?

カワイイな。

かわいいなわたしのカレシ。

「もしかして、今、わたしに、モーレツにときめいていたりするのか?」

さっきは不発に終わった上目遣いリベンジ!!

からの、胸元チラ見せ発動!!

どうだ?

ドキドキするか?

「してるよ。ていうか、限界」

「え?」


「ずっと我慢してた。双葉がきちんと成長するまで待とうって思って。でも限界だ。

二ヶ月、ずっと双葉のことばかり考えてた」

「それって…」

「これでも、竜司と同じ男子高校生だってわかってる?」

「あ…」

我慢の意味を理解して、身体が熱くなる。

でも、少し嬉しい。

こんな貧相な身体を、女として見てくれてるんだ。

わたしでそういう気分になってるんだ。

わたしを気遣ってくれてた暁の優しさに胸がぽかぽかする。

我慢してた暁が何か凄く可愛くて仕方がない。

二ヶ月が長かったのは一緒なんだ。

離れたくないのも。

「いいよ」

だから、自然とそういう気持ちになった。

いつもなら窘めてるだろう。

でも、暁は息を呑むと、真剣な目で見つめてきた。

わたしが真剣だって、ちゃんと伝わったんだ。

ぞくっと背筋が震えた。

ぼーっとしてて、何処か天然入った暁じゃない、怪盗として、颯爽と敵を倒していくジョーカーがそこにいた。





* * *


秒針が時を刻む音が響く。

あと10分で5時になる。

冬のこの時間は夜と変わらない。


「大丈夫か?」

「それ何度目だ、いいかげんしつこい」

「心配するなっていう方が無理だろ」

「過保護なカレシだな~」


呆れた双葉の声は普段よりも掠れていた。

どれだけ喉を酷使したのか。

原因そのものである暁の中に申し訳なさが広がる。

膝の上の双葉が僅かに身じろぎすると、太腿に圧し掛かっている柔らかな尻が押し付けられる。

下腹部に血が回って行くのを理性で堪える。

これ以上欲望に任せる訳にはいかない。

身を焦がす炎のような欲望を散々吐き出しておいて今更であるが。

二人はソファーに座り、一枚の毛布に包まっていた。



マットレスに敷かれたシーツは水をぶちまけたような惨状になっている。

真冬の夜に寝ていれば風邪を引くことは間違いない。

シーツをそのような惨状にしているのは、二人の、汗や様々な体液のせいである。

花びらを毟りとって散らしたように、シーツの中央にぽつぽつと沁み込んだ赤い痕。

それが膝の上の少女の純潔を奪った証であるという事実に、罪悪感と満足感が膨れ上がる。


「映画の中だけだと思ってた」

両手で包み込むマグカップから立ち上る白い湯気を目で追いながらぽつりと膝の上の少女が口にした。

双葉のお腹を撫でていた手が止まる。

何が、と問う暁に双葉がはにかむ。

「夜明けのコーヒー。リアルで、自分が飲むなんて思わなくてな」

言ってから照れくさくなったのかカップの珈琲を一口啜ると、ひひひと笑う。

その仕草が可愛くて、我慢できずに少女の頭に顔を埋める。

汗に濡れてまだ乾いていない栗色の髪の感触を楽しむと汗と一緒に双葉の甘酸っぱい香りを吸い込む。

「甘えん坊」

くすくすと双葉が笑う。

心地よく響く笑い声に耳を澄ませながら、暁はこの後に生じる問題に気づく。

決して避けることの出来ない重大な問題だ。




「そうじろうに何て言おうか」

内心を言い当てられたかと思いどきりとする。

気付けば双葉が不安そうな、そして期待するような目で見ていた。

そうだ、不安なのは自分だけじゃない。

これは二人の問題なのだから。

そして、そのうえで自分がはっきりさせるべき問題だ。

だからこそ自分はこの少女を不安にさせてはいけない。

ゆっくりと、己の中の不安を飲み下す。

「いいさ。遅かれ早かれ言わないといけない話だから。そうだろ?」

「う、うん」

その言葉に何を想像したのか、双葉の頬が薄紅色に染まる。

桜の花びらのような唇に軽く触れるだけの口付を交わすと、ふにゃりと双葉が身体を預けてくる。

心地よい重みをしっかりと受け止める。

自分がこれから支えて行く重みなのだと、一つ覚悟を決める。




* * *


「惣治郎さん……何発ぐらいで許してくれると思う?」

「手当はしてやる。どんと殴られて来い」

「容赦ないな双葉さん」

「私だけ痛い思いをするのは不公平だ」

「おっしゃるとおりです」

「頑張れよ、“ダンナさん”?」

今日の投下は以上です。それでは。サラダバーノシ

今から投下します。



息を潜めて佐倉家の玄関を開く。

施錠されていない引き戸は硝子を震わせてゆっくりと開く。

どれだけ慎重に開いても建て付けの古い引き戸は音を立ててしまう。

びくりと背中の少女が身体を震わせた。

「そうじろー起きてるかな」

耳元で少女が囁いた。

温かな吐息がくすぐったく、微かに身を捩ると少女が楽しそうにくすくすと笑う。

来栖暁は佐倉双葉をおぶったまま佐倉家の玄関に立っていた。

「双葉、いい加減下ろすぞ」

「ダメ。無理。しんどい」

「部屋まであと少しだろ」

「無理。足に力入らない。腰ぬけてるし」

原因に心当たりがある言葉に、暁は溜息を吐くと革靴を脱ぎ、物音を立てないように木造の廊下を歩く。

少女の部屋に着くと、双葉をベッドに下ろしてやる。

「うむ、ご苦労」

「疲れた」

双葉の隣に腰掛けると、身体の奥底から深い溜息を吐きながら項垂れた。



「そんなに重くないだろ。失礼な」

双葉が口を尖らせる。

「気疲れだよこれは…彼女連れて彼女の家に朝帰りとか…」

「そうじろうと鉢合わせになったら緊急家族会議になってたな」

「他人事のようだけど、当然お前も参加するんだからな」

「勿論、家族だからな。議題は『お兄ちゃんが妹をキズモノにした件について』か。ラノベか」

「笑えない。どうせ時間の問題だろうけどな」

「じゃあ良いじゃん。さっさと終わらせよう」

「心の準備があるし、それにきちんとしたい。こんなコソコソしてるところ捕まるより」

「流石怪盗。形に拘るな」

「そりゃ、惣治郎さんのオタカラを奪うんだから、予告状出さないとな」

「ふぉぉ!これは『娘さんを僕にください』的なやつか」

「そうだよ。だから、もう少し待って欲しいんだけど」

「うん、待つ待つ」

えへへへと笑って、双葉は暁に身体を預けた。




何度目かの寝返りに、双葉が切なげに溜息を吐く。

瞳を閉じて、どれくらい経っただろうか。

瞼を下ろしているだけで、一向に睡魔がやって来ない。

既にカーテンからは朝日が差し込んでいる。

普段ならば復学にそなえてもそもそを起き始める時間だ。

そして惣治郎の作った朝食を家で食べるか、そのまま一緒にルブランに行って惣治郎のカレーを食べているだろうが、今の双葉にはそんな気が起こらない。

眠くもなければ、空腹も感じない。

睡眠は殆ど取っていない。酷使した身体には疲労が澱のように溜まっている。

しかし、髪の毛からつま先まで広がる甘い痺れのような余韻が、それらの欲求を押しのけていた。

枕元の時計を見れば、既に六時を回っていた。

ついさっきまで我侭を言ってこの部屋に招き入れた暁がいて、自分が寝ているこのベッドで寄り添っていたのだ。

腰が抜けたのは本当であったが、歩けない程ではなかった。

嘘を吐いてまで部屋まで運ばせたのは少しでも一緒にいたかったから。

たったの数時間前まで、自分はあの屋根裏部屋で暁と過ごしていた。

暁の腕に組み伏されて、しなやかな指による愛撫を受けていた。

自分でもきちんと見たことのない、奥の奥まであの澄んだ漆黒の瞳の前に全てを曝され、その舌で隅々まで蹂躙されていたのだ。

既に、双葉の身体で暁の指と舌が触れていない場所など無い。

初めての双葉の苦痛を出来るだけ軽くするために、時間をかけて、丹念に、執拗に、情熱的に彼は双葉の未熟な快楽の扉を開いていった。

ゆっくりと火で炙られた蜜のように、愛撫によって溶けだした快楽は双葉を絡め取っていった。



(まだ熱い…)


奥深くまで暁の杭を埋め込まれた身体は痛みと切なさを訴える。

何度も何度も欲望を吐き出す暁に、苦痛に身悶えながらも双葉は言葉にならない幸福感に包まれていた。

お腹を抱えるように背を丸め、毛布に包まる。

異物感が拭えない。

太腿の付け根から下腹部に至るまで、何かが挟まっているような違和感。

痛みと共に今尚身体の奥を焦がし続ける余熱が、苦痛と快楽に理性が引き千切られ、熱に浮かされるようなあの時間が夢でも幻でも無く確たる現実であるのだと双葉に知らしめる。

自分を抱きしめ続けていた、熱く硬い身体。

女である自分が決して持ち得ることの無い男の、暁の肉体の感触を無意識に思い出す。

途端に、胸の奥からやるせなさが広がる。

「……会いたいなぁ…」

ほんのついさっきまで一緒にいたにも関わらず、どうしようもない寂しさが込み上げる。

すぐにでも会いに行きたい。

抱き付きたい。

頭を撫でて欲しい。

口付けを交わしたい。

何度も「好きだよ」と耳元で囁いて欲しい。

熱の塊を吐き出すように何度も「好きだ」と言ってやりたい。

何処までが自分の熱で、何処までが自分の吐息なのか。

境界線が曖昧になり、溶け合うようなあの時間をもう一度味わいたい。

毛布を強く握りしめる。

唇を噛み締めて、恋しさに耐える。


眠りに落ちるまで、双葉は繰り返し繰り返し、暁との時間を思い出していた。




モルガナは自称紳士だ。

実際、気遣いが出来る猫である。猫というと怒るが。

そして、モルガナは紳士である以上に一途で努力家である。

人間になり、太陽の下において輝くような金色の髪と笑顔がとても魅力的な愛しの姫君とめくるめく恋に落ちる日がいつ来ても良いように情報収集を欠かさない。

相棒と一緒になってデート特集を組んだ雑誌を熟読したり、女性が喜びそうな小物や花も相棒にくっ付いて勉強した。

イベントごとについても時に下宿先のゴシュジンの見ているテレビから、時に仲間が持ち寄ったマンガから、

時にゴシュジンの娘のネットサーフィンに付き合う(付き合わされる)ことで知った。

それによると、クリスマスとバレンタインデーは恋人たちの祭典であり、竜司や三島のような寂しい独り身達のサバトの日であるという。

そして、年頃の乙女が喜びそうな恋愛映画や少女マンガの研究にも余念がない。

夜、相棒と仲良くDVDを見て、時には映画館にくっ付いて様々な映画を見てきた。

その結果、想い合う恋人同士が離れ離れになることの辛さや、障害が愛を燃え上がらせることを彼は映画で学んだ。

成程、会えない日々が、互いを愛する気持ちを心の中で熟成させる期間となるわけか。

そして、その方程式が身近で当て嵌まるのが相棒達である。

彼の相棒が下宿先の主人の娘と付き合っていることは随分前から知っていた。

最初は兄妹のようだった二人が、微妙にその距離を変えたことも。

相棒が出頭したことも、それを救い出そうと仲間達が奔走していたのも。

モルガナはずっと見ていた。

人と接することに恐怖を未だに拭いきれない少女が随分と頑張ったものだと、妹の成長を喜ぶ気持ちでモルガナは感慨深さを覚えた。

終わってみればたったの二ヶ月であったが、その二ヶ月がどれほど長かったことか。

いつ彼が帰ってくるともしれない日々を待ち続ける少女の気持ちを想うと、胸が痛んだ。

そんな二人が、バレンタインデーの前日に再会出来たのは、苦難に耐えてきた彼等へのささやかなご褒美なのかもしれない。

きっと、寂しさを埋めるように語り合っているのだろう。

そう察した賢猫は夜明けまで野宿することを決めた。



「何だよ窓開いてんのかよ不用心だな…っふぎゃ!」

窓から入り込んで、モルガナは短く悲鳴を上げた。

店を覗いた時は姿が見えずまだ寝ていると思った相棒がソファーに腰掛けてじっと虚空を見つめていたからだ。

それも、ぼーっとしているのではなく、鋭い獰猛な肉食獣のような瞳を炯炯と光らせて。

「お前何やってるんだよ。寝るならベッドで寝りゃいいだろ」

「シーツ使えないから」

「なんだぁ?…お前いい年して漏らしたのか?」

すんすんと鼻を鳴らしてシーツの入った籠の匂いを嗅いだ後、モルガナは複雑な顔をする。

漏らしたと言えば漏らしたわけだが、それは不可抗力というものである。

人が身体から排出するおおよそのものが含まれているのだ。

情事によってたっぷりと水を吸い取ったシーツは、丸めて籠に入れてある。

モルガナはどういう経緯でそうなったかわからない

「そんなわけないだろ。色々あったんだよ」

「何だよそれ」

「ラヴェンツァにでも聞いてみろ今度。三味線にされるかもしれないけど」

「怖いこというなよ!!知らないかもしれねーけどな、あの方お前以外には態度がドライなんだぞ!!」



暁は毛布をかぶり直し。じっとソファーの上で膝を抱える。

普段、双葉がそうするように。

毛布から微かに双葉の甘い香りがした。

さっきまで身を寄せ合い二人でいたのだ。

情事の余韻と余熱に浸りながら、裸のまま一つの毛布に包み、色々な事を話していた。

その香りがまだ残っているのだ。

シーツを剥ぎ取った剥き出しのマットレスの置かれたベッド(ビールケースの寄せ集め)を見る。

あそこで二、三時間前まで自分はあの少女を抱いていたのだ。

見つめ合い、手を握り合い、膝の上に乗せ抱き合い、背中から覆い被さり、組み伏せた。

指先にまだ少女の肌の柔らかさが残っていた。熱に浮かされるように何度も何度も濡れた吐息と共に囁かれた自分への愛の言葉が耳に残っている。

掴んだ腰の薄さに驚いた。

引き寄せた身体の呆気ない軽さに戸惑った。

けれども戸惑いは本能に駆られる肉体の動きを何ら抑制することは無かった。

何度も何度も掴んだ腰を引き寄せ、何度も何度も杭を奥深くに埋め込むように腰を叩き付けた。

自分の理性が繋ぎ止めていた欲望の大きさに驚く。

ぼろぼろと大粒の涙がその大きな瞳から溢れれば、いつもなら罪悪感で息が出来なくなるはずなのに、舐め取った甘さに喉を震わせた。

怯える声を上げれば、いつもはすぐにその頭を撫でてやり落ち着かせてやるというのに、更に更にと追い詰めた。

今まで聞いたことの無いたくさんの声を聞いた。

今まで見たことの無いたくさんの表情を見た。

今までしたことの無いたくさんの口付を重ねた。




自分は双葉を抱いたのだ。

普段は生意気な言葉で人をからかい、時には横暴とさえ言える振る舞いを見せる、けれども甘えん坊で寂しがり屋の大切な少女。

我侭をたくさん聞いてやって、自分の全力をもって大切に守りたいと思った妹。

惣治郎と不器用な親子として歩み始めたあどけないとさえ言える女の子。

そんな自分のなかで、汚してはいけない、未だ無垢なままだと思っていた子を抱いたのだ。

自分が抱いたのは紛れもない「女」だった。


いっそ女を知らなければ良かった。唇を噛む。

行為そのものに憧れるだけであれば、自分は今頃高鼾をかいて寝ていたかもしれない。

双葉とそういう関係に至れた事実に満足して。

だが、知っていた。知っているからこそ、わかる。

性処理のための作業として消化される行為と、消費される「情」との明確な違い。

処女である双葉を気遣うつもりだった。現に破瓜の痛みに耐える彼女を落ち着かせるまでは、出来る限り身体を労わっていたつもりだった。

痛みを何度も訴えているくせに、決して拒絶は口にしなかった双葉。

初めての痛みに顔を泪でぐしゃぐしゃにしているくせに、それでも自分に笑いかけてくれた双葉。

彼女が自分を受け入れてくれるのだと、確信した瞬間それは決壊した。

妹、家族、仲間、耳に障りの良い言葉が脳裏から吹き飛んだ。

どれだけ言葉を並べようとも、自分にとって双葉は「女」だった。

多量の熱を含んだ白い息をゆっくりと吐き出す。

身体から少しでも熱を逃がしたかった。

双葉の顔を思い出した。その温もりを、柔らかさを、声を。

さっきまで自分の腕の中にあったものが、今は無い。

激しい喪失感と共に、思い出される時間に身体の奥の燻りがすぐにでも炎を上げようとしている。




「……会いたいな…」

別れたばかりなのに、どうしようもなく会いたい。

よく、さっき自分は彼女の部屋からすぐに帰って来れたものだ。

出来ることなら、すぐにでも佐倉家へ行って、双葉を連れ出したい。

いや、彼女を前にしたら連れ出すまで待てないかもしれない。

彼女の部屋で、すぐに抱きしめてしまうかもしれない。

舌で存分に味わい、指先で鍵盤を演奏するように可愛い声で啼かせてしまいたい。


一階で惣治郎が開店の準備を始める物音がする頃になっても、暁は双葉の香りと温もりの余韻に包まれたまま身じろぎひとつすることなく、眠ることが出来なかった。


* * *


熱い湯が珈琲豆に沁み込み、ゆっくりと琥珀色の液体が落ちて行く。

その音と共に鼻腔を擽る芳ばしい香り。珈琲豆一つ一つに眠っていた旨味の産声のようだと思ったのは此処に来てからが初めてのことだった。

差し出されたカップを手にすると、かじかんだ手をカップから立ち上る熱気が撫でて行く。

黒蜜のように深い琥珀色をジッと見つめる。

一日の営業を終え、心地よい倦怠感の広がる店内にふわりと立ち上る白い湯気が溶けて行く。

「飲まねぇのか?」

「いえ、いただきます」

一口、熱々の珈琲を啜る。

変わらぬ味だ。

ここにやって来て以来毎日食事の定番となった味。

朝の訪れを教えてくれる合図。

仕事の終わりを労う一日の締め。

二ヶ月ぶりの味に、思わず顔が綻ぶ。

微かに口角を上げる程度の変化に、けれども父親のつもりでいる彼が気付かないはずがない。

佐倉惣治郎は、息子の笑顔につられる様に目元を和らげた。





「なぁ、暁」

「はい」

「俺はよ、最近年食っちまったなと思う時があるんだ」

惣治郎が店の時計に目をやる。

時刻はもうすぐ午後9時になろうとしている。

昨日、双葉が店にやってきたのが今くらいの時間だったか。

まだ24時間しか経っていないことが嘘のようだ。

今日は一日双葉に会っていない。

もしかして、無理をさせ過ぎてダウンしてしまったのだろうか。

それとも、惣治郎に外出禁止を言い渡されているとか。前者はともかく、後者であれば双葉が素直に従うとは思えない。やはり前者だろう。

だが、それを惣治郎に確かめることはしていない。

惣治郎は朝何も双葉のことについて触れなかった。

暁もつい、何も聞かずに店の手伝いで一日を過ごした。

「昨日もな、12時ごろまで起きてるのが限界でな」

「遅くまですみません」

「いや、しゃーねぇよ。積もる話もあるだろ。一日中話したかったんだろうが、手伝ってもらっちまったしな」

惣治郎が自分の分の珈琲を淹れ始める。それは珍しいことだった。

閉店後は店の片づけをして、暁に戸締りを言い渡して帰る。

家に一人残している娘が心配な惣治郎は閉店後いつまでも店で時間を過ごすことは無い。

最近では、店の仕事にすっかり暁が慣れているためか、食材のチェックだけして、片づけも暁に頼んで帰ることも珍しくない。

「気にするな。話しておかなきゃならんこともあるしな」

「はなし…ですか」

「昨日12時には寝ちまったって言っただろ。年取ると夜更かし出来なくてな。それでもって、朝早くに目が覚めちまうんだわ。今日も4時ごろ目が覚めちまってなぁ」

淹れ終えた珈琲のカップが暁の座るカウンター席の隣に置かれる。

惣治郎がエプロンを外しながら隣に座る。

「4時になっても、ウチの娘が帰って来てないようだったんだが、そこんところ説明してもらえるかい?」

口の中の水分が気付けば無くなってカラカラになっていた。

暁は一口珈琲を飲む。

珈琲の味がしなかった。





来た。

そう思った。

来るべきものが来た。

覚悟はしていなかった訳ではない。

コインランドリーにてシーツは洗濯中だ。

荷物の見張り番はモルガナに頼んで見てもらっている。

ゴミ箱から溢れていたティッシュは燃えるゴミに出している。

窓の換気は可能な限りしてあり、念のためにリセッシュを振りかけている。

決して証拠隠滅を図ったというわけではない。後ろめたい真似をしたつもりはない。

真剣に想い合って、愛を伝え合い、その結果、自分と双葉は身も心も結ばれたのだから。

何ら恥じることも無いし、誤魔化したり、隠そうとしたりする必要など、これっぽっちも無い。



まぁ、バレなかったらいいな~ラッキーだなあ~くらいは思っていたが。



だがしかし、バレていた。バレバレであった。

年頃の娘を持つ父親とはそんなにも心配性であるのだろうか。

そこまで警戒心が強いのだろうか。例えば自分に娘が、双葉そっくりの娘がいたとして、帰りが遅いからと待つか。


徹夜ですな、それ、と結論は付く。



バレて当然だ。何故バレないと思った。

ここは素直に話すか。

素直に?素直にとは何処まで話すことを指すのか。

『娘さんと交際させていただいています』

これは良いだろう。というか、昨日の状況で今更であるし、向こうも承知だろう。

『二ヶ月会えなかったのが辛すぎて辛抱できませんでした』

男として共感してもらえるかもしれないが、娘を欲望の捌け口としか見ていないのかと思われそうだ。

『何もありませんでした。二人で喋ったりゲームやってたりしている内に寝落ちしてました』

信じてもらえそうだし、事実したこともある。あの時は屋根裏部屋に上がってきた惣治郎にベッドで一緒に寝てるところを見つかって叱られた。

しかし、嘘を吐きたくはない。

父親のような人に、不誠実な事をしたくはないし、そもそも双葉とのことは誤魔化したくない。

『お宅の娘さんの処女を頂きました。責任は取ります』

ダメだ、殺されるコレ。そもそも、そこまで報告する必要あるのか。


でも、何か言わなければ双葉に矛先が向くかもしれない。



「双葉を、娘さんを朝帰りさせることになったのは、俺のせいです。俺が引き留めたからで、

だから双葉のことは叱らないでやってくれますか」


まずは、これが最重要だろう。

惣治郎に限っては無いと思うが、ふしだらな娘だと双葉が叱られるようなことはあってはいけない。

彼女は情けない自分を小さな身体で受け入れてくれただけで、責めるならば自分を責めるべきだろう。

そもそも、自分が理性的であれば、チョコレートを貰った後に送って行けば良かったのだ。

それを、想いを抑えきれず、気遣いも半ば彼方に追いやり、いつまでもその身体に欲望をぶつけることを止められず、尚恋しくてその身体を離さなかったのは自分だ。

「ほう…双葉と朝まで一緒にいたことは認めるんだな。そんでもって、叱られるかもしれねぇことをしたってことだ。

それは『そういう』ことをしたって思っていいんだな」

僅かな沈黙の後、頷く。


「言ったよな、その場の勢いとかは止めてくれって」

「すみません」

深い溜息を吐くと、惣治郎は煙草を一本取り出し、火を点ける。

静かに吸い込むと、長く細い紫煙を吐き出した。

珈琲の香りの中に煙と共に煙草の匂いが溶け込んでいく。

二、三度煙草をゆっくり吸った後、灰皿に灰を落としながら、ぽつりと言った。

「お前くらいの年じゃな。やりたい盛りの男に任せた俺が馬鹿だったか…」

鉛を飲み込んだような申し訳無さが胸を占める。

惣治郎の信頼を裏切ってしまったのだという罪悪感が。

しかし、胸に去来したものはそれだけではなかった。

罪悪感に負けない程の強い反発心。

「待ってください。俺はいい加減なつもりで双葉とそうなったつもりはないです」

「ほぅ?」

若造の青臭い言葉と切って捨てられるかもしれないが、自分と双葉は真剣だった。

その場の勢いに任せてであるとか、物の弾みで一線を越えた訳ではない。

互いの背負ってるものを背負い合うと誓った。その上で覚悟を持って身体を重ねたのだから。

「いい加減じゃねぇっていうのは、どうするってことだ?」

「責任は取ります」

「責任て…お前…」

言い切った言葉に惣治郎は呆気に取られたように目を見開く。

咥えた煙草からポロリと灰が零れるのにも気づかない。

「勿論、今すぐというのは無理ですけど、俺は、双葉と“そういう形で”家族になりたいと思っています」




惣治郎は頭を掻くと、暁を真っ直ぐに見る。

目を逸らすことを許さない、強い眼差しに一瞬、暁は気圧される。


「この二ヶ月、お前の友達がお前を釈放する為に方々駆けまわってたのは知ってるだろ」

「はい」

「双葉もな、頑張ったよ。お前の冤罪の決め手になった女の嘘の証言を撤回させるために、まだ人が怖いくせに無理してな、直接会って」

暁が頷く。双葉から聞いてはいたが彼女は『既にレベルアップしたわたしには問題ないミッションだったぞ』と胸を張って言っていた。

だから、具体的に双葉がどんな事をしたのかは知らなかった。

「あいつ言ってたよ。お前にたくさんのものを貰ったって。お前があげてばっかりなのを当たり前だと思ってるのが嫌だって。

お前を助けてぇって。泣きながら助けて欲しいって言ってたよ。足震わせながらな。

びっくりしたよ。若葉そっくりでよ。こうと決めた時の頑固で、気の強ぇ、俺が惚れ込んだ若葉にそっくりで」

灰皿に置いたままの煙草はすっかり燃えつき灰のみになっていた。

「寂しいと思ったよ。俺の知らないうちに成長してたことに。けどな、誇らしいとも思ったな。惚れた男の為に戦えるイイ女になってた双葉を。

それとよ、何だか嬉しくなったな。居場所が無かった息子の居場所に俺の娘がなってくれてることが…」


小さく笑うと、惣治郎は冷めかけた珈琲を口にする。


「なぁ、暁」

「はい」

「双葉は若葉を失って、たくさん傷ついてきた。山ほど傷つけられてきた。お前がいなくなった日、あいつ泣いたんだ。

小さなガキが親とはぐれたみたいに、わんわん泣いてたんだよ。見てられなかったな」


暁が唇を噛み締めて俯いていた。

双葉を想っての行動に嘘偽りも無ければ後悔も無い。

だが、彼女を泣かしたかったわけではない。

今なら、双葉から自分へ向けられる愛情の深さを心から信じられる今ならわかる。

どれほど大切な人間に置いてかれることに、自分の居場所を失うことに、あの少女が臆病であるのかを。

罪悪感に胸が締め付けられる暁に惣治郎は苦笑する。


「責めてるつもりじゃねぇよ。結果お前は帰って来た。あいつの幸せそうな顔ったらよ。

だから、もうあんな風に泣く双葉は二度と見たくねぇ。責任取るって言ったよな。

だったら約束しろ。あいつを傷付けないでくれ。泣かすようなことはするな」

「俺は自分の全部を賭けてあいつを守り続ける。それで、いつか“その時”が来たら、バトンタッチだ」




惣治郎が暁の肩に手を置く。

罅割れとささくれのある手。深い年輪のように刻まれた皺のある手。

働き、双葉を守ってきた男の手だ。

娘を守り続けてきた父親の手だ。

重みのある手だ。


「その時はお前が双葉を幸せにしてくれ、必ず」


けれども、その重みから逃げ出す訳にはいかない。

既に決めているから、暁は頷く。


「はい、双葉は俺が ―― 」



* * *



昨日は12時回っても双葉は帰ってこなかった。いつの間にか寝ちしちまってたことに気付いたのは朝の4時過ぎだった。

双葉がちゃんと入って来られるように開けておいた玄関の鍵はかかってなかった。

あいつの部屋のドアを試しに開けて見ると、普段はロックかけてるドアはあっさりと開いた。

まだ帰って来てないことは薄々勘付いてたが、やはりショックなもんだな。

帰ってくるのを玄関先で待ち伏せして叱り付けてやろうか。

そうも思ったが、もしあいつが幸せいっぱいって顔して戻ってきたら、その気持ちに冷水を掛けちまうことになる。

二ヶ月も離れ離れで頑張ってきたガキ共にそいつはちと大人げない話だ。

結局、布団に戻る。

少し頭を整理したかった。

自分の受けたショックを上手く呑み込めないまま、いつの間にか寝入ってたようで、シャワーの音で目が覚めた。

店にシャワーは無ぇし、この時間銭湯もやってない。

いや、ちょっと待て。

別に、ただ外が寒かったからシャワーを浴びてる可能性だって十分にあるだろ。

何勝手に決めつけてるんだ。

双葉が廊下を歩く音に耳を澄ますばかりで、最後まであいつに声をかけることは出来なかった。

信頼を息子のような奴に裏切られてショックなのかと言われりゃそうかもしれなかったが、

店に行ってあいつの面見ても怒りはあんま込み上げてこなかった。

あいつは双葉の事を聞いてこねぇ俺を不審がっていたが、俺だって混乱してるんだよ。

自分の気持ちをどう処理したもんか、そんな事を考えながら普段通りに店を開ける。

あいつも同じだったのかねぇ。それでも仕事の手付は一丁前に慣れたもんだ。

まだまだ半人前だが、悪くねぇ。

成長したもんだなと、おかしなタイミングだが感慨深いもんがあった。

こいつがいい加減な奴じゃねぇってことはわかってた。

正直、こいつに怒りはそんなに感じちゃいなかった。ぶっ飛ばしてやろうなんて気は更々無ぇ。

だが、可愛い娘をこの野郎めという気持ちはあった。

だから少し意地悪をしてやった。


案の定こいつは言葉を探す為に沈黙した。

だが、沈黙の後こいつが言ったセリフはもっとぶっ飛んだもんだった。

せいぜい「交際を認めてください」くらいを言ってくるかと思った。

誤魔化したり嘘をこの期に及んでするような奴じゃないことはわかっている。

だがな、それにしてもだぞ。


『俺は、双葉と“そういう形で”家族になりたいと思っています』


まったく、参ったよ

畜生、そんな迷いの無い目しやがってよ。

あれはいつだ、そうだ、若葉に久しぶりに会いに行った日だな。


―― あいつも、いつか嫁にいく日がくんのかね… ――

―― お前に『お義父さん』とか呼ばれんの、想像ができ…まあ…でも、お前なら… ――


確かに言ったけど、いくらなんでも早すぎるだろ。

まだ心の準備が出来てねぇってのに、勝手に俺を置いて進めないでくれよ。

ああ、そうか。

置いてかれちまうか。

俺はショックてか、寂しかったんだな。

守ってやらないといけない娘と息子だと思ってたのに、こいつらはどんどん成長して、一緒に大人になって行こうとしてる。

俺はそれが寂しかったんだな。

やれやれ、どっちがガキなんだか。

なぁ、若葉。

お前に似てあいつはどんどんイイ女になってきてるぞ。

何せ、こんなイイ男になった俺の息子を骨抜きにしてるんだからよ。

ちと悔しいが、こいつに、バトンを渡さねぇとな。



たく、いつの間にか成長してやがるな、娘も息子も。





双葉は枕に顔を埋めていた。

首も耳も真っ赤に染まっている。

ヘッドホンから聴こえてくる声に、堪えきれずに「うーうー」と唸る。

惣治郎と暁の話し合いがどうなるか気になって盗聴した結果がこれだった。

自分を想う惣治郎の言葉に胸が詰まった。

そして、暁の答えに涙が堪えきれなかった。


『はい、双葉は俺が必ず幸せにします』


誰からも疎まれて、嫌われて、自分なんて誰にも愛されてないと思っていた頃もあった。

けれど、今は違う。

自分の傍にいてくれる人がいる。

自分の幸せを祈ってくれる人がいる。

自分を愛してくれる人がいる。


「こまったな~暁もそうじろーも。わたし愛されすぎだろ」


鼻を啜りながら双葉はそう呟く。

足をバタバタさせながら、へへへと小さく少女は笑った。




頭が鉛を流し込まれたように重い。気を抜けば倒れてしまいそうだ。

この一週間、一体何時間寝ているだろうかと数えようと思ったが、回っていない頭ではいつまで経っても記憶を正確に辿ることが出来ないことに気付いて止めた。

「おイナリなんか悩み事か~?デーゲームみたいになってんぞ」

膝の上に乗せたモルガナを撫で回していた双葉が目元を指さす。

自分の顔がどのような有様かはわかっているつもりだったが、ハッキリと言葉にされると面白くない。

「フタバも似たような顔になってることあるだろ」

遠慮なく弄り回す手に煩わしげにしながらモルガナが溜息を吐く。

どれだけ煩わしげにしても、手を払い除けたりしないあたり、こいつも随分とお人好しだ。

「なにをー!!こんな不健康モヤシ面と一緒にするとはぶれいせんばん!」

「にゃふっ!や、やめれーー」

モルガナの脇腹に手をやってもみくちゃにする双葉と、必死に抵抗するモルガナ。

ペットと飼い主というよりも、猫二匹がじゃれあっているようで微笑ましい。

見慣れた二人のじゃれ合いを、温かなまなざしでカウンターで調理を終えた暁が眺めている。

双葉やモルガナ、竜司や杏がじゃれ合い、騒ぐ時、暁はいつもそうして優しく見守っている。

それは、ほんの数か月のことだというのに、いつの間にか俺にとって肌によく馴染んだ、当たり前の光景。


あの12月25日の朝から欠落していた光景、そう、改めて日常が戻ってきたのだと実感する。




「はい、マンデリン。カレーももうすぐだから」

「すまない」

目の前に差し出された湯気を立てるカップに手を伸ばす。

指先からじんとした熱が伝わる。冷え切っていた指先が解きほぐされていくようだ。

「暁、おイナリにマンデリンは勿体ないぞ。水道水でも与えて追い返せばいいのに。おイナリはさっさと帰って寝ろ」

「む、まだ帰らんぞ。暁のカレーを食べるまではな!」

俺の叫びに呼応するように、獣の唸り声のようなものが響く。

「な、なんだ今の。野良犬か!?」

モルガナがあたりを見回す。

「いや、俺の腹の虫だ」

「どんだけ腹減ってるんだよ!!」

かれこれ一週間はもやししか食べていない。

「暁、おイナリ何か悩みでもあるんじゃないのか。コイツすっごい顔色悪いぞ。スカアハ師匠並に。目の下のクマもすっげぇし、何かLみたい」

Lが何かわからんが、とにかく酷い言われようだということはわかる。

「それは違うよ双葉」

暁が双葉の頭を撫でる。

「祐介は寝られないんじゃなくて、寝てられないんだろ?」

黒曜石のような汚れ一つ無い瞳が俺を貫く。心の裡まですべて見透かすように、黒く深い輝きを秘めた眼差しで。

そうだ、こいつはいつもそうだ。ジョーカーとして戦う時は、冬の夜を思わせ冷たい輝きを持って、見つめられただけで切り裂かれるような鋭い眼差しを放つというのに、

こうして仲間を見つめている時の眼差しは同じ黒でも全く異なる。

同じ夜の闇のような黒でも、優しく子供の眠りを見守るような、温かさと慈愛に満ちた眼差しに変わる。



「流石だな。お見通しか」

「絵が描きたくて仕方がない時の祐介の目はいつもキラキラしてるからね」

「敵わないなお前には」

覗きこまれたという不快感は無い。寧ろ、俺のことを理解してくれている友の存在に改めて喜びを感じる。

「創作意欲が沸いて仕方がない。食事も睡眠にあてる時間も惜しいが、流石に限界があるからな。

無性にお前の作るカレーが食べたくなった」

「俺のカレーでよければいつでも」

「そこまで甘やかさんでくれ。毎日食べたいと言ってしまいたくなる」

お人好しのコイツならば、きっと呆れながらそれすら受け入れてくれるのだろうが。

「コラー!!テメ、このおイナリ。わたしのカレシを口説くんじゃねーー!!

暁ももっと、わたしのカレシという自覚を持て」

「ごめんごめん、じゃあカノジョさん、ちょっと味見をお願いしてもいいかな」

「任せろ!!」

モルガナをカウンターに乗せて、素早くキッチンへと回り込む。

やれやれ、あれだけ不機嫌に膨れていたというのに、もう喜色満面か。

小皿によそったカレーを食べると、双葉は暁に何かを一生懸命に話しかけている。

暁は小さく微笑むと、双葉の唇の端についたカレーを舐め取ってやる。ここから見ていてもわかるほど、双葉の頬が赤く染まって行く。

それが微笑ましいのか、暁が紅茶色の髪を撫でてやると、耳まで赤くした双葉が暁に抱き付いた。

随分と大胆だな。

以前であれば、双葉は照れて慌てこそすれ、あのようなスキンシップを取っていなかったはずだが、何かあったのだろうか。

先週、暁が戻って来てからの一週間程度のうちに。




「なぁ、ユウスケ。そんなに描きたいものが出来たのか?」

タシタシとモルガナが前足で腕を叩く。

「そうだな。ずっと描きたかったものがようやく戻ってきたからな」

「戻ってきた?」

「ああ。出来上がったら持ってくるとしよう」

じゃれ合う二人の姿を、指でフレームを取り覗いてみる。

「うむ。やはりこれだな」

思わず頷いてしまう。

俺が望んでいた結末が。

俺が見たかった光景が。

そして、そこから生み出される美がフレームの中に確かに見える。

「ワガハイにもわかったぞ」

嬉しそうに呟いたモルガナと目が合う。

蕩けそうな笑顔で暁の胸に頭を預ける双葉と、溢れそうな愛情を湛えた眼差しで双葉の頭を撫でる暁。

二人の姿に、思わずお互いに笑みが浮かんでいた。

「絵が描けたら、タイトルを考えなければな…」

「何だ、そんなモン決まってるだろ。ワガハイすぐに思い付いたぞ」

「ほう。聞かせてもらおうか」



「そうだな、やっぱり ―― 」


以上で投下を終了します。これをもってお話を終了とさせていただきます。

読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。

それでは。ノシ

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