男「誘拐から始まるモバP生活」 (364)

※デレマスSS
※雑談スレで拾ったネタ。勝手に書いて申し訳ない
※名前付き台本と地の文混合
※ミリマス/エムマス/本家アイマス要素皆無
※ドラえもん原作全部知ってる人にはオチバレする虞あり
※急拵えゆえ雑な面あり
※大崩壊
※市原ナンバーなんてものは実在しない
※許して

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2016年5月。春から初夏にかけて若芽萌ゆるこの季節に、俺の人生は前触れもなく急に終わってしまった。家族が病に倒れ、二人同時に入院した。
一方俺は会社をクビになって収入源を失った。
収入がないから携帯が止まった。すぐに固定電話とインターネット回線が止まった。
情報インフラが死ぬと程なくして電気ガス水道が止まった。
テレビは結構前に契約切られてゲーム以外の用途がない。それも電気が死んだから、もう遊べないわけだが。
そして恋人にフラれた。加えて10年来の友人が借金を作って煙のように消えた。保証人は俺。

なりふり構ってられないのでやたらめったら見境なくバイトの面接を受けた。

で、全て落ちた。

引っ越し、倉庫、工場、清掃、介護。
これらの肉体労働すら引っかからない。

残ってるのは、一人で乗るには些か広すぎる車と、3週間3食食って仕舞えば尽きるだろう金と、
免許証とクビになったことで使えなくなった健康保険証、その他雑なカード類の入った財布くらいのものだ。
何をするもどこへ行くにも、俺の居場所も無ければ、俺のやることに何の意味もない。

何をする行動力もなく、自殺する勇気もなく、かと行ってこのまま野垂れ死ぬのを待つ忍耐もない。

何もない。それが俺を表す言葉だった。

そして全てを失って10日が経った。金は想像以上に早く無くなって来ている。
公園で水を飲み、コンビニで廃棄寸前で半額以下になった一番安い弁当を食って凌いでも、もはや長くはもたない。
出費の中で特に痛いのは車の燃料だ。走らなくてもエアコンやなんやでバッテリやガソリンは消費してしまう。
図体のでかい車だから尚更だ。俺より大食らいなんだ。

余裕を持っていたつもりが、早々に窮してしまった。
金が欲しい。何につけても金が欲しい。
どうにかして手っ取り早く金を作らなくては。

男「強盗か、さもなくばひったくりか……」

俺の脳内に黒い考えがよぎり、それを実行に移すのも時間の問題だった。

金を持ってそうな弱いやつ。いい身なりをした女を探した。
ガキなら男でもいい。平均的男子高校生くらいなら俺の身長と腕っ節でねじ伏せられる。

俺は細い道と大通りの死角となる交差点で機会を窺った。建設中のビルの工事音で足音も消える。好環境だ。

そして程なくターゲットが決まった。

後頭部に青いリボンをつけ、これまた青い長袖のカーディガンを羽織った女。
右肩から中くらいの長さの紐でバックをかけている。黄土色のバッグだ。
俺でも知ってるブランドもの。
金の匂いだ。靴もいいものを履いている。革靴……ローファーか。
身長140程度。肌の肌理細かさ、唇の小ささ、耳の産毛。
それとうなじの髪と額生え際の髪の細さ。
長い髪は流れるようにサラサラで枝毛や乱れは見られない。
爪も最低限のケアしかしてないだろう。それでいて小綺麗。

これらから察するにガキか。
しかし生意気にもブランドもののバッグを持っており身なりがいい。
背筋もピンと伸びている。背筋の延長線よりも背中側に耳が来ている。
この姿勢は毎日気を遣ってなければ維持できないものだ。
きっとどこかのかなりいいとこのお嬢だろう。
名門私立小中にでも通ってそうだ。よって金は持ってると見える。
顔も整っている。
こいつ自身に金は無くても攫って親でも脅せば金は出るだろう。

そんで捕まる前に逃げ切ればいい。
4週間暮らせる程度の金にはなるかもしれない。
どう転んでも美味しい結果にしかならない。
これはいい。最高の上玉だ。幸先がいい。

ものの数秒で品定めをして、この行為の結末を夢想して、知らずうちに顔がにやけてくる。

よし、決めた。攫おう。

俺は車を降りて鍵をかけ、このガキを5mほど後ろからつけることにした。

20mほど歩いた。こんなに近くを歩いても後ろを振り返って警戒するそぶりすら見せない。
工事の音で俺の足音が聞こえてないのだろうが、まあまあなんとも無防備なお嬢ちゃんだ。

呑気なもんだよな。

あまり離れても車に連れ込めなくなるから、工事現場のブロックを離れる寸前で行動に移した。

俺は駆け出し、ガキの肩を手前に強く引っ張り、よろめいた一瞬を突き、間髪容れず左手で膝を掬い上げた。
そして驚いた。
なんだよこいつ、バカみたいに軽いな。
米袋4つ分もないんじゃないか。ちゃんと食ってるのかよ。

肩に触れた段階で叫ばれそうになったので、右腕で肩を受け、右手で口を塞ぐ。噛まれてもいいようにハンカチで塞いだ。
回れ右をして走り出す。この間5秒もない。少し痩せぎすのガキで助かった。

そして車へと走り出して2秒ほど、背後で爆発音とも金属音ともつかない激音が炸裂し、俺の耳をまともに劈いた。
目を見開いてつんのめり、転びそうになったのをどうにか堪えて振り返ると、今まで俺たちがいた場所に赤く太い鉄骨が4本落ちて来ていた。

鉄骨に穿たれた歩道のコンクリートは煎餅みたいに割れて所々に破片が飛び散っていた。
垂直に落ちた鉄骨は落ちて来た時の勢いを殺し切らずに、少し跳ねるようにして倒れ、転がった。

推定長さ2m。推定重量100kg超だろう。一瞬でもタイミングをミスってたら、俺とガキはこれの下敷きだったわけだ。疑うまでもなく、そうなってたら死んでいただろう。
死体は原型も留めなかったはずだ。

数秒かけて現状を分析して、さらに遅れること数秒経ってぞっとした。縮み上がった。

男「は……は……はっ……はぁ……」
少女「…………」

あまりの驚きに、俺はガキを抱えたまま情けなくも震えていた。
ガキも震えている。両手越しに自分のではない体の震えが伝わってくる。

「だ、大丈夫かぁ!!!!怪我人はァ!!!!」

工事現場の中から叫び声が聞こえる。数刻立ったのち、これに次いで野次馬の十数人が現場と俺らを中距離のあたりで取り囲む。
そしてすぐ隣のブロックのビルから追加の野次馬が出て来た。携帯に耳を当ててる奴が2、3人見えた。
こいつらの声が聞こえるほどの距離だ。

「……おい、あれ橘ありすじゃねえか?」
「おおおー、本物のありすちゃんだ、あの男の人は?」
「お付きじゃねえの。あの人がありすちゃん助けたみたいだ」
「すごいわねえ。よく助かったわよ」

タチバナアリス、という人名が聞こえた。
どうやらこのガキの名前のようだ。外国人みてえだなおい。この整った顔立ちはハーフだからか?
……いや、目の色も髪の色も顔の造形も純日本人にしか見えないのだが。

こいつら野次馬はこのガキの知り合いではなさそうだ。
となるとそれなりに名の知れた有名人ということになる。
……とんでもねえものを掴むところだった。
事故に遭って助かったと言うべきか。

「うっっわ見ろよあれ……大事故だ……」
「職場近くで事故なう 鉄骨落下であわや大惨事 けが人はなし……っと。うわやっべRTが秒で40行った」
「ありすちゃんを抱えるお付きっぽい謎の男 その正体は……ってあーあ顔隠しちゃった。写真撮り損ねた」

今時の野次馬は単体で一報道機関並みの影響力と発信力を持つ。油断すると顔が割れる。
ちくしょうマスク持ってくるんだった。想定してねえぞこんなこと。
こっちにも気を配らなくてはならなくなった。とてもとてもまずいことになった。

「警察と消防は?」
「ビル出た段階でもう呼んだよ、すぐにくると思う」

待て、警察だと?

うかうかしてられない。捕まる。そんなわけに行くか。

俺はガキを抱えたまま車へ戻った。

ガキは……置いてくか。
名前が曖昧な一般人に知られてるということは有名な子役か芸能人か何かだろう。
最近デビューしたのか?テレビ止まってるから知らねえんだよな。
こんなの攫ったら逆に詰みだ。金は欲しいがしかし今この段階で捕まるわけにはいかない。
人攫いという危ない橋を渡ってはいるが、ブタ箱に入ることは俺の目的ではない。

車のそばでガキを下ろし、リモコンキーで車を開ける。乗り込む、エンジンをかける。シートベルトを着ける。
ドアを閉め……られない。ガキがドアを掴んでる!

男「おい何をする!!離せ!!お前に用はないんだ!!!」

お前およびお前の家の金に用があったんだ、とは言わなかった。
用がなくなった今、こいつに余計な印象を与えるべきではない。

タチバナアリス、と言ったか。そのガキは運転席のドアをはっしと掴んで離さない。
……華奢でひょろっちょろなガキのくせに意外な膂力だ。
体を動かす系の芸能人か。バックダンサーとかか?
目はまっすぐとこちらを向いている。

ありす「私はあなたに用があります。まだ助けてもらったお礼を言ってません」

この年の女にしてはやや低いが、透き通って凛とした声だった。
さっき死にかけたばかりのくせにもう落ち着いてやがる。なんて肝が据わってんだ。
滑舌もいい。多分歌もやってんな、こいつ。

しかしまーまったくもって意味わかんねーこと言いやがる。なーにがお礼じゃ。アホかこのガキ。疾く去ね。

男「知ったことか!!離れろ!!!」

手加減なくドアから小さな手を引き剥がし、その手を掴んでそのまま遠くに放り遣る。
バランスを崩して後ろに倒れそうになった隙を突いてドアを閉め、急発進させた。
バックミラー越しにガキがこちらを見てるのがわかった。
ミラーのガキはどんどん小さくなる。追いかけてくる様子はない。逃げられる。助かった。

ありす「……市原27 は 4 51」




ありす「……」

俺はそのまま、野次馬どもから離れるように車を飛ばした。

本日はここまで。読んでくださってありがとうございます。

次回と次々回の投稿で終える予定です。
予定では11月16日になればいいかなと考えています。

俺は実に不機嫌だった。せっかくのチャンスを事故によってフイにしてしまったからだ。
それだけじゃなくて、拐おうとしてたガキも有名人だった。全くついてなかった。
コンビニでマスクを買い、装着した。サングラスがないのが悔やまれるが、フードがある。
これを目深に被って顔を隠せばある程度は正体がバレないだろう。

車を適当に走らせて大通りから離れる。信号のほとんどない、路地裏とも言える隘路に入った。
こんなところを歩くような奴は都内じゃなかなかいないだろう。
俺はここでじっくりゆっくり作戦を練ることにした。

……したのだが。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」

作戦立てなくてもいいのが来た。遠目でわかる顔面の整い。これは間違いなく金になる顔。金が息を切らせながら走って来た。
やっぱ今日はついてるわ。

息切れ気味に走って来た女は赤髪で、身長はさっきのガキと同じくらい。
否、少し高いくらいか。何かから逃げてるのだろうか。顔が必死だ

胸の膨らみ方から察するに、小さくとも膨らみきった成人のそれではない。
要は膨らみかけ。やはりまたガキか。
やたらギラついてるように見える上着はスカジャンか何かだろうか。
不良少女か?だとしたら金は持ってなさそうだな……

腕が少々ゴツいか。拐えば怪我の一つや二つさせられてもおかしくないだろうな。
靴下を履いてないくるぶしには座り胼胝がある。
点ではなく線状に伸びる座り胼胝は日常的に正座やあぐらなどをしていると出来るものだ。
いいとこの嬢ちゃんとは……言えないかもしれない。
まあ、純日本系の名家なら、あるいは。

……それほどの純日本系の名家なんざ、この周辺にあったかどうかは知らんけど。
まあ、いい。とにかく攫ってからだ。それから考えよう。

ガキがこの車の先方40mほどから走ってくる。
奴さんがすれ違う前に俺は車を降り、後部座席のドアを開いて待った。
何の気もないただの通りすがりのオーラを纏い、運転席側のドアにもたれかかって、
もはや何も映さないスマホをいじり、俺は通行人Aに徹した。

「は、は、は、はぁ……」

ガキは俺の目の前を通った。その瞬間、俺は行動に移した。

左手を首の前へ突き出し、少し下へずらして肩を抱く。
そのまま右手で膝を持ち上げ、うつ伏せに抱える。すんなり行った。
湿って火照った体から察するに、相当走って来たか。
疲れてるのだろう。抵抗もされない。
しかしなんだ、こいつもこれまたやたら軽い。
最近のガキは飯をちゃんと食えてるんだろうか。
まあいい、てめえの飯の心配する前に他人様の飯の心配してる場合じゃあない。


こいつが、俺の飯のタネになるんだ。

2秒もかからず後部座席に放り込み、その瞬間ガキのズボンの右ポケットからスマートホォンを抜き取った。
後部座席のドアを閉め、俺も運転席へ乗り込む。

スマホケースは黒地に金の昇り竜。その周りに、将棋の駒か?
これくらいの歳の女が持つにしてはあまりにあんまりなデザインだ。間違いなく不良系のそれだ。
ただ、それにしてはなんとなく整い過ぎている。
体系だったデザインというか、なんか一本筋が通ってるような。
派手だがシンプル、そう言い表すのがしっくりくる。一点ものかもしれない。
ガキのスマートフォンを俺のとまとめて自分のポケットへ押し込んだ。
カバンも何も持っておらず、このスマホしか持ち歩いていない。
見た限りでは連絡手段はもうないはずだ。このまま車を出す。

急発進、走り出して数刻、車のはるか後ろから怒号やらなんやらが聞こえた気がした。
まずいな、さっきの野次馬みたいに通報されないことを祈る。

声の響き的に遠いが、万が一にはナンバーも見られうる距離だ。
今度こそ確実に捕まる。まかなければ。俺は気持ち強めにアクセルを踏んでそのまま大通りへ出た。
青信号を120km/hで4つ5つほど通過して橋を渡った。やはり運がいい。
バックミラーは見ない。逃げる先を探すのが先だ。
確かこの道をずっと先に走れば河川敷があったはずだ。
そこに停めてから、これからを考えよう。

>>28
あーミスった
s/スマートホォン/スマートフォン
で、よろしくお願いします

「はぁ……はぁ……」

このガキは相当全力で走っていたのだろう。息を整えるのに数分はかかった。
赤い髪に榛色の瞳。そして気の強そうなつり目。
気を張っている時はきっと女番長みたいな迫力があるのだろう。そう思える説得力があった。
しかし今はあどけない少女のような雰囲気を感じる。おそらくこのガキは15も行っていない。
金は……どうだろうな。親があてにできるかどうかも不透明だ。
ハズしたか。見た目だけで攫ったのは間違いだったかもしれない。
スマホをすっといたのは正解と言える。

少女「助かった。御仁よ、見たことのない顔じゃが、名はなんと言うんじゃ。所属は」

男「……」

会話を交わすつもりは一切ない。
俺はこのガキを使ってどのように金を頂こうか考えるのに頭がいっぱいだった。
河川敷のどこに監禁するか、そこから諸々何日持つか、誰をどう脅すか、それからどのようにこの女を扱うか。
これらのことを考えながら、こいつの話に応じることができるほど俺は器用じゃあない。

少女「……礼を欠いた。すまない。まずはウチから名乗るべきじゃったのう」

巴「まあ、それでも御仁ならば知っておろうが……うちの名前は村上巴。13歳じゃ。よろしく」

ムラカミトモエ、13歳か。思った以上に若かった。
にしては声の低い響きが少々強いのが気になる。
そしてやたらと滑舌もいい。聞いてて心地よさすら感じる。
しかし、なんだかドスが効いてる、というか。まさかこいつも芸能人……?

……もしや、もっとヤバい何かを掴んじまったんじゃないか……?

男「……」

巴「……実に無口じゃのう」

口調やイントネーションも少し気になるところだ。この辺りの出身ではないだろう。
広島……か?この歳で訛りが残ってるとなるとごくごく最近都内に越して来たばかりなのだろう。
とすると、もしかしたら、少しは金を持ってるかもしれない。
一縷の希望がまた少し見えた気がした。

巴「あぁ、そうじゃ。すまーとふぉんとやら、返して欲しいのじゃが」

男「……」

巴「……わかった。電源だけは抜いといてほしい」

言われた通りにした。

巴「随分と豪華なところじゃ。のう?」
トモエと名乗った女の皮肉はやけに耳につく。
午を回ったあたりで河川敷についた。
運良く、ここに来るまでには誰にも見つからなかった。人がほとんどいない。
河川敷の隅の方にあった、もう使われてはないだろう、なにかの用具や廃材などが置かれた倉庫に入った。
人を隠すのにはうってつけだ。飯も貯めておけそうだ。
食費が直ぐに手に入るわけではない以上短期戦必至になるだろう。
さりとて3日ほどはここで暮らすことにはなると見てもいい。

男「ここでおとなしくしていてほしい」

巴「わかった、おとなしくしていよう」

やけに素直だ。何かから逃げていたようなさっきの様子とは全く違う。
さっきのガキといい、このガキといい、やたらと肝が据わっている。
俺が臆病なだけだろうか。

ガキのスマートフォンの電源を戻す。白地に黒抜きのロゴが4秒ほど映り、やがて4桁のキーを要求された。

男「誕生日はいつだ」

そう聞くと、怪訝そうな顔をしてトモエは答える。

巴「なんじゃ、うちの誕生日を知らんのか」

……知るわけないだろ。初対面だぞ。
そう思ってると、トモエは合点がいったと言わんばかりに両眉を上げ、そして目を細めくつくつと忍び笑いをした。

男「誕生日はいつだ」

巴「1月3日じゃ」

くつくつ笑いが倉庫内にこだまする。
もはやトモエの声は笑顔を隠しきれていない。

0103……通らない。

巴「どうやらうちの組のモンでもないらしいのう?はっはっは!!幸運な偶然もあるもんじゃて!」

男「……」

巴「お前さんには、もしかすると不幸かもしれんがの?」

何が言いたい。組だの所属だの。
……さっきから俺がこいつを知ってて当然、みたいな口ぶりなのが引っかかる。

巴「組に頼まれた東京の何でも屋、じゃあないみたいじゃな?」

からかうようにトモエが俺の顔を覗き込む。
女番長のような強さと凛々しさがありつつも、いたずら好きな年齢相応のあどけなさが残る少女っぽい顔だ。
榛色の瞳が透き通る。その目に俺が映る。




映った。

……そして俺の血の気がサッと引いた。本日2度目の恐怖体験。

……なんでもっと早く気づかなかったんだ。

男「……ヤクザの娘か」

そう言うとトモエの顔が不機嫌そうに曇る。そして声に露骨な怒気が含まれた。
うっわおっかねえ。13の、しかも女でこの顔、声が出るのか。

巴「その言い方は気に食わんな。極道の女子(おなご)か侠客の娘、と言って欲しいところじゃ」

知るかよ。しかし俺の嫌な予感はビンゴだった。何でもっと早く気づかねえかな。天を見上げる。
こんなところでやいのかいの言ってる場合じゃなくなった。顔は既に割れた。
瀕し窮し、金を金をと言っている間に命の危険がすぐにやって来てしまった。

巴「そしてそういうお前さんは人攫い、そうじゃな?」

またもトモエはいたずらっぽい声に戻る。
もう俺の目にこいつの顔は写っていない。

逃げなければ。

逃げ出そうと体を翻した瞬間、ズボンのベルトを掴まれる。
くっそ、やはりあの腕は飾りじゃない。
こいつにも力がある。加えてさっきのガキとは比べ物にならない。
バランスを崩して俺はその場でみっともなく尻餅をつく。

巴「まあまあ、逃げるな」

逃げなくともこいつの連絡手段は絶ってある。だが相手はヤクザ。
謎の力でテレポーテーションめいて推参。スッゾオラー!ハイクを詠め!
アイエエエエ!!サヨナラ!!ネギトロめいて爆発四散!!
なんてことになりかねない。

巴「なんか今えらい失礼なこと考えなかったか?」

男「……」

どうするか。頭をフル回転させてるとトモエがまた口を開く。

巴「まあ、助けてもらったのは本当のことじゃ。それのお礼をせんと、のう?」

男「……」

振り返ると、トモエはまたいたずらっぽく笑っていた。

巴「まあ、座ってくれ」

そう言って廃材に腰掛けて左側をトントンと叩いて、座るよう促してきた。

申し訳ない、風呂入ってました。
続きを投げようと思ってたのですが風呂で別の展開を思いついてしまったため微修正して次回に回します。
投下は次で終わる予定でしたがもう少し続きます。

いつも読んでくださってありがとうございます。

別スレの話題で恐縮ですが、ジサツの方は今日か明日の投下になります。

巴「……そんなことがあったのか」

男「……そうだ」

どれもこれも、全く言いたくないことだったが、全て洗いざらい話した。
情けなく足掻こうが、後がない。
どうせなら、ガキの要望にでも答えてやるかと、そういう話の流れになった。
先のタチバナアリスの話は聞かれない限り伏せてくことにした。

巴「……ひどい話もあったもんじゃ」

男「事実さ。俺の財布だって、これっぽっちしか入ってない」

そう言って俺は左ポケットから財布をトモエの前に投げてよこした。

巴「……これは」

男「一般人の財布を見るのは初めてか?」

皮肉はトモエの耳には響かなかったようだ。
それより財布の中身に強い衝撃を受けているように見えた。

巴「この中身で、いったいどれくらいの間過ごしとったんじゃ」

男「正味1ヶ月くらいだな。とは言っても俺自身飯はそんな食ってない。燃料代が痛い」

巴「むぅ……」

男「なあ、俺のことはもういいだろ。あんたの話が聞きたい。あんたは何者なんだ」

巴「うちは極道の女子じゃ」

男「それはさっき聞いたじゃんか」

巴「それ以外に言うことなんて、なーんもありゃせんぞ」

男「あんな路地裏をどこからともなく走ってきた理由くらい話してくれたっていいじゃないか」

巴「カタギの御仁にあれの話をしたってのう……」

男「まあ頼むよ、じゃないとフェアじゃないだろう。それに俺はあんたを『助けた』って、そう言ったろう?借りがある、とも言えるな」

巴「むぅぅ……」

大体想像できたことだが、追ってきた奴らはトモエの家とギスギスした関係の連中だということがわかった。
トモエが諸事情あって都内に来て、それの間もない今、トモエの家の方々は都内まで「入植」が進んでいない状態だという。
この辺りはいわば無風地帯で、そこにトモエとそのごくごく近しい者たちがひっそりと住んでいた。
トモエは用事であの辺りに「お使い」で出張ってて、慣れない都内の裏路地で「連中」の支部の人間とかち合ったということだ。
「ニオイ」でまずいことはわかっていたが、不運にも囲まれてしまった、ということだ。

巴「うちかてそこまで有名になった自覚はないんだがのう。影響力を見誤っていたようじゃ」

男「ふむ……」

巴「こっちに来る時も、何枚も『覆いをかぶせて』きたつもりじゃが、まあ無意味だったというわけじゃ」

裏社会の人間が面で有名になることは望ましいことではないはずだ。
トモエの家がどの分野で有名か、巴の家での立ち位置にもよるが、
10代前半のガキを集団で追いかけるのにマジになる連中と小競り合いになる家なら、
表で有名になるのも無理からぬことではありそうだが。

そんな人間が表で有名に……アレの線はあるだろうか。

男「なあトモエ」

巴「なんじゃ?」

男「芸能人とかじゃないのか?」

巴「!?」

男「マジすか」

おいおい、マジかよ。ソッチ関連のお方がそんな世界にインしちゃっていいのかよ。
なんて余計なお世話なこと考えながら、俺はまたもハズレを引いてしまったことを後悔した。
いや、ヤクザの娘って時点で既に地雷だったか。地雷にさらに+α、トラバサミが加わっただけだ。

巴「うちもそこそこ売れてきたと思っていたのだがのう……
そうか、まだまだじゃったか。すっかり驕っておったわ……」

ショックを受けて、さっきまでのシャキッとした格好は何処へやら。
グンニャリと気落ちしたトモエを俺はフォローになってるかわからないフォローをする。

男「いやいや、テレビ止まってたってさっき話しただろ」

~~~~~
トモエに半ば無理やり金を握らされて俺はいま近くのコンビニへ歩いている。
ヤクザの娘という最も厄介な事象に加えて、トモエ自身がこれまた相当なお節介焼きだった。

脅されて半ば尋問のように語らされた最近の境遇を聞いてしばらく駄弁っていたら
「いい話がある。うちが一肌脱いでやる」と目を輝かせながらいうものだから俺はしらけてしまった。
たといヤクザの娘だろうが芸能人だろうが、13のガキに何ができるのかと。

その勢いのまま、何を血迷ったか外に飛び出そうとしたので、今度は俺がトモエを引き止める羽目になった。
頼むからおとなしくしてくれ。俺はまだ捕まるわけにはいかないんだ。と。
そういうと、なら金だけでもと、5万を握らされた。
どこに行くのかも名言してないうちに「うちが行くのが信用ならないなら一緒に行こう」とも言いだした。何処へだよ。
どうにかなだめて倉庫で待ってもらうことにした。
「日が沈む前までには帰って来るんじゃぞ」と言ったトモエの顔はまたいたずらっぽいものに戻っていた。

正直これだけでもわりと当分凌げそうで、そのまま大通りへトンズラこきたい気分だったのだが、
トモエをどうにかしなければならなくなった以上、もはやそうは言ってられない。
あいつを放置したら、おっかない親か、警察か、それよりもっと厄介な何かがやってきて今より事態が悪くなる。

俺は己の浅はかさを恨むばかりだった。

そしてまたしても失敗したと思った。拐かした相手が相手というのもあったが、
それ以上に俺はここの土地にさほど明るくなかったのである。
近くのコンビニがどこなのかわからない。
都と県の間の川付近でも関東の人間だから地の利は得られると何の疑いもなくタカを括っていた。
冷静に考えりゃこんなアホな考えはない。
前の職場に県から来る際に車でこの上の橋を通っていたというだけの話でしかないのに、
どうしてこんな何も知らない川にきてしまったのか。我ながら全く解せない。
早いところ見つけて戻らねば、あのじゃじゃ馬は勝手に飛び出して行ってしまうだろう。
なんとしても、コンビニを探さねば。

都内側から上流の方へと早歩きで歩いていく。
マスクの中でため息をつくと、それがマスクの中で渦巻いて口許がぬるくなった。
5月後半は立夏を迎え、このような長袖長ズボンにフードという出で立ちで、早歩きでもしようものならすこし汗が滲んでくる。

体臭が薄い体質なので気にはしてこなかったが、やはりどうしたって不潔だろう。
着替えや風呂などもそろそろどうにかせねばなるまい。風呂がわりに使っていたボディペーパーも、そろそろ無くなる。

~~~~~
トモエのいる倉庫がある河川敷からだいぶ歩いたと思う。
スカイツリーが視界の右前からほぼ真右になった。
その時に道の向こうからガキの集団下校が見えた。高くて煩わしい声を発する、
赤と黒に限らないランドセルの有象無象の輪郭がはっきりと見えてきた。
「こんにちはー!」「こんにちはー!!」
「こんちゃ!」「あー!」
「ブンブンハロー通行人」「ふっる!!しかもにてねーよ!」
「ちゃっちゃちゃーす!」「しょいどー!!」「さるーとん!」

いささか過剰で押し付けがましく、ややもすればすこし苛立ちも覚える挨拶は、
次から次へと俺の左前から左後ろへと通り過ぎていく。
そして軍団の最後尾に差し掛かった。

軍団の最後尾から少し離れた位置から着いてくる、オレンジ色のランドセルを背負った、小柄な少女。
さっきすれ違った他の児童たちと違い、一際目を引いたのはその容姿と服装のデザインだった。
ベージュと白、そして水色を基調とする上下に、オレンジがかった長い茶髪が映える。
正直服飾の分野には疎いゆえ、これらばパーツらがなんと呼称されるものかはわからない。
まるで大人の女物をそのまま小さくしたような出で立ちだった。
親か、さもなくば本人の自作だろうか。よくできたものだ。
集団下校でなければターゲットにしたかもしれない。
ただ、顔はいいが、金にはならないと思った。

やり過ごそう。俺の心はそう決めていた。

……この直後に繰り広げられる、一連の出来事を目撃するまでは。

そのすぐ後ろに黒のランドセルの男子3人。ニヤニヤ笑いから歯抜けの黒い隙間が覗く。
少女の左には薄茶色の髪を後ろで纏めた20代前半ほどの小柄な女がいた。教師だろうな。

「おい市原てめーも挨拶しろよコラ」
3人組の真ん中に位置するガキが後ろから少女を小突く。
ゴッ、と鈍い音がこの距離でも聞こえる。

うわ。

嘘だろ。今時女を、しかも後頭部をグーで殴る男、頑固オヤジでもなかなかいねーよ。

「そーだぞ」「おい挨拶しろよ」
それに同調する左と右。こいつらは手は出さない。

教師と通りすがりたる俺の目の前で堂々と行われる暴行。

しかし教師は。
「……だってさ、市原さん」
俺の方とも、イチハラと呼ばれた少女の方ともどちらを見るでなく、居心地悪そうに少女を促しただけにとどまった。

……いやいや。
最近の小学校教師どうなってんだ。これ物教えるってレベルじゃねーぞ。

少女「……こんにちは」

ぎこちない愛想笑いをした笑顔が痛々しい。
見た所顔に傷はない。ただ喧嘩してるだけなのか、
いじめなのかは傍目からは見分けがつかないため、第三者である俺が如何の斯うの云えるものではない。
……がしかし、暴行の現場を見て不愉快になったのは確かだ。

男「……はいよ、こんにちは」

できうる限り柔らかい表情、柔らかい声、敵意のない挨拶をしたつもりだった。
イチハラは少し俯いたまま。

少女「……」

ああ、なるほど。そういう仕込みか。
俺はこの少女に対するいじめに加担したことになるのか。

教師「はぁ……」

「……ふっ!くくく!」「フンッンッフ!」

何がおかしいのか、後ろのガキどもは俺のそんな様子を見るや吹き出し、笑い始めた。
俺は片眉がつり上り、顔が怒りに歪むのを堪え、低い声で尋ねる。

男「……お前らは挨拶しないんだな」

「……」
「いこーぜ」「おう」

教師「……それでは」

3人は飽きたと言わんばかりにそのまま軍団の後を追い始めた。
教師は安堵したような表情で3人の後ろを歩く。

イチハラを置いたまま。

少女「……」

男「行かなくていいのか」

少女「……行きたくない」

まあ、そりゃそうだよな。

声かけ事案にならないように、それとなく聞いた。

男「なあ、この辺りのコンビニ知らないか。俺、隣の県出身でこの辺詳しくないんだ。教えてくれると助かる」

少女「……いっしょに行こう」

は?

男「ああいや、場所だけ知りたいんだ。場所だけ。どこにあるのかざっくりでいい。
こんな年齢の男が君みたいなのを連れてたら、まあ色々問題になる。
学校でも言われてるでしょ?知らない人間と一緒に居るな、って」

ただでさえ1人、厄介なの抱えてると云うのにこれ以上は御免被りたい。
それに今捕まるわけには行かない。

少女「あなたがにな……私のお兄ちゃんだとしたらバレないですから」

アホか。顔面が似てないにも程があるだろ。歳いくつ離れてんだよ。

少女「行きましょう、こっちですよ」

男「えっちょまって」

袖を引っ張られ、俺は来た道を引き返すことになった。

今日はここまで。今回もありがとうございました。
別スレで時間を割いておきながら2週間近く放置してしまい申し訳ないです。
次回投下は現在繁忙期のため未定ですが、1週間後には投下できるかもしれません。
ちょっと内容が増えてしまったので次次回で終わる予定です。

こんにちは>>1です。生存しています。
2週間経ってしまいましたが本日23時ごろ投下します。
今しばらくお待ちください。
ジサツの方はもうしばらく時間をください。

~~~~
集団下校組はあの後河川敷から逸れるコースを進み、俺たちがかち合うことはなかった。
イチハラは俺の前を歩き、裾から手を離さないままだ。
イチハラはずっと前を見て俺を先導しているから表情をうかがい知ることはできない。

男「なぁ、どこまで行くんだ」

少女「すぐそこですよ」

男「結構歩いたぞ。俺も用事があって暇じゃないんだ」

少女「もーちょっとでごぜーますよ」

ごぜーますよって。面白い語尾だなおい。
そんな俺の心の声が聞こえたのか、イチハラは言い直して。

少女「……もうちょっとですよ」

少し恥ずかしそうに、そう言った。

~~~~~
少女「着いたですよ」

着いたですよ、って。

男「……ここって」

少女「私のうちです」

コンビニに連れてってって言ったでしょうが。

少女「リラックスできる服に着替えたいんです」

男「リラックスって」

少女「だめですか……」

男「ああ、わかったわかった。待ってるから着替えてきて」

少女「おにーさんも上がってください」

……もうどうにでもなれ。

~~~~~
いわゆるアパートだ。
身なりから推察された、そこそこ大きな家を想像していたが、当ては外れたようだ。
もしかしたら……という淡い期待は淡いまま終わった。
共働きなのか、家の中には誰もおらず、小綺麗に整理されたテーブルと、
部屋の奥のガラス戸が目立つひっそりとした部屋だった。
ガラス戸は俺らが部屋に入ったときから閉まっており、薄いカーテンが覆っていた。
玄関側から向かって右側に長いカーテンで目隠しされた部分があり、
採光の関係からおそらく向こうは風呂とトイレ、プライベートエリアだろう。
しかしリビングに光が入らないのは如何なものか。
整頓のされ様から見るに、家庭環境は悪くなさそうだ。

少女「……」

男「親御さんはいつ帰ってくるんだ」

少女「……ママは、すげー忙しいですから。明日明後日は多分帰ってこれねーですよ」

放置児、っていえば聞こえは悪いが。どうやらイチハラも、ワケありの少女のようだった。
こいつはもう俺と関わりを持たない、という選択肢を考えて居ないようだった。
だったら、今更厄介なのが1人増えて慌てたところで仕方ない。
トモエという地雷トラバサミを踏んだ時点で俺の人生は終わったようなものだ。
ガキの酔狂に付き合ってもバチは当たるまい。地獄に落ちはするだろうが。

男「じゃあ今度こそはコンビニに頼むよ」

少女「その前に着替えますから待っててくだせー」

男「おう、そうだったな」

そう言ってイチハラは奥の部屋に引っ込んでった。
そして首だけを部屋の仕切りにしてるカーテンから覗かせて。

少女「……ぜーってーのぞかねーでくだせー」
と言った。

男「当たり前だろ。いいから着替えてきなさい」

10分ほどでイチハラが部屋から出てきた。

少女「おまたせしましたー!」

そしてそのあまりの変わりように目を見張った。目を奪われた。
レモンイエローを基調とした全体に、キャンディをあしらったオレンジの……ワッペンというかなんというか。
頭にはウサギの耳のような長い装飾が着いたフードを被っており、
このままテーマパークでバイトをして居ても不思議ではないなんともファンシーな可愛らしい出で立ちだった。
イチハラは着ぐるみに着替えてきたのだ。
先ほどまでの落ち着いた服装からは想像もできない変わりように、俺はなんとコメントしたらいいのか困ってしまった。

少女「変……でしたか?」

変といえば変かもしれないが、それを覆って余りある愛嬌と、あまりの変わりっぷりに俺はあっけにとられてしまった。

男「それ、親に作ってもらったのか?」

少女「ママにも作ってもらったり、私も作ったり……えーと……んーと……と、友達に作ってもらったりもしたですよ!」

男「さっき着てた服も、か?」

少女「あれも……まぁ、作ってもらったものですけど……」

男「よくやるもんだ……これとか、あれほどの服を作れる人間が身近にいるなんて、君は恵まれてるな」

まあ、小学校はかなりお察しな環境のようではありそうだが。

少女「……」

少女「とっととコンビニ行くですよ」

男「ん、おう。そうしよう」

~~~~~
コンビニから帰り、なんとか日が沈む前に倉庫にたどり着けそうだ。
イチハラを家に送ろうとしたが「おにーさんがどこに住んでるのかしりてーです!」と言われてそのまま付いてこられてしまった。
誘拐してる人間の身でありながら、こいつのことが不安になる。

河原を横切るでもなくそのまま直進するので、イチハラの表情は徐々に焦りと不安を見せ始めた。
目に見えて動揺しており、前を歩く俺との距離が少しずつ開き始めていた。
今にも回れ右して走り出しそうだ。
しかしここまできたからには逃すわけにはいかない。

男「地面がちょっとガタガタしてるからな。歩きづらいだろ」

そう言ってイチハラの左手を掴んだ。イチハラの体がびくりと震える。
発せられた声は震えを隠しきれていなかった。

少女「ど、どこまで行くですか……?」

男「すぐそこだよ」

小屋に電気がついていることを確認して初めて知ったが、この倉庫には電気が通っていたらしい。
とすると早めにずらからないとまずい。
電気が通ってるということはとりもなおさず、ここを日常的に管理している人間がいるというわけで、
その人間がいつここにやって来てもおかしくないからだ。
夜を越せることを祈る。

仁奈「電気、ついてる……」

男「……ま、いろいろある。本当に家に帰らなくていいんだな?」
念を押す。

仁奈「今日はまm……お母さんいないですから」


そういえば、先ほどから父親の話題が出ない。
何か訳ありなんだろう。余計なことなので聞かないでおいた。

扉を開けるとトモエが出る前のままの場所で座っていた。

巴「おう、よう帰った。逃げたのかと思ったぞ」

男「もう顔は割れてるんだし、万が一にも逃げ果せるなんて思ってないからな」

袋を入り口すぐそこの椅子に置いた。目を合わせずに会話を続ける。
そしてトモエは俺の右にいる……トモエから見て俺の左にいるイチハラに気がついたようだった。
イチハラもトモエを見ると驚いた様子で目を瞠った。
2人は暫し見合い、何かを納得したようだった。
イチハラは頷いたように顔を動かすと、視線をトモエから外した。
首を傾げて、トモエはこう言った。

巴「……その小さな御仁はどこで」

男「なんと説明したらいいやら。コンビニの場所教えてもらった」

巴「ほう……」

トモエはイチハラを舐めるように見つめている。

少女「……」
イチハラは入った時の姿勢のまま微動だにしない。

巴「またさらって来たのか?」
目線はまっすぐと俺を射抜く。

男「見かけ上はそうかもなぁ。だけどコンビニの場所を教えてもらったのは本当だぞ」
俺はトモエを見つめ返す。

巴「……逃げるつもりもない。かと思えば新しく少女を拐ってきた。男、うちをどうするつもりじゃ?」
トモエの片眉が釣り上がる。


……そっちこそ、何を考えてる?


男「どうするって、どうもしねえよ。俺が捕まらず、なおかつ金がもらえたらそれでいい。
お前からもらった金でトンズラすることも考えたけど、やっぱり不安要素は消しとかないとまずいだろ?」



その通り。不安要素は、消さなければならない。



イチハラが動こうとしたのを背中で感じ、イチハラの逃げる左手を右手で強く引き戻した。

今日はここまで。今回もありがとうございました。
次回は年内を予定していますが、急な予定のラッシュと年末特有のバタバタで約束ができません。
あらかじめご了承ください。

ちなみに今回の投下で終わるといいましたね。申し訳ありません、真っ赤な嘘でした。
全然終わりそうにありません。次回どころか次次回でも終わる気配がありません。どうしましょうね。

俺の家の川向こうの廃屋には仁奈ちゃんとお嬢がいるのか!

>>98
このお話は2016年5月6月を想定してるので今はもういないかもしれません

出先ですがぶちぶち投下

『不安要素は消しとかなければ』
他でもない『トモエを常に俺の目の届くところに置く』という意味だったが、
全く見当違いなこととトモエは合点したらしい。そして俺は後悔した。

トモエの表情が憎悪に歪む。13の女とは思えない、虎か龍か。
人ならざる尋常でない怒りは顔を見なくとも感ぜられる。
流石の俺もはっ、と息を飲んだ。思わず身構え、腰が引ける。

巴「貴様ッッ!!!」

俄かに空気が剣呑になる。日中のトモエとは比較にもならない、
この距離でも気圧される覇気が俺を仰け反らせる。

仁奈「違う、仁奈がコンビニに連れてったんです」

トモエの咆哮に瞬間的に反応し、この険しい空気を割いたのはイチハラ、もといニナだった。
二度あることは三度あるというが。
……こいつら、おそらく顔見知りなのだろう。
だとするとこいつも芸能人。『友達』というのはこの関係の同僚だろう。
芸能人ばかりピンポイントで引き当てるとか俺はどんな幸運の星の下に生まれてしまったのやら。

見知らぬ人間だった俺に対する態度とは明らかに異なる対応。
大人の男がたじろぐ程の怒気を放つ存在に対して、
平常で接せられる女子小学生などいるわけがない。
だとしたら。こいつらがなんらかの形で一緒に居る時間が長かったと考えるのが自然だ。
そこから導かれる結果は、なんとも不自然なものではあるが。

男「……これでいいか?」

巴「……男、言葉には気をつけるんじゃぞ」

男「肝に銘じるよ。二度と言わない」

巴「……フン」

男「……悪かった」

巴「もうええ。何を買うてきたんじゃ?」

男「出来合いの弁当とサラダと菓子類とジュース。
インスタントは湯を用意できないから諦めた。残金は精々4万ばかし。返す」

巴「要らん。なんのためにあんたに渡したと思っとる」

男「……じゃあ、貰っとく。ありがとうな。恩に着る」

巴「そういうセリフは恩が返せる身分になってから言うんじゃな」

トモエの口角が少し上がる。トモエに笑顔が戻ってくる。

男「耳が痛いな」


仁奈「……おねーさんは、どこの人ですか?」
ニナはあくまで他人行儀でいようと考えた結果、どうにか開けたらしい口でそう呟いた。

トモエもそれに乗って何かを返そうとしたが。

男「ああ、お前ら知り合いだろ?演技しなくてもいいぞ」

仁奈「へ……?」

巴「……」

男「事務所だか劇団だかスタジオだか知らんけど、何回も顔を見合わせる場所に居たんだろ?
顔を見合わせて目と目だけであんな演技ができるんだ、付き合いもそこそこ長いのか?」

仁奈「……」

男「だから言っただろ?『知らない人間と一緒にいちゃいけない』って。
こういう風に誘拐されて、お前のことを根掘り葉掘り聞かれたりするんだから」

仁奈「仁奈を攫って、ママを……脅すですか……?」

不安そうな目。悪いことをした。

男「あぁ、あぁ。しないしない。もう年貢の納め時だよ。
どうせだから連れて帰るかって思って連れてきただけ。
君の知り合いもいた訳で、まあいい経験をしたとでも思ってくれ」

仁奈「……今日はここに泊まってもいいですか」

男「トモエが構わないなら」

巴「うちは別に構わんが……親御さんはどうしたんじゃ」

仁奈「帰ってこねーですよ」

巴「……そうか」

ニナはさっき俺が車から持ってきた毛布を掛けて、窓際のブルーシートマットの上で横になった。
毛布はどうでもいいが、着ぐるみが汚れないか、それ。

仁奈「……ちょっと埃っぺーです」

そりゃそうだ。

男「拭くから待ってろ」

仁奈「んー……」

男「……まぁ、遠足に来たと思えばいいんじゃないか」
誘拐犯の分際で何を抜かすのだろう。言ってて我ながら無理がある。

申し訳ない少々取り込んでおります
日付跨ぐかも

~~~~~
夕暮れからある程度は時間が経っただろうか?
窓ガラスは波打つ加工が施されており、外界はこちらからだと色しかわからない。
外界が橙から赤紫、そして群青から黒に変わるまで、俺たちは倉庫のなかでメシを食うだの、
微睡むだの、談笑するだのして過ごしていた。少なくともこのふたりは退屈しなかったろう。

もっとも、俺はこの間ずっと寝ていたわけだが。ニナに掛けたはずの毛布が俺に掛かってた。
いろんな事件が立て続けに起きたせいか、疲労が短時間のうちに蓄積していたらしい。

しかし空気がこもる。換気をしたい。
そう思って窓を開けると、塩っぽい匂いにほのかにまざる薫風が鼻を撫ぜ、視界には上ったばかりの満月が飛び込んで来た。
風は程よく乾いていて、空は実によく晴れている。
地平線近くの月は、錯覚によって高く登ったときよりも大きく見えた。

仁奈「おー……」

巴「見事なもんじゃ……」

弁当の空、菓子袋の空を袋に詰めてゴミをまとめていた2人が俺が起きたのに気づいてこちらを見て、そして目を見開いた。
寝てる間に逃げられるだろうことも覚悟していたのだが、そんなことはなかった。
手元にあったはずのトモエのスマートフォンはヤツの右のポケットにしっかりと戻っている。
俺が寝たタイミングで通報したならそろそろ俺は取り調べを受けている頃合いのはずだが、そうではない。
連絡を入れるとするなら、まぁ、親だろうな。

ニナはウキウキを手放せないといった感じで肩を踊らせ
仁奈「おおかみさんの気持ちになるですね」
と、明るい口調で言った。

あおぉぉぉーーん。高くよく通る声で、遠吠えをしてみせる。本当に狼みたいだ。
誰かが聞いたらどうするんだ、と思いはするものの、止める気にならなかった。

男「……ニナは狼女なのか?」
いやいやそんなわけがあるか。俺は空気を掴みかねて、そんな突拍子も無いことを聞く。

巴「これは仁奈の芸風じゃ」

ふーむ。

仁奈「……そういえば、遠足は野宿とかしねーですよ?」
周回4周遅れの回答に俺は

男「それもそうだったな」
と返す。

トモエがまた少し笑った。

~~~~~
巴「親御さんは、いつ帰ってくるんじゃ」

仁奈「……わかんねーです。こんなのいつものことだし、別に仁奈は気にしてねーですよ」

……しかし、ニナはどうも言葉が足りなすぎるきらいがある様だ。
だから、余計なお世話と思いつつもフォローを入れる。

男「こいつの家、結構綺麗だし掃除もしっかりしていた。
ニナの身長じゃ手に届かないところもきっちり綺麗に拭いた跡があった。
親御さんは家に帰ってない訳じゃない。篦棒に忙しいのは本当みたいだけど」

リビングの隅の棚に挿され、あぶれた一部は
側に置かれてたファイルや書類の書式が前の職場のものに似ていた事から、
おそらく事務か開発関係の仕事だろうと推測する。

開発ならあのような紙媒体書類は家に持ち帰り厳禁のはずだったから、事務関係か。
いや、事務でも本当は持ち込んではならない決まりの会社が多いはずだ……
ま、そこまでの委細はこの際知ったことではない。
どのみちニナの親は高確率でそれらの職種だろうと考えられる。
残業住み込み栄養剤、心身病んでからが本番の使い捨て上等職。

仁奈「ペラペラとよけーなことしゃべってんじゃねーですよ……」

男「悪い」

巴「男、全く反省しとらんな?」

男「いや、マジ勘弁。懲りたのは本当だから」

引け腰で俺はそういう。顔は情けなく引きつっていたことだろう。
ニナはそんな俺の様子を見て、にーっと思い切り口角を上げた。
向かって中央から右に3番目の上の歯の抜けた歯を除いて、白く、並びも良い歯だった。
こいつ、こんな表情もできるのか。

仁奈「あーっ、ビビってやがりますねー?かっこわりーwww」

正直一瞬ちょっとイラっと来たが、まあ、こういうのも悪くない。

男「うるさいな」

巴「はっはっは!!」

~~~~~
夜はとうに10時を回っているだろう。歯磨きを済ませて、
あれからニナはトモエと手遊びをひとしきりしていつの間にか疲れて眠ってしまった。
起こさないよう抱きかかえ、倉庫の中でも比較的綺麗で柔らかいところに寝かせて毛布をかけた。
やはり、ニナも異常に軽かった。アリスやトモエの半分もないんじゃないか。
本当に心配になる。全くもって余計なお世話とわかっていても。

巴「……全く、どうして男はそこまで運が悪いんじゃろうな」

男「俺が聞きたいよ」

……俺はこの先、どうなるんだろうか。

すみませんちょっと粗相しました
しばらくお待ちください

~~~~
ニナを寝かせたあと、トモエの隣に座る。
先ほどのこともあったせいか、どうもぎこちなくなる。

巴「……」

男「まださっきのことを気にしてるのか。
ちょっと不安を煽りすぎたかも知れない。ああ言うつもりはなかったんだよ。ごめんよ」

巴「もうええと言うとろう」

あたりがほんの少しの間静寂に包まれる。
すぐそこを車が通る音と、寝息を立てるニナが断続的にその静寂を打ち消す。
蛍光灯のジラジラした音が目立ち、時折ぱん、ぱん、と切れかかる。
薄く目を瞑ると、砂埃が蛍光灯の光で浮き出て、俺の吐息や足の動きで渦を巻くように舞っているのが見えた。

トモエが切り出す。

巴「あんたが言った、やくざ者と言うもんは……この世から一掃されるべきだと思うか?男よ」

男「……俺の現況を知ってからの発言だと受け取り方に困るな」

巴「そのままの意味じゃ」

男「……居ないに越したことはないんじゃないか。俺はそう言うのに厄介になったことも、厄介したこともないからな」

ふ、攫っといてよう言うわ、と巴は鼻で笑った。

>>206
最後の行ミスです

s/巴/トモエ でお願いします

巴「どうしてこの世から極道がいなくならんと思う?」

男「……人間が居続けるからだろうな」

巴「そうじゃ。人間が居続ける限り、そうして社会があり続ける限り、そこからあぶれるヤツはどうしたって出る」

今の俺がそうだよな、と心の中で独りごちる。

巴「人間は複数で固まりながら生きている」

巴「そうして社会を作ってきたんじゃな」

巴「人間、という言葉がよく表しとる。人の間に生きる、とな」

人の間で生きる、か。

巴「のう、男よ。あんたは『人間がいるから』と答えたな」

巴「実はそれが必ずしも正解ではないんじゃな」

巴「繋がりを持たずに『孤独』だからじゃ」

トモエの言葉に俺はギクリとした。孤独。

巴「孤独だから他人と関わりをもたん。社会から切り離された状態、とも言えるな」

巴「繋がりのある人間は何かズレたり、歩いている道を外しても引き戻されるんじゃ。
正しい道、悪い道というのがあると言いたいわけじゃない。
どうあれ、元の場所に、大方戻ってこられる。繋がりという道しるべがあるからじゃな。
ところが孤独になるとそうもいかんな。その導がない」

男「……」

巴「そんな『孤独』じゃから、どんどんと離れていってしまう。
おのれが今どこにいるのか。止まっているのか。歩いているのか。それすらもわからん」

巴「だから、ふとした瞬間にポン、と」

巴「落っこちるんじゃ」

巴「孤独だから落ちていることにも気づかず、落ち続ける。そうして気がつくんじゃ」

巴「『動けなくなった』と」

巴「人間は1人では生きていけん」

巴「複数人で群れなければどだい生きてかれん、ちっぽけなもんじゃ」

巴「落ちて動けんようになったもんを、わざわざ拾いに落っこちてくるヤツはおらん。あるいは誰かが落っこちたことに気づかんままなこともあろう」

巴「だがな、世の中には酔狂な奴もおって、そんな落っこちたあぶれ者をいちいち拾っていくモンがおる」

巴「これがやくざ者になるんじゃな」

巴「昔は『命を投げ打ってでも受けた恩を返し、世間の掟に縛られることを良しとしない』者がおったんじゃ。うちのひいひい爺さんがそうじゃな」

体がちょっと動かしづらいので一旦中断
おさまり次第再開

復活したので前回投下分の続きから
短いので割とすぐ終わります

男「……」

巴「……男よ、さっきから目が何も見ておらんぞ。ちゃんと寝たのか」

男「話を聞きながら色々考えてた。聞いてないわけじゃないから続けてくれ」

巴「……そうか」

巴「落っこちたヤツは滅多なことがない限り、もう動くことはできん」

巴「大抵は死ぬのを待つのみじゃ」

巴「ウチにはそんなんだったヤツらがえっとぉおる」

導を失ったものが堕ちる辺獄。それが孤独。
1人で生きていくことはできない。1人ができることには限りがある。
事実、俺は生活インフラすら失って、こんなことになったのだ。
それはつまり、繋がりを失った状態。関わりを持たず、知りもせず。
そうして落ちるところまで落ちて。

動けなくなったのだ。

男「……俺には、何もないな」


それが俺を表す言葉だったんだ。


巴「それは違うと思うとるぞ、男」


……約1名、そうは思っていないようだったが。

男「……うん?」

巴「あんたはまだやり直せる。やり直せるんじゃ」

男「……ここまでになってもか」

巴「少なくともここまでのあんたの観察眼や能力、身体機能を見ていると、
どうしていっぱしの会社をクビになったのか皆目見当がつかん。それだけでも充分だと思わんか」

男「……なんとも言えないな」

巴「本当のことを言うとな、男。うちはあんたが怖かった」

男「……」

巴「一目見ただけでは正直カタギだとは思えなかった。腹の底に得体の知れない何かを隠した、恐ろしい何かだと思った」

巴「じゃが、蓋を開けてみれば、なんてことのない、いっぱしの男じゃ。ガタイもええ。
うちをさらった時のすまーとふぉんを抜く手つきなんか見事なもんじゃった。
そんな器用さもあるな。それを無駄にしない観察力と集中力もある」

巴「そんな男だと見抜くのに1日を費やすなど……
うちも修行が足りなかった。その得体の知れなさこそが男、あんたの孤独感だったんじゃな」

極道の娘に堅気と思われない第一印象を与えるという事実に若干気落ちしながらも、
俺はどこか少し、トモエの言葉に救われたような気がした。
孤独のことには一切触れられてないから、気がしただけ、かもしれないが。

男「……どうなんだろうなぁ」

巴「うん?」

男「トモエのその知り合いたち……かつて落っこちて動けなくなってた人らは、今は寂しそうか?」

トモエの眉が少しだけ動く。

巴「……あんた、寂しいんか?」

白状したようなものだ。顔に俄に汗が走る。
トモエの表情も変わる。いたずらっぽいとも、驚いた顔とも取れない微妙な表情だった。
俺は思わずはぐらかした。自分の心に生じた感情をここまで正直に吐露してしまうことが今までにありえただろうか。
自覚すらもしていなかった。

男「正直自分じゃわからん。気づかないんだろ?『落っこちてるかどうか』なんて」

目が泳ぐ。が、トモエには勘付かれてないようだった。

巴「……まぁ、そうじゃが」

男「で、寂しそうなヤツはいるのか」

巴「うーん……少なくとも、寂しく思うようなヤツは出さないようにはしてるつもりじゃ」

男「……」

男「……あったかい家なんだな」

はぐらかせずに、本音が溢れた。
トモエは今度こそ驚いてみせた。

巴「本当にどうしたんじゃ、男。昼間の鉄仮面みたいなツラから出てくる言葉とは思えんぞ」

男「ほっといてんか」

巴「お、おう……」

……あっ。いや、これ、京都の方だった気がする。

男(孤独、なぁ……)

男(俺みたいなヤツ、1人や2人じゃないだろ)

男(暮らしに窮して、人攫いしたら芸能人だったとかヤクザだったとか……)

男(鉄骨の下敷きになりかけるとか……)

男(いや……)

男(俺だけか……)

俺以外にいてたまるか。

男「俺だけだったわ……」

巴「なんか言うたか、男?」

声に出てた。

男「や、なんでもない。寝る」

巴「おやすみ。うちもそろそろ寝る。電気は?」

男「入り口の2つあるうちの上が室内。下は外」

巴「両方消しておく」

男「ん」

間も無く、パチンと小屋の電灯が消えた。光は月と、音は車道をたまに通る車と、ニナの薄いいびきだけになった。
しばらくして、それにトモエの寝息が加わった。

俺は月が窓から見えなくなるまで、ずっと寝られなかった。

前回投下分終わりです。
体調がこんなんなので確約はできませんが、このまま順調なら来週水曜に投下します。
次次回を22日か23日に投げられたらいいなと思っています。
今度こそ次回と次次回で終わります。

最近は「お嬢に声ついたらいいなー」と思いながら選挙を眺めている日々を送っています。
精神の健康は割と簡単なことで不可逆に崩壊するので、皆さんもどうかご自愛のもと日々を送っていただけたらと思います。

前前回からだいぶ時間が空いてしまいましたが、それでも読んで頂けて嬉しいです。ありがとうございます。
別スレも読んで頂けたようで、重ね重ね感謝申し上げます。
それでは。

予定よりも早く筆が乗ったので投下します

~~~~~~~~~
トモエの話、それらを反芻しているうちに俺はまた眠りに落ちた。
目覚めると辺りはもうすっかり明るく、日は高く登らんとしていた。
頭痛がする。疲労に加えて、慣れないことをした心労も重なっていた。
波打つ窓ガラスに見る外界は、光り輝く米粒が幾つも窓に張り付いているように見えた。
体も痛い。おまけに目が痛い。誘拐を実行に移す前は、自由が効かないとはいえ、
車のシートで寝起きしていたからここまで体は痛くならなかった。寝る場所って大事なんだな。

小屋を見回したがニナとトモエは居なくなっていた。
普通なら焦るべきところなのだろうが、何故か彼女らが遠くに行っていないことが直感で感ぜられた。
寝ぼけていると、片付けられた即席のテーブルの上に書き置きを見つけた。

「戻ってきます。警察には通報してない。
仁奈&巴」

ニナとトモエってこういう字で書くのか。覚えた。
にしてもバランスの整ったいい字だ。漢字は大きくひらがなは小さい。
「戻ってきます」は仁奈、「警察には通報してない」は巴だろう。
……警察『には』ねえ……。
……まぁ、自分がやったことのツケはきちんと払わなきゃならない。

散らかしたら片付ける。飯を食ったら食器を洗う。寝て起きたらシーツを替えて布団を干す。書き始めたら書ききる。
それらと同じ仕組みだ。世界はそうできている。

ゆっくりと、しかし確実に動き始めた運命の針の音は、春の生ぬるい風と一緒に、俺を気味悪く包んでいった。
覚悟は、しかし、とっくのとうに出来ていた。

それからはと言うものの、俺は小屋の中をあっちへこっちへとうろうろしていた。
電灯を点けたり消したり、昨日寝たところとは別の場所で寝っ転がって、
やっぱり体が痛くなることを確認したあたりで2人が帰ってきた。

巴「なーに寝っ転がっとるんじゃ」

仁奈「寝れてねーんじゃねーですかね」

男「ご明察。ちょっと寝不足かも知れん。硬いところで寝たってのもあるけど」

巴「サンドイッチ、買ってきたぞ。朝はまだじゃろう?」

男「助かる」

たまごサンド。俺の好物。
……ははぁ、昨日の俺が買ってきたものだったか。よく見てるな。

男「しかしまぁ、よく一般人に騒がれず買い物をし果せたな」

アリスとやらの時は曖昧な一般人に囲まれて難儀したものだったが。

仁奈「仁奈たちを知ってる世代の人はみんな仕事か学校でごぜーますよ」

男「なるほどねえ」

巴「それにうちらはフード付きの服を着とるけぇのぉ。バレんかったわ」

男「見つかったらどうしようとかは考えなかったのか」

仁奈「走ればいいですよ」

巴「仁奈とうちはこれでも紅白の選手になれるくらい足が速いんじゃ。な?」

巴の横で仁奈が誇らしそうに胸を張った。その顔はまさにドヤ顔。

男「ほぉ、意外だ」

仁奈はふくらはぎも太ももも、細くシュッとしている割には硬そうだったしな。
確かに足も長いし、一歩の幅が大きいのは走る者にとって有利に働くものだろう。
とすると、小屋の前で仁奈の手を拘束していたのは正解だったのか。

昨日の巴が逃げていたのが少し息を切らしていたのも、長く走っていたから。
つまり、長く走っていられるほど相手を引き離せる足の速さがあってこそ。
そういうことだったか。
なるほどなるほど、合点がいったぞ。

雑な会話もそれまでにして、俺はやおら起き上がり、
角材を平べったく並べた即席の椅子の上に座った。仁奈もそれに続いた。
巴は即席の机の上に買い物を置くと、所在なさげに頭をかいた。

巴「……うちはまたちょっと外す。すまん」

男「おう、いってら」

いよいよ親御さんの登場か。俺は体が震えるのを感じた。武者震いか、怖気付いたか。
まあ、腹が減っては戦はできぬよな。俺はたまごサンドを頬張った。
淡白でありながら酸味と甘みのバランスのとれた味が口腔にひろがる。うまい。
サンドイッチを堪能する自分を、呑気に構えてるんじゃないぞと警鐘を鳴らすもう1人の自分が急き立てているが、
俺は無視した。うまいもんは、うまい。

~~~~~
仁奈「……」ごく

仁奈は小屋の入口あたりを見つめながら、何かを考えるような仕草をしては茶を飲んでいた。
って、濃い目の生茶って。髪色みたいなオレンジジュースが似合いそうな格好しててなかなか渋いなお前。

時折長袖の腕をさするような仕草が、まるで何かを心配するかのような
ともすれば何かから身を守るような動きに見えて、俺の好奇心は自制心を上回ってしまった。

本当は虐待児なんじゃなかろうなと、着ぐるみの袖をまくって見た。
昨日のあの現場だけでは、限りなく低い可能性ではあるが、一瞬の戯れあいということも考えられたからだ。
……そう考えるのが胸糞悪くなるほど、あの現場は十中八九いじめのそれだった気はしても。
はっと我に返った仁奈は、当然だが抗議した。口調が昨日のまでとは違う、乱暴なものに変わった。
巴のそれとは全く違うが、心がささくれ立つような、そんな印象があった。
こんな言葉遣いになるのは、それは同じような言葉を日常的に聞いている、あるいは聞かされているからだろうか。
親か、級友か、あるいは……教師か。

……いやいや、いきなり袖をまくったらそりゃキレるだろうがよ。

仁奈「あっ、ちょ、てめー何しやがるですか!!」

しかし想像はやはり悪い方に裏切られた。

……靴の形の痣があった。推定16cmから20cm。スクール用上靴によく見られる波状の靴底の跡。
……上級生も絡んでるのか?
それはどう穿って見ても大人の靴の靴底ではなかった。子供のものとみて間違いないだろう。
線状の痣は……跳び縄によるものだろうか。縒った紐の線がある。大縄跳びの跳び縄かもしれない。
紅白選手ほどの運動神経をもつ少女が大縄跳びでヘタをこくとは思えない。第一、足に痣があるならともかく、腕にだ。
それにこれほどの強さの痣ががあるのは回し手が交替を余儀なくされる程の下手くそだ。

脳裏によぎる種々の悪い想像を無理やり押しやった。
そして、この痛々しく残るその傷跡はごくごく最近にできたものだ。
このくらいの歳ならすぐに消えてしまうが、未だ残っており、かさぶたも新しい。
これらを見るに昨日か一昨日に作られたものだろう。

間違いなく虐待ではない。やはりいじめだった。

……昨日の話を聞いて推測するに、仁奈を芸能人だと知らない級友は流石にいないはずだ。確実に知った上での犯行だ。信じられない。
それが世間、そこまで行かなくても事務所や親に露見でもすれば自分たちがどうなるのか、
小学4年にもなって思い至らないアホ共ではないだろう。

仁奈は抵抗しなかった。それどころか被った危害、傷痕をひた隠しにした。
これにつけあがって悪辣なガキ共は行為をエスカレートさせていったのだろう。
彼奴らは芸能人を甚振っている自分たちに酔ってるのだろうか。胸くそが悪い。

いじめという行為に嫌悪感を持つ俺は渋くなる表情をまるで隠せないでいた。
同じ人間を物理的にも心理的にも傷つけて、どうして平常でいられるのだろうか。
担任も担任だ。昨日の、眼の前で繰り広げられた暴行を注意するでもなく、よそ見をして我関せずというふうを貫いていたあのツラ。
仁奈を取り巻いているだろう環境は、少なくとも学校に関しては、劣悪極まるものと推察された。
それでも仁奈がここまで明るく振る舞えるのは……何故なのだろうか。

再び、ありとあらゆる邪推、下衆の勘ぐりとも言える思考が俺の頭を飛び回った。
俺はそれらを無理やり押し込めて、この件にまでは流石に踏み込むべきでなかったと後悔をした。

仁奈「……今見たもの、ぜってー誰にも内緒ですよ」

男「……誰にも相談してないのか。先公の目の前で殴られてるのに、学校は何もしてくれないのか。
事務所だって気づいてないわけじゃないだろ」

仁奈が食いしばった歯を剥き出しにして、怒りを顕にした。

仁奈「人さらいのおめーに言うことなんてなんもねーです。この状況、せくはらで訴えてやったっていいんですからね」

決して声を荒げず、かと言えば努めて平板にしようとした声の調子が、感情を抑えようとする強い意思の表れかに思えた。
吐き捨てるようにそう言って仁奈は俺をまっすぐに睨みつけた。
瞬きもせず、その据わった目は巴の眼光とはさすがに比べものにはならないが、確かな光を持っていた。

男「……そうか。すまなかった」

仁奈「わかりゃいーんです」

そう言うと仁奈はそっぽを向いて再び茶を飲み始めた。
……そりゃそうだ。俺は人攫い。
ガキの人生がどうなってるかなんてのには無関係のはずだ。
考えるのをやめて、俺は今日の昼ごろ来る予定になってる巴の『知り合い』との『話し合い』に向けて心を固めていた。

男「……仁奈、そういえば今日の学校は?」

仁奈「今日はサボります」

男「そうか。仕事は?」

仁奈「5日ほどオフです」

男「そうか……」

俺と会った後に仁奈が消えたことをあの無能教師が覚えていた場合、
遅くても今日の内に警察の方へ届けが行ってもおかしくはない。
頼むから巴との件が落着してから来てほしいものだ。永遠に落着しないかもしれないが。

仁奈「けーさつにつーほーされることを心配してるですか?」

男「それはもう今更だな。お前の学校から親に連絡が入って、同時に捜索願も出てるかもしれん」

仁奈「……ありえねーですね」

男「どうだろうな。あの先公はお前の心配は露ほどもしてないだろうが、自分の心配はイの一番にする人間だろう。
警察に通報すれば担任として『やるべきことはやった』と見てもらえるからな。あとはどれだけ警察が優秀かにかかってる」

流石に言葉を選ばなさすぎたか。『お前の心配は露ほどもしていない』の言葉を聞くと、仁奈は少し頬をひくつかせた。
第三者の目を通して改めて再確認した、という風にも見えた。
しかし、どちらにせよ俺が深入りする問題ではない。

仁奈「おにーさん、つかまっちまうですか……」

男「そりゃそうだろ。巴とお前を攫う前にも誘拐未遂やらかしてるんだからな」

仁奈「え……?」

男「まあ事故ってフイにしちゃったんだけどな。青いリボン、黒ロングストレート、
青いワンピース、ブランドもののバッグ……
あとパソコンか何か持ってたな。
あのサイズのパソコンならウルトラブックだけど、そこまで薄くないからタブレットか何かかな。
えっと、たしかアチバナアリスっつったっけか。そいつ拐おうとして失敗した」

仁奈「あーっ……」

『青いリボン』と言った途端ニナの表情が驚きに染まる。
想定はしていたことだが、ここまで偶然が一致すると薄気味が悪い。
偶然なんていうものが起きていいのはせいぜい3回までだ。

男「……どうせ知り合いなんだろ?」

仁奈「……ありすちゃん、昨日その時の話をしてくれたですよ。
えーっと、らいん?でです。おにーさんだったんですね、助けた人って。
名前も言わず、お礼も言わせてもらえず、そのままどこかに行っちまったって言ってたですよ」

昨日のあのタイミングからアリスとやらは仁奈と話をしていたのか。つくづく偶然というものは怖い。
となれば、可能性は低いがニュースに俺のことは出るだろう。
ニュースとまでいかなくても、バラエティ番組やワイドショーでの披露ということもありうる。

第一Twitterかどこかに晒されたろうことはあの段階で十分察せた。
さすがに実名までは出ないだろうが、「誰かが窮地を救った」程度のことは確実に露見している。

男「ははは……もう話広まっちまってるならいよいよ秒読みじゃないか……」

仁奈「本当は攫うつもりだったなんてびっくりですよ」

男「俺が一番驚いたわ。目の前に鉄骨がズドンだぞ。タイミングミスってたら死んでたところだ」

仁奈「ありすちゃん、もう一度会ってお礼を言いたいって言ってたですよ」

男「残念ながら二度と相見えることはないな。明日には塀の中だ。遅くても明後日か」

仁奈「そんな……」

男「いいんだよ、これで。生活がズタボロになって金が欲しくなってやったことだ。
動機も利己的にもほどがある。
そんで、失敗したからにはそれ相応の罰ってものがある。
成功したとして、俺は一生『罪を犯した』人間として生きていかなきゃいけないし、
どっちにしろだな。犠牲者が3人で済んで良かったとも言えるかもしれん」

仁奈「そ、そんな……仁奈たちが被害者だなんて……」

男「俺やお前や巴たちがそう思わなくたって、検察とか警察とかが立件すればそうなるの。
俺らの意思感情なんてひとっかけらも関係ないの。社会とはそういうもの。
世間だって、俺の正体と目的が誘拐、だなんて知れた日にゃ掌返しで俺は連日叩かれっぱなしになるだろう。
それが人の世の常っていうものなの」

俺が早口にならないようにまくし立てると、仁奈は悔しいかのように唇を歪めた。

仁奈「……何も知らねーでいるくせに……」

男「誰も直接見たわけじゃないからな。だから好き勝手いろんなことが言えんだ。
俺だって拡散されたかどうか確かじゃないのに、勝手に"世間"って藁人形を用意してあれこれ言葉を弄してる。
さっきの俺の話の中の、お前の担任のことだってそうだ。あの現場しか見てないのにな。
人間なんて集まればそうそう個性なんて目立たなくなる。おしなべて同じようなものになるんだよ」

男「で、俺は捕まっておしまい」

手錠を嵌められる手振りで逮捕のジェスチャーをしたら、仁奈は目に見えて不快そうな顔をした。

仁奈「……でも、おにーさんそれまでずっと真面目に仕事してたのに……こんなのってあんまりですよ」

男「優しいな、仁奈は」

罪を犯したら罪を償うのがこの国の決まりだ。
こぼれ落ちたとはいえ、それまで国に生かしてもらっていた立場だ。
守られているからには守らなくてはならないものがある。

それを俺は破ってしまったわけだ。
だからお縄になる。
決まりはそういうことになっているから仕方がない。

俺だって本当はこんなことはしたくなかった。
最悪どこかの産業倉庫で力仕事で日銭を稼ぐ毎日に甘んじるつもりだった。
それすら叶わなかったのだ。

刑務所の中は今までの生活よりは暮らしやすいだろうか?
情状酌量は降りないだろうか。執行猶予はつかないだろうか。
まあ、ついたところで、電気ガス水道が止まった状態でどう暮らせというのやら。

仁奈「真面目だったって……」

男「……ってか、聞いてたのか、色々」

仁奈「彼女さんにフラれたところまで全部巴おねーさんから聞いたですよ」


……。


巴……それはやめてくれよ……

仁奈「『頭が薄くなって来たのを見て愛情が一気に冷めてフラれた』てのも聞いたです」




……………………。




男「……すまんが理由だけはマジでトモエの嘘だから撤回してほしい」

多分。……いや、そうであって欲しい。

理由らしい理由もなく、と言っても思い当たることといえばクビになったことと、
あまり構ってやれなかったことくらいで、それもあっさり破局したというのが実情ではある。
……もしかしたらこっちもあるのかなぁ。だとしたら立ち直るに立ち直れねえよ。

そんな風に俺が落ち込んでいたら仁奈が


仁奈「おにーさんはカッパさんの気持ちになるですか?」


と、最後のトドメを急所にぶち込んできた。
……おい、そこまで禿げてねえ。

男「いやもうマジさぁ……最近割とシャレんなんねーんだからやめてくれ……」

仁奈「よしよし」なでなで

うわ、と小さく仁奈がこぼす。聞こえてんだよ、今の反応。

仁奈「……ほんとーに髪が薄いんでやがりますね。枯れた芝生か藁みてーでやがります。笑」



激烈かつ強烈な死体蹴りまで飛んで来た。今のだけで5コンボくらい入った。

うおー。泣きそう。泣いていいよな?

今回の分の投下おしまいです。
今回も読んでくださって本当にありがとうございました。
みなさんの存在が精神の支えになっている面があるので、毎回毎回ありがたい限りです。
これからもよろしくお願いします。

今度こそ、今度こそ次回か次次回で終わります。これは本当です。

どうも、私です。
今日中は厳しそうですが、日付変わるくらいあたりにはなんとか物語を完結できるかもしれません。
乞うご期待。

投下します。

~~~~~
白菊一男だな?署まで同行願う。
話は署で聞こう。乗りたまえ。

14時32分、逮捕という事で。

はい。……はい、34番、現行犯逮捕しました。県警ですか?
……諒解です。

雨が降っていたような気がする。土砂降りの。
それは俺の着ているスプリングコートを貫かんばかりの水量で、
ズボンからシャツから何から何まで、俺の全身を悉く濡らしてきた。

俺は無表情だった。こうなることはわかっていたからだ。
左に立つ警察官の表情が読めない。無線でしきりに同僚と連絡を取っている。
右に立つ警官は制服ではなかった。刑事だろう。こんな事件でも出張ってくるんだなぁ。

じゃ、手錠。

がちゃ。
あまりにあっさりした音で、俺の手首に手錠がはめられる。
娑婆で塀の中を連想させる、ほぼ唯一の道具だろう。
こうして俺は、娑婆からの隔絶を約束された。

こうして、俺は捕まった。

……という、白昼夢を見た。

男「……!」

仁奈「? どうしやがりました?」

またしてもみた。あの嫌な夢。
白昼夢を見るだなんて、俺は肉体的にも精神的にも疲労していること、
そしてこれから起こるかもしれないことに対して如何に臆病かつやけくそになっているのかを、
無自覚の領域で知ってしまった。

覚悟は決めた。決めたんだ。

刑事やパトカー、手錠の幻覚を両手で振り払うと、巴が小屋に入ってきた。

巴「おう、男。待たせたな」

いつものいたずらっぽい顔を俺に向けて。

巴「ウチのモンが来とるぞ」

そう言った。

~~~~~
その対面は覚悟に見合わないほどに呆気ないものだった。
とはいえ、疲労にたるんだ体にピシャリと筋を入れてシャキッとするには十分すぎる迫力ではあった。

小屋を出ると、ズラリと並ぶ物々しい連中。
オーラだけで堅気では無いとわかるその男たち。

そいつらが、じわりじわりと俺に近づいてくる。

そして。

「「「ありがとうごぜえやす!!!」」」

とんでもない声量に気圧される。腹の奥底がひっくり返った。
大勢の物々しい連中に頭下げられることなど、今までに経験したことのないことだ。
……思えば、俺はいつも誰かに頭を下げさせてばかりだったな。

男「ちょっと、やめてください。人が来ます」

この中でも特に物騒な大男が大股で近づいて来て、両手で俺の両手を取って、また頭を下げる。
半袖の薄いワイシャツ越しに黒い森のような体毛が透けて見える。熊かよ。さもなくばゴリラか。

大男「ありがてえ、ありがてえ……なんとお礼を言えばいいやら……
ああ、あなた様は神だ!仏だ!うぅ、ううぅ……!!」

巴「伊藤、その辺にせんか。彼が困っとるぞ」

手を取ったままこんな深々と頭下げるもんだから、
伊藤と云うらしい大男は顔面を俺の手にこすりつけるようにしていた。

あんた熱いんだが。つか、痛いんだが。痛い。離せ。人の手を取ったまま泣くな。

伊藤の嗚咽はそのまま叫びに変わらんとしていた。
いやなにこれめっちゃ怖い。ビジュアルから声から何から何まで圧が半端ではない。
ちびる。こいつ、泣いてるのに怖い。俺が泣きそう。
ヤクザってのは喜怒哀楽全ての感情で人を恐れさせるものなのか。
振りほどいて逃げたい。
うわぁダメだビクともしねえ。逃げられない。怖い。

男「あの、顔をあげてください。お礼を言われることなんてしてないんですよ私は」

一人称を思わず「私」にしてしまった。

伊藤「ああぁぁあぁぁ……なんて、なんてぇ徳の高えお方だよぉ……」

俺の手から引き剥がした泣き顔がもう既にめちゃくちゃに怖かった。
その場の誰にも聞こえなかったろうが「ひっ」つった。
助けてくれ。死ぬ。泣き顔の圧で死ぬ。怖すぎて俺がちょっと涙目になった。

巴「すまんのう。こやつ、熱い男でな」

言われなくとも実感している。

伊藤はクシャックシャの顔を少し笑顔にしながら

伊藤「それにしても、アニキ、くせーっすね!」

と言った。巴が大きな声で笑った。

……今ここで言うか。ほっとけや。



……なんて、口に出して言えるわけないけどな。

~~~~~
仁奈は巴たちに連れられて自宅に戻ると言った。
伊藤氏曰く「兄貴に迷惑がかかるようなことには絶対させませんので!」ということらしい。
警察のことを指しているなら、ありがたいことだが。

去り際に巴と仁奈が見合わせてなにやらわかり合ったようにクスクスと笑ったのが気になった。

そうして1人になった俺は、二日間ほど停めっぱなしだった愛車を走らせ、水道は戻った暗い家にたどり着いた。

すぐに両親が気にかかった。水道からコップ一杯の水をかっ喰らって、俺は少なくなった燃料を気にしながら病院へと走らせた。

主治医曰く、腫瘍の除去は成功しており、2人とも傷が塞がるのを待つのみとなっていたようだった。
しかし入院費と手術費は三割負担とは言え、今の俺に払えるものではとてもなかった。0の数が、まさに悪魔的であった。
ありがとうございますと主治医に頭を下げ、両親に顔を合わせて来た。

「ヒゲがすごいね」「くさいぞ」などと散々な言われようだったが、元気なようで何よりだった。
俺自身の心配事は、こうしてインフラと医療費などの金の問題だけに収斂された。

自分が臭い飯を食わないで済んだのはいいが、結局は問題は何も解決はしていないのだ。
金策の問題は、誘拐事件をやらかす前よりも重く俺にのしかかって来た。
車の燃料は病院から家に戻った段階で完全に底をつき、どうあがいても車は使い物にならなくなった。



さあ、どうするか。

水をちまちまと飲んでいると、台所に備えてある包丁立てが目に入った。


こぼれ落ちて、動けなくなった俺。


こぼれ落ちた者を拾う奴はそうそう居ない、そう巴も言っていたな。





なら、ここで終わっても、問題はないはずだ。

生命保険で、医療費はトントンになるだろう。自殺だと降りないんだっけか。

さっきのヤクザたちに頼んで殺してもらうか?

実は巴に手を出したと嘯けば伊藤あたりがサクッとやってくれるはずだ。
あ、でもそうすると死体が残らなさそうだから無理か。ダメか。

ゲザって金を貸してもらうか?でも奴らの金利は今の負債を倍にしても可愛いものだろう。
どちらにせよ負債そのものは解決はしない。

巴の家に入れてもらうか?俺が?拐かしの犯人である俺が入れるわけがない。
感謝をされたのは、対立する組から巴を救った件だけだ。それとこれとは話が違う。











あ、もう、めんどくせえ、死ぬか。

しかし肉体は堆積していた眠気に勝てず、死のうとしたという強い意識を最後に、俺はその場に倒れこんだ。

逮捕される夢、伊藤氏に小指を切られる夢、
盃を交わす夢、血液になって両親の傷口から垂れ流される夢、
角材になって誰かに座られる夢
鉄骨が砕け散る夢
柔肌を撫でて指が切れる夢
手錠の夢、ナイフ、産毛、
筋肉、砂利道
河原
スカイツリー

げんこつ

縄跳び


お茶

どんどん混じっては離れて、サイケデリックになっていった。

脈絡のない、最近の俺に関わる全ての事象が悪夢となって俺を取り巻いた。
俺はうなされていたと思う。
睡眠中でも感覚ははっきりとしていて、それはまさに俺を深淵へと連れ込もうとしていた。


待っていたぞ、お前がくるのを待っていたぞ。


そう言っている気がした。


お前がやったのは犯罪だ。

お前は両親を見捨てるのか。
お前は逃げるのか。
お前は無能だ。
お前は孤独だ。
お前は寄る辺のない人間だ。
逃しはしない、逃しはしないぞ。




深淵の底で永遠に苦しむのだ。

さあ。苦しめ。誰もいない辺獄の底で、永遠に苦しむのだ。





やめろ、やめてくれ。俺は落ちたくない。


誰か、誰か……













助けてくれ!!!!!!!!

はっと目が覚めた。周りは朝焼けか夕焼けか、橙色と白色が眩しかった。


時計を見ると、5時であった。どうやらあのまま寝ていたらしい。



寝ながら俺が握りしめていた包丁を包丁立てに差し込んだ瞬間、
鳴らなくなった呼び鈴を押しながら、俺を叫び呼ぶ声が聞こえた。

「おにーさーん!おにーさーん!かっぱのおにーさーん!!!」

聞き覚えのある声だった。

~~~~
扉を開くと、4人の女が俺を出迎えた。
巴、タチバナアリス、黄緑色の服を着た女、そして仁奈だ。

ちひろ「初めまして、白菊一男さん。346プロダクション総合芸能課事務員の、千川ちひろと申します」

その事務員を名乗る女は深々と頭を下げた。

ちひろ「今日はあなたを、プロデューサーとしてスカウトしにきました」

……プロデューサー?

なんだ、それは……

巴「うちらアイドルを……管理?する仕事じゃ」

ありす「他にも一般人の子をスカウトしたり」

ちひろ「アイドルの皆さんの仕事を斡旋したりするお仕事です」

要は管理職か。俺に務まるだろうか。

仁奈「絶対できるですよ」

なぜそう思う。

巴「今まで見せてもらったからのう」

ありす「的確な分析、絶対的な危機管理能力および危機回避能力」

巴「ここぞと言うときに絶対に間違えない判断力、などじゃな」

仁奈「知らないのにひゃっぱつひゃくちゅーでアイドルをひっぱるなんて"ぼんじん"にはできねーことですよ!」

へえ。

ちひろ「それと金銭感覚、金銭に関わる嗅覚ですかね」

何かを見透かされた気がして、俺は少しくすぐったい気持ちがした。

それは必要なのか。

ちひろ「スカウトだけしていればいい、と言うわけじゃないですからね」

仕事の斡旋もあったものな。

ありす「そうです。質の低い仕事で損をするのはプロダクションですから」

……プロダクションと取引先の間に立って、ときには足元見ながら、
ときには矢面に立たされながら。そう言う立場の人間が、プロデューサーと。

ちひろ「足元見ろとまでは言いませんが……そう言うこともありますね」

ちょうどいい傀儡を探してたわけですか。

ちひろ「傀儡なんていうと言い方は悪いですが……アイドル部門が急に成長して来たので、
人員がとても足りなかったんです。ちょうどいいタイミングで、逸材を掘れましたから」

誘拐事件の顛末を見てそう判断したなら、酔狂な事務員もいたものですね。

ちひろ「これでも200人前後のアイドル抱えてるプロダクションの、エース事務員ですから」

男「そうですか……でしたら」





モバP「これから、宜しくお願いします」

ちひろ「是非とも♪」

無事に完結しました。ありがとうございました。

若干半年、その間色々ありましたが完走できたのは皆様の支えがあったおかげに他なりません。
最初はありすちゃんだけで終わる予定だったのが、色気を出してしまいさらに2人も出した時点でかなり長引いてしまいました。
元ネタはドラえもんで「ドジバン」を使う回で、誘拐犯が幼女を救うシーンが元ネタです。あとはオリジナルです。

仁奈ちゃんの件が未回収ですが、仁奈ちゃんのいじめ問題を主題にした作品をまた並行して製作中ですので、どうかそれで溜飲を下げていただければと思います。

10月に終わる予定が年をまたぎ、おろか年度をもまたぎ、
作中の時期である5月になってしまったのは私の計画力不足のせいです。
これはすぐに終わると思っていた方々に対して本当にすみませんでした。

長くなりましたがお付き合い本当にありがとうございました。
ここまで読んでくださって感謝以外の言葉がありません。
また、雑談スレでネタをくださった方にもお礼申し上げたいです。
本当にありがとうございました。

また、ただいま新作製作中ですので、
これからもまた末長くお付き合いいただけると幸甚に存じます。

それでは失礼いたします。

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