京子「忘れられないキスが欲しい」 (22)

その日、私はテレビの前であぐらをかいて、結衣が買ったばかりのRPGゲームで遊んでいた。私はやっとこさ物語の中盤辺りまで進めたのだが、結衣は既に一度クリアしているらしい。




「うわっ、また負けたあ……」




私は途中で登場する中ボスに苦戦していた。何回やっても、体力ゲージを八割ほど削ったあたりでパーティが全滅してしまう。

私としては、このままやってればいつかはいけるんじゃないかなあ、と思っているんだけど……




「……あとで結衣に聞くかなあ」




ま、いいや。攻略法は後で結衣に聞こう。

結衣のことだし「あとレベルを10は上げた方がいい」とか言われちゃいそうだけど……

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「ふー、さっぱりした」




しばらくすると、結衣はお風呂から出てきた。肩にタオルをかけ、パンダパジャマの姿で私の後ろに立つ。

ゲームを中断し、だらだらしながら待っていた私は、さっそく結衣に聞いてみることにした。




「結衣、あのさー……」








「……!」




……いや、待てよ。その前に、ちょっと結衣を困らせてみようか。




にしし。どんな反応を見せてくれるかなあ。




「なあ結衣ー」




「ん、なんだ?」








「キスして!」








「……は?」


まず、誤解のないように言っておくと、私、歳納京子がこういうスキンシップを求めてくるのは日常茶飯事であり、キス魔であることもごらく部の中では既に周知の事実である。

ましてや、付き合いの長い結衣が、それを知らないわけがない。
「千鶴〜ちゅっちゅ〜」とか、「ちなつちゃんとチューしたいなあー」とか、そういう発言を結衣は全部聞いている。

だから私も、躊躇なくこんなことを唆したり、唇を尖らせたりできるというわけだ。




「遠慮なんかいらんぞ!さあ!」




「お前、何言って……」




結衣は少しだけ目を細めて、頬を赤くさせる。

そうそう、その顔。
普段クールでおしとやかな結衣にゃんが見せる、女の子らしい表情。

私はこの顔が大好きで、二人きりになるたびに、ちょっとドキッとなってしまうような言葉や仕草を、ついつい結衣に対して見せてしまう。




「……」




本来なら、こういうことを言うと「……何言ってんだ」と言ってあっさり突っぱねられるか、「いや、しねーよ!」と恥ずかしがって顔を背けるか、大抵はこの二パターンに集約される。

私は前者をツン結衣、後者をデレ結衣、と勝手に名付けている。私はこの時も、はてさて、今夜はどんな反応を見せるかなあ……今までの流れ的に、今度はデレるかなあ……なんて、ひどく暢気に考えていた。

「……………」




(……あれ?)




ところが、その日の結衣は様子が変だった。ツン結衣でもデレ結衣でもなくて、ただ私の方をじっと見据えて黙っているだけ。

変だなあ、普段なら必ずなにか言うのに。むむっ、もしかして、これは新しい反応か?今までにない三パターン目があったとは。なんて名前にしようかな……








「……本当に、いいんだな?」








すとん




「……へ」

結衣は私の予想のさらに上を行く行動を見せた。

その場で跪き、あぐらをかく私と目線を同じ高さにしたかと思うと、膝と手を動かしてゆっくりと私に詰め寄ってきたのだ。

さすがの私もこれには驚き、気づいた時にはあぐらを崩して後ろへと下がっていた。

……が、とん、と音がしたと思うと、その先にある壁によって行動は阻まれ、私はとうとう、結衣に追い詰められてしまった。




「……」




私の頬に、結衣の白くて細長い指が触れ、二つの目がじっと私を見つめた。

結衣の指は頬を上から下へと伝っていく。
それがどうしようもなくむず痒くて、自然と頬がきゅっとなり、目が薄目になってしまう。




私の視界は、独占されてしまったと言ってもいいくらい、結衣しか見えない。それほどまでに、結衣は顔を近づけていた。

こんな風に見つめられるのは久しぶりだ。最近だと、私が結衣に顔を近づけたりはしたけれど、自分がするのとされるのとでは全くわけが違う。

……ああ、そうか。きっとこれは何かの冗談で、あと少し経てば、結衣はにやって笑って「なーんてな」って言ってくるんでしょ?名探偵歳納京子ちゃんの目はごまかせないぞ。まったく、結衣ってば女たらしだなあ。後で私をどぎまぎさせたお詫びとしてラムレーズンを……




「ちゃんとこっち見て」くいっ




「ひうっ……!?」




……いっ、いきなり顎クイするだなんて卑怯だ。思わず変な声が出ちゃったじゃないか。

しかも、これだと視線が固定されるから、顔を背けることもできないし……


「っあ……」




結衣の吐息が顔全体にふわっとかかって……熱い。緊張してるのか、それとも気に留めていないだけで普段からこんななのだろうか。たまらず私の吐息も熱を帯びる。

結衣が上から見下ろして、私が下から見上げる構図。いつもそうだ。幼い時から、結衣は私より背が高かった。私はその背中にひっついて、いじめっ子から守ってもらっていた。

こうして見上げると、見惚れるくらいに整った顔が迫ってくるようで、私の中の何かが掻き乱されていく。




「ゆ……い?」




「……おでこでいいよな?」




違う、違うんです。ほんのちょっとした出来心なんです。本気でキスするつもりなんて実はなくて……






「……っ」




一言、そう言えばいいだけなのに。

冗談だよって言って笑えばいいだけなのに。

口からは熱気を帯びた吐息しか出てこない。




ばかだ。私、期待しちゃってる。これから起こること……結衣にされることを。




……だめだ、このままじゃ。


ちゃんと言わなきゃ。


結衣に伝えなきゃ。






こうなったら無理やりにでも声を出そうと、大きく息を吸うために口を開き、そして―――

「――――」










口をぱくぱくさせ、聞こえるか聞こえないかくらいの、掠れた声が漏れ出る頃には、もう既に遅かった。

……いや、もし何もされていなかったら、きっとその掠れた声すら出なかっただろう。

触れるか触れないかくらいのわずかな力でも、柔らかく、温かい感触は、おでこの辺りに確かに残された。








「……」




「……」




「……これで満足か?」












「……ばか」




「……えっ」








「ばか、ばかあっ……結衣のばかああぁぁぁ……」








オーバーヒートを起こし、頭で処理しきれなくなった諸々の感情は、涙となって私の目尻から溢れ出た。

自分でも情けないと思う。結衣の前ではもう涙を見せないって決めたのに、こんなにぽろぽろと出して泣き崩れるなんて。でも、そういう思いとは裏腹に、一度溢れた涙はなかなか止まろうとしない。

「な、なんで泣くんだよ……」




「だって……結衣が……結衣があぁ…………」




結衣が困惑するのも当然と言えば当然だ。だって結衣からすれば、言われたことをそのまま実行しただけだもの。それなのに一言目で「ばか」呼ばわりされて、挙げ句の果てにはわんわん泣かれたら、そんな風に言うのも無理はない。

頭ではそれが理解出来ているのに、体はそれに従おうとはしなかった。




「ひうっ……ううぅーっ……ぐすっ…………」




「……」








「ごめん……京子。私が悪いんだよな」




結衣は私の体をそっと支えて、私が自然と泣きじゃくるのをやめるまでずっとそばにいてくれた。

それ自体はとてもうれしかったんだけど、結衣に気を遣わせてしまったのが悔しくて、でもやっぱりうれしくて……

私は結衣の体に身を任せ、胸に顔を埋めてむせび泣いた。








――――

―――

――

「……つまり京子は、私と本気でキスするつもりなんてなかったと?」




「……」こく




泣き止んだ後の私の脳内は「恥ずかしい」の一言で埋め尽くされていた。


自分自身が一番分かりきってることを改めて結衣に反復されただけで、どうしてこんなに顔が火照ってしまうのだろう。




「それで?その後どうして泣いちゃったの?」




結衣は迷子の子どもに話しかけるように、穏やかな口調で聞いてくる。きっと結衣なりの良心なんだろうけど、私は逆に恥ずかしさで押し潰されそうだった。




「ああ…もうやだぁ……死にたい…………」




もうこの場から消え失せてしたいたい。それか今までの記憶を消して、時間を巻き戻してほしい。

そう願っても、一度こびりついた記憶が失われることはなく、恥じらいと比例するように、パジャマを掴む手の力は強くなった。




「もしかして……私とキスするの、そんなに嫌だった……?」




……違う。




「ちがう……ちがうのっ…………私は、結衣との初キスがこんな風になったのが嫌で……っ」




私は首を左右に振って否定する。

それだけは誤解されてほしくなかった。結衣とキスするのが嫌なわけがない。そんなのありえない。

むしろ……嬉しい。すごく嬉しい。こんな状況じゃなきゃ、飛び跳ねて喜ぶくらい嬉しい。

だからこそ、「初めて」がこんなあっけない形で済まされてしまうのが、ただただ嫌だった。くだらないと思われるかもしれないけど、それだけ私にとって結衣は大きな存在で、後悔の念も人一倍大きかった。

「……そっか、良かったよ。嫌だったわけじゃなくて」




結衣は私から顔を逸らし、照れ臭そうにかりかりとほっぺを指でかいた。




「ごめんな。京子の気持ち、ちゃんと気づいてやれなくて」


「……結衣は悪くないよ……」




結衣に非はないのに、謝らせてしまった自分が憎たらしくて、ますます自己嫌悪に陥ってしまう。

きっとツケが回ってきたんだろうな。今まで散々他人を惑わして、唆した罰が、巡り巡って自分に返ってきたんだ。




はは……本当にばかだなあ……

「京子、聞いて」




「……何?」




「私がなんでおでこにキスしたか、分かる?」




「…え……?」












「『口』付けはまだとっておきたかったから」




結衣はそう言うと、ぴとっ、と人差し指を私の唇に置いた。




「ほら、私さ、今までちなつちゃんや千歳に、キスしたりされたりしてきただろ?」




「けど、それって何か違くて……人前で見せたり、無理やりされたり、そんなんばっかでさ……」




「結局、『本当に好きな人との』ちゃんとしたキスは、まだ一度もできてないと思う」




結衣の双眼が私の方へと視線を移す。








「……だから今度は、口と口とで、おふざけでもなんでもない、ちゃんとしたキスを京子としたい」




結衣はそう言うと、私の耳元まで顔を近づけて、




「そういう意味での、私と京子にとっての『初めてのキス』がしたいな」




と囁いた。

「ゅ……ゆいぃ…………」




私は結衣の体を強く抱きしめた。




「っと……京子、ちょっと苦し……」




「うれしいっ…………ありがとう、結衣……」




ありがとう、ありがとうと、私は何度も何度も、繰り返し結衣に伝えた。

感謝してもしきれない想いを伝えたくて、私は体全体を使って表現しようとした結果だった。

結衣にそれが伝わったかは分からないけど、私が抱きついている間、結衣は顔を綻ばせ、私の頭をそっと撫でてくれた。




「……ふふっ」




もう大丈夫だよ。


そう返す代わりに、私は胸に埋めていた顔を離すと、結衣が好きだと言っていた満面の笑顔を見せた。

それに応えるように、結衣もにっこりと笑顔を見せてくれた。




「忘れられないようなキス……しよう」


「……うん」


「おいで」




結衣の言葉に促され、二人は体を接着剤でくっつけたかのように、上半身を密着させる。

私の胸と結衣の胸もくっつき、お互いが相手の心臓のどくんどくんと鳴る音を確かめ合った。


普段なら気にも留めない、時計のかちこちと鳴る音が、今は一番騒がしい音に思える。




「……」




結衣は目を閉じた。

「おいで」と言っていたから、てっきりまた結衣がしてくれるんだと思っていたけど、今度は私の番らしい。




「……」






「……しないの?」




なかなか行動を起こさない私にじれったくなったのか、結衣はうっすらと目を開けて言った。




「ごめん、ちょっと見とれてた」




「……なんだそれ」




あきれたように笑われる。


でもそれが本音だった。

目を閉じ、顔を少しだけ上に傾けて、何かを期待するような顔つき。

そんなにも魅惑的な顔をこちらに向けられたら、誰だってしばらく眺めていたくなるだろうし、緊張するはずだ。

少なくとも私はそうだった。

「ん……」




結衣は再び目を瞑った。

私は恐る恐る、眠っている赤子に近づくようにゆっくりと、顔を近づける。

唇に意識を集中させるため、私も少しずつ瞼を閉じていく。

結衣の顔が見られなくなるのは心残りだけど、今は五感の全てを唇に集中させた。






「結衣」




「……京子」




二人は目を閉じたまま、お互いの存在を確認し合った。

「ん……」




最初は、軽くつんつんと触れて。

正確な位置が確認できたら、ゆっくりと、包み込むように……






「ふぁ…………」




「んぅ……」






二人の身にまとうパジャマが擦れて音を出し、熱気を帯びつつ吐き出された二人の息は混ざり合い、ますます濃く甘いものへと変わっていく。

さっきまでうるさかった時計の音は、もうすっかり聞こえなくなっていた。




「………ん……んっ……」




意識しなくとも、自然と口から艶っぽい声が漏れ出てしまう。

仕方ないじゃん。だって、気持ちよすぎるんだもん。嬉しいんだもん。




幸せなんだもん。

「んんっ…………」




結衣は私の背中に手を回して、ぐっと唇を押し込む。




「柔らかい」とか、「熱い」とか。

麻痺した脳から出る断片的な形容詞が、脳内を独占する。

そのキスはまるで、口から何か熱いものが流れ込んでくるようで、自然と力は抜け、顔は蕩けてしまう。






「……っ……ふっ…ふあっ……」






ずるい。






「ちゅ………………っ……」






結衣はずるい。


ずるいよ。






「ん……ふあっ……」






こんな、うっとりするようなキス……



















忘れられるわけがないじゃん。

「ゅっ………いぃ……」




「ん……きょ…………こ…………」








ああ………もう、好き。




結衣が好きだ。




大好き。




どうしようもなく好き。




好き、好き、好き……!





















「「ぷあっ」」




ずっと、ずーーーっと、永遠に続いてしまうんじゃないかと思えるくらい、長いキスだった。

あまりの長さから、飲み込めずに溜まっていた唾液が、口を離した途端に溢れ出るほどだった。




「けほっ、けほっ……」




「あ、ごめん……長すぎた?」




「ううん……もっとしていたかった」




「……それならいいけど」




結衣はとろんとした顔のまま、私の口元にある涎を、舌を使って優しく掬い取ってくれた。

二人とも、頭から足の先まで熱くなっていて、せっかくお風呂に入ったのに、汗のじっとりとした感覚が全身を支配していた。




「汗……すごいね」




「ん……そうだね」






「ねえ、結衣」




ぐったりと力が入らなくなってしまった体を、それでも何とか動かして。




「……どうしたの?」




足りない。


まだ足りない。




「もっと……ちょうだい」




もっと欲しい。


もっと長く、もっとたくさん。




「結衣が……欲しい」








ただひたすらに、愛おしくて、切なくなるような。








「……しょうがないな、京子は」












忘れられないキスが欲しい。

オッワリーン

久々に結京を書いてみましたが、やっぱりこの二人はいいですね。


2期12話でキスしてる?それは気にしたら負けです。

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