モバP「旧姓、神谷奈緒」 (27)


たった一枚の紙切れで、他人と他人は夫婦という関係になる。病める時も健やかなる時も、互いを信じて一緒に生きていきたい。だから結婚しないかと言った時の奈緒の顔はよく覚えている。

『!』

顔を真っ赤にして、たった一言。

『不束者ですが宜しくお願いします』

そこにいた彼女は、誰もが憧れるアイドルではなく、誰よりも素直で愛らしい女の子だった。

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「おーい、起きろよなー」

「ん……」

心地良いまどろみの中で俺を呼ぶ声がする。

「あと5時間ほど……許可を」

「許可しません!今日は大事な会議の日って言ってただろ!遅刻でもしてみなよ、あたしまで怒られるって!」

ガバッと布団を剥ぎ取られた俺はぬくもりを取り戻そうとするもカミさんに躱されてしまう。

「奈緒ー、寒いよー。ギュッとしてー」

「何アホなこと言ってんだよ!ほら。朝ごはんできてるから、一緒に食べようぜ」

心地良く眠気の海を泳いでいると、コンソメの強い香りが鼻に入ってくる。こうなると眠気より食欲の方が勝ってしまう。

「ふぁーあ、おはよ。奈緒」

「おはよ」

朝起きて一番最初に見る顔がかつてのトップアイドル神谷奈緒ってのは、俺だけに許された特権だ。


いつものことだけど奈緒に付き合って深夜アニメを見ていて俺の方が先に寝たというのに、朝俺が起きる頃にはすでに朝ごはんが出来ている。
そういやここんところ奈緒の寝顔を見た記憶がない。本当に寝てるのか?

「早起きだよな、奈緒は」

「旦那様が寝坊助なだけだろ?」

と軽く返すが開かれてた新聞のテレビ欄を見ると、朝の早い時間からローカル局でアニメをやっていたようだ。

「朝も深夜もアニメ三昧か」

「い、いいだろ別に!ちゃんと家事をやってるんだし!それくらい許してくれよー。奥さん悲しんじゃうぜ?」

「いや、別に責めてるわけじゃないよ。なんつーか、変わらないなと思って」

「そりゃ今まで生きてりゃそう簡単に変わるもんじゃないだろー。あたしもアンタも」

苗字が変わってアイドルから人妻にジョブチェンジした奈緒だけど、根本的なところは変わっていない。アニメが好きで友達から弄られて。
ただちょっと、俺に対して素直になってくれただけだ。


「「いただきます」」

どんなに俺が忙しい身でも、出張の時以外は朝ご飯は一緒に食べること。結婚した時に決めた2人のルールだ。もし破ろうものならカミさんは泣きながら怒るので破るわけにもいかない。
流石に奈緒の悲しむ顔を好き好んでを見たい、というサディスティックな趣味嗜好はない。

『聞いたことあるでしょ?朝ご飯は金メダルだって。忙しいのも分かるけどさ、ちゃんと食べないとしんどいだけだぞ?』

とはいつかの奈緒の談。確かに小学校の頃に聞いたことがある気がする。

結婚前の俺は複数のユニットを同時にプロデュースしており、仕事の忙しさにかまけて食事もロクにできていなかった。
毎日のようにコンビニ弁当で家に帰るのも寝るだけ、と言った具合で正直早死にするような生活を送っていたし。
アイドルの皆に仕事を持ってきて安心させよう!と思っていたのに、却って心配をかけていたんだ。そのことに気づいたのは、病院のベットの上だったなんて皮肉な話だよな。

『プロデューサーさんが無茶して倒れたら本末転倒だろ!』

泣きながら病み上がりの俺をポカポカする奈緒の姿を見て、筆舌にし難い罪悪感が湧き上がる。奈緒は入院中の俺の世話を甲斐甲斐しくしてくれた。病室で聞かせてくれた仕事の話や奈緒の好きなアニメの話、取り留めもない雑談。多分だけどこの時、俺は奈緒を1人の女として見始めていたのだろう。

そのことを奈緒に話すと病み上がりに漬け込んだみたいだよなぁ、と申し訳なさそうに答える。俺はただ一言、好きになるのが早くなっただけだと答え返した。


「奈緒、ありがとうな」

「急にどうしたんだよ?」

「いや、なんとなく」

「怪しい……まさか浮気してたりしないよな?担当アイドルに手を出したのか?」

ジトーと俺を疑うように見る奈緒。嫉妬してくれてるのか?いや、担当アイドルに手を出したことは紛れも無い事実ではあるけども。

「そんな下衆の極みな真似出来ないって!俺、奈緒にぞっこん。オーケー?」

本人は過小評価気味だけど、俺には出来すぎているくらいの良い奥さんなんだ。裏切るようなことなんで出来るわけがない。

「そういうのサラリと言うなよな……照れるだろ」

奈緒はと言うと、俺のカウンターがバッチリ決まったのか、モジモジしながら朝のコーヒーを飲んでいた。

「ってあたしも担当アイドルだったよ!」

かと思うと叫んでみたり。感情の振れ幅が広くて見てるだけでも楽しい。


「ほら、お弁当」

「いつもサンキューな」

お気に入りのアニメのキャラクターが描かれた弁当包みをカバンの中に入れる。つまり朝も昼も夜も奈緒に胃袋をしっかり掴まれているわけでして。
同僚には愛妻弁当だとからかわれるけど恥ずかしがったのは最初だけ、慣れてしまえば独り身の方々に自慢するかのように食べてる自分がいた。

「今日はそこまで遅くならないと思うから」

「オッケー。もし遅れるようなら連絡してよ?」

「分かってるって。んじゃ行ってきます」

「行ってらっしゃい」

「……」

「? どうしたんだよ、忘れ物?」

忘れ物といえば忘れ物だ。

「行ってきますのチュウは?」

「するかーー!! 早よ行け!」

顔を真っ赤にしたカミさんに追い立てられるように出勤する。そうだな、今日は仕事が終わったらお土産でも買って帰ろうか。


「フフフフーンフーンフフーン♪」

会議も恙無く終わり、やっておくべき仕事もあらかた片付けていたのでお土産を買って帰る。なんでも今の若い子たちの間ではちょっとしたブームらしい。きっと奈緒も喜ぶだろう。

「ただいまー、ってありゃ。寝てるのか」

いつもなら俺が帰ってくるのと同時に玄関に来てくれるのだけど、テレビをつけっぱなしにしたまま机に突っ伏して寝ていた。

「あっ……」

起こしてやろうと近づくと、出しっ放しのBlu-rayディスクが目に入った。8年ほど前、奈緒がアイドルだった頃のステージを記録したそれを見た時、俺の中でチクリとしたとげが突き刺さる。

「奈緒はまだ、やれたよな……」

女の子は何歳になってもシンデレラ。それがうちのプロダクションの方針だ。
事実今の奈緒より年上のアイドルもデビューすることも珍しい話ではない。25歳ってのも、まだまだ輝き盛りだったんだ。

だけど俺と結婚したことで、奈緒はアイドルとしてステージに上がる資格を失った。ファン達からは祝福の声もあったけど、同時に裏切られたと強いバッシングも受けた。
担当プロデューサーと結婚、となれば怒りも尚更だろう。根も葉もないことを書かれたもんだ。
それでも奈緒は俺と一緒になることを選んでくれた。苗字も変わりステージから家庭へと活動場所を移して。

後悔はないよ、って言ってくれたけど……今でも奈緒は、アイドルに未練が――。


「んん……寝ちゃってたのか」

俺の存在に気付いたのか、奈緒はゆっくりと顔を上げる。あっ、折角寝顔を見るチャンスだったのに。

「おはよ、奈緒」

「うーん……あ、あれ? 帰って来ちゃったの!? 嘘、晩御飯の用意できてないぞ! 悪い、今から作るから!」

「待てい!」

目が醒めるなり慌ただしくキッチンに向かう奈緒の手を引っ張ると、おっとっととコケそうになる。

「何すんだよー!」

「いやさ、たまには外食しないか? 実はもうお腹がぺこぺこで」

その瞬間ぐぅと腹の虫が聞こえた。目の前のカミさんから。

「い、今のは、エド・はるみの鳴き声だからな! 野生のエド・はるみがその辺にいたんだよきっと! 秋の風物詩だろ!?」

何も言ってもないのに誤魔化そうとする。なんだかそれがいじらしい。


「奈緒も腹減ってるだろ? それに、いつも美味しいご飯作ってもらうだけじゃなくて掃除に洗濯にお疲れだと思って。ほら行こうぜ、こないだ担当アイドルがグルメリポートに言った店が気になってたんだ。奈緒も気にいると思うよ」

奈緒自身料理の楽しさに目覚めたみたいで毎日作っていたからなかなか誘えなかったが、これはちょうど良いタイミングだったのかもしれない。

「そう? それじゃあ甘えよっかな。ゴメン、気を使わせちゃって」

「夫婦なんだから気にするなって。むしろもっと甘えて欲しい、奈緒にゃんにゃんとか言って欲しい」

「気持ち悪い!」

さっき抱いてしまった薄暗い感情を誤魔化すようにふざけてみる。でもまぁ、猫耳のカミさんを見たいと思うのは嘘ではない。


 着替え終わる奈緒を車の中で待つ。流れてくるラジオのパーソナリティの声は、俺たちもよく知っているものだった。

「お待たせ」

 出会ったばかりの頃はちょっとロックな感じの服を着ていた奈緒だったが、大人になり美しくなるにつれて落ち着いた服を好むようになった。黒いシックな感じのそれは、5日のステージの上の彼女を思い起こさせる。

「ってこれ、加蓮の番組か」

「ああ。そういや最近時間が変わったんだったけか」

 北条加蓮は奈緒がアイドルだった頃に一緒にユニットを組んでいた女の子だ。アイドルは既に引退しているけど、実力派若手女優として才能が花開き今やドラマに映画に引っ張りだこだ。ちなみに、同じくユニットを組んでいた渋谷凛は歌手として本格的に活動を始めて、今はなんとアメリカで活躍している。

 心地良いトークを聞きながら車を走らせる。こうやって2人でドライブするのも久しぶりな気がするな。ふと奈緒の方を横目で見ると、憂いを帯びたような笑みを浮かべて

「……頑張ってるよなぁ、みんな」

 奈緒は寂しそうに独り言ちる。やっぱり、後悔しているのだろうか……。


 聞いてしまった、禁断の質問。

「!」

 奈緒は一瞬驚いた顔を見せるが、

「アホかー!」

「いらら!あにすんだ奈緒!」

 すぐに怒ったように俺のほっぺをを強くつねった。赤信号でなければ事故の元だっただろう。

「この口か!?この口が悪いのか―!?」

「す、ストップストップ!」

 さっきまでの重苦しい空気も一瞬にして消し飛んでしまった。


「い、一回しか言わないからな! 後悔なんかあるわけないって! あたしはあたしの意思でアンタの奥さんになるって決めたんだ! 凛が歌手を目指したように、加蓮が女優を目指したように、あたしはアンタにとっての1番の存在になるって誓ったんだ!」

「奈緒……」

「……そりゃあ、まだやれたかなぁとは思うしみんなが活躍してるのを見るとちょっと……ちょっとだけだよ? 寂しい気持ちになるのは否定できないけど。それでも大好きな人と夫婦になれたこの人生を否定はしないし、全力で肯定していきたいんだ」

涙を浮かべながらそう訴える奈緒を見て、自分の愚かさに初めて気付いた。好きな人が一緒にいることを選んでくれた、それを肯定してくれる。そのことがどれだけ尊く、愛おしいことなのか。

「奈緒、さっきのお返し」

「何んっ……」

気が付けば俺は奈緒に口づけをしていた。ただただ、そこに俺が愛して俺を愛してくれる女の子がいることを証明するかのように。
2人だけの甘いの時間は後ろの車のクラクションで現実に引き戻される。信号は青、俺は慌ててアクセルを踏んだ。

「……」

「……」

車から流れる加蓮の心地良い声をBGMに、俺たちは初めてキスをした時みたいに互いに黙り込んでしまう。2人とも良い歳してそれ以上のことだってしてるのに、ウブなものだ。


「なぁ」

「ん?」

 沈黙を先に破ったのは奈緒の方だった。

「愛してるからさ。そっちもあたしのこと、愛し続けて欲しい。素敵な世界を見せ続けてよ。アイドル辞めるんじゃなかったって後悔させないくらい。って何言ってんだろあたし……酔ってるのかな?」

「ああ、そうだな……俺も奈緒を愛し続けるよ。お前の人生をプロデュースし続ける」

「あははっ。そっちも酔ってる?」

「だな。警察に捕まっちゃうな」

 恥ずかしい台詞だけど、それが俺たちの真実だ。足りないのなら、何度だって言い合ってやる。愛している、と。2人でしか見れない世界を、見せてやるんだ。そして俺はこの時強く感じた。きっと俺たちは紙切れ一枚で縛られた関係じゃなくて、心と心で繋がっているんだって。

 その後のことを話すと、折角の外食も2人揃って味をいまいち覚えていなかった。口に残っていたのは、互いの味だ。


「んん……」

「おはよ、奈緒」

「おはよ……ってなんで起きてるんだよ!?」

「普段は早く起きろー!って言うのに、変な奈緒」

「いや、そうだけどさ……」

 翌朝、俺は久しぶりに奈緒より早起きした。少しだけ彼女の寝顔を堪能して、いつもの感謝の気持ちを込めて朝ご飯を作っていたのだ。と言っても、料理の経験はそこまでないので簡単なものしか用意できなかったけど。

「それとも、俺の愛情がこもった料理は嫌か?」

「はいはい、美味しゅう頂きますよーだ」

 いつもと変わらぬ朝の、ちょっとだけ違う光景。それすらも愛おしく思えるのは、奈緒がそばにいてくれるからだろう。

「ごめんな、お弁当作れなくて。でも! その分夜は気合い入れて作るからまっすぐ帰って来いよな!」

「隠し味は愛情か?」

「ふふーん、隠さずに入れるっての! って何言わせんだよー!」

 ははは、可愛い奴め。

「それじゃあ行ってくるよ」

「ちょーっと待った! ちょいちょい」

 出ようとすると奈緒に体を掴まれる。何だ?と聞こうとする前に、

「っ。ほら、行ってらっしゃい」

 キスされちゃいました。

「い、言っただろ? 愛してるからって……す、少しくらい旦那様の望み叶えてあげようかなーなんて……」

「なーおー!」

「こらー! 抱きつくなー! 見られるから! ご近所の噂になっちゃうから! お外歩けなくなるから! 文春来るからー!」

 これからもきっと、そんな日々を過ごしていくんだ――。

短いですが以上です。スマホで書き溜めした都合と急いで投下したので文頭空白が無かったり!と?の後に空白なかったり
で読みにくくて申し訳ございません。少し読み返しながら直していきます、奈緒だけに。


>>1
 たった一枚の紙切れで、他人と他人は夫婦という関係になる。病める時も健やかなる時も、互いを信じて一緒に生きていきたい。だから結婚しないかと言った時の奈緒の顔はよく覚えている。

『!』

 顔を真っ赤にして、たった一言。

『不束者ですが宜しくお願いします』

 そこにいた彼女は、誰もが憧れるアイドルではなく、誰よりも素直で愛らしい女の子だった。


>>2
「おーい、起きろよなー」

「ん……」

 心地良いまどろみの中で俺を呼ぶ声がする。

「あと5時間ほど……許可を」

「許可しません! 今日は大事な会議の日って言ってただろ! 遅刻でもしてみなよ、あたしまで怒られるって!」

 ガバッと布団を剥ぎ取られた俺はぬくもりを取り戻そうとするもカミさんに躱されてしまう。

「奈緒ー、寒いよー。ギュッとしてー」

「何アホなこと言ってんだよ! ほら。朝ごはんできてるから、一緒に食べようぜ」

 心地良く眠気の海を泳いでいると、コンソメの強い香りが鼻に入ってくる。こうなると眠気より食欲の方が勝ってしまう。

「ふぁーあ、おはよ。奈緒」

「おはよ」

 朝起きて一番最初に見る顔がかつてのトップアイドル神谷奈緒ってのは、俺だけに許された特権だ。

>>3

 いつものことだけど奈緒に付き合って深夜アニメを見ていて俺の方が先に寝たというのに、朝俺が起きる頃にはすでに朝ごはんが出来ている。
そういやここんところ奈緒の寝顔を見た記憶がない。本当に寝てるのか?

「早起きだよな、奈緒は」

「旦那様が寝坊助なだけだろ?」

と軽く返すが開かれてた新聞のテレビ欄を見ると、朝の早い時間からローカル局でアニメをやっていたようだ。

「朝も深夜もアニメ三昧か」

「い、いいだろ別に! ちゃんと家事をやってるんだし! それくらい許してくれよー。奥さん悲しんじゃうぜ?」

「いや、別に責めてるわけじゃないよ。なんつーか、変わらないなと思って」

「そりゃ今まで生きてりゃそう簡単に変わるもんじゃないだろー。あたしもアンタも」

 苗字が変わってアイドルから人妻にジョブチェンジした奈緒だけど、根本的なところは変わっていない。アニメが好きで友達から弄られて。ただちょっと、俺に対して素直になってくれただけだ。

>>4

「「いただきます」」

 どんなに俺が忙しい身でも、出張の時以外は朝ご飯は一緒に食べること。結婚した時に決めた2人のルールだ。もし破ろうものならカミさんは泣きながら怒るので破るわけにもいかない。流石に奈緒の悲しむ顔を好き好んでを見たい、というサディスティックな趣味嗜好はない。

『聞いたことあるでしょ? 朝ご飯は金メダルだって。忙しいのも分かるけどさ、ちゃんと食べないとしんどいだけだぞ?』

 とはいつかの奈緒の談。確かに小学校の頃に聞いたことがある気がする。

 結婚前の俺は複数のユニットを同時にプロデュースしており、仕事の忙しさにかまけて食事もロクにできていなかった。毎日のようにコンビニ弁当で家に帰るのも寝るだけ、と言った具合で正直早死にするような生活を送っていたし。アイドルの皆に仕事を持ってきて安心させよう!と思っていたのに、却って心配をかけていたんだ。そのことに気づいたのは、病院のベットの上だったなんて皮肉な話だよな。

『プロデューサーさんが無茶して倒れたら本末転倒だろ!』

 泣きながら病み上がりの俺をポカポカする奈緒の姿を見て、筆舌にし難い罪悪感が湧き上がる。奈緒は入院中の俺の世話を甲斐甲斐しくしてくれた。病室で聞かせてくれた仕事の話や奈緒の好きなアニメの話、取り留めもない雑談。

 多分だけどこの時、俺は奈緒を1人の女として見始めていたのだろう。そのことを奈緒に話すと病み上がりにつけ込んだみたいだよなぁ、と申し訳なさそうに答える。俺はただ一言、好きになるのが早くなっただけだと答え返した。

>>5

「奈緒、ありがとうな」

「急にどうしたんだよ?」

「いや、なんとなく」

「怪しい……まさか浮気してたりしないよな?担当アイドルに手を出したのか?」

 ジトーと俺を疑うように見る奈緒。嫉妬してくれてるのか? いや、担当アイドルに手を出したことは紛れも無い事実ではあるけども。

「そんな下衆の極みな真似出来ないって!俺、奈緒にぞっこん。オーケー?」

 本人は過小評価気味だけど、俺には出来すぎているくらいの良い奥さんなんだ。裏切るようなことなんで出来るわけがない。

「そういうのサラリと言うなよな……照れるだろ」

 奈緒はと言うと、俺のカウンターがバッチリ決まったのか、モジモジしながら朝のコーヒーを飲んでいた。

「ってあたしも担当アイドルだったよ!」

 かと思うと叫んでみたり。感情の振れ幅が広くて見てるだけでも楽しい。

>>6

「ほら、お弁当」

「いつもサンキューな」

 お気に入りのアニメのキャラクターが描かれた弁当包みをカバンの中に入れる。つまり朝も昼も夜も奈緒に胃袋をしっかり掴まれているわけでして。同僚には愛妻弁当だとからかわれるけど恥ずかしがったのは最初だけ、慣れてしまえば独り身の方々に自慢するかのように食べてる自分がいた。

「今日はそこまで遅くならないと思うから」

「オッケー。もし遅れるようなら連絡してよ?」

「分かってるって。んじゃ行ってきます」

「行ってらっしゃい」

「……」

「? どうしたんだよ、忘れ物?」

 忘れ物といえば忘れ物だ。

「行ってきますのチュウは?」

「するかーー!! 早よ行け!」

 顔を真っ赤にしたカミさんに追い立てられるように出勤する。そうだな、今日は仕事が終わったらお土産でも買って帰ろうか。

>>7

「フフフフーンフーンフフーン♪」

 会議も恙無く終わり、やっておくべき仕事もあらかた片付けていたのでお土産を買って帰る。なんでも今の若い子たちの間ではちょっとしたブームらしい。きっと奈緒も喜ぶだろう。

「ただいまー、ってありゃ。寝てるのか」

 いつもなら俺が帰ってくるのと同時に玄関に来てくれるのだけど、テレビをつけっぱなしにしたまま机に突っ伏して寝ていた。

「あっ……」

 起こしてやろうと近づくと、出しっ放しのBlu-rayディスクが目に入った。8年ほど前、奈緒がアイドルだった頃のステージを記録したそれを見た時、俺の中でチクリとしたとげが突き刺さる。

「奈緒はまだ、やれたよな……」

 女の子は何歳になってもシンデレラ。それがうちのプロダクションの方針だ。事実今の奈緒より年上のアイドルもデビューすることも珍しい話ではない。25歳ってのも、まだまだ輝き盛りだったんだ。

 だけど俺と結婚したことで、奈緒はアイドルとしてステージに上がる資格を失った。ファン達からは祝福の声もあったけど、同時に裏切られたと強いバッシングも受けた。担当プロデューサーと結婚、となれば怒りも尚更だろう。根も葉もないことを書かれたもんだ。

 それでも奈緒は俺と一緒になることを選んでくれた。苗字も変わりステージから家庭へと活動場所を移して。後悔はないよ、って言ってくれたけど……今でも奈緒は、アイドルに未練が――。


>>8

「んん……寝ちゃってたのか」

 俺の存在に気付いたのか、奈緒はゆっくりと顔を上げる。あっ、折角寝顔を見るチャンスだったのに。

「おはよ、奈緒」

「うーん……あ、あれ? 帰って来ちゃったの!? 嘘、晩御飯の用意できてないぞ! 悪い、今から作るから!」

「待てい!」

 目が醒めるなり慌ただしくキッチンに向かう奈緒の手を引っ張ると、おっとっととコケそうになる。

「何すんだよー!」

「いやさ、たまには外食しないか? 実はもうお腹がぺこぺこで」

 その瞬間ぐぅと腹の虫が聞こえた。目の前のカミさんから。

「い、今のは、エド・はるみの鳴き声だからな! 野生のエド・はるみがその辺にいたんだよきっと! 秋の風物詩だろ!?」

 何も言ってもないのに誤魔化そうとする。なんだかそれがいじらしい。

>>9
「奈緒も腹減ってるだろ? それに、いつも美味しいご飯作ってもらうだけじゃなくて掃除に洗濯にお疲れだと思って。ほら行こうぜ、こないだ担当アイドルがグルメリポートに言った店が気になってたんだ。奈緒も気にいると思うよ」

 奈緒自身料理の楽しさに目覚めたみたいで毎日作っていたからなかなか誘えなかったが、これはちょうど良いタイミングだったのかもしれない。

「そう? それじゃあ甘えよっかな。ゴメン、気を使わせちゃって」

「夫婦なんだから気にするなって。むしろもっと甘えて欲しい、奈緒にゃんにゃんとか言って欲しい」

「気持ち悪い!」

 さっき抱いてしまった薄暗い感情を誤魔化すようにふざけてみる。でもまぁ、猫耳のカミさんを見たいと思うのは嘘ではない。


>>12
 聞いてしまった、禁断の質問。

「!」

 奈緒は一瞬驚いた顔を見せるが、

「アホかー!」

「いらら!あにすんだ奈緒!」

 すぐに怒ったように俺のほっぺをを強くつねった。赤信号でなければ事故の元だっただろう。

「この口か!? この口が悪いのか―!?」

「す、ストップストップ!」

 さっきまでの重苦しい空気も一瞬にして消し飛んでしまった。

>>13

「い、一回しか言わないからな! 後悔なんかあるわけないって! あたしはあたしの意思でアンタの奥さんになるって決めたんだ! 凛が歌手を目指したように、加蓮が女優を目指したように、あたしはアンタにとっての1番の存在になるって誓ったんだ!」

「奈緒……」

「……そりゃあ、まだやれたかなぁとは思うしみんなが活躍してるのを見るとちょっと……ちょっとだけだよ? 寂しい気持ちになるのは否定できないけど。それでも大好きな人と夫婦になれたこの人生を否定はしないし、全力で肯定していきたいんだ」

 涙を浮かべながらそう訴える奈緒を見て、自分の愚かさに初めて気付いた。好きな人が一緒にいることを選んでくれた、それを肯定してくれる。そのことがどれだけ尊く、愛おしいことなのか。

「奈緒、さっきのお返し」

「何んっ……」

 気が付けば俺は奈緒に口づけをしていた。ただただ、そこに俺が愛して俺を愛してくれる女の子がいることを証明するかのように。2人だけの甘いの時間は後ろの車のクラクションで現実に引き戻される。信号は青、俺は慌ててアクセルを踏んだ。

「……」

「……」

 車から流れる加蓮の心地良い声をBGMに、俺たちは初めてキスをした時みたいに互いに黙り込んでしまう。2人とも良い歳してそれ以上のことだってしてるのに、ウブなものだ。

とりあえず文頭空白などの訂正は以上です。読みにくくなってしまい申し訳ございません。
自分なりに甘く書いたつもりですが果たして……読んで下さった方、ありがとうございました。失礼いたします

>>12
「なぁ、奈緒……お前は俺と結婚したこと、後悔してるのか?本当は今でもステージに立っていたかったって思っているの、か?」

聞いてしまった、禁断の質問。

「!」

奈緒は一瞬驚いた顔を見せるが、

「アホかー!」

「いらら!あにすんだ奈緒!」

すぐに怒ったように俺のほっぺをを強くつねった。赤信号でなければ事故の元だっただろう。

「この口か!?この口が悪いのか―!?」

「す、ストップストップ!」

さっきまでの重苦しい空気も一瞬にして消し飛んでしまった


何でこんな大事な所入れ忘れるかなぁ僕……

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